close

Enter

Log in using OpenID

WIJC151227御子のくださる救い(2)「Immanuel」English

embedDownload
1
2015 年 12
2月 27 日 December 27, 2015
聖書:マタイ
シリーズ:マタイの福音書に見るクリスマス・メッセージ
聖書:マタイ 1 章18-
18-25節
25節
タイトル:御子
タイトル:御子のくださる救い
御子のくださる救い#2「その名はイムマヌエル
のくださる救い 「その名はイムマヌエル」
「その名はイムマヌエル」
Verses: Matthew 1:18-25
Series: A look at the Christmas story from the Gospel of Matthew
Message: Salvation from the Son of God “His name shall be called Immanuel”
Matthew 1:18-25New International Version (NIV)
Joseph Accepts Jesus as His Son
18
This is how the birth of Jesus the Messiah came about[a]: His mother Mary was pledged to be married to
Joseph, but before they came together, she was found to be pregnant through the Holy Spirit. 19 Because
Joseph her husband was faithful to the law, and yet[b] did not want to expose her to public disgrace, he had
in mind to divorce her quietly. 20 But after he had considered this, an angel of the Lord appeared to him in
a dream and said, “Joseph son of David, do not be afraid to take Mary home as your wife, because what is
conceived in her is from the Holy Spirit. 21 She will give birth to a son, and you are to give him the name
Jesus,[c] because he will save his people from their sins.” 22 All this took place to fulfill what the Lord had
said through the prophet: 23 “The virgin will conceive and give birth to a son, and they will call him
Immanuel”[d] (which means “God with us”). 24 When Joseph woke up, he did what the angel of the Lord
had commanded him and took Mary home as his wife. 25 But he did not consummate their marriage until
she gave birth to a son. And he gave him the name Jesus.
序 論 Introduction
●今
今年は、アドベント、及びクリスマス・シーズンに、マタイの福音書が記すクリスマス
年は、アドベント、及びクリスマス・シーズンに、マタイの福音書が記すクリスマスに関
シーズンに、マタイの福音書が記すクリスマスに関
する記
する記事からクリスマスの
事からクリスマスのメッセージを頂くように導かれ、今日がその
メッセージを頂くように導かれ、今日がその 4 回目で、最後
回目で、最後の日
最後の日で
の日で
ある。
This is the fourth week of the series looking at the book of Matthew, during what is called the
Advent/Christmas season.
●クリスマス
クリスマスは言うまでもなく、イエス様の誕生を記念して祝う日である。
クリスマスは言うまでもなく、イエス様の誕生を記念して祝う日である。
Christmas is actually the celebration of the birth of Christ.
●それでは、なぜ、私たちは、イエス
それでは、なぜ、私たちは、イエス様
それでは、なぜ、私たちは、イエス様の誕生を祝うのか? それは、言うまでもなく、イエ
ス様が私たちの「
ス様が私たちの「救い主」
救い主」だからである。
The reason we celebrate is because Jesus is our Savior.
●そもそも
そもそも、
そもそも、「イエス」
イエス」と言う名前は、すでに触れたように、「イエホシュア」、或いは「ヨ
シュア」というヘブル語のギリシャ語読みであり、
シュア」というヘブル語のギリシャ語読みであり、「主は救い主」「主は救われる」という意
というヘブル語のギリシャ語読みであり、「主は救い主」「主は救われる」という意
味である。
The meaning of the name Jesus comes from the Greek name “ Yahushua” or “Joshua”, meaning “The
Lord saves” or “The Lord is Savior”.
●「救い」と言うものは、もし
「救い」と言うものは、もしそれを内容的に
「救い」と言うものは、もしそれを内容的に分析するなら、
それを内容的に分析するなら、
Taking apart the word” save”, and looking at it from an information perspective:
1.「どこから」
where) 救われると言う面
1.「どこから」(from
「どこから」
救われると言う面、
と言う面、即ち、救いの
即ち、救いの消極面
救いの消極面と
消極面と
Saved from “where”… a negative perspective
2.「どこへ」
2.「どこへ」(to
「どこへ」 where) 救われるという
救われるという積極面
という積極面の
積極面の両面がある。
Saved towards “where”… a positive perspective
●聖書は
聖書は、
-25 節において、、イ
聖書は、イエス様の誕生の次第を記す今日のテキスト
イエス様の誕生の次第を記す今日のテキスト、
今日のテキスト、マタイ 1 章 18-
節において、、イ
エス様の下さる救いの両面
エス様の下さる救いの両面について
救いの両面について、
について、救い主に与えられた「イエス」と「イムマヌエル」と言
救い主に与えられた「イエス」と「イムマヌエル」と言
う二つの「名前」を通して
う二つの「名前」を通してにしている。
を通してにしている。
In the Bible in Matthew 1:18-25 where the birth of Jesus is recorded, regarding the two sides of
Jesus’ salvation, two names are definitely used: Immanuel and Jesus.
