「イスラム寄宿塾理科教育プログラム強化・ワークショップ」出張報告書

「イスラム寄宿塾理科教育プログラム強化・ワークショップ」出張報告書
德 田 耕 一
神 崎 夏 子
1.派遣までの経緯
外務省では、2004 年度より、対日理解の増進、及びインドネシアのイスラム寄宿塾(プサント
レン)の教育向上を支援するため、イスラム寄宿塾教師を日本に招聘し、日本の学校を視察させる
事業を実施していた。2005 年には日本の発展の原点である「モノ造り」の基礎となる理科教育の
重要性を認識してもらうべく、9 月 19 日から 10 月 2 日にかけて 12 人(内 10 名がイスラム学校理
科教師)を招聘し、理科の実験授業及び実習授業を中心に学校や工場を視察してもらい、また、教
育機関と連携し、社会発展における理科教育の重要性をテーマとした大学生との討論会を東京学
芸大学で実施した。
外務省はそのフォローアップとして、ジャカルタ及びスラバヤで、インドネシア国内のイスラ
ム寄宿塾理科教師を集め、
ワークショップを開催し、
日本より理科教育専門家を講師として招き、
理科教育の重要性についての講演及び理科実験の実演授業を行い、参加者に理科教育の重要性を
認識させると共に、訪日成果発表を交えて、ワークショップ参加者自身に理科教育の教育法等を
議論させ、具体的な行動計画を策定させることを企画した。
そのために派遣する理科教育専門家の推薦を、外務省は NPO 理科教育改革支援(SSISS)に依頼
してきたので、もし德田が派遣を承諾するならば、SSISS の理事会は推薦する意向である旨の連
絡が西原寛さんからあり、またその際、理科実験の実演授業を行なう高校教師として心当たりの
方がおられれば名を挙げてほしい旨の依頼があった。
德田が、神崎夏子博士(東京女学館中学・高校 非常勤講師)にワークショップにおける理科実験
授業の担当を依頼したところ、時期に関して勤務校での仕事に支障がない限り可能と言う返事が
あり、ワークショップ講師を引受ける旨、大木理事長および西原さんに回答した。
1 月 12 日に外務省の担当者から、ワークショップの目的などを記した文書(コンセプトペイパ
ー)を添付した E メイルが届き、日曜日に成田発、現地に木曜日まで滞在し木曜日の夜行便で帰
国という現地4泊5日の日程で派遣することを計画していることなどの連絡があった。
2001 年から 03 年まで JICA のプロジェクト「初中等理数科教育拡充」(以下、IMSTEP と略称)
に従事した德田の経験では、インドネシアの公立の小・中・高校の教員が実験をしてみせること
は、特別な場合・人を除いて、あまりない。なぜ授業に実験を取り入れないか、という問いに対
しては、(1) 教えなければならない量が多すぎて、実験を取り入れると、それをこなすことがで
きない、(2) 実験をして見せようにも設備がない、などの答えが返ってくる。自分で実験をした
経験が少ないし、できればせずに済ませたい、というのが本音であろう。そういう言い訳を避け
るためには、彼らの身近にある材料を用いて行なう実験をしてみせることが必要である。また、
実験授業を日本で行なう場合でも、見たこともない会場に出かけて、限られた時間の中で実験を
やって見せて、理科の授業に実験を取り入れて生徒に自分で考えさせることの大切さを、一般科
目の授業時間が少ないといわれるイスラム寄宿塾学校の理科の教員に伝えることができるだろう
か。ワークショップの前に実験授業を行なう会場を下見する時間、及び実験で用いる材料の購入
するための時間が必要で、そのために 1 日の余裕がほしいことなどを申し入れた。その要望を考
慮していただき、2.に示すような日程になった。しかし、正式に派遣が決定したのは 2 月 23
日に外務省で打ち合わせを行なった後のことである。
実験授業で行なう実験項目に何を選ぶかについては、対象とする生徒の学年や人数、会場の設
備や広さ、参観する教員などの人数など、外務省から得られる情報がはっきりせず、決めるのに
