│‐ 71J‐ m薇 1躙ざ 膳 。 躙 目O H 創業 80余 年 資 本 本 金 信 託 兼 営 50億 1] 店 大阪 1打 東区 伏見町 4丁 目 〔御堂筋〕 舗 │」 内 185店 i毎 外 2店 店 (ロ ン ドン .サ ンフランシ ^コ ) 海 外駐 在 員 事務 所 2か ,折 (ニ ユ ー ヨー ク・ 台 北 ) 為 替 取 引先 国 内 5,000店 余 海 外 800店 余 預 金 高 3724億 円 (32年 3月 末 現 在) rO I 与 ■ 親切本位 ます ます 完 「未 ューベル ト) (シ 大 好 評 .′ 成」交響曲 ヵ ル ル・ ベ ー ム指 揮 MP-44 交 響 曲 第 8番 へ長調 (ベ ー トー ヴ ェ ン )ヵ ル ル ・ ベ ー ム 指 揮 MP-5■ 「 驚 愕艶 イ (ハ 交 響 曲 ド ン) E.V.ベ イ ヌム指 揮 MP 53 リ指揮 舞踊組曲「 く るみ割 り人形 」 フィス トゥラーMP-4 コ (チ ャ イ 舞 踊 組 曲 「 フ スキー ,R a 白 (チ ャ イ トッカータ と7 (バ ) 2 -ti,\, 「 前 奏 曲」 交 響 詩 itlLtlz'to''"ltf -? =tg-#{g 4 | 'v//>)MPT-l 第 3番 他 アン ド Mぃ 荘 f ◇ この 他 名 曲百数 十曲 発売 中 ′ 嵐(レ ンに多a多ク 1.EC● nD邸 て │ に 1本 に 於 け る ロ ー タ リー ク ラ フ 所 在 地 〕 :::匿 隻 第 360区 l:l: :l【 43RC 1635名 う○ 区 36RC 1497名 .1,ヽ 露:::巨 i;l: :;::: [ (総 計 2 3 2 RC9339名 )(8月 末現在 ) 帯 北海道 ←網 走 、 旭 川 、旭 川 西 、 函 館 、岩 見 沢 、北 見 、釧 路 、 室蘭 、紋 別 、 弘 広 、 小 博 、札帆 、札幌 南 、苫 小 牧 、 弟 子 屈 、稚 内 )青 森 県 (青 森 、 八 戸 、 岡 と」ゥT¶ hJ,藉 Jざ Y菫 繁 婿 ξ 亀 器 ム 言 請 蟹 i≧ 千 1汎 多方 、郡 山、平 ) 49RC 2035名 羊 3_15区 , 城 新 渇 県 (柏 崎 、 新津 、 新 発 田 、 長 岡 、 新 iら 、 三 条 、 高 田 、 十 日町 )茨 県 (日 立 、石 岡 、水戸 、 l15'可 湊 )栃 木 県 (足 利 、栃 木 、宇 都 富 )群 馬 県 (伊 勢 LTl装 ] FttL李 是 ね 壊 」濃 写 襟 │卜 見 〒 窪 塀 1蜆 単 遣 異 軍 韮 凛 川 雷 業 憂 緊 1単 得 法 属 ア 藤 季 憂 奮 TttlT眠 換 苫 l孝 頭 裏 兼 │ 三 脊 顧 .第 '果 │1娃 )く 360区 '1鷺 43RC 1635名 う波 、魚津 長 野 県 (飯 田 、松 本 、 諏 訪 )富 山県 (高 岡 、富 山 、 う )静 岡 県 (熱 稀 『嵩 森 予 菫 、 畳 よ :電 :L喜 縫 l電 暑 LFi薔 量 常 h`frき lF竺 否 :用 意 治見)石 川県 津″ t,岐 阜県 (岐 阜 、岐阜南、美濃 、大垣 高山、多 ヽ、七咤)二 重県 (1ナ 勢、薬名、松阪、‖ 上野、四 日市 、小僣 ″ く Jこ :、 ,ィ │」 (全 ) 57RC 2376名 (3別 た 相 井 県 (lu・ 井 敦 賀 、武 生 )滋 賀 県 (彦 IPc、 長 、 大津 )京 都 府 (綾 部 、 福 '■ )楽 良 県 (橿 原 、 奈 良 )和 歌 知1は 京都 .京 樹 、京都 南 、 京都 北 宮 津 、舞鶴 `東 山 県 (御 坊 、橋 本 、海 南、新 富 IIl辺 、和 歌 山 )大 阪府 (布 施 、池 田 、泉大 │■ 、 ′ ド和 田、大阪、大阪束、大阪西、大阪北、大阪南、堺 、高 l12)兵 庫県 (り 1石 、 ,十 穂、IZttlr、 姫路、生野 、加 di川 、神戸、神戸i束 、神″i西 、西宮、洲本 、 r・ l θ 、 豊 岡 )徳 島 県 (小 松 島 、 鳴 円 、徳「1)香 川 県 (坂 出 、 高松 、 高松 南 )高 知 県 (高 ■1)愛 豊 県 (イ 治 、松 山 、新暑 i兵 iり L塚 ) │‖ 47RC 1790名 づ/(り │′ 岡 山 県 (笠 │』 田 新潟 、 命 敷 、 瑚 111、 岡 山 南 、津 山 )広 島 県 (福 は 、 広 島 、広 島南 、 `F号 7名 搬 ル世 i児 よ ↑ 鳥襦 喘 [高 1絶 缶 1占 措 ′騒 ` 潟 WttTS肝 ttだ 男 X」 ぎ 砕靴 F薔 ‡浩 鷲 酬 全 住 IPま狙 萱 '「簡 洲 )鹿 i、 ″日脚 奇 1` │、 熊 本県 帷 社 三条 町 0長 賠 』 雪 骨 員 紫 空 撃森 ‖ 牌 I:地 計贅F 高 ‐ 本 ″ 聾 信面ヽ 継 キ 名 オ ´ ´ 晶 ン ξ う ゴ軸 「 _ ′ ` L/ Fヽ `ヽ 11ヮ ._冨 兵歳 、 ハ ン鯰 ‐●-4 番:t型 署1 習菅崎 r奈 良 中津 ∼ :ぎ ]、 ′ く ,I大 ′由几 褐抒 撃 語 大阪 北 大阪 円 大阪 西 大阪 泉 ∬障魂甲 果京 武裏 野 杢 西上 〓 東一 , ス西 栗 景南 東 一 R上 東 京東 :莉¬ 堡 1′ 新?ヮ 和 世 界 の ロ ー タ リー 9, 560RC 8月 27日 現在 RC総 数 ロー タ リア ン概 数 1957年 7月 1日 以降 の新 450.000名 54 RC RC ロ ー タ リー の友 H召 10月 琥 和32年 10月 耽 ―第 5告 ・ 第 10址 OFFIC:AL JOURNAL OF THE 350′ 一-355′ -360′ -365′ -370 DISTRICTS OF THIS ROTARY MONTH COVERNOR'S LETTER The ROTARIANょ 第 360匠 4)… ………… … …ガバナー (No 4)… ・ … …… 第 365匝 ……(No 3) 第 370匝 R.l.會 長 ガバ ナー ガハ ナ ー (No 3) よ りの メ ッ セ ー ジ _RI會 長側 GoR・ 川 巖 脇 富 … 7, 2 9 4 ロー タ リー 間 答 … … … 略 者・パスト″バナー 宮 …………………………… 新 RC書 長,幹 事紹介 1日 地 E講 習 會 … … … … ヵ セ ン ゥ フ鼎 テ ンネン ト 4 G。 38 5 1958年 はグラ スで … …… …… …… …… …RI脅 員 C・ ミ ー ン ズ 6 7 8 9 0 2 2 2 2 8 第 355匠 … …(N。 三 潔 千 郎 男 第 350 1in (N。 4) 秀 一文 幸 崎 太 藤 ケ 田 中 木 佐 東 盛 直 田 次 り 25 海 外 RCの 動 き 比 島 にお け る人間 とイ ンフルエ ンザ,“ 生涯 の 日"得 謝掲示板, ロータ リー ニ ュー スの描大,ア ン叔母 さんに関 を,生 徒達 の考 えに期待,新 しく喚 く 市民 の誇 り 1 I 巻 : ロー タ リー0サ ー ビス・ニ ュース 口 村 川越 ,大 分,大 阪,宮 津 ,徳 山,秋 田,祠 戸東,倉 敷,lr」 崎 8月 出 席 率 直 身 弓 61 1 │ RC分 布固 : ξ 60 清 2 6 2 3. 頭 │ 第355匠 1第 350匠 1第 360匡 第365匠 1 第370匠 │ 長崎地方 の水害 について………………… 長崎RC 坂 熊本地方水害 見舞 の御趙 … ………… 熊本RC Jヒ 丁HE ROTARY_NO_TOハ A(Э OCTOBER 1957 ∨OL。 田‐ 911口 mtt t..-41?30日 5 NO. 10 紙 表 「綸 子 地 彩 鷹 四 季文様式服」 東 京 RC野 ROTARY INTERNATIONAL 座融 口 造 員 去紙 綸 l‐ つ い て 審 !r4) (63賣 奥学生 月11汎 ,廣 Yl敏 雄,刑 リ チやす 8 ロー タ リー奨學生と語 る F,編 集審談會委員西村大治郎,露 口四郎 二´― ョークRC V・ 今治RC 飯 ピ ー ル 義 蒔 14 [日 (ィ , ) 篇 員 コン テス ト讚表 曰 目 回 園 ……… … 木 村 lJl兵 術 選 33 四天王寺の由木,カ フエ イ ン,和 時計 ,国 際放途 ,匂 い と文化 の生活 菱封団ヨ獨│ (小 │ロ ロ Zヨ ││口│口喜 │ト ー:翁 に教た る0,の lL) … … … …… … … ',れ 青 同長 ロー タ リー 俳壇 集 だ よ リ 東 京 RC 瀬 富 iユ 11` 68 一 編 濱 虚 子 泄璧 57 葉 通 ド行 映 目紙 業 店 花 ム田店 託 ヤ祓 學 六旦 lr・ リ ャ 西 [ 津 悧 [ [ 洋 [ [ 一 [ [ 中 ¨ [ ″ 一 一 一 一 一 キ 洋 J` l」 一 明 電 キ 三 束 住 王 明 升 東 束 丸 阪 住 東 白 日 小 若 美 古 くさしヽ 俳 句 と云われ るが 菊池秀夫 (釜 石, 廣 くて浅 い私 の趣味 河野 j)身 に滲み こん だ書籍商 大塚 秀夫 (熊 谷)総 合的趣味 川越点房 (大 ↑ 名古用 家 揃 つて フ 源 ・郎 (li ff)ゴ ル フと鳥員 とマ ッチ 石井健一 部 、 ー 一 ォ クダ ンス リ千村 彦 (刈 谷)大 蔵大臣賞 細 見義lL(り 嘆 )林 業百年 の計 落合嘉 許 (新 11濱 )山 野 の 自然 に得 ろ 渋川公 (京 都)天 奥 の楽 しみ 山 口徳治郎 (朧 岡)′ 林 一三 分 満見利― (京 都)事 業 の合間 に レンズ磨 「)リ ー ダ ースダイジ ェス ト 竹 ││1義 蔵 (大 阪)万 葉 き 長谷川 t三 (松 り 集 のなぞ 西村 許三郎 (京 都)画 筆 に親 しむ 大之本小太郎 帳 )ス ケ 0)ク レー射撃 人lr2共 男 に 岡)ハ ン ッチ ブ ックを抱 えて 小」 威 (東 京口 デー16 正 姓次郎 (大 阪)刀 剣鑑 賞 山 │1復 之助 (東 京)釣 場 もとめて 句 f巻 )人 生 に潤い を奥 える国碁 中西榮 太郎 (ll:和 )ク ト 長谷部員― ゴル フ, 8ミ リ 藤木竹雄 (大 阪)歌 舞伎 を楽 しむ 飯り 七巌人 (赤 駆)百 合 の香に酔 う 松 本陽 ― (赤 杷)短 歌 と共 に30年 湯川政治 (新 月 8 4 ……………… クラブ巡歴 202i士 成 の 言 」 N・ 7 4 ……… 6 4 日 本 の ロ ー タ リ ー ヘ の 初 訪 閾l 寸大 治 郎 京都RC 西 本 4 4 ………………… 現 代人 の ため の庭方隻 6 … The ROTARIANよ り 4i和 は デ 方か ら始 ま ります … …………… … …… 上 貞 雄 岸 田 劉 Jlに 寄 せ て 一 …… … … … … … 船橋RC椿 i 日 地 習 会 区 講 1日 地 E講 習書 とは 何 か ? カウ ンセ ラ ー とは何 か ∵ ロー タ リーの 定 款 に も.細 則 に も書 いて ロー タ リーの規 則 の 何 に よつ て定 め られ た もの か ? ない 以上 の よ うな質問 が、 熱 心 な る會 員 に よつ て寄 せ られ る これ迄 己 に之 にHI『 liさ れ た 方は よ く夕1 つ て居 る筈 で あ る 併會 員 の 全部が此 會 に出 られ るの では な く、 叉 極 く最 近糸 成 され た クラブ もそ !キ れ以 末澤 山 に あ る筈 で あ るか ら,整 にその 概略 につ いて述 べ てみ よ う 「 i日 地 E講 習書 J(Onc‐ day Disrict insdtulc)は 詳 しく云 えば 「 1日 地匠 ロー タ リー情 報講轡會」 と云 うべ きで す 各地 匠毎 に 1日 間.ロ ー タ リー1青 報 に就 いて〃F究 討議 す る會 合 で あ る 何 時 か ら始 まつ たか と云 うに i友 」 の 9月 暁 にあ る女 ‖く 1昨 年 か らであ る.定 款 に も細 員Jに もな いが,そ れ は R:理 事書 の 決 定 に撼 つ て行 われ る もので あ る Manua1 0f PrOcedure(1956)の 第34 頁 と第 66頁 に出 て居 る ・ ・The BOard(1955-56)EstaЫ ished The Rotを lry Overall PrOgram of R.I.'' lnformation lnstitute Program as a Part Of The ` `Rotary lnformation Counseior、 ヽ 「ho is an Experienccd and Especially ヽ Qualined past R.I.Omccr Appointed by The Presidentof R.I." 1日 地 E講 習 會 の 目 的 (1)ク ラブの全書 員に ロー タ リー情報 を行 きわた らせ る張力な計書 をた て る基礎 を提供す る。 p)新 會員 を クラブの 中 に完全 目_つ 有効的 に とけ こませ る方法 を案出せ しめる 0)テ ンネ ン ト會長 の所謂「動員」 「 扱張」 「 探究J 「奉 仕」 の 日標 を達成 す る方法 を案出す る に)最 近数年 間 に ロー タ リー既 設 ク ラブ内 の會員 数 を檜 した り,新 しい クラブ を造 つ てFhLく 口_タ リーの 利益 を有資格 者 に提供 した ことに よつ て得 た庭 の伸 大 な る原動 力 の 利用 . 講 習會 に出席 を要請 されたる人 々 ク ラブ會長 (Li本 ではその外幹事 ロー タ リー情 報委 員長 ) 職 業 分 類委員長 ク ラブ會報編 集者 之等 の人 の経 費 は 各 クラフに 於 て負指 す べ き もの と思 う . 其外 の ―般書 員 は事情 の 許す限 リオ ブザ ーバ ー と してLll席 す る こ とが ロー タ リー1青 報獲得 の ため に望 まれ る 但 し之 は 各 ガバ ナーの裁 量 に よる . カ ウ ンセ ラー及 び ガバ ナ ーの 出席 は申す まで もな い . 地匠 の パ ス トガバ ナー そ の他 のベ テ ランが 出 4 trooot THE ROTARY_NO‐ ToMo 1958年 に は タ ラ 1;1)t カ ウ ンセ ラ ー 議 黒 席 され ることは 出席者 の感激 を檜 し會が賑 やかな もの になることに Jり 知るべ か らざる ものがあると思われ る。 R.1.第 49回 年次大會への公式招請状 R.I.會 長 チ ャールズ 。デ ー テンネ ン ト ,Ц ここ30年 間 に始 め て全世界か らの ロー タ リア ンがア メ リカ合衆國南西部 lC集 います 1958年 6月 各RCが 會報 (月 報若 しくは週報 )を 持 ち寄 り、 會場 に於 て展示する ことは.祀 覺か らの ロー タ リー情報 に向つ て、進歩 した方法であ . それ はテキサス州 グラスの ロータ リークラブが国際 ロー タ リー第49 ると思われ る 之は今回特別 の試み で ある 會合 の 性 質 回年次大 會を主催す る ときです ダフスは若 々 しくそ して極めて 文献委員會 の先lalに 従 って「講習書」 と云 つ て 封照的な精氣あふ るる市 であ り ここではかつ ての古 き西部魂が近 . , 居るが,之 は決 してカウンセラーの講義 を聴 いて サヨーナラと云 つたょうな會合 ではな い.宰 ろ フ 代的住 み心地 よき市 と混然 となつ てお り,石 油,保 険及 び銀行業に ォー ラム式 の Open,InfOrmed Discussion であ るべ きである。 やがてお手 許 に届 く筈 の営 日の議 題 (Agenda)の 質問は皆 さん の御答 によるので お ける卓越 さとそ して文化的 中心 地 としての名聾 を誇 つ てい ます . グラスは乾燥温和に して健康的 な気候 を誇 り主要 ホテル及 びモテ あるか ら十分準備 してお いて下 さい . ルは完全冷暖房 の設備 が施 され て お ります グラスの 下町に新 らし 1日 地 匠 講 習會 日程 (1部 再録) 第 350E 10月 20日 く完成 した記念會館は大會 に参加 (日 ホス ト 祠 島 な設備 を提供す るはずであ ります ロー タ リア ンが 自己の クラブに ホス ト 東 京 南 出席す るよう望 まれ ている如 く クラブは年次大會に参加す るよう 幅 島縣 飯 坂 市 第 355E 9月 27日 東京會 館 す る ロー タ リア ンに便利な能率的 ) (金 ) , 第 360 E ll月 6日 (水 )名 古 屋騨 前 些 田 ビル ホ ール 第 365日 (2 ヵ所 ) 11月 18日 (月 の クラプの責任 と楠利 を充分 に示 11月 20日 (水 (近 畿 ) 1958年 国際 ロー タ リー大會に この ) ) 11月 23日 (上 ) 1957年 8月 1日 111口 /ス トンにて エパ ● 佐 賀 (九 州 ) 公式招請状 を襲す ることは私 の大 きな喜 び とす る ところであ り, ロ ータ リー クラブの存在す る 102カ (中 國 ) 12月 7日 (土 ) ^ 6月 1∼ 5日 ア メ リカ合衆國 テ キサ ス州 グラスにて開 催 され る ) 高松 (四 団 (2ヵ 所 してあ ります. ) lFll戸 第 370日 期待 され てい ます 国際 ロー タ リ ー定款第 7條 は年次大會について ホス ト 名古 屋 西 国 の すべ てか ら ロータ リア ン諸君 が この重要 な集 會 に出席 され るよ う望み ます . ロ ー タ リ ー の 友 -10月 脱 (llX11) 平 和 は貴 方 から始 まります `Peace Begins with Vou' The ROTAR:AN‐ OCr. 1957. チ ャール ズ・ G・ テ ンネ ン ト書長 は世 界 の ロー タ リータ ラプが iO月 平 和 は 貴方 か ら始 ま ります。 それ は家庭 .家 族 教會 .學 校.商 店 ,事 務 F/r一一 人生 の あ らゆ る分 野 ―一 そ して われ われ 人間 同士間 の あ らゆ る関係 にお いて始 まる もので あ ります 下和 は それ が 國 家 的 陛界 的 な もの とな り得 る iilに まず それ 等 の 場 l・ 所 か ら始 ま らね ばな らな いので あ ります 世 界 親睦 i□ 間 を摯行 す る に 常 つて テ ンネ ン ト會 長 が ロー タ リア ン宛 て 獲 した公式要 請 状 に これ を 賞 行す る方法 が い くつ か万U唆 され てお ります そ れ 等 はす でに有金 で あ る こ とが 確認 され た方法 で あ ります その一 つ として他 の ロー タ リー クラブ と接鯛 す るた め に ロー タ リー 資料 “今 日の 目標 "を 利用 す る こ とであ ります 。(昨 年 ア メ リカ,モ ンタナ州 ボ ー ル ソンク ラブ とニ ュー ジー ラ ン ドの イ ンバ ア カ ー キル クラブは この週間 にテ ー プ レコー ドに よる プ ログ ラム を交換 しま した。 1也 に も数 十 の ク ラ ブ が この よ うな交換 を行 な い ま した.) "日 -26日 の世界親 睦週間 を基 それか ら国際理解 と友 好 の檜 進 の ための プ ログ ラム もあ ります (1956年 にア メ リカ、 テキサ ス州 了マ リロー でそ この ロー タ リア ン達 は ス コ ツ トラ ン ドの マザー ウエル・ ア ン ド・ ウイ シ ョウ ロータ リー クラブの會 長か らの描 弾電 話 を通 じて の挨拶 を聞 きま した イ ス ラエ ルのエ ル サ レムの ロー タ リア ン逹 は同國外務大 臣 で あ る ゴル ダ ・ メイア夫 人の話 を聞 きま した。 その時 の 末賓 の 中 には各國 の 大使 や大 臣 も交 つてお りま した。 ア メ リカ.ネ ブ ラス カ州 の チヤ ドロンで は、 そ この ロー タ リア ン逹 は国際千 和 に開 す る老練 で あ る ウイ リアム・ G・ ア ビ リッ ト氏 の話 rC傾 聴 しま した ロー ドア イル ラ ン ドの クラ ンス トン・ ロー タ リー クラブで は元牧師 さんが講演 しま した.ニ ュー ヨー クでは 二人 の ロー タ リー財圏 奨學 生が そ この ロー タ リア ン達 に演 論 を しま した。) テ ンネ ン ト會長 は三番 目に国際 理 解 を地 域 rt會 単位 で檜進 す る こ とを示 1唆 してお ります.(1956年 しツーナア、 に,ア メ リカの ベ ンシル バ ニア州 ,ア ′ 及 び ア イオ ワ州 チ ャール ズ シテ イの ロー タ リー ク ラブな どで は街 の 多数 の 商店 の陳 列窓 に ロー ク リ ーの国際 性 を現 わす よ うな もの をmiり 付 け ま し た ニ ュー ジー ラ ン ドの マ タマ タの ロー タ リー は 學 生懸賞 論文 を主催 しま した。 イ ン ドの ム ツスー リ 。ロー タ リー クラブは海 外か らの旅行客 の た め Jl子 を稜 行 しま した,同 じ (イ ン ドの に旅 行案 内り パ テル チ ラ リの ロー タ リア ン達 は高校 生 ,大 學 生 を集 めて国際 連合 につ いて理 lFlさ せ る よ うな會合 を主催 しま した。) ど うして不 利│が 貴方 と共 に始 め る こ とが で きる か につ いて もつ と賞例 を見 た いな らば 8月 琥 ロー タ リア ン誌 の45頁 を照 合 して下 さい なお貴 クラ ブが 地域 的開心 を L界 友 好 に結 びつ け る こ との出 来 る素晴 ら しい 方法 が あ ります 次記 を御覧 下 さ νヽ . 6 trooz) THE ROTARY‐ NO― TOMO 行するに先立つて下記のようにのべています . 各新聞は それ を国際 的 市會 と呼 ん でい ます 正 式 の名 11は .エ バ ンス トン模擬国際 協議會 といい この イ リノ イ州 の地域 lFl會 に今 まで 起 つ た出 末 事 の うち最 大 の ものの一 つです。 1カ 月 の1嗣 ,数 百人 の賞 業家 ,家 庭 の主 力f,會 T[事 務員、 學 ′ 11そ して教 miが 国際連合 にお け る各 代表 の 役割 を引受 け ま した。 li旦 問毎 に開 かれ る夜間 會合 で彼等は営時 ,國 際連合が 1亡 山iし て い るりЧつの主 要 な問題 を討議 し ま した 會合 の 合間 に彼等は同書餡 に いつてfJl究 した り、領 事館 に│11合 せ た りして,各 自が代表 と な つ た閥 の111題 を家庭 會合や電 言 11や 集圃會議 で討 論 しました . よ うこそ ,GoR・ ミーンズ あ る土曜 日の 午後.彼 等 は諸 10JflF案 に投 票 し紹 會 を開 るべ く高 等學 校 の 雨天鎧操場 に集合 しま し 9月 22H12時 20分 NWAで 述路は る11る 末朝 され た ヾ― ンズRI會 長代理 をイ ´││1窄 港 に迎 た。 然 し これ で そ の絶會 は終 つ たわけでは なか つ た のです.582人 の参 加者は末 イ liも この よ うな紹 えて談笑す る小林 RI,1事 ,束 ク崎 第 3551[ ガバ ナー(後 姿 ) 會 をまた開 くこ とを満場一致 で投 票 しま した.そ してあ る代 表 は.彼 等 が この よ うな會 合 を非 公式 に績 行す るの に非常 に有稀 で 面白 い考 えを獲 見 し ま した 各 ク ラブが家庭 にお いて11t界 親││な の賞現 を推進 す る とい うテンネ ン ト倉 長 の 提案 は世 界 親睦週間 の 1に 地 域 の 各l■ l般 の 代表 者 と會合 して上記 の と │「 辞 引の 中の ロー タ リー 京都 RCの 堀内清君 の御注意 があ ったので 三省堂 の最 新 コ ンサ イ ス和英辞典 (昭 和28年 版 )を 引 いてみ る と Rotarianは Rotary Clubの 會員 とあ り ROtary Clubの 項 には ロー ク リー クラブ (凹 同 じよ うな “国際 的市 會 "を 組織 す る こ とに よつ て遂行 され る こ とが 出末 ます。 そ の後 , ロー タ リ 際的祗交国證 ,SerVice,not Selfヵ i標 語 ア ンがそれに参加するか どうかは各 rlの 希望にま 部が輸番 に接待 す るので この 名 がで きた)と かせ ます。 勿論参加されることが望 ましいの であ 説明 が人 っていたの で驚 い た ります。 この エバ ンス トン市の賞験 の全貌はベーパ ー70 い 9¨ 彼等 の靴 の 中に とい う資料に掲載 されて い ます 1lJ央 事務局か ら人手 lll末 ます そ こには ど の クラブで もその よ うな計蓋、又はそれ と同 じよ うな計書 を始 め るときに利用出末る参考資 料 が詳 しくのつてい ます ロ ー タ リー の 友 -10月 膀 , 1905年 米國 に起 り全世 界 に支部が あ る。 各女 この辞典 の様 な普及性 の ある辞引 の 中 で ロー タ リーが正 し く書かれていない ことは全 く遺憾 な次第 であ る「 奉仕 Jを 書 き落 した ロー タ リーの解説 は 一般情 報活動 の大 きいマ イナ スでは あ るまい か.御 手近 の辞 引 を一 J・ お調 べ願 いた い もの であ る 又 こ うい う誤 りは速 かに訂正 して頂 く様刊行 者 に注意 したい もの で あ る . 坊: 二 1‖ (1003) 7 ロ ー タ リ ー 奨 学 生 ご語 る 西村 今 日はわ ざわ ざお体 の と ころお いでい ただ き有難 うござい ました 今 日の座談 會の 目的 は ロ ータ リア ンの中 に ロー タ リー奨學 生 の制度 をよ く御存知 ない方 と , い まひ とつ, この指1度 へ の理解 を よリー 層深 めてい ただ くためて , お婦 りになつ た貴方 がたにお集 り ねがつ たわけです 西 村 委 員 先ず,ア メ リカでの證 験 か ら うかが い ま しよ う 神 野 君 露 口 委 員 エ ロー は法律 を専攻 し 1年 で MA たが, イギ リスの フ を とるので,す んでか らクラブを訪間す ると云つてい ま した 米 国 の ク ラ フ の訪 問 廣岡 クフプの訪間 は餘裕 があれは,初 め と絡 りがい い です ね 70日 以内 でやるのが柴 です ダー トマス大に は私のほか,濠 洲,イ ギ リスの 3人 の フエ ローがお りまし どの位, クラフを訪問 しま したか 月野 60ク ラブ位 です ほ くは満水 さん と中村 さん に お話をき ヽ,行 く時 を早 め蹄 るの を遅 らせ,主 に小 さい クラ ブ, 日本人はまだみた こともない田合 に行 きま した 露口 露口 月野 ので よい勉張 でしたね よい勉張 で した,南 部,北 部,中 部 4)み ました 西村 60ク ラブ中,印 象的だつ た クラブは 一 しフオルニヤとネパ グの 月野 面白かつ たのは,キ ヤ ノ 間 の 500人 位の町 の クラブで,林 業を主 とした ところで した 會長 がガ ノ リンスタン ド,副 御長 が バ アの 人 と し)か 云 っ た, メー ンス トリー トが, ここ (新 大阪 ホテ′ l・ ら淀屋lFt位 の町 で した。 露 口 含員は どれ くらい。 コ 月野 20名 位 で した またニユー メキ シ の砂漠の員 ブで の クラ だけ ,全 部 カテゴ リ 中の クラブは會員が 5名 が同 じで, 太牧場主 の集 りで した 人口 200人 位で,初 めは20人 で出獲 したのだそ うです ボー ン ニユ ー メキ シヨRCで す その クラブで話 した後は どうしましたか 月野 一緒 に息子 さんたち と生活 したわけです 朝 は 6時 に起 きて,牧 場 で切れた ワ イヤーの修理, 1日 中 露口 , 馬 にのつて夜は 7時 に一緒 にね るのです 露 口 日本で も,そ うい うあつかいがで きる とよいの だがなあ お客 さまあ つか いでね 廣岡 私 は行 き と婦 りに行 つ たので田舎 の20人 位 の小 クラブが主で した ハー ノバーは人口6000,學 生3000の 街 で,山 中の小 クラブでは まつ た く大歎迎 で した。 日本 西村 人はみた こともない わけです。 8 troonl THE‐ ROTARY_NO‐ TOMO 出 時・ 9月 15日 所 。淑i大 阪 ホテ ル 53-54年 奨 學 廣 君 夜の クラブ もあ りました 書 は集 りがわるいので夜に した とか,年 寄 りの女 の ビア ノの先生 が歌 のためlC末 て お り,皆 フ ァース トネームで呼ぶ,暖 かい雰国氣で した。 それで親 しくなるんですね バ アモ ン トの主都 の70人 位 のクラブで もフ ァー 廣岡 ス トネームで呼ぶんです.ジ ョンとい う名前が多 く, ど 西村 岡 敏 雄 碑 野 や す 子 属集審議會委昌 西 君 岡 廣 汎 継 箸談會委員 露 村 大 口 治 四 フ レ ッチ ャ ー 大 外 交 一 野 度 生 度生 年 7 5學 一 “奨 月 學 野 律 法 マ 済 ト 奨 月 ダ組 55-56年 度 生 (螢 言願) 席 ス 大 學 マ ウ ン トホ リオ ー ク大 英 學 文 郎 京 都 R C 郎 大 阪 R C . る とタイの話 です.タ イ も中国 も同 じなのですね。 中国 人とまちがえ られ ませんで したか。 う呼ぶか見 てい る と,會 長 は ロングジョン,つ ま り顔が 長 いわけです。 廣岡 まちがえ られは しませんで した.昔 は匠別が つ かなかつ たそ うですが,戦 後 よくなつ た よ うです よ 諄野 よく考 えるのですが,一 つの國 を紹介す るには 日 本 への関 心 は 二つ あると思 い ます。 その一つ は珍 らしい もの,観 光的 西村 小 さい クラブの 日本 へ の開心は どうで した。 月野 南部,両 浩岸以外は無開心で した な もの, もう一つは 日本 は この位進 んでい る と云 う紹介 の仕方 がある と思 い ます 西村 異國的な もの もよいが,他 面同質的な もの をや . それはただ 日本 だけでな く,世 界中に封 してです.新 間をみ て も 町 の周邊 の ことを大 々的にあつか い国際的な記事 はない , のです 露 回 戦fFの ことは どうで した 月野 この問題 では失敗 しました 原爆 の ことですが 自分達 は親切な人民 で,何 故ああ云 うことをしたか,政 府 を うたが うとともに後悔 してい ると云 う。 そ こで,フ ラ ンクに非人道的だな ど云 うと逆上す るのです.お 前達 も員珠溝 を不意打 したではないか と 西村 失敗 と云 うより, よい経験 で したね . . 耐野 私は 日常生活 を主 に話 しました。ですか らコー ヒー をのむ と, コー ヒーが あるか と云 つた質問 を うける 西 の方は 日本人が多 いのですが.東 部 は少 い,そ こで小 さな国 と思 つてい るのです コー ヒーの話な ど考 えよう では しや くにさわ りますが,食 物 の ちが い を云 つてい る にす ぎないのですね 西村 私 の訪問 したクラブで も,サ ケ とかゲイシ ャガ ールで,お どろいたことに ニ ューヨー クの劇場 で王様 と . 私をやつていたので,君 の国 の王様 の話だ と云 う,私 は オペ ラの ミカ ドの こととばか り思 つていたが,行 つてみ ロー タ リー の 友 -10月 践 . つた方が よい わけですね . 耐野 興味 はあつて も親近感 があ りません。 ハ ーバ ー ト大學 の助教授 で一橋 へ末 られ ていた方 が, 日本 人は歎 迎 しては くれ るがあ くまでグス トで仲間 に入れて くれな い と云 つてお られました。 月野 この瓢米国 ではア メ リカ人 と云 うと人 種 を さ し,仲 間 としてあつかつて くれ るのですね . 私 が一番感 じた ことは大 クラブより小 さなクラブが非 常 に ロータ リーフエ ローに開心 を もつてい た ことです。 別 に どの クラブとは 申 し上 げませんが,大 クラブは組織 的に動 いてい る,で す か ら,ま た日本か ら 1人 末 たなあ と,ま あ 1時 間位時間 をついや し,あ とは無開心 の様子 で した . 日本で も大 クラブは, どうもその ようなお それ があるようで,小 さいクラブにホス ピタ リテーがあ るよ 露口 うですね。 月野 特 に大 クラプのあ るのは大 きな街 なので,ふ な れな者はまようわけです。 ところが小 さい クラブのある 町 は メンス トリー トが 1本 で, とま どうことがないので す,大 市街 の夜 な どは不 自由を感 じま した。 (1m5) 9 ′セ fロ ン大 Fi.1へ 留 學す る 米国か ′ ロー タ リー フェ ロ_CLIFFORD へ ヽICKAY Jr君 を円ん で,左 か らlgrltl司 , 月 り1, ク リフ 水/J・ , 6り J tt t」 ― ド, れ i “ 炭 岡君宅 にて や本人が多 い と,ま けてはな らぬ │く 持 がお こるんですね _ 留 生 學 活 碑野 よ く勉張 しますね 露 口 RIで は 1年 留學 させ て くれ ますが, もう 1年 や りたい と感 じましたか よ く勉張 する米国 の學 生 . 月野 はあそ うですね, 111で M.Aを や るのは 人嘘 うちの大學院 は 2年 を 1年 に した コースで,つ め です てやつてい たので, よけい時間 に餘裕があ りませんで し 露 口 在學中の レク リエーシ ョンは 月野 他の學生 と述 つて特性が ロー タリーフエ ローに はあ ります。 パ ーテーで もデー トで もしやす いのです これがlll末 ないため,F経 表易になつ た人もあ ります よ。 諄野 勉弧 に忙 しくて一度 もパーテーに出ませんで し . た。 露口 は じめてでは無理か もしれ ませんね。 月野 私 のアプ リケーシ ョンのM.A.は 目的 でない と 云 つてお りましたが,行 つてみ る と, どうして もやつ て もらいたい と云 う。 そ こで どの 目的に進 むべ きか まよつ たわけです。 西村 ロータ リーは ロータ リーの親善を希望 してい る わけですね . た。 月野 留學生 の初 めの 1年 は夢中です, 2年 目か らい くらか餘裕が出 るようです.向 うの學 ′ はウ」 の 9時 か ら │三 夜 の11時 迄 自憂的に勉弧す るんです ちよつ とさぼ ると 一緒 に同書針iへ さそわれ る。 レク リエ ーシ ョンは寄宿合 の催物以外にあ りませんね . 廣岡 私 も留學 前か ら月野 さん の話 で一度 は苦 しむ と 問 いてお りましたが, ロー タ リーを主にす るか,大 學 で M_A.を とるの を 主催 とす るか 悩み ま した 學校 とし ては勉張 を, ロータ リーではクラブの訪間 を少 しで も多 くと云 うことです。 2∼ 3ヵ 月 日に問題 とな ります_私 の 場合 M.A は問題 でな く,出 来 るだけクラブを主に しようと思 い ま したが,一 應 コースを とつ た以上,講 義 を き ヽ員倉」 に勉 弧 しま した _ 露 口 寄宿舎 の生活は如 lJで した 廣岡 米国 の学生 2人 と私 の 3人 で 1室 , よかつ た と 思 い ます.で すか ら早 く友逹 がで きたわけです . 月野 ぼ くの大學院は loO人 で60人 が米国人 ,40人 が 各l_2人 で,寄 宿合は勉弛1が 主で 1人 1室 , 2∼ 3室 だけ 2人 で した 廣岡 とにか く勉弧 しますね 月野 寄宿舎 とll 10 1006, 、 l書 館 の往復 で した ゃllり 各E_Nの 人 露 口 映画は どうで した 月野 めず らしかつたです。 占業 はボス トンポ ップス . が あ りました . 碑野 學校 で有 名な来剛をよんでい ま した。春休にニ ューヨークで オペ ラをみた ぐら1/1で す 月野 ぼ くは芝居が好 きで テ ィハ ゥスをみに行 きまし た。 廣岡 ハ ー ノバ ーの各は スキーです ´だんは一つあ .Iへ る映画自 行 き.時 々車 で ドライブしま した。 g、 米國人 と日本人 の 9考 ぇ方.大 和うしは感 じて も,カ ミカゼの背後 にある若者のオ │"耐 Iは 何 か理解で きな いのですね。 自分達 のJl官 は 111爆 せ よとは云わぬ.初 め 月野 r//」 か ら生 きて帰 つて こい と云われ る.お そらく一朝一夕で は│‖ 末 ない。 この問題を読りlせ よとくる。 露 口 ちよつ とこま りますね 月野 ここに何ん とな くへだた りを感 じます。 1` HE lく (う TARY_NO_TOⅣ 10 西村 死生槻が違 うのです.も ちろん宗教湖 もちが う。 