【PDFダウンロード】 プラマハー・ラッチャマンガラジャン大僧正猊下

タイ国仏教僧団代表
プラマハー・ラッチャマンガラジャン大僧正猊下の慶祝スピーチ
世界的に重要な日である国連ウェーサクの日の祝賀式典の開会式において
タイ国仏教僧団代表の代理として
2012年 5月 31日 木 曜 日 9時 30分
ア ユ ッタヤ ー 県 ワン ノ イ郡
マハー チュラ ロ ン コ ー ン ラ ー ジ ャ ウィタヤ ラ イ大 学
マハー ワチラ ロ ン コ ー ン 皇 太 子 4 8 歳 記 念 講 堂
タ イ 国 法 王 猊下 、スリランカ 法王 猊下 、仏教 僧団の皆 様、そし て仏教指導者
の皆 様 、今 日 は お釈 迦様の誕 生、成 道、入 滅を記 念する ウェ ーサクの日 です
ので、お釈 迦 様 に祈 りを捧 げ るために集 まっております。これ は、世 界中 の仏
教 徒 にと って重 要 な機 会 です。そのため、国 連は この日を国 際公 式祝 日と し
て認 定 し まし た。特に20 12年 のウェ ーサクの日は 例年 よりも重要 です。と 申しま
すのも、お釈 迦 様 の成 道 26 00周年 に当たっている からです。それ ゆえ 、今回
のイ ベン トを「 プッタ チ ャヤンティ(お釈迦 様の成 道)2 600周 年」と 呼びます。
お釈 迦 様 の誕 生 、成 道、入 滅には 、人間は 誰でも自 分の心 を純潔 になるよ うに発 展させ煩悩 か
ら離 脱 する こと が出 来 る、と いう教 えがあ ります。人 間は 誰でも生 まれ たら歳を取 り、病気 になり、死
を迎 え ます。それ らを回 避 すること はでき ません。
皆 様 、お釈 迦 様 は苦 、苦の原 因、苦 の滅却 、そして、苦の滅 却を実 現する道 についてよくご存知
でし た。そして、入 滅する前 に、苦 の滅 却 を実 現 する 方法 である 法 (Dh amm a)を教え て下 さいまし た。
それ は 、「 悪 を除 き 、善を尽 くし 、心を純 潔にする」 という よう にまとめる ことができ ます。そう するため
のガイ ド ライ ン と して、「五 戒律」 があります。それ は
1 ) 生 き 物 を殺 さない
2 ) 物 を盗 まない、まっと う な仕事 をする
3 ) 淫 らな性 行 為をし ない
4 ) 嘘 をつかない、正 直 を守 る
5 ) 酒 類 を断 つ、正気 を常に保 つ、するべきこと とそう でないこと を知る 、
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と いう こと です。こう いったよ う に、 悪 を除 き 、善 を尽 くすこと ができたら、心 も純潔 になり、幸 せになり
ます。お釈 迦 様 の教 え た84,000 の法は 、内容 をまとめれ ば「 悪 を除 き 、善 を尽 くし、心 を純潔 にす
る 」 になります。そのよ う に実現 できたら、苦 を滅却 する ことができ ます。
皆 様 、現 世 界 では 、あらゆる 側面 で技術 が発達 し進歩 してきました。我々は だれでも、時 代遅 れ
になりたくない、それ らの進 歩 についていける よう な人 間 になりたい、と望 んでいます。それ がゆえ に、
苦 闘 し 、苦 労 し、追 い求め、互 いに争 っています。し かし、仏 教には 、「追いかける ほど、遠く離 れて
いく」 と いう 教 え があ ります。その例 には、次 のよう なものがあります。「ある 時、ア ングリ マーラはお釈
迦 様 に追 い付 くよ う に走っていた。し かし 、どんなに速く走っても追 い付 くこと はなかった。彼 は 疲れ
果 てた。それ で、『 サマナ 、止 まってください、サマナ 、止 まってください。』 と 言った(訳 者 注 :サマナ:
煩 悩 を滅 却 し た者。ここでは お釈迦様 を「サマナ 」で呼 びかけている )。お釈 迦様 は次のよ う に答え
た。『 私 は すでに止 まっている 。し かし、あ なたこそ止まっていない。』 」お釈 迦様が仰 ったこと は 、
「 世 に追 い付 こう と すること を止めなさい。それ を止めた時 にはじめて、この世 に追 い付いた人 間に
なる 」 と いう こと です。「止まる 、止める 」と いうのは 、お互いを傷 付けること 、財産 を争う こと、淫 らな性
行 為 、嘘 や騙 し 、酔う よう にするお酒などをやめること を含んでいます。このよ うに「 止まった」 ら、この
世 も止 まる 。この世 に追 い付 こう とすること による 疲れ もない。なぜかと いうと 、実は 、自我 は世界 、そ
し て世 界 は 自 我だからです。自 我が止 まると 、世も止 まる のです。
マハ ーチ ュ ラロ ン コーンラージャウ ィタヤライ大 学の大 学評 議会 議長プラ・ タン マスメティー僧そし
て国 連 ウ ェ ーサクの日 国 際委員 会委 員長 でマハーチュ ラロンコ ーンラージャ ウィタ ヤライ大学 学長
のプラ・ ダマコ サジャ ン 僧 が率いられ ている マハ ーチュラロ ンコ ーン ラージャウ ィタヤライ 大学 に、この
ウ ェ ーサクの日 祝 賀 式 典の開 催の任 務を担 われ ること にお喜びを申し 上げ ます。世 界中の仏 教徒
たちを結 び付 ける 良 い交流 の機会 になること でしょう 。
三 宝 の力 で、タ イ 国 法王 猊下、スリ ランカ法 王猊 下、仏 教僧 団の皆 様、そして今日 この場に集 ま
った仏 教 指 導 者 と 仏 教学 者の皆 様が財 産、地 位、賞 賛、幸 福、長 寿、健 康、体力 、知恵 に恵まれ
る よ う にお祈 りいたし ます。全 ての望 みが、それが法 に叶った望 みならば、望み通 りになる ようにお
祈 りいたし ます。
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報告
プラ・ダマコサジャン博士
2012年5月31日マハチュラ大学アユタヤ大ホール
タイ国大僧正の代表であるソムデット・プラマハー・ラッチャマンカラジャ
ン尊師に敬意を表します。
私、プラ・ダマコサジャンは、マハチュラロンコーン仏教大学の学長、そして
国連ウェーサクの日国際評議会の運営委員長を勤めております。
スリランカの法王猊下、この場に集まっている様々な国からの仏教徒のリーダ
ーの皆様、サンガの皆様、そしてサンガを代表されているソムデット・プラマ
ハー・ラッチャマンカラジャン尊師に、この2012年の第9回国連ウェーサクの日
国際仏教徒会議の会場に祝福しにお出でいただき、心より喜んでおります。
お礼を申し上げます。
今日のこの国際仏教徒会議の背景と経緯について説明させていただきます。
2009年12月13日に、国際連合総会で、ウェーサクの日が国際的な公式祝日として認定されました。
その後、2004年にナコンパトム県のプッタモントンで、初めての国連ウェーサクの日の祝賀が行わ
れました。
その時から、毎年、ウェーサクの日の祝賀が開催されております。
今回、2012年5月31日から6月2日まで開催された第9回ウェーサクの日の祝賀では、タイ政府、そし
て 最高サンガ評議会は、マハチュラロンコーン仏教大学を、この国連ウェーサクの日の祝賀を開催
する主体機関に任命しました。
今回は、スリランカのプラマハー・ナヤガ法王猊下、仏教徒のリーダーたち、哲学者たち、そして
世界85カ国から仏教徒をこの会場に招待し、海外から1800人、国内から3200人、合計5000人に集ま
っていただきました。
今回のイベントの会場は、アユッタヤー県にあるマハチュラロンコーン仏教大学のマハワチラロン
ゴーン皇太子48歳記念コンベンションホール、バンコクの国連会議センター、そして、ナコンパト
ム県のプッタモントンです。
会議のメインのトピックは、「世界の人々のためにブッダが悟った智慧」です。
今回の会議は、プッタチャヤンティ、すなわち仏陀の悟り2600周年を祝い、それと同時に、ソムデ
ットプラナーンチャーオ・プラボロムラーチニーナート王妃のの80歳の誕生日と、ソムデットプラ
