ソニー半導体事業部の広報誌Movingの取材記事

変
形
と
流
動
と
オ
タ
マ
ジ
ャ
ク
シ
の
科
学
世
界
は
変
化
し
続
け
る
︒
あらゆるものは、
それが物質であれ生物であれ、
不変ではありえないという。
それなら変化の機構を追うことで、
この世界の設計図というものに、
少しは近付けるのかもしれない。
今回のテーマは、変化の科学。
上田
レオロジーの手法と目的
人はみなレオロジスト
今年の夏のあの暑さを覚えているでし
にある学問と言われるけれど、これもつ
ょうか。連日 30 度をゆうに越え、踏み
まり、液体における粘性(ネバネバ、サ
つけるアスファルトも心なしか熱でゆる
ラサラ、シャブシャブといった性質)と、
んでいるような……。大阪の日本ペイン
固体における弾性(硬い、もろい、腰が
トを訪ねたのも、そんな猛暑の最中でし
ある、跳ねるといった性質)を、ともに
た。季節は最適だったのかもしれません。
数値として表現しようとしているととら
なにしろ窓ガラスでさえ、ドロドロ流れ
えれば、実感がわくだろう。
落ちるというお話なのですから――。
●
●
ではなぜ五感の数値化が必要なのか。
答えはそこに職人芸が生まれるから。た
レオロジーは物質の流動と変形を扱う
とえばガソリンスタンドで働くベテラン
科学。どんな物質であれ、流れや変形が
は、オイルをちょっと触って粘り具合を
生じるとき、そこにレオロジーが存在す
確かめるだけで、劣化の程度を察知する
る……と言われても、なんだか呪文のよ
そうだ。「あれを学問に変えようという
うでピンとこない方も多いだろう。
のが我々の目標」と上田さんは言う。
「レオロジーって、要するに
ヤマハ
ウゴキ
ガラスハ
ナガレル
宣(うえだ・たかのぶ)
日本ペイント株式会社 基礎研究所 技術情報部部長。
レオロジーのオーソリティとして、業界の枠を超え
て活躍。昨年5月、『合成波を用いた周波数同時測
定法による分散系のレオロジー評価方法の研究』に
て、日本レオロジー学会の有功賞を受賞した。
の学問
おさわり
なんです」
おもしろいお話を聞きました。料理家の
昨年5月、レオロジー学会の有功賞を
受賞した日本ペイントの上田
「以前、ある食品メーカに呼ばれたとき、
周富徳さんが調理をしているまわりを、
宣さん
100 人はいようかという技術者がぐるっ
は、独特の表現で、このとっつきにくい
と囲んで見るんだそうです。周さんが卵
学問を身近に引き寄せてくれる。
を撹拌すると、ある人はかき回す回数を
「ものに触れたとき、少しチカラを加え、
測り、ある人は速度を測るというように、
変形を加え、感触を確かめるというのは、
ストップウォッチを片手に厳密にチェッ
我々人間のごく普通の行動ですよね。こ
クしていく。それでも、同じ作業を機械
れがまさにレオロジーなんです。うどん
に置き換えると、違う味になってしまう
を噛んだとき、腰があるとかシコシコし
というのです。そこでレオロジーという
ているとか言うでしょう。あれもレオロ
手法がありますよとご紹介させていただ
ジー。要するに、人間が五感で感じてい
きました」
るものを、科学的に解釈しよう、数値化
表面的な動作ばかりに目をとらわれる
しようというのが、レオロジーであると
のでなく、周さんがその動きのなかで感
理解していただければと思います」
じとること、つまり物質の変化を、科学
レオロジーは流体力学と固体力学の間
的に追尾するということなのだろう。
レオロジストはどこへ行く
コレモミナレタ
コウシテ アアシテ……!
セカイヲ タビシタ コノワタシ
マダミヌモノハ イマハナク
さて、ここでレオロジーの目的をもう
少し詳しく整理しておこう。
な?
