ターミナル期にある小児がん等の子どもの教育内容・方法に関する国際

様式 C-19
科学研究費補助金研究成果報告書
研究種目:基盤研究(B)(海外)
研究期間:2006~2008
課題番号:18402045
研究課題名(和文):
ターミナル期にある小児がん等の子どもの教育内容・方法に関する国際比較研究
研究課題名(英文):
Comparative International Research on Educational Contents and Methods of Terminal Care
Children and Adolescents from cancer and other Disease
研究代表者
和歌山大学大学院教育学研究科・教授
研究者番号 50280574
交付額
(金額単位:円)
直接経費
18
年度
19
年度
20
年度
間接経費
3,800,000
5,000,000
2,400,000
合
1,140,000
1,500,000
720,000
計
4,940,000
6,500,000
3,120,000
年度
総
計
11,200,000
3,360,000
14,560,000
研究分野:社会科学
科研費の分科・細目:教育学・特別支援教育学
キーワード:小児がん、ターミナル、教育内容・方法、国際比較
研究組織
研究代表者
武田 鉄郎 和歌山大学大学院教育学研究科・教授
研究分担者
西牧 謙吾 独立行政法人国立特別支援教育総合研究所・教育支援部・上席総括研究員
篁
倫子 お茶の水女子大学・人間文化創成科学研究科・教授
江田 裕介 和歌山大学大学院教育学研究科・教授
當島 茂登 鎌倉女子大学・教授
丸
光恵 東京医科歯科大学・保健衛生学研究科国際看護開発学・教授
平成 18 年度のみ
森下 康正 (和歌山大学大学院教育学研究科・教授) (転出のため)
(3)研究協力者
細谷
亮太(聖路加国際病院・副医院長)
櫻木 里子(福岡市立千代小学校九州大学附属病院院内学級・教諭)
永尾紀代美(福岡市立千代中学校九州大学附属病院院内学級・教諭)
藤田絵理子(和歌山県立医科大学小児成育医療支援室・心理士)
笠原 芳隆(上越教育大学・准教授)
近藤(有田)恵 (京都大学こころの未来研究センター・研究員)
是永かな子(高知大学教育学部・准教授)
池田 文子(流通経済大学社会学部・非常勤講師)
田中 京子(和歌山県立串本古座高等学校・講師)
目
第1章
研究の概要
第2章
海外調査研究
次
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1
1.オーストラリア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
9
2.イタリア ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
16
3.スウェーデン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
22
4.アメリカ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
27
5.ドイツ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
33
第3章 わが国のターミナル期にある子どもと教育
1.小児がん医療の現状と課題-特に「こころ」について・・・・・・・・・・・
37
2.筋ジストロフィー医療の現状と課題
40
・・・・・・・・・・・・・・・・・
3.ターミナルケアの現状 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
43
4.小児がんの子どものトータルケアと教育 ・・・・・・・・・・・・・・・
48
5.ターミナル期における小児がん患者家族の支援 ・・・・・・・・・・・・・・
52
6.筋ジストロフィーの子どものトータルケアと教育 ・・・・・・・・・・・・
59
7.死と発達心理学
63
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8.子どもの死と死生学
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
69
9.卒業後の筋ジストロフィーの QOL を高めるための教育内容 ・・・・・・・・・ 76
第4章 小児がん等のターミナル期における教育・看護・医療に関する国際フォーラム
1. 小児がん等の ターミナル期における教育・看護・医療に関する国際フォーラム
を開催するに当たって ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
80
2.院内学級の実際-九州大学医学部附属病院内学級 ・・・・・・・・・・・・
82
3.小児がんのターミナル期において看護師がケアに困難を感じる諸要因 ・・・
88
4.小児がんの子どものトータルケアの現状と課題・・・・・・・・・・・・・・ 99
5.がんを患った生徒たちを順調に守り続けること-オーストラリアの展望 ・・・・・ 104
6.通常の健康的な生活の維持-(スウェーデンからの報告)・・・・・・・・・112
7.わが子はがんによってどのように死んだか-両親の立場から
(アメリカからの報告)・・・・・・・・・・・・・119
8.「私が決してしない唯一のこと、それはあきらめること」末期がんやその他の
病気にかかっている子どもたち-人類の生活に実際に起こっている状況に対する教育
的アプローチ(ドイツからの報告) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 128
9.イタリアにおける小児がん患者とその家族に対する援助
第5章 院内学級における事例研究
・・・・・・・・・・ 136
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
146
第6章 研究の考察とまとめ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
158
資料編
資料 1
絵本の活用
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
163
資料2 「工房の猫」翻訳について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 169
第1章
武田
Ⅰ
研究の概要
鉄郎(和歌山大学)
研究の問題と目的
もの教育内容・方法に関するモデルを呈示し、ガ
近年めざましい医療の進歩により、白血病等の
イドブックの作成、普及させていく中で医療者と
小児がんの生存率は高まり寛解に至るものが7割
教育者とが子どもの QOL の向上を共通の目的と
から8割までに至っている。また、進行性筋ジス
し、具体的な教育的対応を共通理解しながら支援
トロフィーなどは人工呼吸器による呼吸管理のた
していくことが求められる。
めの医療機器の性能の向上により延命するように
現状においては、国内外において医療側でのタ
なったが、QOL を高めるため教育的対応が院内学
ーミナル期の在り方についての論文等での報告が
級等で行われているとは限らない。また、国によ
みられるが、医療者と教育者との連携においてタ
っては進行性筋ジストロフィーの青年に対しては
ーミナル期にある子どもの教育内容・方法(Death
人工呼吸器を使用しない傾向が強い。すなわち、
Education を含む)にまで踏み込んだ研究はほとん
自分の力で呼吸できない状態で死を迎えることに
どない。
なることが医療者等の一般的な価値観である。
アメリカにおいては、小児がんなどは告知をす
すでに学術的交流のあるオーストラリア、イタ
ることが普通のことであるが、イタリア、オース
リア、スウェーデン、アメリカ、ドイツの小児病
トラリア、日本等では、ケースバイケースであり、
院・病棟のうち、病院内学校が設置されている小
特に、日本においては小児に病名告知はされてい
児病院・病棟の医療スタッフと学校教員との協働
ない場合が多い。医療システムの違いにより、ア
で、教育カリキュラムや教育方法等の比較研究を
メリカにおいては、長期入院が経費の関係でほと
行い、その違いを明らかにしながら、ターミナル
んどなく、そのため病院内学校(Hospital School)
期にある子どもの教育内容・方法に関してカリキ
の設置はわずかである。その代わりに病院内で
ュラムを開発していく必要がある。
Child Life
Specialist 等の専門家が小児がん等の
我が国における院内学級担当教員の平均在任期
子どもや家族をサポートしている。医療側からの
間で3年未満の者が 77.7%であり、カリキュラム
ターミナル期にある子どもの治療・看護のガイド
構築にまで至っていないのが現状である。教育者
ラインはあっても教育課程(カリキュラム)がない
と医療者(医師、看護師、ソーシャルワーカー、臨
のが現状である。
床心理士、病棟保育士)との連携のもと、その実態
この研究の位置づけは、国内外を越えて、医療
とカリキュラム作成が急務である。医学、看護学、
者と教育者の協働チームによるターミナル期にあ
保育、教育学、心理学等の学際的な分野で今まで
る子どもの教育に関する国際較研究を行うところ
明らかにされてこなかったターミナル期にある子
にある。彼らのための学校教育カリキュラム作成
どもの学校教育における教育内容・方法を開発す
のための基礎的研究であり、医療と教育の学際的
ることが求められている。
な研究に基づき、今までに構築されてきていない
各国のターミナル期にある子どもの心理・教育
教育領域でのカリキュラム開発の基礎的研究であ
的対応に関する比較研究で相違点と共通点を明確
る。
にし、学校教育におけるターミナル期にある子ど
そこで本研究は、小児がん等のターミナル期に
1
各研究分担者が各国の病院と病院内学校を視
ある子どもの心理・教育的対応と子どもの教育カ
リキュラムについて、オーストラリア、イタリア、
察し、指導内容・方法に関して、目的に沿って
スウェーデン、アメリカ合衆国、ドイツ、日本で
研究協議を行い、情報収集とその分析を行った。
の情報収集のためのフィールド調査を行い、ター
(1)
ミナル期にある子どもの国際比較研究を行うこと
シドニーウエストミード小児病院内にある病気
を目的とした。そして、日本におけるターミナル
の子どもの ための教 育 研究所(Children Education
期における子どもの教育課程の開発の基礎資料と
Research Institute)の所長 Belida Barton 博士と復学
するために、国際学術会議を開催し、それらの総
支援(Back on Track) チーム、医療者と病院内にあ
合的な情報をもとに、研究期間内に以下の事柄に
る 小 児 病 院 学 校 (The New Children's Hospital
ついて明らかにするものである。
School)と の 協 働 に よ る 情 報 交 換 と 研 究 協 議 を 行
(1) オーストラリア、イタリア、スウェーデン、
オーストラリア
った。
ア メ リ カ 合 衆 国 、 ド イ ツ に お い て 、
(2)
Bibace,Walsh(1980)らの Piaget の発達段階をもと
ボローニア大学附属病院サントオールソラマル
に し た 病 気 の 原 因 認 知 の 発 達 段 階 や
ピ ギ 病 院 の 小 児 科 医 長 ・ 精 神 科 医 の Dorella
Rowland(1989)の死と生の概念における発達段階
Scarponi 博士を中心とする病院内学校(Mostra di
等を参考に、医師、看護師、ソーシャルワーカー、
pittura dei bambini e dei ragazzi della Scuola in
臨床心理士、病棟保育士等の医療スタッフと院内
Ospedale)の 教 員 と の 情 報 交 換 と 研 究 協 議 を 行 っ
学級等の学校教育にかかわる教員から現状を把握
た。Scarponi 博士はターミナル期にある子どもと
し、さらにターミナル期にある子どもの教育内容
家族の支援と学校の教員の支援を行っている。
として何が必要であるかインタビュー等を通して
(3)
情報を収集し、実態把握、現状分析すること。
イタリア
スウェーデン
ス ウ ェ ー デ ン の イ エ ー テ ボ リ に あ る Queen
(2)各国のターミナル期にある子どもの心理・教育
Slivia Children's Hospital を訪問し、病院内に
的対応やその教育カリキュラムに関する調査を行
ある jukhusskolan ホスピタルスクールの教員、
い、医療者と教育者との協働による教育課程の情
Carina Eriksson 氏を中心に、学校長、医療スタ
報収集を行うこと。
ッフ、地域連携看護師と情報収集と協議を行った。
(3)日本国内の医療スタッフと院内学級等の教員
(4) アメリカ合衆国
からの情報収集と海外からの情報収集をあわせ
St. Jude Children's Hospital の看護研究ディレク
て、日本の教育システムにあったターミナル期の
ターであった Pamela Hinds 氏を訪問し、インタビ
子どもの教育内容・方法について整理検討し、教
ュー等を行い、情報収集と協議を行った。
育課程を構築すること。
(5)ドイツ
なお、本研究はターミナル期にある子どもだけ
ケルン大学医学部付属病院と小児病棟内にある
を対象に行うわけではない。子どもが入院し、治
病院内学校を訪問し、ノルトライン・ヴェストフ
療を受け、寛解(remission)状態になり、退院して
ァーレン州(以下、NRW州)における特別支援
いくケースも含める。すなわち、治療の過程にお
学 校 と し て 患 者 の た め の 学 校 (Schule fuer
いて結果として残念ながらターミナル期に移行す
Kranke)、大学病院などに併設されている(ケルン
るケースと、退院していくケースも含める。
大学医学部附属病院小児病棟内にある病院内学校
(Johann-Christoph-Winters-Schule;Shulefuer
Ⅱ
研究方法
Kranke)において情報収集及び協議を行った。
1.各国での研究協力者、情報収集
2
2.国際フォーラムの開催
教育カリキュラムは、幼稚園、小学校、中学校、
小児がん等のターミナル期における教育・看
高等学校の「教育指針」に示されていて、スペシ
護・医療に関する国際フォーラムを 2007 年8月
ャルエデュケーションの範疇はない。日本でいう
25 日、26 日に東京医科歯科大学歯学部講堂で開催
学習指導要領レベルでも障害のある生徒の教育と
し、協議を行った。この報告については、第4章
健常な生徒との教育が統合されている。ゆえに障
で報告している。
害のある生徒が各段階の教育課程の基準に合わな
いときは、機能-動態プロフィール(Profilo
Ⅲ
調査結果
DinamicoFunzionale、以下 PDF)と、個別教育計画
1.オーストラリア
(Piano Educativo Individualizzato、以下、PEI)を作
ニューサウスウエールズ州の教育的サポートニ
成し、個に応じた教育内容を準備できる制度にな
ーズのある児童生徒への教育的サ-ビスにおい
っている。特に、日本における「ディスアビリテ
て、①通常の学級における教育的サポートニーズ
ィの改善・克服」の領域に関しては地域保健機構
のある児童生徒に対するインテグレーションプロ
の訓練等のサービスを受けることができるように
グラムに関する規定、②普通学校の特殊学級にお
制度設計されている。
ける教育的サポートニーズのある児童生徒に対す
ホスピタルスクールにおける教育内容は、通常
る規定、③距離的要因、医療的要因、法的要因に
教育の枠組みの内で、国が定めた教育カリキュラ
よって孤立している児童生徒に対するスペシャル
ムを実施している。ターミナル期にある子どもの
エデュケーションサ-ビスに関する規定がある。
ための教育内容はナショナルカリキュラムの中で
ホスピタルスクールは、医療的要因によって生じ
は特に設けられていない。それらは個別の教育ニ
るハンディキャップに対して支援する規定であ
ーズにより、PEI に盛り込まれる。
る。
ボローニア大学付属病院サントオールソラマル
ホスピタルスクールで行われている教育は、特
ピギ病院内にあるホスピタルスクールでは病院ス
別な教育的ニーズに対するサービスとして用意さ
タッフと協働で教育的支援が行われている。例え
れているが、行政上スペシャルエデュケーション
ば、ターミナル期に移行する生徒には、生徒自身
の範疇には入らない。基本的には、幼稚園、小中
が希望する看護師や教師を指名することができ、
学校、高等学校のナショナルカリキュラムで行わ
それらの看護師や教師が亡くなるまで支援するシ
れている。しかし、知的障害などがある場合、ス
ステムを作っている。教育内容・方法は、医療者と
ペシャルエデュケーションのカリキュラムで学習
教育者とのトータルケアの理念ともと、情報を共
する。学籍移動は行わなくてもよい。
有し、生徒との関係性の中で準備される。なお、
なお、ターミナル期にある子どもで教科学習が
病院内学校を利用するに当たり学籍移動は行わな
できなくなった子どもに対して特別な教科・領域
い。
はなく、個々の子どものニーズに合わせ、教師が
3.スウェーデン
個別教育計画(Individualized Education Plan,以下
ホスピタルスクール・ホスピタルクラスは、
「病
IEP)を作成し教育を行う。また、個別移行計画
気」という特別な教育的ニーズに応じるという意
(Individualized Transition program,以下 ITP)によ
味では教育方法として、スペシャルエデュケーシ
り地域の学校とホスピタルスクールとの連携を図
ョンであるが、その対象は健常児である場合は通
っている。
常の教育のカリキュラムを行う。また、障害児で
2.イタリア
ある場合であれば、障害児教育のカリキュラムに
イタリアでは、障害のある子どものための国の
従う場合がある。なお、ターミナル期にある子ど
3
もで教科学習ができなくなった子どもに対して特
由時間指導、健康教育、言語教育、環境教育、交
別な教科・領域はない。個々の子どものニーズに合
通・安全教育などがその内容に含まれている。タ
わせ、教師が子どもにアプローチを行っている。
ーミナル期のある子どもの教育内容は各教科等と
ホームスクール(地域の学籍を置いている学校)
連携を図り,子どもとの関係性の中で教師が個別
の個別教育計画とホスピタルスクールでの個別教
教育計画を作成していくものと考える。病院にお
育計画は連動しており、子どもの教育に関する責
ける授業は、国家教育の管理の監督下にある。教
任は基本的にはホームスクールにある。
育問題に対する意見調整を維持し病弱児が出身学
4.アメリカ
校の帰属意識を持ち続けられるよう、原籍の学校
米国においては、小児がん等の病気の子どもの
とは連絡を継続する。教育課程の決定と変更は、
教育はスペシャルエデュケーションの範疇は入る。
原籍校と協力して行う。ただし、入院生活が著し
学籍移動の有無については、子どもは基本的に学
く長期におよぶ場合に限り、病院内学校の教師が
籍の移動は行わず、原籍校に在籍したまま IEP の
決定する。
教育を受けることとなる。IEP と原籍校のカリキ
ドイツでは州によって異なるがノルトライン・
ュラムのすり合わせが必要になってくる。小児が
ヴェストファーレン州(以下、NRW州)では、
んの子どもは、わが国と比較して短期間の入院で
特 別 支 援 学 校 と し て 患 者 の た め の 学 校 (Schule
あり、外来通院を主体とした化学療法を行ってい
fuer Kranke)が位置づけられており、大学病院など
る 。 そ の た め 院 内 学 級 の み な ら ず 、 homebound
に併設されている。NRW 州では日本の特別支援
teacher の家庭訪問による教育などを利用して教
学級に類するものはない。訪問教育は家庭授業
育を継続している状況が明らかになった。個別の
(Hausunterricht)として病院における治療終了後、
教育計画については、教育職のみでなく、医師・
場合によっては、まだ通学できない対象児に対し
看護師・心理士等のディスカッションを通して、
ては家庭授業が行われる。
両親のインフォームドコンセントの下に作成され、
日本の教育制度と異なり複線型で、学校間の連
評価する法的システムが整備されていた。ターミ
携は連携が十分に図られている。教育問題に対す
ナル期においても、このような計画を延長・修正
る意見調整を維持し病弱児が出身学校の帰属意識
して教育の継続が実施されていると予想される。
を持ち続けられるよう、原籍の学校とは連絡を継
5.ドイツ
続する。退院前に医師と院内学級の教師が、原籍
病院内学校は、特別支援学校として位置づけら
校を訪問し、再統合の支援をしている。病院と学
れ、スペシャルエデュケーションの範疇である。
校をインターネットで結んで、授業を受けられる。
通常教育と特別支援学校の教育課程は異なる。病
学籍の移動はその子の状態により異なる。入院
院内学校の学習は、対象児童生徒が属している学
期間が 4 週間以上になると、Schule fuer Kranke に
校の形態(基礎学校等)カリキュラムに基づき行
行く権利と義務がある。
われている。病院内学校の特別支援教育上の任務
6.日本
は、長期疾病に精神的悪影響を対象者からの除き、
(1)病弱教育の法的根拠
回復への意志を高めることにある。日本のような
我が国で行われている病気の子どもの教育は、
自立活動の領域はないが、バイエルン州の肢体不
特別支援学校(病弱)と特別支援学級(病弱・身体虚
自由特別支援学校学習指導要領(2001 年)では、
弱)、そして通級による指導で行われている。行政
教育、訓練及び自立という項目があり、美的教育、
上の位置づけは、特別支援教育の範疇に入る。学
知覚指導、運動指導、感情的・社会的指導、家庭
校教育法施行令第 22 条の3には、特別支援学校に
的・性的教育、指導介護、精神的発達の指導、自
就学させるべき視覚障害者、聴覚障害者又は知的
4
障害者、肢体不自由者若しくは病弱者の心身の故
その子の病状や学習の進度に応じて教育が行われ
障の程度が示されている。教育法施行令 22 条の3
る(図1)。
でいう病弱者とは、「慢性の呼吸器疾患、腎臓疾
①特別支援学校(病弱)(平成 19 年度に全国で
患及び神経疾患、悪性新生物その他の疾患の状態
106 校、18,919 人)では隣接又は併設する病院か
が継続して医療又は生活規制を必要とする程度の
ら児童生徒が通学して教育を受けたり、教師が病
もの」と、「身体虚弱の状態が継続して生活規制
院内の分教室や病室で指導を行ったりしている。
を必要とする程度のもの」をいう。また、特殊学
また、地域によっては、②肢体不自由児を主とす
級の場合の法的根拠は、「障害のある児童生徒の
る特別支援学校や知的障害を主とする特別支援学
就学について」(平成 14 年5月 27 日文科初第 291
校の病院内分校、分教室が設置されている場合も
号)で示されている。病弱者及び身体虚弱者につい
ある。③小学校や中学校の特別支援学級(病弱・身
ては、「慢性の呼吸器疾患その他疾患の状態が持
体虚弱)は、平成 18 年5月1日には全国で 1,008
続的又は間欠的に医療又は生活の管理を必要とす
学級 が設置され 1,826 人の児童生徒が学んでい
る程度のもの」、と「身体虚弱の状態が持続的に
る。病院内に設置されている特別支援学級を通称、
生活の管理を必要とする程度のもの」とされ、特
「院内学級」と呼んでいる。④訪問教育では、特
別支援学級(病弱・身体虚弱)に在籍し、特別な配
別支援学校から教師が病院に派遣され、ベッドサ
慮を受けることもできる。
イドで直接指導が行われている(週2~3回、1回
(2)教育の場
2~3時間程度)。小学生、中学生、高校生がその
厚生労働省の小児慢性特定疾患対策調査結果に
対象である。入院期間の短期化に伴い、病院内の
よると、学齢期の小児慢性特定疾患のおおよそ
学校から前籍校に戻るための支援(復学支援)は重
85%の児童生徒が普通の小・中学校に在籍し、15%
要であるが、十分になされていないのが現状であ
が病弱教育の対象である。病弱教育対象者には、
る。
そのニーズに応じて以下の教育の場が用意され、
5
1 特別支援学校(病弱)
※「分 教 室」
:特別支援学校の病院内の学級
「院内学級」
:小・中学校の病院内の病弱・身体虚弱特別支援学級
自 宅
自 宅
<通学>
在宅者への訪問による指導
特別支援学校(病弱)
通学
隣 接 病
分教室
病院内の分教室で指導
院
病室
病室で指導(ベッドサイド)
病院内の分教室で指導
病
分教室
院
病室
(分校として設置されている場合もある)
ベッドサイドへ訪問指導
病
院
病室 病室
※ 特別支援学校(肢体不自由、知的障害)の病院内の分校・分教室が設置されて
いる場合もある。
2 病弱・身体虚弱特別支援学級
小(中)学校
特別支援学級
自 宅
<通学>
小(中)学校
いわゆる院内学級で指導
病
院
病弱・身体虚弱特別支援
学級
(分校として設置されている場合もある)
図1 病弱教育の場
(3)ターミナル期にある子どもの教育課程
張感、喉の中の緊張感、雑音に対する過敏、筋肉
各教科・領域全てはターミナル期にある子ども
の脆弱性、口の中の乾燥感、エネルギー不足感、
の教育内容になると考える。しかし、日本におい
認知レベルにおいて不信感や精神的混乱、幻覚を
ては、「自立活動」という独特の教育カリキュラ
見る感覚、行動レベルにおいて睡眠障害、食欲不
ムが存在し、多くの可能性を持っている。自立活
振、引きこもり、などがみられる状態である。以
動のねらいは、「個々の幼児が自立を目指し,障
下の内容について、個々の子どもの実態に合わせ、
害による学習上又は生活上の困難を主体的に改
必要な項目を選択することで個別の教育内容を盛
善・克服するために必要な知識,技能,態度及び
り込むことができる。内容は、以下の通りである。
習慣を養い,もって心身の調和的発達の基盤を培
1) 健康の保持
う。」である。内容は、6つの区分と 26 項目から
ア.生活のリズムや生活習慣の形成に関すること。
なっている。小児がん等のターミナル期にある子
イ.病気の状態の理解と生活管理に関すること。
どもは、感情レベルにおいて悲嘆、怒り、自己非
ウ.身体各部の状態の理解と養護に関すること。
難、不安、孤独、疲労感、無感覚であり、身体的
エ.健康状態の維持・改善に関すること。
感覚レベルにおいて胃の中の空虚感、胸の中の緊
2) 心理的な安定
6
ア.情緒の安定に関すること。
に指導内容を明確にしていく。慢性疾患の子ども
イ.状況の理解と変化への対応に関すること。
にとって一般的に必要となる主な具体的指導内容
ウ.障害による学習上又は生活上の困難を改善・克
例を次に示してみる。
服する意欲に関すること。
①自己の病気の状態の理解
3) 人間関係の形成
人体の構造と機能の知識・理解,病状や治療法等
ア.他者とのかかわりの基礎に関すること。
に関する知識・理解,感染防止や健康管理に関する
イ.他者の意図や感情の理解に関すること。
知識・理解
ウ.自己の理解と行動の調整に関すること。
②健康状態の維持・改善等に必要な生活様式の理解
エ.集団への参加の基礎に関すること。
安静・静養,栄養・食事制限,運動量の制限等に
4) 環境の把握
関する知識・理解
ア.保有する感覚の活用に関すること。
③健康状態の維持・改善等に必要な生活習慣の確立
イ.感覚や認知の特性への対応に関すること。
食事,安静,運動,清潔,服薬等の生活習慣の形
ウ.感覚の補助及び代行手段の活用に関すること。
成及び定着化
エ.感覚を総合的に活用した周囲の状況の把握に関
④諸活動による健康状態の維持・改善
すること。
各種の身体活動による健康状態の維持・改善等
オ.認知や行動の手掛かりとなる概念の形成に関す
⑤病気の状態や入院等の環境に基づく心理的不適応
ること。
の改善
5) 身体の動き
カウンセリング的活動や各種の心理療法的活動等
ア.姿勢と運動・動作の基本的技能に関すること。
による不安の軽減,安心して参加できる集団構成や
イ.姿勢保持と運動・動作の補助的手段の活用に関
活動等の工夫、場所や場面の変化による不安の軽減
すること。
⑥諸活動による情緒の安定
ウ.日常生活に必要な基本動作に関すること。
各種の体育的活動,音楽的活動,造形的活動,創
エ.身体の移動能力に関すること。
作的活動等による情緒不安定の改善
オ.作業に必要な動作と円滑な遂行に関すること。
⑦病気の状態を克服する意欲の向上
6) コミュニケーション
各種の身体活動等による意欲・積極性・忍耐力及
ア.コミュニケーションの基礎的能力に関すること。
び集中力等の向上,各種造形的活動や持続的作業等
イ.言語の受容と表出に関すること。
による成就感の体得と自信の獲得(自己効力感の高
ウ.言語の形成と活用に関すること。
揚)
個別の指導計画を作成するに当たっては,一人
エ.コミュニケーション手段の選択と活用に関する
こと。
一人の子どもの病気の種類や病状,障害の状態,
オ.状況に応じたコミュニケーションに関すること。
発達段階,病気に対する自己管理及び経験等の実
自立活動の内容は,「健康の保持」,「心理的
態に応じて,指導目標,指導内容及び指導方法な
な安定」,「人間関係の形成」、「環境の把握」,
どを個別に設定することが必要である。
「身体の動き」,「コミュニケーション」の6つ
ターミナル期にある子どもに対しては、「心理
の区分の基に 26 の項目で構成されている。6つの
的な安定」が主な教育内容になるものと考える。
区分ごとに示された内容の中から,一人一人の子
音楽的活動,造形的活動,創作的活動等の諸活動
どもが必要とする項目を選定し,それらを相互に
による情緒の安定が考えられる。教師との関係性
関連付けて具体的に指導内容を設定する。病気の
が重視されることは言うまでもないことである。
多様化に対応していくためには,まずは自立活動
例えば、教師と共に絵本を読んでいるときに、主
の内容から主な慢性疾患のそれぞれに必要な項目
人公や登場人物に子どもの心が投影され,不安な
を選定し,一般化し,それを基に各病気の種類別
気持ちを言語化する場合がある。不安な気持ちを
7
言語化することも重要な教育的支援であり、その
文部科学省(2009)特別支援学校幼稚部教育要領・
ような教材を「不安な気持ちを言語化する」こと
小学部・中学部学習指導要領・高等部学習指導要
を目的に活用することは大切である。
領
本報告の資料編に、イタリアの研究協力者であ
武田鉄郎(2006)慢性疾患児の自己管理支援に関す
るボローニア大学附属病院サントオールソラマル
る教育的対応に関する研究.大月書店.
ピ ギ 病 院 の 小 児 科 医 長 ・ 精 神 科 医 の Dorella
武田鉄郎・田中賀陽子他(2009) 病 院内にある特別
Scarponi 博士が描かれた絵本を本研究において邦
支 援 学 級 及 び 特 別 支 援 学 校 (病 弱 )に 関 す る 調
訳した。また、資料2において、購入可能な絵本
査.厚生労働科学研究費補助金(がん臨床研究
をカテゴリー別に分類し、例示した。
事業)「働き盛りや子育て世代のがん患者やが
7.学籍移動について
ん経験者、小児がんの患者を持つ家族の支援の
我が国の場合、教員定数に関する法律により、
在り方についての研究」報告書(課題番号 H20-
幼児児童生徒の人数で教員の定数が決定される。
がん臨床-一般-001 研究代表者 真部 淳) .
武田・田中らは、入院・治療を必要とする子どもの
院内学級等の病院 内教 育について各都道府県 ・
政令指定都市教育委 員会を対象に調査した結
果、入院してきた子どもの学籍を移動する目安とな
る期間を設けていないと回答した自治体が 57%、
期間を設けているとの回答した自治体が 42%で
あることを明らかにした。また、学籍移動を行わ
ない子どもに対して、院内での教育保障を行っている
かどうか、という質問に対して「行っている」と回答した
ところが 35.8%あり、入院前に通学していた学校にお
いて「出席扱い」としている自治体が 16%であったこと
を明らかにした。出席扱いをする根拠は、「交流教
育の一環として行っている」、「通級による指導
という考え方で行っている」、「不登校の児童生
徒が適応指導教室に通っている場合と同じ考え方」、
「校長の判断により出席扱いをしている」であっ
た。各教育委員会でその対応に多様さがみられた
が、近年、入院する期間が短くなっていることか
ら期間を設定すれば対象とならない子どもが増加
し、教育を受ける機会が少なくなるため期間を定
めていない、学籍を移動しなくても病院内で受け
た教育を正式に評価し出席扱いにする自治体の存
在が明らかになった。
しかし、我が国の制度は、院内学級等での在籍
者数で教員配置が決定されているので、在籍する
児童生徒がいなくなれば院内学級は閉級せざるを
得ない現状があることを忘れてはならない。
文
献
8
第2章
各国の状況
1.オーストラリア
武田
Ⅰ
鉄郎(和歌山大学)
篁
はじめに
倫子(お茶の水女子大学)
要
オーストラリアは、ニューサウスウエルズ州(N
NSWでは、1993 年までは現在の日本と同じよ
SW)、ヴィクトリア州(VIC)、クィーンズ
うに特殊教育の対象児と健常児との分離政策を行
ランド州(QLD)、西オーストラリア州(WA)、
っていたが、1993 年からインテグレーション/イ
南オーストラリア州(SA)、タスマニア州(T
ンクルージョン政策に変えた。NSWの教育の全
AS)の6つの州(state)と北部準州(NT)及
体的な背景としては、1998 年の学校教育省統計概
び首都管轄区(ACT)の8つの州等からなる連
算によれば、現在、約 2,200 の学校が存在し、40
邦制を敷いており、教育は憲法上、州の責任事項
の地区に分割されている。その中でおおよそ
とされている。
750,000 人の児童生徒が在籍し、7,500 人の教師が
学校教育制度は、初等・中等教育は、いずれの
教職についている。
州においても合計 12 年間で、初等学校6年、中等
この政策は、「障害のある人々が彼らの生まれ育
学校6年(中等学校前期4年-中等学校後期2年)
った地域で生活を営み、教育を受けることができ
制をとっている州がNSWなど4つの州である。
るべきである」とするNSWの政策であり、障害
就学前教育は、3歳から5歳の幼児を対象として、
者のライフスタイルの創造や生活環境条件が健常
幼稚園又はプレ・スクール(Pre-school)と呼ば
者によって謳歌されているものに可能な限り近づ
れる就学前教育機関で行われる。また、これとは
けようとするノ-マライゼ-ションの理念に基づ
別に、公立の初等学校がNSWでは幼稚園学級と
いているものである。
いう名称の学級を付設し、5歳児を中心として学
学校教育省は、以上のことを踏まえ、次のこと
齢に達する以前の幼児を受け入れている。義務教
を明確に言及している 。
育は、6歳から 16 歳までの 10 年間とするタスマ
・ 教育的サポートニーズのある児童生徒は、その児
ニア州を除くと、6歳から 15 歳までの9年間であ
童生徒にとって最善の利益や教育効果が期待でき実
る。
現可能な状態であるなら、近隣の通常の学校に通え
本稿では、オーストラリアのスペシャルエデュ
る権利のあることを認める。
ケーションに関するサービスの概要を報告し、入
・教育的サポートニーズのある児童生徒のアセスメ
院・治療を必要とする子どもの病院内での教育に
ントや再評価、プログラミングにおいて、両親や保
ついて報告する。一人一人の疾患や障害のある子
護者が参加することを認める。
どもが病院内にあるホスピタルスクールにおいて
・特殊学校等のスペシャルエデュケーションの環境
どのように教育保障されているのか、教育制度、
が児童生徒にとって最善の利益や教育効果を満たす
や復学支援(Back on Track)の実際を概観しながら
場合には、それを認める。
紹介する。
教育的サポートニーズのある児童生徒への教育
的サ-ビスが、健常児と分離された教育的環境か
Ⅱ
1
NSWにおけるスペシャルエデュケーション
ら、近隣の通常の学校へと移行することを想定し
NSWのスペシャルエデュケーションの概
ている。これは、以下の規定によって具体的に推
9
進されるとしている。
ュケーションサ-ビスの対象となる。
・通常の学級における教育的サポートニーズのある
児童生徒に対するインテグレーションプログラムに
2.教育的サポートニーズのある児童生徒のカテ
関する規定
ゴリーと教育的なサービス
教育的サポートニーズのある児童生徒は、視覚
・普通学校の特殊学級における教育的サポートニー
ズのある児童生徒に対する規定
障害、聴覚障害、肢体不自由、長期入院、言語障
・距離的要因、医療的要因、法的要因によって孤立
害、軽度知的障害、中度、重度知的障害、読み困
している児童生徒に対するスペシャルエデュケーシ
難、行動障害、情緒障害、学習困難のカテゴリー
ョンサ-ビスに関する規定
に分けられると共に、そのサポートニーズの程度
ホスピタルスクールは、入院・治療という医療的
によって表1のようなサービスが受けられる。
要因により孤立している生徒へのスペシャルエデ
表1 障害のある児童生徒、学習困難のある児童生徒への教育的サービス
表1を簡単に説明すると、サービス規定の内容
合で、専門家のサポ-トを必要としている場合に
は、「早期介入」、「支援のある通常学級」、「学
は、巡回サポート教師のサ-ビスを受けることが
習困難に対して支援教師のいる通常学級」、「サ
適当である。肢体不自由のある児童生徒の場合は、
ポートクラス」、「特殊学校」、「巡回教師」、
巡回サポート教師以外のサービスを受けることが
「カウンセリング」、「インテグレーション」で
できる。長期入院看護が必要な児童生徒には、The
ある。例えば、「視覚障害のある児童生徒は、こ
New Children's Hospital school を中心として、
こで紹介している全てのサービスを受けることが
12 ヶ所の病院内で「教育を受ける」のサービスと
可能である。視力の機能アセスメントが必要な場
「カウンセリング」のサービスが用意されている。
10
病院内で教育保障は、医療的要因によって孤立し
プログラミングは、IEPに沿った教育の枠組
ている児童生徒に対するスペシャルエデュケーシ
みを開発することを意味する。それは、何を教え
ョンサ-ビスに関する規定によるものである。
る必要があるか、どのような方法で教えるか、誰
が教えるか、いつ、そしてどこで教えるかといっ
3
サポートサイクルの概要
たことをすべて決定することである。
NSWにおいては、教育的サポートニーズのあ
学習計画は、児童生徒の教育に利益をもたらす
る児童生徒のプログラミングの過程として、サポ
であろう全ての人々の協力によって作成される。
ートサイクルを明確にしている。サポートサイク
学習計画は、アセスメントされた児童生徒の教育
ルの鍵となるプロセスは、「児童生徒の能力やサ
的サポートニーズに適切なカリキュラムや効果的
ポートニーズの評価」、「サポートサービスへの
な教育方法が列挙される。再評価は、教育プログ
アクセス」、「学習成果を得るためのプログラミ
ラムやその実行を特別な環境の中で支えるサービ
ング」の3つである。児童生徒のサポートニーズ
スの効果を評価する過程である。IEPの目標と
の評価は、彼らの教育的な学力やサポートニーズ
成果もまたここで再考される。新しく設定された
を見極めることである。サポートサービスへのア
目標とそれに一致した結果が生み出され、それに
クセスは、評価の過程で診断された必要なサポー
よって生じるプログラミングやリソースなどの
トを可能にし、効果的な教育プログラムが受けら
諸々が位置づけられてくることになる。児童生徒
れるようにすることを容易にするものである。学
が新しい教育環境に移行するときも、再評価は必
習成果に向けてのプログラミングは、それぞれの
要である。児童生徒の進歩やサポートニーズの再
生徒の個別の学習計画の決定やその決定にかかわ
評価は、多様なフォームをもつ。それは、年間を
る計画、実行、観察、そして評価を含むものであ
通して、定期的に行わればならない。この再評価
る。また、計画とサービスの再評価は、学習の結
の過程において両親や保護者との面談は重要であ
果や望まれた目標の達成を確実にするサービスに
る。
ついて観察し、評価する過程である。
(1)
(4)
教育的サポートニーズの評価
学習サポートチーム
学習サポートチームは学校全体のプランニング
評価の枠組みは、教育の目標の設定や、教育的
とサポートの組織である。これは、教育計画の調
環境のプログラミングやサポートニーズの決定し
整や作成、実施、観察、評価を通して児童生徒の
ていくための基礎となるものである。評価の過程
教育的サポートニーズに対応することを目的とし
は、教育的サポートニーズのある児童生徒につい
て組織されている。多くの学校で、この役割を果
ての重要な情報や教育的な決定を援助可能にする
たす委員会が、すでに配置されている。
ために、関係者の協力によってはじめて成り立つ
ものである。
Ⅲ
ホスピタルスクール
IEP(Individual Education plan)は、評価
ホスピタルスクールで行われている教育は、特
の過程によって決定された目標を具体化するもの
別な教育的ニーズに対するサービスとして用意さ
である。評価が最初のアセスメントの過程である
れているが、行政上スペシャルエデュケーション
のに対して、再評価は、学習の結果の評価や、介
の範疇には入らない。基本的には、幼稚園、小中
入の時期からの計画の効果の考察である。
学校、高等学校のナショナルカリキュラムで行わ
(2)
サポートサービスへのアクセス
れている。しかし、知的障害などがある場合、ス
サポートサイクルのこの段階では、評価の過程
ペシャルエデュケーションのカリキュラムで学習
で必要とみなされたサポートの供給による効果的
する。学籍移動はしない。なお、ターミナル期に
な教育プログラムに児童生徒がアクセスすること
ある子どもで教科学習ができなくなった子どもに
を容易にし、援助することを目的としている。
対して特別な教科・領域はない。個々の子どものニ
(3)
プログラミング
ーズに合わせ、教師が個別教育計画(を作成し教
11
育 を 行 う 。 ま た 、 個 別 移 行 計 画 ( Individualized
にあるホスピタルスクールは、ロイヤル子ども病
Transition program,以下 ITP)により地域の学校と
院とは違い、入院中の子どもの教育を行い、なお
ホスピタルスクールとの連携を図っている。学校
かつ復学支援にも力を入れている。ウエストメッ
における個別移行計画と自己管理支援を目的とす
ド小児病院の敷地内にあり、この病院に入院して
る医療における個別移行計画は、担当者が連携を
いる全ての子どもたちにために教育サービスを提
図ることで一層教育効果が期待できる。糖尿病や
供し、NSW では最も規模の大きいホスピタルスク
腎臓疾患等の慢性疾患には医療における個別移行
ールである。教師は子どもの能力と到達レベルに
計画が活用されているが、小児がんはまだ活用さ
基づいて、生徒のために個別教育計画を作成する。
れておらず今後の課題となっている。
長期入院、もしくは入退院を頻繁に繰り返す入院
メルボルンにあるロイヤル子ども病院(ROYAL
する子どものために、教師は地域の学校との連携
CHILDREN'S HOSPITAL)では 病院 内の 教育 を 廃
を図りながら教育を行う。医療スタッフ、セラピ
止し、復学支援(Back on Track)を中心に、治療
スト、ホームスクールの教師との協働で個別教育
中・治療が終わった子どもの家庭訪問や学校訪問
計画を作成する。シドニーウエストミィード小児
を通して教育支援を行っている。ほとんどの児童
病院内のホスピタルスクールは、校長、フルタイ
生徒は短期入院であり、小児がんで移植手術を行
ムの教師 7 名、パートタイムの教師 2 名(クリエ
っても入院しない場合が多い。そのために、ある
イティブ・アートと音楽)、スクールカウンセラ
程度の期間入院する子どもは激減し、むしろ復学
ー1 名(一週間につき半日)、専門のスクールカ
支援を中心に教育の在り方を見直した。小児がん
ウンセラー2 名(一週間につき 1 日)、教師補佐
患者やその家族を支援するために、1990 年に保護
(臨時の)2 名、学校アシスタント 2 名(一週間
者 ら に よ っ て 設 立 さ れ た BMDI( Bone Marrow
につき 1 日)で組織されている学校である。
Donor Institute)は、オーストラリア骨髄提供者
シドニーウエストミード小児病院でも小児がん
登録(Australian Bone Marrow Donor Registry)
の子どもを対象に、メルボルンのロイヤル小児病
と BMDI 臍帯血バンク(the BMDI Cord Blood
院と同様 Back on Track プログラムを利用するこ
Bank)を開設したが、メルボルンにあるロイヤル
とができるようになった。このプログラムは 2006
子ども病院(The Royal Children’s Hospital/
年1月に開始し、2009 年に終了するものである
RCH)にある教育機関は、保護者の要望をもとに、
が、多くの成果を得ることができた。図1は入院
2004 年に Back on Track プログラムを開発した。
中の学校計画、図2は復学するための学校計画が
それは様々な工夫を行いながら小児がんの子ども
構造化され示されている。医療スタッフや教員が
を対象に、学校や仲間集団とつなげることによっ
チームを組織し、支援の内容を明確にしている。
て、子どもの教育や社会経験を促進させるプログ
小児がん病棟に所属する地域連携のための専門
ラムである。この体系的アプローチは、教師が直
コーディネーター看護師、教員、ソーシャルワー
接的なコミュニケーションをとる場合とテレビ会
カーが医師、保護者と連携しながら、地域の学校、
議システムなどコミュニケーション・テクノロジ
家庭、保健所などに出向き幼稚園、小中学校、高
ーの組み合わせを活用する場合がある。
等学校の教員、生徒に対して小児がん知識、配慮
しかし、シドニーウエストミィード小児病院内
する点など授業を通して啓発している。
12
図1
小児がんの子どもの
どもの治療中の学校計画(Back on Track)
13
図2
小児がんの子どもの復学
復学のための学校計画(Back on Track)
14
文
献
Material of Support services,
Enrolment of
Students with Disabilities.
1)David McRae(1996).Theintegration/inclusion
feasibility
study.
New
South
9)落合俊郎.(1996).オーストラリアの特殊教育.
Walls
世界の特殊教育Ⅹ.
Department of School Education.
10)Special
2)文部省(1996)諸外国の学校教育-アジア・オ
Education
Directorate
セアニア・アフリカ編-
NSW
and
Focus
Department
of
Programs
School
Education(1991) Who's going to teach my
3)New South Walls Department of School
child? -A guide for parents of children with
Education(1996)Physical as Anything:
special needs.
Collaborative support for students with
physical disabilities and medical
1)NSW における病気の子どもの個別移行計画チ
conditions.
ェックリストに関するホームページ
4)New South Walls Department of School
http://www.health.nsw.gov.au/gmct/transition/index
Education (1997) Enrolment of students in NSW
.asp
Government School: A Summary and
2)
Consolidation of Policy.
の個別移行計画チェックリストに関するホームペ
5)New South Walls Education and Training(1997)
Technology
in
Learning
and
メルボルンロイヤル小児病院の病気の子ども
ージ
http://www.rch.org.au/transition/index.cfm?d
Teaching
oc_id=8143
Principals' Briefing.
6)New South Walls Education and Training(1998)
Special Education Handbook for School.
7)New South Walls Education and Training(1998)
New South Walls Education and Training State
Integration Program 1999.
8)New South Walls Education and Training(1998)
15
2.イタリア
武田鉄郎(和歌山大学)
Ⅰ
篁
はじめに
倫子(お茶の水女子大学)
育制度、統合教育実現のための法的根拠、そして
イタリア共和国は、国家、州、県及び市町村4
学校組織、学習プログラム、プログラム協定等を
つのレベルに分けられ、19 の州がある。教育に関
概観しながら紹介する。
わる国の省は、教育省、保健省、社会省などであ
る。イタリアの教育システムは中央集権的であり、
Ⅱ
イタリアの教育制度
州、県独自に教育課程の基準については設定する
イタリア教育省によるとイタリアの教育制度
権限はない。我が国における学習指導要領のよう
は、1999 年 9 月から新制度が導入され、義務教育
な国で定めた教育課程の基準に相当するものは、
を6歳から 15 歳までの9年間に1年延長した。今
教育省が定める幼稚園、小学校、中学校、高等学
後、段階的に義務教育を延長し、7年制の基礎学
校等各学校段階の教育指針である。例えば、教育
校(初等教育及び前期中等教育)と5年制の後期中
省令で定められた「幼園のための指針」Dai
等教育に移行する見通しである。
Orientamenti Minisuteriali perla Scuola
1.就学前教育
Marerna, 大統領令で定められた「小学校の教育プ
0 歳から 3 歳までは保育園が用意されている教
ログラム」Dai Programmi Didatti per laScuola
育省の管轄は幼稚園からであり、幼稚園は 3 から
Primaria がこれに相当する。これの指針等は、国
5 歳までの 3 年課程である。かならずしも幼児が 3
立、私立すべての学校に適用される。しかし、イ
歳から幼稚園に通っているわけでない。
タリアではスペシャルエデュケーションにおける
2.基礎学校*1(小学校・中学校)
教育指針はなく、障害児のための公立の特殊教育
旧制度では小学校 5 年間、中学校 3 年間の 8 年
諸校や特殊学級やリソースルームは存在しない。
間が義務教育(6歳~14 歳)であった。新制度で小
全ての子どもが通常の学級で学ぶというインクル
学校5年間、中学校 3 年間、高等学校1年までが
ージョン政策を実施してから 30 年近く経過し、そ
義務教育(6歳から 15 歳)となった。義務教育段階
の過程で様々な法的根拠や教育システムを構築し
においては、教育課程の国家基準がある。教育省
てきた。よって、イタリアでは特別支援教育にお
によって定められた指導要領に従って教育が行わ
けるナショナルカリキュラムは存在していない。
れることになっており、均質な教育が行われるシ
障害のある幼児児童生徒(以下、生徒と記述する)
ステムになっている。しかし、施設・設備に差が
のための特別学校が存在していた 1970 年代以前
あったり、学校内の組織も異なっていたりして、
は障害のある生徒のためのカリキュラムは存在し
実際には学校や地域での違いがあるのが実態であ
ていたという。
る。初等教育段階は 5 年間で行われるが、前期課
以上の理由から、入院・治療を必要とする子ど
程(2 年間)と後期課程(3 年間)の二つの課程に分
もの病院内での教育は、障害のある子どもの教育
かれている。各課程内での進級は自動的に行われ
同様、我が国で言う「特別支援教育」の範疇には
るが、前期から後期への進級に際しては進級試験
ない。すべての子どもは、幼稚園、小中学校、高
があり、第 5 学年終了時にも国語と算数の 2 教科
等学校の「教育課程の基準」で教育が行われてい
に関して修了試験が実施される。以前は筆記試験
る。しかし、一人一人の疾患や障害のある子ども
が通常学級や病院内にあるホスピタルスクールに
*1
訳注)基礎教育校、基礎学校 = 学校制度改
おいてどのように教育保障されているのかを、教
革により、従来の小学校と中学校をまとめて
Scuola di base と呼ぶ。
16
と口述試験が行われ厳しく評価されていたが、イ
べく、各教育行政区の定員は次に掲げる事項によ
ンクルーシブな教育が進展する中で口述試験を中
り構成される。a)
心に緩やかになってきている。前期課程では科目
い定員数、b)
の枠にとらわれない学習が行われているが、後期
能な場合は複式学級 2 学級ごとに 1 定員の割合で
課程では、イタリア語、外国語、数学、理科歴史、
の追加」、「教員は担任である学校又は同じ教育
地理、社会科、宗教教育が行われている。
行政区内の別の学において、3 人の教員が 2 つの
学級及び複式学級の数に等し
さらに、2 学級ごとに 1 定員、可
小学校の組織の改革が、1990 年 6 月 5 日法律 148
学級を担当するモードゥロ制により配置される。
号によって行われた。内容面では情報科学び外国
これが可能な場合は、第 7 条に規定する教育活動
語教育の導入、組織面では教員のモードゥロ制及
の時間割が学校で確保されるように、4 人の教員
び複数制(3 名の教師で 2 学級を担任す方式)を
が担任校おいて 3 つの学級を担当する構成による
導入し、小学校指導組織に最も重要な改革がなさ
モードゥロ制で配置される。」とある。
れた。これにより「単独教師」は消え、教員チー
前期中等教育(中学校)教育課程の基準は表1に
ムが指導任務を分担することになった。同法第3
示すように国によって定められている。教科によ
条では、学級の構成について「障害児の在籍する
って、口述試験だけのものと、イタリア語、外国
学級が 20 人を限度とする場合を除き、各学級の生
語、数学等のように筆記試験と口述試験を行う科
徒数は 25 人を越えてはらない。」と規定される。
目がある。修了試験は5段階で評価され、上4段
また、第4条では、教員の定員について「県の職
階が合格となる。合格者は、後期中等教育学校の
員数は、第 8 条の規定後続の項の適用及び障害児
基礎条件となる。3年次に卒業資格試験が施され
の統合の必要性を有する職員の需要、並びに特殊
ており、留年する生徒も出ている。学校制度改革
な目的及び異なる教育方針の教育機関の機能をも
により、従来の小学校と中学校をまとめて基礎学
とに、毎年決定される。」と規定される。さらに、
校(Scuola di base)と呼ぶようなった。
「現行の学習プロラムにある教育目標を達成する
表1
前期中等教育における教科目別週間時間配当
教科目
第1学年
第2学年
第3学年
修了試験の方法
宗教
1
1
1
-
イタリア語
7
7
7
歴史、公民、地理
4
4
4
外国語
3
3
3
筆記、口述
数学、化学、物理及び
6
6
6
筆記1)、口述
技術
3
3
3
口述
芸術
2
2
2
口述
音楽
2
2
2
口述
保健・体育
2
2
2
口述
30
30
30
筆記、口述
口述
その他の自然科学
計
17
3
高等学校
法律第 416 号。学校運営について、父母、教師
イタリアでは高等学校1年までが義務教育にな
他の学校の教員ならびに生徒が共同参加すること
った。高等学校は、文系高校・理系高校・職業高
を規定した法律が制定される。学校運営が学校長、
校などに細分化されている。中学校卒業者の全員
教員協議会、学校協議会、学年協議会によって行
が高等学校に入学するが、留年および退学が多い
われることになった。
のが特徴である。旧制度では 5 年制及び 3 年制に
1975 年
分かれていたが、新制度では一律 3 年課程となる。
4
内閣委員会(上院議員ファルクッチ氏が委員長
大学
の勧告。
国立大学では、医学部、歯学部、獣医学部、建
「公立学校が障害児の教育の場として最も大切な
築学部を除いて入学試験はない。高等学校卒業資
場であり、分離した特殊教育的な施設を廃し、幼
格があれば希望するところに入学できる。入学数
稚園から中学校まで通常の学校の中で教育が行わ
に比べて卒業者が少ないのが特徴的である。
れるような新しい運営が必要である。」
1975 年
Ⅲ
イタリアの特別なニーズ教育の変遷
1
障害児教育のための師範学校が廃止される。
歴史的変遷
1977 年
近代以降のイタリアにおける障害児教育の変遷
法律第 517 号「義務教育段階においては、障害
をまとめると、次のようになる。
が重篤な場合以外は、障害のある生徒は通常の教
1920 年代
育を受ける」ことが義務づけられた。
特殊教育についての措置が始まる。
1987 年
1928 年
憲法裁判所判決 215 号高等学校への就学に関る
盲および聾の単一障害のある生徒に限って、務
法律 118 号 28 条 3 項の条文「高等学校への学習を
教育の対象になる。
容易にする」を違憲とし、「高等学校への学習は
1948 年
保障されなければならない」ものとした。
イタリア共和国憲法が制定される。第 34 条に障
1988 年
害のある人々の教育と就労への権利が規定され
第 262 号通達「後期中等教育(高等学校)におけ
る。
る障害のある生徒の通常の学級での受け入れ学校
1968 年
のバリアフリー化」を勧告した。
障害児のための幼稚園の設置の議論が始まる。
1989 年
1970 年
支援教師資格を得るための 2 年間の専門研修課
障害者のための学校を作るために、リハビリテ
程制度が設けられる。2 年間に 1300 時間の研修を
ーション研究や障害の予防、建築物の改築など検
受け、試験に合格すると支援教師としての資格が
討する機関を設置する法律が制定される。
取得できる。
1971 年
1992 年
法律第 118 号。「義務教育は公立学校の通常学
法律 104 号「障害者の援助、社会的統合及び諸
級で行われるべきであるが、重度の障害や肢体不
権利に関する基本法」が制定される。
自由のある子どもにおいては通常の学級での学習
この法令では、「学習の困難性や障害に関係す
が困難な場合はその限りではない」とされ、障害
る能力的欠如から生ずるその他の困難性によって
児のための学校を作ったり、リハビリテーション
権利は妨げられない」と規定されており、学習を
に関する研究、障害の予防、建物の改善をしたり
含む全ての学校段階で、障害のある生徒が通常の
するなど障害児のために特別な弾力的運営を通告
教育を受ける権利が補償されることになった。
する法律であった。
1974 年
2
18
支援教師の配置
1971 年から公的には統合教育が開始され、障害
画(PEI)をこれから通う学校に提出、④必要な人材
のある生徒を支援するための職員がいたが、教員
を派遣するよう要求、⑤教育委員会を通して、支
資格のある人が担当していたわけではない 1977
援教師が派遣される、⑥市からアシスタント、教
年には、特別学校が廃止され、障害の子どもは通
育スタッフ、コミュニケータが派遣される、⑦関
常学級で学ぶようになった。1989 年になって支援
係者によるミーティングが開かれ、⑧学校と地域
教師(Insegnante di Sostegno)の資格が制度化さ
保健機構関係者が、障害児の家族の協力の下で
れた。支援教師の役割は、障害のある子どものク
PDF を作成、また、地域保健機構のスタッフが学
ラスに入って、クラス担任とチームを組んで指導
校内での必要性について協議する、⑨地域保健機
に当たることである。
構の専門家と、支援教師等の教員、コムーネ(市
1990 年 6 月 5 日法律第 148 号第4条「支援教師
町村)から派遣されるスタッフにより、個別教育
のポストは、障害児 4 人に対し支援教師 1 人の平
画(PEI)を作成。障害児の家族はその作成、評価に
均比率を確保するように正規職員の定員内に決定
協力する、⑩更に、地域保健機構の専門家は就学
される。かかる割合の特例として、機能診断より
後学校を定期的に訪問し、関係教師との協議、支
さらに個別化した措置が求められるようなり重度
援教師等の研修等によりフォローアップを行う、
の障害がある場合、又は、障害児が山間部又は島
である。
部の学校へ通学する場合に、事実上の定員として
1990 年 6 月 5 日法律第 148 号「小学校の組織改
許可される。」(この規定は、1997 年法律第 44
革」において、学習困難を示す生徒、障害児の統
号により「県内の国立学校に通う生徒 138 人につ
合教育について以下のように規定されている。
き支援教師1人を配置することになった。)
「義務教育範囲において教育・学習指導を受ける
権利の行使が、それが障害に関連するものであれ、
Ⅳ
障害のある生徒の教育システムと統合プロ
不利な状態に関わるものであれ、学習困難の存在
グラム協定
により妨害されることがあってはならないが、た
1
だし、両者を混同してはならない。不利な状態と
障害のある生徒の教育システム
1977 年からすべての特殊教育学校が廃止され
は、家族及び愛情の欠如、経済的・社会的に不遇
1992 年の法律 104 号「障害者の援助、社会的統合
な状況、知的刺激の不足による文化的・言語能力
および諸権利に関する基本法」に基づいて、現在、
的ギャップに結びついている。したがって、教育・
通常の教育に全ての障害のある生徒が統合されて
学習指導計画化については、スタートのレベルに
いる。また、この法律が根拠になり、地域保健機
特に注意を払い、方向づけられた発展性のゴール
構、県、市町村、教育委員会がプログラム協定に
を設定し経過をみて検証していくような個別の学
より連携しながら、支援教師、介助員の配置、動
習行程の構築・実現を想定して、構成・展開する
態 - 機 能 プ ロ フ ィ ー ル (Profilo
必要がある。障害児の統合のプロセスについては、
DinamicoFunzionale、以下 PDF と呼ぶ)、個別教育
重度であればなおさら、学校側は「医療診断書」
計画(Piano Educativo Individualizzato、以下、
よりもむしろ担当の専門家により事前に準備され
PEI と呼ぶ)の作成等を行う。
る「機能診断(動態-機能プロフィール(PDF)」を
ここでは、エミリアロマーナ州モデナ県を例に
もとにして、教育・学習指導のプロセスに取り組
とり紹介し、一人の障害のある子どもがどのよう
むことが必要である。機能診断では、観察下の生
な過程を経て教育を受けるかを述べる。過程の概
徒の発達段階において、潜在能力のある主要分野
略は、①障害のある子どもの家族が地域保健機構
と困難性が高い主要分野を明らかにすることで、
に対して、機能診断書作成を申請、②(新就学の場
教育・学習指導計画化の範囲で教員が行う介入が、
合)家族が入学の際に学校へ機能診断書を提出、
対象となる生徒のニーズと能力に応じた最適のも
③(進学、転の場合)在籍校から、生徒に関する
のであるようにする。かかる教育的介入は、最大
情報、動態-機能プロフィール(PDF)、個別教育計
限の自主性および表現・伝達能力の取得を促進す
19
ることと、さらに、可能な限り基礎的な言語手段
れていて、スペシャルエデュケーションの範疇は
及び数学的手段を有するようになることを目指
ない。日本でいう学習指導要領レベルでも障害の
す。いずれの場合も、学習の目的が無視され、「出
ある生徒の教育と健常な生徒との教育が統合され
席している」だけの単なる社会化に終わることが
ている。故に、障害のある生徒が各段階の教育課
あってはならない。社会化のプロセスは、大きな
程の基準に合わないときは、機能-動態プロフィ
意味でこれも学習なのであり、その発達の的確な
ールと、個別教育計画(PEI)を作成し、個に応じた
育成措置を欠くことは、さらなる疎外の形を生む
教育内容を準備できる制度になっている。特に、
可能性があるからである。」
日本における「ディスアビリティの改善・克服」
学校においては、「医療診断書」よりもむしろ
の領域に関しては地域保健機構の訓練等のサービ
担当の専門家により事前に準備される「機能診断
スを受けることができるように制度設計されてい
(動態-機能プロフィール(PDF)」をもとにして、
る。
個別教育計画(PEI)においてナショナルカリキュ
ホスピタルスクールにおける教育内容は、通常
ラムで規定されている各教科等の指導計画を作成
教育の枠組みの内で、国が定めた教育カリキュラ
する。しかし、例えば、知的障害が伴う場合、各
ムを実施している。ターミナル期にある子どもの
教科等が個別のニーズに合わないため個々の実態
ための教育内容はナショナルカリキュラムの中で
に応じて作成される機能-動態プロフィールや個
は特に設けられていない。それらは個別の教育ニ
別教育計画の内容で教育を行う。我が国での重複
ーズにより、個別教育計画(PEI)に盛り込まれる。
障害者等の特例で行われている通称知的障害の教
ボローニア大学付属病院サントオールソラマル
科や自立活動の内容を含むものであることが理解
ピギ病院内にあるホスピタルスクールでは病院ス
されるが、イタリアにおいて日本の「自立活動」
タッフと協働で教育的支援が行われている。例え
のような教育内容はナショナルカリキュラムでは
ば、ターミナル期に移行する生徒には、生徒自身
ない。
が希望する看護師や教師を指名することができ、
また、評価の基準については、義務教育段階で
それらの看護師や教師から亡くなるまで支援され
は各段階の教育課程で学習した内容に対してどこ
るシステムを作っている。教育内容・方法は、医療
まで到達したかという評価と、個別教育計画の目
者と教育者とのトータルケアの理念ともと、情報
標がどの程度達成できたかという個人内評価で行
を共有し、生徒との関係性の中で準備される。
われる。高等学校では、基本的には教育省の教育
なお、ホスピタルスクールを利用するに当たり
指針の基準の目標に一致する素養レベルに達して
学籍移動は行わない。
いるときは、障害のある生徒は、健常な生徒の評
価基準に従い評価されるが、個別教育計画が国の
参考文献
基準に相応しない目標を持つ場合には特例が認め
られている。この特例においては、個別教育計画
1)Esposito A.(2001)La normativa sulla
の展開のみで評価される。個別教育計画の目標達
integrazione degli handicappati nella
成のための教育継続という目的にのみ有効な法的
scuola. Edizioni del cerro.
価値をもって学習成果が評価され、次の学年へ進
2)GLP-Provveditorato
級するか、又は留年が決定されたり、「教育クレ
Bologna(2001)Insieme!
ジット」証明書を取得できたりすることができる。
all'integrazione
agli
studi
di
Guida
scolastica:
"Gli
Accordi di Programma".
Ⅴ
ホスピタルスクール
3)Ministero della pubblica istruzione(1999)
先述してきたように、イタリアの障害のある子
The Italian Education System.
どものための国の教育カリキュラムは、幼稚園、
4)鹿倉真理子(1999)障害児教育.(仲村優一・ 一
小学校、中学校、高等学校の「教育指針」に示さ
番ケ瀬康子、世界の社会福祉 5 フランス・イタ
20
リア).旬報社.
8)酒井ツギ子(2002)イタリア.文部科学省.諸外
5)OECD(1994)通常教育への障害のある子どもの
国の初等中等教育,113-132,財務省印刷局.
インテグレーション理想とその理論及び実践
9)笹本健・大内進・石川政孝・武田鉄郎(2002)イ
(徳永
豊・袖山啓子訳)全国心身障害教育財団.
タリアにおける特別な教育的ニーズを有する子
6)パオロ・トリヴェッラート(1999)学校と教
どもの指導に関する調査.研究代表者千田耕基
育.(馬場康雄・奥島孝康編、イタリアの社会.)
科学研究費補助金成果報告書「主要国の特別な
早稲田大学出版部.
ニーズを有する子どもの指導に関する調査研
7)Regione Emilia Romagna(2001)Accordo di
究」 国立特殊教育総合研究所 81-96.
programma provinciale perl'integrazione
scolastica
10)Riforma
di allievi in situazione di
handicap nelle scuole di
dell'ordinamento
elementare.
ogni ordine e
della
scuola
Legge 5 giugno 1990, n. 148
11)Approvazione dei nuovi programmi didattici
grado. Regione Emilia Romagna
per la scuola primaria. D.P.R.12 febbraio
Bollettino Ufficiale-Anno 32 del 4 giugno
1985, n.104.
2001-n.
74 parte seconda pp.151-205.
21
3.スウェーデン
是永 かな子
子(高知大学)
Ⅰ
武田
スウェーデンの教育の概要
鉄郎(和歌山大学)
)
学校保健のみならず必要
必要な場合はスクールバスも
スウェーデンでは 7-16 歳の 9 年間が義務教育
年間
無料である。義務教育修了者
義務教育修了者の 97,8%(2006 年度)
であるが、0 学年として 6 歳就学が認められてい
は 3 年制の高等学校に進学
進学する(図 1、表 1 を参照)。
る。表 1 に示されるように義務教育学校
義務教育学校の 91.7%
(2007 年度)が公立であり、授業料や
や教材、給食、
年齢
就学年数
図1 スウェーデンの学校制度
スウェーデンの
表1
学校種別在籍子ども数(2007/08
(2007/08 年度)
学校種
子ども数(人)
就学前学級
通常義務教育学校
内 コミューン立基礎学校
サーメ学校
私立学校
特別学校
内 ビルギッタ学校(エレブロ市
市)
クリスティーナ学校(ヘルネサンド
ヘルネサンド市)
マニラ学校(ストックホルム
ストックホルム市)
ヴェーネル学校(ヴェーネルシュボリィ
ヴェーネルシュボリィ市)
エステルボングス学校(ルンド
ルンド市)
22
割合(%)
93,393
935,869
849,514
150
98.47
89.38
0.02
86,205
9.07
703
147
64
126
52
61
0.07
国立オスバッカ学校(グネスタ市)
視覚障害リソースセンター(エレブロ市)
44
10
言語障害リソースセンター(シグツュナ市)
知的障害学校
内 基礎知的障害学校
10
13,884
9,803
訓練学校
義務教育学校
1.46
4,081
合計
950,456
高等知的障害学校
100
8,693
高等学校
知的障害成人教育
内 基礎知的障害学校レベル
訓練学校レベル
390,058
4,990
2066
1622
高等知的障害学校レベル
1025
出典:Barn,elever och personal-Riksnivå Sveriges officiella statistik om förskolevelksamhet,skolbarnsomsorg,skola och
vuxenutbildning Del.2,2008,s.92,s.101,s.158,s.169,s.184,s.199,s.243.
