福祉システムと現実の矛盾 - So-net

反貧困ネット北海道連続学習会(第5回)
福祉システムと現実の矛盾
日時:2010年11月13日(土)
会場:札幌エルプラザ/札幌市
- 1 -
記録
貧困はなぜ救済されないか
─ホームレス状態にある市民を理解し、支援するために
奥 田 浩 二
はじめに
東京の「ぼとむあっぷ研究会」の奥田と申します。私たちの主な活動場所は、豊島区池
袋の周辺です。この地域では複数の団体が路上生活者に対する支援活動を行ってきました
が、2003年に同じ活動目的を持つ諸団体が集まって「てのはし」という一つの団体をつく
り、2008年にNPO法人格を取得しました。
「NPO法人てのはし」では、この団体を母体とするいろいろなグループがつくられ、
それぞれの目的に沿って活動をしています。そのうちの一つに私の関わる「ぼとむあっぷ
研究会」があります。同研究会は、臨床心理士、精神科医、歯科医、保健師、看護師、社
会福祉士、大学教員など、研究を得意とするメンバーが30人弱集まって起ち上げられ、こ
の中の「心理研究班」は、主に路上生活者の心理調査を実施しています。私は心理研究班
の代表で、これまで調査・研究のデザインをしてきました。
日本では、路上や公園など野外で生活する人たちのことを指して「ホームレス」という
言葉がよく使われます。そして、この表現を使うとき、憲法の人権概念が議論されること
は現状を見る限りほとんどありません。私たちが「ホームレス状態にある市民」という表
現を使うのは、彼ら・彼女らが日本国民として、あるいは定住外国人として、日本国憲法
の謳う基本的人権を享受し、市民としての権利を行使する主体であるからです。
本講演では、ホームレス状態にある市民の実態や、その権利行使が現状でどのように阻
まれているのかを説明し、あるべき支援のかたちについて一緒に考えていきたいと思いま
す。
1.貧困は自殺のハイリスク群
厚生労働省の集計した生活保護受給者の自殺者数の統計と、警察庁による全国の自殺者
数の統計を比較すると、後者に対する前者のリスク比は、2007年で1.5倍、2008年で2.1倍、
2009年で2.4倍で、貧困が自殺のハイリスク群であることがわかります。
では、そのハイリスクの中身は何か。厚労省集計の保護開始理由別自殺者数の統計を見
ると、自殺者数に占める精神疾患の罹患者の多さが際立ちます。具体的な数値を見ると、
- 2 -
全被保護自殺者数に占める精神疾患の罹患者の数は、2007年で577人中245人(42.5%)、
2008年で843人中371人(44.0%)、2009年で1045人中433人(41.4%)です。統計上は世
帯主の数とされていますが、ほとんどが単身者です。精神疾患の罹患で就労できなくなり、
生活保護を受給し、その後自殺するに至ったという人の数が、被保護自殺者全体の4割を
占めるということです。
ところで、保護受給者は生活保護という福祉制度にアクセスすることができた市民と言
えますが、貧困であるにもかかわらず福祉制度にアクセスできない市民も大勢います。こ
の福祉制度にアクセスできない市民もハイリスク群であるということを忘れてはなりませ
ん。そして、ホームレス状態にある市民の多くは、生存権を保障されているにもかかわら
ず、その権利を行使して福祉制度にアクセスすることからも疎外されています。
2.ホームレス状態にある市民に対する調査
(1)
知能検査
私たち「ぼとむあっぷ研究会」は、2009年末、池袋周辺の168人の路上生活者の男性を
対象に、知能検査を行いました。検査方法はウェクスラー成人知能検査(WAIS-Ⅲ)
です。幻聴の症状があって言葉による意思疎通ができない人などは、検査の対象になって
いないことを予めお断りしておきます。
この調査の対象となったのは、池袋東公園で毎週土日に行われる炊き出しに参加する人
たちです。炊き出しの参加人数は、通例300~450の間で上下があるという水準ですが、調
査実施時期の09年末から翌10年の年明けにかけて、150~200の水準まで減少しました。そ
