源氏物語に見る結婚と平安時代の実態

村井利彦(神戸山手大学)
「源氏物語に見る結婚と平安時代の実態」
こんにちは。村井でございます。よろしくお願いします。私の担当は『源氏物語』とい
うことなんですけれども、皆さんは『源氏物語』をどのようなものだと思っていらっしゃ
るのでしょうか。私が今から話す話は、たぶん皆さんの期待を裏切るものだと思われます。
『源氏物語』は簡単に申しますと結婚の物語ではなくて、
「結婚してからの物語」なんです。
ですから、非常にためになりますので、是非お読みいただきたい。
では、
『源氏物語』を通して結婚ってのはどういう風に見えてくるのか、って話を始めた
いと思います。お手元には、私のレジュメがあると思いますが、ただしゃべっているとだ
んだん脱線しますので、しゃべることを書いておきました。したがって、途中で終わって
もいいかと思います。たぶん、途中で終わる可能性が高いです。だから、後はご自身で自
学自習をしていただいて、適当に想像力を膨らませていただきたいと思います。一応6項
目お話したいと思っています。
まず最初ですが、
「平安時代の結婚」は簡単に言うと「政治」
、なんです。要するに、貴
族が権力を保持する。権力を握るのは、結婚によって権力を握るわけです。したがって、
平安時代の貴族は、女の子がたくさんいないとダメ、なんです。ですから、多けりゃ多い
ほど、いいです。出来はそんなによくなくっても、大丈夫です。どうしてかって言うと、
一人の姫君に 30 人くらい女房がつきます。ですから、30 人も女房がいれば絶対になんとか
なります。よほど素材がひどければ別ですよ(笑)
。何とかなります。それで、それをどう
するのか。年頃までどう育てるのか。育て方は難しいですよ。産んだ人が育てないという
のは、基本です。人に育ててもらうんです。ちょうど同じ時期に産んだ人は、お乳が出る
でしょ。だから、その人に育ててもらうんです。これ、ポイント1です。どうしてかとい
うと、親は子供のことを考えると、真っ暗闇になるんです。これはことわざで「子ゆえの
闇(我が子への愛ゆえに、ともすると親は思慮分別を失いがちであるということ)
」とも言
い表わされています。したがって、自分よりいい人に育てていただいたらいい。これを「乳
母制度」といいます。
乳母は一人だけではありません。数人います。光源氏クラスだとかなりいます。悪い乳
母もいますが、それはすぐにクビにすればいいんです。いい乳母に育てさせます。で、年
頃になる。何歳くらいで結婚するかというと、15 ちょい前です。15 過ぎたら行き遅れです。
ですから、13、4、5 あたりでなんとかする。『源氏物語』では、20 歳くらいまで結婚しな
い人物がいますが、それは例外です。11 歳で結婚する場合もあるんですよ。言っておきま
すが、全部数え年です。満ではないです。ですから、9 歳で、ということも実際にはありう
る。かなり幼いときに結婚するんだ、ということになります。権力者は結構焦ってますん
で、首でも引っ張って早く大きくなれ、と。こいつを皇宮にいれなくちゃならないから。
そういう方法で、結婚させます。結婚させるときは、出来れば皇太子と。つまり、次の
天皇。天皇でもいい。ただ、天皇が若ければいいけれども、かなり歳食ってたらマズいで
すから、皇太子あるいは将来必ず皇太子になるであろうと目される方と結婚させるのであ
ります。
結婚したら、今度は男の子を生ませる。何が何でも男の子を生まなければならない。女
の子を産んでも何にもならない。男の子が生まれたらその子を皇太子にするようにがんば
る。そして、その皇太子が無事即位するようにがんばる。早い話が、自分の孫が権力を握
る、つまり天皇になるまで、獅子奮迅の活躍、臥薪嘗胆をやらなくちゃならない。だから、
本当に自分の孫が天皇になったときに、自分がどうやって権力を握るかというと、
「天皇は
幼いから、天皇に代わって私が政治を取ります」という。これが権力の構造であります。
したがって、孫が即位してそこそこの頃に権力を握りますので、そのときにはかなり歳食
ってます。したがって、平安時代はほとんど爺の政治だと考えていいかと思います。藤原
時平のように若い頃から権力を握れるのは、よほど家柄がいいとか、そういう場合に限ら
れてくる。
こういう構造から何が生まれてくるかというと、やはり「不確実性」ですので、決定論
というか運命論と申し上げましょうか、そういった感覚。それから祈りとか、呪術師とか、
さまざまな「怪しげな」ものが生まれる。女性の場合、娘を綺麗にするためには、先にも
申し上げたとおり、30 人の宣伝部隊がおりますから、これに東西随一の文化人を集めるよ
うにします。したがって、紫式部とか、清少納言とか、和泉式部とか、伊勢大輔(たいふ)
とか、そういう優れた人が権力者のところに集まって、それぞれ権威を競って、ごく一部
ながらものすごくレヴェルの高い会話をして、それが平安時代の女流文学を生むことにな
