1996-97年 度 国際 ロータリー第2650地 区 地 区大 会記念 誌 BRICK BY BRICK 一歩ずつ着実 に 1996-ワ 97年 度 国際 ロー タ リー・ テ ーマ 築 け未来 を一行動 )Jt 先見 の 眼 で Build tthe Future V晰 th Action And Vision 一 弔 地 0 5 ︿〓 6 2 地 ロ ー 剣大 1996-¨ '97年 ‐ 2650地 区 地区 幹 事 懇 談 瑚 地暉本壼 大会 フオーラム : ' ま 」 吾 ぢ 名 3界 ぶ 嬢 _.」 │ :軍 :´ i:三 ‐ ■■ 螂 T メッセージ 0紹 介 RI会 長 メ ッセ ー ジ RI会 長代理 メッセージ ガバ ナ ー メ ッセ ー ジ ガバ ナ ー ノ ミニー紹介 R:会 長 メ ッセ ージ 国際 ロー タリー会長 ル イス・ ビセンテ・ ジアイ ロー タ リー クラブ会 員 の 皆様 、並 び に、 第 2650地 区大会 に ご出席 の ご来賓の皆様 ヘ この世界 をよ り良い場所 に変 える為 の努力 を 1996-'97年 度 の 地 区大 会 に ご出席 の 皆様 に 惜 しまない事 を誓 お うではあ りませ んか。 対 し、 セ リア と私 か ら ご挨拶 を申 し上 げ ます 。 まず 、私 達 は 、 地 区 ガバ ナ ー 中野 重 宏 氏 の 多 今 回 t残 念 なが ら、 セ リア と私 は い ず れ の 地 区 の 大 会 に も出席 す る こ とが 出来 ませ ん 。 大 な ご尽 力 に対 し、心 よ り感 謝 申 し上 げ た い ロ ー タ リー ク ラ ブの 案 内 や親 睦 の た め の全 体 そ こで 、貴 大 会 に は卓 越 した ロー タ リア ン を 私 の 代 表 と して 出席 して頂 くよ うお願 い い た 的 な プ ロ グ ラ ム 等 を ま とめ て 下 さ い ま した 。 皆様 は 、 こ こ に集 い 、新 しい 友 人 に巡 り合 っ しま した。 即 ち、私 達 を個 人 的 に代 表 して頂 くの は 、第 2640地 区 の パ ス ト・ ガ バ ナ ー の 平 て 、 互 い の 経 験 を分 か ち合 う こ とに よ り、 ロ 岡 正 已 氏 とそ の 奥 様 で あ る 隆子 様 で す 。平 岡 氏 は じつ に博 識 な ロ ー タ リア ンで あ る と同時 と思 い ます 。彼 は 、 大 会 委 員 会 の 皆 様 と共 に ー タ リー ク ラ ブで の 皆 様 の 視 野 を さ らに大 き に、 熱 意 あ ふ れ る リー ダ ー で あ り、 そ の 人柄 く広 げ て い って頂 け る事 と存 じます 。 ど うか 、 この チ ヤ ンス を存 分 に活 用 して下 さる こ とを は大 変 に穏和 で 親 しみ やす い 人物 で あ ります 。 皆 様 方 とこの お 二 方 との 出 会 い が 有 意 義 で 稔 希望 い た します。 りあ る もの で あ る事 を希望 い た します 。 ロ ー タ リー ク ラ ブ は 、今 までず っ と、 物 事 皆様 方 が 理 想 を夢 見 る こ とに躊 躇 せ ず 、 そ れ ぞ れ の 素 晴 ら しい 夢 を 、皆 様 方 の ご家 族 、 の 成 り立 ち を理 解 し、夢 や 理 想 の 実 現 に は 、 どの よ うに して い け ば よい か を見通せ る、構 ク ラ ブ、 地 域 社 会 、 そ して 、私 達 の 住 む この 想力 に富 んだ人 々の集 ま りであ り続 け て きま した。 また、私達 は、 クラブの中で、 さらに、 地 球 に、 よ り良 い 未 来 を もた らす 為 の 約 束 事 と して 、 実 現 す る た め に、勇 敢 に行 動 へ と移 自分 自身が属す るそれぞれの地域社会 で 、 た とえ文化 、人種 、宗教 が異 な り、 また、世界 して い か れ る こ とを、 セ リア と私 は切 に希 望 の どの 国 か ら来 た人であ つて も、そ の一人の し期待 してお ります 。 敬具 ために、夢 や希望 を実現す る手助 けをす るの に喜びを見出 してまい りました。 ロー タ リア ンで あ る とい う こ とは、他 の 国際 ロー タ リー クラブ会長 ルイス ・ ビセ ンテ ・ ジアイ 人 々のため に奉仕 す る とい う行為 を通 して、 自分 自身 の境涯 を高め る とい う事 を意 味 して い ます。私達 の行動 は、 い まだ満た される こ とのな い夢 や要望 と、それが実現 した ときの 幸 せ との溝 を埋 める ものでなけれ ばな りませ ん。「誠実 に行動 し、愛情 で奉仕 し、そ して、 平和 の為 に働 こ うJを モ ットー に、私達 の住 む 10 Rl会 長代理 メ ッセ ー ジ R:会 長代理 平岡 正 已 国際 ロー タ リー 第 2650地 区 の '96年 ∼ '97年 度 の 年 次 大会 が 、 日本 の 学術 研 究 の 振 興 と融 西復 権 の シ ンボ ル で あ る 関 西文 化 学術 研 究都 生年月 日 住 所 学 歴 市 と、我 国 の 文化 の古 里 で あ る古 都 奈 良市 で 、 職 │ 1934(昭 和9)年 5月 31日 大阪市阿倍野区北 畠 1-18-15 1959年 3月 歴 1959年 4月 4月 19日 と20日 の 両 国にわ た って 開催 され ます 1963年 4月 こ とは誠 に意 義深 い こ とで あ る と存 じます . 貴 地 区 は 世 界 で 最 大 の 地 区 で あ ります が 、 1983年 4月 そ れ だ け で な く、常 に 世f界 の ニ ー ズ を先 取 り され て奉 仕 活動 を展 開 され てお られ ます こ と に ジ ア イRI会 長 は大 きな 賛 辞 を贈 られ て い ま 1994117月 役 職 ]987年 12月 6月 ) llllJ会 評議員 大阪府私学経営者協議会 顧問 10月 賞 罰 1985年 5月 3日 学校教育功労者として大阪府知事表彰を受〈 本 年 度 、貴 地 区 の 指 導 者 で あ り、 最 高 の 責 lI者 で もあ りま した足 高 晋 ガバ ナ ー が 任 務 ご ば に して 遷 化 され ま した 。 ロ ー タ リー の 半 奉 仕 の 推 進 の ため に尊 い 一 命 を捧 げ られ ま し た 。心 痛 の 極 み で す 。 心 か ら哀 悼 の 意 を捧 げ させ て頂 きます 。 しか しそ の 後 、現 中野 重 宏 ガバ ナ ー を 中心 に会 員 の 皆様 が 故 足 高 ガバ ナ ー の ご意 志 を受 け継 が れ て 貴 地 区 の 輝 か しい 伝 統 を護 るべ く、 ご精 進 を され てお られ ます 、 こ とに′ か ら敬 意 を表 させ て頂 きます 。 し 貴地 区 は 今 日迄 幾 多 の ロー タ リー の 先 駆 者 と国 際 的 な 指 導 者 を輩 出 され て 参 りま した 。 この 栄 光 あ る 貴 地 区 の 年 次 大 会 に、 今 回 ル イ ス ・ ビセ ンテ 。ジ ア イ 会長 か ら私 ど も二 人 に 会長 夫 妻 の代 理 と して 出席 して 会 長 の メ ッセ ー ジを述 べ る よ うに要 請 が ご ざ い ま した 。 誠 に光 栄 に存 じて お ります 。 同時 に この 貴 重 な 機 会 に皆様 と共 に学 ば して 頂 きた い と思 って い ます 。 皆 様 にお 会 い す るの を楽 しみ に して い ます 。 │ 1990年 9月 19931110月 1995年 5月 大阪府私学連合会 す 。 これ こ そ本 年 度 ジ ア イ 会長 が 強 く唱 え ら れ て い ます 「行 動 力 と先 見 の 眼 」 を もっ た活 動 で す。 甲南 大学経済学部卒業 カリフォルニア大学悸済学部 大学院修r 学校法人 清風学園に本職 学校法人 清風南海学園に本職 清風南海高等学校 副校長に就任 清肛t南 海中学校 副校長兼務 学校法人 消 t南 海学日 専務理事に就任 清風南海高等学 “ 校 中学校 校長に就任 高石市教育委員会委員 1現 在に至る 高石市姉妹都市 会長1現 在に至る 高百市教育委員長職務代理者 1現 在に至る│ :,高 '(版 昨 私立中学 専学校連合会理事現在[至 る│ ]961イ F6月 ltロ ロー タリー歴 1970年 1973年 1983年 1996年 高石 ロー タリー クラブ 入会 クラブ 幹 事 クラブ 会長 7月 羽衣 ロー タリー クラブヘ 杉籍 地 区役 員歴 1972年 第366地 区 1975年 第366地 区 1976年 第366地 区 1977年 第366地 区 1979年 第366地 区 1980年 第266地 区 インターアク ト委員 ('75年 まで 青少年部 Fリ カウンセラー補佐 イ ンターア ク ト委員長 ロー ターアク ト委員 占少年活動委員 インター アク ト委員 青少41交 換委員長 ('86年 まで 第264地 区 ガバ ナ ー 第2640地 区 規定審議会 代議員 ロー タリーの友 顧 問 オブラス実行グループ アツア地域コーディスーター 94年 ,LI RIポ リ ロータリー 団 アツ7第 1 第3ブ ーン地域コーディえ―ター│'96年 七 ロータリアン回llヨ デト ヤー コ アー│.96年 tl Π好会 日 本地F リ =ド ロータリー財団 学友諮門グループ委員 1'97年 迄 西大平洋岸地域 ポ リオブラス委員 ('97年 迄 インターナショナル ボリオブラス諮lpl委 員副コーディネーター 匡際協議会グループ ディスカッション リーダー 世代実行グループ 第3ゾ ーン コーディネーター ‖日教育プログラム5o周 年 念会議グループディスカッション モデンータ ) ) 1983年 1995年 1989年 1992年 1994年 │` lす │ │ ) 1995年 1996年 f‐ 19974F :」 ガバナーメッセージ ガバ ナ ー 中野 重宏 ロー タ リア ン並 び に御 家族 の 皆様 1996∼ '97 生年 月日 年 ロー タ リー 第 2650地 区大 会 に よ う こ そ お越 現 住 所 し下 さい ま した。 奈良市高畑菩提 町 H‖ 番地 大阪大学法経学部経済科卒業 歴 1953413月 奈良 代表肺骰 歴 1979年 6月 ヽ現在 株式会社ホテルサンルート 1989年 6月 ヽ現在 株式会社中野ビル 代表取締役 職 1984n14月 ヽ1990年 3月 奈良経済同友会代表幹事 学 職 こ こ奈 良 の 地 で 大 会 が 開催 され ます の は6年 ぶ りの こ とで 、我 々の 地 区 内 を ロー テ イ トす るの が 当地 区年 次 大 会 の 特 色 で あ り、夫 々の 1928年 3月 18H生 役 1990年 4月 ヽ現在 1985年 地 方色 を楽 しんで下 さる よ う願 つてお ります 。 奈良経済同友会特別幹事 ∼1990年 1月 奈良市代表監査委員 奈良商工会議所議 員 若 葉 萌 え出ず る大 和 路 は 、 国 の まほ ろ ば 、 日 本 人 の心 の ふ る さ と、清 々 しい 空 気 を胸 一 杯 に吸 い 込 んで下 さい 。 1月 奈良県旅館環境衛 生同業組合理事 日本赤 ■字社奈良支部評議 員 ロータ リー歴 故 足 高 晋 ガバ ナ ーの ご遺志 を継 ぎ、本 大 会 を成 功 させ る為 、 ホ ス トの奈 良西 RC、 コ ・ ホ 職業分類 1977年 ポール ス トの 平 城 RCに は総 力 を挙 げ て準 備 に当 た っ 1982年 て頂 きま した。 1990年 米山功労 者 マルチ プル ど うか 、皆様 方 の ご協 力 を得 て 、実 り多 い 大 会 とな り、未 来 を築 く新 た な ロー タ リア ク 現 、 か し シ ョンヘ の 活力 を生 み 出 して 頂 くこ とを′ 1968∼ '69年 ら期待 致 してお ります 。 1970∼ '71イ SENIOR ACTIVE(洋 ハ リス 式 ホテル ) フエロー ポール・ハ リス・ フェロー 在 31年 連続 100%出 席 ク ラ ブ関係 奈良 ロー タリー クラブ大会 1965年 6月 F 同 幹事 理事 (青 少年 1974∼ '75年 司 理事 (社 会奉仕 1977∼ '78年 可 副会長 1982∼ '83年 同 同 ) ) 会長 地 区 関 係 1973∼ '74年 1975∼ '78年 小 田成就 ガバ ナー地区幹事 地区 イ ンターアク ト委員長 (地 区大会 1978∼ '79年 杉 山嘉 一 ガバ ナー地区幹事 (公 式訪間、地区大会 1981∼ '84年 地区規定審議委員会委員 1984∼ '85年 地区分区代理 1985∼ '87年 地区規定審議情報委員会委員 1987∼ '88年 1990∼ '91年 地区社会本仕委員長 RI第 2650地 区 ガバナー 1991ヽ '96年 地 え青少年担 当諮問委員 1996年 ヽ 地区WCS担 当諮問委員 ) ) ガバナーノ ミ二―紹介 ガバ ナ ーノ ミニー 1997∼ り8年 度 山田 二 郎 国際 ロー タ リー 第2650地 区 1998∼ り9年 度 日所歴 歴 朝住 生現学職 生年月 日 1931年 1月 1日 生 現 住 所 京都府亀岡市つつ じヶ丘大山台1]調 9番 6号 学 歴 1950年 3月 10H 京都経理専 門学校卒業 職 歴 1967年 ヽ現在 山日本ll株 式会社 代表取締役会長 1990年 ヽ現在 株式会社ケーシーエス 代表取締役 次期 ガバ ナ ーノ ミニ ー 宮崎 茂和 国際 ロー タ リー 第2650地 区 193]年 6月 12日 生 福井県坂井君F三 国町北本町226 1957年 3月 慶応義塾大学医学部卒業 1957ヽ '67年 度応義塾大学医学部外科学教案 1967年 ∼現在 (医 )慈「lt会 埋事長 宮崎病院院長 (日 本外科学会認定医 (日 本消化器学会 認定医 (日 本医師会認定産 業医 ・スポー ッ医 ) ロー タリー歴 ) 職業分類 sENIOR ク ラ ブ関 係 1970イ 115月 19日 1974ヽ '75年 1977∼ '78年 1979∼ '80年 1981ヽ '82年 1952∼ '83年 1970年 1979年 1996年 1996年 ACTIVE(不 It産 売買 ) 亀岡ロータリークラブ チャーターメンバー (埋 事 )イ t会 奉仕委員長 (理 事 )会 長 (Ill事 )RI創 立75周 年、亀岡RC 創立 lo周 年記念事業特 別委員長 (理 事 )国 際本仕委員長 (理 事 )社 会奉仕委員長 ポール ハ リス フェロー 米山功労者 マルチプル・ポール ハリス フェロー ベ ネファクター その他 (理 事 )外 51J 地 区 関 係 198卜 '82年 1984ヽ '85年 1993∼ '94年 19944' 地区エ クステ ンシ ョン委員 地区 ロー タリー財 団推進委員 会 地区 陛界社会奉仕委員 ガバナー特別代表 亀岡中央RC含 1立 団 体 職 歴 1973ヽ 現在に至る 学校法人京割 園 (京 樹 国大学等 )理 訂 ク `学 `学 1987ヽ 亀岡商工会議 所 会頭就任 ″ 990ヽ 貝 イLIn法 人生涯学習かめおか財 l 畠 J理 事長 副会長 L■ 1995ヽ ク 西京都政経文化懇話会 ) ロー タ リー歴 職業分類 SEN10R ACTIVE(外 科医 ク ラ ブ関 係 1972年 6月 8H 福井 ロー タリークラブ入会 1974ヽ '75年 (理 事 )社 会奉仕委員長 1975∼ '7611 (II事 )国 際奉仕委員長 1977∼ '78年 (理 事 )青 少年本仕 委員 長 1979∼ '80年 (理 事 )職 業本仕委員長 1980∼ '8141(理 事)幹 事 1984∼ '85年 (理 事 )冨 J会 長 クラブ奉仕委員長 1985∼ '86年 (理 事 )会 長 その他理 事4回 地 区 関 係 1978∼ '79年 地区 L界 社会奉仕委員 1982∼ '83年 地区社会奉仕委員 1986∼ '87年 地区大会幹事 1993ヽ '94年 地区第5組 IM実 行委員長その他 197941 4月 ポール ハ リス フェロー 1985年 9月 米山功労者 1991年 1月 マルチプル フェロー ベ ネファクター 1995n1 9月 メモ リアルコン トリビューター 2[1日 1996年 7月 米山功労者 2回 団 体 職 歴 1983∼ '89年 日本医師会労災自賠責委員会 1委 員長代行 198]ヽ '93年 福井県医師会理事 1994年 ヽ現在 「医師会長 福井県坂井君 ) ) CONTENTS 目次● RI会 長 メ ッセ ー ジ ルイス ビセンテ ジアイ 10 Rl会 長 代理 メ ッセ ー ジ 平岡 正已 11 ガバ ナ ー メ ッセー ジ ガバ ナ ー ノ ミニ ー紹介 中野 重宏 12 次期 ガバ ナ ー ノ ミニ ー紹介 会長・ 幹 事懇談 会 第 1日 目 規 定審議 委 員会 提 案 大会 フ ォー ラム 第 1日 目 ` 開会 の こ とは 中野 重宏 95 大会決 議 案採 決 1998∼ '99年 度ガバナー、ガバナーノミニー紹介 96 宮崎 茂和 96 次期 ガバ ナ ー ノ ミニ ー挨 拶 山田 二郎 13 宮崎 茂和 13 平 R!会 長 代理 講言 平岡 正已 98 お礼 の こ とば 中村 保100 閉会 林 22 千 宗室 22 平岡 正已 24 中野 重宏 26 青山 茂 27 宮崎 茂和 37 橋爪 勝次 39 宮島 正義 40 緒方 惟之 Rl会 長代 理 挨拶 ガバ ナ ー挨 拶 基調 講 演 重油 流 出事故報告 大会フォーラム・コーディネーター ・ 職 業奉仕 委 員会 。国際奉仕委 員会 増田 紘明 41 43 44 央 45 重宏 46 清 46 47 ・ 地 区青 少年委 員会 北村 光男 ・ 社 会 奉仕 委 員会 。環境保 全 委 員会 岡村 吾郎 田崎 フ ォ ー ラ ムア ドレス 中野 閉会 の こ とば 大会 第 1日 ロ 浅沼 スナ ップ 第 2日 目 開会 宣言 中谷 賢治 64 開会 の こ とば ガバ ナ ー挨拶 緒方 惟之 64 中野 重宏 64 足高 ガバナ ー並び に物故会 員 を偲 んで 65 高橋 善次 65 歓 迎 の こ とば 故 来賓 の祝 辞 岩崎 栄三 93 大会 第 2日 ロ 記録 。紹介 奈良県知事 柿本 善也 66 奈良市長 大川 靖則 68 RI会 長 ア ドレス並 び にRI現 状報告 平岡 正已 68 GSE地 区 ガバ ナ ーメ ッセー ジ デビツドグラハム 74 網千 善教 75 記念 講 演 ガバナーア ドレス並びに地区現状報告 中野 重宏 90 大会 委 員会 報告 92 常郎 92 登録 委 員長 山上 文雄 大会 選挙 人資格 審査委 員長 池内 スナ ップ 湯浅 孝 97 秀彦100 101 118 ご来賓 121 121 招待 者 125 物故会 員 表彰 126 143 新 クラ ブ紹介 144 会 長・ 幹 事懇 談会 出席者 146 大会登録 者 163 記念 親 睦 ゴル フ大会 成績表 。 ・ 員 165 大会 役 員 大会 委 員 実行委 地 区大会 日誌 167 172 大会 収支 決 算書 173 ぁ とが き 大会 プ ログラム 元 RI理 事挨拶 大会本 会議 大会 決議 案上程 中野 重宏 97 16 平岡 正已 17 石戸 慶次郎 19 R!会 長代 理 挨拶 三岡 嘉和 92 次期 ホ ス トクラ ブ紹介 次期 ホ ス トクラ ブ会長 挨拶 中野 重宏 ガバ ナ ー挨 拶 大会選挙 管理 委 員長 Hill‖ ‖」 ‖ 1,T l‖ 会長・ 幹事懇談 会 (地 区大会 プ ロ グラム第 1日 目) ガバ ナー挨拶 RI会 長代理挨拶 規定審議委員会提案 大会決議案審議 上程 大会決議案審議採決 1998∼ '99年 度 ガバ ナ ー ノ ミニー指名報告 ガバ ナ ー挨拶 ガバ ナ ー 中野 重宏 お手元 にお配 りい た してお ります地区 の現 況 につ きま しては、明 日の本会議 の席 上で ご 説明申 し上げ ます ので 、 ここでは省略 させ て ぃ ただ きますが、 ご参考 まで に地 区の状況 を 把撚 していただ けれ ば幸 いでござい ます。 伝統 と栄光 に輝 く当地区 の高 い業績 を後退 させ る ことのない ように、残 る 2カ 月、私 も 最善 を尽 くす所存 で ご ざい ます ので 、何 とぞ 北 は福 井 県 の 丸 岡 か ら、 また南 は奈 良県 の五 條 まで 、 1府 3県 にわ た る広 人 な地域 、 各 ロ 皆様 方 もそれぞれ クラブ の リー ダー と して、 また地区運営 のかなめ として、最後 まで気 を ー タ リー クラブ の 会長 ・幹事 様 初 め地 IX役 員 緩 めることな く、お互 い に有終 の美 を旬 く頑張 りたい と7fじ ます。 の皆様 方 、早朝 よ りお で ま しくだ さい ま して、 ま こ とにあ りが とうご ざい ます 。 本 国幸 い に も天 気 に恵 まれ ま した こ と、 そ れ か ら、 国 際 ロ ー タ リ ー 、 ル イ ス ・ ビセ ン テ ・ ジア イ会 長 の代 理 と して 、 第 2640地 区 パ ス トガバ ナ ー ・平 岡 正 已様 を会長 代 理 と して お迎 え し、 また、 RI元 理事 ・千 宗 室様 初 め 地 区 内外 の パ ス トガバ ナ ー 、 ガバ ナ ーの 七争様 方 と と もに この 会 長 ・幹 事 懇談 会 を開催 い た す こ とが で きま した こ と、本 当 に光 栄 に存 じ てお ります 。 本 年 1月 16日 、足高 晋 ガ バ ナ ーの ご逝去 に 伴 い 、思 い もよ らぬ 事 態 とな りま して 、私 に ガ バ ナ ー と して本 年 度 の 後半 を努 め る よ う に と RI会 長 の 命 に よ りま して 、足高 ガ バ ナ ー 事 務 所 の廣 橋 幹 事 長 を初 め 幹事 の 皆 様 方 の ご 協 力 を得 ま して、地 区業 務 に当 た って まい り ま したが 、何 分 に も力 不 足 の ため 、 会長 ・幹 事 様 初 め地 区委 員 会 の 皆様 方 には数 々の ご迷 惑 もお か け い た してお ります こ と、 まず深 く お わ び 申 し_ヒ げ た い と存 じます 。 こ こ にお集 ま りい た だ きま した皆 様 方 には、年 度 当初 よ り第 2650地 区 の 活力 あ る発展 の ため に、全 力 を傾 け て い た だ きま して、 お か げ さ まで足 高 晋 ガバ ナ ーの 志 の 実 現 に近 づ いて くだ さつて い る もの と、 あ りが た く存 じてお ります。 jる べ Rl会 長代理挨 拶 RI会 長代理 平岡 正 己 には2650地 区 の皆 々様 か ら絶大 なるご支援 と ご指導 を賜 りま した。そ うい うことを考 えま す と、私 は2650地 区の 門下生 とい うふ うに思 ってお ります。また今 日は、 した力れヽまして、 千元理事長、 またこの地区か らは小 谷理事 ノ ミニー も選出 されてお られ ますので 、お ふた りの口頭試間 をみなさんの前 で受 ける、そ う い う よ うな気持 ちで ご ざい ま して 、なかなか 2640地 区か ら参 りました平岡でござい ます。 十分 な役割 を呆 たす ことはで きない か もわか まず、ごあ い さつ させてい ただ きます前 に、 足 高ガバ ナ ー のご逝去 につ きま して心か らお りませ んが 、 ロー タリーの精神 に免 じてお 許 しを願 いたい とい うふ うに思 い ます。 悔 やみ 申 し上 げ ます とともに、 ご冥福 をお祈 きようは会長 ・幹事 さんの集 ま りとい うこ とで ご ざい ますが 、ハ ーバ ー ト・ ブラウン会 り申 し上 げ、今、中野 ガバ ナ ー よ り私 の ご紹 介 を して い ただいたわ けで ご ざい ますが 、私 は1988年 ∼'89年 度2640地 区のガバ ナ ー を仰 せ 長 さん、 この方 も一 昨年、恐 らく京都 の地区 に、千元理事 のご案内で当地区 を訪れ られた つ か りま した。 この'88年 ∼189年 とい うのは、 実 は千お家元が 国際理事 をされてお られ ま し んはこ うい うふ うにお っ しゃってお られ ま し た年 で もご ざい ます 。先 ほ どご紹介 ご ざい ま た。幾 ら国際 ロー タリー の会長が献身的な努 したよ うに、細 田先生 は私 と同期 で ご ざい ま して、 い ろい ろ と格別 の ご指導 を賜 つた間柄 力 を して も、世 界 の120万 の ロー タリア ンの 行動 を導 くことはで きな い、そ うす るよ うに で ご ざい ます。 また 中野 ガバ ナ ー とは、 イ ン す るには 、世界 に500以 上 の各地区があ るわ ター アク トの地 区委員 をさせてぃた だ ぃ て ぃ け でご ざい ます けれ ども、そ の地区の リー ダ ーの皆 さん、そ して もっと詳 しく言 うな らば ま した ときに、当時大阪地 区はまだイ ンター アク トクラブの数が 3つ ぐらい しか ご ざい ま せ んで した。2650地 区 もその ぐらい の数 だっ た と思 い ます 。 1つ の地区が 5つ 以上 なけれ ば地区 として独立で きない とい うことで 、長 年266-当 時 は366と 申 しましたが一と、京都、 と思 うんです けれ ども、そ のブラ ウ ン会長 さ 各 クラブの会長 さん、幹事 さん、あるいは各 クラブ リー ダー の献身的な リー ダー シ ップに よつてそれが可 能 になる と、 こ うい うふ うに お っ しゃってお られ ます 。 まさし くそれはご 奈良、滋 賀、福井 の この地区 とは、 イ ンター 体験 か ら出たお話 で あろ う とい うふ うに′ 思う わ けで ご ざい ます。 アク トに関 しま しては同 じ地 区 として構成 さ れてお りま したので、当時 中野 ガバ ナ ー はイ また、 こと しのルイス ・ V。 ジァ ィ会長 さ んは、 リー ダー シ ップについて この よ うにお ンター アク ト担当地区幹事 とい うことで 、私 つ しゃつてお られ ま した。 この激 しい変動 の 世界 にビジ ョンを持 たな ければ リー ダー シッ ども、 い ろ い ろ とご指導 して い ただいた 間柄 でござい ます。 プは空 回 りす る と、 こ うい うふ うに もお っ し また私 は、 ロー タリー財 団、あるい はポ リ ・ オ プラス に関係す る委員 をず っ と仰 せつ か やつてお りま した。 この ビジ ョンについ て も い ろいろ本年度 はジア イ会長 さんがお っ しゃ ってお ります。そ うぃ う よ うな関係 で、特 に つてお られ ますが 、私 は、そ の ビジ ョンの 中 二橋 ガバ ナ ー、あるい は坂部 ガバ ナ ーの時代 の 1つ と して、ゃは り目標 とい うのが あるの で はな い か な とい うふ う に も思 ってお りま ― タリーの リー ダー になれた と、 こ うい うふ す。 うに感 じられたそ うで ご ざい ます。そ の著名 な ロー タリア ンとい うのは、 自分 が偉大 な リ ジアイ会長 さんは この リー ダーシ ツプにつ いて 、 自分 の地 区 の ロー タリア ンの話 を体験 談 として持 ち出 され てお ります。 それは こ う い うことなんです。 ジアイ会長 さんはアルゼ ンチ ンの 出身で ご ざい ます。そ して早 くガバ ナ ー をされたわけで ご ざい ますが、そ の とき に RYLAを 開催 され ま した。 アルゼ ンチ ン では一番最 初 の RYLAで あ つた よ うで ご ざ い ます。そ の RYLAで 、あ るアルゼ ンチ ン の著名 な ロー タリア ンが リー ダーシ ツプにつ いて講演 されたそ うで ご ざい ます。そ の講演 の 内容 と申 します のは、次 の ような内容 で ご ざい ます。 そ の著名 な ロー タリア ンが 、 自分 は どうか して偉大 な リー ダー にな りたい とい う ことで ー ダー になろ う とい う願望 を捨 てて、人 々の 目標 は何 であるか とい うこと、人 々の ニーズ は何 であるか とい うことを考 え、そ して行動 されたわけで ご ざい ます。 非常 に私 はこの話 は、あ と二 、 三 カ月残 さ れて い る この地区、特 に この地区 は もう世界 一の地区 で ご ざい ます。私が関係 させて いた だいた委員会 の 、そ の分野 の活動 は全 部世界 一で ご ざい ます。恐 ら く数 だけの問題 ではな しに、地区 として世界 一の地区で ご ざい ます。 これか ら会長 さん、幹事 さんのす ば らしい リー ダー シ ツプの もとに、先 ほ どお話 が ござ い ま した よ うに、中野 ガバ ナ ーの お つ しやら 一 生懸命努力 されたそ うで ござい ます。あ る れ ます 目標 の達成、 そ して第2650地 区 の伝統 あ る ともしび を消 さない よ うに、ぜ ひお願 い ときには威厳 の あ るス ピーチ を した り、あ る いは 目標達成 のための方法論 とか 、 い ろいろ 申 し上げたい と思 い ます。 簡単、粗辞 ではござい ますが、 ごあ い さつ されたそ うで ご ざい ますが、なかなか皆 さん が ついて こられない。そ こでその著名 な ロー にかえさせて いただ きます。 きようは ど う も タリア ンは、今度 は多 くの人たちの意見 を聞 く、そ の 人 たちの声 に耳 を傾 け る とい うふ う にされたそ うで ご ざい ます。そ う して いる中 で 、その 人 たちの 目標 とい うのが何 であるか とい うことが わか つて きた。そ こで 、その著 名 な ロー タリア ンはそ の人たち と一緒 に行動 され たわけで ございます。そ してある ときは、 そ の人 たちの努力 を励 まし、またある ときは、 そ の人たちの中でわず かな技術 しか持 ってお らな い方 々の技術 の指導 に当た つた りされた わけであ ります が、 つい に目標が達成 された わけです。そ うす る と、そ の人々の中か らあ る 1人 の人がその著名 な ロー タリア ンに、 も しあなたの リー ダシ ツプが なければ この事業 は達成 で きなか つた とい うふ うに述懐 された わけです。そ こでその著名 な ロータ リア ンは、 はた と思 つたわけです。 自分 は初めて真 の ロ あ りが とうご ざい ま した。 規定審議 委員会 提案 石戸 慶 次郎 を させ てい ただい てお ります。 この 決議 第 7け につ きま して 少 しご説 明 を 申 し上 げ たい と思 い ます が、 制 定案 (1)に つ い てで すが 、現 在代 表議 員 の 選 出が 規定 審 議 会 開催 の 直前 年 度 、現 在 の 地 IX大 会 の この 大会 で 選 ぶ とい うふ うに規 定 は され てお りま すが 、 しか し、 この 大 会 で 決定 を され ます と、 この 直後 の 5月 1日 に RIの 事 務 総 長 に報 告 ご紹介 をい ただ きました石戸です。大会決 議委員会の岩崎委員長 さんのご提案 に先立 ち まして、規定審議会 関連 につ きま して少 しご 説明を申 し上げたい と思 い ます。 この ことにつ きま しては 、 4月 15日 発行 の 「ガバ ナ ー 月信 J10号 の 冒頭 に「 ロー タ リア ンの皆様Jと い うことで 、中野 ガバ ナ ー よ り 地区大 会決議案 中の重要議案 の要望 といた し まして、すでにご要望 をいただぃてお ります。 ご承知 の よ うに、来 年 1月 に イ ン ドのデ リ ー にお きま して、 3年 に 1度 でござい ますが、 RIの 立 法機 関である規定審議 会が開かれる わ けで ご ざい ますが 、 この審議会 には地区 よ り代表議員選出 と、 い ま 1つ は立 法案 の提案 とい うことが RIの 定款 に定 め られてお りま す c私 ど もの委員会 の一 番 の任務が実 はこれ の取 りまとめ とい うことでご ざぃ ま して、今 日まで坂 部諮問委員 さんの ご指導 もい ただ き ま して動 い て まい りま した。 