れはこの時期、いわゆる「公設派遣村」が炊き出し会場から約7kmの距離の渋谷で行われ
ていたからです。また、炊き出し会場の池袋東公園の隣のビルの中にハローワークがあり、
公設派遣村に比較的アクセスしやすい環境にありました。それにもかかわらず、公設派遣
村にも行かなかった人たちが、私たちの調査の対象になったということです。
調査対象者を年齢別に分けると、50代が最も多く、続く60代、40代と合わせて全体の8
割以上を占め、20代、30代、70代がわずかにいるという状況です。日本の場合、土建業が
雇用の最後の受け皿と言われてきました。しかし、公共事業への投資の削減が続く今日、
製造コストを下げるため、40代後半以降の人たちをほとんど採用しなくなっています。こ
うした土建業の雇用の現状と、路上生活者に40~60代の人が多いことには関係があると考
えられます。
本調査では、ウェクスラー成人知能検査の簡易検査を用いて路上生活者の知能検査を行
い、対象者の知能指数(IQ)も調べました。
「知能」には一般的な定義がなく、記憶力、
抽象化力、具体化力といった諸々の能力の総体と考えられています。
ホームレス状態の人々の全年齢推定IQの割合を詳細に見ると、標準(80以上)31%、
- 3 -
軽度知的機能障害(50~69)39%、中度知的機能障害(50未満)1%、標準と軽度知的機
能障害のボーダー(70~79)29%となります。IQ70以下は厳密な統計上の数値では2%
強しか現れないものですが、それがホームレス状態にある人たちに限って見ると、そうし
たハンデを持つ人が40%にも上るということです。また、29%という結果の出たボーダー
の人たちは、知能の偏り方によっては、やはり社会的適合が難しい水準にあるということ
をご理解ください。
ただし、ウェクスラー知能検査を用いるということは、検査対象者の一部に知的障害が
あると認められるとしても、それは知的発達障害だけでなく、アルコール依存症や交通事
故の後遺症などにより知的後退を起こしているケースも考えられます。これら全てを含め
ての40%という結果です。
北九州市にある「ホームレス自立支援センター北九州」では、入所者のうち知的障害の
可能性のある人について、積極的に療育手帳の取得申請をすすめており、『ホームレスと
社会 Vol.1』(明石書店、2009年10月)所収の記事によると、手帳取得者は入所者の40%
を占めるそうです。偶然ですが、40%という数値は私たちの調査結果と符合するものです。
こうしたIQの分布状況を見ると、ホームレス問題というのは、単に失業の問題である
ばかりでなく、障害者に対する社会的排除の問題が背景にあるのではないか、という仮説
が成り立つと考えます。
知能検査を行うこと自体、人を差別し、分別する道具のような理解をされる方もいます
が、困窮している人それぞれに対して、本当に必要な支援の中身を固めていくためには、
知能検査はかなり有効な方法です。
(2)
精神疾患の有病率および自殺リスクの調査
研究会では2008年と09年の2回、ホームレス状態にある市民の有病率について調査した
ことがあります。この調査では、簡易構造化面接法(M.I.N.I.)というテストを用い、精
神疾患に関する世界的なガイドライン『精神障害の診断と統計の手引き』
(Diagnostic and
Statistical Manual of Mental Disorders:DSM)に基づく精神疾患の分類を行いまし
た。
08年調査では、80人を対象とし、うつ病41%、アルコール依存症15%、精神病性障害15
%となり、重複を排除すると、63%が何らかの精神性障害を持っていることが明らかにな
りました。WHO(世界保健機構)が疾病の罹患率を把握するため、かつて日本で統計を
取ったことがあり、その結果は、うつ病2.1%、アルコール依存症0.3%でした。これと比
べると、私たちの調査から浮き彫りになった、路上生活者の精神疾患罹患率の高さがあら
