千曲川における 河床土砂堆積と水害に関する調査研究

千曲川における
河床土砂堆積と水害に関する調査研究
●国土問題研究会
1.千曲川河道特性と本調査研究の
目的・基本的観点
千曲川土砂堆積・水害調査団
高になっている。2004 年 10 月洪水、2006 年 7 月洪水で
は、立ヶ花地点でともに 5,600 ∼ 6,000 m3/s の流量であ
り、これは計画高水流量 9,000 m3/s の 62 ∼ 66 %ほど
飯山盆地・長野盆地では千曲川本川の洪水時の流量
であるが、最高水位は 2004 年洪水では計画高水位
が同じでも水位は年々高くなってきており、溢水氾濫
(10.75 m)以下 43 cm、2006 年洪水では計画高水位ま
の危険性が増大している。飯山盆地では昭和 57 年・ 58
であと 7cm にまで達した。1983 年洪水では最大流量は
年の洪水時に連続して破堤するという事態が起こって
計画高水流量の 83 %であるが、水位は計画高水位を上
おり、水位が上がると堤防からの漏水もある。また、
回っている。
長野盆地では昭和 58 年には洪水流が盆地下流端の立ヶ
上記のような深刻な問題をはらむ水害ポテンシャル
花橋上を越流した。また、千曲川に流入する浅川はじ
の増大の原因とメカニズムを把握し、千曲川の治水対
め各支川では洪水のたびに合流点付近で深刻な内水災
策に何らかの寄与をしようとすることが本調査の目的
害が発生している(千曲川の地形概要は次頁図 1.1 参
である。
照)。これらの事態は千曲川における水害発生ポテン
シャルが増大していることを示している。
表 1.1 最近の洪水の最大流量と最高水位
立ヶ花水位観測所の資料により、洪水流量が同じで
あっても水位が高くなっている傾向があることを以下
に見てみよう。表 1.1 に最近の洪水の最大流量と最高
水位を掲げるが、例えば、立ヶ花で、1959 年と 1983
立ヶ花水位観測所
洪水発生年
最高水位(m)
0 点 324.20 m
最大流
3
(m /sec)
昭和 34(1959)年 8 月
10.44
7,260
昭和 57(1982)年 9 月
10.54
6,754
年とはほぼ同じ洪水流量であるが、水位は 10.44 m か
昭和 58(1983)年 9 月
11.13
7,440
ら 11.13 m に上昇している。2006 年の流量 5,659 m 3/s
平成 16(2004)年10 月
10.32
5,600
(後に 6020 m /s に変更される)は 1959、1982、1983 年
平成 18(2006)年 7 月
10.68
5,659
のいずれの洪水時の流量に比べても小さいが水位は最
計画高水
10.75
9,000
3
■国土問題研究会
国土問題研究会は、従来の科学技術が「公共」という名目で開発を進める側にだけ奉仕させられ、ともすれば開発の
犠牲となる地域住民のために活用されなかったことに対する反省にたって、昭和 37 年に設立された。
国土問題研究会のめざすところは、科学技術者の社会的責任を自覚し、住民のための安全で住み良い地域づくり・国
土づくりやそのための科学技術がどうあるべきかを調査研究の中で具体的かつ実践
的に明らかにしていくことにある。
われわれ国土問題研究会のメンバーは、各々の専門領域での科学的な研究を基礎
としながら広い分野の科学者・技術者・自治体労働者等を結集して、住民の立場に
立って、問題の起こっている現地に出かけ、住民とともに進める総合的調査研究の
実践が是非必要であると考える。われわれは、このような「住民主義」「現地主義」
「総合主義」の調査『三原則』を基に、従来の「専門分担型」の調査研究から、「総
合討論型」の民主的調査研究の方向を指向し、調査研究を進めている。
●助成研究テーマ
千曲川における河床土砂堆積と水害に関する調査研究
●助成金額
2007 年度 50 万円
国土問題研究会 千曲川土砂堆積・水害調査団
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(一般に盆地内河川、川幅が広く、緩勾配)とが、交
その目的に対して、本調査研究では以下の 3 つの観
点と問題意識からのアプローチを行う;
互に現れる形で連なっている。すなわち、長野盆地
①河川は巨視的に見ると、侵食区と堆積区に分けられ
→立ヶ花狭窄部→飯山盆地→市川谷(戸狩狭窄部)
る(木村春彦)。千曲川はその典型例で、浸食区(一
→西大滝ダム、のようである。図 1.1 の地図は千曲
般に狭窄部河川、河道が狭く、急勾配)と、堆積区
川・犀川沿川の地形概況を示し、図中破線に囲まれ
たグレーの範囲は盆地の概要位置を示しているが、
上記の千曲川の地形特性が明瞭にうかがえる。
新潟・長野県境
②長野県・新潟県境から約 13 km 上流に位置する西大
滝ダム(発電目的)がそれより上流の水位にどのよ」
西大滝ダム
うな影響を与えているであろうか? また、堤防・
市川谷狭窄部
この区間の河道距離 12 km
平均河床勾配 0.0014
川幅 90 ∼ 350 m
柏尾橋
指定区間
護岸をはじめとする河川構造物の影響はどうであろ
うか?
