太宰治「葉」論 : 〈不安〉にたどり着くまで
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野口 尚志
日本語と日本文学
53・54
1-19
2012-08-30
http://hdl.handle.net/2241/117682
太宰治 ﹁
葉
﹂
尚
志
第一輯に掲載されたものである。これは、﹁晩年﹂収録作以前
巻頭を飾る﹁葉﹂は、もとは昭和九年四月、文芸間人誌辺巴
る安藤宏氏は、連句の歌仙形式がとられていることを認めた上
識i l散 文 と 詩 の 交 孝 ul iにそって再発見されたもの﹂とす
2
.葉﹂を構成する習作群は、あくまでも執筆時間有の問題意
ないか﹂と指摘して、後続の論でも概ね了承されていると言える
り、先行する研究では、﹁排列構成はそれが書かれた年代順に
で、その形式が選び取られた背景には、﹁告白﹂と付句式に挿
に﹁小説﹂を超克していく﹁詩﹂の論理を見、﹁作者が近代小
がイメージを映発しあう象徴空間として生み出されてゆく点﹂
説の自意識を止揚してゆく為の一つの重要な選択肢として、述
入される勾の間の﹁付けと転じ﹂の効果、つまり﹁言葉と言葉
い﹂るとし、石間善治郎氏は﹁絞言風のものが、小品や長篇の
の心構の起伏を排列のリズムによって緊迫した形で表現して
匂の付合の伝統を選、びとってゆく形跡は明らか﹂であるという。
よっているものと推定される﹂(鳥居邦朗)とされている。奥
一部と対等の位置を保って、変化に富んだ一篇をなしている﹂
この二つは﹁位相を異にする波動として互に干渉し合い、時に
氏は﹁葉﹂に﹁自意識﹂と﹁死﹂の二つの主題があるといい、
一点に収束し、合体していく﹂と指摘する。連句の歌仙形式が
相互をうち消し合うようにして作品後半部へむかい、やがては
に非連続な、異質のものの同時進行であり、葛藤であるととら
従来の小説概念を破壊した小説である﹂などとしており、これ
えて、その認識を追求しているのであろう。だから、これは、
と述べ、荻久保泰幸氏は﹁作者は、人生というものをこのよう
野健男は﹁物語りとしてはつながっていないにも拘らず、作者
⋮
に発表されたか、発表はされなかったものの執筆されていたと
渡部芳紀氏が﹁連句の歌仙の形式が、踏まえられているのでは
構成に関しては、年代版に並べられているということに加えて、
として読む姿勢を一応は見ることができる。その﹁葉﹂の作品
らの論者には単なる断片の羅列という以上の、まとまった一編
︿不安﹀ に た ど り 着 く ま で iii
111
で先行論の跨題点と本稿の呂的
口
考えられる自作の引用を主とする三十六の断ヰ早から成ってお
太宰治の第一創作集﹁晩年﹂(昭十一・六、砂子屋書一涜)の
野
さム
長
野
語
0
を用いて呉体的に断章相互の共鳴関係をどのように読むことが
選ばれた理由と﹁葉﹂の主題とを交錯させ、さらにはその論型
き出そうとしているということである。
うにか、なる。﹂という党情を決めた心境への変化の過程を描
は後に回すことにする。先行論において、﹁葉﹂の断章の配列
エピグラム、ならびに冒頭の断章一 j 一二について、その解釈
ただし、安藤氏の論は、作者太宰治の過去の実体験を背後に
できるかにまで踏み込んだ注目すべき論と言えよう。
は年代版によっているとされているが、これらの部分に関して
ことから﹁現在(引用者注i l﹁葉﹂発表当時の昭和九年)の
置き、﹁それを具体的事実として﹁告白﹂せずに、それにまつ
心境を述べたもの﹂としている。私見では賛同し得ないが、断
て、前出の渡部氏の許釈は、本文中に﹁ことしの正月﹂とある
場を取っている。しかし、先に引いた奥野龍男の一吉にもあるよ
章凶以降の時間の流れからは独立し、﹁葉﹂の構成を先取りす
はそれに当てはまらないと考えられるのである。新し羊一に関し
うに、﹁作者の心情の起伏﹂は読み取ることが可能であり、作
わる悲劇の存在するらしいという﹁事突いのみを暗示してゆく
中に浮かび上がる︿死﹀や︿芸術﹀についての作者の姿勢は、
の具体的な解釈は全体を見渡してからでなければ行うことがで
る目的のためにあるのではないかと考えられる。そのため、そ
という戦術﹂(傍点原文)の中に、この﹁葉﹂もあるという立
十分に汲み取ることができると考えられる。さらに、石間論や
この部分は、﹁葉﹂以前に発表された作品からの引用である。
,- 3 0
ナムし
さて、断章四1六に関しては、以下の点を先に指摘しておき
きない。
渡部論などが試みたような新章それぞれの個別の解釈に留まら
ず、﹁葉﹂全体の一つの流れを提示することも可能ではないか
と忠われるのである。
本稿では、第一に﹁葉﹂全体の﹁心情の起伏﹂を評釈的に読
み坂っていきたい。それを行うことで、有名なエピグラムの意
来の論では出典(﹁習作﹂とも呼ばれる)における解釈を﹁葉﹂
出典は﹁彼等と其のいとしき母﹂(﹁細胞文芸﹄昭三・八)。従
の当該部分にも当てはめて読むという方法がなされてきた。そ
味を明らかにすることができると考える。最終的には、この時
のため、渡部論のように、﹁葉﹂に採録されていない部分の記
期の作者の問題意識の一端を抽出することを試みたい。加えて、
断章形式が連句の形式に倣ったとのみ一一一一口われてきたことについ
さの背景に、発狂の恐怖がかくされているといってもよい
るのかもしれない。﹀という文が続く。断章④の暗い寂し
出品胤(には、断章④のあとに、︿若しかすると、気が変にな
述を根拠に解釈を加えて行くことになる。
ても、異見を述べることが可能であると忠われる。
二.引用のニ面性、主題の提示︿翫章四 j六
﹀
﹁葉﹂について最初に言えることは、この作品は冒頭の﹁死
なうと思ってゐた。﹂という投げやりな心境から、末尾の﹁ど
-2-
川の恐れでもあった。断章④の背後に芥川の自殺の投影を
だろう。それはまた、当時、太宰が心酔していた晩年の芥
で既に指摘されている)。つまり、﹁葉﹂の草稿を仕上げる際に
とができるならば。﹂までは、出典にない記述である(渡部論
る。この主語の相違は看過できない。断章凶と五は﹁竜が(ま
ほどに﹁私は﹂とある部分は、出典では﹁竜二は﹂となってい
付け加えられた部分ということになる。次に後半部分だが、中
こういった具合である。しかし、このやり方にはかなりの問題
る。このような明らかな作者の操作の痕跡を認めることができ
たは﹁彼が﹂)﹂であるのに、断章六だけが﹁私は﹂になってい
読みとるのもおもしろい。
る改変がなされているからである。つまり、作者自身が出典の
い。さて、断章六の﹁私は﹂という主語に注目すると、断章凶
る以上、出典に施しえる解釈のまま﹁哉さを読むことはできま
