The Rope News The Rope News

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The Rope
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M o d e l S h i p B u i l d e r's Cl u b
発行日:2,5,8,11月の各末日(年4回)
ザ ・ ロープ
№ 69
2010年 8 月 31日
企画・発行:ザ・ロープ役員会
編集:安藤雅浩
例会レポート
平成22年度 第一回例会を開催
日時:7月25日(日)14時~17時
講演 : 今井 常夫氏
会場:サリュ・コパン
演題「帆船、その魅力と航海」
海洋プロデューサーの今井常夫氏をお招きして帆船の魅力、現代帆船の航
海、国内の帆船および帆船の航海性能などについての講演会を開催した。
氏のプロフィールは東京商船大学(現東京海洋大学)卒業後、セイル大阪参
事として帆船「あこがれ」の企画・運営に携わる。1982年、帆船「マルカムミラ
ー」で英仏間を航海、1987年にはブリガンティーン「ルーイン」でオーストラリ
アを航海、1991年には帆船「海星」による日本初の一般を対象にしたセール
トレーニング活動を発足させた。現職は丹青社勤務の傍ら、海洋プロデュー
サーとして企画と執筆活動を行っている。(42才)
アムステルダム・帆船パレードにて
講演は数多くの写真をプロジェクターで写しながら1時間の講演であった。
その内容のうち、帆の変遷と航海性能についての話を纏めた。
帆船の帆は1枚の四角形から始まった。ヨーロッパにおいて紀元前のエジプト船からギリシャのガレー船、ヴァイ
キング船は基本的に1本マストに1枚の横帆であった。9世紀になって三角帆(ラティーン・セイル)が登場する。三角
帆は地中海沿岸の特徴であるが始まりはインド洋と考えられる。東インドから太平洋で見られるカヌー、ダウ船は三
角帆で、季節風を利用してアフリカ東岸から東南アジア一帯を航海していた。貿易活動の発達によりアラブと接する
地中海に伝わった。この帆は横帆に較べ風上への帆走性能が優れる上、少人数で操作できたので横帆に取って代
わり、マストの数も2本、3本へと増えていった。15世紀になり外洋航海のた
めの天文学、海図を作るための地理学の発達でサンタ・マリアの様な横帆と
三角帆を組み合わせた新しい帆船が開発され、大航海時代が始まった。
国内では17世紀に仙台藩が洋式帆
船サン・ファン・バウティスタを建造し
て、ローマに使節団を派遣した。
この船のミズンマストの帆は三角帆
帆船の風上に対する航海性能
である。東洋を代表する帆船は中国の
ジャンクで、いつの誕生かは不明だが数千年前から使われていた。ヨーロッパ
の横帆に対してジャンクの帆は縦帆で、東洋にしかない材料の竹による桟(バ
テン)を持つのが特徴である。バテン帆は風上に切り上がれる外に追い風に対
しても有効であった。この帆は畳むときはジャバラ式に簡単に収納が出来るし、
サン・ファン・バウティスタの展帆
帆は竹や草を編み込んで作ることが出来た。これらの帆の相違は地域にある材料と気象条件に関連している。西欧
は羊毛や皮が、中央インドは綿が、東洋は竹や麻が豊富であった。さらに、ヨーロッパ・地中海は太平洋のハリケー
ンは来ないがインド洋はサイクロンが、東アジアでは台風が到来する。東アジアでは迅速な帆の揚げ降ろしが求めら
れた。 大航海時代も終わった18世紀になるとヨーロッパの各国が覇権争いを始めると、帆は軍艦のために進化して
いった。現れた帆はバウスプリットとフォアマストの間に張る新しい三角帆のジブセイルである。この帆を使うと船体が
大型化しても風上に向かっての方向転換(タッキング)が容易に行えた。画期的な技術革新であった。さらに、ジブセ
イルの発明は方向転換のための三角帆の役割を低下させ、ミズンマストのトップから上に速力追加の横帆が付けら
れるようになった。船尾の縦帆はジブセイルに対するバランスと風下に向かっての方向転換が役割になり、操作性の
よい四角形のスパンカーへ変わった。イギリスのヴィクトリー、アメリカのコンスティチューションはその例である。
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19世紀に入り蒸気機関の発達でスクリュウが発明され、帆走軍艦の時代は終わったが、商船は著しい発展を遂げ
た。 商用帆船は蒸気推進タグボートの助けにより外洋の速度と耐航性を考慮して設計され、船体構造もキールとフ
レームは鉄が使われ大型化していった。クリッパー船(快速船)の時代である。当時最大のクリッパーはアメリカで建造
された全長99m、4本マストのグレート・リパブリックで、最後尾マストは縦帆だけ。横帆には帆の面積を広げるため左
右に拡張する帆(スタンスル)と3枚のジブセイルを持っていた。20世紀には5本マスト、全長124mの帆装商船が作
られたが、これが限界であった。20世紀の動力船の時代になっても沿岸航海では内燃機関付の300~1000トン級
の帆船が建造された。日本では明治から第二次大戦まで500トン前後の洋
式帆船が造られた。今井氏の曾祖父は明治から昭和初期まで瀬戸内海で