大関橋・大倉崎観測所
(約 28 km 地点)
③千曲川流域はフォッサマグナ地域を含み、また火山
を多く含むので、地すべりや崩壊が多く、河川への
飯山盆地
この区間の河道距離 14 km
平均河床勾配 0.0006
川幅 390 ∼ 1,000 m
土砂供給が多い。これにより河床上昇が著しいこと
も考慮に入れる必要がある。さらに地殻変動による
地盤上昇/低下の災害への影響はどうか。
古牧橋
(約 38.9 km 地点)
千曲川
なお、本調査研究では長野盆地より下流、新潟県境ま
立ヶ花狭窄部
この区間の河道距離 13 km
平均河床勾配 0.001
川幅 140 ∼ 620 m
での千曲川を調査の対象とし、その部分を千曲川下流
部と呼称することとする。
立ヶ花橋
(51.5km 地点)
2.千曲川下流部における
洪水流下特性
2.1 盆地における河道貯留効果
長野盆地
この区間の河道距離 33 km
平均河床勾配 0.0009
川幅 750 ∼ 1,100 m
図 2.1 は、2004 年 10 月 20 ∼ 23 日の洪水について立
ヶ花観測所ならびに大倉崎観測所で観測されたハイド
ログラフ(水位あるいは流量の経時変化を示す図)を
示したものである。本図において、立ヶ花流量の最大
は 5662.05 m3/s、大倉崎最大流量は 5230.00 m3/s で、上
流の立ヶ花における最大流量の方が下流の大倉崎にお
けるそれよりも 432 m3/s も大きくなっている。さらに、
洪水流量の増加速度、水位の増加速度についても、立
ヶ花における増加速度の方が大倉崎におけるそれらよ
りも大きいことがわかる。これらは長野盆地における
洪水貯留効果により洪水のピーク流量が低減したこと
を示しており、盆地の河道貯留効果の重要性を示して
図 1.1 千曲川の地形概要
いる。
表 1.2 各地形区分における河道勾配と平均河床勾配
河道距離
平均河床勾配
川幅(m)
西
大
滝
ダ
ム
市川谷
狭窄部
12 km
0.0014
90 ∼ 350
飯山
盆地
柏
尾
橋
14 km
0.0006
360 ∼ 1000
立ヶ花
狭窄部
古
牧
橋
13 km
0.001
140 ∼ 620
立
ヶ
花
橋
長野
盆地
33 km
0.0009
750 ∼ 1,100
上表において各地形区分の境界を立ヶ花橋、古牧橋、柏尾橋においているが、これはとりあえずの設定である。ま
た、河道距離と平均河床勾配は、国土交通省の 1999 年作成の千曲川管内図から計算した。川幅は最新の千曲川管
内図(千曲川下流部)の範囲内で平面図から計測した。いずれの数値も参考までに概算値を示したものである。
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高木基金助成報告集 Vol.5(2008)
図 2.1 2004 年 10 月 20 ∼ 23 日の洪水時に立ヶ花観測所なら
びに大倉崎観測所で観測されたハイドログラフ
図 2.2 過去の主な洪水時における立ヶ花での流量(横軸)
と水位(縦軸)の関係
しかし、盆地がこの河道貯留効果を発揮するに際し
て、立ヶ花では水位にして約 10m、大倉崎では約 9.7 m
の上昇を来しており、それが支流流入部における内水
排除困難とか、堤防からの漏水、さらには堤防を危険
にさらすなどの事態をひきおこしているのであり、こ
の点についても注意を要する。
2.2 洪水時水位上昇の実態
図 2.2 は、過去の主な洪水時における立ヶ花での流
量(横軸)と水位(縦軸)の関係を示したもので、一
つの左回りのループ状の曲線が一回の洪水の始めから
終わりまでに相当しているが、全般的傾向として、最
近の洪水ほど曲線の位置が上になっている、すなわち、
同じ流量でも水位が高くなっていることが認められる。
本図は洪水時水位が上昇していることを明白に示す図
である。
3.千曲川高水敷洪水堆積物調査
図 3.1 調査地点位置図(調査地点 A ∼ D を*印で示す)
3.1 調査の目的と方法
高水敷上の土砂の鉛直方向の堆積状況分布をいくつ
かの地点でサンプリングし、土砂の堆積過程を検討した。
高水敷堆積物を調査する場合、流路に面して堆積物
が崩落によって直接断面が露出している場合は、スコ
ップやねじり鎌で堆積物の表面を削って地層断面の観
更にはぎ取り標本との比較のうえ、地層区分を行って
柱状図に表現した。
3.2 調査地点・実施日
現在のところ、調査実施地点は以下の 4 地点である。
察を行った。草地や畑地の場合は、スコップで表面を
調査地点を図 3.1 の地図上に示す。
