心筋梗塞日記 - spaaqs 光

心筋梗塞日記
-心筋梗塞でもぼちぼち元気ならいいじゃないか-
2009 年の 3 月 2 日夜に心筋梗塞の発作を起こした。カテーテル手術をして、心臓の詰ま
った血管にステント(金属のメッシュで出来た管だそうだが、見たことはない)が埋め込
まれている。3 月 28 日に退院するまでの約 1 ヶ月間、病院で先生や看護師さんにいろいろ
と教わった。もし、これらのことを病気する前に知っていて少し注意していたとしたら心
筋梗塞になることもなかっただろうと思うこともあった。そこで、心筋梗塞を患ってから
は病気に関してメモを残し、ときどき振り返ってみることにした。これは、発作を起こし
て、入院中および退院した後に月 1 回の診察を受けている状況の中で、知ったこと、感じ
たことなどを記録してきたものである。2014 年 3 月で病気をして 5 年間が過ぎた。自分
としては、これで病後の経過の様子見に一区切りがついたと考えている。その 5 年間の経
過は次の通りである。
[2009 年 3 月 2 日(月)]
体の調子が悪い
ここ数日、妙に寒い。外に出て寒さに触れると上腕部と胸が痛むのであまり外に出てい
ない。4~5 日前に公園でウォーキングをしているとき、すごく早く歩く人がいて、すいす
い追い越して行くので、この人について行こうと思ってスピードを上げたが、1 周 1,850
メートルのウォーキング&ジョギングコースを 100 メートルほど残して落伍してしまった。
そのとき上腕部も痛くなった。
これ以来、少し動くと息が切れるようになった気がする。しかし、急いで歩くと上腕部
が痛むのはもっと以前からのことである。前年夏にすぐ横にある公園を夜中に早足で歩い
ていたら両腕の上腕部に痛みを感じた。スピードを落とすと痛みはなくなるので何だろう
とは思ったが深刻には考えずそのままにしていた。このように上腕部の痛みについては今
に始まったことではないので気にもとめず、
「力仕事のしていないのになぜ筋肉痛がするの
だろうか」程度にしか思っていなかった。しかし、食事をすると妙に頭から汗をかくよう
になり体調に異変があるとは思っていた。
[反省]
病気に関しては我慢すべきではなく、体に異変があればすぐに病院へ行こう。
夜になって急変
3 月 2 日は食欲もないため、夕食は早めに(5 時すぎ頃)残り物の切り餅 2 つと保存食
用として買っておいたイワシの缶詰 1 缶および味噌汁ですませた。イワシやサバの味噌煮
の缶詰が好きである。切り餅には、黒ゴマのペーストをたっぷり塗って食べた。
夕食後 3 時間程度して、ここ 2~3 日運動不足だと感じたので腕立て伏せをしたが、必
死になっても 5 回しかできなかった。しかし、その直後から上腕部だけでなく胸も痛くな
ってきた。通常であれば、すぐに痛みが引くと思って我慢していたが、この時からずっと
痛みが続いたままの状態になった。これまで上腕部に痛みが出たときは、すぐに直るのが
1
常だったので今回もそうなると思っていたが痛みが引くことはなかった。
夜 11 時前になって下痢し、その後、嘔吐した。なぜ下痢をしたのか、なぜ嘔吐したのか
理由がさっぱりわからない。また、真っ黒な液体を吐いたが、これが血であったことは後
に病院で先生から知らされた。
[新知識]
吐いた真っ黒な液体は血だった。吐血も下血も真っ黒だそうである。
119 に電話
この後、息が苦しくなってきた。必死になって息を吸い込んでも、まったく何の影響も
なかった。また、なぜか両手先が痺れてきた。これはただ事ではないと思って川口市の自
宅から「119」に電話した。この時はまだ受話器は握れたし、電話機のボタンを押すこと
もできた。電話に出たのは女性だった。
「胸が痛くて苦しい」
と思わず訴えたら、
「どうして欲しいんですか」
と 119 の電話に出た女性は何事もないように、あたかも何かの問い合わせに対するような
事務的な対応にひるんでしまって、救急車をお願いしますとは言えないまま、次のように
言った。
「胸が痛くて苦しくて、両手の先が痺れているのですが、どうしたら良いかを教えてくだ
さい」
すると 119 の女性は、
「この電話でもハァハァいう呼吸の仕方が聞こえていますが、そんな呼吸をしたら手は痺
れますよ。呼吸は吸う方はあまり吸わないで、吐く方を中心にゆっくりと長く吐いてくだ
さい、そうすれば手の痺れは治ります。もっとひどくなったら、現在やっている医療機関
を教えますので、そこに必ず電話をした上で行ってください」
といって川口市立医療センターの電話番号 287-2525 を教えてくれた。あたかも胸の痛み
と息苦しさについては何事もないように無視して、手の痺れについてのみ対処の仕方を教
えてくれた。
このとき、119 って不親切だなと思った。胸が痛くて息が苦しくハアハアいって呼吸して
いるのに、吸う方はあまり吸わずに吐く方を中心に呼吸しろと言われても出来るわけがな
いだろうと思ったが、ありがとうございましたといって電話を切った。ただし、重病を患
ったので今後救急車にお世話になることがあるかも知れないので、119 に電話した時の女
性の対応についての悪口は言わないことにする。
[教訓]
今後は、体調に異変を感じて 119 番に電話をした場合、相手の対応がどのようで
あれ救急車が必要であると思った時は必ず呼ぶことにしよう。
病院へ
この電話を終えて 20 分か 30 分位した頃に、ふと痛みが和らいで呼吸も普通にできるよ
うになった。今考えると血液が流れなくなると胸が痛んで苦しくなり、血液が少し流れ始
2
めると痛みが和らぎ呼吸も普通にできるようになったのではないかと思った。すでに 11
時半を過ぎていた。今なら、自分で車を運転して病院まで行けると思って、川口市立医療
センターに電話をした。
「胸が痛くて苦しいのですが」
「救急に代わります」
といってすぐに繋いでくれ、救急担当の女性に代わってくれたので、
「胸が痛くて苦しいのですが」
と再び言うと、
「循環器ですね、ちょっとお待ちください」
そして電話でやり取りを行った後、
「循環器科は満床で対応できないと言っております。もう少し待ってください」
また何処かへ電話してやり取りを行った後、
「もしもし、内科で診察はできるといっています。しかし治療はできません。今二人程お
待ちになっておりますので少し待ってもらうかもしれませんが」
「ありがとうございます。すぐに行きます」
と言って電話を切った。この時、119 の女性とは随分違って親切だなと思った。もし、119
番したときに対応してくれた女性のような人であれば、
「満床で対応できません、よそを探してください」
といって電話を切ってもおかしくない状況であった。ただし、重病を患ったので今後救急
車にお世話になることがあるだろうから、119 の悪口は言わないことにする。
自分で車を運転して川口市立医療センターに向かった。夜だったことと、鳩ヶ谷あたり
が整備されており昔と少し変わっていたこともあり、途中で道がわからなくなってしまっ
た。鳩ヶ谷あたりで車を止め、犬の散歩をしていたご夫婦らしい 2 人がいたので駆けて行
って国道 122 号線がどこかを聞いた。
「そこが 122 号ですよ」
とすぐ先の道を指でさして教えてくれた。また走って車に戻り、再び運転して、目的地で
ある川口市立医療センターに辿り着くことができた。
[2009 年 3 月 3 日(火)]
心筋梗塞と診断
川口市立医療センターの救急の受付に着いた頃、時計はちょうど真夜中の 12 時を指し
ていた。もう日が変わったのだなと思った。すぐに体温計を渡されて体温を測り、待つほ
どもなく名前を呼ばれ診察室に入って診察が始まった。まず、ニトログリセリンを舌下に
含まされて、点滴をされ、モルヒネを打たれた。モルヒネを打った後は、胸の痛みが和ら
いだ。そして、問診やいろいろと検査をされた。この時、11 時前に真っ黒なものを嘔吐し
たことを告げると、先生からそれが血であることを教えられた。すると、見なかったから
解らないが、下痢と思ったのも実際は下血だった可能性が高いと思った。診察は若い男女
の先生が当ってくださった。
レントゲンも撮ることになった。レントゲン室までは歩いて行ったが、レントゲン室を
出たら車椅子が待っており、車椅子で診察室に戻った。そして、ベッドに寝かされ、男性
3
医師による聴診器を当てての入念な診察が行われた。
「心筋梗塞を起こしています。このままでちょっと待ってください。ここは満床で入院で
きませんので、こちらで病院を探しますから」と言われた。
[たらい回しは回避できる]
ニュースで救急車の患者がたらい回しにされ死亡したケー
スを聞くことがある。私が川口市立医療センターに電話したとき、循環器科の患者である
が、循環器科が手一杯で対応できなかったので内科の先生が対応してくれた。心筋梗塞と
診断が下った後に先生が受け入れ先を探し、獨協医科大学越谷病院へ送ってくださった。
このような対応をとれば、たらい回しは回避できると思った。
獨協病院へ搬送
数分が過ぎたころ、
「越谷の独協病院(獨協医科大学越谷病院)に搬送します。いま救急車を呼んでいますの
で、独協病院までは医師を1人付けます」
「救急車が来る前におしっこに行かせてください」
「動いてはダメです。じゃ今やりましょう、少し痛いですよ、我慢してください」
といって、若いきれいな女医さんで、胸に「なかじま」と書いたネームプレートを着けた
先生がパンツを下げ、尿道に管を差し込んだ。差し込むときは痛かったが、差し込んでし
まったらなんともなくなった。これで、寝たまま尿は垂れ流し状態になった。
やがて救急車が来た。救急隊員の方が運ぶためにベッドから移そうとしたとき、
「自分で移れます」
といったら、救急隊員の方から、
「自分で動いちゃダメ」
といわれた。
救急車に運ばれるとき、後ろから心筋梗塞と診察してくれた男性医師が「がんばってく
ださいよ」と大きな声をかけてくれた。この声にありがたいと思うとともに、ひょっとす
ると重篤な状況なのかなという思いが脳裏をよぎった。
救急車で搬送されているとき、救急隊員から住所その他を質問された。病院へは自分で
車を運転していったといったら、
「心臓の場合は体を動かしちゃダメだよ」
と注意された。また、119 番に電話したことも伝えたら、
「エーッ 119 番したんですか」
と驚いていた。でも、119 の電話に出た女性の対応ぶりについては何も言わなかった。
[感謝]
2009 年 3 月 2 日、午後 11 時半頃、川口医療センターの救急の電話で対応してく
れた女性と男女の若い二人の先生に助けられたと思った。
独協医科大学越谷病院にて
独協病院に着いて素早く運び込まれたところは、すでに準備が整った処置室だった。そ
こで、同行してくださった女医さんが、検査結果やレントゲン写真を独協病院のスタッフ
4
に引き継いで説明してくださった。ここでもニトログリセリンを舌下に含まされ、モルヒ
ネを打たれた。そして、目隠しがされた。付き添ってきてくれた女性の先生の声で、
「診察したのはインターンです」
という声が聞こえてきた。このとき、川口市立医療センターで診察してくれた 2 人の若い
先生はインターンだったのだと理解できた。この状態のままで男性の声も聞こえてきた。
「向こうでも陽性、こっちでも陽性」
それから身内の承諾が必要ということで川口市立医療センターで渡していた福岡の妹およ
び久留米の兄の電話番号に電話がかけられた。夜中ということもあって、両方ともなかな