時間を掛けたが、できるだけ現地で手に入る材料を用いる実験を行なうことにして、①果物電池
と②CD と紙コップを使った分光器の実験、それと短時間で見せる導入デモ用に、酸塩基反応及
び酸化還元反応に基づく色素溶液の色変化の実験を用意した。
予備実験及び必要器材の準備などは東京女学館中学・高校の理科教室を使わせていただいた。
ま
た電圧計、メロディオン(電子オルゴール)など、いくつかの器材を貸していただいた。
講演及び実験授業の説明に用いるパワーポイントによるスライドと、授業計画及びワークシー
トなど配布資料はできるだけインドネシア語で表示することとした。そのため、東京目黒区にあ
るインドネシア学校を訪ね、翻訳の援助をお願いした。また、インドネシアでは 2003 年以後新し
いカリキュラムに移行することになっていたが、実際に実施されているのかどうか、はっきりし
なかった(国民教育省教科書センターの HP から、新カリキュラムがダウンロードできる)。尋ね
たところ、まだ実際には実施されていないとの答えが得られた。
通訳のシュクリ(Agus Fanar Syukri)さんとはメイルで連絡がつき、講演に用いる原稿に出てくる
キーワードなどの翻訳をお願いしておいた。
在ジャカルタ日本大使館の情報文化班担当書記官との頻繁なメイル連絡と JICA ジャカルタ事
務所の JICA 専門家の協力を得て、硫酸、テスター、カッターナイフ、スコッチテープなどを購
入しておいてもらうことになった。
2.日程
3月18日(土) 東京 1115→ジャカルタ 1705(JL725)
夕食会(日程等の打ち合わせ)
3月19日(日) 会場の下見、実験・講演の準備
3月20日(月) ワークショップ(講演)
3月21日(火) ワークショップ(実験授業)
3月22日(水) ボゴール植物園視察
教育省で JICA 教育プロジェクト関係者と意見交換
JICA ジャカルタ事務所訪問
3月23日(木) ジャカルタ 1200→スラバヤ 1320(GA312)
スラバヤ領事館で日程等の打ち合わせ
3月24日(金) 実験・講演の準備
3月25日(土) ワークショップ(実験授業・講演)
スラバヤポリテク訪問
3月26日(日) ジョンバンのプサントレンを訪問・視察
スラバヤ 2000→ジャカルタ 2115(GA333)
3月27日(月) ジャカルタ 0025→東京 0945(JL726)
ジャカルタ泊
ジャカルタ泊
ジャカルタ泊
ジャカルタ泊
ジャカルタ泊
スラバヤ泊
スラバヤ泊
スラバヤ泊
3.ジャカルタでのワークショップ
(1)3月18日(土)
ほぼ定刻にジャカルタ(スカルノ=ハッタ)空港に着、大使館関係者に出迎えていただき、ホ
テルへ。7時半から大使館関係者と夕食を取りながら予定の打ち合わせ。インドネシアの教育事
情などについて話し合う。
(2)3月19日(日)
朝9時にロビーで同行の大使館関係者、通訳兼案内役のシュクリさんと会い、ワークショップ
の会場となる国立イスラム大学へ向かう。シュクリさんは高校卒業後 1990 年に来日し、佐賀大学
理工学部情報科学科卒業、北陸先端科学技術大学大学院情報学研究科修士課程修了、電気通信大
学大学院情報科学研究科博士課程修了で、昨年まで 15 年間日本に住み、現在 Lembaga Ilum
Pengetahuan Indonesia (LIPI, インドネシア科学院) Pusat Penelitian Sistem Mutu dan Teknologi
Pengujian (品質システム及び試験技術研究センター)の職員であり、ときどき通訳として働いてい
る。
ジャカルタ国立イスラム大学(Universitas Islam Negeri Jakarta)まで車で約1時間、会場となるキ
ャンパス内のウィスマ・シャヒダ(Wisma Syahida) ゲストハウスに行く。ワークショップ会場はそ
の 2 階にあり、かなり大きい。次いで、直ぐ近くにある、実験授業の会場となるマドラサ・プン
