2014 年度 「開発経済学 B」講義ノート Ⅵ 開発政策・戦略とその課題

2014 年度
「開発経済学 B」講義ノート
Ⅵ 開発政策・戦略とその課題
●再考:開発における政府の役割と市場の役割
開発途上国での開発政策・戦略の役割と限界を検討して、競争的な自由市場経
済への経済移行の問題を考察する。また、適切な国家の役割、そして政府と民
間の経済活動はいかにして支え合いつつ協調的になされうるかという点に関す
る基本的な問題を分析する。
つまり、市場経済への経済移行の必要性を検討し、現代の開発途上国におけ
る国家の役割に対する賛否両論を取り上げる。
第 2 次大戦後の最初の数十年間というもの、開発政策・戦略が経済発展の追求
に向けての最も確実で早道な方法として、一般的に受け入れられていた。1980
年代までは、国家開発戦略の策定と実施が望ましいと思われていた。
基本的には中央集権的な国家戦略や政策の策定は、大きな開発の障害を克服
して、持続的な高い成長率を確実にするために不可欠な、おそらく唯一の制度
的、組織的メカニズムを提供すると広く考えられていた。植民地から独立して
旧宗主国に追いつくためには、途上国は総合的な国家主導の開発政策・戦略が
必要だと考えていたのである。
この国家主導の戦略は失敗した。
→例:輸入代替化政策
国家主導の開発政策・戦略の根拠
①市場の失敗
開発途上国の市場は隅々まで構造と運営が不完全である。財(商品)市場や要
素市場の構造には不備があり、価格の歪みの存在は、これらの財、サービス、
資源の社会にとっての真の費用を十分に反映していない経済シグナルやインセ
ンティブに、生産者や消費者が反応していることを意味する。
→政府は市場に介入して、価格を修正する重要な役割がある。
★市場の失敗という要因は途上国における政府の役割を拡大させる理由として
頻繁に出てくる。
②資源の配分
途上国経済には、限られた金融資源、熟練した人的資源しか存在しないので、
それらを有効に効率的な投資に振り向けるためには、国家主導の開発政策の枠
1
内で実行する必要がある。
国家主導の開発政策失敗の原因
①政策の不適切性
国家介入的な政策・戦略は野心的過ぎることが多い。競合したり、相反する目
的も含まれていることも顧みずに、一度に多くの目的を達成しようとする。壮
大な構想ではあるが、掲げられた目標達成の具体的な手段については曖昧であ
る。
②データの不足と信頼度の低さ
国家主導の開発戦略・政策は、その基盤となっているデータの質と信頼度に大
きく依存する。多くの途上国では、これらのデータが不十分で信頼できず、ま
たデータそのものが存在しない場合がある。
③制度的弱点
ほとんどの途上国での国家主導の介入的開発政策の制度的弱点としては、戦略
策定機関が政府の日常の意思決定機構から切り離されていること、政策担当者
や行政担当者と政治的指導者との間で、目標と戦略に関する継続的な対話や内
部の意思疎通に欠けていること、などがある。
そのうえで、無能で適性のない公務員、官僚的手続きの煩雑さ、革新と変化
に対する過剰なまでの警戒心と抵抗、省庁間の個人や部局間の抗争などか関係
している。
④政治的意志の欠如
政策の実施がうまくいかなかったり、政策の策定と実施の間の食い違いが拡大
しているのは、多くの開発途上国の指導層と上層意思決定者の側の責任感と政
治的意志が欠如しているからである。
開発に対する政治的意志には、強力なエリートや既得権益集団と対決し、開
発が長期的にはすべての国民の利益になると説得できる、並外れた能力と大き
な政治的勇気が必要である。
政府の失敗と市場主義への移行
以上のように、国家主導の集権的な開発政策には魅力が無くなり、政府介入
の失敗に気づいた結果、いっそう効率的で急速な経済成長を促進する手段とし
て、市場メカニズムを利用するという主張が増えてきた。
→実際の市場主義への移行国
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1970 年代:チリ、ウルグアイ、アルゼンチンなどのラテンアメリカ諸国
それ以降について
伝統的に自由市場指向国:ケニア、ペルー、フィリピンなど
本来社会主義かそれ寄りであった国:中国、旧ソ連、インド、スリランカなど
上記の国々は国内市場自由化プログラムの一環として、公的部門の役割の削減
や民間部門活動の促進、利子率、賃金、財価格の歪みを是正することに努めて
きた。
→目的:市場メカニズムを円滑に機能させること
→結果:投資をより生産的な部門に配分することに成功した。さらにこれらの
諸国は為替レートを切下げて、輸出促進、貿易障壁の撤廃によって国際経済に
おける優位性の改善に努めてきた。いわゆる「輸出指向工業化」である。
自由市場の有益性を主張する国際機関として、IMF と世界銀行がある。
→IMF:その融資を得るための条件としてマクロ経済の安定を促進するための
本格的な市場自由化プログラムと政策を要求している。
→世界銀行:プロジェクト融資に際して、そのプロジェクトが民間部門ではで
きないかを、綿密に調査している。
応用問題:効果的な民間市場運営のための制度的・文化的必要条件について考
えなさい。さらにそれらの条件が満たされていると仮定して、市場システムが
適切に機能するための法的・経済的条件を考えなさい。
開発途上国における市場の役割と限界
一般的にいって、開発途上国は、現在の先進国が発展の初期段階で頼ってき
たほどには、市場メカニズムに依存することはできない。
→ほとんどの途上国の市場が実際に広範にわたる不完全性が特徴だからである。
例)情報の欠如や情報の非対称性
経済開発とは構造変革の過程であるということに注目すべきである。
→経済構造の大きな不連続変化、すなわち国の長期的開発にとって決定的な変
化を促すために、政府は重要な部門に介入して、それらの部門が構造を変えて
反映していくことを確かなものにする必要がある。
小まとめ
公的部門と民間部門のより大きく効果的な協調が求められることである。
3
つまり、個々の途上国が経済開発を促進するのに市場メカニズムに依存できる
程度は様々であり、国ごとに異なる。
ワシントン・コンセンサス
1980 年代から 90 年代初期にかけて、開発政策の分野では、
「ワシントン・コ
ンセンサス」が支配していた。ジョン・ウイリアムソンがまとめたこの合意は、
当時、IMF、世界銀行が採用した開発に関する自由市場アプローチに影響を与
えた。
ワシントン・コンセンサスの内容
1
財政的方針
2
保健、教育、インフラへの優先的公的支出への方向転換
3
課税ベースの拡大と限界税率の引き下げを含む税制改革
4
単一化され、競争力のある為替相場
5
財産所有権の保障
6
規制緩和
7
貿易自由化
8
民営化
9
海外直接投資に対する障壁撤廃
10 金融自由化
問題1 この内容をみた諸君の意見、感想やこの内容の背後にある考え方につ
いて述べよ。
●東アジアに代表される開発のほとんどの成功事例をみると、国家はワシント
ン・コンセンサスで限定した以上に広い役割を果たした、と結論づけることが
できる。
●政府の主要な役割は市場をもとにした効率的な経済に必要な条件を満たされ
るようにして、経済発展の基礎固めを支援することである。
しかし、以前の統制政策には戻るべきではない。
制度と経路依存性
なぜ、国や地域ごとで開発政策は異なるのか?なぜ東アジアやラテンアメリ
カは成長しているのに、アフリカは停滞したままなのか。
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一つの枠組みとして、ダグラス・ノースが提案したものをみていく。
ノースは制度と組織を区別している。制度とは「経済ゲームの公式、非公式
のルールである」としている。制度は人間が考え出した制約であり、注目すべ
きは財産権であるが、これは貯蓄、投資、生産、貿易などへのインセンティブ
を規定する。これらのインセンティブは順次、発展や衰退をもたらす経済的な
行動に影響を与える。続いて、財産権の周囲に組織が次々に誕生する。組織は、
財産権の下で組織が繁栄するよう管理する人々を助けるために設計されたもの
である。こうして生まれる組織は、上記のルールから生まれるインセンティブ
によって規定され、形成されるものである。
つまり、
「もし制度的基盤が、権利を侵害する略奪行為に資するものであるな
ら、権利を侵害する組織だけが生まれてくることになるだろう」
これらの非効率的な権利がいったん確立されてしまうと、この非効率的な権
利を変えるインセンティブは権力を握った人々には働かないのである。社会全
体にとってはよりよい体制であるが指導者にはより小さな私的利益を提供する
体制よりも、より大きな私的利益を提供している現行体制を指導者は固持しよ
うとする。
このように、非効率的な制度は国民全体の厚生、成長を犠牲にして存続しつ
づける。すなわち、市場は効率的な制度の発展を保障できない。これを経路依
存性という。個人ないし経済の過去の状況が将来の状況に影響を与えることで
ある。
「社会に効率的な契約の強制的な実施を低費用で拡大させる能力がないこと
が、過去の経済停滞と現在の低開発双方の重要な原因である」
ときには強力な交渉力をもった人々の利害と一般大衆の利害が一致すること
があり、こうした一致が生じた場合、効率的な制度が生まれる。隣接する諸国
に制度の成功例が多ければ多いほど、政府に同様な制度を採用させる圧力は大
きくなる。
問題 2 アフリカを例として、上記の枠組みを用いて、なぜ低成長なのかを論じ
なさい。
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Ⅶ 輸入代替工業化戦略と輸出志向工業化戦略とその課題
工業化の分類
イギリスで始まった産業革命からその後ドイツやアメリカで生じた第二次産
業革命の流れや日本経済の発展をみればわかるように、工業化と言ってもその
内容には違いがある。
つまり労働集約的産業である繊維などの軽工業から資本集約的産業である機
械、金属、化学などの重化学工業へと重心が移っていった。
経済発展とともに一国の総生産額に占める軽工業の生産比率が下がり、重化
学工業の生産比率が上昇するという傾向は、先進国の工業化の過程で共通にみ
られた。重化学工業生産額に対する軽工業生産額の比率はホフマン比率という。
ホフマン比率
5.0~3.5:工業化の第 1 段階
3.5~1.5:工業化の第 2 段階
1.5~0.5:工業化の第 3 段階
先進国は現在すべて第 3 段階に位置して、先進国は第 1 段階から第 2 段階へ移
行するのに 20~30 年要した。
一方、韓国や台湾などでは第 1 段階から第 2 段階への移行は 1960 年代の数年
間で実施されて、1970 年頃からは第 3 段階に入っている。先進国と比較して、
3~4 倍の速度である。
台湾、韓国などのいわゆる後発国は先進国が長い技術開発の歴史の中で作り上
げてきた技術を、発展の開始時点で「既存のもの」として利用できるという有
利性がある。長期にわたる資本蓄積期間を海外からの資本導入を通じて短縮で
きる。つまり、外国からの技術や資本導入による有利性がある。
これを後発性利益といい、これを体系化したものをガーシェンクロン命題とい
う。詳細は以下の通りである。
(1)急速に成長する(断絶的に起きる)
:後進国は先進国の開発した技術を借
用することや、当初の技術ギャップを一気に埋められることによって、先進国
よりも急速に経済発展を実現することが可能となる[=後進性の利益]のため、成
長率はより高くなる。
(2)消費財よりも生産(資本)財の生産により重点がおかれる:イギリス産
6
業革命は綿糸や鉄といった中間財生産の大量生産によって起きたとみなされて
いた。後進国にとっては重工業生産へのシフトが有利になると判断される。
(3)工場・企業の規模がより大きくなる:より多くの資本設備を有する重工
業の比率が高まる結果である。
(4)住民の消費水準はより抑圧される:資本形成を急速に進める必要が高い
ため、貯蓄-投資の国民所得における比率を高める必要から、再分配において
消費は犠牲にされる。
(5)農業の役割はより小さい:工業製品の市場として農業セクターは重要で
はなく、農業セクターそれ自身の生産性上昇も顕著ではない。
(6)資本を供給し工業化を促進するための特別の制度(組織)的要素の役割
がより大きい:重工業中心の工業化のため、たとえばドイツでは大銀行、より
後進的なロシアでは政府が、大きな役割を果たす。これはイギリス「産業革命」
では民間の経済主体が果たした役割を代替するものである。
(7)工業化のイデオロギー(ナショナリズムなど)の重要性が大きくなる:
後進国の工業化達成のためには、特別な目標設定や国民意識の誘導で工業化を
国民に志向させる必要が高い。
工業化の初期条件
途上国がいかに工業化を成し遂げたのか、そのメカニズムは以前にルイスの
二重経済モデルやハリス・トダローモデルで説明した。
しかし現実の工業化は工業化を開始する時点で与えられている諸条件、つまり
初期条件によって影響を受ける。さらに、現実の工業化はさまざまな戦略(工
業化戦略)によって推進され、強い影響を受ける。
以下ではアジアを例にして考える。
アジアでの初期条件
西欧諸国の植民地であった。
アジア植民地経済の特徴:モノカルチュア(単一栽培)経済
例)マレーシア 錫や天然ゴムなどの少数の輸出向け 1 次産品に特化したモ
ノカルチュア経済を形成していた。
アジアの国々は輸出向け 1 次産品への依存度が著しく高い構造をもっていた。
工業化がほとんど進んでおらず、工業製品の国内需要は宗主国からの輸入によ
7
って満たされていた。
問題 3 この初期条件の下で、アジアの工業化戦略として、この節で説明する戦
