第 24 回心理学講義 資料

第 24 回心理学講義
資料
2015.06.17
今回は一つの心理学理論を吟味しそこから学んでいくというのではなく、人間というの
は「多重の人格を持っている」という理解と人間観を持つことで、自分と他人が全く違っ
た別々の存在であるという認識から、自他の共通性・全く別の違った存在ではないことの
理解(ひいてはその実感)、万人を平等に見る、自他に対する寛容と慈悲といったものを培
う一助にしていただければと思います。そのためにいくつかの心理学理論を参考にして話
をしたいと思います。
■「人は皆、多重人格」
人は様々な人格を持っています。人格というのは心の要素、性格などと考えてください。
例えば、イライラと怒りっぽい自分。
恋人から連絡がないとすぐに不安になってしまう自分。
辛いことがあると逃げてしまう自分。
人前で赤面してしまう自分。
人の目を真っ直ぐ見られない自分。
時に聖母の様に優しい自分。
人を助けたいと強く願う自分。
批判的な自分。
などです。
まだまだたくさんあるでしょう。
このことは、少しよく自分を省みれば、自分にもそういうところはあると思うことはでき
るでしょう。ところが、日常の生活のなかでは、あたかも自分にはそんな要素はない、と
思って、他を批判したりします。
これは、自分(「私はこういう人間である」)を限定して認識しているからで、その限定の
幅・範囲が狭いほど、他人と自分は違うという思いも強くなります。
これはどういうことかというと、「自分はこういう性格だ」というときの性格(要素)の数
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が少ないということで、他人と共有する要素が少なくなり、自分と他人の共通点を認識で
きない=自分と他人は違うということになるのです。
そういう人は、悪いことをしている人を見て、自分にはそういうところはないと思い、他
を批判、断罪するようになります。
■人間はほぼ同じ心の要素を持っている
人間というのは皆、ほぼ同じ様々な要素を持っていると思われます。
ただ、その要素が表面に表れているか、隠れているか。あるいは、言葉を変えて言うと、
発達しているか、未発達であるか、ということです。
このことは、ユング心理学の元型という概念から考えると導き出されます。元型とは、人
間に共通する心や行動の元パターンと言ったらいいかと思います。この元型は人間全体が
共有する無意識の領域にあると言われています。ですから、私たちの心の要素やそこから
生じる行動などの元は皆同じものを持っているというのです。
ユングの元型を持ち出すまでもなく、心の中を落ち着いて理性的・合理的に見ればのぞい
て見れば、人間の中にある要素はだいたい同じだということに気づくのではないかと思い
ます。
そして、この「人間というのは皆、ほぼ同じ様々な要素を持っている、それは善の要素も
悪の要素も」という認識(人間観)は、万人を平等に尊重し、寛容の心、慈悲の心を培う
ことにつながります。
しかし、人間はなかなか悪の要素、マイナスの要素が自分にあることを認めたがりません。
また、あまりにもすばらしい要素についても自分にとてもそんなものは、と思い、その要
素があることを否定します。
それでは、ここで私たちの内面には様々な人格が存在するということをいくつかの心理学
理論からみていきましょう。
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■交流分析
交流分析は人格の理論です。
人間の心・行動は、時・場所・情況・人に応じて変化します。つまり、違った自分(人
格)で対応します。職場にいるときと家でくつろいでいるときとでは違う自分であるのが
普通でしょう。
この時と場合によって変わる人格を交流分析では5つに分類しています。
CP=critical parent(批判的(父親的)な親の心)
NP=nurturl parent(養育的(母親的)な親の心)
A=adult(大人の心)
FC=free child(自由な子供の心)
AC=adapted child(順応した子供の心)
●父親的な心「厳しさ」
良心や道徳観念、ルール・秩序を守ろうとする部分。
ここが強い人は責任感も強く、統率力もあります。
この部分が強くなりすぎると、自分の価値観を押し付け、価値観から外れてしまう人を批
判・排除してしまう傾向が強くなります。いわゆる「ワ ンマンタイプ」。
●母親的な心
「優しさ」
受容・共感、面倒を見る、寛大な心を示す部分です。
ここの働きが強い人は心が広く、他の人の面倒をよく見ます。
優しいお母さんと いったイメージ。
しかし、この部分が強くなりすぎると過干渉・過保護になる傾向があります。
●大人の心
「客観性」
情報を収集する、物事を論理的・客観的に捉える、事実に基づいて判断を下す、などとい
った働きを示す部分です。
ここの働きが強い人 は冷静に事実を見極め、計画的に物事を進めるのが得意。
しかし、ここの働きが強すぎると、何でもかんでも事実に基づいて客観的に考えるので「機
