後期中間考査迫る! - 北海道札幌南陵高等学校

平成 27年(2015年)
11月6日(金)
第15号
北海道札幌南陵高等学校
文責
島尻道秋
後期中間考査迫る!
11/24(火)~27(金)
よく「学校は考査の点数だけで人間を評価して酷(ひど)い」と苦情を言う人がいて、私はよく言うのですが「で
は、人間性を加味(かみ)したとして、あなたの評価が高くなる自信があるのでしょうか?」と。
「そんなに人間性
に自信があるのなら、テストぐらいまあまあの点数を取れるでしょ」と。
そもそも最初の言葉も事実誤認です。学校は考査の点数だけで評価などしていません。どの科目にも「平常点」
が加味されているはずです。そこには日常の取り組み(小テストや提出物や学習態度)などが含まれており、考査
で点数が高くても、普段の取り組みが良くない場合は、高い評価にはなりません。前期の評価を見て、
「点数の割に
評価がよくないなぁ」と感じた人は、平常点がいまいちだからです。
女優である吉高百合子さんがツイッターで秀逸なお悩み相談をしていました。
「明日から新学期です。高校最後の
一年が始まります悔いを残さないために何をするべきですか?まずはクラス替えが心配です。」
(17 才学生)
「学校に休まず行く事! 学校休んでするような行動は大人になってからいくらでもできるから(^_^)今しかない
よ。
」by吉高由里子
本当にそうだ、と思います。学校は「来い」と言われると行きたくなくなって、
「もう来なくていい」と言われる
と来たくなる場所のようです。多くの卒業生が言っていました。人生は限られています。何気ない日常のすべてが
今しかない大切な瞬間です。友達との会話やお弁当や部活動の時間だけでなく、授業や考査や追試や補習だって同
じ重さを持つ時間です。生きている時間です。リア充を主張する Facebook のタイムラインのように人生はいいこと
ばかりではありません。
(かと言って人生のネガティブな面を Facebook で吐き出す人も困りものですが)これはい
い、あれは嫌と選り好みをすることによって、限りある人生の時間をばらばらにするのは、もったいないことです。
いいことも、悪いことも等しく自分の人生の一部だからです。人生に起きる出来事を差別してはいけません。人生
の全てを味わってください。
大切なことは問題から逃げないということです。テスト直前の週に欠席をする人がいますが、すごく損をしてい
ます。各教科でテストに向けて大事なところを勉強する時間だからです。まずは、8 時 40 分。教室の椅子にびしっ
と座ることです。遅刻は駄目です。そして、提出物を期限内にきちんと出すこと。基本です。人としての基本です。
うっかりできなかったら「ごめんなさい」と謝ることも忘れては駄目です。
「あー、めんどくさい」と思うかもしれ
ませんが、こうやってくどくど言われるのもあと 2 年 3 ヶ月だけ。3 年生は 2 月から家庭学習期間に入るので、実質
1 月で終わりです。その後は「基本」ができていなければ「明日から来なくていい」と言われます。専門でも大学で
も、もう高校のような「担任」は存在しません。2 年 3 ヶ月などあっという間に過ぎ、担任はあなたの人生から消え、
以後あなたが望まなければ一切関与しないので安心してください。とやかく言われるのが嫌な人は、
「基本」をしっ
かりやること。そうすればもうとやかく言いませんし、言う理由もありません。とやかく言われたくないのに、と
やかく言われる原因をせっせと作るのはやめることです。矛盾しています。
長文となりましたが、言いたいことは目新しくも何ともない「勉強しなよ」ということです。教師という立場の
人間から言われるのが反発心を起こさせるというのならば、吉高由里子さんの言葉を思い出してください。
「学校休んでするような行動は大人になってからいくらでもできるから(^_^)今しかないよ」
≪裏面に続く≫
来週は進路ウィーク!
