『長崎国際大学論叢』 第6巻 2006年1月 169頁∼177頁 研究ノート アメリカ合衆国の公的扶助 西 村 貴 直 要 旨 アメリカ合衆国が、いわゆる「小さな政府」の代表格であることはよく知られている。近年のわが国 においてもアメリカ型の「小さな政府」を目指す方向性が強く打ち出されるようになっているが、こう した動向は、現在進められようとしているわが国の公的扶助(生活保護)改革のあり方にも大きく影響 を及ぼすことは確実である。本稿は、こうした問題意識に基づき、 「小さな政府」アメリカにおける公 的扶助の構成およびその歴史的展開について概観しながら、その特徴を明らかにしたい。 キーワード 公的扶助、TANF、小さな政府 はじめに アメリカ合衆国の公的扶助が直面してきた状況 アメリカ合衆国が「小さな政府」の代表格で を確認する作業は避けて通れないであろう。こ あることはよく知られている。「小さな政府」 うした問題意識に基づき、本稿においては、ア が意味するところは様々な解釈が可能である メリカにおける公的扶助の構成およびその歴史 が、「自己責任」主義を基調とすること、国民 的展開について概観しながら、その特徴を明ら 生活に対する国家介入の拡大が極度に嫌われる かにしたい。 ことなどが、その重要なポイントとして挙げら れることについて異論はないだろう。このこと アメリカにおける公的扶助の制度構成 は、アメリカ社会においては、公共セクターに まず、公的扶助の概念について整理しておき よる生活保障システムに多くを期待しない(し たい。公的扶助とは、含意する内容や制度構成 てはならない)という考え方が、多くの国民の に関して国ごとに違いは見られるものの、その あいだに浸透しているということにもつながっ 基本的な要件としてあげられるのは、①独力で ている。後述するように、困窮者に対する生活 は自立した生活ができない貧困な生活状態にあ 保障を意味する「福祉」 (welfare)という言葉 る者を中核的な対象とすること、②資力調査を に否定的なニュアンスが込められることが多い 受けることが前提であること、③社会保険のよ のも、そのひとつの現れである。 うに画一的なリスクに対する画一的な給付では ミーンズテスト 近年、わが国においては、以前にも増して積 なく、個別的なニードに対応する個別的給付で 極的・自覚的に、アメリカ型の「小さな政府」 あること、④国や地方自治体の一般歳入によっ を目指す方向性を強く打ち出し始めている。当 て財源が構成され、原則として本人の拠出がな 然ながらこうした動向は、今日進められようと いこと、⑤他の社会保障によっては最低生活が している公的扶助(生活保護)改革のあり方に 維持できない場合に事後的に対応する最終的な も大きく影響を及ぼすだろう。であるならば、 公的救済制度であること(阿部編[2000:3 常に先んじて「小さな政府」を志向してきた、 4])、である。 169 西 村 貴 直 一般名詞としての公的扶助と固有名詞として TANF の導入は、 1996年のクリントン政権に の「生活保護」とがほぼ同義であるわが国と違 よる福祉改革のひとつの「成果」であるが、そ い、アメリカでは、実施主体も対象も異にする の前身は、要扶養児童家庭扶助(Aid to Famil- ・ ・ ・ 複数の制度を、一連の公的扶助プログラムとし ies with Dependent Children、以下 AFDC と略 て括ることが一般的である。細かくみれば約80 称)というプログラムであった。この AFDC か ものミーンズテスト付きの給付プログラムが存 ら TANF への移行において、アメリカの公的 在するが、その主な制度としては、困窮家庭一 扶助プログラムに大きな変化が生じることと 時扶助(TANF)、補足的保障所得(SSI)、 なったが、その点については後述する。 メ デ ィ ケ イ ド(Medicaid) 、フ ー ド ス タ ン プ ▼メディケイド(Medicaid) (Food Stamp)などがある。以下、その概略を メディケイドは、一定の条件を満たす低所得 述べたうえで、制度構成からみえるアメリカの の人々に対して医療保障を行う制度であり、わ 公的扶助制度の特徴について指摘する。 が国の医療扶助に近い性格をもつ。具体的に ▼ 困 窮 家 庭 一 時 扶 助(Temporary Assis- は、各州政府が自主的に提供する低所得者向け tance of Needy Families) の医療サービスに、連邦政府が財政援助を行う 困窮家庭一時扶助(以下 TANF と略称)と (50∼83%)しくみとなっている。