2
●私たちは、既に「イエス」と言う名前が示す「救い」については
私たちは、既に「イエス」と言う名前が示す「救い」については 2 週間前に学んだ。少し復
週間前に学んだ。少し復
習したい。
I would like to do a little review of the name of Jesus, and “salvation” that we learned about over
the past two weeks.
1. 21節を見るとこのように記されている。「マリヤは
21節を見るとこのように記されている。「マリヤは男の子
マリヤは男の子を産みます。その名をイエ
男の子を産みます。その名をイエ
スと付けなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救
スと付けなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です」
ってくださる方です」と。
21
Matt 21: says: She will give birth to a son, and you are to give him the name Jesus,[c] because he
will save his people from their sins.”
2. 聖書は、ここで明確に、私たちの救い主に、
聖書は、ここで明確に、私たちの救い主に、イエスと言う名前が
私たちの救い主に、イエスと言う名前が付けられた理由
イエスと言う名前が付けられた理由は、
付けられた理由は、救
は、救
い主が、私たちを「罪から」
い主が、私たちを「罪から」救
が、私たちを「罪から」救ってくださるからだというのである。
ってくださるからだというのである。
Here the Bible definitely says that this Savior will save us from our “sins”.
3. 即ち、それは「救いの
即ち、それは「救いの消極面
消極面」、「どこからの
「どこからの救い」かについて示しているの
」かについて示しているのである。
示しているのである。
In other words, “salvation from something negative”
4. ここで用いられている「
ここで用いられている「罪」という言葉は、すでに学んだことであるが、
という言葉は、すでに学んだことであるが、
We’ve already learned what “sin” here means.
(1)
原語のギリシャ語では「ハマルティア」と言う語で、「的はずれ」と言う意味である。
即ち、
In modern Greek the word is “hamartia”, meaning “out of focus”
(2)
それは「犯罪」と言うような「法律的」な意味、単に「道徳的」な意味で
それは「犯罪」と言うような「法律的」な意味、単に「道徳的」な意味での「罪」で
単に「道徳的」な意味での「罪」でも
の「罪」でも
ない。
Not “legal sin” or “moral sin”, such as “crime”…
(3)
この言葉が表す「罪」は、
この言葉が表す「罪」は、もっと
は、もっと霊的、実存的な意味での罪
もっと霊的、実存的な意味での罪である
霊的、実存的な意味での罪である。
である。
This refers to “spiritual sin”, an “existential” meaning:
●即ち
即ち、
即ち、それは、時代や文化を超えた、
それは、時代や文化を超えた、普遍的に定められた、
普遍的に定められた、人間の
た、人間のあるべき姿
人間のあるべき姿、生きるべき
あるべき姿、生きるべき
軌道と基準から逸脱した
軌道と基準から逸脱した人間の
から逸脱した人間の姿、生き方
人間の姿、生き方のこと
姿、生き方のことである。
のことである。
This sin extends beyond culture and eras, it is a departure from the universal law… a standard for
the right track for how our lives should look
●聖書は人間の歩くべき道・姿は、
聖書は人間の歩くべき道・姿は、自らが神に造られたものであることを意識し
聖書は人間の歩くべき道・姿は、自らが神に造られたものであることを意識し、神に
自らが神に造られたものであることを意識し、神に感謝し、
、神に感謝し、
神に従い、神のために、神と共に生きることだとしてい
神に従い、神のために、神と共に生きることだとしている。そして、
ことだとしている。そして、
The Bible is a guide for the right “way of life” and “appearance” for people conscience of the fact
that we are created by God, choosing to live life in the presence of God.
●そこからの逸脱、脱線こそが、「的外れ」な人生、「罪」で
そこからの逸脱、脱線こそが、「的外れ」な人生、「罪」である
そこからの逸脱、脱線こそが、「的外れ」な人生、「罪」であるとしている
あるとしている。
としている。
“sin” is deviating from that intended life, “derailment” and becoming “out of focus”
●そのような罪の状態を聖書は
そのような罪の状態を聖書は「迷える羊」の姿に
そのような罪の状態を聖書は「迷える羊」の姿に譬えている。羊飼いから離れて
「迷える羊」の姿に譬えている。羊飼いから離れて、自分だけ
譬えている。羊飼いから離れて、自分だけ
でも生きていけるように傲慢
生きていけるように傲慢、かつ愚かに
傲慢、かつ愚かにも勘違いし、
、かつ愚かにも勘違いし、勝手な道を
も勘違いし、勝手な道を進んでいく羊の姿
勝手な道を進んでいく羊の姿である
進んでいく羊の姿である。
である。
That kind of sinner is presented in the Bible as a “lost sheep”. Separated from the shepherd.
Arrogant about how he/she lives his/her life. Foolishly misunderstanding and following the “rest of
the flock”.
5. イエス様は、このような罪と罪の結果である霊的な死と永遠の刑罰から、
イエス様は、このような罪と罪の結果である霊的な死と永遠の刑罰から、私たちを救い
私たちを救い
出してくださったのである。これが、救いの消極面、「罪
出してくださったのである。これが、救いの消極面、「罪から」の救いである。
これが、救いの消極面、「罪から」の救いである。
Jesus says He has saved us from this kind of sin, and the results of sin - potential spiritual death.