か電話に出ない。後で聞いた話であるが、真夜中であったため間違い電話と思い放置して
いたものとわかった。
少しすると、男性の声で、
「カテーテルしかないんだから始めよう」
という緊迫した声が聞こえて、処置が始まった。処置が始まった後しばらくして、女性の
声で「承諾が取れました」という言葉が聞こえた。
それからどれくらい時間が経っただろうか、痛くも何ともなくスムーズに処置が終わっ
たようであった。しかし、処置の終わり頃に嘔吐した。そして病室に移された。
朝を迎えて女性の看護師さんから、
「病室に入ったのは今朝の 4 時頃です」
と教えられた。しかし、動いてはダメ、寝返りもダメというのが苦痛であった。翌日、看
護師さんに腰が痛いと訴えると、もうですかと嫌な顔をして完全に無視され、何も対応し
てくれなかった。もっとも、対応の方法があるかどうかはわからないけれども。
点滴をしながら 2 日半くらい、食事は与えられなかった。その間、検査が続けられてい
た。
何の検査か解らなかったが、
検査結果によって食事が可能になるということであった。
「明日のお昼から食事が出ます」
といわれたときはうれしかった。
[三つのラッキー]
心筋梗塞の発作を起こして入院の身となったとき、次の 3 つのラッキ
ーが重なっていたと病院のベッドの上で感じていた。
① 前年(2008 年)三月末に、早期定年退職制度により退職していたため、仕事で周囲の
人(学生、職員、教員)に迷惑をかけずに済んだ。
② ケニヤを旅行する準備をしている最中であったが、行く前に自宅で発作を起こし、ケ
ニアで倒れなくてよかった。
③ 最初に病院に電話をしたとき、循環器科が満床で診てもらえないとのことであったが、
救急電話の女性の機転で内科の先生が診察してくださった。
[数日後]
具体的に月日を覚えていないが、数日したら主治医の善利博子先生がパソコンを抱えて
ベッドまで来てくれた。そして、動画で心臓の状態を見せてくれた。
「心筋梗塞を起している範囲が広いんですよ」といい、
「心筋の上の方 50%は壊死しています。心臓の 50%の能力で 100%の働きをしているの
5
でポンプ活動が非常に速いです。他の人よりずっと速い状態で一生懸命働いています」
という説明だった。ただ、動画でポンプ活動を見るのは初めてだったので、そのスピード
を他の人と比較することはできなかったので、早いか遅いかの判断はできなかった。
この日、119 に電話したときのことを思い出して善利先生に次のような質問をした。
「もし、もっと我慢していたり、病院に行くのがもっと遅くなったりしたら僕はどうなっ
ていましたか」
「死んでいますよ。以前は 30%が死んでいたんですよ。今はこの病院で 15%くらいです
けど」
キッとした顔つきで私の顔を見すえてこのように言われれた。この言葉を聞いたとき、川
口市立医療センターの救急の電話で対応してくれた女性の方、ならびに循環器科の患者と
わかりながら診察してくださった内科の若い男女の先生二人に対する感謝の気持ちがより
強くなった。
実際にどの血管がつまったのかというと、つまった血管は冠状動脈の左前下行枝という
大きな血管であった(下図参照)
。つまった血管の部分から先は壊死してしまうということ
である。再生能力はあるが、繊維質による再生であるから、本来の筋肉のように柔軟性は
まったくなく、血管が伸び縮みしないため、破れ易くなっているとのことである。したが
って、医師は血圧が上昇することに非常に神経質になる。
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[放散痛]
後に病院で先生に聞いた話であるが、上腕部が痛んだのは「放散痛」というそ
うである。心筋梗塞を起こした場合、胸が痛くなるのは最後で、それまでにあちらこちら
に痛みが出るそうである。一度はコチコチに肩が凝ったことがあるが、それも翌日には何
の痕跡もなく肩こりが消えていた。心筋梗塞では肩が凝るという人も多いようである。放
散痛は体のどの部分に出るかわからないようだ。心臓でないところが痛むので、まさか心
筋梗塞を起こしているなんて思いもしなかった。放散痛のことを知っていれば、病院に行
くのも早くなっただろうし、手遅れで命を落とす人もいなくなるだろうと思った。
[2009 年 3 月 6 日(金)]
身内を呼ぶ
先生から身内を呼ぶようにいわれた。保証人の件もあるとのことである。この時点で初
めて電話をかけることを許可が出た。そこで、久留米市に住む兄に連絡をして来てもらう
ことにした。ついでに、㈶日本情報処理開発協会の遠藤氏にも電話をして心筋梗塞で入院
中であるから「プライバシーマーク付与認定審査会」を止めさせてもらうように取り計ら
ってもらった。病院名を聞かれたが教えなかった。教えると相手が気を遣い忙しいにも関
わらず見舞いに来ざるを得なくなるのではないかと思ったからである。
[2009 年 3 月 7 日(土)]
限度額適用申請
兄が病院に来た。病院では、川口市役所に行って「国民健康保険限度額適用認定」を申
請するように言われたそうである。本人は、土・日を過ごさなければならないと文句をいっ
ていた。しかし、この届けをすると、医療費負担にキャップがかけられ、それ以上はすべ
て保険で支払われるそうである。また、1 階の売店に行ってミネラルウォーターを買って
きてもらった。
[2009 年 3 月 9 日(月)](入院して 1 週間後)
月曜日になったので兄が川口市役所に行ってくれ、
「国民保険限度額適用認定証」をもら
ってきてくれた。この日、郵便物も持ってきてくれた。その中に、すでにe-Tax で申告
していた平成 20 年度の確定申告について、川口税務署から返信用封筒付で源泉徴収表の
提出依頼が来ていたので、もう 1 度、家に戻ってもらって関係書類を持ってきてもらい、
関係書類を川口税務署に送付した。
肺に水が溜まる
この日は、レントゲン検査の結果で何もなければ歩行許可が出ることになっていた。し
かし、肺に水がたまっていることがわかり、歩行許可は出なかった。
たまった水を抜くために「ラシックス」という利尿剤が与えられた。利尿剤を夜飲むと
トイレが大変だから通常は朝食後に飲むそうであるが、
「明日からは朝食後に呑んでもらいます。でも今日はいま呑んでください」
と看護師さんから言われて夕食後に与えられた。翌朝になると、足先が何かむくんでいる
ような状態になっていたのが、ラシックスを一粒飲んで一晩したら元どうりのすっきりと
したむくみのない足になっていた。
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また、善利先生からは、
「肺に水が溜まったのは、合併症が怖いのでそれを抑えるための薬を使っているのが原因
ですから」
といわれ、あまり気にしなくても良いような口ぶりに感じられたので安心した。また、善
利先生からは
「血管が細くなっているので合併症が怖いんですよ。今も心不全状態ですから、いつ狭心
症を起こすかわからない状態です」とも言われた。
[2009 年 3 月 12 日(木)](入院して 10 日目)
肺の水が抜け歩行許可
この日、再度レントゲン検査があり、その結果、肺の水が抜けていることがわかり、や
っと歩行許可が出た。そして、善利先生が付き添ってくださって病棟内の風呂場などを案
内してくださった。このとき、雲の上でも歩いているように何かふらつく感じがした。わ
ずか 10 日間でこんなになるんだなと実感した。ベッドの上で動けない状態であったとき
は、病院がイヤでしょうがなかったけれど、歩行できるようになってからは、楽な気持ち
で入院生活を送ることができるようになった。また、独協病院における入院生活は、看護
師さんの対応が良く、食事も美味しかったので快適だった。何度も入退院を繰り返してい
る男性の患者さんがいたが、この人も、
「この病院は食事が良い、どうかした病院は食事がまずくて食えないんですよ」
と言っていた。
この頃になると、朝の売店が開く時間になると、1 階の売店に行って、新聞・水・野菜
ジュースを買うのが日課になっていた。ときどき週刊誌を買ったり、ポケットブックを買
ったりもした。この肺に水が溜まったことを除けば、回復は順調であったように思う。
[感想]
ベッドから動けないのが退屈で仕方がなかった。歩行許可が出てから入院生活が
随分と楽になった。
[2009 年 3 月 27 日(金)]
カテーテル検査
この日、
カテーテル検査が行われた。
この検査で何もなければ翌日退院と言われていた。
ベッドで結果を待っていたが、昼過ぎになっても何も言われない。だんだん不安になって
きて、やってきた看護師に、
「検査結果についてまだ何も言われてないのですが、僕の検査結果に何か問題でもあった
のですか」と尋ねた。すると、
「明日退院ですよ、先生から聞いていませんか」といわれたのでホッとした。
数日前に同室の隣のベッドの患者さんから、
「あなたはまだ若いから、助かった命は大切にしなさいよ」
と言われたことが妙に印象に残っている。この人は、20 年前に自宅で意識を失って病院に
担ぎ込まれたそうである。今は、ペースメーカを埋め込んでおり、今回はその取り替えと
のことであったがとても元気だった。
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もう 1 人の同室の通路の反対側の患者さんからは、1 年 7 ヶ月前に入院し今回が 2 度目
の入院だと聞かされた。なぜか聞いたら、自営業で力仕事をせざるを得ず、力仕事をした
らハァハァいうようになり再び入院したとのことだった。そしたら、肺に水が溜まってい
たということであった。力仕事をしてはいけないということが最も困っていることだそう
である。この患者さんは、その隣のベッドにいる患者さんから、水が溜まるのを繰り返し
ていると、力仕事をしなくても定期的に水が溜まるようになると聞かされたそうで不安そ
うであった。しかも、水が溜まるのを繰り返している人は、利尿剤を飲むだけでは水が抜
けず、利尿剤を点滴で入れている患者さんであった。
[糖尿病-心筋梗塞-腎臓疾患]
入院中に、心筋梗塞患者のほとんどが糖尿病から心筋梗
塞を起していることを知った。さらに、糖尿病から、あるいは心筋梗塞から時間が経って
腎臓を悪くして人工透析になる人もいると聞いた。
生活指導
退院に向けて看護師さんから資料に基づいて生活指導を受けた。資料は病気の説明も若
干加えた「虚血性心疾患について~心筋梗塞・狭心症の日常生活の注意点~」という 11
ページの印刷物であった。主な注意事項は次のとおりである。
・ 重い物を持たないこと。
・ 力仕事をしないこと。
・ 食塩を制限すること(味が薄いときはカレー粉や酢を使うこと)
。
・ 脂肪を摂りすぎないこと。
・ 入浴は温めの湯に半身浴とすること。
・ 風呂に入るときの脱衣場所やトイレなど気温の差に気をつけること。
・ 退院後 1 ヶ月くらいは、入院生活の延長になるような生活を心がけること。
・ 激しい運動は避けること。
などと厳しく注意されたので、十分注意しなければならないと思った。そして、タバコは
厳禁、アルコールは飲むなら少しということであった。
重いものを持ってはならない点については、大きな旅行カバンなどを抱えて運ばないよ
うに注意された。
また、長時間飛行機に乗る場合は、エコノミー症候群になりやすいので、飛行機内で動