宗教 をきかれ ましたが,向 うは 日曜 ごとに教會 へ行 く習慣 になつてい るで しよう 紳野 私達が佛教 を信 じな くて も,お 盆 の時 は同 じで 月野 . すね . 月野 米国 では生活 の根本 になつてい る.お 前 は生活 の中に,習 慣的な ものが ない と云われま した よ . 碑野 熱心な人が多 いのですね ですけ どだFい 人逹 は 教 ●へ行つて も煎‖を信 じていない 人もあるのです 月野 今後 のフエ ローは, ク リスチ ャンな らよいが 新 クラ ブ 會 長幹事 1紹 介 r・ , 宗教問題は何か巨1答 をもつて行 くべ きですね。 西村 1ヤ 然 ですね, この基liの 11に ロータ リーの相 │ . 月野 小 さい町 では,集 會所 みたいですね 説教 のあ と外 でお しやべ りしてい る。 そこで 日本 のフエ ロー を皆 に紹介 し 事 貞 壼﹂ 泄 手 . 鳥 日曜は貴方 も教 會へ行 きましたか つ きあい ま した 」 lt引 に行 うとi言 うわけです 長. 會太 南用 豪島 輌 露口 T の があるわけで,米 國 の職業 lllも 世界午利1の 相in卜 もある"耐 です。これ を知 らない と につ いになるおそれがあ ります . て,大 いに国際親善 をやつてい る と自慢す るわけです . はでですね 露 ロ ロー タ リーの例 會も習慣的 にな りますね . . 事 一 津 幹 精 山 島 助 之 (第 昴5日 ) 事資 木 幹″ ポ 條 鈴 ^ 員 武 と本 だけです 三 會 のお こづかい,私 達 はお さけ もたば こもないので ノー ト 長 摯 一 露 日 本部 の費用 は充分 でしたか 碑野 全部 で,2900弗 ,昨 年 か らフルブ ライ トの渡行 費 を うけ,1200弗 をひいた1700弗 , この内 550弗 が 1年 月野 長 用 田 の 費 亀 永 部 會 . 本 Ц 上 西村 そ うですね ぼ くは3600弗 廣岡 學校 によるわけですね 露 口 費 いでは 月野 女性 の倍か ゝりますか い . . 西村 ニ ユーヨークの様 な大 きな町では少 した りませ んでしようね 洗濯代が高 く 1枚 髪 が 1回 1弗 50f山 です から 東 京武 蔵 野 會長 . 諄野 私は FI分 で洗濯 してお りました。 月野 結局 學校 にい る問だけの費用 です.は でな生 田 吉 (第 孝 雄 東京 武蔵 野 幹 事 竹 崎 徹 360E) 活 は出末 ません 碑野 私 は経験 をり宙 にする意1米 で短期l間 アスパ ラカ スを探 るアルバ イ トをやつ たのですが,あ るクラブで こ の ことを話 した ところ,大 艶同情 され,寄 lを あつめて llf・ 000?) 事諄 井 松 幹澄 防 諏 長 . 會響 防森 藤 ロ ー ク リー の 友 -10月 境 諏 くださいまして,104弗 いただ きました。幹lfさ んが,ア スパ ラカスにかけて レタース (お オしの俗語りをあげる と 11 目にか か りま した 云 つて . 月野 男 は駄 日ですね,一 度 もそん ことなかつ た アルバ イ トは正式にはい けないのですね,イ ギ . 廣岡 リスの フエ ローが生活 が くるしいので,RIへ 賞情 を う つ たえた ところ,ア ルバ イ トは こまる と云われた。私 は 行 く前 に下 着な ど全部 もつて行 き.洗 濯 は10仙 の洗濯機 を使 い ました おかげで帰 りの旅行費 が出たんです 紳野 私 は學校 もよかつ たんです シーツ もか して下 さるし,ま た事情 によつては コ ミテーか らお金を出 して . 下 さるのです.X'masの プレゼ ン トも下 さるし 露 口 他 の奨學資金 との比較 は どうです 月野 餘裕 があ りま した。一定 の枠 で下 さるので,フ . . ルブ ライ トは毎月50弗 位 くれ るので融通が きかないので す。 ロー タ リーは先 の計画 が立 つのです 廣岡 自由があつて,理 想的な支給方法 です . 紳野 露口 そ うですね . RIと の連絡 は どうですか。 レポー トを出 します。 3ヵ 月 日,牛 年 目,そ し 耐野 て終 つてか い。 露 口 在學 中は アフタケアー の問題 月野 ロータ リーフエ ローの希望 と云えは, 夏休がぬ けてい る ところです 9月 に着 いて,そ して 6月 に蹄 る ルバ イ トで次 の年 1句 うでは夏体 の内 にアメ リカ往断 やア のお こづかいにす る。 この間 がつかめないのです。 八分通 りは経験 したわけですね それか ら何か ロー タ リーか ら速 ざかるような氣 が しますね 留學 の経験 とか ロー タ リーフエ ローの プラ 西村 イ ドをいつ まで持 ちつづ けるか とい うことが 西村 あ とのア フタケアーが出末 ていないのですね この議 を直すべ きだ と思 い ます . . 碑野 米國 で もそ う云 う話があ りました。 バージニア の ロー タ リーの方 が イギ リスヘ フエ ローで 行 つ た 人が 今, 日本 の四國 にいつてい る, 日本 のクラブと連絡 した い と云 つてい ました 露 口 あち らの友達 との文通 は 度岡 いま 2人 と文通 して います 月野 大學 に ロー タ リーフエ ローが 2人 ,親 友 になつ . . 月野 耐野 大事 なチ ェック,あ とはガバ ナーか らです 私 は レーキ プラシッ ドで主任 の メラーさんにお 苫小牧市 場 北海道 ・ 春 日井市 変知縣 ・ 王子製 細工業 たのです 學校 の親友 は何時迄 も文通す るわけです.色 色 な家 を訪問 しましたが,期 間 がみ じか く,お 互に知 り あ う時間 がなかつ たのです 西村 ロー タ リーフエ ローの結 びつ き,向 うの ロータ リア ンとの結 びつ き, 日本 の ロータ リア ンとの結 びつ き . これですね l 露 口 清水長一君 は よく大阪 の例會 に こられます よ。 月野 祗長が ロータ リア ンなので出 に くいのです 會 tで は フランクになかなかなれないですね 西村 月野 (rooE) 師朝後 のクラブの訪間 は一一 師 /Jl報 告 もフエ ローにしやす い方法を とつてい ただ きたい と思 い ます 露 口 しやす い と云 うと . . 月野 會祗 と連絡 して下 さると結構なんです,長 び く と出に くいのです。 西村 この期間 は留學 の延長 と考えて . 月野 日本 ではむずか しいのではないでしようか。 露 口 そ うですね 月野 クラブか らあ らか じめ云 つて下 されば承知す る . のですが . 廣岡 よいお考えですね 私 は昨 日迄東北 の クラブヘ行つてお りました つ とめがあるとこま りますね 月野 だか ら今 だに申詳 な く氣になるのです。大證主 西村 静野 12 . 月野 . . . THE ROTARY_NO‐ TOMO なクラブは まわ りましたが . 中村 さんは 1年 かかつたそ うです そのかわ り 碑野 て と よ く日本中をみ まわ られた 云われてお りました 廣岡 それは楽 しい。 . 露 口 しか し50∼ 60も ,そ れ も例 會日がちが うので プログラムをたて るのが大愛ですね 廣岡 私 は行 くヽ 1に 1年 休職 して lヵ 月休を もらい ま , . して lヵ 月間 クラブをまわ りました。餅 新 クラ ブ 會 長幹事 紹 介 務 めは じめる と lヵ 月 1回 はむ りです。 月野 lヵ 月休むか,時 々行 くか,例 會はそ うやつて ないので,主 な ところへ行 くとすれば 3ヵ 月かか ります。 廣岡 かさなつた例會 の ところは出来ませんね (第 360日 ) . 會 演 松 東 幹 滋 (第 長 . 河 さればよいです 西村 ロータ リーフエ ロー としての製験が何 か祗會で 融 ︿ロ 濱 は フオーラムで出る とよい と云つて下 さいま した。 月野 あ らか じめ スポ ンサー クラブで豫定 を くんで下 鈴 ン事 蔵 耐野 私 はガバ ナーが よ く御考えになつて下 さ り, 1 日 4ク ラブ廻 り, 4日 間 で師 つて末 ま した.東 ヶ崎 さん 清 木 365E) 役に立 つてい ますか。 月野 祗會では どうも逆な場 合があ りますね その諮,先 生 は よいですね。 度岡 讐者 もよい。 . 紳野 事 二一 野 宇 夫 幹泰 賀 敦 長 教育者 が 2人 ,君 とぼ くと清水 さんが,商 費 の 會義 賀馬 敦・ ︲ オ 月野 方 . 西村 そのフエ ローの悩みは, ロータ リア ンの悩み で もあるんです . 紳野 山形でお襲 さん方 とお 話 しましたが,父 は どう も家 では反封 です と笑 つてお られた方があ りましたが 月野 ロータ リア ンはntL長 が多 いので奉仕 はしようと . 不 塚 T俊 事劇 幹次 西不 館持 で も 畑谷 大 阪 西 會 長 すれば出来 ますか。私逹 は少 しな ら奉仕 で きます。また 泉 . 露 口 耐長はよいが,祗 員 が損 をした らこま りますね。 月野 米囲での本仕 に当す る考 えは物質的ですね (第 370日 ) . 膊野 相手にサービスす る と返 つて くると云 う考え . 西村 日本 は精棘的 ですね 月野 奉仕 の賛例 ですが,テ キサスのある クラブでは ロータ リア ンが一Ftと な り,道 路改修 の陳情書 を州へ出 . 幹 事 通 由 方石 直 臣 會 一 長 大 方野 直 して,次 か ら次へ とこれをやつた。 ロータ リークラブの 努力で道路が よ くなつ た と人 々に感謝 されていました。 西村 日本 の場合,豫 算 がない と先ずお金を集める 向 うの人は賞際に シ ャベル を とるんですね 事郎 ゞ 西 崎源 長 彦 長 會康 ■― タ リー の 友 -10月 脱 崎田 長 牟 労力 と時間 で奉仕す る方 が効果的 です 月野 財カ プラス,ア ル フア iで すね。 西村 では このへんで,皆 さん どうも有難 うござい ま した。 (rooe) t3 ″ グ 7‐/ =タ 古 (さ いfJF旬 ご れるが =ゎ 趣をる 1米 ,I 1 釜 │ r4 RC 菊 池 秀 夫 私 の趣味 として水 くやつているのはll:句 であつて,一 ジは少 し古 tい とムわオ 部か ′ Lそ うである :り しか し新 しいの も1与 いの も若 11夕 1ら な い 澤ではな く 新 しい と云 つて も詩 である以_Lは リズ 日1ち 5,7,5を `、 1,1=る のは本常 であつて,短 い もの,1:い ものな ど憂形の , ちのはツト 句 と云 わない方 が よいではな いか 例:句 の よし,悪 しの少」 断 は匝 々な篤め, とか く天狗 lC な り///7い し又天狗が多 い ようだ 私 は天狗 にな りかねて い るが,初 心 の‖時 ,Ji選 句 9で 自分の句 を選んで笑わ オした は 今 Iさ しい ようなおか しい ような思い出 となつ `り てい る それが天 狗 にな りかねているJIJ機 で もあるらし l・ (イ }千 イi産 銀FT徐 イi々 申i長 53戯 ) 広 くて浅 ぃ私 の趣 味 〒 河野秀 夫 渕熊 ,く 忙 しいllil業 の部類 私はlJll業 してい る内科鵬 で,恐 じ ロー であろ う タ リア ンの告 さス ノも御l純 瞼 の ことと思 う が,和性 録 と人物り じると2卜 ず趣1米 は J]_許 にり1張 り│││さ ノ ∵と尋 ね られ る 私は この質「lり には ,」 │││で も一寸困 る . 写 真 コ ン テ ス ト と言 うのは, これが趣味 で1lJiる と廣 1手 す る程徹底 した 趣1米 はない し,全 然無趣味か とl:え ば然 らず,有 様 は賞 に多趣味 に過 ぎるのである 私は生末 H不 法で一見誠 に無味1吃 燥 の男 の様 であるが, これ又 さにあ らず,自 ら `]lり 題 社 会 奉仕 の ひ とこ ま 自 「拍 是亘 本ォ 思 え らく,多 l ll多 感 に して噛み しめるほ ど味 の出 る人1嗣 である と きて 自讃は これ 位 に して本論 に入 ろう 私 の 趣味は一言 に して申せ は廣 くして浅 い 換 l子 すれ ば概 ね 下手 の横好 と申すべ きか 先ず スホーツの愛好者だ,野 (キ ヤ ビ ネ以 上 ・ テ ー ター 共 ) 球,庭 球 は学生時代 クラスの選 手位は助めた腕 だ。柔道 も5人 抜 いて メグル を貰 つ た ことがあると中 した ら,現 木 村 伊 兵衛 選 在 の貧蒻な側格 の私 しか御イFじ ない方 は驚 くだろ う.勿 論五十 の坂 を越 した今 日では自身 はや らないが糊 るのが 〆切 。1月 5日 。2月 号発表 送 り 先 「 友」編 集事 務所 趣味,相 撲 もプロレス も (大 低はテ レビだが)川 るのが 来 しみだ 室内ゲ ーム としてはmi雀 も碁 も好 きだ 然 し 慾 日に見 て もわれ乍 ら上手 とは思 えぬ 10年 1日 の如 く L4 (roro) THE ROTARY_NO― TOMO 面 白 くやるだけである 音楽 も好 きだ,學 生時代 にヴァ イオ リンをや り初 めたが これ も初歩 の部で中止 ,家 内の 身に滲 みこんだ書 籍商 琴 と合奏がやつ と出末 る位 の ところで諦めた,然 し琴唇 相和する多少の効果 はあつ た らしい 聴 く方 は今 で も邦 趣 味 を語 る 業 ,洋 柴何 で も槃 しい 槻 る方 も映口1,歌 舞伎,新 iFA, 新凹慮]嫌 いな ものはない カ メラ もや りたい し,は らの 栽培 もや りたい ものの一つである 幾 日か患者 さんか ら 完全 に解放 され て,好 きな本 を耽讀 したい ものだ とも思 │ RC │ll府 大 塚 源 一 郎 う なお私 をして時間的並 に組 i/rl的 に充分な餘裕あ らし めば ゴルフを」 1嬉 能 し ,話 ││││を 省得 し,話 回 の名 「fflH蹟 を 棚 る,聴 く, 日で,手 で井ぶ もの,そ して動 きまわる 何 一つ愛好せぬ ものは無 い と言 うて満 更の不1氏 流 で も ないつ もり,但 し徹rlisし , どれに も凝れないのが暇 に玉 ゆつ くり遍歴 して放1ザ iを 満喫 したいのが私 の趣味 の念願 か。 (,可 で あ り,慾 の夢 である 総 野 院長 1ヽ 合 的 趣 味 1趣 53歳 ) 私 の家業 は書籍商,是 れ こそ身 に染 み こんだ兵賞 の趣 1父 の本版 での出版 な どさてFtき ,父 味 で もあろ うか 市 が今 日専業に書籍 に親 しむJ.Ll化 を作 られた1「 は感潮│と 共 lC敬 愛す る人 である。私 の店 では悪書 は賣 らない 全部 7 をIIl薦 してll lか らぬ.今 後 も「無理せず」 して ロー タリ ー粘耐│に 従つて行 く。 何や ら題「J五 つが書 けた様 な 味を語丁 │ . 大 宮 RC 川 越 貞 (柳 房 子も困るのは,そ の数があ 趣味を開かれた時,私 は何‖ で ま り多いか ら,所 言 趣味 ,文 ]駄 藝,T4朱 ,ス ポーツ等 い こと l■ 女 ∫きだ 然 し趣1味 と云 何で もり とた りIよ た りす る 「 う意義が「自らやれ る可 」 となる と,や や小範間にな り 銃敷,句 作,同 碁, ドライブ及 びいか もの飲食等 となる 然 しこれ とて何一つ これだけは と云 う,秀 れて1山 人に披 露 する様な ものはな く,た だ自 らが`い を楽 しむ と云 う程 度 です 例えば銃独 で云 えは,得 物を獲 る ことよ り,M大 を一 人前 (?)に 育 て藝 を付う 丞む苦心や,初 独荷 1夜 の,小 學 ノ つ は なタ ミ tで り liが 運動 會を待 様 分,或 山小牌 1日 の独 を lll」 に押iき ,老 敷niの 1・ くみJの 味 と地7111の 惚 1話 を聞 きなが い,墟 邊 で焼 く「つ 香の方 に魅力があるのです 要する に私の趣味は一言で云 うと,紹 合的趣味 とで も云 えま し ようが (サ 1越 病院長 59戯 ) [十 .昨 店耐長 63歳 ) ゴルフご写真 ごマ ッチ 型 赳に をる Jシ 名解 1 :li │ 1 RC 石 井 健 一 劇 ` 旅を して新 しい コー スを廻 る ことは, ゴルフ ァーに と つては とて も柴 しい ものである 私 は新 しい クラブに行 く毎 に記念 の冗 員を とつて アル バムに納 め,別 り業 しん でいた。最近各 コースで奥れ るマ ンチが ズボ ンのボケ ッ トか ら出 て末 たので試み に篤 員のぢ(に はつてみた マ ッ チの レッテル を今頃集 める人 もないだろ うが, スクラッ プブ ックに ゴル フコースの象J員 と共に」 14り つ けたマ ッチ ′ 十の懸 しさを増 した.皆 は, とたんに Lき 生 きとして 一丼 さん試み られた ら如 lJで すか (大 [1製 鋼副千 眼 丸紅飯田株式会社 社社 店 本支支 ● ― タ リー の友 -10月 眺 │1 忍 取締役社 長 市 り 大 阪 市 東 区 本 町 三 丁 目二 番 地 東 京 都 千 代 田 区 丸 ノ内一 丁 目 一 番 地 札幌 。日本橋 (東 京 )・ 横浜・ 浜松 。名古屋 福 井 ・ 京 都 ・ 岡 山 ・ 広 島 ・福 岡 u01t) 15 ) σ ⑩ 一家揃 つてフォータダンス 1シ 1 1重 に昭和30年 度 の優良店 として,全 閾銀行中76「A・ の中に選 ば れ て,夢 に 見た大臣賞 の楽冠 に輝いたのであ りまし る 吾 ヽ を言 て,本 末 の宿望を達成 し意義深 い象徴 であ ります │ 刈 谷 RC 野 一 村 彦 我家 の 自慢話 で もあ りませんが忙 しい 中に暇 を見附 け て一家揃 つて氣晴 しの レク リエ ーシ ョンを忘れ ぬ様 に時 時 フ ォークダ ンスに打興 じて居 ります.之 はひ としく童 心 に還 り時 を忘れ組 べ て を忘れ ユ ーモアで味 つ け して明 日へのほのぼの とした明 るさを残 します.う まいの は子 供 と若 い人達,爆 笑 の源 は我輩 と自総 モ ダ ン婆 さんの調 理係,下 手な リーダーは藪臼竹女 の家内 と云 うメ ンバ ー (二 です・ 大 蔵 大 表彰する ものであ りまして,金 1刊 1機 開 に対する成績表杉 として最高位 の ものであ ります 幸 に して私の店舗 は戴 村際院長 臣 53歳 ) 賞 私 としてはこの表彰料 を見 るにつ け,共 の印象 と感激 は叉新 に して其 の想出は,私 の銀行生活に貴 い記録 の一 つ としてり1か の誇 りとして自負す る次第であ ります (岬 林 業 岬 岡銀 行伊東 支店長 50歳 100年 趣 味 を i吾 ) の計 る 新居濱RC 落 合 嘉 善 ま ことに 昔しい ことだが,私 は趣味 と言 うほ どの も 「 の を持 ち合 わせ ない 少 々回碁を好むが,10年 11ヨ の如 11` 1 『89 伊 束RC 細 見 義 碓 く少 しも上達せず,今 だにザ ルの域 をじとしない F7Hの 味 は解せぬ,酒 を好む人 と一 しよに, これ をの むことは大 いにす きである。 今 は身側 の 都合 で一時やめてはい るが しか しこれはお よそ趣味 と言えるしろ ものではない 強 いて 言えば30年 1日 の よ うに,イ はllを 趣味 として馬 . 私 には特長がな く,餘 りに も午几 で 自慢す る ことが あ りませんので,止 むを得ず職場か らの想出を借 りて私 の 自慢話 と致 します 私 の・ll務 席 の具後 の白壁 に,最 近特異な デザイ ンの表 「夕 彰 HJFが 掛 け られ てあ ります この賞牌 の構固 の原書 は べの所 りJ「 落穂拾 いJ等 を描 いて,世 界的 に有 名な■家 で あ ります ミレーの 睡 播 く人」 の浮出 しの模刻であ りま して, この作者 は前F宮 賓物等 の飾具奉仕者佐藤美崇先生 で,同 先生 の鎌造 になる ものであ りまして,名 査 の棚賞 として も一般 注硯の的 となつて居 ります この表彰牌 こそは全國表彰 と も橋 して大蔵大臣, 日本 銀行絶裁が仝園銀行店鋼〕 中か ら,毎 年成績 の優良店舗 を 令 を重ねて きた。 い ささか数字 と吸式 をい じくることが 好 きで,住 友林業百年 の計 の一部を吸字 の面 か ら組み立 iliに て ようとしている また これに照 らして 日・ :の 仕 嵩 何 か と苦 言を呈す るの を趣味みたいに心得 てい るかの し である こ う言 えは結構 な身分 だな どと,門 外 の人か らひやか 1/「 . されるが,賞 情 は決 してそんな画 ばか りではない.き び しい現賞に追 い まわ されてせ つか くの「趣味」 もたの し む餘裕がないのが賞況 である。 だが まだ前途 は速 い.萬 事 は これか らだ とばか り新 し い 趣 味 を さ が しい て い る 始 末 (住 女 休 業四 回 夜 店 長 51嫁 ) ロ リリ ■。 本社 16 '‐ :な ヽ■ :卦 ■:ri「 東 京 都 澁 谷区 大 向通 28 丁EL(46)li3: 0050 (rol2) 支店 東京 大阪 名 古屋 静 町 京都 福 岡 鎌倉 札幌 藤沢 仙台 沼津 THE ROTARY_NO_TOン 10 山 野 の自 然 に得 る どしんけん 京 都RC 浅 川 公 どしんけん とは,何 事 も員余Uに や る事の意です。私 の修業先 の祗長の訓話 其 の言葉 を座右銘 として居 ります。 . 讀書 と散歩の外何 も持 たない.讀 書 は職業外 の もので は耐話,博 説,民 話,妖 怪髪化物語 とい うような もの。 必ず仕入販費 に其 の言葉を使用 して居 ります。 熊 谷RC友 散歩は史話や詩歌にゆか りある奮蹟 を訪ね,近 郊 の山野 の 自然 に浸 る 僕は元末山村に生れ て全 く自然兄 として幼少の頃を過 ごした さて人間祗會生活 を管む ようになつてか らは全 く人馬 の世界に耐會的生活 の理論 と道義―合理 ,法 理 , 倫理 の交錯 に労作 し績 けてい る これに封 して僕 は時 々 其 の不 自然,疲 労 ,苦 痛を感 じることがあつて,現 代入 の 自然科學観 との混迷状態 に耐 え難 いわけである 僕 に とつて前者 は職業耐會生活 の面 であつて後者 は趣味 の面 である。極端な人篤 の科學理論か ら天然 の耐誂感情 へ の (湊 川法律事務 所長 与 晴 50歳 ) 苦 しい時 困つ た時,正 しき心 と努力 を もつて すれ ば 自 ら道 が開 け ると言 う信念 の もとに明朗 な氣分で営 る 那珂 湊 RC 大 正 塚 也 38歳 ) (飯 島漁 業所 代 表 取締 役 天は 自ら助 くるものを助 く 東京西RC黒 正 岩 夫 59歳 ) (東 京 コ ン ク リー ト株 式 會 就 祗 長 57歳 ) 怒 らず.く ささず 天 芳 窮すれば通ず 逃避 で もあろ うか 原子,水 素その他 の爆襄放射能 の威 力 と人類 の一大国結力 との驚威 に営惑 して第二の救 い を 求める哀訴で もあろ うか 竹 (友 竹 商店祀 長 . の 楽 しみ 朗か に 私 の三 つの訣鼎 を矯 め ようと,40年 末努 めて来 た言 葉 で す。何 うや ら此頃 こん な性格 になつて末 た様 で す 人並 に耐組 の細 い私は今 で もシ ャクに鯛 ると睡 れぬ事 があ りますで も 1,2日 感情 を抑 える と不静 になれ ます 盛 岡RC 山 口 徳 治 郎 苦 しみの後 に員の条 しみがあ る 似 た様 な格 言金言 も随分 あ りますが,私 の趙験 か ら 唄 も踊 も出来ず,酒 ただ一つの天か ら典え られた榮 しみはお茶の道である もたば こ も呑 めない私 に とつて , . 書は父親 の代か らの印刷業に没頭 し,終 日の仕事 を絡 えて我 が家 に師れば,空 腹に山妻料理が待 ち遠 しい。若 い時 は,酒 は呑 まな くとも料理屋の料理 がおい しい と思 ]然 に出た この言葉 が一番 私 には ビ ッタ リします。 本 ビ 営 に嬉 しかつた事 ,自 分 の力 を自覺 した事は いつ も苦 しんだlF/Jt句 の事 で す.そ してその苦 しみが大 きけれ ば 大 きい程喜 び も大 きかつたので す.そ れで路末 も苦 し み の「 チ ャ ンス」 は欣んで迎 え るつ もりで す つたが,い つの間 にか山妻 の手料理 lCな らされて,今 で は,た まに料理屋 の料理を食べ ると,お 腹 の具合が悪 く なる。山のl 4様 は有難 い ものであ る.さ RC中 野 盆 利 59歳 ) (大 阪 府立 大 學 事務局 長 て夜 になつて , 230年 を経た とい う時代に さびた我が家 の 残月席 に坐 り 好 きな塁蹟を掛 け,竹 の花人 に-1輌 を挿 し,愛 玩 の瀬戸 黒 の茶盗 で,山 妻のFn「 て た一服 のお茶 をいただ く 極楽 浮上は西 方 にあ りと開 くが,床 の掛物 は印身印佛 と直指 し,古 瀬戸 の茶人 に染付 の水指, さらに芦屋の釜は極楽 のオーケス トラを奏 して夜 の更 くるを知 らない . (千 家 裏 流 淡 交 會 岩 手 支 部 長 ロ ー タ リー の友 -10月 競 堺 . 59放 ) 誠寅 互敬 身 を持するに常 に誠賞を旨とし,人 に接するに常 に 互敬 の精前 を以 てすべ し。 此 の意味 で, ロータ リー クラプの 4つ のテス トを座 右 とし,常 に反省を怠 らぬ様,努 めて居 ります . 盛 岡RC遠 藤 (日 本 通 運 株 式 會 祗 盛 岡 支 店 長 盆 雄 54歳 ) (1013) 17 小 一 林 三 実員 に,最 近熱 が加つて末 たの もそのためで しようか。 技術― そんな ものは,私 の趣味には 係 はあ りませんヽ ハ Z刀 '日 以 前は私が指導 してやつ たlJJが , タングン と腕 を Lげ て のアマの て 日本 に 全 中 fに し ,作 ITlを 獲表 して居 るの を横 1私 の 敬 愛 す る 人 物 京 都 RC 漫 見 利 で‖ヒ めているの も,叉 集 しか いずや と云つた所で しよう 然 しlF業 の合││」 に機械 をllxり 1出 して, レンズを拭 いた 一 コ!痛 抜 きで列馳 1の 殆 どを賞現せ しめた人も珍 しく,共 の りして :る と,何 とも云 えぬ気持 に浸つて蓼 ります 「 今度餓筋に F■「Lを 改築致 しました時 には,特 に私 の室 のlliに 暗室 を設けて庸:り ますが,そ の中 に もぐり込んで 居る円│は , ・切を忘れ て:成 にヽ ,1柴 の境地です ネ 生河:は 温容 の 中に,不 焼イ咄llの 問.占 をrよ い た もの とi:え よう それだけに非常 な苦労人 で もある 彼 は常 に庶 民 ヨ 小林 一_1翁 _開 西人にはり‖ 染深 い人 であ る 彼は優ガι たJ瑛 家 である と共に,遅 しい賞 業家 であつ た 翁ほ ど の中 に71_き ,H子 代 と共に歩んだ スー ド,ホ ー トレー ト,や は り美 しい 1)の は よいです (J:木 しか もいつ も方 々 しい 庭 に彼 の身上 があ り,躍 女 Πた る面 ‖がある 阪急 三 Flluを 築 き上げた 「も,決 して :然 ではあるまい fμ (it夕 58戯 ) リーダース ダイジェス ト セ ンス を忘れなかつ た。 今 日一般 人衆か らも,親 まれ る ]」 堂 葉 │∵ ,Ft長 私 の 推 薦 J,│ 上不り │1111々 11 64′ え ) ′ ヽ 阪 RC 事 業の合FE7に レンズ磨 き tt FEl 義 蔵 か どの と人ですが 私 は齢 い古稀 を ぎ11の Lで は ‐ 極 めて健康 で今で'世 も會耐 に出 てル:り ます 14の 11か らウ t , 1趣 味 を 松 江 RC :「 る 語 の勉弛tを 始め まして,今 日に至 る迄 先ず先 F, ウ tlイ iの 新聞や I「 物 をliJま ない 日は無い位です fが 幾 らで もある とい う 然 しF[遜 ではな しに,解 らぬ・」 長 谷 川1敬 三 「μします と,li几 な私の 日1,か 趣味 を語 るな どと ',何 が IJ lて 来るか と一寸 考え さるを得ない よ うです ネ l光 明′ ‖四際湖光都 IJと 銘打 つ山陰 の木都松711に ,小 「業を賛 む和、 は,′ L末 規模 なが ら157`│‖ lム t及 び,製 3ヒ 」 お しか しい程度 ですか ら,今 で も先生を採 つて「 1分 の解 の角 しの英 らぬ 」千 rり 1に 努力してい ます 庭が クラシカノ のみが趣味 の よ うに,そ の道 一筋 に打込ん で 業 をや る 手 今 日に到 つて居 りますが,や は り齢 の所爵か,そ れ とも 鮮 事業 に多少 とも餘俗 が出来 たためか,べ Dは り何 とな く 何 かゆつ くりとして も見たい とい う気持 がチ ョッヒ リヒ れの二 [Lの 夫人で したが,之 れは インテ リーの女性 でヽ り え l■ │「 J」 , Jlて 末た ようです 組歴 か ら11せ lt,松 江 で も古 い方 と云 われて居 ります 1「 │イ i と違 つて,1ヒ の頃のア メリカの新 ilや 雑誌 の用 17iや 文 rに には「シ が學校 で省つ た もの とは餘伴違 うJfが 多 くて , 「 をり│い て力 │ら ず,相 常 な英学者に も解 り1に い様な」 が多 々ある様 です 私 のitの 先生 はサ ンフランシスコ′ li │1牛 めて に私 の質││」 に答 えて くれ ましたが, この人が四 に出↓りま したので只 今は英四 人 を母にオ キつ某婦 人に尋Lん でル:り ます 此外人 も‖ ヨ 1枠 の旱校 を出た様ですが、 アメ │り l瞭 東洋キヤリアエ業株式会社 I「 K締 役社長 中川松治郎 東京 都中央区 日本i喬 兜 n13-24 lE67-2166 l8 (1014) THE ROTARY_NO_TOM o リカの英語に封 しては何 うも説明 に危やふや な乳が多 い 様 です。アメ リカ語が世界的にF■l卵 する現状 に於 て私が 英語 を學ぶのに最適 と思 い ますのは, リーダーズ 。ダイ ジェス トです 之 れは英和両國語で出版 され て居 ります か ら,之 れを封照 しlrlら ぬ事 を知 るのが一 番良 い と思 い ます。 `水 澤 化学 工 業祗 長 71歳 ) 以最下養 身饉 以最上養 精耐 (金 原明善翁の威雌訓) 惜 しみ な く身肥 を以 て働 き,知 識 の 画養,精 耐 の 養 を固 る . 万 葉 集 の な ぞ 爾 岡RC 中 牟 田喜 兵 衛 (岩 田 屋 ρ 長 t 睦 推喘 京 用jR 虚世不必遂功 C 西 本 寸涛 二 郎 あ り,萬 葉集 に使われ てい る[市 吾が,そ の人種 の 言葉か ら出 てい る と書いてあつた 雄が今年 5,6月 頃の文薬 体 秋に或 英文字者が安 IJ I氏 の よ うな考えかたな り,読 り1の 筆法でゆけば,英 語 と口 体語 に もlJじ ことがいえる と例 興人不求感徳 ) 無怨便 根訳の内 世渡 りの虎世訓 として居 ります 是徳 安田徳太郎氏が 「高某集の なぞ」 とい う11行 本 を出 し ている それ を 1/iん だ ら, レプチヤ人が 日本人の祀先 で 無過便是功 61戯 (榮 ) 那珂湊RC湯 五 浅 郎 55歳 湊 洒 迎 lll長 (llli珂 ) 日 々是 好 日 凡 人の悲 しさ,晴 天 あ り曇 天 あ り,時 に随 風 の 日も あ ります.ま ことにお恥 しい次第 です。 ロー タ リークラブでは ク ラブの生命を若返 らす た め に,資 格の生 じた 會員 に 「 シニヤー・ メンバーJと なるように,す すめ らノLる をあげて銑 く批夕1し てあつた 東京西 RC清 (F日 , ll■ 水 次 間調 布 中央病院 理 1'長 「o6歳 ) , もとよ り資格 を もつた ものは,お よそ,高 齢者が多 いか ら,す すめ られ ると,「 死ヤ ーJと ,い われてい るよう 画鱚 で,い やだ とい う人 もある と聞 いたので,文 藝春秋 にJt 劣1を 書 いた英文學者 の こ とを思 い出 して,ギ JF笑 した (rX家 に 親 筆 1趣 ヽ 1味 を R C 1‖ 臓大な らん と欲すれば心小なれ つ て石橋 を叩け と教 え られ 自 口物事 に細心 の注意 を レ たrl等 學校 (勿 論菖制 の )時 代 の或先生の教 IJl, Jリ 札 帆RC永 耐長 64蔵 じむ 夫 69歳 ) 幸祠 は先ず 人に 与 え よ,然 る後我 に蹄 る 商人 らしい云分か も知れ ぬが常 に店 で云 うて居 る事 です.先 ず他人 ,製 造家 も,IIXり 1先 も,我 誠意 を● llす ことに依 つて ドン ドン変展 を して戴 けば,中 1出 の我 々 る │ は必 ず「ヽ耐1は RFつ て くる もの と信 じる もので あ る 人之 木 小 太 郎 . 多治見RC鈴 趣1米 と名イ Jけ る程 の ものは元末持 ち合せ て居 らぬが ここ数年 の障],同 好 の士 相寄 り,15人 9と 云 う名の もと に時折顧i筆 に規 しむ機會を持 つ様 になつた これ も央 ローク リー クラブの會員 である三宅清兵術氏 . 「の起 りだか ら決 して積極的 に始めた に薦 め られたのが可 詳 ではない。だか ら正直なrJr,自 信 もな く最初は少 しも l‐ しくヒカ ノ,マ チスな ど論ずべ きよしもないが, ともか 計 男 58歳 ) 性 材祗 長 毎回は第 一回 薔師か ら手術はい くら簡単な もので も豫 め成普を讀 んでお くべ きである.何 日で も偶凌的 の事が起 り得 る か ら 日常 Jl'舌 に も此 事は しば しばあてはまる . 松 江RC 古 氣乗 りが しなかつ たが,妙 な可1に 1筆 の握 り方が どうゃ 「 ら格好 つ く頃 には葉 しみ となつて しまつた 小‐健吉世1伯 に指導を御願 い して居 るが,先 生 こそ御 迷惑な ことだ と御同情申上 げて居 る。元末美的槻念 に乏 木 (1和 , ロ ー タ リー の友 -10月 駐 ― 井 (藤 女 短 期 大 学 教 授 「 (古 術不如誠 瀬 庸 測限FI院 長 66戌 ) 術 は誠 に如かず 刈 谷R(碑 谷 (高 演電 工 耐 長 廣 井 38歳 ) (1015) 19 くカンヴ ァス に相封 し無心に画筆 を執 る ときは少 くとも 氣持 の上 では大藝術家 と異 る所 な しと考え何 とな く楡快 な氣持 になる.機 會 に恵 まれ る事 は極 めて僅 かではある が,世 間 の うとましさか ら暫 くで も解放 され る事 は職業 柄有難 い限 りで,今 では本営 によい事を薦 め られた と感 謝 して居 る。 つづ けて居 ります 私 の様 に月の牛 ば以 上出張す るものには よい記念 よい 想い出 の種子 となつて居 ります。 それが この 1年 間 に 5 冊 にな りました 繰返 して見 るとよくもマア績 けた と思 うばか りの ものですが,自 然 を封照 としている うちr_, いつか少 しず つ,限 界が描が り腕 も上つて きた様 に思 え 何 は ともあれ忙 しい中 lC寸 暇 を見付けて心 をやす め る 事 が趣味だ と勝手 に解繹 して今後 もこれだけは績 けて行 て不思議 です きたい と念 じて居 る 素質 の馳 もあ りますが,あ んなに御忙 しい方 でさえと思 うと私は今勇氣一倍湧 いて居 ります。 (大 之 木 建 設 祗 長 47歳 ) スタ ッチブッタを抱ぇて J` 野 今迄 は黒一色 で したが, これか らは檜具 も使 いたい慾 も出 て きました。私は ロータ リーの出席 の様 にこれか ら も毎週快 か さず 1枚 は書 きつづけたい と思 います これ が今 の唯一の趣味 といえま しよう 御同好 の會員 も多 い と思 います.御 指導御願 い致 します (鹿 建設副祗長 54歳 威 ゴル フ,碁 ,小 唄 の所謂 3ゴ の うち,私 は ゴル フは , 10年 選手だが高年36の ハ ンデでやつ とです.碁 も20代 か らやつてい るが何時 になつ た ら初段 になれ るや ら,私 が 自 を持 つ相手が少 く心細 い限 りです.4ヽ nJtに 至 っては 夕歎 東京西RC 藤山愛 一郎先生は立派 な檜 を書かれ てい ますが,先 日テ レビで伺えば僅か 5年 の画歴 とか,勿 論 rι ) 撃 射 レ 1趣 1米 を 1吾 を │ , 音痴 で親 切 (?)な 数多 の友 人のす ゝめで稽古 の機 會が あ つて も,つ いに始める ことな く,い つか50の 坂 を越 し ま した 延 岡RC 大 野 英 男 趣味 と云 えば随分 い ろい ろな ものに とりついてみた そして どれ もこれ も結局牛端 に絡 つて居 る 決 して感心 した ことじやな い む しろ最 も忌むべ きば向であると自 , 今更御趣味は と問かれ て「貯金 と讀書 ですJと 答 えて い られ る年 で もな く,併 し何か と面映 いので何 かやろ う と考 えて最近 はや りの篤員や小型映画 をい じつて見 ま し たが,若 い時 とちがつて 目が弱 つて像 な ものは出末 ませ ス υ . 