そのため、受 は、その名の通り、生活に困窮する家庭に対し 給対象者を認定するための基準や提供される て一時的な扶助を提供する制度であり、アメリ サービス内容および形態は、州ごとに多様であ カの公的扶助の中心的なプログラムである。と る。ただし、多くの場合、単に低所得というだ ・ ・ はいえ、生活困窮家庭一般がその対象となるわ けでは受給対象とはならない。また、連邦政 けではなく、未成年の子どもあるいは妊娠中の 府が定めた基準を満たす「強制加入困窮者」 母親がいる(困窮)家庭のみである。制度の基 (Mandatory Categorically Needy)に 対 し て 本的な枠組みについては連邦政府が定め、各種 は、必ずメディケイドの給付対象としなければ の規制が設けられているものの、実際の運用は な ら な い こ と と な っ て い る。具 体 的 に は、 各州政府に任されている。したがって、TANF AFDC の適用基準を満たしていた者、SSI 受給 受給における適格性の判定基準や支給される扶 者、TANF 受給者、所得が公式貧困線(Feder- 助の水準(額)は、州によって異なる。また、 al poverty line:FPL)の133%に満たない世帯 一時(Temporary)という言葉からも連想され における6歳以下の児童および妊婦、などがそ るように、TANF の受給は無期限に認められて うしたカテゴリーに含まれる。 いるわけではない。連邦政府の規制において、 全国民をカバーする包括的な医療保険制度が 受給を開始してから2年以内に就業機会を獲得 ないアメリカの低所得者にとって、メディケイ する、あるいは州の定めた基準に沿ったかたち ドの利用資格を獲得できるかどうかは、文字通 での職業訓練および求職活動への参加が義務づ り「死活問題」となる。実際、民間の医療保険 けられており、それらの機会を獲得することに にもできず、メディケイドの利用資格が獲得で 失敗した場合、あるいはそれらを「拒否」した きない「無保険者」は、全国で4,000万人にも達 とみなされる場合には、給付が減額されるか打 するといわれている。 ち切られる場合があるのである。さらに、一生 のうちで TANF を利用することができるのは、 ▼補足的保障所得(Supplemental Security 通算して5年間(60ケ月)までという厳しい受 Income) 給期間の制限が設けられている。 補足的保障所得(以下 SSI と略称)は、生活 170 アメリカ合衆国の公的扶助 に困窮している65歳以上の老人、目の不自由な 者のための、ほんとうの意味での最後の公的援 者(blind)および障害者を対象に、現金給付を 助制度であるといってよい。ただし、すべての 行う制度である。その水準は、連邦政府が設定 州あるいは郡において一般扶助が実施されてい する全国的最低基準によって定められている るわけではなく、給付水準も TANF や SSI と が、州ごとに独自の上乗せ給付を支給している 比 較 し て 概 ね 低 い も の と な っ て い る(尾 澤 ことが一般的である。SSI の給付は、上述のカ [2003:86])。 テゴリーに当てはまる者が、他の社会保障プロ また、厳密には公的扶助制度のカテゴリーに グラム(年金や労災など)の受給資格がある場 は含まれないが、低所得層の人々にとって重要 合にはそちらを優先し、その給付と稼得額を含 な効果をもつのが、勤労所得税額控除(Earned めた所得・資産が一定の水準を下回る場合に、 Income Tax Credit:以下 EITC と略称)であ その不足分を補うかたちで行われる。つまり、 る。EITC は、還付可能な税額控除という性格 社会保障給付や勤労収入の額が多ければ、それ を有する所得保障のシステム(根岸[2001:76]) だけ SSI は減額されることになる。ただし、収 であり、低所得層の人々の実質的な所得水準を 1) 入の源泉によって減額率は変化する 。また、 押し上げるうえで大きな役割を果たしてい SSI の受給者は通常、メディケイドの受給資格 る3)。 も得ることができる。 本人の拠出なしに公費財源によって賄われる ▼フードスタンプ これら一連の公的扶助プログラムは、しばしば フードスタンプとは、低所得世帯の栄養およ 2) “福祉” (welfare)と総称される。そこで含意さ として、低 れているのは、主として強制徴収の社会保障税 所得世帯の人々に対して連邦政府が一般の小売 や保険料によって財源調達される「年金」など 店で利用可能な、食料購入用のクーポン券(バ の「社会保障」 (Social Security)プログラムと ウチャー)を支給する制度である。