なお 、大会決議 を い た さな けれ ば い け な い とい う義 務 が RI 定 款 に 、細 則 で す が 、 定 め られ て お ります 。 時 間的 に 、 また物 理 的 に大 変無 理 な こ とで ご ざい ま して 、任 命 を 2年 前 の 時期 にす る こ と に よ りま して 、事 前協 議 とか 代 表議 員 の 任 務 の完全 な遂 行 とい う こ とが 可 能 にな ります。 したが い ま して 、 そ の 整合性 を求 め ま して 本提 案 をい た します 。 次 に、制 定 案 (2)に つ きま して で ご ざぃ ます が 、表 題 の とお り、資 格 の 整 合性 を求 め る とい う こ とで ご ざい ます が 、 第 7節 の ガ バ ナ ー ノ ミニ ーの 資 格 条件 に、 第 8節 の ガバ ナ ー の 資格 条件 とい うの が ご ざい ま して 、既 に 資 料 で は け してお ります け れ ど も、 7年 以 上 の 在 籍 規 定 とい う こ とが 8条 に載 って お るわ けで ご ざい ます が 、 そ れ を 7条 に含 め る こ と に よ りま して そ の 一貫性 を求 め る 、合 理性 を 求 め る とい う こ とで ご ざい ます 。 案 には項 日のみで上が ってお りますので 、お 手元 にお配 りい た してお ります審議 会資料 と い うのが その封筒 に入 ってお りますので 、 ご 次 は 、制 定 案 (3)に つ き ま して ご説 明 を 中 し Lげ ます が 、 (3)に つ き ま して は福 井 フェ ニ ックス クラ ブ よ りの ご提 案 で ご ざい ま しんをいただ きたい と思 い ます。 す。 初 めの代表議員 につ きま しては坂部 パ ス ト ガバ ナ ー、補欠代表 議員 には 中野 ガバ ナ ー の 選 出を決議第 6号 とい た しま して提案 をい た してお ります。 また、提 出立法案 につ きまし ては、決議第 7号 といた しま して 、制定案 に RI細 則 の改正 2件 とクラブ定款 の 改正 1 件、計 3件 を上げてお ります。そ して、決議 案 とい た しま して 1件 の 、計 4案 が諮問委員 会 の皆 さんのご審議 もい ただ きま して 、提案 実 は前 回 の カ ラ カスの 審議 会 に も出 てお る わ けで ご ざい ます が 、 ク ラブ定 款 の FRl一 条項 の 中で そ れ ぞ れ 表示 の 違 う ところが ご ざい ま して 、 そ の 整 合性 を求 め る もの で ご ざい ます け れ ど も、 条 文 前段 の 基 本 の 表 示 とい う とこ ろ に場所 の 記 載 が な い の で ご ざ い ます が 、条 文後段 で は場 所 の 変 更 云 々 とい う こ とが ご ざ い ま して 、 この 件 につ い て は 、皆様 またお 帰 りい た だ きま して手 続 き要 覧 を見 て い た だ き ます とわか ります が、場所 の変更 云 々 とい う 表示 が ござい ま して、そ の整合性 を求める と い うことで条文 へ の追加提案 をい た してお り ます。 以上が市1定 案 で ござい ますが、最後 に決議 案、 この件 につ きま しては、福井北 クラブよ りご提案 をい ただ いて お ります。平和 国家 日 本、 また、被爆 国 日本 とい た しま して当然 の ことで ござい ますけれ ども、戦後五十有余年 を過 ぎて もなお核 の脅威 を取 り除 くことがで きないのは、皆様 もご承知 の現実 の 中で ご ざ い ま して、核 の平和利 用 の促進 と核兵器 の廃 絶 に関す る要望 を求める ことは、平和 を願 う ロー タリア ンの綱領 にもご ざい ま して、大変 有意義 な ことと考 えま して、決議案 として提 案 をさせていただ きます。 以上 4つ の提案 につ きま して皆様 のご賛 同 をお願 いいた しま して、私 の報告 を終わ らせ ていただ きます。あ りが とうございま した。 議 案審議 上 程 決議 案 第 1号 ∼ 15号 後掲 大カ △ 〓サ (P93∼ P95) 決議案採 決 ― 中野 重宏 ワ 1988∼ 99年 度 ガバ ナ ー ノ ミニーの指名報告 ガバ ナ ー 中野 重宏 後掲 (P96) 20 閻 T 大会 フ ォー ラム (地 区大会 プ ロ グ ラム 第 1日 日) 開会 のことば 元 RI理 事挨拶 RI会 長代理挨拶 ガバ ナ ー挨拶 基調講演 重油 流出事故報告 大会 フォー ラム フオー ラム ア ドレス 閉会 の こ とば 開会 の ことば 大会委員長 緒方 惟 之 本 国 こ こ に、平 岡 正已 国際 ロ ー タ リー 会長代 理 ご夫 妻 、元 RI理 事 千 宗 室 氏 を お迎 え しま して 、 国 際 ロー タ リー 第 2650 元 Rl理 事挨拶 元 Rl理 事 千 宗室 どうも、 Hl会 者 の ご紹介 で私 の誕生 日 とい う ことで ござい ますが、 くしくも創 設者 のポ ール ・ハ リ ス さんが この 4月 19 地 区 1996∼ 1997年 度 地 区大 会 を開催 す 日の生 まれ で ござい ます ので 、皆様方 の る に当 た り、 ご来 賓 拍 手 は ポ ー ル ・ハ リ ス さん に も届 い て い る こ とだ と、 か わ りま して心 よ り御 札 を 申 し上げ の 方 々 を初 め 、他 地 区 ガ バ ナ ー 、 パ ス トガ バ ナ ー 、 当地 区 パ ス トガ バ ナ ー の 多数 ご 出席 を 由の 流 い た だ き、心 よ り歓 迎 い た します 。 重 ′ る次 第 で ご ざい ます。 ヽ し 労 され た三 国 ロ ー タ リー ク ラブ 出事 故 で ご′ そ して 、 この 大 会 に は 、本 当 に公 私 と もお か ら も ご参 加 くだ され 、 い まだお疲 れ も残 っ て い る こ と と思 い ます が 、 お体 を十 分 ご 自愛 忙 しい 中 を ジ ア イ会長 の 会長代 理 と して 、本 当 に い つ も RIの い ろ い ろ な委 員 会 で お世 話 くだ さい 。 国際 ロー タ リー の テ ーマ に沿 い 、 フ オー ラ ムで は 「 未 来社 会 にお け る ロー タ リー と地 域 を い た だ い てお ります 平 岡 正 已 パ ス トガバ ナ ー 、 また令 夫 人 隆子 様 、 ご夫 妻 お そ ろ い で わ の か か わ りあ い Jと い う題 で 始 まる わ け で す が 、今 回 の地 区大 会 は 第 2日 日が 本 会議 とな り、 会 員 の 皆様 には困惑 され た と思 い ます が 、 指 導 い た だ きます こ とに大 変 心 よ り感 謝 、御 礼 を 中 し上 げ る次 第 で ご ざい ます 。 ざわ ざお で ま しを い た だ きま して 、 2日 間 ご 故 足 高 ガ バ ナ ー の 強 い ご 意 思 に よ る もの で 、 この 大 会 が 成功 す る よ う見 守 って お られ る と また 、先 ほ ど も黙 祷 を さ さげ て い た だ きま した よ う に、 当地 区 の 足 高 ガバ ナ ー が ま こ と 思 い ます 。 に残 念 な こ とに急 逝 され た 、 そ れ を受 け ま し て 私 は ジ ア イ会長 の 方 に ご連 絡 申 し上 げ 、 ま 会 長 、 幹 事 の 皆様 方 に は 、 この 地 lX大 会 に つ い て 非 常 に ご苦 労 をお か け 申 し上 げ ま した が 、多数 の 皆様 が 1夫 くご出席 くだ さい ま して 、 ホ ス トの奈 良西 ロー タ リー ク ラ ブ、 コ ・ ホ ス た地 区幹 事 長 ・廣橋 さん とい ろ い ろ とご相 談 い た し ま して 、 そ して ジ ア イ会 長 の 方 か ら、 この 地 区 の こ とに つ い て は私 に一 任 す る とい う こ とで 、 い ろ い ろ後 々の ご相 談 を させ て い トの平 城 ロー タ リー クラ ブ会 員 こぞ って 感 謝 してお ります。 た だ き ま して 、 そ の 結 果 、 や は り奈 良 とい う とこ ろの地 区大 会 で も ご ざ い ます し、後 半 の 最 後 に、皆様 方 の さ らなる ご発 展 とご精励 、 ご健 康 を祈 念 い たす と と もに、 ロ ー タ リア ン と大 い に論 じ、 友 情 を ます ます 深 め られ る こ い ろ い ろ な行 事 も ご ざ い ます の で 、 ま こ とに 中 しわ け な か っ た の で ご ざ い ます け れ ど も、 中野 パ ス トガ バ ナ ー に残 りの 任 期 を務 め て い とをお 願 い い た しま して 、 あ い さつ とい た し ます 。 ど う もあ りが と う ござい ま した。 ただ くよ うに ご要請 を したわけ で ご ざい ます 。 大 変 奥 様 に も申 しわ け な く、 ご夫 妻 、寝 て い る 子 を起 こす とい う よ うな状 態 で 、再 び 現 役 に カ ムバ ック して い た だ い た よ う な次 第 で ご ざ い ます が 、 お 2人 と もお元 気 で 、 足高 ガバ 22 ナ ー が 7/tさ れ ま した 偉 大 な足 跡 をお 継 ぎい た の20004年 に 4地 区が合同で世 界大会 を開催 で だ きま して 、 しか も坂 部 直 前 ガバ ナ ー の よ り きる とい う ことは、 ま こ とにあ りが たい こ と よ きア ドバ イ ス も ご ざい ま して 、 この 地 区大 で ご ざい ま して 、 これ を私 たちは本 当 にポ ー 会 を無 事 に迎 えた よ うな次 第 で ご ざい ます 。 ル ・ハ リス創設者 の ご指名、そ う した もの を これ につ きま して は廣橋 地 区幹 事 長 、 また、 ひ しひ しと身 に感 じて 、 これか ら準備態勢 に この 大会 を催 す に 当 た りま して は緒 方 大 会委 移 ってい か なければな らな い わ け で ご ざい ま 員長 、 また 中谷 幹 事 、大 会 実行 委 員 会 の 中村 す。不 肖私 がその推進準備委員長 をお 引 き受 委 員 長 、 また 、 ホ ス トク ラ ブの 高橋 会長 初 め けす るこ とにな りま して 、副委員長 には、現 奈 良 の 皆様 方 が 一 九 とな って 、足 高 ガバ ナ ー の 追 悼 地 区大 会 とい う よ うな姿 で この 口を迎 理事 で 出てお ります2680地 区 の神戸 の今井理 事、それか ら理 事指名 ノ ミニ ー を受 け ま した え させ て い た だ きま した。 足 高 ガバ ナ ー もあ 2650地 区 の小谷隆 一 パ ス トガバ ナ ー、それか の 世 か いどの よ うにお喜 びの こ とで あ るか と、 ら2660地 区 の大阪 の古 田敬三パ ス トガバ ナ ー、 私 は 本 当 に胸 が 痛 む思 い で い っぱ い で ご ざぃ その三 方が私 の もとで副 委員長 を務 めていた ます 。 心 か らご哀 悼 の 意 を表 した い と思 う次 だ きます。そ して 、 きょうもお 見 えになって 第 で ご ざい ます。 お ります2640地 区 の平岡正已パ ス トガバ ナ ー、 私 か ら ご あ い さつ 中 し_Lげ た い こ とは 、現 そ して中 島治 一 郎 パ ス トガバ ナ ー、それか ら 況 そ の 他 に つ きま して は 会 長代 理 か らい ろ い 同 じく2660地 区 の 山中文和 ガバ ナ ー 、 また私 の 方 か ら、地 区 を代表 して坂 部慶夫直前 ガバ ろ ご指 導 も ご ざ い ます 。私 が 申 し上 げ た い こ とは 、先 ほ ど も会 長 ・幹 事 懇 談 会 で 決 議 案 が 皆様 方 の ご賛 同 を得 ま して 決定 い た しま した 。 ナ ー 、そ して2680地 区か らは松 岡パ ス トガバ ナ ー、 この 8名 の 方 々 に と りあえず委員 とし に 日本 で 、 しか も関 西 で 、今 まで は だ い た ぃ て ご就任 い ただ きま して、 なおか つ 、元 RI の理 事 の経験者 も委員 と して就任 を して い た 都 市 が 指 定 を受 け ま して 、 そ して 決 定 す る わ だ きました。 そ の 中 に 、来 る2004年 、世 界大 会 を27年 ぶ り け で ご ざ い ます が 、 この た び は 関 西 、 そ の 関 西 の 4地 区、 2640、 そ れ か ら2650、 60、 80と い うそ の 4地 区が共同で開催 をす る とい う こ とで決定 をい た したわ けで ご ざぃ ます 。 この そ して、 い ろい ろなことを今相談 中で ご ざ い ます けれ ども、ち ょうど宮崎 さんに1998∼ 199年 度 のガバ ナ ー をお務 め い ただ きますその 中に もご参加 い ただいた と思 い ますけれ ども、 時代 に、 1999年 度 の地区大 会 は 4地 区が合 同 して、大阪、京都 を中心 にい た しま しての地 1961年 、東京 の晴海 で 開催 された RIの 国際 区大会 を兼ねた リハーサル大 会 を開催する と。 大会、それか ら続 い て1978年 、 ち ょう どそ の 大体 日程が、大 阪 ドー ムの予定 もご ざい ます ときは 山口善造 ガバ ナ ーの 時代 で ご ざい ま し たが 、東京 ・代 々木 で 開催 され ま した。それ ので 、 4月 にな ります とプ ロ野球が始 ま りま すか ら、そ の前 の 3月 とい うことで、 1999年 、 以 来 日本では陛界大会が ご ざい ませ んで した。 4地 区合 同 の 、 まれに見 るこれは ミニ世界大 よ うや くこの たび世界大会 を関西 に誘致す ることに決定 い た しま した。 ご承知 だ と思 い 会 とい う ことで 、 リハーサ ル を行 う とい う こ ますが 、来 る2005年 には ロー タリーが創設 さ とつ この地区の皆 さん方 に も十 分 にご協力 を い ただか なければな らない と思 い ます 。そ し れて loo年 を迎 えます 。 loo年 とい う画期 的 な 時 を迎 え、 しか もその歴 史的 な意 義 を象徴す とに なってお りますので、 これか らど うぞ ひ て特 に、 もう1999年 にな ります とあ と 5年 後 るため に、 シカ ゴでいろいろ な催 しが計 画 さ にな ります ので 、 い ろんな意味 で 、決議 に も れているわ けであ ります けれ ども、そ の前年 盛 り込 んで い ただ きま したが 、物心両面、全 ロー タリア ンが一 九 となって この 世界大会 を RI会 長代 理挨拶 無事 に成功 させ る、そ して、 日本 の 国際 ロー タリー にあ る立場 とい うもの を十分 に世 界各 RI会 長代 理 国 の 人 たちに認識 を して いただ くとい うこ と にな ってお ります ので 、 ど うぞ ひ とつ 皆 さん 栄光 あ る第2650地 区 の年次大会 に、 ジアイ RI会 長 よ り、会長 ご夫妻 の代理 として出席 平岡 正已 し、会長 の メ ッセ ージ を伝達す るように とい う要請 が ご ざい ま した。 ま ことに私 に と りま 方 の よ りよきご理解 とご協力 のほ どをひ とえ にお願 い 申 し上 げ ます。 もうそ の ころ 、 わ し しては大変 な重荷 で ご ざい ます。 しか しなが ら、先 ほ ど来、午前 中の 会議 に もござい ま し はお らんが な と言 われ るような方 は、ぜ ひそ うい う こ とをお っ しゃ らず にそれ まで頑張 っ た。私 自身 は、千 RI元 理事 を初 め小谷理事 ノ ミニー 、 また私 の 同期 の細 田パス トガバ ナ て、それ を見届 け てか ら、 まあ、 とい う よう な気持 ちで ひ とつ ご努力 お願 い 申 し上 げた い ー 、 また この地 区 には数 多 くお られ ます、 日 と思 う次 第 で ご ざい ます。私 もそれ までお る か ど うかわか りませ んので、 まあお る限 りは 本 の ロー タリーの指導的 な役害1を 呆 た され ま した大先輩 の 方 々が た くさんお られるわけで ご ざい ます。そ の皆 さん方 に も恩返 しの つ も ひ とつ準備万端 そ の他す べ て責任 を持 って遂 行 い た したい と思 つてお ります。 ど うぞ ひ とつ そ の点 ご理解 いただ きます よ りで、意 を決 して この大会 に参 った次第 で ご ざい ます。 昨 日は 、実 は夕方 ここに到着 させ て い ただ うに よろ しくお願 い 申 し上 げ ま して、 この大 会 が、そ うい う意味 を含 め、 また足高 ガバ ナ いたわ けで ご ざい ます け れ ども、 ホス トクラ ーの業績追悼 、そ う した意味 を含 め ま して の ヽよ りお祈 り申 し上 げる次第 で 亡 成功 を、私 は′ ご ざい ます。中野 ガバ ナ ー初 め 関係各位 の 皆 ブの皆様方、特 に緒方委員長 さん、 また中村 実行委員長 さん、 またホ ス トクラブ の高橋 会 長 さん、中野 ガバ ナ ーご夫妻 は もちろん の こ 様方 の本 当 に準備万端行 き届 きま したお姿 に 対 しま して、私 は深甚 なる敬意 を表す る次 第 とで ご ざい ま した。 また久津見 パ ス トガバ ナ ー 、財津 パ ス トガバ ナ ー もご夕食 を一緒 に し であ ります。 また、平 岡会長代 理 ご夫妻 には ど うぞ、 この地 区 で ござい ますが、 よろ しく て いただ きま した。心温 まる歓迎 をお受 け い た しま した。本 当 に皆様方 の ご厚情 を身 に し ひ とつ ご指導、 ご鞭撻 のほ どをお願 い 申 し上 げ ま して、私 の ごあ い さつ にかえます。あ り みて感 じてお る次 第 で ご ざい ます。午前 中の 会長 ・幹事 会 で も申 した のですが、私 は皆様 が とうご ざい ました。 方 か らい ろ い ろの ご指導 を賜 りま した ので 、 2650地 区 の私 は門下生だ とい う気持 ちで今 日 参 ってお ります と、 こ うい うふ うに申 させ て いただ きま した。そ の とお りでござい まして、 午前 中 ぐらい終 わればち よつ とぐらいは気 が 落 ちつ くか な とい うふ うに思 つたんですが、 午後 に入 りま して もなか なか落 ちつ きが出 ま せ んで、 もう冷汗が出 て い る次第 で ご ざい ま す。 い ろい ろ失敗 があ るか もわか りませ んけ れ ども、 よろ しくロー タリー精神 で もって寛 容 のお気持 ちでお 許 しいただ きた い とい うふ うに思 い ます。 足 高 ガバ ナ ーが こ としの 1月 に ご逝去 され 24 ま した。皆様 方 は本 当 に痛恨 の思 い だ とい う そ してまたその後、「未来社会 にお ける ロー タ ふ うに思 い ます。私 も全 く同感で ご ざい ます。 リー と地域のかかわ りあ い」 とい うテーマで 足高 ガバ ナ ー とは 、 昨年 アナ ハ イムの 国際 フオー ラムが展 開 されるわ けで ご ざい ます。 協議 会 で ご一 緒 い た しま した。国際協議 会 で の じゃなか った か と思 うのです。飛行 場 で も 私 は、 ジアイ会長が提案 されてお られ ます 「築 け未来 を 行動力 と先見 の眼 で」、 この ビ ジ ョンについ て もい ろ い ろお っ しゃられてい あの威圧t堂 々の足高 ガバ ナ ー、奥様 が 車 いす る と思 い ます 。 ジアィ会長 は 、超我 の奉仕 も に乗 つて お られ ま して、それ を押 されてお り 行動 力が なけれ ば これ は空 念仏 にす ぎな い 、 ま して 、私 もお手伝 い させ ていただ くとぃ ぅ ふ うに 申 し出 を したんで す けれ ども、頑強 な また、行動力があって も先見 の眼 がなければ、 これは幻 にす ぎない とい うふ うにお っ しゃっ あ の足高 ガバ ナ ー は首 を横 に振 られ ま して 、 てお られ るわ け で ご ざい ます 。 この テ ーマ を 大文夫 です とい うふ うに元気 よ く答 え られて 考 え、そ して足 高 ガバ ナ ー の ご遺志 に基 づ い お りま した。 まさか この よ うな ことになる と て、 きよ うの午後 の フ ォー ラムが 、ある い は は、そ の と きは本 当 に想像 もす ることがで き その他 の プ ロ グラムが立 派 に遂行 され ます こ 、 とを′ か ら念 じるわけでご ざい ます。 し はむ しろ奥様 の方が体調 を崩 されてお られた なか ったわ けで ご ざい ます 。任期半 ば、ある い は志半 ばで 逝去 され たわ けで ご さ゛ い ます。 しか しなが ら、そ の後、先 ほ どもご紹介 ご ざ い ま した よ うに、 これ また私 とは非常 にご縁 ここで千 RI元 理事 とご一 緒 い た します と、 つい思 い出す ことがあるわ けでご ざい ます。 の深 い 中野 パ ス トガバ ナ ーが 、再 びガバ ナ ー それは1988年 、私 の ガバ ナ ー年度 で ご ざい ます 。そ の ときの RI会 長 は ロ イス ・ アビー と してご就任 され ま したЭ 中野 パ ス トガバ ナ ー には私、366地 区 と申 しましたが 、京都 と大 会長で ご ざい ま した。 ォ ース トラリアの ご出 身 で ご ざい ます 。そ の年 の 11月 に広 島 で平 阪 とが分 かれた直後 の地区 イ ン ター アク トの 委員会、 京都 と大阪 は一緒 にイ ン ター アク ト 和 フォー ラムが ご ざい ま した。そ して、 パ ネ 活動 を してお りま した。当時の地 区幹事 をさ あ ったわ けで ご ざぃ ます。 平和 の実現 につい てのパ ネルデ ィスカッシ ョンでご ざい ます。 れてお られ ま した し、当時当地 区 で もガバ ナ ー をされてお られ ま した絹川 ガバ ナ ー 、あ る ル デ ィス カ ッシ ョンがその プ ロ グラムの 中に 4人 のパ ネ リス トが 出てお られたわ け で ご い ざ ますが 、そ の 中の 1人 に、 当時 の 中教審 い は田 中 ガバ ナ ー 、野崎 ガバ ナ ー 、皆様 もう 既 に故人 にな 弓れ ま して、非常 に懐 か しい思 いがす るわ けで ご ざい ます 。当時の中野地区 の会長 を されてお られ ま した 岡本元京都大 学 学長がパ ネリス トで出てお られま した。 幹事 か ら懇切 なる ご指導 を賜 りま した。今 も って忘 れ ることがで きませ ん。そ の2650地 区 発電所の爆発 があったわ け で ご ざぃ ます 。 こ に厚 か ま しくも会長代理 で参 る とは、本 当 に の原子力発電 所 の爆発 に関 しては、 日本 の専 その前 に、 ソ連 のチェルノ ブ イリで原 子力 ど う申 した らいいか 、 まあ私 の立場 をご理解 門 の方 々が い ろ い ろお っ しゃってお られ ま し たが 、共通 して言 われていたこ とが 1つ ご ざ してい ただ けるとい うふ うに思 い ます。 こと しのジアイ会長は、「築け未来 を 行動 力 と先見 の眼 で」 とい うテ ーマ で ご指導 され ているわ けで ご ざい ます 。 きょうはこれか ら、 宮崎 ガバ ナ ーノ ミニ ー よ り三国の重 油流 出 に い ま した。それは、必ず この発電所 で実験が 行 われているはずである、 しか もこれは人為 的な ミスで ある、恐 ら く初歩的 な ミスでは な い だろ うか とい う ことが 日本 の専 門家の、 こ ついての ご報告、それに関す る活動 の ご報告、 の ことに関 しま しては共通 した ご意見で ご ざ またその後、基調講演がございます。 「歴史、環境、教育」 についての基調講演、 い ま した。後 ほ どそ の原 因が発表 され 、公 開 25 されたわ けで ご ざい ますが 、 まさ しくその と お りで あ つたわけで ござい ますc この広 島 の平和 フ オー ラムでは 、岡本中教 い ろ い ろ な面 で 皆 様 方 に 多 大 の ご迷 惑 をお か け い た してお る こ とも ご ざい ます。 この 席 をか りま して まず 深 くお わ び 申 し ヒ 審会長 はそれを取 リ ヒげてお話 しされました。 人間 は軽率 さ、あ るいは怠慢 さと申 します げ ます 。 か、そ うい うもの を本 質的 に弱点 として持 っ て い る。特 に何事 にお いて も、1貫 れ とい うも 本 大 会 の プ ロ グ ラ ム は 、 この 地 区大 会 に 、 ご療 養 の 後 健 康 を回復 され て 元 気 に この 席 に のが この よ うな過 ち を導 くので はな い か とc そ こで 岡本 中教審会長 は、千元理事 に問 い か 立 つ こ とを最 後 まで 楽 しみ に して お られ ま し た足 高 晋 ガ バ ナ ー の地 区大 会構 想 をそ の ま ま け る ように、恐 ら く茶道 におけ る御 手前 の厳 しい作法 とい うの はこうい う ことを戒 めて い るの じゃないで しようか と、 こ うい うふ うに ヽ 採 用 させ て い た だ き、 ご遺 志 を継 ぐ よ う に花 が け た つ も りで ご ざ い ます 。 い ろ い ろ不 行 き 届 きの 面 も多 々 あ ろ うか と思 い ます が 、奈 良 西 ロー タ リー ク ラブ 、 また コ・ ホ ス トの 平 城 お っ しゃ つたこ とが 、私 、 い まだに脳裏 に焼 きついて お ります。環境 問題 とか未 来 の 問題 ロー タ リー ク ラブ の 皆 様 方 は 、本 国を迎 え る とか 、 こ うい う よ うに世界 の ことを論 じる と きに、や は り私 どもは 自分 たちの身 の 回 りの まで に文 字 どお り連 国連 夜 の 奔 走 を私 は 目の 当 た りに い た してお ります 。何 とぞ大 会 の 最 こ とについ て も 卜分考 える必要 があるので は ない か な とい うふ うに、常 々私 は思 つている 後 まで この こぜF労 にTFtい る よ う に皆 様 方 の ご 協 力 をお願 い 中 し Lげ る次 第 で ご ざい ます 。 わけで ご ざい ます。 ど うか きよう 一日の勉 強 の 会がす ば ら しい この 近 くの クラブ の 方 は この地 域 は 十分 ご 存 じで ご ざい ます け れ ど も、 こ こ 関西 学術 文 成果 で終 わることを祈念 申 し_Lげ ま して、私 の ごあ い さつ に させ て いただ きます。 どうも 化研 究 都 市、 これ は 日本 の 未 来 を築 く本 当 に 最 高 の 頭 脳 の 集 積 剖S市 と して た だ い ま建 設 中 あ りが とうござい ま したЭ の ところで ご ざい ます 。「 築 け未 来 をJと い う 本 年 度 の RIの 会 長 テ ーマ に も合致 す る とこ ろか ら、 足 高 ガ バ ナ ー が まず 第 1日 目 を この 地 域 で 開 く よ うに と計 画 され た よ う に私 は思 って お ります 。本 日の 進 行 そ の 他 い ろ い ろ十 ガバ ナ ー挨拶 ガバ ナ ー 分 に考 え た つ も りで ご ざ い ます が 、 果 た して 皆 様 方 の 実 り多 き大会 第 1日 とな ります か ど 中野 重宏 うか 、私 ど もの 努 力 の 至 らざ る ところ をt,様 方 の ご熱 意 で 補 って い た だ け れ ば あ りが た い 先 ほ ど来 、 RI元 埋 事 。千 宗 室 様 、 ま と思 つてお ります。 ら もお話 が ご ざ い ま 非 常 に簡単 で ご ざ い ます が 、私 の ご あ い さ つ と させ て い た だ きます cど うか よろ し くお したが 、去 る 1月 16 願 い 申 し上 げ ます。 た平 岡会 長 代 理 様 か 日、 ご療 養 の か い も む な し くごllh去 され ま した故 足 高 晋 ガバ ナ ーの後 を引 き継 ぐよう RI会 長 よ り指 名 さ れ ま した中野 で ござい ます。 ま こ とに予期 せ ざる ことで 、 はか らず もガバ ナ ー として再度 地区業務 に当たる こととな りま したけれ ども、 26 基調講演 「歴史 ・環境0教 育」 ―老学徒の想い と迷い一 帝塚 山短期大 学名誉教 授 青山 茂 とは少 し違 っ た 、地 を這 うア リの 目の よ うな 視 点 で歴 史 を見 る 、 あ る い は 環 境 を見 る 。 奈 良 にお きま して は 、 あ る と きは 日本 全 体 の 視 野 の 中 で この 奈 良 、大 和 とい う もの を見 な け ればい けない とい う ことで 、ある ときは空 を 飛 ぶ 鳥 の 目の よ うな俯厳 でふ る さとを見 る 、 この二つの見方 をで き得 る非常 に恵 まれた立 場 におるのでは ない か とい うふ うな ところか ら、先 ほ ど申 しま した奈良学 とい うもの を打 ご紹 介 をい ただ きま した青 山 で ご ざい ます 。 ち立ててみたい とい うことなのであ ります。 この 間野 球 の あ りま した 鳴尾 、現 在 甲子 園 て 、年 は 甲子 園 と同 じで あ りま して 、 あ の 球 大正 13年 -1924年 に生 まれ ま して、奈良県 の 大和郡 山 の 郡 山中学 、 これ は享保 9年 に 、 かの悪 名高 か った五代将軍綱吉 の もとで伝 臣 場 が 甲子 園 と名 づ け られ た の は 干 支 の 甲子 (キ ノエ ネ)、 す なわ ち大正 13年 -1924年 とい 沢吉里が 甲府 か ら転封 されて来 た、 15万 石 の う こ とに な ります 。 そ れ か ら、 間 もな く大和 城下町であ りますが、 この郡 山城 の二の九 に の 方 に参 りま して 、 よち よち歩 きの ころ か ら ず つ と大和 ・奈 良 の ご厄 介 にな って お ります 。 で きてお りま した中学校 が 郡 山中学で、そ こ で私 は 5年 間学 び ま した。登 校 の途次 、深 い したが い ま して、 諸 先 輩 、 あ る い は 同僚 、 あ わ け はわか らなかったので あ りますけれ ども、 るい は後 輩 の 方 々 が た くさん奈 良 にお られ ま 本丸 の方 に祭 られてある柳沢吉保 を祭神 とし す。そ うい う関係 で 、私 は大阪 に生 まれたの で あ ります けれ ども、奈 良が第 二 のふ る さと た柳沢神社 に いつ も最敬 礼 を して学校 に行 く 習 わ しであ りま した。 よ く考 えてみる と、世 と申 しますか 、今 や 第 一の大阪 よ りも奈 良 の の 中で天 下の悪 臣、天下 の候 臣 と言 われた柳 方が よ り親 しいふ る さととい う ことになって お ります。現 在私 は 、そ のふ る さとを勉強す 沢吉保 になぜ 頭 を下げねばならなかったの か。 い ささか 若気 の至 りで合点 のいか な い ことで る奈 良学 とい う一つの学問分野 を、微力 では あ りま した。 ところが その後 、 だんだん柳 沢 あるけれ ども、打 ち立 ててみたい とい うふ う 吉保及 び柳沢吉里 の勉 強 をい た します と、世 と言 っ て お ります が 、 甲子 園 の で き ま した と きに私 も大 阪 で生 まれ ま した 。 したが い ま し の そ しりを一 身 に受 け た柳沢吉保 の息子 の柳 思 って勉強 しておる一人で あ ります。 間で通用 い た してお ります よ うな、決 して柳 地方のそれぞれ 名前 を冠 した 、例 えば大阪 沢吉保様 は悪 い 人ではなか った。