『脳科学やコンピュータが 人間のライフスタイルと行動に与える影響』 脳

第24期 情報化推進懇話会
第4回例会:平成20年1月21日(月)
『脳科学やコンピュータが
人間のライフスタイルと行動に与える影響』
講
脳科学者
師
茂木
健一郎
財団法人 社会経済生産性本部
情報化推進国民会議
氏
『脳科学やコンピュータが
人間のライフスタイルと行動に与える影響』
プロフィール
茂 木 健 一 郎 (もぎ けんいちろう)
脳科学者。
ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、
東京工業大学大学院連携教授(脳科学、認知科学)、
東京芸術大学非常勤講師(美術解剖学)。
その他、東京大学、大阪大学、早稲田大学、聖心女子大学などの非常勤講師も
つとめる。
1962年10月20日東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学
大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッ
ジ大学を経て現職。
専門は脳科学、認知科学。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心
の関係を研究するとともに、文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。
『脳と仮想』で、第四回小林秀雄賞を受賞。
2006年1月より、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』キャスター。
主な著書に『脳とクオリア』(日経サイエンス社)、『心を生みだす脳のシステ
ム』(NHK 出版)、『脳内現象』(NHK 出版)、『脳と仮想』(新潮社)、『脳と
創造性』(PHP 研究所)、『スルメを見てイカがわかるか!』(角川書店、養老
(谷島) 予めお断りしておくと、本日用意してきた私の話にオリジナリティーは全くあ
孟司氏との共著)、『脳の中の小さな神々』(柏書房、歌田明宏氏との共著)、
りません。ドラッカーのいろいろな本を読んで、情報化、情報活用、テクノロジーやイン
『「脳」整理法』(ちくま新書)、『クオリア降臨』(文藝春秋)、『脳の中の
タ
人生』(中央公論新社)、『プロセス・アイ』(徳間書店)、『ひらめき脳』(新
潮社)、『すべては音楽から生まれる』(PHP研究所)、『脳を活かす勉強法』
(PHP研究所)、
『それでも脳はたくらむ』
(中公新書)、The Future of Learning
(共著)、Understanding Representation(共著)などがある。
1.はじめに
「情報」とは、もともと森鴎外がインフォメーションの略として作った言葉ですが、I
Tなどの情報と人間の脳が持っている情報に対するアプローチは随分違います。簡単に言
えば、例えば感情・情動がどのようにそこに関わっているか、あるいは具体的にどのよう
に行動に結び付いていくかということが違うのです。
私はソニーコンピュータサイエンス研究所を主な研究の場としているのですが、我々が
志向しているのは、人間を理解したいということです。出井伸之さんがソニーのCEOを
されていたとき、私は「QUALIA」というAV機器の高級ブランドを作るという挑戦
をしたことがあります。クオリアとはもともと人間の脳が感じる質感のことで、情報技術
が質感や感情と離れていってはいけない。例えば、いくらコンピュータのスペックが上が
っても、果たしてそれが人間の幸せにつながるのか、という大きな問題意識を出井さんは
抱かれていたのです。ITとか情報化とかと言いますが、例えばビジネスに反映されるよ
うな形で人々がITの恩恵に浴し、それがビジネスとしても回っていくためには、人間と
いうものをよく理解しなければいけないということです。
孔子は、「七十従心」という言葉を残しています。己の心の欲するところに従えども矩を
越えず、自分の欲望の赴くままに行動しても倫理規範に抵触しないということですが、こ
