生命倫理学 第 1~6 回 スライドからの補足資料

生命倫理学 第 1~6 回 スライドからの補足資料
鶴島暁(6/5/2013)
1.倫理学とは:倫理学の問い「~どうすべき/すべきではない」
よい/わるい → 「よく生きる」ことを目指す ex) 進路、就職、人生設計、ドナーカード
・問いの意味の区分 「どうすべき?」設定された目的を達成するための適切な手段を問う?
・技術的な問い: (~のために)役立つ/有用である
・幸福に関わる問い: 目的そのものにかかわる
幸福は人により違う = 価値の対立 (「声を失うくらいなら死んだ方がまし」...)
「いかなる仕方で行為いすべきか?」何かの基準に照らし合わせて「絶対的によい行為」はあるのか?
「good/gut/bien/よい」あるものの価値をある基準に照らし合わせて表現する言葉
ex) ある車が「よい」=スピード、スタイル、価格...(基準が必要)= 相対的なよさ
「絶対的なよさ」はあるのか?
生き方と関わる (自分の頭を使って考える) (なぜ「~すべき」「~すべきではない」のか?)
→ なぜを問い、真実を見極める訓練
「この世界には最初から真実も嘘もない。あるのは、ただ厳然たる事実のみ。にもかか
わらず、この世界に存在するすべてのものは、自らに都合のいい事実だけを真実と誤
認して生きる。そうするより他生きていくすべをもたないから。だが世界の大半を占める
力なき者にとって、自らを肯定するに不都合な事実こそが、ことごとく真実なのだ」
[Bleach 296 話、14:03-14:40 付近、藍染惣右介のセリフ]
・「都合のよい事実」のみを事実とみなす傾向
・臭いものにフタをしたい人間の生来の傾向性
→ だからこそ「訓練」が必要(「なぜ?」と問う意義)
「なぜ?」を問うこと
「知識の探求に明け暮れたその生涯の終局に,ファウストが「われわれは何も知りえないのだと
いうことが、わたしには分かった」と言う時,それこそが結論なのであるが,しかしそれは,こうい
う言葉が自分の怠惰を正当化するために最初の学期に学生によって使われる場合とは全く違
う(キルケゴール)。 その言葉は結論としては真理であるが,前提としては自己欺瞞である.そ
の意味は,一つの知識はそれが獲得された実存から切り離されることはありえないということで
ある」 [『キリストに従う』ボンヘッファー、25 頁]
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「生命倫理学/バイオエシックス」とは?
「生命科学と医療に関する(道徳的な見方・意思決定・行為・政策を含む)道徳的次元を、学際的な
環境で、様々な倫理学的方法論を用いながら考察する体系的研究」
[Reich, Warren T., Encyclopedia of Bioethics, 1995, xi]
生命倫理の「歴史」を学ぶ理由:
・「ありえない」と思える事例・医療が閉鎖的な傾向をもつ組織~ 非常識がまかり通ってしまう
・過去を教訓とする=「今は違う?」という落とし穴
・批判的思考の重要性(はじめはいつも少数者)
・「おかしい」ことに「おかしい」と言えるためには?
→ 生き方と関わる (自分の頭を使って考える)(なぜ「~すべき」「~すべきではない」のか?)
