ペスタロッチーの『育児日記』試論 - 通信制大学・通信制高校の学校法人

八洲学園大学紀要 第 9 号 (2013), p. 65 ~ p. 74
ペスタロッチーの『育児日記』試論
福田 博子
A Study in “Tagebuch Pestalozzis über die Erziehung seines Sohnes”
FUKUDA, Hiroko
キーワード:自然、観察、時間割、労働、従順
はじめに
本稿は拙稿「ペスタロッチーの育児日記についての考察」1)を基に加筆修正したものである。『育
児日記』
(Tagebuch Pestalozzis über die Erziehung seines Sohnes)は、ペスタロッチーが 1774 年長男
ヤーコプ (Jacob, 1770~1801 愛称ヤーコプリー ) の育児について書きとめた日記である。この日記は
1774 年 1 月 27 日から 2 月 19 日までであるが、ペスタロッチーの死後、1 年経った 1828 年ニーデラー
(J.Niederer, 1779~1843)が『ペスタロッチー誌』(Pestalozzische Blätter)に発表した。
ここにはまだ学問的な理論といえるほどのものは見られないが、後の教育思想の理念を窺わせるも
のが散見される。ここでペスタロッチーの初期の教育思想を考察する。
1『育児日記』が執筆された背景
ペスタロッチーは若い頃からルソーの影響を受けた。彼は『エミール』(1762) を読んでいたく感
動したのであった。『白鳥の歌』(Schwanengesang)には以下のようなくだりがある。
「
『エミール』が出るや否や、私の極度に実際的でない空想精神は、この同じように極度に実際的で
ない空想の書から非常に感動を受けた。私は私の母の居間の隅や、私が通学した教室で受けた教育と、
ルソーがエミールの教育として主張し、要求した教育とを比べてみた。世界中のあらゆる階級の家庭
教育も、公教育も、私には絶対に奇型であるかのように思え、その悲惨な実際状態に対する一般的な
救済手段は、ルソーの高き理念に求められることができ、また求めねばならないと考えた。」2)
1768 年の晩夏、ペスタロッチーは耕作に適する土地を買収し、ビルフェルトに移住した。そこに
ロイス川に沿ってミューリンゲンという村があった。この村で、ペスタロッチーは住宅、穀倉、厩舎
そして庭園を借り入れた。
しかしながら、この土地は何年も鍬を入れずに放置されていた荒地であり、肥沃な土地にするには
労力と費用がかかり過ぎた。耕した土地さえ、雨が続くと石灰岩で覆われてしまうのであった。ペス
タロッチーが土地のこと等で相談した相手は、メルキ(Merki)という近隣でも評判の悪い男であって、
メルキはペスタロッチーのためではなく、自分の利益だけを考える人間であった。
そうはいっても、ペスタロッチーの見通しの甘さと経営の才能の貧弱さを認めざるを得ない。同じ
く『白鳥の歌』で以下のように言っている。
「私の事業が失敗した原因は、事業にあったのではない。それは本質的に、もっぱら私にあった。
いわば実際にすぐれた能力を必要とするどんな種類の事業にも見られた、私の際立った無能力にあっ
た。
」3)
ここでも彼は人を責めるのでなく、自分を責め、反省している。
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この事業が完全に失敗したのは 1774 年で、彼は 29 歳であった。それで、今度は貧児 ・ 孤児を集め
て救済事業に着手する。しかし、このような状況にあっても、ペスタロッチーは家庭では幸福であっ
た。1770 年 8 月 13 日ヤーコプが生まれた。この子どもが 3 歳 5 カ月になった時より日記をつけるの
である。毎日ではないが、17 回にわたって記録している。
2 内容の考察
ペスタロッチーはヤーコプを畑や森や家畜小屋等に連れて行って、いらくさが燃えるように咲いて
