岩上洋一氏記念講演 - 島根県精神保健福祉協会

第46回島根県精神保健福祉大会記念講演
下記のとおり、第26回島根県精神保健福祉大会を開催し、NPO法人じりつ代表理事の岩上洋一氏
に記念講演をいただきました。当日の御講演を逐語筆記し、ご本人から提供いただいた資料と合わせ、
以下のとおり講演録としてまとめました。
大会テーマ 『私らしく、あなたらしく~支え合うまちにしようやぁ~』
日 時
平成26年11月10日(月)
13:00~16:30
場 所
島根県芸術文化センターグラントワ(益田市有明町)
○皆さん、こんにちは。御紹介いただきました岩上でございます。どうぞよろしくお願いいたしま
す。
本日は第46回島根県精神保健福祉大会の開催、誠におめでとうございます。そして多くの方が
表彰されるのを拝見しておりまして、皆様方の今までの御尽力に対しても敬意を表したいと思いま
す。おめでとうございました。
私、埼玉県の東部で障害者の支援をしているNPO法人の代表をしています。もともとの職種は
精神保健福祉士といいまして、皆さん御存じの方も多いと思いますが、精神障がいの方の支援をす
る福祉のソーシャルワーカーをしております。今回縁がありまして、島根県に呼んでいただいたわ
けですけれども、私、実は全国をかなり講演で回っておりまして、多分、島根県が40県目ぐらい
だと思うんですね。なぜ今までお呼びがかからなかったのかと。これ別に笑い話じゃないですが、
それはなぜか。私が来る必要がなかったということなんですね。それだけ皆さんの実践は、全国的
な実践をされているんだと思います。じゃあ、呼んでくれているところの実践が悪くて呼んでくれ
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ているかというと、そういうことでもないんですけれども。島根県は、非常に熱心に活動をされて
いる県だという印象を持っています。しかし、今回呼んでいただいたからには、幾つか私の実践を
御紹介させていただいて、そのうちのもし皆さんのヒントになるようなことがありましたら、幸い
に思うところでございます。
今日の話は大きく分けて2つです。1つは、私が埼玉県で実践していることをお伝えすること。
もう一つは、我が国の精神医療保健福祉がどのように今後変わっていくのかと、そのあたりをお伝
えできたらいいかなと思っているところです。非常に重要な大会に皆さん御参加をされているわけ
ですが、これから1時間半ですかね。その間、私がお話させていただくことについては、少し力を
抜いていただいて。何か、相当力入っていますよ。いや、私も入っているんですけれども、力抜い
て気楽にお聞きいただいたほうが頭にも入るかなと思うところです。
埼玉県から来たわけですけれども、埼玉、東京の北側になるわけですね。そして、私が仕事をし
ていますのは、埼玉の中でも東部地域で仕事をしています。さいたま市は、もともと浦和市と大宮
市と与野市と岩槻市だったんですが、そのあたりは御存じの方も多いかと思います。そして、ここ
の春日部市は、クレヨンしんちゃんが住んでいるんです。今日はちょっと、それで受ける人たちは
少ないですね。客層を見ないで言ってしまったっていう感じがしますけれど。クレヨンしんちゃん
っていう漫画があるんですけれどもね、その春日部市の北にある宮代町、杉戸町で仕事をしていま
す。そして、幾つかの事業を並べておりますけれども、相談支援であるとか、地域活動支援センタ
ーであるとか、就労の支援ですね。そしてグループホームなどを長年やっているところです。ちょ
っとこの辺は私の法人の宣伝なので、飛ばしますけれども。
どんなことを私が考えて精神障がい者の支援をしてるかっていうのを、御紹介しておきたいと思
うんですね。皆さんも活動の理念とかお持ちだと思うんですが、自分が何のためにその方々を支援
してるのということを説明できるのは、とても大事なことだと思うんです。私が大事にしているの
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は、私らしく、あなたらしくともに歩むということです。何かどっかで見たことがありますね。あ
の上、今日の大会のテーマと一緒ですね。私らしく、あなたらしく。支え合うまちにしようやぁっ
ていうんですか。実は私のところのキャッチフレーズは、「“私”らしく、“あなた”らしく。とも
に歩む」なんですよ。多分、別に御存じなく私を呼んでいただいたんだと思うんですけれども。
そして、御本人さんたちの生活に即した支援をしたいと思ってるんです。生活と聞くと、皆さん
もそうかもしれませんが、障がい者の人の暮らしを何とか支援しようっていう方がたくさんいらっ
しゃいます。御飯しっかり食べましょうと。お金きちんと使いましょう。毎日、働く場に行きまし
ょうと。これとても大事なことですね。
その中で僕が一番大事にしているのは、生きざまです。生きがいを持って生きること。生活とい
うのは、社会学の中では命と暮らしと生きがいとか、生きざまのことをいいます。英語のライフと
一緒だと思いますね。どんなに暮らしがきちんとされていても、その人たちが自分らしく、生きが
いを持って生きることができなければ、それはとても悲しいことだと思うんです。毎日の暮らしを
きちんとやっていくことはもちろん大切なんですが、その中で自分たちがどんな道を歩んでいくか
ということは大切なことだと思います。そして、死んでしまったら終わりなので、命ももちろん大
切であると。
そういった意味で、特に私は精神障がいの方を支援してきておりますので、精神障がい者の生活
をどう考えるかと。その中で彼らがどう生きていきたいのかということに、力を注いできたつもり
でいます。自分らしく生きること。私らしく、あなたらしくの中で、大切な言葉は安心できること。
自信を持つこと。自由に生きること。もちろん、責任が伴いますよね。そして、安心と自信と自由
を自分のものにして生きていくためには、一歩前に出なきゃいけないんですよ。ですから、勇気が
必要だということです。
もう一つは、御本人さんたちに地域社会に参加をしていただいて、そこで活動をすると。その中
で暮らしていく、そういう営みがあるんだということを大事にしています。ここにありますね。支
え合う町にしよう。僕は暮らしやすいコミュニティをつくろうということでやってきたところなの
で、とても皆さんと共感できるところです。
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ここに今出しましたのは、リカバリーっていう考え方ですね。これはここ数年、特に精神障がい
者の支援の中では言われていることです。病気や障がいで失ったものを回復すること。そのときに
大切なことは、自尊心であり、生活であり、人生であると言われているんですね。この下に書いて
ありますが、私は障がいを持っているっていうことを、肯定的に捉えているという意味なんです。
障害を持っているから、その障害を持ちながらそれを生かして生きていくということです。
これはちょっと飛ばしまして、リカバリーの3つの概念にありますが、病気や障害がなくなるこ
とでもとに戻ることでもないんです。御本人さんたちや御家族にしてみれば、もとに戻ってほしい
っていう思いがとてもあるんですね。しかし、もとに戻るっていうのはどういう状況かっていうと、
また病気になったときと同じ状況を生み出すってことになるので、また病気になってしまうわけで
すよ、もとに戻るだけでは。ですから、もとに戻るのではなくて、病気を、病気とおつき合いして
いただきながら意義ある人生を、人生の目標をもう一度つくっていただくと。これなかなか大変な
ことですよね。
今まで自分がこうやって生きていこうと思っていたことが、途中で精神障がいになったことによ
りその目標がなかなか達成できなくなってしまったと。その中で、自分はどうして生きていったら
いいんだろうかと、皆さん悩んでらっしゃる。そのときに、病気とおつき合いしながら自分はこう
いうふうに輝く人生をつくっていきたいと思うことができると。そういった考え方をリカバリーと
いいます。言うがやすしですけれども、なかなか大変ですが、目指すべき方向はやっぱりリカバリ