掘り、ついでハンデイジオスライサー(高田ほか、
A地点:中央橋左岸下流約 30 m(実施日: 2007 年 5 月
2002)を打ち込んで断面サンプルを回収して地層断面
29 日午前)
の観察を行った。また、地層の壁面やジオスライサー
B地点:中央橋と大関橋の間右岸河川敷河岸崩落箇所
で得た断面の内、一部についてははぎ取り標本を作製
(30 km 地点の上流約 200 m)
(実施日: 2007 年 5 月 29
し、更にジオスライサーで回収し持ち帰った一部につ
日午後)
いては乾燥したうえ樹脂で固めた固形標本を作製した。
C 地点:飛行場直近地点(実施日: 2007 年 5 月 30 日)
堆積物の記載は、粒度変化・堆積構造・色調・生
D地点:左岸堤防を降りた畑の中(実施日: 2007 年 12
痕・ゴミなどを含んでいるかどうかなど現地で記載し、
月 2 日)
国土問題研究会 千曲川土砂堆積・水害調査団
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図 3.2 D 地点における高水敷堆積物の柱状図(中欄)ならびに堆積層と洪水歴との比較
(左欄)とジオスライサーサンプルの固形標本(右欄)
3.3 高水敷堆積物の記載
上記 4 地点での調査結果の内、ここでは紙面の都合
上、D 地点での調査結果について記す。
D 地点は 2006 年 7 月の洪水で泥が厚くたまり、その
回収した。2 度目のサンプルはそのまま持ち帰りはぎ
取り標本を作成し、ついで樹脂で固めた固形標本をも
作製した(図 3.2 右の写真)。ここでは地表面から2.9 m
の深さまで確認でき、耕作土(2006 年洪水堆積物)を
含め、18 枚の地層(地層 1 ∼地層 18)が確認された。
後畑地として耕作している場所である。高水敷地表面
柱状図を図 3.2 の中欄に示す。また、各地層の特徴を
から 70 cm 掘ったところから 1 回目のジオスライサー
表 3.1 にまとめた。
の打ち込みを行い、ジオスライサーを掘り出した後記
載を行った。その後地面を広げて掘り、2 度目のジオ
スライサーの打ち込みを行って地層断面のサンプルを
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高木基金助成報告集 Vol.5(2008)
3.4 洪水記録との対比
D 地点で得られた柱状図と大倉崎水位観測所の水位
表 3.1
地層
D地点における高水敷堆積物の特徴
地表から
地層の厚さ
地層上面までの
(cm)
深さ(cm)
構成物
1
0
78
耕作土
2
78
17
泥∼極細粒砂 3
95
12
泥∼極細粒砂 4
107
3
極細粒砂∼細粒砂
5
110
6
極細粒砂
6
116
10
7
126
8
9
粒土変化
堆積構造
生痕
その他
上方粗粒化
上方粗粒化
糞粒密集
極細粒砂∼細粒砂
上方粗粒化
4
細粒砂∼中粒砂
上方粗粒化
130
9
極細粒砂
139
1
泥
糞粒
10
140
6
極細粒砂
上面にミミズ痕
11
146
2
極細粒砂∼細粒砂
12
148
2
泥
13
150
22
極細粒砂
14
172
55
中粒砂∼細粒砂
上方細粒化
平行ラミナ
15
227
3
中粒砂
上方粗粒化
クロスラミナ顕著
16
230
10
泥
17
240
35
泥∼粗粒砂
上方粗粒化
18
275
25+
細粒砂∼粗粒砂
上方粗粒化
カレントリップル
ロッテチョコデッカイバー
淡紅色
上方粗粒化
上面にミミズ痕
細粒部脱水構造
泥のラグを介在
糞粒
記録(図 3.2 の左側に表示)との比較を行い河川敷洪
水堆積物の堆積時期について検討を行った。
D 地点は比高が高いことから、洪水水位の記録値が
5 m を越えた時の洪水との対比を試みた。そのために
洪水水位が 5 m を越える年の水位記録と柱状図を並べ
てみたところ、5 m を越える洪水の回数と地層の数は
ほぼ対応するようである。
3.5 今後の課題
細粒部クライミングリッ
プル、粗粒部平行ラミナ
河道変動特性の概要を調べた。
4.1 戸狩狭窄部での河床変動
42 年間に平均して 1 m ほどの低下を示している。
4.2 飯山盆地での河床変動
(1)30 km 地点(新潟・長野県境を起点とする)
飯山盆地では川幅は広く、河道横断面は全般的に
複断面となっている。飯山盆地における河床変動の
洪水堆積物の堆積年代についてはある程度まで限定
典型例として 30 km 地点の横断面の変化を図 4.1 に示
することが可能である。今後他地域との比較と、地層
す。この地点は大関橋(およそ 28 km 地点)より約
