職業倫理学の課題と諸要素 - 職業能力開発総合大学校

職業倫理学の課題と諸要素
専門基礎学科
待鳥はる代
1.職業倫理学の必要性
業倫理学の必要性やその課題とそこに含まれるべき
諸要素について提起し、さらに職業倫理学の特徴を
私たちの先祖は太古の昔から一人で生きるのでは
考察してみたい。
なく、群れを作って力を合わせ助け合いながら生き
職業のあり方は社会と人々の生活にとって重大な
てきた。人間は蜂や蟻や猿と同じように社会を作り、
意味を持っている。近年、職業のあり方は大きく変
協働の力で様々な困難を乗り越え、長い歴史を生き
化しつつある。様々な業種で商品や雇用契約の「偽
抜いてきた。
装」が社会問題となるなど、社会的責務をないがし
倫理とはこの長い歴史の中で培われてきた、人が
ろにした事件が生じている。また、会社法や労働法
他の人々とともに助け合い協力し合いながら幸福に
の変更にともない雇用のあり方が大きく変化し、働
生き続けていくための知恵である。
く人々が置かれている状況も大きく変わってきた。
この知恵は一人一人の心の中にあり、行為に現れ、
職業生活において私たちはこのような現代の状況に
様々な状況の中においてその人を導き、励まし、支
対してどう対応すべきかという問いにさらされてい
えるものである。つまり、倫理は人の人格と強く結
る。
びついたパーソナルなものである。しかしまた同時
従来、哲学や倫理学においては主として職業より
に、倫理は家庭生活の中にあり、職場にあり、人々
もむしろ労働が主題として論じられてきた。そこで
の様々な集団の中に生きている。共同体の倫理は個
は、労働による自己実現や人間形成や生き甲斐ある
人の非倫理的な行為に対して厳しい様相を見せるこ
いは疎外といった問題が議論されてきた。しかし勤
ともある。つまり倫理は社会的なものでもある。
労者の約8割が被雇用労働者と言われる今日、労働
従って、倫理を育てるということは、一人一人の
一般の議論だけではなく雇用関係にある労働、さら
人が自分の中にしっかりとした倫理を持つというこ
に今日的諸制度のもとにある労働が直面する具体的
とと同時に集団や社会において倫理を実現するとい
な諸問題に対応できるような倫理学が必要と思われ
う二つの課題を含んでいる。
る。環境問題や医療問題が環境倫理学や生命倫理学
職業倫理を考えれば、一人一人が職業倫理を持つ
を必要としているように、職業に関わる諸問題も職
と同時に、職場と社会に倫理が確立されなければな
業倫理学を必要としているのではないだろうか。
らない。両者は切っても切れない関係にある。
また教育の責務を思うとき、近い将来職業生活に
それ故、職業倫理の確立という課題は倫理学の課
踏み出そうとしている若い人々に、職業生活の中で
題に収まらず、法学、社会学、経済学等々の関連分
遭遇するであろう諸問題にどう対応すべきかを考え、
野の研究と総合的な社会の取り組みを必要とする大
知識と判断力を養い、十分な備えをしていくことは
きな課題である。
極めて重要な課題である。特に我が国においては学
本稿では倫理学の授業を担当してきた立場から職
校教育の中で体系だった職業教育が行われていない
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職業能力開発総合大学校紀要 第40号A (理工学・技能編)
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現状を思えば、健康で幸福な職業生活のための知恵
でどのように働き生きていくかを考える力を養うこ
を備える教育・学習をあらゆる場面で追求していか
とが必要である。
なければならないであろう。
そのためには、職業に関する社会学、経済学、法
学的研究に学び、職業能力の形成ないし教育のあり
方、職業選択のあり方、雇用関係に関連する様々な
2.職業倫理学の課題
諸問題、労働能力市場などの様々な制度のあり方を、
日本国内だけでなく国際的な視野でも学び、歴史的
筆者は職業倫理学の研究対象ないし、明らかにし
発展を展望できるような知識と認識が必要である。
ていくべき課題を次のように考える。
第四に、職業生活の中で出会うであろう諸困難、
第一に、職業倫理は働く人々の中に保持されてい
諸問題に対してどのように対応していくか、どう考
るものである。また、職場に保持されているもので
えるべきかを検討していかなければならない。先に