実際そんなところから、学会発表
に至る研究が生まれているんです」
q 五感で得たものを数値化(定量化)し
て、標準化・自動化に役立てる。
w 次に、なぜ物質がそのような性質を帯
びるのか、メカニズムを探る。
ような構造をしているという。
■スパゲティナポリタン
――高粘度
高分子の構造と変化
「冷えたナポリタンは麺が強くからまり
スパゲティ・モデル
合っているため、フォークで刺すと麺が
e 分析からものづくりへ― qw の結果を
ふまえ、新しい材料・製品を開発する。
高分子とは、長い麺がからまり合った
固まってついてきてしまいます。これが
いわゆるゲル化したような状態です」
レオロジーの起源は意外に古く 1929
■スープスパゲティ
――低粘度
「たとえばある振動が物質に与える影響
年。ビンガムが塗料の流動に興味を覚
「麺がほとんどからまり合わない場合、
を調べれば、そうした振動に強い材料の
えたのに端を発する。その後、レオロ
フォークで麺を取り出すのにあまり力が
開発が可能になります。また意外なとこ
ジーの主な目的は、高分子のふるまい
いりません。つまり粘度の低い状態です」
ろでは、機械工学科の先生から、スポン
――化学的な性質ではなく物理的な挙
ジのような柔らかい物をやさしくつかめ
動――を調べることにあった。それが
るロボットの開発に、レオロジーの研究
10 年ほど前から急に脚光を浴びるのだ
を応用したいという話がありました」
が、これは万能とも思われた石油化学
「サラダに使うときは、麺を半分に切っ
(高分子化学)にひとつの限界が見え始
て混ぜやすくするそうですね。分子量を
食品分野(クッキーやケーキのふく
らみ方、マヨネーズの食感の研究)、化
粧品分野(適度な粘度が売れる要因に
めたことによる。
高分子の液体に熱をかけると、このよ
うな状態になるという。
■スパゲティサラダ
――さらに低粘度
半分にして粘度を下げるのと一緒です」
様々な化学繊維など、夢のような材
次に、高分子の代表格、プラスチック
なる)、さらには医学分野(医薬品開発。
料を次々と生み出してきた石油化学だ
が熱で柔らかくなっていく状態を説明し
血液の粘度で病気を察知する)など、
が、そろそろ材料が尽きてきた。そこ
てもらおう。ここでモデルになるのはパ
レオロジーの、そして上田さんの学際
で今度は、これらの材料を加工するこ
ンストだ。
的性格は強まるばかり。塗料に関する
とに関心が向けられたのである。世界
「粗い網目状のパンティストッキングの、
研究からスタートし、いまでは「あら
の食材は網羅した。今後の新メニュー
その目にさらに糸屑がからんだ状態をプ
ゆる業界と遊んでいます」という状態
の開発は、料理の鉄人の腕にゆだねよ
ラスチックと考えてください。最初は糸
になっている。
うというわけだ。
屑がからんでいるから固いですよね。と
「レオロジーに携わる人ってそういうタイ
ではここで、高分子のイタリアンな解
ころが糸屑を一本ずつ抜き取っていく
プが多いですよ。一緒に酒を飲んでいる
説を。高分子とは、分子量が数 10 万以
と、どんどん柔らかくなる。つまり弾性
と、おっ、この日本酒の粘度を測ろう!
上の巨大な分子を指すのだが、その構造
率が低くなる。やがて網目だけになると、
アタリメ用に醤油とマヨネーズを混ぜて
について、上田さんはスパゲティを例に
もうグニャグニャになるでしょう。この
いると、混ざりにくいのは粘度のせいか
ユニークな解説を施してくれた。
あとさらに、網目までほどけていくと、
イッタイオマエハ
ナゼナンダ
マダミヌモノヲ ミヌワタシ
マダミヌセカイヲ コノテカラ
最後は流れて液体になってしまう。これ
散系とは、何かに何かが混ざった状態を
の手ごたえの不思議さに話が及ぶと、上
がプラスチックで、専門的には熱可塑材
指し、一番身近な例が食品でしょう。た
田さんは、子ども向け科学雑誌の付録と
料と呼んでいます。ちなみに樹木のよう
とえば、パンは固体に気体が入ったもの
いう2つのボールを見せてくれた。どち
に、繊維が化学結合していてほどけない
だし、マヨネーズは水と油の分子が混ざ
らもスーパーボール大。握った感じもほ
ものを、熱硬化材料といいます」
ったものですよね。分散系は、文字どお
ぼ一緒。だけど机に落としてみると、片
こうした高分子の性質を研究していく
り粒子が分散しているため、状況によっ
なかで、意外な発明も生み出された。た
