まえがき - 山形大学

まえがき
この論文集は、山形大学大学院理工学研究科ものづくり技術経営学専攻グローバル戦略
コースの第二期修了生の研究成果をまとめたものです。前回、第一期修了生の論文集をま
とめましたので第2集ということになります。
平成 20 年に、山形大学の『世界俯瞰の匠育成プログラム』と名付けた地域産業人材育成
のための構想が、文部科学省科学技術振興調整費(当時)地域再生人材育成拠点形成事業
に採択されました。
構想の中心となったのは、山形大学大学院理工学研究科ものづくり技術経営学専攻です。
この専攻は、学部を持たない独立専攻で、主として社会人を対象として技術経営学(MOT:
Management of Technology)を研究領域として平成 17 年に設置されたものです。本プロ
グラムが構想されていったのは 6 年前の平成 19 年に遡ります。この頃の地域経済は、平成
13 年の IT バブル崩壊のショックから完全に立ち直り、日本の製造業は右肩上がりの成長を
続けていました。
「綿密な擦り合わせ」「多品種少量生産」
「ppm(100 万個に数個以下)レ
ベルの不良率」
「垂直立ち上げ生産」といった得意とする生産技術の高さが、熾烈な国際競
争に勝ち続けるビジネスモデルであると信じられていました。
生産技術の高さが日本企業の強みであることは、当時だけでなく現時点も同じです。し
かし、地域企業のものづくりの現場をみてきた私たちにとって、ある種の疑問を拭えずに
いました。つい先月まで工場内にあった製造ラインの一部が中国等に移りなくなるという
光景があちこちで見られました。そのなかで、年々厳しくなる品質と価格要求、短くなる
納期に地域企業経営者が日々追われている状況だったのです。その疑問とは、当時のビジ
ネスモデルが世界的な水平分業で分断された「閉じられた中での差別化」に過ぎないので
はないかというものでした。
ものづくりの工程がものすごいスピードでグローバルにどんどん変化しています。工程
だけではなく、市場もグローバルに大きく変化しています。グローバルな水平分業が進む
ことで国内の製造の現場では工程の範囲がどんどん狭くなっていて、その範囲だけで将来
を展望するのは、視野を極端に狭くした目隠しをしながら全力疾走を続けるようなものだ
と思いました。そこで、広く視野を開き、世界中で展開されている開発、設計から加工、
組立、市場開拓までのバリューチェーン全体を俯瞰できるようにする。そのうえで、自ら
のポジション(差別化)と今後の戦略を構築する必要性を地域企業に訴えたのです。
当時の問題意識の背景には、もうひとつの危機感がありました。地域製造業のデータを
調べていくと製品当たりの付加価値が低下する傾向が顕著だったからです。コスト競争が
厳しいので、ある意味では当然のことかもしれません。企業経営者や他大学の研究者とそ
の話をしても、
「1 人当たりの生産性をあげているから心配ない」
、
「重要なのは付加価値生
産性だ」という意見が大半でした。しかし、その考えは一定規模以上の生産が前提となっ
ています。確かに、大手メーカーと多くの下請け協力企業で構成される「ものづくりのピ
ラミッド」全体でみれば、マス・マーケットを確保できるので、生産性を極限まで高める
ことで国際競争に勝っていけるといえるでしょう。しかし、その一部を担っている地域の
中小製造業に視点を移すとどうでしょうか。グローバルに広がったピラミッドのどこに製
造がシフトしていくか分かりません。つまり、自らが担当する製造の規模が将来的にはど
うなるか分からないままに、付加価値生産性を高めることだけに専心していてはリスクが
高まるばかりです。
このことは同時に、あることに気づかせてくれました。日本全体のものづくりについて
は、多くの研究や議論が行われています。しかし、その重要な一部を支えている地域の中
小製造業の視点からの本格的な研究や議論はあまり行われていないということです。この
テーマについて、地域の産業界とともに考察を深めていくのには地域に根差している地方
大学である山形大学が適していると言えます。
このようにして、この『世界俯瞰の匠育成プログラム』がスタートしました。初年度に
あたる平成 20 年は、夏期集中型のプレ講座を開催したところ、地域のマスコミにも大きく
取り上げられ、詳細を聞きたいという問い合わせが多く寄せられて地域産業界からの関心
の高さが感じられました。しかし、その直後の秋にリーマンショックが起こり、それが引
き金となった世界同時不況に状況は一変してしまいます。世界的な需要の縮小が大きなダ
メージとなって圧し掛かり、地域のものづくり企業に将来戦略を構築する余裕を奪ってし
まったのです。
しかし、世界同時不況後の経済構造や日中関係の変化は、地域の中小製造業の新たな戦
略構築の必要性を顕在化させることとなりました。このことは、イノベーションをめぐる
世界レベルでの競争がますます激しくなっていくことを意味しています。本プログラムが
当初から目指していた新たな戦略づくり、すなわち高品位な生産管理技術に立脚しつつ、
グローバルな視野でポジショニングを行い、しっかりとした新たなビジネスモデルを構築
することが強く求められています。
新たなビジネスモデルの構築は決して容易いことではありません。しかし、参加した人
たちは皆、修士課程の 2 年間という短い許された時間のなかで、それぞれの問題意識をも
とに大変な努力を重ねながら研究を行いました。殆どが社会人であり日常の業務を抱えな
がら、夜間や週末の僅かな自由になる時間を惜しんでの研さんを積み上げてきたのです。
その意味で成果論文集はその努力の結晶と言えます。
