京都から社会起業家の波を!

京都 ソーシャル ・アントレプレナー・ ネットワーク5 年 の 歩み
京都から社会起業家の波を!
Since2004
京都から社会起業家の波を!
~京都ソーシャル・アントレプレナー・ネットワーク5年の歩み~
目次
はじめに.................................................................................................................... 3
第1章 KSEN の設立と、いきなりのビッグ・イベント挑戦.............................. 4
第1節 KSEN の設立 ......................................................................................... 4
第2節 米国からミセス・マーリンを迎えて...................................................... 6
第2章 イベントを振り返る―偶然から生まれた人の縁 .................................... 14
第3章 運営委員のひとりごと............................................................................. 44
第1節 それぞれのメッセージ.......................................................................... 44
第2節 カンボジア旅行報告 ............................................................................. 70
第3節 蓼科の夏休み ........................................................................................ 76
第4章 これからの KSEN ................................................................................... 79
第1節 紙上座談会―運営委員、大いに語る.................................................... 79
第2節 おわりに―KSEN の成長を願って ...................................................... 91
編集後記.................................................................................................................. 93
-2-
はじめに
「京都から社会起業家の波を!」という大きな夢を掲げた小さな集まりがスタートして
5年経った。ここまで続くと思っていた仲間が当初どれだけいたかわからないが、感慨も
ひとしおである。
5年を記念して過去の活動を振り返り、運営委員一人ひとりがこれからの思いを伝える
場として、
「活動報告書」をつくってはどうかと提案したところ、幸いに賛同を得ること
ができ、昨年 10 月来、全員参加を合言葉に、打ち合わせ、意見交換、執筆、編集作業等
を経て、ここに小冊子を完成することができた。まずは仲間と共に、このことを素直に喜
び、私たちの活動に多尐なりとも興味と関心を持ってくださる皆さまが本書を手にとって
くだされば、まことに嬉しいし、光栄でもある。
もちろん、このような報告書が可能になったのは、私たちの活動の趣旨に理解と支援を
いただいたたくさんの方々のおかげである。特に、関西だけでなく東京や北海道からも、
さらに遠くはアメリカからも、男女を問わず、年齢を問わず、ゲスト・スピーカーを快く
引き受けていただいた人たちがいてこその活動であった。心からの感謝を申し上げて、こ
の小冊子をお届けしたいと思う。
さらには、自らの熱い想いを語ってくれた皆さま(
「社会起業家・社会企業家」という
より、もっと広く「元気人」と定義させていただきたいが)だけでなく、イベントに積極
的に参加して、参加者相互の交流を盛り上げ、活発な意見や質問を出したり、あるいは、
ボランティアのお手伝いをしてくれたり様々な形で支えてくれた方々の存在も実に大き
い。この場を借りて心から「ありがとうございました。これからもよろしく」と挨拶を申
し上げたい。
私たちの集まりである KSEN(京都ソーシャル・アントレプレナー・ネットワーク)は
本文にも触れたように、出入り自由のオープンな組織であり、短期間運営委員として加わ
ってくれた後、大学を卒業して京都を離れるなど様々な事情で活動から遠ざかる人たちも
尐なくない。
今回の報告書作成にあたってはできれば、こういったかつてのメンバーを含めて全員に
参加してもらいたかったが、実際には困難であった。報告書を手にしながら、発起人の一
人である藤田さん、ミセス・マーリンのセミナーで大活躍してくれた、溝辺さん、高橋さ
ん、イベントの度に力を貸してくれた浦野さん等々、お世話になった人たちの顔が懐かし
く浮かんでくる。
一時期を共にKSEN のもとに過ごしたかつての運営委員のみなさんが、
この広い空の下、元気で過ごしていることを祈り、また会う機会のあることを願っている。
2010 年3月8日
会長 川本卓史
-3-
第1章 KSEN の設立と、いきなりのビッグ・イベント挑戦
第1節 KSEN の設立
1.本書を作成する背景と構成
京滋を中心とする社会起業家のネットワークを構築し、社会起業家に対する人々の関心
を高めたいという思いから、京都ソーシャル・アントレプレナー・ネットワーク(京都ソ
ーシャル・アントレ会とも呼ぶ、頭文字をとって、略称は KSEN)が 2004 年 10 月に発
足して、無事に5周年を迎えた。そこで、現在の運営委員を中心に、今までの活動を振り
返り、今後を展望する報告書をまとめたいと考える。
KSEN は設立当初から、インターネット上にサイト(http://www.ksen.biz/)を設けて
いる。ご興味のある方はご覧いただければ幸甚である。本書の内容は、サイトに掲載した
過去の「ケーセン通信」や運営委員それぞれのブログの文章も活用している。
ここで本書の構成について説明しておくと、本章では設立の趣旨、当初の活動そして、
過去最大のイベントであった、米国からミセス・マーリンを招いてのセミナーについて報
告する。第2章では、
「イベントを振り返る―偶然から生まれた人の縁」と題して、現在
まで続くその他の活動を、第3章では「運営委員のひとりごと」と題して、各人からのメ
ッセージやプロフィール、夏休みの活動について報告する。そして最後の第 4 章はこれか
らの KSEN について、
「紙上座談会―運営委員、大いに語る」と設立以来のメンバーの一
人から「成長を願って」の挨拶で締めくくることとする。
2.設立の趣旨と特色
はじめに、
「社会起業家・社会企業家(ソーシャル・アントレプレナー)
」とはどういう
存在かについて紙数を費やすのは省略して、
「貧困や福祉など様々な問題に、新しいビジ
ネスモデルで取り組み、社会を良くしようと挑戦する人たち」とだけ定義しておくことに
したい。設立の趣旨について、発起人一同による「発足に際して」の一部を引用すると、
「最近、日本でもソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)という存在が注目されつ
つある。これが、これからの日本社会に新風を巻き起こす存在になるのではないかという
認識のもと、まず京都からいきいきとしたソーシャル・アントレプレナーのネットワーク
を生み出すための活動を行ってゆく」とある。さらに具体的な活動として、
「京都(に限
らないが)を中心としたネットワークの構築」
「存在と意義についての理論および事例研
究」
「人々の関心を高める啓蒙活動と人材の育成」
「上記に関わる情報の発信やイベントの
開催」などを挙げている。
当初の発起人は、浅野令子、植木力、川本卓史、加川裕介、藤田功博の5名。10 月 22
日には京都ロイヤルホテルにて発足記念第 1 回交流会を開催した。その後、徐々に運営委
員も増え、
「細く・長く、しかし持続する」をモットーに、ささやかではあるが、以下に
-4-
報告するような様々な活動を行っている。
組織の特性としては、当初から、オープンでゆるやかなネットワークを目指しており、
運営委員はいるが、出入り自由であり、特に明確な義務も会費もない。
また、フラットな組織であることを目指し、メンバー全員を「さん」で呼ぶ決まりにし
ている。
「先生」だの「社長」だのと肩書で呼ぶのは「タテ社会」の論理であり、他方で
この会はどこまでも横に広がっていくネットワーク・ヨコ社会の構築を目指している。そ
の象徴的な約束事としての「さん」づけなのである。
3.発足直後の KSEN の活動
発足後の KSEN は、約1年間、運営委員の確保、場所の確保、サイトの立ち上げなど
に時間をかけつつ、試行錯誤的に活動を行った。簡卖に振り返ると以下の通りである。
・ 第2回会合(11 月)――「名刺交換に終わらないネットワークの在り方について」と
題して、当時京都大学の木下さんから、ネットワーク構築に関する日米の事例紹介を
受けた(岐阜発の社会起業家集団・NPO 法人 G-net など)
。
・ 第3回(12 月)宇治市にある NPO 法人「スカンジナビアブックギャラリー」を訪問。
・ 第4回(2005 年1月)――京都リサーチパークにて、KSEN はどうあるべきか?こ
れからの活動は?等について意見交換。
・ 第5回(3月)――運営委員・植木さんの「メディア戦略」について講演会(植木さ
んの、厚生労働省支援事業の一環である「ワンモアライフ勤労者ボランティア賞」受
賞を記念して)
。
・ 第6回(5月)――運営委員・藤田さんの「文章術」に関するセミナー(2回)
。
・ 第7回(7月)――運営委員・加藤和子さんおよび京都人ブロガーとして全国でも認
知度の高い、京(みやこ)バレー代表・片岡弘昭さんによる「京(今日)からはじめ
るブログ講座」
(2回)
。この講座を契機に、運営委員がブログを開設するようになり、
現在も続けている。
・ この間、4月から1年間、京都市の「ひと・まち交流館京都」2階京都市市民活動総
合センター内にあるスモール・オフィスを利用することができた。
「カスタくんの町家」
(詳細は後述)の利用が可能になるまでの短期間ではあったが、ここにオフィスを置
き、会議室を利用して打ち合わせを行うなど、委員相互のコミュニケーションを深め
るのに大いに役立ったことは感謝している。
・ また、8月には「ひと・まち交流館京都」で開催された「NPO・市民活動見本市」に
ブースをもらって参加した。ブースでは、来場者に「みなさんが考える・知っている
京滋の元気人」を挙げてもらい、その後のイベント企画やネットワークを構築するに
あたって、参考となる情報を得た。
-5-
第2節 米国からミセス・マーリンを迎えて
1.セミナーの開催
前節で述べたような試行錯誤の中から、一度大きなイベントをやりたいという提案が、
運営委員の浅野さんから出た。そこで、アメリカにおいて長年、企業の社会責任に対する
評価に取り組む NPO 活動を続け、
「企業に社会責任を認知させたパイオニア」として知ら
れる、この分野の第一人者ミセス・アリス・テッパー・マーリン(SAI 代表)招待の企画
を立て、国際交流基金がプロジェクトの助成を公募していたので、大胆にも忚募し(申請
者名は、京都の NPO 法人日本サステイナブル・コミュニティ・センターにお願いした)
、
幸いにも許可が下りた。京都では実質的に KSEN が実施し、東京では CAC(社会起業家
研究ネットワーク・代表服部篤子、http://cacnet.org/)の協力を得た。
開催は 2005 年 10 月であり、東京と京都で
合計4回のセミナーを実施した。またこの間、
東京では、経団連および社団法人海外事業活
動関連協議会、イオン株式会社環境・社会貢
献部、健康総合事業財団・下村満子理事長と
の面談を行い、京都では、オムロン株式会社
CSR 総括室、オムロン京都太陽株式会社、法
然院梶田住職などを訪問した。
セミナーは、東京・京都共通の内容で1日目は、主として企業関係者を招いて「労働
CSR の新しい流れ――中国におけるサプライチェーン・マネジメント」と題して、国際協
力銀行講堂(当時)および、ぱるるプラザ京都にて実施し、2日目は主として研究者や
NPO 関係者を招いて「NPO が社会にインパクトを持つためには?~社会起業家マーリン
さんと語る~」と題して実施した。
発足したての KSEN にとっては大きなイベントであり、何とか無事に終えることがで
きたのは、助成を得た国際交流基金日米センター(http://www.jpf.go.jp/j/cgp_j/)
、CAC 服
部篤子さん、および東京・京都でのたくさんのボランティアのみなさんの献身的な努力に
よるものであり、この場を借りて心から感謝したい。みんなが結集したときのパワーがど
んなに大事かを痛感した。力を貸してくれたみなさんにとっても良い経験・良い思い出に
なったとしたら、こんなに嬉しいことはない。東京で後援してもらった某氏からは、
「社
会起業家というテーマのせいか、マーリンさんをはじめ企画した人たちやボランティアの
みなさんの人柄が素晴らしいですね」というコメントを貰い、まことに嬉しかった。
-6-
2.ミセス・マーリンについて
ミセス・アリス・テッパー・マーリンは、アメリカ国内のみならず国際的に知られた
NPO 活動家であり、2004 年7月に出版された『社会起業家―社会責任ビジネスの新しい
潮流』
(斎藤槙、岩波新書)で紹介されたアメリカ人三人の社会起業家の一人である。著
者の斎藤さんが彼女の NPO で働いたことがあり、その紹介をもらって直接メールを入れ
て、内諾を得た。これを踏まえて、2005 年8月には夏休みを利用して私がニューヨーク
に出張し、本人にも面談して打ち合わせを行った。
彼女は 1997 年には非営利組織である SAI(ソーシャル・アカウンタビリティ・インタ
ーナショナル)を設立し、現在その代表を務めている。SAI は、企業が労働環境や人権に
対してグローバルに取り組むためのシステムづくりを主たる活動内容として、そのための
基準「SA8000」を設定している。SA8000 は、国際労働条約や国連の人権宣言を踏まえ、
ISO のマネジメント・システムに準拠している。
彼女の活動歴をふりかえると、アメリカのリベラル・アーツ・カレッジとして全米トッ
プ5に入るウェルズレイ大学を 1966 年に卒業、ウォール街の証券アナリストとして出発
したのち、69 年にカウンシル・オン・エコノミック・プライオリティズ(経済優先順位研
究所、CEP)を設立し、33 年間代表を務めた。
彼女が金融の世界から NPO 活動に転進した経緯はよく知られている。ベトナム戦争最
中の当時、ウォール街にまだわずか六人しかいなかった女性のアナリストとして活躍して
いたときに、ある宗教団体からベトナムに武器を輸出していない企業への投資に限ってほ
しいという依頼をうけて、
「平和のポートフォリオ」を作成した。これこそ自分のやるべ
き仕事と確信した彼女は、退職して仲間と CEP を設立。以後、ソーシャル・アントレプ
-7-
レナー(社会起業家)の道を歩み続けることとなる。
CEP は発足以来、企業を社会責任の側面から分析・評価する活動を継続し、1988 年以
降、消費者の目線から企業評価を行ったガイドブック「ショッピング・フォー・ア・ベタ
ー・ワールド(よりよい世界のための買い物を)
」を定期的に発行し、長期にわたってミ
リオンセラーとなった。このような活動が評価されて、アメリカ国内で数々の賞を受賞し
ている。
3.セミナーでのミセス・マーリン
東京、京都でのセミナーが2本立てだっ
たことは前述した。このうち労働 CSR お
よび国際基準を目指すSA8000 については、
他の機会に発表したこともあり、やや専門
的になるので省略して、ここではもう一つ
のスピーチの記録を残しておきたい。以下
は 10 月 25 日「ひと・まち交流館京都」で
開かれた「NPO が社会にインパクトを持
つために」と題するマーリンさんの語った
内容の概要である。
(1) 彼女はまず、日本で NPO 活動を続ける、或いはこれから目指そうとする人たちを
念頭におきつつ、
「私たちは特別の絆で結ばれています」と語りかける。
「私たち
を動かしているのは、この社会を尐しでも良くしたいという強い思い、社会的な
問題に対して、新しい・より効果的な解決策を考え出し、実現したいという強い
思いなのです」として、この人たちこそ「ソーシャル・アントレプレナー(社会
起業家)
」であると理解する。
(2) しかし、NPO 活動は困難をともなう。特に以下の諸点ではビジネスを起業するよ
りも一層厳しいものがある。
・ ビジョン――夢が大きいだけに焦点を絞り込む難しさ
・ 活動の成果を客観的に評価することの難しさ(自己満足に終わらせないために
はどうしたらよいか)
・ 資金調達にともなう困難
・ そして、組織運営の難しさ――ビジネスと違って、NPO 活動家やソーシャル・
アントレプレナーは組織を所有しているわけでもコントロールしているわけ
でもない。
-8-
(3) そんな困難かつ厳しい途を、どうして選び、続けているのか?このセミナーの企
画責任者(注:私のこと)は、この質問を何度も投げかけてきた。彼女は夫のジ
ョンとも話し合い、そこで自分の生い立ちから話すことに決めた。
ミセス・マーリンは豊かな家庭に育った。敶地は 13 エーカー(1エーカー約 1,200
坪)もあり二人の使用人も居た。その後、ちょうど彼女が夏のキャンプでボラン
ティアを始めた頃―父親は事業に失敗して、彼女も大学を卒業してから自活の道
を選ぶことになる。しかし、尐女時代に両親から教えられた価値観が今の自分を
つくったと感じている。即ち、特権には責任をともなうこと、自然や動物を深く
愛すること、人は等しく敬意と平等な機会を与えられるべきこと、そして勤勉で
あること・・・。夕食の席ではまた、政治や社会政策についての話題も出て、貧
しい人たちについても話し合われたという。
(4) しかし実際に貧困について知ったのは、13 歳の夏休み、初めてボランティアをし
たときだった。彼女は非営利組織が運営する、障がいをもった子どもたちのため
の宿泊キャンプのジュニア相談員としてふた夏を過ごした。そこで彼女は、彼ら
が二重の苦難、障がいだけではなく貧困にさいなまれている事実を知る。多発性
硬化症を患う 11 歳の尐女は、自分は 20 歳まで生きられないだろうと語った。年
毎に症状は重くなり、身体を動かすことは一層難しくなっていく。他に、生まれ
たときから障がいを負っていたり、腕や脚がなかったり、車椅子の子どもたちも
たくさん居た。しかし共通して言えることは、全員がキャンプでとても楽しく過
ごしたという事実である。キャンプは質素だったが、清潔できちんとしており、
水泳プールなどの運動施設も整っていた。
彼女はそこで、障がい児が共に過ごすことが彼らにとって実に大事なのだと気付
いた。そこでは、尐しでも障がいの度合いの尐ない子どもたちが、より重い障が
い児の面倒をみようとする、どんな人でも自分より弱い人を助けることができる
ということを学ぶ。生まれて初めて他人をケアするという経験をして、自分が生
きていることの本当の意味と自信とが生まれてくるのだ。
そういう障がい児たちと日々付き合った夏、10 代前半のアリス・テッパー・マー
リンは「毎日、涙がとまらなかった」と語る。しかし、彼ら・彼女たちは涙も見
せずに楽しく暮らし、泣いてしまうのは、キャンプを去らなければならない最後
の日になってからだった。というのも、再び自分たちが本来住む過酷で貧しい環
境に戻っていかねばならないからなのだ。
そしてミセス・マーリンはこう結ぶ・・・
「このふた夏のボランティア活動が、将
来何をして生きていきたいという私の思いに深い影響を及ぼした。私は今そう考
えています」
。
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(5) ミセス・マーリンは、大学を終えてからも短期間、ボストンの貧困地区でボラン
ティア活動を経験。その後、ニューヨーク・ウォール街での就職、その後数年で
退職して仲間と CEP(経済優先順位研究所)を立ち上げた経緯については前述し
た。
1969 年以来、実に長い活動を続けているが、様々な困難に直面して、何度かやめ
ようと思ったこともあった、と彼女は言う。そんな苦しいときに、四つの力が助
けてくれた。即ち、
・ CEP(そしてそれに続く SAI)のミッションに共感してくれた理事会のメン
バーがメンターとして変わらずスタッフを信頼し、献身的に支えてくれたこと。
・ スタッフもまた、ミッションの重要性を信じ、新しい戦略を柔軟に打ち出して
くれたこと。苦しいときは給与カットを受け入れるなど常に協力的だったこと。
・ 一番大事なのは、その活動が自分たち市民にとっても大きな意味と価値がある
と認めて評価し、支えてくれた、受益者や消費者の存在。この人たちは、とき
には自ら主体的に活動を助けてくれたこともあった。
・ そして、夫であるジョンの存在。彼は常に物事を楽観的にとらえ、明るい面を
見つけ出し、新しい戦略や勇気を与えてくれた。
「私たちには、いつでも私の
そばにいて、変わらず私を信じてくれて、ジョンの大好きな“忠犬ハチ公”の
ような心の友が必要なのです」
。
こう言って彼女は、聞いている私たちにも以上の四つの力を支えに頑張ってほし
いというメッセージで講演を終えた。
4.アリス&ジョンとの出会いと別れ
最後に以上の報告で触れられなかった私的
な感想について尐し補足しておきたいし、ここ
では親しみを込めて、アリスと呼んでいきたい。
2005 年 10 月 26 日朝、アリスは関空発 10
時半の飛行機で北京に向けて離日した。きわめ
てタイトな日程で最後までフルに動いてもら
い、忙しすぎて心苦しい面もあったが、もとも
と日本好きの彼女、それなりに喜んで去ってく
れたのではないかと思う。
前日夜の、ささやかなお別れ会を終えて、夫妻をホテルに送って行ったときに、
「タカ
シ(私のこと)
、あなたもアメリカ生活が長いから理解してくれると思うから、親愛のし
-10-
るしとしてお別れに抱擁しよう」と言われて、二人でしばらく抱き合って別れを惜しんだ。
短い滞在だったが、心に残った。タイトな日程でずいぶん無理もお願いした。
アリスはアメリカでも著名人だが、様々な場で紹介されるときに必ず「hard working
and determined(猛烈に働く、意志堅固な)
」という言葉が出てくる。しかし、それだけ
はなく、気持ちの優しい、知的で素敵な女性だということが、今回付き合ってよく理解で
きた。尐女時代はごくシャイな性格だったそうだが、今でもそういう一面を十分に感じさ
せた。感受性の強い、はにかみやだった女性がどうして「企業に社会責任を認知させたパ
イオニア」として活動を続けられたのか?人はなぜ、どのようにして「社会起業家」にな
るのか?それを是非とも彼女自身の口から聞きたい、想いを持ち続けて生きることの大切
さを私たちに伝えてほしい。来日してから、そんな希望を彼女に強く訴えた。
そんなわけで京都に来てからも、観光そっちのけでスピーチ原稿の手直しをすることに
なった。最後までアリスを働かせてしまったことは申し訳ないと思ったが、その際、彼女
との会話の中で“deep truth(本音)
”という言葉が何度も出てきた。
「あなたは私の deep
truth を聞きたいってわけね」ということで、夫のジョンとも長く話し合い、ジョンによ
ると「おかげで、私も今まで知らなかった彼女の体験や過去を聞くことができた」と言っ
てくれた。前述した、尐女時代のボランティア体験の話などは、そういった経緯を経て語
られたものなのだ。
それにしても、アリスは「猛烈に働く」
女性だった。前述した原稿の手直しに加え
て、セミナーをつつがなく終えるための準
備(私たち企画のメンバーや、写真にある
ような通訳との打ち合わせ)をこなし、そ
の間、京都滞在中も、時間さえあれば、パ
ソコンに向かって、ニューヨークの留守部
隊にメールを打っている。
彼女は SAI という非営利組織(NPO)の創立者であり、CEO(チーフ・エクゼキュテ
ィブ・オフィサー、最高経営責任者)である。
「CEO というのはもっと部下に任せて自分
は戦略を考えたり、経営判断をしたりする存在ではないか」とコメントすると、
「その通
りだが、小さな NPO ではとてもそんな余裕はない。自分がやるしかないのだ」というこ
とで、PC にかじりついていた。
「社会起業家というのは、いつもお金がなくて、忙しいの
だ」とも言いながら、それでも、自らの金儲けではなく何か別の目的のために「猛烈に」
働く姿を見ているのは気持ちよかった。
「これではあなたは、チーフ・エクゼキュティブ
(Executive)
・オフィサーではなく、チーフ・E メール・オフィサーではないか」と冗談
を言ったら、
「その通り」とジョンも入れて三人で大笑いした。
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夫のジョン(ドクター・マーリン)について触れる紙数がなくなってしまったが、彼と
の付き合いも楽しかった。アリスはスピーチ原稿の手直しのためにホテルに残り、私がジ
ョン一人を、オムロン京都太陽株式会社の工場見学に連れていったこともあった。
同社は京都市单区上鳥羽にあり、社会福祉法人「太陽の家」とオムロンとが共同出資(前
者 39%、後者 61%)して障がい者を雇用し自立を目指すことを目的に 1985(昭和 60)
年に設立された。現在、
「太陽の家」との共同出資会社はソニー、ホンダ、三菱商事など
8に増えてきているそうだが、20 年前その先鞭のビジネスモデルをオムロンがつくったの
だ。オムロンが、生産管理・発注・役員派遣等、太陽の家が、生活健康指導等を担当して
おり、訪問した当時で 175 名の社員(他に約 30 名の「太陽の家」スタッフ)のうち、障
がい者 126 名うち重度の障がい者が 87 名という構成だった。業務としては、コネクティ
ング・ソケットとセンサーの製造が中心である。
「世に身心障がい者はあっても仕事に障
がいはありえない(No one is so disabled as to be unable to work at all)
」が会社のモッ
トーである。
この日は、まずビデオを見た後、工場現場を見学し、その後、会社の沿革や概要を聞い
た。
「こういうのはアメリカでは知らない」とジョンも強い印象を受けたようだった。年
に 1,500 名の見学者があり、そのうち3割が海外からという。障がい者自身が仕事をしや
すいように工程を考えたり、機械設備を改良したり新しい工具をつくったり、様々な工
夫・努力がなされているのが印象的だった。これらはほとんどが会社の中で現場のニーズ
をくみ取りながら製造・実現されるということで、この点にも感心した。
沿革について尐し触れると、1965(昭和 40)年、当時国立別府病院の医師だった中村
裕氏らが「働く意欲をもちながら一般企業に受け入れられないでいる身障者のために、労
働と生活の環境を整備し、能力に忚じた働きによって社会に貢献しながら自立を目指す」
ことを目的に「太陽の家」を設立した。1971(昭和 46)年には、中村理事長が立石電機
(現オムロン)の立石一真社長(当時)を訪問、同社長が主旨に大いに賛同してメーカー
として積極的に協力していくことを決めた。
障がい者の雇用促進については、周知のように日本には「障害者の雇用の促進等に関す
る法律」というのがある。
「障害者雇用率」を設けて、一定数以上の規模の企業等に対し
て、その雇用している労働者に占める障がい者の割合の最低基準を、官公庁は 2.1%、民
間企業は 1.8%というように、法律で決めている。
二人になったときにジョンとしばらくこの話をした。
「アメリカにはもちろんこんな法
律はないし」とジョンは言う。
「おそらく法案をつくること自体無理だろう。アメリカは
やはり政府や法律の押しつけではなくて、自発的な民間の創意に基づくものでなければ支
持を得るのは難しいし、かつ基本的に、全てが市場原理によって達成されなければならな
いと信じている人が多いんだ」
。
「いかにもアメリカの経済学者らしい発言だと思うけど・・。しかし、こういうことが
-12-
自発的な創意だけで実現されると思うか?」と訊くと「うーん、うちのゼミの学生みたい
に突っ込みがきついね」と言われてしまった。
実は、このやりとりを思い出しながら、ジョンの言いたい気持ちもわかるな・・・と感
じたことも事実である。
「障害者の雇用の促進等に関する法律」の趣旨は素晴らしい。世
界に誇ってもいい制度だと思う。しかし、法律があるから守る・政府の決めたことだから
従う(実は、従っていない人もたくさんいるのだが)
・・・というのではない風土ももう
尐しこの国に必要ではないか。企業や市民セクターが自発的に声を上げ・行動していく社
会のあり方、その点では他国から見習うことも多いのではないか・・・・・そんな風にも
思う。
オムロン京都太陽の話で長くなってしまったが、最後にもう一度ジョンに戻ると、アリ
スが夫をどれだけ頼りにしているか、それが、長年の活動を続ける上で大きな支えになっ
ているかについての彼女のコメントは前述した。彼はニューヨーク市のチーフ・エコノミ
ストが本職だが、ニューヨーク大学の大学院(ビジネス・スクール)の客員教授でもあり、
企業倫理・企業の社会責任(CSR)を教えている。アメリカの大学生は日本と違って議論
するのが大好きで先生に挑んでくる、
「企業の社会責任は利益をあげることに尽きるんじ
ゃないか」などと言って挑戦してくるんだと語ってくれた。ハーバード大学を優等で(cum
laude)卒業、ギリシャ哲学を専攻。英国オックスフォード大学修士(経済学)
、ジョージ・
ワシントン大博士、とたいへんなインテリなのだろうが、実にきさくな人柄だった。
「お
別れ会」では、古いギリシャ語を教えてくれたり、一緒に歌を歌ったり、にぎやかに過ご
した。
お二人が、引き続き仲良く・元気に活躍されることを心から願っている。
(報告者:川本卓史)
-13-
第2章 イベントを振り返る―偶然から生まれた人の縁
この章にある報告は、KSEN が活動を開始した 2005 年から 2010 年1月までの各種企
画から今回の報告書として選んだものである。
社会起業・企業家、ソーシャル・アントレプレナー、定義ってなんだ。あの活動は、巷
で言われている社会起業・企業とは違う。そもそも社会起業って、意義があるのか、など
など、とかく人はいうのだが、KSEN では定義にとらわれず、地域を魅力的に元気にした
いと思って活動している人のお話を聞く企画を実施している。運営委員の誰かがあの人に
お話を伺いたいと言えば、それが企画になる。運営委員の興味領域は多様で、その結果、
ゲストやテーマも、一般参加者の顔ぶれも企画ごとに変わり、それが企画をひと味もふた
味も魅力あるものにしている。
この章はかなりのボリュームであり、読み飽きないためにも書いてくれたメンバーの人
となりが読み取れるように、修正はあまり加えていない。報告者のプロフィールは第3章
に載せたので、こちらも参考にしていただきたい。
2005 年報告
KSEN お役立ち講座シリーズ「京(今日)からはじめるブログ講座」
日時:2005 年7月7日(木)18:30-20:30
場所:ひと・まち交流館京都 第2会議室
参加者数:18 名
講師:加藤和子(KSEN 運営委員・ICT アドバイザー・プランナー)
ゲスト:片岡弘昭 氏 (京(みやこ)バレー代表(現・株式会社京都屋代表取締役))
■ 2005 年5月に開講された『ゼロから始める文章術』に続く KSEN お役立ち講座、今
回は「ブログ」を取り上げました。
■ ブログ(weblog)はインターネット上で誰でも情報発信・交流できる便利な仕組みで、
操作も従来のホームページに比べとても容易です。2005 年の日本のブログ人口は 473
万人強と言われ、ますます広がる傾向にあります(2008 年はなんと 1690 万人!)