1.就学前教育
鉛筆などの文房具費、給食費なども無償、必要な
コミューン(市町村)は学校法に従って、1 歳か
場合はスクールバスも無償である。教員比は 100
ら 12 歳の子どもの就学前教育とケアに責任を持
人の子どもにつき 8.8 人(2006 年度)であるなど、
たなければならない。2000 年代に入り保護者が失
教育として高い税金の一部が還元されていること
業中であっても、保護者が育児休暇中であっても
がわかる。義務教育修了者の 97.8%(2006 年度)
保育が受けられるようになった。費用は収入の 1
が 3 年制の総合制高等学校に進学する。9年制一
-3%である。就学前学級(förskoleklassen)への
貫の基礎学校の学習指導要領は 5 年生と 9 年生段
就学は義務ではないが、1997 年からコミューンは
階での到達目標を示しているため、5 年生、9 年生、
0 学年としての就学前学級を希望する全ての 6 歳
そして 8 年生でスウェーデン語、数学、英語の全
児に対して、秋学期から最低でも 525 時間の教育
国統一到達テストが行われて、子どもの学習状況
活動を保障する義務を負った。就学前学級は基礎
が調査される。到達目標を達成できない教科につ
学校や学童保育、就学前学校に附属して設置され
いては補償教育(stödundervisning)が行われる。
ている。2006 年には 95.6%の子どもが就学前学級
に登録している。ごく少数ではあるが就学前学級
3.後期中等教育
を 5 歳児(963 人,1%,2007 年度)や 7 歳児(1169
後期中等教育段階の高等学校は 3 年制の総合制
人,1.2%,2007 年度)も利用している。
高等学校(gymnasieskolan)であり、17 のコースに
分かれており、大学進学を主たる目的とする自然
2.初等教育・前期中等教育(義務教育)
科学コース、社会科学コースの他、芸術、エネル
義務教育は 7-16 歳の 9 年間であり、2007 年度
ギー、ホテル・レストランなど様々な職業コース
で 90.7%が公立(コミューン立)、9.2%が私立の
が準備されている。全てのコースから大学進学は
基礎学校に就学している。私立学校も国から財源
可能である。高等学校受験がないため、子どもは
の保障がなされているため保護者の経済的負担の
希望するコースが地域の高等学校に設置されてい
差は極めて小さく、私立学校も公教育の一部を担
れば、当該コースに進学する。しかし全ての高等
っているといえる。教科書は無償貸与、ノートや
学校に 17 コースが設置されてはおらず、28,4%
23
(2006 年度)が居住コミューンとは異なるコミュ
において教育を行う。高等知的障害学校は 4 年制
ーンの学校に通学する。また大学は、受験も授業
であり、個別の教育を重視する。国が定めた教育
料も必要無いため、高等学校卒業後一旦就職した
内容には従うが、特別な教育プログラムの検討や、
り、兵役の義務を果たしたり、外国で生活する若
個別の教育計画の作成が規定されている。中心と
者も多い。よって、大学進学率を確定することは
なる教科はスウェーデン語、英語、社会科
容易ではないが、2003 年の春学期に高等学校を修
(samhällskunskap)、宗教、数学、体育と健康、芸
了した者の 43.6%が 3 年以内に高等教育において
術的活動である。
学習を開始したというデータが示されている。
知的障害学校の多くは基礎学校と同じ敷地内
に設置される「場の統合」の状態にある。これは
4.高等教育・成人教育
1967 年に重度知的障害教育が義務制となり、障害
高等学校修了者の 43%が高等教育(総合制大
児教育完全義務制が実施された際に、既存の通常
学・単科大学)を受けている。成人教育は、2006
学校の空き教室を利用する方法で就学児童生徒数
年度のデータではコミューン立成人教育機関
拡大に対応したため、結果的に「場の統合」が進
(komvux,287600 人)、国立知的障害者成人教育機
められたのである。
関(särvux,4990 人,2007 年度)、国立移民スウェー
また、知的障害学校を修了した後も 21 歳(場合
デ ン 語 教 育 (Sfi,40000 人 ) 、 国 立 通 信 教 育
によっては 23 歳) まで学校教育を受ける権利が
(CFL,8600 人)があり、いつでも、どこでも、誰で
ある。その後も知的障害者成人教育(utbildning
も学べるリカレント教育が保障されている。
för psykiskt utveckling)が保障されている。近
年、知的障害学校に就学する子ども数は増えてい
5.教育費
る。その理由は、①1996 年に知的障害学校がレー
学校教育費は、基礎学校在学者一人当たり
ン(県)立からコミューン立になり知的障害教育や
71,500 スウェーデンクローナ(1 スウェーデンク
知的障害学校が身近になったこと、②教育の場に
ローナは約 18.60 円,約 133 万円,2006 年度)、高
おける検査や診断が措置に繋がっていること③通
等学校在学者一人当たり 86,300 スウェーデンク
常教育としての基礎学校の資源の不足に起因して
ローナ(約 160 万 5 千円,2006 年度)である。
いること、などの理由による。
Ⅱ
2.聴覚障害教育
スペシャルエデュケーションの概要
1.知的障害教育
聴覚障害・重複障害児のための国立の特別学校
知的障害学校には義務教育段階に基礎養護学
は 6 校ある。以前は特別学校は 8 校あったが、い
校(grundsärskolan)と訓練学校(träningskolan)
っそう統合を進めるため 2 校が廃止され、リソー
の 2 種類があり、後期中等教育段階に高等知的障
スセンターとなった。特別学校では聴覚障害児・
害学校(gymnasiesärskolan)がある。2004 年に訓
者の意見を反映させて、手話とスウェーデン語の
練学校を廃止し、基礎養護学校に訓練学校の機能
バイリンガル教育を保障している。
を持たせるという政府指名の検討委員会報告書が
出されたが、その後政権も変わり、具体的な改革
3.視覚障害教育
は着手されていない。相対的に軽度の知的障害児
視覚障害児は教育的統合が進み、1986 年に最後
が就学する基礎知的障害学校は基礎学校と同じ教
の国立視覚障害学校が閉校になった。その後、視
科で、個々の子どもに合わせた教育を行う。相対
覚障害学校は視覚障害リソースセンターとなり、
的に重度の子どもが就学する訓練学校は基礎学校
視覚障害児が就学する学級の教員研修、保護者へ
の教科領域とは異なり、芸術活動、コミュニケー
の理解・啓発活動、視覚障害同質集団の保障、教
ション、運動、日常活動、活動理解の 5 つの領域
材開発などの役割を担っていた。2001 年以降リソ
24
ー ス セ ン タ ー は 、 特 殊 教 育 研 究 所
対応プログラムが作成され、特別個別指導や小グ
(specialpegagogika institut)に統合され、現在
ループ指導、そして特別学級の準備が検討される。
それらの業務は研究所が担っている。重複障害を
もつ視覚障害児は国立の重複障害学校に通ってい
6.先住民サーミの教育
るが、その数は 2007 年度で 10 名のみである。
先住民サーミのために、6 年制の国立サーミ学
校が設置されている。サーミ学校は通常学校の教
4.肢体不自由教育
育課程の習得の他に、先住民サーミの文化や言語
肢体不自由児の特別学校は、1960 年代の基礎学
を習得することを目的としている。
校創出過程で廃止され、肢体不自由児は通常学校
に就学することとなった。現在通常学校に肢体不
7.その他特別なニーズをもつ子どもの教育
自由児が就学する場合、地域の医療・福祉機関で
スウェーデン語以外を母語とする子どもは
あるハビリテーリングセンターや補助器具センタ
2006 年度において就学前教育登録者(1-5 歳)の
ーなどとの連携によって子どもに適した学習環境
15.3%、基礎学校登録者(6 歳-16 歳)の 15.4%に
が整備される。
のぼり、基礎学校の 8.6%が母語教育に参加して
ハビリテーリングセンターには医師、看護師、
いる。母語教育とはスウェーデン語以外の言語を
作業療法士、理学療法士、言語療法士、心理士、
母語とする場合に保障される語学教育を意味する。
医療ソーシャルワーカー、特別教育家、余暇コン
母語教育の対象児数が多いのは、アラビア語、ボ
サルタント、車椅子修理のための裁縫士や技術者
スニア語、クロアチア語、セルビア語、フィンラ
などの専門家がおり、個別サービスプログラムに
ンド語、スペイン語、アルバニア語、英語、ペル
基づいて支援方法が検討される。ハビリテーリン
シア語、クルド語、ソマリア語、トルコ語の順で
グセンターや補助器具センターは、肢体不自由だ
ある。スウェーデン語習得の点でニーズのある子
けでなく様々な機能障害をもつ人を援助している。
どもは、特別指導として移民のためのスウェーデ
ン語を受けて通常教育への適応を試みる。学業不
5.社会的・情緒的障害教育
振問題の背景としてのマイノリティ問題や貧困問
重度の社会的・情緒的障害や知的障害をともな
題は、スウェーデンにおいて特別な教育的ニーズ
う社会的・情緒的障害児は障害児学校に就学する
として捉えられている。
が、そうでない場合は可能な限り通常学校で対応
Ⅲ
している。
「通常学級教育だけでは十分に学習が保
障できない子ども」と認識されたときには、通常
ホスピタルスクールの位置づけについて
ホスピタルスクール・ホスピタルクラスは、
「病
学校内で特別指導が行われる。特別指導の形態は、
気」という特別な教育的ニーズに応じるという意
個別抽出指導、小グループ指導、学級をいくつか
味では教育方法として、スペシャルエデュケーシ
の小集団に分割しての指導など様々である。特別
ョンであるが、その対象は健常児である場合は通
指導は学級担任やアシスタント教員によって行わ
常の教育のカリキュラムを行う。また、障害児で
れる場合もあるが、特別教育の専門家としての特
ある場合であれば、障害児教育のカリキュラムに
別教育家(specialpedagog)が介入し、直接子ども
従う場合がある。そうであるがゆえに、ホスピタ
の指導に加わったり、校長や教員に子どもへの対
ルスクールやホスピタルクラスの教員は病気にか
応方法を助言したり、個別指導のための対応プロ
かわる専門性を研修によって培いつつ、教授する
グラム作成を援助したりする。特別指導の教育内
教育内容を子どもにあわせて提供できる力量が求
容は可能な限り通常の教育に従う。
められる。
高等学校においても特別なニーズのある生徒
なお、ターミナル期にある子どもで教科学習が
には、基礎学校と同様、個別の教科プログラムや
できなくなった子どもに対して特別な教科・領域
25
はない。個々の子どものニーズに合わせ、教師が
ピタルスクールやホスピタルクラスでは学習空白
子どもにアプローチを行っている。
のみならず意欲向上の役割、体験の保障を行って
ホームスクール(地域の学籍を置いている学校)
いる。
の個別教育計画とホスピタルスクールでの個別教
第三に、病気を有しているが特別な教育の場が
育計画は連動しており、子どもの教育に関する責
必要ではないときは、通常教育の場において病気
任は基本的にはホームスクールにある。
による特別な教育的ニーズへの対応が行なわれる。
病気の子どもが特別な教育的ニーズに応じた
その場合は、通常教員が医師や看護師から子ども
教育を受ける形態は以下の三つである。
の病気や対応方法についての研修を受ける。その
第一に、子どもが自宅療養中である場合、家庭
後は継続的にもしくは必要に応じて専門家に指示
への教員派遣によって教育が保障される。訪問を
を仰いだり、特別な対応をしたりする連携が図ら
行なう教員は対象児が就学している学校の特別教
れる。通常の教育環境における特別な教育的対応
育家であり、巡回指導として自宅を訪問する。巡
においては、かかわる教員の専門性をいかに高め
回指導の時間や頻度の規定はとくに設けられてお
るかを考えており、事故が起こった場合誰が責任
らず、子どもの状態やニーズに応じて決められる。
をとるのかではなく、子どものニーズに最大限応
第二に、子どもが入院している場合、病院内で
じるという形態で保障されている。
個別にもしくは特別な学級が設置されて、通常学
ホスピタルスクールを利用するに当たって学
校の学習に対応した教育を受ける。ただし対象児
籍移動に関しては行わない。
が知的障害などの他の障害を有する場合は、その
また最近は、発達障害の二次障害としての心身
障害に応じた教育内容が保障される。教育を担当
症や不登校対応としての病弱教育も注目されてい
する教員は近隣の学校に所属する特別な教育的ニ
た。
ーズに対応する専門職である特別教育家であり、
スウェーデンにおける病気の子どもはニーズ
対象児数やニーズに応じて学校から派遣される。
に応じて以上の三つの形態で教育を受けており、
病院内にホスピタルスクールやホスピタルクラス
病気の子どものための障害児学校などの特別な学
が設置される場合は、子どもは病室から学級に通
校は存在しない。つまりスウェーデンの病気の子
い学習を行う。特別な学級には、子どもが自らの
どもの教育は病院内のホスピタルスクールやホス
病気について学んだり自分が受ける手術について
ピタルクラス、訪問教育、個別の配慮・指導によ
大人から説明を受けたりするため、人形やベッド、
って成り立っているのであり、子どものニーズが
薬や注射などのおもちゃも準備されている。ホス
存在している場所に支援を準備している。
26
4.アメリカ
丸
光恵(東京医科歯科大学大学院)
わが国の小児がんの治療は、寛解導入から維持
宜を図るよう要請するものである。このうち、小
療法までのほとんどを数週間単位の入院の繰り返
児がんの子どもについては、IDEA と Section 504
しによって行われているが、米国では、寛解導入
が適用可能となる 2)。
後は成人同様に外来化学療法が中心となってい
る。重度の免疫不全状態や合併症が起きないかぎ
1.
Special Educaion の位置づけ
り、日中に外来で化学療法や輸血などの点滴治療
教育法である IDEA によって、Preschool(就学
を受けた後に帰宅するか、遠方の場合は近隣のマ
前教育)から中学校 secondary school までの個々
クドナルドハウス等に滞在しながら治療を継続す
人に対しては、障がいの状況に応じた無償の公的
る。治療が進むと、家族の教育レベルや緊急時の
教育 Free Appropriate Public Education が保障
対応能力が十分であれば、訪問看護師等のバック
されている1)。障害は 13 種類にわたり、小児が
アップを受けながら在宅化学療法を行う場合もあ
ん は 「 そ の 他 の 健 康 障 害 」 ( Other health
る。わが国との大きな違いは在院日数の短さであ
impairment)に該当するとされている 2)。以下に
り、小児がんの治療中あるいはターミナル時にお
述べる Special Education の実際では、人員配置
いても、教育を受ける権利を家庭・地域において
や物理的環境は様々である。これは、米国におい
可能なかぎり維持するような法律も整えられてい
ては個々の患者の状況に応じた教育の権利が実際
る。しかし、このようなシステムの実際について
に保障されいるかどうかが問題であり、公立病院
は、各地方や施設の特徴によって様々な形態があ
であっても、教育プログラムの実際の形態や人員
り、施設によって異なる。
配置に関しては必ずしも自治体に管理指導基準が
あるわけではないからだと考えられる。米国の小
Ⅰ.教育を受ける権利についての法律
児病院等の School Program の施設間格差が大きい
米国には a. The Americans With Disabilities
のは、多くの小児病院が多額の寄付から成り立っ
Act、b. The Individuals With Disabilities
ているため、病弱児教育に関する人的・物理的環
Education Act (以下 IDEA とする)、c. The
境を維持する経済格差とも考えられる。
Rehabilitation Act of 1973-section 504(以下
IDEA に基づいた全国組織 National
section 504 とする)の3つについての法律が整
備されている
Dissemination Center for Children with
1)
。The Americans With
Disabilities(NICHY)によれば、学習の場は本人に
Disabilities Act は雇用、交通手段、コミュニケ
とって最も制限が少ない環境 least restrictive
ーション、行政、公的宿泊施設においての差別を
environment が選択されるべきとされている 3)。
撤廃するものである。特に雇用や公立短大・大学
への進学に際して効力を発揮する。IDEA は 3 歳か
2.
ら 21 歳の児童生徒と学生の権利を保障するもの
Special School, Special Class, 訪問教
育の実施状況
で、公立学校・短大・大学において教育の無償提
小児病院や大学病院小児病棟等には、School
供と、健常者と同様の教育の機会を保障するもの
Program を設置しているところもある。School
である。Section 504 は公的補助を受けている全
Program は 施 設 よ り 様 々 で あ り 、 Eudcational
ての教育機関に対して、心身障がいをもつ、ある
Consultant や Education Director を置いている
いは現在少なくとも一つの日常生活上の支障を来
ところもある。内容は、教育に関する相談業務を
たしている心身障害の既往をもつ学生に対して便
行ったり、訪問教育専門の教員の派遣を要請する
27
などの調整を行う担当者のみがいるところから、
短期間の目標を立て、両親に対してどのように調
複数の教員を配置してわが国の院内学級に近い形
整すれば良いか提案を行うことにある。この話し
態 の も の ま で 様 々 で あ る 。 教 員 に は
合いの中で、具体的な Individualized Education
homebound-teacher と呼ばれる家庭訪問を行う教
Plan(IEP)個別教育計画の内容についても決定し
員と、院内学級に所属する教員にわけられるが、
てゆくと思われる。IEP は文書であり、文書がな
兼任していることもある。Home-bound-teacher は
ければ実行できないことになっている。
病院から院内にある School program から派遣され
話し合いによって、子どもの学校教育に関する
る場合と、自治体の管轄する公立学校に所属して
問題が生じなければ、話し合いはこの1回かぎり
いる場合もあり、施設によって異なる。
で終結するが、多くは子どもの病状や治療状況の
変化により、複数回の話し合いが必要となる。
3.
教育課程(カリキュラム)、個別教育計画
等の情報収集
2)評価・査定の依頼と再調整
小児がんの子どもが治療中においても教育を継
先に決定した提案のよる調整がうまくいかない
続するためには、IEP にのっとった個別教育計画
場合、IDEA または Section 504 Plan の管轄事務
を立案する必要がある。そのために診断直後から、
所に対して、評価・査定を依頼する文書を送る。
各施設の状況に応じて Education consultant や
文書作成については、医師、ソーシャルワーカー、
School Program の責任者との面談が行われるが、
心理士等の医療チームのメンバーが熟知してお
施設によっては、そのようなステップが取られて
り 、 具 体 的 な 手 続 き が 行 わ れ る 。 IDEA ま た は
いない場合もあるようである。そのために、NICHY
Section 504 から学校に対してどのような評価を
や米国白血病リンパ腫協会などの患者会は、両
行うかが依頼され、期限どおりに査定を行わなく
親・保護者向けの啓発用のパンフレットも作成し
てはならない。両親・保護者は学校と連絡を取り、
ている
2)3)
。NICHY は、各州が障害をもつ子ども
全ての評価・査定プロセスが期限どおりに行われ
を見つけ、適切な機関へ紹介または評価査定を行
ているかどうか確かめる。
うことを IDEA によって義務付けられているとし
評価・査定結果が出た時点で、先にあげたチー
ている(Child Find activities という)。評価
ムと話し合いの場で共有するように求める。同時
査定にあたっては、インフォームドコンセントが
に、再調整のための計画を練る。法律では、全て
必要となる。両親・保護者が医療チームと治療の
の査定結果とそれをもとにした提案事項につい
短期・長期的影響について情報収集を行った後、
て、両親・保護者には知る権利があるとされてい
特に学校教育を継続する上で必要な調整がある場
る。実際に提案事項が実施されるためには、一つ
合、医療チームと話し合いの場をもつことから始
一つに対して両親・保護者の同意が必要となる。
める。
査定結果に納得がいかない場合、二次査定を求め
る権利がある。
1)両親・保護者を含めた多職種による協議と
調整事項の決定
3)再調整実施後の評価
話し合いに参加するメンバーには、学校長、教
両親・保護者は自分の子どもの状態をよく観察
員、スクールカウンセラー、学校看護師 School
し、調整された内容が子どもにとって適切かどう
Nurse (注
米国では教育学部を卒業した養護教
か判断することになる。別の調整が必要な場合、
諭ではなく、看護師免許をもった看護師が school
個別教育計画(IEP または Section 504)を変更す
nurse として児童生徒の健康管理や健康診断を行
ることについて、チームメンバーと話し合う。こ
っている。各施設によって、School Nurse が常駐
れらの計画は常に進行形であるため、子どものニ
しているところと、非常勤等で常駐していない場
ーズや能力が変われば、個別教育計画は何時でも
合がある)、医療チームメンバーとともに、子ども
それに適応する形に変えてゆくべきものとされて
の友人や家族など必要と思われるメンバーを含め
いる。IEDA では最低 1 年に 1 回の見直しを推奨し
る。話し合いの目的は、その時点から約 4 週間の
ている。
28
4.
小中学校あるいは高等学校との連携
Ⅱ.教育内容・方法に関する事項
学校との連携のうち、個人の教育内容について
1.
は各施設の School Program 等の教員が連携をとっ
教育が具体的にどのように行われているの
か
ている。実際に個別の教育計画が立てられた後、
The Rehabilitation Act of 1973-Section 504
特に小児がんの子どもが在宅で教育を継続してい
は市民権法であり、各自治体に Section 504 コー
る場合、欠席による宿題や課題の後れについては、
ディネーターを置いている。Section 504 の主た
homebound teacher が学校を訪問し、各教科の授
る目的は、障害をもつ個人が学校教育およびその
業の進展状況を把握し、宿題等を家庭へ運ぶなど
活動において、教育省から公的なサポートを受け
して、連携をとり、出席時に大きな後れがないよ
られるようにすることである。先に述べたように、
うにしている。
その時点で少なくとも一つ以上の日常生活上の制
限があることが条件であり、その制限に見合った
5.
学籍移動の有無
教育内容・環境を整えてもらえるように 504
IEP においては、子どもは基本的に学籍の移動
Plan と呼ばれる調整 Accommodations を受けるこ
とを保障している 1)。
は行わず、原籍校に在籍したまま IEP の教育を受
けることとなる。そのために、先にあげた NICHY
では、学校管理者(学校長)向けの教育・情報提
2.
各教科等の内容
供も行っており、IEP と原籍校のカリキュラムの
Society of Leukemia/Lymphoma が作成・配布し
2)
すり合わせや、復学に際してユニバーサルデザイ
ている資料
によると、先に述べた調整
ンへと改修が必要となる設備等が含まれている。
Accommodation に は 身 体 ・ 物 理 面 Physical
Accommodation と 認 知 ・ 学 習 面 Cognitive
6.
復学支援
Accommodation の 2 つに分けられる。身体的なも
治療中または治療終了後には、原籍校へ通学・
のについては以下のものが含まれる。
復学することが前提となっている。4週間のイン
ターバルで化学療法が繰り返される中、できるか
ぎり通学することが推奨されている。
1)身体・物理面の配慮事項
IEP の立
以下の内容は、小児がんの子どもが化学療法中
案には、原籍校の教員が IEP チームに入ることも
であっても原籍校に通学し、健常児と同じ教育を
ある。復学に際しては、先にあげた School Program
うけることを前提に作られている。わが国の看護
と い う 名 称 の ほ か に 、 各 病 院 ご と に Back to
では、化学療法と化学療法の間に外泊を行う場合、
School あるいは Back on Track といった名称のプ
好中球減少症に対する感染予防が重視されている
ログラムがあり、院内学級教員や特殊教育専門の
が、この資料では感染予防については全く触れら
教員等のほかに看護師が復学に際して事前に学校
れておらず、主として疲労や脱毛などに関する配
を訪問し、担任やクラスメートに病気の説明等を
慮を中心に記載されている 2)。
行ったり、必要な調整事項について指導するもの
がある。
①易疲労性に関する配慮事項
米国小児がん長期生存者調査によると、小児が
a. Presidential Physical Fitness Testing 体
んの子どもは、Special Education を利用した理
力テストは、小児がんの治療中・後のように身体
由として最も多いものは、「欠席」であり、続い
的に脆弱な子どもにとっては、エネルギー消費が
て、テストの成績不良、学習または集中力の問題、
大きすぎる場合があるため、小児がんの子どもに
情緒・行動面の問題となっていた
4)
。また、診断
対しては免除を行ってもよい。
時年齢が若年な者ほど利用率が高く、放射線療法
の頭蓋内照射の治療歴があるものの方が Special
b.
Education を利用していることが明らかになって
いる
小児がんの子どもには
身体疲労は一般
的な副作用であり、休憩時間を与えることで、登
4)
。
校・授業への参加がより容易になる。そのため必
要に応じて短縮時間で授業を行ったり、休憩した
29
りしても良いとする。
ウス予防のために、健常児よりも多く水分摂取を
②移動にかかる易疲労性に関する配慮事項
行う必要性があるため、飲み物を携行することを
a. 通院治療や健康状態によって欠席日数が多
許可する。
くなるため、各教科の教科書は 2 冊ずつ提供する。
家庭と学校の双方に教科書を置き、化学療法等で
b. 米国の小児がん患者の多くは Port-A-CathⓇ
疲労しやすい子どもが通学のために教科書を持ち
(体内埋め込み式中心静脈カテーテル)などの中
運ばなくても良いようにする。
心静脈ラインを使用している。また、化学療法等
の影響で疲労しやすいため、運動強度の高い体育
b. 米国では授業によって教室を移動するため、
は子どもを疲れさせ、集中力や他の教科活動の低
本人専用の机がなく、また教科書類は机ではなく、
下を招く恐れがある。身体接触、激しい運動、長
廊下に設置してあるロッカーに収納している。小
距離走などの体育には参加しなくても単位認定を
児がんの子どもには教室に近い位置にロッカーを
する。
用意する。異なる階で授業を受ける場合には、そ
れぞれの階にロッカーを準備する。このようにロ
c.
治療によっては体重減少や空腹感が増強す
ッカーを準備することによって、学校にいる間、
る。カロリーや栄養分補給のためにおやつ・軽食
重い教科書やノートを運ぶことによる疲労を少な
が必要となる。小児がんの子どもに必要であれば
くすることができる。
午前・午後のおやつの時間を設ける。
c. 米国では 16 歳より運転免許の取得が可能と
④脱毛やいじめに対する配慮
なる。高校生が車で通学している場合、校舎に近
a. 子どもにトイレや通院のために授業途中で
いところに駐車場を確保してもらえれば、教室に
退席する場合は、授業中の教員に対して知らせる
到着するまでに歩き疲れてしまうことが無くな
必要はなく、他の生徒に気付かれないように教室
る。
を後にすることができるようにあらかじめ許可し
ておく。
d.
先に述べたように、米国では教科ごとに教
室を移動しており、次のクラスを受けるために長
b. 脱毛は子どもにとっても居心地が悪いもの
い廊下の端から端へ、あるいは、別の階へと移動
である。多くの学校では、校則で教室内で帽子を
しなくてはならない。また短時間の休憩の間は、
かぶってはいけないとしているが、小児がんの子
廊下に生徒があふれることもあり、移動は困難で
どもは学校にいる間中、帽子をかぶったり、スカ
ある。小児がんの子どもには、余裕をもって移動
ーフ・バンダナを頭に巻いても良いことにする。
するための時間を与えるべきであり、次のクラス
に移動するために 5 分早く授業を終了しても良い
2)認知・学習面の配慮事項
ことにする。
化学療法や放射線療法中やその後には、情報処
理能力が低下したり、思考・反応により時間がか
かるため、より多くの時間を要する。小児がんの
e. 小児がんの子どもにはノートをとるためや
子どもは、入院や気分が優れないなどの理由によ
宿題のために、コンピューターを供与する。
って欠席日数が多くなる。また認知能力の低下に
特に手書きが易疲労性によって難しい子どもに
より、健常児よりもより多くの助けを必要とする。
対しては、コンピューターや他の機器を使用する
認知・学習面の配慮事項は、これらのハンディキ
ことを認める。
ャップを埋めることが中心となっている。
③治療・治療の副作用に関する配慮事項
①時間・量に関する配慮
a. 化学療法等の経口薬の服用には、飲料水が必
a.小児がんの子どもは、教室内の課題活動、宿
要である。また、治療による脱水予防、ドライマ
題、小テスト、試験等において、他の子どもより
30
も多く時間をかけることを許可する
者が、教育関係者らと知識や実際の教育現場にお
ける注意点を共有し、子どもの教育の機会を提供
b. 小児がんの子どものために、夏季、冬季、春
すると同時に、生活上の安全・安楽を保障してゆ
季の休業中に補習を行い、同学年の平均的なレベ
くことが重要と思われた。
ルに達することができるようにする。小児がんの
治療によって、学習困難が生じているため、子ど
もは休業中に補習等で、その学年に必要な学習課
謝辞
題を達成できるようにするべきである。
Pamela Hinds 氏へのインタビュー等は、平成
20 年度科学研究費補助金
c. 小児がんの子どもには中程度の課題をだし、
基盤研究(B)「小児
がん等のターミナル期にある子どもの教育内容・
良よりも質を重視する。
方法に関する国際比較研究」(課題番号 18402045
中程度の課題量であれば、心理的にプレッシャ
研究代表者
武田鉄郎)によるものである。この
ーを感じることなく達成感を味わえると思われ
インタビューに先立ち、米国における資料収集の
る。一日授業に参加した日は、定量句を消耗する
ために平成 18 年度に第 30 回アメリカ小児がん看
上に疲労度が高く、宿題に多大な時間を費やせな
護学会に参加させていただいた。武田先生に深謝
い。
いたします。
②学習支援
引用文献
子どもには homebound teacher 家庭教師を派遣
1)Hurwits, K. A.: A review of special education
し、宿題等を手伝ってもらえるようにする。
law, Pediatric Neurology, 39(3), 147-154,
Homebound teacher が学校との連携をとり、欠席
2008.
によって出来なかった授業課題や宿題をやれるよ
2) The leukemia & Lymphoma Society: Learning &
う手助けする。
Living With Cancer: Advocating for your child's
educational needs, 2005.
まとめ
3)National Information Center for Children and
米国においては、小児がんの子どもはわが国と
Youth With Disabilities
比較して短期間の入院であり、外来通院を主体と
http://www.nichcy.org/Pages/Home.aspx
した化学療法を行っている。そのため院内学級の
4)Mitby, P.A., Rovison, L. L., Whitton, J.A.
みならず、homebound teacher の家庭訪問による
et. Al: Utilization of special education
教育などを利用して教育を継続している状況が明
services and educational attainment among
らかになった。個別教育計画については、教育職
long-term survivors of childhood cancer: A
のみでなく、医師・看護師・心理士等のディスカ
report from the Childhood Cancer Sruvivor
ッションを通して、両親のインフォームドコンセ
Study, Cancer, 97(4), 1115-1126, 2003.
ントの下に作成され、評価する法的システムが整
参考文献・サイト
備されていた。ターミナル期においても、このよ
1)米国文部省ホームページ
ED.gov. US
うな計画を延長・修正して教育の継続が実施され
Department of Education promoting
ていると予想されるが、今回の調査では具体的な
educational excellence for all American.
内容については明らかにすることはできなかっ
http://www.ed.gov/policy/speced/reg/narra
た。米国においては、施設間の人員や院内学級等
tive.html
の学習環境の差が大きく、標準的な教育の実態に
2)American Academy of Pediatrics Committee on
ついては述べることは難しいと思われた。個別教
School Health: Home, hospital, and other
育計画は、原籍校での教育の継続を中心に考えら
non-school-based instruction for children
れている。そのためには、化学療法や放射線療法
and adolescents who are medically unable to
等の治療の影響や副作用等について熟知した医療
attend school, Pediatrics, 106(5),
31
1154-1155, 2000.
vicesSpecialties/SchoolProgram/ サ ウ ス ダ
3) American Academy of Pediatrics Council on
コタ州サンフォード小児病院スクールプログ
Children with Disabilities: Provision of
ラム
幼稚園から 12 歳までの患者が対象。院
Educationally Related Services for Children
内学級の専属教員をもつ。
and Adolescents with Chronic Disease and
3 ) Multnomah Education Service District
Disabling Conditions, Pediatrics, 119(6),
Hospital
1218-1223, 2007.
http://www.mesd.k12.or.us/he
4)
American Academy of Pediatrics Committee
on
Children
with
Pediatrician's
Role
Disabilities:
in
development
Program:
オレゴン州ポートランド市のホスピタルプログラ
The
ム。ポートランド市を 6 つの地域にわけ、それぞ
and
れに 5 歳から 21 歳の病弱児教育を支援するプログ
implementation of an individual education
ラムをもつ。小児病院も含まれる。
plan (IEP) and/or an individual family
4 ) University Health Systems Children's
service plan (IFSP). Pediatrics, 104(1),
Hospital:
124-127, 1999.
http://www.uhseast.com/childrens_body.
米国の院内学級等の参考サイト
cfm?id=250
1)Virginia Commonwealth University,
County Memorial Hospital の School Program
Children's Medical Center, Hospital
幼稚園から 12 歳に対する院内学級。セルフケ
Education:
ア教育や事故防止等の健康教育プログラムも
http://www.vcuchildrens.org/?id=788&sid=4
含む。
ヴァージニアコモンウェルス大学小児病院内
の院内学級
2)
ノースカロライナ州
Pitt
5)Children's Hospital fo the King's Daughters
2 歳から 21 歳の患者を対象にバー
Hospital School Program
バージニア州と
ジニア州教育課と Richmond Public Schools と
Norfolk Public Schools の提供する School
の共同で教育を行っている。
program。
Sanford
Children's
School
Program:
院内学級の教育を行う教員もいるが、教育コン
http://www.sanfordhealth.org/CentersofExc
サルタント Educational Consultant も特定の
ellence/
専門外来に
Childrens/ServicesSpecialties/HospitalSer
配属されている。
32
5.ドイツにおける病気のある子どもの教育
當島茂登(鎌倉女子大学)
西牧謙吾(国立特別支援教育総合研究所)
Ⅰ ドイツの教育制度
ドイツは連邦共和国で 16 州からなる。教育行政
は各州政府の管轄である。障害のある子どもの教
育に関する具体的な施策も、各州の文部省(州に
よって名称は異なる)が独自に行っている。ドイ
ツは様々な面において基本的には地方分権で行政
が進行し、教育施策については、常設されている
各州文部大臣会議で検討され勧告としてその方針
が示される。しかし、この勧告や議決には法的な
拘束力はない。勧告等に基づく実施については州
が、独自に法整備を行い州毎の教育が展開されて
いる。
ドイツの教育制度は、基礎学校(Grundschule )
を終了する 10 歳の時点で基幹学校(Hauptschule)、
実科学校(Realschule)、ギムナジウム(Gymnasium)、
総合制学校(Gesamtschule)の中から一校を選択
する分岐型を基本としている。総合制学校は学校
改革の一環として設けられた学校で、様々なカリ
キュラムの工夫が行われている。総合制学校では
障害のある子どもが在籍しているところもあるあ
るので、本研究の調査対象校の一部とした。基幹
学校を選択した生徒は、義務教育終了までこの学
校で学ぶ。実科学校を選択した生徒は、卒業後上
級専門学校へ進学することが可能である。ギムナ
ジウムを選択した生徒は、10 学年を終了した時点
で中等教育終了資格を取得し、最終学年まで進ん
で卒業試験にパスすると大学入学資格であるアビ
トゥア(abittur)を取得することができる。また
障害のある子どもに中等教育段階で職業に関する
様々な機関が用意されている。
種の特殊学校の対象児と任務について規定がある。
この勧告では日本の肢体不自由特別支援学校に該
当 す る 身 体 障 害 学 校 ( Die Schule fuer
Koerperbehinderte)は4番目に、病弱特別支援学
校に該当する病院内学校(Die Schule fuer Kranke)
は5番目に規定されている。
本研究に関連のある肢体不自由のある子どもと
病気のある子どもに関する規定を示す。
( 1 ) 身 体 障 害 学 校 ( Die Schule fuer
Koerperbehinderte)
身体障害学校は、身体障害や、それに起因する
精神的負担のため、普通学校の授業に参加できな
い児童生徒を受入れる。この学校の対象の児童生
徒は、弛緩性麻痺、脳性麻痺、筋ジストロフィー、
重度の臓器障害、血友病などである。
身体障害学校の任務は、児童生徒に現在ある力
を使って達成できる最大限の課題を行い、その結
果により自信を持つことを可能にすることである。
児童生徒は、自分自身の目で自分の限界と可能性
に到達することを知るべきであり、そのとき自分
に身体障害があるにもかかわらず、社会の中で有
意義な任務を果たすことができることを知るべき
である。治療体操、作業療法、言語治療による個
人治療とグループ治療は、在学全期間中に州医師
の協力を得て行うべきであり、身体障害児の大学
受験の資格の取得を支援するものでなければなら
ない。身体障害学校には通学者の範囲が広いので、
通常は学校寮を備えている。
(2)-1 病院内学校と在宅授業(Die Schule
fuer Kranke und Hausunterricht)
病院内学校では、病院、クリニックまたは療養
所に長期間入院している児童生徒に対し授業が行
われる。病院内学校は多くの場合、病弱児童生徒
が学力不足を示す主要科目、またはその他科目で
授業を行うことに限定される。しかし病院内学校
は病弱児童生徒を卒業できる状態にも導かれなけ
ればならない。病院内学校の授業は、対象児の学
校の授業を保障するものであり、またはその内容
を支援するものである。
病院内学校の特殊教育上の任務は、長期疾病が
対象児の精神的態度におよぼす危険を対象児から
除き、回復への意志を高めることである。対象児
自身に対する不適切な同情と対象児を絶えず脅か
す無気力感は、新しい課題と達成の経験に克服さ
Ⅱ
ドイツの特別支援学校
既述のとおりドイツは各州によって独自の教育
行政が展開されている。特別支援学校の設置、名
称、学習内容も州によって異なる。1990 年代から
の世界的な動きの中で、ドイツは独自の方向で学
校教育制度の見直しを行ってきている。特別支援
学校がどのような子どもを対象としているか、ま
た各学校の任務がどのように法的に規定されてい
るかをみることによって、現在各州で進められて
いる様々な教育改革を理解することできる。
1972 年3月の文部大臣会議で、
「特殊学校制度法
に対する勧告」が決議された。その第2条に「個
別特殊学校」が規定されている。この勧告では 10
33
れる。病院内学校の学習は、対象児童生徒が属す
る学校形態のカリキュラムに基づいて行われる。
医療と看護が優先するので、病人に対する学校の
授業は、教材と教授法が普通学校や他の特殊学校
に比べて著しく異なる。成績証明書は詳細評価で
行う。虚弱児学校の授業は、医師の診断と指示に
より、個別、グループまたはクラス単位で行われ
る。専門授業については、教師が該当の学校形態
で行う。病院における授業は、国家教育の管理監
督下にある。教育問題に対する意見調整を維持し
病弱児が出身学校の帰属意識を持ち続けられるよ
う、原籍の学校とは連絡を継続する。教育課程の
決定と変更は、原籍校と協力して行う。ただし、
入院生活が著しく長期におよぶ場合に限り、病院
内学校の教師が決定する。
(2)-2 家庭授業(Hausunterricht)について
病院における治療終了後、場合によっては、ま
だ通学できない対象児に対しては家庭授業が行わ
れる。家庭授業においては、教師は完治後に対象
児が通学を予定している学校形態を考慮すること
を薦める。このようにすれば、再編入の準備を効
果的に行うことができる。学校は長期病気治療に
より生じた、個々の教科の欠陥を対象児に適した
方法で支援する。公職医師の診断により、病気の
ため臨床治療は必要としないが長期間通学できな
い児童は、同様に家庭授業を受ける義務がある。
授業可能性と負担に耐える能力の程度については、
学校医診断書により証明するものとする。このよ
うな対象児に学校に対する帰属意識を持たせるた
め、当該対象児とその家庭授業に帰属する学校を
決定しなければならない。個別化の対応について
は、学校生活と生徒の連帯により適切な形式で行
われる。
育的ニーズが検討され、子どもに相応しい教育の
場を決定するパラダイムの変更が求められている。
障害のある子どもの教育指導の基本理念として、
「子どもの長所から出発することの必要性」が確
認され、学習指導要領の示し方の中にもこの考え
方が生かされている。
前述の文部大臣会議の勧告の構成は、①序文、
②特殊教育促進の根拠、③特殊教育促進の実現、
④特殊教育促進における職員の登用と資格の4部
から構成されている。学習指導要領の新しい示し
方の基本になっている支援重点課題について、③
特殊教育促進の実現の中に記載されている。本研
究に関連する部分を以下に示す。
(1)身体発達と運動能力発達の領域における支
援重点と運動領域の著しい障害と身体障害を回避
する能力分野の支援重点
ここでは運動能力の発達と身体発達に障害のあ
る生徒の支援は、知覚能力と経験能力の拡張、自
立運動可能性の拡大、特殊な補助機器の利用、毎
日の仕事ができるだけ自力による処理の支援を目
指すこととしている。精神運動の対策は、毎日の
授業活動に含まれる。重要なのは、社会的関係の
構築、自立作業能力の実際的な自己評価に導くこ
とおよび、多くの場合は残る障害を受容すること
である。
(2)長期継続疾病ならびに長期継続疾病を回避
する能力分野に対する支援重点
長期の疾病または定期的な間隔で病院に入院、
または自宅療養しなければならない病弱児童生徒
に対する支援は、個別授業またはグループ授業で
行われ、この授業により卒業させることができる。
特殊教育上の課題は、長期疾病と長期欠席から生
じる精神的な負担、対象者の孤立を教育的に解消
することである。達成可能な要件、達成経験、個
人的な温かさは、自信、学ぶ喜び、生きる喜びと
早期回復を当然のことながら向上させ支援する。
Ⅲ 学習内容(学習指導要領)について
1994 年5月の常設の各州文部大臣会議で決議
された「ドイツ連邦共和国の学校教育における特
殊教育の促進を目的とする勧告」により、全 16
州で特別支援教育に関する法整備が進んでいる。
この勧告の趣旨は大きく2点に絞られる。その一
つはパラダイム変換である。他は通常学校におけ
る特殊教育の促進である。すなわち、これは障害
のある子どもと障害のない子どもの共同授業を推
進するための新たな展開である。障害のある子ど
もへのこれまでの対応は特別支援教育機関を中心
に検討され、障害のある子どもを障害種別の学校
に振り分けてきた。障害のある子どもの教育の場
の選択に関連して、障害のある子どもがどのよう
な支援を必要としているのか、どのような支援を
受けなければならないのかを検討し、個々の子ど
もにとってどの場所が支援を受けるのに相応しい
かを検討することが求められるようになった。つ
まり、教育の場への振り分けではなく子どもの教
Ⅳ
ドイツにおける調査研究
ここではドイツにおける病気のある子どもの教
育及び医療に関連して、以下の3項目について報
告する。
(ア) 教育行政に関する事項
ⅰ)ホスピタルスクールの教育行政上の位置づけ
ドイツでは州によって異なるがノルトライン・
ヴェストファーレン州(以下、NRW州)では、
特別支援学校として患 者のための学校(Schule
fuer Kranke)が位置づけられており、大学病院な
どに併設されている(ケルン大学医学部附属病院
小 児 病 棟 内 に あ る 病 院 内 学 校 :
Johan-Christoph-Winters-schule:Shule
fuer
Kranke)。
ⅱ)特別支援学級及び 訪問教育の実施状況
NRW 州では日本の特別支援学級に類するものは
34
ない。訪問教育は家庭授業(Hausunterricht)とし
て病院における治療終了後、場合によっては、ま
だ通学できない対象児に対しては家庭授業が行わ
れる。
ⅲ)小中学校あるいは高等学校との連携
日本の教育制度と異なり複線型で、学校間の連
携は連携が十分に図られている。教育問題に対す
る意見調整を維持し病弱児が出身学校の帰属意識
を持ち続けられるよう、原籍の学校とは連絡を継
続する。退院前に医師と院内学級の教師が、原籍
校を訪問し、再統合の支援をしている。病院と学
校をインターネットで結んで、授業を受けられる。
子ども同士の社会的交流が重要。
ⅳ)学籍移動の有無
学籍の移動はその子の状態により異なる。入院
期間が 4 週間以上になると、Schule fuer Kranke
に行く権利と義務がある。教育課程の決定と変更
は、原籍校と協力して行う。ただし、入院生活が
著しく長期におよぶ場合に限り、病院内学校の教
師が決定することとなっている。
ⅴ)教員数の確定に関する事項など
NRW 州では、6人の生徒に1人の特殊教育教員の割
合で、生徒の障害が重い場合には、4人の生徒に1
人の特殊教育教員の割合となっている。
ⅵ)教育課程(カリキュラム)、個別教育計画等の
情報収集
ドイツでは 1994 年に決議された「ドイツ連邦共
和国の学校教育における特殊教育の促進を目的と
する勧告」により取り組みが開始されている。各
州では勧告の趣旨にあるように、特殊教育支援の
必要のある子どもの支援重点学習指導要領
(Lehrpan zum Foerderschwerpunkt)として示さ
れつつある。NRW 州では、病気の子どもの授業支
援重点(Foederschwerpunkt Unterricht Kranker
Schuelerinnen und Schueler)として示されてい
る。常設文部大臣会議の勧告に基づいて NRW 州に
おいては、日本の支援計画とは異なるが、個別の
支援計画(Individueller Foerderplan)が新たに
学校の質の向上を図ることを目的に規定され、各
学校において作成され、活用されている。
(イ)教育内容・方法に関する事項
ⅰ)教育が具体的にどのように行われているのか。
Johan-Christoph-Winters-schule では小児が
ん患児に、毎週 20 人ほどに、授業数を減らして、
小学校から中学校までの年齢の学童に対して、三
人の教師のサポートを受けながら授業をしている。
一人は特別支援学校の資格を持つ教師(ドイツは
教師の養成制度が異なる)で、残り二人は普通の
学校の先生である。ベッドサイドでの授業、治療
室や腫瘍科の教室で授業が行われている。子ども
の状態によって、ベットサイド授業や病棟に内に
ある教室で授業が行われる。
ⅱ)各教科以外に、日本で行われているような自
立活動の領域があるかどうか
NRW 州では、教育課程上日本の自立活動に類す
るも指導領域はないが、長期療養を必要とする子
どもの特殊教育上の課題として、
「長期疾病と長期
欠席から生じる精神的な負担、対象者の孤立を教
育的に解消することである。達成可能な要件、達
成経験、個人的な温かさは、自信、学ぶ喜び、生
きる喜びと早期回復を当然のことながら向上させ
支援する」ことが指摘されている。
ⅲ)ターミナル期に移行した子どもに対して教育
が行われているかどうか
教科が通常の普通学校の教育の中で行われてい
るということ、またその病気の生徒達にとっても
重要であることは疑いない。がんの診断を受ける
今、瞬間というのはやはり緊張を避けることはで
きない。アートテラピー、また先生と生徒の間の
緊密な関係、そして理解、また共感的な関係があ
るけれども、生命を脅かす状況における教育の意
味は何なのか、という疑問に対しての答えはなか
なか見つからなかった。
ⅳ)教科以外の領域を行う際の教材・教具はどの
ようなものを使用しているか
Johan-Christoph-Winters-schule では、アート
テラピー、モバイル・クラスルーム(移動教室)
がある。移動教室を使うことで外部の世界と子ど
もはつながりを病院の中にいながらにして持つこ
とができる。
ケルン大学医学部附属病院には、両親たちの基
金によって建てられた「両親の家」という施設が
ある。15 の部屋があり、両親が、子どもたちが病
院にいる間ずっと滞在することができる。この施
設は滞在するというだけではなくて、子どもたち、
スタッフ、先生にも多くの活動を提供している。
(ウ)病院の方針
ⅰ)告知の状況(発達段階、告知する病名、特に小
児がんと筋ジストロフィーについて
18 歳から 30 歳までの 15 人のデュシャンヌ型筋
ジスのある人へのインタビューを通じて、彼らの
生活についてまとめている。死やQOLについて
どう思うかを問う中で、回顧的に一番つらかった
ことは自分の病気について将来どうなるかの情報
が少なかったことをあげている。先輩の患者をみ
て、自分たちの将来を知った。親は子どもに正確
な将来を教えない。教育では、告知を受けていな
い子ども達に適切な教育が出来なかった。
ⅱ)筋ジストロフィーの人工呼吸器の使用状況
ドイツの小児科は 16 歳までしかみないので、そ
れ以降は別の財源から医療費が出される(ドクタ
ーからの聞き取りのため、調査必要)。筋ジス児も、
人工呼吸器を装着して、在宅医療を行うことが一
般的である。欧州でも、例えば英国では気管切開
し人工呼吸器を装着することはないということを
聞いたことがあり、国により対応が異なる。非侵
35
襲的人工呼吸療法も導入している。
ⅲ)ターミナル期にある子どものへの教育的関わ
りの状況
Johan-Christoph-Winters-schule では、6 歳以
下の子供たちには、幼稚園の教師、がん病棟の特
別な幼稚園の教師と共に過ごせる部屋がある。芸
術セラピストがこの分野の子どもたちに関わって
いる。病院内保育など病院として、教育的にかか
わり、様々なグループの間に強力なネットワーク
ができている。
参考文献
1 Verordnung uerber die sonderpaedagogische
Foerderung den Hausunterrichit und die shule
fuer
Kranke 2005
2 當島茂登:ドイツにおける特殊教育の教育課程
について 独立行政法人国立特殊教育総合研究所
報告書 2004
調査研究機関
1) Universität zu Köln, Heilpädagogische
Fakultät, Pädagogik und Rehabilitation von
Menschen mit Körperbehinderungen
2) Der Förderschule mit dem Förderschwerpunkt
körperliche und motoriche Entwicklung (FFkmE)
in Stadt Augustin
3) Der Nell-Breunig-kollegschule in Bad Honnef
4) Der integrativen Gesamutschule in Hohlweide
5) Institut für Medizinische Genetik und
Molekulare Medizin
6) Das Sozial Pädiatrischen Zentrums (SPZ) der
Universitätsklinik Köln
36
第3章
1.小児がんのトータルケアの現状と課題
-特に「こころ」について-
細谷亮太
(聖路加国際病院)
1.はじめに
患児を対象に質問紙を用いた調査を2000年か
1990 年代、成人のがん患者に対する告知の問題
ら行った。質問紙として、Pynoos らが作成した
が我が国において積極的に考えられるようになっ
PTSD-Rection Index を和訳したものを用いて、構
た。少々遅れて、小児がん患者も、その診断・治
造化面接を行った。
療といった一連の闘病生活の中でようやく一人前
軽症以上の PTSS(posttraumatic stress symptom)を
に扱ってもらえるようになってきた。1994 年によ
呈した小児がん患児は80%に及んだ。主な症状
うやく日本で批准した「こどもの権利条約(国際連
は、フラッシュバック・悪夢・過覚醒/過緊張、逃
合)」に「表現すべき意見をもつためには、真実が
避であった。Fukunisi らも難治性の血液疾患患児
伝えられる必要がある」ことが明確に述べられて
ら3 3人 中の 82 %が PTSR(posttraumatic stress
から、子ども本人への告知が積極的に考えられる
reaction)を呈していたと報告している。これは、
ようになった。
海外での小児がん経験者における PTSD/PTSS の
成人と同様、子どもたちにとってもがんという
発症頻度2.6~46%に比較して極めて高い頻
自分の病気について情報を知ることは衝撃的な体
度である。Fukunisi らは、PTSR の発症にアレキシ
験である。今後、さらに、子ども自身への情報開
シミックな性格傾向が関与していたことも述べて
示が一般的になるであろうが、このような闘病経
いる。感情を言語化することが得意でない日本人
験にかかわる心の反応への対応も含めて、小児が
の特性を考えると、日本で欧米よりも PTSD/PTSS
んのトータルケアは考えられなければならない。
の出現頻度が高いことは理解できるように思う。
幸い、集約的医療の進歩に伴い、子どものがん
また、1991年 Stuber らは、小児がん患児が
のうちの約70%に治癒が望め、社会復帰が可能
骨髄移植後に呈した PTSD 症状の特徴について、
となった。完治を目指して厳しい治療が安全に遂
フラッシュバック、反復行動、否認、逃避が主な
行できるように工夫をすることが重要だが、同時
症状で、これらは虐待を受けた子どもの症状に類
に、治療経過中でも子どもたちは成長する存在で
似していると述べている。
あることを考えてケアを行う。
さて、闘病生活の中で経験するどんな体験が子
どもたちのトラウマとなっているのであろうか。
2.小児がん闘病経験という心的外傷
体験の種類によって PTSD 症状に特徴があるとの
前述のように、小児がんの子どもたちの7割が
考えがある。それによると、トラウマ体験を2種
治療を終え、社会に戻っていっていることは、頼
類に分けている。予測不可能な単回性の体験(タ
もしい限りである。その中で、闘病経験にかかわ
イプⅠ):小児がん患児らにとっては診断を告げ
る子どもたちがいる。筆者らは、その中で PTSD
られて生命の危機を感じる体験と、予測不可能で
(posttraumatic stress disorder)症状の1つである
繰り返し起きる体験(タイプⅡ):治療体験(痛
フラッシュバック(処置の恐怖など)と考えられ
み・恐怖を伴う処置など)である。タイプⅠでの
る症状に気づくことが多くなった。
ストレス症状は、トラウマ場面が視覚的刻印とし
闘病経験をトラウマと考えて、生じている心の
て保持され、これに伴う主観的な体験(時間の長
問題を PTSD としてとらえる考え方が1994年
さや体験の順序、告知の内容など)が客観的な事
より始まり、私たちは、当院へ通院中の小児がん
実とは違うゆがんだ記憶となること、さらに、ま
37
ったくトラウマと関係ない出来事でもトラウマ体
4.小児がんと家族
験の前兆ととらえる特徴があるという。タイプⅡ
心の反応が起きるのは、小児がん患児だけでは
に起因する症状の特徴は麻痺/逃避が主なもので、
ない。その両親・同胞も同様にその事実に巻き込
加えて、激しい怒り(自傷行為など)を表現する
まれ、心の反応を起こし、それで、また、子ども
場合があるという。
自身が、家族の様子に反応することになる。まさ
治癒を目指して強力な治療が行われている現
に、トータルケアが必要不可欠である。
在、これらのトラウマ体験に起因する多彩な心的
子 ど もの が んに 対 する 両 親 の反 応 につ い ても
反応への対応もより重要となる。
PTSD モ デ ル を 用 い て 理 解 す る こ と が 可 能 で あ
る。筆者らの施設においても、調査を行った。結
3.告知の心理的影響
果は、母親の98%、父親の93%が軽症以上の
次に、告知が生命の危機を感じるトラウマ体験
PTSS を呈していた。国外の報告と同じく、患児
として PTSD/PTSS の引き金になるからといって、
自身より、高い頻度であった。母と子の重症度は
子どもへの告知が敬遠されないように告知の必要
相関があるとの報告もあるが、われわれの調査で
性を確認しておきたい。
は、両親と患児の症状の間に関係は認められなか
少なくとも筆者らの施設では、告知を受けてい
った。ただ、子どもから両親の様子が「なんとか
る子どもたちの PTSS が重傷である傾向はなかっ
なる」と考えているようにみえる場合の、子ども
た。また、告知を受けた子どもに注目すると、発
が感じるソーシャルサポート感は高い傾向があっ
症から告知までの期間が短い患児ほど、周囲から
た。これは、患児自身の PTSS の軽症化につなが
のソーシャルサポートを実感していた。このソー
る。患児の両親が子どもの前で「なんとかなる」
シャルサポートを享受感の高さは、われわれの調
という姿勢でいられるように両親へ援助すること
査では、PTSS の軽症化因子でもあったことから、
が本人にとっても有用といえる。
告知は、治療開始後なるべく早い時期に、本人が
前向きにとらえるような内容で伝えれば、PTSS
5.小児がんの子どもたちが感じること
を軽症化する体験として患児らの援助につながる
1990年に、卵巣がんで化学療法中の女性が、
といえる。
病 院 を 訪れ る だけ で 免疫 抑 制 が再 現 され る とい
また、筆者は以前に告知の有無が、精神発達・
う、心的反応の身体機能への影響が明らかにされ
社会適応力に与える影響をバウムテストを用いて
たが、小児においてはこのような報告は見当たら
評価した。これによると、告知群の方が、精神エ
ない。しかし、小児がんの専門医たちは、子ども
ネルギー、社会適応度ともに有意に高い結果であ
たちの闘病生活中、子どもの心理状態が明らかに
った。
身体機能に変化を与えていることを実感する場面
しかし、診断と同時にマニュアルどおりの画一
に多く遭遇している。例えば、黄色や青い色のつ
的な告知を例外なく行うことが小児がんの子ども
いた水溶液を見ただけで抗ガン剤の点滴を連想し
たちにとっての、援助になるとは思わない。1つ
て嘔吐する子どもや、数日間吐きつづけていた子
の体験がトラウマとなるかどうかは、個人の感じ
どもが、屋外でのバーベキュー行事への参加を許
方次第である。反応の程度も個人のもつ特性に左
可されたところ、周囲の大人が目を見張らんばか
右される。伝える時期は、本人が自分の病気につ
りに食事が進んだりする。転移のためのがん性胸
いて気になった時がそのときである。私たち大人
膜炎による胸水のための努力性呼吸が賢明で座位
は、伝える時期を逸しないようにするとともに、
のまま夜を過ごしていた末期がんの幼児が、退院
告知後の子どもたちの言語化されにくい個々の反
後に行くことを楽しみにしていた遊園地に、なん
応を見逃さないように、彼らの近くにいたいもの
とか外出して出かけることができた夜は、穏やか
である。
にベッドで横になって眠ることができたりするの
である。
38
言語力が大人よりも未熟な子どもたちは、その
どもの心的反応に反映されているというものもあ
分かえって、言葉では伝えられていない多くのこ
るが、多くは本人の主観的受け止め方や本人の特
とを察知する感受性が研ぎ澄まされ、体験が感情
性不安が関与していることを指摘している報告が
に反映されやすいように思う。もちろん、感じ方
多い。
はさまざまであり、そこから生まれる感情も個々
で程度も異なっていることは言うまでもない。
6.おわりに
子ども自身の視点でこのような主観的なとらえ
“survivor”とい う言葉 の印象が欧米と日本で は
方(特にソーシャルサポート享受感、主観的治療
少々異なっているように思う。”survivor”という言
強度について)が、トラウマ体験からの
葉を敬遠して自分たちから”小児がん経験者””当
PTSD/PTSS 発症に影響を及ぼしていることが分
事者”と名乗っている日本の子どもたちも、”生き
かってきた。そして、前述の通り、告知を本人が
残り”ではなく、多くの困難を乗り越えてきたとい
どう捉えるか、両親の様子を見てどう感じるかに
う自信と誇りをもち、”survivor”と名乗って社会復
よって、ソーシャルサポート感が高まり、
帰していけるような援助が必要なのだろう。
PTSD/PTSS の軽減に寄与すると私たちは考えて
いる。先行する欧米の報告では、母親の主観が子
39
2.筋ジストロフィー医療の現状と課題
西牧
謙吾
(国立特別支援教育総合研究所)
1)はじめに
筋ジストロフィー(以下筋ジスと略す)は、
病気の原因が分からなかった時代から、医療と
教育、そして少し遅れて福祉も含めた連携によ
り対策を進めた難病モデルであった。
1970 年代に遺伝子操作技術が確立し、その医
学への応用が行われ、1980 年代になり遺伝子レ
ベルで筋ジスの原因が明らかになり治療上の方
向性が見えてきた。
しかし、遺伝子治療の可能性がでてきたとは
いえ、その完全な恩恵を受けることが出来る時
代になるまでは、病気の進行を遅らせ、生活を
支えるリハビリテーションが欠かせないという
意味で、筋ジスは、現代でも典型的な難病モデ
ルである。
ここでは、日本の筋ジス医療の現状と課題に
ついてまとめることとする。
現在、多くのデュシェンヌ型筋ジスの子どもは、
筋ジス病棟には入院せず、在宅で通常の学校に
通学するようになってきた。現在では、新たな
筋ジス病棟の増床もなく、入院例は長期人工呼
吸器を装着した年長者が中心となった。結果と
して、病気の進行がゆっくりの患者は、障害程
度区分は低く、障害者自立支援法では入所適応
にならず、在宅を選択せざるをえない状況にあ
る。
治療面では、1980 年代中頃から慢性呼吸不全
例に、積極的に人工呼吸が導入されるようにな
った。1990 年代に入り、更に非侵襲的陽圧人工
呼吸(以下NPPV)の導入により、この傾向
に拍車がかかっている。
②筋ジス病棟の実態
国立病院機構で管理されている筋ジス神野班
データベース(毎年更新)2) によれば、デュシェ
ンヌ型筋ジス死亡年齢分布は毎年改善が見られ
ている(図1)。現在は、30~35歳にピークが見
られる。死因の第1位は心不全で全体の約50%以
上、第2位は呼吸不全で10%以上、その他は、呼
吸器感染症、気道出血、不整脈で、順位が入れ替
わる。
同データベースによる筋ジス病棟入院患者数
調査では、2003 年までは毎年漸増傾向であった
が、2005 年を境に減少に転じており、現在 2100
人前後で推移している。デュシェンヌ型の入院
患者の減少を、筋強直性の増加で補う傾向が続
いていた。2005 年からの減少は、障害者自立支
援法の影響が考えられるが、実証的研究は行わ
れていない。
現在、デュシェンヌ型の全体に占める割合は
40%弱になり、筋ジス病棟設立当時とは様相を
異にしている。いまだ児童指導員という職があ
るが、必ずしも実態に即していない。
筋ジスの重症度を見る指標に障害者自立支援
法における障害程度区分があるが、必ずしも現
在のデュシェンヌ型の実態に即していないとの
指摘がある。重症度で考慮すべき指標は、人工
(※)難病とは、昭和 47 年の難病対策要綱に、
「(1)原因不明、治療方針未確定であり、かつ、
後遺症を残す恐れが少なくない疾病、(2)経過が
慢性にわたり、単に経済的な問題のみならず介
護等に著しく人手を要するために家族の負担が
重く、また精神的にも負担の大きい疾病」と定義
されているが、ここでは、治療がむずかしく、
慢性の経過をたどる疾病として用いた。
2)筋ジスデータベースから見える筋ジス医療
の実態
①筋ジス医療の変遷
日本の筋ジス医療は、政策医療として、国立
病院機構(前の国立療養所)が担っている。か
つての筋ジス病棟では、歩行困難になりかけた
デュシェンヌ型筋ジスの子どもが、多数入院し
ていた。1990 年代半ばから、小中学校における
特殊学級設置条件が緩和され、我が子には出来
るだけ普通の学校に通わせたいという保護者の
意向が強くなり、その結果として、小中学校時
代には養護学校に転学しない傾向が続いている。
40
呼吸器の装着の有無である。特にデュシェンヌ
型の人工呼吸器導入率は高い。今後、安全管理
とともに患者のQOL向上という、相反する課
題の両立がますます求められる。これは、結局
のところ在宅や病棟での看護体制の確保に帰着
する。
また、厚生科学研究筋ジス研究班で行われた北
海道におけるデュシェンヌ型筋ジス疫学調査に
よれば、平成4年、8年、12年の比較では、発症
率はほぼ一定と有病率の上昇が観測された。この
データも、明らかに生命予後の改善を示している。
このような筋ジスの寿命の延長は、人工呼吸管
理法や薬物療法により、今まで早期死亡の原因で
あった呼吸不全、心不全の予防が進み、早期より
のリハビリにより機能障害の進行が予防され、そ
のときの身体機能に応じた補装具、自助具、移動
機器などを工夫により、患者のQOLが向上した
ことが要因と考えられる。
患者数
15
死亡時年齢:30.9±7.8歳
10
5
0
10~15歳
15~20歳
20~25歳
25~30歳
30~35歳
35~40歳
40~45歳
45~50歳
年齢
図1.多田羅勝義、神野進
2006年度神野班筋ジスデータベース(n=41)
3)筋ジスの医療と教育の抱える構造的問題
筋ジスは、児童福祉の中で、一番古くから医
療助成制度が確立し、それを支える医療・福祉・
教育の連携システムモデルが確立している疾患
である。その中で培われてきたノウハウが、小
児科医療や病弱教育の中で失われようとしてい
る。
筋ジス教育の現場は、特別支援学校から小中
高校にシフトしている。これ自体悪いことは何
もない。ただ、特殊教育では、長期間に渡って
養護学校に設備や人材を投入してきた経緯から、
養護学校には筋ジスを支えるノウハウが蓄積さ
れている。特殊教育から特別支援教育への転換
期に当たり、在籍する児童生徒数が減少し、特
殊教育で培ってきた教育技術の蓄積が失われる
危機に瀕している。また、転勤の多い職場では、
昔を知る人は少なく、新しいことに挑戦する雰
囲気を作ることが難しい。
国立病院機構でも筋ジスを専門とする小児科
医が不足し、筋ジスという昔の病気を積極的に
臨床と研究の対象とする医療者が少なくなり、
教育と同じ構造的課題を抱えているといえる。
4)筋ジス患者のQOL
41
~就労に関する意識
調査から見えるもの~
平成19 年度障害者保健福祉推進事業助成金
障害者自立支援調査研究プロジェクトで、日本
筋ジストロフィー協会会員及び国立病院機構筋
ジス病棟に入院中の患者を対象に、就労に関す
る意識調査(アンケート送付部数:3,661 名回
答者数:1,587 名回答率:43.35%)を行った。
その結果、障害程度区分5,6であっても就
労希望の意思がある患者と就労する意思がない
と回答した患者の大きなグループの存在が明ら
かになった。このような、筋ジス(特にデユシ
ェンヌ型)の就労意欲の向上は、医療技術の進
歩により、療養環境が改善され、平均余命が延
長した結果、筋ジス患者のQOLが向上し、勤
労意欲が生まれたと考えられる。厚生労働省精
神・神経疾患研究委託費による筋ジストロフィ
ーの療養環境に関する研究 2,3)によれば、この
研究期間の間に、従来の入院療養環境整備、栄
養・体力改善のみならず、自立支援・QOLの
向上のための心理サポート、リハビリ・機器開
発による支援機器の開発が進められたことがわ
かる。
域支援モデルが出来れば、それを小児期発症の
神経筋疾患にも応用できるはずである。その時
に現行制度下でも運営可能な民間施設の知恵が
活かされるはずである。
② 筋ジス医療へアクセシビリティの向上対策
デュシェンヌ型筋ジスは、幼児期の発症し、
確定診断がついても、しばらくは歩行可能で、
早期からの専門医療機関へ受診が出来ていない
可能性がある。義務教育における就学指導委員
会の役割は、障害があり教育的ニーズを抱えて
いる児童生徒への適切な就学を支援する組織で
ある。適切なサービスを受けるためには、告知
問題の解決が優先されるが、都道府県レベルで、
小学校在学時点で筋ジスのある児童を把握でき
れば、特別支援学校のセンター的機能や国立病
院機構政策医療ネットワーク(筋ジス)を使い、
早期からの専門医のスーパーバイズと専門教育
機関から情報提供が可能となる。現在は、大阪
府立刀根山養護(教育交流会)、徳島県立鴨島
養護(筋ジス教育研修会)等、一部で行われて
いるのみである。そこで、国立特別支援研究所
では、全国病弱身体虚弱研究連盟筋ジス教育研
究委員会と合同で、平成18年度より毎年、筋ジ
スサミットを開催し、筋ジスに関する社会資源
の有効利用の啓発に努めている。この啓発が進
めば、特別支援学校のセンター的機能を活用し、
小中学校における日常的なリハビリの導入、長
期休暇中の特別支援学校を利用したピアサポー
ト、病気に配慮しながら、進学と就労支援の両
方が出来る特別支援学校の充実化を図ることが
出来ると考えている。
5)筋ジスのある子どものQOL向上を目指し
た対策に関する提言
① 筋ジスの自然歴の変化に応じた連携体制の
確立
上記の研究によれば、20歳以降の成人例が増
加し、在宅患者がますます増加する傾向が続く
と考えられる。すでに、学校卒業後を地域で暮
らすことを前提に、筋ジス患者のための地域福
祉の充実を図っている地域もある。障害福祉で
も、在宅福祉を推進する一方で、重度になるほ
ど在宅生活の継続が困難な状況にあり、依然と
して施設志向も根強い。在宅と施設をうまく利
用した本人と家族を支える障害福祉への変化が
求められる。
筋萎縮性側索硬化症(ALSと略す)は、介
護保険対象特定疾患であり、人工呼吸器管理な
どをしながら地域在宅医療が必要な代表的疾患
である。今は老化に起因する障害として整理さ
れているが、ALSで地域在宅医療における地
42
3.ターミナルケアの現状
丸
光恵
(東京医科歯科大学大学院)
2008 年 3 月現在、日本の小児専門看護師の数は
はじめに
わが国の 0 歳から 14 歳までのがんである小児が
27 名(がん看護専門看護師
128 名
がん関連の
認定看護師 1,240 名)と著しく少ない6)。
んの発症率は、人口1万人に対しおよそ1人であ
り、その総数は年間約3千人に上る1)。おもな小
小児がん患者が入院している219施設を対象
児がんの治療成績は年々向上しており、一部の小
としたケア環境の調査7)では、小児専門病院で専
児がんの無病生存率は80%を超える2)。多くの
門看護師がいる割合は30%近いのに対し、小児
小児がんの子どもたちが完治し、家庭や学校・社
科・小児病棟、成人混合病棟では認定看護師が多
会に復帰する一方、小児がんは依然として小児の
いという特徴があった。小児がん白血病研究グル
疾患による死亡原因の第一位を占めており、亡く
ープに参加している41施設を対象とした調査8)
なる子どもが多いのも事実である3)。小児がんの
では、院内学級・訪問学級の設置率は高いものの、
罹患数のうち最も多くを占めるのは白血病であり、
物理的環境や授業回数や時間などの質的な面では
小児のがんによる死亡数全体の約 40%を占める
施設間の格差が大きいと報告されている。さらに
4)
60%近い小児専門病院には保育士や心理士が配
看護、教育との連携の 4 要因から述べる。
属されているにもかかわらず、保育士が小児科・
。ターミナルケアの現状について、社会、医療、
小児病棟に配属されている場合は50%未満、心
Ⅰ.