くようにすること、もよおさなくてもトイレに行くなどしてくださいと言われた。
食事についての詳細は看護師の担当範囲ではないので栄養相談で栄養士の指導を受けて
くださいとのことであった。
入浴は 15 分程度ですませるようにとのことで、できればシャワーのみがよいといわれ
た。入浴とトイレについては、寒いときに居間との温度差が良くないので服を脱ぐ場所や
トイレにヒーターを使うように注意された。
運動については、歩くことを勧められた。スピードや距離の基準は自分の体調にあわせ
るようにとのことであった。疲れたらすぐに休むこと、向かい風が強いときは歩かないこ
となどを注意された。
服用薬
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この時点で飲んでいる薬は次のとおり8種類である。
・ラシックス錠 20mg
朝1錠(利尿剤)
・アルダクトン錠 25mg
朝 1 錠(利尿剤、しかし心臓保護のために使用)
・アーチスト錠 2.5 ㎎
朝 1 錠(心臓の薬)
・バイアスピリン錠 100 ㎎
朝 1 錠(抗血小板薬)
・プラビックス錠 75 ㎎
朝 1 錠(抗血小板薬)
・タナトリル錠 5.5 ㎎
朝 0.5 錠(降圧剤、しかし心臓保護のために使用)
・シグマート錠 5 ㎎
朝 2 錠、夕 2 錠(心臓の薬)
・リバロ錠 2 ㎎
夕 1 錠(コレストロールを下げる薬)
[2009 年 3 月 28 日(土)]
退院
午前 10 時すぎ、カテーテル検査の後の止血どめをはずしに来てくれた。若干出血して
いるとのことで、脱脂綿を当てて固くテーピングして、今日は外さないようにしてくださ
いといわれ、無事退院できることになった。看護師さんからは、今日は左手には薬くらい
しか持たないでねといわれた。病院のすぐ近くの東武伊勢崎線の南越谷駅から乗車し草加
で下り、そこから小雨の中をタクシーで帰宅した。また、タクシー代のために 1 万円札を
崩すことにして草加駅についた後、SUICA に 1000 円チャージして、ピーピーいうのでカ
ードをはずして台の上に置き、つり銭を受け取ったままタクシー乗り場に急ぎ、カードを
置き忘れたままで紛失してしまった。自宅に帰ってすぐに病院に来てくれた久留米に住む
兄に退院したことを電話した。
[喜び]
退院がこんなに嬉しいとは自分でも意外だった。
[2009 年 3 月 29 日(日)]
町内会を退会
この日、以前に町会を退会するかどうかを話していたマンション 2 階の町会役員の方が
訪ねて見えて、
「来年度どうしますか」
と尋ねられた。住人の老齢化とともに町会を脱会する人が多くなり、すぐに役員の当番が
回ってくるようになっている。私の場合は病気した結果、スポーツ大会や盆踊りなどで力
仕事が伴うため、即座に、
「やめます」
と答えて、町会退会を決めた。
いずれにせよ、退院時の注意事項からすれば、スポーツ大会、運動会、盆踊り大会など
の準備(テント張り、テーブル・椅子の配備、後片づけ等)
、町会役員を務めることは間違
いなく不可能であると思った。
[2009 年 4 月 2 日(木)・9 日(木)]
栄養相談
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この 2 日間は、栄養相談日なので病院に行き、1 時間半にわたって栄養士の指導を受け
た。このときに使用されたテキスト「食品交換表」を病院の売店で購入した。
栄養士には、善利先生からの指示が出されていた。
・ 1 日の摂取カロリーは 1800 キロカロリー
・ 1 日の塩分摂取量は 5~6 グラム
・ 1 日の脂質摂取量は 45 グラム
という内要であった。今回の栄養相談は三人であったが、他の二人は 1600 キロカロリー
で塩分 7 グラムであった。どうやらカロリー数は身長で決まっているように感じたので、
塩分の規制が厳しい僕の方が症状が悪いのであろうと思った。栄養士は、先生からの指示
書にもとづいて、個別に指導してくれた。
栄養指導の内容で記憶に残っているのは、1 日の食事について、
① 1 日 3 食必ずとること、1 日の取得カロリーを三等分してとるのがよい。
② 植物性の油を大匙いっぱい毎日飲むこと。
③ 野菜を 1 日 300 グラム食べること、600 グラムでも、それ以上食べても良い。
④ 卵は脂質が高いが、それ以外ではこれ以上のバランス栄養食はないので食べること。
⑤ 果物は毎日食べること。
⑥ 牛乳を毎日コップ 1 杯飲むこと。
⑦ 納豆と豆腐はミニサイズとすること。
⑧ 外食は禁止、調理した物を買ってきて食べることも禁止。
植物性の油については、人間も機械と同じで油を注すことが必要といわれた。そして、
その油は植物性であることと言われた。また、タバコは絶対ダメ、酒は飲むなら少しだけ
にするようにと注意を受けた。この点については、タバコは若い時に止めており、酒は飲
まないので問題ない。
卵についは、1 日に中玉を 1 つ食べても良いとのことであったが、後日、久内先生から
卵を毎日食べるのは多過ぎると注意されたので 1 日おきに食べることにした。
果物は、例えばりんごであれば 1 日に中玉を半分、バナナであれば1本、1種類で 1 日
の果物摂取量は終わりということであった。
牛乳については、ヨーグルトも同じ種類であるので、どちらか一つを取るようにとのこ
とであった。
豆腐は絹ごしのミニサイズとし、木綿豆腐は栄養価が高いので避けるようにとのことで
あった。また、豆乳や納豆も大豆製品であるから、どれか1つをとったらその日の大豆製
品はもう食べられないことになるとのことである。
外食および調理したものを買ってきて食べることは原則禁止であるが、旅行するときな
どがあるので、うどんであれば麺は全部食べてスープは残すこと。そばの場合も同じと言
われた。ラーメンであれば、麺を 3 分の 1 残して、スープは飲まないようにとのことであ
った。
自動販売機の濃縮還元ジュースは、50%に濃縮したものを輸入し、国内で倍に薄めてい
るが、日本の場合はその際に甘味料を加えてもジュースと称して良いことになっているの
で、これはジュースではない、ということで飲まないように注意された。もし飲む場合は、
本当のジュースを飲むようにとのことであった。
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その他、カップ麺とイカの塩辛は食べないようにとのことであった。イカは、ワタにコ
レストロールが非常に高いため、イカの塩辛は食べるなとのことで、白身の部分は他の白
身魚と同様に食してもよいそうである。
(参考)栄養士さんが僕に対して示された先生指示(1 日 1,800kcal)に基づいて 1 日分
の取得カロリーの目安を示してくれた。
群
Ⅰ
栄養素
炭水化物
食品名
1 日の量
1 単位の目安量
ご飯・芋・豆等
ご飯 50g
1 食 200g×3 食
くだもの
バナナ 1 本
バナナ 1 本 or リンゴ半分
(1 日 1 種類)
その他についてはテキスト
で 1 単位の量を提示
Ⅱ
蛋白質
魚介類
さけ 60g
肉類
豚もも肉 60g
豆類・チーズ等
卵 M1 個
豆腐・納豆等
納豆ミニ 1 個
牛乳・乳製品
牛乳 120cc
1.5 単位
各 1 単位合計 4 単位+1 単位
Ⅲ
脂質
油脂類
サラダ油 10g
2 単位(植物油大匙 1 杯)
Ⅳ
ビタミン
野菜・海草・きの
300g
500g 以上あるいはそれ以上
ミネラル
こ等
味噌・砂
味噌・砂糖・みり
糖・みりん
ん等
付録
食べてもよい
控え目量
0.5 単位
等
23 単位:1840kcal
合計
(注)栄養相談では、具体的に日本糖尿病学会編の「糖尿病食事療法のための食品交換表」
をテキストとして使用された。
[食事が基本]
栄養士さんから栄養指導を受け、生活習慣病は食事が基本ということを教
えられた。そして、食事における 1 日の総カロリー、塩分や脂質の摂取量、その具体的な
例を食べ物別に教えてもらった。これにより、食べ過ぎに注意し、塩分や脂肪の摂取を少
なくすることが心筋梗塞の予防には大切だということが理解できた。また、病後もこれら
のコントロールが基本である。食事のコントロールがうまくいくと、血液検査の結果が基
準値内に収まるという。
[2009 年 4 月 21 日(火)]
善利先生が退職、久内先生へ
退院後は、1 ヶ月に 1 回診察を受け、処方箋を貰って薬局で薬をもらうことになる。退
院して初めての診察日が 4 月 21 日だった。主治医の善利博子先生が 3 月末で退職された
ため、久内格先生に代わった。採血があり、その結果の説明を含めて久内先生の診察を受
けた。特に問題はなく、診察が終わると処方箋が出た。病院のすぐ向かい側の東武薬局で
12
薬をもらった。このとき薬剤師さんから「独協病院に担ぎ込まれて良かったですね」とい
われた。独協病院は、近隣随一の近代的かつ大規模な設備の整った病院だからということ
であった。
[冷]
病気前からであるが、手の先、足の先が春だというのに氷のように冷たいのが気に
なる。
[声]
退院して声がよく出ないことに気が付いた。とくに大きな声は出にくい。
[2009 年 5 月 19 日(火)]
退院後第 2 回目の診察日。この日から、採血に採尿が加わった。問題はなかった。
[2009 年 6 月 23 日(火)]
中性脂肪が上昇
第 3 回目の診察日。5 月 19 日には中性脂肪が 165 であったが、この日は 220 に上昇し
ていた。この中性脂肪の上昇については、
「昨夜は何を食べましたか」
と聞かれた。しかし、いつもと変わらない夕食であったのでそのように答えると、
「間食には何をとりましたか」と聞かれた。
「牛乳にきな粉を大匙一杯混ぜて飲みました」と答えると、
「その程度ではこんなにならない」と言われた。そして、
「次もこのようであれば薬を出さねばなりませんね」
とも言われた。また、8 月か 9 月にカテーテル検査を行うとのことであった。
中性脂肪の上昇が気になる。この日からご飯に麦を加えるようにし、食パンはライ麦パ
ンに変え、ニンジンや冷凍かぼちゃを茹でて食べるのをやめた。また、この日から牛乳を
そのまま飲むのは止めて、毎日朝食と昼食の間に牛乳に大匙 1 杯のきな粉を混ぜて飲むこ
ととした。何かがあったとき、食生活を若干変えると安心できるのが不思議だ。
診察日から食事の内容を変え次の診察日まで続けてみるのは、このようにしないと採血
の検査結果での数値の変化が、何が悪かったのか、何が良かったのか、その原因がさっぱ
りわからないからである。
[思考錯誤]
月に 1 回診察を受けるが、次の診察までの 1 ヶ月間、特定の食べ物を食べ続
けたり・食べなかったりして、その後の血液検査の結果から、この病気に何が良くて、何
が悪いかを自分なりに探っていた。このようにして、次第に原因になる食物を探り当てる
ことができるようになっていった。
[2009 年 7 月 28 日(火)]
中性脂肪がさらに上昇
第 4 回目の診察日。さらに中性脂肪が上昇し 244 になっていた。この日も昨晩は何を食
べたかを聞かれた。久内先生からは、HbA1c も変わらないのに中性脂肪のみが上昇してい
13
るのがわからないと言われた。この日の夕食から、主食(炭水化物)を減少させることに
した。ご飯の場合は普通の茶碗に軽く二杯、食パンの場合は一斤 6 枚切りのものを 2 枚と
