第 13 号

2013 年 (平成 25 年) 6 月 16 日 (日曜日) 第 13 号 http://tohoku-fukko.jp/
無料
毎月発行
発行所 株式会社遊無有
念願の北上訪問
六月二日朝、東北新幹線・
北上駅に降り立つ。駅で待
ち合わせたのは、春日流八
幡鹿踊保存会・中立︵なか
だち︶の藤原敏也氏、そし
て郷土芸能好きが高じて北
上に移住したというまつも
とけいこ氏のお二人。前か
ら訪問しようと思っていた
がこの日やっと実現した。
藤原氏には都内で一度お
目にかかって今度が二度
ようになったが、それ以前
のことなど、ほぼ未発掘状
態で埋もれたままだ。
それで、不幸な出来事で
あ っ た 震 災 を 契 機 と し て、
むしろ、これまでの東北を
見つめ直し、知らなかった
ことを発掘し、それをつな
ぎ合わせて、東北なるもの
を再構築する。その旗印の
もとで復興活動を組織化す
る。そうした復興活動があ
っても良いと思うのだ。今
回の北上ミニ旅の目的のひ
とつはそれであった。
まつりが市内の岩崎城址で
この日はちょうど第三一
回 岩 崎 城 絵 幟︵ え の ぼ り ︶
岩崎城跡で
和賀氏供養
時代の文化、衰退、宗教な
開催された。室町時代を境
を 握 る 地 域 と 思 っ て い た。
いか。最近素朴に抱く疑問
か。良く知らないのではな
東北人はほんとうに東北
の魅力を知っているだろう
震災後の建設の舞楽殿では
くエネルギッシュであった。
は初めてであったが、力強
た。本場の鬼剣舞を見たの
保存会﹂の奉納演舞があっ
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目。まつもと氏は、以前記
事を執筆していただいたこ
とがあるが、今回が初対面。
それなのに図々しくも、北
上を訪問したい、案内して
ど、東北の歴史を新たな視
にして四〇〇年間この地を
点から見直す発掘作業であ
る。
支配していた和賀氏の供養
祭 が あ り、 供 養 塔 の 前 で、
この地方の鬼剣舞のルーツ
加えて、宮城北部の田舎育
である。あまりにも歴史が
和賀大乗神楽が演じられ
東北人も気づかぬ
東北の魅力
ちの筆者は、この地域はと
埋没しすぎていると思うの
悪霊退散
るのも楽しみであった。
宮城北部・岩手南部が
新たな東北発掘地
以前から、東北の歴史と
東北の新たな魅力の掘り起
こしにあたって、宮城北部
ても落ち着く。長い歴史を
だ。前述のアテルイにして
ともいうべき﹁岩崎鬼剣舞
くぐり抜けた﹁空気﹂を共
た。
から岩手南部地域一帯は鍵
有できる。それで、ここを
もようやく最近注目される
悪路王
供養碑の前で
岩崎鬼剣舞
お世話になっております
鬼の館
欲しい、行きたいところも
あるとまことに身勝手な引
率のお願いをした次第。
大体のスケジュールは分
かっているが、秘密の部分
があり、それが明らかにな
新緑の山々と湖
創刊 2013 年 (平成 25 年) 6 月 16 日 日曜日
Rising up , TOHOKU!
〒 190-0013
東京都立川市富士見町 2-12-13 安藤ビルB 1 F
http://www.yumuyu.com/
e-mail:[email protected]
和賀大乗神楽 荒神 三つ目
掘り起こすのは自己の内な
る﹁東北﹂を掘り起こすこ
とでもあると思っている。
この地域の歴史というと
まずアテルイが出てくる
が、アテルイは、ほんの入
り口である。その前のアザ
マロ。いやもっともっと遡
っ て、 た た ら 製 鉄 の 時 代、
大量移民の時代、さらに遡
って弥生時代の興亡、縄文
岩崎城 絵幟
第 13 号
<<東北魂>>を鼓舞する
電子新聞
2 0 1 3 年 ( 平 成 2 5 年 ) 6 月 16 日 日 曜 日
東北の魅力を掘り起こす旅
岩手 ・ 北上市
郷土芸能と手つかずの自然と秘境温泉
そこでは新しい東北像が発掘を待っている
に到着。温泉名の判明。
うやく夏油︵げとう︶温泉
った細い道を大分登ってよ
なると聞いた。曲がりくね
道に迷ったら大変なことに
秘境であり、地元の人でも
ない景観。また行きたい。
て い な い 手 つ か ず の 自 然。
い。観光地として擦り切れ
る。これを壊してはならな
を形成している。絶景であ
の青が、えもいわれぬ風景
遠くの山々の雪渓、湖の水
めて、当然和賀大乗神楽も
明治中期に誕生した。演目
岩 崎 鬼 剣 舞 を 始 祖 と し て、
が あ っ た。 こ の 鬼 剣 舞 は、
︵なめしだ︶鬼剣舞の上演
た。ここではちょうど滑田
だ。
で。でもまた訪れたい温泉
一挙に伸びた。毛細血管ま
浸かり緊張した体の隅々が
は一転ぬるい。高温の湯に
露天風呂に入ると、こちら
ラ イ。 熱 す ぎ る。 そ の 後、
と持たない。でも何度かト
して首まで浸かる。三〇秒
少しずつ慣らす。勇気を出
そうな熱さ。桶で湯を汲み、
たくな旅であった。北上の
たった一日の旅だったが、
盛りだくさんの最高にぜい
たく。藤原さんに大感謝。
二人占め。なんというぜい
ならぬ、まつもとさんとの
いただいたこと。独り占め
て唄いながら踊って見せて
﹁ 展 望 台 ﹂ で、 太 鼓 を 敲 い
こ の 旅 の 締 め く く り は、
藤原氏の春日流八幡鹿踊を
春日流八幡鹿踊
人に教えたいが教えたくも
さっそく温泉に入る。と
ころが、最初に入った場所
はとても熱い。五〇度に近
い。慣らしてから入ろうと、
整えて清浄にする目的で行
初めてであった。演目は﹁荒
以前にも記載したが、筆
者の故郷である宮城・遠田
舞台での演舞に集中して
い た が、 ふ と 目 を 転 じ る
廃れる前に、北上の村崎野
ズムも合っており、型も合
少なくとも三人はいた。リ
いか。しかも一人ではない。
た神仏混淆で、他の山伏神
最近﹁鬼﹂に興味がある。
以前﹁鬼﹂を調べていたら、
くの山には雪渓もたくさん
に入り込む。近くの谷や遠
いていない。どんどん山奥
みちのく芸能まつりにおじ
にもおじゃましなければな
温泉からの帰り、ダム湖
に立ち寄った。そこからの
ゃますることを約束した。
らない。八月始めの北上の
景色がすばらしい。新緑に
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足湯を試みたが、やけどし
われる舞いの要素があると
神﹂。新鮮な体験であった。
大乗神楽を見るのも初
ちょうどそこに、当新聞
が毎号掲載している動画を
か、念仏によって御霊や怨
神楽などがある。
拝借している東北文化財映
霊を往生させて災厄を防ぐ
悪魔を踏み鎮め、場の気を
像研究所・所長の阿部武司
郡涌谷町・箟岳︵ののだけ︶
と、子供が大人の舞い手に
大乗神楽として継承された
楽にない神秘的な雰囲気を
ここの﹁鬼の館﹂にたどり
残っている。そこは本当に
とりこになりそうだ。花巻
氏 も お い で に な っ て お り、
は、
﹁一番庭﹂、
﹁膳舞﹂、
﹁八
浄土教由来の信仰的要素が
人加護のくずし﹂など。岩
かなり古いようだ。現代で
にある箟峯寺︵こんぽうじ︶
合わせて踊っているではな
村崎野大乗神楽
いえば、相撲の四股、歌舞
にはかつて大乗神楽があっ
崎鬼剣舞よりアクロバティ
伎の足の踏み鳴らし、能の
た が、 江 戸 時 代 に 廃 れ た。
という言い伝えがある。そ
っている。頼もしき将来の
ックな動きが多かった。
すり足のルーツとも言われ
結びつきが現実化していく。 る。いずれにしても歴史は
ている。
岩崎鬼剣舞
剣舞︵けんばい︶は岩手
県から宮城県にかけて分布
大 乗 神 楽 と は、 岩 手 県
の意味で、ここにとても強
鬼剣舞の担い手たちだ。
この反閇のルーツも興
感じさせる。
岩手県内では、
着いた。それで無理にお願
展望台で春日流八幡鹿踊独り占め
する代表的な民俗芸能のひ
剣舞を鬼剣舞︵おにけんば
