KEIO UNIVERSITY MARKET QUALITY RESEARCH PROJECT (A 21st Century Center of Excellence Project) KUMQRP DISCUSSION PAPER SERIES DP2005-039 金融ビッグバンとアジア債券市場 飯島 高雄* 要旨 1997 年のアジア通貨危機を契機として、アジア各国が保有する外貨を域内で 運用する枠組み−アジア債券市場−が検討されている。アジア各国の金融市 場の規模の比較からすると、東京市場がアジア債券市場の主要市場となる条 件は満たしていると考えられるが、量的側面の優位性のみを以って、無批判 に国際化への取り組みがなされるべきではないと考えられる。そこで本稿で は、金融ビッグバンを始めとした、過去の国際化への取り組みが必ずしも芳 しい成果をもたらさなかった反省を踏まえたうえで、現時点で国際化へ「3 度目の挑戦」を行なう意義と課題を明らかにして、今後の取り組みの方向性 を提示する。 * 慶應義塾大学大学経商 21COE 研究員(PD) Graduate School of Economics and Graduate School of Business and Commerce, Keio University 2-15-45 Mita, Minato-ku, Tokyo 108-8345, Japan 金融ビッグバンとアジア債券市場 ―金融国際化の意義と課題― 飯島 高雄† 1. はじめに 日本の金融システムの変遷は、 「自由化」と「国際化」という 2 つのキーワードで括るこ とができる。この間、自由化と国際化の動きは決して独立したものではなく、相互に影響 を与えながら、あるいは影響を及ぼさないように配慮されながら、進められてきた。たと えば、1970~80 年代の(最初の)国際化への動きは、国内金融の自由化への影響が懸念さ れたために、限定的なものにとどまった。 2 回目の国際化への動きは、金融ビッグバンである。1996 年 11 月の総理指示における金 融ビッグバンの目標は、 「2001 年までに我が国金融市場がニューヨーク、ロンドン並みの国 際金融市場として復権すること」であった。金融ビッグバンの成果としては、金融システ ム改革法(1998 年 12 月施行)によって 1980 年代来の金融自由化がほぼ完了したこと、金 融商品販売法(2001 年 4 月施行)や資産流動化法(2000 年 11 月施行)および投資信託法 (同)によって、従来の縦割り業法の限界を克服すべく機能的・横断的法制の整備に着手 したことが挙げられる。さらに、その後も金融システム改革が間断なく継続されるように なったことは、金融ビッグバンの大きな成果といえよう。ただし、これらの成果の集成と して、「国際化」の目標はどの程度達成されたといえるのであろうか。 他方、日本の金融市場を取り巻く環境を展望すると、1997 年のアジア通貨危機を契機と して、アジアにおいて非居住者向け(発行)市場への需要が発生しつつある。アジア通貨 危機の構造的要因としては、アジア各国の資金循環が、貯蓄が欧米市場で長期運用される 一方、投資資金が短期資金でアジアに還流される(ために、流動性危機が発生しやすかっ た)構造が指摘されている。この教訓から、アジア各国が保有する外貨を域内で運用する 枠組み-アジア債券市場-が検討されている。 アジア各国の金融市場の規模の比較からすると、東京市場がアジア債券市場の主要市場 となる条件は満たしていると考えられる。しかしながら、量的側面の優位性のみを以って、 † 慶應義塾大学経商連携 21 世紀 COE プログラム 研究員(PD) -1- 無批判に国際化への取り組みがなされるべきではないと考えられる。過去の国際化への取 り組みが必ずしも芳しい成果をもたらさなかった反省を踏まえることで、現時点で国際化 へ「3 度目の挑戦」を行なう意義と課題を明らかにすることは、今後の取り組みの方向性を 明らかにする点で意義があると思われる。 この課題を検討するためには、まず本稿における「国際化」の意味するところを明らか にしなければなるまい。金融ビッグバンで目標としたニューヨーク市場およびロンドン市 場は、世界の 2 大金融市場として確固たる地位を占めている。しかしながら、両市場の特 徴は相異なるものである。ニューヨーク市場は国内(自国通貨=US$建て)市場が巨大で あり、そこに世界各国の投資家が集まっている一方で、非居住者にとっては長期資金の調 達は限定的で、資金運用の場としての意味合いが相対的に高い。これに対して、ロンドン 市場は多様な通貨建ての金融取引が行われる国際市場の比重が高く、非居住者による資金 調達および運用がともに活発に行われている。 