<クラス会・同窓会だより> 富士吉田市に富士山観光に出かけました。 機械34年卒同窓会 尚、この会を「常盤山紫会」と名付けました。 平成27年度常盤山紫会 山紫は山紫水明からまた昭和 34 年卒業のサ 石見 喬 ンシにも通じています。先願主義で昭和 34 風薫る5月 11 日、昭和 34 年機械科卒業の 年卒業の他学科に先んじて使わせていただき 13 名が東京駅に集合しました。この集いは2 ます。 年毎の開催ですが、毎回参加人数が減少し寂 最後に、田村昭美君、來海敬三君には会計 しくなりつつあります。しかし会えば笑顔で や煩雑な仕事を担っていただきました。改め 話が弾み学生時代に戻った様相となります。 まして感謝申し上げます。 全員がそろった午後1時、東京スカイツ リー観光に出発。幸いに快晴で 450m の展望 回廊より眼下の大東京、それに続く遠望、地 上に降りてはツリー周辺の散策等を楽しみま した。宿は江東区のホテル。懇親会は小奇麗 なレストランを借り切り開催。アルコールが 進むにつれ健康、趣味、地域貢献等々と話題 は広がり時間が経つのも忘れるほどでした。 機械36年卒同窓会 常盤M36会 熱海での1年ぶりの再会 (喜寿を迎えて) 髙村 和男 昨年、強羅での集いから一年ぶり、今回は、 明くる12 日は新東京駅の見所探訪。丸の内 「トーカ熱海」(熱海3回目)で開催されたク 南口のドームを下からと4階の回廊より眺め、 ラス会で、出席者は皆元気な顔を見せてくれ 御幸通りより正面から、新丸ビル7F 回廊か た。鬼籍に入った会員もあったが、まずまず ら見降ろす等、再現された創建当時の美しい の集まりと思った。ホテル「トーカ熱海」は 姿を心行くまで鑑賞しました。12 時、新丸 我々だけの貸切でゆっくりすることができ ビル7F レストランにて昼食兼お別れパーテ た。出席者は、小野、小畑、児玉、下瀬、髙村、 イー。次回も全員元気で再会することを誓い 中島、永野、毛利、吉田、大和の 10 名であっ 合い解散となりました。老いてなお意気軒 た。大半は喜寿を迎えているが、歳をとった 昂、頼もしい仲間達です。 という感じは持っていないと思う。 余談ですが 13 日、有志数人が山梨県側、 我々のクラス会をふり返って見ると、最初 は、卒業の翌年正月、宇部(工学部)であっ た。幹事は誰だったか覚えていないが、二次 会は真締川近くの文金高島田を結ってる女性 のいる店で飲み、その時は中島君と私が下瀬 君の独身寮に泊めてもらったと記憶している。 その後、過去の各地での開催では、大和幹事 長のお世話をいただいたおかげで、分かって いる記憶の範囲で書いてみる。 - 49 卒業後は皆、成長経済の中で、仕事に追わ め、特別の近況報告もなく、宴会は始まった。 れ同期会なんて考えられなかった。50 歳前 見れば、若々しい声で喋っているけれども、 後の頃から我々のM 36 会は始められ、大和 白髪は増え、歳は争えないと痛感した。中国 さんが幹事長としてやっていただいたおかげ の漢詩「劉廷芝」が「白頭を悲しむの翁に代 で、今日まで 30 年以上続いているのである。 わる」の漢詩に「此の翁白頭真に憐れむべし 私はほとんど、全部出席している心算だが、 これ昔聞く紅顔の美少年…」と詠んでいるが、 一番古いのは、東京の大森の日立会館、寿司 正にそのとおりである。 屋江戸銀、平成 17 年以前では、1回目の箱 お酒が入ってきて、宴たけなわとなり、話 根強羅、伊豆の狩野川温泉、1回目の宇部ゴ は百花繚乱入り乱れ、中国との政治経済問題、 ルフ場の宇部観光ホテルと工学部訪問、2回 日本文化のよさの PR、私は会員の現役時代 目の厚生省管轄の宇部保養所と工学部訪問、 の仕事の辛さ、取組み内容の聞き役に終わっ 1回目の熱海(アタミ観光ホテル) (平成 10 た。2時間余りで宴会は終わり、二次会は真 年)、平成 17 年からは会誌「常盤」に寄稿す 夜中まで続き、幹事部屋では大和幹事長と中 るようになり、2回目の熱海(来の宮)(平 島君の対局観戦、青春時代の話、個人に関わ 成 17 年)、福岡志摩町、太宰府(平成 19 年)、 る話であるが、先祖の調査報告の話を聞き、 千葉勝浦(平成 20 年) 、滋賀近江八幡(休暇村) その他色々と話題に花が咲いた。 と彦根(平成 21 年)、横浜(上郷森の家)(平 翌日、朝食後、9時半過ぎにホテルを出発 成 22 年) 、3回目の湯田温泉常盤と工学部訪 した。私と美術愛好の永野君は「MOA 美術 問(平成 23 年)、高知桂浜(平成 25 年) 、2 館」の展示会を観に行き、その他の7名は「起 回目の箱根強羅(平成 26 年)と続いている。 雲閣」を見学に行った。私は2回目の熱海(来 開催日7月 13 日は、私は大阪から出席した の宮)の集いの時に行っていたので遠慮した。 のだが、猛暑厳しく、2時間ほど喫茶店で休 永野君と2人で、冷房の効いた美術館での鑑 憩し、熱海駅を降りると急な坂道が多く、目 賞は最高で、涼しく気持ちよく何時までもい 的地のホテルまできつい歩き運動となった。 たい世界に耽っていた。我々は午後2時まで 午後3時にチェックインし、6時から懇親会 いて、3時過ぎに新幹線で東京に向かった。 となった。毎年出席常連のメンバ−であるた 東京で永野君と別れ、私の現役時代の友人と 5時に落ち合い、東京ステ−ショ ンホテルのイタリア料理店で会食 を楽しんで、3日目の目的に向かっ たのである。 幹事長曰く、 「継続は力なり」 。 私もそう思う。元気なうちは毎年 やりましょう。 次回は来年「横浜」で開催すると のことである。楽しみにしている。 (平成 27 年8月 19 日) - 50
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