11月11日(水)進路プラス(8 分野の専門家が来て、その業種について話してくれます)
11月13日(金)進路オリエンテーション(午後からパークホテルに行き、直接大学・短大・専
門学校の担当者を回ります)
鎖骨骨折と英語
―私が英語教師になった理由ではなく原因の一つ
英語教師
島尻
道秋
高校 3 年生の 4 月最初の日曜日、私はサッカーの試合で鎖骨を折った。当時 50mを 6 秒 2 で走る俊足で調子に乗
っていたのだ。独走状態から相手ゴールキーパーを抜きにかかったとき、足に引っかかって宙を舞い、肩から地面
に落ちた。その瞬間右鎖骨が Z 型に折れた。テーピングでぐるぐる巻きに固定され、整形外科に搬送された。先生
は「立派な骨折だよ」と嬉しそうに言った。新しいお客が来た、とでも言いたげだった。私は入院した。肩を切開
して折れた骨を鉄の板で補強する手術をした。病室は白くて無機質でまるで映画で見た刑務所のようだった。そし
て、病室で 3 人の男に会った。一人はおじいちゃんだった。彼は芝刈りをしていて間違って自分の左足も切ってし
まったらしい。他の二人はやくざだったようだ。彼らがテレビを観ていて頭の後ろに手を組んでいたときに小指が
ないのに気づいた。やくざの世界で義理を欠くと小指を切り落とすという習慣があると聞いたことがあった。彼ら
はやくざだったに違いない、と私は思った。一人のおじいちゃんと二人の元やくざとの入院生活が始まった。私は
朝 6 時に起きた。おじいちゃんは朝 5 時に起きた。そして、やかましくうがいをして、その水をいつもそのまま飲
んで大きなおならをした。同室の3人は声を潜めて笑った。看護婦さんは午後 9 時に消灯する。高校生が眠るのに 9
時は早すぎる。仕方がないので、ナース・ステイションの前のベンチで英語の勉強をした。英語を勉強すると眠た
くなるからだ。勉強をしていると、ある看護婦さんが私を褒めてくれた。高校生のある時期年上の女性に憧れるの
は不自然ではない。不純な動機ながら、私は毎晩英語の勉強を続けた。あの看護婦さんから「がんばってるね」の
一言を聞くためだ。1 ヶ月後、私は退院した。病院から出た瞬間の太陽の眩しさは、今もまぶたの裏に残っている。
入院前に「2」だった英語の成績は、退院後に「5」になった。高校を卒業した後、英語を勉強するために大学に
行った。そして、大学を出た後高校の英語教師になった。つまり、鎖骨骨折は、私が英語教師になった理由ではな
く原因の一つだ。
私の右肩前部には、今でも鎖骨骨折の手術による大きな傷跡が残っている。20 センチ定規と同じくらいの長さで、
フランケンシュタインの顔にある傷みたいにギザギザしている。私は今もその活用方法を考えている。文字通り転
んでもただでは起きない性(さが)なのだ。私には娘が 3 人いる。夜なかなか寝てくれない。彼女たちが小さいと
き私はこんな話をした。
「そんなに夜遅く起きていると、父さんみたいにオバケにかじられるよ。右肩の傷見たこと
あるでしょ」
「えっ。それサッカーでおったって、まえにいってた」「それは世間向けの嘘。オバケにかじられたな
んて本当のこと言ったらみんなに狂ってると思われるでしょ。本当は小さいときに夜起きていてオバケにかじられ
たんだよ」
「えー。サッカーでおったんでしょ」
「じゃあ、聞くけど。サッカーでこんなギザギザの傷ができるかな?」
(娘は少し考えて)
「できないとおもう」
「そうでしょ。サッカーでこんな傷が出来る訳がない。早く寝たほうがい
いよ。オバケくるから」
(娘はふとんをかぶって寝る)という具合に、使えるものは何度でも使う。娘たちは少し大
きくなった今も信じていると思う。
「だってサッカーであんな傷できるはずないもんね」とたまに言っているから。
何かを得るには何かを失う必要がある。鎖骨骨折は、高校 3 年生最後の高体連という一大イベントへの出場機会
を私から奪い取った。サッカー馬鹿からサッカーを取ったら何も残らずに、絶望だけが残った。でもその代わりに、
ずっと落ち込んで下を向いているところに偶然英語を見つけた。サッカーができないなら、せめて英語でもやるか。
そう思って全力で取り組んだ結果、それは未来の職業を掴(つか)むきっかけになった。不思議なことだ。人生に
はいろいろなことが起きる。私は鎖骨を折って、英語を見つけた。おまけにそのギザギザの傷で娘を寝かせるため
の罪のない嘘も。無関係とも見える原因と結果をつなげるのは、人間だけが成せる業だ。私にとってはそれが鎖骨
骨折と英語だった。あなたにとっての「鎖骨骨折」と「英語」とはどんなものになるだろうか。どんな原因と結果
をつなげるかは、あなた次第だ。そこにあなた自身のストーリーが生まれるのだから。