コーポレート・ガバナンスにおける 今日的課題

論説
コーポレート・ガバナンスにおける
今日的課題
――権限集中と利益調整原理――
大 塚 章 男
Ⅰ. 問題の所在
Ⅱ. CSR と企業倫理
Ⅲ. アメリカ
1 経済学・政治哲学の分野
2 会社法学およびその周辺
盧 1970 年代までの流れ
盪 1980 年代の敵対的買収の活発化からの動き
蘯 1990 年代の Shareholder Activism の兆し
盻 2000 年代の企業不祥事と SOX 法
Ⅳ. 英国
Ⅴ. 日本
Ⅵ. 個別論点
1 取締役の信認義務
2 株主利益最大化論再考
3 長期的利益の問題
4 企業の社会的責任と法的責任との境界
5 どのようなガバナンス・内部統制がよいか――企業倫理との関係
Ⅶ. むすびにかえて
蠢. 問題の所在
会社の存在意義については、2005 年より起こった敵対的買収ブーム以来、
「会社は誰のものか」という議論を通じて、日本でも改めて論じられてきた。
この論点については、株主利益最大化説とステークホルダー説の対立があるこ
とは既知のとおりである。この問題は、会社法学はもちろん経済学、経営学、
筑波ロー・ジャーナル 10 号(2011 : 10)
51
論説(大塚)
倫理学などにおける重要課題であるといえる。会社法学について言えば、会社
の目的をどう考えるべきか、取締役の信認義務をどう考えるべきか、会社の社
会的責任との関係をどう考えるべきかなど会社法学における立法・解釈に大き
な影響を及ぼす問題だからである。
この論点を分析する上で重要と思われるのは、変容する現代社会における会
社の実体を前提に、最終的には、経済学等における知見やその他社会規範と区
別しながら、会社法としての解釈基準を示さなければならないことである 1)。
といっても、会社法学も社会科学の孤立した学問ではなく、相互に影響を与え
るべきものである。法律学は現行の法規範と現実社会を前提としたうえで、正
義・公平にかなった解決を提示する使命を担っている。たとえば、会社の存在
意義、正義・公平の考え方を公共哲学の観点から考察したり、規制の在り方に
つき経済学の観点から考察したりすることで、法解釈学に役立てることは重要
なことであろう 2)。
本論文はこうした論点を考察することを目的とするものである。なお、本稿
は、今後この論点につき纏める論文のロードマップともいうべき小稿であるこ
とをお断りしておきたい。
蠡. CSR と企業倫理
企業の社会的責任や企業倫理の問題は、コーポレート・ガバナンス論や企業
の目的論に深く関連している 3)。
企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility ; 以下 CSR という)は、
1)
藤田友敬「商法と経済学理論」ジュリスト 1155 号 69 頁(1999 年)、同「契約・組織の
経済学と法律学」北大法学論集 52 巻 5 号 480 頁(2002 年)。最近では「特集『法と経済学』
にふれよう」法学教室 365 号 2-51 頁(2011 年)。さらに、楠茂樹「法における『経済』、経
済における『法』盧盪(3 ・完): ハイエク社会哲学再訪」産大法学 40 巻 3 = 4 号 661 頁
(2007 年)
、43 巻 1 号 19 頁(2009 年)
、43 巻 3 = 4 号 635 頁(2010 年)
。
2)
田中亘「ステークホルダーとガバナンス」企業会計 57 巻 7 号 58 頁注 7(2005 年)は、
何が「公正」か判断が難しい故基準足り得ないことを指摘する。
52
コーポレート・ガバナンスにおける今日的課題
「遵守すべき法規制や慣習を超えて、基本的人権の尊重、環境保護、社会の発
展、利害関係人の利益の適切な調整といった観点から、企業の持続的発展を支
えるためになされる企業の自主的な取り組み」と定義される 4)。一般に、CSR
は「法的責任が尽きたところから始まる責任」と言われているが 5)、これにつ
いてはそう言い切れるか否かを検討する余地があろう 6)。なお、CSR について
は、社会学から Corporate Social Performance、経済学から Shareholder Value
Theory、倫理学から Stakeholder Theory、政策学から Corporate Citizenship に
よる分析が行われてきた 7)。また、CSR は企業が社会の要請に応えて行うべき
活動を言うのに対し、企業倫理(business ethics)は経営者等が企業戦略等の
倫理上の評価(moral status)を理解するため用いる分析ツールであるとの指
摘もある 8)。
3)
CSR は、社会貢献活動(philanthropy)の問題と関連しており、これは企業の権能と目
的と関連する、と指摘されている。アーサー R. ピント&ダグラス M. ブランソン著/米田保
晴監訳『アメリカ会社法』17-19 頁(レクシスネクシス・ジャパン、2010 年)
。
4)
秋山をね他「座談会・いまなぜ CSR なのか」法律時報 76 巻 12 号 5 頁[神作発言]
(2004 年)(以下、「座談会」という)。野村修也「企業の社会的責任」浜田=岩原編『ジュ
リスト増刊 会社法の争点』
(有斐閣、2009 年)
。
5)
社会的責任と法的責任との関係については、竹内昭夫「企業と社会」『岩波講座基本法
学 7 企業』22 頁以下(岩波書店、1983 年)など。
6)
日本においても会社法学者による CSR の分析は盛んになされてきた。中村一彦『企業
の社会的責任:法学的考察』(同文館出版、1977 年)、森田章『現代企業の社会的責任』
(商事法務研究会、1978 年)、松田二郎『会社の社会的責任』(商事法務研究会, 1988 年)、
中村一彦『企業の社会的責任と会社法』(信山社、1997 年)、中村美紀子『企業の社会的責
任: 法律学を中心として』(中央経済社、1999 年)、奥村宏『株式会社に社会的責任はある
か』(岩波書店、2006 年)、森田章「社会的責任への法的アプローチの展開」奥島孝康監
修・著『企業の統治と社会的責任』
(きんざい、2007 年)など。
7)
Domenec Mele, “Corporate Social Responsibility Theories” in Andrew Crane et al. ed.,
Corporate Social Responsibility, pp 47-76(Oxford, 2008). 事例により適宜これらの手法を単
独で又は組み合わせて分析するべきとする。
8)
Andrew Crane and Dirk Matten, “Business Ethics” in Wayne Visser et al., The A to Z of
Corporate Social Responsibility: A Complete Reference Guide to Concepts, Codes and
Organisations, p53(2007)
.
53
論説(大塚)
他方、学問としての企業倫理は、現代社会における財やサービスを生産し分
配する組織に関する個人の規範に道徳的基準を適用するかを研究するもの、と
される 9)。米国において、企業倫理学の展開には 3 つの段階があった。いずれ
も歴史的事件を契機とするものであるが、第 1 期は 1920 年代、第 2 期は 1950
年代から 1960 年代初め、第 3 期は 1970 年代後半から現代まで、とされる 10)。
企業倫理学は、1970 年代に独立したものとして現れ、1980 年代に確立した 11)。
企業倫理に対しては、応用倫理学(applied ethics)からのアプローチ、および
経営学からのアプローチがなされてきた。
蠱. アメリカ
ここで米国おける 20 世紀前半から現在まで企業をとりまく環境の変化とこ
れに伴う会社法学をはじめとする社会科学における変遷の歴史について概観す
る。
1
経済学・政治哲学の分野
第 2 次世界大戦後から 1960 年代ごろまで、先進諸国の経済政策はケインズ
主義が主流であった。これは、伝統的な自由放任主義(レッセフェール)に内
在する市場の失敗と呼ばれる欠陥が世界恐慌を引き起こしたとする認識のも
と、政府が経済に積極的に介入して、資本主義経済を安定化させるものであっ
た。こうした「大きな政府」と呼ばれる政治・経済体制は、1970 年代に入り、
オイルショックに陥ると政府の財政危機を招き、アメリカでもスタグフレーシ
ョンが進行し失業率が増大した。
9)
Manuel G. Velasquez, Business Ethics: Concepts and Cases, p20(3rd ed., 1992)
.
10) エプスタイン(Edwin M. Epstein)著/中村瑞穂ほか訳『企業倫理と経営社会制作過程』
133 頁(文眞堂、1997 年)
。
11) エプスタイン「経営学教育における企業倫理の領域:過去・現在・未来」中村瑞穂編
著『企業倫理と企業統治』203-4 頁(文眞堂、2003 年)、リチャード T.ディジョージ著/永
安幸正=山田勁三監訳『ビジネス・エシックス』69-88 頁(明石書店、1995 年)など。
54
コーポレート・ガバナンスにおける今日的課題
こうした行き詰まりの状況を生み出した責任は国家による経済への恣意的な
介入と政府の肥大化にあるという批判を受けケインズ経済学は廃れ、新自由主
義(Neoliberalism)が生まれた 12)。英国のマーガレット・サッチャー政権に
よるサッチャリズム、米国のロナルド・レーガン政権によるレーガノミクス 13)
と呼ばれる経済政策である。新自由主義を信奉するエコノミストはフリードマ
ン(Milton Friedman)、ハイエク(Friedrich August von Hayek)などである。
フリードマンは、株主は会社の所有者であり、経営者は株主の代理人であって、
株主の富を最大化する責務を負う、と端的に述べている 14)。
公共哲学の分野ではどうか。世界恐慌を代表とする「市場の失敗」とニュー
ディール政策などを経てアメリカでは自由を実質的に実現するためには、その
現実的制約となっている社会的不公正を政府によって是正しなければならない
という思想がリベラルの中で優勢となった。すなわち、初期の古典的自由主義
はレッセフェールを重視して政府の権力を最小化する立場が多かったが、20
世紀には社会的公正を重視して社会福祉など政府の介入も必要とする現代的リ
ベラリズムが普及した 15)。その旗手であるジョン・ロールズ(John Rawls)は、
A Theory of Justice(1971)において、それまで倫理学を主に支配してきた功
利主義に代わる理論として、民主主義を支える倫理的価値判断の源泉としての
12) 主要先進国で新自由主義的な経済政策が登場したのは 1980 年代であり、新自由主義そ
のものも 1980 年代にその名が付けられたとも言われる。
13) 時代的には 1980 年のレーガン大統領の規制緩和、小さな政府政策に呼応している。
14) Friedman, The Social responsibility of Business is to increase its Profits, The New York Times
Magazine, Sep. 13, 1970 at 33; 翻訳としてトム L.ビーチャム=ノーマン E.ボウイ著/加藤尚
武監訳『企業倫理学 1』83-91 頁(晃洋書房、2005 年)。フリードマンは詐欺などのルール
違反をしない限り利益を上げることが企業の社会的使命という。Friedman, Capitalism and
Freedom, p133(Chicago Press, 1962). さらに企業が利益追求以外のこと(つまり社会的責
任の履行)を行うと社会の資源配分が非効率となり、社会全体の厚生が低下すると述べる。
Friedman, The Social responsibility of Business is to increase its Profits, Ethical Issues in
.