。
■ KSEN の思いとしては、一人ひとりがいきいきと情報発信することにより、個人の楽
しみはもとより社会全体がより豊かになってゆく可能性を期待しての開講でした。
■ さてまずはこれからブログ開設を考える方に、ブログの特長や開設方法、ブログサー
ビス比較といった情報提供、人気のブログをいくつかご紹介。
■ さらに KSEN 的視点として「京都発ブログ」にも着目。ゲストに人気ブロガー「京都
人ブログ」の片岡正昭さんをお招きし、情報収集やアクセスアップの秘策、アフィリ
エイトの実際など、ブログには書けない(?)貴重なお話をいただき、大いに盛り上
がりました。
-14-
■ 人気ブログは多くのひとの役に立つ情報を発信されていることがポイント。ブログで
できる社会的寄与と言えるでしょうか(残念ながら逆もありますが…)
。
■ そして継続の秘訣は自身も楽しめること。
■ ちょっと余談になりますが、その後、全国的に「ご当地ブログ」が花盛りになるので、
KSEN 企画は先端をいっていることが多いなあと振り返って思う次第です。
■ 講座後は自然と三々五々に名刺交換。やはりこうしたリアルなつながりが何より。フ
ェイス・トウ・フェイスで出会い、お付き合いの継続にオンラインの力を借りて…つ
まりデジタルとアナログ双方の特性を活用してつながりを深め楽しむことが、IT 時代
のコミュニケーション術かなと思います。
■ 折しもこの日は七夕さん。出会いの日にふさわしい KSEN 講座でした。
■ 関連ブログは次の通りです:
●ゲストの片岡弘昭氏のブログ
京都人ブログ http://kata.wablog.com/
「京都屋」ブログ http://kyotoya.kyo2.jp/
●KSEN 運営委員ブログ
川本卓史京都活動日記 http://d.hatena.ne.jp/ksen/
事業の神は細部に宿る~ベンチャー奮闘記 by 植木力 http://ueki.biz/
浅野令子ボイスコーナー http://asanoya.exblog.jp/
藤野正弘京都まち暮らし http://d.hatena.ne.jp/mfujino706/
加藤わこ三度笠書簡 http://sandgasa.exblog.jp/
(報告者:加藤和子)
-15-
「ハッピークリーニング 新しいビジネスと文化への挑戦」
日時:2005 年 12 月 14 日(水)18:30-20:30
場所:ひと・まち交流館京都 第2会議室
参加者数:12 名
講師:橋本英夫 氏(株式会社ハッピー代表取締役社長)
(1)橋本さんには、
「今注目の宇治発ベンチャー企業社長が語る――小さな会社の負け
ない発想」と題して起業で大事なことや、戦略・理念などについて語って貰った。
(2)株式会社ハッピー(http://www.kyoto-happy.co.jp/)は、ユニークな高級クリーニ
ング業で、水とドライクリーニングの長所を取り入れた「アクアドライ」という洗濯方
法と、
「ケアメンテ」と呼ばれる新しい顧客対忚のシステムを開発し、クリーニング業
界に新しい風を吹き込んでいる。代金は通常の5倍以上と高いが、欧州のように、良い
ものを長く・大事に着てもらうという文化を育みたい、かつ環境への負荷の尐ない、社
会責任を意識したビジネスを追求したいという理念が業務を支えている。
(3)
当日は、
12 名が参加し講師を囲んで遅くまで交流会が開かれ、
充実した内容だった。
ミセス・マーリンのセミナーに続いて「ひと・まち交流館京都」で実施。KSEN として
この場所を利用する最後(現在まで)となった点も思い出深い。
(4)
同社は宇治市槇島町に本社がありKSEN として宇治の元気人に来てもらったのは、
現在まで同氏一人のみである。その縁もあって当日は宇治市市会議員の田中美貴子さん
も駆けつけてくれた。
(5)また、KSEN 副会長植木さんの経営する株式会社カスタネットが、設立当初から本
来業務と社会貢献との両立を図ろうとしているのに対して、株式会社ハッピーの場合は、
本業を通して環境を考えたビジネスを展開しようとしている、そのアプローチの違いも
興味深かった。
(報告者:川本卓史)
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2006 年報告
とびだせ KSEN!「京都シネマの神谷さんと話そう 映画鑑賞と元気トーク」
日時:2006 年4月 15 日(土)12:30-15:30
場所:京都シネマ
参加者数:14 名
講師:神谷雅子 氏(京都シネマ代表)
(1)このイベントは、KSEN が外に出て、映画館(京都シネマ)で普通の観客と一緒に
映画を観て、その後、経営者から話を聞くというユニークな企画だった。映画好きを中
心に 14 名が参加した。
(2)観た映画は『寝ずの番』という津川雅彦の初監督作品。落語家の通夜の席が笑いで
盛り上がるという話で、
「死よ、驕るなかれ」の精神を笑いとばすことで表現しようと
するもの。当日は、アカデミー監督賞受賞作(アン・リー監督)の『ブロークバックマ
ウンテン』
、女性監督荻上直子・小林聡美主演による『かもめ食堂』と、話題作が三つ
も同時上映されており、土曜日であることもあって大混雑だった。
(3)
京都シネマは2004年12月に開館したが、
その原動力になったのが神谷さんである。
三条にあった京都朝日シネマの閉館を契機に「質のよい映画を提供する映画館を京都に
残したい」という想いから、アート系シアターの立ち上げを決意した。幸いに趣旨に賛
同した支援者も現れ、京都での受け皿を残したいという配給会社3社が出資してくれ、
会社をスタートすることができた。
(4)幸いに京都でも一等地中の一等地、四条烏丸に再生されたビルに良心的な値段で入
居することができた。その代わり、ビルの品質を維持するために、看板やネオンを設置
することができず、
「看板のない映画館は日本でも唯一ではないか」
。
(5)神谷さんとしては、シネコンと競合するハリウッド系の映画上映は避けて、京都シ
ネマならではの作品、世界のあらゆる国の作品を上映したいと考えており、学生の制作
した作品、実験映画、クルド人監督やエルサルバドル内戦下の作品の紹介などにも取り
組んでいる。
また「誰でも楽しめるバリアフリーの映画館づくり」を目指しており、日本映画に日
本語の字幕をつけたり、
『かもめ食堂』で7作目だそうだが、バリアフリー映画会も上
映したりしているとのこと。
(6)もちろん、良心的な映画上映だけでは多くの観客は期待できないから採算的には厳
しいだろう。事業としての採算と良心的な映画の公開とをどうやって両立していくかが
課題であり、神谷さんの挑戦の日々が続いている。
(報告者:川本卓史)
-17-
飛び出せ KSEN!
「西陣町家スタジオへおこしやす!‐町家が紡ぐネットワークに触れよう‐」
日時:2006 年7月2日(日)13:00-16:00
場所:NPO 法人京都西陣町家スタジオ 奥座敶
(京都市上京区葭屋町通中立売上る福大明神町 128)
参加者数:15 名
講師:
●中西洋一 氏(NPO 法人京都西陣町家スタジオ理事・京都造形芸術大学准教授)
法人の活動紹介と町家見学&町家ここだけの話
●轟美穂 氏(ナレーター・「ボイスコネクション」代表・町家スタジオにて開業)
町家の起業家紹介と、プロが教える会話に役立つ「声」のワンポイントレッスン
●新居万太 氏(茶人・「山猫軒茶の湯研究会」代表)
懇談会~庭を見ながらお茶を一服~
「とびだせ KSEN!」をスローガンに、まちの現場へ出かけようと、京都のディープス
ポット(?)西陣へ。大正末期に建てられた商家の町家を会場に開催しました。日曜の午
後たっぷりと、プログラムも3部構成という盛りだくさんな内容です。
1.まずはお座敶からスタート ~法人概要と起業家さん紹介で「おいでやす!」
はじめに町家の運営母体である「NPO 法
人京都西陣町家スタジオ」(以下「町家スタ
ジオ」と記)の理事である中西洋一さんから、
法人の概要と活動紹介を伺いました。
職人のまちとして歴史ある西陣で「暮らす
まち=働くまち」づくりを目指して活動。現
在、産官学民連携事業が平行して展開中。伝
統工芸の世界とグラフィックデザイン・IT を
マッチングするという、いかにも現代の京都らしい事例を聞かせてもらいました。
続いて町家スタジオ在住の起業家を代表して轟美穂さんに登場いただきました。
東京出身の轟さんは、長野オリンピック開閉会式のアナウンスなども担われたベテラン
ナレーターで、声優学校講師などプロ育成役としても活躍中。京都に来て、お座敶で声の
ワークショップを開催する中で「リラックスできるから自然体に導きやすい」と町家効果
を検証。おまけの発声レッスンでは、人前で話す機会の多い方が「明日から役に立ちそう」
と、はやくも「町家効果」を実感された様子でした。
-18-
2.「町家ツアー」へ ~町家の今はコラボづくし
座学の後は、しびれた足のばしも兼ねて家屋
見学へ。ガイド役の中西さんに、ぞろぞろわい
わいついていきます。1階は開放スペース、2
階はインキュベーションスペースになってお
り、古い建物ながら LAN 回線完備、任天堂と
芸大生のコラボ事業の拠点として使われてい
ること、「はしりにわ」にある立派な井戸のつ
るべが「映画村からもらったセット」という、
ちょっと笑える裏話からも、様々な関わりによ
って成り立っていることが伺えます。
3.お茶を一服・懇親会 ~「今を楽しむ」を考える
さて、町家見学の間に、お座敶の「しつらえ」
がすすめられていました。参加者が戻ってくる
と「!」、先ほどとは全く別世界が広がってい
るという趣向。
北野天満宮「松向軒」の茶席当番などを務め
る茶人・新居万太さんと門下生さんによる「町
家スタジオ特別茶席と懇親会」は、この日を締
めくくる素晴らしいひとときでした。
以下に、参加者の方が書いてくださったブログを紹介させてもらいます:
「茶の湯の心、つまみ食い」
(2007 年7月2日そふそふこさんのブログから)
決して堅苦しくなく、足を崩し各々が談笑しと、久しぶりに「今」を楽しめた。聞くと
ころによると、茶の湯の楽しみの一つに「そのときを楽しむこと」
、
「未来や将来の話はタ
ブー」という。今、そのときを一緒に過ごしている人に失礼だからというが、なるほど自
分の日常がいかに将来という時間軸に縛られているかを再認識した。
(http://ameblo.jp/soft-room/entry-10014336438.html)
まとめ: 「ソフト」と「ハード」 京都の「今」を生きる・・・
町家が「ハード」で使い方が「ソフト」とすれば、町家は柔軟性に富む優秀な「ハード」
で、轟さんのワークショップやお茶席は、新たな世界を創出する、優秀な「ソフト」と言
えそうです。いいハード(町家)+いいソフト(人)が出会うことで、まだまだ可能性が
広がります。
(報告者:加藤和子)
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「KSEN 的マネーライフ ――ちょこっとマネーのはなしを聞く」
日時:2006 年 10 月 20 日(金)18:30-20:30
場所:カスタくんの町家
参加者数:20 数名
講師:高橋正道 氏
(1)KSEN として初めて、
「カスタくんの町家」を会場に利用したイベントとして印象
に残っている。ちゃぶ台を囲んでワイワイがやがやの雰囲気は魅力的であり、これ以後
「町家」での開催が定着した。
(2)このイベントは、かねて、マネー(つまり、お金)をどう考えるか?どう増やすか?
を聞きたいという意見があり、シドニー勤務以来の友人で「マネーの達人」に講師をお
願いした。神戸からわざわざボランティアで来てもらい、感謝している。
当日は、20 名強の参加があり、東京からも、或いはアメリカ人の飛び入りも(非営利
組織のイノベーションを専門にするコロンビア大学准教授)
、まだお金に縁のなさそう
な学生諸君まで集まり、最後までにぎやかだった。
(3)講師の話は、具体的な資産形成や運用方法の説明に時間を割き、内容の濃いものだ
ったが、それだけでなく、含蓄のあるコメントも多かった。
当日の感想について、運営委員・加藤さんのブログから引用すると以下の通り。
――「老後を含め生きていくために、いくらお金が要るのか?」
「深刻な赤字国債」な
どショッキングなデータも含め、初心者にもわかりやすく明快に話してくださる。
「資産は二つ。いわゆる金融資産と非金融資産があります。健康、人脈、知識・・・こ
れらこそ最も大事な『資産』です」
。うーん、とてもよくわかりました。
チャップリンの言葉にあるように、
「愛と勇気とサムマネー」
。適切な知識と収支、さ
らにちょこっと「ソーシャル」にお金を使うという意識を高めること・・・
話題も参加者ももりだくさんで、これまたブログに書き足らず残念です(
「ねえねえ、
知ってる?投資信託ってねえ」とにわか知識を披露したくてうずうずですが)――
(報告者:川本卓史)
-20-
2007 年報告
第1回 かんさい元気人リレートーク
「地域に愛される鉄道でありたい。
『駅はまちの玄関』
」
日時:2007 年 11 月 16 日(金)19:00-20:30
場所:カスタくんの町家
参加者数:20 数名
講師:木村浩一 氏
(京阪電鉄 大津鉄道事業部部長)
福井美知子 氏(石坂線 21 駅の顔づくりグループ)
企業と市民とのネットワークを生み出したキーマン、木村浩一さん(京阪電鉄 大津鉄道
事業部部長)を町家にお招きし、
「企業人としてどう社会にアクションを起こすか」
「NPO
との協働」などをお聞きした。
かんさい元気人リレートークの記念すべき第1回、学生や社会人合わせて 20 名以上の
出席で、
「カスタくんの町家」も満員で迎えることができた。木村さんからは、電車を利
用する高校生や市民の方々の様子がいきいきと伝わるスライドにて、お話を聞かせていた
だいた。
1.スピーカーは京阪電鉄大津事業部長の木村浩一さんと、石坂線 21 駅の顔づくりグル
ープの福井美知子さん。
2.この二人が中心になって、京阪・石坂線と地域との協働を4年がかりで進められ、こ
の度「NPO&企業パートナーシップ大賞」を受賞。大変タイムリーな企画となった。
3.京阪・石山坂本線(大津線の1部)は、石山寺門前と比叡山のふもとをむすぶ、京阪
の支線で、21 駅。1日の乗降客約4万人。恒常的な赤字路線である。
4.活動は、鉄道の新たな魅力を売り出そうという趣旨で、以下の四つを柱としている。
(1)駅のスペースの利用
(2)まちの玄関としての機能
(3)電車の中で仲間と仲良く
(4)全国に地域をアピール
5.上の(3)については、例えば、移動する電車の中で高校が文化祭を開催したり、
「お
でん電車」や「青春同窓会」号を運行したりする、等。
6.