いうのが適量と栄養士さんから言われていた。これを、ご飯の場合は多めに一杯、食パン
の場合は 1 枚半に減らし、その後さらに 1 枚に減らした。
[汗]
病気の後、真夏だというのに全く汗をかかないのが気になる。
[2009 年 9 月 1 日(火)]
中性脂肪下がる、入院検査決定
第 5 回目の診察日。この日は中性脂肪が 126 に下がっていた。炭水化物を減らしたのが
効果的だったのだと思った。しかし、上下しますからとも言われたので、引き続き注意す
ることが肝心である。今後の予定について、
・ 9 月 24 日にエコーを含めた検査
・ 10 月 1 日にカテーテル検査
が決まった。
「入院したときは急性心筋梗塞ですが、今は慢性心筋梗塞になっています」
といわれた。カテーテル検査については、9 月 30 日に入院、10 月 1 日が検査、何も問題
がなければ 10 月 2 日には退院と決まった。問題があれば、そのまま入院とのことである。
[成功]
主食の炭水化物(ごはん、パン)を栄養士さんから指導された量の半分に減らし
たら 1 ヶ月で中性脂肪が基準値内に収まった。
[2009 年 9 月7日(月)~9 日(水)]
退院後最初の小旅行、体力回復の確認を試みる
看護師さんからの生活指導では、毎日歩くようにと言われている。9 月 7 日(月)
、旅行
するとよく歩くので、2 泊 3 日で退院後初めて泊りがけの小旅行へ出かけた。短期間なの
は、旅行をすると一日 3 食ともに外食となるのでコントロールが難しくなるからである。
行く先は平泉にした。本来は 3 泊 4 日で計画したが、天気予報で 9 月 9 日が台風の接近で
寒くなると言うことであったので 2 泊にして 9 日は朝から帰ることにした。新幹線で一ノ
関まで行って、平泉はそこから在来線で数分である。宿泊は一ノ関にすることにしてイン
ターネットで探した。駅前に東横インともう一つビジネスホテルがあったので、東横イン
一ノ関駅前を予約した。これが東横インへの初めての宿泊である。
平泉を散策
初日は、東北新幹線「やまびこ」47 号、上野 9 時 38 分発に乗車し、一ノ関に 12 時 13
分に到着した。到着後すぐに、駅のすぐ横にある「庄や」の刺身定食で昼食を済ませた。
あちらこちらに旅行して、その地に庄やがある場合はそこで昼食をとった。なぜなら、庄
やのランチには必ず刺身定食があるからである。刺身定食には、多分あまり問題はないだ
ろうと考えているからである。
そして中尊寺へ向かった。中尊寺では、参道の入口に弁慶の墓があった。参道の途中で
は左側に弁慶堂があり、その先の右側に中尊寺本堂がある。もっと進んで行くと国宝・金色
14
堂がある。藤原三代を偲ぶことができる。
夕方、一ノ関へ帰ってきて、夕食を食べるところを探したが、なかなか適当な店が見つ
からなかった。そこで、ラーメン屋さんに入ったら、
「盛岡冷麺」というのがあったのでそ
れを食べた。これがすこぶる美味い冷麺であった。スープには、梅肉か梅酢が入っている
ようで美味しく、明日も来ようと思った。しかし、塩分の摂り過ぎになることは明白であ
った。
花巻を散策
翌日、
朝は東横インの無料朝食で済ませた。
内容が質素なのが病気の私には有難かった。
それから、在来線で 1 時間弱かけて花巻へ出かけた。電車は非常に少ないが、早々とホー
ムに入っている。ドアは閉まったままであるが、中には客が乗っている。乗り方がわから
なかったので、次に来た客の動きをみていたら、ドアの横にボタンがついていて、それを
押すとドアが開いて乗れるようになっていた。それに見習い、ボタンを押して乗った。す
ると、先客の一人がすっと立ち上がって車両の中のドアの横にある内側のボタンを押して
ドアを閉めた。知らないために迷惑をかけた。寒い地方ならではのうれしい配慮、あるい
は知恵であると思った。
花巻に着いたら、もう昼近くであった。昼食をとろうと思ってレストランを捜したがな
かったので、駅で蕎麦を食べた。そして、バスで宮沢賢治記念館前まで行き、
「宮沢賢治記
念館」と「宮沢賢治童話村」を見学した。記念館は高台にあり、坂道を 100 メートルほど
登っていかなければならなかった。宮沢賢治童話村は、宮沢賢治記念館から道を隔てたす
ぐ向かい側にある。ログハウスがたくさんあり、いろいろな展示が行われている。ログハ
ウス間は段数の少ない階段で繋がれている。
この小旅行で体力に少し自信がついた。
以下、
ここでは泊りがけの旅行についてのみ記す。なぜなら、旅行をすると食事のコントロール
が思うように出来ないので、それが採血をしての各種検査に影響を与えかねないと思うか
らである。
食事はままならない訳であるから、
食事について心配しても仕方がないと考え、
記述しないことにした。
[病気を意識]
旅行していても常に病気のことが頭から離れない。とくに少し上り坂だと
意識せざるを得ない。
[2009 年 9 月 24 日(木)]
エコー検査
10 月 1 日にカテーテル検査を受ける前に、この日は採血とエコー検査を受けた。採血の
際には耳に針を刺して血を出し、
ストップウオッチで血の固まる時間を図る検査も受けた。
この検査では「問題なく血は止まりますね」とのことであった。エコー検査をしてくれた
女医さんに、
「ジョギングをしてもいいでしょうか」
と聞いてみた。先生は、
「いいと思いますよ。でも最終的には担当医と相談してください」と言われた。
[安心]
ジョギングが可能かどうかを聞いた。先生は OK を出された。ジョギングできる
15
ということは多少状態が良いのだろうと解釈した。
[2009 年 9 月 30 日(水)]
検査入院
この日、午前 10 時に入院。心電図とレントゲンをとった。
[2009 年 10 月 1 日(木)]
カテーテル検査
朝一番(9 時)にカテーテル検査を受けることになった。担当は主治医の久内先生。朝
食をとってしばらくすると点滴を受けた。時間になると車椅子で検査室へ行った。
検査の結果は、その場でパソコンに取り込んだ映像で見せられた。久内先生は、
「血液は小さな血管まで流れています」
と言われたので安心した。さらに、
「今回は病気じゃない右側も診ておきましたが、小さな血管も血が流れています、異常は
ありません」とのことであった。
検査直後、車椅子に乗ったままパソコンの映像を見終わったときに、久内先生から今後
のことについて次のように注意を受けた。
悪玉コレステロールと HbA1c に注意を
久内先生から今後注意すべき点を告げられた。これが多分、久内先生からの最後の指示
であろうと思われる。
「悪玉コレステロールと HbA1c が重要なので、次の 2 つには注意してください。悪玉コ
レストロールは、正常な人は 140 以下、この病気をやった人は 100 以下である必要があり
ます。悪玉コレストロールは 78 だから問題はありません。HbA1c は今回は 6.1 です、こ
の程度を維持するようにしてください」という注意があった。
また、プラビックスは今日でやめましょうと言われた。8 種類呑んでいる薬のうち、プ
ラビックスを次から止めて 7 種類にするとのことであった。
そして、最終診察日が 10 月 20 日に決まった。その後は、先生から紹介状をもらって埼
友草加病院へ移ることになった。最初、善利先生に看てもらっていたときに、3ヶ月した
ら病院を移るようにいわれていた。しかし、かかりつけの医者がいないと言って粘り、半
年以上獨協病院で看てもらうことに成功した。しかし、今回は、ついにこの病院を出てい
かなければならなくなった。
服用薬
この時点での薬は次のとおり 7 種類である。
・ラシックス錠 20mg
朝1錠
・アルダクトン錠 25mg
朝1錠
・アーチスト錠 2.5 ㎎
朝1錠
・バイアスピリン錠 100 ㎎
朝1錠
・タナトリル錠 5.5 ㎎
朝 0.5 錠
・シグマート錠 5 ㎎
朝 2 錠、夕 2 錠
・リバロ錠 2 ㎎
夕1錠
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[2009 年 10 月 2 日(金)]
検査入院では特に問題は発見されず、1 ヶ月分の薬をもらって退院した。
[目標]
悪玉コレストロールと HbA1c が基準値内に収まるように食事をコントロールする
ことに決めた。
[2009 年 10 月 20 日(火)]
糖尿病は我流で直すように
独協病院での最後の診察を受けた。この日の採血でも問題はないとのことであった。久
内先生からは、
「糖尿病については、これまで通り我流でやってください」と言われた。
「また何かがあればこちらへ来てください、診ますから、でも来ないようにしてください」
とも言われた。薬 1 ヶ月分の処方箋と紹介状をもらって独協病院を後にした。
[糖尿病を克服]
過去に糖尿病と診断された時も薬を飲まなかった。それが原因で心筋梗
塞の発作を起こしたわけであるが、入院後は病院の食事で薬が要らない状態にまで戻った
ようである。食事療法で糖尿病を克服できると確信した。
[2009 年 10 月 28 日(水)~30 日(金)]
退院後2回目の小旅行
退院してから第 2 回目の小旅行は神戸を選んだ。これは源平合戦があった一ノ谷と須磨
寺を訪ねたかったからである。散策旅行は非常に歩くので病気には良いのではないかと思
っている。また、病後の健康のバロメータにもなるような気がしている。
[2009 年 11 月 30 日(月)]
埼友草加病院へ転院
10 時頃になって紹介状を持って埼友草加病院へ出かけた。この日(月曜日の午前中)の
担当医は酒井良彦先生である。診察では、紹介状と一緒に入っていた独協病院での検査結
果を見ながら、
「あまりひどくはないようですね」といわれた。そして、血圧を測ってもらったが、
「安定していますね」とのことであった。
現在飲んでいる薬について、
「利尿剤を 2 種類飲んでいますがラシックスは止めましょう、あまり長く飲み続けて血糖
値が上がってはいけないので」
といわれ、ラシックスの投与が中止された。薬は 6 種類になった。ラシックスをやめたら、
翌日から便通が良くなったのには驚いた。
このラシックスについては、ものすごく効くので以前から気になっていた。独協病院に
入院して 1 週間目にレントゲンを撮り、肺に水が溜まっていることが判明したときに与え
られたのがラシックスであった。最初に投与されたときは、前にも述べた通り、その日の
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夕方に看護師さんが薬を持ってきて、
「この薬は夜飲むとおしっこが大変だから明日からは朝食後に飲んでもらいますが、今
日だけは今飲んでもらいます」といって夕食後に飲まされた。翌朝、それまで足が少しむ
くんでいたのが、すっきりとしていた。たった一粒でこれほど効くとは信じられないほど
であった。だから、ラシックスについては強い薬というイメージがあり、その投与につい
ては副作用がないのか多少不安であった。
服用薬
この時点での薬は次のとおり 6 種類である。
・アルダクトン錠 25mg
朝1錠
・アーチスト錠 2.5 ㎎
朝1錠
・バイアスピリン錠 100 ㎎
朝1錠
・タナトリル錠 5.5 ㎎
朝 0.5 錠
・シグマート錠 5 ㎎
朝 2 錠、夕 2 錠
・リバロ錠 2 ㎎
夕1錠
[2009 年 12 月 28 日(月)]
