士師記4章~Iサムエル記6章

朝の15分があなたを変える。
心のごはん
2013年2月号
士師記4章~Iサムエル記6章
きょうのメニュー:士師記4章
「臨在同行」
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2月1日(金)士師記4:14「さあ、やりなさい。きょう、主があなたの手にシセラ
を渡される」
イスラエルがカナンの王ヤビンに20年間支配されていた時、
主は女預言者デボラを立
てて救おうとされました。デボラはバラクをも誘いました。そして「さあ、やりなさい」
とバラクを励ましました。なぜ、立ち上がることができるのでしょうか。同じ節に「主
はあなたの前に出て行かれる」とあるからです。主は「行け」と命じると共に、臨在同
行の約束をされます。あの弟子たちにも「行け」と世界宣教に派遣すると共に、
「世の終
りまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束をされました(マタイ28:20)
。イエ
スさまが共にいて下さるという、これほど心強いことがあるでしょうか。ラインホール
ド・ニーバーの祈りは有名です。
「主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、
変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける英知を我に与え給え」と。あなた
にとって、変えなければならないものとは何でしょうか。それはイエスの神観です。主
イエスはあなたの罪を赦すために、十字架上で死んで下さいました。そして、3日目に
墓を打ち破り、よみがえられました。私たちの神は死んでいる神ではなく、生ける神で
す。あの問題は無理と、あきらめてしまうが、生ける神に希望をおきましょう。
◎Ⅱコリント4:8を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記5章
「目ざめよ」
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2月2日(土)士師記5:12「目ざめよ、目ざめよ。デボラ。目ざめよ、目ざめよ」
本章はデボラの賛美です。これがリバイバルの順序です。まず1人でも信仰に立つの
です。それがある方々を奮い立たせ、やがて全員が目ざめます。宮沢賢治の『雨にも負
けず』のモデルは、斎藤宗次郎という熱心なクリスチャンであったと最近知りました。
宗次郎は賢治と同郷の岩手県花巻の人で、小学校の先生をしていました。彼は23歳の
時、内村鑑三に出会って、クリスチャンとなります。生家が禅宗のお寺であったので、
家を勘当されます。また、当時の国粋主義の高まりの中で、教師を続けることもできな
くなり、
新聞配達をして家族を養いました。
よく1人で学校までの道を雪かきをしたり、
小さい子を抱いて校門まで連れて行き、病人を訪問したり、疲れた人の重荷を背負った
りしました。50歳になって、彼は故郷を離れることになったが、花巻駅には町長をは
じめ、町中の人が総出で彼を見送ったといいます。この群集の中に若き宮沢賢治がいま
した。その5年後、『雨にも負けず』という詩を書き、最後に「こういう者に、わたしは
なりたい」と締めくくりました。聖霊に満たされると、普通の道具が神の道具に変わり
ます。新創造のわざが起こります。同様に、私たちも神様の力で輝けるのです。
◎ピレモンへの手紙11節をを読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記6章
「いつものように」
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2月3日(日)士師記6:12「勇士よ。主があなたといっしょにおられる」
ギデオンはイスラエルの救助者として出て行く前に、まず自分の家の偶像を壊すよう
に命じられました。これは士師(さばきつかさ)として適するか否かのテストでした。
これによって学ぶことは、
「公の奉仕における勝利は私生活における勝利がなくては得ら
れない」ということです。主イエスも「いつものように」
(ルカ22:39)祈りの時を
持ちました。あせらず、一歩一歩、同じことを繰り返しましょう。私が聖書学院時代、
よく言われたことは「教会を治めようと思うなら、まずおのれを治めなければならない」
ということでした。聖書学院では毎朝6時の早天祈祷会から始まります。もちろん、神
学校ですから神学的な知識も大事ですが、
祈りの祭壇を築くという訓練を受けたのです。
教会の管理は自己管理をぬきにしては考えられないからです。自己管理での勝利、私生
活での勝利からすべてが始まるといってよいでしょう。CSの教師も自分が恵まれてい
なくて、子供たちに恵まれた話をすることは不可能です。また、講壇に立つ時も、
『心の
ごはん』の奉仕も自分の霊性に深く関わっています。ギデオンが世に伝道する前に、ま
ず自分と家庭を治めたのは大変興味深いことです。
◎箴言17:3を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記7章
「数の論理」
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2月4日(月)士師記7:4「民はまだ多すぎる」
戦いをするのに、強い人が何人いるか、健康で最前線に行かれる人が何人いるか、軍
隊の数や量が勝敗に影響すると思われます。しかし、主は3万2千人のうち1万人だけ
を残しました。主は「民はまだ多い」と言って、水を飲む態度で試されました。そして、