そこで、ニューヨーク、ロンドンおよび東京の各証券取引所における外国人投資家の割 合を比較してみると、近年東京市場は両市場と遜色のない水準になっていることが確認で きる。また、各金融市場の規模を比較すると、東京はニューヨークに比べて大きく下回っ ているものの、ロンドンとは大差ない。したがって市場規模の国際比較からみて、あるい は非居住者にとって資金運用の側面からみる国際化において、東京市場が抱える問題は小 さいものといえる。 ただし、国際市場―非居住者向け(発行)市場―に関しては、ロンドンとの格差は大き く、ニューヨークとの比較でも比率は同等であるものの、規模の面で下回っている。金融 手法のイノベーションが、「ユーロ債市場」と呼ばれる非居住者向け(発行)市場で起こっ てきたことや、2004 年末に公表された「金融改革プログラム」の副題が「金融サービス立 国への挑戦」であることを鑑みると、日本の金融市場の国際化が意味すべきところは、ま さに非居住者向け(発行)市場の強化拡充にあるといえよう。 したがって国際化が実現するか否かは、非居住者向け(発行)市場であるアジア債券市 場を取り込むための追加的改革の実現如何にかかっているといえる。そこで本稿では、非 居住者向け(発行)市場からみた国際化に焦点を当てて、国際化へ「3 度目の挑戦」を行な う意義と課題を明らかにする。さらに今般のアジア債券市場構想を踏まえて、金融ビッグ バンの所期目標達成に向けた将来展望を行うこととする。 -2- 2. 金融国際化の経緯 本節では、金融国際化に対する政府の取り組みを整理する。まず 2.1 節で、非居住者向け の資本市場である外債市場を取り上げ、次に 2.2 節で、非居住者向けの貸出市場および短期 金融市場である東京オフショア市場を取り上げ、各々の創設経緯と現状を述べることとす る。 2.1 外債市場 1960 年代後半に入ると、日本の国際収支は黒字を持続し、外貨準備も増加基調となる。 また、経済力の向上に伴って、発展途上国への経済協力に対する国際的要請も強まってき た。他方国内では、資本市場の質的向上を追求するために、外債発行を推進していく必要 性が認識されていた。こうした国内・国際環境を背景に、1970 年 12 月に最初の円建外債1が アジア開発銀行によって発行され、続いて 1971 年 6 月に世界銀行債が発行された。 ディスクロージャーや利子所得の源泉徴収といった法制度上の問題から、当初の発行主 体は「我が国が加盟している国際機関」に限られていた。その後法制度整備が進められ、 外国政府、外国地方政府、「我が国が加盟していない国際機関」、外国政府機関、と発行銘 柄は増加した。さらに外国民間企業にも門戸が開かれると、1979 年 3 月にはシアーズ・ロ ーバック社債が発行された。同社債は海外市場で一般的な無担保で発行されたため、国内 社債市場の従来の有担保原則に変化を与える効果も有した。 石油ショックによる混乱を受けながらも、1970 年代を通じて円建外債市場は着実に規模 を拡大してきた。しかし、日本の起債に関する法制度および慣行に起因する事務の煩雑さ から、円建債発行はユーロ市場へその中心地を移す。1977 年に初めてユーロ円債が発行さ れると、その後段階的に起債条件が緩和され、1985 年には非居住者ユーロ円債の発行規模 が円建外債を上回るようになった2。1990 年代に入ると傾向はさらに強まり、市場規模の格 1 非居住者が日本(東京)市場において発行する円貨建・円貨払いの債券を円建外債といい、通 称でサムライ債と呼ぶ。また、非居住者が我が国市場において発行する外貨建・外貨払いの債券 を、東京外貨建外債といい、通称でショーグン債と呼ぶ。ただし、ショーグン債はサムライ債よ りも市場規模が小さいため、本節での言及は割愛する。 2 この背景には、1984~5 年の日米円・ドル委員会報告書および 1985 年の外国為替等審議会答 -3- 差は約 10 倍にまで広がっている(図 1 参照)。 現在は、円建外債も起債条件については、ユーロ円債とほぼ同等の水準になっているが、 起債手続きに必要となる書類(契約書等)作成にかかる弁護士費用などでは、依然として ユーロ債との格差が存在する。そのため円建外債市場では、単位当りの発行費用を引き下 げられる、世界銀行など国際機関を中心とした大型の起債案件しか実現されえない状況と なっている。 2.2 東京オフショア市場 1970 年代以降、国際金融取引は活発化したが、その中心は各国の金融規制から自由な存 在であるユーロ市場や、あるいはタックス・ヘイブン(租税回避地)であるカリブ諸国等 であった。