(4)については、21 駅にちなんで全国から「電車と青春・初恋」というテーマで 21
文字のメッセージを募集。俵万智さんがほとんどボランティアで審査委員を引き受けてく
れて、2,355 通の忚募から1等に東京からの「好きもさよならも同じ駅」を選び、入選作
を電車の車体に掲示等。
-21-
7.木村さんの話では、もともと京阪全体で1日 80 万人の中の小さな赤字路線の現場で
もあり、幸いにこのような活動を始めてから、赤字とはいえ、尐しずつ乗降客も増えてお
り、事故もないので、本社もあまり文句を言わず、自由に楽しくやっているとのこと。
8.といってもサラリーマンなのでこれから転勤もあり得るし、またこのエネルギーをど
うまとめ、継続していくかが課題ということ。
今回木村さんにお話をお聞きし、京阪電車大津線の、
「鉄道はまちのシンボル」
「地域に愛され、信頼される鉄道でありたい」
「市民のいろんな思いを実現する」という取り組みがいきいきと伝わってきた。また、サ
ポーター市民団体のみなさん、高校生や利用者の方々の、石坂線への愛着を、スライドの
写真やお話からとても感じた。
このように、市民、社会に求められる企業を目指す石坂線と、鉄道を愛する市民団体や
利用者の方々、みんなが一緒に大津線を盛り上げ、鉄道が地域のシンボル・魅力へとなっ
ている。
地方の交通機関の廃線も増える一方で、日々市民が利用する交通機関の可能性を感じ、
企業と NPO の協働という視点からも、大変学ぶことが多いお話であった。
(報告者:牧野宏美)
-22-
2008 年活動報告
第2回 かんさい元気人リレートーク
「北の大地に道をつなげる 人がつながる フットパスをつくろう!」
~Girls and Boys, be ambitious!~「彩路(さいろ)」の松村さん・麻生さんに聞く
日時:2008 年2月 15 日(金)19:00-20:30
場所:カスタくんの町家
参加者数:20 数名
講師:松村綾子 氏 麻生翼 氏 (彩路(さいろ)共同代表)
このイベントでは、北海道根室の酪農地帯でフットパス(イギリス生まれの自然遊歩道)
を利用した都市農村交流事業に取り組むユニット「彩路(さいろ)
」の松村綾子さんと麻
生翼さんを講演者にお迎えした。
当時、松村さん・麻生さんは、社会起業家を目指す若者たちがそれぞれのビジネスプラ
ンを競い合うコンペ edge2008 で奨励賞を受賞したばかり。
本格的に活動を開始するため、それまでの仕事を辞めて北海道根室への移住を決めた松
村さん。一般企業で働きながら、彩路の活動をどう発展させるかを真剣に考えていた麻生
さん。
彩路として活動を始めようとするまさにそのとき、お二人が言葉を飾ることなく率直に
語った自分たちの想いや決意、不安や希望を同じ場で共有できたことは、参加者にとって
も貴重な体験となった。
当日の講演では、彩路が手がけようとしている事業そのものよりも、むしろ松村さん・
麻生さんお二人の想いや事業立ち上げまでの軌跡に重点を置いて、お話していただいた。
はじめに、主に松村さんから

大学生のときに高野文彰さん(高野ランドスケーププランニング株式会社代表取締
役)の講演に感銘を受け、初めて根室でのワークショップに参加したこと

その後何度も根室に通い酪農家の方々と語らううちに、漠然とではあるものの、将来
は農村や環境のためになることをしたい、と考えるようになったこと

そしてその想いを現実化すると同時に、お金を稼ぎ食べていくためにはどうすればよ
いのか模索する中で、社会起業家という存在を知ったこと
など都市農村交流事業を志したきっかけや社会起業家という存在との出会いについてお
話していただいた。
そして次に、お二人にとって転機となった edge2008 への挑戦とそこから得たものにつ
いて、

edge というビジネスプランコンペが、完成したビジネスプランをふるいにかけて落
とすコンペではなく、参加者のビジネスプランを育てるコンペだと知り、いろんな人
-23-
の支援を受けながら、漠然と考えてきたことを形にできるチャンスなのではないかと、
思い切って忚募したこと

ビジネスプランを形にしていく中で、農村をめぐる多くの社会課題がたくさんありす
ぎて、はじめはどこから手をつけていいかわからなかったこと

何度も根室を訪ね、多くの人から話を聞くうちに、自分がかつて参加したワークショ
ップのように、都会の人と農村の人が混ざりあって、一緒に進めてゆける活動の調整
役になればいいのではないかと気づいたこと

松村さん・麻生さんの事業に対する本気度をいろんな人が真剣に見ている中で、答え
を自分たちで見つけ出し、それをビジネスプランという結果として発表していった経
験が、今大きな糧となっていること

edge を通して、社会には実際に社会起業家が存在し、本気で社会起業家を増やして
いきたいと考える多くの人がいるという事実を肌身で感じられたのが、もう一つの大
きな収穫となったこと

その実感を得て、自分たちもできるのではないかと思えるようになり、思い切って決
断を下せたこと
などを、お話していただいた。
そうして心の中で温めていた想いが徐々に形になり、新しい一歩を踏み出す決意が生ま
れるまでの過程が、丁寧かつ率直に語られるうちに、参加者誰もがお二人のお話に聞き入
ってしまった。
また講演を終えるにあたって、今後の事業展開について、まだまだ試行錯誤している最
中と断った上で、

農村の活動を次世代につないでいく仕組みづくりが彩路の役割だと考えており、①若
い世代が農村の活動に関われる仕組みづくり、②雇用の場の提供、③自然環境の持続
的な保全・活用のための仕組みづくり、この3点を大事にして活動をしていきたい

彩路の活動と酪農家さんの活動、そしていろんな地域の活動とうまくつながりながら、
最後は農村の社会運動として発展させていくことを目指す
という目標をお話していただいた。
講演後に設定されたフリートークの時間は、多くの質問や励ましが飛び交う、非常に刺
激的で面白い交流の場となり、まさにこれから事業を立ち上げようというお二人を囲んで、
終了時間いっぱいまで真摯で活発な意見交換が行われた。
(報告者:加川裕介)
-24-
第3回 かんさい元気人リレートーク
「私が動いたわけ~街を元気にするアイデアをカタチにするとは~」
日時:2008 年6月 25 日(水)19:00-20:30
場所:
「フットクリエイト」交流サロン (京都市下京区間之町通上珠数屋町下る)
参加者数:20 名
講師:桜井寿美 氏(有限会社フットクリエイト代表)
フットクリエイトの桜井寿美さんから「私が動いたわけ」を聞く「かんさい元気人リレ
ートーク」の第3回は、上記のように、小さな会社を立ち上げて、もう 12 年以上も頑張
っている桜井さんの想いを伺った。
今回のイベントの特徴の一つに、場所がいつもの「カスタくんの町家」ではなく、下京
区間之町通にある同社2階の「交流サロン」を使用させてもらったということがある。
もう一つの特徴は、メインスピーカーの他、元気に頑張っている若者二人からも短い報
告をもらったという参加形式にあった。一人は、第2回の「トーク」で話してもらった「彩
路」の麻生さんからその後の報告。もう一人は、誰でも気軽に野菜づくりを始められる新
しいスタイルの管理付き市民農園「マイファーム」を仲間と始めた岩崎さん。二人からは
KSEN への忚援メッセージをいただき、本章の最後に掲載させてもらった。
有限会社フットクリエイト(http://www.footcreate.com/)は、桜井さんが 1996 年、夫
と共に設立。昔から「第2の心臓」といわれる足の健康に取り組んで、フットケアや、靴
の補正・加工・修理など、悩む人たちに対してビジネスを通して忚援している。
自分自身が足の痛みに長年苦しんだ
ことから、一念発起して仕事をやめ、
「足と靴のカウンセリング」を目指し
て、起業。最初の3~4年はお客もな
く、仕事もなく、アルバイトをしなが
ら何度も「明日やめよう」と思う危機
をのりこえ、10 年たって、やっと口コ
ミで広がってきたという。
高齢者の転倒問題、糖尿病との関連
等から、最近は一般に足の健康への関
心も高まり、地方自治体からの講演の依頼も増えている由。足の健康は体の健康に直結す
る、と熱く語っている。
「歩いて健康、元気で 100 歳」をメッセージに、
「悩むお客さんが
喜ぶ顔が見たい」という願いがご夫妻の支えになっている。現在、従業員は桜井さんご夫
妻を入れて三人。小さなビジネスだが、それを持続するには想いが大切だと十分に感じ取
った夕べだった。
(報告者:川本卓史)
-25-
第4回 かんさい元気人リレートーク
「点字用紙でソーシャルアントレネットワーク! ユニバーサル&ビジネスチャンス、と
きどきエコアート? 京都発 点字用紙を作る人・読む人・使う人&社会起業意見交換会」
日時:2008 年 9月 24 日(水)19:00-21:00
場所:カスタくんの町家
参加者数:20 名
講師:牧野まゆみ 氏(有限会社オフィスリエゾン代表)
ゲスト:小寺洋一 氏(Tow-birds.com プロジェクト)
加藤和子(KSEN 運営委員・ICT アドバイザー・プランナー)
植木力(KSEN 副会長・株式会社カスタネット代表取締役)
(1)このイベントは「かんさい元気人シリーズ」の第4回として実施したものにて「町
家」での開催も定着し、参加者も 20 名と盛会だった。
(2)視覚障がい者は全国に約 30 万人、そのうち点字を読める人は2万数千人と1割に
満たない。特に、後天的に視覚を失った人にとって点字を習得するのは難儀だろう。音
訳サービスを利用する人の方が多いのではないだろうか。それでも、点字に対するニー
ズは確実に存在し、これをビジネスにするごく小さな会社オフィスリエゾン
(http://www.liaison.ne.jp/)が京都府城陽市にあって、代表者牧野さんから話を聞く機
会があった。
牧野さんの話の他、植木さんが点字用紙の再活用に努力している話、加藤さんが点字
用紙をすぐれたデザイン感覚で活用している事例報告、最後に小寺洋一さんから「点字
文化」について話があり、充実した内容だった。
小寺さんは 15 年前、22 歳で事故のため不幸にして失明。しかし、その後も明るく元
気に頑張っている姿が印象的だった。1999 年には全盲の立場でニュージーランドに旅
行し、そのときの体験を『白い杖のひとり旅』
(連合出版)という著書にまとめた。
(3)オフィスリエゾンについて――主婦六人で、15 年ほど前に、日本初の点訳サービス
会社を立ち上げた。全員 60 歳代の、いわば普通のおばさんである。年間売り上げ 2,000
万円ほどで、
「ニッチの、そのまたニッチ事業です」と言っていたが、
「一忚食べるだけ
のものはいただいています」とのこと。
点字サービスや点字図書の出版が仕事だが、主なお客は大学と地方自治体で、点字の
入試問題作成や、広報の点字版作成など。
「こういうお客さんからは正規の料金をいた
だいて、個人からの依頼には良心的に忚じている」由。
最初はボランティアで始めたものの、そこには、納期を守ることの意識などで甘えも
あり、限界に気づいて事業化した。例えば、同社では、今まで一度も納期を遅れたこと
がないし、ミスもほとんどない。ビジネスでやることの気構えについて良く理解してい
るなと感じながら話を伺った。
(報告者:川本卓史)
-26-
2009 年活動報告
第5回 かんさい元気人リレートーク
「両生類になってみる 非営利組織と営利組織の世界を行き来する」
日時:2009 年2月 20 日(金)19:00-22:00
場所:カスタくんの町家 参加者数:20 数名
講師:松田直子 氏(株式会社 Hibana 代表取締役)
(1)前回の企画から随分間が空いての開催となってしまったが、若い人を中心に 20 人
以上が集まってくれた。開催5日前の京都新聞に松田さんが大きく取り上げられ、偶然で
はあるがタイムリーな企画となった。参加者の興味関心は大きく分けて二つあり、一つは
森林バイオマスというあまり聞きなれないことへの興味と、もう一つは NPO からスター
トして株式会社を立ち上げるにいたった経緯への関心であった。
(2)松田さんは、持続可能な循環型社会のモデルを目指して、仲間たち(京都の大学生
や行政職員、会社員など)と一緒に、2002 年に薪く炭く KYOTO(しんくたんくきょう
と)を立ち上げた。この団体はその名の通り、薪や炭などをはじめとする森林バイオマス
のエネルギー利用についての普及啓発、実践的活動、調査研究ならびにネットワークを広
げる活動を行っている。その後、この活動をもっと広げるために 2006 年に株式会社
Hibana を設立した。いつまでも人の心を和ませ、パチパチとバイオマスの火をともして
いくことをイメージしてこの社名が付けられた。
(3)バイオマスとは「石油などは除いて、動植物からつくられた資源のことで、森の木
に由来するものを特に、森林バイオマスと呼ぶ」ことなどの説明があり、石油などの化石
燃料に頼らず、環境に優しいライフスタイルを「京都から発信することに意義と効果があ
るのではないかと考えている」という発言に皆は聞き入っていた。
(4)なぜ株式会社にしたかという参加者の質問に対しては、「NPO は組織がフラット
ゆえに意思決定に時間がかかるので、思い切って会社組織にした」との発言があり、森林
バイオマス商品は、インターネットを通じて全国各地に顧客がいる。現状では物品の販売
より、行政などからの委託による調査研究等のコンサル業務やイベント企画が会社の中心
をなしている。
(5)会社を立ち上げた今でも薪く炭く KYOTO とは連携して活動していて、非営利組織
と営利組織の壁を越えて行ったり来たりしている。これを「両生類」と名付けたのは浅野
さんであり、まさにネーミングの妙である。
(6)講演後は持参された木質ペレット(木のくずを固めた固形燃料)を七輪にくべて、
めざしなどを焼き参加者同士で懇談した。もともとストーブの燃料であるペレットで魚を
焼くには難があるらしく、部屋に煙を充満させながら、予定の時間を1時間以上超過した
午後 10 時過ぎにお開きとなったことでわかるように、とても熱気にあふれる 2009 年の第
1回目であった。
(報告者:藤野正弘)
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第6回 かんさい元気人リレートーク
「未来は子どもたちの手に
~ICT を活用して世界の子どもたちがつながる世界を創る 世界を拓く若き想いに迫る」
日時:2009 年4月 20 日(月)19:00-21:00
場所:カスタくんの町家
参加者数:20 名
講師:花田武和 氏(NPO 法人パンゲア事務局長)
パンゲアとは、現在の諸大陸が分裂する前に一つであったときの超大陸の名前。世界の
子どもたちが言葉、距離、文化の違いを乗り越えて、個人的なつながりを感じることので
きる遊び場「ユニバーサル・プレイグラウンド」を構築している NPO 法人パンゲア事務
局長の花田武和さんにおいでいただき、設立のきっかけやグローバルな活動に関してお話
を伺った。
1.活動を始めたきっかけ
誰にでもターニングポイントになる日がある。その日の想いをどう具体的なアクション
に結び付けていくのか、それぞれの道筋があり、どの道に歩を進めるかは、多様な出会い
によって誘発されていく。
活動を始めたのは、もと MIT(マサ
チューセッツ工科大学)の客員研究員
だった二人で、同時多発テロが起きた
2001 年9月 11 日、あの、ペンシルバ
ニア州で墜落した UA93 便に乗る予定
だったが、仕事の予定がずれ3日前に
キャンセルしたという。これが契機に
なって、何か世界を結びつける活動が
できないか?とスタートした。二人の
うち一人は京大の研究員も兼ねており、
同大学の「言語グリッド(世界の言語資源(辞書,対訳,機械翻訳等)を登録し共有する
ことができるインターネット上の多言語サービス基盤)
」プロジェクトとも関わりを持っ
ている。
同法人は「研究開発型の NPO」を目指し、世界中の子どもたちが個人的なつながりを
構築する。子どものための『ユニバーサル・プレイグランド』を創る」という、壮大なミ
ッションを掲げ、2003 年東京で設立。2008 年本部を京都に移転。
-28-
2.活動内容
国語・言語以外のツールを使って、かつ、ICT を駆使して、
「リアルな場とバーチャル
な場」の両方を子どもたちに提供して交流してもらう。ツールとして、
「パンゲアネット
(顔写真・音声・作品などを交換)
」
「パンゲア絵文字」などを開発し、活動を自立的に実
施できるような「パンゲアパック(マニュアル・スタッフ講習プログラム・システムなど)
」
を開発して有償で提供している。
現在、活動は日本・オーストリア・ケニア・マレーシア・韓国の5か国、7拠点で、月
1~2回、一度に 10~25 名が参加する。今までにのべ、3,700 人、9歳~15 歳の子ども
たちが参加。日本のスタッフ5名の他、各国で登録しているボランティアが約 300 人。
現在の事業収入は年 1,500 万円程度。上記のソフトやシステム開発に関わる助成金や研
究委託費が6割を占める。これからは会費やパッケージソフトの収入を増やしていきたい
ということだ。
3.特定非営利活動法人パンゲア 事務局長 花田武和さんのこと
工業高等専門学校を卒業後、玩具メーカートミー(現タカラトミー)に入社。原価管理、
設計に携わる。パンゲア理事長の森由美子さんとはここで知り合う。1996 年に退職後、
テディベア作家として活動する。元来の創作活動好き。
2005 年に森さんと再会し、パンゲアのミッションに共感し、アクティビティを見学し
た際の子どもの笑顔に強く惹かれ、フルタイムのスタッフとして参加するようになる。
2006 年より事務局長として、子どもたちの現場を提供、実施マニュアルの整備など、様々
な国でのアクティビティがうまく実施できるよう運営のサポートを行う。ファシリテータ
ーリーダーとしてアクティビティの現場にも立ち会う。
パンゲアでは2月にマレーシア拠点が加わり、現在5か国7拠点でアクティビティを実
施中。今後も子どもたちのつながりを生み出すパンゲア活動の実施・普及を担う。
今までのリレートークにご登場いただいた人たちとは違う切り口で社会変革を目指し
ているパンゲアの活動は、ICT というツールを駆使した事業の可能性を教えてくれる。リ
レートーク当日に見せていただいた映像の中の国境を越えた子どもたちの創造性豊かな
笑顔が印象的だった。
(報告者:浅野令子)
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かんさい元気人リレートーク(番外編)
<ふらっとカスタくんの町家にて CSR について考える6/16 の交流会>
テーマ:社会貢献について考える~損保ジャパンの CSR~
日時:2009 年6月 16 日(火)18:30-20:30
場所:カスタくんの町家
参加者数:30 名
講師:関正雄 氏(株式会社損害保険ジャパン CSR・環境推進室長、理事)
主催:KSEN、NBK 町家共学塾 後援:同志社大学ビジネススクール CSR 研究会
当日は、株式会社損害保険ジャパンの
CSR・環境推進室長、関正雄理事をお招き
し、社会的責任の国際規格(ISO26000)
と損保ジャパンの CSR について、それぞ
れ講演いただいた。
ISO26000 は持続可能な地球社会のため
にあらゆる組織が取り組むべき課題として、
「ガバナンス、人権、労働、環境、消費者、
公正な事業活動、コミュニティの開発と参
画」という七つを挙げて、取り組む上での原則や実践の方法などを解説した手引書となっ
ている。特徴として、ISO26000 はいわゆる認証規格ではなく、よりゆるやかなガイダン
ス文書である。作業部会では ISO 史上最大数の途上国代表が参加し、政府・企業・労働・
消費者・NGO・その他有識者という幅広い六つのマルチステークホルダー間で合意に至
るまで徹底的に議論するプロセスのために、完成した規格はこれまでの規範とは別次元の
正当性をもっていると関さんは語る。
(
「環境安全への社会的責任をめぐる国内外の動向」
『化学物質と環境 No.95』2009.5 エコケミストリー研究会より引用)関さんはその
ISO26000 規格づくりの日本産業界代表のエキスパートである。
講演にあたっては KSEN 以外に、関西ニュービジネス協議会や京都大学ビジネススク
ール、同志社大学ビジネススクール CSR 研究会など多彩な顔ぶれで総勢 30 名程度、
「町
家」の収容定員を超える大勢の参加で盛況に終わった。
さて、本来活動報告の場であるこの章にはふさわしくないが、記録したいことがある。
それは関さんと同じ会社に勤め、この企画の一翼を担った某 KSEN 運営委員であり入社
間もない損保ジャパン社員の物語である。
2009 年の4月某日、KSEN の定例会議が終わり、お酒を片手に談笑する中で、川本さ
んをはじめとする運営委員から何気なく声をかけていただいた。
「関さんは、同じ会社だから来てくれるのではないか?」と。
-30-
いやいや…それは私には無理な話かと…確かに会社は CSR において定評があり、自身
もいずれは CSR に関わる部門で仕事がしたいというのは、入社以来の想いである。CSR
推進室はいわば憧れの部署であり、差し詰め関さんはまさに憧れのその人。
同氏は東京大学法学部卒業後、1976 年安田火災海上保険(現損害保険ジャパン)入社。
2003 年 CSR・環境推進室長、2008 年 4 月からは理事をされている。他、CSR 国内標準
化委員会委員(経済産業省)
、日本経団連「社会的責任経営部会」ワーキンググループ委
員、また ISO26000(社会的責任)規格策定の日本産業界代表エキスパートなどを歴任。
同じ会社とはいえ、無名の新入平社員である私に何ができるのか。しかし一方で、講演
依頼に忚じてくれないようなパーソナリティの方であれば、それはそれで率直に悲しい、
と葛藤した。私の肩を叩いてくれたのは植木さんだった。
「やってみないと始まらない!ダメでもともとやって。まずはやってみないと!」
卖純な私は植木さんと話していると徐々に力が湧いてきた。KSEN の運営委員は巷でも
著名で活躍されている方ばかり。個人のリクエストでは不可能だが、尊敬する KSEN 委
員の名前をお借りすれば関さんは来てくれるかもしれない!幸せなことに、KSEN の方々
は名前の利用を快諾してくださったので、私は虎の威を借ることができた。こうして無名
の私は、勤務先の京都から、勤めたことのない本社にいる関さんへ熱い想いを込めて一通
の手紙を送り、そして返事を待った。
数日後…半ば諦めかけていた日々の中で、メール受信ボックスに関さんからの返信メー
ルを見つける。こうして実現した企画が、
「ふらっとカスタくんの町家にて CSR について
考える6/16 の交流会」であり、この講演の企画、一連の過程、当日の喜びはとても大切
な記憶である。
KSEN に参加してまだ間もない私を快く、温かくサポートし、協力と指導をしてくださ
ったKSEN 運営委員、
当日この会にお来しいただいた方々、
ご協力いただいた全ての方々、
そして関さんへこの場をお借りして改めてお礼を申し上げたい。本当にありがとうござい
ました。
「不況の現在、CSR は今が正念場。しかし他方でお金を掛けなくても、まだまだやれるこ
とがあると思う。CSR ではなく、ESR(従業員の社会責任)=行動する人を育て、日常
業務の中で実践することが大事である」と話した、関さんの言葉はこの企画の実現と共に
強く印象に残っている。
ISO26000、CSR…日本をはじめ世界全体がよりよい社会になることを目指して、会社
だけでなく国や個人がそれぞれ何を考え、何をすべきなのか。多くの人が安心して幸せな
生活を送るために、今大切なことは何か。課題は果てしなく、大きな問題である。多くの
方々に支えられて実現したこの企画を通して、私の SR(社会的責任)に対する想いは前
進した。
(報告者:川原美優)
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第7回 かんさい元気人リレートーク(特別編)
「特定非営利活動法人 北海道グリーンファンド×株式会社 市民風力発電
~風車をまわして地球をまもる!~」
日時:2009 年6月 26 日(金)19:00-22:00
場所:カスタくんの町家
参加者数:25 名
講師:鈴木亨 氏(NPO 法人北海道グリーンファンド事務局長、株式会社市民電力発電代
表取締役)
数ある日本の NPO 法人の中でも、先駆的な動きを展開されている北海道グリーンファ