小児がんに携わる看護師を取り巻く社会/
理士は30%未満である。人材に恵まれた小児専
看護制度/医療政策的要因
門病院以外は、小児がんの子どものケアに関わる
平成 18 年(2006)度の統計によると、わが国
職種は非常に限られている。これらの調査では、
の看護師・准看護師の就業者数は 1,194,121 名で
小児がんの子どもをケアする上で望ましい入院環
あり 、人口 1,000 人あたりの看護師数(准看護
境といえないと結論付けており、看護師にとって
師を含む)は主な西側諸国に比して最も少ない。
不満足なケア環境のもと、いくつもの役割を担わ
看護師の 7 割が病院で勤務している。わが国では、
なくてはならない現状が示唆されている7)。
5)
規定の教育課程をもつ大学院を修了し、さらに日
本看護協会の求める資格試験に合格しなければ得
Ⅱ.
小児医療に関する要因
られない「専門看護師」と呼ばれる上級実践看護
日本のがん患者のほとんどは一般病棟で死を迎
師資格がある。また生涯教育の一つとして6ヶ月
えている。成人のがん患者においては、事前指示
以上の教育と実習、および看護協会による認定試
やリビングウィルなども普及し始め、当事者がど
験に通過した者に与えられる認定看護師がいる。
のような死を迎えたいかを自ら決定するようにな
成人分野においてはがん看護専門看護師がおり、
っている。子どもの場合はどうであろうか。
また認定看護師についても緩和ケア、がん化学療
法、がん性疼痛、乳がん、の4分野について認定
1.
資格が存在する。しかし、小児看護の分野におい
ターミナル期の子どもは自らの体調の変化から、
子どもは死について話そうとしている
ては、小児がんの臨床経験をバックグラウンドに
自分の死を悟っている。日本の慢性疾患の子ども
する専門看護師にはいるものの、それに特化した
を対象とした調査報告では、幼児期は入院生活な
専門看護師・認定看護師資格は存在しない。また
どによる社会体験が少ないために死の概念は健常
43
児に比較して未発達であるが、学童期になると自
ような死を迎えたいかについてはほとんど調査報
らの闘病体験の蓄積により健常児よりも成熟した
告がなく、家族や医療者が良いと考える看取りが
発達を示した
9)
。別の調査
10)
では、小児がん患
行われていると考えられる。
者の30%が自らの死に関する話題を口にしたと
いう報告もある。看護師の事例報告にはより詳細
3.
に記述があり、死について直接的に医療者に質問
わが国の看護、特に死後の処置に関する看護に
する事例と、質問どころかそれに関する話題を全
は仏教思想が明らかに影響している。看護基礎教
く口にしない事例
11、12)
育における「看護技術」の教科書16)を見ると「各
についても報告されて
いる。近年の長期生存者に対する調査や、患者の
闘病記の記述
13)
家族の希望を重視する
患者の宗教に従う」という記述が見られるものの、
から、年少児であっても病状の
基本的な死後の看護として、家族が綿棒で口唇を
重さや死について十分理解し、その意味について
軽くぬらす「末期の水」にはじまり、着物を着せ
重く受け止めており、それゆえに、聞きたくない、
る際には「左前」にする、合わせ紐を「立て結び」
知りたくない気持ちがあることもわかっている。
にする、「白布を顔にかける」、といった記載が見
そして、それらの言動に影響を与えているのは、
られ、それぞれ仏教上の意味を持つと言われてい
不必要な死の恐怖を味わわせたくない
13)
という
る。その後、白いシーツで全身を覆ってストレッ
家族をはじめとした、小児がんの子どもを取り巻
チャーに寝かされ、霊安室へ運ぶ。亡くなった患
く医療者の態度であることが示唆されている。死
者は外来患者や一般の面会者の目にふれないよう
を予感した子どもは恐怖や不安におびえており、
に配慮されている17)。
大人に助けを求めている。死に関する会話のきっ
小児の死後の処置は、成人とは異なる事を求め
かけは、医療者によって封印されているのかもし
られる。子どもの死について家族は「天国にお嫁
れない。
に行く」
「人生の卒業式」などの表現を用いて意味
づけようとすることもある 14)。そのような家族
2.「良い看取り」は大人が決めている
の意味づけに従って、白装束の代わりが手縫いの
小児の看護師が考える「良い看取り」とは、①
ウェディングドレス、学校の制服、晴れ着などに
苦痛がないこと、②家族に見守られていること、
なる 14)。死者に対して行う縦結びや、白布を嫌
③子どもにとって必要な人が存在すること、の3
う親も多い。衣装を整えた後も成人とは異なり、
14 、 15 )。③の子どもにとっ
親が抱きかかえることのできる子どもであれば抱
つの条件に集約される
て必要な人には「主治医」が含まれており、看護
いて移動することを希望する親がほとんどであり、
師は子どもにとって主治医が重要な存在であると
ストレッチャーで移動する際も白いシーツではな
とらえている。看護師の死の予測に関する研究
15)
く、子どもが使用していたものを使用してほしい
では、経験豊富な看護師は、脈圧や子どもの微細
と望む 14)。成人の場合はほとんどが寝台車で帰
な変化から医師よりも正確に死期を予測し、主治
宅するのに対し、子どもは親に抱かれ、自家用車
医がその場に立ち会えるように調整するとしてい
などで帰宅することが多い 14)。生きている子ど
る。苦痛がない死については誰もが望むことでは
もと同じように、尊厳をもって大切に姿形を整え、
あるが、成人のがん患者の事例にあるように、D
移動するのである。これら細々した事柄について
NARなど具体的な事柄について子どもと話し合
は、ほとんど親の意思によって行われている。
って決めたという報告は 10 代の患者に関してさ
死を告知されている成人のがん患者であれば、
えほとんど見当たらない。個々の看護師は、臨終
死に伴う財産(所持品)分与や葬儀について、あ
時にはできるかぎり子どもにとって良い状態で見
らかじめ本人が書面に記すことを推奨され、それ
送ることが出来るように、その場を整えることを
が死への準備プロセスの一つとして位置づけられ
重要な仕事として認識しているといえる。子ども
ている。しかしこのような事項については、小児
であっても final stage conference への参加が可
とはほとんど語られる事はない。
能であるという報告もある
10)
が、子どもがどの
44
Ⅲ.
看護師側の要因
ると、小児がんの病名について告知している施設
はおよそ10%(注
平成 19 年 8 月 26 日
東京
小児がんをもつ子どもが入院している219施
医科歯科大学にて開催された小児がん等のターミ
設の看護師235名(有効回答209名)を対象
ナル期における教育・看護・医療に関する国際フ
として行った調査
18)
において、小児がんの子ど
ォーラムにおいて、聖路加国際病院医師
細谷亮
もと家族に対するケア29項目のうち、臨床経験
太先生より、現況の告知割合はこの調査時よりも
年数や職位に関わりはなく、最も難しいと回答し
もう少し高いのではないかという指摘を受けてい
たものは「子どもと家族の気持ちを尊重したター
る)にとどまり 23)、予後不良の場合はそれらを
ミナルケア」であった。これらについて研究報告
下回ると予想される。看護師を対象とした調査報
等に見られる現状を述べる。
告では、ターミナル期であることが明らかな子ど
もが自らの死を察しているにも関わらず、家族が
1. 身体的苦痛の緩和の難しさ
それに関わる話を医療者からすることを拒むこと
が報告されている 24)。看護師は家族の気持ちや
身体的苦痛の除去は、小児がんのターミナル期
にある子どもと家族の切望するものであり、看護
そのような意思決定について理解を示しながらも、
師もこれをターミナルケアの最優先の問題である
家族と子どもが本音で話しあえない、子どもが精
と考えてきた。看護研究においても、がん性疼痛
神的につらいときに弱音を言えないのではと疑問
の緩和、苦痛を伴う処置に対するストレス緩和に
を感じている 25)。これらインフォームドコンセ
関するものが多い。厳しい症状の中でも痛みを評
ントに関する葛藤以外にも看護師は、ターミナル
価することに対して必要性を感じるものの、十分
期になっても苦痛の大きい治療、苦痛に比して効
に実施できていないと感じている
19)
。
果の少ない治療、患者にとって無益と感じられる
看護師が子どもの痛みの有無を判断する際には
ような延命治療が行われていること対して、疑問
「痛みの種類を決めること」や「確かな手がかり
を感じている26、27)。そしてそのような患者の生
が必要」というとらわれがあることが明らかにな
命に関わる重要事項については家族と医師のみの
っている。また、痛みの強さの捉え方の特徴とし
話し合いで決定し、看護師の意見が求められない
て、あるかないかの両極だけが明確であり、痛み
ことについてむなしさを感じることが報告されて
の原因との因果関係が明らかになるまでは痛みの
いる。
強さを断定することはできず、痛みを弱く見積も
る傾向があることが報告されている
その一方で小児看護に携わる看護師は、現状に
20-21 )
。その結
ついて様々な疑問や感情を抱いているにもかかわ
果、痛みを判断するまでの所要時間が長く、ケア
らず、解決のための行動をとることは少ないこと
の提供に遅れが生じ、痛みに応じたケアが提供さ
もわかっており 26)、看護職単独だけでは小児が
れない傾向にあるといえる。さらに、身体的苦痛
んの現場における倫理的問題は解決に至らないこ
には疼痛のほかに嘔気・嘔吐、不眠、倦怠感など
とが示唆されている。
さまざまな症状がある。にもかかわらずこれらの
3. ストレスを伴う家族とのコミュニケーション
症状に対しては事例報告にケア方法の工夫が散見
されるのみであり、体系的な研究をもとにエビデ
看護師はターミナル期の子どもの QOL を左右
ンスあるケアが提供されないばかりでなく 22)、
するものは、家族であると考えている 28)。しか
研究対象としても取り上げられていない傾向にあ
し、ターミナルケアに関する困難感の要因として、
る。
小児がんに携わる看護師は、家族とのコミュニケ
ーションにストレスを感じ、家族、特に母親のニ
2. 看護師の倫理的葛藤
ーズに応えられないことがあげられる29-35)。
ターミナル期であると医学的な判断がなされる
ターミナルケアに困難を感じる看護師の要因と
と、ターミナル期をどのように過ごすかに関わる
して、看護師は感情をあらわにするべきではない
様々な意思決定が必要となる。藤井らの調査によ
という思い込みや、患者が回復することを重要と
45
する価値観があるといわれている 25)。そのよう
れやすい、という記述が複数あり、教員のプライ
な看護師は訪室回数が少なく、コミュニケーショ
バシーの配慮に欠ける言動により看護者が情報の
ンが回避的であり、子どもや家族のニーズよりも
提供に躊躇しているという様子が明らかになって
自分自身のつらさに集中してしまう
19、25、33)
いる38)。
。
しかし、これらは看護師個人のもつ要因だけで形
2.
成されるものではないこともわかっている。子ど
残された患者への対応に関する課題
36)
小児がんの子どもは闘病期間が長く、ほとん
から、看護師は一人の人間として子どもが死ぬこ
どの子どもは病棟内に親しい友人、特に同病患者
とは受け入れがたいと思っているものの、子ども
の親友が存在する。子どもが亡くなったという事
と家族の前向きなありようとの相互作用によって
実を、他の入院患者は告げられなくても察してい
子どもと家族の気持ちに寄り添い、看護師として
る。長期生存者を対象とした調査においても、死
支えてゆこうという態度を形成していることが示
を意識し、自分も死ぬのではという恐怖を感じた
唆されている。
きっかけは、同病患者が亡くなった時であったと
もの死後のカンファレンスの内容の質的分析
看護の基礎教育において、小児の死やターミナ
報告されている。一方で子どもは自らの死の恐怖
ルケアについて教育を実施している機関は
を感じつつも、親しい友人の死に際して最後のお
84.6%(n=130)であるものの、その内容は講
別れをしたいというニーズが生じていることもあ
義中心であり、その講義時間数も平均1.26 コマ
る。
(1コマ90分)である
37)
先に述べた教育との連携に関する調査 38)では、
。小児がんに携わる
看護師はターミナルケアにおけるコミュニケーシ
子どもが亡くなったときに、教師の一方的な考え
ョンなどについて具体的な教育の機会がないまま
で他の子どもへそれを告げたことがあった、と述
に臨床でケアにあたっている可能性もある。
べられている。その一方、遺族・家族を含めた様々
な人の要望や意見をふまえ、院内学級の教師から
Ⅳ.
教育との連携に関する要因
子どもたちへ話してもらった、と看護師がその役
割を評価している報告 39)もあり、いずれも看護
病院内でのターミナル期に関する事例研究でも、
教員との関わりや院内学級への参加はターミナル
師と教員との連携なくしては故人の友人であった
期における小児がんの子どもの生きる希望であり、
患者への適切な対応なされないといえる。
喜びであったと評価されている
13)
。看護師と院
小児がんの子どもが亡くなった後に、残された
内学級の教師との連携に焦点をあて、現状と課題
同病患者に対しては事実を話す・話さないという
について述べる。
二極の問題としてではなく、個々の子どものニー
ズに合わせて何をどのように話すかを決定しなく
1.
院内学級教師との関係
てはならない。これらは事例による違いが大きい
教員との連携に関する看護師の認識を調査した
研究
38)
ものの、今後小児がんに携わる看護師が教育職と
では、看護師と教員は、お互いが顔を合
の連携を図りながら取り組むべき課題といえる。
わせて情報交換を行う機会を定期的に持っており、
教員と看護師の日々のインフォーマルな情報交換
Ⅴ.
は良く行われていると報告している。看護師は教
まとめ
小児がんに携わる看護師が感じる困難について、
員の子どもたちへの関わりや、教員からの情報を
社会、医療、看護、教育との連携の 4 要因に分け
重要であると認識していたものの、教員は看護師
て私見を述べた。死にゆく子どもの看護には家族
からの情報を教育に生かしている、教員は病気の
だけではなく、子ども本人の意思や気持ちを尊重
知識やケアの情報を集めるようにしている、とい
する事が求められている。また病との闘いの場と
う質問項目についてはいずれも肯定的な回答は少
時間を共有した親友にも、かれらのニーズにそっ
なかった。教員のプライバシーへの配慮に関して、
たケアが提供されるべきである。これらの看護を
子どもの情報で守秘義務を守ってほしい内容が漏
充実させるには、教育の場においてその子本来の
46
姿を知っている院内学級や学校教師との連携が重
生(長野県看護大学
教授)を中心として行った
要である。
研究データ、および役員会にて配布された様々な
研究資料を使用させていただいた。日本小児がん
謝辞
本稿は平成 19 年 8 月 26 日に開催された小
看護学会
梶山祥子先生、内田雅代先生をはじめ
児がん等のターミナル期における教育・看護・医
とした役員の先生方と国際フォーラムにて発表の
療に関する国際フォーラムの発表原稿に、加筆修
機会を与えていただいた武田鉄郎先生に深く感謝
正を加えたものである。本稿をまとめるにあたり、
申し上げます。
日本小児がん看護学会と研究委員会の内田雅代先
47
4.小児がんの子どものトータルケアと教育
篁
倫子
(お茶の水女子大学大学院)
1)トータルケア
支援のあり方として、チームアプローチを前提
医療の進歩により多くの命が救われるように
とした福祉、教育、保育、栄養、法律などの医
なったと同時に、疾病や障害を抱えながら生活
療以外の各方面からの多面的・包括的支援を目
していく人々が増えている。その中では医療は
指すトータルケアが求められている。
目指すところは治療中心から生活支援へ、
“ care”
から “cure”へと、移行している。
一方、子どもの医療では「急性期にあっても
慢性期にあっても、子どもは将来、疾病を克服
トータルケアという用語は、現在では医療以
あるいはコントロールして社会生活に復帰し、
外の場においても使われることがあるが、1960
できる限り健常な状況で成長・発達・成熟を遂
年代後半に米国のボストン小児病院で小児がん
げる」という長期目標を前提としていなければ
の子どもの治療や家族支援において、医師や看
ならない(松浦、2004)。すなわち、今もこれ
護師だけでなく心理、教育、保育、栄養など多
からも成長・発達を遂げていく子どもにとって
職種の専門家によるチーム医療の必要性が説か
は、横断的な連携による援助のみではなく、時
れたことに始まる。
間軸に沿った縦断的な視点でのトータルケアが
かつてチーム医療とは、患者に対する医療従
不可欠となるだろう。そして、大人のトータル
事者の横断的連携を意味する医療体制を指すも
ケアとの差異は子どものトータルケアにおける
のであったが、現在では、患者側に立った治療・
教育の占める重要性と言えるであろう。
家族
本人
看護
教育
医療
福祉
図1.トータルケアの概念図
しかし、このトータルケアはヴィジョンとし
また地域・病院開設者・病院種によって、さま
ては普及しつつあるが、その実現はわが国にお
ざまに差がみられたが、入院している児童生徒
いてはこれからと言わざるを得ない。例えば、
へ何らかの学校教育が行われているとした回答
病院における子ども支援プログラムに関する中
は 30.7%と低かった。義務教育段階の教育につ
川らは、小児科の診療科目を持つ総合病院、小
いては 71.7%が必要であると回答しているが、
児病院、大学病院を対象として全国調査を行っ
残りの 30%近くは医療の中では教育の必要性
ている(2000)。回答者の9割は医師であり、
は優先されないと考えていたことになる。また、
48
学籍移動については、入院期間にかかわらず学
大きく変わってきており、世界保健機構は 2002
籍移動をせずに教育を受けられるとよいと考え
年に「緩和ケアとは生命を脅かす疾患に伴う問
ている割合は 64%であり教育制度改革の必要
題に直面する患者と家族に対し、疼痛や身体的、
性を指摘している。
心理社会的、スピリチュアルな問題を早期から
平成 13 年度より着手されている「健やか親
正確にアセスメントし解決することにより、苦
子 21」においても院内学級の 100%設置を目標
痛の予防と軽減を図り、生活の質(QOL)を向
値としてあげているが、17 年度の中間評価では、
上させるためのアプローチである」と定義して
全国の小児総合医療施設で院内学級を有する割
いる。
合は 26.1%と低く、減少傾向にさえある。しか
そして、子どもの緩和ケアについては「身体、
し、院内学級などによる教育は病気の子どもの
精神、スピリット(霊性)への積極的かつ全人
学力や心の安定のみならず、治療や回復におい
的なケアであり、家族へのケアの提供も含まれ
ても有効な働きをするとの実践的報告は集積さ
る。それは、疾患が診断されたときに始まり、
れている。
根治的な治療の有無に関わらず、継続的に提供
子どもは入院生活が始まったその時から病気
される。医療従事者は子どもの身体的、心理的、
が治ってからのこと、普通の生活として学校へ
社会的な苦痛を適切に評価し、緩和しなければ
戻った時のことを心配している。子どもは、普
ならない。効果的な緩和ケアとは、家族も含め
通の生活、日常の生活から学校を切り放しては
た幅広い多職種的な対応と地域における社会資
考えない。小中学校の院内学級担当教員を対象
源の有効な活用を必要とする。必ずしも人材や
とした調査の一つは(尾川、2005)、教師の観
社会資源が十分でなくても満足のいく緩和ケア
察から、入院中の子どもの 85%が病気・治療に
を実践することは不可能なことではない。緩和
ついて不安を感じており、次いで 77%が学習の
ケアは、三次医療機関でも、地域の診療所でも、
遅れについての不安を抱えていることを報告し
そして子どもの自宅でも提供しうるものであ
ている。
る。」と説明している。
入院中の子どもの QOL を支える心理社会的
この定義を構成している主たる概念は文中下
な支援はもちろん教育指導だけではない。病棟
線とした①患者とその家族を対象に、②診断が
保育は幼児期の子どもにとって大切であり、病
ついた時点から、③疾患そのものだけでなく、
棟保育士の配置は先の「健やか親子 21(21 世
生活する患者の全人格的な面における、④苦痛
紀初頭における母子保健の国民運動計画)」にお
の予防と軽減を図り、⑤生活の質(QOL)を
いても奨励されている。海外では、小児病棟の
向上させるという点となる。
治療的アプローチの専門職として、アメリカや
緩和ケアの発祥の地である英国に本部を置く
カナダの Child Life Specialist (CLS)、イギリ
国際小児緩和ケアネットワーク(ICPCN)は子
スの Play Specialist、およびスウェーデンの
どもの権利条約を基に、医療を受ける子どもの
Play Therapist が活動している。
すべてが持つものとして「医療を必要とする子
どもに保障されるべき主な権利」を公布してい
る。多田羅(2009)が整理した 7 点のうち、
「子
2)緩和ケアと教育
緩和ケアが治癒不能な状態の患者および家族
どもらしい普通の生活」を可能な限り保障し、
に対して行われる医療・終末期医療と定義され
「自分の意見を表明する権利」
「知る権利」を行
ていたのはそう昔のことではなく、現在でも日
使できる力を下支えする役割を担うのが「教育」
本ではこのような理解が定着していると想像で
であると考えられないだろうか。
きる。しかし、概念としては 10 年余りの間に
49
表1「医療を必要とする子どもに保障されるべき主な権利」(http://www.icpcn.org.uk/より多田羅の抜粋、2009)
○家族と共に暮らす権利
○子どもらしい普通の生活を営める権利(遊びと学びを通じた発達を保障する)
○質の高いケアを受ける権利(小児を専門とするスタッフにアクセスできる)
○自分の意見を表明する権利(治療方針決定への参加を促進する)
○知る権利(知りたい範囲の情報を発達段階にあった表現方法で偽りなく伝える)
○家族の負担を社会が共有する義務(レスパイトケアなどの家族への援助)
○苦痛からの開放(適切な緩和ケアを提供)
3)小児がんの子どもと教育
る病弱教育の役割、担当教員に期待される役割
トータルケアは医療の開始から実行されるべ
や専門性を検討した(篁ら、2006)。院内学級
きであるが、特にターミナル期においてはトー
担当教員を対象にした調査研究およい事例研究
タルケアの視点は不可欠である。筆者らは小児
から浮き彫りにされた院内学級と担当教員の役
がんの子どもへの教育・心理的対応について、
割と課題のうち、特にトータルケア、緩和ケア
院内学級とその担当教員が果たしている役割と
の視点に関わる内容事項を表2にまとめた。
直面している課題の把握とトータルケアにおけ
表2
○
院内学級・担当教員の役割と課題
院内学級は子どもにとって学ぶこと、喜びを感じること、楽しむこと、人と関わ
ること、日常とつながることを可能にする。
○
院内で実現できる学級経営・学習環境整備を行う。
○
子どもの状態にあわせ、柔軟性と応用力のある授業を作る。
○
子どもの心身の苦痛と揺れに付き合う。
○
病気を理解するために必要な知識・医療情報を得る。
○
保護者との協同関係を築く。
○
医療との連携を積極的に図る。
○
前籍校との連携作り、復帰の準備を行う。
○
校内の理解啓発と連携は図る。
○
教師自身のメンタル・フィジカルヘルスを維持する。
事例研究から浮き彫りにされたことは、心身の
であったと報告している。
不調にあっても子どもは「できる喜びを生きる力
次に、教師が保護者とのコミュニケーションを
に」
(吉井、2006)、あたかも学ぶことを生きる力
促進することは重要であることは言うまでもない
にしていることであった。その過程で当然ながら
が、非日常的な入院生活において、教師は日常の
教師の存在と関わりは大きく、授業と日々の関わ
大人として、保護者の相談相手となり得る。教育
りを通して、共に在ることを伝え、子どもが学ぶ
関係者に期待されるこの役割は大きいといえる。
ことをいつでも支え続けていた。これこそが教師
病気の子どもへの心理教育的支援で実証的研究を
の果たすべき役割と考えられた。前田ら(2004)の
積み重ねてきた谷川(2004)は病気の子どもと家族
小児血液疾患の子どもを対象とした調査は、院内
の心理社会的支援は、保護者と教師とのコミュニ
学級で一番楽しかったことの一つに教師との会話
ケーションの形成と維持が出発点となると述べて
50
いる。
もと向かって関わることができる態度、横軸と縦
また、院内教育において医療との連携は必須で
軸の教育をコーディネートするスキルなど、数あ
ある。医療者と教師の情報の共有は「伝え、伝え
げられる。しかし、小畑(2009)は医療の流れと
られることが子どもにとって益になる」ことを双
は別に動ける人材として教師や保育士の存在を大
方が実感しなくては進まない。カンファレンスな
事であるし、その上で高度に専門化された医療の
どへの参加は情報交換の基本的な機会として欠か
中では曖昧な専門性とみられるだろう教育や保育
せないが、同時に、院内学級の教育や子どもの学
が、あえて医療と同じ次元で「専門性」を求める
びの様子を医療関係者に知らせていく情報発信も
ことの危険性を指摘している。確かに、非日常の
必要である。
中に日常を取り込む教育を支える教師は、医療と
前籍校からの子どもへの関わりは入院の長期化
は異なるところに価値を見出し、医療の流れとは
と共に希薄になりがちである。院内学級担当教員
別に存在し続けることに意味がある。トートータ
は、子どもや保護者の意向を確認した上で、積極
ルケアにおける教育の使命とも言えるだろう。
的かつ継続的に前籍校へ伝達・働きかけを進めて
<文献>
いかなければならない。谷川(2004)は、ターミナ
前田貴彦、杉本陽子、宮崎たつ子他(2004):長
ル期の子どもを学校へ再登校することを奨励する
期入院を必要とする血液腫瘍疾患児にとっての
のは原則であるとし、病院関係者は学校復帰のた
院内学級の意義-院内学級に在籍した患児・保
めの調整役を担わなければならないと述べてい
護 者 の 調 査 か ら - 、 小 児 保 健 研 究 、 63(3) :
る。多くの子どもにとってはいつになっても地域
302-310
(前籍)の学校こそ「自分の学校」である。
松浦和代(2004):病気の子どもの心理社会的支
このように、院内学級担当教員は学習指導はも
援入門
pp.78-79
ナカニシヤ出版
とより、子どもの病状の変化、身体的苦痛、生命
中川薫(2000)病院における子ども支援プログラ
の危機的状態、心理的葛藤・不安など実に様々な
ムに関する研究、厚生科学研究補助金子ども家
面を配慮した教育実践を求められている。そのた
庭総合研究事業(研究代表者山城雄一郎)平成
め、多くの担当教員は強い心理的ストレスや苦悩
11 年度報告書:1-21
を体験している(篁ら、2006)。それは小児がん
小畑文也(2009):緩和ケアの隙間-教育・保育
やターミナル期の子どもの教師として、人として、
ができることとその必要性、育療 42:10-13 尾
どのように関わればよいか、何をなせばよいかと
川瑞季、郷間英世、川崎友絵(2005):入院児
いう悩みであり、子どもへの死にまつわる悲しさ
のストレスと院内学級における心理的サポート
と無念さ、教師としての無力感からくるストレス
-兵庫県の院内学級教員に対する調査-、小児
でもあると理解された。
保健研究
64(1):89-93 谷川弘治(2004)病気
緩和ケアでは援助者のメンタルヘルスに必要性
の子どもの心理社会的支援入門、149‐157、)
がよく指摘されるが、病棟保育士、医療社会福祉
篁倫子、武田鉄郎、西牧謙吾他(2006):ターミ
士(MSW)や心理職などの他の援助専門職がい
ナル期における教育・心理的対応に関する研究
ない病棟では、教師にかかる負担の大きさは計り
-子どもと共にある教育を目指して-、平成 14
知れない。やはり、様々な職種の専門家が参加し、
年度~平成 17 年度、国立特別教育研究所課題
それぞれの専門性を尊重しながら協働することな
別研究
多田羅竜平(2009)
:小児緩和ケア総論、育療 42:
くして、緩和ケア・トータルケアを実践すること
3-9
は難しい。
最後に、トータルケアにおける教師の専門性は
吉井眞喜子(2006):ターミナル期における教育・
何かと尋ねられれば、病気についての知識と、子
心理的対応に関する研究-子どもと共にある教
どもの心身の状態にあった指導を柔軟に実施でき
育を目指して-、平成 14 年度~平成 17 年度、
るスキル、心身の苦痛や死への不安を抱える子ど
国立特別教育研究所課題別研究
51
pp.54-62
5.ターミナル期における小児がん患者家族の支援
池田文子
(流通経済大学社会学部非常勤講師)
小児がんの治療成績は過去 30 年間に飛躍的に
(2008)は、このとき「もっとも重要なのは、こ
進歩し、小児がん患者のおおよそ 70%が長期生存
の状況で患者家族を見放してしまうことでは絶対
し、治癒が望めるようになっている。それに伴い、
ないことをわかってもらうことだ」と述べている。
小児がん患者とその家族に対するケアのあり方も、
ターミナルの宣告は親にとって受け入れがたい現
より包括的できめ細かなものが求められている。
実であるだけに、医療者に「見放された」と感じ
小児がんのトータル・ケアについては、診断から
てしまうことがある。どのような状況であれ、親
病気そのものの治療、加えて心理的、社会的、経
はわが子に奇跡が起こることを信じ続ける(池田、
済的なサポート、長期フォローアップまで求めら
2006)。実際に、著者もソーシャルワーカーとし
れるようになってきている。
て勤務していた小児がんの親の会で、多くの親か
谷川(2006)は、ターミナルケアも治癒を目指
ら子どもの死後、
「 最期の瞬間までわが子の奇跡を
したトータル・ケアの延長線上に成り立つもので
信じていた」という言葉を聴かされた。病状が悪
あるとし、ターミナル期における学校教育の役割
化するにしたがい、奇跡を信じる親たちは、藁を
は、子どもと家族の QOL(クオリティ・オブ・ラ
もつかむ思いで、
「 他施設に行けば助かるのでは」、
イフ)の維持、向上に寄与するのみならず、患児亡
「海外に行けば助かる方法があるのでは」、「民間
き後の喪失家族の支えにもなると述べている。
療法で治った人がいるか」など、必死で病気に関
ターミナル期における小児がん患児家族の状況
する情報を探しまわる。人の弱みに付け込む悪徳
はどのようなものか。その際に必要な支援は何か。
商法の罠にはまってしまい、全財産をつぎ込んで
患児本人にとって学校教育とはどのような意味を
しまう親さえいる。このように家族は、悲嘆、否
もつのか。よりよいターミナルケアを行うために
定、混乱、希望、覚悟という気持ちの揺れの中で
必須のチーム医療とは何か。また、患児亡き後の
ターミナル期を過ごす(田村、2006)。
家族のケアと医療従事者のグリーフワークについ
だからこそ細谷(2002)は、「理想的な小児の
て、財団法人がんの子供を守る会(注)のソーシ
緩和ケアのギアはオートマティック車のように、
ャルワーカーとして 10 数年勤務した経験を振り
ごく自然になめらかに、徐々にチェンジされるべ
返りながら考察してみたい。
きなのである」と述べている。石本(2002)は、
「終末期が迫って治療法がなくなった時、それで
1. ターミナル期における患者家族をめぐる状況
も親は何か方法はないかと聞いてくる。その話を
医学の進歩と共に、現在では 10 人中 7 人の子
ひたすら聴く、相手の立場を想像し、同情して共
どもの命が助かるようにはなったとはいえ、いま
感するが、こちらには具体的には何もしてあげる
だに 3 人の命が奪われている。治癒の見込みがな
ことができない。しかし、そのやり取りのなかで、
くなり、そう遠くない将来に患児の死が避けられ
親も徐々に受容が可能となってくるように思う」
ないと専門医が判断したら、医療者は子どもの家
と自らの経験を振り返り、医療者のコミュニケー
族にそのことを伝えることになるが、細谷ら
ション・スキルの学習の必要性を提言している。
52
よりよいターミナルが過ごせるようにするため
状の中、ソーシャルワーカー自身が小児がんの患
にも、医療者と家族がゆっくりと時間をかけ、残
者家族の支援全般に関わりたいと望んでいても病
された時間をどう過ごすか話し合うことが重要で
院全体の業務をこなすのが精一杯で思うように関
ある。話し合いを進めながらターミナルケアに関
われないジレンマを抱えているとし、
「 将来は小児
する家族の考えを一致させていくことが重要なの
病棟に専属のソーシャルワーカーが配置されるこ
だが、必ずしも家族の意見が一致するわけでもな
とが切に望まれる」とのべている。今後、ソーシ
い。常に患児のそばでずっと経過を見守ってきた
ャルワーカーや心理士などの職種をいかに病院で
母親と、仕事があるため週末しか子どものそばに
配置していくかが、日本の医療の大きな課題であ
いることが出来ない父親との間には、時に病識の
ろう。
ずれが生じることがある。そのことがターミナル
2.大人と子どもの目線の違い
の方針を決めるときに障害になるケースも少なく
治療の進歩と共に小児がんが治癒可能な疾患に
ない。また、きょうだいに、どのように病気の子
なった結果、1990 年代には、がんを経験した子ど
どもの厳しい状況を伝えるかも大きな問題となる。
も達自身が、自分たちの会を立ち上げる時代へと
小澤ら(2002)は、「私たち大人は、子どもたち
大きな変貌を遂げた。がんの子供を守る会は、も
を守ることの意味を取り違えないように気をつけ
ともと小児がんで子どもを亡くした親たちが
なければならない」と、緩和医療に切り替える早
1968 年に設立した日本でもっとも歴史が長い親
期から、患児の様態を伝えたうえで、きょうだい
の会の一つである。小児がんと診断されたとして
の話を聴き、患児を含めた家族が一緒に過ごす時
もわが子を救えなかった親たちが「世の中の多く
間をできるだけ確保することが必要と述べている。
の子どもや親たちのために、一日も早くこの不幸
きょうだいの年齢にもよるが、可能な限り真実を
が絶滅せることを願って」とスタートした会に、
告げ、きょうだいの意見も尊重しながら、残され
小児がんを経験した本人達の会が設立されたのは
た時間の過ごし方を考えることが大切である。
1993 年のことである。この会は、「仲間と共に明
このような家族間の調整なども医療者の重要な
日を」という意味をこめて、Fellow tomorrow(以
役割のひとつであるが、そのためにも医療チーム
下FTに略)と命名された。当初は東京で 10 名
を充実させる必要がある。細谷ら(2008)は、チ
足らずで始まった会も、現在では東京だけでなく
ームのメンバーを痛いことをする職種(医師や看
新潟、名古屋、関西、香川などの地域にも支部と
護師)の突撃隊と、痛いことをしない職種(ケー
いう形で活動を展開させている。その他、国立が
スワーカー、病棟保育士、チェイルドライフスペ
んセンターや久留米大学、静岡県立こども病院な
シャリスト、小児心理士、院内学級の教師、栄養
どでも病院独自の小児がん経験者の会が立ち上が
士、薬剤師など)の支援隊の二つに例え、互いの
っている(池田、2004)。
立場をよく理解した上で、その職種を尊重しなが
著者は、FT の会が立ち上げられた際に、会の
らチームワークよく働いて、はじめてトータル・
創設に奔走した親の一人が、元気な小児がん経験
ケアの望ましい姿が追求できるとしている。しか
者の姿をみて涙し、
「よかった、よかった」と感激
しながら、実際には医師と看護師以外にソーシャ
の面持ちでつぶやいた場面に立ちあったことがあ
ルワーカーや心理士のような人材を確保している
る。小児がんの治療の進歩は、もちろん医学の力
病院はわが国ではまだ少ないのが現状である。石
によるものであるが、その陰で多くの患者家族や
本ら(2002)は、1998 年から成人した小児がん
関係者の地道な功績があったことを忘れてはなら
患者の長期フォローアップ外来を立ち上げ、その
ない。
際に必ずソーシャルワーカーに同席してもらい、
そのような背景から 1990 年代半ばから、しだ
心理社会的問題が生じた場合には別室で面接する
いに小児がん経験者達が、医療者や教育関係者や
システムを構築した。だが、1000 小規模の大学病
社会に対し、直接自分たちの言葉で要望などを伝
院であってもソーシャルワーカーは 3 人という現
えられるようになってきた。教育に対しても、こ
53
れまであくまでも親の立場から見た子どもの気持
専門職の方々に一読を薦める。病名告知や学校生
ちを、子ども自身の声で語れるようになった意義
活、また親も含めた大人と子どもの病気の受け止
は大きい。
め方の違いなどについて、本人たちの本音が語ら
実際に、告知ひとつ取りあげても、親と子ども
れており、大変参考になる本である。きょうだい
の目線は随分違うものである。
「 告知をしたらショ
に関しても、富士山登山などイベントが開催され
ックでおかしくなるのでは」と危惧する親と、
「病
たり、きょうだいの気持ちを綴ったビデオや本な
名よりもいつ学校へ戻れるのかが不安で仕方なか
ども出始めている。がんの子供を守る会所蔵の教
った」という子どもとの間には、大きな視点の違
育ビデオ「富士山きょうだい登山
いがある。同様に、親からみた教育の問題と、子
児・家族のきもち」は、会が主催しているきょう
ども自身が経験した教育の問題なども、耳を傾け
だいのためキャンプに参加した姉妹の貴重なドキ
てみると随分目線が違うことがわかってきた。闘
ュメントである。また、
「おにいちゃんが病気にな
病中の親にとって、病気の子どもと教育の問題で
ったその日から」
(佐川奈津子著、2001、小学館)
常に心配でばらない点はやはり患児の健康である。
や「ぼくたちきょうだい児」(NPO 法人キッズエ
「身体の負担になると困るからとにかく無理をさ
ナジー編、2003、キッズエナジー)などの本も、
せたくない」のが親の本音である。教育者に対し
きょうだいの気持ちを理解し、実際にきょうだい
てもまずその点の配慮を求めるものだ。極端な例
たちの支援でも活用できる本である。
小児がん、患
ではあるが、子どもの病気を心配するがあまりに、
感染への不安やストレスへの危惧から学校へ行け
3.小児がん経験者の教育に関する調査報告
るようになっても通学させることを躊躇する親も
前述の FT の会が中心となって作成した「病気
いる。だが、子ども達はまったく違う。どの子ど
の子どもを気持ち」という冊子がある。この冊子
もにとっても、教員や友達が待っている学校へ行
は、アンケートの趣旨に賛同した 37 名のメンバ
くことが大きな心の支えとなっているのである。
ーが、自分たちの闘病の本音をまとめた自由記述
理由なく、学校へ戻ることを嫌がる子どもなど存
形式アンケート結果の集約である。アンケート設
在しない。
問項目は、病気中の気持ち、病気を知ったときの
こうした視点の違いはあって当然のことで、親
こと、死について、現在も残っている問題、病気
が悪いわけでもない。ただわが子が命にかかわる
を周りに知らせること、病気のために困ったこと
病気にかかった親たちはその子を守ることに精一
など、どの項目にも必ず学校に関する記述がある
杯なのである。また、患児にきょうだいがいる場
ことがひとつの特徴としてあげられる。これは、
合、そのきょうだいの気持ちを察したり、細やか
子どもにとって教育は、切り離すことの出来ない
な配慮ができるかといえば、患児のことで頭がい
主要な問題であることを示している。
っぱいで、とてもきょうだいのことまで目が行き
この本を中心になってまとめた小俣(2005)は、
届かないのが現実である。だからこそ、第 3 者的
知り合った小児がん経験者の多くが、自分も含め
な立場の関係者が親や患児やきょうだいの気持ち
て治癒後に医療関係など人に関わる職業について
を学ぶことは重要なことだと考えている。それぞ
いることをあげ、これは「病気というマイナスの
れの置かれた立場や心理状態などを正しく理解す
経験をプラスに変えた結果だ」と述べている。注
ることで、そのような患者家族に接するときに、
目すべきは、
「 このマイナスからプラスへと変化し
適切な対応が可能になってくる。
ていく過程に、学校の存在は欠かせない。なぜな
FT が編集した「仲間と
がんと向き合う子ど
ら病気を抱えながら行く学校においての周囲のか
もたち」
( がんの子供を守る会フェロートゥモロー
かわりは、健康な子よりもより深く強く記憶にイ
編、2004、岩崎書店)などの本は、メンバーたち
ンプットされるからである。そしてその時の体験
の体験談のほかに、座談会などのもようも含まれ
は、その子のその後の人生に大きな影響を及ぼす」
た内容になっており、小児がん患者家族と関わる
と述べている点である。以下、教育の関する回答
54
部分の一部を抜粋する。
4.ターミナルにおける子どもの教育
たとえ復学が困難な状況にあっても、子どもか
<嬉しかったこと>
ら学ぶ機会を奪ってはならない。子どもの権利条
学校へ行けたこと、友達に会えたこと、周囲の励
約においても、児童憲章においても、子どもに病
ましと理解、みんなと同じことがふつうに出来た
気や障害があったとしても、その子どもの成長や
こと、運動会で最後まで走れたこと等
発達に応じた教育を受ける権利があることが謳わ
<悲しかったこと>
れている。子どもにとって学ぶことは、生きるこ
運動ができない、勉強の遅れ、友達と遊べない、
とそのものなのである。武田(2006)は、病気を
先生にひいきされているといじめられたこと、繰
抱える子どもが学校教育とつながりを持ち続ける
り返しの入院で親友と呼べる人が出来なかったこ
ことは、単に学力を補うばかりでなく、心理的な
と、学校で伝染するとうわさがたったこと、いや
安定や社会性を養い育てることにつながるなど心
がらせを受けたが誰にもいえなかったこと
理的・社会的発達に極めて重要な意義をもち、さ
等
<いやだったこと>
らには自らの病気を管理しようとする力を養い、
治療の影響で脱毛するためかつらや帽子で通学す
入院中の生活の質(QOL)を向上させることにも
ること、身体が弱くて学校を休みがちだったこと、
なるとしている。
学校の先生の無理解
等
田村(2006)は、ターミナル期における家族の
<こうしてほしかったこと>
ニーズの一つとして、
「 子どもの希望がかなえられ
学校の先生に病気を理解してほしかった、腫れ物
る時間と場所」を求めて、家族は「その子らしく
に触るように接して欲しくなかった、無理に学校
過ごせる時間」の提供を望んでいるとし、院内学
へ生かせないでほしかった
級を受けることや、友達やきょうだいと遊ぶとい
等
う「普段の生活」を望んでいると述べている。
以上のように、アンケートの結果を見る限りに
医療関係者は、学校教育法に基づいて院内教育
おいては、嬉しかったことももちろんあるのだが、
機関において働く教員も、チーム医療の一員であ
傷ついたことなどの声も多いことがわかる。実際
ることを忘れてはならない。だが、実際には、子
にどうであったのか事実関係は定かではない。そ
どもの病気に関して院内学級の教員が有する情報
ういう意味で、このアンケート調査の信憑性を問
が十分でないことが伺われる調査結果(植木田ほ
う声もあるかもしれない。だが重要なのは、教育
か、2007)もあり、医療者と教員がカンファレン
に対し、忘れられない苦い思いを抱えている当事
スに同席しても、チームメンバーとして対等な立
者が存在するという事実を認めることではないだ
場でディスカッションをするには至っていないと
ろうか。
いう報告もある(松島、2007)。
子どもにとって学校という場は、単なる勉強を
細谷ら(2008)は、医療チームがあればトータ
するための場でも通過点ではなく、先述の小俣の
ル・ケアができるわけではなく、チームのメンバ
言葉の通り、その後の人生を大きく左右するほど
ーがお互いの立場をよく理解したうえで、その職
重要な場なのである。長期欠席による学習の遅れ
種を尊重しながらチームワークよく働くことで可
や治療の副作用による容姿の変貌などに起因する
能になると述べている。また西田(2004)は、
「チ
いじめ、教員の理解の乏しさ等が原因で復学後に
ームがよく機能しているといえるのは、チームを
学校になじめず、そのつまずきが大きなトラウマ
構成している人たちがお互いに自由に堂々と自分
となり、自立できる年齢に達しても自身がもてず、
の意見を主張できているときである」と指摘して
社会へ出ることの出来ない小児がん経験者が少な
いる。
からずいることも否めない事実となっている(池
谷川ら(2004)は、教員も受身の姿勢ではなく、
田、2004 )。
チーム内の自らの位置と役割を明確にし、チーム
内の信頼関係を形成することの大切さをと説いて
55
いる。その上で、小児がんの子どもの教育支援の
「去年の今頃は…」と振り返りの毎日であり、親
実践原則として、①歩み寄りの原則、②協働の原
の精神状態は非常に不安定な状態にある。眠れな
則、③主体性尊重の原則、④連続性確保の原則、
い、食べられないといった心身症的症状を示す親
⑤家族中心の原則、⑥プライバシー尊重の原則を
たちも少なくなく、心療内科や精神科の支援を一
押さえておくことが必要としている。
時的に必要とするケースも存在する(池田、2002)。
患者家族と教育関係者がそのような信頼関係を
だが医療者にも患児死亡後の家族の生活はなかな
築くためには、どのようなことが必要なのか。タ
か見えないだけに、ケアしたくとも難しいのが現
ーミナル期になって突然そのような関係を育むに
実である。
はもちろん限界があり、日頃からのコミュニケー
患児死亡後の家族がたどる過程については、
「あ
ションの積み重ねの結果培うものである。
なたの知らない「家族」
患者家族、医療関係者、教育関係者のネットワ
遺された者の口からこ
ぼれ落ちる13の物語」(柳原清子、2001、医学
ーク形成とよりよいコミュニケーションのために、
書院)や、
「闘いの軌跡
がんの子供を守る会が発行している「教育支援の
失と母親の成長」
(才木クレイグヒル滋子、1999、
ガイドライン」や谷川らが発行している「小児が
川島書店)などの本は、看護の研究者の立場から
んの子供の学校生活を支えるために」などの冊子
書かれた本だが参考になる。
を活用するのも一案である。
小児がんによる子供の喪
がんの子供を守る会に寄せられる相談のうち、
最後に、よく教育関係者から、
「ターミナル期の
約三分の一が患児死亡後の家族からの相談である。
子どもと関わると、どうしても何かしてあげたい
相談内容としては、
「生きる気力がわかない」、
「夫
という使命に駆られてしまう」という声を聴くこ
と離婚したい」、「残された子どもとうまくいかな
とがある。それはある意味、人間として自然な感
い」、「医療者の対応が許せない」、「周囲の人の無
情であろう。ただ忘れてならないのは、ターミナ
理解な言葉に傷つく」など、家庭不和や孤立感、
ル期にある患者家族の心は非常に微妙なものであ
寂寥感、医療者への不振、周囲との関係不調など
るという事実である。そのときの体調や気分ひと
を訴える内容が多い(池田、2006)。特に家庭不
つによって患者家族の思いも変わるものだという
和の問題は深刻である。小児がんは闘病期間が長
ことを、関係者は常に意識しておく必要がある。
く、患児と母親はほとんどの時間を共に病院で過
時には、ただ黙って温かく見守ることが、患者家
ごし密な関係になる一方、家に残されたきょうだ
族にとって最大の支援になりうることもあるとい
いや父親との関係は希薄になる部分も生じてくる。
うことも忘れてはならない。だからこそ、院内学
母親は、子どもの仕事、明日からの自分の生き方
級や訪問学級の教員も含めた医療関係者がチーム
を見失い途方に暮れる。亡くなった子どもへの愛
で関わることが重要である。担当者が一人で抱え
しさだけが募り、その子のことを思うこと以外は
込むような体制ではなく、同僚や上司と常に共有
何の関心も向かなくなる時期がある。たとえ残さ
できる部分は共有するサポート体制の充実も、よ
れたきょうだいがいたとしても、
「 今まで寂しい思
りよいターミナル期の支援には必須である。それ
いをさせてきた分もきょうだいへ」とは、すぐに
は単に、患者家族の支援のあり方の評価という意
気持ちを切り替えることができない親もいる。む
味だけでなく、多大なストレスに直面している支
しろ、遺された子どもの親としてふるまることへ
援者である医療チームのすべてのメンバーの精神
のストレスから、一時的にきょうだいを疎ましく
的なケアにもつながるのである。
思ってしまう場合もある。
きょうだいを亡くし、親子の均衡が崩れた状況
5.子どもの死亡後の家族のケア
におかれたきょうだいたちの悲嘆の過程は、親以
患児の死と共に、病院とのつながりも途切れ、
上に複雑で困難なグリーフワークが予想されると
家族にとっては最愛のわが子の喪失という新たな
いう指摘もある(2002)。小澤(2002)は、きょ
苦悩と対峙することになる。特に最初の一年は、
うだいを患児の発症当初からチームの一員として、
56
患児の病状や治療の内容、緩和医療へのギアチェ
田は、
「医療従事者には、プロとして、自分のやる
ンジがなされた際にもその情報をきょうだいと共
べきことを行う責任があるが、同時に喜怒哀楽を
有することの大切さを訴えている。
もつ人間である。ともにときを過ごした子どもの
夫婦関係の不和の多くは、父親と母親の悲嘆過
死に大きく落胆することは自然なことである」と
程の相違が原因である(池田、2006)。患児死亡
し、大切なのはそれをお互いにサポートし合う医
後は、ほとんど引きこもりの状態で社会とのつな
療従事者間のコミュニケーションであると述べて
がりを一時的に断ってしまう母親と、悲しみを共
いる。同時に、医療従事者自身も死生観をもつこ
有したくとも職場にもどり普段通りの生活をせざ
との大切さを指摘している。
るを得ない父親との間に、距離ができる。さらに
教育の分野においても、命の大切さを子どもに
悲しみを分かち合いたい母親と、悲しみに蓋をす
教えることが教育の重要な命題となっている。篁
る父親との間に、感情のずれが生じだすことが夫
は、
「 教育に関わる者は生と死について真正面から
婦関係の不和に拍車をかける。父親の気持ちにつ
考えることが必要である」とし、death education
いて父親自身が書いた著書は少ないが、がんの子
を含めた教育が大学の教員養成課程や現職教育研
供を守る会発行の機関紙「のぞみ第 120 号」には
修 に 盛 り込 ま れる こ とが 望 ま しい と 述べ て いる
子どもを亡くした父親たちの座談会のもようが掲
(2006)。
載されている。発症からターミナル、そして患児
教員に限らず子どもと関わる職業についている
死亡後の父親の気持ちが語られており、母親との
者は、自らも「いのち」の尊さについて日頃から
立場の違いなどを伺い知るのに参考になる。
思いをめぐらせることが大切であろう。
この時期の支援としては、親たちの抱える怒り
や悲しみといったさまざまな感情を十分に吐露さ
(注)財団法人がんの子供を守る会
せ、繰り返し振り返る機会を与えることである。
1968 年に設立した小児がんの患児家族の支援
時間の経過とともに、その親なりの意味づけが出
団体。治療研究助成事業、相談事業、療養援助事
来たとき、親たちは再び新たな人生を歩み始める
業、広報活動、支部活動などを行っている。
ことができるのである。この時期に同じ経験をし
〒 111-0053
たもの同士の分かち合いの場に参加することも大
℡
東 京 都 台 東 区 浅 草 橋 1 - 3 - 12
03-5825-6311
きな力になりうる。子どもを亡くした親にとって、
同じ運命を背負った仲間の存在は、何よりもの生
<引用・参考文献>
きる励みと支えとなる。がんの子供を守る会の子
谷 川 弘 治 ( 2006 ) 教 育 の 取 り 組 み 、 小 児 看 護
どもを亡くした親の会や、短期集中型サポートグ
Vol.19No.12,1626-1632
細谷亮太・真鍋淳(2008)
ループのほかにも、愛児・子喪失家族連絡会(め
んどりの集い)や木葉会などいくつかの親の会が
小児がん
チーム医
療とトータル・ケア、中公新書、東京
存在する。また病院独自で行う子ども亡くした親
池田文子(2006) ターミナル期における小児が
の交流会も増えつつある。もし悲嘆に暮れる親を
ん患者家族をめぐる問題、家族ケア
見守る立場にたった際には、このような交流会や
Vol.04 No.04、10-13
親の会などを社会資源の一つとして、さりげなく
池田文子(2006) 患児死亡後の家族の抱える問
情報提供するのも当事者にとって有益な支援の一
題、家族ケア
つである。
Vol.04 No.06、8-11
田村恵美(2006)
終末期にある子ども・家族の
ニーズと看護、小児看護
Vol.29No.12、
1642-1646
最後に、医療関係者にとっても、子どもの死は
辛く悲しい出来事である。植木田らの調査から、
細谷亮太(2002)
小児の緩和ケアの開始(いわ
院内学級の教員たちも強い心理的ストレスを経験
ゆ る ギ ア チ ェ ン ジ )、 タ ー ミ ナ ル ケ ア
していることが明らかにされている(2008)。稲
Vol.12No.2
57
85-87
石本浩市・吉田雅子(2002)
ーオーバー、小児看護
小児がんのキャリ
法人国立特殊教育研究所、93-95
Vol.5No.12、1619-1622
谷川弘治・駒松仁子・松浦和代・夏路瑞穂編(2004)
石本浩市(2002) 緩和医療をはじめるポイント、
緩和医療学
病 気 の 子 ど も の 心 理 社会 的 支 援 入 門
Vol.4No.3、195-199
池田文子、近江惠子(2004)
育・病弱教育・医療ソーシャルワーク・心理臨
成人に達した小児
床を学ぶ人に、ナカニシヤ出版、京都
がん経験者の活動について、小児外科
がんの子供を守る会編(2004)
Vol.36No.1、139-142
店、東京
がんの子供を守る会 Fellow Tomorrow 編(2001)
池田文子(2002)
仲間と。岩崎書
子どもが病気になったとき
病気の子どもの気持ち~小児がん経験者のアン
家族が抱く 50 の不安、春秋社、東京
ケートから~
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小俣智子(2006) 小児がんの子どもの医療と教
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植木田潤、篁倫子、武田鉄郎、西牧謙吾(2006)
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の教育的課題に関する調査―担当教員からみた
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解の基礎知識と技術、病気の子どもの心理社会
的支援入門
医療保育・病弱教育・医療ソーシ
ャルワーク・心理臨床を学ぶ人に、ナカニシヤ
出版、211-216
小澤美和・細谷亮太
末期患児とともにその同胞
を支える、ターミナルケア
Vol.12NO.12 、
115-117
稲田浩子
ス
病気の子どもの心理社会的支援サービ
ターミナル期を支える、病気の子どもの心
理社会的支援入門
医療保
医療保育・病弱教育・医療
ソーシャルワーク・心理臨床を学ぶ人に、ナカ
ニシヤ出版、157-174
篁倫子(2006)まとめと提言、ターミナル期にお
ける教育・心理的対応に関する研究、独立行政
58
日本放
6.筋ジ ストロフィ ーの子どものトータルケアと 教育
西牧
謙吾
(国立 特 別支援教育総合研究 所 )
1)はじめに
ようになったのは昭和 35 年(1960 年)であった。そ
筋ジストロフィー(以下筋ジスと略す)は、医療技
れまでは、治療法がない病気は入院治療が建前の病院
術の進歩と先行した福祉対策により、寿命の延長とい
には入院できず(医療の基本的考え方)
、病気が進行し
う恩恵を受けているとはいえ、決して筋萎縮性側索硬
歩けなくなると学校にも入れてもらえなかった。
化症をはじめとする成人期発症の神経筋疾患とは、同
病弱養護学校が初めて法律上に位置づけられたの
列には議論し得ない問題を抱えている。それは、小児
は、昭和 36 年であり、厚生省は「進行性筋萎縮症対策
期に発症し、成長発達を含めて考えなければならない
要綱」を発表し、厚生省は筋ジス専門の病院として、
疾患であり、教育の意義の評価を避けては通れない疾
全国の国立療養所を指定して、
昭和 39 年に現在の筋ジ
患だからである。
ス政策医療が完成した。併せて同年、厚生省は文部省
この疾患は、以前は 20 歳までしか生きられないと
に対して国立療養所における進行性筋萎縮症患者の教
いわれていたが、
現在では平均寿命が 30 歳を超えよう
育実施を依頼し、それを受けて文部省から各都道府県
としている。
また、
筋ジスのある子どもの教育の場は、
教育委員会に筋ジス教育について教育実施の通知を出
特別支援学校から、通常の学校に移りつつあるが、通
すことになった。
常の教育では、発達障害への対応は少しずつ進んでき
すでにそれまで筋ジス医療機関内にできていた特
たが、筋ジスのように特定の疾患に対する教育的経験
殊学級は、病弱養護学校に格上げされていった。昭和
の蓄積がない。
44 年、文部省は厚生省に対し、全国の国立療養所の結
筋ジスは、児童福祉の中で、一番古くから医療助成
核病棟に筋ジス患者を受けいれるよう依頼した。結核
制度が確立し、それを支える医療・福祉・教育の連携
病棟は国立療養所にあったため、筋ジスは病弱教育に
システムモデルが確立しているのだが、新たな状況下
位置づけられることになった。当時の病弱養護学校へ
で、
その制度が十分機能していないという指摘もあり、
の就学者は大半が歩行可能だったようだが、その後車
従来の筋ジス教育にはなかったトータルケアの視点が
いす生活から床上生活へ移行していく中で、これらの
ますます必要となる。ここでは、筋ジスにおけるリハ
こども達も受け入れていった。しかし、すべての都道
ビリテーションと療育・就労を見すえた病気に対する
府県に一つずつ筋ジス医療機関が指定されたわけでは
特別支援教育のあり方について考察する。
なく、一部の筋ジス児童生徒は生まれ育った都道府県
本稿では、筋ジスとは、断らない限り小児期発症の
を越えて入所しなければならなかったのである。
多くを占めるデュシェンヌ型を中心に考えることとす
昭和 39 年当時、従来の教育措置基準では、自力歩
る。
行できない者は就学猶予または免除であった。肢体不
自由養護学校でも、歩行可能なポリオが主で、脳性麻
2)筋ジス教育の歴史的経緯
痺は歩行可能で知的障害がない者に限られていた。そ
筋ジスは、日本の病弱教育の成立期において、結核
こで、これ以降、病弱養護学校のない地域では、肢体
と並んで病弱教育の重要な対象疾患であり、その病弱
不自由養護学校の就学基準を準用し、筋ジス児童生徒
養護学校成立史上、特異な位置を占める。従って、そ
を受け入れた。当時の養護学校では、肢体不自由の方
の歴史的経緯を明らかにすることは、現在の筋ジス教
が教員定数や経費上で有利であった。現在でも、病弱
育と医療、福祉との連携の課題を浮き彫りにするため
特別支援学校に在籍する筋ジスのある子どもの約2倍
にも重要な作業である。そこで、その歴史的経緯をま
の人数が肢体不自由特別支援学校に通学している原因
とめるところからはじめてみたい。
はここにあると考えられる(肢体不自由養護学校在籍
筋ジスのある子どもが、教育を受けることが出来る
者全体に占める割合は低い)
。
59
その一方で、病弱児の措置に関しては、教育措置権
東海・北陸62人、中国・四国35人、九州52人であった。
者である教育委員会はあまり関与せず、医療機関又は
平成17年度肢体不自由養護学校病因別調査では、全
保護者の意思により決められていた。
現在においても、
国の肢体不自由養護学校には、筋ジスは417名(肢体不
教育委員会内に病弱教育の専門家が少ない状況を引き
自由養護学校に在籍する児童生徒の2.44%)
が在籍し、
起こした一因と考えられる。
小学部112人、中学部144人、高等部161人であった。地
昭和 40~50 年代は、病弱養護学校に、多くの筋ジ
域別には、北海道・東北45人、関東・甲越153人、中部
ス児童生徒が在籍した。病弱養護学校は、その起源が
103人、近畿50人、中国・四国31人、九州35人であった。
病棟における訪問教育や小中学校の特殊学級であるこ
従って、平成17年度に養護学校に在籍した筋ジス児童
とが多く、授業時間数や教員数にも制約があり、また
生徒数は、651人ということになる(知的養護学校にも
教育課程編成も試行錯誤の連続であった。
昭和 46 年度
在籍している可能性があるので、もう少し多くなるは
から学習指導要領に養護・訓練の領域が取り入れられ
ず)。
たのを契機に教育内容や指導法がさらに充実し、学校
この数字の妥当性を検証するために、北海道におけ
施設や情報機器の整備が進んだ。また、筋ジス専門病
る疫学調査(平成12年)におけるデュシェンヌ型筋ジ
院に併設されている病弱養護学校を中心に、筋ジス教
ス10~14歳の5歳階級別有病率をこの疾患の発症率と
育研究組織が創設され、筋ジス児の療養や教育のあり
仮定すれば、19.64人(人口10万対)という結果であっ
方の研究が開始された。これが、現在の全国病弱・身
た。出生数を、都道府県人口の1%と仮定すると人口
体虚弱教育研究連盟(以下全病連と略す)の筋ジス教
100万人の県で、年間出生数10,000人で、その半分が
育研究委員会である。この組織は、肢体不自由特別支
男子として、19.64×5000/100000=0.98人、小中高等
援学校との研究交流が少なく、現在に至ったおり、筋
学校では、0.98×12学年=12人の筋ジス児童生徒がい
ジス教育の充実発展に課題を残す遠因になった。当時
る計算になる。
日本全体
(人口を1億2千万人とする)
の筋ジス児の寿命は 20 歳といわれ、
その指導内容は卒
では、高等部までの推定患者数12×120=1440人で、こ
後筋ジス病棟で楽しく生きていくためのスポーツや余
の差1440-651=789人が、通常の学級や特別支援学級に
暇活動が主流であった。多くの養護学校に高等部の設
在籍する筋ジス児童生徒数と考えられる。つまり、特
置が進んだが、現在でも他障害と比べればその設置率
別支援学校に在籍する筋ジスのある子どもは、全体の
は低いのが現状である。
半分以下と予想される。
厚生労働省身体障害児・者実態調査の平成8年、13
3)
日本 における学齢期の筋ジスのある児童生徒の実
年、18 年の身体障害児数比較では、18 歳以下の進行性
態
筋萎縮性疾患(筋ジスはここに入る)は、2,000 人、
日本における学齢期の筋ジスのある児童生徒への
1,000 人、1,500 人であった。数値の変動が大きすぎる
教育的支援の方策を考える上で、その実態の把握は不
が、
推定される数値のオーダーが千人単位であること、
可欠である。現在利用できる特別支援教育に関する統
2000 人以下であることは北海道の有病率、教育の統計
計は、二つある。病弱教育では、全病連が2年毎に行
と矛盾はない。数値変動の要因として、筋ジスは、歩
う病類調査であり、肢体不自由教育として、全国肢体
行できる間は、児童福祉法の申請をしていない可能性
不自由養護学校校長会が毎年行う児童生徒病因別調査
があることや全国で進んでいる小児医療公費負担の影
である。いずれも、学部別、地位別、学校別の統計が
響が考えられる。
記載されている。
現在ある特別支援教育の統計では、通常学級、特殊
平成17年度の両者の統計を具体的に示すと、以下の
学級にも多くの筋ジス児が在籍しているにもかかわら
通りである。
ず、その実体を十分捉えておらず、学齢期の筋ジスを
全国の病弱養護学校には、小学部で39人、中学部で
包括的に捉える統計は存在しないといえる。筋ジスに
70人、高等部で125人(合計234人)の筋ジス児童生徒
関しては、通常の学校に在籍する筋ジスのある子ども
が在籍していた(平成17年5月1日当時)。地域別に
への、特別支援学校からのセンター的機能をどのよう
は、北海道23人、東北27人、関東・甲信越48人、近畿・
に発揮するかは、喫緊の課題である。
60
喪失体験の連続である。日本筋ジス協会作成の「挑戦
4)これからの筋ジス教育の進め方 -障害のある子
しよう!スポーツに」の中でも紹介されているハロウ
どもの生涯にわたって支援-
ィック水泳法を病弱養護学校として初めて導入したの
筋ジス教育が、始まって約 50 年になろうとしてい
が、北海道八雲養護学校である。
る。筋ジス医療の進歩から、デュシェンヌ型筋ジスの
この水泳法は、英国のハロウィックスクールという
生命予後が最近大きく改善し、以前のような寿命が 20
養護学校で開発され、
世界的にも拡がっているもので、
歳という人生設計ではよりよい生き方が難しくなって
日本 Halliwick 水泳法協会が京都市にある(京都市の
きた。
肢体不自由養護学校では、以前より実践がある6))
。浮
筋ジスは、昭和 30 年代に医療や福祉制度を作り上
き輪を使わず、泳者自身が自然なバランスを見つけて
げる時には、当事者の団体や医療関係者の運動が有効
コントロールする方法を水中で学び、介助者は泳者に
に機能した疾患であったが、障害者自立支援法のよう
必要最低限の補助を行うだけである。
に、障害全体の有り様を見据えた総合的な対策に移行
筋ジス児は、水中で自分の体を自由にコントロール
していく現在、疾患特有の課題に個別に対応していこ
出来た体験により、失われていく喪失感をブレイクス
うとすれば、新たな課題に対し、既存の利用可能な制
ルーし、自尊感情を育むきっかけをつかんだ。
度をフルに活用し、より総合的な連携による方策を取
②電動車いすホッケー
らざるを得ないと考える。
車いすホッケーは、電動車いすサッカーとは違い、
疾患としてデュシェンヌ型筋ジスを考えれば、現代
大きく上肢を使い、体を動かすことで呼吸リハの効果
的な意味でも障害児教育として総合的に対応すべき教
がより期待されるスポーツである。筋ジス児が学ぶい
育モデルとなりうる疾患であることを指摘したい。そ
くつかの特別支援学校
(病弱)
でも導入されているが、
の理由は、まず進行性の病気であり、肢体不自由的な
八雲養護学校の特徴は、スティック部を創設し、筋ジ
障害と一部には知的障害も合併するという意味で、障
ス病棟に入所している患者まで仲間を拡げる活動を行
害児教育が今まで培ってきたすべてのノウハウを活か
っていること、呼吸リハの意味を理解して活動を続け
すことが出来る疾患なのである。
ている点である。NPPV の導入により、電動車いす上
次に、治療上の進歩により、外から見える四肢・体
..