Business: A Philosophical Approach(3rd ed., 1988)
15) 日本でリベラリズムというとき、この意味で使われる場合が多い。英語圏では Social
liberalism と表現される。
55
論説(大塚)
正義を中心に据えた理論を展開した 16)。正義論は経済学にも大きな影響を与
え、厚生経済学においてロールズ基準と冠した概念を生み出した。このリベラ
リズムに対して本来の自由主義的な側面を強調する立場がリバタリアニズム
(libertarianism)であり、特に経済的に古典的自由主義を再評価する立場を前
述の新自由主義とも呼ぶ。
その後、新自由主義への対抗から、小さな政府と大きな政府との中道を模索
し、市場原理を重視しつつも国家による公正の確保を志向する第三の道が
1990 年代に台頭した。2000 年代の今日は、グローバル化の進行に伴い、市場
を自由化しようとするリバタリアニズムや新保守主義とリベラリズムとがせめ
ぎ合っている状態といえよう。
2
盧
会社法学およびその周辺
1970 年代までの流れ
「会社は誰のためのものか」についての論争は、1930 年代初めのバーリ対ド
ッドの論争に端的に表れている 17)。まず、議論の前提として、バーリ=ミー
ンズは、株主は会社の所有者であるとの前提は、現代の巨大株式会社における
所有と経営の分離によって、時代遅れになったと述べた。そして経営者は、全
株主の利益のためにのみ、与えられた権限を行使すべきである主張した 18)。
これに対しドッドは、企業には社会的奉仕の責務もあり、経営者は関係者の利
益を考慮に入れるべきである、つまり、経営者の受託義務は株主以外の他の全
ての関係者を包括できるように拡張すべきだ、とした 19)。バーリは、直ちに
16) 正義を「相互利益を求める共同の冒険的企て」である社会の「諸制度がまずもって発
揮すべき効能」だと定義した。そして社会活動によって生じる財は再分配される必要があ
るが、その際もっとも妥当で適切な分配の仕方を導く社会的取り決めが社会正義の諸原理
になるとした。ジョン・ロールズ著/川本隆史=福間聡=神島裕子訳『正義論(改訂版)』
(紀伊國屋書店、2010 年)
。
17) バーリ対ドッド論争について、たとえば森田章「商法学の観点からみた CSR」法律時
報 76 巻 12 号 40 頁(2004 年)
。
56
コーポレート・ガバナンスにおける今日的課題
これに反論し、株主に対する受託義務が弱められたり排除されたりすると(株
主からのコントロールが弱まり)経営者は絶対者となってしまう、と主張し
た 20)。その 2 年後ドッドがこれに譲歩する形で論争は終結し 21)、この論争でバ
ーリが勝利したとされる。
なお、この論争の後バーリが改説したことについて日本ではあまり研究がな
されていない 22)。バーリは世界大恐慌に対しニューディール政策を進めた F.
ルーズベルト大統領のブレーンとして金融制度改革を推し進めた。これが改説
の契機となったと言われている。大戦後の彼の主張は、会社良心が必要であり、
会社権力はパブリック・コンセンサスに従って行使されなければならない、と
いうものであった 23)。
18) バーリ=ミーンズの見解は、ADOLF A. BERLE & GARDINER C. MEANS, THE MODERN CORPORATION AND PRIVATE PROPERTY(Harcourt, Brace & World, Inc. rev. ed.
1968)(1932)、翻訳として、A バーリー= G ミーンズ著/北島忠男訳『近代株式会社と私有
財産』
(文雅堂銀行研究社、1958)
。See also Adolf A. Berle, “Corporate Powers As Powers In
Trust ”, 44 Harv. L. Rev. 1049(1931)
. なお、社会経済学的見地から展開するバーリ=ミー
ンズと法学者としてのバーリが混然一体化していることが一部混乱を招いているとの指摘
がある。角野信夫「結章 企業倫理と企業統治の展望と課題」中村瑞穂編著『企業倫理と
企業統治―国際比較―』199 頁注 9)
(文眞堂、2003 年)
。
19) Merrick E. Dodd, “For Whom Are Corporate Managers Trustees?”, 45 Harv. L. Rev. 1145
(1932).
20) Adolf A. Berle, “For Whom Corporate Managers Are Trustees: A Note In Harvard Law”,
.
45 Harv. L. Rev. 1365, 1367(1932)
21) Merrick Dodd, Jr., “Is Effective Enforcement of the Fiduciary Duties of Corporate
.
Managers Practicable? ”, 2 U. Chi. L. Rev. 194(1935)
22) バーリの見解は時代により変容しているわけであるが、これに関する分析も近時活発
に行われている。William W. Bratton and Michael L. Wachter, “Shareholder Primacy’s
Corporatist Origins: Adolf Berle and The Modern Corporation”, 34 Iowa J. Corp. L. 99
(2008); William W. Bratton and Michael L. Wachter, “Tracking Berle’s Footsteps: The Trail
of The Modern Corporation’s Last Chapter”, 33 Seattle Univ. L. R. 849(2010); Marc T.
Moore and Antoine Reberioux, “Corporate Power in the Public Eye: Reassessing the
. この
Implications of Berle’s Public Consensus Theory”, 33 Seattle Univ. L. R. 1109(2010)
改説に関する日本語の文献として、角野・前掲注 18)180-88 頁。
57
論説(大塚)
20 世紀前半の裁判例を見てみると、ダッジ対フォード事件最高裁判決 24)で、
株主利益最大化の立場が採用されることとなった。こうした極端な株主利益至
上主義からすれば、慈善事業への寄付はむしろ株主に対する任務違反とされた。
しかし、その後 A.P.スミス対バーロウ事件最高裁判決 25)で、会社役員が公共
の福祉を促進すること(ここではプリンストン大学への慈善寄付)が認められ
るようになった。ダッジ事件判決から 30 年余かかったことになる。
法律論でも株主利益最大化論が支配的となっていった。その根拠としてあげ
られるのは様々であり、株主は所有者(equity holder)であるとの立場、経営
者は会社または総体としての株主の代理人であって株主利益の最大化を図る責
務があるとの立場(Agency Theory)26)、他のステークホルダーは契約で守ら
れているのに対し株主は会社の剰余権者(residual claimant)に過ぎず、会社
価値に対し最も関心があるのは株主であるから株主利益最大化を図ることは会
23) ADOLF A. BERLE, THE 20TH CENTURY CAPITALIST REVOLUTION(1954); POWER
WITHOUT PROPERTY: A NEW DEVELOPMENT IN AMERICAN POLITICAL ECONOMY
(1959); THE AMERICAN ECONOMIC REPUBLIC(1963). 翻訳として、桜井信行訳『20
世紀資本主義革命』(東洋経済新報社、1956 年);加藤=関口=丸尾訳『財産なき支配』
(論争社、1960 年)
。
. 「事業会社は株主利益のため主と
24) Dodge v. Ford Motor Co., 170 N. W. 668(Mich. 1919)
して設立経営される。取締役の権限はこの目的のため行使される。その目的達成のため手
段の選択において取締役の裁量は行使されるが、その目的自体を変更したり、利益を削減
したり、利益を他の目的に用いるため株主間で利益を分配しなかったりすることまではで
きない。
」Dodge, 170 N.W. at 684. すなわち、労働者へのより高い賃金という便益や消費者
へのより安い販売価格という便益は株主の利益より優先されてはならない。この判決は多
くの教科書で引用されている。Choper, Coffer,Jr. & Gilson, Cases and Materials on
Corporation(5th ed.1995); Joel Seligman, Corporations Cases and Materials(1995)
.
. A. P. Smith から大学への寄付
25) A. P. Smith Mfg. Co. v. Barlow, 98 A.2d 581(N. J. 1953)
は妥当であり、株主を資するものであること、企業は社会に資することに利害を有するの
で本件寄付は不当支出ではないことを述べる。Barlow, 98 A.2d at 590. さらに Steinway v.
Steinway & Sons, 40 N.Y.S. 718(Sup. Ct. 1896); Union Pac. R.R. v. Trustees, Inc., 329 P.2d
398(Utah 1958)も同趣旨である。
26) 最近の議論は、Paul Rose, “Common Agency and the Public Corporation”, 63 Vand. L.