略以外に何があると考えられるか、論述しなさい。
輸入代替工業化戦略
保護主義的な工業化であり、アジアを含むほとんどの途上国が最初に採用し
た戦略であった。
外国からの輸入を制限して、国内企業を保護し、保護された国内市場のなか
で国内企業による「内向き」の工業化を意図したのである。
この保護主義的な工業化を輸入代替工業化という。
輸入代替工業化とはさまざまな政策を用いて外国製造業品の輸入を制限する
ことで、かつては海外の工業品で満たされていた国内市場を自国企業のものと
して確保する。次に、この国内市場に向けて、自国企業による生産を促し、そ
うして輸入を国内生産によって代替しながら工業化を進めていくという政策で
ある。
輸入代替工業化を正当化する一つの論拠は、規模の経済である。規模の経済
とは生産規模が拡大するとともに、その生産物の平均費用が低下していくこと
である。
復習:平均費用が分からない場合はミクロ経済学を復習すること。
問題 4 復習を前提として、工業製品の例として自動車生産を考える。横軸に自
動車の生産量つまり生産規模(Q)を取り、縦軸に自動車の平均費用(P)を
取る。このときの平均費用曲線を図示せよ。このときの生産の最適規模はどこ
になるか、示しなさい。
平均費用曲線が問題 4 のようになる要因
生産規模(生産量)の拡大は労働者の分業を可能にする。労働者は個別の工
程に特化して、その熟練度を高めて、生産費(平均費用)を低下させることも
可能となる。
しかし、この生産費の低下はいつまでも続くわけではない。生産規模が拡大
し、工場規模があまりにも大きくなると、分業を相互に調整し、相互間のコミ
ュニケーションが難しくなり、平均費用は上昇する。
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☆問題 4 のグラフに自動車の需要曲線を追加することによって、
「規模の経済効
果」により、輸入価格よりもずっと低い生産費(生産の最適規模)での輸入代
替生産が可能となる。つまり、輸入代替は完全に「引き合う」ものとなる。
挑戦(必須ではないが可能であれば解きなさい)1:問題 4 のグラフをもとにし
て、上記☆を示しなさい。
企業に実際に輸入代替を行わせるためにはさまざまな輸入制限措置が採用され
る。
代表例
 関税(特に高関税)
 輸入数量制限
 為替制限
為替制限が含まれる理由
外国からモノを輸入するためには、輸入者は自国通貨を外貨(外国為替)に
換え、これを輸出者に送金しなければならない。したがって、自国通貨と外貨
の交換を制限すれば、輸入は不可能となる。
アジア諸国の輸入代替は家電製品などの消費財(最終財)から開始された。そ
れまで、先進国から輸入していた製品のほとんどが、国内需要の大きな消費財
だったからである。
他方、最終財を生産するための機械、設備、部品などの投入財を国産化する
ことは、工業基盤の薄いアジアでは容易ではなかった。したがって、投入財は
自由に輸入できるようにした。
つまり、アジアの輸入代替化においては、投入財を海外から制限なく輸入し、
これを組み立て、加工した最終財を国内市場に販売するという手順が取られた。
再考:輸入代替工業化戦略と幼稚産業保護論
ここではなぜ輸入代替化戦略が採用されたか、その論拠を幼稚産業保護論の
観点から考察する。
幼稚産業(保護)論とは、現在は高価格の国内生産者に費用と価格を下げる
ために必要な規模の経済を達成するための十分な時間を与えるために、輸入商
品を阻止する関税保護が必要であると主張するものである。
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この幼稚産業保護に関する基礎理論はとても単純である。財の需要・供給曲
線を用いる比較静学分析で簡単にできる。
復習:比較静学分析を忘れた場合は、ミクロ経済学を復習しなさい。
以下では復習を前提として、例として家電製品を考える。
問題 5 縦軸に家電製品の価格、横軸にその数量を取り、家電製品の需要曲線と
供給曲線を描いて、閉鎖経済における均衡価格と数量を求めなさい。
今、分析している途上国経済は国際市場に比べて、あまりにも小さいと仮定す
る。
つまり、国際経済学における小国を仮定する。
問題 6 小国の仮定に注意して、国際貿易に開放して、家電製品の国際価格が問
題 5 の閉鎖経済の価格よりも低い場合、貿易により、閉鎖経済と比べて家電製
品の供給量と需要量がどのようになるか、求めなさい。
自由貿易の結果、国内生産量の減少に直面し、幼稚産業保護を望む低開発国の
国内生産者は、政府に関税による保護を求めることになる。
問題 7 問題 5、6 より家電製品に関税が課されたことにより、家電製品の国内
価格が自由貿易での価格と閉鎖経済での価格の間に決定されたとする。この関
税による需要量と供給量の変化を自由貿易の場合と比較して、論述しなさい。
問題 7 の結果を踏まえると、関税を非常に高く設定して、賦課後の国内価格が
閉鎖経済の価格を上回るように設定すれば、輸入は効果的に阻止される。つま
り、国内産業は十分な保護の壁の背後で操業できる。
短期的には、このような抑止的関税の影響は、より高い価格とより低い消費
量を通じて、国内生産者に事実上補助を与えていることになり、消費者を不利
にすることは明らかである。
しかし、長期的には国内の生産者は規模の経済が得られるので、最終的には
国内価格が国際価格を下回り、誰もが便益を得る。
輸入代替化戦略とその問題点
輸入代替化戦略は一部の例外(韓国や台湾など)を除いて、ほとんどが失敗
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であった。さまざまな問題点がある。
問題点
①保護的関税障壁に守られ、競争の圧力を免れ、多くの輸入代替産業は非効率、
不経済な操業を続けていた。
②国内市場の規模に関するものである。例えば、アジアにおいて中国、インド、
インドネシアといった人口の多い国を除くと、その他の国の人口はそれほど大
きくない。人口が少なく、1 人当り所得が低ければ、国内市場の規模は小さい。
そもそも輸入代替化戦略は、輸入制限措置によりかつては輸入によって満た
されていた国内市場を、国内企業のための市場として確保するという試みであ
る。とはいえ、そうして確保される国内市場は、例えば、アジアの場合、そん
なに大きなものではない。
そうすると、「規模の経済」を十分に享受できない。
☆問題 4 や挑戦 1 の枠組みを使って、上記のことを説明できる。しかも、需要
が極端に少ない場合、平均費用が輸入価格よりも高くなる場合も示すことがで
きる。
③伝統的な一次産品の輸出に対する影響である。
輸入代替では最終消費財から始められ、これらの最終財を製造するためには
機械、設備、部品などの投入財を輸入しなければならなかった。このように、
投入財を安価で輸入することで国内企業を振興しようとしたため、為替レート
はしばしば過大評価された。つまり、為替レートが割高に設定された。
この過大評価された(割高に設定された)為替レートのもとでは、自国通貨
で換算した輸出価格を引き上げ、輸入価格を引き下げる効果をもつ。
注)為替レートとは外貨 1 単位(1 米ドル)を入手するのに必要な自国通貨の量
である。
例)ミャンマーの場合を考える。市場均衡(自由市場)為替レートでは 1 ドル
=800 チャット、過大評価された(公定)為替レートを 1 ドル=8 チャットとす
る。
もし 100 ドルの部品を輸入する際、支払額は公定レートであれば 700 チャッ
トで自由市場レートであれば、80,000 チャット支払わなければならない。つま
り、輸入するには有利であり、輸入は増加する。
一方、8,000 チャットの農産品を輸出する場合、海外の購入者は自由市場レー
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トで 10 ドル支払えばよいが、公定レートでは 1,000 ドル支払わなければならな
い。したがって、輸出には不利である。
過大評価された為替レートの下で、上記の例のように、外貨換算した輸出価
格は人為的に引き上げられ、伝統的な一次産品の輸出部門は不利になる。こう
した過大評価は、次に国際市場における国内農家の競争力を弱める原因となる。
所得分配効果の点から見て、このような政策を政府がとった結果、小規模農家
は不利な立場に置かれることになる。このように、産業保護は農産物の輸出意
欲を失わせるとともに、国内市場では農産物に課税するのと同じ結果をもつ。
輸入代替戦略は都市部門と高所得者層を優遇する一方で、農村部門と低所得者
層を差別することで、国内の所得分配をしばしば悪化させてきた。
再考:外国為替レート、為替管理について
外国為替レートの問題については先に簡単に議論した。一国の公定為替レー
トとはその国の中央銀行が公認の外国為替市場で、自国通貨を外国通貨に交換
するレートのことである。公定レートは通常米ドルを単位として計算される。
公定外国為替レートは、必ずしも外貨の市場均衡価格、すなわちドルなどの
ように変動相場制の下で外貨に対する国内需要が、政府の規制や介入がない場
合に、その供給と等しくなるレートに設定されるとは限らない。
ほとんどの開発途上国の通貨は一般的に為替レートで過大評価されている。
外国為替の公定価格が政府の制限や管理がない場合に、外貨の供給可能量を超
える国内需要をもたらすような水準に設定されることを、当該通貨は過大評価
されているといわれる。
超過需要の状況にある場合、途上国の中央銀行は公定レートを維持するため
には、人為的な政策を実施する必要がある。途上国でよく用いられるのは以下
の 2 つである。
①輸入需要を減らすように意図された通商政策と課税により輸入を制限するこ
とで、外貨に対する超過需要を減らす。
例)関税、数量割当て、許可制
②「好ましい」顧客に限られた利用可能な外貨を割り当てることで外国為替市
場での規制や介入ができる。これを為替管理という。
以下では為替管理のメカニズムを考える。
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問題 8 縦軸に為替レート(1 米ドル=xチャットなど)、横軸に外貨の量を取
り、外貨の需要曲線と供給曲線を描きなさい。さらに市場均衡為替レートを示
しなさい。
問題 9 問題 8 より、市場均衡レートと比べて、過大評価された為替レートがど
のように示されるかを考えて、その過大評価されたレートでの外貨の超過需要
量を示しなさい。
問題 10 もし問題 9 の超過需要量が満たされない場合、供給可能量を割り当て
る制度が必要である。もし、政府がこの供給量を競売にかける場合、輸入業者
が喜んで支払う価格(為替レート)はどこになるか、問題 9 の図に示しなさい。
☆実際には、外貨の供給は何らかの割当てや免許制度により割り振られる。そ
のため、汚職や闇市場の出現の機会があるのである。
輸出志向工業化とその課題
途上国の工業製品輸出の拡大は、韓国、シンガポール、香港、台湾、中国な
どのめざましい輸出実績によって大きな刺激を受けてきた。例えば、台湾の総
輸出は年 20%を超える率で伸び、韓国からの輸出はさらに速く伸びた。いずれ
の場合も輸出の伸びは両国の外貨収入の 80%以上を占める工業品輸出によるも
のである。
途上国全体では工業製品は 1950 年には全商品輸出の 6%であったが、2000
年には 64%までに伸びた。2002 年には低中所得国は世界製品輸出の 25.7%とな
ったが、低所得国の世界全体の割合は 3.3%に過ぎない。
ここ数十年の輸出の成功、とりわけアジア諸国の経済成長は、輸出品の生産
と構成は市場に委ねられていたのではなく、政府の計画的な介入によってもた
らされたのである。この点については、次のⅨで議論する。
輸出志向工業化の課題
先進国においては、途上国からの工業製品輸出に対して、広範な保護政策が
長期間採られている。
さらに、多くの工業国で貿易障壁が設けられている。例えば、1980 年代には
24 ヶ国の工業国中 20 ヶ国が途上国の工業製品あるいは加工品に対する保護を
強化した。その上、保護率は他の工業国に対するより途上国に対する比率の方
がかなり高い。さらに加工水準が高まるにつれて、先進国の保護はしばしば高
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くなる。
例)
加工されたカカオやココアの関税は未加工のココアの 2 倍である。未加工の砂
糖の関税は 2%以下であるが、加工された砂糖製品は 20%の関税である。
また、非関税障壁もあり、今やこれが途上国の工業製品輸出に対する主たる
保護になっており、少なくともその 3 分の 1 に影響を与えている。
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Ⅷ アジアの経済発展と輸出志向工業化
輸出の拡大と高度化
輸入代替工業化と対照されるのが、輸出志向工業化である。
工業製品の輸出を通じて、工業化を促進するというパターンである。
輸出志向工業化により高度経済成長を実現し、先進国に劣らない高所得国へ
と変貌した途上国グループが、韓国、台湾、香港、シンガポールなどの NIES
(新興工業経済群)である。これに続いたのがタイ、マレーシアなどの東南ア
ジア諸国であり、近年の中国である。
NIES は速くも 1960 年代の初期から、東南アジア諸国は NIES の実績から学
んで 1960 年代後半から、そして中国は 2001 年 WTO 加盟前後から輸出志向工
業化を開始した。