ラシックスの投与中止で便通良好
埼友草加病院での 2 度目の診察を受けた。前回、ラシックスの投与が中止されてから、
トイレがスムーズになったと酒井先生に伝えたら、
「良かったですね」と言われた。
この日も血圧は安定。体重はどうですかと聞かれたので、47 キロで変わりありませんが、
痩せ過ぎが心配ですと伝えた。酒井先生は、
「体重なんかいりませんよ、気にしないで下さい」
と言われた。独協病院では血液検査を毎月していたと伝えると、
「じゃ今日はやりましょうか、でも毎月やる必要はありませんよ」
と言われた。血液検査の結果は次回に説明するとのことだった。帰りがけに、
「風邪をひかないようにしてください」と言われた。
[2009 年の総括]
心筋梗塞を起こしたことへの後悔に苛まれた 1 年だった。
[2010 年 1 月 25 日(月)]
順調
前回の血液検査の結果については、いずれも問題なしとのことだった。
「順調です」といわれたので、
「ジョギングをしてよいですか」とたずねると、
「問題ありません」とのことで、以前どおりの生活をしてよいとのことであった。
薬は前回通りに出しておきますとのことで、今回も帰りがけに、
「風邪をひかないようにしてください」と言われた。
[2010 年 3 月 1 日(月)]
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発作から 1 年
発作を起こして 1 年になる。1 年後に行うべき検査があるかを聞いたが、退院後半年後
に検査をしているから特に今やらなければならない検査はないとのことだった。
「以前どおりの薬を出しておきます」とのことだった。
[2010 年 3 月 29 日(月)]
埼友草加病院では、毎回、血圧を測る。今のところ、毎回、先生からは落ち着いていま
すと言われる。問題はないようだ。
[2010 年 4 月 26 日(月)]
今回も血圧は落ち着いている。
[2010 年 5 月 7 日(金)~10 日(月)]
退院後3回目の小旅行
退院後第 3 回目の小旅行は、行く先を名古屋・京都・大阪とした。名古屋は熱田神宮、京
都は三十三間堂、大阪は西宮神社である。日本三大塀を見たかったからである。
5 月 7 日の名古屋は雨だった。雨の中を熱田神宮に行き、信長塀を見学した。その後、
新幹線で京都へ移動した。京都では三十三間堂へ行き、三十三間堂を見学するとともに太
閤塀を見学して京都に 1 泊した。そして、翌日、大阪へ移動した。5 月 9 日、西宮へ行き、
西宮神社の大練塀を見学した。
[2010 年 5 月 31 日(月)]
血圧は落ち着いており、異常はなかった。先生から、前回の血液検査から半年になるの
で、次回は血液検査を行いますとのことだった。
「300 メートル位の山に登っていいですか」と訊ねると、
「ああ、いいですよ」
という返事が返ってきた。
これを質問したのは、
高尾山に行こうと思っていたからである。
高尾山は、ケーブルカーを降りた後、300 メートル位さらに登ると聞いていたので訊ねて
みた。
[2010 年 6 月 25 日(土)~27 日(日)]
退院後 4 回目の小旅行
退院後第 4 回目の小旅行は、下関と福岡とした。下関では赤間神宮、福岡では朝倉の三
連水車を見学に行った。
朝 7 時前に家を出て、9 時 5 分発のスターフライヤー機に乗り、北九州空港に降り立っ
た。この日は雨であった。この空港は海の中につくった空港であり、周りは海だった。空
港からは連絡バスで JR 下関駅まで行った。下関では、駅前のすぐ傍のビルの中で昼食を
済ませたのちタクシーで赤間神宮へ出かけた。タクシーの運転手さんが、
「昨日までは曇っていましたが雨が降ってきたのは今日からです」と教えてくれた。
「ふぐの競りをやっているところはどこですか」と聞くと、
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「それはここではなく彦島です」と教えてくれた。
赤間神宮では、安徳天皇阿弥陀寺陵や平家一門の墓(七盛塚)を見学した。また、小泉
八雲の怪談に出てくる「耳なし芳一」の琵琶法師・耳なし芳一がこの阿弥陀寺に居たとする
設定から、赤間神宮に「芳一堂」が造られていたので、それも見学した。
翌日、朝から博多へと向かった。小倉で新幹線に乗換えようと思ったが、待ち時間が 30
分以上あり、すぐに出る特急(ソニックシティ号)があったのでそれに飛び乗った。車両
は左右 2 人がけでガラスが多くて明るい感じであった。車内で特急券を買ったが、そのと
き車掌さんに、
「この車両はいいですね」といったら、
「この車両は 10 年前のものですよ、九州新幹線に乗られましたか」と聞かれたので、
「まだ乗っていません」というと、
「びっくりしますよ」といわれた。
この車掌さんとの会話で、よし九州新幹線にも乗ってみようという気になった。
博多に着いたら、鹿児島本線に乗換え、基山まで行った。基山で甘木鉄道に乗換え、甘
木まで行った。甘木ではバスで三連水車の郷を訪ねた。この頃には大雨になっており、風
もあったのでずぶぬれになった。梅雨の時期なので、上半身については薄手のビニールの
カッパを準備していたので助かったが、リュックの中身はビニールの袋に入れていた下着
以外はずぶぬれになっていた。帰りは来た道をまた甘木まで戻り、甘木鉄道で今度は小郡
まで行き、小郡で西鉄に乗換えて福岡へ出て、JR 博多駅前のビジネスホテルに泊まった。
そして、翌日帰ってきた。
[2010 年 6 月 28 日(月)]
井上先生が診察
病院に行ったら、酒井先生が不在で別の先生(井上先生)が診てくれた。検査の日にな
っていたので採尿と採血を行った。検査結果については、とくに問題はないが、
「多少貧血
ぎみだからもう少し食べても良いのじゃないですか」といわれた。血圧もいつも通りで多
少低いが落ちついているようであった。
[2010 年 7 月 26日(月)]
猛暑でも塩分摂取は問題
この日は、いつも通りに酒井先生に診てもらった。6 月の検査結果について、血糖値が
113 に、HbA1c(ヘモグロビン・エイ・ワン・シー)が 6.2 に上がっていることを聞いて
みた。先生は、HbA1cについて、
「昨年 9 月の検査では 5.8 ですね」
と言われて、上昇していることを気にしてくださった。
「来月もう 1 度検査しましょう、その方が安心できるでしょう」と言われた。
また、旅行する予定だったので、放送などで言われている猛暑のため水をとるだけでな
く塩分もとることと言われていることについて、
「普通の人と同じように塩分を取ってもいいですか」と訊ねると、
「ほどほどにしないと血圧が上がります」と言われ、良い返事はもらえなかった。
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「スポーツドリンクは飲んでいいですか」を訊ねると、
「ああ、いいですよ」といわれた。
[汗]
この夏は猛暑であったが、炎天下を歩いても全くと言っていいほど汗をかかない。
病気のせいだろうと思うが気になる。
[2010 年 8 月 9 日(月)~11 日(水)]
退院後 5 回目の小旅行
退院後第 5 回目の小旅行は姫路に行った。姫路の慶雲寺には「お夏清十郎」の比翼塚が
あり、8 月 9 日は地元の野里商店街の「お夏清十郎まつり」が行われているので、それに
日程を合わせたものである。
翌 10 日は豊岡に足を伸ばし「コウノトリの郷公園」に出かけた。ここは以前から行き
たかったところの一つである。コウノトリの郷公園では、雨が降り出し、やがて雷が鳴る
ドシャ降りとなった。豊岡駅に戻るのにタクシーはなく、やがて路線バスがきたのでそれ
で豊岡駅まで戻った。豊岡駅に着いた頃は、すっかり雨はあがっていた。しかし、この大
雨で JR がベタ遅れとなった。豊岡からは京都に出て宿泊したが、豊岡発の JR 特急北近
畿 18 号が遅れてなかなか来ない。実は福知山で特急タンゴディスカバリー4 号に乗り換え
なければならないので気が気でなかった。車掌さんに聞くと、我々もさっぱりわかりませ
ん、
いま連絡を取っているのでしばらくお待ちくださいと言うのみだった。
相当遅れたが、
福知山に着いたときすでにタンゴディスカバリーはホームに着いており、無事に乗り換え
ることができ京都に行くことができた。
翌 11 日は奈良の平城遷都 1300 年際へ出かけた。朝からかんかん照りのすごく熱い日だ
った。午前 10 時前に会場に到着したのに、すでに歴史館は午後の入場整理券が配布され
ていた。あまりにも暑いため歴史館には入館せず、昼ごろには会場を後にした。昼過ぎに
は京都に戻ってきって、駅ビルで昼食に天ざるを食べて、そのまま新幹線に乗り込んで帰
ってきた。
[2010 年 8 月 30 日(月)]
みぞおちがドキドキ
診察のとき、酒井先生に、
「少し走ると、胸でなくみぞおちでドキドキするのですが」と訊ねると、
「心臓が弱くなっているので下りてきたのかな、難しいね」といわれた。
来月また血液検査をするといわれた。これは、前回の検査で HbA1c が上昇していたため、
先月から決まっていたことである。
[2010 年 9 月 27 日(月)]
この1月間とくに変わったこともなかった。いつも通りの薬を処方してもらった。
[2010 年 10 月 25 日(月)]
腹痛で相談
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血液検査の結果では、HbA1c が前回同様に 6.3 で基準範囲を超えている H(ハイ)マー
クがついていた。他の項目では、むしろ L(ロー)マークがついているものが 6 項目あっ
た。先生からは、むしろこの程度なら心臓に負担がかからなくて良いと言われた。10 月中
頃に腹痛があり、胃の薬を飲んでも直らないといった。すると、先生から、
「胸焼けはしますか」といわれたので、
「胸焼けはありません」といった。
すると、別に何もいわれなかったので何だろうなと思っていたら、帰りがけに、
「お腹を冷やさないで下さいよ」といわれた。
この一言で、腹痛は胃の調子ではなくて、寝冷えなのかなと思って、その日から部屋の
中でも少し厚着をして、寝るときは掛け布団を冬物に代えた。すると、腹痛は消えて何と
もなくなった。
[2010 年 11 月 29 日(月)]
体重が増えない
先月、腹痛を起こして体重が 2 キロ減り 45 キロになったが、その後、体重が元に戻ら
ないと先生に言った。先生から「汗をかきますか」と聞かれたので、
「別に汗をかくことは
ありません」と答えた。血液検査では問題ないし、やっていない検査は甲状腺の異常だけ
といわれた。先生は「甲状腺に異常があると体重は増えません」といわれ「年明けに甲状
腺の検査もしましょう」と言われた。
[2010 年 12 月 27 日(月)]
血圧を測定して、先生から「まあまあですね」と言われた。
「今回も同じ薬でよいでしょう」
とのことであった。来月はまた血液検査をしてみましょうと言われた。体重が 1 キロだけ
増えたと伝えると、
「あっ増えましたか」と言われた。
[2010 年の総括]
2010 年は、何をするにも体調にビクビクしていた 1 年だった。
[2011 年 1 月 31 日(月)]
HbA1c が少し高め
血液検査の結果、HbA1c が 6.3 だった。先生から「前回も 6.3 でしたよね、少し高いで
