東京仏教学院 - 築地本願寺

東
京
仏
教
学
院
設
立
50
周
年
・
東
京
仏
教
学
院
同
窓
会
発
足
20
周
年
記
念
誌
浄土真宗本願寺派
東京仏教学院
(〒104 -8435)
東京都中央区築地 3-15 -1 築地本願寺内
T E L(03)3541-1666 /(03)3541-1131
http://www.hongwanji.or.jp/tsukiji
本科教室
研究科教室
地下鉄
日比谷線
築地駅
本願寺前出口
道第
会二
館伝
●
2F
道第
会一
館伝
御本堂
築地本願寺
新大橋通り
●
至
晴
海
中
央
卸
売
市
場
晴
海
通
り
京橋築地小学校
銀座出口 ■
首都高速道路
銀座入口 ■
■ 銀座出口
交通のご案内
歌舞伎座
至
銀
座
東京仏教学院設立50周年
東京仏教学院同窓会発足20周年
記 念 誌
目 次 ご門主様のお言葉 …………………………………………………… 2
新門様のお言葉 ……………………………………………………… 4
発刊にあたって ……………………………………………………… 5
記念誌発刊によせて ………………………………………………… 6
東京仏教学院 50年のあゆみ …………………………………………7
東京仏教学院同窓会 20年のあゆみ …………………………………12
歴代学院長・歴代主監・歴代講師 …………………………………… 14
記念事業の紹介 ……………………………………………………… 17
記念式典
記念事業の概要
インド仏蹟参拝
卒業生の思い出 ……………………………………………………… 25
現在の学院 …………………………………………………………… 37
東京仏教学院の歌 …………………………………………………… 40
記念事業実行委員会名簿 …………………………………………… 41
1
ご門主様のお言葉
第24 代門主
東京仏教学院設立50周年、そして同窓会発足20周年おめで
とうございます。
大谷 光真
京都にあります中央仏教学院と比べますと、設備カリキュラ
ム等なかなか及ばないといえるかと思います。東京仏教学院
この年月、講師を務められた諸先生方、そのもとで熱心に勉
の特色は、この地にあるということ、日本の政治経済の中心の
学をされました同窓生の方、そして現在在学の方々のご努力と
みならず、世界的にも重要な位置にある、この東京にある仏教
熱意に、敬意と感謝を表す次第でございます。
学院、そこに学ばれる方々もまた様々な分野から、昼間の仕事
ただ、麗しい念仏者になるという為には、必ずしも学問を体
終えて学ばれる、そこにこそ大きな特色があります。今後もそ
系的に学ぶ必要はありません。仏法は聴聞にきわまると、蓮如
の特色を発揮して、学院での勉学を続けていただきたいと念願
上人がおっしゃっていますように、聴聞を重ねるということ
することであります。
が、大切であります。教義を理論的に学ぶというのは、さらに
もう一つ別の意味があるといえるのではないでしょうか。
浄土三部経、その教えを説いてくださいましたお釈迦さま、
その伝灯を受け継がれて、浄土真宗として顕わしてくださった
親鸞聖人、そのみ教えをまた様々な角度から解明してくださっ
青色青光・白色白光と、それぞれの分野でひかり輝きながら、
現代の様々な問題に、新しいひかりを与えていただく、そうい
う同窓の方々の活躍を、念願するところでございます。
設立50周年・同窓会発足20周年の大事な節目に当たりまし
て、私の願いを込めましてお祝いといたします。
た諸先達の方々の研究・学問を学ぶことによって、私たちは浄
土真宗の大事な点、根本がどこにあるかを、常に省みることが
でき、また時代の動きで新しい問題に対処するときに、どこに
このたび、 2000年10月7日(土)
に開催された、 「東京仏教学院設立
50周年記念式典並びに東京仏教学院同窓会発足20周年記念」の
基づいて対処するかという基本、筋が通った態度をもつこと
式典時にご門主様より頂いたお言葉を掲載致しております。
ができると思います。
2
3
発刊にあたって
お言 葉
東京仏教学院
新 門 大
谷 光淳
このたび、東京仏教学院が設立50周年並びに同窓会発足20周年を
迎えられましたこと、心よりお慶び申しあげます。
東京の大学に在学中の一年間、宗門の宗学研鑽の場である東京仏教
学院本科聴講生として、第49期生の皆さまとご一緒に学ばせていただ
く機会を得ました。その折に、教室で年齢も人生経験もさまざまな方々
と話ができた事は、大変貴重な経験となりました。
関東は、宗祖親鸞聖人が壮年時代、お念仏の道をお勧めくださった地
柱松 青巒
学院 長
このたび、東京仏教学院設立50周年並びに同窓会発足20周年を迎えることがで
きました。今日までご指導賜りました、ご本山関係部、記念事業実行委員会の皆様、
東京教区をはじめとするご法中の皆様に深く感謝申しあげますとともに、同窓会
の関係各位に厚くお礼申しあげます。
東京仏教学院設立50周年を迎えることになり、記念事業実行委員会が発足し委
員の皆様方には、記念事業の企画から参画いただき東京仏教学院同窓生並びに関
東在住の中央仏教学院同窓生、通信教育生、通信教育同窓生の皆様方にご寄付のご
依頼を申しあげ、記念式典・記念講演・記念祝賀会等々の事業を盛大裡に開催する
であります。
東京仏教学院が、日本の政治経済の中心「東京」に存在し、夜間に
開校されていることは、非常に意義深いことであります。東京教区内
だけではなく、全国から首都圏で勉強中の寺院子弟の方、一般企業に
就業中の方、退職された方が多く勉学に励まれていることが一つの特色
であります。
ことができました。
また、記念事業の目的の中で、第一伝道会館内東京仏教学院室周辺の改修、本科
室の音響設備の改修、本館内研究科室を第一伝道会館本科室となりへ移設、仏教学
院生並びに教区内法中の皆様方のさらなる研鑽の充実を図るため図書・閲覧室の
整備、現在ブディストホールを学院「講堂」としての整備をめざしてまいりました。
このたび、これらの記念事業までを収めた学院設立50周年及び同窓会発足20周年
また、本学院で学ぶ機会をいただいたご縁により、「東京仏教学院
設立50周年並びに同窓会発足20周年」記念事業の企画で、インド・
ネパールの仏跡を同窓生の皆さまと一緒に参拝させていただきました。
の歴史を記念誌として発刊することとなり、ご支援・ご協力をたまわり感謝にたえ
ません。
東京仏教学院を取り巻く環境は、関東一円の中心地「東京」にあり、ますます重
インドは仏教発祥の地であります。その地を実際に訪れ、釈尊の足跡を
要視されてまいり、責任の重大さに身の引き締まる思いです。多くの先人のご苦労
参加の皆さまと共に偲び、お念仏とかかわりのある旅ができましたこと
を偲び、皆様方のご指導を仰ぎながら新たな歴史の一ページを切り開いてまいる
は、非常に有難いことでした。
所存です。
今後も東京仏教学院が東京における宗学研鑽の場としての役割を
果たしていかれますことを念じ、お祝いの言葉といたします。
4
この記念誌発行にあたり、多くの皆様方のご協力を頂きましたこと、心よりお礼
申しあげご挨拶とさせていただきます。
5
記念誌発刊によせて
東京仏教学院同窓会
会長 山
田 正宏
このたび、教区内並びに多くの有縁の皆様のご理解・ご協力により、
「東京仏教学
院設立50周年記念式典並びに同窓会発足20周年記念」がご門主様ご臨席のもと、東
京仏教学院生・学院同窓生や中央仏教学院関東在住同窓生並びに中央仏教学院通信
教育生の皆様、その他ご関係の多くの皆様のご参加を頂きここに盛大裡に開催でき
ましたこと、ご同慶に存じます。
私は、昭和45年3月(第19期)に当学院本科を卒業し、また新設されました、研究
科を卒業させていただきました。本科では僧侶としての基礎的なお育てをいただき、