困 りはてていた時,昨 年夏北海道 を旅行 した際偶 々そ の風景 に興味 を覺 え手持 のペ ンで富員代 りに スケ ッチ を 試みま した 勿論習 つ た こともない故下手 クノであ りま すが,下 手は下 手な り年 は年 な りlC窮 良 と違 つ た味があ り, これは面白 い とて それに相手がな くて も柴 しめるの で爾末 スケ ッチ ブ ックをたず さえ て 1に な らぬ画 をか き 『 分 で も思 つて居なが ら, どうに もな らない 若 い青年時 代 には乗馬 に もこつ た ものだ,大 學 の夏休み をり 行兵除で 過 ごす のが何 よ りうれ しかつ た いろい ろな馬術競技 會 に も出掛 けた ものだ これ も學校 を出 ると同時 に機會を 得ないま ゝ絡 つて了 つた 40の 盤 を聞 いてか らパ フlCと りつかれた,土 壊 の研究 肥料 の勉張,バ ラ病 の勉張等 々 ……毎 日毎 日寸暇 を惜 し んで上 を掘 り返 した 接木 もして見た.新 種 のカタログ を暗記 して絡 う位 に 一一應一 通 りわかつて終 うと家内 ま づ 方 向 を き め て ……・ 有 利 な貯 蓄 ◆ 20 (1016) 住友信託銀行 THE ROTARY‐ NO‐ TOMO にい ろいろ博授す る うち, これ も どうや ら家内の趣味 に なつて きた様 である.同 時 に狩機 の面白 さ勇壮 さに張 く 引 かれ,い まは ク レー射撃 に乗 り出 した。 まだ 1年 生な ので これ もどこまで績 くや ら自分 で も今一寸 わか らない が,ま だまだい ろい ろわか らない ことがあるので,営 分 は績 くこと大丈夫 である。 この次は どうも大に凝 りそ う (延 岡 中 央 病 院 外 科 部 長 47歳 な豫感が して居 る ) ハ ン デ ー 物心二不 物 と心 とは,一 つであると云 う気持,物 も活 きてい るものである。 堕 橋RC辻 16/ 又 村 助 59歳 ) (辻 村 商 店 々 主 己が身を紳の悦び給 う潔 を活ける供物 として献げ よ │:::::::::::::::::::] 大 阪 RC (新 約聖 書 ロマ 書12章 -1節 ) 我 が 日本 では,昔 か ら耐様 へ の供物 は,新 鮮 な る海 の物,山 の物,を 特 に浄 めて供 え物 とい た しま したが 正 田 建 次 郎 高等學校 に入 つてテ ニスを始 めた私は, 2年 生 の時 か ら選手 にな りました.3年 生 の夏 のイ ンターハ イが絡 る と,高 等學校 の選手生活 も日標 がな くな ります。 その頃 か ら ビリヤ ー ドを始 めてその年 の暮 には 100位 は撞 いて い ました また昭和 5年 の夏 で したか,弟 に勤 め られ て ゴル フを始 めました lヵ 月軽井澤 で練留 した結果 ハ ン デ ィー16こ れが私 の初 めて もらつ たハ ンデ ィーです。 その後テ ニス, ビリヤー ド,ゴ ルフみな戦前 は績 けて いましたが,退 歩す るばか りで少 しも進歩 しませんで し 私 は この座右訓 に よ り20歳 頃 か ら82歳 の今 日迄 ,如 何 にか して此私 を …… (身 も心 も)… 神様 に喜 ば る ヽ 供 え物 に成 り得 た い と,努 めてま い りま した . 本 L μ 剣 鑑 . (中 (徳 (個 人 として)正 ) 見 (知 ) (田 離 先 見 科學の振興 60歳 ) 谷商 會祗 長 ) 身 体位の向上 本国民として)明 直心 の 文化 向上 鶴療術生 の普及 (世 界人 として)大 和 ソ連抑留中 ソフオーズ (國 替農場)で 働 いて居 りま 賞 した時牛小屋 の中で起居 して居 りました,需 國出来た らどんな心掛 けで生 きて行 こ うか と考 えました.今 で │:::::::::::::::::::] 東 京RC も此 の考 えは興 りませんが非才微力 を思 うばか りです 面 岡RC 中牟 田 喜久雄 山 田 復 之 助 趣味 としては私 は音葉 を奏 でるか檜 を画 くことの出来 る人を最 も羨 ましく思 う 無器用 の私 にはそれが出来な いので刀創 を選んだ。刀は年生油を引 いて置 き,鑑 賞す る時 に,こ れを拭 うのであるか ら,相 常な手敷がか ヽる 許 りでな く氣を付けて扱 わない と手 を切る危険がある この手数 と注意が`い に緊張 を興 え,刀 倉J獨 得 の耐氣 と相 候つて氣分 を爽快 にす る.殊 に輝 か しい歴史 のある名刀 は日のあた り, これ を抜 いた名特 に接す る感 があ り,鑑 賞に時の移 るの を覺 えないのである. (同 和鎖業顧間 ) 50歳 ) (岩 久 株式會祗 々長 耐 を長 る る は知 恵 の 本 な り 僣 約聖 書 の 慢 言 九章 10節 にあ る言 ) 名古 屋 RC尾 闘 誠 心を虚 うし無理 をせぬ こと 東 京RC 井 ― 69歳 (愛 知 羊毛 工 業 献 長 保 (三 井 船 舶 社 長 ロ ー タ リー の 友 -10月 崚 以 82殻 ) │IRC中 谷 道 之 助 市 り (日 刀 信 虚世を腱面 目にす る それを忘れないため と,従 業員 にも徹底するように と営業用の商標 を員 として使用 しています 話 とい うことになつてしまつ たわけです。 54炭 ) 村 (富 貴 堂 代 表 駐 員 た。 つ ま り初 めて しば らくの ところはまだ自慢 で きるの ですが,そ れか ら後は もう駄 目なのです。 そ して結局何 もものにな らない.従 つて この文 も前年 だけが私の自慢 (大 阪 大 手 組 長 ttRC中 (101?) ) 造 58歳 ) 2I 決 して過大評偵 した ものではない と思 い ます こんな考えで_ヒ 手になる必要がな く,趣 味 に よつて,い 釣 場 も と め て . かに来 じめるか趣味 の趣味たる所以 の ものだ と思 い ま す。 敗戦後 の孤慶 した祗會に品│の よい立派な趣味 を奨助 趣り 代 をる 1薔 して,又 流行 させれ ば 祗 會も,な ごやか なltL 「 トガ ッタ」 │ 1 石 巷RC 長 谷 部 上 t一 會になつて行 くのではないか,「 政治家 よ考 えなさい」ふ つ とこんな考 えカミ 出 て きました。(大 ■咄製 17所 専務 51歳 ) 私 の趣味 は色 々あ りますが,現 在最 も熱心 にやつて居 る もの は釣 りと廊雀であ ります . 釣 りの方 はl■l康 的 で もあ り,責 益 も件 うので結構 な趣 味 と思 つて居 ります 俳 句 ゴル フ . L趣 釣 りは随分 昔か らやつて居 ります。私 の趣味 の中で最 も歴史 の古 い方 で,場 F/1も 樺太,北 海道 , 日本内地 で も ヨ内海,東 京附近 ,東 北地方 ,そ れに南 ボル ネオ等魚 瀬′ リ 8ミ 味二 _■ I吾 大 阪RC │ 藤 本 竹 雄 中學時代,東 大寺 の句 會に出 て以末俳句を始 めたが も多種多様 に亘 つて居 ります。 , 殊 に営石各地方 は,有 名 な金華山漁場 と北上川 を控 え 海魚,川 魚共 に豊富 で, 1年 中釣 りを槃 しめる員 に よい 結婚後中絶 し昨年復活 した.現 在 ホ トトギスを主 とし 外 に其 の系統雑誌二,三 に投稿 してい る。 ホ トトギスに 所 であ ります は今年 8月 , 9月 に初 めて 2句 宛人選 した。 ゴル フは戦後 か ら健康 を目的 に始 めて現在 ハ ンデ ー23 . 夕方ntLか ら婦 る と,用 事 の無 い時 は竿をか ついで飛 び 出 し,悠 々釣 りの醍醐味 lCひ たる ことも度 々あ ります (南 光 運輸祗 長 54歳 ) 人生 に潤 いを与ぇる囲碁 輻 1趣 , である 外 に老後 に備 え 8ミ リ映画 を撮 つてい るが之は 今後大 いに勉張す る心算である。(日 本興業銀行取締役 52歳 ) 歌 舞 伎 を楽 しむ 趣味を語る 味 を 語 る 岸和 田 RC 減 │ 中 西 榮 太 郎 1 │ 赤 穂RC 飯 尾 厳 夫 私 の頭 は便利屋式 に出来 てい るのか,證 力,腕 力 (私 私 は幼少の頃 か ら芝居好 きで,小 學 4年 の頃か ら田合 は非常 に非力です)を 使 わない事な ら,一 應時間 があれ ば何で もまね の出来 る自信 を持 つてい ます 廻 りの放役者 が,掛 小屋 で薄祗境内に巡業 に末 る度毎 に 酬劇 して居た習慣 ともなつたのか,京 都同志耐在學 中 に 徒而趣味 も多種 で,一 番古 い趣味 か ら云 うと,第 1が 膊棋 (小 學校時代 に覺 えた もの),第 2は (大 正 15年 )撞 も,京 極 にり1治 座 の只一軒あつた頃か ら,寄 宿舎 をぬけ 出 して芝居見物 に行つては學校 をさぼつ た ものだつた 球 ,第 3は 回碁,第 4は 肺雀何れ も昭和 5年 頃.其 他 ピ ンポ ン,テ ニス,小 唄,讚 書等 ですが,何 れ も堪能な も 80幾 歳で御存命中の牧野虎治先生 が まだ舎監 でおいで の時分,何 回 か先生 か らお叱 りを受 けた事 も思出の一つ だ。芝居 も新派 よりは歌舞伎物が好 きで,東 京在學中 も rllで よく帝國隊」 もあ り 場や,歌 舞伎座 に行 つ た.學 生 の . のはな い . 然 し旅 を した時に上手 でない この趣味 を十三分 に活用 して,木 だ曾 て退屈 を した事があ りません.趣 味 の有難 さをつ くづ く味 う事が出末 るのです 僅 かな小遣中か ら棚顔1料 を生み出す ので,最 低料金 で槻 劇す る11は 勿論 であるが, よく高 い虎 か ら例 の一幕見 を 私 の持 つてい る趣味 の 中で,一 番楽 しめるのは何 と云 つて も国碁 です が,相 手,場 所 ,時 間等 の條件 が加わ り した ものだつた。 あの 中村吉右術門 の地震加藤や,菊 五 郎 の連獅子な ど思 い出 して も, 日の前 に浮ぶ様 だ。忠臣 ますか ら,米 しみ度 い時 に業 じめな い不便 さがある 生 きてい る限 り悩み のつ きない娑婆 で,す べ て を忘れ 蔵は何度見 て も見あかない 腹 切場 と七段 目勘李 の腹 切 りは今 で も泣 けて泣けて仕方がない 「 uで 見 て居 るlll客 は私 を見 て笑 つて居 るだろ う (赤 租大 イ ‖ 祗宮司 64馘 「 . てザル碁 に打込 む醍醐味 は,金 錢 に替 え難 き貴重な もの であ り,人 生 に潤 い を興 える もので もある と云 つて も ) , 22 (1018) THE ROTARY‐ NO‐ TOMO に,富 員 と共に記載せ られ た 早速 ロータ リーでは ニコ ニコ箱 だ.1ヒ んな事 があつてか ら,私 の花造 りの趣味 は 百 合 の香 に酔 う i」 1米 ク「 扁 「 赤 穂 RC 一段 と深 くなつて行 つてい る様だ 本産婦人科院長 43歳 ) 短 歌 と共 に 30年 │ 松 本 1場 一 私 の趣味は花造 りであるが, 3年 前1件 石症 で1用 腹手術 を受 け,回 復後氣を紛 らわす馬 に生れ た趣味 であるので 其 の根 は浅 い 花 を造 つてみて,攻 Π何 に し質や肥料 よ りも何 よりも 太陽が必要な可fを 感 じた 家 の建 ちi12ん でいる家 の,猫 , の額程 の庭 に球根を植えつ けてみて も,栄 養不良的 の花 jり しか喚かぬ,日 1イ 11の 日fIの 良 い出に,百 合 の球根 を 「 500程 植えて放rtし ていたが,背 こそ低 いが颯Lが 大 く,ド ス黒 い程 の葉 が店 いて,共 の先に rlつ 六つ,多 いの にな i「 ると八 つ程 も花 が険 いた 500球 であるか ら,花 は2000程 はあつたであろ う 夕方人の顔 もり1瞭 に見え難 い程 の頃 散水 して百合 の花 の中に坐 つてい る と一段 と香がlf・ し , 鼻 を通 じて頭 の シン迄癌1れ る様 な良 い香だ。此れ程多 く の百合が赤穂 に咲 いた事が無 い篤 か,市「rl新 聞 の地方版 ロ ー タ リー の 友 -10月 眺 (松 舅 [竺 味を 新 潟 RC どちらか と云えば 日本趣味 湯 り ‖ 政 治 それでいて グ ンス も悪 く はない と云 うのであ るか ら,何 れに して も大 した もので あるまい と御想像あつて間違 いがない 年季 の入れ方 に 差 があるが,先 ず,30年 以上 と云 うのが短歌 と随筆.歌 集 「寒燈」随筆集 「上海使 り」を上梓 したが,勿 論賣れ る程 の もので ないので 旧知 に配つ た.趣 味 と云 うFJr以 で あるが,儀 祀的 に も祀状を書 か され た友人達 は迷惑 した ことと思 う。若 い間 は ラグビーやテ ニスで運動量 の大 き い方面 lC精 力 を費 したが,近 末 は専 ら坐 る方 に廻 つて小 唄 と石洲1流 茶道 に沈潜 し,情 緒 ある新潟 の生活 を楽 しん でい る (昭 和 耐 子工 業 祗 長 54歳 ) (lore) 23 ロ ー タ リ ー の動 き告 知 板 侵 RC,例 會 日興 更 ,例 會 場愛 更 ,事 務所 興 更, フ ォー ラム.チ ャー タ ー博達式 のお 知 らせ R 儡 (350E)函 館 東 (1ヒ 海道 )火 函 館 共愛 會館 C │1町 14函 館 共愛 會館 新′ 渡 邊 熊 四 外 崎 泰 吾 例 書 日墜 更 (360E)七 尾 RC 9月 1日 より 新例會日 金曜 日 (従 来は人曜日 ) 例 書 場 墾 更 9月 (360匹 )岐 阜南 RC 9月 (3511E)弘 前 RC 1日 より 新例會場 宮川 デパ ー ト2階 グリル 5日 より 新例會場 新岐阜百貨店 4階 特男1室 事 務 所 愛 更 (36Kl匠 )岐 阜南 RC 8月 1日 よ り 新事務 F/r 耐 田町 9丁 目 岐阜商 工 會議 所 内 フ ォ ー フ ム (350日 )10月 13日 山形縣 宮城縣 稲島縣 ホストクフブ _L山 10月 27日 秋田縣 青森縣 ホストクラブ 盛岡 (355匡 )10月 19日 10月 27日 岩手縣 千 葉 縣 ホストタラブ 木更津 両 毛 ホストクラブ 前橋 11月 2日 茨 城 縣 ホストクラブ 日立 11月 9日 埼 玉 縣 ホストクラブ 11月 16日 !l縣 神奈り ホストクファ '南 小田原 11月 30日 東 京 都 ホストクラブ 東京西 (370巨 )11月 24日 山 口縣 北九州 和 ホストクラブ 山口 チ ャー タ ー博 達 式 (3∞ 匠)10月 12日 上山 RC.11月 2日 仙壺南 RC. (355匡 )10月 26日 東京武蔵野 RC.11月 5日 (370E)10月 防府 RC. (訂 正 27日 )前 琥告知板中。 絆 1岡 茂原 RC.11月 22日 澁川 RC.11月 29日 平塚 RC. 縣 のフォーラムのホス トクラブ伊東は熱海 の誤 りにつ き訂正致 します 下開 RC會 長坂田君韓任 の馬新會長木村悌蔵君就任は門司 RCの 誤 りにつ き訂正致 します . 24 (ro2o) THE ROTARY‐ NO‐ ToMo THiS ROTARY MONTH septembe‐ 1957 AVEN UE,EVANSTON.ILL,U.S.A. エ バ ンス トンだ よ り NEWS FROⅣ 【RIDGE ハバナ地域大書延期 きる H月 17日 -20日 , キューバ のハバ ナにて開催 される豫定 であつた1957年 の メキシコ カ リビア湾地域 大會は同地域大會委員會のllJJf!Fに II J意 す )8ヵ jl間 に1月 催 さ′Lる 各地卜[年 次 人會の言卜 iltが 形成 後′ され つつあ ります 2,3()()ノ 、の ロー タ リア ンとその ゲス トが集 つて行なわれ る た會もあ り,数 千人が集つて開か る国際 ローク リー理lJF會 に よつて延力1さ れ る ことにな り れ る もの 4)あ ります 同地域 の数 ヵ所に H下 種 々の '「 情 があつて 人會出Ltti者 敷が思わ しくないので,lln地 域内の全域 か ら多数が大會 これ 等のすべ ては親睦 ,察 感あ´ れ る演説.地 匠 及び 全1性 界 の lJ― タリーの諸問題 の 卒Iri な言 │1倫 をj山 して, ロー タ リーの プログシ の推進 を助長 `、 するのであ ります。 これに よつて各 人はテ ンネン ト會長 に出席す る 込 のヽ ン 1つ まて延期する ことに決定 しま した の 1957 58年 の プログラ たる “Jll員 ,描 張,探 究 そ し ま した i、 `、 て本イ│:"を り 」 出することで しよう 'と tl」 書長 国際 ロー タリー會長 としてのr「 期の第 3ヵ 月‖ レス・デ ー・ テ ンネ ン ト氏 は この間敷多 に入つたチ十一ツ くの導f務 を片付けま した そのなか には理事會 との 會i義 │′ パ 名讐 国際 ロー タリーのIrttL會 長 である ジャン・ ウ 。ラング氏 はその「1期 の絡 りに近 づ く頃 ,次 の国 か r, 國際 委員會 人事 の任命 (v― タリアン出52貞 番照)と い うことも ふ くまれ てお ります そ してまた 2ヵ 月4】 にわたる ヨー ロッパ・ アフ リカ・南及び中央ア メリカの ロー タ リーIJJ 叙動 され ま した。すなわ ちフランス政府は彼が国際理解 のためにつ くした寄興 と會長 として国際 ロー タ リー とい し働 う組織 を指導 した功績 に対 して レデ オ ン・ ド・ ノーノ 間 の旅行 日程 を作成 しました.ボ ル トガルの リスボンか じギー領 コンゴー, ウガ ング ら會長は アフ リカヘ行 きベノ 賞 を購 り, ドイツ政府は コマ ングー・ オブ・ ザ 。オー グ ー・ ォ ブ oメ リッ ト(L級 有功動同 )を llPり ま した (ロ ー ウラングーウル ンデイ, フランス領 カ メルーン及び フラ ンス領西 アフ リカの ロー タ リー訪殿」 を始 めます。 このア フ リカ旅行は 2i堕 問′ を要 し,10月 中旬 に ます タリアン誌47頁 参照 │` . `,り .li會 理事會 1957-5811の 第 11可 會合 にお いて RI理 は多 くの重要な決定 を記録 しま した。 これ等の決定 の う ちのある部分についての要約 が (ロ ータリアンと50貞 )に 記織 され てい ます ) 代理ガバナ ー 元マ レーにいた /Jン ・ レー・ テ イク氏 は最近 オー ス トラ リヤ政府筋 の Ft職 に就 くために 330地 い[の ガノナ ーを辞職 しま した。 このためテ ンネン ト會長 は ク イ国 バ ンコ ックの フイア・ シ リヴ ィサール氏 をfヽ 理 カバ ナーにfi命 しま した。 ロー ク リア ン,シ リヴ ィサー ′ しは1954 5511に 地巨 ガバ ナー をした ことがあ ります アメ リカ ミシガ ン州 の スターギスのエ リウ ィン・ J・ ホ 諸書合 今月は スイスの チ ュー リヒが二 つの国際會1畿 の場所 とな ります。 その二つ ともにテンネ ン ト會長 (上 記参照 )が 111席 します すなわ ちヨー ロ ッパ,1ヒ ア フ リ カ東地中海地域諮問委員曾が 9月 10-12日 この地域 にお ける ロータ リーの諸問題を審議す るために開かれ ます それか ら9月 16 18日 同地域 の ロー ク リー情報 カウンセ ラー講習會が101地 域 における ロー タ リー情報のために開 かオ します ッ ドレ イ氏 は新 たに教育 方面 の役職 に就 くために 636地 匠 ガバナーを辞職 しま した.代 理 ガ パナー としては ヾシ ガ ン州 シャ ロ ッ ト市のデ ョーチ・ ・ デ イ ン氏 が テ ンネ 「 ン ト會長 に よつてfi命 され ま した。同氏 も1955-5611に ガバ ナー を した ことが あ ります . 統計 7月 25H現 41の ロー タ リー クラブ線敷は9,527タ ラブ, lタ ー タ リア ン敷は 102ヵ 国 で 448,500人 であ りま した.1957117月 1日 以降 の 新設 クフブは20ク ラブであ 地E大 書 ‖下, ロー タ リーの 249の 地匠 において今 ロ ー タ リー の 友 10り 1境 ります。 (f021) 25 ﹂E 囃第 GOVIERNOR'S MomTIHl LIETTIERょ 350 (昭 和 32イ 119月 15日 ) 第350匠 ガバナー 佐 (No. 3) 藤: 幸 i日 講習書に就いて カウンセラー黒川巖 さんが マニ ラの RI主 備:の I「f誓 會 か ら師 朝 され ま して第 350地 匠 は末 る10月 20日 (日 )而 パ レンバ ンは 日本 と関係 の深 い ところであ ります し の 折角 計■ ですか らこれ に協 力してあげ度 い と思 いま し て會長 さんに直接御願 い してあ りますが木だ途 らない ク 島縣飯坂市花月に於 いて午前 9時 よ り 1日 研究會を而島 クラブのスポ ンサーで開lF‐ す る ことに決定致 しま した。 出席すべ き方は ラブがあ りま したな ら至急先 /Jの 希望を えてやつて下 さい.途 り先は下 の通 りです , 1.會 長 (又 は副 會長 2 ロー タ リー情 報委員長 (又 は委員 3 職業分類委員長 (又 は委員 4 クラブ會報編集者 5 幹事 (又 は副幹事 6 ガバ ナー特別代表者 す ││‐ . Mr.G.A.Takken M.D Chairman Of lnternational Ser宙 ce Committee of ) ) ) ) この 會合は ロー タ リー としては極 めて大切な行事であ りますか ら以上の方 々は是非御出席下 され度,デ 0其 の他 Rotary Club of Palenbang,Djalan Tasik 10. Palenbang lndonesia 子豚間答 何時 の時代 で もそ うであ りますが, 今の ‖ けHか ら見 て 青少年本fl:こ そ ロータ リーの重大な H標 ではないで しよ うか 青少年 と共に語 り,相 ZiJI「 解を深 め ロータ リア ン は青少年 の指導者 となつて青少年 のイトlrに 協 力する機會 をつ くり共に働 く場 を見出す こ とが緊 要 であるがその具 の方 の傍聴 も差支えあ りません 北見に於けるイ ンター シテ ィ・ ゼ ネ ラル・ フォラム 北見・網走 。紋別 の 3ク ラブが スポ ンサーで去 る 8月 備的方法はないか,皆 さんで考 えて貰 い度 い と語つた と ころ,旭 川 の伊 東幹事 は言下にその 方法 があ ります とい 25日 北見市に於 いて,北 海道 の全 クラブの フ ォラムが開 うのです。 . れま した。 出席者會員絶敷 131名 ,宮 脇 パ ス トガバ ナ =が フ ォラム リーダー となつて一般 の問題 13.各 部門 旭川 クラブでは 5年 前 より子豚 2頭 を出村の 4Hク ラ ブ又はその他の青少年圏鵠 に寄贈 しているの で あ りま り1の 協議會等 では活濃 な凌言があ り極 めて有意義 に始終 した ことは御同慶 にllEえ ません 宮 脇 パ ス トガバ ナ ーか ら今度斯 くの ごときフ ォラ′、 を す 1腹 12,3頭 生れ るそ うです.成 長 した豚の 2頭 を ロ ータ リー クラブに返上 します。 クラブは これ を又他 の国 開 くときは,先 ず ガバ ナー と相談 の上 フ ォラム リーダー を決め, これ を RI事 務局 に文書 を以 て この人をフォラ 鎧 lCl10呈 します。か くして 1年 毎 に 1農 村団鎧 と親交が 結 ばれ て行 きます_贈 呈式 には クラブか らも大勢出 かけ ム リーダーに御願 い して これ これの クラブが集 つてフ ォ ます。 農村 か らも村長 さん,議 長 さん等,村 の有力者が ラムを開 き度 い と連絡す る とその認可 と同時 に必要 な書 類 が フ ォラム リーダーの ところへ末 ます スポ ンサーの その式 に参加 して「 末年 は この 子豚 ヒliJ様 元気な もの を 他 の国値 にllgつ て下 さる様努力 します クラブ會長 は フ ォラム リーダー とす べての行事 プログラ ムを相談 して決定 し, これ を各 クラブに通知 して會 を進 きた贈物を受 け取 るそ うであ ります ロー タ リー クラブは祗 會奉イLの FFa御 :は める様 に との注意があ りま した。 縣内の 2,3の クラブが 集 つて行 う様 な場合 は この限 りではない との事 です が,子 豚 2頭 7∼8,∞ Olalの 出費な らどの'Ψ クラブで も可能 と思 います そ して農村 の青少年圏髄 は この豚 の慮理 に よつて活動資金が生れ ます。 この様 に して旭川 ロータ リ │‖ 1さ ロータ リ"国 際親睦週間 す 子豚は農村 の青少年 の手で育 て られ て大 きくな りま =と この可愛 い生 山あ りません 本年 10月 20日 か ら26日 まで国際親睦j固 間 であ りますか ら各 クラブで も何 か とイ ンターナシ ョナルサー ビス部門 ー クラブは近隣農村 との親睦 は年 と共に深 まつて行 きロ が活動 を企劃 され て る こ とと思 いますが,時 恰 もパ レン バ ンの クラブが 日本 に開す る展覧會の出来 る様 な資料 を す。世に一摯雨得 とい うことがあ ります こ″しは一 撃数 十得 とい うべ きで しよう.目 先が明 くなつた様に思わノし 各 日本 の クラブか ら直途 して貫 いたい との事 で あ りま たのであ りました。 26 0@z) ータ リー精神は多 くの人 々に理解 され て行 くのであ りま THE ROTAlミ Y‐ NO‐ ` ■OMO :第 355、 E (昭 和32年 9月 15日 ) 東 RI事務縮長 G・ ミーンズ氏の 日程 RI事 務絶長 ジョー ジ・ ミー ンズ氏 の 日本到着は,豫 定が興更 され,4曰 くり上げにな りまして,9月 22日 (日 ) の書 ,ノ ース ウェス ト機 で多田に到着 され る豫定です。 着後,た だちに帝國 ホテル に行かれ る ことになつてい ま す ヶ 崎 潔 九州 の水害 に営 つて,多 くの ロー タ リー クラブが,自 姜的に募金 をされた り,救 援物資 を途つて頂 いた りしま した。非常 に感謝にたえませ ん。 それぞれの クラブが全 く自装的に行動 された ことは,ロ ー タ リー精神 の現れて ある と存 じます。筒 ,今 後,こ の ような災害 が起 つた場 合 は,募 金あるいは救援物資 は,そ の災害地 に もつ とも . 大會が始 まるまでの間は,東 京 の會場お よび宿舎施設 な どを参考 までに調査 され る ことになつてい ます.こ れ 近 い クラブヘ途 つて頂 くようお願 い致 します。 “口"タ リアン"誌 9月 琥 は,東 京が,1961年 度 の世界大會の候補地 として可能性 があるか どうか を調査 されるわけであ ります ミー ンズ氏 の 日本滞在中の 日程 は次 の とお りです。 雑誌 “ロー タ リア ン"9月 琥 には, ロー タ リーの四つ の部門―― 國際奉仕 ,職 業奉仕 ,祗 會奉仕 ,青 少年奉仕 . 9月 22日 %田 着―帝國 ホテル ″22-26 東京調査 ″ 27 11夜 懇談會出席 ″28-29 大會出席 ″ 30 宮城一首相官邸 パ ーテ ィ 10 1 名古屋 ″ 2-3 京都 ″ 4 大阪 ″ 5-6 御戸 ″ 7 in 岡 8 蹄京 ″ 9 箱根 ″ 10 婦京 ″ 11 東京 レセ プション ″ 12-13 日光 ″ 14 東京 ″ ″ 15 %田 襲婦米 新津の インタ"・ シテ ィ・ フォーラム 9月 7日 ,新 津 で開 かれた新潟縣 の イ ンター ●シテ ィ フォーラ′ 、には約70名 の 會員が集 り非常 に盛 會で した。 ここで今後縣内各 クラプの出席 コ ンテス トを行 うことを 決 め,優 勝換を出す ことに しました。又,縣 内各 クラブ の横 の連絡 を密接 にするために,幹 事會を設 け,た たず ――のそれぞれについて,極 めて示唆 に富んだ興味ある 記事が掲載 され てい ます。とくに 4 Way Testが ,Dayton BeaChの クラブで, どの ように生か して使われ ているか とい う賞例があげ られ てい ますが, これは,わ れわれみ んなに役 に立つ記録 だ と思 い ます . スライ ド葛腱 “口"タ リア ンの育成" RI本 部か ら “ロー タ リア ンの育成"と い う天然 色の スライ ド97枚 が到着 してい ます.説 明が英文なので 目下 これ に適営 な繹語をつ けてお ります。完 成女第 ご披露す る豫定であ ります。 海外の クラブとの交通 海外の ロー タ リー クラブか ら, 日本の ロー タ リー タラ ブ又は會員 と交通 したい との申入 れが澤山蓼 つてお りま す.こ れは國際奉仕 の立場か ら見 て も,大 愛有益 な こ と だ と思 い ます。 ご希望の方 は, クラプを通 じてガパ ナー の もとまでお 申込下 さい。営方か ら,相 手 の クラブ又は 會員を ご紹介致 します . 海外旅行には書員證を 會員 の方 が海外へ旅行 される ときは,必 ず 會員證 をお もち下 さい。 會員證 こそは, どこへ行かれ て も最 も信頼 で きる紹介状であ り,ほ かには紹介状の2要 はあ りませ ス υ . 次年度ガバナ " うにす る ことに しました。営 日は,非 常 に 連絡 しあ うよ、 活激に様 々の意見が出 され,極 めて有意義 なイ ンター・ 355地 匠火年度 ガバ ナー・ ノ ミニーに東京南 クラブ よ り佐久間長吉郎君 を推薦 しま した.他 の タラブに推薦者 があ りますな らば 9月 25日 までにガバ ナー事務所へ届 く シテ ィ・ フ ォーラムで した。 ようお報せ下 さい . 九州水害への救援 ロ ー タ ツー の 友 10月 生 fiua,) 27 360E 第 (昭 和 32/119月 15日 ) 第360匡 ガパナー 盛 (No。 4) 田 不 秀 デ リーでアジヤ地方大書 ロー ク リー・ ア ジャ地 ガ人會が来年 H月 21-24日 印度 ′ しマ, カンボジ )デ リーで開 かれ ます ア ジヤ地方は ビノ ′ ー ヽ, セ イlJシ .中 国.マ レー連邦,香 港,日 J度 , イン ド 於 てテー プレコーダー用の 日本語版 テープを作成中であ ります 英語版 で宜 敷 い向 きlCは 御申込次第お貸 し致 し ネ シヤ.イ ラ タ. イラ ン, イスラエル,日 本,ジ ョル グ ヾノン, マ カオ, マ リヤナ:者 ,Jヒ ボル ネ ン.韓 Ln4, レ′ ′ (キ ス タン, フ ィリビン.サ ラワ ク,シ ンガボール ', シ リャ, タィ, 11lI Iヽ・.ベ トナ か らなつていて 500の 1958-59年 度 R.I.會 長候 補者推薦の用紙 が各 クラブ に属いている筈 ですか ら,候 補者が ごさいますな らば本 年12月 末 日迄に R.I.本 部へ提 l11ド さい 1:し , `、 クラフ と2菖 人の lr_タ リアンが :り ます 中部ア ジヤ '「 Lま したが,全 ア ジヤ 地 な人會は1938年 にヘ ナ ンで開 かノ の て 地 方 人會 とし は 来年開 かれ る このデ リーでの 人會が 最 初の もの であ ります ハバナ地方大書無期延期 ′キ シコ総地 方人會は,III席 者の 見込 みが思わ しくない ため,RI.理 Jf會 によつて無用l延 lUlと な りま した . 世界親善週間の準 備 10月 20-26日 の 1世 界親善iШ 出│が 近 づいて蓼 りま した。 各 タフブに 於かノしてはlTI々 の を ル:て らノしてい る とは い イ ′じますが″1-1け の熱意 と準備を以 て 川1411と 許意 に よ つて人 々や i胴 民が相 和 して li和 に暮 じ りせ る よ う な │IL i卜 `;「 :・ 界"を つ くり│11す ために努 ノ Jし ようと全 :7-タ リアンに 呼 びかけた Ten nent會 長 の要liり に應 じてHき 度 い と存 じます ー タリア ン個 人 として,ク ラブ として COmmuit) r〕 Iタ としての 3種 の活動が Suggestさ れていますが, そ″ し に ついては国際 本イ│:委 員長 のお 千許 に属 いてい る “Tim_ cly´ ips"No.2を 御参照 ドさい 「 新書員鎗衡 のスライ ド :FiLn Strip・ `The Making of Rotarian" ロー タリーに開する耐娩霧老資お卜 としては さきに16ミ リ `The creat Adventure'・ ´ 力1配 布 さオしま し 映 世1・ た力1, 今回新 會員鉛衡 の参考 として スラ イ ト “The Maklng an"が 参 りました。 Pレ コー ドに よる解説 !ン が 付いてお りますが これは 英語版 であるため ‖ ド東京 に 28 i lo2{ ) . 本年度 R.】 .書 長候補者推薦 次期 ガバナ ー 。ノ ミニー候補者 本 日迄の ところ次 lulガ パナー・ ノ ミュー候補者 として Ч目市 クラブ會員九鬼紋 し君の推薦があ りま した ν rl他 に御推薦 のある向 は,9月 22H迄 に御願 い致 しま す 本年 H月 キューパの ハバナで開ll:徴 定 の カ リビヤ海 。 of Rota● ます 口"タ リー財□奨學生候補者 前暁 で も畔:上 げま したが ロー タ リー財H美 学生候補者 の推甫受 付は■月Ю 日で締 UJり ますか ら御推薦は締切日 までにお願 い致 します 静岡縣イ ンター・ シテ ィ・ フォラム訂正 前琥第 2頁 てお短1ら せ しま した静岡縣 インター・ シテ ィ・ フ ォラ のホ ス トクラブ伊 束は熱海 の誤 りで すか ら 次 の 通 り1:∫ 1に 致 します ホス トクラブ :熱 海 静岡縣 12月 1ロ `、 . 1957--58 0fficial DirectOry 1957-58年 度 の新 OfidJ Directoryが 111末 Lり まし た.各 クラブヘ は 會長 と幹事用の 2部 が凌途済み との こ とです 40名 以 Lの 會員の クラブヘ は40名 を超える20名 71150 毎 に 111`の 割合 で無料 で途 られ ます それ以上は 1・ セ ン トで R.I.本 部 か らお頒 ち致 します 本年度 R.I.コ ンベ ンシ ョンの記録完成 去ろ 6月 ル ツエル ンで開 か′した RI_コ ンベ ンション _ の記録 が出末 _Lり ました この美 しい 320頁 の本 は各 ク ラブヘ 1部 宛無料 で贈 られ ます。 その他に 希セの方 は 1 部 2ド ルで R.I.本 部か らお頒 ち致 します 哀 悼 1 静岡 クラブ會員中国際 Hll君 は 8月 12日 御逝去 され まし た.滋 に謹んで衷悼 の意 を表 します T‖ E R01` ARY‐ N(,_TOM0 365E 第 (昭 和 32年 9月 15日 ) パリー 直 第365"1ノ ノ (Nb.3) 木 太 ― 郎 次年度 ガバナ "ノ ミニ" FF_く もこの10月 5 1958へ 59年 度のガバ ナ ニ ノ ミニーは て ば ばれなけれ 日, 6日 に開 らかれ るE年 次大會に於 選 バ ナーは常IJ lの 開鷹1弘 法大師 の説 かれた ところとロータ リーは理想 を同 じくする ものである と喝破 し,又 営時 の 横濱 クラブ會長 有 1lF氏 の所論 「 キ リス ト教時代 か らロー な りません。 ガバ ナーの資格や仕事については手績要覧 の59頁 に詳細 に書 いてあ りますか ら,そ れ を讀 んで適告 な方があるな らば推薦 の御申出 をして下 さい.国 際協議 タ リー時代へ_は 末會者 に深 い日1象 を興えま した。 耐戸 クラブ9長 藤リト松νЧ 郎氏 が 六ブ リックイ ンフ ォー メイシ ョンについて一 イil鳥 の策 として ロー タ リーの文献資料 會に必ずその全期間出席 し国際大會に も111末 るだけ出席 す る ことが重要 な條件 の一つ となつてい ます。 を各大學 に提供 しロー タ リーに就 いての論文 を懸賞募集 す る ことを提案 したの もここであ りま した。 今│・Jじ 金剛 ,の 今は亡 きヴェテラン ロー タ リア ン 峯寺 に末 つて これ ノ 1日 地E講 習書 第 365匠 の 1日 地E講 習會は黒川 カウンセラーの御l快 諾 を得 て近畿地 Eと lIJ國 地巨 とを分けて 21'││に Flり 次 の を偲 び感慨無 litで あ りま した 管長竹内貌 ドの歓迎 を受 け!│1里 Litlr・ 山大学學長 のrft話 四恩十善 の説 を聞 き有意義 ように開催す る ことにな りま した ■クラブ 11り 118日 (月 )紳 ,■ lJに 方 全て ホ ス トn中 り 1]月 20日 (水 )高 松市 に於 て ホ ス ト高松 クラブ な ア ッセ ンプ リーを終 りま した。 