300人を選抜されました。主は見抜いていました。大勝利の後、人々は「自分の手で
自分を救った」
(2)と自慢したり、誇ったりすることを。神の勝利の方程式は、この世
の方程式と違います。この世は、数や量がものをいいます。聖書は「王は軍勢の多いこ
とによっては救われない」
(詩篇33:16)といいます。この「数の論理」が教会を支
配してはなりません。ある宗教のように教団のために高額のお布施をする人や教養の高
い人を特別扱いしてはなりません。教会のために利益になり、役立つ人のみを優遇する
ことは危険です。高齢者も障害者も赤ちゃんも、神から遣わされた大切な宝物です。こ
の世の成功は、必ずしも主の栄光を現わすとは限りません。失敗・挫折・弱さ・病気を
も用いて、主の栄光が現われます。そして、主は「無きに等しい者」をあえて選ばれま
す。人間が作った枠から落ちこぼれても、神の枠から落ちこぼれないように。
◎Iコリント1:18を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記8章
「高慢にガードせよ」
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2月5日(火)士師記8:27「それはギデオンとその一族にとって、落とし穴となっ
た」
ミデアン人の手からイスラエルを救ったギデオンは、人々からイスラエルの王となる
ことを求められました。ギデオンは神による勝利であったことを知っていたので、
「主が
あなたがたを治められます」といいました。しかし、勝利を得ると気がゆるむのでしょ
うか。彼は「あなたがたに一つ、お願いしたい。自分の分捕り物の耳輪を私に下さい」
と人々に告げました。結局、彼はぶんどり物の中から金1700シケル(1シケルは1
1、5グラムだから約20キログラム)をもらいうけて、不用意にも金のエポデを造り
ました。聖書は「それはギデオンとその一族にとって、落とし穴となった」
(27)と記
しています。それを造ったためにイスラエルの民は姦淫し、偶像礼拝をするに至ったの
です。サタンはスキを狙っています。そこは大勝利・大成功の後です。恵みの絶頂ほど
一番危ないです。人はそこで天狗になり、へりくだりを忘れます。だれも傲慢という意
識はないと思います。成功と共にある落とし穴に気をつけましょう。12月2日の「ク
リスチャン新聞」に、
「なぜ、日本ではキリスト教が普及しないのか」とありました。原
因は「キリスト教が上から目線で人々を見ている」だそうです。
「勝って兜の緒をしめよ」
◎ヤコブの手紙4:10を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記9章
「家庭崩壊の要因」
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2月6日(水)士師記9:56「神は、…彼に報いられた」
ギデオンには多くの妻の子供70人のほかに、めかけの子アビメレクという子供がい
ました。ギデオンの死後、彼らの間に殺人事件がありました。もとはと言えば、ギデオ
ンの乱れた家庭であり、そこから出た子供なのです。外ではすばらしい働きをしている
人の隠れた裏面を見ることができます。どんなに外づらが良くても、家庭がめちゃくち
ゃだったら証しになりません。福沢満雄先生からのニュ-スレタ-には、本田弘慈先生
の伝道者の心得がありました。①純粋な心の動機。特に、金銭と異性のトラブルに充分
に気をつけること。②謙遜な心。どんなに用いられても傲慢にならないこと。③働きと
家庭へのバランス。
「外でのいかなる成功も家庭の失敗を償うことは決してできない」
(ビ
リ-グラハム)
。巡回伝道という職業柄、家をあける機会が多いから、人一倍気を使うの
でしょう。先日、ある宣教師が奥さんに「あなたって、留守番をするのがどんなに大変
なことかちっともわかっていないね」と叱られたことを証されました。留守番をしてく
れる人がいるから、外で奉仕ができます。教会にも来られます。留守の人にねぎらいの
言葉をかけましょう。どんなに神に用いられても、家庭が粗末にならないように。
◎Iテモテ5:8を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記10章
「神の恵みを忘れない」
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2月7日(木)士師記10:11「わたしは…あなたがたを救ったではないか」
アビメレクの後に、トラ、ヤイルが起こってイスラエルを治めましたが、その後、神
への信仰を捨てて偶像に仕えました。神はイスラエルの人々に対し、もう一度過去の恵
みを思い起こさせたのです。過去の恵みが当り前になると感謝を失います。なぜ、イス
ラエルの人々は真の神を捨てて、ほかの神々を拝んだのでしょうか。それは神の恵みに
慣れっこになり、神への恩を忘れたからです。何を忘れても、神の恵みを忘れないよう
にしたいです。主婦は実に良く働きます。たとえば、授業参観日、自治会、買い物、食
事の支度、弁当作り、掃除、洗濯、教会の雑用など、たくさんの仕事があります。ある
時はお母さんとして、ある時は妻として、フルタイムで働いています。奥様方にエール
を送ります。私も家内がいるから、今の自分があるのだなあと思います。しかし、とき
どき「有り難さ」
「感謝な心」を忘れます。そのときに限って、愚痴や不平不満が出ます。
教会の未亡人が「先生、夫婦ゲンカできるなんて幸せよ」といいました。夫婦喧嘩をし
たくても、できない人もいるのです。心の目を開くと、神の恵みは平凡な暮らしの中に
たくさんあります。案外、神の恵みは遠い場所ではなく、近場にあるものです。