ただし、ア は、決定的に異質な性格をもつという認識であ ルコール飲料やペットフード、ビタミン剤、飲 る(後藤[2000:151])。つまり、事前の拠出 食店での食事には利用できない。農務省が運営 に基づく一連の「社会保障」プログラムの利用 し、実務は州政府が行う。 は、拠出−貢献に基づく、一般国民の当然の権 び健康状態を改善することを目的 低所得者向けの制度であるため、当然のこと 利とみなされるのに対して、 “福祉”を利用する ながら所得制限がある。またさらに、16歳から のは、一般の国民とは異なる、特殊な人々とみ 60歳までの労働可能(ablebodied)な者たちに なされがちであるということである。こうした は、就労しているか、所定の職業訓練に参加す 異質性の認識は、容易に「偏見」へと転化す ることが義務づけられており、それが達成され る。もちろん、このような傾向それ自体はアメ ない場合には、受給資格が剥奪される可能性が リカのみに限ったことではない。しかし、アメ ある。TANF や SSI との併給は可能である。 リカに特有の社会構造から、一度“福祉”を利 用し始めるとそこから脱出しにくい構造となっ ▼その他の低所得者向けプログラム ていること、特に人種的マイノリティのなかか その他の扶助制度の代表的なものとして、州 ら長期にわたって“福祉”に頼らざるを得ない 政府および地方自治体が独自に運営している、 人々を生み出すこと、その結果として、制度利 一般扶助(General Assistance:以下 GA)と 用に関する人種的偏りを生み出し、制度が人種 いう制度がある(名称は州や郡ごとに異なる)。 的分断を助長する作用をもつようになってい GA は、TANF や SSI の受給資格がない低所得 る。こうした一連の相互作用が長く続いてきた バイアス 171 西 村 貴 直 ことの結果として、制度そのものへの不信感が このように、アメリカの公的扶助プログラム 国民の、特にマジョリティのあいだでかなりの は、全体として「労働」へのコミットメントを 深いレベルにまで達するようになっているので 重視し、特に「働かない」(より正確にいえば、 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ある。このことは、アメリカにおける公的扶助 「就労意欲」がないとみなされる)貧困者に対 制度の第一の特徴としてまず指摘しておかなけ しては極めて冷淡な制度構成となっている。後 ればならない。 述するように、アメリカの公的扶助がもつこの ような基本的性格は、若干の振幅があるとはい 第二の特徴は、先に概観してきたことからも ・ ・ わかるように、アメリカでは生活困窮者一般に え、制度の発足当初から概ね一貫したものであ 対応するプログラムがなく、障害者、高齢者、 る。その理由は様々な角度から考えられるが、 児童扶養者といった、特定のカテゴリーに当て やはり最大の要因は、多くの人々が指摘するよ はまる生活困窮者ごとに、パッチワーク的に公 うに、アメリカ社会へ伝統的に根付いてきたア 的扶助プログラムが設定されていることであ メリカ的「自由個人主義」 ―「自分の力で生計 る。これは要するに、生活困窮者のなかでも、 をたてようとする傾向が強く、そうした生き 十分に「働けない」とみなされる生活困窮者 方をしない人を軽蔑する傾向」 (グレイザー ・ ・ ・ ・ ・ [1990:78])―の影響によるものであろう。 に、公的扶助の利用が限定されているというこ とを意味する。「労働可能」とみなされる生活 といっても、公的扶助をとりまく社会環境や 困窮者が公的扶助プログラムを利用する場合に 制度それ自体に、これまで何の変化も生じてこ は、自らの「就労意欲」を一定の手続きを経て なかったというわけではない。その時々の政 証明しなければならないしくみとなっており、 治・経済状況において直面してきた様々な社会 しかもその条件は、近年ますます厳格化してき 的困難に対処するかたちで、幾度かの改革を余 ている。 儀なくされてきたことも事実なのである。以下 言い換えれば、こうした制度構成の下では、 では、アメリカにおける公的扶助制度の発足か 「労働可能」な生活困窮者のなかからは、制度 ら今日に至るまでの制度展開について概観して みたい。 利用の適格性(eligibility)を欠く「救済に値 しない」 (undeserving)貧困者とみなされ、事 アメリカにおける公的扶助の展開 実上プログラムから「排除」されてしまう人々 ▼近代的公的扶助の出発 が生じざるを得ないということである。