れは人間の究極の理想です。一時期、ITブームでホリエモンを筆頭にベンチャー企業の
人が自分の欲望を全開にしていましたが、深い哲学がなければ情報化といっても意味がな
くて、人間とは何かということを理解する上で、人間の脳を研究することは非常に大切な
ことなのです。
2.創造性をめぐる文化
これまで、日本人は創造性がないと散々いわれてきました。しかし、これは本当のこと
なのでしょうか。実は、日本人がそういわれ続けてきた理由は、トヨタの文化を見るとよ
く分かります。トヨタにおける創造性の文化は、ノーベル賞という創造性の文化とは違う
のです。ノーベル賞は、一人の個人が非常に偉大な発見ないしは偉大なインスピレーショ
ンに駆られて創造行為を行う。それはほかの人に比べると圧倒的に大きな貢献で、その人
はスターでほかの人はその他大勢であるというフィクションの下に成り立っています。例
えば、フランシス・クリックとジェームズ・ワトソンはDNAの二重らせん構造の発見で
ノーベル賞を受賞していますが、彼らがゼロからその構造を解いたわけではありません。
それ以前にありとあらゆる人がいろいろな研究をしていて機は熟していたところに、たま
たまワトソンとクリックが出てきてその発見をしたということなのですが、ノーベル賞と
いうのはそういうフィクションの下にあるわけです。
ところが、トヨタの工場に行くと、そこには全く逆の世界観があります。皆さんご存じ
のように、トヨタでは昔、金の卵といわれた中卒の工員さんから大学院を出たようなエン
ジニアまで、生産工程の細かい改善について提案をします。そしてその結果、何がもらえ
るかというと、5000 円です。六本木ヒルズの住人なら全く相手にしないでしょう。しかし、
トヨタの工員さんたちは「もらった日には一杯多く飲める。それがうれしいんですよ」と
おっしゃいます。トヨタはそれを大事にしているわけです。
そこにあるのは、創造性というのは多くの人が持ち寄って作るものだというフィロソフ
ィーであり、それは同時に我々日本人に大昔からある文化だと思います。例えば、万葉集
には当時の貴族や天皇だけでなく、全く無名の防人の和歌も載っています。皇居の歌会始
にしても、一般から公募します。つまり、詩というものはどんな平凡な人にでも思いつけ
るものだ、創造性は万人に平等に宿るのだという文化なのです。一方、ヨーロッパやアメ
リカは、詩というのは一部の天才がインスピレーションに駆られて書くものだという文化
です。創造性というものを一人の天才に寄与して、ほかの人はその他大勢だと考えること
を潔しとしない。これは我々にとって譲れない哲学であり、だから日本人は創造性がない
といわれて続けているのではないでしょうか。
一方で、そういう日本の文化には非常に困ったところもあります。創造性をめぐる文化
という意味で言うと、逆に平均化する圧力が強すぎるということなのです。「出るくいは打
たれる」といいますが、ちょっと違った人がいると、それを平均値に引き戻そうとする圧
力がどうしても出てきてしまうのです。これだけは何とかなくした方が、日本はもっと創
造性をめぐる文化を生かすことができるのではないかと思います。
私が2年間留学していたケンブリッジ大学のトリニティカレッジは、そこだけでノーベ
ル賞が 30 人も出ているというところで、完全に変人の集まりです。彼らのアクセルの踏み
方というのは非常に素晴らしくて、日本は同じ方向に持っていこうというピアプレッシャ
ー(同輩からの圧力)が働きますが、彼らは異ならないと話にならないと考えています。
そういう創造性をめぐる文化もあるのです。
文化というのは一つではありません。今は脳ブームで、脳があたかも機械のように決定
しているみたいな話が流布していますが、実は、脳というのは文化によって変わるのです。
日本人でも、アメリカの文化の中に生まれれば、アメリカ人になるのです。ですから、文
化をどう考えるかということは脳を考える上で非常に大事なポイントで、そこを我々日本
人はもう少し考えた方がいいのではないかと思います。