帆船「幸徳丸」でによる石炭運搬業を営んでいた。この船は3本マストの洋式
船体に長方形のバテンセイル、バウスプリットにはジブセイルを備えていた。
その外、風力の利用は様々な方向に進化しオイルショック後はエンジンの
燃費向上を目的にして、帆の操作を機械化した貨物船や客船の帆船が建
造された。燃費は20%程度の向上があつたと記録されている。
他方、帆走能力の追求はヨットの世界で驚異的な進歩を続けている。有名
洋式船体にバテン帆の幸徳丸
なアメリカズカップは12メーター級という規制の中での沖合レースだが、全て
の制約をなくして帆走による極限のスピードで世界一周をノンストップで争うレースに「ザ・レース」がある。この2001
年のレースで全長35.5m、マスト高41.5mの巨大なカタマラン(双胴ヨット)「クラブ・メッド」が記録的スピードで優勝し
た。総帆走距離27,407浬を62日6時間56分、平均時速18.3ノットで帆走し
た。最高速度は40ノットを上回っていた。2位との差は900浬に達していた。
風力のみによる最高速度へのチャレンジは今も続いていてワールド・スピード
・セイリング・レコード審議会により様々な公式記録が公開されている。世界
最速の記録は飛行機の翼と同じ2枚のウイングセイルに水中翼を持った片胴
で滑走するカタマランによって1993年に樹立された46.52ノットがある。風
2001年ザ・レース優勝のクラブ・メッド
速を超えるような信じられないスピードである。
最近の話題として、消えゆく日本の帆船に「明治丸」の保存の危機がある。
明治丸は1874年(明治7年)で灯台監視船として建造し、退役後は越中島に展示され、日本に唯一残る鉄製3本
マストの帆船として国の重要文化財になっている。完成から136年が経過し老朽化がひどくなった。1988年に修復
されたが、20年余の経過でマストは原型を止めなくなっているほか、雨漏りしている。このままでは修復不能になるた
め、東京海洋大は昨年から法人や個人を問わず寄付を呼び掛けている。
例会の事務連絡
講演会後、来年1月の第36回展示会の準備状況、船の科学館主催の帆船親子教室への協力依頼、その他の連
絡事項について各担当幹事より説明があつた。その後、和気藹々の懇親パーテイは東 康生さんの締めで終了。
発表会
第2回 発表会
浅川 英明
日時:7月25日(日)12時~14時
泉
会場:サリュ・コパン
邦幸さん「出番の多い手作り工具」
帆船の製作には幾多の汎用工具を使う
が、同じ種類のパーツを沢山使う時は工具
を手作りすることになる。工夫しながら作っ
たもの、同じ仲間からアイデアを頂いて作っ
たもの、あると便利で皆さんに参考になる手
作り工具を持ってきた。
① センター定規---2枚の板をL形に接着
し、接合部に45度の三角定規を張ったもの。
泉
邦幸さん
手作り工具
使い方はマスト、ヤードなどの丸棒に対角線の中心線を引き、テーパー状に削
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って芯出しする。② アイボルト製造工具---リギング
作業でロープ止めに使うアイボルトを簡単に作るもの
で、フックに掛けた真鍮線を回転させて均一に捻る工
具。前頁写真の右端の工具。③ ブロック(滑車)の固
定工具---小さなブロックにロープを縛る時などに第
3の手になるもの。釣り道具の疑似餌を作る工具でを
利用したもので、ブロックを曲げた金属のバネに固定
ブロック固定工具
してロープを縛る。④ ミニT定規---製図用T定規のミニサイズ版で板を2
枚重ねて長さ10cm程度にしたもの。多用途に使える。
池本
泉さんのブロック固定工具の実演
昇さん、斉藤 忠吉さん「日本丸と新海王丸の塗装作業」
池本さんは日本丸船体の塗装作業で試行錯誤した塗装について説明した。
外板張り後、ペーパーで凹凸を修整し下地に木部用プライマーを塗り、上塗りに
ラッカースプレーを吹き付けたら外板の目地が出てきた。やり直しでペーパーを
掛けて、下地にサーフェサーを吹き付け、紅白の仕上げ塗装をしているが塗装
仕上げは難しい。一方、斉藤さんは4隻目の帆船作りで新海王丸を池本さんと
同程度の進捗で進めている。ペーパー掛けは目の粗いものから順番に細かいも
のにして塗装仕上げをしている。これらの作業を4回繰り返したら外板が薄くなり
斉藤さん
池本さん
すぎた。失敗談になったが、塗装仕上げはやはり難しい。
牧野 忠孜さん「プレジデントの製作(アナトミーシリーズの図面で変更と追加の経緯)」
プレジデントは1730年イギリス海軍のフリゲート艦である。製作に使ったキット
はセルガルで、艤装とリギングが非常に簡略化されていて見栄えがしない。そ
こでコンウェイ社のアナトミシリーズにある同型船図面を参考にして大幅に変更
し、追加工作したらスクラッチビルトになった。主な変更箇所は下記の通り。
① 船尾形状の変更---船尾の舵の柄がある付近(カウンター)下が図面は外板
を横に張るスクエアスターンになっているが、イギリス海軍は1650年頃から両
図面不備を説明する牧野忠孜さん
舷の外板がそのままカウンターまでカーブして繋がるラウンドスターンに変更
されているため船尾の形状をラウンドスターンに変更した。