◎Iテサロニケ5:16~18を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記11章
「えこひいきしない」
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2月8日(金)士師記11:1「彼は遊女の子であった」
当時、イスラエルはアンモンの人々と戦いの中にありました。神は遊女の子のエフタ
を用いて働かれました。人は無限の可能性を秘めています。さて、私たちはとかく立場、
家柄、学歴、服などの表面的なもので、簡単に人にレッテルを貼ってしまうことがあり
ます。聖書の神はレッテルなどで左右される方ではありません。
「人はうわべを見るが、
主は心を見る」
(Iサムエル16:7)とあります。そして、主イエスの救いの素晴らし
さは、
「血筋によらず」
「ただ神によって」だということです(ヨハネ1:13)
。人間は
皆区別なく神に受け入れられ、かけがえない者として評価してくださるのが聖書の神で
す。だから、人と比較して優劣を競う必要はありません。あなたはナンバ-ワンではな
く、オンリ-ワンです。 私は気をつけていることがあります。
「~先生の子」
「牧師の子」
という肩書きではなく、その人個人と関わるようにしています。なぜなら、
「牧師の子」
という肩書きは、その子にプレッシャ-を与え、重荷になります。
「牧師の子らしくある
べきだ」と型にはめるからです。教会員も「~先生の子」という偏見を捨てて、普通に、
一人の人間として付き合うように勧めます。
◎ローマ人への手紙2:11を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記12章
「牧師と信徒のチ-ムプレー」
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2月9日(土)士師記12:4「エフタはギルアデの人々をみな集めて、エフライムと
戦った」
エフタは一人でエフライムと戦いませんでした。みんなで戦いました。その結果、ギ
レアデの人々はエフライムを撃ち破ることができました。
ここに勝利の図式があります。
出エジプト記17章には、イスラエルとアマレクとの戦いがあります。モ-セは一人で
戦いませんでした。アロンとホルが支えたのです。結果は、イスラエルの大勝利でした。
指導者モ-セといえども、アロンとホルという名補佐役・女房役・脇役を必要としたの
です。決してひとりで何でもかんでもしなかったのです。特に、アロンは口の重いモ-
セに代わってメッセ-ジを伝えたスポ-クスマンでした。リ-ダ-のモ-セは決して完
璧な人間ではありません。いい意味で弱さやハンディがありました。それが協力を容易
に受け入れることができたのかも知れません。
牧会は牧師の個人プレイではありません。
牧師と信徒のチ-ムプレ-です。よく他教会から記念誌が送られてきます。牧師が転任
の時に限って、教会内にゴタゴタがあります。牧師が倒れても、転任しても、普段から
足腰の強い教会を築く必要があります。牧師のいなくなった後が、その牧師の偉大さが
わかるといいます。集会も「出席型」ではなく、
「参加型」の教会を目指しましょう。
◎出エジプト記17:12を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記13章
「最良の配偶者」
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2月10日(日)士師記13:22「私たちは神を見たので、必ず死ぬだろう」
イスラエルは、また主の目に悪を行ない、ペリシテ人の手に渡されて、40年間支配
されました。このときダン族のマノア夫婦がいて、主の使いは彼女の胎を開いて大勇士
サムソンをみごもらせました。夫のマノアは「必ず死ぬだろう」
(22)と悲しみました。
彼はマイナス思考・悲観論者だったのです。しかし、妻の方は物事の明るい面を見る性
格で、プラス思考でした。彼女は「内助の功」です。彼女は夫マノアの最高の伴侶だっ
たのです。
ここに夫婦の使命を見ることができます。
夫婦とは一方が落ち込んでいても、
片方が補い合う最良の助け手です。ご主人の会社のこと、子どものこと、何でも聞いて
やるといいです。傾聴は古代からの手法です。神は顔に耳を2つも造ってくださいまし
た。夫婦は不思議と性格が異なります。最後まで性格の不一致はあります。クリスチャ
ン同士が結婚したら、それで自動的にいい夫婦になれるのではありません。愛の家庭を
二人で築くのです。互いの欠点や短所をさばかないで、お互いの欠けを助け合い、補い
合うために結ばれたのです。男性はプライドがあって、一々奥さんに感謝しません。で
も、心では感謝しています。ズケズケいうのは、まだ見込みがある証拠です。
◎マタイによる福音書18:19を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記14章
「なぜ、と問うなかれ」
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2月11日(月)士師記14:4「それが主によることだとは知らなかった」
サムソンとペリシテ人との結婚を通して、主がペリシテ人と事を起こす機会をねらっ
ていたのです。彼の両親は「それが主によることだとは知らなかった」
(4)と聖書は記
しています。
「事を隠すのは神の誉れ」
(箴言25:2)とあるが、リビングバイブルで
は「物事を秘密にするのは神様の特権」となっています。神のなさることは人間に隠さ