恩恵を 受ける対象が比較的広く設定されている EITC 今日のアメリカにおける公的扶助制度は、世 やフードスタンプにしても、前者は「稼得」収 界恐慌によって引き起こされた大量の失業・貧 入がある低所得者のみに、後者は最低でも職業 困問題を背景に展開されたニューディール政策 訓練への参加を条件としてその恩恵がもたらさ の一環として、1935年に成立した「社会保障 れるわけであるから、「労働可能」でありなが 法」のなかにその起源をもつ。社会保障法のな ら「働いていない」とみなされる、すなわち、 かには、主として雇用労働者を対象とした年金 ・ ・ ・ 公式の労働市場や職業訓練プログラムに登場し および失業保険という「保険」プログラムの他 て こ な い 貧 困 者 は、一 連 の 国 家 的 な セ ー フ に、その恩恵に与れない生活困窮者を対象とし ティ・ネットからは、全く除外されてしまうこ た、今日の公的扶助制度の出発点となる二種類 とになる。そうした国家規模での扶助制度の適 の現金給付プログラムが盛り込まれていた。第 用対象とならない人々を対象とする GA にし 一のグループに当てはまるのは、「老齢者扶助」 ても、子どものいない健常な成人が一般扶助を (OldAge Assistance)および「視覚障害者扶 受給できる可能性は低い(尾澤[2003:85])。 助」 (Aid to Blind)である。これらは、1950年 172 アメリカ合衆国の公的扶助 に導入された「障害者扶助」 (Aid to the Total- まもなく到来した「豊かな社会」のなかで、貧 ly and Permanently Disabled)と あ わ せ て、 困は急速にマイナーな問題と化していった。 1972年の段階で SSI に統合されることになる 皮肉なことに、経済的な豊かさを享受する グループであり、成人カテゴリーとよばれる。 人 々 が 増 え る に つ れ て、「豊 か」に な れ な い 第二は困窮児童に対する扶助であり、当初の (貧困のままである)人々に対しては、厳しいま 「要 扶 養 児 童 扶 助」 (Aid to Dependent Child- なざしが投げかけられるようになった。「われ ren:ADC)から、1 962年の AFDC への改正お わ れ」の 多 く が 豊 か に な っ て い る の に、「彼 よび1996年の福祉改革を経て TANF へと至る ら」が貧困のままでいるのは「われわれとは何 グループである。 かが違う」からだと。こうした情況が、1950年 F. ルーズベルトによって推進された一連の 代から公的扶助の引き締め策が各地でとられる ニューディール政策は、必ずしも明確な信念や ようになったことの背景にある。また、1962年 政治思想によって裏付けられていたわけではな の福祉改革によって、要扶養児童扶助(ADC) い(古川[2000:73])。しかし、社会保障法が が要扶養児童家庭扶助(AFDC)へと名称が変 成立する前後の動向をみても、あくまでも就労 更されるとともにその受給者に対するケース 可能でありながら就労できない人々―失業者― ワークの強化が図られたことも、同じ道筋のう を対象とした「雇用政策」を重視するという前 ちにあった。 提の上で、明らかに雇用政策の対象とならない しかし、1960年代になると、貧困は、アメリ 就労不可能な人々、言い換えれば就労不可能性 カ社会において決して「少数」な問題ではない を客観的に示す特定のカテゴリーに当てはまる ということが、人々のあいだで再び認識される 人々に対して、いわば残余的なかたちで公的支 ようになった。このような、いわゆる「貧困の 援を行うという道筋が立てられたとみるべきで 再発見」の直接の契機となり、最も大きな社会 あろう。このように、原則として就労が不可能 的影響を与えたのは、M. ハリントンの『もう な人々にのみ適格性が付与されるというアメリ ひとつのアメリカ』 (1962)である。ハリント カの公的扶助の基本的性格は、その出発点にお ンは、当時の全人口の4から5分の1(約4∼ いてすでに確立されていたといえる。 