『日本に来たのはやっぱりよかったです』

『日本に来たのはやっぱりよかったです』
おう
汪
しゅんとく
峻 徳(台湾)
子どもの頃、スラムダンクを見ました。画風とかストーリーとか、とてもすばらしいと
思って、日本の漫画が好きになりました。その当時台湾の翻訳がおそくて、いつも最新の
話は一か月後にしか読めないので、自分で日本語を勉強すれば、もっと早く読めると思っ
て、日本語の勉強をはじめました。そして、大学を卒業して、兵役が終わってから、日本
へ留学しました。
去年 10 月に東京の葛飾区の城東日本語学校に来ました。今月で一年になりました。この
一年間日本語を勉強するだけでなく日本の文化もマナーも学びました。たとえば、人間関
係について言えば最初から日本人はどうやって相手に迷惑をかけないようにするかを考え
ています。これは僕が一番好きなことです。マナーもです。僕の国は電車で電話をかける
ことができますが、日本ではダメです。自分の便利より他人に迷惑をかけないことの方が
大切です。
そして、もっと本格的な日本の文化を知りたくて、理解するために今年の九月にホーム
ビジットに参加しました。感想はほんとうに参加して、よかったです。ホームビジットで
は日本の子どもの頃のおもちゃであそんだり、自分で寿司を作ったりしました。日本の子
供の頃のおもちゃはとてもおもしろくて、たのしかったですが、僕にとってむずかしかっ
たです。特にけん玉とこまは、何回もやりましたができませんでした。寿司といえば、寿
司の作り方はとても簡単でした。最初はまきすにのりをおいて、のりの上にしゃもじでシ
ャリをおいて、好きな材料を選んで、まきすでまいて、たべます。家族と一緒に作って、
食べたから、とてもあたたかくて、おいしかったです。
最後に、葛飾区の国際交流課に感謝します。ホームビジットとかスピーチ大会とかいろ
いろなイベントを行っていただいたからです。僕は日本語と文化を学んできました。ほん
とうにありがとうございます。来年日本語学校を卒業したら、なにをするのか、ちょっと
迷っていますが、日本に来たことはやっぱりよかったです。
『来日一年の感想』
ちん
きんけん
陳 金建(中国)
2015 年 8 月、私は主人の仕事の関係で日本に来て、新しい生活を始めました。
でも想像より、新しい生活は全然違って、ほぼ食品の買い方は分からないし、電車の乗
り方もできないし、この時、とても困りました。
異なる環境において、生活は慣れません。文化や習慣の違う所がいっぱいあります。中
国では自分の責任じゃないことは普段謝りません。どうして日本では自分がしていないこ
とも謝るんですか?中国で恋人と一緒に食べる時、男の子が払いますけど、どうして日本
では恋人にも割り勘するんですか?中国では自分がしたくないことはちゃんと相手に伝え
ますが、どうして日本では断る時ははっきり言わないんですか?でも、時間がたつととも
に、こんな疑問も消えていきました。今、日本文化に入り込んで、生きていきつつありま
す。
来日の当初は日本語で簡単なあいさつさえできませんでした。早めに日本語が分かるよ
うに一生懸命勉強しました。例えば、インターネットや日本語ボランティア教室を通して
普通な会話だけでなく、日本に関する文化も覚えていきました。今、日本語学校で勉強し
て、日々日々の努力を積み重ねていって、日本語が話せることになります。
内気な性格なので、なかなか日本語を習うことがうまくいきません。私として、毎日勉
強したり、アルバイトをしたりするほかに、人とコミュニケーションすることも大事だと
思っています。できるだけ、イベントに参加したほうがいいと思っています。日本の生活
に慣れるように、これから、もっと頑張ります。
『私の日本語の先生達』
しゅ
朱
てつ
哲(中国)
皆さん、こんにちは。私は中国から来ました、朱てつです。今年で 25 歳になりました。
去年 8 月に日本に来ました。今回のテーマは「私の日本語の先生達」です。
日本に来たばかりの時には、仕事、生活に、なかなか慣れませんでした。いつも家族の
ことを思い出します。しかし、日本語勉強会のお蔭で、私はたくさんの親切な先生達に会
うことができました。
特に三人の先生を紹介します。一人目は日本に来てすぐ、千葉市に住んでいた時に出会
った先生です。その時に、日本についても何も知りませんでしたので、悩んでいました。
初めての授業の時、私は「日本のゴミ分類の仕方が全然分かりません」と言いました。先
生は授業後に私を近くのゴミ捨場に連れていきました、そして、ゴミ分類の案内を見せな
がら、詳しく説明をしてくれました。今考えてみると、あの先生の親切さを温かく感じま
す。
二人目はアジアの会で出会った先生です。先生はとても優しい人です。授業は落ち着い
た雰囲気でやっています。時々先生が日本の文化のことなどを紹介します。私が中国の文
化についての話をしているのを耳をすませて聞いてくれます。勉強会は二十年以上前に創
立しました。ずっと留学生や生活している外国人達に日本語を教えていました。アジアの