特に、ITにおいては日本はまだまだ負けていて、おいしいところをほとんど持ってい
かれています。日本の持っている「平等にみんなが知恵を持ち寄る」という素晴らしい文
化を生かしながら、そこに個性を尊重する文化もうまく混ぜれば、日本はもう少しいい社
会になるのではないかと思います。
去年、「プロフェッショナル
仕事の流儀」というNHKの番組で、現在グーグルのCE
Oをなさっているエリック・シュミットさんにお目にかかりました。2001 年に招かれてC
EOになられたのですが、グーグルをあそこまで大きくしたのは彼です。日本の大企業な
ら、著作権的に非常に危ない YouTube を買収するなどという判断は、恐らくできないと思
います。日本のIT系というのは、政府や地方公共団体からの受注でもっているところが
多いので、見る目が官の方に向いてしまうのです。官の言うことを聞いていると、例えば
著作権についても既成の事実を基にいろいろ考えていくので、そこを乗り越えるようなビ
ジネスモデルは出てきません。
ところが、グーグルは法律専門家を 300 人ぐらい雇っていて、法律が使い勝手が悪いの
だったら変えてしまおうという考え方です。それで、YouTube という著作権上いろいろ問題
があるサイトを買ってしまうわけです。そういうことをやるからアメリカのITというの
はどんどん進んでいくわけです。
シュミットさんは、これまでCEOとしてあらゆる経営判断をしてこられているわけで
すが、彼は世界中飛び回りながらいろいろな人の意見を聞き、そこでは徹底的に聞き役に
なるそうです。そうしてデシジョンメーキングをする前にありとあらゆる人の意見を聞く。
一人の天才よりも 30 人の平凡な人を集めた方が知恵が出る、その方が絶対にいい情報が集
まると。これは我々の創造性の文化とつながるところであり、まさにネット時代の群衆の
英知を表しているわけですが、
「でも、最終的な決定は私がします」とおっしゃっています。
これが大事なのです。
ですから、エリック・シュミットというといかにも剛腕という感じがありますが、よく
人の話を聞く人なのです。これは優れた経営者、優れた幹部の一つの条件ではないかと思
いますが、人の話をよく聞く、ただし意思決定は自分でするということが非常に大事で、
これから申し上げる脳の情報処理のメカニズムという視点から見ても、これは極めて理に
かなったことです。
3.脳の記憶のメカニズム
それでは、少し堅い脳科学の話もしようと思います。皆さんは、「頭がいい」というとど
んなことを思い浮かべるでしょうか。記憶力の良さを「頭がいい」の一つの象徴として思
っていらっしゃると思うので、「頭がいい」、「記憶力がいい」とは実際にはどういうことな
のかを、最近の研究を交えながらご紹介したいと思います。
記憶の中枢は、脳の扁桃核、海馬と呼ばれるところです。電極をさしてその活動を見る
のですが、脳の奥の方にあるこれらの部位を研究するのは極めて難しいことです。どうし
てそんなことができるのかをまずご説明すると、てんかんという、脳の神経細胞が普通よ
りも高いレベルで活動してしまう病気があります。脳の神経細胞には、相手を活動させる
興奮性結合と抑制する抑制性結合があり、脳というのはそのバランスが取れていないとう
まく活動できません。そのバランスが崩れるのがてんかんです。そういうてんかんの患者
さんの脳に電極をさして、どこがてんかんの元になっているかをモニターすることがある
のですが、そのときに患者さんの同意を得て海馬や扁桃体の動きを見ると、非常に面白い
ことが分かります。実は、人間の脳の記憶はコンピュータとは全く違っていて、単純に過
去のことを覚えているということではなく、自分の体験を編集しているのです。
まず、記憶は情報を入れるところから取捨選択されています。いろいろなことを、ただ
のんべんだらりと全部記録しているのではありません。例えば、皆さん、9.11 テロの映
像を初めてご覧になった瞬間のことは絶対に覚えていると思うのです。一方、その前日の
テレビで何をやっていたかというのは、恐らく覚えていないでしょう。なぜかというと、