幹の筋肉のリハビリというよりは、心肺機能のリハビ
での人工呼吸器の装着が可能になり、24 時間 365 日リ
リが必要であることが見えてきた。そこで、心肺が活
①、②は、いずれも国立病院機構八雲病院の医療技
動している 24 時間 365 日、
日常生活の中でいかにリハ
術と特別支援学校(病弱)の連携から生まれたもので
ビリ的意義のある動作や遊びを見いだすこと重要とな
ある。
る。そこで、学校にいる間も、自立活動の時間だけで
③北海道留寿都高等学校との交流 ~地域に特別支援
はなく、課外活動でも、医療と教育が連携して治療計
学校がある意味~
ハビリが出来るようになった。
画を立てるに相応しい疾患なのである。
北海道留寿都高等学校は、
農業福祉科をもつ高校で、
八雲養護学校との交流を通じて、自ら農業福祉で何を
5)北海道八雲養護学校の実践紹介
すべきかを学んだ。彼らは、筋ジスの生徒でも使用で
これからの筋ジス教育の方向性に沿った特別支援学
きる移動花壇を考案し、製品化まで行った。筋ジスの
校(病弱)の活動を紹介する。決して、特別な学校で
生徒は、障害があっても人の役に立つ喜びを感じ、留
はない。元々、筋ジス教育には実績がある養護学校で
寿都高校の生徒は、
交流を通じて職業意識が芽生えた。
あったが、筆者が関わり始めたころ(平成 16 年)は、
④コレクトスペースSUNSUNと卒後の学習支援5)
まだ下記の実践の跡形もなかった。教育と医療が連携
八雲養護学校の卒業生は、ほとんどが八雲病院に継
して、卒後までつなぐトータルケアの実践と考えられ
続入院となり、卒業後の活動を具体的に意識出来る就
る。
労体験学習が出来ていなかった。
平成 18 年度より病院
3)
①ハロウィック水泳法の導入
内で高等部の進路担当教諭と八雲病院の作業療法士の
筋ジス児は、進行性の病気ゆえに、日々運動能力の
協働で、
「コレクトスペースSUNSUN」を立ち上げ
61
た。
「コレクトスペースSUNSUN」は、アートを通
ンター的機能を支援するための支援冊子を作成した7)。
じて支援機器による情報発信を行う場所として八雲養
また、全国の筋ジスのある子どもがいる特別支援学校
護学校HP上に作成された情報発信ステーションであ
で、同じカリキュラムで教育が行えるように、ICT
る。好きなことから始め、その活動を通して個々の実
を活用した授業配信実証実験を進めている(平成21年
態にあった方法で支援技術の助けを借りて、ワークシ
2月25日に八雲養護学校から全国数カ所の学校に向け
ェアリングを行うものである。平成 19 年度からは、学
て5時間配信を行った)。次の段階として、筋ジス児
校開放の一環として卒業生が自由に学べる学習室を設
がいる病弱・肢体不自由養護学校ネットワーク
(教育)
置し、卒業生が放送大学や各種資格受験のための学習
の構築を目指している。これら試みの方法論は、他の
に利用している。学習の準備などを支援する教員が一
病気の子どもの支援にも役立つと考えている。
名ついて、卒業生の学習に協力している。
筋ジスの子どものトータルケアは、地域では医療と
高等部在学中から、ここで就労体験学習を行い、卒
福祉の底支えによる質の高い教育を提供し、それぞれ
業後の活動が形となって目に見えることは、在校生と
の地域での良い実践を、ICTを活用して全国規模で
卒業生を結ぶ役割を果たし、筋ジス病棟における就労
相互利用する段階に来ている。
支援の一形態として機能している。
文献
6)おわりに
1)筋ジストロフィー教育のあゆみ
日本筋ジス協会作成ビデオに、「ぼくの青空」があ
社団法人日本
筋ジストロフィー協会
る(平成9年製作)。ここに描かれている筋ジスのあ
2)筋ジストロフィーの療養と自立支援のシステム
る子どもは、長期人口呼吸器装着が行われる前の姿で
構築に関する研究
(平成 17~19 年度総括報告書)
、
ある。「あしたを信じて」(平成17年製作)になると、
厚生労働省精神・神経疾患研究委託費、平成 20
在宅就労も視野に入れたビデオに変わっている。
年3月.
医療技術の進歩はめざましく、それに教育や福祉が
3)http://www.yakumoyougo.hokkaido-c.ed.jp/jis
追いついていない状況が生まれている。特別支援教育
sen/swim_jissen.html
への改革が、すべての障害のある子どもを対象とする
4)石川悠加編;NPPVのすべて、医学書院、2008.
ならば、目の前にいる筋ジスのある子どもの特別支援
5)http://koresupe33.dtdns.net/museum/
教育は、彼らが在籍する学校から、ボトムアップで広
6)西牧私信:京都市桃陽総合支援学 尾崎校長より
がらなければならないはずである。
聞き取り
国立特別支援教育総合研究所では、全国特別支援学
7)http://www.nise.go.jp/portal/elearn/shiryou
校病弱校長会と共同して、特別支援学校(病弱)のセ
/byoujyaku/supportbooklet.html
62
7.死と生涯発達心理学
近藤(有田)恵(京都大学こころの未来研究センター)
1984/1993)は、生涯発達心理学を受胎から死に
1.はじめに
人が生まれて死に逝くまでの人の一生に生涯発
至るライフコース i(固体としての発達)を通じて
達心理学が光を当てようとして久しい。しかしな
の行動の恒常性と変化を研究する」学問であると
がら、人の一生を取り上げる生涯発達心理学は、
定義し、理論的観点として次の 5 つを挙げている。
平均的な人の一生に着目してきたために、死の問
①発達的変化が多方向性をもつことを認識するこ
題は中年期以降の問題としてのみ取り上げられて
と。②年齢に結びついた発達的要因と結びついて
おり、死の問題に関しての議論はまだ十分なもの
いない要因とをともに考慮すること。③成長(獲
とはいえない。
得)と衰退(喪失)との間のダイナミックで持続
こうした生涯発達心理学の視点は、終末期医療
的な相互作用に注目すること。④個人の生涯が歴
を含めた臨床現場が捉える人の一生とはかけ離れ
史に埋め込まれていることを考慮すること。⑤発
たものになりつつある。例えば、ターミナル期に
達における可塑性の範囲を研究すること。まとめ
ある子どもやその家族のトータルケアの必要性
ると Baltes の定義する生涯発達心理学とは、生涯
(田村, 2006)や、小児がんの在宅ターミナルケ
発達の一般的原理についての研究、発達における
アの多様性(押川, 2006)など、子どもの死の問
個人間の差異および類似性についての研究、そし
題は、乳幼児期から老年期といった一定の時間を
て発達の可塑性の程度及び条件についての研究で
人が生きることを想定した生涯発達心理学の理論
あるといえる。
では十分に捉えることができない。
生物学的観点に依拠してきた既存の発達心理学
生涯発達心理学は単に平均的な一生の道筋を指
は、人のその一生を段階に分け文化や社会との繋
し示すだけではなく、個々の人生において役立つ
がりの中で論じた Erikson(1959/1973)のライ
視点としての生涯発達心理学として、もう一度そ
フサイクル論 ii、Baltes らの生涯発達論を用いて、
の視点を再考する必要があるといえる。
個人内の変化と安定性・連続性の存在、そこにい
そこで、本稿では従来の生涯発達心理学を概観
かなる個人間の異質性と類同性があるのかへと眼
した上で、個々の死の問題に対応してきた死の臨
をむけるようになった(遠藤, 2005)。生涯発達心
床研究を再考し、死を捉える上での生涯発達心理
理学とは、生物学的な人間の身体の時間的流れを
学の視点を提案することを目的とする。
その根底に持ち、あくまでも個人にその主眼を置
きながら、個人と文化、社会のつながりの中で人
1.死を扱う学問としての生涯発達心理学
の一生を捉えようとする学問だということができ
生涯発達心理学は、胎児・乳幼児から児童を中
る。こういった生涯発達心理学が問うものは、社
心とする発達心理学と、青年や成人の心理学、さ
会や文化との関係を加味しながらも一貫して個人
らには老年学を統合するだけでなく、それらをひ
の生である。
とつの流れとして一貫した展望のなかで見ようと
人のその一生の流れを包含するこのような視点
するものである(無藤, 1995)。Baltes( 1978, 1980,
から死はどのような意味を持つものとして語られ
63
てきたのだろうか。発達心理学あるいは生涯発達
学童期の認知理解の一貫として語られてきた死
心理学という文脈において死の問題を取り上げよ
の問題は、中年期後期からは克服すべき課題にそ
うとすると、これまで全くといっていいほど光が
の形をかえ取り上げられる。Erikson(1959/1973)
当てられてこなかったことに気がつく。例えば人
のライフサイクル論でも死の問題は人生最後の課
の生きる過程を従来の年齢段階という軸に沿って
題として語らえる。Erikson に依拠し、人生のそ
描いて見せた『生涯発達心理学』(小嶋・やまだ,
れぞれの時期の発達課題を示した Havighurst iii
2002)では、「死の問題は老いることの意味」と
(1953, 1972, 1973)は成人期後期の発達課題の
いう中年期以降の項になってようやくその姿を見
1 つとして、
「配偶者の死に適応すること」と二人
せる。この文脈において、人は自分の死を自覚す
称の死を取り上げている。さらに Peck(1956)
ることによって喪失感や焦りを感じ、その一方で
も老年期の危機の 1 つとして配偶者の死と自分自
死を自覚するからこそ、残された生への思いが強
身の死を取り上げている。Butler(1964)は、身
くなるという生への渇望として死の意味が説かれ
体の老化と共に迫りくる死を実感する老年期にお
る(やまだ, 2002)。つまり死は生きることの意味、
いて、回想や追憶が死への準備と結びつくとして
人生の目標の達成といった生を際立たせるものと
いる。
して語られるのである。
また上田(2005)も、人々が死について考える
成長を量的な変化、発達を質的な変化であると
のは、その生活の中で直接的あるいは間接的に死
論じる上田(2005)は、人の一生を胎児期から成
に直面することが多くなる中年期以降だとする。
人期までの人のいくつかの段階に分けて論じるの
成人期後期になり、他者の死を見送る者として経
とは別に「死と死の受容」について記している。
験することで、自身も死ぬ存在であることを認識
そこでは、死の問題は老年期に限らず生涯のどの
し、死の問題が身体機能の低下と相まって老年期
時点においても起こる可能性があるとされ、それ
の 課 題 と な る の で あ る 。 Jankélévitch
ぞれの発達段階と死の理解について論じられてい
(1964/1978)によれば、人は親の死を体験する
る。Brunner & Suddarth(1982/1994)は、看護
ことによって死を「真に受け取る」こととなる。
の実践に即して加齢に伴う死の理解を次のように
「両親の死のほうは、第三人称態としての死と自
報告している。①3歳から学齢までの子どもは死
分自身の死との間に介在する最後の仲介者を消失
の普遍性や非可逆性を理解することができない。
せしめる。我々自身の死と死の概念とを分け離し
また、死と睡眠が区別できないことがある。②5,
ていた最後の斜面が落ちたのだ。種の生物学的関
6~9歳頃までで、死は生の中止であることを学
心は決定的に我々を去り、虚無から我々を庇護し
ぶが、死がまだ避けられるものであるとも考える。
ていた気遣いは位置を変えて、我々は死と差し向
③9,10 歳以上では、死は普遍的で非可逆的なもの
かいの状態で残される。今度は私の番だ」
であることを理解する。また、Anthony(1972)
(Jankélévitch1964/1978)。
は、学童期中期には、死についてかなり現実的な
生涯発達心理学においても、人は自分の両親の
認識を持つことができるようになるが、死を自分
死あるいは同年輩の仲間の死に直面することで、
や周囲の人と関連づけて捉えることができないと
死 を 受 け 入 れ 理 解 し よ う と す る ( Newman &
論じる。このように老年期以外における死の問題
Newman, 1978/1980)と見送る者としての死の体
は、認知理解の一貫として語られるに過ぎず、体
験が死について考える契機になるとする。一般的
験としての意味を持つものではない。それに対し
に親あるいは同輩の死を経験するのは中年期以降
て、Bluebond-Langer(1977/1992)は、白血病
であることから、生涯発達心理学において死は、
を患った子どもの研究から個人的経験と死の理解
加 齢 と 共 に 克 服 す べ き 対 象 と し て ( McCrae,
が深く結びつくことを記している。
Bartone & Costa, 1976)、あくまでも平均的な生
64
物学的流れの中で捉えられてきた。
みつめる視点を欠いている。そして、互いの生の
このように、個人のライフコースを中心におい
中に死があるという関係を考えれば、生命の停止、
た生涯発達心理学の中では、死の問題は老いと共
あるいは生の終焉としての死という考えだけでは
にしか語られてこなかった。さらにそれは、問題
死がそれぞれの人生にもたらす意味など到底考え
となる死が二人称における死や自身の死だとして
られないことは明らかである。
も、まだ先の事として死をみつめ準備をするとい
う意味においてでしかない。
Ⅳ.死を考える視点としての<生涯発達心理学>
平均的な時間の流れの中で死を捉えるという抽
再考
象的な形式では、死の「固有性」は表れず、自身
人の死生を捉える視点としての生涯発達心理学
の死あるいは他者の死が持つ意味について深く論
を考え直す時、発達という言葉が含む意味をもう
じることはできない。死の「固有性」とは、例え
一度捉え直す必要がある。西平(1993)は、Erikson
ば、死を体験する者がどこの誰で、年齢や性別、
の発達論を発達心理学のいう発達と区別し、<人
生育歴、死因などを説明する具体性=固有名詞が
間形成論>と称して次のように説明する。
「 人間形
あるという意味に留まるものではない。「固有性」
成論は、同じく人間という特殊な存在者の存在様
とは、
「それ自体においてかけがえのないもの」で
式の解明に努めながらも、その視点は、固定的・
あると共に、その死が「私とあなたにとってかけ
制止的・構造的であるよりは、むしろ、発生的・
がえのないもの」という関係の中において意味を
発達的・変様的であろうとし、人間という存在者
持つものであることを指す。この意味では、具体
を「永遠の相のもとに」普遍的存在様式の次元に
性は「固有性」に包含される。
「固有性」の欠如し
おいて解明するのではなく、「変様の相のもとに」
た死は、必ずしも筆者の体験とは整合しない。あ
プロセスとして、絶えず移り変わる相において説
る人に訪れる死というものは、死に逝くその人の
明しようとする。―中略― 人間存在論にとっては、
内のみ起こるのではなく、なにものにも代えがた
子どもである・青年である・老人であるといった
いかけがえのない「その人」と「私」という関係
区別が重要な意味を持つことなく、より基礎的な
の歴史性の上に起こるものである。
「人間」の存在様式こそが問われるべき事柄なの
先の Jankélévitch(1964/1978)が主張するよ
である」。そして西平は発達論を、人生全体をいく
うに、親の死が死を「真に受け入れること」につ
つかのステージをもって展開する発達の相におい
ながるのは、自分がこの世に生まれて以降、常に
て描きだす理論とする。そうした理論の上にたっ
自分の姿を映し出し自分の住処を持つことを絶え
て、従来の発達心理学において捉えることのでき
ず許してくれていた「他」が消滅することで、
「他
なかった、筋ジストロフィーによって若くして死
の内なる自」が消滅することにあるのではないだ
に逝く子どものその生の輝きも発達と捉えること
ろうか。それ自体においてかけがえのない人と私
できる(西平, 同上)。
にとってかけがえのない人の間に起こる死は、平
本田(2006)は、発達が老いと死を包含する時、
均的に語りえる死ではなく、
「固有性」を持った死
「発達という語と概念は、
「生の動態」のすべてを
なのである。
解明するためのキーコンセプトへと変容する」と
死を生の終わりとしてどう理解し受容するのか
言う。さらに「人が生きること」にかかわるあら
という視点からしか捉えることをしない従来の生
ゆる事実と密着し、その細部にわたる要請を捨象
涯発達心理学の考えは、自分が死ぬ存在であるこ
することなく、見つめ直し取り上げ直しつつ進め
とをその内に抱えながら生きることや、死を見送
られるべき」だという。換言すると、「発達」は、
る者の生と逝く者の生が重なりながら並走し、互
一定の停止した時間の内ではなく、絶えず変動し
いの生の中に死という出来事があるということを
てゆく中で人のその一生に迫る視点だといえる。
65
このように、
「発達」という言葉の意味を拡張し
合いながらそれぞれの生涯発達過程を同時進行さ
概念を変革しても、
「発達」の最小単位として考え
せる中で、人の生あるいは死の問題はたち表れて
られているのは依然として個人である。そこに鯨
くる。この「子どもから大人へ」から「<育てら
岡の「関係発達論」を併せ持つことによって、
「固
れる者>から<育てる者>へ、そして<看取る者
有性」を持つ人と人の間にあるものとしての死の
>から<看取られる者>へ」という従来の生涯発
意味を問うことができるといえる。人は自分の死
達心理学へのパラダイム変換の提案は、死の問題
を体験し語りえない。他者の死を見送る者として
について考える上で有用であると考えられる。
あった者がいつかは(多くの場合は加齢と結びつ
自らの死を意識した時、人は何気ない生活の中に
いているが、死はいつ誰にでも訪れるものであり、 自分の断片を確認していたことに気づくのである。
かつその時期は老年期とは限らない)、見送られる
だとするならば、「人間の死生の真実」に迫るとい
者となるのである。しかし、死の問題は、誰にと
うことは、家族をはじめとする他者との関係性の中
っても自分のこととしては一回限りのことであり、 で、もう少し拡げて考えると社会、文化に絡め取ら
なおかつその時期を選ばない(必ずしも年齢に沿
れる中で 生きる 人の そ のあり様 に迫る こと だ とい
っていない)ことから、暦年齢と共に語られてき
える。そういった人のあり様に迫る中から見えてく
た生涯発達心理学ではまだ捉えきれないところが
る「生」の姿あるいは死の姿、そしてそれと共にあ
ある。人のその一生を個人が歩む時間的展望にお
る人に光を当てることによって、「人間の死生の真
いて段階的に見る生涯発達心理学に対して、鯨岡
実」のあらたな一側面に触れることができるのでは
(1999a, b)は人の一生の発達を「基本的に、種
ないだろうか。
の世代間リサイクルおよび文化の世代間リサイク
人が死を自らのものとしてどのように受け止め、
ルの間に挟まれた「子ども-養育者」間の行動的、
それぞれの生の中に受け入れ、向き合ってきたの
心的関係の変容に他ならない」として「関係発達
かということをまずは、当事者の声、当事者の生
論」を提唱する。1人の人間の生涯過程は「<育
きる世界を共に生きることで浮き上がってくるこ
てられる者>から<育てる者>へ、そして<看取
とから考えようとするところに、新たな死への視
る者>から<看取られる者>へ」という基本構造
点の第一歩が切り開かれるのである。
をもち、しかもそれが世代間で循環していくとい
今後は、平均的な人の一生の流れを明らかにし
う素朴な事実に着目し、これを従来の「子どもか
てきた従来の生涯発達心理学の理論と、一人の人
ら大人へ」の能力発達モデルに代わる発達理論の
間の生涯過程を重要な他者との関係性の上に成り
骨組みとみなす(鯨岡, 2002)とする。
立つものとして見る「関係発達論」の理論をあわ
生涯発達心理学は、その射程を人の誕生から死
せ持つことによって開かれる<生涯発達心理学>
に至るまでに拡げ、文化や社会との相互作用をも
の視点を布石として「ライフサイクルの中におけ
視野に入れるようになった。しかし、生涯発達心
る死の意味」を考えていきたい。
理学があくまでも個体をその最小単位とし個体の
生物的能力の発展に主眼をおくことに、鯨岡は乳
幼児と養育者の関係に基づいてアンチテーゼを唱
える。鯨岡(同上)が指摘するように、親子の二
世代あるいは三世代の世代が相互に影響を及ぼし
i
いる上で、この論文の中で次のように注をつけ
ている。
「この論文では、”life span(訳文では「生涯」)”
という語と”life course”」訳文では「ライフコ
Baltes(1993)は、”life course”という言葉を用
66
ii
iii
ース」」という語とを、相互に交換可能なものと
して用いる。西ヴァージニア会議シリーズ
(Goulet & Baltes,1970)が刊行されて以来、
心理学者は”life span”を好んで用いる傾向があ
るのに対して、社会学者は”life course”(ただ
し Bühler,1933 参照)を用いる傾向にある(東
洋・柏木惠子・高橋惠子編集・監訳 『生涯発
達の心理学』第 1 巻,175 頁)。
Erikson(1959/1973)は、精神分析に立脚しな
がらも、発達は個人の生物学的な能力の時間的
展開と共に、社会的環境の影響を大きく受ける
というライフサイクル論を提唱した。人間を精
神・身体的、対人関係的、社会文化的、歴史的
という多次元的存在として捉え、自我をその統
合の主体として心理社会的発達論を展開した。
それぞれの発達段階)固体発達分化)には特有
の課題があり、個人はそれをうまく解決して次
の段階へと進むという段階における「危機」と
いう考えを用いる。
人の一生を段階に切り分けて論じる生涯発達
に課題という概念を取り入れたのは
Havighurst である。生涯の発達課題は、社会
的存在としての面(文化や価値観)と結び付き、
教育、社会的水準で論じられている。
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68
8.子どもの死と死生学
近藤(有田)恵
(京都大学こころの未来研究センター)
小児がんや進行性筋ジストロフィー等
死は複雑かつ捉えがたく、その全貌を
のターミナル期にある子どもの心理・教
捉えようとすることは極めて困難である。
育的対応と子どもの教育カリキュラムに
死とは一体何なのか。古来より問われて
ついて考える時、死を巡って重ねられて
きたこの問いに納得できる答えはない。
きた議論や学問的知識は大きな役割を果
死は既に私たちの人生の中にある。それ
たす。ターミナル期にある子どもと同様、
にも関わらず、私たちはそれが何なのか、
我々自身でさえ死については何も知らな
まだ知りえないのである。この問いと学
いといえるだろう。そうした中で、心身
問の立場から長い間格闘してきたのが
共に成長を続ける子どもにとって、死が
Thanatology である。
どのような意味を持つのか、あるいは一
Thanatology と は 、 ギ リ シ ャ 語 の
般的な意味において死が我々の生の中で
Thanatos(タナトス:死)から造られた
どう語られてきたのかを学問の視点で整
言葉で、死に関する学際的な視点である。
理することは、本プロジェクトにおいて
さしずめ「死学」と訳することのできる
も意義のあることである。そこで、本稿
この学問的視点から、死の問題はどのよ
では長年死を扱ってきた死生学=
うに捉えられてきたのだろうか。
Thanatology を概観し、子どもの心理・
Thanatology を『Concise Oxford 英英辞
教育的対応について重要である新たな死
典』でひくと、
「死とそれに関する科学的
を扱う視点を提示する。
な研究」とあり、
『ステッドマン医学大辞
典』には、
「死相論」死の研究に関する科
1.死を扱う学問としての Thanatology
学の一分野」」とある。このように辞書を
「人は自分の死を想像できない。自分
照らし合わせてみると、Thnatology が死
の死を想像してみようとしても必ず自分
を科学的に扱う学問であるということが
は目撃者として存在している」と Freud
わかる。このような定義から、
「死を科学
(1915/1969)がいうように、私たちが死
的に扱うとはどのようなことか」という
を考える時、死は「」つきのものとして
1 つの問い(この問いはその視点によっ
捉えられてきた。
「」つきの死とは、多く
て死にどのような意味を見出すのかとい
の場合死という現象=「生命の停止」
う問いにもつながる)が立ち上がる。
(Shneidman, 1973/1980)そのものを指
この問いを念頭に、ここでは平山i
し、それに伴う過程は一切排除されてい
(1991)の『死生学とは何か』をもとに、
る。自身の体験として死を語りえない私
死を学問がどのように扱ってきたのかを
たちは残される者として、あるいは想像
整理する。平山のまとめは、
(1)学際的
として、自分の「生命の停止」を思考す
側面、
(2)人称的側面に分けて整理する
る。
ことができる。
69
(1)Thanatology の学際的側面
ではなく、死に逝く者やその家族の心理
死という言葉が意味するものはあまり
や死に逝く者を取り囲む環境に、心理学
に多義的で捉えがたいものである。
や社会学、精神医学、看護学などの視点
Shneidman( 1973/1980)の言葉のように、
から光を当てるものである。この枠組み
まずは「死とは何か」ということを定義
において、Thanatology は死そのもので
しなければ、私たちは死について語るこ
はなく、生きてゆく過程の中に死を見る
とはできない。様々な視点から迫ること
こととなり、死だけではなくその生をも
のできる死の問題についてさしずめ3つ
包含することから「死生学」という訳が
の学問的視点を提示しよう。
当てられることになる。死に逝く過程に
その光を当てたという点においては、後
A.出来事としての死
述する Kübler-Ross(1969/1988)の研究
例えば、「人が亡くなった」という時、
は特筆すべき点がある。彼女が表した「死
私たちは何を基準にしているのだろうか。
の過程の段階説」を筆頭に、死に逝く人々
現代社会において、多くの人は死を病院
の精神面に関して多くの論文が発表され、
で迎え、医師によってその最期を告げら
臨床現場から見えてきた死の様相を
れる。肉体の終焉が何であるのか、つま
Cure/Care という実践に活かすというス
り出来事としての死とは何かを定めるの
タ ン ス を 持 っ て い る ( e.g. Benner &
が、医学・生物学的な視点である。
Wrubel, 1989/1999; Nygard & Reilly,
「死亡論」、「死学」と称されるこの視
2003; Wright and Flemons, 2002; Enck,
点は、死という現象がいかなるものであ
2003)。当初、死を死に逝く者個人の問題
るのか、また、死体解剖などによって死
とするところから始まったこの枠組みは、
因や死亡日時などを決定する。例えば不
家族をはじめとする重要な他者)死に逝
意に死を経験した時、
「 なぜ亡くなったの
く者同様ケアされる者として)、さらには
か」、「最期はどうだったのか」という問
これまでの人生、社会との関わりまで拡
いを人は持つ。そうした問いに答えてく
張した。
れる視点がこれであり、法医学や解剖学
などである。これらの視点は、死の要因
C.概念としての死を扱うもの
を具体的に扱うことによって死そのもの
そして 3 つ目は、哲学、倫理学、宗教
を定義するものである。
学、神学、文化人類学など、死を生の対
極)生を終わらせるものとしての死)と
B.時間的経過の中での死
して捉える枠組みで、死生観や人生観、
この出来事としての死をその出発点と
宗教儀礼などの研究や文化比較するもの
して、死に逝く過程を捉えるのが 2 つ目
で あ る ( e.g. ベ ッ カ ー , 2000; ベ ッ カ
の枠組みである。出来事としての死を切
ー・柏木・デーケンら, 1995; Conzelus &
り取る医学の視点は、生を完了させる死
Williamson, 2003; Durkin, 2003 )。
をも判断する役割を持つ。肉体の終焉を
Heidegger( 1977/2003)をはじめとして、
生の有り様から予測することによって、
多くの哲学者が死とは何かについて記し
生の期限=死という時間的区切りと経過
(Spinoza, Schopenhauer, Plato など ii)、
の視点をもたらした。こうした一定の期
死を生の対極として捉えることで、より
間を視野にいれた枠組みは、死そのもの
よい生をまっとうすることを論じた。こ
70
うした生と死を対極におく考えは、死生
自らの死という第一人称の場合、人は
観や人生観を構築すること(山本, 1992;
それをどのように考えるだろうか。自ら
濱田, 2004)、さらには死の準備教育(デ
の死=肉体あるいはその存在の消滅を考
ーケン, 1986, 1996, 2001; 得丸, 2006)
える時、人は少なからず恐怖を覚えるの
へとその流れを引き継いでいる。この流
ではないだろうか。他でもない自分が死
れは、前もって死について考えることに
ぬ=自らの肉体の消滅を考える時、突き
よって人が死を目の前にした時に死に対
つけられた現実をもとに見据えた現状が
する不安や恐れを払拭するという「より
大きな意味を持つ。Erikson(1968/1982)
よい死」を志向する意味において死を取
は、
「 自分が存在していない状態を想像し
り込もうとしている。
ようとすると、人間は悪寒とふるえをお
ぼえ、その試みを中止する」と自身の死
(2)人称的側面
を考えることの難しさを述べる。
以上、死を学問的に扱う視点を整理し
また、身近な他者の死を考える時、現
たが、死を扱うことの難しさの1つはそ
在だけではなく、過去や死後といった時
の死が誰に起こったものであるのかを考
間の連続性がある。さらに平山(1991)
慮しなければならないという点にある
は、二人称の死を扱う場合には、死を「汝」
(平山, 1991; 日野原・山本, 1990; 山
と「我」との関係において捉え、精神医
本, 1996)。先述した3つの学問的視点を
学、心理学、看護学などで扱う死がこれ
縦軸とすれば、
「 死が誰に起こったもので、
にあたるとする。さらに、盛永(1999)
それを誰が体験するのか」という人称を
は、終末期医療において、死は単なる「身
横軸として捉えることができる。
体的機能の停止」ではなく、
「 人格の消失」
私たちが死を経験、あるいは語る時、
であると述べ、患者-医師関係が二人称
次の 3 つに分けることができる。①一人
の関係でなければならないと言う。そし
称の死(自らの死)、②二人称の死(家族
て、三人称の死は、
「我」と「それ」との
をはじめとする近しい人の死)、
関係にあり、一人称と二人称の死とはま
③三人称の死(メディアなどを媒介とし
ったく別のものであるとしている。
て知る直接関係を持っていない人の死)
つまり、出来事としての死を扱う医
である。
学・生物学的視点や哲学や人類学が扱う
一人称と二人称の死が、誰に死が訪れ
観念としての死においては、死が「汝の
たのかという固有名詞が大きな意味を持
死」である必要はないが、心理学や看護
つのに対して、三人称の死はその「○○
学が扱う臨床現場においての死は常に、
の」という固有名詞はあまり大きな意味
「我」と「それ」ではなく、
「我」と「汝」
を持たない。
「第三人称の死は、抽象的で
という関係性において捉えられなければ
無名の死であり、関心をそそらぬ死であ
ならないのである。
る。第二人称の死は、ほとんど我々の死
一見、明確に分けることの出来るこの
と同じ様に胸を引裂くものであり、愛す
3つの死は、それぞれが相互に関係し合
る存在の喪失によって覚える哀惜と心を
い簡単に切り離すことはできない。2001
引裂くような悲しみとにおいて、我々は
年 9 月 11 日に起こったアメリカの同時多
親しいものの死を自分自身の死のごとく
発テロは、いつまでも続くように感じら
に生きる」(Jankélévitch, 1964/1978)。
れる日常がある日突然、自分の意思と関
71
係なく断ち切られてしまう現実があると
ての死が、社会学・心理学の視点からは
いうことを我々に再認識させたことは記
治療の対象(正常からの逸脱として)と
憶 に 新 し い ( Vigilant & Williamon,
しての死に逝く過程が、文化人類・宗教
2003)。
的視点からは人称を特定しない死が論じ
このように、2つの大きな視座を考え
られてきた。まとめると、死という出来
ると、さらにもう 1 つ時間的側面を加え
事を扱ってきた医学・生物学の視点や人
なくてはならないことに気づく。出来事
全般に当てはまる哲学や人類学は、
「 固有
としての死はその一瞬を扱い、観念とし
性」のない死を論じ、治療や適応という
ての死は時空を越える。しかし、臨床現
視点から死を扱ってきた社会学や臨床心
場における死とは、死に逝く過程と逝く
理学は、人称も含め死に直面している具
者と残される者の両者を含むことから、
体的な人の死を扱ってきた。
この両者の生きる時間をも考えなくては
しかし、ここに筆者は 1 つの問いを投
ならない。
げかけたい。死は人々の傍に常にあり、
こうした視点から明らかになる死とは、
人の長い一生の中に残される者そして逝
①医学・生物学が明らかにしてきたよう
く者として誰もが体験する出来事である。
に生物としての死、②生物としての死を
それは単なる生命の停止でもなく、正常
一人称、二人称において体験することに
からの逸脱でもない。ましてや「固有性」
よって人々が体験しうるであろう感情で
を持たない死ではない。だとすれば、人
ある。これまで見てきたような死は、実
の死を扱う上では、年齢や性別、個人の
際に自らの終末期を生きる人々の手記は
生育歴といった具体的なものに留まらず、
別として、私たちが死を語る時、それは
ある人の死が、その人を取り囲む人々の
どこか実体のないものとなっているので
生と共にある中にある「固有性」を持っ
ある。こうした従来の研究の中において、
た死として論じられる必要性がある。
個々の死あるいは死に逝く過程を扱って
きたのが、死の臨床研究である。しかし、
2 . Thanatology か ら Death and life
これまでみてきたように、死は死の臨床
studies へ死生学の転換
研究(精神分析・臨床心理学的視点)に
死をその正面から捉えようとするがゆ
おいて死の具体的な側面について詳細に
えに学際的な視点を持つ従来の
検討してきたものの「固有性」が持つそ
Thanatology
iii
か ら
Death
and
life
の関係性について触れられることは少な
studies
という新たな視点を島園
かった。とはいえ、死に逝く人々がその
(2003a, 2003b, 2005)は提唱している。
過程において経験するこの感情(心理状
これまで死生学が出来事としての死に着
態)に関して体験的知見から死に迫ろう
目しすぎてきたことへの反省と、生と共
という視点(死という出来事を出発点に
に死があり、互いが互いを照らし出す関
し、一、二人称の死及び時間的展望を持
係にあることから、生の側から死を考え
った死を扱う)は、筆者の問いを考える
る必要性を島園(同上)は主張する。
「死
上でも重要な示唆を与えてくれる。
について学ぶのは、そのまま死までの生
こうして考えると、これまで死を扱っ
き方を考えることだと思うので、死生学
てきた学問的視点は、医学・生物学的視
と翻訳して使っている」と、Thanatology
点からは生命(身体的機能)の停止とし
は死という出来事そのものを扱うのでは
72
なく、生そのものを扱う学問であると新
生にどのような意味を持つのかというこ
たな視点を意味づける島園(2003a)の主
とを同時に考えることに「死生の真実」
張は筆者の問いと重なる部分が多い。
があるのだ。人間の死生は、家族をはじ
しかしながら彼の主張は、人間を「死
めとして多くの他者、社会、文化の中に
に向き合う存在」として捉えなおそうと
あり、関係論から迫る必要性がある。
し、さらには「よりよく生きる」ための
このことを鑑みれば、死を捉えるには
姿勢を身につけようとする姿勢を扱うの
死そのものだけではなく、生の側からも
だが、死が重要な関心事であることに変
光を当てること、そして、人の生を個人
わりはない(島園, 同上)。
そのものではなく人・ものとの関係性か
この点において、少し筆者の研究意義、
ら光を当てることが必要となってくる。
本プロジェクトとその視点がズレるよう
心身共に成長過程にあるターミナル期
に思われる。少なくとも筆者は、
「よりよ
を生きる子どもにとって、関わりを持つ
い生」といった価値判断は保留したまま、
人、生きる環境の影響は大きい。その生
「今、ここ」で、死に逝く過程を生きる
を支える心理・教育的アプローチを考え
(不治の病という自他ともの了解事項の
るには、従来の死生学が提唱する死から
上で)当事者の意味において、死あるい
生を逆算するだけではなく、島園が述べ
は死に逝くことを考えたいのである。そ
るように生の側から死を考えること、そ
して、この視点にこそ、ターミナル期が
して、さらには、心理・教育的アプロー
生きる子どもの生を支える心理・教育的
チを試みる者たちとの関係性、固有性に
アプローチのヒントがあると考える。
も迫る新たな視点が必要である。このこ
さらに島園(同上)は「人間のライフ
とに関しては、個々の事例に関する議論
サイクル(死生の過程)に、科学の知と
を積み重ね、理論を組み立てることは今
科学技術的実践が深く入り込むことによ
後の課題としたい。
って、
「死生の真実」から人々を引き離し
i文献としては少し古いが、この後に発刊
てしまう事態が起きている」ことへの危
された日野原・山本(1989)のシリー
ズ『死生学 1,2,3』や『Handbook of
Death and Dying』(2003)において
も大きくわけて平山の分類と類似する
ことから、もっとも整理ができている
と思われる平山の本を用いることとし
た。
ii Choron,Jaques(1963)
『Death and
Western thought』New York: Collier
Books.参照。
iii 島園は、これまでの「死生学」を「死
に向き合う」姿勢を回復しようとする
ものとして位置づけ、自身の提唱する
<死生学(death and life studies)>
を次のようにまとめている。(1)広い
意味の死生学は現代の死生の現場に応
じようとする実際的な関心を持つと同
時に、そうした実践を支える幅広い基
礎的知識の拡充を目指す。(2)それは
惧から「死生の真実」を読みとこうとす
る。
人間の「死生の真実」とは一体どのよ
うなことだろうか。
「死生の真実」は、生
きているという実感、あるいは自身の存
在の確かさから始まる。
「なぜ、私は生ま
れ、生きているのだろうか」あるいは「な
ぜ、私は死ぬのだろうか」という問いは、
誰もが一度は問うたことのあるものだろ
う。これらの問いを家族をはじめとする
その関係性の中で考えながら生きる姿が
「死生の真実」であると差し当たり定義
しておきたい。つまり、自分の死が自身
にとってどのような意味をもつかという
ことに留まらず、自分の死生が他者の死
73
また、
「 死に向き合う」とともに広く「い
のちに向き合う」ことをも主題とし、
応用倫理をはじめ、現代の新たなニー
ズに応じようとする関連学問諸領域と
の接点を重んじる。(3)それは死生学
への需要が生じる背景について反省的
に考察し、自らの学問史的位置に自覚
的であろうとする。
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75
9.卒業後の筋ジストロフィーのQOLを高めるための教育内容
笠原
芳隆
(上越教育大学)
はじめに
れ,1学年から3学年まで各学年ともそれぞれの
筋ジストロフィーは,骨格筋に変性や壊死を来
群から2単位ずつ,3年間で合計6単位履修する
たし,進行性の筋力低下を特徴とする遺伝性の疾
ことができるようになっている。
患で,歩行をはじめとする日常運動の障害が徐々
(2) 選択教科Ⅰ群について
に出現する(竹田,2008)。
① 開講科目と開講のねらい
筋ジストロフィーの子どもは身体機能等の低下
Ⅰ群には,「基礎国語」,「基礎数学」,「基
に伴い,専門医療機関に入院するとともに,居住
礎英語」の3科目が開講されている。Ⅰ群開講の
地の中学校等から病院に隣接する特別支援学校中
ねらいは,基礎学力の補充と各教科の筋疾患児一
学部へ転入,あるいは高等部へ入学してくる。高
人一人の生活への関連づけにある。
等部卒業後は,居住地に戻る場合もあるが,多く
② 各科目で取り上げている学習内容
は継続して入院し,基本的には 24 時間を病棟で過
これまで在籍した生徒が実際に取り組んだ学習
ごすことになる。入院を続ける中で,また,身体
内容として,例えば「基礎英語」では,洋楽の歌
機能や呼吸・心機能の低下が見られる中で,いかに
詞の発音等について学習して英語のままで実際に
その QOL(Quality of Life 生活の質)の向上を図
歌ったり,英語で作詞をする取り組み等があげら
るかが大きな課題となる。
れる。学習内容は,個々の生徒のニーズに応える
【A県立B特別支援学校高等部の事例】
形で設定している。
A県立B特別支援学校(以下,B校)は,昭和
(3) 選択教科Ⅱ群について
40 年代半ばから筋疾患児の教育に取り組んでい
① 開講科目と開講のねらい
る歴史のある学校である。B校ではかねてから卒
Ⅱ群には,「製作技術」,「情報演習」,「手
業後の生活の質 Quality of Life の向上をめざし,
芸」の3科目が開講されている。Ⅱ群開講のねら
高等部の教育課程に「選択教科」を設定して指導
いは,職業的技術の習得にある。
を行っている。また,高等部学習指導要領に位置
② 各科目で取り上げている学習内容
づけられた「総合的な学習の時間」を有効に活用
これまで在籍した生徒が実際に取り組んだ学習
し,「社会や人の中で生きる『自分』の創造」を
内容として,例えば「製作技術」では,市販のキ
テーマとした取り組みを続けている。
ット等を活用した,プラモデルやウソ発見器等身
本稿では,選択教科と総合的な学習の時間にお
近で生徒の興味・関心のある製品の組み立て等が
ける取り組みについてB校教務主任にインタビュ
あげられる。また,「情報演習」では,自分でパ
ー調査を行い,併せて調査の際収集した「校内研
ソコンの操作をとおしてやってみたいことを決め
修実践収録兼やる気!元気!総合学習支援事業の
ての取り組み,具体的にはグラフィックソフトを
まとめ」から必要な内容を抽出し,得られた情報
用いての描画や音楽作曲ソフトを用いての作曲,
を整理した結果を報告する。
ホームページ作成ソフトを活用してのホームペー
<1>選択教科に関する取り組み
ジ作成等があげられる。
(1) 選択教科の教育課程への位置づけ
Ⅱ群のねらいとして「職業的技術の習得」があ
選択教科は,Ⅰ群,Ⅱ群,Ⅲ群の三群で構成さ
げられているが,具体的な内容を見ると,就労の
76
有無にかかわらず,日々の生活の質の向上に結び
生の状況をみると,選択教科等で経験した趣味的
つく趣味的な内容ととらえることができることが
活動に取り組む者だけでなく,「仕事をしてみた
分かる。
い」,「もっと外出したい」,「創作的な活動に
(4) 選択教科Ⅲ群について
打ち込みたい」といった希望を持つ者もおり,そ
① 開講科目と開講のねらい
こには充実した生活を送り,自己の可能性を広げ
Ⅲ群には,「生活音楽」,「イラストレーショ
たいと考えている様子がうかがえる。
ン」,「スポーツ理論」の3科目が開講されてい
そこで,趣味的な活動の追求といった自己の内
る。Ⅲ群開講のねらいは,筋疾患児の Quality of
面の深化だけで完結するのではなく,自己実現に
Life 向上には欠くことのできない趣味の充実と深
向けて自分を取り巻く環境(社会や地域)におけ
化にある。
る課題 handicap を解決する実践的な知識や能力,
② 各科目で取り上げている学習内容
態度を育成する必要があると考え本テーマが設定
これまで在籍した生徒が実際に取り組んだ学習
された。
内容として,「生活音楽」では,主に知的障害を
(2) 総合的な学習の時間のねらいとねらい達成
併せ有している筋疾患児の,自分の好きな音楽の
の方策
鑑賞や,障害の状態に応じた楽器を用いてのグル
① ねらい
ープでの合奏があげられる。「イラストレーショ
高等部の教育テーマ「なりたい自分・よりよい
ン」では,イラストを作成したり初歩的な油絵を
自分になろう!」を受け,総合的な学習の時間(以
描いたりするなど美術的な内容を取り上げての活
下,総合)のねらいを「社会や人の中で生きる『自
動があげられる。また,「スポーツ理論」では,
分』の創造」とした。
各種スポーツのルールや戦術などの理解を深める
② ねらい達成のための方策
内容があげられ,ベッド上でスポーツのテレビを
ねらい達成のため,
「自己発見・自己理解」と「進
見るときなどでも自分なりの戦術等を考えながら
路・福祉」を横断的・総合的な課題とした。
楽しく観戦できるような工夫がなされている。ま
[自己発見・自己理解]
た併せて,筋疾患があってもできるニュースポー
「構成的グループエンカウンター」と「他校と
ツの開発や試技等にも取り組んでいる。
の交流会」を活動の核とし,学部全体
で展開し
ていくこととした。自己の生き方を模索していく
<2>総合的な学習の時間に関する取り組み
上でベースとなる「自分を見
(1) 学習指導要領とB校高等部のテーマ設定
分自身を知る」機会として設定したものである。
① 学習指導要領とB校高等部のテーマ
つめ直す」,「自
[進路・福祉]
高等部学習指導要領に総合的な学習の時間が位
「意見発表会」を活動の核とし,各学級単位で
置づけられたことに伴い,B校高等部では,平成
課題を追求していくこととした。生徒
15 年度以降総合的な学習の時間と自立活動を核
とおして「なりたい自分」を見いださせ,目標(夢)
とした新しい教育課程の構築に取り組んできた。
を設定していく能力を育
まず,筋ジストロフィーをはじめとする在籍生徒
現を図る上での障壁 handicap に対して積極的に働
の包括的・総合的な支援(指導)推進と,めざす生徒
きかけ,障害
像の明確化を図るための教育のテーマとして,
「な
という態度を育てることをめざすものである。
りたい自分・よりよい自分になろう!」を設定し
に活動を
てるとともに,目標実
者自身がその障壁を解消していく
以上,具体的な活動として「構成的グループエ
た。
ンカウンター」,「交流(他校との交流)」,「進
② テーマ設定の経緯
路・福祉(意見発表会等)」の3つに取り組むこ
在籍する生徒の多くは卒業後も学校に隣接する
ととした。それぞれの主な内容は,図1のとおり
病院で継続して療養生活を送ることとなる。卒業
である。
77
(3) 各活動の具体的実践例
数得られるようになった。「進路・福祉」の活動や
① 構成的グループエンカウンター(S.G.E)の実
「他校との交流会」の実施との関連で「なりたい
施
自分・よりよい自分」の実現のために必要な力がつ
「なりたい自分・よりよい自分」の実現のため
いてきたものと考えられた。
に,生徒の実態から「仲間づくりをする」,「自
② 他校との交
分を知る」,「自分を好きになる」,「自分を表
流会の実施
高等部全体としては年3回,A県内の3高校(C
現する」,「他者を知る」,「他者を受け入れる」
校・D校・E校)との交流会を実施した。毎回の
力の育成を図ることとし,その手段として「構成
交流会実施に際して事前準備の時間を設けた。
的グループエンカウンター」の手法を取り入れた。
[C校との交流会](約2時間)
年間 10 回程度の機会を設定し,学期ごとに「人間
B校にC校の生徒を招き,自己紹介,活動内
関係づくり」,「他者理解・他者受容」,「自己表
容紹介,ゲーム(オリエンテーリング,
現・自尊感情」とテーマを掲げ,エクササイズを行
リレー),フリートーク,名刺交換等を行った。
った。
車椅子リレーでは,B校生徒が
振り返りでは,テーマ達成に迫る自己評価が多
C校生徒に方法
を教える場面が見られた。
[D校との交流会](約6時間 30 分)
て堂々と参加することができた。
D校の文化祭にB校生徒が出向き,文化祭オ
ープニングセレモニー参加,コンサート
車椅子
[E校との交流会](約1時間 30 分)
におけ
E校生徒をB校に招き,C校同様ゲーム,ス
る歌の発表,文化祭見学等を行った。他校におい
テージ発表(ハンドベル演奏・手話ソン
78
グ発表
等),フリートーク,名刺交換等を行った。両校
が自校や病院,地域の特性を生かし,高等部に限
の生徒が個性や特技を発揮できるように活動内容
らず学校全体でどのような教育課程を編成し,ど
に「ステージ発表」を取り入れた。お互い全員が
のような教育内容を盛り込んでいるか,その全体
言葉を交わすことが
像を明らかにするような調査を行い,卒業後の筋
でき,より交流が深まった。
③ 進路・福祉に関する活動の実施
ジストロフィーの QOL を高めるための教育を考
はじめにオリエンテーションにおいて「進路・
究する必要があると考える。
福祉」に関するテーマや活動の例示を受けるとと
もに,バリアフリーやユニバーサルデザイン,福
文
祉サービス等に関する講義を聴講したり,卒業後
竹田一則(2008)肢体不自由児,病弱・身体虚弱児
の生活についてOBとディスカッションしたりし
教育のためのやさしい医学・生理学.ジアース教
た。以上の内容を生かし,さらに調査の実施等を
育新社
とおしてテーマを設定して意見交換しながら追求
していった。具体的な活動内容としては,1年次
では「働くために」をテーマに職業観や就労に関
する情報共有を,2年次では「オリジナルTシャ
ツ販売会社」を設立して実際にオリジナルTシャ
ツの作成・販売を,3年次では「理想の車いすの
企画」,自分たちで撮影した写真による「写真展」
を行うなどした。
以上のような実践を通じて,B校生徒は「なり
たい自分・よりよい自分」を見つけ,「社会や人
の中で生きる『自分』の創造」を実現させている。
その例が,高校生弁論大会への参加や弁論の内容
をまとめた冊子の出版等である。そして,B校を
卒業した生徒の中には,継続して入院している病
棟内で興味・関心に応じた活動を続けるだけでな
く,病棟に相談を持ちかけ,協力を得た上で地域
の学校等に赴き,「命」や「人権」をテーマとし
た「出前講座」や「出前コンサート」を行うなど
の行動を起こす者も出てきている。これは卒業生
が「社会や人の中で生きる『自分』の創造」をさ
らに発展させているともいえる。
おわりに
今回はB校の「選択教科」と「総合的な学習の
時間」の実践事例を報告したが,このほかにも,
高等部「家庭総合」の時間に,社会自立をめざし
「福祉の現状と課題」や「障がい者の自立生活」
等について学ぶ機会を設定しているF県立G特別
支援学校の事例や,入院を続けながらも「働くこ
と」の実現をめざし,病棟や障害者職業センター
等と連携した就労の取り組みを始めているH県立
I特別支援学校の事例等がある。
今後は事例報告ではなく,病弱の特別支援学校
79
献
第4章
小児がん等のターミナル期に
おける教育・看護・医療に関する国際フォーラム
小児がん等のターミナル期における教育・看護・医療に関する
国際フォーラムを開催するに当たって
研究代表者
和歌山大学 教授
今日ここに、オーストラリア(ウェストミード小
児病院教育研究所所長 Belinda Barton 博士)、スウ
ェ ー デ ン (Sjukhusskolan 病 院 学 校 教 師 Carina
Eriksson さん)、アメリカ合衆国(セントジュード
小児研究病院 看護研究部長 Pamela Hinds 博
士)、ドイツ(前ケルン大学治療教育学部 学部長
Walther Dreher 博士)、イタリア(ボローニア大学附
属病院サントオールソラマルピギ病院 小児科医
長・精神科医 Dorella Scarponi 博士)をお呼びして
います。それから我が国からは九州大学医学部附
属病院の院内学級担当の永尾紀代美先生)、東京医
科歯科大学大学院 保健衛生学研究科 准教授
丸 光恵先生、聖路加国際病院 副院長 細谷
亮太先生を迎え、小児がん等のターミナル期にお
ける教育・看護・医療に関する国際フォーラムを
開催いたします。このことを大変嬉しく思います。
本研究の目的は、小児がん等のターミナル期に
ある子どもの教育・看護・医療に関する情報を収
集し、各専門家の連携を図りながら適切な教育的
対応の在り方と教育カリキュラムについて、国際
比較研究を行うことにあります。
日本には、約 1000 カ所の病院に併設又は病院内
に学校教育が入っていります。我が国の病気の子
どもに対する教育は歴史的にも世界で最も早くか
ら発展してきた教育の分野です。しかし、小児が
80
武田鉄郎
ん等のターミナル期における子どもの教育内容・
方法に関しては、医療等との連携の中でどのよう
な対応をしていったらよいのか個々の教師に任さ
れているのが現状です。トータルケアにおける教
育の位置づけ、その内容等が大きな課題です。
本研究は、ターミナル期にある子どもだけを対
象に行うわけではありません。子どもが入院し、
治療を受け、寛解(remission)状態になり、退院し
ていくケースも含めます。すなわち、治療の過程
において結果として残念ながらターミナル期に移
行するケースと、退院していくケースも含めます。
日本には、ナショナルカリキュラムとして各教
科 の 他 に 自 立 活 動 ( Educational Therapeutic
Activies )をもっています。教師は、この自立活動
をいかに各教科と連動させ、子どもに寄り添いな
がら教育を組み立てていくかが問われると考えて
います。その際に、子どもと教師の関係性も問わ
なくてはならないでしょう。
今回の国際会議は、時間が短く、十分な議論が
出来ないと思います。しかし、今後、これを契機
に研究交流が盛んになり、より発展していくこと
を望みます。
In hosting the International Forum on Education, Nursing Care and Medical Service for Children
with Cancer and other Illnesses at Terminal Stage.
A research representative, Prof. Tetsuro Takeda, Graduate School of Education, Wakayama University, Japan
Today, we have professionals from overseas and
Japan. From overseas, we have Doctor Belinda Barton,
Head and Psychologist at Children’s Hospital
Education Research Institute, the Children’s Hospiral
at Westmead, Australia, Ms. Carina Eriksson, A school
teacher at Sjukhusskolan Hospital School, Sweden,
Doctor Pamela Hinds, Director of Nursing Research at
St. Jude Children Research Hospital, the United States,
Doctor Walther Dreher, former professor at Faculty of
Special Education, Universirt of Cologne, Germany,
and Doctor Dorella Scarponi, a pediatric medical
director and psychiatrist at Bologna University S.
Orsola-Malpighi Hospital, Italy. From Japan, we have
Ms. Kiyomi Nagao, a school teacher in Hospital
School at Kyushu University Hospital, Associate
professor Mitsue Maru, Graduate School of Health
Sciences, Tokyo Medical and Dental University, and
Vice-president Ryota Hosoya, Saint Luke’s
International Hospital. We organize an International
Forum on Education, Nursing Care and Medical
Service for Children with Cancer and other Illnesses at
Terminal Stage. I am very pleased with that we can
organize this forum and share this moment today.
The purpose of this research is to collect
information and data on Education, Nursing Care and
Medical Service for Children with Cancer and other
Illnesses at terminal stage, and to conduct international
comparative research on appropriate educational
response and educational curriculum while specialists
and professionals cooperate with each other.
In Japan, about 1,000 hospitals include school
education. It is either attached to or located at the
hospitals. Japan’s education for children with illnesses
has developed the earliest on its history in the world.
However, as for the quality and method of education
for children with terminal illnesses, such as cancer, the
way to respond to those children under the medical
cooperation is actually left to individual teacher. The
big issue is where to place education in total care and
its content.
This research does not focus on only children with
terminal illnesses. It includes their hospitalization,
remission after treatment and discharge from the
hospital. That is, under the treatment process, we
include cases of both regrettably moving into terminal
phase and leaving the hospital.
In Japan, the national curriculum includes
Educational Therapeutic Activities, in addition to each
subject. Teachers are expected to connect with
Educational Therapeutic Activities and each subject,
and to build up education closely with children. At that
time, the relationship between children and teachers
must be considered.
Today’s international forum is held for a short time,
and it is difficult for us to have enough discussion.
However, I strongly wish this forum will help
encourage and develop our research exchanges.
(田中京子訳)
81
九州大学附属病院内病弱・身体虚弱特別支援学級
永尾
紀代美(九大医学部附属病院病弱・身体虚弱特別支援学級・福岡市立千代中学校)
九州大学病院院内学級は、福岡市内の6つの病院
院内学級の指導目標の一つに、「基礎的、基本
に配置されている院内学級の1つで福岡市立千代
的な学力を身につけさせ、原籍校への復学をスム
中学校の病弱特別支援学級です。
ーズにすること。」を挙げています。そのような
院内学級の担任は、病院がある地域の学校に着
意味からも、5教科を中心とした学習内容にして
任し、そこから病院内の教室へ出向いて教育活動
いますが、美術、家庭、音楽の創作活動や協同的
を行っています。
活動は限られた空間や非日常の生活を送っている
生徒の様子
生徒にとっては、楽しみな活動です。
本学級は、大学病院という特性から小児科、整
(1)各教科の指導
形外科、心療内科等に入院中の生徒が在籍してお
学習指導要領に準じた学習内容を基本において
り、病種の違いはもとより病状の軽重も様々です。
います。しかし、院内学級という特性から治療、
出身地は福岡市内をはじめ、福岡県内、九州一円
検査を優先し、生徒一人一人の病状に合わせた授
など様々で、他病院からの転院もあり、その入院
業計画を立てなければなりません。
期間は2週間という短気もあれば1年以上にも及
学習空白があったり学習進度が遅れていたりし
ぶ長期もあります
ている生徒には、長期休業中や病棟学習時間に、
入院が長引くことがわかりしだい担当医より院
必要に応じて補習学習を行うこともあります。
内学級への入級を薦めてもらったり、すでに院内
(2)行事
学級の存在を知っている生徒本人又は保護者が入
行事には、学校行事と病棟行事があります。学
級を希望したりして、千代中学校へ転校手続きを
校行事として入学式、卒業式、始業式、終業式を
取り、本学級へ転入します。近年は、年間20数
行い、節目節目を感じられるようにしています。
名、生徒の転入があります。生徒の学習状況は様々
また、定期考査などの試験も原籍校に準じて行い
で、長い期間入退院を繰り返したり、学校を休み
ます。院内遠足や博物館学習などの校外学習も行
がちだったりする間の学習空白や学習の進度の遅
っています。病棟行事の七夕会、クリスマス会に
れがあったりします。
は、学習発表の一つの場として参加しています。
教室や授業形態
教室は病院内の一画の部屋をお借りし、そこで
病院との連携の実際
中学1年生から中学3年生までを担任が複々式学
院内学級を運営する上で、病院との連携は欠か
級方式で指導しています。
せないものです。本学級では①学期毎の定期連絡
担当医より教室学習が可能と許可がでた生徒
会
②担当医、担当看護師との適宜の連絡
は、午前中教室で学習します。教室学習は不可能
院時原籍校連絡会
だが病室での学習が可能な生徒には、午後から担
参加
任が各病室を巡回して学習を進めていきます(ベ
います。
ッドサイド学習と呼んでいます)。
③退
④病棟カンファレンスへの
などにより医療スタッフとの連携を行って
①では、病院側からは病棟医長、看護師長、病
実際の指導
棟保育士、学校からは院内学級小学校・中学校担
82
任が参加し、児童生徒一人ひとりについての情報
ターミナル期にある子どもの教育的支援の実
交換を行います。②は生徒が入院してきたときに
際
「病棟から学校への連絡表」に入院期間、病状、
受け持っている生徒の予後が経過が良くないと
学習指導上の留意点などを担当医から記入しても
知らされたとき、院内学級の担任は大きなショッ
らいます。また普段は担当医、担当看護師と必要
クに見舞われてしまいます。そして次に、担任と
に応じて適宜情報交換を行います。退院のときに
して「どのようなことができるのだろうか・・・」
は③の原籍校との連絡会をもち、担当医に「復学
などと思い悩んでしまいます。
後の学校生活の留意点について」の説明をしても
これまでに、院内学級で出会い一緒に過ごすこ
らいます。④の病棟カンファレンスは月1回開催
とのできた生徒との思い出を、ご紹介します。
され、生徒の生活全般についての意見交換を行い、
最期の時をともに過ごした A さん
共通理解を図ります。(①、②、③は事前に保護者、
A さんは中学2年の春休みに体調不良を訴え、
場合によっては生徒本人の承諾を得ます。)
地元の病院から福岡市の病院へ救急搬送されて来
ターミナル期の生徒においては、担当医から配
ました。原籍校ではバレーボール部に所属してい
慮することなどを詳しく聞いて対応するようにし
て、活発な明るい素直な女の子でした。自宅は福
ています。それぞれに応じた配慮を十分にするこ
岡市からはフェリーで2時間もかかる北西の島
とは困難ですが、できうる限りの支援を考えてい
で、ご両親が仕事のため、お祖母ちゃんが介護に
くようにしています。
ついておられました。ご両親は、毎週日曜日に朝
進路について
早くフェリーで面会に見えていました。
病気になったことで、将来への進路を大きく変
入院直後、担当医からは、「入院期間は約8ヶ
更せざるを得ない状況になってしまう生徒もいま
月ぐらいで化学療法を行います。本人は中学3年
すが、院内学級担任は生徒の思いに添い願いが叶
なので受験を気にしています。」と聞いていまし
うよう、できうる限り支援していきたいと思って
た。そこで、A さんと退院を目指して、学習のこ
います。高校受験を望んでいる生徒は「原籍校に
と、受験のことなどを話し合いました。Aさんも
戻って受験する」、または「院内学級から受験す
真剣に授業を受け、またの英語検定試験にも積極
る」かの方法を取ることになります。院内学級に
的に受検しました。しかし、7月に入って病状が
在籍していた生徒の中には現在、高校、大学、専
悪化し、「骨髄移植」を受けることになりました。
門学校へと進学したり、また就職したりしてがん
夏休みに入って、微熱があるものの補習学習も希
ばっている生徒もいます。進学はしなくても、自
望していましたので、短時間でも学習を行うよう
分の趣味を生かした分野で勉強を続けている生徒
にしました。そして、8月に父親の骨髄を移植し
もいます。
ました。移植後も無菌室に私が入室することを、
ターミナル期にある生徒であって、受験しても
担当医から許可をいただきましたので訪問し、次
進学が難しいと判断されても生徒本人が受験を強
の英語検定の勉強の計画を立てたり、たわいもな
く希望していれば、医療関係者、教育の関係諸機
いおしゃべりをしたりして過ごしました。2学期
関と連絡しあい、可能な限り受験ができるよう取
が始まって病状が安定せず、Aさんは目を覚まし
りはからうようにしてします。これまでに院内学
ている時間が少なくなってきました。移植時から
級の教室を受験場として提供し、受験を実施した
お祖母ちゃんに替わって、お母さんが介護に付い
例もあります。その生徒が同年齢の友達と同じよ
ておられましたので、私が病室を訪問している間
うに「受験する」という奮起した心で受験に臨み、
は休んでもらうこともありました。9月中旬ごろ
実際に「受験できた」という充足感を持ってくれ
からは私が病室を訪問して「Aちゃん」と声をか
たことは、ないより大切ではないでしょうか。
けるとうなずくだけとなりました。「Aちゃん、
83
足がだるいならさすろうか。」というと「うん」
り、桜の木の下で写真を撮ったりしました。また、
とうなずき、「先生、背中も」と小さい声でいい
博物館学習などの社会科見学にも行きました。学
ました。また、ただただ、手を握って過ごすだけ
習にも意欲的で「原籍校のみんなはどのくらい(学
の日もありました。ある日の夕方、Aさんの横に
習進度が)進んでるかな」などと自分が遅れている
いると突然「今、何時?」と聞いてきました。
「今、
ことを気にするほどでした。「父の日」には『写
夕方の7時半よ。」と答えると「うん」とうなず
真立て』を制作しプレゼントしました。7月に入
き眠ってしまいました。その日の23時過ぎにお
って、Bさんの体力が目に見えて落ちていくのが
母さんから連絡を受け、病室を訪ねると人工呼吸
わかりましたが、「『母の日』に何もできなかっ
器の準備する医療スタッフの緊張した動きが目に
たから、お母さんにプレゼントを作りたい」と申
入りました。看護師長さんから「先生、手を握っ
し出ましたので、小さな手提げ袋の制作に取りか
てあげて」といわれましたのでお母さんと二人で
かりました。「病室ではなく教室でしたい。」と
Aさんの手を握って名前を呼び続けました。それ
いうことで1日20~30分程度の学習時間でし
から2時間後、Aさんは静かに旅立ちました。
たが教室で制作を行いました。手提げ袋は、お母
最期まで必死に生きる事をあきらめなっかっ
さんの誕生日の前日に出来上がり、プレゼントす
たBさん
ることができました。それから2週間後に、Bさ
Bさんは中学校の入学式後、わずかな期間で入
んは旅立っていきました。
院してきました。彼女は口数は少なかったのです
その後のお母さんのお話で、「教室に行って、
が、勉強するのが好きで特に数学を得意としてい
学習したり制作したりした後は何もできずにいま
ました。最初の入院では6ヶ月ほどで寛解状態と
した。Bはあの20~30分のために持てる体力
なり、原籍校へ復学できるようになりました。し
のすべてを費やしていたようでした。」とお聞き
かし、その2ヶ月後再び入院することになりまし
したとき、Bさんが最後までご両親への感謝の思
た。『もう一度「原籍校の教室で友達と学習する
いを「自分らしく」伝えようとしていたことに心
こと」を目指すことがBさんの心の支えになるの
が震えました。
ではないか』とお母さんと話し合いました。そこ
このような出会いのたびに、生徒達は常に「自
で、院内学級の転入手続きはせず、学籍は原籍校
分らしく生きたい」という思いを持ちつづけてい
に置いた状態で院内学級での学習を行うことにし
るのではないかと、強く感じています。それを上
ました。
手く表現できないときもあるでしょう。私は生徒
しばらくして、お母さんから病気の回復は望め
達のそのような気持ちを受けとめながら、院内学
ないこと、彼女が院内学級に転入したいと思って
級担任としてどのような支援ができるかを模索し
いることを聞きしましたので院内学級への転入手
つづけていきたいと思っています。
続きを取りました。また、Bさんにできるだけた
くさんのことを経験してもらうために、Bさんの
散歩中に院内学級の生徒も一緒に桜の花見をした
84
The special support class for health impaired students
at Kyushu University Hospital
Kiyomi Nagao (Tiyo Junior highs school teacher)
The hospital special support class in Kyushu
University Hospital is one of hospital classrooms
Fukuoka City’s six hospitals, and also the special
support class for health impaired students at Tiyo
Junior highs school in Fukuoka City.
