山形県立博物館研究報告

ISSN 0910-9436
山形県立博物館研究報告
第 32 号
BULLETIN
OF
THE YAMAGATA PREFECTURAL MUSEUM
NO. 32
山形県立博物館
YAMAGATA PREFECTURAL MUSEUM
March 18, 2014
は じ め に
平成25年度を振り返りますと、4月には国宝土偶「縄文の女神」の実物の常設
展示が開始され、県立博物館に来ればいつでも「縄文の女神」の実物に会えると
いう環境が整いました。12月には、最先端技術である3Dプリンターを用いた
「縄文の女神」の3Dモデルの完成に漕ぎ着けることができ、4500年前に制作さ
れた女神と今年度製作されたばかりの女神の2人が来館者をお出迎えしており
ます。また同月には、今年度で閉校となる県立東根工業高等学校からヤマガタ
ダイカイギュウの実物大アルミ模型の寄贈を受け、本館入口にモニュメントと
して設置いたしました。こちらも、 そのアルミ製のボディを輝かせながら、
1000万年~ 800万年前のヤマガタダイカイギュウのレプリカとともに来館者を
お出迎えしております。更に今年度は、ホームページの充実を図るための小学
生向き「絶滅種・絶滅危惧種」ページの立上げ、タイムリーな情報発信を一層強
化するためのフェィスブックとツイッターにおけるオフィシャルページの立上
げなど、博物館の広報・PR活動にも力を注ぎました。これらの活動により県
内外における本館の周知度が上がり、1年間を通しての来館者数におきまして
も、年間4万人超えを達成した平成23、24年度の数を更に大きく上回り、16年
ぶりに45,000人を突破することができました。
さて、博物館法に規定されているように、博物館には資料の収集・保管・展示・
調査・研究などの重要な役割があり、それに従って様々な事業を展開しており
ます。本館では、その一つとして調査研究報告書の作成を行っており、収蔵資
料の価値を広く伝える役割を担う大切な任務の一つと考えています。この度発
刊いたしました「山形県立博物館研究報告」第32号には、本館職員の調査研究の
内容を広く県民の皆様にご覧いただけます様、地学から1編、植物から1編、
考古から1編、歴史から2編、民俗から2編、教育から1編、博物館経営から
1編の合計9編の論文を掲載しております。限られた人数で多くの業務を遂行
している中での研究報告ですので、不十分なところもあるかもしれませんが、
本館職員の研究の一端としてご覧いただければ幸いです。
今後とも、一層のご指導・ご支援をお願い申し上げ、研究報告刊行の挨拶と
いたします。
平成26年 3月
山形県立博物館
館 長 髙 梨 博 実
目
阿部 進
次
「3Dプリンタによる国宝「縄文の女神」の復元」
・・・・・
1~2
<地学部門>
羽根田 裕 「東海林コレクションについて」
・・・・・
<植物部門>
川上新一・鈴木
3~18
曉「長沢利英の維管束植物標本について」
・・・・・19~22
<考古部門>
押切智紀 「大蔵村白須賀遺跡の土偶」
・・・・・23~24
<歴史部門>
山口博之 「〈踏査ノート〉インドネシア共和国バンテン周辺の華人墓」
・・・・・25~32
熊谷水緒 「平成25年度古文書講座資料の紹介」
・・・・・33~36
<民俗部門>
秋葉正任 「山形県立博物館資料紹介『山形の伝統凧』」
・・・・・37~44
野口一雄 「野盤子蓮貳坊只黄筆『愛宕山眺望之記』を読む」
・・・・・45~48
<教育部門>
青木章二 「巡幸日誌に記された山形県の学事状況」
・・・・・49~52
山形県立博物館研究報告, 32: 1-2. March 18, 2014
3Dプリンタによる国宝「縄文の女神」の復元
阿部
進*
Susumu Abe
はじめに
形を行うものである。造形に際しては、まず復元
平成 24 年 9 月に国宝に指定された西ノ前遺跡
対象を 3 次元的に計測することが必要で、次にそ
出土土偶「縄文の女神」は、女性の姿を究極まで
の計測したデータを立体データに変換し、そして
デフォルメした表現と現代の美的感覚に通ずる美
3D プリンタで樹脂インクの吐出量を制御し 3D
しさを持ち、縄文時代の土偶造形の到達点を示す
モデルを序々に形作っていくものである。
優品として、極めて高い学術的価値を持っている。
この「縄文の女神」は、平成 25 年 4 月から本
計測データ
館国宝展示室において常設展示され、県内はもと
「縄文の女神」の計測データには、平成 20 年
より、県外からも多くの方々が来館され、その優
に東北芸術工科大学文化財保存修復センターによ
美な姿を直接見ることができるようになり、いつ
って計測されたデータ*1 を活用した。この計測デ
でも「本物に会える」こととなった。
ータを当時の研究員である岡本篤志氏(現大手前
「縄文の女神」は、万全のセキュリティと有機
大学史学研究所)の協力を得て、3DCAD 用の加
EL 照明による免震ケースに展示され、ガラス越
工データへと変換処理を行った。
しにもその美しさを十分に感じ取ることができる
3Dモデルの造形
が、本物に触ることはできなくとも、忠実に再現
した模型による擬似的な造形美の体験によって、
造形にあたっては、山形県立産業技術短期大学
さらなる「縄文の女神」の価値の創造につながる
校デジタルエンジニアリング科に協力をいただい
ものと考える。そこで、最先端技術として注目さ
た。国内最大土偶の 3D 造形には、相当量のイン
れる 3D プリンタ技術を活用し、
「4,500 年前の土
ク(造形樹脂・サポート樹脂)を要するため、第
偶を先端技術によって現代に蘇らせる」取り組み
一段階として 3 分の 1 の大きさの造形を行った。
として「縄文の女神」3D モデルの制作を行った。
造形は 100 分の 1 ミリ単位でのインクの積層のた
め、完成まで 10 時間ほどを要した。造形した 3D
モデルは重量 77g、高さ 15cm であるが、頭部の
3Dプリンタ技術について
3D プリンタ(3Dimensional Printer)は、紙
穿孔や背中の均整の取れた表現、角柱状の脚部に
等に平面的に印刷する通常のプリンタに対して、
よる安定した自立など、精細な表現と全体のバラ
3DCAD や CG データから立体(3 次元オブジェ
ンスが忠実に再現されたものとなっている。
クト:本研究報告では 3D モデルと呼ぶ)を造形
次に、この 3D モデルを元にシリコーン樹脂で
する装置であり、一般的に樹脂の積層によって造
の型枠を取り、これに石膏を流し込むことによっ
山形県立博物館
副館長
-1-
て 3 分の 1 の大きさの石膏
今後の3Dモデルの活用について
モデル[図 1]を制作した。
縄文の女神は、ほぼ新生児と同じ大きさである。
細部の複雑な型取りが難し
手に持って触れてその造形美と重さを体験するこ
いことと、石膏モデルの制
とは、視覚だけでは得られない実際的な「縄文の
作を重ねる毎に型枠の劣化
女神」を感じ取ることができ、国宝としての一層
が進むため、10 体程度の制
の魅力とより高い価値を付けることが可能となる。
作が限界であったが、石膏 [図 1]1/3 モデルと
を用いても「縄文の女神」
今後は、小中学校等への出前授業による講義や
3D モデルの貸し出しなどによって、子どもたち
制作した型枠
に「縄文の女神」を身近に感じ、触れてもらう取
の持つ造形美を十分に具現できるものであった。
り組みを行うと共に、目が不自由な方々に 3D モ
デルに触れてもらうことで、
「縄文の女神」の造形
実物大モデルの制作
美を直接、体験してもらうことなど、新たな博物
3 分の 1 の 3D モデルは、マスコミによる報道
館の魅力の創出につなげていきたいと考える。
もあり、様々な関係者から問い合わせがあり大き
博物館の使命は、資料の収集・保管、展示、そ
な注目を受けたが、小さなサイズで精巧に復元さ
して様々な事業を通じて、地域文化や社会教育の
れた姿は、実物大による造形美の再現を是非とも
中核的な拠点として来館者の皆さんに愛される博
必要であることを改めて認識させるものであった。
物館をめざすことである。
「触れる」という体験の
こうした中、県内でも 3D プリンタの導入が進
付加が、来館者から喜んでいただける博物館とし
み、最新の 3D プリンタを導入した神町電子株式
ての一層の魅力づくりにつながるものと考える。
会社*2とのコラボレーションという形で、実物大
3D モデルの制作を進めた。
おわりに
制作にあたっては、立体データを上・下半身の
3Dモデルの制作にあたっては、山形県立産業
2 分割にした印籠型のはめ合い構造とし、それぞ
技術短期大学校の庄司英明教授から様々にアドバ
れ造形[図 2]して接合することによって実物大
イスを頂戴した。また実物大制作においては、神
町電子株式会社の板垣正則社長をはじめ、担当者
から多大な協力を頂いたことに感謝を申し上げる。
なお、産業界に大きな変革をもたらすとされる
3Dプリンタ技術であるが、考古資料の復元とい
[図 2]2 分割による実物大 3D モデルの造形
3D モデルを制作した。データの分割やはめ合い
う視点からの活用が、メーカーの想定を超えた利
構造の試作などの試行錯誤に約 1 カ月を要し、実
用法として、技術誌等に紹介*3された。
物大 3D モデルが完成した。この実物大モデルは、
*1
高さ、幅、文様等、あらゆる面で本物の持つ造形
学術研究高度化推進事業オープン・リサーチ・
センター整備事業(平成 17 年度~平成 21 年度)
美を忠実に再現し、白濁色の造形樹脂表面の質感
*2
も本物に近く再現されている。重量は造形樹脂の
板垣政則代表取締役社長
密度の関係で、本物の 3,155g よりは軽く 2,120g
東根市大字東根甲
7057 番地 174
*3
であるが、十分な重量感と全体的な造形バランス
ス ト ラ タ シ ス 事 例 パ ン フ レ ッ ト 2014 、
Stratasys 活用事例ワールドワイド WEB 版
を得ることができた。
-2-
山形県立博物館研究報告, 32: 3-18. March 18, 2014
東海林コレクションについて
羽根田
裕*
Yutaka Haneda
はじめに
山形県
2012 年 5 月、東海林秀矩(元城北女子高校教諭)
最上町赤倉
菅ノ平層
更新世
が逝去された。その後 2013 年 3 月、同氏の遺志も
動物化石(昆虫類など)
あり、所有していた資料が博物館に寄贈された。
ヤンマ科の翅
同氏は、生前から非常に多くの資料を寄贈・寄託
セミ科の翅
してくださり、当館の発展に大きく寄与された方
カワゲラ目
であった。
トビケラ目の後翅
地学部門では、2013 年 4 月から 2014 年 1 月に
[YAMA1Af007692]
[YAMA1Af007693]
[YAMA1Af007694]
[YAMA1Af007695]
ヨシノボリの一種(ハゼ科)
Rhinogobius sp. [YAMA1Af007696]
かけてこのコレクションの整理・登録を行った。
本稿ではそのコレクションの一覧を記載する。
大蔵村赤松川滝沢
野口層
鮮新世?
動物化石(ウニ類)
結果
エキナラクニウスの一種(スクテラ科)
Echinarachnius sp.
作業工程としては、伊藤修専門嘱託が産地・種
類ごとに資料を整理し登録するというものであっ
[YAMA1Af007745]
た。今回、東海林秀矩より寄贈された資料は総数
山形市成沢
695 に及んだ。整理した結果を以下にまとめる。
動物化石(二枚貝類、腕足類など)
なお、整理した結果は産地・時代ごとにまとめ、
ムカシチサラガイ(イタヤガイ科)
それぞれ和名、学名、標本番号を順に記載してい
Gloripallium crassivenium (Yokoyama)
る。
[YAMA1Af007496-007497]
資料名において、属名のあとに sp.などの記号が
コシバニシキ(イタヤガイ科)
ある場合は、次の意味で用いる。
Chlamys cosibensis (Yokoyama)
sp.(species)は「種小名は不明」という意味
カミオニシキガイの一種(イタヤガイ科)
Chlamys sp. [YAMA1Af007503]
cf.(confer)は「その種に比較される」という
意味であるが、和名ではそれを省略する。
エゾボラの一種(エゾバイ科)
Neptunea sp. (cf. N.matumori Nomura and Hatai)
aff.(affinity)は「その種の類縁である」と
いう意味であるが、和名ではそれを省略する。
嘱託
中新世中期
[YAMA1Af007498-007501]
で、和名では「~属の一種」と表記する。
山形県立博物館
成沢層
[YAMA1Af007504]
-3-
アフロカリステスの一種(タコアシカイメン科)
ムカシハウチワカエデの種子(カエデ科)
Aphrocallistes sp. [YAMA1Af007508]
Acer sp. cf. A.protojaponicum Tanai et Onoe
ツキガイモドキの一種(ツキガイ科)
[YAMA1Pf001683]
Lucinoma acutilineata (Conrad)
ムカシイタヤ(カエデ科)
[YAMA1Af007509]
Acer integerrimum (Viv.) Massalongo
ヨメガカサ(ツタノハガイ科)
[YAMA1Pf001627-001628,001630-001631,001635]
Cellana aff. Foreuma (Reeve) [YAMA1Af007506]
ムカシサワシバ(カバノキ科)
ヤスリツノガイ(ツノガイ科?)
Carpinus subcordata Nathorst
Fissidentalium yokoyamai (Makiyama)
[YAMA1Pf001647-001649]
[YAMA1Af007507]
カバノキ属の一種(カバノキ科)
オオハネガイ(ミノガイ科)
Betula sp. [YAMA1Pf001650-001651]
Acesta goliath (Sowerby) [YAMA1Af007505]
ヘイグンイヌシデ(カバノキ科)
ヤツシロガイ?の一種(ヤツシロガイ科)
Carpinus heigunensis Huzioka [YAMA1Pf001652]
Tonna? sp. [YAMA1Af007502]
ハンノキ属の一種(カバノキ科)
カメホオズキチョウチン(ダリナ科)
Alnus sp. [YAMA1Pf001654,001682]
Terebratalia cf. coreanica (Adams et Reeve)
ムカシシナノキ(シナノキ科)
[YAMA1Af007510-007520]
Tilia protojaponica Endo [YAMA1Pf001658]
グウルドチョウチンガイ(ダリナ科)
ムカシハルニレ(ニレ科)
Terebratalia gouldi (Dall) [YAMA1Af007523]
Ulmus protojaponica Tanai et Onoe
テレブラータリアの一種(ダリナ科)
[YAMA1Pf001637,001643-001644]
Terebratalia sp. [YAMA1Af007521-007522]
ニレ属の一種(ニレ科)
メジロザメの一種(メジロザメ科)
Ulmus sp. [YAMA1Pf001685]
Carcharhinus sp. [YAMA1Af007495]
ムカシヤマザクラ(バラ科)
上山市泥部
Prunus protossiori Tanai et Onoe
泥部層
中新世後期
動物化石(硬骨魚類)、植物化石
[YAMA1Pf001637,001655]
硬骨魚類
ネズコ属の一種(ヒノキ科)
[YAMA1Af007706-007711]
フサモ属の一種(アリノトウクサ科)
Thuja sp. [YAMA1Pf001654]
Myriophyllum sp. [YAMA1Pf001680]
ヒノキ属の一種(ヒノキ科)
ウリハダカエデ(カエデ科)
Calocedrus sp. [YAMA1Pf001641, 001654,001681]
Acer sp. cf. A.rufinerve Sieb et Suzuki
ムカシブナ(ブナ科)
[YAMA1Pf001629]
Fagus stuxbergi (Nathorst) Tanai
カエデ属の一種(カエデ科)
[YAMA1Pf001645-001646]
Acer sp. [YAMA1Pf001632,001636-001637]
フウ属?の一種(マンサク科)
ムカシカジカエデ(カエデ科)
Liquidambar? sp. [YAMA1Pf001656]
Acer palaeodiabolicum Endo
トネリコ属の一種(モクセイ科)
[YAMA1Pf001633-001634]
Fraxinus sp. [YAMA1Pf001637-001640]
-4-
モチノキ属の一種(モチノキ科)
エゾキンチャク(イタヤガイ科)
Ilex sp. [YAMA1Pf001657]
Swiftopecten cf. swiftii (Bernardi)
ハコヤナギ属の一種(ヤナギ科)
[YAMA1Af007619]
Populus sp. [YAMA1Pf001653]
”イトカケガイ”の一種(イトカケガイ科)
ササ類
"Epitonium" sp.
[YAMA1Pf001642]
所属不明の種子
大江町葛沢
[YAMA1Pf001684]
葛沢シルト岩部層
[YAMA1Af007604]
エゾボラモドキ(エゾバイ科)
Neptunea cf. intesculpta (Sowerby)
中新世後期
動物化石(二枚貝類)
[YAMA1Af007600]
ウバトリガイ(ザルガイ科)
エゾバイの一種(エゾバイ科)
Serripes groenlandicus (Bruguiere)
Buccinum sp. [YAMA1Af007601]
[YAMA1Af007658-007659]
オオノガイ(オオノガイ科)
”タマガイ”の一種(タマガイ科)
Mya (Arenomya) cf. oonogai Makiyama
"Natica" sp.
[YAMA1Af007629]
[YAMA1Af007663]
ツキガイモドキの一種(ツキガイ科)
オオノガイの一種(オオノガイ科)
Lucinoma acutilineata (Conrad)
Mya sp. [YAMA1Af007547-007548]
[YAMA1Af007660-007661,007665]
タナグラキリガイダマシ(キリガイダマシ科)
ダイオウシラトリ(ニッコウガイ科)
Turritella (Idaella) tanaguraensis Kotaka
Macoma optiva (Yokoyama) [YAMA1Af007664]
[YAMA1Af007593-007598]
サラガイの一種(ニッコウガイ科)
サイシュウキリガイダマシ(キリガイダマシ科)
Megangulus sp. [YAMA1Af007666-007667]
Turritella saishuensis Yokoyama
オウナガイ(ハナシガイ科)
[YAMA1Af007746]
Conchocele bisecta (Conrad)
キタクシノハクモヒトデ(クシノハクモヒトデ科)
[YAMA1Af007652-007657]
Ophiura sarsii sarsii Lütken
ベッショリュウグウハゴロモ
[YAMA1Af007744]
(リュウグウハゴロモガイ科)
ウバトリガイ(ザルガイ科)
Periploma besshoensis (Yokoyama)
Serripes groenlandicus (Bruguiere)
[YAMA1Af007662]
[YAMA1Af007524-007541,007550-007555,
朝日町宮宿付近
葛沢シルト岩部層
中新世後期
007620-007626]
動物化石(クジラ類)
イワシロイシカゲガイ(ザルガイ科)
鯨類骨片
Clinocardium iwasiroense (Nomura)
[YAMA1Af007697-007700]
[YAMA1Af007566-007571]
朝日町川通明神山下
シンジイシカゲガイ(ザルガイ科)
葛沢シルト岩部層
中新世後期
Clinocardium shinjiense (Yokoyama)
動物化石(二枚貝類など)、植物化石
[YAMA1Af007572]
カミオニシキガイの一種(イタヤガイ科)
ウバトリガイの一種(ザルガイ科)
Chlamys sp. [YAMA1Af007573]
Serripes sp. [YAMA1Af007627-007628]
-5-
スエモノガイ(スエモノガイ科)
ブナ属の一種(殻斗)(ブナ科)
Thracia cf. kakumana (Yokoyama)
Fagus sp. [YAMA1Pf001666-001667]
[YAMA1Af007549,007574]
アカガシの一種(ブナ科)
キリタニツメタガイ(タマガイ科)
Cyclobalanopsis sp. [YAMA1Pf001669-001670]
Neverita kiritaniana (Yokoyama)
鶴岡市落合八久和 早田川層? 中新世中期
[YAMA1Af007580-007592]
動物化石(軟骨魚類)
エゾタマガイの一種(タマガイ科)
サメ類の歯
Cryptonatica sp. [YAMA1Af007599]
[YAMA1Af007701-007705]
タマガイ科のフタ(キリタニツメタガイ?)