That is the purpose of salvation “saving from sin”… to focus on the negative.
●さて
さて、今日は、
さて、今日は、もう一つの局面、即ち、
、今日は、もう一つの局面、即ち、救いの積極面、「どこへの救い」
もう一つの局面、即ち、救いの積極面、「どこへの救い」か
救いの積極面、「どこへの救い」かについて、もう
一つのイエス様のお名前、「イムマヌエル」から学びたい。
So now, today, we’ll address the other perspective - the positive perspective of salvation. “Towards
where” we’ll be saved. Looking at the other name “Immanuel”
3
●聖書
聖書のテキストは、
聖書のテキストは、「
のテキストは、「見よ。処女がみごもっている。そして、男の子を産む。その名はイム
見よ。処女がみごもっている。そして、男の子を産む。その名はイム
マヌエルと呼ばれる。(
である。
マヌエルと呼ばれる。(訳すと、神は私たちと共におられると言う意味である。
訳すと、神は私たちと共におられると言う意味である。」
、神は私たちと共におられると言う意味である。」(23)である。
23
[d]
“The virgin will conceive and give birth to a son, and they will call him Immanuel” (which means
“God with us”).
●即ち、
即ち、御子が私たちにくださる救い
即ち、御子が私たちにくださる救いの積極面
御子が私たちにくださる救いの積極面は、
の積極面は、私たちに「神が共にいる」と言う事実と確信を与
は、
えてくださること
ことであ
ことである。
である。
In other words the benefit of salvation is “being with God”. The place we will go, looking at
salvation from a positive perspective.
●しかし、このことは、救いの消極面である「罪からの救い」があるからこそ可能なのである。
即ち、
However, in order to get “to this place” we must first be saved “from sin”:
1. 罪が赦され、2.神様と和解し、3.「アバ、父よ」と呼ぶ霊が与えられ、父なる神様
の懐に飛び込み、憩うことができるよ
の懐に飛び込み、憩うことができるようになったからこそ、「
できるようになったからこそ、「神と共にいる
うになったからこそ、「神と共にいる」人生
神と共にいる」人生が
」人生が可能にな
るのである。
のである。
1.salvation from sin. 2. Reconciliation with God. 3. And because of this you’ll have the bosom of
God the father to rest in “being with God”.
●「罪からの救い」、それは救いの
「罪からの救い」、それは救いの入
にして、
「罪からの救い」、それは救いの入り口である。そこから入
である。そこから入って、それを土台
って、それを土台(基
土台 基礎)にして、
私たちは救いの中心
私たちは救いの中心で
中心である「主ご自身
ある「主ご自身と共にある」と言う至
と共にある」と言う至極の祝福を頂くのである。
極の祝福を頂くのである。
The entrance into salvation is forgiveness of sins. After entering, that is the foundation of our
salvation… the ultimate blessing of being with God himself.
本
論
Ⅰ.私たちにとって、何が最高の幸せか? What is happiness to us?
A.私たちは、幸せになるために、結局何を求めているのか? 何が最高の幸せだと思っているのか?
What do we need to be happy?
1.多
1.多くの人々
くの人々が求めているものは:月並
めているものは:月並みな言い方かもしれないが
みな言い方かもしれないが、
Many people have regular expectations for what is required for happiness.
お金、(2)地位
地位、
名誉、(4)職業
職業的
子ども達
(1)お
地位、(3)名
職業的成功、もっと
成功、もっと卑近
、もっと卑近であるが、
卑近であるが、(5)海
であるが、 海外旅行、
旅行、(6)子ども
子ども達が
この世
この世的に成功
的に成功すること
成功すること(良
すること 良い大学に入
学に入る、良
る、良い職業につく、結
職業につく、結婚
につく、結婚して孫
して孫ができる)等
ができる 等。
Generally speaking, theywant 1) money, 2) status, 3) notoriety, 4) employment success, 5)
international travel, 6) success for our children (good university, good career, happy marriage, etc.)
2. それらのこと・もの
それらのこと・ものを、
・ものを、「
を、「幸せの
幸せの究極」として求
として求める人々
める人々にとって、信仰
にとって、信仰とか
信仰とか、神様は、
とか、神様は、
一体何なのか?
体何なのか?
What is faith to those whose “ultimate happiness” is found in these things?
(1)「神様、神様」と言っても、結局は、それら
「神様、神様」と言っても、結局は、それら自分の
「神様、神様」と言っても、結局は、それら自分の求
自分の求めている目標
めている目標や目的が実現
目的が実現するための
「道具
「道具」「手段
「手段」に過ぎないことになる
過ぎないことになるのではないか?
ないことになるのではないか?!
のではないか?!
They call out saying “Dear god…” but really, aren’t they just thinking of their own demands,
ultimately using “God” as a means to that end?