ボーロマオーラサーティラート・サヤームマクットラーチャクマーン王子の60歳の誕生日を祝う
ことが目的です。
只今、縁起の良い時になりました。
ソムデット・プラマハー・ラッチャマンカラジャン尊師に、吉祥のため、この国連ウェーサクの日
祝祭の会場に祝福していただくよう、お願い申し上げます。
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プラ・ダマコサジャン博士による歓迎の挨拶
2012 年 5 月 31 日
M CU 大ホール
聖 下 、閣 下 の皆 様 、尊 敬 すべき サン ガの皆 様 、そし て仏 法 の友 人 の皆 様 。
タ イ 国 政 府 と 最 高 サン ガ評 議 会 によ って こ のウ ェ ー サク の祝
賀 の 組 織 ・ 運 営 者 と し て任 命 さ れ た マハ チ ュ ラロ ン コ ーン 仏
教 大 学 の 学 長 と いう 立 場 でこ こに 皆 様 を 歓 迎 でき ますこと は 、
私 にと って大 き な名 誉 です。
また、ウ ェ ーサクの祝 賀 と 共 に行 われ ます 、第 9 回 国 際 仏 教
徒 会 議 およ び国 際 仏 教 大 学 連 盟 IAB U の第 2 回 総 会 に皆
様 を歓 迎 いたし ます。
皆 様 ご 存 じ のよ う に、1 9 9 9 年 以 来 、ウ ェ ーサクの日 は ブッダの 誕 生 、悟 り 、そし て入 滅 を記 念
する 日 と し て国 連 によ って認 められ ております。
これ らの日 は 、太 陰 暦 6 月 の満 月 の日 、すなわちウ ェ ーサクでし た。
シッダール タ 王 子 が生 まれ たのは 、2 6 2 5 年 前 のウ ェ ーサクの日 でし た。
そし てシッダール タ 王 子 、すなわちブッダが悟 り を開 かれ たのは 2 6 世 紀 前 のウ ェ ー サクの日 で
し た。
そし てブッダが入 滅 され た 、すなわち涅 槃 に入 られ た のは 、2 5 55 年 前 のウ ェ ーサクの日 だ った
のです。
私 たちは 、シャ キ ャ ム ニ、すなわち私 たちの仏 教 の歴 史 的 な父 、ブッダ を尊 敬 し ておりますの で、
ウ ェ ーサクの日 に意 義 を感 じ ております。
私 たちの心 の中 にこ のよ う な思 い があ りますの で、私 たちは 同 じ ブ ッダを崇 拝 し よ う と 思 って ここ
に集 ま って おります… 一 緒 に 活 動 し 、一 緒 に祝 って 、こ の祝 賀 の意 義 と 本 質 を見 出 し ていき
ます。そし て 、 こう する こと によ って、 ブッダ がパ ーリ 語 でお っし ゃ って いる よ う に、私 たち が一 緒
に活 動 する こと によ って、たくさんの成 功 と 幸 福 が私 たちにもたら され ます。
私 たちが行 っている よ う な努 力 は 、幸 福 へと つながっていき ます。
私 たちは 、幸 せなこと に 、世 界 中 から来 た友 人 たちの間 に、兄 弟 姉 妹 たちの 間 に 、サン ガと 信
徒 たちの間 にいる のです。
この集 まりでは 、 この 3 0 0 0 人 を収 容 でき る マハ チ ュ ラロ ン コ ーン 仏 教 大 学 会 議 セン タ ーに、海
外 から の 1 8 0 0 人 の参 加 者 を、タ イ の参 加 者 と 共 にお迎 え し ており、今 こ の会 場 は 私 たちの友
人 たちで満 席 と なっております。
この祝 賀 は 重 要 なもの であ ります、と いう のも、 この祝 賀 で、ブッダ の悟 りの 2 6 世 紀 をお祝 いす
る だけでなく、皆 様 がタ イ の国 民 と 共 に、タ イ 国 皇 后 陛 下 の 8 0 歳 の誕 生 日 に敬 意 を表 し 、ま
たタ イ 国 皇 太 子 殿 下 の 6 0 歳 の誕 生 日 に敬 意 を表 すからです。
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これ は タ イ 国 民 にと って本 当 に 大 事 な機 会 であ り ます、 それ ゆ え 、私 たちは 皆 様 が、 閣 下 が、
聖 下 が 時 間 を わざ わざ と って こ の機 会 にタ イ 国 民 に祝 福 を与 え に来 て くだ さ った こと に 対 し 、
感 謝 申 し 上 げ ます。
もちろ んこの祝 賀 の成 功 は 、 この会 議 の メイ ン テーマを最 後 まで 追 求 でき る か どう かに かか って
おります。
この 会 議 のメイ ン テ ーマは 、こ こ にい る 皆 様 が人 類 の 幸 福 のた め のブ ッダ の悟 り につ いて 深 く
考 え る こと です。
私 たちは 、2 6 世 紀 前 に菩 提 樹 の木 の下 で ブッダ が発 見 し たこと の貢 献 につ いて、平 和 と 、そ
し て世 界 中 の 人 々の 弱 さ 、脆 さに ブッダ が発 見 し た こと がど のよ う な貢 献 をし う る の か を考 え て
いき ます。
また、シン ポジウ ム において、「 ブッダ の叡 智 と 融 和 」 、「 ブッダの 叡 智 と 発 展 」 、「 人 間 の変 容 へ
の ブッダ の叡 智 」 と い う 三 つ のテ ーマ に関 し て の 話 し 合 いに 耳 を 傾 けて い ただき た いと 思 いま
す。
このウ ェ ーサ クの祝 賀 では 、セミ ナ ーやワ ークショ ップは 開 かれ ませ ん。と 申 し ますの も、 このウ ェ
ーサ クの 祝 賀 と 同 時 に行 われ る 国 際 仏 教 大 学 連 盟 の 第 2 回 会 合 に おい て、ワ ークショ ッ プと
セミ ナ ーが開 かれ る か らで す。そ のた めに 世 界 中 から 学 者 の 皆 様 … 仏 教 学 者 の皆 様 にこ の
開 会 式 に参 加 し ていただいております。
国 際 仏 教 大 学 連 盟 の 総 会 で のパ ネル ディスカ ッ ショ ン やグ ル ープデ ィスカ ッショ ン で の話 し 合
いを前 にし て、時 間 をと っていただいて、この 集 会 にも参 加 し て いただいてお ります。
この場 所 で の二 日 間 の後 では 、もちろ ん私 たちは バ ン コ クの U NE S C AP 会 議 場 に移 動 いたし
ます。
そこで私 たちは 、バ ン コ ク宣 言 を発 表 いたし ます。
その 後 で 、私 たちは 皆 様 を プッタ モン トン で の私 たち の集 ま り にお招 き し 、一 緒 にタ イ 国 皇 后
陛 下 と タ イ 国 皇 太 子 殿 下 を祝 福 する 読 経 をあ げ ます。
同 時 に、プッタ モン トン で執 り行 われ る 世 界 仏 教 セン タ ーの本 部 建 物 の礎 石 を据 え る 儀 式 に、
皆 様 に参 加 し ていただき たいと 思 っております。
この 9 年 間 、この祝 賀 を組 織 し 運 営 する 役 を任 命 し てく ださ った こと に対 し て、最 高 サン ガ評
議 会 と タ イ 国 政 府 に感 謝 申 し 上 げ たいと 思 います。
今 年 が特 別 の年 だと いう こと を私 たちは よ く分 か っております。と 申 し ますのも 、ブッダ が菩 提 樹
のもと で マーラ 、すな わち悪 魔 に 勝 利 を収 めて から 、ブッダ が心 を純 化 し たこと をお祝 い する ブ
ッダの誕 生 、ブ ッダジャ ヤン ティからちょ う ど 2 6 世 紀 経 つ、と いう こと が国 際 的 に知 られ て いる か
らです。
すなわち 、ブ ッダは 悟 り を開 いた がゆえ にブ ッダと な ったの です 。です か ら、 この 祝 賀 の核 心 は 、
ブッダになれ る よ う にと 我 々自 身 に刺 激 を与 え 励 まし ていこう と する こと にあ ります。