ある。従って、職業倫理学はまず働く人の倫理や職
述べた様々な専門職の倫理を表現したものを見ると、
場の倫理を表現するということから始めなければな
いずれもその職業において出会うであろう困難や諸
らないであろう。
問題を特定し、それらに対応するためのガイドライ
専門職の職業倫理を表現したものとして、様々な
ンを示そうとしている。個々の職種における問題を
職業団体による倫理綱領があり、医療倫理、法曹倫
研究することも重要であるが、職業倫理学では職業
理、教育倫理、工学倫理、技術倫理、ビジネス・エ
一般の問題として、どんな職業に就いても出会うで
シックス等のテーマについて多くの提言や研究成果
あろう問題について検討することが必要であろう。
がある。これらに学ぶことが必要である。
その中には職業選択、職業能力の形成、就職、雇用
また、働く人々の個人史、職場史、労働史等につ
関係の諸問題等が含まれる。職業倫理学は、これら
いて、多数存在するフィールドワークやルポルター
の問題の社会的諸条件を上述したような広い視野を
ジュ等に学ぶことも重要と思われる。独自の聞き取
もって客観的に理解した上で、これらにどう対応し
り調査やフィールドワークも必要になってくると思
ていくべきかを考えていかなければならないであろ
われるが、まずは様々な表現されたものを手がかり
う。
に、働く人々の職業倫理をとらえていくことができ
第五に、職場の内外における人々との良い協力関
るであろう。
係を築くための知恵を追求していく必要がある。人
第二に、職業とは何か、職業というものをどのよ
として一般的に考えられる対人関係の倫理は不可欠
うにとらえるか、という本質的な議論が必要だと思
な基礎であるが、職業倫理においては、顧客、組織、
われる。職業とは何かという概念、すなわち職業に
同僚(同業者や関連業者)といった職業上の立場な
対する基本的な考え方や姿勢は職業倫理の基礎だか
いし役割を考慮に入れた協力関係も考えて行かなけ
らである。
ればならない。そこでは、職務、判断、責任といっ
様々な専門職の倫理を表現したものを調査すると、
た事柄が検討される必要がある。
各々の業務に対応して多様な内容を含んでいるが、
第六に、具体的な事例の研究を通して、職業上出
職種にかかわらず必ず共通して含まれているものが
会う諸問題の判断に関する基準を検討していく必要
ある。
がある。ここでは倫理学上の様々な研究成果を活用
それはまず第一に、その職業の理念、責務、使命を
していくことも必要になると思われる。
明確にしようとしていることである。
以上を踏まえて、職業倫理学の基礎概念ないし主
職業は社会的分業の体系である。特定の職業はそ
要な問題領域を次のように考えることができる。
の業務をもって社会を支えている。職業の理念と責
1.職業-職業とは何か、職業のあり方
務を明確に認識することは、個人の職業倫理を支え
2.職業能力-職業能力とは何か、職業能力の形成
るものともなり、具体的業務内容や仕事のあり方を
3.雇用-雇用関係の諸問題
考える基礎となるものでもある。
4.職務-職務内容、責任、判断
第三に、職業倫理は職業生活のあり方を規定する
5.職場-協力、コミュニケーション、役割等
様々な法や制度に深く関連している。従って、職業
6.働く人々の職業倫理
のあり方を規定している法や制度を理解し、その中
7.組織-経営倫理、ビジネス倫理を含む
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待鳥:職業倫理学の課題と諸要素
これらを通して職業倫理学はまず何よりも働く
以上のように、徳倫理学の問いの立て方は職業の
人々がその職業生活を支え力づけるために役立つも
理想や職業に必要な徳(能力)、実践的知恵、判断
のでなければならない。そして、社会における職業
力を考えていく際の導きとして役立てることができ
倫理の確立の一助となることを目的とするものであ
るであろう。
る。
義務論と功利主義は「徳」を考えるというよりも、
倫理的な行為あるいは判断の指針を与えようとする
ものである。義務論も功利主義も職業上の責務や社
3.職業倫理学の倫理学的基礎
会的貢献を考える際に役立つであろうし、倫理的判
断が問題となるときに必ず参照されることになる判
職業倫理学の倫理学的な基礎として、筆者は規範
断基準の代表的なものである。これら倫理学の三つ