ーなんですね。自分の新しい生き方をもう一回見つけるぞということです。この生き方はそれぞれ
であり、私らしく、あなたらしくでいいということです。
私の実践の話をしたいと思いますが、1つのテーマは長く入院をされていた方々に地域社会に戻
ってきてもらうということです。これから出てくる人たちは実名で写真も登場します。それは皆さ
ん、私がこういうところでお話しすることを応援してくれていると。なぜ応援するかというと、彼
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らと同じような状況にある人たちにリカバリーしてほしいと、彼ら自身が思っているからです。
皆さんから向かって右側の方、ナリタさんっていうんですが、ナリタさん、どうして長く入院し
ちゃったのと聞きました。そうしましたら、「自分は住み込みで働いていたので入院した後に帰る
場所がなくなってしまったと。それで長くなったと。だけど岩上さん、僕は退院しようと思ったん
ですけれども、周りを見たら5年入院している人や、10年入院している人がたくさんいたので、
これは僕の順番は回ってこないと思って諦めた」と言っていたわけですよ。私は、はっとさせられ
たわけですね。
左上で笑ってらっしゃる方はセキネさんっていうんですが、セキネさん、どうして長く入院され
たんですかと聞きましたら、「退院したいと言ったら、待っていてくださいって医療機関の職員に
言われたので待っていたんだと。待っていたら10年たってしまった」っていう話なんです。
誤解しないでほしいのは、私はこれを医療機関が悪いとなんて、一言も言うつもりもないし思っ
てもいないんです。なぜなら、日本の精神科医療は人が足らなくてもいいですよ。医師も看護師も
一般医療に比べて少なくてもいいですよということになっていた。精神科医も看護師の数も少なく
ていいですよっていう状況に、国がしてしまったんですね。それから、ここにも病院の関係者の方、
たくさんいらっしゃると思うけれども、皆さん御存じのように今は入院されると3カ月以内に退院
される方が6割いらっしゃって、1年以内に退院される方が9割いらっしゃるんだけど、それだけ
多くの方が入院されて退院されるので、その方々の支援に追われているんです。マンパワーがない
中でね。だとすると、彼らみたいに長くなってしまった人は、支えてくれる人もいないし、お金も
ないし、帰るところもないと。そして、彼らから退院したいって言われたときに、そう簡単にはい
かないと思ったときには、「じゃあちょっと待ってて、先生に相談しましょうね」と言ってしまう
っていうことがあるのはそう不思議なことではないと思います。今は相当変わってきていると思い
ます。彼らが退院したのは、もう七、八年前の話ですからね。だけれども、そういう人たちがもし
島根県にいらっしゃるとすれば、そういう人たちへの支援の手だてを考えなきゃいけないというこ
とですね。
この一番下の方はヨシダさんっていうんですが、私が退院支援に行ったときに彼は何と言ったか
っていうと、「岩上さん、退院できるなんてバラ色の気分だ」と言ったんですね。そして、それか
ら彼も退院して10年たちますが、先日お会いしたときに、ヨシダさん、私と初めてあったとき何
て言ったか覚えていますかって聞きました。そしたら、「覚えてるよ。バラ色の気分って言ったん
だよ」っておっしゃってたんですね。地域で生活をしていくっていうのは大事なことだと思います。
右上の方はイシカワさんとおっしゃるんですが、この方は退院しないっておっしゃっていました。
長く入院されていると退院しないって方、たくさんいらっしゃって、看護師さんたちもご存じと思
うんですが、なかなか支援が大変になっていく。私はここでいいんですとおっしゃるんですね。彼
女も「退院しない」って言ってたんですが、あるときグループホームに体験宿泊に行きました。そ
れはグループホームに入るためではなく、とにかく外で寝てみるってだけなんです。30年間6人
部屋で寝ているわけですから、外泊もできず。それは病院がさせないわけじゃなくて、する場所が
ないから。で、彼女は来たわけですね。おかしいなと、退院しないって言っていたのに何でこられ
たのかなと思ったので支援員さんが聞き、そして私が聞きました。そうしましたら、最初は「一人
で寝てみたいと思ったので来ました」と。
「何かグループホームは御飯がおいしいっていうんで来
ました」とか、そんな話をしていました。でも、これは何かあるなと思ったのでもう一度聞きまし
たら、「岩上さん、実は私30年入院しているんだけど、18年目で諦めたんです。そのときに友
達のスズキさんと、10歳年上のスズキさんという女性の方がいらっしゃるんだけど、そのスズキ
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さんとこの病院で一生暮らそうって約束したんです。だから私は退院しないつもりでいたんです。
だけど、そのスズキさんから、体験宿泊、外で寝てみるのはいいことだから行ってきなさいよって
言われたので、私体験宿泊に来たんです。そして、昨日、スズキさんに呼ばれて、スズキさんは、
10歳上だから70歳なんですが、
『自分は心臓が弱いので、この先どこかほかの病院に転院にな
ってしまうだろうと。だとすると、あなたとこの病院で一生暮らそうと言った約束が守れないので
イシカワさんは退院してちょうだい』って言われた。そう言われたので、私退院しようと思います」
と言って、その後、イシカワさんは退院されたわけです。
もう、衝撃的ですよね。でもね、これは結構あります。でも、幾ら熱心な看護師さんたちにも余
りこういう話はしない。皆さんだって何でもかんでも、いい人だからとまわりの人に話しちゃった
りしないでしょう。大事なことってそんなに、ほかの人に伝えてくれないんですよ。
そしてイシカワさんは退院した後、1年半後にスズキさんは亡くなるんです、その病院で。ここ
からは私の推測なんですけれども、スズキさんは多分、自分が死んじゃうんじゃないかなっていう
ことがわかっていたんだと思うんです。そのままその病院でスズキさんが亡くなるとすると、スズ
キさんは約束を全うしたことになるわけですよね。この病院で一生暮らそうと言った約束を全うし
たことになると。そうすると残されたイシカワさんもその約束を全うするって思うじゃないですか。
それをスズキさんは避けてくれたんだと思うんですよ。
実はこの話を職員ともしていましたら、イシカワさんは退院して1年後に病院に講演に行ってい
るんです。病院の職員の方々にも元気になった姿を見ていただくと。そして入院されている方々に
も、地域生活、私も元気に暮らしていますという話を報告に行ってもらう。なかなか病院の中にい
ると、元気になった人の話って聞く機会がないんですよ。具合が悪くなった人の話はよく聞きます。
入院してくるからですね。だから退院した人のこともぜひわかっていただく機会が必要と思ってい
て、私のところでも病院に話に行っているわけです。そのときにイシカワさんがお話を終えたとき
に、一番前に座っていた高齢の女性が職員のところに来て、イシカワさんのことをどうぞよろしく
お願いしますと言って、深々と頭を下げたっていうんですよ。この人がそのスズキさんだったんで
すね。それから半年後に、スズキさんはその病院で、内科的な疾患により亡くなったという話です。
島根にはそういう方々はいらっしゃらないのかもしれませんが、いらっしゃるとしたら、まだま
だ手だてを考えなきゃいけないということになるわけですね。
この下の方は、カジイさんという方ですが、カジイさんも30年入院していたんです。私たちの
退院支援の方法は、もう一度意欲を取り戻してもらうことなんですね。意欲をしまっている方、た
くさんいるんです。ですから、カジイさんに何か食べたいものないですかって聞きました。そした
ら刺身が食べたいって言うんですね。それで先ほど言いました、体験宿泊のときに彼には特別、刺
身を食べてもらった。そうしたら僕のところに、次の日飛んできて、「岩上さん、ありがとう。刺
身食べた。20年ぶりに食べた。これであと15年は食べなくて大丈夫だ」って言ってたんですよ。