いる所や、雪が熔ける様子等を観察させた。しかし、そればかりでなく、3 歳半の幼児には難し過ぎ
る早期教育を行った。ラテン語、正書法、綴り字、図画、理科の初歩を教えたり、直線、垂直線を描
かせたり、白墨の持ち方を教えたりした。また、子どもをよく観察して、子どもの心の奥まで見抜こ
うとした。そして、学習を嫌がったりすると、監禁その他の罰を与えたりした。時には学習の成果を
喜んだり、疑問を抱いたり、問題提起をしたりした。
以下のタイトルは筆者がつけ、原書を要約した。
(1)教授法
1)実物教授
水が山を下って流れる様子を実際に子どもに見せ、水は高いところから低いところへ流れることを
言って聞かせた。4) 2)概念の理解
人間と獣との区別、生きているものと死んでいるもの(自由な運動が出来ないもの)との区別を教
えた。ここで生と死との概念が必要になる。5)
3)戸外での学習
ラテン語のような面白くないものは、戸外で、遊戯をしながら、楽しく学んだ方がよい。6)
4)言語教授
ラテン語の練習として、書物を使用するのでなく、身近な物から、例えば頭部の外側の諸部分を教
える。また、図形や実物によって、外側と内側、下と上、中心と側面等の言葉を教えた。
事物についての正しい理解と結びついていない言葉の知識は、真理の認識に有害である。言葉を教
える時には(数も含めて)概念も教えるべきである。ヤーコプにとって、どの数字もすべて同じもの
であり、彼は区別も出来ずに暗記していた。7)
5)学習の順序
最初の学習を完全にしなければ、次の学習に進んではいけない。決して急いではいけない。秩序・
正確・完成・完全が大切である。8)
6)自然という教師
自然は人間以上の教師である。小鳥の囀りが注意を喚起したり、珍しい虫が木の葉の上を這ったり
している時には、沈黙せよ。小鳥や虫の方が一層多くのことを一層よく教えているのだ。
しかし、是非必要な技能が陶冶されなくてはならない短い学習時間には、そんなものに妨害されて
はならない。9) ― 66 ―
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この教授法に関して、ペスタロッチーとアンナとの対話がある。
「やさしいアンナ夫人は、ヤーコプが外で遊んで、洋服の袖を水でびっしょり濡らして帰宅すると、
ヤーコプに小言を言った。また、ヤーコプが何も知らずに熱いアイロンを掴んで火傷をすると、お馬
鹿さん!と叱ったが、ペスタロッチーは熱いか冷たいか、きれいか汚いかを子どもは自分の身体で色々
10 )
な経験をし、利口になるのだとアンナを諭した。」
(2)教育論
1)観察
ペスタロッチーは子どもを観察した結果を次のように揚げている。 ① 子どもの思い通りにさせない
「人間と獣とを区別することを教えてから、何種類かの動物と数名の知人を揚げ、動物か人間かを
応答させた。ヤーコプは大体正しく答えた。そして間違って答えた時は、いつもわざと正しく答えま
いとする意図を伴った彼独特の笑い方をした。子どもは誰でもよくそうするものであるが、この正し
く言うまいとすることは、どうすれば我儘が通るか、どうすれば物事を自分の好きなようにすること
11)
ができるか、微笑しながら試みているように思われる。」
このように。ペスタロッチーは心配し、鋭い観察が必要であると述べている。
ペスタロッチーは考え過ぎではないか。子どもはふざけてわざと嘘をいうことがあるのであって、
どうすれば我儘が通るかとか、物事を自分の好きなようにしようと思って嘘をつくのではないと考え
る。
② 条件設定の禁止
「ヤーコプのよくない習癖として、学習したくないことを避けるために、どんなに求めても容易に
得ることができないすべての物を、それがあったら学習するのだがというものである。その時に気ま
まにこしらえる条件、何かほかのことを理解する敏捷さ、器用さ、こうした策略を正確に観察しなけ
12 )
ればならない。」
普通の子どもは、条件を設定すること等考えないのではないか、ヤーコプは策略を講ずる利発な子
どもであるばかりでなく、両親に甘えているのではないか。