れています。それは「秘密」だというのです。人生の挫折、失敗、病気、怪我を用いて神
は栄光を現されます。私は試練に解釈しないようにしています。そこは神の領域だから
です。
「あなたが砕かれるために」
「傲慢を示されるため」
「ご主人が救われるために」と
か、神の領域に土足で上がり、つい解釈してしまいます。
「なぜ、と問わない」の本に、
「東北の人たちは非常に我慢強い。何事に関しても実に黙々と耐えている。まことに立
派だ。そして善良であり、正直である」と前置きして、多くの人が口をそろえて「こう
いう実直で勤勉な立派な人々が、なぜこんな目に遭わなければならないのか。神さまは
こういう人たちを、いったいなぜこんなむごい目に遭わせるのか」というそうです。今
は理解や納得できなくても、
「あとでわかるようになります」
(ヨハネ13:7)と聖書
は語ります。
◎箴言19:21を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記15章
「失ったものを数えないで」
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2月12日(火)士師記15:16「ろばのあご骨で」
サムソンは敵に売り渡されました。しかし、主の霊が激しく彼に臨んだので、彼はロ
バの骨一つを見つけ、それを取り、ペリシテ人一千人を打ち殺しました。神は捨てられ
た道具を用いて主の栄光を現わします。聖霊が働くと、普通の道具が威力を発揮するの
です。主は弱さを用いる名人です。パウロも肉体にトゲがありました。新約聖書27巻
のうち、13巻は彼の作品だといいます。医者ルカの同行がどんなに役立ったことでし
ょうか。彼は、弱さをかかえたままで、そのままの姿で主の栄光を現しました。私たち
は自分を他人と比較しがちです。しかし、大事なのは私が何を持っているかではなく、
いかにささげるかということです。弟子たちは「パン5つと魚2ひきしか持っていませ
ん」と言いました。自分を見ると「あれしかない、これしかない」と言いがちです。し
かし主は「ない」ものを数えるのではなく、今「ある」ものを数えよ、
「それをここに持
ってきなさい」
(マタイ14:18)といいます。きょうも一日、
「私」がやるのではな
く、
「聖霊」にゆだねましょう。神は最善以下のことをなさいません。自分の思いと違う
方向に向かっても、人知をはるかに越えた神の業が期待しましょう。
◎詩篇55:22を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記16章
「がんばるな」
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2月13日(水)士師記16:28「私を強めてください」
以前の新聞に、丸紅の社長の年頭挨拶が載っていました。
「日本人は、本来まじめだ。
『頑張る』と思わないまでも、自然に頑張ってしまう。
『頑張る』というと、かえってプ
レッシャ-を受け、固くなって実力を発揮できず、はかばかしい結果を得られないこと
が多い。社員諸君、
『頑張る』と口に出すな」と言ったそうです。これは社長自身が一ケ
月以上の闘病生活を送って、ものの見方が変わったといいます。私も病気になって「ガ
ンバレ」という言葉を使わないようにしています。
「ガンバレ」の言葉で癒されないとわ
かったからです。
「頑張ったね」や「頑張っているね」と評価することはいいそうです。私
たちは他人に対しても『頑張れ』と口にします。子供にも「頑張っていい成績を」とい
います。病人にも「頑張って早く元気になって下さい」と見舞います。励ましたつもり
がかえって人を傷つけることがあります。
『頑張る』ということは、ときには無神経な残
酷な響きがあります。
「良い
介護とは、がんばらない介護である」といいます。サムソンは「ガンバリ信仰」に死ん
で、神の力に生かされたのです。それが「私を強めてください」の祈りになりました。
人間の力の限界が神の最高に働く時です。
◎ヨハネによる福音書14:1を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記17章
「主のみこころを祈れ」
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2月14日(木)士師記17:5「自分の祭司としていた」
ここには当時の宗教的・道徳的腐敗が記されています。エフライムに住むミカは、自
分の子を立てて祭司とし、ユダのベツレヘムから来たひとりの若者をも迎えて、彼をも
自分の祭司としました。
「自分の祭司としていた」
(5)とは、自分の好みや都合によっ
て選んだということです。人生には「集める人生」と「散らす人生」があるといいます。
集める人生とは、お金・物・知識・時間などを集めることが中心になる人生です。一方、
散らす人生とは、お金・経験・奉仕・時間などを周りの人々に散らす人生です。金城学
院学院長で淀川キリスト病院名誉ホスピス長である柏木哲夫先生は、臨床経験から「散
らす人生」を生きてきたほうが、平安な最期を迎えられるといいます。逆にいうと、平
安な最期を迎えるには、散らす人生を生きることです。
「幻なき民は滅びる」
(箴言29:
18)とありますが、英語の聖書には「神の」
「天の」とついています。人生には多くの
選択がありますが、自分の都合で判断することがあります。しかし、神にも都合がある
ことを覚えましょう。要は、自分の思い・願いではなく、主のみこころを祈ることです。
「祈りは死なない」
(メソジスト監督教会の牧師であったE.M.バウンズの言葉)