カバナ ー特別代表 い方は次 の油 の講習會 に必ず出席 しなければな ',な いて 卜さレヽ lltつ て 日 llTiの を 置 程 りですか ら今 か ら御│‖ riこ ータ リー クラブがイ ′4iし てい るのであ りま したが,新 し ll市 が111末 ま したので 和歌山 クラ ブが スボ ンサー ク く有卜 各 クラブ會長 ″ 會報編集者 (會 報委員長 ) ロータ リー情報委員長 ″ ラブ となつて この雌 女地 に クラフの結成 を見ん もの と努 ″ 職業分類委員長 ガバナー特男1代 表 (エ クステ ンション) 1957∼ 58年 度 R口 委員 本年度 の RIの 委員 は全 部農 よを見 ま したが, その中 日本 IC関 係ある ものは次 の通 りです コンサル タチ ブグループ (COnSultative(〕 rou ウオケ イシ ョナル (新 潟 ) 伊藤文 psリ itド イ ンターナショナル 小松 隆 19584i,コ ンベ ンション小松 隆 1958∼ 59年 今 「18月 23日 付で和歌山 クラブの西本竹古氏 を有田 ロ ,り 人に就 いてのガバ ナー特別代表 に委嘱 ータ リークラブぶ 致 しま した。 利1歌 山縣 ドには市 と名の付 く所 には絶 て ロ しま した。 ‖ 11は 敗 て姫路 クラブか らも呼 びかけた とこ ろですが 8月 29ロ ガバナーの赤穂へ の公式訪間 に際 し相 で相 ′ L商 l:會 議所 l「 副會頭 らと懇談 生 の播膚造1告 J「 務 子 ′ ),Lリ 健 l氏 に設 立事務 一切を御委 する機 會を得,ダ J席 ト │′ J〕 嘱 したのであ ります.煙 路 クラプの御 協 力を得 て速 かに ′ lllか な新 クソフが liれ る ことを鶴 首 してい ます ) (束 月〔 (東 京 力せ られ てお り近 くの海 1惰 クラブ も協 力せ られ てい ます Lに ロ 今回 8月 31日 附 (赤 穂 クフプの桃井健 :氏 を相え バ プ ー ー タ リー クフ を結成 する場のガ ナ 特月1代 表に委嘱 ) RI會 長指名 委員 (Nominadng Committee)小 林雅 ・ (東 京 ) ロー ク リーイ ンフ ォ メイ ションカウンスフー 暴川 巖 (暇 島 ) 高野山に於 けるア ッセンブ リー 橋本 口…タ リークラブはガパ ナー公式[訪 │ハ lを 迎 えて 夏 , 猫涼 しい高野山金岡1峯 寺 の奥殿 でア ッセンプ リー を開 ジ 1和 9イ li 8'1に 11時 の イ きました 金剛峯寺 では23年 甫 1の ‖ ,か れ カバ ナー付IH省 蔵氏 の ドに第70に のllD協 議 御が開 じ て の ことが .管 に え ります ド 村 IJ Iカ あ た 長高岡貌 挨拶 應 リー タ リー の 女 -10月 壇 0025) 29 第 370E (昭 和32年 9月 15日 第370匠 ガパリー 田 (No。 3) 地匠連合年次大書に就て 365匠 と 370区 の連合年次大會は愈 々20日 後の10月 5 日及び 6日 に開催 され ます.其 出席者 の概敷は2000人 以 上で,第 370匠 か らも大贈 680名 内外 の参加がある様 で あ ります.幸 に 會場 のl m戸 国際會館は新築後間 もな く , 設備は完備 し,■ _そ の大 ホール も此等多数の集合 に少 し もイく 使 の ない と云 う事 は,私 もその第 11可 準備委員會の 際 に賃見 した ところで,大 會會場 として これ程 の好會場 は砂い と信 じます 然 しこの大 會に際 しホ ス トクラブの 耐rlク ラブは勿論,第 365回 の直木 ガパ ナーの御 苫勢 も 一層 の事 と存 じま して,我 々は これ に対 し深 く感謝 しな けれ はな りません.唯 ,諸 君 に注意 して頂 きたいの は 失虚 なが ら先年 の京都 に於ける連合大 會及 び耐戸 に於け , る前の62日 の大會後 に,主 催者側が迷惑 され た と聞 きま した様 な,放 館其他 を豫約 され ていて無断で取泊 され た り,其 他多少 ともホス トクラブに迷惑 をかける事の無 い 様 に心掛 けて頂 き, ロー ク リアンとしての員制 を獲揮 さ れん 卜を希望致 します . 次 に前琥 に も記 しましたが, RI會 長 テ ネン ト氏 か ら 早 くも此大會に出席 され る諸君 に対 し, 喜び と希望の御 手紙 を寄せ られ て居 ります。 これは 9月 暁 の ロータ リー の友 に全女が翻詳掲載 され てお りますが,そ の要旨 は 「こ の大會に出FFJす る事に よつて限界 を廣 くし友1誼 を深 くし 更に一層 奉仕 の槻念 を日常生活に活か し,」 ■又地域祗 會 に滲透 させ られ る様 に望み ます」 と云 うにある と私 は解 繹 してお ります . r]此 大 會に RI會 長代理 としてIJl席 され るRI本 剖;事 務組長 ミー ンズ氏 は,大 會終 了の多 7日 前 9時 56分 伊 丹空港凌蘊岡に向われ,一 泊 の後, 8日 11後 2時 30分 幅 岡凌 日励t機 にて東京 に向われ ますので,私 は第 370匠 の カ バナー として伊月空港獲の飛行機 に同乗 して編岡に向 い, 8日 高岡を出襲 され るの を板 f」 港 で御見途 りする `ド 豫定 であ ります /「 九州の水害に就て 7月 末の九州 の水害 に封 して 各 クラブか ら,直 接被害 に 地 救援 の金品 を途 られ た様 であ りますが,私 あ てlC義 捐金が 370匠 以外の RCか らも選 られ て末 ました。此 中 送 り先 を指定 され てある ものは,そ れ 等の縣聴F/r在 地 の 30 (los6) ) 中 文 男 R CIC,其 1山 の ものは 3等 分 して夫 々長lrplR C,熊 本 R C,鹿 兜島 RCに 寄贈 し,そ の御厚意 を博えてお きまし た 此等 の義捐金 を1年 せ られた クラブ名だけを此慮に引l記 し,改 めて私か らも御讚 を申 Lげ ます。 高崎 ,市 川,徳 島,甲 府,津 ,岡 崎,野 田,桐 71_,尾 道,岡 山 私の忘れ難 き―アメ リカ人 此春 レー キプラシ ッ ドで行われ た国際協議 會中午後′ ) , 會議 が比較的 早 くすんだある日,私 は 1人 で クラフ前 の ミラー レー キの 1周 を試みた。此湖水の一 岸 に我 々の宿 泊 して居る レー キ プラシッ ドクラブが あ り,其 封 に人 口3∞0許 りの町がある。此湖水は形は惰旧1形 で其lll間 は 速歩で 1時 間程 で廻われ るとの ことである ,│ミ . それで私 は11後 5Hキ す ぎ私のホテルをは1て :こ をはやめ て湖岸浩 いに歩 きだ した 封岸 の町 を通過 し,rillal形 の 反封側 にかか る と道 は湖水を離れ て森林 に入 り,湖 水の H標 は見えな くなつ たが,其 Lに 暫 くする と1ヒ 道 が κ l つ に分れたけれ ども私はあ くまで湖水寄 りと信ず る方の 道を進んだが4註 々森の 中で H標 がわか らない を して も し此森林中 で迷 つた ら人 1人 通 らぬ此山中で一 夜を迷 い 歩かねばな らぬ と考ぇ少 し狼狽 したが, 11に して1lniの ある 1+Fの 家 を見出 した そ して共車lrtで 自動 41の 拓Fttt をして :る 人 々があ り, これ を見 て居る ノ 、が liメ 、の様 で '「 lル 。 で レー それ ある 速私は此人 に キブラシッ トヘの道 を きくとあなたは 日本 人か とき き,中 の人々にlLゼ ン トル マ ンを クラブまで途 つて くると云 つてす ぐ立派な 41を │11 して くオL間 もな く車 は クラプの玄開に着 き私は救われた 気持が した。 そ して代金 を きくとイく 要 と云 う 私 は困 つ て 再 三其要求 を願 つ たが其人 は「 日本の様な速 い国か ', も此嘘迄来 て くれ て私 は うれ しい」 と:キ いつつリリLて し まつた.私 はあ とで其人の 名前 をきくことを忘れたの を 非常 に後悔 した.そ れ で共後T度 午後の 會議 のあ とで共 家 をたずねるつ も りで クラブか ら其方frlの 道をあるきだ したが,自 動車 で も10分 程かかつ た様な気がするので,ど うも又夕食 までには往復出来ないか と考え或 はκ森の 中 に迷 い こむか も知│れ ない と恐れ て途中でり│き かえ したま まになつて しまつ た 私 は此 人の ことを忘れ られない THE ROTARY‐ NO.ToMo 牧 巻戸 澤山館 岡館 森 前方 石 小 ノ 多 田 濱 潟 崎 戸 塚 湊 岡 席 出 8 E 6 7 。 3 。 3 2 8 ︲ 7 7 m お 綺 9 9. 6 4 3 2 0 7 4 4 5 4 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 0“ 4 78 6 6 9 ∞7 9.9.9.9.9.9.9.9 8 88 63895M7。372 603 22233 234344.343 4 44 438 4。 9 7。 2 9 2n3 2 4 4242 422 5.336 2335.2 9 9 2 。 2 。 2 5 . . . . 卿9 ﹃躙8 . . 剛8 . 跡躙師6 . 剛8 剛鞭翻 。 。 0 9 8 8 5 9 9 8 8 7 。8 06 58 3 2526 ︲3 4 9 3 43詢 23 4 433 544455■ 4“ 表 63 43 56 63 93 90 22 82 42 33 53 22 ︲ 5 47 43 岡見野田山沢垣阪訪山津濃松 田南 治 胡 静 多 上半 富 金大松 諏高魚 美小 飯名 9 4 2 8 7 0 2 3. 2 3 2. 3 ・ 2 4 . 3 2 波 4 4 尾 4 郡 4 北 4 月 8 2 名 出 2 3 屋 6 2 4 9 2 6 3 本 3 2 4 E 8 崎 4 3 5 3 6 4 8 7 0 8 6 3. 3 螂 蜘 . . . . . . 3 3 2 2 2 2 牌 9 9 9 9 9 9 9 0 2 3 4 5 6 7 8 9 0 2 3 2 3 3. 3 3 3 3 3 3 3 3 4 4. 4 4 水阜 西勢 第 古 橋 5 6 岡松 名 硼桑 七蒲豊 3 23 45 78 2.2 22 26 222 和阪都堺戸 歌松 山松 槻岡 塚 田束束 西南宮本 出山南戸 部野 松 高高 豊 宝岸大 京 神 海新 洲 坂和高神綾 生 2 3 4 5 6 7 8 9 0 9 0 2 3 4 5 6 7 3 4 4. 4 4 4 4 4 4 4 4 5 5. 5 5 5 5 5 5 4・ 8塑9574神 ・ ・244 5. 6 4 4 3 3 3 3 3 2 9 9 9 9 9 9 9 9 9 49 669 73 5 35 3 236 2m 2 山南 鶴津津 北賀 東原 知 阪 大阪 一 F 福 大舞 宮泉 大 敦神 橿 2 3 4 5 6 7 8 9 2. 2 2 2 2 2 2 2 2 5 4 1 0 0 9 7 2 1 2 .2 .2.2 .2 . . . . . 9 9 9 9 9 9. 9. 9. 9. 2 9 3 0 4 。 4 。 7 4 2 2 7 2 4 2 2 2 治穂施阪州石西門坊 古 阪 今赤布大加明大鳴御 。 2 3 4 5 6 7 8 3 3. 3 3 3 3 3 3 3 南浜 島砂津 田根浜路 良 ⑪辺宮井島 知都生崎本 一 一部 居松 北 京新小高大 池彦 長 姫奈 椰田西価徳 高 京武 尼橋 3l 98 72 44.5 83 79 26 96 47 4 2 2・ 34 43 醐 離一 4侶2 43 23 一 0 4 4 。 4 4 2 . . . . . . . . 瑯8 . . 部邸師2 剛躙昴2 濯8 0 4 2 9 7 7 6 6 9 8 8 8 8 8 8 6 6 6 8 9 2 3 3 5 9 5 2 。 4 4 5 6 3 4 2 3 2 2 3 4 2 2 2 2 4 2 3 6 7 立 ¨ ﹃ 呻 り 書 ¨ け ¨ 一 一 赫 ] 中 ¨ ] ¨ ・ ︲ 一 5 4 4 4 4 5 4 5 . 月 7 2 9 4 5 3 2 9 2 0 6 3 2 2 2 3 表 7 7 0 6 ・ ・ ・ H・ ・ ””幅率 ︲ ・ ・ 9 9 9 9 9 9 9 9 3 4 5 6 7 8 9 0 2 3 4 5 6 7 8 9 3 3 3 3 3 3 3 4 4. 4 4 4 4 4 4 4 4 2 0 ︲ 8 。 ︲ 〇 3 4 2 4 3 3 7 4 一 呻 ﹄ ﹄ 繰 ﹄ ﹄ 椰 ・ ︲ 0 2 30 22 苦 石 八湯 上大盛函青 弘喜 釜 52 62 72 82 93 03.23 43 53 渕 6 型2 33 菫 屈関 島路 別 内 田釜 9 ・ 清岐 尾伊 8 ・ 27 95.8 7 ・ 31 17 955 95.0 94.8 4 39 4 46 4 29 6 一・ 96.3 96.1 ︱ 勢京 工 泉一 ︱ 第 クラブ名 焉 ぼ 23 41695 037 58 859 26 n ・・ ・ 2 3 2 2. 1 ・ 40 45 965 一5 6 7 8 9 。 2 2 2 2 2 2 3 3. 3 岡島海 橋西洋松 島谷 嘱市南束宮束 駆 =L松 4 5 61 95.7 95.5 4 46 4 127 6 11 34 26 52 98.5 98.3 98.3 97.5 34 97.33 97.32 │ 高汁 熱豊名 沼浜 三刈 占 四岐浜 一伊 25 35 15 13 97.39 829512 273H2 046・ 33.1 4・ 50 醐傾一 ・ ク 船 本人浦 川十桐 熊前小 栃横横 野千 石足 3 45 7 SⅢ l 2 3 4 5 6 7 8 9 O ・H2︲ ︲︲■ ︲ 5 5 18 92.7フ 多 33 58 48 27 4 99.4 99.4 9 9813 98.10 97.50 干 均 出 席 卒 4 4 5 3 5 36 42 5 4 4 22 32 52 24 26 45 28 99.2 98.8 100.0 100.0 30 93.66フ ι 均 出 席 率 10 98.95 98.21 28 25 16 7 8 1二 19 95.54 95.44 99.28 99.17 9898 49 24 9621 28 33 96.56 37 津 2 3 5 48 1000 43 35 5 5 4 0 0 O 8 5 . . . . 蜘 蜘 . . 嚇 . 0 % 蜘 野 8 一 7 m 7 ∞ ∞ 0 9 9 9 ・ ・ ・ 4 10000 10000 9956 30 27 46 55 珂 葉 4 lY1 5 子 正 5 ll1 12 14 │ 慟 ﹃ ル ] ¨ ¨ 一 一 一 ¨ ﹁ ﹃ ﹃ ﹃ ﹃ ﹁ ﹃ 呻 中 ﹁ 録 4 444 4455 5 4 45 4 仙旭 網山 郡岩 南見松西幌檸廣南川走形山澤 訂 私制 艦 幌 豪 見 川 一 ヶ 一 酬 剛 耐 小 帯 .北 札 4 9534 27 劇附123456789O ︲H23 ︲ 演 演 束 6 (1027) '― の 女 -10月 践 ロー タ 5 16 10 97.00 95.40 出席率 出混 85.87 77.97 39 197.14 42 35 ‐ 96.59 23 31 35 19 14 44 53 4 4 5 99.2o 98.75 98.59 97.60 97.2o 往 タラブ名 出席串 クラブ名 前任 5 利 5 須 賀 4 べ 35 24 87.86 87.69 4 94 64 42 25 50 ク ラブ 名 TT 92.2夕 多 75 52 9 4 92.6 J1 4 イ 橋 ' 54 111県 5 4 崎 │I HI1 4 宮 和 5 ,「 更 第 350日 8月 出 席 率 表 率 36 35 8613 41 5 5 2 12 16 34 23 21 18 87.90 5 88.40 88.28 88.04 88.00 13 35 29 21 25 12 8 5 95.3 95.3 94.1 93.3 93.3 93.2 橋 4 29 27 25 28 20 4 5 5 5 34 89.2o 9926 出 席 卒 表 32 21 29 1 100.00 100.00 100.00 第 =∫ 33 29 ・ 88.70 4 3 48 41 37 31 355E8月 弘甫 U7月 分 37名 と 工。 得 タラブ名 ,ブ 名 クラブ名 例會 ぅ ,。 1957年 第350,355,360,365,370E8月 出 席 率 表 40 990 :IJ合 ヽ セ 19 1 21 4 42 1崎 宮 ,1: 3 1i l)121」 11亀 :〔 :i 33 953 46 30 33 961 959 947 l: │ :: 4 27 42 1 28 16.29 34 '(30 21 31 11菱 呉結:褒 話 tll糞 :: 94.1 48 931 _: 〕 : II I草 : 太 1ヽ H1 4 38 り 65 毬 りこ lib 4 長 1崎 5 54 111 1: 4 37 40 35 議が:‡ !::: :: │ │: 92.1 24 91 5 43 11 91.5 44 27 45 91.2 20 蠣 ‖ 語 帯颯‖ 7 滞小 Ⅱ 郎= 翌■部五螂 1” ■ヽお い 壺Ψ 2117 兜蝋 脳蜘卿 騨邸 阻田椰 断 観団 椰躙] 1001) ︲2器。 器9 49 田5 9 ︲■8 ■ 53 4 3 42 3 53 5 3 35 部 幡 岡松 雲取内西 畑本 関吉 米府 名 ・汁 山 岡 側 ″一 夕 膚宇 岡 八延若 出鳥 川福戸熊 ド 人久防 辮散 5 4 5 5 5 5 4 5 5 5 5 4 5 4 4 4 i 敷 岡府 ︲ ︲r 山 占 司 南 岡 倉 城 賀 嘲 悧 脚 一4 . 一″ 倉 笠 別 竹 米 徳 倉 旧 門 H出 m 小 都 脚 佐 醐 3 5 6 7 89 O H ■ 3 45 “ .鮒一︲ 2 ‘ ︲ ︲︲ ︲ 第 370E8月 出 席 率 表 蔀 酪 面 t 耳 高 出 席 率 1薦 Fク 弯 T 「 馳 串 46 ロ ー タ リ ー 文 献 のお 知 ら せ 文献 のお 叶1込 は ロー タ リーの 友編 集 事務所 ,文 献係宛 お 願 いい た します.10月 よ り事務商 素 化 の ためお 申込 に際 し代 金前納 で御願 いい た します。 送金先 は「友 l事 務所 叉 は三 井 銀 行銀 座 支店 ,ロ ー タ リーの 友文 献係 宛 お願 いい た します 段 O Y 20 階 (Step) ロー タ リ"の 理想 と友愛 (ThiS Rotaian Age by 1957年 度版 Rotary Club定 款及び細則のみ Э Y割 ) 委員●資料 Paul P.Hards),午 及版 ◎ Y150 (“ Mr President"綴 リーN。 1957∼ 58年 版 ◎ Y350 ¥150 1954年 版 ◎ F 10 () う Rotary‐ No.38)1957年 版 標準職業分類表 (Oudine Of ClasJications ¥5Cl No.284)1954年 版 0¥80 ー ロータ リ ソング (日 本語) 1%4年 版 ③ Y卸 口"タ リーソング (英 語)1954年 版 ③ ¥50(品 切 ロー タ リー タラブ結成指針 (Organiパ ng RoC.No.10) 定款及び細則 (COnstitu」 1%511版 ③ ¥50 on and By‐ Laws No.12) 1955年 版 ③ 申込 先 は ③ Y 30 抜本一 Y30 ロー タ リー クラブ幹事 (R.C.Secretary No.9) 195741版 ③ Y10 口"タ リ"問 答 (Getdng Aquahlted W"h 口 "タ リーの 歩み (Rotary's Onward March No.4) 1955年 版 ◎ 0¥翻 出席規定 (R.C Attendance Rules No 21) ロー タ リー大要 (Brief Facts About Rotary No.1) 1956イ 111反 20) ι― くリ ビユール製ノ ― フ・ パ イ ン ダ ー 付 奉仕 こそ我が つ とめ (Servte ls My Business) 増補改 lir版 1955年 版 ② . Y 60(品 切 ) ) 四つのテ ス ト壁 掛用邦語版 ◎ ¥20 良き市民の特性十箇條壁掛用邦語版 ② ¥_20 四つのテ ス ト解 説 ③ ¥2 會員個人の御用はl1/r島 を通 じて御註文願 います {僣 (56)8圃 東京都中 lk嘔 銀座 1の 5〔 大 日本国書 ビル]電 万 ロー タ リ"の 友 編 集 事 務 所 選金先 文献係 宛 三井銀行銀座支店,口 "タ リーの友 文献係宛 文献係宛明記の こと) (必 ず ロータ リーの友 32 (rozs) THE ROTARY一 NO― TOM0 写 真 コ ン テ ス ト発 表 評 木 村 伊 兵 衛 第 3回 目の コンテ ス トは今 までにな い 向上 ぶ り です。 今 回 は佳 作 と して長 岡の星 野 ,尼 崎 の武 内 両氏 をあげ ます 。 星 野 氏 の「老 婆 をかば いつ ヽ」 の訴 え る ところ は不 安 げ な年 寄 りを男 の人が暖か くかば い危 険 な 道路 を導 い て行 く状景で ,こ の 2人 の行手 をみつ め る表情 を よ くとらえて い ます。 見 る人 を して こ の年 寄 りと導 く人の さ ヽや きが聞 える思 い で す 今 まで の作 品中狙 い がは っ き りして い ます 。画 面 しエ ッ トが 背後 の街 を 的 に み て も,洋 傘 の黒 い シ ′ しめ ,ま た年 寄 りの杖 が 同様 画面 をお さえて い ま す .た ゞ//t念 な こ とに突差 の場 合か ,少 しブ レて . ガ ィ ド壊 と並 ん ロー ラ イ コー ド FttRC加 F3.5 藤 枚 F56 50分 章 の 1 い ます。 この プ レが なけ れば写真 は もつ と強 くな ´ ったで しょ う。 武 内 氏 の 「 白 い船 」 はIJrし い風景 写真 で す .左 の 格 rと 右 手 の コン ク リー トの 質感 が よ く出 て お り,建 物 の 占 さを現 わす とともに ,相 対的 に画 面 を ひ き じめ ,白 い船 の位 置 もきいて い ます 。慾 を 云 えば もう少 し遠景 が 明 る い とよか った 。 これ は 白,黒 ,灰 の色 の分 量 が物 を云 い ,こ の 配列 が む づ か しいの です 。露出 が少 し不足 の ため 空 の 明 る さが とぼ し く,船 の手 前 の コン ク リー トが くらい の です .100分 の1で 切 れ ば よか ったで しょ う。古 い建 物 を通 し横浜 の 港 の状 景 を とらえるには ,も っ と奥行が ほ しか った とこ ろです 次 に準佳作 と して津 島の 山 中、彦根 の 荻 1山 j氏 を と ります 山 中 氏 の 「凝 視」 は近 代 女`性 が伸Jか 物 をみ っめ た表情 の強 さが ょ く出て い ます。 それ はパ ックを 白 に して人物 を黒 の大 きなマ ツスで現 わ した点 が マ ッチ したわ け で,同 時 にカ メラア ン グル をlLtく した ところで量感 を出 してお ります .た ゞ人物 が │「 . 頭 で つ か ちで す 。画 面の上 を切 らなか った ら,よ り作 者 の意 図 を現 わ した こ とで しょう。 荻 田氏の 「黒 ん坊 の踊 り」 はユ ー モ ラスな海浜 の スナ ップです 。カ メラ を意 識 して な い思 い思 い の ポーズ を と らえたの が成 功 です 。仮 装 そ の もの が どぎつ いの に, も し意 識 した らど うで しょう。 シル エ ッ トに した ところ も真 夏 の 海浜 をよ く出 し て い ます .特 に左端 の 2人 と洋傘 が きいて お り これが 画面 に動 きをあたえて い ます 石巻 の 西 条 氏 の「石巻 RCの 奉 仕」 は ,何 か大 , . 変 む づ か しい こ とを考 えた よ うです .デ ー ター は 子ダJの 絞 F22, 3秒 とあ り, これ は祭ネしか何 かのイ 動感 を ,つ ま り人の も りあが る力 を出 しなが ら そ の背 後 に ロー タ リーの湯茶 の招待 とい う,静 と 動 の対 比 をね らったか らだ と思 い ます 。 ところが , 題 無 ライ カ 疏 RC荒 ズ ミク ロ ン F2 紋 木定 雄 F28 25分 の1 表 現 が ともなわ なか ったのです .動 感 を出す には 5分 の 1 で充分 で した。 ユーモ 米 子 の加 藤 氏 の 「パ ス ガ イ ドと並 ん で」 は表情 に ころに 旅行 の アが あ って 面白 い 。何 か ひ よ つとみ っめ た と い プで 。ガイ ド す 楽 しさが 出て い ます .家 族会 の軽 ス ナ ッ い い です 。 嬢 とお客 が肩 をな らべ 腰 をか けて る珍 し 写真 荒木 氏 の 「無題」 はおそ らく者6踊 りか なに かのお芥 席 で しょう。た ゞ見 る と動 きが あ りませ ん 。お茶 の作 法 には色 ′ い 色 動 きがあ ります 。 この場 合 ,柄 小Jの 面白 動 きを とらえ の れ ば よか つたで しよ う。記 念写真 域 を出て い ませ ん。 し か しそ の意 味で は奇麗 な写真 です 。 第 4回 コ ンテ ス ト 社 会 奉仕 の ひ ここ ま キ ヤ ビネ 以 上 〆切 自由題 デ ータ ー 1月 5日 2月 共 号 誌 上発 表 (大 阪 RC 雅 著 水 の 圭日 ン 著 的 =ソ 清 ロ 紹 小 林 ― 三 翁 に 教 え ら れ る も の が ある いしい . [I営 な 笠 膚 森 【 蕊品 為 i紺婁ば覚楊 ,う 小林 さん最 後の事業は コマ劇場 であつ た コマ.こ れが如何 に もよく小林 さんを象 ))i墨 徴 してい るように思 う_休 み な く廻輔 して い る。 しか も,廻 輔 が鋭 けれ は鋭 いほ ど 懐 談だ 會祗の経営 に難問題 が起 ると,あ の豪放 , そ うに見 える郷 さんが不眠症 にな り,耐 絡 心棒は徴動だ もせぬ謬寂.腰 がすわつて すみ きつ てい る。 : , 質 らしい4ヽ 林 さんが, シャアシャア として い るのである よく世間には,賞 業家 とい うと,物 慾 の かたま りの ように思 つ てい る人があるが 小林 さんは云 つてい る 「い よい よいかん時 には, こ うした らよ , で ,最 後 の腹をきめてい るか ら,會 祗 を出ると,會 祗 の ことはすべ て忘れ て しまつて,の ん き に東質 の芝居へ行けるのだ よ.だ か ら,そ んな時 の方が かえつて下常 よ り餘計ね られ る.つ ま り, 自分はのん き 1/h.と なのだね」― これは誤解 で, よき智讐 よき決断は私慾 が あつては生れ ない 小林 さんの′ む境 は勝敗 の 中心 にあ つ て勝敗 に とらわれ な い,名 膊 の それ だ つ た に相連 ない 著 者 は阪急 百貨店祗長 .人 耐 して28年 .4ヽ 林 翁 の 側近 中 の倶1近 (P140) その 語 る一 言一 句 に,小 林 翁 の 恨 い電流 が つ たわ つ て,パ チ バ チ と人 花 を放 つ てい る よ うだ。 どうも, ここに小林 さんのあの超人的頭 のlglき の秘訣 (大 阪 宮 岡 謙 二 著 (別 府 RC會 員 梅 田書房 ¥240) ) 興國珈路 瓦E:者1夢 J惇・ 族 藝 人 始 末 書 永年,大 阪商船 に作つ て海外llJ務 現在 し代表取締役 幕末か ら明治 は駆の井ホテノ での 日本人海外旅行者についての文 例ま 木り 死 面 列 伝 族 芸 人 始 末書 献蒐集 と研究 を趣味 とせ らるる由 これは,な かなか風愛 りな著書 である の胸 を打 つ この書物は,供 養塔だ 誰 もか え りみ な い.歴 史か ら忘れ られた人 々のために建 て られた供 養塔 である.著 者は F落 伍者 では あるものの, 日本人海外凌展 の,割 れ ては しまつたが,一 布石 といつてや つて よか ろ . 幕末か らりl治 の木頃 までの 日本 人 に と つ つの花やか な出世街道であつ て,洋 行は ´ う』 と言己してい る た。 ところが,こ こに書 かれているの は 上に, その 「1l L街 道か らの落伍 者の話 であ よく,J蜀 力でこれだけの資料 を集 め られ た もの と敬服す る 近 く『 邦人洋行史』(俵 名)な る著書 を刊行せ らるる との こと い , る 病 のために挫折 した留學生・ うらぶれ て放浪する旅夕 、・J含 て石 となつた開拓者 たち 著者は, きり1ザ な く坦 々 と書 いてい るが,郷 ト 過労・ くいつめ・ スハ イ・肺結核 。曖狂・ の たれ死 lC・ まだ何人 も手 をつ けてい ない, この分野 の げF究 は,學 rnu的 に も貴重な文献 となるであろ うことが期 1る 待 さノ 等 々 異國 に きまよう孤郷なる魂たちの叫 り│が ,讀 む者 編集審議會委員 ロー タ リー の 友 -10月 践 長 湘 (私 家限定本 ) 富 自 「 (東 京 RC會 勲 (1033) 37 國 際 ロ ー タ リー 會 長 この前私 が皆 さんの美 しい国 に参 りましたのは 7年 前 の ことであ りま した 1苦 時, この偉 大なる都市に ロー タ J リークラフが組織 され るに営 つ て,列 席する特灌 を興え られたのであ ります 約 2カ 月滞在 して 日本 を去 つ たの であ りますが, その間す でに ヒつの ロー タ リークラブが 組織 され, 456人 の會員 を得 てお りました それは私 の 知 る限 り, lplれ に も劣 らぬ献 身的 なそ して熱狂的な人 々 の集 りであ りま した それ以来,私 は最大 の開心 を持 つ て 日本 に於 ける ロー タ リーの獲展 を見守 つて 参 り ま し た。 そ して,今 ,少 しの嘘 ,偶 りもな く,同 時 に最大 の 満足 を以 て申上 げ られ る ことは, 日本 の ロータ リーの張 化 と損大 は私の希望 と期待 の最 大限 を進 かに超え て進 ん で末 た とい うことであ ります。心か らお慶 びを申上 げま す。 今 日私 は, この合同地巨大會 に富 つて,つ ヾズ"テ ナ ン トの愛構 を以 て我 々一同に知 られ てい る,立 派 な會長 チ ャールス・ G。 テナ ン ト氏 の代理 として出席致 します こ とを具 に光榮 とす る ものであ ります.會 長か らくれ ぐれ もよろ しくとの こと, こ ゝに皆 さまにお博え致 します 数多 くの クラブ活動 と日本 の ロー タ リー地匠全般 に渉つ ての素晴 らしい事業 を見 つめてお ります 約 5年 前 の1952年 11月 の こと,久 留米 ロー タリー クラ ブが国際 ロー タ リーに加入 を承認 されま した この4f賞 を知 り又 いかに私 が 日本 の ロー タ リーに開心 を持 つてい るか を承知 してい る “バ ズ"テ ナ ン トは,営 時私 に手紙 を寄せ て久留米つ ヽじとい う花 の中で も最 も美 しい もの の一つについて書 いて くれ ま した。 42年 前,久 留米の赤 子 」廣業園か ら出『lさ れた30本 の こ `ナス'人 ′ の本は米国 サ ンフ ラ ンシスコに開lllさ れた ノ ド洋 に喚 く優美な花は 博覧會 で金賞 を授興 され ました 無 販 心 を奪われ る美 しさで魅惑 その ものであ りました その 1「 時か ら久留米 つ ゝじが米国 に植 え られ るようにな りまし た。今 日,米 国,特 に 東部 にあつては,久 留米つ ゝじ程 需要 の大 きい植本 はあ りません。 世界中の何 百萬 とい う 人 々は最 も美 しく,最 も人気のある花 の一つ を日本人の お蔭 で楽 しんで い るのであ ります 霧島山 に野生す る 1本 の樹 か ら美 と麗 とが 世界中に分 こ ヽ12Cお 集 りの各 ロー タ リークラブの 會長 に は 既 に 口ち “パ ズ"會 長 か ら懇蒲 の一文 が途 られ てい ます。自 ち興え られ ました 1920年 ,折 柄米國 テ クサ ス州 グラス を訪間中の米山梅吉氏は ロータ リー を知 る機 會を得 て一 つの考えを持 ち,そ れは1921年 東京 ロー タ リー倶業部の 我 々は 1人 残 らず献身 の決意 をあ らたにす る 我 々自 らの生活, そ して4Lの 人 々の生活 に も奉仕 の理 倉1立 とな り,そ の後 日本 の ロータ リーは稜展 をつづけて 1940年 に到 りました。東京 ロー タ リー倶楽部 の歴史によ れ ば, 日本に ロー タ リー柿耐 を温存す るために,そ の年 , . 想 を一層積極的 に賞現す る 我 々は 1人 残 らず 自 らの持 つ手段 と精力の限 りを蓋 し て奉仕 の途 を探求 し,全 人類の幸祠 の ために ロータ リー . の廣大な潜在力 を活用すべ く努力す る。 我 々は 1人 残 らず相携 えて ロータ リー奉仕 に邁進す る ことをお願 い してい ます か くして,``バ オ 'テ ナ ン トの 本年度 のlL要 目標 は , 動員 憤張 探求 奉仕 であ り、 ロー タ リーの世界 にあつて,皆 さん方 自身 のク ラブ内 に於 て こそ,會 長 の この懇請 が最 も効果的 に應え られ るもの と考 えるのであ ります 私 は こ ゝに国際 ロータ リー會長代理 として列席 してい . るのみでな く,東 京 ロー タ リー倶楽部 の會員 として参列 してい る ことを誇 りとす るものであ ります 東京 ロータ リー倶楽部が私 を名春會員 に推薦 され て束 た ことは私 の 深 く銘記す る ところであ ります.私 は全 く皆 さんの仲間 であ る と感 じます.そ して最大 の興味 を以て皆 さん方 の 38 (1034) ロー タ リークラブは解散 したのであ りま した . この精l mが 賞在 した こと,そ してそれが温存 された こ とを我 々は皆知 つてい ます。私は東京,名 古屋,耐 戸 京都 大阪,扁 岡,札 幌 に ロータ リーの組織 をお手博 し て 自分 の眼 でそれ を見たのであ ります.そ の直後横濱 ロ , そしてその後相次 いで多 数 のクラブが組織 され,今 日, 日本 に於 ける ロー タ リー クラブは 231に 達 したのであ ります.そ してその 一つ一 つが活浚 な,張 力なそ して有用 な國際 ロー タ リーの ・員 であ ります.日 本 に 500の ロー タ リークラブが出来 る日 ータ リークラブが出末 ました : を待 つてお ります. 皆 さん方 の 1人 1人 ,そ して皆 さん方の如 き何千 とい う人 々が こ うした姜展 を可能 にするのであ ります。 その 中で もし私 が特 に 1人 を選 んで名指す るとすれば,私 は 皆 さん方全部 の名 を黎 げねばな りません。 しか し米山氏 以外に 3人 の名前 を奉 げてそれ らの方 々の格別の努力 と 蓋力 に封 して讃辞 を呈 したい と思 い ます.丁 度 9年 前 に THE ROTARY‐ NO‐ TOMO JUatrlP-i R.I.會 長代 理 ジ ョー ジ・ お 會 い した小松隆君 の功績は,私 が常 に感謝 を以 て橋 え るところであ ります 同君は ご自身 の多大 の不便 を忍ん で私 と行 を共 にし,各 地 にあつて ロータ リー精耐 を持 つ て活動 して末た人 々 とお合 いす る機會を作 つて下 さいま した。小松君の働 きは評偵出末 ない程 であ ります.同 君 は ロー タ リーのために蓋す るところ多大 であ り,叉 1955 -56年 度の地匠 ガバ ナ ー, そして昨年 は ロー タ リー情報 のカウンセ ラー といつ た色 々な資格 に於 て奉付1さ れ て来 ました 敷 ヵ月後に私が 日本 に戻 つて来た ときに,手 島短 君 は惜 しむ ところな く閣心 とrlrlブ Jを 費 して私に同行,本 州 九州,1腋 道 に沙つて旅行 し,ガ イ ドをllJめ ,通 詳 とな lll■ り,就 中, 日 1日 と友情 を詰 して下 さい ました 地匠 ガ ′ヾナー としての本仕,そ して後 には 2年 間 ,國 際 ロータ リーの理・ liと しての本仕 国 司君 の献身 を物語 るものであ ります 我 々は斯様な會合 に同君 の顔を見 られぬ ことを 残念に思 い ます.