ブッダになる こと は 難 し いこと です。
ブッダと は 何 であ りまし ょ う か。
私 たちの 上 座 部 仏 教 に おい て、そし て 大 乗 仏 教 にお いて 、そし て 密 教 にお いてブ ッダと は 誰
なのでし ょ う 。
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シャ キ ャ ム ニ、すなわ ちブッ ダが「 おま え は 誰 だ ?おまえ は 神 な の か?おまえ は 人 間 な のか?」
と 尋 ねられ たと き 、 ブッダは 「 いや 、私 は 神 では ない。 私 は 人 間 で もな い。私 は ブッダ だ。 ブッダ
なのだ。」 と 答 え まし た。
それ は 何 を意 味 し て いる のでし ょ う か 。ブ ッダは パ ーリ 語 でちょ う ど次 のよ う なこと を言 い まし た。
「 蓮 の花 は 水 の中 で生 まれ 、水 の中 に根 を張 り、 水 の 上 に 身 を 起 こし 、 水 に 汚 され る こと は な
い。その蓮 のよ う なものだ。」
これ と ちょ う ど同 じ よ う に、ブッ ダは この 世 に生 まれ 、… この世 で育 ち 、こ の世 で身 を起 こし まし
たが、世 俗 の不 浄 に汚 され る こと は あ りませんでし た。
私 たちは 苦 し みの世 界 で生 き ており、不 浄 の世 界 で暮 らし ております。
し かし 私 たちの心 は 清 浄 であ ります。
私 たちは 、ブッダになる よ う にと 、私 たち自 身 を、そし て私 たちの友 を鼓 舞 し ていき ます。
ブッダには 三 種 類 あ ります。正 等 覚 者 、縁 覚 、随 覚 です。
上 座 部 仏 教 の国 では 、自 ら悟 り を開 き 、他 の人 々 が悟 りを開 ける よ う にと 教 え る 人 であ る 正 等
覚 者 を目 指 し は し ません。
縁 覚 は 、他 の人 々に教 え る こと は でき ません。
そし て随 覚 は 正 等 覚 者 に従 って悟 りを開 く人 です。
これ ら全 てのブッダたちは 、叡 智 と 慈 悲 と いう 同 じ 心 の特 性 を持 っている と 申 し 上 げ ます。
ですから私 たちは 、自 らを鼓 舞 し て慈 悲 を持 って人 々のために働 かねばなりません 。
皆 様 に、 ブッダ の中 に実 行 する 精 神 を見 、そし てブッダ の教 え を実 際 に実 行 し ていただき た い
と 思 います。
ここ に、 私 たちは 今 こ こに 集 まり 、ブ ッダ を礼 拝 し 、ブ ッダ の教 え を実 行 する こと によ ってブ ッダ
に敬 意 を表 し ます。仏 法 を実 践 し 、仏 法 を広 め、教 え ていき ます。
私 たちは 、私 たち 主 催 者 は 、 ブッ ダへの 崇 拝 を行 う 場 を、仏 法 を実 践 し 、教 え 、そし てお互 い
の考 え を交 換 する 場 を皆 様 方 に提 供 し ます。
私 は こ の歓 迎 ス ピーチ を 、パ ー リ 語 で言 われ てい る 次 のあ り が たい 言 葉 で も って 、すな わ ち、
「 ブッダは 、菩 提 樹 の根 元 で悟 りを開 かれ た、完 全 なる 悟 り を実 現 され た… 成 就 され た 、マー
ラに対 し て勝 利 され た、」 と いう 言 葉 でこの歓 迎 の挨 拶 を締 めくくりたいと 思 います。
私 たち もまた 同 じ よ う に 、皆 様 もま た同 じ よ う に、あ ら ゆる こと にお い て同 じ よ う な勝 利 と 成 功 を
収 めていくべき なのです。
これ をも って私 は 皆 様 を歓 迎 し 、仏 法 の実 践 へと 、仏 法 を広 める こと へと 、ブッダへ の崇 拝 へと
進 んで参 りたいと 思 います。
三 宝 の恵 みによ って、この会 議 が成 功 し ますよ う に。
この会 議 においでになり、参 加 し てくださる こと に感 謝 いたし ております。
私 たちは もう 一 度 皆 様 を歓 迎 いたし ます。
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2012年の国連ウェーサクの日の祝賀式典
チュラポーン王女のスピーチ
2012年5月31日 木曜日 14時00分
アユッタヤー県 ワンノイ郡
マハーチュラロンコーンラージャウィタヤライ大学
マハーワチラロンコーン皇太子48歳記念講堂
この度 、2012年 の国 連 ウ ェ ーサクの日 の祝 賀 式 典 の開
会 式 に参 加 でき 、そしてこの式 典 の経 緯 と目 的 を知 らさ
れ、とても幸 せな気 持 ちで一 杯 です。
お釈 迦 様 は 、満 月 の日 であ る ウ ェ ーサクの日 に誕 生 、
成 道 、そして入 滅 しました。ですから、我 々仏 教 徒 は この
日 を極 めて大 事 にしています。国 連 さえ 、この日 を世 界 の大 切 な日 として尊 重 していま
す。特 に2012年 は 、お釈 迦 様 の成 道 から2600年 がめぐ った年 です。従 って、仏 教 徒 た
ちは この「プッタチ ャヤンティ:成 道 の2600年 」のイベントを開 催 し、特 別 な祝 典 を開 催 し
ました。お釈 迦 様 が発 見 し、そして世 界 中 の人 々に教 え た法 は 、今 の時 代 になっても、
なんら時 代 遅 れになっては いません。それは 現 代 の経 済 ・社 会 そして環 境 問 題 の解 決
に応 用 でき 、世 界 平 和 を実 現 する ことができ る 知 恵 です。
お釈 迦 様 に祈 り を捧 げ る ために色 々な国 から仏 教 徒 が同 時 にここに集 まったこと、そし
て 、それだけでは なく 、お釈 迦 様 の教 え をより 多 く の人 々に広 める 方 法 を共 同 で探 究
する 姿 を見 る ことができ て、とても幸 せです。もう一 つ大 事 なことは 、今 回 の国 際 イベント
は 、シリキ ット王 妃 の80歳 のお誕 生 日 と、ワ チ ラロンコ ーン皇 太 子 の60歳 のお誕 生 日 を
祝 うことも目 的 となっています。とても喜 ばしいことです。
さて、縁 起 の良 い時 間 になり ました。2012年 の国 連 ウ ェ ーサクの日 の祝 賀 式 典 を開 催
いたします。
今 回 の式 典 が無 事 に成 功 し、全 ての目 的 にかなった良 い成 果 が得 られる ことを願 って
います。
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タイ国首相スピーチ
国連アジア太平洋センター
2012 年 6 月 2 日
大統領閣下、UNESCO バンコクの事務局長様、聖下様、サンガの尊
い指導者の皆様、そして僧の皆様、閣下の皆様、そしてすばらし い参
加者の皆様。
最初に、2012 年の国連ウェーサクの日を祝う国際会議に参加できます
ことは、私にと ってこの上ない名誉であります。また私のこと になりますが、
マハチュラロンコーン大学の学長が、今日は私自身が世界の平和の一
部となるだろう、とおっしゃってくださいました。
ウェーサクの日すなわちヴィサカ・プージャは、ブッダの生涯において重要な出来事です。それはブッダの
誕生、ブッダの悟りの獲得、ブッダの入滅を意味しています。
その時以来、ブッダの教えは非常に多くの人々の考えに刺激を与え、心に平和をもたらしてきています。
今では仏教は、アジア、そして世界中の多くの国々にその根を下ろしています。
多くの国民が仏教を信じている国々、並びにその他の国々の協力を得て、1999 年 12 月 15 日に、国連総
会はウェーサクの日を世界の重要な日として認める決議を採択しました。
これは 1998 年にスリランカで開かれた国際仏教会議で表明されたもの全てを実現したものです。
ですから今日ここにスリランカ大統領閣下をお迎えできていることは、この上ない名誉なことです。