◎マルコによる福音書14:36を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記18章
「真の幸福度」
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2月15日(金)士師記18:1「そのころ、イスラエルには王がなかった」
ダン部族がミカの家のエポデやテラピムや刻んだ偶像を運び出して、自分たちの礼拝
の対象とし、レビ人を誘惑しようとします。盗まれるような神々や買収されるような祭
司がいたとは情ない話です。これらの宗教的・道徳的腐敗の原因はどこにあるのでしょ
うか。聖書は「イスラエルには王がなかった」
(1)といいます。FBマイヤ-は「士師
記は、救い主を王として認めぬ者らの実体を描写する書です」といいます。実は、2千
年前も「宿屋には彼らのいる場所がなかった」
(ルカ2:7)有様です。現代も同じです。
多くのところでクリスマス会をしています。しかし、主役不在のクリスマス会です。イ
エスを心の王座に迎え入れない結果、人間の悲劇・混乱があるのです。心のドアは内側
にあります。開けるも閉ざすも、あなた次第です。ところで、幸福度は何によって決ま
るのでしょうか。お金や物質的な豊かさで決まらないということです。以前、ブータン
の国王が日本に来ました。ブータンでは97%の国民が幸せだそうです。日本のほうが
はるかに文化が進んでいるでしょう。モノが豊かな日本が幸せかというと、そうでもあ
りません。はやり、心の王座にだれが座るかで決まります。
◎ローマ人への手紙10:9を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記19章
「心の拠り所」
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2月16日(土)士師記19:1「イスラエルに王がなかった時代のこと」
本章には、殺人・暴行・姦淫などの目をそむけたくなるような記事があります。
イスラエルの民が道徳的に、霊的に落ちるところまで落ちたのです。
『きょうの力』には
「これは最低・最悪の記録です。人が神から離れた時には、どこまで堕落するか突き付
ける箇所です」とあります。どこに問題があったのでしょうか。1節に「イスラエルに
王がなかった時代のこと」とあります。これが最大の問題です。法的に何か悪いことを
しなくても、本来あるべき状態からズレテいる状態を罪といいます。これが罪(ハマル
ティア)で、
「的はずれ」の意味です。罪とは結果ではなく状態です。だから「罪人」と
いうよりも「ズレ人」というべきです。0×10=0です。0×100=0です。0×
1000=0です。かける対象が問題です。どんな大きな数字をかけても、結果は同じ
です。つまり、人生の心の支え・拠り所の問題です。私は牧師として、人生の末期に立
ち合うことがあります。はやり、死生観の確立している方は心に平安があります。人生
は量や長さではなく質です。長寿を生きたとしても、
「何の喜びもない」と後悔したら、
さびしいかぎりです。今天国の切符を手にしようではないか。
◎伝道の書12:1を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記20章
「主のみ旨を問え」
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2月17日(日)士師記20:27「そして、イスラエル人は主に伺い」
ひとりの女性がはずかしめられて死んだという事件が起きたとき、イスラエルの民は
神の前に集まり、事の真偽を確かめてからギブアに攻め上ぼることになりました。しか
し、ギブアが属するベニヤミン族だけは、この呼びかけに応じようとせず、かくて内戦
が起きました。
ここで注目したいのは、
イスラエル人が神のみこころを問うたことです。
27節に「イスラエル人は主に伺い」とあります。信仰は恍惚状態でも熱狂主義になる
ことではありません。族長時代は神が夢や幻に出てきました。今の時代は聖書のみこと
ばを通して教えてくださいます。だから、普段からコツコツとみことばを蓄えるといい
です。主イエスのデボーションは「いつものように」
(ルカ22:39)でした。いざ困
った時に、その蓄えたみことばが歩むべき道しるべとなります。問題があるかどうかが
問題ではありません。試練の時に、みことばがないのが問題なのです。自分の思い・願
いではなく、主のみ旨を選択しましょう。お金を貯金するのもいいですが、みことば貯
金ほど大切なものはありません。私たちの世界に「絶対」という言葉がありません。よ
く物事は変わります。
しかし、
絶対に変わることのないみことばに委ねて歩みましょう。
◎ローマ人への手紙10:17を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:士師記21章
「主に拠り頼め」
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2月18日(月)士師記21:25「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行な
っていた」
ベニヤミン族はわずかの男性だけが生き残りました。このままでは消滅してしまうの
で、ヤベシュ・ギルアデからおとめを奪い、子孫を残すようにしたのです。今日の私た
ちには理解できない事柄です。当時の人々は国を治める王がなかったので、各自が思い
思いの自分の判断で物事を決めたのです。そこに混乱の原因があると士師記の著者は言
うのです。
「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見える
