< 火 曜 日 は 休 館 日 北九州市 旧古河鉱業若松ビル 季刊 発行 切 絵 ふるかわ 第22号(平成26年度 夏) > 〒808-0034 北九州市若松区本町1-11-18 TEL/Fax (093)752-3387 http://www.k4.dion.ne.jp/~fkw/ こ す げ の り か ず 事務長のひとりごと (若松で 70 年過ごした小西事務長の ほのぼのエッセイです。 ) 〈7 月〉 夏になると思い出すとです。 長い梅雨が終り、さんさんと太陽が照り付け、昼が夜より多くなる時 期になると、例年、日頃は叩かれても怒鳴られても眼の覚めない私な のですが、日曜日になると、ニワトリが鳴く前、太陽が上がる前には 眼がパッチリ、体の動きもバチバチでムクッと起き上がり、一日の活 動に入っちょったとです。冷たい水で顔を洗いキリッとして日曜日の 朝を迎えちょったとです。 朝ご飯は麦飯に味噌汁をかけ、タクワンですませ、母に大きな声で 「行ってきまーす。」の声を残し、脱兎(だっと)のごとく家を飛び出す とです。何かうしろで言っている母の声が聞こえると、 「今日、耳、日 曜日で聞こえまっせん!」でした。 時には、石峯山に散歩ちいうか山登りちいうか、探検ちいうか、行 っとったとです。服装はランニングシャツに短パン、足には黒いゴム の靴という格好で。竹筒に味噌を入れ、油紙に塩を包み、サトウキビ を1m 位に切って、何本か束にして、コマひもで結び、佐々木小次郎 バリで背中に背負って、短パンには肥後の守」を入れて、これが定番 でした。 いつも 5~6 人のご学友と行くのですが、山の好きなご学友の家が古 前小学校の下にあったので、その家に集合し、出発しとったとです。 いざ、出発ということで、古前小学校の横を通り、砲台山(現在 仏舎 利塔)へ向かって行っとったとです。途中、道が梨山への道と Z 道(修 多羅側から見ると、道がローマ字の Z の形になっていたのでこういっ ていた)方面に分かれていました。Z 道は距離があるというので、距離 のない梨山へ向かって行くのですが、傾斜が 17~18 度のある急坂で出 発して 5 分もしたら、息たえだえで先が心配でしたが、弱音を吐かな いよう辛抱しちょったとです。砲台山にはコンクリートづくりの砲台 の跡がありました。ここからは、石峯山への道は一本道でした。 途中、道路沿いに崖があり、土を掘ると小さな水晶が出て来よりま した。人聞きにガラスが切れるというのでポケットに入れて持って帰 りました。頂上に近づくにしたがって、竹藪が道を防ぎ、頂上に登っ た時には、皆さん、顔、手、足、出たところが、傷だらけでした。 石峯山という名前も山の頂上に石ちいうか岩ちいうか天に登ってい くようにあり、先人は誠に的確な名前をつけちょると感心しちょった とです。昼ごはんは持っていった味噌と塩を途中で調達したキュウリ、 トマト、ウリ等ですませ、サトウキビをチュウチュウ吸うとったとで す。 頂上から洞海湾、八幡製鉄所、帆柱山(皿倉山と勘違い)の景色は手 に取るように見えました。一日中、遊んで帰り、家に帰るとすぐ風呂 に入ったとですが、竹笹でこすった部分が、柔肌に沁みて沁みて大ご とやったとです。 *5 日(土) *6 日(日) 国際交流街歩きツアー(Team.G.F.C) 撮影会(コミックキャンパス)・ピアノ発表会(ト音の会) ピアノ発表会(一ノ瀬愛) *7 日(月)・14 日(月)・28 日(月) きたきゅう体操教室 *12 日(土) ピアノ発表会(わかばの会) *13 日(日) ピアノ、ヴァイオリン、チェロコンサート(トリオルーチェ) *17 日(木) 若南会(自由参加パーティ会費¥3,000) *18 日(金) くきのうみ花火大会 *20 日(日) カラオケ発表会(若戸ミュージック)・撮影会(衣装会) *21 日(月) 撮影会(田中たくじ) *25 日(金) 洞海湾クルージング&ビアパーティ(二胡・帯金真理子) *26 日(土) ピアノ発表会(室北昌子) *27 日(日) ピアノ発表会(秋桜の会)・九州補聴器 〈8 月〉 *1 日(金) 洞海湾クルージング&ビアパーティ(アイレフラメンコ) *2 日(土) クァルテット・エクスプローチェ(チェロ四重奏) *3 日(日) 二胡発表会(帯金真理子教室) *4 日(月)・11 日(月)・18 日(月)・25 日(月) きたきゅう体操教室 *13 日(水) ~17 日(日) 若松洞海湾写真展 (野見山一実) *21 日(木) 若南会(自由参加パーティ会費¥3,000) *22 日(金) 洞海湾クルージング&ビアパーティ(若松 PR バンド) *24 日(日) ピアノ発表会(古賀ピアノ教室) 〈9 月〉 *1 日(月) きたきゅう体操教室 *4 日(木)~6 日(土) 洋品の展示・販売会(田中呉服店) *7 日(日) ピアノ発表会(堀田ピアノ教室) *13 日(土) ふるかわ郷土史講座(第二回)(募集中です) *18 日(木) 若南会(自由参加パーティ会費¥3,000) *27 日(土) くきのうみ花火大会小学校絵画表彰式 (当館の二階で、10 月末まで絵画入賞作品の展示をしています。 ) 開講しました 先日、6 月 13 日(金)第一回ふるかわ郷土史講座が、夜、開催さ れました。演題は広報誌、第一号で掲載した「石炭会館」 、当時の 栄えた若松と石炭との関わり合いを、郷土史に詳しい我が館長が 資料をもとに楽しいエピソードを交えての楽しい講座となりまし た。これからも、2,3 か月毎に計画していきたいと思います。 *次回は 9 月 13 日(土)10:00~11:30 当館ホールA 演題は「くきのうみと洞海の移り変わり」 資料代 100 円 当館に℡等でお申込み下さい。(093-752-3387) ( 前 回 の 講 座 前 回 の 講 座 の 様 子 ) 華丸・大吉のなんしようと?収録 今日感テレビの磯田さん 22 ○ 若松市制 100 年記念 響灘(ひびきなだ) 今年も暑い夏がやってきました。各地から海開きの便りも届きます。 私達が子供の頃は夏一番の楽しみは海水浴でした。 かつて、若松の北海岸は外洋に面していて、小石、脇田、岩屋に海水浴場が あり、その間には赤岩、黒岩、千畳敷など変化に富んだ海岸線が連なって いました。そこで今回はこの海、 「響灘」について書いてみましょう。 昭和 12 年に作られた若松市歌では、 「響の灘の風波を餘所(よそ)に見よ 洞海湾の船、船、船…」とありますし、区内の校歌にも「千年の波うちよせる 雲縹渺の響灘…」 (若松高校校歌)。 「海よひひきよふるさとの世界につづく宗 (そう)の下…」(江川小校歌)。 「響きの灘の磯づたい高き理想を描きつつ…」 今年も人気のクルージングを企画しました。 7 月 5 日(土)9:00 より、当館で受付いたします。 先着順ですので、お早めに(tel.093-752-3387) (花房小校歌)などなど、歌い込まれていますし、 「ひびき」を商号として用いて *7/25(金) 二胡の夕べと中華料理の宴(和光亭) いる会社や商店等を所々に見る事もあります。 最近では「ひびきの」や「響町」という新しい町名も出来、区民にとっては馴 *8/1(金)フラメンコとスパニッシュ料理の宴(金鍋) 染みのある言葉になっています。 響灘の範囲を調べてみますと、東は山口県油谷町川尻岬から六連島若松芦屋を 経て、西は鐘ノ岬、地島、大島を線の北側の海域で遠く日本海、対馬海峡、玄 *8/22(金)ジャズと若松の恵みを味わう宴(かねやす) 界灘につながり、玄海国定公園の東の出発点になっています。 