脳が「これは非常に重要な情報だから覚えておこう」と選択しているからです。もう少し
突っ込んで言うと、強い感情を喚起されるような情報は記憶しようとします。ですから、
記憶術の一つとして、できるだけ自分の感情をそこに乗せるという方法があるのです。
さらに、一度蓄えられた記憶はどんどん編集されていきます。これはアメリカで行われ
た研究なのですが、メディアで一時的に話題になって消えていった人の顔を見せていくと、
その人が話題になった年代によって顔の記憶がある側頭葉の活動が変わります。つまり、
年代別に整理されて、しかも、時がたつにつれてどんどん情報が変容していくのです。コ
ンピュータは一度記憶が蓄えられたらそのままですが、人間の脳の記憶はどんどん編集さ
れていくということが、こういう研究から示されるわけです。
もう一つ面白い事例をご紹介すると、一目見たものを正確に覚えて忘れない「サヴァン」
という人たちがいて、例えば、ナディアという有名なサヴァンの女の子は、5歳のときに、
走っている馬を一瞬見ただけで非常に正確な絵を描いています。こういう機械的な記憶を
持っているサヴァンの人たちは、実は自閉症に多いのです。自閉症というのは、社会的な
コミュニケーションができない人たちですが、彼らには言葉の発達が遅く、自分の体験を
整理・編集して意味を見いだすことができないという特徴があります。その代わりに、正
確に記憶しておく能力を持っているのです。
幼い子供は、すごく下手くそな、顔から手足が出ているような絵をよく描きます。どう
考えてもおかしいのですが、我々はそれを見て人間だと分かります。コンピュータにはそ
ういう絵は描けません。つまり、人間の脳は情報を整理し、意味付けして、言葉や意味を
見いだす能力を持っているわけです。ナディアが描いた絵はコンピュータで描けるのです。
大事なのは、下手うまな絵を描く編集能力です。
整理すると、脳はまず、前頭葉で一時的に記憶を蓄えます。それが長期記憶として扁桃
核や海馬に書き加えられるわけですが、記憶が定着しても、大脳新皮質の中ではずっと編
集作業が行われます。頭がいいというのは、この編集力が高いということです。正確に覚
えていることはコンピュータがやってくれますが、コンピュータが逆立ちしてもできない
のが、記憶を編集すること、悟ることです。孔子が言われるように、15 にして学に志し、
30 にして立ち、40 にして惑わず。このように人間がどんどん成熟していく過程こそが、脳
の中で起こっていることなのです。
脳を機械的なものだとイメージするのはもうやめた方がよくて、脳はもっと深いのです。
人間そのものが、まさに脳科学のこれからの研究テーマです。
4.脳を活かす勉強法
『脳を活かす勉強法』は、どうして私が受験勉強が得意だったのかということを明らか
にした本です。その一部をこれからお話ししますが、どんな経済社会でも、最もマーケッ
トで高く評価されるのは一番希少で手に入れることが難しい財です。今、正確な事務処理
はコンピュータがやってくれるわけですから、マーケットで最も求められているのは、コ
ンピュータにはできない、記憶の編集能力を通して獲得されるコミュニケーション力であ
り、創造性です。これを鍛えるにはどうすればいいかということを、一貫してこの本の中
では書いているつもりです。
ところが、コミュニケーション力や創造性を鍛えるためには、人間の脳にとってある一
つのことが避けられません。それは不確実性です。不確実性に向き合う勇気がなければ、
コミュニケーション力も創造性も身につかないのです。アメリカなどでは、脳に関する本
というと、ほとんどが不確実性にどう向き合って意思決定をするかという内容ですが、日
本はなぜかそういう方向に行かない。それは国民性もあるのですが、やはり現実を見つめ
ることから逃げているのです。しかし、逃げずに向き合わなければ駄目なのです。
不確実性と言いましたが、もちろん規則性がないわけではありません。半ば規則的で半
ば偶然の出来事を、我々は「偶有性(contingency)」と呼んでいます。例えば、災害はい
