2006年の夏

J.ピヒカラ
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L.ピヒカラ
[email protected]
Punkankuja 6 D
12310 Ryttyla
Finland
Tel.+358-19-757112
携帯 +358-45-1103247
http://www.pihkala.net
暑中お見舞い申し上げます
「だれでもキリストのうちにあるならその人はあたらしく造られたものです。古いものは過去って見よ、すべて
が新しくなりました。」(第二コリント5:17)
福山を離れて、フィンランドに帰って、早々4月になりま
えられて、喜んでおります。土地と3階建ての建物の費
した。帰国の際に素晴らしい送別会に預かって心から感
用はフィンランドで行われている募金活動で主に負から
謝致します。皆様の暖かい祈りがフィンランドまで届いて
れましたが、一階の以前の店の部分を教会の皆様の力
いる事は本当にありがとうございます。特に家内の健康
でこれから礼拝堂に改装する工事にかかっていくところ
の為に覚えて頂いて、心温まる思いで一杯です。又イン
です。西宮南教会が益々主に用いられるようにお祈り致
ターネット経由で毎週東福山教会の週報を読んで、大隈
します。
先生、ストランド先生と御教会の皆様の為に毎日お祈り
フィンランドでの募金活動に阿南教会の高力先生と東
をして、益々主の恵みが皆様に与えられて、又新しい
福山のハンナゴスペルの4月の終わりから5月の半ばま
方々が主の救いに預かりますように。
でのご一行の活躍も貢献してくれました。厳しいスケジュ
西の本福音ルーテル教会の大切な総会とミッションの
宣教師会の後で無事にフィンランドに着きました。その前
に西宮南ルーテル・キリスト教会に新会堂が買われる決
定が出来て、とても賑やかな所から教会らしい建物が与
ールの下で出来るだけ多くの教会や学校などをフィンラ
ンドの広い範囲で歩き回りました。
高力先生は仏教の中から死の恐怖に解決を得なくて、
復活の主に出会って初めて平安を得て、又平安の福音
が阿南の地で広がるように
牧師として働いていると言う
証をなさいました。ハンナゴ
スペルは素晴らしい賛美や
日本文化を紹介する素敵な
出し物(狛谷秀美さんのピア
ノ、渡辺真祈さんのインタビ
ュー、狛谷駿くんと岡村翼く
んの空手など)で凄い反響を
呼んで、又渡辺彰子さんと岡
村光子さんの救いと家族の
救いの証が聞いてくれた
人々の心に深く残りました。
渡辺さんと岡村さんの証を以
下に引用させて頂きます。
神様の子供になりました。又彼女をピストルで撃った人を
ハンナゴスペルの旅の一つのハイライトは「フィンランド
も完全に赦して上げたのです。彼女の平安に満ちた信仰
一の幸せ者」と言われるS.ツルネンさんを訪問した時でし
がハンナゴスペルの皆様にも届いたようです。
た。彼女は30年前に犯罪の結果として首から完全に麻
痺していますが、その中にイエス様を知って、罪赦されて、
渡辺章子の証
の隣の国だといわれますが、自分がこ
本当にありがとうございます。皆様
私の名前は渡辺章子です。ピヒカ
んなに遠い北の国に本当に来ること
の祈りによって、宣教師が送られ、
ラ先生は、フィンランドは日本の隣
ができてうれしく思っています。家族は
私たちの住んでいるところにも福音
主人と今回
が届けられ、信じる人が与えられ、
一緒に来た
今こうして皆様の前であかしをさせ
11 歳の娘と
ていただくことができることは、神様
の3人家族
のわざであると思っています。
です。
2
私はいまから約 20 年前、1987 年
いつも先
に洗礼を受けました。当時はまだ結
生からフィ
婚していませんでした。日本の一般
ンランドのミ
的な家庭で育ちましたので、家は一
ッションフレ
応は仏教ですが、熱心な仏教徒で
ンドが日本
はなく、宗教には厳しくない家庭でし
のために祈
た。しかし、お正月に神社へお参り
ってくださっ
に行ったり、お盆にはお墓参りをし
ていること
たり、中国から来た占いに興味をも
をお聞きし
ったり、たくさんの偶像に囲まれた
ていました。
環境でした。
アジアの東
洗礼を受けたきっかけは、教会の
のはずれの
近くに住んでいたので、そこで開か
小さな国の