バングナン(Madrasah Pembangnan) の理科室に移動 [Madrasah というのはイスラム学校、宗教省
の管理]。かなり狭い部屋で、参観者も含めて 50 人を超す人が入るのは苦しいが、実験グループ
1 組を 3 名とし、4台の実験机の各々に 2 組ずつ、計 24 名の教員に生徒の役を務めてもらい、残
りの参加者には周りに座って見てもらう事にする。
ホテルに戻る途中、スーパーマーケットで紙コップ、紫キャベツ、りんご、などを購入。ホテ
ルで講演用スライド、授業計画及びワークシートのインドネシア語原稿を作成した。
(3)3月20日(月)
朝 7 時 10 分に大使館関係者とホテルのロビーで会い、国立イスラム大学に移動。8 時頃ワーク
ショップ会場のウィスマ・シャヒダ ゲストハウスに到着。参加者たちと雑談。雨と渋滞で遅れた
シュクリさんが到着。
8 時 30 分ワークショップ開会。ジャムハリ(Jamhari)社会イスラム研究所(PPIM)所長及び黒木雅
文在インドネシア日本大使館公使の挨拶があった。
セッション1「教育機関における科学と技術の開発」で、先ず德田が「日本の中等教育におけ
る理科授業 ∼ その現状と創意工夫」という題で講演したが、講演に先立ち、IMSTEP のプロモー
ションヴィデオを上映した。中学・高校の理科の授業が、教員から生徒への単なる知識の伝達では
なく、授業に実験を取り入れて、発問して生徒に考える時間を与えるなどの、授業方法の改善を
高校・中学教員と大学教員とが協力して進めるということは、インドネシア教育大学(UPI)、ジョ
グジャカルタ国立大学(UNY)、マラン国立大学(UM)の 3 大学において IMSTEP で行っていた試みで
あり、本ワークショップの主題と密接に関連しているので、プサントレンの理科教員にインドネ
シア国内でも、そういう取り組みが行なわれていることを知ってもらいたかったからである。
次のような内容の講演を行なった。講演の後半の部分(⑤から⑨)には、佐巻健男・編著「授業
作りのための理科教育法」(東京書籍、2004)、佐巻健男・刈谷剛彦編「理科・数学教育の危機と
再生」
(岩波書店、2001)を参考にさせていただいた。
①資源が少なく、貿易立国として工業製品の輸出に依存してきた日本は、今「理科嫌い」や「科学離
れ」が増加し、小学生・中学生・高校生ばかりでなく、大学生や大学院生の学力低下が認められ、こ
の現象を日本の危機と捉えている人も多い。なぜこういう現象が起こってきたか。
②1978 年に改定された学習指導要領で文部省は「ゆとりある教育」政策を導入した。「物質的な豊
かさや便利さの中で、子供たちは学校での生活や塾や自宅での勉強にかなりの時間を取られ、睡
眠時間も少ない、
ゆとりのない忙しい生活を送っている」ので改善しようというのが導入の理由で
あった。
③受験勉強は子供にとって大変で、授業が分らない子供をなくそうという訳で、1989 年の学習指
導要領改定で「ゆとりある教育」が更に拡大した。同じ頃、土日休校が始まり学習時間は減少し、
授業内容も減少し、それに伴い教科書に載せる事柄も減らされた。出生率も下がってきて若年人
口が減ってきたので大学は学生を呼び込むために受験科目を減らした。
こういう 20 年に及ぶゆと
り教育などなどの影響が大きく、科学離れや学力低下という症状が顕わになってきて、2002 年の
学習指導要領改定の前に、産業界、大学教員、高校・中学・小学校の教員などから問題点が指摘さ
れ、大いに議論された。
④そんな中、文部科学省は、学習指導要領は最低基準を示すものだと発表し、さらに、学校で教
科書に書かれている以上のことを教えることを許した。しかし、学習指導要領に記されている以
上の内容を含む教科書は検定で認められず、教科書の内容は制限を受けたままである。こういう
状況の中で、学校教育の現場では、「理科・科学に興味を持つ子供を育てるための工夫、知識の押
し付けばかりでなく、
子供に考えさせるための工夫」
を考慮した授業改善の努力がなされている。