の旧和賀地方に分布し、修
いつながりを感じる。いつ
とつだが、なかでも忿怒の
い︶という。悪霊を踏み鎮
験道の祈祷色の濃い神楽で
か、箟岳の箟峯寺にこの神
和賀大乗神楽﹁荒神﹂
める呪法のひとつとして注
ある。和賀山伏神楽と称さ
楽をお呼びしたいものだ。
味深い。諸説あるが、独特
北上市の和賀大乗神楽、村
いして連れてきていただい
形相の仮面をかぶって踊る
目されてきた反閇︵へんば
れることもある。また大乗
の歩行が修験道の鎮魂の呪
崎野大乗神楽、道の上山伏
秘境の温泉
︱夏油温泉
い︶の影響を受けていると
神楽は本地垂迹説を基とし
術のひとつであるとか、陰
神楽、花巻市の北笹間山伏
鬼の館で鬼剣舞
いう説もある。
陽道で用いられる呪術的歩
鬼の館から秘境の温泉に
移動する。まだ行き先は聞
行のひとつで、大地を踏み
新たな観光資源発見
初めてお会いすることがで
雪渓の山々と湖
あるとかいったものであ
一番熱い風呂と渓流
きた。バーチャルな人間の
2013 年 (平成 25 年) 6 月 16 日 (日曜日) 第 13 号 http://tohoku-fukko.jp/
飛んでいる
滑田鬼剣舞
巨大な鬼の面
夏油温泉旅館
アクロバット舞
鬼剣舞後継者
そうした意味で、大いに
サプライズや変化が期待さ
かった。縁とは不思議なも
かここで会えるとは思わな
間違いないと思うが、まさ
ろうか。きっとあの太鼓に
開会式で使われたことであ
いた太鼓と思われる太鼓が
を組み上げて作った胴を用
それを目指すならば、この
もいえる。もし東北各県が
これでは世界的観光都市
を目指すのはむずかしいと
いということになる。
し、パレードもままならな
れを越えると、交通はマヒ
限界ということである。こ
あり方を検討し直した方が
前述の企業協賛金はさて
おき、次回以降はこの祭の
次回の六魂祭について
であろう。
かない。詳細な分析が必要
あるという発表は納得がい
来年から中止する可能性が
式 に 発 表 さ れ た 時 点 か ら、
どの混乱は感じられなかっ
出と発表されたが、それほ
る。仙台では、周知のよう
二五万人と発表されてい
岡 は 約 二 四 万 人、 今 回 が
仙台開催での人出は二日
間で約三七万人、前回の盛
うニュースが出た。震災か
を迎えるのではないかとい
ため、来年の祭開催が危機
金が大きく減少している
福島開催が終了してす
ぐ、 六 魂 祭 へ の 企 業 協 賛
厳しい状況のなかで何とか
ずいる。これらの被災者が、
上がろうとする被災者も必
祭を契機として復興に立ち
この祭の意味を再度問い
直して欲しいと願う。この
の形の六魂祭では、参加者
も、観衆も、関係者も盛り
上がるのはむずかしい。
山形花笠まつり
秋田竿燈まつり
号記事でもあり、いろんな
福島開催はいろいろな意味
参加した人数は減少したの
た。ただし、トイレが異常
に、あまりの人出でパレー
ら二年が経過した影響がこ
踏ん張ろう、負けてなるも
青森ねぶた祭
意味で今回の取材に力が入
でどうなるのかとても気に
第一点は、福島第一原発
の問題を東北六魂祭とし
に少なく、トイレ行列はど
ド の 一 部 が 中 止 と な っ た。
んなところにも出ているよ
のか、そうした気持ちをま
すます掻き立てるような形
福島わらじまつり
取材は、筆者の記者デビュ
れていたが、残念ながらパ
のである。
収容観客問題を何とかしな
良いし、それをせずに、盛
て、どう位置づけ、どう乗
こもすさまじかった。
この福島の場合、祭の各会
うだ。しかし、経済効果は
岡・福島・山形とほぼ同様
り越えていくのか、という
変化らしい変化といえ
ば、航空自衛隊松島基地所
場では人があふれ、パレー
二 〇 ︱ 三 〇 億 円 と い う し、
費用が計画以上だったとは
を毎年毎年編み出して欲し
盛岡さんさ踊り
ーでもあり、当新聞の創刊
った。加えて、昨年の盛岡
レードなどは盛岡開催と変
ければならないと感じた。
問題である。
属のブルーインパルスによ
ドがある道路の歩道は歩け
し か し、 大 雑 把 に い う
いえ、四千万円程度ならば
いと願う。
仙台七夕まつり
福島の特色
出し切れず
開催終了後に福島開催が正
化なく、むしろパレードに
東北の県庁所在地の
観光客収容人員
で は な い か と 感 じ ら れ た。
響を与えているが、それを
る飛行が華を添えたことで
ないほどの混雑だった。
また、土日で二五万人の人
なっていた。
跳ね返す試みが、この六魂
あろうか。拍子抜けするほ
ならば、東北各県の県庁所
何 と か な る レ ベ ル の 話 で、
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企業協賛金問題
祭にどう反映されるのか。
ど変化が見られなかった。
次に、原発問題で経済的
影響が出て、復興にも悪影
最後に、第三回を迎える
東北六魂祭のあり方に何か
あとは、当新聞第8号で
取り上げた浅草の宮本卯之
在地でも三〇万人が収容の
ブルーインパルス
助商店で見たガレキの破片
今年のテーマは 「福」
今年の﹁東北六魂祭﹂は
六月一日、二日、福島での
た。昨年の六魂祭盛岡開催
開会に先立ち全員黙祷
注目の福島開催
開 催 で あ っ た。 一 日 早 朝、
変化をもたらすのかどうか
2 日間で 25 万人
東京の自宅を出て、始発電
6/1 ・ 2 福島開催
という点であった。
東北六魂祭
車を乗り継ぎ福島を目指し
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子躍と表記︶を小学校時代
に伝わる鹿踊︵舞川では鹿
筆者は現在東京在住であ
るが、故郷一関市舞川地区
信やあり方を、様々な分野
に日本の郷土芸能の魅力発
戴 き︵?︶、 鹿 踊 を ベ ー ス
﹁鹿馬鹿﹂という称号まで
など行ってきた。おかげで
信、講演やワークショップ
叩きながら、自ら躍り、歌
背負い、腰に付けた太鼓を
にササラと呼ばれる御幣を
付けた鹿頭をかぶり、背中
る郷土芸能。本物の鹿角を
れる岩手県・宮城県に伝わ
の鹿子躍︵鹿踊とも表記さ
に、東北文化を代表して生
わせて開催されることを機
三八回シアトル桜祭﹄にあ
土・ 人・ く ら し ﹄ が﹃ 第
海外巡回写真展﹃東北︱風
を行った。国際交流基金の
ト レ ー シ ョ ン︵ レ ク デ モ ︶
し、レクチャー&デモンス
カ合衆国シアトルに遠征
太郎・佐藤裕夫︶はアメリ
躍保存会有志二名︵小岩秀
四月二五日から三〇日ま
での期間、行山流舞川鹿子
うオファーである。
海外でやってほしい﹂とい
ぶ こ と に な る。﹁ 鹿 子 躍 を
発信は突然ひとつの実を結
活動している。そしてこの
陸町の行山流水戸辺鹿子躍
本大震災被災地宮城県南三
場からは賞賛の声も。東日
もいることを伝えると、会
︵夫婦や外部からの参加者︶
に伴い今は女性メンバー
なかったものだが人口減少
鹿子躍は本来男性しか躍れ
が 今 も 息 づ い て い る こ と、
三〇〇〇以上もの郷土芸能
え ら れ た。 東 北 地 方 に は
が な く、 驚 き を も っ て 迎
鹿子躍は当然のことなが
らほとんどの人が観たこと
り上げた。
会場を練り歩き、祭りを盛
一日中着用し、空き時間も
モ。一五kgの装束をほぼ
日間で怒涛の七回のレクデ
課せられたのは、なんと三
この祭りに際し今回我々に
求 め て い る も の で あ っ た。
た日本文化への深い関心を
スタルジアが感じられ、ま
日本に対する深い愛情やノ
また﹁鹿子躍は太鼓を腰に
上 々 の 反 応 だ っ た よ う だ。
コメントがあり、いずれも
上で非常に有意義﹂などの
の魅力と粘り強さを伝える
は東北写真展とともに東北
マ テ ィ ブ だ っ た ﹂﹁ 鹿 子 躍
説も配布資料もインフォー
に触れられてよかった﹂﹁解