NIES、東南アジア諸国、中国の急速な工業化を牽引したのは工業製品の輸出
であった。
→1960 年代から 1970 年代の先進国の高成長が激しい産業構造の変動をともな
った。先進国では成長産業が次々と生まれる一方、衰退していく産業も少なく
なかった。そこでの衰退産業は繊維などの労働集約的産業であった。
当時の NIES や東南アジア諸国はこれらの労働集約的な製品に優位性をもち、
その強い輸出競争力によって先進国の市場に深く入り込んでいった。NIES や東
南アジア諸国の輸出の中心は、当初こうした労働集約的な製品であった。しか
し、その後、電気・電子機械、輸送機械などの機械製品、石油化学製品、鉄鋼
製品などの重化学工業分野でも大きな世界シェアをもつようになった。
NIES では 1970 年代に輸出額の 7~8 割が工業製品となった。東南アジアも
それに追随して、1980 年代の中頃から工業製品の輸出比率を格段に上昇させて
いった。
輸出される工業製品の内容も大きく変化した。日本では繊維製品のシェアが
下がり、対照的に機械製品の輸出が増加し、現在の日本の輸出の中心は機械製
品である。NIES、東南アジア諸国、つづいて中国が日本と同じ変化を時間的な
ラグを伴いながら、たどっている。
輸出志向工業化政策
輸出志向工業化とは、工業製品の輸出が工業化を促進するというパターンで
ある。これを成功させるためには、輸出志向工業化政策が必要であった。
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具体的には
 企業に低利融資を提供したり、税金(事業所得税など)を軽減したりして、
輸出産業の投資拡大を奨励する。
 補助金給付、輸出関税率の引き下げにより輸出の拡大を促す
 輸出製品を生産するには機械、設備、部品などの輸入が必要になるので、
それらに対して輸入関税を引き下げる、もしくはゼロにする。
 輸出競争力のある外国企業を積極的に誘致して、外国企業に輸出の中心的
な役割を演じさせる。
後発国が輸出志向工業化へと転換するには、最初に、輸入代替を支えてきた
国内企業に対する一連の保護政策を排除する必要があった。
再論:輸入代替産業は高関税、輸入数量制限、為替制限などにより、手厚く保
護されていた。保護された狭い国内市場向けの生産では、
「規模の経済」が容易
に働かず、非効率性を累積していっただけであった。
広い国際市場に向けての生産を企業に促すためには、上記の保護政策を撤廃
しなければならない。NIES や東南アジアは 1980 年代になって、保護政策を大
胆に廃止した。その上で、上記のような一連の輸出促進策を実施して、輸出志
向工業化過程に入っていったのである。中国は輸出志向型の外国企業を大規模
に誘致して、彼らに輸出の主役を担わせた。
海外直接投資
アジアの輸出志向工業化の中心的な担い手が、外国企業である。NIES や中国、
東南アジアが電気・電子機械を中心に有力な輸出国へと変貌したのは、外国企
業がここに大量に進出して輸出を積極的に行ったからである。
重要なプレーヤー:多国籍企業
先進国のみならず、NIES や東南アジアの大企業は自国内ばかりではなく、海
外諸国へも積極的に投資しており、これら企業の事業展開の場は世界各地へと
広がっている。
海外への投資の中心的な担い手が多国籍企業である。
アジアの国々が先進国から受け入れて、その生産や輸出に大きく貢献したもの
が海外直接投資 FDI である。
16
FDI とは、外国企業が相手国で工場を建設したり、そのために株式を取得した
りして、相手国で「直接」的に事業経営を行うという行為である。
参考)間接投資:相手国での事業展開を目的としない証券の取得、公社債の
購入、貸付けなどのことである。
別名はポートフォーリオ投資とも言う。
多国籍企業は相手国に進出して、そこで用地を取得して、工場を建設し、機
械設備を設置する。原材料や部品を相手国で調達して、相手国の労働者を雇用
する。これが直接投資である。相手国に資金が流れるとともに、相手国の労働
者に給与を支払う。
さらに労働者を訓練し、先進国の技術を身につけさせるという重要な役割も
ある。これを技術移転という。最も重要なものは熟練形成に対する海外直接投
資の貢献である。
海外直接投資の発展誘発効果が大きいのは、それが単なる資本や技術の個別
移転ではなく、企業経営に必要なほとんどすべての条件(経営資源という)の
パッケージ移転だからである。
「直接投資は経営活動を行う企業そのもの国家間の移動であり、直接投資の
現象を理解するにあたっては、企業とは経営資源のかたまりと考えるのが適当
であろう。経営資源とは企業経営上のさまざまな能力を発揮する主体であり、
外面的には経営者を中核とし、より実質的には経営管理上の知識と経験、パテ
ントやノウハウをはじめマーケティングの方法などを含めて広く技術的・専門
的知識、販売・原材料購入・資金調達などの市場における地位、情報収集・研
究開発のための組織を指す。」
東南アジアに対する企業進出、とくに日本ならびに NIES の企業の進出が
1980 年代後半以降、格段に増加した。
東南アジアは輸出志向政策を整備する過程で、日本企業と NIES 企業が集中
的に進出するという好条件に恵まれた。日本は 1986 年以降、急激な円高に見舞
われた。円高によって、価格面で輸出が不利になった日本企業は、活路を求め
て、NIES、次に東南アジアに大量に進出して、NIES と東南アジアから輸出を
した。
17
NIES は 1980 年代の後半まで、日本などの先進国からの直接投資の受け入れ
国であったが、1990 年代に入って、有力な投資国になった。NIES による東南
アジアの直接投資額は日本をも上回るようになった。
東南アジア諸国政府は、この好条件(円高)に対応して、外国企業の導入を
加速させる措置を講じた。外国企業に要求する投資最低規模を引き下げたり、
外国企業の法人税免除期間を延長したり、輸出部門を外資に開放するといった
措置である。こうして、東南アジアへの外国企業の進出が続き、外国企業によ
り工業製品輸出が大いに伸長した。
多国籍企業が生産拠点を国内におくか海外にするかは、その生産をどこで行
えば最も効率的であるかの判断にかかっている。つまり、どこで生産すれば、
その製品のコスト(生産費)が一番安いのかという判断に依存する。
繊維産業などの労働集約的な産業であれば、判断は比較的簡単である。労働
集約的な産業は高賃金のため、先進国だけでなく NIES でも競争力を持ち得な
い。この産業は先進国や NIES において衰退産業である。したがって、労働集
約的な産業が生産と輸出の拠点を東南アジアや中国に求めるのは当然である。
NIES はもちろん、東南アジアでも現在の輸出の主力は労働集約的製品ではな
い。機械を中心としたより高度な技術製品へと移行しつつある。機械のなかで
も電気・電子機械が中心である。
高度技術製品を生産する外国企業の進出要因:プロダクトサイクル論
→プロダクトサイクルを通じて、後発国は先発国の企業を次々と受け入れて、
そうして新しい技術知識を導入していくという「後発性の利益」を享受できる
のである。
プロダクトサイクル論の概説
高度技術製品は強い技術開発力をもつ最先進国(例えばアメリカ)で最初に
生産される。この高度技術製品を X 財とする。
X 財は当初最先進国の少数の企業によって開発されて、これらの企業によっ
て独占的に生産・販売される。その生産費は高く、生産量も低い。これは国内
市場向けであり、輸出はまだ発生していない。これが新技術の生成期である。
この生成期を過ぎると最先進国の後継の国内企業、続いて比較的高い技術力
をもつ後続先進国(日本や欧州)の企業が X 財の生産を開始する。するとこの
18
商品は大量生産・大量販売の時期を迎え、生産量は増加する。大量生産による
「規模の経済」効果を通じて、生産費は低下して、純輸出も増加する。
新製品が生成し成長するこの段階では、生産の有利性は先進国にとどまる。
しかし、さらに時間が過ぎると後続先進国の生産が開始される。その結果、最
先進国の後続先進国に対する輸出は頭打ちとなり、やがて、減少に転じる。最
先進国の生産量自体は増加し続けるが、純輸出はピークを達する。加えて、後
続先進国が強い競争力をもって、最先進国の市場を奪い始め、後者の純輸出は
減少していく。大量生産の過程で技術は「標準化」されて、X 財は世界市場で
はごく一般的なものとなる。
またさらに時間が経つと成熟期になる。この時期では、後続先進国による最
先進国への輸出が始まる。最先進国では生産量自体も減少して、純輸出もマイ
ナスになる。この段階に来ると、後続先進国のみならず、開発途上国も容易に X
財の生産を試みる。
さらに技術が標準化すると、むしろ開発途上国の労働者の低賃金が生産の優
位性を決定する重要な要因になる。最先進国は後続先進国からではなく、途上
国からも輸入するようになる。国内生産の減少は加速する。
問題 11 以上のプロダクトサイクルの概念をグラフで説明しなさい。その際、
縦軸に X 財の生産量、横軸に時間を取ったもの、縦軸に X 財の生産費、横軸に
時間を取ったもの、縦軸に X 財の純輸出、横軸に時間を取ったものの 3 つのグ
ラフを使用しなさい。
以上のような変化は、技術の成熟とともに、先発国が FDI を通じて生産拠点
をより後発の国に移転させるという行動により発生する。
つまり、生産拠点を後発国に移転させ、技術開発国自体はより高度な別の技
術製品を開発、生産、輸出を行う。
再考:輸出志向工業化-輸出政策の工業化戦略アプローチ
工業化戦略アプローチとは、輸出主導型開発について外向きの立場を取る。
しかし、一国が付加価値を加えて、より高度な製品の生産を振興する際に、ど
のような財をどのような順番で輸出するかを決めるとき、政府の積極的役割を
期待するものである。
この工業化戦略は、なぜ輸出に向けた介入主義戦略によって成長が加速され、
開発の成果も厳密な自由貿易によるものよりも大きくなるかについて、進展し
てきた。工業化の過程で生じる市場の失敗とその矯正に焦点を当てるものであ
る。
19
輸出指向型の東アジア経済は、香港の例を除くと、自由市場の上で運営する
というよりも、むしろ実際のところは、非常に積極的な政府の関与によって工
業輸出を奨励し、また同様に政府の関与によって、より高度な製品が高い技能
と技術を用いて高付加価値を生み出すようにした。
このような政策により経済が豊かになる理由は、オリジナルな技術開発には
市場の失敗があるからである。技術開発の支出による便益の一部は他の企業に
漏れ出してしまう。これが、先進国では政府研究プログラムの根拠となってい
る。
しかし、同様の市場の失敗は先進国から開発途上国への技術移転にも当ては
まる。とりわけ、ある企業が域外から技術を吸収すれば、他の企業も見て学ぶ
というスピル・オーバー効果によって、恩恵を受けるが、外部の支援なしでは、
技術移転も社会的見地からの他の企業のグレートアップも生じない。この市場
の失敗は、海外からの技術吸収に中心をおく政府工業化戦略が効率を高める理
由を説明する。
また輸出指向型工業化戦略が重要な理由の一つは、途上国のような市場規模
が小さい国にとって、十分な大きさの市場を確保すると言うことである。さら
に、輸出指向型工業化戦略では、目標である輸出そのものの数字が途上国でも
正確に把握できるという利点がある。この事実は古くから途上国の財政当局に
理解されていた。
しかし、輸入代替工業化(幼稚産業保護)の重要性を強調する議論も古くか
らずっとある。経験的には、輸入代替が輸出促進に先行している。ある研究で
は、
「有意な輸出拡大期は、ほとんどの場合、強い輸入代替期に先行されている」
としている。例えば、韓国でも一定期間、のちに輸出で成功することになる産
業を保護していたのである。
実例が示すところでは、シンガポール、台湾と韓国は特に積極的な政府工業
化戦略を数十年間にわたって、採用してきた。これらの国に共通していること
は、国内の技能、技術を奨励していることであり、単に労働集約型製造業を奨
励するのみならず、積極的および体系的に時間をかけて、産業をグレードアッ
プしようとしていることである。
20
Ⅸ 経済のグローバル化、貿易自由化と開発戦略
グローバル化とは何か
第二次大戦後現在にいたるまで、原料、工業製品、サービスの国際貿易の拡
大を通じ、世界経済はますますそのつながりを深めつつある。こうした国際的
なつながりは、途上国世界に顕著な影響を及ぼしている。
グローバル化という言葉は、開発や貿易、国際関係などあらゆる分野で最も
頻繁に用いられる用語の一つである。グローバル化とは、世界経済が例えば
WTO のような国際機関を通じて、ますます統合の度を深め、地球規模の経済を
形成するに至り、それによってますます地球規模の政策決定を行うようになる
という過程である。この過程の中核をなすのは、経済的意味において、国際貿
易に対して高まる経済の開放性を意味する。
グローバル化は、刺激的なビジネスの機会、知識と技術革新のより急速な成
長をもたらす。しかしながら、グローバル化は深刻な懸念も引き起こす。不平
等が国内でも国際的にも目立つようになってきている。最も豊かな国による国
際的な支配が拡大し固定化されるかもしれない。ある特定の地域や人々がさら
に取り残されるかもしれない。以上のような懸念である。
このように、グローバル化は費用とリスクをもたらすと同時に、利益と機会
をもたらす。このことはすべての国のすべての人にあてはまるが、絶対的貧困
に苦しむ世帯や低所得者国の居住者に対して、多大な利害をもたらすことから、
特にこのような人々にあてはまる。途上国にとっては、潜在的に有利な面もま