ためて実感されます。併せて、先ほど述べた、被保護自殺者に占める精神疾患罹患者の割
合の高さを再度思い起こしてください。
また、09年調査では、うつ病15%、アルコール依存症19%、精神病性障害9%、不安障
- 4 -
害11%となり、純実数で40%が何らかの精神性障害を持っていることがわかりました。川
上憲人氏(東京大学大学院教授)らによる一般群の調査の結果では、うつ病2.1%、アル
コール依存症0.4%、不安障害4.8%、計8.8%と、WHOの調査結果と大差がありません
でした。ここからも路上生活者の深刻な状況が見て取れます。
両調査の結果を比べると、うつ病が41%から15%に急減していますが、08年調査におけ
るうつ病罹患率の高さの背景にはリーマンショックの影響があると私たちは考えていま
す。この当時、炊き出しの参加者の中には20代の女性も含まれていました。特に男性にと
って、失業は個人の自尊感情を大きく破壊してしまいます。自尊感情の低下とうつ病は相
関が高いと言われています。
併せて、研究会では2008年と09年の2回、自殺リスクに関する調査も行いました。自殺
リスクとは、自殺したいという願望がある状態、自殺のハイリスクとは、自殺の方法、場
所、時期の検討が済んでいる状態です。
リーマンショック直後の08年調査では、自殺リスク56%、自殺ハイリスク24%となり、
それが09年調査では、自殺リスク27%、自殺ハイリスク2%という水準まで低下しました。
いずれにせよ、これらの数値は主にアルコール依存症の人たちが押し上げていると考えら
れます。
3.東京プロジェクトについて
私たち「ぼとむあっぷ研究会」および「NPO法人てのはし」は、関係2団体を合わせ
た計4団体の相互連携により、2010年4月より、「東京プロジェクト」という名で、知的
機能障害や精神障害を持つホームレス状態の市民への支援活動を進めています。
関係団体の一つは、フランスのパリに本部を持つ「世界の医療団」の日本支部です。こ
の団体は主に開発途上国で医療援助を行っていますが、日本の精神福祉行政の後れを理由
に、日本でも知的機能障害や精神障害を持つ人たちの支援活動をしています。
もう一つは、北海道浦河町を本拠とする「社会福祉法人浦河べてるの家」の東京支部で
す。こちらは主に精神障害者支援に関するスーパーバイザーになったり、直接支援をした
りしています。
なお、「東京プロジェクト」については、NHK教育の『福祉ネットワーク』という番
組で取り上げられ、「てのはし」や「世界の医療団」の関係者による支援活動がどのよう
に行われているのか、支援活動が当事者にとってどのように役立つのか、といったことが
紹介されました。
路上でしか生きられなかった-知的障害とホームレス-(2010年9月7日放送)
今年(=2010年)3月、「ホームレスの3割以上に知的障害」という調査結果が発表
され、福祉関係者に衝撃を与えた。しかも、療育手帳の取得者は、わずか一人であるこ
- 5 -
とが判明。障害者としての支援がないために、職場でのいじめや、詐欺・恐喝などの犯
罪被害を受け、ホームレスへと追い込まれてきた実態が明らかになった。従来の障害者
福祉から抜け落ちてきた「知的障害者ホームレス」の現状を浮き彫りにし、必要な支援
について考えていく。
(番組HPより、放送内容の紹介)
4.軽度・中度の知的機能障害の基準
軽度知的障害(IQ50~69)は、成人では精神年齢9~12才にあたるとされ、主要な分
類では以下のように定義されています。ICD-10(疾病及び関連保健問題の国際統計分
類・第10版)の知的障害のコードによれば、「学校ではいくらかの学習上の困難を呈しや
すい。多くの成人は働き、よい社会関係を維持し、社会に貢献することができるであろう」
とされています。また、文部省初等中等教育局通達「教育上特別な取り扱いを要する児童
・生徒の教育措置について」(1978年)によれば、「日常生活に差し支えない程度に身辺