5,000万)の人々が貧困状態にあることを明ら マイナー かにしたが、その後に取り組まれた数多くの研 究・調査の結果、稼得手段を失った人々(失業 ▼豊かな社会と「貧困戦争」 (War on Pov- 者)や、高齢者および障害者、母子世帯といっ erty) 社 会 保 障 法 の 成 立 に 象 徴 さ れ る よ う に、 た稼得能力に制約がある人々のみならず、世帯 ニューディール時代のアメリカ社会は、その前 主が年間フルタイムで働いても公式の貧困線 後の時代と比べると明らかに、「個人主義的な を 下 回 る 世 帯 が 数 多 く 存 在 す る こ と(根 岸 傾向が陰をひそめた」(グレイザー[1990:55]) [2001:65])が明らかとなった。そしてまた、 時期であることは間違いない。しかしそのわず 様々な差別や雇用条件の悪化といった、個人的 か数年後には、第二次世界大戦の勃発ととも 欠陥というよりも社会的な要因によって貧困化 に、戦時経済体制への編成替えを余儀なくされ し、そこから脱却できずに苦しんでいる人々が る。その一連のプロセスの中で、戦間期のアメ いること、さらに、貧困を長期にわたって経験 リカ社会を深刻な危機に陥れた大量の失業問題 することによってそこから脱却しようとする意 は劇的に解消され、その結果として「従来の価 志をもちにくくなるという悪循環に陥っている 値観や政治的傾向が驚くほど短期間に復活」 人々がいることなどが、各種のデータによって 次第に明らかとなっていったのである。 ([55])することとなった。そしてまた、戦後 173 西 村 貴 直 ・ このように、貧困に対する社会的な関心が再 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ▼「貧困(との)戦争」から「貧困者との戦 び大きく高まることによって、従来の対貧困政 争」(War against the Poor)へ? 策を見直そうとする動きが登場してくるように 「貧困戦争」それ自体は、それほど大きな成 なった。その象徴が、1964年からジョンソン大 果をあげることなく、ニクソン政権によって実 統領の主導のもとで取り組まれた、「貧困戦争」 質的な「敗戦」宣言が出されることになる。す (War on Poverty)である。貧困との戦争を遂 なわち、 「貧困戦争」は、結果として失敗5) に 行するために取り組まれた一連のプログラム 終わったということである。しかし、好景気を は、一般に「偉大な社会」プログラムとよばれ 背景に全体として楽観的な考え方のもとに展開 るが、その代表的なものとしては、職業訓練を されていた「貧困戦争」が終結した後、1970年 中心とした各種雇用対策事業、貧困・低所得階 代に入ってもそうした風潮はしばらく続くこと 層の就学前児童に教育・保健サービスを提供す になる。成人カテゴリーの扶助制度が SSI へ る ヘ ッ ド ス タ ー ト プ ロ グ ラ ム(Head Start) と再編成され、EITC が実験的に導入され始め や、貧困地域の住民を地域福祉活動に参加させ たのもこの時期である。 ようとするコミュニティアクションプログラム 1980年代に入ると、断続的に生じた景気後退 (CAP)などが挙げられる。また、フードスタ の影響もあって、貧困対策のあり方に対する楽 ンプやメディケイドが導入されたのもこの時期 観的な信念が、次第に悲観的な態度へと転換し である。 ていく(Danziger & Haveman[2 001:4])。 こうした「偉大な社会」プログラムの基本的 「貧困戦争」以降幾度も改革が繰り返されてき な構想は、個々人の能力開発や雇用の確保を効 たにもかかわらず、貧困者の比率に大きな変化 果的に支援するしくみをつくることによって、 がみられなかったうえに、公的扶助(AFDC) 貧困から脱却する力を当の個人に身につけさせ 受給家族数も高い水準で推移しているという一 ようという個人主義的アプローチに基づくもの 貫した現象が、大きな社会問題として認識され である。要するに、あくまでもアメリカの貧困 るようになったのである。さらに、長期にわ 政策の原理である「自助の援助」に基づいて、 たって困窮状態から抜け出せない人々が存在す 連邦政府によって個別に実施されてきた雇用、 るということと同時に、彼らの「逸脱」的な行 教育、地域サービス等の諸事業を、貧困者向け 動―労働の「拒絶」や暴力犯罪、婚姻外の出産 に修正・拡大(冷水・定藤[1977:176])しよ および長期にわたる福祉「依存」など―がます うとしたということである。「偉大な社会」プ ます深刻化しているということが、「貧困の再 ログラムがその主要な対象としたのは、あくま 発見」の時代とは正反対のパースペクティブに でも、従来公的扶助の対象外におかれてきた おいてクローズアップされるようになった。い ワ ー キ ン グ プ ア ー 「就労可能貧民」で あ り、貧 困 者 一 般 で は な わゆる「アンダークラス」 (underclass)問題の かったのである。