(2)結局は、自分の
結局は、自分の欲望
結局は、自分の欲望を
欲望を満たすために神様を利
たすために神様を利用したに過ぎ
用したに過ぎないと言っても
過ぎないと言っても過
ないと言っても過言ではない。
It’s not an exaggeration to say that they might just be using “God” to fulfill their own desires.
●もしそうなら
もしそうなら、クリス
もしそうなら、クリスチ
、クリスチャンでない方々
ャンでない方々、或いは、ご利益宗教
、或いは、ご利益宗教と
利益宗教と何も変わらない。
If that’s the case… non-Christians don’t see it any differently from a “beneficial religion”
●ある
ある意味で、それは神様で
ある意味で、それは神様でなくて
意味で、それは神様でなくても、
なくても、誰
も、誰でも、もし自分の
でも、もし自分の願
もし自分の願いをかなえてくれるものなら何
いをかなえてくれるものなら何
でも良
でも良いと言うことにならないか?
いと言うことにならないか?
In other words, it doesn’t have to be God that fulfills these requests. Anyone will do. Right?
●そういうクリス
そういうクリスチ
そういうクリスチャンたちは、神様を、
ャンたちは、神様を、何
神様を、何でも自分の言うことを聞
も自分の言うことを聞いてくれる、やさしい、
いてくれる、やさしい、
物分かりの良い、足長おじさんか、
4
Those Christians just want God to listen to their own request, when convenient, a nice
understanding “daddy long legs” (“sugar daddy?”)
●ラ
ランプをこすると、「ご主人さま
をこすると、「ご主人さま何
ると、「ご主人さま何をしましょ
をしましょうか?」と登場
うか?」と登場して
登場して願
して願いをかなえてくれる、
「アラ
「アラジンのラ
ジンのランプ」の怪人「ジー二―」
ジー二 」とカン違いしている。
ン違いしている。
Mistaking God for just a “Genie in a lamp” – run the lamp and make your request.
●これでは、私たちが
これでは、私たちが神
これでは、私たちが神様に仕えているのではなく、神様
ているのではなく、神様が私たちのしもべとなって
るのではなく、神様が私たちのしもべとなって仕
が私たちのしもべとなって仕えてい
るのである。
Here we aren’t using God,. But in fact, God is our servant.
3.しかし、聖書は、
3.しかし、聖書は、たとい、私たちが、
しかし、聖書は、たとい、私たちが、そのような、
たとい、私たちが、そのような、お
そのような、お金、地位、名
地位、名誉
、名誉、キャリア的成功
、キャリア的成功、
成功、
快楽、
快楽、等々を手に
等々を手に入
を手に入れたとしても、決
れたとしても、決して私たちは、
して私たちは、究
は、究極の幸せ
極の幸せに
幸せに至ることはできないと言う。
ることはできないと言う。
However, The Bible says that even with that kind of money, status, notoriety, career, pleasure or
whatever, we may never find true happiness.
(1)
聖書は言う:それらは、一時的に、
聖書は言う:それらは、一時的に、私たちを
それらは、一時的に、私たちを満足
私たちを満足さ
満足させることはできても、決
ることはできても、決して、私た
ちを永続
ちを永続的、究
的、究極的に満足
極的に満足さ
満足させることはできない。と。
The Bible says that while we may have temporary satisfaction, in the end the satisfaction is not
permanent.
(2)
イザヤ 55 章 2 節「なぜあなたがたは、食糧
節「なぜあなたがたは、食糧にもならない
食糧にもならない物
にもならない物のために金
のために金を払い、腹
い、腹を満た
さない物
さない物のために労
のために労するのか」:
するのか」:どんなに食
どんなに食べても満足
べても満足が
満足が得られない心
られない心の状態である。
2
Isaiah 55:2 (NIV) Why spend money on what is not bread, and your labor on what does not satisfy?
Listen, listen to me, and eat what is good,
and you will delight in the richest of fare.
(3)
ヨハネ
ヨハネ 4 章 13 節「この水
節「この水を飲む者は、誰
は、誰でも、また渇
でも、また渇きます」:何
きます」:何をいくら飲
をいくら飲んでも、
満足が
満足が得られない心
られない心の姿である。
John 4:13 (NIV)13 Jesus answered, “Everyone who drinks this water will be thirsty again, “
What is this? No matter how much you drink of it, your heart could never be satiated?
3. それでは、何
それでは、何が、誰
が、誰が、私たちを究
が、私たちを究極的に
極的に満足さ
満足させ、幸せに
幸せにするのだろ
するのだろうか?
So, what then, could we drink to have eternal fullfillness? To achieve happiness?
B.聖書は、人間の究極の幸せ、満足は、「神様が私たちと共にいて下さる」という事実を確信し、体験す
ることである。
In the Bible it says that human ultimate happiness and fulfillment is “that God is with us”.
1.このことは、
このことは、普通の「
」の中に見る類似性
に見る類似性からも言える。
は、普通の「人間関
普通の「人間関係
人間関係」の中
類似性からも言える。
Let’s look at an analogy with “human relations”
(1)私たち
私たちの
たすものは、物でもなく、活動
でもなく、活動でもない。
私たちの心を満たすものは、物
活動でもない。
WE can’t fill our hearts with things or activity.