た大きい。つまり、グローバル化は、経済開発に向けた広範な新しい可能性を
提供する。グローバル化は、他国の人々とさまざまな形の相互作用を提供する
ことによって、従来の貿易をはじめ、文化的、社会的、科学・技術的交流を通
じて、直接・間接的に貧困国に対して利益をあたえる可能性がある。新技術の
革新からその採用までの時間を短縮させるといった、生産性向上の発想がより
早く普及することは、開発途上国がより速やかに先進国に追いつくことを助け
るだろう。つまり、グローバル化により、途上国が先進国の富の基盤の一つで
ある知識をいっそう効果的に吸収することを可能にする。
また、売り込める市場が大きければ大きいほど、貿易と分業から得られる利
益は大きくなる。それのみならず、潜在的な利益がはるかに大きくなることか
ら、技術革新へのインセンティブも大きくなる。
グローバル化の非的的な側面もまた、貧困国にとってより深刻な問題となる。
貧困国が従属という状態に固定され、一部の貧しい人々がグローバル化から完
全に置き去りにされる場合である。どんな事情にせよ、貧しい人々は「貧困の
わな」に取り残されてしまう。
確かに、中国やインドなと、世界人口の大きな部分を占めることで非常に重
21
要な存在であるいくつかの低所得国は、近年グローバル化を利用して、先進国
を凌ぐ急速な成長によって、先進国に追いつこうとしており、それにより国際
的な不平等は幾分減少している。
しかし、アフリカの多くの国はこれらの国々よりはるかに遅れている。つま
り、1人当り所得の継続的な下落と国内の地域間格差の拡大によって、国際的
にも国内的にも不平等が著しくなる可能性がある。
植民地時代と結びついた、かつてのグローバル化の大きな波の影響は途方も
なく不均等なものであったという事実から、グローバル化に対して懸念をもつ
のは当然であり理解できる。アフリカのように最悪の打撃を受けた地域はなお、
その後遺症から回復していない。少なくとも今日のグローバル化から広く一般
的な利益が得られるという議論は、現在の波はかつての波とどこが異なるかと
いう議論にもとづかなければならないだろう。
国際貿易と開発:その課題
最近、貿易と開発問題における大方の関心は、東アジアの目覚ましい輸出の
成功の理由を理解することに焦点が合わされている。台湾、韓国さらには他の
東アジア諸国において、この戦略(輸出志向工業化)が採用され、中国もその
後に続き、成功を収めた。このことは前節で述べた通りである。
同時に、アフリカ、中東やラテンアメリカでは、昔から第一次産品輸出が国
内総生産の大きな部分を占めてきた。比較的小さい国では金銭収入の約 25%あ
るいはそれ以上をコーヒー、木綿、カカオ、砂糖、ヤシ油、ボーキサイト、銅
など農産品その他の第一次産品輸出から得ている国もある。
しかし、韓国、台湾、中国などの工業化に成功した国と異なり、ほとんどの
途上国は外貨収入の大きな部分を非鉱物第一次産品に頼らなければならない。
これは、特にサブサハラ・アフリカ諸国において大きな問題である。このよう
な輸出品の市場と価格は非常に不安定なことが多く、第一次産品に輸出依存す
ることは、どの国も望まないリスクと不確実性を伴うことになる。
22
出典:IMF
これらのグラフから、1 次産品のグラフは 1992 年~2002 年までは安定して
おり、2002 年以降はゆるやかに上昇しているが、2007 年以降はかなり上下に
変動していることが分かる。
実際、いくつかの低開発国が輸出収入の少なくとも 5 分の 2 を 1,2 種類の農
産品あるいは鉱物から得ている。
しかし国際貿易は、単なる国家間の商品の流れを超えて、さらに広い観点で
理解しなければならない。途上国が世界貿易や通商に対してその経済や社会を
開放し、外の世界に目を向けることで、財やザービスを国際的に移転するだけ
でなく、世界の先進諸国の生産技術や消費形態、制度や組織の仕組み、さらに
は一般的な価値観、ライフスタイルを移転することによる開発への好影響と悪
影響を同時に受け入れることになる。途上国にとって、能動的であれ、受動的
であれ、第一義的に、輸出志向工業化政策が良いのか、それとも輸入代替工業
化が良いのか、それとも国際経済政策で外向き戦略と内向き戦略を同時並行的
にとるのが良いのか、先験的に述べることはできない。個々の国は、それぞれ
の開発目的に照らして、国際社会での現状と将来の見通しについて地道に評価
しなければならない。それによって、はじめて、いかにして最も有利な戦略を
採用するか、決めることができるのである。
貿易と開発に関する5つの問題
1 国際貿易は途上国の経済成長率、成長の構造や特徴にとのような影響を及ぼ
23
2
3
4
5
すのか。
貿易は国内、あるいは異なる国々の間の所得と富の分配をどのように変える
のか。とくに、国際貿易は国際的・国内的な平等を推進するのか、それとも
不平等を助長するのか。
途上国が開発目的を達成するのに、貿易はどのような条件なら役に立つのか。
途上国は自国の行動によって、どのくらいの貿易をすべきなのか。
過去の経験と将来への判断に照らして、途上国は外向き政策(輸出志向工業
化政策)を採用すべきか、内向き政策(輸入代替工業化政策)を採用すべき
なのか、それとも地域的経済協力および戦略的貿易政策の形で、両方の組み
合わせを追求すべきなのか。
以下では、これらについて考察していく。
需要の所得弾力性と不安定な輸出収入
各種の実証研究により、第一次産品の需要の所得弾力性は、比較的低いこと
が明らかにされている。つまり、輸入国(先進国)の需要の伸び率の割合が国
民所得の伸び率よりも小さい。対照的に、工業製品の所得弾力性は比較的に高
い。
例えば、先進国の所得が 1%増加しても、食料の輸入は 0.6%しか増加しない
が、工業製品の輸入は 1.9%増加すると推定されている。つまり、先進国の所得
が増加した場合、途上国からの食糧・食料製品への需要は比較的ゆるやかにし
か増加しないが、先進国が多く生産している工業製品への需要は急激に増加す
る。
復習:需要の所得弾力性や価格弾力性、弾力的や非弾力的が分からない場合は、
ミクロ経済学を復習せよ。
需要の所得弾力性の低さがもたらすのは、一次産品の(工業製品で測った)
相対価格が時間の経過とともに低下することである。その上、一次産品に対す
る需要の価格弾力性もかなり低い、つまり、非弾力的である。したがって、シ
ョックに対して大幅な価格変動を引き起こしてしまう。
以上の 2 つの弾力性の現象は輸出収入不安定として知られるようになった。こ
れによって、経済成長率は低くなり、予測しにくくなることが明らかにされた。
問題 12 なぜ、需要の価格弾力性が低い(非弾力的)であると、外生的要因の
変化(ショック)に対して、価格が大きく変動するのかを比較静学分析で示し
24
なさい。その際、食糧市場を考え、縦軸に食糧の価格、横軸の食糧の需要量(供
給量)を取り、需要曲線、供給曲線を描きなさい。そこで供給的要因のショッ
クが起こり、供給曲線が上方へシフトした場合、需要の価格弾力性が低い場合
と高い場合で、どのような違いがあるかを示しなさい。
交易条件とプレビッシュ・シンガー仮説
輸出収入総額は海外へ売った商品の量だけではなく、それに支払われる価格
にもよる。もし輸出価格が下落したとすると、総収入を一定に保つためには、
より多くの量を輸出しなければならない。輸入も同様で、輸入価格と輸入量の
両方に輸入額(外貨の支払額)は依存している。
ある国の輸出価格が輸入価格に比べて、相対的に下がれば、さらに多くの輸
出品を売らなければならない。したがって、それまでに購入していたのと同じ
量の輸入を確保するために、さらに輸出を増加させなければならない。
輸出財価格と輸入材価格の比率、つまり
輸出財価格
輸入材価格
を交易条件という。
ある国の
輸出財価格
の低下、すなわち、輸出価格が輸入価格に比べて、相対
輸入材価格
的に下落したとき、交易条件は悪化したという。
実証研究によると、第 1 次産品価格は工業製品に比べて、相対的に下落した。
その結果、交易条件は先進諸国にとっては改善したが、途上国にとっては時と
ともに悪化する傾向を示した。
以上のことをプレビッシュ・シンガー仮説という。低い所得弾力性と低い価
格弾力性が相まって、第 1 次産品輸出側の交易条件の長期的悪化が現在および
今後も継続するだろうと主張した。結果として、この低下は貧しい国から豊か
な国への収入の継続的な移転を引き起こす。これに対抗するには、国内製造業
を保護するしかない。
このように、プレビッシュ・シンガー仮説は、先にみた輸入代替工業化の根
拠の一つとなった。
25
国際貿易の伝統的理論
各国が貿易する理由は、双方が貿易により利益を得ることができるからで
ある。基本的には国内では生産費が高くつく財の生産を止め、その代わりに安
い外国産の財を輸入し、それと交換に外国よりも安く生産できる財を輸出する
という貿易パターンにより、貿易からの利益が得ることができる。
以下の分析では単純化のために以下の仮定をおく。
①生産費は賃金のみとする。つまり、生産には労働のみを使用する。
②関税、輸入数量割当ておよび輸送費などの貿易障壁はないものとする。
<優位と比較優位>
A 絶対生産費説(絶対優位説)
アダム・スミスは、生産における分業は労働生産性(効率性)の向上に対し
て有効な手段であるという主張を国家間の関係に拡張することによって、国際
取引を通じて貿易(分業)を行うことで、生産効率を高めることができること
を示した。さらに、その結果、貿易により貿易に参加する国々に対して利益を
もたらすことを示した。つまり、貿易は各財を生産する上で国ごとに労働生産
性が異なることから行われ、その絶対優位に基づいて各国は労働生産性が最も
高い財を輸出するという分業により、利益をもたらすと考えた。
労働生産性とは、労働者 1 人当りの生産量で表します。これを逆にして、財 1
単位当りの生産に必要な労働量と捉えることもでき、その値が少ないほど、生
産は効率的に行われている。
数値例
日本
ミャンマー
自動車(1 単位)
80人
120人
コメ(1 単位)
90人
70人
日本とミャンマーの2国が自動車とコメの2財を生産し、それぞれの財の費
用は上記の例により生産に必要な労働量と考える。労働量が多ければ多いほど、
費用つまり価格が高くなる。
労働量が少ないほど、生産の効率性が高いことを示している。
この数値例から、絶対優位により日本は自動車、ミャンマーはコメの生産の
効率性が高く、コスト面で絶対優位があることが分かる。したがって、貿易パ
ターンとしては日本が自動車を、ミャンマーがコメを輸出する。この貿易を通
じて、お互いの国は利益を得ることができる。それぞれの国で生産性の低い産
26
業の生産を止めて、そのかわりに生産性の高い産業の生産を増加させるので、
一国全体としても生産性が高くなるからである。
B 比較生産費説(比較優位説)
リカードは、ある国にとって、たとえ両財が絶対的費用で表して高くても、
相対的に考えれば、どちらかの財が相対的に安く生産でき、その財が輸出可能
であることを示した。つまり、貿易は絶対優位ではなく、相対的な生産性(効
率性)のみが重要であることを明らかにした。
数値例
日本
ミャンマー
自動車(1 単位)
80人
120人
コメ(1 単位)
90人
100人
この表では、日本は自動車とコメの両財に対して費用の面で絶対的優位にあ
る。日本は、自動車、コメの両財ともミャンマーよりも少ない労働投入で生産
できるからである。しかし、その絶対的優位にも程度の差が存在する。そこで、
両国間の両財のコストを以下のように比較する。
ミャンマーのコメの単位コスト(100人) 日本のコメの単位コスト(90人)
<
ミャンマーの自動車の単位コスト(120人) 日本の自動車の単位コスト(80人)
コメの(自動車に対する)比較生産費は、ミャンマーの方が日本よりも小さ
い。したがって、コメの単位コストは絶対的には日本の方が安いが、相対的に
はミャンマーの方が日本よりも低いことが分かる。
リカードによれば、貿易パターンとして、日本が自動車を、ミャンマーがコ
メを輸出することにより、利益が得られる。
貿易は比較生産費が相手国と比べて、相対的に小さい財を相互に輸出するこ
とにより行われる。比較生産費が相手国に比べて相対的に小さい財を比較優位
の財、逆に相対的に大きい財を比較劣位の財と言う。したがって、
「日本は自動車の生産に比較優位をもち、ミャンマーはコメの生産に比較優位
をもつ」
特化の定義
完全特化:各国がその比較優位財、すなわち他の財と比較して比較的に安く生
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産できる財の生産のみに完全に専念し、比較劣位にある他の財の生産をまった
くしない状態
不完全特化:比較優位にある財だけでなく、比較劣位にある財の生産をわずか
でもしている状態
比較優位理論の一般化
「各国が比較優位にある産業、すなわち他の財と比較して相対的に安く生産で
きる産業に完全特化し、その財を外国と自由に交換すること、すなわち自由貿
易は貿易に参加するすべての国に利益をもたらす」
理由
自由貿易をしない状態(閉鎖経済)では、ミャンマー国内ではコメ 1 単位は
単位の自動車と交換されるが、日本国内では
100
120
90
単位の自動車と交換できる。し
80
たがって、ミャンマーの商人はコメを日本へ持って行き、そこで自動車と交換
して、自動車をミャンマーに持って帰ることで、国内で得られる
の自動車
100
よりも多く
120
90
を日本から得ることができる。
80
まとめ
比較優位の原則は、その名が示すように、国家はある条件のもとでは、最も