1980 年代に入ると、アメリカはユーロ市場やカリブ諸国のオフショア市場に流 出した金融取引を、アメリカ国内に取り戻すための手段として、IBF(International Banking Facilities)が、創設した。IBF はアメリカ国内の金融規制を保持したままで、非 居住者間取引のみをオフショア(規制外)取引とする制度であった。 また、日本の経常収支黒字はさらに拡大し、金融市場国際化への圧力が増してきた。ま た、当時の情報通信技術の水準という背景もあり、時差の関係でロンドンおよびニューヨ ークのほかに、アジア・太平洋地域にも国際金融センターが必要であるという認識が広ま った。同時に、市場規模からして東京が最有力候補であるという根拠から、東京市場の国 際化への期待が高まり、1982 年には官民合同の「オフショア・バンキング調査団」が結成 され、世界のオフショア市場の視察が行われた。 その一方で、 「国際化の進展は国内の金融自由化を加速させることにつながり、ひいては 国内金融機関の経営悪化を招く」と、国内の金融秩序維持を主張する利害関係者も存在し た。そこで、内外一体型(および銀行・証券兼営)のロンドン型オフショア市場を最終的 目標としながらも、国内の金融自由化が完了するまでの現実的対応3として、国内の業態間 申を受けて、適債基準が緩和されたこと、またゼロ・クーポン債等の新しい商品形態が認可され たことがある。 3 細見編 [1985]p.242「国内の業態間の垣根や、金利は規制下においたまま、外-外取引に限っ て自由化を進めること―つまりオフショア方式による国際化―が、国内の全面的金融自由化まで のつなぎとして現実的な東京市場の国際化の姿である」 -4- の垣根や金利は規制下においたまま、外-外取引(および銀行業務)に限って4自由化を進 める方式を採用し、東京オフショア市場(Japan Offshore Market)は 1986 年 12 月に創 設された。 東京オフショア市場は、1980 年代後半はバブル経済の影響もあり、市場規模を拡大させ ていく。しかしながら、1990 年代に入ると外貨建資産がまず縮小する。1990 年代後半には、 東京オフショア市場は(国内の)コール市場の補完的役割を担い円建資産が拡大するが、 量的緩和政策の影響で近年はそれも減少している(図 2 参照)。こうした状況を踏まえ、利 子源泉税免除や証券会社・保険会社の参入など、市場振興策は採られているが、市場規模 に影響を与えるだけの成果は上がっていない。 3. 国内外の環境変化 本節では、金融国際化の制約となっていた(1980 年代までの)国内外の環境が、1990 年代を通じていかに変化したかを整理する。そこで、金融国際化に向けた制約が、金融ビ ッグバンによる規制緩和でほぼ取り除かれたこと、またアジア債券市場構想によって潜在 的需要が存在していることを確認する。こうした環境変化を活かして国際化を実現するた めには、自由化に加えて制度インフラ整備が必要であることを指摘する。 3.1 金融ビッグバン 1984~5 年の「日米円・ドル委員会」報告を契機に、日本は本格的な金融自由化に着手す る。しかし、自由化に付随する業態間の利害調整に 6 年もの時間がかかり、 「金融制度改革 法」が成立したのは 1992 年であった。この「金融制度改革法」を受けて、1993 年 7 月以 降に業態別子会社方式による相互参入が実現し、1994 年 10 月に預金金利自由化が達成さ れた。その後、バブル崩壊による住専問題等の対処で改革の動きは一時収束するが、1996 年 11 月の橋本首相からのビッグバン指示によって、金融システム改革が再度始動する。 この金融システム改革が「ビッグバン」と命名されたのには、(1) 従前のような漸進的な 細見編 [1985]p.269「銀行業務に限定した IBF 型からスタートし、徐々に証券業務を加え、 銀行・証券の相互乗り入れを図っていったらよい」 4 -5- 改革ではなく 5 年間と時限を区切ったこと、及び、(2) 既存の規制の緩和にとどまらずに抜 本的な市場改革を目標としたことが背景にある。その目標達成のために「フリー-市場原 理が働く自由な市場-、フェア-透明で信頼できる市場-、グローバル-国際的で時代を 先取りする市場-」が、改革の 3 原則として掲げられた(表 1 参照) 。 フリーの側面からの改革項目では、まず価格・サービス面での競争促進が挙げられる。 銀行(流動性)預金と同等の決済性を持たせた証券総合口座の導入や、株式売買委託手数 料の完全自由化で、業態内・業態間の価格・サービス競争が進んだ。次に、新規参入促進 が挙げられる。