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山田君、彩さん、ご結婚おめでとうございます。
この道より
われを生かす道なし
この道を歩く
この言葉は、明治から昭和にかけて活躍した小説家であり詩人の武者小路実篤が風
景 画 に 書 い た 詩 で 、 武 者 小 路 実 篤 全 集 第 11 巻 の 「 画 讃 一 束 」 に 収 録 さ れ て い ま す 。
自分の道は自分で決めるもので、他人が決めたものでもありません。そして、自分
で決めた道は、自分に責任があります。また、自分が選んだ道だからこそ自分を生か
すことができると思うのです。
これから歩む道は、先に何があるかわかりませんが 、やなこと、苦しいこと、楽し
いことなど色々なことを経験しながら自分の道を一歩一歩進み、失敗も成功もそれら
が全て、自分の財産になると思うのです。
智也君と彩さんの二人の道を互いに思いやり、愛をもって確りと歩んで下さい。
そ く い ん の じょう
惻隠之 情 (思いやりの心=愛)
こ う そ ん ちゅう
惻 隠 之 情 は 、惻 隠 の 心 と も い い 、孟 子 、公 孫 丑 ・上 に あ る 孟 子 の 有 名 な 性 善 説 の 四
端の一つから来ています。
「 四 端 」 と は 「 四 つ の 端 緒 ( き ざ し )」 と い う 意 味 で 、 そ れ は 、 以 下 の 4 つ の 道 徳
感情であると説きます。
「 惻 隠 」( 他 者 を 見 て い た た ま れ な く 思 う 心 )
「 羞 悪 」( 不 正 や 悪 を 憎 む 心 ) ま た は 「 廉 恥 」( 恥 を 知 る 心 )
「 辞 譲 」( 譲 っ て へ り く だ る 心 )
「 是 非 」( 正 し い こ と と ま ち が っ て い る こ と を 判 断 す る 能 力 )
たとえば、幼児が井戸に落ちそうなのをみれば、どのような人であっても哀れみの
心(惻隠の情)がおこって来ます。これは利害損得を越えた自然の感情であり、この
他人のことをいたましく思って同情する心は、やがては人の最高の徳である仁に通ず
るというもので、人間の心のなかには、もともと人に同情するような気持ちが自然に
備わっているから、自然に従うことによって徳に近づくことができると言うのです。
ま た 、「 惻 」 は 、 同 情 し 心 を 痛 め る と 言 う 意 味 が あ り 、「 隠 」 も 、 深 く 心 を 痛 め る と
言う意味があります。したがって、人が困っているのを見て、自分のことのように心
を痛めるような、自他一如(平等・無差別)の心もちを言うのです。もっと平たく言
えば「思いやりの心」と言うことになるのかも知れませんが、それだけでは十分に表
せないもっと深い情愛、人を愛する言葉ともいえます。
吉岡君
美雪さん、ご結婚おめでとうございます。
お二人が一緒になり共に生きることに感謝し、喜びを感じながら、いつまでも仲よ
く、お互いに相手を認め合い、よく話し、協調して行けば必ず素晴らしい家庭を築く
ことができると思い、次の「共に咲く喜び」と「以和爲貴」の言葉を送ります。
いつまでもお幸せに。
共に咲く喜び
こ の 言 葉 は 、武 者 小 路 実 篤 が 残 し た 言 葉 で 、本 当 は 、こ の 言 葉 の 前 に「 天 与 の 花 を 咲 か
す 喜 び 」 と い う 言 葉 が つ き 、「 天 与 の 花 を 咲 か す 喜 び
見ざるもよし
共に咲く喜び
人見るもよし
人
我は咲くなり」と続きます。
花 を 自 身 に 例 え て 直 訳 す る と 、「 天 か ら 与 え ら れ た 自 分 自 身 を 咲 か す 喜 び 、 他 者 と 共 に
咲 く 喜 び 、そ し て 、人 が 自 分 を 見 て い て も 、見 て い な く て も 構 わ な い 、私 は 私 と し て 咲 き
ます」となるでしょうか。
人 は 皆 、天 か ら 与 え ら れ 命 に 感 謝 し 、精 一 杯 生 き る こ と が 必 要 と 思 う の で す 。ま た 、人
は 一 人 で は 生 き て 行 け な い こ と を 理 解 し 、周 り の 人 と お 互 い に 支 え 合 い な が ら 、共 に 生 き
る喜びを感じて行かなければならないと思うのです。しかし、人は他人の目を気にして、