Neverita kiritaniana (Yokoyama)?
北海道
[YAMA1Af007575]
羽幌町
テレブラ―タリアの一種(ダリナ科)
動物化石(アンモナイト類)
Terebratalia sp. [YAMA1Af007645]
フィロパキセラス・エゾエンセ
ツキガイモドキの一種(ツキガイ科)
Phyllopachyceras ezoense (Yokoyama)
Lucinoma acutilineata (Conrad)
[YAMA1Af007434]
[YAMA1Af007556-007565,007631-007632]
羽幌町羽幌川
シラトリガイの一種(ニッコウガイ科)
動物化石(アンモナイト類)
Macoma sp. [YAMA1Af007542-007546,007630]
バキュリテス・ベイリアイ
フジツボの一種(フジツボ科)
Baculites bailyi Woods [YAMA1Af007435]
Megabalanus sp. [YAMA1Af007602]
バキュリテス・タナカエ
フナクイムシの一種(フナクイムシ科)
Baculites tanakae Matsumoto et Obata
Teredo sp. [YAMA1Af007643-007644,007742]
[YAMA1Af007436]
ムカシブンブクの一種(ブンブクチャガマ科)
羽幌町上羽幌
Linthia sp.
動物化石(アンモナイト類など)
[YAMA1Af007576-007579,007605-007618]
ゴードリセラス・デンセプリカータム
Survodrillia sp. [YAMA1Af007603]
Gaudryceras denseplicatum (Jimbo)
硬骨魚類
[YAMA1Af007438]
[YAMA1Af007633-007639,007646-007651,007741]
テトラゴニテス・グラブルス
魚鱗
Hyphantoceras orientale (Yabe)
[YAMA1Af007640-007642,007740]
生痕化石
[YAMA1Af007730-007739]
白亜紀
白亜紀
[YAMA1Af007437]
ハンノキ属?の一種(カバノキ科)
ハイファントセラス・オリエンタレ
Alnus? sp. [YAMA1Pf001668]
Tetragonites glabrus (Jimbo) [YAMA1Af007437]
クスノキ科?
鞘形類
Lauraceae?
[YAMA1Pf001676]
ムカシブナ(ブナ科)
[YAMA1Af007452]
Fagus stuxbergi (Nathorst) Tanai
フナクイムシの一種
[YAMA1Pf001659-001665,001671-001675]
Teredo sp. [YAMA1Af007453]
-6-
浦河町中寒台
白亜紀
ダメシテス・セミコスタータス
動物化石(アンモナイト類)
Damesites semicostatus Matsumoto
ゴードリセラス・テヌイリラータム
[YAMA1Af007375]
Gaudryceras tenuiliratum Yabe
デスモセラスの一種
[YAMA1Af007445]
Desmoceras sp. [YAMA1Af007348-007349]
三笠市幾春別
テトラゴニテス・ポペテンシス
白亜紀
動物化石(アンモナイト類、二枚貝類など)
Tetragonites popetensis Yabe
アナパキデスカスの一種
[YAMA1Af007361]
Anapachydiscus sp.
テトラゴニテス・グラブルス
[YAMA1Af007385]
Tetragonites glabrus (Jimbo)
アナゴードリセラス・リマータム
[YAMA1Af007380-007381]
Anagaudryceras limatum (Yabe)
テトラゴニテスの一種
[YAMA1Af007359-007360]
Tetragonites sp.
ゴードリセラス・インフレケエンセ
[YAMA1Af007335-007363]
Gaudryceras infrequence Yabe
ニッポニテス・ミラビリス(レプリカ)
[YAMA1Af007357,007382]
Nipponites mirabilis Yabe
ゴードリセラス・テヌイリラータム
[YAMA1Af007374]
Gaudryceras tenuiliratum Yabe
ネオゴードリセラス・セニリラータム
[YAMA1Af007340-007342]
Neogaudryceras ceniliratum
ゴードリセラス・デンセプリカータム
[YAMA1Af007343]
Gaudryceras denseplicatum (Jimbo)
ネオフィロセラス・サブラモサム
[YAMA1Af007364]
Neophylloceras subramosum Shimizu
サブプリオノサイクルスの一種
[YAMA1Af007354]
Subprionocyclus sp. [YAMA1Af007376]
ネオプゾシア・ジャポニカ
スキポノセラス・コスマチ
Neopuzosia japonica (Spath)
Sciponoceras kossmati (Nowak)
[YAMA1Af007345-007347,007379]
[YAMA1Af007367]
バキュリテスの一種
ゼランディテスの一種
Baculites sp. [YAMA1Af007368-007369]
Zelandites sp.
パラジョウベルテラの一種
[YAMA1Af007383]
Parajaubertella sp. [YAMA1Af007356]
スカフィテス・ヨコヤマイ
フィロパキセラス・エゾエンセ
Scaphites yokoyamai Jimbo
Phyllopachyceras ezoense (Yokoyama)
[YAMA1Af007370-007371]
[YAMA1Af007358]
ダメシテス・ダメシ
ポリプチコセラス・オブストリクタム
Damesites damesi (Jimbo)
Polyptychoceras obstrictum (Jimbo)
[YAMA1Af007350-007353]
[YAMA1Af007366]
-7-
ポリプチコセラス・ジムボイ
三笠市桂沢採石場
Polyptychoceras jimboi Matsumoto
動物化石(アンモナイト類)
[YAMA1Af007373]
ポリプチコセラス・ユウバレンセ
マーシャリテス・コンプレッスス
Polyptychoceras yubarense Yabe [YAMA1Af007372]
Marshallites compressus Matsumoto
三笠市奔別沢
[YAMA1Af007344]
動物化石(アンモナイト類)
メヌイテスの一種
ニッポニテス・バッカス
Menuites sp. [YAMA1Af007339]
Nipponites bacchus Matsumoto and Muramoto
ユウバリセラスの一種
[YAMA1Af007365]
Yubariceras sp. [YAMA1Af007384]
小平町アラキの沢
ヨコヤマオセラス・コトイ
動物化石(アンモナイト類)
Yokoyamaoceras kotoi (Jimbo)
ポリプチコセラス・オブストリクタム
[YAMA1Af007338,007378]
Polyptychoceras obstrictum (Jimbo)
ヨコヤマオセラス・ミニマム
[YAMA1Af007404]
Yokoyamaoceras minimum Matsumoto
小平町上記念別川
[YAMA1Af007336-007337]
動物化石(アンモナイト類など)
アンモナイトの顎器
アイノセラスの一種
[YAMA1Af007454]
Ainoceras sp. [YAMA1Af007423]
イノセラムスの一種(イノセラムス科)
アナゴードリセラス・リマータム
Inoceramus sp. [YAMA1Af007369]
Anagaudryceras limatum (Yabe) [YAMA1Af007392]
アピオトリゴニアの一種(サンカクガイ科)
アナパキデスカスの一種
Apiotrigonia sp. [YAMA1Af007718]
Anapachydiscus sp. [YAMA1Af007403]
ヘテラステル?の一種(ヘテラステル科)
エウパキデスクス・ハラダイ
Heteraster? sp. [YAMA1Af007719]
Eupachydiscus haradai Jimbo
アポライス・アクチマルガリナータス(巻貝類)
[YAMA1Af007425]
Aporrhais acutimargarinatus Nagao
エウボストリコセラス・ムラモトイ
[YAMA1Af007448]
Eubostrychoceras muramotoi Matsumoto
ハコエビの一種(エビ類)
[YAMA1Af007413]
Linuparus japonicus Nagao
オトスカヒテス・プエルカルス
[YAMA1Af007450]
Otoscaphites puercalus Yabe [YAMA1Af007409]
サンゴ(属・種不明)
ゴードリセラス・テヌイリラータム
[YAMA1Af007449]
Gaudryceras tenuiliratum Yabe
三笠市幾春別?
[YAMA1Af007395]
動物化石(アンモナイト類)
ゴードリセラス・デンセプリカータム
スキポノセラスの一種
Gaudryceras denseplicatum (Jimbo)
Sciponoceras sp. [YAMA1Af007377]
[YAMA1Af007394]
-8-
白亜紀
白亜紀
白亜紀
白亜紀
サブプリオノサイクルス・ネプチュニ
ハイポツリリテス・コモタイ
Subprionocyclus neptuni Geinitz
Hypoturrilites komotai (Yabe)
[YAMA1Af007397,007426]
[YAMA1Af007414]
ジムボイセラス・ミホエンシス
パキデスクスの一種
Jimboiceras mihoensis Matsumoto
Pachydiscus sp. [YAMA1Af007432-007433]
[YAMA1Af007431]
バキュテリスの一種
スカフィテス・プラヌス
Baculites sp.
Scaphites planus Yabe [YAMA1Af007408]
[YAMA1Af007411,007417-007418]
スカフィテス・ヨコヤマイ
ポリプチコセラス・ハラダヌス
Scaphites yokoyamai Jimbo [YAMA1Af007419]
Polyptychoceras haradanus Yokoyama
スカラリテス・スカラリス
[YAMA1Af007411]
Scalarites scalaris (Yabe) [YAMA1Af007430]
ポリプチコセラス・ユウバレンセ
スカラリテス・ベヌスツス
Polyptychoceras yubarense Yabe
Scalarites venustus (Yabe) [YAMA1Af007427]
[YAMA1Af007421]
スカラリテス・ミホエンシス
マンテリセラスの一種
Scalarites mihoensis (Wright and Matsumoto)
Mantelliceras sp.
[YAMA1Af007415-007416]
[YAMA1Af007386-007387]
スカラリテスの一種
メソプゾシア・パシフィカ
Scalarites sp. [YAMA1Af007407]
Mesopuzosia pacifica Matsumoto
ディハミテス・オビラエンシス
[YAMA1Af007398]
Dihamites obiraensis Matsumoto
ヨコヤマオセラス・ジムボイ
[YAMA1Af007406]
Yokoyamaoceras jimboi Matsumoto
テキサナイテス・パシフィカ
[YAMA1Af007393]
Texanites pacifica Matsumoto
ローマニセラス・シュードデベリアヌム
[YAMA1Af007391]
Romaniceras pseudodeverianum (Jimbo)
ネオフィロセラス・サブラモサム
[YAMA1Af007396]
Neophylloceras subramosum Shimizu
アンモナイトの顎器
[YAMA1Af007399]
アニソマイオンの一種(笠形腹足類)
ネオプゾシア・ジャポニカ
Anisomyon sp. [YAMA1Af007451]
Neopuzosia japonica (Spath) [YAMA1Af007412]
イノセラムスの一種(イノセラムス科)
ハイファントセラス・オオシマイ
Inoceramus sp. [YAMA1Af007430]
Hyphantoceras oshimai (Yabe)
小平町達布
[YAMA1Af007410]
動物化石(アンモナイト類)
ハイファントセラス・オリエンタレ
サブプチコセラス・ユウバレンセ
Hyphantoceras orientale (Yabe)
Subptycoceras yubarense (Yabe)
[YAMA1Af007421]
[YAMA1Af007446]
-9-
[YAMA1Af007455]
小平町
白亜紀
中川町佐久
白亜紀
動物化石(アンモナイト類)
動物化石(アンモナイト類)
キッチニテスの一種
メタプラセンチセラス・サブチリストリアータム
Kitchinites sp.
Metaplacenticeras subtilistriatum (Jimbo)
[YAMA1Af007388-007389]
[YAMA1Af007439-007441]
テキサナイテス・パシフィカ
穂別町稲里
Texanites pacifica Matsumoto
動物化石(アンモナイト類)
[YAMA1Af007390]
ユウバリセラス・ユウバレンセ
テシオイテス・テシオエンシス
Yubariceras yubarense Matsumoto
Teshioites teshioensis Matsumoto
[YAMA1Af007444]
[YAMA1Af007428]
夕張市大夕張上巻沢
テトラゴニテス・エピゴヌス
動物化石(アンモナイト類)
Tetragonites epigonus Cossmat
スカフィテスの一種
[YAMA1Af007402]
Scaphites sp. [YAMA1Af007443]
ネオフィロセラス・サブラモサム
地域不明
Neophylloceras subramosum Shimizu
動物化石(アンモナイト類)
[YAMA1Af007355]
マーシャリテス・ハヤシイ
ハイファントセラス・オリエンタレ
Marshallites hayashii Matsumoto, Nishida et
Hyphantoceras orientale (Yabe)
Toshimitsu
[YAMA1Af007422]
プリオノサイクルスの一種
プゾシア・サブコルバリカ
Prionocyclus sp. [YAMA1Af007456]
Puzosia subcorbarica Matsumoto
プゾシア・サブコルバリカ
[YAMA1Af007400]
Puzosia subcorbarica Matsumoto [YAMA1Af007401]
白亜紀
白亜紀
白亜紀
[YAMA1Af007447]
ポリプチコセラス・オブストリクタム
Polyptychoceras obstrictum (Jimbo)
岩手県
[YAMA1Af007405-007420]
大船渡市長安寺
ムラモトセラス・ラクサム
動物化石(三葉虫類)
Muramotoceras laxum Matsumoto
パレオフィリップシア・ジャポニカ
[YAMA1Af007429]
Palaeophillopsia japonica Sugiyama and Okano
ヨコヤマオセラスの一種
[YAMA1Af007482]
Yokoyamaoceras sp. [YAMA1Af007424]
フィリップシア・オオモリエンシス
中川町安平志内川
Phillipsia ohmoriensis Okubo
白亜紀中期
日頃市層
石炭紀前期
動物化石(アンモナイト類)
[YAMA1Af007479-007480]
ゴードリセラス・テヌイリラータム
フィリップシアの一種
Gaudryceras tenuiliratum Yabe
Phillipsia sp. [YAMA1Af007481]
[YAMA1Af007442]
三葉虫(属・種不明)
- 10 -
[YAMA1Af007483]
大船渡市樋口沢
デボン紀
宮城県
動物化石(三葉虫類)
気仙沼市上八瀬
ウェベリーデスの一種
動物化石(三葉虫類)
Weberrides sp. [YAMA1Af007472,007475]
シュードフィリップシア・オブツニコウダ
ファコプス・ノナカイ
Pseudophillipsia obtunicauda (Kayser)
Phacops nonakai Okubo
[YAMA1Af007484-007491]
[YAMA1Af007472-007473]
三葉虫(属・種不明)[YAMA1Af007492]
ファコプスの一種
石巻市井内
Phacops sp. [YAMA1Af007474]
動物化石(アンモナイト類)
三葉虫(属・種不明)
ホランディテス・ハラダイ
[YAMA1Af007476-007478]
Hollandites haradai Mojsiscvics
田野畑村ヒラナメ海岸
宮古層群明戸層
叶倉層
二畳紀
三畳紀
[YAMA1Af007326]
白亜紀前期
南三陸町志津川
ジュラ紀
動物化石(二枚貝類など)
動物化石(アンモナイト類)
ネイセア・フィカルホイ(イタヤガイ科)
アルニオセラス・ヨコヤマイ
Neithia (Neithia) ficalhoi (Choffat)
Arnioceras yokoyamai Sato [YAMA1Af007327]
[YAMA1Af007715]
ホソウレイテス・イキアヌス
ゴニオマイア・サブアルキアキ
Hosoureites ikianus (Yokoyama)
(ウミタケモドキ科)
[YAMA1Af007328]
Goniomya subarchiaci Nagao
[YAMA1Af007713]
福島県
プテロトリゴニア・ホッカイドーアナ
いわき市久ノ浜町小久
(サンカクガイ科)
琥珀
Pterotrigonia (Pterotrigonia) hokkaidoana
いわき市久ノ浜町大久足沢
(Yehara)
動物化石(二枚貝類)
[YAMA1Af007714]
Amber
玉山層
白亜紀
[YAMA1Mi001032-001033]
浅見川層
白亜紀
ケンホレクティプスの一種(ホレクティプス科)
スタインマネラ・アイヌアーナ(サンカクガイ科)
Coemholectypus peridoneus (Nishiyama)
Steinmannella (Yeharella) ainuana
[YAMA1Af007716]
(Yabe et Nagao)
ヘミアステル?の一種(ヘミアステル科)
いわき市四倉
Hemiaster? sp. [YAMA1Af007717]
動物化石(二枚貝類)
キダリス科のウニ
フリソデガイの一種(ロウバイガイ科)
Cidariidae
Yoldia sagittaria Makiyama [YAMA1Af007676]
[YAMA1Af007712]
[YAMA1Af007729]
浅貝層
漸新世
地域不明
いわき市四倉町白岩
動物化石(三葉虫類)
動物化石(二枚貝類)
三葉虫(属・種不明)
ナミマガシワの一種(ナミマガシワ科)
[YAMA1Af007494]
Anomia asagaiensis [YAMA1Af007677]
- 11 -
浅貝層
漸新世
いわき市四倉港崖
浅貝層
漸新世
スタリア・ジャポニカ
動物化石(二枚貝類)
Sturia japonica Diener [YAMA1Af007322]
オオノガイの一種(オオノガイ科)
パラセルティテス・エレガンス
Mya grewingki Makiyama [YAMA1Af007674]
Paraceltites elegans Girty [YAMA1Af007319]
イシカゲガイの一種(ザルガイ科)
フールデセラス・アキヤマイ
Clinocardium sp. [YAMA1Af007670]
Foordiceras cf. akiyamai Hayasaka
キンギョガイの一種(ザルガイ科)
[YAMA1Af007324]
Nemocardium sp. [YAMA1Af007671]
プロピナコセラスの一種
いわき市内郷堀坂
Propinacoceras aff. Galilaei Gemmellaro
浅貝層
漸新世
動物化石(二枚貝類)
[YAMA1Af007317-007318]
ベッショリュウグウハゴロモ
ワーゲノセラス
(リュウグウハゴロモガイ科)
Waagenoceras cf. dieneririchardsoni
Periploma besshoensis (Yokoyama)
Miller and Purnish
[YAMA1Af007668-007669]
いわき市大久町谷地温泉
いわき市末続
浅貝層
漸新世
[YAMA1Af007325]
白亜紀
動物化石(アンモナイト類)
動物化石(二枚貝類)
プゾシアの一種
パピリデアの一種(ザルガイ科)
Puzosia sp. [YAMA1Af007334]
Papyridea harrimani Dall
いわき市平四ツ波
[YAMA1Af007672-007673]
動物化石(二枚貝類)
いわき市四倉町高倉山
二畳紀
本谷層
中新世
オオノガイの一種(オオノガイ科)
動物化石(三葉虫類、アンモナイト類)
Mya sp. [YAMA1Af007681]
パラディン・ヤナギサワイ
キヌタレガイの一種(キヌタレガイ科)
Paladin yanagisawai Endo and Matsumoto
Acharax tokunagai (Yokoyama)
[YAMA1Af007125]
[YAMA1Af007680]
エンドプス・ヤナギサワイ
ムカシクルミガイ(クルミガイ科)
Emdops yanagisawai (Endo and Matsumoto)
Ennucula praenipponica Kamada
[YAMA1Af007493]
[YAMA1Af007684]
アガティセラス
シラトリガイの一種(ニッコウガイ科)
Agathiceras cf. suessi Gemmellaro
Macoma sp. [YAMA1Af007682-007683]
[YAMA1Af007315-007316]
オウナガイ(ハナシガイ科)
シュードオルソセラス・オオウチイ
Conchocele bisecta (Conrad)
Pseudorthoceras ouchii Endo and Mori
[YAMA1Af007678-007679]
[YAMA1Af007320-007321]
広野町
シュードガストリオセラスの一種
動物化石(アンモナイト類)
Pseudogastrioceras sp.