③ 回り道の禁止
「さらに、ヤーコプは願望を率直に表現するのでなく、ここでも回り道をするのである。例えば、
何か欲しい物がある場合、それが欲しいと率直に表現しないで、まず前もって他人がそれを拒否する
理由と思われるものを明白に述べ、もしかしたら人々を承認させることが出来るかもしれないであろ
う理由をつけ加えて要求する。例えば、
『私はそれを壊しません。ただそれを見たいのです。― それ
で勉強したいのです。― ひとつだけでいいのです。』という具合である。
この迂路を彼に成功させてはいけない。自分の願望を率直に表現することこそ一層重視されるべき
である。彼が迂路を通して要望した場合には、彼に改めて率直な方法で願わせるがよい。また、率直
に表現しなかったという理由で、しばしば願望を拒否するがよい。また彼が何かを避けようとする場
合にも、彼は多くの場合、例えば『私は苦しむのはいやです』といわずに、
『私は勉強がしたいのです』
という。これは勉強のためには彼が非常に優遇されるということを知っているからである。この優遇
をどの程度まで拡大したら無害か、どの程度で制限しなければならないか、これは熟慮すべき課題で
ある」13 ) と、ペスタロッチーは問題提起している。 これについては、ペスタロッチーがいうように、自分の願望を遠まわしではなく、直接表現するこ
と、また、欲しがるものを与える前に何か課題を与えて、子どもにその課題を必ず成し遂げるという
約束をさせてはどうであろうか。
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ペスタロッチーはこれから 44 年後、『幼児教育の書簡』(Letters on Early Education, addressed to J.P.
Greaves, Esq.by Pestalozzi) の中で、子どもの要求について次のようにいっている。
「我が子の真の要求を無視しないで、そうでない要求やしつこくせがむ要求を意のままにかなえて
やらないようにして欲しい。このようにすることが早ければ早いほど、また永続的であればあるほど、
子どものために、より大きくより効果の長い利益がもたらされることになるであろう。」
(第 12 信 子どもの諸々の要求を見極めよ)14 )
心身を健全な状態に保つには、子どもの望みは少なく、例え望みがすべてかなえられなくても、満
足させなくてはならない。
2)子どもの模倣について
子どもは概してそうであるが、ヤーコプも無邪気に他人の身振りや言葉の調子を模倣した。この知
識旺盛の傾向を放任しておくべきか、自然に生ずる練習によって、模倣能力を鋭敏にすべきかペスタ
ロッチーは問いかけ、次のように結論づけている。「すべての美しい言葉やすべての美しい態度は模
15 )
倣してよい。しかし、醜くあってはならない。」
その模倣が他人の人格を傷つけるものであっては絶対にいけない。そうではなく、他人の美しい言
葉や挙動動作を模倣する場合は奨励してもいいのではないか。
3)不慮な場合の事前の訓練
「ごくまれな場合に必要なすべての熟練や克己等は、それの必要な時機が目前に迫る前に、前もっ
て長い間準備され、馴れさせなければならない。
ヤーコプがインフルエンザにかかった時、往診した医者はごく少量の薬を飲ませようとした。しか
し、ヤーコプは嫌がって大騒ぎをした。医者は子どもが健康な時でも時折害のない、しかし不快な飲
み物や散薬を与えておいて、いざ必要という場合に、こんなに駄々をこねないようにするがよいと忠
16 )
告した。
」
ごく少量の薬に対してこんなに大騒ぎをしたということは、ヤーコプは一人っ子なので甘やかされ
ていたのだろう。我の強い子であったと思われる。また、この医者は教育的助言の出来る立派な医者
であると推察する。
4)罰を伴う強制教育
「綴り字の勉強を嫌がったヤーコプに、ペスタロッチーは毎日、ある時間、綴り字を勉強させよう
と、厳しいと感じる程の計画を目論んだ。この勉強に対して、不機嫌 (Unwillen)、監禁(Einsperren)