貧困者への厳しいまなざしが 登場である。そこで最も極端で、かつ最も大き 緩和された結果として、AFDC の受給抑制要因 な影響力を獲得した見解は、 「貧困戦争」以降導 となっていた諸規則に1960年代後半から次々と 入された一連の「寛大」な福祉政策こそが、貧 4) 違憲判決が下された こと以外は、 「貧困戦争」 困層の不適切なふるまいを助長し、アンダーク が取り組まれていた時期においても、公的扶助 ラス問題の温床となってきたという考え方であ 制度のあり方それ自体に根本的な変化はなかっ 「ワーク る6)。1980年代以降展開されている、 たといえる。 フェア」を基調とした一連の福祉改革の動向 は、このような共通認識の変化を背景としてい る。 174 アメリカ合衆国の公的扶助 「われわれの知っている福祉を終わらせる」 観的」に判定される「就労可能性」と、実質的 ことを基調理念として、1 996年に制定された な就労可能性とのギャップ7) の問題をひとまず 「個 人 責 任・就 労 機 会 調 停 法」 (Personal Re- 等閑視したとしても、TANF 導入において設定 sponsibility and Work Opportunity Recon- された目的を真剣に達成しようとするならば、 ciliation Act:以下96年福祉改革法)は、近年 職について「自立」した人が再び困窮すること における最も大きな福祉改革であり、それまで のないように、労働市場とその周辺環境の条件 のアメリカにおける公的扶助(福祉)の構造を 整備が求められるはずである。例えば、公的な 大きく変容させることになった。 医療保険の導入や、賃労働者の生活を支えるう ・ ・ ・ ・ 96年福祉改革法によってもたらされた最大の えで十分な水準の最低賃金制の確立と全労働者 変化は、AFDC が TANF へと再編されたこと への 適用、持ち運び可能 な社会保障給付パッ である。その全体的な意義は、扶助の給付に対 ケージなどである( [ibid])。しかし逆にいえ ・ ・ ポ ー タ ブ ル エンタイトルメント 限 を終焉させると同時に、 「受給者 ば、こうした条件が整わない限り(実際ほとん の照準化を進めて福祉支出を減らすとともに、 ど進展していないが)、TANF は、貧困者の多 福祉受給者に保守派の好む伝統的な労働上、家 くを(最長5年間の執行猶予付きで)公的な 族生活上の行動をとらせる」(廣川[2002:14]) セーフティネットから積極的に排除する手段へ ことを促進するシステムへと公的扶助政策を転 と容易に転化しうるのである。公式データにも 換させたことである。すでに述べたように、 明らかであるし、また多くの人々が指摘するよ TANF の受給者には就労および所定の職業訓 うに、TANF の導入以降、AFDC 時代と比較し 練が強制されるだけでなく、一生のうちで5年 て制度利用者数は確実に減少傾向にある8)。し 間に受給が限定される(lifetime cap)ことと かし、そもそも貧困率は低下していないし、ゼ なった。これらの条件は、その前後の文脈か ロ・トレランス政策の導入(渋谷[2003:93]) ら、制度を利用する貧困者に対して懲罰的な条 や、1980年代以降に顕著となった収監人口の 件を課すことを通じて、就労を通じた自立への 上昇および刑務所予算の急増に代表されるよ する 権 う な、い わ ゆ る「貧 困 の 犯 罪 化」(Bauman 「インセンティブ」を高める手段として取り入 [1995=1999:158][2000=2001:100])プロセ れられたとみることが妥当である。 一方、根岸(2001)は、就労を想定あるいは スの進行9) などを重ね合わせて考えてみると、 強 要 し た TANF の 導 入 に よ っ て、そ れ ま で むしろ今日におけるアメリカ社会の状況は、 「就労困難」であることが前提となっていた受 H. ガンズのいうように、「貧困者との戦争」が 給者を「就労可能」な者と位置づけ直すことに 遂行されている局面にあるという見方も、十分 なり、結果としてそのことが労働市場との明確 に説得力をもつのである。 ・ ・ ・ ・ ・ な役割分業を前提としたアメリカの公的扶助が 終わりに 抱えてきたジレンマを克服する道筋が開かれた ワ ー キ ン グ プ ア ー こと、すなわち「就労可能貧民」に対する所得 近年のわが国においても、制度発足以来基本 保障を通じた経済的自立への可能性が開かれた 的な枠組みに変化のなかった現行生活保護制度 ことを指摘している(根岸[2001:90])。