研究科においては、浄土真宗はもとより仏教をより深く研鑽させていただきました。
今日も学院の講師陣の皆様の熱心なご指導・ご教鞭を頂いたことが、別院に足を
運ぶたびに、思い出されます。本科生として在学しておりました当時は、北米開教
区より帰られた花山勝友先生の天性の話し上手、明晰・明快なご講義によって仏教
をわかりやすく興味深く教え頂いたことが、印象に残っております。
東京仏教学院
年のあゆみ
50
1872(明治5)年 2月26日明如上人は関東
徳教校と改称しました。その後、一時閉鎖
の寺院師弟育成のため、築地本願寺内に勧
されましたが関東の寺院から集めた復興費
学所を設けられました。「東京林門出張学寮
により1887(明治20)年に再興されました。
規則」の第一条には「関東諸国学業之識者 林
教校では、宗乗・余乗の他漢籍・英語・数
門上京入寮遠国ニ付自然怠慢可相成間 為学
学を教え1892(明治25)年、私立教校条令
寮策進 東京ニおゐて林門出張所相設候事故
の更改により閉鎖されるまで、多くの人材を
蔑本林門猥不可立私意事」とあります。
育成しました。この後1901(明治34)年4月
つまり関東から京都の学寮へ入学するの
に、本願寺によって高輪に仏教中学校が、
は、容易でないため東京に学寮を設けると
開設されました。同校内には「真宗会」が設
いうことです。その勧学所は1876(明治9)年
置されて、同校にて毎週土曜日の午後に講
3月積徳教院と改称し10月には本山が発布
義を行いそこで受講した者には、本願寺派
した大中教校の学制により、各府県下に置
の教師の資格が与えられました。
くとした小教校となり1878(明治11)年積
しかし、仏教中学校は1917(大正6)年本
現代は、高度成長と共により快適さ便利さを求め進んできた文化文明に成り立ち、
今日は、こころの時代といわれ、癒しという現代の悩めるこころの模様がキーワー
ドになっているようです。
この設立50周年並びに同窓会発足20周年を機縁として、私たちひとり一人が自己
を見つめ、死という逃れがたい事実をふまえ、生かされて生きることの意味を、今
一度問い直させていただかなければ、ならないのではないでしょうか。この学院に
ご縁のありました皆様方と共に、一生涯、宗祖親鸞聖人・善知識の皆様のお言葉と
相対し、お念仏を申しつつ自己を確認し、問い続けていく人生を歩ませていただき
たいと存じます。
最後になりましたが、諸事業・記念誌等の編纂にご協力いただきました皆様に重
ねてお礼申しあげます。
1976(昭和51)年当時 大谷光真ご門主様 特別講義
6
7
東京仏教学院設立25周年記念祝賀会
願寺の手を離れ、講義の存続が困難となっ
が1945(昭和20)年卒業とともに閉鎖され
に「得度試験免除・教師授与申請資格」の資
たため、東京教区の法中が中心となり、寺
ました。1940(昭和15)年に閉鎖と決まっ
格が夜間の授業一年で授与されることと
院子弟の宗門教育後継者育成のために、本
た折、高辻惠雄氏が本山に行き存続の働き
なりました。初代学院長には築地別院副輪
山の許可を得て1917(大正6)年12月に築
かけを行った結果、当時の宗会に再建案が
番であった、仁本正恵氏が就任しています。
地別院内に、東京仏教学院が開設されまし
提出され、満場一致で可決されました。そ
授業科目は、必須科目として真宗要義・
た。開設の運動資金・備品費などに要した
の再建案は本山当局へ回申されましたが、
安心論題・三帖和讃・仏教史・真宗史・仏
費用は、山本貫通氏ら教区十数人の有志が
予算上の理由から実際の再建は行われま
教要義・宗教概論・勤式作法・宗門法規・
正憲・奈良宏流・小山隆信の諸氏、臨時講
積み立てていた資金の寄付により、また、
せんでした。その後も、南条了因・高辻惠
教養及び音楽・教化法等が設けられ、他に
師として花山信勝・結城令聞・工藤成性・
この学院は5年制で、中学校の放課後に合
雄・杉田興次郎の各氏を中心に、東京に仏
随意科目があり授業時間総数は1040時間
神子上恵竜・贋谷俊之・寺本慧達・浮橋賢
わせて開講されました。 当初は、本堂裏
教学院を開設する運動がおこなわれ、つい
でありました。
誠・田永精一の諸氏が、講義を担当されて
の香房にて授業が行われましたが、その翌
に1950(昭和 25)年宗会において「東京仏
また当時は、東京仏教学院を卒業する
年には校場を、別院表門付近にあった盲人
教学院規定」が成立しました。当初同年 4
と、大谷派・高田派・仏光寺派などの真宗
また第1回の卒業生、30名の中に名を連
学校の講堂に移転し、さらに、現在のイン
月開設の予定でしたが、輪番の更迭その他
各派でも、得度資格が認められていまし
ねる、岩本 力・山下 清・長尾法人・増山ま
ド様式の別院本堂が再建されてからは、そ
の理由から設立の準備が遅れ、10月に各種
た。
すよの各氏は米軍に勤務し、アメリカに移
の中の一室に移転しました。
学校として東京都に申請がなされ、続いて
開設に当たり、本山より20万円の補助金
民した邦人の二世でした。4 氏は卒業後、
設立から24年後の1940(昭和15)年国の
生徒の募集が行われ、翌1951(昭和26)年
が交付され、東京教区の予算からは5万円
別院にて国際仏教協会(IBA)を設立し、
私立学校条令が改正され、学院は条例の要
4月に開校されました。
当時教師の養成機関
の回金がありましたが、当初の運営は資金
英語による伝道を行っています。
件を充たすことができなかったために存
である宗門立の仏教学院としては、京都中
面で決して十分なものではありませんで
1976(昭和51)年には、前年まで東京大
続が難しくなり、当時在籍していた1年生
央仏教学院に続く開校であり、京都と同様
した。真宗学関係を担当していただいた、
学並びに大学院で学ばれていた、大谷光真
勧学篠田竜雄氏の俸給は、月15,000円であ
新門(現在の即如門主)が卒業後 1 年東京
り東京での生活資金は、篠田竜雄氏持ち出
に在住され、東京仏教学院で特別講義を
しによらざるをえない状況にありました。
なさっています。
います。
(昭和29年度)
学校運営において不足した資金は、経区内
1981(昭和56)年には、学院の設立30年
信徒の浄財の寄付を募って回り、賄わざる
を迎え、同年10月3日に即如門主ご臨席の
をえない状態でした。資金難は、戦後経済
もと、設立30周年記念式典が行われました。
が復興軌道に乗る1960(昭和35)年頃まで
記念式典において、宗門より高辻恵雄・細
続いたといいます。
川量雄・南条 の各氏が表彰され、また
講師陣は常任講師に、篠田竜雄・細川量
雄・平等通昭・雲藤義道・南条
学院より、小野島元雄・花山勝友・五十嵐
・仁本
明宝の各氏が表彰されています。式典後
東京仏教学院設立25周年記念式典風景
8
9
の記念の「つどい」では、瓜生津隆雄勧学に
されました。
よる記念講演が行われました。
1995(平成6)年度より東京仏教学院に、研
また、同日記念式典開会に先立ち、東京
究科が新設されることとなりました。新設
仏教学院同窓会結成大会が開催され、同窓
された研究科は、修業年限を 2 年とし、本
会が発足し、同窓会長に山村宗映(1期)
・
科と同じく夜間に開講されています。授
副会長に広井正保(2期)・橋戸晴夫(10
業科目として、仏教教義要論・本典講読・
期)
・監事に高辻円雄(1期)
・、西原正念(7
安心論題・仮名聖教講読・七祖聖教講読・
期)の諸氏が選出されました。
観経、小経講読・大経講読・勤式声明・基
東京仏教学院設立30周年記念祝賀会
1985(昭和60)年、築地別院本堂再建50
幹運動・伝道と教団が設けられ、講師に田
周年に併せて行われた記念事業の一環と
中教照・五十嵐明寶・加茂仰順・五十嵐大
師「親鸞聖人と蓮如上人」、1998(平成9)年
田中教照師により『なぜ 浄土へ往くのか』
して、本堂の左右に第一・第二と二棟の伝
