全米医療通訳倫理規定 - Migration Policy Institute

邦訳
「全米医療通訳倫理規定」
全米医療通訳協議会(NCIHC)、2004 年7月発行
・通訳者は、業務上知りえた情報はすべて、情報開示に関する適切な要件に従
いつつ、医療チームの外部に漏らしてはいけない。
・通訳者は、文化的状況を考慮しながら、元のメッセージの内容と精神を伝え、
メッセージを正確に訳すよう努めなければならない。
・通訳者は、中立性を保つよう努め、相談したり、助言したり、個人的偏見や
信条を表明することを控えなければならない。
・通訳者は専門職としての役割の範囲を守り、個人的な関与を控えなければな
らない。
・通訳者は、絶えず、その専門業務の遂行中に遭遇する自分自身の、そして他
人の文化(生物医学的な文化を含む)に対する認識を高めるよう努めなければ
ならない。
・通訳者は、すべての関係者に対し、敬意を持って接しなければならない。
・患者の健康、福利、あるいは尊厳が危険に晒されている場合、通訳者は、ア
ドボケイト(擁護者)としてふるまうことを正当化されるかもしれない。アド
ボカシー(擁護的行為)とは、健康上の良い結果を支援するという意図を伴い、
コミュニケーション促進の範囲を超えて、個人のために行われる行為であると
理解される。擁護は、状況を慎重に思慮深く分析した後に、そして、他のより
介入的でない手段によって問題が解決されなかった場合にのみ、行われるべき
である。
・通訳者は、絶えず、自分の知識と技術を向上させるよう努めなければならな
い。
・通訳者は、常に、専門職らしく倫理的にふるまわなければならない。
全米医療通訳者倫理規定を理解するために
通訳者の役割は「綱渡り」でバランスを取ることと同じだ。倫理規定は、その
ように張り綱の上を歩く際に持つ「棒」の代わりになる良い指針だ。それによ
ってバランスを取ることが出来、幾分安全が確保される。また、倫理規定は、
特に、通訳者が道の途中で直面する未知のリスクに自信を持って立ち向かうた
めの手段となる。(倫理規定に関するアンケートに対する匿名の回答より)
はじめに
アメリカでの医療通訳の職業が成熟し進化するにつれ、この分野では何が質
が高くて倫理的に適切な行動原理と業務内容なのかに対する共通の理解を生み
出すことが緊急に重要となってくる。その目的のために、全米医療通訳協議会
は、医療業界と患者が通訳者に対して期待する事柄の標準化と医療通訳者の質
の向上を目指して全米レベルで取られるべき 3 つの措置を確認した。第 1 の措
置は、医療の場で働く通訳者たちの業務の指針となる1つの倫理規定を定め、
それに対する支援体制を整えることであった。2 つ目の措置は、この分野での有
能な通訳業務を定義するための、倫理規定に基づいた全国的に是認され統一さ
れた一連の業務基準を設定することであった。3 つ目の措置は、プロの医療通訳
者としての能力資格の基準を定める全国的な認定過程を確立することであった。
(NCIHC、2004 年)
全米医療通訳者協議会(NCIHC)基準、訓練、認定(STC)委員会は、第 1 の
措置を結実させる仕事に取りかかった。STC 委員会の目標は、通訳者たちが日々
仕事を行う際に、彼らにとって何が道徳的に適切な行動であるとみなされるか
を表明する、一連の共有された最も重要な指針となる原則を、その成長しつつ
ある職業に対して提供する全国的な倫理規定を定めることであった。
この目標を達成するため、STC 委員会は、既存の倫理規定の再検討、規定の草
案の作成、草案を検討するための全国的フォーカス・グループの運営、そして
全国的な調査によってフィードバックを引き出すという系統的な作業過程に携
わった。課題は、既存の規定を土台にし、それを固め、同時にその仕事上の言
語や特定の立場に関わらず、全ての医療通訳者に適用されることを保証するた
めにそれをさらに拡大したものになるような規定を作ることであった。
STC 委員会は、医療通訳と司法通訳や手話通訳のような関連分野の既存の倫理
規定を確認し集めることから始めた。この作業過程は、アメリカ、カナダにお
けるローカルなレベル、つまり、州や国の通訳者団体、医療関連機関、通訳サ
ービス組織、法廷プログラムにおいてすでに使用されている多くの規定を表に
出すというものであった。その後、STC 委員会は、その作業にとって最も適当だ
とみなされる 10 の規定に焦点を当て、それらに共通する要素を確認し、それぞ
れがこの分野で最も難しく論争の的になっている問題点にどのように取り組ん
でいるかを分析するために、それらの規定を比較した。その分析に基づき、S
TC委員会は、これらの既存の規定全体を通して共通する要素と、議論の余地
はあるが適切であるものをいくつか含んだ規定を起草した。この草案は、また、
それぞれの原則のあとに短い解説を載せ、その原則をさらに詳しく説明し例示
するものとなっている。
2002 年秋に、STC 委員会は、全国の現役通訳者たちに対して、検討と意見を
求めるために、規定の草案を提示した。フォーカス・グループがアメリカ合衆
国全体の 9 箇所の地域において組織された。このようなフォーカス・グループ
が、言語グループやサービス提供の形態(例えば、対面しての通訳、電話通訳)
を幅広く代表するよう、その構成に注意が払われた。フォーカス・グループは、
統一された全国的な倫理規定の必要性を正式に認め、この職業にとっての建設
的な一歩であるとして、その策定を支持した。フォーカス・グループからのフ
ィードバックはまた、規定の草案は、多少議論の余地のある原則もあるが、基
本的には完成しており適切であると結論付けた。
フォーカス・グループのフィードバックの基づき、一貫して推奨される変更
点を組み込みながら、解説を含む規定の第 2 の草案が起草された。この第 2 の
草案は、NCIHC のウェブサイトと州の医療通訳者団体を通じて広く行き渡ったア
ンケート調査を通して、現役通訳者に対してより広範囲に横断的に紹介された。
約 2500 のアンケートが配布され、20%の回答率であった。STC 委員会は、500
の回答からのデータを分析した。
これらのデータを分析する際に、草案に述べられた原則に関しての強い同意
があることが委員会には明らかになった。実行に関する説明と未解決の問題へ
の不同意という形で議論を引き起こしたのは、たいていの場合、解説の部分で
あった。よって、規定の最終版の起草に際して、STC 委員会は、解説なしの一連
の原則としての規定を公表することにより、原則そのものについて得られてい
る合意を強調することに決めた。STC委員会は、原則についてのさらなる説
明は、提起された問題のより徹底的な討議を提供できる手引書と、実行につい
ての現実的な問題を扱う実務基準の設定に任せたほうがよいであろうというこ
とで意見が一致した。
受け取ったフィードバック全てを考慮したのち、STC 委員会は、規定の最終版
を起草した。しかし、正式に規定を承認する前に、最終草案はまた、意見を求
めるために、選ばれた数の医療提供者と医学倫理専門家たちに送られた。
全米医療通者訳倫理規定は、この系統的で、慎重で、思慮深い作業過程の結
果として生まれた。STC 委員会は、この規定が、現役の通訳者たちが自分たちの
職業の倫理的な実践を保証するために重要だと信じている原則を示していると
いうことに自信を持っている。これらの原則は、現役通訳者たちが、ジレンマ
や難しい選択に直面した時に真剣に考慮するに値し、自分たちはそれに責任を
負っていることに同意する、と述べた原則である。
この文書は、全米医療通訳者倫理規定を理解するための指針を提供する。こ
の分野に属する全ての人が、倫理という概念、倫理規定が何を示しているのか、
職業の実践の過程でこの規定が何を意味するのか、倫理規定と業務基準との間
の違いは何か、ということについて同じ理解を持っているわけではないことは、