すね」と言われた。他に尿検査の結果、ブドウ糖の欄に「1+」と出ていた。先生から「少
し糖が出ていますね」といわれたが、それ以上は何も言われなかった。帰りがけに「食べ
過ぎに注意してください」と言われた。
[2011 年 2 月 28 日(月)]
HbA1c が少し高め
今日はめずらしく病院が混雑していなかった。先生から体重のことを聞かれたので、体
重が増えなくて気になっているといったら、「体重は気にしなくてよいのではないですか」
22
と言われた。次々回に血液検査をするとのことであった。過去 2 回の検査で HbA1c が 6.3
であったことについて、
「これはぎりぎりです」といわれた。血糖値を上げないようにしな
ければならないそうである。前回検査でeGFR が 85.7 で基準値が 90 以上になっているこ
とについて聞くと、90 以上となっているが、85.7 は最低限の方で別に低くはないとのこ
とであった。60 以下になったら問題と言われた。
[2011 年 3 月 28 日(月)]
体が痒い
発作から 2 年が経過した。最近、妙に体がむず痒い。先生に、
「最近、体が痒いけど薬の副作用ではないのでしょうか」とたずねると、先生は、
「もし副作用なら半年以内に出ます。もう 2 年にもなっているので違うでしょう。数年た
って絶対出ないとはいえませんが」と言われた。そして、
「大したことはないのでしょう。様子を見ましょう」ということになった。
[2011 年 4 月 25 日(月)]
HbA1c が少し高め
今日は血液検査の日である。検査結果はいつもとあまり変わらなかった。前々回、前回
に続いて HbA1c が 6.3 であった。前回検査時に、先生から
「これがぎりぎり一杯です」
と言われていたが、今回も同じであった。先生に
「以前に食べ過ぎに注意してくださいといわれましたが、やはりそれが原因ですか」
と尋ねたら、先生は黙ってうなづかれた。1 日の取得カロリーが 1800 キロカロリーとい
うのは非常に少なく、きちんとコントロールしないとすぐにオーバーするレベルである。
[2011 年 5 月 30 日(月)]
特に変化なし、薬はこれまで同様。
[2011 年 6 月 27 日(月)]
特に変化なし、薬はこれまで同様。
[2011 年 7 月 25 日(月)]
特に変化なし、薬はこれまで同様。
[2011 年 8 月 28 日(月)]
血圧が低め
ここ数ヶ月、血圧が低い。今日も、上が 86、下が 45、脈拍が 66 であった。ここ 3 か月、
血圧の上が 80 台である。そこで、先生が低いなあといいながら、飲んでいる薬のうち、
「タナトリル(0.5 錠)を削除しましよう。シグマートがあるし、これは効いていないで
しょう」とのことであった。
来月(9 月)は血液検査をすることになった。
23
服用薬
この時点での薬は次のとおり 5 種類である。
・アルダクトン錠 25mg
朝1錠
・アーチスト錠 2.5 ㎎
朝1錠
・バイアスピリン錠 100 ㎎
朝1錠
・シグマート錠 5 ㎎
朝 2 錠、夕 2 錠
・リバロ錠 2 ㎎
夕1錠
[2011 年 9 月 13 日~18 日]
退院後 6 回目の小旅行
退院後 6 回目の旅行は福岡・鹿児島へ行った。以前から九州新幹線に乗りたいと思って
いたのを実現できた。
① 福岡では、
・立花道雪の墓がある梅岳寺、
・菊池武満の像がある大刀洗公園、
・立花道雪の終焉の地である北野天満宮、
・
・立花道雪、娘・闇千代およびその婿・宗茂を祀る三柱神社、
・立花家の菩提寺・福厳寺、
・南朝の懐良親王の居城・毘沙門岳城(高良山、標高 300m)、
・懐良親王の墓がある千光寺。
② 鹿児島では、
・島津家の墓・福昌寺、
・島津家の別邸・仙厳園、
・島津の工業化の記録を残す尚古集成館、
・島津義弘が蟄居した桜島の藤崎家、門だけが残っている。
[2011 年 9 月 26 日(月)]
HbA1c が高め
血液検査の結果、HbA1c が前回検査(4 月)の 6.3 から 6.5 に上昇していた。また、T-Bil
が前回の 1.1 から 1.3 に上昇していた。この 2 つの項目だけが測定値で「H(ハイ)
」と出
ていた。9 月は中旬に 5 泊 6 日の九州旅行をして体重が1キロ増加した。帰ってきて1週
間で元に戻った(47 キロ)が、この影響かもしれない。肝臓と腎臓は異常なしといわれた。
食事のコントロールを考えなければならない。薬は前回同様であった。血圧は、先月まで
3 か月 80 台であったものが、降圧剤(半錠)をやめたことの効果と思われるが 100 を超
えた。先生から、
「体の調子が良くなりましたか」と聞かれたが、体の調子に変化はない。
[2011 年 9 月 29 日~30 日]
友人の大中氏が所有する湯河原のマンションに宿泊。翌日、大中氏の友人が加わり 3 人
で箱根を散策した。帰りは、2人がまたマンションに戻ったが、私はその足で熱海へ出か
24
け、熱海の海岸を散歩して貫一・お宮像を見学した。
[2011 年 10 月 24 日(月)]
状況に変化はない。年末頃に血液検査をお願いした。また、9 月の血液検査で HbA1c
が 6.5 になっていた。先生からは 47 キロの体重がベスト体重なのかなといわれた。
[2011 年 11 月 17 日~18 日]
友人の大中氏が所有する湯河原のマンションに宿泊。もう1人の友人・沼倉氏を含めて
数年ぶりに 3 人で会った。翌日は箱根を散策する予定であったが、コタツに入って喋るだ
けで過ごしてしまった。久しぶりに会うとこんなもんだろうか。ただし、帰りがけに人車
のレプリカを見ることができた。
[2011 年 11 月 28 日(月)]
状況に変化は見られず、薬は従来通り。次回は血液検査と肺炎球菌予防接種実施を依頼
した。ただし、以前にインフルエンザ予防接種について聞いたのときは「11 月中に接種し
ていた方がいいですね」といわれた先生が、肺炎球菌予防接種について聞いたら「やって
悪いことはないですね」と言われたので、アレッと思った。でも「どうしますか」と聞か
れたので「お願いします」と言った。
[2011 年 12 月 27 日(月)]
肺炎球菌ワクチンを接種
血液検査をして肺炎球菌ワクチンを接種した。血液検査では、前回 6.5 だった HbA1c
が 6.2 に下がっていた。これを出来れば 6.0 位まで下げたいのだが、どうしたらよいかは
わからない。体調に変化はなく、薬はこれまで通りに処方された。
免疫力向上サプリメント
12 月になって寒さがより身にしみるようになった。そこで、免疫力を高めるためのサプ
リメントを探していた。病院での待ち時間中に“元気読本”というサプリメントの宣伝が
中心のパンフレットを読んでいたら「免疫力強化のポイントとは」という記事が目に入っ
てきた。読んでみると、中国の内モンゴル自治区でとれる“コウバクニクジュヨウ”とい
う砂漠人参をつかったファンケルの「百年の健人」というサプリメントが 9 月より発売さ
れているということであった。そこで、お試し用が 14 日分で 2,500 円だったので通販で
申し込んだら 12 月末に届いた。すぐに服用してみたが飲みにくさはなかった。また、同
志社大学大学院生命科学研究科アンチエイジングリサーチセンターとファンケル総合研究
所が共同で行った 25 例に対する 12 週間の経口摂取の前と後の検査結果比較を WEB で見
たが“重篤な有害事象はみられなかった”と書かれていたので安心して購入することにし
た。2012 年 1 月から毎月第3土曜日に届くように申し込んだ。1 月 21 日、最初の品が届
いたので早速服用し始めた。しばらく続けてみたいと思う。
[2011 年の総括]
2011 年は、体力回復のために試行錯誤した 1 年だった。
25
[2012 年 1 月 23 日(月)]
極端な寒がりに
いつもの通りであるが、先生から「変わりはありませんか」と聞かれたので、
「体調に変わりはないですが、病気の後、極端に寒がりになっているので、来年はどうな
るのだろうと心配しています」と答えた。
先生から「体重は」と聞かれたので、
「さらに減って 45 キロしかありません」と答えた。すると先生は、
「寒いのは体重が減っているからだと思います。寒ければ寒くないようにしましょうや」
と言われて、
「体重が減ったこと自体は問題ありませんよ、薬は従来同様でいきましょう」
と言われた。
[2012 年 2 月 27 日(月)]
血圧が安定している。先生に、
「血圧が安定しているということは、あまり塩分に注意しなくてもということではないの
ですか」と最近疑問に感じていることをたずねてみた。先生は、
「そうとは言えない。折角ここまで努力してきて、今更味を濃くする必要はないじゃない
ですか」といわれた。薬はいつも通りに処方された。
[2012 年 3 月 26 日(月)]
発作から 3 年が経過した。血圧が少し下がって、上が 98 と下が 53 だった。先生からは
問題ないと言われた。そして、薬はこれまで通りにしましょうと言われた。
[2012 年 4 月 23 日(月)]
先生に「変わりありませんか」と聞かれたので、
「まったく何もかわりません」と答えた
ら、「それはいいことですよ」と言われた。薬は従来通りでいきましょうとのことだった。
次回に血液検査をお願いした。
また、この日から“アルダクトン A 錠”が“スピロノラクトン錠”に変わっていたので、
処方箋をもって薬局に行った時に薬剤師にどのように違うか尋ねてみたら
「同じ成分です」
と言われた。
[2012 年 5 月 21 日(月)]
胃か腸で出血と診断され、胃カメラ検査を予約
血液検査の結果、先生から貧血と言われた。胃か腸で出血しているとのことであった。
したがって、5 月 28 日に胃カメラ検査をすることになった。また、検便も 2 度することに
なった。胃カメラについては、当日までバイアスピリンの服用を中止するようにと看護師
さんから指示された。
[2012 年 5 月 22 日~25 日]
退院後 7 回目の小旅行
退院後 7 回目の旅行は山口・福岡へ行った。羽田から北九州飛行場へ飛んだ。前回行っ
26
たときは飛行場から下関への直行バスがあったので探したが、
すでになくなっていたので、
バスで小倉へ行き、JR 小倉駅から下関へ行った。
・下関では、
・武蔵と小次郎が決闘した巌流島へ渡り、
・義経が必勝祈願したという大歳神社を訪ねた。
・翌日、山陰線の快速みすゞ号で仙崎へ行き、金子みすゞ記念館を訪ねた。仙崎で 1 泊。
・翌日、秋芳洞を訪ねた。そして、新幹線で福岡へ行き、乗り換えて久留米へ行って、
坂本繁二郎生家、青木繁生家および墓を訪ねた。その足で福岡へ戻って 1 泊。
・翌日、鴻臚館跡を見学した。
[2012 年 5 月 28 日(月)]
胃カメラ検査
初めて胃カメラ検査を受けた。また、第1回目の検便を提出した。胃カメラの結果につ
いては、出血の痕跡はないとのことであった。ただし、大腸はみていないとのことであり、
検査をしてくれた先生からは大腸もみた方が良いですよといわれた。
「CT スキャンでも良いですか」と尋ねたら、
「それでも良いです、ガンも解りますから」
といわれた。CT スキャンは、どの部分かわからなかったが、保険が効かない部分がある
ともいわれた。また、ピロリ菌がいるともいわれた。先生は、酒井先生に読んでいただく