参考文献:今回講義でとりあげた「非治療的実験」について
・『インフォームド・コンセント』R.フェイドン・ T.ビーチャム(酒井忠昭・秦洋一訳)、みすず書房、1994 年
・『医療倫理の夜明け』デイヴィッド・ロスマン(酒井忠昭 監訳)、晶文社、2000 年
・『資料集:生命倫理と法』生命倫理と法編集委員会、太陽 出版、2003 年
cf.) 卒業までの教育目標:「9.研究的態度を身につけ、主体的・継続的に学習できる」
→ 文献やネットを使って調べる必要性
2. ビーチャーの告発
ヘンリー・ビーチャー「倫理学と臨床研究」『ニューイングランド医学雑誌』1966/6/16 [Beecher, H.K.,
1966, Ethics and Clinical Research, The New England Journal of Medicine, 274,
1354-1360] ~ 問題のありそうな 22 の実例を列挙
ex16: ウィローブルック事件。感染性肝炎の感染力を研究すべく、精神遅滞児施設の入所
者を人為的に肝炎に罹患させた例(伝染性肝炎がこの施設で蔓延していた)。保護者の同意
を得たものもあったが、危険性については何も説明されてない。入所者の健康管理もずさんき
わまりないものだった(1950 年代半ばから開始、1959)
ex17: ブルックリン・ユダヤ人慢性疾患病院事件。ガンに対する免疫システム研究のため、生
きたガン細胞を 22 名の入院患者に注射。説明の際、注射される「細胞」がガン細胞であるこ
とは一言も触れられていない(1964)。
ex18: ある母親に娘のメラノーマを移植。母親は説明を受けた上で自発的に移植を受けた
が、「ガンに対する免疫力についてもう少しよく理解し、腫瘍に対する抗体が産出されれば、ガ
ン患者の治療に役立つかもしれないことを期待してのことだった」。娘は移植した次の日に亡くな
り、母親は移植後 451 日目にメラノーマで亡くなった(1965)
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共通点:
・治療されずに放置、不必要な危険、治療効果の確認、新技術開発
・被験者は誰? 軍人、精神遅滞者、非行少年等の施設入所者、老人、末期患者、新生児
・自発的に被験者になる? 被験者には何も知らされてない? なぜこうしたことが起こったのか?
・1940 年代以降の医学研究費の増大
・NIH の助成金: 70 万ドル(1945) --> 4 億 3660 万ドル(1965) (624 倍)
(NIH=国立健康研究所、National Institutes of Health)
・業績至上主義(優れた研究成果が昇進に不可欠)
~ publish-or-perish syndrome(業績か、さもなくば消滅か症候群)
・「科学の利益」と「患者の利益」と不幸な分離
・社会の善のために個人が犠牲にされてよいのか? (cf. ナチス)
・「医学実験にいちゃもんをつけるのは、医学の進歩を邪魔する」という考え
・実はビーチャーも、数年前の投稿をリジェクトされている(1959-1965)、同僚に批判される
ビーチャーの立場:
・米国の医学は健全 / 大部分は健全な形で達成されてきた
・だが、個々の問題に対し、研究活動の是正が必要
人体実験に関する倫理的提言:
(1) インフォームド・コンセント: 被験者/後見人は実験内容と危険性について理解すべき
(2) 責任ある研究者の存在がより信頼しうる「保護手段」(safeguard)であり、それによりはじめて倫理
的な人体実験は可能となる: 不適切な仕方で得られたデータは出版しない(専門研究誌編集者の責
任を強調)
・専門家(医学研究者)の自覚と責任により対処すべき
・科学者の良心への素朴な信頼
→ 生命倫理の前史: まだ専門家集団内部に閉じられている(伝統の内部)
3. ニュルンベルク綱領 (The Nuremberg Code, 1947)
・ニュルンベルク医師裁判(The Doctors’Trial)の判決
・人体実験をめぐる考察の戦後の出発点
・1945. 連合軍によるニュルンベルクでの国際軍事法廷
・1947. 米国軍事裁判所による軍事裁判(医師裁判) カール・ブラント v.US
- 医療倫理が問題 / 医学研究における人体実験の有用性 / 遵守されるべき原則は何か?
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1.被験者の自発的な同意が絶対的に重要である。
1.The voluntary consent of the human subject is absolutely essential.