アンケート調査に対する回答から明らかであった。したがって、この文書は、
規定を一般的な倫理的行動という文脈に置き、それから医療通訳者たちがしば
しば直面する特定の問題やジレンマという文脈において、それぞれの原則につ
いて議論する。この文書は、いまだに論争があることを認め、その一方で現役
通訳者にこれらの論争点について考える方法を与えつつ、それぞれの原則とそ
れらの相互関係についての詳述と議論を提供する。
この文書は、3 つの主要部分から構成されている。第 1 の部分は、一般的そし
て医療通訳の職業という文脈における倫理と倫理的行動について説明する。第 2
の部分はこの倫理規定がその根拠としている中心となる価値について述べる。
最後に、第 3 の部分は、全米医療通訳倫理規定を構成している原則のそれぞれ
について解説する。
倫理とは何か
人類は倫理的な動物である。
(サイモン・ブラックバーン、2001 年)
人間意識のもっとも初期の時代から、人類は、自分自身、他人、そして人の
環境に関して適切であるもの、あるいは正しい行動であるとみなされるものの
ために、行動の規則を定義したり、予測される事柄を設定したりすることに関
心をもってきた。ブラックバーン(2001 年)が説明するように、私たちが、人
類として、常に「例外的に正しく行動する結果になる」ということはそれほど
重要ではなく、むしろ、私たちは絶えず、自分たちの周りの社会的集団を支配
する善悪についての共通して是認されている原則を見つけ出すために、自分た
ち自身の、そして他人の行動を比較し評価している、ということなのである。
これらの善悪に関する共有の支配原則は、多くの形で形式化されている。例え
ば、文化は、それらを規範、習慣という形で、宗教は道徳上の戒律において、
政府は法律で、そして専門職は倫理規定という形で具体化している。
倫理という言葉は、
「道徳的習慣」を意味するギリシャ語のエトスという言葉
に由来する。したがって、倫理とは「正しい行動、間違った行動についての原
則」なのである。
(アメリカン・ヘリテッジ英語辞典)結果として、倫理的な行
動とは、何が善であり悪であるとみなされるのかを表明する一般に是認され、
理想化された原則に合致した行動であるということになる。
専門的職業が成熟し、確立されたものになるにつれ、その義務と職責を遂行
する際に、是認された適切な行動のための共有の予測される事柄や規範という
倫理的な環境を作り始める。ブラックバーン(2001 年)の言葉によると、倫理
的環境が提供するものは、
・・・いかに生きるかについての観念という周囲をとりまく思潮であ
る。倫理的環境は、私たちが何を是認されるもの、されないもの、賞賛すべき
もの、侮蔑すべきものと考えるかを決定する。それは、どのような時に物事が
うまくいっているのか、どのような時に物事が悪く運んでいるのかについての
私たちの概念を決定する。それは、私たちが他人と関わる際に、何が私たちに
対して正当なのか、何が私たちから行われる正当なことなのかについての私た
ちの概念を決定する。それは、何が誇りや恥、怒りや感謝の原因なのか、何が
許され、何が許されることができないのかを決定しつつ、私たちの感情的な反
応を形成する。それは、私たちに私たちの基準、つまり行動の基準を与える。
1つの職業について、この倫理的環境は、その職業倫理規定において具体化
される。したがって、倫理規定が提供するのは「1 つの職業に属する者が、その
職業の遂行に携わっている間、その行為を管理する一連の原則や価値観である。
それは、与えられた状況あるいは特定の関係において何が是認され、望ましい
行動であるかについて判断を下すための指針を提供する。」
(NCIHC、2002 年)そ
れは、難しいジレンマに直面した時に、私たちの選択に一貫性を生み出し、恣
意性を減じるのである。
全米医療通訳者倫理規定は、アメリカ合衆国の医療通訳者の業務のために倫
理的な環境を整える。適切な行動のための一連の原則に規定という形を与える
ことにより、新しく生まれた職業は、何が是認され何がそうではないのかにつ
いての個人的な好みや意見といった混乱状態から離れ、共有され、その結果、
互いに対する「要求」となる優先事項の言明へと進み始めるのである。このよ
うな「要求」は、その職業の高潔さとその目的を維持するのに役立つ規則や「規
範」の結束力のあるネットワークを形成する。
しかしながら、倫理規定に盛り込まれている原則は抽象的な概念であるとい
うことを理解することは重要である。倫理規定は、いかに詳細にわたっていよ
うと簡潔であろうと、通訳者が直面しうる全てのジレンマや選択に完全で正確
な答を与えることは出来ないし、しないものである。それは「ハウツー」のレ
シピではないし、通訳者が現実世界で直面するかもしれない多くの特殊な、問
題のある状況のための解答書でもない。実際、倫理規定は、必然的に、私たち
の個人的価値観がある特定の状況において互いにぶつかり合うのと同様に、軋
轢の種を内包している。例えば、私たちは、何度、私たちの生活の特定の状況
において、私たちが大切だと思っている 2 つの価値観の重要性をはかりにかけ
ているであろうか。
もし倫理規定が完全で正確な答を提供できないなら、なぜ、それを持つので
あろうか。この質問に答えるためには、私たちは先に述べられた倫理規定の目
的に立ち返る必要がある。つまり、難しい選択に直面した時に取るべき正しい
行動について判断を下す際の指針を提供することである。倫理規定の目的は判
断を下す際に助けになること、つまり、人が自分が直面している特定の状況に
おいて持っている選択肢を評価し、1 つ 1 つの行為の適切性に対する考慮に基づ
いて選択する際に助けになることである、ということに注目しなさい。
しかし、この指針を提供する原則がどのようなものであるべきかを、誰が決
定するのであろうか。ある一人の人間あるいはグループが、正しいことと間違
っていることについて、勝手に規則を作り上げることが出来るのであろうか。
あるいは、様々な種類の人々によって一般的に受け入れられ、時代の流れに左
右されないような普遍的かつ「文化の境を超えた」規則は存在しうるのであろう
か。
文化を超えた倫理的原則を作り上げるという難しい課題は、医療通訳の分野
において特に目立つものとなっている。これは、まさに本質的に、広く多様な
文化システムを代表する人々から構成されている職業なのである。多くの人が、
独自の倫理規定を持っているかもしれない他の職業にも所属している。皆が、
自分独自の人生経験や取り巻く状況から作り上げられた自分自身の一連の個人
的価値観や信条を仕事に持ち込む。さらに、彼らは、自分自身が医療の現場に
多様な倫理体系や予期される事柄を持ち込んでくる患者や医療提供者に直面す
ることになる。
それなら、いかにしたら、1つの倫理規定がこれらの倫理体系すべてを包含
することができるだろうか。そうする必要はあるのだろうか。ある特定の時間
と場所で、同じ職業に携わるある特定のグループの人々のために、何が適切で
何が正しい道を外れているのかを定義する「文化の境を超えた」一連の原則に到
達することは可能であろうか。
STC委員会が、医療通訳者および彼らと一緒に仕事をする人たちが自分た
ちの仕事を行うやり方において何が重要であるかについて述べたことを聞き、
定義することを始めたのは、そのような一連の「文化の境を越えた」原則なの
である。フォーカス・グループのそれについての議論と検討およびアンケート
調査からの情報により、STC 委員会は、個人的な信条や主観的な意見を超え、そ
の代わりとして、医療通訳者の役割にとって中心的な原則を抽出しようとした。
すなわち、医療通訳者の中核的義務、つまり、患者と医療提供者といった、同
じ言語を話さない 2 者の間のコミュニケーションを可能にし、それによって医
療の場での目的、つまり、患者の健康と福利を達成するという義務の高潔さを
