や「言葉遣い」に問題フィリピンの "親日"ドゥテルテ大統領

2016.12
「礼儀作法」
や
「言葉遣い」
に問題
フィリピンの
“親日”
ドゥテルテ大統領
アメリカのオバマ大統領を「売春婦の息子」とか「自分の母親とセックスしろ」とか
口汚く罵っているフィリピンのドゥテルテ大統領。
国連やヨーロッパからの非難には「何もわかってない、この馬鹿者が!」と激しく応じる。
早速ついた「あだ名」がフィリピンの『暴言王』
。
しかし、ドゥテルテ大統領の発言の裏にはそれなりの根拠があった。
中国にいって
「落とし前をつけてやる!!」
(ワイズではこの中国の嫌がらせを知って
から極力フィリピン産のバナナを探して
買うようにしていた。
)
この人は正直である。
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中国訪問で「南シナ海問題は棚上げに
■ドゥテルテ大統領が上着のポケットに
します。軍事・経済的にアメリカとは決
手を突っ込んだままガムを噛んでいたの
別する」と演説。
(2016年10月18日)
は習近平国家主席に「なめんなヨ」と格
その効果で「中国からの2兆5000億
好を付けたかったからに違いない。
円の経済協力」の引き出しに成功。また、
習近平国家主席に会う時も会議の最中
中国がフィリピンの果物を輸出するとき
もずっと口をもぐもぐさせてガムを噛ん
空港での「防疫」を建前に通関時間を引
でいた。両手を上着のポケットに突っ込
き延ばす。
「輸入妨害・嫌がらせ」でフィ
んだままである。ある意味では中国に対
リピンの果物を腐らす狙い。
(ひどい仕打
して虚勢を張っている。フィリピン大統
ちだ。
)
領の強面ぶりをフィリピン国内に見せる
そこで、ドゥテルテ大統領はバナナ、
演出だろう。
パイナップルの事実上の禁輸処置を開放
◆習近平氏が安倍晋三首相に国際会議の
させた。
場で見せた「ふんぞり返って」
「仏頂面で」
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「ソッポを向いて」握手したシーンが、ま
ざまざとよみがえる。
「面子を重んじる中国人」に共通する特徴
なのだろう、か。
今やドゥテルテ氏はフィリピンでは
スーパースター並みの人気、従って女性
には大変によくモテる。
街中を女性一人でも安心して歩ける安
全な環境づくりに取り組み、女性が一人
■フィリピンで毎日、中国系の人間たちと
でもタクシーに乗れるようにした。
生活を共にしているドゥテルテ氏は中国
女性にとって優しい政策を確実に実行
人によく利く「駆け引き」のツボを知って
してゆく。これで女性にモテないわけは
いる、のだろう。
ない。
それでいて偉いのは、あの汚職社会フィ
中国訪問時に同行した側近も中国系。
リピンで汚職の金を受け取らず、自宅も
ドゥテルテ氏のおじいさんは中国人で
大変に質素なのだ。
フィリピン人女性と結婚。ドゥテルテ大統
領の前の奥さんは知らないが、30歳年
ドゥテルテ氏を簡単に分析してみると
下の今の奥さんはお母さんが中国人。ガー
政治的には①反アメリカ、左派、②ナショ
ルフレンドも中国系だそうだ。
ナリスト③ポピュリストという感じだ。
口をもぐもぐさせてガムを噛みながら習近平国家主席と握手するドゥテルテ大統領(左)
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一説によれば「ドゥテルテ氏の反米は
■フィリピンは「スペインの植民地」で
若いころガールフレンドがアメリカに留
長い間苦しめられてきて、その次には「ア
学。彼女を追いかけてアメリカへ行こう
メリカの植民地 」にされるわけで「スペ
としたがアメリカ大使館がビザを出さず
インの植民地」と「アメリカの植民地」
アメリカへ入国ができなかった。
」それを
の悪い面だけが凝縮されて苦しめられて
根に持っている、というものがある。
きた過去がある。
アメリカ大使館はドゥテルテ氏の大学
スペイン植民地の時代
の先生が共産主義者でドゥテルテ氏も
フィリピンの共産主義者の実力者ではな
フィリピンを最初に植民地にしたのは
いのかと疑われてビザの発給が されな
1521年のマゼラン率いるスペイン船団
かった、という。
である。
まあ、このあたりは個人的なものであまり
マゼランはフィリピンにたどりつくと、
大きな問題とは言えないだろう。
鎧と槍、火縄銃、大砲などの武器の威力
を背景に部族長たちに対してスペイン王
への服属および朝貢とキリスト教に改宗
する事を要求する。
招待もされていないのにスペインが勝
手に押しかけてきて自分たちよりも格段
に性能の高い武器をちらつかせ「キリス
ト教に改宗しろ」
「スペイン王に貢物をし
ろ」と要求するのだから「脅迫」
・
「強要」
である。
断れば、それを口実にして「殺人」
」
「強
盗」
「見せしめのために残虐の限りを尽く
す」のだから始末が悪い。
当時の「欧米の白人達」はキリスト教
を隠れ蓑にして侵略を続け「有色人種を
人間とは認識しなかった」ようだ。
若き日のドゥテルテ大統領