金融持株会社方式による銀行・証券・保険間の相互参入、証券会社の原則 登録制への移行、銀行代理店・証券代理店制度の導入等で、上記の価格・サービス競争に 拍車がかかった。 フェアの側面からの改革項目では、まず取引の透明性確保と、契約の履行確保が挙げら れる。連結ベースでの企業情報開示や、インターネットを利用した開示(EDINET)制度 等のディスクロージャー制度の整備・拡充を進めている。また、インサイダー取引による 不正利得没収や、違反行為に対する課徴金賦課といった公正取引ルールも整備が進んでい る。他方、銀行の預金保険制度に準じた、証券の「投資者保護基金」および「保険契約者 保護機構」の創設など、仲介機関破綻時の利用者保護体制の充実化も図られている。 次に、高度で複雑な金融取引に対応できる新しい金融法制の整備が挙げられる。近年の 金融技術進歩によって、革新的な金融商品が登場したり、業態と商品・サービスが「一対 一」で対応しないことも、散見されるようになった。このため、銀行法・証券取引法・保 険業法・信託業法等と業態別の従来法制では、規制の重複や脱漏が懸念されている。この 改革の第一歩として、金融商品販売法、投資信託法、資産流動化法が制定(改正)され、 次の段階として 2006 年現在「金融商品取引法」の法制化作業が進められている。 グローバルの側面からの改革項目では、外為法の改正が挙げられる。これによって、事 前の許可・届出制度が原則廃止され、内外資本取引等の自由化が実現された。さらに為銀 制度・指定証券会社制度・両替商制度が廃止され、外国為替業務の完全自由化が実現され た。また、会計制度も国際基準を意識した改正が行われている。 1990 年代から 2000 年代前半を通じた上記の改革によって、金融自由化はほぼ達成され た。したがって前節で確認した、1980 年代に存在した東京市場国際化の制約、すなわち「国 内金融自由化への影響に対する懸念」は、消滅したといえる。ゆえに国内環境からは、東 京市場国際化への条件は整っていたと見られる。しかしながら、国際化への条件では自由 -6- 化に加えて、金融市場に関連する制度インフラが必要となる。その整備に時間を要したた めに、金融ビッグバンという国際化への再挑戦は芳しい成果を挙げることはできなかった。 このことは、国際化へ再々挑戦となるアジア債券市場構想に対しての教訓となる。 3.2 アジア債券市場構想 1980 年代の東京市場国際化構想は、時差の関係上アジア太平洋地区に国際金融センター が必要であるといった地理的条件や、バブル経済による資産価格上昇に加え、円高による 円建ての表示価額上昇に起因する、東京市場の量的拡大を根拠とするものだった。しかし ながら、現実には海外の企業に(また日本企業ですら)東京市場で国際的な金融活動を行 う需要がなかったことが、当時の東京市場国際化への取り組みが成功しなかった要因と見 られる。そうした国際環境も 1990 年代後半以降、変化が生じている。 1997 年にタイ・インドネシア・韓国で発生した通貨危機は、当該国のみならずアジアの 周辺諸国でも多大の混乱を招いた。危機の要因としては、アジア各国の国内貯蓄が海外市 場で長期運用される一方で、国内投資は海外市場から外貨で、かつ短期で調達される構造 にあるとされた。この反省から、上記のような通貨・期間のミスマッチを解消し、国内貯 蓄を国内投資に動員できるよう、2002 年以降各国政府間でアジア債券市場構想が議論され るようになった。 現在、ASEAN+3 では、 「多様な通貨・期間の債券をできるだけ大量に発行し、市場に厚 みを持たせるとともに、保証や格付機関等の環境整備を行うことで、債券発行企業・投資 化双方にとって使いやすい、流動性の高い債券市場を育成する」ことを基本的考え方とし て、アジア債券市場の整備に取り組んでいる。これと並行して、アジア太平洋 11 カ国・地 域の中央銀行では共同で、各国の外貨準備を利用して、(上記 11 カ国・地域中、日本・オ ーストラリア・ニュージーランドを除く)アジア 8 カ国・地域の国債に投資するファンド を立ち上げ、アジア債券市場の整備に取り組んでいる。 ロンドンを中心としたユーロ市場が、アメリカの金利規制を回避してヨーロッパに滞留 した米ドルを運用することを目的に自然発生的に誕生したことから類推すると、現在アジ ア各国で外貨準備が累積していることで、アジア債券市場の需要は高いと見られる。後背 経済力と市場の広がりと厚みを鑑みれば、アジア債券市場のベースとして東京市場は第一 候補と考えられる。よって、こうした国債環境面での変化は、東京市場国際化への追い風 -7- となると期待される。 しかしながら、量的側面の優位性だけでは、日本の金融国際化の実現は困難と言わざる を得ない。