維持しようとするなら、この職業に携わる全ての人々によって真剣に受け止め
られなければならない原則である。
この中核的義務のために、医療通訳者は独特な立場に置かれている。職務の
遂行が、少なくともある程度まではサービスを受ける人によく見える他の多く
の職業とは異なり、医療通訳者はしばしば、患者と、状況を完全に認識してい
る医療提供者の間の出会いに立ち会う唯一の人間である。たいていの場合、通
訳者はそれぞれの関係者が相手に対して何を言っているのか理解している唯一
の人間である。このことにより、医療通訳者は、大変な権力のある立場に置か
れる。
「患者と医療提供者の双方は、通訳者がこの権力を濫用しないであろうと
信頼することが出来なければならない。彼らは、通訳者は彼らが互いに言って
いることが何かを(通訳者自身の信条、価値観、あるいは意見に邪魔されるこ
となく、言語変換されたメッセージの中で)忠実に伝えるであろうと信頼する
必要があるのである。」(MMIA および EDC,1996 年)彼らは、医療提供者と患者
の関係の土台となっている確実な秘密保持が維持されるであろうと信頼する必
要がある。
したがって、
「通訳者にその権力の行使の仕方について手引きすることが、倫
理規定の機能である。」
(エドワーズ、1988 年、22 頁)職業の倫理規定を厳守す
ることにより、患者と医療提供者は、医療通訳者とは患者の利益と医療の場の
目標を最優先にしてくれると信頼できる人であるということを知って安心する
のである。
医療通訳者倫理規定の中核的価値
全米医療通訳者倫理規定は 3 つの中核的価値に基づいている。すなわち、慈
善心、忠実さ、文化の重要性の重視である。これらの中核的価値は、医療通訳
者の仕事を浸透させ、通訳者たちが患者や医療提供者との関係において何を心
にかけているかを具現する、一連のすべてを包含する理想を形成する。
1. 善心
医療通訳という職業の中心的価値は、患者の健康と福利である。これは、他
の医療関係の職業にも共有される中核的価値である。つまり、これらの職業に
携わる人は、患者の健康と福利および患者の家族の支援体制(例えば、家族と
地域社会)を支え、害を及ぼさないという最も重要な義務と職責を負っている
ということである。
2. 忠実さ
通訳者の役割の真髄は、忠実さという価値において簡潔に表される。アメリ
カ・ヘリテッジ英語辞典によると、忠実さとは「人の職責や義務を絶対確実に
果たすことと言葉や誓いを守ること」を必要とするものであると述べられてい
る。
「同類の、人に関係ない意味では、忠実さとは原型に正確に沿っていること
を指す。」この記述は、通訳者の仕事の質や通訳者が自分たちの仕事に取り組む
際に取るべき姿勢を正確に言い表している。自分たちの役割の本質的な機能を
固守することで、通訳者は、元のメッセージに対して付け加えたり、省略した
り、歪曲したりすることなく、話されたことを 1 つの言語からもう 1 つの言語
へと変換するので、元のメッセージに忠実なままであるという誓いに相当する
ことを行うのである。
3. 文化と文化的差異の重要性の重視
文化は、私たちが世界や世界の中での私たちの経験、そして自分たち自身や
他人への私たちの関わりを解釈する方法を形作る。健康の分野では、文化は、
症状に与えられた意味、そのような症状の診断、関連する病気や疾患の経過に
関する予期される事柄、治療や療法の妥当性と効き目、そして予後といったも
のに影響を及ぼす。言語と文化は、密接に絡み合っている。サピア(1956 年)
とウォーフ(1978 年)のような言語学者は、いかにして言語が、文化が現実と
いうものを体系づける方法の表現としての役割を果たしているかを指摘してい
る。
医療通訳者は、メッセージを 1 つの言語からもう 1 つの言語へと変換すると
いう最も重要な責務を遂行するとき、文化や文化的差異の影響を重視していく
際に、2 つの側面のある課題を有している。
第 1 に、通訳者は、
「・・・使用されている言葉を知っているだけでなく、そ
れらの言葉が話される状況でそれらに意味を与える、基礎的な、文化に基づく
問題を理解するという課題をも有している。」(MMIA および EDC、1996 年)発話
者の文化的な準拠枠はその発話者の意味体系と不可分なものであるということ
を理解することなしには、通訳者は、言葉の表面的な意味にのみ焦点を当て、
発話者が伝えようとしている最も重要なメッセージを見落とすかもしれない。
第 2 に、通訳者は、世界に対する展望や他の見方における文化的差異が重大な
誤解や誤った意思疎通という結果を導く可能性があるということを常に認識し
ておくという課題を有している。
この価値は、他の医療提供者たちにも共有されるべきものである。現在、医
療施設や、最も重要な技能としての文化に対する精通を盛り込んだ医療関係の
専門職のための教育プログラムにおけるインセンティブがますます増えている。
しかしながら、全ての医療関係の専門職がその業務において文化的差異に取り
組むのに充分準備が出来ているようになる時まで、医療の場での文化の影響を
認識し、患者と医療提供者の双方にそれに対する注意を促すことを可能にする
のは医療通訳者の務めなのである。
全米医療通訳者倫理規定の原則に対する解説
この部分では、全米医療通訳者倫理規定の各原則について解説した。原則の
意図するところや、日々の実務で起こると思われる幾つかの難しいジレンマに
ついての議論を解説している。しかし、読者はこれらの解説が全ての可能性の
あるジレンマに答えるものでは無いことが分かるであろう。それに代わり、難
しい状況下で倫理的な選択をする際、何が重要であるかを考える手段を提供す
る。
1.通訳者は、業務上知りえた情報はすべて、情報開示に関する適切な要件に
従いつつ、医療チームの外部に漏らしてはいけない。
秘密保持原則の基本的な意図は、患者のプライバシーと医療の場で遭遇する
非常に個人的な出来事を尊重することである。これは通訳者に職務遂行上得た
情報を患者のケアに責任を持つ医療チームの外部のいかなる者にも漏らしては
ならない、と言う義務を課すのである。それは他の医療職と共通する倫理的原
則なのである。
健康と病気の問題は個人にとって私事なのである。それ自体、患者が見境無
く知られることを望むものではない。そのような個人情報は、いつ、どこで、
誰に開示するのかは患者の自由裁量に任せる必要がある。医療提供側が福利を
支え、あるいは回復させるために必要とする情報を患者が公開するには、医療
システム(通訳者を含めた)は、明確な許可の無い限り、この情報を自分のケ
アとは関係の無いグループと無差別に共有することはないのだと言うことを、
患者が信頼する必要がある。
しかし、
“医療チーム”とは誰をさすのかは見かけほどははっきりしておらず、
フリーランサーや契約通訳者として同じ患者に同行するものの、別の医療提供
者、あるいは医療機関にいったりすると、時には、通訳者にジレンマをひき起
こす。この原則の中でいう“医療チーム”とは、特定の患者のケアと治療に際
し、最大の責任を負う特定の医療施設内部の全ての人達をさす。従って、患者
が同じ医療施設内であるが異なる医療提供者のフォローを受けている場合、彼
等は全て医療チームの一員であり、患者の情報を知っている者と見なされる。
しかし、患者が他の医療施設に移った時には、そこで新たな医療チームが生ま
れるのである。法律ならびに法的責任と言う理由から、患者の文書による許諾
が無ければ、この新たな医療チームは前の医療施設に保管されている患者情報
にアクセスすることは出来ない。他の医療施設に移った患者をフォローする通
訳者は、いかなる情報も開示する前には患者から明確な許諾を得る、と言う同
様のことが要求される。
秘密保持の問題は、経験からすると、誰が知るべきかを決めるのに慈悲心の
中核的価値に頼ることである。言い換えれば、もし、現時点での医療提供側が、