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だから、
植民地の人たちを「動物」か「家
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マゼラン艦隊と戦うフィリピンの原住民
畜」のように考え、むごたらしいことを平
幕末の日本の明治維新を目指す若者達
気で行っていた。
はイギリスの「阿片戦争」を知り、倒幕
運動に拍車がかかる。
「弱肉強食」の世界
イギリスなどは中国人に「阿片を吸え」
を見た日本の若者たちは警戒の念を強く
と言って強要し「嫌です」というと戦争
したに違いない。
だと「阿片戦争」を仕掛けた。
国連やヨーロッパからの非難にフィリ
ドゥテルテ大統領は
何に、何故怒っているのか。
ピンのドゥテルテ大統領は「何もわかっ
てない、この馬鹿者が!」と激しく応じた。
推測だが植民地支配をしたアメリカや
「フィリピンのドゥテルテ大統領の何も
ヨーロッパの白人種の人道を踏み外した
わかってない」発言には、イギリスが阿
行い、植民地支配とアジア人虐殺に対し
片で金儲けをしたくて中国に阿片を持ち
て反省の色を見せるわけでもなく、ドゥテ
込み、そこで学習した中国系フィリピン
ルテ大統領が「麻薬密売人」を裁判抜き
人マフィアが麻薬売人や中毒者になって
で処刑しているのは「人道に反する」行
フィリピンの人々を苦しめている。その
と非難するとはどういうことなのだ、
為だ、
治安を正すのにアジアに植民地支配と麻
と怒り狂っているのだ。
薬を持ち込んだヨーロッパや国連から非
つまり、お前は「どの口で言っている
難されたくはない、というのが心情だろう。
んだ」と反発しているわけだ。
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アメリカ上院公聴会では、殺した島民
《アメリカ・スペイン戦争》
の結果
新しいフィリピンの支配者と
なったアメリカ
数を20万人と報告している。
《高山正之 週刊新潮2006/4/20》
■「アメリカの45口径の拳銃はフィリピ
※参考資料(1863年1月1日奴隷解放宣言)
ン人を殺すために造られた!」
(西村眞悟
1898年の《アメリカ・スペイン戦争》
元衆議院議員)
は、
「キューバの独立闘争」に介入したア
アメリカは植民地「フィリピン」を徹底
メリカと、スペインの戦争だ。この戦争
的に支配しようとした。
で勝利したアメリカは「キューバをスペ
世界的に「人権を守れ」というとい
インから独立」させ「プエルトリコ」
「フィ
う機運が高まっている20世紀の始めに
リピン」
「グアム」がアメリカ領となった。
「フィリピン人に独立」の機運が高まって
来たのを見たアメリカは植民地で抵抗を
■アメリカはフィリピン人に「スペインの
示すフィリピン人達を射殺する。
植民地支配を終わらせる」と嘘を言って
その時に使われていた拳銃は35口径
マニラに進出し、スペインに代わって植
だったが突進してくるフィリピン人に弾が
民地にした。話が違うと抵抗するフィリ
当たってもまだ突進してくる。
ピン人をアメリカ軍は徹底的に殺しまくっ
怖くなったアメリカ人は1発で仕留めら
た。
(アメリカの奴隷解放宣言から実に
れる拳銃の開発を考え、大口径の「コル
35年後のことである)
ト45」を造る。
19世紀前半頃の世界各地に広がっていたスペイン領
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米比戦争(1899-1902)
大口径の「コルト45」なら突撃して
その「自由の国」アメリカの植民地支
くるフィリピン人に一発当たれば後ろに
配の実態が「騙して」
「殺戮して」
「見せ
吹っ飛ぶので突進はとまる。
しめ」る、という白人の論理なのである。
この「コルト45」をつかってレイテ島
黒人なのに「そこへの配慮」のないオ
だけで40万人が殺戮された。
バマ大統領の方がフィリピンのドゥテル
テ大統領に失礼なのだ。
百田尚樹氏は「コルト45」のことを
「アメリカでは『ピースメーカー』と呼ば
れている」と証言。
フィリピンの戦死者
200万人のほとんどは
アメリカ軍の爆撃によるもの
アメリカがスペインに戦争で勝ったから
といってアメリカの一存で自国の運命が変
太平洋戦争でフィリピンでは200万人
わってしまう。植民地支配の支配者がス
死んだといわれている。しかし、そのほ
ペインからアメリカに移っただけである。
とんどはアメリカ軍の爆撃で死んでいる
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のであって、日本兵に殺されたというのは
「アメリカは、アジアにおける唯一の植
少ない。それも日本兵が殺したのは、一
民地フィリピンを徹底的に弾圧しました。
般人ではなく、戦闘でフィリピン兵を殺し
アメリカの国旗に頭を下げない人々は皆
ただけである。アメリカ軍がひどいのは
グアム島に送られたんですよ。グアム島
自分たちより先にフィリピン兵を出して日