るわけですね。その中で生まれたのが『源氏物語』です。ちょうど今から 1000 年位前に出
来上がって、ちょうど今年は源氏 1000 年期でありまして、色々行事をしております。そう
いう風にして、平安時代の権力というのが形成していくのだ、ということをまず1つお話
しておきたい。私が言っているのは、超上流の貴族の話であって「下々の者はどうなって
いるのか」とよく聞かれます。下々の者は、われわれとほとんど同じで、語るに足らない
ので、省略します。とにかく、最高貴族はこういうようになっています。
それでは、光源氏の権力は、どこから生まれてきたのか、ということをお話いたします。
光源氏は、生まれながら光っておりまして、人間離れしていました。能力も人間離れして
いました。なので、お父さんがめちゃくちゃ可愛がりました。これが第1点。それからで
すね、実は光源氏はお父さんのお妃と通じまして、子供を産ませて、その子が即位してい
くんです。だけど、その子供が自分のお父さんが光源氏であることを、その帝しか知らな
い。だから、帝が光源氏を手厚くもてなす。光源氏の言うことは何でも聞く。父親ですか
らね。そうして光源氏は権力を保つことが出来たし、父親に可愛がられ、息子に頼られる
うちに、光源氏はお嬢さんを一生懸命育てまして、11 歳のときに東宮と結婚させておりま
す。東宮も 11 歳で、ものすごく幼い結婚です。そして子供が出来てそのお子さんが東宮に
なり、そして天皇になる。『源氏物語』の終わりのほうで、東宮になるが、光源氏はそれを
知らない。光源氏の権力基盤というのは、このようにして成り立っているわけです。
じゃあ、紫の上(むらさきのうえ)との結婚はどうだったのか、という疑問があるかも
しれません。紫の上と光源氏の結婚は、平安時代としてはあまり「正しい」結婚とは言え
ません。どうしてかっていうと、光源氏は紫の上を略奪して、つまり拉致して、人が知ら
ないうちに結婚して、新枕を交わし、そして3日目の朝に、2人で一緒に餅を食っただけ
です。これを「三日夜餅」というんですね。そして、結婚成立です。そのとき、紫の上の
お父さんは、紫の上がどこにいるのかわかりません。行方不明状態です。なんと、このと
きまだ紫の上は「裳着(=成人式)」を済ませていなかったのです。その状況ですので、紫
の上との結婚は、今の言葉で言えば「できちゃった婚」とか「籍入れ婚」みたいなもので
す。よく年賀状で「先生、私『紫の上婚』をしました」なんてのが来るんですが(笑)、そ
れはそういう結婚をしたということです。お父さんにも知られずに、彼と一緒になりまし
た。そういうのがだいたい光源氏と紫の上の結婚でした。その後、お父さんにも紹介され
て、だんだん紫の上は認知されていきますが、紫の上の生涯のコンプレックスはこの1点
です。家柄は悪くないのに、私はちゃんと結婚していない、というコンプレックスです。
こうした結婚も『源氏物語』の中にあるんです。あくまで、「秘密婚」です。
他に光源氏の奥さんは、たくさんいますけど、主だった人がいないわけです。花散里と
いうのがいます。これは「いつの間にか結婚」です。いつの間にか話に出てきて、いつの
間にか結婚します。明石の君というのがいます。これは光源氏の一族なんですが、事情が
あって、明石に逃げている。で、明石で勢力を張っている。そこへ光源氏がたまたま行っ
て結婚している。まぁ、
「運命婚」と呼ぶべきでしょう。その明石の君が、女の子を産んで、
これが光源氏に栄耀栄華をもたらすことになるんです。これはちゃんとした結婚ですが、
このとき光源氏は「流人」
(※現代では、差別語と判断される場合もありますが、当時の言い回し、当時の文脈
上の意味で使用しています) とはいいませんが、流された身の上だった。尾羽打ち枯らした頃に、
結婚した。そういう人いません?こんな人と結婚するつもりじゃなかったけど、非常に悲
劇的な状況にあるときに、ついほろりと結婚してしまった人。この中に3人くらいいるの
ではないでしょうか(笑)。本来ならば、明石の一族が権力の座にあったときならば、もの
すごい結婚式になったでしょうが…。まぁ、そういう人がいます。
光源氏が本当にちゃんと結婚したのは1回しかありません。それは光源氏が 40 歳になろ
うとしたときのことです。それはお兄さんに、お兄さんの娘を押し付けられたときです。
女三宮といいます。で、これとはちゃんと結婚しました。このとき女三宮は 14、5 歳でし
たけれども、なんと光源氏は 39 歳。ミッキー・カーチスなんかに比べるとはるかに若いじ
ゃん、と皆さん思われるでしょうけれども、
『源氏物語』の時代は 40 歳から老人なんです。
だから、老人一歩手前、あるいは老人になる日に光源氏は結婚したようなもんです。その
ときに、生涯をともにしている紫の上が泣き濡れるんですが、この女三宮が他の男と道な
らぬ恋に堕ちまして、結果、この女は『源氏物語』から退場していくということになり、
紫の上は救われるという話になっていくのです。