② 船首ヘッドレールの変更---船首ヘッドレールは船体から船首に向かって
細くなり、装飾の溝を彫っている。縮尺1/100では木材の強度がないので、1
mm角の真鍮パイプを使った。③ 船尾のギャラリーと両舷クオーターバッチの
改造--- キットの金属部品をレジンで複製した。キットは両舷クオーターバッチ
の寸法がオーバーサイズで、そのままでは舷側から上に出てしまう。レジンパー
ツは加工しやすく、船体になじませやすい。
④ チャンネルチエーンの変更---チエーンは径0.4mm真鍮線を半田付けして
パーティでの変更箇所談義
作り直した。⑤ 大砲をカロネード砲からキャノン砲に変更---キットはキヤノン
砲になっているが、時代的に6ポンドのキャノン砲と考えられるので、全て変更した。
⑥ ビレイピンの追加---キットのリギングは大幅に簡略化していて、ビレイピン数は全部で9本と極端に少ない。参考
本のリギングからビレイピン数を93本にし、固定するチンバーヘッドを12箇所にした。
⑦ 船尾ランタンの変更---キットは6角錐のランタンでそのまま取り付けると、上下の桟が前上がりになる。本来、上
下桟は水平なので、プラバンで桟を作り直し、ガラス面の枠に0.6mmのICテープを貼った。
⑧ キットにない艤装品の製作---ポンプ、ストーブ、ビット、階段等を製作して取り付けた。
⑨ マスト、ヤードの変更---キットの図面はフォアマストのトップとメインマストのトップが同じ高さになっていたため、
フォアのトップ位置を下げた。また、ヤードの長さで短いものはバランスのよい長さに変更した。
⑩ ブロックの製作---キットのブロックはオーバースケールのため、1×1.5mm柘植材から製作した。ダブルブロック
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は長さ2mmと4mmのものを製作した。⑪その他、細部---ブロックのロープ結びは細い糸で縛るとその部分が太くな
るので、瞬間接着剤で固めた。ランニングロープを固定するクリートもキットはオーバースケールなので真鍮の半田
付けで製作した。
中塚
裕さん「私の愛用している工具」
特殊な工具はあまり使わず、サイズの異なる
工具を沢山準備して使い分けている。ペンチ、
ニッパー、ミニ鉋、ヤスリ、ピラニアンソー、クリッ
プなどなどお店でもこれほど置いてはいないと
思われる程、豊富に備えている。専用工具として
は泉さんと同じセンター工具(L形の直角部に円
材の小口を充てて対角線を引き中心を芯出し)
中塚
裕さん
中塚さんのセンター定規
や外板のB曲げ工具を紹介した。B曲げ工具
は板に曲げる状態の溝を彫っておき、水に濡らして曲げた板をその溝に押し込み、電子レンジに入れてチンする。
その外はアルミの引き抜き材で木材の切断面を45°や135°にカットするガイドを使っている。
ボランティア
船の科学館企画展 「軍艦エルトゥールル」
今年は「日本とトルコの友好120周年」にあたる。 友好の絆は明治23
年(1890年)、オスマン帝国(現トルコ)の軍艦エルトゥールルが日本から
の帰途、和歌山県串本沖で遭難したことが発端になった。
エルトゥールルはトルコから日本に最初に到着した機帆船である。
全長76m、排水量2400トン、エンジン出力609HPの大型木造船で、親善
訪日から帰路の9月16日夜半、台風に遭遇し串本沖大島の岩礁に激
突・座礁して沈没した。大島に流れ着いた生存者の通報により地元
民は乗組員581名が死亡する惨事のなかで、懸命の救助活動と看護に
軍艦エルトゥールル
より69名を救出した。 救出された乗組員は日本海軍の「比叡」と「金剛」に
より、3ヵ月の航海を経てイスタンブールに送り届けられた。これから両国友好の歴史が始まった。
船の科学館はこの友好120周年を記念して企画展を開催した。内容は遭難事故から本船にまつわる遺品、両国
友好の流れを紹介する写真と模型など。展示は9月23日(木・祝)まで、休館日は9月6日、13日、21日。
船の科学館から帆船模型「軍艦エルトゥールル修復」の顛末記
田中 武敏
7月28日に、船の科学館の飯沼学芸部長からザ・ロープ会長宛に1通のメールが届きました。
「今年は日本・トルコ友好120周年にあたり、これを記念して、船の科学館は企画展「海が結ぶ日本とトルコ」~軍艦
エルトゥールルの遭難事故より~と題した展示会を8月7日から開催すべく準備を進めております。
そこで、和歌山県串本町からトルコより寄贈された同艦の帆船模型を借用してきたのですが、バウスプリット
の索具は全部はずれ、搭載艇も取れそうになっているなど、特に索具の損傷がひどい状況です。他者が製作した
模型ではありますが、このままではとても展示に耐えられません。何とか修理をお引き受け頂けないでしょう
か?。なお、所有者である串本町は、修理して頂けるのであれば有難いとの事で了解済みです。修理期限は展示
会の開催日前日の8月6日までです」。
同館からの唐突の依頼に困惑しましたが、これまで当会がお世話になっていることもあり、出来るだけの協力を
する事にしました。ただ、開催まで1週間しか時限がないるので、先ず三役(田中、安藤、肥田、赤道、塩谷の
