2015.09.20 「あなたは神様に愛されています」 イザヤ46,ヨハネ3

インマヌエル富士見台キリスト教会
礼拝
イザヤ46:1-12
ヨハネ3:16
「あなたは神に愛されています」
○
9 月に神学院の同窓会セミナーがあり出席しました。そのとき、T神学生がすべての方
に向けて証しをしてくださいました。
今年退職してから、神様が献身に導かれたこと、出身教会の先生が「良い晩年を過ごし
ていますね」と言われたときに、
「ああ、そうか、自分は、良い晩年をおくっているのだ」
と教えられたそうです。
私たちがいつイエス様を信じたかは人それぞれです。そして今の自分を見ると、年を取
った、さてこれからどうして生きようか、自分の人生はこれからどうなるのだろうか。と
思う方がいるかもしれません。
イエス様とともに歩む時に、それはそれは素晴らしい人生になります。年齢を重ねてお
られる方にとっては「主と過ごす良い晩年」ですし、若くして主とともに歩んでいる人、
子どもにとっては「主とともに過ごせる、素晴らしい、未来」が開かれています。
明日は敬老の日ですが、富士見台教会ではその日に一番近い日を敬老礼拝としています。
「あなたは神に愛されています」という題で話して行きますが、
今日の中心の聖句は
イザヤ 46 章4節です。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがにな
っても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。
わたしは背負って、救い出そう。
○
イエス様がお生まれになる 700 年も前のことです。北イスラエルはアッシリアに滅ぼさ
れ、南のユダ王国も存亡の危機にありました。
土台がぐらついていたのです。
経済的な土台でしょうか。いいえ、軍事的な土台でしょうか。いいえ、
政治的な土台でしょうか、いいえ。
神様を信じる信仰という土台がぐらついていたのです。
イスラエルの民はバアル、アシュタロテという神、木や石で作った神々を拝む人が多か
ったのです。まことの神様を信じる選びの民というのは名ばかりで、人々の心を支配して
いたのは、偶像の神々だったのです。そんなイスラエルの人達に対して、イザヤは神様か
らのメッセージを語っています。
イザヤは紀元前 8 世紀の人です。やがてイスラエルはバビロンに捕囚されますが、悔い
改めたイスラエルの民の中からイスラエルに戻ってくる人々が興されることも知っていま
した。バビロンからイスラエルの民が母国に戻っても良いという命令を出したのはクロス
王です。紀元前538年のことです。ですからイザヤは紀元前 8 世紀の人、200 年ほど後
の紀元前6世紀のことも視野に入れて預言をしているのです。
-1-
イザヤ書は 66 章ありますが、40 章からがらっと雰囲気がかわります。
40 章からは回復と慰めのメッセージとなります。
そのメッセージはあるときには厳しく、あるときには優しく語りかけられます。
「あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、
わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」
今日は「あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。」
このみことばが今日の中心聖句です。この言葉が主が私に語るように導かれたみことば
です。
讃美歌の中に「地の塵に人然り、何一つ取り柄無し、今あるはただ主の
愛に生くる我
ぞ」天地万物をお造りになった神様、偉大な方と比べるといたら、私たちは地の塵、砂浜
の一粒の砂のような存在です。しかし、神様はその一粒の、何の変哲もないような一粒の
砂のような私たちのことを愛して下さっているのです。
46章で神様は預言者イザヤを通して
バビロンの捕囚され、その中で、まことの神を求めるようになるイスラエルの民、ユダ
ヤ人に対して語りかけておられます。
そしてYesとNoとそしてその理由を語られています。
最初に何に対してNoとおっしゃっているのでしょうか、見てみましょう。
偶像が本当の神か:Noと仰っています。
46:1
「ベルはひざまずき、ネボはかがむ。彼らの偶像は獣と家畜に載せら
れ、あなたがたの運ぶものは荷物となり、疲れた獣の重荷となる。
46:2
彼らは共にかがみ、ひざまずく。彼らは重荷を解くこともできず、彼
ら自身もとりことなって行く。
46:5
わたしをだれになぞらえて比べ、わたしをだれと並べて、なぞらえる
のか。
46:6
袋から金を惜しげなく出し、銀をてんびんで量る者たちは、金細工人
を雇って、それで神を造り、これにひざまずいて、すぐ拝む。
46:7
彼らはこれを肩にかついで運び、下に置いて立たせる。これはその場
からもう動けない。これに叫んでも答えず、悩みから救ってもくれない。
ベル、ネボというのはバビロンの代表的な神々でした。
ベルも、ネボもお荷物、人にとっても運ぶ家畜にとっても。
重荷を解くことも無い、単なる木や、石の神々、それらは人間にとって何も益にならな
いものです。
先日テレビ「夢の扉」でアフリカの薬事情が報道されいました。違法な薬屋さんがあり
ます。人々はマラリアにかかったときに高い金を払って薬を買うが、それらは全く偽物の
-2-
薬でかえって死に至らしめると大阪大学の堀井俊宏教授が仰っていました。
*1