大丈夫ですよ、ここは笑っていいところですよ。私も笑っちゃったんです。長く入院しているとそ
んなことになっちゃうんだと思ったんですね。
しかし、これには裏があって、それから1年半後にカジイさんに、そういえば何で刺身食べなか
ったのと聞いてみました。食べようと思えば食べられるわけですね。「実は両親と刺身は退院祝い
に食べる予定だったんだと。だけど、両親が亡くなってしまったんで食べなかったんだよね」って
いう話だったんです。それで20年たっちゃったっていう話なんですね。ですから、彼にとっての
刺身は、普通の刺身じゃなくてね、普通のっていうのも変ですけれども、祝い膳だったんですよ。
歴史があるんですよね、入院してる人たちにも。
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退院して七、八年になりますが、彼とまた話をしてたときに、実はお母さんは、お母さんもずっ
と刺身食べないまま亡くなったっていう話だったんです。祝い膳で食べることにしていたんだけど、
お母さんは願もかけてたっていうんですね。それまで食べないで、お祝いで食べようと。みんなで
食べなかったってことなんですけれども。そういうことをじゃあ彼らはそんな話をいろんな方にし
てたかっていうと、そういう話はしないんですよね。そしてその話を聞くためのマンパワーは、な
かなか医療機関では用意できないと。医療機関も何とかしたいけれども、なかなかそれはできない
というのがまだ日本の現状でもあるわけです。
島根でも一生懸命、退院支援をしてきていただいています。そしてこれについては、みんなで協
力する必要がある。なぜかというと、昭和29年、これは1954年なんですが、日本には精神障
がい者が130万人いる、そのうち、35万人は入院が必要ということを全国精神衛生実態調査で
統計的に出しているんです。130万人のうち35万人は入院が必要だと。当時、日本の精神科の
病床は3万床だったんです。つまり、3万床しか入院ができないので、35万床に増やさなきゃい
けないっていうのが国の考え方だった、国策です。そのためにどうしたかというと、病院をぜひ建
ててくださいということで、建築のための補助金制度をつくる。それから病院、箱物ができても働
く人がいないと運営できないので、じゃあ精神科の病院は、先ほど申し上げましたように医師の数
も看護師の数も少なくていいですよってことを国が決めたんですよ。そして、それを追い求めてき
て、実際に日本の病床数は35万床になったということです。
つまり、どういうことかというと、この国策にうなずいてきたわけですよ、私たちや私たちのお
父さんお母さん世代は。それも知らないうちに。だとすると、国が進めたときは国の責任かという
と、それは国民の責任も伴うわけですね。こういう状況をつくったのは別に医療機関がつくったわ
けではなくて、国策としてつくったと。とすると、その中で長く入院されている方がたくさんいら
っしゃるならば、この方々が地域に戻るためには、医療機関にも頑張っていただき、地域の我々も
一緒になり、そして行政にもその責任がありますので、きちんと政策反映をしていただくというこ
とだと思います。それがみんなでやっていかなきゃいけないという根拠ですね。そのあたりを私の
ところでも力を入れてきたところです。
地域移行の話はちょっとここまでにしておきますが、ぜひ、島根県でまだ長く入院されていて、
本当は地域で生活したいなと思っている、しかし、思っていても声が上げられない方々がいらっし
ゃるとするならば、それはみんなで力を合わせて支援をしていくということをお願いしたいと思い
ます。
御本人さんたちを支援していくときに大切なのは、その方々が自分らしく生きたいっていう思い
をきちんと聞いて、支援をしていくこと。一人一人に向かい合っていただかないといけないと思う
んですね。その中で、対等におつき合いをさせていただき、親身になっていく。そして、私たちも
御本人さんたちを信頼するということが大事だと思います。
相談支援の仕事をされている方々もいらっしゃると思います。今、相談支援の方々がどんなこと
で忙しいかというと、サービスを使う人には必ずサービス等利用計画をつくらなければならないと
いうことになっているのです。きっとその仕事に追われているということなんです。しかし、今や
っておくべきことは、もちろん利用計画をつくっていくことなんですが、その中で、その地域の相
談支援の体制をちゃんとつくっていくことに力を注ぐことです。これを今、やっておかなきゃいけ
ないわけです。行政と相談支援事業所と連携して、その町ごとのあるいは圏域ごとの、あるいは島
根県全体の相談支援の体制をつくるのが今の時期です。これを今やっておかないと、27年の3月
までにサービス等利用計画を4月以降のためにつくっていくわけですが、スタート切った後にさら
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に地域差が生まれてしまいます。今やるべきことは相談支援体制をどうやってその地域で整えてい
くかということになるわけです。
そして、市町村の方々にお願いしたいのは、市町村が行うべき相談を手厚くしていくことです。
そして市町村だけではできないので、委託相談支援事業所があるわけですが、そこを手厚くしてお
かないとうまくいかないということが重要なことです。
なぜならば、私の見たところ島根県は、ひきこもりやすい地域だと思います。ひきこもりやすい
地域っていうのは、隣近所と知り合いで、そしてある程度隣近所との物理的な距離があるというこ
と。そうするとひきこもりやすいんですよ。私の地元もそうなんですけれども、東京のど真ん中で
隣近所もわからずにでもすごく近くに住んでいる。ここで、ひきこもっていると、ここはひきこも
りにくいんですよ。ちょっとでも何か問題起こすと、隣の人が何か変な声を上げてるからおかしい
っていうことになって、いろんな人が何か困ってらっしゃるんじゃないですかって相談に来るわけ
ですね。
だけれども島根県はそういう環境は、それほどないんではないかと思います。そういう印象を持
っいてるわけですが、その分、懐は深いんですよ、皆さんの町は。懐が深いっていうことは、問題
が起きても地域のみんなで支え合ってくれる。隣の何とかさんは、ちょっとこのごろ地域社会に参
加できていないけれども、みんなで見守ってやろうよというそんな地域だと思うんですね。しかし、
いざもしその方の病気が悪くなって、いろいろと問題が大きくなってしまったときは、意外と精神
科病院に入院した後に戻って来にくい地域なんじゃないかなと思うんです。それは私が実践の中で
体験していることなんです。
ですから、多くの方々に、この精神障がいや障がい者福祉について理解してもらうっていうのは
とても大切なんですね。そして、そういう方々への手厚い支援をしていただくためには、きちんと
市町村の責任である相談支援を手厚くし、その部分を相談支援事業所に委託をして、サービスに結
びついてない方々の支援をしていくことが必要です。それをしておくと、お父さんお母さんが亡く
なった後に、障がい者の方がいらっしゃっても支援体制がもう既に整っているわけですから、安心
して暮らしていけるということを思っているところです。
この方は、ナマエさんっていう、名前がナマエっていうんですけど。よく自分で、名前がナマエ
ですって言っていました。大丈夫ですよ、笑っていただいて。彼女はひきこもりがちになっていた
んですね、病気が悪くて。彼女はどうして登場できたかというと、ナマエさんには娘さんがいて、
その娘が大きくなって子供を出産することになった。でも、お母さん具合が悪い。そのときに娘さ
んは保健センターの両親学級に行って、いろんなことを教わって子供を産めた。そして、いろんな
人が支えてくれてよかったと思ったんですね。そのときにその娘さんが思ったのは、自分はよかっ
たけれども、仲間ができてね。サポートしてもらって、保健師さんがいてと。だけれどもうちのお
母さんはひとりぼっちでいる、そんな生活をしていたんですね。娘さんが保健センターに相談をし