な伝統芸能以外の日本文化
舞伎や相撲など、メジャー
えた楽しい公演だった﹂﹁歌
歴史の解説、ユーモアを交
パフォーマンスで楽しかっ
どうなるんだ! Oh my
g o d!﹂﹁ 観 客 参 加 型 の
があるのだから、八名だと
を 感 じ る ﹂﹁ 二 人 で も 迫 力
後に聞いた感想では﹁躍
りやビジュアルから超自然
重な経験であった。
内でも試したことがなく貴
も設けた。着付け体験は国
階的に体験してもらう時間
の復興支援に精力的に
震災被災地の郷土芸能
現在に至る。東日本大
お ど り ︶﹂ を 伝 承 さ れ
んりゅうまいかわしし
舞川鹿子躍︵ぎょうざ
代、郷土芸能﹁行山流
能協会職員。小学校時
社団法人全日本郷土芸
手県一関市出身。公益
一九七七年生まれ。岩
︵こいわ・しゅうたろう︶
小岩秀太郎
遠征チームのプロフィール
確信したのであった。
現の重みと将来性を改めて
している郷土芸能という表
とができ、私たちが体に宿
筆者自身もおらが村のち
っ ぽ け な 芸 能 が、 海 外 の
たのではないか。
希望を持たせる機会になっ
い人たちが相手。レクチャ
海外、しかも全く知識のな
さがあった。しかし今回は
理解してもらえるやりやす
象の場合、解説を省いても
能に興味のある人たちが対
が、日本人、中でも郷土芸
クショップは経験がある
付ける演目を披露した。歌
実演では﹁三人狂﹂とい
う、男鹿が女鹿に力を見せ
てもらえたものと思う。
芸能により深く興味を持っ
とで距離が縮まり、日本の
自らが直に言葉を伝えるこ
訴える機会を得た。伝承者
もなお伝わっているのかを
各地でなぜ多くの芸能が今
子 躍 の 直 系 の 元 祖 ︶、 日 本
れ︵水戸辺鹿子躍は舞川鹿
に対する思いについても触
の復活を例に被災者の芸能
次代の伝承者︵若手や子ど
造の賜物であり、保存会員、
てきた先人たちの努力と創
う地域で鹿子躍を伝え続け
と思う。これは、舞川とい
を感じ取ってもらえたもの
義を通して、鹿子躍の魅力
年もの間伝承されてきた意
りや神秘性、そして三〇〇
短期間だったが、鹿子躍
のビジュアルのみならず躍
芸能だろう﹂という合理主
も歌って、なんと合理的な
つけて、躍りも躍って、歌
平泉藤原まつり等、地
り、 一 関 芸 能 ま つ り、
北上みちのく芸能まつ
月 よ り 保 存 会 入 会。
の 家 に 入 り、 同 一 二
川鹿子躍第四二代庭元
子縁組により行山流舞
所職員。二〇〇九年養
手県中央家畜保健衛生
知県名古屋市出身。岩
一九八〇年生まれ。愛
興味深い感想も寄せられた。 佐藤裕夫
義国家アメリカならではの
域のまつりを中心に公
ークショップを開催。
各地で鹿踊に関するワ
取り組んでいる。日本
人々の驚嘆・共感を得るこ
舞川鹿子躍保存会
に習ってからというものそ
ー内容、実演の方法、配布
詞は逐次通訳、その後装束
も た ち ︶、 舞 川 地 区 民、 ひ
演。
た ﹂﹁ 踊 り の 実 演、 由 来、
︵岩手県一関市︶・公益社団
の虜になり、現在に至るま
資料など全てを再構成し臨
の解説をし一通りの理解を
いては郷土芸能に携わる人
う︶を披露した。
小岩秀太郎
んだ。
してもらった後、観客の方
たちにとって、誇りと期待、
を巻き込みながら考え日々
今回会場になったシアト
ル桜祭は日系人を中心に人
に 実 際 に 着 用 し て も ら い、
で鹿踊に関連する調査や発
種を越えたボランティアス
姿勢、躍り、太鼓などを段
舞川鹿子躍にとっては初
めての海外。国内でのワー
タッフで開催してきた歴史
︵さとう・やすお︶
ある祭りである。そこには
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演目 ・ 三人狂のデモンストレーション
全郷芸初代理事長
芳賀日出男氏の写真も展示
シアトル桜祭実行委員会、
出演者の皆さん
小岩秀太郎氏と佐藤裕夫氏
観客の着付け体験
鹿子躍専用メール [email protected]
「問合せ先」 FB ページ https://www.facebook.com/maikawashishiodori
法人全日本郷土芸能協会
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シシオドリ、 海を渡る
行山流舞川鹿子躍、 米国シアトルにて
レクチャーとデモンストレーション挙行
東北郷土芸能の海外 PR の第一歩
道州制に対する
根強い反対
一 八 九 〇 年( 明 治 二 三 年 )
四七都道府県となったのは
から幾度かの変遷を経て
年(明治四年)の廃藩置県
だろうか。
治の内容によるのではない
く、そこで行われている自
からの距離の問題ではな
機関であるこれらの地方支
掌事務を分掌する地方出先
すれば、現在中央省庁の所
方に権限を移譲させようと
周辺の地価は上昇する一
れによって「州都」やその
能が「州都」に集中し、そ
って州になることで行政機
り立っているのだとすれ
されたデメリットの上に成
トが東北の他地域にもたら
ない。しかし、そのメリッ
考えられる(秋田市も考え
の港町山形県酒田市辺りも
と す れ ば、「 副 都 」 は 沿 岸
える。内陸の平泉を「州都」
を、 国 が 二 二・七 兆 円、 分
三七兆円に上る旧国鉄債務
を 連 想 さ せ る。 あ の 時 は
割民営化の時の債務の処理
道州制を進めるために必要
ている。もちろん、それは
決や取組方策の検討を行っ
進するために必要な課題解
なことの一つである。しか
われる中できっと出てくる。 うか。道州制は一つの県だ
う。
県合併にしか過ぎないだろ
にも大きな変化が生じるこ
することによって実は地価
じられたが、道州制を導入
い。先般一部週刊誌でも報
ただ、道州制でもたらさ
れる変化はそれだけではな
ネが集まり、市内及びその
には東北のヒト・モノ・カ
東北州の「州都」を仙台
市とすれば、確かに仙台市
避けるためである。
首都への一極集中の弊害を
中枢とを兼ねることによる
わち、政治の中枢と経済の
の理由は自明である。すな
ているのかを考えれば、そ
が首都と最大都市とを分け
ば、地理的に離れた日本海
都」が太平洋側だとすれ
う。こちらに関しては「州
定めておく必要もあるだろ
ッ プ を 考 え て、「 副 都 」 も
害が発生した時のバックア
小さな「州都」に加えて、
東日本大震災のような大災
いない。
られた範囲内で収まるに違
る。地価の上昇も極めて限
圏の一四分の一の規模であ
十一万人程度で、仙台都市
これは、ちょうど国鉄の分
方で肩代わりしてほしい」。
回すために背負った分は地
債務のうちこれまで地方に
張 す る に 違 い な い。「 国 の
す る。 中 央 省 庁 は こ う 主
道州制の行方を大きく左右
また、膨大な国の債務を
ど う す る か と い う 問 題 も、
どうか。
とが果たしてそれが可能か
合に道州独自に増税するこ
よ、それで足りなかった場
課税で賄う必要はないにせ
共有化を図り、それらを推
権や道州制に関する情報の
進本部を設置して、地方分
して、地方分権・道州制推
宮城県は村井知事の道州
制に対する積極姿勢を反映
はずである。
目ばかりの道州制ではない
ある。それは決して、見た
なものなのかということで
自治のあり方とはどのよう
力も欠かせないと考える。
取り組みに活かしていく努
例についての学びを今後の
くれているが、そうした事
現像氏が何度か取り上げて
ンドに職員を派遣して、か
つてイギリスのスコットラ
他の先行事例に学ぶこと
も必要である。北海道はか
け る こ と も 必 要 で あ ろ う。
け で で き る も の で は な い。
今後導入されようとする
道州制が、権限移譲とセッ
とが予測されている。いわ
周辺の地価も上がり、そこ
側のどこかが相応しいと考
「州都」だけではない