偶像はまことの神ではありません。それは偽物の薬のようなものです。そして人間に悪
い影響を与え、やがて永遠の死に至らしめるのです。
ベルもネボはまことの神か、Noです。
では次に何に対してYesとおっしゃっているのでしょうか。
まことの神様はあなたですか。それに対してYesと仰っています。
46:3 わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる
時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。
46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっ
ても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背
負って、救い出そう。
46:8 このことを思い出し、しっかりせよ。そむく者らよ。心に思い返せ。
46:9 遠い大昔の事を思い出せ。わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神
はいない。
わたしが神である。ほかにはない。
皆さん、この世の中には沢山の神々の名前が存在します。
八百万の神
皆さん、
やおよろず
とうのは沢山という意味ですね。
*2
沢山の神々の名前は存在しても、神々というは実際には存在いないのですで
す。
まことの神様でないものを熱心に信じている方に対して、
「それはまことの神では無い」
と言ったとします。その方が大切にしているものを 100 %否定することで、帰ってその方
の心を頑なにしてしまうことがあります。
その方の信じているその信仰を大切にしつつ、真理にお導きするにはどうしたらよいで
しょうか。どのような見方をしたらよいでしょうか。
東京聖書学院の小林和夫先生からお話しを伺ったことがあります。
今いろいろな宗教を信じているとしたら、それは本当の光にたどりつくまでの、ロウソ
*1 先生はマラリヤのワクチンを大学で開発しています。一分間に 1 人の子どもがマラリ
ヤでいのちを失っていますから、世界に大き喜びをもたらされることでしょう。そのワク
チンはマラリアワクチン SERA(セーラ)といいます。
*2
旧暦の 10 月は神無月といいます。この一ヶ月神々が不在となる。一体どこにいくの
か、それは出雲国、出雲大社に行ってしまうから。という説もあります。
1.諸神が出雲に集合し、他の地では神が不在になる月であるから〔奥義抄、名語記、日本
釈名〕https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%84%A1%E6%9C%88
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クの光。そのロウソクの光があったからこそ、まことの光であるイエス様を知り、まこと
の神様を知るときには、それまで必要だったらロウソクの光は不要になる。
そのようなことを話しておられました。
大切なことだと思いませんか。
松岡先生というもと天台宗の和尚様で、牧師になった方がいらっしゃいます。
*1
その方の本を読んでいたときに、このようなことがかかれてありました。
「松岡先生、先生は仏教という暗闇にいたけれども今は光の中に移されたのですね」と
そのときに、松岡先生は何とも言えない嫌な思いがした。と言う事を書いていました。
皆さん、分かりますか。仏教の良いところも周知しておられ、そして必死になって修行を
する敬虔さ、伝統をご存知ですから。
仏教の教えをロウソクの灯火と考えたらどうでしょうか。松岡先生にとって、生まれ
たところがお寺さんで、ずっとそこで大きくなられました。そして仏門に入り、お寺を継
承しようとされたとうことは、そのときの松岡さんにとって仏教の教えは大切な、必要な
教えだったのです。
韓国に留学し、クリスマスに近所のクリスチャンが愛を持って近づいてくださり、い
ろいろと世話をしてくださいました。そしてそのおばさんが教会のクリスマスに誘ってく
れ、そこで初めて聖書を知り、神様のことをしるのです。そしてまことの光であるイエス
様を信じるようになるのですが、それはまさに人間業ではなく、神様の働きです。まこと
の神様がいらっしゃって、松岡さんを愛してくだださっている。松岡さんを罪から救う為
に十字架にかかられ,三日目によみがえって下さったことを知ったのです。
小林先生のことばでいうならば、今まで大切だった仏教の教えはまことの光であるイエ
ス様を知るまでのロウソクの灯火だったということを松岡さんが神様から教えてられたと
いうことです。
まことの神様は
わたしが神である。ほかにはいない。わたしのような神はいない。
まことの神様は御自分のことを何と紹介していますか。
・胎の中にいるときからご存知
・背負ってきた
・背負って下さる方
・運んでくださったかた。
・今までもそうしてきた、これからも
イザヤは 200 年後だけではなく、700年後にやがて来られる救い主を預言している
のです。
その救い主は主イエス様です。
*1 牧師さんになったお坊さんの話―イエスか釈迦か (フォレスト・ブックス)松岡広和
参照
-4-
○
皆さん、聖書の一番中心的な聖句はどこだと思いますか。
ある方は、始めに神が天と地を創造された
というでしょう。ある方は
創世記1:1
ヨハネ3:16でしょう。
ヨハネ3:16には