Homeroom teachers for the class belong to the
schools in the area where the hospitals locate. They
go and conduct educational activities at the class in
the hospitals.
Students in the class
The class belongs to the university hospital and the
students are hospitalized such as in the pediatrics,
orthopedic and psychosomatic medicine wards of the
hospital. Their types of illness as well as their medical
conditions differ from each other. The students are
not only from Fukuoka City but also from other cities
in Fukuoka and throughout Kyushu area. Some are
transferred from other hospitals. The duration of their
hospitalization ranges for short to longer period of
time, such as from two weeks to more than one year.
As soon as their primary doctors find out their
patients’ hospitalization will be prolonged, they
recommend them to stay at the hospital classroom.
Or, some of the students and their parents have
already known about the class and wish to enter there.
In both case, the students go through the procedure
for changing schools to Tiiyo junior high school and
enter the class. In recent years, about 20 students
enter the class per year. Their learning contexts are
different from each other. Those who are repeatedly
hospitalized for a longer period and/or often absent
from school are likely to be behind in their school
work.
The classroom and teaching style
The classroom is allocated in the hospital. The
teachers give lessons to the first to third-year junior
high school students under combined class system.
When their primary doctors allow them to study in the
classroom, they can study there in the morning. The
students who are not allowed to stay in the classroom
but can study in their room, their teachers make the
rounds of their room and teach in the afternoon. This
is called “bedside learning.”
The actual teaching in the classroom
One of out aims in the hospital classroom is to have
students acquiring fundamental and basic learning
ability and to facilitate them to return home school.
To accomplish them, they study mainly basic five
subjects, namely, Japanese, math, science, social
studies, English. However, creative and cooperative
activities, such as arts, home economics and music
are enjoyable subjects and activities for them since
they live in limited environments.
(1) Teaching in each subject
The study plan is based on Educational Ministry
guidelines. However, medical attendance and
examination are considered as priority, and the
teaching plan must be planned for each student
according to their condition.
Students who are absent from school or behind their
school work can take tutoring or make-up lessons
during their long holidays or study time at medical
words according to their need.
(2) Events
The students take part in various events. Entrance and
graduation ceremony and term opening and ending
ceremony are conducted as school events for the
turning points in the school life. Also, term exams are
held following their home schools’ schedule. Field
studies such as outing and visiting museum are
organized occasionally. Star Festival and Christmas
Party are where they can present their learning.
(3) Actual cooperation with the hospital
It is necessary for the hospital classroom management
to cooperate with the hospital. The teachers in the
85
class cooperate with the medical stuff by the
following activities:
(1) Regular meetings every semester
(2) Occasional contact with the students’
primal doctors and nurses
(3) Meetings with their home school as their
leaving from the hospital
(4) Participation in conferences in the
medical wards.
(1) Ward head doctor, ward head nurse and ward
nursery stuff from hospital and homeroom
teachers from hospital classroom in
elementary and junior high school level
exchange information on each student.
(2) When students enter the hospital, their
primary doctors fill in the duration of their
hospitalization, medical conditions and points
to remember from teach point. The homeroom
teachers regularly exchange information with
their primary doctors and nurses according to
their need.
(3) When the students leave the hospitals, the
homeroom teachers organize a meeting with
their home school, and their primary doctors
explain the important points to remember
after they return to their home school.
(4) Medical ward conference is held once a
month. Exchanging opinions about students’
overall daily lives enhances common
understanding.
(1), (2) and (3) will be accepted by students’ parents
and/or students themselves in advance.
The teachers ask their primary doctors the particular
points about the students in the terminal condition and
support them according to the doctors’ suggestion.
Although it is difficult for the teachers to take
everything into consideration, they will support them
as much as possible.
wish come true. Those who wish to take entrance
examination for high school have two options; they
once return to their home school and take the exam as
its students, or they remain the hospital classroom and
take the exam as its students. Those who were
enrolled in the hospital classroom have gone to high
school, university and technical college, and/or find
employment. They are trying hard and their best.
Some of them who did not enter higher school are
continuing learning in their strong field.
There are students who are in the terminal condition,
and some of them are considered to be difficult to
enter a higher school. However, if they strongly wish
to take entrance examination, we consider and
arrange the situation with medical affiliates and
educational institutions as much as possible so that
they can take the exam. We have offered one of our
classroom for the exam and allowed the students to
take the exam there. The students could have satisfied
feeling since they could do the same like their friends.
We consider their satisfied feelings important.
Actual educational support for children in
the terminal condition
Homeroom teachers suffer from shock when they
hear their students are not having a good prognosis.
They worry about what they can do for them.
The following is some examples from my
experiences.
Student A
Student A complained about health problem during
the spring holiday in the second year of junior high
school. Then she was transported urgently from her
domestic hospital to this hospital. She was active,
bright and honest young girl, belonging to a
volleyball club in her home school. Her home is in an
island, two hours away from Fukuoka City by ferry.
Her grandmother was looking after her since her
parents were working. Her parents came to visit her
early in the morning every Sunday.
Soon after her hospitalization, her primary doctor
explained she will receive chemical therapy for about
eight months during her hospitalization. He also
Students’ career path
Some of the students may have to change their future
plan largely because of their illness. However, the
homeroom teachers would like to support them as
much as possible so that the students can make their
86
added she concerned about her entrance exam
because she was becoming a third-year student.
Therefore, she and I talked about her future plan
including her study and entrance examination with
hopes of leaving the hospital. She earnestly took
lessons and willingly tried English certification tests.
However, her medical condition became worse in
July, and her doctor decided to conduct bone-marrow
transplant operation. Although she continuously had a
low-grade fever in the summer holiday, she wished to
take make-up lessons. Therefore, I offered lessons
even they were for a short time. In August, she was
transplanted her father’s marrow. Her doctor allowed
me to enter the biological clean room after her
transplant and visited her occasionally. She and I
talked about and made her study plan such as her
English certification test. We also had enjoyable
conversation. After the second semester began, her
medical condition kept unstable and she rarely stayed
awake. After her transplant, her mother, instead of her
grandmother, had been looking after her. I offered her
to watch her so that she could take rest. Since the
mid-September, she could only give us a nod. When I
asked her, saying “Would you like me to rub your
legs if you feel heavy?” she nodded and quietly said,
“Please my back, too, my teacher.” Sometimes, I
could only hold her hands. One late afternoon, she
suddenly asked me, “What time is it?” Soon after I
responded and said “It’s 7:30 pm,” she nodded and
fell asleep. Around 11:00 pm on the same day, I
received a call from her mother. When I visited her, I
found her medical stuff was preparing the artificial
respirator at their most tense. The head nurse asked
me to hold her hand. Her mother and I held her hands
and called her name again and again. Two hours later,
she passed away calmly.
hospital two months later again. I talked with her
mother and we concluded setting a goal to return to
her home school again and study with her friends
would be her emotional support. Therefore, we
decided to remain her school registration at her home
school and she study at the hospital classroom.
After a while, her mother told me she cannot expect
recovery from her illness and she was wishing to
officially transfer to the hospital class. So, I processed
her entry to the class. Also, I took her stroll with other
students in the hospital class, enjoying flowers and
taking pictures under the cherry trees so that she
could have experiences as many as possible. Also, we
went for field trips such as to museums. She was
highly motivated to study. She even concerned about
her progress in study, saying, “How further have my
classmates in my home school made progress in their
school work?” She made a picture frame and sent her
father for Father’s Day. In July, we could see her
visibly getting weak. However, she offered to make
something for her mother, saying “I couldn’t do
anything for Mother’s Day. So, I want to make
something for her.” I let her make a little handbag.
She wished to work not in her hospital room but in
the classroom. I allowed her and she worked on the
bag for about 20 to 30 minutes a day in the classroom
during the learning time. She could finish making the
bag on the day before her mother’s birthday. Two
weeks later, she went to her rest in heaven.
Later her mother said to me, “she couldn’t do
anything after her study or working on the bag in the
classroom. She seemed to devote all she could to that
20 - 30 minutes every time.” I understood she was
trying to show her feeling of gratitude for her parents
in her own way. I quivered with emotion.
Whenever I encounter such a situation, I
strongly feel those students always wish to live
with a sense of themselves. They may not be
able to express their feelings well. However, I
would like to accept them and keep seeking how
and what I can do, I can support as their
teacher.
(田中京子訳)
Student B
Student B was sent to the hospital soon after her
enrollment ceremony. She had a quiet personality.
She liked study and are especially good at
mathematics. She gained regression in six months at
her first hospitalization and she could return to her
home school. However, she was sent back to the
87
小児がんのターミナル期において看護師がケアに困難を感じる諸要因
丸
光惠(東京医科歯科大学大学院)
2003年2月に東邦大学看護学科(当時)の梶
大学院を修了し、さらに日本看護協会の求める資
山祥子先生のよびかけにより、
「日本小児がん看護
格試験に合格すると、
「専門看護師」と呼ばれる上
研究会」(Japanese Society of Pediatric Oncology
級実践看護師資格が得られる。その他に、臨床経
Nurses 以下JSPON)が設立された。当初はわ
験 4 年以上で、指定教育機関において6ヶ月以上
ずか20名足らずの研究会であったが、現在会員
の教育と実習、および看護協会による認定試験に
数は250名を超えている。毎年1回の学術集会
通過した者に与えられる認定看護師資格がある。
は小児がん・小児血液の両学会と同時期に開催し、
成人を対象とした看護師には「がん看護専門看護
小児がん看護の継続教育の一環として研修会も行
師」と、緩和ケア、がん化学療法、がん性疼痛、
1)
っている 。JSPONが、学術集会・研修会で
乳がん、の4分野について認定看護師資格がある。
一貫して行っていることは、患者・家族をシンポ
しかし、小児がん看護については、それに特化し
ジストに招き、意見交換を行う試みである。また
た専門看護師・認定看護師資格は存在しない。現
JSPONでは、日本の小児がん看護の実態をふ
在、日本の小児専門看護師の数は17名(がん看
まえターミナル期ケアを含めた「小児がん看護に
護専門看護師
関するガイドライン」作成にむけて活動している
42名)と著しく少ない。
1-3)
79名
がん関連の認定看護師9
。将来的には国際小児がん学会の看護部会の
小児がん患者が入院している219施設を対象
一つとして、国際的な連携を含む情報交換と研究
としたケア環境の調査2)では、小児専門病院で専
活動を通して実践に貢献していくことを目指して
門看護師がいる割合は30%近いのに対し、小児
1)
おり 、中でもターミナル期における看護は重要
科・小児病棟、成人混合病棟では認定看護師が多
な課題として、今後取り組むべきものの一つとし
いという特徴があった。小児がん白血病研究グル
て認識している。これまでの調査では、看護師は
ープに参加している41施設を対象とした調査4)
小児がんのターミナルケアについて困難を感じて
では、院内学級・訪問学級の設置率は高いものの、
いる、と報告されてきた。その要因について述べ
物理的環境や授業回数や時間などの質的な面では
てみたい。
施設間の格差が大きいと報告されている。さらに
60%近い小児専門病院には保育士や心理士が配
Ⅰ.
小児がんに携わる看護師を取り巻く社会/
属されているにもかかわらず、保育士が小児科・
看護制度/医療政策的要因
小児病棟に配属されている場合は50%未満、心
看護師養成課程は様々であり、3 年課程の専門
理士は30%未満である。人材に恵まれた小児専
学校、短大、大学がある。看護師は国家資格であ
門病院以外は、小児がんの子どものケアに関わる
り、年に一度の資格試験に合格し、厚生労働大臣
職種は非常に限られている。これらの調査では、
名による免許をもって就業することが認められて
小児がんの子どもをケアする上で望ましい入院環
いる。多くの看護師(73.8%)が勤務しているの
境といえないと結論付けており、看護師にとって
は病院である。平成16年(2004)度の統計によ
不満足なケア環境のもと、いくつもの役割を担わ
ると、わが国の看護師総数は 811,538 名であり、
なくてはならない現状が示唆されている2)。
人口 1,000 人あたりの看護師数(准看護師を含む)
Ⅱ.
は主な西側諸国に比して最も少ない。
子どもに関する要因
日本のがん患者のほとんどは一般病棟で死を迎
看護師免許を有する者が規定の教育課程をもつ
えている。成人のがん患者においては、事前指示
88
やリビングウィルなども普及し始め、当事者がど
はあるが、成人のがん患者の事例にあるように、
のような死を迎えたいかを自ら決定するようにな
DNARなど具体的な事柄について子どもと話し
っている。子どもの場合はどうであろうか。
合って決めたという報告は 10 代の患者に関して
さえほとんど見当たらない。個々の看護師は、臨
1.
子どもは死について話そうとしている
終時にはできるかぎり子どもにとって良い状態で
ターミナル期の子どもは自らの体調の変化から、
見送ることが出来るように、その場を整えること
自分の死を悟っている。日本の慢性疾患の子ども
を重要な仕事として認識しているといえる。子ど
を対象とした調査報告では、幼児期は入院生活な
もであっても final stage conference への参加が
どによる社会体験が少ないために死の概念は健常
可能であるという報告もある6)が、子どもがどの
児に比較して未発達であるが、学童期になると自
ような死を迎えたいかについてはほとんど調査報
らの闘病体験の蓄積により健常児よりも成熟した
告がなく、家族や医療者が良いと考える看取りが
4)
発達を示した 。別の調査
6)
では、小児がん患者
行われていると考えられる。
の30%が自らの死に関する話題を口にしたとい
う報告もある。看護師の事例報告にはより詳細に
3.
記述があり、死について直接的に医療者に質問す
わが国の看護、特に死後の処置に関する看護に
る事例と、質問どころかそれに関する話題を全く
は仏教思想が明らかに影響している。看護基礎教
口にしない事例
7、8)
育における「看護技術」の教科書12)を見ると「各
についても報告されている。
近年の長期生存者に対する調査や、患者の闘病記
の記述
家族の希望を重視する
患者の宗教に従う」という記述が見られるものの、
9)
から、年少児であっても病状の重さや死
基本的な死後の看護として、家族が綿棒で口唇を
について十分理解し、その意味について重く受け
軽くぬらす「末期の水」にはじまり、着物を着せ
止めており、それゆえに、聞きたくない、知りた
る際には「左前」にする、合わせ紐を「立て結び」
くない気持ちがあることもわかっている。そして、
にする、「白布を顔にかける」、といった記載が見
それらの言動に影響を与えているのは、不必要な
られ、それぞれ仏教上の意味を持つと言われてい
死の恐怖を味わわせたくない
9)
という家族をはじ
る。その後、白いシーツで全身を覆ってストレッ
めとした、小児がんの子どもを取り巻く医療者の
チャーに寝かされ、霊安室へ運ぶ。亡くなった患
態度であることが示唆されている。死を予感した
者は外来患者や一般の面会者の目にふれないよう
子どもは恐怖や不安におびえており、大人に助け
に配慮されている13)。
を求めている。死に関する会話のきっかけは、医
小児の死後の処置は、成人とは異なる事を求め
療者によって封印されているのかもしれない。
られる。子どもの死について家族は「天国にお嫁
に行く」
「人生の卒業式」などの表現を用いて意味
2.「良い看取り」は大人が決めている
づけようとすることもある 10)。そのような家族
小児の看護師が考える「良い看取り」とは、①
の意味づけに従って、白装束の代わりが手縫いの
苦痛がないこと、②家族に見守られていること、
ウェディングドレス、学校の制服、晴れ着などに
③子どもにとって必要な人が存在すること、の3
なる 10)。死者に対して行う縦結びや、白布を嫌
つの条件に集約される10、11)。③の子どもにとっ
う親も多い。衣装を整えた後も成人とは異なり、
て必要な人には「主治医」が含まれており、看護
親が抱きかかえることのできる子どもであれば抱
師は子どもにとって主治医が重要な存在であると
いて移動することを希望する親がほとんどであり、
1
ストレッチャーで移動する際も白いシーツではな
では、経験豊富な看護師は、脈圧や子どもの微
く、子どもが使用していたものを使用してほしい
細な変化から医師よりも正確に死期を予測し、主
と望む 10)。成人の場合はほとんどが寝台車で帰
治医がその場に立ち会えるように調整するとして
宅するのに対し、子どもは親に抱かれ、自家用車
いる。苦痛がない死については誰もが望むことで
などで帰宅することが多い 10)。生きている子ど
とらえている。看護師の死の予測に関する研究
1)
89
もと同じように、尊厳をもって大切に姿形を整え、
どさまざまな症状がある。にもかかわらずこれら
生きている子どものように移動するのである。こ
の症状に対しては事例報告にケア方法の工夫が散
れら細々した事柄については、ほとんど親の意思
見されるのみであり、体系的な研究をもとにエビ
によって行われている。
デンスあるケアが提供されないばかりでなく 17)、
死を告知されている成人のがん患者であれば、
研究対象としても取り上げられていない傾向にあ
死に伴う財産(所持品)分与や葬儀について、あ
る。
らかじめ本人が書面に記すことを推奨され、それ
が死への準備プロセスの一つとして位置づけられ
2. 看護師の倫理的葛藤
ている。しかしこのような事項については、小児
ターミナル期であると医学的な判断がなされる
とはほとんど語られる事はない。
と、ターミナル期をどのように過ごすかに関わる
様々な意思決定が必要となる。藤井らの調査によ
Ⅲ.
看護師側の要因
ると、小児がんの病名について告知している施設
小児がんをもつ子どもが入院している219施
はおよそ10%にとどまり 18)、予後不良の場合
設の看護師235名(有効回答209名)を対象
はそれらを下回ると予想される。看護師を対象と
として行った調査
3)
において、小児がんの子ども
した調査報告では、ターミナル期であることが明
と家族に対するケア29項目のうち、臨床経験年
らかな子どもが自らの死を察しているにも関わら
数や職位に関わりはなく、最も難しいと回答した
ず、家族がそれに関わる話を医療者からすること
ものは「子どもと家族の気持ちを尊重したターミ
を拒むことが報告されている 19)。看護師は家族
ナルケア」であった。これらについて研究報告等
の気持ちやそのような意思決定について理解を示
に見られる現状を述べる。
しながらも、家族と子どもが本音で話しあえない、
子どもが精神的につらいときに弱音を言えないの
ではと疑問を感じている 20)。これらインフォー
1. 身体的苦痛の緩和の難しさ
身体的苦痛の除去は、小児がんのターミナル期
ムドコンセントに関する葛藤以外にも看護師は、
にある子どもと家族の切望するものであり、看護
ターミナル期になっても苦痛の大きい治療、苦痛
師もこれをターミナルケアの最優先の問題である
に比して効果の少ない治療、患者にとって無益と
と考えてきた。看護研究においても、がん性疼痛
感じられるような延命治療が行われていること対
の緩和、苦痛を伴う処置に対するストレス緩和に
して、疑問を感じている21、22)。そしてそのよう
関するものが多い。厳しい症状の中でも痛みを評
な患者の生命に関わる重要事項については家族と
価することに対して必要性を感じるものの、十分
医師のみの話し合いで決定し、看護師の意見が求
に実施できていないと感じている14)。
められないことについてむなしさを感じることが
看護師が子どもの痛みの有無を判断する際には
報告されている。
「痛みの種類を決めること」や「確かな手がかり
その一方で小児看護に携わる看護師は、現状に
が必要」というとらわれがあることが明らかにな
ついて様々な疑問や感情を抱いているにもかかわ
っている。また、痛みの強さの捉え方の特徴とし
らず、解決のための行動をとることは少ないこと
て、あるかないかの両極だけが明確であり、痛み
もわかっており 21)、看護職単独だけでは小児が
の原因との因果関係が明らかになるまでは痛みの
んの現場における倫理的問題は解決に至らないこ
強さを断定することはできず、痛みを弱く見積も
とが示唆されている。
る傾向があることが報告されている
15-16)
。その
結果、痛みを判断するまでの所要時間が長く、ケ
3. ストレスを伴う家族とのコミュニケーション
アの提供に遅れが生じ、痛みに応じたケアが提供
看護師はターミナル期の子どもの QoL を左右す
されない傾向にあるといえる。さらに、身体的苦
るものは、家族であると考えている23)。しかし、
痛には疼痛のほかに嘔気・嘔吐、不眠、倦怠感な
ターミナルケアに関する困難感の要因として、小
90
児がんに携わる看護師は、家族とのコミュニケー
員の子どもたちへの関わりや、教員からの情報を
ションにストレスを感じ、家族、特に母親のニー
重要であると認識していたものの、教員は看護師
ズに応えられないことがあげられる
24-30)
。
からの情報を教育に生かしている、教員は病気の
ターミナルケアに困難を感じる看護師の要因と
知識やケアの情報を集めるようにしている、とい
して、看護師は感情をあらわにするべきではない
う質問項目についてはいずれも肯定的な回答は少
という思い込みや、患者が回復することを重要と
なかった。教員のプライバシーへの配慮に関して、
する価値観があるといわれている
20)
。そのよう
子どもの情報で守秘義務を守ってほしい内容が漏
な看護師は訪室回数が少なく、コミュニケーショ
れやすい、という記述が複数あり、教員のプライ
ンが回避的であり、子どもや家族のニーズよりも
バシーの配慮に欠ける言動により看護者が情報の
自分自身のつらさに集中してしまう14、20、28)。
提供に躊躇しているという様子が明らかになって
しかし、これらは看護師個人のもつ要因だけで形
いる33)。
成されるものではないこともわかっている。子ど
もの死後のカンファレンスの内容の質的分析32)
2.
残された患者への対応に関する課題
から、看護師は一人の人間として子どもが死ぬこ
小児がんの子どもは闘病期間が長く、ほとん
とは受け入れがたいと思っているものの、子ども
どの子どもは病棟内に親しい友人、特に同病患者
と家族の前向きなありようとの相互作用によって
の親友が存在する。子どもが亡くなったという事
子どもと家族の気持ちに寄り添い、看護師として
実を、他の入院患者は告げられなくても察してい
支えてゆこうという態度を形成していることが示
る。長期生存者を対象とした調査においても、死
唆されている。
を意識し、自分も死ぬのではという恐怖を感じた
看護の基礎教育において、小児の死やターミナ
きっかけは、同病患者が亡くなった時であったと
ルケアについて教育を実施している機関は
報告されている。一方で子どもは自らの死の恐怖
84.6%(n=130)であるものの、その内容は講義
を感じつつも、親しい友人の死に際して最後のお
中心であり、その講義時間数も平均1.26 コマ(1
別れをしたいというニーズが生じていることもあ
コマ90分)である
31)
。小児がんに携わる看護
る。
先に述べた教育との連携に関する調査33)では、
師はターミナルケアにおけるコミュニケーション
などについて具体的な教育の機会がないままに臨
子どもが亡くなったときに、教師の一方的な考え
床でケアにあたっている可能性もある。
で他の子どもへそれを告げたことがあった、と述
べられている。その一方、遺族・家族を含めた様々
Ⅳ.
教育との連携に関する要因
な人の要望や意見をふまえ、院内学級の教師から
病院内でのターミナル期に関する事例研究でも、
子どもたちへ話してもらった、と看護師がその役
教員との関わりや院内学級への参加はターミナル
割を評価している報告34)もあり、いずれも看護
期における小児がんの子どもの生きる希望であり、
師と教員との連携なくしては故人の友人であった
9)
喜びであったと評価されている 。看護師と院内
患者への適切な対応なされないといえる。
学級の教師との連携に焦点をあて、現状と課題に
小児がんの子どもが亡くなった後に、残された
ついて述べる。
同病患者に対しては事実を話す・話さないという
二極の問題としてではなく、個々の子どものニー
1.
院内学級教師との関係
ズに合わせて何をどのように話すかを決定しなく
教員との連携に関する看護師の認識を調査した
研究
33)
てはならない。これらは事例による違いが大きい
では、看護師と教員は、お互いが顔を合
ものの、今後小児がんに携わる看護師が教育職と
わせて情報交換を行う機会を定期的に持っており、
の連携を図りながら取り組むべき課題といえる。
教員と看護師の日々のインフォーマルな情報交換
は良く行われていると報告している。看護師は教
Ⅴ.
91
まとめ
小児がんに携わる看護師が感じる困難について、
4)岡敏明、鶴沢正仁(2005)国内小児がん治療
システム、文化、看護師、院内学級の4点に分け
施設での教育と保育の現状と課題、小児がん、
て私見を述べた。死にゆく子どもの看護には家族
42(2)、212-215
だけではなく、子ども本人の意思や気持ちを尊重
5)杉本陽子、宮崎つた子(2004)慢性疾患患児
する事が求められている。また病との闘いの場と
と健康児の「死の概念」ー「普遍性」
「体の機能
時間を共有した親友にも、かれらのニーズにそっ
の停止」
「非可逆性」
「死の原因」に対する認識、
たケアが提供されるべきである。これらの看護を
小児保健研究、63(3)、286-294
充実させるには、教育の場においてその子本来の
6)藤井裕治、渡邉千英子、岡田周一
他(2002)
姿を知っている院内学級や学校教師との連携が重
終末期の小児がんの子どもたちに認められた死
要である。
の予感と不安、日本小児科学学会雑誌、106(3)、
質の高い小児がん看護を提供する為には、より
394-400
専門的な知識や技術を高めつつ各々の施設のケア
7)宮本圭(1998)子どもは何を望んでいたか:
環境を充実させてゆくことが求められているが、
小児がんの子どもを失った母親との面接からの一
個人の努力では限界がある。研究会が組織として
考察、東邦大学医療短期大学紀要、12、16-25
活動し、社会ニーズに見合った制度や経済的支援
8)水野みゆき、小島生己、前川由香
を得られるよう、政策や看護界に働きかけてゆく
ターミナル期にある子ども・家族に対する看護者
必要性があるだろう。そのような意味では、我が
の役割ー家族が望むケアを提供し、共に実施した
国の小児がん看護は第一歩を踏み出したところで
事例を通して、日本看護学会
あるといえる。
83-85
他(2005)
第 36 回小児看護、
9)
(匿名著者による特別寄稿) 白血病との闘病
謝辞
生活を経験して、小児看護、29(12)、1685-1686
この原稿を執筆するにあたり、JSPON研究
委員会の内田雅代先生(長野県看護大学
10)中村しのぶ、柏田真由(2003)最後の場の
教授)
整え方:子どもにとっての人生の最終章を飾る、
を中心として行った研究データ、および JSPON 役
小児看護、26(13)、1773-1776
員会にて配布された様々な研究資料を使用させて
11)才木クレイグヒル滋子(2001)最後の場を
いただきました。ここに梶山祥子先生他、役員の
整える:看護技術としての子どもの死の時期の予
皆様に感謝申し上げます。
測、日本看護科学会誌、21(3)、50-60
12)北里大学看護学部編(2001)看護基礎技術
引用文献
Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ
1)梶山祥子 (2006) SIOP Nurses Group および
山社
技術の基本Ⅲ-22
死亡時の看護、青
日本小児がん看護研究会の活動状況、小児看護
13)藤井裕治(2004)死を余儀なくされる子ど
29(12)、1666-1669.
もへの対応、小児看護、27(9)、1057-1062
2)竹内幸江、内田雅代、駒井志野
他(2006)
14)宮内環:子どものターミナルケアに関する
小児がんの子どもと家族のケア環境ー看護ケア
研究の動向と課題、小児看護、25(13)、1806-1811
ガイドラインの開発に向けて、小児がん、43(3)、
15)片田範子、古橋知子、勝田仁美他(2003)
481 (引用箇所には小児がん看護研究会の役員
痛みの判断プロセスとそれに影響を及ぼす因子.
会で配布された資料のうち未発表データを含
がん性疼痛のある子どもの痛み緩和ケア実態の
む)
把握(第 1 報),看護研究,36(6)、33-43
3)三澤史、内田雅代、駒井志野
他(2006)小
16)古橋知子、片田範子、勝田仁美他(2003)
児がんをもつ子どもと家族のケアにおける実施
看護師が行う痛みの強さの判断,がん性疼痛の
と難しさの看護師の認識ー看護ケアガイドライ
ある子どもの痛み緩和ケア実態の把握(第 2 報),
ンの開発に向けて、小児がん、43(3)、482
看護研究,36(6)、45-53
92
17)中村美和、中村伸枝、荒木暁子
他(2006)
ル期における看護師と家族の思いやかかわりに
日本における子どもと家族への緩和ケアの現状
関する一経験、東海大学医療技術短期大学総合
ー文献検討と看護師への面接調査の結果から、
看護究施設論文集、15、65-73
小児看護、29(1)、121-127
27)田中千代、服部律子、小野幸子
他(2001)
18)才木クレイグヒル滋子、中川薫、岩田洋子、
G県下の小児医療におけるターミナルケアの実
他 ( 2005 ) 小 児 が ん 専 門 医 の 子 ど も へ の
態ー家族へのケアに焦点をあてて、岐阜県立看
truth-telling に関する意識と実態:病名告知
護大紀要、1(1)、126-133
の状況、小児がん、42(1)、29-35
28)宮内環(2004)子どものターミナルケアに
19)田代順(2003)小児がん病棟の子どもたち:
おける看護師の認識のプロセス、日本看護研究
病気/死への認識と病棟社会への適応、小児看護、
学会雑誌、27(4)、25-33
26(13)、1723-1729
20)井上ひとみ、米田昌代、田屋明子
29)沖春恵(2003)ターミナル期の子どものQ
他(2003)
OLを尊重する両親への援助、聖隷浜松病院医
ターミナルの子どもと家族への援助に関する予
学座足、3(2)、32-35
備的調査ー看護師のケアの戸惑いや困難感とそ
30)中村美和、中村伸枝、荒木暁子(2006)タ
の関連要因、小児保健いしかわ、15、11-16
ーミナル期にある小児がんの子どもを抱える家
21)井上みゆき(2001)小児看護実践で看護婦
族の体験ー緩和ケアに立脚した看護援助指針の
が直面する倫理的問題と看護婦の対応、日本看
作成に向けた看護師に対する面接調査、千葉看
護科学会誌、21(1)、61-70
会誌、12(1)、71-78
22)兼松百合子、横沢せい子、内田雅代
他
31)花澤雪子、濱中喜代(2006)小児看護領域
(1992)医療の場において看護婦の直面する倫
における子どもの死に関する教育の現状と課題
理上のジレンマ、小児看護領域での調査から
[アンケート集計結果]
(調査協力者に直接郵送
(1983)、生命倫理、2(1)、32-36
された未公開資料)
23)梶山祥子、上野美代子、吉川一枝
他(2004)
32)齋藤理恵子(2001)子どもの死後,看護婦が
日本における小児がん看護実践・研究の動向、
語ったこととその意味
小児がん、41(3)、574 (引用箇所には小児が
ス・カンファレンス」記録の分析を通して. 神
ん看護研究会の役員会で配布された資料のうち
奈川県立看護教育大学校看護教育研究集録、26、
未発表データを含む)
355-362
24)渡辺美保(2003)小児がんで子どもを亡く
学童内科病棟の「デ
33)及川郁子(2002)病気の子どもに対する教
した家族へのかかわりに対する看護者の思い、
育への期待、育療、25、5-9
群馬県立医療短期大学紀要、10、49-61
34)赤池文子(2006)残された同病患者のケア、
25)竹中和子, 後藤理恵, 佐野美紀(2004)タ
小児看護、29(12)、1661-1665
ーミナル期にある子どもをもつ家族への精神的
参考文献
援助に関する看護師の認識. 看護学統合研究
1)http://www.jspon.com/
03、5(2)、61-65
日本小児がん看護研
究会
26)橘田節子、森愛(2005)子どものターミナ
2)http://www.nurse.or.jp 日本看護協会
93
The End-of-Life Stage:
Why nurses feel difficult to care for the children with cancer and their families
Mitsue Maru, RN, DSN
Professor
Tokyo Medical and Dental University Dept of Child and Family Nursing
In February 2003, Yoshiko Kajiyama, the
sing, called for nurses to establish Japanese
Society of Pediatric Oncology Nursing (JSPON).
At that time, there were only 20 some members in
this society, but in 2007, the society has more than
250 members. JSPON has held the annual
conference with the society of Japanese Society of
Pediatric Oncology and the Japanese Society of
Pediatric Hematology, and also provide the annual
continuing educational seminar for nurses in this
area1). JASPON, the most of members are nurses
working for children with cancer and their
families, continue to invite the person with
childhood cancer or their families as well as the
other
medical/co-medical/non-medical
professionals at such meetings to exchange
information and to do discussions. JASPON also
has the research committee, and they are
developing the care guideline for pediatric
oncology nursing care based on their own national
survey1-3).
In the future, JASPON aims to be a
member of International Society of Paediatirc
Oncology, Dept of Nursing, and develop the
international collaboration with other countries to
exchange information to improve the quality of
care 1) . JAPON also recognized the End-of-Life
care is the one of the most important issues for
children with cancer and their families. However,
many reports say that nurses feel difficulties to
provide the End-of-Life care for children with
cancer. This article attempts to clear the factors
related to nurses such perceptions.
professor of Toho University School of Nur
schools including the 3-years diploma school, the
college with associate degree, and university BSN
programs. To be nurses, it is necessary to pass the
national examination. Registered nurse's license
is provided by the name of the minister, the
Ministry of Health, Labor and Welfare. The
nursing statistics of 2004 showed that there were
811,538 nurses in Japan, and nurses per 1,000
general populations comparing with the major
countries in the Western Europe or North
American ones were the fewest. After graduation,
most of students work for hospitals, which count
about 73.8% of nurses.
In Japan, there is advanced practice
certification system, which calls the certified
nurse specialist. Certified Nurse Specialist (CNS)
must have MSN degree and need to pass the
certification examination provided by Japanese
Nursing Association (JNA). JNA also provide the
continuing education and credential system for
Certified Expert Nurse (CEN) which requires to
be enrolled in 6 months educational program and
to pass the examination. In the area of adult
oncology nursing, it has Oncology CNS
certification system and four different CEN
certifications including palliative care, cancer
chemotherapy, cancer pain, and breast cancer.
There is neither CNS nor CEN in specialty of
pediatric oncology.
Because the number of child nursing CNS
is very limited, only 17 (compare the number with
adult nursing certification holders. 79 adult
onclogy CNS and 942 cancer related CEN), most of
them work for the children's hospital rather than
general or university hospitals.
In the study about the environment of
children with cancer2), of 219 Japanese hospitals,
nearly 30% of children's hospitals hired CNS
I. Factors in the society/nursing system/medical
policy
There are various types of nursing
94
comparing with pediatric units/adult mixed
inpatient units in general/university hospitals
hired CEN rather than CNS. The other study4)
about human resouces and school related
environment of 41 hospitals, which were the
member of to Japan Association of Leukemia
Study Group, showed that the environment of
classroom and the frequency/the length of class
schedule were varied by institutions. In addition,
institutions varied the numbers/the inclusion of
co-medicals such as nursery teachers for sick
children, volunteers, and Child Life Specialists.
Nearly 60% of children's hospitals had the nursery
teachers and pediatric psychologists, less than
50% of the pediatric units in the other hospitals
has nursery teachers, and less than 30% of
pediatric psychologist of those. Except the
children's hospitals with rich human resources,
the limited types of professionals care for children
with cancer.
It is suggested that the in hospital
environment is not satisfied with children with
cancer and their families in Japan and nurses
working under the unsatisfied caring environment
need to play multiple roles for their patients.
of their illness experiences and they might
understand/discuss about the death. The other
study6) showed that 30% of children with cancer
talked about the death related topics with others
including medical professionals before their death.
The case studies reported by nurses describes the
details such behaviors. For example, the children
at the end-of-life stage did not ask questions to the
medical professionals, or they even talked to them
7、8)
. In the recent study of long-term survivors or
interviews, they understood how serious cancer
was, so that they did want/did not want medical
professional to talk to them about the disease9).
Furthermore, it was suggested that the
parents/medical professional' attitudes toward the
death of the children strongly influenced the
response/behavior of children with cancer9). The
children who were aware of their own death look
for help because they were anxious and fearful
about the death. The attitudes of medical
professionals may repress such concerns of
children.
2. Attending the time of death: the adult, not the
child, will decide the situation.
Studies 1 0 、 1 1 ) showed that pediatric
nurses believed the three conditions about what
was a good situation at the time of death. i)
children did not suffer from any physical pain, ii)
the child's family attended a child on his/her death
bed, and iii) the significant others including the
child's primary physician attended a child on
his/her death bed. Pediatric nurses regard the
primary physician as the important person for
children with cancer. The study about nurses
abilities to predict the time/date of death of
children with cancer11)reported that the nurses
with rich clinical experiences believed themselves
to have ability to predict the time/date of death
more precisely than physician. Depending on their
predictions, nurses tried to have the physician at
the deathbed. Although every patient's wishes for
the peaceful death attended by the significant
others, there are little studies about children's
wishes or preferences about this moment.
II. Factors related to the children with cancer
Most of cancer patients die in hospitals in
Japan. Recently many adult oncology patients
write the living will or the advanced directives.
The medical professional cannot neglect the
patients' wish to decide own their death. Is this
true for the children with cancer as well?
1. The children try to talk about death
At the end-of-life stage, many reports
children might know the their death even though
they were not to be told so. In the study about the
Japanese children's concept death4), pre-schoolers
with chronic conditions did not have enough
concepts about the death comparing with
preschoolers without chronic conditions. However,
the same study showed that the school-age child
with chronic conditions had more mature concept
of death than their healthy peers. Authors
concluded the school-age children with chronic
conditions develop their concept of death because
3. Nurses valued on the family wishes
95
In the fundamental nursing of basic
nursing education, the student learns the care at
the time of death/immediate after the death as one
of the nursing skills. Looking at the textbook12),
the way of the care depends on the patients'
religion; the basic skills are strongly influenced by
Buddhism. For example, at the time of death,
nurses let the family members use to wet the lip of
the patients by the wet swab, which calls "the last
water". Nurses let the patients wear the Kimono
by the different ways and put the white cloth on
the face. Then the patient is transported to the
small room for farewell then departs from the
hospital to the home by a funeral car.
The situations in the pediatric nursing are
slightly different from the adult nursing. It is
reported that some families expressed their child's
death in a various ways such as "going to the
heaven to be a bride (with the god) or "the
graduation from the (this) life"10). Due to their
meanings of the death of their child, family let the
child wear the hand-made wedding dress, or
school uniform, or Kimono for the cerebration10).
Some families did not want the white cloth on the
face or the special way of wearing Kimono for the
deceased person. Parents hold the deceased child
and went back to the home by their car. 1 0 )
Family members, especially mothers wished to
treat the deceased the child as if he/she alive, and
bring them back to their home as if he/she alive.
However,
parents
may
be
the
main
decision-makers, and the children (even if they are
adolescents) rarely participate in such decision
making before he/she die.
children are difficult
At the end-of-life stage, children with
cancer and their families eager to be relieving for
pain and physical distress. The Japanese nurses
have regarded relieving for pain and physical
distress of children with cancer as a number one
priority. Among many studies carried by nurse
researchers and clinical nurses, the most of them
focused on the management of cancer pain and
procedural pain. The study about the nurses'
perceptions and behaviors showed that clinical
nurses felt the powerlessness about the pain
assessment for children with cancer although they
feel the importance about it. 14)
Consequently, when the nurses decide
whether the children was in pain or not, nurses
felt the obligation to determine the source of pain
and concrete evidences of it before they concluded
children were in pain. Nurses' pain assessment
tended to conclude Y/N, and the strength of the
pain could not be cleared until nurses really found
the cause of pain. In addition to these, nurses
tended to discount the pain experienced by
children15-16). Thus, they required the longer
time to determine children's pain, and being delay
in providing care for it, or such children could not
receive the appropriate care for their pain.
Although there are may pain related
research, small number of cases were reported
about
the
other
symptoms
such
as
nausea/vomiting, insomnia, fatigue, and so on. It
is necessary to systematic research about
symptoms other than pain so that nurses provide
evidenced-based care for children with cancer who
suffer from such symptoms17).
III. Nurses perceptions about caring dying
children and their families
2. Nurses have ethical dilemma for caring dying
children
At the End-of-Life Stage, the
decision-making is needed for how, when, where
the children with cancer would do for what. About
the study18) of truth-telling by the pediatricians
in Japanese cancer institutes, it was revealed that
only 10% of them told the diagnosis of cancer to
the children. He estimated that their physicians
would tell the fewer children with unfavorable
prognosis about the truth. The study19) asked
In the study 3)of nurses' perceptions
about care for children with cancer , 235 nurses
from 219 institutions reported the most difficult
care was "providing care by considering for the
emotional aspect of children with cancer and their
families at the end-of-life stage. Such care may
have the followings.
1. Relieving for pain and physical distress of dying
96
the nurses about the same issues, and nurses
reported that family members refused the
truth-telling about the children's terminal
conditions even though the children with cancer
seemed to be aware of their physical/disease
status. Nurses reported that they understood the
family
members'
feelings
and
their
decision-making;
however,
such
parental
behaviors might create miscommunication
between the family members and children 20 ) .
Pediatric nurses also concerned that the children
would not be able to express their true
feelings/concerns/questions to their family.
The research 2 1 、 2 2 ) related to the
ethical dilemma of pediatric nurses showed that
nurses questioned about the treatment during the
terminal stage. Their questions included: 1) the
treatment which were invasive, 2) small
treatment effects against to the sufferings, and 3)
life-sustaining treatment, which would not be
interests for children. In this study, nurses also
felt frustration that the important decisions were
made by only physicians and family members. In
additions, it was reported that nurses were
powerless to resolve those problems by their own
21)
.
perceptions less visited the patients room of dying
children, they tended to avoid communication
with children/family members; therefore, they
focused on their own emotion rather than focusing
on the needs of children with cancer ant their
families14、20、28). However, all of those nurses'
characteristics were not relied on the personalities
of nurses themselves.
By the qualitative analysis of death
conference of nurses32), it showed that nurses felt
difficulties to accept the death of the children.
This study indicated that nurses' attitudes were
influenced by the attitude toward death and dying
of children and their families. After the death of
the child, nurses also had the opportunity to
recover their own psychological damage by
knowing the positive attitudes of bereaved family
members.
Recent study showed that 84.6%
(n=130) of nursing schools provide the educational
program about the death/terminal care of children
for nursing student. Most of the program was in
class lecture, and the length of the program was
limited to 1.26 unit (1 unit equal to 90 minutes) 3
1)
. Nurses who care for children with cancer may
not have enough opportunities to learn about the
communication with children and their families at
the End-of-Life stage.
3. Communication with family is stressful for
nurses
Nurses regarded the family members
were important for contributing the QoL for
children at the End-of-Life stage 23) . However,
most of nurses felt the difficulties to provide care
for the children at the End-of-Life stage because it
would be hard to meet the needs of mothers24-2
9 )
. In addition to the unsatisfied caring
environment and limited human resources for
caring dying children, nurses felt stress about the
communication with family members.
Many studies showed that the nurses'
perceptions about terminal care contribute the
quality of it. One study20) revealed the nurses
perceptions about caring for dying children as
followings: 1)nurses, as a medical professional,
should not be emotional about death and dying of
children, and 2) nurses valued on the recovery
rather than dying process. Nurses with those
IV. The factors related to the collaboration with
school
Nurses reported that attending the in
hospital school was the hope for the child at the
end-of-life stage9 ) . This section focuses on the
collaboration with school teachers in the hospital.
1. How do nurses communicate with school
teachers in the hospital settings?
Nurses and teachers in hospital school
have the periodical face to face meetings to
exchange information about children in the
units33). Nurses also reported that they often did
the informal communication with the teachers to
exchange the information about the child on the
day to day basis. Nurses valued on and used of the
information provided by the teachers although
they did not think the teachers valued on/used of
97
the information provided by the nurses. For
nurses, teachers seemed to be unwilling to learn
about disease and treatment about hospitalized
children. Nurses also hesitated to provide
information because sometimes teachers did not
keep the privacy for hospitalized children33).
children with cancer and their family at the
End-of-Life stage. The factors influenced to
nurses' perceptions were described. It is necessary
to value on the children's wishes and emotional
aspects as well as family's ones. Caring the friends
with cancer is also important issues and care must
be provided depending on their needs. For the
quality of care, the collaboration with school
teachers is important because they knew the
children who learn and play in the classroom
without thinking about cancer.
Writing this article without the following
data and materials will not be possible: the
research committee in JSPON lead by Dr. Masayo
Uchida, project's leader and professor of Nagano
College of Nursing, and various printed materials
provided for the committee of JSPON. I sincerely
appreciate for board members of JSPON and Dr.
Yoshi
(丸光恵訳)
2. How can we tell the death of the children to
their hospitalized friends with cancer?
The children with cancer required the
long-term treatment so that they have close
friends with the same disease. The friends do
know the death of the child even though nobody
tells the fact to them directly. In the study about
the long-term survivors' experience, the most of
the survivors felt fear about their own death when
they knew the death of the other child. Although
the friends were fearful about their own death,
they might wish to say good-by to their deceased
friends.
It was reported that nurses were
embarrassed when the school teacher told the
death of the child to the other children without
discussing with nurses in advance33). In the other
report34), nurses asked the school teacher to tell
the death to his/her hospital friends. Both reports
suggested that the collaboration between nurses
and school teachers would play the vital role for
caring bereaved friends after the child's death. It
is not the Y/N issue, but how and what should be
told to the bereaved friends depending their needs.
It will be necessary for nurses to find the better
solutions by collaborating with school teachers.
V. Conclusion
Nurses feel difficulties to care for
98
小児がんのトータルケアの現状と課題
細谷
亮太(聖路加国際病院副医院長)
1.はじめに
闘病経験をトラウマと考えて、生じている心
1990 年代、成人のがん患者に対する告知の問
の問題を PTSD としてとらえる考え方が199
題が我が国において積極的に考えられるように
4年より始まり、私たちは、当院へ通院中の小
なった。少々遅れて、小児がん患者も、その診
児がん患児を対象に質問紙を用いた調査を20
断・治療といった一連の闘病生活の中でようや
00年から行った。質問紙として、Pynoos らが
く一人前に扱ってもらえるようになってきた。
作成した PTSD-Rection Index を和訳したものを
1994 年にようやく日本で批准した「こどもの権
用いて、構造化面接を行った。
利条約(国際連合)」に「表現すべき意見をもつ
軽 症 以 上 の
PTSS(posttraumatic
stress
ためには、真実が伝えられる必要がある」こと
symptom) を 呈 し た 小 児 が ん 患 児 は 8 0 % に 及
が明確に述べられてから、子ども本人への告知
んだ。主な症状は、フラッシュバック・悪夢・
が積極的に考えられるようになった。
過覚醒/過緊張、逃避であった。Fukunisi らも難
成人と同様、子どもたちにとってもがんとい
治性の血液疾患患児ら33人中の82%が
う自分の病気について情報を知ることは衝撃的
PTSR(posttraumatic stress reaction)を呈していた
な体験である。今後、さらに、子ども自身への
と報告している。これは、海外での小児がん経
情報開示が一般的になるであろうが、このよう
験者における PTSD/PTSS の発症頻度2.6~4
な闘病経験にかかわる心の反応への対応も含め
6%に比較して極めて高い頻度である。
て、小児がんのトータルケアは考えられなけれ
Fukunisi らは、PTSR の発症にアレキシシミック
ばならない。
な性格傾向が関与していたことも述べている。
幸い、集約的医療の進歩に伴い、子どものが
感情を言語化することが得意でない日本人の特
んのうちの約70%に治癒が望め、社会復帰が
性 を 考 え る と 、 日 本 で 欧 米 よ り も PTSD/PTSS
可能となった。完治を目指して厳しい治療が安
の出現頻度が高いことは理解できるように思う。
全に遂行できるように工夫をすることが重要だ
また、1991年 Stuber らは、小児がん患児
が、同時に、治療経過中でも子どもたちは成長
が骨髄移植後に呈した PTSD 症状の特徴につい
する存在であることを考えてケアを行う。
て、フラッシュバック、反復行動、否認、逃避
が主な症状で、これらは虐待を受けた子どもの
2.小児がん闘病経験という心的外傷
症状に類似していると述べている。
前述のように、小児がんの子どもたちの7割
さて、闘病生活の中で経験するどんな体験が
が治療を終え、社会に戻っていっていることは、
子どもたちのトラウマとなっているのであろう
頼もしい限りである。その中で、闘病経験にか
か。体験の種類によって PTSD 症状に特徴があ
かわる子どもたちがいる。筆者らは、その中で
るとの考えがある。それによると、トラウマ体
PTSD(posttraumatic stress disorder)症状の1つ
験を2種類に分けている。予測不可能な単回性
であるフラッシュバック(処置の恐怖など)と
の体験(タイプⅠ):小児がん患児らにとって
考えられる症状に気づくことが多くなった。
は診断を告げられて生命の危機を感じる体験と、
99
予測不可能で繰り返し起きる体験(タイプⅡ):
1つの体験がトラウマとなるかどうかは、個人
治療体験(痛み・恐怖を伴う処置など)である。
の感じ方次第である。反応の程度も個人のもつ
タイプⅠでのストレス症状は、トラウマ場面が
特性に左右される。伝える時期は、本人が自分
視覚的刻印として保持され、これに伴う主観的
の病気について気になった時がそのときである。
な体験(時間の長さや体験の順序、告知の内容
私たち大人は、伝える時期を逸しないようにす
など)が客観的な事実とは違うゆがんだ記憶と
るとともに、告知後の子どもたちの言語化され
なること、さらに、まったくトラウマと関係な
にくい個々の反応を見逃さないように、彼らの
い出来事でもトラウマ体験の前兆ととらえる特
近くにいたいものである。
徴があるという。タイプⅡに起因する症状の特
徴は麻痺/逃避が主なもので、加えて、激しい怒
4.小児がんと家族
り(自傷行為など)を表現する場合があるとい
心の反応が起きるのは、小児がん患児だけで
う。
はない。その両親・同胞も同様にその事実に巻
治癒を目指して強力な治療が行われている現
き込まれ、心の反応を起こし、それで、また、
在、これらのトラウマ体験に起因する多彩な心
子ども自身が、家族の様子に反応することにな
的反応への対応もより重要となる。
る。まさに、トータルケアが必要不可欠である。
子どものがんに対する両親の反応についても
3.告知の心理的影響
PTSD モデルを用いて理解することが可能であ
次に、告知が生命の危機を感じるトラウマ体
る。筆者らの施設においても、調査を行った。
験として PTSD/PTSS の引き金になるからとい
結果は、母親の98%、父親の93%が軽症以
って、子どもへの告知が敬遠されないように告
上の PTSS を呈していた。国外の報告と同じく、
知の必要性を確認しておきたい。
患児自身より、高い頻度であった。母と子の重
少なくとも筆者らの施設では、告知を受けて
症度は相関があるとの報告もあるが、われわれ
いる子どもたちの PTSS が重傷である傾向はな
の調査では、両親と患児の症状の間に関係は認
かった。また、告知を受けた子どもに注目する
められなかった。ただ、子どもから両親の様子
と、発症から告知までの期間が短い患児ほど、
が「なんとかなる」と考えているようにみえる
周囲からのソーシャルサポートを実感していた。
場合の、子どもが感じるソーシャルサポート感
このソーシャルサポートを享受感の高さは、わ
は高い傾向があった。これは、患児自身の PTSS
れわれの 調査 では、PTSS の軽症化 因子で もあ
の軽症化につながる。患児の両親が子どもの前
ったことから、告知は、治療開始後なるべく早
で「なんとかなる」という姿勢でいられるよう
い時期に、本人が前向きにとらえるような内容
に両親へ援助することが本人にとっても有用と
で伝えれ ば、PTSS を軽症化す る体 験とし て 患
いえる。
児らの援助につながるといえる。
また、筆者は以前に告知の有無が、精神発達・
5.小児がんの子どもたちが感じること
社会適応力に与える影響をバウムテストを用い
1990年に、卵巣がんで化学療法中の女性
て評価した。これによると、告知群の方が、精
が、病院を訪れるだけで免疫抑制が再現される
神エネルギー、社会適応度ともに有意に高い結
という、心的反応の身体機能への影響が明らか
果であった。
にされたが、小児においてはこのような報告は
しかし、診断と同時にマニュアルどおりの画
見当たらない。しかし、小児がんの専門医たち
一的な告知を例外なく行うことが小児がんの子
は、子どもたちの闘病生活中、子どもの心理状
どもたちにとっての、援助になるとは思わない。
態が明らかに身体機能に変化を与えていること
100
を実感する場面に多く遭遇している。例えば、
と名乗って社会復帰していけるような援助が必
黄色や青い色のついた水溶液を見ただけで抗ガ
要なのだろう。
ン剤の点滴を連想して嘔吐する子どもや、数日
間吐きつづけていた子どもが、屋外でのバーベ
キュー行事への参加を許可されたところ、周囲
の大人が目を見張らんばかりに食事が進んだり
する。転移のためのがん性胸膜炎による胸水の
ための努力性呼吸が賢明で座位のまま夜を過ご
していた末期がんの幼児が、退院後に行くこと
を楽しみにしていた遊園地に、なんとか外出し
て出かけることができた夜は、穏やかにベッド
で横になって眠ることができたりするのである。
言語力が大人よりも未熟な子どもたちは、そ
の分かえって、言葉では伝えられていない多く
のことを察知する感受性が研ぎ澄まされ、体験
が感情に反映されやすいように思う。もちろん、
感じ方はさまざまであり、そこから生まれる感
情も個々で程度も異なっていることは言うまで
もない。
子ども自身の視点でこのような主観的なとら
え方(特にソーシャルサポート享受感、主観的
治療強度について)が、トラウマ体験からの
PTSD/PTSS 発 症 に 影 響 を 及 ぼ し て い る こ と が
分かってきた。そして、前述の通り、告知を本
人がどう捉えるか、両親の様子を見てどう感じ
るかによって、ソーシャルサポート感が高まり、
PTSD/PTSS の 軽 減 に 寄 与 す る と 私 た ち は 考 え
ている。先行する欧米の報告では、母親の主観
が子どもの心的反応に反映されているというも
のもあるが、多くは本人の主観的受け止め方や
本人の特性不安が関与していることを指摘して
いる報告が多い。
6.おわりに
“survivor”と い う 言 葉 の 印 象 が 欧 米 と 日 本 で
は少々異なっているように思う。”survivor”とい
う 言 葉 を 敬 遠 し て 自 分 た ち か ら ”小 児 が ん 経 験
者 ””当 事 者 ”と 名 乗 っ て い る 日 本 の 子 ど も た ち
も、”生き残り”ではなく、多くの困難を乗り越
え て き た と い う 自 信 と 誇 り を も ち 、 ”survivor”
101
The current situation and issues of total care for Children’s cancer:
especially about their mental state
Saint Luke's International Hospital
Vive-president Ryota HOSOYA
Introduction
In 1990s, informing adult patients of cancer came to be
positively considered in Japan. Slightly later, pediatric patients
than mild cases. The main symptoms were flashback,
nightmare, hyperarousal/ hypertension and escape. Fukunisi et.
al. reported 82 percent of 33 children with refractory blood
of cancer came to be properly treated in a series of their struggle
with illness, such as diagnosing and medical treatment. After
the U.N.’s Convention on the Rights of the Child, which Japan
finally ratified in 1994, had definitely stated “to have opinions
dyscrasia showed symptoms of PTSR(posttraumatic stress
reaction). The results show the symptoms frequently occur
compared to the overseas cases which has 2.6 to 46 percent of
hyperendemic frequency. Fukunisi et. al. mention alexithymia
to express, truth must be given,” informing pediatric patients
came to be considered in a positive way.
As well as adults, it is very shocking experience for children to
know about their illness, i.e., cancer. From now, information
personality had something to do with sideration of PTSR.
Considering the characteristic that Japanese are not good at
verbalize their emotion, it is reasonable that occurrence rate of
PTSD/PTSS in Japan is higher than one in the Western.
disclosure to children will become common. However, total
care for Children with cancer must be well considered,
including their mental reaction through their struggle with
illness.
Also, Stuber et. al. in 1991 stated the features children with
cancer showed after bone-marrow transplantation. According
to them, the main symptoms are flashback, repetitive actions,
denials and escape and they are similar to the symptoms of
Fortunately, due to intensive medical progress, about 70 percent
of children with cancer can seek cure and return to a normal
life. To look for full recovery, it is important tough treatment
must be safely conducted. However, at the same time, the care
abused children.
Then, what experiences become traumas for children through
their struggling with illness? It is considered PTSD has different
features depending on types of experiences. The idea divides
must include the idea that children are growing up even during
the period of medical treatment.
struggling
the experience into two types. They are “unpredictable
one-time experience (Type I)” and “treatment experience (Type
II).” Type I refers to experiences children with cancer are
diagnosed and stand in fear of their life. Type II represents
experience with Children’s cancer
As stated above, it is favorable about 70 percent of children
with cancer finish their medical treatment and return to a
normal life. These children and their struggling experience have
experiences of medical procedure with pain and/or fear. Stress
symptoms of Type I include traumatic situations are visually
retained and subjective experience such as length of the time,
orders of experiences and content of diagnosis, become
something to do with each other. Flashback phenomenon, such
as fearful experience at treatment, has often become noticeable
among those children. Flashback is one of posttraumatic stress
disorder, or PTSD.
distorted memories which are different from objective facts. In
addition, these children tend to perceive events which do
nothing to do with their trauma as signals of traumatic
experience. Symptoms stemmed from Type II are mainly
The idea that struggling experience is trauma and mental issue
arose from the experience is PTSD began in 1994. We started
to survey children with cancer who came to our hospital in
2000. The survey included PTSD-Rection Index by Pynoos et.
paralysis and escape, followed by fierce anger such as fictitious
injuries.
Currently, high-intensity treatments are practiced for healing,
and it is also important to respond to various psychological
al., and structured interview was conducted.
The result disclosed 80 percent of children with cancer showed
symptoms of PTSS(posttraumatic stress symptom) with more
reactions which come from their traumatic experiences.
1.
Posttraumatic
stress
disorder
from
2.
102
Psychological influences by informing
This section confirms the necessity of informing so as not to be
avoided to inform children because informing may cause
PTSD/PTSS as traumatic experiences they feel threat to life..
could perceive they were highly supported. This will relieve the
PTSS symptoms. For the patients, it is important to support
parents so that they can be positive, such as they can show “We
At least in our hospital, there was no tendency that PTSS of
children who were informed was serious. Also, in terms of
children who were informed, the shorter the period between
sideration and announcement is, the more those children could
can manage this situation” in front of their children.
realize social support. The high level of enjoyment by social
support, according to our research, was PTSS’s alleviative
factor. Therefore, announcement will be those children’s aids
which alleviate PTSS when the informing is made soon after
chemical therapy for ovarian cancer was reappeared only when
she visited the hospital, and the impact of psychological
reaction to physical function was revealed. Although there is no
similar report regarding children, specialists in children’s cancer
the treatment begin and with contents they can be positive.
Also, the present author has evaluated the effects of
announcement on psychological development and/or social
adaptation ability utilizing Baumtest. According to the
have encountered many times their state of mind affect their
physical function in their struggling with illness. For example,
there are children who vomit or keep vomiting for a few days
when they only glance at yellow or blue water, associating with
evaluation, those who were announced showed high results in
psychological energy and social fitness.
However, there is a doubt giving standardized announcement
as prescribed with no exception at the same time children with
anti-cancer instillation. On the other hand, surprisingly, they
enjoy meals when they are allowed to join BBQ party. A child
with terminal cancer who spent nights sitting because of
labored respiration could peacefully sleep on the bed when
cancer are diagnosed will be their support. Whether one
experience can be his/her trauma depends on each person. The
degree of response will be decided by each person’s
characteristics. When the patients concern about their illness, it
he/she could manage to go to an amusement park where he/she
wanted.
Children’s verbal ability is less immature than adults’. However,
their sensitivity is heightened and they can show their
is the right time to inform them. Adults should not miss the
right time to announce and should be close to them so that they
do not miss out their reactions which are not easily verbalized
after announcement.
experience by emotion. It goes without saying that each child
feel differently and his/her emotion and its degree vary.
It has been unveiled that subjective apprehension at children’s
point of view affect incidence of PTSD/PTSS arisen from
3. Children’s cancer and the Children’s family
Not only have children with cancer psychological reaction.
Their parents and peers also get involved with the facts and
traumatic experience. As stated above, how children perceive
the announcement and how they feel their parents’ reaction
contribute to supported feelings and reduction of PTSD/PTSS.
According to foregoing reports in the West, mothers’
4. What the children with cancer feel
In 1990, immunological control of a woman who was having
react to them. Then, those reactions affect the children with
cancer. Therefore, it is necessary to offer total care for all of
them.
It is possible to understand parents’ reaction to their children’s
subjectivity reflects their children’s psychological reaction.
However, many reports indicate patients’ subjective reaction
and trait anxiety affect them.
cancer by using PTSD model. A research was conducted in our
hospital. According to the research, 98 percent of mothers and
93 percent of fathers showed PTSS with more than mild degree.
As well as the overseas reports, they showed frequency more
5. Conclusion
A word “survivor” has slightly different meaning between the
West and Japan. There are children with cancer in Japan who
stand clear of the word “survivor” and call them “experiencer
than patients. It is reported mothers and their children’s degree
of severity are correlated. However, our research did not
represent any relationships between parents and their children
with cancer. However, when the children understood their
of cancer.” They will need support to call them not “Japanese”
survivors but real “survivors” and return to a normal life,
having a confidence that they have overcome many challenges.