ンド。その事業展開を支える要ともいえる鈴木さんにグリーンファンドを設立したきっか
けから、ファンドの成功要因、失敗したこと、NPO と株式会社の関係や今後の課題など
を伺った。今回は北海道から講師をお招きする特別編ということで、これまでよりも長い
時間を取り、飲食交えた交流会を企画した。
1.活動のきっかけ
鈴木さんは生協の職員等を経て、1999 年 NPO 法人北海道グリーンファンドの設立に参
画。反原発に関わっていたこともあり、風力発電に取り組む。ただ反対していても何も始
まらないと市民から出資を集めて 2001 年北海道で日本初の市民風車「はまかぜちゃん」
をスタート。その後、秋田・青森などに展開し、現在 11 基、約1万世帯分の電力を賄っ
ている計算になる。
2.NPO 法人北海道グリーンファンドの主な事業
(1)グリーン電気料金システム(寄付スキームによる市民ファンド)
(2)市民風車(出資スキームによる市民ファンド)
(3)環境価値の取引仲介(グリーン電力証書・カーボンオフセット)
特徴的なのは、
(1)環境ビジネスとしての取り組み
(2)市民のお金を、寄付または投資によってリサイクルさせる取り組み
(3)NPO と株式会社のツー・ハット(帽子二つ)での取り組み
この中で(3)はきわめて日本的な縦割りの社会の仕組み・法制度を前提にした、いわ
ば苦肉の策の対忚であって、別に「コラボレーション」という話ではない。日本ではとか
く会社と NPO を峻別しがちであるが、日本の法制度の制約の中で、組織形態の限界とそ
れぞれの組織特性を補完的に活用している。鈴木さん自身、「NPO も、会社と同じで事
業の採算を考えるのは当然」とごく当たり前の発言をされていた。
-32-
事業の採算を考えるのは当然という考え方は、市民風車への市民の出資に対して、きち
んと配当を還元していくなど、実際の活動の中にしっかりと根付いており、実践に裏付け
られた発言の持つ重みが感じられた。
発言の中で、もう一つ面白いと思ったのは、鈴木さんが手がける様々な事業についてお
話しされた際の「これ全て、私のオリジナルのアイデアではなく、パクリですよ」という
言葉。
オランダやドイツでとっくにやっていることを日本に持ってきたという意味だろうが、
法制度も住民の考え方も異なっている国のやり方をそのまま持ってきても、スムーズに物
事が進むとは思えない。その困難な部分を軽やかに飛び越えていく鈴木さんの言葉から
「イノベーションとは、創造的な模倣(creative imitation)である」というドラッカーの
名言を思い出した。
3.これからの展開について
石川県輪島市にウインドファーム(10 基)と地元 NPO との協同で市民風車を1基の設
置を予定するなど、市民出資による風力発電事業は今後も広げていく予定。また、風力発
電以外の自然エネルギーについて事業化の可能性も検討している。
北海道グリーンファンドが取り組む事業内容は、この報告で網羅できるものではなく、
その先進的な活動は、それぞれがしっかりとつながりながらも、どんどん広がっている。
非営利、営利と切り分けるのではなく、社会をよくするために市民の自発的活動をどう展
開するかが、これから問われる時代になると考える。自分が直接動けなくても、出資とい
う形で参加できる活動が大きく動き出す、その先導役が北海道グリーンファンドだ。
(報告者:浅野令子、加川裕介)
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第8回 かんさい元気人リレートーク
社会起業の源流を探る
「
『ウィメンズブックストアものがたり 女の本屋の物語』の著者中西豊子さんと語ろう
社会企業の源流を探る ――志を起業に」
日時:2009 年 10 月 19 日(月)19:00-21:00
場所:カスタくんの町家
参加者数:16 名
講師:中西豊子 氏
リレートーク当日は、平等とはなんぞやという問いに何十年も取り組んでおられる中西
さんに、長年にわたる活動、問題意識、これからの展望など多岐にわたり、お話いただい
た。
1.ご自身の活動
主婦としての生活の中で、なにかしたい、社会と関わりたいと、いろいろな勉強会に顔
を出し、ネットワークを広げていった。そういうつながりを通じて日本で最初の女性問題
専門書店を設立。その頃各地で建ちかけていた女性センターや女性問題研究家等へ営業活
動を行った。腱鞘炎になるくらい自筆でブックストアー友の会の PR に励んだ結果、会員
として 4,000 人が集まり、その方々が買い手になった。女性センターの図書館や女性政策
に関するアドバイスを行い、女性問題に関する各種企画を頼まれるようになり、フェミネ
ット企画という会社を設立した。既に需要があっての起業は理想的だが、やるといった仕
事はきちんとこなし、それが信頼となり更なる需要を生み出す。日々の心意気と努力の積
み重ねが大切だ。
ボランティアも精力的に行い、
「おんなのフェスティバル」の運営を 10 年間続け、日本
女性学研究会の事務局も担当した。1989 年には、仲間と「高齢社会をよくする女性の会・
京都」を設立し、介護保険ほか高齢者に関する署名活動や提言なども行い、今も毎月活動
している。2009 年 5 月には、NPO 法人 Women's Action Network(WAN)を立ち上げた。
どの活動も事業性と社会性に裏打ちされている。
2.問題意識
長年、人口の2分の1の女性の能力が開発され活かされる社会を目指して、活動をして
いる。女性も男性も、それぞれを固定的な枠の中に閉じ込めないで、個の能力が活かせる
社会にしたいものだ。女性が政治経済活動や意思決定に参画する機会が不十分な日本の現
実を直視し、政策提言も積極的にする必要がある。しかし、高邁な理念だけでは限りがあ
り、身の丈レベルに落とし込んだ活動ができているかと自分に問うことは、市民活動をし
ている者にとって大変重要である。
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3.社会は日々変わっている―経済のグローバル化
IT 社会のスピードと世界的高齢化は止められない事実である。しかし、世界的な社会
の動きに背を向けるのではなく、そういう社会に追いつき、流されないように、学び続け
ることが求められている。社会課題解決に向け起業するのは、日本では大変難しく、銀行
での融資交渉では何度も苦々しい思いをした。また、起業に対しての回りの無理解も相当
なもので、そういう壁を乗り越えるためには、人のネットワークが必要になってくる。
中西さんによると、事業に向いている人は、
「前向きな性格」×「楽天的であること」
×「努力」
。学び続ける好奇心と節度ある言動を身につけること。そして、なによりも裏
切らないこと。人間力向上には本を読むこと。知識や普段の行動等いろいろな要素が相乗
効果を生み出してこそ、チャーミングになれる。自分自身を高めると、いろいろなチャン
ネルから多くの人が集まってくる。人は関係性の中でこそ、存在する。
女性問題に取り組む傍ら、IT やハングル語の習得と全力投球で活動している中西さんを
見習い、自分を高める努力をしていきたい。人間死ぬまで現在進行形だ。
――――――――中西さんのレジメの中で紹介された新書版の本――――――――
『尐子社会日本―もうひとつの格差のゆくえ』山田昌弘、岩波書店、2007 年
『財政のしくみがわかる本』神野直彦、岩波ジュニア新書、2007 年
『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』湯浅誠、岩波新書、2008 年
『金融権力―グローバル経済とリスク・ビジネス』本山美彦、岩波新書
『ルポ雇用务化不況』竹信美恵子、岩波新書、2009 年
『ウエブ時代を行く』梅田望夫、ちくま新書、2007 年
『ポスト消費社会の行方』辻井 喬、上野千鶴子、文春新書、2008 年
『怒りの方法』辛淑玉、岩波新書、2004 年
(報告者:浅野令子)
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第9回 かんさい元気人リレートーク
「~夢を語れば夢が広がり加速する~ 日本を元気にする志ある夢を大阪から発信し続
ける大阪維新会の大橋正伸さんに迫る!」
日時:2009 年 12 月3日(木)19:00-21:30
場所:カスタくんの町家
参加者数:20 名
講師:大橋正伸 氏
企業経営者であり、かつ NPO 法人のリ
ーダーでもある大橋正伸さんを大阪からお
招きしお話を伺った。大橋さんは、蕎麦「し
のぶ庵」をはじめとして大阪を中心に9店
舗の飲食店(有限会社エムアンドエムフー
ズ)を経営され、また人材育成コンサルテ
ィングや感動映像制作を手掛ける株式会社
大橋家を 2007 年に設立されている。一方
で、2008 年に NPO 法人大阪維新会を立ち
上げ、
「共に夢を語り、共に支援し、共に維新する」という理念のもと、夢を語り、共に
支え合うことで、業界や地域に輝きを与えるという好循環を生み出そうとしている。
(1)当日は約 20 名の参加をいただいた。20 代から 30 代の参加者が多く、いつもより
平均年齢が若かったかもしれない。しかしながら、下は 10 代の京都文教大学の学生から
上は 70 代まで、幅広い方の交流の場となった。また、大橋さんのスタッフ(大学生でイ
ンターンシップ中)2名にもお越しいただけた。
(2)はじめに「大橋家(上記)
」作成の大橋さんプロモーション映像を見た。スピーカ
ーがなく、PC からの音源しかないというミスはあったが、熱い信念と想いが伝わってく
る内容であった。
(3)お話の最初は、握手や笑顔、呼吸やミラー効果など、コミュニケーションのコツを
教えていただいた。大橋さん自身も元々はコミュニケーションが得意な方ではなかったそ
うで、
「師匠」に様々なことを教えてもらったとのこと。それをまた多くの人に伝えて、
活動の場を広げてもらえるようにすることも夢の一つ。
(4)ご自身の経験の話もいただいた。昔は「あかんたれ」だったそうで、大学卒業後、
大手証券会社に入社するも周りの同期とのレベルの差に驚いたそうだ。これを機に「負け
ないぞ」と奮起するも営業はうまくいかない。挫折。しかし、できることを何でもやると
いう「僕やりますわ精神」で職場やお客さんのためになることを続けることで、商品を買
ってもらえるようになり、ついにはトップセールスマンになった。その後は転勤の打診を
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機に「しのぶ庵」の跡を継ぐため退職。経験を積むために退職金を握りしめ渡米、寿司屋
で働く。帰国後、お父様と一緒にユニバーサルシティウォークへの新規出店などへも取り
組んだ。やはりどちらにおいても挫折の繰り返しだったそうで、しかしながら、諦めなか
ったからこそ、光が見えてきた経験をされたそうだ。
(5)このような背景が、
「夢を諦めないこと」や「夢を口に出すこと」につながってい
るそうである。現在では「夢を語れば夢が広がり加速する」
、つまり夢を口に出すことで、
忚援してくれる仲間が出てきたり、自身のモチベーションが高まったりして実現に近づい
ていくということを講演等で伝えている。また、大阪維新会でもドリームプランプレゼン
テーションを開催するなど、やはり夢を語り、相互に忚援し、皆が「一歩」を踏み出す社
会への礎を創っている。
(6)講演後には参加者から一人ずつ自己紹介と一言コメント or 質問をいただき、イン
タラクティブな場となった。
大橋さんご自身が元気に活躍しておられ、かつ関わる人たちに元気を与え熱くさせる様
はまさに「かんさい元気人」であった。また、
「共に夢を語り、共に支援し、共に維新す
る」大阪維新会は、活躍しようとする方をネットワーキングを通じて忚援する KSEN と
想いが通じるものであった。
偶然ではあるが、町家の亭主植木さんと同じく『さぁ、夢を語ろう!‐70 人の元気な夢
‐2010 年版』に寄稿していた 70 人の経営者のお一人であった。12 月1日に発売という
ことで非常にタイムリーであった。
ゲスト:大橋正伸 氏
創業 67 年になる蕎麦「しのぶ庵」3代目。
『日本の伝統食文化
の継承と伝承』を使命に、地元大阪から新たな蕎麦(食育)文化
を創り日本中に発信している。
「夢を語れば、夢が広がり加速す
る」をテーマに精力的に活動し、2008 年3月には NPO 法人大
阪維新会を設立。
「大人が本気で夢を語る」ドリームプランプレ
ゼンテーション大阪 2009 を開催。たくさんの人たちに一歩踏み
出す勇気を与え続けている。
関連ウェブサイト:
蕎麦しのぶ庵 http://www.shinobuan.com/
有限会社エムアンドエムフーズ http://mm-foods.net/
株式会社大橋家 http://ohashike.jp/
NPO 法人大阪維新会 http://www.osaka-ishin.net/
(報告者:伊藤知之)
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「社会企業家町家塾:人間開花社会へ向けて――堀田力氏の取り組みと想い」
日時:2010 年1月 17 日(日)17:30-19:00
場所:カスタくんの町家
参加者数:32 名
講師:堀田力 氏(さわやか福祉財団理事長)
共催:株式会社カスタネットと KSEN
さわやか福祉財団理事長の堀田力さんに町家へお
越しいただいた。ゲストの堀田さんは京都新聞の福祉
面に「暖流」という連載記事を持っておられる。KSEN
副会長の植木さんが、本業の株式会社カスタネット社
長として取材(2009 年 12 月 13 日掲載)を受けたご
縁で、同社と協力して本企画を開催することができた。
堀田さんは大学卒業後、30 年間検事として日本各
地の検察庁や法務省、在アメリカ日本大使館(外交官)
で活躍された。57 歳で転身し、さわやか福祉推進セ
ンター(現:さわやか福祉財団)を設立、1991 年以来約 20 年に渡ってボランティア、ふ
れあい社会の推進に取り組んでおられる。
(1)アメリカ勤務時代(1970 年代)には、英語ができない子どもを近所や学校でフォ
ローしてもらったり、コミュニケーションで問題が生じやすい病院で助けてもらったりし
たそうである。また、私的な付き合いでは会社の肩書などではなく、人間の中味で付き合
う文化にも接した。
近隣の助け合いなどを体感し、仕事以外に何をやっているかを大事にする文化に触れた
経験が日本でボランティアを広めるきっかけとなったそうである。当時の日本では(アメ
リカにはあった)NPO という言葉すら知られていなかったし、社会人にしても会社に尽
くすことに必死で、ボランティアという価値観はほとんどなかった。
(2)さわやか福祉推進センター設立後、最初は高齢者へのボランティアから取り組みを
始めた。長寿社会になってきている一方で、経済成長によるライフスタイルの変化から家
族で高齢者を支え切れなくなってきていることを見越してのことであった。無償でボラン
ティアを受ける高齢者の方から遠慮されることがあることもわかり、有償ボランティアと
いう仕組みも広めていった。
高齢者の身体を直接支えることは相当にハードである。ボランティアではできないこと
も生じるし、高齢者宅に泊まり込むことなどにおいては問題も起こりやすいため、ボラン
ティアだけで高齢者を支えることが難しくなってきた。そういった背景から、行政関係者
への働き掛けを通して介護保険制度など高齢者の身体を支える仕組みづくりへも貢献し
-38-
てきた。現在は身体や生活を支えるというよりも、心のふれあいといったプラスアルファ
の面でボランティアが活躍する時代になってきている。
(3)子どもへの取り組みとして、学校開放なども推進してきた。放課後など開放された
学校で地域の人が参加して子どもと一緒に活動したり、勉強したりするボランティアであ
る。問題が起こったらどうするんだ、と学校からの反対も多かったが、着実な活動の積み
重ねで尐しずつ理解を得られるようになってきた。
(4)ボランティアの参加者は、最初は主婦が多かった。それが学生・生徒へも広がって
きた。一番の課題は働き盛りにある勤労者、特に中年男性をいかに巻き込むかである。最
近はワークライフバランス等に関する講演も精力的に行っている。
(5)現在はふれあいの居場所づくりも広めている。誰もが自分の力を活かしながら自由
に時間を過ごせる、自然な助け合いのある、そんな居場所だ。上記の学校開放も居場所づ
くりの例である。2010 年3月には京都で「ふれあいの居場所普及サミット in 京都」と題
してフォーラムを開催する。
(6)後半は参加者にコメントや質問をいただいた。
ボランティアを周りの人や自分の勤める会社に広めるにはどうしたらよいかという質
問では、
(無理はしないで)自分が活かせること・興味のあることをやって、それを人に
どんどん言うことが大事だということである。ボランティアなど様々な取り組みをやって
いる人というのは、視野が広がり、多様な情報を持ち、仕事も客観的に見ることができ、
魅力的な人になる。口コミと体験が一番効果的なようだ。
また、講演ではこれまでの 20 年を振り返っていただいたが、今後の 20 年をどう見るか
といった質問では、一人ひとりの発揮する力がいきいきと社会に活かされる人間開花社会
であってほしいとのことであった。
今では身近なものになってきているボランティアも 20 年前は取り組んでいる人はごく
わずかで、社会の理解も乏しかった。必ずしもボランティアの話に限ったことではないが、
堀田さんをはじめとする多くの先輩方の努力や苦労の積み重ねがあって、現在の日本があ
る、社会がある。それを忘れてはならないと再確認できた貴重な機会となった。そして新
たな 20 年、一人ひとりの個性が社会に活かされる社会に向けて、私たちも一歩ずつ前進
し、新たな礎を築いていきたい。
関連ウェブサイト
財団法人さわやか福祉財団 http://www.sawayakazaidan.or.jp/index.html
堀田力オフィシャルホームページ http://www.t-hotta.net/
(報告者:伊藤知之)
-39-
社会課題に果敢に取り組もうとしている社会起業家への忚援メッセージ
◎吉田光一 氏
株式会社フラットエージェンシー 代表取締役
京都ソーシャル・アントレプレナー・ネットワーク
(KSEN)でのセミナー講師の機会をいただいたことで、私
たちの活動を「社会や消費者」へもっと積極的に発信するこ
との重要性が認識できました。それは、
「まちづくり」に大
きな影響力を持つ業界でありながら、その活動を認知されて
いないことが解ったからです。
KSEN の活動の良さは、そのように目立たないけれど活
躍しいている人や、これから起業する人たちに光をあて、社
会貢献できる人材輩出の場だと感じます。
私自身、創業より“お客様の笑顔が私たちの「よろこび」です”との理念で、社会に必
要とされ、貢献できる会社を目指してまいりましたが、KSEN との出会いによって、機会
あるごとに、不動産業の醍醐味や、やり甲斐を伝えると共に、
“京都をもっと豊かで快適
なまちにしたい”との思いを発し、活動しています。
社会課題に取り組む社会起業家に、やればできるんだという忚援メッセージを送ります。
■株式会社フラットエージェンシー http://www.flat-a.co.jp/index.shtml
◎松村綾子 氏 彩路(さいろ)共同代表
2年前、KSEN でお話する機会をいただき、その後根
室へと移住しました。根室へ来てから様々な事業をする機
会をいただき、改めて KSEN でお話させていただいた内
容を振り返ってみると、随分頭でっかちなことを考えてい
るなあという印象です。
根室へ来てから、何か事業を行ったり、そこから収益を
得ることは、工夫次第で何とかなるものですが、人を巻き
込んだり、理解をしてもらったり、という社会変革の部分
にアプローチしていくことはとても難しいということを
痛感しました。移住した当初は、若さゆえに、大きなことをしようと思ったり、焦って物
事を強引に進めたりして、たくさん失敗しました。多くの人の共感や理解を得るには、日々
の地味な作業の積み重ねや一人ひとりの人を大事にしていくこと、そんな当たり前のこと
を続けていくことが最近ではとても大事だということがわかりました。まだまだ駆け出し
の段階で、あまり偉そうなことは言えませんが、自分はこの世界で生きていくという覚悟
を決め、長いスパンで、毎日コツコツと自分のできることを続けていこうと思っています。
-40-
◎麻生翼 氏 彩路(さいろ)共同代表
松村が根室に移住した1年後、私も会社を辞め、農
村の現場に飛び込む決意を固めました。移住の後は、
想像を超える現実との出会いの連続!具体的なもの
は、いつも現場の現実の中にあるということを知りま
した。そして、事業をはじめるということは、物事を
限りなく具体的に突き詰めていく作業なんだな、と何
となく気づき始めました。
現場に飛び込むのは、躊躇があって当然だと思いま
す。私自身、2年間は街中の企業で働きましたが、そ
れはとても貴重な経験になりました。人生に正解はないはずです。しかし、後悔するくら
いなら、飛び込んでしまえ!と思います。バンジージャンプみたいに、思い切って飛び降
りた後では、自然と踏ん切りがつくものです。私は、まだまだ心身健康な若いうちに飛び
降りて本当に良かったと思っています。モヤモヤ思い悩む性格の私の背中を押してくださ
った KSEN をはじめとする多くの皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう
ございました。
最後に、最近努めて心に留めている言葉を一つ。
「目的意識を持って生きると狭くなる。
目的を意識するかわりに、自分の役割を意識して、実行しなさい。
」
◎岩崎吉隆 氏 株式会社マイファーム 共同創設者
KSEN5周年おめでとうございます。
私がはじめて KSEN へお邪魔してからまだ数年です
が、勉強になるのはもちろん KSEN で出会った方々と
はよき仲間としてお互い仕事でつながることもあり貴
重な機会にいつも感謝しております。
起業は何も特別なことではなく、
「こんな世の中にな
ったらいいな」を実現する極めて自然な活動だと思いま
す。最近、起業は一人ではなく、お客様はじめ、事業パ
ートナーや協力者があってはじめて実現するものだと強く感じるようになりました。これ
から起業する方は、
「夢に賛同してくれる仲間をどれだけ増やせられるか?」が一つの鍵
になるではないでしょうか?がんばってください!
■株式会社マイファーム http://www.myfarm.co.jp/
-41-
KSEN 開催イベント一覧 2004 年 10 月-2010 年 1 月
KSEN 発足記念交流会
2004 年 10 月 22 日
名刺交換会に終わらないネットワークの在り方
2004 年 11 月 19 日
スカンジナビア・ブック・ギャラリーで北欧の魅力を探ろう
2004 年 12 月 17 日
意見交換会 in KRP
2005 年 1 月 24 日
中小・ベンチャー企業、NPO のメディア戦略
2005 年 3 月 30 日
KSEN メディア戦略セミナー
2005 年 4 月 14 日
ゼロから始める文章術第 1 回
2005 年 5 月 12 日
ゼロから始める文章術第 2 回
2005 年 5 月 16 日
京(今日)からはじめるブログ講座
2005 年 7 月 7 日
CSR の新しいながれと社会起業家(東京・京都各 2 日開催)
2005 年 10 月 25 日
京(今日)からはじめるブログ講座 実践編(11 月 8 日・10 日)
2005 年 11 月 10 日
活動拠点の作り方、お教えします!
2005 年 11 月 21 日
ハッピークリーニング 新しいビジネスと文化への挑戦
2005 年 12 月 14 日
映画文化の再生-京都シネマの挑戦
2006 年 4 月 15 日
西陣町家スタジオへお越しやす!‐町家が紡ぐネットワークに触れよう‐
2006 年 7 月 2 日
KSEN 的マネーライフ=ちょこっとソーシャルにお金と付き合う
2006 年 10 月 20 日
地域に愛される鉄道でありたい『駅はまちの玄関』
2007 年 11 月 16 日
北の大地に道をつなげる 人がつながる フットパスをつくろう!
Girls and Boys, be ambitious!
「私が動いたわけ」~街を元気にするアイデアをカタチにするとは~
点字用紙でソーシャルアントレネットワーク!ユニバーサル&ビジネスチ
ャンス、ときどきエコアート?