ことを行なっていた」のです。士師記は、神に頼らないで、自分の判断や経験に頼るこ
とがいかに愚かであるかを教えています。24節―25節に「めいめい」ということば
が3回も繰り返されているのは、この時代が神を無視した無秩序時代であったことを示
しています。人はみな苦労した経験をもっています。確かに経験が物をいうときがあり
ます。しかし時には、その経験が判断や決断を誤り、人生の落とし穴になることがあり
ます。経験が豊富だと祈らずして、それに頼ってしまう危険性があります。経験を絶対
化し、人に押し付けることがあります。聖書は「心を尽くして、主に拠り頼め。自分の
悟りにたよるな」
(箴言3:5)といいます。自分の知識に依存しないで、主に拠り頼み
ましょう。
◎Iコリント3:6~7を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:ルツ記1章
「妻の無言のふるまい」
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2月19日(火)ルツ記1:16「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」
ベツレヘムにききんがあったので、夫のエリメレクと妻のナオミはモアブの地へ逃げ
て行きました。ところが、夫エリメレクが死んでしまったので、二人の息子にオルパと
ルツというモアブ人の花嫁を迎えました。約10年後、二人の息子も死んでしまいまし
た。そこでナオミはオルパとルツに実家に帰るように命じました。オルパは実家に帰り
ましたが、ルツは親族、友人、再婚の望みなどを全く捨てて、姑のナオミに従っていく
決心をしたのです。これは義理や人情の決断ではなく、ルツの信仰的決断です。そこに
は約10年間の姑ナオミとの共同生活の間に信仰的感化があったことがわかります。こ
れが生きた証詞なのです。
「あなたの自我が残っているか、いないか一番よく知っている
のは、あなたの家族と隣人である」といいます。最も身近な人といかに過ごすか、そこ
ではごまかしがきかないのです。妻の無言のふるまいによって、神のものとされたケー
スがあります。日本の教会にはご婦人が圧倒的に多いです。つまり、教会には将来があ
ります。個人伝道や話術やテクニックではありません。生きた信仰の感化ではないでし
ょうか。人は皮表紙の聖書を読まないが、あなたという聖書に日々接しています。
◎Iペテロ3:1を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:ルツ記2章
「偶然ではない」
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2月20日(水)ルツ記2:4「ちょうどその時」
ナオミとルツはベツレヘムに帰りましたが、収穫する田畑がありませんでした。そこ
でルツは落ち穂拾いに出かけたのです。これは貧しい人や旅人が生計を立てる唯一の方
法でした。ルツは「はからずも」
(3)ナオミの亡夫エリメレクの一族であるボアズの畑
に導かれました。このように神は摂理の内に「時」と「場所」を準備されます。たとえ
ば、モ-セなしには出エジプトは考えられないし、イスラエル統一王国のためにダビデ
を備えられたのです。神がすでにボアズという方をナオミとルツの祝福のために備えら
れたように、あなたの前にも最善の道を備えておられます。神を信じない人は「偶然」
というかも知れませんが、私たちは「摂理なる神」を信じています。歴史は神の物語で
す。神の言葉が時にぶつかると、歴史が形成されます。たとえば、創世記1:3「神が
『光よ。あれ』と仰せられた。すると光ができた」とあります。
「ことば」
(ヘブル語で
ダーバール)は「出来事」と同じ意味だそうです。神の言葉は必ず出来事となって成就
します。一方、この世界では「あの人は口先だけよ」と聞きます。ことばと行為がアン
バランスのときにいいます。神は最善以下のことをなさいません。
◎ピリピ人への手紙2:13を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:ルツ記3章
「居場所を求めて」
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2月21日(木)ルツ記3:13「主は生きておられる」
ルツはその日の生活のために落ち穂拾いをしていました。しかし、いつかボアズの畑
に収穫の終わりがやってくるという不安がありました。だからナオミはルツに「身の落
ち着く所」を与えようとしました。その所こそ、安定した供給地だからです。教会の中
にも居場所・落ち着き所が必要です。来会者が「歓迎カ-ド」に教会の印象を記入して
います。アンケートによると、居心地が良い場所、アットホームな家庭的な教会などが
あります。初めて教会に行って何をしてほしいでしょうか。新来者に是非声をかけてあ
げてほしいです。
「伝道は挨拶から」と言われます。一度来ただけで教会の雰囲気がわか
ります。来会者は教会内を見ています。ある方の手紙に「いつまでも居心地のいい教会
でいて下さい」とありました。これはどんな教会を築いたらよいか示唆する言葉です。
今教会の目標は新会堂建築です。
外側の教会建設と同じく、
内側の教会建設も大事です。
アット・ホ-ムで、居場所のある教会を人々は求めています。人々は、自分をあるがま
まで受け入れてくれる居場所を探しています。一般に教会のイメ-ジは「かたい」
「暗い」
「つまらない」と言われています。しかし、教会こそ「身の落ち着く所」です。