つどれぐらいの規模で起こるか、完全には予測できません。不確実性があるのです。では
お手上げなのかというと、そうではなく、やはり政府としてはある程度の規則性・蓋然性
をそこに読み取って対策を用意しなくてはいけません。人間の脳が直面するのは常にそう
いう問題です。規則性と偶然の中間領域に我々の生きる本当の姿があるわけで、この偶有
性にちゃんと向き合わなければ、コミュニケーション力も創造性も発揮できないというこ
となのです。
これは、今はやりのグーグルなどを考えるのに非常に大事な要素です。グーグルのトッ
プページは、広告費に換算したら数百億円の価値があるそうですが、見事に何も出してい
ません。ネット上で最も人を引き付けるのは、よく設計された偶有性だということが分か
っているからです。ネットの本質というのは、ユーザーが何かリクエストしたときに、あ
る程度自分がリクエストしたものに関係しているものが返ってくるのだけれども、ちょっ
と予想外のこともあるという楽しみにあるわけです。YouTube も同じで、たとえ粗い映像で
も偶有性があるから楽しいのです。
その辺のメカニズムを今研究しているのですが、実はこれにはドーパミンという物質が
深くかかわっています。ドーパミンは、脳の中でうれしいことを表し、学習を促進して選
択や意思決定にも関与している非常に重要な物質で、ある程度規則性があるけれどもある
程度はランダムである、という芸術的な配合がドーパミンを一番活性化させます。そして、
ドーパミンが出ると、強化学習というものが起こります。つまり、皆さんが何かをされて、
その結果ドーパミンが出ると、そのドーパミンが出る前にやっていたことが強化される。
これが強化学習です。一番いいのは、定番的な喜びの元と予想できない喜びが混ざり合っ
ている状態です。
私が受験で最強だったというのは結局そこで、振り返ってみると、自分ができるかでき
ないかのぎりぎりのところに問題の難易度や時間を設定していたのです。できるかできな
いのかぎりぎりのところが一番偶有性が高く、それを乗り越えたときに最大のドーパミン
が出ます。しかも、難易度は自分で調整しなければいけません。自分の脳にとって進歩だ
ったらうれしいのですから、ほかの人と比べるという発想をやめて、難易度も自分で考え
る。それをやったら、子供でも、部下の方でも、必ず伸びます。
5.脳科学の応用∼神経経済学
さて、皆さんのビジネスに直結する話をしたいのですが、脳は快楽主義者であり、快楽
を感じるものを選びます。しかし、快楽主義というのは非常に深いもので、常にサプライ
ズがないといけないし、その一方で定番的なものもなくてはいけないのです。例えば、「水
戸黄門」のドラマのフォーマットというのは非常に素晴らしくて、他局が盛り上がりそう
な8時 28 分ごろに由美かおるがお風呂に入り、8時 45 分ぐらいになると印籠を出す。そ
ういう定番がある一方で、毎回ストーリーが違う。時には印籠が出ても悪者が切りかかっ
ていく。どんな商品でもサービスでも、人々を引き付ける秘訣は定番性とサプライズをど
ういう配合にするかです。
ドーパミンというのは、定番でも出ますし、サプライズでも出ます。どちらかに偏って
いると脳はだんだん関心を失っていき、その結果人々が選択をするのですが、キリンビバ
レッジの商品開発部長をなさっていた佐藤章さんによると、半年∼1年かけて企画してき
たビールでも、消費者がコンビニで選ぶのにかかる時間は2秒だそうです。2秒間で商品
特性などが分かるはずがありません。そこにあるのは、まさに不確実性です。不確実性の
下でどのような選択をするか。そのような問題を研究するのが行動経済学という分野であ
り、行動経済学の流れを受けながら、ドーパミンなどの脳内物質の働きとしてどのように
意思決定や選択がなされているかを研究するのが、我々が取り組んでいる神経経済学とい
う新しい分野です。
一言で言うと、定番性とサプライズをうまく混ぜないと人々を引き付けられないという
ことですが、これは古典的な経済合理性では説明できません。経済合理性というのは、効