両生類になってみる 非営利組織と営利組織の世界を行き来する
未来は子どもたちの手に~ICT を活用して世界の子どもたちがつながる世
界を創る 世界を拓く若き想いに迫る
社会貢献について考える~損保ジャパンの CSR
特定非営利活動法人 北海道グリーンファンド×株式会社 市民風力発電
~風車をまわして地球をまもる!~
『ウィメンズブックストアものがたり 女の本屋の物語』の著者中西豊子
さんと語ろう
2008 年 2 月 15 日
2008 年 6 月 25 日
2008 年 9 月 24 日
2009 年 2 月 20 日
2009 年 4 月 20 日
2009 年 6 月 16 日
2009 年 6 月 26 日
2009 年 10 月 19 日
夢を語れば夢が広がり加速する
2009 年 12 月 3 日
人間開花社会へ向けて‐堀田力氏の取り組みと想い
2010 年 1 月 17 日
-42-
結語
直面する課題に対して、諦めていては何も始まらない、誰かに対して怒っていても変わ
らない。NPO は共感を得る人たちから会費や知恵、労力を集め、株式会社は資本を集め
事業を行う。そんな卖純な構図ではなく、NPO と株式会社の良さを結合した活動が日本
各地で行われている。この章の報告でも紹介し、今では広く認知されている NPO 法人北
海道グリーンファンドは、1999 年の設立以来、様々な形で省エネルギー・自然エネルギ
ーの普及に取り組んできた。あるメーリングリストで紹介されたときは、市民が「市民風
車」という画期的なものに出資するのかと驚いた。それが今では北海道、秋田、青森、石
川県輪島などに広がっている。
日本ではとかく会社(for-profit)と NPO(nonprofit)を峻別しがちであるが、日本の法
制度の制約の中で、それぞれの組織特性を活用している北海道グリーンファンドは、ハイ
ブリッド型の好事例である。「両生類になってみる 非営利組織と営利組織の世界を行き
来する」と題し 2009 年2月 20 日においでいただいた株式会社 Hibana 代表取締役の松田
直子さんの例も参考になる。
NPO も、会社と同じで事業の採算性を考えるのは当然である一方、「採算性」を金銭
的な尺度だけではなく、生甲斐の採算性という価値観に重きをおくボランティア・市民活
動もある。2010 年1月 17 日においでいただいた堀田力さんの話も金銭的な市場のゆがみ
を変えようとする意気込みや時代の反骨精神を感じ、私の原点を見た思いだ。
公共とは多様な価値観で創られる創造的混沌の中にある。KSEN でお招きした方々の
お話を聞く度に、ほんの尐し見方や意識を変えれば、自分たちで拓く未来があるのだ、そ
う思える時代だと感じる。ここで紹介した方々の十人十色の人間曼荼羅は、多様な価値観
に基づく未来を予見させてくれる。尐しでも社会を良くしようとして動いている人の輪は
どんどん大きくなっている。大切なのは自分で動いてみること。
"未来を予測する最良の方法は、未来を創りだすことだ"
米国コンピューター科学者アラン・ケイのことばをこの章の結語としたい。
(浅野令子)
(第2章編集:浅野令子、加川裕介)
-43-
第3章 運営委員のひとりごと
第1節 それぞれのメッセージ
本節では、KSEN メンバーの「人となり」を伝えることをテーマとしています。共通事
項として KSEN との関わり(きっかけ)を交えた上で、内容はそれぞれ自由としました。
執筆したメンバーは 14 人です。個性豊かなメンバーの紹介、それぞれの感性をご堪能い
ただきたいと思います。
しなやかに new public、さりげなく new governance
浅野令子
思えば随分遠くに来たもんだ。KSEN がどうしてできたか。それは私の長いフリーター
人生から導かれた道にある。
遍歴するわたし
OL 留学がまだ流行にもなっていない 1980 年代、京都の金融機関を辞めて、シアトル
大学へ留学を決意。当時は旅行ならともかく、海外留学はまだ珍しかった時代。結婚では
なくなぜ留学なのかと友達のお母さんには言われたものです。
その頃関西ではなかなか TOEFL テストが受けられず、わざわざ東京で受験したり、忚
募料自体は 10 ドルくらいだった大学の忚募要項を取り寄せるため、5,000 円ほどの為替手
数料を払ったり。OL 時代の蓄えが頼りだったあの頃、けっこう痛かった出費の数々は今
でも覚えています。
その甲斐あって、1985 年シアトル大学社会学部に入学。一度は帰国したものの、縁あ
って再びシアトルに戻り、日米文化・教育交流事業に従事しました。
その仕事を通じて、NPO の重要性やしなやかな社会変革機能に感銘を受け、シアトル
大学の大学院にて「Executive Master of Not-for-profit Leadership」
(NPO 幹部者用修士
号)を取得。
ときはレーガン政権下、助成金・補助金削減で NPO も自主事業を積極的に開発しよう
という機運が生まれる一方、シアトルでは、マイクロソフトをはじめ多くの IT ミリオネ
アが誕生し、地域づくり、芸術・文化、NPO に対する寄付などが盛んになってきました。
そして私は仕事としてだけでなくプライベートでも NPO での企画や運営に関わるように
なりました。
そんなときに突然届いた阪神淡路大震災の知らせ。シアトルと神戸が姉妹都市というこ
ともあり、いろいろな情報がもたらされる中で、人の絆の強さは海を挟んでも変わらない
と実感した私は、日本でもこれまでのキャリアを活かして活動したいと考えるようになり
-44-
ました。そしてついに十数年間のシアトルでの生活に終止符を打ち、日本へと帰ってきま
した。
それから
日本ではちょうど市民活動促進に関する議論が各地で盛んに行われており、市民活動の
本格化がまさに始まろうとしている時期でした。
私も大阪大学のプロジェクトチームに参加し、海外ゲストを招く企画に携わったり、日
本 NPO 学会立ち上げに参画したりする中で、多くの市民活動研究家・実践家と出会う機
会に恵まれました。
また、国連地球温暖化枠組条約京都会議の開催にあわせて、気候フォーラム(現在、気
候ネットワーク)による海外環境 NGO の招聘に携わり、環境活動へのネットワークも広
がっていきました。何かが始まるその先端の時期にめぐり合わせたことは、浦島花子的に
日本へ再エントリーした私にとって大きなチャンスとなったのです。
そうこうしていくうちに、あるベンチャー企業オーナーと出会い、さらに視覚に障がい
を持つベンチャーオーナーも加わって地域情報化・地域活性化推進 NPO を京都で立ち上
げることになりました。活動を開始した 1999 年当時、地域情報化推進 NPO の役割は未
知数でしたが、公衆無線 LAN の実用実験や音声読み上げ式タイピング練習ソフトの開発
などを通じて、社会的弱者のエンパワメントの可能性を広げていくことに存在意義を見出
していきました。KSEN 設立と前後してその NPO から離れることになりましたが、そこ
での体験は、私の大きな財産になっています。
想いは流れる
そして今、本業と共に KSEN の運営委員を続けています。
「社会起業家」を書かれた町
田洋次さんの面識を得たことが、
「社会起業」を深く考えるようになった大きな理由の一
つです。ある ML で町田さんのことを知り、オフィスにお伺いして以来のお付き合い。私
のメンターです。そして、もうお亡くなりになりましたが、京都シルバーリングという高
齢者の生きがい・雇用支援をしていた玉川雄司さん、このお二人は私の心の中で大きな位
置を占めています。
KSEN 運営委員では、加川さんは彼が大学院生だった頃から、中尾さんも大学時代イン
ターンとしてお手伝いしてもらってからのお付き合い。植木さんは社会起業の企画からの
ご縁、川本さんとは町田さんを介して出会い、当初は随分エリートサラリーマン風の語り
口でしたが、今では下町風情でいい味を出しておられます。加藤さんとは Web の仕事を
お願いしてから、随分親密にしてもらっています。他の運営委員のみなさんをはじめいろ
いろな人がつながり、離れ、また新しいつながりができと細く長く、楽しく KSEN は続
いてきました。
-45-
自分の時間を切り売りするパート感覚でなく、しっかりした問題意識と志を持った人が
提案型の仕事をしている組織と出会える場がほしい。そんな願いから KSEN を立ち上げ
て5年。出会いの場にとどまらず、可能性あるシーズを育てるメンターの役割を実践して
いければと思っています。
そして、これから
思えば随分遠くへ来たもんだ。これから?わかっているじゃない。人間死ぬまで、現在
進行形。
浅野 令子 (あさの れいこ)プロフィール
滋賀県生まれながら、京都室町の血筋も引いているので、行
政区分で区切らず生活領域で暮らしを考えたい。2009 年1月
現在は、淡海ネットワークセンター(財団法人淡海文化振興財
団)常務理事兼事務局長。どんな人にも人生かけてこれだと思
う「真実の瞬間」がある。私は企業でもない、行政でもない、
教育・福祉分野でもないニッチなキャリアとして NPO という
生き方があるとわかり、米国シアトル大学大学院にて
『Executive Master of Not-for-profit Leadership』
(NPO 幹
部者用修士号)を取得しました。滞米生活 13 年。日米二十数
年間 NPO の世界で生きている。
モットー:
「人生に引退はない。人間死ぬまで現在進行形。
」
「しなやかに new public さりげなく new governance」
「求められる自分になる!」
自分の夢:財団をつくり、尐し人的・金銭的サポートがあれば、飛躍的に成長する女性に対
し、奨学金を出したい。
趣味:仕事も趣味も企画屋。何もないところから事業を立ち上げるのが大好き。
好きな色:赤、紫
特技:人生のジャグリング。数年卖位で人生の転機が訪れる。元祖フリータ・フリーラン
サーと呼べるかもしれません。
-46-
偶然だっていいじゃない。出会いを大切にしよう。
伊藤 知之
2007 年の中ごろ、MBA 進学への勉強中。入試日程が想定されていた8月から 12 月へ
変更された。準備万端だったものの、はて…。
そんな最中、あるウェブサイトを見れば、マンパワーが足りず活動は停滞気味とのこと。
「私暇なんですが、何かできることがあれば。
」
突然こんなメールを受け取った方は何を思っただろうか。
そうそう、社会起業家になぜ関心を持ったかって?ビジネススクールに進学することも
あり、自分が起業するとしたらどんなことをするかを考えた時期が一時期あった。
元来からひねくれた部分を持っている私は、何をやるにしても特別なエッセンス、こだ
わりを練りこまなければ気が済まなかった。人と同じは嫌だ。
「人とは違うプレゼントを
用意する」
「人が言わない意見を敢えて言う」などなど…挙げればキリはない。
それじゃあビジネスに加えるエッセンスは何か。ふと思いついたのは、ビジネスやりな
がら世の中よくなったらおもしろいよね、てこと。ひらめいたのは排出権なんかをやりと
りしているうちに環境が改善しないかしら、とかその程度なんだけど。事業をグルグル回
している間に、なんだか身の回りに変化が起こる。そんなイメージ。社会起業家なんて言
葉は知らなかった。
とりあえず排出権の情報収集(今思えば甘い!笑)に向かった本屋で、ある本がふと目
にとまった。
『世界を変える人たち~社会起業家たちの勇気とアイデアの力~』
(デービット・ボー
ンステイン著:ダイヤモンド社)
なんじゃこりゃ。なんとはなしに手にとってパラパラめくってみたら、これがおもしろ
いおもしろい。それこそ「エッセンス」を加えてビジネスやっている人たちが山ほどいる
じゃないか!私のようなひねくれ者が世の中にたくさんいることを知って嬉しくなった。
これが社会起業家という言葉との出会いだ。
本の中では外国の話ばかりだったけど、身近にこんな話ないもんだろうか?次は当然お
決まりのこれだ。
Google 社会起業家 京都
検索
こうして KSEN と出会った。
-47-
思い返せば全てが偶然。変な思いつき、本との出会い、ネット検索、一通のメール…。
そもそも大学院の入試が前年通り行われていたら…?こういうことが運命というのかも
しれない。今の私は KSEN との出会いなしには語れない。ここを起点に(KSEN 関係の
みならず)いろんな人に出会った。こうして出会った方たちにたくさんの成長の機会をい
ただいた。特に私をいろいろな場に引き出してくれた植木さんには感謝してもしきれない。
今の私の役回りは何だろうか、と考えてみた。…「何でも屋」だ。私が KSEN に関わ
り始めた折、せっかくだから何か新しいことを始めよう!と「かんさい元気人リレートー
ク」を始めることになった。その第1回の企画に関わって以来、この刺激的な企画も第9
回を迎えている。企画周りの雑事は主に私の役割だ(もちろんみなさんの協力を多大にい
ただいている)
。気付けばメルマガも打つし、KSEN の財布や通帳も預かっていて、ウェ
ブサイトの更新テクまで身につけてしまった。こんな役回りも嫌いじゃないけど、自分ば
かりが出会いの機会や成長の機会を独占していては申し訳ない。ちょっとずつ譲っていか
ないと。誰かやりたい人いませんかー?
最後は KSEN の展望について考えてみよう。細かいことはさておいて、願いは一つ。
「若者と大人が混ざり合い、未来を支える力を生み出す場所に。
」
(実は「若者」なんて分け方をするとある人から怒られるんだけど…)ここは 10 代か
らなんと 70 代(!)まで自然体で集える場。しかもみんなバックグラウンドはバラバラ。
学生や会社員、税理士さんに社長や教授、NPO 関係などなど…。ま、肩書きなんてどう
でもいいんだけど。イノベーションの源泉は多様性のぶつかり合い。
(これまた怒られそ
うだけど…)未来を担う元気な若者たちが、経験豊富な大人たちと出会うと何かが生まれ
る、そんな気がする。何かが生まれそうなそのときに「やりなよ!」と背中を押すことの
できる人間でありたい。一緒に汗はかくからさ。
こんな大層なビジョン。何言ってんの…て感じだけど、大きなビジョンと小さな積み重
ねが実はベストチョイス。常に高い目標を掲げて一歩ずつ前進。じゃあ具体的に何するん
だ、て?それはあなたと出会ったときのお楽しみ。
伊藤 知之(いとう ともゆき)プロフィール
出身地:福岡県
職業:大学院生(もうすぐ社会人)
趣味:読書、旅行、飲み会、仕事を抱えること…
好きな言葉:
「誰かが仕掛けなきゃ何も変わらない」
-48-
「事業の神様は、人の集まりと社会貢献が好き」を KSEN から学ぶ
植木 力
ベンチャー企業も、多くの中小企業も世間の厳しい荒波を受けて消えて行く中で 10 年
を迎えることができました。そして、一番厳しいと言われているオフィス用品業界で潰れ
ずに事業を継続できているのは、社会貢献活動を行っているからと言っても過言ではあり
ません。
多くの経営者は、情報や人脈を求めて、各種団体に加入していると思いますが、同業種
や同じ考えを持つ集まりでは、結果として偏った情報と人脈しか入らず、今までの延長線
上の経営になってしまいがちです。
「植木さんのアイデアは、どこから生まれるの?」と質問を受けることが多くなりました
が、決してアイデアは天から降ってくるものではありません。私の場合は、KSEN の活動
を通じて、多くの方々との出会いがあったからだと思います。
NPO、学生、大学教授、サラリーマン、主婦、障がい者、リタイヤした人など…普通の
経営者は、これらの方々と会わないだろうし、会話や議論を交わすこともないと思います
が、私はこの非営利の集まりの中に、ビジネス情報と人脈(共に営利)が存在することを
KSEN 活動から教えていただきました。
企業の社会貢献活動は、儲かっている企業だけが行うものと考えられていたときにでも、
これからの時代のあるべき企業像、社会のトレンドをいち早く知ることができました。
そして世の中の経営者が、社会起業家、CSR(企業の社会的責任)
、企業と NPO との
協働などの言葉さえも知らないときにいち早く活動を開始することができたのです。
何事でも、一歩先を行くことが競合他社との戦いに勝てるように、社会貢献では先頭を
走ることができ、それだけではなく遅れて活動を開始する企業を冷静に見ることができま
した。他社の問題点と自社の改善点も冷静だから見えてきます。
その一つが、ベンチャー企業では日本初の社会貢献室を設置し、自ら社会貢献室長とな
り、企業の社会的責任には、三原則があると確信するようになりました。
(1)その企業能力の最大限を行う (2)継続する (3)一番大切なのは、トップの
率先垂範です。
KSEN の活動を通じて、京都の町の中に気楽に集まる場所がないことを改めて知り、行
政が用意した会議室などでは、時間厳守、飲食、アルコール、楽器使用など駄目なことば
かりです。制限事項は当たり前の話ですが…
毎月通った、東大阪のある町工場では、飲食無料の交流会が 25 年も続いて(現在は終
了)おり、そこで人と人が出会うことでビジネスになることを目の当たりにしていました。
また、ネット上の SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)でも、利用者は無
-49-
料ですが、運営する会社は儲かっています。デジタルが儲かるなら、アナログも儲かるは
ずです。
みんなが喜んで集まることのできる空間をつくりたいという想いから、株式会社カスタ
ネット 社会貢献室 町家分室(カスタくんの町家)の開放を始めました。
多くの起業塾、講演などでは、成功事例は聞いても、失敗したことを聞くことが尐ない
ですが、靴を脱ぎ、畳の上の丸い“ちゃぶ台”を囲んで膝をつき合わせば、本音の話がしや
すくなります。私も含め、若い学生さんたちにとっても貴重な話を生で聞くことのできる
空間になりました。そして、
「企業の営利活動と社会貢献活動は、相反するものではなく、
親和性があり、車の両輪のようなものである」と確信し、私の頭の中では、活動と理論の
整理が進んで行ったのです。
KSEN 運営委員、加藤さんから、使用済み点字用紙が大量にあまり困っていると、社会
福祉法人京都ライトハウス内の作業所 FS トモニーの方を紹介していただきました。使用
済み点字用紙を新商品の“京のおともだちクッキー”手提げ紙袋(左下写真)として活用を
始めると好評で、他に活用展開の可能性を感じていました。
そこに、
「かんさい元気人シリーズ」の第4回有限会社
オフィスリエゾンの牧野まゆみさんからの視覚障がい者
の実情などをお聞きすることにより、健常者では知らない
(知ろうとしなかった)世界が見えてきました。
講演などで活用事例を紹介すると、京都ライトハウスに
発注する企業が増えているそうです。
(1)点字用紙がなくなるほど注文が入り、
(2)授産施設としては仕事の確保、
(3)健
常者にも点字用紙に触れる機会を与えている。
まさしく、社会的ビジネスになっていると思います。メディアからも注目され、最近で
は NHK での特集、毎日新聞(夕刊)のトップページでも掲載されています。京都から全国
へ広がったきっかけは、KSEN であると私は確信しています。KSEN の活動を振り返る
と、社会に好影響を与えていたのかもしれませんね~。
活動を通じて多くの学生と出会うことができました。その中に“社会起業家になりたい”
と夢を語る学生が近年増えて来ました。私の頭の中には、社会起業家ではなく、社会企業
家であると思っています。起業することは誰にでもできますが、企業である以上継続しな
ければなりません。そして、その継続ほど難しいことはありません。そのことを伝えたい
…著書の原稿書きを始めたのも KSEN でした。それから4年。2008 年 12 月に出版する
ことができました。最後に、プロローグの一部を紹介させていただきます。
-50-
プロローグ
私が本書の中で伝えたいことは、企業の社会的責任(CSR)を中
心テーマとした企業活動であり、そのビジネスモデルのあり方です。
また、どのようにしたら企業の利益追求と CSR を矛盾なく、しかも
楽しくできるかという私なりの経験と細部のノウハウを伝えたい。
言い換えると、事業の神様に好かれる方法です。今世紀のビジネス
のあり方は、環境や社会問題と真っ向から取り組み、それを解決し
ながら事業を展開する「ソーシャルなビジネス」が本流になってい
くでしょう。そうならなければ、この地球という生命体は持ちませ
ん。ベンチャー企業も社会貢献する時代なのです。起業してまだ十年もたっていませんが、
私はそのことを確信しているし、日本にソーシャル・ビジネスを根づかせ広げるためにも、
カスタネットの事業発展と社会貢献でその一役を担いたいと念じています。本書は、そん
な私の思いと願いも込めて、いずれ起業したいと思っている若い人たちに向けて書きまし
た。本書を読んだ若い世代の中から一人でも多くの起業家が生まれ、起業家から企業家へ、
そしてさらに社会企業家へと自分自身を高めていってくれたら嬉しいかぎりです。
植木 力(うえき ちから) プロフィール
株式会社カスタネット 代表取締役社長 社会貢献室長
航空自衛隊から大日本スクリーン製造株式会社に転職し、2001 年退職型の社内ベンチ
ャー制度によりオフィス用品販売会社、株式会社カスタネットを創業。ベンチャー企業と
しては、日本初の社会貢献室長となり、カンボジアに小学校寄贈、カスタくんの町家無料
開放などの社会貢献を通じて、従業員も取引先も地域の人々も、みんなが自然と吸い寄せ
られるように集まる、マグネットカンパニーが理想の企業像であると思い、それがあたり
前の社会になるように活動したいと思っています。著書に『事業の神様に好かれる法17
カ条』
(かんぽう)などがある。著書収益は、全額カンボジア支援活動に寄付しますので
お買い求めください。
出身地:京都府
職業:社会企業家
趣味:仕事(起業までは、寝ることでした)
好きな場所:春と夏が終わった日本海の海水浴場
夢:田舎にオフィスをつくり、週3日は田舎勤務
-51-
KSEN5周年によせて 或る運営委員のモノローグ
加川 裕介
1. KSEN との縁
2004 年のある日、浅野さんが当時事務局長を務めていた NPO 法人のオフィスへお邪魔
したのがすべての始まりでした。浅野さんやたまたま居合わせた川本さんをはじめ数人の
方と歓談するうちに、話題はいつのまにかソーシャル・アントレプレナーという存在へ。
「ソーシャル・アントレプレナーっていいよね」
「うん、語感もいいし、イデオロギー
くささがないしね」
「きっとこれからソーシャル・アントレプレナーという言葉はメジャ
ーになるよ」
「まずは京都からムーブメントを」
などと話は盛り上がり、その場の勢いで KSEN の設立が決まってしまったのでした。
結局、その場に居合わせたメンバーが発起人となり、めでたく KSEN が発足。私も運
営委員の末席に名を連ねることになったのです。
もちろん KSEN を設立し、活動していくことに面白さを感じていましたが、なんとな
く成り行きで関わり始めたというところです。
しかし、こうして振り返ってみると、
「まず走り出す。後のことは走りながら考える」
という KSEN 運営委員のモットーは、発足のときから現在に至るまで変わりませんね。
2.運営委員になった理由
大学生だったころ、漠然とではあるものの NGO や NPO に興味を持ち始めました。当
時の私は、社会の中には収益ベースに乗せることが困難でも、その提供を望まれるサービ
スがあるということを知り、そのサービスの担い手として NPO に関心があったのです。
ただ、当時から NPO がそうしたサービスを提供する唯一の形態だとは考えていなかっ
たし、やたらと「市民」を強調したり、反営利企業的な姿勢を打ち出したりする傾向には
疑問を持っていました。
もっとしなやかに、もっとオープンに、自他共に満足できるサービスを社会に問うこと
はできないのだろうかと考えたときに、出会った言葉が「ソーシャル・アントレプレナー」
であり「社会起業家あるいは社会企業家」だったのです。そこには営利と公益のバランス
があり、必ずしも経済的にストイックになることもなく、多くの人に受け入れられるイメ
ージがあふれていました。
そして、ちょうど「ソーシャル・アントレプレナー」という言葉に出会った頃に、前節
で記したような経緯から、KSEN の発足に立ち会ったわけです。成り行きもあったとはい
え、運営委員になったのは、上記のような想いをもっていたからでもあります。
それから5年、KSEN を通して出会った人々はそれぞれ本当にユニークで、魅力的な方
ばかりでした。営利企業の経営者・NPO 運営者・社会起業家の卵・企業に所属しながら
-52-
創意工夫をしている方などなど、それぞれのやり方で、しなやかに、オープンに、自他共
に満足できるサービスを実際に提供しようとしておられました。
その姿は、その気さえあれば、それぞれが今いる場所で、
「ソーシャル・アントレプレ
ナーシップ」を育てられるのだということを私に示してくれました。
KSEN の活動を通して、自分の中の「ソーシャル・アントレプレナーシップ」を育てて
いきたい。自分がこれまで体験してきたように、多くの人に魅力的な方々との出会いを体
験していただきたい。そんな尐し高尚な理由が7割、惰性が2割、続けていればなにかい
いことあるかもという下心が1割という気持ちで、これからも運営委員を続けていきます。
3. おまけ よくある質問形式で
Q.京都人でないと、運営委員になれないの?
A.いいえ。というか、生粋の京都人はほとんどいません。ちなみに私自身は京都に住ん
だこともなく、京都で定職についたこともなく、京都で学生だったこともありません。
なんで KSEN の運営委員をしているのか不思議です。
Q.お酒が飲めないと、運営委員になれないって本当ですか?
A.いいえ。確かに会議の後は、お酒が入ることが多いですが、なごやかな感じで体育会
系のノリとは無縁ですので、ご安心ください。ちなみに基本は割り勘です。
Q.実際のところ、運営委員ってなにをしてるの?
A.今のところイベントの企画が主な仕事ですかねえ。いいアイデアを思い立ったら提案
して、提案者が各自で交渉してイベント実施にもっていきます。他のメンバーはそれぞ
れが可能な範囲でヘルプに入ります。ちなみに私はもっぱら当日受付や経理担当です。
たまには企画も立てないと・・・。
Q.運営委員をやっていると、運気が上昇すると聞きましたが、本当ですか?
A.たぶん本当ではないかと。みなさん朗らかな方なので、
『笑う門には福来る』のではな
いでしょうか。ただ競馬で大穴当てたとか、宝くじで1等当たったという話は聞いたこ
とがありません。
加川 裕介(かがわ ゆうすけ) プロフィール
出身地:大阪府
職業:税理士といいたいところですが、本稿執筆時点では
未登録なので、経理事務などをぼちぼち。
趣味:読書、株式投資、平日にガラガラの映画館でマイナ
ーな映画をみること
-53-
5年目にして立つ? 3つの思いとこれから
加藤 和子
1.KSEN へのプロローグ~町家と NPO 界の賢者に会う
2004 年の秋だったでしょうか、京都ラジオカフェの前田さんと共に六角小川通りにあ
る NPO の事務所を訪ねました。お話を伺うだけのつもりが、帰るとき手帳に次の訪問日
を記すことになったのは、当時まだ珍しかった町家のオフィスと、事務局長・浅野さんの
聡明さに惹かれたことが、不純ですが理由です。それが、今日の自分を決定づける日にな
ったとは、夢にも思わずに・・・。
2.発起人の言葉に勇気づけられて~KSEN ウェブサイトの立ち上げ
その NPO で週2~3日仕事をさせてもらうようになったある日「社会起業家のネット
ワークを立ち上げようという集まり」があると聞いて出席させてもらいました。スカンジ
ナビアブックギャラリーという組織の方の話で、とても面白く、これがのちの KSEN 名
物リレートークへと発展したのではと思います。
「肩書き経験不問。興味があれば誰でも
歓迎。ルールは一つ、お互いを『さん』
」付けで呼び合うこと」という発起人川本さんの
言葉にとても安心したことを覚えています。とにかく何もわからないので勉強させてもら
うつもりで参加するうち、翌 2005 年ウェブサイトの立ち上げを担当することに。試行錯
誤でXOOPSというシステムを設定したものの、
果たしてこれでいいのか不安で不安で・・・
とはみなさんには言えませんでした笑。
3.KSEN に育ててもらった
KSEN の若いメンバーと接する度に自分が恥ずかしくなりました。20 代の頃わたしは
自分のことしか考えていませんでしたから。イベントのとき「もちろん手伝うつもりでし
たよ」と言ってくれた中尾さん。さりげなくフォローしてくれる伊藤さん。会計では加川
さんがびしっとまとめて。そんなみなさんの心意気に触れて、わたしも動けるようになっ
たと思います。もちろんベテランの方々:
「ひと・まち交流館」で藤野さんの姿を見つけ
てはこれ幸いと相談し、元祖元気人・植木さんにはどれほどお世話になったかわかりませ
ん。
4.三つの思いとこれから・壮大な計画提案?!