それ以来、様々な国が順番にニューヨークの国連本部および世界各地の国連事務所で、ウェーサクの日
の国際的な祝賀の運営にあたっています。
こうした流れの中で、ヴィサカ・プージャの日がここバンコクにある国連の UNESCAP でお祝いされているこ
とを、私たちは大変ありがたく思っています。
タイ国は、2004 年以来、ウェーサクの日の祝賀と国際仏教徒会議を誇りを持って主催しております。
今年は、ブッダが多くの人々の幸せのために悟りをひらかれてから2600年経ったことをお祝いする特別な
年です。まさしくお祝いするに値する年なのです。
ですから、このことは今年の会議にもよく反映されています。
会議は、ここ数年の実り豊かな話し合いを受けて、非常に大きな成功を収めております。
この会議の成果を受けて、ブッダの教え が世界に平和をもたらすこと を助けていくことに活用されていくで
あろう、と信じております。
ブッダの教え の中には 、非暴力、および多様性の尊重と いう原則が含まれています。これはタイ国にと って
も、今、非常に重要なことです。
実際、これらは、仏教を信じている、信じていないに関わらず、多くの国際社会が共有している原則です。
終わりにあたり、この機会を利用して、私はこの会議に出席されている サンガ指導者の皆様、仏教指導者
の皆様、サンガの尊敬する僧の皆様、そして仏教学者の皆様に心よりの敬意を捧げさせていただきます。
皆様に、特に、サンガ最高評議会が率いられている サンガ、マハチュ ラロンコーン仏教大学、そして公共
部門および民間部門の諸団体および諸機関に、この会議に貢献されたことに対し感謝を申し上げます。
ウェーサクの日の間、私たちに心の平和を得させてくれる ブッダの貴重な教えに思いをはせ続けたいと思
います。
ご静聴、ありがとうございました。
インラック・シナワトラ、タイ首相
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スリランカ大統領
国連ウェーサクの日でのスピーチ
2012 年 6 月 2 日
バンコク国連会議場
尊師の皆様、尊師ダマコ サジャン教授様、ウェーサクの日国際評議会
会長様、タイ王国首相インラック・シナワ トラ閣下、UNESCAP(国連アジ
ア太平洋経済社会委員会)事務局次長様、UNESCO(ユネスコ)のキ
ム・ジョ博士、そして会場におられる皆様、国連ウェーサクの日をお祝い
しているここバンコクで、皆様方と 一緒にいられること を大変喜んでおり
ます。
何よりもまず、このイベントを組織されたことに対して、また、仏教のカレンダーで最も重要なこの日を認知
して下さったことに対して、タイ王国政府、国連そしてウェーサクの日国際評議会に感謝申し上げます。
ブッダの生誕を祝うブッダジャヤンティ 2600 年にこの年はあたりますが、私はここに、我が国の国家代表
として来ているだけではなく、何世紀にもわたって指導者から指導者へと受け継がれてきた伝統の誇り高き
守護者として、ブッダの教え の保護者かつ推進者として出席しております。これは、はるかな昔から、どのス
リランカの指導者たちも担ってきた隠れた任務です。私もつつましやかにこの歴史的な責任を果たしており
ます。
皆様方、そして教授の方々、今日のこの会の主催者であるタイ国は何世紀にもわたってブッダの教え が
よく守られるようにと努めてこられましたが、私はタイ国が我が国のために果してくださった歴史的な役割を
思い起こし、ありがたい気持ちでいっぱいになります。
259 年前に次のようなことがありました。タイ国のウパリ・マハ・テラ Upali Maha Thera 師が、スリランカの聖
地キャンディにお出でになられました。1753 年のことです。授戒式 Upasampada を開いて高い僧位を授ける
ために来られたのです。
スリランカの国民は、またスリランカの仏教界は、そのことに対してタイ国民に大変感謝しております。
このように助けていただくこともありましたが、一方で私たちは、シャキャムニ・ブッダの最高の教え をその
最も純粋で、かつ完全な形で守り伝えております。
尊師の皆様、会場の皆様、ブッダは、正しき統治者の徳について、ダーサ・ ラージャ・ダンマ Dasa Raja
Dhamma、すなわち、よき統治者が行うべき十の正しき徳について、次のように語られています。
正しき統治者は、寛大で慈悲深く、道徳性が高く、進んで犠牲となり、正直で誠実であり、親切で寛大であ
り、質素であり、憎しみをもつことはなく、暴力をふるうこと もなく、辛抱強く寛容であり、悪意を示すことはあ
りません。
子供の時から、私たちは そう したこと を教え られています。ある 国の統治者がその統治を、Dasa Raja
Dhamma、すなわち、よき統治者が行うべき十の正しき徳に従って行うならば、その仏教に基づいた統治者
も、支配される者たちも繁栄し、滅びることはありません。
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このような高貴な徳についての教え を通して、ブッダは、統治の数多くの側面に関してアドバイスをなさっ
ておられます。そして、それらのブッダのアドバイスはすべて、民主主義、正義、人権、法による統治と いう
現代の考え方に具体化されているように思えます。ブッダが教え られたこうした徳は、今日の自由で民主的
な社会の基盤になっている徳であると信じております。ブッダの教えは 26 世紀前のものですが、今日にも
つながっている のです。もし現代社会の指導者たちが、みな、このブッダのアドバイスを胸に抱くならば、今
日ある国内の紛争も国際的な紛争も、その多くが人類のために解決されることでしょう。
正義と法に従って治めるという のは、子供時代からブッダの教え に従って養い育てられている私たちにと
っては 、なじみのない考え方ではありません。それ ゆえ、すでに仏教を信じている人たちには、こうした考え
方を説教する必要はありません。
尊師の皆様、会場の皆様、シャキャムニ・ ブッダは 、何千年も前に人権の基本について宣言されたので
す。ブッダに従えば、人間を分類しうるとしたら、それは唯一、その人の道徳的行為の質に基づいて分類し
うるだけです。
ブッダは階級制度を非難し、人々の平等性をお認めになられました。社会的、経済的状況を改善する必
要がある、ということを語られました。富をより公平に分配すること が重要である、ということ をお認めになられ
ました。金持ちと貧乏人との間での公平な富の分配についておっしゃ っていたことを考えると、社会主義的
考えと呼んでもよいかもしれません。ブッダはまた、女性の地位を高められました。統治にも支配にも、人間
主義を組み込むこと をお勧めになられました。社会を運営するにあたって、貪欲さによ ってではなく、人々
に対する思いやりと慈悲をもって行うようにと、教えられました。
ブッダの教え によれば、人と人との間の違いは、民族であれ宗教であれ国籍であれ、偶然によ って与え ら
れる生まれや家柄や肩書きなどによ って決まる のではなく、行為によ って、何をするかによ って決まるので
す。
ブッダは次のように説かれています。
この意味は 、人がアウ トカーストになるのは生まれ ではない、人がブラーフマンになる のは生まれではない、
人はその行いによってアウトカーストにもブラーフマンにもなる のだ、と いうことです。
現代では、科学技術によ って、そして経済自由化によ って、世界が一つになり、多くの人々がお互いに
関係するようになっておりますが、私たちはまた同時に、グループグループに分断化していく動きも目撃し
ております。自分たちを、他の人たちや他のグループとは違うものであるかのようにするのです。
多様性は、これまで良き ものと され、大事にされ 、より広い一体性を作り出していました。しかし、今では、
民族・宗教・イデオロギーなどの違いが、どんどん紛争の原因となっています。様々な国家が、様々な宗教
的グループが、そして様々な共同体社会が、土地や経済的資源をめぐ って争っています。そして、かつて
