●心不全診療の最前線 オーバービュー 永井 良三* 社会の高齢化とともに慢性心不全患者が増 系だけでなく,レニン−アンジオテンシン系 加している.慢性心不全は急性心不全の慢性 の亢進も心不全の病態形成に深く関わるが, 化ではなく,独自の病態を形成する.歴史を これらの病態理解は今日の心不全治療の考え 振り返ると, 心不全の概念は血行動態の側面, 方の根幹を形成している. すなわち「心臓の収縮力低下のために末梢の 心不全に陥ると,心筋細胞は胎児期の遺伝 組織に必要な血液を駆出できなくなった状 子発現を再現する.心室筋からは脳型ナトリ 態」 から,全身の代謝的側面を重視した見方, ウム利尿ペプチド (BNP) が分泌されるため, すなわち「運動耐容能の低下と寿命の短縮を その血中濃度の測定は心不全の診断と重症度 伴う心機能および神経体液性因子の異常」へ 判定に極めて有用である.一見心不全が改善 と変化してきた.これは,拡張能障害による したかに思われる症例でも,BNP が 200 pg! 心不全のように,収縮性の低下が一見明らか mL 以上の高値を呈している場合は慎重な対 でない心不全症例が存在すること,神経体液 応が必要である.BNP 測定にはいまだ 1 週間 因子が心不全の病態を修飾すること, さらに, 近い日数を要するが,すでに米国では感度は 収縮能を高める強心薬が慢性心不全の予後を 低下するものの,全血を利用して 15 分間で 必ずしも改善させないという臨床研究の成果 測定できる簡便なテストが開発されている. を踏まえたものである. 救急医療の現場でこれを用いると,心臓専門 医と同等の心不全診断の威力を発揮したとい う報告もなされている.現在の保険医療では 診断法の進歩 月 1 回の測定に制限されているが,今後一層 慢性心不全の診断は必ずしも容易ではな の普及が望まれる. く,しばしば見落とされている.一例ごとの 診察にあたって,運動能力と予備能力を丁寧 に聴取することが重要である.また,神経体 心不全病態理解の進歩 液性因子の変化,とくに交感神経系の緊張状 心不全の病態に関する理解も,器官と分子 態を丁寧に診察する.頻拍,末梢の冷感,手 レベルで深まってきた.従来,収縮障害が心 や前胸部の発汗などは参考となる.交感神経 不全の基本的な病態と考えられていたが,駆 ながい・りょうぞう:東京大学大 学院医学系研究科内科学教授(循 環器内科) .昭和49年東京大学医 学部卒業.平成3年東京大学医学 部第3内科講師.平成5年同助教 授.平成7年群馬大学医学部第2 内科教授.平成11年現職.主研究 領域/循環器内科,心血管生物学. * 出率で見る限り左室収縮機能が良好にも関わ らず肺うっ血を示す症例が, 心不全症例の1! 2 ∼1! 4 でみられることが明 ら か と な っ て き た.このような症例は心室拡張能に障害があ ると考えられ,僧帽弁の流入血流速度や左室 駆出時間の解析,さらに血中 BNP 濃度の上昇 などを総合することにより診断可能である. 2 第 122 回日本医学会シンポジウム 表 ACC/AHA による慢性心不全ガイドラインの要約(2001 年 12 月) 対象 治療 ステージ A 器質的心疾患はないが心不全のハイリス クグループ(高血圧,糖尿病,狭心症, 心毒性薬物使用,心筋症の家族歴) 高血圧治療,禁煙,脂質代謝異常の治療, 節酒,特定の患者(糖尿病,動脈硬化性血 管疾患,高血圧)には ACE 阻害薬 ステージ B 器質的心疾患を有するが,症状のない患 者(心筋梗塞の既往,左室収縮障害,無 症状の弁膜症) ステージ A の治療,特定の患者(心筋梗塞, 駆出率低下)には ACE 阻害薬,β遮断薬 ステージ C 心不全症状を伴う器質的心疾患の患者 (息切れ,易疲労感,運動能力低下) ステージ A の治療,利尿薬,ACE 阻害薬, β遮断薬,ジギタリス,塩分制限 ステージ D 難治性心不全 ステージ A,B,C の治療,メカニカルサ ポート,心臓移植,強心薬の持続点滴,ホ スピスでのケア とくに拡張能障害による心不全の背景に重症 が明確になったことにより,臨床現場でも治 冠動脈病変を有する症例が存在することがあ 療のあり方が大きく変化しつつある.とくに り,高血圧,糖尿病,腎不全症例が拡張能障 2001 年に発表された米国心臓病関連学会の 害による心不全をきたした場合には,この点 慢性心不全ガイドライン(表)では,病期を に注意を払う必要がある. ステージ A から D までに分類し,症例によっ 心不全の分子病態については,心筋細胞内 ては従来の NYHA 分類の I 度よりも早期から のカルシウムハンドリングの異常に関する理 ACE 阻 害 薬 を,ま た NYHA 分 類 I 度 か ら β 解が深まった.収縮時に心筋小胞体から放出 遮断薬の使用を薦めている.しかしながら β されるカルシウムは,拡張期にカルシウムポ 遮断薬の使用にあたっては,少量から開始す ンプ(SR-Ca2+-ATPase)によって筋小胞体内へ べきで,常用量を最初から使用したことに 再び汲み上げられる.カルシウムポンプは心 よって心不全が増悪した症例もしばしば経験 不全では発現量が著明に低下し,これが心筋 する.今後 β 遮断薬使用に関しては,日本人 拡張能の低下や不整脈発生の原因になると考 の慢性心不全症例に適したガイドラインの策 えられている.筋小胞体カルシウムポンプの 定が求められる. 発現量を増加させたり,これを抑制している 将来の心不全治療として,遺伝子治療と再 蛋白フォスフォランバンを抑制してカルシウ 生医療が期待されている.心不全で発現量の ムポンプを活性化できれば,心不全の新しい 低下している筋小胞体カルシウムポンプ 治療薬となりうるであろう.さらに,筋小胞 (Ca2+-ATPase)を,アデノ随伴ウイルスベク 体のカルシウム放出チャネル(リアノジン受 ターを用いて導入すると心不全モデル動物の 容体)の複合体構造が心不全心筋では不安定 心機能を改善したという報告がなされてい となり,筋小胞体からカルシウムが漏出して る.また,骨格筋由来の筋芽細胞をヒトの心 いることも最近明らかになった.この複合体 不全症例で導入する試みも外国では行われて の安定化をはかることも心不全治療薬開発の おり,その結果が注目されている. 標的として期待される. 本シンポジウムではこれらの問題を中心に 討論された.急速に増加しつつある心不全の 心不全治療の新たな展開 診療にお役に立てば幸いである. 心不全治療における β 遮断薬の位置づけ 心不全診療の最前線 3
© Copyright 2024 Paperzz