年間指導計画(シラバス)を教員が担当科目に関して作成、さらに学習指導案を担当の授業につい
て作成し、教員自身による授業の改善に役立てたり、他の教員の授業を参観するなどして学校教
員同士の情報交換・学びあい・協力・助け合いによる改善を行なっている。さらに改善のための、
大学教員から、定年退職大学教員から、そして企業の人からの支援があり、また地域の博物館を
利用するなど、様々な改善方法がある。また最近は、文部科学省が「科学技術・理科教育推進モ
デル事業」、科学技術振興機構が「理科大好きボランティア事業」などを通して行政が金を出すよ
うになってきた。
⑤理科の授業には、(a)講義を中心として、教師から生徒への問いかけを重視する方法、(b)生徒
とのやりとりを中心として、生徒の考えを重視する方法、(c)実験を中心とした、生徒の技量を重
視する方法、があるが、これらを適宜組み合わせて行なうことが必要。
⑥授業を行なう人が知っておかなければならないこと(前提条件)。
⑦理科授業に、実験・観察をどのように取り入れ、活用するか。
⑧実験を含む授業の学習指導案の作成方法について、実験授業に例として用いた、果物電池につ
いての授業の場合について述べ、各授業で学習指導案を作成している教員は必ずしも多くないよ
うだが、すべての授業に作成することが望ましい。
⑨なぜ、理科を学ぶか。
まとめとしての結論の中に、日本に派遣されいろいろな学校を視察して来られた方は、良いとこ
ろだけを取り入れて、インドネシアの理科教育を改善されることを望んでいる、ということを加
えておいた。
午後にはセッション2「プサントレンにおける理科教育」とセッション3「プサントレンの教
育カリキュラムの中の科学技術」において、それぞれ4件と2件の講演があったが、前者では、
お祈りを捧げた水がきれいに凍るという擬似科学の話を信じているらしい発表が印象的であった。
JICA 専門家やバンドゥンの中学校教師として活躍中の青年協力隊員、大使館の教育関係担当の
書記官、国際協力銀行のコンサルタント、シュクリさんと夕食しながら、インドネシアの教育事
情などについて歓談。
ホテルに戻ってから、実験授業に関するワークシートとスライドの完成にかかる。
(4)3月21日(火)
朝9時、大使館担当者とホテルのロビーで会い、Media Indonesia に掲載されていたワークシ
ョップについての記事のコピーをいただく。国立イスラム大学に向かう。途中で実験に用いるド
ライアイスを調達。ワークショップ会場では昨年日本に招聘されたメンバーによる「日本の学校
における理科教育」の発表があるが、それには欠席してマドラサ・プンバングナンの理科室で実
験の準備を行なう。
午後2時から神崎が実験授業デモを行なう。予め、果物電池及びダニエル電池の作製と測定に
必要な材料(亜鉛板、銅板、硫酸銅、リンゴ、隔膜用セロハン紙、ミノムシクリップ端子を付け
たビニール被覆リード線(赤、黒、各2組)、電圧計あるいはテスター、メロディオン、電動小型
モーター、など)を8組、机上に配っておく。生徒役の教員をグループに分けて机の周りに着席
してもらい、残りの参加者がその周りの席に座ると理科室は人で一杯になる。
自己紹介と挨拶の後、生徒に注目させる導入実験として、色素を用いた次の3種の演示実験を
見せる。
①ドライアイスを入れると色が次々変化する水(メスシリンダーに入れた万能pH 支持薬溶液に
水酸化ナトリウム溶液あるいはアンモニア水を加えて塩基性にしておき、そこにドライアイス塊
を入れたときの溶液の色変化を観察させる。)
②色が変化する水(1本の透明なプラスチックビンに、紫キャベツからの抽出液の少量を水に溶
かした液を入れておく(A)。別の2本のプラスチックビンのそれぞれにごく少量の硫酸、水酸化ナ
トリウム溶液を入れておき、そこに(A)の液を注ぐと、それぞれのビンの液の色が変化する。)
③振ると色が消えてまた戻る青い水(メチレンブルーの溶液にブドウ糖と水酸化ナトリウムを溶