評 価 や 世 間 の 価 値 観 に 振 り 回 さ れ て し ま い ま す 。そ ん な 時 は 、一 人 ひ と り そ れ ぞ れ が 、か
けがえのない命を、自分らしく凛とした姿勢で生きて行けばいいのだと思うのです。
以和爲貴
やわらぎ
も
たっと
こ の 言 葉 は 、十 七 条 の 憲 法 の 第 一 条 の 始 め に あ る 、
「 和 を 以 っ て 貴 し と な し 」で す 。
いわく
やわらぎ
も
たっと
さから
むね
全 文 は 、一 に 曰 、 和 を 以 っ て 貴 し と な し 、忤 う こ と 無 き を 宗 と せ よ 。人 み な 党 あ り 、
さと
く ん ぷ
したが
り ん り
たが
ま た 達 れ る も の 少 な し 。こ こ を も っ て 、あ る い は 君 父 に 順 わ ず 、ま た 隣 里 に 違 う 。し
かみ
か れ ど も 、上
やわらぎ
和
しも
下
むつ
あげつら
かな
睦 び て 、事 を 論 う に 諧 う と き は 、す な わ ち 事 理 お の ず か ら
通ず。何事か成らざらん。です。
現代語訳にすると、一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさ
ぬ こ と を 根 本 と し な さ い 。人 は グ ル ー プ を つ く り た が り 、悟 り き っ た 人 格 者 は 少 な い 。
それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちと もうまく
い か な い 。 し か し 上 の 者 も 下 の 者 も 協 調 ・ 親 睦 (し ん ぼ く )の 気 持 ち を も っ て 論 議 す る
な ら 、 お の ず か ら も の ご と の 道 理 に か な い 、 ど ん な こ と も 成 就 (じ ょ う じ ゅ )す る も の
だ。となります。
家庭でも職場でも、仲よく、お互いに相手を認め合い、 よく話し、協調し合って行
けば必ず素晴らしい家庭や職場ができることと思います。
戸田君
亜衣さん、ご結婚おめでとうございます。
お二人が、共にいつも笑顔を絶やさず、和やかに過し、辛いこと腹の立つことがあ
ろうとも笑顔を忘れずに、お互いに労りの言葉をかけていれば、 どんなに苦労があろ
うとも、それを乗り越えて行くことが出来ると思いますので、お二人に、次の「心を
まるく
まん丸に」と「和顔愛語」の言葉を送ります。
いつまでもお幸せに。
心をまるく
まん丸に
こ の「 心 を ま る く
文は「みな人の
も く じ き しょうにん
ま ん 丸 に 」は 、 江 戸 時 代 の 木 喰 上 人 と い う 方 が 歌 っ た も の で 全
心をまるく
まん丸に
どこもかしこも
まるくまん丸 」にです。
木喰上人は、たくさんの手彫りの仏像を残したことで有名です。そして、その仏像
のほとんどが、文字通りまん丸の笑顔を浮かべています。
微笑みを浮かべ、いたわりの言葉をかけるように心がければ、不思議と心が柔らか
くなると思うのです。心が柔らかくなれば、何かにぶつかっても、相手を傷つけない
し、自分も傷つくことがないと思います。
和顔愛語(わげんあいご又はわがんあいご)
だいむりょうじゅきょう
「和顔愛語」は『大無量寿経』というお経の中にある言葉で、意味は、和やかな笑顔
と思いやりのある話し方で人に接することです。
つらいときや嫌なことがあったときは、愚痴をこぼしたくな りますが、そんなとき
こそ、まず自分から笑顔と優しい言葉で周りの人に接する姿勢、それが「和顔愛語」
ですが、実践するとなると、簡単ではありません。気分が悪いときはなかなか笑顔に
なれないものですし、嫌いな相手に、思いやりのあるやさしい言葉をかけるの は出来
ないものです。しかし、幸せを求めるならば、どんな時でも、どんな人にでも、まず
は相手のことを考え幸せを与えるという思いやりの心を持つことが必要と思うのです。
ま た 、笑 顔 で 相 手 に 優 し い 言 葉 を か け れ ば 、相 手 が そ の 言 葉 に よ っ て 心 が 明 る く な り 、
幸せを感じ、自分が幸せであるだけでなく、まわりの人も幸せにしていこうと感じる
ことが出来るのではないでしょうか。さらにその行動や言葉が、また自然と周囲の人
の心を明るくし、分け隔てなく、優しく接することが出来、自分の心も幸せになると