通訳者が既に持っている情報にアクセス出来なければ患者の生命が危険にさら
されてもよいのだろうか? もしもこの問に対する回答が“イエス”であれば、
通訳者の取るべき最初の行動は、患者に働きかけて提供者とこの情報を直接に
共有することである。これが出来ない時、あるいは患者がそうすることを拒ん
だ場合のみ、通訳者自らが情報を開示することを考えるべきである。しかしな
がら、患者の自主性の尊重と、患者を傷つけることなく治療するために必要な
情報を医療提供側への提供の保証の間は紙一重である。通訳者はこの紙一重を
どう扱うか、そして患者の福利を支える意図的な選択に際して倫理的義務を負
う。
医療機関で雇用した職員通訳者の場合、機関内部で秘密情報を開示する必要
があると感じた時、通訳者はもっと柔軟性を持っている。しかし、柔軟性の量
に関しては、また医療機関内部での彼等の職務に左右される。
家族との情報の共有
多くの文化に於いて、家族は個人の延長と見なされている。そのような場合、
家族内の秘密などたいして重要でない問題だ、とよく言われる。しかしながら、
そのような文化規範の存在は、通訳者(あるいはさらに言えば、いかなる医療
提供者も)が一方的に家族と情報を共有しようと決めることを是認しているわ
けではない。特定の文化規範についての知識は、直接に特定の人物や家族制度
についての知識を表すものでない。特定の個人や家族システム(体系)が一定
の規範を厳守しているかどうかは確認の必要のある点である。しかしもっと重
要なことは、情報を共有し、それを誰と共有するのかの決定は、今でも何時も
患者の特権であり、また他のいかなる者とも情報を共有する際には、先ず患者
と相談しなければならない。
しかしながら、家族システム内で情報を共有するという見込みがはっきりし
ない時がある。もし、通訳者がこの不明確さが医療提供者と患者システム間で
のコミュニケーションに問題を起こしていることに気が付くと、自分の役割の
範囲内ではあるが、通訳者は患者と提供者の双方、あるいはその一方に問題を
提起することになろう。でもこれもまた、情報共有の最終決定は患者次第であ
り、通訳者とではなくて医療提供者との交渉ということになる。
他のケース、家族が情報を患者に与えないようにと要請するような場合は患
者の知る権利を回避することになる。現実に、個人的な理由、あるいは文化的
信条から患者がそう願うことがあるかも知れない。この場合もやはり、どのよ
うに、誰と、いつ、どの情報を共有するかについては患者と交渉すべきである。
これは、患者が自分の医療に関わることが出来ないことが非常に明確である場
合を除いて、通訳者、あるいは医療提供側が単独で決定すると言う特権ではな
いのである。米国医療システム規範は、個人の自主性 – 患者がはっきりと、あ
るいは暗に指示しない限り、
“知る権利”は個人のものなのである - を尊重し、
保護している。
守秘義務と慈善心の価値
通訳者は時には、真剣になって、他の価値と原則に対してその守秘義務原則
の重大さと重要さをはかりにかけなければならない環境にある。既に述べたよ
うに、そのような環境は慈善心の価値 – 患者と/あるいは他の者の福利 – が関
わる時に生じる。情報の開示を控えることが患者、あるいは他の者に危害をも
たらすという深刻な可能性がある状況では、守秘義務の原則が免責されること
がある。
通訳者には二つのタイプの状況が発生する。一つは、患者が前の医療の場で
患者に関する情報を入手した時である。例えば、通訳者は患者が特定の薬にア
レルギーであることを知っているが、今受診している医療機関はこのことを知
らず、薬を処方し、投薬しようとしている。この場合、通訳者が介入すること
は守秘義務の不履行になるのだろうか?
もう一つの状況は、これは医療提供者が同席していてもあるいはいなくても、
患者が通訳者に暗黙に、あるいは明確に医療提供者とはその情報を共有しない
という期待をもって何かを言った時である。多くの通訳者は受診前、待合室で
待っている間に患者と話をしたり、また患者の健康と福利に関する深刻な結果
や予測される意味合いについての情報を共有しているのである。時には、この
情報はチラッとしたもので、患者は言っていることの重大さに気が付かない。
またある時には、患者は通訳者にはっきりと、情報は“内々”にして、医療提
供側には言わないで欲しいということがある。このような打ち明け話は、医療
提供者のいる臨床の場で起こることが報告されている。共有される情報の種類
を挙げてみると、虐待の申し立てから、治療手順のコンプライアンスの欠如、
あるいは患者や周りの者の医学的な状態や症状など様々である。このような状
況で、通訳者は何をすべきなのか
先ず第一に、通訳者には透明性を維持するという倫理的義務がある。医療通
訳者の役割はまだ患者にも医療提供側からも広く理解されていない。従って、
通訳者は、特に患者に対して、自分たちの役割は医療提供側との間で交わされ
た全てのことを通訳することであることを明確にすべきである。もし患者が知
られたくないことがあるのならば、患者はそれを言うべきでない。
二番目は、守秘義務の責務は基本的には、治療チーム外の者との関係で患者
のプライバシーを守ることであると、通訳者は認識すべきである。これは、患
者が通訳者と彼、あるいは彼女の医療に関連した情報を共有する時、通訳者は、
もし患者、あるいは他の者に危害を及ぼす危険がある時には、このことを然る
べき医療提供側に知らしめる倫理的義務があることを意味している。しかしど
の場合に於いても、通訳者の第一の義務は、患者に対して自分の情報を開示す
るように働きかけることである。
虐待に関する情報は、それが児童虐待であれ高齢者の虐待であれ、また、自
傷、あるいは他傷の直接的な脅威に関する情報であれ、守秘義務原則の下では
特別な事例となる。人の虐待が問題になったり、あるいは患者が彼ら自身、あ
るいは他人に傷害を加えると脅していると時には、多くの州で医療提供者と言
った指定された人物による情報の開示を命じている。現時点では国として、虐
待や傷害の恐れがある場合、通訳者に報告を求める法的なものは無いが、個々
の州ではそのような場合に開示を求める州独自の法律がある。従って、通訳者
はそのような時は自分の州で誰が報告者になるのか知っておく必要がある。そ
のほかに、通訳者は先に述べた情報開示に関する同じガイドラインに従う必要
がある。
さらに、通訳者が、虐待や傷害の恐れに関する情報を開示するという倫理的
選択をとった症例では、そのような情報を報告する相手側にも、虐待のサイン
や傷害の可能性を示すものが、文化的要素によって混乱してしまう可能性があ
るので、文化の差異を重視するというやり方で適切な調査がされると言うこと
を知らせておく責任が加算されることになる。そうしなければ、自分達の文化
的な慣行が誤って解釈されることに気が付かない患者の福利を危険にさらすこ
とになろう。
開示が必要な時の通訳者の責任
軽々に情報開示の決定を行うべきではない。このような決定は、情報の源と
なる所から情報を開示する者まで、どのような情報を共有する必要があるのか、
誰と共有する必要があるのか、また、なぜ共有する必要があるのか、を説明す
るなど、あらゆる努力をはらって説得した上でなされるべきである。どんな理
由であれ、もしも患者が開示を拒否し、そこで通訳者が開示するよう倫理的選
択をするような場合には、責任ある礼儀正しい態度で行われるべきである。も
し、通訳者が取るべき行動に自信が無く、また、時間があれば、監督者、すな
わち自分の所属する通訳者サービス事務所や代理店、あるいは医療機関の倫理
部門の管理者に相談すべきである。相談する時間の無い時には、通訳者は医療
面で何が患者の利益になるのかについての自分の判断に基づいて決断しなけれ
ばならないだろうが、後日、管理者会議や専門家セミナーでその時の状況を議