ユーロ市場との競争のなかで、アジア債券市場を東京市場に取り込むためには、 各市場参加者が採算を確保できなければならない。そのためには、前節で指摘したとおり、 効率的な市場取引を確保する制度インフラを整備する必要がある。ゆえに、東京市場国際 化への国際環境は 1980 年代に比べて改善しているものの、その実現はアジア債券市場への 潜在的需要をいかに取り込めるかにかかっており、国際化の側面からも改めて制度インフ ラ整備の必要性が再確認される。 4. モデル分析 本節では、 「国際金融市場として、既存のユーロ市場のほかに『アジア債券市場』が必要 である」と主張できる条件をモデル分析で導出する。 4.1 モデルの理念 金融センターというものは、資金を融通する場であるとともに、その価格(すなわち金 利)に集約される「情報」を処理(交換)する場であると、考えられる。とくに金融の場 合は、資金と交換されるものが、将来の請求権(を明記した証券)に過ぎないため、その 情報は重要なものとなる。 処理される情報は、ハード情報とソフト情報に大別される。ハード情報とは、財務デー タのような数値化あるいは文書化して伝達が可能な情報である。数値化できるため、情報 伝達の際に直接両者が立ち会う必要はなく、IT 技術の進歩でハード情報の伝達の速度と範 囲および量は、格段に改善された。他方、ソフト情報とはノウハウや信頼といった数値化・ 文書化が困難な(または禁止的に費用がかかる)情報で、両者が実際に出会うことで(フ ェイス・トゥー・フェイスで)初めて伝達される。 このハード情報とソフト情報の相対的価値は、その時々の金融環境によって変化する。 平時の際は、ソフト情報の相対的価値は低く、ハード情報のみによって金融取引が可能と なる。このハード情報の処理が高度に発達した市場が、ユーロ市場であるといえる。その -8- 一方で、危機発生時はソフト情報の相対的は高くなる。市場が混乱する中では、ハード情 報への信頼性は著しく低下し、真に信頼しうる情報はフェイス・トゥー・フェイスでのみ 獲得される。 つまり、アジア通貨危機の際ユーロ市場がアジアから資金を引き上げたのは、アジア企 業へ対するソフト情報が欠如していたからだと考えられる。前節で見たとおり、アジア各 国政府がアジア債券市場構想を進めるのは政治的要因も存在するが、上記のとおり情報の 特質を考慮すると、アジア企業に関するソフト情報の処理に優れた国際金融市場の必要性 が確認できる。 ただし、危機発生時の優位性のみを以って、アジア債券市場の必要性を論じることはで きない。危機発生時に市場参加者間にソフト情報が共有されるためには、平時の市場取引 において頻繁に取引(すなわち情報交換)がなされている必要があるからである。つまり、 平時の効率性を無視して、危機に備えた市場を維持することはできない。よって、そのバ ランスを議論する必要が生じる。 4.2 モデル分析とその示唆点 アジア企業へ資金仲介する金融機関を想定する。この金融機関は、ユーロ市場(E)ある いはアジア債券市場(A)を通じて、取引を行うことになる。金融機関の収益率(ρ)は、 約定(額面)金利(r)から、ソフト情報処理(SC)とハード情報処理費用(HC)を控除 して得られ、これを最大化する。したがって、次の最大化問題を解くことになる。 arg max ρ (r ) = r − SC (r ) − HC (r ) i i i i i i i i = A, E (1) ri (1)式を解き、収益率(ρ)最大化の条件を求める。 ρ i ′ (ri ) = 1 − SC i ′ (ri ) − HC i ′ (ri ) = 0 (2) * * ここで、アジア債券市場の均衡金利を rA 、ユーロ市場の均衡金利を rE とすると、各々は 次の式を満たす。 ( ) ( ) ′ ′ 1 − SC A rA* = HC A rA* ( ) ( ) ′ ′ , 1 − SC E rE* = HC E rE* (3) また、アジア債券市場における金融機関の(最大化された)収益率を ρ A 、ユーロ市場に * -9- おける金融機関の(最大化された)収益率を ρ E とすると、各々は以下のとおりに書ける。 * ρ A (rA* ) = 1 − SC A (rA* ) − HC A (rA* ) , ρ E (rE* ) = 1 − SC E (rE* ) − HCE (rE* ) (4) すなわち、 ρ A と ρ E の大小関係は、ソフト情報処理(SC)とハード情報処理費用(HC) * * に依存する(図 3 参照) 。 現状を勘案して、ユーロ市場がハード情報処理に優位を有すると仮定する。