策・山崎龍明・高橋審也・早島鏡正・佐々
3月15日山崎龍明師「親鸞聖人の仏道」―非
という講題にて記念講演が行われました。
道会館が建設されるに伴い、総会所の裏に
木智教・池田行信の各氏があたられまし
俗を生きる―、1999(平成10)年 3月15日五
設立50周年・同窓会発足20周年記念事業
置かれた学院室を第一伝道会館二階に移
た。初年度は、研究科生15名、聴講生10名
十嵐明寶師「現代における念仏者の使命」、
として
転しています。
が受講しています。授業はかつての本科の
2000(平成12)年 3月15日小野島元雄師「刹
・本館内研究科東京仏教学院研究科室を
1951(昭和26)年の開校以来、夜間1年間
授業が行われていた、旧学院室を改装し研
那無上」、2001(平成13)年 3月16日前田専
第一伝道会館白檀室に移設、什器備品
のカリュキュラムで、授業が行われてきま
究科室が設けられました。研究科修了者
学師「仏教とヒンズー教」の以上で、今後も
(机・イス等)及び本科室の放送設備の
したが、講義では仏教全般から真宗学、さ
には、「得業の学階試験免除の資格」が与え
様々な形で開催をされる予定です。
らに勤式や教化法まで網羅するため、時間
られ、首都圏(関東)における宗学研鑽の
2000(平成12)年東京仏教学院は、1959
的制約から特に、真宗学関係の学習は入門
場としての、責務を担うこととなりまし
(昭和25)年 4月宗会における「東京仏教学
にとどまらざるを得ず、聖教の講読におよ
た。
充実など学院、学習環境の整備。
院」規程成立から50周年を迎え、さらなる学
・図書・閲覧室の新設設置。
・ブディストホールを仏教学院講堂とす
る改修。
ぶことは、できない状況にありました。加
研究科が新設された1995
(平成6)年度の
院環境の整備と充実、発展に向け「記念事
・ホームベージを開設し、学院のPR、図
えて卒業生の中にも卒業後さらに学びを
卒業式(平成7年3月15日挙行)には、東京
業計画」を策定し、10月7日には、ご門主様
書室の蔵書などの情報を広く一般に公
深めるために聴講を望む方も多く、このよ
仏教学院主催による公開講演が開講され、
ご臨席のもと、築地別院「本堂」にて東京仏
開。
うな状況を踏まえ、さらなる教学研鑽の場
第一回目の講演は学院講師である、早島鏡
教学院在校生並びに同窓生及び関係学校
として、研究科を設置する要望が学院関係
正師により行われました。講題は「蓮如上
である関東在住の中央仏教学院卒業生並
者また教区有志より、かねてからあがって
人に学ぶ」でありました。翌年度より卒業
びに中央仏教学院通信教育関東支部在学
おりました。その要望を踏まえ、1995(平
式に先立つ公開講演は続けて開催されて
生及び同窓生の参加を得て、設立50周年と
成6)年宗則に定められた東京仏教学院規
います。今までの講師・講題は下記の通り
同窓会発足20周年記念式典を開催しまし
定を、一部変更する議案が宗会に上程可決
です。1997(平成8)年3月15日五十嵐明寳
た。記念式典に引き続き別院本堂にて、
10
11
・インド仏跡参拝
等が行われました。
東京仏教学院講師
記念事業 記念誌編集部委員
酒 井 淳
東京仏教学院同窓会
20年のあゆみ
1981(昭和56)年10月3日に開催された、東京仏教学院設立30
一時、築地別院の報恩講に参拝しようとなっていた同窓会
周年記念式典の記念事業の一環として、結成されたのが東京仏
報恩講も何年か前より復活し、年末の恒例行事としてすっか
教学院同窓会である。
り定着をした。まさに研鑽と親睦を兼ね備えた特色のある行
準備の段階から危惧されていたことであるが、結成時点での
事となっている。
30年の時の流れはいかんともし難く、卒業生の現況を把握する
のが当初何年間かは最大の事業(?)
であった。1年間の在校期
歴代会長
初代
山村
宗映 (1981∼1983)
2代
橋戸
晴夫 (1983∼1985)
3代
竹柴
俊雄 (1985∼1987)
初期の頃は、総会と12月にお勤めをする報恩講が、二大行事
4代
村松
賢英 (1987∼1989)
となっていた。第 1 回目の総会には、稲城選恵和上にご出向を
5代
樹谷
淳宣 (1989∼1991)
いただいた。また、報恩講ではご聴聞はもちろんのことだが、
6代
有賀
良雄 (1991∼1993)
7代
佐々木 邦宏 (1993∼1998)
8代
山田
間や在籍時に既にご高齢の方も多数いらっしゃったという事実
も、作業が難航するのに拍車をかけることになった。
本堂左右の両伝道会館はまだ存在していない時代。会員有志の
正宏 (1998∼現在)
方々の手作りのうどんに舌鼓を打った記憶も、懐かしい思い出
の一つであろう。
いずれの同窓会にも言えることだが、旧交を暖めることも大
東京仏教学院同窓会副会長
記念事業 記念誌編集部委員
芝田 正順
きな要素となっていた。全国各地から懐かしいお顔が集まって
来られたが、東京教区内のふだんから頻繁に接する機会の多い
い方々との温度差の違いも、東京仏教学院同窓会ならではなの
かと妙に納得をした。
すでに同窓会が存在する時期の卒業生が役員として入ってこ
られるようになると、雰囲気も学院の延長として受け止められ
るようになってきた感じがある。総会も講義を受ける場と考え
て差し支えはないようにもみえる。また、連絡誌としての会報
の発行は、最近急増している。なかなか行事に足を運べない会
員の方には、なによりのことでしょう。
12
13
歴代学院長・主監(主事)
講師名簿
<歴代学院長>
氏 名
小笠原 彰眞
仁本 正惠
柘植 慈想
仁本 正惠
石原 芳正
太田 淳昭
後藤 澄心
阿部 慶昭
清水 祐之
田丸 道忍
下川 弘義
工藤 義修
鎌田 憲英
藤岡 義昭
芝原 郷音
有馬 清雄
日谷 周暎
大内 察爾
藤音 晃祐
篁 昭観
日谷 周暎
北條 成之
柱松 青巒
黒山 秀行
池谷 亮真
波夛野 昭方
蓮 清典
松村 了昌
教区
組
寺
任命日
解任日
四州
東北
東京
東北
滋賀
鹿児島
佐賀
新潟
京都
大分
福岡
熊本
四州
鹿児島
滋賀
山口
石川
山口
大分
安芸
石川
長崎
熊本
国府
滋賀
福井
山口
大阪
徳島中
青森
世田谷
青森
野州
出水
神崎
巻
桑船
下毛中
下川東
益東
香川西
揖宿
栗田
厚狭西
鹿島
熊毛
大海組
佐伯東
鹿島
島原南
菊池
西浜
栗太
福井
大津西
川中南
西覺寺
光行寺
常栄寺
光行寺
法専坊
光接寺
浄光寺
長厳寺
光福寺
長久寺
浄弘寺
大円寺
高善寺
乗船時
勝専寺
祐念寺
徳照寺
來迎寺
教尊寺
西楽寺
徳照寺
善法寺
善龍寺
西蓮寺
光圓寺
本覺寺
西光寺
明専寺
昭和25年 8月 1 日
昭和25年12月25日
昭和27年 8月28日
昭和29年 6月 5 日
昭和29年11月22日
昭和31年 9月 1 日
昭和35年 3月20日
昭和36年 4月 1 日
昭和36年 4月28日
昭和38年 7月29日
昭和40年10月 1 日
昭和45年 8月22日
昭和49年 5月11日
昭和51年 6月16日
昭和53年 3月 1 日
昭和57年 2月 2 日
昭和61年 4月 8 日
昭和62年 4月 1 日
平成元年 5月 1 日
平成元年 8月22日
平成 3 年 7月22日
平成 5 年 4月 1 日
平成 6 年 7月 1 日
平成 8 年 9月10日
平成 9 年 5月23日
平成 9 年 7月 4 日
平成10年 2月23日
平成12年4月3日
昭和25年12月25日
昭和27年 8月28日
昭和29年 6月 4 日
昭和29年11月22日
昭和31年 9月 1 日
昭和35年 3月20日
昭和36年 4月 1 日
昭和36年 4月28日
昭和38年 7月29日
昭和40年10月 1 日
昭和45年 8月22日
昭和49年 5月11日