安い相対費用で生産できる商品の輸出に完全特化するというものである。先の
例でもわかるように、日本はコメ、自動車とも安い絶対費用で生産できるが、
国家間の商品の生産費用の差は、コメ(農産物)よりも自動車(工業製品)の
方が大きいため、日本にとっては自動車の生産に完全特化して、それをミャン
マーのコメと交換することが有利となる。
つまり、日本とミャンマーのように最も格差の大きい相手とすら、利益を生
む貿易を生じさせるのである。
C 比較優位への反論
比較優位の理論では、比較優位・劣位が生じている場合、各国での比較劣位
部門は淘汰され、そこで解放された生産要素は速やかに比較優位部門など他の
部門に吸収されなければなりません。すなわち、生産要素の完全雇用が前提条
28
件となっている。つまり、生産要素の完全移動が行われるので、比較優位構造
の変動と国際分業の変化に対応する生産要素移動の時間的ズレ、さらにはそこ
で必要とされる調整コストが無視されている。
例:戦後、日本の輸出を支えてきた石炭産業などは、比較的早い時期から衰退
をはじめた。石炭から石油へのエネルギー利用の変化や円高以降のコスト高の
ため海外からの安い石炭輸入によって、日本の石炭産業は壊滅的なダメージを
受けた。石炭産業の特徴は多くの労働を抱えて、しかもこれらの労働者の技能
が他の産業にすぐに転用しにくいことであった。そのため、閉山や人員整理が
進む過程で、炭鉱労働者の雇用および地域経済には深刻な影響を与えた。
D
要素賦存比率命題(ヘクシャー・オリーン定理)
リカードは貿易を生み出す要因として、諸国間での生産費の差、つまり労働
の生産性の差(生産技術の差)を指摘した。
「ヘクシャー・オリーン定理」では、
貿易が生じる原因として、各国の生産要素賦存量の差を指摘した。
2 国間で生産技術に差異がなくても、2 国間で生産要素の相対的な豊富さに差
があれば、各財の生産コスト格差が存在し、貿易の利益が生じる。それぞれの
国は相対的に豊富に存在している生産要素を集約的に用いて生産する財に比較
優位が生まれ、そうでない財に比較劣位が生まれるという貿易パターンを明ら
かにした。
2 国(日本とミャンマー)、2 財(工業品と食料)、2 生産要素(労働と資本)
を考える。相対的に日本は資本が豊富で、ミャンマーは労働が豊富と仮定する。
それゆえ、相対的に労働豊富なミャンマーでは賃金が割安になり、資本が相
対的に豊富な日本では、資本の価格(レンタル)が安くなる。
製造業と食料産業では労働と資本の投入比率が異なると仮定する。つまり、
食料産業では相対的に労働が多く使用され(このような産業を労働集約的産業
という)、製造業では相対的に資本が多く使用される(これを資本集約的産業と
いう)。
以上から、ミャンマーでは相対的に賃金が安いので、労働集約的な食料の価
格が相対的に安く、レンタルが高いので、資本集約的な工業品の価格が高くな
る。逆に日本ではレンタルが安いので、工業品が相対的に安く、食料が高くな
る。
したがって、日本は製造業に、ミャンマーは食料産業に比較優位をもつこと
になる。日本は工業品を輸出し、交換に食料を輸入する。労働豊富なミャンマ
ーは労働集約財に比較優位をもち、資本豊富な日本は資本集約財に比較優位を
もつ。
29
ヘクシャー・オリーン定理の一般化
「各国は相対的に豊富に存在する生産要素を相対的に多く用いる商品の生産に
比較優位をもち、したがって、この財の生産に特化し、これを輸出し、それと
交換にその国で相対的に希少な生産要素を多く用いる商品を輸入することによ
り、貿易からの利益が得られる。」
まとめ
以上のヘクシャー・オリーン定理は次の 2 つの仮定に基礎を置いている。
1
生産物が異なれば、生産に必要な生産要素の割合が異なる。
2
国によって生産要素の賦存量は異なる。
E 要素価格均等化定理
ヘクシャー・オリーン定理により、自由貿易を行えば、労働豊富国は相対的
に安い労働集約財を輸出し、相対的に高価な資本集約財を輸入する。両財の国
際価格は 2 国間の貿易前の価格比率の間の適当なところで決定される。この新
しい国際価格比率に対して、両国内で生産面および消費面での調整が行われて、
両国の要素価格も当然変化する。
労働豊富国では、自由貿易後に、輸出財である労働集約財の生産が拡大して、
輸入材である資本集約財の生産は縮小する。労働集約財の生産が拡大するので、
労働に対する需要(求人)が資本に対する需要よりも相対的に多く発生する。
また資本集約財の生産は減少するので、資本の失業が労働の失業よりも相対的
に多く発生する。
その結果、労働者に対する需要が失業よりも多くなり、労働の価格である賃
金は上昇することになる。また資本に対する需要よりも供給の方が多いため、
資本の価格(レンタル)は低下することになる。
逆に資本豊富国では、賃金は低下して、レンタルは上昇する。
これを一般化すると
「ある財の価格が変化すると、その財の生産に集約的に用いられている生産要
素の価格は上昇し、集約的に用いられていない要素の価格は低下する。」
となる。
つまり、自由貿易により、貿易参加国において財の価格が均等化すれば、貿
30
易参加国での生産要素の価格も均等化する傾向にあることが分かる。これを要
素価格均等化定理という。
伝統的自由貿易理論と開発
先の「貿易と開発に関する5つの問題」の説に対する理論的な答えは以下の
通りである。
1 貿易は経済成長を促進させる重要なものである。貿易は国の消費と世界の
生産量を増加させる。
2 貿易は生産要素価格を均等化させ、貿易国の実質所得を増加させる。
(労働
豊富国では賃金が上昇する)
3 貿易により、個々の国が比較優位をもつ経済部門を振興し、利益をもたら
すことで、開発の役に立つ。
4 自由貿易の世界では、国際価格と生産費用がその国の厚生を最大化するた
めに、どれだけの貿易をすべきかを決定する。国は比較優位の原理に従うべき
で、市場の働きを阻害してはならない。
5
成長と開発を促進するためには、外向きの政策が必要である。
途上国の経験を背景とした伝統的自由貿易理論への批判
伝統的貿易理論の仮定とそれに対する批判を見ていく。
仮定1
すべての生産要素の賦存量は量的にも質的にも固定されており、それは完全
に利用されている。どこでも同じ生産技術(生産関数)をもっている
→反論:現実には、世界経済は急速に変化することが特徴であり、生産要素は
質的にも量的にも固定されていない。資本蓄積や人的資本の発展はつねに生じ
ている。
仮定2
各国はその経済構造を世界価格や世界市場の変化に対応して容易に調整して、
比較優位のある部門に生産要素を移動できる。
→反論:そのような産業間の資源の移動は、現実にはきわめて困難である。途
上国においてはとくに、生産構造が硬直的であり、生産要素の移動は大きく制
31
約されている。
仮定3 貿易の利益は貿易国の国民のものになる。
→反論:途上国の場合、国民とは誰をさすのか、自国民もしくは外国人かを考
える必要がある。
例)途上国における鉱山開発やプランテーション
問題 13 アフリカでの現状を踏まえて、貿易は自国にとって利益になるのかど
うか、各自検討して、論述せよ。
輸出志向工業化と輸入代替工業化:論争の要約
輸入代替工業化の論点
次の 3 つの基本的テーマに焦点を合わせる
①1 次産品輸出に対する世界の需要の伸びには限りがあること
②1 次産品生産国の交易条件の趨勢的悪化
③途上国の工業製品や加工農産品の輸出を阻む「新保護主義」の台頭である。
①の要因
 工業での原材料利用効率の向上
 ゴム、綿などの天然の原材料に対する合成品での代用
 1 次産品と軽工業品に対する需要の所得弾力性の低さ
 先進国の農業や労働集約的産業に対する保護
②の要因
 途上国の輸出品に対する低い所得弾力性
③について
新保護貿易主義は、国際市場で競争できる価格で 1 次産品や軽工業品の生産
に成功する途上国が増加しつつあることと、高賃金(高コスト)の先進国労働
者が失業を恐れることが結びついて、生じたものである。
(1)伝統的な輸出品の需要が伸びないことは、輸出を拡大しようとすれば、
輸出価格を低下させることになり、貧困国から先進国への所得移転をもたらす、
(2)輸入規制がなくても、輸入品に対する途上国の需要の所得弾力性が高い
ことと輸出品に対する先進国の需要の所得弾力性が低いことが重なっており、
途上国は貿易収支の悪化をさけるためには、成長を緩める必要がある。
32
以上の理由で貿易は開発の妨げになると主張している。
輸出志向工業化の論点
途上国の貿易政策、輸出実績および経済成長の相互関係に焦点を合わせてい
る。次の理由から、貿易自由化は急速な輸出の増大と経済の成長を生み出して
いる。
①自由貿易は競争、資源配分の改善と途上国が比較優位をもつ分野での生産拡
大を促し、結果として生産費用が低下する。
②自由貿易は効率の向上、生産物の改良と技術革新へ向けての圧力を生じさせ、
要素生産性を向上させ、生産費用がさらに低下する。
③自由貿易は利潤を増加させ、さらに貯蓄と投資を促し、成長を促進させるよ
うな全般にわたる経済成長を加速する。
輸入代替は容易に利得を得られるのに比べて、輸出志向は最初は利得も少な
く難しいかもしれないが、長期的には、経済の便益に弾みが付くと主張する。
2つの論争のまとめ
輸出志向工業化も輸入代替工業化もいつも正しいわけではないことは、過去
の経験から、明らかである。すべては、世界経済の変動次第なのである。すな
わち、1960 年~73 年まで世界経済が急速に拡大していた時期には、経済が開放
的な途上国の方が、全体的な輸出と成長の面で、閉鎖的な国を明らかに凌いで
いた。この時期は、輸出志向の主張に正当性があった。しかし、1973 年~77
年にかけて、世界経済が減速した時期には、有名なアジア NICS を除いて、開
放的な経済は困難な時期を迎えた。つまり、輸入代替の方がうまくいったので
ある。この状態は低成長の 1980 年代にも当てはまる。1990 年代に入ってから
の輸出志向の成功は、地域ごと、また国ごとにも大きな相違があった。成長し
て発展した地域・国もあれば、停滞した地域や国もある。
輸出志向工業化や輸入代替工業化の議論を異なる発展段階にある国々におけ
る特定の経済的、制度的、政治的現実に適合させようとする折衷的な見方であ
る。ある国でうまくいったからといって、他の国ではうまくいかないのである。
33
Ⅹ 途上国経済のマクロ的側面―債務問題と経済危機
国際収支の基礎知識
国際収支とは、一定期間(通常は 1 年間か 1 ヶ月)、自国(居住者)が外国(非
居住者)と行うすべての経済的取引、①財・サービスの売買、②債権・債務の
増減、③無償取引などの移転の受払いなどを体系的に記録したものである。つ
まり、一国の対外経済取引の総括的な指標である。
A 経常収支
①貿易・サービス収支
①-1 貿易収支
これは財、いわゆる「モノ」の輸出入の記録したものである。
①-2 サービス収支
目に見えない財、いわゆる「サービス」の取引を記録したものである。
主な項目
輸送、旅行、通信サービス、など
②所得収支
②-1 被雇用者報酬
非居住者としての労働者に支払われる報酬など
②-2 投資所得
居住者の対外金融資産に関わる利子や配当の受け取り
→直接投資収益や証券投資収益および貸付け利息、預金利息の受払いなど
③経常移転収支
移転とは実物資産や金融資産の無償取引のこと。
→政府や民間による食糧・医薬品など消費財の無償援助、国際機関への救出金
など
B 資本収支
①投資収支
①-1 直接投資
一国の居住者、特に企業が海外での企業経営目的のために、新規もしくは既存
の外国の実物資産や株式を取得すること
①-2 証券投資
経営支配を目的としない利殖目的の株式投資、債権など
①-3 その他の投資
34
②その他の資本収支
政府による相手国の資本形成のための無償援助など
C 外貨準備増減
外貨準備とは、通貨当局が対外支払いに充てるために保有している外貨資産で、
主にドル、金などから構成されている。
途上国の国際収支の動向
途上国の経常収支の推移をみていこう。
出典 IMF World Economic Outlook Database, September 2011
単位 10 億米ドル
この図から、1980 年代から 90 年代にかけて、途上国の経常収支は赤字であ
り、1998 年から増加して、黒字に転じている。この動きはアジアの経常収支の
動きに連動していることが分かる。つまり、途上国の経常収支の変化は主にア
ジアの変化を反映している。
その一方、サブサハラ・アフリカの経常収支は赤字のままである。
このような経常収支の動きは対外債務にも影響している。経常収支が赤字で
あるということは、その支払いのために、海外から借り入れなければならない
からである。
次に対外債務の推移をみていく。
35
出典 IMF World Economic Outlook Database, September 2011
単位 対 GDP 比率
この図から分かるのは、この期間におけるサブサハラ・アフリカの突出した
対外債務の大きさである。ラテンアメリカは 1980 年代を通じて、おおむね高い。
アジアは相対的に低いことが分かる。
1980 年代の債務危機-ラテンアメリカを中心として
債務危機の背景
貯蓄が小さく、経常収支の赤字が大きく、経済を成長させるのに資本の輸入
が必要であった途上国にとって、対外債務の累積は一般的な現象である。70 年
代初頭以前には、途上国の対外債務は相対的に小さかった。そして、債権者の
主体は外国の政府、IMF、世界銀行などの国際的な金融機関であった。ほとん
どの借款は低金利に基づいており、開発プロジェクトの実施や資本財の輸入拡
大に振り向けられた。
