たどんの与太さん - ReSET.JP

たどんの與太さん
竹久夢二
﹁なんだってお寺の坊さんは、ぼ
よ た ろ う
くに與太郎なんて名前をつけてく
れたんだろう﹂
と、與太郎は考えました。
あめ
﹁飴のなかから與太さんが出たよ﹂
じい
街の飴屋の爺さんが、そう節をつ
けて歌いながら大きなナイフで飴
の棒を切ると、なかから、いくら
でも與太郎の顔が出てくるのであ
りました。これには與太郎も困り
ました。
﹁よんべ、よこちょの、よたろう
は﹂
そういって、八百屋の小僧まで、
與太郎が、八百屋へ大根だの芋だ
のを買いにゆくと、からかいまし
た。
﹁あの坊さんは、あれでエライお
方なんだよ。あんなエライお方が、
名づけ親なんだから、お前は、きっ
と今にエラクなりますよ﹂
與太郎のお母さんは、いつもそ
かとうきよまさ
ういいました。加藤清正は加藤清
正らしい顔をしているし、ナポレ
オンはナポレオンらしい顔をして
よ た ろ う
いるから、與太郎の顔も與太郎ら
しいだろうか、與太郎は考えるの
あめ
でした。だけど、飴のなかから出
てくる顔は、どうもよくないや。
だけど飴のなかから大そうエライ
人が生まれるのかも知れない。キ
リスト様は、馬小屋のなかからお
生れなすったし、ナスカヤ姫は、
べにだけ
紅茸から出て来たからな。與太郎
は考えるのでした。
﹁マリヤとグレコは、山へ茸狩に
ゆきました﹂
さい
與太郎は妹のお才に、デンマル
とぎばなし
クのお伽噺をよんできかせました。
﹁マリヤとグレコは、だんだん山
の奥の方へはいってゆきました。
きれい
するとそれはそれは綺麗な紅茸が
どっさり生えていました。︱︱綺
麗だなあ。グレコが言いました。
︱︱いけませんよ、それは毒茸で
すから。マリヤが言いました。︱
い
︱だって綺麗だから好いよ。︱︱
いくら綺麗でも毒なものはいけま
せん。これはとると死んでしまい
ますよ。マリヤが何と言っても、
グレコは紅茸をとりました。
︱︱わたしはデンマルクの第二
王女です。わたしは姉の女王のた
あ
めに、この山奥へ流されたのです。
か
可愛いい親切な坊っちゃん、あた
しの王様になって下さいね。紅茸
の王女は、そう言ってグレコの手
をとって、森の御殿へつれてゆき
ました。
おもいだ
與太郎は、あの話を思出しまし
た。どんな物をでも可愛がってや
ろう、そしてどんな物とでも話を
して、仲よくしようとそう考えま
した。
街を歩いても、電車のなかでも、
もっとみんな仲よく話そうと考え
ました。そこで妹のお才と二人で
街へ出かけてゆきました。
はなし
い
まず酒屋のブル犬に話かけまし
た。
こんにち
﹁ブルさん今日は、好いお天気で
すね﹂
與太郎がそう言うと、ブル犬は
驚いて
ほ
﹁ウーウー﹂と吠えましたから、
お才がなき出しました。
どおり
與太郎はお才をつれて電車通の
方へゆきますと、向うから、黒い
毛皮のコートを着た奥さんがくる
のを見つけました。與太郎は奥さ
んにお辞儀を一つして、
﹁おくさん、たいそう寒い風がふ
きますわね。おくさんはたいそう
重そうな包を持っておいでですね。
ぼくが、すこし持ってあげましょ
うか﹂
そういうと、奥さんは白い顔の
め
なかで、黒い眼を三角にしていい
ました。
﹁まあ、いやな子だよ。知らない
こじき
人に物をいうなんて、きっと乞食
の子だね、お前さんは﹂
そういって、ずんずんいってし
まいました。
ふと
こんどは、鼻の頭の赤い肥った
だんな
洋服の旦那が、坂の方から酔っぱ
よ た ろ う
らって下りて来ました。與太郎は
だんな
旦那の前へいって、
﹁旦那は酔っていますね。﹂
そういうと、今までにこにこし
ていた旦那は、急にきつい顔になっ
て、
﹁やい孤児院! 酔ったって余計
なお世話だい。お世辞をいったっ
て一文だってやりゃしないぞ。ぐ
ずぐずしていると、交番の巡査に
ふんじばらせるぞ﹂
酔っぱらいの旦那はむくむく歩
いてゆきました。
與太郎は、なんだか悲しくなり
ました。炭屋の子だからいけない
か
のだろうか。與太郎という名が顔
ば
に出ているから人が馬鹿にするの
だろうか。與太郎は、菓子屋の飾
窓のガラスに自分の顔をうつして
見ました。自分の着ている服は、
すこしばかり古くなっているだけ
で、街を歩くほかの子供たちと、
別にかわった所はありませんでし
た。與太郎は、ふと飾窓のなかに
べにだけ
赤い紅茸のようなお菓子があるの
に気がつきました。
﹁紅茸だ! 紅茸だ! あれをと
ろうよ﹂
與太郎がそういっているのを、
菓子屋の番頭が聞きつけて、與太
うち
郎の頭を一つなぐりつけました。
さい
與太郎とお才は、なきながら家の
方へ歩きました。質屋の横町を曲
まっくろ
ぶ
ろうとすると、いきなり真黒いも
ど
のにぶつかって、與太郎は泥溝の
わきへはね飛ばされました。起き
あがって見ると、それは名づけ親
の坊さんでありました。
あめ
﹁坊さま、ぼくは飴のなかから生
れたんですか﹂
與太郎がきいたけれど、坊さん
はもう横町を曲って、電車道の方
へいってしまいました。
﹁おまえは、たどんのなかから生
れたのよ﹂
どこからか、そういう声がしま
した。それは質屋の小僧が、窓か
らいったのですけれど、與太郎は
気がつきませんでしたから、やは
り坊さんが、いったのだろうと思
いました。
それから與太郎は、たどんと仲
よくして、もう外の物と話するこ
とをやめました。そしていまに、
たどんのなかからデンマルクの第
三の王女が出てきて與太郎を森の
御殿へつれていって下さると、毎
日考えるのでした。
底本:﹁童話集 春﹂小学館文庫、
小学館
2004︵平成16︶年8
月1日初版第1刷発行
底本の親本:﹁童話 春﹂研究社
saito
1926︵大正15︶年1
2月
入力:noir
校正:noriko
2006年7月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネット
の図書館、青空文庫︵http:
//www.aozora.gr.
jp/︶で作られました。入力、
校正、制作にあたったのは、ボラ
ンティアの皆さんです。