あったまとまりを破壊しています。ですから、人類の共通意識を確立しなければならないのです。
しかし、不幸なこと に、宗教が、かつてのよう に、人々を結びつける 力として、精神を豊かにする源として
働いてはおらず、逆に現代の分断の根本的原因の一つになっています。組織化された宗教は、過激派の
手に陥れば、同胞の人間たちの間に分断を作り出す原因となります。そして極端な場合は、戦争や他の集
団に対して暴力をふるう主体となります。
私たちは、仏教徒として、このような危険な展開を取り除く責任をもっています。
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私たちの国スリ ランカは、異なる共同体社会が、異なる宗教を信じる共同体社会が、何世紀にもわたって
調和の中で生活をし続けていること に誇りをもっております。分離主義の過激派たちが宗教的な感情をあ
おって最も尊い宗教的礼拝の場所に破滅的な攻撃をしかけようと試みましたが、私たち国民はその一体性、
その調和を維持しております。
1987 年に、テロリストたちは、ブッダが悟りを開いたあの神聖な菩提樹の苗木から育った菩提樹ジャヤ・ス
リ・マハ・ボディで、何十人もの無防備で罪のない巡礼者たちを虐殺しまし た。この同じテロリストたちは、
1987 年 6 月に、アランタラーウァにおいて、33 人の仏教僧を殺害しました。また、1990 年には、東スリラン
カを略奪し、カッタンクディで何百人ものイスラム信者を殺害しました。1998 年に、テロリストたちは、キャン
ディにある世界で最も神聖な仏教寺院の一つである トゥース寺院、スリ・ダラダ・マリガワを爆破しまし た。
2005 年 8 月には、テロリストたちは、スリランカの外務大臣、ラクシュマン・カディルガマールを殺害しました。
カディルガマール氏は、ウェーサクの日が国連の日として、仏教の最も神聖な日として世界中で認められる
ことに大いに貢献された方でした。
こうした様々なことにもかかわらず、スリランカの人々は、宗教的な紛争に引き込まれることを拒絶しました。
お互いの信仰を尊重する、と いう長い年月にわたって引き継がれてきた信条が、宗教的な争いの種をまこ
うとするこうした怪物たちの企てに打ち勝ったのです。
ある個人や、ある集団や、ある共同体の優越性は、何か特別な、神に与え られる権利でも、また、その生
まれによ って得られるものでもありません。個人にしても集団にしても、より高い評価をする だけの価値があ
るのか、それともより低い評価の価値しかないかを決めるのは、その人たちやその集団の行動、振る舞い方
によって決まるのです。
このようなことを判断する智慧は、今日という時代の文脈の中では、途方もなく高い価値を持っています。
世界には、他の国や集団に対して、自分たちに与え られた肩書きを利用して、超大国、宗教大国、経済大
国などといった肩書を利用して説教をしようとする国や集団があ ります。そうした国や集団が、他の国や集
団よりも優れているのかどう か、それ らの国が本当に超大国や経済大国や宗教大国なのかどう かを決める
のは、それぞれの国や集団の振る舞いなのです。
尊師の皆様、閣下の皆様、会場の皆様、私たちは今、ウェ ーサクの日を祝っておりますが、私は メタ、す
なわち慈愛の心を、慈愛の普遍的な力を呼び覚ましたいと願っております。世界中で数多くの紛争や苦痛
を生み出している怒りと 憎悪と いう悪徳は、慈愛の力によ って抑え 込むこと ができます。世界のあらゆる片
隅から平和のメッセージを発信しましょう。仏教の光を輝かせ、無知の暗闇を消滅させましょう。
すべての行きとし生けるものが幸せでありますように。
皆様方に尊い三宝の恵みがありますように。
マヒンダ・ラジャパクセ
スリランカ民主社会主義共和国大統領
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第9回国連ウェーサクの日祝賀式典
天台宗毘沙門堂門主
叡南覚範
この度、第9回国連ウェーサクの日祝賀式典を迎え られたこと を心から
お祝い申し上げます。また、私自身、今年もまた本式典に参加させてい
ただけたことを感謝申し上げます。
さて、本年はお釈迦様の成道2600年に当たっているという ことで、非常
にお目出度い年です。今を遡る こと2600年、お釈迦様は現在のインド
えん ざ
ビハール州ガヤを流れる尼連禅河の辺の菩提樹の下にあ って宴坐を組み、明けの明星を見て忽然として
『縁起の理法』を悟られ、七日のあいだその「解脱の楽しみを受けられた」とあります。
しかしながら、皆さんご存知のようにお釈迦様は何も突然悟りを開かれたわけではありません。釈迦族の王
の子として生まれ、裕福な暮らしをしていたにもかかわらず、若くして四苦(生老病死)と無常を感じ、29歳
にして出家しました。その後、幾人かの師について修行をする も我が意を得ず、自分自身で断食を含む
様々な苦行を経るも悟りを得ず、とうとう最後に「悟りを得られなければ生き てこの座を去ることはしない」と
の覚悟の下、先に申しましたとおり菩提樹の下で瞑想に入り悟りを得たわけです。まさに四苦八苦した結
果、成道に到達されました。
お釈迦様は悟りを開かれた後、梵天の勧請に従いインド各地での説法活動を始められました。その活動中
にお釈迦様は様々な教えを広めて行かれたわけですが、その語られた言葉を短い詩の形にして集めた古
い経典があります。これはダンマパダと呼ばれています。「真理の言葉」いう 意味です。出家在家を問わず、
仏教を拠り所として生きる人々がどのような心構えでものを見、ものを考え、悟りへの道を進んだら良いかと
いう指針を解り易く示したものです。2600年を経た現代においてもその言葉の真理は変わるところがありま
せん。
たとえば、ダンマパダに「『すべての存在に、自我なるものはない』(諸法無我)と智慧によ って見る時、人は
苦しみを厭い離れる。これ が、人が清らかになるための道である。」とあります。この世の一切の事物は自分
のものではないと自覚して、自我のむなしい主張と縁を切ったとき、執着と の縁も切れ、初めて苦しみのな
い状態を達成できると説いています。お釈迦様は諸法無我を知ることを持って、人が苦しみから解放される
ことを諭されたのです。
この言葉は今の時代においても有効で意味深いものがあります。
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昨年は全世界で大きな自然災害が発生しました。昨年2月のニュージーランドのクライストチャーチ地震に
始まって、その直ぐ後の3月に東日本大地震津波が発生し、10月にタイでは未曾有の大洪水が起きてい
ます。多くの人々が財産を失い、肉親を失い、仕事を失い、そして希望を失いました。生きる気力を失った
人も多かったこと でしょう。非常に痛ましい出来事です。被災した人々は今でも苦し い思いをされていると
思います。
人はこのような苦に直面したとき何を拠り所として生きて行ったらよ いのでしょう。私たちは忘れては いけま
せん。このような苦しみは誰の身の上にも起き得る ことなのです。他人事では決してないのです。この世、
あるいは人生とは いつの時代も常ならないのです。同じくお釈迦様が説いておられるように永遠不滅、固
定したもの安定したものなどは存在しないのです。平穏な世の中、幸せな人生が送れればそれ に超したこ
とはありませんし、そう 願い努力することは もちろん大事です。しかし、そうならなかったからといって決して
悲観するべきではありません。ここで先ほどの諸法無我の原則に立ち返ってどのように現実を受け止め、ど
のように心を整え、どのように生きて行くかを考えるべきです。
お釈迦様の成道2600年に際して、今一度、ダンマパダにあるお釈迦様の教えを思い起こし、私たちは諸
行無常が当然である世の中を如何に生きて行くべきかを考えてみてはどうでしょう。
以上で私のスピーチを終わらせていただきます。ご清聴有り難うございました。(了)
叡南覚範、天台宗毘沙門堂門主
世界連邦日本仏教徒協議会会長
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2012 年 6 月 2 日