思うのです。
お二人で「和顔愛語」を心がければ、 二人の心がまるくなり、笑顔が循環する素敵
な家庭を築くことが出来ると思います。
山崎君、文さん、ご結婚おめでとうございます。
お二人が一緒になり、共に相手の立場を認め合い、水のように柔軟に謙虚で 力強く
生きて行けば、必ず素晴らしい家庭を築くことができると思い、次の「君は君
我也
我は
されど仲よき」と「上善如水」の言葉を送ります。
いつまでもお幸せに。
君は君
我は我也
されど仲よき
これは、武者小路 実篤の言葉ですが、私は、この「君は君
我は我也
されど仲
よ き 」 は 、 ド イ ツ の 精 神 医 学 者 、 フ レ デ リ ッ ク ・ S ・ パ ー ル ズ ( 1 8 9 3~ 1 9 70 )
の下記の詩「ゲシュタルトの祈り」を簡潔にまとめた言葉だと思っています。
ゲシュタルトの祈り
私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。私はあなたの期待に応えて
行動するためにこの世に在るのではない。そしてあなたも、私の期待に応えて行動す
るためにこの世に在るのではない。もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれ
は素晴らしいことだ。出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。
訳 す る と 、私 は 私 の こ と を し ま す 。で す か ら 、あ な た は あ な た の こ と を し て 下 さ い 。
私は、あなたの期待に添うために生きているのではありません。そして、あなたもま
た、私の期待に添うために生きているのではありません。あなたはあなた、私は私で
す。でも、私たちの心が、たまたま触れ合うことがあったのなら、どんなに素敵なこ
とでしょう。でも、もしも心が通わなかったとしても、それはそれで仕方のないこと
で は な い で す か 。( 何 故 な ら 、 私 と あ な た は 、 独 立 し た 別 の 存 在 な の で す か ら … )
このように、互いに相手を尊重した上で、各自も尊重できれば、 より良い対人関係
を築けるのではないでしょうか。
上善若水(じょうぜんみずのごとし)
上善は水の若しは、老子道徳経第八章 にあり、老子の言葉の中で最も有名な言葉で
あり、私の座右の銘でもあります。通常は「ごとし」は如を使いますが、今回は若を
使いました。
「 上 善 」と は 、最 も 理 想 的 な 生 き 方 で 、そ う い う 生 き 方 を し た い と 願 う な
らば、水のあり方に学べというものです。
「水」には学ぶことができる三つの特徴があります。
一つは、その柔軟な性質です。四角な器に入れれば、四角な形になり、丸い器に入
れれば、丸くなります。器に逆らうことなく形を変える柔軟さです。
二つ目には、低いところに身をおくのは誰でも嫌なものですが、水は人の嫌がる低
い と こ ろ に 流 れ て い き ま す 。謙 虚 な 姿 で 、自 分 の 能 力 や 地 位 を 誇 示 し よ う と し ま せ ん 。
三つ目は、内なる大いなるエネルギーを秘めていて、緩やかな流れは、人の心を癒
す力を持っていますし、また速い流れは、硬い岩をも砕く力強い力も持っています。
こ の よ う に 、 水 は 「 柔 軟 」「 謙 虚 」「 秘 め た る エ ネ ル ギ ー 」 の 三 つ の 特 徴 を も っ て い
ます。人もこのような特徴を身につけることができれば、理想の生き方に近づける の
ではないでしょうか。
清史君
のどかさん、ご結婚おめでとうございます。
お二人は、きっとお互いに真心を持って相手の幸せを願い、愛に包まれた家庭を築
いて行くことと思いますので、次の「愛が幸福を生む」と「赤心慶福」の言葉を送り
ます。
いつまでもお幸せに。
愛が幸福を生む
この言葉は、カール・ヒルティが 幸福論で述べているものです。 カール・ヒルティ
は、スイスの法学者、哲学者、政治家で、また敬虔なクリスチャンでもあり、人生、
人 間 、神 、死 、愛 な ど の 主 題 に つ い て 含 蓄 深 い 思 想 書 を 著 し 、日 本 で は『 幸 福 論 』、
『眠
られぬ夜のために』などで知られています。
愛が幸福を生むは、富や栄誉ではなく,魂の内奥の静かな真理愛こそが人間の真の