元禄 時代 を 学 とい う学 問 は、私 の 同僚 で あ り、現 在大阪 非常 に華やか につ くり上 げ た 、む しろ功績者 の 帝塚 山学院の学畏 を してお ります大谷 晃 一 で あ った。功績者であったので あ りますけれ さんが「大阪学」 とい う本 を出 された りして ども、一 面 、反対勢力 か ら候 臣 とレッテル を お りますが、それぞれ 地方地 方 にお りま して は られて歴 史 の上 で葬 り去 られた非常 に気 の そ うい う勉 強 をす る とい うの は 、要す る に、 毒 な方 で あ る とい う ことが わか って まい りま 中央で 一現在 中央 とい うのは東京 の ことで あ した。 │こ りま して、 東京 で机 の上 で勉強 してお る立 場 それに類 した こ とはた くさんあ ります。ふ う‘ ば、柳 沢 吉 保 と と もに将 軍 綱 吉 に仕 え た大 和 僧 である とい う ことで あ ります ので 、隆光 に よって大仏殿が完成 させ られた と言 ってはい 出 身 の 大 変 立 派 な僧 侶 が お ります 。 36歳 の と ささかは ばか りがあ る とい うので 、大仏殿 の きに将 軍 家 に呼 ば れ て 江 戸 に出 て 、 将 軍 家 の 菩提 寺 の 僧 録 と して 一 生 を終 わ るべ き運 命 に 棟 上 げ の ときに東京 、時 の江戸 に出て将軍家 に報告 に行 った まま江戸 で病 を得 て死 んで し あ った 護 持 院 隆光 とい う方 で あ ります 。 この ま った竜松 院公慶 を、大仏殿 の建設者 として 今 に言 い伝 えて い る、歴史 を柾 げ て言 い伝 え る さ とで歴 史 を ひ も とい てお ります と、例 え 方 は大和 佐 紀 村超 昇 寺 の 出 身 で あ りま したが 、 大 変 頭 が い い の で 7歳 の と きに、 か の 有 名 な 鑑 真 和 尚 の 開 か れ た唐 招 提 寺 に弟子 入 りを い ている とい う事実 が ご ざい ます。 た しま して 、 そ こで 教 育 を受 け たの で あ りま す け れ ど も、大 変 神 童 で あ った の で 瞬 く間 に 愛知県幡 豆郡 吉良町 の教育長 をした大渓 (お お たに)さ ん とい う方 がお られ ます。数年前 に教 あ らゆ る こ とを マ ス ター い た しま して 、唐 招 提 寺 で 13歳 の と きに も う教 え る こ とが な い と 育委員長 をやめて、今隠棲 を してお られ ます が、 この方が 「ふ る さと愛 しJと い う 2冊 の い う の で 、 真 言豊 山 の 長 谷 寺 に 参 りま して 、 本 を書 かれ ま した。私 どものだれ もが悪人だ と思 つてお る吉 良上野介義央 、 ふ るさとでは 長谷 寺 で 真 言 を勉 強 す る 。 長 谷 寺 で も政 角 を ぐい ぐい あ らわ しま して 、真 言 豊 山 と して教 え るべ き こ とが な い の で 、 そ れ で は 、 奈 良 の もっと一般的 な話では、私 の親 しい友人 で 、 「ヨシナカJと 言 わず に 「ヨシヒサ」 と読 むの だそ うであ ります けれ ど も、 この 義央様 を、 で 勉 強 せ よ とい う こ とで 、 興 福 寺 で 勉 強 し、 おかわ い そ うなお殿様 である と常 日ごろ吉 良 町 の小学校 、中学校 で教育 して いるんだ とい あ る い は 法 隆寺 で 勉 強 し、 あ る い は醍 醐 に遊 学 して勉 強 して お っ て 、 上 方 に隆光 あ り とい う手紙 とともに、先 ほ ど申 しま した 「ふ るさ と愛 しJと い う 2冊 の本 を送 って こられ ま し う こ とが 江 戸 に聞 こ え て36歳 の と きに将 軍 家 た。 なるほ ど、 この本 を読 んでみ ます と、元 に呼 ば れ た 、大 変 な 出来 者 で あ ります 。 しか し、彼 も柳 沢 吉 保 と同 じよ うに、 五 代 将 軍 の 禄 15年 12月 14日 深更 15日 、本所松坂 町 の古 良 の屋敷 の 炭小屋 で捕 まった、あ の哀 れな吉 良 元 禄 の 治 世 の 中 で 世 の 中 に尽 く した とい う こ L野 介 か ら私 どもが想像 い た します吉 良上野 とで 、 そ の 反動 の た め に、将 軍 綱 吉 が 宝 永 6 介 で はな くて 、幡 豆郡吉 良町 の城 下 町 で は、 赤馬 の殿様 、我 が吉 良 の殿様 と、領民 か ら大 古 寺 で あ る 、 法相 を勉 強 す る場 と して興福 寺 年 の 1月 10日 に亡 くな る と と もに、吉 保 とこ れ る とい う こ とに な っ て以 後 、 ご存 じの よ う 変慕 われ、名君 である とされ、 い まだに残 っ てお る黄 金堤 を築 いて我 々 を救 って くだ さつ に、 隆 光 とい うの は悪 僧 あ る い は候 僧 とい う たんだ、我 々が大雨 の ときにで も安心 で きる、 レッテ ル をは られ たので あ ります 。 大変偉 い殿様 なんだ、そ の殿様 は決 して贅沢 をなさらず に、将軍家筆頭 の高家 であ るに も の 護 持 院 隆光 とはそ れ ぞ れ蟄 居 を余 儀 な くさ ところが 、奈 良 の立 場 で 考 え ます と、現 在 殿 の 棟 札 は 、 この 護 持 院 隆光 の 筆 に な る棟 札 かかわ らず 、粗末 な赤 い馬 に乗 って領民 を視 察 にお回 りにな る、そ うい う殿様 で あ るんだ で あ ります 。 一 般 的 に は東 京 の 机 の Lの 学 問 とい う こ となのだそ うであ ります。世 間一般 で は 、 あ る い は 奈 良 の 大 きなお寺 の 表 向 きの か らは、浅野内匠頭 は善人 であ つて吉 良上野 介 は悪 人であ る と決 め つ け られてお る、そ の 奈 良観 光 の 中心 に な っ て お ります 東 大 寺大 仏 由緒 で は、 東 大 寺 の 大 仏 を再 興 した の は護 持 院 隆光 で は な くて 、東 大 寺 の 僧 、竜 松 院 の 公 慶 とい う こ とに な って お ります 。 なぜ そ うな 悔 しさの 中か ら、尾崎 士郎が生 まれ、あるい は幕末 には侠客が、 日本 を背負 う侠客 が吉 良 った か 。 世 評 一 般 が 、 隆光 は悪 僧 で あ る 、伝 の仁吉 と して出て きたん だ、そ うい う風 土 な んです とい うふ うな ことを大渓先生が書 かれ て、つい机 の上での誤 りを犯す方があ ります。 てお ります。 例 えば卑近 な例 で あ ります けれ ども、今 か 私 どもは、歴史だ とか歴 史上 の人物 だ とか らlo年 ほ ど前 、関東地方 の埼玉県 の ち ょ う ど い うもの につい て 、そ の よ うに実 にあやふや 中央部 、行 田市 で あ りますが、利根 川 の 中流 な世間の評価 に従 う一つの 断定 した評価 を下 であ ります。 ここに、 関東地方 で は一番大 き しが ちであ ります。折 り紙 をつ けが ちであ り な前方後 円墳 を中心 とした大 きな古 墳 が 集合 ます。 しか し、考 えてみれば、現代 の ことを してお る一 帯があ ります。 これ を埼玉 (サ キ タマ )古 墳群 と申 してお ります。 この埼玉古 顧 み ま して も、全 くの善人、全 くの悪人 とい うのが あるで しょうか。 よ く「盗人 に も三分 墳群 の埼玉 (サ キ タマ )こ そが埼玉 県 の現在 の県名 になった とい うい われの あ る、関東地 の理 」 とい うことが あ ります。その人の生 き た時代 、 なぜ そ うあ らねばな らなか ったか と い う ことにまで立 ち入 っていろいろ考 えてみ 方 のか つ ての 政治、文化 の 中心部、利根 川 の ます と、歴史上簡単 に張 られた評価 、 レッテ トル余 りの前方後 円墳 の後 円部 の石室 の 中か ル とい うものが 非常 に無責任 である とい う こ ら、 昭和 43年 に出たのであ ります けれ ども、 とがわか って まい ります。そ うい う ことにつ い てぜ ひ、大 まかな机 の上 だ け の歴史ではな 錆 が大 変 ひ どいので 、 10年 後 、昭和53年 に奈 くて、実際地 に這 った、そ の土地その土地で 業 を してお りま した ところ、偶然、その錆 だ の歴史 をや ってみたい 、特 に奈良、大和 とい らけ の鉄剣 の錆 の 中に金 の象眼 を した文字が う ところは、 一 地方であ りなが ら一地 方 でな 表裏 一体 に書 かれてある とい う ことが わか り いの だ と、 い ささかそ うぃ う誇 りを持 って こ ま した。 レン トゲ ンで精査 い た しま して写 っ の分野 に飛 び込み得 るところであ ります。 た写真 、裏表 の 文字 を写 したわけであ ります 中流 であ りますが、 この古墳群 の 中の 120メ ー 良 の元興寺文化財研究所 で錆落 と しをす る作 大和 と私 、今 申 しま したが 、大和 と申 しま が 、裏表 ゆっ くりと一 月余 りかけ て判読 い た す とまさに、大和心 と申 します よ うに、ある します と、 115の 文字が判読 で きました。 時代 には 日本全体 を示 す呼 び名 で もあ りま し 辛亥 の年 とい う元号 を書 き出 しに して、 関 た。伊勢 の 国学者 で あ ります本居宣長は、「敷 東地方 に住 んでお った乎獲居 臣 島 のや まとごころを人 間 はば朝 日ににはふ 山 ミ)と い う大変力 を持 った親分が、おれ の先 桜 ばなJと い う有名 な和歌 を還 暦 の 自画像 の 祖 は 8代 前 にさかのぼって、 さかのぼ り得 る 横 に書 きつ け ま して、み ず か らの奥 つ城 を定 めてそ こに大好 きな山桜 を植 えて、 現在 その 一 番始 ま りの先祖 は意冨比 ・ (オ ホ ヒコ)と い った ん だ 、 そ の 意 冨 比 。か ら次 の 先 祖 は 「敷島の」 とい う、 奥 つ城 に眠 つてお られます 。 何 々 とい う名前 、次 の先祖 は何 々 とい う名前 (シ キ)と い うのは現在 も奈良県 の 中の一 の 地方 郡 の名称 で あ ります。磯城 と書 きま し とい う、名前 をず らっと 8代 書 き連ねま して、 その子が 乎獲居 臣、おれだ。代 々近衛 の 師団 て「 シキJと 読 み ます。磯城 島 とい うのは奈 長 となって、おれ は斯鬼宮 (シ キノ ミヤ)の 良県 の桜井市 を中心 と した昔 の磯城郡 (シ キ ノ ゴオ リ)の 一帯 を言 うので あ りま して、それ 獲加多支 歯 を枕言葉 に した「敷 島 の大和」 なので あ りま して帰 った。そ のい さお しを将来永遠 に伝 え す。そ うい うこ とは、 なるほ ど地名 を勉 強す るために、 ここ にこの刀 にそのい さお しを刻 れば机 の上で もわか るではないか とい う こと んだので ある とい う、大体 そ うい う趣 旨の金 であ りま しょ うけれ ども、往 々古代 史 を勉 強 象眼銘 H5文 字 を書 い たのが発見 され ま した。 してお る学者 だってそ この ところを取 り違 え これは埼玉古墳群 の稲荷 山古墳 出土鉄剣銘 と 磯城 (ヲ ワケ ノ オ (ワ カタケル)の 大王 の もとに行 って天 下 を治 め る手伝 い を した。天下 を左 治 29 して 、今 中学 校 、 高 等 学 校 の 社 会 科 日本 史 に 城官 であろ う と泊瀬朝倉宮 であろ う と、あ つ まで 登 場 す る 、大 変 新 し くて 、 しか も 日本 の とい う間に、同 じところだ とい う ところで車 歴 史 を考 え る上 で 非 常 に大 切 な出上 品 で あ り 窓 は通 り過 ぎる とい う ことが 、地元 におれば ます 。 わかるのであ ります。磯城 の朝倉 で あ ろ う と 今 中 しま した 、斯 鬼 宮 (磯 城 宮 )の 獲 加 多 泊瀬 の朝倉 であろ う と、あ る意 味 では磯城 の 支 歯 の 大工 と書 か れ て あ ります が 、獲 加 多 支 中 に泊瀬があ る と、 こ う考 えて も、現 に現在 歯 の 大 王 とい うの は 、万 葉 集 の 巻 一 の 第 ^番 に出 て きます歌 、「籠 もよみ籠持 ち」 とい う万 桜井市 の 中に長谷寺 が存在す るのであ ります。 そ うい うこ とは、結局 この土地 をよ く知 っ 葉 の 少 し長 い 歌 で あ ります け れ ど も、 この 歌 て い な い と、古代 史 の舞台 にな った土地 を知 を つ く られ た の が 、 泊 瀬 朝 倉 宮 御 宇 天 皇 代 っていない と決 してわか り得 ることではない。 シ メシシ ス メラ ミコ トノ ミヨ)太 泊 瀬戸稚武 東 京 の机 の Lで 、机 の Lだ けでただ固有名詞 を比 べ て論 を立 てる と、今 申 しま した よ うな 天 皇 (オ オ ハ ツセ ワ カ タケ ノ ス メ ラ ミコ ト 過 ちを犯す とい うことで あ ります。 (ハ ッセ ノアサ ク ラ ノ ミヤ ニ ア メ ノシ タシ ラ ) そ うい うことで私 は、後半生 と申 しますか、 と万 葉 集 に は 書 か れ て あ ります 。 そ の 人泊 瀬 戸 稚 武 天 皇 の 御 歌 一 首 とい うの が 、万 葉集 巻 50歳 を過 ぎてか らその方面の学問 を しようと 一 を 開 い た 巻 頭 に出 て くる一 番 日の 歌 で あ り い うこ とで 、現在、 この 5月 9日 が 参 ります ます 。 したが つ て 、 この 獲 加 多 支 歯 とい うの と満73歳 になる、二 十数年 間そ うい う ことを や って きた とい う こ とであ ります 。 そ の 前 、 は 泊 瀬 朝 倉 宮 にお い で に な っ た とい う の が 、 稲 荷 山 の 古墳 か ら出 た鉄 剣 に は、 斯 鬼 宮 (磯 戦後私 は、新聞社 に入 りま して、奈 良 の 支局 で H年 間、大阪 の本社 の学芸部 とい う ところ 城 宮 )に 天 の 下 しろ しめ した獲 加 多 支 歯 と 、 でお よそ 16年 間、合 わせ て二十 数年 間、 ジヤ こ う出 て きてお るの で あ ります 。 泊 瀬朝 倉宮 ー ナ リス トとして過 ご して まい りま した。 し 古 代 史 学 問 上 の 常 識 で あ ります 。 と こ ろが 、 で 政 治 を と られ た のが 雄 略 天 lil、 たが い ま して、私 の半 生 を今顧 みてみ ます と、 す な わ ち獲 加 多支 歯 で あ る とい うのが 、万 葉 集 で あ る と ジ ャー ナ リス トが半分 と、 まず まず学 問 の世 か 古 事 記 で あ る とか 日本 書 紀 で あ る とか の 記 界 が 半分、学者 とジヤー ナ リス トの ち ょうど 中間 に立 ってお る と言 って もいいので はない 載 で あ ります 。埼 玉 県 の 行 田市 か ら出 た鉄 剣 (磯 城宮 )の 天皇 と書 か れ て あ るか ら、 これ は か と思 ってお ります。そ うい う立場 で い ろん な もの を見て、 いろん な もの を勉強 させて い 別 人 で あ る と論 文 に書 い た学 者 が 、大 変 有 名 ただ いて 、感 じた ことを、 きょう「歴 史、環 な、何 冊 も本 を書 い てお る学 者 が お いれ ます 。 境 、教育Jと い う、 まるで三題噺 の よ うであ ります けれ ども、そ うい う二 つの分野 にわた に は 、 泊 瀬朝 倉 宮 の天 皇 で は な くて 、斯 鬼 宮 現在 もご健 在 で あ ります 。 って常 々感 じてお ります ことを述 べ てみた い しか し、 考 えて み て くだ さ い 。 私 ど もは桜 井 市 の あ の あ た り、初 瀬 川 の あ の あ た り、近 なとい うことなのであ ります。 鉄 朝 倉 駅 の あ の あ た りを よ く知 つて お ります 今少 し申 しま した よ うに、歴史 は、結果 と い うものは 当 てにな らな い ものだ と私 は思 っ が 、磯 城 と泊 瀬 朝 倉 と、 どれ ほ どの 距 離 の 違 机 の上 で 文 字 づ らを勉 強 して お る と、磯 城 宮 てお ります。結果 は学問 ではな くて、 ひ ょつ とすればそれは信仰上 の一 つの偶像 ではない と泊 瀬朝 倉 宮 とは全 然 別 だ と考 え られ るか も か とさえ思 うこ とが あ ります。そ こに至 る い しれ ませ んが 、 近鉄 大 阪線 に乗 つて 桜 井 駅 か ろんな方 法 こそが学問 であって 、出 た一 番最 後 の結果 を人に押 しつ けて はな らないのでは い 、場 所 の 違 い が あ る の で しようか 。 東 京 の ら長 谷 寺 駅 まで ふ あ ― ん と通 る と、 そ れが磯 30 ない か な とい うふ うな ことを も感 じます。最 近、歴 史につい ては、近世、近代 の歴 史につ ある い は 日本の歴 史教育が、 これで いい のだ い て多 くの本が出 されてお って 、 きっ と皆 さ とを皆 さんに訴 えてみたかった とぃ うことが、 ん も書 店 で ご らんになった 一 表紙 をです よ、 中 は ど うか知 りませ んが 。「 教 科 書 が 教 え 歴史 と教育 とい う二 つ をつ な ぐ橋 であ ります。 な い歴史」 最 近 大 学 に入 っ て ま い りま した 、特 に大 学 で歴史 を勉 強 しよ う とい う、そ うい う志 を持 I、 Ⅱですか、藤 岡信勝。あ るい は「国民 の油断」、「歴史教 育が危 ないJ、 同 じ く藤岡 さん、あるいは西尾 幹 二 さん。「戦後教 ろ うか とい う ことを切 に思 ってお る とい う こ ど うい う こ とか と申 します と、私 は いつ も、 って全 国か ら集 まって きた とにか く若者であ 科書か ら消 された人々J、 濤川栄太 さん とい う ふ うな、特 に近代 、近世 につい ての 日本 の義 りますが、その若者 たちに、あるテ ス トとい い ますか 、若者 たちをテス トす るのでは な く 務教育の中で、あるいは高等学校教育の 中で、 社会科 ・歴史 として取 り上げ られてい る い ろ て、私 の一つの指針 として書 い て もら う こと んな事象 につい て物 申さねばな らない とい う れは 1か ら 5ま で 、私が黒板 に漢字 で 人名 も 学者 たちが盛 んに書 い てお る本 が 今書店 に並 しくは歴 史上 の 人物、 日本 の歴 史上登場す る んでおる とい うこ とは、お気 づ きではな い か と私 が 考 えてお ります 人物 の 名前 を書 い て 、 と思 い ます。 要す るに、屈辱的 な歴 史観 を も って近代史が 綴 られているでは な い か 、 これ を恒例 に してお る一 つ の設間があ ります。そ それの読 み方 を示せ とい う設間であ ります。 黒板、白板があ りませんので口で言 い ます。 が 果 た して、 日本 の 国 の 日本人 による歴史の やや こ しい で すが、皆 さんな らご理 解 い ただ 義務教育の中での教科書 で あるのか 、あ るい は文部省が検定 を した教科書であるのか とい けると思 い ます 。 う歯がゆ い思 い を書 き連 ねた本 の一連 で あ り ミ)」 。 l番 目、「天 照大神 (ア マ テ ラス オオ ミカ ます。残念 なが ら私 、全部 は読 んでお りませ 2番 日、「素菱鳴尊 ん。斜 め に目を通 して、ああそ うか、ああそ うい う ことを書 い て あ るのか 、 こ うい う こと 3番 目は「倭建命」、 これは古事記 に登 場 い た します、景行天皇の皇子 で あ ります「 ヤマ を書 いてあるのか と。 トタケルノ ミコ トJで あ ります。 (ス サ ノオノ ミコ ト)」 。 夕1え ば 、従軍慰安 婦 はなかっ た。 なるほ ど 4番 目は「 日本武尊J、 これ もやは り「ヤマ 理屈 はそ うで あ りま して 、私 も昭和 18年 か ら トタケル ノミコ トJで あ ります けれ ども、 こ 昭和 21年 まで現役 1年 余 り、捕 虜 1年 間、中 国大陸で兵役 を済 ませてまい りま した。 幸 い に して命 を全 うして この よ うに帰 って れは 日本書 紀 に出て まい ります「ヤマ トタケ ルノ ミコ ト」 で あ ります。 まい りま した。従軍看 護婦 は聞 い た ことがあ 「倭逃述 日百襲 姫」。 これは 日本書 紀 では孝霊 る けれ ども、従軍慰安 婦 はつい ぞ聞かなか っ 天皇の皇女 で あ りま して 、特 に頻繁 に出て く た。慰安婦が 存在 した事実 は知 ってお ります るのは崇神 天皇 の ところで 出て くるのであ り けれ ども、従軍慰安 婦 はい なか った とい うの は、私が確認 してお る事実であ ります。そ う ます か ら、 崇 神 天皇 の 大叔 母 さん に 当 た る 「ヤマ トトトビモモ ソヒメJと い う方であ りま い うこ とを出発点 に して い ろ い ろ今論 じられ ている従軍看護 婦 、従軍慰 安婦 を論 じてお る のが藤 岡信勝 さん らの論調であろ うか と思 う 一番最後 は少 しやや こ しいの であ りますが、 して、 この方 は、 日本書 紀 では 、ある い は古 事記で もさよ うで ぁ ります けれ ども、三輪 山 の神 の大物主 神 ので あ りますが、私 は古代 を勉 強 してお りま オモ ノヌ シノカ ミ)と 結 婚 な さった。 ところが 、大物主の顔 を見 たい して 、 もっ と根 本 の ところで 、 日本 の教 育、 ばか りに、あなたの顔 を見 た い とせがん だ と (オ ころ 、大物 主 は 、「 そ れで はあす の 朝 、早朝 に 櫛 箱 の 中 を の ぞ い て み ろ、 お れ が お る cだ け ど、 お れ の 姿 を見 て 声 を立 て て 、 お れ に恥 を 人、50人 近 くで 、 これ また38%ほ どはこの難 しい 、古事記 の 「倭建命」 と書 い た 「ヤ マ ト か か す な よ」 と、 こ うい う約 束 を な さった に 売める。 タケルノ ミコ ト」 が言 次 に、 日本書紀 の 「 日本武尊」 と書 い たの もか か わ らず 、朝 早 く櫛 箱 をあ け て み る と小 さな蛇 が 櫛 箱 の 中 にお つ たの で 、声 を立 て た は、50人 が読める。 これは40%近 くが読 める。 「素菱鳴尊 (ス サ ノオノ ミコ ト)」 残念 なが ら、 の で 蛇 は怒 つて 三輪 山 に帰 っ た とい う説 話 の は大変難 しいのか、23、 4人 しか正解が な くて、 あ る 、 三輪 山 の 神 、す な わ ち トー テ ム は 蛇 で あ る三 輪 山 の神 の 大 物 主 と結 婚 を した と書 か 20%足 らず、 19%。 「倭逃逃 日百襲姫 (ヤ マ トトトビモモ ソヒ メ)」 は、 127人 の 中、 この年 はたつた4人 しか れ てお る女性 で あ りま して、 この 方 はつ い に、 夫 の 大 物 主 に恥 をか かせ た とい うの で 、箸 で な く、そ れで も4人 の若者 が、「ヤ マ トトトビ モモ ソヒメ」 とい う、学問 上 はひ よつ とす れ ほ とを突 い て「 身 うせ に き」、 お亡 くな りにな ば、三国志 の魏志倭 人伝 の 中に書 かれてあ る 耶馬台国 の女王卑弥呼 ではない か と規定 され って 、 そ の ご遺 骸 をお納 め したお墓 を、 人 は 昼 つ く り、神 様 が夜 お手 伝 い に な って 、夜 を 日に継 い で逢 坂 山 の 石 を運 んで大 きな墓 をつ る、この女性 の名前 を4人 が読 むのであ ります。 私 は、4人 しか読 めない とい う よ りも、4人 も くっ た のが 今 に残 る箸 墓 で あ る と、 こ う書 か れ てお る。大変 有 名 な古代 の 説話 で あ ります 。 が読 む と数 えてみたい。 なぜ 、4人 も、あ るいは天照大神 と書 いた、 この 古 代 の 中 に登 場 す る大 変 大 切 な五 人 と 申せ ば い いで す か 、 そ の 間 に神 様 も入 って お るわ け で あ ります か ら、五 人 あ る い は五 柱 と、 だれで もが言 売め る と思 つてお るのが70%く ら いで あ るの に、70%も 読 める と私 が なぜ 申 し こ う言 え ば い いで す か 、 この 読 み 方 を、 歴 史 ますか とい う と、 ご存 じの よ うに、 日本 の歴 史 の教科書 には古事記 、 日本書紀 の記載 内容 を勉 強 した い 今 の 若 者 た ち に読 ませ て み ま し については絶対教 えてはな いな い とい う、 か つ て 占領直後 、歴史 の教科書 を黒 く塗 りつぶ た結 果 を、 いつ も私 は統計 を とってお ります 。 今 そ の一 つ を持 つて まい りま した。 l番 目の天 照 大 神 とい う名前 、 これ は 中学 されたそ の ままの状態 が現在 もなお続 いてお る とい う ことなのであ ります。 日本 の 国 の歴 校 で も高 等 学校 で も教 え な い 神 の 名 前 で あ り ます 。 す な わ ち皇 祖 神 の 名 前 で あ ります 。 伊 史 について書物 として初 めて教科書 に登場す るのは、何 と、先 ほ ど申 しました通 称魏 志倭 勢 の 内宮 に祭 られ て お る神 の 名前 で あ ります が 、学校 で教 わ らな い に もか か わ らず 、 120数 人伝 、 3世 紀 の後半 、陳寿 とい う中国 の歴 史 家が書 いた三 国志 60巻 の 中 の 、魏志 30巻 の 中 人 の 中、私 の これ を調 べ た と きは 127人 の 中 で 正 解 を した の が 88人 で あ りま して 、 お よそ の一 部分 であ ります烏桓 (ウ ガ ン)鮮 卑 (セ ンピ)東 夷伝 の 中 の倭 人 の条、 たった2,000字 余 りの記録 を後 生大事 に、 これが 日本 につい 70%が 読 め るの で あ ります 。 歴 史 の 教 育 で 絶 対 習 つて は い け な い と、 あ る 時期 、教 えて は い け な い と き つ と 占領 軍 が 時 の 文 部 省 に命 令 を出 した 、 そ の 教 え て は い け な いバ イブ ル の ての記録 である と教科書 に麗 々 し く出 るので あ ります。 それ よ りも以前 は、倭 の人の 国が 中 にあ ります 天 照 大 神 を今 の 若 者 が70%、 若 者 の 中 の歴 史 を勉 強 した い とい う若 者 に限 つ あ る と書 かれてあ る 19文 字 、前漢書 の地理史 に出る と、中国 の記録 2つ を麗 々 しく教 える だけであ って 、 日本 の 国 の歴 史書 の こ との内 容 については一言 も触れ てないので あ ります。 て とい う こ とで あ りま しょうが 、 70%読 め る ので あ ります 。 もちろ ん、思 い返 せ ば、 日本書紀 だ とか古 「 ヤ マ トタケ ル ノ ミ コ ト」 と読 ん だ の は48 32 事記 の 中に書 かれておる天照 大神 だ とか 、始 か ら1,200年 ほ どたって、その古事記、 日本書 ックニ シラススメ ラ ミコ ト 紀 の一 部が軍部 の手 によってね じ曲げ られて 駅天 下之天皇 (ハ 一神 日本磐余彦命 ) (カ ンヤ マ トイワ レヒコノ ミコ ト)一 神武天皇の子孫が聖上陛下裕仁親 解釈 をされて、それ をファナテ ィックな教育 工であるか ら現 人神 で あ る とい う教育 を受 け に利用 された とい う こ との ため に、 我 々 は 、 みずか らの 国 の歴史 を青少年 の教育 の場 か ら た。そ うい う軍 国 日本が再 び復活 しては い け 半永遠 に取 り上 げ させ られて しまった とい ぅ な い の で 、 占領 軍 は 、 古 事 記 、 日本 書 紀 を ことであ ります。 か つ て佐藤 首相 は、 ,中 縄 の返還が 済 まな い 教 え て は な らない と、 限 りは戦 後 は終 わ らな い とお っ しゃった ょ ぅ こ う したの で あ りま で あ ります けれ ども、歴史 を勉 強 い た してお す けれ ど も、 考 えて ります私 の立 場 か ら申 します と、 自分 の 国 の み ます と、 な る ほ ど 歴史書 を、 自分 の 国 の将来 を託す る、未来 を そ れ は一 時期 、古 事 託す る青少年 に教 え られない よ うな国であれ 記 、 日本 書 紀 の一 面 ば、その 国 自身は独立 国 と言えるで しょうか。 を 、 あ る 目的 の た め に青 少 年 の 教 育 の た め に とい うふ うな こ とを言 う と、世 の 中 は す ぐ、 使 ったの で あ ります けれ ど も、虚 心 に 占事 記 、 彼 は右翼 だ と 言 うのが 常套 手段 で あ ります。 日本 書 紀 を読 ん で み ます と、 そ ん な 軍 国 主 義 教 育 の た め に あ の 歴 史書 が 書 か れ て あ る と認 73歳 ではそれ を恐 れない。 そ うぃ う言 いがか 識 で きるで あ りま しょ うか。 ご存 じの よ うに、古 事 記 とい うの は 、和 銅 の 国民 を憂 え、 自分 の子孫 を憂 える、何が 右 翼 ですか。 5年 -712年 に 、大 変 博 覧 強 記 で あ りま した 今、六 つ の改革 とい うこ とが橋本総理大 臣 稗 円阿礼 とい う人 が 覚 え て お った 我 が 国古 代 によって言 われて お りま して 、その中の一 つ の 伝 承 をそ の ま ま回 ず さん だ の を 、 中 L■lの 文 字 で必 死 に写 し取 っ た 太 安 万 侶 とい う人 が 完 は教育 の改革であ ります。教 育 の改革 といい い ます と、学制、 い わゆる 6・ 3・ 3・ 4の 成 したのが 、 3巻 にわ た る古事 記 で あ ります。 教育制度 を改革 しよ う、新 しい教育制度 に し 西暦 で 申 します と712年 に この古事 記 とい うの が で き上 が っ た 。 しか し、 そ れ は 決 して 国 の よ う とい うふ うに、それだ けに短絡 しが ちで あ ります けれ ども、幾 らこれが 変 え られた と 歴 史 で は なか っ た 。 稗 田阿 礼 とい う個 人 の 方 して も、教 育 の 、次代 の 青少年 を教 育 す る 、 の 頭 の 中 にあ っ た 記 憶 を太 安 万侶 が 写 しlllっ た歴 史 で あ ります 。 そ れ よ り も30年 ほ ど前 、 教 えるその 中に、 自分 の 国 の誇 りである、あ ち よ う ど天 武 天 皇 の lo年 、西 暦 で 申 します と 681年 、 天武 天皇 は我 が 国 の 歴 史 をぜ ひつ くら たちが残 して くれた歴 史 を教 え得 な い教育 な ね ば な らな い とい う こ とを天 下 に宣 言 な さい 教育 を改革 しただ とか 言えるで しょうか。 ま した。 そ れ は 日本 書 紀 に書 か れ て あ る こ と で あ ります け れ ど も、 こ れ が 日本 書 紀 の 出発 点 で あ りま して 、 そ の 後 お よそ40年 を費 や し て 、養 老 4年 一 西暦 720年 に 日本 書 紀 30巻 が 完 成 い た しま した 。 8世 紀 の 前 半 に古 事 記 、 日本 書 紀 とい う我 が 国 の 歴 史 書 が 、我 が 国 の 学 者 た ちの 手 に よって 書 き上 げ られ た 。 そ れ りは恐れ ない。 