の人口の30%がフィリピン系である理由
本軍と闘わせ、そのフィリピン兵が全滅
にはこうした歴史的背景があります」
した後にやっと自分たちが出ていった。
「かつて日本の統治を受けた台湾や韓国
フィリピンの歴史学者は、そういうこと
を見てください。立派に経済的な繁栄を
を知っている。
遂げているでしょう。これは日本の
“教育”
でも、日本兵が虐殺したと文句を言え
の成果です。ですが、アメリカの統治を
ば、日本政府は賠償だとしてカネを出し
受けたフィリピンでは、人々は鉛筆すら
てくれたので、日本のせいにしておいた
作ることができなかったんですよ。アメ
方が都合がよかったのである。
リカが自分達のつくったものを一方的に
《水島総 チャンネル桜2014/8/16》
フィリピンに売りつけてきたからでした」
そしてピネダ氏は、
「フィリピンはいま
その方がアメリカも喜んでくれる。
《高山正之 同 上 番 組 》
でもアメリカのパペットレジーン(操り人
形)ですよ」と呟き、苦笑いを浮かべる
のだった。
《井上和彦 「日本が戦ってくれて感謝し
フィリピン人は白人国家間の
覇権争いの犠牲者だ
《アメリカ・スペイン戦争》でたくさん
のフィリピン人が殺されたんです。
「フィ
リピンは白色人種によって全てを奪われ
ています」
》
植民地支配した最右翼は
スペイン・イギリス
オランダ・フランス・ポルトガル
たんですよ。スペインが去った後、アメ
リカはフィリピンに英語を強要し、アメリ
西欧諸国がつくりあげた「植民地」とは、
カの植民地にしてゆきました」
白人が主人で、ほかの人たちは奴隷に準
フィリピン人通訳のマリオ・ピネダ氏は、
ずる存在と考えればいいだろう。
フィリピン人は白人国家間の覇権争いの
犠牲者だとして続けた。
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《渡部昇一 Voice2007/9月号》
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ドの木綿工はそのまま仕事がなくなって、
布を作るな! と
手首を切り落とすイギリス人
餓死してしまった。ベンガルからインド
洋まで、何百万人という白骨が並んだと
伝えられている。
インドは昔から木綿産業が盛んだった
《福田和也 「魂の昭和史」
》
が、産業革命が起きると、イギリスのマ
ンチェスターから木綿が圧倒的に安い値
段で入ってくるようになった。インドで木
綿を作って生活している何百万人という
「犯罪者はアメリカ」
へ、から
「犯罪者はオーストラリア」へ、
に変更したイギリス
人たちが、これにより生活ができなくなっ
た。
イギリスはアメリカを犯罪者の流刑地
普通の独立国だったら、国は農民を保
にしていたが、そのアメリカが勝手に独
護するために輸入制限をしたり、関税を
立したので、今度はオーストラリアを犯
かけなければならない。しかし、輸入を
罪者の流刑地にした。
拒否したくてもできないのが 植民 地だ。
その上、イギリス政府は木綿を作りにくく
住んでみると気候がいい、地味もいい。
するために、木綿の作り手たちを何万人
それで普通の市民も移住していった。もっ
も集めて、その手首を切り落とした!イン
とも市民といっても多くは食い詰め者・
イギリス帝国統治下の経験を有する国・地域
下線は現在のイギリスの海外領土
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厄介者で、これがオーストラリアを1世
紀にわたって血まみれの地獄に変えた。
いうものだ。
《高山正之 週刊新潮2008/9/25》
600万人いたアボリジニは、今30万人
が生き残る。ナチスのホロコーストを凌
オランダの植民地支配の残酷さ…
ぐ大虐殺を行った結果だ。
(50万人が住
むタスマニア島では、その殆どが崖から
◇蚊に刺されて化膿し、血や膿を全身に
突き落とされ、銃で撃たれて殺された)
流して働く現地人に、薬ひとつ与えなかっ
《高山正之 週刊新潮2005/12/29》
た。
◇性病が蔓延して、街ゆく男たちの鼻骨
1927年の日付で「今日の収穫アボリ
が 露出 しているのは 珍 しくな かったが、
ジニ17匹」とある。当時は日曜日にみん
衛生教育ひとつ行わなかった。
(オランダ
なでアボリジニ狩りをしていた。
人だけは完璧に衛生的な環境で生活して
《高山正之 正論2008/9月号》
いた)
そのためであろう。日本軍が入ってき
別の曜日には彼らはアボリジニの女を
たときには、地鳴りがするような歓迎の
犯した。そして妊娠すると豪州政府が出
どよめきが湧き起こったと言う。
てきて母と子を引き離し、子供だけを白
《小川義男 正論2005/12月号》
人世界に引き取る。いわゆる融離政策と
20世紀の前半の世界地図(グレーは欧米列強の支配下)
植民地になったことがないのは色が濃く塗られている日本とタイだけ
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植民地の支配の仕方にもお国柄か?