ようにちゃんと書いておきますからと言われた。
[2012 年 5 月 29 日(火)]
朝、2 回目の検便を提出した。
[2012 年 6 月 25 日(月)]
胃カメラ検査の結果、次は CT スキャン
胃カメラ検査の結果に対して、ピロリ菌の検査(血液検査)と腹部について CT スキャ
ンをやった。結果は、次回の診察のときに伝えてくれるとのことであった。
[2012 年 7 月 23 日(月)]
鉄分不足の診断
CT スキャンの結果について画像で説明を受けたが、
特に問題はないとのことであった。
貧血の件については出血の痕跡はなく、鉄分不足ということになりフェロミア錠(鉄分)
を飲むことになった。また、ピロリ菌の検査結果については何の説明もなかった。
服用薬
この時点での薬は次のとおり 6 種類である。
・スピロノダクトン錠 25mg
朝1錠
・アーチスト錠 2.5 ㎎
朝1錠
・バイアスピリン錠 100 ㎎
朝1錠
・シグマート錠 5 ㎎
朝 2 錠、夕 2 錠
27
・リバロ錠 2 ㎎
夕1錠
・フェロミア錠 50mg
夕2錠(鉄分)
[2012 年 8 月 20 日(月)]
貧血の症状が現れたため先月から鉄分を補給していることもあり、次回に血液検査を行
うことになった。また、血圧は上が 102、下が 55 であった。上が 100 を超えたのは久し
ぶりである。
[汗]
この夏は、ほんの少しだけ汗をかくようになった。
[2012 年 9 月 11 日(火)~13 日(木)]
退院後 8 回目の小旅行
退院後 8 回目の旅行は大分へ出かけた。大分市に泊り、翌日、JR で臼杵へ出かけた。
・臼杵では、臼杵城跡へ行き、大友宗麟像と大友宗麟がポルトガル人から入手した日本初
の大砲といわれる「国崩し」のレプリカを見た。その後、臼杵石仏を見学に出かけた。
・翌日の午前中、大分市内でザビエル像、滝廉太郎終焉の地を見学した。午後、飛行場へ
行って帰ってきた。
[2012 年 9 月 24 日(月)]
HbA1c が下がる
血液検査の結果、HbA1c が、前回検査の 6.6 から 6.2 に下がり、正常ですといわれた。
獨協医科大学越谷病院から埼友草加病院へ紹介状を書いてもらい転院する時に、獨協病院
での最後の診察で久内先生から悪玉コレステロールと HbA1c には特に注意するようにと
指示されていたので、この二つで問題がなかったことは良い兆候であると思った。
[2012 年 10 月 16 日(火)]
高尾山へハイキング
高尾山に登った。麓の清滝駅から高尾山駅までケーブルカーに乗り、そこから頂上まで
は少し歩くが、頂上付近の薬王院近くになると階段が多くなった。しかし、体調に問題は
なかったので、無理さえしなければ動くこと自体は大丈夫と思った。もう一度行ってみた
い。その時は仏舎利塔方面にも足を伸ばしてみよう。
[2012 年 10 月 22 日(月)]
特に変化はなく、血圧は上が 117、下が 58 であった。久しぶりに上が 110 を超えて 117
であった。酒井先生からは 110 程度が最もよいと言われた。そして、
「薬はこのままでいきましょう」と言われた。
[薬の副作用]
10 月中旬になって、ふと右の乳房が膨れて、中心部にしこりがあり、そ
こに触ると痛いことに気づいた。非常に気になり、11 月の診察がまだ先だったのでインタ
ーネットで調べてみた。すると、男物のブラジャーが売られているという情報が出てきた。
28
これで、自分は女性化しているのだろうかと心配になり、次回の診察で先生に相談してみ
ようと思った。こうなると、診察日が待ち遠しいから不思議だ。
[2012 年 11 月 19 日(月)]
薬の副作用
酒井先生から、
「お変わりありませんか」と聞かれたので、
「体に異変が出てきました」と答えた。
見た目にはそう目立たないが、右の乳首が膨れてきている。酒井先生は少しも騒がず
「あっ出ましたか」
と言われた。詳しくは覚えていないが、
「スピロノラクトンには○○が含まれていますからね」
と言われたが、○○の部分はなんと言われたかすぐに忘れてしまった。そして
「薬を変えますから」
とのことであった。変更は「スピロノラクトン」が「セララ」に変えられた。
「このままだと女性のオッパイのようになるんですか」と聞いたら、
「そんなにはなりませんよ」と言われた。とりあえず、女性化の心配はないようなので安
心した。
服用薬
この時点での薬は次のとおり 6 種類である。
・セララ錠 25mg
朝 1 錠 (降圧剤)
・アーチスト錠 2.5 ㎎
朝1錠
・バイアスピリン錠 100 ㎎
朝1錠
・シグマート錠 5 ㎎
朝 2 錠、夕 2 錠
・リバロ錠 2 ㎎
夕1錠
・フェロミア錠 50mg
夕2錠
[薬の効果]
右乳房が腫れるという副作用が出たが、先生はそのことを予期していた。つ
まり、重病を患うと副作用が出ても使用せざるを得ない薬があるということだろう。そう
であれば、この病気には前の飲んでいた薬が最善で、変更された薬の方が効果が弱いとい
うことであろうか。
[2012 年 12 月 17 日(月)]
手のしびれ
特に変化はなく、血圧は上が 113、下が 55 であった。左手がしびれるので相談したが、
原因はよく分からないままであった。酒井先生は「様子を見ましょう」と言われた。薬は
従来どうりで、休みが入るので 35 日分出しておきますとのことであった。
手のしびれについては、酒井先生から肩がこっても手がしびれることがあると言われたの
で、病院から帰ってきてインターネットで左肩こりについて調べたら、いろいろなことが
書かれていた。
その中に、
胃が疲れると手がしびれることがあるという記述があったので、
29
胃が悪いとは感じていなかったが太田胃酸錠を3錠飲んでみた。すると、翌日は何事もな
かったように左肩こりがなくなり、手のしびれもなくなった。本当に胃酸でしびれが治っ
たのだろうか、よくわからない。
[2012 年の総括]
自分の体のことであるが、状態の良し悪しがよくわからない。手のしび
れや副作用など自分には理解できないことが多々ある。先生の言われることをよく守るこ
とが肝心であろう。
[2013 年 1 月 7 日(月)]
特定検診を受ける
川口市からの補助金が出る特定検診(500 円)を近所の保木診療所で受けた。受付の女
性にすすめられて追加検査として心電図もとった。
[2013 年 1 月 17 日(月)]
特定検診の結果
特定検診の結果が出たとの電話があったので結果を聞きに行った。基本的には HbA1c
が少し高いとのことであった。心電図については、QR パターン(V1、V2)と書かれ要観
察となっていたが、
病気をしているのでこれは出ますとのことで、
とくに説明はなかった。
HbA1c は少し高いとを注意された。
(特定検診での数値)
身長:168.4、体重:49.0、腹囲:69.0、BMI:17.3、血圧:上・140、下・66、中性脂
肪:104、HDL:66、LDL:98、GOT:26、GPT:22、γ-GTP:22、空腹時血糖:
104、HbA1c:6.2、クレアチニン:0.64
[2013 年 1 月 21 日(月)]
特に変化はなく、従来通りの薬が処方された。血圧:上・113、下・58。酒井先生から
「血圧は安定していますね」と言われた。次回に血液検査をすることになった。
[2013 年 2 月 25 日(月)]
食べ過ぎに注意
血液検査の結果で HbA1c が前回の 6.2 から 6.5 に上がっており、酒井先生から
「食べ過ぎに注意してください、カロリーの摂り過ぎ」といわれた。
「鉄分は増えているので鉄の補給は一旦やめましょう、
また減ったら補給すればよいので」
ともいわれた。この日の血圧は上が 101、下が 63 であり、
「血圧は安定していますね」といわれた。
服用薬
この日処方された薬はつぎのようになり、貧血になる前の状態に戻った。
・セララ錠 25mg
朝1錠
・アーチスト錠 2.5 ㎎
朝1錠
・バイアスピリン錠 100 ㎎
朝1錠
30
・シグマート錠 5 ㎎
朝 2 錠、夕 2 錠
・リバロ錠 2 ㎎
夕1錠
[2013 年 3 月 25 日(月)]
発作から 4 年が経過した。特に変化はなく、これまで通りの薬が処方された。血圧:上・
112、下・53。
[2013 年 4 月 22 日(月)]
エコー検査を予約
特に変化はなく、これまで通りの薬が処方された。血圧:上・107、下・57。この日は、
退院してすでに 4 年が経過したので、退院して 4 年ころに注意すべき点があるかどうかを
酒井先生に聞いた。先生は特にないとのことだった。そして、次回、5 月 27 日にエコー検
査を行うことになった。検査は 9 時半に予約を入れたので 15 分前までにくるようにとの
ことで、病院に来たら検査で予約(順番取り)してくださいとのことで「生体検査予約票」
をもらった。
[2013 年 5 月]
腰痛で整形外科へ
2 月に起こした腰痛が治らないので、近くの氷室医院へ行った。腰のレントゲンを撮って
もらったが、先生から治らないといわれた。痛みがひどくなったら、痛み止めの薬か、湿
布か、坐骨神経痛の薬だと言われた。そして、カルシウムを採って太陽にあたるようにと
の注意と、歩くように言われた。痛みがひどくなったらまた診てもらうことにした。
[2013 年 5 月 27 日(月)]
エコー検査結果は前回同様、薬の副作用が出る
エコー検査の結果は、前回同様ということであった。だから、退院後に何か特に新たな
問題が出てきているということではないと解釈した。血圧:上・109、下・55。
昨年 11 月に、右の乳首にしこりが出来て腫れたので薬を変更してもらったが、同じ症状
が左の乳首にも出てきたので先生に相談した。薬は変えたので今の薬が悪さをすることは
ないとのことで様子を見ようと保留になった。通常は、左右同時に症状が出るとのことで
あった。そして、
「乳癌の可能性もあるが」とも言われたので、
「男でも乳癌になるんですか」と尋ねたら、
「なります」という返事が返ってきたのでびっくりした。
乳がんの疑いという新しい難問に直面することになった。自分には何も出来ないし、何
もわからないので、先生の言うことをよく聞こうと思った。
[驚き]
男にも乳がんがあるということを初めて知ってびっくりした。
[2013 年 6 月 24 日(月)]
31
薬の副作用
血圧測定で、自分で腕を突っ込んで自動的に測定する機械で測ったところ、上:82、下:
53 であった。上の 82 が気になったので、2 回目の測定をしたところ、上:82、下:56 で
あった。そこで、診察のときに看護師に測ってもらったら、上:120、下:52 であった。
血圧の測定のバラツキがどうもよくわからない。
この日、前回に相談した左の乳首が確実に膨れてきていることを伝えた。酒井先生は触
診をしてじっと見つめて、
「膨れていますね、なぜかな、乳ガンということもあるが」といわれたので、乳がんの検
査について聞いてみると、
「乳がんの検査は、ここの組織をとって検査しなければならないですが、でも、きれいな
んですよね」と言われた。
先生は乳がんの検査をしましょうとは言われなかったので、あまり乳ガンを疑ってはい
ないのだろうと解釈した。そして、先生は、
「思い切ってセララをやめてみましょう、1 ヶ月後にまた状況を教えてください」と言わ
れた。これでセララの服用が中止になった。
服用薬