このことは、被験者が、同意を与える法的な能力を持つべきこと、圧力や詐欺、欺瞞、脅迫、
陰謀、その他の隠された強制や威圧による干渉を少しも受けることなく、自由な選択能力を行
使しうる状況に置かれるべきこと、よく理解し納得した上で意思決定を行えるように、関係する
内容について十分な知識と理解力を有するべきことを意味している。
後者の要件を満たすためには、実験対象者から肯定的な意思決定を受ける前に、実験の性
質、期間、目的、実施の方法と手段、起こっても不思議ではないあらゆる不都合と危険性、
実験に参加することによって生ずる可能性のある健康や人格への影響を、実験対象者に知ら
せる必要がある。[The Nuremberg Code, 1947]
ビーチャーによる批判点: 実験のもつ「蓋然性」と「同意の有効性」 (1) 法的同意能力者のみが被験
者( = 同意能力のないものは医学の恩恵から締め出される) (2) あらゆる情報提供は不可能(ex.プラ
セボ、薬の効果、EBM、DBT) (3) あらゆる不利益と危害をすべて予測することは不可能 (ex. わから
ないことがある = 実験の意義)
ビーチャーの前提:
- 法律家のような部外者の素人判断は有害 - 高度な専門性に対する同意は不可能
- 医学研究者の専門職倫理
「深い思いやりと心遣い」(profound thought and consideration)
「自らの責任の深い自覚」(a deep sense of his own responsibility)
Cf.ヘルシンキ宣言(Declaration of Helsinki、1964, 世界医師会)
- 同意は被験者本人のみならず、法的代理人のものも有効
- 治療的臨床研究と非治療的臨床研究の区別
- 医師の治療的研究の権利を主張(治療に際し、医師の判断で新しい治療法を適用できる権利)
- 最善かどうかは医師が判断
DH の問題:
- 同意原則(NC が主張した)が大幅に弱められた
- 「研究者の誠実さと警戒」が研究倫理の本質
CN と DH の共通点:
- 「被験者の利益」を保護することの重要性を指摘
- だが「利益」そのものは専門家が判断
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- 非専門家は自由で良心的な医学研究の世界に不必要で有害
→ だが歴史は、研究者の良心では解決できないことを教える(ビーチャーの考え方には限界)
- 先に見たビーチャーの告発にあるようにヘルシンキ宣言も 1975 年に大幅改訂
- 無加害優先(primum non nocere)の原則だけでは不十分
4. 科学的人体実験
実験とは「求める結果や目的が得られるかどうか不確かな場合に確かめる手続き」
[McNeil, 1998, p.369]
人体実験の歴史は古い:
- 人体実験はヒポクラテスの時代から意識されていた
- 新薬や療法の効果は、最終的には人体実験
- 医学実験は医学と不可分
18c 初頭:疾病を特定の期間や組織の病理的変化として見る
19c: 医学は次第に科学へ
- 細胞を基礎とする生理学、病理学、医療機器(聴診器・体温計)、統計学
- 医学実験の重要性の認識
『実験医学序説』[ベルナール、1965]
- 生体解剖、生理学も実験医学と不可分
- 人間に対する実験と生体解剖を行う権利の基礎づけ
- 人体実験の義務と権利は被験者自身の利益を根拠とする
- ヒポクラテス以来の伝統的な医の倫理の人体実験バージョン
Cf)「私が自己の能力と判断とに従って医療を施すのは、 患者の救済のためであり、
損傷や不正のためには これを慎むでありましょう」[ヒポクラテスの誓い]
医の倫理の根本精神(peternalistic):
・恩恵原則(善行)
・無加害優先(primum non nocere)=害を与えることなかれ(Do not harm)
ベルナールもこの伝統に従う
- 人体実験を正当化するのは患者の利益のため
- 親和的な関係: 医者と被験者は共に病気の治療という同一目標を持つ
- 絶縁関係: 世俗の人間(un homme de monde) / 科学思想に無縁の人々(les hommes
etrangers aux idees scientifiaques)
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医療パターナリズム(親子関係[William May, 1983])
- 医療は医師の能力と判断に従って施すもの
「すべての人を満足させることは到底不可能であるから、科学者(le savant、学者、研究者)
は 自 分 を 理 解 す る 科 学 者 の 意 見 に つ い て の み 顧 慮 し 、 各 自 の 良 心 (sa propre
conscience)から行為の規範を引き出せばよい」[Bernard, 1965, p.154f.]