しかし、70 年代後期から 80 年代初頭にかけて、国際収支(とくに経常収支
の赤字補填)の支援と輸出部門拡充のため、OPEC のオイルダラーの剰余金の
還流による国際貸付けと途上国向け一般目的の借款を始めることで、民間商業
銀行は国際金融で大きな役割を演じ始めた。
外国からの借入れは経済成長と開発を促進するのに必要な資源を供給する意
味で非常に有益でありうるが、うまく管理されない場合、問題が乗じる。つま
り、負担が便益を大きく上回っているのである。膨大な対外債務の累積に関す
る主なコストは債務返済である。債務返済とは負債の償還(すなわち、元金の
返済)と累積利息の支払いであり、それは国内所得と貯蓄にとってはマイナス
の要因である。負債額が大きくなるか、利率(利子率)が上昇するにつれて、
債務返済の負担は増大する。ここで重要なことは、債務返済の支払いは外貨(通
常は米ドル)でしなければならない。言い換えれば、債務返済義務は、輸出収
36
入、輸入の削減、外貨の追加借入れによってのみ果たすことができる。正常な
状態では、国の債務返済義務のほとんどはその輸出収入でなされる。しかし、
輸入構成が変化したり、債務返済額の急増を引き起こすような大きな利率の上
昇があったり、輸出収入が減少する場合には、返済に困難が生じてしまう。
債務累積において、深刻な問題は以下の場合に生じる。
①外国の流入資本が低金利の長期「公的資金」から平均利率の上昇を生じさせ
る市場金利の短期の民間銀行借款へと切り替わる場合
②商品価格の急落や交易条件の急速な悪化につれて、その国が深刻な国際収支
(とくに経常収支)の問題に直面する場合
③世界的な景気後退、石油価格の急騰のようなその他の外的ショック、もしく
は、民間借款変動金利の基礎となっている米国の金利の急騰、多くの債務で額
面表示されている米ドルの価値の変化が生じた場合
④①~③の結果として、途上国の返済能力に対する信用が失墜して、民間銀行
が新規の貸出を止める場合
⑤政治的、経済的理由(例えば、通貨の切り下げ予想)により、急に多額の資
本逃避が引き起こされた場合
債務危機の起源
80 年代の債務危機の起源は、オイル・ショック後の 1974 年~79 年までさか
のぼることができる。このとき、OPEC の石油価格上昇によって突然引き起こ
された国際貸付けの爆発的な急増があったのである。
74 年までに途上国は世界貿易で大きな役割を果たしはじめ、67 年から 73 年
までの平均成長率は 6.6%であった。ラテンアメリカのなかで、メキシコ、ブラ
ジル、ベネズエラ、アルゼンチンが過大な輸入、とくに資本財、石油、食糧の
輸入をはじめた。輸出志向戦略に沿って、それらの国々は積極的に輸出を伸ば
した。原油価格の高騰と世界的な景気後退に直面して、工業国の成長率は 67 年
~74 年までの平均 5.2%から 70 年代後半には 2.7%にまで落ち込み、多くの途上
国は借入れを増やして、高い成長率を維持しようとした。外国政府など公的組
織からの貸出、とくに低金利の貸出が増加したが、成長のための需要を賄うに
は不十分であった。こうして、新興工業国と途上国は、国際収支援助のための
一般目的借款をはじめた民間商業銀行やその他の民間貸出し先に向かったので
37
ある。
OPEC の余剰金の大半を保有し、成長の鈍化した工業国の需要の低下に直面
していた民間商業銀行は、比較的有利で好意的な条件で、途上国への貸出を互
いに激しく競い合った。中東の石油輸出による余剰金は初めに米国や欧州の銀
行に預けられ、その後途上国の公的部門や民間部門にこのドルが貸し出された。
76 年から 82 年の間に、3500 億ドル以上が OPEC 諸国から還流された。
このようなすべての要因が影響した結果、途上国の対外債務の総計は 75 年の
1800 億ドルから 79 年には 4060 億ドルと倍以上になり、年率では 20%以上の
増加となった。特徴的なのは、増加した債務は償還期間が短く、市場金利であ
り、しかもしばしば変動型金利という比較的高金利によるものであったという
ことである。71 年には対外債務合計の約 40%が変動型金利によるものであった
が、75 年までに 68%まで増加し、79 年には債務の 77%以上に達した。
債務返済が大きく増加したにもかかわらず、70 年代後半には、ほとんどの途
上国の返済能力はそれほど低下していなかった。そして、73 年から 79 年の間、
平均 5.2%という相対的に高い成長率を維持することができた。
つまり、第 1 次石油危機のあとの国際金融貸出は、74 年から 79 年にかけて、
大きく急増したのである。途上国にとっては好条件の経済環境の下で、途上国
はほとんど債務返済に困難することなく、比較的高めの成長率を維持すること
ができた。また、民間国際銀行の貸付けを通じて、石油輸出国から輸入国への
巨額の余剰金の還流を促し、開発途上国側で増大する輸出需要を賄うことによ
って、工業国の景気後退を抑えるのに役立った。
しかし、79 年に発生した第 2 次石油危機は、以前の経済的環境を一変させて
しまった。途上国は石油価格の突然の高騰に直面して、その結果、石油輸入代
金支払額は増大し、工業製品の輸入に影響が出た。先進国での成長鈍化と 1 次
産品価格の 20%以上の突然の下落と重なって生じた途上国の輸出収入の減少に
より、金利も高騰した。その上、途上国では、以前からの巨額な債務と返済義
務を負っており、その債務は急騰した金利でさらに負担が増した。
このように債務が累積した中で、民間資本逃避が途方もなく増大した。76 年
から 85 年の間に重債務国から約 2000 億ドルが逃避したと推定されている。こ
れは同じ期間に途上国が借り入れた総額の約 50%に相当した。アルゼンチンや
メキシコの債務増大の各々62%と 71%が資本逃避の結果であると考えられてい
る。
このような危機的状況に直面した多くの途上国は 80 年代、借入れをさらに増
やすことを余儀なくされた。結果として、巨額の債務が累積し、80 年代にマイ
ナス成長を経験したナイジェリア、アルゼンチン、エクアドル、ペルーのよう
な国は、結果として、輸出収入から負債の利子を支払うことさえ極めて難しく
38
なってしまった。
累積債務の負担軽減-マクロ経済の不安定、IMF の安定化政策とその批判
IMF の安定化プログラム
対外債務の返済義務が増大するにつれて、途上国は、高インフレ、財政赤字、
対外収支の赤字などの深刻なマクロ経済の不安定に直面した。そのため、これ
らの国々は IMF と交渉しなければならなかった。IMF は危機に陥った途上国に
対して、その法的な割当額を超える基金を貸し付ける前に、必ずコンディショ
ナリティ(政策改定を含んだ融資条件)を課す。これは厳しい安定化策であり、
以下の 4 つの基本要素がある。
1
2
3
4
外貨制限と輸入制限の廃止あるいは自由化
公定為替レートの切下げ
以下の内容からなる厳しい国内の対インフレ対策
①金利と預金準備率の引上げにより、銀行信用を管理する
②税金の引き上げ、貧困層への補助金削減により、政府部門の赤字を抑制
すること
③賃上げの抑制
④さまざま物価管理の廃止と市場自由化の促進
外国からの投資に対する厚遇と国際取引に関する経済の全面開放
これらの厳しい条件からなるコンディショナリティを課すことに同意するこ
とにより、借入国は国際収支の赤字を減らし、累積した借款の支払いのために
外貨を稼ぐために真剣な努力をしている証拠であると解釈される。そのため、
民間国際商用銀行はこのことを信頼して、借入国との借款の再交渉、すなわち、
元利の償還期間延長や有利な条件での追加融資の交渉に応じるのである。
80 年代初め、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラなど外貨がほ
とんど底をついた数多くの債務国が、追加的に外貨を確保するために、IMF に
頼らざるを得なかった。92 年までに 10 ヶ国が IMF から約 270 億ドル相当の借
入の取決めを行った。これらの取決めから資金を受け取るために、もっと重要
なことは、民間国際銀行からの追加資金を得るため、これらの国々はコンディ
ショナリティを実行しなければならなかった。
それらの政策はインフレを縮小させ、途上国の国際収支状況を改善するには
有効であるが、しかし、低・中所得者層にひどいダメージを与え、開発意欲を
そぐために、政治的には大変不人気なものである。
39
そもそも IMF の目的は、通貨協力を促進し、国際貿易を拡大し、インフレを
抑制し、為替相場の安定を促し、外貨を適切に供給することによって、短期的
な国際収支問題への対応を支援し、
「秩序ある」為替制度の維持である。しかし、
非常に不平等な貿易の世界では、多くの途上国の国際収支問題は構造的であり、
本質的に長期的なものである。その結果、短期的な安定化政策は長期にわたる
開発の危機につながるのである。
債務救済の方策
途上国の累積債務は、先進国と途上国の双方にとって、深刻な経済的意味を
持つ世界的な規模の問題となった。実際、80 年代の債務危機は、82 年、メキシ
コの「債務履行停止」を宣言したことに端を発した。これは、国際金融システ
ムの安定性そのものをゆるがすこととなった。債務危機の兆候が現われると、
途上国のほとんどは国際資本市場から遮断された。国際銀行家と先進国、途上
国の双方の政府関係者との間で、世界各地の都市で、緊急会議が開催された。
これはラテンアメリカの債務だけで、世界最大であるアメリカの銀行の純資産
を上回っていたからである。切迫した債務不履行のうわさは投機家をドル買い
に走らせた。そのため、83 年から 84 年にかけて、ドルの市場価格は上昇し、
途上国のドル建て債務の負担はさらに大きくなった。
このような状況の中で、債務国の債務負担を救済したり、再編成したりする
提案が数多くなされた。非常に有名なものとしては、パリクラブの協定があり、
一般的にトロント条項といわれる非常に債務国に有利な条件が提示されている。
この公的借款に関する二国間協議は、債務国が内部資金(貯蓄)を生み出すた
めに、債権国政府に 3 つの譲歩案、低利融資ではない借款の 3 分の 1 までの部
分的な棒引き、金利の削減、償還期限の延長(25 年まで)のどれかを選択させ
るものである。
商業銀行にとっては、89 年のブレイディ構想が重要であった。これは、一部
の借り手に対する一部債務の免除を以下の事柄と関連させて行うものである。
①残った借款の支払いに対する IMF または世銀の金融支援保証
②途上国による厳格な IMF 方式の調整プログラムの採用
③自由市場の振興、外国投資家の積極的受け入れなどの公約
さらに、債務の株式化も行った。これは、問題のある途上国の商業銀行借款
を民間投資家(ほとんどが外国企業)へ割引き(ときには 50%以上)販売する
ことである。これらの企業は債務国の借用書を途上国の国有資産、例えば、鉄
鋼所や電話会社の株式と交換するのである。これにより、途上国では債務負担
の全体を減らすとともに、国内外の投資家から国内通貨資産への民間投資を奨
励することができるからである。
40
債務の株式化を含め、債務軽減に対する提案のほとんどが抱えている問題は、
それらの提案が民間国際銀行の対策立案や指示を必要としている点である。ほ
とんどの銀行は、短期の貸借対照表を悪化させるような手段は絶対に取りたが
らないからである。
多くの途上国は巨額な累積債務に対して一定の責任はあるものの、累積債務
を引き起こす経済条件はしばしば途上国自身の手の及ばないものである。実際、
この不利な経済環境はある程度、先進国自身の経済安定化策によって引き起こ
されたものである。つまり、この政策が金利の上昇、世界中の景気後退やその
結果としての途上国の輸出需要の減少を招いたからである。
挑戦 2 このラテンアメリカの経験を踏まえて、ギリシャをはじめとするユーロ
圏の財政危機を論じなさい。
解決と持続する脆弱性
途上国の債務問題は、1980 年代には世界的危機と呼ばれたが、それ以降は、
あまり先進国のマスコミで話題になることはなかった。しかし、先の表から明
らかなように、アフリカ、とくにサブサハラ・アフリカでは債務問題は依然深
刻な状態である。地域の債務総額が多くの場合、年間の輸出総額を上回ってい
る。債務返済額は、アフリカの保健、教育に対する連結支出総額よりも大きい。
概説:アジア通貨危機
高成長を歩んできたアジア経済が、1997 年の夏、突如として変調をきたした。
タイ・バーツ、マレーシア・リンギ、インドネシア・ルピアなどの対ドル為替
レートが暴落して(通貨危機)、通貨暴落を起因として各国の金融メカニズムの
機能が麻痺し(金融危機)、その結果、製造業を含む経済全体が極度の低迷状態
に陥った(経済危機)。
途上国の貿易収支は、普通、赤字である。工業化を推進するためには、機械、
設備、部品などの投入財や生産技術が必要であるが、これらを自国でまかなう
ことは困難であるため、海外からの輸入に依存せざるを得ない。
高成長を続けていたアジアへの期待は大きく、この貿易赤字を補填すべく海
外からアジアへ多彩な投資が展開された。つまり、先進国からアジアへ資本が
流入した。
アジア諸国は、1997 年の経済危機が起こる以前、長期間、ドルペッグ制とい
う通貨システムを維持していた。これは、自国通貨価値をドルの価値と連動(ペ
ッグ)させる制度のことである。
アジアへの資本流入により、ドルがアジア諸国に流入すれば、このドルは現
41
地通貨に返還されて、大量の現地通貨がアジア国内市場を流通する。したがっ
て、インフレ圧力をもたらす。インフレ抑制のために採用されるのは、公定歩
合の引き上げである。公定歩合とは、中央銀行が市中銀行に貸し出すお金の金