各位)と相談し、日程などを調整した。結果、7月31日に同館を訪問して模型の劣化・破損の状況を調べ、修復内
容などを決めることにしました。31日に5人で同館飯沼部長を訪問して点検した結果、特にリギング(策具)全般
と鉄部の経年劣化、そして艤装品の外れが多くて、触っただけでボロボロになる状況でした。最終判断としては、
全面的なやり直しを行うべきであるが開催までの時間が短いこともあって、パーフェクトを求めずに修復箇所を
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以下に限定して行うことにした。修復作業人数は当日集まった5人とし、作業分担を決めて事前準備にかかり模
型修復の作業期日を5日と6日の2日間(延べ10人・80時間)とすることで飯沼部長の了承を頂きました。主な修復
は ❶ 帆と策具は張り替えるには時間が足りないのでそのままとして、その他の全策具を新規張り替え。
❷ 破損しているバウスプリット修復と腐食している固定用鉄材の取り替え、フィギュアヘッドの付け直し。
修復前の船首部分(リギングがなくなっている)
修復後の船首部分
❸ スターンのアッパーデッキの手すり等金属部品の新規製作
修復前の船尾部分(金属の腐食)
修復後の船尾部分
❹ 両舷のタラップと右舷航海灯の新規製作と取り付け。
❺ 6隻のボートの化粧直しと取り付け・ロープ張り。
修復前の船中央部分
修復後の船中央部分
❻ 船尾にトルコ国旗を新規製作。
❼ 甲板含めた全ての汚れ除去
この2日間は、全員がホコリの中での汗まみれの修復作業でしたが、修復箇所の役割分担をして効率よく進め
ることにしました。そして各位の熱い努力の結果、応急処置としては先ず満足できる状態に仕上げることが出来
ました。作業中には、同館の森田理事長が立ち寄られて謝意を受けました。
そして6日の夕方には修復終わった軍艦エルトゥールルを、同館に引き渡ししました。
飯沼部長他から高い謝意を頂き、我々一同ホッとして帰路につきました。
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企画展に展示中の修復後軍艦エネトゥールル
修復に携わったメンバー
企画展の会場は、昨年9月にJSMCCの第1回全日本帆船模型展を開いた会場と同じ本館3階の企画展示室です。
私は8月15日に展示会場を見学しましたが、修復した軍艦エルトゥールルが、中央左の大きなアクリルケース
の中に展示されており会場の華になっていました。また、壁面の展示会協力者一覧の中に当会の名前が掲載され
ています。会場内には引き揚げられた当時の遺品等が展示されており入場者が多数でした。皆さんも船の科学館
に行かれて是非見学してください。
「軍艦エルトゥールル」にかかわるエピソード
安藤 雅浩
エルトゥールルが遭難した串本沖の大島は紀伊半島の最南端に位置
し、日本朝日百選の1つである名所「橋杭岩」の先にある。現在の大
島は橋と道路によりバス、車で行くことが出来る。エルトゥールルの
残骸の多くは大島沖に眠っており、海底からの遺品引き揚げは今も
続いている。 乗組員の遺体は大島樫野崎に埋葬され、遭難から
47年後の昭和12年、この地に地元有志による「殉難将士慰霊碑」が
建立された。さらに、昭和49年(1974年)に「トルコ記念館」が建設
され乗組員の遺品とトルコ政府から寄贈された品々を展示してい
る。エルトゥールルの模型はトルコ政府からの寄贈品の1つ。
昭和12年建立の遭難慰霊碑
少し時代が下って昭和55年にサダム・フセインのイラク軍がイランに
侵攻してイラン・イラク戦争が勃発した。原因は石油に絡む国境紛争、
宗教紛争およびフセインの中東派遣への野望などで、戦争は国連安保
理仲裁まで8年間続き、両国の犠牲者は100万人に達し昭和63年に終
戦した。フセインは終戦から2年後にはクエートに侵攻し湾岸戦争を始め
ている。懲りることを知らない野望の大きな独裁者である。
そのイラン・イラク戦争最盛期の昭和60年(1985年)にフセインは突
如、全世界に向けて「今から48時間以降はイラン上空を飛ぶ全ての
飛行機を無差別に撃墜する」と宣言した。
トルコ記念館
この事態に各国は急遽イラン滞在の自国民救出に航空機を次々と
テヘランに派遣し時限内の救出を行った。日本政府も日本航空(JAL)に邦人救出のフライトを要請した。
JALはこの政府要請に対して「飛行の安全が保証されない限り飛ばない」と断った。日本以外の各国は
リスクを抱えながらも自国民の救出を懸命に行っている中で、JALの回答は世界の常識から外れていた。
社内では航空自衛隊出身の機長から志願者が出たが、JALは組合の反対を優先して断った。この空気が読めな
いJAL経営者の無策ぶりは情けない。フラッグ・キャリヤーとして政府から優遇されていながら、いざの時でも身に染
みついた親方日の丸意識を通す姿勢は後日のJAL去就を暗示していた。断られた政府はJALによる国民救出を諦
め外務省を通して欧米の航空会社に邦人の搭乗を要請したが、各国は自国民救出を優先するため余裕がな
いと断った。イラン滞在の邦人はテヘラン空港に集まり、他国民が救出されるのを横目に215名が取り残
されていた。この時、政府はJAL優遇を見直し、志願したJAR機長により政府専用ジャンボ機を飛ばす決断