て流れたり流れなかったりと、いろいろ
とえばスーパーなどで、筒から引き出し
と思いも寄らぬ挙動を見せるのです」
て使うポリエチレンの袋。あれは素材を
急速に引っぱって作るそうだ。引かれて
高分子のように、粒子がヒモをつくっ
てからまり合ったりするのだろうか。
方はよく弾み、片方はほとんど弾まない。
「弾まない方は、速い変形のときはエネ
ルギーを吸収してしまう。つまり、弾性
体ではなく粘性体です。まあ日常的な言
い方をすると『これは液体である』とこ
薄くなった部分は、高分子が引っぱり方
「いえ、粒子がきれいに分散したり、固
向に伸びているため、かえってそれ以上
まりになって流動のジャマをしたり、と
は伸びにくくなる。だから厚い部分がど
いうイメージでしょうか。顕著な例とし
んどん引き伸ばされ、全体として極めて
ては瓦や土管などがあります。あれは、 「松本幸雄先生(元 大阪府立大学)とい
薄く、しかも袋として縦方向の引きに強
水に砂を混ぜて撹拌するでしょう。放っ
うレオロジーの有名な研究者が、その著
い(品物を入れても破れにくい)袋がで
ておくと粒子が凝集して固まり始める。
書のなかで、旧約聖書に登場する女予言
きあがる。さらにこの袋は、高分子が伸
でもそこで強くかきまぜると粒子がバラ
者、デボラの言葉を紹介されています。
びた方向と垂直のチカラにはとても弱い
バラになり、ドロドロになる。こうした
――主の前ではあらゆるものが動く、山
ため、スーパーで筒から引き出して簡単
性質を構造粘性と呼ぶのです」
もまた動く――。要するにレオロジー
にちぎれるというわけだ。
分散系の変幻自在
球形の液体、流れる固体
陶磁器やペンキもこの仲間だという。
うなるわけです。液体だから跳ねないと」
なんだか、ますますとらえどころがな
くなってくるようだ。
の視点に立てば、どんなに大きくてがっ
ペンキを強くかき混ぜると、粘りが少な
しりしたものも必ず動くんです。たとえ
くなって塗りやすくなる。しかも塗った
ばガラスに高熱をかけると溶けますよね。
あとは、粘りが出てたれてこない。
熱は時間に置き換えられるので、何億年
「逆の現象もありますよ。やさしく接す
というスパンで見ればガラスも流れる。
ると、やさしく応えてくれる。女性のよ
もし 10 億年生きる人間がいたとしたら、
ここまで高分子について説明してきた
うですね(笑)。鳴き砂は、粒が非常に
その人の目には、ガラスはドロドロと流
が、実をいうと最近のレオロジーは、新
揃っていて、グイッと強く踏むと固体の
れ落ちているのかもしれません。同じ物
たなステージに移っているという。
ように固くなる。でもゆっくり踏むと、
質が液体にも固体にもなる。レオロジー
ずるずると流れだします」
の一番の魅力は、こうしたものの見方で
「高分子の研究にはほぼ区切りがつき、
主な対象は分散系に代わっています。分
固体になったり液体になったり。物質
はないでしょうか」
の オ 変態
戦 タ と運
略 マ 動メ
ジ カニ
ャ ズム
ク
シ
見方によって、もののあり様は大き
という意味で、記憶の網に残ったもの
く変わる。レオロジーの取材でこうし
がある。河内教授が、研究の一環とし
た話を聞いたとき、河内啓二教授(東
てオタマジャクシの運動特性を解析し
京大学先端科学技術研究センター)が
た結果、変態に重要なポイントがある
研究テーマとしているレイノルズ数の
ことがわかったという。先生のメイン
ことを思い出した。言葉の響きがなん
テーマでないことは承知のうえで、早
となく似ている、からではないのです。 速、話をうかがうことにした。
レイノルズ数は流体の特徴をとらえる 「生物学者の依頼を受けて、オタマジ
目安。同じ空気のなかを生きていても、 ャクシの足がはえる前後で、推進効率
人間と昆虫ではレイノルズ数が違う、 などの運動特性がどう変わるか計算し
つまり空気の感触が変わってくる。
てみたんです。2/3次元シミュレー
小さな昆虫にとって、空気はネバネ
ションを重ねた結果、足がはえても運
バした存在である。だから昆虫たちは、 動特性にほとんど影響がないことが証
その空気に合わせた羽根(流線形では
明されました。逆にいうと、泳ぎの性
ない)と、運動メカニズムを有してい
能に最も影響のない場所、つまり水流
る。そこで「マイクロマシンを作ると
の一番遅い場所に、足がはえるように
き、メーターサイズで慣れ親しんだ常
できていたわけです」