ハイファントセラス・オオシマイ
[YAMA1Af007323]
Hyphantoceras oshimai (Yabe) [YAMA1Af007333]
- 12 -
白亜紀
広野町二ツ沼
双葉富岡層
鮮新世
三重県
動物化石(二枚貝類など)
松阪市嬉野釜生田町
イシカゲガイの一種(ザルガイ科)
動物化石(ウニ類)
Clinocardium sp.
ムカシブンブクの一種(ブンブクチャガマ科)
[YAMA1Af007675]
Linthia sp. [YAMA1Af007685]
サメ類の歯
津市久居小野辺町
[YAMA1Af007691]
動物化石(二枚貝類)
相馬市小池
中ノ沢層
ジュラ紀後期
一志層群
小野辺層
中新世中期
更新世
マガキ(イタボガキ科)
動物化石(二枚貝類など)
Crassostrea gigas (Thunberg)
ゴニオマイア・ノンブスクリプタ
[YAMA1Af007689-007690]
(ウミタケモドキ科)
津市二重池
Goniomya nonvscripta Tamura
動物化石(二枚貝類)
[YAMA1Af007721]
ドブガイ(イシガイ科)
フオラドマイアの一種(ウミタケモドキ科)
Anodonta woodiana (Lea)
Pholadomya somenris Tamura
[YAMA1Af007686]
[YAMA1Af007723]
津市美里町家所
ネオブルメシアの一種(ウミタケモドキ科)
動物化石(二枚貝類)
Neoburmesia iwakiensis Yabe et Sato
ヒタチオビの一種(ヒタチオビ科)
[YAMA1Af007728]
Fulgoraria striata (Yokoyama)
アスタルテの一種(エゾシラオガイ科)
[YAMA1Af007687-007688]
奄芸層群
鮮新世
一志層群
中新世中期
Astarte (Coelastarte) somensis Tamura
[YAMA1Af007724-007725]
山口県
ミオフォレラの一種(サンカクガイ科)
美祢市大嶺町大嶺炭田
Myophorella sp. [YAMA1Af007724]
動物化石(硬骨魚類)、植物化石
ハボウキガイの一種(ハボウキガイ科)
硬骨魚類
Pinna sp. [YAMA1Af007722]
[YAMA1Af007743]
アウラコスフィンクテスの一種(ベリアゼラ科)
カセキイチョウの一種(カセキイチョウ科)
Aulacosphinctes aff. Steigeri (Shimizu)
Ginkgoites sp.
[YAMA1Af007721]
[YAMA1Pf001679]
ミノガイの一種(ミノガイ科)
シンロボクの一種(トクサ科)
Lima (Plagiostoma) aff. Matsumotoi (Hayami)
Neocalamites sp.
[YAMA1Af007720]
[YAMA1Pf001677]
二枚貝(属・種不明)
エダワカレシダの一種(所属不明)
[YAMA1Af007726]
Cladophlebis sp.
キダリス科のウニの棘
[YAMA1Pf001678]
Cidariidae
[YAMA1Af007727]
- 13 -
美祢層群
三畳紀
アメリカ
モンタナ州
アリゾナ州グランドキャニオン
動物化石(三葉虫類)
動物化石(三葉虫類)
イソテルス・アイオワエンシス(レプリカ)
プロエタスの一種
Isotellus iowaensis [YAMA1Af007465]
Proetus sp. [YAMA1Af007470]
ユタ州
イリノイ州
動物化石(三葉虫類)
シルル紀
オルドビス紀
カンブリア紀
動物化石(三葉虫類)
アグノスタス・ピシフォルミス
カリメネ・ブルメンバッキ
Agnostus pisiformis Wahleuberg
Calymene blumenbachi Brongniart
[YAMA1Af007140-007141]
[YAMA1Af007466]
エルラシア・キングアイ
カリメネ・セレブラ(レプリカ)
Elrathia kingi (Meek)
Calymene celebra [YAMA1Af007467]
[YAMA1Af007138-007139,007461-007462]
インディアナ州
エルラシア・キングアイ(レプリカ)
シルル紀
動物化石(三葉虫類)
Elrathia kingi (Meek) [YAMA1Af007463]
カリメネ・ブラビセプス
ペロノプシス・インターストリクタ
Calymene braviceps
Peronopsis interstricta (White)
[YAMA1Af007146]
[YAMA1Af007137]
オクラホマ州
ボラスピデラの一種
デボン紀
動物化石(三葉虫類)
Bolaspidella sp.
リードプス・デッケリ
[YAMA1Af007142-007144]
Reedops deckeri [YAMA1Af007147-007149]
地域不明
ファコプス・ラナ・ミラーイ
動物化石(三葉虫類)
Phacops rana milleri Stowart
エルラシア・キングアイ
[YAMA1Af007150]
Elrathia kingi (Meek) [YAMA1Af007460]
ケットネラスピスの一種
ペロノプシス・インターストリクタ
Kettneraspis sp. [YAMA1Af007151]
Peronopsis interstricta (White)
レオナスピス・ウィリアムズアイ(レプリカ)
[YAMA1Af007464]
カンブリア紀
Leonaspis williamsi [YAMA1Af007469]
ニューヨーク州
シルル紀
イギリス
動物化石(三葉虫類)
ヨークシャー
ダルマニテス・リムロイデス
動物化石(アンモナイト類)
Dalmanites limuroides (Green)
ダクティリオセラスの一種
[YAMA1Af007145]
Dactylioceras sp. [YAMA1Af007330]
ダルマニテス・リムルリス(レプリカ)
シュードリオセラス・コンパクティリ
Dalmanites limuluris Brongniart
Pseudolioceras compactili
[YAMA1Af007468]
[YAMA1Af007331]
- 14 -
ジュラ紀
地域不明
ジュラ紀
ダルマニテスの一種
動物化石(アンモナイト類)
Dalmanites sp. [YAMA1Af007173]
ペリスフィンクテス・プリカチリス
地域不明
Perisphinctes plicatilis
動物化石(三葉虫類)
[YAMA1Af007329]
コロノケファリナ・ガオルオエンシス
シルル紀
Coronocephalina gaoluoensis
スペイン
地域不明
[YAMA1Af007178-007179]
シルル紀
ダルマニテス・リムロイデス
動物化石(三葉虫類)
Dalmanites limuroides (Green)
カリメネ・トビスタニ
[YAMA1Af007174-007177]
Calymene tbistani
[YAMA1Af007130-007132]
フランス
地域不明
デボン紀
旧チェコスロバキア
動物化石(三葉虫類)
地域不明
ジーソプスの一種
カンブリア紀中期
エリプソケファルス・ホッフィ
Geesops sp.
Ellipsocephalus hoffi (Schloth)
[YAMA1Af007126]
[YAMA1Af007127]
地域不明
ジュラ紀
動物化石(三葉虫類)
中華人民共和国
ハルポセラスの一種
湖南省湖西
Harpoceras sp.
オルドビス紀
動物化石(三葉虫類)
[YAMA1Af007332]
キシアンキシイアの一種
Xiangxiia sp. [YAMA1Af007171]
ボリビア
地域不明
ラパスパタカマヤ
カンブリア紀
デボン紀
動物化石(三葉虫類)
動物化石(三葉虫類)
ドレパヌラ・プレメスニリ(蝙蝠石)
メタクリフェウス・カフェア
Drepanura premesnili Bergeron
Metacryphaeus caffer Reed
[YAMA1Af007168-007169]
[YAMA1Af007133-007136,007471]
ブラックウェルデリア・シネンシス
Blackwelderia sinensis (Bergeron)
ポルトガル
[YAMA1Af007170]
地域不明
地域不明
動物化石(三葉虫類)
オルドビス紀
オルドビス紀
動物化石(三葉虫類)
エクチレヌス・ギガンテウス
ダルマニチナの一種
Ectillaenus giganteus (Burmeister)
Dalmanitina sp. [YAMA1Af007172]
[YAMA1Af007128-007129]
- 15 -
モロッコ
デクラヌルス・モンストロスス
アイトクアーリム
Dicranurus monstrosus (Barrande)
デボン紀前期
動物化石(三葉虫類)
[YAMA1Af007303]
ネオメタカンスス・カリテレス
ファコピナ・コンベクサ
Neometacanthus calliteles (Green)
Phacopina convexa Erdredge et Bronisa
[YAMA1Af007223-007224]
[YAMA1Af007227]
ネオメタカンスス・ステリファー
ファコプス・オルレンシス
Neometacanthus stellifer (Burmeister)
Phacops orurensis Bonarelli
[YAMA1Af007221-007222]
[YAMA1Af007231]
アルニフ
ファコプス・ラナ・アフリカヌス
デボン紀
動物化石(三葉虫類)
Phacops rana africanus
アカストイデスの一種
[YAMA1Af007228-007229]
Acastoides sp. [YAMA1Af007249,007252-007268]
ファコプス・ラナ・ミラーリ
アステロピゲの一種
Phacops rana milleri Semart
Asteropyge sp. [YAMA1Af007290-007291]
[YAMA1Af007230]
オタリオン・ケラトフサルムム
パラレジュルス・ドルミッツェリ
Otarion ceratophthalmum (Goldfuss)
Paralejurus dormitzeri Barrande
[YAMA1Af007210-007212]
[YAMA1Af007285-007288]
オドントチレ・スピニフェラ
プラテスクテラム・タフィラルテンセ
Odontochile spinifera
Platyscutellum tafilaltense Alberti
[YAMA1Af007283-007284]
[YAMA1Af007269-007271]
クロタロケファルス・ギッブス
モロッコニテス・エクスパンスス
Chrotalocephalina gibbus (Beyrich)
Morocconites expansus Struve
[YAMA1Af007272-007274]
[YAMA1Af007275-007278]
ケラタルゲス・アルマータス
エルフード
Ceratarges armatus Goldfuss
動物化石(三葉虫類)
[YAMA1Af007241-007248,007250-007251]
コネプルシアの一種
コムラ(フィロニクス)コメタ
Koneprusia sp. [YAMA1Af007187]
Comura (Philonix) cometa (Rud, Richter)
エルフード
[YAMA1Af007296-007298]
動物化石(三葉虫類)
シコピゲ・エレガンス
ハーペス・マクロケファルス
Psychopyge elegans Terouier et Termier
Harpes macrocephalus Goldfuss
[YAMA1Af007215-007219]
[YAMA1Af007292-007293]
ティサノペルティス・スペシオサ
ファコプス・メガロマニクス
Thysanopeltis speciosa Hawle et Corda
Phacops megalomanicus (Struve)
[YAMA1Af007279-007282]
[YAMA1Af007232]
- 16 -
オルドビス紀中期
デボン紀中期
ファコプスの一種
デアカリメネの一種
Phacops sp. [YAMA1Af007233-007238]
Diacalymene sp.
ザゴラ
[YAMA1Af007193-007196, 007457-007458]
オルドビス紀後期
動物化石(三葉虫類)
地域不明
デアカリメネ・ウーズレグイ
動物化石(三葉虫類)
Diacalymene ouzregui (Destomber)
カリメネ・トビスタニ
[YAMA1Af007188-007192]
Calymene tbistani [YAMA1Af007198-007203]
サハラ
地域不明
デボン紀
シルル紀
デボン紀
動物化石(三葉虫類)
動物化石(三葉虫類)
メタカンティナの一種
アカンソピゲの一種
Metacanthina sp. [YAMA1Af007295]
Acanthopyge sp. [YAMA1Af007304-007305]
ハマーラグハット
アキダスピス・ロエメリ
デボン紀前期
動物化石(三葉虫類)
Acidaspis roemeri Meri. Barrand
オタリオン・ケラトフサルムム
[YAMA1Af007308]
Otarion ceratophthalmum (Goldfuss)
オタリオンの一種
[YAMA1Af007206,007208]
Otarion sp. [YAMA1Af007209]
レオナスピス・エリプチカ
デクラヌルス・モンストロスス
Leonaspis elliptica
Dicranurus monstrosus (Barrande)
[YAMA1Af007204-007205,007207]
[YAMA1Af007300-007302]
ハマーラグハット
“トリドント”のニュータイプ
デボン紀中期
動物化石(三葉虫類)
"Tridont" new type
ムラキビナの一種
ネオメタカンスス・カリテレス
Mrakibina sp. [YAMA1Af007294]
Neometacanthus calliteles (Green)
地域不明
[YAMA1Af007225]
カンブリア紀
[YAMA1Af007306-007307]
動物化石(三葉虫類)
ネオメタカンスス・ステリファー
アンダルシアナの一種
Neometacanthus stellifer (Burmeister)
Andalsiana sp. [YAMA1Af007180-007183]
[YAMA1Af007220]
アカドパラドキシデス・ムレローンシス
ファコピナ・コンベクサ
Acadoparadoxides murerolnsis Sdzuy
Phacopina convexa Erdredge et Bronisa
[YAMA1Af007185]
[YAMA1Af007226]
パラドキシデスの一種
ファコプスの一種
Paradoxides sp. [YAMA1Af007184]
Phacops sp. [YAMA1Af007239-007240,007459]
地域不明
フィロニックスの一種
オルドビス紀
動物化石(三葉虫類)
Philonix sp. [YAMA1Af007213-007214, 007299]
イレヌスの一種
ブルメイステレラの一種
Illaenus sp. [YAMA1Af007186]
Burmeisterella sp. [YAMA1Af007309]
- 17 -
フレッキシカリメネ・セナリア
パラケラウルス・エクススル
Flexicalymene senaria (Coniad)
パラケラウルス・エクススル
Paraceraurus exsull (Beirich, 1846)
[YAMA1Af007197]
Paraceraurus
exsull (Beirich, 1846)
[YAMA1Af007166-007167]
ワリセロプス・トリフルカータス
[YAMA1Af007166-007167]
ホプロリコイデス・コニコツベルキュラタス
Walliserops trifurcatus
ホプロリコイデス・コニコツベルキュラタス
Hoplolichoides coninotuberculatus
[YAMA1Af007289]
Hoplolichoides
coninotuberculatus
Nieszkowskii, 1859
Nieszkowskii,
1859
[YAMA1Af007164-007165]
ロシア
ヴォルコフ河
[YAMA1Af007164-007165]
地域不明 オルドビス紀中期
オルドビス紀中期
地域不明
オルドビス紀中期
ネオアサフス・コワレウスキイ
動物化石(三葉虫類)
ネオアサフス・コワレウスキイ
Neoasaphus kowalewskii (Lawraw)
ネオアサフス・コワレウスキイ
Neoasaphus
kowalewskii (Lawraw)
[YAMA1Af007158]
Neoasaphus kowalewskii (Lawraw)
[YAMA1Af007158]
[YAMA1Af007157,007159]
おわりに
おわりに
この東海林コレクションが寄贈されたことに
ネオアサフスの一種
Neoasaphus sp.
この東海林コレクションが寄贈されたことに
より、これまで資料数の乏しかった三葉虫、ア
[YAMA1Af007160-007161]
サンクトペテルブルグ
より、これまで資料数の乏しかった三葉虫、アン
ンモナイトなどの化石資料が大変充実した。
オルドビス紀中期
モナイトなどの化石資料が大変充実した。
これまで山形県立博物館の発展に大きく寄与
動物化石(三葉虫類)
これまで山形県立博物館の発展に大きく寄与し
していただいた東海林秀矩氏に深く感謝申し上
アサフス・コルヌタス
ていただいた東海林秀矩氏に深く感謝申し上げる
げるとともに、同氏のご冥福をお祈りしたい。
Asaphus cornutus
とともに、同氏のご冥福をお祈りしたい。
[YAMA1Af007153]
参考文献
アサフス・プラウチニ
参考文献
藤山家徳・浜田隆士・山際延夫,1999.学生版日
Asaphus plautini Schmidt, 1898
藤山家徳・浜田隆士・山際延夫,1999.学生版日本
本古生物図鑑.北隆館
[YAMA1Af007152]
古生物図鑑.北隆館
アサフス・プンクタッタス
Asaphus punctatus Lessnikova, 1949
[YAMA1Af007154]
イレヌス・エクスセレンス
Illaenus excellens Holm, 1886
[YAMA1Af007162]
イレヌス・タウリコルヌス
Illaenus tauricornis Kutorga
[YAMA1Af007163]
ネオアサフス・コワレウスキイ
Neoasaphus kowalewskii (Lawraw)
[YAMA1Af007155-007156]
- 18 -
山形県立博物館研究報告, 32: 19-22. March 18, 2014
長沢利英の維管束植物標本について
川上新一*・鈴木曉**
About the vascular plant specimens collected by Toshihide Nagasawa which are preserved in
Yamagata Prefectural Museum
Shin-ichi Kawakami and Toru Suzuki
(Yamagata Prefectural Museum)
はじめに
年)に寄贈されたと思われる。それらには、
「Herb.
山形県立博物館では収蔵資料・標本のデータベ
T. Nagasawa」とラベルに書かれた標本 11 点、そ
ース化が進んでおり、当ホームページにその多く
れ以外のもの 10 点(ラベルがない 2 点含む)が認
が公開されている。本報告では、そのデータベー
められた。ラベルのない標本を除くすべての標本
ス化の作業過程で鶴岡南高校から過去に寄贈され
が 19 世紀末のもので、最も古い標本は明治 15 年
た未整理標本を調査した。その結果、長沢利英の
(1882 年)のヤエムグラの標本であった(図1、
標本 21 点が見出され、その中に県内で採集された
2)。標本ラベルには、「Oba-Yaemugura」とある
最も古い標本と推察されるものが含まれていたの
で、ここに報告する。
長沢利英の略歴
長沢利英は、嘉永 3 年(1850 年)に鶴岡市上肴
町の商業家鷲田藤助の次男として生まれた。明治
2 年(1869 年)に上京し、慶応義塾に入学し、英
語を主に学んだ。その後、開拓使假学校や芝新銭
座でも学び、帰郷した。その際、長沢の姓を継ぐ
ことになる。明治 11 年(1879 年)に山形県師範
学校が開設されるとともに一等訓導になり、その
図 1.ヤエムグラの標本
翌年から約 10 年間、理化学の教授であった。その
後、明治 21 年(1889 年)から 4 年間、愛媛県尋
常師範学校教諭の職に就いた。明治 25 年(1893
年)に退職して庄内に戻り、中学校の教諭になる
が、明治 38 年(1906 年)に在職のまま亡くなっ
た。
図 2.ヤエムグラ標本のラベル
長沢の標本について
長沢の標本は、鶴岡南高校から昭和 48 年(1973
山形県立博物館 嘱託 山形県立博物館 専門嘱託
が、精査した結果、ヤエムグラと同定した。
- 19 -
結城(1992)は、
「国立科学博物館に入っている
Yamagata, Uzen.
おしば標本の中に、明治 16 年(1883 年)5 月羽前
April Meiji 16.
註)ヤエムグラ標本の次に古い標本である。
山形での採集品としてノミノフスマ、同年 8 月山
Equisetum fluviatile L.
ミズドクサ
形でのオヤマボクチがある。前者は現存する山形
(トクサ科)[YAMA2Vp009266]
県産おしば標本の最古のものかと考えられる。」
と
1886 年 7 月
記述している。
国立科学博物館に確認したところ、
原記載:Herb. T. Nagasawa.
月山
長沢コレクションの中では、やはり明治 16 年
Equisetum limosum L. var. flubiatile L.
(1883 年)の標本が最も古いとの情報が得られた
Yamadokusa.
(海老原淳博士談)
。よって、今回見出された標本
Gussan, Uzen.
July 1886.
註)標本ラベルには、和名「Yamadokusa」とあ
が山形県産の最古の標本である可能性が高い。当
るが、方言の可能性がある。
館では 19 世紀の標本は 20 点弱であり、最も古い
Alisma canaliculatum
ヘラオモダカ
標本は 1887 年に採られたものであった。よって本
A.Braun et C.D.Bouché var. canaliculatum
コレクションの発見によりそれを 5 年さかのぼる
(オモダカ科)[YAMA2Vp003550]
ことになった。
1887 年 7 月 25 日
手向(とうげ)
(現・鶴岡市
羽黒町手向)
長沢コレクションのリスト
原記載:Alisma Plantage L.