かした溶液はロイコ体を生じ無色になるが、それをプラスチックビンに半分程度入れ、栓(キャッ
プ)をしておく。
このビンを激しく振ると溶液が徐々に青い色を示す。
このビンを静置しておくと、
青色は徐々に消滅し溶液は無色透明になる。)
生徒役の教員にそれぞれの実験における色変化の理由を考えさせ、その後に、それぞれの反応
の説明をする。③の理由を説明できた教員はいなかったが、これを利用した手品が最近インドネ
シアのテレビで演じられているらしい。
写真 1.ジャカルタでの実験授業デモ1
写真2.ジャカルタでの実験授業デモ2
(神崎先生の演示実験)
(イスラム寄宿塾理科教師の皆さん)
生徒実験に入り、実験方法と質問を記したワークシートを配って、リンゴを用いた果物電池と
簡単なダニエル電池を作らせ、それぞれの電池で、メロディオンがどのような音を発するか、ま
た、電動小型モーターが回るかどうかを調べさせ、あわせて電圧計あるいはテスターでどれだけ
の端子間電圧を示すか測定させた。電圧計またはテスターのどの目盛を読んだらよいか、分らな
い教員が多かったことは、頭では分っていても、普段、電圧計を実際に使っていない、というこ
と示していると思われる。
続いて、古 CD と紙コップを使った分光器を作製してもらい、それを用いて、窓から入る自然光
や、ランプのスペクトルを観察してもらった。日本では回折格子フィルム(プリズムシート)が安
価で入手できることを話し、それを配って、古 CD を使うよりもきれいなスペクトルが見えること
を確かめてもらった。
(1)日頃より教材研究を行なう、(2)情報集めに心がける、
(3)教材の工夫と購入の工夫、(4)カ
リキュラムの中で適切な位置に実験を配置する、(5)生徒が楽しめるものづくりなどを取り込む、
などが重要なことを伝えた。
実験に使う試薬が高価であるためになかなか買えないという意見や、
演示実験などの方法を記した本がインドネシア語に翻訳されないだろうか、という質問・要望な
どがあった。
理科室を片付けて、ホテルに帰る。(5)3月22日(水)
朝9時、雇った車でシュクリさんと一緒にホテルを出発、ボゴールに向かう。10 時頃、ボゴー
ル植物園(Kebun Raya Bogor) に到着。ここはシュクリさんの勤めているインドネシア科学院に所
属しているので、彼の身分証明書でゲストとして入園できた。正門脇の売店で植物園の地図など
を購入し、ランの温室、カナリの木の並木、オオオニバス、様々の種類の竹及び椰子、大蝙蝠の
木、などを車で回って見る。広すぎてゆっくり見ることはできない。渋滞の可能性が高いので、
午後 1 時半にはジャカルタに向かう。
午後2時、国民教育省初中等教育総局に到着。IMSTEP のときインドネシア側の事務関係を取
りまとめておられたウトモ(Oetomo)さん、インドネシア教育大学(UPI)理数科教育学部長のスマル
(Sumar)さん、
物理学科講師のハルン(Harun)さん、
初中等教育総局に派遣されている JICA 専門家、
それに 20 日に夕食を共にした日本側関係者に会う。
IMSTEP 終了後の 3 大学の動き、
UPI の現状、
近日新しく始まるというプロジェクトなどについての話を伺い、私達の訪イの目的などについて
話す。
午後4時半、JICA ジャカルタ事務所訪問。ジャカルタ事務所次長、教育・保健担当者、及びシ
ニアボランティアと青年協力隊の調整員に会い、JICA のインドネシアにおける教育関係プロジェ
クトについての話を聞く。
6時にホテルに戻る。
(6)3月23日(木)
午前 10 時にチェックアウトしホテルを出発、スカルノ=ハッタ空港へ。12時、スカルノ=ハ
ッタ空港発、13時20分スラバヤ・ジュアンダ空港着。在スラバヤ総領事館の出迎えを受け、
ホテルへ。次いで、4時から領事館で日程の説明を受ける。ジャカルタで発行されている日本語
の新聞「じゃかるた新聞」23 日版にワークショップに関する記事が出ているとの連絡がある。