論しなければならない。専門的職業能力の開発を意図したこのような情報の共
有は、守秘義務原則に違反するとは見なされない。しかしながら、このような
状況下では、通訳者は名を伏せて、従って、誰が患者なのか分かるような情報
は全て削除して、当該者のプライバシーを保護する義務がある。
2.通訳者は、文化的状況を考慮しながら、元のメッセージの内容と精神を伝
え、メッセージを正確に訳すよう努めなければならない。
この倫理原則の目的は、患者と医療提供者の通訳付きのやり取りの間に通訳
したことは、もしも患者と医療提供者が同じ言語を話し、そして本質的に類似
の文化的準拠枠を共有した場合に起こり得たであろうことに、出来るだけ近づ
いていることを保証するためである。したがって通訳者の倫理的責任は、一つ
の言語で表されたメッセージを、意味の本質を失うことなく、また、何が問題
で、重要で、あるいは容認できるかと言ったことを判断しないで、メッセージ
の全ての面を含みながら、他の言語へ変換することである。
一人の患者と一人の医療提供者間の直接のコミュニケーションの場合は、伝
達されたメッセージと意味は当該者以外に検閲されることはない。したがって、
通訳者はいずれのパーティが話したこともそれをそのままに、そしてメッセー
ジを省略したり、付け加えたり、あるいはメッセージを歪曲することなく、全
て伝達する必要がある。さらに、出来れば、通訳者はメッセージの内容を明ら
かに補足するような、特に相手側が気付いていなかったり、誤解されるかも知
れないような時には、これらのジェスチャー、ボディー・ランゲージ、また声
の調子の意味を伝達しなければならない。
忠実の原則は、通訳者が通訳者自身、メッセージの内容から距離を置くこと
のできる能力を持つこと求めている。このことは特に、内容が難しく、生々し
く、感情的なものを抱えたり、あるいは、通訳者に不快で苦痛でさえあるよう
な感情を誘い出すような時には、容易なことではない。しかし通訳者は、メッ
セージが彼ら自身にとって攻撃的であったり、あるいは言葉やメッセージの内
容が不快であるからという理由では、いかなる場合も、メッセージを省略した
り、歪曲してはならない。もし、通訳者が指針に則って自分たちの役割を遂行
出来ない時は、通訳者は患者にこのことを伝えて、この職務から手を引くべき
である。
患者が使用する言語は – なぜ医療提供者の診察を受けているのかを伝達す
る、受診に至った出来事(発症と症状)を説明し、将来への希望や要望を伝え
るために – 提供者が正確で相互に受け入れられる診断と治療方針に到達する
ために用いる重要な情報源である(Woloshin 等、1995)。通訳者は医療提供者が
これらのデータを利用出来るように一つの言語で伝えられたデータを提供者が
理解出来るフォーマットに変換するのである。医療提供者は、診断の手段とし
て何が言われたのかについての通訳者の説明を利用する。これを与えるさいに、
通訳者は情報のいかなる部分も重要なデータの情報源であることを心に留めて
おく必要がある。したがって、情報の何であれそれを省略したり歪めることは、
重大な臨床上の結果を引き起こすことがあり得る。
同様にして、医療提供側が使用する言語が患者にはデータの情報源である。
言語を介して、提供側は患者の心配事についての自分たちの理解を伝え、適切
な診断について話し合い、また、可能な療法や治療を勧めるのである。言語を
介して、医療提供者はまた、患者との関係、すなわち受信の結果に劇的な影響
を及ぼす関係を構築するのである。したがって、患者は技術的情報と、医療提
供者が患者、その人の健康と福利にインパクトを与えると思われる決定をする
さいに試みる関係の確立といった情報の、双方にアクセス出来るようにすべき
である。もし、通訳者が医療提供側からの全てのメッセージを忠実に伝達すれ
ば、患者はこれらのデータに完全にアクセスすることが出来る。
両者とも、通訳者はコミュニケーションの最も重要なルートを供給し、また
当然のこととして、元のメッセージの内容と精神を出来るだけ忠実に伝えて、
コミュニケーションを支える義務を持つ。
文化的状況内でのメッセージの忠実性
これまでは、私達は元のメッセージの内容と精神が忠実に他の言語で伝えら
れたことを確実にすることの重要さを説明してきた。なぜ、それに加えて“文
化的状況を考慮しながら”ということが必要なのか? 文化はいかに伝達の“忠
実さ”に影響を及ぼしているのか?
多くの言語学者が、とりわけ Sapir(1956)と Whorf(1978)は言語と文化の
相互関係を指摘している。彼等によれば、言語はいろいろな意味で文化の表現
であり、また文化が現実を作り上げる手段である。文化的体験は言葉に意味を
吹き込む。したがって、通訳者は使われている言葉を理解するだけではなく、
話の内容に意味を与えている、その根底にある、文化に根ざしている話を理解
しなければならない。
通訳者がしばしば直面する課題の一つが、“翻訳不可能の語”、即ち、他の文
化では比較対象となるものがない体験やコンセプトに関する言葉が出てくるこ
とである(Seleskovitch , 1978)。このような場合、通訳者が相当する語や表
現を見つけ出すだけでは十分ではない。と言うのは、コミュニケーションを発
展させ、あるいは理解を共有するとは何かと言えば、体験やコンセプトの全体
が意味するものを、その文化で、その個人に、伝達することなのである。
これは、通訳者は発話の全てに含まれる、文化的な一つ一つのニュアンスを
知り、伝えなければならないことを意味するのだろうか? 言うまでもなく、
そのような必要は無い。しかし、通訳者が知るべきことは、文化が意味に影響
を与え、そしてもし意味が共有されないと、誤った伝達や誤解が生じというこ
とである。したがって、メッセージに忠実であるために、通訳者は当該者にコ
ミュニケーションに文化的な壁がある可能性を当該者に警告し、そして、意味
が互いに理解できるように、メッセージの中に隠されている考えや、述べられ
なかった事柄を明らかにして当該者を援助する義務がある。
変換されたメッセージと不愉快な内容への忠実性
正確さと完全さに関して通訳者からしばしば提起される質問は、どちらから
か出された差別的な、偏見のある、あるいは悪口や名誉を傷つけるような批判
を通訳者は直ちに、完全に伝えるべきか、である。通訳者はしばしばそのよう
な批判を個人的には不愉快なものと思い、また自分自身の意見からではなくて
も、口に出すことを嫌がる者もいる。しかしこれは、通訳者がそのようなメッ
セージを省略したり、あるいは“それらを改めて、うわべを繕う”ための妥当
な、あるいは適切な理由にはならない。
通訳者は、言われた全てのことがデータの強力な情報源であることを覚えて
おく必要がある。患者の不愉快な言語の使用は、時には患者の病状の一部であ
ることがある。もし、通訳者がそのような言語を省略すれば、医療提供者は適
切な診断へと導くデータの価値ある一部を失うのである。
しかしながら、他の者がそれを思わず不愉快なものと感じたり、また無意識
のうちに患者-医療提供側との関係にネガティブな影響を及ぼすような発言が
されることがある。そのような場合、通訳者は自分自身の意見で話すことを考
え、話し手にその発言にはネガティブな効果があり得ると警告し、通訳者には
話し手が話したことを全て伝える義務があること、そしてもし話し手が望むな
らば、発言の内容を変えたり、考え直させてもよいだろう。
しかし多くの場合、患者と提供側の双方がお互いに誰かという感覚 – お互い
に話している態度から分かる感覚 – を得ることが重要である。
メッセージと通訳者の間違いへの忠実性
医療通訳者はストレスの多い条件下で仕事をする。このため、最高に能力が
あり、精通した通訳者でも時には一つの言語から他の言語にメッセージを変換
する際に間違いを起こすことがある。間違いに対する通訳者の倫理的義務とは
何であるか?