利のことである。
この金利引き上げにより、アジアの金利水準はさらに高くなり、先進国とア
ジア各国の金利差が拡大する。内外金利差の拡大は、この金利差を利用して、
有利な資金運用を図ろうとする短期性の外国資金を呼び込む。
外国資金は、アジアの対外資本取引の自由化、ドルペッグ制、内外金利差と
いった要因により、大量にアジア各国に流入して、アジアの経常収支の赤字を
まかなったのである。
以上がアジア危機前の状況であった。アジア危機を引き起こしたものは、バ
ブルの崩壊であり、それによって、アジアへ大量に流入していた資本は一転し
て、流出していったのである。
短期資本が資産市場に流入したのは、投資資金の短期回収が資産市場におい
て、容易だからである。高い予想収益に応じて、活発に流入した短期資本が現
実に高収益をもたらし、さらなる資金流入が生じる。そのようにして、資産価
格の高騰と高収益のスパイラル、つまり資産ブームが出現する。いわゆる、バ
ブル経済の発生である。
バブルがはじけた、つまり資産価格が暴落したことにより、不動産や建物、
株式に融資してきた銀行やノンバンク(預金を受けずに無担保で高金利の資金
を貸し出す金融機関)などの金融機関に不良債権が累積して、金融機関の経営
が立ちゆかなくなる。金融システムの機能不全であり、不動産株と金融株を中
心に株式市場も低迷を余儀なくされる。
バブルの崩壊により、収益低下に直面して、将来の収益を危惧した外資は、
海外に避難する。いわゆる、資本逃避が発生した。アジアに集中的に流入して
いた外資が、反転逃避を開始するのである。
外国資本の逃避は、為替レートの強い低下圧力になる。つまり、ドルが希少
化して、アジア通貨に対するドルレートに下落圧力がかかる。この圧力に対抗
して、ドルペッグを維持しようとしたアジア諸国の中央銀行は、外貨準備を取
り崩して、ドルを市中(外国為替市場)に放出した。しかし、そのときのアジ
ア諸国の外貨準備は今ほど潤沢ではなく、為替介入を続けると、いつかは外貨
準備が払底してしまう。
外貨準備の減少は外国投資家の不安を増長し、この不安が資本逃避を加速さ
せる。最終的には外貨準備がなくなり、ドルペッグ制を放棄し、変動為替相場
制へと移行せざるを得なくなった。
しかし、アジア諸国はこの危機から回復した。危機前は経常収支赤字であっ
42
たが、危機後の 1998 年以降は経常収支黒字に転換した。変動為替レート制への
移行により、ドルに対してアジア通貨の価値が低下したためである。
経常収支が黒字になれば、中央銀行の外貨準備も増加して、潤沢になってい
き、ドルに対するアジア各国通貨の下落も停止していく。さらに、為替レート
が安定すれば、危機の際に採用されていた緊縮財政・金融引締め政策の緩和が
可能となり、金利(利子率)が低下する。
金利低下により、金利負担は低下して、新規投資意欲を引き出す。このよう
にして、アジアは V 字型の投資増加率を実現し、これに支えられて、工業生産
も復活したのである。
詳細:アジア通貨危機
1 タイ
東アジアの通貨危機は 1997 年 5 月バーツに対する投機からはじまった。タイ
は 90 年代を通じて経常収支は赤字であった。その要因の一つは輸出の低迷、輸
入の増加である。95 年以降、円安が進行すると、実質上ドルにペッグしている
バーツの割高感が生じたためである。
しかし、90 年代当初から続いた経常収支赤字自体は 96 年まで大きな問題と
なっていない。90 年の経常収支赤字の対 GDP 比は 7.7%に達していたが、同年
の実質 GDP の伸びは 11.6%に達しており、日本からの直接投資による設備投資
主導の高度経済成長軌道にあると考えられていた。
このような経常収支赤字とそれをファイナンスする資本流入がどの時点でタ
イのファンダメンタルズを狂わせたのか。一つの指摘は、93 年のバンコクのオ
フショア市場の創設を中心とする資本の自由化とその結果の過剰流動性が直接
の原因である、ということである。これにより生じた資本流入を抑制するため
に政府が取り得る政策対応としては、大きく分けて、為替そのものの規制と市
場的政策があり、市場的政策の対応として、さらに為替切り上げの容認、金利
引き下げがある。結局タイ政府は資本流入の抑制策をとらず、為替レートを維
持したまま、不胎化介入政策を採用した。この引締め措置は金利の内外格差を
生じさせるため、資本流入を促進させる効果があった。政府はようやく 95 年か
ら次の手段である預金準備率を引き上げる措置をとったが、すでに過剰流動性
は不動産バブルを作り出しており、逆にこの措置は不良債権の増加につながっ
た。
タイの危機は金融セクターからはじまった。国内では 97 年 3 月、タイ政府は
経営の悪化していた金融機関を公的管理下に置き、その名前を公表した。これ
により、金融システムへの信認が急速に崩れ、システミックな問題になった。
預金者はもっと安全な銀行へ資産を移動して、多くの金融機関で流動性不足が
43
発生した。対外的には、95 年まで高水準を続けた対外銀行借入れは 96 年には
前年の半分程度に減少する。そして 97 年に入ると、数回にわたり通貨への投機
が起こった。タイ中央銀行はこれに対して、為替先物市場への介入で対抗した。
その結果、97 年 7 月になると、外貨準備はほとんど使い果たされてしまう。
7 月 2 日バーツは管理フロート制に移行し、これは実質的にバーツの切り下げを
意味した。
7 月 2 日後もバーツの下落が続き、タイ政府は 8 月 5 日、IMF などに金融支
援を要請した。この時期、外貨準備が危機的な低水準であったためであるが、
より根本的には為替市場の信認の回復がタイ政府だけでは図れなかったためで
ある。この要請を受けて、8 月 11 日、支援総額 172 億ドルのパッケージが合意
された。このパッケージはタイ支援に必要な 140 億ドルを大幅に上回り、十分
なものであった。その内容は均衡財政達成による財政安定の維持、金融引き締
め策と変動為替制度の維持、金融セクターの改革である。このようなコンディ
ショナリティの段階的な実施の結果、タイ・バーツは 98 年 1 月より安定し始め
た。
2
インドネシア
インドネシアがタイの影響を受けて通貨危機に陥る 97 年 8 月までは、インド
ネシア経済の脆弱性を指摘する声はそれほど大きくなく、深刻な危機を予見で
きたものもほとんどいなかった。危機直前までのインドネシアの経済成長は年
平均 7%とアジアの中で最高のレベルであり、財政収支は黒字であった。経常収
支赤字は増加していたが、それでも GDP 比 3%台と ASEAN の中では最低であ
った。つまり、97 年 8 月までインドネシア経済に対する信頼を十分有しており、
為替市場のみがタイの影響を受けて、ファンダメンタルズの動きとは切り離さ
れた形で変動していた。
タイの通貨危機を受けたインドネシア政府の対応は早かった。1997 年 7 月 11
日には為替バンドの幅を 8%から 12%に広げ、商業銀行の不動産融資を停止さ
せた。投機筋は 7 月 21 日頃からルピアにも攻撃を開始した。この日、ルピアは
7%下落して、バンドの下限近くまできたところで、インドネシア政府は 9 億ド
ルの介入を実施し、一時相場を戻した。しかしその後も投機筋によるルピア売
りは衰えず、8 月 14 日にはインドネシア政府はバンド制を放棄せざるを得なか
った。その後もインドネシア側は金融を引き締め、通貨防衛を行い、翌日物金
利も 42%まで上昇した。しかし、ルピアの下落は止まらなかった。これに対し
政府は、9 月 4 日に緊縮財政などを柱とする経済改革パッケージを広報し、徐々
に金利を引き下げ、通貨下落による国内経済への影響を緩和する措置をとった。
このようなインドネシア政府の危機直後の対応は、伝統的な対処方法からみ
44
ると、タイよりも十分優れていた。一時的にルピアは安定したが、しかし、10
月に入り再度ルピアが下落して、結局 10 月 31 日、230 億ドル規模の IMF 支援
パッケージが組まれた。
しかし、結果的にはインドネシア危機は 97 年 11 月頃から深刻になっていく。
その第 1 局面が金融パニックの発生である。この支援パッケージを受けて、16
の銀行が即座に閉鎖された。これは金融改革に取り組む意思を政府が内外に示
すために行われたが、結果は政府の意図とは逆に金融システム全体に対する不
信を増幅させることになった。一方、こうした危機の進展に対して、この時期
の対外支援の実施は遅滞していた。
97 年 12 月になると、事態はさらに悪化する。この時期から他の ASEAN 諸
国通貨にしてもルピアは減価していく。その要因としては、スハルト政権に対
する信認の動揺、IMF とインドネシアの対立が挙げられる。
スハルト政権への信認の低下について、もともと市場は同政権の政策態度は
支援パッケージを受け入れて以来、一貫性を欠いているとみていた。IMF との
対立に関して、4 月 8 日 IMF 第 3 次パッケージが合意されたことで、いったん
は解消に向かい、ルピアは一時期安定をみせた。しかしこの間、インドネシア
の社会的不満は高まっていた。そして 5 月 21 日、スハルトは辞任して、ハビビ
が大統領となった。その後もしばらくは政治的、経済的にも不安定な状態が続
いた。
3
タイ・インドネシアからの教訓
タイ、インドネシアのアジア通貨危機から得られた教訓は、過大評価された
為替レートの下での急激な短期金融資本の流入とその後の急激な巻き戻しが危
機の原因である、ということである。また両国とも危機に陥って、IMF からの
支援を受け取る際のコンディショナリティとして厳しい引締め的なマクロ経済
構造調整策を受け入れなければならなかった。そのため、その後、アジア各国
はこれまでの外資主導から日本型の自国貯蓄の蓄積による経済成長路線へと転
換することになる。
45
タイとインドネシアの貯蓄・投資の差(単位:GDP 比率)
出典:ADB Key Indicators 2009.
タイとインドネシアの経常収支の推移(単位:GDP 比率)
出典:ADB Key Indicators 2009.
アジア危機前は投資超過であったが、アジア通貨危機により、急激に貯蓄超
過になったが、その後はゆるやかに減少した後、また回復している。
この二つの図から、貯蓄・投資の差と経常収支の動きが連動していることが
分かる。危機前の投資超過に対応して、経常収支は赤字であったが、危機後に
は急激な貯蓄超過に対応して、経常収支も大幅に黒字化するが、その後は貯蓄
超過が緩やかに減少するにつれて、経常収支黒字も低下している。
46
ⅩⅠ 政府開発援助(ODA)と貧困削減・経済発展
政府開発援助(ODA)とは何か
政府開発援助(ODA)とは、発展途上国の経済・社会開発に寄与すること
を主たる目的とする、先進国から途上国への資金援助のことである。
より厳密には、経済開発協力機構(OECD)の開発援助員会(DAC)による
定義がある。これによれば、ODA とは、以下の 3 つの条件を満たす、先進国か
ら発展途上国への直接・間接の資金の流れのことである。
(1)中央政府・地方政府を含む公共部門ないしその実施機関により、発展途
上国および国際機関に供与されるもの
(2)発展途上国の経済・社会開発に寄与することを主たる目的とするもの
(3)グランド・エレメント(条件が贈与に近いかどうかの比率)が 25%以上
であること(グランド・エレメントとは民間の融資だと 0%、贈与だと 100%を
とる)
ODA を大別すると、「先進国から途上国への 2 国間援助」と「先進国から国
際機関を経由して供与される間接的な多国間援助」がある。前者の 2 国間援助
には、さらに贈与(無償資金協力・技術協力)と政府間貸付(借款)がある。
ODA の借款とは、低金利・長期の譲許的な融資のことである。
贈与
①無償資金協力;途上国の中でも 1 人あたり所得水準の低い国々を中心として
供与される
②技術協力;途上国の人材開発を目的としたもの
③国際機関に対する出資・拠出
貸付
政府貸付;途上国が経済の開発のために必要とする資金を長期の返済期間と低
い金利水準で融資するもの
貧困削減と経済発展との関係
ODA が受入国の経済発展と貧困削減をもたらしうる経路には大きく分けると
2つある。第 1 は、ODA が食料援助や教育・医療保健分野などの社会セクター
に配分されることを通じ、直接的な貧困削減が達成されるというものである。
第 2 は、ODA がインフラ整備、人的資本の蓄積、FDI や貿易の促進を通じて、
経済成長を高めることを通じた貧困削減である。これら 2 つの経路は、
「直接的
47
政府保障」「成長媒介保障」ということもできる。
問題 14 配付資料を参照にして、なぜ国によって「直接的政府保障」と「成長
媒介保障」を重視する国に分かれるのか、考えなさい。
開発援助を貧困削減のための純粋な移転と見なすことができるかという問題
がある。援助供与国(ドナー)は利他的というよりは、概して戦略的動機で援
助を配分している。現実の援助配分が戦略的に行われているとすれば、世界全
体の貧困削減という基準からみて援助の配分が効率的でない可能性がある。
→例)現在の日本の ODA 戦略・政策
援助が直接的な所得移転として最終的な貧困削減に寄与するためのもう一つ
の条件は、受入国側のガバナンスが良好で、受け入れた援助資金が効果的に貧
困削減に利用されるということである。しかし、援助が受入国政府の規模や汚
職を拡大させる一方、生産的な投資には向かっておらず、さらには貧困削減に
も寄与しないということを見いだす研究が多い。
→議論)ガバナンスが悪い国には援助しなくても良い?