自分 の 国 の ことを憂 え、 自分 るい は 自分の国 に誇 りを持 ち得 る、過去 の 人 どとい うものが あって、独立 L■7の 教育 だ とか 、 先 ほ ど来、歴史 を勉強 しよ う とい う若者が そ うい う状 況 の 中で もなお 「天照大神 (ア マ テラスオオ ミカ ミ)Jと 読 めるんだ、あんな難 しい「素菱鳴命 (ス サ ノオノミコ ト)」 だって、 全部 読 め な い のでは な くて20%も 読 んで くれ るんだ とい うこ とに、私 ど も大人 と して何 か じくじたる もの を感 じな い わけにはい かな い とい うのが 、歴 史 を学 んで まい りま した一 つ 遷 都 と と もに移 つて ま い りま した薬 師寺 。 そ の教育 との間 のか け橋 の 中で切実 に思 うこ と 及 び官 庁 街 お よそ 120ヘ ク ター ルの一 角 、平城 であ ります。 宮 l■ 。 とい う 8件 が 、 日本 の 国 か ら、文 化 庁 か ら国連 機 構 に 申請 され ま して 、 い ず れ来 年 き ょう朝 、新 聞 を 開 いていただ きま して、 各新 聞 トツプに、古都 奈 良 の 文化財 8件 が 、 国連教育科 学文化機 関、す なわちユ ネス コの 世界遺産条約 の指定 を受 け るべ く文化庁 の文 化財保護審 議会 か ら申請 を出す こ とになった とい う記事 をお読みにな ったか と思 い ます。 8件 とい うのは、東大寺 の境 内 一 帯 を含 め れ か ら、 奈 良 の 都 が 置 か れ て あ りま した宮 殿 指 定 を受 け る、登 録 され る とい う手 はず にな る とい う新 聞 の報道 で あ りま した。 も う既 に京 都 もな って お るで は な い か 、 あ る い は、 一 番 初 め は 奈 良 で は 法 隆寺 が 登 録 さ れ たで は な い か 、 あ る い は 、兵 庫 県 の 姫 路 城 も登 録 され た で は な い か とい う こ とは 、 そ れ な りに、今 度 の この 登 録 の 中請 の 中 でぜ ひ舌」 目 して考 え て い た だ きた い 、 き ようの 私 の 話 た東大寺 であ ります。 ただ大仏殿 だけではな い。 の テ ー マ の 一 つ で あ ります 「環 境 」 に非 常 に 深 い か か わ りの あ る初 め て の 登 場 が 、先 ほ ど 先 ほ ど私 が 中 しま した元 禄 宝 永 の こ ろ に再 ム殿 を含 建 され た 大 #、 殿 だ け で は な くて 、大 イ 申 しま した春 曰山原 始 林 の 指 定 で あ り ます 。 春 日山原 始 林 を世 界 遺 産 の 中 の 自然 遺 産 とせ む 東 大 寺 旧境 内全 域 、 そ の 中 に は現 在 宮 内庁 の 管 理 して お ります か つ て の 東 大 寺 正 倉 院 、 ず に 、文 化 遺 産 と して指 定 の 中 に加 え られ た とい う事 実 を よ く考 え て い た だ きた い とい う す な わ ち現 在 の宮 内 庁 管 理 の 正 倉 院 の校 倉 (ア ゼ クラ)の 三 つ 倉 宝庫 も含 まれ てお ります。 こ とで あ ります 。 そ れ か ら興福 寺 、 春 日大 社 、 そ れ か ら春 国人 春 日JIと い うの は 、奈 良 の 東 の 方 に広 が り ます 、先 ほ ど 申 しま した春 日社 の 裏 にす ぐあ 社 の 東 の 山 一 帯 、御 笠 Jl― 帯 を含 む春 目山原 始 林 。仏 法 初 め の 飛 鳥 寺 が 奈 良遷 都 と と もに 平 城 京 の左 京 の一 角 に移 転 して ま い りま した ります御 笠 山 を初 め 、花 山 、芳 山 一 帯 を含 め た い わ ゆ る原 生 林 で あ ります 。 原 生 林 と 申 し 元 興 寺 。現 在 この 元 興 寺 を中心 と して新 し く づ 奈 良町 と、私 ど もは保 存 の 一 つ の 対 象 を形 ます と、 ア マ ゾ ン川流 域 の 原 生 林 、 あ る い は ボ ル ネオ の 原 生 林 、 あ る い は 白神 山地 の ブナ くっ て お ります が 、 そ の 元 興 寺 。 そ れ か ら、 平 城 京 の 右 京 の 方 に五 条 、 六 条 と並 んで 建 っ の原 生林 を頭 に描 きが ち で あ ります 。 しか し、 てお ります古 い 寺 、 一 つ は 、 中国 か いわ ざわ そ れ らは 陛界 遺 産 の 中 で は 自然 遺 産 と して登 録 され るべ きはず で あ る に もか か わ らず 、春 ざ この 日本 に、 苦 労 に苦 労 を重 ね て 6度 日、 12年 目に波 つ て こ られ て 5年 間 の 余 生 を過 ご 日山原 生 林 は 自然 遺 産 で は な くて文 化 遺 産 な の で あ ります 。 こ こ に環 境 と文 化 を考 え る 、 され た唐 招 提 寺 、 これ は昔 は唐 招 提 寺 とは 言 わず に唐 律 捐 提 と言 っ た の で あ ります が 、 い 私 は大 切 な キ ー が あ るの で は な い か とい う気 が い た します 。 そ れ は、 この 春 日山原 始 林 と つ の 間 にか 「寺 」 とい う文 字 を ドに くつ つ け い うの は文 化 的景 観 と して文 化 遺 産 の 中 に加 ま して、「招提 Jだ けで いいので あ りますけれ ども、下 にさらに 「寺 Jを つ け ま して唐招提 え られ た とい う こ とで あ ります 。 文 化 的景 観 と して の ジ ヤ ンル の 中 にお け る春 曰山原 始 林 寺 と現在呼 んでお ります。 いわ ゆる 占 く鑑真 和 尚 の もとに多 くの人が集 ま った、 いわば官 で あ ります 。 これ が 我 が 日本 列 島 の歴 史 の 中 にお け る一 つ の 伝 統 で は な い か と私 は思 つて 立 の 寺 で はな くて私 立 の 、塾 の ような存在 、 唐律招提 。及 び 、南 の これ も藤原京 か ら平城 お ります 。 そ の 伝 統 が 、 国連 とい う世 界 の 機 構 の 中 で 認 め られ る時代 に な っ たの で あ る と 34 い うふ うに私 は認識 してお るので あ ります。 あるい は喜 びを新たに しておるので あ ります。 決 して春 日山原 始林 を 自然遺産 と考 えず に、 文化遺産 と考 える、そ うい う発想 、 これは国 連機構 で もよほ ど 日本 の歴史 につ い て よ く勉 強 して い た だ い た 方 々 が あ る 。 あ る い は 、 我 々奈 良市民 の立 場 で文化庁 を動 か し、ある い は文化庁 の 人 た ちが 国連機構 を説得 して 、 その よ うな 日本独 特 の文化的 な存在 とい うも の を認 めて もらった とい う。裏話 で あ ります けれ ども、来年 2月 10日 は、奈 良市が 市制 を しきましてか らち ょう どloo年 に当 たる年 にな るのです。 したが って、 この 10o年 に当 たる年 にぜ ひ何 か エ ポ ックメー キ ングなことがある よ うに と、奈 良市長 を初め 、私 ども、市 の行 政 にい ささか 関連 してお る者 は、 この世界文 化遺産登録 とい うもの を一 つ の メル クマール に、 どんな障害があ って も理 解 して い ただ こ う と思 つて一 生 懸命 になって まい りま した 。 その一 生 懸命 に理 解 して い ただ こ うと思 った こ とを世界的 にこ う して理 解 していただい た な と。春 目奥 山原始林 と、あ るい は原生林 と 私 どもが 呼 んでお るあの森 は 、決 して 自然遺 産ではな くて文化遺産 なんだ とい う、わか り に くい この解釈 を外 国 の 人が して くれたんだ とい う、 い ささかの安堵 と喜 びを今 かみ しめ ておるところであ ります。 なぜ 春 日の原生 林が文化遺 産 なのか 。 これ は現在我 々の 環境 を考 える上で も、あ る い は 歴 史を ひ もとい た上でいつ も行 き当たる、あ る い は 日常 、登 山 と称す る もの を 日本人 とヨ ーロ ッパ 人が どの よ うに受 け取 ってお るのか とい う ことの面 で も、その時 々出て くる自然 に対す る文 寸しようではなかろ うか とい うふ う に′ ltい ます 。富士 山へ 登 山をす る、富士 に登 る、 これは よ く六根 清浄、浅間神社 にお参 り す るのだ とい う意味 で富士 山に登 る とい う こ とで あ ります。 決 してそ こ に富士 の 山がある か ら、そ こに 山があるか ら、 日本人が 富士 山 に登 るのでは な くて、六根清浄で登 るのが 今 ― トル で あ ります か ら 1時 間 そ こ そ こで 頂 上 の 上 つ 磐 座 、 い わ ゆ る奥 つ 磐 座 まで 登 っ て 、 そ の 巨 大 な磐 座 を 目の 当 た りにす る こ とが で きます の で 、 も し機 会 が あ っ た ら、ぜ ひ試 み て い た だ い た ら結 構 か と思 い ます が 、 山 を ご の氏神 とい う ことになってお るのであ ります けれ ども、藤原家がそ の よ うな体裁 をつ くる 以 前 は、御笠 山 を中心 とした、 ち ょうど三輪 とFnlじ ょ ぅにあの御笠山 を神 と拝 んだ時代が、 長 く奈良時代 の 中 ごろ まであ った とい う こと 神 体 とす る信 仙Jは 、 決 して大 神 神 社 にだ け存 す る信 仰 で は な くて 、古 代 の この 日本 列 島 の であ ります。 それ は万 葉集 の巻十 九 にい み じ くも光 明皇 后 がお つ くりにな った御歌 として出て まい り 中 で は あ ち らに も こ ち らに もあ っ た信 仰 で あ りま して 、現 に この た び 指 定 を受 け ま した奈 ます。それ は、光明皇后 の 甥 に当た ります藤 原清河 が遣唐大使 に任命 されて中国 に渡 るに 良 の 春 □山原 始 林 とい うの も、 三輪 山 と同 じ よ うに古代 以来神 の 山 で あ ったの であ ります c ついて 、光明皇后 か ら、神様 に祈 る壮行会 を 乎んで お ります が 、春 日 現 在 は 春 日大 社 と口 春 日野 で 開 いていただ い た。 まだ春 日大社 の で きる以前 であ ります。 だれに祈 ったか 。要 社 とい うの は藤 原 家 の 氏 神 で あ る と され て お ります 。 しか し、 これ は春 日社 の 社 殿 に もあ ります よ う に、奈 良時 代 も後半 、神 護 景 雲 元 す るに御 笠山 の 日│の 神様 に光明皇后 は祈 られ たのであ ります。そ の ときの万葉 の歌 は、藤 年 に時 の 藤 原 政 権 が 関東 の 常 陸 F■Jか い神 様 を 勧 請 した。 そ れ は なぜ か 。 平城 京 の 利Sを 守 っ 原清河 が無事 に向 こ うに行 って 、帰 って こら れ るように と、土地 の神様 であ る春 日の 山の て い た だ くた め に、 日本 の 国家 を守 る武 の 神 神様 に析 つた ことを示す御歌 であ ります。太 后 の 詠 み た まえる御歌 と して、「大船 に員構 様 と して鹿 島 か ら建 御 雷 神 (タ ケ ミカ ズチ ノ カ ミ)を ご勧 請 申 し上 げ た 。 建 御 雷 神 は 白 い (マ 鹿 に乗 って 、1年 が か りで 神 護 景 雲 2年 にお 着 きに な っ て 御 笠 Jlの ふ も とに 鎮 ま られ た c 韓國 (カ ラクニ)と い うのは 中国、唐 の 国 の こ とであ ります。齋 (イ ワ)へ とい うのは 、 そ して西 の 方 の 平 城 京 を守 っ てや る とい う こ とにな った 。建徒‖ 雷神 が お いで にな ったので 、 あ ります。 そ の ように、春 日の 山 とい うのは歴 史 とと ヽ を し もに、 ただ 自然 の 山 ではな くて 、人間が ′ お鎮 ま りに な った 。 第 一 殿 は建 御 雷 神 、 第 二 殿 は経 津 主神 、 そ して 、 この よ うに平 城 京 を 守 る二 柱 の 武 の 神 様 が お鎮 ま りに な っ た 後 、 込 めて拝 んで伝 えて きた山 だ 、 だか ら、それ を認め て 国連 の機構 は世 界遺産 の 中で 、 自然 河 内 の 枚 岡 に鎮 まっ て お いれ た藤 原 家 の ご先 遺産 で はな くて文 化 的景観 を持 った 山 である として登録 をす る ことになった とい う ことで 祖 で あ る 天 児 屋 根 神 (ア メ ノ コ ヤ ネ ノ カ ミ) (ヒ メ ガ ミ)の 二 柱 が お鎮 ま りに な って 、春 日社 は四殿 一 第 一殿 ・建御 雷 神 、 第 二 殿 。経 津 主神 、 第 三 殿 。天 児 屋 根 神 、 第 四 殿 。比 売 神 と、 四 つ の一 間社 流 造 (イ (カ 守 って くだ さい とい う歌 を、春 日社が で きる 以前 に光明皇后 はお つ くりにな ってお るので あ わせ て 武 の 神 様 で あ る香 取 の 経 津 主神 (フ ツヌ シ ノ カ ミ)も お い で に な って 、 そ の 横 に と比 売神 カジ)繁 貫 (シ ジヌ)き この吾子 を韓 國 ラクニ)へ 遣 (ヤ )る 齋 (イ ワ)へ 神 たち」。 あ ります . 環境 とい うものはその ように歴 史 とともに あ る。我 々の環境 は歴 史 とともにある。 よ く ッケ ン 一 時、韓 IJの 金達寿 とい う方 が京都Sに お られ て、 11本 の 中の朝鮮文化 とい う大変 ユ ニー ク シ ャナ ガ レヅ ク リ)の 、春 曰造 の 神 殿 が で き た の で あ る とい うのが 春 日社 の 縁 起 で あ りま 四殿 の天 児屋 根 神 と比 売 神 と、す な わ ち藤 原 な本 を次 々 と出 され ま した。 日本 のあち らこ ちらに、朝鮮 か ら渡 って きたいろん な文化 の 家 の 先 祖 神 が 中心 に な り出 しま して 、藤 原 家 痕跡 が ある とい う こ とであ ります。 なるほ ど す 。 したが つて 、現 在 は そ の 中 の 第 三 殿 、 第 36 そ うで あ ります。それはそ うです 。飛鳥時代 の氏族 を調 べ てみ ます と、お よそ80%余 りは 書が、 日本 の国の教育 の場 でその内容 を教 え られない とい う、 このいびつ な状況 とい うも 鳥時代 の 政治 を と り行 っていた。 まさに国際 のを考 えます と、や は りいろん な改 革 とい う のは、 ただ形 だけの、入れ物 だけの改革 では 的 な国家 であ った。 しか し私 は、 では大和 国 な くて、そ うい う内情 の改革か らも進めねば が 当時 の 百済 国 と同 じであ るのか 、新羅 国 と ならない と思 うのが最近 の、老人のいささか 同 じであ るのか とは飛躍 を してほ しくな い の 世迷言 とい うことであ りまして、表題 のごと く「歴史、環境、教育 ―老学徒 の想 い と迷 い 大陸か ら渡 って きた人たちが 官僚 となって飛 であ ります。 この大八洲 国 の風土 の 中で 、 た とえ30年 で も、あるい は半世紀 50年 で も育 っ た文化 は 、 もはや元 の 文化 で はな い とい う、 一」 とい うことでござい ます。 ご清聴あ りが とうござい ました。 環境 とい う確信 を私 は今持 ってお るので あ り ます。 もしそ うい うことを否定す るとすれ ば、 今多 くの邦 人 も、ある い は さらに多 くの方 々 も、大変長 い 日ご不 自由 で あ りますあ の ベ ル ー、あ の大統領 は 日本人 の血 を持 ったか いと いって、ペ ルーは 日本 の国で あ りましょうか。 私 は、非常 に下 卑 なわか りやす い例 え とし て 、 日本列 島 とい うの は 関東炊 きの鍋 だ と、 こ う申 してお ります。関東炊 きの鍋 に明石の タ コ をほ う り込 もうが、永 源寺 の コンニ ャク をほ う り込 もうが、それぞれ 関東炊 きの鍋 に 入 って煮詰 まって くれば、 もう材 料 が どこで ある とい うこ とよ りも、 どの鍋 に入れて煮 た 重油流 出事故報告 福井 県坂井郡 災害対策本部本部長 福井 県坂井郡 医師会会長 宮崎 茂和 このたびの災害 で は 、全 国 の数多 い ロ ー タリー クラブ及 び ロー タリー クラブの メ ンバ ーの方 々、そ か とい う ことこそが大切 で ある。環境 とい う して当地区 「地区大 ものは そ うい うもので ある とい うふ うに認識 してお るのであ ります。非常 に粗 い下卑 な例 、 のこ 会Jに おける′ し もったご配慮 、地区 えであるか ら学問的 でない とおっ しゃる方 は、 内 の それぞれの ロー 最近書店 に、私 の友人 で あ ります、大阪の国 立民族学 博物館 の館長 を してお られた方が書 かれた「 日本文化 の 多重構造Jと い う書物が あ ります。 これ をお読 み い ただ くと、 日本文 化 とい うの はバ ウムクーヘ ンの よ うに い ろ い ろな文化が重 なってお る け れ ども、 この 日本 列 島 で重 なって しま う と、重 なる以 前 とは全 然別 の様相 を呈す る とい う ことを非常 に香 り 高 く書 い てお られ ますので、一 読 い ただ け た ら結構 か と思います。 タ リー ク ラ ブ及 び ロー タ リー ク ラ ブの メ ンバ ー の 方 々 か ら心 の こ もっ た 浄財 、物 品 、 また はボランテ ィア として血 の 出る よ うな ご奉仕 をい ろい ろ い ただ きま した。 この ご奉仕 に対 して、地元の私 たちは もちろんであ りますが、 ` 被災 された ロー タリー クラブ も地区内 に はた くさんあ ります ので 、 この よ うな高 い ところ か ら申 しわけ ご ざい ませ んが 、心か ら厚 く御 ネL申 し上げた い と思 い ます。 ど うもあ りが と うご ざい ました。 で 申 しま した よ うに、今か ら千 二 百数十年 も また、本 国この よ うな機会 を与 えて い ただ きま した中野 ガバ ナ ー を初 め 、深 い ご理解 を い ただ きま したパ ス トガバ ナ ーの先生方、 ま 前 、我が国 の 人間の手 によって書 かれた歴 史 た、大和高 田 ロー タリー クラブの皆様 、 ホス 初 め に 申 しま した よ うに、あ るい は 中 ごろ 卜の 奈 良 西 ロ ー タ リ ー ク ラ ブ の 方 々 、 ま た り、物 品 、浄 財 の 保 管 、 配 分 に 関す る問題 が コ・ ホ ス トの 平 城 ロー タ リー ク ラ ブの 方 々の あ った り、 ボ ラ ンテ イア に ご配慮 に深 く御ネしを 申 し上 げ ます 。 さて 、 日本 海 沿 岸 の 冬 とい うの は 真 っ 白 な す る い ろ い ろ細 '寸 か い 問題 が あ つ た り、 た くさん問題 は残 りま した。 これ らに対 して は 、救 援 して くだ さ っ 景 色 とい う イ メー ジが 強 い の に 、真 っ 黒 な 、 た ロー タ リー ク ラブ、被 災 され た ロ ー タ リー 異 臭 を漂 わせ た 巨大 な怪 物 の よ うなお年 王が 、 ク ラ ブ、 そ れ ぞ れ に大 変 な ご苦 労 をか け た こ 1月 7日 突 然 や つて ま い りま した。 白 い 波 の と と思 い ます 。 しか し、 4月 海 で あ る は ず が 、黒 い うね り と しか 見 え な い か ら対 馬 へ と、 今 回 の 経 験 を も とに して 、余 情 景 で あ りま した。 って い る道 具 、保 護 具 、 生 活 物 資 が 、今 度 は この 災 害 で は 、 活 躍 した い ろ い ろ な方 々 、 H日 に は三 国 町 三 国 の 方 か らの ボ ラ ンテ ィア と して運 ばれ た どれ 一 つ が 欠 け て い て も この 互 讃 会 の 日は な わ け で ご ざ い ます 。私 の ところへ も、 初 期 の か った と思 い ます 。 また 、 阪神 ・淡 路 の 場 合 救 急 体 制 に つ い て はマ ス コ ミか ら電 話 が か か と大 き く異 な る こ とは 、 被 災 して い る エ リア りっ放 しで ご ざ い ま した。 特 に作 業 に 関 して の 周 囲 は全 く正 常 な地 域 が あ って 、 日 ごろ と の 保 護 具 な どを含 め て セ ル フケ ア を十 分 に面 全 く変 わ らな い 生 活 を して い た た め に、 た く 倒 くさが らず に話 ししてお きま した。 さんの ボ ラ ン テ ィアの 方 を ス ム ー ズ に受 け 入 れ られ た と考 え られ ます 。 私 は今 回 の 災 害 を通 じて 、改 め て 日― タ リ ー の 巨 大 な見 え な い エ ネ ル ギ ー 、 す な わ ち 、 私 は 、 この た び の 災 害 で 得 た た くさ んの す 奉 仕 を した くて した くて しよ うが な い 心 、対 ば ら しい こ との 中 か ら、ぜ ひ皆 様 に伝 え た い 応 の 早 さ、 限 りな い 力 強 い 支 援 な どを肌 で 感 こ とが 2つ ご ざ い ます 。 1つ は 、 登 校 拒 否 を じさせ てい ただ きま した。 して い る子 供 で ご ざい ます 。 中小 学校 の生 徒 、 地 球 は今 、 自然 環 境 は今 、 あ らゆ る ところ ま た 高 校 生 、 大 学 生 、 た くさ ん 参 りま した 。 で 私 た ちの生 活 維 持 向上 の た め に破 壊 を され 小 学 生 や 中学生 は保 護 者 つ きで ご ざい ます 。 て お ります が 、 い か に環 境 保 全 が 大 切 か とい しか し、 普 通 の 学 校 の 日を休 ん で 長 い 間来 う こ とを教 え られ ま した。 この た び の 災 害 で て い るわ け で す ね。 この 中 に は 非 常 に登 校 拒 は、 医 師会 活 動 を中心 に報 告 を させ て い た だ 否 を され て い る方 が た くさ ん い らっ しゃっ た き ま した 。 非 常 に早 期 か ら対 応 した こ とで 、 わ け で ご ざ い ます 。 とこ ろが 、 ボ ラ ンテ ィア 私 の 地 区 で は犠牲 者 は 1人 も出 ませ んで した。 の 中 へ 入 って一 緒 に仕 事 を して 、 ボ ラ ンテ イ 午前 アの 方 々 か らい ろ ん な話 を 聞 い て 、 一 緒 に生 か って くる、 う る さい うる さいマ ス コ ミに も、 活 を して い る うち に、 自分 の 家 へ 帰 っ た ら登 怒 らな い 、怒 らな い 、彼 ら も職 業 を完 遂 す る 校 拒 否 が な くな っ ち ゃっ た とい う生 徒 が 2人 、に言 い 聞 かせ た め に働 い て い るの だ か ら と′ し お ります 。 中学 生 が 1人 で 高 校 生 が 1人 で ご て 、極 力奉仕 を させ て い ただ きま した。 0時 を過 ぎて まで電 話 が じゃん じゃんか ざ い ます 。 これ は両 親 か ら、 本 当 に も う感 謝 お か げ さ まで 、 三 大 新 聞 の全 国版 1面 、 ま 感 激 の 手 紙 が 私 た ち の ところへ 寄 せ %れ て お た NHKを 初 め全 国 の テ レ ビで も、私 た ちの ります 。 そ れ か ら も う 1つ は 、 助 け 合 う心 、 災 害 活動 が 大 き く報 道 され 、 一 時 は 時 の 人 と 思 い や りの 心 。 次 期 RI会 長 の キ ン ロス 会 長 Hc Pro■ ts な った わ け で ご ざい ます 。 これ も “ さんの 「 ケ アー ズJと い う こ とで あ ります が 、 Most Who Scrvcs Besず そ うい う新 しい宝 物 が 地 域 に残 っ た とい う こ ア ンで よか っ た なあ とい う実 感 を感 じて お り とで ご ざい ます 。 ます。 災 害 援 助 を受 け て い る窓 日が 不 明 で あ っ た で あ ります。 ロー タ リ と思 い ます 。 少 し気 が か りに な ります の が 隣 大会 フ ォー ラ ム コーデ ィネ ー タ ー の 回 、北 朝 鮮 で ご ざ い ます 。 最 近 改 革 派 が 遠 橋爪 勝次 ざけ られ ま して、 高齢 の 軍 人が 力 を拡 大 して きておる よ うに も思 われ ます。 また、数 日前 には、高官 をふや した と、 こんなニュー ス も 流 れてお りま した。産経新 聞が出版 してお り ます「正論 」 の 5月 号 を見て い ただ きます と、 北朝鮮 の 7月 内乱 を警戒 せ よと、 こ うい う論 文 まで発 表 されておる実情 で ご ざい ます。 今 か ら五、六分お話 しさせ ていただ きます内容 は、 もちろん中国 とか朝鮮半 島 に異 変 が起 こ らな い とい う、そ うい う前提 でお話 しをさせ 5名 のパ ネリス トの方 々のご発表 とご討議 て いただ きます。 と、会場 の 皆様方 の ご協 力 によ り、実 りある ところで 、 ソ連邦 の崩壊 で 共産主義が だめ フォーラム に したい と思 ってお ります。 よろ になった と、 こ うい う こ とを 申 し上 げ ま した しくお願 い を中 し上 げます。 が、それでは資本主義 は大丈夫 か と、 こ うい 初 め に、パ ネリス トの 皆 さん方 と発表が重 う ことか と思 い ますけれ ども、資本主義 も今 複 しない よ うに配慮 い た しま して、大会 フォ ー ラ ムの テ ーマ に関連 しま して、未来社会 と 大 きく揺 れ動 いて 、終 わ りを迎 え よ う として 地域社会 につい てのみ少 しだけ前置 きをさせ あるいは情報資本 主義社会 とい う よ うなこ と て い ただ きます。続 い てパ ネ リス トの皆 さん で 、そ の到来 が告 げ られてお ります。 きょう 方 よ りそれぞれ の立 場 か らご発表 を、そ して 発売 の「週刊 ダイヤ モ ン ド」 4月 19日 号 で ご ざい ますが、2010年 ごろ にはパ ソ コンの 中 に お ります。 ご承 知 の よ う に、 資本 主義社 会、 ご討議 を 自由 に して い ただ こ う と、 この よ う │こ 思 ってお ります。 百貨店が ある時代 にな ります よと、 こんな予 まず 、未 来社会 につ い てで ご ざい ますが 、 測 を発表 してお ります。知恵 とか情報 が価 値 21世 紀 の 世界及 び 日本 の前途 は、20世 紀 は経 を生 む時代 になって きてお ります。 日本 の産 験 しなか った よ うな大 きな不 確実性 が予測 さ 業 は付加価値 の高 い仕事 を しなければ生 きて れ ます。 ガル ブ レ イス が 「不確 実性 の 時代 」 い けない時代 になって きてお ります。 日本が とい う本 を書 きま したのは 1970年 で ご ざい ま 未来 に対 して解決 を迫 られてお る難問 はた く したが、20世 紀 が終 わ ろ う と します 今 こそ、 さんあ ります けれ ども、例 えば少 子化 ある い 不確実性 の 時代 ぴった りの よ うな気が い た し ます。 現状 を見 ま して も、世界 的 にソ連 邦 の は高齢化 、あ る いは地域温暖化問題等 々 、山 積 してお ります けれ ども、本 日のテ ーマ に関 崩壊 、 日本ではバ ブル経 済 の崩壊 、世界 も日 連 をさせ ま して、行政改革 と産業構造 の改革 本 も大 きく揺れ動 いてお ります。 と教育改革、 この 3つ にのみ 絞 りま して、 ご ソ連 の崩壊 は、共産主義 は国 を豊か に して く簡単 に見てみたい と、 この ように思 い ます。 国民 を幸福 にす る と主 張 され て きま したが 、 まず行 政改革では、進 む地 方分権 を考 えま そ うではない ことが 証 明 された よ うな気が い す と、東京 には 日本全人口の 4分 の 1の 3,000 た します。一方、共産主 義 の 中国 は非常 に元 万人が住 んでお ります。地方分権 の結果、そ 気 で ご ざい ますが、 これは共産主義 と市場経 の うちの 1,000万 人が地方 に移 り住 めば、働 く 済 を目指 して どん どん改革 を してお るか らだ 人は年収 の 5倍 以下 ぐらいで庭 つ きの一戸住 39 宅 に住 む こ とが で きるの で は な い か とcそ う か ったか らで ご ざい ます。 ど うして成 長が な な ります と、景 気 の 浮揚 効 果 とい うの も大 き か ったのか 。鎖 国時代 で士 農 工 商が固定化 し い ので は な い か と、 こん な感 じが い た します 。 て 、改革が な されなか った。21世 紀 は 、 ロー ところが 地方 分権 は 、人 口が330万 人 の横 浜 市 タリア ンが 職業 を通 して改 革 へ の奉仕が必要 と人 口 199人 の 愛 知県 の 富 山村 を比 べ てみ ます 不可欠 と思 われ ます。 もう先送 りす るこ とは と、大 差 が ご ざ い ます 。 財 政 難 とか 人材 難 に 許 され ませ ん。21世 紀 は、従来 のエ ゴの時代 、 悩 む現 状 か ら、 そ の 受 け 皿 の 整 備 な ど、 ロー タ リア ンの 地 域 へ の か か わ りが 従 来 に も増 し 自分 さえよか った らとい う、 自分 だ け の 時代 か ら、21世 紀 はエバ の 時代 と。 ともに生 きる て 求 め られ 、奉 仕 の重 要性 が 増 す もの と考 え 共生、 ともにアイデアを出 し合 う共創 の時代 られ ます。 と、 こ うい う こ とに進 まなければ い けな いの 2番 目の 、産業構 造 の 変革 につ きま して は 、 ではな い か。思 い 出 され ますが、故足 高 ガバ 21世 紀 は東 ア ジ アの 時代 と、 この よ う に 言 わ ナ ーが よ く言 われてお りま した。 ロー タリア れ て お ります 。 東 ア ジ ア に住 む人 口 の 3分 の ンは地域 とともに発展す る、地域 もよ くして 2が 中 国系 で ご ざ い ます 。 も し韓 国 と北 朝 鮮 ロー タ リア ン もよ くな ろ う と、今 そ っ と思 い が 統 一 され て 先 進 工 業 国 に な っ た とす る な ら 出 しておる次第で ご ざい ます。 ば 、 日本 は東 ア ジ アで ど うい う位 置 づ け を さ それでは、5名 の パ ネリス トの方 々か らそ れ るの で し ょうか 。 中 国 に取 り込 まれ て しま うの で し ょ うか 。孤 立 しま して 、孤 立 の 国 と れぞれ、 さきの打合せ どお リー 通 り発表 して い ただ きま して、あ とパ ネラー で い ろ い ろ と しま して、小 さ くて も き ら り と光 る 、 ゆ と り 意見交換 をさせてい ただ きます。 と潤 い の あ る生 活 の で きる 国 に な るの で し ょ うか 。 今 が そ の 分 岐 点 に立 た され てお る よ う 職業奉仕 委員会 宮島 正 義 (甲 西石部R0 な気 が い た します 。 産 業 界 に 身 を置 か れ る ロ ー タ リア ンの 、職 業 を通 して の 強 力 な活 動 が 職業奉仕 の宮 島で 大 き く期 待 され る昨今 で ご ざい ます 。 ご ざい ます。