本コレクションを採集年代順に下記に記す。各
ヘラオモダカ
手向.二十年七月二十五日
種において、和名、学名、科名、標本番号、採集
ミズチドリ
Platanthera hologlottis Maxim.
年月日、採集場所、原記載、註釈の順に記す。原
(ラン科)[YAMA2Vp003534]
記載の[ ]内は後に追記されたものと考えられる。
1888 年 8 月
和名、学名、そして科名は、参考文献1に従った。
原記載:Platanthera hologlottis Max.
また、ラベルのない 2 点はリストから除外した。
日光
Midsuchidori.
Nikkō.
Aug. 1888.
註)標本台紙に「三好学君採集」と記載されて
ヤエムグラ
Galium spurium L. var.
いる。三好氏は、当時、東京帝国大学理学部
echinospermon (Wallr.) Hayek
に在学中であり、後に同大学の教授になり、
(アカネ科)[YAMA2Vp048180]
植物学の基礎を築いた人物である。特に、桜
1882 年 6 月
の研究や天然記念物の保護活動などに尽力し
山形(現・山形市と思われる)
原記載:Galium aparine L.
た。日光では、珍種コウシンソウを発見して
[Ōba-]Yaemugura.
いる。
Yamagata. June, 1882.
スギナ
フウラン
Equisetum arvense L. f. arvense
Neofinetia falcata (Thunb.) Hu
(ラン科)[YAMA2Vp003329]
(トクサ科)[YAMA2Vp004420]
1889 年 7 月
1883 年 4 月
原記載:Angraecum falcatum Benth & Hook.
山形、羽前(現・山形市と思われ
る)
Fūran.
原記載:Herb. T. Nagasawa.
松山、伊予(現・愛媛県松山市)
Matsuyama Iyo.
July 1889.
註)この植物は絶滅危惧 II 類(VU)(環境省レ
Equisetum arvense L. Sugi-na.
ッドリスト)である。
- 20 -
アゼテンツキ
Fimbristylis squarrosa Vahl
原記載:Herb. T. Nagasawa.
(カヤツリグサ科)[YAMA2Vp012097]
Cyperus Haspan L. コアゼガヤツリ.
1891 年 8 月 11 日
Komagimura, Shonai. Aug. 1. 1891.
田川村、庄内(現・鶴岡市
田川)
オモダカ
原記載:Fimbristylis squarrosa Vahl
trifolia
アゼテンツキ
(オモダカ科)[YAMA2Vp012133]
Tagawamura, Shonai.
Aug. 11. 1891.
1892 年 9 月 25 日
Cyperus sanguinolentus Vahl
カワラスガナ
Sagittaria trifolia L. var.
鶴岡、羽前(現・鶴岡市)
原記載:Herb. T. Nagasawa.
(カヤツリグサ科)[YAMA2Vp003855]
Sagittaria sagittaefolium L. var.
1891 年 8 月 13 日
Gawai.(Omodaka)
熊出村(現・鶴岡市熊出)
原記載:Herb. T. Nagasawa.
Tsuruoka, Uzen.
Cyperus Eragrostis Valh カワラスガナ
Kumaide-mura.
註)原記載の和名「Gawai」は方言と思われる。
Aug. 13. 1891.
別名で「ハナグワイ」がある。
註)原記載の学名は、
メリケンガヤツリであり、
Neanotis hirsuta (L.f.)
ハシカグサ
W.H.Lewis var. hirsuta
誤記と思われる。
イヌノヒゲ
Sept. 25. 1892.
Eriocaulon miquelianum Koern.
(アカネ科)[YAMA2Vp011807]
var. miquelianum
1892 年 8 月 10 日
(ホシクサ科)[YAMA2Vp003593]
原記載:Herb. T. Nagasawa.
1891 年 8 月 13 日
Hedyotis stipulata R.Br. ハシカグサ
熊出村(現・鶴岡市熊出)
原記載:Herb. T. Nagasawa.
Mont. Arakura.
Eriocaulon Miquelianum Koern.
われる標本が存在する[YAMA2Vp054205]。
[Shiro]Inu-no-hige [or Ōinunohige].
マキエハギ
イヌイ
Aug. 13. 1891
Juncus fauriei H.Lév. et Vaniot
(イグサ科)[YAMA2Vp012101]
Lespedeza virgata (Thunb.) DC.
1892 年 8 月
(マメ科)[YAMA2Vp003296]
1891 年 9 月 6 日
Aug. 10. 1892.
註)結城嘉美コレクションには、重複標本と思
[sikokianum Maxim.]
Kumaide-mura.
荒倉山(現・鶴岡市荒倉山)
油戸村(現・鶴岡市油戸)
原記載:Herb. T. Nagasawa.
Juncus balticus Willd. コヒゲ井
石手川、伊予(現・愛媛県松
山市石手川沿いと思われる)
Aburato-mura.
原記載:Herb. T. Nagasawa.
Aug. 1892
註)原記載にある「コヒゲ井」は「コヒゲ」を
Lespedeza virgata DC. Makie-hagi.
指していると思われるが、果実の先端が尖る
Ishitegaw, Iyo.
ことや茎が曲がることなどの特徴から「イヌ
コアゼガヤツリ
Sep. 6. 1891.
Cyperus haspan L. var.
イ」と同定した。
tuberiferus T.Koyama
ヒロハヘビノボラズ
Berberis amurensis
(カヤツリグサ科)[YAMA2Vp012139]
Rupr.
1891 年 8 月 1 日
(メギ科)[YAMA2Vp009067]
小眞木村、庄内(現・鶴岡市
小真木)
1893 年 6 月 4 日
- 21 -
湯ノ濱坂、西田川(現・鶴岡
市湯野浜)
当館で最も古い標本が見出された。それは、山形
原記載:Herb. T. Nagasawa.
県内で採集された最古の標本の可能性が高い。本
Berberis Sieboldi Miq.
コレクションは、山形県における植物調査の先駆
Hiroha no hebinoborazu
けであり、今後、植生の変遷や分類等の研究に生
Yunohama zaka , Nishitagawa.
かされることを期待したい。また、国立科学博物
June 4. 1893.
館以外にも山形県産の古い標本が現存するか調査
ヒメイズイ
Polygonatum humile Fisch. ex
したい。
Maxim.
謝辞
(ユリ科)[YAMA2Vp005420]
1893 年 6 月 4 日
鶴岡市湯野浜
原記載:ヒメイズイ
本報告をまとめるにあたり、国立科学博物館植
羽前西田川郡湯ノ濱坂
物研究部の海老原淳博士に、長沢氏の標本に関す
二十六年六月四日
る情報をご提供いただいた。また、植物の同定に
註)本種は、山形県において絶滅危惧Ⅱ類(VU)
であり、庄内地方でわずかに自生する。
アワゴケ
関してフロラ山形の沢和浩氏にご助言いただいた。
お二人に深く感謝申し上げる。
Callitriche japonica Engelm. ex
Hegelm.
参考文献
(オオバコ科)[YAMA2Vp005412]
1.日本維管束植物目録.2012.米倉浩司著、邑
1893 年 7 月 9 日
鶴岡、羽前(現・鶴岡市)
田 仁監修.北隆館.
原記載:Herb. T. Nagasawa.
2.結城嘉美.1992.新版山形県の植物誌.
Callitriche japonica Engel. Awa-goke.
Tsuruoka, Uzen.
3.レッドデータブックやまがた
July 9. 1893.
植物-維管束植物-.2004.山形県野生植物調
Cypripedium japonicum
クマガイソウ
絶滅危惧野生
査研究会編.山形県文化環境部環境保護課.
Thunb. var. japonicum
(ラン科)[YAMA2Vp005432]
1899 年 5 月
Summary
採集地不明
原記載:(解読不可)
The presumed oldest vascular plant specimen
三十二年五月
collected in Yamagata Prefecture was found in
註)本種は絶滅危惧 II 類(VU)
(環境省レッド
the Toshihide Nagasawa Collection consisted of
リスト)で、山形県では同Ⅰ類(CR)である。
21 specimens. This specimen was Galium spurium
Linum usitatissimum L.
アマ
L.var.echino- spermon (Wallr.) Hayek collected
(アマ科)[YAMA2Vp005436]
in 1882. Other ones (except two with no specimen
1897 年 8 月下旬
鶴岡(現・鶴岡市)で栽培
lable) are also done in the 19th century and are
原記載:亜麻科
アマ
Linum usitatissimum
so valuable. It is expected that they will be
三十年八月下旬.
鶴岡培.
used for the research of vegetation change,
plant taxonomy, and so on.
最後に
今回の調査で、長沢コレクション 21 点の中に
- 22 -
山形県立博物館研究報告, 32: 23-24. March 18, 2014
大蔵村白須賀遺跡の土偶
押切
智紀*
Tomoki Oshikiri
1
はじめに
本館では、今年度春より国宝土偶である「縄文
の女神」の常設展化が実現し、県内外より多くの
入館者が来場している。そんな折、女神と同じ、
縄文中期の土偶が県北の大蔵村にあると聞き、所
蔵者の御協力により、今回実測する機会を得た。
ここでは、その観察した出土土偶について若干所
見を述べることとしたい。
なお、この度御協力を頂いた、
所蔵者の国分氏、
情報をお寄せいただいた大友義助氏、野口一雄氏
にこの場をお借りして感謝を申し上げたい。
2
大蔵村白須賀遺跡
1
遺跡は県の北部、大蔵村大字清水字白須賀に所
白須賀遺跡
2
竹野遺跡 (国土地理院
元館
3
清水城跡
4
上
2 万 5 千分の1「古口」より)
在する。蛇行して新庄盆地西部の山間を流れる最
な形で発見されている。炉は大きい川原石や平
上川中流の段丘上にある。遺跡の名はすでに、昭
川原石を使って方形に作られた部分と、隣接する
和 5 年東京大学蔵版の『遺跡地名日本石器時代表』
小さい円形の石囲には土器が2つ重なるように入
にも掲載されており、古くから知られていた遺跡
れ子状態で見つかっている(大蔵村 1999 年)。
である。遺跡は現在保育園や神社の裏畑地になっ
ている。地元の古老の話では、昔から「元館」と
呼ばれていたという。最上氏の北の砦であった。
発掘調査は、昭和 29 年 7 月、山形大学と致道博
物館によって行われ、縄文中期や晩期の多くの土
器が出土した。県指定文化財の注口土器(山形大
学所蔵)は、縄文中期のキャリパー形を呈し、下
半から上部に付けられた注口部分が特徴的である
(山形県 1969 年)。
大蔵村白須賀の八幡神社
また、昭和 32 年の 2 次調査では、複式炉が完全
山形県立博物館
学芸員
(神社裏から段丘東側にかけて遺跡が広がっている)
- 23 -
3
出土した土偶
びる渦巻文がみられる。脚部は横の太い沈線は前
所蔵者の話によれば、この土偶は、現在の保育
後にみられ、脚部端に曲線と渦巻による文様がめ
園に通じる道路を開削する折、法面から多くの土
ぐる。脚先に文様が広がるのは珍しい。脚部の底
器片とともに出土したという。土偶の出土した場
面に深さ 2cm 程度の抉り孔がみられる。
所は、大きい川原石で囲われていた。残念ながら
上半部は発見されなかった。
(引用文献)
次に土偶の特徴である。
山形県『山形県史
土偶は下半部のみで、南東北の縄文中期のもの
1969 年
によくある出尻形を呈している。残存高は 19.1cm
資料 11 篇
考古資料』
大蔵村史編さん委員会『大蔵村史』1999 年
で、一番広い脚先の幅は 14cm を測る。脚部の左
先端部が欠損している。
腰部に渦巻文を主体とした文様がめぐり、腰脇
の文様は左右で違う。臀部は菱形を中心に横にの
- 24 -
山形県立博物館研究報告, 32: 25-32. March 18, 2014
<踏査ノート>
インドネシア共和国バンテン周辺の華人墓
山口
博之*
Hiroyuki Yamaguchi
1
はじめに
で現地の方から坂井氏のご活躍を聞くこともでき
平成 24 年 11 月 28 日~12 月 6 日の日程で、イ
た。
ンドネシア共和国(Republic of Indonesia)へ調
2
査旅行を行う機会に恵まれた。調査は、バンテン
踏査のようす
王国の重要な拠点であったバンテンとティルタヤ
インドネシアは西南太平洋の島嶼群からなり、
サの地を踏査するとともに、陶磁器の様相と墓地
スマトラ・ジャワ・カリマンタン・スラウェシ・チモ
の様相の概要を把握することであった。インドネ
ールの諸島とその周辺の島々を含む共和国である。
シアには以前にゆく機会があって今回は 2 度目と
1945 年に独立を宣言、1949 年に完全独立を成し遂
なるが、1 度目はご多聞にもれずバリ島への観光
げ連邦制共和国となり、1950 年に単一共和国とな
旅行であった。
そのときは 12 月の末に行ったから、
った。住民の 90%はイスラム教を信仰し、世界最
南国気分を十分に味わってくるのが主目的であり、
大のイスラム国であるという。旅行者にもイスラ
ジャワ島の有名な仏教遺跡である、ボロブドゥー
ム経の戒律の影響が及ぶ場合がある。いうまでも
ルやヒンズー教遺跡であるプランバナンも見たが、
ないが首都はジャカルタ、ちなみに総面積は 190
ただただ規模に圧倒されて帰ってきたのだった。
万 4000 平方kmであり、
日本の国土よりもかなり
今回は同行者に Y 氏がいることもあり、気を引き
大きい。
締めての日程を組んでみた。
日本とのかかわりであるが、太平洋戦争時を除
まず、今回の調査について参考とした主な文献
いて、私たちの調査に重要な点から言えば、むし
は、下記である。志津田氏治 1967「華僑の一考察」
ろ江戸時代のオランダ領インドネシアの首都バタ
『長崎大学研究年報』8、
Salmon,Claudine 1995 Le
ビア(現:ジャカルタ)の東インド会社と日本と
cimetiere chinos Kasunyatan a Banten Lama (fin
のかかわりが重要である。ここと、長崎の出島は
XVIIe-debut XVIIIe s),Banten History D’une
貿易を通じて深い関係にあった。さらにはそれ以
Region. ARCHIPEL 50. Paris、坂井隆 他 2000『バ
前 17 世紀初頭の東南アジアには、朱印船貿易など
ンテン、ティルタヤサ遺跡発掘調査報告書』、坂井
を契機とする日本人居住区である日本人町も展開
隆 2002『港市国家と陶磁貿易』、後藤伸 2005「15
したことも重要であった。こうしたことは文献史
世紀のインド洋における交易関係」『国際経営論
料、考古学資料から、肥前磁器など物の動きとい
集』29、植松明石
2007「台湾漢族の墓」
『比較民
うことなどから確かめられている。また、華僑が
俗学研究』21、岩井淳 2011「「交易の時代」の都
居住している国でもある。華僑という言葉は整理
市国家マラッカ」
『アジア研究』6、とくに坂井隆
が必要だが、中国本土から移住した中国人および
氏の論文には多くの示唆を受けた。また、行く先々
その子孫をさす。太平洋戦争後は現地の国籍を取
山形県立博物館
学芸専門員
- 25 -
得するものが多く、現地国籍を取得したものたち
た。空港からホテルまでの移動は外国に着いたと
を華人、そのまま中国籍を持ち続けるものたちを
きの最初の関門だが、ラッシュにあうこともなく、
華僑と呼んでいる場合がある。インドネシアでの
ドライバーの運転もスムーズで安心した。タクシ
華僑の存在はさまざまな意味で複雑である。
ーの種類によってはすごく乱暴(まるでジェット
事前にインドネシアの足場を確保すべく、知人を
コースター)な運転もあることは後に体験した。
通してインドネシアの文化財関係者にコンタクト
ホテルでのチェックインはY氏はスムースなのに、
を取るためにメールを差し上げたが、現地からの
わたしは言葉がよく聞き取れずてまどってしまっ
返信メールが届かず不調に終わった。Y氏のイン
た。どうもホテルのポイントカードを勧めていた
ドネシアの知人からも連絡が不調であり、不安を
みたいだ。いつものことながら自分の英会話能力
抱えつつも出発当日を迎えた。
には落胆した。ホテルは普通のビジネスホテルな
11 月 28 日は仙台からの移動、11 月 29 日はいよ
がら、パスワードをフロントでもらえば、フロン
いよ出発だ。10:00 の ANA937便でジャカルタの
トの周辺は無料Wi-Fiが使え、部屋の中では
スカルノ・ハッタ国際空港へと向かった。空港名
有線でネットができた。日本も早く無料Wi-F
に冠するスカルノ・ハッタは人名であり両氏はイ
iが発達してくれればいいのにと国外に出るとい
ンドネシア独立の英雄である。海の上を飛び続け
つも思う。通信速度の遅い早いはあるが、ベトナ
ること約 7 時間(ジャカルタの時差は-2 時間、全
ム、カンボジア(主要な都市)などは小さいWi
体では0~-2時間)
、もうすぐ着陸だと機内アナ
―Fiスポットがそれこそ無数にあり、ネットに
ウンスがあり、窓から外を眺めてみると、青い海
すぐつながる。中国もだいたい同じだ(登録シス
原にたくさんの船が浮かんでいた、その真上を飛
テムに注意が必要だが)。
日本は有線の固定電話が
行機は着陸態勢を整えてゆく。到着するとムッと
発達したから、無線の時代になってもその延長の
する暑さだった。東京は 10 度前後の冬の寒さ(山
課金の発想があるみたい、逆に有線の固定電話が
形は 2 度!)、ここは 12 月でも平均気温の最高が
発達しなかったところは、場所を選ばない無線W
30℃、最低が25℃ということで、いきなり真
i-Fiを使うという発想に結びついたのかもし
夏になったことを実感した。何やら南国らしい雰
れない。
囲気とにおいがする。外国に行くとその土地の匂
夕食は近くのニョニャレストラン(TIGA)にし
いがする。日本に来た外国人は醤油臭いと感じる
た。ニョニャ料理は今回の旅行で楽しみにしてい
ことがあるとか。
たものの一つであった。ニョニャとは中国人と他
25㌦を支払って到着ビザを取得、荷物をピッ
の民族との混血を指す言葉であり、ババ・ニョニ
クアップし、いよいよインドネシア入国だ。お金
ャとも呼ばれる
(インドネシア語ではプラナカン:
をいくら両替するかいつも迷うところだが、成田
Peranakan)
。つまり、この夕食は!今回の調査の
ではドルを中心として替えたので、インドネシア
目的にもつながるのである!!、ということでモ
ルピア(Rupiah)はちょっとだけ替えておくこと
グモグ、特に鳥がおいしかった。
とする。ちなみにこのときは10万ルピアがだい
11 月 30 日~12 月 2 日は、バンテンとその周辺
たい日本円1000円であった。ホテル(IBIS
の調査に充てた。まずはバンテンへの移動だ。ジ
TAMARIN)はジャカルタのわりあいとにぎやかなと
ャカルタからバンテンは西側へ約 100kmほど離
ころを確保し、空港からの移動もスムーズであっ
れている。ドライバーと車をチャーターし、ガイ