会の先生たちは私の大切な友達と思います。
三人目は小岩図書館クラブの先生です。今年 7 月に先生が中国に行って中国語を勉強し
ました。帰った時に、私は先生に「どんな景色を見ましたか?」と聞きました。先生は「昼
間は勉強して、博物館に行きました」と答えました。先生はもうリタイヤしたけれど、真
剣に勉強します。その先生を見ていて、私はもっと努力をして勉強しなければいけないと
思いました。先生は私の手本です。
これからも一生懸命に勉強して日本語を上手になりたいです。皆さん、私の話を聞いて
いただき、ありがとうございました。
『日本での妊娠と出産』
ファム ティ ハ(ベトナム)
皆さん、こんにちは。私はファムティハと申します。
日本での妊娠と出産の経験を話したいと思います。
一昨年の 12 月に結婚をし、2 か月後に妊娠が分かりました。つわりがひどく、ものを食
べるどころか、台所に入ることもできませんでした。主人はモリモリ食べていました。
3 月には日本で結婚式を挙げましたが、つわりでせっかくの料理もほとんど食べることが
できませんでした。主人は全部食べていました。
出産予定日は 9 月 26 日でしたが、9 月 24 日の深夜 2 時に陣痛が始まりました。朝の
9 時ぐらいに病院に行ってみると、まだまだ本当の陣痛ではないと帰されました。その後も
病院に行っては帰され、6 往復しました。26 日にはベトナムの友達が手伝いに来てくれま
した。出産の時にチカラが出るようにベトナム料理を作ってくれました。主人もまた一緒
に食べていました。
夜の 9 時半ぐらいに痛くて我慢できなくなり、病院に行き入院することができました」。
27 日の朝 7 時にやっと出産できました。
最初の陣痛から 77 時間かかりました。出産 3 時間後、出血して病院の中はそうぜんと
しましたが、大丈夫でした。
ベトナムでは出産の翌日に退院しますが、日本では一週間入院をして、母乳のあげ方、
オムツの替え方、お風呂の入れ方などを、教えてくれました。感謝しています。
私のベトナムの家族が居ない日本での出産に不安もありましたが、夫の義母が色々と面
倒をみてくれましたので、本当に助かりました。
日本で出産して本当に良かったと思いました。
むすめは、今年の 9 月に 1 歳のお誕生日を向かえ、元気に成長してくれています。愛す
る子どもが、これからも幸せに暮らしていけたらいいな、と思います。
御清聴ありがとうございました。
『さばくのおもいで』
オマール
アマゴホス(モロッコ)
サハラさばくはアフリカのきたにあり、ひがしからスーダン、エジプト、リビア、モー
リタニアそしてにしのモロッコまでひろがっています。サハラさばくは、せかいでいちば
んおおきいといわれています。
わたしのなまえはオマール アマゴホスです。サハラさばくのモロッコからにほんにきま
した。
ことしの4がつににほんにきて、にほんごのべんきょうをしています。
わたしのうまれたところは、メルスガでカサブランカから 900km ほどはなれたさばく
のなかにあります。
モロッコでゆうめいなものは、タジンなべ、アルガンオイル、クスクスやミントティー
です。タジンはスパイスをたくさんつかったにこみりょうりです。アルガンオイルはから
だにいいオイルです。
きょうはさばくのせいかつをしょうかいします。
モロッコはにほんとおなじで、はる、なつ、あき、ふゆのきせつがあります。
はるは、ローズのはながさき、ローズウォーターをつくります。またオレンジのきには
ジャスミンのはながさきます。ジャスミンのはなをミントティーにいれてのむと、とって
もいいにおいです。
なつは、あついです。あめがすくなくてかんそうしています。さいこうきおんは 54℃で
す。よるは 26℃です。
あきの 9 がつはがっこうのしんがっきです。
ふゆのよるはとってもさむいです。なぜならアトラスやまにゆきがふっているからです。
とうきょうでせいかつしているとなんでもあるのでべんりです。でもときどきわたしの
ふるさとのせいかつがなつかしくなってきます。
よるになると、すぐくらくなってほしがキラキラするのはとてもきれいです。
わたしのはなしをきいていただきありがとうございました。
『時間を大切に使ってください』
りゅう
劉
しんき
芯卉(中国)
時間が過ぎるのはとても早く、もう 30 歳をすぎました。日本へ来る前に中国で結婚して
いました。家族がいて、仕事もあり、困ったことはありませんでした。でも、日本に来て
一番困ったことは日本語でコミュニケーションができない事でした。例えば「こんにちは」
と言われてもわからなかったです。
去年 11 月から新小岩交流館で日本語の勉強を始めまし
た。先生は日常の知識を教えてくれました。日本の文化や生活などはだんだんと理解でき
ました。
どうして日本語を勉強しますか。その理由は、ほかの人に何かきかれた時、その返事が
できなかったからです。毎日日本人と会うチャンスがあるから、日本語の勉強をしなかっ