の中に介在する日付の入ったゴミを見つけることによ
2 km 上流になる。図において、太い実線は 2005 年の
り、また、地層の厚さや堆積構造の変化などから推定
河道横断面を、そして細い実線は 1963 年のそれを示
される環境変化と、地元の方々の記憶とをすりあわせ
す。両年の断面図の左右方向の相互位置については暫
ることにより、時には一枚一枚の地層の堆積時期を特
定的であり、以下に示す重ね合わせ図についても同様
定することが可能になると思われる。
である。
ここでは堤防が改修され川幅が縮小されていること
【 文献】高田圭太・中田 高・宮城豊彦・原口 強・西谷義政
(2002)沖積層調査のための小型ジオスライサ−(Handy
Geoslicer)の開発.地質ニュース 579、12-18.
がわかる。低水路で河床が 1 ∼ 3 m 低下しているがこ
の現象は飯山盆地内のほとんどすべての断面で観測さ
れた。高水敷上で堆積が進行していることが認められ
4.1963 年∼ 2005 年の間の
直轄区間の河床変動
るが、このような高水敷上の土砂堆積は必ずしも普遍
的ではなく、地点によっては高水敷が洗掘されている
ところもある。
1963 年と 2005 年の河床横断面図が入手できたので
低水敷の右岸側に堆積が発達し、低水路幅が減少し
同一地点における両年の横断面図を重ね合わせること
ているが、このような低水路幅の減少傾向は飯山盆地
により、1963 ∼ 2005 年の 42 年間における河床変動・
だけでなく長野盆地においても見られる。
国土問題研究会 千曲川土砂堆積・水害調査団
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図 4.1 30 km 地点の横断面図。細い実線は 1963 年の横断面を、太い実線は 2005 年のそれを示す(以下
同様)。図で、2005 年の断面境界線が 1963 年のそれより上に位置するときはそこでは 42 年間に
堆積が進行したことを意味し、灰色で示されている。一方、両境界線の位置関係が上と逆にな
る場合は河床低下したことを意味する。
写真 4.1
中央橋の 1957 年撮影の写真と現在の写真との比較
図 4.2 中央橋(33.5 km)地点の横断面図。1963 年(細実線)
と 2005 年(太実線)との対比。左岸側高水敷は基本的
に河床低下しており、写真 4.1 の状況と符合しない。
(2)34 km ∼ 35.5 km 地点
33.5 km は中央橋で、綱切橋は 34.85 km である。こ
の周辺では綱切橋地点 34.85 km で最も河道幅が小さく
目の規模の洪水が発生し、このとき土砂の堆積があっ
たためかと思われる。
(3)35.5 km ∼ 38 km 地点
なっている。このあたりは河道幅がきわめて小さいにも
36 km 地点付近(35.7 km ∼ 36.5 km)左岸には河川
かかわらず、堆積土量と浸食土量とがほぼバランスし
敷と思しきかなり広い土地をかさ上げして県庁飯山庁
ており飯山盆地内では河床低下の少ないところである。
舎やスーパーその他が建設されている。このため、こ
これは綱切橋から下流側 2 km ほどは大局的には飯山
のあたりで河川幅はきわめてせまくなっている。
盆地の上流端近くに位置し、下流に向かって川幅が増
36.5km ∼ 38km の間では右岸側の農地を保護するた
大していくので、洪水時には盆地内河川がダム湖のよ
め、1983 年災害の後に低水路近傍に堤防が新設され
うになり、ダム堆砂と同様の現象がこのあたりに生じ
た。そのためこの区間も人工的な狭窄部となってしま
るためと考えられる。
った。結局、立ヶ花狭窄部の下流端は自然地形の上で
中央橋については 1957 頃撮影された写真(写真 4.1)
は古牧橋あたりであるが、上記のようにして狭窄部河
があり、それと現在の写真を比較すると 3 m 以上堆積
道が綱切橋あたりまで延長される結果となっているの
が進行していることが指摘される。図 4.2 の断面図が
である。
そのことと符合しないのは、1959 年に昭和時代で 2 番
42
高木基金助成報告集 Vol.5(2008)
1963 ∼ 2005 年の間で、千曲川下流部の低水路は全
図 4.3
52 km 地点の横断面図
図 4.4
55 km 地点の横断面図
般的に 1 ∼ 3 m 低下するが、その理由は、第一に砂防
著しく、同時に低水路幅の減少傾向ならびに高水敷上
ダム建設等により河川への土砂流出量が激減したこと、
の堆積傾向がうかがわれる。
第二に河川からの氾濫が少なくなり洪水の最大流量が