識をそのまま適用するわけにはいきま
運動特性が変わらないと、どんなメ
せん」というのが河内教授の最大のメ
リットがあるのだろう。
ッセージだった。
「尻尾をこう振ったらどこまで進む、
そしてもうひとつ、「変化の科学」 こうすれば止まる、という泳ぎ方を変
河内啓二(かわち・けいじ)
東京大学先端科学技術研究センター教授。1947 年、
神奈川県生まれ。92〜97年、科学技術振興事業団の
創造科学技術推進事業プロジェクトで、河内微小流
動プロジェクトの総括責任者を務める。研究成果を
映像化した短編映画『大は小を兼ねるといえども―
小さなものたちの運動学』がフランスで開催された
産業映画国際映像祭ビアリッツ'98 で、技術・研究開
発部門の金賞を受賞。
画像作成:劉浩先生(名古屋工業大学大学院工学研究科生産システム専攻助手)〜7Pも同様
ているとよく言われていますが、水中
から陸上への生物の進化を、カエルが
細部まで忠実に象徴しているのかはよ
くわかりません。私の専門ではありま
せんし、生物学者の間でも進化につい
える必要がない。これは神経系にとっ
と有利で、尾ビレは不利である。ワニ
ては議論が絶えない状況です。最も不
て負担が少ないことを意味します。も
などは両方もっており、だから水陸と
思議なのは、手足がはえたり、エラ呼
しそうでないと、足が伸びるたびに学
もに最適とはいえません。ただ水中で
吸から肺呼吸に変わったりという変化
習する必要が生じます。対比のために、 も陸地でもない、その両方の特色を持
が、なぜ種を保存できるほど多くの個
流線形の魚に足がはえた場合の計算も
つ沼地に生息し、また肉体的にも強い
体にいっせいに起こったのかというこ
してみたところ、どこに足がはえても
から生存競争に勝ち残れるのです」
とです。様々な進化のなかでの自然淘
抵抗が格段に増えてしまう。つまり運
水陸両用ロボットをつくるとした
汰という説が有力ですが、意志のチカ
動特性も大きく変わらざるをえないの
ら、テレビ番組のように変身する(運
ラが働いたという学者もいます」
です」
動機関を変える)ことになるのだろう
●
●
ということは、オタマジャクシはひと
か。こうしたロボットは変身中が最も
河内教授は現在、研究のターゲット
えに足をはやすため、あのスマートとは
無防備だ。のんびり変身していたら、
を昆虫の運動メカニズムから神経メカ
いえない姿に耐えているのだろうか。
外敵に(いたらの話だが)倒されてし
ニズムへと発展させている。たとえば、
「確かに一生水中で暮らすとしたら、 まう。生物も同様だ。だから、イモム
鳥とは違い昆虫はなぜ、学習もせずに
あの体ではエネルギー的に楽ではあり
シは蛹に入り、セミは殻の中で変態を
いきなり空を飛べるのだろうかといっ
ません。ただ、それではなぜ変態する
進めるともいえるだろう。そしてオタ
た探究だ。
のか、なぜ最初は水中で暮らし、後か
マジャクシは……。
ら陸に上がるのかと言われると、たま 「水中にいる間に、運動能力が落ちな 「生まれつき基本的な制御系が、体の
なかに神経回路として備わっているの
たまそういう生物が生き延びたとし
い範囲でできるだけ陸上生活の準備を
か、いまのところは答えられません」
整えておく。つまり足をはやしておく。 でしょう。私はそこに興味を感じてい
ます。子どものころ、指でトンボの眼
水中から陸上へ。この 住み替え
そんなギリギリの戦略をとっているわ
を回して捕まえたことがありません
には本来かなり無理があるようだ。
けです」
「活動領域を変えるときには、それま
ここで大きく発想を飛躍させると、 か? あれはばかにできません。ハエ
の前に置いたスクリーンに縞模様を流
で有効だった運動機関がかえってジャ
進化の過程で海から陸へと上がった
すと、その流し方によってハエが羽根
マになるわけです。水中では尾ビレ
生物たちも、やはり大きな困難に遭
の角度を変えたり足を伸ばすといった
(尻尾)が絶対的な推進機関であり、 遇したはずだ。だとすれば、オタマ
決まった反応をすることが観察されて
手足で泳いでいたら水中専門の生物に
ジャクシ的な進化は利にかなってい
います。私もこれから、うまく眼を回
負けてしまう。しかし陸に進出したと
るのでは……。
して昆虫の秘密を見つけたいですね」
きは手足、特に後ろ足でジャンプする 「個体の成長が系統的な進化を象徴し
ヤガテテガデル
アシガデル