昭和51年 6月16日
昭和53年 3月 1 日
昭和57年 2月 2 日
昭和61年 4月 8 日
昭和62年 4月 1 日
平成元年 5月 1 日
平成元年 8月22日
平成 3 年 7月22日
平成 5 年 4月 1 日
平成 6 年 7月 1 日
平成 8 年 9月10日
平成 9 年 5月23日
平成 9 年 7月 4 日
平成10年 2月23日
平成12年 4月 3 日
平成12年10月27日
佐賀
東京
四州
滋賀
京都
滋賀
山口
大分
北海道
熊本
北豊
神崎
都留
宇南
稲枝西
桑船
坂田
熊毛
下毛中
十勝
熊本南
築城
往生寺
西光寺
清宝寺
円広寺
光福寺
法輪寺
来迎寺
長久寺
本證寺
願心寺
真光寺
昭和26年 4月
昭和27年 3月
昭和31年 9月 1 日
昭和32年 8月 9 日
昭和35年 4月 1 日
昭和36年 4月28日
昭和39年 5月 1 日
昭和40年 9月15日
昭和40年10月 1 日
昭和41年 8月 5 日
昭和44年 6月 1 日
昭和27年 3月
昭和31年 9月 1 日
昭和32年 8月 9 日
昭和35年 4月 1 日
昭和36年 4月28日
昭和39年 5月 1 日
昭和40年 9月15日
昭和40年10月 1 日
昭和41年 8月 5 日
昭和44年 6月 1 日
昭和47年 4月11日
<歴代主監>
西山 是兼
奈良 宏忍
後藤 敬三
深井 恵龍
清水 祐之
長野 隆法
大内 察爾
田丸 道忍
平林 暁祐
西寺 律州
岡部 崇宣
14
西寺 律州
槙藤 明哲
藤本 龍珠
小滝 了信
武田 智徳
南川 晃昭
吉川 孝臣
福波 正信
立森 成芳
池田 恵俊
龍澤 順道
鷲山 諦住
池谷 亮真
熊本
山陰
富山
備後
滋賀
東京
安芸
安芸
安芸
滋賀
富山
大阪
滋賀
熊本南
鹿足
黒東
比婆
神崎
麻布
志和
加茂東
加茂東
栗太
婦負東
島上西
栗太
願心寺
本光寺
覚法寺
正専寺
金剛寺
真福寺
南泉寺
連教寺
善正寺
長安寺
妙順寺
因光寺
光圓寺
昭和47年 4月11日
昭和50年 7月 3 日
昭和52年 6月11日
昭和55年11月 1 日
昭和58年 4月 4 日
昭和59年 4月 1 日
昭和61年11月6日
昭和63年11月26日
平成 3 年 9月10日
平成 6 年 6月15日
平成 8 年 8月 1 日
平成 8 年11月15日
平成 9 年 4月 1 日
東京
佐賀
東京
福岡
東京
山陰
東京
世田谷
神崎
中
鞍手
神奈川
神門
世田谷
妙祐寺
往生寺
法重寺
西徳寺
教覚寺
西念寺
妙善寺
昭和 7 年10月11日
東京
東京
中
多摩
法重寺
覚證寺
兵庫
山口
大阪
富山
東北
滋賀
東京
揖東
須佐
東住吉
善解
山形
犬上南
世田谷
福専寺
浄蓮寺
浄覚寺
光雲寺
善行寺
法城寺
妙祐寺
京都
滋賀
富山
東京
東京
東海
下西
犬上南
善解
麻布
東
桑名
正住寺
法城寺
光雲寺
西光寺
称福寺
円正寺
石川
東京
滋賀
富山
安芸
備後
熊本
滋賀
金沢
世田谷
愛知下
黒東
豊田東
比婆
熊本南
野洲
宗林寺
光隆寺
乗興寺
覚法寺
寂静寺
正専寺
太平寺
明光寺
昭和50年 7月 3 日
昭和52年 6月11日
昭和55年11月 1 日
昭和58年 4月 4 日
昭和59年 3月31日
昭和61年11月 6 日 昭和63年11月26日
平成 3 年 9月10日
平成 6 年 6月 1 日
平成 8 年 7月31日
平成 8 年11月15日
平成 9 年 4月 1 日
平成10年 6月17日
〈歴代講師〉
辻 惠雄
西山 是兼
南條 了因
篠田 龍雄
平等 通昭
雲藤 義道
寺 教然
磐井 宗叡
南條 細川 量雄
西宮 米子
神子上 恵龍
工藤 成性
小原 隆信
桐溪 順忍
北畠 典生
瓜生津 隆雄
川上 准玄
伊藤 完夫
苗村 高綱
瓜生津 隆真
桐溪 順忍
佐々木 玄智
小野島 元雄
廣川 皆誠
鈴木 寿美恵
花山 勝友
簑島 秀道
篁 薫海
藤本 龍珠
林 水月
小滝 了信
杜多 隆信
寺田 了瀛
15
昭和26年 4月
昭和26年 4月
昭和26年 4月
昭和26年 4月
昭和26年 4月
昭和26年 4月
昭和26年 4月
昭和26年 4月 1 日
昭和27年 6月
昭和28年 4月
昭和28年 4月
昭和29年 6月30日
昭和30年 4月
昭和30年 4月
昭和32年 4月
昭和32年 4月
昭和33年 6月
昭和34年 4月
昭和35年 6月
昭和36年 4月
昭和39年 4月1日
昭和39年 4月
昭和40年 5月
昭和40年10月1日
昭和44年 4月 1 日
昭和49年 5月10日
昭和49年 9月21日
昭和52年 6月11日
昭和53年 6月 1 日
昭和55年11月 1 日
昭和57年 9月 1 日
昭和57年 9月 1 日
昭和28年12月9日
昭和41年3月15日
昭和53年3月31日
昭和38年3月
昭和39年3月
昭和29年6月
昭和27年5月
昭和56年3月31日
昭和33年7月
昭和30年3月
昭和30年3月
昭和32年4月25日
昭和32年3月
昭和32年3月
昭和34年3月
昭和40年5月1日
昭和40年9月31日
昭和35年9月
昭和40年3月
昭和49年3月
昭和48年8月18日
平成8年3月
昭和49年9月21日
昭和53年3月31日
昭和59年 3月31日
昭和56年3月27日 昭和57年 9月 1 日
昭和55年11月1日
昭和58年 4月 4 日
昭和58年 4月 1 日
昭和58年 4月 1 日
歴代学院長・主監
(主事)
・講師名簿
浅野 義弘
白井 誓海
武田 智徳
南川 晃昭
加茂 仰順
吉川 孝臣
大嶋 俊明
佐々木 智教
立森 成芳
池田 恵俊
早島 鏡正
野口 隆嗣
滋賀
滋賀
滋賀
東京
山口
安芸
鹿児島
兵庫
安芸
滋賀
東京
東京
愛知下
愛知下
神崎
麻布
大津西
志和
甑島
北摂
加茂東
栗太
神奈川
千葉
本然寺
明光寺
金剛寺
真福寺
向岸寺
南泉寺
正淨寺
安楽寺
善正寺
長安寺
宣正寺
延覺寺
昭和57年 9月 1 日
昭和58年 4月 1 日
昭和58年 4月 4 日
昭和59年 4月 1 日
昭和59年 4月 1 日
昭和61年11月 6 日
昭和62年 1月 7 日
昭和63年 4月 1 日
平成 3 年 9月10日
平成 6 年 6月15日
平成 6 年 4月 1 日
平成 9 年 4月 1 日
昭和58年 4月 1 日
昭和63年 3月31日
昭和59年 3月31日
昭和61年11月 6 日
平成 8 年 5月 1 日
昭和63年11月25日
平成 6 年 5月 9 日
平成10年 4月 1 日
平成 6 年 6月 1 日
平成 8 年 7月31日
平成12年 4月28日
平成10年 4月 1 日
〈現教職員〉
学院長
主監(講師)
講師
講師
講師
講師
講師
講師(主事)
講師
講師
講師
講師
講師
講師
講師
講師
講師
講師
講師
講師
講師
講師
講師
講師
講師
講師
講師
講師
主事
書記
書記
柱松 青巒
長屋 善洋
五十嵐 明寶
五十嵐 大策
市川 礼子
山崎 龍明
田中 教照
南條 了元
高橋 審也
池田 行信
谷山 憲丸
本多 静芳
石上 和敬
村石 恵照
蔵田 了然
藤田 恭爾
小野島 康雄
藤澤 正徳
酒井 淳
西原 祐治
白川 淳敬
経谷 覚也
西本 照真
成田 智信
長谷山 顕俊
渡辺 正乗
合群 信哉
渡辺 了生
藤田 信證
冨賀見 智明
升巴 信隆
熊本
福井
東京
東京
滋賀
東京
山口
東京
東京
東京
東京
東京
東京
東京
東京
東京
東京
東京
東京
東京
東京
兵庫
備後
東京
東京
東京
東京
東京
和歌山
兵庫
大分
菊池
阪南
多摩
多摩
彦根
西
美称西
中
群馬
栃木北
善龍寺
本照寺
阿弥陀寺
玄忠寺
明性寺
法善寺
西宝寺
法重寺
清光寺
慈願寺
逗子布教所