光源氏のお嬢さん、つまり明石の上が結婚するときに、持っていったものが書いてあり
ます。それが一巻き書かれている。何を持って行ったか。これは参考になると思うので、
言っておきますと、草紙、つまり物語です。もう1つはお香です。お香は、まぁわかりま
すが、物語はどうしてでしょうか。平安時代の物語というのは、女の教科書なんです。だ
から悲しいことがあったとき、物語を読むんです。だから、必要なんです。是非ですねぇ、
結婚なさる場合は、
『源氏物語』を桐の箱に入れて持っていってください。悲しいことがあ
ったら『源氏物語』を読んでください。紫の上は物語を読んでますよ。
「浮気な男と結婚し
た人がいる。だけど、みんな最終的にどこかに行く「寄る辺」がある。だが、私にはない」
ということを言ってますね。これが紫の上の悲しみなんです。光源氏がいるじゃん、とお
っしゃられるかもしれませんが、その頃光源氏を信じられなくなっているから、物語を読
んでいるのです。そういう物語の効用があるんです。最近、そういう風に思う方がいませ
ん。与謝野晶子が最後です。彼女は教科書として『源氏物語』を読んだんです。彼女は何
回読んだかわかりません。めちゃくちゃ読んでます。
時間がなくなってきましたから、先へ進んで「女は不自由であったか」という話をして
いきたいと思います。親の決めた結婚ばかりで、女は不自由ではないか、と思われるかも
しれませんが、平安時代の結婚というのは女にとって自由であったと私は思います。むし
ろだまされるのは男の方であります。平安時代の女性は、親兄弟にも顔を見せませんでし
た。一番やんごとない人たちの話ですよ。庶民は顔むき出しです。とにかく、貴族は顔を
見せない。したがって、どうするかというと男は、30 人くらいいる女房の誰かとコンタク
トを取るわけです。ですが、この 30 人は女性の宣伝部隊なのです。ですから、もっともら
しい男たちに逆にアプローチしていく。ですから、その人たちは、自分が紹介した男がお
嬢さんと結婚したら、自分の地位が上がりますから、したがって真剣ですし、変な人を紹
介しません。だから、その意味ではかなり安全だったのではないでしょうか。それからも
う1つ。男たちはお嬢さんがどんな人か全然わからない。わからなくて仕方がないので、
歌なんかをやり取りして、歌で判断する。まぁ、そういうことしか方法が無い。だけど、
お嬢さんがたは違うんですよ。部屋の中にいて御簾が垂れているでしょ。部屋に男がくる
でしょ。御簾は明るい方は見えるが、暗い方は見えないんです。だから、女たちはみんな
品定めをしてるんです。それから、女房たちは歌のやり取りをすることで、その男の実力
がすぐわかります。ですから、品定めをしてすべてわかりきったところで、何も知らない
フリをしてコンタクトをとるんです。ちゃんと計算しているわけですね。つまり、結婚と
いうのは王朝内では女性が有利だったんですね。気の毒なのは男性ですね。足蹴にされた
り。せっかくうまくいっても、とんでもない女性だったりするわけですので。そこはつら
かったんではないでしょうか。
まぁ、それでも問題は結婚してからです。基本原則として、嫁の方の家が男の世話をす
る。今でも、ど田舎では残ってませんか?全部世話をする。男は丸腰で行けばいい。いい
時代ですなぁ。でも、結婚してくれるかわからないのですが。女のほうは、それを一生懸
命しますが、一夫多妻制ですから、条件の良い方に行くでしょ。だから女の家は大変です。
そうして、平安時代の家はすべて遺産を娘に譲るんです。男なんてどうでもいいんです。
女に譲るんです。ただ、男は浮気ものですから、嫌になったら来なくなります。女の実力
は、結婚後に試されるのです。そういう意味では、現代よりも悲劇的であるともいえます。
現代は恵まれてますね。結婚するとなかなか別れにくいし、法律で保護されたりなんかさ
れてますしね。平安時代は、そんな感じで結婚前に女が自由で、結婚後には男が自由だっ
たわけです。だから女は必死になって男の品定めをした、ということです。
時間がなくなってきましたが、最後に、
「花心の愛」と「二心なき愛」という話をします。
平安時代は1人の人がたくさんの人を愛するのを「花心の愛」と呼びました。これが光源
氏の愛です。だけど、
『源氏物語』を読んでいると、他の人には目もくれないほど1人の人
を愛している場合があるんです。それを「二心なき愛」といいます。光源氏がふと「私の
ような男と結婚して、多くの妻の末席を占めるよりも、納言クラスで1人しか愛さない、
大切にしてくれ、その人と結婚したほうがこの子は幸せではないのか」と思った箇所があ
ります。ただし、『源氏物語』の世界ではそういうのは寂しい愛であり、馬鹿にされます。
だけど、光源氏がふとそういうことを思ったことをご紹介しました。
時間がまいりました。後は、読んでおいてください。6つめの恋は泥沼というところは
おもしろい話なので、読んで想像力を働かせていただきたい。どうも、失礼いたしました。
ご質問があればよろしくお願いします。