て、私のところにナマエさん来ることになりました。医師に薬とかも調整していただいて元気にな
られたんです。元気になられた後にいろんな活動をしました。彼女は点示サークルに入って、その
点字を小学生に教えに行ったりなんてこともするぐらい元気になったんです。
ここまではいい話なんですけれども、精神病は落ちついたんだけど、今度体の病気になってしま
って入院しました。そして僕がお見舞いに行ったときには、もう歩けなくなっていて上半身は起こ
せる、支えがあれば起こせると。手足は動くんだけれどもね。そんな状態になってたわけですね。
ナマエさんが私に言いました。「岩上さん、私はこれから何をすればいいのかしら」と。どきっと
しますよね。精神病はよくなって、自分の生き方がそれこそリカバリーして見つかったときに、今
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度は体の病気になってしまった。で何をしたらいいのかしらって言われたのです。ナマエさんがや
りたいことやればいいんですよって言いました。そしたら彼女は怒ったわけですね。「やりたいこ
とは自分で考える、やるべきことは何なのか」という話ですよね。私は生きていくためには、何を
すべきなのかしらということですよ。私は、ナマエさんが入院をされたので、この後多くの仲間が
お見舞いに来るでしょう。そしたらその人たちの相談に乗ってあげてくださいって、お願いをしま
した。そしたらナマエさんが「わかったわ、そんなことだったら私にできる」と言って。おやすい
御用みたいな感じで、「ぜひやらせてもらいます」って話になったわけです。彼女は家に外泊する
ときも、ストレッチャーで外泊するような感じになってしまいましたが、ストレッチャーで私のと
ころの地域活動支援センターにお越しになったので、そのときに委嘱状を渡しました。ナマエ様あ
なたをボランティア相談員に命ずる。ただし、無給って。ボランティアだから無給なの。そしたら
ナマエさんは笑っていました。しっかりやりますっていう感じでね。また入院生活に戻っていくわ
けです。
そして、彼女のところに行ったときに、ある人のことを聞かれたわけですね。何とかさんは今ど
うしてるって聞くので、いや、彼はとてもやる気になって、今、自立訓練っていうグループに入っ
てるよという話をしたら、
「それはよかった。実は私がお尻をたたいておいたのよ」と言うんです。
「彼がお見舞いに来たときに、この先どうしようかというようなことを随分言っていた。[みんな
にどんどん追い抜かれてしまうような気がすると話していたので、あなたしっかりしなさい。まず
は毎日、地域活動支援センターにきちんと通って力をつけて自信をつけて。それで、自信をつけて、
次のステップ踏んだらいいじゃないってお尻をたたいておいたんですよ]って話なんですよ。別に
地域活動支援センターって毎日朝から来るようなとこじゃないんですけど。だけどナマエさんがそ
うやってお尻をたたいてくれて、この人は一生懸命頑張って、そして自立訓練に入った。今はもう、
高齢者施設で働いているんですけれどもね。ナマエさん、こうしてちゃんと私がお願いしたとおり、
相談員になってくれていたんです。
どういうことかっていうと、やっぱり生きていく自分の存在意義を持ちたいんですよ、皆さんね。
それは精神病であろうと、体の病気であろうと一緒。彼女は両方持ってしまったわけですね。そし
て彼女はそれから1年後に、実は亡くなってしまうんです。
なぜここに登場しているかっていうと、この話をぜひしてくださいって娘さんから御了解を得て
るからなんですね。誰だってそうですね、自分が生きいてる価値というのかな。自分が生きいてる
実感を得たい人っていうのは、たくさんいらっしゃるんです。でも、なかなかそんなことは家族に
は言いません。お母さん、ありがとう、ありがとう、ありがとうっておなかの中で思っても、口か
ら出るときはどうせ俺のことなんてわかってくれないくせにと。これはもう、病気があろうとなか
ろうと一緒ですよね。ありがとう、ありがとうが口から出るときには、うるせえ、ばかやろうじゃ
ないけどね。
だから、御家族にしてみたら自分たちは一生懸命、家族、子供のこと考えているのに、何でこの
子はわかってくれないんだろうって思うことがたくさんあると思うんですね。しかし、私たちが御
本人から聞くと、いつもお父さん、お母さんには感謝しているんだよねって。でもなかなか口から
言えなくってさっていう話をよく聞くところなんです。そういう彼らも、やっぱり自分が生きてい
る価値というんでしょうかね、生きがいを持ち続けたいと思っていると思います。
彼は、ヤナギさんっていうんですが、ヤナギさんは身体障がいなんですね。そしてそれに伴って
精神症状もお持ちなんですけれども、彼が僕のところに来たときに、私はこのような支援の方法を
とっているので、ヤナギさん、これからやりたいことはありませんかと、何かしたいことあったら
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教えてくださいって聞くわけですね。そしたら彼は怒りましたね、机をたたいて。僕は難病なんで
すよ、それも進行性の難病だと。ただその進行のスピードはわからない。その僕に向かって、この
先のやりたいことを聞くなんて、あなたは障がい者のことはわかってないとか言って、机をたたく
わけですね。はっとさせられるわけですよ。ナマエさんのときもはっとさせられたんだけれども、
はっとさせられて、ヤナギさんに、「わかりました。この先のことを考えるのが不安だと、どうな
るかわからないですからね。それはよくわかったので、じゃあ10年後から振り返って考えましょ
うと。10年後、あなたは寝たきりになっているかもしれないですね。そのときにこの10年どう
歩いてきたかとぱっと振り向いたときにね、こう振り向いたときの10年をどういう10年がいい
か考えてみましょう」と。前を見るのはとてもつらいんだったら、もう寝たきりになっちゃうかも
しれないけども、その寝たきりになった状態から後ろを見たときを考えてみましょうよと。そう話
したら、彼は黙ってしまったっていうのもあるんだけれども、そのときやっぱり彼も、はっとした
わけですね。この先、現在からこの10年をどうなるかわからないって不安を持ちながら10年た
って、そして寝たきりになったということになるのか。この10年どうなるかわからないだけれど
も、自分のやるべきことができてよかったと思えるのかと。それを10年先から振り返って見たと
きには、やっぱり一生懸命生きてきてよかったと思える人生を歩みたいわけですよ、誰でも。
それから彼は、私とはよくもめていますけれども、ひとり暮らしを始めて、そして私のところの
法人のブログは今476回目になっていますが、彼が更新を続けておます。彼の役割なんですね。
彼がよく、岩上さん講演会、一緒に行きたいよって言っていたんですよ、ずっと。自分は身体障害
者手帳を持っているので、旅費が半分になるから一緒に行こうみたいな話で。私もそういう講演に
行こうと思っていたら、その後、国のいろんな検討会の委員になったので、余りこういう話をする
機会がなくなってしまって、彼とセッションが持てないでいるんですけれども、もし今度、島根に
呼んでいただくときは一緒に彼と来たいと思います。
この人、ナガシマさんっていうんですね。この人にもはっとさせられました。今ちょっと、私が
はっとさせられた人たちばっかり出てきてるんだけど、対人サービスをやるときにそんないいサー
ビスなんて私にはなかなかできていないです。いつもはっとさせられているわけ。どうしようかっ
て、困っているんですよ。専門職だって困っていますよ。だけど一生懸命考えると、そして親身に
なるということだと思うんだけど。
ナガシマさんが今から5年前に私に言ったのは、それよりもさかのぼった10年前のことです。
ナガシマさんと私が最初に会ったときの話です。「岩上さんに最初に会ったときに働きたいって言
ったら、その場で求人広告を取り出して、どこに連絡しようかって言ってくれたんですよね。で、
会社に電話しちゃったんですけれども、正直びっくりした。今までは働きたいって言うと、どうし