難しい問題
割民営化されたJR各社が
ましてや、東北の他の五つ
られるが現在の県庁所在地
声が出ているのである。
ないところに新たに設ける
の県は、仙台への一極集中
ば、そんな道州制には何の
である。もし、これら地方
べきと考える。それで以前、
中央省庁は、地方に権限
を渡さないために、この問
を懸念して、道州制そのも
方、州都以外の都市では大
の こ と で あ る。 ち な み に、
支分部局がそのまま温存さ
現在でも県庁所在地と同
じ県内の他地域の都市との
この欄で岩手県平泉町を挙
題を持ち出してくる可能性
のに極めて後ろ向きであ
分部局も、当然道州に統合
前回、道州制を巡るこれ
までの動きを振り返ってみ
れ、その一方で都道府県が
格差は厳然としてある。道
げた。平泉町は歴史的に見
が高い。その時にどう対応
る。そこから一足飛びに道
し、そのようにして道州制
その前年の一八八九年に新
道州となるような事態とな
ても奥州藤原氏の拠点とし
道州制を導入する際に難
し い の は、「 州 都 」 を ど こ
するかで、まさに道州制の
州制導入に持っていくこと
一 四・五 兆 円 引 き 受 け る と
橋神戸間の鉄道が開通して
れば、それは道州には何の
州制を導入した暁には、そ
て東北の中心だったことが
にするかということだけで
成否が決まると言っても過
は困難である。まずは情報
であるためここでは除外)。
いる。この時の新橋神戸間
今の都道府県から見る
と、それらが集まってでき
れと同様のことが、「州都」
あり、地理的にも東北のち
はない。財源の問題が大き
言 で は な い。 肝 心 な の は、
のやり取りをする中で信頼
意味もない。
た。 こ う し て 見 て み る と、
の所要時間は驚くなかれ下
る道州は確かに大きいよう
権限も移譲されていない何
とそれ以外の現在の県庁所
ょうど中間点にある。最近
く立ちはだかる。中央省庁
ここで各都道府県が、借金
関係を構築していくことが
幅な地価下落に見舞われる
現在の都道府県をどうする
りで二〇時間五分、上りで
に見える。しかし視点を転
よりの証左となる。
在地の間で起こるのではな
奥州藤原氏時代の文化遺産
の言い分はこうである。「大
まで背負わされるくらいな
必要である。特に、北東北
されなければならないはず
かということについての議
二〇時一〇分である。四七
じてみるとどうか。もしそ
逆に言えば、地方支分部
局が道州に統合されること
いか、という懸念があるの
が世界遺産に登録されたこ
幅な権限移譲を求めるので
ら権限など持たなくてもよ
三県は、元々三県での道州
に関して得た情報や検討し
論は実に長い期間に亘っ
都道府県が定められたのは
れが従来、国が担っていた
になれば、道州にとってこ
である。
ともあり知名度もある。ま
あれば、財源も道州が独自
いという近視眼的な思考に
制を視野に、協調して検討
た結果などを東北の他の五
て、何度も取り上げられて
そのような時代だったので
権限を大きく移譲されてで
れ ほ ど 心 強 い こ と は な い。
「東北州」実現の暁に「州
都」と目されるのは、東北
た現在の平泉町が面積約
に 調 達 す べ き 」。 そ う な れ
陥らないようにすることで
を 重 ね て き た 実 績 が あ る。
いうことになった。道州制
きていることが分かる。に
ある。翻って今、東京大阪
きたものだとしたら、とい
これまで都道府県は、各々
最大の人口を擁し、経済圏
六三・五平方キロメートル、
ば道州は独自に課税をする
ある。四七都道府県になっ
そこで得られた検討結果に
で国の肩代わりをするのな
も関わらず、いまだ具体的
間の所要時間はN700系
う こ と で あ る。 そ の 場 合、
のエリアの大きさで物事を
の規模も圧倒的に大きい仙
人口約八〇〇〇人の小さな
などして財源を確保しなけ
て一二〇年余りが経過し
ついて、今後の道州制の進
平泉からの距離や日本海側
なアクションは起こってい
「のぞみ」で二時間二五分
道州はこれまでの国よりも
考 え て い れ ば よ か っ た が、
台市だが、だからこそ決し
町であることもプラスに働
れ ば な ら な い。 も ち ろ ん、
た。今ここで考えるべきは、
展を念頭に、率直に耳を傾
の南北の中間点ということ
ないわけである。その背景
である。時間距離がおよそ
はるかに小さく、身近なも
これからはその数倍の大き
て仙台市を「州都」にして
く。ここが「州都」になれ
権限が大きく移譲されるの
これからの一二〇年を託す
私 は、「 州 都 」 は 仙 台 市
でもなく、またそれ以外の
には、道州制に関する反対
一〇分の一近くにもなって
のになっていると言えるの
さのエリアで物事を考えて
はいけないのである。首都
ば、なんでも州都に集中さ
であれば、現在の国税と地
ことのできる国の形、地方
のではないかと不安視する
意見が根強いことがある。
いる中、道州になって多く
ではないだろうか。これま
いかなくてはならない。中
ワシントンと最大都市ニュ
せるということは物理的に
方税の比率の見直しも不可
トになった実質を伴ったも
ば、自分たちの住んでいる
に住む人はそのメリットを
道州は
「大きい」のか
「小さい」のか
その代表的な意見は「道
州になって現在の都道府県
の住民からの距離が遠くな
で東京都心で全て決められ
央 省 庁 の 地 方 支 分 部 局 は、
ーヨークを持つアメリカ
も不可能である。経済圏と
欠であるから、全て新たな
つの県に提供したり、それ
がなくなると地方自治が住
るから自治も遠くなるとい
てきたことのうちの相当数
まさにこの道州のエリアの
や、首都北京と最大都市上
しては一関都市圏に属する
ら、権限だけではなく財源
民から遠くなるのではない
うのは根拠が薄いように思
の権限が道州に移っていれ
大きさでこれまでその職務
海を持つ中国を例に引くま
が、 そ の 人 口 は 合 わ せ て
を考慮するならば、秋田県
か」というものである。確
ば、政治はまさに住民から
を遂行してきている。その
でもなく、なぜ世界で少な
東北各県の県庁所在地でも
かに一見、そのようにも見
われる。
見てより近いものになるの
ノウハウは道州を前に進め
くとも三〇以上の国と地域
についての意見交換をした
える。例えば、東北六県が
そもそも、州の中心から
遠くなるから、地方自治も
ではないだろうか。そのよ
るために何よりの力となる
りという取り組みを、推進
一つの州となった場合、ど
遠くなるという論も、そう
う な 道 州 制 で あ る な ら ば、
はずである。
や借金もという議論は、今
こ が 州 の 中 心 に な っ て も、
単純に結び付けられる話で
私 は 道 州 制 に 賛 成 で あ る。
のところ出てきていない
それ以外の地域から見れ
は な い よ う に も 思 わ れ る。
その意味でも、道州制の導
湯沢市辺りも視野に入れる
ば、現在の県庁所在地より
実際、現在の都道府県によ
必要があるだろう。
も明らかに遠くなることに
る自治は本当にそこに住む
入は国からの権限移譲とセ
のか、それとも都道府県合
土地の価値に直結する問題
最大限享受できるかもしれ
き道州制は、単なる都道府
やはり問題となる
「州都」
併の表面を装う名前だけの
があるのだというのであ
いに違いない。権限移譲な
ものかを判断する端的な手
る。具体的には、県が集ま
ては、この紙面でも奥羽越
る。スコットランドについ
いて詳細な分析を行ってい
の地の地方分権の実態につ
掛かりは、中央省庁の地方
まずは六県が
まとまることから
支分部局の扱いである。地
【東北復興】 掲載の記事 ・ 写真 ・ 図表などの無断転載を禁止します。 Copyright YUMUYU INC. All rights reserved.