Rev. 1355(2010)など参照。
58
コーポレート・ガバナンスにおける今日的課題
社価値最大化を図ることと同義であるとの立場 27)などである 28)。上記の最後
の「剰余権者論」は、法人擬制説への批判から生じた株主利益重視論という側
面も忘れてはならない。つまり、「法と経済学」において、米国では法人擬制
説 29)が通説であった。この見解から導かれる「契約の束(nexus of contracts)」
理論 30)に立つと、株主は会社に結びついている主体の一つに過ぎず、またそ
の契約は不完全であることが多い(いわゆる「契約の不完備性(incomplete
contracts)」)。こうしたことから、株主の利益を最大限重視すべきである、株
主利益の最大化のために経営されることが効率的であるということになる 31)。
さらに、コーポレート・ガバナンスにおいて、上記に関連して生じるエージェ
ンシー・コスト(Agency Cost)32)問題が大きな焦点となってきた。
27) 日本でこれを紹介するものとして伊藤秀史「現代の経済学における株主利益最大化の
原則」商事法務 1535 号 6 頁(1999 年)。なお契約理論の史的展開につき要領よくまとめた
ものとして、伊藤秀史「契約理論―ミクロ経済学第 3 の理論への道程―」経済学史研究 49
巻 2 号 52 頁(2007 年)
。
28) 松井秀征は、「所有と契約の契機の再構成」という枠組みを用い、所有と経営の分離に
より「所有」の絶対性は失われたが、株主と経営者との「契約」として見直すことにより、
所有の問題として従来理解されてきた対象が契約の問題として転位されることになった、
その上で契約の不完備性のゆえに剰余権への「所有」という観点が再認識されるようにな
った、と指摘する。同『株主総会制度の基礎理論』185-98 頁(有斐閣、2010 年)
。
29) 法人は単に株主の集合体にすぎないとする説。法人は自然人に擬制して認められる人
格にすぎないとする。19 世紀ドイツの法学者サヴィニー(F. K. von Savigny)が提唱した。
30) 企業を、株主、経営者、従業員、取引先、債権者などのステークホルダーが個別に取
り結ぶ「契約の束」に過ぎないと考え、独自の存在と見ることを否定する考え方である。
賛否両論見られるが、近時賛成論が多いとされる。Marleen A. O’Connor, “Restructuring
the Corporation’s Nexus of Contracts: Recognizing a Fiduciary Duty to Protect Displaced
Workers”, 69 N.C.L. Rev. 1189(1991); William W. Bratton, Jr., “The ’Nexus of Contracts’
Corporation: A Critical Appraisal”, 74 Cornell L. Rev. 407(1989); Stephen M. Bainbridge,
“DIRECTOR PRIMACY: THE MEANS AND ENDS OF CORPORATE GOVERNANCE”, 97
Nw. U.L. Rev. 547(2003)
. Nexus-of-contracts theory は agency theory や social contract theory に根拠を求める。Larry A. DiMatteo, “LAW AS A SOURCE OF STRATEGIC ADVANTAGE: Strategic Contracting: Contract Law as a Source of Competitive Advantage”, 47 Am.
Bus. L. J. 727(2010)at note 242.
59
論説(大塚)
他方でステークホルダー理論も台頭をみせる。ステークホルダー理論は
1963 年に米国 SRI インターナショナルの内部のメモで初めて使われた。この理
論は後に 1980 年代になってから、エドワード・フリーマン(Edward Freeman)
によって展開され、主唱されるようになった 33)。その後 1990 年代から様々な
分析結果が公表されてきた 34)。一般には企業の存続に不可欠のグループとし
て株主、従業員、顧客、経営者、納入業者、コミュニティの 6 つがステークホ
ルダーとしてあげられる。これらステークホルダーの利益は、例えば倫理行動
や長期的利益の判断の中で考慮されることとなった。
また、1960 年代から 1970 年代は公民権法成立等にみられるように社会変革
31) いわゆるコントラクタリアン(Contractarian)からの主張である。当初経済学者から主
張された。古典的な contractarian の見解として、FRANK H. EASTERBROCK & DANIEL R.
FISCHEL, THE ECONOMIC STRUCTURE OF CORPORATE LAW(1991); Frank H.
Easterbrook and Daniel R. Fischel, “CONTRACTUAL FREEDOM IN CORPORATE LAW:
ARTICLES & COMMENTS; THE CORPORATE CONTRACT”, 89 Colum. L. Rev. 1416
(1989); Oliver Williamson, “Corporate Governance”, 93 Yale L.J. 1197(1984); Michael
Klausner, “CORPORATIONS, CORPORATE LAW, AND NETWORKS OF CONTRACTS”, 81
Va. L. Rev. 757(1995). 最近では、Julian Velasco, “The Fundamental Rights of the
Shareholder”, 40 U.C. Davis L. Rev. 407, 443-51(2006)
.
32) エージェントである経営者はプリンシパルである株主の最善の利益のためだけに行動
するとは限らないため、このエージェンシー・コストを最小限にする装置が必要になる。
これに関する多くの論文があるが、差し当たり、法学から、Mark J. Roe, “Modern politics
and ownership separation” in Jeffrey N. Gordon and Mark J. Roe, ed., Convergence and
Persistence in Corporate Governance(2004); Stephen M. Bainbridge, The New Corporate
Governance in the Theory and Practice, pp73-75, 100-104(2008)、経済学から、Michael C.
Jensen, A Theory of the Firm: Governance, Residual Claims, and Organizational Forms, pp8587, 137-138(2000)など。
33) Edward R. Freeman, Strategic Management: A stakeholder approach(1984)
.
34) See Thomas Donaldson and Lee E. Preston, ”The Stakeholder Theory of the Corporation:
Concepts, Evidence, and Implications”, Academy of Management Review(1995); Ronald. K.
Mitchell, Brandley R. Agle and Donna J. Wood, ”Toward a Theory of Stakeholder
Identification and Salience: Defining the Principle of Who and What Really Counts”, Academy
of Management Review(1997)
。
60
コーポレート・ガバナンスにおける今日的課題
の時代と称された。その中で経済開発委員会(CSD)は「企業の社会的責任」
という報告書を公表した 35)。
盪
1980 年代の敵対的買収の活発化からの動き
1980 年代には、レーガン政権の規制緩和や金融技術の発達により敵対的買
収が急加速した。非効率な企業は敵対的買収の対象となり 36)、そうした企業
の経営陣は解任され、買収された企業の資産は切り売りされた。これにより経
営陣・従業員のモラルの低下を招き、結果米国経済は低迷することとなった。
こうした状況を背景に司法の分野においても重大な動きが生じ、1980 年代に
敵対的買収及び防衛策に関する様々なルールが形成された(第 4 期 M&A ブー
ム)。
まずユノカル事件最高裁判決 37)は、敵対的企業買収に対して取締役会が業
務執行権(防衛策)を行使する経営判断ができることを判示した。ただし、そ
の条件として、取締役が自ら、敵対的買収が対象企業の経営や効率性に対し脅
威があると信じるに足りる合理的な根拠があること、防衛策が脅威との関係で
相当なものであったことを立証する義務があると判示した。経営者が行う立証
の対象には、買収価格の水準や買収対価の質、買収の性質やタイミング、違法
性の問題、ステークホルダーへの影響などが含まれる 38)。
さらに、レブロン事件最高裁判決 39)は、破綻に瀕して救済合併先をもとめ
るような場合は、経営者は、もはや取締役としてではなく、株主の最大利益の
ための会社を売却する競売人となると判示した。取締役会が企業買収に関して
35) 経済開発委員会著/経済同友会訳『企業の社会的責任』
(鹿島研究所出版会、1975 年)
。
36) 1960 年代に盛んに設立されたコングロマリット企業はその非効率性ゆえに株式市場で
成績が振るわず、真っ先に企業解体を目的とした敵対的買収の対象になっていった。
37) Unocal Corp. v. Mesa Petroleum Co., 493 A.2d 946(Del. 1985)
.
38) ステークホルダーにつき、株主以外の構成員(すなわち、債権者、顧客、従業員、地
域社会一般)に与える影響も考えられると判示している。Id. at 955.
39) Revlon, Inc. v. MacAndrews & Forbes Holding, Inc., 506 A.2d 173(Del. 1986)
.
61
論説(大塚)
業務執行権の行使として経営判断をすることができないとする場合があること
を認めた 40)。
1990 年代初めまでに、これらの司法判断や法整備(特に各州による反企業
買収法(anti-takeover statutes)の制定 41)など)によって買収合戦は沈静化に
向かった。
また、取締役は買収に対して株主以外のステークホルダーの利益を考慮すべ
き(または考慮することができる)とする規定(Corporate Constituency
Statutes ;構成員利益条項)を置く州も現れた。1983 年のペンシルベニア州 42)
以降、現在では 31 州(コネチカット 43)、ミネソタ 44)、NY 45)、ウィスコンシ
ン 46)など)の会社法にこうした規定がある 47)。構成員利益を考慮する場合も
40)「さまざまな企業の構成員に対する考慮は、買収提案の協議のときには適切であるが、
これは、原則として、合理的に株主に帰する利益があることを条件とする」と判示する。
Id. at 176
41) いわゆる第 1 世代の制定法は違憲とされたが(Edgar v. MITE Corp., 457 U.S. 624(1982)
)
、
その後第 2 世代、第 3 世代の制定法が立法されることになる。
42) 15 Pa. Cons. Stat. § 1715 は、取締役会は構成員利益と株主利益と同等に重きを置ける
という、特殊な規定を置いている。
43) Conn. Gen. Stat. § 33-756 は、取締役は、会社の最善の利益を判断するに際し、従業員
等の利益やコミュニティなどを考慮するものとする、と規定する。
44) Minn. Stat. Ann. § 302A. 251 眈は、取締役が、取締役の地位に基づく義務を遂行する場
合、会社の最善の利益を検討するときに、会社の従業員、顧客、サプライヤー、および債
権者の利益、州経済、地域的・社会的配慮、ならびに会社・株主の長期的・短期的利益−
利益は会社の継続的な独立性によって最善にもたらされるという可能性もこれに含まれ
る−を検討することができる、と定めている。
45) N.Y. Bus. Corp. Law § 717 秡は、取締役は、従業員や顧客・債権者などへの短期的・長
期的影響を考慮することができると規定する。
46) Wis. Stat. Ann. § 180.0827 は、取締役は、ある行動が株主に与える影響を考慮するだけ
ではなく、①従業員、取引先、顧客に与える影響、②事業をしている地域に与える影響、
③その以外に取締役が関係あると判断する一切の事項を考慮できるとする。
47) Alissa Mickels, “Beyond Corporate Social responsibility: Reconciling the Ideas of a ForBenefit Corporation with Director Fiduciary Duties in the U.S. and Europe”, 32 Hastings Int’l
.