この日処方された薬はつぎのようになり、貧血になる前の状態に戻った。
・アーチスト錠 2.5 ㎎
朝1錠
・バイアスピリン錠 100 ㎎
朝1錠
・シグマート錠 5 ㎎
朝 2 錠、夕 2 錠
・リバロ錠 2 ㎎
夕1錠
[薬の処方]
以前に使用を中止された「スピロノラクトン」は、一般的に降圧剤および利
尿剤とされているが心臓の保護のために使われていた。今回、使用中止となった「セララ」
も、一般的に降圧剤とされており利尿作用もあるが、心臓を保護する機能があるのでそこ
に期待して使っているということであった。先生の薬の使い方は素人にはよくわからない
ことが多いので、先生の言うことをよく聞こう。
[2013 年 7 月 4 日(木)~7 日(日)]
退院後 9 回目の小旅行
退院後 9 回目の小旅行は釧路に行った。観光バスで摩周湖、阿寒湖などを回ったが、天
気が悪く摩周湖では何も見えなかった。翌日、釧路動物園にシマフクロウを見に行った。
そして、昼食はフィッシャーマンズワーフの魚政でサンマンマとつみれ汁ですませた。以
前に訪れたときに食べたサンマンマが好きになり、釧路に行ったらときにはサンマンマを
食べようと思っていた。
食後に幣舞橋を渡り、右側に降りて行ったところの港文館でコーヒーを飲み、すぐ近く
の釧路市美術館で歌麿展をやっていたので観賞した。最後の日は、飛行機までの時間が空
いていたので鶴公園へ出かけた。この旅行では後に、まったく心筋梗塞のことを意識する
ことなく行動していたことに気づいた。これで、今後、小旅行と心筋梗塞を結びつけて考
える必要がなくなったと思った。
32
[2013 年 7 月 20 日(土)~21 日(日)]
友人の大中氏と二人で、湯河原の同氏のリゾートマンションに泊ったが、両日ともに小
田原で見学を試みた。また、今年の 2 月に腰痛を起こしていたが、温泉に入ったことが腰
の状態に良かったようだ。
・20 日には、生命の星・地球博物館を見学した。
・21 日には、尊徳記念館を訪ねた。
生命の星・地球博物館も尊徳念館も、考えていたよりずっと内要が充実していた。
[2013 年 7 月 29 日(月)]
左の乳首の腫は、中心部のしこりのみで周辺部は腫れがひいている。また、痛みもやわ
らいでいる。血圧は、上:119、下:53 だった。先生は、薬はしばらくこのままでいきま
しょうといわれた。
[2013 年 8 月 26 日(月)]
左の乳首の腫れがまだ多少残っているが、治ってきた。酒井先生からは「良かったです
ね」と言われた。これで乳がんの恐れはなくなったと思った。血圧は、上:116、下:61。
次回の 9 月末の診察の時に血液検査をすることになった。
[安心]
今日で「女性化」と「乳がん」の心配が完全に消えた。
[2013 年 9 月 27 日(金)~29 日(日)]
27 日は熱海に行き MOA 美術館を訪ねた。夕方、友人の大中氏の湯河原のマンションで
大中氏と合流した。温泉に入るのは今年 2 度目である。
28 日、三島に行きビュフェ美術館、クレマチスの丘・ヴァンジ彫刻庭園美術館、楽寿園、
三島大社を見学した。
28 日も大中氏のマンションに泊り、翌 29 日は湯河原のかぼちゃ美術館に立ち寄って帰
ってきた。
[汗]
この夏、退院から 4 年が過ぎて夏を迎えたが、はじめて病気前の健康時と同じよう
に汗をかくようになった。
[2013 年 9 月 30 日(月)]
二週続けて月曜日が国民休日だったせいか病院が非常に混んでいた。血液検査の結果で
は、血糖値が 118、HbA1c が 6.8 といずれも高くなっていた。HbA1c については、糖尿病
と診断されるレベルかどうかを聞いてみたら、ギリギリいっぱいとのことであった。酒井
先生からは「腹八分目、満足するまで食べないこと」と言われた。血圧は、上:111、下:
59 であった。
[贅沢]
退院した後(2009 年 3 月末)
、ご飯をコメ 2 合に麦 1 合の麦飯に変えた。しばら
33
くして、コメ 2 合に麦 2 合とした。そして、この 10 月にコメ 2 合に麦 1 合に戻してみた
ら何とご飯が美味しいことか。貧しい食事生活をしていても、知らず知らずのうちに贅沢
になっているのだなと実感した。
[2013 年 10 月 28 日(月)]
特に変化なし。血圧は、上:114、下:61 で、先生から順調ですねと言われた。薬も前
回と同じ。
[冷え]
秋になったが、病気前後の極端な寒がりが少し良くなってきている。また、病
気前からの手足の先端が極端に冷たくなる状況が続いていたが、これも少しだが改善して
きている。
[2013 年 11 月 15 日(金)]
特定検診を受ける
川口市からの補助金が出る特定検診(500 円)を近所の保木診療所で受けた。今年の 1
月に受けたときより、身長が 1.6cm縮んでいたのが気になった。2 月に腰を痛めたのが関
係しているのだろうか。
[2013 年 11 月 22 日(金)]
特定検診の結果
特定検診の結果が出たとの電話があったので結果を聞きに行った。基本的には HbA1c が
少し高くギリギリいっぱい、これ以上高くなると糖尿病と診断されると注意された。原因
は食べ過ぎか、運動不足で取得カロリーを消費していないか、少し考えてみるのがよいと
のことであった。夜に間食していないかも聞かれた。通常6時頃に夕食を済ませ、夕食後
に水は飲んでいるが寝るまで何も食べていない。
(特定検診での数値)
身長:166.8(今年 1 月の検診時より 1.6cm低い)
、体重:49.0、腹囲:70.0、BMI:17.6、
血圧:上・130、下・70、中性脂肪:86、HDL:61、LDL:101、GOT:30、GPT:22、γ-
GTP:26、空腹時血糖:90、HbA1c:6.5(今年 1 月の検診時より 0.3 上昇)
、クレアチニ
ン:0.71。HbA1c 以外はほぼ基準値内に収まっていた。
[2013 年 11 月 25 日(月)]
体調に変化なし。血圧は、上・96、下・60 であった。
先生に「上が 100 を切ったのは久しぶりですよね」と言ったら、
「いや別に問題ないです
よ」と言われた。12 月は、23 日が休日で、30 日が年末休暇に入っており、月曜日の休み
が重なるので薬も 1 月 6 日まで出しておきますといわれた。したがって、12 月の診察はな
くなり、次の診察は 2014 年 1 月 6 日となる。
[2013 年の総括]
心筋梗塞の発作を起こして 4 年半くらいが経った夏ごろから、次の 3
つの著しい変化を感じるようになった。
34
① 夏場に健康なときと同じように汗をかくようになった。
② 初春や晩秋など少し寒い程度でも手足の先が氷のように冷たくなっていたのが和らい
できた。
③ 小旅行していても病気を意識することなく行動するようになっていた。
[2014 年 1 月 6 日(月)]
次回の診察時に血液検査をすることが決まった。先生からは、変化がないことは良いこ
とだとも言われた。
この日、先生から「どうですか、お変わりありませんか」と聞かれた。これに対して、
「退院して 4 年半が過ぎた昨年の秋から、発作を起こす少し前から手足の先が非常に冷た
くなるのが少し和らぎました。体の調子が少し良いのかなと思っています」と答えた。
「それは良くなっているのですよ」と先生は言われた。そして、
「ちょっと手を触らせてください」といって、私の手を自分の左右の手で挟むようにして
触られた。その結果、
「えっ、これより冷たかったのですか」と言われたのには驚いた。
何年も冷たい手をしていたので慣れてしまって冷たさが和らいだように感じたのだろう
か。
あるとき死人でもこれほど冷たくはならないだろうと思ったこともあったのに。
でも、
やはり自分では確実に手の冷たさは和らいでいるように思える。これは、悲観的に考える
より体調が良くなっている証拠と考える事にしょう。
[2014 年 2 月 3 日(月)]
血液検査を行なった。HbA1c が 6.7 で多少高い。酒井先生からはギリギリいっぱいとい
われた。これ以外は特に健康に問題はないといわれた。
血圧は、今回、左右の腕で測ってみた。右は上・91、下・54、左は上・81、下・54 であ
り、上が左右の腕で 10 相違していた。これを先生に聞いてみたら、10 くらいは違うこと
があり問題ないといわれた。20 や 30 違ってくると、どこか血管が細くなっている可能性
があるといわれた。病院は少し前から、入口の近くに血圧測定機を 2 台置いて、患者が自
分で測定するように指導しているので、時々、左右の腕で血圧を測ることにしたい。
[2014 年 3 月 10 日(月)]
今日も酒井先生に「お変わりございませんか」といわれた。体調に変化がないことを伝
えたら、
「体重はどれくらいですか」と聞かれた。
「かなり前に 50 キロになりました」と答え、「食事制限していると体重は増えないんです
よ」というと、
「体重は増えなくて良いじゃないですか」と言われた。
体重を増やそうと食事を増やすと、体重が増える前に血液検査の結果で真っ先に HbA1c
が悪くなるので、自分の体にとって飲み食いの制限を守ることが極めて重要である。血圧
は、上・113、下・63 であった。
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[心筋梗塞の予防]
上記のとおり、心筋梗塞を起こして 5 年が経過して思うことは、多少気を付けておけば
発作を起こさずに済んだのではないかということである。心筋梗塞にならないための注意
点を自分の経験からあげてみると次のようになる。また、これらのことは、病後において
も守るべきであることは言うまでもない。
項目
食
事
内
容
[食事が基本]
腹八分目に食べてカロリーを摂り過ぎないこと。
参考[退院時の医師からの栄養士への指示(栄養指導のため)]
・カロリー:1 日 1800 kcal
・塩分:1 日 5~6 グラム
・脂質:1日 45 グラム
運
動
[摂取カロリーの消費]
摂取したカロリーは消費する必要があるため、運動をしていない人はウォーキ
ング等をすること。
参考[退院時の看護師からの指示]
・ウォーキングの距離やスピードは自分の体の調子が基準
・疲れたら即座にウォーキングを止め休憩すること
健
診
[健康診断の受診]
年に 1 回は健康診断を受けること。特に血液検査の結果で基準値を上回る項目
については、再度検査を受け医師の指示に従うこと。
参考[独協大学病院での最終診察時の医師からの指示]
とくに次の2点に注意すること。
・悪玉コレストロールは 100 以下(健康な人は 140 以下)
・HbA1c は 6 程度を維持(基準値の上限が 5.8 のとき)
放散痛
[放散痛に注意]
放散痛(P7 参照)、つまり、原因不明の痛みや肩こりが体のどこかで起こった場
合、すぐに治るからと言って放置せず、病院に行って医師の診察を受けること。
糖尿病
[糖尿病は万病の基]
入院中、ほとんどの患者が心筋梗塞の引き金が糖尿病であった。糖尿病と診断
された人はまじめに治療すること。また、患者間での話では糖尿病は万病の基
と言う意見で一致していたことが印象的であった。
参考[独協大学病院での最終診察時の医師からの指示]
・糖尿病はこれまで通り我流でやるように。
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