があると思われる。出血ハから﹁葉﹂に採録する際に、作者によ
文脈からの切り離しを施している可能性が高いということであ
1六にはどのような読みが可能になるだろうか。
る。これは﹁葉﹂という別他の作品内での他の断章との連係を
考慮した結果であろう。出品胤(は硲かに解釈の有力な根拠にはな
断章四を単体で読んだ場合、前半には﹁人糞の処誼﹂に代表
ている(実際は子供が糸をつけて引摺っていた)という﹁天変
される︿日常﹀に倦み疲れた﹁彼﹂、後半には﹁石塊﹂が這っ
るが、﹁葉﹂という作品内でいかなる役目を担っているのかと
﹁彼等と其のいとしき母﹂の﹁葉﹂中に採録された部分(断片
いう点にもBを配らなければならない。
として捉えてしまう。﹁彼﹂が﹁その日その日を引きずられて
事に押し演された﹁彼﹂は、﹁天変地異﹂をも︿日常﹀の延長
地異﹂を平然と受け入れる﹁彼﹂の姿が掛かれる。日常の治末
るように提示されている。﹁彼等と其のいとしき母﹂は﹁光一
四1六)は、予備知識のない読者でも連続していることが分か
郎(﹁葉﹂では﹁兄﹂)﹂﹁竜二(﹁竜﹂)﹂の兄弟と﹁母﹂の三人
るという表現とは対応関係にあると見るのが自然であろう。﹁石
同判寸川
暮してゐる﹂という書き出しと、﹁石塊﹂が﹁引制HJ
塊﹂は﹁彼﹂のメタファ!となっているはずである。のろのろ
が主要な登場人物となっているが、立さの断片山の第二段落﹁新
のだ。﹂までは、﹁兄﹂の体験を述べた部分に当たり、それ以外
隔絶し、感覚が鈍く閉ざされていて、しかもそこから自力で脱
と引摺られる﹁石塊﹂のように、目的もなく﹁独り﹂で位向と
宿の歩道の上でぶから同じ断章閤の末尾﹁自棄が淋しかった
は断片六の前半を除いて﹁竜一こを視点として警かれた部分で
出することもできないが、それをいつまでも没然と受け入れ続
ある。すなわち、断章四は、もともと﹁兄﹂と﹁竜一このこつ
の主語で語られる異なるレベルの文章としであったものを、
欝﹂を抱えたまま死に行く自分を﹁いぢらしく﹂思う﹁彼﹂。﹁殉
そんな生活が﹁憂欝﹂として断章五に川引き継がれる。その﹁変
けている﹁彼﹂。それが﹁自棄﹂と表現されている。
さらに重要なことが、断章六に二点、見つけることができる。
豆さに収める際に混成する形となっているのである。
まず前半、すなわち﹁冗はかう言った。﹂から﹁信じさせるこ
-3
情﹂とは、﹁感情に全てをまかせること。また、そのありさま﹂
はあるが、かといって心にもないことを述べることもできない
向から逆らうようなことは.汀うことができない。﹁一見﹂に遠慮
・﹁葉﹂
兄の此の言葉を意外に感じた。
殺をもっと打算的なものとして考へて居た矢先だったから
又日んは自殺を感傷的なものとして嫌った。だが竜二は、自
-﹁彼等と其のいとしき母﹂
ついて、出典と﹁業﹂を比較するとこうなる。
先ほども述べたように、前半は出典にはない。 さらに後半に
する。
﹁私﹂。そこで万葉を選び、﹁考へ考へしながら﹂、﹁兄﹂に返答
二日本一倒語大詐典﹂)のことだが、発表当時に即座に思い出さ
れたのは佐藤春夫の詩集であろう。
かの病劇しき者の附くことによりて箆かにその病苦を一掃す
仰い、殉情の人は歌ふことにこそ総かに慰めはあれ、特へば、
o きれば哀傷の到るものある毎にわれは恒に私に歌
料州U
うて身をなぐさめぬ。(佐藤春夫﹁殉情詩集自序﹂(吋殉情
詩集い大一 0 ・七、新潮社)
病者が苦しみのあまり仰き声を漏らすように、自分を哀れんで
感情のまま涙を流した自分を恥じた﹁彼﹂だが、﹁兄﹂に励ま
は、自殺を処世術みたいな打算的なものとして考へてゐた
また日んは、自殺をいい気なものとして嫌った。けれども私
ない兄弟像との繋がりを見出すことができる。断章五は小説作
この兄弟の関係からは、前の断章五の普段は打ち解けることの
矢先であったから、兄のこの一一一一口業を意外に感じた。
されることで救われる。が、すぐにこの﹁兄﹂との埋めること
断章四、五では、︿日常﹀と︿感情﹀とに引きずられ、何一
のできない径庭を思い出す。
されている。この部分は、そういった﹁彼﹂という一つの人物
つ主体的に選び取ることのない﹁彼﹂という人物の姿が描き出
像を示すことが目的であったと思われる。そのため、出典の重
兄の描写、ということになろう。
品として、断章六はその小説のモデルとなった現実の﹁私﹂と
それが断章六になった途端、﹁小説﹂の話へと転じる。主語
要な登場人物である﹁母﹂は出てこない。
﹁私﹂は小説を書いている人物であるらしいことが分かる。
朗氏がこの﹁葉﹂に﹁生命感覚の軽さ﹂を見ている。少なくと
ものとして﹁自殺﹂を捉えているということであろう。鳥居邦
が、断章問、五で拙かれたような人生の行き詰まりを打開する
また、﹁自殺﹂が﹁処吐術﹂というのは一見矛盾するようだ
さらに﹁兄﹂は、文学に関わりがあるのかどうかは不明ながら、
もこの部分まではそう言える。ただ、﹁葉﹂全一織における﹁死﹂
は変更されて﹁私﹂となる。
﹁小説﹂というものについて一家言ある人物として出ている。
(
οゐ)
まったくの素人ではないらしい。﹁私﹂はそんな﹁兄﹂に真つ
-4-
の感覚が﹁軽さ﹂で覆われているわけではないと忠われるのだ
って緊密なつながりを持っている。その両者は必ず︿芸術(文
させたい一行﹀と、そのために用意された長文の相互作用によ
いる。﹁葉﹂は、︿芸術(文学)﹀と、︿死﹀とその意味の変遷を
学)﹀ということと、︿死﹀ということの表裏の関係を形成して
が、それについては全体を網羅した後で考える。
断章四、五は、﹁私﹂が色濃く反映されたところの﹁彼﹂の
しかし﹁できるならば﹂という仮定形で切れていることは、﹁一
べる。これは断章九だけでなく、問、五にも響く言葉であるは
まだ独自の作風にはたどり着けないことを自制気味に七で述
断章七から、︿文学的自叙伝﹀が開始される。
一
一
﹀
﹁花﹂と﹁糞﹂︿断章七 j十
主題としてつくられた断章群による作品である。
姿を描くという一面と、﹁兄﹂が﹁まだるっこい﹂という﹁小説﹂
の﹁百頁の雰詔気﹂の一例として、﹁私﹂が書いた小説を提示
る。﹁小説﹂の書き手である﹁私﹂は、﹁たった一行﹂で﹁真実﹂
するという一面との、二つの側面を持った断章であると思われ
行﹂だけで信じさせることは時によっては留難であることも知
ずである。八で、水が時間かけて講をつくるように、文学も勉
{水到ツテ渠成ル︺水流れ来りておのづから講をなす如
-5-
を﹁信じさせることができるならば片そうありたいと思う。
という作品の構成についての言及でもある。アフォリズム風の
強と修練との結果で自然と出来上がるはずなのだが、それだけ
悉していることを示している。これは、以下に続くこの﹁葉﹂