万行寺
光明寺
光輪寺
上宮寺
寶光寺
称福寺
光教寺
西照寺
西方寺
正法寺
西蓮寺
金秀寺
善了寺
善然寺
福正寺
清浄寺
福源寺
西教寺
明専寺
長泉寺
中
芝
神奈川
麻布
神奈川
東
南
多摩
千葉
世田谷
佐用
比婆
鎌倉
神奈川
都留
栃木南
都留
日高
新宮
国東中
平成12年10月27日
平成10年 6月17日
昭和46年 4月 1 日
昭和51年 4月 1 日
昭和53年 4月 1 日
昭和55年 4月 1 日
昭和59年 4月 1 日
平成 2 年 4月 1 日
平成 6 年 4月 1 日
平成 6 年 4月 1 日
平成 6 年 4月 1 日
平成 7 年 4月 1 日
平成 7 年 4月 1 日
平成 7 年 4月 1 日
平成 8 年 4月 1 日
平成 8 年 5月 1 日
平成 8 年 4月 1 日
平成 9 年 4月 1 日
平成 9 年 4月 1 日
平成 9 年 4月 1 日
平成 9 年 4月 1 日
平成10年 4月 1 日
平成11年 4月 1 日
平成11年 4月 1 日
平成12年 4月 1 日
平成12年 4月 1 日
平成12年 4月 1 日
平成12年 4月 1 日
平成11年 4月 1 日
平成12年 4月 1 日
平成10年 2月 1 日
東京仏教学院設立50周年
東京仏教学院同窓会発足20周年
記 念 事 業
(講師は、任命日順に記載しております)
16
17
東京仏教学院設立50周年記念式典
東京仏教学院同窓会発足20周年記念式典
並びに 記念祝賀会
来賓及び学院長
左:大谷光真ご門主
真中:蓮 清典総長
右:松村了昌前学院長
右後:波夛野昭方元学院長
第50期生による献灯
記念式典当日の受付 式 次 第
第1部 式 典
「本堂」
14:00∼14:45
第50期生による献花・献灯・献香のリハーサル
開式の辞
朗読〈50周年のあゆみ〉
校歌斉唱
献灯・献花・献香
ご門主様ご焼香
行事鐘
勤行〈讃仏偈〉
学院長式辞
総長挨拶
ご門主様お言葉
恩徳讃
閉式の辞
一同 合掌・礼拝
ご門主様ご退席
勤 行
司会進行:東京仏教学院講師・記念事業実行委員式典部
西原祐治講師
第2部 記念講演
「本堂」
東京仏教学院同窓会山田正宏会長より開式の辞
大谷光真ご門主よりの
お言葉
15:00∼15:50
記念講演 講師:田中教照師
(武蔵野女子大学学長・文学博士・東京仏教学院講師)
講演演題 「なぜ 浄土へ往くのか」
司会進行:東京仏教学院講師・記念事業実行委員式典部
西原祐治講師
エレクトーン演奏者 第42期生 成田香織さん
第3部 記念祝賀会 「第二伝道会館 蓮華殿」 16:30∼18:00
ご門主様ご臨席
開式の辞
来賓祝辞
祝杯・祝宴
同窓会長謝辞
主監挨拶
閉式の辞
ご門主様ご退席
記念講演
武蔵野女子大学学長・文学博士・
東京仏教学院講師:田中教照師
第37期田久保園子さんによる「50年のあゆみ」朗読
司会進行:東京仏教学院講師・記念事業実行委員行事部
白川淳敬講師 並びに
第50期生 坂井和子さん・村松華子さん
参加者勤行
18
19
記念事業の概要
研究科室
本 科 室
記念式典終了時の境内
記念祝賀会乾杯の発声
元東京仏教学院講師:小野島元雄先生
図書・閲覧室
東京仏教学院講堂(改修予定)
記念祝賀会来賓挨拶
東京教区選出宗会議員:石上智康宗会議員
(
(
記念祝賀会主監挨拶 東京教区教務所長・東京仏教学院主監:長屋善洋主監
(第一伝道会館2階ブディストホール)
仏教学院の設立趣旨を鑑みるに、本科においては「得度試験免除・教師授与申
請資格」、研究科においては「得業の学階試験免除の資格」取得を目標として、
首都圏(関東)における宗学研鑽の場としての責務を担うことであり、その使命
を果たしてきました。
ここに、設立50周年と同窓会発足20周年を迎えるに当たり、次の目標を掲げて
展開する。
1. 宗学研鑽施設としてのさらなる充実と整備
2. 卒業生関係者相互の交流と情報交換の場の提供
3. 同窓会活動の集大成
4. 全国寺院子弟、後継者育成の機関であることの広報活動
■ 記念事業
■ 整備内容
1.
・本館内研究科室を第一伝道会館白檀室に移動し、仏教学院の環境
第一伝道会館内仏教学院室
整備
2.
記念誌の作成
(同窓会名簿を含む)
3.
インド仏跡参拝の実施
をさらに整備し、什器備品(机・イス等)及び放送設備の充実を計る。
・仏教学院生並びに教区法中の皆様方のさらなる研鑽のため図書・
閲覧室の整備する。
・現在のブディストホールを東京仏教学院講堂として或いは教区の行
事等にも利用できるよう整備する。
20
21
▲
インド仏跡 参拝の旅
初転法輪の地サルナート見学
緑豊かなサルナート(鹿野苑)のダ
メーク塔は、その大きさは高さ
43メートル美しいレリーフが目
につく。 釈尊初転法輪の地とい
2/12(月)
07:40 結団式「新門様お言葉」
10:00 成田国際空港出発 空路デリー
へ
18:40 デリー到着 ホテルへ
霊鷲山にて参拝
跡があり、かつての苦行を共にし
五つの山に囲まれた盆
た5人の修行者が釈尊を出迎え、
地で釈尊在世当時のマ
釈尊が初めて法を説かれた場所
カダ国・霊鷲山に向か
ともいわれています。
うビンバサラ王の道を
登るのに苦労し山頂に
てお勤めをする。やわら
▲
2/13(火)
かな風に吹かれながら、
九条武子様の聖夜の詩が思い浮か
ただ感激の気持ちで一
ばれ、「星の夜空の うつくしさ た
杯でした。
▲
(ご焼香:新門様)
(調声:東京仏教学院
同窓生 麻布真海さん)
▲
ベナレス・ガンジス河
れかは知るや 天のなぞ 無数のひと
する ほとけたち 夜ひるつねに 護ら
を発ち北へ向かわれ、最後の旅の途
上に立ち寄ったところです。仏教研
▲
世紀になって本格的に整備され、往
ベナレス・リクシャに乗り見学
古よりの赤レンガ造の小部屋が40
ガンジス河の日の出を見て後、リクシャに
室並び階段もすり減り隆盛の歳月を
乗ってバスまで移動。日本でいう戦後にあ
思わせる。今は衰退したが、こうして
った輪タクです。お二人の楽しそうなお顔
立つと僧侶たちの熱気のこもった研
ですね。
鑽の様子が聞こえてくるようだ。
2/14(水)
●1号車
05:15 ホテル出発
05:30 早朝、釈尊が晩年過ごされた霊
鷲山へ
06:45 ホテルへ
07:00 ホテルにて朝食
08:30 ラージギール見学 竹林精舎 ビ
ンビサーラ王の牢獄跡
13:00 ホテルへ
14:00 ホテルにて昼食
2号車と合流し希望者のみ再度
霊鷲山へ 以後2号車と同じ
●2号車
09:30 パトナ出発 ルートを変更しラ
ージギールへ
13:00 ナーランダ大学跡見学
14:00 ラージギール到着 法華ホテル
にて1号車と合流
15:00 ビンビサーラ王の牢獄跡、霊鷲
山
16:30 ブッタガヤへ
20:00 ホテルへ
この大塔は高さ52メートルで創建はアショカ王
ブッダ・ガヤーの大塔
紀末に大修理されている。イスラム軍団の侵略か
ら守るため大塔を土で覆い小高い丘に見せ、6百
数十年土中に埋もれ1880年にイギリス人によ
って発見された。聖地と象徴の建物です。菩提樹
と暁の明星が釈尊を見守っていたことでしょう。
クシナガール・大涅槃堂
07:30 ホテル出発 サラバスティーへ
途中カピラ城跡見学
14:00 サラバスティー到着後ホテル
にて昼食
14:30 ホテル出発
祇園精舎 コーサラ国の首都 舎
衛城の跡で有名なサヘート・マ
ヘート見学
20:00 ホテル到着
釈尊入滅を記念する涅槃堂が、朝
日を浴び迎えてくれた。涅槃堂内
には、全色に光り輝く釋迦像
(約
6メートル)が横たわっておられ
る。
▲
2/20(火)
ブッダ・ガヤーの大塔
つ。その近くでチベット僧の
人々が読経する声が響き流れて
くる。全世界、仏教徒の心のふる
さと。
22
▲
大塔の裏西側に釈尊成道の聖地
に、3代目の菩提樹がそびえ立