ホテルに戻り、隣接したショッピングモールに出かけ、果物などの売り場を探しておく。
(7)3月24日(金)
朝8時半、総領事館担当者、シュクリさんと一緒にホテル発、約 30 分で、アル・ヒクマ高校(SMA
Al Hikmah)へ。この高校はまだできたばかりで、小学校・中学校と同じキャンパス内にあり、高
校は 1 年生のみが在学。この学校の先生方と挨拶を交わした後、ワークショップの会場を下見す
る。講演会場は 100 平米以上の大きな教室。理科室には6人用の実験机がある。イスラム学校な
ので男女の授業は別々に行なうとのことで、2時間の予定の実験授業を1時間ずつに分け、男子
生徒には果物電池、女子学生には分光器の実験を行なうことにする。手伝ってくれる先生方から
実験準備室の説明を受け、そこにある試薬や器具などを使用することの許可を得て、翌日の朝に
は時間がないので、直ぐに始められるよう、準備を行なっておく。
準備終了後、図書館に案内される。履物を脱いで入るが、床はきれいに掃除され磨かれている。
書籍の数はあまり多くないが、きちんと整理されている。金曜日の昼に行なわれるお祈りは 1 週
間で一番重要なもので、11 時半にはムスリムの男性はすべて(キャンパス内の)モスクへ出かけ
る。その間に我々はカフェテリアでお昼をいただき、女子生徒と話す。お祈りが終りシュクリさ
んが昼食を済ますのを待って、ホテルに戻る。
午後は、実験に用いるリンゴなどの買い物をした後、パワーポイントスライドの修正、ワーク
シートの修正を行い、ビジネスセンターでプリントする。
7時から総領事館関係者、シュクリさんと夕食を取りながら、ジャカルタでのワークショップ
の様子やインドネシアの教育事情などについて話し合う。
(8)3月25日(土)
朝7時平島さんとホテル発、アル・ヒクマ高校へ。インドネシアでは普通のことであるが、こ
の学校も授業は 7 時に始まるが、今回の実験授業は 7 時半から。男子生徒が 16 人と理科教員が出
席であったが、本来休日のために 7-8 人の欠席者がいたとのこと。挨拶の後、万能指示薬を含む
溶液のドライアイスによる色変化の演示実験を見せ質問と解説をした後、時間がないので果物電
池に移る。ここの生徒たちはジャカルタでのワークショップにおける教員より、テスターによる
測定には慣れている様子だった。中学生のとき物理で電池についてすでに習っており、結構理解
している。
1 時間後に男子生徒が女子生徒に交代し、演示実験に続いて、分光器の作製の実験に入る。カ
ッターの使い方が危なっかしい生徒がいたのでインドネシア語で話しかけ、説明の途中につい英
語で話してしまうと、英語で対応してきた。他の生徒もかなり流暢に英語を話すことが分った。
出来上がった分光器で窓の外から入る自然光のスペクトル、蛍光灯の光のスペクトルなどを観察
させ、回折格子による分光の説明をして実験授業を終了。ワークシートに観察結果などを記入さ
せたが、それをアル・ヒクマ高校の理科教員に渡してきてしまった。せめて、コピーを取ってこ
なかったことが悔やまれる。
写真3.スラバヤ Al Hikmah 高校での実験授業
写真4.スラバヤ Al Hikmah 高校での実験授業
デモ1(果物電池)
デモ2(CD 分光器)
3階の講演会場へと移る途中、建物の中庭に面した廊下に私達の名前をいれて、”Slamat Datang
di SMA Al Hikmah”(アル・ヒクマ高校によくいらっしゃいました)という歓迎の横断幕が架かって
いるの気がついた。講演会場には三十数名の教員が集まってこられたが、男性と女性が会場の中
央を境にして左右に分かれて着席したのを見て、ここはイスラム学校だ、ということを再認識し
た。IMSTEP で訪れた公立学校や国立大学で
はこういう経験をしたことはなかった。講演
内容はジャカルタでのものとほとんど同じで
ある。いくつかの質問の後で、パワーポイン
トスライドのファイルのコピーを欲しいと何
人もの人から請求された。また、数学教育を
どう考えるか、という質問を受けたが、数学