17 )
の罰を与えた。三度監禁されてやっとヤーコプは辛抱するようになった。」
ここには監禁されたことに対してのヤーコプの反応が書かれていない。大人しくしていたのか、泣
き叫んだのかも分からない。しかし、学習に対して、三歳半の子どもに、ペスタロッチーの不機嫌な
態度や監禁の罰を与えることは、好ましいことではない。監禁することは完全に体罰といえる。また、
三度の監禁に辛抱したのだから、ヤーコプは決してひ弱な子どもではない。
5)労働
「有能な市民にするには、早くから労働をさせるべきである。一時間座することを必要とするよう
な労働に慣れさせる。例えば、暖炉の絵を書かせるとか、庭園の世話をして至る所から植物をそこに
18 )
集めること等。それは市民生活への準備であるし、怠惰、粗野に対する制御になる。」
ペスタロッチーは他の作品においても、家事や労働の大切さを主張している。
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『スイス週報』(Ein Schweizer-Blatt) には次のことが述べられている。
祖先の教育の秘訣は、すべての境遇において、常にできるだけ早くから子ども達に家事の手伝いを
させようとしたことにあった。
ここで、ペスタロッチーは父親についての 3 人の言を揚げている。3 人がまだ子どもだった頃、そ
れぞれの父親は家業や家事を手伝わせたことを、それは実に辛いものではあったが、子どもは成人し
てから回想し、それが貴重な体験であったといっている。
ある人は
「私が幸福であり、私の家が幸福であるのは、私の父親が私を酷使してくれたおかげである。
( 中略 ) 父親は色々様々な事柄を、私の家において為し且つ取り扱うことを私に強要した」と。また、
ある人は 「私の父親は私に残した全てのものをまるで私が自ら獲得しなければならないかのように私
に教育した。」 また、ある人は 「私はまるでこの世で私の頭も心臓も全五官も、私の職業と事業との
中に引き込まれた。そして今や私は、私がこの世において、また私の仕事場の外においてなり得たす
べてを、私の少年時代をそのなかで着実に根気よく過ごさねばならなかった環境に負うていることを
完全に理解した」
19 )
と。
なぜ家庭における労作が大切であるかというと、子どもの諸力が家庭での労作によって発展するか
らである。即ち、身体を使うこと、知能を使うこと、技術を磨くこと、他への思いやりを持つこと、
また親子等とのコミュニケーションをはかることによってである。習慣になった労作は、諸力を継続
的に発展させ、人格形成になり、またそれは将来の職業選択にも連結する。
こうした労働の欠如は、子どもにとって他のどんな種類の知識によっても補うことが出来ないもの
であると、ペスタロッチーは考えたのである。
6)自由と従順
「自由は善であるが、従順も同様に善である。我々はルソーが分離したものを結合しなければなら
ない。人類を堕落させる不当な抑制の悲惨さを確信するあまり、彼は自由の限界を見出し得なかった。
( 後略 )」
20 )
ペスタロッチーはここでルソーを批判しているが、彼は自由と従順についてどんな見解を持ってい
たのであろうか。私見を交えて説明しよう。
自由は子どもの心の中に安らぎや落ち着きや喜びを与える。子どもは抑制されると種々の激情を爆
発させる。だから子どもはできるだけ自由にされなければならない。しかし、無制約的な、束縛のな
い自由は、子どもを危険な状態に追いやることになる。無制約的な、全き自由などあろう筈がない。
即ち、社会生活にはルールを守ったり、義務を遂行したりしなければならないことが沢山ある。した
がって、子どもは場合によっては命令され、服従する必要がある。ここで子どもに何か命令しなくて
はならない場合には、ただ単に命令するのではなく、できれば事柄の自然性が過失を明確に知らせ、
子どもが過失の結果によって、既に命令の必要なことを自然に感じているような機会を待つ必要があ