て働きたいんですか。どこに行きたいんですかって、本当にいろいろ聞かれて。あ、まだ自信がな
いんだったら少し訓練しましょうっていってリハビリ、デイケアに行こうとかそういう話になるこ
とが多かった。だけど、岩上さんはその場で働きたいなんてとてもいいことじゃないかと、じゃあ
一緒に探しましょうと言ってくれた。それがとてもうれしかったと、自分を信じてくれたんだって
思った」と。そういう話をしていました。
実はこの話を聞いたときに私は、逆にはっとさせられたんですね。なぜかというと、私も15年
前はそういう、彼の思いに応えるような支援をしていたけれども、それから10年間は彼がいやだ
なと思った支援を多くの方にしてました。あなたはどうして働きたいんですかと。よく専門職の人
たちにはニーズとデマンズっていうのがあって、デマンズっていうのは要求ですよね、何々したい
と。でも本当のニーズはということを勉強する機会をよく設けてきたわけですね。ですから、働き
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たいと言われると、いろいろ聞くわけですよ。あ、家で居場所がないんだねとか。お父さんとお母
さんに働けって言われるんだねって。でも、本当はあなたは友達が必要なんだねみたいなことです。
御本人の気持ち、本当の気持ちに寄り添っているつもりなんだけれども、でも働きたいといってい
る気持ちに実は寄り添っていないんですよね。そんなことを私も10年やっていたので、多分やっ
てらっしゃる方いてもおかしくないと思いますがね。それではっとさせられて、どんな言葉であろ
うと彼らが何々したいと言ったときには、「うん、それはいいよね」、
「やってみようよ」と言うこ
とに決めたんです、そのときに。そして、やってみようって話していくうちに自分のほうから、
「岩
上さん今ちょっと自身がないので、まず準備をしたいって言ってくる」こともあるんですよ。でも
ちょっとはらはらしますよ、自分でも。グループホーム入っている人が、「岩上さん、もうグルー
プホーム出たいんだ」と。私は心の中で、え、今出たって無理じゃないかと思うわけですね。だけ
ど絶対言わない。わかりました、じゃあやってみましょうと言うと、え、本当にいいのとかいう話
になるので、自分ではどうなのとやりとりをしてると、彼のほうから、「いや、グループホームに
入っていて、今、何か管理されている気がするのでそこがとっても嫌なんだけど、それは今の自分
にとっては必要なんだと思うんだよね。だからもうちょっとやってみるよ」と。え、そんなこと言
わなくたって、出てもいいんだよなんて話すんだけど、そんなふうに自分で決めることに変わるわ
けです。働きたいって言う人がいれば働くのいいじゃないと。一緒にハローワーク行きましょうと
言うと、「え、岩上さんが一緒に行ってくれるんですか。でもお忙しそうだからいいです」なんて
言うわけですよ。いや、そんなこと言わないで一緒に行きましょうと言うと。
「じゃあ、今度選挙
が終わってからにしてください。選挙が終わったら景気が変わるから、それからにしてください」
なんていって、自分から引っ込めちゃうわけです。しかし、共感、共感って言うのかな、自分がし
たいっていうことに対して、それはいいねってことを、まず、これを大事にするといいんじゃない
かなと思うんですね。言いにくいんですよ。特に御家族の関係で何々したいって言ったときに、お
まえ、まだそんなこと言ってるのかとなりますね。何度失敗していると思ってるんだって思うこと
あると思うんですね。しかしそのときに、それはいいんじゃないか、ぜひやってみようよと。今回
どうやってみるのなんて、会話をしていく。会話をしていく中で、応援している気持ちをやっぱり
伝えていかなきゃいけないですよね。せっかくのいいチャンスですね。そんなことを私は、当事者
の方々からいつも学ばさせていただいています。
基本は、私らしく、あなたらしく、自分らしくの御本人さんたちとどうかかわっていくかが、私
の仕事なんです。その中である人が、もう僕はサービスは使い飽きましたって言ってきました。デ
イケアも使ったし、作業所にも行ったし、職業訓練にも行ったし、ほかにもいろいろ行ったと。そ
して、今度は僕が何か人の役に立つこと始めたいんですって言ってきたんですね。これが10年前
の話です。何をしたいんですかと聞きました。そしたら、駅から私のところには東武動物公園って
公園があるんですが、駅は東武動物公園駅っていうんですね。電車の名前は東武スカイツリー線っ
ていうんです。この間までは東武伊勢崎線だったんですけど、東武スカイツリー線っていうんだけ
ど、スカイツリーは全然見えません。今日はしーとすること多いですね。疲れましたか、大丈夫で
すか。みなさん顔を上げていますけどね。メインンストリートの掃除をしたいって話になったわけ
ですよ。それはとてもいいんじゃないですか、じゃあせっかくのことだから仲間を誘いましょうよ
と。彼は誘ったんですけれども、当時私のところにいた人たちは、せっかく集まれる安心できる場
所に来たのに、何で外に行かなくちゃいけないんだと。外に出て、また馬鹿にされちゃうのは嫌だ
と言っていました。それから2週間たって彼がまた来て、「岩上さん、もう我慢できない」と怒っ
ていたんですよ。何が我慢できないのかってはっとして、何が我慢できないんですかって聞いたら、
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「掃除がしたいんです」っていうことを話したので、じゃあやりましょうと。すぐ近くにパールと
いうスーパーマーケットがあって、そこに掃除の道具を2人で買いに行きました。そして、一緒に
1時間ぐらいかけて掃除をして、ごみを分別して集めましょうと。たばこの吸い殻が多いんだけれ
ども、これをほかのごみと混ぜたとき、もし火の気があったらまずいので、これだけは別に集めて
くださいねなんて話して。そうしたら彼が大体わかったと、やってみるって言って彼は1年半、毎
週金曜日の午後1時から2時まで、1人で清掃を始めたんです。そして彼が言ってきたのは、「岩
上さん、久しぶりに褒められてうれしかった。町の人が声をかけてくれるんだよね」って喜んでい
ました。これが私のところの活動の大きな出来事の一つなんですね。
もう一つあります。ある交流会をしようってなったときに、市民の方にも一緒に見に来てもらお
うよと、文化交流会なんですね。そこでは、みんなが得意なものを発表するんだけれども、当事者
同士じゃなくて市民の方にも見てもらったらって話をしたら、嫌だって言う人たち、それもたくさ
んいたんですよ。ボランティアの人はまだわかってくれるかもしれないけど、市民の人にはおかし
いと思われたら嫌だみたいなね。
そのときにある人が、偏見は市民だけじゃなくて、僕たち障がい者にもあるんじゃないのってい
う話をしたんです、その障がい者の人が「市民は知らないから偏見があるんだよねと。僕たちはど
うせ市民はわかってくれないと思い込んでいるんじゃないの。だとすると、この積み上げてしまっ
たお互いを理解できない障壁を、気がついた僕たちから積みおろそうよ」ということを、障がい者
自身が話したんです。周りの人はわかってくれないじゃなくて、自分たちもどうせわかってくれな
いと思っているんだったら、自分たちから障壁を取り除こうって彼らは考え始めたわけです。
そして、同時期に働きたい人たちがたくさんいましたので、働きたい人たちは商工会に僕たちは
働きたいんですけど、何かいい仕事はないですかって話しに行ったんです。そうしたら商工会の人
たちが、そんなこと言われてもあなたたちの障がいってどんな障がいかわからないから、仕事をし
たいって言われても困っちゃうよねって話してきたわけです。それは当然ですね。ここで食い下が
ると。え、でも、それでもじゃ、何か一緒にさせてくださいよって話したら、商工会の青年部の人
たちが、それじゃあ今度、産業祭があるのでいろんな人が来るイベントなんだけど、そのときに子
供連れで来ると。子供たちは、その町の産業を見てもあんまりおもしろくないので、子供たちのた
めに遊べるコーナー、縁日みたいなコーナーをやるので、そのコーナーを一緒に僕たちとやりませ