倫理学の3つの原理、すなわち徳倫理学(アリスト
の立場は、それぞれが私たちにとって大変身近なも
テレス倫理学)、義務論(カント倫理学)、功利主
のであり、各自が自分のものとしているものでもあ
義倫理学の三者をそれぞれ踏まえ、その上でヘーゲ
る。これらの尺度を吟味して、その有効性や問題点
ルの言う共同性倫理を取り入れたいと考える。
を理解することも重要な課題となるであろう。
徳倫理学の三つの概念である「エウダイモニア」、
カントの義務論は「定言命法」として有名なよう
「プロネーシス」、「アレテー」のうち、エウダイ
に、無条件の厳命である。たとえば「嘘をついては
モニアは通常「幸福」と訳されているが、英語では
いけない」ということは無条件にそうなのであって、
「human flourishing」、すなわち「栄え、花開く人
誰かの命を救うためだ(と思った)としても間違っ
生」という意味である。徳倫理学はエウダイモニア
たことは間違ったことであり、嘘をつくことが善い
が人生の目指すべき姿であり、倫理的な問題に直面
行為と見なされることはない。カントのこのような
したときに私たちの判断を導く最終的な拠り所とな
いわゆる「厳命主義」は実践的と言えないという批
ると考えている。
判を受けているが、私はこのような厳命の必要性を
職業倫理においては、職業生活が「栄え、花開く」
認識することが大切ではないかと考えている。功利
ことを幸福な目的と考えることができる。義務論の
主義だけでは倫理的問題を考察することはできない。
立場からは、職業における「善」とは職務を果たす
「無条件厳命」を重く受け止めれば受け止めるほど
ことであると言えるであろうし、功利主義の立場か
他の義務との衝突などの葛藤に陥ることがある。し
らは「社会の幸福のため」を職業の目的と考えるこ
かし葛藤に出会うからといってその理論が無意味だ
とができる。これら三つの立場はそれぞれとらえ方
ということにはならない。倫理的判断力は葛藤の中
や表現の仕方が違うけれども、理想とするところは
でこそ鍛えられるのではないだろうか。授業におい
異ならないと思われる。
ても倫理的判断が難しいような場合を議論し考え抜
アリストテレスはエウダイモニアを主観的なもの
くことによって学習が深まると感じている。
ではなく客観的な意味での幸福と考え、ある程度の
功利主義は「社会全体の利益が最大になるように」
裕福さや健康もその要素と考えていた。もちろん「栄
行為することが善であると考える。利益とは幸福で
え、花開く」のが自分だけであってはならないこと
あるとされる。しかし、何が「利益」または「幸福」
は当然この概念に含まれている。職業的エウダイモ
なのかについては答えが決まっているわけではない。
ニアの概念を具体的に描くことも職業倫理学に必要
その判断は具体的問題に即してその場その場で関わ
な要素ではないかと思われる。
る人々に委ねられている。「最大利益」の短慮が、
また、その実現のためにはどのような徳が必要か
誰かの大きな不利益をもたらすようなことも生じう
という問いについても様々な調査研究の結果等を活
る。何が利益または幸福であるかを考える際には、
用して具体的に学ぶことが必要ではないだろうか。
功利主義ではなく別な倫理観が必要になる。個人の
徳(アレテー)という言葉には、「能力」という意味
人格は最高の目的であり、その尊厳は不可侵である
が含まれる。これも職業倫理を考えていくためにふ
というカントの厳命は重い意味を持っている。
さわしい概念と思われる。さらに、様々な問題に対
以上述べたように、これら倫理学の三つの立場は、
する判断力として、プロネーシス(倫理的知恵)を
様々な問題を考える際の万能の尺度ではないのであ
追及していくことが必要である。
る。しかし、それぞれが重要な意義を持っている。
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職業能力開発総合大学校紀要 第40号B (人文・教育編)
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従って、私たちはこれらの持つ意義やはらんでいる
業倫理学の観点から重要と思われる事柄を述べてお
問題点をよく理解して具体的な問題の考察に役立て、
きたい。
できるだけ適切な判断をするように努力しなければ
まず第一に、職業能力とは特定の業務ができる能
