ノイマン連邦首相府文化メディア担当国務大臣スピーチ

注意:内容は実際のスピーチをご参照ください。
(訳文)
日・プロイセン修好通商条約調印150周年記念式典
ベルント・ノイマン連邦首相府文化メディア担当国務大臣あいさつ
東京 2011年1月24日
本日は、皇太子殿下ご臨席のもと、日独関係にとってこのように重要な記念式典においてドイツ
政府を代表し、皆様にメルケル首相のごあいさつをお伝え申し上げる機会をいただき、大変な名
誉に存じます。すでに先週、ヴルフ大統領は、駐独日本大使公邸で催されたすばらしい行事にお
いて、日独関係に関する称賛の言葉を述べたところです。私はこれで、本日の歴史的な節目をお
祝いするのが一層楽しみとなりました。本日は、150年前に、ここ東京で日・プロイセン修好通商
条約が締結されたまさにその日であります。
本日は、当時重要な役割を果たした人々のご子孫が多数出席しておられます。ドイツ政府を代表
し、心よりご歓迎申し上げます。歴史的な条約締結を記念し、今年、両国ではさまざまな行事を通
じ、豊かな伝統を誇る日独友好を祝います。友好関係のはじまりにあったのは、経済的・政治的
関心ではなく、互いの文化へのあこがれでした。このあこがれは、今日まで、日独が相互に抱く
深い敬意の源であり続けています。また、学術的な知見により、日独の文化、社会はより一層豊
かなものとなりました。
19世紀後半、岩倉使節団の欧州訪問の後、多くのドイツ人研究者や大学教員が、日本の近代
化に力を尽くしました。日本では、プロイセンを手本とした憲法が制定され、1890年の公布後19
47年まで有効でした。日本国政府は1875年から1912年の間、700人近い国費奨学生を海
外に派遣しましたが、そのうち6割弱がドイツかオーストリアに留学しました。
私にとりまして、日独友好の特に美しい象徴は、銀杏の木です。銀杏というと、ドイツでは誰もが
ワイマールの古典主義、そしてドイツの偉大な詩人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテを連想
します。
ドイツの博物学者エンゲルベルト・ケンペルは、17世紀、神社や寺の境内に植えられていた銀杏
を見て、銀杏に関する初の植物学的記述を行いました。ケンペルの日本滞在以降、銀杏はドイツ
でも大変好まれるようになり、ドイツ文化の重要な一時代の象徴となっています。樹木が力強く元
気に育つよう、根に水をやるように、学術の世界でも若手の育成、支援が大切です。若手研究者
は、両国間で実りある知識の移転を行っていくための根っことなる存在だからです。
そうしたことから、ドイツの大統領は毎年、偉大な日本研究者であり医学者であったフィリップ・フ
ランツ・フォン・シーボルトの名にちなんだ賞を日本の若手研究者に授与しています。
シーボルト賞の賞金は5万ユーロで、ドイツが二国間で授与する学術賞としては最も高額なもの
です。
さて、両国の友好において、今なお特に重要な部分を担っているのは文化です。日本は、ドイツ、
いやヨーロッパ全体の文化に大きな影響を与えてきました。日常的な文化でも、芸術でもそうでし
た。本年は、交流年にあたり両国でさまざまな展覧会が開催され、このことを思い出させてくれる
でしょう。「ご近所」でもある、サントリー美術館では、日本の、他の追随を許さない見事な磁器制
作の技に、ヨーロッパがいかに夢中になったかを偲ぶことができるでしょう。
この「マイセン磁器の300年」展は、マイセン磁器が、当時ヨーロッパ中で大変人気のあった日本
の磁器装飾を大きな手本としていたことを、わかりやすく示しています。19世紀、20世紀のヨー
ロッパ絵画や応用芸術の偉大な活動や作品も、日本の豊かな伝統から得たインスピレーション
なくしてはほとんど生まれ得なかったでしょう。ゴッホの描写技術も、ユーゲントシュティールも、日
本から着想を得ました。当時も今も、高く評価されているのは北斎です。今年の夏以降、ベルリン
のマルティン・グロピウス・ハウスで大規模な北斎展が開催され傑作の数々が展示されることと
なっており、大変嬉しく存じます。
やはり連邦首相府が支援する催しですが、ベルリン国立博物館東洋美術館で能の装束展が開
催され、華麗な織りや文様の伝統が紹介されます。マンハイム市では10月以降、ライス・エンゲ
ルホルン博物館において、日独関係を文化史的側面からとらえ、内容的に高い関心を呼びそう
な展示行事が予定されており、ドイツ政府も多大な支援を提供しています。
ドイツの芸術分野の「輸出」のうち、日本で最も人気があるのは、何といってもクラシック音楽で
しょう。ドイツの有力オーケストラはいずれも定期的に日本公演を行い、会場は満席になります。
大抵の場合、オケには日本人の団員がいます。今日、ドイツに留学する日本人学生の多くは、音
楽を勉強しています。
駐独日本大使は私に、ベルリンフィルの第一コンサートマスターに日本人が就任し、しかも続け
て二人目の就任であることをとても誇りに思う、とおっしゃいました。コンサートマスターというの
は、芸術的に響きを統一させるだけでなく、楽団内の調和のとれた人間関係にも配慮します。こう
したコミュニケーションが円滑に進むのも、私たちがいかによく互いを知っているかの表れであり
ましょう。しかし、どのような関係にも一層の改善の余地はあるものです。ここでも、若い世代を対
象とする取り組みが大切です。
私自身、サッカーの大ファンですので、オリバー・カーンやボルシア・ドルトムントの香川真司と
いった有名選手や、ブンデスリーガで活躍する他の日本人選手が、日独でよく知られ人気がある
ことを嬉しく思います。ポップミュージックの分野でも互いに積極的な関心があります。ドイツには
Jポップの多くのファンがいます。また、ドイツの人気バンド「トキオ・ホテル」が昨年12月に行った
東京での初イベントを見ても、ドイツのバンドも日本で好評を博していることがわかります。
ご臨席の皆様
第二次世界大戦においてもたらされた惨禍、そして社会におけるその検証を通じて、両国では、
民主主義、法の支配、人権尊重のみが、我々の社会の基盤となりうるとの信念が根付いてきまし
た。こうして、第二次世界大戦後、価値を共有するパートナーシップが生まれ、世界の政治的問
題に協力して対処し、日独がそれぞれ単独で対処するより多くの成果が出せるようになりました。
日独の緊密な協力がもたらす大きな政治的、文化的、経済的チャンスをぜひ活用していきたいと
願っております。
さらに、両国やその文化に対する若い世代の関心を、早い段階で喚起し始めるならば、両国関
係の将来に心配はまったく無用でありましょう。
ご静聴ありがとうございました。