職業奉 3番 目の 教 育 問題 で ご ざ い ます が 、 さ きに 仕 とい う立場 か ら、 青 山先 生 か らす ば ら しい 講 演 をお 聞 き した わ 少 しばか り私見 を述 け で ご ざ い ます が 、 これ は未 来 に 向 か って 解 べ させてい ただ きた 決 の 迫 られ る最 優 先 の 課 題 の 1つ だ と思 い ま い と思 い ます。 す 。 家 庭 教 育 の 軽 視 とか 弱 体 化 、 あ る い は 自給 自足 で生 活 が 小 ・ 中 ・高 の 詰 め込 み 主 義 教 育 と、大 学 で も で きま した大昔 、原 教 養 課 程 の 廃 止 等 々 、 問題 が 山積 して お りま す。心 の 空 洞化 が 叫 ばれ る 昨今 、初等 教 育 で 、 さ きに もち ょっ と話 が あ りま したが 、 1参 身 と 始時代 な らい ざ知 らず でござい ますけれ ども、 近代社 会 は、私 は分業 の社会 で ある とい うふ うに思 ってお ります。私 どもはそれぞれが い か道 徳 とい う教 育 が 軽 視 され てお ります 。 大 ろんな職業 に従事 を させ て い ただ きま して、 学 で は教 養 課 程 が 軽 視 と、 日本 は改 革 あ るの み で ご ざい ます 。 改 革 な くして 日本 の 国 は 豊 それで 日々生活 をい た してお ります。そ うい か にな らな い と、 この よ う に思 い ます。 った意味 で 、職業 こそが今 日の我 々の社会 の 思 い 出 して い た だ きた い と思 い ます が 、江 基盤 である、 この よ うに私 は思 い ます。 した 戸 時代 265年 、 人 口 は3,330万 人 で ず う っ と横 が い ま して、幾 ら明 るい社会 だ とか住 み よい ば い で ご ざ い ま した。 ど う して か 。 成 長 が な 社会 だ とかお題 日を唱 えま した ところで 、そ 40 の基盤 とな ります職業の倫理 とい うものがあ 方 々ばか りで ご ざい ます 。そ ういった意味 で、 い まい な もので ご ざい ま したな らば 、そ の社 会 とい うものは極 めて不安定で危険 な もの に 今 日の 日本経 済 の低迷 の帰す る ところは、私 どもの ロー タリア ン としての経営理念 といい なるのではないで しょ うか。鳥や獣 は何万年 ますか 、そ ういっ たあ り方そ の ものが現在問 も前 か ら同 じよ うな生活 をい た してお ります われているのでは な いか 、 この よ うに思 い ま けれ ども、人間は どん どん と進歩 い た して ま す。今 こそ我 々ロー タリア ンは深 い反省 をす べ き時ではない か、 この よ うに考 えます。 い りま して、科学技術 が発展 して我 々の生 活 もどん どん豊かになって まい りました。で も、 よ く考 えてみ ます と、豊 か になっているのは 蓄積 とか継承がで きる自然科学 の分野 で ご ざ い ま して 、哲学 とか道徳律 とい った よ うな も のは蓄積 、継承がで きませ ん。 したが ぃ ま し て、音 と少 しも変 わ らない わ けで ご ざい ます c い や、人 間 の本 質 にかかわるべ きものである のか もしれ ませ ん。2,000年 前 か らのお釈迦 さ んや らキ リス トの教 えが今 日まで受 け継がれ 本来 ロー タリー で言 い ます ところの職業奉 仕 といい ます ものは、 日に見 えない 、 い わば 隠徳 とい う よ うな もので ご ざい ま して 、華 々 しい 宣伝効 果 は一 切 ご ざい ませ ん。 したが い ま して、観念 的 にはこれが 大事 な ことであ る とい うこ とは我 々す べ ての ロー タリア ンは理 解 をい た してお る ところで ご ざい ますが 、実 際仕事 の上ではお金 もうけ とか他社 との競争、 そ ういっ た もの に熱 中 といい ますか 、 して ま い りま して 、 ともすれば職 業奉仕 とい うもの ているの も、私 はそのためで あろ う とい うふ が単 なる看板 に終 わって しま う危険性が ご ざ うに考 えます 。我 々の職業奉仕 の理念 とい う い ます 。 しか し、 職業奉仕 を忘 れた ロー タリ もの も、 まさ しく私 は そ ういった性格 の もの ー とい うのは、 もはや私 は ロー タリーでは な で ある と思 い ます。 時代 が どんなに移 り変 わ い と思 い ます 。 この よ うな今 の 日本 の 時代 、 ろ う とも、職業 を通 じて社会 に奉仕 をす る と い う この ロー タリーの理念 こそは、私 は変 わ 世相 だか らこそ 、私 たちは今 こそ職業 奉仕 の 意味 を もっ ともっ と真剣 に学 び ま して、実践 りよ うが な い ので はないか 、 この よ うに思 い して い かな ければな らない 、 この よ うに考 え ます 。9o年 前 のポール・ハ リスの時代 か ら今 てお ります。 、 日まで、 ひ とし く我 々ロー タリア ンの′ し を打 った職業奉仕 の理念 こそ大切 なのではないか 、 国 際 奉 仕 委 員会 増田 紘明 RO (京 都山科 この よ うに思 い ます。 ただ、大事 な こ とは、先 ほ ど先生が 申され ま した よ うに、 バ ブル とか い ろん な社 会 の 国際奉仕 を担 当 さ 時 々の変化、状況 に応 じまして、 ともすれば、 我 々の経営理念 で もご ざい ます 職業奉仕 の理 せ て い た だい てお り 念 とい うものが見失 われが ちになっている と す。 ます 増 田で ご ざ い ま い う ところに、 一番大 きな問題 がある とい う 地区の方 では国際 ふ うに考 えてお ります。近 年 日本 は、平成 に 交流委 員 会 の 方 に属 入 りま してバ ブルが 崩壊 をい た しま して、平 してお りま して 、 い 成 9年 の今 日に至 ります まで大変長 い 間、 日 わゆ る地 区が行 い ま 本 は景気 が低迷 をい た してお ります。 ここ に お い での 方 々はそれぞれ 、そ の 地域 にお ける す青少年交 換 とか GSEと か世 界社会奉仕 な 職業の代 表的 な企 業 の 、 しか もその トップの お ります ので 、それぞれの具体 的な こ とにつ どの 国際奉仕部 門 とはち ょっ と別 の ところに 41 いて は私 はお話 しで きな い んです けれ ども、 い うふ うなか な り広範 囲 な、それぞれ の 国 を これか らの21世 紀 に向か っての 国際奉仕 は ど 理解す る上 で まず 日本 を理解す る とい う よ う な ことが ない と、国際1生 とい うのが 出 て こな うあ るべ きか とい う ような ことで 今思 い ます ことは 、先 ほ どコー デ イネー ター の先生 がお っ しゃい ま した ように、や は り21世 紀 は情報 化社会 とい うのが 大方 の見方 でござい まして、 いのではないかなと私 は思 つてお ります。 そ うい う こ とで、 これか らの ロー タリア ン の 国際奉仕 とい うのは、や は り実 践 とい う こ 現実 に もやは り世界 が だんだん狭 くな る とい い ますか、世界 の情報 がす ぐにで もリアル タ とで い きます と、 なか なか個 人が国際奉仕 を す る とい うのは大変 日本 人 は不得意 な ので は イムに我 々の ところに入 って くる とい う よう な、 い わゆる世界 の ことが いつで もわかる よ な い か な とい うふ うに考 えてお ります。私 自 身 もそ うです し、皆 さん も、や は り国内 で 活 うな時代 にな りま した。 とい う こ とは、我 々 の 活動範囲 がだんだん国 とい う感覚 か ら抜 け 動す る よ りも外 国 で 活動す るのが ち よつ と不 得意 だな とい う方が 多 い と思 い ます。そ して、 出 て しまう よ うな ことに、 これか らます ます なって くるのではないか と思 い ます。 それ を解決す るのは今す ぐに はやは りで きな いので あ って 、 これか らはや は りもっ と外 国 そ うい う中 にお いて我 々 日本 の現状 を考 え ます と、伊1え ば 卑近 な例 でい い ます と、やは へ 行 く人が 多 くな る よ うな手 だて を、 ロー タ り外 国へ 行 くとい う こ とは まだ特 別 な意識 、 隣町へ 行 くとか、京都 の 者 が九州 へ 行 くとか とかが何 か考 えて、そ の施策 を しなければな い う感覚 じやな くて 、外 国へ 行 くんだ とい う ようなや っぱ り特別 な感覚があ ると思 い ます。 世界 じゆうには 日本 ほ ど豊かな国はそんな にな くて、大 半 が飢餓 と貧 困 に困 って い る国 それ ともう 1つ 大 きな問題 は、や は り語学 の 問題 が 出て くるのではな い かな と。そ うい が た くさんあ りま して、や は りそ こへ 我 々が 奉仕 に出かける とい う こともこれか ら必要 に ういろんな ことか ら考 えま して、や は り日本 人 の 国際性 と申 しますか、そ うい うものが 現 なるので はな い か な とい うふ う に考 え ます。 それが本 当 は個 人が行 けれ ば一番 いいのです 在 はまだ欠如 を して い るのではな い か な とい うふ うに考 えてお ります。21世 紀 の ロー タリ が、なか なか個 人 でそ うい う ところへ 行 くこ とはで きな いのではないかな と。 な らば、や ア ン ー ロー タリア ンとい う よ りも日本人 の 、 1つ 欠け て い る ところが あ る とすれば、や は は り地区な リクラブな りが行 く先 を見 つ けて 、 そ こへ 我 々が 出 て い く、そ うい う よ うな国際 り国際性 とい う ことに最 も不得意 なのではな いかな とい うふ うに考 えます。 的な奉仕活動 がで きれ ば本 当 にす ば らしい な とい うふ うに考 えてお ります。 そのためには、 リア ン、 ロー タリー クラブ とか、例 えば地区 らないの と違 うかな とい うふ うに考 えます。 若 い 、次代 を担 う人 々にやは り外 国 とか 、英 語 とか、そ うい う我 々の年代 が ち よつ と不得 では、国際性 とい うの は一体 どんなことだ ろ うかな とい うふ うに私 な りに考 えてみ たの ですが、 いわ ゆる 日本 でな く外 国 で いろん な 意 な もの を これか ら教 えて い くとい うの も、 ロー タリーの奉仕 の 1つ ではな い かな と。そ ことをす る ときに、 まず 日本 人 を忘 れた ら外 国 では生 きられな いのではないかな とい うふ うい う長 い 日で 見 た奉仕活動が将来国際奉仕 活動 に結 び つ くのではな い かな とい うふ うに うに考 え ます。 日本 人 を忘 れ な い 、 そ して、 日本 人 とい う感覚 か ら外 国 でその 国 を見る と 考 えてお ります。 い うふ うに、や は りそ れぞれ の 国 のアイデ ン テ ィテ ィー と申 しますか、 日本 人 である とい うこ ととともに、外 国 の人の考 えを認 める と う‘ И什 地区青少年委員会 何 か を、その成 果 を発 表 して報 い た い と思 っ 北村 光男 椋都洛東RO てお ります の に、最近 ロー タ リー か ら全 く声 地 区青 少年委 員会 がかか らな くな りま した。私 は ど う した らよ の北本 」で ご ざ い ま いの で しょうかJと い う手紙 で 、 ジア イ会長 す 。 ち ょっ と風 邪 を は ロー タ リア ンに、新世代 に投資す るこ とに 引 きま して 、 咳 が 出 よって ど うす れば揺 る ぎな い未来 を築 くこと る か と思 い ます が 、 がで きるのか を考 えて ください とおっ しゃ り、 ご了承 をお願 い しま 次 の ような提案 をされ ました。 す。 1、 未 来 社 会 にお き ま す ロー タリー と地域のかかわ りに関 しまして、 地区青少年委員会 は今 まで に毎年 、青少年指 ンは新世代 の模範 Jと い うス ロー ガ ンをクラ ブ週 報や ガバ ナー月信 に宣伝す る。 2、 導者育成 プ ログラム を RYLAの 活動 として 9月 を新世代 の 月間 とし、「 ロー タリア 各 クラブは、 単独 または同一地域 の数 クラブ合 同 で新世代会議 を開催す ることが 要 行 って まい りま した。 請 される。 30ま での地域 にお ける リー ダー シ ップを担 新世代 会議 とは、そ の 地域 の30ま での新世 う青少年 を育成す るプ ロ グラムで ご ざい ます 代 を対 象 とす る対話集会 であ り、会議 には ロ が、新世代 を育成 し未来 を築 くため に、本年 ー タリア ンを初 め といた しま して、その地域 度か らジアイ会長 は、新世代 のための ロー タ の リー ダー、市長、教育長、商工会議所役員、 リー会議 、 い わゆる次 の世代 を準備す ること 青年会議所 、ボ ー イス カウ ト、 ガ ー ルスカ ウ によって未来 を築 く、 を取 り上 げ られ、新世 ト、育成会等 々 を招 聘 し、若者 と しては ロー 代 会議 の推進 を要望 され、 きょうお見 えにな ター アク ト、 イ ンター アク ト、青少年交換学 って お られ ます RI会 長代 理の平 岡正已様 か 生、財 団学友、米 山奨学生、 GSE、 その他 ら去年 の 1月 25日 、第2650地 区青少年委 員長 地域 の青少年 たちを集 め 、 い わゆる新世代 の 会議 の 際 に、新世代会議 の ご講演 を承 りま し 人たちの希望 や意見 を聞 きなが ら、 また彼 ら た。当地区 も新世代 会議 の準備 が 少 々 お くれ の抱 える諸 問題 を話 し合 う。会議 の 日的 は 、 ま したが 、既 に各 クラブで 数 クラブ、新世代 地域 の指導者 と新世代 の 人たち との対話 を推 会議が行 われ、そ の報告 も受けてお ります。 進 す るこ とに よ り、彼 らの 関心事 を理 解 し、 さて、 ジアイ会長 は、 ロー タ リー と若者 と 将来 の ビジ ョンを明確 に し、彼 らの 目標 を達 の対話集会 を開 くように、す なわち新世代 の 成す るための 要望 に対す る支持 を明確 にす る ための ロー タリー会議 を開 くように強 調 され とともに、地域社 会 の成功 のため には、新世 てお ります。その動機 といい ますのは、 アル 代 と地域 社会 の リー ダ ーが 責任 を共有 して い ゼ ンチ ンの31歳 の女性 か ら、私 は 日― タリア くことをお互 い に認識す るこ とにある と 言わ ンに失望 した とい う手紙 をい ただ き、 なぜ か れてお ります。 と聞 きます と、彼女 は、「 イ ンター アク トクラ 3、 そ して、 まだ イ ン ター アク トクラブま ブに在籍 し、その後 ロー ター アク トクラブに たは ロー ター アク トクラブを設立 して い な い 所属 した後 、 ロー タリー財 団親善奨学生 と し ロー タリー クラブに 、そ の創設 を推奨す る。 てす ば らしい経験 を積 ませて い ただ きま した。 新世代 のための ロー タリー会議 を開催 しよ ロー タリーの私 に与 えて くだ さった ものはは う とす るな らば 、 ロー ター アク ト、 イ ン ター か り知 れず、感謝 にたえませ ん。そ してその アク トの メ ンバ ー を若者代表 と して出席 して 43 も らわ な け れ ば な らな い た め 、 設立 して い な ね ば な りませ ん 。 こ こで 2つ の 問題 を提 起 さ い ロ ー タ リー クラ ブ は 新 世代 で 若 者 の 意 見 が せ て い ただ きます 。 まず 初 め は 、 21世 紀 の 超 高 齢 社 会 に対 しま 聞 け な いので は な い か。 して私 た ち ロー タ リア ンは どの よ う に対 処 し 結 論 と して 、新 世 代 会議 は 、 イ ン ター ア ク て い くべ きか。 ト、 ロー タ ー ア ク ト会 員 を接 点 と して 、 また さて 、戦 後 50年 た っ た 今 日、 日本 は大 平 洋 は 窓 口 と して 開催 す べ き と思 い ます 。 ロー タ 戦 争 まで考 え も しなか っ た超 高齢 社 会 を迎 え リー ク ラ ブが 接 す る の は 」 Cで もな け れ ば 、 よ う と して お ります 。 1995年 、 2年 前 は人 口 ス カ ウ トで もな け れ ば 、青 年 国 の 有 者 で もな の 14%、 い 、 イ ン ター ア ク ト、 日― ター ア ク トの 会 員 こ と しは 151%、 2002年 に は20%と 拍 車 が か か り、2050年 には 4人 に 1人 、 25% が 65歳 以 上 の 老 人 とい う人 口構 成 に な る と予 だ と思 い ます 。 イ ン タ ー ア ク ト、 ロー タ ー ア ク トの 若 者 た ち を通 じて ロー タ リー の 精 神 を 想 され て お ります 。 この 人 口高 齢 化 の 進 展 は 学 んで も らお う と極 論 して もい い の で は な い 日本 だ け で は な く、先 進 国 に とっ て も共 通 の か 。 この よ うな 言 い 方 をす る と、 とて もわ か 課 題 とな って お ります 。 本 年 度 の サ ミ ッ トの りや す く新 世代 の プ ロ グ ラ ム に取 り組 め るの 重 要 な テ ー マ に挙 げ られ て お ります 。 この 人 で は な い で し ょ うか 。 絶 対 に、 若 者 た ち の 接 日高 齢 化 に伴 い 懸 念 され て い ます の は 、年 金 点 を イ ン ター ア ク ト、 日― タ ー ア ク トの 会 員 な ど社 会保 障 費 の 膨 張 に よる財 政 負 担 増 、少 以 外 の と ころ に求 め な い よ うに して ほ しい と 子 化 に よる 労働 人 日の減 少 に よる経 済 成 長 の 思 い ます 。 そ う した こ とが 、 ジ ア イ会 長 が去 減 速 、 また逆 に、 高齢 者 の 雇 用 拡 大 が招 く若 年 12月 の 神 戸 にて イ ン タ ー ア ク ト公 式 訪 間 を され た趣 旨 で よ く理 解 で きる と思 い ます 3ロ 年 失 業 者 の 増 加 等 が 問題 とな り、経 済協 力 開 発 機 構 で は 、 人 口高 齢 化 に対 応 で きる新 しい ー タ ー ア ク ト、 イ ンター ア ク トこ そが ロー タ 社 会 生 活 を築 くた め に既 に論 議 が 始 ま って お リー と新 世 代 とを結 ぶ 接 点 で あ る こ と、 ロ ー ります。 私 た ち ロー タ リー ク ラ ブ にお き ま して も、 タ ー ア ク ト、 イ ン ター ア ク トに関 す る新 クラ この こ とを しっか りと視 野 に入 れ た 活動 が 必 ブの 結 成 も会 員 増 強 も、 や は りそ の か ぎを握 要 で あ ろ う と思 い ます 。 結 論 か ら 申 し Lげ ま す と、 この 超 高 齢 社 会 にお い て 私 た ち ロ ー タ るの は ロー タ リア ンで あ る こ とを認 識 して も いい た い と思 い ます。 リー ク ラ ブが 最 優 先 す べ き活動 とは 、高 齢 者 に 自立 の や さ しい社 会 を築 くこ とで あ る と思 い ます 。 長 寿 で も働 く体 力 と気 力 の あ る 高齢 社会奉仕 委員会 岡本寸吾良5(奈 良RC) 者 に とっ て 、 そ の 知 恵 と経 験 を存 分 に発 揮 で き得 る職 場 の 確 保 こ そが や さ しい 環 境 と 言え 私 た ち と地 球 の あ るの で は な い で し ょうか。 一 般 に、 や さ しい した の た め に、 一 人 と 申 します と一 種 の 甘 さ を意 味 い た します 。 ひ と りの 愛 が 集 まっ や さ しい 言 葉 をか け た り、物 を贈 っ た りす る て 素 敵 な社 会 を つ く こ とを意 味 します が 、本 当 の や さ しさは、 厳 り、安 ら ぎの あ る暮 しさの 中 の や さ しさの こ とを言 うの で ご ざ い ら しを世 界 の 人 々 と ます 。 高 齢 者 を社 会 の お 荷 物 と して 、 また弱 分 か ち合 うた め に、 き者 と して 、 若 い 者 が 担 ぎ、 また負 担 す る と 私 た ち ロー タ リア ン い う発 想 は 、 高齢 者 に とっ て は 少 し もや さ し が 力 を合 わせ て 新 しい 時 代 を切 り開 い て い か い もの で は ご ざ い ませ ん。 高 齢 者 に も社 会 の 44 一 員 と して の 誇 りを持 つて生 きる場 を提 供 す 少 し話 が 飛 ぶ ん で す け れ ど も、 実 は 先 日、 る こ とが 大 切 な こ と と思 い ます 。 そ の 場 こそ あ る太 陽光発 電 を屋 根 に取 りつ け られ た 方 の が 高 齢 者 に とって居 心 地 の い い 、 や さ しい 社 お話 を伺 い ま した。 今 現 在 通 産 省 が 補 助 金 を 会 なの で す 。 私 た ち ロ ー タ リア ン、皆 様 は こ 出 して い ま して、 半分 補 助 金 を くれ ます の で 、 の こ とを よ く理 解 し、 実 行 して い け る立 場 に 大 体 10年 ぐら い で こ れ は償 却 で きる とい うの あ る方 々で す 。 い ろ い ろ な問題 が あ るで し ょ が 定 説 に な って い ます 。 こ れ は これ な りに情 うが 、他 に求 め るの で は な く、私 た ち ロー タ 報 価 l■ Lが あ る ん です け れ ど も、 この 方 の お 話 リア ン、皆様 が 21世 紀 の 社 会 の ため に率 先 尽 で 、 電 気 をあ ま り使 わ ん か った らメ ー タ ー が 力す べ きこ とと考 え ます。 逆 に回 って 、 関電 が電 気 を買 うて くれ る わ け で す 。 雨 天 に な った りな んか す る と関電 か ら 環境保 全委員会 田崎 央 電 気 を買 っ て使 う。 そ う い う こ とで 、ず っ と (京 都紫竹RC) トー タル してち ょっ とはプラスが 出 る とい う 環境保全活動 とい 話 は してお られたんですが 、そ んなことよ り うのは、 RIが 取 り も何 よ りも、 一 番 1年 間 の統計 で す ごか った 組 んでい ます 各種 の 活動 、奉仕活動 の 中 のは 、過去 1年 間 と比 較 した ときに30%節 電 がで きて い たんですね。要す るに電 力 とい う で最 も大 きい 問題 ヘ もの、 ス イ ッチ をぽん と押 した ら電 気 が つ く とい う意識 と、 い や、電力 とい うものは使 わ の挑戦 だ とい うふ う なければ メー ターが逆 に 回 つて くれ るんだ と に理 解 して お り ま い う、 こ うい う意識 だけで30%節 電が で きる。 す。地球全体が問題 環境 問題 って や っぱ りこん な ものだ と思 うん なんですか ら、 当然 これ以上 大 きい話 はない です。 どんなこ とが 問題 なのか とい う ことを んで す けれ ども、そ んな ことよ りも、必 要 と 知 ることに よって 、かな り我 々の 生活態度が す る活動 の規模 だ とか 活動対象 の 多岐 さとい 違 うん じゃないか とい うふ うに思 うんです 。 うんですか 、幅 の広 さだ とか 、ある い は、何 をど う した らどうなるねん とい う現実味 をも って語 れ な い 活動成果 の 実感 み たい な もの、 こ うい うよ うな ものが い ろいろ重 な りま して、 さらには、公 害 とい う よ うな こ とを言 つて ま 例 えば地 球温暖化 の 問題、原因 の 3分 の 1 ぐらい は車 なんですが、私 、素人 の環境保全 委員長 だったんですが、そ うい うこ とを知 る よ うにな りま してか ら車 もで きるだけ乗 らず した時代 は、 どい つ が悪 い ねん とい うのは確 に、で きるだけバ ス、地 卜鉄 を使 う よ うに し て い ます。 それか ら、森林 保護 の 問題 か ら、 実 に言 えた時代 なんです けれ ども、今 はひ ょ 我 々 日本人 は平均 して 1年 間に、各種 の紙全 っとす る と 一 ひ ょっ とする とどころか 、確実 部 トー タル します とA4換 算 で 4万 枚使 って に我 々全員が加 害者 なんで すね。そ ういっ た い るんで すね。老 い も若 きもです。 4万 枚 と 問題 を解決す るの に、す ご くうま く物事 を連 いい ます と、大 ざっぱにいい ます と20メ ー ト び ま して も50年 ぐらい かか る とい う よ うな、 ルの 巨木 1本 で す。先 ほ ど春 日奥 山 の文化遺 こ うい う実態か ら見 ま して、 RIが 1990年 か 産 の話があ りま したが、1億 2,000本 、20メ ー ら奉仕活動 の 中へ 環境保全問題 を取 り入れた トルの本 を切 った ら、あんな ものす ぐにな く んで すが、大変や りに くい仕事 で 、 ほかの奉 なって しま うわ け ですね。 こ うい うふ うな こ 仕活動 ほ ど うま くは定着 してない よ うに思 い とを感 じます と、や っぱ リテ イッシ ュペーパ ーの使 い方 もかな り違 うよ うにな ります。 ます。 45 こ うい うふ うな私 自身 の経験 を踏 まえま し 閉会 の こ とば て、少 しで も地球環境問題 とい うもの を会員 大会副委員長 の皆様 に理 解 を して い ただ くため に情報交換 清 本 国の R11996∼ '97年 度 2650地 区 「地 会、 これ を一生 懸命や りま して 2回 実施 して きま した。それか ら、環境 問題 の重要 な とこ 区大会」第 1日 日の 大会行事 、 ただ い ま す べ て無事終了 い た ろをモ ッ トー に組みか えま して シール に印刷 して皆様 にお配 りしました。「家庭 では環境 に や さ しく」 とい うた ぐいの もので す。それか しま した。大会関係 ら、今 まで H月 だけに環境 問題 を何 かやれば 者 といた しま して厚 く御礼 を 申 し上 げ ま いい とい うふ うな、 まあそ うい うふ うにお受 す。 け とめ い ただ い て い た クラブが 多 か ったんで ご案 内 の よ う に 、 今 年 度 地 区大 会 は 会場 の 関係 上 、第 1日 日 と第 2日 目の 会 場 が 異 な り すか ら、 2眼 レフ方式 で H月 と 5月 、サ ブ 月 間 を設 けま した。その他 もろ もろ、 い ろんな ま して 、 また本 日の 第 1会 場 は収 容 人員 の 関 係 上 、特 定 の 参 加 者 に制 限 させ て い た だ きま こ とをや りま して、か な りの 数 の ロー タリア ンの方 々 に地球環境 問題 の重 大 さを理解 して して、大会 フ ォー ラム形式 とい う ことで と り 行 わせ て い ただ きま した 関係 上、本 日ご列席 の皆様方 には、 い ろ い ろな面 にお きま して い いただ きつつ あるん じゃない か とい うふ うに 思 つてお ります。 ろ い ろ不行 き届 きの 点 が 多 々 あ った と存 じま フ ォー ラ ムア ドレス ガバ ナ ー 浅沼 す。 とにか く第 1日 日の行事 がす べ て無事終 了 い た しま した ことは 、 これ ひ とえに大会関係 中野 重宏 第 1日 日の 最 も重 要 な ロー タ リー に対 す る 勉 強 会 の つ も りで 、 この フ ォー ラム を設 け さ 者 の皆様 方、あ るい はご参列 の皆様 方 の温 か ヽ い ご友情 、 ご支援 のた まもの と′ か ら改 めて し い でござ 上げる次 ます。 を中 し 第 御札 せ て い た だ き ま した。 た だ、 橋 爪 コー デ ィネ ー タ ー が 当初 言 わ れ ま した よ うに、 も う少 し また、大会 フォー ラ ム に関 しま しては、先 ほ ど中野 ガバ ナ ー ア ドレス に ご ざい ま したの で省略 をさせていただ きます。 時 間が あ り、 しか もシ ンポ ジ ウム形 式 を とる な らば、 も っ と深 い議 論 が で きる の に とい う 最後 にな りま したけれ ども、本 日は早朝 か ら、平 岡 RI会 長代理 ご夫妻、千宗室元理事、 ある いは歴代 の パス トガバ ナ ー の皆様方 を初 当 初 か らの 問題 点 も ご ざ い ま した け れ ど も、 そ の 中 で 非 常 に よ くま とめ て い た だ きま した こ とに厚 く御 ネし申 し上 げた い と思 い ます。 め といた しま して、地区内の会長 、幹事 、各 委員長 の 多数 の ご参席 を賜 りま した ことを重 私 、 フ ォー ラ ム ア ドレス とい う こ とで ご ざ い ます が 、後 の 時 間 が ち よつ と迫 つて お る よ ねて厚 く御礼 を申 し上げます。 また、 ホス トの奈 良西 ロー タリー クラブ 、 コ・ホス トの平城 ロー タリー クラブの皆様方 うで ご ざい ます の で 、 こ れ で 失 礼 させ て い た だ きます 。 ど う もあ りが と う ご ざい ま した。 の 絶大 なる ご奉仕 、 これ もあわせ て心 か ら感 謝 中 し上げます。 46 第 1日 ロスナップ ノ (会 スナ ップ 大 会風景 ― ■ :寧 五 i酔 』 =爾 戸 4月 19H(lil, 会長 ・幹事懇談会 大 会 スナ ップ 4月 19日 (土 ) 「懇 寸 ノ (会 ス ナ ップ ││ 亀 悦 │ ¬Ч 1■ Ц 『 4月 19H(土 ) 大会 フ ォー ラム 大会 ス ナ ップ 4月 19日 (土 ) 大 会 フ ォー ラ ム 大会 ス ナ ップ 4月 19目 (土 ) 大会 フ ォー ラ ム 大 会 ス ナ ップ 4月 19日 (上 ) 、 人会 フ ォー ラ 」 ブ (会 スナ ップ 4月 温 贔 i島 盛L崚 _● ・1 4 ハお 艤 19「 ]l il) RI会 長代 理 ご夫妻歓 迎 晩餐 会 大会 ス ナ ップ 4月 19日 (土 ) RI会 長代 理 ご夫 妻歓迎 兜餐会 大 会 ス ナ ップ 4月 19日 (土 ) 排 日 大会 ス ナ ップ 4月 19日 (土 ) 大会風景 大会 ス ナ ップ 4月 19日 (土 ) 大会風景 大会 ス ナ ップ 4月 19日 (土 ) 大会風景 大 会 スナ ップ 4月 19日 (土 ) 希望 晩餐会 大会 スナ ップ 4月 19日 (11) ? エ ク ス カ ー シ ョン 大会 ス ナ ップ 4月 19日 (土 ) ЧttT 大会本会議 (地 区大会プログラム 第 2日 目 開会宣言 開会 の こ とば 故足高ガバナー物故会員を偲んで ガバ ナ ー挨拶 歓迎 の こ とば 来賓 の祝辞 奈 良県知事 ク 奈 良市長 RI会 長代理アドレス並びにRI現 状報告 GSE地 区 ガバ ナ ー メ ッセ ー ジ 記念講演 ガバナーアドレス並びに地区現状報告 大会委員会報告 ・登録 ″ ・選挙人資格審査 ク ・選挙管理 大会決議案 上程 ク 採決 1998∼ り 9年 度ガバナーノミニー紹介 ユー挨拶 1998∼ り 9年 度次期ガバナーノミ 次期地区大会ホス トクラブ紹介 次期地区大会ホストクラブ会長挨拶 RI会 長代理講評 ) おネしのことば 閉会 一日 中 大会幹 凸 日 一 菫 〒 開会 1分 ロー タリア ンの友情 とご協力 を もって ご 容赦 い ただ き、本大会が和やか に実 り多 き有 意義 な大会である ことをお願 いい た しまして、 谷 賢治 そ れで は 、 た だ い まか ら1996ヽ 197年 開会 の ごあ い さつ とい た します。