ならないのである。
力のことである。
ここで、第四の原理としてヘーゲルの共同性の倫
普通に生活の中で「あの人は能力がある」などと
理 (1)という考え方を挙げておきたい。ヘーゲルの考
言う時には特に何の能力かということを問題にせず、
え方は「倫理とは共同性のことである」というもの
「優秀である」とか「能力が高い」といった、能力
である。倫理とは「共同性への意志」であると言っ
の大小とか優劣のことを話題にしていると思われる。
てもよい。たとえ自分が「善い」と思っていても、
しかし、「能力がある」とは何かができることを意
倫理は独善であってはならない。それを他者との間
味しているから、「何ができるのか」ということ抜
で共有できる「善」としなければならない。その時
きに「できる」ということだけを取り出して語るこ
その時、関わり合う他者との間で「共同性」を作り
とはできないはずなのである。このような発話が成
出していくこと、すなわち「共同性への意志」こそ
り立つことの背景には「できる」と言えば何ができ
が倫理である、という考えである。
るのかはわかっているだろうという暗黙の了解があ
ヘーゲルによれば、社会は万人のそのような努力
るだろう。しかし、職業能力が問題になる場面―例
によって作り上げられた共同作品である。職業能力
えば求職や求人など―では、求職する側も求人する
の最重要な要素の一つとして、しばしば挙げられる
側も問題になっているのが「何が」できる能力なの
のは「コミュニケーション能力」である。コミュニ
かをまず示さなければ話にならない。職業は社会的
ケーションとは「分かち合うこと」を意味する。私
分業の一分肢として社会の存続を担っている特定の
たちが目指すものは独り倫理的であることではなく、
業である。職業能力はその特定の業ができる能力の
ともに善くあることである。
ことである。従って能力を語るときにはその大小や
ただし、これは各自の判断の違いや対立を無視し
優劣よりもまず、どんな特定の能力なのかが第一義
て和を重んじるということを意味しない。各自が自
的に重要なのである。
分の判断に責任を持ち、他者の判断が違う場合にも
日本では「特定の職業能力」を示す社会的標準の
その根拠を理解するように努め、共通の土俵を探り、
整備が目下途上にある。自分が何の能力を持ってい
コミュニケーションを捨てず、その場その場で納得
るか、何の仕事ができるかを誰に対しても明確に示
できる共通理解を作り出していく意志と努力のこと
すことができる社会的指標がなければ、職業能力の
である。このような意味で、「共同への意志」を職
形成も、能力を大切にすることもできない。「特定
業倫理学においても、特に重要な原則として踏まえ
の職業能力」を示す社会的標準の整備は職業倫理の
ておきたい。
確立のためにも急務である。
第二に、能力は形成されるものである。
上述したように「あの人は能力がある」などと言
4.職業倫理学から見た「能力」問題
う時は、その人がもともと「能力のある人」だった
というふうに感じられていることがある。しかし、
以上に職業倫理学の課題と諸要素および倫理学上
人は二本の足で歩くことも箸を使うことも言葉を話
の基本的な立場について述べてきたが、職業倫理学
すこともすべて習い覚えてできるようになった。つ
の特徴を考えるために、ここで「職業能力」につい
まりどんな能力も獲得されたものである。人より早
て考察してみたい。職業倫理を考える時、能力をど
く走れる人はいるが、「走る」能力は形成されたも
う考えるかという問題は避けることができない重要
のなのである。
な問題である。能力問題は倫理学でしばしば取り上
職業能力は「特定の業ができる能力」の形成され
げられるテーマであるが、「人権」や「平等」とい
たものである。したがって、ある特定の職業能力が
った観点から能力一般の問題が論じられることが多
あるか否かは、形成ないし獲得の問題である。何も
いのではないかと思われる。しかし、職業倫理学に
せずに職業能力が形成されるはずはないと同時に、
おいては能力問題は別な様相を示すからである。こ
形成すれば獲得できるのである。
こで能力問題の全体を論じることはできないが、職
第三に、職業能力の形成は基本的権利である。
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待鳥:職業倫理学の課題と諸要素