(2)私たち
私たちの
たすものは、人であり、人と人との触れ合い、交
い、交わりである。
私たちの心を満たすものは、人であり、人と人との触れ合
…but with people, and human interaction - fellowship
(3)私は
私は 1989 年、生まれて初
年、生まれて初めて「宗教改革
めて「宗教改革」の
人の同僚の学生と
宗教改革」の勉強
」の勉強するために、
勉強するために、教授
するために、教授と
教授と数人の同僚
同僚の学生と
計8人で、東西
8人で、東西ドイ
週間旅行した時のことである。そのとき、見るもの、
東西ドイツ
ドイツとスイスを 2 週間旅行
旅行した時のことである。そのとき、見るもの、聞
した時のことである。そのとき、見るもの、聞く
ものすべてに感動
ものすべてに感動を覚えたことと、そのたびに、しみじ
えたことと、そのたびに、しみじみ思ったことがあることを今でも忘
ったことがあることを今でも忘れ
られない。それは、「あー、ここに
られない。それは、「あー、ここに家
内が一緒にいたら、この感動
にいたら、この感動を共有
を共有できたのに」と言う
は、「あー、ここに家内が一緒
思いであった。そうした
いであった。そうしたらその感
びが倍増するように
えた。人は、見るもの、聞くも
そうしたらその感動
らその感動の喜びが倍増
倍増するように思
するように思えた。人は、見るもの、聞
のによって、或いは活動
のによって、或いは活動によって
に、それを共に生きている人と分かち合うとき、
活動によって満足
によって満足する
満足する以
する以上に、それを共に生きている人と分かち合
その満足
その満足は
満足は究極的なものになる。
In 1989, for the first time in my life I decided to learn more about the “Reformation” by embarking
on a journey with my professor and 8 other students to Germany (East and West), and Switzerland.
Even now there are things I saw and learn that I still recall thinking very deeply about then. For
5
example, I thought “Oh. If only my wife were here with me now. We could share this moment.” I
felt the joy would have been doubledhad she been there. Hearing, seeing or experiencing things is
always more fulfilling when it is shared with another loved one. That is ultimate satisfaction.
(4)年
年老いた父親
いた父親が娘と二人暮
と二人暮らしをしていた。二人には特別
らしをしていた。二人には特別な
特別な楽しみがあった。それは、
しみがあった。それは、毎
それは、毎週
日曜日の夕
日の夕方、二人で話
、二人で話しながら散
しながら散歩することであった。ところ
歩することであった。ところが、あるとき、娘
が、あるとき、娘は父親
は父親に言
った。「お父さん、ご免
った。「お父さん、ご免なさい。これから暫
なさい。これから暫く、一緒
く、一緒に散歩できない」と。暫
歩できない」と。暫くして、クリス
マスとなった。
マスとなった。娘
となった。娘はお父さんに、手で
はお父さんに、手で丁寧に
丁寧に編んだマフラ
んだマフラーと、手
フラーと、手袋
ーと、手袋をお父さんにプレゼ
をお父さんにプレゼント
プレゼント
しながら言った。「おとうさん、これ編
しながら言った。「おとうさん、これ編んでいたから、お父さんと一緒
んでいたから、お父さんと一緒に散歩できなかったの
よ」と。すると、父親
よ」と。すると、父親は言った。「ありがとう。この
は言った。「ありがとう。このプレゼ
「ありがとう。このプレゼント、
プレゼント、本当
ント、本当に
本当に嬉しいよ。でもね
しいよ。でもね。
お父さんにとっては、お前と
お父さんにとっては、お前と毎
お前と毎週日曜
週日曜日の夕
日の夕方、一緒
方、一緒に歩いて、話
に歩いて、話すのが最高
すのが最高に楽しい時なん
だよ」と。
An elderly father lived with his daughter. They had a special sharing time each week. They took a
walk together and talked every Sunday evening. One night the daughter said “Father, I’m sorry. I
won’t be able to do our weekly walk for a little while”. Shortly after, on Christmas, she presented
him with a scarf, saying “Father, I knit this scarf for you, and that’s why I had to take a break from
our weekly walks.” The father replied “I love the scarf. Thank you. But honestly, our walks
together are the greatest gift to me.”
2.このように、人間の
2.このように、人間の幸せ
このように、人間の幸せは、
幸せは、金
は、金や物ではなく、地位
ではなく、地位や名
地位や名誉
や名誉や成功でもなく、自分が
成功でもなく、自分が何
でもなく、自分が何か良
いこと、善
いこと、善事善行、
善行、慈善活動をすることでもない。それは、むし
慈善活動をすることでもない。それは、むしろ
をすることでもない。それは、むしろ、心のつながる人と共に生
のつながる人と共に生
きることである。
In this way, human happiness doesn’t come directly from money, material things, status and career
success or just doing good things or charity work. But it comes from the connections between our
hearts and those of others we are together with.