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ドを付けた。ガイドはAさんという 70 歳代の男性
市街の南にあり、河川で結ばれている。この日は、
の方で、日本で木工技術を学んだことがあり、こ
バンテン・ラーマのモスク、博物館、観音寺、王
の時に日本語も身につけたという。アイムソーリ
宮などの踏査に時間をつかうこととした。
ーアムソーリーと自己紹介をしてくれた。たぶん
途中で昼食をとり、まず向かったのは、バンテン
一生忘れない、今も覚えているし。ジャカルタの
の中心であるモスク(Masjid Agung Banten)で
日本語ガイドは数が少なく、予約はちょっとたい
へんだった。日本語ガイドがたくさんいるのはバ
リ(あたりまえか~)ということであり、その他
の都市ではたいへん少ないのだそうである。今回
のガイド依頼もバリの旅行社を通じてのものだっ
たと言う話。
片道3時間30分ほどかけてバンテンへ向かう。
道路は舗装されていて快適であった。都市からだ
んだんと農村へと風景が変わって、開放的な景色
ある。モスクは尖塔と巨大な寺院からなり広大な
が広がってくる。汗ばむほどだ。山形はいまは冬
敷地を占めている。東南アジアのモスクとしては
だよなぁ~、などと思いながら水田風景を見てい
最大級であるとか。丁度訪れたときはお昼の時間
るのは楽しい。
帯であり、周りの商店も全部開店休業状態であっ
バンテンは日本の中世から近世へかけての時期、
た。では博物館かなぁ~。と、行ってみたらここ
東南アジア最大の貿易中継地であり、港市国家と
もお昼にはやっていない。しょうがないので、ま
して紹介されている。取り扱われた品々は、当時
ず昼飯をどうしようかと思い、市場に適当な店を
の交易品としては花形である「香料(胡椒やナツ
見付け入った。鶏と犬がゴロゴロしている。さす
メグ)
」と東西(中国・インド・アラブ諸国)から
が南国だ。しょうがないので観音寺へ行くことと
もたらされ交易品である。今回の踏査では、バン
した。博物館から道沿いに歩いて、線路を渡って
テンの概要を知ることが目的であるから2泊3日
さらに行き、突き当りを右に曲がってまっすぐ行
の予定で、バンテン・ギラン(先イスラム:11
くと観音寺に着く。途中の川で華人地区とインド
~16世紀)
、バンテン・ラーマ(イスラム:16
ネシア人地区が分かれているという。川の向こう
世紀初頭~19世紀初頭)を中心として巡る駆け
は寄棟作りの屋根を持つ家屋で、こちらは切妻の
足での踏査となった。両者はバンテン川で結ばれ
屋根になっている。これが双方の伝統的家屋なの
ている。華人墓も踏査の途中に訪れた遺跡であっ
かしらと感慨深く観察した。家屋の脇にはマンゴ
た(なお、坂井氏は当然この墓には触れている)。
ーの木が植えられている。マンゴーにも種類があ
バンテン王国の中心は当初はバンテン・ギラン
るということで、ガイドの A さんは盛んに美味し
(Banten Girang)にあり、後にバンテン・ラーマ
いマンゴーの木とそうでないマンゴーの木を説明
(Banten Lama)に移るという。なお、ここは、現
してくれる。食ってみないとわかんないよなぁ~、
在はバンテン州(Banten)に含まれ州都はセラン
と思う。まあ、インドネシアの人々にとってマン
(Serang)
、バンテン・ラーマはセランの北、海岸
ゴーが山形県人よりはず~っと身近であることは
部に位置している。バンテン・ギランは、セラン
理解した。
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観音寺は、オランダ人が 17 世紀末に構築したス
お祝い会はなかなかの盛会だった。明代に艦隊を
ピルビック要塞の堀を挟んで目の前にある。立派
率いて遠くアフリカまで遠征したという、鄭和に
な門があり、門の上には 2 匹の竜が 3 本の爪を立
関係するという由緒を持つ一族であるということ
て て 向 か い 合 っ て い る 。 入 り 口 に は 「 VIHARA
であり、感激して参加したことを覚えている。つ
AVALOKITESVARA
まりここには現在もイスラム教の伝統が脈々と受
BANTEN」と記している。
け継がれているのであり、泉州市内でイスラム寺
院(清浄寺)と関帝廟が並び建っているのなんか
はそれを体現している。
泉州市はそんなに大きくない都市だ、媽祖廟に
は何度か足を運んだが、そのたびに周りの風景が
変わっていて、中国の発展に驚かされている。因
みに日本でも媽祖が祀られていることは、藤田明
良氏の研究に詳しい。日本では青森県にまで展開
寺・観音・バンテンだから、バンテン観音寺とい
するが、九州・沖縄を中心とする地域に事例が多
うことだろう。ちなみに本堂はベトナムの仏教寺
い。
院をさらにカラフルにしたような感じで、屋根に
そろそろ時間もたったので、バンテン博物館へ
は火炎宝珠を真ん中にこれまた 2 匹の竜が向かい
戻った。でも、まだ開いていない。しょうがない
合っている。竜が乗っている部分は波状の凹凸が
から目の前の店でコーヒーを飲んだ。ステック状
青く加飾され、海原で竜がただよっているように
のネスカフェの袋がたくさんぶら下がっていて、
も見える。渡海してきた華人たちの思いを見るよ
注文をするとその中の一本をはさみで切ってくれ、
うな気がした。本堂の奥に仏壇があり、前に媽祖
中身を容器に入れてお湯を注いでくれる。ぶらさ
さらにその後ろに観音が鎮座している。両者とも
がっている袋のまとまりを、カレンダーというと
航海安全に縁が深い。観音と媽祖が仏壇に同座し
ころがあるけどここではなんというのかなぁ~、
ている姿は感動的だった。
などとボーっとしながら思う。暑い地域に来ると
媽祖(まそ)はいうまでもなく航海安全の神で
このとてつもなく甘いコーヒー(紅茶)がすごく
ある。根拠は中国福建省泉州市の媽祖廟である。
美味しく感じる。日本だったら飲まないけど。
今は泉州市の市街地になっていて自由に行くこと
博物館に入ると、先イスラム時代の牛の石像が
ができる。元祖?本家?媽祖廟の前には発掘調査
置いてあった、小さな女の子がこのヒンズー聖牛
で出土した石材が野外展示してあり、廟内には外
の上にまたがって遊んでいた。写真をとろうかと
洋船?の碇石もある。媽祖信仰が航海に深く結び
おもってカメラをかまえたら逃げられた。博物館
ついている姿を今にとどめているわけだ。そして
の展示は、バンテンの歴史を紹介するもので、地
この地には日本中世にあたる時期のイスラム墓と
形模型やバンテン盛時の地図、陶磁器さらには墓
キリスト教墓があり、とりわけ泉州市対外交通史
標などが展示されている。もともとバンテンは海
博物館にはいくつもの宗教の墓標群が展示されて
に面しているが、いまでは海から遠くなり、海老
いる。そういえば以前泉州周辺でイスラム教の一
の養殖場などが広がっている。そう大きい博物館
族の長老のお祝いがあり招かれたことがあった。
ではないが充実している。とても入場者数が多い
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博物館ということだ。肥前陶磁器には、刷毛目唐
る。どうしようかと思っていた。サッカーをして
津大皿、中国陶磁器には青磁香炉、染付小壷、染
いる元気のよさそうな男の子たちに、中に入りた
付深皿、赤絵大盤、ヨーロッパのものでは、細長
いんだけどどうすれば入れるのかと、身振り手振
い管を持つ吸煙具であるクレイパイプが目を引い
りで聞いたら、城壁のくぼみを見つけてそこに足
た。これは長崎の出島でも出土している。オラン
を掛けてよじ登るんだということらしい。え~!
ダつながりか。墓標は墓そのものと切り離されて
と思い、もう年だからと、しばらく躊躇している
ここに運ばれているから、必要な情報は限られた
と子供たちはどんどん登ってゆく。ついに、ガキ
ものしか得られない。それでも、乾隆四年(1739)
どもに負けてはならじと、Y氏ともどもよじ登っ
の華人墓の墓標やキリスト教墓標などがある。仏
た。城壁に立つと城内の様子がよくわかる。ここ
教・キリスト教(スピルウック(Speelwijk)要塞
は 18 世紀に王国が滅亡するまでの宮殿であった。
に近接しているキリスト教墓誌には、胡椒栽培で
茶色っぽいセン積み建物の基礎と、壁の一部が残
有名だという Hugo Peter Faureno の名がある。
)・
されている。城壁の高さは2~3メートルほどで
イスラム教が混在している多宗教の都市であった
あり、幅は3メートル以上あり、オランダ人によ
ことを示している。泉州と同じだ。もっともここ
り破壊されたというが、往時の結構な規模を感じ
の支配層はイスラム教であったのだろうが。
ることができる。10 人ほどの子供たちがわいわい
その後バンテン旧港へ行き現況を確かめる。い
言いながら付いてくる。お礼の意味で何かあげよ
まは小規模な漁港といったところ。また戻って鉄
うかと思い、リュックの中を探したら越後銘菓の
道のそばの尖塔
(Masjet Pacinan Tinggi)に行く。
「柿の種」があった。これうまいぞ、でも、みん
今は塔がひとつたっているだけだった。この塔は
なで分けて食べろよ、と、これまた身振り手振り
相当の由緒を持つのだが、まわりはサッカーをし
で表現したらなんとなくそういうことをしていた。
ている子たちだけだった。学校帰りの小学校ぐら
でも反応は・・・、ちょっと口の中に入れたとた
いの女の子も遊んでいた。おそろいの茶色い長い
ん、べぇ~!!、という雰囲気で、うまいだろう
スカートその上にベージュ色のシャツを着て頭に
と言ったら、とんでもない!、という表情だった。
は茶色いスカーフを着けている。靴はスニーカー
でも、激辛スナックをおもしろがって食べる悪ガ
だ。みんなにあつまってもらって記念写真を撮ら
キみたいで面白かった。
せてもらった。遺跡としては何にも見るものがな
この日はこれで終わり、セラン市内に戻りホテ
いかなぁ~、と思ったら、となりに華人墓がある
ル(Ratu Bidaraka)にチェックイン、ここは余り
のを見つけたので満足した。墓は直径5mほどの
問題なくチェックインできた。夕食をとろうとい
円形であり、1mほどの小高いマウンドと墓標が
うことになり、
ホテル近くをうろうろしたところ、
残されていた。
いわゆる亀甲墓に近いものである。
適当なカフェといった感じのお店があり入店。
が、
清朝年号である道光 22 年(1842)
が刻まれている。
しかし持ってきたメニューにはビールがない!、
このマウンドはたいへん大きくて立派であった。
何でビールがないだ!!、と聞いたらアルコール
次に、いよいよ王宮であるスロソワン宮殿に向か
は出さないと言う話。われわれは旅行者だし外国
う。華人街からはすぐそばであった。宮殿は城壁
人だから問題はない!。ダメ!。押し問答をしば
に囲まれている。あちこち探してみたが、入り口
らく繰り返したが、イスラムの戒律にしたがうこ
らしいものは見つからない。門には鍵がかけてあ
とになった。コーラを飲みつつ夕飯を食べた。で
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もこうなると、どうしてもビールが飲みたい。飲
しても営まれた時期はバンテン・ラーマよりも古
めないといわれるほど飲みたい度合いが増加して
い。近くにある洞窟や丘などを巡検し、イスラム
くる。日中は暑かったし良く動いたし、ビ~ー~
墓を確認した。
ル!、といったように。ということで、近所にあ
午後からは再びバンテン・ラーマに戻った。跳
ったコンビに飛び込むと、何とビールがあるでは
ね橋やモスクなど昨日に巡検できなかった史跡を
ないか、それもロング缶(喜!)。しめしめと 2
訪れるためである。モスクは昨日よりもずいぶん
本買ってホテルへ戻り、プシューッ、と開けて一
と混んでいた。登ってみたかった尖塔(1560 年代
口飲んだが、どうもおかしい。よくよくラベルを
の建設という)へ向かう。尖塔の内部はらせん状
読むと、アルコール0とあるではないか。ノンア
に階段が作られており。展望台が 2 層になってい
ルだったのだ(泣)。しかたがないので 2 本とも飲
る。一番上の展望台に登ると周辺が実に良く見渡
んでさみしく寝た。でも、ホテルのレストランで
せる。不思議なことに床の中心部には穴が開いて
はちゃんとビール(アルコール有で冷たい)を扱
いる。そのから下を覗くと一階まで続いているこ
っていたので、次の日の夜にはおいしくいただき
とがわかる(不思議?)。さらにカイボン離宮に向
ました。
かう。割れ門がありバリなどの建築様式と共通し
さて、次の日はバンテン・ギランに行った。セ
ている。周りでは羊が草を食んでいる。管理人の
ラン市のホテルからは車で 20 分ほどの近所だっ
女性の方からペットボトル入りの水をごちそうに
た。坂井氏報告の資料が所蔵されている資料館が
なった。ありがたかった。
ある。家の路地を進むと、深い峡谷に橋がかけて
3
ありその向こうにモスク
(MAKBAROH AULIA MASJONG
AGUSJU BANTEN GIRANG)と一緒になって資料館が
カスニャタンの華人墓地
いよいよカスニャタン(Kasunyatan)の華人墓
あった。管理者にお願いして
地へ向かう。カスニャタンまではバンテンから南
へ 20 分ほどセラン市に向かう途中である。村へ入
り、墓地を探すが簡単には見つからない。こうい
うときにはまず地元の方を探すがこれもなかなか
見つからず、車で狭い路地をうろうろする羽目に
なった。でも、親切な村人のAさんに遭遇して、
墓地の話をすると案内をしていただくことができ
た。村の学校(モスク?)を抜けて西にしばらく
行くと村はずれの畑にでる。大半は水田だが小高
靴を脱いで室内に入れていただく。室内のケース
いところが畑として耕作されている。ところどこ
にはこの地域で出土した陶磁器が陳列され、簡単
ろにイスラム墓がある。その間をぬって行くと、
な時代区分が示されている。目を引いたのは、中
水田より一段高いところがありここが華人墓地で
国宋代の白磁椀、竜泉窯系青磁碗と盤、ベトナム
あった。この墓地は C.Salmon によって報告され、
染付、
タイ壷などである。
中国唐代からの陶磁器、
当然坂井氏もジャンク貿易と陶磁器の分析をする
ベトナム陶磁器、タイ陶磁器という説明がなされ
中でこの華人墓を取り扱われている。また、この
ていた。漢代の資料も存在するという。いずれに
墓地の論文(Salmon,Claudine 1995)はPDF化
- 30 -
され、
ネット上でダウンロードすることができる。
のち腐朽した木棺から骨骸を掘り出し、新たに容
言語は仏文だが、図を見るだけで十分だし、墓標
器などを整え埋葬する事例があるから、こうした
の表記は漢字だから、肝心な情報を入手すること
習俗である可能性もある。興味深いのは報告され
は難しくない。いやぁ~、便利な世の中になった
た記銘である。記銘は没年・被葬者・出身地
ものだ。海外ではこうしたウエッブ上で論文を公
開している機関が増え、公開論文数も多い。日本
にも当然あり、遺跡リポリトジー(全国遺跡資料
リポリトジー・プロジェクト)などはよく利用さ
せていただいているしその公開努力は尊敬してい
る。しかし、まだまだ少ない。中国などでは本当
にさまざま論文がPDFなどのファイル形式(中
・墓営者などからなる。これらは華人墓の成立や
国にはこうした文書専用フォーマットがいくつか
性格を知る重要な手がかりとなるが、必ずしも全
あるので、ちょっと困るときがあります)で公開
体を伺える資料ばかりでなく、かつ資料数も少な
されている。日本に居ながら中国の論文を見るこ
いものの、報告から没年と出身地(中国)のみを
とができるので、論文の入手には恵まれている
(本
示せば次のようになる。
№5「癸酉(1693)
・澄邑・」、
当に必要なピンポイントな論文は、あったらラッ
№10「丁丑(1697)
・龍邑・」№2「康煕戌寅年(1698)
・
キーと言う程度なんだけど、参考になる論文はた
漳郡・」、№1「康煕丙戌年(1706)
・龍邑・」
、№
くさん入手可能)。日本も各機関で論文の公開がウ
12「〔康煕丙戌(1706)
・〕皇清・」、№11「歳次丙
エッブ上でもっともっとますますぐっと盛んにな
戌(1706)
・南靖・」、№9「辛〔卯〕
(1711)
・龍邑・」
、
ることを期待したい。因みに山形県立博物館はが
№8「康煕六十年(1721)
・海澄・」
、このほかに紀
んばってますよ!。
年は不明なものの№6「■郡」、№3「澄邑」、№7
カスニャタンの墓地区域はほぼ長方形をなして
「澄邑」、などもあると報告されている。さて、坂
いる、両端にイスラム墓の地域があり、中央の大
井氏の論文(坂井 2002)では、以下の 12 件がよ
部分が華人墓地になっている。イスラム墓と混在
りくわしく報告されている。
「1963(癸酉)年海澄
する姿がもともとのものであったかどうかはちょ
県出身蔡二官墓」
「1697(丁丑)年漳州竜渓県出身
っとわからない。墓は概して小規模(大体2~3
馬会墓」
「1698(康煕戌寅)年漳州馬岐社出身連清
mほど)である。半球状の区画にマウンドが営ま
墓」
「1706(康煕丙戌)年漳州竜渓県出身郭挙官墓」
れ正面には墓標が立てられ、全体が石灰で塗り固
「1706(康煕丙戌)年?漳州海澄県錘林出身蔡□
められている。東南アジアから極東にひろく見ら
官墓」
「1706(丙戌)年漳州南靖県出身戴外良墓」
れる、亀甲墓といわれる墓の形をとっている。報
「1711
(辛卯?)
年漳州竜渓県出身□章楽墓」
「1721
告によれば、ここには96基あまりの華人墓があ
(康煕 60)年漳州海澄県出身柯挙官墓」
「不明年
る。きちんと全景をとどめているものもあるが、
不明州出身蔡可官墓」
「不明年漳州海澄県錘林尾出
痕跡しかないもの、墓の墳丘が深く掘られている
身蔡彩官墓」「不明年漳州海澄県黄興官墓」「不明
ものなど状態はさまざまである。墳丘が壊され内
年漳州海澄県錘林尾社出身□□官墓」となり、主
部が深く掘られているものは、1次葬で木棺を埋
として福建省の海岸周辺に故地がある。さて、出
め墓を整えたのちに、2次葬として埋葬後数年の
身地として記される地名は、澄邑・海澄・漳郡・
- 31 -
皇清・南靖・龍邑がある。C.Salmon の報告書を参
付け足して終わりとしたい。カスニャタンの華人
考としつつ述べれば、澄邑は福建省漳州の海澄県
墓地から帰る途中、ガイドのAさんが大騒ぎをし
に比定されている。また可能性としては、広東省
た。なんとスマトラオオコンニャク(ショクダイ
潮州市に澄城鎮という地名が残り元は澄邑と言っ
オオコンニャク:学名 Amorphophallus titanum)
たということである。ここは港湾都市として古来
の花を見つけたという。たしかにイスラム墓のか
有名であったということで、軽々には言えないが
たわらに不思議な物体がある。これが、サトイモ
この可能性はなかろうか。海澄の地名は福建省龍
科・コンニャク属の植世界最大の花(見つけたの
海市海澄鎮として残っており、ここは福建省の四
は30cm ほどでかなり小さかったんだけど)で、
大商業港として有名だった、月港の所在地にあた
7 年に一度 2 日間しか咲かないというレア物かぁ
る。そういえば、以前月港に行ったことがある。
と見入った。A さんは何十年もガイドをやってき
漳州窯資料を見学し付近の窯跡を巡検したおりに、
たけど初めて見た。腕に鳥肌がたっている。と、
漳州窯磁器の積み出し港として重要だという月港
大興奮だった。ただし花が咲くとかなり臭いらし
を訪れたのであった。海岸で漳州窯製品の大型盤
い。最終日には国立博物館に見学に行くことにし
破片を拾ったことがあるのを懐かしく思い出した。
た。モナス(国家独立記念塔)から歩いてゆくと
そして不思議な縁を感じる。漳郡は漳州窯磁器の
産地である漳州のことであろう。皇清は良く分か
らない。南靖は福建省漳州市に地名が残っている。
龍邑はちょっと難しいが、
龍渓と音が同じであり、
現在の福建省龍海の旧称が龍渓であり、共通する
可能性も考えられよう。さて、墓の造営年代と被
葬者について若干考えてみたい。石碑に見える造
営年代は 17 世紀最終末から 18 世紀の初頭に納ま
る。また、中国での本拠は福建省(広東省も?)