んかって言ってくれたんですよ。
そして、どんな活動に至ったかっていうと、ストリート清掃っていう、一人で1年間毎週金曜日
に掃除をするという活動です。これは、10年たったら3コースに分かれるぐらい人が集まるよう
になったんですよ。
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産業祭で金魚すくいやってるんですが、子供たちの金魚すくいのお手伝いをしてるのは、精神障
がい者ですよ。サンタクロースになって、商工会から頼まれたプレゼントを子供たちに配るという
こともありました。町で高校総体があったときは、高校総体は高校生がボランティアするんですけ
れども、それだけだと人が足りないので障がい者が手伝う、アーチェリー会場のごみ拾いです。
町民祭りの交通誘導。私のところの町で町民祭りっていうお祭りですよね。流し踊りとかやるん
ですが、お祭りの交通誘導は精神障がい者がやっているんです。それで誘導が悪いと怒られちゃう
んです、町の人にね。もっとちゃんと、たらたらしないで誘導しろって、でも怒られるのは障がい
者だけじゃなくて、私のところの若いスタッフも一緒に怒られてるわけですね。でも、町のお祭り
はなくてはならないと思うんです。
てんぷら油をボランティアで回収してきて、それからバイオディーゼル燃料をつくるんですね。
私のところは回収だけやっていました。そして回収したものを知的障がいの施設にお届けして、そ
こが燃料をつくっていました。軽油をつくっていたんですよ。その軽油をまた、私のところの事業
所で買っていました。何てお人よしな事業所なんだろうと思うんですが、別に悪いことじゃないん
ですね。てんぷら油の回収はとても人気のあるプログラムで、これ何ひとつとして誰にもお金は入
ってきません。彼らの地域貢献なんです。バイオディーゼル燃料の回収のときは、ちり紙交換みた
いにハンドマイクをもって、宮代町役場から委託を受けた「ふれんだむ」っていう事業所があるん
ですが、ふれんだむが油の回収に来ましたっていうのがすごい気持ちいいらしいんですよ。何かわ
かる気がしますよね。そして油を回収してくると。その地域にグループホームがあるんだけど、グ
ループホームの近所の人は油の回収があると思うんで、グループホームの前に置いといていいかし
らって話になるわけです。そんなことをやっていました。
実は、私はこの仕事をやって10数年になりますが、それ以前は県の職員だったんですね。プロ
フィールに書いてあるかもしれません。そのときは、この隣町で作業所をつくろうとしたときに大
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反対にあって、多くの人に囲まれた経験があるんです。多くのわからないっていうか、知識がない
ために反対をするってことだけれど、しかし、この町に来て、隣町ですけれども、御本人さんたち
がこれだけ活躍をしていると、グループホームをつくるといってもみんな応援してくれるんです。
家を借りて、グループホームにして、隣近所に入居者と一緒に挨拶に行くと、ああ、駅前のふれん
だむさんねと。わざわざ挨拶なんかいいのよなんて感じで受け入れてくれているわけですね。それ
はなぜかというと、お互いが知り合いになっているからですよね。
そして、一旦こういう環境ができると、新しく利用する人たちも自分が活躍するのが当たり前だ
と思うようになるわけです。ここがとても大事なところで、私が退院支援をしたときにナリタさん
が言った、周りを見たら退院できないと思いましたという言葉です。私たちあるいは、障がい者の
方はやはり周りの方に影響を受けるわけです。そのときに、じゃあ病院だけがそういう問題を抱え
ているのかというと、地域も同じ状況があると思います。働こうと思ったんだけどもすぐに働けな
かったので、その準備のためにここの何とか事業所に来たら、そこに長くいる人たちが一般就労は
もう諦めろよと。また社会に出て具合が悪くなっても仕方がないじゃないかと。まずはここでみん
なと仲よくしてやっていこうよと。いい意味でも言ってくれてるんですね。そうなると、そうなん
だと思って諦めてしまいます。外に出ることのほうがとても怖いことです。私のところがそうなっ
ていることはないのかということは自分に問うたわけですね。聞いてみたと。
最初の私のところの人たちが、もう外になんか出たくないよっていうことをずっと続けていると
すれば、いまだにそういう環境で新しく来た人たちもずっとそこにいるってことはあり得ることだ
と思うんですね。しかし、自分たちが外に出ていかないと、私らしく生きていけないんだと思った
人たちが多かったので、こういった地域活動に展開したんです。そうなると、新しく来た人たちは
それが当たり前だと思います。
私にできることは、どうせ環境に影響をされるのであれば、自分が思っていること、自分の持っ
ている力を発揮できる、そして発揮していいんだと思える環境にしたいということ。自分の生き方
をもう一回つくり直していいんだと思える環境をどうつくるかなんですね。それをどう整えるかが、
私の仕事になるんです。そして今は、それが当たり前になったので次から来る人たちはみんな自分
たちの目指すべき方向を見つけていくということになっていると思います。
御本人さんたちが、自分たちの「ふれんだむ」をどうつくるかっていうことで、話し合って決め
たものなんですね。半年ぐらいかけて話し合って決めてました。私には道がある、あなたにも道が
ある。だからお互いを認め合おうって書いてあるんですが、だからの間に点を入れるか入れないか
で30分ぐらい話し合っていました。だけど、私が当時、平成18年ですね、ここでお願いしたの
はきちんと見える形を残しといてくださいということです。今、利用されている方々が、将来ずっ
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と利用されているとは限らない。新しく入ってきた人たちの指針になるものをみんなでつくってあ
げてくださいねと、お願いしてできたものなんです。
この真ん中に、リーダー会議っていうのがあって、御本人さんたちの会議があるんだけれども、
毎週火曜日に話し合いをして、水曜日に全体ミーティングがあります。いろいろな事業所に通って
いる人たちがみんな集まってくるんですね。そのための、どういう全体ミーティングをするのかの
話し合いをこの真ん中のリーダー会議でやっているんです。私のところに当事者の方の話を聞きた
いと、講師として派遣してくださいっていう依頼を受けていて、以前は私が○○さん行ってくださ
いって頼んでいました。でも、ここ5年になりますかね。私のところに講演依頼が来たら全てこの
リーダー会議にお願いをして、当事者の中で誰を派遣するかっていうことを決めてもらっています。
そうすると思いもよらなかったというか、なかなかそういうこと苦手じゃないかなっていう人たち
も、メンバー同士で、当事者同士で推薦して出てくると、彼らはちゃんと応えてやってきます。そ
ういうことを全て御本人さんたちで考えているということです。
このイイヤマさんは、10年ぐらいひきこもっていたんですけれども、彼が元気になるコツは、
障がい者バレーボールのチームに入ったことなんですね。そして、何かスポーツをすると自分一人
で思い悩んでいたということではなくて、相手との戦いですからね。何で精神障がい者になった後
にスポーツでそんな熱心にやる必要があるのかって思われる方もいらっしゃるかもしれないが、障
がいがなくても何歳になってもスポーツで一生懸命汗を流して、負けて悔しいっていっている人た
ちってたくさんいらっしゃると思うんですね。だとすると、精神障がい者にもそういう選択肢があ
っていいはずなんです。ここで彼は力をつけたわけですね。そして、ああ、変わるのは自分なんだ
なと思って、いまだにバレーボールもやっているんですね。そして全国大会に彼も出て活躍したこ
ともあるんですけれども、ここ6年は私のところの職員として、ピアサポーターとして働いていま
す。そして、去年からは地域活動支援センターふれんだむの所長になっています。当事者で力があ