たら、勿体無いと思いました。日本語の勉強は難しくて、短時間でできる事ではないと思
います。焦る時がありますが、仕方ない。今日本で一番うれしい事はは日本人の会話がだ
んだんと聞きとれるようになった事です。自分が少し話せるようになり、ほんとうにうれ
しいと思います。勉強する間いろいろ困難があります。
日本人と簡単な話ができるようになりました。先日、娘をつれて病院へいきました。一
人で病院へいく事は、以前はそうぞうできませんでした。日本語の成長が見られたと思い
ました。
以前「どうして日本語専門学校に行かないの」と聞かれ、行かない理由は費用が高い事
ではなく、毎日家事や育児で忙しいからです。
今勉強している若者達に伝えたい事があります。学校に通う時間をきちんと持ってくだ
さい。理由は仕事がある時は、勉強の時間が本当にありません。私の今の状況は若い時、
きちんと勉強しなかったからです。
この時代、外国で働くのは普通なので、外国語の勉強は大事だと思います。ですから、
皆さんは時間を大切に使ってください。
以上です。ありがとうございました。
『日本にすんでどうですか』
はん
りうりん
范 留玲(中国)
私は范留玲です。中国人です。来月で、日本にすんでもう 1 年です。
しんせん
去年 12 月、主人と長女と一緒に中国の深圳からきました。私たちは日本語がぜんぜんわ
からなかったです。日本語を読めないし、書けないし、話せないし、聞きとりができなく
て、とても恥ずかしかったです。それで私は日本語を勉強したいと思いました。交流館で
日本語を勉強できることをしりました。私はとてもうれしかったです。私は交流館で日本
語の勉強を始めました。ここの先生はやさしくて、子供達とあそんでくれます。それに上
手におしえてくれます。先生とたくさん勉強しています。
ことしの4月、私の次女がうまれました。私はこどもがふたりになりました。そしてと
てもいそがしくなりました。もし、病気になったら、主人はしごとができないし、こども
を世話できないし、私は日本語の勉強ができなくて、生活が乱れます。つまり私はもっと
強くなれます。日本のママはスゴイ!!中国人はひとりっ子がほとんどです。日本人はこ
どもがふたり、さんにん…いる人もいます。子供達の世話をして元気です。私はふたりの
子どもでつかれています。
日本では、ぶっかがたかいし、こうつひがたかいし、じしんがたくさんあります。特に
じしんのとき、中国を思い出します。中国からはなれているので、ふるさとを思い出しま
す。
日本の生活は中国の生活より、ぜんぜん違います。便利な生活のために、私の希望はも
うすぐ上手に日本語を話せるようになることです。そして、私の家族と先生と友達がずっ
とげんきでいてほしいです。
みなさん、どうもありがとうございます。
『私の初めての妊娠経過について』
しゅう
周
ちょうしん
長 鑫 (中国)
みなさんこんにちは。私は周長鑫です。ごらんのように妊婦です。出産の予定日は 12 月
20 日です。今回スピーチのテーマは私の初めての妊娠経過についてです。
去年の 12 月に日本へ来ました。その時から日本語を勉強し始めています。5 月、中村病
院へかくにんに行きました。
「うわぁ Bingo」とてもうれしうかったです。その時か
ら、私は妊娠していました。つわりがないですから、私はらっきーだと思います。
妊娠5かげつ、病院へ通常のけんさに行きました。せんせいは赤ちゃんが男の子と言い
ました。でも私と主人は女の子が欲しかったので、がっかりしました。みっかごきもちが
おちついて、男の子でも女の子でも、どちらでもいいと思いました。しかし女の子の赤ち
ゃんをみた時、なんだか羨ましかったです。
妊娠 6 ヶ月、たいどうけんさをしました。第一回のけんさを通過しなかった。でも第二
回のは大丈夫だったので、主人と一緒にお祝いしました。
妊娠 6 ヶ月から、健康のために、毎晩散歩しています。主人は仕事が忙しくてもできる
だけ早く帰ってきます。それから毎晩一緒に散歩に行って、赤ちゃんの本をよんで、音楽
を聞いて、赤ちゃんの名前を考えています。でもまだ決めていません。妊娠の前に私はよ
くいろいろな本をよんでいます。今は赤ちゃんのについてばかりです。ママですね。
出産まぢかになったら、私の両親は日本へ来てくれます。両親がくる前にしっかりじゅ
んびをしておきます。たのしみです。赤ちゃんがうまれると、とても忙しいはずです。で
も両親の手伝いがあるので、心配じゃありません。
日本の病院はきれいでしずかです。それにせんせんせいもやさしいです。一日一日、赤
ちゃんはおおきくなっています。毎回のちょうおんぱ検査は、まるでほんとうの赤ちゃん
のようです。その感じはふしぎですね。
さいごに、ここでたくさんの感謝を言いたいです。
交流館のせんせい、日本語を教えてくれています。どうもありがとうございます。
主人には毎日さいしんの面倒をありがとう。
友朋とは、一緒に日本語を勉強しています。ありがとうございます。頑張りましょう!