& Comp. L. Rev. 271, 290 n113(2009)
62
コーポレート・ガバナンスにおける今日的課題
それが任意か強制かにつき別がある 48)。他方 20 州(デラウエア、カリフォル
ニアなど)にはこうした規定がない。Constituency Statutes の合法性につき論
じた判決はまだない 49)。
さらに、アメリカ法律協会(ALI)は 1994 年に「コーポレート・ガバナンス
の原理−分析と勧告」を公表した 50)。その 2.01 条は利益最大化原則を定める
が、同条秬は会社の目的は会社利益と株主利益の増大であるとし 51)、また同
条秡は以下のように規定する。
「企業の利益と株主の利益が高められなかったとしても、
盧法人も法の定める境界の中で行動する義務を負う
盪責任ある職務遂行により合理的に考えて適当と思われる倫理的考慮をする
48) Lynda J. Oswald, “Shareholders v. Stakeholders: Evaluating Corporate Constituency
Statutes Under the Takings Clause”, 24 J. Corp. L. 1, 15(1998)はこの条項を内容により 3
種類に分類する。構成員利益の考慮を許容するとの規定(もっとも多い)、この考慮を奨
励する規定(インディアナ州、ペンシルべニア州)、この考慮を要求する規定(コネチカ
ット州のみ)である。See also Lawrence E. Mitchell, “A Theoretical and Practical
Framework for Enforcing Corporate Constituency Statutes”, 70 Tex. L. Rev. 579(1992);
Eric W. Orts, “Beyond Stockholders: Interpreting Corporate Constituency Statutes”, 61 Geo.
. さらに太田洋=今井英次郎「米国各州における企業買収規制
Wash. L. Rev. 14, 85(1992)
立法の最新状況
」商事法務 1723 号 38 − 39 頁(2006 年)など。
49) Constituency Statutes に反対する代表的な見解として、American Bar Association
Committee on Corporate Laws, “Other Constituencies Statutes: Potential for Confusion”, 45
Bus. Law 2253(1990). アイゼンバーグは解釈論として 3 つの可能性を認める。第 1 は、株
主利益に資する場合に構成員利益を考慮できるとする解釈、第 2 は、株主利益を損なって
も構成員利益を考慮できるという解釈、第 3 は、構成員利益を考慮できるが無制限ではな
いという解釈である。結局、裁判所は最後の解釈を採用する可能性が高いであろうとする。
メルヴィン A. アイゼンバーグ「基調報告 敵対的企業買収の防衛と企業の社会的責任」月
刊監査役 516 号 27-29 頁(2006 年)
。
50) 証券取引法研究会国際部会翻訳『コーポレート・ガバナンス―アメリカ法律協会「コ
ーポレート・ガバナンスの原理:分析と勧告」の研究』
(日本証券経済研究所、1994 年)
。
51) 会社利益と株主利益とを区別したのは、長期的利益を重視するため特に「会社利益」
を付加したものとされる。Schwartz, “Defining the Corporate objective: Section 2.01 of the
ALI’s Principles”, 52 Geo. Wash. L. Rev. 511, 529(1984)
.
63
論説(大塚)
ことができる
蘯公共の福祉、人道、教育、慈善目的に合理的な額の資源を拠出することが
できる」
また同原理 6.02 条秡は、買収防衛行為の正当性の基準を規定するが、大きく
株主の長期的利益を損なわなければ、取締役会は、会社が正当な関係を有する
株主以外の利害関係人を考慮できる、と規定する 52)。
以上の経緯で企業経営においてステークホルダーの利益を考慮する認識が
徐々に広まった。
蘯
1990 年代の Shareholder Activism の兆し
1990 年代の米国は好景気に支えられて市場の効率と競争を強調する立場が
基調となった。そのなかで、短期的利益を追求し企業経営に不満なら売却する
というウォールストリート・ルールによるのではなく、株主の長期的利益を考
慮した経営が意識されるようになった。保有比率が増大する機関投資家 53)に
よる積極的な経営監督権の行使の潮流(株主積極主義; Shareholder Activism)
が生まれたが 54)、これは法律論として主流にまではいたらなかった 55)。
52) ユノカル基準に沿った法理を明らかにしている。すなわち、取締役は、会社の政策お
よび効率性に対する脅威が存在すること、および防衛策がその脅威に対して合理的な関係
性を有することを立証しなくてはならないが、不招請公開買付に対して、これに対抗する
こととなることが予見される行為をとることができる、としている。
53) 1950 年代には 7 %だったのが 1990 年代以降は 40 %以上を維持し、2002 年には 50 %に
なった。文載皓「第 3 章 アメリカのコーポレート・ガバナンス」佐久間信夫=水尾順一
『コーポレート・ガバナンスと企業倫理の国際比較』49 頁(ミネルヴァ書房、2010 年)参
照。
54) 実務的にはこれが Relationship Investment へとつながるので重要な流れではある。
55) Edward B. Rock, “ “The Logic and(Uncertain)Significance of Institutional Shareholder
Activism”, 79 Geo. L. J. 445(1991); Roberta Romano, “Public Pension Fund Activism in
. 安本政恵「アメリカ
Corporate Governance Reconsidered”, 93 Colum. L. Rev. 795(1993)
とイギリスにおけるコーポレートガバナンス制度に関する一考察(一)―ステークホルダ
ーの利益保護という視点から―」広島法学 33 巻 2 号 143 頁(2009 年)
。
64
コーポレート・ガバナンスにおける今日的課題
米国州会社法では日本の会社法に比べ株主総会の権限は制限されており、法
制度として取締役中心主義(経営者主義)に立脚するものと言えよう 56)。米
国では企業のガバナンスの考え方につき、2000 年初め、Shareholder Primacy
(株主優位主義)を唱える見解が現れ Director Primacy の立場と対立すること
となった 57)。Bainbridge は、Director Primacy を提唱し、取締役会は究極的な
意思決定権者であり、一旦任命された以上株主利益最大化の目的による制限は
あるものの無制限の権利行使ができると述べた。これに対し、Bebchuk は、
Shareholder Primacy の立場から、株主の権限拡大論を展開した。この論点は
現在でも議論されている 58)。なお、前述のバーリの見解は Shareholder
Primacy の始まりとして再評価されている 59)。さらに、株主が会社の principal
で取締役会や経営陣が agent であるとの前提(いわゆる Agency Model)を見
56) 州会社法上は会社の業務執行権は取締役会の専決事項とされている。したがって、配
当決定権限も取締役会にあり、株主提案として配当増額を提案することはできない。取締
役会権限事項を定款変更によって株主総会権限事項とすることもできない。森田章「公開
企業の取締役会権限―敵対的企業買収の防衛策を中心として―」商事法務 1785 号 20 頁
(2006 年)
。
57) Bainbridge と Bebchuk との論争につき、Stephen M. Bainbridge, “DIRECTOR PRIMACY: THE MEANS AND ENDS OF CORPORATE GOVERNANCE”, 97 Nw. U.L. Rev. 547
(2003); Lucian Arye Bebchuk, “The Case for Increasing Shareholder Power”, 118 Harv. L.
Rev. 833(2005); Stephen M. Bainbridge, “RESPONSE TO INCREASING SHAREHOLDER
POWER: DIRECTOR PRIMACY AND SHAREHOLDER DISEMPOWERMENT”, 119 Harv.
L. Rev. 1735(2006); Lucian A. Bebchuk, “RESPONSE TO INCREASING SHAREHOLDER
POWER: REPLY: LETTING SHAREHOLDERS SET THE RULES”, 119 Harv. L. Rev. 1784
(2006). Bebchuk の「株主の権限拡張論」であるが、米国では株主は定款変更議案を提出
できないなど株主の権限が最初からかなり制限されており、その点日米の違いに留意すべ
きである。森田・前掲注 56)参照。
58) Jill Fisch, “Measuring Efficiency in Corporate Law: The Role of Shareholder Primacy”, 31
J. Corp. L. 637, 638(2006)は shareholder primacy を批判する。See also Julian Velasco,
“SHAREHOLDER OWNERSHIP AND PRIMACY”, 2010 U. Ill. L. Rev. 897(2010); Leo E.
Strine, Jr., “RESPONSE TO INCREASING SHAREHOLDER POWER: TOWARD A TRUE
CORPORATE REPUBLIC: A TRADITIONALIST RESPONSE TO BEBCHUK’S SOLUTION
.
FOR IMPROVING CORPORATE AMERICA”, 119 Harv. L. Rev. 1759(2006)
65
論説(大塚)
直し、会社はステークホルダーによる企業特有の投資が行われる連結点である
(nexus of firm-specific investments)との見解(チーム・プロダクション理論)
も現れており、これはステークホルダー論から法解釈学への一つの努力と評価
できるであろう 60)。
ガバナンスや企業倫理のレベルにおいて、これらの理論がどのような意味を
もつのか検証をしていかなければならない。
盻
2000 年代の企業不祥事と SOX 法
利益を生み出そうと没頭する経営者に対して、社会的責任(換言すれば正義
や公共善)を実現するために、外部からの規制ではなく自己規制にゆだねるこ
とは、実際は非常に難しい。米国では、たとえば自己規制が無益であることを
ゲーム理論によって解明しようとする努力が 1960 年代から既になされてき
た 61)。
1980 年代に防衛産業の腐敗が発覚したことを契機に、1986 年いわゆる DII 原
59) Lynn Stout, “Bad and Not-So-Bad Arguments for Shareholder Primacy”, 75 S. Cal. L. Rev.