この第2集では、第2期修了生 8 名による 8 編の修士論文を掲載しました。これらの計 8
編の概要を以下に簡単に紹介しておきましょう。
第一部は、2 編の論文を取り上げました。これらは、日本の製造業が得意とする高品質で
リーズナブルなものづくりを海外市場でどう認知させるかをテーマにしたものです。
おさ
長岳征さんの「デジタルピッキングシステムのグローバル視点を持った事業展開手法」
は、ある地域企業が独自開発し製造販売しているピッキングシステムの海外販売戦略に焦
点をあてたものです。ピッキングシステムは、工場等の省力化のためのシステムです。こ
のため、労働単価が安い中国等では初期導入コストを償却できないとして販売に不適とさ
れていましたが、これを覆す戦略について考察しています。
そ うな
曹娜さんの「国際展開小売業に対する顧客満足の日中比較研究―ユニクロを事例として
―」は、グローバル販売戦略に転じたユニクロの製品を対象として、中国市場と日本市場
での顧客意識の違いを比較分析したものです。ユニクロは、日本と新規展開した中国とで
は、同じ製品を同じ品質と価格で販売するやり方を展開しています。所得水準や購買力に
違いがあるはずの二つの市場それぞれに有効なブランディングを考えるうえで貴重な顧客
満足に関するデータを収集・分析しています。
第二部では、日本企業の内なる競争力の強化に関する3編の論文を取り上げました。東
京大学の藤本教授のいう「表の競争力と裏の競争力」の裏の競争力を如何に高めるかが主
題となっています。山形大学では、MOT の専攻に“ものづくり”の名前を付与しているよ
うに、日本企業の国際的な強みの基本となる一つには得意とする製造管理技術があるとい
う立場をとっています。
伊藤豊さんの「製品 EOL の基準に関する研究~O 社の多品種少量生産を支える仕組みづ
くり~」は、まさに日本企業の強みである多品種少量生産に焦点をあてたものです。EOL
とは製品の End Of Life のことで、多品種少量生産という聖域に逃げ込むことなく、EOL
の適切な設定によって強みと収益性の両立を実現しようとしたものです。
小野寺敦司さんの「小型モーター企業(A 社)における客先品質(苦情)1ppm 達成手
法の研究」は、徹底した品質の向上に焦点を当てています。多くの日本企業が旺盛な経済
成長で有望視される市場を求めて激しい競争をしています。それに対応する上で、得意と
する品質で競争優位を図るための多くの具体的な取り組みを追求しています。
これら2つの修士論文研究は、単に研究を行ったということにとどまらず、自らが所属
している企業の現場において実践している点が注目されます。
堀川正和さんの「特徴の無い小規模印刷業における収益拡大の可能性に関する研究」は、
地域企業のなかで印刷業をテーマに取り上げています。IT 技術の発展により業態がグロー
バルに大きく変化し、その対応を余儀なくされている業種の一つに印刷業があります。大
手の印刷業は、電子書籍や印刷技術を活かした電子部品材料に新たな活路を見出していま
す。一方、地域の中小印刷業の進むべき方向はなかなか見えていません。改めて、内なる
裏の競争力を見直すことで進むべき活路を探索しています。
第三部として、別の観点から地域企業のグローバル化に関連する2編の論文を取り上げ
ました。第一部と第二部が日本の製造業そのもの競争力について、企業の外側と内側から
考察したものでした。第三部は視点を広げて、グローバル化の中の地域がどう変化してい
くのか、また、単独では競争力強化に限界がある際の産学連携のあり方について研究して
います。
奥山泰宏さんの「東北地域の自動車産業集積に関する研究」は、地域産業構造の変化に
焦点をあてています。自動車メーカーが戦略的にグローバルな視野から製造拠点配置して
いくなかで、東北地域の自動車産業集積の変化を追ったものです。自動車産業は製造プロ
セスのすそ野が広いことが指摘されています。それを地域集積の変化と将来展望という視
点から考察しています。
土屋貴義さんの「技術ステージ可視化の可能性の検証」は、
「シュミットの三角形」モデ
ルをベースに、産学連携での技術移転の際の技術ステージの可視化のための新規モデルの
提唱が試みられています。中小企業では単独で技術イノベーションを実現することが困難
であることが指摘されています。それを克服するうえで有用な、各々の技術の技術ステー
ジと技術ステージごとの研究量の状況を知ることが可能な新規のツールを提案しています。
佐藤春樹さんの「米沢市繊維産業の現状に見る地域産業の抱える課題と成長戦略に関す
る研究」は、山形県米沢地域の繊維産業を対象として、北イタリアのコモ地域との比較検
証を通じて課題と将来戦略について考察しています。グローバル化は地域産業にとってマ
イナス要素だけではなく、他地域の強みを吸収することでさらなる競争力が期待されます。
この研究は新たな視点を提供していると言えるでしょう。
このように、修了生が取り組んできた経済のグローバル化を題材とした多くの研究が行
われています。しかし、
『世界俯瞰の匠育成プログラム』の命題である“地域中小製造業の
ための新たな世界戦略構築”の真価が問われるのはこれからです。
今回、この成果論文集に掲載した研究をはじめ、本プログラムにおいて取り組まれてき
た多くの研究、そして地域の地道な取り組みと努力の積み重ねが、将来の日本のものづく
りの発展に向けた確実な一歩となることを期待しています。
2012 年 11 月
山形大学大学院理工学研究科
ものづくり技術経営学専攻
グローバル戦略コース コース長
小野 浩幸