短い句と、小説と忠われる長文が交互に現れる一見特異な構成
では﹁真似﹂から脱け出すことができない。
{水到渠成}水が流れ来りて自然に﹁ミゾ﹂の出来るを
ミヅイムノリキヨナル
では次のように解説されている。
﹁水到りて渠成るよこの故事成語は、当時普及していた辞書
を取った動機を示しているのである。この意味で、安藤氏のニ一一口う、
この一節がはからずも物語るように、﹁葉﹂を構成する習
交差点iiーにそって周到尉剖料出制州である
作群は、あくまでも執筆持溜有の問題意識iil散文と詩の
いふ、学問を積めば自ら道の修るに験ふ、(簡野道明﹁増
く、学問をつめば、おのづから道徳の修まるをいふ。(翠尚
修故事成語大辞典い大一冗・一 O、五・由図版、明治書院)
そしてこの断章六は﹁小説を書くこと﹂、つまり芸術に専心
一詰大辞典い明白三・三、大一五・一一一九版、有朋堂)
という考察は、領くことができる。
はほとんどが自殺として出てきているてという、この作品に
九の﹁哀蚊﹂は、﹁形式には、﹁雛﹂(注i i芥川龍之介)
することと、﹁自殺﹂、つまり死ということ(﹁葉﹂における﹁死﹂
﹁葉﹂は単なる断片の羅列ではなく、断片のそれぞれは、︿信じ
込められたこの二つの主題を明らかにしている断章でもある。
,
mペ
Jt/
の
ている。しかし、﹁心は、彼のものであった﹂とも述べている。
響が認められた﹂、つまりある意味では﹁真似﹂であると認め
である。傍証として、次の文京を引用する。
うな﹁市民﹂が︿芸術﹀に凝るなど目障りでしかないというの
一一一一口つて居るやうである。つぎの一言葉が、成り立つ。﹁それ
百姓、職工の芸術。私はそれを見たことがない。シヤルル・
を創る芸術家に、金が、あればあるほど、佳い。さもなく
くための様々な要素を学んできたこと、それが﹁水到る﹂とい
芥川をはじめとする様々な文学作品に触れ、そこから作品を書
が隠し切れない。それでも﹁彼の生涯の深沌を解く﹂﹁鍵﹂と
ば商才、人に倍してすぐれ、(恥 つべきことに非ず。)画料、
ルイ・フイリップ。彼が私を一度核させただけである。私は、
なるくらいに、﹁彼﹂の﹁心﹂を描き得ている。
稿料、ひとより図抜けて高く売りつけ、山一品潤なる精進をこ
否、人々は、あらゆるクラスの芸術を、ふくめて、芸術と
では、断章七、八と九の冒頭を読んだ後、そこに﹁哀蚊﹂の本
そすべき也。これ、しかしながら、天賦の長者のそれに比
まだ﹁十九議﹂という若さの頃でもあり、形式に他作品の影響
文が続くとどうなるだろうか。先に断片十を見てみると、﹁芸
し、かならず、第二流なり。﹂(﹁碧眼托鉢ブルジョア芸
うことであろう。そして成った﹁一渠﹂の一つが﹁哀蚊﹂である。
術の美は所詮、市民への奉仕の美である﹂となっている。この
(9)
一 0 ・七)の記述を
一言葉を﹁盗賊﹂(﹁帝国大学新開﹂昭一 0 ・
術に於ける逆命﹂吋日本浪受派﹄昭一一・一 O)
る
。
l
汝はかの楽器をかなで、制利叫叶叶州刻刻剖パ げ
、 世の群富
﹁この花を見よ﹂﹁この花を見よ﹂と舷きつ二
私も亦花作りに苦労してゐる。
石関論も指摘するように、太宰の書簡にほぼ同じ発想が見られ
︿芸術﹀を﹁花﹂という比聡で表すことに関しては、渡部論、
への挑戦という読みも可能となる。
工﹂はプロレタリアートを示し、断章十一はプロレタリア文学
ここにはプロレタリア文学への対抗意識がうかがえるが、﹁大
J
もって渡部氏は﹁あきらめ﹂であるとするが、しかし﹁所詮﹂
という言い方には、﹁市民への奉仕﹂ということに対して、多
少なりとも槻りのニュアンスが感じられるのではなかろうか。
﹁哀蚊﹂には、たくさんの﹁芸者衆﹂、﹁離座敷﹂のある屋敷、﹁百万
の身代﹂、﹁官岡本﹂に凝る老婆、﹁乳母﹂など、一般的な感覚か
らはかけ離れた生活の様子が描き出される。﹁彼﹂の家の様子
J
は断章十の﹁市民﹂と対照させられているのである。名 一本の育
ちである﹁彼﹂が、﹁市民﹂への奉仕として﹁芸術﹂を与えて
やる。だからこそ、断章十一﹁花きちがひの大工がゐる。邪魔
だよという倣慢な一一一一口葉も出てくるのである。この﹁花﹂は︿芸
をなぐさめん。
術﹀の比織であることは先行論でも指摘されている。ただし﹁大
のような育ちのものこそがつくれるのであって、﹁大工﹂のよ
工﹂は太宰自身を指しているのではあるまい。︿芸術﹀は自分
6
(私は正気で言ってゐるのですよ)(昭七・
次のように説明されている。
現在では、過激極端、超越的といふ意味に用ひられるウル
一・二五、
断章十こには前半に﹁花﹂、後半に﹁葉﹂が登場する。﹁まち子
トラ・リンケンと云えば極左翼、ウルトラ・インペリアリ
ラテン語で、元来は向ふ側、向ふの方といふ意味の副詞。
・ウルトラ
は限を伏せて﹂と﹁僕はせせら笑ひ、ズボンに再手をつつ込ん
た説)。我が国でウルトラ/¥と騒ぎ立てる場合は、大抵
ズムと云えば超帝国主義(日和見主義者カウツキiが唱へ
今官一宛)
で﹂という記述も対照的である。﹁花﹂は芸術の比織であるから、
極左翼主義などといはれる如く、発作的に運動全体から
・小児病(ショ!ニピョ i)
極左といふ意味に用ひられてゐる。
前者はあくまで謙虚に﹁花﹂を求める心を口にしている。それ
とは別に﹁葉﹂をつける﹁樹の名﹂を知りたがる﹁僕﹂の態度
は倣慢である。﹁葉﹂も︿芸術(文学)﹀の比倫であることに変
みず観念的公式的に政策を実現しようとするもの。その容
孤立して突進するものであり、また客観的情勢をもかへり
わりはないのだろうが、﹁花﹂とは性質の異なる文学なのであ
ろう。どちらも醜いものを秘めている。﹁葉﹂の青さは次の断
ットによってこの誌が、汎く用ひられるやうになった。そ
る。レ i ニンの﹃左翼共産主義の小児病﹄といふパンフレ
態が子供の病気に似てゐる所から小児病と云はれるのであ
章の﹁小児﹂の青さと関係している。文壇を席巻したプロレタ
リア文学の比総として、﹁諮問い﹂﹁葉﹂を出し、それを求める人々
の倣慢さを描き出したのがこの断章ということになる。以下、
当時のドイツと英国の共産党内の一派に対して痛烈な批判
プロレタリア文学との関わりが語られる。
勾﹁功利性﹂を求めない︿芸術﹀へ︿断章十一一一 j 二十一﹀
る。(いずれも一-プロレタリア文芸辞典﹂昭五・八、白揚社)
が左翼を罵言するために、意味を曲げて府ひてゐる語であ
の中では、議会利用主義反対や右翼組合への潜入反対等の
断章十三は﹁学生群﹂(円座標﹂昭五・七1十 こ か ら の 引 用
成を阻害することを顧みないといふので、左翼小児病とも
極左翼主義。余りに急進過激で、反って問主義の呂的達
・ウルトラ・リンケン (CIgtロ片
g 独)