(田中京子訳)
parents thought they could manage the situation, the children
103
がんを患った生徒たちを順調に守り続けること
-オーストラリアの展望-
Belinda Barton
Children's Hospital Education Research Institute (CHERI)
『学校とは、生徒の生活の大部分を占め、若者たち
の社会化の場として重要です。それゆえ、学校とつ
ながりをもつことは、がんを患った生徒にとって、
普通であるという感覚を維持するための最良の方法
なのです。
』
子ども病院教育研究所(CHERI)は、オーストラ
リア・シドニーにあるウエストメッド子ども病院の
中にある研究機関です。この病院は 1880 年に設立
され、オーストラリアで2番目に大きい小児科病院
です。毎年5万人以上の子どもたちを治療し、外来
診察室には50万回以上の来院があります。ベッド
数は 310 で、3千人以上のスタッフがいます。この
病院には最先端の医療・技術装置があり、完全な治
療環境を提供するため、施設の庭園と芸術は一体化
されています。外来患者向けの介護や出先のクリニ
ックだけでなく、遠隔治療や遠隔放射線のような一
連の革新的なプログラム(医療スタッフが地方に住
んでいる子どもたちの診察のために行く地方のセン
ター)は、病院での滞在をできるだけ最短にするこ
とで、子どもやその家族に対して混乱や不安を軽減
することを目標としています。
発育上、そして精神上に病をかかえた子ども
たちのために家族カウンセリングを提供する
こと。
 健康と教育の間にある接点を向上させること
に焦点を当てた協同研究会議や研究フォーラ
ムを開催すること。-従って、子どもたちの
健康と福祉を間接的に向上させること。
CHERI の研究は慢性的な病気に焦点を当ててき
ました。慢性的な病気には、神経線維腫瘍1型(NF1)
、
口蓋-心臓-顔症候群(VCFS)
、注意欠陥多動性障
害、言語機能障害などの認知や学習上の問題と関連
する遺伝性疾患を含みます。現在の研究プロジェク
トは次を含みます:VCFS の子どもたちに関する数
学的プロファイル, NF1 を患った子どもたちの認知
障害に対する早期鑑定、そしてフルタイムで働いて
いる、または慢性疾患の子どもを介護している両親
への支援ニーズです。この機関は、学校やその他の
医療従事者との連携だけでなく、学習障害を伴う子
どもたちの認知的・教育的評価などの臨床サービス
も提供しています。CHERI は、
「ヒポクラテスとソ
クラテス-パワフルパートナーシップ」という2日
間にわたって行われる年次会議を開催します。この
年次会議は、子どもたちの健康と幸福を促進するた
めに、医療と教育の知識、証言、最優良事例を包括
します。先回の会議では、ADHD、学習障害、慢性
疾患、追加学習が必要な子どもたちへの関わりなど
が挙げられました。
子ども病院学校は病院内に立地し、州政府の学校
システムの一部です。この学校は事務室と3つの教
室で構成されており、学校長1名、教師7名、そし
て2名の助手がいます。この学校は、5日以上の入
院が予定されている幼稚園児から中等学校までの生
徒を世話します。病院学校に通うために、生徒は通
常の原籍校から編入する必要はありません。生徒の
状態によって、フルタイムかパートタイムでクラス
に出席することができ、クラスに来ることができな
い生徒については、教師が病棟に行きます。もし、
生徒の入院が10日以上になるのであれば、病院学
校の教師は通常通っている学校に連絡を取ります。
平均して、一週間に50人の生徒がこのクラスに出
席します。学校は生徒が通常通っている学校とE-
メール、電話、ファックスなどを使ってコミュニケ
ーションを維持することを目標としています。そこ
その結果、オーストラリアでの患者の入院パター
ンは見違えるほど変化しました。次第に患者は入院
が短期間となり、多くの治療はもはや入院を必要と
しなくなりました。その上、科学知識やテクノロジ
ーが進歩した結果、慢性的な病気にかかっていなが
らも生活を送っている子どもたちがさらにたくさん
います。子どもと大人の両方にとって健康問題は、
急性的ですぐにでも命にかかわるものというよりも、
慢性的、つまり、長期間続く傾向にますますなって
きているのです。その結果、長期にわたる患者治療
の必要性が高まってきているのです。さらに、過去
50年以上にわたって、慢性的な病気を患っている
子どもたちのケアが病院から家庭や地域社会へと変
化してきました。
CHERI は1996年に設立されました。この機関
のミッションは、健康と教育の間にある接点を向上
させることで、子どもたちの健康と幸福を促進する
研究が国際的に認められることです。私たちの目標
は:
 健康と教育の間にある接点に関係する、応用
共同研究の重要なプログラムを達成すること。
臨床サービスや教育に関する情報、医療上、
104
では、識字能力、計算能力、コンピューター・スキ
ル、音楽、クリエイティブ・アート、そして料理な
どを重点的に取り組みます。生徒は教室にいるとき
だけ、インターネットにアクセスすることができま
す。学校のスタッフは、医療スタッフ、作業療法士、
そしてその他の共同医療従事者と協議します。
生徒が病院から退院した後、その多くはすぐに学
校には戻らず、何週間も自宅で静養したり、他の生
徒からの感染リスクがあるため、学校に行ったりす
ることができません。さらに、あまりにも重病で学
校に行くことができず、自宅にいなければならない
生徒もたくさんいます。学校を6ヶ月以上休むほど
の病状を抱える生徒は、遠隔教育学校に入学するこ
とができます。しかし、通常通っている学校を退学
しなければなりません。遠隔教育では、生徒は印刷
物、電話授業、E-メール、CDやビデオなどを組
み合わせた教育を受けます。ほとんどの教材は郵便
で配達されます。生徒は教師と2週間ごとのペース
で連絡を取り合います。両親(もしくは、両親から
任命された監督者)がその子どもの学習を管理した
り、サポートしたりする責任があります。生徒は遠
隔教育の終了に向けてやる気を起こしたり、準備し
たりしなければなりません。したがって、多くの生
徒に適しているわけではありません。特に、認知的
に困難がある、または学習障害のある生徒にとって
です。現在のところ、6ヶ月以内で学校を休む、も
しくは遠隔教育を受ける選択肢のない生徒のために
教育を提供する、構造化された政府の教育システム
はありません。米国とは違って、オーストラリアの
学校では自宅での直接教育教授は提供していません。
学校に通うことができないがんやその他の慢性的
疾患を抱える生徒は、学業の機会を逃すこともでき
ます。それは、このような生徒に有意義な活動が提
供されると保証するために、強く、一貫したつなが
りが、教師と維持されている場合を除いてです。慢
性疾患を抱える生徒は、いつも学業についていこう
と思っていると報告しています。その結果、ストレ
スや憂鬱感を感じ、時には最終的に学校に対して高
い拒絶を起こすこともあります。学校と生徒間のコ
ミュニケーションは、長期にわたって学校を休むこ
とで崩壊するかもしれません。学校を休んでいる期
間や学校に戻る時、慢性疾患を抱える生徒の必要性
を満たすために、学校でどのようなカリキュラムや
時間割を採用するのかということについての理解が
不足していると教師は報告しています。仲の良い友
人や一般的な学校との社会的関わりを失うため、生
徒が社会的により孤独感を感じるかもしれません。
長期にわたって休んでいる間の仲間との交流やその
生徒の治療や病状について友達を教育することは、
慢性疾患を患っている生徒とその仲間との間の継続
的な関係を強化します。これにより、関わりを持つ
全生徒の社会性の発達が促進され、病気の生徒がい
ったん学校に戻ったときに、長期欠席を減らしてき
ました。
ウエストメッド・子ども病院では、がんを患った
生徒は「Back on Track(以下:バック・オン・トラ
ック」プログラムにアクセスすることができます。
このプログラムは2006年1月に開始しました。
このプログラムは、がんと診断された生徒たちが、
学校や仲間と教育的、社会的につながりを持つこと
を目的としています。このプログラムは CHERI に
よって提供され、外部からは骨髄提供者機関(Bone
Marrow Donor Institute/BMDI)によって資金提供
を受けています。BMDI は、診断、治療、回復期の
間、ガン患者やその家族を支援するために、199
0年に保護者らによって設立されました。BMDI は、
オーストラリア骨髄提供者登録(Australian Bone
Marrow Donor Registry)と BMDI 臍帯血バンク(the
BMDI Cord Blood Bank)を開設しました。メルボル
ンにあるロイヤル子ども病院(The Royal Children’s
Hospital/RCH)教育機関は、健康な生徒たちに教
育サービスを提供します。2004年には Back on
Track プログラムを開発しました。ロイヤル子ども
病院(RCH)教育機関は国とヴィクトリア州のプロ
グラム提供者です。一方、CHERI は、ニューサウス
ウェールズ州のプログラム提供者です。
バック・オン・トラック・プログラムは、多様な
体系的アプローチを使いながら、生徒を学校や仲間
集団とつなげることによって、生徒の教育的発達と
社会経験を促進させます。この体系的アプローチと
は、直接的なコミュニケーションとコミュニケーシ
ョン・テクノロジーの組み合わせを活用します。長
期入院を必要とし、引き続いて計3ヶ月以上の自宅
療養を必要とするがんを患った生徒は、このプログ
ラムを紹介してもらうことができます。生徒の多く
は病院学校に通わないか、通う資格がありません。
このプログラムへの紹介は医療スタッフ、共同の健
康専門家または教育専門家、もしくは両親によって
なされます。いったん生徒がこのプログラムを紹介
されると、学校の教師である、教育プログラム・コ
ーディネーターが生徒に働きかけます。教育プログ
ラムコーディネーターの役割は、病院や自宅での回
復期間において生徒を支援したり、学校とのコミュ
ニケーションやつながりを維持し、向上させたりす
ることです。これは以下によって達成されます:
 生徒の教育について、健康状態から予測さ
れることを話し合い、自宅、学校、病院間
の連絡を効果的にするメカニズムを構築す
るために、生徒の学校とミーティングを計
画すること。これにより、連続した教育提
供が保障されます。生徒の学校と連絡を取
ったり、コミュニケーションを図ったりす
105








るために、両親から許可が得られます。会
議はバック・オン・トラックに生徒が入学
してすぐに行われ、コーディネーターも教
師にこのプログラムを説明します。
教育的戦略やコミュニケーション戦略を開
発するために学校を支援します。これは、
生徒が通常のワーク・プログラムや仲間と
の接触を維持することができるようにする
ためです。
プログラム・コーディネーターは、個別学
習プランを作成します。これは学校との協
議により、決定されますこのプランは、バ
ックオントラック・コーディネーターと協
力している学校が、生徒の教育的、社会的
必要性を満たすために採用する戦略をまと
めています。このプランは、生徒の状況や
必要性が変化した時に修正されます。
学校で主となっている連絡担当者と毎週、
オンラインもしくは電話で打ち合わせをす
ることで、生徒と学校のつながりを維持す
ること。
生徒が病院や自宅でコンピューター技術に
アクセスできるように支援し、インターネ
ット上のクラス、ビデオ会議、E-メール
をどのようにしてセットアップし、管理し
ているかについての情報を提供します。
学習活動の修正を管理するために、学校が
教育戦略を開発するための支援を行います。
個別学習の必要性がある生徒を支援するた
めに、週1時間の個人教授を提供します。
この個別セッションは生徒が病院にいる間
に行われます。外来診察で待っている間や
化学療法を受けている間、もしくは、生徒
が自宅療養をしている場合、オンライン、
E-メール、電話で行われることもありま
す。
ロナルド・マクドナルド学習プログラム
(Ronald MCDonald Learning Program)
やレッドカイト(Redkite)などを含む、地
元のサービスとの連携を支援します。レッ
ドカイトとはオーストラリアのチャリティ
組織で、カウンセリング、資金提供、教育
サービスを提供することで、子どもやその
家族を支援します。
医療専門家からの意見を収集ことで、学校
が、学校への追加財源を申し込む支援をし
ます。
ム・コーディネーターはカリキュラムを開発しませ
ん。バック・オン・トラックのコーディネーターは、
生徒が通う学校の教師が決めた活動を、生徒が完了
できるように手助けします。したがって、このプロ
グラム・コーディネーターは生徒の担任に現在のク
ラスでの活動を要求します。生徒が学校から離れて
いる間、コーディネーターは生徒を教育するために
提供されたクラス活動で指導する手助けをします。
そして、クラスメートと同じ活動ができることを保
証をするために、
生徒の学校と連携します。
しかし、
生徒の健康状態や、このプログラムが週1時間であ
ることから、全てのクラス活動を完了することは可
能ではありません。生徒の担任は評価に最低限必要
な事柄を確認し、必要に応じて活動の優先順位を決
めなければなりません。プログラム・コーディネー
ターは、評価をもっと細かく分けるなど、クラス活
動を適応させたり、
修正したりするかも知れません。
バック・オン・トラックプログラムは、生徒が学
校、自宅、病院のいずれにいても、生徒に対する学
校の責任を強調します。テクノロジーがますます、
患者が学校や友達とつながるために利用されていま
す。E-メールや MSN のようなインターネット・
テクノロジー(IT)は、チャットルームを確保し、
ウェブカメラは社会活動だけでなく、カリキュラム
の重要な一部でもあります。ビデオ会議では、対話
式のホワイトボードの利用やデスクトップを共用す
るなど、ビデオとヴォイス(声)を使って、リアル
タイムでコミュニケーションを図ることができます。
ヴィジュアル・クラスルームも作ることができます。
これは生徒が病院や自宅にいるときに、教室の教育
情報にアクセスすることができるためにです。IT 利
用の一利点は、柔軟性です。-生徒は一日のいつの
時間でも、教室や教育にアクセスすることができま
す。
これらのインターネットテクノロジーの多くは、
メルボルンのバック・オン・トラックプログラムで
現在使用され、子ども病院での利用も計画されてい
ます。子ども病院のがん病棟は、病院のインターネ
ットに接続することができるポートを持っています。
MSN などの IT ツールの多くは、病院のファイアー
ウォールでブロックされています。私たちは現在、
病院のインターネットを迂回し、IT をもっと効果的
に使うことができるように、ガン病棟とクリニック
にワイヤレス IT を準備しています。さらに、私たち
はコンピューター製造会社から支援を受けたところ
です。この会社は生徒に貸すことができるようにノ
ートパソコンを寄付することに同意してくれました。
病院、自宅、学校間の協力という概念は、バック・
オン・トラック・プログラムの中心でス。病院、家
族、生徒、そして学校が協力を最大限に活用しよう
バック・オン・トラック・プログラムは、生徒が
学校とのつながりを維持することに重点を置いてい
ます。自己啓発モデルで働きかけるので、プログラ
106
と意欲的である時、その介入が最も成功するとデー
タも示しています。このプログラムに参加するため
には、家族、生徒、学校に同意が必要です。バック・
オン・トラックのコーディネーターは病院にいるさ
まざまな専門家と協力して働きかけます。この専門
家とは、作業療法士、音楽セラピスト、プレイセラ
ピスト、心理学者、ソーシャルワーカー、医師、看
護師、病院学校のスタッフです。プログラム・コー
ディネーターが必要に応じて、骨髄移植会議などの
会議に出席したり、調節したりすることによって達
成されます。さらに、2週間ごとに生徒の教育活動
についての簡潔な情報が病院内の関係専門家にE-
メールで送られます。
生徒が学校に戻る準備ができると、プログラム・
コーディネーターは、スムーズに学校に戻れるよう
に手助けをします。生徒が学校に戻るに先立ち、プ
ログラム・コーディネーターと、ほとんどの場合で
看護師コンサルタントは、生徒の教育や医療上で必
要となる情報を伝えるために原籍校を訪れます。プ
ログラム・コーディネーターは、車椅子での登校や
教師の手助けなど、生徒がさらに必要とすることに
ついて準備する手助けをします。学校への復帰は段
階的です。例えば、週に数時間の登校から始め、数
日に増やしていきます。生徒は普通どおり学校に復
帰するまでこのプログラムに在籍します。生徒、家
族、そして学校は、生徒が必要とすることが満たさ
れ、生徒が学校での課題に取り組む力があると、自
信を持てるにならなければなりません。生徒が学校
にいつも通り復帰するためにかかる時間は場合によ
って異なります。いったん生徒がフルタイムで学校
に戻ると、プログラム・コーディネーターは数週間
その生徒の観察を続けます。これは、その生徒がこ
のプログラムを終了する前に、フルタイムでの学校
生活に十分移ったことを保証するためです。
このプログラム・コーディネーターは生徒にロナル
ド・マクドナルド学習プログラム(Ronald McDonald
Learning Program/RMLP)を紹介するかもしれま
せん。このプログラムは長期間学校を欠席し、これ
から復帰しようとしている子どもの教育的ニーズを
サポートします。この生徒は必要性や適切な介入を
認識するために、精神鑑定、学力検査、言語療法や
作業療法を受けるかも知れませんまた、原籍校に通
いながら、個別指導やセラピーを受けるかも知れま
せん。
バック・オン・トラックプログラムは、がんを患
った生徒を学校や仲間と教育的、社会的につなげる
柔軟で革新的なプログラムです。また、生徒の心理
社会的適応を促進します。このプログラムの原理や
デザインは、腎不全や嚢胞性線維症のような慢性疾
患を抱える多くの子どもたにも役立つでしょう。
更なる情報は以下のウェブサイトをご参照ください。
Bone Marrow Donor Institute(オーストラリア骨髄
提供者登録) – www.bmdi.org.au
CHERI ( 子 ど も 病 院 教 育 研 究 機 関 ) –
www.cheri.com.au
Redkite(レッドカイト) - www.redkite.org.au
Royal Children’s Hospital Education Institute(ロイ
ヤル子ども病院) - www.rch.org.au/edinst
Ronald McDonald Learning Program(ロナルド・マ
クドナルド学習プログラム) – www.rmhc.org.au
107
Keeping Students with Cancer on Track: Australian Perspectives
Belinda Barton
Children's Hospital Education Research Institute (CHERI)
“…Because school is a major part of a student’s life
and an important part of a young person’s
socialization, being in touch with school is the best
way for students with cancer to maintain a sense of
normality…”
The Children’s Hospital Education Research Institute
(CHERI) is a research institute that is part of The Children’s
Hospital at Westmead, located in Sydney, Australia. The
Hospital was established in 1880 and is the second largest
paediatric hospital in Australia. It treats over 50,000 children
each year, with over 500,000 visits occurring in outpatient
promotes children's health and well-being through
improvements in the interface between health and education.
Our objectives are:
i.
ii.
to achieve a significant program of applied collaborative
research related to the interface between health and
education.
to offer clinical services and resources in educational and
family counselling for children with medical, developmental,
and psychological conditions.
iii.
to conduct interdisciplinary conference and research
forums which focus on improving the interface between
health and education – thus indirectly promoting children’s
health and welfare.
clinics, with 310 beds, and has over 3000 staff. The hospital
has state of the art medical and technical equipment, with the
design of the facilities, gardens and art are combined to
provide a total healing environment. A range of innovative
CHERI’s research has focused on chronic conditions that
include genetic disorders with associated cognitive and
programs such as telemedicine and teleradiology, as well as
outpatient based care and outreach clinics (where medical
staff travel to regional centres for consultations with children
who live locally), aim to reduce the disruption and anxiety to
learning problems such as neurofibromatosis type 1 (NF1),
velocardiofacial syndrome (VCFS), attention deficit
hyperactivity disorder and language impairment. Current
research projects include: the mathematical profile in
children and their families by keeping their stay in hospital
as short as possible.
Consequently, patient admission patterns in Australia have
children with VCFS, the early identification of cognitive
deficits in children with NF1 and the support needs of
parents who are working full-time and caring for a child
with a chronic illness. The institute also provides some
changed considerably. Increasingly patients are admitted for
shorter periods of time, and a number of treatments no
longer require admission to hospital. In addition, as a result
of the advances in scientific knowledge and technology,
clinical services such as cognitive and educational
assessments of children with learning problems, as well as
liaising with schools and other health professionals. CHERI
holds a two-day annual conference series, which is titled
there is a greater number of children being identified and
living with a chronic illness. It is increasingly the trend that,
for both children and adults, health problems are chronic,
that is long-lasting, rather than acute and immediately
"Hippocrates and Socrates - a powerful partnership", which
brings together knowledge, evidence and best practice from
medicine and education to promote children’s health and
well-being. Our previous conference topics include ADHD,
life-threatening, thereby increasing the need for long term
patient care. In addition, over the past 50 years, there has
been a shift in the care of children with chronic illness from
hospitals towards homes and communities.
learning disabilities, chronic conditions and interventions for
students with additional learning needs.
Located within the hospital, is The Children’s Hospital
School, which is part of the state’s government school
system. The school consists of a school office, and three
classrooms, and is staffed by one school principal, seven
CHERI was established in 1996 and the mission of the
institute is to be internationally recognised for research that
108
teachers and two teachers’ aides. The school caters for
students from kindergarten to secondary high school whose
anticipated admission is for 5 days or more. To attend the
Students with cancer, or other chronic illness who are unable
to attend school, can miss out on school work unless a strong,
consistent connection is maintained with teachers to ensure
hospital school, students do not have to transfer from their
regular home school. Depending upon the student’s
condition, they can attend school full or part-time in the
classroom or for students who are unable to come to the
that meaningful work is provided for the student. Students
with chronic conditions report feeling that they are always
trying to catch up with their schoolwork, resulting in feelings
of stress or depression and sometimes eventually in high
classroom, a teacher will visit them on the ward. The
hospital school will contact the student’s regular school if the
student’s stay in hospital is 10 days or more. On average,
around 50 students a week attend the classrooms. The school
levels of school refusal. Communication links between the
school and the student may also break down over long-term
absences. Teachers report a lack of understanding about how
to adapt the school curriculum and timetable to meet the
aims to maintain communication with the student’s regular
school via email, phone and fax. Educational activities focus
on literacy, numeracy, computer skills, music, creative arts
and cooking. Students can only access the internet when
needs of students with chronic conditions, both during their
absences from school and upon their return. Socially,
students may feel more isolated because they miss the close
friendships and general social involvement of school. Peer
they are in the classroom. School staff works in consultation
with medical staff, occupational therapists and other allied
health professionals.
contact during lengthy absences and peer education about
the student’s treatments and condition enhance the continued
relationships between students with a chronic condition and
their peers. This helps to promote the social development of
After the student is discharged from the hospital, many
students do not return to school immediately and may spend
many weeks recovering at home or are unable to attend
school because of the possible risk of infection from other
all students involved and has been shown to reduce
absenteeism once the student, who has been ill, returns to
school.
students. In addition, there are many students who are too ill
to attend school and need to stay at home. Students with
medical conditions who are going to be absent from school
for 6 months or more, can enrol in the School of Distance
At The Children’s Hospital at Westmead, students with
cancer can access the ‘Back on Track’ program, which
commenced in January 2006. This program aims to keep
students diagnosed with cancer connected educationally and
Education but have to be unenrolled from their regular
school. With Distance Education, students may access
learning material through a combination of printed material,
telephone lessons, emails, CD’s and video. Most material is
socially with their school and peers. The program is
provided by CHERI and externally funded by the Bone
Marrow Donor Institute (BMDI), an institute established in
1990 by parents to support patients with cancer and their
delivered by mail. Students communicate with teachers on a
fortnightly basis. The parent (or supervisor appointed by the
parent) is responsible for supervising and supporting the
child’s learning. Students have to be motivated and
families during diagnosis, treatment and recovery. The
BMDI set up the Australian Bone Marrow Donor Registry
and the BMDI Cord Blood Bank. The Royal Children’s
Hospital (RCH) Education Institute, Melbourne, provides
organised to complete distance education. Therefore, it is not
suitable for many students, especially those with cognitive
and learning difficulties. Currently there is no structured
government school system to provide education to students
educational services for students with a health condition and
developed the Back on Track program in 2004. The RCH
Education Institute is the national and Victorian state
provider of the program while CHERI is the New South
who will be away from school less than 6 months or do not
choose to enrol in Distance Education. Unlike, the United
States, Australian schools do not offer direct educational
instruction in the home.
Wales provider of the program.
The Back on Track program promotes the educational
growth and social experience of students by linking them to
their school and peer group using a wide range of systemic
109
approaches that utilise a combination of face to face and
communications technology. Students with cancer who
require a lengthy stay in hospital followed by a recuperation


period at home lasting a total of three months or more can be
referred to the program. Many of the students do not attend
or are not eligible to attend the hospital school. Referrals to
the program can be made by medical staff, allied health or
education professionals, or by parents. Once a student is
referred to the program, an Education Program Coordinator,
who is a school teacher will work with the student. The role
of the Education Program Coordinator is to assist students in
Organising a meeting with the student’s school to
discuss the implications of the condition on the student's
education, and to establish effective mechanisms for liaison
between the home, school and hospital. This is done to
recovering at home this tuition session may be conducted
online, by email or phone.


The Back on Track program focuses on the student staying
connected to the school. Working from an empowerment
model, program coordinators do not develop curriculum.
Back on Track coordinators facilitate the student’s
completion of work set by the student’s own teachers at
school. Therefore, the program coordinators request current
classwork from the student’s regular teacher. The
coordinators assist in teaching the provided classwork to
educate the student whilst they are away from school and
Assisting schools to develop educational and
communication strategies so that students are able to
maintain a regular work program and regular contact with
their peers.
work with the student’s school to ensure that the student is
able to work on the same activities as their classmates.
However, due to the student’s health status and the fact that
the program provides only one hour per week of tuition, it is
The program coordinator will create an
Individualised Learning Plan, which is completed in
consultation with the school. The plan outlines strategies that
the school in conjunction with the Back on Track
coordinator will adopt to meet the student’s educational and
social needs. The plan is revised when the student’s
not possible to complete all classwork. The student’s regular
teacher must identify the minimum requirements for
assessments or prioritise work as needed. The program
coordinator may also adapt and modify classwork such as
circumstances or needs change.


Supporting schools in their applications for
additional school funding by collecting supporting
statements from health professionals.
opportunity for the coordinator to explain the program to
teachers.

Assisting with the coordination of local services
including: Ronald McDonald Learning Program or Redkite.
Redkite is an Australian charity that supports children and
their families through cancer by providing counselling,
financial assistance and educational services.
ensure a continuum of education provision. Permission is
obtained from the parent to contact and communicate with
the student’s school. The meeting occurs just after the
student has enrolled in Back on Track and also provides an

Providing one hour per week of individual tuition
to assist students with their personal learning needs. The
tutoring sessions may be conducted with the student while
they are in hospital, at the outpatient clinic while waiting for
appointments or receiving chemotherapy, or if the student is
hospital or recovering at home, to maintain and improve
communications and connection with their school. This is
achieved by:

Assisting schools to develop educational strategies
for managing modification of learning activities.
breaking down assessments into smaller tasks.
Maintaining communication links between the
student and school through weekly online or phone
conversations with a key contact person at the school.
The Back on Track program emphasises the responsibility
schools have to students whether they are at school, at home,
or in hospital. Increasingly technology is utilised to connect
patients to their school and friends. Internet technologies
(IT) such as email, MSN, secure chat rooms and webcam
play an important part in curricular as well as social
Assisting the student to access computer
technology at the hospital and at home and providing
information on how to set up and run an internet based
virtual classroom, video conferences and email.
110
activities. Videoconferencing also provides an opportunity
to communicate in real time using video and voice, with an
interactive whiteboard and desktop sharing. Virtual
program coordinator will assist in organising any additional
requirements for the student such as wheelchair access,
teacher’s aide etc. The return to school may be gradual, for
classroom can also be created so that students can access
educational information in the classroom when they are
staying at the hospital or at home. One advantage of using IT
is its flexibility - the student can access the classroom and
example, attending the school for a few hours per day and
increasing to a few days per week. The student will remain
on the program until they return to school on a regular basis.
The student, the family and the school must feel confident
their education at any time of the day. Many of these internet
technologies are currently being used by the Back on Track
program in Melbourne and are planned for the Children’s
Hospital. The oncology ward at The Children’s Hospital has
that the student’s needs are being met and the student has the
capacity to cope with the challenges associated with
schooling. The length of time that it takes a student to return
to school on a regular basis varies from case to case. Once
ports that are connected to the hospital internet and many of
the IT tools such as MSN are blocked by the hospital
firewall. We are currently organising wireless IT to the
oncology ward and clinic so that we can bypass the hospital
the student has returned to school full-time, the program
coordinator will continue to monitor the student for a
number of weeks to ensure that the student has transitioned
well to the full-time school routine before the student exits
internet and utilise IT more effectively. In addition, we have
just received support from a computer manufacture that has
agreed to donate laptop computers that can be loaned to
students.
from the program.
The program coordinator may also refer the student to the
Ronald McDonald Learning Program (RMLP). This
program supports the educational needs of children
The concept of collaboration between hospital, home and
school is central to the design of the Back on Track Program.
Data indicates that the most successful interventions occur
recovering from a serious illness who have missed a
significant amount of schooling and are returning to school.
The student may have a psychometric, academic, speech or
occupational therapy assessment to identify the needs and
where the hospital, the family, the student and the school are
highly motivated to make the most of the collaboration.
Consent is obtained from the family, the student and the
school to be part of the program. The Back on Track
appropriate intervention for the student. The student may
receive educational tutoring or therapy while they are
attending their regular school.
coordinators also work collaboratively with a range of other
professionals located at the hospital including occupational
therapists, music and play therapists, psychologist, social
workers, doctors, nurses and hospital school staff. This is
The Back on Track program is a flexible and innovative
program that keeps students with cancer connected
educationally and socially with their school and peers, as
well as promoting the psychosocial adjustment of the
achieved by program coordinators attending and
coordinating meetings as needed, for example, bone marrow
transplant meetings. In addition, every fortnight, brief
information about the students’ educational activities is
student. The elements and design of this program would also
benefit many other children with chronic conditions such as
renal failure or cystic fibrosis.
distributed via email to relevant professionals within the
hospital.
For further information, please visit the following websites:
Bone Marrow Donor Institute – www.bmdi.org.au
CHERI – www.cheri.com.au
Redkite - www.redkite.org.au
When the student is ready to return to school, the program
coordinator will facilitate a smooth transition back to school.
Prior to the student returning school, the program
coordinator and in most cases, the clinical nurse consultant
will visit the student’s regular school to provide information
Royal Children’s Hospital Education Institute www.rch.org.au/edinst
Ronald McDonald Learning Program – www.rmhc.org.au
(田中京子訳)
about the educational and medical needs of the student. The
111
通常の健康的な生活の維持
Carina Eriksson
Hospital teacher Queen Silvia Children’s Hospital Gothenburg, Sweden.
クイーン・シルビア子ども病院は、スウェーデンで一
番大きな子ども病院です。病院として必要な活動の全
てを行っています。患者用のベッド数は 201 で、年間
約 12,300 人が利用します。210 人の内科医を含む、
1,900 人の職員が働いています。この病院は、教育・
研究のセンターでもあり、腫瘍治療のセンターです。
クイーン・シルビア子ども病院は、病気の子どもの権
利を重視しています。これは、国連の子どもの権利条
約が日々のケアで活用され、全ての活動で実施される
べきであるということを意味しています。
「子どもは小さな大人ではない。彼ら、彼女らは大
人のように振舞うわけでも、病を患うわけでもない。
彼ら、彼女らには専門的なスキルと対処が必要であ
る。
」
スウェーデンの病院では、患者数が徐々に変化して
います。
病院のベッド数は 10 年前の半分にまで減少し
ました。入院している子どもたちのメディカルケアは
現在、重度の病気を抱える子どもたちの緊急処置がほ
とんどです。重度の病気とは、例えば非常な医療的努
力を必要とするガンや他の慢性的な病気のことです。
患者が病院にいるということは、それ相当な理由があ
ります。つまり、私たち、病院学校の教師は、重度の
病気を患った生徒たちと出会うことが多いのです。
どもたちです。この5年間、この科で約 10 人近い子ど
もたちが亡くなりました。私の場合、子どもの 90%が
一命を取りとめ、回復したので、幸運だったと言える
でしょう。北欧は小児がんの子どもたちの生存率が世
界でも最も高く、75~80%です。この理由の一つは、
「子どものためのがん治療優良組織(the Good
organization for oncology treatment for children)
」
という研究によります。
がんセンター
クイーン・シルビア子ども病院は、国内に6つある
癌センターの一つです。つまり、ここで専門家による
治療や研究が行われています。このセンターから、他
のより小規模な治療科に指示が出されます。これには
連携されたチームワークというネットワークが必要で
す。以下は、そのネットワークの一つです。
がんチーム
内科医、正看護師、精神分析医、プレイセラピスト、
きょうだいのためのコーディネーター、ソーシャルワ
ーカー、病院牧師、小児科コーディネーター、病院教
師
チームは情報交換のため、少なくとも週に一回はミ
ーティングを開きます。全てのチームメンバーは、職
業上秘密厳守の下、任務についています。
スウェーデンの病院学校は、42 の地方自治体の、92
の病院組織により運営されています。
これらの組織は、
身体的・精神医学的なケアを行う、子どもや若者のた
めのクリニックです。国内には 180 人の病院教師がい
ます。全国には約 8,700 人の生徒が病院学校に在籍し
ています。病院教師は、290 の地方自治体にあるそれ
ぞれの学校課に属しています。私たち、病院教師は、
たとえ病院学校のほとんどが病院内に立地していても、
病院に雇用されている訳ではありません。病院学校の
財政は地元の学校課によって支えられていますが、私
たちの給料の 70~85%は政府より支給されています。
小児科コーディネーター
患者ががんの診断を受けると、小児科コーディネー
ターは早急に家族と連絡を取ります。写真などの資料
を用いて、小児科コーディネーターはその子どもや家
族に体内でがんがどのように進行しているのか、そし
て、治療の計画を説明します。小児科コーディネータ
ーは、情報提供を行い、病院チーム(関係者)や普段
の生活で関わりのある人々との連絡を調節します。
プレイセラピーと文化的行事
プレイセラピー科では、
いつも多くの活動が行われ、
子どもたちはできるだけたくさん参加します。また、
絵画や裁縫、工作のような美的感覚を養う学校科目に
も取り組みます。図書館や病院学校と一緒に、プレイ
セラピー科は、毎週、文化的行事を主催します。プロ
のミュージシャン、俳優、ダンサー、スポーツスター、
腫瘍科
クイーン・シルビア子ども病院で、私は年に 100 人
近い小児ガンの子どもたちに出会います。その子ども
たちとは、新しい患者や引き続き治療を続けている子
112
マジシャン、ピエロなどを呼びます。クリスマスやイ
ースターのような伝統的な行事もあります。行事を資
金面で支援するための基金を絶えず探します。また、
定期的に、継続して子どもたちに資金援助をしてくれ
る理想的な組織や個人的な寄付もあります。
絶え間ないチームワーク
担当医や両親から許可が出れば、子どもたちに自分
の学校に行くように働きかけることは重要です。たと
えほんの数時間であっても重要です。この目的は、結
果を出すということではなく、クラスと社会的な接触
を維持し、孤独感を軽減するためです。原籍校は、い
つでも生徒を受け入れる用意がなければなりませんし、
戻ってくることを予測しておかなければなりません。
病状が許す限り、その子どもがそれ相当の教育を受け
ることができるようにすることは、原籍校の校長の責
任です。もし生徒が長期間自宅にいなければならない
のであれば、
「自宅教育」を手配することは原籍校の義
務です。原籍校は教師を子どもの自宅に訪問させ、そ
こでその子どもを教えなければなりません。教師は学
校の友達を連れて行くこともできます。病院学校の教
師は少なくとも週5時間は自宅で教えることが奨励さ
れます。病院学校は生徒の普段の学校生活をサポート
するものです。病院学校は、生徒が入院中、原籍校が
生徒の学ぶ権利を満たすことができるよう、手助けを
します。生徒は癌センターで治療を受けるかも知れま
せんが、自宅近くの病院「ホーム・ホスピタル(自宅
病院)
」でも治療を受けます。さまざまな組織で、病気
の生徒に対して責任を持って活動している教師たちの、
絶え間ないチームワークがあります。
きょうだいのためのコーディネーター
このサービスは、直接、小児がんの子どもたちのき
ょうだいを世話することに重点を置いています。きょ
うだいは非常に困難な状況にあります。兄弟や姉妹が
突然病気になると、きょうだいコーディネーターは、
そのきょうだいを遠足に連れて行ったり、一緒に遊ん
だり、そして、悲しい思いをしている時は慰めたりし
ます。
クイーン・シルビア子ども病院の病院学校
病院の小さな教室には最大8人まで受け入れること
ができます。教材もここに保管してあります。全教科
のさまざまな出版社の本が何種類もあります。インタ
ーネットができるパソコン、CDプレーヤー、デジタ
ルカメラなどもあります。しかし、最も重要なのは、
生徒が教師と過ごす個々の時間を持ち、その子に合っ
たレベルや必要性に合わせて活動ができるということ
です。
主要科目(数学、英語、スウェーデン語)において
は、生徒は国の定める目標に到達することを目指すこ
とが必要です。生徒たちはこれらの科目で認定を取得
するためには何が必要か、というはっきりとした指導
を受けなければなりません。しかし、特に生徒が興味
を持っている科目に取り組み、学校を楽しいものにす
ることも重要です。私たちは生徒のレベルを見て、彼・
彼女がすでに理解していることは何かを探ります。生
徒は活動を制限したり、活動計画を立てたり、最優先
事項を見つけたり、また、不必要を思われる事柄を縮
小・削除するための手助けが必要かもしれません。こ
のように、ここでの教育は非常に効率的です。
どのようにして家族に学校を紹介するのでしょうか。
不治の病を抱えた子どもを持つことは常に精神的に
大きな衝撃です。病室はその子どもや家族にとって仮
の住まいです。通常、父親や母親は子どもと一緒にそ
の部屋で寝ます。時にはその部屋にきょうだいや他の
親類が泊まることもあります。私たちは広い心と思い
やりを持ち、注意深くこの人々たちにアプローチしな
ければなりません。全て人々はそれぞれの状況に対し
てそれぞれの方法で取り組むのです。彼らの個々の希
望、心配、必要性に耳を傾けることは不可欠です。
腫瘍科では、患者のほとんどは1週間ほど滞在し、
細胞増殖抑制治療やその他の治療を受けます。それか
ら自宅に戻り、3週間ほど静養し、次の治療に戻って
きます。小児がんの子どもは普通、数ヶ月から3年を
かけて治療を受けます。この病院では、他の多くの国
とは違う方針があります。その方針とは、できるだけ
早く患者を自宅に帰し、感染の可能性が少しあったと
しても、学校へ生徒を返すことです。友人、学校、活
動などの通常の環境がもたらす肯定的な心理効果は、
感染などのリスク全てから離れ、孤独でいることより
も、回復の過程でより重要です。
ベッドサイド教育
私たちの生徒の多くは一階にある病院学校から離れ
る可能性はありません。その生徒たちは点滴を受けて
いるか、体がだるかったり、ナーバスな状態にあった
りします。その場合、私たちは生徒たちのもとに行く
必要があります。
腫瘍科病棟の子どもたちはほとんど、
治療の間は自分たちの部屋にいます。したがって、わ
たしたちはベッドのそばで教えます。
113
ん。
病院に学校があると、病気から解放されたり、治療
を一時休んだりすることができます。学校は、健康的
な生活の一部となることによって、
「良くなるための」
プロセスをサポートします。生徒が重度の病気で、普
通の状態で勉強できる体力がない時、病院学校は治療
でありながらも知的な刺激のある方法で働きかけます。
学校で勉強したことに関するビデオを見たり、ゲーム
やパズルで遊んだり、お話や音楽を聴いたりします。
病気になることは学ぶ機会を失うということではあ
りません。反対に、普通の学校で受ける教育に相当す
る教育を受ける法的権利があるのです。自身の教師を
持ち、自分に合ったレベルと状況の下で学ぶ基本的人
権があるのです。
どうして病院での教育が必要なのですか。
時に私たちの教育について質問されることがありま
す。病気の子どもたちが良くなるために戦っているだ
けでは不十分なのですか?そのような子どもたちが学
校についてまで心配しなければならないのですか?よ
りプレッシャーをかけていませんか?などなど。
しかし、経験したことはさまざまな形で表れます。病
院での教育は必要です。子どもたちや青少年は、私た
ちにこの教育が毎日必要であるということを示してく
れます。
統計によると、生徒が病気になって最初に心配する
ことは、病気によってどれだけ今受けている教育が左
右されるか、ということです。この先教育を受けられ
ないのではないか?病気のために将来、さまざまな機
会を失うのではないか?勉強をもう一年、もしくはも
っと繰り返さなければならないのか?学校の友達や先
生との接触がなくなるのではないか?このような心配
をします。
病院学校の教師として、私たちは彼らの心配を十分
理解しています。私たちはできるだけ早く、このよう
な生徒たちに私たちの学校と引き合わせ、
紹介します。
そして私たちができる手助けを伝えます。
教師としての私たちの存在で、生徒は心配な状況を
鎮めるきっかけを多くつかみます。健康的で、知的な
ことに専念することは、
その生徒が感じる心配や痛み、
心理的なプレッシャーを軽減します。私はあなたの未
来を信じます、あなたは逆境に強い人であると確信し
ています、学ぶことや将来学んだことを生かすことが
できると信じることをあきらめてはいけません、と彼
らに伝えているのです。
病院での教育は、普通の生活、つまり、安心感と連
続性を意味する、友達や教師、社会生活の一部となっ
て、生徒を支えます。生徒たちは孤独になったり、友
達や教師との接触がなくなったりしてはいけません。
可能な時は自由に友達や先生を訪問したり、手紙、メ
ール、ファックスなどを送ったりしてもいいのです。
病院学校はそのお手伝いをします。
「原籍校」への橋渡し-生徒が普通の生活に戻ったと
き、私たちは学校と互いにサポートし合い、余分なス
クーリングの必要性を縮小させます。ほとんどの生徒
は同じ学年を繰り返したくありませんし、そうすべき
ではありません。ほとんどの場合、必要ではありませ
最期を迎えつつある子どもたちを学校にやる必要は
あるのですか。
もちろん。その必要がなければ、そのような子ども
たちは学校を求めたりしません。私はロブという、14
歳の白血病を患った生徒を受け持っていました。8 歳
からこの病気を患っていました。
この子どもは長い間、
とても一生懸命病気を闘わなければなりませんでした。
亡くなる前の数週間前、彼は病院にいました。多くの
鎮静剤を服用せねばならず、
息をするのも困難でした。
4人の看護師が必要な器具全てを使って、この子ども
を助けている部屋を通りかかりました。私はドアのと
ころで躊躇しながら立ち止まっていました。私は彼が
その瞬間に私に気付くことができたとは想像できませ
んでした。突然彼は見上げ、私と目が合いました。彼
は私に部屋に入ってくるように手招きをしたので、入
っていきました。私はためらいながらも尋ねました。
「今日は学校に行きたい?」彼は呼吸マスクを取って
言いました。
「うん、しばらく何か他のことを考えるこ
とができたらとてもいいんだけど。
」
私たちは最後まで、いつでもその子どもや若者が、
何を望んでいるのかを考えながら、元気を出して働い
ています。何とかして、病院生活の最後まで、普通で、
健康的な生活を続けることが大切なのです。
人生の、青い川の一滴(ひとしずく)は、
それ自身で動くことはできない。
川を作り上げるためにはその一滴一滴がともに働きか
けなければならない。 タージェ・ダニエルソン
(田中京子訳)
114
STAY IN TOUCH with NORMAL HEALTHY LIFE
Carina Eriksson
Hospital teacher Queen Silvia Children’s Hospital Gothenburg, Sweden.
The Queen Silvia Children’s hospital is the largest
The hospital teachers are as most teachers in the
Children’s hospital in Sweden. It has all the
activities needed for a complete hospital. There are
201 beds for patients and around 12 300 patients in
a year. There are 1900 employees here (including
country employed by the local school department at
one of the 290 Municipalities. We are not employed
by the hospital, even if the Hospitals schools mostly
are located in the hospital buildings.
210 physicians).
The hospital is also a centre for education and
research and it is a centre for oncology treatment.
The Queen Silvia Children’s hospital focuses on the
The economies of the hospital schools are provided
by the local school department but the salaries are
also paid with 70-85 % by the Government.
rights of ill children. This means among other
things that the United Nations Convention on the
Rights of the child must be used in the daily care
and run through all activities.
The oncology departments
At the oncology departments at Queen Silvia
Children´s Hospital, I meet around 100 pupils with
cancer in a year. They are patients with continuing
“Children are not small adults. They don’t behave
like adults and suffer from other diseases; they need
specialized skills and management”
treatment as well as new patients. During my five
years of experience at these departments, there
have been around 10 pupils a year who have died. I
have been lucky to see 90% of my students survive
There is a steadily changing number of patients at
the hospitals in Sweden. The number of beds at the
hospitals has fallen to half of the number ten years
ago.
and get well.
The Nordic countries have the highest number of
survivals of children with cancer in the world with
75-80%. One of the reasons for this is according to
The medical care for children staying at the
hospitals is now dominated by emergencies with
very ill children for example with cancer and other
chronic diseases which demand great medical effort.
research “the Good organization for oncology
treatment for children”.
When the patients stay at the hospital they have
good reason for it. This means that we as hospital
teachers often meet our students when they are
quite ill.
The Queen Silvia Children’s Hospital is one of six
Oncology Centres in the country. This means that it
is here where you find the specialist treatment and
research. From these centres, other smaller units
The Oncology Centres
for treatment get their orders.
This requires a network of coordinated teamwork.
The hospital schools in Sweden are run by 42
Municipalities at 92 hospital units.
These units are clinics for children and adolescents
Here is one part of the Network:
at somatic and psychiatric care.
There are 180 hospital teachers in the country.
Nationally there are around 8 700 students at the
hospital schools.
The Oncology Team.
Physician
Registered Nurse
Psychologist
Play therapist
115
Siblings’ coordinator
Social worker
Hospital priest
Paediatric Co-ordinator
The hospital school at Queen Silvia Children´s
Hospital
We have space for up to 8 students in our little
classroom at the hospital. We keep study material
Hospital teacher
here. We have various books for all school-subjects,
and from different publishers.
There’s a computer with Internet, CD player,
Digital camera e.t.c.
The team meets at least once a week to exchange
information. All the team-members work under
professional secrecy.
The Paediatric coordinator
When the patient has received the diagnosis cancer,
But most important, the student has individual
time with a teacher and can work at his/her
particular level and needs.
The students primarily need to aim at reaching
the P.Co takes contact with the family as soon as
possible. Using a material with pictures, the P.Co
explains to the child and relatives what is
happening with the cancer inside the body and the
national goals for the main subjects; Maths, English
and Swedish. They must get clear instructions
about what they are required to do to get approval
in these subjects.
plan for the treatment.
The P.Co. works giving information and coordinates
the contact with the hospital team and important
people from the patients´ normal, healthy life.
But it is also important to work with subjects of
special interest for the student´s and aim to make
school joyful. We look at the level of the pupil, go
through what he/she already knows. The student
may need help to limit and plan the work, to find
the most important parts and to cut unnecessary
items. This way the education can be very efficient
Playtherapy and Cultural events
At the Playtherapy department there is always a lot
of activity and the children play as much as possible.
They also work with esthetical school subjects like
painting, sewing and carpentry.
The Playtherapy together with the Library and
Hospital school organizes cultural events every
Bed side education
Many of our students have no possibility to get
down to the Hospital school at the first floor. They
may be connected to intravenous drip, or feel weak
week. We have professional musicians, actors,
dancers, sports stars, Magicians, clowns e.t.c. There
are festivities at traditional events like Christmas
and Easter.
or nauseous. Then we need to go to them in their
departments.
The children at the Oncology departments often
stay in their rooms during the treatment.
There is a steadily search for funds to finance the
events and several idealistic organizations and
private donations which on a continuing basis give
financial support for children.
My work is therefore mostly teaching sitting beside
the hospital bed.
A constant teamwork
The Siblings coordinator
This service is directly concentrated on taking care
of the cancer patient’s siblings
It's important to encourage the child to go to his/her
ordinary school when the doctor and parents permit
it, even if just for a couple of hours. The motive for
this is not so much to achieve results but more to
The sibling’s situation can be very difficult when
their brother or sister suddenly gets ill. The Siblings
coordinator brings the siblings out on excursions,
plays with them, and comforts them when they are
keep socially in touch with the class and diminish
the feeling of abandonment.
The Home school must always be prepared to
receive the student and expect him/her to come
sad.
back.
It is the responsibility of the headmaster at the
116
home school to secure that the sick child, as much
as the disease permits, gets the corresponding
education.
If the pupil has to stay at home for a long time, it's
positive psychological effects that the normal
environment with friends, school and playing brings
to the child is more important in the getting well
process, than staying away and isolate them from
an obligation for the home school to organize “home
teaching”. The Home school must let a teacher go to
the child’s home and teach him/her there. The
teacher can be accompanied by a friend from school.
all risk of infection.
The hospital teachers recommend at least 5 hours a
week for home teaching.
The Hospital School can be seen as a support for the
students´ ordinary schools.
teaching. People may ask: Is it not enough for
children to be ill and fighting to get well? Do they
have to worry about school too? Is it not putting
more pressure on them?
It facilitates for the Home schools to fulfil
student’s rights to education when staying at
hospital. The student may get treatment at
oncology centre but also at a hospital closer to
the
the
the
the
But experience show differently. Education at
hospitals is necessary. Children and youngsters
show us this need everyday.
home, “Home-hospital”. They can get school at the
centre and also at the Home-hospital.
It's a constant teamwork between the teachers
responsible for the sick student at the different
There are statistics showing that the first thing a
student worries about when he/she gets ill is how
their education is going to be affected by the illness.
They may have worries like: Will I not be able to
Units.
How can you introduce school to a family in a crisis?
Having a child with a mortal disease is always a
follow the education? Will I have fewer
opportunities because of this in the future? Will I
have to repeat a year or more of studies? Will I lose
contact with friends, teachers at school?
trauma. The hospital room is a temporary home for
the Child and family, normally the father or mother
sleeps in the room together with the child.
Sometimes there are also siblings or other relatives
As Hospital teachers we are very aware of these
worries. We aim to meet and introduce our school to
the students as fast as possible and inform them
about the help we can give.
staying in the room. We need to approach them
carefully with an opened mind and a lot of
sensitivity. All human beings are different
individuals with different ways of coping with the
Showing ourselves as teachers give the student
many signals that can calm a worrying situation. To
concentrate on something healthy and intellectually
situation. It's essential to listen to their particular
wishes, worries and needs.
At the oncology department the patient mostly stay
around a week and get cytostaticum or other
stimulating diminishes worries, pain, psychological
pressure that the student might feel. It tells them: I
believe in your future, I’m convinced that you are
one of the survivors and you must not give up
medical treatments. Then they go home and rest
the body for about three weeks and come back for
the next treatment.
A child with cancer can normally be treated
studying or give up believing that you will have
good use of your studies in the future.
between a few months to around three years of
time.
There is a policy at the hospital which is different
from many other countries and that is to send the
part of what is the ordinary normal life; the school
with friends, teachers and social life which means
security and continuity.
The students should not be isolated and lose contact
patients home as soon as possible, and go back to
school even with some sensibility to infections. The
with friends and teachers. When possible, they are
welcome to visit, send letters, mail, and fax e.t.c.
Why is teaching at hospitals necessary?
Sometimes we meet opinions questioning our
Education at hospitals support the student with
117
The hospital school helps with the contact.
way or the other, until the end of the hospital stay it
is important to stay in touch with normal healthy
life.
A bridge to the “Home school”- We complete and
support each other as schools and diminish the need
of extra schooling when the student returns to a
normal life.
Few students want to repeat a school year and this
shouldn’t, in most cases, be necessary.
A drop of water in the blue river of life
Has no power to move by itself
It takes every drop acting together
to build the river up
Tage Danielsson
When there is school at the hospital there is a break
from the disease, a rest from the treatment. School
supports the “getting well” process, by being part of
the healthy life.
When a student is very ill and don’t have strength
to study in an ordinary way, the hospital school
works in a therapeutic and still intellectual
stimulating way. This could be through watching a
video concerning something studied at school,
playing a game/puzzle, listening to a story or music.
Getting ill does not mean that you lose
opportunities to study. On the contrary you have a
legal right to education corresponding to the
education of an ordinary school. You have the
privilege to have a teacher of your own and study at
your own level and conditions.
Is there any use to give dying children school?
Yes, if it wasn´t they wouldn't ask for it.
I had a pupil, Rob 14 years old that had cancer
leukaemia, since he was 8 years old.
He was a patient who had to fight so hard so long.
A few weeks before he died he was at the hospital.
He had to get a lot of painkillers and had problems
with the breathing. I past his room where there
were 4 nurses helping him with all the equipment
needed. I stopped hesitating at his door. I couldn't
imagine that he could receive me at that moment.
Suddenly he looked up and caught my eye. He
waved to me to come inside, so I did. I asked
hesitating: Do you want school today?
He said lifting the breathing mask: Yes, it would be
wonderful to think about something else for a while.
We work to keep the spirits up all the way always
considering what the child/adolescent wishes, in one
118
“わが子はがんによってどのように死んだか”-両親の立場から
Pamela S. Hinds, PhD, RN, FAAN
St. Jude Children Research Hospital, the United States,
がんの子どもの両親が「子どもはもう助からな
在なので、子どもが最もつらいと感じている症状
い」と気づくと、これ以上の苦痛を避け、子ども
の種類や頻度について最も良い情報源となります。
の死に備えようとし始めます。しかし特に子ども
終末期のがんで死に行く子どもが経験する症状に
の最後の週やその当日になると両親は、子どもが
関するほとんどの研究は、症状に関するカルテの
がんで死ぬ事について準備できていない、と感じ
記載をレビューするか、遺族となった両親の症状
ると報告されています。がんで亡くなる最後の数
のチェックリストに対する反応を用いて調査され
日や数時間の小児や思春期の子どもを対象とした
ています。
研究は少ないものの、子どもはいくつもの症状に
症状は必ずしも子どもの苦痛と直結していない
苦しめられていた、と両親は思っていたとされて
ものの、子どもの両親には苦痛を生じ得るのです。
います。終末期の小児や思春期の子どもの症状緩
小児がんで亡くなる子どもはいくつものつらい症
和や、症状緩和が重大な関心事であることを両親
状を経験している可能性があり、いくつかの事例
に伝える事は、死にゆく子どもと両親がその時に
においてはその症状は8つに及んでいます。子ど
必要な安楽をもたらします。と同時に、死に行く
も、両親、医療者の苦しみは、死に行く子どもの
子どもが苦しんでいる様子を見守らなくてはなら
状況を複雑にし、ケアの場面に緊張をもたらしま
ないために、この時期を思い出すたびに長い間苦
す。このような複雑で緊張した状況においては医
悩することになる家族や医療者の将来の安寧にも
療者が、死に行く子どもや両親にとってさほど気
つながります。終末期の子どもが苦しんでいる場
にかけていない特定の症状について注目する危険
に医療者ができる限り行こうと努力する姿は、子
性をはらんでいます。そうではなく、医療者は子
どもの死後 10 年にもわたって両親の精神面の健
どもや両親が、最も心配している症状に着目する
康に良い影響を与えると報告されています。終末
必要が有るのです。そうすることによって、医療
期の子どもや家族に対して、苦痛が軽減されるよ
者は子どもや家族の苦痛を直ちに取り除く機会を
うにケアすることで、子どもに先立たれた後の両
得る事ができ、そしてそれは将来の家族メンバー、
親の(精神的な)健康にも役立つのです。子ども
特に将来遺族となる両親の安寧につながるのです。
の症状とそれに伴う苦痛は、両親にとって一番解
死に行く子どもが経験している症状のうち、両
決してほしいものなのです。終末期ケアへの移行
親は最も心配であった症状が何かを特定する事が
モデル(図1)に示したように、両親は子どもの
できます。死に至る最期の週において、子どもが
症状(子どもの行動、情緒、体調に関する認知的
経験した症状で最も心配であったものを症状のリ
変化と定義する)にとても着目しています。彼ら
ストの中から尋ねたところ、両親は18もの症状
は子どもに(症状の)変化を認めるまでは、子ど
をあげました。中でも多くの両親があげたものは
もが死ぬということを信じ難かったと報告してい
以下の通りです:
ます。特に子どもの終末期において、子どもの症
* 痛み
状が両親にとってどのような意味をもつかという
* 行動の変化
ことは、それに苦しむ子どもに次いで重要である
* 食べない事
と医療者は位置づけています。
* 容貌の変化
* 呼吸の変化
両親は死に行く子どもに常に寄り添ってきた存
119
* 虚弱性と倦怠感
た。一週間前(28.8%)から当日(55.8%)は二倍に増
* 睡眠の変化
加していたのです。一番大きな割合で減少してい
ほとんどの症状(約 40%)は脳腫瘍の子どもの両親
たのは、痛み(67.8% から 55.8%)と食べない
からの報告でした。
事(30.8% から 9.6%)でした。疾患のタイプや死
最も良く発生し、両親にとって最も心配だった
の場所に関わらず、両親が報告した症状の割合は、
症状に関する両親の言葉を以下に示します。
とても類似していました。
疼痛:
あまり心配ではなかった症状
“あの子はとても痛がっていました。心ではこう
両親は「とても心配だった症状」に加えて様々
したいと思っても、身体が動かないのです.”
な症状を報告していますが、それらが「とても心
配だった症状」ではないとしています。主として
行動の変化:
子どもをみている両親は、子どもの最期の週にさ
“あの子は私たちがそこに居るということを本当
らにそのような症状が1から5あったと報告して
に気づかないのです・・・本当にあの子が反応し
います。
たのはあの子の姉(妹)だけだったのです。”
最も多く報告された症状は:
* 行動の変化
食べない事:
* 容貌の変化
“とてもおなかがすいているのに食べる事ができ
* 食べない事
ない、飲み込めない”
* 虚弱性と倦怠感
容貌の変化:
“私が一番つらかったのは、あの子があの子らし
同様に、主として子どもをみている両親は、子ど
く見えなくなったことでした。とても体重が減っ
もの最期の日にもそのような症状が1から5あっ
て、水分が亡くなって、あんな風になった彼を見
たと報告していますが、それらは「とても心配だ
るのは本当につらかった.”
った症状」ではないとしています。
最も多く報告された症状は:
子どもの診断名、性別、死の場所によって、心
* 行動の変化
配だった症状に違いはありませんでした。もしそ
* 容貌の変化
うだとしても、若干の違いは以下の通りです。1)
* 虚弱性と倦怠感
行動の変化
脳腫瘍 72.2%、
2)睡眠パターンの変化
固形腫瘍 36.4%、
とても心配ではないものの、子どもが経験して
ICU にて死亡 42.9%、
いた症状に関して、両親の言葉を以下に示します:
家庭で死亡 17.6%
行動の変化
両親は18もの特有の症状をあげています。最
“その夜、彼は私に食べさせてと頼みました。あ
も多くあげられた症状は、行動の変化、呼吸の変
の子は今まで食べさせてくれなんて言った事はな
化、痛み、容貌の変化、虚弱性と倦怠感、心拍数
かったのに。…あの子はいつもとても自立してい
の変化です。
たので、自分で食べられないとすごく怒っていた
白 血 病 や リ ン パ 腫 ( 26.5% ) よ り も 、 脳 腫 瘍
のです。
(38.9%)の子どもの両親のほうが若干多く症状が
容貌の変化
あったとしています。多くの場合、気になる症状
“そして腫瘍が彼女の身体の表面に現れたので
は死の一週間前とその当日の2時点を比較すると
す。?つまり、最期の2日間、文字通りあの子の頭
減少していましたが、呼吸の変化のみが例外でし
に腫瘍が有るというのが見てわかるようになった
120
のです。
両親の将来的な安寧にも貢献するでしょう。この
虚弱性と倦怠感
付加的な情報とは、子どもの最後の週・日や、ど
“あの(女の)子は、わかるでしょう、とてもか
のように死ぬかについてを指します。子どものた
弱くなっていて、酸素を使っていました。私は彼
めに意思決定に参加する両親にとって、子どもが
女をずっと抱いていて…”
死に行くことについて気づくには、3つの認知パ
麻痺
ターンがあります:
“あの(女の)子は麻痺してしまって、私たちは
* 予期する(両親が子どもが死ぬのがその日であ
何でもしなくてはならなかった”
るとわかるような変化を観察している)
“最期になるにつれて、彼女は歩く事も動く事も
* 思いがけない(両親はその日に子どもが亡くな
できなくなって、
って驚く)
* 子どもの死はすでに過去の状態 (両親は最後の
とても心配だった症状と、症状があったけれど
日を待っている状態)
もそうではなかったものの違いはなんでしょう
このように分類されたパターンのうち、最も多
か?
いのが予期する(50.9%) 、であり、28.3%が思い
両親が認めたとても気になる症状と、それほど
がけない、18.9%が過去であった。ただ一つの記
ではない症状は双方とも似通ったものでしたが、
述(1.9%) は分類不可能でした。これらの記述は患
2つの例外がありました。この二つは最も気にな
者の診断名、性別、死の場所による違いはありま
る症状としてのみあげられました:痛み(子ども
せんでした。これらの記述をまとめると、両親に
の最期の週に「もっとも気になる症状」として一
とって不治の病の子どもをなくすという体験とは、
番多くあげられたもの)と昏睡です。それとは対
死ぬ前に子どもが苦しんでいる時間が長いように
照的に、紫斑、麻痺、体温の変化は最も気になる
思えることを驚きながら待っているのではない、
症状としてはあげられず、とても気なる症状では
ということを示しています。臨床家はこれらの記
ないもの、としてのみあげられていました。
述を、両親が子どもの最後の日に備えることが出
両親へのインタビューによって、これらの症状
来るように手助けする際に使うことができるかも
が最も心配な症状としてはあげられなかった理由
しれません。
について4つの事項が明らかになりました:
異なるタイプの死について、両親の言葉を引用
1) 両親は子どもの医師たちからこのような症状
します:
が起きることを説明されていた。
2) 両親は他の患者にこのような症状があること
思いがけない死:
を観察したり、友人や家族、他の親戚から症状に
“それはいつもどおりの日でした。彼はハッピー
ついて聞いていた。
で、よく遊び、何の症状もありませんでした。
3) 症状は子どもの最期の週より以前に既にあっ
…私たちはあの子が死ぬだろうということは知っ
た。
ていましたが、その日だとはわかりませんでし
4)両親は症状があっても、子どもがそれに苦しん
た。”
でいるとは思っていなかった。
両親は、子どもが死に行く過程で経験するであ
“ええ、彼が亡くなった日は普通でした。あの子
ろう症状について情報を持つことは、子どもの死
は大丈夫そうに見えて…あの子が死ぬ前の夜まで
に対する準備として役立ったと報告しています。
は本当に昔のあの子のように普通の様子だったの
子どもがどのように亡くなるかについて付加的な
です…私にとっては、あの子が良くなるように思
情報があることは、悲嘆にくれる生存者としての
ったくらいです…亡くなる前、私たちは起きて、
121
一緒にたくさんのことをしました。”
まなくても)よいところへ行くと思えば楽になる”
“その日、彼女は学校に行ったから。それで私た
“そして私たちは彼女が思ったよりも(余命を)
ちはその後、輸血のためにクリニックにも行って。
もっているので驚いていました。最期の週はいつ
で、彼女は大丈夫だったのです。”
もこれがあの子の最期かもしれないと考えながら、
毎晩徹夜をしていました。”
予期した死:
医療者は最期の週/日に両親をどのように支援す
“たぶん、あなたにもわかるくらい、彼がだんだ
ればよいのか?
ん閉じて行くのが。あの子は本当に何もしたがら
最期の週/日に両親がもっとも助けられたと感
なかった、誰とも、あの子はただ横になりたがっ
じたものは、オープンコミュニケーションと、思
た。”
いやりのあるケアの2つでした。
近年の研究では、両親は以下の医療者の行為が
“彼の息遣い。
( どうして彼が死ぬとわかったかと
特に役立ったと回答しています。
いえば)それは本当にほとんど呼吸でした。その
* 鎮痛薬や抗不安薬を処方したこと(31.3%),
夜、どう言ったら、私は何だかとても早く目が覚
* 技術的に優れたケアの提供 (12.5%),
めて、あの子は私の隣に寝ていて、あの子につい
* 子どもが苦痛なく過ごせるように支援すること
て何か気づくことができたのです。その、これが
(10%),
…あの子の命の終わりで、それが彼の呼吸で…”
* 子ども/家族と一緒に過ごす時間を持つこと
(10%),
“彼女が亡くなった日、その朝、目を開こうとし
* 様々な物品の提供(7.5%),
ないので、私たちは彼女が亡くなるだろうという
* アドバイスの提供(5, 6.3%).
ことがわかりました。私たちと話そうとしないし、
* 臨終の場に立ち会うこと(4.9%).
動きもしない。彼女は力が亡くなった感じでした。
結論
だからわかったのです。その日が彼女の最期の日
医療者は最期の週/日の両親の体験や認識に違
だろうという事が”
いを与える機会を持っている。子どもの人生の最
過去
後の週/日に両親が最も心配している症状に細や
“つらかったのは、自分はいつそれがおこるのか
かに目を向けることは、子どもの苦痛や死に向か
わからないから、そこで座って待っているだけ、
うさなかであっても、子どもを守る親の力に関す
それで、もうすぐという時だから、そのときを逃
る認識を変ることができるでしょう。最期の日々
したくないから、ただ、ただ、そうしているだけ。
に子どもと両親の苦痛を軽減する事は、両親の将
何もできずに待っているだけというのは、本当に
来の安寧に寄与する最も重要な方法でしょう。親
ストレスです。それが起きるとわかっていても、
が最も心配する症状に着目する事は、これらの症
ただ待つしかない。ただ、死を告げる鐘が鳴るの
状に対する介入を開発する事にも寄与するでしょ
を。”
う。
(丸
“そう、ね、彼が死ぬという事はある意味、楽に
なるということでした。私は…あの子が(あの世
へ)行くのを見るのはつらいけれど、もう(苦し
122
光恵訳)
“How My Child Died of Cancer” - The Parent Perspective-
Pamela S. Hinds, PhD, RN, FAAN
St. Jude Children Research Hospital, the United States,
When parents of children who are seriously ill
with incurable cancer realize that their child will
not survive, they seek to protect their child from
additional suffering and to prepare themselves for
their child’s death. Parents report feeling
unprepared for their child’s cancer-related death,
in particular the final week and day of their child’s
life. The final days and hours of children and
adolescents dying a cancer-related death are
understudied but parents report that their child
suffered multiple symptoms. Improving the
symptom experience of children and adolescents
at the end of life and addressing the symptoms of
greatest concern to parents may give much-needed
immediate comfort to the dying child and family
and may also contribute to the future well-being
of those present, including family members and
the child’s health-care providers, who report
long-term anguish secondary to witnessing the
dying child’s suffering.1,3-5 Clinicians’ efforts to
attend to patient and parent suffering at the
child’s end of life is reported by parents as
influencing their well-being for up to a decade
following the death of their child. How clinicians
provide end-of-life care to the dying child and to
the child’s family becomes the primary way for
clinicians to contribute to the immediate reduction
of patient and parent suffering as well to the
future well-being of the bereaved parents.