る。この件については、『エミール』の自分が使っている家具をぶち壊した時の対応に通ずる。
また上記と類似しているが、従順については以下のように叙述できよう。
従順なしにはいかなる教育も不可能である。どんなに恵まれた状態であっても、子どもが好きなま
まにしておかれることは絶対に許されない。というのは、人は集団生活を営んでいるので、子どもの
我儘を抑制したり、守るべきことを守らせなければならないからである。従順に達するためには、禁
じられたことは禁じられたこととして知らなくてはいけない。即ち、子どもが禁止されたことを、何
故禁止されたのかを確実に正しく認識することが必要である。人間は、時には盲目的に従わなくては
ならないことがある。
子どもは無知であり、自分で何が有害であるか、何が大切であるかを知っていると大人は考えては
ならない。
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このように自由と従順は別個なものではなく、繋がっているのであり、両者とも善と言える。自由
の世界の中でも、守るべきこと、弁えるべきことがあり、それが出来るのは教育の力によるのである。
7)過重な学習の禁止
「学習の荷が重過ぎる時には、子どもは元気を喪失し、臆病になり、落ち着きがなくなる。召使い
との対話でペスタロッチーはヤーコプの記憶力が素晴らしいといい、召使も同意する。しかし、召使
はヤーコプに重荷を負わせ過ぎると忠告する。ペスタロッチーは上記の兆候が現われていないので心
配ないが、そんな兆候が現れた場合には、注意と寛容が必要であると答えた。
すべての学習は元気と悦びとが伴わなければ、一文の価値もない。また、子どもに知識を強要して
21 )
はいけない。判断させるよりも多くのものを見せたり、聞かせたりするべきである。」
ヤーコプに重荷を負わせ過ぎるという召使の感想はまともである。上記の兆候が現れていなくても、
加減すべきである。
(3)ヤーコプについての所見
ペスタロッチーはヤーコプのラテン語の進歩に満足しているといっているが、ヤーコプは鋭敏で知
的発達が早く、とても 3 歳半とは思えない位のウィットに富んだ所がある。以下に彼の才能や性格を
窺わせる部分、またペスタロッチーの対応や教育的見解を揚げる。タイトルは筆者がつけ、原文の概
略を示した。
1)ごっこ遊び
「二三日前、豚が殺されるのを見たヤーコプは、今日はその真似をしようとして剣を欲しがった。
剣をつけてやると、彼は一つの木片を取り上げ、用意万端整えた。こうして遊んでいる時、母親が『ヤッ
ちゃん!』と呼んだ。彼は答えた。『そうではありませんよ。お母さん、肉屋の親方さんと呼ばねば
22 )
なりませんよ。』」
幼児に動物が殺されるような残酷な場面を見せるべきではないと考えるが、ペスタロッチーはこれ
については何のコメントもしていない。繊細なヤーコプは豚が殺される場面を見て、恐怖心を抱かな
かったのだろうか?遊びの中でヤーコプは真剣そのもので、肉屋の親方になりきっていたのだろう。
子どもの遊びとはこういうものである。
2)鋭敏さ
「ヤーコプは一人でいた時、乳酪の入っている桶のある所へ行って、彼の小さなコップを一杯にした。
23 )
そこへ女中がやって来た。彼は即座にいった。『お母さんが許してくれたんだよ』」
女中に叱られると思ったのであろう。注意される前に言い訳をしている。母親が本当に許可したの
かどうか分からないが、彼は鋭敏で先を見通すところがある。
3)我慢強さ
「ラテン語 正書法 ラテン語 これらを随分勉強した。彼はこの日腹痛を覚え、かがんで『痛いな』
といった。
『ヤッちゃん、私が診てあげましょう』とお母さんがいった。『お母さんには分からない』
と彼は答えた。この特別に寒い日に廊下にいることは、ペスタロッチーには耐えられないことだった
そうだが、ヤーコプはそれに耐えた。痛々しかった」24 ) と、ペスタロッチーは書いている。
寒い廊下で、幼児にこんなに過密な時間割を組んだペスタロッチーは過酷であり、ヤーコプは勝