る人たちは、その経験を生かして仕事をし、そしてそこで責任を持つということができる時代です
よね。そういう人たちが全国的には増えてきています。
彼はセキグチさんっていうんですが、彼も私のところで働いているピアサポーターの一人なんで
すが、歌人になりたいって言っているんです。短歌が得意でね。いろいろなところに応募して、一
番右端はとってもよくって、
「小さくも
いいことがあり
夕暮れに
らんらんらんと
遮断器の
音」っていうのね、しゃれていますよね。遮断器の音がらんらんらんと聞こえたいですよね。皆さ
ん、今度から遮断器を見たときには音はらんらんらんと聞こえるようになんなきゃだめですよ。
この間、自費出版して、セキグチシンイチっていう名前なんですが、ペンネームはセキグチシイ
チです。このペンネームで、
「パイナップルの種」っていう333首から成る本をつくりました。
そうやって活躍していくわけですね。
御本人さんたちの活躍の話をしました。その前は、退院支援の話をしました。退院支援の話では、
御本人さんたちの思いの話をしました。そして、地域の求めに応じて何をしているかということで
すが、私たちがやっているのは、小・中学校を回らせていただいて、福祉教育をしています。障が
い者の人とスタッフで一緒に行くんですけれども、お互いを大切にする心を育てるというプログラ
ムです。
よく福祉教育で頑張ってやってらっしゃるのは、体験型の福祉教育が多いです。アイマスクをし
て目が不自由な人の体験をする。おもりをつけて高齢者の体験をするといったことがよく行われて
います。しかし、その体験をしたことについては理解を深めるとしても、なかなか全体を捉えるプ
ログラムがないので、全体をわかっていただくための、全体を認識していただくためのプログラム
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を私たちと当事者の人とでつくりました。その内容は、お互いを大切にする気持ちを育てることで
す。私も大切、あなたも大切。みんな違って、みんないいということですね。それを基盤にできれ
ば、精神障がいの人が登場しても視覚障害の人が登場しても、あるいは、高齢者の方とおつき合い
しても、あるいは、いろいろな不利益を生じている人とつき合うにしても、その人たちを理解する
心が生まれていくということです。そういった教育をしたくて、小学校や中学校に回っています。
小・中学生は、ちゃんと感想文を書いてくれて、その感想文にコメントしてお返しする、コメン
トを書く人はもともと小学校の先生になりたかった当事者の人なんです。大学の教育学部まで出た
んだけどなれなかったと、病気があったこともあるんですが。その彼が書くコメントの上手なこと。
私が書くなんかより、本当に上手ですね。ちょっと上から目線なんですけどね。学校の先生、上か
ら目線と言ったらいけないかもしれないけど、ちょっと上から書いてるので子供たちも頑張ります
みたいなね、そんなことを書いてくれています。そんなことをやっています。それから、必ず学校
に行ったときには最後に歌を歌って帰ってきます。一緒にね。一緒に何かするってとても大事なこ
となんですね。
これは、キャンドルナイトというイベントで、宮代町には7つの小・中学校があるんだけれども、
今はもう幼稚園も一緒に、幼稚園や保育園もやっているので、基本的には9年間はこのイベントに
参加するんですね。このイベントを始めて9年以上になりますが、紙コップに感謝の気持ちを書い
てもらうんです。お父さんありがとうとかね。いつもお仕事頑張ってくれてありがとうなんて言わ
れたら、涙ぽろぽろですよね。そんなことを書いてもらっています。毎年秋になると朝礼に行って、
私たちは障がい者なんですが、皆さん、またキャンドルナイトがあります。ぜひ感謝の気持ちを紙
コップに書いてくださいってお願いするんです。
なぜこれをやっているかっていうと、感謝をするときには相手にありがとうもあるんだけれども、
ありがとうを言っている自分がここに存在しているということになる。そして私たち障がい者は、
こんな思いで感謝の気持ちを持っていますっていう話を彼らにしてきてもらいます。いずれ小・中
学生のうちの何人かは、病気にもなり精神病にもなり、そして障がい者にもなるわけですね。これ
はもう、やむを得ないんですね、今の状況では。順番が回ってきて病気になるようなもんですから。
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だとすると、そのときに、そういえば毎年何か元気になった障がい者っていう人たちが来ていたな
と。自分ももしかしたら、元気になれるんじゃないかっていうところとつながってほしいんです。
その全てがつながるとは思いません。そのうちの何人かにはそういうメッセージが伝わるんじゃな
いかなと思うんですね。毎年やっていることですから。9年間やり続け、そして今、幼稚園、保育
園からすると10年以上毎年紙コップに何か書いています。そして早目に相談にも来てもらいたい
と思いもあるうんですね。このイベントのいいところは、何やっているかわかんらないって思って
いる人がたくさんいるんですけれども、宮代町では。冬至の日に紙コップにろうそくを入れて火を
つけます。そして自分の子供が書いたものをたくさんの両親で見に来て、写真を撮って帰っていき
ます。どの程度、御理解をいただけるかわからないけれども、そういうことを町の福祉課と教育委
員会と一緒にやっているところです。
こうして、障がい者が元気になってきたわけです。先ほど言いましたように、みんなが活躍する
ということになったんで、今度は町の人たちにももっと元気になってもらおうと思っています。私
たちが今やっていることですが、コミュニティカフェをつくって、カフェの中で介護支援の教室を
したり、町にある大学の人たちのイベントをしたりということをやって、町の人たちが活躍できる
ことを障害者が応援すると、そういうことを始めているところです。カルチャークラブとかもあり
ますね。押し花教室とかね、メイクアップ教室とかですね。町の中で活躍したい人たちが、障がい
者とともに活躍すると。そういうことに力を入れているところです。
もう時間もなくなってきましたけれども、それでは、我が国の中で何が課題になっているかとい
うところを最後お話しして終わりにしたいと思います。
精神保健福祉法が今年の4月に改正になりまして、保護者制度がなくなりました。とはいうもの
の、家族の同意は残ってしまった。ここでは、精神科病院には幾つかの役割が求められていて、医
療保護入院で入院した際には退院後生活環境相談員をちゃんとつけてください。そしてその御本人
の相談に乗るようにしてください。それから入院期間を決めて、それ以上超える場合については病
院内で退院支援委員会を開いて、きちんと御本人の退院支援について考えてください。そして御本
人や御家族の求めに応じて、地域の援助事業者を紹介してくださいということを求めているわけで
すね。これをきちんとやっていくためには、医療機関は入院した初期の段階で、御本人が地域生活
支援をしていくために何が必要かを見きわめていただかなくてはいけないです。この人は退院に当
たっては医療ベースで、医療がきちんとかかわっていけば生活できる人なのか、それとも医療も福
祉も両方の支援は必要な人なのか、それとも福祉を手厚くしたほうがいいのかということを初期の
段階で見きわめていただきたいんです。これは看護の力が大きいと思うんですね。そして、多職種
協働で御本人支援を考えていただくということになると思います。その状況で見極めておきません
と、皆さん御存じのとおり、いざ退院となったときに、福祉サービスはすぐには使えません、です
から、なるべく早い時期に御本人の支援体制の必要性を見きわめておくということになると思いま
す。
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そして、ここに書かれているのは、まだ長期入院の方がいらっしゃるわけです。日本では、30万
人の方が入院をされていて、20万人の方は1年以上入院しているんです。ですから、この方々に