(Figure 1), parents pay close attention to their
child’s symptoms (defined as a perceptible change
in the child’s behavior, emotions or physical
condition); they report finding it difficult to believe
that their child will die until they see changes
(symptoms) in their child. The meaning of
symptoms to parents and the suffering of the child
secondary to symptoms makes the symptom
experience of equally high importance to clinicians,
particularly at the child’s end of life.
Because parents are the ones most
consistently with their dying child, they are the
best informants regarding the type and frequency
of their child’s most concerning symptoms. Most
studies of end-of-life symptoms experienced by
children dying a cancer-related death rely upon
medical record review or bereaved parental
responses to a symptom checklist. However, the
mere presence of a symptom does not necessarily
correspond to the distress that it can cause the
child’s parents. The child dying a cancer related
death will likely experience multiple troubling
symptoms ? in some cases as many as 8 such
symptoms2. The suffering of the child, the family
and of the clinicians contributes to the child’s
dying being a complex and intense care situation.
Given these complexities and intensities,
clinicians could risk attending to certain
symptoms that may not be the source of greatest
concern for the dying child or the child’s parents.
Instead, clinicians need to focus on the symptoms
of most concern. By doing so, clinicians have the
opportunity to reduce the immediate suffering of
Their child’s symptoms and related suffering are
of highest importance to the parents. As depicted
in the ‘Transition to End-of-Life Care’ model
123
the child and family and contribute to the future
well-being of the bereaved family members, most
particularly the bereaved parents.
certain differences were noted, including 1)
change in behavior reported by 72.2% of parents of
patients with a brain tumor but only by 36.4% of
patients with a solid tumor, and 2) change in sleep
pattern reported by 42.9% of parents whose child
died in the ICU but only by 17.6% of parents
whose child died at home.
Eighteen unique symptoms were identified
by parents. The symptoms most frequently cited
included change in behavior, breathing changes,
pain, change in appearance, weakness and fatigue,
and change in heart rate. Slightly more symptoms
were reported by parents of brain tumor patients
(38.9%) and the least number by parents of
children with leukemia or lymphoma (26.5%).
Most of the concerning symptoms decreased
between the two time points with one exception:
breathing changes, which increased from the week
before death (28.8%) to the day of death
(55.8%)?nearly doubling by parent report. The
largest decreases in symptom frequency were
reported for pain (from 67.8% to 55.8%) and not
eating (30.8% to 9.6%). The symptom proportions
reported by parents for disease type and location
of death were quite similar for both report times.
Parents are able to identify the symptoms
of most concern to them that their dying child is
experiencing. When asked to list the symptoms of
most concern that their child experienced during
the child‘s final week of life, parents have
identified 18 unique symptoms of concern. The
symptoms most frequently cited included:
* pain
* change in behavior
* not eating
* change in appearance
* breathing changes
* weakness and fatigue, and
* change in sleep patterns.
Most symptoms (approximately
40%) were
reported by parents of brain tumor patients as
compared to parents of patients diagnosed with
leukemia/lymphoma or a solid tumor.
Example quotes from parents regarding
the most frequently occurring symptoms of most
concern to them include:
Pain:
Symptoms Not of Most Concern
In addition to symptoms of ‘most concern’, parents
also report additional symptoms but deny that
they are of ‘most concern.’ Primary care parents
reported an additional 1 to 5 symptoms that their
child experienced during the last week of the
child’s life. The most frequently reported
symptoms were:
* change in behavior
* change in appearance
* not eating
* weakness and fatigue
“She hurt a lot ? the mind was willing; the body
just wasn’t able.”
Change in behavior:
“It looked like he didn’t really realize we were
there…about the only person he ever really
responded to, really, was his sister.”
Not eating:
“Physically he was hungry, but he could not eat,
could not swallow”
Change in appearance:
“The one thing, I think, that was the hardest was
that he didn’t look like himself. He’d lost a lot of
weight and they had taken him off fluids…That
was really hard to see him like that.”
Similarly, these primary care parents also
reported an additional 1 to 5 symptoms that their
child experienced during their child’s last day of
life but which were also not of ‘most concern.’ The
most frequently reported symptoms were:
* change in behavior
* change in appearance
* weakness and fatigue
Symptoms of concern did not differ by the
child’s diagnosis, sex, or location of death. Even so,
124
while dying helps them to prepare for their child’s
dying. Additional information about how a child
could die may also contribute to preparing parents
for their child’s final day or week of life and
perhaps contribute to the parents’ future
well-being as bereaved survivors. This additional
information is about their child’s last day or week
and how their child may die. Among parents who
participated in making an end-of-life decision on
behalf of their child, three patterns of parents’
perceptions regarding their awareness for their
child’s dying emerged:
* anticipated (parents observed changes that
alerted them to this being the day that their
child would die),
* unexpected (parents were surprised that their
child died on that day), and
* past time (parents were waiting for the final
day).
Examples of parent quotes for each of these most
concerning behaviors include:
Change in Behavior
“That night he asked me to help feed him. He
had never asked me to help feed him…He had
always been so independent and would get mad
when he couldn’t feed himself.
Change in Appearance
“And the tumors were popping up on her ? I
mean, you could literally see tumors on her head
within the last two days
Fatigue and Weakness
“she was, you know, extremely weak and on
oxygen and I was holding her …”
Paralysis
“ she had got paralyzed and we had to do
everything for her.”
“Towards the end she couldn’t walk or move
What distinguishes symptoms of most concern
from symptoms not of most concern?
The symptoms identified by parents are similar
for both the symptoms of most concern and for the
additional symptoms not of most concern with
notable exceptions. Two symptoms were only
reported as symptoms of most concern: pain (the
most frequently reported symptom of concern
during the last week of the child’s life) and coma.
In contrast, bruising, paralysis and temperature
changes were not identified as symptoms of most
concern, only as symptoms not of most concern.
Four reasons for a symptom not being identified
as one of most concern were identified from the
parents’ interviews and include:
1) parent had been told by the child’s clinicians
that this symptom could occur,
2) parent had observed the symptom in others or
had heard of the symptom from friends, family,
other acquaintances,
3) the symptom had been occurring prior to the
final week of the child’s life, and
4) parent did not believe that the symptom
bothered his/her child.
Of the categorized patterns, most (50.9%) were
classified as anticipated, 28.3% as unexpected,
and 18.9% as past time. One description (1.9%)
could not be categorized. These descriptions did
not differ by patient’s diagnosis, gender or location
of death. Together, the descriptions indicate that
parents experience their fatally ill child’s dying
differently from being surprised to waiting for
what seems to be a prolonged period of their child
suffering before dying. Clinicians may be able to
use these descriptions to help parents prepare for
their child’s final day.
Parent quotes of the different types of dying
include:
Unanticipated Death:
“It was a normal day. He was happy, playful. He
didn’t have any symptoms. …We know he was
going to die but we didn’t know it was that day.”
“Well, the day he died he was his normal self. He
seemed like he was doing okay…until the night
before he died because he was just like his old self
again…Me personally, I thought he was getting
better…we go up and we did a lot of stuff together
before he passed away.”
Parents report that information about the
symptoms that their child is likely to experience
125
“Because she went to school that day. Then we
also went to the clinic afterward to get some blood.
And she was doing fine, you know.”
Expected:
“You could tell, I guess, you could say he was
starting to shut down. He didn’t really want
anything to do with really anybody, he just wanted
to lay there.”
communication
and
compassionate
care
interactions with their child and with them as two
of the most effective ways that clinicians can help
them during their child’s final week and final day
of life. In a recent study, parents reported these
clinician actions as particularly helpful:
* giving my child pain or anxiety medications
(31.3%),
* providing competent care (12.5%),
* helping to keep the child comfortable (10%),
* spending time with the child/family (10%),
* bringing supplies (7.5%), and
* giving advice (5, 6.3%).
* being there at the time of death (4.9%).
Conclusion
Clinicians have an opportunity to make a
difference in the actual experience and the
perceptions of the parents of dying children during
the final week and day. Giving careful attention to
the symptoms of most concern to parents during
the last week and last day of their child’s life can
alter their perceptions of their child’s suffering
and of their ability as parents to protect their child
even while dying. Reducing child and parent
suffering during the child’s final days may be the
most significant way that clinicians can contribute
to the parents’ future well-being. Attention to
the symptoms of most concern to parents may also
contribute to the development of interventions for
those symptoms.
“ His
breathing. It was really mostly his
breathing. Because at night, it was kind of, I kind
of woke up really early in the morning and he was
sleeping next to me and I just could sense that his,
you know that this was…the end of his life and it
was his breathing…”
“The day that she died ? that morning we knew
she was going to die because she wouldn’t open
her eyes. She wouldn’t talk to us, she wouldn’t
move. She was kind of limp. So we knew that day,
that was going to be her last day.”
Past Time
“The emotional part is you just don’t know when
it’s going to happen and y ou’re sitting there
waiting for it and it’s almost anticipating it
because you don’t want to miss it and just…just
keep on going. The stress that it puts on you, of
waiting for that to happen. You know it’s going to
happen and to have to wait for it. It kind of takes a
toll on you after a while.”
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“So, you know, his passing was kind of a relief in
that perspective. I was…you know, you’re sad to
see him go but you’re relieved that he’s in a better
place.”
“And we had been surprised that she had lasted
as long as she had. We had been on constant vigil
the last week thinking any moment could be her
last.”
How Can Clinicians Help Parents During the
Final Week and Day?
Parents
have
identified
open
126
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Philadelphia, PA: Lipincott, Williams and Wilkins.
127
『私が決してしない唯一のこと、それは、あきらめること!』
末期がんやその他の病気にかかっている子どもたち
人類の生活に実際に起こっている状況に対する教育的アプローチ
Prof. i.R. Dr. Walther Dreher
有名なドイツの学者であり、精神医学の父、Viktor von
III.一体性と「引き裂かれることのない分離
Weizsäcker は以下のように述べています:「人生とは、生と死
パート3は、教育問題としての一体性というテーマを明らか
の間で仲裁を図っているものである。」人生の中で起こるそ
にしようとしていますが、21世紀の社会が目指すものを超
れぞれの状況は、誰にでもはっきりと見えるが、私たちはそ
越しています。
れが何を意味しているのかということを容易に理解すること
はなく、意識的に、あるいは無意識的に否定することはな
パート1:全体論的な特性を伴った現実
い。おそらく、どのような状況も、この真実を命を脅かすよう
ドイツ連邦では、1,700~1,800人の子どもたちが毎年
な病気を患っている幼い子どもたちの状況よりも解明するこ
新しくがん(ほとんどが白血病や腫瘍)を宣告され、60~80
とはできないだろう。誰しもが不確かな瞬間に直面し、多か
人の子どもたちがケルン大学小児腫瘍学・血液学病院で
れ少なかれ、確かな瞬間は、実際の生活に入り込んでくる。
新しく治療を受けています。
専門的にこの状況を扱うことは、このことについて話すの
入院患者用の治療では、15の子ども用のベッドが利用
と同じくらい必要なことです。したがって、以下の寄稿は、特
可能で、家族用(両親とその子ども用)ユニットも含まれてい
別教育の観点を源とする枠組みを構築しようとするもので
ます。個室は一部屋あります。両親用に専用のキッチンが
す。特別教育はドイツ語で、field of Heilpaedagogik と呼ば
あり、子どものために料理することができます。また、食事が
れています。このプレゼンテーションでは、医療、末期が
取れるダイニングルームもあります。子どもたちには専用の
んおよびその他の病気を患っている子どもたちの教育に
遊び場で遊ぶこともできます。
日々従事している専門家による報告の補足として理解して
時には子どもたちが病気を克服できないときもあります。
もらいたいと思います。
可能な限り、家族に看取られながら最期を迎えることができ
私は有名なアーティスト、Joseph Beuys(ヨゼフ・ボイス)の
るよう、自宅に戻ることができます。ケルンには子ども用の緩
名言より助言を受けました。『我々が「何をしましょうか?」と
和ホームはありませんが、緊急の子どもホスピスサービスが
尋ねる前に、『私たちはどのように考えるべきですか?』と尋
あります。
ね
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
。
』
(http://koeln.deutscher-kinderhospizverein.de )隣の子どもホ
(http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Beuys )
スピスまで約80キロメートル離れています。
私の講義は進行中です。つまり、アイディア、実際的な
「 Dr. Mildred Scheel Haus 」 ( http://www.kppk.de ;
例、思想、そして、説明はいまだ発展をしています。したが
http://www.em-msh.de )内でホスピス(ベッド数2~3を含む)
って、以下の要点は、これらの中心にあるものをはっきりとさ
を統合する計画があります。「Dr. Mildred Scheel Haus」とは、
せるために要約したものとして理解してもらいたいと思って
ケルン大学のクリニックキャンパスにある、大人用の緩和ケ
います。
ア施設です。
外来患者診察所やデイクリニックでは巡回治療を受ける
I.全体論的な特性を伴った現実
ことができます。これには、初期診断、治療中介入コントロ
パート1は、ケルン市の状況から始まります。
ール、HIVに感染している子どもたちの長期アフターケア
II.「U理論」-重大な変化を探求するための普遍的な(研
や診察が含まれています。
究)モデル
特別な心理的・社会的サービスでは、様々な子どもやそ
パート2は、重大な変化を探求する普遍的な研究モデルを
の家族に質問、問題、個人的なコンタクトなどを提供する責
簡潔に説いています。この研究モデルとは、ボストンのマサ
任があります。チームは心理学者、特別教育専門の幼稚
チューセッツ工科大学の研究者たちによって導かれました。
128
園教師(Heilpädagogin)、アートセラピストで構成されていま
Ferien, Freizeiten und Rehabilitation(休暇、レジャー
す。
タイム、リハビリテーション)
「Waldpiraten(ウッドパイレーツ)」とはキャンプ活動。
「Johann-Christoph-Winter-Schule」では、就学年齢の子どもた
ウェブサイトwww.waldpiraten.deはぜひとも見る価値
ちに教育的サポートを提供しています。3人の教師が、病
がありますのでご覧ください。
院の建物にある教室の一室で、小さなグループを作り、そ
「 AGFOR(ArbeitsGemeinschaft
の 子 ど も た ち と 関 わ っ て い ま す 。 ( http://cms.uk-
Rehabilitation)」は、家族向けのリハビリテーションを
koeln.de/kinderonkologie/content/psychosozdienst/schule_fuer_kr
作っているワーキンググループです。
anke )
Freunde und Förderer(友だちとスポンサー)
1990年から、ケルンの小児腫瘍ネットワークは、
「Dat Kölsche Hätz」は方言で、「ケルンの人々の心」と
「Forderverein fur krebskranke Kinder e.V. Koln」という、両
いう意味です。元気きなれる歌を聴くことができます。
親たちの自発的な団体によって大きくサポートされていま
Regenbogenfahrt 2007(レーゲンボーゲンファールト
す。(www.krebskrankekinder-koeln.de )
2007)
このウェブサイトを開くと、スローガンを掲げたコウモリが
FamilienOrientierte
ガンを患ったことがある人々の、一週間のサイクリン
目に付きます。このスローガン「コウモリだけが逆さまでぶら
グツアー
下がることができる」は、進むこともあきらめることもできる、と
(www.regenbogenfahrt.de )
いうことを象徴的に意味しています。つまり、このウェブサイ
トは、「私たちはあきらめません!」と言っているのです。
この講演は、学校教育について詳しく述べています。ど
「Start」をクリックすると、多くのリンクが見えます。そのほと
のようにスクーリングが子どもや青少年のさらなる発展を意
んどはドイツ語で書かれていますが、とても興味深いものば
味し、病院での時間と母校や後に自分のクラスに戻ったと
かりです。
きの時間をつなぎ合わせているかを説明しています。
このサポート組織は、「Elternhaus(両親の家)」を経営し
しかし、思いもよらない健康上の問題により、「普通の学
ており、約15家族は、子どもの治療期間中、数日、数週間、
校」に復帰する際、多くの問題が生じるかも知れません。ド
数ヶ月滞在することができます。
イツの学校システムは、非常に洗練された特別な構造をし
「Links & Partner」の下にあるホームページを見ることを
ており、このような子どもたちが学校に戻り、そこに溶け込む
お勧めします。以下のタイトルがあります。
ことはいつも簡単にはいきません。これは、大小問わず問
Partner(パートナー)
題が生じ、問題を「解決する」ための、「それに合った」特別
「Kinderonkologie」はクリニックについての全情報。
な学校があるからです。
私はこの問題をカリキュラムや教育法に関する情報を通
Selbsthilfe Betroffener(関係者のためのセルフヘル
プ)
して明らかにしていくつもりです。私は二人の高校生に、彼
「Verwaiste Eltern」は特に一人っ子を失った両親のた
らの経験についてインタビューする予定です。一人は筋ジ
めのもの。
ス ト ロ フ ィ ー を 患 っ て お り 、 「 Gesamtschule Holweide 」
Informationen und Foren für Betroffene(関係者のた
(http://www.igs-holweide.de )、いわゆる「Integrationsschule(統
めの情報とフォーラム)
一学校)」に通っています。もう一人は、リンパ節がんを患い、
「Kinderkrebsinfo」の一部は英語で表記。
身体障害者のための学校に通っています。もうすぐ高校を
「Kinderkrebsstiftung」には「Geschwisterprojekt」(兄弟
卒業します。
姉妹のためのプロジェクト)についての興味深いテ
ケルンの状況については、例えば「オンライン学習」
ーマがたくさん含まれている。
(http://www.lehrer-online.de/dyn/438736.htm )や「生活の質
「Kinder & Jugendseiten」(子どもや青少年のための特
(QOL)」との関連する「健康創成論に基づいた統合腫瘍
別ページ)
学」(http://www.1-onkologie.de/salutogenese )の考えなどから
「OnkoKidsOnline」では白血病に関する短いビデオ
知ることができるでしょう。
を見ることができる。
129
パート2:「U理論」-重大な変化を探るためのユニバーサ
ル(研究)モデル
ここ数年間、私は個人的、組織的、社会的変化に対する
アプローチや、そのアプローチがどのようにして教育分野
Society for Paediatric Oncology and Haematology(小児腫瘍
に移行されることができるのか、ということについて研究して
学と血液学学会)より:
きました。私の考えでは、著者 C. Otto Scharmer が名づけた
「U理論」には、「普遍的な正当性」があります。U理論の複
『今日、私たちは、10 年前と同じように小児や10代の若者
雑性は、ある状況の下で一つのアプローチは制限されると
らのガンにひどく驚かされる。多かれ少なかれどうにかする
いうことです。中心にあるポイントの一つは、「偏見のない心、
ことができる慢性的な病気であるというだけでなく、適切に
広く思いやりのある心、率直な意志」に対する現代的な態
治療されなければ致命的で極めて有害な病気であるから
度を、科学的にも、発展させるという考えです。それほど簡
である。これが、毎年ドイツで新しくガンと診断される 2,000
単に実現されることはない冒険ではありませんが。これを実
名近い小児や 10 代の若者らが常に直面している、恐ろし
現するためには、私たちは見落としがちな盲点に気付かな
い実態なのである。家族や医療専門家も同様に直面して
ければなりません。Scharmer によると、『私たちが日々の職
いる。生存率の統計は、個々の病気進行過程を予測する
務や社会生活を行う過程で、普通、私たち自身がすること、
ことはできない。したがって、ほんの少数事例の治療に対
他人がすることに十分気付いている。また、どのようにして
するベースラインとしての役目を果たしているのである。ドイ
物事に取り組むのか、そして、私たちが行動するときに、自
ツでは、小児や10代のガンの 90 パーセント以上が、過去
身や他人が活用するプロセスについてもいくらかの理解を
30 年間、標準化された治療プロトコールにより治療されてき
持っている。しかし、もし「何を根拠に私たちはそのように行
た。そしてその全体的生存率は 30 パーセントを下回ってい
動するのか?」と尋ねられたとすれば、私たちのほとんどは
たものから 75 パーセントに増加した。
この質問に答えることができないだろう。私たちはその根拠
さらに、治療率の向上は、若い患者の個々の病状、より少
を知ることはできない。わたしたちは、注目や意志がどこか
ない副作用、より良い長期的な生活の質にフォーカスした
ら始まったのかということに気付いていない。』したがって、
新しい治療が必要である。小児腫瘍学と血液学の専門家
私たちは人々の行動から、「内に秘められた原因」を見つ
にとって現在さらに挑戦すべきことは、構造的な進歩、トラ
けなければならないのです。結局のところ、自身が以前
ンスレーショナル・リサーチ、各専門間の最高のネットワーク
から持っている癖をやめ、ものの見方を変え、偏見の
を導くこと、合法的なガン治療、そして、関連した基本的臨
全てを捨て、自身の持つエゴを捨て去るとでも言える
床治療の研究である。』
ほど、ほとんど不可能に近いと思えることを達成しよ
うとしているのです。
ここでわたしは、「各専門間の最高のネットワーク、適切
なガン治療、そして関連した基本的臨床治療の研究」が、
このプロセスはガンやその他の病気を患っている子ども
どのようにして私たちの社会システムのさまざまな研究や変
たちの状況と関連するかも知れません。どのようにしてこの
化に持ち込まれるのかという考えを提示したいと思います。
関係が理解されるのかということが、このフォーラムまでに私
幼児期のガンやその対処の必要性が、基本的な生育条件
が答えを見つけようとしていた質問なのです。
を構成するということを私はあえて述べたいと思います。生
育条件とは、人が死を免れることはなく、それでもなお、そ
参加者のみなさんは、私たちの生活や行動のルーツを
れぞれの瞬間を意識して、一生懸命生きなければならない
理解しようとする、このようなアプローチに出会い、驚かれて
というパラドックスにいるということです。しかし、私たちはこ
いるかも知れません。しかし、私が述べましたように、私たち
のような状況に対して準備ができているのでしょうか?多か
は、何度も何度も、このような実際の瞬間とともに、幼児期
れ少なかれ最後の時を迎えるということを知っていて、それ
のガンに直面します。このような瞬間とは、私たちが物事を
でもなお、教師から未来のために学ぼうとしている子どもた
新しい目で見なければならないかも知れない、ということで
ちと一緒にいることは何を意味しているのでしょうか?私た
す。Joseph Beuys の投げかけた質問、「私たちはどのように
ちはどんな未来を意味しているのでしょうか?
考えるべきですか?」ということの一例なのかも知れません。
130
うか?実際的に言えば、私たちは喜んで「Uに向かって突
さらにマサチューセッツ工科大学(ボストン)のウェブサイ
き進んで」行きたいのでしょうか?
トで「U理論」や、「人生の水準」として「U」が使われているこ
と に つ い て 知 る こ と が で き ま す 。 www.TheoryU.com /
結論
私たちは全体の「一部」であり、また、全体でもあります。
www.ottoscharmer.com/ www.presence.net / www.solonline.org
人間界の自然な状態とは、「引き裂かれることのない分離」
パート3:一体性と「引き裂かれることのない分離」
(David Bohm)です。21世紀は局地的に、世界的に、このよ
うな人間の多様性と関連する方針を見出していかなければ
「U理論」とその原動力、「再び世界を創造すること」、そ
なりません。最後に、地方の一例として、私が行っている小
して幼児期にがんを患うというチャレンジは、パート3で教育
規 模 プ ロ ジ ェ ク ト 「 IncluCity Cologne 」 (http://inclucity.uni-
のさまざまな分野と関連付けられています。
koeln.de )、地球規模で重要な「Index of Inclusion(一体性の
私自身の見解では、これからの学校とは「皆のための学
指標)」(http://www.eenet.org.uk/index_inclusion )、または国
校」、つまり、どんな隔離もない「包括的な学校」であるべき
連
・
障
害
者
権
利
条
約
だと思っています。ドイツの学校システムや教育方針では、
(http://www.un.org/disabilities/convention )は、新しい方向性
この目的を実現させるのは非常に難しいです。また、小児
を見つけ出すヒントとなるでしょう。
がん患者、特に末期の患者は、包括というものからほど遠
ドイツ語では、「特別教育」の代わりに、「Heilpaedagogik」
いように見えます。通っていた学校の友だちとのつながりが
という用語をよく使います。「Heil」は、傷ついていない、害さ
弱くなったとき、病院が唯一の学校となります。そして長期
れていない、癒される、治療される、という意味だけでなく、
の治療が身体的、精神的に問題を引き起こしたとき、元の
「Heil=全体」という意味があり、Heilpaedagogik は「全体教
学校に戻れなくなります。結局、特別に用意された学校が、
育」と訳されることができます。「全体教育」が死の目前で意
このような子どもたちが行き着く場所となります。
味することは、このフォーラムで私たち全てが目指す一つ
しかし、これは単に挑発的なものであって、私たちが行
のゴールです。
動を起こす「内面的な場所」を発見することで、重大な変化
(田中京子訳)
を探求するために専門家が拍車をかけることです。私たち
の個人的な「叫び」の中にある見識は、幼児期のガンのよう
な、実際の人生の局面に対する思いがけない手がかりのき
っかけとなるかも知れなません。命を脅かすような状況は、
その子どもと周りの人々をしばらくの間、分離や隔離させる
必要性を生み出すことがよくあります。同時に、無理に分離
されないことは、普通のであるということではなく、とても責任
のあることです。私たちは互いが深く結びついていることや、
毎日をどのように生きているのかを理解するために、偏見の
ない心、広く思いやりのある心、率直な意志を持たなけれ
ばなりません。したがって、私にとって重大な問いかけは、
私たち専門家が、どのようにして小児ガンの子どもの実際
の危機に関わっていくのか、ということです。関わっていくこ
とは、医学をもってその子どもたちを治療していくことや、科
学知識や実際の経験で教育的にアプローチすることだけ
ではありません。専門家にとっても、彼ら自身の生活で新し
い態度や心構えを示すことは必要なのでしょうか?そうする
ことで、これまで私たちが想像もできなかった未来を明らか
にする密接な協力関係を見つけ出すことは必要なのでしょ
131
“One thing I’ll never do: To give up!”
Children with cancer in the final stage and other diseases.
An educational approach to an existential situation in human life.
Prof. i.R. Dr. Walther Dreher
UNIVERSITY OF COLOGNE
FACULTY OF HUMAN SCIENCE
The famous German Professor and father of Psychosomatic
III. Inclusion and ‘separation without separateness’”.
Medicine, Viktor von Weizsäcker, said: ‘Human life is mediation
Part three tries to underline the context of the theme with the
between birth and death’. Though this condition of life seems clear
question of Inclusion as a matter of education but beyond as well as
to everybody, we don’t understand easily what it means and
an aimfor societies in the 21.Century.
consciously or unconsciously deny it. May be no other situation
illuminates this fact more than that of young children facing a life-
Part I: A reality with a holistic quality
threatening illness. Everybody confronted with those moments of
uncertainty and a more or less longer time of certainty is dragged
From the 1 7000 – 1 800 children who are every year newly
into an existential life situation.
diagnosed with cancer (mostly leukaemia and tumour) in the
To deal with it professionally is as necessary as it is sensitive to talk
Federal Republic of Germany, between 60-80 children and youth
about it. Therefore, the following contribution intends to build a
are newly treated in the Hospital for Paediatric Oncology and
framework out of the point of view of the field of (special)
Haematologyof the University of Cologne.
education with the German term the field of Heilpaedagogik. The
In-patient treatment is possible for 15 children (beds) including
presentation should be understood as a supplement to the reports
parent-children units. There is one isolation room. – Parents have
of those who are experts through their daily work in the field of
their own kitchen to cook for the children and a dining room to
medical treatment, care and educational work of children with
have meals in community. The children can play in a special
cancer in the final stage and other diseases.
playing room.
I am guided from a saying of the well known artist Joseph Beuys:
There is also the situation when children cannot overcome their
“Before we ask ‘What shall we do?’ we have to ask ‘How should
disease. As far as it is possible they can return to their homes to die
we think’?” (http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Beuys)
cared for by their families. In Cologne there is no palliative home
The creation of my lecture is in process, which means that ideas,
for children but an ambulant children hospice service
practical examples, reflections and interpretations are still
(http://koeln.deutscher-kinderhospizverein.de). The next children’s
developing. Therefore the following points should be understood
hospice is about 80 kmaway.
as marks in shortform to make the central thread visible:
There is a plan to integrate a hospice (including two or three beds)
in the ‘Dr. Mildred Scheel Haus’( http://www.kppk.de ;
I. A reality with a holistic quality.
http://www.em-msh.de ), an institution for palliative care for adult
Part one will start with the local situation in the city of Cologne.
people on the clinic campus of The University of Cologne.
II. ‘TheoryU’ -a universal (research) model for exploring
A Poli- and Dayclinic provides ambulant treatments with initial
profound change.
diagnosis, provisional controls of therapeutic interventions, long
Part two offers shortly a universal research model of exploring
termaftercare and consulting for HIV infected children.
profound change which has been introduced by researchers from
A special psycho-social service is responsible for providing
the Massachusetts Institute of Technology (MIT) in Boston.
children and families in a variety of questions, problems and
personal contact. A psychologist, a kindergarten teacher qualified
132
in special education (Heilpädagogin) and an art therapist complete
‘AGFOR’
the team.
Rehabilitation) is a working group to create family oriented
The ‘Johann-Christoph-Winter-Schule’ offers children of school
rehabilitation.
age educational support. Three teachers are working with them
Freunde und Förderer (Friends and Sponsors)
individually, in small groups in one the classrooms belonging to the
‘Dat Kölsche Hätz’ is dialect and means ‘The Heart of Cologne
hospital building.
People’ and let you listen to an encouraging song.
(
http://cms.uk-
(ArbeitsGemeinschaft
FamilienOrientierte
Regenbogenfahrt 2007
koeln.de/kinderonkologie/content/psychosozdienst/schule_fuer_kr
A one week cycling tour of people who have been personally
anke )
confronted with cancer ( www.regenbogenfahrt.de )
Since 1990 the network, Paediatric Oncology in Cologne, has been
strongly supported by a parent initiative: “Förderverein für
The lecture itself will contain more details about the school
krebskranke Kinder e.V. Köln” - www.krebskrankekinder-
education. It will be shown how schooling intends not only the
koeln.de
further development of the children and youth, but also bridging
When you open this website you notice a picture of bats with the
the time in hospital with the mother school and with later coming
slogan: ‘Only bats let themselves hanging downwards’ which
back to one’s own class.
means symbolically they let themselves go or they give up. The
But because of unforeseen problems in health there may arise a
website tells us, that ‘we don’t give up!’
number of difficulties in re-joining the ‘normal school’. The
Begin with ‘Start’ and you will find numerous links, which might
German school system, with very sophisticated special school
be interesting to look at, though most of themare in German.
structures, doesn’t always make it easy to reintegrate the children
This supporting association runs an ‘Elternhaus’ (Parents home)
into their former schools, because as soon as little or big problems
for about 15 families to stay there for days, weeks or months during
emerge there is a ‘suitable’ special school to ‘solve’ it.
the treatment of their children.
I’ll try to illuminate this question through information about the
I suggest you to look at that homepage under ‘Links & Partner’.
curriculum and teaching methods. I’m planning to interview two
You will find under the heading:
senior high school students about their school experiences. One,
Partner
with muscular dystrophy, visiting the ‘Gesamtschule Holweide’
‘Kinderonkologie’ with all informations about the Clinic.
( http://www.igs-holweide.de ), a so called ‘Integrationsschule’
Selbsthilfe Betroffener (self-help of those concerned)
(integration school), the other one, with lymph node cancer, visiting
‘Verwaiste Eltern’ is specially for parents who lost their only child.
a school for physically handicapped students and who is just now
Informationen und Foren für Betroffene (Information and
finishing his senior high school time.
forumfor those concerned)
This information about the situation in Cologne could be extended
‘Kinderkrebsinfo’ is partly written as English version.
through remarks about other aspects for example about ‘online
‘Kinderkrebsstiftung’ contains many interesting themes about
learning’ (http://www.lehrer-online.de/dyn/438736.htm) or about
‘Geschwisterprojekt’ (Project for brothers and sisters); ‘Kinder &
the idea of ‘integrative oncology on the base of salutogenesis’
Jugendseiten’ (special pages for children and youth);
(http://www.1-onkologie.de/salutogenese) in the context of
‘OnkoKidsOnline’ with access to a short information video about
‘Quality of Life’ (QOL).
leucaemia.
Ferien, Freizeiten und Rehabilitation (Holidays, leisure time and
Part II: ‘Theory U’ – a universal (research) model for
rehabilitation)
exploring profound change.
‘Waldpiraten’ (Woodpirates) is a genuine camp you should look
at:www.waldpiraten.de
133
We read from the Society for Paediatric Oncology and
context. One of the central points is the idea to develop a live-
Haematology:
attitude – also scientifically - of ‘open mind, open heart and open
will’ – a venture which is not easy to be realized. To become able
“Cancer in children and teenagers terribly embarrasses us today like
to do this we have to become conscious of our blind spot.
it did a decade ago, as it is not only a more or less manageable chronic,
Scharmer writes: “In the process of conducting our daily business
but definitely a fatal malignant disease if not treated appropriately. This
and social lives, we are usually well aware of what we do and what
is how each of the approximate 2000 children and teenagers, who are
others do; we also have some understanding of how we do things,
newly diagnosed with cancer in Germany per year, as well as their
the processes we and others use when we act. Yet if we were to ask
relatives and health care professionals are always facing the
the question ‘From what source does our action come?’ most of us
threatening situation. Survival statistics cannot predict the individual
would be unable to provide an answer. We can’t see the source
course of the disease, thus serving as a baseline for treatment
from which we operate; we aren’t aware of the place from which
stratifications only in the minority of cases. In Germany, more than
our attention and intention originate.” So we have to discover the
90 % of children and teenagers with cancer have been treated
‘inner source’ from where people act. After all you have to suspend
according to standardized treatment protocols during the last 30 years,
your old habits, redirect your views, let go all your prejudices and
which has resulted in an increase of overall survival rates from
try to pass the ‘eye of the needle’ which means in some way ‘dying
below 30 % to 75 %.Further improvement of cure rates will need
ones old ego’. This process might be connected with the situation
novel treatment stratifications focussing on the young patient's
of children’s life with cancer and other diseases. How this
individual situation, less side effects and improved long term life quality.
relationship could be seen is a question on which I try to find some
A further current challengefor professionals in Paediatric Oncology
answers until the congress.
and Haematology is structural improvement, especially of translational
Participants might be astonished to be confronted with such an
research, leading to optimalnet working between multidisciplinary,
approach for understanding roots of our life and our action. But as I
competent cancer treatment and theassociated basic and clinical
mentioned, cancer in early childhood confronts us with such
research.”
existential moments again and again that we might have to view
At this point I’d like to offer an idea how such ‘networking
things newly. This part might to be an example of what Joseph
between multidisciplinary, competent cancer treatment and the
Beuys meant with the question ‘How should we think?’
associated basic and clinical research’ could be brought into a
wider range of research and of changes in our social systems. I dare
For your own information you may have a look at the following
to express the view that cancer in early childhood and the need to
websites of the Massachusetts Institute of Technology (MIT) in
deal with it constitutes the basic life condition that man is mortal
Boston to get some impression about the ’Theory U’ and the
and the paradox that nevertheless we have to live consciously every
character of the ‘U’ as a ‘watermark of life’: www.TheoryU.com
moment fully. But are we prepared for such situations? What does
/
it mean to be together with children who more or less know they
www.solonline.org
www.ottoscharmer.com
/
www.presence.net
/
might die and nevertheless are taught from teachers to learn for the
future? Which future do we mean?
Part III: Inclusion and ‘separation without separateness’
For several years I have studied an approach for personal,
organizational and societal change and how it could be transferred
‘Theory U’ and its dynamic in understanding situations newly,
to the field of education. In my opinion, ‘Theory U’ – as the author
‘creating the world anew’, and its context to the challenge of
C. Otto Scharmer calls his approach – has a ‘universal validity’.
dealing with cancer in childhood will be connected in part III with
The complexity of the Theory U limits an approach in the given
the wider field of education.
134
From my point of view the school of the future has to be a ‘school
futures which we couldn’t imagine until now? Practically spoken:
for all’ an ‘inclusive school’ without any segregation. The German
Are we all willing to ‘dive into the U’?
school system and the education policy make it very difficult to
realize this aim. Also the situation of children with cancer –
Conclusion
especially in the final stage – seems very often far away from
We are both ‘a part’ of the whole and the whole. The natural state
inclusion: The hospital becomes the only school place, when the
of the human world is ‘separation without separateness’ (David
contact to former classmates becomes weaker and weaker and
Bohm). The 21st century has to find pathways to this kind of
when perhaps after a long phase of treatments causing physical and
connectedness with the diversity of human beings, locally and
mental problems there is no way back to the old school. Eventually
globally. Finally in my lecture the small project ‘IncluCity
only a special school seams to be the right place to enter.
Cologne’ (http://inclucity.uni-koeln.de) as a local example, and the
But just this is the provocation and the spur for experts to explore
‘Index of Inclusion’ ( http://www.eenet.org.uk/index_inclusion ) or
profound changes through discovering our ‘inner place’ from
the UN Convention on the Rights of Disabled Persons
where we act. This insight in our personal ‘call’ may open up an
( http://www.un.org/disabilities/convention ) in their global
unforeseen approach to an existential life phase like cancer in
importance may serve as hints to such new directions.
childhood. The life-threatening circumstances make it often
The German language uses often instead of the term ‘special
necessary for the children and the people around them to be
education’ the term ‘Heilpaedagogik’. Referring to the word
separated or segregated from each other for a while. At the same
‘Heil’ not only in the meaning of unhurt, unharmed, healed or
time to become not pushed into separateness is not a natural thing
cured but ‘Heil = Whole’ - then Heilpaedagogik can be translated
but a very responsible task. We have to open our mind, heart and
Pedagogic of the Whole. What ‘Pedagogic of the whole’ could
will for an understanding of deep connectedness with each other
mean in the face of death is one goal for all of us to approach
and how we can live it daily. So a crucial question for me is how
during the congress.
we experts can be able to accompany the process of such an
existential crises for a child with cancer. Accompanying doesn’t
only mean to treat them medically or approach them educationally
with scientific knowledge and practical experience. Is there a
necessity for the experts too to put a new complexion on their own
lives? And by doing it to discover in close cooperation emerging
135
イタリアにおける小児がん患者とその家族に対する援助
Dorella Scarponi
Bologna University S. Orsola-Malpighi Hospital, Italy.
病院における複雑な患者:子どもと家族
核家族においては、通常母親は仕事を辞め、父親は職
子どもたちが入院している間、家族や親しい関係の
場で重要な仕事から外してもらうような許可を取り、
人々は、患者の心理的と身体的な統合を維持すること
祖父母患児の健康なきょうだいの面倒を見ている。病
に劇的に巻き込まれる。つまり病気で日常生活の活動
院では、患児の両親は患児を一人っ子として3人家族
ができなくなり、社会から孤立してしまった子どもの
のような生活をする。小児クリニックそれ自体があた
為に家族は子どもの“肉体と精神”となって行動する
かも家族のようになる。よって、クリニックが“良い
のである。この大人たちによる“患児の為に何でもす
家族”として上手く機能すれば、患児の親と協力して
る”という新しい生活様式は、日々発達していく子ど
患児の管理を分かち合うことができ、患児の衛生面、
もの生活に連続性をもたせようという目的があるが、
熱の測定、静脈カテーテルの治療といったある特定の
同時に、このような生活様式は子どもを過剰な程の依
治療を親に任せることができるのである。
存的な立場に追いやり、そのため子どもは統制不可能
な事態にあって、描画や遊びの中で自分自身を透明体
小児腫瘍の文脈では、スタッフは診断の伝えたとき
で表現しようとする。
から生命の危機的時期まで理論的見地から常に○○を
小児病院ではただ一人の子どもに出会う事はなく、
再定義する必要がある。我々の小児科の経験において
子どもとその母親に出会うのであるというウィニコッ
も、患児に病気の事を伝えるために一つの様式を採用
トの理論は、子どもとその家族を一単位として考えな
するのではなく、通常、患児の年齢や発達年齢、文化
ければいけないことを心にとめて置く上で重要である。
的背景、診断、あるいは病気の予後を考慮に入れなが
家族内において特有のコミュニケーションの困難がな
ら、家族と児童期や青年期の子どもたちとのコミュニ
い場合は、家族は病院のスタッフと良い関係を築く事
ケーションをサポートするようにより適切な時期や仕
ができる。このような場合は、家族とスタッフが共に
方を模索する。通常母親は、日常生活において他のあ
“保護的ネットワーク”を子どもに提供する事ができ、
らゆることもそうであるように、子どもに病気の事を
そのネットワークに支えられて子どもは家族を介さず
伝えようとする。
とも医療スタッフと直接的または自主的な関係を築く
家族が子どもの病理を理解できない時には、担当医
事ができる様になる。そして、家族内で問題がある時
師が家族に対して病気、治療、リスクについての情報
には、通常子どもが信頼関係を築くパートナーとなり、
を提供する。我々は、
“子どもたちは彼らが理解できる
医療スタッフと親との協同関係を促進する役割を果た
事は知るべきである”という考えを指針としている、
す。
なぜならばただ単に“子どもは知るべきである”とい
腫瘍疾患は日常生活の中で感情的、認知的、社会的
うのはあまりにも漠然で、倫理的に危険な規則だから
な面に予期せぬ妨害を引き起こす。体で知覚する痛み、
である。私たちがいかにことばに注意しても、こども
吐き気、嘔吐などに患児は冒され、そしてこの感覚こ
たちは不確かで苦痛な雰囲気に生きているのである。
そが彼らが感じる新しい世界なのである。現実の生活
我々は何を言おうとともそれは子どもたちが実際に彼
は医療的な規制や治療という段階を踏むが、それは診
らの体や心で感じているものではないのである。
断を受けた時から治療を停止する時まで続くのである。
136
子どもたちとのコミュニケーション
る。これは診断の告知が患者やその家族に与える影響
小児科の患者に対しては、医長らとが話し合いをし
をただ考慮するだけでなく、私たちはとくに危機的時
た後に、常に病気については少ない情報が選別された
期、病気の再発期間中、造血幹細胞の移植期、そして
形で伝えられる。そうやって、患児の精神的安定が保
末期段階といった様々な病状期において、一人一人の
たれるが、同時に、本当の事実を知らないということ
子どもが心の中で受け取っている暗示的なコミュニケ
であり、その患者にとって最も受け入れやすい真実を
ーションを再定義するという終わることのない作業を
知るということになる。子どもは自分自身を治療して
考えているのである。グループで子どもを治療するこ
もらうべきであるし、規則によって守られるべきであ
とは、子どもたちのコミュニケーションを促進させる
る。幾度かの入院経験の後、特に病気の再発期に幼い
という目的がある。秘められた感情をセラピストやグ
子どもは自分がすでに完全に透明になってしまったと
ループの仲間と共有するまでになることにより、子ど
か、髪がすっかり抜け落ちてしまったとか、あたかも
もたちは希望を持つ意欲が確実に養われる、それは単
病気に侵略されてしまったように語ることは偶然では
に、病気が治る可能性への希望ではなく、ケアされる
ない。子どもたちが更なる苦痛を体験すると、幼い子
可能性への希望が養われるのである。
どもたちは突然激しい怒りを爆発させ、遊ぶ事を拒否
し、彼らをそのきょうだいに結び付ける重要な円滑な
痛み
結びつきを妨害したりする。両親と子どもが、子ども
腫瘍治療のガイドラインにおいて、がん患者やその家
の病気に面白い名前を付けるという想像的な妥協は、
族に対する情緒的なサポートには重要な役割をもつ。
親と子どもとの間のコミュニケーションが修正してい
小児科での経験から、処置に伴う痛みの知覚において、
かないと、いつかその妥協案も無効になる。怒りは、
子どもも大人も心理的介入による支えや励ましを効果
置き去りにされ、未知の世界にたった一人で、もしく
的であると感じる。恐れ、怒り、憤怒などの感情を他
は写真でしか見たことないような死人と一緒に落ちて
者に伝えることを可能にするようないろいろな心理治
いかされると感じる事に関連しているのである。
療的場面では、処置の予期に関連するあらゆる不安が
青年期の子どもたちは幼児とは異なり、死にゆく恐
顕わになる。この研究プロジェクトは、Faces Pain
怖を抑え込み、深い心理的苦痛の兆候は合理化、知性
Scale という尺度を使用して、麻酔なしでの痛みを伴
化、昇華などといった知的な防衛によって現れる。
う処置の間、患児、患児の親、そして措置を施す人が
語られない「恐怖」は徐々にあらゆる人間関係の空
体験する痛みを測定し、発達段階にある子どもへの理
間を硬直化させてしまう。
“一体私のどこが悪いの?”
想的な援助としてのプレイセラピーとの関連で、評価
という問いに対して、患者が十分理解できようなる答
しようとするものである。実験群は措置の受ける前に
え提供すことに熱心な大人、親、専門家はほとんどい
心理専門家の援助を受け、プレイセラピーの個別セッ
ない。病気について、例えば正しい診断名等の決定的
ションを受け、措置が終わった後に子どもとその親は
なことばを子どもに宣告することは、子どもをその問
テストを受ける為に召集された。そして実験群から得
題に直面させることになるという考えは広がっている
られた結果は、実験群と同じ措置を受けたがプレイセ
が、子どもに沈黙を守る(病気の事を伝えない)とい
ラピーを受けなかった統制群の結果と比較された。そ
うことも子どもが幻想や全能性を創り出してしまう余
して、実験群と統制群のそれぞれのグループにおいて
地を与えてしまう。
の措置の実施者と親の結果も比較された。心理的な介
セラピストによって主導される治療グループ(作
入は痛みのある措置をいくらか和らげ、実験群と統制
業・思考・遊戯など)への参加の提案は患者たちによ
群の痛みの知覚において有意な差をもたらした。同様
く受け入れられてきた。グループは治療の選択、治療
に、援助を受けた患者を看護した処置者もこの心理的
前の同盟、恐怖や痛みといった深刻な問題を話し合あ
援助の恩恵を受けた。
い、立ち向かう機会を創り出すと言う目的を持ってい
137
移植ときょうだい
自助グループ
腫瘍疾患は患児の家族を生か死の極端な問題に劇的に
病棟の心理学者のスーパービジョンによる自助グルー
巻き込むのである。移植は最も困難な瞬間の一つであ
プでは、2人のコーディネーターと共に子どもを亡く
り、特に移植のドナーが患者のきょうだいである時に
した親たちが創造的方法で考えることができず、ただ
は、家族に広がる感情は患児の命を救うという全能感
哀しみに明け暮れて飽和状態に陥ってしまうのではな
であり、あるいは反対にうつ的期待感である。この研
く、哀しみを表出させ、新しい生活様式を考えていく
究の目的は、きょうだいがが体験するうつ的な苦悩を
のである。そしてこのグループにおいての親とコーデ
量的にとらえ、そして患児の持つ感情と患児のきょう
ィネーターとの関係は病院施設でのスタッフとのやり
だいが持つ感情とはどのように異なるか捉えることを
方とは異なるものである。グループの中では、親は自
目的としている。我々は急性リンパ性白血病できょう
分たち自身の役割を離れ、罰せられることのないコミ
だいから移植可能な患者16名を抽出した、そしてこ
ュケーションスタイルがもたれている。
の患児は移植提供者のきょうだいの他にもきょうだい
グループサイコセラピーの初体験
を有していることを研究の参加条件とした。個人的お
グループに属する事: 親の防衛—施設の防衛. 例えば、
よび社会的な側面では問題を起こしていないような患
入院患者の親の会のオープングループに属することで
児のうつ的感情は、診断、移植前、移植後のそれぞれ
ある。 グループセラピスト、一人の心理学者が道案内
の時期において有意差は見られなかった。一方、ドナ
する週90分間のセラピーに参加する。このグループ
ーであるきょうだいは移植前の評価(移植できるかど
の役割は親に対してコントロールと援助を供給する事
うか)の際に明らかに上昇し、患児との間に有意差がみ
にある。共通の体験を分かち合うことでグ、避難所(グ
られた。そして、移植提供者でないきょうだいを比較
ループ)のあらゆる場面においてリーダーや他の参加
すると、姉や妹は兄や弟に比べてうつ的感情を表す値
者と共有される信頼感のある風土を創り出すことでき
が高いという事が明らかになった。心理測定法によっ
る。参加者が継続してセラピーに参加しないとグルー
て、がん患児はめったにうつ的症状を表さないという
プ内の共通の歴史を創ることが困難になってしまうた
防衛的傾向があること;ドナーであるきょうだいが移
め、サイコセラピーの分析者は参加者が継続してセラ
植に対して示すうつ反応は短期間で消えるということ、
ピーに参加できる様に援助をした。親たちの大きな悲
そしてドナーではない女性のきょうだいにうつ的傾向
しみは、衝動的な怒り、羨望、言葉があらゆる物を堕
があるということが確認された。これらの研究によっ
落させるという恐怖を引き起こし、さらに心身症、死
て得られた結果から、うつ病へのリスク群としてがん
の恐怖、逃避願望も引き起こすのである。
患児のきょうだいに対しても、厳重に見守るべきとい
第2の体験
う示唆を支持しているる。
体験第2部のセラピーでは、セラピストや観察者以
外にもチームの小児科医がグループに加わり、グルー
親のためのグループ
プスタッフが増員される。患者ではなく入院患者の親
親同士または治療者と親との間のコミュニケーション
を対象とし、毎週セッションはデイホスピタルにて3
は、死に関する話題となり、非常に激しい感情の波と
ヶ月間実施された。1回のセッションは一時間である。
なって親を苦しめる。無力感や絶望感は大人がその創
場所や時間などの状況要因を尊重した。ここではグル
造的な力で満たされず、がん患児の看護や治療をとい
ープへのスタッフによる参加の違いのバランスを保つ
った難しい課題を複雑化してしまう。親たちにグルー
ことに注目した。小児科医はグループに参加すること
プスペースを提供するという提案は、親たちが彼ら自
で生じる有用性と危険性についてセラピストを十分に
身の両親像を語る機会を保証するという基に提案され
説得した上で参加した。小児科医がグループに参加す
た物であり、それは後に医療チームが様々な事につい
ることで、グループ内の安定性にかかる表面には現れ
て反省する機会にもなりうる。
ない要素を提供し、そしてまた小児科医はメンバーの
138
変動にさられされた。また他のケースでは、潜在的心
この体験は週ごとのセッションが外来で行われ、一年
理学的疑問に対する医学的回答に正当性をもたせる。
間継続して実施された。そして毎回のグループセッシ
そのため、第1回目のセッションでは、親たちは自分
ョンの後で、グループ指導者は、グループに参加して
たちの子どもの病気の器質的な面についての情報への
いる他の心理学者と共に話し合った。体験期間中にお
ニーズを示した。良く訓練された小児科医は親の質問
いて、外部の心理学者つまり、よそ者が加わったこと
を聞いた時にその質問を一般化して答えようとしてし
に関して親たちが表した感情を観察することが可能だ
まう為に、個々のケースについての医学的な情報を聞
った。グループを欠席する事は、より明確な心理的表
きたいという親の要求を満たすような答えを回答でき
象の一つであり、それは全く外部の人に対して自分の
ない時もある。このような時、グループの主導する者
心境や苦悩を率直に語れないという状況に耐える為で
の役割は、他のグループメンバーと共に質問の意味や
ある。欠席をするということは、親からの心理的な援
心理学的学術用語を平易な言葉に置き換えるなどして
助への要求が高まりと共に、親とグループ観察者との
親と専門家の間で意思の疎通がはかれるようにするこ
関係に改善の余地があるという事を示しているのであ
とである。例えば“治療の後に息子はどうなるでしょ
る。グループへの親の欠席は、
(心理学者であるから、
うか?”という質問にたいしての答えは、心理学的ま
外部のものであるから)
“よそ者”はその存在を思い起
たは医学的な意味あいになる。そして第2セッション
こすことができない;必要な時に親を慰めたり、持っ
では、多くの場合父親も出席し、母親と息子の愛着関
ている心理支援の力を発揮したりできないという、迫
係が近すぎることや、病気でない子どもたちの世話し
害的恐れを親グループに投影している医療チームを怯
る事に対する怒りややるせなさといった心配で頭が一
えさせるものである。
杯な状況である。そのため、3回連続でグループを休
ある両親は、心理援助グループにおいてよりも他の
む両親というのは、家族の心配事がバラバラ(母親は
場所(患者会)などにおいて彼らのいらだちを率直に
病気の子どもを心配する、一方で父親は母親が病気の
報告する場合がある。それ故、欠席しがちな親同士で
子どもの世話に多大なる時間を費やすので病気でない
話すという事は、彼または彼女が感じているやるせな
子どものケアが十分でないと心配する)になり低迷期
さ、攻撃性、そして破壊的な感情などを吐き出す場と
に陥っている事を示唆するのである。そのため、再び
なのである。幾人かの母親たちは、怒り、やるせなさ、
グループは病児と母親のコミュニケーションや母親の
破壊的感情を吐き出す場として捉えているのではなく、
健康な子どもたちに対する羨望の念について取り扱っ
むしろ援助や連帯感を求め、子どもの病気をもっと適
ていくのである。最後の振り返りのグループセッショ
応的に受けとめられるようになる、潜在性のある場所
ンでは、施設・病院に対する怒りを越えて、父性的と
としてグループを利用していた。
母性的な役割の多様性について触れる。
(篁 倫子訳)
第3の体験(出会い)
この連続的な参加では病院側のスタッフである観察者
としての心理学者と外部からのセラピストが存在する。
139
SUPPORT FOR CHILDREN WITH CANCER AND THEIR FAMILY
IN ITALY
Dorella Scarponi
Bologna University S. Orsola-Malpighi Hospital, Italy.
ACOMPLEX
PATIENT IN HOSPITAL: The child
supported to establish direct and more independent
and the family
relationships with the equipe, without any family
During their admission to hospital, the familiar
mediation.
group is dramatically involved in maintaining
When the family has internal problems, the child
psychological and physical integrity of the patient: the
normally is the first partner in trust relationship and
family becomes “the body and the mind” that acts as
he could facilitate collaboration between family and
the ill child, who now is not able to live daily common
staff.
activities, isolated from the social context. This new
The oncology disease provokes an unexpected
style of life from the adults: “you do everything for the
interruption of the daily life, in emotional, cognitive
patient”, has the aim to assure the continuity to the
and social terms. The patient is invaded from body
child’s evolutive (developmental?) life, but, in the same
perceptions; pain, nausea, barf, are his new way to feel
time, it exposes him to an excessive dependence
the world.
position, so that she/he tends to represent himself, in
The actual life is marked from the steps of medical
drawing, painting and playing, with transparent body,
controls and therapies, from the definition of the
in force of uncontrollable events. Winnicott’s Theory
diagnosis to the stop therapy. Inside of the parental
can help us to keep in mind that in a paediatric
nucleus, usually the mother abandons the job, the
hospital, you never meet only a child, but a
father uses permissions, expectations from the job, and
child-and-his/her-mother, we have to consider as
the grandfathers take care of the healthy siblings.
“family habitat”.
In the hospital, the family lives as a trio, where the
When in the family contest there are no particular
patient is an only son.
communicative difficulties, the family is able to create a
The paediatric clinic moves itself as a family: when it
good relationship with the staff. In this case, together
works well, as a “good family”, it shares with the
they can give a protective network to the child who is
parents the management of the child, leaving them
140
independent in (from) particular aspects of the cure:
To the paediatric patient, almost always a minor,
the personal hygiene, the measuring of the fever, the
information about the illness comes in a selected way,
medication of central venous catheter.
after being discussed with the chief doctors, so that
his/her psychic well-being is preserved, and in
In the paediatric oncological context, the staffs have
accordance with the equation: not knowing the truth
continuously to redefine itself (?), in dialectic terms,
equals knowing the kindest of truths. The child must
from the communication of the diagnosis to the
let him/herself be treated; he/she must abide by the
extreme phase of life. In our paediatric experience, we
rules. Not by chance, after several experiences of
don’t adopt only one modality to communicate the
hospitalizations, and more so during the phase of
disease to the patient; we normally look for the more
relapse of illness, the youngest children depict
appropriate time and stile to support the family in
themselves as if they were completely transparent,
communication with the children and the adolescents,
already hairless, as if overrun by the events. When
keeping in consideration: chronological and evolutive
experiencing further suffering, the youngest children
(developmental) age, the cultural context, the diagnosis,
try to react bursting into rage crisis; they refuse to play,
the prognosis.
interrupt the normal vital flux that binds them to their
Usually the mother prefers “to tell” the diagnosis, as
siblings. Together with their parents, they make up
she normally makes for all the other things of the life.
funny names to call their disease, an imaginary
When family isn’t able to give a mental sense to the
compromise that becomes useless if, in time, it does not
pathology, it can be helped by a doctor of the staff who
undergo a communicational revision. The anguish is
gives information on the disease, the therapy, and the
related to being abandoned, being left free falling into
risks.
unknown worlds, all alone or in the company of dead
We follow the indication that “the child must know
people seen only in photographs.
what he/she can understand”, because “the child must
In contrast, the adolescent holds back all his/her
know”, is a too general and dangerous ethic rule.
fear of dying and exasperates sophisticated defences -
Although our verbal attention, the children, in any case,
rationalization,
live uncertain and painful atmospheres: what we say
intellectualization,
sublimation
-
around signals of deep psychological suffering.
never is as like they live in their own body and mind.
The unspoken ( ~ ?) increasingly saturates every
relational space. To the question: "What is wrong with
THE COMUNICATION TO CHILDREN
141
me?” few adults, parents and professionals are keen on
regards to the possibility of healing but more generally
giving answers that can be adequately understood by
to that of being cared for.
the patient. The idea prevails that pronouncing
definitive words about the illness, such as a correct
PAIN
diagnosis, is equivalent to endowing it with realness, as
The emotional support to the oncological patient and to
though keeping silent about it authorizes the creation
his family has an important role within the oncological
of areas of illusion and/or omnipotence. The proposal to
guidelines*. In paediatric experience, the painful
be part of groups (work, thought, play, therapy groups)
perception together with painful manoeuvres, both
led by a therapist, with the goal of creating
from (?) the child and from the participating adults,
opportunities for communication and confrontation
feels the effects of the psychological interventions
around very deep issues, such as the choice of the
directed to sustain and encourage. Above all the
therapy, the alliance before the cure, the fear and the
anxiety connected with the expectation of the
pain has been accepted well by the patients. (Which
manoeuvre, (Subject?) seems to find in the different
are the subject and the verb of this sentence?) We are
not
just
considering
the
repercussions
psychotherapeutic settings, a useful placement that
that
allows the communication of feelings such as fear, rage
communication of the diagnosis has on the patient and
and anguish. This research project was born to
his/her family, but we are also thinking of the
evaluate the painful experience of the patient, of his
never-ending work of redefinition, within the mind of
parents and of the operators through the Faces Pain
every single little child, of the implicit communications
Scale, during painful maneuvers effected (“affected”?)
he/she receives during the different phases of the
without anaesthesia, in relation to Play therapy, as
illness, especially during the crisis times such as during
ideal
the relapse of the illness, or haematopoietic stem cells
The intention, when taking care of
children
a
in
group,
is
that
of
support
during
the
evolutive(developmental) age. The components of the
transplantation, and the terminal phase (long
sentence! )
psychological
experimental group are supported by a psychologist,
before the manoeuvre, through an individual session of
increasing
Play therapy: after the manoeuvre, patients and adults
communication. By allowing the silenced emotions to
are invited to undergo a test. The strokes obtained by
reach a place, through a "sharing state" with the
the experimental group, in the scale, were compared to
therapist and the peer group, each child’s willingness to
those obtained by the control group, patients
hope can be cultivated, authentically, not only with
142
undergoing the same manoeuvres, without having
moments: diagnosis, pre and post transplantation.
been supported with the Play therapy. Also, the
Sibling's donors express a depressive feeling that has
operators that affected the manoeuvre, the assisting
an important increase on the occasion of the
parent. (What is the verb?) The psychological
pre-transplant
intervention has made the painful manoeuvre less
regarding the patient, statistically significant. Between
dramatic and the evaluation has shown significant
non-donors siblings, sisters show a greater depressive
differences in the pain perception between the two
difficulty. The psychometric evaluation confirms a
specimens of patients. Equally important has been
greater defensive order in the oncological patients who,
the “benefit” shown by the operators that took care of
seldom, show depressive syndromes; a depressive
the supported patients.
reaction of the donor siblings to transplantation that
appraisal,
with
one
difference,
disappears within a short time; a depressive tendency
TRANSPLANTATION AND SIBLING
in the non-donor female siblings. These data support
the indication to strictly monitor the siblings as a group
Oncological diseases involve dramatically the family of
of subjects at risk for depression.
the paediatric patient in the extremes of life and death.
Transplantation is one of the moments of greatest
GROUPS FOR PARENTS
difficulty, above all when the donor is one of the
siblings; in this case, the prevailing feelings in the
The
family are life-saving saving (?) omnipotence or, on the
operating and parents, suffers of strong emotional
contrary, depressive expectations. The aim of this study
waves that go round to the topic of the death. The
is to quantify the depressive difficulties of the siblings
impotence and desperation feelings risk saturating the
and differentiate the feelings of the patients from those
creative and project abilities to the adults, complicating
of the siblings. We selected a sample of 16 patients with
the difficult task of the care and the cure of the
acute
a
oncological child. The proposal to offer a group-space to
transplant from brother/sister, of family units in which
the parents has been lived with the expectation to
there is at least another brother or sister (not donor).
assure a moment of listen to the feelings of the parental
Patients' depressive feelings accompany experience(s)
figures in order to then become occasion of reflection for
without causing problems in the individual and social
the team.
lymphoblastic leukaemia, suitable
for
sphere: there are no significant differences in studied
communication
between
parents,
between
The GROUPS OF SELF HELP With the supervision
143
of the Psychologist of the unit, they express, through
of escape.
storeys (story/stories?) of the two coordinators, to they
TEE SECOND EXPERIENCE. The second part of the
time parents of passed-away children, the difficulty to
experience has previewed the widening of the group
think according to creative modalities, being instead
staff that now is composed, besides the therapist and
saturate, the group-space, of the rowdy lamentation in
the observer, from one of the paediatric doctors of the
The(the) comparisons of the institution hospital worker.
equipe. The weekly sessions, go on three months, have
They
directed
placed in the Day Hospital, are opened to the parents of
communicative modalities, less penalised from the
the hospitalised and not patients. Every meeting goes
distance sets up from the roles, carrying out itself the
on an hour. The parameters of setting are respected: the
group between similar.
space, the time. In this experience, attention is to
THE
were
of
FIRST
other
part
favourite
EXPERIENCE
OF
GROUP-
valence
To be in-group:
parental
participation of staff to group. The paediatric doctor has
defence- institutional defence. Such experience regards
participated in group after having reasoned with the
the conduction of opened-groups with the parents of the
therapist about the risks and the benefits of such
in-patients.
The weekly session, of 90 minutes
experience, for the group. From a part the participation
everyone has been lead from the group therapist, to the
of the doctor gives an ulterior element of stability within
presence of one psychologist in formation. The group
the group, too exposed to changing of the members, from
job has supplied control and support to the parents:
the other. its presence could authorise a "medical
the sharing of common experiences has created a
answer" to potential psychological questions. So, in the
climate of confidence shared with the leader, present
first session, the parent shows the need of information
also in all the other moments of the shelter.
The
about the organic aspect of the disease, with reference to
discontinuity of the presence's of the participants has
their own child. The podiatry, well trained, tries to
created difficulty (difficulties) in creating a common
answer generalising the question, not succeeding every
history of the group, expressed mostly from the
time to contain the need of the parent, and own
constancy of the analysts that have supported the
(podiatry?), to find ove Task of the conductor, in such
empty left from the absent. The parental anguish has
phase, is to translate, in psychological terms too, the
produced impulsive anger, motions of envy and the fear
same question, analysing with the rest of the staff, the
that the words could contaminate every thing, inducing
possible collusion between équipe and parents,
in the therapist: somatic disorders, fear of death, desire
regarding the omnipotence of both. To the question:
PSYCHOTHERAPY.
144
of
different
(increased
and
changed)
"What will be my son after the therapy?" , the answer
persons far from the hospital. They are improves , in
can be in psychological and medical terms. The second
such sense, relations between parents and observer of
sitting, with a mostly paternal presence, is busied with
group, with an increase of psychological demands for aid
the worries of the fathers for: the type of tie, too close,
from parents. The absence of parents to the group has
mother-son, defined anxious, the care of the other sons,
mostly scared medical équipe which has projected, on
the anger and the impotence. Subsequently the group
group of parents, its persecutory fears in "alien"
suffers a phase of arrest, with an absence of the parents
(because psychologist, because external) not able "to
for three consecutive sessions. The group then starts
recall" presence, and to exercise a consoling and
again to work about communication between mother
containing power. Some parents, openly, have reported
and son, maternal envy towards the healthy children.
their annoyance in an other place (The Association of
The last previewed group session contains, beyond
parents), rather than in therapeutic group. The group of
anger
"absent" so becomes place where to deposit, beyond the
feelings
towards
the
institution,
explicit
references to the diversity between paternal and
impotence feeling, aggressiveness and destructively.
maternal role.
Some mothers have instead used group in all its
r all, a medical answer.
potentiality,
THE
THIRD
EXPERIENCE.
The
successive
obvious
demands
for
aid,
manifestations of solidarity, more adapted emotional
experience had an external therapist, with an internal
participation to disease of sons.
observer psychologist, pertaining to the hospital staff.