をすべきであるが、その決断すら出来ず他力本願で解決しようとする「リスクを取れない」政府はもっと
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情けない。この外国依存体質は戦後長年続いたもので独立国家としての存在が疑われる。因みに時の総理
は中曽根 康弘、官房長官は後にリクルートで有罪になる藤波 孝生。 話が逸れたので元に戻って、外務省の努
力は続き、最後はイラン滞在の野村 豊大使がトルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えた。トルコ大使は「わ
かりました。本国に日本人救援機の派遣を求めます。トルコ人なら誰もがエルトゥールル遭難の時に受け
た恩義を知っています。ご恩返しをさせて頂きましょう」と答え、急遽トルコ航空機がテヘランに派遣さ
れ、邦人全員215名はタイムリミット1時間15分前にテヘラン空港を飛び立った。一方、イランに残っていたトル
コ人約500名は日本人優先のため飛行機に乗れず、車分散により陸路を経て帰国した。救援されて機内で喜びに
沸く邦人達に、機長アナウンスの第一声は「日本人のみなさん、トルコにようこそ!」。後日談はさらに続いて、
平成20年、来日のトルコ大統領アブドゥラー・ギュルは同国大統領として初めて串本の慰霊碑を訪れ、追悼式典に
出席し献花を行った。現在、串本町は町興しの一環として映画エルトゥールルの製作を進めている。内容は漁
師の救助活動とテヘラン空港に取り残された邦人をトルコ航空機が救出するもの。テーマは両国の友好と
交流。町は今年度の一般会計に脚本作成費として200万円を計上した。その外、寄付金も充てる予定。映
画はCGを使うにしても、基本は模型からの画像作りが必要になる。その時は国内唯一の修復模型である本船の出
番になるかな。NHKドラマ「龍馬伝」に出てくるハウステンボスの咸臨丸では機帆船のアップシーンは撮れ
ても、船体の形状が全く異なり全体のシーンは撮れない。
子どもの領域 -羊蹄丸の親子教室を手伝って-
福田 正彦
小松左京のSF短編集「時の顔」に収録されている「お召し」という作品が
ある。ある国の長官の下に届けられた三千年前の資料によると、ある日突然
父母を含めた「おとな」がすべてこの世から消え失せたというのだ。そして
現在、明日には満12歳になる長官がこの世から去る「お召し」を前にして
そこはかとない恐怖と期待を感ずる。この短編はどちらかというと悲劇的だ
が、この12歳、小学校6年生が大人と子供を分ける1つの境界であることに
ぼくはもろ手を挙げて賛成したい。
感性という点でいえば、おとなは子どもが成長した姿ではない。子どもは
独特の感性を持ちながら、おとなになるときにその大部分捨ててしまう。
誤解をおそれずに言えば、それはおとながそれを強制するし、また世間が
それを許さないからでもある。だから独特な子どもの領域に首を突っ込める
機会があればそれを見逃す手はない。今回の親子教室の手伝いにホイホイと
参加したのはそんな下心もあった。そして見事にそれが当たったのだ。岩倉
さん達が苦心して用意した小さなヨットのキットはよくできていて、何より
もセイルや船体に好きな絵が描けるというのが子どもたちの関心を呼んだ。
親子教室だから、子ども達は一応親の顔を立てる。
「ねえ、どうやって描くの?」大方の親は「好きなように描いていいのよ」
と答える。ぼくたちがあらかじめめどんなように描いてもいいし、絵だって
字だって顔だって何でもいいんだよと念を押しているからだ。それでもあそ
こに見本があるだろ、というお父さんもいるが、描き始めてみればそんなこ
とはどうでもよくなる。特に年令の低い子供たちは好き勝手に描く。左上の
お嬢ちゃんはセイルの絵も船体塗装も大変奔放だった。多分長女ではないの
だろう、お母さんの忠告をことごとく無視してわが道を行くのが第三者とし
て見ると申し訳ないが可笑しくて仕方がない。
そうかと思うと見守り型のお父さん(おじいさんかも)もいてこれはお互
いに楽かもしれない。田中会長の撮影した写真もお借りしてユニークな作品
をいくつかご紹介しよう。セイルの絵もさることながらキャビンやハッチの
部品だよと紹介した木片をラダーにしたり、バウスプリット風にしたり、さ
すがにラダーにする発想には正直びっくりした。セイルの絵も高学年になるほどきちんとしてくるが、自
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由度が少しずつなくなるようでもある。女の子はセイルという概念よりも
「きれい」が先行するようで水玉模様の帆はその典型だ。何よりもよかった
のは子どもたちの嬉しそうな顔、作品を仕上げた満足感だろうか。小さな男
の子はできた作品を床において走らせ、自分のヨットが波を蹴立てて海を走
る有様が頭の中一にいっぱいになってそれ以外は何にも目に入らない。ラダ
ーを船底に貼ったのは可愛い姉妹の妹のほうで、すごいねぇ、といったら本
当に嬉しそうで今にもとんぼ返りをするんじゃなかろうかと思うほど飛び跳
ねていた。そのお姉さんが写真の女の子だ。この発想に妹が触発されたらし
い。そうかと思うと親子教室を象徴するような笑顔の共同作業もあって、普