増加したこと、そして第三に河道が人工的に狭搾され
流速が増大したことなどが指摘される。
4.3 立ヶ花狭窄部の河床変動
立ヶ花狭窄部では河道は単断面となり、ここでも平
均的に 1 ∼ 3 m 河床低下している。
5.指定区間における河床変動と
洪水流下特性
千曲川の河道距離標は長野県と新潟県との県境で
0 km であり、そこから上流に向かって距離が増加して
いく。千曲川は 1 級河川で基本的に国管理であるが、
立ヶ花狭窄部では大石がかみ合って形成された自然
0 km から 22 km までの区間は指定区間として県に管理
の堰が笠倉地区の下流の 2 個所と硲地区の集落のすぐ
が委託されており、国管理は 22 km 地点より上流とな
下流の 1 個所の合計 3 個所ある。これらの存在は河道
っている。西大滝ダムは距離標にしておよそ 13.0 km
横断面図には必ずしも反映されていないが、これらが
の地点に位置する。
洪水の流下をどれほど妨げているかについて検討が必
要である。
狭窄部河道の急湾曲部の内岸側に多量の土砂堆積が
見られる。
立ヶ花狭窄部の上流端に付近の立ヶ花橋地点
(51.5 km)および 52 km の横断面のあたりには上流か
指定区間の 22 km は市川谷あるいは戸狩狭窄部と呼
称されているが、飯山盆地の下流部の狭窄部河道に相
当する。したがってそこでの洪水の疎通能力は飯山盆
地における洪水に重要な影響をもつ。これが、指定区
間の河床変動と洪水流下特性を明らかにしなければな
らない所以である。
ら砂州が進入しており、進入と同時に砂州の高さが高
指定区間については河床高さに関する観測資料はじ
くなっているようであるが、砂州が、別地点の築堤土
め諸資料の整備はきわめて貧弱である。まず、河川管
取得のため浚渫されたようである。広幅部河道から狭
理者である県によっては定期の縦・横断測量などはな
窄部に巨大な砂州が進入した場合、河床がどのように
されていない。ダム管理者である東京電力からは 1950
変化するかについては検討が必要である。
年∼ 1988 年の間の河床変動に関する観測データが得ら
4.4 長野盆地
長野盆地における 55 km 地点の断面を図 4.4 に示す。
ここでは河川幅は 1000m に近く。低水路の河床低下は
れたが、非系統的かつ不完全なものであった。また、
国交省による指定区間の河床縦横断測量結果は 2005 年
のものだけで、それには 11.75 km から上流部の横断が
示されている。
国土問題研究会 千曲川土砂堆積・水害調査団
43
図 5.1
1950 年∼ 1988 年における最深河床高縦断面の経年変化
5.1 東電のデータに基づく指定区間の
河床変動の特徴
り、次に 1985 年から 1988 年にかけて河床は平均的
に 1 ∼ 1.5m 上昇している。また、根拠を示す図は省
略するが 1988 年から 1989 年にかけても全般的に河
東電による 1950 年から 1988 年までの期間における
床上昇している。実際、1985 年に比較的大きな洪水
最深河床高の経年変化資料を図化し図 5.1 に示す。本
があったがそれ以後 94 年までは大した洪水はなか
図の横軸はダム地点から上流に向かってとった距離
った。
(m)であり、縦軸は最深河床高の標高である。この図
③上に見たように西大滝ダムに近い区間で、特に 0 km
から以下のことが指摘される;
∼ 3.5 km ほどの区間において年毎の河床変動量は大
①河床データによると、大洪水時には河床は低下して
きい。すなわち、洪水年における河床低下も大きい
いる。すなわち、1980 年→ 1982 年→ 1983 年→ 1985
し、大きな洪水がなかった年における河床上昇も大
年にかけて河床は大幅にかつ着実に低下しているが、
きい。この区間の河床上昇が大きいと、ダムの背水
これは 1981 年に中規模の洪水、1982 年と 1983 年に
区間で河床勾配が緩くなる。勾配の緩化により指定
は未曾有と言えるほどの大洪水があり、それらによ
区間の水位が上がり、飯山盆地の水位を押し上げて
るものと考えられる。1980 年∼ 1985 年の間の河床
いることも考えられる。
低下は、ダムの上流側 1.5 km の区間では 1.5 m ∼
④ダム直上流部(100 m 地点)で河床が異常に高い。
3.5 m ほどに達している。ダムが河床変動に与える影
排水門のシルの標高は 287.273 m であり、この地点
響が大きいことを示している。
の最深河床高がそれを約 2 m 上回る年もある。この
②一方、大洪水がない年には基本的に河床は上昇して