国連会議場
プラ・ダマコサジャン博士によるバンコク宣言の発表
聖下、サンガの尊敬すべき皆様、仏法の友人の皆様。
私たちは、ブッダの悟りから26世紀経ったことをお祝いするために集まっております。
私たちは、ともに三日を費やして、人類の幸福のためのブッダの悟りということについて深く考えて参
りました。
このウェーサクの会議は、第9回国際仏教徒会議は、IABU、すなわち国際仏教大学連盟の第2回総
会を兼ねながら行われております。
ですからこの会議は、方針決定と学問的追究とのコンビネーションである、ということができます。
お互いに学び合おうと思っている方々が、セミナーとワークショップに参加されています。
仏教の発展に貢献したいと思っておられる方々が、円卓会議のような形での討論に参加されて、どのよ
うにしたら今まで以上に良い方法でともに活動していけるかについて、プロジェクトやアイデアを提出
されております。
時は実際あっという間に過ぎ去りましたが、実にうまく使われました。
私たちは、一緒に活動することに真剣…とても真剣です。
そのおかげで、私たちは今出発するにあたって、
この地を離れるにあたって、何も持ち帰るものがない、
というわけではありません。
私たちは、思い出すべきこと、私たちのより良い世界について、よりよい未来について考えるべきこと
を持っております。
ブッダの教えに深く傾倒してここに集まった私たちは、ブッダの誕生、ブッダの悟り2600年を記念
するお祝いをしたという思い出を、楽しい思い出をこれから大事に心に抱き続けることでしょう。
ブッダの良き信奉者として、私たちは、一緒に活動することを約束しました。
私は個人的に、世界の状況、特に仏教界の状況は多くの点で、人材という点や教育の発展という点だけ
ではなく、協働という点でも改善していくことができると信じております。
私たちはおそらく、私たち自身の住んでいる所においては、私たち自身の国においては大丈夫です。
私たちは、私たち自身の仕方で最前を尽くすことができます。
しかし、もし私たちが持っている限りある資源を使って最大の成果をあげることができるように、一緒
になって活動し、エネルギーを節約し、当局の影響を減らし、責任を共有するならば、私たちは今以上
により良いことができることでしょう。
一緒に進んで参りましょう。一緒に活動して参りましょう。そうすれば、私たちは、より少ない時間で
より多くのことを成し遂げることができます。より少ないお金でより大きなことを達成することができ
るのです。
私個人は、このことを深く確信しております。
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そしてこの確信ゆえに、仏教の指導者の方々、仏教学者の方々、そして友人の皆様を招待して来ていた
だき、持っているものがどのようなものであれ、それで貢献していただいているのです。
それゆえ、これは、タイ国だけに属する国際会議ではなく、私たちみんなのものといえる国際会議なの
です。
タイ国は、活動の場を、皆様が集まり、活動し、より多くの宿題を抱えて去っていく会合の場を提供し
ているに過ぎません。
皆様がやり続けて行かねばならない、追求し続けて行かねばならない宿題があります。
皆様は、単に素晴らしいゲストとしてここにいらしたわけではありません。
皆様は、この活動を成功させるためになくてはならない方々なのです。
タイ国は、皆様が一つの活動の場となる、友情の精神でともに活動していくための場となられることを
期待しております。
私たちは、祝賀のためにここに集まり、自分たちの友人に手を差し伸べるという考えを得て、そして、
ここで会い共に活動しこれから一緒に活動を続けていく新しい友人を得て、自国へと戻って行きます。
この時代には可能です…どこにいようと、それは問題ではありません…私たちは情報技術を使うことが
できます。私たちはネットワークを作り出すことができます。
情報技術のおかげで私たちはこのようなことをすることができます。私たちの活動…私たちの行動計画
を引き続き打ち立てていくことができるのです。
私たちは、委員会を、バンコク宣言を立案する草案委員会を、カムマイ・ダマサミ尊師が率いるバンコ
ク宣言委員会を設立しました。
みんな懸命に働きました。そして私は委員長に、賢明な委員長にお見せして検討していただきました。
そして草案を作り上げた後、私たちは仏教指導者の皆様にお見せして、検討していただきました。
承認を受けた後、85 カ国の仏教指導者の皆様が、全員一致でバンコク宣言にサインをされました。
私がこれから皆様に聞いていただくバンコク宣言は、それぞれの国を代表してここに集まっておられる
仏教指導者と仏教学者の皆様によって承認を受け、サインをしていただいたものです。
仏教指導者の皆様に承認され、サインしていただいたバンコク宣言の本文を、今から読み上げて参りま
す。
この宣言をお国にお持ち帰りいただき、ともに活動することによって、より良い世界に向けてどのよう
な貢献をなし得るかについて考えていただきたいと思います。
バンコク宣言は一つの手引き書であり、私たちにはまだ共にして行かねばならないことがある、という
ことを私たちに思い出させるものとなっています。
ブッダの悟り 26 世紀目をここバンコクで私たちがお祝いした 2012 年/仏歴 2555 年のバンコク宣言を
読み上げます。
バンコク宣言の本文は次の通りです。
1999年12月15日、34カ国の代表たちが国連総会に、5月の満月の日は国連ウェーサクの日と
して認められ、国連本部および国連の各地域事務所で祝賀されるべきである、と提議した。
国連総会はその通りに決議をし、その決議に従って国連ウェーサクの日が全ての仏教部派の支持を受け
て2000年に制定された。
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その決議を遂行すべく、85の国および地域からの参加者たちが、2012年5月31日から6月2日
まで集まり、ブッダの誕生、ブッダの悟り2600年をお祝いし、タイ国皇后陛下の80歳の誕生日、
ワチラロンコーン タイ国皇太子殿下の60歳の誕生日をお祝いし、そして国際仏教大学連盟、IABU
の第2回会議を行った。
この集まりは、タイ国最高サンガ評議会の指導のもと、タイ国マハチュラロンコーン仏教大学が快く主
催し、またありがたくもタイ王国政府が後援してくださった。
アユタヤ県ワンノイ郡のマハチュラロンコーン仏教大学メインキャンパスにおいての会議、およびバン
コクの UNESCAP とナコンパトム県プッタモントンでの会議において、私たちは「人類の幸福のための
ブッダの悟り」というテーマについて深く話し合い、あらゆる仏教部派の組織間の、そして個人間の相
互理解と相互協力を強固なものとした。
私たちの祝賀と会議が成功裏に終わったのを受け、私たちは全会一致で次のような決議をした:
1.ブッダの悟りとブッダの実践的な教えが、この 2600 年の間ずっと世界中において人々の生き方を
変えるような深い影響を持ってきた、ということを認識し、私たちは八正道を実践しながら、ブッダの
平和の教えを世界と分かち合うようたゆまず努力していく。
2.世界の紛争が持つ多様な側面、社会の役割、社会的責任の相互作用、そして経済的発展をよく意識
して、私たちは、世界の各国政府に、世界で起きている様々な社会的政治的紛争を終わらせるために、
現実的・実際的になるようにそして許しを推し進めていくように促す。
特に世界の仏教徒たちは、許し、非暴力、慈悲そして寛容についての仏教の教えを上手に応用して、世
界中に平和と融和が広まっていくように努力し、また、人類の様々な価値を包み込む社会を打ち立てる
ため、限りのない欲望、憎悪、無知という人間の本性を克服するよう倦むことなく努力していく。
第3.世界が直面している環境災害がこれまで経験したことのないほど増加していることを踏まえ、私
たちは人類と自然環境との間の相互依存性を今まで以上に強く意識するようにと人々に働きかけてい
く。