先ず第一に、通訳者は自分の通訳遂行に倫理的義務を持つということである。
既に述べたように、通訳者はユニークな立場にあり、多くの場合、その場で両
言語を理解している唯一の人物であるということである。したがって、通訳者
は自分の遂行を監視し、起こるかも知れない不用意な間違いを押さえる高度な
責任を持っている。間違いを起こした時、また間違いの内容が重要なものであ
る時は、その間違いを認め、訂正するのが通訳者の倫理的義務であり、元のメ
ッセージへの忠実性に適うのみならず、特に患者の福利の利益に適うものであ
る。
3.通訳者は、中立性を保つよう努め、相談したり、助言したり、個人的偏見
や信条を表明することを控えなければならない。
この倫理原則の意図ところは、診察の場で、患者と医療提供者の間のコミュ
ニケーションと関係を保証することである。
では、通訳者が中立的に働くとはどう言うことなのだろうか? 辞書には、
公平な(impartial)の同義語として、公正な(fair)、不偏な(equitable)、
先入観のない(unprejudiced)、偏見のない(unbiased)、客観的な(objective)
と書いてる。したがって、中立であるということは判断を下す時に好みや偏見
を持たずに、どちらの側にも、あるいは一方だけの立場に立つことのないよう
に行動することである。診察の場での中立性は、主に当事者間で話されている
メッセージの内容が対象となる。実際には、通訳者は何を伝え、また伝えるべ
きでないか、あるいはどのように伝えるべきか、を決める目的でメッセージの
内容を判断しない、と言うことである。それはまた、通訳者は診察の場では当
事者のどちらの側にもつかないと言うことである。診察の場では、通訳者は各
当事者の自主性と、自分たちが望むやり方で話す権利を尊ぶことである。通訳
者は自分自身で決定をすると言う当事者の権利を尊重し、したがって、通訳者
はどちらかの側の肩を持ったり、あるいは説得しようとしてはならない。
医療通訳者は診察の場で、自分はその場の相互関係に於ける第一義的関係者
ではないので、自分は決定したり、助言や相談にのったり、あるいは他の関係
者を弁護したりする立場ではないことを理解する。通訳者には、どちらの側に
対しても、直接、相談にのったり助言したり、あるいは、自分があたかもスピ
ーカーの一人であるかのように自分の偏見と信条を挟んだりして、自分の個人
的偏見や信条を、患者-医療提供者に押しつけてはいけないと言う責務があるこ
とを意味している。通訳者自身について言えば、通訳者は診察の場での自分た
ちの機能は、コミュニケーションの促進者であり、また、自分たちの責任は当
然、コミュニケーションの過程にあり、意味の相互理解を促進することにある
ことを十分に承知している。したがって、診察の目的について、当該者に助言
を与えたり、また相談にのることは通訳者の職務ではない。
多くの者が、通訳者は患者には関心を持つべきでないとか、無頓着でいいと
誤解し、誤った解釈をしている。これとは反対に、既に述べたことであるが、
医療通訳者倫理規定の最も重要なことの一つ、即ち、他の医療専門職の方々と
共有する価値基準は、患者の福利と福祉である。この基準の下に、通訳者は診
察の場での当事者の人間性と人間としてのニーズを十分に認識し、そして容認
するのである。癒しと元気づけの必要な患者に、共感をもって応えることは、
ただただ思いやりのある人間の反応なのである。
4通訳者は、個人的なかかわりを控えて、専門職のとしての範囲を守ら.なけ
ればならない。
この倫理原則には、二つの意図がある。1)通訳をするときに透明性を提供
すると、2)利益相反の可能性を避ける。
透明性
「プロとしての範囲を守る」ということは、通訳者は通訳の役割を務めている
時には医療通訳者としての義務を果たすことだけにつとめ、その役割以外のど
んな責任も負うことは無い。よって、通訳者は、通訳サービスに従事している
ときには、それ以外の役割はたとえそのことにおいて資格があっても無くても、
そのことに関わるすべての人の明確な理解を得ない限りは、責任を負うべきで
はない。
この倫理原則は、看護師のような、他の医療専門職の訓練も受けている通訳
者にとって、とくに重要である。これらのような、2 重のトレーニングを受けた
人は、それぞれの場合にどちらの役割を務めているかを明白にしておく必要が
ある。もしも、患者の福利のために他の役割や責任を負う必要がある場合には、
関連する当事者に、いつその役割の変化が起こっているかを明らかにしておか
なければならない。
「専門職の範囲を守って仕事をする」ということはまた、彼らの医療通訳者と
しての限界だけではなく、責務の限界も知っておくということでもある。また、
透明性は重要な要素である。たとえば、精神科領域の診察のような特別な状況
で通訳するようなときに要求されるだけの技能を持っていない時に、しかも自
分が唯一の都合がつく通訳者であるような場合がある。通訳者が要求されただ
けの技能がない場合は、倫理上は、辞退すべきである。任務の辞退が現実にで
きない場合には、通訳者は、まず関係者すべてにその能力がどれほどであるか
を知らせておき、そして同時に、できるだけのことをした後なら、任務を続け
てもよい。
個人的な関与と利益相反
また、この倫理原則は通訳者に、彼らが通訳をする人たちと個人的に関係を
持つことを避けるよう勧告している。患者の立場は、とくに医療提供者の言葉
を話すことができない時、あるいは医療システムと交渉するという能力がない
時には、非常に弱いものになる。通訳者は、自分の利益のためにこの弱さを利
用してはいけない。
個人的な関係はまた、通訳の妨げになるような、違った形の期待や要求をも
たらす。個人的な関与を避けることは、対立しあう期待と要求の間の利益相反
を引き起こす危険性を最小限にする。
これは、通訳者が友好的になったり思いやりを持ったりできないとか、公式
なあるいは非公式なセッションで、患者や医療提供者との親密な関係を築くこ
とを避けるという意味ではない。患者や医療提供者との親密さを深めることは、
通訳者のプロとしての役目の一部であり、必ずしも個人的な関与を意味しない。
親密さを築くということは、通訳者が患者に対し、通訳をする時だけでなく他
の場合にも、尊敬の念を持ち、文化的に適切なそして礼儀正しい態度で、接す
るということである。実際に、通訳者と患者の間の良い親密さは、患者と医療
提供者の間に癒しのある関係を築くことができる。もし、患者が通訳者といる
ことを心地良く感じたら、患者はこの感情を医療提供者に伝えることになるだ
ろう。
専門職の領域を守って、患者との個人的な関係を除外するということについ
ての疑問は、患者と同じ小さな、あるいは近く接した、言語文化のコミュニテ
ィー出身の通訳者にジレンマを感じさせることがある。そのようなコミュニテ
ィーでは、通訳者が患者と医療システム以外の場所で個人的な関係を持つとい
うことは避けられない。このような場合の通訳者の責任は、その個人的な関係
が、医療の場でもそれ以外でも、倫理の遂行を確実に邪魔しないようにするこ
とである。たとえば通訳者は、コミュニティーの中のメンバーやあるいはたと
え家族であっても、患者に明らかに許可を得た時でない限りは、医療現場で患
者について知りえたことを話してはいけないという守秘義務が課せられている。
通訳をするコミュニティーの社会構成の一部を成している通訳者には、彼らの
通訳者としての役目の遂行中にのみ得られた情報と、他の場合に学んだ事との
間に微妙な境界線がある。この微妙な境界線を対処するのは容易なことではな
いが、通訳者の倫理上の義務は、患者のプライバシーを守るために適切な決断
をするということである。
5.通訳者は絶えず、専門業務の任務遂行中に遭遇する、自分自身の、そして
他人の文化(生物医学的なものも含めて)に対する認識を高めるよう努めなけ
ればならない。
この倫理原則の意図は、文化は医療現場での中心的な要素であり、意味を創