本部は十分にしているだろ
なる。
住民にとって近いものであ
ットでないとうまくいかな
大友浩平氏
が、今後具体的な議論が行
ただ、ここで現在の四七
都道府県になった頃のこと
るかどうか。それは中心地
https://www.facebook.
com/kouhei.ootomo
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を考えてみたい。一八七一
http://blog.livedoor.jp/
anagma5/
「東北ブログ」
自転車と歌と旅。
然と文化が大好き。趣味は
版社に勤務。東北の人と自
奥州仙臺の住人。普段は出
(おおともこうへい)
大友浩平
執筆者紹介
2013 年 (平成 25 年) 6 月 16 日 (日曜日) 第 13 号 http://tohoku-fukko.jp/
近年いたく仙臺という町を
だったが、実は父・喜善が
ざ遠方へ通院、という名目
と治療できないのでわざわ
父娘揃って持病があっ
て、大きな町の病院でない
の都市・仙臺へ向かうのだ。
東北本線に乗り換えて、南
鉄道に乗った。花巻の町で
若は父・喜善とともに軽便
岩 手 県 遠 野 の 娘・ 佐 々 木
昭和という時代が始まっ
て、 数 年 後 の あ る 春 の 日。
か父・喜善にも参加のお声
のが仙臺にも始まり、何故
で聴ける、ラジオというも
更に近々、音楽や講談を
電波で遠くまで飛ばして家
た。
最近は路面電車まで開通し
大 な 棚 を 持 つ 本 屋 も あ り、
に幟が無数に掲げられ、巨
くるという。華やかな市場
居や活動写真は全てやって
な町だが、東京でやった芝
仙臺は東京よりずっと小さ
と に か く 都 会 が 大 好 き だ。
に 出 て 文 学 な ど を 目 指 し、
存在を実際感じる能力があ
なのは、父自身がそういう
ている。不思議な話が好き
書き、出版する努力を続け
だが、父は父で自分で本を
それが父の何にも勝る自慢
変 有 名 に な っ て し ま っ た。
語﹄という本を書いて、大
の人がそれを元に﹃遠野物
話して聞かせたところ、こ
文人の柳田国男という人に
を、父は東京で偉い学者で
怪、不思議な旅。そんな話
ら な い、 山 人 や 動 物、 妖
えられてきた。正体のわか
交い、いろいろな物語が伝
は昔から方々の人間が行き
手しにくく、大変らしい。
は師匠もおらず、画材も入
めたという。しかし青森で
で石や銅を使った版画を始
今 純 三といって、青森市
しかけてみた。青年の名は
を描かれるのですな、と話
さしかかったところで、絵
た喜善だが、汽車が平泉に
かりの笑い話を聞かせてい
る娘に村の古老に聞いたば
天井をしきりに気にしてい
描 き つ け る 青 年 を よ そ に、
である。何か画板に夢中で
ースを携えた青年の向かい
歳程若い、大きな画板やケ
眼鏡をかけた、喜善より十
客車は満席に近く、父娘
が座ったのは喜善と同じ丸
って仕方がないのだ。
何やら客車の天井が気にな
も、花巻で乗り換えてから
ろがある。今回の小旅行で
ところで娘の若にも、父
に似て奇妙に勘が働くとこ
のは、震災後の仮設小屋を
です。実際に今やっている
をやるのだと言い出したの
民俗調査という新しい学問
民俗調査に対して、現代の
れが、震災後は先生の昔の
ケッチ記録の専門です。そ
た。やはり絵が得意で、ス
いて、国中を周っていまし
と柳田先生の民俗調査につ
京に残ったのです。もとも
った。兄は震災後も独り東
はずもなく純三は飛び上が
を話すと、やはり知らない
言う。喜善が遠野物語の事
下で仕事をしたのですよと
今純三が驚いて、奇遇で
すね、僕の兄も柳田先生の
ないのだ。
い。若にはどこか信用でき
ざという時に助けてくれな
かげで名声を得ながら、い
は虚しさを感じる。父のお
に柳田を良く言う父に、娘
誇らしい事です。そのよう
抗 議 な さ れ た。 全 く 同 感、
り空が陰鬱になって、雨が
などする。そのうちすっか
ないかしら、と若が気遣い
うだ。上の人、雷に打たれ
うも、稲妻も閃いているよ
行く手である南から雲行
きが怪しくなってくる。ど
えた。
うに、しみじみと喜善は答
家計の深刻さにも重ねるよ
苦肉の策ですから。自らの
吹き飛ばそうというお上の
戦や震災から来る不景気を
覧会にしても、先の欧州大
皆必死なのです、今回の博
しょうか。そう言う純三に、
ませんよ、車掌に通報しま
や、何か危険な輩かも知れ
の冒険だろうしね。いやい
なるだろうが、覚悟の上で
た。トンネルでは真っ黒に
だね、と喜善は呑気に言っ
ね。上手く飛び乗ったもの
の だ。 ほ う、 無 賃 乗 車 か
人の影も見えたの、と言う
て い る。 客 車 の 影 の 上 に、
と窓に擦り寄る若だが、次
呆然と呟く。嗚呼、何て事!
