リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」は長年ヨーロッパの音楽界の中核

 リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」は長年ヨーロッパの音楽界の中核にあって、彩りの多
彩さのみならず、香りにもひときわぬきんでたものがある数々のオペラを咲かせてきた花園が、まさ
にその華麗な歴史に終止符をうとうとしている時期に咲かせた傑作である。作曲者であるリヒャル
ト・シュトラウスが彼の持前とするところの作曲の技を遺憾なく発揮して、編成の大きいオーケスト
ラの表現力を活用しきって完成させた「ばらの騎士」は、作品としての規模の大きさのみならず、そ
こから放たれる香りの濃厚さといった点でも、オペラ史上、格別のものがある。
19世紀前半までに量産されたオペラのなかには、荒唐無稽なものがたりによった、文学性などと
いうことを問題にする手がかりさえ見つけられないような作品も少なくない。しかし、時代が下るに
したがい、文学作品として充分に魅力的な台本によったオペラも次第に多くなっていった。ホフマン
スタールの書いた「ばらの騎士」の台本などは、文学性の高さを誇れるオペラの台本の代表的な例と
してあげられる。ベッリーニの音楽をきかないで、オペラ「ノルマ」の台本だけを読んでみても、面
白くもおかしくもないが、
「ばらの騎士」のホフマンスタールの台本は、戯曲を読むようにして読んで
も、充分に読者を楽しませられるだけのものをそなえている。
もともと味つけの濃い音楽を作曲してきたリヒャルト・シュトラウスが、そのように文学的にも自
立しうるだけの内容をそなえているホフマンスタールの台本に音楽をつけた「ばらの騎士」であれば、
この作品がさまざまな面で濃厚なものになっていたとしても不思議はない。事実、
「ばらの騎士」がき
きてにとっての賞味部分のきわめて多い、しかも上演時間の長いオペラということもあって、この作
品をオペラハウスできこうとしているときにぼくたちの感じる気分は、一流レストランでフルコース
のディナーを楽しむ前のものに似ていなくもない。
そういったことからもあきらかなように、
「ばらの騎士」は上演に要する経費や手間といったことか
らも、オペラハウスにとってのヘビー級のオペラだということがわかる。当然、そのようなヘビー級
のオペラであれば、いかに人気のある作品とはいえ、容易には上演できない。今なら、DVDやCD
で、自分の家にいながら「ばらの騎士」を楽しむことも可能になっているが、
「ばらの騎士」が初演さ
れた、DVDはもとより、CDもなかった時代に、
「ばらの騎士」を、話題の作品だからきいてみたい
と思ったとしても、オペラハウスで上演されたものにふれる以外に楽しむ方法はなかった。
無声映画「ばらの騎士」は、そのような時代につくられて、上演されたオペラの代用品としての使
命をはたしていた。無声映画であれば、どうしたって、映画を上映するときに演奏する音楽が必要に
なるということでは、
「ばらの騎士」とて例外ではなかった。ここでとりあげた2枚組のアルバムにお
さめられている無声映画「ばらの騎士」のための音楽(サロン・オーケストラ版)はそういった経緯
があってうみだされた、興味つきない作品である。
ただ、この無声映画「ばらの騎士」はかならずしもオペラの「ばらの騎士」でのものがたりの推移
をそのまま描いてはいなかったので、オペラにない場面も映画にはでてくる。しかし、そのような、
オペラにはない場面のための音楽となると、オペラ本体から転用するのは不可能だった。そこで、映
画の、そういったオペラにはないエピソードの語られる部分にはリヒャルト・シュトラウスが以前に
作曲した、
「ばらの騎士」とは関係のない音楽が巧みに活用されていたりもした。そういった、この無
声映画「ばらの騎士」のための音楽(サロン・オーケストラ版)の成り立ちや内容については、添付
された解説書で鶴間圭氏がとてもわかりやすく解説されていて、その適切にして入念な解説もまた、
このアルバムの魅力のひとつになっている。
オリジナルの「ばらの騎士」は大編成のオーケストラによって演奏されるが、無声映画「ばらの騎
士」のための、サロン・オーケストラ版による音楽を演奏するのは、わずか16人のメンバーからな
るバーデン=バーデン合奏団である。小さな編成の合奏団で演奏されたのでは、おのずと、オペラ本
体の、あの色彩的なひびきも、迫力あるサウンドも期待できない。しかし、その代わりにということ
もないであろうが、合奏団によって演奏されたことで、
「ばらの騎士」の音楽がいつになく親密な表情
にみちたものになっている。まさにそこが、このアルバムのチャーミング・ポイントである。
ただ、このような性格の音楽の場合、ききてがこれまでに、どのような方向から、どの程度「ばら
の騎士」という作品を楽しんできたかによって、きいて味わう楽しみに大きな開きがでてくるように
思う。「サロン・オーケストラ版」によっている演奏だけに、のんびりと、気軽に、「ばらの騎士」の
ムードを楽しむことも可能である。とはいっても、
「ばらの騎士」という作品が大好きで、さまざまな
演奏でくりかえしきいてきたききてがきくと、当然、サロン音楽としてきき流すことなど出来るはず
もなく、懐かしい気持でオペラ本体の音楽を思いだすことになる。その意味で、この無声映画「ばら
の騎士」のためのサロン・オーケストラ版の音楽には、演奏時間の長いポプリ、つまり接続曲といえ
なくもないところがあって、きいていると、そのような部分がとても楽しい。
家庭内できくには、大編成のオーケストラによって華麗に演奏されたものより、この程度の合奏団
の演奏できいたほうが、部屋の空気に馴染みやすいということもいえなくはなく、うっとりと、贅沢
な時間を過ごさせてもらった。
「R.シュトラウス:無声映画「ばらの騎士」のための音楽/バーデン=バーデン合奏団」
(ソニー/BMG
BVCD-38070/1)
※オーディオ・ベーシック