『日本語を勉強したきっかけについて』
グエン ハイ ヒエン(ベトナム)
皆さん、こんにちは。私は、ヒエンと申します。ベトナムのハイフォンから参りました。
私は、大学卒業後、ベトナムにある日本の会社に勤めました。その会社に、日本の部長
がいました。部長は、いつも日本語で話すので、私は、全然わかりませんでした。この部
長が、初めて会った日本人で、日本語も初めて聞きました。
会社に通訳はいましたが、私は通訳無しで、部長と話したいと思い、日本語学校で 3 ヶ
月、勉強しました。でも、日本人の先生がいなかったので、日本で習いたいと思いました。
「これが、日本で、日本語を勉強したい」と思ったきっかけです。
家族の理解と応援もあり、日本に来ることが出来ました。日本に来た時は、分からない
ことばかりで、困ることがたくさんあったし、勉強した日本語も全く通じませんでした。
知り合いもいなくて、寂しくて、国へ帰りたくなりました。でも、日本の皆さんが、いろ
いろ助けてくださったので、今では、全てが変わりました。あの時、困難や寂しさに負け
て、国へ帰っていたら、このように皆さんの前で、話す事は無かったでしょう。頑張って
来て、良かったと思います。
勉強した日本語を使って話したかったので、ボランティアの日本語教室に参加したり、
バス旅行や料理を作って交流したことなどで、日本の皆さんと友達になれました。いろい
ろな言葉を覚えて、話したり、面白いこともたくさん体験できて、日本の生活にも慣れま
した。アルバイトもしています。日本に来て、既に 2 年半経ち、ますます日本が好きにな
りました。
ベトナムにこんな言い伝えがあります。
「住むことは、生活の場所。一度離れたなら、そこは心のふるさとになる」
いつか、日本を離れたら、言い伝えの通り日本が、私にとって「心のふるさと」になる
でしょう。その日まで、もっともっと日本語を勉強して、たくさんの方と交流したいと思
います。皆さん、よろしくお願いいたします。
私の話を、最後まで聞いていただき、ありがとうございました。
『私の主人は日本人』
グエン ティ フォン タン(ベトナム)
こんにちは。私はタンです。ベトナムから来ました。
今日の発表のテーマは、
「私の主人は日本人」です。
もし、あなたが日本人じゃなかったら彼氏として日本人と付き合うという考えはありま
すか?私の 3 年前の答えは「 NO 」でした。
それは、なぜかというと、日本に来る前に、日本人の男性はつめたくて、女性に対して
傲慢で、自分の意見を押し付けると聞いたからです。それで、私の将来の主人は日本人を
選べないと思いました。
それから日本に来て 2 年がたち、ベトナム人の我が強く相手のことを重んじないところ
が、日本の男性の性格と似ていて、どちらも選べないと感じ、私は、独身の方がいいなと
思いました。
でも、
「25 歳になったら結婚できないですよ。早く結婚してください」と、母に言われ
て、私は早く結婚しようと考えました。
しかし、私には彼氏がいなかったので、結婚相談所を見つけて、加入しました。紹介さ
れた写真のなかで、とても笑顔が素敵で、優しそうな男性がいたので、会いたいと思いお
見合いをして、何回かデートしました。
その男性は、日本人でしたが、デートをするなかで、だんだん好きになってきて、私は、
男性に結婚したいと告白し、その 2 か月後に結婚しました。
結婚後のお正月に主人の家族の家に、みんなで集まって食事をして、楽しく過ごし感動
しました。私は、家族から優しくされて、感動して夜、布団の中で泣いてしましました。
主人から「どうしたの」と聞かれて、何でもないと答えましたが、泣いた理由は、今まで
のお正月は、私の家族は、いつも喧嘩ばかりしていて、辛いことばかりだったからです。
主人のおかげで良い家族が出来たと思っています。
主人は優しくて、私のことをいつも考えてくれて幸せを感じています。例えば、私はい
つも嘘ですねるのですが、わかって許してくれます。