れていた英語教室にいったことでし
ためにお祈
た。英語クラスの最後には聖書のお
りくださって
話がありましたが、ミッションスクー
ル出身だったので抵抗なくお話を聞
自分の罪がそう簡単に許されるとは
礼を受けないまま礼拝に参加してい
いていました。私はそのころ独身で
思えませんでしたが、イエスキリストを
ましたが、昨年のクリスマスについ
仕事をしていました。時間もお金も
信じるだけでどんな罪も赦されるという
にピヒカラ先生に洗礼を授けていた
ある程度自分で自由になり、友人も
話を聞き、本当かな、そんなに簡単に
だきました。
いて、健康で、と何不自由のない生
赦してもらえるのかなと疑う気持ちと
活でしたが、なぜか心は大変疲れ
同時に、第二コリント 5:17 の
ちが疲れたりすることはありますが、
ていました。自分でもその理由は分
「だれでもキリストのうちにあるならそ
どんなことも主にまかせることがで
かりませんでしたが、このまま長い
の人はあたらしく造られたものです。
きるようになって、心がとても軽くな
人生を生きていくのはつらいことだ
古いものは過去って見よ、すべてが新
り、いつまでも暗い気持ちでいること
なと思っていました。また、お話のな
しくなりました。」というみことばに強く
がなくなりました。それはやはり私た
かで人間には生まれながらの罪が
惹かれ、洗礼を受ける決心をしました。
ちは最終的にはすばらしい天の御
あるということを聞きました。私は、
日本では、キリスト教の洗礼を受ける
国でイエス様と永遠にいられるとい
生まれながらの罪というよりも自分
時、家族の強い反対にあうことがあり
う希望があるからだと思います。
が人に対して抱いていたねたむ気
ます。私は、幸いにもあまり反対は受
これからも先のことを思い煩わない
持ち、嫉妬心、不平や不満、という
けませんでした。その後、両親も時々
でイエスキリストの光の中を歩みた
罪の心に気がついて自分自身のこ
教会へ行くようになり、父は長い間洗
いと思っています。
今でも時々不安になったり、気持
とがいやになっていまし
た。
詩篇 32:3 に
「私は黙っていた時に
は一日中うめいて私の
骨骨は疲れ果てました。
それは御手が昼も夜も
私の上に重くのしかか
り、私の骨髄は夏の日
照りで乾ききったからで
す。」という箇所があり
ました。ここを読んだと
き、これは私のことだと
思い、驚きました。私が
神様に隠していた罪が
私の両肩に重くのしか
かっていたのだと重い
ました。
岡村光子さんの証
私は毎朝父と二人で神社までジョギングしました。太陽
私の名前は岡村光 子です。光子は光の子と書きます。
より早く起き、ちょうど神社に着く頃、日の出を見て手を
イエス様を知らない父を通して神様が名づけてくれました。
合せます。「今日、一日いい事がありますよ うに」と祈っ
私の育った家庭は父母弟の4人家族でだれもイエス・キリ
て拝みます。その後は神社にも手を合せて拝みます。帰
ストを 知りませんでした。子どもの時から、すべてを創ら
り道、大きな木に向かって拝み、道端のお地蔵様にも拝
れた神様がいると、父が教えてくれました。その神は天か
みます。家に帰るとおトイレや台所 や、部屋の隅にも神
ら見下ろし、人の行いによって報酬を与え、悪い事 をす
様がいて小さなおそなえをしています。神を怒らせないよ
るとバツを与えるお方です。
うに気を配ります。ジョギングの後は、父の信じる「生長
3
の家」の真相権を唱えて から、「体に神のよい霊が流れ
うことはほとんどなくなりました。
入る、流れ入る」と唱えます。体はだんだん神のように清く
父の顔から、平安は全くありませんでした。ピヒカラ先
なり、神が体に宿るといいます。そして恐ろしい事に、人
生も、病室へ何度も来て下さり、福音を語ってくれました。
間は神になると言います。子ども心に私は、人間になる神
しかし、イエス様を受け入れることはできませんでした。
とは、どんな小さなものかと思いました。
「世界一のお父さんへ」と手紙を書きました。お父さん、
この「成長の家」の宗教は、あらゆる宗教を取り入れ、人
愛してます。・・・イエス様に罪を悔い改め、救い主として
間の都合のいいように教えています。神様は一つで、す
受け入れて下さいと書きま した。しかし、父は受け入れ