1189(2002)は、バーリは現在のいわゆる shareholder primacy を支持する議論を行った、
とする。同様の認識を示すものとして、Fisch, supra note 58, at 647; John H. Matheson &
Brent A. Olson, “Corporate Law and the Long Term Shareholder Model of Corporate
.
Governance”, 76 Minn. L. Rev. 1313, 1330(1992)
60) Margaret M. Blair & Lynn A. Stout, “A Team Production Theory of Corporate Law”, 85
Va. L. Rev. 247(1999). チーム・プロダクション理論を紹介するものとして、大杉謙一
「アメリカのコーポレート・ガバナンス論
」商事法務 1506 号 22 頁以下(1998 年)、伊藤
壽英「アメリカ会社法学におけるチーム生産アプローチ―契約的企業観に対するアンチテ
ーゼ―」法學新報 110 巻 3 = 4 号 75 頁(2003 年)、渡辺智子「現代企業のガバナンスと関係
特殊投資:不完備契約論を超えて」三田商学研究 47 巻 4 号 97 頁(2004 年)、同「新しい企
業理論と現代株式会社の取締役会の役割」三田商学研究 48 巻 1 号 239 頁(2005)。さらに、
神戸大学企業立法研究会「信頼理論モデルによる株主主権パラダイムの再検討(Ⅰ)」商
事法務 1866 号 4 頁(2009 年)。なおこれと似て非なるものとして communitarian(共同体論
者)からの主張がある。Lawrence E. Mitchell, “A Theoretical and Practical Framework for
Enforcing Corporate Constituency Statutes”, 70 Tex L. Rev. 579(1992); Lawrence E.
Mitchell ed., PROGRESSIVE CORPORATE LAW(1995)
.
66
コーポレート・ガバナンスにおける今日的課題
則(Principles of Defense Industry Initiative on Business Ethics and Conduct)
が採用された。その後これを参考に、1987 年連邦量刑ガイドライン(The
Federal Sentencing Guideline for Organization)が制定された 62)。この DII 原則
や連邦量刑ガイドラインを基準として企業は独自の倫理プログラムを導入して
きた。これにより企業は必然的にコンプライアンス志向を強めた。他方で、コ
ンプライアンスではなく「企業倫理の制度化」こそが重要であるとの主張 63)
が脚光を浴びることとなった。
2000 年の IT バブル崩壊により景気が減退すると同時に、2001 年のエンロン
事件、2002 年のワールドコム事件が生じ、コンプライアンス・プログラムが
必ずしも効果がないことが露呈した。これに緊急に対処するため SarbanesOxley Act64)が制定された。さらにこうした不祥事を契機としてステークホル
ダーを企業統治においてより積極的に位置づけようとする見解(ステークホル
ダー積極主義: Stakeholder Activism)も主張されるようになった 65)。
61) Mancur Olson, The Logic of Collective Action(Harvard Press, 1965), 翻訳として依田
博=森脇俊雅訳『集合的行為論−公共財と集団理論』(ミネルヴァ書房、1996 年); Russell
Hardin, “Collective Action as an Agreeable n-Prisoner’s Dilemma” in Behavioral Science vol.
16(1971)(囚人のジレンマ理論); C. Ford Runge, “Institutions and the Free Rider: The
Assurance Problem in Collective Action” in Journal of politics vol. 46(1984)
(保証の問題)
.
概説として、イアン・メイトランド「企業による自己規制の限界」トム L.ビーチャム=ノ
ーマン E.ボウイ/加藤尚武監訳『企業倫理学 1』205 − 218 頁(晃洋書房、2005 年)参照。
62) 小坂重吉「連邦量刑ガイドラインの概要とコンプライアンス効果
」商事法務 1537
号 26 頁、1538 号 17 頁(1999 年)など参照。同ガイドラインは犯罪の程度に応じた懲罰と
この抑止に重点が置かれている。2010 年改正された。
63) リン・シャープ・ペイン著/梅津光弘=柴柳英二訳『ハーバードのケースで学ぶ企業価
値―組織の誠実さを求めて』(慶応大出版、1999 年)。「誠実さを目指す戦略」が重要だと
する。79 − 92 頁。特に、コンプライアンス型(法律遵守を目指す戦略)と価値共有型(誠
実さを目指す戦略)とを対比した図(82 頁)はよく引用されるところである。リン・シャ
ープ・ペイン著/鈴木主税=塩原通緒訳『バリューシフト―企業倫理の新時代―』(毎日新
聞社、2004 年)
。
64) 正式名称は上場企業会計改革および投資家保護法(Public Company Accounting Reform
and Investor Protection Act of 2002)である。
67
論説(大塚)
蠶. 英国
米国と異なり、欧州では従来からステークホルダー・モデルが優勢である。
欧州における CSR の進展に関するエポックメーキングとしては 2002 年欧州
委員会から公表された「企業の社会的責任−持続可能な発展に寄与するビジネ
スに関する意見表明」66)があげられる。これによれば、企業の社会的責任は法
律の要求を超えた企業の自主的な取り組みであり、CSR は本質的に持続可能な
発展という概念と不可分一体となって結びついている 67)。
英国の会社法をめぐる環境はどうであったか。英国では 1980 年代後半から
1990 年代前半にかけて企業の不祥事が数多く発覚した。これが一つの契機と
なってコーポレート・ガバナン改革へと向かっていった 68)が、その中心とな
ったのが、キャドバリー委員会(1991 年設置)、グリーンベリー委員会(1995
年設置)およびハンぺル委員会(1996 年設置)であった 69)。その各報告書は
統合され「統合規範(Combined Code)」として公表された。
英国の法規制において特色的な点は法令ではなく自主規制を尊重する伝統が
65) Giovanni Cespa & Giacinta Cestone, “Stakeholder Activism, Managerial Entrenchment,
and the Congruence of Interests Between Shareholders and Stakeholders”(Universitat
Pomper Fabra Econ. & Bus. Working Paper No. 634, 2002), available at http://ssrn.com/
abstract = 394300. さらに、宮坂純一『ステイクホルダー行動主義と企業社会』(晃洋書房、
2005 年)
(特に 14-27 頁)参照。
66) これは 2001 年に欧州委員会が公表したグリーン・ペーパーで提起された 2 つの問題に
対し一定の指針を示したものである。さらに神作裕之「企業の社会的責任:そのソフト・
ロー化? EU の現状」ソフトロー研究第 2 号 91 頁(2005 年)
。
67) 座談会・前掲注 4)座談会 8 頁。
68) 英国のコーポレート・ガバナンスを論じる文献として、川内克忠『英米会社法とコー
ポレート・ガバナンスの課題』(成文堂、2009 年)、出見世信之「第 5 章 イギリスの企業
倫理と企業統治」中村瑞穂編著『企業倫理と企業統治―国際比較―』(文眞堂、2004 年)、
田中信弘「第 5 章 イギリスのコーポレート・ガバナンス」佐久間信夫=水尾順一『コー
ポレート・ガバナンスと企業倫理の国際比較』
(ミネルヴァ書房、2010 年)参照。
69) 日本コーポレート・ガバナンス・フォーラム編『コーポレート・ガバナンス―英国の
企業改革―』
(商事法務、2001 年)
。
68
コーポレート・ガバナンスにおける今日的課題
ある点である。上記の統合規範もその一つでありロンドン証券取引所の上場規
則として採用されている。また、英国においては “comply or explain”(遵守せ
よ、さもなくば説明せよ)とのルールが採用されており、これは広く支持され
ている 70)。さらに企業統治と企業倫理とを同じレベルの問題として議論する
ことが少なくない点も特色であるといえよう 71)。
英国 1985 年会社法 309 条 1 項は、「取締役が職務執行上配慮すべき事項には、
構成員(株主)の利益のほか従業員の利益一般を含む」と規定し、取締役には
この例外を除き考慮すべき義務は存在しなかった。従業員以外のステークホル
ダーに対する配慮義務はなかった。さらに同条 2 項は「本条により取締役に課
せられる義務は、取締役が会社に対して負うものであり、また取締役が会社に
対し負う信認義務と同じ方法で強制できる」と規定していた。
これに対し、英国 2006 年会社法 172 条盧は以下のように規定する:
「会社の取締役は、全体として構成員の利益のため会社の成功の促進に最も
資すると誠実に考える方法で行為しなければならず、またそうするに際して以
下を考慮しなければならない 72):
秬長期的にみた、ある判断から予想される結果
秡会社の従業員の利益 73)
秣サプライヤー、顧客、その他と会社との事業上の関係を促進する必要性
稈会社の事業のコミュニティおよび環境への影響
稍高い基準の事業行為のため、会社が社会的評判を維持するのが好ましいこと
70) 2003 年度統合規範の序文参照。さらに、野田博「『遵守せよ、さもなければ説明せよ』
原則の考え方と現実との乖離をめぐる一考察―英国の『コーポレート・ガバナンスについ
ての統合規範』を主な対象として―」ソフトロー研究第 8 号(2007 年)
。
71) E. Sternberg, Just Business, p 18(Oxford Press, 2000)
.
72) この要素のどれをどの程度考慮するかは取締役の裁量であるとされる。Alan Steinfeld,
et al., Blackstone’s Guide to The Companies Act 2006, p 85(Oxford Univ. Press, 2007)
.
73) 従業員の利益の考慮のみが 1985 年会社法 309 条に規定されていた。新会社法は、会
社=株主利益であることを前提としており、従業員の利益は、会社の成功を促進する責務
の一部として考慮すべき事項の 1 つに過ぎないことになった。Id. at 84.