07:30 ホテル出発 クシナーガル見学
涅槃堂
(マハーパリニルヴァーナ
参拝 ラマーバル・ストゥーパ
堂)
09:30 ルンビニへ出発
13:00 ルンビニ到着 ホテルにて昼食
14:00 ルンビニ見学 アショカ・ピラ マ
ーヤーデビ寺院跡,、聖なる池等
19:00 ホテルへ
2/19(月)
▲
時代、紀元前254年に建てられたといわれ19世
石に釈尊がお座りになったそば
連日の渋滞により一同疲労困憊の
ため、午前中休憩 フリータイム
13:00 ベナレスヒンドゥー大学見学
15:00 サルナート到着 初転法輪 鹿野
苑 ダーメークストゥーパ等
19:00 ホテルへ 参加の交流会開催
2/18(日)
究の中心となった仏教総合大学。20
を象徴する金剛法座がある。座
2/16(金)
05:30 ガンジス河の沐浴 ヴィシュワ
ナート寺院 見学
朝食後クシナーガルへ
10:00 クシナーガルへ 途中、
サルナー
ト考古学博物館 見学
18:30 ホテル到着
ガンジス河の真砂より あまたおわ
皆さんの耳に響いたことでしょう。
ナーランダは、80歳の釈尊が霊鷲山
08:00 ブッタガヤ見学 金剛法座 尼連
禅河 セーナ村 日本寺
10:30 ブッタガヤ出発 ベナレスへ 途
中事故渋滞とベナレス市内に
て結婚式交通渋滞に遇う
23:00 ベナレス到着 ホテルへ
2/17(土)
み 輝けば 歓喜になごむ わがこころ
すと 聞くになごめる わがこころ」
ナーランダ大学跡見学
▲
11:00 デリーより国内線空港へ
13:15 デリー出発 マカダ国 首都パト
ナへ
14:40 パトナ到着
パータリプトラ宮殿跡見学
19:20 1号車と2号車の間で現地のト
ラック2台が事故
1号車は事故現場より7キロ先
のドライブインにて待機
1号車より添乗員が車と徒歩に
て2号車へ向かう
2号車と合流するがラージギー
ルへの進行を断念しパトナへ
向かう
24:30 1号車ラージギール着ホテルへ
26:00 2号車パトナ市内着
26:30 ホテルにて部屋を確保し仮眠
▲
われ敷地には往古よりの僧院の
仏跡参拝の日程
2/15(木)
クシナガール・大涅槃堂にて参拝
涅槃像の前で、第50期学院生坂井さん・
村松さんが『讃仏偈』の調声し、仏教
学院同窓生の大滝さんが感話をされる。
釈尊が涅槃に入られる前に残された「自
灯明・法灯明」のお話でした。
23
07:00 ホテル出発 ラクノウへ
途中、祇園精舎の鐘見学
13:00 ラクノウ到着 ホテルにて昼食
14:00 ラクノウ観光へ 時計台(車窓
より)
ジャママスジット 大イマーム
堂 小イマーム堂(車窓より)
16:45 ラクノウ出発 国内線にてデリ
ーへ
▲
17:40 デリー到着 ホテルへ
ルンビニ
2/21(水)
ルンビニは、ネパール
西南部のタラーイ盆
08:00 ホテル出発 アグラへ
13:00 アグラ到着 ホテルにて昼食
アグラ観光 アグラ城 白亜の
霊廟タージマハール
見学後ホテルへ
地にある。ここが釈尊
のご誕生の地です。地
元の高校生との会話
がはずみ、旅の思い出
に記念撮影。
2/22(木)
2/23(金)
昭和26年4月∼平成13年3月
▲
09:00 朝食後ホテル出発 デリーへ
11:00 途中マトゥラ博物館見学
13:00 デリー到着 デリー観光
クトゥブ・ミナール
18:30 ホテルバンケットルームにて
解団式
卒業生の思い出
サラバスティー・祇園精舎
コーサラ国のスダッタ長者が釈
尊に寄進した精舎です。ここで
釈尊は多くの安居をなされ、仏
説無量寿経や仏説阿弥陀経など
多くの経を説かれました。その
歴史的な場所で仏説阿弥陀経を
称えさせて頂き、その感激は生
涯忘れ得ることがないでしょ
う。(調声:東京仏教学院同窓会副
会長西 恒子)
▲
09:00 ホテル出発 デリー観光
オールドデリー(車中より街並
み見学)
インド門 デリー博物館
夕刻 デリー国際空港へ
17:30 デリー国際空港到着
19:50 デリー国際空港より帰国の途
へ
(途中バンコク経由 所要時間
10時間25分)
デリー・ホテルにて解団式
皆さんのホッとした笑顔。明日は
2/24(土)
日本へ、道中の思い出話に花が咲
く解団式の一コマです。何事も大
09:24 成田国際空港到着 通関後解散
事にいたらず、新門様と共に28
名の参加者。やせた方も…
前列両側に現地ガイドをして
▲
くださった、ポールさん・イドリ
スさん、日本語の達人で心配なく
*つれづれに
旅ができました。
茜色に輝く西の空に夕日が静かにし
ずんで行く。西方浄土にお帰りになる。
2500年の悠久の地にて、釈尊の足跡を
たどらせて頂いた尊いご縁、ありがと
うございました。
お念仏に生かされた皆様と共に、育
まれた良き旅路、終生釈尊の歩まれた
母なる大地を忘れることなく歩んでま
いります。
企画を頂きました皆様に感謝申しあ
げます。 ナマステ 合掌
東京仏教学院設立30周年記念式典 於 築地別院 昭和56年10月3日
(各写真にコメントを書かせていただきました。)
東京仏教学院同窓会副会長
記念事業 記念誌編集部委員
西
▲ デリー・ホテルにて解団式記念写真
恒子
24
25
第1期
第6期
第4期生
松本 順昭
卒業生の思い出
1
事件の記憶
「君はケシカラン、ちっともノ
10 期)
(第 期∼第
ートをとらんじゃないか。私の講
義を聞いとるのかね」… インド・
中国仏教史担当の平等通昭先生
第2期
の疳高い、叱貴の声が、私に飛ん
第4期生
で来た。
第7期
松本この人。
順昭
(何言ってるんだろう、
オレ、ちゃんと聞いているじゃな
いか)
……私は無言で先生の目を
見返した。先生の目は、かなり強
く怒りの色を含んでいた。
それだけではすまなかった、先
生の怒声が再び飛んで来た……
「君ッ、ノートを持ってきなさい」
。
龍大の学者たちが書いた教科
書は内容豊富で、私には手に余る
ほどの知識の量が詰まっていた。
(ノートは要らない。話
私は勝手に
しの流れを聞けばよい)
と判断し、
所々テキストに書き込みをするだ
けだったから、ノートは真っ白。
窮地に陥ると同時に、突然訳の
わからぬ怒りが込み上げて来て、
私は、テキストを机に音高く叩き
付け、憤然と席を立ち、呆気にと
られる平等先生を後目に退室し
てしまった。学院の頃を思うと、
まず蘇る記憶である。
卒業後、偶々お目に掛かった平
等先生が私に言われた……「なん
だ、君は、ウチの親戚だったんじ
ゃないか」。寺のことに関心の低
かった私は、全くそのことを知ら
なかった。
第1期生
林 達 明
第3期
戦後の困窮時代を引きずって
第8期
いた、昭和26年4月、東京仏教
学院が開校されました。学生は、
日系二世も含めて50人程度いま
した。
始まったのが教務所の一室で、
特に設備もなく教科書もありま
せんでした。真宗聖典により宗
乗を学び、余乗関係はレジュメ
もなく先生が当日黒板に書いた
問題により、授業が始まりまし
第4期
第9期
た。時間割はきめられていたの
ですが、授業内容は当日になら
ないと判りませんので予習が出
来ず、唯先生の話すことを一生
懸命ノートをとっていました。
授業後に学友と講義内容をチェ
ックすることが日課となり、こ
れが復習にもなったと思います。
第10期生
難しい仏教学は理解し難く、卒
業後改めて勉強しなおしたこと
第5期
でした。学生生活としては、冬
寒くても暖房が少ししかなく、
第10期生の卒業写
教室に火鉢を入れて手を焙るだ
真が見つかりませ
けで、授業中も外套を着て勉強
をしていました。こうした中で、
んでした。ご協力
お陰様で無事卒業し僧侶の仲間
頂きありがとうご
入り、お念仏することの喜びを
ざいました。
味得させていただいております。
26
成田 了恵
第10 期
東京仏教学院の想い出
今からおおよそ42年前、当
時18 歳の私は親戚に言われ
るままに入った禅宗の駒沢大