用が一番高いものを選ぶということです。効用はそう簡単には分かりません。しかし、生
物にとって、完全に答えが分かるまで選択を先延ばしするというのは最悪の選択なのです。
生物にとって最も貴重な資源は時間ですから、選択を先延ばしにして時間が経過していく
と、選択の意味がなくなってしまう。だから、エイヤと飛び込んでしまうのです。
そのときに脳の中で何が起こっているか。どういう基準で選択しているのか。それを理
解する鍵となるのが偶有性、つまり規則性とサプライズをどう混ぜるかということです。
ビジネスの現場で働いていらっしゃる方々は、そういう難しさに日々直面しているという
ことです。
では、何もヒントがないのかというと、そうではありません。我々は、ドーパミン系が
どのように関与して喜びを感じるのかということをまさに今研究しているわけです。特に
インターネット上で言うと、よくクリックエコノミーということがいわれます。人々がど
のようにクリックするかでお金が入ってくるわけですが、インターネット上でいろいろな
メディアの栄枯盛衰があって、一時期盛んだったメルマガが今では惨憺たる状況です。な
ぜ駄目になったのか。これは企業のネットポリシーを考える上では非常に大事な要素です
ので、よく考えられた方がいいと思います。
恐らく、メルマガというのは向こうから来るもので、しかも不特定多数の人に配信して
いるという、その見え方自体が人間の脳にとって駄目なのです。一方、ホームページとい
うのは、こちらから自分のイニシアチブでクリックしますから、脳の仕組みで言うと読む
気になっているわけです。しかし、ホームページも今はちょっときつくなっています。ブ
ログはいいけれどもホームページは駄目だとか、検索サイトはいいけれども一般のホーム
ページはアーカイブとしての意味しか持っていないとか、ネット上でトレンドがあるのは、
すべて脳の問題なのです。ですから、神経経済学、クリックエコノミーというのは、脳科
学の最初の大きな応用分野になるだろうと思っています。
どう考えればいいのかということを一つだけご紹介すると、人間の脳が偶有性に引き付
けられる理由は学びです。学習するということを抜きにして、人間の脳の欲望は語れませ
ん。例えば、おいしいものを食べたいという欲求も学びの欲求と非常に結び付いています。
私はずっとキャビアを食べみたいと思っていて、初めて食べたときは大変感動しましたが、
今はキャビアを食べてもあのときほどの感動はありません。なぜかというと、キャビアと
いう味を学びたかったのでしょう。それが脳にとって最大の快楽なのです。
その学びということについて非常に深い洞察をしているのが、ジョン・ボルビーという
イギリスの心理学者です。彼は人間にとって「安全基地」というものが大事だという発見
をしたのですが、これは人間の不確実性を考える上で非常に大事なポイントで、皆さんが
ネットポリシーを考えたり偶有性のベストな形を考えたりする上で、現時点で一番参考に
なる概念だと思います。
子供は、不確実な世の中に生まれてきます。ところが、一人では不確実性に向き合えま
せん。保護者が与えてくれる安全基地があって、初めて不確実性に向き合えるのです。こ
の親が与えてくれる安全基地に対して、子供はある種愛着を持ちます。親がいるから自分
はいろいろできるのだ、ということを子供は本能的に知っていて、安全基地があって初め
て子供は積極的にいろいろな探索をするようになります。それが学習のためにはどうして
も必要なことなのです。
ボルビーは、孤児院でボランティア活動をしながら、問題行動を起こす子供にはどうい
う共通点があるかということを科学的に研究して、幼少期に安全基地が失われていた子供
が多いということを発見したのです。ですから、お子さんをしかるのはいいのですが、最
後は必ずお子さんの存在を受け入れて、愛しているのだということを示さないといけませ
んし、部下の方に対しても、見つめてあげることが大事なのです。
安全基地があると感じる最大の要因は、自分は見守られているのだという感覚です。直