幸福を生むことを説くもので、キリスト教における中心的な教えである、無償の愛が
根本にあると思います。これは、神は無限の愛において人間を愛しているのであり、
神 が 人 間 を 愛 す る こ と で 、神 は 何 か の 利 益 を 得 る 訳 で は な い た め 、
「 無 償 の 愛 」と さ れ
ます。そして「神は、善なる者にも、悪なる者にも、変わることなく、太陽の光の恵
みを与えてくださる」と説いています。
キリスト教での真の愛とは神の心になると思いますが、私は、もっと単純に真の愛
とは代償を求めない、分け隔てなく相手を思いやる心と思うのです。そして真の愛に
は、他人だけでなく自分を思いやる心、自分が生きていることに感謝する心も含まれ
ていると思うのです。そして、この考えを持って生きて行けば、必ず一人一人に幸福
が訪れると思うのです。
赤心慶福
赤 心 慶 福 の 赤 心 と は 、「 赤 子 の 心 」 つ ま り 何 も の に も 覆 わ れ て い な い 真 実 の ま ま の
心、嘘偽りのない、ありのままの心という意味です。慶福とは相手の幸福に喜びを感
じるという意味です。短的に言いますと「真心を持って 相手の幸せを願う」というこ
とになります。
赤心慶福から二文字を取り屋号とした店もあります。 伊勢神宮の門前町にある30
0年以上続く和菓子屋赤福がそれです。創業の頃、京都から来たお茶の宗匠が、赤福
の 店 で 休 み 、召 し 上 が っ た あ ん こ ろ 餅 を 大 層 よ ろ こ ば れ「 赤 心 慶 福 」の 言 葉 を 頂 戴 き 、
そこから創業者が二文字を取り「赤福」と名づけたとされています。
赤心は年を重ねるごとに薄れ、最後には何処かに行ってしまい、影すら見えない状
態となることがあります。そのため赤心は常に心に止めるように努力していなければ
ならないものと思うのです。
田畑君
明希さん、ご結婚おめでとうございます。
お二人が、共に相手のことを考え暮らして行くならば、幸福は遠くにあるものでは
なく、ごく身近な些細な出来事の中にも感じられると思います。また相手をいつくし
む心があれば、どんな苦労があろうとも、それを乗り越えて行く力が自然と湧き上が
ると思いますので、お二人に、次の「幸せの青い鳥」と「慈故能勇」の言葉を送りま
す。
いつまでもお幸せに。
幸せの青い鳥
この、幸せの青い鳥は、メーテルリンクの童話劇で、クリスマス前夜、チルチルと
ミチルの兄妹が、幸せの使いである青い鳥を求め、妖精に導かれて思い出の国、幸福
の園、未来の国などをめぐって行きます。しかし、どこにも見つからず、目がさめて
みると、枕元の鳥かごにいる鳥が、よく見ると旅に出る前よりずっと青くなっている
ことに気づき、遠くまで青い鳥を探しに旅をしたのですが、なんのことはない、それ
はごく身近にいたという物語です。
幸福とは気がつかないだけで 、ごく身の回りに潜んでいるものであり、しかも自分
のためだけでなく、他人のために求めるとき、それははかりしれなく大きくなる ので
はないでしょうか。
慈故能勇
ゆえ
よ
ゆう
( 慈 あ り 。 故 に 能 く 勇 な り 。)
この言葉は、老子道徳経第六十七章にあります。意味は「本当の愛があれば、勇気
を 出 し て 行 動 で き る 。」 で す 。
慈だけを辞書で見ると、いつくしむこと。恵み。慈愛。母の深い 愛とあります。そ
のため他の訳では、慈を愛ではなく母の愛、深く愛する、慈愛、慈悲心にするのもあ
ります。また、この章では、幸せの道には、三つの大切なものがあり、それを常に心
がけることが大事であるとし、一つめは慈愛、二つめは倹約、三つめは出しゃばらな
い こ と 。 と 述 べ た 後 に 「 本 当 の 愛 が あ れ ば 、 勇 気 を 出 し て 行 動 で き る 。」 と あ り ま す 。
幸せになる方法としての愛とは、人を幸せにすることだと思います。その際に肝心
なのは、愛の行為を実践することではないでしょうか。行動に移すためには、はじめ
は勇気が必要でしょうが、愛の心が強ければ、必ず勇気も湧いて、次の行動に移すこ
とができると思います。
奈々さん、関根さん、ご結婚おめでとうございます。
お二人が一緒になり、本当の幸せを考え、共に相手の立場を認め合い、互いに居る
だけで、さわやかな風となり、心のなごむ、そんな家庭を築くことができることを願