こう を、今日的な状況に応じて見直そうとする作業 した観点からすれば、福祉のレトリックに彩ら が進められている。しかも、アメリカにおける れてはいるものの、TANF は本質的には労働政 福祉改革と同様、最も大きな焦点となっている 策である(Karger[2003:396])ことになる。 のは、 「就労可能」な生活困窮者への対応であ であるならば、どんなにきめ細かな判定基準を る10)。「小さな政府」への編成替えが着々と進め 作ったとしても常に存在せざるを得ない、「客 られつつあるなかで、わが国の公的扶助制度は 175 西 村 貴 直 どのような方向性に進むべきなのか(あるいは ら身体的には就労や訓練への参加が可能と判断さ 進むべきではないのか)、アメリカの経験を十 れたとしても,表面には顕われてこないメンタル 分に吟味していく必要性がある。 な問題を抱えているために,実質的に就労が不可 能なケースがありうるのである(尾澤[2003:82]). 8)http://aspe.hhs.gov/hsp/indicators03/apa. 註 htm#figtanf1(保健福祉省 HP) ,尾澤(2003), 1)毎月20ドルまでの非稼得所得(年金,失業保険, Iceland(2005)等を参照. 労働者補償など)は一般にカウントされない(後 9)ジェレミー・シーブルックは以下のように述べ 藤[2000:155]). ・ ・ ている. 「合衆国は,自由への強い愛着を絶えず 2)しかしもともとは,余剰農作物を困窮者に与え 公言する一方で,攻撃的なまでに拘禁が多いとい るという意図から構想されたのである. う奇妙なパラドックスを示す社会である.世界の 3)EITC の詳しい内容については,根岸(2001) どの国よりも,刑務所に収監されている人間の率 を参照. 4)AFDC の受給権を実質的に制限していた諸規 が高い.そして,そのうちの圧倒的多数が貧困 則の内容と,それに対する違憲判決のいくつかの 者,黒人であることはよく知られている.…1980 年から1 996年の間に,合衆国の刑務所収容者は 事例については,今岡( [1981:2413])を参照. 133万人から1 63万940人へと増加した.その後も 5)ただし,この「失敗」の内容に関する評価は, いわゆる保守派とリベラル派とのあいだでは根本 増加を続け,現在では200万人以上になっている. 的に異なることに注意しておきたい.前者は,多 この間に,刑務所関連の支出は4 0億ドルから4 00 くの公共支出を費やしたにもかかわらず貧困者の 億ドルへと上昇した.…刑務所制度の民営化とと 数がほとんど減少しなかったとして,そもそも貧 もに,刑罰は経済成長の大きな源泉となってきて 困戦争そのものが間違いであったとの評価を下す いる.貧困者を尊敬すべき市民の目から隠すの に,これよりも効果的な方法があるだろうか」 のに対し,後者は,もともとの財源的裏づけが乏 (Seabrook[2003=2005:23]). しかっただけでなく,失業や低賃金といった経済 10)布川(2005)を参照. 構造に関わる問題にほとんど手をつけなかったこ とを失敗の最大の要因と理解しているのである. また,W. ウィルソンは,貧困戦争のもとで導入 参考文献 されたプログラムによって,かえって黒人の極貧 ・阿部實編(2000)『英国所得保障政策の成立と展 開』日本社会事業大学 層を取り巻く状況を悪化させた側面があることに 注意を促している.すなわち,プログラムの恩恵 ・Bauman, Z.(1995)The Strangers of the Consumer を受けた黒人たちが,もともと住んでいた黒人コ Era: from the Welfare State to Prison in Postmodernity and Its Discontents(=1999,入江公康訳「消 ミュニティ(ゲットー)から去ったことで,黒人 費時代のよそもの―福祉国家から監獄へ」 『現代 のなかでも最も不利な立場にあった人々がそこに 思想』vol. 2711,149159) 取り残されて社会的に孤立してしまい,その結果 ・Bauman, Z.(2000)Social Use of Law and Order, としてますます困窮状態の固定化と再生産が進行 Criminology and Social Theory(=2001,福本圭介 してしまったということである.