3.しかし、人間は、たとい
3.しかし、人間は、たとい愛
しかし、人間は、たとい愛する者
する者であっても、永遠にそばにいることはできない。
However, even if humans are made to love one another, we cannot be together beside our loved ones
forever.
(1)人がどうすることもできない死
人がどうすることもできない死別
人がどうすることもできない死別がある。
As humans we must all die someday.
(2)愛
愛が変わってしまい、離別
わってしまい、離別するときがある。
Love can change, and breakups happen.
(3)その
その他
その他の様々
の様々な事情
な事情からの離別
からの離別がある。
There are many reasons for breakups.
(4)一
一緒にいたくてもいられない。否
にいたくてもいられない。否、それ以上
、それ以上に、
以上に、物
に、物理的に一
理的に一緒にいても、人間の場合
にいても、人間の場合、
場合、心が
通じ合わない
じ合わない孤独
わない孤独がある。
孤独がある。
Wanting to be together, but forced apart. Or being together physically, but experiencing the
loneliness of hearts that don’t connect.
(5)言い
言い換
言い換えるなら、最
えるなら、最高で、究
で、究極の幸せ
極の幸せを手にするために。
幸せを手にするために。心
を手にするために。心通わすことのできる誰
通わすことのできる誰かが共に
いてくれることを必要
いてくれることを必要とする人間が、それを人間に
必要とする人間が、それを人間に求
とする人間が、それを人間に求めても、完全
めても、完全には
完全には無
には無理・不
理・不可能であると
いうことである。
In other words, ultimate happiness, seems to require someone who knows your heart, and connects
with you, and provides all your needs… but that is truly impossible, and unlikely.
4.それ
4.それゆ
それゆえ、私たちに必要
え、私たちに必要なのは、
必要なのは、神様との関
なのは、神様との関係
神様との関係の中にそれを求
にそれを求めることである。
Above all, what we really need is a connection with God to whom we can make those requests.
Ⅱ.「神様が共にいてくださる」ということを経験し、確信する人生について、更に詳しく見たい。
Wanting to really experience and see with confidence “God is with us” in our lives.
A.聖書は、「共にいてくださる神様」のことを繰り返し、強調している。
The Bible emphasizes over and over again “God is with us”
6
1.有
1.有名な聖書箇所
名な聖書箇所(聖
箇所(聖句)
(聖句):
句):Notable Bible verses
(1)創世
創世記
創世記
-3 節:ヨセフ
創世記 28 章 15 節:ヤコ
節:ヤコブへの約束
ブへの約束、
約束、(2)創世
創世記 39 章 2-
節:ヨセフへの祝福、(3)ヨシュア
への祝福、 ヨシュア
記 1 章 5、
、9 節:ヨシュアへの約束
詩篇 23 篇 4 節:ダビデ
詩篇 46 篇7、11
節:ヨシュアへの約束、
約束、(4)詩篇
節:ダビデの確
ダビデの確信
の確信、(5)詩
節:勝利
イザヤ 43 章 5 節
節:勝利の確信
の確信、(6)イ
1) Genesis 28:15: Jacob’s promise; 2) Genesis 39:2-3: Joseph’s blessing; 3) Joshua 1:5, 9: Josuah’s
promise; 4) Psalm 23:4: David’s Psalm; 5) Psalm 46: 7, 11: Victory prayer; 6) Isaiah 43:5
2.「神様が共におられる」という
2.「神様が共におられる」という約束
「神様が共におられる」という約束と祝福は、聖書の
約束と祝福は、聖書の中
と祝福は、聖書の中で、しばしば「恐
で、しばしば「恐れるな」という
れるな」という
神様のお言葉と共に記されている。
神様のお言葉と共に記されている。
“Fear not” is also a common phrase that often appears in the Bible along with the promise by God
“I am with you” .
(1)私た
私たちは様
私たちは様々
ちは様々な「恐
な「恐れ」に囲
れ」に囲まれて生きている。それは「怖
まれて生きている。それは「怖さ」と「不安
さ」と「不安」
不安」から生まれる
「恐れ」である。
We are surrounded by so much “fear” in our lives. It comes from being scared, and uncertainty.
(2)聖書には、その「
聖書には、その「恐
聖書には、その「恐れ」の中
れ」の中にいきている私たちのために、「
にいきている私たちのために、「恐れるな!
れるな!」という神様から
のお言葉が 130 回以上あると言
以上あると言われている
あると言われている。
われている。
“Fear not” appears 130 times in the Bible as a promise from God.
しかも、興
(3)しかも、
しかも、興味深いことは、そのうちの多
いことは、そのうちの多くの場合
くの場合に、神様は「
場合に、神様は「恐
に、神様は「恐れるな」と言う神様
れるな」と言う神様からの
神様からの
お言葉と並行
お言葉と並行して、「私
並行して、「私(神様
して、「私 神様)は、あなたと共に
神様 は、あなたと共にいる」という神様のお
は、あなたと共にいる」という神様のお約束
いる」という神様のお約束が記されているこ
約束が記されているこ
とである。
And most interesting is that when the words “Fear not” appears, they are followed with “For I
(God) am with you”
(4
4)即ち、それは、「
即ち、それは、「恐
即ち、それは、「恐れ」に満
れ」に満ちた人生を生き抜
ちた人生を生き抜く私たちのために、神様は、ご自分が、私
たちと共におられることを、私たちに確
たちと共におられることを、私たちに確信
、私たちに確信させる必要があるということである。
必要があるということである。
Mainly, it is because God knows that we humans need that certainty and confidence that through
this uncertain life we are living, God himself is with us.