地点の平均河床高さの資料は 1988 年と 1989 年に
いる。本図において特に 0 k m ∼ 1500 m の区間に注
ついてあるが、それによるとそれぞれ 289.78 m と
目してそのことを例示しよう。1964 年∼ 1971 年に
290.39 m である。
最低河床が着実に上昇しているが、この間には大き
⑤ダムからの距離が 3,580 m の地点より上流部は河床
な洪水はなかった。この間における河床上昇は 1 m
変動がないように見えるが、実際は、プロットされ
∼ 2.5 m に達する。1971 年の 9 月 7 日∼ 8 日に比較的
ている資料が 2 ∼ 3 個であるためそのように見えて
大きな洪水があり、1975 年の河床は 1971 年のそれ
いるだけである。
より若干低下しているのはそのせいと思われる。そ
の後しばらく大きな洪水がなく、図でも 1975 年から
5.2 ダム上流部の河床変動のメカニズム
1980 年にかけて平均 0.6m ほど河床上昇している。そ
前節に述べたところから、ダム上流部ではきわめて
の後 1980 ∼ 1985 年の河床低下は先述のとおりであ
河床変動が大きく、これがその上流部の河床変動や水
44
高木基金助成報告集 Vol.5(2008)
位上昇に重要な影響を与えかねないことがわかる。本
節ではダムの上流側地点における現地でのヒヤリング
や視察の結果を記し、河床上昇のメカニズムについて
考察する。
(1)ダム直上流部桑名川でのヒヤリング
・ヒヤリングは、千曲川沿いの公園(ダムの上流約
2.1 km、桑名川合流点より下流 1.3km)にて行った。
以下に記す内容のほとんどは 2003 年 7 月 7 日に実施
したヒヤリングの結果である。
・ヒヤリング地点より上流部では、堤防をかさ上げし
ている。それより下流部では道路が浸水するが放置
している。堤防建設中、基本高水 9,000m3/s(100 年
写真 5.1 野々海川河口。2006 年 5 月、中沢
勇氏撮影。2005 年 8 月の洪水で土石
流が流出した。その堆積物は千曲川
河道幅の半ば近くまで乗り出し河積
を狭めた。
確率)、これに対して堤防の基本高水流量 6,500 m3/s
(安全率 1/50)
。
・昭和 14 年に西大滝ダムが竣工。それ以後河床は逐次
3620.07 m2 ・ 1.5m」である。
上昇した。河床上昇にともなって川は浅く幅広くな
このような経緯から、千曲川下流部で強い降雨があ
っていった。1982 年・ 1983 年水害時には 2m 浸水。
り、上流部ではそうでない場合には、下流部の支川か
・渡し船があったが、堆砂が進み底がつくようになっ
ら本川に出た土石流が本川の洪水流でフラッシュされ
た。1982 年に廃止された。
にくいため河床が上がると考えられる。
・西大滝ダムのダム湖およびその上流部には急流支川
(湯沢川、運上川、出川、桑名川、寒川、野々海川)
が流入しており、そこからは土石流が頻繁に本川に
5.3 指定区間の河床変動の特徴
①2006 年 7 月洪水時には指定区間の川沿いの国道で5 カ
流入していることが目撃されている。土石流流入に
所の水没があった。13.5 ∼ 14.2 km、15.0 ∼ 15.6 km、
より、大量の土砂がダム湖に流入する。とりわけ、
15.8 ∼ 17. 5 km、19.3 ∼ 20.6 km、21.1 ∼ 21.5 km の区
人頭大あるいはそれ以上の大きさの岩が多量に流入
間である。西大滝ダムによるせき上げ効果は 19 km
していることが注目される。
あたりまで効いていると見なされるので、上記の内
・ダムの水位が減少したときは、ダム堤体地点から上
流部 500m ∼ 3km にわたって、水面が著しく急勾配
になる。河床に貯まっている大粒径の礫・岩がかみ
19 km より下流の浸水はダムの影響を被っていると
言える。
②2006 年 7 月洪水時の水位痕跡とヒヤリングによると、
合って土砂をせき止めており、それにより急勾配の
水面形状は低下背水状況である。すなわち、ダム地
河床が形成されているのである。
点で流況は常流から斜流に移行し、ダム直下流でジ
(2)野々海川からの土石流流出と堆積の実態
ャンプする流況をなしていたと見なされる。もしも
野々海川はダム地点より 600 m ほど上流で千曲川左
何らかのトラブルで洪水時にダム地点で常流から射
岸に流入する支川である。野々海川河口には過去に流
流への遷移が生じない場合、水面はかなり高くなる
出した土石流が堆積していた。2005 年 8 月 15 日に洪水