べての宗教はいろんな方向から見て表現して いるだから、
る事が出来ませんでした。
正しいと言うのです。しかし、人間はすべて義人であり、
2006年 4月21日に父が亡くなりました。その3日前、や
罪がないといいます。そして日本の男性の多くは、「浮気
さしい父は私に「いい子だね」と言いました。私は父に「お
は男の甲斐(がある証拠)」と いって、平気で不倫をした
父さんも、クリスチャンになる?」と聞きまし た。「もうとっ
り、姦淫の罪を犯します。
くにクリスチャンだよ」と答えました。それは間違いです。
私は20年前にクリスチャンになり、20年間毎日、父母
罪を認めないクリスチャンはいません。
弟の救いを祈ってきました。聖書や御言葉カレンダーなど、
亡くなる日の朝、イースターフェスティバルでクリスチャ
いろいろプレゼントしたり、教会にも時々来てもらって福音
ンは大忙しの日でしたが、牧師先生に電話をしたら、す
を聞いてもらいました。しかし、両親はイエス・キリストを信
ぐに来てくれました。父にもう一度、福音を 語ってくれま
じる事が出来ませんでした。(2005.3月)父は一年前急性
した。そして、「渡部さん、イエス様は今も、死ぬ時も、そ
肝臓癌になりました。(2005年秋)去年の秋の伝道集会に
の後も、ずっと一緒にいて下さいます。だから、さみしくな
も来てくれました。しかし、信じる事が出来ませんでした。
いです。」と言ってくれました。そして、父のベッドの横で
今年(2006年)になり、危篤にもなりました。少 し良くなっ
姉妹2人と4人で「いつくしみ深き」を賛美し、お祈りして、
たりもしながら、どんどん体は動けなくなりました。「成長
牧師先生たちは帰られました。私の母は「死ぬ人に向か
の家」で一番大事なことはすべてのことに感謝することで
って何ってことを言うんだろう」とつぶやきました。そして
す。痛みと苦しみの中で父は、 不満とグチが多くなり、笑
その後、父は「成長の家」のメッセージテープを聞いてい
4
ました。
した。私もそんなふうに神様に愛されたいと思いました。
私はベッドの横で泣き叫ぶような気持ちで神様に祈り続
イエス様にはじめてお祈りをしてみました。自分の 事、
けました。父は昏睡状態の中、死ぬ10分前に私に言いま
友達の事、いろいろ祈ってみました。祈りはどんどんかな
した。「イエス…おる」と。父は今、イエス様のもとにいると
えられました。神様はいると思いました。祈りに答え、私
信じています。
と直接かかわってくれる神様でした。私が生まれる前か
私が20年前に救われた時の証しをします。いつも両親か
ら私を愛してくれていたことを知りました。ずっとずっと待
ら「努力しないと一人前にはなれない」と言われ、努力した
っていて下さったこと。私の心はイエス様の愛で満たされ
だけ、人は価値あるものになると思っていました。努力す
ました。十字架で私のために死なれたイエス様の愛の大
ればするほど自分の無力さを感じ、自分はダメ人間だと
きさを知りました。私は自分の事を愛することができるよ
思いました。そして価値のない人間だと思いました。17才
うになり、人のことも愛することができるようにかわりまし
の時、「あなたは声楽の才能がある。これはまれにみる才
た。こうして 主の十字架と復活のイエス様を知り救われ
能です。オペラ歌手になれますよ。」と偉い先生に言われ、
ましたが、その2ヶ月前に二つのチャレンジを受けまし
私は生まれて初めて自分の価値を見つけたような気がし
た。
ました。無我夢中で勉強と練習に明け暮れました。一分
人通りの多い道でアンケートに答えました。その彼女は
一秒でも無駄にしないという勢いでした。しかし、なぜかだ
私に「少し話を聞きに来て下さい」と困った顔で言うので、
んだん心の中はさびしくて、大きな穴があいていて、風が
ついて行くと、ある会館で、世界には恵まれない人たち
通るようでした。ある時、鏡にうつった自分の顔を見て驚
が多くいるので、一緒にボランティアをしましょう…という
ことでした。私は納得し、会費の一万円を渡して帰りまし
た。私の生活費でした。寮でクリスチャンの友人にこのこ
とを話しました。彼女は、それは文鮮明という教祖のいる
宗教だと教えられ、それをやめることにしました。でも一
万円は返してもらいたいと思いました。誰もが「それは無