ていきましたよ、と純三が
も窓を見る。今、人が落ち
言った。それを聞いた父娘
純三は、あっ、落ちた、と
して、ハッとして窓を見た
トンゴトンと天井から音が
板を抱き締める。直後、ゴ
しがみつき合い、純三は画
る悲鳴の中、思わず父娘は
を襲った。車内に湧き上が
に轟き、異様な振動が客車
である。大きな雷鳴が車外
らおうか、と考えたその時
この父娘の姿を描かせても
今 純 三 は 微 笑 ま し く 思 い、
をよく理解しているな、と
娘の姿に、嗚呼この娘は父
りです。そう言う父を見る
ちに苦労をかけ情けない限
のです。ただ本当に、娘た
と、家族とも相談している
引っ越して行けないものか
なって、来年辺り遠野から
ないか、と最近思うように
ありません。と、言った。
お聞き下さい。せ、線路が
せんか。どうか落ち着いて
で、皆様お怪我はございま
もかなり動揺している様子
の視線を浴びながら、これ
れた。乗客達の困惑と抗議
ドカと足音がして車掌が現
く静かだ。ようやく、ドカ
る。雨も、雷も止み、ひど
かに辺り一面の濃霧であ
た。蒸気かと思ったら、確
随分霧が深いのね、と言っ
い た。 身 を 起 こ し た 若 が、
る。汽車は完全に停止して
蒸気を吹き出す音が聞こえ
ロク型の機関車が、大量の
両の客車の先にある、ハチ
落 ち た、 今 度 こ そ 落 ち
た、と純三は思った。前二
た。
三の視界からは少年が消え
で前の席に投げ出され、純
善は娘の身体を庇い一塊り
が大きく揺さぶられた。喜
は反芻した。一つ後ろの車
が耳を疑ったように、喜善
た。宮澤?賢治だって?我
に向けて呼びかけたのだっ
宮澤殿。宮澤賢治殿はお
られるか。旅の僧が、客車
望める山。すると、ここは。
喜善が言った。仙臺北部に
叫んだ。確かにそうだ、と
ないのか、と一人の乗客が
わかる。あれ、泉ヶ岳じゃ
の先に無くなっているのが
凝らすと、確かに鉄路がそ
えた。機関車の前方に目を
く手に、沈みゆく太陽が見
周囲は、見渡す限りの草
原。青空が現れ、汽車の行
き姿が出現した。
て笠を被った、旅の僧らし
チリン、チリン、という金
流 さ れ て い く 霧 の 中 か ら、
風が吹き始め、急速に洗い
て、誰か来ます、と言った。
少年が霧の向こうを指差し
まで、大会場を設えて民間
や文化、珍しい動物や何か
の技術とか、世界中の物品
る、何でも、世界でも最新
博覧会というのは、昨今
国中の都市で開かれてい
う、産業博覧会である。
の春中開催されているとい
回父の一番の楽しみは、こ
それより、何といっても今
たが、失敗の責任を取らさ
熱をかけ、工夫もし頑張っ
りながら、父も父なりに情
だ。合わない仕事だとは知
担ぎ出したという格好なの
からというので、村人達が
が東京の大学に行っていた
く奇妙な事だが、これは父
長などやっているのはひど
なる程だ。そんな父が、村
常ではなく、娘でも恐しく
口で語る時の父の様子は尋
に出た議員の一人が、これ
ンにいましたが、国際会議
の柳田国男はその時ロンド
でした、と喜善が言う。師
事。ご家族が無事で何より
われたという空前の大惨
の大地震は十万人の命が失
う。大正の終わりの、関東
家で青森に引き揚げたとい
で家をなくしてしまい、一
も活動していたのが、震災
年以上過ごし、絵の世界で
家で弘前から上京して、十
こうという訳です。
覧会にかこつけて会いに行
で来るというので、私も博
今回、何かの調査で仙臺ま
く り 話 も で き て い ま せ ん。
慌ただしい中、兄とはゆっ
母 が 亡 く な っ た の で す が、
いる様子である。実は今年
喜善はいたく感銘を受けて
です、大したものです、と
の話に、それは面白い仕事
うかわかりませんが。純三
役買うとか、学問なのかど
人様の生活の立て直しに一
飾 っ た り い じ っ た り し て、
とは己を殺すようなもので
とは言え、耐えてやる労働
三に、同感です、生活の為
と思うのです。そう言う純
筆と彫刀で食っていきたい
ますが、挿絵でも何 でも、
る。 今 は 教 師 な ど し て い
首のある怪物を描いてい
生代の背びれや角や、長い
ね、などと言いながら、古
いう映画に出ていました
いうのがロストワールドと
筆を走らせ始める。雷竜と
画板の方に気を戻して、鉛
強く降り出した。今純三は
いた。窓枠にしがみつく腕
けの必死の形相で見上げて
少年のような顔が、煤だら
身を外へ乗り出すと、まだ
決して、窓を上に押し上げ、
務員の姿は見えない。意を
車内は未だ騒然として、乗
いか、車掌はと叫ぶが、客
運! 純 三 は、 車 掌 は い な
落ちていない、何という悪
ないかと喘いでいる。凄い、
ら伸びて、何か掴まる物が
の手が、窓の外、下の方か
び父に縋り付いた。何者か
の瞬間、ひゃっと叫んで再
ギが着るような、カッポと
らを見て、会釈した。マタ
純三が声をかけると、こち
少年である。おい、君!と
度こそ落ちた
者がいる。何と、先程
気がつくと、窓の外の霧
の中を、彷徨うように歩く
ろではなかったか。
もう少しで仙臺に着くとこ
待て待て、多賀城も過ぎて
た と で も 言 う の だ ろ う か。
れか何かで線路が寸断され
ったのかと思ったが、山崩
人の武装軍団が、鉄路を失
でいるのか?次回、二〇万
一体この坊さん、何を企ん
次回予告:﹁仙臺を作る﹂
仙 臺 を、作りましょう。
芭蕉という僧が答えた。
さあ、宮澤殿。
本当に、やるのですか。
やあ、芭蕉さん。
り、坊主頭を見せて言った。
乗客が立って、山高帽を取
無賃乗車の
の神罰だなどと言った事
さん、やはり上に誰か乗っ
突然、若がハッと叫んで
車窓から飛び退いた。お父
臺ならば何かできるのでは
はつくづく難儀ですが、仙
す、と喜善は返す。奥州で
摩擦音が響き、またも客車
た次の瞬間、激しい金属の
に、掴まれ、と手を伸ばし
と 問 い か け よ う と す る と、
に 着 け て い る。 君 は 一 体、
いう上着や、袴、脛巾を身
どうなる一行!
った汽車に襲いかかる!?
センダード
に開放する、途方もないお
れて家は大変な状況になっ
は近年堕落しきった民衆へ
に、犠牲者の大半は慎まし
はばき
で救いを求めたくなるの
い人々だったはずだと強く
のだ。
も、無理からぬ事に思える
つづく
祭のようだ。何だか想像が
てきている。父が仙臺とい
今
つかないが、いかにも新し
う灯りに、いろいろな意味
両の前方のドアに、一人の
属の鳴る音が聞こえ、やが
気に入って、口実を作って
がかかっているのだが、ど
るからだ、と思う。物語を
き ぜん
は出かけるようになってい
ういう事になるのか父もよ
おう う えつげんぞう
一九七〇年山形県鶴岡市
生。札幌、東京を経て、仙
奥羽越現像氏紹介
わか
たのだ。父は遠野のある村
く わ か っ て い な い よ う だ。
乗客一同、数秒間声が出
なかった。雷で倒木でもあ
連載
むかしばなし
台に移住。市内のケルト音 な催しではある。
楽サークルに所属し、あち
都会や新しい物に目がな
こち出没し演奏する。フィ い父だが、実は一番の得意
ドル︵ヴァイオリン︶担当。 は不思議な昔語りだ。遠野
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第一話
無賃乗車の
少年
物好きの父を興奮させそう
こん じゅんぞう
の村長だが、若い頃は東京
東京に出たりはしないの
ですか、と聞くと、実は一
2013 年 (平成 25 年) 6 月 16 日 (日曜日) 第 13 号 http://tohoku-fukko.jp/
2013 年 (平成 25 年) 6 月 16 日 (日曜日) 第 13 号 http://tohoku-fukko.jp/
シリーズ 遠野の自然
「遠野の山々」
遠野 1000 景より
土淵から見える早池峰山
化にすぎない。それまでの
山々は、里の生活にとって
日没 八幡より
なくてはならない存在だっ
田中のお社
人々は、夜明けや日没、太
る。山々はきっと信心にも
夜明けの六角牛山
たのだ。
関わりが深いのだろう。
落陽
陽と山の位置の変化でおお
こ こ 百 年 内 の こ と で あ り、
そして一部の山岳信仰にあ
雪中お社 上郷にて
ざっぱな時間を認識してい
先祖の山、
神の住む山
お社と遠くの雪をいただ
く山々がいっしょに写った
それ以前は平均寿命約四〇
るように、死後、徐々に高
これだけ里の人間の生
夕日に染まる六角牛山
たに違いない。
そして山の季節の移り変
わりに人生の時計も感じ取
っていたはずだ。現代のよ
歳 で あ っ た。 し た が っ て、
かつて里の人間が亡くな
ったあと、魂はすぐに天に
うな長寿社会になったのも、 写真は何か郷愁を感じさせ
自分の残りの人生を勘定す
召されるのではなく、近く
の 山 々 に 一 時 的 に 移 動 し、
また、山々は山菜や木の
実などの自然の恵みも与え
い山に移動していき、最後
活に密接な関りを持つ山々
【東北復興】 掲載の記事 ・ 写真 ・ 図表などの無断転載を禁止します。 Copyright YUMUYU INC. All rights reserved.