となる。バンテン・ラーマの分析を行った坂井隆
氏はバンテン・ラーマの陶磁器貿易を担ったのは
それらしい建物があり、入り口にいた銃をかま
「福建を主とする華人たちのジャンク貿易」であ
えた警備員に国立博物館はどこだと聞くと、そこ
り、「ラーマでの出土陶磁片が 18 世紀前半で爆発
だと教えられた。言にしたがって中に入ると、腰
的に最大に増加した理由は、そのような華人のジ
に拳銃を着け武装した人々が一斉にこちらを向い
ャンク貿易の拠点としてバンテンが存在していた
た。えっ?ちょっと?なに?、ここは、国立博物
ことに他ならないと考えられる。
」という。墓の造
館ではございませんか・・、と、びくびくしなが
営年代と被葬者は坂井氏の分析の結果と符合する
らお聞きすると。何とここは防衛省だということ。
様相を示していると見ることができよう。
あやうく・・・という目にあった。この次は、ア
チェ、スラウエシ方面の調査と、モルッカ(マル
3
おわりに
ク)諸島に行き、華人墓と陶磁器を見たいと夢に
さて、表面的な観察に終始し、だらだらと書き
見ている。
連ねてきたので紙数が尽きてしまった。いくつか
- 32 -
山形県立博物館研究報告, 32: 33-36. March 18, 2014
平成25年度古文書講座資料の紹介
熊谷
水緒*
Mio Kumagai
はじめに
(翻字)
当館では毎年5月~7月と10月~12月に古
農具代拝借仕申証文之事
文書講座(入門編・中級編)を開催している。入
一三貫文
孫左衛門○
印
一三貫文
嘉蔵○
印
門編は古文書の基礎知識や字典の使い方の講義か
一同
助左衛門○
印
一同
利右衛門○
印
ら始め、古文書を一字一字解読していく。中級編
一同
銀蔵○
印
一同
長右衛門○
印
は長文の古文書を使いグループ解読を行った。
一同
善兵衛○
印
一同
善次○
印
本稿では平成25年度入門編(後期)で使用し
〆弐拾四貫文○
印
た資料を紹介する。いずれも当館所蔵の古文書・
右之通農具代只今拝借仕申候処実正ニ御座候、然
古記録である。入門編では字や文体に親しむため
ル上御上納之義ハ、當十一月十五日切ニ元利無滞
常套句の多いものや仮名文の書籍を使用した。
急度御上納仕可申候、若萬一拝借人相滞候ハゝ、
「農具代拝借仕申証文之事」
三役中引受急度御勘定仕可申候、為後日仍而如件
安政3年(1856)に書かれた、農具代金の
安政三年辰ノ二月
借用証文である。差出人は山崎村長百姓の東條孫
山崎村長百姓
東條孫右衛門○
印
右衛門、欠代(かんだい)の伊藤作右衛門、肝煎
同欠代
伊藤作右衛門○
印
の伊藤与兵衛。
受取人は米沢夏苅村の長谷川十弥。
同肝煎
伊藤与兵衛○
印
山崎村の孫左衛門ほか7名が、長谷川十弥から一
夏苅村
長谷川十弥殿
人につき3貫文ずつ計24貫文を借りる旨が書か
「紅葉百人一首姫鑑(ひめかがみ) 全」
れている。長谷川十弥は夏刈村(現高畠町)の名
江戸の版元、甘泉堂・泉屋市兵衛が出版した百
主などを務めた豪商。欠代は組頭と同義で、米沢
人一首の書籍である。歌がページ下段にあり、上
藩に見られる表現である。
段には源氏香文様や引歌、三十六歌仙など雑多な
項目を載せている。今回は在原業平(825~8
0)と紫式部(生没年未詳)の歌を取り上げた。
翻字内の注1は文字鎖(もじぐさり)である。
五七調で、句の終わりの文字を次の句頭に置き、
しりとりのように連ねていく文字遊びの一つであ
る。この文字鎖では、句の中に源氏物語の巻名(朝
顔、乙女、玉鬘)が盛り込まれている。注2は引
歌および源氏香文様で、源氏物語「胡蝶」の巻よ
山形県立博物館
嘱託
- 33 -
り紫の上の歌が引用されている。
(翻字・上段)
(翻字・下段)
源宗干朝臣
紫式部
常盤なる
めぐり
まつの
あひて
みどりも
見しや
はるくれば
それとも
いま一しほの
わかぬまに
いろまさり
雲かくれにし
ける
夜半の
源信明朝臣
月かな
恋しさは
おなじ
(翻字・上段)
(翻字・下段)
こゝろに
世は朝かほの
在原業平朝臣
あらねども
はなのつゆ、
千早振
こよひの
ゆかりもとめし
神代も
月を
乙女子が、かけ
きかず
君みさら
つゝたのむ玉(鬘)
龍田川
めや
胡蝶
から
「羽黒月山湯殿三山雅集
はな園の
くれ
こてふを
なゐに
景勝を記した書籍である。上下とあり、下はさら
さへや
水くゞるとは
に二冊に分かれ、計3冊で構成されている。松尾
注1
注2
全 3 冊」
宝永7年(1710)に発行された、出羽三山の
したくさに
芭蕉の弟子とされる芳賀呂茄の発起により、荒沢
あきまつ虫は
寺の住持・東水が編纂した書籍で、本資料はそれ
うとく見る
を昭和17年に復刻したものである。上巻は最上
らむ
川から始まり、清河(川)や鶴岡といった三山周
辺や鳥海山などを、下巻では湯殿山・羽黒山など
を、古歌や詩をまじえて紹介している。
- 34 -
(翻字)
わかたすはげしけれは、諺に清河だしと申ならは
三山雅集巻上
せり
最上河附白糸滝
此国に聞えたる大河にして、源は会津根より漲り
きよ川や裸ながらの道明寺
山形桃陽
郭公板鋪越へもへつらはじ
羽黒東水
出て、ごてん(碁点)・はやぶさ(隼)などゝ云いと
村の上に小高き宮地あり、是すなわち五所王子な
さかしき難所を経て山形の城外をめぐり板敷の山
り、そのかみ義経下向の折ふし、弓箭太刀鎧等を
関を抱き、かつ衆流をうけ入て尤早き事いはんか
此宮に奉納せり、今に至つて累代の什物とす
たなし、果は酒田ノ海津に落たり、稲つみたる船
などの、のぼるも下へゆくやうになんといひ、つ
ゐにのぼるにこそ、この月ばかりとは云ふ
なるとぞ、古き文にも書伝へけめ
古今集大歌所御哥
最上川のぼれはくだる稲舟のいなにはあらず此月
ばかり
是より狩川と云里にかゝる、清河よりの駅路にし
てむかしは鳫川と書るよし、三ヶ沢・添津なとゝ
云村を過て添川村に出る、この添川もいにしへ加
我寺と号して羽黒八千余坊の中なりけるとなん、
上旬館といふ館の跡あり、上旬の事末に記す
佛名坂
道より右のかたに見ゆる、
古へ此所に薬師堂あり、
(略)
今は手向といふ町はづれに移す、そのかみ三世の
最上川をくたれば、右の断岸千尺なるに緑樹のひ
佛名を唱へなとしけるにや、その名ゆかし
まびまより白く漲りて見ゆるは白糸の瀧なり、凡
衣裏の月扇になるやぶつな坂
此河の上下に、さかひ瀧・たばね滝など四十八瀧
をみなへしすゞかけ投て妹背とや
羽黒独歩
同梨水
と申伝へり、いにしへ源ノ義経越路を経て此国に
いたりみちのくへ趣きける時、この瀧を見て供に
具したりける女房のよみける哥に
最上川瀬々の岩波早ければよらでぞ通る白糸の滝
白糸の瀧やこゝろにところてん
散つて来る柳の糸やたばね滝
桃隣
亡人
柳風
清河附五所王子
庄内領地の函谷なり、いにしへの按察使も此所に
関門をすへられけるにや、今も城主より所司を置
五輪森
れて往来を改る也、渓中より吹送る風は、春秋を
ぶつな坂のつゞきなり、佛名供養の塔婆などを建
- 35 -
をきける所にや、すべて此辺秘密澤桔梗水御ぜん
なく、山形県の資料に触れる機会や交流の場とし
みたらし鐙廻戸などゝ云旧跡、逐一にしるさず
て活用されている。今後とも講座を通じて、古文
風輪の希に残るや穂屋のいろ
此紅
片つかぬ空むつかしや鴫のこえ
呂茄
書に親しんでいただければ幸いである。
補足
前坂
本稿で紹介した資料は、当館のホームページよ
この坂を上りて手向の町へ入ル、松ばら村だち続
り詳細データの閲覧が可能(ただし文章の中身は
て幽なる人家あり
閲覧不可)となっている。登録番号と資料名は以
有明のつれなやたつたひとり旅
住程は蓼有明寺支配
宗因
下の通りである。
江戸東水
5A004076
農具代拝借士申証文之事
5C004751
紅葉百人一首姫鑑全
5C000014
羽黒月山湯殿
(略)
鶴ヶ岡
是よりは又越後路を経て羽黒へ趣くの道筋也、此
所酒井左衛門尉城下也、古き領主にして城中郭外
武家やしき、并に士農の家々懐恵ニますゝゝしげ
く絃歌の嘔唖たる市人の言語、欣々然として盈耳
この所にて入判をあらため山への先達をたのみ羽
黒へおもむくべし
梵字河
城下を出、はなれて川あり、往昔湯殿山の苔の滴
より弥陀大日観音の種字、この川に流れ下りしに
よつて、今にその名を流布して猶聞えたり、此川
辺を鳥居川原といふも、むかし羽黒一の華表(か
ひょう)たちけるよし
(略)
おわりに
当館の古文書講座は平成19年度の開催以来、
多くの方に参加いただき、今年度も無事に実施す
ることができた。古文書の解読方法を学ぶだけで
- 36 -
山形県立博物館研究報告, 32: 37-44. March 18, 2014
山形県立博物館資料紹介「山形の伝統凧」
秋葉
正任*
Masato Akiba
本館には、多くの「凧」に関する資料が収蔵さ
今日の本県を代表する凧は、新庄の隠明寺凧で
れている。県内での凧は、江戸時代末期頃には、
あろう。その他にも酒田凧や山形の花泉凧などが
庶民の間に広まり、それぞれの地域で地元に密着
広く知られている。県内における凧揚げの地域的
した形で発展をとげた。隠明寺凧や山形花泉凧の
な展開については、不詳な部分も多く課題も残さ
ように、現在まで大切に保存・継承されているも
れる。しかし、遅くとも近世の後期から近代の初
のもある。その技法と芸術性は優れ、工夫が施さ
めにかけての時期に一般化することは間違いない
れている。このたびは、この「山形の伝統凧」に
ようである。山瀬遊圃の「山形雑記」は、江戸後
ついて、本館資料の高付加価値化事業としてまと
期の山形の様子を伝える基本的な文献の一つであ
めたものを整理して紹介する。
り、そこに当時の山形城内で大凧揚げを競い合う
町衆の様子が記録されている。最上家五七万石の
【山形の凧】
居城として縄張りされた広大な山形城は、その後
凧揚げが遊びの一つとして民間に広まるのは近
五万石前後で同地に封じられた領主にとっては、
世期である。それぞれの郷土の歴史や文化を反映
維持が困難であり、幕末には町衆が立ち入り凧揚
したいわゆる伝統凧の発達も、概ねこの時代から
げをしても咎められない空き地が多々みられたの
である。凧揚げといえば、現代ではよく正月の風
であろう。町衆の興じたという大凧揚げはいわゆ
物として理解されがちであるが、それは恐らく、
る喧嘩凧で、若草の芽生える春先の頃に行なわれ
江戸東京の生活文化に起因するためであり、近世
たと同記にはみえる。これと同様の凧揚げは、明
後期に活躍した歌川広重や葛飾北斎、一勇斎国吉
治初期の東北を旅したイザベラ・バードも、初夏
などの描いた浮世絵からも、その光景はみてとれ
の頃に青森の碇ヶ関付近において目にしており、
る。あまり知られてはいないものの、本県にもか
その様子は『日本奥地紀行』にも記されている。
つては、凧揚げにまつわる豊かな風習が各地に認
近世から近代にかけて編まれたこれらの記録は、
められた。村山地方の平地では、新暦の正月の頃
季節や年齢などとは関わりなく凧揚げを楽しんで
より、田畑などの遊び場から泥濘が消え積雪が固
いたこの当時の東北の人々の姿を、断片的ながら
く締まる旧暦の正月にかけての時期が凧揚げには
も今に伝えるものである。
向いていたという。積雪で田畑の覆われる以前で
【凧の種類と製作】
は、泥濘が凧を汚し、揚げる際にも足を取られる
など、むしろ雪国ならではの事情も介在するよう
本県の凧は角凧を主とし、他に奴凧やカスベ凧
である。
山形県立博物館
などいくつかの形状を広くみることができる。特
学芸員
- 37 -
色ある形状の凧も各地で作られ、
酒田凧の中には、
子屋などでも売られていた。花泉凧では、
「紙裁ち」
大亀や人の立ち姿の描かれた六角凧や、子供凧と
をして寸法を整えた半紙に「版摺り」が施され、
呼ばれる小型の凧の一群も認められる。米沢や山
「薄墨かけ(刷毛書き)」、
「着色」の順序で色付け
形では、縦に割った独楽の形状をした独楽凧が作
が行なわれる。凧の大きさは、継いだ半紙の枚数
られ、猛禽の翼を広げた形状の鳶凧も河北町の谷
によって、
「二枚継ぎ」、
「三枚継ぎ」というように
地でみられた。子供の遊ぶ凧としては、十字に組
区別される。花泉凧の絵は、濃い赤色使いに特色
んだ骨に正方の紙を貼るだけで簡単に作れる小型
があるといわれ、現在ではそのための版木が数十
の凧が一般的で、その形状からカスベ凧とかクラ
枚伝えられている。凧とするには、この凧絵の裏
ゲ凧などと呼ばれていた。
に、縦骨、横骨、筋交い骨の順で竹ひごを貼り合
凧を製作し生業とする人は、個人的な場合が多
わせ、骨組みの交差する箇所に補強のための糸を
く、商いとしての規模も零細であった。そのため、
巻き付けてから、最後に「反り糸(凧をそらせる
伝統工芸として継承されない例も珍しくはなかっ
ために張る糸)
」が仕掛けられる。揚げるための糸
た。冬場の季節的な副業として、凧を作り販売す
を繋ぐ「糸掛け」の作業は、凧の飛び具合を左右
る人もあった。代表例は酒田凧や山形の花泉凧で
することから、購入者自身が各自で工夫して行な
ある。酒田凧の起こりは左官職人であり、花泉凧
うものといわれる。角凧の場合には、細かく刻ん
も本来はある畳職人の副業であった。
隠明寺凧は、
だ「うなり」という細長い紙を付け、それが出す
元新庄藩戸沢家中の隠明寺勇象が士族の内職とし
音を楽しむ人もいる。花泉凧は、現在までのとこ
て明治期に始めたものとされる。村山地方では、
ろ、代に渡って技術の継承がなされている。かつ
五月の節句に立てられる「大旗(のぼり旗)」の図
ては大きさが畳三枚分にもなる大凧を作ることが
柄を描く絵師が、凧絵にも関わることがあったと
あったというが、それは山瀬遊圃の「山形雑記」
いわれる。この大旗に対し、凧のことを「こばた
の記録にも通じるものといえようか。いずれにし
(小旗)
」と称し、凧揚げを「小旗揚げ」と呼ぶ例
ても、そのような大凧を製作する際は、客の注文
が山形の町場や東南村山の一部に認められる。
に応じて下絵を描き、凧絵の製作なども全てが手
凧の構造は、季節風の強弱などその土地の気性
作業で行なわれた。山形市内ではこの他にも、山
条件や製作者の技巧によっても違いが認められる。
田五十八という商人が、大正から昭和の初期にか
風が強ければ骨の構造を格子組にし、筋交いを入
けて版木凧を製作し販売しており評判を呼んでい
れるなどしっかりと作り、弱ければ凧の軽さに重
た。大人達の楽しむような大型の凧も、その絵を
きが置かれた。その製作の工程を山形花泉凧の例
外注に頼み製作していたようである。山形で凧の
にみると、はじめは凧絵の描画であり、骨付けが
よく売れた季節は春先にかけて頃である。現在で
その後に続く。凧絵は、その全てを手書きで描か
は伝統工芸品として評価が高まりつつある花泉凧
れる場合と、墨刷りの輪郭線に着色するだけのも
の工房でも、正月の頃になるとかつては凧作り追
のに大別することができる。版木を用いて墨刷り
われ、家族総出の日々であったという。
することから、後者は特に版木凧と呼ばれ、県内
凧の絵柄は、錦絵風の洗練されたものが山形な
では花泉凧を含め、新庄の隠明寺凧や上山版木凧
どの都市部では比較的好まれ、町場より離れるに
などである。規格品として量を生産できるため、
つれて純朴さを増すという。物の怪の成敗で知ら
版木凧は比較的安価であり、もとは雑貨屋や駄菓
れる源頼光や、その家来といわれる渡辺綱の武勇
- 38 -
伝をはじめ、神功皇后と武内宿禰、平敦盛と熊谷
である。
直実、弁慶と義経、虎退治の加藤清正などいにし
えの英雄達の姿や逸話を題とした絵柄の凧は県内
〔米沢凧〕
でも広く認められる。また、福助やお多福、達磨
6324 米沢凧(上杉謙信) こま凧。
などの縁起物や奴などを描いた図柄の凧も各地に
6325 米沢凧(福助)
みられる。金太郎や牛若丸の絵柄の凧も珍しくな
く、その中には子供達の無事な成長を願う心意が
込められているのかも知れない。地域的な特色を
持つ絵柄の凧としては、庄内の鶴岡凧の中に、当
地の領主酒井家の家紋(丸に酢漿草)の描かれた
凧や、スミ凧といって蛇の目に似た独特の文様が
施された凧の例が認められる。酒田の亀凧や可愛
らしい童子の姿などを描いた子供凧も特徴的な絵
6324
柄の凧といえよう。陰明師凧や山形凧には、西南
〔高畠凧〕
戦争の兵士の様子が描かれたものや、旭日旗をあ
6326 高畠凧(金太郎)
しらうものなど時代を反映した図柄も認められる。
6327 高畠凧(加藤清正)
米沢では上杉謙信の絵柄の凧などもかつてはみら
6328 高畠凧(弁慶)
れた。
6377 山形凧絵(龍)
6397 高畠凧絵(清正虎退治)
【当館収蔵の凧】
6398 高畠凧絵(加藤清正)
県内に分布する和凧については、現在のところ
6399 高畠凧絵(弁慶)
地域別にみて二十数例ほどが知られている。山形
6400 高畠凧絵(波に兎)
など大きな町では一時期に数名の職人が活躍して
6401 高畠凧絵(龍)
いる例もあるようなので、実際にはそれより多く
6402 高畠凧絵(鬼頼光)
の凧が作られていたことは間違いないであろう。
6403 高畠凧絵(源義経)
当館で収蔵する県内の伝統凧とその関係資料の点
6404 高畠凧絵(波に日の出)
数は約 190 点である。凧の製作者ついては、先述
6405 高畠凧絵(鯉)
の通り、個人的趣味の延長として活動する場合も
6406 高畠凧絵(龍)
みられ、職人としてその技術の継承が困難な例も
少なくないであろう。いうまでもなく、一度製作
の途絶えた凧の収集は、時間的な隔たりが広がる
につれて困難となる。本館収蔵の資料には、継承
されることなく一代限りの製作者が残した凧の例
も数多く含まれており、その現存数の少なさから
も価値のあるものといえよう。以下に資料を紹介