がなされてゐるものである。我が間では社会民主主義者共
である。断章十二の﹁青い﹂が﹁青井﹂とつながってくる。﹁車内
い葉﹂は﹁青井﹂を見立てたものと考えられる。﹁小作争議﹂
せる。とすると、﹁青井﹂と﹁哀蚊﹂の﹁私﹂はかなり近い人
が起こるような家は、断章九﹁哀蚊﹂の抗かれた家を思い出さ
・ウルトラ・リンケン
いふ。(吋ウルトラモダン語辞典い昭六・六、一誠社)
ルトラ﹂と﹁小児病﹂という語に関しては、同時代の辞書では
物ということになろう。﹁青井﹂は死を口にする。ここにある﹁ウ
7-
一一
桜左翼と訳す。レ!ニンの所潟、左翼小児病を意味する
2プロレタリア科学辞典い昭六・七、山淵書院)
﹁小児病﹂はレ i ニンによる誌であり、小児病の進行が急速で
え始め、末尾でしっかりと出まるのである。であるから、ここ
年﹂。そのままで美しい数字の縦列が、算術の︿勉強﹀という︿将
感じ、逆にその解符が記されてあるのを﹁無礼﹂と感じる﹁少
0
も出典の文脈からは切り離し、﹁葉﹂での意味合いを考えるべ
﹁小児病を克服せよレ!ニン吋小見病いの紹介﹂吋司社会問題
米役に立つこと﹀のために用意されていたことを知って失望す
次に断ネ十問、﹁少年﹂が笠場する。数字の羅列を美しいと
きである。
研究﹂昭問・九、に詳しい)。断章ナ一一一はそれを否定する﹁死ぬ
あることを左翼運動の急進性の例えとしたのである(川上取
なんて馬鹿だ。﹂が二回繰り返されて終わる。だがそれは出典
る。こういった功利性は﹁プロレタリア文学﹂のことを指すと
考えられる。﹁学生群﹂中に次のようにあるのを傍証としたい。
争﹄はない。
そしてそれが立派にプラスの生活だ。青井、若に一死ぬ程の
彼は此の P高に入る時から、ブハ i リンやスターリンの著
書をトランクの底に忍ばせて居た。それから三年、彼は主
として P高の芸術運動の先鋒となって、とにかく活躍して
棄した。芸術迷動は、階級闘争の輝ける逃避場である。芸
矧倒料利引制叫叫日引問↓寸刻川出削判例寸叫吋寸刻創刊州 d
相似刻倒剖リ寸1A1
組州制引制叶寸叫吋州司叫瞬附刻制到し
対料川例制叫叫ォ割削倒剖岡引制引創出制引制斗引魁刻。
術は、殊に文学は決して革命家を養成しない。浪漫的な、
居た。それがつい最近に至って其の芸術運動をあっさり放
アートの生活に移行してみるよう、大地主の息子の青井を励ま
と、﹁小早川﹂が、﹁死んだ思ひ﹂でブルジョアからプロレタリ
﹁功利性﹂ゆえに﹁(プロレタリア)芸術運動﹂を﹁放棄﹂す
(
ω
)
るのだった。(渡部論もこの部分を踏まえていると忠われる。)
井は、そうして芸術運動を潔く放棄した。
引叫叫4メ例刻利倒↓対調引制説術謝守 州制刻州制判制剥
凶剣側剖リ川ォ寸州側附は制剤叫凶到尉樹刻叫利刈叶│/青
U
随って没落の見えすいた革命家のみを作る。(中略)引利
だが、それぢや、あんま
+
γ
ト ブ 王 、 子3
十
﹂
也
、
﹂
ヲカォ了寸
プー
﹁:出来るかも知れない。
りだ。あんまりだ。
そして十五には﹁何を笑ふやレニン像、
と﹁鳴明り始め﹂、﹁小早川﹂もその気持ちを理解するという展
での︿生活﹀へと心境が変化するという流れをさらに後に用意
小見病的な左翼急進主義の陥穿からは脱出し、﹁小児﹂から
開になる。ここが続けて引用されなかったのは、﹁死んだ忠ひ﹂
していたからであろう。そういった心境は断章二十一以降に見
8
ロレタリア文学の﹁功利性一点張り﹂に寄り添うことはどうし
はいくらか成長して﹁少年﹂になり、その自で見てみると、プ
てもできなかった。自分の求める美しさはこういったものでは
ない。そんな私を﹁レニン﹂や左翼運動の仲間だった者たちは
笑うかもしれない。しかし﹁レニン﹂がもはや銅像になってい
心身を捧げて行こうという決意が頭をもたげる。
︿生活﹀としての︿結婚﹀︿断章二十ニ j 二十九﹀
二十二の﹁留建場﹂は、左翼運動との関わりと想起させると
しかしそんな状況にこそ春が間近になり﹁花﹂が開く、つまり、
︿芸術﹀への曙光が見え始めるが、そんな特になって、﹁巡査ひ
同時に、誇りを奪われ打ちひしがれた状況を表すとも取れる。
とりひとりの家﹂について思いを馳せるような心境、すなわち
るように、左翼運動に関わったことは過去として清算したい。
た﹁功利性﹂とはまるで無縁の﹁処世術﹂が思い出されてくる。
人間の︿生活﹀ということをようやく考えるに至るのだった。
断章十六。左翼運動から離れたとき、子供の頃、叔母に言われ
ことがある。この﹁いんけん﹂さに彩られた﹁刑罰﹂は、確か
﹁強いる﹂本人は﹁知ってい﹂るのに、﹁告白﹂せねばならない
︿生活﹀と︿文学﹀という問題がここで見え始める。
う意味で、むしろ中間に敢えて置き、双方との共鳴が狙われて
というものの本質を、二つの体験を通して思い知らされたとい
に見られる心中未遂を行った際の取り調べを指すか。﹁告白﹂
までに引き続いて左翼運動での宮懇の取り調べを指すか、十八
十六も持ったような、むら気で落ち着かない﹂様子と取り、一ニ
ことを示すためであろう。﹁十六魂﹂を、竹腰幸夫氏は﹁魂を
いった一般的なつつましい人間の生活を見つめ始めたという
登場するのは、︿生活﹀に忠い至った持に初めて家族や夫婦と
はなかった(出典の主要な登場人物である)。ここでようやく
場する﹁母﹂は、本来は断章四、五、六で盛場してもおかしく
そして︿生活﹀を臨めるために結婚する。二十三に初めて登
に功利性とは程遠い。十六と十七は﹁嘘﹂と﹁告白﹂でもって
いるのであろう。渡部論にあるように、﹁妻﹂の裏切りを太宰
つながることを安藤論が指摘している。断章一七は、断章十五
が﹁告白﹂させているという作家情報に頼った読みは、﹁葉﹂
谷憲正氏も資料から﹁移り気﹂であることとする。これは断章
つできたら、今度は﹁死なう﹂などと思い始めている。これは
二十四に続き、その通り﹁私﹂は移り気で、﹁妾の教育﹂が成
本文のみを読んだ際にはできない。
左翼運動からの離脱、女性との別離を経て、議賊に遭うよう
一日一﹁死﹂から逃れたはずが、ここで再び﹁死﹂を考えるよう
断章一の﹁死なうと思っていた﹂のリフレインとなっている。
に自分の意志でないまま徐々に誇りが奪われていく様子が十九
で語られ、そうすると︿芸術﹀で名誉を得ょうと考えていた自
二十八の季語﹁鬼すすき﹂を用いた俳句はそれほど多くない。
になっているのだ。
分が滑務に見え始めたことが二十の挿話で表される。だがそこ
で初めて、名誉を得るためなどではなく、﹁蕃薮の花弁﹂に焼
き焦がされて死んだメフィストフェレスのように、︿芸術﹀に
-9
五
=Z2250円。コ﹂という一行の、感嘆符を置き、 =Z22226=と
渡部氏は﹁関係ない﹂というが、﹁たった二一口知らせて呉れ!