このとき、 アジア債券市場がユーロ市場のほかに国際金融市場として存在すべき必要性を主張するた めには、アジア債券市場が(ハード情報処理での劣位を相殺する以上の)ソフト情報処理 での優位を有するとことが条件となる。 ゆえに、アジア債券市場を創設するためには、ソフト情報の交換にかかる価値を見極め ( ) ( ) (r ))を収める水準まで、ハード情報処理の効率性を高めるよう、 たうえで、その差異( SC A rA − SC E rE )以内にハード情報処理におけるユーロ市場との * ( ) 劣位( HC A rA − HC E * * * E 市場関連の制度インフラを整備することが求められる。 5. 国際版「市場型間接金融」 前節でアジア債券市場が必要とされる条件が確認されたが、それだけではアジア債券市 場を東京市場に創設する根拠とならない。本節では、日本(そして、アジア各国の将来) の金融システムが目指すべき方向が「市場型間接金融」であることを確認したうえで、ア ジア債券市場を「市場型間接金融」の中核となるプロ専用市場として捉えるならば、アジ ア債券市場の創設は日本の金融システムが目指すべき方向と一致することを提示する。そ れゆえ、アジア債券市場創設は金融ビッグバンの一環として取り組むべき課題であり、そ のための制度インフラ整備は国際標準を念頭におくべきであることを指摘する。 5.1 市場型間接金融 金融ビッグバンにおける規制緩和は、1998 年の金融システム改革法によって概ね完了し、 これ以後の金融ビッグバンは制度インフラ整備に重点を移すことになった。その方向性は、 金融担当大臣の私的懇談会(懇話会)で検討された後、2002 年 9 月 30 日に金融審議会答 申「中期的に展望した我が国金融システムの将来ビジョン(中期ビジョン)」としてまとめ - 10 - られている。 従来の日本の金融システムは、金融仲介機関(銀行)が企業と相対で貸出(借入)条件 を決め、その一方で家計と相対で預金の条件を決めることで、資金が最終的資金供給者(家 計)から最終的資金調達者(企業)へと移転されるものが中心であった。このようなシス テムでは、金融取引に係わるリスクは銀行にプールされることで、通時的なリスクシェア リングが実現する。そのため、景気変動を平準化する機能では優れたシステムであるとい える。その一方で、銀行に過剰なリスクが集中した場合、銀行破綻が経済全体に与える影 響が大きいという側面もある。 また、銀行を通じた金融取引では、取引条件が組織を通じて決定されるため、判断に係 わる人数が(資本市場を通じた取引に比べて)限定される。とくに新規事業に関する取引 については、その新規性ゆえに多様な判断が下される可能性があり、判断の集約が肝要と なる。日本経済の成熟度から鑑みて、経済成長は新規事業の成否に多大に依存しており、 その判断の重要性は極めて高い。それゆえ、市場を通じた金融取引の拡大が、日本経済に とって有用と考えられる。しかしながら、近年の金融技術の進展は目覚しく、もはや(中 小)企業や家計が市場に直接赴き、満足な取引を行なうことは非常に困難な状況となって いる。 こうした状況下で、日本の金融システムの将来像として、 「中期ビジョン」等で提示され たのが「市場型間接金融」である。 「市場型間接金融」では、従来の銀行に集約されていた 複数の金融機能を分解し、それぞれの専門業者と最終資金調達者(および供給者)が相対 型取引する一方で、専門業者(プロ)間では市場型取引を行なう構造となっている(図 4 参照)。 法制度の整備も、こうした金融システムの進化に歩調を合わせたものとなっており、従 来の金融機関別の業法から、金融機能別の法体系へと整備が進められている。金融商品販 売法(2001 年 4 月施行)や資産流動化法(2000 年 11 月施行)および投資信託法(同)は、 その第一歩といえるものであり、その次の段階として現在「金融商品取引法」5の法制化作 業が進められている。このことで、リテール(対アマ)取引においては、投資家保護に十 分な配慮が施される一方で、ホールセール(プロ専用)市場では、原則自由な金融取引が 実現する土台が整備されることになる。 5 従来、「投資サービス法」とされていたものの正式名称である。 - 11 - 5.2 国際版「市場型間接金融」の中核市場としてのアジア債券市場 前節における「市場型間接金融」の中核をなす市場は、プロ(主として機関投資家)専 用とすることから、不断の金融革新に対応できるよう、柔軟なルール体系の下に自主規制 によって規律付けられることが想定されている。こうした理念は、どの国の規制下にも置 かれていないという特殊事情はあるものの、ユーロ市場の現状と相通じるところが多い。 