69
論説(大塚)
稘会社の構成員間におけると同じく公平に行為する必要性」
2006 年会社法の規定は、米国や日本の会社法の解釈学がステークホルダー
の利益を考慮してもよいとの立場にとどまっていることに比べ、積極義務とな
っている点で大きな特色を有する 74)。さらに、あくまで株主利益の促進のた
めステークホルダーの利益を配慮すべきであると述べていることに留意すべき
である 75)。
蠹. 日本
持ち合い解消による安定株主の消滅、買収アレルギーの低下などを背景に、
具体的にはライブドアによるニッポン放送株買収劇(2005 年)により、敵対
的買収、これに対する防衛策が脚光を浴びた。敵対的買収に関する公正なルー
ルの形成が急務となり、様々な研究がなされる端緒となった。また、この議論
を契機として、「会社は誰のものか」との議論も改めてなされることとなった。
経済学・経営学の分野では、株主利益最大化論はさることながら、ステークホ
ルダー論を唱えるものが少なくない 76)。また、両説の対立はナンセンスであ
るとの見解も有力である 77)。
74) Andrew Keay, “Tackling the Issue of the Corporate Objective: An Analysis of the United
.
Kingdom’s ‘Enlightened Shareholder Value Approach’ ”, 29 Sydney L. Rev. 577(2007)
75) よって会社の成功を促進するならば必ずしもステークホルダーの利益に配慮する義務
はないことになりそうである。この指摘として、川内克忠『英米会社法とコーポレート・
ガバナンスの課題』135-38 頁(成文堂、2009 年)、安本政恵「アメリカとイギリスにおけ
るコーポレートガバナンス制度に関する一考察(二・完)―ステークホルダーの利益保護
という視点から―」広島法学 33 巻 3 号 48 頁(2010 年)
。
76) 例えば、伊丹敬之「株式会社と従業員『主権』」伊丹ほか編『日本の企業システム 第
1 巻』
(有斐閣、1993 年)
、岩井克人『会社はだれのものか』
(平凡社、2005 年)など。なお、
会社の構造と会社法制は一国の初期の株式所有パターンに依存する(path dependence)と
いう指摘がなされている。Lucian Arye Bebchuk & Mark J. Roe, “A Theory of Path
.
Dependence in Corporate Ownership and Governance”, 52 Stan. L. Rev. 127(1999)
77) 例えば、小林慶一郎「社員の自己犠牲の上に成立しているからこそ、会社は高い理念
も必要」岩井ほか『会社は株主のものではない』
(洋泉社、2005 年)など。
70
コーポレート・ガバナンスにおける今日的課題
伝統的な会社法学においては、米国と異なり、法人実在説が支配的であり、
企業は社員個人の営利追及を超えた社会的使命をもつと捉えられてきた 78)。
このように会社の団体性を重視する立場からは,企業の社会的責任に肯定的な
ようにみえる 79)。最近でも「会社債権者の保護を図りつつ、社員の利益を増
進させるよう、会社が運営される仕組みを用意するのが会社法である」という
指摘もある 80)。
しかし近時の法学の分野では株主利益最大化論が有力である 81)。完備契約
の当事者である債権者や従業員は会社の利益を最大化するインセンティブをも
っていないが、剰余権利者たる株主はそのインセンティブを有していること、
以上の立場は現行法体系に合致していること(剰余金・残余財産請求権、取締
78) 企業は社員個人の営利目的を超えた社会的使命をもっている。鈴木竹雄『新版会社法
全訂 5 版』3 頁(弘文堂、1994 年)。会社の占める地位の重大性から、会社法の主要な任務
の一半は社会公共の利益の保護に存する。大隅健一郎=今井宏『会社法論上』5-6 頁(有斐
閣、1991 年)。西原寛一は、会社は、継続的意図をもって企画的に経済行為を実行し、こ
れによって国民経済に寄与すると共に(公共性)自己および構成員の存在発展のため収益
をあげることを目的とする(営利性)一個の統一ある独立の経済的生活主体であると述べ
る。最近では、新津和典「『企業自体』の理論と普遍的理念としての株主権の『私益性』
盧盪」法と政治 59 巻 4 号 109 頁・ 60 巻 3 号 1 頁(2009 年)は示唆的である。
79) その他鈴木竹雄=竹内昭夫『会社法』32-33 頁(有斐閣、1994 年)など。
80) 龍田節『会社法大要』27 頁(有斐閣、2007 年)
。
81) 落合は、株主利益最大化原則が株式会社法の基本的なルールの第 1 であり,単なるお題
目ではなく,法的義務であり,その重要な帰結は,会社の経営においてさまざまな会社利
害関係者の利害が対立する場合には,株主の利益を最も優先する経営決定がなされるべき
とあるとする。落合誠一「企業法の目的―株主利益最大化原則の検討―」岩村正彦ほか編
『岩波講座現代の法 7 企業と法』23 頁(1998 年);同「敵対的買収における株主とステー
クホルダー利益の対立問題」経営戦略研究 7 巻 6 頁(2006 年);同「新会社法講義第 5 回
第 2 章 株式会社法の基本的特色盪」法学教室 311 号 30-33 頁(2006 年)など。江頭は株主
利益最大化が会社を取り巻く関係者の利害調節の原則になる、さらに、CSR は裁量の幅が
大きくなり注意義務違反をいいにくくなるとする。江頭憲治郎『株式会社法(第 3 版)』22
頁注 5)(有斐閣、2009 年)。田中亘「ステークホルダーとガバナンス」企業会計 57 巻 7 号
57 頁(2005 年)は、デフォルト・ルールとしては株主利益最大化が基本目的であるとす
る。
71
論説(大塚)
役選・解任権、株主代表訴訟など)、株主利益の最大化は資本市場が企業を評
価する基準でもあり,マーケット・メカニズムが機能するための前提条件とな
ること、などを理由とする 82)。他方、ステークホルダー論者からは特に従業
員の利益を考慮するべきとの主張がなされている 83)。いずれにせよ、会社の
目的とステークホルダー利益や CSR との整合性をどう図るかが問題となって
こよう 84)。
買収局面においてステークホルダー利益を考慮すべきかについての議論もな
されることとなった。前述の企業買収劇に伴う混乱に対処するため、2005 年
には経済産業省の主導による企業価値研究会が「企業価値報告書」を作成・公
表し、これを踏まえ経済産業省・法務省による「買収防衛策に関する指針」が
発表された。「報告書」には「多様なステークホルダーとの良好な関係を築く
ことによって企業価値向上を実現する」と表現され、「指針」には「株式会社
は、従業員、取引先など様々な利害関係人との関係を尊重しながら企業価値を
高め、最終的には、株主共同の利益を実現することを目的としている」とされ
ている。
また、日本コーポレート・ガバナンス・フォーラムは、2006 年、「新コーポ
レート・ガバナンス原則」を公表した。長期的な株主利益の増大が企業の目的
であり、この長期的な株主利益には各種のステークホルダーとの関係が含まれ
82) 前提に疑問を投げかけるものとして、柳川範之『法と企業行動の経済分析』33 頁など
(日経新聞社、2006 年)。落合説に対する批判として、神戸大学企業立法研究会「信頼理論
モデルによる株主主権パラダイムの再検討(Ⅵ完)
」商事法務 1871 頁 56-57 頁(2009 年)
。
83) 大杉謙一「敵対的企業買収と防衛措置の法的効力に関する一考察」落合誠一先生還暦
記念『商事法への提言』506 頁(商事法務、2004 年)、神谷高保「企業買収防衛策の適法性
判定基準の理論的構造」江頭憲治郎先生還暦記念『企業法の理論
』82 頁注 82(商事法
務、2007 年)など。
84) CSR は会社法の一般規定ないし法理である、したがって、「会社法の目的は、一般的、
原則的に企業が社会的責任を尽くし実現することと理解すべきである」とする見解もある。
坂田桂三「取締役および執行役の経営判断における責任―企業の社会的責任・企業価値実
現からの考察―」法律論叢 80 巻 2=3 号 169、174 頁(2008 年)
。
72
コーポレート・ガバナンスにおける今日的課題
るが、種々のステークホルダー間の利害の調整は市場原理に委ねる、とする。
なお、CRS と企業倫理について、日本においても「企業倫理の制度化」の議
論がなされていることには注目すべきであろう 85)。
蠧. 個別論点
1
取締役の信認義務
信託関係は一定の受益者の存在を前提とする。まず取締役の信認義務(fiduciary duty)は誰に対する義務かを明らかにしなければならない 86)。
日本では一般に取締役の善管注意義務・忠実義務は会社に対し負うとされて
きた 87)。米国では、会社か株主か意識されずに信認義務が使用されてい
る 88)89)。これを議論する実益はどこにあるのか。株主に対する義務と考える
(A 説)と株主利益最大化は受認者として取締役の義務となるであろう(つま
り株主利益最大化説)。会社に対する義務と考えると、会社=株主とすれば
(B1 説)やはり株主利益最大化説となり、他方会社=ステークホルダーとすれ
ば(B2 説)ステークホルダー説となるのであろう 90)。このように信認義務の
内容を深化させ、受益者が誰かを分析することは、会社の存在意義の解明の一
助ともなろう。ただし、仮に A 説や B1 説としても、他の stakeholder 利益の考
85) 出見世信之「企業倫理の制度化」明大商學論叢 84 巻 3 号 441 頁(2002 年)
。これは「実
在の具体的事例の分析を通じての倫理的課題事項の特定ならびに、それらの性格把握を基
礎として個別企業の内部において展開される具体的実践の組織的体系化」と定義されるこ
とがある。中村瑞穂編著『企業倫理と企業統治―国際比較―』9 頁(文眞堂、2003 年)
。
86) 類似の問題意識をもつ分析として太田洋=矢野正紘「対抗的買収提案への対応に際し
ての取締役の行動準則
」商事法務 1884 号 17-18 頁(2009 年)
。
87) 例えば会社法 330 条(善管注意義務)、355 条(忠実義務)の規定ぶりも一つの根拠で
ある。
88) たとえば Henry T. C. Hu, “Hedging Expectations: ‘Derivative Reality’ and the Law and
Finance of the Corporate Objective”, 73 Tex. L. Rev. 985(1995)at nn. 81 and 82.