神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じるものがひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちをもつためである。
イザヤはイエス様がお生まれになる、救い主が誕生されることを預言しています。*1
そして私たちのためにどんな死に方をされるかを預言しています。
*2
旧約聖書で預言していた救い主が時至って来られたのです。
父なる神様は私たちのことを愛しておられます。
わたしたちは生まれながら罪をもっています。そしてことばにおいても、行動におい
ても罪を犯してしまいます。自分で忘れていても、神様はすべての事をご存知です。
そして罪の結果は何か、「滅び」です。ですから神様はわたしたちが「滅びる事無く
永遠のいのちをもつ」ことを願っておられるのです。
どうやったら滅びから逃れることができるのでしょうか。
まことの神様から離れていたら、わたしたちは永遠の滅びに吸い込まれてしまいます。
どんなに人間が努力しても、自分の力ではその流れにあらがうことができないのです。
唯一の方法、それが神であるイエス様がこの世にきてくださり、私たちの為に十字架
にかかってくださることだったのです。
○
神様はあなたを愛しておられます。
イスラエルに
あなたを背負う、これまでもしてきたように。
と仰っておられます。イスラエルだけではなく、神様はあなたのことを愛し
わたしはあなたを背負う、運び、救って下さる方です。
神様は生きておられる方です。
私は19才で主イエス様信仰を与えてくださいました。
山あり谷あり、いろいろなところを通りましたが、30 数年を振り返ってみると神様が
こんところでも、あのところでも助けてくださった、背負って下さった、運び、救ってく
*1 イザヤ 7:14 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。
処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
イザヤ 9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに
与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平
和の君」と呼ばれる。
*2 イザヤ 53
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ださったという連続です。
今日は愛老聖日ですが、特に熟練の聖徒の皆様、
9節
遠い大昔の事を思い出せ
この大昔というのは、創世記の天地創造のことや、出エジプトのことなどを意味するで
しょう。私たちにとったら、生きてきたその過去でしょう。
讃美歌476
救い主イエスは
このような歌詞があります。
坂道に強きみてもて、恵みを給う、弱きわが魂
わく。
渇く折しも
目の前の岩は避けてみず
リコーダーで吹きますね。
坂道の時に主が手を差し伸べてくあさり、
渇いたときには、岩から水を出してくださ
るようにして魂を潤してくださった。そのお方がのことを思い出しましょう。
私たちに取って大昔と思えるような事から今日に至るまで神様が生きて働いておられる
か、これからも導いてくださるかを思いだし、神様の恵みを思い巡らしませんか。
肉体的的に疲れや弱さを感じることもあるでしょう。将来の不安を感じらておられるか
もしれません。これは熟練の聖徒、愛老聖徒の方だけでは無く、皆感じているのが将来へ
の不安かもしれません。大丈夫だろうか。
そう、そのときこそイエス様を見上げ、委ねましょう。
あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
詩篇37:5
そしてお祈りしましょう。主が背負い、運び、救って下さいます。
何かの課題と戦っておられる方もあるでしょう。主の恵みの座に行きお祈りしましょう。
私たちの神様は生きておられます。
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配し
て下さるからです。
先々週、大きな課題と直面していました。
まず、恵みの座に行き、お祈りをしました。それは夜のことです、時間を忘れ、ひたす
ら神様にお祈りしていました。
すると主は「大丈夫。私はあなたを守る」と仰いました。「祈りを抜ける」という表現
がありますが、神様がご自身の栄光の為に、この私の祈りをお聞き届けて下さったという
経験です。主は生きておられます。
魂に平安と確信があたえられましたが現状は全く変わっていませんでした。しかし、す
でに祈りはかなえられているという確信が与えられたのです。
朝もまた恵みの座に行きお祈りをしました。心の中には平安と確信が与えられていまし
た。「大丈夫。私はあなたを守る」と主は仰るのです。
皆さん、主イエス様は生きておられます。
-6-
朝が来ました。そして助けて下さる方が与えられ、知恵が与えられ、そしてその課題を
乗り越えさせてくださいました。十字架で死に三日目によみがえって下さった主は生きて
おられます。
皆さん、神様はあなたをを愛しておらえます。そして、これから、白髪が増えようと、
肉体的な弱さを感じようとも、天の御国まで、背負い、運び、救って下さる方です。
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