い 、私 の 大 好 き な 良 寛 の「 一 生 成 香 」と 相 田 み つ を の「 し あ わ せ は 、い つ も じ ぶ ん の 、
こころがきめる」の言葉を送ります。
いつまでもお幸せに。
一生成香
こう
一 生 成 香 は 、 良 寛 さ ん の 座 右 の 銘 で 、 読 み は 、「 一 生 、 香 を 成 せ 」。 解 釈 は 、「 生 涯
かお
かぐわ
い い 香 り を 発 し な が ら 生 き よ 」。意 味 は 、
「 香 し い 風 と な り 、多 く の 人 々 の 心 を 喜 ば せ
ること。その人が居るだけ、あるいは来ただけで、その場にいる人達が心なごむ、そ
ん な 人 間 に な り な さ い 。」 だ そ う で す 。
出典は法華経の一番初めの序品にある文殊菩薩が「栴檀香風、悦可衆心」と読ん
せんだん
こうふう
しゅう
え つ か
だ 詩 に ち な み ま す 。読 み は「 栴 檀 の 香 風 、 衆 の 心 を 悦 可 す 。」と い う も の で 、意 味 は 、
「どこからともなく神々しい芳香が風のように吹いてくる人は、大勢の人に深い愛情
を 抱 か せ 、 人 々 の 心 を 自 然 に 悦 ば せ て く れ る 。」 と い う 意 味 だ そ う で す 。 良 寛 さ ん は 、
道元に心酔し、さらに法華経を深く学んでいましたので、良寛さんらしい座右の銘だ
と思います。
香りには色も形もありませんが、人の心に影響を与えるものです。よい香りを嗅ぐ
と心が落着き、気分もよくなります。悪い香りを嗅ぐと気分が悪くなってきます。
一人一人が、よい香を放せば、まわりの人を爽やかにしたり、和やかにしたり、幸
せにしたりすることが出来、きっと穏やかな明るい世の中になると思うのです 。
しあわせは、いつもじぶんの、こころがきめる
幸せを感じる時間が多ければ多いほど、楽しい毎日を過ごすことができると思います。
こ の 幸 せ は 、多 く 感 じ る に は 身 近 に あ る 幸 せ に 気 づ く こ と だ と 思 う の で す 。今 日 も 一 日 を
つ つ が な く 迎 え ら れ る 幸 せ 、朝 ご 飯 が お い し い と 感 じ る 幸 せ 、お は よ う と 挨 拶 を 交 わ せ る
人がいる幸せなどです。この幸せを数えれば数える ほど、実は自分を取り囲む幸せがた
くさんあるのだと、実感できるのだと思います。
ま た 、幸 せ と い う 価 値 観 は 自 分 が ど う 思 う か に よ っ て 違 っ て き ま す 。ど ん な に 恵 ま れ て
幸 せ そ う に 見 え る 人 で も 、本 人 が 幸 せ だ と 思 っ て い な け れ ば 、そ の 人 は 幸 せ で は な い と い
う こ と が あ る で し ょ う 。幸 せ と は 、例 え ば お 金 に 不 自 由 し な い こ と だ 、容 姿 に 恵 ま れ て い
ることだ、などということは、自らが作りあげた価値観です。その価値観に振り回され、
今が幸せだと感じられないことがあるかもしれません。
このような価値観に振り回されず、本当の幸せとは何かを良く考え、地位や名誉、金、
物 で は な く 、身 近 な と こ ろ に こ そ 本 当 の 幸 せ が あ る こ と に 気 づ く こ と が 必 要 と 思 う の で す 。
俊矢君、直実さん、ご結婚おめでとうございます。
お二人が一緒になり、本当の幸せを考え、共に相手の立場を認め合い、互いに居る
だけで、さわやかな風となり、心のなごむ、そんな家庭を築くことができることを願
い 、「 野 に 咲 く 花 の よ う に 」 と 「 栴 檀 香 風 」 の 言 葉 を 送 り ま す 。
いつまでもお幸せに。
野に咲く花のように
1.野に咲く花のように風に吹かれて、野に咲く花のように人を爽やかにして、
そんな風にぼく達も、いきてゆけたらすばらしい、時には暗い人生も、トンネルぬ
ければ夏の海、そんな時こそ野の花の、けなげな心を知るのです。
2.野に咲く花のように雨にうたれて、野に咲く花のように人を和やかにして、そん
な風にぼく達も、生きてゆけたらすばらしい 、時にはつらい人生も、雨のちくもり
で
また晴れる、そんな時こそ野の花の、けなげな心を知るのです。
この歌は、以前『花王名人劇場』で放映された流浪の画家・山下清を主人公にした