あ りが と う ご ざい ました。 度 国際 ロー タ リー 第 2650地 区 「地 X大 会 Jを 開 会 い た します . ガバ ナ ー挨拶 開会 の こ とば 大会 委員長 ガバ ナ ー 緒方 惟 之 中野 重宏 ご来 場 の 皆 さ ん 、 こん に ちは cど う も に立 つ こ とを、最 後 よ くい らっ しゃい ま まで楽 しみ に療 養 さ した .本 国 こ こ に 、 平 岡 RI会 長代 理 ご れ て お られ ま した足 高 晋 ガ バ ナ ー にか わ 夫 妻 を お 迎 え して 、 国 際 ロ ー タ リー 第 りま して 、 図 らず も ガバ ナ ー と して後 を 2650地 区 1996ヽ 97 継 ぐ こ とを RI会 長 この 大 会 の この 席 年 度 地 区大 会 を FTO催 よ り指 名 され ま した 中野 で ご ざ い ます 。 ど う か 皆 様 方 、 よろ し く す る に当 た り、 奈 良県 矢Π事 様 、 奈 良市 長 様 、 奈 良 商 Tl会 議 所 会頭 様 初 め た くさん の ご 来賓 この にもな く光栄 に存 ず る次 第 で ご ざい ます . お層1い 中 し上 げ ます Э よ う こ そti様 方 、 奈 良 へ お越 しい た だ きま した .本 大会 に、 卜 際 ロー タ リー 、 ル イ ス ・ 本 年 度 の 地 IX大 会 は 会場 が 2カ 所 に分 か れ て お ります が 、故 足 高 ガバ ナ ー の 強 い ご意 思 で ビ ンセ ンテ ・ ジア イ会長 ご夫 妻 の代 理 と して、 ` 第 2640地 区 パ ス トガ バ ナ ー ・ F岡 正 已 様 ご夫 第 2□ が 本 会議 とな り、 ホ ス ト、 コ ・ ホ ス ト クラ ブ と もに りLと な り、今 日 まで準 ilRを 進 要 をお 711え い た しま して 、公 務 ま こ とに ご 多 忙 の 中 まげ て ご 来臨 賜 りま した奈 良 県 知事 ・ め て ま い りま した。 お か げ さ まで この よ うに 柿 本善 也様 、奈 良市 長 ・大 川靖 則 様 、 奈 良商 工 会議 所 会頭 ・ 阪 本 龍 兜様 を初 め 、 地 区 内外 の 皆様 をお迎 えす る こ とが で きま した こ とは 、 由流 出事 ´ 数 の 方 々 が本 大会 に登 録 され 、 重ソ ロー タ リー クラ 故 で 非 常 に ご苦 労 され た二 国 の ガ バ ナ ー 、 パ ス トガ バ ナ ー並 び に ロー タ リ ブの 方 々 を初 め 、 ご 参 加 くだ さ い ま した地 区 内外 の ロー タ リア ン並 び に ご家 族 の 砦 様 に厚 ア ンの 皆 様 方 、 多数 の ご参 加 を得 て 開催 で き くお礼 を 中 し上 げ る 次 第 で ご ざ い ます こ ル イ ス ・ ビ ンセ ンテ ・ ジ ア イ国際 ロー タ リー クラ ます こ とを まこ とに光栄 に存 じてお ります。 ‐ 本 日、 呑 心 配 してお りま した天候 も、足 高晋 ガ バ ナ ー の 天 Lよ りの お 恵 み か と存 じま ブ 会 長 は 、「 誠実 に行動 し、愛情 で 奉 仕 し、 そ して 、平 和 の 為 にlfllこ うJを モ ッ トー に、 私 す が 、 見事 に晴 れ渡 りま して 、 さわや か な 一 日、皆 様 と と もに こ こ に過 ごす こ とが で きま た ちの住 む この IL界 を よ り よい 場 所 に変 え る す こ とは 、本 当 に私 、最 大 の 喜 び で ご ざい ま た め の 努 力 を誓 お うで は あ りませ んか と 言 わ れ てお ります 。我 々 ロー タ リア ン も この よ う す. 本 人 会 は 、1府 3県 にわ た る 巨大 な地 区 の 90ロ ー タ リー クラブ、6,750人 の ロー タ リア ン が 、1年 に 1度 、相 集 い 、友 情 を深 め 、 親 睦 を確 か め 、奉 仕 へ の 新 た な決 意 を 司め て い た に 努 め て い こ うで は あ りませ ん か 。 終 わ りに 臨 み 、何 分 に も特 設 会場 の た め 、何 か と皆 様 方 に ご迷 惑 をお か け い た します こ と も多 々 あ る か と思 い ます が 、 ま た 不 行 き届 きの 点 も、 だ く重 要 な意 義 を持 って お ります 。 ど うか競 64 後 まで 皆様 方 の ご協 力 を い た だ きま して 、足 高晋 ガバ ナ ー と と もに、 この 大 会 を実 りあ る 歓 迎 の こ とば ホ ス トクラブ会 長 もの とい た した い と存 じてお ります 。 ど うか皆 様 方 、 よろ し くお願 い 申 し上 げ ま 高橋 善次 ロー タリア ンの皆 す。 様 、本 日は 、 日本人 簡単 で ご ざ い ます が 、 開会 の ご あ い さつ と させ て い た だ きます 。 あ りが と う ご ざ い ま し の心 のふ るさと奈良 へ よ う こそお越 しい た。 、よ ただ きま した。′ し り歓 迎 申 し上 げ ま す。 故足 高 ガバ ナ ー並び に 物故会 員 を偲 んで ここに、 RI会 長 代 理 ・平 岡正 已様 ご夫 妻 を初 め と し、 奈 良 県 ・柿本知事様 、奈良市 ・大川市長様 、地区 昨年 7月 、 第 2650 内外 の ガバ ナ ー 、 パ ス トガバ ナ ー ご夫妻様 、 地 区 ガバ ナ ー に就 任 多数 の ご来賓 をお迎 え し、 本大会 が 開催 で き ま した ことは、私 たちホス ト並 びに コ・ホス され るや 、 RIジ ア イ会長 の テ ーマ “築 け未 来 を トとい た しましては大変 な喜 びでございます。 行動力 と 先見 の 眼 で "を 掲 げ、 地 区 ガバ ナ ー と し 下全 ロー タリア ンの皆 々様 か ら物心両面 にわ た り絶大 なる ご協 力 を い ただ きま した こ と、 て 、卓 越 した リー ダ t、 ― シ ップ を発 揮 され 、 ロ ー タ リー の 理 想 実 現 か ら厚 く御ネL申 し上げます。 思 い起 こせ ば 、新年早 々 、本大会 の 中心 人 に力 を尽 くされ ま した。 先 達 か ら受 け継 い だ l Iか また、本大会 を開催 い た します に当た り、県 しい奉 仕 の灯 を、 よ り良 く、 よ り大 き く、 よ り美 し く燃 や し続 け た い 、 そ れ に は “ロー タリー と地域 "“ 地域社 会 にお け る ロー タ リー" だ と地 域 内 の 府 県 知 事 との 対 談 を実 施 され 、 また、 病魔 と闘 い なが ら10月 18日 まで に、 61 物 であった前足高 ガバ ナ ーの突然 の言卜 報 に接 した ことは、私 たちには言葉 に言 い尽 くせ な い深 い悲 しみであ りま したが、 この大会 を何 としてで も無 事 に成功 させ るこ とが 、今 は亡 き足 高 ガバ ナ ー に対す るせめて ものはなむけ で ある との思 い で 、後 を引 き継がれた中野 ガ ク ラブの ガ バ ナ ー公 式 訪 間 を立 派 に呆 た され バ ナ ーの ご懇切 なる ご指導 の もとに、全員心 たので あ ります。 誠 に偉 大 な足 跡 を残 され た と絶 賛 す る と共 を合 わせ 、県下各 クラブの皆様 方 の ご協力 の に 、 そ の 御 志 を無 に して は な らな い と、 そ の もと、精 いっぱいの努力 を重 ねて今 日を迎 え ご遺志 を継 ぐ決意 を し、追 悼 の誠 を捧 げ ます 。 る ことがで きま した。 この席 をおか りい た し ま して、中野 ガバ ナ ー並 びに皆様方 に厚 く御 そ れ で は在 り し日の 故 足 高 ガバ ナ ー と この ネL申 し上げます。 一 年 間 に故 人 とな られ ま した 会 員 の 皆 様 の ご さて、 本 年度 RI会 長 ル イ ス ・ ビ ンセ ン テ 。ジアイ氏 は、 “ Build Thc Future With Action 冥福 をお 祈 り し、 そ の御 霊 に捧 げ た い と存 じ ます。 And Vision"「 築け未来 を 行動力 と先見 の眼 で」、 この言葉 を本年度 のテーマ として発表 さ れ ま した。 私 た ちは、 この精神 を生 か して、 地域社会の安 定 と発展 に努 めて まい る所存 で 65 ご ざい ます。 来賓 の祝辞 ところで 、私 たちの奈 良市 は、 8世 紀 の 初 奈良県知事 頭、古代 日本 の首都 として、「咲 く花 の匂 ふが ごと くJと 天平文化 の花 を咲かせ た都 で あ り ます。その後 も奈 良 は仏教文化 の 中心地 。南 柿本 善也 奈良県知事 の柿本 でござい ます。 都 として、 1,280年 にわたる豊 かな歴 史 と伝統 地区大会 で近 畿各 に培 われて きた 日本文化発祥 の地であ ります。 県 か らた くさん の 日 市制 100年 を迎 える この 奈良 の まちは、「人口 ― タリア ンの皆様方 約35万 人 の 国際文化都市Jと して、美 しく豊か な 自然 と数多 くの歴史的文化遺産が落 ちつ い にお集 ま りい ただ き た町並 み と調和 して、 まちその もの を形 づ く らもた くさんの友好 っている と言 って も過言ではない と思 い ます。 先 人たちが守 り伝 えて くれた これ らの文化遺 団体 の方 々にお集 ま りい ただ きま して、 この 奈良 の地 で 地区大会 を盛大 に開 い て い ただ い 産 は 、 日本 のみ な らず世 界 に誇 れ る もので、 た ことに、 まず心 か ら感謝 申 し上 げた い と思 人類共通 の宝 とも言 えます。 い ます。 また同時 に、 奈 良 の地 にあ る者 とし ま して、 また海タトか 今後 は、 これ らの文化遺産 を継承 して い く 、 て、′ か ら歓迎 を申 し上げたい と思 い ます。 し だけで な く、文化的蓄積 を生か し、新 平城京 先 ほ ど来 ごあ い さつ ご ざい ま した よ うに、 の まちづ くりと世界 に発信 で きる新天平文化 奈良の地 は、 1,300年 、あ る い は飛鳥 の時代 に の創造 のため 、 この上 とも精進 して い きた い 戻 ります と14、 5世 紀前 か ら、 国の 内外 か らの もの と念願 してお ります。 交流 の場所 で ご ざい ました。都があ った とき、 どうか皆様方、奈良が 1,280年 余 りにわた り あ る い はそれ以 後 も、 い ろんな各地 か らこ こ 守 り育 てて きた 日本文化 の 源流 に出会 い触 れ に、 い ろんな人が い ろんな 目的 で訪 れて い た 合 ってい ただ き、 日本民族 の 心 のふ る さと、 この奈 良 の本 当 の よさをご理 解 い ただ き、末 だ い た場所 で ご ざい ます。そ うい う意味 にお 長 く愛 して い ただ きます よ う、 この機会 にゆ っ くり奈良 をお 楽 しみ い ただけた らと思 って 歴史的な風土が残 ってお ります。 こ うい う大 きま して、昔 か らの多 くの文化財 、あ る い は 会 でお集 ま りい ただ きま して友好 を深 めて い お ります。 ただ くと同時 に、 この機会 にぜ ひ とも、奈 良 、よ りお迎 え してお り し 私 たちは、皆様 方 を′ の地 、あ るい は南 の方、明 日香 、そ の他 い ろ ますが、施設や運営 の面 で何 か と不行 き届 き んな故地 をお訪 ね い ただ きま して、 この大会 の点 もあ りま しょうが、本大会が意義 ある大 に ご出席 い ただ きま した感 慨 を一 層深 くして 会 とな ります よ う、皆様 方 の ご理解 とお力添 い ただければ と、 こ うい うふ うに思 っている えを賜 ります よ うお願 い 申 し上 げ ま して、心 か らの歓迎 の言葉 とさせ て い ただ きます。あ 次第 で ご ざい ます。皆様方 の ご来遊、並 びに か そ う したあち こち ご散策 いただ くことを,し 、 りが とうご ざい ました。 らお願 い し、 また歓迎 い たす もので ございま す。 また、先 ほ どお話 しご ざい ま して、 また皆 様方 と黙祷 をささげ ま した前 ガバ ナ ー の足高 さん、私 も個 人的 に大変 ご呪懇 にお つ き合 い い ただ いた方 ですが、 この ロー タリーの ガバ 66 ナ ー と して精 根 を傾 け て 、特 に地 域 との つ な ま して 、 き ょ うの 表題 に ご ざ い ます よ うな が りに大 変 力 を尽 くされ ま した。 この 大 会 に ご 出席 い た だ け なか った こ とが 大 変 残 念 で ご 「行動力 と先見性 Jを 持 った諸活動 を展 開 され ることを心か らお願 いす る もので ご ざい ます。 ざ い ます が 、 この お気 持 ち を継 い で 、 皆様 方 そ うい うお気持 ちでい ろんな活動 、地域 での が ロー タ リー の 活 動 に なお 一 層 ご尽 力 賜 りま 、 か らお願 い 申 し上 げ る次 第 で ご ざ す こ とを′ し 活動 に邁進 して い ただ くと、 日本 の社 会が大 き く転換 して い くと思 い ます。例 えば、私 は い ます 。 行政 の仕事 をや ってお るんですが、昨今地方 動 を してお られ る 、私 は 良識 の 集 ま りで は な 分権 とい う ことが言われ ます。地方分権 とは 役所 の縄張 り争 いの ことでは な い かな とい う いか と思 い ます。 きょう ここに 「行動力 と先 ことで 、我 々には関心 はな い わ と、 こ うい う 見性」 とい うことを表題 に掲げてお られ ます。 お気持 ち もあるか と思 い ますが、実 は この地 我 々 、行政 をや る立 場 か らも、 この 昨今 の 社会経 済情勢 につ きま しては大変心配 をい た 方分権 とい うもの を生 か して い くこ とは、皆 皆様 方 は 、 各 地 区 で そ れ ぞ れ い ろ い ろ な 活 してお ります。戦後 50年 たちま して、 日本 の 様方 の手 によつて実現 される と私 は思 ってお ります。地方分権 とい うのは、単 に仕事 が 県 い ろんな局面 が、構造的 に、あるい は根本 か や市町村 にお りる ことではご ざい ません。 らい ろんな見詰 め 直 しをす ることが 、 よ り求 それ を、そ この地域 の住民 の 方 が 真剣 にな め られてお ります。 しか し一 方 では 、パ フ ォ ーマ ンス とか表面 的な動 きも大変盛 んで ご ざ ってお考 えい ただ いて 、昨今 で 言 う行政改革 とか い ろんな構造改革 に も関心 を持 っていた い ます。ぜ ひ とも、 こ うい う時代 こそ皆様方 だ く、 こ うい うことだろ う と思 い ます。私 は、 の よ うな良識 に根差 した活動 をされ る方 に し そ うい う私 の仕事 の面 か らも、皆様 方 の 活動 っか りと、 いろん な社会 経済 のその一 番根元 の 、あ る い はその 中心部 を眺 めて い ただ く、 に大変期待 を してい る もので ご ざい ます。 きょうの大会、そ うい う意味 で も少 しで も こ うい うこ とが私 は必 要 か と思 い ます。 皆様 理解 をさらに深 めて いただ きま して、そ うい 方 はい ろい ろ、 日ごろの活動 を通 じて地域 に、 うい ろんな、社会 が必 要 としてい る活動 にお あるいは社会奉仕 に とい うことに大変 関心 を 持 っていただいてお ります。ぜ ひ ともそ のお 力 をおか しい ただ く、そ うい うお気持 ちを起 こ してい ただ く機会 になれば大変あ りが た い 気持 ち をさ らに強 く持 ってい ただ きま して、 と思 い ま して、余分 な ことを 申 し上 げ た よ う 現在 の社会 のいろんな動 きに先 導的 な役割 を 、 か らお願 いす る も と 果 た して い ただ くこ とを′ で す が、心 か ら皆様方 の今後 の ご活動 にご期 待 申 し上 げる と同時 に、 い よい よ社 会奉仕 そ ので ご ざい ます。 とか くい ろんな うわ さとか、 の他 の活動 に ご発展 い ただ きます ことを心 か そ うい う人 の 目をか りた活動が盛 んで ご ざい らお願 いす るものでござい ます。 ます。 しか し、皆様方 は地域 と社会奉仕 に大 き ょ うは奈 良 にお集 ま りい ただ きま した。 変関心 の深 い皆様 方 で ご ざい ますので、そ う ぜ ひ ともいろんな奈良 を見て い ただ きまして、 した ことを しっか りと洞察 される 目をお持 ち 先 ほ ども申 し上 げ ま した よ うに、思 い 出 を深 くしていただ い て 、 さらに大 い に活動 して い だ と思 い ます。 きょうこ うい う大会 で 懇親 を深 め られ ます ただ き、 日本 の社会、あ るい は 関西 をよ くし と同時 に、改 めて皆様方 が地域 をい ろんな意 て い ただ くことを心 か いお願 い 申 し上 げ ま し 味 で先導 せ られる存在 にあることに認識 を新 たに して い ただ きま して 、ぜ ひ とも、 さらに て 、大変簡単 で ご ざい ますが、お祝 いの言葉 地域 の深 い根元 の ところに着眼 して い ただ き い ました。 にか えさせ て い ただ きます。あ りが と うご ざ 来賓 の祝辞 奈 良市長 Rl会 長代 理 ア ドレス 並 び にRI現 状報告 大川 靖則 本 日は大変おめで とうご ざい ます。 国際 ロー タリー第 2650地 区 の皆 さん並 び に 関係 の 皆 さん 方、 よ う こそ奈 良に お い で くだ さい ま し た。地元市長 として 心 か ら歓迎 を 申 し L げまづ。 皆 さん 方 は 日 ご ろ、 職 業 を通 じて 社 会 に還 元 す る精 神 を持 って さ ま ざ まな事 業 の 展 開 を され 、 そ して ご支 援 、 ご援 助 を賜 って お りま す こ とに 、心 か ら厚 くお礼 を 申 し上 げ る次 第 で ご ざ い ます 。 我 が 奈 良 にお き ま して も、青 少 年 の健 全 育成 、高齢 者 に対 す る生 きが い を、 あ る い は 環 境 問題 に と取 り組 み を い た だ き、 さ らに 国外 に も目 を 向 け て い た だ い て お りま す こ と、本 当 に行 政 で は 手 の 届 か な い ところ まで ご活動 い ただ い て い るので あ ります G さて、 本 日 ご 出席 い た だ い て お ります 2650 地 区 の 皆 さん方 は 、大 変 ご縁 の 深 い 方 々 ば か りで あ る と存 じます 。 そ れ は 、毎 年 3月 に奈 良 の 東 大 寺 二 月 堂 の お 水 取 りが 行 わ れ ます 。 そ の お 水 送 りが福 井 県 の 小 浜 市 、 そ して滋 賀 県 を通 っ て 、京都 府 を経 て 、 3月 の 12日 に は 奈 良 にお水 が や って ま い る 、 そ の 道 筋 な んで す 。 そ ん な こ とを思 い ます と、大 変 この2650 地 区 は他 に な い ご縁 の 深 い 会 で あ る と考 え % れ るの で あ ります 。 ど うか 、 そ の ご縁 を大 切 に され ま して 、 一 層 ロー タ リー ク ラ ブの 活 動 に邁 進 され 、 そ して この 2650地 区 が ます ます 、 ご発 展 され ます こ とを′ か ら祈 念 申 し上 げ ま し す。 そ して 、先 ほ ど高橋 会 長 が お話 しされ ま し た よ うに、奈 良 に は た くさ んの 文 化 財 が ご ざ い ます 。 ど うぞ この 機 会 に ご ゆ っ く り と奈 良 の歴 史 文 化 に触 れ て い た だ き ます よ う、 そ し て 奈 良 は 今 少 し観 光 客 が 減 って ご ざ い ます の で 、 お 帰 りに な ります と、 ど うぞ奈 良 へ 、奈 良 へ と皆 さん方 か ら ご吹 聴 い た だ きます よ う Rl会 長代理 平岡 正 己 皆様 こん に ちは。 第 2640地 区 の パ ス ト ガ バ ナ ー を させ て い た だ い て お ります平 岡 で ご ざ い ます 。本 日は、 第 2650地 区 の 年次大 会 に、 ル イ ス ・ ビセ ンテ ・ ジア イ会 長 の 代 理 と して ご 出席 させ て い た だ く栄 を得 ま した こ とに深 く感 謝 してお ります 。 お話 を させ て い た だ き ます 前 に、 故 足 高晋 ガバ ナ ー の ご逝 去 を悼 み 、 ご冥福 をお 祈 りさ せ て い た だ きた い と思 い ます 。 特 に足 高 ガバ ナ ー とは 、 こ と しの 2月 、米 国 の ア ナ ハ イ ム で と もに勉 強 させ て い た だ きま した 間柄 で ご ざ い ます 。 ま た 、 本 年 度 の ル イ ス ・ ビ セ ン テ ・ ジ ア イ会 長 の 方 針 を と もに学 ん だ 間柄 で ご ざ い ます 。 この ご あ い さつ と RIの 現 況 報 告 を、在 り し日の足 高 ガ バ ナ ー を偲 び なが ら ご報告 させ て い ただ きた い と思 い ます 。 ル イ ス ・ ビセ ンテ 。ジ ア イ会 長 は 、 1889年 に アルゼ ンチ ンの ア レシヘ ス にお生 まれ にな りま して、 ブ エ ノス ア イ レス 大 学 を卒 業 され ま した 。 大 学 で は 会 計 学 を ご専 攻 に な られ 、 公 認 会計 士 の 資 格 を持 ち、 当地 で は 現 在 、公 認 会計 士 の 会 社 、 あ る い は 牧 畜 会社 等 数 社 を 所 有 され 、 多 角 的 に経 営 され て お られ ます 。 また、 ブ エ ノス ア イ レス の 経 済 学 専 門審 議 会 の メ ンバ ー で も ご ざ い ます し、 また商 工 会議 所 の 顧 間等 も され 、重 要 な要 職 に つ い て お ら れ る わ け で ご ざい ます 。 ご家 庭 にお き ま して は 、 シ リア夫 人 と 4人 の ご子 息 に恵 まれ て お お願 い 申 し上 げ ま して 、 お祝 い の ご あ い さつ と させ て い た だ きます 。 お め で と う ご ざい ま られ ます 。 す。 シヘ ス ・ ロー タ リー ク ラブ に ご入 会 され 、 25 ロー タ リー 歴 につ きま して は、 21歳 で ア レ 歳 で ロー タ リー ク ラブ の 会 長 に就 任 され て お わ け で ご ざい ます。そ して、地平線 のか なた られ ます 。 また、 1987∼ '89年 度 には国際理事 にあるい ろ いろ な問題 もわか って くる とい う ふ う にお つ しゃつて い るわ け で ご ざ い ます 。 に選 ばれ てお られ ま して、 1988∼ '89年 度 には 財 務 長 に就 任 され て お られ ます 。 この 年 、私 もガバ ナ ー と して皆様 と と もに ロ ー タ リー に つ い て ご奉 仕 させ て い た だ い た 年 で も ご ざい ます 。 また、 1990∼ り3年 度 に ロー タ リー財 団 の管 理委員 に も就任 され てお られ ます 。 ジ ア イ会 長 は 、先 ほ ど もた び た びお 話 が ご ざい ま した よ う に、「築 け未 来 を 行 動 力 と先 見 の 眼 で Jと い うテ ー マ で 本 年 度 の 奉 仕 活 動 また、新世代会議 の最 も特徴 は、そ こで 出 て きた若 い人、若者 の声 をぜ ひ広範 にお い て各 クラブで プ ロ ジェク ト化 してほ しい 、そ して 実際 にその声のため に、 い ろ い ろな問題 を解 決す るため に行動 してほ しい とい う ことを要 請 されて い るわけで ご ざい ます。 また、 この新世代 会議 で ご ざい ます けれ ど も、私の方 に もその報告 が参 ってお ります。 を打 ち 出 され た わ け で ご ざ い ます が 、具 体 的 一 、二 を紹介 させ て いただ きます と、 この には 5つ の 項 目 を挙 げ て 、未 来 を築 く先 見 の 眼 に つ い て 説 明 され てお られ ます 。 まず そ の 新世代 会議 で 、若 い 人たち とい うの はい ろい ろ考 えて い る よ うで ご ざい ま して、例 えば、 1つ は 、先 達 の 歩 み に敬 意 を払 う。 そ うす る 大人 の世代 と新世代 とがお互 い にアイデアを こ とに よつ て 未 来 を築 こ う。 1つ は 、 ク ラブ 出 し合 つて 、そ こか ら新 しい何 か を発想 し、 の 強化 と会 員 増 強 に よつて 未 来 を築 こ う。 そ つ くり出 して い かなければな らない 、そ うい して 、職 業 奉 仕 の 質 を高 め る こ とに よって 未 来 を築 こ う。 そ して 、 ロー タ リー財 団 を支 援 う時期 が来 て い るのではない か と、 これ も新 世代 会議 で新世代 の 人か らの発言で ご ざい ま す る こ とに よって 未 来 を築 こ う。 そ して最 後 す。 で ご ざ い ます けれ ど も、 と りわ け この一 番 最 また、 この よ うな発言 もご ざい ます。 NG 後 が本 年 度 の 最 重 要 項 目で ご ざい ます 。 そ れ Oの 活動 を見 ておれば、世 界 は現在 、あ るい は 、次 の 世代 を準 備 す る こ とに よつて 未 来 を は未来、何 を求 めて い るか とい う ことが わか 築 こ う とい う こ とを示 唆 され た わ け で ご ざい る 、 これ も新 世代 か らの発 言 で ご ざい ます。 ます。 必ず しもプラス思考 の考 えだけ じゃ ご ざい ま そ して、 この 次 の 世代 を準 備 す る一 番 根 幹 をなす もの は 、新 世代 の た め の 会 議 で ご ざい ま して 、 この 新 世代 の た め の 会議 を 各 ク ラブ で 開催 す る よ うに、 各 ク ラブの 会 長 さん に提 案 され て お られ ます 。 昨 日 もパ ネ ル デ ィ ス カ ッシ ョンで 北 村 地 区委 員 長 か ら、 この 新 世代 の 会議 の ご報 告 が ご ざい ま した。 昨 年 H月 ま で に 、 この 新 世代 の 会 議 で ご ざ い ます け れ ど も、世 界 で2,000回 の 会議 が行 われ てお ります 。 恐 ら く現 在 まで は 、 そ の 数値 も倍 以 上 に上 が せ ん けれ ども、 この よ うに非常 にす ば らしい 考 えが十代 の若 い世代 か ら出て い る とい う こ ともぜ ひ認識 して いただ きた い とい うふ うに 思 うわ けでござい ます。 それか ら、本年度はジアイ会長 のご方針 で、 各奉仕活動 の分野 で公 式訪間が ご ざい ま した。 日本 は、 イ ンターアク トの公 式訪間 が 12月 の 1日 、神戸 のポ ー トピアホテルで開催 された わ けでござい ます。800人 入る会場が満員 にな ます 。 ジ ア イ会長 が この 新 世代 の 会議 を催 さ りま した。 イ ンターアク トの生徒 の代表 の諸 君、そ して ロー タリア ン、 ロー タリア ン夫人、 れ た そ の 要 旨 と 申 します の は 、 まず 、若 い 人 また地域 の有力 な方 々で ご ざい ます。 ここで の 声 を 聞 い て ほ しい とい うふ うに言 わ れ てお は、 日本 で イ ンターアク トの草分 け的存在 で ります 。 若 者 の 視 点 で 物 を見 、物 を考 え る 、 もご ざい ます当地区 の西京高校 の イ ン ター ア そ うす れ ば 未 来 が わか る とお っ しゃ って い る ク トクラブの代 表 のメ ンバ ー ももちろん参加 って い る もの とい うふ うに思 う わ け で ご ざ い され、そ して、デ イス カ ッシ ョンでは非常 に ― タリー を倉1始 されましたとき、今 日の よう 重要 な役割 を果 た され ま した。 また、当地 区 に発展す ると思われましたかJと い う質問 で ござい ます。 この ときに、ポール ・ハ リスは か らは洛西 高校 イ ンター アク トクラブの代表 の生徒 もパ ネルデ ィスカ ッシ ョンに参加 して、 大 い に活躍 して くれたわけで ご ざい ます。 ジ 次 のように答えられているわけです。 「いい え、19o5年 には、現在 のように6,000 アイ会長 は、 この よ うな新世代 と旧世代 が 一 クラブ、30万 人の会員 を擁す る世界的な運動 堂 に会 して これだけた くさん集 まった会合 は になろうとは予想 もしませんで した」 と。す 初 めてだ と非常 に喜 ばれ 、 また若 い 人 たちの なわち、1947年 には6,000ク ラブ、30万 人の会 意見 をい ろ い ろメモ されてお りま した。例 え 員がお られたわけであ ります。「あまり大 きく ば、 い ろ い ろ募金 をす る けれ ども、募金 の あ な りそ うもない木 を植 えるときに、人 は、 い り方、あ るい は集 まったお金が どの よ うに使 つの 日か大木 になろ うとい うふ うな確信が持 われているか 、そ うい う こと も私 たちはぜ ひ てるで しょうか」 とい うふ うに言 われてお り 知 りた い とい う よ うな声 に、 うなず きなが ら ます。続 いて、次 のようにおっしゃっている メモ をされてお られたわ けで ご ざい ます。 こ わけであ ります。 「雨 と太陽、そ して神の摂理、 の よ うに、新世代 のプ ログラムは各地 にお い ほほえみを待 たなけれ ばならないのではない て順調 に進んで い るわけでござい ます。 で しようか。若葉が初めて萌えるのを見 ると ここで 、 RIの 現在 の実情等 を簡単 にご紹 き、その ときこそ人は大 い なる木陰で夢 を見 介 させてい ただ きたい とい うふ うに思 い ます。 ることがで きるのですJと 、 こうい うふ うに 言 われてお ります。 これがポール・ハ リスの 実 は本年度 は、 ポ ール ・ハ リス が ご遷化 さ 最後 のメッセージだ とい うふ うに聞いてお り れまして50周 年 に当たるわけでござい ます。 その こ とを考 えなが ら、振 り返 りなが ら、 ます。 また、ポール ・ハ リスは、 ロー タリーの未 ロー タリーの発展 につい て考 えた い とい うふ 来 について次 のようにもお っ しゃっているわ うに思 うわ けでございます。 ご存 じの よ うに、 ロー タリー は 1905年 2月 けであ ります。それ は、1915年 の 2月 であ り 23日 、 ロー タリー の創始者 ポ ール ・ハ リス と ます。ちょう どロー タリーの創立 lo周 年 の時 3人 の友 人 によって産声 を上 げ たわ け で ご ざ に当たるわけであ りますが、その当時 は1915 い ます。92年 後 の今 日で ご ざい ますけれ ども、 年でございますので、今か らloo年 後、すなわ 世界 155カ 国、 クラブ数 に して 2万 8,284、 会 ち2015年 の年 に当 たるわけですが、「100年 後 員数 119万 3,681人 に達 して い るわ け で ご ざい にロー タリーはどの ようになっているで しょ ますが、 しか し必ず しも、 ここまで来 るには うか」 とい う質問であ ります。