第4.社会において精神的、倫理的、認知的変革を推進していくために、私たちは全ての仏教部派でこ
れまでずっと遵守され行われてきた瞑想の実践を奨励し推進していく。
第5.ブッダの誕生、悟り2600年のお祝いと世界仏教センターの設立に対して表明された全会一致
の支持を心に留めて、私たちは、マハチュラロンコーン仏教大学およびタイ国仏教局が共同で主催した
アユタヤ県ワンノイ郡のマハチュラロンコーン仏教大学メインキャンパスで行われた2012年6月
1日の円卓会議が成功したことを心より喜こぶ。
私たちは、仏教世界のための効果的なネットワークを作り上げるという目的のために世界仏教センター
を設立する、というプッタモントンでの決定を実行する努力を行う。
その目標に向かって世界仏教センターの定礎式を執り行ったことを喜びをもって記録する。
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第6.国連ウェーサクの日国際委員会との密接な連携を意識して、私たちは、国際仏教大学連盟の第2
回会議が、学問的な熟考、討論、そして共同作業の過程を通して、仏教哲学および仏教実践という問題
を探求し成功裏に会議を終えたことを喜ぶ。
第7.私たちは国連ウェーサクの日国際委員会の主要なプロジェクトのうちの2つ、共通仏典の編纂お
よび仏典の統合カタログの作成に向けてさらに歩みを続け、また歩みを強化していく。
第8.私たちは、ブッダの生誕地であり世界遺産に登録されているルンビニにおける空気汚染の監視お
よび汚染の軽減のための方策を決めるにあたって、ユネスコ、ネパール政府、ビジネス界および仏教徒
の非政府組織の間で行われている協力関係をたたえる。
以上が、2012 年 6 月 2 日に仏教指導者たちによって署名された国連ウェーサクの日、第 9 回国際仏教
徒会議の宣言です。
皆様、これがここまで私たちが成し遂げてきたことの記録です。
たくさんのやらねばならない活動、たくさんのよく考えなければならないこと、そして私たちの人生の
中で大事にしていかなくてはならないたくさんの思い出があります。
生きるということは友情、良き友情を持つことである、その目標を達成するために生を積み重ねていか
なければならない、とシャキャムニ・ブッダはアーナンダに語られました。
私たちのゴールは、良き友と良き仲間を持つということを達成するために非常に重要なこと、ブッダの
教えを唯一無二のものとして実践することです。
私たちの上座仏教によれば、サーリプッタ・アモーカラーナは、もしブッダの導きがなかったら決して
悟りを得ることはできなかったのです。
ですから、私たち上座仏教では、サポート、私たちの師の導き、良き友人の導きは極めて重要であると
考えています。
私たちの仏教界では、良き友情は極めて価値のあることなのです。
私たちは、良き友情というものを、世間的な目標を達成するためだけではなく、精神的な自由を獲得す
るためにも非常に重要であると見なしています。
皆様はどうお考えでしょうか。
私たちが、私たちの目標に向かってともに活動するために、仏教徒の集…仏教徒と友人になることが…
世界中の仏教徒と友人になることができるなら、…私たちがこのような仏教徒の集団を、活動の場を作
ることができたならば、私たちは、私たちが実践的崇拝と呼ぶブッダ行を実践する活動を続けていくべ
きです。
私たちは、ただリップサービスを…ブッダへのリップサービスをしているわけではありません。
私たちは、私たちがすると宣言したことを、するという気持ちと共にブッダに実際に実行して示さなけ
ればなりません。
私たちは、バンコク宣言の中で、国際ウェーサクの日評議会及び私が議長を務めておりますその実行委
員会などと一緒に行っていく、ということを宣言しました。
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私は、働くことを、働き続けることを、そして私たちが約束を守っているかどうかをチェックしていく
ことを約束します。しかし皆様方からの十分な協力なしには、私たちの活動は決して為しえません。
私たちがここでこのような形でお祝いできているのは、国際ウェーサクの日評議会と国際仏教大学連盟
それぞれの実行委員会の実行委員の皆様からの十分なサポートのお陰です。
皆様方全員に感謝申し上げます。
そして今後の私たちの努力もまた、皆様方に頼っていくこととなります。
これからも大きな応援をぜひお願いしたいと思います。
タイ国は、長年にわたってこのお祝いの場所となってきました。
これは最高サンガ評議会がサポートを十分にしてくださったお陰です。
タイ国最高サンガ評議会は、ありがたくも私たちの大学を、このお祝いを担当する主要な組織として任
命してくださいました。そして最高サンガ評議会の会長様は、私を評議会のために活動できるようにし
てくださったばかりでなく、評議会の一員として加えてくださいました。
それゆえ今、私は、タイ国最高サンガ評議会を代表してこの場におります。
まもなく私たちは、最高サンガ評議会の会長様よりのありがたいお言葉を聞くことができます。会長様
はもう数分でここにお着きになり、私たちみんなを祝福してくださいます。
ですから、私のこの皆様に感謝するスピーチが終わりましたら、ソムデット・プラ・プッタチャーン聖
下、タイ国最高サンガ評議会の代理... 会長様のお話に耳を傾けていただきたいと思います。
聖下は、健康状態が思わしくないにもかかわらず、私たちにぜひ会いたいのでこの会場に来る、とおっ
しゃってくださりました。
これは... これはまさしく弟子たちへの教えであり、最高サンガ評議会からの素晴らしい協力です。
もちろん、タイ国政府も私たちに多大なサポートを与えてくださっており、午前中には、タイ国首相閣
下がご出席下さいました。
ですから、タイ王国政府には感謝申し上げます。また、皆様に、私のマハチュラロンコーン仏教大学の
スタッフとボランティアの皆さんに感謝の拍手をお願いしたいと思います。
彼らは、この会議が皆様にとって思い出深いものになるように、昼も夜も懸命に働きました。
そして、この会議をこの場所で開くことができているのは、ウェーサクを、ウェーサクの日を認めた1
999年の国連の決議の時よりずっと、国連アジア太平洋経済社会委員会 UNESCAP の寛大な計らいの
お陰です。
私たちは、UNESCAP のこの施設を使わせていただくという素晴らしいサポートをずっと受け続けてい
ます。
どうぞ UNESCAP の事務局次長様に感謝の気持ちを表明していただきたいと思います。
友人の皆様、出発の時間となりました。
私たちはここで会合し、そしてこれからそれぞれに出発していきますが、また再び結びつき、一緒に活
動するという希望を持っております。
私たちは、仏教という大義に基づいて皆様がサポートしてくださることを期待しております。また、こ
こでの会議が若い世代の人々にとって、仏教を奉じ、仏教を実践する一つの刺激となることを希望して
おります。
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もしブッダの誕生を、ブッダの悟りをお祝いしたいと思うなら、どうぞブッダの言葉を、元はパーリ語
ですが、「仏法を知るものはブッダを知る」という言葉を思い出していただきたいと思います。
ブッダは、いつも私たちの心の中で私たちと共におられます。
仏法の真理が心の中で明らかになった時は、その時がいつであれ、あなたはブッダの近くにいるのであ
り、あなたはブッダと共にいる人となるのです。
それは、私たちの最高の抱負です。
私たちは、ブッダの一人となりたいのです。
それがこの祝賀の一番大事な点です。
決して忘れずに、他の人たちにこの抱負を与えてください。他の人たちにこの抱負を与え、そして自分
たちもこの目標を追求してください。
この言葉を持って皆様にもう一度感謝申し上げます。
来年またお会いしましょう。
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2012年6月2日国連会議場閉会
プラ・プッタチャーンの紹介
プラ・ダマコサジャン博士のスピーチ