超合理的なフランスの
仏印
(ベトナム、
ラオス、
カンボジア)
欧米列強の間接統治
(例えば、イギリスがマレーシアを統治し
ていた時)
仏印では、税が払えないと政治犯とし
◇イギリス人は一番上にいるエライ人で、
て監獄に放り込まれた。鎖でつながれた
みな政府の高官になる。
囚人には、老人や子供が多かった。
働きの悪い者は処分しちまえというフ
◇その下にいて威張っているのはインド
ランス人の思いが覗いて見える。
人で、警官はインド人の仕事だった。
獄死すれば葬式税も取れる。
◇インド人の下で商売していたのが中国人。
だからフランスは都市の数ほど監獄を
◇もっと下でグダグダ酔っ払って寝てい
つくり、それでも足りないからとサイゴン
たのがマレー人。
南の島コンダオに4つの監獄と拷問棟「虎
の檻」を建てた。
彼らマレー人を取り締まって嫌われる
のはインド人、金を儲けて嫌われるのは
ここには屋根がなく、鉄格子越しに生
中国人、
その上に立って「まあまあ」と言っ
石灰と水を素っ裸の囚人の上に撒いた。
ていたのがイギリス人、という植民地統
囚人はやけどを負い、さらに熱帯の太
治だった。
陽に焙られた。
《週刊新潮2009/1/29》
《日下公人(元日本長期信用銀行)
「アメ
リカはどれほどひどい国か」
》
ベトナムホーチミン市の戦争証跡博物館に再現されている虎の檻
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アジアの国々を独立させる戦争だった。
日本はアジアの救世主であった
結果は長崎、広島に「ウラン型」と「プ
ルトニウム型」の2発の原子力爆弾をピ
ヨーロッパ・アメリカの植民地支配に
カッ、ドーンと投下され、8月15日の天
苦しめられていたアジアの国々。
皇陛下の玉音放送を聞いた私の祖父は武
それを命がけで助けたのが「日本の軍
士らしく腹を切って死んだ。
隊」だった。
「戦争か」
「平和か」と極端なことをい
アジアの国々を欧米の植民地支配から
う人がいるが、人間の歴史の中でこんな
解放しようとする「大東亜共栄圏」思想
選択肢があったためしはなかった。実際
のもとに始められた『大東亜戦争』は日
には国民を守るために「兵士が突撃して
本を自衛するための戦争であるとともに
ゆく」か、植民地となり奴隷になって不
大東亜共栄圏
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平不満を言ったら虐殺される、選択肢は
中国に植民地化されたチベットは人口
二つに一つしかなかった。
の5分の1は殺されている。当時の日本の
そして日本は植民地にされるより闘っ
人口にあてはめれば1000万人が虐殺さ
て国民を守るという選択をする。日露戦
れたことになる。
争で戦死した兵士は8万8000人、当時
戦死者が1000万人ではない。無抵抗
の日本人の人口5000万人の0.