ほんとうに語り出せばきりがないのですが、肝心なのはこれから!ということで、不肖
のわたしも5年越しにしてようやく三つの指針を掲げることができましたので、ここで披
露させてください:
(1)頑張っている人を孤独にしない。
-54-
(2)社会の中で弱い立場になってしまうもの、消されてしまいそうなもの、地域の良さ
や培われた文化を、1日でも永らえさせるために「ICT」を役立てたい。
(3)
「わたし一人動いたくらいでは何も変わらない」と思わずに、やる。一人でも喜ん
でくれる人がいるかもしれない。また 100 年先の誰かの希望となると信じて。
具体的な行動計画はいろいろあるのですが、
「京都から社会企業家の波を!」というこ
とで一つ提案です:京都には「社会企業家」と冠せずとも、地域や社会のためになること
を、ごく当たり前のこととして、古くから実践されている企業がたくさんあります。その
方々に「あなたこそ社会企業家です!」と敬意と御礼をお伝えし、さらに多くの方に広め
たい。そしてもちろん全国にも・・・名づけて「全国総社会起業家化計画」
。いかがでしょう
か。
加藤 和子(かとう わこ) プロフィール
出身地:奈良県
職業:ICT 関連の企画運営、講師、ときどき写真と執筆。ブ
ログデビュー請負人として定評いただく。謎の人と紹介される
ことが多い。現在は障がいのある方の就労支援の事業コーディ
ネイターとして活動中。
趣味:文章分析、写真(5年で 10 万枚)
、石
特技:早起き・早飯・早歩き(左記以外は遅い)
KSEN の思い出
金田 真由子
1.KSEN と出会って
「川本先生って呼んだら僕もうしゃべらないからね」というのが川本さんの口癖だった
ように思います。ビジネスの世界では「コネ」と呼ばれるものがソーシャル・アントレプ
レナーの世界にはなく、全てが「つながり」として大切にされている、そんな社会企業の
独特の世界を体現していたのが KSEN だったような気がします。
すごく個性的で印象的な方たちとの出会いが KSEN との出会いでした。川本さんも藤
野さんも浅野さんも、ビジネスの世界の素敵な大人といった印象でしたが、ソーシャルな
面に深く関わっている大人。そういう方たちとの出会いは本当に貴重でした。当時 CSR
に関わる勉強会に行っても、
「会社の CSR 担当ですから知っておかなければいけません」
-55-
的な大人が多かったからかもしれません。CSR とは全く違うソーシャル・アントレプレナ
ーの世界を教えてもらったのが KSEN でした。
2.KSEN の活動
やっぱりマーリンさんを招聘してのセミナーが一番印象には残っています。ぱるるの会
議室を借りたり、テーマについて話し合ったり。当事者であるマーリンさんがその場にい
ない中で企画が進められているのが不思議な感覚はしましたね。
マーリンさんのセミナー以外にもゲストを招いてのセミナーがあり、色々学びましたが、
印象に残っているキーワードは「元気・楽しい・いきいき」です。社会起業は楽しいから
やる!やってると元気になる!周りの人もいきいきしてくる!どんな人からも、そういう
雰囲気を感じました。だからこそ続くんですよね。サステイナブル、肩肘はらない、周り
のことを考える、そんな生き方、働き方をしている人たちばかりの中でした。サプライチ
ェーンマネジメントの中の環境問題とか具体的なことも色々学びましたが、一番学んだの
は、
「生き方」だったかもしれません。
3.今と現在
KSEN から離れ、京都を離れ、東京砂漠で気づけばもう4年目。やはり「みんなをさん
付けで呼ぶ世界」が好きな私は、ビジネスの上下関係とかには馴染めずに(笑)余裕もな
く働き続け、気がつけば年月が経ってしまいました。あれよあれよという間にリーマンシ
ョックが来て、会社は利潤をあげられなくなりました。食べていくのが精いっぱいという
中で、需要と供給、利潤追求と社会貢献、グローバル化と日本の行く末、などについて立
ち止まって考えることも尐なくなってしまいました。浅草の地域通貨が、キティ小判形だ
なんて、かわいくてなかなかやるなあ、なんて人ごとみたいに遠ざかってしまいました。
好きな町、京都だから活性化したい、そんな気持ちがあることも大事だな、一緒に誰かと
議論してこそ面白いことが生まれるんだな、などを実感しています。また、何らかの形で
KSEN と関われる日が来ることを楽しみにしています。
金田 真由子(かねだ まゆこ) プロフィール
出身地:埼玉と静岡と京都
職業:会社員
趣味:旅行、食べること
-56-
なぜ私は KSEN にいるのでしょうか?
川原 美優
(1)KSEN への誘い~きっかけは?~
「社会起業家に興味があるなら、一度お来しなさい♪」
京都 CSR 研究会に参加していた際、藤野さんから川本さんがいらっしゃる講演会にお
誘いいただき、その終わりに社会起業家への興味と共に川本さんへ熱烈な挨拶をしたら、
そう声を掛けていただきました。
私が KSEN に参加させていただくきっかけを振り返ると、藤野さんのそもそものお誘
いと川本さんのこの一言だったと思います。
(2)社会起業家への興味
さて、いつから社会起業家に興味をもつようになったのでしょうか…
振り返れば大学生のときに始まります。ゼミの教授の授業である開発経済に興味を持ち
ました。そして、2006 年の夏、ゼミで東アジアの一国、タイに研修旅行に行ったときの
ことです。政府系(JETRO・JBIC)
、企業(トヨタ系自動車部品工場)、NGO(シャンテ
ィ国際ボランティア会)とそれぞれの機関を訪問する機会に恵まれ、即効性の点で最も共
感できたセクターが NGO でした。また NGO に興味を持つと、NPO という言葉も知る
ことになり、関連の情報に興味のアンテナを向けるようにしていました。そんなある日…
「社会起業家って呼ばれる人が日本でも増えていて、NPO に興味があるならきっとこ
っちも面白いと思う!」
友人にそう薦められ渡されたのは渡邊奈々著『チェンジメーカー』でした。はじめて読
んだとき、世の中にはこんな人たちがいるのかと知り、衝撃をうけました。私は小さい頃
から漠然と人の役にたてる人になりたいと思っていました。それはとても漠然とした気持
ちですが、なんでそんな風に思っているのかは自分でもよくわかりません。なんとなくそ
う思っていた気がしています。
私は「小さな気持ち」だけしか持ち合わせていませんので、社会起業家として実際に活
躍している方々の「立派な志」とは全く比較になりません。
しかし本の中の方々の活躍を知ったとき、私はまるで自分が社会起業家になって実践し
ているかのような満足感がこみ上げ、錯覚に陥りました。それが社会起業家という存在と
の初めての出会いです。それ以来、私は社会起業家とされる人々に強い興味を寄せていま
す。
大学で講義を受けているとき、GDP をはじめとする経済指標をみて、民間の直接投資
が最も効果的な途上国支援になると一元的な理解をしていました。しかし、タイで NGO
を見学したとき、色々な事情で困っている多くの子どもたちを目の前に、彼らをすぐに笑
-57-
顔にすることができる NGO 職員の支援は、企業や JETRO、JBIC の支援の大きさより
も心に残りました。スラムの環境整備やそこに住む子どもたちへの教育等、即効性の点で、
NGO の支援に共感できました。一方で、長期的な経済の発展を考えると、当然政府の支
援(インフラ整備が得意とか)
、企業の支援(直接投資が得意とか)はかなり有効な手段
であり、民間の支援(人的支援が得意とか)もあわせて、それぞれの良い所を取り上げて、
ビジネスの視点を加えたバランスのよい長期的な事業を行うべきだと思いました。では、
そんなそれぞれの良さを持って、そして志を持って、どこの誰が活動するのでしょうか。
私はその問題を解決するのが、社会起業家のスタイルであると考えています。
(3)社会起業家のスタイル
ここで斎藤槙氏の著書『社会起業家』に書かれてある概念を引用します。斎藤氏の集約
した新しい点は次の2点です。一つ目は社会起業家が働くという行為を卖に収入を得るた
めの手段としてだけでなく、自己実現の場であると考えている点です。どんな国でも経済
が成長しているときは、
「金を稼ぐ」ことが至上の目標になりやすいですが、一方で景気
が低迷期に入ると金銭的目標達成の空しさなどが見えてきて金を稼いでも「満たされな
い」という思いが頭をもたげることがあります。現代の社会起業家は自分に与えられた人
生を価値あるものにしたいと考える人たちです。二つ目は、社会や環境や人権など、地球
規模の課題や地域社会が抱える課題に対して使命感を持って挑み、事業を行っているとい
う点です。事業の形態としては「営利企業」の形態をとる人もいれば NPO の形態をとる
人もいます。いずれにしても社会起業家は「社会をよくする」という目標に忠実に行動す
る、ということです。
(4)川原美優のぼやき
(3)は、私が学生のときに読んだ本で、その考えについて刺激を受けた内容です。個
人的な理解と感覚から NPO や社会起業家が、政府や企業だけでは運営が不十分な部分を
補填する役割を果たすことができると思っています。そして、私もそんな仕事をするぞ!
と思っていました。
しかし…実際私は、自ら社会起業家となることもまた NPO でもなく、株式会社に就職
しました。そして会社生活では日々の仕事に追われ、残念ながら学生のときほど勉強でき
る機会は尐なくなりました。しかし、継続して社会起業家への関心を高め、資本主義社会
に内在する諸問題の解決手段として、民間組織の活躍の可能性をもっと感じたいと思って
いて、だから今 KSEN で勉強させていただいています。
さて最後に掲題の件です。なぜ私は KSEN にいるのでしょうか?答えはとっても卖純
です。
(1)から(4)と色々書いていますが、まずそんな想いを真剣に聴いていただい
たり、また考えを諭していただいたり、さらに挑戦を後押ししていただいたり、感動して
-58-
泣いたり、とにかくたくさん笑ったり…集まる人たちが魅力的で個人の想いが光っている
コミュニティなので、シンプルにとても楽しいからです。
【参考】
『社会起業家』斎藤槙、岩波書店、2004 年
『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』渡邊奈々、日経 BP、2005 年
川原 美優(かわはら みゆう)プロフィール
出身地:高知県
職業:会社員
趣味:読書・旅行・テニス
目標:世界一周
写真右:
(あまり写っていませんが)
チュニジア カルタゴ遺跡にて
(川本宅にてパーティー)
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KSEN 発起人!
川本 卓史
川本さんはタイトル通り KSEN 発起人です。KSEN との関わりは第1章にて掲載して
おりますので、ここではプロフィールのみ紹介します。
左下は KSEN 代表 川本さん 紫式部市民文化賞のお祝いパーティーにて笑顔。
川本 卓史(かわもと たかし)プロフィール
東京生まれ、東京育ち。1945 年 6 歳のとき広島で被災。仕事でニューヨーク、ロンド
ン、シドニーに長く住む。海外では“ピープル・パーソン(People Person)”と評してくれ
る人がいた。1998 年から 12 年京都に住み、宇治市所在の京都文教大学で現代社会学科の
立ち上げや社会起業論の講義に携わる。それももうすぐ終わる。戦争の悲惨を多尐体験し
た人間かつ放浪者の人生と言えようか。現在の希望は、1 年の2か月は長野県・八ヶ岳(写
真右上)山麓に滞在し、そこで、歩いたり、本を読んだり、晩酌をしたり、人と喋ったり
すること。
浅野さんが当時主宰していた「エコミュニティ研究会」で「ソーシャル・アントレプレ
ナー(社会起業家)の概念と実際」と題して私が喋ったのが 2004 年5月 21 日(場所もま
さに、今の「カスタくんの町家」だった)
。幸いに関心を持ってくれる方がいて KSEN に
つながった。ここで生まれたつながりはこれからも大切にしたいので、引き続きご厚誼の
ほどお願いしたい。
* プロフィールの中にあるピープル・パーソン(People Person)とは他人の気持ちをよ
くわかってくれる人という意味だそうです。かつて川本さんが銀行のニューヨーク支
店に勤務されていた頃、内部の行員のための広報誌に載せる紹介記事があり、取材し
たアメリカ人行員の記者が川本さんをそのように評したとのこと。説明は、昨年の暮
れに、紫式部市民文化賞を授賞された著書『折々の人間学 京都で考えたこと』
(西田
書店、2009 年)から抜粋いたしました。是非ご一読ください。
(川原追記)
-60-
KSEN に繋がる不思議な縁
中尾 好孝
大学3回生だった 2004 年、インターンとして参加していた NPO のオフィスで私が作
業をしていると、何人かのお客さんがいらっしゃいました。何事かと思い、オフィスの奥
で開かれている会合に目を遣ると和やかに歓談されていたのがとても印象的で、その中に
はインターン先の当時の事務局長だった浅野さんをはじめ、川本さん、加川さんたちの姿
があったのを覚えています。その場が KSEN が設立されるきっかけだったのだと運営委
員をするようになってから気づき、今振り返ってもその場に居合わせていたのは不思議な
縁だと思います。
運営委員として参加しだしたのは就職活動真只中の時期でした。最初はイベント運営や
Web サイト制作のちょっとしたお手伝い感覚だったと思います。その当時、社会起業家と
いう存在は知っていましたが、最初から興味があったというわけでもありませんでした。
そういう意味では、KSEN の活動に参加しながら社会起業家の世界を知り、活動を通して
もっと多くの人に知ってもらいたいと思うようになりました。
KSEN の活動の中ではマーリンさん招聘のプロジェクト(通称:M‐project)はやはり
一番思い入れがあります。最初は何もわからない中から尐しずつ、だけども着実に準備や
PR を重ねて、そうしてセミナー当日には会場に多くの人に集まっていただいたという一
連の経験は、自分の学生時代の経験としては勿体ないぐらいのものだったと思います。
社会人となり京都を離れ、気づけば4年。ビジネスの世界にどっぷりと浸かってしまっ
ていますが、
ふとKSEN での活動を思い出し無性に京都に帰りたくなることがあります。
KSEN の活動がこれからも続き、そこにたまに顔を出せるのを楽しみにしています。
中尾 好孝(なかお よしたか)プロフィール
出身地:大阪府
職業:会社員
趣味:ライブに行くこと
好きな音楽:ロック!
-61-
私のスタート
橋本 雅恵
Q:KSEN との出会い
1冊の本がすべての始まりとなりました。
『未来を変える 80 人 僕らが出会った社会起
業家』
(著:シルヴァン・ダルニル、ルルー・マチュー)と言う本が書店でたまたま目に
止まりそのときは通り過ぎましたが、気になり戻って手に取りそのまま購入しました。こ
のとき初めて社会起業家という言葉を知り、この本に登場する様々な国の社会起業家に心
を強く動かされました。活動分野は違っても、志高く熱い思いは皆同じ。社会起業家につ
いてもっと知りたい、活動の話を聞きいてみたいとネットで調べたところ、京都府 NPO
協働推進課開催のセミナーを見つけて参加しました。そのセミナーで司会進行をされてい
た藤野さんに話し掛けて(内容ははっきり覚えていませんが)おそらく「社会起業家につ
いて興味があるので情報がほしい」といったことを伝えたと思います。その後、藤野さん
から KSEN という社会起業家の会があるので参加してみてはとお知らせいただき、参加
したのがきっかけとなりました。
KSEN に参加するようになって様々な人との出会いはもちろん、その方々の意見や思想
にも触れることができて新たな自分の一面にも出会えたような気がします。
Q:KSEN での役割
数か月前に藤野さんから運営委員をしてみないかと声を掛けていただきました。まだ
KSEN との関わりも浅いし、KSEN の活動も十分理解できていない状態で運営委員をす
るということにかなり不安を感じましたが、運営委員のみなさんがとてもフランクなのと
「今後もいろいろと交流があっておもしろそう!」という気持ちだけで現在に至っていま
す。なのでハッキリと役割は何?と言われると返事に困りますが、まずは自分に何ができ
るかを考えながらイベントのお手伝いをするのが現在の役割だと思っています。
Q:これから
私自身のこれからを言えば、今はただ「社会起業家になりたい!」という想いだけで、
具体的にどのような活動をしていくとか、どういった分野で起業し社会貢献をしていくの
かなどはまだ『ぼんやり』としています。でもその「ぼんやり」が尐しずつクリアになっ
ていく場がKSEN だと感じています。
普段は定職に就いているけど将来は起業をしたい、
社会起業家に興味はあるけど何をどうしたらいいのかわからないという考えを持つ人は
多いと思います。私もそんな人たちの一人です。想いはあるけれどきっかけが見つからな
い人たちに KSEN を知ってもらえば、社会起業家の活動がさらに広がるのではないかと
思います。
-62-
KSEN はあらゆる世代の交流の場でもあります。また町家という昔ながらの場は肩肘張
ることなく和やかな雰囲気で意見交換しやすい環境です。定例のゲストを招いてお話を聞
く『かんさい元気人リレートーク』はいつも楽しみにしておりできるだけ参加するように
しています。熱い思いを語られる社会起業家のお話はいつも心を動かされ、私自身のモチ
ベーションもアップしていくパワーをもらえます。ゲストの方々は本当にパワフルです!
この素晴らしい環境を持続し次へと繋げていくこと、その為にも地元京都・関西に
KSEN の存在を知ってもらうことは大事なことだと思います。まだ運営委員として私のキ
ャリアは始まったばかりですが、みなさんと一緒に KSEN を支えて共に成長・発展して
いきたいと考えています。
橋本 雅恵(はしもと まさえ)プロフィール
出身地:京都府
職業:大阪の商社に勤めるOL/営業事務
趣味:ほぼ毎週末サーフィン、映画・音楽鑑賞
京都に KSEN があってよかった
藤野 正弘
○KSEN 事始め
KSEN に関わるようになって久しいですが、その最初がなんだったかはあまり上手く思
い出せません。ただしきっかけだけは憶えています。
僕は NPO と企業の真の協働を推進する立場でその当時(2004 年)から CSR に関心が
あり、京都 CSR 研究会に参加していたときに、出席者の一人である川本さんから KSEN
のことをお聞きし、面白そうだからと顔を出したのが始まりだったと記憶しています。活
動に参加したのは確か 2005 年3月の植木さんの回が最初だったと思います。もともと好
奇心が旺盛なのか、人の話を聞いたり、新しい出会いを求めることは好きなので、KSEN
に集う人々の魅力に引き寄せられてそのままずるずると(?)今日まで来てしまっている
のが本当のところです。
しょっちゅう顔を出している所為か、そのうちに監事をお願いされ深く考えもせず引き
受けたところ、そのうちに運営委員とやらに。僕に限らず他の人の役割を見ていても、
KSEN(いや川本さんかな)は人の使い方がとても巧みだなあと感じることしきりであり
-63-
ます。またその人たち、特に若い人たちが適材適所よろしく存分に活躍してくれるので、
KSEN が今日まで継続しているとつくづく思います。一忚代表という職位はあり、初代が
浅野さん、二代目が川本さんではありますが、彼らが何かをやれと命令するわけでもなく、
みんなで考えみんなで動く、このフラットな組織だからこそ今日まで続いているのかもし
れません。
○今ではいっぱしのブロガーです!?
KSEN から得たことは多いですが、僕にとっては加藤さんのブログ講座に参加したこと
が、後々まで好影響をもたらしています。あれは確か 2005 年 7 月に開催された KSEN 第
7回の「京(今日)から始めるブログ講座」だったと思います。その当時ブログなるもの
が一部の最先端を行く人たちだけでなく、IT にそれほど詳しくない人たちにもようやく広
がり始めていたときでした。僕のような好奇心旺盛のおじさんにとっては、やってみたい
がやり方がわからない、一歩踏み出すにはちょっと勇気がいる、というときに背中を押す
役目を果たしてくれたのがこの講座でした。簡卖なガイダンスを受け、はてなダイアリー
を紹介して貰ったら、後は実行しかありません。タイトル「藤野正弘の京都まち暮らし」
までアドバイスを受け、始めたのが今まで続いています。同じ講座を受けた川本さんの格
調高いブログに刺激を受けながら、普通の京都人の目の高さで、ガイドブックには載らな
い普段着の京都を発掘し、気取らず気負わず発信続けています。ブログのネタを探しアッ
プすることが日常となりましたが、これも KSEN 効果と自分では思っています。
○最高の思い出はマーリンさんかな!?
最初の頃の参加者という立場から徐々に運営側に比重が移ってきました。今思い起こせ
ば色々な場面が浮かんできますが、やはりなんと言ってもアリス・テッパー・マーリンさ
んを招聘し講演会を催したことが最高の思い出です。このこと自体は別の章で詳しく触れ
られていると思いますので省略しますが、浅野さんのプラニングに川本さんの行動力がエ
ンジンとなり、金田さんはじめ若い人たちの実行力が核となって成しえた事業でした。僕
はただみなさんの尻馬に乗って騒いでいただけですが、この事業の本当のすごさを知った
のはその直後からです。
僕は 2006 年4月に龍谷大学大学院法学研究科に社会人入学しました。研究テーマは「企
業の社会的責任(CSR)と NPO の役割」でした。研究を進めるうちに、マーリンさんの
名前がいろいろな本に出てきました。CEP や SAI、Shopping for the better world…中で
も極めつけは、SA8000 です。その当時も今も、CSR の評価基準の一つとして世界中で用
いられています。講演の中でその話も出ましたが、僕の研究はそこまで追いついていなか
ったので、一般論あるいは先駆的な取り組みとしてしか理解できませんでした。その後、
僕の理解が多尐深まったときに、初めてマーリンさんの名前の大きさを感じました。しか
-64-
し時すでに遅し、とっくの昔に彼女は帰国していました。もっと早く気づいていたら、い
ろいろなことも聞けただろうし、研究テーマに深みが出たかもしれません。個人的には千
載一遇のチャンスを逃したわけですが、参加した多くの人にはたくさんの気づきと学びを
与えたことでしょう。KSEN という小さな組織でも、大きな影響力を発揮できるという好
例だったと思っています。
○KSEN の仲間たち
KSEN のよさは(多分みなさんも述べておられると思いますが)
、ずばり「ひと」です。
中でも創設以来のメンバーである川本さん、浅野さんは社会的な地位や名声も高く見識も
深い方たちですが、それをひけらかすことなく僕のような人間までも対等に接していただ
いています。その謙虚さに敬意を表するどころか、かえって悪乗りしているのが、僕です。
定例の元気人シリーズ講演会の後の懇親の場などでは、常にお二人に議論を吹っかけ、こ
の「バトル」が他のみなさんにとっては迷惑でもあり楽しみでもあるようです。どんなと
きでもお二人は議論を真正面から受けていただき、この僕を諭してくれます。この刺激、
知的探究心を満たしてくれる KSEN の魅力に嵌っています。
その他、植木さんの次から次へと湧き出るアイデアや経営者としての姿、加川さん、伊
藤さんはじめ最近加わってくれた若い人たち(浦野さん、川原さん、橋本さん)
、ICT ア
ドバイザーとして支えてくれる加藤さん、それに就職のため已むなく京都を離れていった
若い人たち…
この仲間がいればこそ「京都に KSEN があってよかった」と、つくづく思う昨今です。
これからもそう思い続けられるよう、みんなで活動していきたいと願っています。
藤野 正弘(ふじの まさひろ)プロフィール
1947 年京都市生まれ。1971 年早稲田大学卒業
と同時に住友スリーエム株式会社入社。以来 32
年間に亘り、主として消費財の営業・マーケティ
ングに従事。54 歳のときに思い立って早期退職
して、NPO の世界に飛び込む。2007 年に、社会
人入学した龍谷大学法学研究科を修了。修士論文
は「企業の社会的責任と NPO の役割」
。現在は、
特定非営利活動法人きょうと NPO センタープロ
ジェクトマネージャーとして、講座企画やセミナー、講演を通じて新たな市民社会創造に
向けて活動している。他に、きょうとグリーンファンド理事、多文化共生センター理事、
京都 CSR 研究会運営委員、パートナーシップ大賞運営委員など。著書は『点から線へ、
線から面へ』(共著)他。
-65-
KSEN との出会い
「ソーシャル・アントレプレナーシップ」の可能性に魅かれて
牧野 宏美
1. KSEN との縁
私が大学時代所属していた国際経済のゼミのチューター、金田さんとの出会い、それが
KSEN との出会いでした!金田さんは、
「ソーシャル・アントレプレナーシップ」
「国際協
力とビジネス」などをキーワードに、社会問題を既存の NGO の形ではなく、ビジネスで
解決しようという観点で勉強されていました。金田さんからお誘いを受けて、社会的企業
で知られるスワンベーカリー、オムロン太陽株式会社への取材に同行させていただいたり、
マーリンさんの講演会に参加したりするうちに KSEN と出会ったのです。
2.そもそも私の関心、NGO の関わりから
そもそも私は、高校時代に世界の経済格差問題に疑問を抱き、その要因を知りたい!と
いう思いで、経済や政治の仕組みを学び、社会の諸問題を発見・考えるという政策学部に
入学しました。
国際経済のゼミに所属して背景やマクロ面を学びながら、フィリピンの農村と関わる
NGO 等に関わり始めました。経済・政治等のマクロを見る目と、現場を知る、両方のバ
ランスをもちたい、という思いを持って活動していました。
NGO は、政府の支援と違って、現地密着等よい点が色々ある一方、財源や資金の捻出
の仕方に、疑問を抱くことがありました。
3.