◎マタイによる福音書20:33を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:ルツ記4章
「粗雑な材料を生かす神」
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2月22日(金)ルツ記4:11「私たちは証人です」
マタイによる福音書第1章には、イエス・キリストの系図が記されています。その中
には悪王や遊女、異邦人というレッテルのついた名があります。この系図こそユダヤ人
にとって、神の御業が現れた証拠であり、伝道説教です。毎日他人の畑に行き、落ち穂
を拾い集めて生活していた異邦人ルツが、やがて救い主イエス・キリストの先祖の一人
に数えられ、
その名を永遠に残す結果になったのです。
まさに人生は神のドラマであり、
神がそのシナリオライタ-です。神はナオミやボアズ、そして異邦人ルツを用いてご自
身の計画を全うされたように、実はあなたも神のご計画の中に数えられているのです。
ある本に「人間は一人ひとり花です。小さい花もあれば大きい花もあり、早咲き、遅咲
き、色とりどりである。店頭に飾られ、買われてゆくものもあれば、ひっそりと路傍で
『花の一生』を終えるのも多い。花の使命は咲くことにある。他の花と比べて優劣を競
うこともなければ、どこに置かれるかにもなく、自分しか咲かせられない花を一番美し
く咲かせることにある」とありました。あなたの子供は長所も短所もあるでしょうが、
花として見ましょう。子供は無限の可能性を秘めています。
◎テモテ2:13を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:Iサムエル記1章
「子供は親の所有物でない」
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2月23日(土)Iサムエル記1:20「私はこの子を主に願ったから」
ハンナの祈りが聞かれ、その子をサムエルと名づけました。サムエルとは「神、聞き
たもう」というクリスチャンネ-ムです。ハンナは「この子を主にささげます」 と言っ
て、決して子供を私物化せず、主にささげたのです。世の母親は子供を盲愛し、見栄を
張るため子供を自分の夢のように仕上げようとします。しかし、ハンナは母親と子とい
う「親離れ」
「子離れ」ができた方です。ハンナの献身が歴史に名を残すサムエルを造り
あげたといっても過言ではありません。大事なのは、親の姿勢です。子供は親のロボッ
トではありません。親のペットでもありません。聖書的にみると、神から委ねられてい
るのです。神の所有物です。子どもは決して親の敷いたレールに乗りません。
『あゆみ学
園』
(知的障害児童施設)にカ-ル・ギブランの詩があります。
「あなたのこどもは、あ
なたのこどもではない。彼らは、人生の希望そのものの息子であり、娘である。あなた
は、彼らに愛情を与えてもいいが、あなたの考えを与えてはいけない。なぜならば、彼
らは彼ら自身の考えをもっているからだ。あなたは、彼らのようになろうとしてもいい
が、彼らを、あなたのようにしようとしてはいけない」と。
◎詩篇127:3を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:Iサムエル記2章
「育児における夫の役割」
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2月24日(日)Iサムエル記2:19「夫とともに」
サムエルは幼い時から主の前に仕え、主にあって育ち、神と人とに愛されました(11、
18、21、26)
。それには2つの理由が考えられます。まず夫婦の信仰の一致です。
性格の一致ではなく、信仰の一致です。例えば、ハンナはサムエルが乳離れするまでの
2~3年を手元において育てました(1:22)
。大脳生理学者が認めていることは、人
間の性格の基礎は幼児にほとんど形成されるといいます。
(一説によると、4才までに8
0%、15才までに15%、残りは20才までに)
。イギリスの諺に「芽生えの時に曲が
った木は、大木になっても曲がっている」とあるそうです。もう一つの理由は、ご主人
の協力です。2:19節には、年ごとに「夫と共に」主に犠牲をささげたとあります。
子供の養育やしつけを母親まかせにしなかったのです。育児に父親と母親の協力が見ら
れます。父親はどんなに忙しくても家庭を大切にしたのです。案外、仕事のために家庭
が犠牲になりがちです。夫婦仲が良すぎて子供が非行に走ったケ-スを知りません。
「子
供は夫婦の愛情のこぼれで育つ」といいます。夫婦は一心同体です。
(エペソ5:31)
。
夫婦が共に何を見、何を拠り所にして生きているか問われます。
◎創世記2:18を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:Iサムエル記3章
「祈りの点検」
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2月25日(月)Iサムエル記3:9「主よ。お話しください」
祈りには二種類の祈りがあります。一つは「しもべは語ります。主よ、お聞きください」
という祈りであり、もう一つは、
「しもべは聞きます。主よ、お話しください」という祈
りです。一方は人間が主格であり、もう一方は神が主格です。神社やお寺に行くと、お
百度まいりというのがあります。これはまさに「しもべは語ります。主よ、お聞きくだ
さい」の祈りです。聖霊に導かれるより、聖霊を導いてしまう祈りです。伝道というと、
すぐ有名な講師を招いて講演会を考えがちです。もちろん、それも大事ですが、伝道に
は傾聴が大事です。ボンヘッファ-はこれを「奉仕」といいます。人はだれしも、自分