の事柄を処理できるが、抽象的な思考は困難である程度のもの」とされています。
中度知的障害(IQ35~49)は、成人では精神年齢6~9歳にあたるとされ、ICD-
10の知的障害のコードでは「小児期には著しい発達の遅れを呈しやすいが、大部分はセル
フケアにおいてある程度自立を発展させることを学び、適切なコミュニケーションと学習
スキルを獲得することができる。成人は、地域社会で生活し働くため、様々な程度の支援
を必要とするであろう」と、同文部省通知では「環境の変化に適応する能力が乏しく、他
人の助けによりようやく身辺の事柄を処理することができるもの」とされています。
日本では、重度心身障害の支援は方法も施設も整っていますが、軽度や中度の場合には
ほとんど資源がなく、多くの人が何の支援にも結びついていけない状況です。特に中度の
場合は、単独での生活よりはグループホームでの生活の方が望ましいし、家族もしくは家
族に代わる支援者が同居する環境で支援していくことが有効と言われ、もう一歩踏み込ん
だ対応が求められています。
5.軽度・中度の知的機能障害への支援のあり方
では、知的障害を持ちながらホームレス状態にある人たちを私たちはどのようにサポー
トしていくべきなのでしょうか。
軽度知的障害に対する支援としては、①能力に応じた仕事(障害者枠での雇用を含めた
一般就労、福祉的就労)、②職場でのトラブル対応(就業生活支援センター等)、③金銭
管理、自炊等を含め、生活面に対して一時的な支援やトレーニング(相談支援事業など)
──といったことが考えられます。
このうち金銭管理は特に重要で、計画的にお金を使っていける自律性が備わらないと、
- 6 -
生活保護を受けたとしても、扶助費が支給された途端に、無計画に全部使ってしまうとい
う事態になりがちです。そのような場合、アルコール依存かギャンブル依存のどちらかで
ほぼ間違いありません。本人に家計簿をつけてもらうと、その人がどのような生活をして
いるのか、どのような長所・短所を持っているか、どのような支援が必要か、といったこ
とが見えてきますので、支援方法を考える手がかりになります。
軽度の方の場合、社会的なサポートがあれば、地域での自立生活も可能です。アルコー
ル依存症の方の場合は、断酒教育や抗酒剤の対面服薬を行う必要はあります。そういうケ
ースも含めて、NPO等の運営する支援センターに定期的に通ってきてもらい、継続的な
支援を行うシステムをつくり、地域での自立生活を支えることが基本です。
また、中度知的障害に対する支援の場合、支援方法としては軽度に対する支援方法を基
本に、定期的な生活支援や健康管理などが必要になるので、先ほども述べたとおり、家族
ないし家族に代わる支援者が同居するか、グループホーム等の施設での共同生活が望まし
いとされています。
路上生活者が生活保護を受けて住居に入ることになった場合、支援者側が陥りやすい錯
覚があります。
例えば、路上生活で酒を一緒に飲む仲間がいて、アルコール依存で体は壊したけれども、
友達がいて楽しかったという人を支援する場合、このような人間関係の中にいては社会復
帰はできないとして引き離してしまうと、生活保護を受けて家に入れたとしても、その人
自身に人間関係をつくる力が乏しければ、仲間のいない淋しさを埋めるために、またアル
コールに手を出すのではないかと思います。これでは支援としての意味がありません。
支援者側は、生活保護が始まると、支援がいったん完了したような錯覚に陥りがちです
が、生活保護の開始は支援の一通過点に過ぎません。「NPO法人北九州ホームレス支援
機構」の奥田知志さんが「伴走的支援が必要だ」とくりかえしおっしゃっていますが、こ
れは要するに、走るのは当事者本人だが、当事者の生活を横に見ながら一緒に走る支援が、
生活保護の受給が始まった後も引き続き必要だということです。
併せて、軽度・中度の知的機能障害を持つ人の場合、生活保護の受給後も引き続き、健
康管理や通院・入院の支援をしていく必要があります。自分の病状をきちんと伝えられな