- 人体実験の倫理は科学者自身のうちに規範を要求
- 科学者の世界と被験者の世界は触れ合うことがない
- かろうじて「治療」という同一目標があるだけ
ボーモントの実験綱領[1833] ~ 初の実験綱領と評価されているが…
だが、実際には、「消化の生理学」研究正当化のため
・銃で胃に穴があいた患者アレクシス・セント・マーチン
・契約奉公人: 年間 150 ドル、部屋と食事つきという実験の代償
・胃の消化活動を解明
・非治療的実験
19c 以降:
- 非治療的研究(細菌の感染実験、放射線照射)の増加
- 被験者: 自分自身、隣人、近親者、囚人や末期患者
- WW2 を境に、国家計画(national program)へ
5. 医学実験の国家計画化
1941 科学研究開発局(the Office of Scientific Research and Depertment)のもと
医学研究部門 CMR(the Committee on Medical Research)を設立
戦時下の健康問題を扱う (赤痢、インフルエンザ、マラリア、外傷、性病、睡眠障害)
~兵士の戦闘能力に影響するものが対象 医学研究が連邦全体にわたり遂行される国家計画へ
- 実験計画 600 件、2500 万ドル
- 研究チームの組織、施設、病院を対象に大規模な実験
国家プロジェクトになる前:感染症研究の進歩(19c)
・黄熱病研究(20c 初頭):米西戦争(キューバ侵攻)
米軍医師ウォルター・リードによる黄熱病の蚊媒介説実験
・死者も出る、志願を募る非治療的実験(1900~) (米国軍人、スペイン系労働者)、蚊が怖い?
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野口英世のルーエチン(梅毒診断)研究
・自分たち研究者で安全確認実験
・400 名以上の精神病院や孤児院の入所者、病院の入院患者で実験
→ 戦前は、個人や小さな研究グループ単位で行われていた
だが、戦時下になり、CMR 主導で、 こうした非治療的実験が国家的な規模で実施されるようになる
CMR による大規模な非治療的実験へ(例: CMR 設立当初:「赤痢」の場合)
- 予防接種、ワクチンの開発が急務だったが、困難
- 実験は失敗 例:「マラリア」の場合
- 米国内にマラリア患者がいなかったため、発症実験
- 州立の精神病院と監獄、囚人の志願者を求める
- マスコミ(NT)も志願者を英雄扱いして煽る
戦時下、CMR の実験の特徴
・大規模な「非」治療的実験(病院、施設)
・同意は不要(兵役義務同様)と考えられた~「専門家と被験者の相互理解は不可能」(cf.ベルナール)
- 被験者の利益は論外、国家の利益が優先(cf 魔法少女まどかマギカ)
- 囚人(時間がある)、精神遅滞者(国の役にたつ)、兵役拒否者
戦時中(WW2)の雰囲気:
- 戦時規則(wartime rules): 「何かの役に立て!」
-ペニシリン効果(医学研究は奇跡、医学研究者は奇跡を起こす人)
だが、戦後も方針(非治療的研究)は変わらなかったのはなぜか?(cf.ビーチャー論文)
・ペニシリン効果と冷戦(防衛戦略)
・業績至上主義が、病気との戦いに拍車
・ニュルンベルク綱領の意義を見落とす
戦後 NIH(1930 設立)が CMR を引き継ぐ~国家計画としての医学研究の中心
-1970 には 15 億ドル、1 万 1000 件の研究申請 = 1/3 が人体実験
-CMR から人体実験に関する戦時規則も継承
-戦時という緊急事態によってのみ許されるはずの事態が戦後も科学の進歩という名目で残ることになる
これまでのいくつかのスキャンダラスなケース: 同意なき、「非」治療的研究の存在
・専門家(医師や研究者)の良心に頼る専門職倫理では限界
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・一般市民の関心をひきつけた
・公的な監視・監督の必要性
・医療関係者以外の非専門家の登場(ex. 神学者・哲学者・倫理学者…)
→ ハンス・ヨナス(哲学者) ポール・ラムゼー(神学者)
1. ハンス・ヨナス (Hans Jonas, 1903-1993)
「人間の被験者を使った実験についての哲学的考察」(1969)
(a) 人体実験の問題の核心
考察の中心:「非治療的実験」
- 患者さんに対する治療的実験についてはあまり問題がない(この場合、患者の利益が優先)
- 医療が本質的に実験的とならざるをえない
・生命を対象にする実験を含むとき、単に知的探求というだけではすまなくなる