の話を聴いてほしいと思っています。
「聴く」ことは、人が人に与えることのできる最大
の贈り物です。これぞ神への最大の贈り物といえます。そこで気をつけたいことは、心
を白紙の状態で祈るのです。最初から自分で答えを決めて祈るのは、祈りでなく「ご報
告」です。私たちは神にご報告することが何と多いことでしょう。祈ったら、自分の思
いや願いと反対の方向に導かれるかも知れません。それでも謙虚に耳を傾けましょう。
それが「しもべは聞きます」の本当の意味です。
◎ルカによる福音書22:42を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:Iサムエル記4章
「形式的信仰の無力さ」
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2月26日(火)Iサムエル記4:21「栄光がイスラエルを去った」
本書はイスラエル人がペリシテ人と戦ったときの記録です。このときイスラエル人は
ペリシテ人に敗れ、4千人が殺されました。人々は、その原因を考えました。
「逆境の日
には考えよ」
(伝道の書7:14)とあるから大切なことです。敗北の原因は契約の箱が
ないからだと思い、
「シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう」と決心
しました。ところが、主の契約の箱があるのにもかかわらず、再びペリシテ人に敗れ、
死者3万人を出しました。前回より大敗北でした。では、なぜ敗北したのでしょうか。
それは契約の箱さえあれば、何とかなると思い、肝心な信仰生活の立て直しをおろそか
にしたからです。もちろん、箱は大切です。カタチがどうでもいいと言っているのでは
ありません。しかし、箱に力があるわけではなく、力は神にあるのです(詩篇62:1
1)
。これは形式的信仰の無力さを教えています。米田豊は「これは箱に力がなくなった
のではなく、彼らに信仰がなかったからである」と記しています。命のない信仰、形式
化した信仰は何の役にも立ちません。宗教も命を失うと、
「~ねばならない」という型に
はめられ、窮屈や不自由を感じるようになります。どこから落ちたかを思い出し、悔い
改めましょう。
◎ヘブル人への手紙3:14を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:Iサムエル記5章
「本物と偽物の神」
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2月27日(水)Iサムエル記5:11「もとの所に戻っていただきましょう」
ペリシテ人は神の箱をぶんどって偶像ダゴンのかたわらに置きました。
ダゴンとは
「魚
神」とも「穀物神」とも言われている御利益宗教です。彼らは神がひとつ増えたことを
喜び、得意満面として神の箱を安置したでしょう。ところが、一夜明けると偶像のダゴ
ンは破壊されていました。また主の手はアシュドデの上にきびしく臨み、主は腫物をも
ってその領域の人々を恐れさせました。
これらの災いは偶像に対する神の審判でしょう。
御利益宗教の特徴は人間が中心であるということです。偽物の神と本物の神との区別は
「人が造った神」と「人を造った神」です。前者は人が主役で、後者は神が主役です。
「が」と「を」の違いですが、的確な表現であるといえます。人間が主人公になって造
った神は、人間の都合のいいように働きます。まさに人間のペットです。しかし、クリ
スチャンは目に見える偶像は持っていないが、
「自己過信教」という偶像の教祖になる危
険性があります。自分のやっていることはいつも正しい、間違っているのはまわりの方
だ、と自分を過信します。自分が変われば、まわりも変わります。
「変えられないのは他
人と過去。変われるのは自分と未来」という名言があります。
◎Ⅱテモテ3:14を読んで祈ろう。
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きょうのメニュー:Iサムエル記6章
「ディボーションのすすめ」
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2月28日(木)Iサムエル記6:13「彼らはそれを見て喜んだ」
主の箱のゆえに困り果てたペリシテ人は、乳牛二頭にひかせて送り返すことにしまし
た。その車がベテ・シェメシュ人の方に行くならば、神のご計画と信じ、反対の方向に
行くならば、この災いが偶然であったと考えました。乳牛が本能からは家にいる子牛に
ひかれてもどるのが自然ですが、右にも左にも曲がらずベテ・シェメシュの方へ進んで
いきました。物事を自分の感情で判断しないで、神に歩む方向を決断していただくので
す。そのためには、朝静かに神の前に静まることをお勧めします。
「祈るときには、奥ま
った部屋に入りなさい。そして戸をしめて、隠れたところにおられるあなたの父に祈り
なさい」
(マタイ6:6)
。これは「山上の説教」で主イエスが教えられたディボーショ
ンです。朝の静まりの時とは、まさにこの隠れたところにおられる父にお会いするとき
なのです。朝の15分があなたを変えます。ノーベル賞をとった山中教授は「予期しな
いときこそ、チャンスである」とスピーチしていました。人生には予期しないこと、予
想しないことが良く起きます。いざというとき、みことばが背中を押してくれます。今
から遅くありません。地道に同じことの繰り返しに力を注ぎましょう。
◎ルカによる福音書22:39を読んで祈ろう。
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