このような人々 訳「法と秩序の社会的効用」『現代思想』vol. 29 をウィルソンは「アンダークラス」(underclass) 7,84103) と呼んだが,この問題提起は社会的に大きな影響 ・Danziger, S. H. & Haveman, R. H.(2001)Un- を及ぼした. derstanding Poverty, Harvard 6)もちろんこのようなパースペクティブは,「貧 ・布川日佐史(2005)「就労可能な生活困窮者と生 困の責任をその犠牲者に」 (Lumer[1 965=1966: 活保護制度」(『社会福祉研究 第94号』鉄道弘済 23])転嫁するために昔から繰り返し現れてきた 会) 考え方の現代版であるにすぎない(Katz:1993, ・古川孝順(2 000)「社会保障の歴史的形成」 (『先 Gans:1 995). 進諸国の社会保障⑦ アメリカ』東京大学出版会) 7)例 え ば,病 弱 な 受 給 者 に 就 労 が 強 制(大 津 ・Karger, H. J.(2003)Ending Public Assistance: [2005:151])されるケースや,医学的な観点か The Transformation of US Public Assistance Policy 176 アメリカ合衆国の公的扶助 into Labour Policy, Journal of Social Policy, July テムの構造変化』東京大学出版会) 2003 Part3 ・大津和夫(2 005)『介護地獄アメリカ―自己責任 ・Katz, M. ed(1 993)The “Underclass” Debate, 追求の果てに』日本評論社 Princeton ・尾澤恵(2 003)「米国における9 6年福祉改革とそ ・健康保険組合連合会編(2005) 『社会保障年鑑 2005 の 後」(『レ フ ァ レ ン ス 2003.12』国 立 国 会 図 書 年版』東洋経済新報社 館) ・Seabrook, J.(2003)the NoNonsense guide to ・Gans, H. J.(1 995)The War against The Poor: The Underclass and Antipoverty Policy, BasicBooks World Poverty(=2005,渡辺景子訳『世界の貧困』 ・後藤玲子(2 000)「公的扶助」 (『先進諸国の社会 青土社) 保障⑦ アメリカ』東京大学出版会) ・渋谷望(2 003)『魂の労働』青土社 ・グレイザー(1990)「福祉概念とアメリカ型福祉」 ・冷水豊・定藤丈弘(1 977)「貧困戦争の破綻と福 (白鳥・ローズ編著『世界の福祉国家』新評論) 祉権運動」 (右田・高澤・古川編『社会福祉の歴 ・廣川嘉裕(2 00 2)「個人責任・就労機会調停法と 史―政策と運動の展開』有斐閣選書) ・Wilson, W. J.(1987)The Truly Disadvantaged: デュアリズムの進行―1990年代アメリカ福祉改革 の動向」 (『社会福祉学 431』日本社会福祉学会) The InnerCity, the Underclass, and Public Policy(= ・Iceland, J.(2003)Poverty in America: A Handbook 1999,青木秀男監訳『アメリカのアンダークラス (=2005,上野正安訳『アメリカの貧困問題』シュ ―本当に不利な立場に置かれた人々』明石書店) プリンガー・フェアラーク東京) ・http://www.acf.hhs.gov/programs/ofa/(アメ ・今岡健一郎(1981)「アメリカにおける社会福祉 リカ保健福祉省家庭支援局 HP:TANF に関する の展開」(一番ケ瀬・高島編『講座社会福祉2 社 情報・案内) ・ http://aspe.hhs.gov/hsp/indicators03/apa.htm 会福祉の歴史』有斐閣) ・Lumer, H.(1965)Poverty: Its Roots and its Future #figtanf1(ア メ リ カ 保 健 福 祉 省 HP:AFDC/ (=1966,陸井・田中訳『アメリカ貧乏物語』青 TANF 利用者の基本統計) 木書店) ・http://www.fns.usda.gov/fsp/default.htm(ア ・根岸毅宏(2 001)「アメリカの公的扶助と1 996年 メリカ農務省 HP:フードスタンプサービスに関 福祉改革」 (渋谷・内山・立岩編『福祉国家シス する情報・案内) 177
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