・最終的には人で実験→人間が「単に働きかけられるだけの物」(a passive thing merely to be
acted on)」[ibid. 107; 198]と化す
・「人格の尊厳と不可侵性」の問題(人体実験に限らず人の手段化は様々な場合におこりうる)
「人格性の補償」(compensations of personhood)がない時が問題
人体実験の問題=人間が単に「物」、サンプルにされる点 / 物件性(thinghood)を甘受
価値の対立(哲学的・倫理的問題)
- 「人間を物として扱うべきではない」 vs 「そうせざるを得ない」 (cf.研究者のメンタリティー)
この対立は単なる「同意」によっては解消されない
- 人体実験は犠牲である
- 人体実験が要求する人格の尊厳と不可侵性の放棄は同意で解決できるほどお気楽ではない
-「志願の純粋な正当性」(genuine authenticity of volunteering)により償われるしかない
・公共的善が個人的善に優先されうる場合もある(ex. war rule)
・だが「人体実験の必要性」を「社会の権利」として主張するのは無理
・人体実験は、「個人の権利 vs 社会の権利」という枠組みでの正当化は無理
・人格の不可侵性を侵犯する人体実験は通常の社会的要求をこえている
→ 個人の優位、共同体(Gemeinshaft)、社会契約(アトム的個人の集合ではない)
・社会契約では人格性の完全放棄を要求できない
・戦時中ではやむをえない面。だが、通常時には正当化できない
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戦時体制の継続は物件性の甘受、西洋社会の道徳的基盤を掘り崩す
(b) 進歩を要求する「我々」にも責任
・現在、健康や生命という医学実験の目的が社会全体の善と考えられる傾向あり
・医療・研究・老齢などの問題が社会的に管理され、社会的義務になりつつある
これらはもともと、公共的価値ではなかった(20c 以降)
単なる危害からの保護、自己保存だけではなく、「生活すべての領域における積極的な絶え間ない改善」
という進歩の促進を、「我々は」社会に要求している (ex. 予防医療、美容整形、ビジネス)
・「進歩=社会の利益」という道を「我々は」選んだ結果
・人体実験は社会の利益を意味するようになる
→ 医学研究者の要求だけではなく、 「我々の要求」でもある!!
・我々が「医療問題を公共的社会問題へと格上げし、研究による進歩(人体実験)」を要求
・専門化集団の研究至上主義の結果としてのみ捉えるのは不十分
・研究費を増大、専門化集団を後押し
= 社会の選択/進歩を「我々が」選択した結果
(c) 人体実験の根拠とその条件
人体実験の根拠は、自己犠牲の純粋性以外にない
・「神聖な領域」に由来する純粋性
・そこから生まれる利益は「恩恵」とみなすべきもの
・我々はそれらを「身を低くして」受け取ることしかできない
・人体実験の正当化の試みは、究極的には「罪と罪責感」(sin and guilt)から逃れられない
「許容度の下降的序列の原則」(a descending order of permissibility)
志願者はどこに求めるべきか?
- 研究者集団自身: 人体実験の気高い伝統
- 被験者の任意抽出?(ex. イキガミ)
「許容度の下降的序列の原則」の導出
- 人を物化する点が問題 / 人格性の補償をどう成立させるか?
- 被験者が研究者の理由を我が物とする(identify) / その理由を意志すること
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人格性が補償される唯一の可能性とは、
・「自律的かつ情報をえた(autonomous and informed)」
・「主権的意志(sovereign will)」の一体化の働き
(単なる同意ではない、同意を超えた一体化により「かろうじて」正当化できるかも)
- 被験者は、実験のことがよくわかり、強い動機を持ち、もっとも「虜囚的(captive)でない」人(少数)
- 入手しやすさや使い捨てやすさという社会的有用性の基準から真っ向から対立
・この序列に従えば、病人等は一番最後、被験者にもっとも適さない
・病人は「社会の特別な預かりもの(special trust)、医者の特別な預かりもの」
・実験は治療的なものに限られるべき
・苦しんでいる人々にさらなる負担と危険を与えるべきではない
何のための、そして誰のための医療/看護か?