ポール ・ハ リ い ろい ろ紆余 曲折 、問題 もあ ったわ けで ご ざ スはその質問に対 しまして、「私 はロー タリー い ます。 は生 き続けると信 じます。生 きてい るなら発 ち ょう どここにご紹介 した い ポ ール ・ハ リ 展するで しょう。 スの最後 の イ ン タ ビューの記事が ご ざい ます いつ か現在 の会員資格 によって課せ られる ので 、それ を紹介 させ て い ただ きた い とい う 責務 を遂行 で きな くなるときが来 ます。恐 ら ふ うに思 い ます。それは 、 ポ ール・ハ リスが くこれは、会員 の資格 の 問題 で ご ざい ます。 亡 くな られる1947年 で ご ざい ますが、その 質 私 たちは冷酷 なお きてに従 い、年老 いてい く 問 は、ポール・ハ リスに対 して、「 あなたは ロ に違 いあ りません。その とき、私 たちはどう 70 す るで しようか。退会す るで しょうか。 多分 ロー タリー 自体 も、教育的なプ ロ グラ ム とい 退 会 しな い で しょう。 も し退会 しなけれ ば 、 うのは永年 の夢 であった よ うで ございますが、 大 い なる ロー タリーの夜 明けが多分 そ の とき この機会 に、 この記念基 金の一 部 を教育 的プ 来 るで しようJと 、 この よ うに予言 されてお ります。事実、私 たちの資格 とい うのは 、パ ロ グラム、す なわち奨学金 に使用 される こ と ス ト・サ ー ビス 会員、あ るいは1995年 の規定 けで ござい ます。 審議会 では、 リタイア した人で も会員 になる に当時の理事会、管理委員会 が決定 されたわ そ して本年が ち ようど、奨学金 プ ロ グラ ム 資格 がで きま した。何 よ りもこの予言 の す ば がで きて50周 年 になるわけで ご ざい ますが、 らしい ことは 、今 日の ロー タリー の発展 を実 去 る 5月 6日 、 7日 、 ロサ ンゼルスの 空港 の は見抜 いて お られたのではない か とい うふ う マ リオ ッ トホテ ルで この記念 の会議が 開 かれ 思 うわけで ござい ます。 ま した。 この 会議 には、国際協議会 に ご出席 本年 はポ ール ・ハ リスがお亡 くな りにな り の ガバ ナ ー ノ ミニー の皆 さん も出席 され ま し ま して50年 になるわけで ご ざい ますが、同時 た。私 も、 日本語 の グループデ イス カ ッシ ョ に ロー タリー財 団 の教育 的 プ ロ グラムの発足 ンのモ デ レー ター として参 りま して、当地区 か らも50周 年 に当たるわけで ご ざい ます。 の 山田 ノ ミニー とともに学 ばせ ていただいた │こ ポ ー ル ・ハ リスは、 ロー タリー財 団 の創始 わ け で ご ざ い ます。特 に山田 ノ ミニ ー には、 者 とも言 うべ きアーチ ・ クラ ンフと非常 に深 このロー タリー財 団 の 問題 につい ては非常 に い友情 を持 ってお られ ま した。そ して、ポ ー ご造詣 が 深 い よ うで ご ざい ま して、非常 に積 ル ・ハ リスは、 この ロー タリー財 団 が発 展す 極 的 に発言 もい ただ き、 この 会 を盛 り上 げ て ることを実 は常 に強 く願 ってお られたわけで い ただ い たわけで ご ざい ます。 また、 この グ あ ります。 そ して、 自分 が亡 くな った とき、 ルー プデ ィスカ ッシ ョン には、 ア メ リカに、 もしそ の 弔慰金 とい うものが贈 られる とす る 特 に ロサ ンゼルス近郊 に留学 してお る ロー タ な らば、ぜ ひ ロー タリー財 団 に寄付 してほ し リー財 団 の 奨学生 も多数参加 いた しま した。 い とい う ことをかねがね言 われてお られ ま し 我 々の グルー プにも参加 して くれま した。 た。 1947年 の 1月 27日 に亡 くな られたわけで この 学生 たちが 申 します 1つ の 共通点 は 、 ご ざい ますが、 このポール ・ハ リスの死 を世 ロー タリー財 団 の奨学 生 としての恩恵、それ 界 の ロー タリア ンが 障み 、そ して また、ポ ー ル ・ハ リスの功績 をたたえて、ポ ール・ハ リ は勉強す るこ とと同時 に、あ るい は勉 強 で き ス ・ メモ リア ル基金 に続 々 と世界 の各地 か ら、 得 て い る とい う こ とで ござい ます 。 そ して、 ある い は ロー タリア ンか ら善意の寄付が員 曽ら この ことが彼 らに大 きな感銘 を与 えて い るよ れて まい りました。その額 は100万 ドル以上 に うで ご ざい ます。非常 に感 受性 の 強 い若 い と 達 したわけで ご ざい まして、当時 この 100万 ド きであ ります。 また、留学 して い る とい うい ル とい うのは どの ぐらいの額 か と申 します と、 ろ い ろの 苦難 の 境遇 で ご ざい ますが 、私 は、 それ までに寄付 され ま した ロー タリー財 団 の その中でただ単 にた くさんの人 と会 う とい う 総額 をはるか に しの ぐ額 になったわけで ご ざ ことで はな しに、や は り超我 の奉仕 に邁進 さ い ます。 ポール ・ハ リスは、 ロー タリーが教 れて いる多 くの ロー タリア ンに接 す ることに 育的な プ ロ グラム を展 開す るこ とに非常 に興 よつて非常 に大 きな感動 を得 て い るのではな 味 を持 ってお られたわけで ご ざい ます。 また、 い か とい う ことで ご ざい ます。 この ことはぜ ることと同時 に、た くさんの人 と会 う機会 を ひ皆様方 に もご報告 しておか なければな らな 画 に使 途 で きる寄付 で ご ざい ます けれ ども、 い とい うふ うに思 うわ け で ご ざい ますが 、 日 5,500万 ドルか ら6,000万 ドル近 い寄付が世界的 本 か らの財 団 の奨学生 で著名 な方 もた くさん に集 まったわけで ご ざい ます。 また 、恒 久基 お られ ますが 、緒方貞子 さん もこの ことをご 金 に関 しま しては、先 ほ ど申 しま したベ ネフ 指摘 されてお ります。勉 強す ることもで きた ァクター も含み、約700万 ドルの寄付が ご ざい けれ ども、すば ら しい 多 くの 人たちに出会 え ま した。 この よ うに世界 か ら、特 にアジアを た とい うことを強 くお っ しゃってお られ ます。 ヽとして 、 この ロー タリー財 団へ の 関′ ヽ し 中′ が し 財 団 の この教育的 プ ログラムが 世界平和 に大 非常 に高 まって い るわ けで ご ざい ますが、 と きな大 きな貢献 を して い る とい うこ とも同時 りわけ 日本 、特 に2650地 区 の皆様方 の ご支援 に ご報告 しなければな らないの ではないか な とい うものは非常 に大 き く評価 されるわけで とい うふ うに思 うわけでございます。 ご ざい ますが 、 これはひ とえに私 は先達 の皆 また、 この ロー タリー財 団の話 を します と、 様方 がす ば らしい伝統 をつ くっていただいた こ とにある とい うふ うに思 うわ けで ご ざい ま ど う して も当地区の皆様方 の ロー タリー財 団 に対す るご貢献 につ い てご報告 しなければな す。そ うい う意味 にお きま して も深 く敬意 と らない と思 い ます。 毎年、当地区か しは、約 評価 をさせ ていただ きた い とい うふ うに思 う 100万 ドル、あるいは loo万 ドル以上の ご寄付 わ けでございます。 をい ただいているわけでございます。 また、今 日的な課題 といた しま しては、 ポ リオ ・ プラスがある と思 い ます。 これ も、 も そ して、 これは もう当然、地 区単位 としま しては世 界 で一 番 で ご ざい ます 。そ して、 日 本 の ロー タリー財 団へ の貢献度 は、全体 の寄 付 の約26%が 日本 か らな されて い るわけで ご ざい ますが、その 中 で も当地区か らの ご寄付 とい うのが群 を抜 い ている とい う ことは 、 も う既 に皆様 方 ご案 内 の とお りで ご ざい ます。 また、 昨年 は非常 に多 くの ベ ネフ ァクター を 出 して い ただ きま した。 つい に累計 にお きま して、 これ また世 界 一 になってお りますЭ こ の ベ ネフ ァクター とい うのは 、 ロー タリーが 将来、 これか ら重 視 して い かな けれ ばな らな い恒 久基金 に積 み重 ね られるわけで ご ざい ま う私が ここで ご報告す るまで もな く、当地 区 は最近 ここ数年、特 にポ リオ根絶 につい ては、 単 なる資金 の 支援 だけでは ご ざい ませ んで 、 み ずか ら皆様方がそ の 支援 されて い る国 々 に 行 かれ ま して 、 ともに活動 されて い ることで ご ざい ます。 私 は、そ うい う意味 にお きま し て 、当地区 は既 に先見 の 眼 を持 つて 、 ジアイ 会長がお っ しゃってお られ ます、先 見 の 眼 で 行動 しなが ら未来 を築 い てお られ る とい うこ とを、 もう既 に数年前 か らや ってお られる と い うことが 言 えるん じゃな い かな とい うふ う に思 うわ けでございます。 このポ リオの根絶 の 日標年度 は2005年 で ご して、単 なる年次寄付 だけではな しに、 この ざい ます けれ ども、 ロー タ リー財 団、特 に ロ よ う に1亘 久基金 に も大 きな ご貢献 を して い た ー タ リア ンの皆様 か ら寄 せ しれ ま したポ リオ だ い てお ります ことに深 く感謝 し、 ご報告 を 根絶 のための資金 とい うのは 2億 4,500万 ドル させ ていただ くわけで ご ざい ますが、 昨年度 あ ったわ け で ご ざい ますが 、 この資金 は2005 は全 体的 で約7,000万 ドル弱 の寄付が ご ざい ま 年 には大 体 4億 ドルの プ ロ ジェク トに使 える した。そ して、年次計† 虹寄付 で ご ざい ます け こ とが 可能 になる とい うふ うに表明 されてお れ ども、 これは先 ほ どご報告 い た しま した奨 ります。 これは もちろん財 同 の資金運用 の努 学生 、あ るい はその他 ロー タリー ・ イ ン ター 力 による もので ご ざい ますが 、皆様方 の そ う い うお気持 ち、善意が この ように実 っている ナ シ ョナルが いろい ろ計画 されたそ うい う計 とい う ことをぜ ひ皆様方 に ご報告 させ て い た す なわ ち 1,220万 ドルの余乗l金 が 出てお りま だ きた い わ けで ご ざい ます。そ して、2005年 す。 これ は 7年 連続 して、 収入 が支 出 を上 回 に根絶 され ま した ら、 い ろいろな恩恵が ご ざ い ます。 もちろん、あの苦 しい病魔 か ら人が った とい う こ とにな り、記録 を更新 してお り 助 かるわけで ご ざい ます。そ うい う福 音が ご ざい ます。 これは もうもちろんナ ンバ ー ワ ン 単 なるそ うい う記録 の更新 だけではな しに、 この 1,220万 ドルの余剰 金 とい うの もロー タリ で ご ざい ます。 また、それ以外 に もた くさん ー 史 上 最 高 で あ る とい う こ とで ご ざい ます。 ご ざい ます。例 えば経済的 に見 ますれば、約 しか し、 この よ うに財政状況が非常 に良好 で 15億 ドルの節約 が なされる とい う ことで ご ざ あるか らとい う ことで 、実 は油断 はで きない い ます。現 に 日本 で も、毎年 ポ リオの予防 ワ ので ご ざい ます。 もちろん これには国際 ロー クチ ンの ため に約20億 円 のお金が使 われてい タリーの努力 もあるわけで ご ざい ますが、実 るわけで ござい ます。 根 絶 され ます とこの費用 はな くな るわ け で ご ざい ます。例 えば 日本 の例 を とればそ うい うこ とで ご ざい ます。 また、今後 の予定 で ご ざい ます け れ ども、 ロー タリー財 団 は、 これ か ら問題 にな ります アフリカに約7,000万 ドル のポ リオのための支援 を贈 ります し、 まだ根 絶 されてお らな い地域、す なわちこのアジア 中心 で ご ざい ます けれ ども、 ウク ロ、西太平 洋岸諸 国、そ れか らシア ロ、東南 アジア地域 で ご ざい ます。そ してエ メロ、東地中海地域、 ここにはパ キス タ ン、そ して中近 東 の諸 国 が 入 ります。 まだ この地域 に もポ リオが残 って い るわ け で ご ざい ま して、それ らを含 めて約 1億 600万 ドルの支援 をロー タリー財団 はWH Oに 約束 して い るわ け で ご ざい ます。それ以 外 に も、実 はそれだ け では終 わ りませ ん。根 絶 とい う問題が ご ざい ますので、 これは完全 にパ ーフェ ク トに ビールス を根絶 しなければ な りませ ん。それに は まだ まだや らなければ ならない ことがた くさん ご ざい ます。 そ うい う こ とで 、 これか らも我 々 日本 の ロ ー タ リア ンに も支援 の要請が参 る と思い ます が、その ときにはひ とつ 引 き続 い て皆様方 の ご支援 をお願 い したい わけでございます。 最後 に、国際 ロー タリーの財政 につ い て一 言 ご報告 させ て い ただ きたい と思 い ます。 昨 年度、すなわち1995∼ り6年 度 でございますが、 総J又 入額が6,600万 ドルで、支出が5,380万 ドル、 ます。 はこの成果 の裏 には会員増強 の成果があ る と い う ことで ご ざい ます。 この 会員増強 が なけ れば この よ うな成果 はな い とい う こと もぜ ひ 皆様方 に理 解 して い ただ き、引 き続 いて会員 増強 に力 を入れて い ただ きた い とい うふ うに 思 うわ け で ご ざい ます。 特 に昨年度 はハ ーバ ー ト・ ブラウ ン会長 が この会員増強 に物す ご く力 を入れ られ、大 きな成果 を上 げ られたわ け で ご ざい ます。そ うい う結果 である とい う ことをぜ ひ皆様方 は頭 に入れてお い ていただ きたい とい う こ とを 申 しま して、私 の RIの 現況報告 を終 わ らせて い ただ きた い と思 い ま す。 どうもあ りが とうご ざい ました。 クラブ、京都洛北 ロー タリー クラブ、宇治鳳 G.S.E.地 区 ガ バ ナ ー 凰 ロー タリー クラブ、桜井 ロー リー クラブの メ ッセ ー ン 会長 さん方で ござい ます。 ・グラハム団長 GSE地 区ガバナー デビッド (通 訳 一 彼 らか ら、会長 さん方 にプ レゼ ン トを差 し 上げます。 今ほど RI会 長 代 理 の 平 岡 オ ース トラ リアの ネクタイだそ うで ご ざい 様 よ リロ ー タ リー財 ます。あ りが と うご ざい ます。彼 らは、オ ー 団 に つ い て ご説 明 が ス トラ リアの 首 府 キ ヤ ンベ ラ を 含 む地 区 、 ご ざ い ま した。 そ の 9710地 区 か ら参 りま して、 この 4月 24日 に無 プ ロ グ ラ ム の 1つ 、 事 プ ロ グラム を終了 して オース トラ リアヘ 帰 G.S.E.で ご ざい ます。 る予定 でございます。) ご 紹 介 い た し ます 。 ミス ター ・デ ビ ッ ド・ グラハ ム。 あ と、 団 員 の ご紹 介 は 、皆様 の い す の上 に 集 合 名刺 が ご ざ い ます が 、 そ れ を ご らん い た だ きた い と思 い ます 。 時 間が な い の で 害」 愛さ せ てい ただ きます。 <デ ビ ッ ド・ グ ラハ ム氏 ス ピー チ > 時 間 が な い の で 、 30分 の 1ぐ らい に要 約 を させ て い た だ きます。 私 た ちは、 国際 ロー タ リーGSEプ ロ グ ラム に よって 日本 に参 りま した。 こん なす ば ら し い 文 化 的 で豊 か な価 l■ Lあ る もの は ほ か には 見 当 た りませ ん。 今 回 は2650地 区 と初 め て の 交 流 で す 。 こ と しの 1月 に足 高晋 ガバ ナ ー が 亡 くな られ ま し た。 大 変 残 念 な こ とで す 。 私 た ち の 地 区 ガバ ナ ー ・ ラ ウテ ッ ド氏 と足 高 ガ バ ナ ー は 、 お互 い の地 区 の 知 識 を深 め る だ けで な く、生 涯 を 通 して思 い 出 され る よ うな交 流 を しよ う と誓 い 合 い ま した。 この よ うなす ば ら しい 経 験 を くだ さ って 、大 変 感 謝 して お ります 。 あ りが と う ご ざい ま した。 (司 会一 そ れで は 、彼 らに、 中野 ガバ ナ ー よ りお土 産 を差 し上 げ た い と思 い ます 。 そ して 、 今 回 ホ ス トを して い た だ きま した私 た ちの地 区 の代 表 の 会 長 さん、 ご登 壇 お 願 い い た しま す 。勝 山 ロー タ リー ク ラ ブ 、長 浜 ロ ー タ リー 74 記念講演 日本 の古代 史 は大 き く変 わる か 関西大学文学部教 授 網干 善教 文学博士 ただ い ま紹介 をい い けない とい う羽 目にな ったわ けで ご ざい ま ただ きま した網干 で ござい ます。 す。そ こで 、 これが難 しい とい うのは、大 き きの う、 きょうと く変 わるか と言 われま して も、大 きく変 わる とい う ことが一体 ど うい う こ となのか 、 よ く 非常 に春 うららかな 奈 良 で ご ざ い ます わか らな い で すね。小 さ くとか大 き くとい う が、皆様方 の 国際 ロ 何 が ど うい うふ うに変 わって い くのか 、それ が大 きいの か月ヽさいの か とい う問題 にな りま ー タリー クラブの第 2650地 区大会が この奈良 で 開かれ ま した こと を非常 に私 たち、 ご同慶 の至 りだ と思 うわ け で ご ざい ます。 きの うの新 聞 を見 ます と、奈 良が今度世界文化遺産 に登 録 される、 来年 の 秋 には認 定 されるのではない か と、そ うい う 記事が 出てお りま して、奈 良が い よい よまた 世界的 に注 目される、そ うい う場所 で ご ざい ます。 私 は、今紹介 を受 けた ので ご ざい ますけれ ども、 この奈良 で生 まれ ま して奈良 で大 きく な りま して、そ して奈良県 の文化財 の仕事 を い ろい ろ させ て い ただ きま して、現 在 も奈良 に住 んでお ります ので 、純粋 の奈 良県人 とい うんですか、 の一 人で ご ざい ま して、 皆様方 が きょうお越 しくだ さい ま した ことに歓迎の 意 を表 した い と思い ます。 きょうのテ ーマ は、「 日本 の古代史 は大 きく 変 わるかJと い うテ ーマ で ご ざい ます。 もと もとこの テ ーマ は私 が選 んだテ ーマ ではござ い ませ んで 、与 えられたテーマ で あ りま して、 何 か見 ます とシ ンポジウムの題 目の よ うな感 じがす るわ け で 、中に は大 き く変 わる とい う 人 もい る し、 いや、全然 変 わ らな い と、そ う い う意見 を持 つてお られ る人 もお るわ け です が、要す るに私 は一 人でその両役 をや らな け のはいわ ゆる形容詞的な言葉であ りますか ら、 す。 また、変 わるか と言 われ ま して も、何 が 変 わるのだ とい う ことになって くるわ け で す ね。何が 変 わ って何 が 変 わ らない のか 、 こ う い う問題 になるわけであ ります。 確 か に変 わつて い る部分 もあ ります。私 は とい う よ りも我 々は、仕事柄 、絶 えず高等学 校 の教科書 を見て い るわ け であ ります。 これ (教 科書 を示す )も その うちの 1冊 、た くさん あ ります けれ ども、文部省 の検定 を受 け ま し て、そ して発 行 されて い る教科書 を見 て い る わ け であ ります。そ うす る と、 この 回絵 とい う ところがあ りま して、本 が月ヽさい か ら、 ま あそ うい うものだ とい う こ とを覚 えて くだ さ つた いいい と思 うので すが、 一 番表紙 の次 の 回絵 の一番最初 を見 ます と、 ここ に、例 の 島 根県 の荒神谷遺跡か ら出 ま した銅 剣 が出土 し て い る写真が載 ってい るわ け で あ ります。 こ の下 の ところに、九州 の吉野 ケ里遺跡 のお墓 が出てい る写真が載 っているわ けで あ ります。 そ の 隣に は、兵庫県 にあ ります大 きな古墳 の 五色塚古墳 の復元 が 完成 した、その写真が載 つているわ け で あ ります。 この 下 の 方 には、 奈 良県 にあ ります斑鳩 の藤 ノ木古墳 か ら出 ま した、金 ぴかの馬具 の写真が載 っているわ け であ ります。 こ ち らの方 は 、法 隆寺 のいわ ゆ ればな らない 。変 わる部分 もある し、変 わ ら る百済観音 とか釈迦 三 尊 とか 、あ るい は玉 虫 厨子 とか弥勒菩薩 とかい う写真 が載 ってお り ない部分 もあ る とい うふ うな話 を しなければ ま して、その次 を見 ます と、高松塚古墳 の壁 画 の写真 が載 っているわ けですね。 刊行 されるわけです。 これは月刊 、毎 月 であ こ うい うふ うに、現在高等学校 で使 われて ります。そ うす る と、1年 たちます とか な り お ります教科書 を見 ま して も、 どん どん と新 の量 になるわけです。 もちろん これは新 聞 を しい史料 が教科書の中に取 り入れ られて い る。 縮小 しまして編集 して載 せてあるわ けですが、 こ うい う一つの場面 を見 ます と、確 か に10年 この1青 報量 とい うもの 、 これはす ごい ものだ 前 の高等学校 の教科書 と現在 の高等学校 の教 と思 うのです。それに よって 日本 の歴 史 が こ 科書 との 間 に大 きな違 い がある とい う ことが ろころ変 わって い くとい うものではない と思 わか るわ けであ ります。 これ が、その大 き く うので す。 これが 1年 間 12冊 出 て、 これ を読 変 わったのか とい う こ とにつ なが って くる わ んだ ら日本 の歴史がが らっ と変 わつて しまっ けで すが、呆 た して こ うい う口絵 の写真 が 新 た 、そ うい う性格 の ものではないわ け で あ り しくふ えて い る、載 っている とい う こと だけ ます。 で 、 日本 の古代 史が大 き く変 わつたのか 、あ ただ 、一 人の市民 と して、 い わゆる新 聞 の る い はそ うではないのか とい う問題 は、 また 1面 の トップに報道 される よ うな こ とに関 し 別 なところにあるわけで ご ざい ます。 ま しては、好 きとか嫌 い とか 、関心があ る と 最 近 、新 聞 とか テ レビを見 てお ります と、 方 々で新 しい ものが出て きた、 い ろんな もの か ない とかにかかわ らず、 ど うい う こ となの が 見 つ か った 、そ うい う放送 とか記事があ る 要があ る と思 うので す。全然 自分 と関係 が な わ け で ご ざい ます。例 えば 日本 で最古 で あ る い 、例 えば、我 々はこ う して新 聞 を切 り抜 き とか、あ るいは最高級 である とか 、あ るい は ま して、絶 えず手元 に置 きま して、何 月何 日 日本 だ け ではな くて西 日本 で最高級 である と ど うい う ことが報道 されたのか とい う ことを か 、あ るい は古 い とか 、近畿地方 で最古 で あ 全部記録 として とってい るわ けでござい ます。 る とか 、そ うい う表現、そ して今 までの定説 例 え │ゴ 「畿内 に最大級 の神殿 Jと 、 こん な が 覆 るだろ う、そ うい うふ うな見出 しの記 事 大 きな見出 しで、邪馬台国の 100年 ほ ど前 だ と、 もあるわけであ ります。そ れは いわ ゆる一つ こ うい う見出 しがある。あるい は、紀元前500 の情報 で ご ざい ま して、私 たちはこ うい うも 年 ごろに神様 を祭 る巨大 な神殿があ ったのだ の を参考 に して い るわけであ りますが、 これ と、 これは皆、新聞の 1面 の記事 で あ ります。 は「月刊文化財 Jと い う見出 しの本 で ご ざい ぱっ と見出 しを見 ま して、 これは 自分 に関係 ます。全 国 のいろんな ところでた くさんの発 がない 、それ はそれで もいいの ですけれ ども、 掘調査 が行 われて い るわけであ ります。そ の うちの例 えば、私 たちは奈良県 にい るわ けで これは一 体 ど うい う ことなんだろ う と。全国 か とい うこ とは、や っぱ り私 は知 つてお く必 紙 と言 われ る新 聞 の 1面 に大 きく写真入 りで 報道 され る もの、あるい は奈 良県版 で報道 さ 報道 されてい るような ことは、 一体そ れは内 容 的 に どうい う ことなんだろ うか と一応 関心 れる もの 、 い ろい ろあるわけであ ります。そ を持 って見 てお くとい う ことは、私 は必 要 な うす る と、奈良県 に住 んで新 聞 を見 て い る者 ことだ と思 うのです。 すが、例 えば新 聞 で いい ます と大阪 本社版 で は、京都 とか 、あ るい は兵 li3県 の県版 に載 っ 最近 、我 々の近 くで いい ます と、桜井市 の た よ うな内容 の ものは私 た ちに届 かな い わけ です 。そ こで、 こ うい う雑誌社があ りま して、 吉備 とい う ところで百 済廃寺 の跡 だ と思 われ る大 きな建物 が出て きた とい う ことが 新 聞 で 全国 の新聞 を全 部集 め まして、 ここにこ う い 大 きく報道 され ました。 うふ うな形 で 、 どこの県 の新 聞 には どんな も のが 載 ってい ます といって、 こ うい うものが あるい は 、島根県 の加茂岩倉遺跡 とい う と ころで銅鐸が394固 出 て きた とい うこと も大 き な記事 になって紹介 され ま して、最初 はそん ろで あ ります。計画的 な都 市 ですか ら、 どれ なに多 くなか ったので すが、だんだん と調査 が進 んで い くに従 って個 数 がふ えて い った 。 だ け の範 囲 に条坊制 とい うもの 、縦横 の 地割 現在39個 までになってい る。 ったか とい う こ とは、 これは もうず っ と以 前 りをつ くりま して、 い わゆる都 を形成 してお ある い は奈 良県 の 、 こち らか らいい ま して か らい ろんな説 があるわけであ ります。最近 す ぐ南側 に川西 町 とい う ところが あ るので す にな りま して大藤原京 とい う考 え方が出て き が、そ こに島 の 山古墳 とい う古墳 があ りま し たわ けで す。 い わゆる今 まで考 えてお った藤 て、そ の前方部 の発掘調査が昨年行 われた。 原京 の 2倍 3倍 大 きな一つの計画都市 であ っ そ うします と前方部か ら、今 まで考 え もし なか った よ うな大量 の 、石製腕飾類 と我 々は た とい う こ とが わか って きた とい う こ とも、 新 しい事実 で あ ります。 専 門的 に言 うので すが、今 までに古墳 か ら出 ある い は、少 し離 れ ます けれ ども、青森県 ます量 としま しては数イ 固、それは 3個 の とき の三 内丸 山遺跡 で縄文 の大 きな集落が出て き も あ ります し 4個 の ときもあ ります し、多け て 、大量 の土 器が出 て きた。 中に はこんな大 れば 5個 とい う ときもあ りますが、そ の くら きな (手 ぶ りで)栗 の本 の柱 が並 んであった。 い の量 しか出て こなかった ものが、 島の 山古 これは一体何 だろ うか とい う話 も出て きま 墳 では130イ 固数以上一括 して、わっと出て きた。 した。 私 も直接 間接 に関係 があ ります ので 、そ の話 ある い は、京都 の丹後 で 、大 田南 5号 墳 と を聞 きま して早速見 に行 ったのですが、我 々 い う古墳 か いは「青龍 三 年」 とい う銘 の鏡が の経験 としま しては想像 も しなかった よ うな 出 て きた。 こ とが 、あ る い は量 の ものが 出て きて い る。 見事 だった と思 うのです。 あるい は、香芝市 とい う ところが二上 山 の ふ もとにあ りますが、尼寺 (エ ンジ)と い う 町があ りま して、そ この ところを発掘 してお こ うい うふ うな ことは、我 々のブト常 に記 1意 に新 しい こ とで あ ります。 同時 に、 これは 日 本 の歴 史 を考 えて い くの に非 常 に大 きな史料 の提示 であった と考 えてよい と思 うのです。 ただ、それは新 聞 の 1面 に掲載 された、報 ります と、非常 に大 きな塔 の基壇が出て きた。 道 された ものであ りま して、それぞれの地域 この寺 は一 体何 とい う寺 だ ろ う と。 しか も、 礎石 の大 きさか らい う と日本 で一 番大 きいの の地方紙 まで見 ます と、非常 に多 くの事柄 が 報道 されて い るわ け で あ ります。それは、そ ではないか とい うふ うな ものが畑 の 中か ら出 うい うこ とを研 究 して い る者 に と りま しては て きた。そ うい う ことは、 日本 の今 までの歴 非常 に重 要 な こ とで あ ります。 ところが 、あ 史 を考 えて きた中で は非常 に注 目す べ きこと る人か ら言 わせ ます と、それ は君 たちがそ う い う ことを勉 強 して い るか ら非常 に重要 な も だ と思 うのです。 ある い は、先 ほ どの新 聞 にあ りま した よ う ので あ って、それが出 て きたか らとい って ど に、畿 内 で最大級 の神殿 が出て きた とい うの は、大阪 の 池上 ・ 曽根遺跡 とい う場所 で あ り う したんだ と、 こ うい う考 え方 を持 っている 人が往 々 に してあるわけで、それが出て きた、 ますが、 ここで大規模 な建 築が、大 きな神殿 それが ど う した、 こ うい う感覚 で物事 を考 え と思 われるこんな大 きな (手 ぶ りで )柱 の建 物 が出て きた。あ るいは、 これか らず っ と南 て い る人 はた くさんお られ る と思 うので す 。 自分 と関係 が ない ことで あればあ ま り関心 を の方 に行 きます と橿原市 とい う ところが ある 示 さな い とい う、 もっ と言 えば、歴 史 な どと のですが、そ こは奈良 の都が つ くられ る前 の い う よ うな ものはや ったって しょうが ない じ 都 、す なわち藤原 の都 が置 かれてお った とこ ゃない か 、我 々はや っぱ りきょう、あす とい うもの を ど う考 えるか とい う ことの方 が大切 あ ります。そ うす る と 4分 間 の 1世 紀、時 間 なんで、後 ろ向 きに見 たって しようが ない じ がたって い るわ けであ ります。そ こで我 々は、 ゃな い か と、そ うい う考 え方が基本 的 にあ る 一遍当時関係 した者が集 まって シンポジ ウム 人が い るわけです。 