(5)言い
言い換
言い換えるなら、神様の臨在
えるなら、神様の臨在、神様が共におられるという事実とそのことに
臨在、神様が共におられるという事実とそのことに対
、神様が共におられるという事実とそのことに対する確信
する確信なし
に、私たちはこの恐
に、私たちはこの恐れに満
れに満ちた人生を生き抜
ちた人生を生き抜くことはできないと言うことである。
In other words, without that certainty that God’s presence was with us, it would be difficult to
make it through life.
3.だから、しばしば
3.だから、しばしば指摘
だから、しばしば指摘されるように、「イムマヌエル、神は共におられる」という
指摘されるように、「イムマヌエル、神は共におられる」という救い・
されるように、「イムマヌエル、神は共におられる」という救い・
福音が
福音が、この救い主の誕生で
この救い主の誕生で成就
救い主の誕生で成就するという
成就するという 1 章の預
章の預言もって始
もって始まった「マタイの福音書」は、
まった「マタイの福音書」は、
最終章、最終
章、最終節である 28 章 20 節で、救い主自身
節で、救い主自身の約束、「見よ、私は
約束、「見よ、私は世
、「見よ、私は世の終わりまで、いつ
もあなたがたと共にいます」で締
もあなたがたと共にいます」で締めくくられている。
That’s why, it is often pointed out that the gospel of Matthew’s first book is about the birth of
Christ “Immanuel, God is with you”, and the last book (28) ties it all up with Christ himself saying
“ I will be with you til the end of the Earth” from the Savior himself.
4.ここに正
4.ここに正に、マタイが「福音」として、イムマヌエルであるイエス様にあって、「神様が
共におられる」という救いの積極面の
共におられる」という救いの積極面の成就
う救いの積極面の成就の
成就の宣言を見る。
Furthermore, here, through the gospel, Matthew was able to announce the fulfillment of the
proclamation that “God is with us.”
B.最後に触れたいことは、主にある聖徒たちは、「神様が共におられる」と言う事実、人生こそが、福音
の中心であることを経験し、告白していることである。
Lastly, I would like to mention that the lives of the disciples acknowledge that “God is with us”
1.C&MA
1.
の創立者 A. B. Simpson がその例
がその例である。彼
である。彼の作った讃美歌
った讃美歌を
用させて頂きたい。
て頂きたい。
讃美歌を引用させ
The Christian & Missionary Alliance (C&MA) founder Albert Benjamin Simpson is a good
example. I have quoted the words from his famous hymn below:
7
(1)Once It was the Blessing かつては我
かつては我れ良き物を
Once it was the blessing, Now it is the Lord; かつては、我
かつては、我れ良き物を求めて、
主を忘
Once it was the feeling, Now it is His Word;
主を忘れたり、賜物
れたり、賜物より、
賜物より、癒
より、癒しより、
Once His gift I wanted, Now, the Giver own;
与え主ぞ
与え主ぞ、更に良き
Once I sought for healing, Now Himself alone.
わがすべてのすべてなる
主をばあがーめん とこしなえに
All in all forever, Only Christ I’ll sing;
Everything is in Christ, And Christ is everything.
(2)Not I but Christ 主ひとり
主ひとり ほめられたまえ
Not I but Christ, be honored, loved, exalted;
Not I, but Christ, be seen, be known, be heard;
世びとにみられたまえ
Not I, but Christ, in ev'ry look and action,
主ひとり慕
とり慕われたまえ
あまね
Not I, but Christ, in ev'ry tho't and word.
あまねく知られたまえ
Chorus:
O to be saved from myself, dear Lord,
我は御手(お
は御手 おんて)の
んて の中に
O to be lost in Thee,
消えされかし
O that it might be no more I, but Christ that lives in me. この身
この身に生くるはキリストなり
(3)Jesus only is my message ただ主を
Jesus only is our message,
ただ主を崇
ただ主を崇めて
Jesus all our theme shall be;
ただ主に仕
ただ主に仕えん
We will lift up Jesus ever,
ただ主を頼
ただ主を頼りて
Jesus only will we see.
ただ主をあーおがん
Jesus only, Jesus ever,
たたえよ、ただ主を
Jesus all in all we sing,
主は救い主
Savior, Sanctifier, and Healer,
きよめ主、いやし主
Glorious Lord and coming King.