ドイツの哲学者ヘーゲルは職業を社会哲学の重要
ればならない。個々人の職業能力を尊重することは
な柱と考えていた (2)。ヘーゲルによれば、個人は社
職務すなわち社会的責務を尊重することになる。ま
会から生計の資を求める権利を持っており、社会は
た、職業能力は個人が社会に参加し生計を営むこと
諸個人を養う責務を持っている。ヘーゲルは慈善や
ができるための手段であるから、万人の基本的権利
救貧政策、所得の再分配には批判的で、雇用を確保
として尊重されなければならない。
することが重要だと考えていた。慈善は人格の独立
職業能力を尊重するとは、能力の優劣を評価する
と誇りを損なうから望ましくないし、所得の格差そ
といったことではなく、個人が形成・獲得してきた
のものは不公正ではない。しかし、技能ないし熟練
職業能力を尊重し、誰もが仕事の現場で必要とされ
を身につけたにもかかわらず働く場を与えられない
る能力を身につけ、発展させていくことができるよ
ことは正義と人倫にもとる、と彼は言う。ヘーゲル
うにすることである。
にとって、労働権の保障は人倫の要請なのである。
第五に、能力は一つのとらえ方である。
ヘーゲルによれば、各人は自分の教養と技能によ
能力という概念はある仕事ができるという事態を、
って、「普遍的で持続的な資産」に参与してその配
その仕事を遂行した個人の内的に備わっている力の
分にあずかり、自分の生計を立てる可能性を与えら
発現であると見る一つの考え方である。能力は人に
れなければならない。この「普遍的資産に参与して
備わった属性であると見なされている。
その配分にあずかる可能性」を彼は「個人の特殊的
市場経済が支配的な現代社会において能力が個人
資産」と呼ぶ。個人の特殊的資産に不平等はあるが、
に属すということは軽視できない大変重要な点であ
普遍的資産にあずかる権利、個人の資産を持つ権利
る。しかしながら、能力というとらえかたでないも
は保障されなければならない。これがヘーゲルの主
う一つのとらえ方についても考えておかねばならな
張である。
い。それは「場」とか「共同」という考え方である。
ヘーゲルが言う「普遍的資産」とは社会全体の生
つまり、ある仕事ができるという事態を、仕事に参
産物と生産力との総体を意味する。「資産」を意味
加した人々の共同作業と見る見方である。仕事は一
する「Vermögen」には「能力」という意味もあり、
人で行うものではなく、他者との共同関係があって
「普遍的資産」は国民総生産とは違って、生産物を
初めて遂行できるものである。個々人の能力の問題
生み出す能力の社会的総体という意味を持つ。従っ
に還元できないものが、共同の場には生じている。
て、社会的資本と労働の分業の総体と理解すること
たとえば、ある人が今までとは違う新しい部署に就
が出来るであろう。ヘーゲルが労働者も資産を持つ
いたり、ある部署に新しい人が加わったりすること
べきだと言うとき、それは社会的に通用する訓練さ
によって、今までできなかったことができるように
れた職業能力とともに、それを発揮するための自己
なったりすることはよく知られている事実である。
の資本なり労働の場をも同時に持つべきだという意
ある仕事の達成はそれに関わる人々の配置や環境や
味である。
状況によって規定されており、それに携わる個々人
以上ヘーゲルの主張するように、社会的仕事に参
の能力に還元できない要素を含んでいる。仕事が持
加してそれを通じて社会の富に与る権利は万人に保
つこのような共同的な本性を忘れてしまえば、個々
証されなければならないと筆者も考える。従ってそ
人の能力を発展させ大切にすることもできないであ
れを可能にするための職業能力の獲得は、万人に保
ろう。
証されるべき権利であるということである。
以上のことから働く者の職業倫理として能力をど
教育を受ける権利とは、能力の優劣に応じたレベ
う考えるべきかという観点からまとめてみると、第
ルの教育を受けるということではなく、万人が何ら
一に能力とは職業訓練や職業活動を通じて形成・獲
かの特定の職業能力を獲得する権利という意味であ
得されるものであり、第二に能力とは社会に必要な
る。従って、学校教育の社会的責務はどの人にも何
特定の業務を行う具体的な能力であり、第三に能力
らかの社会的労働に参加し、富の配分に与り、生計
は個人の生活を支える拠り所である。従って、自分
を支えるに足る職業能力を与えることである。