2パー
の農民や市民が1000万人も殺されるの
セントにしか過ぎない。
だ。しかし、もし50万人でも100万人
敵は自分が被害を受けるかもしれない
でも中国人と闘う姿勢をみせ5%でも向
ときは躊躇する。抵抗されてもたいした
かっていったなら、中国人も反撃を受け
ことはないと思えば強引に出てくる。日
るかもしれないと思い、無茶なことはで
本人のように島国で農耕民族で優しけれ
きない。平和はつくりだすもので、ぽか
ばよいが、たいていの国はそうではない。
んと口を開けて上を見上げていてもやっ
強烈な武力を持っていなくては植民地に
てくるものではない。
されるのが世界の現実。つまり、弱肉強
チベットのダライラマが善人で気高く
食は今も正論なのだ。
ても全人口の5分の1が殺され残った国
大東亜共栄圏一周旅行すごろく(1944年)
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民が焼身自殺をしても漢民族は笑ってみ
げ弾もあった。
ているだけだろう。
「必ず復讐してやる!」
ドゥテルテ大統領は「2回抵抗したら射
という意思を示さない限り民族は浄化さ
殺してよし」と警察に許可を与えている。
れてゆくばかりだ。
植民地にされるくらいなら「男は武器
それにしてもアメリカのオバマ大統領
を取って敵に向かってゆく」
。
「奴隷になっ
に対する言葉や態度が「エラクきついな
て生きるか」
「反抗して虐殺されるか」
、
「そ
あ」と思っていたら、ドゥテルテ大統領
れとも生きるために戦うか」なのだ。
の地元、ダバオ市は元々、スペインの植
民地支配が届きにくい地域だったそうで、
ドゥテルテ大統領が就任して処刑され
アメリカの植民地支配の記憶の方が強く
た麻薬密売人が3700名を超えた、とい
残っている。マルコス以後、ダバオ市の
う。ある市長などは自分の息子が麻薬売
ほとんどを「マフィア組織」が支配して
人で、その息子をかくまったため、その
いたのだ そうだ。その「マフィア組織」
市長に捜査圧力がかかり、身の危険を感
の資金源が麻薬密売の金であって子供た
じた市長は警察に自首。刑務所内での持
ちも普通に麻薬に手を出している、という。
ち物検査に抵抗し、発砲したため射殺さ
とてもオバマ大統領の考えるような「麻
れている。持ち物には拳銃のほかに手投
薬犯罪者に人道的対応」をして改善され
フィリピン ドゥテルテ大統領
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2016.12
ることではない。
をしている」のだそうだ。
フィリピンの麻薬問題はとても根が深
ドゥテルテ大統領の息子と間違えてい
く、子供を持つ母親たちは「ドゥテルテ
るから「お父さんは家でも厳しいんです
大統領のおかげで子供たちが家に帰って
か?」とホンジャマカな質問。
きて夜中に外出しなくなった」と、惜しみ
なく声援を送る。
「ウイキペディア」には、ドゥテルテ
今までのフィリピンの大統領たちがで
氏の父は法律家、母は学校教師という家
きなかったことやっているのだ、
「よく
庭に育ち、幼少時にダバオに移る。大学
やっている」と評価するべきで、決して
時代の恩師はフィリピン共産党の創設者
貶すべきではない。
ジョマ・シソンであり、シソンからは大
統領選での支持も受けている。また、共
ドゥテルテ大統領は「我々は鎖でつな
産党員を閣僚に起用する案を掲げるなど、
がれた犬」という表現は流石に控えたよ
共産党との協力にも積極的である。大統
うだが、アメリカは「ことあるごとに胸
領就任後は共産党のゲリラとの間で無期
倉をつかんで怒鳴りつけるように指図す
限の停戦合意にも成功している。
る。
」
「フィリピンはアメリカの属国ではな
大学卒業後はダバオの検察官として約
く独立国家だ」と主張しているに過ぎな
10年働いた後、政界に進出した。
い。
非人道的な処置 …東南アジアではよく、
実に、アメリカのオバマ大統領は「外
有りがちな図式で、インドネシアなども人
交下手」
「外交音痴」である。
間の看守では買収されてしまうので、ジョ
コ・ウィドド大統領自ら、国内の野生のア
某テレビがダバオのドゥテルテ大統領
リゲーターのうち最も獰猛な種類は何か
の自宅を紹介していたが、歴代大統領の
と探しているようで、刑務所の周りの川
豪華な大邸宅と違い大変に質素、フィリ
や沼に放して脱走する受刑者を食い殺し
ピンで見かけるごく普通の家と変わりは
てもらう、のだそうだ。
ない。たまたま、家から出てきた全身タ
トゥーの30代の青年にホンジャマカとイ
「フィリピン」といい、
「インドネシア」
ンタビューしていたが、ワイズが「ドゥテ
といい、犯罪の撲滅のためにはオバマ大
ルテ大統領の母方の親せき」に質問した
統領や国連・ヨーロッパの非難など気に
ら彼は「次男ではなく甥で家のお手伝い
してはいられない、現実がある。
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