(日)
なで 1見 て ・ 手 の 内 切 る な 鬼 簿 二 雑 俳 住 吉 お ど り ﹂ 元 禄
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5
55σ 同ω︿2 ・=Z2250門へ(ポ i ﹁ 大 鵜 ﹂
一八四五年。野口米次郎﹁研究社英米文学評伝叢書九三ポ
g
九年)
﹁病む妻﹂、そして二十九の津軽弁の民話風の挿話は夫婦生活
﹁鬼すすき﹂は葉が鋭く、手を切りやすいものとされている。
の起伏を示していると思われる。﹁(ふるさとの言葉で。ことい
う但し警きが、書き手の幼少時に間開いた昔噺を想像させる。拙
かれる山火事が夫婦の危機を感じさせる。
オ﹂昭九・一 O、研究社、より)
原詩のこの形を踏襲しているはずである。この形は原詩では、
断章二十七に関しては、まず渡部論を引く。
﹁東京八景﹂の昭和七年の初夏に当たる部分に︿或る日の
さらに、右に引いた第十五速の﹁弓立。5﹂は﹁嘆願する﹂とい
第八、十四、十五、十六、十七述に見られる(全十八連のうち)。
を向かされた﹀とあるような、妻の過去における異性交渉
う意味で、鵜に向かって﹁教えてくれ﹂と嘆願しているのであ
が、﹁猿面冠者﹂に︿ひとりで何もせずにぼんやりしてゐ
う。︿知らせて呉れ!﹀と言う言い方がちょっと気になる
は、﹁鬼神﹂(日夏取之介訳﹃世界文学会集三七近代詩人集﹄昭
詩 中 で 宗 主 コ-2門同ぬぐにこと呼びかけられるが、この﹁仏2
2﹂
BOBる。﹁大鵜﹂は、﹁私﹂が鵜に問いかけ、そのたびにつZ20円
﹂
司
という答えが返ってくるという詩なのである。さらに、﹁鵜﹂は、
五・五、新潮社)、﹁魔鬼﹂(山石野泡鳴訳﹁訳註近世英文学﹄明
のイメージは断章二十六の﹁人を乗せたまつくろい馬こあ、風
4
凶二・閤、有朋堂)、﹁鬼﹂(野口米次郎の解説。前掲)などと
みたいに馳せていたずおん﹂と、つながりを持ってくるのでは
訳されている。これは断章二五の﹁鬼すすき﹂と、また﹁大鵜﹂
と繰り返す鴻が出てくるが、あまり関係ないだろう。前後
なかろうか。そもそも﹁大鵜﹄という詩は今はなき女性の揺影
1
るときには、どうであらう。口をついて出るといふのであ
副剣凶州側矧出削剥U創刊引制刻U計り州出割引例刻刻刻
を知ったことへのショックを反映させている。もう二度と、
事、同じ高等学校を出た経済学部の一学生から、いやな話
﹀
の関係からも、二度とそんなことはしないでくれというの
ぶ 割引引引引叫﹁
4 川パ判制出州﹁ 川叶引顕現制刻引 1
外
斗
ルレ i ヌの﹁土星の子の歌﹂の中に﹁Z何︿何回云 OHNH﹂
W と
川引剰刺刻引刈利け叫↓対樹叫叶川引制叫同ベ割引505
が一番ぴったりする。
10-
より二八六八年)は、堀口大学が﹁かえらぬ昔﹂と訳した(﹁ヴ
たとされるヴェルレ i ヌの﹁Z出︿何同冨OHNMと(﹃土星の子の歌﹂
を求めて鴻に問いかけるという内容であり、ポ!の影響を受け
ら来た烏でもあって、最終速はこうなっている。
とになろう。﹁大鵜﹂の﹁鵜﹂は﹁陰府﹂あるいは﹁冥府﹂か
つZ225202﹂(二度とない、もはやない)だった、というこ
エルレ!ヌ詩抄﹂昭二・二、第一書房)ことからも分かるよう
に、過去となった恋人との蜜月を思い出す詩である。﹁葉﹂の
﹀
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断章二十三以鋒が、結婚←妻iv病む妻、そして夫婦の危機を思
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﹀ロ(日Eωめ可gum戸︿mw何回一一匹め話。55問。同mw(UBop-ω 岳町二広
わせる二十六の挿話、という流れになっているのを考えれば、
つZめ︿252め=﹂がポ i の﹁大鵜﹂、そしてその影響を受けたヴ
とすると、断章二十七はどのように読めるだろうか。従来の
エルレ l ヌの詩の題を意識していることは否定できまい。
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民同問hEprμbp出陣内b出
険回件出戸以回出に沼戸h出わい医hhp
ω﹃丘二)mw一志。巳
江
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論では、寸-2225052﹂を﹁知らせて呉れ!﹂と一一一一口って
いると取られていた。﹁知らせて呉れ!﹂と叫ぶ人物と、
さればこそ大鶴、たえて刻らず活然としてその座を占めつ、
つZ22・52めコ﹂を求める人物は同一ということである。しか
し、﹁大鵜﹂の、問いかけ←返答(=Z22・50門町)という形を
その陸こそ、げにや魔神の夢みたるにも似たるかな。
慢が房室の一扉の真上なる巴刺斯神像にぞ棲りたる。
灯影は禽の姿を映し出で、床の上に黒彩投げつ。
いう嘆願に返ってきた答えがつZ22Boz-叩﹂だった、という
ことになる。こうなると、ここが、﹁誓って呉れ﹂でも﹁約束
免れむ使、だもあはれなれ
剖利引引鎖州叶札制例制判叫出制叫べ引州州出川矧刻州問
踏まえているとするならば、﹁たった一言知らせて呉れ!﹂と
して呉れ﹂でもなく、﹁知らせて呉れ﹂と撃かれていることが
つまり死から逃れることは﹁もはやない﹂という。夫婦の関係
ウ山崎﹂の﹁影﹂から私の魂(ωo三)が逃れることはできない、
111
またとなけめ。(日夏秋之介訳、前掲)
重要になろう。﹁葉﹂の断章三三に﹁知らされた﹂とあるが、
この場合は︿知識を得る﹀ということを指している。ではこ
は、何らかの図答や救済のしるしを求めて﹁大鵜﹂への問いか
が二度と戻らないということが、断章二十四の﹁一兆なう﹂とも
の断章の場合はどうか。﹁知らせて呉れ!﹂と叫んでいる人物
に戻るような手立てがあるのなら知りたいが(ヴエルレ i ヌ
関わりを持ってくる。二十六の山火事ともあいまって、夫婦の
けが繰り返されたように、危機を迎えている夫婦の関係が元
の詩﹁Z出︿出向玄O月一巴のように)、しかし返ってくる答えは
11-
危機が﹁死﹂をも予感させる深刻なものであったことを一百外に
続く二十八の﹁ねこ﹂がメリメ﹁カルメン﹂の姉、つまり女
一諮っているのがこの一行である。
︿芸術﹀を裏づけるものとしての ︿
生活﹀
断水一一一十になって、それでも小説を書く姿勢を見せる。﹁白
ニ
六
﹀
︿断章一ニO j一
である(太宰の作品では﹁狭面冠者﹂認幽い昭九・七、にも登場
性の比喰であることは、同時代の読者にも了解可能だったはず
する)。﹁恋﹂が﹁容れられた﹂途端に噛み付かれる。この部分
(芸術派の文学)も売って来たが、それらが人々の手に渡った後、
の偲総となっている。﹁赤い背﹂(プロレタリア文学)も﹁白い苦﹂
響き合ってくる。時間をかけて恋を成就させた途端に﹁死なう﹂
系の露関逝人﹂の花売りの話である。この﹁花﹂もやはり︿芸術﹀
と患い始めるまでの経緯が小話の形をとって挿入されている。
る。ここには既に﹁芸術の美は所詮、市民への奉仕の美である。﹂
と述べた頃の倣慢さはなく、自分の書いたものが花開いて人々
花開くかどうかは分からない。﹁咲クヤウニ﹂と祈るのみであ
避が断章一一十九で述べられる。これは先行論に指摘がある(鳥
のわずかな慰めとなることを真撃に願っている。﹁、ネルリ﹂は
ドストエフスキ!﹁虐げられし人々﹂の登場人物である。また
婚・夫婦生活という、芸術や文学観と直接のつながりがないこ
そういった作家であることの葛藤が投影されている。一見、結
るを得ない。﹁役者になりたい。﹂には、単に現実逃避以上の、
わりがない。創作された作品も、どこかで自己の反映とならざ
ても、諮られるのが自分告身である限り、状況の深刻さには変