私が忙しい時は、料理や掃除、洗濯などを、手伝ってくれます。私は、良い主人と結婚
出来て、幸せだと思っています。
これで、私の発表は終わります。最後まで聞いて頂き、ありがとうございました。
『日本での生活と父の思い出』
ニック ウィーバー(アメリカ)
こんにちは。私はニックと申します。アメリカのロサンゼルス出身です。去年の 11 月に
日本に来ました。そして絶対に忘れないように 11 月 11 日、ポッキーの日に日本人の妻と
結婚しました。日本に来て日本語の勉強を始めて、毎日少しずつ日本語の意味が分かって
くる度に驚かされています。9 か月が過ぎて、今では町を散歩していても看板の漢字が少し
は読めるようになりました。湯島駅の事をお湯の島と読みました。妻に「ここには温泉が
たくさんあったの?」と聞くと妻に「違うと思うわ」と言われてしまいました。
東京で過ごした時間と経験はとても感動的で、今までは実現するとは考えられないもの
でした。今でも覚えています、私が 6 才のころ父とファミコンのスーパーマリオで遊んで
いました。そしてゲームをクリアすると二人でエンディングの画面に出てくる日本人の名
前を声に出して読みました。この時から私は日本についてもっと知りたい、学びたいと思
うようになりました。父はよく日本の建物の本を持ってきてくれたり、アジア料理のお店
に連れて行ってくれたりしました。中学生の時には父とディズニーワールドに行きました。
父はその中の日本をテーマにした場所に連れていってくれて、そこで一日のほとんどを過
ごしました。でも父が亡くなってしまって、二人で日本に行くことは出来ませんでした。
日本に来たとき、こうした記憶を思い出し、父が植えてくれた想像の種がどんどん成長
して現実という木になりました。この夏はおみこしを担いだり、盆踊りに参加しました。
これからも自分から心を開いて、日本についてたくさん学び続けます。
スピーチを聞いてくださってありがとうございます。そして僕の勉強を助けてくれたす
べての人たちに感謝しています。
ペルオ ティフェン(フランス)
皆さん、こんにちは! 私はティフェンともうします。一年半前、フランスから、日本
に来ました。
今日は、フランスの生活を紹介したいと思います。皆さん、よろしくお願いします!
日本とフランスの違いは色々ありますけど、一番面白いことは時間の使い方の違いだと
思います。
日本に来て、友達を作った時に、一番びっくりしたことは、大学生の皆はアルバイトを
していることでした。私の日本人の友達は、学校が終わったら、すぐ、アルバイトに行き
ます。”日本人は本当によく働く”と思います!フランスでは、大学生はアルバイトをし
ません。時間があれば、よく友達と遊びに行きます。
フランスは、美味しいレストランがたくさんありますけど、少し高いです。 日本では、
若い人は、暇があれば、よく居酒屋に行きます。安くて美味しいと思います。フランスで
は、居酒屋はありません!だから、フランスの若いひとは、いつもバーに行きます。でも、
大学生の時は、お金があまりないので、 お金を節約するため、よく友達のアパートに行き
ます。
フランスでは、パリいがいは、アパートのやちんがあまり高くないので、広いアパート
に住む事ができます。だから、みんなはよく、友達のアパートに集まって、食べて、ゲー
ムをして、たくさん話します。日本では、そんなことはあまりやってないと思います。私
は日本人の友達と、いつも外で会います。
フランスでは、時々みんなは川の近くに集まって、草に座って、 がっきをえんそうしま
す。楽器を持っているひと、または、やってみたいひとは みんなと一緒にすることができ
ます。
私は日本の生活は本当に楽しいですけれども、このことを考えると、フランスが懐かし
いです。
皆さん、私の話を聞いてくれて、ありがとうございます!
フランスのことを、少しでも知ってもらえたら、嬉しいです。