王の王、主の主
(4)このように、
このように、彼
このように、彼の歌の中に表された彼
に表された彼の信仰と経験は、イムマヌエルとして、
経験は、イムマヌエルとして、彼
は、イムマヌエルとして、彼の内に住
の内に住み、
いつも共にいてくださるイエス様がすべてであるという事実であった。
いつも共にいてくださるイエス様がすべてであるという事実であった。
In this way, what was central to his belief and faith was that Jesus, as Immanuel living within his
heart, was all he needed.
2.
.もう一つは。以
もう一つは。以前にもお話
前にもお話ししたことがあるが、日本
ししたことがあるが、日本の「イムマヌエル教団
の「イムマヌエル教団」という
教団」という団体
」という団体
の創立者の
創立者の例である。
And, I’ve spoken about this before, but I want to mention the founder of the “Immanuel
denomination” in Japan.
(1)彼
彼は、戦
は、戦前、東京
前、東京日
東京日本橋で
本橋で伝道に大成功
道に大成功していた
大成功していた素晴
していた素晴らしい
素晴らしい牧師
らしい牧師であった。
牧師であった。会衆
であった。会衆は
会衆は勿論のこ
勿論のこ
と、彼
と、彼の下で働
の下で働くスタッフ
くスタッフも大勢おり、
大勢おり、教会活動
おり、教会活動は極めて
教会活動は極めて活発
は極めて活発であった。
活発であった。
Before the war, in Tokyo, he was a successful evangelistic pastor. He had large meetings and lots of
staff helping out, and the church activities were quite lively.
(2)とこ
ところ
ところが、戦
が、戦時中、政府の
政府の弾圧が
弾圧が強くなって来
くなって来たある日、突然特高
たある日、突然特高刑事が
突然特高刑事が乗
刑事が乗り込んできて、
警察に
警察に連れて行
れて行かれ、そのまま再
かれ、そのまま再び戻ることなく、終戦
ることなく、終戦までの
終戦までの 2 年間独房
年間独房生
独房生活となった。
But then, during the war, security got stricter, and one day police officers came and took him away,
unannounced. He was not seen again until after the war… having spent 2 years in solitary
confinement.
8
(3)彼
彼が、その刑務所
が、その刑務所の
務所の独房生
独房生活で経験したことは、
経験したことは、教会
したことは、教会も、
教会も、家族
も、家族も、
家族も、活動
も、活動も、
活動も、業績
も、業績も、
業績も、何
も、何もか
も、すべてを奪
も、すべてを奪われたが、一つだけ奪
われたが、一つだけ奪われなかったことがある、それは、「神が共にいます」
と言う「イムマヌエル」の事実であった。
During that time in solitary confinement, while his church, family, life activities, performance, were
all taken from him... one thing he could not be robbed of was that “God was with him” the reality of
“Immanuel”.
そのとき、彼
(4)そのとき、
そのとき、彼は、神様の前に祈
は、神様の前に祈った。もし再
った。もし再び、この牢
び、この牢を出ることがあったら、私は、この
事実、この福音、即ち、イムマヌエルの事実を伝
事実、この福音、即ち、イムマヌエルの事実を伝えることを主眼
えることを主眼とした
とした教団を造りたいと。そ
教団を造りたいと。そ
して彼
して彼は、戦
は、戦後、自由になった後、それを実践
後、自由になった後、それを実践・実行
・実行した。
During that time, he prayed before God saying that if ever he were to get out of that cell, he would
start a mission that would spread the gospel of Immanuel by starting an organization. And that’s
exactly what he did after the war, once released.
結
論 Summary
●今日、
今日、私たちは
今日、私たちは、
私たちは、私たちの
私たちの為に地上に
地上に誕生された御子が準
誕生された御子が準備
御子が準備してくださった「
してくださった「救いがどんな
ものであるか?」について
ものであるか?」について、その積極面を
?」について、その積極面を「
、その積極面を「イムマヌエル」
イムマヌエル」と言う名前の意味から学んだ。
と言う名前の意味から学んだ。
Today we learned the positive perspective of “What salvation is” with respect to “Immanuel”, and
the birth of Christ and what was prepared for us.
●一言で言うなら「
一言で言うなら「神様が共におられる」という救いの積極面である。
一言で言うなら「神様が共におられる」という救いの積極面である。
The positive message is “God is with us”
●「罪からの救い」と言う
「罪からの救い」と言う入
「罪からの救い」と言う入り口から神の国
から神の国に入れられた私たちは、「神が共にいます」とい
う祝福と救い、福音の中心
う祝福と救い、福音の中心を
中心を経験するのである。
経験するのである。
Starting the journey with “Salvation from our sins”, we now can enter God’s kingdon because
“God is with us”, experiencing the central focus of the gospel.
●イエスとイムマヌエルに表されている「救い」の
イエスとイムマヌエルに表されている「救い」のフ
イエスとイムマヌエルに表されている「救い」のフル・ヴァ
ル・ヴァージ
ヴァージョ
ージョンを継
ンを継続的に確信
的に確信し、伝
し、伝
えたい。
I want to continually share the full version, focusing on salvation of Jesus and Immanuel.
Author
Document
Category
Uncategorized
Views
1
File Size
223 KB
Tags
1/--pages
Report inappropriate content