ない。他者の諮り・テクストの中に自己の状況をはめ込んでみ
クストをつむぎ出す作家である自分にそういったことは有り得
テクストとの間に生々しいつながりはなくともよい。しかしテ
葦乱麻を焼き切る﹂﹁日本浪長派﹂昭一一・一)
ホフ、たちまち十指にあまる勢ひではないか。(﹁もの思ふ
リ、トルストイ、ドストエフスキイ、アンドレエフ、チエ
り友たり得るもの、プウシキン、レエルモントフ、ゴオゴ
これも、と佳き工合には、断じていかぬゃう告。君の兄た
非ず。州制刻刻引制ォ副司到闘刈叫刻引制剖リ刻。あれも
古事記。日本書紀。万葉の国なり。一長編小説などの屈には
の出。十九世紀の一露一山一生は、小説家の国なりき。日本は、
以て之を覆ひたくなって来るのである。フランスは、詩人
小説論が、いまのやうに、こんぐらかって来ると、二一一口、
太宰に﹁一露一山並は、小説家の国﹂という言及がある。
で、作家という存在についての省察に結びついているのである。
ている。他者のテクストを演じる﹁役者﹂であれば、実生活と
借りながら夫婦の深刻な状況をすくい上げるという形が-取られ
ここでは、昔噺、ポ!やヴェルレ i ヌ、メリメなどの表現を
居論)。
そしてその現実が虚構の世界のものであったならという現実逃
は断章二十八の手を切りやすいものとしての﹁鬼すすき﹂とも
包」凶ー
とを述べているように見えながら、﹁役者になりたい。﹂の一行
一-12-
、
ノ
﹁花を売る﹂ことは少女の︿生活﹀の基盤そのものである。同
じように、﹁花﹂(芸術)を売ることを︿生活﹀としていこうと
いう姿勢が見て取れる。
一三・一 O改版、春陽堂)
﹁サフオ﹂の容貌は美しくなくかったが、詩の﹁かくはしき才
浮薄さからも抜け出して、文学に向かう姿勢も変わってきた。
である。続く断章三十四i 三十六で、ついに﹁生活﹂と︿創作
いと分かった時に、身投げをした。︿詩﹀と︿生﹀は等価なの
解してもらえないと分かった時、すなわち恋に破れざるを得な
色を今に語り継がれてゐる﹂のである。そんな彼女は、詩を理
それが三十一。そんな自分に作家としての﹁春﹂は近いのだろ
活動﹀が一体化されるに至った﹁私﹂の姿を見ることができる。
倣慢さをそぎ落とされ、芸術家であることの﹁悦惚﹂だけの
あるはずで、﹁手放しで︿春﹀を期待する印象﹂(渡部論)とい
うか。三十二のこの問いかけは先の見えない不安を語るもので
終えた時の自分は﹁きれいな顔﹂に見える。﹁春ちかきや?﹂
のとして置かれる。美人でない﹁サフオ﹂と対照的に、仕事を
︿芸術﹀はもはや﹁仕事﹂と呼ばれ、﹁生活﹂の基盤をつくるも
始める。状況としては、﹁一番うったうしい時期﹂、すなわち﹁死﹂
学﹀に敗れること H身投げ H自殺、という︿不安﹀もある(﹁お
という問いかけと共に、︿詩﹀(文学 ) H ︿生﹀であるから、︿文
続く断章三十三。本当に書きたいものを書いていこうと考え
を強く意識している時期であった。どんな﹁ロマンス﹂を書こ
-13-
う読みは当たらない。
うか。そう考えて、﹁サブオ﹂に突き当たる。先行論では指摘
茶のあぶく﹂が身投げの海の泡と重なるという指摘が渡部論に
ある)。それを抱えながらも、﹁仕事﹂を着実に進めさえすれば、
どうにかしていけそうだ。そういった覚悟を語って、﹁葉﹂一
がないが、この﹁サフオ﹂の伝説は次の資料に拠ると思われる。
サッフォ iω 名目﹀ぎは希磁文学のずっと初期に時めいた
編は閉じられる。
まず一は先に述べたように﹁死なうと思ってゐた。﹂という投
全体を見通した後で、エピグラムと冒頭の三つの断章に戻る。
﹁悦惚と不安﹂ の意味︿エピグラム、断章一 j 一
ニ
﹀
女詩人でありました。彼女の詩で今に残ってゐるのはほん
の断片でありますが、それに依っても十分優れた詩才が
分ります。サッフォーには大抵かう一五ふ話がついてゐま
M4502と呼ぶ美しい青年に烈しい
一
g? をすると、よし死にきれなくとも其恋が癒されると
だが、﹁ノラ﹂が﹁廊下﹂に出た時点で﹁帰ろうかしら﹂と考
二はイプセン﹁人形の家﹂の結末を踏まえていることは明らか
げやりな心境であり、﹁死﹂も﹁処位術﹂的で、現実感が薄い。
弥生子訳吋希服羅馬神話伝説の時代﹂大一一・一一、大
同射針樹間対と云ふのであります。(パル 7インチ・野上
門
云ふ迷信を信じて、リュ l カ デ ィ ア F22HE の抑から海
恋 を し ま し た が 、 片 恋 で あ っ た の で 、 恋 の 身 投 ク FO︿ 買 が
す。彼女はフアオン
七
えている。﹁家﹂の内と外の中間で迷っている状態と取れる。
という点、第二にそういった当初の﹁未熟﹂な﹁死﹂の捉え方
と述べているが、氏の論は、まず第一に、﹁葉﹂は﹁死﹂の意
(本文中では﹁処世術的﹂と述べられている。作者はその﹁未熟﹂
味合いを一つ回定しているのではなく、その変遷を述べている
さに十分気づいているのである)から、詩(文学)に破れるこ
それが三になると、﹁わるいこと﹂をせずに家に帰るというこ
連句の歌仙形式では、一から三匂までを﹁発句﹂﹁脇句﹂﹁第
とになる。それを﹁姿﹂が﹁笑顔、を持って迎へ﹂る。
一一こと呼び、四匂以下はまとめて﹁平匂﹂、そうして三十六匂
と H身投げという形で、文学への敗北と死を等価なものとして
こういった︿文学鋭﹀と﹁死﹂の観念の変遷をたどる玄米﹂
自を﹁挙句﹂と呼ぶ。いわば一 j 三句は﹁起承転﹂であり、挙
の展開を包含する言葉としてあるのがエピグラムである。﹁私﹂
る点で維があろう。
考えていた投げやりな時期、文学と実生活との問で揺れた迷い
には﹁悦惚﹂に当たるものは初めからあった。﹁芸術の美は所詮、
抱くに至る末尾へと変化するという点、この二つを見逃してい
の時期、そうして妻を迎えて﹁生活﹂を見つめ始めた時期。そ
こういった役自を負わされていると考えられる。﹁死﹂を軽く
うなると、断章二十四に再び﹁死なう一という一言葉が出てくる
市民への奉仕の美である﹂﹁花きちがひの大工がゐる。邪魔だ﹂
句が﹁結﹂ということになる。﹁葉﹂の冒頭の三つの断章も、
のも理解できる。﹁結婚﹂に至って死から遠ざかったかのよう
という断章などに見ることができる。そういった倣慢とも言え
る文学への姿勢が、様々な山折を経て二十八や二十九のような
に思えたが、再びそういった状態に戻ることになった。そこで
﹁どうにか、なる﹂という思いに至るまでが仕切り直す形で語
謙虚な心境へと変わっていく。そうすると、﹁悦惚﹂としてい
た頃には考えもしなかった﹁春ちかきや?﹂で表されるような
られている。
将来の展望のなさにも気づき始め、そういった︿不安﹀を内に
先に述べたように、﹁葉﹂は文学観の変遷と同時に、それと
表裏一体ものでもある﹁死﹂の意味の変遷を語ってもいる。笠
抱えたまま﹁どうにか、なる﹂と気持ちを留める、そこまでの
︿
,- 3 0
ナム hU
最後に、﹁葉﹂でとられている断章形式について触れておき
八.断章形式について
︿不安﹀の両者を手に入れるまでの過程を諾った作品である。
過程を﹁葉﹂は語っている。ニ一一口うなれば、﹁葉﹂は、︿悦惚﹀と
原伸夫氏が、
太宰がどのように昂揚してみせても、﹁葉﹂を組み立てて
いる語り手の意識が、なんとも未熟であるのは打消しよう
があるまい。︿死なうと思ってゐた﹀などといわずに、持
でも死んだ方がよい。他人はそう思う。太宰が畏敬してや
実に死ぬ方法はいくらでもあるのだから、総れてでもなん
M)
まぬ芥川龍之介は失敗などしていないではないか。
1
4
わされている様々な詩学・文学上の方法論を視野に入れれば、
が下されてきた。だが、﹁葉﹂発表当時に文芸誌上等で取り交
先行論においては、この形式をもって﹁前衛的﹂などの評価