「ソーシャル・アントレプレナーシップ」の可能性に魅かれて
そんな折、1で述べた金田さんとの出会いや、
「ソーシャル・アントレプレナーシップ」
「社会起業家、あるいは社会企業家」という関わり方を知りました。社会問題をビジネス
で解決する、支援とビジネスの両立、資金を自ら生み出すという仕組みの可能性に、とて
も関心を持ちました。
4.現在 KSEN に関わって
現在私は、社会人2年目で平日は関わるのが難しく、イベントの告知での協力しかでき
ていないのですが、私にとって KSEN はとても重要な存在です。
KSEN と関わることで視野が広がり、ソーシャル・アントプレナーへの関心を持ち続け
ることができる場だから。また、地域を、社会をよりよくしようと元気に活動する人たち
に出会える場であることが、とても好きだから。KSEN へ行くと、かんさい元気人リレー
-66-
トークのように、
「いきいき!」活動する人に出会え、自分もいつも元気をもらいます。
また、KSEN は、NPO、大学の教授、企業の経営者、学生など、年齢も幅広い様々な
バックグランドのメンバーが集い、学べる場である点も好きです。様々なメンバーがざっ
くばらんに話せる場であり、経験豊富な大人の先輩方や、同世代の方から、いつも学ばせ
てもらっています。
KSEN に関わりながら、企業と非営利のウィンウィンの可能性や、地域活性化、自分自
身がどう関わっていけるか、を模索しているのだと思います。これからも、KSEN や、人
との出会いを大切にしていきたいです。
牧野 宏美(まきの ひろみ)プロフィール
出身地:大阪府
職業:会社員
趣味:フィットネス、旅行、ハイキング。
(自然へ出かける)
~NEW COMERS~
この春、新たな運営委員が加わってくれました。これからの KSEN を一緒に創ってい
く頼もしい二人の意気込み、そして紹介をご覧ください。
KSEN との出会い ~社会起業家に興味を抱いて~
伊藤 信和
私が社会起業家に興味を抱いたのは、自分探しの旅に出たのが始まりでした。小学生か
ら高校卒業まで野球一筋で生きてきた私は、大学生活に物足りなさを感じる日々が続いて
いました。そこで、このままの自分を払拭しようと自分を探す旅に出たのです。発展途上
国や日本各地を旅する中で、
「人の温かさ」
「自分の知らない現実」
「自分の無力さ」を痛
感し、何のために生まれてきたのだろうと考えるようになりました。自分が日本に生まれ、
親に大学まで行かせてもらっているにも関わらず感謝することを忘れ、ここまで育ててく
れた人々や、恵まれない方々に対して申し訳ない気持ちで一杯になりました。
-67-
そこで人として、親や自分を育ててくれた人々、故郷日本・福井県、成長させてくれた
途上国の人々に対して恩返しをしたい、そしてより良い社会をつくりたいと感じるように
なりました。そう思って、何から始めればよいかを模索する中で、出会ったのが『未来を
変える 80 人 僕らが出会った社会起業家』という本でした。理想の人物と世界がそこにあ
り、
「社会起業家」
「ソーシャルビジネス」に興味を抱くようになったのです。
KSEN と出会ったのもそんな折、もっと自分を高めたい、社会起業家として活躍されて
いる方々と触れ合いたい。そう思っていきなり、メールをさせていただいたわけです。無
力で無知な私に対して、素晴らしい経歴や活動をされている方々が親身になって私を受け
入れてくれたことを本当に感謝しています。これから KSEN の力になれるよう頑張りた
いです。
伊藤 信和(いとう のぶかず)プロフィール
職業:大学二回生
出身:福井県
趣味:野球、旅行、読書
好きな人物:松下幸之助
KSEN それは可能性の塊
志賀 美佐江
「社会起業家」その言葉が、今まさに私が選び突き進もうとしている自分の仕事のイメ
ージとリンクしたとき、運よく KSEN にたどり着くことができました。メンバー募集が
されていなかったので、メールでの問い合わせに返信がくるのかも半信半疑でしたが運営
委員の伊藤さんはすばやく返信してくださり定例会にも呼んでくださいました。これも何
かのご縁、早速その定例会に行ってみると年齢も職歴も様々な方たちがおられ(しかもみ
なさん非常に情熱的で好奇心旺盛で勉強熱心で)
、とにかく初回に参加したときに受けた
印象は強烈なものでした。
「おもしろそう!でもついていけるかな。
」正直なところ自分の勉強不足を痛感してい
ます。KSEN のみなさんはそれぞれが大変魅力的な方ばかりで、定例会を通してもっとも
っとそれぞれの魅力を感じたいと思っています。
-68-
私が取り組もうとしているのは食物アレルギーという非常にニッチな分野ですが、なぜ
それなのかと端的に言うと、わが子が食物アレルギーだとわかり毎日苦しんでいた当時、
こんな人がいてくれたらいいのにと心から求めていた存在に自分がなることで誰かを救
えるのではと思ったからです。その気持ちに至るには、それと対極する辛いエピソードも
ありました。とにかく自分の存在意義を仕事で見出したい、食物アレルギーで悩む方を尐
しでもサポートしたい、と考えている迷える小娘です。いや、小娘なんて図々しいですか
…迷える一児の母です。これからも KSEN で勉強させてください。
志賀 美佐江(しが みさえ)プロフィール
出身地:新潟県(京都には大学が縁で来ました)
趣味:テニス・料理・書道・自然散策・掃除
夢:健在の祖父・祖母を海外旅行に連れて行ってあげること
第1節のおわりに
いかがでしたでしょうか?
この章ではKSEN メンバーの人となりについてお伝えすることを趣旨にいたしました。
年齢、性別、職業、趣味、様々な人で構成されている KSEN のメンバー。この章に目を
通していただき、これまで社会起業家に興味があった方のみならず、そうでない全ての方
も、なにがしかの共感をしていただければと思います。京都から関西を、そして大きくは
日本を、さらには世界を元気にすることを目論む力強い組織であり、一方で「飾らない」
シンプルな人と人とのつながりの場が KSEN であることを感じていただければなにより
です。
本章はこの後、運営委員の夏休みの活動について、一つは、植木さんが建設資金を供与
した小学校訪問を主目的とするカンボジア旅行、もう一つは、長野県八ヶ岳山麓で実施し
た初の合宿について報告いたします。
(川原美優)
-69-
第2節 カンボジア旅行報告
1.はじめに
2008 年8月 19 日(月)関西国際空港発のタイ航空にて出発、24 日(日)朝6時 10 分
同空港に帰着し、駆け足でカンボジア旅行を経験した。一行は KSEN 運営委員の伊藤・
植木・川本の三人で、私にとっては初めてのカンボジアであり、ここでその報告をしてお
きたい。
その前に、旅の呼びかけ人である株式会社カスタネットの植木さん、事前の手配をして
いただいた財団法人国際開発救援財団(以下 FIDR 、http://www.fidr.or.jp/)の中川さん、
現地駐在の上田さん、NPO 法人かものはしプロジェクトの現地駐在樋口さんをはじめ、
大勢の方々に本当にお世話になった。この場を借りて、厚くお礼を申し上げたい。
日程は、5泊6日、うち首都プノンペンに3泊、コンポンチュナン州のホテルに1泊、
機中1泊である。観光には縁がなく、アンコールワットも割愛した。カンボジアに行って
この国唯一の世界遺産を見に行かない日本人は珍しいと言われたが、植木さん自体、今回
が3回目の訪問でまだ行っていないとのことである。
なお KSEN では、同年9月5日(金)
、
「カスタくんの町家」にて帰国報告会を実施し
た。
2.旅行の目的とトレア小学校のこと
なぜ出かけたかを説明するには、FIDR の活動を理解してもらう必要がある。
同財団は、当地にて、国立小児病院支援、人身売買の被害者である尐女保護自立支援、
農村開発等を行っているが、その一つに小学校の建設や教育の充実を図るという事業があ
る。
よく知られているように、1975~1979 年のポルポト政権(クメール・ルージュ)は、大
量の人民虐殺を行い、特に知識人を一掃したといわれる。破壊された学校(知識教育は不
要という原始共産主義思想によって)の再建というハード面だけではなく、教員・教育の
質の向上というソフト面の充実がこの国の長年の課題で、日本の NGO が熱心に取り組ん
でおり、FIDR も活動の一つとして重視してきた。
2008 年までに同財団の支援で 38 校の建設を実現したが、そのほとんどが、日本から支
援者を募っての事業である。植木さんはカスタネットの社長として起業の当初から社会貢
献に力を入れており、FIDR と協力して 2004 年に 350 万円を拠出して、プノンペンから
100 キロほど離れた農村地帯に小学校を建設した(老朽化し、内戦で荒廃した旧校舎に代
えて新築したもの)
。学校の竣工式に出席した植木さんにとっては、その後4年経って現
状を視察し、文房具の支援も行うというのが今回の旅行の主旨の一つで、私たちもこれに
同行したものである。
-70-
FIDR の車で、首都から約2時間、トレア小学校を訪れた。まだ夏休みだが、この日の
ために先生も生徒も集まってくれた。現在、先生は校長を入れて 12 人、生徒は 274 人と
のこと。2,100 人ほどの村に一つある小学校である。
(写真説明:トレア小学校にはめこまれたプレート)
もちろん、学校ができたからと言って、すべての子どもたちが通えるわけではなく、ま
して入学した全員が卒業できるわけでもない。そう思うと胸が痛むが、彼らは本当に貧し
い状況で暮らしているのだ。私のような高齢者には、戦争直後の、貧しかったけれど、頑
張れば、勉強すれば、未来があるかもしれないと思った、あの時代を思い出させてくれ、
いろいろと考えさせられた貴重な訪問だった。
(写真説明:トレア小学校の前で、先生や生徒たちと)
-71-
3.現地で会った人たち
トレア小学校訪問の翌日は、もう一つ別の小学校も見に行き、農村での米栽培や菜園の
技術指導の現場を見る機会があった。
また、写真にあるような貧しい農村の住まいとはだしの子どもたちのイメージも心に残
った。夕方にはプノンペンに戻り、翌 21 日には国立小児病院を訪問した。
これら全てを報告する紙数はないので、印象に残った幾つかの点に触れておきたい。
まず、現地で頑張っている多くの日本人について。
カンボジアには現在、存在するネットワークに登録しているだけでも 30 以上の日本の
NGO が拠点を置いて活動しており、他国に比較してダントツに多い。アメリカなどと比
較するとそれぞれの規模は小さいが、きめ細かな面倒見の良さに特徴を発揮している。
FIDR の現地駐在日本人は四人。責任者の女性は高校を出てすぐにアメリカに留学し、
以後、欧州で学び・働き、今はカンボジア人と結婚してこの地に骨を埋める覚悟のようだ
った。後は、小児病院とそこでの給食事業を支援している男性一人と女性二人。女性は看
護師と栄養士で、アフガニスタンなどでも活躍したことがある。男性もフィリピン、ザン
ビアなどでの国際協力活動を経験。カンボジアは住みやすい、カンボジア人はまじめで学
習意欲も高いと、この地で働くことに満足している様子だった。
カンボジアの児童買春の防止を使命に掲げ、若者が東京で立ち上げた NPO 法人かもの
はしプロジェクト(http://www.kamonohashi-project.net/)は NHK「クローズアップ現
代」や民放「カンブリア宮殿」等で取り上げられ、若い社会起業家の動きの一つとして注
目されているが、この現地事務所もプノンペンにあり、現地の日本人にも会うことができ
た。ウガンダでの勤務を経てこの地に来たばかり。苦労も多いようだが、できれば、現地
NGO のネットワークをつくり、相互の連携や企業との協働に努力したいと語ってくれた。
-72-
幼い難民を考える会(CYR、http://www.cyr.or.jp/)という NGO は織物技術や縫製の指
導をして、現地の絹や綿の織物を生産し、お土産品の店も経営して、日本人の女性が運営
している。
NGO 勤 務 か ら 独 立 し て 、 胡 椒 の 農 園 を 立 ち 上 げ て 「 ク ラ タ ペ ッ パ ー 」
(http://www.ksline-cambodia.com/)という黒胡椒を売り出してブランド品にまで育てて
いる倉田さんという人もいる。個人ベースでは、神戸の小学校を休職して、青年海外協力
隊に忚募して2年弱、この地で音楽や図工と日本語を教えているという女性にも会った。
難しいクメール語を使いこなしているのには感心した。
海外で、明るく・たくましく・元気に活躍している、こういった日本人の姿が印象に残
った。駐在ではないが、現地で会った日本人に、新潟県立看護大学3年生の二人の女子学
生もいる。8月 22 日に、国立小児病院を訪れて支援の状況を聞いたり現場を見学したり
したが、この二人も参加していた。熱心にノートを取ったり、質問をしたり、その姿勢に
感心した。卖位がもらえる授業の一環ではなく、彼女ら自身の自主的な行動のようで、こ
の後ベトナムに行って同地のハンセン氏病の隔離施設を訪問すると言っていた。将来は看
護師を目指しているが、海外で働くことにも興味を持っているとのこと。FIDR から派遣
されて、小児病棟で指導にあたっている上住さん。そんな姿がロールモデルなのかなと考
えた。
(写真説明:カンボジア国立小児病院給食棟の前で)
名前も訊かなかったし、私も名乗らなかったので、まさに一期一会だが、気持ちの良い
若者だったので、別れ際に写真を撮らせてもらった。自分の希望する道を切り開いていっ
てほしいと今も願っている。
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4.その他付け加えたいこと
カンボジア滞在最後の 23 日は、夕方の出発まで時間があったので、写真の通り、午前
中は王宮を見学して尐しは気分転換になり、午後はポルポト政権時代の悲惨な歴史を学ぶ
べく、もと強制収容所やもとの処刑場(キリングフィールド)を訪れた。
「若い人が、過
去を学ぶことの大切さを再認識した。日本では高校で現代史を学ぶ機会はほとんどない」
とは、京大の大学院に学ぶ伊藤さんのコメントだった。
あちこち歩いたり、ホテルで休んだりしながら、発展途上国に対する支援の在り方につ
いても話し合った。寄付者の方はやはり形に残るものを希望する(写真で紹介したように、
プレートに寄付者の名前を残してもらうとか)
。しかし、このやり方だけだと、どうして
も「ハコモノ」が優先してしまう。同じように、あるいはそれ以上に重要なのは、目に見
えない、形に残らない、しかも彼らカンボジア人の自立をできるだけ促すような事業であ
る。こういったソフトの支援に理解を得るにはどうしたらよいか、支援者(社会貢献に感
度の高い企業や個人)と NGO との相互理解が一層必要ではないか、そんな点も話あう機
会があった。
この点で FIDR が、カンボジアで小学校の建設と同時に教員の育成などに、小児病院で
は看護師の育成や給食の充実に力を入れている点は高く評価できる。同財団のパンフレッ
トはポルポト時代に殺された医者たちについて以下のように述べている・・・
「1975 年4
月からの3年8か月におよぶポルポト政権が近代的医療を否定した影響は甚大で、かつて
600 人あまりいた医師のうち、この時代を生き抜いたのはわずか 40 人あまりといわれて
います」
。このような過酷な時代を生き抜くというのはどういうことなのか。たった 40 人
強がなぜ生き延びることができたのか。それは知恵なのか、運なのか、妥協なのか・・・
考えさせられる悲劇である。
このような悲惨な過去を引きずる同国の医療を支援する必要は言うまでもない。そこで
最後に後者の活動に尐し触れることで、報告の締めくくりとしたい。
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出張から1年弱経った、2009 年7月5日、東京の JICA 地球ひろばで開催された FIDR
の「カンボジア報告会」を聞きに行った。看護師の上住さんによる小児外科支援の報告だ
った。主な報告内容は以下の通りである。
(1)彼女は、アフガンやネパールでの看護支援の経験もあるベテラン。派遣された3年
間に、15 名のカンボジアの看護師を指導、成果をあげたようだ。
(2)主な活動は
・
「チーム医療」の観点にたって、技術中心の看護教育からの脱皮を図る。
・そのため、医師との話し合いを重視、「怒るだけでなく、ほめてほしい」と伝える。
・上住さん自身の働いている姿を見せる、特に患者と接する姿(今までそういう発想
がなかった)
・勉強会で「看護」の理念・あり方を自ら考える。
等々の指導を行い、彼ら・彼女らに責任感や誇りが生まれてきた、患者に「ありがと
う」といわれて嬉しかった・・・等々。
これからは、このようなモチベーションを維持・高めると同時に、教育に一番力を入れ、
その「相乗効果」
(他の病院への波及効果を含めて)を狙いたい…。
以上のような話を聞いて、
「教育」がいかに大事かという視点からの活動に感心したし、
こういう「ソフト」の対外支援は意義が大きいなと痛感した。
報告会には、看護学校の学生さんも何人か参加していた。将来、海外での看護師として
の活躍を希望しているのだろう。上住さんの後輩が育っていくといいなと思い、1年前に
プノンペンで会った二人の女子学生を思い出した。
また当日は、ボランティアの若者が二人、青い FIDR の T シャツを着て手伝っていた
が、週末なので、会社勤めの人たちとのこと。仕事の傍ら、週末にボランティアに力を入
れるような若者が増えていること、それを許容する企業文化が日本にも生まれていること
(私の若い頃は、土曜も働いていた)を本当にいいことだと嬉しかった。
上住さんには1年前に病院を訪問して以来で、そのフォローもできたし、頑張っている
彼女にも再会したし、この点も嬉しく思った次第である。
これも思い切ってカンボジアに出かけたおかげである。有意義な旅だった。植木さん、
本当にありがとう。
(報告者:川本卓史)
-75-
第3節 蓼科の夏休み
ここらでホッと一息。KSEN の夏休み風景を尐しご紹介します。2009 年の夏は、某運
営委員の別荘があるという蓼科へ。
8月 21 日の夜、車2台に分乗して蓼科を目指します。まずは「JR の鉄道最高地点から
夜明けを見よう!」ということで、翌 22 日の夜明け前に目標地点へ無事到着。ところが
現地はあいにく小雤交じり。朝日はあきらめて早めの朝食を取ろうにも、辺りに適当な店
があろうはずもなく、途方に暮れる運営委員たちでした。
やることがないので、しばらく牧場でジャージー牛を観察。
その後は気を取り直して、奥蓼科温泉などをめぐり、美しい風景を満喫しながら、無事
に某運営委員の別荘に到着。その夜は輪唱なども交えながら、子どもの頃の林間学校さな
がら、遅くまで和気藹々と過ごしました。
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上は奥蓼科温泉郷の渋御殿湯、下は展望台にて
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美しい山並みに沈み行く夕日を背景にした一枚
そして2日目は、朝から近くの農業大学校へ野菜の買出し。みんなお土産用にいろんな
野菜を買い込みましたが、どれもそのおいしかったこと。特にトウモロコシは秀逸でした。
その後はロープウェーで坪庭へ。厳しい環境がつくり出す独特の景観とはるかに続くア
ルプスの美しさを堪能して、帰京の途についたのでした。
(報告者:加川裕介)
(第3章編集:伊藤知之、川原美優)
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第4章 これからの KSEN
第1節 紙上座談会―運営委員、大いに語る
KSEN 運営委員がカスタくんの町家に集まり、この5年間を振り返った。ここに紙上座
談会として、再現を試みた。
司会役は、この間の KSEN の動きを間近で見ていた某氏にお願いした。
【KSEN のここが好き】
(司会)
本日はお忙しい中をお集まりいただきあ
りがとうございます。KSEN も発足以来5
年が経過したこともあり、運営委員のみな
さんに今までの5年間、これからの KSEN
について、自由に語っていただきたいと思
います。
みなさんそれぞれの KSEN との出会い
は、第3章で述べられていますので、ここ
では省略させていただきますが、ずばり
「KSEN のここが好き、こんなところに魅
力がある」
をお聞きしてみたいと思います。
まずは立ち上げからのメンバーの一人である加川さんに、口火を切っていただきましょう。
(加川)
一言で言えば年齢・性別・職業・社会経験の多尐に関係なく、各人を尊重しながらも、
ざっくばらんに意見交換ができるところではないでしょうか。それに加えて、運営会議後
においしいお酒が飲めることも僕にとっては楽しいことです。何を飲むかより誰と飲むか
が大事とはよくいったものですね。
(牧野)
私も同じことを思っています。メンバーが NPO の方、大学の教授、企業の経営者、学
生などがいて、年齢も幅広い様々なバックグラウンドのメンバーが集い、学べる場である
と思っています。経験豊富な大人の先輩方と若者が集える場であるというのも、なかなか
他では得られないことだと考えています。
(川原)
似たようなことですが、年齢・性別・職業等が自由でフラットなコミュニティであると
ころが好きです。どこの誰とも知れない私が気軽に参加し、現在運営委員として参加でき
ているということは、すごいことですよ(笑)
。
-79-
(加川)
それと、運営委員はそれぞれ自分たちがやりたくないこと、できないことはやらないが、
引き受けた仕事はきっちりとやるというところが素晴らしいと思います。
(司会)
みなさん同じような感想をお持ちですが、創立メンバーの一人でもある浅野さんはどの
ようにお考えでしょうか。
(浅野)
私は、同じ釜の飯を食う仲間がいる幸せを感じています。KSEN 設立以来、どれだけ多
くの集まりを開いたことでしょう。人間には様々な欲求があります。食べることや寝るこ
となど生理的な欲求のほかに、認められたいというような社会的な欲求があります。人間
は社会的動物といわれているように、群れたい動物であります。KSEN の寄り合いは私に
とって、群れ欲求と自分の居場所が確保されているという、生理的にも社会的に必要な充
足感が味わえる大切な「場」であります。
(司会)
大変難しいお話になってきましたが、みなさん何がしかの充足感を得ていることは確か
ですね。そのあたり、橋本さんはいかがでしょうか。
(橋本)
私は最近運営委員になったばかりで、みなさんほど経験は積んでいませんが、KSEN の
自由なところがとても好きです。かなり大雑把な表現になってしまいますが、
「こうでな
ければならない」
「こうしないといけない」など義務的なことがなく、とてもフランクな
空気が流れている気がします。たぶん KSEN のみなさんが持っておられる雰囲気が上手
く調和しているのではないかなと勝手に思っています。
(伊藤)
僕も、フラット感と無理をしない絶妙なバランス感覚が KSEN にはあると思っていま
す。他で聞いた話ですが、どうしても形式にこだわったりして、無理したがる人たちもい
る組織が多いと…。その点 KSEN は違いますね。
(橋本)
それと個人的な思いかもしれませんが、町家はやっぱり落ち着きます。特に私は人前で
話をするのがあまり得意ではないので、会議室のような施設的建物は何となく畏まって緊
張が走ります。でも町家は家にいる感覚に近く自然体で話ができるので好きです。
(川本)
そうですね。最初の頃はひと・まち交流館の会議室や市民活動総合センターのミーティ
ングスペースを利用していましたが、
「カスタくんの町家」という拠点ができたのは大き
かったです。その点、町家のオーナーである植木さんに負うところ大ですし、
(株)カス
タネットには大いには発展してほしいと切に願っています。
-80-
(植木)
私も自由に集まることのできる場所が今後も必要だと思います。その意味でも、町家の
維持ができるように事業を頑張ります。責任重大ですね。
(伊藤)
後はブラウンバッグな集まりですね。みんながおいしいものを持ち寄るので大好きです。
(川本)
加川さんも言っていたように、議論の後のお酒はおいしいですね(笑)
。それができる
のも、この町家のお陰です。植木さんには感謝の気持ちで一杯です。今後ともみんなで忚
援していきたいですね。
【今まで印象に残った出来事】
(司会)
みなさんが KSEN を大好きだということはよくわかりました。そうなるきっかけとい
うか、今までにどんなことが印象に残っているかをお話していただければと思います。
(伊藤)
やはり 2009 年夏の蓼科旅行ですね。1名の山男をはじめ、歌いだす人々など普段とは
違うメンバーの横顔を見る機会でした。野菜もおいしかったです。
(牧野)
私も、やはり蓼科旅行!!大自然
の中、みなさんの普段とは違う面も
知ることもできました。山好きのメ
ンバー、別荘での大合唱(先輩方の
青春時代をお聞きしたり)
、八ヶ岳の
大自然、本当に美味しかった野菜、
などとてもいい思い出です。
(川原)
私も全く同じです。
(伊藤)
そういえば「夜通し語り合う会」のようなものが一度くらいあってもいいかも…。
(司会)
比較的最近に参加された若いみなさんは、蓼科旅行の思い出が強いようですね。昔から
のメンバーの方ではどうでしょうか。
(藤野)
もちろん蓼科も楽しかったですが、僕にとっては、アリス・テッパー・マーリンさんを
招聘したことでしょう。その頃は今ほど深く KSEN に関わっていなかったので、最初の
-81-
経緯は覚えていませんが、気が付けば、助成金の申請や本人とのコンタクトの様子など、
みんなで打ち合わせを重ねた記憶があります。川本さんが本人に会いに NY まで行かれた
ことや、事務局的な動きは金田さんが精力的に行ってくれたことが印象に残っています。
(川本)
私もマーリンさん来日には特別の思い出があり、別途第1章で報告させてもらいました。
(司会)
マーリンさんってどんな方でしたか?