い人もいるからです。最も医療を必要としている人に医療が届かないというとき、医師の
説明をきちんと理解できない人や、自分の病状をきちんと伝えられない人も現に存在して
いるのだということを認識しておく必要があります。
6.IQ100を標準としない社会づくりへの転換
私たちの社会はIQ100を標準としてつくられており、私たちのコミュニケーションは、
「標準的な人間」に照準を合わせ、標準的ではない人間を非難するという悪循環の中で成
り立っています。しかし、自らの現状をきちんと伝えることができない人も世の中には現
- 7 -
に存在しており、そのような人たちが医療や生活保護を必要としているという事実を認識
しておくことがまず重要です。
障害児教育の中には「定型発達者」と「非定型発達者」という概念がありますが、これ
は健常者と障がい者にほぼ対応するものです。
私たちの社会ではこれまで、非定型発達者の側に、定型発達者へのコミュニケーション
の努力を求められてきました。例えば、ろう学校では手話の使用が長く禁止されていた時
期がありますが、これも非定型発達者の方が定型発達者に合わせるという実例の一つです。
これからの社会では、定型発達者の側が非定型発達者に対してコミュニケーションの水
準を合わせていくことが非常に大切になると考えます。その進め方として、ここでは二つ
のことを挙げます。
一つは、物事を視覚的に構造化していくこと、すなわち、目で見てわかるようにするこ
とです。視覚構造化の例として最も身近なものは、駅や商業施設などで見られるトイレの
案内標識であり、日本語がわからない外国人などでも標識に従えばトイレに行くことがで
きます。
視覚構造化を医療に応用している事例が、千葉県の国保旭中央病院(千葉県旭市)にあ
る発達障害児の専門の人間ドッグです。その受診者は、まず受付でカードを渡され、カー
ドと同じ標識の部屋に行き、その部屋に入って検査を受けます。また、病室内では全ての
標識が視覚構造化されており、レントゲンや注射器の絵が描かれています。自閉症児の場
合、最初から最後までの見通しが示されれば、検査のストレスに耐えられると言われてお
り、ここではそうした見方に立ち、検査のスケジュールを示して見通しがとれる状態にし
てから、個々の項目を視覚構造化しています。
もう一つは物理的構造化です。IQ100を標準とした社会では、多用と共用を旗印に効
率を上げること、すなわち、一つの空間において複数の作業を行うことを前提にしていま
す。これに対し、そのようなことができない人たちが現に存在しているという前提に立ち、
空間の使途に複数の目的を持たせず、一空間=一目的を貫徹していくことを物理的構造化
といっているわけです。
7.知的機能障害者の社会生活上の課題
アメリカ精神遅滞学会(AAMR)の定義する「知的障害によってもたらされる社会適
応能力の制限の例」(2002年)によると、軽度・中度の知的機能障害を持つ人たちの社会
生活上の課題として、以下の項目が挙げられています。
①
言語表現や言語理解が十分ではない(様々な制度が理解できない)
②
読んだり書いたりすることが十分できない(一人で手続きをとることは難しい)
③
お金の管理や概念が十分理解できない(お金をあるだけ使ってしまう)
- 8 -
④
人間関係を上手くやることが十分にはできない(自己統制が難しい)
⑤
責任を持って役割を果たすことが十分できない
⑥
十分な自尊心が育ちにくい
⑦
騙されやすいことがある
⑧
規則を理解し守ることが十分にできない(規則が覚えられない)
⑨
日常生活を営む上で必要なことが十分できない(食事の準備、掃除や整理整頓、
交通機関の利用、薬の管理、金銭管理、携帯電話の使用など)
⑩
職場で必要なことが十分できない
⑪
安全な環境を確保することが十分できない
支援する側が日常的に気をつけたいのは、一部の能力の高さから知能が高いと判断され
た人でも、その人が何でも高い水準でできるかどうかは別の話だということです。このよ