かんに紹介されていた海外からの方法論にも自を向けておきた
る。しかし、性急に結論を出さず、右のような理由から当時さ
﹁散文と詩の交錯点﹂を見つけるという問題意識をそこに重ね
式の影響を見る傾向が強い。また先に引いたように安藤宏氏は
る。だが、﹁葉﹂の形式について、先行論では連句の歌仙の形
ドイツ文学
こうした形式を作者に選ばせる素地は十分にあったと考えられ
短文の羅列という外形だけを見れば、こういった形式は当時
者の小牧健夫が当時次のように述べている。
。
、 先に触れたノヴァ lリスの﹁断片﹄については、
EV
る
。
随想集﹁保儒の一一一一口葉﹂(昭二・二一、文芸春秋出版部)は容易
も決して珍しいものではない。芥川龍之介のアフォリズム風の
るから、その時々の気分の影響を受けて、全体を通じて緊
﹃断章﹂(引用者注iii﹃断片﹄のこと)は、体系的に纏め
に想起されよう。また、﹁断片﹂(昭六・一二、第一番一房)は、
密な論理の一貫を求めるのは無理である。しかしそれは随
上げられたものでない上に、これを書いた時自も区々であ
また一.詩と詩論﹂(昭三・九創刊)誌上には、︿キュピスム﹀
筆的な感想でなく、パ寸け叶刈剖叫副利創出町制刻矧謝判制
ドイツの詩人・小説家であるノヴァ lリスの遺稿である断片を
の代表詩人とされるマックス・ジャコブの詩および詩論(後
集成したものである。
に﹁殻子筒﹂として単行本化。北川冬彦訳。昭四・五、厚生間
践者とされる滝口修造や春山行夫をはじめ、上田敏雄、竹中部、
の全般に通ずるノ、ワiリスの根本的な思想傾向が認められ
U 寸割引は謝割判吋↓釧判明叶は凶1λ 引
州刻叫剥到似紺矧出
築き上げる意図のあることを云ってゐるのであるから、そ
北川冬彦等々が、単語と単語、あるいはセンテンスとセンテン
裂な、散り散りばらばらの書き集めと見る可きではない。
引所判同制叫刻川制司刻刻。それは屡人が一五ふ如き支離滅
寄宿)、日本における︿超現実主義(シユルレアリズム)﹀の実
スとの共鳴効果を狙ったと忠われる散文詩を数多く発表してお
とし、﹁ノヴ l リスの世界観、及芸術観は、何よりも
州制刑判同制引制パ。
の網の自を辿って、判↓例制叶は洲川引制刻刻剖例刻刻刻
多少の晦渋と多少の接着に昨易することなく、一世々は関連
り、形式だけに注目するなら﹁葉﹂と酷似すると思われるもの
もある。
ここで重要なのは、﹁葉﹂に見られる、断章相互の共鳴効果
といったものは、芥川の定作儒の一一一同業﹂、また芥川を模したと
j 一一・ごなどには認め得ず、むしろ︿詩﹀として発表さ
考えられる太宰治の﹁もの思ふ葦﹂(刊日本浪受派い昭一 0 ・八
qgmBgg)
に於て最もよく窺はれ﹂、﹁そこには、 ノワ i リ
れているそれらの作品に近いものを見出せるということであ
-15-
スの無辺際に拡がらうとする多方市の関心と、あらゆる印象を
性・フラグメント性の保持と、その結果としてのモンタージュ
手法についてはどうだろうか。中村三春氏は﹁引用本来の断片
さらに、やはり九時紹介されていた︿モンタージュ﹀という
るが、本稿では一同時代的な文眠から考えてみたい。現在ではエ
化﹂として﹁葉﹂が︿モンタージュ﹀的であることに触れてい
(山口)
には︿断章﹀という形式の利点が述べられている。作者の﹁世
鋭く反射する敏感性とが現はれてゐる﹂と評僻している。ここ
界観﹂や﹁芸術観﹂、﹁根本的な思想傾向﹂といったものが、断
ものとしての︿超現実主義(シユルレアリズム)﹀が、用語と
また、当時既に︿キュピスム﹀や︿コラージュ﹀を包摂する
ぎない﹂とし、︿モンタージュ﹀を﹁修辞学﹂の一つであると
ないが、われわれ文学者の側から見れば実に出くさいものにす
は、成程映画の世界に於ては比較的新しいものであるかも知れ
︿モンタージュ﹀だが、中村喜久夫は、﹁モンタi ヂ ユ そ の も の
イゼンシユタインに始まる映画の編集上の用語として知られる
しても方法としても浸透していた。こういった手法はピカソや
位置づけて、次のように説明する。
ったというのである。
寧であるがゆえに、簡潔ながらも鋭く表現することが可能にな
キリコなどの絵画の方法を文学・詩学に持ち込んだものである
ンであった。その﹁超現実主義宣言﹂は﹁詩と詩論﹂誌上に連
が、とりわけそれを理論として確立したのがアンドレ・ブルト
関する研究と云ふ点において等しい。第二、映画の︿個々
第 一 、 モ ン タ 1 ヂ ユ も 修 辞 学 も 、 と も に テ ク ネi の特性に
二つの思想が顔をつき合わせてゐる。一つが勝手にふる舞
り、かかるカットと云ふ偲々の映画語の構成によって、す
だ夫れだけでは文芸に於ける文字のやうに意味が不定であ
ンは、﹁対話﹂ということを述べている。
載されている(昭由・六、九、五・三、六)。その中でブルト
ふ、も一つがそれを気にかける、しかしどうした訳でそれ
によって始めて明確な芸術的意義を得るとなす点は、単語
な は ち ︿ 映 画 の 文 章 ﹀ 玄ggm めtωω誌に組立てられること
の カ ッ ト ﹀ 冨 OD片 山 間 め ∞
Eは 、 モ ン タ i ヂ ユ 論 か ら は 、 た
は、いつかはそれが他の思想とともにする全生活の可能を
を気にかけるのか?一つが他への合併を仮定すること
満ちあふれでゐる社交性の努力とわれわれの持ってゐる大きな
二対の一見無関係に見える言葉、その﹁不秩序﹂は、﹁そこに
頼せず、これを破壊し、裁新し、組合せると云ふ映画における
関係性によって観念を表現することに擬している。﹁現実に依
で︿表現﹀として立ち上がることを、詩や小説が単一訪問と単一誌の
映画における﹁個々のカット﹂が他の﹁カット﹂と関わること
とそれらの構成によって表現された観念との関係に等しい。
習慣と﹂によって﹁減少せしめ﹂られる。﹁不秩序﹂が人間の﹁想
許すことになる。
像力﹂によって詩的表現へと変貌させられるという。
1
6
劫や山田孝雄の言語学も援用しながら、︿モンタージュ﹀につ
命を暗示﹂するという。ほぼ問時期に、半谷三郎は、︿永田二尽
モンタ l ヂュの理論は、一同時に、小説における一切の方法の革
に連語を含むのが通例であるが、このように︿モンタージュ﹀
あって、﹁ほととぎす・大竹薮をもる月夜﹂(傍線原文)のよう
してゐる﹂。もちろん﹁単誌のみのそンタアジュは殆ど稀﹂で
フのモンタアジュ、篇のモンタアジユ﹂があり、それぞれの﹁理
には、﹁単語のモンタアジユと匂のモンタアジユ﹂、﹁パラグラ
この方法は、二つの異なる思想の衝突に新たな詩の可能性を
互角に対立することが涼財﹂であるという。
論には何等の相違もない﹂。ともかくも﹁モンタアジュ断片は
いてさらに具体的に説明し、そこでまさに俳句などの短文を例
半谷の論文はエイゼンシユタインの﹁映画の原則と日本文化﹂
として挙げているのである。
なる一文に多くを負っているが、そこでは漢字の偏と穿の関係、
見るブルトンの︿超現実主義﹀、さらには連句の︿付け﹀と︿転
たとえば﹁水﹂と﹁目﹂で﹁沼﹂となり、﹁耳﹂と﹁門﹂とで
﹁関﹂となるように、﹁別個の次元、別偲の力、別別に一個の物
の言説空間を見渡せば、連句という方法一つに直結させなくと
じ﹀の方法にも通い合う。昭和十年前後の文学の方法について
デテク7ブル
的に描写されないものの表象が成就される﹂ということが述べ
象、一個の事象﹂などの﹁二倍の描叙の結合によって、絵画
れる海外の理論との交錯点を発見していたというべきだろう。
わけであるから、むしろ伝統的な連句の方法とさかんに紹介さ
ろん、作者・太宰自身は郷里に在住の頃から連句に通じていた
ンタアジュ細胞である﹂が、﹁然らば何によってモンタアジユ
注意しておくべきは、﹁断片の相批﹂ということは、決して隣