早目に退院をしていただこうということです。
しかし、退院だけ進めても、退院支援はずっとやってきたわけですよ。ですから、良質な医療を
やっていくための手だても考えましょう。そのためには、先ほどお話ししたように、一般医療と精
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神科医療ってちょっと違う状況に置かれていたわけですね。医師や看護師の数を少なくていいです
よと、その分医療機関に入るお金も少なくなるといった状況をやめて、きちんと一般医療と同等の
診療報酬も得られるような形にする。長期の入院の人たちが退院した病床は適正化していきましょ
うということをセットでやっていきましょうということです。それはなぜかというと、良質な精神
医療をつくっていくためです。そのための手だてがこの7月にまとまっているところです。
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またこのあたりは、専門家の方は特に御確認をいただければと思うんですが、今どういう状況か
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というと、国の資料を私なりにつくりかえたところもあるんですが、1年以上入院されている方が
19万3,000人いらっしゃるんです。そのうち51.8%の方は65歳以上、その半分の方が
75歳以上。ですから、19万3,000人のうち約5万人の方は75歳以上で入院されている方
になるわけです。この方々がどういう退院支援が必要かっていうことを早急に考える必要があると
いうことです。もちろん若い方々の退院支援も進めるのは言うまでもありません。
そして、真ん中を見ていただくと、ちょっと人数が変わっているんですけれども、認知症の方が
4万5,000人いらっしゃるので、この方々の支援も考えていく必要があると、高齢者サービス
をどう整えていくかということになるわけですね。
実際に毎年5万人近くの方が退院されているんだけれども、そのうち1万人の方は病院で、悲し
いかな、亡くなっている方なんです。5万人のうち1万人は病院で死んでしまうと、そういった構
造をやっぱり変えたいわけです。これは精神科医療機関の方々は皆さん思っていらっしゃると思い
ます。
5万人って聞いても数がわかりにくいので、60床で見てみるのっていうのを私はつくりました。
一般の人については、何で100人じゃないかって思われるかもしれないけれども、病床単位で見
ると、60床っていうのが非常にわかりやすいんですね。60床で見てみると、31人の方は65
歳以上ということです。そして、認知症の方が13人で、統合失調症の方が38人いらっしゃる。
60床で、じゃあ、1年間で何人退院されているかというと、15人なんです。こちらの数字は足
すと14人なんですが、それは端数があるからなんです。15人が退院されているんだけれども、
そのうち3人が死亡退院で、6人が転院されているんです、転科されていると。つまり、15人中
9人の方は本意でないかもしれない。実際に家に帰られている方が3人で、グループホームに入ら
れてる方が1人で、高齢者施設が1人なんです。これをどう考えるかっていうのが今後の課題です。
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私の提案では、65歳未満の方のうち、この22人っていう黄色の部分の方はまだお若いので退
院支援をもう少し手厚くさせていただいて地域に戻ってきてもらう、そういう人たちだと思います。
そして、緑のところが12人と1人で13人になるんですが、この方々は認知症なので、介護保険
が使える対象者になっていくわけですから、介護保険を積極的にお使いいただきたい。しかし、な
かなかそれも長く入院されていると、今さら病院を変わりたくないっていう話にもなっているとい
うのは聞いているところです。もちろん死亡退院と転院の15人の方へもう少し手だてがないかは
考える必要があると、それが前提なんです。この60人の中で、そういった退院を進めていっても、
あと10人の方は介護保険も使えないんだけれども、65歳以上でこれからどうしようかっていう
人です。この方々の手だては早急に考える必要があるでしょう。場合によっては、60床を縮小す
るに当たって、その10人の方の行き場所がないとすれば、当面病院をグループホーム等にかえて、
そこにお住まいいただいてもう少し自由な生活に変えていただく。そういったことを考える時期に
来ているんではないかということを国の検討会で、私は提案をさせていただいたところです。
それについては、全国的に相当数の大反対が起こっているわけです。病院の抱え込みを許すのか
といったことを言われているところですが、基本的には退院支援を進めていくんだけれども、それ
でもなおかつ出られない人たちの手だてを今考えておかないとその方々は亡くなってしまうので、
そして病院もベッドがあいていれば新しい方に入院していただくという、この構造を変えない限り、
日本の精神医療の構造がなかなか変わらないわけです。ですから、こういう提案をしているという
ところです。
そして、約1万人の方が病院の中で亡くなるということもやめていきたいんですね。やめていく
ことはなぜ必要というと、病院の中で最後を迎えるとそこには御家族も存在しています。1万人亡
くなっているとすれば、1万人の御家族が周りにいらっしゃる。どんな事情があっても自分の身内
を最後に精神科病院で亡くしたいとは誰も思わないわけです。思わないんだけれども、もう家族と
しても手だてがないから、病院さんにお願いしますっていう形になってしまっています。しかし、
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これは誰にとっても余りいい思いは残さないですよね。かえって精神科に対して拒否反応をその1
万人の家族はお持ちになるんではないかと思います。ですから、きちんと精神科病院から退院をさ
れて、御本人がグループホームやアパートで暮らしていて、それを見守ってそこで亡くなることは
家族にとっても、とても大切なことです。これも私の意図するところです。
私はかなりの批判を受けているところなですが、その両方の意見をきちんとお聞きになるといい
かなと思っているところです。
もう時間が過ぎましたね、大変申し訳ございません。いろいろなお話をさせていただきましたけ
れども、かなり広範囲で話したので、全てが皆さんにとって有意義であるとは限らない。その話の
中で幾つか皆さんに御活用いただいたらありがたいと思います。
アメリカのアンソニーさんの言葉です。I believe in them before they believe themselves.
つまり、私は、精神障害者の御本人さんが自分のことを信じるか信じられないかわかんないときか
ら、私はあなたのことを信じていますっていうことですね。そういう思いはやっぱり支援者も家族
も持ちたいところですね。自分のことってなかなか疑い深いんです。自分のことを信じる以前から、
私はあなたのこと信じてじているからねっていうメッセージを伝えていくことが必要だと思いま
す。
希望の苗を植えていきましょう。これは日本の精神医療を良質にしていく、みんなでさらによく
していくって意味です。御本人さんたちがリカバリーしていくために何が必要かっていうと、先ほ
ど言いましたように、御本人さんのことを私たちが信じていくことと、魔法は御本人の中にあると
いうことですね。自分自身を変えていくための魔法は障害者自身が持っています。それを私たちは
信じていくということだと思います。それについて、今日は御家族の参加も多いのかなと思います
が、御家族がお困りのことがあるとすれば、それはうまく専門家を利用して相談していただくとい
うことになると思います。
そんなことをお伝えして、きょうの私の話とさせていただきたいと思います。皆さん、どうも御
清聴ありがとうございました。
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