89) 信認義務と契約上の義務との違いを論じるものとして VICTOR BRUDNEY, “CONTRACT AND FIDUCIARY DUTY IN CORPORATE LAW”, 38 B.C. L. Rev 595, 622, 625-26
(1997).
73
論説(大塚)
慮を排除すべきことにはならないのではないか 91)。代理や信託であれば受益
者対受託者という 1 対 1 の関係が想定でき、受託者は受益者に対し 100 %の義
務を負うと言いやすい。しかしながら、代理や信託ではなく、「会社」という
ツールを用いた場合、これとは異別の結論を導き出すことも可能ではない
か 92)。さらなる検討が必要とされるであろう。
他方で「会社は誰のものか」の議論も影響を与えるはずである。株主利益最
大化論からは取締役と株主との関係に着目するであろうが、ステークホルダー
論者からは取締役とステークホルダーとの関係に対象が広がるであろ
う 93)。前述のチーム・プロダクション理論からは独立した取締役会が最終調
停者として重要な役割が期待される 94)。Bainbridge は、ガバナンス制度を分析
するに当たり、手段軸と目的軸のマトリックスによる考察を行っているが 95)、
これは議論の整理に有益な手法である。
90) いずれのステークホルダーにも権利を与えず、取締役会を調停者と考えれば、チー
ム・プロダクション理論となる。Blair & Stowt, supra note 60. なお、同理論に対する端的
な批判として、宍戸善一『動機付けの仕組としての企業―インセンティブ・システムの法
制度論―』22-25 頁(有斐閣、2006 年)
。
91) たとえばドットは経営者はすべての利害関係人の受託者として行為すべきと述べる。E.
Merrick Dodd, “For Whom Are Corporate Managers Trustees? ”, 45 Harv. L. Rev. 1145, 1160
(1932). さらに、ジョン R.ポートライト「5 受託義務と株主−経営者関係―あるいは、株
主の特権性はなりたつのか?―」トム L.ビーチャム=ノーマン E.ボウイ著/加藤尚武監訳
『企業倫理学 1』129, 133 頁(晃洋書房、2005 年)は示唆に富む。
92) 米国会社法における取締役の信認義務を基本から考察するものとして、王君『信認義
務の理論的基礎−アメリカ法を中心として』
(早稲田大学出版部、1991 年)
。
93) 例えばブルース・アロンソン著/萬澤陽子訳「アメリカのコーポレート・ガバナンスか
ら何を学べるか」ジュリスト 1296 号 102 頁(2005 年)がこれを指摘する。
94) すべてのチーム構成員は、自己のコントロール権を放棄し、最終調停者(mediating
hierarchy)に委ね、他方調停者はどのステイクホルダーからも直接的コントロールも受け
ない。チーム・プロダクション理論は、株主のみに取締役の選任・解任権を認め、役員責
任追及訴訟(つまり株主代表訴訟)を株主のみに認める会社法の体系との整合性などから
問題点を指摘されるが、既存の株主主権モデルへのアンチテーゼとして多くの示唆を含ん
でいる。See Blair & Stout, supra note 60, at 276-77.
74
コーポレート・ガバナンスにおける今日的課題
2
盧
株主利益最大化論再考
不完備契約理論からは、株主は会社の剰余権者に過ぎず、会社価値に対
し最も関心があるのは株主であるから株主利益最大化を図ることは会社価値最
大化に資すると説かれる 96)。しかしながら、株主が剰余権者であることは、
株主のみにコントロール権を与えることには直結しないのではないか 97)。ま
た、株主以外のステークホルダーは、株主の権利に比べ、それほど保護されて
95) 目的軸として株主利益最大化主義とステークホルダー主義、手段軸として株主優位主
義(shareholder primacy)と経営者主義(managerialism)を提示している。Bainbridge,
supra note 57, 97 Nw. U.L. Rev. at 547-549. その上で、目的軸として株主利益最大化、手段
軸として取締役の支配を提案してる(director primacy)
。Id. at 550. 取締役会の権限強化を
志向する点で Bainbridge と Blair & Stout は共通するが、前者は株主利益最大化を目的とす
る点で後者と決定的に異なる。
96) 例えば、柳川・前掲注 82)33 頁、田中・前掲注 2)54 頁など。事前の取引費用によっ
て契約が不完備になり、事前のホールドアップ問題が発生することになることに依拠した
理論を不完備契約理論と称される。伊藤・前掲注 27)56 頁。もともと不完備契約理論は、
経済学者の Grossman and Hart(1986)
、Hart and Moore(1990)による所有権理論モデル
からはじまった。これは Grossman-Hart-Moore モデルと言われ、現在では様々な分野で応
用されている。Grossman and Hart “The costs and benefits of ownership: A theory of vertical
and lateral integration” Journal of political Economy, vol.94, pp691-719(1986); Hart and
Moore “Incomplete contracts and renegotiation” Econometrica vol.56, pp755-785(1988);
Hart and Moore “Property Rights and the Nature of the Firm” Journal of Political Economy,
vol.98, pp1119-58(1990)
. 他のステークホルダーは契約でより守られており、また事後の交
渉力を有しているのに対し株主はそうとは言えないので株主がコントロール権を有するこ
とが正当化される。Luigi Zingales, “Corporate Governance”, in Peter Newman ed., The New
Palgrave Dictionary of Economics and the Law(1998)
. 経済学・経営学者による不完備契約
理論の文献として柳川範之『契約と組織の経済学』(東洋経済出版社、2000 年)、谷口和弘
「企業の性質と不完備契約論」三田商学研究 45 巻 3 号 13 頁(2002 年)、桑原和典「契約理
論の観点からのコーポレートガバナンス―経営者に対する規律づけを中心にして―」三田
商学研究 48 巻 1 号 227 頁(2005 年)、岡部鐵男「企業統治と契約」經濟學研究 70 巻 4=5
号 231 頁(2004 年)、伊藤秀史「契約の経済理論盪
不完備契約」中林真幸=石黒真吾編
『比較制度分析・入門』(有斐閣、2010 年)など参照。さらに、Oliver Hart, Firms,
Contracts, and Financial Structure(1995)
. 翻訳としてオリバー・ハート著/鳥居昭夫訳『企
業 契約 金融構造』
(慶應大出版、2010 年)
。
75
論説(大塚)
いる(つまり complete contracts である)と言えるのか検討の余地があろう 98)。
盪
ステークホルダー論は利害関係者間の調整不能に陥る、経営者の裁量の
幅が広がり好ましくない、ステークホルダーを考慮せよとすればかえって株主
利益を損なうことになる 99)という批判がある。しかしながらこれは本末転倒
の議論ではないか。あるべき行為基準、評価基準を定立していく努力をまずな
すべきではないかと思われる。また、英国 2006 年会社法のように他のステー
クホルダー利益の「積極的考慮義務」を認めるには更なる検討が必要と思われ
るが、少なくとも「考慮の許容」は認めてよいであろう 100)。
蘯
株主利益最大化論の支持者は、株主が取締役の選任解任権者であること
を根拠として主張する。しかし、これらは決定的な根拠なのであろうか。選任
97) 会社の剰余権者である株主のみにコントロール権を与えるべきとの見解は「効率性」
や「インセンティブ」などを根拠としている。たとえば、宍戸・前掲注 90)15-19 頁、お
よびそこに記載の文献参照。しかしながら、効率性のみを追及することは妥当なのだろう
か。今後は会社法における「公正性」を制度的にどのように担保していくかが大きな問題
であると考える。なお、森淳二朗「会社法におけるコーポレート・ガバナンスの基本構
造:効率性と公正性の基本的枠組み」國民經済雑誌 180 巻 1 号 1 頁(1999)は、少数株主保
護の文脈で公正性を述べるが、株主以外のステークホルダー保護に置き換えれば、本稿の
主題においてもなお示唆的である。
98) 雇用契約は暗黙の契約(implicit contract)によって補完されることがあると指摘され
てきた。ポール・ミルグロム=ジョン・ロバーツ著/奥野正寛 = 伊藤秀史 = 今井晴雄 = 西村
理 = 八木甫訳『組織の経済学』(NTT 出版、1997 年)。See also Katherine Stone, “The New
Psychological Contract: Implications of the Changing Workplace for Labor and Employment
. しかし敵対的買収場面などでは暗黙の契約が機能せず
Law”, 48 UCLA L. Rev. 519(2001)
信頼の裏切り(breach of trust)が起こるとも指摘されている。Andrei Shleifer and
Summers H. Lawrence, “Breach of Trust in Hostile Takeovers,” in Alan J. Auerbach, ed.,
Corporate Takeovers Causes and Consequences(1988). さらに田中亘「敵対的買収に対する
防衛策についての覚書」武井一浩=中山龍太郎編著『企業買収防衛戦略Ⅱ』(商事法務、
2006 年)、同「ステークホルダーとコーポレート・ガバナンス:会社法の課題」神田秀
樹・財務省財務総合政策研究所編『企業統治の多様化と展望』
(2007 年)
。
99) これはいわゆるステークホルダー・パラドックスという現象である。ケネス E.グッド
パスター「企業倫理とステイクホルダー分析」トム L.ビーチャム=ノーマン E.ボウイ著/
加藤尚武監訳『企業倫理学 1』129,133 頁(晃洋書房、2005 年)
。
76
コーポレート・ガバナンスにおける今日的課題