教育が大事なことは言うまでもないことで、
今回は偶々理科教員のためのワークショップ
であり、数学の必要性を講演の中で強調しな
かったことを詫びた。
写真5.スラバヤ Al Hikhah 高校での講演会
続いて、実験授業の際に理科教室に来られな
かった人のために神崎が演示実験のいくつかを披露した。ここでもジャカルタでのワークショッ
プと同様の質問・要望があり、こちらの理科教員も実験を取り入れた授業を積極的に行ないたい、
と望んでいるという印象を受けた。
理科教室に戻り理科教員の助けを借りて、
使った実験器具の片付けと整理、
廃液やごみの処理、
教室の掃除などを終えて、学校を出る。いただいた学校紹介パンフレットの学校名の下に“Full
Day School Surabaya”と記されている。インドネシアでは学校の建物が足りず、公立学校はほとん
どが午前・午後の二部授業を行なっており、
1日かけて教育するということがこの学校の宣伝文句
になっているのだ、と学校を辞去してからやっと初めて気づいたのは、迂闊であった。
遅い昼食後、11 月 10 日工科大学(ITS と略称、Institut Teknologi Sepuluh Nopember)にあるスラバ
ヤ電子工学ポリテクニク(Politeknik Elektronika Negeri Surabaya)を訪問。ここは NHK ロボコン世界
大会に優勝したことがあり今年もいろいろ準備に忙しく、体育館にはルールに従って試合用のコ
ートが作られ、ロボットモデルの改良が行なわれていた。
(9)3月26日(日)
雇った車で朝9時にシュクリさんと一緒にホテルを出発、スラバヤの南西約 70kmにある都市、
ジョンバン(Jombang)に向かう。11 時少し過ぎにジョンバンに入り途中で迎えに来てくれたモータ
ーバイクの後を追って、イスラム・ロウション・フィクル小学校(SD Islam Roushon Fikr)に到着。
校長は不在で、日本に派遣され、ジャカルタのワークショップに参加していた理科(生物)教師サ
イェクティ・プジ・ラハユ(Sayekti Puji Rahayu)さんにいろいろ説明を受ける。この小学校はイスラ
ム・ロウション・フィクル財団によって経営される私立小学校で、プサントレンではない。この
小学校の校長のお兄さんがプサントレンを持っているとのこと。
この小学校は理科教育に非常に熱心で児童をマラン(Malang)にある科学博物館、スラバヤのポ
リテクニク、近くの製陶工場などを児童に見学させ、いろいろの体験をさせている。特に、サイ
ェクティさんは実験を取り入れた授業に熱心で、子供のための実験指導書を著している。授業を
参観させてもらったが、5 年生が肺の模型をプラスチックビンやゴム風船などから作り、肺の働
きについて模型を動かしながら学んでいた。それぞれのグループに分かれた児童の机の上には名
札が置かれており、その中に“Koichi Tamaka”と“Ryoji Noyori”の名前があった。日本人である私
たちを歓迎してくれたものであり、その他には Al Kindi (アラブの哲学者として知られ、天文学・
物理学・数学・医学・地理学など多方面で活躍、800 生-873 没)、Jabir bin Hayyan (アラブ化学の父と
呼ばれ彼の著作はラテン語をはじめとする欧州の語に翻訳され、ルセッサンスの知識人に影響を
与えた、約 721 生-約 815 没)、Ibn Sina (西洋ではアヴィセンナ Avicenna として知られるペルシャ
生まれのアラブの哲学者・医学者、980 生-1037 没) などのイスラム世界の有名な科学者の名前が
あった。
手を振る生徒たちに送られ、この小学校の校長のお兄さんが持っているという近くのプサント
レン(Pondok Pesantren Putri Roudlotul Qur’an “An-noer”)に移動。中学を卒業した7名の女子生徒が
寄宿してここで3年間コーランを学び、学業を終えると故郷やその他の場所で伝道者になる。