械人間」とか「冷たい人」という印象を与えることが多くなります。
●自由な子供の心
「素直な感情表現」
欲求や気持ちを素直に表現したり、気分転換を上手に行う部分です。ここの働きが強い人
は明るく楽しく、自分の気持ちを 素直に表現するのが得意です。
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しかし、この働きが強すぎる人は何でもかんでも自分の気持ちを中心にして行動してしま
うため「わがまま」とか「軽率な人」と いう印象を周囲に与えてしまうことがあります。
●従順な子供の心
従順な子供の心 「協調性」
自分の気持ちを抑え、その場の状況を読み取って周囲に合わせる部分です。
ここの働きが強い人は忍耐強く、協調性があります。
しかし、この部分が 強すぎると、自分の気持ちを抑えすぎてストレスを溜め込むことや、
周囲の人に「根暗な人」という印象を与えてしまうことが多くなります。
この5つの要素は、人によってその強さ・発達・顕現が違います。
父親的要素が1番強い人もいれば、母親的要素が1番強い人もいます。
その人の5つの要素のどれがどのくらいなのかというのを点数にして視覚化したものがエ
ゴグラムというグラフです。
点数が多いものほど、日常で現れやすい要素で、点数が低い要素ほど日常で現れにくい要
素です。
■影の理論
影の理論
●ペルソナ
ペルソナとは仮面という意味で、役者が芝居 のときに役に応じてつける仮面のことです。
私たちは、いろんな側面、要素をもっています。しかし、ごく限られた面しか「自分」と
して認識していない、受け入れていません。その自分で受け入れている表面の要素をペル
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ソナと言います。受け入れていないということは、意識の幅が狭いということで、本来、
自分であるものを「他」と認識し、境界をつくることになります。
●影
心の中には「光」と「影」の二つの側面があります。それらを含めてひとつの人格が成
り立っています。光の側面は自分が受け入れていて他者もそれを知っています(ペルソナ
=表層意識)。 「影」の部分は主に自分では認めたくなく、他者に対して隠しておきたい
部分です。
自分で認めたくないので、できるだけ見ないようにしたり、心の奥に閉じ込めておこう
とします。それを心理学では「抑圧する」といいます。「抑圧」は自己を守る機能のひとつ
です。無意識の中に追いやるということです。
「臭いものには蓋」ということですね。それ
によって、その要素は表層意識からは消えます。ですから、自分では自分にその要素がな
いと思っています。しかし、これらは消えてなくなってしまうわけではなく、その人の人
格の「影」として潜在意識の中に存在しつづけます。
では、抑圧することによってどのようなことが生じるのでしょうか?
①抑圧した側面(要素)を、自分のものとは感じなくなる。そのため、それらを用いるこ
とも、それらに基づいて行動することも、それらを満足させることもできません。このこ
とによって、その要素をコントロールできなくなり、自制が効かず、暴発します。また、
欲求不満にさらされることになります。
②これらの側面(影となっている要素)は、環境の中に存在するかのように見えます。自
分の中の抑圧した要素を他人の中に見つけ出します。このことを「投影」と言います。
「影」
を「他に投げかける」
というわけです。そして、自分にあっても嫌な要素を他人に見る
のでその他人をも嫌悪することになります。
■サブ・パーソナリティ(サイコシンセシス)
サイコシンセシスは 20 世紀初頭、イタリアの精神科医 R.アサジオリによって作られた心理
学の一体系です。
アサジオリは意識の中心にある部分を「セルフ」と呼びました。
そして、その「セルフ」の上位にある「トランスパーソナルセルフ」と繋がることによっ
て、より大きな叡智を得ることができると考えました。
そして、「セルフ」とは違う様々な自分(サブパーソナリティ)がいると考えました。
分析屋、批判屋、しらけ屋、熱血漢、憤慨屋、ヒステリー、なまけもの、無責任、完全主
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義者、悲観主義者、などのサブパーソナリティがあります。
自分のなかにあるサブパーソナリティに気づかずそのサブパーソナリティに支配されてい
る時、私たちのセルフ(自我)が統制できないため、翻弄されます。
セルフがサブパーソナリティを認識し受容し統合することで、それをコントロールでき調
和のとれた豊かな人格として生きていくことができます。
このように、セルフがその人の指揮をとって自律的に生きて行くことがサイコシンセシス
の目的です。
ここで「トランスパーソナルセルフ」という言葉が出てきましたが、訳すと「個を越えた
自己」となります。
様々なパーソナリティを統括する「セルフ」(自我)の上に位置する「トランスパーソナル