段から仲の良い親子なんだなあ思わせられる。もっともっと載せたい写真が
あるが、それができなくて残念だ。そんな次第でぼくたち手伝い組は存分に
楽しませてもらったが、この準備は大変だったろうと思う。1日に15組が
3回でこれが3日間あったから、予備を入れて150セットを用意するのは大
変だ。船体の微妙なカーブもマストの切り込みも、はてはブームやガフのワ
ッパ取り付けまで縁の下の力持ちには感謝の言葉もない。これはザ・ロープ
の会員ならではで、文句も言わず(言ったかもしれないが)これだけの準備か進ん
だのだ。ぼくにとってもう1つの収穫は手伝い組を通じて仲間との交流を広
げたことだ。例会と違って1日中お付き合いをしなければならないし自然に
話題に花が咲く。ぼくは会員暦こそ長いが船の製作も、会の仕事もまったく
といっていいほど自慢できない。が、それを承知で、今回の経験から敢えて
やっぱりみんなでこんな機会を利用しようよと言いたい。何だかんだといっ
ても面白いし、70才も年下の若い女の子と付き合える機会はめったにないか
らね。
同好会便り
第34回ザ・ロープオーサカ木製帆船模型展訪問記
会期:2010年(平成22年)7月17日(土)~19日(月・祝)
田中 武敏
会場:阪急ターミナルビル・スクエア17(17番街17階)
猛暑の中の海の記念日(7月19日)、ザ・ロープを代表して第34回ザ・ロープオーサカ木製帆船模型展に行っ
てきました。会場では大森会長、大槻事務局長ほか多くの会員諸兄に出迎えを頂き感謝すると共にわいわ
いがやがや意見交換をしてきました。大阪梅田の阪急ターミナルビル・スクエア17階の会場に入ると、会期
が3日間と短いこともあり場内は沢山の来場者と会員で熱気に溢れていました。出品は38作品が、4列の
テーブルの上でいずれも胸を張って、それぞれの個性を主張していました。作品を分類すると新作34点、
過去の作品4点、また、完成品25点、製作中13点でした。その内、構造模型が5隻です。
来場者で賑わう会場
早川さんの力作74門艦を前に幹事の方々と
会場で製作者に説明を求めると治具、パーツ、製作途上の写真を見せて熱っぽく語ってくれます。足かけ
10年をかけて74門艦を細部にいたるまで拘って精巧無比に仕上げて完成させた製作者、ジョティカ社の
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HMSビクトリー(縮尺1/72)は素晴らしい出来映えでわずか10ヵ月で完成させた製作者など信じられない!!
因みに工期短縮のポイントの1つは木工ボンドを使わずに低粘度瞬間接着剤を使うとのこと。その他に
も職人芸の極致とも言える木材仕上げの製作者や粉末銀ロウ付けで微細なウインドラスを作る製作者。そ
して図面を丹念に読み込んで製作した構造模型の製作者等々、いずれも強者どもの作品群でした。大森会
長から会員数が増えないことと近時は作品が小振りになっていることが悩みだと聞きました。しかし、来
年は35回展の節目になるので、来年に向けて60名の会員が大いに張り切っていました。
会場で(株)丸善通商の木下社長にお目にかかり輸入キットやパーツの取扱状況について伺いました。
同社はアマティ社、ビリングボート社、コーレル社、マモリ社、マンチュア・セルガル社の正規の輸入
日本総代理店です。現在はマモリ社のキットが豊富に揃っており、木材やパーツも直接購入が出来るし相
談に乗ってくれます。欲しいキットや木材・パーツは同社に照会して下さい。ホームぺージアドレスは
http://www.mtc-hp.jp/または丸善通商で検索。電話066-768-3749。
横浜帆船模型同好会「第32回世界の帆船模型展」訪問記
会期:2010年(平成22年)7月20日(月)~25日(日)
安藤 雅浩
会場:みなとみらいギャラリーA会場
横浜帆船模型同好会の展示会は第1回展から昨年まで伊勢佐木町の
会場であったが、今年から新しい会場で開催することになった。今年は「横
浜みなとみらい21」にある「みなとみらいギャラリー」で開催した。
「みなとみらい」は三菱重工横浜造船所と国鉄操車場の跡地に埋め立
て地を加えて30年ほど前から再開発された広大な新都心で、この新都
心は横浜周辺と関内・伊勢佐木の2都心を繋ぎ一体化した21世紀の横浜
を目指している。ランドマークタワーをシンボルとした高層ビルが並ぶ街
並みであるが、重要文化財も残されている。造船所時代のドックは大
会場手前の通路(クイーンズモール)
半が埋め立てられたが、古い2箇所が残り、1箇所は旧日本丸の係留保存
に使われ、残りはランドマークタワーの先、海側にありドックヤードガーデンに
なっている。共に明治の石積みドックで歴史的価値が高い。少し離れて東南に
は人気スポットの赤レンガ倉庫がある。最寄駅は地下鉄、JR根岸線および東急
東横線の桜木町駅。
展示会場は天井が高く明るいためか広い感
じがした。展示作品数は58点で素晴らしい作
品が多く、内容も多様性に富んでいる。そのうち、
特別展示としてキャロラインが9点あったが、これ
は過去の展示作品を集めたもの。今回の作品の
中で新しい作品、今までにないテクニックで
高天井の展示会場
特別展示キャロラインと休憩場所