り上げる上で不可欠であるということを認識するということである。
第一に、そして最も重要なことは、通訳者は彼ら自身が世界を理解するよう
文化の基本を理解して仕事をしなければいけない。われわれが世界をどのよう
に見るかということが、経験に影響を与え、何を理解して何を覚えるかに、影
響する。自分自身の文化を基本にした理解や偏見の認識を高めることで、通訳
者は他者によって表現されたメッセージの意味により関心を集中させることが
でき、無意識に自分自身の予想や偏見を混入されることを防ぐことができる。
この倫理行動指針は、実際に通訳者が彼らの任務であるもう一つの倫理行動指
針、つまり中立性を満たすことを助ける。
2 番目に、この倫理原則はまた、通訳者が任務を遂行する時にたくさんの文化
に出会う可能性があるということを認識している。これは、患者の文化につい
てすべて知っていなければならないという意味だろうか?あるいは、医療提供
者の文化を?あるいは、生物医学の文化を?明らかにそれは、不可能である。
どんな通訳者も、あるいはついでに言えば医療提供者も、与えられた情況で特
別な文化の信条や価値観を知るということは期待できない。文化は、人々が彼
らの独特の環境と経験、たとえば彼らの性格、家族の価値観と信条、階級、性、
教育と、そして他の個人的な特徴、また他文化への適応によって作られていっ
た抽象的なものである。だから、文化は、それぞれの個人で違った形で表れる。
通訳者の倫理的な義務は、文化の違いを超えてコミュニケーションを容易に
するために、文化と文化的習慣・信仰に十分な理解をもち、文化的な思い込み
や固定観念に基づいた誤解やコミュニケーションの失敗を最小限にとどめ、も
し可能であれば無くすることである。たとえば、文化的信仰や慣習の衝突、同
じ意味の言語がないこと、あるいは彼ら自身の言葉で違いをはっきり説明する
ことができないような状況では、通訳者はすべての関係者にこの介入について
よく説明するとともに、文化的情報を分け合い、またすべての人に理解できる
ような説明を助けることによって、支援するべきである。
医療現場で機能している主な文化の背景の知識を持つことは、通訳者に次の
ことを可能にする。1)彼らは話者の話したことの中により十分な意味の理解
を可能にし、2)文化の要素が2つの関係者間のコミュニケーションの欠損に
影響しているかということについての仮説を産み出し、関係者が共有する意味
で折り合いをつけるのを助けることができる。
文化的をよく理解することは誰の責任か?
多様な文化や言語背景を持って医療システムにやってくる患者の数の増加と
ともに、医療関係者や施設は文化に対応できるよう趣旨、仕組み、そして予想
を実行し始めた。これにより、医療通訳者の中には「なぜ文化理解の義務」が
あるのかという疑問を持つ人もいる。この疑問に対する答えは簡単である。
:文
化理解する能力は重要であり、通訳者も含めた医療チームにかかわる人すべて
が共有すべき倫理行動指針である。しかしながら、そのほとんどの場合におい
て、通訳者がコミュニケーションの過程や意味の創出に影響する文化的な要素
の知識や理解を一番持っていると思われる。そのため、本来のメッセージへの
忠実性を保つという倫理原則を遵守して、診察の目的に合わせること、つまり
患者の幸せのために、通訳者が診療に関係する人々の文化の理解を高め、この
知識を通訳業務に持ち込む義務がある。
6.通訳者は、すべての関係者を尊敬の念をもって扱う。
この倫理原則の意図は、通訳者に、彼らが診療にかかわるすべての人を、尊
厳と礼儀正しさをもって、そして自らを含めた個々の権利と義務を尊重して扱
う義務があるということを思い出させる。
この倫理原則の本質的な意味合いは、それぞれの関係者が診療に持ち込む自
主性と専門知識を尊重するということである。患者は、適切な彼らにかかわる
情報を受けたあとで、彼らにとって何が一番良いかを決定する権利を持つ。医
療提供者は、患者が情報を十分に得て選択できるように、彼らの知識を明確に
また客観的に提供する義務がある。通訳者は、すべてのメッセージを忠実に完
全に伝える義務がある。診療にかかわるすべての関係者の権利と義務を平等に
また尊厳を持って尊重することにより、通訳者は通訳をする診察の中で、相互
の尊重を築き上げることの手助けができる。
7.患者の健康、福利、あるいは尊厳が危険に晒されていると思われる時に、
通訳者はアドボケイト(擁護者)として行動することが正当化されるかもしれ
ない。アドボカシー(擁護的行為)は、健康上のよい結果を得るための手助け
の目的で、コミュニケーション促進の範囲を超えて、個人のために取られた行
動として理解される。アドボカシーは、状況を慎重に思慮深く分析した後で、
また、ほかのより介入的でない手段によって問題が解決されないという場合に
のみ取られるべきである。
通訳者は助けることはできないが、診療現場で見たこと、体験したことが良
いか悪いか、正しいか間違っているかの証人にはなることはできる。不幸なこ
とに、通訳者は任務の遂行中に時々、不正や個人、あるいはもう少したくさん
の人を脅かしたり、医療機関の中の違ったグループにネガティブな印象を与え
るような不適切な行動を見ることがある。そのような場合には、通訳者はアド
ボカシーの役割、つまり彼ら自身の声で、「訴訟の申し立てをする」とか、「不
正を正す」といったことをする倫理的な必要性を感じるかもしれない。
医療通訳者に関するアドボカシーの考えは、論争を呼んできたし、またこれか
らも呼び続ける。規定の最初の原稿の中で、STC 委員会はアドボカシーについて
触れた指針は含めなかった。しかしながら、フィードバックの中で、活動して
いる通訳者はアドボカシーについての指針を必要としているということが明ら
かに示されていた。多くの人は、他の人が、アドボカシーになるという理由で
特定のことをすることを妨げられると感じていたが、反対に、不適切な状況で
その役割をすることを頼まれると感じている人たちもいた。
しかしながら、この論争の大部分は、アドボカシーの意味と現実の場面での
それが意味するものとの混乱から来ている。もちろん、アドボカシーは、倫理
規定の中立性、つまり、診療現場においてコミュニケーションの中身について、
自分で判断しない、片方の味方をしない、あるいは個人の意見や偏見を述べな
いということと相反する。しかし、これらの禁じられた行動は明らかにアドボ
カシーの例ではない。アドボカシーの行動は、何かが正しくなくまたその間違
ったことを正すために行動が必要であるということの、明らかな筋の通った所
見から起こるべきである。アドボカシーは、深いレベルで、患者の健康や福利
(社会的なもの、感情的なもの、そして身体的なもの)を向上させ、害が加え
られていないということを確実にするために、医療に携わる全てのひとの倫理
的な行動の中心となる。
通訳者は、関係者によって違ったふうに見られる。一方では、侵略的な存在
であり、患者と医療提供者との近い個人的な関係を邪魔すると言われる。また、
一方では彼らの存在は「忘れられる」あるいは、重要でないと考えられる。こ
の後者の場合には、関係者は、尊敬の念を持った個人間の相互関係や倫理規約
を越えたことを言ったりしたりする可能性がある。通訳者が見たり経験したり
したことが、患者たちにとって、あるいは、ついでに言えば、システムの中の
ほかの人たちにとって、重要なよくない結果となる可能性があり、関与した全
ての関係者とともに法的に解決するという努力がみな、不成功に終わった時に、
通訳者は他の同じ状況の中の専門家のように、不当な扱いを受けた人々の代わ
りに行動を起こして擁護するという倫理上の義務がある。原則的に、通訳者は
「証言する」という義務があり、それは、不正行為の証言を適切な団体に、行
われた不正行為を正すために提出するということである。
しかしながら、でしゃばったアドボカシーは簡単には行われるべきではない。