ドナー側の戦略性の問題と受入国側のガバナンスの問題から、政府開発援助
を純粋に貧困削減のための所得移転として捉えることには無理があり、開発援
助を通じた所得移転のみでは、貧困削減は不可能である。
国全体の経済発展と貧困削減の間には強い相関関係があり、経済成長が貧困削
減の必要条件である。つまり、貧困削減には援助ではなく、経済成長が欠かせ
ないのである。
→”Towards the end of poverty”, The Economist, Leaders, June 1st 2013, 11pp
“Not always with us”, The Economist, Briefing Poverty, June 1st 2013,
23-26pp
日本の ODA の歴史と特徴
●第 2 次大戦後、日本が援助受入国から援助供与国への転換を経験したという
ことである。
→戦後の日本は被援助国であった。1953 年から開始された世界銀行の融資は 66
年まで 14 年間続けられ、総額 8 億 6000 万ドルに達した。1960 年代の初めには、
日本の世界銀行からの借入額がインドに次いで第 2 位の大きさだったのである。
このような援助される立場を「卒業」して援助する側に仲間入りし、さらに米
48
国と並ぶ最大の援助国になったことは、それ以前に例を見ないユニークな歴史
である。
→1953 年に最初に導入されてから 66 年までの 14 年間にわたって続けられた世
界銀行融資の総額約 8.6 億ドルのうち、60%以上が各種の政府機関に直接投資さ
れ、それぞれの機関が行うインフラストラクチャーの建設に向けられた。残り
の 40%弱の資金は日本開発銀行を経由して、電力部門および鉄鋼、造船、自動
車などの基幹産業部門に投入され、設備能力の拡充に貢献した。
このように、世界銀行の資金は、基幹インフラストラクチャーや基幹産業の
大型事業、とくに道路、電力、鉄鋼の三部門に集中的に使われたことが分かる。
→世界銀行融資の使い方は、当時の日本政府が対外借入に際してはっきり
とした戦略と優先順位を持っていたことを示している。
ちなみに、日本が世界銀行に対する債務返済を終了したのは 1990 年 7 月であ
る。
●軍隊を持たず、軍備による伝統的な安全保障による外交政策が行使できない
日本にとって、日本の ODA は重要な外交手段である。
●経済インフラストラクチャーへの配分比率が他国の援助に比べて高い。
→そのために贈与よりは借款の比率が高くなっていること。
●東アジア・東南アジアへの配分比率が高いこと
問題 15 日本の ODA の特徴として、インフラ比率が高く、アジアの比率が高
い背景について考えてなさい。
●日本の ODA の歴史を振り返ると、その根底にある一貫した明確な考え方が流
れていることに気づく。「途上国の自助努力を支援する」「途上国の“卒業への
道筋”を支援する」というものである。つまり、
「自助努力」と「卒業」がキー
ワードである。
→欧米の理念とは一線を画するものである。
「西洋における援助の概念は、世界の恵まれない国々に対する“ノブレス・オ
ブリジュ”またな慈善の一つの形態」である。西欧の伝統的な援助観が「恵ま
れない人々に対する恵まれた者の責任」なのに対して、日本における援助の考
え方は、
「途上国の人々が自分の責任で行う現状改善努力に対する助力」に重点
を置いている。
49
日本の ODA の歩み(「ODA50 年の成果と歩み」2004 年 外務省より)
〇1954 年~1976 年 体制整備期
コロンボ・プランに加盟し技術協力を開始し、援助実施機関の立ち上げや整
理統合、援助の仕組みの多様化などを通じて、援助実施体制を整備していきま
した。
①コロンボ・プランへの加盟
1954 年 10 月 6 日、日本はコロンボ・プランへの加盟を閣議決定し、同月、
日本の国際社会への復帰を希望していた米国の後押しを得て、コロンボ・プラ
ンの第 6 回会合に正式加盟国として参加しました。日本は翌年の 1955 年から研
修員の受け入れ、専門家の派遣といった政府ベースの技術協力を開始しました。
②戦後賠償と並行して行われた経済協力
資金協力は 1954 年 11 月に署名された日本とビルマ連邦(現ミャンマー)の
間の平和条約、賠償と経済協力に関する協定が発端となります。その後、賠償
協定は、フィリピン、インドネシア、ベトナム共和国(南ベトナム)との間で
次々に署名されました。戦後賠償の一環として、カンボジア、ラオス、タイ、
マレーシア、シンガポール、韓国およびミクロネシアに対する無償資金協力(い
わゆる「準賠償」)も行われました。このように、アジア諸国に対する賠償とそ
れに並行する経済協力として日本の資金協力が開始されたという事実は、日本
と密接な関係をもつアジア諸国との協力を重視するという ODA の方針と相ま
って、その後の日本の ODA のアジア重視の原型となりました。
③円借款の開始
1958 年、日本はインドに対して最初の円借款を行い、本格的な経済協力を開
始しました。日本が譲許的な(条件が緩やかな)資金協力を開始したという意
味で画期的な意味をもっていました。この時期国際社会への復帰を果たしたば
かりの日本にとって、その地位向上は至上命題であったため、コロンボ・プラ
ンへの積極的参加と、戦後処理の一貫としての賠償問題の早急な解決がともに
図られたのです。
同時に、経済面では輸出振興が課題であったため、1950 年代から 60 年代の
日本の賠償・円借款の供与は、日本にとっての輸出市場の拡大、重要原材料の
輸入の確保という目的を持ち、それが日本経済に裨益するという効果も期待さ
れていました。このような日本の姿勢は援助のタイド率がほぼ 100%であったこ
とにも反映されていました。
50
④援助実施体制の整備
この時期、日本が国内の体制整備を進めながら、援助国として国際機関の活
動に積極的に参加するようにもなっていました。1960 年 3 月、開発援助グルー
プ(DAG: Development Assistance Group)に参加し、61 年に DAG が OECD
開発援助委員会(DAC)に改組されると同時に加盟しました。1966 年のアジア
開発銀行設立に関しては、主導的な役割を担いました。
⑤日本の国際的地位の向上と援助の仕組みの多様化
1971 年の米国による金・ドル交換停止を含むドル防衛策の発表(ニクソン・シ
ョック)、1973 年の第 4 次中東戦争を契機とする第 1 次石油危機の発生など、世
界は激動の時代を迎えました。日本の国際的地位は急速に向上していき、量的
な拡大とともに援助の仕組みの多様化が図られました。
援助の量が、ODA 実績は 1964 年の約 1 億 1580 万ドルから 1976 年には 11
億 490 万ドルと 10 倍近い規模となり、1972 年には英国を抜いて世界第 4 位に
なりました。
⑥貿易振興からの脱却
日本は 1960 年代に高度成長期を迎え、60 年代末には、ODA と輸出振興を結
び付ける理由が薄くなってきました。1972 年、閣議決定で円借款のアンタイド
化方針が決定され、1980 年以降はほぼ 100%のアンタイド化が実現しました。
〇1977~91 年 計画的拡充期
累次の中期目標に沿って ODA の量的拡充が図られ、日本の ODA がグローバル
に展開するようになりました。
①賠償支払いの完了と援助の計画的拡充
1976 年 7 月、日本の賠償支払いが、フィリピンへの支払いを最後に完了した
ことを受け、日本の ODA は新たな時代に入りました。日本の経済力の伸びにと
もない、国際社会からは日本に対する期待が高まり、同時に国内でも、賠償の
終了を期に ODA を拡充させ、真に途上国の立場に立った経済協力を推進すべき
であるという声が高まっていました。日本は 1978 年、ODA 実績額を 3 年間で
倍増させるという第 1 次 ODA 中期目標を発表しました。これは当時どの先進国
も行っていなかった、政府レベルの具体的な数値を含む量的な対外的意思表明
であり、ODA を国際貢献の重要な柱と位置づける日本の姿勢を内外に示すもの
として、国際協力の分野において画期的な意義をもっていました。こうして日
本の ODA は、1983 年には西ドイツを抜いて DAC 加盟国中 3 位に、86 年には
51
フランスを抜いて 2 位になりました。
質的な面でも改善が行われました。災害緊急援助、文化無償資金協力、食糧
増産援助がそれぞれ、1973 年、75 年、77 年に開始され、1986 年には世界銀行
の構造調整融資との協調融資が始まりました。
この時期日本の ODA は、地域配分にも変化が表れています。それまでのアジ
ア一辺倒を改め、中東、アフリカ、中南米、大洋州地域の占める割合が増加し
ました。
②基礎生活分野の対する援助の拡大
1960 年代の半ば以降、途上国の発展が思うように進まず、国際社会では、そ
れまでの経済成長優先の援助の方法に疑問がもたれるようになりました。70 年
前後に相次いで、IMF・世界銀行などで「発展の究極の目的は個人の福祉の継
続的な改善にある」とする基礎生活分野(BHN)への支援重視の考え方が提起
されたことをきっかけに、国際的な援助潮流は経済成長重視から途上国の貧困
に目を向けたものへと大きく転換しました。
日本もこの変化を受け、BHN 分野への支援を積極的に行うことを表明。BHN
分野への援助は、1977 年までの 10%前後から 78 年には 23%に上昇し、以降
20~30%台で推移するようになりました。
③理念体系化の動き
1970 年代末には、日本の ODA の理念を体系的にとりまとめようという動き
が出てきました。これは 1976 年に賠償の支払いが完了したことや、ODA がな
ぜ必要かについて国民の理解を得ることが必要になってきたからです。
平和国家である日本にとって国際社会の平和と安定に貢献する唯一の手段が
ODA であること、資源小国である日本にとって相互依存関係にある途上国と友
好関係を維持していくことが日本の経済発展にとり極めて重要であることなど
に言及する文書を発表しました。
④構造調整の動き
1980 年代の開発理論は、世界銀行の構造調整融資が主流となりました。1980
年代、中南米を中心に途上国は債務危機に陥りました。このような事態を受け
て、本来は開発プロジェクトへの融資機関であった世界銀行は、1979 年、新し
い開発援助の形態として、構造調整融資を開始しました。
特に返済負担が重く、経済構造が脆弱なサブサハラ・アフリカ諸国を対象に
1985 年に特別基金を設け、先進国に協調融資を呼びかけました。日本はこれに
応え、1986 年に初めて構造調整融資を供与しました。日本の開発理念は、開発
52
における政府の役割をより重視するという点で世界銀行の理念とは異なるもの
でした。その後、国際社会は政府をはじめとする制度重視の考え方に重点を移
しました。この間、一貫して政府の役割を重視してきた日本の考え方は、国際
社会に一定の影響力を与えました。
⑤DAC 加盟国中、総額で第 1 位の援助大国に
日本は、1989 年には ODA 支出純額が米国を抜いて、初めて世界最大の援助
供与国となりました。1990 年代には全世界の ODA の量は減少傾向を示してい
ましたが、日本は 1991 年から 2000 年までの 10 年間、DAC 諸国の ODA の供
給量の約 20%を支え、文字通り世界一の援助供与国となりました。
〇1992~2002 年 政策・理念充実期(旧 ODA 大綱期)
冷戦終結後の国際情勢に対応するために ODA 大綱を定め、理念の明確化や政
策面での強化を進めることになりました。
①ODA 大綱で援助の理念を示す
1992 年 6 月には、中長期的かつ包括的な援助政策をまとめた ODA 大綱を策
定しました。 ODA 大綱では、国際的な援助潮流とともに、日本の独自性と積
極性をもって定められた援助の基本理念として、従来の(1)人道的考慮、
(2)
相互依存関係の認識に加え、(3)環境の保全、(4)開発途上国の離陸に向け
ての自助努力の支援、の 4 点を掲げました。重点地域としてアジアが取り上げ
られました。相手国との政策対話の強化、貧富の差の是正、不正・腐敗の防止
なども明示されました。
ODA 大綱の原則については、原則に照らして途上国に好ましい動きがあれば、
援助を通じてそれを積極的に推進し、逆に好ましくない場合は相手国に事態の
改善を求め、状況に応じて援助を見直すなどの対策を講じてきました。
②地域別・国別に援助を強化
援助政策の強化は地域別、国別に行われました。日本の ODA の約 6 割が供与
されているアジア諸国に対する援助のほか、たとえば、貧困や紛争、飢餓、累
積債務などの問題が集中するアフリカに対して、日本は国際社会の先頭に立っ
て開発協力を進めてきており、1993 年にはじめてアフリカ開発会議(TICAD)
を開催し、アフリカ諸国の自助努力(オーナーシップ)と国際社会のパートナ
ーシップの重要性を提唱しました。
③国際的開発目標に対する日本の貢献
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地域別・国別の援助政策の強化は、国際的な援助の議論における日本の発信
力強化にもつながりました。1990 年代は、構造調整から貧困削減へと国際社会
の援助潮流が再び変化した時代でした。1996 年に OECD-DAC 上級会合で「21
世紀に向けて―開発協力を通じた貢献(DAC 新開発戦略)」が策定された際に
は、日本が中心的な役割を果たしました。
④減少する ODA 予算と量から質への転換
1990 年代後半になって、年々厳しさを増す財政状況のなかで、ODA の量的
拡大も見直さざるを得なくなりました。1997 年の財政構造改革会議の報告に基
づき「量から質への転換」をめざす方針が閣議で決定されると、98 年度以降の
ODA 予算は一転して減少することになったのです。こうしたなか、日本の ODA
予算は 1997 年度を頂点に 7 年間で約 3 割減となり、2001 年には 10 年間維持し
てきた世界第 1 位の座を米国に明け渡しました。
⑤ODA 中期政策の策定
日本政府は 1999 年に「政府開発援助に関する中期政策」を策定し、援助の質
に焦点を当てた ODA の進め方と考え方を示しました。途上国のオーナーシップ
とパートナーシップの重視、各国の実情に合った援助、各機関と民間などの役
割分担と連携の重視、
「顔の見える援助」の積極的展開といった考え方が打ち出
されています。
⑥国民参加の拡大と NGO との連携強化
ODA への国民参加を促すため、NGO や地方自治体、大学など多様な援助主
体との連携が強化されてきています。特に、地域に密着したきめの細かい援助
や迅速・柔軟な対応が可能な NGO は、国際協力活動において重要な役割を担っ
ています。
〇2003 年~ 新たな時代への対応(新 ODA 大綱)
新しい時代の ODA のあり方を示した新 ODA 大綱が発表され、リーディン
グ・ドナーとしての指導力を発揮することが求められています。
①新しい時代の訪れ―新 ODA 大綱の策定
2003 年 8 月 29 日、ODA を取り巻く国内外の状況の変化を踏まえ、ODA の
戦略性、機動性、透明性、効率性を高め、国民参加を拡大、日本の ODA に対す
る内外の理解を深めるため、日本政府は ODA 大綱を 11 年ぶりに改定しました。
新しい大綱では、
「国際社会の平和と発展に貢献し、これを通じてわが国の安
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全と繁栄の確保に資すること」を ODA の目的としました。
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