こちら - シサム工房

マハグチは、ネパールの首 都 ・カトマンズにあるフェアトレード NGO です。
ネパール国 内 の小 規 模 手 工 芸 生 産 者 に技 術 指 導 や生 産 機 会 を提 供 し、
世 界 中 にフェアトレード商 品 を届 けています。
その NGO の創 設 の背 景 には、ネパールをより良 い社 会 に導 きたいという強 い信 念 がありました。
ロゴの“ Craft with a Conscience ”とは「良 心 のある手 仕 事 」という意 味 。
「公 正 な賃 金 と技 術 指 導 を提 供 できれば、貧 しい人 々も、自 ら自 分 の人 生 を切 り開 くことができる。」
という、その信 念 はいったいどう培 われてたのでしょうか。
それを知 るためにマハグチの歴 史 を紐 解 いてみましょう!
創設者 Tulsi Mehar 氏の生涯をたどって
フェアトレード NGO「マハグチ」の役割を考える
マハグチは Tulsi Mehar 氏 によって創 設 されました。
Tulsi 氏 は 1896 年 12 月 30 日 に、ネパールのラリトプルに生 まれました。
実 家 はネワールの質 素 な家 だったようです。
Tulsi 氏 は子 ども時 代 に Maharshi Dayanand の”The Light of Truth”という本 を読 み、
深 く影 響 を受 けました。その本 の影 響 もあって Tulsi 氏 は教 育 の重 要 性 に気 付 きます。
人 々が自 由 に人 生 を歩 み、自 立 していくためには教 育 が必 要 だと思
い至 ったのです。
だ
Tulsi 氏 は成 長 するとともに、無 知 であることはとても危 険 だということを社 会 に訴 えかけます。
伝 統 的 なヒンドゥー教 を公 の場 所 で、批 判 することもありました。
例 えば、カースト制 度 の中 で虐 げられている人 々がいることや、
カースト制 度 の なかで女 性 がどんな困 難 を抱 えているかについてです。
えているか
Tulsi 氏 は女 性 が教 育 を受 ける機 会 を得 て、
収 入 を増 やし、生 活 を改 善 していくことを目 標 に掲 げて活 動 を始 めます。
しかしその活 動 は伝 統 的 なネパールの社 会 では異 質 に映 ってしまい、
ついには、ときのネパールの総 理 大 臣 にまで愛 国 的 でないと批 判 されてしまいます。
こうして Tulsi 氏 は投 獄 されるか、もしくは亡 命 するかという選 択 肢 を突 きつけられてしまいました。
彼 はインドへと旅 立 つことを選 択 します。
「真 実 と非 暴 力 は絶 えることがない」(今 もマハグチの
壁 にはガンディーの言 葉 が書 かれています)
インドへの亡 命 は Tulsi 氏 にとって大 きな転 機 となりま
す。その最 大 の理 由 は、かのマハトマ・ガンディーとの
マハトマ・ガンディーとの
出 会 いでした。
い
Tulsi 氏 はインドでガンディーの近 くで働 き、多 くのアシ
ュラム(自 立 支 援 施 設 )に滞 在 しました。
そこでは Tulsi 氏 は糸 紡 ぎと手 織 りの技 術 を学 びます。
ガンディーとともに活 動 できたことで、貧 しい人 々がいかに自 由 を思 い描 き、
実 行 に移 していくのかを目 の当 たりにします。
そして 1923 年 、ようやく時 代 の変 化 が訪 れました。
Tulsi 氏 はインドで得 た知 見 をネパールに持 ち帰 ろうと決 意 します。
しかし Tulsi 氏 は亡 命 中 の身 。インドで得 られるネパールの情 報 も限 られたものです。
帰 国 してすぐに投 獄 されてしまえば、せっかく身 につけた技 術 が活 かせません。
そこでガンディーは、彼 がネパールに帰 国 できるように、ネパールの総 理 大 臣 に手 紙 を送 ってくれました。
その手 紙 には、彼 がきっとネパールの貧 しい人 々のために、役 に立 つ人 物 であると書 かれていました。
そのお陰 もあって彼 はネパールへの帰 国 を正 式 に認 められました。
Tulsi 氏 は帰 国 してすぐにネパールで糸 紡 ぎと手 織 りのプロジェクトを開 始 します。
まず、Tulsi 氏 はラリトプルで小 さな工 房 を始 めます。
その工 房 で最 初 に使 われたコットンと紡 ぎの道 具 は、ガンディ
ーから寄 贈 されたものでした。
工 房 の運 営 と並 行 して、Tulsi 氏 は次 々と社 会 貢 献 活 動 のた
めの組 織 を作 っていきます。
ネパールに住 む人 々がコットンから糸 を紡 ぎ、やがて生 地 を織
るまでを自 立 して行 えるような体 制 を目 指 しました。
Tulsi 氏 はネパールの伝 統 的 な手 法 と近 代 的 な手 法 を組 み合
わせて、より効 率 の良 い手 法 を編 み出 していきます。
そして小 さな工 房 はカトマンズの Mangal Bazar に衣 料 品 店 を
開 くまでに成 長 します。
そこでは Tulsi 氏 が創 った様 々な自 助 団 体 が生 産 した衣 料 や生 地 が並 びました。
1984 年 、この小 さな小 さな衣 料 品 店 を始 めとする生 産 者 の集 まりがマハグチとなります。
ただし Tulsi 氏 の目 標 は、衣 料 品 店 を経 営 すること、そのものではありません。
商 品 の生 産 過 程 で多 くの貧 困 に苦 しむ人 々を支 援 することです。
1977 年 、長 年 の社 会 貢 献 活 動 の功 績 が認 められ、彼 は Nehru Award を受 賞 します。
(Nehru Award とは → こちら)
こちら
これはインドで始 まった貧 困 の対 策 に対 しての基 金 で、
過 去 にはキング牧 師 や南 アフリカの ネルソン・マンデラ大 統 領 も受 賞 しています。
そこで得 た資 本 を用 いて、Tulsi 氏 は女 性 の自 立 支 援 施 設 を
「 TULSI MEHAR MAHILA ASHRAM 」 を開 設 します。
アシュラムとは保 護 を必 要 とする女 性 のシェルター兼 、職 業 訓 練 を行 う場 所 です。
DV に遭 った女 性 や未 亡 人 など困 窮 した女 性 達 がドミトリーで共 同 生 活 をしています。
ここでは無 料 のヘルスケアや幼 稚 園 の利 用 も可 能 です。
Tulsi 氏 はインドで見 たガンディーのアシュラムをネパールに実 現 させました。
女 性 たちは仕 事 を学 ぶことができ、後 にはマハグチで働 くことができます。
こうしてネパールの貧 困 を解 決 するために、絶 えず努 力 していた Tulsi Mehar 氏 は 1978 年 9 月 28 日 に永
眠 します。Tulsi 氏 の意 思 は現 在 も受 け継 がれており、マハグチの利 益 の 40%がアシュラムの運 営 資 金 とし
て活 用 されています。
・フェアトレード NGO 詳 しくは → こちら
・生 産 者 情 報 POP は → こちら
・マハグチの紹 介 ビデオは → こちら (テロップも英 語 です。日 本 語 訳 資 料 は → こちら)
こちら
アシュラムの職 業 訓 練 プロジェクトの卒 業 式 に、副 代 表 のヒトミと商 品 部 のワタナベが参 加 してきました。
シサム工 房 の Facebook にまとめてありますので、ぜひご覧 くださいませ。 F acebook は → こちら