社会の進歩が遅くなるという反論?:
・進歩は「随意選択的な目的(an optional goal)」でしかない
・個人を犠牲を強制してまで遂行されるべきものではない
「許容度の下降的序列の原則」
・「高い地位には義務が伴う」(noblesse oblige)
・精神の気高さ(=誰かのために犠牲になる)が要求される
2.ポール・ラムゼー (Paul Ramsey, 1913-1988)
(a) 人格の不可侵性とインフォームド・コンセント
『人格としての患者』(Patient as Person)[1970]
・忠誠規範としての同意
・人体研究の問題を「人格と人格の関係一般へ」引き戻そうとする試み
・IC は医療の場において、人間同士を相互に結び合わせるもっとも基本的な忠誠規範
→ 医療倫理は「同意の倫理学」
・医師-患者関係は、「契約」(contract)ではなく、「パートナーシップ」(partnership=人格同士)
・ラムゼーは、従来見逃されることの多かった「子供を被験者に使う実験」について集中的に論じる
[chap1 pp.11-58]
・こうした子どもたち=「虜囚的な人々」(a captive population)
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ラムゼーの意図:
「医学研究の問題点と同意原則の意味」を明らかにする
・新しい実験的治療以外に他の治療手段がないことが合理的に示されない限り、子ども(同意能力をも
たない成人)に対する実験は一切禁止すべき
・たとえ親の同意があってもダメ(「暴力的で誤った仮定」、歴史が例証)
・子どもが子ども全体の一部品として扱われている
・子どもは親の所有物ではない = 一個の人格を持った存在者
・代理同意が有効な条件:「子供の福祉、治療が目的の場合のみ」
(この場合は、単なる実験の手段とされていないから)
道徳的要件: 「人格の不可侵性=人間を単なる手段として扱ってはならない」(I.Kant)
(b) ウィローブルック事件
・人体実験の問題点: 人格が単なる実験の手段とされること
・代理同意を治療的なものに厳しく限定すべき
→ ウィローブルック事件/FDA の政策の痛烈な批判
・FDA: 同意の重要性を認めているが、同意をとらなくてもよい「例外」を認め、同意原則を弱めている。
ウィローブルック事件とは(cf. 配布プリント)
・施設の子どもたちへの非治療的実験に移行
・例外を認めると、治療的→非治療的へ容易にスライドする
・治療的/非治療的の境界もあいまい
・明確な原則の遵守が、こうした事態の防止に必要
・法規制の必要性
ここまでがラムゼーの話:
・非専門家の発言(cf. 同意原則)/ 研究者の良識と責任(ビーチャー)では限界
3. 誰のため/何のための看護か?(再考)
では、IC が遵守されている今日、問題はなくなったのか?
- 何をどこまで説明するか? (cf.5 分間診療)
- 相手が理解しているかどうか? / 相手が何を希望しているか?
- 医療者側の責任回避の側面 / IC さえ「流れ作業」(=形式主義)になる(cf. 投薬バイト)
- パターナリズムは本当に有害なのか?
→ 再び「自己理解/他者理解」の問題へ
今日、IC は問題なしか?(cf.配布プリント)
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・患者さんの理解と同意? / 現実的には医師-患者関係は対等ではない(権力関係)
・自己決定権?=すべては患者さんの責任?
・訴訟回避の手段という側面(IC の浸透) / 市場経済の悪影響(もうかる人間がいる)
→ IC は重要だが、万能ではない
・優れた法やガイドラインは最低限の形式を提供するだけ/どう用いるか、何を盛り込むかは、皆さん次第
何が大切か?
・「なぜ?」を大切にし、問い続ける(えらい人の発言でも)
・「こういうもの」仕方がないではなく「変えていく」 / 必要なら制度・組織を変える/作る必要性
・(忙しくとも)継続的な学びの必要性 / 一人一人の自覚と責任、周囲の人々と連帯(ex.組織づくり)
・学びや経験の共有 / 愚痴では何も変わらない = 共犯
・自分の考えをまとめる / 他者に考えを正確に伝える=説得に必要(論理的に考える)
看護師の役割は極めて大きい!!
・看護師:医師の婢(はしため)/下僕ではない固有の役割
・患者さんにもっとも近い / 医師(研究)の暴走に歯止め
・自分の感性を信じる → 「何のため/誰のため」の看護か?
* 哲学・倫理学の役割=「自分の頭でしっかり考える」 「当たり前のことを本当なのかと問う」
→ 当たり前ではないことが見えてくる 批判的な役割 = 常識を疑う
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