学の学生でした。禅宗では本
願寺のお坊さんになれません。
そこで入ったのが東仏でした。
そこには中山さん、藤原さん、
寺沢さん、北条さんがいまし
た。そして銀座のネオンも。し
かし厳しい日々でした。
授業を受けても判らないこと
ばかり。川上先生の勤式の時
は三奉請が出来なくてテスト
は真青でした。
篠田和上の安心論題は判っ
たつもりでノートをとり、後で
読み返すとさっぱり判らない。
今思うとそのままがみ仏の
手の中だったんですね。南條
27
先生の日本仏教史のテストの
時は先生はほとんど教室の本
棚の前で我々に背を向けて立
っていました。後でそこに立
ってみると教室中まる見えで
した。み仏は全てを見抜いて
すでに救ってくれていたんで
すね。今日あるは諸先生のお
かげです。只感謝です。合掌
第11期
第16期
卒業生の思い出
11期∼第20 期)
(第
第12 期
第17期
第12期生
榎本 教真
第13期生
学院の思い出
第13期
それは昭和37年
(1962)
年4
西永 哲郎
第18期
月の入学面接から始まった。一年
私は大学4回生の時、学院に学
の夜学生活である。
ばせていただいた。
前年は、下高井戸の日本大学夜
今となっては耄碌しているのか断
間部真宗学講義
(本派は桐溪順忍
片的にしか思い出せない。
和上担当)
を学外聴講生として毎
当時は安保問題で学生運動が
週二時限を、自転車通学で受講し
盛んであったが、ノン・ポリ学生
たが、毎日の築地別院通いは、
であった私は、昼間は老舗の書店
少々しんどかった。昼間は自坊の
寺務と、幼稚園のスクールバス運
第14期
に勤め、その合間に大学の授業に
第19期
顔を出し、夜は仏教学院に通学す
転、翌朝の準備をしてからの登校
る生活であったが、結構それをエ
である。目を開けて居眠りをした
ンジョイしていたようだ。
ことがある。勤式作法の川上准玄
恩師川上准玄先生には、一年間
師から白墨が飛ぶから。…夏は窓
殆ど毎日のように勤式と声明を
から築地川(今は駐車場)
の臭気
教えていただいたことは私の大
が入ってくる。90歳で仏教教養
きな財産となっている。
の南條了因師が小さい時よく泳
また、九州から出向されていた
いだと聞き驚いた。前述の桐溪
和上、篠田龍雄和上など諸先生
は、講義の内容と共に、お人柄そ
篠田和上には、その温厚なお人柄
第15期
第 20 期
とともに、おみのりの温かさや無
辺の広がりと奥深さ、その中に懐
のものの中から、お念仏の薫香が
かれている私をおしえていただ
伝わって来た。
いたことであった。
もう一度あのころに戻りたい。
とまれ、学院に学ばせていただ
あの声を、あのお顔を、あの先生
いたことは、僧侶の私の原点であ
や学友たちと…。
り、懐かしい思い出とともにあり
充実した一年間であった。南無
がたく思うことである。
阿弥陀仏。
28
29
第 26 期
第 21期
卒業生の思い出
21期∼第30 期)
(第
第 27期
第 22 期
第15期生
福島 光信
第26期生
第 28 期
第 23 期
芝田 正順
もう30年以上も前のことです
が、その当時はお寺の跡取りとそ
私が浄土真宗という教えと初
れに坊守さんが一人二人いまし
めて出遇ったのは、この東京仏教
て、生徒は10人ちょっとだったと
学院でした。
思います。跡取りの若い人は資格
寺に生まれながら、まったく反
を取るために仕方がなく来てい
対方向しか向いていなかった私。
たせいか出席率はあまりよくなか
父に懇願されて通ううよになっ
ったようでした。
(自分だけだった
かな)
やっぱり仲間意識というも
たのが実のところでありました。
第 29 期
第 24 期
そんな状態でしたから、教室の
のは芽生えてくるもので、集まる
後ろの方で同年輩のN君と授業
と麻雀屋に行ってしまったりもし
とは関係のないことを喋り、前の
ましたが、勉強会などもやってい
席のT先輩から叱責を受ける。
たこともありまして根は結構まじ
70歳を越えておられながら、休
めでした。自分は父親を亡くして
むことなくご聴聞
(講義を受ける
お寺をしながら、昼は大学、夜は
というのではなくまさにご聴聞で
仏教学院という生活でした。それ
した)
される方々の姿にも、冷や
まで仏教の知識はほとんどなし
やかな態度でしか接することが
に入学したので、最初のころはと
にかく、仏教用語がわからずに大
第 25 期
できない。大先生の書かれた書
第 30 期
物を丸写しして、法話実演に望み
変苦労したことを覚えています。
平然としている。ひたすら早く授
篠田和上や桐溪和上、それに南
業の終わることを願う。などなど
條先生や細川先生など、教えてい
今思えば、
「なんと勿体ないこ
ただいた懐かしい先生方を思い
とを」
と冷や汗がでるばかりです。
出します。教務所の園井先生にも
でもその体験の上に今の自分が
お世話になりました。20歳くら
あるのは、紛れもない事実なので
いの青春時代のよい思い出です。
す。
30
31
第 36 期
第 31期
卒業生の思い出
31期∼第40 期)
(第
第 37期
第 32 期
第35期生
瓜生津 隆文
第 38 期
第 33 期
林 水月 先生
第29期生
真新しいホワイトボードでの最
八田 弘樹
初の授業でのこと、林水月司教
は、いつもと少し勝手が違うとい
東仏29期生は、大学生から、現
う風なご様子でありました。とい
役のバリバリのエンジニア・大学
うのも、私たち35期生の在学中
の講師・工学博士・学校の先生・タ
に、本堂の奥まった所にある少し
クシードライバー・主婦・坊守さん
暗い感じの部屋から、現在の建物
等々、多種多様の同級生がそろい、
その数は聴講生を合わせて50余
へと引っ越ししたのでした。
(備
第 39 期
第 34 期
品も運びました。) 古びた中に
も歴史を感じさせる教室では、先
名、学院創設以来、しかも入学者
生は黒板を傍に、チョークの音を
が多く
(この記録?は、今だ破られ
心地よく響かせながら、時に両手
ていない。)
いつも熱気と活気に
大きく広げる仕種を交えたりで、
あふれ、それぞれ立場や世代を越
次第に熱が入ってくるのが常でし
え、同じ信仰を学ぶもの同士の友
た。
先生はまもなく学階最高位の
情が育まれ、『御同朋・御同行』を
勧学となられました。本山での任
実感した一年であった。
また、ご講師の先生は、故林水
第 35 期
命式。ご門主を前にして緊張のあ
第 40 期
まり躓きそうになったことなど、
月和上をはじめ、故花山勝友先生・
勧学職の重みを楽しくお話下さ
故南條イク眩先生・小野島元雄先
ったことが思い出されます。
生・五十嵐明寳先生・五十嵐大策
かつての風格を失って、当世風
先生・簑島秀道先生・篁 薫海先
に変わりつつあった別院の姿と
生・市川礼子先生には、お忙しい
ともに、どこか恥ずかしげなとこ
中、熱心にご指導頂いたことを今
ろもあった純なお人柄が、懐かし
懐かしく思い出される。
く偲ばれることです。
32
33
第 46 期
第 41期
第50期生
川口 忠治
卒業生の思い出
41期∼第50 期)
●多彩な同級生
同級生には、お寺を継ぐ若い男
女が多いが、寺族でないが仏教伝
道を志している若い男性、職場の
中核者として働いている、サラリ
ーマンOB等がいる。異色なのは、
大阪と高松からやってきた三人の
若い男性、漫画家、音大OB、仏教
伝導協会職員、看護学校先生等で
ある。この中には、親子、フィアン
セ同志の組合せがいる。変わりダ
ネは、ベトナムに続いて、カンボジ
ア、タイ、ミャンマーなどに親鸞
聖人の教えを伝えることに、情熱
を燃やしている中年男性である。
クラスには酒好きな者が多く、
土曜日等には飲み放題の安い店
を見つけてよく飲みに行った。卒
業行事では、アルバム、謝恩会、旅
行の三チームに分かれ、チームワ
ークよく思い出に残る行事がで
きた。アルバム委員会は連日遅く