通訳者はこの行動は注意深いまた、思慮深い状況の分析の後に行うべきである。
アドボカシーについての決定にさいして、彼らはこの分野のスーパーバイザー
や同僚のアドバイスを望むかもしれないが、そういったアドバイスを求めると
きには、団体の匿名を守るということを忘れてはいけない。全ての場合におい
て、彼らは、自分が通訳をしている状況で、そのような行動をとるには何が適
切な手段や手順であるかを見つけて、それに従う必要がある。全ての場合に、
通訳者は関係者のプライバシーと権利を尊重した方法で振舞わなければならな
い。
8.通訳者は、絶えず知識と技術を高めていくよう努めるべきである。
この倫理原則の意図は、通訳者は彼らが通訳する内容と状況の理解力の育成
と技術の研鑽を継続することを確かにすることである。
正確に確実に通訳する能力は、広く拡大すると、通訳者が通訳をする内容と
コミュニケーションの状況の背景についての知識がどれだけあるかによる。
(Seleskocitch、1978)医療通訳の分野では、最も顕著な知識とは、医療状況
(たとえば、基本的な身体の部分や機能と、よくある病気や症候群とそれぞれ
の治療など)と、通訳者が通訳をする患者の種族の社会文化状況(たとえば、
健康と病気に関する信仰、民族病とその治療、そして病気の提示に対する同化
と文化適応の影響など)が含まれる。これは、通訳者が、それぞれの分野で医
療専門家や人類学者が持っているような深さや幅の知識を持つことを期待され
るという意味ではない。しかしながら、より多くの背景の知識を持つ方が、よ
りメッセージの意味が十分理解されてそれによって変換が元のメッセージによ
り忠実になると考えられる。
通訳者はまた、言語能力と、通訳技術を継続して発展させ高める責任がある。
言語能力については、通訳者は継続的に両方の言語の上達に勤めるべきである。
その中には、正確な構文、表現の流動性、理解力のレベル、そして、発音の明
瞭さなどがある。言語は継続的に変化していくので、通訳者の責任の一部とし
て、新しい展開と、あまり訊きなれない言葉の多様性に遅れずについていくこ
とである。通訳技術については、通訳者は彼らのメッセージをどちらの方向に
も、正確にかつ早く流動的に転換する能力を強めるように努力するべきである。
他の通訳技術には、通訳する前により長く緻密な意味のチャンクを保つ能力を
向上させたり、あるいは記憶を助ける手段を使うことなどがある。
専門的職業は動態体系であり、環境に応じて変化する。新しい知識が作りだ
され、違った方法論が発見され、そして新しい技術が作り出される。
彼らの知識、技術を高めるという倫理的な義務は、通訳者個人個人にあるので
あって、雇用者にあるのではない。プロとしての上達を通訳者に継続させる機
会はたくさんある。2~3例を挙げると、専門的な団体に所属したり、これま
での書物を読むこと、実地訓練や監視、そして研修会や会議に出席することな
どである。
9.通訳者はどんな時も、専門家としてそして倫理的なマナーで行動しなけれ
ばならない。
この倫理原則の意図は、通訳者は常に彼らの職務の誠実さを維持するマナー
に従って行動することに努め、そして彼らの専門職の価値と倫理規定を維持す
るということを確認することである。これは、彼らがその任務を完璧に遂行す
るということである。つまり、彼ら自身の遂行と態度をモニターし、それには、
いつ引き下がり、そしていつ失敗を認めて訂正するかなども含まれる。また、
彼らの専門職に尊敬を期待するのと同時に、他の専門職を尊重する。そして、
人種、階級、性的指向、あるいは彼らのサービスに対して払える能力があるか
ないかなどの、個人的な特徴に基づいて、通訳を提供する中で誰をも差別しな
いということなどである。
倫理的に行動するということは、通訳者は任務を遂行する間に得た個人につ
いての知識を、個人的な利便性のために使用してはならないということを意味
する。彼らは、関係者から恩義を被るためにサービスを控えてはいけない。彼
らは、健康のために必要とするサービスを受けることができるようにするため
に頼ってくる患者の弱さを、悪用してはいけない。
プロフェッショナリズムと、患者からの贈り物
この倫理原則は、患者からの贈り物について何を意味するのか?患者はしば
しば感謝の印と彼らが受けたサービスへのお礼として贈り物を持ってくる。そ
のような行動はまた文化的なしきたりの反映でもある。そのような贈り物を受
け取ることは、倫理に違反するのだろうか?
通訳者が贈り物を受け取ることが倫理違反の要素になるかどうかを決定する
のに利用することができる2つの経験則がある。最初に、通訳者は自分が通訳
をする医療機関の贈り物の享受についての方針を知ってそれに従うことである。
多くの機関の方針として、感謝の気持ちを示したいという人間の願いを認めて
いる。その願いはしばしば文化的な価値観や慣習を具現化している。そのよう
な方針は、贈り物を拒否することが、関係における信頼を破壊する可能性があ
る侮辱として解釈されるかも知れないということを認識している。そのため、
彼らは、どのような贈り物は受け取ってよいか、またどのようなものは受け取
るべきでないかの指導をしている。2番目に、これは一番大切なことかも知れ
ないが、通訳者は贈り物を贈るということが、通訳者に影響して優遇的なある
いは特別な治療を手に入れようとしているのかどうかを判断するよう努めるべ
きである。贈答の背後にある動機を示すものは、贈り物の価値にあると考えら
れる。もし、その価値が日ごろ「しるし」として考えられるものを越えている
なら、その贈り物を受け取ることの適切さについて疑問を引き起こすであろう。
通訳者が、その個人的な贈り物を受け取るか、あるいは潔く辞退するか、ま
た通訳事務所の代理として受け取るかのいずれを選択するにしても、彼らの任
務は全ての患者に報酬や代償を求めることなく公平な態度で適切なサービスを
提供することであることを明確にするという義務がある。
結びの言葉
この資料の最初に述べたように、倫理規定は指針であって、実用書ではない。
注釈の中で、多くの倫理原則が相互に関連があることを見たことであろう。ま
た、特別な状況で倫理原則同士が対立するということもわかるであろう。倫理
上の行いの中での対立は避けられない。倫理規約がすることは、単に、専門家
が真剣に考えて彼らの行動を選択する時に秤にかけるのに必要とするような指
針を提供するということである。
倫理規定は何が適切かということの要約書であり、理想化された概念である。
しかしこれらの要約された倫理原則は違った人々の交流や特別な状況で湧き起
こる疑問に答えられはしない。専門家は彼らが取るかも知れない行動の結果を
判断して最終的に選択しなければならない。倫理規定は専門家に、彼らのプロ
の目的が促進され、そしてその誠実さが保たれるために選択をする時に考える
のに必要な理想と価値観を提供する。
全米医療通訳者倫理規定が、国家レベルで明瞭性と一貫性を提供することに
よって、専門家の質を上げることに寄与することが、NCIHC と、STC 委員会の希
望である。また同時に、NCIHC と STC 委員会は全米医療通訳者倫理規定が、この
分野が発展し成熟するにつれ、進化し続けるための生きた資料であると認識す
る。
参考資料
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邦訳
水野 真木子(金城学院大学)
石崎 正幸(みのお英語医療通訳研究会)
西野 かおる(みのお英語医療通訳研究会)
邦訳担当順
原文
The National Council on Interpreting in Health Care
Working Papers Series
A NATIONAL CODE OF ETHICS FOR
INTERPRETERS IN HEALTH CARE
The National Council on Interpreting in Health Care
http://www.ncihc.org