そ して同君が引 きつ ゞいて快方 に向わ れ完 全な健康 を とり戻 され るよう所 る ものであ ります 初 めてお 會いす る何年 も前か ら私は小林雅一君 の こと を知つていま した 1929年 ,東 京 ロータ リー倶架部 lC入 會 して間 もな く,Fl君 はクラプの幹事 として今 日も筒持 ち績 け られ る献身的精耐 を以 て,奉 仕 され る ことにな り ました 1948年 及び1949年 常時 に も多大 の助力を興え ら れ ました 爾末,同 君 は 日本 に於 ける フ ィスカル・ エ イ ジェン トとし,地Eガ バ ナー とし, ロー タ リー情報 のカ ROミ ー ンズ ら考 ええ られ るのであ ります 又 ,興 味あ る ことに,第 _の ロータ リークラブが米国 カ リフォルニア州 サ ンフ ラ ンシスコに出末 たのは第1の クラブの倉1立 後,32,∞ 0餘 時 間 を維た後 であ り, しか もこの 3年 餘 の期間 を計算 にい れ て も,今 日までに ロー タ リークラブは49時 間 に一 つの 割合 で組織 され て来 てい ます もし陛界中のクラブを訪 間 しようと出疲 し, 1日 1ク ラブを訪れ る と し た な ら ば,全 部 を訪問 し絡 るのに24年 と325日 を要 します。 そ してそれ を絡 つてか らその24年 と 325日 の訪間中 に出末 た クラブの Ji間 を始め られ る とい うわけであ ります 世界 を通 じて, ロータ リー クラプの 會員は 81.6%の「H 席率 を以 て末 る週 も末 る週 も例 會に出席 してい ます 日 本 に於 ては,皆 さん の開心 と熱心 もあ り,又 恐 らく多数 の国 々 と比 べ て クラブ間 の距離 の短 い有利 もあつて,皆 さんの平均出席卒は927%で あ ります.皆 さんに とつて も私に とつ て も大 きな意義 を持 つ ロー タ リーの如 く,人 々の興味 と開心 を集申 しそ して奉仕 の賃行 を把握 してい る国護,運 動は私 の知 らぎる ところであ ります エ ヴァ ンス トンにあ る皆 さん の事務局 には 170人 程 の . 人 々が各 クラブに奉仕 し,雑 誌 を 2つ の言葉 で編集 して い ますが,そ こでは10の 異なる国語が扱 われ てい ます . 我 々が受 け とる通信 の中には員 に夕1り 難 い もの もあ り た ゞ最善 を蓋 して剣讀す るのみであ りますが,そ れは30 の異 つ た言葉 で途 られ て末 ます。 そ して毎 日,我 々が皆 , さんの団骰 の帳簿 をしめる とき,世 界各地 の41の 異 なる ウ ンセ ラー として国際 ロー タ リーに本仕 され, そして本 年 と明年は国際 ロータ リーの理 Fllを rllめ られてい ます 通貨 を共通 の軍位 に して計算 しなけれ ばな らないのであ これは ロー タ リーア ンとしての “コーベ イ"に 捧 げる感 謝の表示であるのみな らず, 日本全Jlに 渉 つて ロー タ リ ーがいかに有力であ るか の證左 で もあ ります しか し乍 ら,國 際 ロータ リーは, クラブが幾 つあ る と か,そ の會員 が何人 い るか,或 は皆 さんの事務局 に勤 務 日本 の他 103ヵ 國,日 ]ち 世界 の 104ヵ 國 に ロータ リー があ り,9,559の ロー タ リー クラブが存在 します。この機 會 に世界を廻 る ロータ リーについて少 しお話 をしたい と れ又は考察 さるべ きものではあ りません。 ロータ リーは 他人 に役立 つ ものであ り叉他 人に思 いや りを示す もので . 思 います l∞ 5年 には一つの都市 に一 つの クラブがあ り4人 の會 員がお りました それが今 日では 9,600に 近 いクラブ と 450,000を 超 える會員があ ります ロータ リークラブは 日 ります す る人間が何人あるか といつ た如 き敷字 に自]し て論議 さ あ ります。 それは自己を超えての奉仕 であ ります。 それ は皆 さん方が そ して私が, 日常 の生活経験 の 中に本仕 の 理想 を賃 現すべ く,個 人 として又曰證 として行 う行鴛 で あ ります。 比較的最近 の こと,私 は札幌 ロー タ リークラブの活動 について報告 を讀みま した 同 クラブでは,普 通 では表 曜 日, L曜 日を含めて毎 すべ ての 日に會合 し て い ま す その_上 世界中の時差 を考慮 にいれれば,何 れの 日を とつて も, 1時 間 として世界何れ かの地 に於 て ロータ リ 彰 され る機會 を餘 り持たない地位 にある公吏 の,永 年 に 渉 る奉仕 を表彰 したい とい うのであ ります。 これに よつ ーの主催 の ドに人 々が 會合 していない時 はあるまい とす て同 クラブ會員は被表彰者 に栄春 を興 えたのみでな く彼 j出 ロ ー タ リー の 友 -10月 践 (rcBs) 39 等の職業 に権威 をもた らしたのであ ります。 その例會 に 招 かれ´ たのは郵便配達人,警 察官,卵 の赤帽,市 電 の車掌 と學校 の小使 であ り,“ 拷 さん方 の市民 に封す る奉仕 を感 謝 します 皆 さん方 の日1事 はまことに重要であ ります。 我 々は皆 さん方に感謝 し,皆 さん を通 じて皆 さん と同 じ ような仕 事 を占が市 でやつてお られ る方 々に 感 謝 し ま す."と い う言葉 で迎 え われたのであ ります。 これは立派 な職業奉仕であ ります 米国・ オハ イオ州 シンシナテ ィでは毎年近郊 の高校 に . 在學す る10代 の藩人,約 750人 が 2日 間 に渉 る會議 に招 集 され ます その 會議 では どんな ことが行われ るので し ようか ? 彼等はそ こで外国 か ら末 た人 々,大 使,或 は ロー タ リーのカ ウンセ ラー といつ た人 々の講演 を聞 きま こうした人 々は ‖:界 の別 の地域 の姿 を描 き,習 慣 や らものの考 え方 そ して最近 の出来事 を博 えて くれ るので す あ ります。か くして集 まつ た 750人 の若人は この経験 を 通 じて,祠 野 を廣 め,洞 察 を深 め, そ して今 日我 々が住 む世界 は時間的距離或 は相互接鯛 の機 會の馳 に於 てあた か も 1代 前の地方 の 1町 村 の 中に於 けると同様 の小 ささ に層 一居近 づいてい る ことを強 く印象 づ け られ るのであ ります . 又, ニ ュー ジーラン ドのモ リンス ヴ ィルの クラブでは 映画 を作 つて米国 イ リノイ州 のモ リス・ ロータ リークラ ブの製作 した映 画 と交換 しま した。 それは双方の クラブ に とつて素晴 らしい プログラムであ りま した オー ス ト ラ リア, ニ ュー・ サ ウス・ ウエルス州 の リー トンでは , 録音 にスライ ドをつ けて各國 の ロー タ リークラブに途 り ま した.受 けとつ たllllで はオース トラ リアの興味ある風 景 を見 るのみでな くその解説 をも開 くことが出来たので あ ります これはアイス ラ ン ドの寒 Fnt吹 きす さむ北 海岸 に僅 か28 人 の會員 を持 つ小 さなクラブの例會 での話 です その 日 報告 され たの は この ような ことで した.“ 我 々の企画 とは は,我 々 と世界李和 を引離 してい る最大の原因について 意見 を求 め られた ことが あ ります。痢が自 Π答 した ところ は, “ 心 の狭 まい個人"で あつ た と云われ ています ま ことにそれは 我 々すべ ての ことであ ります.“ 心 の狭 ま い個人"で あ ります.私 の國 の偉大な思索家、思想界の 指導者 の 1人 であるハ リー・ エマー ノン 。フ ォスデ ィッ クは同 じ考 えを別 の 言葉 で表現 しています.自 Лち,“ この 世界 の悩みは,餘 りに も多 くの人 々が問題 の側 に立つて 蒲足 し,解 決の側 に立 とうとしない ことである" 私 の考えでは,我 々の 自由が脅かされた とき防禦の第 1線 に立つ ものは 人 々の心 であ り魂 であ ります そ して こ うした侵略 lC封 して も,我 々が精耐的 に装備 され てい なかつたな らは,物 質的兵器は何 らの役 に立たないので あ ります こ ゝに こそ ロータ リーの使命があ り全世界に 渉 つて ロー タ リーが達成 しよ うと努力 しているF/r以 があ ります。 或地匡大會に於 て,最 近 までカナ ダの首相 であつた ルイ・ セ ン ト・ ロー レン閣下は こ う云われ ま した ``ロ ー , タ リーの中に国結する人 々は 各国政府 の 力に優る力を持 つています "こ れはまことに張い凌言 であ り,大 隻な言 葉 であ ります.閣 下 の言葉 の意味は,皆 さんや私が,“ 心 狭 まき個人"と して各国政府 の力や機能 に優 る活動が出 来 るとい うことではあ りません。 しか し閣下は政府は國 民 の● .tで あ り,国 民 が装言 しなければ政府 の獲言はない とい うことを真 に正 しく述 べ てい ます.そ して国民 が同 結 して獲言す るとき,政 府は必ず反感 を示す ものであ り ます . それは恐 らく私が地国 の製作者 であるために感銘する 1き で のか も知れ ません。 その言葉 を頭 に浮べ るのが女 す 」 し,又 それは私 に とつて大 きな意義 を持 つ ものであ りま す.誰 の書 いた ものか知 りませんが, こう書 かれていま す.“ 地国 の上 には 1つ の国が どこで終 るか境界線 では示 され てい る。 しか し全世界 を友人でつ な く愛情 には限 界 これです この町 の 1llCあ る不毛 で石だ らけの斜面 に土 地 を手 に入れ ま した そこに親 しみある芝生 の斜面 を作 ろ うとい うのであ ります."何 と簡単 な ことで しよう。 し が ない."こ れは ロータ リーを表現す るもう一 つの 方法で か し何 と美 わ しい企 てで しよう.芝 生 は同国には固有 の ものではなか つたのです.成 長 の季節 は餘 りに も短 く 好する こともその一つであ ります.私 の国 では大 リーグ の シーズンが絡 りに近付 いてお り, どのテ ィーニ、 が世界 土壊 も亦荒れ過 ぎてい ます。 しか しこの ロータ リークラ ブは何か美 しt/hも の,気 のはれ ばれ とす るもの,静 けさ 選手楢 の栄 冠 を得 るかに人 々は興奮 しています 皆 さん の障大 なるお國 で私が経験 した喜 びの一 つは,各 地 で野 をもた らす もの。 そして,t命 の深 さを示す もの こそ その土地 に必要 なのだ と云 つてい ます。 この 言葉 の中に ロー タ リーが世界 を廻 つて賞行 しよ うとしてい る ことが ]i振 りを見 球 の試合 を見物 し,選 手 のみな らずall衆 の熱∫ る ことであ ります 、 私 の回 の競技 の コーチで最 く 偉大 であ り]_つ 深 く人 々 一 つの形 で表現 され てい るのではないて しようか。 じフ レ ッ ド・ ジ マ ー マ ン卿 オ クスフォー ド人學 のアツ に愛 された 1人 にエ イモス・ ア ロンゾ・ ス タッグ と人が あ ります_彼 は シカ ゴ大學 で1892年 か ら1933年 ,老 令の , , 40 (1036) す。全世界 に渉 る ロー タ リー を 日本 と米国 は多 くの共通訛 を持 つています 野球 を愛 _ 「 HI→ ROTARヽ NO‐ F()ヽ 10 ため71歳 て引退するまで, コーチ をllJめ ま した_そ の後 更に20年 間,彼 は ア ッ トボールの コーチ を績 け, ス トツ ク トン大學 の競技顧間 として今 日に及んでい ます.本 年 の 7月 ,彼 は第95回 の誕生 日を祀 つ たのであ ります.ス タ ッグは優勝 テ ィームを作 り出す よりもテ ィームの精耐 を築 き Lげ る ことによつて立派な許判 を得 ています エ イモス・ ア ロンゾ・ ス タングの指導 の下 に選手生活 を始 めたノ 、々の中か ら米国 で第 1流 の運動選手 が輩出 してい ます。彼 のテ ィームは試合 で後か ら後 か ら補訣 を くり出 す ので有名 で した 彼は状況 を酬察 して どのポジ ション を強化すべ きか を判断 し,ベ ンチー杯に控える補訣陣 を 見廻 わす ので した。 そこで 1人 の補快 を選 んで呼 び よせ ます サ イ ドライ ンに立つス タッグは補鋏 の選手が知 る べ きすべ ての lF, そ してなすべ き任務 を熱 心 に 話 しま しか しス タ ングは, その41i訣 にすべ て をはつ き りと 弘 j70し て話 し終 るまで試合 には出 しません それがすむ す と彼 は必ず選手 の月 に手をお き,そ の限 を射 るように顔 を向 けてこう云つてお るのが よく判 るのでした “この ベ ンチで私 のやつて もらいたい ことをやれ るのは君一人 だ 私は君 を名指 して頼 んでい るんだ よ "肩 を一 つた ヽ かれて選 手はグラウ ン ドに とび出 して行 くので した。 こ れは スタッグが度 々用 いたや り方で した 告 さん方 も曾 て見出 されたのだ とい うことをご存 じで 常 に優れた人間活動 の分 すか,偉 大な,廣 大なそしてリト 出 され て,誰 かが我 々の肩に手 をお いて我 々の 野か ',見 職能,職 業分類 を ロー タリーの中 に代表す るよう呼 びか けたのであ ります 誰かが我 々の月 に手をお いて,“ 君 こ そ この1上 事 に最適任 の人だ"と いつ た ことです 我 々が グラウン ドに とび込んだ とき,我 々が職業分類 の借用 を 人 々をも,何 FJrの 人で も善人 である とい う事賞 を自覺 さ せ るために,大 きなそして重要 な責任 を負 う機會 を興 え られたのであ ります。 この ことを皆 さんは ご存 じの筈 と 思 い ます 誕生 の偶然 が どこに獲生 した として も叉生活 の場虜が どこにあろ うとも,我 々は同 じ抱負,同 じ希望 と,そ して同 じ苦痛 を抱 いてい る ものであ ります そ し て我 々は皆,平 和 とよい生活 を欲求 しています 或祗會學者 の設 によれ ば我 々の 1人 1人 は 100人 に影 響 力を持 つ とい うことです これが いかに控 え目な推定 であ るかおタリリで しよ う ロー タ リークラブに於 て,仕 事の_11で ,信 仰 の仲間 として,同 業圏證 の中で,生 活祗 會 に於 て,そ して絶 ゆ る生活 の分野 にあ つて,我 々は100 人 よ り進 かに多数 の人 々と接鯛 を持 つ てい ます。統計的 に云 つて,我 々が 100人 に封 して影響 力を持 つ と暇定 し ます そしてその影響力 はそのイ ド数 が 更に他 の人 々に同 じような影響力 を持 つ ものである とす るな らば,か ゝる 影響 の増殖 は この世界 の 人口25億 の 1人 1人 に及ぶわけ であ ります 決 して私は, ロータ リーの 會員 である ことの重要性 を 誇張は致 しません 決 して私は,我 々が他か ら超越 し 分離 した特柑的 グループとは考えていません しか し , , 我 々は世界 中の働 く人 々による特徴 ある 集圏 であ ります そ して一度行動 を起せ は各国政府 を超 えての力を持 つています それは我 々の力が員賞 の碑 を 私 │」 I申 します Jで あるか らであ りま 代表 し,世 界 を廻 る ロー タ リーの ノ ゝ 々 Jが 華 しく活動 してい るの す。私が今 日, こ でその ノ を自らの眼 で井見 した如 く, ロー タ リーはその 目的 を達 成す るために素晴 らしい仕事 を してい る ことを見,且 つ 知つてい るのであ ります 受話 した とき我 々は,我 々自身, そ して我 々の接鯛する 蘇 載 羊 痛 言7七務 閣 式 チ 轟 士 取 締 役 社 本 店 東京支店 ロー 々 '― の友 10月 焼 鈴 lモ 木 重 光 大 阪 市 東区 高麗橋 三丁 目一番地 東 京都千 代 田区大 手 田 一 東 京 貿易会 館 内 I‐ 電話 (27)1261 電話 (23)72H (1037) 4l ロ ー タ リー 間 答 パ ス トガバ ナー 回答者 口 タ リー細則 鰍 及細則1953年 蘭 Dの 1肇 質 二 第 1條 第 3項 (6)「 1927年 …の外,そ の定款 の條文 を 獲 更 してはな らない」 とあるが,之 は「愛 更す るに及ぼ ない」 と認 すべ きではないで しようか 原文 には Shall not change とあ りますが,(lstt R C 森孝二鮒 宮 富 脇 とで標準 クラブ定款 を採用 したのであ ります その標準 クラブ定款 には クラブの名絆及 びその匡l_2丈 が杢白 にな つていて各 クラブがその結成 の時 に獨自の立場 で書 き入 れ,国 際 ロー タ リーの承認 を得 てその クラフの定款 が決 定す るのであ ります LL決 定 した以上 その名牌及び匠 一、 と国際 ロー タリー理 l_tの 限界 に しま して も クラブの決議 事會の承認がなけれ ば嘘 え られないのであ ります そ し て1922年 6月 6日 以後 lC結 成 さ′ ■た クラブは皆此標準 ク 賃警 ,」 りFT:見 蓬晃り 75鯉 巽裏T ]璽 詈 の に一 そ 改正規定 致 させん とす るための外,そ の定款 の 條文 を変更 してはならない」 とい うのであ ります.原 文 1量 三 "墨 では ``A member club admitted tO membership priOr tO the sixth day of 」une, 1922, s/2α 〃 ′ O″ ο ι ′ ′πgι any provision of its cOnstitution except to make such ラブ定款 を採用す る ことになつて末たのであ ります.然 しその以前 に結成 された クラフは ロスア ンゼル ス大會で 採用 された標準 クラブ定款 に一致 させ るための愛更以外 は出末 ないこ とになつたのであ ります.此 標準 クラブ定 款 の改正は前記名構 名び圧域以外は関際 大会以外 には出 来ないのであ ります provision conform tO the standard club cOnstitution and any amendments tllereto とあ ります。 問 題 の焦諧 は原文 の s力 α″not changeの 内 Shaliの 詳 にあるのであ りますが,此 Shallは 簡軍 に未末 の事 を意 味す る場合 もあ りますが,又 意志 J未 末 を示す こともあ 7・ 5 阻 『冨盤 leも lsド [F・ Only clubs which い″ ―pay per capita tax on that date 書 いて あ る こ とは よ く剣 る.併 し書 い てな い 6月 15日 一 普通 1人 樅 の場合 には簡単 に未末 を示す ようで あ りますが, 2人 橋及 び 3人 機 にな ります と多 くの場合 30日 迄 に admittedさ れ た クラブにつ い ては ど うであ る には意志 を示 しま して,決 意,強 制 ,義 務又は必要等を 表現す るに用 い られ てお ります 殊 に法律や決議文 にお なん とも書 いて な い いては後者 の意味 に用 い られ てお りま して命令的 の意味 さえあるのであ ります。例 えば法律 に ``the ine shaⅡ あ る.依 つ て宰 ろ下 記 の如 く Manualに 記載 して貰 い度 ります not exceed s100"と あれ ば「罰金 は lCXl弗 を越 えては か .末 るべ き 7月 1日 に沸 た とも抑 うな と も,そ れ こそ 併只11文 に よつ て排 わず と もよい と解澤す るだ け で あ る.吾 々は宰 ろ此 事 を知 りた いの で いが如何 で しよ うか Only clubs which have been admitted 10 member_ Iay 16th tO June 30th Wil nOt な らない Jと い う意味 になるのであ ります 以 _Lの ような課 で,此 質問 に当 しま しては課文 にあ る ship in R. I. after ように「疑 だ してはならない」 と云 うのが正 しく「墜更 するに及ばない」 とい うことにな らないのであ ります and pay per capita tax on that day 此質問 に関連 しま して此 規定 につ き少 しくその由末 を 中 し述 べ て見 ます と 1922年 以前に結成 され ま した ロー 吾 々には後者 の expressionヵ ヽ 早剣 りして間違 い と思 わ . タ リー・ クラブはそれぞれ 国際 ロータ リーの定款及 び細 ∼ be asked to certify tO their membership on July lst C過 きませんが 以上 は同 じ事 を表 か ら と裏 か ら云 つ た′ れ ます . 何れ に t´ て も新年度 に入 るのであ るか ら負指 金 は R. I.と して前年度 入 會 した Rotary dubか ら (そ の年度 則 に基 き獨 自の定款や細則 を造 つて運誉 してお つたので あ ります その 中には「標準」定款 と稗 してお るもの も 分 は免除す る として も)徴 敗 して然 るべ しと思 うのです 少 くなか つ たよ うであ ります。 然 しクラブに よつて餘 り が ,そ の理 由 (免 除 )如 何 ですか (無 名子 ) 異るのは面白 くない とい うので,1922年 ロスア ンゼル ス 大會で, タラフの定款 を統 一 す るのが よか ろ うとい うこ 42 (1os8) THE ROTARY_NO_TOMO ]曇 買看雹II雰 暴国願 T褒 ?TTT属 警負ガ 〔? であ ります 何れが良 いか とい うことは国際 ロータ リー 理 事會で決定すべ きことであ りますが,此 場合別 に憂更 1彗 會計年度 と國際 ロー タ リーの 會計年 度 が同一であるため 往 々に してクラブが會員 の會費が未沸 の ものの あるま ヽ 7月 1日 に きちん と負指金 を国際 ロー タ リーに途金す る ことがあ ります。 そして會費木排 の 會員がそのま ヽ死亡 す る必要はないのではあ りますまいか と申 しますのは 5月 16日 以後に國際 ロータ リーに加盟 したクラブは 7月 した とか退會 したため集金がで きない とい う場合があ り うるのであ ります 斯様 な場合 にはその事情 が正常 であ 1日 の會員数の報告は必要 としない し,叉 それに件 う人 れ ば理事會は事務総長 を してその會員に封す る分 を排戻 す灌限 を典 える ことになつてお ります これが特別 の場 頭分指金 の支沸 も要 しだい ことが原文で明瞭 であ るか ら であ ります 抑 も manual of procedureの 財務催係 の章 の人 頭 分 楕金の件 については,国 際 ロータ リー定款 第 9條 第 1節 に基 き, クラブの各會員 は国際 ロー タリーに人頭分措金 を支佛 わなけれ ばな らない立前において,そ の支排 の方 法 を説明 した ものであ ります 従つて支沸 うべ きもの を 指定す るのであ りま して支排 を要 しない ものは示す必要 がないか ら原文の ような表現になつてお るもの と思われ ます レヽ か そして又 それが最 も合理的な表現 ではあ ります ま 御賓間 の後段「何 れ lCし て も新年度 に入るのであるか ら負拷金はRIと して前年度人會 した Rotary clubか ら べ しと (そ の年度分 は免除する として も)徴 収 して然 る 合の ことで あ ります 新 クラブはその加盟 した牛期間は負楕金 交排 の要 な き ことは前 に中 しま した通 り国際 ロー タ リー細則 に よりま して明かであ りますが次牛期か らは支排 う義務 が生ず る のであ ります ところが, 1月 1日 に加盟 され た もの も 6月 30日 に加盟 された もの も同一 とい うことlCな れ ば一 寸不公李 の ように も考 え られ ます され は とて何虎 に限 界をお くべ きか とい うことについて定款 には勿論細員1に もあ りませんので,加 盟早 々の クラフは手績には不慣の ことであるか ら期末 lヵ 月牛以内に力鳳 盟 されたクラブは の と したもの か ら 思われます 従つて 除外 次期常初 報告 次期の分脩金 も免除 されたことになるのであ ります )前 琥 ロータ リー問答中無名子の質問 とその答 思 うのですが,そ の理由 (免 除 )如 何 ですか」 について は少 しく説明 を要す るか と思 い ます 先ず分指金の支排 は 1年 を 2期 に分 けて行 うものである とい うことと御留 (お 断 り 意願 い ます。 7月 1日 こそ新年度 であ りますが,1月 1日 は ロー タ リー としては第 21明 であ りま して新年度 ではあ ます。 りません 此第 2期 の支排 につ きま しては御指摘 の原文 の後段 にあ りま して11月 15日 又はそれ以前に加盟 した ク 先般 各 ク ラブに途附致 しま した制定案及び決議案 の評 は非常 に取急 ぎま した ので校正 も充分 に出来余ね ま して ラブのみが 1月 1日 現在 の會員敷を報告 しその會員数に 色 々 と間違 つてお る虎 もあ ります が事情御諒察 の上原文 と照 し合せ て御利用願 い ます 従 つて分指金を支排 うことになつてお ります.故 に (前 年度は免除する として も)は 通用致 しかねますか ら (前 年期は 一 )と い うことにな りま しよ う 然 るに国際 ロ ー タリー細則第13條 第 3日 ,(口 )項 によ ります と,加 盟 され た如何なる クラブ も次牛ルlま では分指金支抑 の義務 のな い ことが規定 され てい ます 従つてその クラブが加盟承 認 された牛期1判 は突然免除 され てお るのであ ります。然 らは次り 切か ら皆支夕:つ て も良 い畔 であ りますが, ロー タ リーでは特ガ1の 場合 を除 き支排 つ た負措金は沸戻 しない ことになつてお ります 例えl17月 1日 現在 の 會員数 に の 中 で “COOperation"の 綴 が全部間違 つて``Coopora‐ 万ο″ と御訂正願 い tiOn"と なつてお りますか ら ω "`″ . 6月 琥 の ロー ク リー問答 の ロー タ リーの徴章 に開す る 答 の最後 に「餘 リロー タ リーの技葉末節 に とらわれ な い こ とが ラ ング會長 の所謂 ロータ リは もつ と簡潔 にの一 つ であるか も知 れ ません」 の一 節 1/Cつ いて 多少誤解 を持 つ てお られ る方があ るよ うであ りますが,此 事 は決 して バ ッジその ものについて いつ た事 では あ りません 徴章 を 正純 に保 つ ことは どこまで も大 切で あ りその 事ICは 賛成 で あ ります が, ラ ングが此 目標 を示 しま した のは近年 ロ ータ リーが大 き くなるにつれ 色 々 と規則 なぞがや か ま し つ た負措金は 7月 1日 か ら12月 31日 の間 にや よつて支ツト めた會員があつて もその 支佛 つた負措金は佛戻 を しない ロー くな り,そ れ lCつ いての追及 が増 々 と盛 んになつて が に し の られ る傾向 な き が疎ぜ の タ リー本来 奉仕 大精神 その代 りその期間 に入會 した會員 の負措 金 は次期迄支排 う必要がないのであ ります もあ らず で あ るか ら,規 則 その他 の技葉末節 に餘 りこだ わ らな い よ うに して ロー タ リーを もつ と簡潔 に した い と のであ ります . 前に申 しま した特別 の場合 と申 しますの は, クラプの ロ ー タ リー の 友 -10月 壇 申 してお りま した ので付加 えた に過 ぎません uo3e) 43 岸 田 劉 生 に寄 せ て 船橋RC 岸田留J生 は今 か ら27年 前37歳 の若 さで死にましたが その短か い生涯に彼 の残 した足蹟は大 きく, 日本洋画 史 上不滅 の存在 となつて居 ります.天 才 とは彼に こそ言わ るべ きで,私 は未だ画家 として,彼 程 の 人物 に會つ た事が , あ りません.30歳 に してすでに∞ 歳 の風格 が あ りま した 日本画壇 はいつ もパ リ画壇 の反映的存在で,そ の時代 時代 の流行 を追 う事 で精一杯 とい う自主性 の無 い洵 に情 無 い もので,彼 も始めは ゴ ッホ,マ チス,セ ザ ンヌ等自 椿 貞 雄 す.311生 はク リスチ ャ ンであつた し,酒 は一滴 も飲 まず 勿論 女に近 づ く事 もな く,人 間 として耐の御心 にそ う生 活 を求 め,自 分が檜 を書 いてい る事 に さえ疑い を持 ち非 常 に苦 しみました 彼は画家 として より人間 として女 口何 に立rinに 生 く可 きか を苦 しんだわけで, こうした本質的 な苦悩 をした事が,彼 の人間 と嬰術 の_Lに 深 く生 きてい ます「 エカキは無朝L道 で出鱈 目な者」 と世の人 々 もそれ ち営時 の最尖端 であ る後期印象派 の感化 を受 けたのは が営然な事 の様 に思 い,出 鱈 日であ る事が寧 ろ藝術家 ら しい と言い,営 人 もそれ を得意にす る者 もあ りますが 情熱的 である青年 として営然 であ りますが,其 後 目ま ぐ る しく疑化す る流行 を追 うに汲 々たる日本画壇 とは逆に 自己を飽迄辛辣 に批 刻 し自己の悪は許 さない とい う厳 し さ,厳 請崇高 を求 める彼の心 は彼 の作品 に賞 によ く現わ クラシ ックの道 にはい り,ハ ンエ ック, レオナル ドダ ビ ンチ,デ ュラー等,つ づい て東洋 の,こ とに 宋 元 の 綸 画, 日本 の初期肉筆浮世檜等 か ら彼獨 自の生か し方 で れて居 ります.員 善美に対 して飽迄 も執lJJに 探求 して行 く力,微 温的 である日本人の性格 とは反封 に,あ くどい J , , 日本 人でなけれ ば生 み出す事 の出末 ない獨特 の油給 を生 み出 したのであ ります パ リ画壇 を員似て居れば事足 り る といつ た,又 そ うでなけれ ばいけない といつ た方程式 を造 るそれ等 の人 々の彼 に封す る風あた りが張かつ たの は営然であ ります.24,5歳 に して彼 1人 , 日本画壇 を向 うに廻 して戦 い,つ いrt勝 ち とった とぃ ぅ事は驚 く可 き 事 であ り,彼 が如何 に 自分 の仕事に張 い信念 と自信 を持 つ ていたかわか ります.如 何に悪評 を受 け様 とも,如 何 , 程の油 つ こさと厳 しさは 日本人 はなれが し, 日本 人のりし に合わない ものがあつて,そ れが悪 口を言われ る種 に も なつ たわけであ ります 現今は結核恐 るるに足 らぬ有難 い時代 であ りますが , 今か ら40年 前は結核自 口ち死であ りま した。彼が結核 で死 と直面 した事は,彼 を一層育 て上 げ,病 気以後彼 の作品 : が段 がつい て深 い美 しさを増 し,そ の後 の鵠沼時代の燦 然 たる彼 の画業 が生れ るわけです に貧 しくとも,自 分 の心 をまげず,世 に迎合 した りしな い事は画家 として営然 の事 ですが,な か なかの事 で,た 10貫 そこそこの彼 が17,8貫 に大 り, 日本口1壇 はいやで も彼 の慣値 を認めないわけに行か な くな り,横 演 の原氏 一家 がス トロンとな り,仕 事 の 自信 と生活 の安定 と健康 いていの者 は浮草 の如 く波の間 に間 に押 し流 されて しま う。おか しな事 ですが, 日本人は 日本人 である事 を何か と最 も落付 いた生活が管 なまれたわけです。 この時代 に 彼 の多 くの傑作 ,麗 子像やお松 lraが 生れ ま した 卑下する傾向が あ ります.勿 論世界中の よき物は遠慮 な 人間は誰 で も多面 の性格 を持 つ てい ます ことに天才 く衛取 し,教 わる可 きもの は素直 に教 わる可 きであ りま すが,自 分 の持 つ ている「 よさ」迄根 こそ ぎ捨 て去 ると は耐 と悪魔 を同時 に持 つ ていると言われ ます 彼 ばか りでな く誰 で も,仕 事 に 自信 がつ き健康 で生活 い う事 はおか しな事 です.日 本 には 日本獨 自の よき もの があ り,そ れ を盆 々高 く深 く生 して, 日本人 でなけれ は も安定すれ ば心 にゆ とりが出末,贅 澤 になるの も常然 で す。 1日 の仕薯 を終 り夕刻lCな れば今迄 一滴 も口に しな かつ た酒 もい くらかや ります 角帯なぞ しめ長唄の稽古 生み出せない世界的 の檜 を描 いて こそ意義 ある もの と私 は信 じます この 日本 の持 つ土壊 と空氣の 中l 7は それ獨 特 の ものが ある と思 うのです.他 人 の尻ばか り追 いか け ていてはついに及 ばぬ と思 い ます _ 劉 生は25,6歳 頃迄 は物心共に最 も苦 しかつ た時代 と思 い ますが,営 時彼 のパ トロンだつ た芝川昭吉氏 を忘れ る 事 は出来 ない事 です.誠 心誠意 自己の仕事 に打込み努力 精進 して居れ ば,ど こか らか救 いがある と私 は 信 じ ま 44 (1040) . を始める,酬 劇 に もよ く行 く, この時代初期肉筆浮世結 か ら受 けた と思われ る芝居 の油縮 を相営に書 いて居 りま す.戯 格な道 を歩 るいて末た彼 が,彼 の一 方の面,自 "ち の 7世 といつた ものの證験 を心 の内に張 く求 めていた も i・ と思われ ます。 その時 に起 つた開東大震災 が,彼 の其後 の生活 を一愛 させ ま した。運命 とい うものは洵 に不思議 な ものであ り皮肉な もの と思 い ます . THE ROTARY_NO‐ TOヽ 10 lか らの彼 震災 て彼 の一家 は京 Xflへ 韓居 しまたた そオ の放蕩馬L行 ぶ りは徹底 した もので,連 日連夜祗園に入 り びた り,チ ヤホヤす る辿 中 に とり│ヨ まれ てお 大詰 の如 く 振 るま う御 FI身 は大満悦 , しか しこガιが彼の命 とりにな つ た事は如何に も贅念 な JIで す ‖;鹿 馬鹿 しい事 です 奥 さんが しみ じみ と私の家内 に もらシ tた そ う で す が 「貧乏時イ ヽが一 番 ヽ 卜面 で し,た ,と しか し彼 の 事だか らただ うつつ をぬか していたのでは な く,初 )円 肉筆i字 1比 給 の 地集,宋 JL画 の蒐集,そ れ等 の 諸 書 美しい舞妓卜1や 麗 r16歳 像,7竿 山の 日本画 を描 い しキーの浪費が,段 々に彼 を製作 か て11り t十 が,ェ ネ′ 東南九州 ワンダーフオ ーゲル ら道のかでた 事は J「 賞 であ ります 結 │→ 京湘:は 仕 ltの 場 でない Jfを 感 したnめ か,鎌 倉に 引移つて大ま したが,そ の生活 は 京都 の延長 で しか な 力1切 オ ■′ tば ションポ リとうかぬ顔 をし, 7由 檜具は く,「Ч つ い 核 なぞ 二言 て11か ず,糸 [峰 の巻 に馳 る, ‐ 杯 の酒 が はいれ li二 たんに ニコニコ し, しまいには井鉢でガ ブガ ブ飲む20rtの 人人道, 欣い片 1り ,紙 とヽ を持 つて末れ は ´に年[を 拘1う 様 に洵 にオヒ たちとこ′ lFl,10「 1そ こそこの外 重が20riに なつた とい うJfが すでにおか しい 彼 には腎 )‖ [統 があ り,彼 程 の耐監ヽ 臓病 ′ 過敏な人が,そ の事 にい つ こう無圏心だつた J「 が賞 におか しい 或時 その事 が 氣 ・た私が,つ い 11を すべ らして,少 し太 り過 ぎ になつてヽ ,彼 はllt然 として「俺は健康だか ら人らんだ_と 如1何 に もイく 快 そ うであ りました 或は彼 がそ ういつ た不安 や疑 い を感 じていたので,1り 更私 の言 く 葉 に反機 とイ 決 を感 じたのか も知レ1ま せんが は しないか ヒi:つ た 'ジ 「lrtは 本道 を歩 る く最後 の口1家 だ これか らの 世の中 に は本格的な ものは通用 しな くなるJと liい ,「 俺の給 の わ か る収は し,な い じやないか, そんな奴等 に綸 を書 いてや つ て何 になる.J「 人は 年後に知1己 を求める とい うが俺 「 は 千年前にlHI己 を求 める │ 計 はいいF寺 代 であつ たJ と 霧島山中にて 人吉 クラブ フオーゲル 居 ります 人間 は員善美 にy・lし ていつかは きつ と認 め ま す。 