うなケースを「知能のばらつき」といいます。一方で高い水準の知識を持っていると、周
囲からは同じように高い水準で別の状況や問題を処理することが要求されるので、それが
できないと「怠けている」というラベルを貼られるのですが、実際には知能の偏りであり、
全ての状況や問題を高い水準で処理できるわけではありません。
知能のうち新しい環境に適応する部分を作動記憶(ワーキングメモリー)といい、知能
検査では符号(記号を見ながら数字にする)の回答結果で測定するものですが、これが著
しく低いと、新しい環境に馴染みにくいと推察されます。
社会的排除は、私たち自身、実は身近なところですでにやってしまっているかもしれま
せん。科学的な見方をしていかないと、そうした危険性が常に潜在しているということを
強調しておきたいと思います。
8.ホームレス状態からのリハビリテ(復権)
次に、ホームレス状態にある市民をホームレス状態から復権させていくために必要なこ
とは何か考えてみたいと思います。
第一に、支援者が知的機能障害を理解し、的確な対応を行うことです。知的機能障害と
は、先天的な知的発達障害と後天的な知的後退の両方を含む概念です。
第二に、情報の提供方法等を工夫し誰でも理解可能なものにすることです。先ほど紹介
した視覚的構造化と物理的構造化は、ノースカロライナ大学で開発されたTEACCHプ
ログラムです。TEACCHとは「自閉症及び関連するコミュニケーション障害の子ども
のための治療と教育(Treatment and Education of Autistic and related Communication
handicapped CHildren)」の略語で、療育の世界では比較的定着している方法です。
ここで一つ留意してほしいのは、発達障害というと、メディアなどでは子どもたちの問
題として取り上げられがちですが、実は大人たちの各世代の中にも発達障害の方が子ども
- 9 -
たちと同じ割合でいるということです。発達障害は大人になればなくなるものではなく、
一生続きます。成長するに従って適応は上手になるかもしれませんが、脳の機能の異常は
一生変わりません。発達障害者の支援をめぐっては子どもが中心になりがちですが、この
問題は健診から就労までではなく、支援の対象者が就労して死ぬまで、その支援のあり方
を考えていく必要があります。
第三に、安定した住まいの確保です。住まいには一人で住んでもらい、必要に応じて支
援センター等に相談に行けるような体制を構築する方法と、家族ないし支援者が同居する
方法が考えられます。路上生活者の場合はほぼ家庭が崩壊しており、アルコール依存症の
男性の場合は結婚生活の崩壊を経験し、知的機能障害のある男性の場合は、結婚に至らな
い状況で原家族との関係崩壊を起こしています。女性の場合は、軽度知的障害であれば結
婚に至る可能性もありますが、子育てのネグレクトなどから、母親自身に支援が必要であ
ることが発覚するケースもあります。
第四に、知的障害などに該当する可能性を積極的に検討し、療育手帳や精神障害者手帳
の交付へ導くことです。これらの手帳が交付されることで、その後障害基礎年金を申請し
て1級に認定されれば、月あたり6万~7万円の所得が保障されます。その他、公共交通
機関の運賃割引などの特典もあります。
一方、現在は企業が一定割合の障害者を雇用すれば国から報奨金が出され、逆に雇用し
ないとペナルティを払わなければならない時代になっています。手帳取得者を雇用するこ
とは企業側にもメリットがあります。
第五に、日中の活動を保障および支援し、職場や生活に対して支援を継続することです。
その際、アルコール依存症のある場合は、断酒をさせ、一人でいてもアルコールに依存し
ない生活スタイルを定着させる必要もあります。
9.路上生活者支援の今後のあり方
W H O ( 世 界 保 健 機 関 ) は 2 0 0 1 年 、 そ れ ま で の 「 国 際 障 害 分 類 」( International