セルフ」は「静かな観察者」とでもいうもので、客観的で価値判断なく見つめる存在であ
り、それがはたらくことで合理的建設的な思考をすることができます。つまり、よりよく
様々な人格を使うことができます。
この概念は、ヨガでいう真我に近いものと思います。
■病理的な多重人格とは違う
ここで注意しておかなければならないことは、精神病理としての多重人格=解離性同一性
障害とは違うということです。
解離性同一性障害では、通常の人格が他の人格に全く乗っ取られてしまって、そのとき
のことを覚えていません。
そして乗っ取る人格は通常、マイナスな人格が多いです。通常な人格が自分の中にある
マイナスの要素をたいへん強く抑圧していることで、その要素が強烈に強まって人格化し、
通常の人格を乗っ取ってしまいます。
マイナス面、悪の自覚は受け入れは重要です。
■仏教で説く十界および十界互具
仏教の説く内容も心理学的にとらえると様々な人格が人間のなかに存在することを説い
ています。
十界とは、迷っているもの、悟っているものも含めたすべての境地を、上は仏界から下は
地獄界までの十種類に分けたものです。
人間のなかにある心の要素(人格)と考えることができる。
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①地獄界(じごくかい)
苦しみの余り、瞋(いか)りすら感ずる苦悶(くもん)の状態。
②餓鬼界(がきかい)
不足感からくる貪欲(どんよく)にとらわれている状態。
③畜生界(ちくしょうかい)
理性や道理ではなく、目先のことにとらわれ、本能のおもむくままに行動する状態。
④修羅界(しゅらかい)
他との闘争・戦いに明け暮れている怒りの状態。
⑤人界(にんかい)
人間らしく、平常で穏(おだ)やかな状態。
⑥天界(てんかい)
思うとおりになって、喜びを感じて満足している状態。
以上の六界を六道(ろくどう)という。
⑦声聞界(しょうもんかい)
先人の教えを学ぶ中から、無常観(むじょうかん)など、分々の真理を会得(えとく)してい
く状態。
⑧縁覚界(えんがくかい)
独覚(どっかく)ともいい、声聞(しょうもん)が先人の教えを求めるのに対し、自ら
悟りを得る状態。
⑨菩薩界(ぼさつかい)
自身のことよりも、他人の幸せを願い、そのために尽(つ)くす状態。
⑩仏界(ぶっかい)
智慧と慈悲にもとづく悟りの最高の状態。
十界互具とは、十界のそれぞれが十界を具えていることで、地獄も十界を具え、仏も十
界を具えており、又人間も地獄から仏界までの十界を具えていると云うことです。だから
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人間は地獄のこころの状態に陥ることもあれば、また逆に仏のこころの状態になるとが出
来るということ。
この十界互具は先のサイコシンセシスのセルフ(メインパーソナリティ)とサブパーソ
ナリティのようにも思われる。
人間の世界では、人の心の状態がセルフ(メインパーソナリティ)で他の地獄などの9
つも心の状態がサブパーソナリティ。
■まとめ
このように、交流分析、影の理論、サイコシンセシス、仏教の十界の教えと、人間の心
のなかには様々な要素・人格のあるという理論をみてきました。
善の要素も悪の要素もどんな人にもあり、一人一人その発現している要素の割合バランス
が違うだけです。
ある要素(善いも悪いも)を発現させている人は、自分の中にもあるその要素の現れであ
るという理解。
悪いことをした人に対して、自分も同じ境遇にあれば、自分の中にある悪の要素は発現す
る可能性はあることの理解。
また、善いこと・すばらしいことした人も自分の中にある要素であり、自分も努力によっ
てその要素を発現できるのだという理解。
このような理解をすると、自分と他人の違い、区別を越え、自他の共通点、つながりを理
解し、他への共感、許し、寛容、慈悲、平等、尊重などが培われてきます。
特に悪・マイナス面の理解=悪の自覚からこそ、人間の成長ははじまるのではないかと思
います。
逆に、自分のなかにある要素を受け入れないと、他に対して投影したり、また、その要素
をコントロールできなくて翻弄されることになります。そして、自分と他人のつながりが
わからず、批判や嫌悪、怒りを生じさせ、寛容・慈悲を阻むことになります。
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また、能力開発的なことで言えば、様々な要素を否定していくことは自分の能力の否定に
もつながる。例えば、人と話すのが苦手という人の場合、そういう場面を避けようとする
ことが多いと思いますが、そうではなく、その苦手なことに挑むことで人とうまく話せる
人格も育ち、また、能力が開発されても行く可能性があります。
このように、人間というのは皆、善も悪も含めほぼ同じ様々な要素を持っているという理
解は私たちの成長、幸福に大きく影響するものと思われます。
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