続いてプサントレン・ダルル・ウルム(Pondok Pesantren Darul ‘Ulum)を訪問し、そこの長老
Abdullah Asad さんに紹介された。このプサントレンは 13 の学校を所有あるいは管理し、その中
には大学(Universitas Pesantren Tinggi Darul ‘Ulum)もあり、また公立学校もあるという。公立学校を
プサントレンが所有するということは考えにくいので、尋ねてみると、長老の家は古くからのジ
ョンバンの名門で地域の政治的な有力者でもあり、公立学校の運営も以前から任されるようにな
っていたためだとのことであった。大学に案内され、学長室の側の部屋で大学のお偉方やプサン
トレンの長老と一緒に昼食をご馳走になった。昼食後、隣にある高校に案内され、男子生徒の何
名かが彼らの将来の希望を話してくれ、また、日本の大学に入りたいが奨学金をもらうにはどう
したらよいか、などの質問を受けた。女子生徒が化学実験をやっている授業を参観したが、水酸
化ナトリウム水溶液による酢酸(日本では多くの高校で食酢を用いる)の滴定を行なっているのを
参観した。日本での高校で行なわれている実験とほとんど同じである。
このプサントレンは病院も所有し、その新しい建物を見せてもらったが、医療用機器が搬入さ
れている途中であり、海外の財団などから支援を受けており、日本からの機器の提供もうけてい
るとのことであった。
視察を終えてホテルに帰ると午後4時。急いで荷物をまとめ、6時にチェックアウトし、スラ
バヤ空港へ、8時発の便でジャカルタのスカルノ=ハッタ空港に到着。通訳兼案内のシュクリさ
んにしていただいた尽力に厚く感謝し、見送られて JAL にチェックイン。夜半過ぎて出発の便は
翌朝無事、成田に到着した。
德田にとって今回のインドネシアでのイスラム学校における経験は、IMSTEP で公立学校につ
いて得た経験とは異なるものであった。公立学校は、都市と田舎との差ばかりでなく、都市内で
も地域や子供の親の所得や学校への寄付の多少などによってもちろん格差があるが、国民教育省
の管轄の学校である。一方、プサントレン(イスラム寄宿塾)という組織は非常に小さいものから、
学生・生徒・児童などを含めると2万人以上の学校関係者がいる大きなものまであり、宗教省の管
轄となっている組織で、学校として認められていないものも多い。明瞭ではないが、プサントレ
ンはもともとコーランについて教え、伝道師を養成するのが目的のところである、と考えると理
解しやすいように思う。プサントレンでその組織が大きいものは、学校を所有してイスラム教に
ついての教育以外は公立学校とほぼ同じ教育をしているものもあり、そういう学校はマドラサと
いう。
日本に派遣されたプサントレン関係の理科教員が視察のために訪れた日本の学校の多くは理科
教育を熱心に行なっているということで有名なところであり、私たちがワークショップを行なっ
たスラバヤのアル・ヒクマ高校(小学校、中学校)やジョンバンのイスラム・ロウション・フィ
クル小学校はイスラム系学校の中でも一流中の一流であると感じた。すなわち、エリートを育て
る教育をしているところであり、教員も非常に熱心で、こういう学校の優れた教員が自分たちの
行なっている授業方法を、他の学校の教員に普及していく仕組みができれば、インドネシアの中
で授業方法の改善が可能になり、理想的だと思うが、実現はなかなか難しいかもしれない。
なお、補足となるが、今回のワークショップについては、すでに記した Media Indonesia(3 月
21 日)とじゃかるた新聞(3 月 23 日)の他に、The Jakarta Post (英文紙)(3 月 20 日)、Jawa Pos(3 月 28
日)、Republika(3 月 24 日)に取り上げられ、現地で良い評価を受けたことを付け加えておきたい。
今回、貴重な機会を与えてくれた外務省の方々及び SSISS に心より感謝する。