天平 2 年(730 年)大宰師大伴旅人が大納言に仕ぜられ、大宰府から京に上る際、 会費 ¥4,000(前売りチケット制・各 50 名先着順) 徒者達の詠んだ歌に「昨日こそ船出はせしか、鯨魚取り、比治奇(ひじき)の灘 を今日見つるかも」(万葉集)とありますように博多から玄界灘を越え、やっと 響灘に入り、海の上で安堵した気持ちが表れているようです。 又、筑前国続風土記には「此所(岡湊)西北に海有て其末は辺際(へんさい)なく、 はるか異国の海に通すれは常に風浪あらくして船客の魂を驚かすされば此海 を芦屋洋として旅客の其おそるる所なり」ともありますように、古代から遣唐 使や朝鮮通信便も通り、多くの人々が行き交った文化の交流と物流の海でもあ りましたが、一方では航海の難所でした。 ふるかわ掲示板 ふるかわのホームページに、先月から ふるかわスィーツとブログを投稿し ています。 若松の沖に白洲灯台(小倉北区)があります。天保の時代多くの海難の犠牲者を 目にした長浜の岩松助左衛門は私財を投げ打って灯台を建設しようとしまし 良かったら、ご覧くださいね。 たが、幕末という混乱期で工事が中断します。しかし、その強い意志が明治政 府を動かし、彼の死後明治 6 年英国人ヘンリープラントンの設計によって建て られ、今日でも通る船の安全を守って灯を点しています。 この様に歴史を刻み、今日の北九州を育んでいる響灘も埋立が進み、その姿は 随分変わりましたが、降り注ぐ太陽の下、変わらぬ潮騒を求めて散策するのも 楽しいかと思います。 瑞々しい感受性を持った思春期の思い出は、年齢を重ねてか らも鮮明にそのシーンを切り取ったようにフラッシュバックす 参考文献 日本地名辞典(福岡) 角川書店 (昭和 34 年頃の る事があります。いや、むしろ、年齢を重ねてからの方が郷愁 響灘海岸の様子) と共に思い出されるのかもしれません。そして、長く故郷を離 万葉と九州 日本談義社 れている人の方が、その思いは強くなるのでしょう。 北九州の伝説と史話 北九州観光協会 当館に来館して直ぐに二階に向かう一人の男性がありました。 若松市史第2集 若松市 何か思うところのある表情に見えたのですが、暫らくして、階 筑前国続風土記 貝原益軒 (本町 1-7 にある 万葉の歌碑 個人の製作) 先日、 段を下りてきて、立ち去ろうとするその方の様子がどことなく 残念そうだったので、声をかけてみたところ、その方は 5 年前 に一度当館に立ち寄った事があり、その際に二階の資料室に展 示してあった昔の若松の様子がわかるパネル写真をまた見たい と思い、来てみたところ、展示内容が当時と変わっていたので、 諦めて帰ろうとしていたところでした。そこで、館長が昔の若 松の資料や書籍を出して、説明しながら事情を聞いていると「十 代の頃迄若松の外町に住んでいて、子供の頃は海岸近くの貯炭 場でよく遊んでいましたが、仕事の関係で大阪へ、その後、妻 の実家の宮崎に移り、今回は 90 歳になる父の入院で若松に来ま した」との事でした。昭和 40 年代当時のゼンリンの地図をお見 6 月 28、29 日 若松街中写真展と あじさい手作りマルシ ェが開催され、今年も 賑わいました。 せすると、自分の生家、商店、友人宅等を見つけ、感無量の様 子でお礼を言われ帰られました。旧古河鉱業若松ビルは観光拠 点施設として、利用していただいていますが、時には心の中の 懐かしい思い出探しのお役にたてるのも嬉しいものです。 (yasutake)
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