『裸の大将放浪記』の主題歌として作られたものです。私はこの素朴な曲が好きで、
カラオケでたまに歌います。
私は、人生とは自然と同じように、時には雨や雪が降たり、時には嵐に巻き込まれ
るときがあります。しかし、これらは、いつかは過ぎ晴れた日が歌のように来と思う
のです。その時に野の花のように咲けばよいのではないでしょうか。そしてこの咲く
とは、自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることだと思うのです。
また野の花は、強い花でしっかりと地に根を張り、どんなに打たれても踏まれても
いつかは花を咲かせ、見る人の心を和ませるものと 思うのです。
せんだんこうふう
栴檀香風
せんだんこうふう
栴 檀 香 風 と は 、法 華 経 の 序 品 に あ る 言 葉 で 、文 殊 菩 薩 が「 栴 檀 香 風
え つ か しゅう し ん
悦 可 衆 心 」と
読んだもので、良き教えというのは、風に運ばれてくる栴檀の香りのように、多くの
人を悦ばせるという意味です。これは難しいことではなく、ただ単に、傍に居るだけ
で な ん だ か 楽 し い 気 分 に な っ て し ま う 、そ ん な 人 の こ と を 言 う の で は な い で し ょ う か 。
文殊菩薩は、そんな良き香りがする人間になりなさい。 そんな美しき心を大切にし
なさい。そうすれば、香しい風となり、あなたはもちろん周りの人々も心楽しく、幸
せな気持ちになると言っていると思うのです。
また、香りには色も形もありませんが、人の心に影響を与えるものです。よい香り
を嗅ぐと心が落着き、気分もよくなります。悪い香りを嗅ぐと気分が悪くなってきま
す。一人一人が、よい香を放せば、まわりの人を爽やかにしたり、和やかにしたり、
幸せにしたりすることが出来、きっと穏やかな明るい世の中になると思うのです 。
和田君、由佳さん、ご結婚おめでとうございます。
お二人が一緒になり、 色々なことで悩むことがあると思います。そんな時、どこに
行 け ば よ い の か 、ど こ に 相 談 に 行 こ う か と 考 え る こ と が あ る か も し れ ま せ ん 。し か し 、
心の落ち着く、心の和む家があれば、そこに帰りただ座るだけで、全てが解決するか
もしれません。また、天を見上げれば美しい星がある。地には美しい花がある。人に
は人をいたわる優しい愛があるという、純粋な心を持ち 続ければ、本当の幸せをつか
むことが出来るかもしれません。
そ う 願 い 、「 天 に 星 、 地 に 花 、 人 に 愛 」 と 「 帰 家 穏 座 」 の 言 葉 を 送 り ま す 。
いつまでもお幸せに。
天に星、地に花、人に愛
この言葉は、小説家・劇作家として知られている武者小路実篤が、芳賀書店から第
6 集 ま で 刊 行 さ れ た 「 実 篤 人 生 論 シ リ ー ズ 」( 昭 和 42 年 頃 ) の 第 3 集 の タ イ ト ル 「 天
に 星 地 に 花 人 に 愛 」 で す 。 ま た 、 武 者 小 路 実 篤 は 90 歳 ( 昭 和 51 年 ) で 亡 く な る 直 前
まで書画の制作を続け、その数もかなりなものがあり、この言葉も画賛 (色紙に添え
られた言葉)としてあります。
ち ょ ぎゅう
基 は 、明 治 時 代 の 文 芸 評 論 家 で あ る 高 山 樗 牛 の「 天 に あ り て は 星
人にありては愛
地にありては花
これ美しきもの最たらずや」と言われています。
私は、この言葉を聞くたびに、人間の素直な純粋さを思い浮かべます。 夜空には輝
く星がある。野には美しい花がある。人には愛する思いやりの心がある。これらはみ
な自然に備わっているもので、これが美しいものの最高のものかも知れません。そし
て 、美 し い も の は 、人 を 幸 せ な 気 持 ち に し て く れ ま す 。こ の 人 を 幸 せ に す る 気 持 ち は 、
自分の幸せにつながると思うのです。
き か お ん ざ
帰家穏座(家に帰りて穏座する)
こ の 言 葉 は 、 禅 語 で よ く 聞 く 言 葉 で す 。意 味 は 大 き く 分 け て 二 つ あ り 、 一 つ は「 長
ら く 放 浪 し て い た 者 が 、故 郷 の 自 分 の 家 に 帰 っ て 身 も 心 も 落 ち 着 く 。」要 は 、