彼劉生 の檜 も現在洋山iの 最高iの 慣格 で賣買 され てい│ り,彼 の慣値 は立派 に認め られ て居 ります もし地獄 に 通知出来 るものな ら,彼 にその事 を知 らせてや りたい らいです 「 どうしてあんなに悲側 したのか _ と 人rl は悪 の面 も根深 く張 い, しか し聖 人や哲 人や天才 を生ん (・ だ人間 を私 は信 じないわけには行 きません しか し彼程 の人間が,そ んな生活に満 足出来 るわ けの ので はあ りません 奮起 一番 ,い よい よハ リー行 も計 も 飛し満洲1に 出機 しました 満鐵 の1/7聘 で満洲1閾 の高官 の 省像 を描 きパ リー行 の資金 を調達す る とい う lfで し た が,そ れが うま く行かず,婦 途徳山 で急性腎臓 炎 でホ コ ッと死んだのです_私 は自分 の高 1に 員黒な空洞 が突如 人 開 けて現 われた気持 で した 若 しこの計耐1が 成功 し パ て リーヘ 行 き,あ のlrt大 な クラシックの塾術 を眼 の あ IJを た りに見た ら,彼 の事 だか ら酒 なぞふつつ り止めて,F孟 llIく 然 と自己のイし 事 に打込 み,そ の事 が彼の詳命 を延 はす に もなつ たのではないか と思われ ます 彼 が現在迄 ´ Lき つ悪 の1雨 をいや とい う程見せつ け られ, 全 く人間 に ア イ ソのつ きたHIも た しかにあ りま した しか した とえ現 1比 ていた ら如何 に素睛 しいイL事 を していたか,彼 を力1つ て い る人 々は今 更に彼 の若死 を十 昔しなのであ ります 彼が満洲1国 に出農前,思 い もか けずりヽよつ こ り私の家 しか しそんなにいい‖ ヤ代が 果 してあつ たで しよう か,V、 は■ らなνヽ 私達は戦中戦後にか けて,人 間 の持 が悪 に ■tみ ちていて も,我 々は 立派に′ Lき 抜 き,立 派 なイ│:り fを す るJギ に努 力し,│11来 るだけこの 世に貢献す べ きだ し,そ こにこそ′ li甲 斐 を感 じるわけです。 そ して又 人が褒め様 と褒め まい と,多t乏 であろ うとなか ろ うと ての天職 を果すのみ,lFhi家 に とつ て最大 「11家 は「11家 `し ・に して惨 のlIき は tilFAな 綺 を書かない Jfで す 今迄 人天 オ 腑たる ‐ 11涯 を途 り乞食 になつ て死 に,或 は自殺 した1山 , i 家 さえい;│ま す しか し10oイ 後20011後 それ等 の画家 は 「 立派 こ認ェ ノt,人 々に1'敬 され その ,は 愛蔵 され て rラ コ ー ド・ ― つ 女 l「 にやつ て来て, lり ま した 今迄 にかつ て無 かつ Й 私は 3日 ││あ た りには身僻 の 調子が興 にな りま した 彼 は じじゆ う嬉れ しそ うで、 私 ´ たのですが,そ れが彼 に會つた最後で し 逹 も大喜びを し l illl判 た lfで す_朝 か ら酒 です た は迷信家 ではあ りませんが、何たか,オ ンざわ さ彼が 科、 か ら私達 にお別れに末 て くれたのではなか つ たか L く 遠 い う気が してイ J:方 があ りません で した 1/「 ,1「 -10月 暁 (r04r) 45 現 代 人 のための虚 方 箋 oピ ー ル 博 士 を迎 え て 一 ― 螂 くビール博士の人 とな り` RC 西 村 大 治 郎 〈積極的考え方 の城率〉 ピール博士 は,そ の著書「積極的考 え 方 の 力」 (The POWer Positive Thinking), ゃ「確信 にみ ち た生活 へ の手引」(A Guide Of Confident L市 ing), 現代人 の不幸 はたえ ぎる緊張 にあるか らである こ の緊張 のために入達 は夜 も安 らかに眠 りも得ない とい う現状 を打開す るためには どうすればよいか アスピ 更 に又最近では「積極的生活 の技術 」 (A Stay AIve ` all Your Life)何 れ もダイヤモ ン ドllJ刊 行 に よつ ´ て 日本 で もおり‖ 染 の多 い方 であ るが, 應 ここで御紹 リン・ エーデ と云われ る程 に現代は睡眠柴萬能の時代 ′ ましよ う 介 してお くことに し ビール博士 は,ニ ュー ヨー クのマ ー ブル協同教 會の 牧師 であるが,新 聞・雑誌 の寄稿家 , ラジオ・ テ レビ の講演者 で,博 士 を とくに世界的 に有名 に したの は 前記 の「積極的考え方 の力」 とい う著書 であつて, こ , の本 は1952年 に ニ ュー ヨー クの ブ レンチ ス・ ホール出 版祗 か ら出版 されて以末 ,世 界 の10敷 ヵ國語 に融詳 さ ・250萬 部 を費 りつ くした と言われてい る れ,絶 訓 ピール博士 は本年57歳 。 彼は ア メリカに於ける 3大 . であるが,果 して この柴 で解決出来 るであろ うか 本 常 に心の安 らい、憩 いが必要 である。 それはあの物す ごい風の 中心 に,静 寂 の限がある様 に,私 達 の心 の中 に も無風状態 が必要 であ る しか もそれは何人 lCと つ 本常は私達が 幸祠 か不幸か 失敗 かの どちらを選ぶかは私達 自身 の決心 にかかつて て も可能 であ るのである い る 何 人 も失 望落 たんの極みには,自 分程不幸 な人 間 は居 らない と思 うであ ろ う だが もし,自 分が幸祠 にな りたい と思 うのであれば,あ なたは そ うい う考 え 方 を とり除 きなさい 人生は全 く「平均 の原則」 によ つて動 いてい るのであるか ら,悪 い こともあればよい 説教家 の 1人 に数 え られ てい る有名な宗教家 であ るば か りでな く, lllCl種 近 い 日刊新聞へ の寄稿者 であ り こともあるのである.憫 T昌 はあ ざなえる組 の如 しであ る。誰 にで も一寸 した失敗 はあるものである。 しか し 300萬 人の聴取者 を持 つ といわれ る ラジオ放途 の講演 者 であ り,50萬 の凌行部数 を持 つてい る宗教修養雑誌 自分が世界中で一番不幸 な人間 であるとい う考え方程 自分 を不幸 にす る考 え方はないのである.あ なたが失 つた ものは一調何で しよう。 あなたは未だ澤山の もの , 「 ガイ ドポース ト」の編集長 である 私達が最 も嬉 し く思 うことは,彼 が24年 間 ニ ュー ヨー クの RC會 員 で ある とい うことである。彼 も私達 と同 じ ロータ リーア ンである とい うことを私達 は こん どの末朝 まで知 らさ を恵 まれ てい るではないか。 自分 の首 を締 める様 な愚かな考 え方 を捨 て なさい。 あなた自身 もつ と確信を もつて生 きて下 さい あなた れ てい なか つ たので あ る ビール博士 は香港訪間旅行 の師途,竃 湾 を経 由末朝 の室か ら恐怖や不安 の徴菌 を追梯 つて下 さい 信念 と い う新 しい杢氣を入れな さい。 どの様 lC困 難 な ことも 東京滞在中東京 RCの 例會 で,又 開西 に於ける日程 を さいて特 に京都 RCの 例會 に出席 それぞれ感銘深 いス ピーチをされた。私 は京都 に於ける博士 の プログラム 克服す る ことが可能 で あ ります。 何 ごとも大 きく考え 大 きく信 じ,大 きく所 る ことに よつて,大 きく考える ことによつて張烈 な力が湧 き出 で大 きく信ず る とき怖 作成 に些か関係 し,親 しくその馨咳 に接す る ことを得 たので,そ の短 か い間 に受 けた博士 の所謂「積極的考 ろしい程 の勇氣を興 え られ,そ して大 きく所 るとき その とき必ず耐があなたの仕事 を成就 させ て下 さいま え方」 の大要 を ここに記 して,未 知 の方 々の博士 に封 す る理解 の参考 とす る.博 士 の寄稿 は特 に 「 ロータ リ ーの友」 のために私が依頼 した ものであ る.米 国 へ の す.成 功 の秘訣は,耐 自 らが働 き給 うて,そ の ことを 可能な らしめる とい う確信 の上にあ ります.耐 が あな たの味方 であるな らば,そ してあなたが所 と共にある 婦航中の船 の 中で この一文 が草 され た ことを記 して感 謝 の意 を表 したい 生活 の革新 をすす めたい。 46 (loc2) , な らば,現 代人のために私 は静坐 と瞑想 と所蒔 に よる THE ROTARY_NO‐ TOMO へ の初 訪 間 ノーマ ン・ ヴ ィンセ ン ト・ ビール 私は 日本 そ して殊 に 日本の ロータ リーア ンが好 きで ヨー ロッパ や中東へ何国 も旅行 したのち,私 は と す うとう長年 の宿願 である極東訪間 を達成す る機 會を も ちました。 もちろん私はい くつかの ロー タ リークラブ であ りま したが,不 安 と緊張 とい う問題が西欧諸国 の 指導者達 を悩 ませ てい る と同 じように 日本 の指導者 も これに悩 まされ てい る とい うことを私 は明白に知 つて お りました 私 の友達 であ り, 日本 タイ ムス會長 ,國 を訪問 したい と思 つています 何 となれ ば私 は24年 間 ニ ューョー ク RCの 會員であつ たか らです 際 キ リス ト教大學理事長 をされ てい る東 ヶ崎 さん とお 會 い し何国 も訪問す る ことが出末 た こ とを非常 に嬉 し 極東諸国そ して 日本 における ロータ リーはアメ リカ や ヨーロッパのそれ とどの ように違 うであろ うか と私 は思 い ました 然 し私 の見出 した答 は,基 本的精耐 に く思 います それか ら私 は京 都ホテル において京都 ロー タ リーを おいては全然相道がない とい うことです ロー タ リーは どこで も同 じようlC有 効的 で幸扁 でそ 訪問 しま した そ こで私 は京都 において私 の著 書 “積 極的考 え方 の 力"を 始 めて調 んで くれた といわれ る西 村大治郎氏 にお會 い しました 京都 で もまた私 は “緊 してそれぞれの地域 における指導的な地位にある人 々 の熱心な親1を の集 いです 張"と い う題で演説 を しま した 京都 ロー タ リーで私 の ために通詳 して くれ たのは酒 壼湾,沖 細 を組由 して 日本に着 いた ときわれわれ を 東京空港 rc IJI迎 えて くれたのは外な らぬ國際 ロータ リ ー理事,親 愛な小林雅一 さんで した コーベ イ (小 林 さんの愛橋 )は ルセル ン大會 では非 井美智男 さんで した。酒井 さんは翌 日私 を非常 に驚 か せ ま した,彼 とlJu村 大治郎 さん とパ ス トガバ ナー石川 芳次郎 さんが例 會でやつ た私の話について もつ と討論 常 に熱心 で, この大會 で全世界 をめ く ロータ リーの llJ嘘 ずに輸大 してい く影響力の證跡 を見 て感動 してお 'る りました.東 京 では,私 はナシ ョナル金錢登録器 會祗 の極東支配人である ロー タ リア ン,デ ョーデ・ ヘイ ン ズ氏 の客 であ りま した。 8月 7日 ,私 は コーベイ とデ ョーデの依頼 で,東 京 ロータ リー クラブで演説 しまし た。 ここで私は生 まれ て始 めて,通 辞 を通 じて話 を しま した し 東京 ロー タ リーの例會場 である帝國 ホテルのボーノ ルームは とて も素晴 らしい と感 じま した この ように 美 し く霊感 を引立 て るような室 を例會場 とする ロータ リー クラプを私 は未 だかつて見た ことがあ りません す るために,そ れに興味 を もつ ロー タ リーア ンを出来 るだけた くさん招 いたのです 約束 の午後 4時 に ロー タ リークラブ事務FrrlCは ,驚 ぃ た こ とに50名 位 の ロー タ リア ンが集 りま した そ して殆 ん ど 2時 間 の間 ミチ オさんは間答形式 で素晴 しく上 手に私 の ために通詳 し て くれ ました。 論題は に廣汎国 にわた り,心 配 を 'F常 さける方法 や安眠 の方法 ,他 人 と仲好 くやる方法,商 業道徳な どについて行なわれ ま した。私 が非常 lC興 味 を感 じた ことは,多 くの質問 が精l m的 面 におけ る こと に開 してであつ た ことです.私 は この ようlC熱 心 で思 慮深 く,員 面 日な人 々に會つ た ことがあ りません ま それか ら外國 か らの ビデ ターにそれぞれの母國語に同 つ た く楡 ヒ ´ 機 會で した 非常 な親愛感 をそれ 等 の人 々に感 じ,そ して人生の 深刻な諸問題 について探究 してい くにつれ員 の友情 を 時通澤 を開かせ るイヤホーンの使用 に もまつ た く感心 しま した。 いだ くようになつ たので言葉 さへ 自由 であつ たな らと 痛感 しました 私は この東洋 でお會 い した ロー タ リア この クラブの 會員の資質 に私 は非常 な感動 を受 けま ン諸君 に感謝 の念 を抱 いて私 のホーム クラブに師 りま す 出来 るだけ早 い機 會lCま た くるつ もりです では ニ ュー ヨー クの ロー タ リー クラブで多数 の皆 さんにお . した。そ して この人々は もちろん この活動的な回の責 業界,専 門職業界,政 界 の指導的な人 々である との感 を深 くしました 私 の演題は “緊張 に打 ち勝 つ"と い うことについて ロ ー タ リ ー の 友 -10月 嘘 1/・ . 會 いす る ことを期待 してお ります その際は た獣迎 を 致 します . 0043 \ 47 ク ラ ブ 巡 歴 ―― チ ヤ ー ター ナ イ ト 202達 成 の 記 132-― 今治 RC 今春幅岡で「ふえるクラブは,苦 労 の種 よ,オ ール巡 歴,覺 悟ゆえ」 と例 の如 く地名 を句首に奴 々逸 を作 つ た ,最 近 の如 く急 ビ ッチに クラブが増 してゆ くと,齢 既 /J・ に還歴 を過 ぎた身には,令 クラブを歴訪 しようとの決意 故 に, 4)り L州 の一 角に立ちて来 月は北海道迄行かねばな らんか と思 うと、苦分 を感ず る様 になつ たの は否 めない 黒川カバナーは「今更や められ もすまいネ」な どオグ 友 テ ルけ ど 」6月 境 に伊藤 ガバ ナーの書かれた「 日本 の クラフ蚊 もせめ て英国 の牛分 400は ない と」 と云 うので は 6月 末 202と い う私 の レコー ドは正に其4ド 分 である 飯 義 壽 鯨 の燻製 を澤山頂 いた 例會には「町の新聞祗 も招待 し てあるか ら」 と云 う故,卓 話 も大 いに張切 つてやつた。 多 日の紋別民友新聞 を見 ると「奴 々逸 の大家」 とい う肩 書には恐縮,「 皮肉な奴 々逸 を残 して去 る」 には縮 々.紋 別 を句首に織込んだのは良 いのが出な くて物足 り無 かつ たが,「 もつ と良 い見を, うん とこ育 て,別 天地 をば,作 れか し」 とま とめ, YOuth Serviceの 話 を し「次代 を 背負 うべ き青少年 を立派 rt育 成 して,此 紋別 の街 を立派 な別天地に造成す る事 こそ諸君紋別 クラブの 使 命 で あ る」 と結んだ ところ,漁 業基地 といつ た街だけに「非行 然 し6月 末 202と い うJ」cは 近頃誕生の新 クラブを除 い ては殆 ど全部 である_29年 春 100ク ラブ達成 の時 (29年 9月 琥 )も ,30年 秋 154に 達 した報tl(31年 1月 琥 )の 青少年 が特 に多 いので」私が突 いた と記者には ピンと末 た らしいが,決 してそん なわけでは無 い 時 も同様 で,少 な くも現在チ ャーターナ イ ト (以 後 チ ャ ー と略橋 )を 終 えた クラブでは事橋北が残 つ ただけであ 8を 加え, とて も楽 しかつた。 5/3。 湯澤 では早朝長崎會 長が騨へ御出迎 え 下さつて「先生 々々」 と下え もおかぬ る 技 は 630に 東 京llH北 と同 日だつ たので 行けなかつ たが,斯 る同時開催 は「チ ャータ リア ン」に取 つては残 念 のIJIみ で 202の 内 チ ャーの時行つたのが 132で あ ると い うズレもこん な事か らも生ず るわけである . 戸,扁 岡西, 八 幡, 戸畑, 野田, 笠 奥 ヵ 恰 FMl, 大館,弟 子屈,札 幌南,苫 小牧,新 襲田,三 條,名 古丼t南 ,東 京西北 ,の 順序 で15の チ ャーに出席 し,宇 部 今イ ドは津 , 松本,大 田,湯 i撃 ,弘 前,紋 別,旭 川西, を例會 に訪間 した 此 中まだ博達式 の済 まぬの も あ る 力1,宇 部,松 本 .弘 前.紋 別等は他 と重 なつて行 けなかつたF/1で あ る 此 2週 間 の巡歴 では四 つの博達式 と四つの初訪間 で計 御獣待 を恭 しく,本 工場や秋田第一 とい う 「爛慢」とい う 酒造場 lCも 案内せ られ,滋 ではキキ酒 をさせ られたが 之は全 く「猫 に月ヽ 夕1」 である 湯澤 へ は今治時代か ら會 , 員であ る働銀 の秋田支店長小松君が縣内視察 を兼ね て出 席せ られ,秋 田迄90キ ロを車 で飛ば して一泊,翌 日は弘 前の例曾に出席 して後騨前か らバ スで大館へ引返 した 6/1は 大館 のチ ーで ャ ある,前 夜か ら末 てる連 中は 大瀧 へ泊つ た し,小 松君か らは大鰐温泉 をすすめられ て /1■ 泉 . いたが,界 前 の花岡別館に伊藤 ガバ ナーが泊 つ て る の で, そこへ行 つて北海道 の 日程 を打合せた _ 巡麻 の 日程編成 には中 々苦心 も要 る し「此邊 で温泉に ゆつ くり」等考えた ら駄 日である。 今年 の「友」 4月 琥 大館 では秋田大展 を見,切 タ ンボの御馳走になつた 「卜 ば こ (秋 田娘)う れ しや 思 ひを秘 めて だまつて について る名簿 の 196中 まだ訪問せぬ16に 印 を附 け,そ の中秋 にチ ャー をす る唐津 を除 けて15全 部 に行 つ た し 笑顔 で 手 をしめ る」を獲表 して好評.翌 日の十和田湖 の 酬光は秋田のデ ャーの時すんで居 るので思切 りよくガパ ナー と一緒 に夜行 で北上 し, 6/3北 海 道弟子屈 のチ ャー , 外 に其後出末た 7ク ラブ (内 6は チ ャー)に 行 つ たのだ か ら, 202と い うのは殆 ど全部だ と云 つ た所以であ る 担 て前 . lC行 く,戴 は大館か ら電報 申込,勿 論内地か らはガバ + 報 告か ら 三つの シーズンに48を 加 えたが つて行 けなかつ た紋 別が今度 の機 會 も と重な 昨 春新宮 ―の外私一人 とい う記録 を再び作 つ た 道内で もスポン サーの釧路以外は北見 2帯 廣 1網 走 3計 6と い う少数 で 其例 會 日は札幌南 のチ ャー と重なるので,と うとう 「 臨時 例會 か家族會 で も開 いて ……」 とガ パナーか らも手紙出 して貰 つ た 日:5に 例 會 日繰 Lげ て」私 の訪間 を待 つ とい あつ たが,非 常 に良 い式 であ り,在 の披露宴 もとて も和 やかで,伊 藤 ガバ ナー も佐渡おけ さを歌 つた う電報が末 て, うちの奥 さん 「私設 ガ バナー も偉 い ものJ こんで と喜 呉れた 紋別 もとて も歓迎 して くれ,市 内酬 語 り,感 激 を絶 した一種 の宗教経験 であつた と 話 し た 「天 の彼方 lC 耐秘 の コロナ 輝 や くあ の 日 の 合掌 よ」宴會絡 り近 く,北 見の伊藤會長が車で婦えるとい う 1雨 │の , , 光 (紋 別市の面積は 1/賀 縣 と同 じ位 とか )を させ て貰 い 48 (1044) ここの奴 々逸は先年北海道 の皆既 日蝕観測行の感激 を THE ROTARY‐ NO‐ ToMo ので,急 に日程 を憂更 し,そ こか ら美幌峠 を越 えて 100 キ ロを約 2時 間 で1ヒ 見迄飛 ばし,騨 前の市川 に泊つ た 戴か ら鴻舞 と電話連絡 し,26/4朝 遠軽迄迎えの車 を廻 して貰つて,多 年懸案且つ待望 の鴻 の舞 の金山 を詳細見 學 して一泊,翌 朝再度紋別 の例會場迄途 つて貰つ た 紋 別 か らは旭川へ末 て一泊,翌 6/6は 旭川西 の公式訪問例會 7日 はオL幌 南, 8日 は苫小牧 のチ ャーであ る,此 二つの式 はオL幌 南 の翌 日醐光 で結 ばれ る様 うま く プランされて居 つた し,内 地 か らも澤山末 ていた。然 る に両 クラブ共バ ナーは持 つて末 た クラブだけ渡 し,其 他 lC列 席 した, 大島 三原山にて 311210 の クラブには呉れないが,遠 路造 々来 てい るのだか ら渡 せば良 いのにナア」 と思 つ たが … IL幌 はいつ末 て も いや大概百花一時 に開 く6月 の初頃末 る事 になるので賓 年 とかで,本 成寺 で催 された遺墨 展 も良 かつた に良 いF/rだ と思 う.札 幌南 ではデ ンギスカ ン鍋,苫 小牧 は石狩鍋 の御馳走 になつ た 苫小牧 の式 は公民館 で披露 か らも北海道か らも末 てい るか ら勿論最遠末者 にな らぬ 故安心 して居 ると,會 の進行 中愈 々末賓祀辞 になつ て rl , 宴は登別 第一瀧本館 でや り,そ この温泉 を enjOyさ せ た 翌 日登別 で開かれたガバ ナーの公式訪問例會に も出 た_旭 川西の時,時 間一 杯,否 延 して迄話す,熱 心振 り を見 て,今 日は彼 の食事中に シヤベ るつ もりで食 事も断 り概 て機 を伺つたが,彼 も亦食事 をしないで assembly か ら連績 して例會時間 も話 しづめで,遂 に「時間 を残 し て くれ」 と私か らガパ ナーに紙片 を渡す とい う珍 風 景 で,一 言 しやべ り,や つ と腹 の出 を納 まらせた 名古屋 には夜行 で早朝着 いたので,卵 前 の Ncw Na‐ gOyaで 人浴少憩 して會場 へ行つ た ,F常 な盛會 で 九州 會者が「今治の飯 さんは居 りませんか 」 と云 う呼出 して 束會者代表祀辞 をや らされ,又 記念品 を頂 い た 致 は 200番 目の クラブlCな る と申込書 に 附記 して居たので用 意 して呉れ てた と,後 で気付いた 北海道旅行 で像定 よ り1つ 多 く訪間出来た鴬,三 條 が 200番 目になつ たが祀 品 を 2度 貰 つたのは恐縮 翌 日は書 間 の急行 で東京へ行 き30日 は 東京西北 のチ ャ ーであ る,東 京の 會は流石 にす ば らしく餘興 な ど他の追 さて閉會後,千 歳か ら飛行機は伊藤 ガバナーは 3便 私は 4便 である,苫 小牧 クラフでは私が登別に何国 も行 つ た とは知 らぬか ら,終 日遊 んで終便 で蹄 つたら良 いだ 従を許 さぬ ものであつたが雨で園遊 會が氣 の毒だ つた │,笠 今春 は其他松 戸,宇 部,戸 畑 ,松 本,野 田,大「卜 岡等 で もシ ャベ ッた し,例 會は大概30分 話 した,奴 々逸 ろ うと4便 を取 つて くれた と思 うが, それでは東京着後 下 り急行 との接績 が悪 く,是 非 3便 に乗 り度 い と公祗 に ¬Hfは マ も屋 々出 したが,秀 作 はそ う度 々は出ない 松 り ツ トシ と思 い「廻 る歯車,作 るよ友 を,共 に分たん, し やわせ を」 と作 つたが マ ツ ド だ と解 り急愛 して,丁 , たのんだが駄「 l,然 し「萬 一取清 してる人があるか も知 れぬ」か らとて,ガ バナー を選 る會長 の (王 子製紙 の) 車 に乗せて貰 つて, 千歳迄 の70キ ロを飛 した 飛行場 に 着 いて尋ねると果 して乗 つて も良 い とい うて/11さ れた番 暁本Lは 62で あるか らもう3人 は 可能,や は り急用 の人の 篤 に其位 のスペ アは袋 してあるのではないか と思 つ た 人生は旅行 に讐 えられ るが, こんな場合 も最 後迄断念 は禁物である 東京迄 の1/「 用時間 3時 間は,勿 論快適 途中lC用 事が無けれ ば飛行機に限 るの感 を深 くした , 度柏原君 の孫 クラブ と云 い特別代 表花岡君 の話 を頂いて 「孫 さん クラフを作 つ た敷は どんな もんだい 481と 疲表 した スボ ンサーでは孫 さん 事柏原君は 日本の レコ じグーである 賞 は前夜 東京で音大 に行つてる ー ドホーノ 娘や その 友達 とパ スの 中で キャッキャと話 してHる と , 近 くの人が「あれは 48歳 の抵抗 だJと 話 してた と開か され (私 には聴 えなか つ たが )奴 々逸 日記 にそれ を取入 れたわけ 6月 には 更に22新 畿田23三 條28名 古屋南30東 京 llu北 と 2Ц つの チャーを廻 つ た 三條 と名古屋 の間 に 一度家 に時 つて一泊,27日 は 今治 クラブの例會に も1日 て, 又名古屋 に出掛けた 三條は丁度 200番 目に,苦 るので祀品 を貫 い 何 うも今年 の巡麻が先 になつ てM:年 の26が 後廻 しにな つたが, 昨春は121ノ L州 若松 に1沖 耐 F17Ч のチ ャーか ら初 ま り73富 山縣 の暇波 のチ 翌日潮光は小牧 ダ を遡lt ^一 `、 答辞 を象ねて末會者代表の挨拶 をせ よとの事,勿 論最適 束者で もあつた 1條 は新潟美人の本場 とかで餘興出演 して大牧温泉 である 暇波 のチ ュー リップ祭は驚 くべ き もの,そ れか ら幅 り 1=澤 絡:由 卓津温泉 に行 つ て一泊 した 之は歌に もある如 く 「 ‐ 度 はおいで」と一度 は行つ たが 者だけで50人 ,其 他 で計80人 位 の美人がサー ビスに出た し,御 馳走 も中 々心 を使つた もの 今年は良寛 生誕二 百 硫黄臭 い證 と手拭 を東京 の風呂で洗 つてやつ と蘇 生の思 い,三 度 と行 く氣は起 らぬ ら 1は 船橋 のチ ャー,閉 會後 , ロ ー タ リー の 友 -10月 脱 , (1045) 49 人宮 の貸切 バ スで賑やかに齢 つ て其夜 は大宮 へ泊 り笠 9 日大宮 の例會で話 した 絃 は う01に チ ャーだが此機會に マ ークした 。 だが之 もやめて17日 の ,13は 小松 のチ ^― ―車 で天龍川 の遡行 はF/1め ての道 「飯団 よい とこ 伊那節 どころ 誰 と濡れ よか しつ ほ りと」は反響多大,あ そこの林檎の街路樹は注 目すべ き 物 い れ は暖島1何 のチ ャーに行 つた,Jソ 1は 師宅 ・泊, 2 は高田のチ ャー,こ こ 例會 に行 つて30分 Fn5話 した `18日 つて くれ と前以て手紙 が は最適来者 として代表祀辞 をや 日には もう出残 1° /3は 高野山 で行わる,橋 本 のチ ャーで あ る 天 I寺 か らの ロータ リーカー も十 た適,絡 貼 か らケ し, パ スで柴 々 と山 Lの 會場 に/Yく 滋は出席「P込 ープノ 末 ていたので,準 備 をして比較的絆Jつ た話が出来た し タカグの川柳三句 も色紙 に書 いて註繹 の L進 早した , . 感 じは しない 人家族 ill iに も 金 に もま ":る よJ I高 口1市 は きる Pl策 感 じが良 くて llも す く」 そ して此 街を, もつ と皆 に好か るる,感 じの良 い市にす 「旅に 書に身理 と側 i■ をll告 させ て気 をもませたが,記 念,早 :の 名物竹llkの ステ ッキの 人 さ長 さを決定 の電 とrlrlっ た,閉 riん だ る lfは 話君高nlロ ー タ リア ンの値命 であるJと 糸 會後す く束 L否 Jヒ L花 行列 112国 で 噴■ 7は 仙米 大會で あ “ る 8は 要13梯 の側光月に に加わ りて束山温泉に一汗│, 9 は 喜多 方のチ ャーに出 る, 共夜細1予 11に 泊れ は来 しかつ 611に は19日 新γfそ して1貯 側光 ,22日 泉大iP,23日 十 Чつのチ ャー を廻 り,十 日町 の棚光 で 日町,26日 ヒ尾のり 松 ノ山温泉 に泊 り,24日 はIrl原 君 な どとハ イヤで柏崎 へ たろ うに,御 ITF労 に もイ 耶山迄り1返 して畔肖 tの iiiに 少憩 は μlJJの ダいにで山形の例 9を 初訪日l,突 然l牧 無理 `10日 もないが言 ::す 1時 ]が 3分 きりrtえ ないのでガ ッカ リ 「 やつ , 抜 け途中 ピilFl14dを 見た。 そして柏崎 では天京11に 泊 り0 25日 lrl崎 のlal會 をF/JIJJ問 して話 した しltは 此 春咄波 の 前 日行 つ て30分 話 してるが26ロ チ ャーに再 び行 つ て祀偽7 1占 と進 々 廻 つ て火たが ガ ンカ リ時間1が 足 りな くて」 IL迄 │え り,`H日 は 閉會後卵迄途 つ てrtぃ す ぐ│:1獲 ,新 ′ を述 べ lfX々 逸 を早した,「 な さけかけま しよ 難儀な人に /4約 してたので 長1司 の1/41會 初訪rl, ここは111業 で」 時間 を たつあ、りrtつ て話 した それか ら東京へ,帝 田 ホテルでlalの 力1く 洗′ をすつ 知│ら ぬ顔 」愛 の行霜は 徹底的 で無 くては 絡 り見 い,然 も恩 を質 らずあ とは知 らぬ顔 であるをr■lす い けな"lけ と説 いた 此旅行 で泉大津22 +日 ur23 とい う両方 の チ ャーに‖1る ことは中 々弧行軍 で,「 Ч閾八十八 カFl巡 祀 Fら 満足 した 十 日町 で も 位 の難行 i行 を突破 して,我 ノ スカーシ か り仕 llげ ,14,15,は 枡演 人會である エキ`物 ョンは16,17,伊 豆側光で伊 束,下 田の 2泊 旅 行 で あ る,途 中沼津へ急行 し,18[Jは 家 に 1泊 して店務 を片付 け ;『 代表挨拶 を したが川柳二 句は同 クラプのチ ャー報告に出 ていたか ら略す 夏 にlJ乗 鞍棚光 が呼物 で高山 の チヤ ー 今治 クラブの例會 に も出 て又出残,20は 京 gllの ユ ネスコ 全国 人會に顔 をI11し ,21,22は 大阪 人會である 23は 前‖ に多勢集 まつ たが,悪 天候 でlHIも 見えず失敗 「高 い乗鞍 湖光 パ スで 宿 は平湯 よ また末 なせ」 な 戸 クラブ連合のテー ラー歎迎 曾に出席 した 長崎行 は寝 壼 も特 2も 取れ ぬので,耐 ,■ か ら別府迄船,久 大線 を書 間鳥栖へ, それか ら長崎行 に乗換えたが 2等 は 2箱 とも んて作 つ たので, また行かねばな らん運命に相成 つ た。 ド山翌 日は多治見 の例會 で話 した 此旅行 で初 めて下 満 員, 3等 車 は構 になれて24長 崎着,宿 は大分界か ら鍛 道電話 で長崎騨長 に取 つて貰 つた 25,26は 長崎大會 27の 寝豪が とれ てるので今度 は安心 して,26夜 は嬉野温 呂温泉に泊 つ たが, ここは良 か つた ′-9例 斯 くて昨春 はチ ャー101al會 4,そ して秋は チ ■ , 會 3で あるが外 にに大會に仙壼 .横 濱,大 阪,長 崎 に全 nql行 つ たので10月 は家 に寝 たのが 3日 とい うレコー ド 臼lち 9/23飯 田のチ ャーか ら始 まる,豊 橋 か らロー タ リ 泉 に 1泊 清遊 し,28の 尾 の チャーに引返 した 寝竃車 では出中 ノ ミニーや「友」のlYllr・ ,川 崎 の諸君 ll‐ . 発 野 50 (1015) 雀日横須rTの 人達 と 、を見學 したが是 も初Jめ て 佐i久 間 ダヱ 売 元 ` 升 本 総 本 店 升本喜兵衛 取締役 社長 東 京 都 新 宿 区 揚場 町 四 番 地 THE ROTARY_NO― TOMO と一緒だつたので歓談 した。大會開催地名の奴 々逸,昨 年 の様 に,列 べ てお くが座興 になれば幸 仙豪 「世界貫 く 運動なれ ば 誰か協力 厭ふべ き」 横濱「呼べ ば通ふ よ 心 と心 花 も険 こうよ 員心 の」 大阪「お出な さい よ 大阪 の 會ヘ サー ビス身 につ け 婦 りま しよ」 長崎 「(降 伏迄 )永 くもないのに 我慢が出末ず (原 爆 を 落 して)靭 て もお前の氣短か な」 横濱 の ‐ 般討議は柳瀬 さんが司會 して,小 林 さんがテ ーラーの通繹 をしたが,あ の 4つ のテス トの Truthの 設ワJの 場面は とても感銘 的だつた,其 後各地 で此話を たが此 ビッタ リと1呼 吸 の合つ た場 面 を捕えた t´ 尾西 では 「美人だけ サー ビスす るのは いけません」 か「 ビジ ネスに サー ビス心 入れ ま しよう」な ど呈 し,そ こか らは,一 度家へ婦つて月末 の (公 李 でない)と 用■をして 1泊 れ で計 3泊 )31日 又出残 して明石経 由 路1誌 洲1本 のチ ャーである.蚊 で も特別代表 の明 石の矢野君 が代表lTJl簡 7を やれ と云 うので,ス モ トシを 4 つのテス トに配ダJし て炭坑節 で歌 つた「 すべ て員賞 で正 (こ 11/1淡 ク ラ ブ 月 報 は讀 まれている 高松 RC 佐 々木 濃 三 雑誌 を人 に讀 んで もらうためには,あ らゆる努力が そ ゝがれ る.雑 誌が末 て も大抵 は積 んでお くだけ,目 火 を見,め くつてみて目をひ き,讀 んで もらうのは中 々 ロー タ リーの友 は誠に美 しく,請 み易 く,随 所 の富具 もまた印象的 である ために Rota」 an 誌が英語 であ るし調みづ らいので,調 者が減少す る謂 の ことである か も知れ ない さて私 も高松 クラプの會長 な らびに 會報編集 を lヵ 年間 やつて きた.會 報 を交換 して い るク ラブ敷 は127ク ラブで,大 部分 が ハ ガキの週報版,月 報は首60匠 5, 首62E4,菖 63日 32,奮 64匠 10,合 計51で ある それ 等 の月報 を私 の クラブでは師1兜 後 は クラブ別 に とじて 保存 し,な お高松 日米文化 會館 に ロー タ リー 文庫 を作 り保イ ′してある.各 クラブの雑誌委員 の御骨折 を思 い その月報 の讀後感 を書 くわけである 大 さは どこも大抵 一定 してい るが 東京 は タイプのた しくて, もつ と明朗公李に,友 は仲良 く援 けあい,員 に ナしてを待するや」 めで大 きす ぎる.網 走 のは小 さす ぎる.活 字 は大鎧 9 ボが丁度 よくはなかろ うか しか し高松 は 8ポ イ ン ト ,婦 途 は束洋紡 の車 で南 ド, フェ リーボー トで鳴門 に渡 り,徳 島 に 1泊 ,翌 日は小松島 の例會 で話 した。 東洋紡 の工場 を使用 して い る やつ ば り本印届1が 好ま しい と思 う 紙 は一般 に非常 に良 質 で,葛 員 も鮮明 で気持 が よい しか しあま り澤山盛 りす ぎて,全 備 が ペ チ ャンコで汚 長 の中村君 (前 今治會員)が 出席奨勘委員だが, どうも 低調 と喚 いていたので其庭 に重識 を置 いて話 した 其後 く見 えるもの もある.色 届りり高員入 りで誠 lC立 派 であ るが内容が貧蒻,例 會報告 だけの もある 會長か らも「御蔭 で出席 が よくな りました」 と御謹 を云 われたが最近 の統計 では63匠 第 1位 である 内容 は主 として例會報告,卓 話 であるが クラブによ りいろいろな企書 もあつて個性があ り面白 く思 う.例 えば四つのテス トを巻頭 にクラブ名 と共 に出 してある lyl石 か らは明石 クラブの用意 した特別船 で直行 1143京 都東 11'23館 山のチ ャーに も行 つ た,以 _L8ツ の ーの チャ 中京都以外 では全部 ス ピーチをした 館山へ は 横須賀 の人達 と一緒 に浦賀か ら船 で渡 り,出 迎えのパ ス で式場へ 館山は本更津のチ ャー後,外 房廻 り411光 班 に 加わ り1泊 したF/rだ が,今 度 も泊 つて牛乳風 呂 に 入 つ た 館山 の奴 々逸 は ROtary Songで 糎 め「放は道 づれ 手に手をつ なぎ やあ と云 をお よ マナ スルで」 マナ スル登頂の映画は,近 来の感激編だが,あ の team work と努力が Fく 成功 を牧 めしめた もので, ロータ リー修養 の高峯 に“ 於 て互に相 まみえて,ヤ ア と呼 び合 い度 い もの である . のが武生,高 槻 , クラブロ誌 が,Ч 日市,年 中行事京都 東,會 祗訪問高槻 な ど日につ く。 一番大切 な ロー タ リ ー情報 に利用 してい る クラブは饉釜 ,東 京西 ,京 都 , 前戸西,新 居演,今 治,高 知等 で紙面 に餘裕 があ り白 紙 を澤山袋 したま ヽの クラフ も見受 ける.何 故 に指導 に力 を入れ ないのか.自Π年次大會 とか協議會 とか 1日 講習會,イ ンター シテイの協議會等に出席 した人の報 告 や感想 ,最 も重馳 をお くべ き問題 を載せ て再教育す べ きではないか と思 う . 地味 ではあるが内容 もあ り立派だ と思 うのが 日南 , 伊束のチ ャー1210の 大島三原山の観光は日本晴 の 富士山を眺 め られ, とて も良 かつた.p/8は 美濃 の例 會 奈良,岡 山 とい うところか。 なお麦行 日がだ らだ らし て,そ の月 に末 な い.月 報 であるか らには少 しきちん に話 した 滋は大阪大會 と同 日にチ ャーをやつたので出 席出末なんだが, プロ,参 加者名簿,記 念品 な ど 貰 つ きちん とした方 が立派 では ないか.