ので、流木の枝先がダムの橋梁にあたってダム放流
があり、野々海川で土石流が流出した。写真 5.1 はさ
部にかかり、流れをせき上げる可能性がある。
らにその後の 2006 年 5 月に野々海川河口を千曲川の右
③西大滝ダムには流れに直角方向の幅が 3.636 m の堰
岸側から撮影したものである。新しい土石流堆積物は
柱 6 本、幅 2.424 m の堰柱が 1 本設置されており、そ
千曲川河道の半ば近くまでのりだし、千曲川本川の河
のため 5 つの放流部の幅は 15.152 m、排砂門の幅は
積を狭めている。
7.273 m ときわめてせまい。このため流木がこれら堰
河口部に堆積していた土石ならびに本川に張り出し
た土石流堆積物は、その後、人力で排除された。その
柱にかかって流れをせき上げる可能性が高く、極め
て危険である。
ときの砂利採取標識によると、「砂利採取計画の許可
④河床高さの縦断形状(図は省略)は波状をなしてい
年月日:平成 18 年 6 月 23 日、採取する砂利の種類およ
る。縦断河床の高い地点は、土石流供給支川の流入
3
3
び数量:切り込み砂利・ 27910 m (官地 917 m 、民地
地点の直下流(例えば、野々海川、桑名川、出川、
1874 m3)、採取期間:平成 18 年 6 月 23 日∼ 9 月 22 日、
運上川)あるいは局部的に河川幅が広くなって土砂
掘削または切り土をする土地の面積および深さ:
が堆積しやすくなっている地点である。
国土問題研究会 千曲川土砂堆積・水害調査団
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6.千曲川下流部の地質と地盤変動が
狭窄部洪水疎通に与える影響
にもかかわらず変化に富み最大 3 ‰を示す」(千曲川工
事事務所、2002)
。
現地調査の結果から、河床堆積物の状況は、上田盆
本節では、河道地形特性の形成の背景となった千曲
地から長野盆地までは礫が優勢であり、長野盆地では
川下流部の地質と地盤変動に着目し、それらが洪水疎
礫と砂が繰り返す。立ヶ花下流の狭窄部は第三紀層の
通阻害に及ぼす影響を考察する。
岩盤が露出する区間が各所に見られ、飯山盆地に入る
6.1 千曲川下流部の地質と地盤変動
まず、北部フォッサマグナに位置する本地域の地質
と礫と砂および細粒な堆積物が見られるようになり、
戸狩狭窄部ではふたたび第三紀層の岩盤が露出する箇
所が見られる(詳細未確認)。
特性を概観し、次に、最近約 100 年間の水準点の変動
一方、“自然の堰”の場所は、狭窄部に集中してお
記録と丘陵部の変動地形や活断層調査などの研究成果
り、岩盤が露出する箇所だけでなく、攻撃斜面の崩れ
を整理した。これについては頁数の制約上以下に結論
に伴う崩積土が堆積する場所であったり、支流からの
のみ記述する。
土石が流れ込む場所であったりとその形成には様々な
①国土地理院の水準点の観測資料(1984 ∼ 2001)をも
成因が考えられる。
とに千曲川下流部の地盤変動を考察した。その結果、
図 6.1 には、“自然の堰”と地盤変動の因果関係を考
地盤の変動量は、戸狩狭窄部、飯山盆地、夜間瀬川
察する目的で、空中写真と現地調査で確認された“自
扇状地、高丘・豊野丘陵、長野盆地などの地域ごと
然の堰”
(瀬)と周辺の構造線の位置をあわせて示した。
に異なり、飯山・長野の両盆地は狭窄部に対して最
同図において、桑名川の下流は北竜湖断層と重地原
近 100 年余の間に相対的に 100 mm 以上沈降してい
断層の延長が千曲川を横断する付近にあたり、また、
る。
笠倉集落は長丘背斜軸が千曲川を横断する付近にあ
②立ヶ花狭窄部の丘陵の変動地形の研究によると、千
たる。
曲川は第四紀更新世∼完新世において丘陵部をおよ
このようにいくつかの“自然の堰”や崩壊の場所は、
そ 100 m 下刻した。すなわち丘陵部は低地部に対し
褶曲軸や断層が千曲川を横断する個所と一致しており、
て相対的におよそ 100 m 隆起した。仮に下刻に 10 万
それらの成因には地盤変動が関わっている可能性が
年を要したとすると 100 年あたり 100mm 程度の変動
高い。
量に換算される。
以上のことから、地震断層に伴う隆起などを除けば
③立ヶ花狭窄部の丘陵の縁における活断層調査による
地盤の変動量は100 年あたり平均 10 cm 程度であり、最
と、1000 年余りの間に善光寺地震を含む 2 回の断層
近数十年の単位で見る限り地盤変動が千曲川下流部の
活動によってあわせて丘陵部が低地部に対して相対
河床変動に及ぼした影響の程度は小さいと考えられる.