するが、数字については本館民俗部門の整理番号
6327
- 39 -
〔上山版木凧〕
6381 山形凧絵(八幡太郎・墨刷り)着色前。
6311 上山版木凧(敦盛と熊谷)
6382 山形凧絵(福助・墨刷り)着色前。
6312 上山版木凧(敦盛と熊谷)
6424 山形凧版木(福助)五十八凧。こま凧。
6313 上山版木凧(牛若丸)
6425 山形凧版木(八幡太郎)
6314 上山版木凧(牛若丸)
6315 上山版木凧(うさぎと熊の相撲)
6316 上山版木凧(うさぎと熊の相撲)
※以上、花渕盛重氏復刻。
6317 上山版木凧(うさぎの餅つき) かすべ凧。
6318 上山版木凧(牛若丸)かすべ凧。
6319 上山版木凧(金太郎) かすべ凧。
6310
〔山辺版木凧〕
6383 山辺版木凧絵(熊金時)
6384 山辺版木凧絵(平維盛・墨刷り)着色前。
6385 山辺版木凧絵(源為朝・墨刷り)着色前。
6386 山辺版木凧絵(牛若丸・墨刷り)着色前。
6387 山辺版木凧絵(熊金時・墨刷り)着色前。
6388 山辺版木凧絵(奴・墨刷り)着色前。
6312
〔山形凧〕
6389 山辺版木凧絵(奴・墨刷り)着色前。
6307 山形花泉凧(清正虎退治)
6390 山辺版木凧絵(猫の相撲・墨刷り)着色前。
6308 山形花泉凧(頼政鵺退治)
6391 山辺版木凧絵(お多福・墨刷り)着色前。
6309 山形花泉凧(鬼頼光)
6392 山辺版木凧絵(小僧っ子・墨刷り)着色前。
6310 山形花泉凧(巴御前と和田義盛)
6393 山辺版木凧絵(桃太郎・墨刷り)着色前。
※以上、天保年間に山形の阿部華泉が考案した版
6394 山辺版木凧絵(達麿・墨刷り)着色前。
木凧。歌舞伎絵・浮世絵風の絵柄。鮮やかな赤
6395 山辺版木凧絵(般若・墨刷り)着色前。
が特徴。
6373 山形凧絵(源頼政鵺退治カ)
6374 山形凧絵(渡辺綱羅生門鬼退治)
6375 山形凧絵(福助)五十八凧。こま凧。
6376 山形凧絵(福助・墨刷り)五十八凧。こま凧。
着色前。
6378 山形凧絵(蘭)
6379 山形凧絵(金太郎・墨刷り)着色前。
6380 山形凧絵(お多福・墨刷り)着色前。
6391
- 40 -
〔谷地凧〕
〔隠明寺凧〕
3052 谷地凧(金太郎)
※明治の初めに旧新庄藩士の隠明寺勇象が江戸
3061 谷地凧(自来也と大蛇丸)
錦絵などをもととして考案した。
6320 谷地凧(牛若丸と弁慶)
6329 隠明寺凧(般若)
6321 谷地凧(孝女の仇討ち)
6330 隠明寺凧(八幡太郎)
6322 谷地凧(とんび)
6331 隠明寺凧(金太郎)
6323 谷地凧(とんび)
6332 隠明寺凧(牛若丸)
7107 谷地凧(坂田金時)谷地中学校生徒製作。
6333 隠明寺凧(鞍馬山天狗)
7108 谷地凧(鍾馗)谷地中学校生徒製作。
6334 隠明寺凧(金太郎鯉滝登り)
7109 谷地凧(源義経)谷地中学校生徒製作。
6335 隠明寺凧(旭波)
7110 谷地凧(金時と熊)
6336 隠明寺凧(旭鶴)
谷地中学校生徒製作。
7111 谷地凧(田舎っぺ大将)谷地中学校生徒製作。
6337 隠明寺凧(お多福に松茸)
7112 谷地凧絵
6338 隠明寺凧(しったんぺろんコ・舌出し三番叟)
谷地中学校生徒製作。
6339 隠明寺凧(西南戦争)
6340 隠明寺凧(金太郎)
6341 隠明寺凧(金太郎)
6342 隠明寺凧(金太郎・墨刷り)
6343 隠明寺凧(渡辺綱羅生門鬼退治)
6344 隠明寺凧(奴)
6345 隠明寺凧(神功皇后と竹内宿禰)
6321
〔小田島凧〕
6407 隠明寺凧絵(ご贔屓お多福福助)
6396 小田島凧絵(武者絵・下絵)
6408 隠明寺凧絵(牛若丸)
6409 隠明寺凧絵(牡丹)
〔猿羽根凧〕
6410 隠明寺凧絵(市松格子旭鶴・墨刷り)着色前。
6418 猿羽根凧絵(渡辺綱羅生門鬼退治)
6411 隠明寺凧絵(市松格子旭鶴・墨刷り)着色前。
6346 猿羽根凧(義経八艘飛)
6412 隠明寺凧絵(松茸お多福・墨刷り)着色前。
6347 猿羽根凧(渡辺綱羅生門鬼退治)
6413 隠明寺凧絵(牛若丸・墨刷り)着色前。
6414 隠明寺凧絵(牡丹・墨刷り)着色前
6415 隠明寺凧絵(ご贔屓お多福福助・墨刷り)着
色前。
6416 隠明寺凧絵(山姥金太郎・墨刷り)着色前。
6417 隠明寺凧絵(奴・墨刷り)着色前。
7118 隠明寺凧(梅ヶ谷)
7119 隠明寺凧(牛若丸)
13151 隠明寺凧(羅生門鬼退治)角凧。
13152 隠明寺凧(頼光酒呑童子退治)角凧。
6418
- 41 -
13153 隠明寺凧(西南戦争)角凧。
13154 隠明寺凧(般若)角凧。
13155 隠明寺凧(文字「蔦」)角凧。
13156 隠明寺凧(軍配金時)角凧。
13157 隠明寺凧(福助)角凧。
13158 隠明寺凧(豆まき金時)角凧。
13159 隠明寺凧(神功皇后三韓征伐)角凧。
13160 隠明寺凧(桃太郎)角凧。
13161 隠明寺凧(市松格子に日の出)角凧。
6329
13162 隠明寺凧(鞍馬山大天狗角凧。
〔鶴岡凧〕
13163 隠明寺凧(波に日の出)角凧。
6419 鶴岡凧絵(すみ凧) 蛇の目は加藤清正の紋
13164 隠明寺凧(坂田金時)角凧。
をあしらったといわれる。
13165 隠明寺凧(達磨)角凧。
6348 鶴岡凧(武者絵)
13166 隠明寺凧(お多福に松茸)角凧。
6349 鶴岡凧(川中島カ)
13167 隠明寺凧(日の出に舞鶴)角凧。
6350 鶴岡凧(丸に酢漿草) 紋は鶴岡城主酒井家
13168 隠明寺凧(八幡太郎義家)角凧。
のもの。
13169 隠明寺凧(鬼若丸鯉退治)角凧。
6351 鶴岡凧(丸に酢漿草) 紋は鶴岡城主酒井家
13170 隠明寺凧(坂田金時)角凧。
のもの。
13171 隠明寺凧(舌出し三番叟)角凧。
6352 鶴岡凧(すみ凧) 蛇の目は加藤清正の紋を
13172 隠明寺凧(加藤清正)角凧。
あしらったといわれる。
13173 隠明寺凧(山姥)かすべ凧。
6353 鶴岡凧(すみ凧) 蛇の目は加藤清正の紋を
13174 隠明寺凧(牡丹)かすべ凧。
あしらったといわれる。
13175 隠明寺凧(ひいき)かすべ凧。
13176 隠明寺凧(牛若丸)かすべ凧。
13177 隠明寺凧(弁慶)かすべ凧。
13178 隠明寺凧(お多福に松茸)かすべ凧。
13179 隠明寺凧(奴)
13180 隠明寺凧用品
格子組見本
骨組みの見本。
13181 隠明寺凧用品
糸巻(凧をあげるときに用
いた糸巻き)。
13182 隠明寺凧用品
尾縄。
13183 隠明寺凧用品
尾縄(角凧用)
。
13184 隠明寺凧用品
尾縄(かすべ凧用)
。
〔酒田凧〕
13185 隠明寺凧用品
尾(紙
6354 酒田凧(ひと凧・自来也)
13186 隠明寺凧用品
尾(かすべ凧用)。
6350
角凧用)。
6355 酒田凧(亀凧・神亀) 亀ヶ崎城に因むとい
われる。
- 42 -
6356 酒田凧(角凧・清正虎退治)
6357 酒田凧(六角凧・牛若丸)
6358 酒田凧(子供凧・奴)
6360 酒田凧(子供凧・獅子舞)
6361 酒田凧(子供凧・兵隊)
6362 酒田凧(子供凧・桃太郎)
6363 酒田凧(子供凧・百姓)
6364 酒田凧(子供凧・犬乗り桃太郎)
6365 酒田凧(子供凧・日の出に鶴)
6366
13130 酒田凧(ひと凧・牛若丸)
〔遊佐凧〕
13131 酒田凧(奴凧・頭出)亀ヶ崎城に因むとい
6371 遊佐凧(雷神)
〔観音寺凧〕
われる。
6420 観音寺凧絵(牛若丸と弁慶・下絵)
13132 酒田凧(亀凧)
亀ヶ崎城に因むといわれる。
6421 観音寺凧絵(鬼頼光・下絵)
13133 酒田凧(角凧・亀)亀ヶ崎城に因むといわ
6422 観音寺凧絵(牛若丸と弁慶・下絵)
れる。
6423 観音寺凧絵(蒙古襲来・下絵)
13134 酒田凧(角凧・達磨)
13135 酒田凧(角凧・源義経)
13136 酒田凧(角凧・佐々木高綱)
6371
〔県内の凧〕
7121 凧(金太郎)額入
河北町谷地凧系統カ。最
上東中学校。
7632 凧絵版下(源頼政鵺退治カ)
7638 凧絵版下(渡辺綱鬼退治カ)
6354
7658 凧絵版下(源頼政鵺退治カ)
〔三川凧〕
7659 凧絵版下(渡辺綱鬼退治)
6366 三川凧(鯉金時)
7660 凧絵版下(宇治川の先陣争いカ)
6367 三川凧(鬼頼光)
7661 凧絵版下(宇治川の先陣争いカ)
6368 三川凧(武者絵)
7662 凧絵版下(熊谷と敦盛カ)
6369 三川凧(武者絵)
7663 凧絵版下(旭日旗)
6370 三川凧(武者絵)
7664 凧絵版下(源頼政鵺退治カ)
- 43 -
7665 凧絵版下(渡辺綱羅城門鬼退治カ)
〔県外の凧(製作場所不明分を含む)
〕
7666 凧絵版下(渡辺綱羅城門鬼退治カ)
2552 ムカデ凧
7667 凧絵版下(源頼政鵺退治カ)
6372 台湾凧(多色模様・風車付き) 自由な形状
7668 凧絵版下(渡辺綱羅城門鬼退治カ)
連凧の一種。
とデザインで、骨がないのが特徴。
7669 凧絵版下(源頼政鵺退治カ)
7113 凧絵(武者)
7670 凧絵版下(源頼政鵺退治カ)
7114 凧絵(熊と金時)着色前。
7671 凧絵版下(源頼政鵺退治カ)
7115 凧絵(金時・鐘馗ほか)
7673 凧絵版下(熊谷と敦盛カ)
7120 袖凧(千葉) 千葉県常総地方の伝統凧。常
7674 凧絵版下(神功皇后と竹内宿彌)
総とんびとも呼ばれている。大漁のときに着
7675 凧絵版下(静御前と忠信カ)
る万祝着をかたどった形。
7676 凧絵版下(牛若丸と天狗)
10355 豆凧(浜松凧)
7677 凧絵版下(豆まき金時)
7678 凧絵版下(豆まき金時)
〔凧揚げの用具〕
7679 凧絵版下(義経と弁慶)
2322 凧上げ糸巻き あげ糸をもつれさせないため
7680 凧絵版下(牛若丸と弁慶)
に糸を巻いておく道具。
「川井良作」と記載 。
7681 凧絵版下(鬼若丸カ)
2232 凧(孟宗竹製)
7682 凧絵版下
2250 凧糸車 あげ糸をもつれさせないために用い
7683 凧絵版下(和田義盛と巴御前カ)
る糸巻き。
7684 凧絵版下(熊谷と敦盛)
7116 凧骨の竹
7685 凧絵版下(和田義盛と巴御前)
7117 凧骨の凧(凧の骨組み)
7686 凧絵版下(神功皇后と竹内宿彌)
7122 凧の骨組(凧の骨組み)
7687 凧絵版下(関羽と張飛カ)
10394 凧糸車 凧をあげるときに糸をまきつけて
7688 凧絵版下(武者絵)
7689 凧絵版下
おく用具
凧絵の版下
10395 凧糸 凧をあげる際に使用する縒りの太糸。
7690 凧絵版下(武者と獣)
7691 凧絵版下(武者絵)
【参考文献】
7692 凧絵版下(武者絵)
○「凧絵展」
(展示解説リーフレット) 山形県立
7693 凧絵版下(蛇王丸)
博物館
7694 凧絵版下(武者絵)
昭和 49 年(1974)
○「凧絵展(巡回展)」(展示解説リーフレット)
7695 凧絵版下(武者絵)
山形県立博物館
昭和 52 年(1977)
7696 凧絵版下
○『日本の凧』
7697 凧絵版下(曽我兄弟カ)
○『山形の凧』
(特別展図録) 山形県立博物館
7698 凧絵版下(和田義盛と巴御前カ)
新坂和男編
昭 53 年(1978)
昭
和 58 年(1983)
7699 凧絵版下(曽我兄弟カ)
○『凧の民俗誌』
10381 八幡凧骨組み
○「陰明寺凧」
(展示解説リーフレット) 山形県
立博物館
- 44 -
斎藤忠夫
昭和 61 年(1986)
平成 20 年(2008)
山形県立博物館研究報告, 31: 45-48. March 18, 2014
野盤子蓮貳坊只黄筆「愛宕山眺望之記」を読む
野口
一雄*
Kazuo Noguchi
1
はじめに
リ半)。一リ半ニ近シ、
本紙は山形城下にあった新義真言宗宝幢寺に
山寺。宿預リ坊。其日、山上・山下巡礼終ル。
伝わったものである。軸物仕立ではあるが元は畳
是ヨリ山形ヘ三リ。
物で、後年表装され軸物となったようだ。本紙の
山形へ趣カンシテ止ム。是ヨリ仙台ヘ趣路有。
一部が損じておりかなり使用されたことが伺える。
関東道、九十里余。
現在は桐箱に納められ表蓋には、
「愛宕山眺望之記
一
寶幢寺什物
美濃国野盤子蓮貳坊只黄自筆」と、
内蔵ニ逢。立寄ば持賞ス。未ノ中尅、大石田
また箱底には、
「安永九(筆者註:1780)庚子年夏
一英(栄)宅ニ着。両日共ニ危シテ雨不レ降。
五月出来
上(本)飯田 ヨリ壱リ半、川水出合、其夜、
畫工
表具師
八日町般若院」と墨書
されている。
廿八日
馬借テ天童ニ趣。六田ニテ、又
労ニ依テ無俳。休ス。(本文は縦書き)
かがみしこう
箱書きにある野盤子・蓮貳坊とは各務支考(寛
(岩波文庫『奥の細道 付曽良旅日記』1991)
文5年/1605―享保 16 年/1731)の別号である。
支考は美濃国山県郡北野村西山(現岐阜市)に生
芭蕉の奥の細道から3年後の元禄5年(1692)
まれた。芭蕉十哲の一人で美濃派の祖とされる。
各務支考は東北を行脚する。『俳聖芭蕉と俳魔支
別号に東華房、西華房、獅子庵、野盤子、蓮二坊
考』には次のように記されている。(原文縦書き)
などがある。只黄は支考の別号との確認は出来な
元禄五年二月初め、支考が奥羽行脚へ出立す
いが「しこう」と読めることから、支考を捩った
る際に、芭蕉は「この心推せよ花に五器一具」
ものとも考えられよう。内容は、前半では天童の
(『葛の松原』)という餞別吟を贈っている。
愛宕山(舞鶴山)の佇まいや愛宕神社をたたえ後
(略)さらに芭蕉はその直後の二月八日付で
半では只黄と五人の俳人が歌仙を巻いている。
出羽の呂丸に出した手紙で(略)支考の、御
元禄2年(1689)3月 27 日(陽暦5月 16 日)
、
山すなわち羽黒山滞在中の世話を頼んだ上
さ い と あん
芭蕉は河合曽良を伴い江戸深川の採荼 庵 から奥
で、
「風雅」にも少しは通じている者なので、
の細道の旅に出発した。同年5月 27 日(陽暦 7
その考えをきいてやってほしいと、紹介して
月 13 日)、一行は尾花沢を発ち山寺立石寺に赴く
いるのである。
(註1)
途中天童を通った。曽良の日記には次のように天
本紙は、各務支考が東北行脚の折に天童に
童が記されている。
一
廿七日
天気能
足を留め、
「愛宕山眺望之記」を記した可能性
辰ノ中尅、尾花沢ヲ立
について考察したものである。
テ 、立石寺へ趣。清風ヨリ馬ニテ館岡迄被 レ
送ル。尾花沢。二リ、元(本)飯田。一リ、
2
館岡。一リ、六田。二リよ、天童(山形ヘ三
山形県立博物館
専門嘱託
- 45 -
本書の内容について
本書は、まず天童の名前の由来が語られ、続い
は山寺を訪ねる途次天童で草鞋を脱ぎ、18 句の半
て天童氏を倒した最上義光が建立した愛宕神社を
歌仙を巻いたのだろう。その天
中心に、文章が綴られる。山容が靏の舞う姿に似
童での滞在時に書き綴ったのがこの「愛宕山眺望
る靏の山に愛宕の神を勧請したことから、舞鶴山
之記」であったと考えられる。なお、半歌仙を巻
が愛宕山と呼ばれたことが記されている。筆者は
いた連衆の一人「自性」は天童の人である。
『泊舩
舞鶴山を次のように賞美する。
集』
(註3)に「出羽天童 自性」の名前がみえる。
そこらならひ立る山なく、東西にわかれ南北
また『誹諧 東日記』
(註4)には、
「角間自性」と
にひろうして姿は鶴の舞いたるやうになむ
ある。角間は自性の名字かも知れない。
侍れハ、ある人はまひ鶴の山ともたとへつ、
支考が自性と交流を持っていたのは間違いある
かの渤海の中に神仙の集れる山ハ巨鰲(筆者
まい。それはまた芭蕉が自性と旧知の関係にあっ
註:きょごう)と聞になん安なるよし、是も
たことを物語っている。加えて、連衆にみえる「逸
そのたへなるたくひなるべし
水」・「爪端」の二人が『元禄拾遺』(註5)
「出羽
文章はさらに、愛宕神社を賛美し、千歳山、恥
之部」に確認される。そこには「天童 羅陽」と天
川、龍山、笹谷峠、荒谷の松、若木山、最上川と、
童の俳人が載っている。元禄期天童には複数の俳
近郷の歌枕の地や名所をあげる。立谷川扇状地に
人たちが活動していたのである。自性とともに連
拡がっていた「荒谷の松」などは、現地で見た者
衆の一人としてみえる「和陽」は、あるいは先述
でなければ記すことができない名勝地だろう。
の「羅陽」と同一人物かも知れない。逸水・爪端・
後半は、
只黄他5人の連衆が 18 句の半歌仙を巻
和陽は天童の俳人の可能性が考えられるのである。
いている。その人物は自性、和陽、只面、爪端、
なお、連衆の一人「只面」の俳号から彼は、只黄
逸水である。文末には「元禄 月 日」とあり、年
(支考)から文台を許された人物の可能性があろ
月日の書き入れはない。支考が天童を訪れたのが
う。
『継尾集』
(註6)には、酒田、鶴岡、羽黒山、
春弥生(陰陽3月)であったことは、次のくだり
最上、尾花沢、大石田などの俳人名とともに「天
から知ることができる。
童 和貫」の名前が確認される。
只黄ことし、弥生の末こゝらに抖擻(筆者
3
註:とそう)し侍しに、ゆかしき人々にさそ
ハれ此御社の行春をおしみうやうやしく稽
美濃派と山形の誹諧
江戸中期の寛延年間(1748~1750)林崎(現村山
首して一篇の文をぞ奉り遣る
市)の壺中らは、山寺立石寺境内に芭蕉の句を刻
んだ蝉塚を建立した。彼は支考の弟子と云われる。
支考は芭蕉の呂丸(露丸/近藤左吉)への
本書を表具した般若院は天台宗である羽黒派山
手紙・紹介状を携えて羽黒を訪ね、その後、芭蕉
伏山形来吽院触下であり(註7)
、宝幢寺と宗派的
の「奥の細道」の足跡をたどったのだろう。その
なつながりはなかったようだ。寺は八日町にあり、