気で我慢強い。
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4)懐疑心
「ヤーコプが病気になり、その間大事にされたために我儘がひどくなった。ペスタロッチーがヤー
コプの持っていた胡桃の一つを砕いてやろうと思って取ったら、彼はそれをペスタロッチーが食べて
しまうのではないかと思い、騒ぎ、地団太を踏み、しかめ面をした。ペスタロッチーは黙ってもう一
つの胡桃を取り、二つとも彼の目の前で冷淡にも食べてしまった。彼は泣き続けた。ペスタロッチー
25 )
が鏡を持って来ると、彼は例の如く逃げ隠れた。」 ヤーコプは疑い深いというか、穿った見方をするし、ペスタロッチーは残酷というか、ユーモラス
ともいえよう。どこの家庭でも見られる親子の姿である。二つとも胡桃を食べてしまったのも、鏡で
泣き顔を見せたのも、ヤーコプをからかったのだろうが、ペスタロッチーらしくない。泣いている顔
を鏡で見たくないので、ヤーコプは逃げ隠れたのであろう。例の如く逃げ隠れたというのは、ペスタ
ロッチーはヤーコプの泣き顔をいつも鏡で見せていたのだろうか。ヤーコプの自尊心は傷つけられた
であろう。
5)我儘
「ヤーコプの我儘が強く、激しく現われた。ペスタロッチーはこの日これに対して二、三の罰を加
えた。上記と類似しているが、麦糖の塊さえ直接手掴みで食べたいというほどだった。そしてペスタ
ロッチーが彼の両手を掴んで、大麦糖を彼の口に近づけたら、彼は極度に激昂した。ペスタロッチー
26 )
は冷酷にもその大麦糖を食べてしまった。」
ペスタロッチーの罰とは、このようなことなのだろうか。ペスタロッチーは手掴みで食べさせない
という躾にも厳しい父親であるが、子どもの人格を無視しているといえる。
6)従順さ
「この日の勉強は上出来だった。ヤーコプは喜んで学んだ。ペスタロッチーは彼と共に遊び、彼に
請われるまま乗馬になったり、肉屋になったり、何にでもなった。ペスタロッチーは彼に時々煮た林
檎を与えた。彼は全部食べようとして彼の匙を要求した。そこで匙を取り上げてはいけない、匙を取
り上げるなら、皿をすぐ脇へやってしまう、もし言うことをよく聞くなら、もっと沢山やってもいい
27)
と言い聞かせた。すると彼は匙を取り上げなかった。」 勉強をよくし、上達したご褒美に、遊び相手になった優しい父親、しかし躾には厳しい父親の姿が
ここにも現われている。ヤーコプは勉強をよくした後の気分の爽やかさ、それに遊び相手になっても
らい、十分楽しく父親と過ごしたので従順な気持ちになったのだろう。
7)優しさ
「ある日、母親が大工さんに負債の支払いを要求するのを見たヤーコプは『お母さん、 大工さんを
28)
苛めてはいけません』といった。」
負債の支払いのこと等彼には分からないだろうが、母親が大工さんに強い調子で話しているのを聞
き、おそらく母親が大工さんを苛めているように思ったのだろう。ヤーコプは素直で率直で優しい性
格の持ち主である。
では、ジルバーが執筆したヤーコプの箇所を引用する。
「ヤーコプは情の深い、従順な少年であった。しかし身体的にも精神的にもひ弱く、傷つきやすく、
しかも根気も力もなかった。彼は父親から気まぐれに育てられた。( 中略 ) 家が乞食の子どもで溢
れていた時、彼は殆んど息子を構ってやることが出来なかった。彼はこれを間違いだとは考えなかっ
た。それどころか有益であり、自分の自然の教育観に一致しているとさえ思った。( 中略 ) その代わり、
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息子の心情面はかえってたくましく育成されていると考えた。しかしこの少年の発育を遅らせたのは、
ルソー的な教育方法の結果ではなく、その子の生活力や知的才能の欠如であった。母親はもっと弁え
があって、
いくつかの悲しむべき経験のあと、教育についての日常的な見解に立ち返った。彼女はこっ
そりと息子に読み書きを教え、とりわけ宗教的な心情を育成した。しかし彼女もまた貧民学校の繁忙