ゆえに、アジア版のユーロ市場として捉えることのできるアジア債券市場を東京市場に取 り込み、「市場型間接金融」の中核をなす国際金融市場とすることは、日本の金融システム が目指すべき方向の延長線上にあるといえる。 具体例としては、アジアの銀行の地場企業への貸出債権を証券化して、それを日本の投 資信託等の機関投資家が購入し、その受益証券を家計が購入するという枠組みが考えられ る。こうした枠組みは、 「市場型間接金融」本来の目的である日本の市場機能の向上のため に望ましいうえに、国際化の目的のひとつである発展途上国への経済協力にも資するもの といえる。 ただし、アジア債券市場を東京市場に取り込んだ際は、市場参加者は日本企業(金融機 関を含む)に限定されないため、市場のルールおよび慣習は国際標準を採用せざるを得な い。そのためには、現在進行中である制度インフラもプロ専用市場に関しては、事実上の 国際標準といえるユーロ市場のルールおよび慣習を、念頭において整備しなければならな いといえよう。 6. おわりに 1970~80 年代以降、日本の経常収支黒字化が定着し資本輸出国としての役割が高まる中 で、金融市場の国際化に対する国内外の要請も高まった。しかしながら、国際化の進展は 国内の金融自由化を加速させることが懸念され、金融秩序を守ることを第一とする意向を 持つ(金融当局を含む)利害関係者の働きかけによって、国際化への取り組みは限定的な ものにとどまっていた。 1990 年代の金融制度改革および金融ビッグバンによって、東京市場国際化の制約となっ ていた金融規制は自由化された。さらに、外為法改正で為替管理が撤廃されたことによっ - 12 - て、金融取引における内外区別の意義も消滅した。1996 年 11 月の橋本総理指示における 金融ビッグバンの目標も「2001 年までに我が国金融市場がニューヨーク、ロンドン並みの 国際金融市場として復権すること」であったし、2004 年末に公表された「金融改革プログ ラム―金融サービス立国への挑戦―」においても、東京市場の国際化は重点項目に挙げら れている。そのため、現段階で金融国際化を推進する国内環境は、概ね整っているといえ る。 他方、アジア通貨危機以後、アジア各国が保有する外貨を域内で運用する枠組み-アジ ア債券市場-が検討されており、国際環境の側面からも金融国際化の条件が整いつつある。 また、日本市場へのアジア債券市場の取り込みは、国際化にとって目的合理的であるだけ でなく、市場型間接金融の中核をなす国際金融市場として、将来の日本の金融システムが 目指す方向の延長線上にある。 ただし、上記の好ましい環境は金融国際化の必要条件に過ぎず、アジアの周辺諸国との 比較における量的側面の優位性だけでは、日本市場へのアジア債券市場の取り込みは困難 と言わざるを得ない。今後東京市場は、ユーロ市場との制度間競争のなかで、ビジネスベ ースで取引が成立するだけの効率性(を実現する制度インフラ)を確保しなければならな い。 そのためには、今後の金融システム改革にあたっては、投資家保護といった(国内・海 外を問わず)市場参加者から信認を得るための制度整備のほかに、プロ専用市場において は海外の市場参加者が国内の市場参加者と同等の条件(英文ディスクロージャー・国際会 計基準等)で取引できることを確保するなど、また海外市場との制度間競争(契約書の簡 便化等)も考慮に入れながら、諸制度をより一層整備していく必要がある。 以上 - 13 - 参考文献 安孫子勇一・大橋一成 [1991]「検証・国際金融市場の機能と構造」植田和男・深尾光洋編 『90 年代の国際金融』日本経済新聞社,187-221. 池尾和人 [forthcoming]『開発主義金融と平成経済』NTT 出版. 大蔵省国際金融局総務課長編『図説 国際金融』各年版、財経詳報社. 岡東務・松尾順介編 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Dufey, Gunter and Ian H. Giddy [1978], The International Money Market, Prentice-Hall. (志村嘉一・佐々木隆雄・小林襄治訳 [1983]『国際金融市場 ユーロ市場の理論 と構造』東京大学出版会.) Kreicher, Lawrence L. [1982], “Eurodollar Arbitrage,” Quarterly Review 7(2), Federal Reserve Bank of New York, 10-22. Levich, Richard M. [2001], International Financial Markets: Prices and Policies, 2nd edition, McGraw-Hill Irwin. - 15 - 表 1 ビッグバン総理指示 我が国金融システムの改革 ~2001年東京市場の再生に向けて~ 1.