足取りは不明だが、
『象潟町史』に、
「元禄五年の
江戸期山形 33 所観音第9番札所としてまた、
出羽
初夏に象潟へ来遊している。
『秋田俳諧史』にも取
三山詣りの道者たちで賑わった。八日町はまさに
り上げられているが、(略)象潟で
文化流入の地であった。境内に建つ「庚申塔」に
鳥海山 とり
の海をならば打こせねり雲雀 と詠んでいる。」
(註
は、
「[正面]庚申塔
2)とあり、芭蕉の足跡を追い象潟を訪ねたこと
安政七庚申年二月日
が伺える。
田伝五右工門・升谷源兵衛・山口与次兵衛・長橋
雲雀を詠んだ句は、
「愛宕山眺望之記」にも「六
七羽社領の門や鳴雲雀
□十二老比丘慧澄誌 [裏]
導師般若院寛隆
講中:豊
庄八・青山長也・土谷茂吉」と記されている。画
只黄」がみられる。支考
工・表具師を生業にした般若院住職名は不明だが、
- 46 -
「愛宕山眺望之記」が元禄5年の頃に書き記され
りに住なして鶏
たものとすれば、表装が行われた安永9年(1780)
はそれから約 90 年後のことになる。
(挿入:桃花漁の)
犬声も遙に聞ゆ、はた何の時の乱をか避ぬらん
松尾芭蕉以後、山形の俳諧は各務支考の流れを
とあやし
汲む美濃派(支考は美濃国に本拠を置いたためそ
(挿入:むかしもいとなつかしきにかの)
の流れを美濃派と呼び、また獅子門ともいった)
名にし逢千年の山はさやしぬらむ、最上川の似
が勢力を伸ばしていく。
鯉とる船も爰もと
にまよひ来るやうにかい見おろされ、いつしか
次に本紙の釈文を記す。
(本文は全て縦書き。読
此堺にハ入ぬらんとあや
点、ルビは筆者)
し、名にし逢千年の山はさやしぬらむ、恥川の
【表蓋】
流いと清し、外山ハ霞
愛宕山眺望之記
寶幢寺什物
の立篭て恋の御山の雪いとしろう残りたり、さ
美濃国野盤子蓮貳坊只黄自筆
らでも此山ハ北笹の
【箱底】
安永九庚子年夏五月出来
道の苦しきとハ無かしも人の讀侍しをや、此峯
畫工
表具師
八
かの峯も鹿の子ま
日町般若院
だらにして、一重桜の真白なるより梨の花清け
に咲つゝきて〔破損〕
愛宕山眺望
気色猶寒し、若木山のいとけなきさま、荒谷の
此山はむかし天童子あまくたり侍しとて、麓の
松〔破損〕
里を天童とハいへる
らしすべて此一郷は都の北を南に〔破損〕
なりき、
その後源将軍の裔伊与守頼直卿此顛
(筆
といへばよき人もかくぞ仰せられしとかや、宮
者註:巓)に城をきつきし
古の空も又なつかし
かと、一栄一落の時をからんて暮の雨しハしハ
只黄ことし、弥生の末こゝらに抖擻し侍しに、
むせび夜の鶴むなしく
ゆかしき人々にさそハれ
うらむ、
今より百年あまり六とせのさきならむ、
此御社の行春をおしみうやうやしく稽首して一
国司義光朝臣
篇の文をぞ奉り遣る
此神を遷し給へしより、山を愛宕とハ言ならハ
六七羽
社領の門や 鳴雲雀
せるなり、神領ハ千
野盤子
僧只黄
余石とかや、其限渺々たり、そこらならひ立る
絵むしろすべる 若草の上
自性
山なく東西にわかれ
北山の 野蒜くらひと 名に立て
和陽
南北にひろうして姿は靏の舞たるやうになむ侍
襟垢さむく 月も暮つつ
只面
れハ、ある人はまひ
黒もちの 垣根ハ雪の ちらちらと
爪端
靏の山ともたとへつ、かの渤海の中に神仙の集
片身かハリに 洗ふもち米
逸水
れる山ハ巨鰲と聞になん
迯ありく 子に着物を きせかねて
自性
安なるよし、
是もそのたへなるたくひなるべし、
声にほハしき 覆面の中
只黄
御社のたくミうるハし
剃髪を 納る恋の 初あらし
只面
九丹青の美残らず、麓は桃李の際より人家まハ
- 47 -
小鯊のよりて せくる椋の実
和陽
月残る 青物市の あハただし
逸水
しら雲あたま 日に照られたる
爪端
山里に 串をはらひを 配るらん
只黄
蛇覆盆子ミな いろむ 石原
自性
膝皿を 出して給仕に かしこまる
和陽
只何もなき 巾着のなわ
只面
不二房に 寝くらす春の 花盛
爪端
八重の霞を こむるみつ籬
逸水
元禄
註1
月
日
堀切実『俳聖芭蕉と俳魔支考』
2006 角川選書 213~214P
註2
『象潟町史』資料編2 1996 972p
註3
京寺町二条上ル町/井筒屋庄兵衛板。元
禄戊寅十一月吉日(奥))
『元禄時代俳人大
観』第1巻 貞享元~元禄 10 年
2011.6 八木書店
註4
延宝九年六月刊。今栄蔵編『貞門談林俳
人大観』1992.7 中央大学出版部
註5
京寺町二条/井筒屋庄兵衛板。元禄九丙
子年孟春『元禄時代俳人大観』第2巻元禄
11~宝永4年 2011.11 八木書店)
註6
元禄五年
羽山呂図司(呂丸)
第
二巻頭ニ野盤子(支考)ノ「象潟の紀行」
ヲ納メル。
『元禄時代俳人大観』第1巻
註7
『山形 夢物語』116p(『山形市史資料』
第 70 号)。なお、来吽院は江戸期天童市山
元にある天台宗鈴立山若松寺の別当を務め
た。
追記
本書をまとめるにあたり、資料寄贈者の
佐伯和雄氏や大木彬氏からはさまざまなご助言を
賜り、また「大垣市奥の細道むすびの地記念館」
学芸員大木祥太郎氏からは、多くの資料の提供
やご指導をいただきました。ここに記して感謝申
し上げます。
- 48 -
山形県立博物館研究報告, 32: 49-52. March 18, 2014
巡幸日誌に記された山形県の学事状況
青木
Shoji
1
章二*
Aoki
はじめに
山形県の地形物産及び政治沿革が紹介される。次
明治 14 年(1881)、明治天皇は山形、秋田両県及
いで、
「民生利病」具体的には、
「勧業」、
「学校」、
び北海道の巡幸を行った。
行程は同年 7 月 30 日に
「済生館」、
「道路」の項目が挙げられて記述され
東京を出発、陸路埼玉・栃木・福島・宮城・岩手
ている。更に、巻末では「附」として「松岡社」
県を経て、青森から北海道に渡航し、秋田県及び
及び「米沢製糸場」の沿革と業績が記されている。
山形県を通り、帰路福島県より栃木・茨城・埼玉
巡幸に当たっては、政府より「沿道地方官心得
県を経て 10 月 11 日に東京に環幸するものであっ
書」が出され、巡幸の目的と一般的注意事項が示
た。山形県には 9 月 22 日より 10 月 3 日に至る 12
されるとともに、各県の行財政全般にわたる調査
日間、総期間 74 日間に及ぶ大巡幸であった。この
報告も指示された 1。本書は、そうした地方官か
巡幸に関わる公的な記録の一つとして、川田剛の
ら中央政府に提出された書類、統計等を基に著さ
撰述による
「隋鑾紀程」と題する巡幸日誌がある。
れたものとされる 2。三島県政下にあった当時の
文明開化の普及及び殖産興業の奨励が、本巡幸の
行政資料は現在いくつかみることができるが、そ
目的の一つとされるが、本書に記された山形県に
の代表として三島通庸関係文書 3 (以下、三島文
関する報告についてみるならば、時の県令三島通
書)が挙げられる。まずは、
「済生館」に関する記
庸の施策と行政手腕が称揚されていることが指摘
述を例にして、本書と三島文書との相関を検討し
されている。本稿では、本書に記された山形県の
てみたい。
学事状況に焦点を絞って、三島県政に対する撰者
済生館は、初代山形県令・三島通庸がつくった
の評価等を明らかにしたい。
公立の近代的病院である。本書中の「済生館」の
項目では、明治 6 年(1873)の創始から同 13 年
2「隋鑾紀程」の構成
(1880)に至る沿革等が記されている。例えば、建
「隋鑾紀程」は、修史館一等編修官兼内閣大書
設に当たっての三島県令の関与について、本書で
記官川田剛の撰述、漢文体で書かれた全八巻の巡
は、
「是の歳今県令三島通庸任に蒞(のぞ)む。本
幸日誌である。本書第一から第五巻までは巡幸の
院の狭隘にして衆を容れざるを見、為に増築を議
行程に沿った日次形式の日誌、第六から第八巻が
す。会(たまたま)院長以下有司、一月の俸金を
分類式の県治総覧になっており、北海道・秋田県・
捐じて其の費を助けんと欲す。通庸大いに喜ぶ。
山形県の政治及び民状等が記されている。
十年復た明俊を以て工事を督す。因りて明俊及び
その内、山形県の県治総覧は、第八巻に収録さ
元良を遣して東京に往かしむ。大学医学病院、陸
れている。第八巻には、まず「総説」が記され、
軍病院、及び横浜英国病院を観、参互考証し、図
山形県立博物館教育資料館
学芸員
- 49 -
を作りて還り報ず。
十一年二月図に依りて築造す。
計数の不一致が見られることに注意を要する。ま
八月にして成る。」と記す。ここに記された建築設
た、訓導及び補助員の給金総額について、本書で
計の経緯については、三島文書の内容とほぼ符合
は一月当たりの総額、
「山形県年報」では一年当た
している4。また、済生館の工事費について、三
りの総額が記され、両者の統計処理に異同がみら
島文書では「経費
れる。
金四万三千弐拾五円弐拾銭八
厘」5と記録されているのみであるが、本書では、
統計に関する分析において両者が異なる点は、
「本館の建築は地を買ふ。其の価三千三百九十三
比較の対象である。
「山形県年報」の場合、比較の
円余、
弁償するに賦金及び富民の義捐金を以てす。
対象はすべて「前年」である。
「本県十一郡内小学
工費三万九千六百三十一円余、弁償するに賦金民
校ノ数公立五百四十七校私立四校ナリ。之ヲ前年
費義捐、及び諸種の収入、剰物を斥売等の金を以
ニ比較スルニ公立二十四校私立一校ヲ増加セリ」
てす」と記され、三島文書にある「経費」とは、土
などが一例である。一方、本書第八巻では前年比
地代と工費を合わせた額であることがわかり、更
較の視点は全く見られない。本書第八巻の場合、
にその内訳と出所を知ることができる。
比較対象となっているのは、明治九年以前、すな
本書の筆法の特徴として、このように具体的な
わち統一山形県の成立以前である。本書第八巻「学
計数等を事細かに記載していることが挙げられる。
校」の冒頭では、統一山形県成立以降の教育制度
本書冒頭に記されている「凡例八則」中の第二則
の改革整備や多岐にわたる教育施策がまず詳述さ
には、
「民生利病に関する者は列挙して遺すこと靡
れており、それを踏まえて各種統計とその分析が
し。金穀の収支を并記して煩瑣を厭はず、読者を
示される。例を挙げれば、管内の公立小学が五百
して一目瞭然たらしむ。仰ぎて方を省みる聖旨を
四十九、公立中学が六とその数を示した上で、
「之
体する所以なり」とある。
「民生利病」、すなわち
を九年の二県を併せし時に視れば、公立小学九十
各県の産業や学校や病院などの状況が、具体的な
六、公立中学六を増せり」と述べている箇所がそ
数字をもって詳述されている。
「済生館」の章末に
の第一である。第二は、管内の教員数について、
は「明治十三年計表」に依拠したとして、管内病
公立の小学教員及び補助員が千六百人と述べた上
院及び衛生費として通計二万四千二百五円五銭八
で、
「之を明治九年以前に較ぶれば、公立小学は七
厘等の各種の金額が列挙されている。
百十五人を増せり」と記している箇所である。第
三は、公立小学の生徒数が四万八千五百六十六人
3
山形県の学事状況
と述べた上で、
「之を明治九年以前に較ぶれば、公
本書第八巻には「学校」の項目があり、前半で
立小学一万七千四百七人を増せり」と記している
は山形県の学事状況、後半は「山形師範校」の沿
箇所である。いずれの場合も、明治 13 年(1880)
革や組織等が記されている。前半部に記載されて
時点との比較を基に大幅な員数の増加が提示され、
いる各種の統計は、文部省に提出された明治 13
明治 9 年(1876)の統一山形県成立以降、教育行政
年(1880)「山形県年報」 6中の「学事ノ現状」に
の大きな進展と成果があったことが暗黙の裡に説
も記されている。次表は、本書及び「山形県年報」
かれている。
に記載されている統計をまとめたものである。両
また、本書の他巻に目を転じてみると、本書第
者の統計が完全に一致するのは、
「学資に対する寄
七巻は秋田県の県治総覧であるが、その中にも「学
付」及び「成績褒賞」の二項目だけであり、他は
校」の項目がある。ここに挙げられている統計に
- 50 -
項
目
随鑾紀程
山形県年報
公
立
549 校
547 校
私
立
4校
4校
公
立
6校
4校
私
立
4校
3校
4校
7校
小学校
学校数
中学校
専科及び各種学校(*)
金
額
48,250 円余
48,250 余円
土
地
38,277 坪
38,277 坪
役
夫
4,480 余人
4,480 有余人
書
籍
353 部
353 部
器
具
497 事
497 個
寄付人員
10,050 人
10,050 人
公 私 立
30 人
24 人
20 人
18 人
学資に対する寄付
中学教員
専門学及各種学校
教員数
公
立
1600 人
1,626 人
私
立
4人
6人
30.35 人
27.87 人
96 人
85 人
330 人
330 人
378 人
330 人
小学教員及補助員
教員一人の平均受持ち生徒
師範学校卒業証状を有する者
教員資格
学力証状を有する者
員数
訓
導
一月(年)の給金総額
2,597 円 98 銭 2 厘
一人当りの平均月給額
(25,914 円 98 銭 9 厘)
6 円 87 銭 2 厘余
6 円 54 銭 4 厘
1,222 人
1,296 人
小学教員俸給
員数
補
助
員
一月(年)の給金総額
3,130 円 10 銭 2 厘
一人当りの平均月給額
(42,097 円 22 銭 3 厘)
2 円 56 銭 1 厘余
2 円 70 銭 6 厘余
公
立
220 人
203 人
私
立
157 人
211 人
公
立
48,566 人
4,5317 人
私
立
66 人
191 人
269 人
201 人
特賞を受く者
31 人
31 人
優賞を受く者
7,717 人
7,717 人
中学校
生徒数
小学校
専門学及各種学校
成績褒賞
- 51 -
4
着目すると、
「是の年開く所の公私立学、凡そ七十
まとめ
二、八年に至り三百三十三有り、九年三百五十、
本書中における山形県の学事状況の記述は、各
十年三百八十、
十一年四百十四、
十二年四百五十、
種の統計等を用いて客観的な叙述の体裁をとりな
十三年増して五百零三に至る」と、
明治 6 年(1873)
がらも、その分析及び評価はかなり主観的な様相
以降同 13 年(1880)に至るまでの同県の公私立学
をみせている。県令三島通庸の施策と行政手腕に
校数の推移が年次ごとに列挙されている。第七巻
対する特例の称賛が、この箇所にも通底している
における統計の扱いは、
第八巻とはやはり異なる。
ことが読み取れる。
「山形県年報」及び本書第七巻にみられるよう
このことが、殖産興業などの近代化政策の奨励
な年次比較は、統計分析としては一般的な手法で
を目的とする天皇巡幸の記録という本書の性格に
あるが、本書第八巻はそれとは異なり、専ら明治
由来することは論を俟たないが、この点、同様の
九年以前、すなわち統一山形県成立以前との比較
統計資料を用いてはいても、学事のいまだ劣悪な
において分析が行われている。ここに、撰者川田
状況や課題等をも指摘する「山形県年報」の筆法
剛の意図を読み取ることができる。
とは甚だ対照的である。
本書においては、山形県令三島通庸が著しく注
目されていることが指摘されている。例えば、日
誌形式の第五巻では五事例、山形県の県治総覧で
ある第八巻では十事例、
三島の名が頻出している。
殖産政策を賛美する本書の中でも、他の地方長官
に比べて三島の扱い方はきわめて異例である 7。
本書では、名を挙げることにより、山形県におけ
る三島の業績が明示的に称賛されているといって
よい。もっとも、本書第八巻中の「学校」の項目
に限ってみれば、三島の名は一箇所も見当たらな
い。しかし、前述の通り、専ら明治九年以前との
比較において統計が解析されていることは、三島
の統一山形県令着任以前と以後との比較を意味し、
三島の存在が相当意識されている。その上で、明
注)
治九年以降大きな成果が挙げられていることを統
1
『山形県行幸記』(山形県教育会編 1916 年)
。
秋元信英,
「巡幸日誌と川田剛『隋鑾紀程』
」,
『国
学院短期大学紀要 11』(1993 年)。
3
国立国会図書館憲政資料室所蔵。山形県関係の
資料は、
『山形県史 資料編 2 明治初期 下』
(山形
県編 1962 年)に収録。
4
注 3 p726。
5
注 3 p512。
6
『日本帝国文部省年報第八』(1880 年)。
計的に示していることは、三島県令の教育行政上
2
の業績を暗示的に称揚しているといえるだろう。
「往昔、山邑海郷、人文字を識らず、自ら其の
名を記す能はず。今、牧童漁丁亦或ひは読書を解
す。以て教育の効を見るに足る。
」という撰者川田
剛の言葉は、三島県令の功績に対する評価にその
7
まま結びつくものであろう。
- 52 -
注 2。
1
2
3
4
5
6
7
『山形県行幸記』(山形県教育会編 1916 年)。
秋元信英,
「巡幸日誌と川田剛『隋鑾紀程』
」,
『国
学院短期大学紀要 11』(1993 年)。
国立国会図書館憲政資料室所蔵。山形県関係の
資料は、『山形県史 資料編 2 明治初期 下』
(山
形県編 1962 年)に収録。
注 3 p726。
注 3 p512。
『日本帝国文部省年報第八』(1880 年)。
注 2。
- 53 -
山形県立博物館研究報告
第32号
平成26年 3月18日 発行
編集・発行 山形県立博物館
〒990-0826
山形県山形市霞城町1番8号
電話 023 ・ 645 ・ 1111
© 2014 Yamagata Prefectural Museum
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