The experience, of the duration of a year, has been
carried out in a space of the day hospital, with weekly
sessions. After every group, the conductors have
discussed about the group with the rest of the operating
psychologists within the clinic.
with
During this
experience, it has been possible to observe the feeling,
expressed from the parents, regarding the stranger (the
external psychologist) that enters in contact with their
experience. The "absence" has been one of the more
obvious psychological manifestations to tolerate a
real-supposed incommunicability of own suffering with
145
第5章
櫻木
院内学級 における事例研 究
里子(福岡市立 千代小学校九州大学 附 属病院院内学級・教 諭 )
永尾紀代美(福岡市立 千代中学校九州大学 附 属病院院内学級・教 諭 )
Ⅰ.はじめに
営形 態 をと って い る。 教室 は 小児 病棟 内 の一 室
本 院 内学 級は 大 学病 院の 中 にあ り、1988 年 よ
にあ り 、低 学年 グ ルー プと 高 学年 グル ー プに 分
り地 域 の小 学校 の 、1996 年 より 中 学校 の 病弱 ・
かれ 学 習を 進め て いる 。
身体 虚 弱特 別支 援 学級 とし て 設置 され て いる 。
中 学 部は 、1 学 級1 担任 の 経営 形態 で 、教 室
小 学 部は 、在 籍 児童 の増 加 に伴 って 、2002 年
は別 病 棟に あり 、生 徒 は 病室 か ら登 校し て いる 。
度よ り 2学 級2 担 任も しく は 1学 級2 担 任の 経
本院 内 学級 には 、 大学 病院 の 特性 から 様 々な
病気 を 抱え た子 ど もた ちが 在 籍し てい る 。疾 患
146
の種 類 は様 々で 、 入院 期間 は 2週 間か ら 1年 以
上に 及 ぶこ とも あ る。
子 ど もた ちの 出 身地 は、 市 内・ 県内 ・ 県外 と
様々 で 、使 用教 科 書が 違っ て いる 。中 に は入 退
院を 繰 り返 した り 、学 校を 休 みが ちだ っ たり し
て学 習 進度 の遅 れ や学 習空 白 が見 られ る 子ど も
もい る 。そ こで 、 担任 は、 治 療計 画や 体 調を 考
慮し な がら 個別 の 学習 計画 を 立て て学 習 を進 め
るよ う にし てい る 。
教 科 学習 を進 め るだ けで な く、 入院 中 も学 期
の節 目 や季 節を 感 じた り、 ま た心 に残 る 人と の
絆を も った りす る こと は、 子 ども の成 長 につ な
がる と 考え 、年 間 を通 じて 様 々な 行事 を 、病 院
スタ ッ フや ボラ ン ティ アの 協 力を 得て 実 施し て
いる 。 担任 は、子 ども たち の 入院 中の 教 育を 保
今日 の 予定(中 学校 )
障し ス ムー ズに 地 元学 校へ 復 学さ せる こ とを 目
標に し なが ら、 日 々の 生活 に リズ ムと 楽 しみ の
し か し、 中に は 院内 学級 が 最期 の教 育 の場 と
ある 入 院生 活に な るよ う、 教 育支 援を 行 って い
なっ て しま う子 ど もも 少な く ない 。そ の よう な
る。
子ど も にと って 、 院内 学級 や 病室 での 活 動の 一
つ一 つ がよ り一 層 貴重 なも の にな って い く。 担
任は 、 それ らの 活 動が その 子 ども にと っ てよ り
よい も のと なる よ うな 支援 を 行わ なけ れ ばな ら
ない 。
本 稿 では 、学 童 期、 思春 期 とい う発 達 段階 の
異な る 子ど もの 2 事例 を挙 げ て、 ター ミ ナル 期
にあ る 子ど もの 活 動の 支援 内 容と 方法 に つい て
考察 す るこ とと す る。
今日 の 学習 計画 ( 小学 校)
147
Ⅱ
事例1
より 兄 たち にも か わい がら れ て育 った 。 とて も
1.はじめに
素直 で 聡明 な男 の 子だ 。本 病 院に 転院 し てき た
A さ んは 、隣 県 大学 病院 よ りの 転院 入 院で 、
時点 で 、す でに 肺 と骨 に転 移 があ り、 決 して 楽
5人 家 族、 3人 兄 弟の 末っ 子 とし て両 親 はも と
観で き ない 病状 だ った が、A さん は、 手 術や 治
148
療のため長期入院することを自分なりに納得
のま ま 本病 院で 過 ごし たい と 希望 した 。そ し て 、
し、 入 院中 も学 習 を続 けて 地 元学 校へ 帰 ると い
信頼 す る医 師や 看 護師 に最 期 まで 見守 ら れ、 病
う目 標 を持 ち続 け てい た。 8 ヶ月 ほど た って 、
室に 家 族が 集い 、 自分 の家 に いる かの よ うに し
地元 の 病院 へ代 わ って はと い う話 もで た が、 こ
て旅 立 って いっ た 。
以 下 個別 の指 導 計画 を示 す 。
2.実際の指導と経過
を作 っ たり 、中 休 みに トラ ン プに 興じ た りす る
①4日だけの通級と毎日のベッドサイド学
こと が でき た。 し かし 、学 級 の友 だち と つな が
習( 5 年3 学期 ~ 6年 1学 期 初め )
る、 教 室に 自分 の 居場 所を 感 じる と言 え るほ ど
入 院 後、 日を 置 かず 手術 や 治療 が行 わ れた の
では な かっ たの が 残念 であ っ た。 その 後 、教 室
で、 教 室へ の通 級 は4 日だ け だっ た。 教 室へ 来
へ通 う こと はで き なく なっ た が、 可能 な 限り ベ
たと き は、 同級 生 と理 科の 「 振り 子実 験 」を し
ッド サ イド での 学 習を 続け た 。A さん は 学力 が
たり 、 みん なで バ レン タイ ン のチ ョコ ク ッキ ー
高く 、 算数 の計 算 力は 抜群 で あり 、計 算 競争 で
149
は筆 者 を負 かし 得 意げ な笑 顔 を見 せた 。 また 、
DVD を見 て 過ご す よう にな っ た。筆 者に でき る
6年 生 にな って 始 まっ た歴 史 学習 では 、 ベッ ド
こと も 少な くな り 、DVD を 何 本か A さん に持 っ
から 起 きあ がれ な い日 でも 、 資料 集の 写 真を 見
て行 き 言葉 をか わ す程 度で あ った 。無 力 感が こ
たり 、 自宅 近く の 遺跡 の話 を した りと 意 欲的 だ
みあ げ てく るが 、 そん な時 「 誰か から 見 守ら れ
った 。 学習 後に 筆 者と 一緒 に トラ ンプ や 四目 並
気づ か って もら う こと で、 人 は苦 しみ に 耐え 少
べの ゲ ーム をお お いに 楽し ん だ。 そう し た毎 日
し楽 に さえ なる 」 とい う葉 祥 明の 詩集 の 言葉 を
の中 で 、病 院ス タ ッフ 以外 で 毎日 病室 を 訪れ る
思い 浮 かべ 、毎 日 A さ んに 会 いに 行っ た 。そ し
人と し て、A さ ん と筆 者と の 関係 がで き てい っ
て、A さん の痛 み をや わら げ るこ とは で きな い
た。
が、 ほ んの 少し で も痛 みを ま ぎら わせ る こと は
でき な いだ ろう か と考 えた 。 そこ で、 い つも 見
てい る DVD を ス クリ ーン に 映し て病 室 映写 会
を行 う こと を思 い つい た。週 1 回 最も 体 調の 良
い日 と 痛み の少 な い時 間を 選 んで 、と 思 って い
たの だ が、 楽し み なこ とに 対 して は体 調 のほ う
が時 間 にあ わせ て くれ るよ う であ った 。 いつ も
なら 「 痛み 止め の 薬・ ・・ 」 と言 い出 す 時間 に
も「ま だ 大丈 夫。」と 答え 映 画に 見入 る A さ ん
だっ た 。『 チキ ン リト ル』 『 イン ディ ー ジョ ー
ンズ 』 『フ ァイ ナ ルフ ァン タ ジー 』は 筆 者が 提
案し た もの だっ た が、 「先 生 、来 週は ぼ くが 選
んで も いい ?」 「 もち ろん だ よ。 」と い う訳 で
第 4 週は A さん の リク エス ト『 ハリ ー ポッ タ ー 』
A さ んが 作り 上 げた プ ラモ デ ル
を見 た 。映 画鑑 賞 中に 回診 が 行わ れる こ とも あ
った が、医 師た ち も「 何 の映 画 をみ てい る の? 」
と A さ ん に話 し かけ、中断 せ ぬよ うそ っ と退 室
して い くの だっ た 。
③病 室 から 出て み よう よ( 6 年7 月 ~夏 休み )
7 月 、毎 日の 病 室訪 問で は 、も とも と 口数 の
少な い A さん を 前に、筆者 の 一人 しゃ べ りが 続
く。 そ んな 中で 、 「こ の地 域 の有 名な お 祭り 山
笠を 見 に行 こう よ 。走 る山 笠 は、 決ま っ た時 間
にし か 見ら れな い けど 、飾 り 山笠 なら い つで も
見ら れ るよ 。体 調 のい い日 を 選ん で行 っ てみ よ
バル コ ニー に出 て シャ ボン 玉 遊び
うよ 。 」と 、誘 っ てみ た。 た ぶん 行く と いう 返
事は な いだ ろう と 予想 して い たの だが 、 週が 明
②少 し でも 痛み を 忘れ られ る 時間 を( 6 年1 学
けて 母 親か ら「 山 笠を 見に 行 って みよ う かな 、
期半 ば ~夏 休み )
と言 っ てい るん で すけ ど。 」 と伝 えら れ た。 そ
6 月に 入 り 、痛 み 、吐き 気 、発 熱 の日 が 続 く。
学習は無理だったが、少し体調が良いときに
のよ う な気 持ち が ある とき が お出 かけ 最 適日 と
思い 、 「よ し、 今 日決 行! 」 とな った 。
150
よい 気 分転 換に な って いる と 思わ れた 。A さ ん
が見 せ る笑 顔に 、 母親 もう れ しそ うな 表 情を 見
せた 。
「 よ ーし 、夏 休 みは どこ に 行く ?」 と 筆者 が
言う と 、「 劇場 に 映画 を見 に 行く !」 と 答え 、
これ が A さん の 夏休 み の目 標 にな った 。
8 月 2日 、や は り猛 暑だ っ たが 、A さ んが 楽
しみ に して いた 劇 場で の映 画 鑑賞 を行 っ た。 非
山笠 見 学
番の 看 護師 二人 に 付き 添っ て もら いタ ク シー で
病院 か ら出 るの は 何ヶ 月ぶ り だろ う。 院 内の
出か け た。A さ ん は、 以前 本 で読 んで い た『 ゲ
低学 年 学級 担任 に も同 行を 願 って 、A さ んと 母
ド戦 記 』の 映画 を 選ん だ。 上 映時 間が 長 く、 か
親と 筆 者の 4人 で 出か けた 。蒸 し暑 い 日だ っ た 。
なり 疲 れを 感じ た よう だが 、 せっ かく の 外出 な
ちょ う ど通 り合 わ せた 山笠 に 詳し い教 頭 から も
ので キ ャラ クタ ー ショ ップ に も寄 って 帰 った 。
話を 聞 くこ とが で きた 。A さん も自 ら 質問 を し、
午後 、 筆者 が病 室 を訪 問す る と、 疲れ は あっ た
ほん の 数分 の滞 在 では あっ た が、 山笠 見 学は 大
が達 成 感の ある 疲 れと いっ た 様子 だっ た 。そ し
成功 し た。久 々 の外 出 に A さ ん の気 持 ちも 高 揚
て、 「 映画 は難 し かっ た、 よ くわ から な いと こ
し、 「 次は 、元 寇 史料 館に 行 こう 。」 と いう 筆
ろが あ った 。看 護 師さ んも そ う言 って い た。 人
者の 提 案に も頷 い てく れた 。 この 外出 が 大き な
が多 く てぼ くは 人 に酔 って し まっ た。 」 と、 少
自信 に なっ たよ う だ。
し興 奮 気味 に一 生 懸命 話し て くれ た。
④大 好 きな 人た ち を感 じて ( 6年 夏休 み 終わ り
~12 月 )
8 月 24 日 、地 元学 校の 担 任 が A さ ん の仲 良
しだ っ た友 だち 4 人を 連れ て 見舞 いに 来 てく れ
た。「 映画 外出 」以 後 久し ぶ りの A さ んの 笑 顔
がみ ら れた 。ベ ッ ドか ら体 を 起こ すこ と はで き
なか っ たが 、一 緒 に写 真を と った り、 ま だ夏 休
みの 宿 題が 終わ っ てい ない と いう 友だ ち を励 ま
した り して 、ひ と とき を過 ご した 。
10 月 12 日パ ン トマ イマ ー の M さん の ボラ ン
ティ ア 公演。プ レイ ル ーム で の公 演 後 A さ ん の
病室 へ も訪 問し て もら った 。 ベッ ドサ イ ドで の
パン ト マイ ムは 、 今思 い返 し ても とて も すて き
な 30 分 だっ た 。そ の 日 も痛 み がひ どく 、母親 に
M さんの入室が可能か確かめの電話を入れた
パン トマ イ ムに 見入 る A さん
ほど だ った 。し か し、 目の 前 数十 セン チ の近 さ
そ し て、 夏休 み 前の 猛暑 日 、元 寇史 料 館と 県
で演 じ られ るパ ン トマ イム に 、A さん は 目を 見
庁の 見 学に 出か け た。 道す が ら、A さ ん がい ろ
開い て 見入 って い た。 二人 が 会う のは 2 回目 だ
いろ と 話し かけ て くる 。け っ して 体が 楽 にな っ
が、 思 いは 十分 に つな がっ て いる よう だ った 。
たわ け では ない は ずな のだ が、外出 が A さん の
M さ んは A さ ん に旅 先か ら 毎日 一枚 の 葉書 を
151
書い て いて 送っ て くれ てい た 。葉 書に は 、が ん
そし て 、今 、筆 者 にで きる 支 えは どん な こと な
ばれ と いう 訳で も なく 、日 々 の出 来事 や 出会 っ
のか 一 生懸 命考 え た。 実際 に は、 これ と いっ た
た人 の こと を、 短 い文 で、 大 人文 字で 書 かれ て
支え の 方法 もう か ばず 、A さ んの 地元 へ 行き 写
いる だ けで あっ た が 、切手 や 葉書 の柄 に さ え M
真を 撮 って きて 話 題に する と いう 風で あ った 。
さん の 思い がこ も って いた 。 この 束ね る よう な
今振 り 返る と、 母 親も 加わ っ たあ のお し ゃべ り
枚数 の 葉書 が、A さん と母 親 にと って ど んな に
のひ と とき は、A さん から の 母親 への プ レゼ ン
大き な 励ま しに な って いた こ とだ ろう と 思う 。
トだ っ たよ うな 気 がす る。 「 あの 時は こ うだ っ
M さん は「12 月 4 日 にま た 会い に来 る よ」と
たね え 」「 この 時 は・ ・・ ・ 」な どと 、 家族 と
握手 し て次 の公 演 へ旅 立っ て いっ た。 そ の後 も
過ご し た楽 しか っ た思 い出 を 母子 で語 り 合う 姿
すぐ れ ない 体調 の 日が 続く の だが、筆 者は A さ
は、とて も 幸せ そ うに 見え た。思 い出 話 の中 で、
んの 中 に「12 月4 日」が確 か な目 標に な って い
「ぼ く はお 母さ ん が大 好き 、 お父 さん も お兄 ち
るの を 感じ た。
ゃん も 大好 き 。」そ う いう A さ んの メ ッセ ー ジ
約 束 の日 の 12 月4 日、 M さ ん を伴 っ て病 室
を、 母 親は 感じ て いた ので は ない だろ う か。 大
に入 る と、 週末 病 室に 泊ま っ てい た父 親 と兄 た
好き な 家族 の存 在 その もの が 、A さん の 「生 き
ちも 一 緒に 迎え て くれ た。 様 態が 一気 に 進ん で
る」 を 支え 続け て いた のだ と 思う 。
いた が 、そ れで も A さ んは M さん との 約 束 を
A さ んが 、「 地 元 の 病院 へ 代わ りま せ んか 。」
守ろ う とし てい た 。M さん が 一晩 寝ず に 練習 し
との 提 案に 、「 こ こが いい 。 」と 答え た のは 、
たと い う風 船の 飛 行機 を A さ んの 枕元 で 作っ て
医師 や 看護 師を 深 く信 頼し て いた こと の 表れ だ
くれ た 。昏 睡状 態 の A さん の そば で母 親 が「 M
と思 う 。だ から 、 不安 や苦 痛 があ った に 違い な
さん よ 、M さ ん が来 て くれ た よ、 わか る ね。 」
いが 、 それ でも 安 心し て入 院 生活 が送 れ てい た
と、大き な声 で 話し か け、M さ んが 手を に ぎ る
のだ ろ う。学級 行 事の「勤 労感 謝 お茶 会 」の 際、
と、A さん は涙 を ひと すじ 流 した 。「 わ かっ た
A さん 自身 は参 加 でき なか っ たが 、お 茶 券を 主
んだ 。」それ は、A さん の「 あり がと う」と「 さ
治医 に 渡し てく れ てい た。 そ の主 治医 が 、お 茶
よな ら 」の 返事 だ った のか も しれ ない 。
会に 来 てく れた こ とを 報告 す ると 、う れ しそ う
そ の 翌朝 、A さ んは 、母 親 と父 親と 兄 たち に
だっ た 。A さん の 代わ りに 院 内学 級の 友 だち が
見守 ら れ、 天国 へ 旅立 って い った 。
その 主 治医 にお 茶 をふ るま っ たの だが 、A さ ん
自身 の 感謝 の思 い もき っと 通 じた はず だ 。
3.考察
地 元 学校 の担 任 や友 だち は、最後 ま で A さ ん
A さ んは 、家 族 をは じめ 、 病院 スタ ッ フ、 地
が元気になって学校へもどってくることを信
元学 校 の担 任や 友 だち 、院 内 学級 等さ ま ざま な
じ、 応 援し 続け て くれ た。 A さん の病 室 の窓 辺
人々 と かか わり な がら 、最 期 まで 「家 へ 帰る 、
には 、 担任 と友 だ ちか らの 修 学旅 行の お みや げ
学校 へ もど る」 と いう 目標 を 持ち 続け る こと が
とし て ステ ンド グ ラス が大 事 に飾 られ て いた 。
でき た 。
筆者 は 担任 と手 紙 や電 話で 連 絡を 取り 合 うよ う
A さ んは 、痛 み が少 なく 気 分が すぐ れ てい る
にし て いた ので 、 担任 は A さ んの 気持 ち を察 し
時は 、 お家 のこ と や地 元の 話 をい ろい ろ 聞か せ
た手 紙 を送 った り 、隣 県よ り 見舞 いに 来 たり し
てく れ た。 二人 の 兄た ちの こ と、 お家 の 様子 、
てく れ た。本 人 や保 護 者 の思 い を確 かめ な がら 、
田畑 の 様子 、自 転 車で 出か け た公 園の こ と、 開
担任 と 院内 学級 担 任が 連絡 を 取り 合う こ とは 、
店間 近 の大 型シ ョ ッピ ング モ ール のこ と ・・ ・
担任 の 過剰 な心 配 や遠 慮を 軽 減し 、い い 形で の
そん な 時、A さ ん は家 へ帰 る こと をけ っ して あ
応援 に つな がる と 考え た。
ま た 、A さ んは パ ン トマ イ マー の M さ んと 出
きら め てい ない と 、筆 者は あ らた めて 感 じた 。
152
会い 、 思い がけ な い大 きな 支 えを 受け る こと が
なぐ 、 その 役目 を 担う こと で 、よ りよ い 支え が
でき た 。そ のこ と は、 A さん と母 親を 支 えた だ
でき れ ばと 思っ て いる 。
けで な く、筆 者 をも 大 い に支 え るこ とに な った 。
いろ い ろな 出会 い のき っか け をつ くる こ とは 、
Ⅱ
院内 学 級担 任が で きる 支え の 一つ と思 う 。
事例2
1.はじめに
院 内 学級 担任 が 、さ まざ ま な人 々を「 つな ぐ」
B さ んは 小学 6 年で 横紋 筋 肉腫 を発 症 し、 中
ことによってより多くの支えが得られること
学2 年 時に、C 小児 専 門 病院 よ り転 院し て きた 。
を、A さん との 関 わり の中 で 学ん だ気 が する 。
入退 院 の繰 り返 し のた め、 一 般中 学校 の 登校 経
地元 学 校と つな ぐ、院 内 学級 の 友だ ちと つ なぐ 、
験も な かっ た。 保 護者 や医 療 者は でき う る限 り
付き 添 う母 親同 士 をつ なぐ 、外 の世 界 とつ な ぐ 。
学校 生 活を 送ら せ たい 、と の 願い だっ た 。
その こ とは 、病 室 とい う限 ら れた 世界 に いる A
一 般 中学 校で の 授業 体験 、 院内 学級 で の学 習
さん が 、い つか 退 院し て家 へ 帰る 、学 校 へも ど
や行事の活動を中心とした級友との交流を通
る、 社 会へ 出る 、 とい う思 い を持 ち続 け るた め
し、 自 己を 成長 さ せ「 自ら の 生」 を全 う して い
の一 助 にな った の では ない だ ろう か。 院 内学 級
った 、 終末 期の 8 カ月 間の 様 子を 紹介 し たい 。
担任 が 、入 院中 の 子ど もと さ まざ まな 人 々を つ
個 別 の指 導計 画 は、 以下 の 通り であ る 。
153
2.実際の指導と経過
①3 年 1学 期
B さ んは 、院 内 学級 に転 入 当初 、環 境 の変 化
中 学 3年 に進 級 する と、 高 校進 学を 意 識し て
に戸 惑 いも あり 、 学級 での 学 習を 渋る こ とも 多
か「 勉 強を がん ば る。 」と 目 標に 書き 、 苦手 な
く、 級 友と の関 わ りも 薄か っ た。 学習 も 、一 定
教科 に も取 り組 む よう にな っ た。 高校 の 体験 入
のも の に偏 りが ち だっ た。学習 の後 の 雑談 で は 、
学に 誘 おう と、 担 当医 師に 相 談す ると 、 病状 が
小さ い 頃の 話や 家 族の こと を 話し てく れ るこ と
進行 し てお り、進学 は 厳 しい こ とを 知ら さ れた 。
もあ っ た。 しか し 、話 を重 ね るう ちに 、 Bさ ん
保護 者 との 面談 で 、「 一般 の 中学 校生 活 を味 わ
は自 分 の気 持ち や 思い を相 手 に伝 える こ とが 、
わせ た い。 」と の 思い を聞 い た。
苦手 で ある と思 わ れた 。
そ こ で、 担当 医 師、 保護 者 、中 学校 校 長、 3
年の 教 師全 員と 相 談し 、中 学 校の 授業 に 参加 さ
154
せた い と計 画し た 。当 日、 初 めて 手を 通 した 制
服姿 を 両親 と一 緒 に写 真を 撮 り、 緊張 し た面 も
ちで 、 中学 校へ 向 かっ た。 授 業は パソ コ ンで の
調べ 学 習で、パ ソコ ン 操 作は 得 意で あっ た ので 、
担当 の 教師 に助 言 を受 けて 真 剣に 取り 組 んで い
た。 帰 ろう とし て いた とき 、 一人 の見 知 らぬ 女
子生 徒 が「 また お いで ね。 」 と声 をか け た。 思
って も みな かっ た 出来 事に 、 嬉し かっ た らし く
帰り に 「も う一 度 、来 られ た らい いな あ 。」 と
つぶ や いて いた 。 初め て出 会 った 人だ っ たが 声
をか け られ て何 よ りも 嬉し か った のだ ろ う。 機
会が あ れば もう 一 度体 験さ せ てや りた い と、 思
った 。
B さん の 句
お茶 会 でお 菓子 を 並べ 来客 を もて な す B さ ん
ク リス マ スコ ン サ ート に 出演
②3 年 2学 期
2 学 期に 入り 、 胸部 に腫 れ が現 れ、 病 状は 進
んで い た。 残り 少 ない 時間 を 家族 と過 ご すた め
に、 外 泊の 機会 も 増え てい た 。電 車や バ スを 乗
り換 え なが ら、 家 族に 付き 添 われ 通学 し 、短 時
間で も 学習 に臨 ん だ。 でき る 限り 級友 と 交わ ら
せた い と思 い、 学 級み んな で トラ ンプ や UN O
(ウ ノ)のゲ ーム で 遊ん だ。 担 任の 私を 負 かし た
155
いと ば かり に張 り 切っ てい た 。
1 月 11 日
1 ~ 3年 生の 合 同学 習で 『 秋の 俳句 』 を互 い
ベ ッド から 起 きあ がる の も無 理
のよ う だっ たが 、 季節 を感 じ させ たい と 思い 、
に披 露 し合 うこ と にし た。 そ れぞ れの 句 に対 し
学級 で 作っ た「 鏡 開き 」のぜ ん ざい を届 け ると 、
て、 印 象に 残っ た 点や よか っ た点 など を 出し 合
おか わ りを して 食 べて くれ た 。
うな か で、 Bさ ん の句 に対 し て「 秋の 空 の様 子
1 月 16 日 朝、B さん はご 家 族や 医療 ス タッ フ
がよ く わか るよ ね 。」 とい う 言葉 が聞 か れた 。
の方 に 見守 られ な がら 、静 か に旅 立っ た 。
また 、級 友の 句 に一 所 懸 命に 言 葉を 考え な がら 、
感想 を 述べ てい た 。以 前の 不 器用 な言 い 方を し
Ⅲ 考察
てい た ころ とは 、 違う 印象 を 受け た。
当 初 、B さん は 自分 の気 持 ちや 思い を 言葉 で
11 月 、病 状 はさ らに 悪化 し、筆 者の「 無理 し
伝え る のが 苦手 だ った 。近 い 年齢 の子 ど もと の
ない で いい よ」 の 言葉 に「 い え、 やり ま す」 と
交流 が 少な かっ た せい か、 「 私は 、同 学 年の 人
言っ て、行事 の 準備 や 合 奏の 練 習に 取り 組 んだ 。
より 、小 さ い子 が いい です 。」と 言っ て いた り、
筆者 は、勤労 感 謝の お 茶 会(子ど もた ち が病 棟 ス
教室 で も級 友の 雑 談を ただ 聞 いて いた り する だ
タッ フ を招 いて 慰 労す る。)の テー ブル ク ロス を
けで あ った 。
制作 し よう 、と 提 案し た。 B さん もテ ー ブル ク
し か し、教 室 で級 友 と 学習 や 行事 など の 活動 、
ロス に 「刺 繍を し たい 」と 言 い、 放課 後 、級 友
ゲー ム など の遊 び の回 数が 増 えて いく と 自分 の
と一 緒 に刺 繍を し た。 行事 当 日も 熱が あ った も
気持 ち や思 いを 、う ま く 伝え よ うと 努め て いた 。
のの 、 「ど うし て も係 りの 仕 事は する … 」と 、
級友 と 交わ るな か で、 相手 の 気持 ちを く み取 り
車い す で来 客を も てな した 。
どの よ うに 話せ ば よい のか な どを 、B さ んな り
ク リ スマ スの 合 奏会 も、 級 友と の練 習 に酸 素
に学 び 、級 友と 交 わり なが ら 、自 己を 成 長さ せ
ボン ベ をつ けな が ら参 加し た 。当 日も 、 演奏 時
てい っ たよ うに 思 う。
間の み 病室 から 出 るこ とを 許 され 、病 棟 スタ ッ
初 め て、 中学 校 での 授業 を 体験 した と き、 女
フや 家 族、 患者 た ちの 前で 堂 々と 木琴 を 披露 す
子生 徒 に話 しか け られ たこ と 、自 分の 俳 句に 対
るこ と がで きた 。
して の 級友 から の 言葉 。学 級 活動 で行 っ た「 い
病 状 が厳 しい 中 でも 「同 じ 場所 に級 友 とい た
いと こ ろさ がし 」 「応 援メ ッ セー ジ」 に 級友 か
い」 「 自分 を表 現 した い」 と いう Bさ ん の思 い
ら「 優 しい お姉 さ んみ たい 」 「ま じめ で がん ば
は、 級 友た ちに も 通じ てお り 、普 段ど お りに 一
り屋 さ ん」 と書 か れた カー ド をも らっ た こと が
緒に 活 動し た。
ある 。 これ らの メ ッセ ージ は 、B さん に とっ て
行 事 の後、病 室で 疲 れ た様 子 では ある も のの 、
満足 そ うな 表情 で あっ た。
新た な 自分 に気 づ く一 因に な った よう で ある 。
人間 関 係は 自己 の 確立 を支 援 して いる と いわ れ
てい る が、 生徒 は 自分 で悟 っ て自 己概 念 をつ く
③3 年 3学 期
って い るの では な く「 君っ て こう だね 」 とい う
ク リ スマ スや お 正月 を、 望 み通 り自 宅 で過 ご
フィ ー ドバ ッグ を 友だ ちか ら もら って 自 己を 確
すこ と がで きた 。
1 月 8日
立し て いく ので は ない だろ う か。
始 業 式の 参加 は 無理 だっ た ため 、
B さ んに とっ て、院 内学 級 の級 友た ち が、
「最
中学 校 の校 長、教頭 と 筆 者が 病 室を 訪問 す ると 、
後の 友 だち 」と な って しま っ たが 、そ の 院内 学
級友 た ちの こと が 気に なる の か「 始業 式 には 、
級の 級 友た ちも ま た、 共に 成 長し 合っ て いた と
誰が 来 まし たか ? 」と 聞い て きた 。退 室 する と
思わ れ る。
きに は 「あ りが と うご ざい ま した 」と 頭 を下 げ
さ て 、こ れま で 院内 学級 の 活動 を中 心 に述 べ
て、 お 礼を 言っ て くれ た。
てき た が、 これ ら の活 動は 、 医療 スタ ッ フの 協
156
力な し で行 うこ と はで きな か った 。病 状 が進 行
族の な かに 残し た ので はな い だろ うか 。
する な かで 、B さ んの 気持 ち を察 し、 思 いを 大
子 ど もた ちは 、 育っ た背 景 、性 格や 発 達段 階
切に し て、 いつ も 温か く見 守 り学 級に 送 りだ し
がそ れ ぞれ に違 い 、自 ずと 支 援の 手だ て も違 っ
てく れ た。
てく る 。院 内学 級 担任 は、 ど の子 ども も 最期 ま
B さ んの 、残 り 少な い時 間 をよ りよ く 過ご さ
で成 長 し続 ける こ とを 信じ 、 子ど もと 家 族の 思
せる た め、 病棟 カ ンフ ァレ ン スで 本人 へ のサ ポ
いや 願 いに 応え る 教育 支援 を 行な わな け れば な
ート 体 制、家族 へ の支 援な ど を医 師、看 護師 (非
らな い と考 える 。 その なか で 、子 ども が 一つ で
番、時間 外 の看 護 師も 参加 )、院内 保 育士 、院 内
も多 く の「 やっ て みた い」 「 やれ た」 と いう 思
学級 教 師ら が意 見 交換 し、 互 いに 連携 し なが ら
いを 実 感し 、希 望 と喜 びを も って 生き ぬ いて く
対応 を 確認 して い った 。ま た 、亡 くな っ た後 、
れる の では ない だ ろう か。そう 願っ て やま な い 。
病棟 カ ンフ ァレ ン スで あら た めて スタ ッ フ一 同
で振 り かえ りを 行 った こと は 、終 末期 の 子ど も
の教 育 を支 援す る 者と して 、 意義 深い も のと 感
じた 。
同 時 に、 医師 か ら父 親へ の 病状 説明 の 場に 同
席さ せ ても らっ た こと は、 院 内学 級担 任 とし て
医教 連 携の 責務 を 痛感 した 。
本 事 例に おい て は、 院内 学 級が 「子 ど もが 何
を思 い、何 を願 っ てい るか 」を 、医療 ス タッ フ、
教員 が 相互 に確 認 しな がら 、 でき る限 り の支 援
をし て いく こと が 、病 状が 厳 しく なっ た 子ど も
によりよい時間を提供できることにつながっ
た。 こ のこ とは 、 院内 学級 担 任の 重要 な 役割 の
一つ で ある と考 え る。
Ⅳ
おわりに
本 事 例に 挙げ た 子ど もた ち は、 さま ざ まな 立
場の 人 たち と関 わ りを もつ こ とに よっ て 、息 を
ひき と る間 際ま で 、そ の子 ら しく 成長 し 続け て
いた よ うに 思わ れ た。 自分 を 応援 して く れる 知
人と の 約束 を最 後 まで 守ろ う とし た A さん、最
期ま で 自分 らし く 生き た B さん 。そ れ ぞれ に 、
成長 し なが ら精 一 杯生 きぬ い てく れた 。 その 姿
は、 院 内学 級担 任 に「 生き る とは ・・ ・ 」を あ
らた め て考 えさ せ てく れた 。
ま た 、そ のよ う に精 一杯 生 きぬ いた 子 ども の
姿は 、 見送 る家 族 の悲 しみ を いく らか で もや わ
らげ た ので はな い だろ うか 。 「精 一杯 生 きぬ い
たわ が 子を 誇り に 思う 」「 こ の子 に負 け ない 生
き方 を しな くて は 」そ んな 思 いを それ ぞ れの 家
157
第6章
武田
Ⅰ
考察とまとめ
鉄郎(和歌山大学)
篁
各国との比較からみえてきたこと
倫子(お茶の水女子大学)
ための教育内容はナショナルカリキュラムの中で
オーストラリアにおいては、ホスピタルスクー
は特に設けられていない。それらは個別の教育ニ
ルで行われている教育は、特別な教育的ニーズに
ーズにより、個別教育計画(PEI)に盛り込まれる。
対するサービスとして用意されているが、行政上
ボローニア大学付属病院サントオールソラマル
スペシャルエデュケーションの範疇には入らな
ピギ病院内にあるホスピタルスクールでは病院ス
い。基本的には、幼稚園、小中学校、高等学校の
タッフと協働で教育的支援が行われている。例え
ナショナルカリキュラムで行われている。しかし、
ば、ターミナル期に移行する生徒には、生徒自身
知的障害などがある場合、スペシャルエデュケー
が希望する看護師や教師を指名することができ、
ションのカリキュラムで学習する。学籍移動は行
それらの看護師や教師から亡くなるまで支援され
わなれていない。なお、ターミナル期にある子ど
るシステムを作っている。教育内容・方法は、医療
もで教科学習ができなくなった子どもに対して特
者と教育者とのトータルケアの理念ともと、情報
別な教科・領域はなく、個々の子どものニーズに合
を共有し、生徒との関係性の中で準備される。な
わ せ 、 教 師 が 個 別 教 育 計 画 ( Individualized
お、ホスピタルスクールを利用するに当たり学籍
Education Plan,以下 IEP)を作成し教育を行う。ま
移動は行わない。
た 、 個 別 移 行 計 画 ( Individualized Transition
スウェーデンにおいては、ホスピタルスクー
program,以下 ITP)により地域の学校とホスピタル
ル・ホスピタルクラスは、「病気」という特別な
スクールとの連携を図っている。
教育的ニーズに応じるという意味では教育方法と
イタリアの障害のある子どものための国の教育
して、スペシャルエデュケーションであるが、そ
カリキュラムは、幼稚園、小学校、中学校、高等
の範疇にはない。子どもの知的発達レベルにおい
学校の「教育指針」に示されていて、スペシャル
て遅滞していない場合は、通常の教育のカリキュ
エデュケーションの範疇ではない。日本でいう学
ラムを行い、障害がある場合であれば、障害児教
習指導要領レベルでも障害のある生徒の教育と健
育のカリキュラムに従う。なお、ターミナル期に
常な生徒との教育が統合されている。ゆえに障害
ある子どもで教科学習ができなくなった子どもに
のある生徒が各段階の教育課程の基準に合わない
対して特別な教科・領域はない。個々の子どものニ
と き は 、 機 能 - 動 態 プ ロ フ ィ ー ル (Profilo
ーズに合わせ、教師が子どもにアプローチを行っ
DinamicoFunzionale) と 、 個 別 教 育 計 画 (Piano
ている。ホームスクール(地域の学籍を置いてい
Educativo Individualizzato)を作成し、個に応じた教
る学校)の個別教育計画とホスピタルスクールで
育内容を準備できる制度になっている。特に、日
の個別教育計画は連動しており、子どもの教育に
本における「ディスアビリティの改善・克服」の
関する責任は基本的にはホームスクールにある。
領域に関しては地域保健機構の訓練等のサービス
米国においては、小児がん等の病気の子どもの
を受けることができるように制度設計されてい
教育はスペシャルエデュケーションの範疇は入
る。
る。学籍移動の有無については、子どもは基本的
ホスピタルスクールにおける教育内容は、通常
に学籍の移動は行わず、原籍校に在籍したまま個
教育の枠組みの内で、国が定めた教育カリキュラ
別教育計画(IEP)の教育を受けることとなる。IEP
ムを実施している。ターミナル期にある子どもの
と原籍校のカリキュラムのすり合わせが必要にな
158
ってくる。小児がんの子どもは、わが国と比較し
においては、学籍移動(転学)が必要となる。転学
て短期間の入院であり、外来通院を主体とした化
することで地域の学校とのつながりが持ちにくい
学療法を行っている。そのため院内学級のみなら
現状がある。しかし、入院・治療を必要とする子ど
ず、homebound teacher の家庭訪問による教育など
もの院内学級等の病院内教育について各都道府
を利用して教育を継続している状況が明らかにな
県・政令指定都市教育委員会を対象に調査した結
った。個別の教育計画については、教育職のみで
果、入院してきた子どもの学籍を移動する目安とな
なく、医師・看護師・心理士等のディスカッショ
る期間を設けていないと回答した自治体が 57%で
ンを通して、両親のインフォームドコンセントの
あり、また、学籍移動を行わない子どもに対して、
下に作成され、評価する法的システムが整備され
院内での教育保障を行っているかどうか、という質問
ていた。
に対して「行っている」と回答したところが 35.8%であ
ドイツにおいては、病院内学校は、特別支援学
った。学籍移動しなくても院内で受けた教育が地域の
校として位置づけられ、スペシャルエデュケーシ
通学していた学校において「出席扱い」としている自
ョンの範疇である。通常教育と特別支援学校の教
治体が 16%であったことは、現行においても、近年、
育課程は異なる。病院内学校の学習は、対象児童
入院期間の短期化・頻回化に対応した取り組みに
生徒が属している学校の形態(基礎学校等)カリ
移行しているものと考察できる。ちなみに、出席
キュラムに基づき行われている。病院内学校の特
扱いをする根拠は、「交流教育の一環として行っ
別支援教育上の任務は、長期疾病に精神的悪影響
ている」、「通級による指導という考え方で行っ
を対象者からの除き、回復への意志を高めること
ている」、「不登校の児童生徒が適応指導教室に
にある。日本のような自立活動の領域はないが、
通っている場合と同じ考え方」、「校長の判断により
バイエルン州の肢体不自由特別支援学校学習指導
出席扱いをしている」であった。
要領(2001 年)では、教育、訓練及び自立という
いずれも医療者等とのトータルケアの体制が基
項目があり、美的教育、知覚指導、運動指導、感
本にあり、他職種との協働の上で教育的支援が行
情的・社会的指導、家庭的・性的教育、指導介護、
われていた。
精神的発達の指導、自由時間指導、健康教育、言
国によって、教育課程(教育カリキュラム)等の
語教育、環境教育、交通・安全教育などがその内
教育内容・方法に違いはみられたが、共通する支援
容に含まれている。ターミナル期にある子どもの
は、子どものニーズに従って、教師との関係性を
教育内容は各教科等と連携を図り、子どもとの関
重視した上で、個別教育計画を作成し教育が行わ
係性の中で教師が個別教育計画を作成していくも
れていたことである。以下に、教育内容・方法に資
のと考える。学籍の移動はその子の状態により異
する考察を行う。
なる。入院期間が 4 週間以上になると、Schule fuer
Kranke に行く権利と義務がある。教育課程の決定
Ⅱ
小児がん等のターミナル期にある子どもの
と変更は、原籍校と協力して行う。
教育内容・方法
日本の場合においては、院内学級等の特別支援
小児がん等のターミナル期にある子どもは、感
学級(病弱・身体虚弱)や特別支援学校(病弱)は特別
情レベルにおいて悲嘆、怒り、自己非難、不安、
支援教育の範疇に入る。そして、ターミナル期に
孤独、疲労感、無感覚な状態であり、身体的感覚
ある子どもの教育内容は各教科等と併せて、我が
レベルにおいても胃の中の空虚感、胸の中の緊張
国独自の「自立活動」が教育課程に用意されてい
感、喉の中の緊張感、雑音に対する過敏、筋肉の
る。学籍移動に関して、教員定数は教員定数法で
脆弱性、口の中の乾燥感、エネルギー不足感を感
学級数が決定されるため、在籍する児童生徒数に
じている。認知レベルにおいて他者や自己に対し
よって教員配置人数が決定される。よって我が国
て不信感を持ったり、精神的混乱、幻覚を見る感
159
覚があったりする。また、行動レベルにおいては
の授業実践を行うことは、個別の指導計画で設定
睡眠障害、食欲不振、引きこもりなどがみられる
した指導目標を構造化すると共に、それらを授業
状態である。
の一つのかたまりである単元・題材レベルまで具
ターミナル期にある子どもにとって、その生の
体化し、個々に応じた毎時間の授業にまで個別化
充実を図る上で欠かせないのは「日常性」だとい
していくことである。授業が展開されていく過程
える。
「日常性」とは何かといえば、学童期の日常
においても、子ども一人一人の個別化された短期
生活の主となるものは、学校生活である。同年齢
目標を達成するための活動場面を設定し、焦点を
の子どもとの関わり、育てられる者として教育を
当てて指導していく必要がある。個別の指導計画
受けることは、まさに、過去、現在、そして未来
に書かれるであろう目標の多くは、「できる」と
という時間性の中で、その存在が確かなものであ
いう行為による目標達成が記述されることが多い。
ることを子どもに実感させることになる。
しかし、同時に「わかる」という子どもの心理的
日常生活の維持で述べたことは、子どもが同年
状態を重視する必要がある。教師との「関係性」
齢を中心とした他者との関係の中で、他者と同じ
を構築しながら安心感や自尊感情、自己効力感等
ことをする、できる、場を共有することによって
の心理的状態を大切にした教育内容・方法を準備
得られる存在の意義である。そのことと同時に、
することである。不安感や緊張感の軽減が子ども
他でもない自分が、他の子どもとは異なる状況に
の元々持っている「その子らしさ」を引き出すこ
おかれ、病と闘わなくてはならないという現実と
とになる。
向き合うためには、特別な存在として受け入れら
佐伯は、発達を社会的関係の中で捉える考え方
れる必要がある。特別は存在として受け入れられ
が重要であることを述べ、図1のように、「発達
るとは、例えば、教師との間の心的交流である。
のドーナツ論」を提唱している。これは、ヴィゴ
他の中の一人として、学級に存在する者から、ひ
ツキーの最近接領域論の考え方と類似している。
と時、教師と一対一で向き合う時間、自分の話を
I(自己)が発達していくとき、YOU的かかわ
聞いてもらえるということが重要になる。
りをもってくれる他者との出会いが不可欠であり、
子ども自身が抱える正負両面の気持ちや考え
そのYOUとのかかわる局面が第一接面である。
を、自分の外に出すことである。闘病生活を送る
しかし、YOUとのかかわりだけでは人は発達で
子どもたちは、時に自身の気持ちを他者を慮るば
きない。YOUが実際にかかわっている社会・文
かりに、表出しないことがある。子ども自身が自
化的実践社会(THEY)があって、そのかかわ
分の気持ちを表出することには、1.自分の気持
っている世界と接している局面が第二接面である。
ちを理解する、2.他者との気持ちの共有・受け
第二接面をIはYOUとのかかわりを通して垣間
止めという意味がある。表出方法としては、まず
見るということで発達は進む。YOUとは、Iの
言語化が思いつくが、不安が高いと言語化は困難
身になってくれる人であり、その人との関係性の
な場合がある。絵本等の登場人物に不安な気持ち
中で子供は「わかる」ことを深化したり、一人で
を投影する内容、低・中学年の場合は、絵や作品
はできないことを支援されながら「できる」こと
なども有効であると考えられる。
を拡大したりする。
個別教育計画(個別の指導計画)を生かした日々
160
You
YYYVPWJPJVWPEPJP
I
第一接面
They
第二接面
図1 発達のドーナッツ(佐伯,2006)
ターミナル期にある子どもは、前述したような
身体的・心理的・社会的状態である。日々、病状が
変化するなど体調変動が頻繁であり、病状が進行
したり、悪化したりすると心理的にも不安定にな
りやすい。
自立活動における学習内容を例示することで、
学習の評価を構造化・非構造化と内的基準による
評価、外的基準による評価に分け説明を試みる。
疾患や障害に関する知識・理解や自己管理に必要
な技能の習得のように予め構造化(学習内容が子
供の学習の前に予め組織されている)でき、客観
的に評価できるものと、不安感を軽減し、意欲の
向上を図るというように予め構造化できないもの
がある。当然、評価の観点も違ってくる。自立活
動の評価に関しては、表1に示したように学習内
容によって四つのタイプに分けて評価することを
提案する。すなわち、構造化と非構造化の次元と、
外的基準と内的基準の次元による評価である。
161
表1
評価のタイプとその例示
内的基準による評価
外的基準による評価
構
Aタイプ
Bタイプ
造
・例えば、ロールプレイなど疑似体験 ・例えば、障害や病気の理解など
化
、諸活動による心理的な安定など
非
Cタイプ
構
・例えば、カウンセリング等による心 例えば、偶然的教示学習
造
理的な安定など
Dタイプ
化
外的基準による評価とは、外部の規範や権威に基
文等から入手することができる。
づく評価で学習の開始、進行、評価などを教師がコ
Dタイプは、学習内容が予め構造化されておらず、
ントロールすることである。内的基準による評価と
教師などによる外的基準で評価されるものである。
は、学習者の内部の基準に基づく評価で学習の開始、
例えば、教師が子どもに廊下で偶然に出会い、校則
進行、評価が学習者に任される。
に反した服装を注意することが挙げられる。偶然的
Aタイプは、学習内容が予め構造化されているが、
教示学習等がこれに当たる。
評価は子ども自身が行う。子どもが自分自身の授業
特に、ターミナル期にある子どもの教育内容・方
において経験した時に感じるさまざまな感情や達
法に関しては「関係性」を重視したAタイプ、Cタ
成感などを評価するものである。
イプの評価が可能である教育内容・方法を取り入れ
Bタイプは、学習内容が予め構造化されており、
ることが大切であると考える。
教師などによる外的基準で評価されるものである。
各教科等の知識がどの程度理解されているかどう
文
かの評価はこれに当たる。
佐伯胖(2006)能力の発達心理学から関係性の発達
Cタイプは、学習内容が予め構造化されておらず、
評価は子ども自身が行うものである。例えば、カウ
献﹈
心理学.小児の精神と神経、第46巻第3号,147〜
156.
ンセリング的なかかわりが挙げられる。安心感、満
武田鉄郎(2006)慢性疾患児の自己管理支援のため
足感、達成感、自尊感情等の情緒的な評価も含まれ
の教育的対応.大月書店.
る。評価に関する情報は、子どもの言動や表情、作
162
資
資料1
料
編
絵本の活用
武田 鉄郎(和歌山大学)
藤田絵理子(和歌山県立医大学小児成育医療支援室)
心理学の方法としての「語り」や「物語」は臨
語の要素に例えられる。このモデルでは原因や機
床心理学等の中で多くの成果をあげている。病気
能が強調されるのではなく、意味に重点が置かれ
の子どもの心理学的特徴は、一般的に不安が高い
る。語りのモデルにおいては人間の生は物語に例
と言われている。不安な心を絵本の物語の中に登
えられる。」
場する人、ものに心を投影する形で絵本が読まれ
不安の高い病気の子どもが、原因や機能を強調
ることが多い。絵本を媒介に病気の子どもとまわ
するような読み方ではなく、まわりの大人との関
りの大人がコミュニケーションを図ることができ
係性の中で「意味」に重点が置かれる読み方をす
る。佐々木(2000)は、人間の発達研究モデルとし
ることで絵本教材がより生きる。
ての「語りのモデル」を以下のように説明してい
ここでは、
「不安な心を投影できる本」、
「空想遊
る。
びができる本」、「病気のことを知ることができる
「物語のメタファーに基づくモデルで、様々な
本」、
「 死についての本」、
「 自己との対話を促す本」
諸要因がお互いにかかわりながら,意味のある全
に分け紹介している。分類はしているが、読み方
体をそれ自身で提示するものである。様々な要因
によってはここで分けている以外の読み方が可能
がそれらの意味づけをお互いから導き出しながら
であることは言うまでもないことである。
語りの構造の中で統合される。人間の行為は、物
不安な心を投影できる本
書名
フレデリック
要約
ねずみのフレデリックは、仲間がせっせと冬の食料を集める仕事をしているのに働
こうとはしない。じっとして「おひさまのひかりをあつめ」、
「いろをあつめ」、
「こと
レオ・レオニ
ばをあつめている」という。冬が深まり、食べ物が無くなってきたとき、フレデリッ
好学社
クの集めたものについて仲間が尋ねる。フレデリックが、集めたおひさまのひかりに
1969
ついて話すと仲間は温かくなり、色について話すと心のなかにきれいな色を見、こと
ばを詩人のように話すと、仲間は拍手喝采!!フレデリックは、赤くなっておじぎを
しながら、はずかしそうにいった。「そういうわけさ」
163
書名
花さき山
要約
10 歳のあやは山菜採りに、山に入り迷って山ンばに出会う。そして一面の美しい花
畑に驚きながらその花の一輪、一輪が咲く理由について聞かされる。ふもとの村の人
斎藤隆介
間が優しいことを一つすると一つ咲くというのだ。自分のことより人のことを思って
岩崎書店
涙を一杯ためて辛抱すると優しさと健気さが花になって咲き出すというのだ。大人は
1969
その話を信じてくれなかったし、二度と山ンばには会わなかったが、あやは時々、自
分の花が「今、花さき山で咲いているな」と思うことがあった。
書名
夕あかりの国
要約
ぜんぜん歩けなくなってから一年、もう歩けるようにはならないと聞いた日、日が
沈みほんのり夕あかりが残るころになっても部屋に明かりをつけに来て欲しくなか
リンドグレー
った。すると突然、夕あかりの国の案内人、リリョンクバストさんが現れ、夕あかり
ン
の国に誘われる。足が悪いことなどは「へいきだよ、夕あかりの国ではなんでもない
徳間書店
んだ」との言葉通り、そこでは歩けるし飛ぶことも出来る。気持ちを開放しながら、
1999
心を豊かにする少年の爽やかで自由な旅が、切なく同時にとても美しい。
書名
ぼくはあるい
要約
僕は、ひとりでおばあちゃんの家まで行くことになった。おうちの前の道を、まっ
た、まっすぐ、 すぐ、まっすぐ、田舎道をまっすぐ、まっすぐ行けばいい。とにかくまっすぐ、まっ
まっすぐ
すぐ…。一生懸命歩く姿と、歩いていく道で出会う風景のなごやかさ、時にはドキド
マ ー ガ レ ッ
キ感、そしてついに、おばあちゃんの家に到着したときの安心感。おばあちゃんの素
ト・W・ブラウ
敵な笑顔とおもてなし。すっかり、主人公と一緒に小旅行をしたような、うきうきし
ン
た、温かい気分が味わえる。
ペンギン社
1984
書名
モチモチの木
要約
じさまと二人暮らしの豆太は、夜ひとりでおしっこにも行けない弱虫。ある晩、突
然の病気で苦しんでいるじさまの姿をみて、こわいのや寒いのや痛いのを我慢して、
斎藤隆介
懸命にふもとの村までお医者様を呼びに走る。無事に、お医者様におぶられて家にた
岩崎書店
どり着くと、勇気のある子どもにしか見られないという、モチモチの木に火がつく光
1971
景を目にする。しかし、じさまが元気になるとまた…。
空想遊びが出来る本
書名
おおきなきが
ほしい
さとうさと
要約
かおるは自分専用の「おおきな、おおきな木があるといいな」とすてきな木のこと
を考えた。はしごをつけ、ほらあながあり、かおるの小屋があり、そこには台所もあ
るのでホットケーキも食べられる。そして木に住んでいるりすや、やまがらとも友だ
164
る
ちだ。見晴台もあり景色は抜群。日曜日、かおるとお父さんは、とても大きくなると
1971
いう「まてばしい」という木を本当に植えた。今はかおるの背の高さくらいの木だが
…。
書名
まほうのえの
ぐ
要約
よしみは、おにいちゃんの絵の具をかしてもらいたくてたまらないが、おにいちゃ
んはいつでも「だめだめ」という。その理由は「まほうのえのぐ」だから。ある日と
うとう貸してもらえることになり、よしみは、張り切るが、森のなかでたくさんの動
林明子
物達と一緒に絵を描くことになる。茶色一色で「どろんこの絵」だった、よしみの絵
1993
が、おにいちゃんがひっくりかえってしまうほど「まほうのえのぐ」のおかげで大変
身!!
書名
くまのコール
テンくん
ドン・フリー
ドマン
要約
デパートのおもちゃ売り場でくまのコールテンくんは「はやく誰かが来て、自分を
うちに連れて行ってくれないかな」と毎日思っていた。ある日、女の子が彼を欲しが
るがお母さんは「ボタンが一つ取れている」と言い帰ってしまった。コールテンくん
はその晩遅くにボタンをあちこち探しに行く。結局ボタンは見つからないが翌朝、昨
偕成社
日の女の子リサがコールテンくんを買いに来て、家に連れて帰ってくれる。ボタンも
1975
直してくれた女の子に「友だちってきみのようなひとのことだね」「ずっと前から友
だちがほしいなあっておもっていたんだ」リサも「あたしもよ!」
書名
セロひきのゴ
ーシュ
宮沢賢治
茂 田 井 武
画
要約
金星音楽団でセロ(チェロ)を演奏するゴーシュは楽長から注意されてばかり。猛
練習に励んでいると毎夜、猫、かっこう、子だぬき、ねずみの親子が入れ替わりに来
て、ゴーシュにセロの演奏や伴奏をせがみ、不思議な気持ちのまま、動物たちと時間
を忘れて一緒に一晩中、練習することになる。そんな日々が続いた六日目の晩の音楽
会、ゴーシュは楽長からアンコールを頼まれるほど腕をあげていた。
福音館書店
1980
書名
ラチとらいお
ん
要約
世界中で一番弱虫の男の子ラチ。あまりに怖がりなので友だちもいない。
そこへ、ある日、小さな赤いらいおんがやってきて、ラチをトレーニングする。ラチ
マレーク・ベ
ロニカ
がだんだん強くなり、とうとう、らいおんがついていなくても、いじめっ子をやっつ
けてしまうほどになると、らいおんは「弱虫の子どものところへ行って強い子どもに
福音館
してやらなくちゃならない、きみのことはわすれないよ」と置手紙を残して去ってし
1965
まうのだ。
病気のことを知ることができる本
書名
シリーズいの
要約
自らもガンで5年間生きられるかどうか難しいと宣告された筆者が「いのちってな
165
ちの授業1~
んだろう」、
「人間はどうして死ぬのだろう」と考え、模索するうちに本から生きる勇
5巻
気を得た。そのことを全国の小・中・高等学校を訪ねて、本で学ぶ「いのちの授業」
種村エイ子
として続けている。「いのちがはじまるとき」「いのちがおわるとき」「いのちのおも
ポプラ社
み」「いのちをささえる」「いのちの図書館」の全5巻。
2002
書名
要約
障害を知る本
11
障害児を
障害を知る本シリーズ全 11 巻。
「障害と私たちの社会」
「ダウン症の子どもたち」
「て
んかんのある子どもたち」
「ことばの不自由な子どもたち」
「耳の不自由な子どもたち」
支える人びと
「目の不自由な子どもたち」
「自閉症の子どもたち」
「LD の子どもたち」
「知的な遅れ
茂木俊彦
のある子どもたち」
「からだの不自由な子どもたち」
「障害児を支える人びと」最後の
大月書店
一冊では子ども達を温かいまなざしで、また力強く支える大人たちの存在が頼もし
1999
い。
書名
要約
難病の子ども
を知る本 1
難病について知る本シリーズ全 8 巻。
「白血病の子どもたち」
「心臓病の子どもたち」
白
「腎臓病の子どもたち」
「小児糖尿病の子どもたち」
「ぜんそく・アトピーの子どもた
血病の子ども
ち」「ホルモンと代謝の病気」「神経難病の子どもたち」「難病の子どもを支える人た
たち
ち」白血病を経験した子どもの事例や、病気についての図解入りの説明、治療法、副
山城雄一郎、
作用についての説明、家族や医師チームの支え、仲間とのキャンプからの励まし、友
茂木俊彦
達として病気を理解することについてなど具体的な情報が率直に書かれている。
大月書店
2000
書名
ありがとうフ
ォンジー
要約
アメリカのフロリダ州「アイランド・ドルフィン・ケア」の一匹のイルカ、フォン
ジー。病気や障害を持つ子どもたちと一緒に遊んで子ども達の体や心を元気にするお
大塚敦子
手伝いをする。フォンジーは体の半分が麻痺したジョーをありのままに受け入れてジ
小学館
ョーはそれが励ましになり二年で麻痺がほとんど治った。他に白血病、心臓病のお友
2002
だちも大勢来る。
書名
いのちのおは
なし
要約
95 歳の日野原先生が、10 歳の子どもたちに、
「いのちとは」を分かりやすく学校の
授業で教えてくれる。「いのちとはきみたちが持っている時間だといえますよ、時間
日野原重明
を使うことは、いのちをつかうことです」「これから生きていく時間、それが君たち
講談社
のいのちなんですよ」授業を受けているみんなは生きていることの嬉しさを感じ始め
2007
ていた。心臓は、今このときも動いている。未来に向かって打ち続けている。
書名
要約
チャーリー・ブ
チャーリー・ブラウンとライナスの友だちのジャニスは、体じゅうに、あざができ
ラウンなぜな
たり、高熱が出たりで学校に来なくなってしまう。入院している病院へいくと、「が
んだい?
んだったのよ。でも心配しないできっとよくなって私、学校に戻ってぶらんこにのり
166
C・M・シュル
たいんだもの」とジャニスは言った。二人は心の痛みを感じながら、考えれば考える
ツ
ほどわからなくなりライナスは「どうして、チャーリー・ブラウンなぜなんだい?」
細谷亮太
訳
と尋ねる。さらにジャニスの姉妹達はジャニスの病気のことで、「あたしたちいつも
岩崎書店
なにかほっとかれてるかんじ」と言う。春が来てまたジャニスがぶらんこにのれる日
1991
が来て…。
死についての本
書名
要約
ダギーへの手
紙
この本の副題は「死と孤独、小児がんに立ち向かった子どもたちへ」となっている。
脳腫瘍を患っていた九歳のダギーの「いのちって何?死って何?どうして小さい子ど
E・キューブ
ラ・ロス
もたちが死ななくてはいけないの?」の疑問にロス博士の答えは、同じような切実な
疑問を持つすべての人への温かいメッセージとなっている。命と死にとって一番大切
佼成出版社
なものは「太陽みたいな大きな愛」、「無条件の愛」であると伝え、ダギーはそのこと
1998
にとても喜び、9歳で余命 3 ヶ月と診断されてから 13 歳まで生活できた。
書名
要約
エ
筆者を 13 人目の孫としてとても可愛がってくれたおばあさん。
「多発性骨髄腫」と
ルマおばあさ
いうガンで長く生きられないと知らされた時から死を見つめながら、おばあさんがど
ん
のように生きようとするのかを写真で記録した本。おばあさんの愛猫スターキティの
さよなら
大塚敦子
視点からの描写が優しく、家族に見守られながらおばあさんが自分らしい死を選ぶ姿
小学館
がとても凛々しい。
2000
書名
神の道化師
トミー・デ・
パオラ
要約
身寄りのないジョバンニという少年の、得意な事は何でも空中でお手玉のように回
すこと。旅芸人の仲間に入り修行を積み、人気を博していく。そんなある日、修道士
から「あなたが人々に幸せをあたえるなら神をほめたたえているのと同じ」と教えら
ほるぷ出版
れる。やがてジョバンニの芸は人々に飽きられ、教会にたどりついた彼は最期の芸を
1980
イエスの像の前で心を込めて行い息絶える。すると悲しそうなイエスの像が笑顔にな
った。
書名
ぶたばあちゃ
ん
要約
仲良しのぶたのおばあちゃんと孫。ある日ばあちゃんは、いつも通りの生活ができ
なくなり「支度」をしに町へ田舎へと出掛ける。孫はそのばあちゃんの姿をじっと目
マーガレッ
に焼きつけ共に時間を過ごす。小さい頃は怖い時ずっとばあちゃんが抱いてくれた。
ト・ワイルド
「今日は私が、ずっとばあちゃんを抱いていてあげる」月明かり、緩やかな時間の流
あすなろ書房
れのなか、ばあちゃんは旅立つ。別れのあと孫が遠くを見つめる姿に爽やかと強さを
1995
感じる。
書名
要約
167
わすれられな
いおくりもの
スーザン・バ
ーレイ
尊敬する大好きなあなぐまが、ながいトンネルの向こうに行ってしまった。森の仲
間たちはそれぞれ悲しみに打ちひしがれる。やがて雪がとける頃、仲間たちは集まっ
て、あなぐまにして教えてもらったことの思い出を語りだす。しょうがクッキーの焼
き方、手のつながった紙人形の切り方、ネクタイの結び方、スケートの方法…。あな
東京評論社
ぐまとは別れたけれど、彼の残してくれた財産の大きさに気づいた皆は、幸せな気分
1986
になる。
自己との対話を促す本
書名
1000 の 風 、
要約
阪神淡路大震災復興支援チャリティーコンサートで「1000 人のチェロコンサート」
1000 のチェロ
への参加をすることにした、少年、少女、おじいさんからそれぞれ語られる震災のこ
いせひでこ
と。1000 のチェロが 1000 の物語を語っている。それでいてちゃんと一つの曲になっ
偕成社
ている。1000 の音が一つの心になったんだ。新しい明日にとどいただろうか 1000 の
2000
風、1000 のチェロの音。
書名
ルリユールお
じさん
要約
パリの朝、大好きな植物図鑑がバラバラになったソフィーは、本の修理をしてくれ
るというルリユールおじさんを探す。おじさんの昔かたぎの丁寧な仕事ぶりに目を見
いせひでこ
張り、修理の工程を見て楽しむ。本は修復されるたびに新しい命を持つ。同じくルリ
理論社
ユール(本の修理職人)だったおじさんの父親は「名を残さなくてもいい、いい手を
2006
持て」と教えた。今年老いたおじさんは自問する「私も魔法の手を持てただろうか」。
そしておじさんの本は二度と壊れず、ソフィーは植物学の研究者になった。
書名
ペツェッティ
ーノ
要約
小さい四角形のペツェッティーノが色々なものに「ぼくはきみの部分品ではないで
しょうか?」と尋ねると「部分品が足りなくて上手に~できるはずが無い」と、皆自
分に欠けた部分品は無いという。自分は何で出来ている?その疑問を解くため冒険に
レオ・レオニ
行き、粉々にくだけた彼は、自分もみんなと同じく、部分品が集まって出来ている、
好学社
それでいて完成品であると悟る。
「ぼくはぼくなんだ!」との嬉しい発見に心が躍る。
1975
書名
要約
ずーっとずっ
犬のエルフィーと僕はずっと一緒に大きくなった。月日が経って僕の背が大きくな
とだいすきだ
るとエルフィーはどんどん太って階段を登るのも精一杯になる。ある朝、目が覚める
よ
とエルフィーが死んでいた。ぼくは悲しかったけど毎日エルフィーに「ずーっとずっ
ハンス・ウイ
ルヘルム
評論社
と大好きだよ」と言っていたので家族の皆より、気持ちが楽だった。いつかまたどん
なペットを飼っても毎晩、きっと言ってやるんだ「ずーっと、ずっと、大好きだよ」
って。
168
1988
書名
おおきな木
シェル・シル
バスタイン
要約
大きな木は大好きな男の子のために自分の持つすべてをあたえる。男の子が成長し、
青年、中年、老年期に、木のそばに来て要求するものが特徴的。最初はリンゴの実、
枝、幹、主幹、切り株だけになっても木は与えることが出来て「それでうれしかった」
篠崎書林
が繰り返される。一回だけ、「ほんとかな」との疑問が投げかけられていることも印
1976
象的。
書名
ぼく
にげち
要約
うさぎの子どもが、おかあさんと語り合っている。家を出てどこかに行きたくなっ
ゃうよ
た子うさぎが「ぼく、にげちゃうよ」。「お前が逃げたらかあさんは追いかけますよ。
マ ー ガ レ ッ
だっておまえはとってもかわいい私のぼうやですもの」次々と逃げ方を考える子うさ
ト・W・ブラウ
ぎに、それを上回る素敵な追いかけ方を伝える母親うさぎ。最後は「だったら、うち
ン
にいてかあさんのこどもでいるのとおんなじだね」と納得する子うさぎ。子どもが逃
ほるぷ出版
げ出したい気持ちに対する母親の対応が絶妙。
1976
資料2
「工房の猫」翻訳について
武田
鉄郎(和歌山大学)
この絵本は、イタリアの研究協力者であるボロ
な気持ちを「工房の猫、クティ」に投影できるよ
ーニア大学附属病院サントオールソラマルピギ病
うに描いたものです。登場人物に子どもの心を投
院 小 児 科 医 長 で あ り ,精 神 科 医 で も あ る ド レ ッ
影することによりコミュニケーションをとること
ラ・スカルポーニ博士が描いたものです。ドレッ
ができるように描かれています。
ラ博士は,ターミナル期にある子どもと家族を長
病気の子どもの治療、看護、教育に携わる者の
年にわたり支援してきた小児科医です。
心構えが書かれてあるようにも思えます。
物語の内容は、病気の子どもたちが自分の不安
169
170
171
172
173
174