タイ国大僧正の長を勤めておられるソムデット・プラ・プッタチャーン尊師に敬意を表しま
す。
私、プラ・ダマコサジャンは、マハチュラロンコーンラージャウィタヤライ大学の学長、そ
して国連ウェーサクの日国際評議会の運営委員会会長を勤めております。
私は スリランカの法王猊下、僧伽そしてこの場に集まっておられる様々な国からの仏教徒
のリーダーの皆様たちを代表して、プッタチャーン大僧正様にこの2012年第9回国連ウェー
サクの日国際仏教徒会議の閉会式会長として来ていただきましたことにお礼を申し上げま
す。
今日のこの国際仏教徒会議の背景と経緯について説明させていただきます。
2009年12月13日に、国際連合総会で、ウェーサクの日が国際的な公式祝日として認定されま
した。
その後、2004年にナコンパトム県のプッタモントンで、初めての国連ウェーサクの日祝祭が
行われました。
その時から、毎年にウェーサクの日祝祭が開催されております。
今回、2012年5月31日から6月2日まで開催された第9回ウェーサクの日祝祭では、タイ政府、
そして最高サンガ評議会は、マハチュラロンコーンラージャウィタヤライ大学をこの国連ウ
ェーサクの日祝祭を開催する主体機関に任命しました。
今回は、スリランカのプラマハー・ナヤガ法王猊下、仏教徒のリーダーたち、哲学者たち、
そして世界85カ国から仏教徒をこの会場に招待し、海外から1800人、国内から3200人、合計
5000人に集まっていただきました。。
今回の会議は、プッタチャヤンティ、すなわち仏陀の悟り2600周年を祝い、それと同時に、
ソムデットプラナーンチャーオ・プラボロムラーチニーナート王妃のの80歳の誕生日と、ソ
ムデットプラボーロマオーラサーティラート・サヤームマクットラーチャクマーン王子の6
0歳の誕生日を祝うことが目的です。
今回の活動の内容はすでにまとめられており、これから発表いたします。
2012年5月31日にソムデット・プラ・プッタチャーン尊師はソムデット・プラマハー・ラッ
チャマンカラジャン尊師をご自分の代理として、サムモータニーヤガター(訳者注:良いことした後
に、サンガがそれがどのように縁起の良いことをもたらす かを言うこと;単語自体の意味は「喜ばせる言葉」)を任し、会場の皆
様にポーン(訳者注:縁起の良いことが起こるようにお坊さんが言う言葉)をあげることを任されました。そして、
ソムデットプラナーンチャーオ・プラボロムラーチニーナート王妃はソムデットプラチャー
オルークテー・チャーオファーチュラポーンワライラック・アカラーチャグマリー王女(訳者
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注:チュラポーン王女の全名)をご自分の代理として、ウェーサクの日祝祭の国際仏教徒会議の開催式
を開くことを担当させました。
続いて、6月1日と2日に、この国連ウェーサクの日祝祭の学会が行われ、そしてそれと並行
して、アユッタヤー県のマハチュラロンコーンラージャウィタヤライ大学と国連会議センタ
ーで国際仏教大学連盟の学会も開催されました。
我が国のインラック・シナワット首相、そして、スリランカのマヒンダ・ラージャパクセ大
統領が、この国連会議センターで貴重なスピーチをしてくださいました。
その後、この世の人々の救いのために仏陀の悟りについて討論し、二人の仏教哲学者のリー
ダーを中心に、リーダー達によるグループ会議が行われました。
会議の最終日である今日は、ここ国連会議センターで、バンコク宣言が読み上げられ、そし
て閉会式が執り行われます。
その後、皆さんに読経と祈りの儀式に参加していただいてから、世界仏教センターの建物の
定礎式に参加していただきます。
それから、ナコンパトム県のプッタモントンでウィエン・ティエン(訳者注:ウィエン=回る・巡回 す
る、ティエンティエン=ろうそく
ヴィーサカ、アーサーラハ、マーカブーチャの日には寺院本堂で夜7時ごろから僧侶がお経をあげ、
読経後本堂から僧侶達が出てきてお経をあげながら本堂周りを右回りに3 度回る。1周目は仏に、2周目は法に、3周目は僧侶へ捧げる(仏
教の三宝)。在俗信者は手に花、線香、火の着いたろうそくを持ち拝みながら僧侶に追従して本堂を3度回る。)にみんなで参加
します。
今回の第9回国連ウェーサクの日祝祭国際仏教徒会議は無事に成功し、そして全ての目標を
達成しました。
それは全ての関係者達からの、特に最高サンガ評議会、そしてタイ政府からの協力を得たか
らこそ達成できたものです。
只今、縁起の良い時になりました。
ソムデット・プラ・プッタチャーン尊師に、第9回国連ウェーサクの日祝祭の閉会のお言葉
を頂戴致し、そして、これからの良い縁起のために、仏教のリーダーの方々に記念品をお渡
ししていただきます。
21
2012年6月2日
国連会議場閉会式スピーチ
Somdet Phra Phuttacharn
プラ・プッタチャーン大僧正
タイ国の大僧正、サンガ、そして心の豊かな皆様。
今日は皆さんもご存知のように、国連ウェーサクの日祝祭であり、ゆえに世界的に大切な日
です。
そして今年は、さらに大事な年ですので、語尾に「チャヤンティ」が付き、「プッタチャヤ
ンティ」となっています。
チャヤンティはすでに周知のように、「勝利」という意味であり、すなわち「悟り」の
ことです。
ブッダが悟ったのは、我々が今から述べるように生きるためでした 。
誰でも、どこの人でも、どの国の人でも、お互い兄弟のようにいれば、心は楽になります。
もし、「これは自分の国じゃない」、「それは自分の国じゃない」と言って、「だから付き
合わない」となると、国もひどいことになります。
どこの国でも、武器を持っている分、困ることになります。
たくさん武器を持っていればこの世界は平和になると思っていれば、それは間違いです。
この世界の平和は、ブッダが教えた法(dhamma)でしか得ることはできません。
その法は、色々と系統的に分類されており、それらを、努力して勉強し、実践することはで
きます。
しかし、この場に集まった皆様の心には、すでに法があると確信しています。
さもなければ、この場にはいないことでしょう。
我々の仏教は、世界中の一般の人々のための宗教であり、どこか一つの国のためだけのもの
ではありません。
我々は、どこにいても、決して贅沢はせず、ただ生きていける程度の食事と生活をしていき
ます。
そうしながら、周りの人々にブッダの教えを広め、理解できるように教育していきます。
我々、上座部仏教も、大乗仏教も、今までずっとそういうやり方でやってきました。
我々は、お互い協力しながら、頑張らなければなりません。
上座部仏教も、大乗仏教もです。
自分の出来る範囲のことで頑張らなければなりません。
それは、この世の中の人々に、法を見、そして法に出会ってもらうためです。
お互いを殺害するための戦闘機、鉄砲、武器ばかりを見ていても仕様がありません。
戦争で平和になった国がどこにあるでしょうか?
そんな国は一つもありません。
小さな国々でも、戦争や殺し合いが無ければ、苦もなく幸せにいられます。
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ですから、仏教の法を人生の柱にしてもらいたいのです。
何か一つだけでも良い。
比丘尼なるとか、出家して少年僧になる、などと厳格に考える必要はありません。
いろいろな法の内の、どれか一つだけでも実践すれば良いのです。
例えば、「侮らないこと」です。
これは中間的な法です。
途切れなく常に心の中に法があるように努力をして下さい。
この機会に、今回のイベントが無事に成功したことに、おめでとうございます、と言わせて
ください。
最高サンガ評議会は、開催をマハチュラロンコーンラージャウィタヤライ大学に任せました
が、秘書や最高サンガ評議会の大事なスタッフも全力を尽くし、貢献したことは喜ばしいか
ぎりです。
最後に、プッタチャヤンティ、ブッダの悟りの力を借りて、全世界の仏教徒が幸せになり、
望む通りに良いことがあり、出世するように祈ります。
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