るのは今の半分で済む。
てくれる。山の様子をつぶ
は天に昇り、新たな生命と
残して来た人々を見守ると
日々の変化も、夜明けが
近づくと山の稜線が赤く染
さに見ていれば、その年の
して転生するという説であ
山々への信仰
まり、一日が始まる。日が
収穫の出来・不出来までも
食になったのはずっと後で
の存在は大きい。現代の山
る。この説であれば、身近
い う 説 を 唱 え る 人 も い た。
昇り、そして沈む。
予測可能だ。
時には自然の妙ともいうべ
天気によっても山の景色
は変る。晴れ、曇り、雨、嵐。
しかない。その短い人間の
な人間の死は悲しいが、決
生 命 と は 異 な り、 何 万 年、
東北は米どころといわれ
ているが、そうなってから
定的な別れではなかったと
き神秘的な雲海の発生とい
いうものである。
何十万年という長い間変ら
の歴史は浅い。近年の考古
でも山は動かない。
う現象も現れる。
は、季節の移り変わり、一
あり、それまでの主食は木
日の時間の経過を、気が遠
の実や米以外の穀類の採集
の意味とはかけ離れている。
昔の時間
分刻みの正確な時間によ
って生活する習慣は、ごく
であり栽培であった。そう
いずれがよいのだろうか。
くなるほど長期間に亘り教
最近の話で、時計で時間を
し た 点 か ら も、 か つ て の
えてくれる巨大な自然の時
計のようなものである。
計る習慣もここ百年内の変
に花が咲き始める。山は白
か ら 緑 と 花 の 色 が 混 じ る。
生き物たちも目覚める。
夏は、緑はますます濃く、
セミが鳴きトンボが飛ぶ。
秋は栗やアケビなど木の
実が山にあふれる。そして
紅葉。赤や黄色の鮮やかな
原色が山を覆う。
そして冬。生命活動も休
止となり、色は失われ、白
一色となる。
早池峰山と薬師岳
春は、雪が解け、すべて
の植物が芽吹き、いっせい
早いことが分かったが、主
学の成果で、稲作の開始は
遠野上空の雲海
ずにどっしりと構えた山々
年。あっという間の時間で
長 寿 に な っ た と は い え、
人間の寿命はたかだか八〇
山は巨大な自然時計
雲海点景
東北の地ビールもそれぞ
れ個性的である。次回から
市にある﹁ホテル東日本盛
む会﹂を開催したり、盛岡
県には二五三の酒蔵があ
蔵があり、そのうち東北六
が、全国には一七〇九の酒
ータはちょっと前のものだ
ろ は 酒 処 ﹂、 手 元 に あ る デ
が 強 い。 確 か に、﹁ 米 ど こ
東北でアルコールと言え
ば、﹁ 日 本 酒 ﹂ の イ メ ー ジ
培されるホップだけでは到
大手のビールは、東北で栽
のもある。もっとも、国内
ホップの代わりに用いたも
この野生のカラハナソウを
東 北 の 地 ビ ー ル の 中 に は、
も そ の こ と を 示 し て い る。
北には多く自生しているの
ハナソウ︵唐花草︶が、東
ホップの近縁種であるカラ
ログでも東北各地で見つけ
た、僭越ながら私個人のブ
サ イ ト で 確 認 で き る。 ま
は、 各 地 ビ ー ル 醸 造 所 の
とがある。その辺りの情報
食店でも取り扱っているこ
どを味わえる他、一般の飲
ている直営のレストランな
の地ビール、醸造所が持っ
相性もバッチリである。こ
ルフェスティバル﹂が、九
は秋田市で﹁クラフトビー
日︵ 土 ︶、 九 月 一 日︵ 日 ︶
スティバル﹂が、八月三一
関市で﹁全国地ビールフェ
∼二五日︵日︶は岩手県一
くしま﹂が、八月二三日︵金︶
は福島市で﹁ビアフェスふ
い。実は、東北はビールと
しかし、東北のアルコー
ルは決して地酒だけではな
ロは毎年秋に、東北で取れ
会がある。キリンやサッポ
取れたホップを味わえる機
る。ただ、それでも東北で
を訪れてみるのもよい。そ
いで開催されるので、そこ
ルが飲めるイベントが相次
さらに、これからの時期、
東北各地でこうした地ビー
フ ェ ス ト ﹂ が 開 催 さ れ る。
市内で﹁秋田オクトーバー
∼一四日︵月・祝︶は秋田
ン﹂が、一〇月一二日︵土︶
バーフェスト IN ベアレ
定生産なのと人気が高いの
プのビールも、そもそも限
しかしこれらの東北産ホッ
行われている﹁東北地ビー
ーフェスト﹂と秋田市内で
れている﹁東北オクトーバ
ちょうど、仙台市内で行わ
この号が出る六月一六日は
が変わることがよく分かる。 るので、飲み比べもできる。
うに、この時期に﹁地ビー
他 に も、 仙 台 市 に あ る
﹁ 癒.酒.屋 わ お ん ﹂ の よ
でさらに楽しい。
い料理のお店も出店するの
でなく、大抵地元のおいし
イベントである。それだけ
各地の地ビールが味わえる
地ビールの飲み比べができる
岩手からの参加者がわずか
三陸沿岸部、なかでも宮城・
かったのと、被災地である
さ ら に 残 念 だ っ た の は、
東日本予選の参加者が少な
なった印象を受けた。
か、出場選手が大分少なく
別の日の開催であったため
昨年よりも来賓の数も増
えていたが、西日本予選が
びしかった。
かっただけに、まことにさ
に流れたので、期待が大き
出場というニュースも一部
石巻の選手も含めて九名が
の参加を見送ったのだろう
選手権があるため、東京で
あり、そこでもカキ早むき
秋、復興フェスティバルが
る い は、 宮 城 県 石 巻 で 今
者である藤井氏は、今年九
の開きがある。今回の優勝
世界大会での優勝者タイ
ムは二分台であり、かなり
入らない﹂とぼやいていた。
もいた。選手は異口同音に
で一〇分以上かかった選手
だ。なかにはむき終えるま
本意な結果であったよう
品種を経験済みなので、不
か。予選会直前には、宮城・ ﹁ 硬 く て ナ イ フ が な か な か
一名であったことだ。昨年
まっている。昨年は、初出
月末の世界大会に出場が決
決勝戦は世界大会の
場ということもあり、参加
は選手の大半が被災地から
の参加であったため、この
カキ使用で苦戦
一七カ国中の最下位であっ
大会が復興支援の色彩が非
常に濃いイベントだった
を余儀なくされる醸造所も
価格飲料の台頭などで撤退
不況の影響やそれに伴う低
抜となった。西日本予選は
ら全国大会選抜と二段階選
昨年と異なり、地方予選か
東 京 タ ワ ー で 開 催 さ れ た。
昨年に続いて、牡蠣の早
む き 選 手 権 が 五 月 二 六 日、
持ち込みはゼロで、非常に
何度も見たが、今年は旗の
ャーで緊張している場面を
ために選手の方がプレッシ
い熱気で、あまりの応援の
込まれて、応援もものすご
め、大漁旗がたくさん持ち
また、昨年は被災地のカ
キ生産者の選手応援のた
った。
勤務する藤井司氏。西日本
今年の優勝者は、昨年に
続いて、オイスターバーに
様であった。
てむくのに大分苦労した模
われた。選手は一様に硬く
大会と同じ品種の牡蠣が使
ルウェイ州で行われる世界
本番のアイルランド・ゴー
予選では真ガキが使用さ
れたが、全国大会選抜では、
ひ多くのツアー参加者で藤
画もあると紹介された。ぜ
なお、大会主催者からは、
世界大会への応援ツアー企
ものだ。
存在をアピールして欲しい
縮して、世界大会で日本の
を重ね、何とかタイムを短
ではまだ時間がある。練習
指して欲しい。世界大会ま
はもちろん、上位進出を目
たので、今回は最下位脱出
相次いだが、最近ではプレ
ひ と 足 早 く 開 催 さ れ た が、
予選からの勝ち上がりであ
が、今年は大分様相が異な
ミアムビールに対する認知
おとなしい応援となった。