Classification of Impairments Disabilities and Handicaps:ICIDH)(1980年採択)
を改訂し、「国際生活機能分類」(International Classification of Functioning, Disability
and
Health:ICF)を採択しました。前者が「機能障害」「能力障害」「社会的不利」
というマイナス面ばかりに着目し、社会的不利を全面的に個人の因子に起因するとする思
考に基づいていたのに対し、後者では「生活機能」を重視し、個人の健康状態の判定に、
制度や建築物のバリアフリーなど社会環境要因の評価を取り入れたことが特徴です。
例えば、認知症であることがはっきりとしている高齢者に対しては、申請主義だから自
分で介護保険の申請に行きなさい、と言わないし、小学生に対しては、家で虐待を受けて
いる場合、自分の権利だから児童相談所に行きなさい、とは言いません。これらのような
ケースでは、本人の責任というだけでは権利が擁護されないため、支援の手が入って当然
- 10 -
と考えられます。
しかし、本講演で紹介してきたとおり、知的機能障害や精神障害を持ちながら路上で生
活する人たちは、知能検査などを経ない限り外観上は健常者との違いがわからないため、
自己責任の考え方のもと、十分な支援の手が入らないまま、生活保護の受給など権利の行
使手段にアクセスすることからも疎外される状況に置かれています。
知的機能障害や精神障害を持ちながら路上で生活する人たちが、自らの権利を保障され、
人間らしい生活を営むためには伴走的な支援が不可欠です。そして、その支援を実効的な
ものにするには、路上巡回によるケアだけでなく、生活保護の受給をスタート地点として、
受給後も継続的に支援していくということが必要です。これこそICFの哲学そのものだ
と思います。
路上生活をしていても、派遣切りの被害に遭った人など、そもそも社会適応型の人たち
は、就労支援や生活保護の申請などに比較的結びつきやすいと言えます。また、軽度の障
害を抱えていても、受け身型ないし孤立型のタイプの人であれば、支援者の手を借りるこ
とで様々な社会サービスに結びついていけます。最後まで放置されるのは、攻撃型を含む
積極型の人たちです。大声で怒鳴るとか、仲間を殺傷したことがあるといったケースもあ
ります。このような人たちをどのように社会復帰させていくかが、最後の課題になると思
います。
私たちはこの間、知能検査の結果など数値的なデータを発表したことで、猛烈な社会的
非難も浴びてきました。多くの支援団体から「階級社会がこれだけひどい状況をつくって
いるのに、そのことへの批判もしないでこのようなデータを公表することは、市民の差別
を助長するだけだ」などと言われる一方で、障がい者団体からは「私たちをホームレスと
一緒にするのか」と批判されました。お互いがお互いにスティグマを貼っているように見
えます。
日本の障がい者福祉は、政府が先進的な考え方を持ってリードしてきたのではなく、全
国各地の「手をつなぐ親の会」をはじめとして、障がい児の母親たちの地道な住民運動の
積み重ねによって、様々な支援制度をつくってきた歴史があります。そのため、支援のシ
ステムは親ありきであり、基本的に「親による支援を行政が補助する」というかたちにな
っているので、親が亡くなった後の支援、家族関係が崩壊した後の支援のしかたを考えて
おく必要があります。知的機能障害や精神障害を持つ路上生活者の姿が、親や家族との関
係が崩壊した後の障がい者の姿を先取りしたものであるとすれば、ここでの支援の経験は
今後の障がい者福祉制度の充実にも資すると考えます。
<おくだ
こうじ・臨床心理士/社会福祉士/
ぼとむあっぷ研究会心理研究班代表研究者>
- 11 -
本稿は、2010年11月13日に札幌市内(札幌エルプラザ)で開催された、反貧困ネット
北海道連続学習会⑤の内容をまとめたものです。
文責・正木浩司(社団法人北海道地方自治研究所研究員)
- 12 -