当たり前?いや、偉大な発見?

当たり前?いや、偉大な発見?
中川 健治
『零の発見』
吉田洋一著
岩波新書
「かくして零の発見、単なる記号としてばかりでなく、数としての零の認識、
つづいては、この新しい零という「数」を用いてする計算法の発明、これらの事
業を成就するためには、けっきょくインド人の天才にまたなければならなかった
のであった。
」同書 p.20より。
私はこの本を読むまでは、零の発見なんて大げさなことを言う必要があるんだ
ろうか?と思っていた。3,2,1と一つずつ下がってくれば次は0に決まって
いるんだから、インド人が発見しようがしまいが関係なく、人類の誕生以来すで
にあったんだろう、と簡単に思っていた。
しかし、そんな簡単なことではない、ということがこの本を読んで初めて解る。
ユークリッドは既に、紀元前四世紀頃に『幾何学原論』を著して、幾何と論理
の大系を建設している。それならすでにその頃には0もとっくに発見されている
んだろうと我々は考える。しかし、なんと0が発見されるのは六世紀である。
『幾
何学原論』から千年経過して0が発見されたということは、0の発見が自明なこ
とではない、ということがわかるであろう。
私の自宅の近くにソロバン塾がある。夕方になると小学生たちがソロバンを習
いにやってくる。電卓がある現在でもソロバンは大事なのであろう。そういえば、
私も小学生のときに授業でソロバンを習って、それで桁上がりについて理解でき
たことを懐かしく思い出す。本書は、インド人による零の発見を、まずソロバン
の話から始めている。ヨーロッパにおいては計算はすべてソロバンによって行わ
れていたらしい。著者は数字の役割を「記録数字」と「計算数字」に分けて考え
ている。当時は計算はソロバンで行って、記録を数字で行っていた。つまり、計
算をソロバンで行っている時代には数字によって計算が行われていなかったので
ある。
ソロバンで2006を入力することを考えてみよう。千の位の下の玉を2個上げて、
百の位、十の位は何もせず、一の位の上の玉を下げて下の玉を1個上げる。この
ようにして計算を行って、帳面に記載するときには二千六と書く。日本式の漢字
表記では計算を行うことは困難であった。
「二千六たす三千八百二十五」を筆算で
はあまりやりたくないであろう。日本式数字表記では、桁が上がるときに新しい
1
数詞が必要となる。一、十、百、千、万、億、兆、京、…。本書では、エジプト、
ギリシア、ローマにおける記数法についても記述している。ローマ数字では10は
X と表わされ、 X が置かれる場所には依存しない。例えば、XVIII は18を表し、
CLXXX は180を表す。 C が100でL が50である。これらの記数法に共通する性質
は、一つの文字が一つの数を表していることである。これでは文明が発達して人
間が大きな数値を扱うときには不便であろう。もっといえば無限に大きい数を扱
うためには無限に多くの数詞を作る必要がある。しかし、それぞれの国、それぞ
れの時代において、不便ながらもそれぞれの記数法が数千年にも渡って使われて
きた。
そこでインドの登場である。インドでは6世紀頃に現在のような0,1,…,
9という有限個の記号を用いて全ての数を表す記数法が発明されたらしい。この
記数法こそが0の発見である。例えば、
「二千六」と「2006」違いを考えてみよう。
二千はいつでも二千を表す。つまり、一万二千と書かれたときでも、二千六と書
かれたときでも、二千が置かれた場所に関係なくいつでも二千を表すということ
である。それに対して、2006の2は常に2000を表すということはない、右から数
えて4番目に置かれているから2000を表すのである。このように置かれた場所に
よって位を表す方法を「位取り記数法」と呼ぶ。この位取り記数法によって、有
限個の数字でいかに大きな数も表せるのである。つまり、使用する数字は有限個
だが、その数字が書かれる紙の面積は無限なので、無限個の位を位置で表す位取
り記数法によっていくらでも大きい数を表すことができるのである。そこで、も
う一度2006に注目すると、ソロバンでは右から3番目の0と2番目の0の位置で
はソロバンの玉は初期位置のままであり、それによってこの位には何もないとい
うことを表している。つまり、百の位と十の位は「無」である。この無を表すの
に0が発明されたのである。無の認識である。無を0と表したのである。これは
偉大な一歩である。本文 p.12には「この一歩こそは人類文化の歴史における巨大
な一歩であった。
」と書かれている。
現在、国によって異なる言語が使われているが、記数法は世界中で統一されて
いる。位取り記数法こそが唯一の記数法である。
我々が生まれる前からすでに存在している概念は、つい当たり前のことと考え
てしまう。しかし、我々が学習できるということは優れた概念であるからこそ歴
史的に生き残って来たのである。当たり前のことももう一度原点に立ち返って考
えてみると、我々は偉大な文化の上にいるんだな∼、としみじみ思う。
参考として、これも現在では当たり前のこととして扱っている「対数」の誕生
2
についてドラマチックに書かれている志賀浩二著『数の大航海対数の誕生と広が
り』
(日本評論社)も読むことをお勧めします。
執筆者紹介
中川 健治
本学准教授。専門領域は、待ち行列理論、ネットワーク特性評価、応用確率論。NTTの
研究者から、本学へ。入学・進級時のプレースメントテスト(難しかった?)でキチン
と学力をチェックするだけでなく、その後の学習サポーター制度も作って運用している
学生思いの先生。藤原正彦氏の本はベストセラー作家になる前から、全部読んだという。
『書名』 著者名(翻訳者名) 出版社または文庫・シリーズ名 出版年 税込み価格
『零の発見:数学の生い立ち』改版 吉田洋一著 岩波新書 1979年 735円
『ユークリッド原論』 I.L.Heiberg 編(中村幸四郎[ほか]訳・解説) 共立出版 1971年
5,985円
『数の大航海:対数の誕生と広がり』 志賀浩二著 日本評論社 1999年 品切
ブックガイド目次へ
ブックガイド目次へ
3