わが家に帰ってゆっくりとあぐらをかいた時が一番だというものです。もう一つは
「 人 間 が 本 来 自 分 に 備 わ っ て い る 仏 性 に 立 ち 帰 っ て 安 住 す る こ と 。」 要 は 、
人が生まれながらに持っている本当の心に帰り、やすらかに なるとなります。
男でも女でも、外に出ると多くの敵や辛いことに出会うことがあります。そんな時
あんのん
に、精一杯の仕事を終えて帰るわが家こそ、心安らかな自由と 安穏の世界であれば、
どんなに幸せなことでしょうか。
平松君、ちひろさん、ご結婚おめでとうございます。
お二人が一緒になり、 いつもお互いに相手のことを思いやり、いたわりあうという
仲の良い姿は、傍から見ても本当に微笑ましく美しいものに映るものです。この美し
いものは、人を幸せな気持ちにし、人を幸せにする気持ちが、お互いの本当の幸せに
つながると思うのです。また、平松君とちひろさんに、お互いに相手のことが、世界
で並ぶものがいないほど一番大切な人になってもらいたく、
「 仲 良 き こ と は 、美 し き か
な」と「国士無双」の言葉を送ります。
いつまでもお幸せに。
仲良きことは、美しきかな
この言葉は、小説家・劇作家として知られている武者小路実篤が、絵に書き添えた
「 讃 」( 画 讃 、 画 賛 ) と 呼 ば れ る 短 い 言 葉 で 、「 武 者 小 路 実 篤 画 文 集
者小路実篤全集
第4巻」や「武
第 1 1 巻 」に 収 録 さ れ て い ま す 。武 者 小 路 実 篤 は 90 歳( 昭 和 51 年 )
で亡くなる直前まで書画の制作を続け、その数もかなりなものがあり、この言葉 は画
賛の中でも最も有名な言葉で、誰もがどこかで一度は聞いたことがあるのではないで
しょうか。
意 味 は 、「 人 と 人 が 仲 良 く し て い る 様 子 は 、 実 に 美 し い も の で あ る 」 と い う こ と で
す。夫婦や家族、職場でも人との関係がギクシャクし、いがみ合っていると相手を誹
謗中傷し合い、人間の弱さ、汚さ、醜さが見えて決して美しいものではありません。
しかし、互いに相手のことを思いやり、いたわりあうという仲の良い姿は、傍からみ
て も 本 当 に 微 笑 ま し く 美 し い も の で 、こ れ が 美 し い も の の 最 高 の も の か も 知 れ ま せ ん 。
そして、美しいものは、人を幸せな気持ちにしてくれます。この人を幸せにする気持
ちが、自分の本当の幸せにつながると思うのです。
国士無双
りゅうほう
国 士 無 双 と 聞 く と 、直 ぐ に 麻 雀 の 役 満 を 思 い 浮 か べ ま す が 、基 は 前 漢 の 高 祖 劉 邦 に
かんしん
仕 え た 大 将 軍 、韓 信 を 讃 え た 言 葉 で 、
「 国 士 」は そ の 国 の 中 で 最 も 優 れ て い る 人 物 、
「無
双 」 は 並 ぶ 者 の な い と い う 意 味 を 指 し 、「 天 下 に 並 ぶ 者 が 居 な い ほ ど 大 変 に 優 れ た 者 」
という意味です。また、この韓信は、韓信の股くぐりという 故事にもなった人で、こ
の韓信の股くぐりとは、
「 将 来 に 大 志 を 抱 く 者 は 、屈 辱 に も よ く 耐 え る 」と い う た と え
です。ジャッキー・チェンの「酔拳」でも、主人公が敵役の股をくぐらされるという
シーンがあるほど、中国では広く知られた故事です。
私は、家族を守る、愛するものを守ることも「韓信の股くぐり」に通ずるものがあ
ると思います。また、国士無双とは国だけではなく家族やその人だけにとって、並ぶ
者が居ないほど大変に重要な人、かけがえのない人とも取れると考えるのです。
中里君、瑞紀さん、ご結婚おめでとうございます。
お 二 人 が 一 緒 に な れ ば 、楽 し い こ と 、幸 せ な こ と が 沢 山 訪 れ る と 思 い ま す 、し か し 、
時には喧嘩をしたり、家庭のこと、子供のこと、職場のことで悩むことがあると思い
ます。それがごく自然のことで、その享楽辛苦を感じることが人間であり、それが生
きていると言うことではないでしょうか。
そんな時、二人でお互いを信じあい、手をつないで共に生きてゆけば、どんな世間
の荒波にも立ち向かい、乗り越え、幸せを掴むことができるのではないでしょうか。