週 報 も出 し月報 も 出せ とはぜ いた くであるし,手 間 も同 じで且 散逸 は月 た 蹄途は教えられた通 り電車 で岐阜に出たので,急 行 なにわに乗る事が出来 て,前 夜伊東 に着いた 報 の方 が少 い.又 経済的に もあま り違 わない と思 う 高松 では會報 には 6千 園 よ り8千 園 をつかつてい る 12,9は ロ ー タ リー の 友 -10月 駐 . . (roi7) 51 駅理 無 寺 の 由 来 (大 阪 RC) 日 出 常 順 大阪 の 名所菖跡 と申 します と,先 ず大阪城 と四天王 寺 天王寺倉り 立に開連 して重要な ことは,聖 徳太子は祗 會 事業 に力 を蓋 され,寺 の北側 に施薬院,療 病院,悲 田院 を建 て られ ま した。 療病院 は字 の如 く病院 で,/Hi葉 院は 薬 を興 える ところであ りますが,悲 田院 とい うのは 養老 院 と育兒院 の事業 であ ります。 これ らの事業は佛教 に興 が畢 げ られ る と思 い ます 。 え られた大切 な事業 である とい うことを太子が残 してお かれたのであ ります 祗 會事業 として文献 に雙つ ている 聖徳太子 が四天王寺 を倉1立 され ま してか ら今 日までに 1364年 を経過 してお ります.天 王寺 の五重の塔,七 堂伽 世界最 古の ものであ ります 四天王寺は そノ L以 来 この祗 會事業 を致 してお り,年 々 人阪の ロー タ リー ∼ ′フか ら 藍 が高 く聟 え立 つた営時 には瓦 をふ いた家 は 1軒 も な く,常 時 の声 の まろやの掘立 て柱 に,茅 ぶ きの家 もこれ らの事業 に対 し御配慮:い ただいておるのであ りま す。 に住んでいた人 々の瞳 には,四 天王寺 の建立 は驚 異 の眼 で もつて迎 え られた と思 い ます 聖徳太子は何故 に四天王寺 を建立 されたか と申 します と,寺 の名前が示 してお ります通 り,四 天 四天王寺 は罹 災の多い 十で,倉」 建以木塔は 7い も災害 を受 けてお ります りFし 羅災す る度毎に空 の信仰が起 り,何 ガ 徳太子讃口〕 しもに派 に 再建 して │ . て お ります_昔 の通 り五重 の塔 の あつた場所 :こ は ′ こ 王 とい うの は印度 の耐話 にあ るように,世 界の中心 に須 蒲 LJJ(シ ユ ミサ ン)と い う大 きな山があ り,そ の中腹 に 重 の塔 が 建 ち,金 堂 の跡 には型徳 太 子が建 て らたれ と同 東西南北 に四つの性 の護守耐が居 られ る 持國天,増 長 天,廣 目天,多 聞天 (毘 沙門天 とも云 い ます)こ の四桂 の守護l d唯 平和 と幸面 を司る耐様 なの であ ります そ うい う意味 で も宗教的 lC ことが 申 され る と思 い ます 電徳大子が政 治 を撮 られた始 め頃 の10年 間 は朝鮮問題 に修始 され ,兵 2萬 を派 して朝鮮征伐 をされた こともあ りま したが,後 には一切李和 に よる李定 の手 を 用 い ら じ規模 のお堂が建 ちます カ れ ,平 和外交 で もつ て飛鳥時代 の文化 を造 られたのであ ります 四天王寺 に祭つ てある守護前 の四天王は,特 別 の祭 り方 で四 性 とも組 て西向 きに一列に立 つ て お り ま (静 ll」 フ RC) エ ll命 の ある寺 であ るとい う イ ン の 話 森 謙 治 郎 を四天王寺 に所願 を こめ られたのだ と思 い ます。 茶は高債 な ものであるが,茶 を再生するとき 1%も 茶 の層がでるので,カ フェイ ンは, これ を利用 して製造す る カフェイ ンは,御 承知の ようlC中 粗l m組 を興奮 させ 四天王寺 は聖 徳太子 の倉J建 以末 1300年 庶民 の信仰 を件 つ て妻達 して参 いつたのであ りますが,聖 徳太子 に源 を る働 きがあ り,心 臓 のlJlき を高め,脳 の血管 を撮張 させ る作用 があ り,疲 労回復 に大 きな作用 をす る.又 ,利 尿 獲 して以来, どうい うことをやつ て来たか と 申 し ま す と,1/b教 の教 えに より昔 の人は固 く信 じておつ たのであ の効果 もあ り,脚 氣には な くてな らない葉 である 従 つ て今 日では,内 地 の茶の層だけでは足 りず, イ ン ドか ら りますが,西 方 に極業浮上があるとい う思想 です.天 王 紅茶 の層 を買つ て くる次第でぁ る カフェインの国産 を 作 つ たのは,私 の會耐が最初 である.カ フ ェイ ン製造 の 端緒 を申上 る と片山不次郎 とい う人が いて工場 の請願巡 査 をしていたが,茶 の粉 に石灰 をいれた ものが外國 へ輪 す。 洋 々たる國威 を固 く守護 せ しめる とい う太子 の念願 寺 か ら申 します と西間 であ りますが,極 柴 か らは東門 に あた ります そこに石 の.烏 居 が あ りま して,わ れわれ現 賞 の悩みの多 い世界か ら極楽 の世界 に達す る門 になつて お ります.澤 土教 の誇 りとす る大 きな源動力 をな してお り,今 日まで庶民信仰 の道場 とな り八宗宋學 の場所 であ り,庶 民 に親 しまれ て きてお ります 52 1。 48) 、 出 され るの を不審 に思 つてい る内に,工 場 で再生釜 の周 りに茶 の粉 がつ くが, これ に人がつ くとしわ しゎ もえて い く, それ をよくみ ると, もえる前に白い饉の ような紺 THE R()TARY_NO‐ TOMo 品 がで きることを磯見 した これはカフェインが品華 し ていたのである.こ の人は茶の産地 である静岡にきて八 ・ll業 化 し tつ ぼつやつていた これ を 番町 でこの獲見 を 中村園一郎氏,上 田長次郎氏等が援助 して,第 一次大戦 l‐ の頃は事業 もどん どん大 きくなつた ものである,営 時 の 製法は,直 径一尺位 の回筒形の籠 に茶 の粉 をいれ , これ をブ リキの土管様 の ものの中で炭 をや くように,通 風の 悪 い状態で もやす する とカフェイ ンが蒸氣 になつて冷 たい鐵板 の蓋 に附戸fす るので結1111を くり返 して精製,製 造するものであつた 和 時 (耐 戸西 計 RC) に つ い 川 田 ドラセーナ市 RC て 正 夫 私が和時計に心 を奪われたのは,或 る時清 く澄んだ鈍 の音 を聞 いた時 に初ま りその音は到底現世 の音 とは思 え ず天國で響 いてい る者 の様 に感 じ其 の音 の本證 が幽玄 な 和時計の姿 であ りま した 和時計 とは「機械時計が吾國 に渡末以後,祀 先が之 を 咀 咽7日 化 し,自 らの知識 と技術 に依 り製作 された徳川時 代 の大陰屋に依 る時計」 と考えて居 ります。和時計 の話 には常時 の歴 を理解 していない と何等の意義 も無 く,興 味 が牛減致 しますので簡軍 に申 します と (下 国参照 )1 日を12分 致 し (12等 分 に,Fず )書 は明 (ア ケ)六 つ lC始 ま り,暮 (ク レ)六 つ に終 つてい ます。時 の敷え方は九 つ に始ま り六 つに絡 ります。之 と同時 に方位 の十二 支 を 時 と結 びつ け夜牛 の九つ を「子 の刻」 とし以下丑,寅 … …′ Fと なつ て員書 を示 し,以 下木,中 … 亥 と同 じく一 日を12分 (12等 分にブドず)し て居 ります.之 を現在 の時 刻 に比較 します と下同 の通 りです。一番外周 は現在 の刻 時法 を現わ して居 ります.徳 川時代 に於 ける刻時法は歴 學家 と一般民間 で用 いたの と違 つ て居 りました。一般 に は夜明 より日暮迄 を六 等分 し叉 日暮れ よ り夜明迄 を六 等 分 しました.従 つて時節 に よ り「夏至」 には善 の部 が良 く 「各至」には之の反封 の現象にな ります.然 し此の 複雑 な不等分刻時法を克服す る篤 に,世 界 に冠たる精巧 な機 械時計 である 「 和時計」を生み出す 因 ともなつ てい ます 丼啓 げます 宮 原 毅 徐 々御健勝 の御事 とお よろこび中 L 毎月御恵途 の ″ロー タ リーの友″有難 う御 座 い ます。 母國 に於ける ロータ リークラブの動 きを知 ることが出末 ます と同時 に私たちの ロー タ リ ー活動 の上 にこの上 なきよき刺戟 とな り毎晩 │ よろこんで寿讀 しています 窮員一葉お途 り致 します.新 役員就任式 の 時 の光景 で,マ イクで話 しているのが私 で 1956-57年 度 の會長 として年間事業報告 を行 , い,後 に會長 のパ トンを渡す辞 を述 べ てい る ところです,向 つて左Fllが 新會長 の HgOsd_ nho Yared君 で, 州立 銀行支店長 です,場 所は町外れ のシ ャーカラ (小 荘園 )で ,就 任 式後 シユ ラス コの會が有 りま した.シ ュ ラス コ と云 うの は,牛 肉 の串焼 の事 で,ブ ラジル では最 も御馳走 となつてお ります こん どのシユ ラスコでは約 200人 ほ どの客 . で盛大 で した。 向つて右 よ り警察署長,検 事 市役所電氣課 々長,私 ,新 會長 ,外 です.ブ , ラジル は今 コーヒーの探集最中 です 大證 8 月一杯 には絡 る豫定 ですが,値 段 が豫想以上 なので農家 も商人 もに くほ くです . 「和時計」の嚢生は支那 等 よ 全世界 の ロー タ リーの歩 みの中 で,私 と云 う小 さな 1個 の人間が人類祗 會奉仕 の理想 に 燃 え て,生 きる ことに依 り自己の存在 の如何 り博末 した舶末時計 の修理か ら 漸次部分品 の製造 に及び,遂 に に大 き く,訂 債 され るを思 うとき毎 日の仕事 に ロー タ リーの奉仕 の仕事には生 甲斐 を感 じ 私共 の祀先 の趣味 を加味 した完 成品 へ と進んで行 つた もの と考 るのは楡快 です 全 日本 の ロー タ リア ンの諸兄 の多幸 を所 つて え られ ます 営時時計師は,一 子相博 として名人藝 を誇 リー 代 聾下 さい.敬 具 . ロ ー タ リー の 友 -10月 壇 ブ ラ ジ ル 便 り . 己み ません,編 集委員 の方 々に よろ しく御風 1957年 7月 30日 凌信 ( l04e ) 53 に漸 く数個 の時計 を鑢 一丁で造 り_Lげ て居 た らしく,二 個 と同 じ物が有 りません,元 隷年間既 に二丁天府日1ち 書 夜 の長短 に依 り自動的 に時間 を調整す る精巧 なる機械時 計 が現われ ています。明治 6年 ,太 陽歴 の採用 と共 に幾 百年培 われた技術 に よつて出来 た和時計 は情 し気な く葉 て られ て しまいました。和時計 の逸品は國外特 に英國 に 持出 され て しまい,彼 地 で反 つて我國 の古 い工藝品 の優 れた慣値 を深 く認識 され ま した。 和時計 の種類 は大備櫓 時計 ,枕 時計 ,尺 時計 の三つに分 け られ ます.最 後 に和 時計 の観賞 は,1.全 饉 か ら受 ける感 じの獲化,2.カ ラク リ (機 構 )の 憂化 に よる興味,歯 車 の数,材 質 の愛化 , 日覺 し打鐘装置,歴 日表示装置,歯 型 の奥化等 々,3.鐘 の型及其 の音色,4.文 字盤 の仕上方法,5.指 針 の形 (敷 百千種 の形 がある)6.ワ ラビテ (鐘 を固着 させ るネ ジ) の形 の愛化,7.重 錘 の形 と其 の重量,8.附 局物 (釣 菫 櫓,容 器 の形及材料)等 何れ を とつて も人 の心 を打 たな , い ものは何一 つ あ りません 国 際 放 送 (高 知 RC) 知 巳 国際放途 は もとも と英国 が廣大 なそ の植民地 を結 ぶために利用 された もの で,本 国 の経済力 ,工 業力 を植民地 に 侍 たた ものでパ ーナー ドシ ョウ翁 な ども登場 した。 とこ ろがその後国際間 の緊張 が募 つて末 て謀略宣博 が行われ もとは平和的 ,建 設的 な国際放途 が破壊 的 にな リヒ トラ ー,ゲ ッベルスが盛 lC利 用 した。 そして1ヒ ア フ リカ圏 に ドイツが花やかに放途 した ことが顕 薪 で あ つ V・ll´ て, た,わ が國 ではNHKで 昭和19年 を山に して 1日 33時 間 ′ 20数 力國向 けの国際放途 を行 つ たが太李洋戦 FttG H Q ICよ . は 120キ ロが最張 でその他は どこ も 100キ ロが頂鮎 であ る 放途時間 の トータル は 1週 間計算 で英國 579時 FHIァ ソ連550時 間 ,米 190時 間 , 日本91時 間 ,中 共 も日本 くら い,10Clキ ロの途信 で 日本 の16に 封 し中共13, 日本91時 間中共93時 間 となつている.BOAと モスクワ放途は政 府放途 だが これに封 し日本は公共企業證 の国際放途だけ に客 III性 が張 く, この瓢 がitわ れ て好評 だ と い つ て よ い 何 しろ國情 ,民 俗性 を異 にし利害開係 が件 うので よ く注意せぬ と飛んだ ことになる.例 えば経済放途 で東南 アジアまたイ ン ド向 けの場合,先 方 は よく聞 いて くれ る が, 日本 の経済攻勢的 に耐経質 に受取 られ る場合あ り その粘 とて もデ リケ ー トである.エ ジブ トに よい と英国 にはわるい といつ た ことも起 るのである。 また中共向 け 放途 の場合,政 府 の考 え方 と財 界 とが ビ ッタ リなつてな , い場合困 ることが起 る,日 下 13本 を15本 にしたい と折角 計査 を立 てている。近頃 の南極探除除向 け放途は13本 以 外 でやつているが一行 の希望す る放途 の内容 は第一故園 の 話 大 原 ユ 、 作成費 はNHKの 作響 まかなわれている 世界の放途局中で張力な “ `で のはやは り米国 と ノ 連 で あ る。殊 に米国 では 200キ ロの途信機 を持 ち世界一で ソ連 つて中止を命 ぜ られた。 27年 2月 1日 再襄足 し分放 途 を 5時 間出 したが その後増加 して現在は華北 ,華 中 イ ン ドシナ, タイ, ビル マ, イ ン ド,パ キス タン,近 東 , 地帯 ,欧 州 ,ハ ワイ,ア メ リカ,南 米 , ヒ リッピン,濠 州 な ど13地 方 に 1時 間ず つ電波 を出 し日,英 語始 め16カ 国語 を用 いてい る.こ れはHNKが 政府命令 で放途 して の ニ ュース,第 二宗教 の聾,第 二 音柴 といつた ところ一 行 は 日中は働 いているので録音 テ ープに とり再製 して夕 食 の時 に開かす,ま た新間 を疲行 してのせ る といつた風 に利用 し大憂好許 だ とい うことである 国際放途 で反響 のあるのは ソ連 で こち らの放途 にllし ゛ てす くそれは異 うとはね返 して くる.(NKH国 際放途次長) . 匂 ぃ ご 文 化 生 活 (堺 RC) 兒 玉 武 八 匂 いにy.fす る感度 は人の感す る度合 と動物や昆虫のそ れ とは大 きな開 きがあ るし人間同志 で も民族 に より性別 に より年齢 に依 つて多 くの枠1違 があると共に同 じ人間 で も身證 の調子が悪 い時 とかり1夕 の食物 の関係等 に係 つて を下す事が よ 非常 に感覺 のItl違 が起 り時 lC間 違つた をやる場合一番望 制作'1断 く有 ります。 そこで匂 いの鑑 い るのだが,時 間,方 向,内 容 な どは政府 の干渉は受 け ず大 ざつば な規程 があるだけで内容 は決 して役Frf式 なか たい もので ない ところに特色がある。 これ に封 し政府 の い時 で然 も深夜人が寝静 ま ま しい條件 は身證 の調子 の よ"1や つて つた静かな場 FJfで 雑念 を断 試 る事が一番 よい方法 と され て居 ります.匂 いには香気の低 い もの高 い もの中間 に局す るもの或 は上立 ちの甘 い匂いの もの ニガイ もの酢 交付金9,500萬 lalが あるが途信機 は 100キ ロワ ッ トの も の 7壼 ,50キ ロワ ッ トの もの 6菫 計 13菫 が フル に動 いて い る.こ の途信機 は国際電 々公祗 の もので これ に排 う使 用料 が, ざつ と政府 の交付金 に似合 う額 であ リプログラ いて例 えば新鮮快活 と云 う様なハ ツラツた る匂 い或 は E「 味濃艶 を偲 ばせ る様 な匂 い,又 は静寂高貴感 を表現す る 54 (1050) パイ匂等表現すべ き雑多な ものがあ りますが匂 いの調香 技術者達 は自分 の 目標 とす る夢 の作品 を長 い経験 に基 づ THE ROTARY_NO‐ TOMO 匂 い等を作 り上げて行 くのですが, それは丁度画家 がす るどい感覺 の ヒラメキを給具 の色彩 に乗せて行 くの と同 様な境地 と云 う事 が出末 ま しよう。香料 の配合技術面 で はまだ科學的な解明が充分 でない鳥永年 の経験 に基 く人 間 の感所 が一番大 切であ り,物 を云つて居 る現状ですか ら一面 それだけ科學的な メスを入れ る餘地 が残 され て居 クラブ か ら プラ イ ズ まで る とも云えましよう. 1 匂いが人間 の七活 の中に取入れ られたの は既に50∞ 年 も以前か らで草根本皮 を署薬品 として用 うると同時 にそ れ等か ら放つ香気 に封 ヒー種不思議 な敬虔 の念 を持 つて 之 をあが める様 にな り,や がて この感情 は之 で 自分達 の ゴル フ用 品 の 売 場 が広 く な りま した。 クラ ブ・ パ ソ グ・ キャップ・ ズ ボ ン ●ジャ ンパ ー 0ポ ロ ンャツ・ ンュ ー ズ・ グ ロー プ 等 御 婦 人 用 も各 種 豊 富 に取揃 え て お ります プラ イ ズ は 特 選 雑 貨 を 主 と して実用 的 で ンャレタ もの をおす す め いた してお ります ● 5階 ゴ ル フ 用 品 売 場 心身 を浮 め亦耐佛 の儀式 に封 しあがめ用 うると云 う事 に なつたのであ りま して匂 い と人41々 活のつ なが りの第一 期 とも云 うべ き時期は先ず この時 │ヽ か ら と云 え ま しよ う。 文りlが ギ リシヤ.ロ ーマ時代 に移つ てか らは匂い と云 うものは世界中で一番 rt重 な賓物 として貴族階級最高 の 趣味藝術品 として尊重せ られ,彼 の歴 史上有名な クレオ パ トラや 英雄 ナボ レオ ンも常 に肌身離 さず愛好 した と云 われ て居 ります そこで世界中の人 々は この貴重な香料 を探 し求 める篤 に幾多の■Lを 流す人事件 を起 した り,或 は遂 に遠洋it海 に乗 り出 して新大陸凌見の動機 を作 る所 までに進展 したので あ ります.斯 くの如 く香料が重要祠 せ られ其需要が激檜す るに従 い16世 紀頃 には従来の草根 木皮 か ら水蒸氣蒸溜法 に依 つて匂の有効成分 のみ を取 り 111す 方法 を獲見 して液碑香料へ の画期的一大進歩 を見 る 大阪・ 梅 田 電話 望‖ :‖ (36)1381 ‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖‖Ⅲ‖‖‖:‖ ::‖ IⅢ !Ⅲ :lln‖ ‖Π‖口l口 nllrn‖ ‖‖ 1:L豊 ":‖ 昌 へI桑 [詈 に到つたのであ ります 従 つて従来 の様 な天然 の ままの '方 法か ら一歩 を進 めて香具や化粧品 姿 か ら匂いを嗅 く 石鹸,歯 磨 ,食 料,β 人料水等 を通 じて匂 い を味 い楽 しむ 11々 活 の繋 りが成立 し匂いの第 事 に襲展 し滋 に初 めて人′ , ニリ 切とも云 うべ き時代が出現 されたのであ ります。 更に 世の中が進 むにつれ て香料 の需要は到底今迄 の草 ≡ 根木皮か ら探取す るだけでは其不足に困 り抜 いた折柄 ≡ 丁度19世 紀 のイ f機 化學 の進歩獲達は,必 然的 に鉾先 を之 等の香料化學 の 11に 向け られ其天然香料 の化率的構成 々 , 分 を究りlし ,あ らゆる合成に依 つて重要な香米│を 而 も大 量安偵 に製造す る ltを 得 て香料界に一大革命 をもた らせ たのであ ります . 以上の様 な経過 を組 て化粧!:11界 ,石 鹸,曲 磨 界,飲 食 詈 りJリ ュー■ . ● ・ タ リー の 友 -10月 境 ■ ■ ■ ■ ≡ 三 詈 J ≡ は切つて も切れない必需品 として直結 した完成期 を迎 え は際限な く横がつて行 くもの と思われ ます ■ ■ イ ル Iiタ ラ 言ビ 料界の 菓子,酒 ,煙 草等は中す に及ばず多 くの文 化生活 方面 に大量 に使用せ らるるに至Jり 滋 に人類 の文化生活 と たのであ ります。之 を香米1獲 達 の第二期 と申す事 が出末 ましよう 文化生活あ る所 に必ず よき匂あ りで匂の葉園 床張材 材 4≡ 財 ンドヽ ‐卜 争昌 ■り J虔 ● ^Jい ヽ _■ ,羊 ≡ :JJリ ュ ーム彗議 匡 取締役社 長 町 田 信 治 ≡ 伊 丹 市 伊 丹 五 五 八 ≡ ≡ 本社 ・ェ場 輛│││││││││││││!│lllllllllllllllllllllllllll!││!lllllll:│││││!ll!!!‖ !l:::‖ !!││:│::!lllll!│:1戸 (1051) 55 妙 と法 とも り へ だ て ヽ賀 茂 の 森 ふり 向 ひ て こ ゝ も と も れ る 左 大 →永 都︶ 一 二 口 m 草 秋 次 男 年町 へ あ か り 目 あ て に 山 り け り 漸 く に 雨 上 り つ ゝ 鉾 進 む あ す か ら の盆 休 み と て町 工場 懲 山︶ 園 田 郎 一 居 石 懲 の 槌 穆 や 三 百 年 の 藁 収 吉 中 小 谷 閑 散 な 待 合 室 の 回 励 か な 漢 廂 山 松 に 十 一末 鳴 く 披 講 か な 新 知薔 知 寄 り て 山 坊 夏 句 會 かり そ め の綸筆 に 秋 の 立 ち に け り 銀 小 部 屋 二 つ 小 火 鉢 二 つ 一夜 庵 砥 部 境 に寄 書 き を し て岬 涼 し 穆 U 酒 井 梅雨 の 雷 門 き つ ゝ船 や 音 戸 航 く 古 圏 易 故 人 の俳 句 捨 てが た く 称 U 松 李 賓 忠 川 晃 田 回 羊 年 家 山 二 の 吉 II 山十 山 定 七輪 に使 う うち わ を えら ぶ妻 毬 山︶ 松 野 高 く低 く 圏 励 か ざ し て 盆 踊 脊 に汗 の にじ み て盆 の踊 かな ︵ 松 山︶ 闇¨ 涼 風 や 港 祭 の お 茶 の 會 涼 し さ や 踊 仕 度 の 女 部 屋 ︵ 松 じ 清 水 役 者 給 の 圏 場 を 腰 に 盆 踊 持 ち慣 れし古き 圏 場 を 捨 て か ね て 住 に 阿蘇 涼 し 火 を 吐 く 憫 見 つ ヽ 行 く 瞳 を 戦 座 后 下 檜 □励 や か にかく梅 雨 の明 け に け り 白 雲 果 零 皇 水 羊 方 九 竹 緒 見 事 な る 念 佛 堂 の 盆 燈 籠 棚 に 寄 れ ば 秋 風 二 月 堂 実 し 藤 原 如 鮎 川 へ逆 落 し な る 法 の 礎 川 下 に夕 暮 富 士 や 鵜 飼 ま つ 看 護 婦 ら 浴 衣 揃 た し 盆 踊 冥 じ 藤 木 摩耶 の灯 よ 六 甲 の灯 よ 夕 立 や む 耐 苑 の涼 社 と 聞 く だ に も 山上 に 耐 震 の 梅 干 す 巫 女 だ ま り 夏櫨 邊 に 衣 裳 箪 笥 や 巫 女 だ ま り 大蚊帳 小 に き さ 枕 や 坊 泊 り 晒 したる 山 の 井 に は や 水 鳥 農 じ 津 島 政 子 せヽら ぎ は 脚 下 に 月 は 山 の端 に 高 じ 齋 藤 い さ む ︵ まど ろ め ず 又 客 の あ 藤寝椅子 り 載 出︶ 清 水 一 羊 女 ︲ 避 暑 かね て 議 の會 や 白 峰 寺 盆 じ 入 江 海 堂 山 虫 の音 を はや聞 き そ め し 瑞 居 か な 城 掃 苔 や祀 先 の墓 の いか め し く 大 い な る 蚊 帳 に 放 愁 の 一人 か な 朝 顔 の今 朝 の 大 輪 食 卓 に 実 じ 生 駒 牛 舌 じ 逸 見 床 涼 し岐阜提 灯 のよ く ゆ れ る 曾 じ 逸 見 女 蝸 山 御 扉 を 開 け し 佛 や に と ヽぎ す ざ わ めき も 漸 く 止 み て夜 涼 し ︵ 高 む 佐 々木 令 山 時 女 學 の話 好 き な り 盆 の 檜 実 じ 一 昌 久 芙 者 子 次 々 の 仕 掛 花 火 に 舟 集 ふ 実 し 大 谷 坤 静 赤 ン坊 の 丸 裸 な る 暑 さ か な 実 じ 森 信 庭残 暑 小 さき 石 を敷 き つめ て 山 菫 の霧 に 暮 れ ゆ く 誕 生 日 山 プ ロベ ラ船 や や退 屈 に皆 書 寝 ︵ 倉 3 〓一 宅 玉 弓 章 浦 人 つゞき闇 の茅 の 輪 を く ゞ り ゆ く 需 岡︶ 戸 田 河 畔 子 静 王 方 丈 の 大 き 柱 に 涼 み け り 貧 B 池 上 汀 興 と バ ス行 き 會 ふ て 居 り 夏 祭 実 毬 中 野 耳 頃 走 馬 澄 ふとあ る風 に廻 り け り 篤 B 奥 田 紫 日 焼 し て 市 本 乙 女 踊 良 し ひぐ ら し や那 智 槽 現 の高 き 酪 雨すぎ て のうぜ ん の 花 落 ち た ま る 冥 g 田 中 万 洋 石 切場崩 れ し 跡 の残 暑 か な 実 阪︶ 大 谷 ひ さ 子 朝 顔 を数 へ て 病 癒 え に け り 実 じ 下 田 成 タ 庭燈籠 ひともす事 も客 も うけ 魂 迎 へ魂 途 り し て 婦 ら れ し いさ ぎ よ し 大 夕 立 末 カ ラ と 晴 れ 撤 水夫木 蔭 に 憩 ふ 暑 さ か な 実 t 早 川 海 禿 山 は 伊 賀 境 と や 雲 の 峰 ︵堺 ︶ 田 川 は ち 露 夜 燿 き の看 護 婦達 のう た の難 畷 じ 清 水 THE ROTARY_NO_TOMO (1052) sti 木 海 花 一 面 月 児 革 1 じ 宇 野 ︵ 町 ` 大 文 字 の 一割 風 に ほ む ら だ ち こヽ に 見 る 字 割 た ゞ し き 大 文 字 大椋 のか ぶ き る 亭 に 大 文 字 餘 瓶 葱 籠 桐 雨 光 兵 術 み つ 〓 円 耕 日 = 放 牛 の 河 原 桂 子 供 等 を 叱 る は無 理 よ岬時 雨 竹 の小 庭 萩 の小 庭 と 並 び ゐ て 需 型 古 橋 山 婦省子 にかま け 手 仕 事 は か ど ら ず 待 ちわび し 人 と 夕 帥 や 潰 お も と 森 舎 膏 田 ′︱タリー 鉢 壇 狭 女 看護 姉 の 別 人 の 如 浴 衣 着 て 手 術 室 窓 を 開 け ば 秋 の 風 じ 宇 野 つ や 女 ︵ 今 ム フラ ン ス語 いさ ヽ か 通 じ 浴 衣 賣 る 層 3 栗 原 盆 かな か な の 二 谷 か け て 鳴 き 競 ふ ︵ 墳 g 賓 子 山 紅 葉 空 椅子 は テ レビ に 遠 し ビ ー ル 酌 む 案 こ 佐 藤 子 波 草 元 別 荘 の子 ら 健 か に 土 用 浪 継 じ 黒 部 夕 岬 や 西 日 の 営 る 床 柱 響 邑 岩 田 出 故 高濱 虚子選 燈 生 に 物 冠 川︶ 大 塚 千 々 二 古 竹 谷 をiるづ郷 の 揚 舟 に ひ と り も た れ て盆 の月 踊 り つ ヽ露 けき も の に ふ れ に け り 穴 E 大 沼 雌阿寒 の細 々 と し て 登 山 口 放 はる か末 し野 の く ら さ 北 斗 か な 響 屋百 松 浦 お座 敷 で蛤 境 いてく れ し こと 剛 茶 に は 非 ず 時 雨 の茶 漬 か な 美 衛 館 出 て バ ラ 展 へ歩 を 運 ぶ 2 古屋西︶ 澤 田 一 詩 文 花 村 空 港 に下 り た つ 朝 の 月 見 草 缶 長 は夏 の風 邪 と 人 に逢 は ず ホ テ ル の婢 み な 蝦 夷 乙 女 白 絣 夏雲 や 牛 馬 を わ か つ 馬 柵 つ ゞ く 男瀧 女 瀧 な ら び 落 込 む 茂 り か な 響 屋芭 詣 井 桃 汀 紫 陽 花 や庭 の手 入 れ も 等 閑 に 燈 籠 に封 し い っも の端 居 し て ■ 邑 松 本 泉 荘 富Ⅲ 風 静 短夜 やまだ起 き てゐる湯女頭 稿 崎︶ 杉 本 塀越 し に 月 の あ が れ る 端 居 か な じ 隅 野 , 倫 房 の涼 し さ に慣 れ 岬 にな れ 3 毬 穂 積 山 揃 門 ふ 雲 の 本 野 内 松 足 盆 早 の 北 窓 は 夏 こ つど いた るう から に盆 の祀 母 せ わ し ス 戸︶ 大 沼 波 奈 女 上 流 し舟去 り ゆく 〓一味 の に ぎ や か に 坂 な れ ば 打 水 し と ゞ流 る 路 地 火 岳 草市 の 荷 に か こ ま れ て 費 銅 と る 革 市 や乳 ふ く ま せ て 商 え る n じ 原 山 青 ′ 偶 本 土 野 冷 食 新 掃 ゴ 寛 一 大 妙 物 大 本 草 取 つ て遅 き 朝 飩 の夫 婦 か な ‘多方︶ 佐 藤 一 ︵ 噺 の 檎 山 永 1綱 風 雲 の峯 う ら か ゞ や き て テ レ ビ 塔 煙 天 の さ 海 の帆 の 二 二 の景 の霞 戸 か な 案 ← 山 田 川 笠 にな ひ末 る 七 夕竹 に途 ゆづ る 識 別︶ 河 野 三 千 雄 炎 天 の昆 布 の 波 に 泳 ぐ 子 ら 船 か 千 [││ 北 蛾 夷 の夜 明 け の早 く 昆 布 船 昆布 干 し て 番 す る 子 供 査 寝 か な て の 一人 居 の 灯 影 大 き く 夜 の 秋 革市 の 荷 に う づ も れ て 子 は 査 寝 静 登 u053) 57 ロ ー タ リー の 友 -10月 脱 け 日 と 花 り石 く り う ││1 更 明 高 ビ「 智 ル 智盆 の の 町 濱 り 檜 景 川 日 し街 字 橋 子 口1床 峡 の の 問 夜 に フ ィリピンにお ける 人間 とイ ンフルエ ンザの同い 昨年 の 5月 にイ ンフルエ ンザが多 く の東方諸国 を襲 いま した。 その月 の末 になつ て大流行 を末 した フ ィ リピンの 首府 マニラでは 153,000人 の 患者 が│‖ るに至 り,州 の数多 くの町や村 々に も 波及 しま した ブエル ト・ プ リンセサの町 では,あ る薬品商 會が大 it の柴混1を その地方 の ロータ リー クラブlC寄 付 しましたの で, その ロータ リー クラブでは それ を パラワン州立病院 うに割営 られ ま した.そ して 紙 とともにクフブの4ヽ 旗 「 と艶紙 に印吊1し た ロッカ ビル村紹介 の 2色 入 りの小lJl r を途 りました “ものす ごぃ反響があ りま した,ゎ れわれ が 手紙 を書 いた殆ん どすべ ての クラブか ら返 'Iが 末ま し た"と 同 クラブの或 る スボー クスマ ンは云つ てい ます メリーラン ド州 の タウ ソン・ ロー タ リークラブ は 11記 の クフプの如 く陛界的な規模ではない けれ ども,人 に 衆 クラブ紹介 を行なつ てい ます 今年 2月 の ロー タ リー52周 年記念 の行 り1の 際 に同 クフ ブ會長及び會員 は ロー タ リー及び彼等の 行なつ ているイ 事 について地方放途 lllJW T o wを 通 じて放選するとい う プログラι、をイFな い ま した │: を通 じて配布する様 に決定 しま した ア ン叔 母 さん に蘭 を “生 涯 の 日 "得 勲 掲 示 板 `'7・ レ・XIサ さんⅢ と才午い 人々か らこの ように愛1青 をこ l・ もし今 日の商校卒業4Lが どの ような組歴 を志望 してい るか を知 ることに興1米 があ りま した ら, ここlCIL徒 投票 の結果 を集めた興味深 い ものが あ りま めて呼はメιる彼 女は とて も多1亡 な人です 彼 女は幼 fll間 を始め,安 全水域 のり J査 を し,水 泳 クフ スをつ く り,ガ ール・ ス カ ゥ トを組織 すか ら御参考 に し て 下 さ い 全生徒 (今 はカル フ ォル ニア州デ ニ ウバ虐i校 の事業r■_)ヵ Iこ の地 の ロー タ リークラ 加│し ブ主Illの “生涯 の 日"と い う行 事に参 ま した 123名 の學生達 はパ スゃ乗 用車 でデ ニウバ 市やその近邊 の地域祀會の・llttFlrを 訪問 しま したがその あ と彼等は次 の ような分lF・ に興味 をもつ てい る とい うこ とを表 1し ま した.育 兜 9,賞 業 9,航 空27,宗 教 2, │り 2,内 部装飾 業 3,科 學21,教 育 2,郵 便業務 6,美 容 ll11 1,販 賣業 2,林 業 16,會 計 3,宮 員 ジャー ナ リズ′、3,述 途業 1,賞 験技師 1,製 同 3 電子]i學 して /〉 なお指導 してお ります し, それ か ら教 會 では 年少合叫1除 を指 Fliし てお ります この ア ンJ又 け さん とは カナ グ ヽック州 とパ ーモ ン ト州 の境 にあ の ケ´ る小 さい‖ レ 「パ ーモ ン ト州 ター ビー・ ラインのアン・ アツ ドリッチ夫人の ことであ ります カナ ダのケベ ック州 パ ウング リイ・ ロー ク リー クラブ は近接 してい る四つの町 の 人々を會員 としているクラブ ですが, この クラブは最近 “ア ン叔 母さん"力 ittl_2,t會 につ くした多 くの 本イ│:を 認 めて同 クラブの レデ イナイ ト (家 族會)集 會で彼 女に敬意 を表 しま した ロ ー タ リー・ ニ ュー ス の 績 大 “ただ 1本 の 手紙 を書 くだけでは充分 でない"と アメ リカ・ ニュー ヨー ク州 ロック ビルセ ンター・ ロータ リー クラブは結論 しました.そ れは ロー タ リー50周 年記念 の 時 の こと,同 クラブでは海外 の ロー タ リークラブと接鯛 したい と思 つ て,懇 請 の手紙 を書 くことを思 い 立 ち ま し た 各會員はそれぞれ外国 にある ロー タ リークラブの ひ とつ に手紙 を書 くよ 58 (1054, 生徒 達 の 考 え に期 待 フ リカ連邦 のルーターボー ト, マフ イスパー グ ー タ リー クラフの 28人 の會員達は,彼 等が “ ′ 皓 儀 jШ FHl"に 開連 して募集 した小論文にた くさんの應募があ り ま したの で楡lkLな 驚 きを味 いま した 同地 方の 二つの高 校 の學 ′ liが “ 祀儀"と い う題 で 2,500通 の小論文を寄稿 して くれたのです この優勝 者はクラブ側 で人選 1/‖ :を 讀 み LIず ました ユ タ州 の イース トヵ―ボ ン・ ロータ リ ークラブでは,地 ルの第10學 イ liの 学生 を対象に懸賞論文 │+iア , 1プ THE ROTARY_NO_ToMo を募集 しました 論文 の題は地域l t[]]:〉 trii il:[:::ll[],li,::│ 懸 賞論文 を募集 して成功 しま した_懸 賞論 文募集 の となつ た地方高校 の L界 歴史科 の學生達 に “国際関係 の 育成の方法"と い う題が興え られ,懸 賞論 文優勝者 に25 y.l象 ドル貸r蓄 債参が授興 され ました ニュー ヨーク州 アー ズ レイ及び ドップスフェ リイのヘ スチ ングス・ ロータ リークラブが行なつ た懸賞論文の題 . は “私の地域祗會 が私 に意味す るもの"で あ りま した これは 100名 以上の児童が年齢 に従 つて 3つ の グループ に分れて作品 を提出 しました 優勝者 には25ド ルの貯蓄 は雰が授興 され ました。 しフ ォル ニア州 ロスア ンゼルス, ロー タ リー クラブ カノ では毎年,「rll地 の革科 大學 の學生 を封象 に して雄絆 會を ヘ 1111し てい ます。今年 の演題は “ロー タ リー国際理解 /D鍵 "と い うもので した。