▲ 肥田
制作されている作品およびユニークな作品
をピックアップしてみた。
純さんのジオラマ「処女航海に出港するタイタニック」
豪華客船タイタニックの模型はディアゴスティーニの週間模型キット
(縮尺1/250)をベースにしている。タグボート2隻と岸壁の建物はスクラ
ッチで製作。情景は1912年(明治45年)イギリスのサウサンプトン港から
タグボートの助けを借りて離岸し、悲劇の航海に出るところ。建物には船
会社名のホワイトスターも記載している。迫力のあるジオラマ。
▲
宮島 俊夫さんの「HMSキャプテン」(縮尺1/250)
キャプテンは1870年、イギリスで就航した機帆船で2門の旋回砲を備えたユニークな軍艦。建造後、安定性が問
題視され、2度目の航海で暴風に遭いポルトガル近辺で沈没した。模型製作に際して線図がなかったので船体の木
型を作って、木型にフレームの溝を彫り、T型真鍮で作ったフレームを嵌め込んだ。外板は0.5mm厚の真鍮板を半
田付けしている。中の木型は後で抜けるように予め寄せ木状に分割している。砲の回転メカは船体の切り抜き部分
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から見れるようになっており、船底のつまみを回せば動く。本人
には無断で一寸触って確認した。超精密工作の作品。さらに、船
台の飾り彫刻も宮島さんの十八番で素晴らしい。
▲
松本 善文さんの「ホビーキャット14」
(縮尺1/12)
このヨットは世界各地のビ
ーチリゾートでよく見かけるカタマラン(双
胴ヨット)ディンギー。設計者のホバー・ア
ルターは軽量で優れた機能のサーフボー
ドを開発していたが、1968年にホビーキ
ャット14を世に送り出した。船体は非対称で、艤装は簡素であったが性能が優れてい
て、初心者から熟練者まで広く愛用された。キットはDUMAS製。松本さんはヨットの特
異な形を模型にしたくて製作に挑戦したが、細部はホームページの「ホビーキャット・
三戸浜フリート」を参考にしたとのこと。
濱中 聖之進さんの「フリースランド」(縮尺1/75)
▲
フリースランドは1663年オランダが建造した砲80門の二級戦列艦で当時のオランダ造船技術の優秀さが
表れている。この模型はマモリ社のキットがお馴染みで船首・船尾の金属装飾が綺麗なため、多くの方が組
み立てて各地の展示会に出品している。濱中さんのこの模型はシュラウドをトップまで張った段階で、ヤ
ードその他リギングは一切無い(未完成?)。 しかし、つぶさに見るとキットとは異なっている。彫刻がキ
ットの金属より繊細である。作品の前に置いてある製作説明と写真を見ると、彫刻は全てスクラッチであ
る。彫刻部分は木材で下地を作り、その上にエポキシパテを盛り、粘土細工の要領でヘラなどを押しつけ
ながら仕上げている。道理でキットのパーツでは表現が難しい細部まで、見事に出来ている。感性と根気
が作り出した超絶
作品である。さら
に、飾り台のガラス
の下には折れ目の
ついた古い図面を
敷いているが、塗装
により古色蒼然の状
態に描いている。物
作りへの拘りと繊細
さで作られた作品。
▲ 山本 信樹さんの「HMSベローナ」(縮尺1/72)
ベローナは1760年、イギリスで建造された74門艦。会長山本さん
の作品で、アナトミーシリーズの図面集を参考にして製作中。毎年の
展示会出品で、少しづつ完成に向かって進捗している状況が見ら
れる。綺麗な作りの構造模型。
▲ 廣野 常也さんの「74門艦」(縮
尺1/72) ブードリオの図面「フラン
スの74門艦」縮尺1/48を縮尺1/
72で製作中のもの。キールにフレ
ームを組んだまでの状態であるが、この段階で
完成時の姿が想像出来る程の作り。右写真の船
首部分のフレームを見るとよくここまでと思わせ
る。廣野さんは数々のフレームを組み立てた時、
フランス艦のもつ曲線が繋がるようにするのが難
しいとのこと。次回の展示が楽しみである。
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▲ 棚山 桂子さんのデコパージュ「日本丸」
毎回の展示会で見る棚山さんのデコパージュである。今回の作品は展示会場
が「みなとみらいギャラリー」での開催に合わせて製作されたもの。観覧車
の写る背景はカレンダーの絵を許可を得て使用。右上のデザイン文字はカレ
ンダーデザイン。展帆した日本丸、ミュージアムおよびゴンドラを立体的に、
かつ遠近感を持たせている。
▲ 神蔵 義光さんの「ドックヤードモ
デル」神蔵さんの絵も展示会で毎回見ら
れる。フランス、ルイ15世の海軍造船所会議で建造する戦列艦の模
型を前に、技師長が構造、性能、費用などを説明して検討している
状況を描いたもの。右端に座っているレディ(王女?)は会議のメンバ
ーであったのか気になる。 なお、展示会訪問に際して山本会長他幹
事の方々にご案内・説明をいただき、新しい展示会場での開催準
備、事前PR、開催状況などを伺う場を設けていただいた。ザ・ロープも来年1月には新会場での展示会開
催になるので参考にしたい。
ザ・ロープ伊豆「第7回帆船模型展」訪問記
会期:2010年(平成22年)7月17日(土)~8月1日(日)