目標~2001年にはNY、ロンドン並みの国際市場に (1) 優れた金融システムは経済の基礎をなすものである。21世紀の高齢化社会において、 我が国経済が活力を保っていくためには、国民の資産がより有利に運用される場が必要 であるとともに、次代を担う成長産業への資金供給が重要。また、我が国として世界に 相応の貢献を果たしていくためには、我が国から世界に、円滑な資金供給をしていくこ とが必要。 このためには、1,200兆円もの我が国個人貯蓄を十二分に活用していくことが不可 欠であり、経済の血液の流れを司る金融市場が、資源の最適配分というその本来果すべ き役割をフルに果たしていくことが必要。 (2) 欧米の金融市場はこの10年間に大きく変貌し、これからもダイナミックに動こうとし ている。我が国においても、21世紀を迎える5年後の2001年までに、不良債権処 理を進めるとともに、我が国の金融市場がNY・ロンドン並みの国際金融市場となって 再生することを目指す。 これには、金融行政を市場原理を基軸とした透明なものに転換するだけでなく、市場自 体の構造改革をなし遂げ、東京市場の活性化を図ることが必要。 (3) 上記の目標を実現するため、政府・与党を挙げて、次の課題について直ちに検討を開始 し、結論の得られたものから速やかに実施し、今後5年間の内に完了することとする。 2.構造改革への取り組み~2つの課題(「改革」と「不良債権処理」) 目標達成に向けて、市場の活力を甦らせるためには、市場の改革と金融機関の不良債権 処理とを車の両輪として進めていく必要がある。 (1) 改革~3原則(Free、Fair、Global) ① Free(市場原理が働く自由な市場に)~参入・商品・価格等の自由化 ② Fair(透明で信頼できる市場に) ~ルールの明確化・透明化、投資家保護 ③ Global(国際的で時代を先取りする市場に) ~グローバル化に対応した法制度、会計制度、監督体制の整備 (注) 以上のような抜本的な金融市場改革にあわせ、金融関係税制について、公平、 中立、簡素の基本理念及び課税の適正化の観点をも踏まえ、税制全体の中で所要の検討 を行う。 (2) このような徹底した構造改革は、21世紀の日本経済に不可欠なものとは言え、反面 様々な苦痛を伴うもの。金融機関の不良債権を速やかに処理するとともにこうした改革 を遂行していかなければならないので、金融システムの安定には細心の注意を払いつつ 進めていく必要がある。 (資料)http://www.fsa.go.jp/p_mof/big-bang/bb7.htm - 16 - 円建外債 非居住者ユーロ円債 70 971 972 973 974 975 976 977 978 979 980 981 982 983 984 985 986 987 988 989 990 991 992 993 994 995 996 997 998 999 000 001 002 003 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 2 2 2 2 億円 19 0 20,000 40,000 60,000 80,000 100,000 120,000 140,000 160,000 180,000 200,000 図 1 円建外債・非居住者ユーロ円債の市場規模 0 100,000 200,000 300,000 400,000 500,000 600,000 1986 単位:億円 700,000 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 図 2 東京オフショア市場の市場規模 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 円貨建 外貨建 r A* r E* ρE* r ρE* r A* (ii) rA* > rE* r E* 1-SCA > 1-SCE ρ 1-SCA > 1-SCE ρ=r HCA > HCE (i) rA* < rE* HCA > HCE ρA* ρ 図 3 アジア債券市場とユーロ市場の均衡金利水準 ρA* r ρ=r 出所:池尾 [forthcoming] 図 4 市場型間接金融
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