賞:早 1は 物故 會員が倉り 設 した基 金でまか なわれ てい ます ンデアナ州 の (也 の準 lL向 ロー タ リー活動 としては, イ ルゼ ンチ ン ロ ノ し ー ブが ア ータ クラ リ (ッ チ ェ , ,最 近 , 中1鮮 , 日本,印 度,イ ラク及び フ ィ リピンか らの留學生 を會員の家庭 に招待 して土曜 日の 夕食 と週末 を共 に,日 し ま した 東南 九州 ワンダーフオ ーゲ ル し ヽ分 工 業高校 の フオー ゲノ 新 し く嘆 く市 民 の 誇 り 山 灰 ニュージーラ ン ドのフェイルデ ング市のある街路 の31J J:人 達 は地球 の具下にあたる この土地 に春 がやつて 勉 なイ きたので20株 の ライラックが 散郁 たる芳香 を放つて喚 く の を業 しみに してお ります この植物 はこの地 の ロー タ リークラブに よつて14,flさ . れ, この街路に植 え られ た ものです この街路は同 クラ ブが 1年 前に始めた フ ィルデ ィング市春季清潔運動 の期 判:11に 一番「1覺 しい改良 をみせた街路 です スカ ウ トに 1:Jク ラブは各住民 に手紙 をか いてボーイ・ 酒d達 して もらつ た り, ラジオや新聞 で報道 して もらつ た . りしてか ら, まづ 5本 の本 をマ ンチ ェスター廣場 にIrlえ る ことに よつてこの:;卜 J性 を始 めま した 今年最 も 「 1覺 しい改良 を逐 げた街路にはパ ラが植 え ら れ るrr4定 です 街の美側が これに よ つ て25ス ーセ ン ト蛤 し, そ してlf民 た る誇 りが この地域戯 會にお いて員 に咲 きつつあ ると同 クラフの 1ス ボークス 社 長 本 社 板 橋 喜 介 16の 1(福 岡 ヒ ル 東京 都 中 央区 八 重〃 マ ンは云 つ てお ります o― タ リー の 友 -10'1景 ( l0s5 ) 59 ) 長 崎 地 方 の 水 害 につ い て 1(崎 午次 の長崎縣 の 水14は 雨 IL 800ヾ りとい う驚 bt的 な豪 ‖jで あつ たため,被 害額 も意外に彩 しく,死 者 683名 この中 には身元イqり 1で い まだにり1取 人のない遺側 が73名 , この ほか, 今r〕 ぉ行方不 り1の もの77名 で, こ′ l 有りJ海 に流失 したか, もしくは泥 11の ドにい まだりL `)は まつてい る もの と思 われ る。 rOお :iltt者 612名 ,1嘔 傷2,9 もあ る 38名 ,計 4,310の 人的損害 を出 した 家屋は, 全漬2,248り ■, ′ ド潰3,060り ■, ‐ 部破損 4、 680,■ り 12,020,■ 11浸 木 水 「 54,126戸 に 11 , 床 ド浸木 32,118,¬ , 言 つた I11年 紹 よ額 は249億 7千 害特別1ヽ の際件に於て, 千績 きを災1年 f夏 興ll 宅 の1ヽ 付 に準 じて行 い,1ヽ 付金額 を少 くとも2作 │ (1)災 l'マ r」 までに摘 大さォtた レ、 12)中 高け lJl火 建箔 ヽ 付のllll占 」 を災│≒ 特別1ヽ 付の場 合 に準 じて延長方取扱 いlllllい たい 原 復菖 lC止 まらず,爾 後の防災 11必 要あるもの は積極的 に副1資 す る措置 を:講 じられたい (50%以 1鋤 Jl」 上破損 を貸付の條件 としてあるので) 第2 つ なみ を起 したため俄かにjfI水 し堤防 9ヵ FJを 決潰 して 濁流は市 の 中央 部にはん じ ンん し折柄電燎は消滅 して意外 の彼害 を′ L tiた 通 金くた1絶 したが,現 在漸 く復菖するに至つ た 救援作業については,陸 lll:1衛 隊 部方面線監部は営 清 第 l H:宅 金融公庫開係 園,耕 地開係31億 回,農 r7T関 係 19億 7iイ 萬隕│,山 林開係 15億 4千 菖回, 商 ]1開 係27億 6千 萬隠l,民 生開係40億 旧│な どがそのlLな る ものであ る なお,大 村市鈴田川 も同様山 つ なみ t/Dた め,は た らス し囲鍛長崎本線は勿論,人 村線 もずたずたにu」 断 され交 口 長崎海 │:1呆 安 部な ども有 り l海 のク ピ 側投 査に懸命の努力を い,11:災 民 か ら′ り♭ よ111さ オしてい る その他, :rT,111司 ス キ近縣 よりの救脚 [│∵ 1喩 途 も, 呆 然 11失 した農民 “ を奮 LLせ しめ,商 li業 者において もillllく 屯_Lり を見せて災1■ 復,(資 金並に││:宅 資金に開 して次の ような IJt項 を要望陳情 してい る 萬園 で,上 本建築開係102億 3千 高 被害 の最 も甚だ しか つ たのは諌早市で,lFJ市 の中央 を rt流 す る本り1川 は, 7月 25日 夜, その_LirLに 数 ヵ所 の山 RC幹 Jf坂 中小企業金融公庫開係 ,工 場 の復菖 に要する資金を中小企業金融公 {1)店 舗 庫 に期待す る面が非常 に多いので,1ヽ 付期1嗣 の延 長及び貸付利率 の近減 をなされたい 口,事 務 手績 きを出来 るだけ簡易に願 いたい 小企業金融公1車 の1ヽ 付に封する常該金融機開 lt 任負情 を少 くとも′減 されたい 第 3 凹民金融公庫PLl係 3)中 │ミ 下 部除 全部をIIJ員 し, その延 出動 10萬 に達 し,18日 大村 部除 を最 後 として全部引揚 げたが,佐 世保海上 自衛除 (1)貸 付期FE10を 少 くとも5ヵ llま で延長 されたい (2)金 利の選減及び融資枠 のlllt人 , と│り 限 業lTlの てつ腹 を願 いたい 4 │し 脇 月1系 )遁 lFt,1ヽ lJ,切 ││卜 )延 長 利υ 11fl l:│`、 11)貸 付 `、 2)特 に対 1行 員個 代によlす る1ヽ 様 ‖ 口いたい 指導撼 1、 1を rli11的 に賞施する れ5 │ll保 瞼 711係 保誰協會及び信 “ (1)保 言 協會 の1呆 1請 枠の 1人 のため,政 暉 Tに 於 て少 く (テ ll・ とも5千 山 ヽ 1員 │(5億 IL4の 保ま ,枠 )の 1ヽ 1等 をお願 f、 い した ヽヽ (現 在 2億 5「 出 14の 保護枠 であ り, 8億 程度 の 保言 が2、 要 と 考え ら″tる (チ ) 険卜 を2811の 水害 に4tし て 3L16毛 ま で引 ド1ず 願 い た い (現 行 5Π :4毛 (2)保 ) 3,保 険 料 の 、 60 (ros6) 1年 前掛 い は困難 であ るので, 2月 又 は THE RoTARY‐ No‐ ToMo 熊本地方水害 見 舞 の御 膿 熊本RC會 長 1ヒ 村 直 期 全國 ロー タ リー クラブ様 チ 「啓 残‖酷 しき折柄, 全Lnuロ ータ リークラブの告様 方に は益 々御盛柴 の段 , 大慶至極に存 じます 陳者,今 般熊本地 方水害 に際 しま しては, 全国 ロー タ リア ンの皆様か らll速 御町 重なる御見31Fを 頂 き,又 3月 位 の分割納入 を認 め られ た い 第6 その他 した 復3tが 最 も2、 要 な際 多額 の義J11金 ,又 は義捐物資 を御忠途賜 り,常 クラブ と致 しま しては誠 に感激 にlllえ ません ロー タ リーの 件 で あ るの で保證 力,指 保 力の な い業 者 に対 す る ′ た,4i業 資 金貸 付 を特 に配慮願 い た い (田 金 等 "ノ に 於 て) 友誌 を借 りま して厚 く御祀中 Lま す。 今般 の熊 本地方の水害 は熊 本市 の lll方 に金峰山,二 ノ岳, ニノ岳 と│‖ す111が あ りま して, この山 を中心 に L各 項 目につ いての 業種 の 制限 を特 に配慮願 い しま して,常 市域 の周邊 に短時間 に 500ミ リを越す人 雨が降 りま した結果,山 の西側方面には山崩れ を起 し (1)業 界 各階 にわたつ て午均 (2)以 たい . しか して,今 次 の水害 に際 しては,内 地 は勿論,海 外 よ りも彩 しい義捐金品 の寄贈 があつ た 長崎 ロータ リークラブとしては,直 ちに見舞金 を醸出 また同時 に,熊 本市 を流れ る坪井川,井 芹川 の氾濫 と な りその流域 である寺原,上 熊本,下 通 り町な ど市内 一帯は,北 ・ μ f部 地匠 を中心 として浸水 し,市 内で浸 したが,エ チオ ピア皇帝 の見舞金 に感謝するため首都 ア ジスアベパの ロー タ リーク ラブ並に西獨 よ りの見舞金に 水家屋 1萬 5千 戸,被 災人員約 8萬 名 と云 う思わ ぎる 水害 を被 つ た次 第 で御座居 ます ■lし てはボ ンの ロータ リーク ラブに も感謝状 を途 り,英 国及 びパ レンバ ンロー タ リークラブその他か ら見舞状が 末た,又 国内40餘 のクラブより見舞電報な どあ り感謝 に えない 長崎 ロー タ リーク ラブで今 日まで取次 いだ義 J甚 JH金 は次の女 口くである 出 雲 RC 金 5,lXXl回 演 名 IItt R C 金 ∞ ,lXXl回 名 古 屋 西 RC 金 14,3Xl回 松″ 金 10,KXXl回 仙 壼 i有 ″ 金 5,140回 16岡 ,顧 岡 西 雨 ″ 金 90,lXlll回 前同 (昭 和28年 6月 26日 )の 大水害 では阿蘇地方 に 降 つた雨の ために,自 川 の氾濫 を起 して,熊 本市の 東 部,南 部並 に市街地中心 に大 きな被害 をあたえま した ので, その経験 か ら市内の人達 は,今 度 の梅雨時 lulに は右 の白川流域 では十分注意 して警戒 しま したが,上 熊本方面や,寺 原 な ど北 ll部 は安全だ と思 い,住 民 も この方面 では安心 していま した しか し今回 の水1年 は 一 宮 RC 金 20,llllll園 大牟 田 ″ 松 阪 RC 金 lo lXlll園 刈 谷 ″ 金 141X10回 /4想 の 外 地域 に起 つ たの と, また,上 熊本卿 右 の如 く」 の 前 倉庫地イ には在庫貨物が充満 していま した し,又 4う 田 RC 金 20.CXXl園 下 関 ″ 金 lo lXX回 Ji場 もこの1付 近 に密集 していま したため, ロー タリー 大 阪 III R C 金 30,CX10回 大 官 ″ 金 11,OKXl回 金 20,∞ 0回 ,( gLR C 金 10,lXXl園 大 阪 ″ 金 50,OIXl同 市 IR C 金 10∞ 0同 名古 屋 僣 ″ 金 20.lllXl園 研 RC 金 6 1Xllltt rH 水 ″ 金 8,81111回 茂 原 RC 金 5,000回 横 減 ″ 金 10,lXlll回 シ ョー ン ラ ン バ ン(新 東 RC 島 余良 `ill)醐 崎 RC 金 10 1XXl回 千 葉 ″ 金 7.lXXl□ ‖ 橋RC 金10800回 II11■ │ド の メンパー としま しては,今 lrllの 彼害 は前│111の 大水害 に劣 らず たきかつ たのではないか と見 られ てい ます 然 し皆様 の御lL/情 に よりま して,熊 本 ロー タ リーの メ ″ 金 ∞ lxxl園 ます │ビ 以 11何 オ しも長崎縣 災害 y‐l策 本部 へ寄 託 感 激 して居 る事 と確信 す る . ンパー も大 いに感激仕 り, その後銑 jま 復興 に努力致 し てお りますので,右 状況お知│ら せ労 々,先 は御趙申 11 なお御寄 噛 の 金 lriに ついては御 方.よ の意 のあるとこ したが罹 災 者 も ろを尊 重致 し,水 害救済 の御趣意 に滑 うよう嘘理致 し たい と存 じますので,何 卒御諒承 を願 い ます 8月 26日 熊本 ロー タ リー クラブ會長 Jヒ ロ ー タ リー の友 -10月 霊 1 直 窮 オ (1057) 6r (子 1片 llF) SERViCE NEWS RC 川 越 大 分 R C に詔 學 して研究 を ・應絡 え て地 方の 日本銀 行文 ││し を歴 ilJし てい る虎 であ 人分 クラ ブでは之 を機 會 に 人分 る 員 二一 信長 油藤 言員 イ 偵 千 川 iロ Jヽ クフブの パサ ー を タイ1川 の クラ フ に 哺 り, タ イl_Nの クフプの パ サー を交 た r〕 その :111 1flの 後 8月 琥 の Rく )taHan誌 の iF:半 芦 か ら"(し 内容 の紹介 Canada ttllKと liノ 、の ロ 換 す る様 依 公式訪 問 束 ンlnガ バ サーは 7月 8月 の最 後 の 一jШ I吉 」を国際 本 fl:iШ │:委 員 會 に その ブ 29日 夕 刻末 川せ られ 料 `亨 ││1屋 (會 員 間 に常 て,国 際 /1yイ 6時 か ら懇 松山氏組骨 )に て,′ 「 后 一 に せ られ ,御 泊 後年30「 ヨ 談 會 出席 々 の 例 會 に 於 て種 御如 tが あ つ た ラ ンをお任せ してあ つ た嘘 ,古 IΨ 洸 ボー イ ス カウ トに天幕 を その例 _pH際 本仕 委員長 (日 本銀行 人分支 1占 長 )の 11り Jに 依 つ て タイ園四 立銀 rf の Prasert(プ ラサ ー ト)IIilnacha_ ー タ リー クラ フ メン バ ー (Handi‐ Cap 20の OXellhanl さん のlnil′ │ぃ 記 Jfの 紹 介 が あ つ た 夏期 ラ ジオ 艦操書 大 分 クラフ上 lLの 夏 の ラ ジフ般操 會 の席上川越 BSに 対 して クラブか ら天暮 一Jltを 19早 した クラ ブの 1∵ ndra(ヘ マ チヤ ン)氏 を迎 え タイ閾 の最近 の lf情 を聞 くこ とが出来た 會は 8月 末 を以 て40日 藤會 崎 會 員は BS委 員長 であ り,(リ ヤ 員は BS育 成 會長 で,双 者の 1対 縁 ロ タイ凹 は現 在は 英,欧 州 ,米 l_tか ら 操 を終 つ たが 各学校,`11徒 ,りこlt, 色 々の 物 を喩 人 してい るが次第 に 日 35名 を初 め附近 の お父 さんお 母 さん 本の もの も買 う様 になつ た 日本 に はり141に 近 親棚 を抱 い ていて,同 氏 達が も東京 の 中學 校 を卒業 して早人 の理 li科 を│││た ので特 に 日本 はな つ か し 100名 近 くあつ て, 大分 クラ フ を初 トキハ 百貨 LT, り め NHK, l治 製 υヽ 菓 か ら哺 られ た賞 !1占 を前にネ 密接 で あ り,種 々の 行 卜に ノ Jを Lて い る '1い に協 世界平和 促進 の論文 市内 各1高 校 か ら感 募があ つ たが ,凹 際 準イ│:委 員 會 で詮衡 の結 果,川 越高校 3A小 林 忠 雄君 の もの を最優 秀 と し, 8'127 日例 會 で同 君 を表 彰 した 私達 の時代 が来れ ば大いに日本 の 「 りた 物資 を人れ て相互の振興 を言 い 1司 氏は売参 に就 き日本銀行本Lξ 1ワ 1川 の フ ジブ側 16時 30分 か らだf草 公園 に集 つ て元気 に40日「 1過 ご した 行 い NH.Kの 皆 llj者 も 式を 足 ll君 人分放途 lJ長`J´ ラブ會員 )の よ杉 1伏 授 興,l」 揚 リし 小学校長 の挨 拶 の 後 この 會に ブ (ク ,I【 て 下され た 占後llt次 ,術 藤 ll に大 分 RC會 長 の感 [』 l次 lllk記 念 iヽ 画氏 占を│ゆ ´ り頗 る賑 やか に會 を糸 した 毎年 `」 の 事 乍 ら青少 イ 育成 の 本仕 としては 「 意義 あ る もの と思 われ た 大 阪 大分 RC RC 国際奉仕委員長 小 里l 重 一 夏期 ラジ功 證操會 │ヽ 2 11、 ト 国際學生書議 を招待歓談 東京 と耐1戸 で開 かれた第 4「 │1閥 際 THE ROTARY_NO‐ TOMO 學生會議 は, 7月 27日 (11)大 阪 の今 橋 クラブにおいて外国學生24名 , 日 本學生 100名 が出席 して閉會式 を澤 行 したが,大 阪 ロータ リークラブ井 口會長は親 しく臨席 して若 人たちの 前途 を祀幅 し激働 の挨拶 を賠 つ た さらに翌28日 (日 )に は大阪 ロータ リークラブの国際奉仕委員が これ ら 外国學生全部 と案内役 の 日本學生10 名 を大阪産経會館 9階 の新大阪 グ リ ルに招待,午 後 0時 半 か ら2時 半ま で 2時 間 に亘 つて書食 を共 にしなが ら歓談 して親睦 の賞 を摯げた。外国 學生はカンボジア 2名 ,セ イ ロン 1 川越 RC ポー イ スカウ トヘ天幕贈 呈 名,香 港 4名 ,イ ン ドネシア 3名 フ ィリピン6名 ,中 國 5名 ,タ イ 1 名,ア メ リカ 1名 ,濠 洲11名 である 外湾舟遊 に出機,タ ウ:の 中 を波 しず か な風 景を賞 しつつ ある グル ープは デ ッキでア コーデォ ンに合せ て夫 々 が、 その中には女學生 5名 を含んで お國 の歌 を歌い又イ 山の グルー プは鼎≒ 内 で會員 を固ん で■‖ 劇の紹介 や ら留 , いた 宮 津 學 の ことども語 り合い楡 kLな 交歓 の 一時 を過 した 程な く,1:尻 畿lrl清 ゥ して傘松公1京 │に 登 リタ 、 ーブ′ ,の 去 つ l・ RC 端 會 報 委 員長 三 11 誠 一 し交歓 に都合 よく整備 され てい る _ 豚肉 を食 しなt/瑠 學七 もあ るので食 事には注意 が排 われ煙 い ラ ンチ風 の し 献立 となつ ていた 餃物 は ビー′ , ジュース 宴 の は じめに市長代理竹 紐 助役 (會 員 )の メッセー ジが あ り 友好親善 を ノ 蔵 績 いて石間會長 の ロ リー ビス柿前 の「 ータ リー■ 調揚 と遠末 た夕映 えの橋 llが 日J象 的な姿 を村tえ ているlll景 を Ltt t,月 そのぞ きを みユーモ フスな姿熊に1鴨 釆を途 る 踊保存 會のお峻 さん 方に民諸宮津踊 tだ 後 ド山, 幅 い飲物 を献′ 官‖t節 の披露 を願 nイ f嗣 會長竹細 │り t `テ ギf畿 llrl 東南 アジア留 學生を迎えて より再び乗船 文珠 着 玄 妙 公園 を逍 前年 大7FR Cに て束lYiア ジア留撃 tと の交歓 會が開かれた と聞 いてい 逢,午 後 6時 30分 橋 立内濱松 に設け られた歓迎 バ ーテー會場 に至 る 會 ましたが今年はギT,FR Cへ 開1川 l_q際 字友 油 じ天の橋 ウ1で レク リエー ンをl,tみ たい旨申込があつたの ショ`7を でこれ を心 よく迎えるlfに な り返信 場は特 に照明装置 や マ イク設備 をた のお客様 に対す る歓迎 の簡子 があ り直 ちに交徹會 に人 る この夜特 に宮′ F 君等 も踊 りに加わるな ど粋な ところ を見せ 一行 をね ぎらつ た 向踊 りの由末は英語 の解説 に より 紹介 したが学生諸君は大興 な喜び 方 した ところ去 る8月 2 Hll後 211寺 過 ぎの列車 で奥村龍 i圏 長以下學生26 しヽ′5名 イン ドネシ 名 (タ イ11名 ビ′ ヤ 4名 ′tキ スタ ン 3名 プ ル ボジヤ 2 名イラン 1名 )υ)一 行が元気濃刺 と して末訪,卿 頭 で宮 i ll市 代表のlflH 経 子襲 より花束 を受 け, 會員の案内 しに人 り海濱 の第一 で宿所山嘉 ホテノ 夜 を柴 しんだ 翌 3日 は 11唯 IJ("l 會常 日)な ので│11席 者多数接 f十 に臨 み宮崎 會員の本イ l:に よる月後海陸交 二 通新造船第 橋 立丸 で賑 々しく宮津 ロー タ リー の 友 -10月 峻 宮津 RC タ イ 國 學 生 諸 君 の 餘 興 (to5e/ ti3 ′ 炎)ド 霞 ′ 11, 71iに これ べる と爆 凌的 に 集μN残 ′ │:し た ヒ (他 :ヤ │:灰 1髄 つ綸よ │││IJを I11′ い│こ l Fに llll糸 1(が り 夕 徳 山 RC 、 (内 死亡 7)L `:178ノ つ これ にかか つ て後世J吉 :が 礎 な た ′:身 択 害 の 不 マ る と 千/tが ヒ ヒ ‐ ヽ たれた 卜をまね くので r供 を││つ'障 ,場 で小兜 マ しにつ を恐lrjの 渦 に な きこんだ ′ P′ ′ li省 で は1坊 疫 裸,公 衆術 │=裸 1系 81130‖ 現 いて話 す濱 本君 で何 や ら相談 の 後 各関 の ぉ 四 自慢 を Hlす との 1」 │「 1あ り.一 行 中11名 の 大 」た る タイ国 の諸 君 全員 で お園 力 勢ノ ラーた っ ぶ りな歌 と‖1を 披露 大喝 釆 途 つた 物心 画面 ともの 充 分なる も て な しは出 来なか つ たが 會員諸君 の し・ ハ リ 心か らな る本イ│:に よ リオ(― ′ くの 米 lin卜 に もど り友女 ∫古隣 の 目的 と t′ 員 を現地 にr」 け, lll合 ,μ ガ疫 に取 り 判lん だ 徳山 ロー タ リー クフブ ∵少 ″ 年本 fl:委 員 會 では,″ 小ワ せマ ヒ Lは とい うハ ンフ レッ トを14:り ,各 /JI面 lldり , さらに 81i1611に は往:│││ロ ー タ リー クラ ブ後 接 に よ り,小 ワ こマ │こ ,次 々に マ イ クの 前 に ψ:ち イ ン ドネシヤの諸 君 の ブ ンガリ ン ソロ 民 間 外交 の使 命 をはた し得 た とすれ (英 次 ヒの榊 1威 者,岡 山陪 人教授浜 イ は何物 に も喩 え る もの な き9い 経験 合叫1に は 原地 生活組 敷 者 で 親睦 委 員 であつ た とい え ま しよ う 博 │:(lYl山 クラ ブ 會員)を 打に , 徳 山市民 臼ヽで小 ,こ マ ヒli‖ 演 會 を開 き をlliし 長 の野 ll野 君 も仲 よ く力│わ り国際 親 善色 は ‐ 段 と細 やか にな り心 の な ご む 一時 であつ た 品ヒきぬ 名残 りを鮮ト みつ つ 9時 石間 會長 の 開 會 の辞 山添 徳 山 RC の脱蓄 の あ る小 兄 マ ヒの 話 を聞 いた 會員音頭 に よ リロー タ リー ソング 千 に 手つ な いで を高 らか に歌 つ て 幕 を ・ 開 した 時路 は 冷 風 そ よ く松 林 を 三 々伍 々歌 い なが ら交珠 棧 橋着 待受 ―行 を宿 合 に け の モ ー ターボー トに一 , 常 日の クラ ブ例 會に│:J氏 を1召 き, そ r均 絆 誌 委 員長 一 素 誌 委 員 撲 ││↓ り( 小兒マ ヒ講演書 本年 4月 以来,徳 山地方 に小兄 マ 奨學金 を さいて贈物 秋 田高校の大友君の善行 書 は 新聞配達,1/tは 定時制高校 に 學 ん で学 校 の 棋 ttし てあ る秋 │口 定 Π 寺 ‖」 高校 4年 人友惣 “ Ч脚 │(18)は ,市 │′ 内 各定時 1111巧 校 15崚`イ`か ら選 lfれ たイ しの 4名 の 11校 ′1と ともに秋 IR ′ it\etst\ `J りれ た 秋 ││IIく Cか 奨旱資 金 を賠 ′ Cで は毎年 r設 早資 金 をlnり これ ら '♪ 「を共 に して の學 lLを 例 會に招 き食 」 い るが, 今11は こうした ことの結 果 が,美 しい花 と開 き會員 一 同 を感激 させ た 秋 田 RC 新調 の ユ ニフオー を清 て `、 よろ こぶ園 兄たち 64 (1060) T卜 lE ROTARY_NO-1` Oヽ rO 奨學金 を受 けた大友君 の よろこび は,意 外 にも大 きく,「 ぼ くよりもつ 紳 戸 東 RC と貧 しい不幸 な友だちにもこの喜 び を少 しで も分 ち興えたい ものだJと 考え資金 の一 部でノー ト80‖ l,鉛 筆 国際本仕委員長 森 本 TE 好 8グ ース を購入 「養護設施にはいつ てい る子 どもにあげて「下さい」 と縣 土地柄歴代 の 會長,委 員長 は殊 に 扁lldttlCこ の哺物 を託 した.同 課 で きつ そ く市内の 各 施 設 に 分 配 した 國際奉仕 に力瘤 を入れ ている。海績 きで世界各國 の RCか らの ViSter が,「 自分 の奨學金 を1也 人へ分けてや るなんて,わ がままなことだ と思 つ はあるが比較的交遊 の ないのは アフ リカ大陸 である 其虎 で昨年度 の常 ニ コ ン カ メ ラ てい ますが,生 れ て初 めての大 きな 委員 會の事業計劃 としてアフ リカ大 陸 の各 RCへ 紳rlの 土地 を紹介する ニ ッ コール レンズ 感激 を, どうして もひ とり占lCし て おけなかつたのですJと 語つてい る 秋 │の RC會 員は大友君 の この善行 「 に より大友君 よりさらに感激 してい るのである 人生の ビンチに も負けずに 事 に した 〔 要領〕 1)神 戸に本l dを 持 つてい るWn檎 祗 に依頼す ること のュニホームをlleり 大喜び され てい る.3年 前 この子供の野球チ ームは 結成 されたが毎年行われ るこうした 施設の子供達 の野球大會 に,い つ も ボ ロ服 を着 て出場 していただけ,そ の よろこびは大獲な ものであつた。 子供達 の氣持 は新調 のユ ニホームに よつて見違えるように明 る くな り , チ ームの腕 も上 り, 7月 28日 に行 わ れた東北大會 に優勝 し東北代表 とし て全国救護少年 野球大會 に出場す る ことになつた。 青少年奉仕委員長 の越中谷會員は じめ私達秋田 RC會 員一同は, この 子供達 が,人 生 の ビンチに立 つて も 野球 の とき見せ るような 力Iん は り 眼 鏡 天 体 望 遠 鏡 2)そ のPnL會 祗は ァフ リカ大陸に 顕 微 鏡 定期lt路 を持 つてい ること 以 _L12の 條件 を充す もの として 測 量 機 . 千秋學園は問題兜 を収容す る縣内 一の 唯 施設だが, この収容 兒へ野球 双 は川1奇 汽船 がある 其虜 で川崎汽yrt に依頼 して次 の様 な内容 の一組宛 の ParCelを 用意 した (小 包 の内容 ) 1)日 2)諄 3)講 精 密 測 定 器 眼 鏡 レ ン ズ 光 学 ガ ラ ス 本 の 古 切 手 (會 員 か ら集 め た ) 戸 港 ま つ りの レ コ ー ドー 面 (英 調 付 ) 談 社 の 綸 本 (會 員 或 は 其 の 子 弟 が 英 脚 した ) 4)KOBE及 び KOBE City (韓 戸市 よ り寄 贈 を 受 く) 5)ク ラ プ の パ ナ ー 此 の好意 と友情 を深 め る篤 めの川 崎 汽船 の瑞 川メL(船 長伊藤 圭造 氏 ) は 3月 15日 耐戸 を出帆 した。 そ して 寄港地 で あ る下記 ロー タ リー クラブ ヘ 無事 ブ レゼ ン トは届 い た l Cape Town Rc. 2 Port Eljzabeth Rc 何 れ も東 海 岸 に 在 る R.C.で あ る 子供達 の成長 をなが めている 方1に は 此 の 計 画 営 時 に は RCは な い 取 締役 社長 長 岡 正 男 本 社・ 工 場 東 京都 品 川区 大井 森前町 5447 事務所 │(営丸 ノ 内 業部 ・株 式 課 東京都千代 田区 九 ノ内 1の 6 東京 海上 ビル新 館 8階 ) 3 East London Rc で,乗 り切 つて下 さい, と生徒達 を 激勘 しこん どの 協力 を約 して, この 日本光学工業曇穀 4. Durban Rc. 西海 各 ロータ リークラブか ら讚状が寄 せ られ て末 ている.何 れ も我が クラ プの心 か らなる好意 に感謝せ られ船 長 を船 へ訪問せ られ感謝 の意 を表せ サ ー ビス セ ンタ ー 東京 。新九 ビル 大阪 ・梅田ビル Nippon Kogaku (UoS.A.)Illc. 251 Fourth Avenue, New YOrk 10,NY., U.S.A. られ叉船長 をクラプの例會 に招待せ られ ている こんな簡軍な事 で国際 ロ ー タ リー の 友 -10月 牧 (106l) 65 は近代化 され てい るが倉敷な どは古 い文化 と仲統 も正しく袋 さノし ,新 し い もの と占い もの とが よくi調 和 さオ l てい るのが張 く日l象 に髪 る 何 千何 r「 とある日本の街の中 で倉敷 を選ん で末た ことが賞 に よかつた と思 う 倉敷 RC 右 よ り赤木 會長 大原美術鮪,倉 敷民藝鮪な ど賞 に 立 ア ラ ン・ グラ ン ド君 ′ 飯塚 国際 本 仕委 員長 間 の好意 と友情 に寄興出来た事は意 外 であつた。此種 の親善な らば外人 客 の少 い RCで も一寸の思 付 きで賞 施出来 ることと思 う . 倉 敷 ラン・ グラン 鶴酷だ とい う夕 1人 の 日本人 lと は雨 ヽ │し ない ものであることを知つた ド氏)で 常 クラブ国際奉仕委員長 飯塚氏 を訪ね,末 倉 され,同 氏宅 に 臨 りは働か して くれ る船の都合次第 で どうなるかわか らないが,カ ナグ 一 泊,大 原美術館,倉 敷民藝館な ど ア メリカ を通 つて婦 りたい とも思 つ ていたが 日本 の印象は この旅行 の終 りにす るのにメ、さわ しいほ ど素晴 ら ll」 らオ tる イギ リス人 (ア , たのち,25日 の営 ク ラブ例會に出席 , 日本及び倉敷の日 を熱心 に棚賞 RC L´ l 會報 委 員 長 一 宏 象 について話 された 同 じ東洋 といつて もイン ド, パキ スタン,カ ンボジヤな どの貧 しい國 國 を見たあ とで 日本 へ末たが,先 ず L界 無錢旅行 を して居 近代化に驚 いた。 イギ リスヘ蹄 つた ような気持 もした しか し衣面的に lYll 日本人は美 しぃ もの を愛す る と共に他人に親切 な国民 で,野 バ ン 派だ しいので来た道 を逆に故国へ戻つて もいい と思 つてい る たつた一人の家族 として待 つてい る11の ことや仕事の都合 もあるので 二,三 iШ 間 の うちに日本 を離れたい と思 つてい る と語 り,豫 定 の ない ■■振替呵 1` 1lE ROTARY― NO_TOM o 表紙 につ いて 綸子地彩鷹 四季文様式服 調F 口 東京RC 員 造 染色 の作者 は,自 分 の胸 に描 いた詩的な場景 を Eso_ .agoto`に 托 して,衣 裳 の全面 に叙べ てゆ きます。 この 衣裳 の構国 か らは,む か し将軍 が鷹狩 を行 つ た出先 き べ や途中で,そ の限 に満喫 した時 の,美 しい景観 を思 い浮 て頂 けば 宜 ろしいのです さて同中霞 や松や草花や波 に岩な どの ideaを 巧みに探 りいれた │1中 期以後,い わゆる御殿文様 の一形式 四季文様 の Originは ,徳 り として,廣 く知 られた ものですが, これ は古 き配色 を捨 て ヽ現代 の . 感覺 に合 せ,鷹 を C10Se upさ せるための back sceneと して,軍 色 に近 く朱勝 ちで現わ したのです。 また こ ゝで主要 な鷹 には,亨 保 頃技術 の最高 に達 した加賀友諄 の手法を自由 に再現 して,画 面 の美 しさを集 中 させ ました。 さて この画面を形成す る手法に見 るような染色 に招箔 や刺繍 を加 えて綜合美 を求 めることは,日 本獨特 の ものですが,そ れが過剰 の 技術 に落 ち入 らぬ よう,ま たお互 いの技術 の美 しさが,反 つて相殺 され て しまわない よう,つ とめて留意す る ことが,そ の仕事 に営 つ て,わ きまえね ばな らぬ必要 な mottoな のです。 た。″ 私 の中學時代 は四國松山附近 で 坊 ちやん″ の舞壼 とな 例 の漱石 の ″ 旅路 を瀞戸 lC向 け出凌 された。 岡 崎 RC つた虜です.寄 宿舎生活 をしていた 長 員 弘 松 経井 會 或 る夕方,風 呂 に入 る事 とな り脱衣 場 に行 くと丁度サル又 を 取 りは ず し,シ ヤツを腕 ぎかけてる者がい る メ リヤスのシヤツは肌 について仲 々 ・ ぬ げない,首 が出ないので もぐもく ビック リマン登場 営 RCで は今月か らビック リマ ン が登場す る■ 4iと なつた。毛利親睦委 員長の凌案 で,例 會 に和 やか さを増 す篤 めで其 の 目的 に添 うものな ら何 んで もよい と云 う,一 寸見営がつか ぬので第一回には毛利君 自ら登場 し たが,何 んで も時間的 には数分間 し か興え られぬので,短 時間 にあつ と 云わせ る様な ヒットを飛ば さねばな らぬ らしい,大 鵠全會員 A B CllEIC ゃるので早 くか ら準備す るだけの餘 裕はあるが果 して毎日本墨打が出る か否か.其 會員 の企構如何 に よる 毛利君 の見本は此 ん な もの で あ つ . ロ ー タ リー の 友 -10月 晩 さく574′ Lム してい る,困 つてい る庭だ,見 る と 前 にブラブラ と動 いている逸物 があ る。 中學生 と雖 も仲 々大 き く大人並 みだ,″ 大 きt/2の う″ と云 つてつかん ラ何するぞ″ だ らその人は″オイ ,コ と大盤 でシヤツの中か らどなつた その人は胆操 の先生 であつた,″ 皆ん (イ ー ジ ー ロ ー デ イ ン グ) 35ミ リ20本 文撮Y140 , な大笑 い した, 3分 位 で終つた。 細 か い粒子 す ぐれた 感 度 陰 の よ くで る豊富 な 階調 Qさ くうフイJLム の ‖目六 =賣 =■ (1063) 67 映 画 は 京都 撮 影 所 取締役社長 大 り ll 東京撮影所 画面 3倍 ・ 興 味100倍 業 本 社 東 京 都 中 央 区 京 橋 支 社 東京 2-8 名 古屋 ・ 福 岡・ 札 幌 品 社 社﹂ 式会社 住友金属工業株 4丁 31番 本 支 銑 鉄 、外 輪 、車輌 部品 、鋳鍛 鋼品 、帯 鋼 、鋼 管 ・ 継 目無 、電縫鋼管 、瓦 斯容器 、半製品 (ビ レツ ト シー トパ ー・ チンパ ー)棒 鋼 、型 鋼 、線材 、伸銅品 軽 金属圧 延 、粉末 冶 金製品 各種 プ ロペ 修理 大 阪 市 東 区 瓦 町 目 地 東 京 都 千 代 田 区 丸 ノ 内 (新 丸 ビ ル) ロー タ リーの友 10月 号 第 5巻 第10号 昭和 32年 9月 30日 印刷 昭和 32年 10月 1日 発行 発行所 ロータ リーの友編集事務所 ス イ ス・ ス タイル の マ イ ル ドな 味 歯ざわり舌ざわりのいちばんよい厚さ… ているので ;:り はい つ それにミルクがたつ、 味わいがさらにマイルド(ま るみがある)な のが,…・スイス・スタイルの持ち味です 30円 ・ 50円 本社 東 京 都 中央 区 銀 座 西 7の 1 支 社 大 阪・ 名 古 屋・ 福 岡・ 札 幌 支 局 :警 昌 搭 誓 葦:饗 嘉三 興三 霜。 喬船 。 児 島 鹿 崎 長 本 七 釜 畠:余 忌挙 需 『 福沢諭吉 曰 く 商売 に広告の必要 なるは、兵士 に武器の必要な るが如 し。 ウ ア イリ 台 irこ 、 たぃる 稽F再 ミ れわ 友人はわ れ の 広 なる 告に 。 =歿 ア プ ラハ ム ● リンカ ー ン 曰 く 公衆 の 感 情 を把 握 す れ ば何 事 も失敗 しない。 ウイ ンス トン 0チ ャ ー テ ル 曰 く 広告 は 人間 の 消 費 力 を助成す る。 それ は生 活水 準 の 向上 を欲 求 させ る。 トーマ ス ●パ ビン トン ●マ ッ コ… レ… 曰 く 事 業 にお け る広告 は機 械 にお け る蒸 気 と同 じ偉大 な推進 力 であ る。 藤 山愛 ―郎 曰 く 広告 は マー ケテ ィングの 先駆 的要 素 であ り、経営 者 の重要課題 で あ る。 新聞 放送 屋外 各種宣伝広告の立案 企画 制作作業 PR マー ケテ ィング 市場駒査 市場分析 層 資圏 眠 拒 く 十ヽ エ ロ ミ ︵ヽ ψ こ ζ 璽 費S そ 題 L彙 ︵ む 里 念8 嘗 圏 理こ ● ︶ 壇 枷 熙 還 重 橿 Ξ 〓 8お ︶ ミ ヽ ■ξ 軍 認 ヽ 3 一〇 ︼ ご ve カ ミ ぐ さ 盤. 0 ﹁ F一 ″ こ ビ ば 駆 一 一 詳 一 ス ︶ い 率 は ギ 〓 80 ︵ 卸一 く こ ぶ 雀 〓 e 〓〓 窒 こ 〓 〓 L ぺ ヽ川 望祥 撻 黎こ 轟凛ト ヽヽ愁 い ﹂と 〓 〓江 ヾC ゛ 〓 やと ご 窒 撃 魯篭 住 H恒 こ 〓中 S撫 遷 筆 控慣 メ 更 姦 ヽ へ ヽ来 〓 く コ ¨ t墨 < L やt ぶこ く 一 卜 巨 涯 ヽま ギ 言 菫 一 〓 口¨ 撃騰檀 一 〓 ≦ ヒ ● ヨ〓世 言 世 蠍 択К 長 C 一 〓 に E こ 送 E L量 署 L彙 さ 響 ∝ H 恒 誼 署 38 t 轟〓 口 ﹂ ︹ 引 E H 恒 ぶ ヨ コ宙整 轟 一 蓄 半 〓 智世 三ヽ 一 〓 ニ ミ ヽ +製 K 一 ト ミ ト ■家 甦 資 社 ヾ 刹 ´ハ 理 ぼ F一 さ 誕 こ H恒 傘 昼 遅 こ H 恒 ‘ 垣 ︵ 8o ﹂ ヽ へヽ 涯住に葉 尊 К ヽヽ ヽ 当 榎 者婆 K 一 葉 一壼0 製 一 ミ 軍 〓 38 ヽ 一 ■ 蜂 ′ で に 絆 ド哺せ 巨 ミロ 費 駆︵ 83 □ 田 К ギ こ ぐ 言 葉 報 〓 壮 E コπ奮 ︼ こ こ 選 く 至 ト ミ ヽ ■撃 E E E E さ 葉 O H 恒 一 〓 遅︵ Pe 昼略 佃 H 恒 運 暉 ヽ へ ヽ口 k ほ こ K ヽ 需 佃 H 恒 響 喫 ︵ 30 枢に 踊 倒 ギ 通 感 ミト 絶 ー〓E 畦 雪一 さ 露 価 H 恒 く S さ 籠 O H恒 ヾ 熙 と 緊健 ス ● ヨ ス e ミ L 巨 腟 に や六8 0 ヽ ヽ やヽ ヽ ゴ 仁 尽 一ヾ 0 “ 回 聾 エ ハー 半 婆 X ”一 に條 薇 智に 騒 〓 蔵 塩 に 0 ヤ 伊拒 臣 翻 ホ ギ こ も 詢綸 晋 田‘ き 黎一 こ H 恒 巨 自 蚤 ぐ 褒L ヽ 日 議 ミ ︵ヽ 壼 ぶ 撻 辟 マ 駆 ヽ ヽ ヽギ 軍 ¨ さ 篭 僣 H恒 書 〓 雷 こ 日 案 様 卜 38 ︶ 語住 熙 擢 樫 寧 ゴ t 歴 ギ+ ギ 苺 ﹂ に 懸t 曇 卜妻 ゛ 響 88 ︶ . 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