された取締役や役員(officer)は会社利益の最大化のためにその責務を果たす
べきであるが、前述の通り問題は「会社利益」をどう考えるかであり、株主に
選任されるが一旦選任された以上株主利益を超えて「会社利益」最大化を図る
べきとの解釈も十分成り立ちうる。
3
長期的利益の問題
株主に対する長期的利益の問題と CSR ・ステークホルダー利益の考慮の問
題とを明確に区別すべきであろう 101)。少なくない数の論稿が、長期的利益に
配慮すること、または長期的経営は、CSR ・ステークホルダー利益に資するこ
とになり、結局は株主利益最大化論とステークホルダー論とは同じ結果になる
と述べている 102)。事実上はそうなるかもしれないが、両説は理論上は分けて
考えるべきである。
長期的利益の促進も株主利益最大化に含まれるとすると 103)、固有の問題と
100)落合・前掲注 81)「敵対的買収」12-13 頁は、「ステークホルダー論は、株主以外の様々
なステークホルダーの利益をも考慮して経営決定せよと主張する」とあるように、ステー
クホルダー説を諸利益を考慮すべき積極義務を認めるものと記述している。また落合は、
倫理的考慮が適切な場合、取締役は倫理的考慮が許されるとする。落合・前掲注 81)「企
業法の目的」24 頁。このように株主利益最大化論についての落合説は、そこで述べるよう
に、かなり緩やかなものと考えられる。したがって、落合説とステークホルダー説(本文
のように「許容」のみと考えた場合)とは結果として大きな差はないように見える。
101)これにつき明確に論じている論文はない。しかし、米国コーポレート・ガバナンスの
原理(1994 年)2.01 条秡蘯に関連し、これは長期的利益で説明できない社会福祉目的の資
源利用について扱うものであるとする見解がある。アイゼンバーグ・前掲注 49)24 頁。慈
善目的の寄付などを念頭に置いているのであろう。アイゼンバーグは、このような行動は
合理的な範囲内であれば許されている、と説明する。同書 25 頁。
102)中長期的経営は CSR の多くをカバーする、との表現がこれを示している。森田章「商
法学の観点からみた CSR」法律時報 76 巻 12 号 42 頁(2004 年)
。
103)長期的利益を入れることに慎重な意見もある。宍戸善一「経営者に対するモニター制
度」伊丹敬之ほか編『日本の企業システム第 1 巻 企業とは何か』229 頁(有斐閣、1993
年)。買収防衛の場面であるが、田中亘「敵対的買収に関する防衛策についての覚書」武
井一浩=中山龍太郎編著『企業買収防衛戦略Ⅱ』293 頁(商事法務、2006 年)
。
77
論説(大塚)
なるのは、例えば、会社は政治献金、慈善的寄付ができるかという争点であろ
う 104)。具体的には、配当額が減少しても献金・寄付は可能かという論点とな
る。日本では、余りこの観点からの議論はなされていない 105)。なお米国では
企業の政治献金は禁止されているが営利企業も慈善寄付は可能であるとされて
おり、寄付の適法性は合理の原則で判断される。この点においける議論の深化
が必要であろう。
4
企業の社会的責任と法的責任との境界
日本では CSR を取締役の義務・責任論に持ち込むのは適切でないとするの
が支配的見解であろう 106)。CSR 自体が曖昧なので経営者の裁量を広げる(す
なわち経営判断となる)結果に終わるというのがその理由である。これを踏ま
え、むしろ説明責任の重要性を説く見解もある 107)。
米国では CSR を fiduciary duty 違反の問題として捉えている。また、Elhauge
は、取締役には利益最大化が要請されるが、同時に、義務としてではなく、一
定の裁量として、公共の利益(public interests)のため会社の利益を犠牲にす
104)落合は、寄付は会社の信用を高め株主利益の増加に結び付くので、認められるとする。
落合・前掲注 81)「企業法の目的」24 頁。配当を浸食する場合は、「合理的な範囲」外とい
うことで認めないことになるのかは不明である。
105)政治献金に関する最判昭 45 年 6 月 24 日民集 24 巻 6 号 625 頁。最近では名古屋高金沢支
部平成 18 年 1 月 11 日判時 1937 号 143 頁など。
106)漠然とした内容の CRS を法定化すれば、価値観の対立を反映して混乱が生じる、とす
る。龍田・前掲注 80)52 頁。対立を裁判官が調整し判決できるかということになろうが、
困難な場面が多いであろう。CSR 分野などにおいて、米国での議論を参考に取締役の「誠
実義務」をとおしてガナバンスを実現しようとする見解も見られる。近藤光男「市場化社
会と会社法制―会社経営者の行動基準」齋藤彰編『法動態学叢書 水平的秩序 2
市場と
適応』
(法律文化社、2007 年)
。
107)座談会・前掲注 4)24 頁[神作発言]
。
108)Einer Elhauge, “Sacrificing Corporate Profits in the Public Interests”, 80 N.Y. L. Rev. 733
(2005). なお企業の利益最大化は社会の目的ではない。短なる利益最大化は、会社利益も
株主福祉も損なうと述べる。
78
コーポレート・ガバナンスにおける今日的課題
ることができると述べる 108)。特定の CSR 活動が注意義務(a duty of good faith
or of due care)違反となるか否かの判断のためのファクターを抽出しようとい
う努力もなされている 109)。
5
どのようなガバナンス・内部統制がよいか――企業倫理との関係
SOX 法、日本版 SOX 法はガバナンスについて一定の効果をあげていると評
価できよう。しかし、未だ企業不祥事は絶えない。現在の内部統制システムの
問題点は経営学・法学の両方から指摘されているところである 110)。
2009 年には多くの企業統治(ガバナンス)に関する研究報告が公表され
た 111)。しかし、そこで論じられているような独立取締役の採用のみでことは
解決しないと思われる 112)。
リスク管理システム、内部統制システム等を通じて法と CSR とはリンクし
得る。その際 CSR の具体化におけるソフトローの重要性を説く立場も有力で
ある 113)。確かにソフトローは CSR において一定の通用力を持ってきている 114)。
109)Janet E. Kerr, “THE CREATIVE CAPITALISM SPECTRUM: EVALUATING CORPORATE
(2008).
SOCIAL RESPONSIBILITY THROUGH A LEGAL LENS”, 81 Temp. L. Rev.831, 860ファクターとして関連性、促進性、可能性、影響力、会社の創立精神を上げる。
110)現在の内部統制システムの問題点を指摘する論者は多い。加護野忠男=吉村典久「内
部統制と会社統治」加護野=砂川=吉村『コーポレート・ガバナンスの経営学』298 − 305
頁(有斐閣、2010 年)は、ハードによる統制ではなくソフトによる統制が有効・効率的で
あることを指摘するが、大筋で賛成したい。
111)社外取締役の採用につき多く論じている。
112)一般に独立取締役の存在と株価上昇との間に相関関係はないとされる。Bhagat Sanjai
and Bernard S. Black, “Non-Correlation Between Board Independence and Long-Term Firm
. 特にエンロン社の取締役 17 人のうち 14 人が名目
Performance”, 27 J. Corp. L. 231(2002)
的に独立していたことから、名目上独立取締役がガバナンスにおけるキーになりえるか懐
疑的である。William W. Bratton, “Enron and the Dark Side of Shareholder Value”, 76 Tulane
.
L. Rev. 1275(2002)
113)CSR におけるソフトローとは、上場基準、業界自主ルール、環境基準など、また国際
標準化-ISO14001。座談会・前掲注 4)5、10、26 頁[神作発言]は、ソフトローの重要性
を強調する。
79
論説(大塚)
しかしながら、外部からのルールで縛る方法には限界があり、企業不祥事は止
められないのではないかという疑問がある。
すべての企業に共通する唯一最良のガバナンスの形態は存在しない 115)。企
業ごとに「企業倫理の制度化」を深化させるべきであるとの見解は、この点で
説得力がある 116)。
蠻. むすびにかえて
コンポレート・ガバナンスを考察する上での重要な視点につき網羅的に論じ
た。経済学・経営学において、日本型経営や日本型ガナバンスの特徴・長所が
多く論じられ、またステークホルダー理論の成熟をみている。筆者は、株主利
益最大化論に付随する原理としてステークホルダー論を、CSR や企業倫理だけ
でなく、会社法の立法・解釈においても取り入れる努力をするべきと考えてい
る。そうしたなかで、株主を含めたステークホルダーの利益を調整し、会社制
度において「公正性」が担保されることになろう。かかるロードマップを手掛
かりに考察を深化させ、今後のさらなる研究課題としたい。
(おおつか・あきお 筑波大学法科大学院教授)
114)座談会・前掲注 4)5 頁[神作発言] 。
115)OECD コーポレート・ガバナンス原則(1999 年)は優れたコーポレート・ガバナンス
の唯一のモデルは存在しないと述べている。コーポレート・ガナバンスをアングロサクソ
ン型(米国など)とライン型(日独など)に分類して分析するものとして、加護野=砂
川=吉村・前掲注 110)63-114 頁〔吉村担当〕。各国のコーポレート・ガバナンス構造の差
異は歴史的経済的な独自の初期条件から生じたものであるとする米国の Mark Roe 等の見解
を紹介するものとして、宍戸・前掲注 90)233 頁以下。なお、経済学からガナバンスはス
テークホルダー・ガナバンスへ収束するであろうとの結論を導くものとして、菊澤研宗
「コーポレート・ガナバンス・システムの多様性と収束性」鈴木豊編『ガバナンスの比較セ
クター分析―ゲーム理論・契約理論を用いた学際的アプローチ』
(法政大学出版、2010 年)
。
116)Blair & Stout が唱える信頼理論はその努力の一つであろう。Margaret M. Blair & Lynn
A. Stout, “SYMPOSIUM NORMS & CORPORATE LAW: TRUST, TRUSTWORTHINESS,
AND THE BEHAVIORAL FOUNDATIONS OF CORPORATE LAW”, 149 U. Pa. L. Rev. 1735
(2001).
80