接物理的に見ていなくても、ちゃんと気にかけてくれているとか、悪いことがあれば言っ
てくれる、いいことがあればちゃんと評価してくれているということです。それがないと
すねますし、愛着もなくなります。また、イニシアチブは本人にあるということが肝心で
す。一つ一つ指示をするのではなく、あくまでもイニシアチブは本人にあって、イニシア
チブを安心して取れるように安全基地を与えるということです。
インターネットで言えば、グーグルという会社も安全基地を与えたのだと思うのです。
どういう検索ワードを入れるかというのは千差万別で、検索する人がイニシアチブを持っ
ています。そして、検索の結果、いろいろな不確実性に出会うのですが、探索するときに
グーグルに行けば安心であると思わせたわけです。そして、探索した結果生まれるのは、
学ぶ喜びです。ですから、この基本的なスキームさえ見失わなければ、これからの情報化
社会でいろいろなことを考えていく中で、失敗することはないだろうと思います。これは、
ユーザーインタフェースをどう考えるか、組織運営をどうするかなど、いろいろなことに
かかわる問題です。
取りあえずは、お子さんや部下の方に安全基地を与えてください。ご自身も安全基地が
欲しいという方は、自分の持っている確実なもの、価値観などを振り返ってください。不
確実な状況の中でこそ、それを振り返るということが、脳の情動系をつかさどる様々なも
のを活性化する一番のきっかけになります。
6.おわりに
スモールワールドネットワークというのは、もともとアメリカの研究で見つかった概念
で、世界中の人々が6人ぐらいの友達を経由するとみんなつながっている、そういう性質
を持っているネットワークのことです。規則的な結合状態と不規則な結合状態がちょうど
うまく混ざっていると、スモールワールドネットワークになるということが分かっていま
すので、これは先ほどからご紹介している偶有性と非常に深くかかわるわけです。最近の
研究では、人間の脳の中の神経細胞のネットワークがスモールワールドネットワークであ
ることや、脳の大きな性質である自発性とスモールワールドネットワーク性が非常に深く
かかわっているということも分かっています。
結局、今までお話ししてきたように、人間の脳は偶有性のあるものに一番興味を引き付
けられるわけですが、創造性やコミュニケーションというのは、まさに偶有性の領域に属
しています。例えば、私は今日一方的にお話しさせていただいていますが、会話をすると
きというのは相手が何を言うか分かりませんから、自分の用意してきたものを全部言うわ
けにはいきません。これはまさに偶有性です。この偶有性のところで脳がどう働くかとい
うことが、今一番我々が興味を持っていることなのですが、今、インターネットという非
常に偶有性を持った新しいメディアが出てくることによって、脳は新しい進化を遂げ始め
ています。ですから、我々は本当に劇的な変化の時代を生きているのです。
グーグルやアマゾンはアメリカから来た黒船であり、我々は明治維新のときと同じぐら
い激動する時代の中を生きているわけで、ぜひこの情報化推進国民会議の中から勝海舟の
ような方が出てきていただけないかと思っています。「未来は明るいか、暗いか」とよく言
いますが、未来は明るくするものなのです。人間というのは不確実なときに不安を感じる
ことがありますが、希望も抱けます。希望を抱くということは、脳の意思なのです。
実は、楽観主義というのは、自分が成功する客観的確率よりも高い主観的確率で自分は
成功すると思っているということです。大抵の人は平均余命よりも長く生きると思ってい
ますし、宝くじも客観的な確率より高い確率で当たると思っているのです。でも、それで
いいのです。だからこそ脳は働いているわけで、その部位が働かなくなると、うつになっ
てしまいます。
ですから、未来は明るいものだと思って、ぜひ強い意思を持っていただきたいと思いま
す。楽観主義自体が人間の脳を支えてくれているのです。2008 年も明るい年にするために、
ぜひ一緒に頑張っていきましょう。
(事務局文責)