的に 3.4 m 隆起する垂直地盤変位が生じている。
しかしながら、千曲川下流部の地質と地盤変動が河道
④立ヶ花上流の延徳低地には、およそ 3 万年の間に約
地形特性に深く関わっており、特に狭窄部の形成や洪
30 m の後背湿地堆積物が堆積する沈降運動があった
水疎通阻害に影響すると考えられる。しかしながら、
と推定され、これは、100 年あたり平均 100mm の沈
千曲川下流部の地質と地盤変動が河道地形特性に深く
下量に換算される。
関わっており、特に狭窄部の形成や洪水疎通阻害に影
6.2 地盤変動が狭窄部洪水疎通に与える影響
響すると考えられる“自然の堰”の形成に関与してい
ることが明かとなった。
つぎに、以上の知見をもとに狭窄部の形成などの地
盤変動が河床変動に及ぼす影響について考察する。
おわりに
現地調査の結果、千曲川下流部には各所に“自然の
堰”というべき瀬が存在し、古くは“滝”と呼ばれて
本調査研究は 2008 年 10 月終結の予定であり、調査
通船の運航の障害となっていたことが語り伝えられて
研究は現在進行中である。現時点での考察は以下のよ
おり、これが河川の流れを少なからず阻害していると
うである。
考えられる。
1963 年以降の資料による限り、盆地内にせよ、狭窄
千曲川下流部の河川勾配を大局的に見ると、「上流
部にせよ河道横断面積は増大している。それにも関わ
の上田盆地で 5 ∼ 7 ‰、長野盆地から立ヶ花下流の狭
らず、立ヶ花地点の洪水時水位が上昇しているのはな
窄部を経て飯山盆地の間はおよそ 1 ‰前後、柏尾橋下
ぜであろうか。そのメカニズムとしては以下のことが
流の戸狩狭窄部から西大滝ダムの間は比較的短い区間
考えられる。
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高木基金助成報告集 Vol.5(2008)
図 6.1
千曲川下流部の主な断層と背斜構造
河川改修の進行にともなって河川幅が随所で狭くな
の問題だけではなく、狭窄部問題、弱体堤防、支川の
った。特に自然の立ヶ花狭窄部の下流端は古牧橋
氾濫、内水災害問題、等々あり、問題は深刻である。
(38.9 km)あたりであったと考えられるが、河川改修
狭窄部における「自然の堰」が洪水流の水位押し上げ
によってそれより下流、綱切橋(34.8 km)まで狭窄部
にどれほど影響しているかについては今後の検討課題
が実質上延長させられた。延長部分は飯山盆地内にあ
である。
り勾配も緩い。これにともない、立ヶ花狭窄部の洪水
に対する疎通阻害力が増大したと考えられる。
西大滝ダムの存在は上流部特に飯山の住民にとって
災害の種をかかえさせられているようなものである。な
飯山盆地の改修が進み、洪水の氾濫が少なくなった
お、西大滝ダムは、その高さを偽って、河川法 44 条の
その結果、洪水時の飯山盆地の洪水時水位は上昇して
従前の機能維持の義務づけを免れてきたという疑問点
いる。その影響も立ヶ花における洪水時水位上昇に連
もあるが、これについては紙面の制約上記述を省いた。
なっているであろう。
長野盆地での河川改修の進行で洪水流の氾濫が少な
くなったことも水位上昇の理由としてあげられる。
千曲川下流部の治水問題としては、洪水時水位上昇
末筆ながら、現地でヒヤリングに応じてくれた多く
の方々、現地での作業に協力していただいた方々に深
甚の謝意を表したい。また、国交省から資料の提供を
受けたことを記して謝意を表したい。
国土問題研究会 千曲川土砂堆積・水害調査団
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