や他者の能力を大切に尊重することが重要な倫理と
第四に、能力は尊重されなければならない。
なる。しかし、第四に仕事は共同的な本性を持って
個々人の職業能力は社会の維持発展の一角を担う
いる。個々人の能力は共同の仕事の中で発揮され、
仕事ができる能力のことであるから、尊重されなけ
また形成・発展するものである。それ故、仕事の共
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職業能力開発総合大学校紀要 第40号B (人文・教育編)
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同性と仕事がなされる社会的諸条件を考慮すること
によってこそ、自他の能力を大切にすることができ
るのである。
5.最後に
職業倫理学は倫理学の基礎概念を活用しながら職
業生活の中で出会う主要な問題を考察し、職業とは
何か、職業能力をどう考えるか、雇用関係、職務、
職場、組織などに関わる問題をどう考えるか等を探
求することを課題とする。また様々な事例の考察を
通して倫理的判断力を養い、働く人々の手本に学び
ながらしっかりした職業倫理を育てていくことを課
題とする。これらの課題を達成するためには倫理学
だけでなく職業に関わる様々な関連分野の研究と実
践に学ばなければならないであろう。
(注)
(1) 待鳥はる代、「ヘーゲル『精神現象学』における
個と共同体」、『職業能力開発総合大学校紀要』第 32
号 B、2003 年 3 月、及び「ヘーゲル『精神現象学』にお
ける道徳論」、『職業能力開発総合大学校紀要』第 33
号 B、2004 年 3 月、参照。
(2) 待鳥はる代、「ヘーゲル法哲学における職業論の
可能性」、『職業能力開発総合大学校紀要』第 31 号 B、
2002 年 3 月、参照。
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待鳥:職業倫理学の課題と諸要素
An essay on the problems and the elements of vocational ethics
MACHITORI Haruyo
Vocational ethics, which is considered to be a new and necessary branch of applied
ethics in this paper, should be developed to help students raise their morality and
get ready for vocation. This is an essay on the main problems of vocational ethics
and its essential elements as well as its theoretical basics.
Vocational ethics should study the concept of vocation and vocational ability and
skills, employment, responsibility, human relationship in workplace, organization
etc. It should also research the cases concerning various situations in which working
people find themselves, and the models of morality among them, through which the
key to the ethical judgments will be obtained.
Not only ethics but also studies of various related fields and practices are
indispensable to accomplish these tasks.
A consideration on ‘ability’ is included to show the characteristics of vocational
ethics.
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