理、絶対返してくれない!!」と言いましたが、イエス様
にお祈りながら電車にのって、その会館へ行きました。
する と、40分待たされた後、彼女は一万円を返してくれ
ました。このことはイエス様をまだよくわからなかった私
にとって、とてもわかりやすい答えでした。
次にエホバの証人です。大学のピアノの先生がエホバ
の証人でした。プライベートレッスンはわずか20分でし
たが、3時間も私に話しました。私は半分信じて寮に帰り、
きました。私の顔はとても情けなく、大変困った顔でした。
そしてまたクリスチャンの友人に話しました。すると、それ
そんな頃、西洋音楽やパイプオルガン、ステ ンドガラスに
は異端で、まちがっているということを何人ものクリスチ
あこがれて、キリスト教会へ行ってみました。
ャンが私に説明してくれて、 正しくないことがわかりまし
た。こうして2つの宗教からものがれ、クリスチャンになり
教会は味わったことのない安らぎを感じました。しかし、
牧師先生のお説教はいつも寝てしまいました。そんな私
ました。その後は、ピアノのレッスンで私が先生に伝道す
をクリスチャンたちは温かく受け入れてくれました。クリス
るようになりました。御言葉を書いた紙をいつも渡すと喜
チャンの人は愛にあふれていると思いました。しばらくす
んでくれました。しかし、卒業するまでに先生はイエス様
るとクリスチャンの人は神様から無償の愛で愛されている
を受け入れることができませんでした。「神様の愛が少し
存在だと思いました。何もしないで、立っているだけで、頭
わかったような気がする」と言ってくれました。卒業後3年
の先から足の先まで神様に愛されていると思いました。鼻
目に1通の手紙が届きました。そのピアノの先生にレッス
水をティッシュで取ってポケットに入れる牧師がいました。
ンを受けている彼女からです。彼女はクリスチャンでした。
その汚れたティッシュでさえ神様に愛され、愛らしく見えま
彼女が続けて伝道してくれていることを知り、神様の導き
を知りました。
5
3年前にピヒカラ先生ご家族にお会いしました。日本人教
それは一日に何度も罪赦され、義と認められていること
会では感じなかった刺激を受けました。それは献身した人
にもどり、感謝をささげることでした。人間の黒い罪を、イ
生、祈りの多さ、そしてフィンランドからの 多くの祈りと献
エスの赤い血で真白に洗ってくれる…ことでした。ハレル
金に驚きました。フィンランドは天国に近い国だと思いまし
ヤ♪
た。フィンランドへ行ってみたい、何か日本にはない、信仰
の強さがあると思いました。来てみてわかったことは、今
万軍の主はこう仰せられる。「あなたがたに触れる者は、
までにない特別なことではありませんでした。
わたしのひとみに触れる者だ。」ゼカリヤ2:8
6月の終わりに今度東京、横浜、阿南から6人の
家内は家事をするには差し支えのない状態です
ご一行がフィンランドに来られて、二週間にわたって、
が、働ける状態にはまだ至っていません。私は主に
フィンランドの南と中央やエストニアの首都タリンを
巡回伝道であちらこちらの集会に招かれて奉仕をさ
歩き回りながら、楽しくて深い話し合いが出来ました。
せて頂いております。
1万人が参加したミッションの大会にも出席しました。
フィンランドにいる二人の孫の成長はとても楽しみ
そこで日本に来年送られる予定の新しい宣教師家
です。その半面に日本にいる二人の孫とスペインに
族の按主礼の式典に参加する事も出来ました。私と
いる二人の孫に会えなくて寂しい事もあります。幸
家内もその時祝祷を受ける事になっていましたが、
いにインターネットの無料映像電話で孫たちと会話
家内は健康上出席出来ませんでした。
が出来る時代ですから、一昔と随分違います。
家内の調子は日本から帰った時から少しづつ快
暑さの中に御体に気をつけて下さい。
主イエス・キリスト様の祝福をお祈り致します。
復の方に向かってはいますが、まだ問題の原因が
分かっていません。大学病院で徹底的な検査を受
けて参りました。9月から本格的な治療になりそうで
J. & L. ピヒカラ
す。続けて祈りの中に覚えて頂いたら幸いです。
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