井選手を応援して欲しいも
緯がある。その後、長引く
とで全国各地に誕生した経
と大幅に引き下げられたこ
ルから六〇キロリットルへ
も年々高まり、勢いを増し
東日本予選は、全国大会と
った。タイムは四分四二秒
前 年 度 割 れ を 続 け る 中 で、
た。
である。
にも目を向けてほしいもの
れた折にはぜひ、地ビール
仕事・旅行などで東北を訪
れ を 味 わ わ な い 手 は な い。
えるものになっている。こ
に世界で対等以上に渡り合
次いでおり、質の点でも既
ンで入賞する地ビールも相
で行われるコンペティショ
荷量を拡大している。海外
三年ほぼ一〇%前後ずつ出
地 ビ ー ル は 全 体 で こ こ 二,
昨年より少ない
参加者
ている。ビール市場全体が
同じ日の午前中に行われ
優勝者は 2 連覇
のだ。
東日本予選 / 全日本選手権
東京タワーで 5・26 開催
で、本人も世界大会で同じ
牡蠣早むき選手権大会
みな牡蠣の生産復興に忙
し か っ た の だ ろ う か。 あ
準が、二〇〇〇キロリット
ビールの最低製造数量の基
そ も そ も 地 ビ ー ル は、
一九九四年の酒税法改正で
成長を続ける
地ビール
たりするところもある。
飲めるビアホールを開催し
ルである銀河高原ビールも
最大の出荷量を誇る地ビー
ーのビールだけでなく東北
岡﹂のように、大手メーカ
に﹁美味しいビールを楽し
東北六県の地ビールを県別
地ビール醸造所
があるとされる
に紹介していこうと思う
が、これから東北各地に足
が、東北にはこ
けでなく地ビールにも目を
のうち少なくと
も二一の醸造所がある。
向けてみることをお勧めし
を運んだ際は、ぜひ地酒だ
なぜ東北でこれだけのホ
ップが生産できるかと言う
(全7回)
東北ビール紀行
その①
第1回:
東北とビールの
浅からぬ関係
と、そもそも東北はホップ
る。全国の約一五%の酒蔵
た地ビールが飲めるお店の
の栽培に適した気候らしい。 たい。その土地の料理との
が 東 北 に あ る わ け で あ る。
底足りず、使用するホップ
も縁が深い︵さらに言えば
たホップだけを使ったビー
う し た イ ベ ン ト で は 大 抵、
とで、いつも年が変わる前
ルフェスティバル﹂の最終
ルフェア﹂と称して各地の
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東北でビール?
これらの酒蔵が作る東北の
の大部分をドイツ、チェコ、 情報を載せている︵
http:// 月一三日︵金︶∼二三日︵月・
地酒は、日本酒好きにとっ
ワ イ ン も で あ る ︶。 ビ ー ル
ルを出している。飲んでみ
頼っているという現実もあ
に欠かせないホップの国内
ると、いつも飲んでいるも
これらはどれも会場に行け
月二一日︵土︶∼二三日︵月・
blog.livedoor.jp/anagma5/ 祝︶は仙台市で﹁仙台オク
archives/cat_50003340. トーバーフェスト﹂が、9
生産は、東北六県で全国の
いろいろな土地のいろいろ
︶。
html
何と九八%を占めるのであ
の と は 違 う 味 わ い が す る。
くらいにはなくなってしま
日だが、これ以降も様々な
祝︶は盛岡市で﹁オクトー
る。そうしたこともあって
ば 東 北 の 地 ビ ー ル を 始 め、
う。これも、東北とビール
イベントが企画されてい
2 連覇の優勝者インタビュー
な種類の地ビールが味わえ
のつながりを感じさせる一
地ビールが飲める企画を行
というわけで、次回はま
ず青森県内の地ビールにつ
いて紹介したいと思う。
熱戦の模様
ホップによってビールの味
コマである。
る。
場 戸隠﹂のように定期的
ったり、秋田市にある﹁酒
一 例 を 挙 げ る と、 七 月
二〇日︵土︶、二一日︵日︶
地ビール が 飲める 店
とイベント
参加者全員の記念撮影
か、全国には現在二〇八の
仙台でのオクトーバーフェストの模様
ても評価の高いものが多い。 アメリカなどからの輸入に
2013 年 (平成 25 年) 6 月 16 日 (日曜日) 第 13 号 http://tohoku-fukko.jp/
2013 年 (平成 25 年) 6 月 16 日 (日曜日) 第 13 号 http://tohoku-fukko.jp/
今回の回答者数は一四名
と な り ま し た。 テ ー マ は
今回号の内容は
まことに盛りだく
さんであった。東
それを見て、そしていま
振り返ってみて、あらため
北六魂祭記事もあ
て感じたのは、東北の郷土
︻﹃ 東 北 論 ﹄ 内
( 田樹の研究
芸能とは単なる郷土芸能で
教色が強いものであること
ったし、その他の
はなく、非常に土着的な宗
室 の
) 主張について その
①︼でした。日本の思想家、
いて考えることで、この問
である。仏教だ神道だ、修
編集後記
郷土芸能関連記事
題に関する個々人の関り方
験道だとかいうようなジャ
武道家、翻訳家、神戸女学
を鋭くあぶり出したいと思
ンル分けがあまり意味をな
も多かった。なかでも北上
被災地は見捨てられてい
るかとの設問には、約 %
さないような、もっと根源
へのミニ旅行に関する記事
がその通りと回答。この十
的な宗教心をベースにして
院大学名誉教授・内田樹氏
数年で劣化したものは何か
ったからです。
%が、日
の東北の現状への発言に対
との設問には約
いるらしいことである。そ
は、﹁ 郷 土 芸 能 旅 ﹂ 取 材 と
本の統治機構、政治家と官
するアンケートという新た
僚と財界人とメディアのす
れらを強烈に感じ取った。
57
もいえるほどぎっしりと郷
べてが激しく劣化したと回
もっと細かく分析してみ
る と、 仏 教 伝 来 以 前 の 昔、
%が政
57
土芸能が詰まっていた。
答。原発事故の原因追求が
71
な形式を採用しました。
進まないのは、約
神道の組織化以前の道教や
50
64
理由は、東北被災地につ
いての氏の大胆な発言につ
府は事故を忘れて欲しいと
古代の修験道の時代、いや
山・川・木々・湖・海や自
願っていると回答。原発政
任論は、約
然現象、さらには人間や動
もっと遡って、縄文時代以
の責任としました。内田氏
物などの生死にまつわる大
来の素朴な宗教心、自然の
は、挙国一致的な東北被災
%が国民全体
地への支援体制が出来ない
宇宙のドラマが何らかの形
策を支持してきた国民の責
理由は、福島でいま何が起
い上げていく作業は気の遠
でこれらの郷土芸能に盛り
賛成はちょうど
くなるような作業ではある
きているかを明らかにしな
はそう思わないとどちらで
が、やるべき価値のある作
込まれているのではない
もないに分かれた。日本人
業に思えてくる。どんどん
か。それをひとつひとつ拾
は問題を直視する意欲を失
%。残り
っているかについては、約
のめり込みそうになる自分
を感じた次第であった。
いからだと言うが、これに
%がその通りと回答。厳
しい内容であった。
57
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してお使いいただくもよし、 大
きなバックに吊り下げていただ
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つめてプレゼントケースとして
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