も、断章形式が選ばれる可能性は十分にあったのである。もち
は特質され﹂るかといえば、﹁相赴によって﹂であるという。﹁互
り合う断片だけに生まれているわけではないということであ
られる。これが︿モンタージュ﹀の方法の基礎であるというの
に同格に対立するこつの断片の相魁によって簡撃によって。部
だ。﹁画面は断じてモンタアジュのエレメントではな﹂く、﹁モ
争によって。﹂﹁モンタアジユは相魁であり、全ての芸術の基礎
る。﹁葉﹂全体にはいくつかの大まかなまとまりを見つけるこ
文学との関わり﹂などである。だが、断片同士は隣り合うもの
とはできる。例えば﹁結婚・夫婦生活﹂、﹁左翼・プロレタリア
は相克である。﹂
これを﹁文字芸術﹂に置き換えて考えると、﹁陳述によらな
らに大まかなまとまり同士も映発し、あるいはぶつかり合う。
だけでなく、その大まかなまとまりの中で縦横に絡み合い、さ
いその方法が即ちモンタアジュの方法である﹂(この部分は
﹁自に青葉・山郭八ム・初鰹﹂を例に挙げている。﹁ここには一
た通り、発表当時にあってもこの方法が陸自するほど新しか
これは雌かに巧妙かつよく考えられた方法だが、先に述べ
こうして無数の縦糸と横糸の交錯をつくり出している。
前述ブルトンの︿超現実主義﹀と通い合う)として、一索堂の
つの陳述誌もない。あるものは名一詞と助認、乃至単語と連語
の羅列による、最も方法論的に純粋な、一個の芸術作品を構成
・ め)のみである﹂。︿モンタージュ﹀はこのように、﹁名認
(CE5
1
7
ったということはないのである。まして作者がいたずらに形
一体の﹁不安﹂とは、この間に自分は果たして答え得るのかと
って行くのか。﹁悦地﹂で表される自信はあるが、それと表裏
いう煩悶であった。﹁どうにか、なる。﹂はそういった切実な向
し、いわば﹁真似﹂から︿独創﹀への賠梯を自覚的に築いてい
を絶妙に表現している。そのためには自作を可能な限り対象化
、
一一・一 O) に
式の新しさを狙ったということでもない。﹁喝采﹂(﹁若草﹂昭
書きたくないことだけを、しのんで書き、思難と思はれた
いにこれから答えていくことへの自信と不安をはらんだ覚情と
る形式だけを、えらんで創り、
一編は成された。後に、第一創作集であり遺書のつもりでもあ
﹁
春
﹂
H未来を見鋸える作品なのである。この試みをもって﹁葉﹂
とあるのを引くまでもなく、文学表現として確立した作品をつ
ったという﹁晩年いの巻頭に置かれたのは当然であったろう。
くことが必要であった。これは作家としての過去を掲示しつつ、
くるべく検討を重ねた末に、この方法が選ばれたのである。﹁葉﹂
相馬正一﹁解題﹂(﹁太宰治全集﹄乎元・ 6) にそれぞれの断章の
出典、について整理されている。
いると考えられるが、これに関しては別稿を用意したい。なお、﹁葉﹂
くる。ここでも一つの小説の在り方を述べる言葉として用いられて
には、﹁水到りて渠成る﹂が﹁人工の極致﹂を示す言葉として出て
昭弘・ 2)
(5) ﹁総論﹂(﹁太宰治1﹄昭臼・辺、無頼文学研究会)
(6) ﹁テクスト評釈﹁葉﹂﹂(﹁太宗治心の王者﹂昭臼・ 5、洋々社)
(7) ﹁﹁晩年﹂における。詩ψと。小説ψilB太宰治﹁玩具﹂﹁葉﹂論lie﹂
(﹁上智大学笛文学科紀要﹂平4 ・
1)
(8) ﹁﹁葉﹂にはじまる生命感覚の軽さ﹂(吋解釈と鑑賞﹂平時・ 9)
(9) ﹁晩年﹄の巻末に収められた﹁めくらおア紙﹂(初出﹁新潮﹂昭・日・ l)
(4) ﹁太宰治初期文学態度の一検討 111
﹁葉﹂私論iii﹂(﹁留学院雑誌﹄
(2) ﹁太宰治における文学精神の形成﹂(﹁毘語と田文学﹂昭お・日)
(3) ﹁太宰治現代作家論全集叩﹄(昭お・ l、五月書房)
(1)
注
中にはからずも響かれているように、﹁形式﹂は他のものから
教えられたとしても、﹁心﹂は作者自身のものであるように、
この作品はつくられている。
自作の引用を、自己の﹁世界観﹂﹁芸術観﹂を簡潔に描出し
たものとして提示する。その間にまた別の自作の引用、既成の
文学からの引用、警句などを配することで、テクスト向士はそ
れらと響き合い、自作も作者本人すら気づき得なかった新鮮な
相貌を見せることになる。それはつまり、稚拙さの目立つ︿習
作﹀であったはずの自作品を切り刻み、そこから取り出して、
自作と既成の文学作品や警句との﹁柏魁﹂を敢えてつくり出し
のを選ばなければならない。その結果、自らの過去の表現は新
たということである。そのためには、﹁相魁﹂をつくり得るも
たな高みへと運ばれる。
昭和十年前後の︿文芸復興﹀が叫ばれる時代、新たな作品を
書くべく努力を続けている作家自身が、既成の文学の延長にあ
りながらそれとどのように決別し、どのように独自の作風を創
-18-
﹁都齢にひらく︿玩具箱︾ iiB吋晩年︺の中の﹁葉﹂と﹁玩具﹂﹂(﹁太
の中の﹁哀蚊﹂に関しては芥川龍之介の影響も含めて、小津純氏の
論を発見していたというべきではないかと考える。また、滝口明祥
するように、太宰も伝統的な表現形式の中にモンタージュ的な方法
で、﹁葉﹂に見
連句に関しては左記を参照した。
いく様を追っており、興味深い。
られる﹁モンタージュ﹂が後に﹁エディタ lシップ﹂へと連続して
m
)
まで 111
﹂(﹁学習院大学人文科学論集]平山
氏は﹁太宰治のエディタiシップi i ﹁晩年﹂から﹁太宰治全集い
n ・6) に詳しい考察がある。
かなり後の作品であるが、﹁人間失格﹄(﹃展望﹄昭お・ 618) の
宰治スタディ iズ﹄平
けれども、自分は、いちども欠席せずに、その R-S(と言った
主人公の左翼運動との関わりに言及した館所に次のようにある。
乾裕幸・自石悌三﹁連句への招待い平元・ 6、和泉書院
かと思ひますが、間違ってゐるかも知れません)なるものに出席
一プラス一は二、といふやうな、ほとんど初等の算術めいた理論
出字は新字に改めた。
※太宰治作品、書簡の引用は﹁太宰治全集﹂(市Tm-51日
・ 5) により、
し、﹁同志﹂たちが、いやに一大事の如く、こはぱった顔をして、
の研究にふけってゐるのが滑稽に見えてたまらず、れいの自分の
お道化で、会合をくつろがせる事に努め、そのためか、次第に研
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究会の窮屈な気配もほぐれ、自分はその会合に無くてはかなはぬ
﹁太宰治﹁業﹂に関する若干の補注i j ク資料タとク伝説。の︿距
﹁﹁葉﹂断章の構造﹂(﹁太宰治﹄昭臼・ 7)
人気者といふ形にさへなって来たゃうでした。
(日)
ノヴiリス﹂(昭4 ・1、岩波書庖)
という意見には賛同するが、本論中に引いた半谷の論が俳句に一言及
とが知られているが、その過程に太宰のテクストも位置づけられる﹂
でコラージュ、さらにはモンタージュの方法を産みだしていったこ
カソのパピエ・コレの方法がダダやシユルレアリスムの運動のなか
映画のモンタージュの方法に準じている﹂と述べる。氏のいう、﹁ピ
学﹄一千4 ・5) で﹁葉﹂に触れ、﹁その方法は歌仙形式というよりも、
(川口)関井光男氏は﹁太宰治あるいは引用のスタイル革ム叩﹂(﹁早稲田文
(出)﹁詩・モンタアジユ論詩方法論序説﹂(﹁詩・現実﹄昭 5 ・U)
(口)﹁小説のそンタ iヂユ﹂(﹃詩と詩論﹂昭6 ・
6)
(日)﹁太宰治の引用とパロディ﹂(﹃係争中の主体﹂平日・ 2、翰林駄目房)
(日)﹁学術叢警7
(川口)三葉﹄の構成﹂(吋太宰治﹂昭臼・ 7)
(日)鈴木勝忠編﹁雑俳語辞典﹂昭6 ・3、東京堂出版
離﹀をめぐってiis﹂(吋稿本近代文学﹂平3 ・1)
(立)
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