会場:沼津御用邸記念公園(新主馬)
沼津御用邸は明治26年、沼津海岸沿いの広い敷地に建設された。昭和
20年の空襲で本邸の大部分が焼失し、昭和44年には御用邸が廃止されて
記念公園になり公開された。平成8年に西付属邸の改修が行われ内部が
公開になった。その後、東付属邸も改修されて現在は催し場になってい
る。アクセスはJR沼津駅からバス、タクシーで約15分。ザ・ロープ伊豆の
しゆめ
第7回帆船模型展会場は正門に近い「新主馬」で開催された。
会員数15名の中、13名が出品して出品数は29点あった。素晴らしい大型
展示会場作品
やユニークな作品が展示されていた。展示会の状況は7月24日(土)発行
の「沼津朝日」に4段記事で掲載された。
記事内容は作品の精巧な作品が多いこ
と、隔月例会の活動状況および期間中、小
小学生対象の船の工作教室を2日開催
することなど。訪問したのは最終日の
閉会前であったが柿崎会長、幹事諸兄
と同好会の課題などについて意見交換
展示状況
をさせていただいた。
韓国模型帆船クラブ「第2回帆船模型展」
幹事の方々との懇談
田中 武敏
ザ・ロープ帆船模型展にも過去に数回来場された事がある韓国模型帆船クラブの尹さんから、韓国の展示
会風景についてメールが届きました。展示会開催は5年ぶりに開催することが出来たと喜びの便りです。
会場手配は日本同様に苦労されている様ですが、今回は某大型病院のギャラリ-を無償で借用できて開
催することが出来たそうです。写真を見れば分かりますが、大変立派な病院でギャラリ-も本格的です。
今回の出品隻数は20隻です。出品の条件は、❶ 第1回展示会出品作品は除外する ❷ 作品はケースに入
れる ❸ 作品は自分で搬出入する。 お国事情があり面白いですね。写真で見る作品のレベルは、非常に
高いと感じました。来場者の反応は、子供・老若男女・患者・医者・看護婦すべてに好評で賑わったとの
事でした。次回の展示会開催が楽しみです。なお、当会から祝いメールを差し上げた処、同会の河会長か
らお礼のメールを受けましたので紹介します。
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入口のポスター
現代病院のギャラリー・展示会場
ケース付の展示作品
ザ・ロープ会長 田中武敏 様へ
初めまして。韓国模型帆船クラブの会長 河賢受(ハ・ヒョン・ス)です。
これまで、ザ・ロープの立派な展覧会を見ながら、当クラブも定期的な展覧会を開催しなくてはと考
えていました。第1回展覧会後、長い間 開催することが出来ませんでしたが、今回第2回展覧会を準
備するに際して、ザ・ロープの展示会を模範にして多くの部分を参考にしました。この点、有り難く
存じます。第2回展覧会は、韓国で3大総合病院の一つである「現代牙山(アサン)病院のギャラリ-」
で開催する事が出来ました。同病院は一日流動人口が1万人を越ところですので、来場者に模型帆船と
いうジャンルを広く知らせることが出来たと思っています。当会はこれから定期的な展覧会を計画し
ています。何とぞ助言をお願い致します。
ザ・ロープからの祝意に対して当クラブの会員から感謝の意を伝えます。展覧会が終わればリ-フ
レットと展覧会の関連写真などをCDで製作してお送りします。ザ・ロープの限りない発展を祈りつつ、
当クラブとの活発な交流もお願いしたいと思っています。ありがとうございます。
会員の異動
【退会:2名】
◆ 平成22年4月29日
ID 98
壁谷 道明さん
ご逝去(享年76才)
◆ 平成22年7月3日
ID141 小倉 紀行 さん
自己都合により退会
会の行事日程
平成22年10月から23年5月までの定例日程
月
役員会
発表会【会場:サリュ・コパン】
10
10日(日) 14:00~17:00
12
5日(日) 14:00~17:00
例会【会場:サリュ・コパン】
第3回 17日(日)
12:00~14:00
第2回
17日(日) 14:00~17:00
第4回
12:00~14:00
第3回
19日(日) 14:00~17:00
19日(日)
23/1 第36回ザ・ロープ帆船模型展 平成23年1月16日(日)~22日(土) 会場:交通会館ギャラリー
5 8日(日) 14:00~17:00 第1回 13日(日) 12:00~14:00 第4回 13日(日) 14:00~17:00
【備考】ザ・ロープ帆船模型教室は毎月第2日曜日、10時30分から12時30分まで開催。12月まで。
ザ・ロープ事務局
赤道 達也
〒143-0025 大田区南馬込6-15-12-403
メール [email protected]
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JSMCC ホームページ
会費の入金口座
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【郵便振替】 口座番号:00120-1-187264
加入者名:ザ・ロープ
【銀行振込】 みずほ銀行銀座中央支店 普通預金:2142080 口座名義:「ザ・ロープ 会計 岩本和明」
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