(藤野)
普通の物静かなアメリカの女性という第一印象でした。でもそのときは、マーリンさん
がどれほどの人物かということはよく理解していませんでした。その後、大学院で CSR
を研究してみると、いろいろな論文に必ず名前が出てきてそのすごさがわかりました。事
前に知っていれば、もっと聞くことがあったのにと後悔しています。そんなすごい人を呼
んでシンポジウムができたのは、KSEN の力だと思います。
【今まで感銘を受けたゲスト】
(司会)
マーリンさんのシンポジウムは確かに一大イベントであったと思うのですが、それ以外
にも「かんさい元気人シリーズ」というリレートークを行っていますね。20 人くらいのゲ
スト・スピーカーがお話されたと思うのですが、みなさんの印象に残っているゲストって
おられましたか?
(川原)
みなさんポジティブで、どなたの話も興味深かったです。その中であえて言わせていた
だければ、運営委員の皆さまの後押しを受け、それをそのまま行動に移したらそれが実現
し、ゲストとして来ていただいた自社の CSR 部長の講演会が思い出深いです。
(司会)
それは 2009 年6月に来ていただいた損保ジャパンの関さんのことですね。
(川原)
そうです。お呼びするまでの過程が私にとってドラマのような展開だったので、ゲスト
にも KSEN にも感銘しました。運営委員の存在の大きさを感じられたおかげで実現でき
た企画で、今でも印象に残っています。
(橋本)
私が参加した回のゲストのみなさんのお話はいつも興味深くておもしろかったですが、
特に Women’s Action Network の中西豊子さんのお話は強く残りました。フェミニズムと
いうあまり普段は気にしていなかった日常の行動に、たくさんの気づきを発見することが
できて驚きの連続でした。中西さんのあふれるパワーをたくさんもらって元気になりまし
-82-
た。
(藤野)
マーリンさんのほかには、中西さんやオフィスリエゾンの牧野まゆみさんなど元気な女
性が印象に残っています。マイファームの岩崎さんや彩路の二人など、これから始めよう、
始めたばかりの若い人の話も面白かったです。また北海道グリーンファンドの鈴木さんや
損保ジャパンの関さんなど、なかなか呼べないビッグネームにきてもらえたことも良かっ
たです。
(伊藤)
僕にとっては、おけいはんの木村さんの回ですね。初めて関わった企画であったことも
そうですが、企業と非営利組織の WIN-WIN 関係を地で実践していた点が印象に残ってい
ます。今の研究分野にも影響をもらっています。ちなみに研究分野の一つは「企業と非営
利組織のコラボレーションマネジメント」というものです。
(牧野)
職場が大阪にある関係で、かんさい元気人トークへはなかなかライブに参加できていま
せんが、いつも川本さんや浅野さんのブログで拝見して、参加しています(笑)
。
【KSEN に関わって良かったこと】
(司会)
今までのお話と関連があるかもしれませんが、みなさんが KSEN と関わるようになっ
て良かったことや、このように変わったというようなことがあればお教えください。
(植木)
経営者という仕事柄、どうしても直接的なビジネスの話が多い中、学生、NPO など幅
広い方と出会うことにより、物の見方、発想の転換など頭の中が柔軟になったように思い
ます。
(川原)
仕事をしていると、会社のものの見方や考え方にとらわれ、思考も一元的になってしま
いがちだと思います。仕事以外の真面目な話やそうでない話をすることによって、視野を
広げられます。
(加川)
利害関係抜きで様々な人、といってもユニークな人が多いですが、そんな人たちと出会
い、交流する機会ができたことが、僕にとっては良かったと思っています。日常ではなか
なか見えてこないけれど、社会的に重要でかつ面白い事業に取り組んでいる方々の生の声
を聞くことができることも素晴らしいことです。
(川本)
幅広い運営委員と付き合うのは、もともと NPO の活動家や中小企業経営者との縁の尐
-83-
ない私にとって楽しい出会いだし、貴重な人脈であります。活動に関心を持ってくれる多
くの若者を知ることができて、これも嬉しいことです。もちろん活動の中心である、元気
で頑張っている様々なゲストの話を聞くことができたのも良かったと思っています。
(川原)
私にとっては、共通の興味を持つ様々な人に会えること、話ができることが KSEN の
魅力です。年齢・性別・仕事・趣味、それぞれ異なる大人が一同に会していて、とにかく
面白いです。
(牧野)
私も同意見です。経験豊富な先輩方や、同世代のメンバーに学べる上に視野が広がりま
す。自分とは違う考え方の意見を貰うこともできます。
社会人2年目で平日は関わるのが難しく、イベントの告知などでの協力しかできていま
せんが、私にとって KSEN はとても重要な存在です(笑)
。
(浅野)
KSEN というネットワーク(組織)があることによって、地域や社会を元気にしている
人たちにスピーカーになっていただけることはいいことだと思います。
仕事柄、何かと自由になれない自分があり、もどかしい思いをすることがありますが、
ネットワーク組織であるKSEN は利害関係やパワーゲームに左右されることがないので、
一個人として動くことができます。これが、結構うれしいです。
(藤野)
多くの社会起業家といわれる人たちの活動に接することができたことや、社会起業家に
関する知識が深まったことが良かったと思っています。またそのお陰で社会起業家の人た
ちとのネットワークもできました。
(司会)
川本さん、植木さん、伊藤さんでカンボジアに行かれたんですよね?
(伊藤)
そうなんです。KSEN に関わったこと
で、カンボジアで貴重な体験をする機会
をもらいました。これも植木さんのお陰
です。田んぼが地平線となっている光景
や過去の繁栄が失われてしまった国の様
子など、思い出深く、考えさせられるこ
とが多々ありました。
(川本)
私にとっても、植木さんに声を掛けて
もらってカンボジアに出かけたのも良い
-84-
経験でした。
(橋本)
様々な分野で活動されている方々と出会いお話ができることが、私にとっては良かった
です。起業するきっかけから現在までを近くで詳しく聞くことができるし、そのときの思
いや考えを直に聞くことは普段できないです。やはり KSEN だからこそです。
(司会)
橋本さんは KSEN に関わることによって、変化したことがあると聞きましたが、それ
は具体的にはどういうことでしょうか?
(橋本)
一つは、以前よりも本や情報誌を読むようになったことです。恥ずかしながら私は本を
あまり読まない人でした。でも KSEN でゲストの話を聞くようになってから、あらかじ
めその方にまつわる情報を調べたり本を読んだりしてから話を聞くようにしています。
二つ目は、人の話を聞く姿勢が変わりました。これは改めて大切だと思いました。当た
り前のことだし、相手にも失礼になることです。でも以前の私なら人任せで話を聞き流し
がちでしたが、自分からちゃんと聞かないと後で困るのは自分、ということにようやく気
付き自然と身に付いてきました。当たり前のことが全くできていなかった自分にも驚いて
います。
(伊藤)
KSEN だけの影響だけではないと思いますが、いろんな意味で場数を踏んだので、対人
力とか対忚力が身に付いたなぁと思います。目上の人や初めて会う人に対しても物怖じし
ないとか、いい加減な集まりでもマネジメントできたりとか…。
(川本)
別の観点で言うと、運営委員の加藤さんのブログ講座に参加し、ブログのやり方を教え
てもらったおかげで、現在も続けています。
(藤野)
それは僕も同じです。同時期に始めた川本さんのブログに刺激を受けながら、なんとか
続けています。
(浅野)
お二人がおっしゃったように、情報発信に関して、KSEN の website があり、それをメ
ンテしてもらえる加藤さんというスタッフがいることや、ブログ講座を通じて、早いうち
から各自が情報発信できるようになったこと。これにより、会っていなくても仲間の活動
がわかり、独自の価値観や領域がわかるようになりました。
-85-
【今後どのように関わっていきたいか】
(司会)
みなさんのお話を聞いていると、KSEN のことが本当に好きだ、ということが良く伝わ
ってきます。KSEN も6年目を迎えていますが、今後みなさんはどのように関わって行き
たいとお考えでしょうか?
(橋本)
これからも末長く関わっていきたいと思っています。今の私の状況が変わってもどこか
で KSEN と繋がっていたいです。自分の方向がブレないように、初心に戻れる場として
いきたいです。
(川原)
一時的でなく長くじっくりお付き合い願いたいです。
(加川)
各運営委員の献身に依存した、いい意味でも悪い意味でも非常にいい加減な運営システ
ムを維持できるよう、これまで同様、できる範囲で活動をサポートしつつ、その範囲自体
を尐しずつ広げていければいいなと思っています。
(浅野)
加川さんと同意見です。
(川本)
私自身はもう高齢なので、次世代や若
い人たちに頑張ってもらって、みなさん
の活躍ぶりを見守っていきたいと考えて
います。引き続き、夏は、八ヶ岳の山麓
で過ごす予定なので、時間と暇のある方
は、是非これからも英気を養いに来てく
ださい。
(一同)
何をおっしゃるのですか。川本さんに
はまだまだ引っ張っていってもらいたい
です。
【ここだけは残しておきたいこと】
(司会)
残り時間も尐なくなってきました。これからの KSEN を考える上で、ここだけは残し
ておきたいことや、反対に課題を含めて改善したい点があれば、遠慮なくお話ください。
-86-
(加川)
事業の組織形態や知名度の高低に関係なく、これはという人物に光をあてていくスタン
スは継続していってほしいです。また人と人との縁を取り持つ場であり続けてほしいとも
願っています。
(浅野)
その反面、社会起業家という言葉の定義にとらわれず、おもしろいと思う企画を柔軟に
取り込むノリの良さがあってもいいのかなと思います。
(橋本)
まだ KSEN との係わりが浅いのですが、この肩肘張らずフランクな雰囲気はいつもで
も残ってほしいです。分け隔てなく誰でも気軽に参加できる会のままであればいいなと思
います。
(牧野)
私もそうです。フラットな関係やゆるやかなネットワーク、座談会形式などは続いてほ
しいと思います。
(伊藤)
町家での集まりは是非とも残したいですね。居酒屋とも違う、セミナー会場とも違う、
あの雰囲気は独特なものだと思います。
(川本)
第1章にも書きましたが、全員「さん」付けを残してほしいです。些細なことだと思う
かもしれませんが、私は横に広がるネットワークを目指す上で重要な「文化」だと考えて
-87-
います。植木さんを植木社長と呼ぶようになったら、KSEN はお終いではないでしょうか。
(藤野)
まったく同感です。肩書き抜きで、みんなを「さん」づけで呼び合うフラットな関係、
しかしお互いをリスペクトしつつの関係は残してほしいものです。
(川本)
それともう一つ。細く・長く・柔軟に(出入り自由で会費も義務もない)というモット
ーが長く続いた理由の一つではないかと思うので、できればこの点を残してほしいと考え
ています。
(伊藤)
「細く、長く」がモットーですが、
「細く、長く、目標を持って」とまではいかないま
でも中期的なアウトプット目標があってもいいかなぁと思います。あんまりガチガチに固
めるのは良くないのですが。
(橋本)
なかなか難しいかとは思いますが、いつもお招きしている形とは逆にこちらから現場に
出向いてお話を聞くこともたまには臨場感があっておもしろいのではないかと思います。
課外活動みたいなのがあっても良いかなと。
(藤野)
課題というほどではないかもしれませんが、実働部隊である若い人たちは仕事の関係で
京都から出ていくことが多いので、なんとか若い人たちが続けていける環境がほしいなと
思います。具体的には思い浮かびませんが。
【こんな風になっているといいな】
(司会)
最後になりますが、KSEN が将来こんな風になっているといいなとか、夢みたいなもの
があれば、お一人ずつお話ください。
(川原)
年齢や社会的地位、固定観念にとらわれず、自由でフラットであり続けてほしいです。
(植木)
仕事、距離的な問題などでイベント、会合に出席できなくても、KSEN に参加する姿や
その気持ちが理想像と思います。
例えば、東京に住んでいても、いつまでも KSEN メンバーの一員であり、都合がつけ
ば参加する。死ぬまで一員であると思える会であり続けたいですね。
(加川)
抽象的な言い方になりますが、運営委員であれ、イベント参加者であれ、KSEN に関わ
ってくれた人に「KSEN があってよかったな」と思ってもらえるような団体であってほし
-88-
いと思います。
(浅野)
ソーシャル・イノベーションに関する情報のハブになればいいなと思います。
KSEN の設立当初は組織としてかっちりした体制をつくることを目論んでいましたが、
代表がいて事務局長をおき、組織図がある団体をどうつくるかということにエネルギーを
使うより、ネットワーク組織としてどう活動や人をつなげていくかの可能性を探ってみた
いというように、私の意識は変化しました。ミッションつながりのネットワークはどう形
成されていくのか。
「結い」的な結合の創り方を社会実験的に経験していく。創造的な混
沌を創りだす。こういう動き方があってもいいのではないかと思っています。
(川本)
別に大きくならなくても良いとは思いま
すが、これからも、社会起業家に関心を持
つ人たちのネットワークとして続いてほし
いと願っています。
(植木)
社会企業家
(あえて社会起業家ではない)
が多く参加してくれて、起業を目指す人た
ちの参考になる会になればと思っています。
(橋本)
KSEN をきっかけに社会起業家として飛躍する方が誕生すればいいなと思います。
『社
会起業家を目指すならまずは KSEN』みたいな合言葉が生まれて広がっていればうれしい
です。
(伊藤)
何年後かはさておいて、チャレンジを忚援できる形を実現できていたらな、と思います。
せっかく専門知識や豊富な経験がある人がいて、多様なネットワークがあるので、これを
利用して新しいチャレンジを忚援できたらいいのになと思っています。後は相変わらず、
いろんな人が集まる場であってほしいです。
(川本)
賛成です。個人的には、活動家だけではなく、研究者にも参加してもらって、勉強会や
研究会を開いても良いと思っていますが、なかなか難しいかもしれませんね。
(藤野)
僕は今のような形態が続いていってほしいと思います。仕事の都合で京都から離れざる
を得ないメンバーがいるのは仕方ないですが、その分新しい人が加わってくれて、新たな
発想で運営していくのが理想かなと思っています。今までの5年間がそうであったように。
持続可能な KSEN でありたいと願っています。
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(浅野)
京都在住の経済・文化人や海外ゲストをお呼びする企画を年1、2回程度することによ
り、認知を上げ、ネットワークを広げていく。また、新機軸として、夢やアイデアを持ち
寄って、どうすればそれを社会性と事業性のある具体的な事業にしていけるのか、知恵だ
しやコーチングするような「私の夢」実践プロジェクトをしてはどうかと考えています。
(川本)
京都発ということに意味があると思うし、京都から発信することの意義も大きいと思い
ます。
(加川)
ゲストとしてお招きした方は、それぞれの事業に対する覚悟はしっかりとしておられる
一方で、肩に無駄な力が入っておらず、起業する人にありがちなギラギラした感じとは無
縁の方が多かったです。ただ、事業を拡大していくという観点だけでみるなら、もっとギ
ラギラしたところが必要なのかもしれず、そういう意味で、これまでのゲストの方々と、
営利という部分をより重視する人たちとの意見交換が可能な場として KSEN を活用して
いくのも一つの在り方かもしれませんね。
5周年も迎えたことだし、これまで KSEN に関わった人が一同に会するイベントを開
催できればとも考えています。例えば 10 周年記念の楽しみとして企画してもいいかもし
れません。
(川本)
私は一つの夢として、
(株)カスタネットの社会貢献室を NPO に格上げして、KSEN
と合体するなんてことがあれば、素晴らしいと思っています。
(司会)
最後に川本さんから壮大な夢も語っていただきました。これからの KSEN を期待しつ
つ、座談会を終了します。みなさんありがとうございました。
(編集:橋本雅恵、藤野正弘)
-90-
第2節 おわりに―KSEN の成長を願って
ここまで本報告書をご覧いただいた皆さまには、もうおわかりのように、KSEN は、京
町家での偶然の出会いから生まれたとても小さなネットワークです。
専属のスタッフがいるわけではない。カリスマ指導者がいるわけではない。有力なスポ
ンサーがいるわけではない。けれど、2004 年 10 月に発足してから5年。こうして報告書
を作成できるだけの活動を積み重ねることができました。
その一番大きな要因は、思いもよらないほど多くの方々が、様々な形で KSEN を忚援
してくださったことにあります。もちろん KSEN に関わってきたすべてのスタッフによ
る献身なくして、活動を継続していくことは不可能でした。しかし、多くの方々から寄せ
られた有形無形の温かな支援や励ましが、もしもなかったとしたら、とうの昔に KSEN
は自然消滅していたでしょう。
改めてこの5年間の活動を振り返りながら、KSEN が多くの励ましをいただいた理由を
考えていると、
『触れる地球-Tangible Earth-』というデジタル地球儀のことが頭に浮
かんできました。その地球儀は、実際に宇宙から地球を見たような形で、球形のディスプ
レイ上にリアルタイムで昼夜の境目や雲の動きなど、地球の表情ともいえる様子を描き出
します。
これまでの地球儀は、国ごとに違った色で塗り分けられ、あたかもそれが実際に地表の
上に引かれているかのように国境線が描かれています。もちろんその地球儀からは、刻々
と移り変わる地球の様子をうかがい知ることなどできません。
私たちは『触れる地球』を眺めてはじめて、これまで見過ごしていた、宇宙に浮かぶ地
球の美しさと、そのたった一つの地球を否忚なく他者と共有せざるをえないという事実に
気付きます。それらはずっと以前から変わらず、私たちの前にあったというのに。
KSEN は、規模としては吹けば飛ぶようなネットワークですし、その活動は本当にささ
やかなものに過ぎません。しかしこの5年間の活動によって、KSEN は『触れる地球』と
同じような役割を果たせたのではないかと思っています。
ずっと私たちの目の前にありながら、私たちが見過ごしていたもの。それは、メディア
によってステレオタイプ化されていない、等身大のソーシャル・アントレプレナーの姿で
あり、しっかりと地域に根ざして事業を行っている魅力的な人々の姿であったのではない
でしょうか。
私たちが普段生活している京都で、関西で、これほど多くのソーシャル・アントレプレ
ナーが元気に活動しているという事実。そしてその人々は、けっしてスーパーマンでもセ
レブリティでもなくて、ある意味では私たちとなにも変わらない市井の人であるという事
実。事業に取り組むスタイルも十人十色。ある者は起業家として、ある者は企業人として、
ある者は NPO 法人として、またある者は個人として、と決して道は一つではないという
事実。
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活動を続けていくにつれ、それまで曖昧模糊としていたソーシャル・アントレプレナー
という存在が輪郭を持ち、はっきりと目に見えるようになっていきました。そのことは、
ある人にとっては自分にもできるという自信につながり、ある人にとってはこれから進む
べき道のヒントとなり、そしてまたある人にとってはこれまで歩いてきた道程を振り返る
機会となったのではないでしょうか。
本当にささやかな試みの連続でしたが、KSEN の活動が身近なソーシャル・アントレプ
レナーたちの飾らない姿に光を当て、多くの人がその姿に気付くきっかけとなれたのだと
したら、この5年間の活動はとても意義のあるものであったと思います。
そして、おそらくそうした意義を認めてくださったからこそ、多くの方々が KSEN を
温かく忚援してくださったのだと思っています。
先に申し上げたとおり、皆さまの励ましなしには、KSEN の存続はありえませんでした。
この場をお借りして、これまで忚援していただいた皆さまに対し、改めて運営委員一同心
より御礼申し上げます。
どうぞこれからも、いろいろな考え方を持った人々が、それぞれの“deep truth(本音)
”
に耳を傾けながら交流できる、ゆるやかなネットワークとしての KSEN の成長を見守っ
ていただきますようよろしくお願い申し上げます。
(加川裕介)
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編集後記
KSEN が発足して5年が経った。そして、次の5年、10 年に向けて継続的な活動を続
けるために、今できること、これから続けていくこと、挑戦していくことは何か。これま
での活動を振り返ることで、これからの活動のあり方を模索したい。私はそんな想いでこ
の編集に携わった。
そしてこの報告書は、私の大好きな集まりである KSEN の仲間が、限られた時間の中
で、昼夜逆転しながら一所懸命に取り組んだ結果、完成した作品である。しかし正直なと
ころ、手にとっていただいた方々に十分満足していただけるものになったかどうか…不安
が残っている…。
そこで終わりに、作成にあたっての補足説明と釈明などを述べさせていただきたいと思
う。
(1)編集にあたって、まず「執筆要領」を作成し、全体イメージの統一を図ったが、
「で
ある」調と「です・ます」調といった、文体の細かな所は執筆者の個性として意図して統
一をしていない。
(2)それぞれの文章の執筆者は文の末尾に記載し、各章ごとの編集委員は章の最後に記
載している。また、イベントの報告や、カンボジア報告等については、ゲストご本人や関
係者の方に、お忙しい中、事前に原稿をみていただき、一部訂正もいただいた。しかしな
がら、仮に内容の誤りや校正のミス、誤植等があるとしたら、全体編集委員である、伊藤
(知)
、植木、川原、川本の責任であり、あらかじめお詫びを申し上げると共にお許しく
ださい。
(3)
「規約」
「運営委員のリスト」
「これまで KSEN に関わった全ての方の紹介」等、参
考資料として付けたかったものもあったが紙数やコストの制約から省略せざるを得なか
った。なお規約については KSEN のホームページ(http://www.ksen.biz/)でも紹介して
いるため興味のある方はご覧ください。
(4)本表紙・目次・裏表紙デザインについて。デザインの五重塔は、観光都市・京都の
イメージと KSEN5周年を表している。14 の矢印を組み合わせることで、KSEN 運営委
員 14 人の上昇機運、そして今後の KSEN の発展への「狙い」と「願い」を表現してデザ
インした。この表紙は、運営委員の志賀さんと私がお互いに試行錯誤してコラボレーショ
ンしたものである。
(5)題名について。タイトル「京都から社会起業家の波を!~京都ソーシャル・アント
レプレナー・ネットワーク5年の歩み~」についてはもともと KSEN 発足以来掲げてい
たスローガンではあるものの、今回この活動報告書のタイトルとして意見を募った際には、
実は 20 を超える!案が出ており、優务は付けがたく悩んだが、話し合いの結果、僅差で
決まった。
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このようにこの報告書発行を全員で決めて走り出し、運営委員みんなでいくつかのハー
ドルを乗り越えて、ようやく今日、完成というゴールに辿り着くことができた。様々な意
見があり、その多数の意見を集約するために編集委員で何度も打ち合わせを重ね、みんな
が精一杯原稿をつくった。最後に、協力してくれた運営委員の全員に心から感謝を申し上
げたい。
浅野さん、伊藤(知)さん、伊藤(信)さん、植木さん、加藤さん、金田さん
川本さん、加川さん、志賀さん、中尾さん、藤野さん、橋本さん、牧野さん
みなさん本当にありがとうございました。
さて、次の報告書ではどんな方々との出会いを紹介できるのか…また、私はこの報告書
をきっかけにして、目を通していただいているあなたにお会いできる日が来ることを心か
ら楽しみにしている。
2010 年3月8日
川原美優
(カスタネット本社を間借りして編集会議)
発行:京都ソーシャル・アントレプレナー・ネットワーク(KSEN)
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