の中で、時間的なゆとりも持たなかった。それに彼女は控えめな性格だったので、自分の子どもに生
29 )
活の内的な安らぎを与えるような居間を用意してやれる力もなかったのである。」
ジルバーが主張するように、貧民学校等の繁忙でペスタロッチーはヤーコプの面倒を続けてみるこ
とができなかったのだろう。身体は虚弱であっても、生来能力が欠如していたとは筆者は考えない。
そうではなく、その後の環境によって知的才能が十分開かれずに終わったのであろう。
おわりに
ペスタロッチーは三歳半のヤーコプに、時には時間割を作成し、ラテン語、正書法、図画、綴り字、
数の教え方またある時は理科の初歩というように種々な学習をさせた。ラテン語もさることながら、
人間と獣との区別、生きているものと死んでいるものの概念など、三歳半の幼児には難解な課題を与
えた。
ヤーコプは勝気ではあるが、思いやりのある優しい性格であった。ペスタロッチー自身がヤーコプ
のラテン語の進歩に満足しているといっているように、日記でのヤーコプは先見の明があったり、策
略を講じたりして、才気煥発な子どもであった。ペスタロッチーはこうしたヤーコプの狡猾さを、父
親らしい心情で憂慮しているが、息子への観察力の鋭さや細やかさに、驚嘆する限りである。
単なる日記ではなく、両親や教師を対象とする教育論も展開されていて興味深い。ここには自発性、
直観、諸力の調和的発展等のペスタロッチー独特の用語は見当たらないが、その後の彼の児童観や教
授法の根底になるものが見られるのである。
その反対に短所を揚げれば、この日記には断片的な箇所があり、もっと知りたいと考える所が即座
に終わっていたり、疑問を抱く箇所がないとはいえない。例えば、綴り字の学習がいやで監禁された
時のヤーコプの反応や、バイオリンを買って貰って喜んだ様子、豚が殺される場面を見ても恐怖心を
感じなかった反面、繫がれていない子牛を怖がって大泣きした場面等である。
ルソーの影響を大いに受けたペスタロッチーの、自然は偉大な教師であること等の主張は、ルソー
主義であるが、時間割を組んで学習を強要したことについてはルソー主義に反するものである。
「子どもを個体として家庭から引き離して成長させ、彼の個人的天分によって発展させようとした
ルソーに対して、ペスタロッチーは最初から子どもを社会の中に、しかも最も小さな自然の社会、即
ち家庭の中に見た。( 中略 ) ペスタロッチーの家庭教育は二つの標語のもとに明らかにされる。一
30)
つは母親と子ども、二つは居間である。」
貧民学校等の仕事がさほど多忙でなく、ヤーコプにゆったりした居間を提供していたら、ヤーコプ
は別な人間になっていたかもしれない。
前述したように、『育児日記』はニーデラーが『ペスタロッチー誌』に発表したものであるが、もっ
と長ければ、ヤーコプの成長ぶりやペスタロッチーの教育論がより詳細に理解されたであろう。
後にシュタンツの孤児院で、ペスタロッチーは乞食の子どもに体罰を与えた。しかし彼と子どもと
31)
の間には信頼関係があったので、効果はてきめんであった。
また晩年、イヴェルドンの学園で部下を殴ったことがあった
32)
ように、ペスタロッチーは自分の
信念に対しては、非常に激しい面があったことが推測される。
とはいっても、三歳半の幼い息子が学習を嫌がったり、行儀が悪かったりした時、監禁等の罰を与
えたのは、 衝撃であったし、ペスタロッチーの別の顔を見たというのが筆者の率直な感想である。
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ペスタロッチーの『育児日記』試論
[註]
1.福田博子著「ペスタロッチーの育児日記についての考察」『秋草学園短期大学紀要』第 19 号
2002 年
2.J.H.Pestalozzi : Pestalozzis Schwanengesang, Pestalozzi Sämtliche Werke. hrsg. von A. Buchenau, E.