迄、コンピュータに写真を読み込
ませて編集作業を行った。謝恩会
は研究科との合同であり、学院関
係者や先生方に礼を失わぬよう
心がけた。旅行は、稲田の西念寺
を含む5ヶ寺の参拝と偕楽園観
光、大洗のホテルで懇親会とよく
学びよく遊ぶ旅となったが、平日
に実施したため全員参加となら
なかったのは残念である。
●50周年記念事業
入学してから50周年の話を聞
かされた。ご門主様のご臨席を頂
いた記念式典・祝賀会に出席させ
ていただいたことは、望外の喜び
である。献灯・献花・献香は、女性
と若手男性で厳粛に行った。
新門様のご参加を頂いた、イン
ド仏跡参拝の旅は、現役の参加者
は5名と少なかったが、二千五百
年前の釈尊と同じ場所に立つこ
とができ、大きな感動を覚えた。
今後のお願い
卒業を第一歩として、生涯聞法・
全員伝道を目指していますので、
宗教関係者・諸先生・諸先輩のご
指導をお願いいたします。
(第
第 47期
第 42 期
第45期生
長 澤 智
沢山の出会い
私は東京仏教学院にて、沢山の
出会いを体験しました。
「お念仏と出遇い」−ありのまま
をありのままに受け取ることの世
第 48 期
第 43 期
界。幼少の頃から接してきました
が、
「お念仏」をここまで掘り下げ
て学んだのは初めてでした。
「級友との出遇い」−同じ道を学
ぶ仲間を得ることが出来ました。
自分にとって仏教学院での勉強は
容易なものではありませんでし
たが、壁にぶつかった時、前へ進
むことが出来たのは4
5期の仲間
がいたおかげだと思っています。
レポートを作成する際も、行き詰
第 49 期
第 44 期
まった時にお互い意見できる仲間
がいてくれました。そんな仲間達
は今でも私の宝物です。
そして「新しい自分との出遇
い」−さらに仏教の世界を学びた
いと、研究科に進級することを決
めた自分との出会いです。
本科の一年で学んだことを追
求するため、研究科での更なる研
鑽の場が欲しかったのです。それ
第 45 期
第 50 期
は仏教に対して「真剣に向き合お
う」と決意した自分との新たな出
会いでありました。
東京仏教学院での沢山の出会
い−どれも今の自分に無くては
ならないもの−このような体験
をさせていただいた仏教学院に
感謝しております。
34
35
現在の学院
平成 13年 3月
36
37
浄土真宗と仏教の基礎的知識から
勤式作法の実践まで、幅広く学びます。
本科
1年制・週6日制・男女・夜間
研究科
2年制・週3日制・男女・夜間
2年制・週3日制・男女・夜間
卒業後は、得度考査免除、教
師授与申請資格取得の特典が
あり、さらに研究科への出願
資格を得ることができます。
卒業後は、浄土喜宗本願寺派
学階「得業」の予試および本
試が免除されます。
2001(平成13)年度 開講科目
開 講 科 目
2001(平成13)年度 開講科目
学 習 内 容
開 講 科 目
真宗関連
真 宗 要 説……浄土真宗の教義・安心の大要を解説
三 経 要 義……浄土真宗の根本経典「浄土三部経」の要義を解説
七 祖 要 義……七高僧伝統の要義を解説
本 典 要 義……浄土真宗の根本聖教『教行信証』
の要義を解説
和 讃 要 義……親鸞聖人『三帖和讃』
の要義を解説
聖 教 講 讃……『正信偈』
『嘆異抄』を中心に要義を講讃
仏教関連 仏 教 要 説……仏教の根本教理を解説
各宗要義(上・下)……各宗の要義を講讃
歴史関連
勤式関連
法規関連
音楽関連
基幹運動
印 度 仏 教 史……印度仏教史の大要を解説
中 国 仏 教 史……中国仏教史の大要を解説
日 本 仏 教 史……日本仏教史の大要を解説
真 宗 史……浄土真宗史の大要を解説
伝 道 と 教 養……教えにより共に導かれていく道を修学
特別講義(都市開教)……都市開教の意義を解説
勤 式 ・ 声 明……日常勤式と声明の解説と、実際指導
学 習 内 容
真宗関連
大 経 講 読……『仏説無量寿経』を講読し、要義を解説
観 経 講 読……『仏説観無量寿経』を講読し、要義を解説
小 経 講 読……『仏説阿弥陀経』を講読し、要義を解説
七祖聖教講読(I・II)……七祖聖教の内、各1巻を講読し、要義を解説
本典講読(上・下)……『教行信証』3巻の内、各1巻を講読し、要義を解説
安 心 論 題……浄土真宗の安心論題を解説
仏教教義要説(倶舎)……倶舎教義の大要を解説
仏教教義要説(唯識)……唯識教義の大要を解説
仏教教義要説(華厳)……華厳教義の大要を解説
仏教教義要説(天台)……天台教義の大要を解説
仏教関連 宗教関連 宗 教 要 説……宗教の概要を解説
伝道関連
三経・七祖聖教・本典の購読から
各宗教義の研究まで、深く研鑽します。
伝道関連
勤式関連
基幹運動
伝 道 と 教 団……伝道の理論と、実際指導
勤 式 ・ 声 明……勤式と声明の教習と、実際指導
基 幹 運 動……基幹運動の意義の解説と、実践
宗 門 法 規……浄土真宗本願寺派法規の基本的解説
仏 教 音 楽……仏教音楽の解説と、実際指導
基 幹 運 動……基幹運動の意義の解説と、実践
38
39
記念事業 実行委員会
部
事務局
学院長
柱松 青巒
主 監
長屋 善洋
主事(講師) 南條 了元
た
だ
ひ
た
ぶ
る
に
守
り
て
ゆ
か
む
み
法
の
お
き
て
身
の
か
ぎ
り
救
い
の
な
か
に
大
い
な
る
悩
め
る
も
の
を
し
ろ
し
め
す
み
お
や
の
め
ぐ
み
き
わ
も
な
く
た
だ
ひ
た
ぶ
る
に
学
び
て
ゆ
か
む
み
お
や
の
教
え
身
に
し
み
て
誓
い
の
ま
ま
に
は
る
か
な
る
闇
路
を
て
ら
す
み
ち
び
き
の
み
法
の
ひ
か
り
き
わ
も
な
く
東
京
仏
教
学
院
の
歌
主 事
藤田 真雄
書 記
冨賀見 智明
書 記
升巴 信隆
総合委員会
総合委員会
総合委員会
総合委員会
総合委員会
総合委員会
総合委員会
総合委員会
総合委員会
総合委員会
総合委員会
式典部(部長)
式典部(副部長)
式典部
式典部
式典部
式典部
式典部
行事部(部長)
行事部(副部長)
行事部
行事部
行事部
行事部
行事部
行事部
編集部(部長)
編集部(副部長)
編集部
編集部
編集部
編集部
編集部
所 属
評議員
評議員
評議員
評議員
評議員(同窓会会長)
評議員(東仏主事)
教区会議長
教区会副議長
中ブロック代表
南ブロック代表
北ブロック代表
講師代表
講師代表
同窓会
同窓会副会長
本科委員長
講師代表
講師代表
講師代表
研究科第7期
同窓会
本科副委員長
研究科第6期
研究科第6期
講師代表
講師代表
講師代表
同窓会副会長
同窓会副会長
講師代表
講師代表
講師代表
講師代表
氏 名
石上 智康
田中 教照
五十嵐 明寳
山崎 龍明
山田 正宏
南條 了元
川茂 岱定
上島 弘
柘植 淳一
太田 俊朗
高橋 審也
渡辺 正乗
西原 祐治
竹柴 俊徳
樹谷 淳昌
川口 忠治
長谷山 顕俊
経谷 覚也
谷山 憲丸
寺西 修
北條 祐英
北野 栄治郎
木村 栄助
工藤 哲修
成田 智信
白川 淳敬
池田 行信
芝田 正順
西 恒子
小野島 康雄
石上 和敬
西本 照眞
酒井 淳
東 京 仏 教 学 院 設 立 50 周 年
記念誌
東京仏教学院同窓会発足20周年
2001(平成13)年 3月 発行
編集 「東京仏教学院設立50周年・東京仏教学院同窓会発足20周年」記念誌編集部
発行 浄土真宗本願寺派東京仏教学院
設 立 50 周 年 記 念
実行委員会
同窓会発足20周年記念
〒104-8435 東京都中央区築地3丁目15番1号 本願寺築地別院内
電話 03(3541)1666・1131
FAX 03(3546)1860
http://www.hongwanji.or.jp/tsukiji/toubutsu
印刷 株式会社きかんし
40
名
41