そ う 願 い 、「 に ん げ ん だ も の 」 と 「 把 手 共 行 」 の 言 葉 を 送 り ま す 。
いつまでもお幸せに。
にんげんだもの
「にんげんだもの」は、相田 みつを(本名:相田 光男)が書いた詩や書で有名に
な っ た 言 葉 で す 。相 田 み つ を は 、日 本 の 詩 人・書 家 で 平 易 な 詩 を 独 特 の 書 体 で 書 い た
作品で知られ、書の詩人、いのちの詩人とも称されています。
にんげんだものを使った詩は次のようなものがあります。
にんげんだもの
つまづいたっていいじゃないか
にんげんだもの
くるしいことだってあるさ人間だもの
ぐちをこぼしたっていいがな
弱音を吐いたっていいがな人間だもの
相田みつをの詩は、上述のように、単純な言葉ですが、 人間のありのままの姿 、自
分の弱さも包み隠さずにさらけ出しています。そして力強く心に響きます。
把 手 共 行 (は し ゅ ぎ ょ う こ う )
そうだい
え かい
把手共行は、禅の言葉で主典は中国宋代の禅僧、無門慧開の「無門関」という著書
だ る ま
にある「無」という関門をくぐることが出来れば、達磨大師や歴代の祖師たちと手と
手をとって歩き、同じ目ですべてを見、同じ耳ですべてを聞くことができる からと言
わ れ て い ま す 。意 味 は 信 じ る 教 え 、信 じ る 人 を 拠 り 所 と し て 、
「共に手を取り合ってい
こ う 。」 で す 。
し か し 、私 は 単 純 に 「 愛 す る 人 と 共 に 手 を 取 っ て 歩 ん で い く 」 で も 良 い と 考
え て い ま す 。な ぜ な ら 信 じ る 教 え と は 深 い 愛 、信 じ る 人 と は 愛 す る 人 と 思 う か ら で
す。
朋友信有
ご り ん
朋 友 信 有 の 出 典 は 、 孟 子 の 書 『 滕 文 公 』( と う ぶ ん こ う ) 上 編 の 中 で 五 倫 ま た は 五
常(人間の守るべき五つの基本モラル)としてあげてい るものの一つで、友人同士は
信頼し合うべきであること。また、信頼関係が何より大切であるということ。友人の
間では、信(まこと)を大切にすることが人としての道であるという 意味です。
原文は
父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信。
読み下し
ふし
しん あ
くんしん
ぎ
あ
ふうふ
べつ あ
ちょうよう じょ あ
ほうゆう しん あ
父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、 長幼 序有り、朋友信有り。
意味
「 親 」 は 生 ま れ な が ら に 、 ひ と り で に わ く 親 愛 の 情 。 父 は 慈 、 子 は 孝 で す 。「 義 」
は 後 天 的 身 分 に よ っ て 生 ず る 上 下 の 正 し い 道 。君 は 臣 を 礼 し 、臣 は 君 に 忠 で あ る こ と 。
「別」は夫には外における夫のつとめ、妻には内における妻のつとめがあって、それ
ぞれその本分を乱さないこと。
「 序 」は 順 序 。長 者 を 先 に し 、幼 者 を 後 に す る こ と 。
「信」
は言葉と心の一致すること。まこと。いつわりあざむくことがないこと です。
五倫は、儒教における 5 つの道徳法則、および徳目であり、主として孟子によって
提唱されました。
「 仁 義 礼 智 信 」の「 五 常 」と と も に 儒 教 倫 理 説 の 根 本 と な る 教 義 で あ
り 、「 五 教 」「 五 典 」 と 称 す る 場 合 が あ り ま す 。
孟子は、秩序ある社会をつくっていくためには何よりも、親や年長者に対する親
愛・敬愛を忘れないということが肝要であることを説き、このような心を「孝悌 」と
名づけました。そして、『孟子』滕文公(とうぶんこう)上篇において、「孝悌」を
基 軸 に 、道 徳 的 法 則 と し て「 五 倫 」の 徳 の 実 践 が 重 要 で あ る こ と を 主 張 し た の で し た 。
また孟子は、以上の五徳を守ることによって社会の平穏が保たれるのであり、これ
きんじゅう
ら秩序を保つ人倫をしっかり教えられない人間は禽獣に等しい存在であるとしまし
た。
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