Spranger, H.Stettbacher, Zürich 1976 28. Band S.224
3.Ditto, S.229f.
4. J.H.Pestalozzi:Tagebuch Pestalozzis über die Erziehung seines Sohnes, PSW Berlin und Leipzig 1927
1.Band S.117
5.Ditto
6.Ditto
7.Ditto, S. 118 f.
8.Ditto, S. 122
9.Ditto, S. 124
10.J.Reinhart : Heinrich Pestalozzi, Basel 1945 S. 90
11.J.H.Pestalozzi : Tagebuch Pestalozzis, S.117
12.Ditto, S. 119
13.Ditto, S. 123 f.
14.J.H.Pestalozzi : Letters on Early Education, addressed to J.P.Greaves, Esq. by Pestalozzi, PSW 26. Band
S.76
15.J.H.Pestalozzi : Tagebuch Pestalozzis, S.120
16.Ditto
17.Ditto, S.118
18.Ditto, S.128 f.
19.J.H.Pestalozzi : Ein Schweizer-Blatt, PSW Berlin und Leipzig 1927 8. Band S. 274f.
20.J.H.Pestalozzi : Tagebuch Pestalozzis, S.127
21.Ditto, S.121
22.Ditto, S.118
23.Ditto, S.119
24.Ditto, S.120
25.Ditto, S.121
26.Ditto, S.125
27.Ditto, S.122
28.Ditto, S.126
29.K. Silber : Pestalozzi, Heidelberg 1957 S.35
30.E.Bosshart : Erziehung in der Familie bei Pestalozzi, Pestalozzianum Zürich Januar 1976 S.4f.
31.福田博子「ペスタロッチーのシュタンツだよりについての考察」『秋草学園短期大学紀要』16 号
1999 年
32.福田博子「人間ペスタロッチーについての考察Ⅱ ― イヴェルドン学園の解散 ―」『八洲学園大
学紀要』 第7号 2011 年
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福田 博子
[ 参考文献 ]
1.ペスタロッチ著・福島政雄訳「育児日記」『ペスタロッチ全集』第 1 巻 世界教育寶典 玉川大
学 1949 年
2.ペスタロッチー著・佐藤 守訳「育児日記」『ペスタロッチー全集』1 平凡社 1974 年
3.ペスタロッチー著・佐藤正夫訳「白鳥の歌」『ペスタロッチー全集』第 12 巻 平凡社 1959 年
4.ペスタロッチー著・杉谷雅文訳「立法と嬰児殺し」『ペスタロッチー全集』第 5 巻 平凡社 1959
年
5.ペスタロッチー著・佐藤 守「スイス週報」続『ペスタロッチー全集』第 5 巻 平凡社
6.ケーテ・ジルバー著・前原 寿訳『ペスタロッチー』岩波書店 1981 年
7.H.Ganz : Pestalozzi Leben und Werk, Zürich, 1966
8.J.J. ルソー著・今野一雄訳『エミール』岩波文庫 1988 年
9.福田博子「ペスタロッチーの幼児教育思想 ―『幼児教育の書簡』を中心としてー」『八洲学園大
学紀要』
第 3 号 2007 年
10.福田博子「ペスタロッチーの『スイス週報』における教育論」『八洲学園大学紀要』 第 4 号 2008 年
11.H.Morf: Zur Biographie Pestalozzi’s, Winterthur, Erster Theil, Buchdruckerei von Bleuler-Hausheer & Co.
1868 ( 玉川大学出版復刻版 )
12.ハインリヒ・モルフ著・長田 新譯『ペスタロッチー傳』第 1 巻 岩波書店 1939 年
(受理日:2013 年 2 月 18 日)
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