を開 こ うで はな い か とい う ことで 、場所 は明 あるいは 中に は、考古学 とい う学問 は、遺 日香村 の 中央公民館 をお借 りい た しま して、 跡 が あ る 、何 か工 事 をや ってい る 、掘 った 、 この25年 間、何 がわか つたのか とい う シンポ そ うした ら出て きた、それ、珍 しい とい うわ ジ ウム を開 こ う とい う こ とになったわ け で あ け です。掘 った、出 て きた、珍 しい 、 こ うい ります。 う感覚 で す ね。確 か に時代 が違 い ます。今 か そ の ときに一 番 関心 が 持 たれ て い るの は、 ら1,ooo年 とか2,000年 とか3,000年 とか 、日 寺に や っぱ りだれ の墓 なのか とい うこ とだ と思 う は 1万 年 とか 、あ るいは もっ と前 とか 、数十 のです。 もう終始その話が先行 して しまうわ 万年前 とい うふ うな ものが 日本列 島 の 中か ら け で あ ります。 ところが 、 一 体 その問題 は ど 出 て まい りま して、そのたび ご とに大 きな話 うい うふ うになって い るのか、 もう25年 もた 題 を呼 ぶ ことが あ ります。掘 つた、出 て きた、 っているんだ よ、被葬者 は どこまで絞 り込 む 珍 しい 、それ行 け、 とい う よ うな調子 でた く ことがで きたのだろ うか、 こ うい う疑間 を持 さんの人が、現地説明会等があ ります とわあ っている人が た くさん い ます。確 か に、あの っと行 かれるわけであ ります。それ は確 か に、 狭 い石室 の 中に人骨 が 残 ってお りま した。 こ 多 くの 人たちがそ うい うもの に関心 を持 って くだ さる とい う こ とは非常 に いい こ とで あ り れは歯 もあ りま した。脊椎骨 もず っ と全 部残 ます。全 く無関心 とい う よ りも非常 にいい こ りました。上膊骨 も前膊骨 もあ りました。 とだ と思 う。 これはまた後 で話 をい た します。 ってい ま した。鎖骨 もあ りま した。肋骨 もあ 大腿骨 もあ りま した。全 部 が全部 では あ り ところが 、私 たちがや ってお ります 、あ る い ませ ん けれ ども、 い わゆる人間の体 の主 要 な は物 を見 てお ります感覚 とかな りず れた とこ ろが あ る と思 うので す。それ は非常 に珍 しい 部分 につ きま して の 骨 は残 つてお りま した。 ものなんだ と。例 えば古墳 を掘 ります。私 た い うこ とは全 然や ってお りませ んので 、骨 を ちは高松塚 の あ の壁画が 出 て きま した古墳 を 見 て い ろんなこ とが考 え られる。例 えば一番 発掘 しま した。最近 では、大 きな話題 にな り 単純 な こ とは、男 なのか女 なのか、年齢 は何 歳 ぐらい なのか、 こ うい う こ とを私 たちはわ ま したのは斑鳩 の藤 ノ木古墳 であ ります。そ 私 たちは医 学部 の 出身 で あ りませ ん し、そ う うす る と、連 日新聞やテ レビで報道 されます。 ヽ を持 って くだ さ 亡 す る と多 くの人が 非常 に関′ か りませ ん。そ うい う訓練 を受 け てい ませ ん る。 それ は非常 に いい こ となのであ ります。 ところが、その方 向性 とい うのですか 、皆 の か解音」 学 の先生 か ら教 えて もらって、 これは 骨 が 薄 い だろ う とか、 これは分厚 い だろ う と 関心 は どこにあるか といい ます と、物す ご く か、だか らこれは こ うい うふ うに考 えた らい 珍 しい ものが出て きた、 これはお墓 だ とす る と一体 だれの墓 だろ う、 こ うい う方向 に進 ん バ イス を受 けた ことは あ ります けれ ども、本 で い くわけです。 格的 に基礎 か らやったのではあ りませ ん。 し 高松塚 を発掘 いた しまして、 この 3月 21日 、 壁画が見 つ か った 日であ ります けれ ども、 ち か し、必要な人骨はそ ろってお ります。 ょうど25年 前 で あ ったので す。昭和 47年 3月 体 だれだろ う とい う話が 出 ま して、何 人か の 候補者が挙が ったわ け で 、前 か ら言 われて い 21日 であつたわけですか ら、 こと しで25年 で か ら。何 回 も何 回 も発掘す る中で、人類学 と いのでは ない か とい う ことは 、個 人的 にア ド そ こで 、先般 の シ ンポジ ウムの ときも、 一 るわ けなので あ りま 年代 の 開 きが 3年 とか 5年 とかい うこ とにな す。それ を調 べ てみ って まい ります と、か な り葬無吉まって い くわ ます と、男子 一体 で けであ ります。 ところが 残念 なが ら、私 たち ある こ とは 間違 い な は骨 の ことはわ か りませ ん。 ただ 、今願 って い。 ところが 、 これ い ることは 、 もっ といわ ゆるい ろんな科学が はだれの骨 だろ う と 発達 して きま して、医 学 の方 も発達 して きま い っ ことを考 えた と して、その骨 をい ろんなことで調べ てみる と、 きに、一 番若 い年齢 少 な くとも二、三 歳 ぐらい の誤差 で骨が わか は37歳 であ ります。その死 んだ人物 、そ のお 墓だ と思 われる人物 の年齢 を文 献 で調 べ てみ ます と、大体 37歳 です。石上麻 呂 (イ ソノカ ミノマ ロ)と い う人が候補者の一人 として挙 が っているのですが、 この 人 は78歳 で あ りま す。す なはち、37歳 か ら78歳 まで 、 この 間41 歳 の 開 きがある。 だれで あ るに しろ、その人 るよ うにな らな い のか な、そ うい う期待 を持 つ わ け で あ ります。す なわち、何歳 で もいい ので す。46歳 で もいいの です。45歳 か、 もし くは46歳 か と、そ うい う ことが 科学的 にわか る よ うにな って きます と、37歳 の 人 も消 えて い くし、78歳 の候補者 も消 えて い く。す なわ ち範 囲が絞 られて くる とい うこ とになってい くわけなのであ ります。高松塚 の場合 に、十 が亡 くな って 、そ して この お墓 に葬 った 、 で 数人 の人物が候 補 として挙 が りま した。 しか はそれはいつ なのか とい う ことを、 また文献 し、25年 たちま して も、 この人である とい う に出て きますその人が亡 くな った年 を考 えて 確証 はないわ け で あ ります。 ただ、そ うい う み ます と、発掘 当時か ら、 これは天 武天皇 自 ふ うに考 えた とい う人が い るだ けの ことで あ 身 ではないか とい う説があ ったわ けであ りま ります。藤 ノ木古墳 の場合であ って も同 じこ す。それはわか りませ ん。 わか らな い けれ ど とが あると思 うのです。 も、一応 そ うい うふ うに考 えます と、それは それが ひ ど くな って まい ります と、 まとも 689年 とい う ところにな ります。一番新 しい人 に学問 として考 えて くれ ているの な らいい の 物 はだれか といい ます と、石上麻 呂 とい う人 です けれ ども、やや クイズ 的感覚 とい うので であ ります。 この人は717年 であ ります。 すか、テ レビで よ くゃ ってい ますね 、 3択 と 710年 に都が奈 良に移 って くるのですか ら、 それか ら 7年 たった年 で あ ります。 そ う しま す と、一番古 く考 えたの と一番新 しく考 えた の との 間に31年 とい う年代 の 開 きがあるわ け で ご ざい ます。31年 とい うのは親 子以上 の年 齢 の 開 きですね。そ うな ります と、 この文献 上 出て くる人物 か ら、あるいはつ くられた年 代 か ら、 この 人物が被葬者 だ と考 えて、その 人が亡 くな った年 で計算 してみ ます とそれだ か 5択 とかいい ま して 、選択 の 幅 をつ くって お きま して クイズで 当 てる、ああ い う クイズ 的感覚 になって くる とい う ことになる と、そ れはや っぱ り我 々の立場 か ら見 る とや や問題 がある、そ うい うふ うに考 えるわ け で あ りま す。 したが って 、現在 の被葬者論 、だれの墓 か とい う ことにつ きま しては、 これはあ ま り 変 わってい ない。 わか らない とい うことでお いておか なければ しょうがない わ けなのです。 ただ、そ の25年 の 間に、 ただいたず らに時 けの誤差 があ りますか ら、 これは とて も被葬 間がた って 、我 々は何 もしない でゃ って きた 者 の問題 は結論 が出ないのでは な い か と私 は のでは な い わ けで あ ります。 い ろんな機 会 に 思 うので す。 もっ と狭 まって きて、年齢 の 開 い ろんなこ とを調 べ て、ある い は見 に行 って きが 2つ とか 3つ とか 、あるい はつ くられた 実際 に 自分で確 かめてみて、そ して、 ここは わか る、 ここは共通性 がある、 ここは全 然違 であ ります。そ こに栄 えた中国 の唐代 の文化 う とい う こ とを確 かめて い かなければな らな いわ け であ ります。 それは、 言うは易 くして とい うものが 、陸続 きの異民族 の世界 、す な わちシル ク ロー ドの方 に伝 わって いって 、あ の砂漠 の 中でそれが伝 えられて残 っている。 これは もう灼熱 の地域 であ ります。 1年 に 実際 に行 い がた い ことで あ りま して、例 えば 私 自身 も、現在 の北朝鮮 一朝鮮民主主義人民 共和 国 とい う ところは、昔 の高句麗 の 国 であ 18ミ 西域記」 を見 ま して も、空飛 ぶ 鳥 も暑 くて焼 鳥 にな って落 ちて くる と書 いて あるわけ です ります ので 、壁画古墳 が た くさんあ ります。 だか ら、 い ろんな情報 を得 ま して、平壌 (ピ ね。(笑 声 )実 際 はそんな ことはないのです け れ ども、 しか し、 とにか く暑 い ところであ り ョンヤ ン)の 周辺 、そ して い わゆる昔 の 開城 ソン)、 38度 線 の北側 であ りますが、そ こ に も 2回 ばか り行 って つぶ さに壁画古墳 を見 (ケ ます。砂漠であ ります。 そ うい う ところで唐 の文化 が 伝 え られて残 つた もの と、全 く反対 側 の東 の 方 の 、海 を隔 てて 、 しか も温 暖 な、 て まい りま した。ある いは、鴨緑江 の 中流域 とい うんですか、中国 の吉林省 の南 の端 であ ります が、そ この あた りの壁画古墳 も、 いろ しか も単 一 民族 の 中 にそれが伝 わって きて残 った奈良時代 の文化 とい うもの との 間 に、 ど んな制 約 があるか い全部 は見 るわけにい きま せ んが 、少 な くとも開放 されて い る 占墳 の壁 れだけの格差があ るのか、違 いがあるのか。 高松塚 を媒介 に して、西 へ 行 ったの と東 ヘ 画 につい ては見て まい りま した。非常 に早 い 段 階、昭和48年 の段 階、 まだ 日中国交 回復 が 行 ったの と、気候 の 条件 も生活 も全部違 う中 でそれが ど う違 つて くるのか とい う ことを 自 で きて間な しであ りま して、 まだ 日本 と中国 分 で確 かめた い 。そ のためには 自分 が行 かな ければ仕方が な い と思 つて 、そ れか らも何 回 との 間 は飛行機 が飛 んでない ときであ ります が、 い ろ いろ な交渉 ルー トを通 じま して中国 に行 って 、永泰公 主そ の他 の壁画古墳 を見 た も何 回 も向 こ うに行 ってい るわけなのであ り ます。そ うい う ことをや りなが い、 一つの古 い と思 い ま して、香港経 由で 、今 か ら24年 前 に西安 (シ リしか雨が降 らな い。玄失 三 蔵 の「大唐 墳文化 とい うものが ど うい うふ うにな ってい るのか、現状 は ど うな っているのか とい う こ ー ア ン)の 壁画古墳 を見 に行 って まい りま した。 いろいろなことはい ろいろ な 人が言 つてい るわけですが、や っぱ り自分 で とを確 かめたいわけであ ります。 つい 10日 ほ ど前、あ るい は もう少 し前 か も 確 かめてみ る、そ うす るこ とによつて、 自分 が 今 まで考 えてお った こ とが 証明 で きるのか ど うか とい つ こと、そ れ を確 かめたか ったわ わか りませ んが、皆 さん もお読 み にな った方 もお られ る と思 い ます けれ ども、あ る新 聞 の けで あ ります。 コ ラムにこ うい う こ とが 書 いて あ った。学問 あ るいは、そ うい うもの を理解す るため に もっ と西 の方 に行 かなければな らない とい う とは 、間 う ことを学 ぶ 、あ るいは 、間 うこ と によつて学 ぶ と書 い てあるのです。 これは ど うい う こ となのか。 これ は人 に、先生 に聞 い こ とで、 トラ ンクをさげ ま して、 また タクラ マ カ ン砂漠 の 中 を歩 いてみた。そ してあそ こ て もよろ しい 、友達 に聞 い て もよろ しい、先 の 、古墳 とは直接 関係 ない けれ ども、高松塚 古墳 か ら出て くる遺物 の 中の文様 、模様 とい 輩 に聞 いて もよろ しい 、 自分 自身が 自問 自答 して もいい 、 これは ど うい う こ となんだろう うもの 、 これは恐 ら く中国 の影響 を受 け て い るだろ う と思 われ る部分 が、全部 ではあ りま と、そ う間 う ことに よつて学 ぶ 、そ う書 いて あ る とい うのです。確 か にそ うい う字 であ り せ んが、あるわけです 。そ うす る と、当時の 中国 の都 といい ます と西 安 か、ある いは洛 陽 ます。学 ぶ と書 いて 、間 う と書 い てあるので す か い、問 う こ とに よつて学 ぶ 、 あ る い は 、 80 何 をだれに尋ねた らよいのか とい う、間 うこ とを学ぶ。 こ うい う場合 にはだれに尋ねたら よいのか とい う、学問はそ うい うことなのだ うですかJと 言 つて、また帰 って きてい ろい ろ考 えてみて、 また持 ってい くわけです。そ うい うや りとりを何回かやって、自分 の考 え と書 いてあったわけで、私 はそう思 うわけで、 この意見に同感 であ ります。すなわち、自問 方 とい うものをだんだんと教 えて もらってい 自答 でもいいのです。 私 の先生 とい うのは、私 の前任 の関西大学 のです。 といい ますのは、考古学で物 を考 えてい く の教授 で あ りまして、橿原考古学研究所 の所 ときに、我 々は発掘 をやってい ますね、出ま 長で、亡 くなったときに勲一等 をもらわれて、 す。出た ら、す ぐわかる ものがあるのです。 その前 に文化勲章 をもらわれた末永雅雄先生 であ ります。大先生であ ります。私 は、小学 あ、 これはこ うい うもの なのか、こんなもの 校 の時分からよく先生 を知 っているのですが、 実際に考古学の ことを教 えて もらったのは中 くわけです。 これは私 は大切 な ことだ と思 う が出て きた と、それはす ぐわか ります。例 え ば長 い鉄 の ものが出て きた。 これは、刀剣 と い う言葉があ りますけれ ども、刀か剣 なので 学 1年 生の ときか らであ ります。それか らず っと先生 のお膝元 で考古学 の勉強 をさせて も す。我 々は、刀 と剣 は違 う、そう考えてい る らったわけであ りますが、私 が いろいろと問 方 しか刃がついていない。剣 は両刃、諸刃で 題 を持 ってい るわけなので、先生に会 うわけ であ ります。先生、 こうこ うこ うい うことな あ ります。だか ら余計 な ことを言 わな くても いい。発掘 して刀が出て きます と、 これは刀 か剣か とい うのは別 に考 えな くてもその場で ので、 どうしたらよろ しいか と尋ね るわけで す。先生は決 して、怒 った り、 こ うしなさい と言 わないのです。必ず、私が績績説明する、 10分 の説明 もあれば、半時間 ぐらいかかって 説明する場合 もある。先生は黙 って聞いてい わけであ ります。刀は片刃であ ります。片 一 わかるのです。別 に家へ帰 つて きて一生懸命 に文献 を調べ てみなければわか らない とい う ものではない。見たらす ぐわかる、即刻わか る、そうい うもの もあ ります。あるい は、そ るのです。そ して最後に、「君 はどう思 う。君 はどうす るJと い う言葉が返 って くるのです。 の ときはわか らないけれ ども、後 で じっと考 そ こで私 は、「僕 はこうしようと思っているん もあれば、1週 間の ときもあれば、1年 の と ですけれ ども」 と言 わなければい けないので す。それを言 うためには、自分はで きるとい きもあれば、lo年 の ときもある し、非常 に長 い時間をかけて いろいろ調べ てみる、あ るい う自信 と、そ して、そぅなんだ とい うことを は 自分 の体験 の 中でいろいろなことを総合 し 信 じなけれ ば返事がで きないのです。「先生、 てみる。そ うした ら、ああ、そ うなのか、あ どうしたらよろしいか」 こうしなさい、ああ れがこうだったのか とい うことがわかって く しなさい、 これではだめだ と私 は思 う。私は そうい う訓練 をず っと受けて きたわけなので るのです。その ときはわか らない けれ ども、 わかつて くる ことがあるのです。 これは、や す。必ずそれは最初 に言 われる。そ して私 は 説明す るのです。「僕 はこうしたい と思 うけれ つぱ り先輩 の方 々 とい うのはいろんな経験 を されてい るか ら、それな りに経験的に体で覚 ども、 こ うす ることがいいと思 い ます けれ ど えてお られることが ある。我 々の若 い時分 と い うのは若げの至 りだ けであ って、そ うい う ことが よ くわか らないので、何年かた ってや もJと 言 った ら、先生が 「あ、それでいい よ。 そ うい うふ うにや った らいい よJと 言 われる 場合 もあるし、「君、それはもう一遍考えてみ たらどうかJと 、それだけのことですね。「そ えてみる、その考 えてみる時間が 3日 の とき ると、ああ、 こ うい うことだったのか とい う ことがわかるのです。そ うか と思い ます と、 25年 た っ て も全 然 わか らな い こ とが あ る わ け なのです ね。 絵 が向か い似1に あ ります。 そ う した ときに、 こっち側 もこ うな っている、 こつ ち側 もこ う た くさ ん例 は あ ります か ら、 一 つ だ け例 を な っている とい う ことは、 きっ とそ こ に何 か 挙 げ て お きます 。 今 、高 松 塚 の 話 を して い ま す け れ ど も、 全 然 わ か らな い とい う話 で あ り 意味が ある、そ の意味 は何 か と尋 ね られ ます と、答 え られ な い。絶 えず疑間 と して頭 の 中 ます 。 (高 松塚 の 壁 画 を ス ク リー ンに映 す )こ れ は 高 松塚 の 壁 画 で あ ります ね。 高 松塚 は ご には持 ってお ります けれ ども、人 か ら尋 ね ら れた ときに、 これはこ うだ とい う答 えが準備 存 じで な い けれ ど も、 これ を見 た ら 「 あ あ見 で きて い ない わけです ねcだ か ら、そ うい う た 、 見 た」 と思 わ れ る方 が お られ るか もわ か ことは見 た らす ぐに、違 う とい う ことはわか りませ ん ね。 25年 前 に私 た ち は これ を発 掘 し た の で す よ。 きれ い な絵 だ な とか 、 こ うい う るけれ ども、そ れが ど うい う意味 なのか、何 がそ の違 い なのか とい うことにつ きましては、 高 等 学 校 の 教 科 書 の 回絵 に カ ラ ー で 載 って い る 。 だ か ら、 そ れ はそ れ で い い の で す 。 別 に それ はわか らない。 悪 い こ とで は な い し、 間違 つて な い 。確 か に 出 て きた。 ところが 、 これ を解 釈 して い くと 後 で いろん な作業 をや ってみることによつて わか って くる もの 、 これは見 た ときか 為そ う きに い ろ ん な疑 間 が 出 て ま い ります 。 見 てす い う疑間 を持 っている、違 うな と思 つてい る。 ぐわか る もの と、全 然 わ か らな い もの とが あ ります 。 そ の 全 然 わ か いな い こ との一 つ 、 い しか し、 なぜ違 うのか と人か ら尋 ね られた ときに答 える ことがで きない。 い ろんな勝手 ろ い ろ あ ります け れ ど も、 これ を見 て くだ さ 「そ うやなあ、これはな、 な想像 はで きます よ。 い ね。 4人 の 女 の 人が 並 んで い る。 これ は 別 この 前 の 2人 と後 ろの人 は 身分 が違 うね ん。 に考 え な くて もす ぐわ か る わ け で す 。 ところ 僕 はそ う思 うJと 言 ってお け ば 、そ れで も通 り道 は抜 け られ る と思 うので す ね。 しか し、 が 、 この 4人 の 、前 に行 く 2人 は 非 常 に カ ラ そ うい うふ う に、時 間 をお きま してか ら、 に い る 2人 は 単色 の 、 す なわ ち色 が シ ン グ ル それ は正 確 な答 えか、間違 い な い答 えな のか と言われる と、 い ささかそれ は思 いつ き程度 で あ る裳 をつ け て い る 、 ス カー トをは い て い の話 に終 わって しまうと思 うので すね。そ れ る。 これ は高 松 塚 の 壁 画 の 中 の 西 但1の 壁 にか では学問 じゃない と私 は思 うのです。 フル な ス カー ト ー 裳 をつ け て い る。 向 こ う側 い て あ る絵 な の で す 。 ところが 、 これ と反対 例 の 有名 な稲荷 山 の鉄剣 とい うのは 、奈良 側 に これ と同 じ 4人 の 女 の 人 の 絵 が か い て あ る。 そ れ を見 ま して も、 や は り前 に行 く 2人 の7E興 寺 の 、生駒 の ところにあ ります文化財 研究所 で 、発掘 されてか らもう長 い年 月 のた は 非 常 に カ ラ フ ル な ス カー トを は い て い る 。 ってい る7」 を いわ ゆ る保存修理 す るため に、 向 こ う側 の 人 は 単 色 なの で す 。 これ は何 をあ らわ して い るの か 。 きれ い な カ ラ フル な ス カ 顕微鏡 で写真 を写 してみ る と、金象眼 で 、ず うっ と刀 に文字が あ ることが わかつた。 日本 ー ト ー 裳 をつ け て い る人 と、単 色 の 人 との 間 に何 の 違 い が あ るの か 。 す な わ ちそ れ は 身分 中、歴史学、古代 史、考 占学 、大騒 ぎにな っ たのです ね。有名 な稲荷 山鉄剣 の発見 で あ り 差 な の か 、 あ る い は 職 業 とい うん で す か 仕 事 ます。そ の解釈 をめ ぐりま して い ろんな説が の差 な の か 、何 か違 うはず なので す 。 出 ま した。 まだ今 で も議論 され てお ります。 「あ、 ところが、これ も出て きた ときにす ぐに、 で な け れ ば皆 同 じ色 の もの をか い て お くわ け で 、 そ れ は絵 か きが勝 手 に 自分 で 判 断 して か い た の で は な くて 、何 か原 則 が あ る。 この とわ 金象眼 の銘 がある。 これは大切やぞJ か ったので はな い 。ず つ と後 にな ってか ら、 絵 だ け だ った ら問題 な い で す よ。 これ と同 じ それを保存処理す るときに見つ かった。 あるい は 、 この す ぐ南佃1に 天理 市 とい う と ち、東 中坊 と呼 ばれる長 い建物が通 つている ころがあ りますが、天理市 の帯解 とい う とこ わ け であ ります。そ の東 中坊 は以 前 は一 番北 ろの東佃1に 東大寺 │IJと い う古墳 が あ ります。 の端が真 っす ぐに切 れてお った 、回 つてなか そ こで発掘 をや られ ま して刀が出て きた。そ った 。 ところが 、今度 こ と し掘 ってみ る と、 の刀 の背 の ところに象眼 の銘が掘 って あ った。 それが西の方 に、 いわ ゆる南北の中坊が 一一 発掘 した と きは全然 わか らなか っ た 。 まあ い わゆる坊 とい うのはお坊 さんの住 まいす る 我 々、聞 い て い る話 です か ら、確実 か ど うか ところであ りますが、それが東西 の 方向 に直 わか りませ ん けれ ども、そ の調査 で出て きた 角 に曲が つていることが わか った とい う話 を 遺物 の整理 に当 たった人が 、歯医者 さんが歯 聞 い たのです 。 そ してその 人 に、それで は 、 を削 る、 ぐっ と回す グライ ンダー ですか、あ 今 まで考 えてお った講堂 と、そ の裏側 に食堂 れで もって錆 を落 としてお った ときに、そ の (ジ キ 刀 の 背か ら「中平 Jと い う年号 の文字が見 つ こで 曲が って しまうと、その食堂 とい う建物 か った。そ してず うっ と文章が書 い てあるこ は ど うな るのか 。後 ろには杉 山古墳 とい う古 とがわかった。そ の 「 中平」 とい うのは 中国 墳 があ りま して、堀 がある。それは大安寺 よ ドウ)と い う建物があ ったのですが、そ の後漢 とい う時代 の年号 で あ りま して、西 暦 りも前か らある古墳 なのであ ります。そ の堀 で いい ます と184年 か ら189年 まで。 中平何年 かはわか らない。「 中平Jの 後 の 1字 が読 めな にぶ つ か って しまう。そ う した らその人が 言 い。その次 の「年Jは 読 めるのです。 たん とい うわ け です 。そ うす る と食堂 をどこ それか ら考 えてみ ま して も、紀元 184年 、す うのに、 こ うな って くる とここでは食堂が建 かへ 移 さなければ い けな い。そ う簡単 に移 す なわち 2世 紀 の後半 で あ りますが、その ころ な とい うわけ で す ね。 ここ に入 らな い か ら、 の銘があ る刀が出て きた。そ うす る と、そ の では こっ ちへ 持 ってい け と、そ うい うもので 年号 が出て きたか ら、 この古墳 はその年号 の はない と。結果 的 にそ うい う こ とになるか も ときにつ くられた のか とい う と、全然違 うわ わか らな い けれ ども、そ こは非常 に1真 重 にい け です ね。その刀が つ くられた年代 と古墳 に か なければ、今 まで我 々の頭 の 中で考 えて き 埋め られた年代 とは違 うわ けなので あ ります。 た こと、あ る い はた くさんの本 に載 っている 刀 に銘があるか らその ときにこの古墳 が つ く こ とと全 然違 う結論 になって くるのだか ら、 られた とい う早合点 を して しまい ます と、そ それは大 きな修 正 を要す る。 今、 こ としにな れは また大 きな過 ちを犯す ことになるわ け で って 、奈良市 の教育委員会がそ うい う結論 を あ ります。 出 した こ とによって大 き く修正 を要す るこ と あるい は、最近、奈良市 の教育委員会 の人 になるか ら、それは今後 そ うい う間違 い を犯 がほかの用 事 で私 の ところに来 ま して、 い ろ さない よ うに ひ とつ よ く検証 して、 これか も い ろ話 を して い る 中 で 、大安寺 とい うお寺が 調査 を続 け て 、そ の結果 として ど うい う こと あるわけです。奈 良 の有名 なお寺 であ ります が 言 えるのか とい う ことを考 えてほ しい とい が、 この大安寺 とい うお寺 の一 部 が最近発掘 う ことを言 って お い たわ けであ ります。時 間 されて い るわ けで あ ります。 ちゃん と、音大 がかか って も構 わな い か ら、正 確 な結論 を得 安寺 は、恐 ら く奈 良時代 にはこ うい うお寺 で たい とい うことで あ ります。 あ つた とい う図面がで きて い るわ けなので あ ります。 ところが 、 こ としその一部 を、北 側 また、 これは平成 9年 4月 9日 の ある新 聞 の コピー であ りますが、私 の ところへ こ うい の ところを掘 ってみ る と、今 まで考 えてお っ う コピー を届 け て もらった。 4月 9日 ですか た状 況 とは全 然違 う状況が出 て きた。す なわ ら、 きょうは20日 ですか らlo日 ほど前 で すね。 これは、私 の教 え子 で あ ります森 岡君 とい う ります大学があ ります。創立 HO年 で あ ります。 のが尼崎 の市役所 にお るのですが、彼 が新 聞 そ の最初 の ときに何 人か の 人 たちが 集 まって の 文化欄 にこ うい う記事 を書 い てお ります。 「弥生時代研究 の見直 しをJと い う、弥生時代 相談 して、 これか らの時代 に対応す るために は こ う しなければ い けな い 、大学 をつ くらな を もう一 遍見直 さなければ い けな い と。 い わ けれ ばい けない とい うことを今 か らHO年 前 に ゆる勉 強 して い る若 い研 究者が 、我 々が持 っ 考 えて、実行 したわけなのです。会社 の倉1業 て い る、今 までず っ と培 って きた弥生時代 と で も同 じことで あ ります。初代 の人 は一生 懸 い うもの をもう一遍見 直 さなければい けない、 2世 紀、少 な くとも200年 はさかのぼって考 え 命 にそれ を考 えたわけなのであ ります。そ し てそれ をず うっ と引 き継 い で きたわけ で あ り なければな らな い とい うこ とを主 張 して い る ます。 ところが 、そ の 会社 はだんだん、努力 わけなので、 これは新 聞の文化欄 で あ ります。 して大 き くな りま した。そ こには毎年新入社 これ を読 み ま した。 ただ彼 も忙 しくて、彼 の 員が入 つて まい ります。そ の新 入社員 は 、 こ 書 い て い るこの文章 に対 して私 は若干疑間 を 持 ってお ります ので 、近 々で も彼 に会 い ま し の 会社 がで きた ときの創始者が ど うい う こと て 、君 が主 張 して い るここの ところは ど うな を考 え、 ど うい う努力 を して、そ して頑張 っ て こ うい う会社 をつ くったんだ。今君 たちは のか とい う ことを確 かめてみた い と思 うので そ の 会社 に入って きたんだか ら、その考 え方 す。別 にあす、あ さ って や らな くて もいい と を継承 してや ってほ しい 。 もちろん時代 が違 思 うので 、 また会 つた機会 に、 で きるだけ早 うんだか らや り方 は違 う と思 うけ れ ども、そ い機会 に彼 に、 この新 聞 で書 きま した、弥生 の精神 だけは忘 れて くれた ら困る と。大学 の 中期 の 史料 が紀元前 に、す なわ ち BCの 段 階 場合 で も同 じことで あ ります。 これ を建学 の に集 中 して い る、 今 までは紀元後 も含 めて考 精神 と大学 は言 い ますね。学生 に、本学 はこ うい う考 え方で もってつ くられ た大学 なんだ えてお った けれ ども、そ うではな いの だ とい とい う ことを絶 えず言 わな けれ ば 、 4年 目 ご うことを言 つている。そ うす る と200年 上げな け れば い けな い とい う こ とになって くるわ け ですね。 これを、「それが どう した」 などとい とに変 わつて い きますか ら、入学 した人 は卒 業 して い きますか ら、そ うい う ことは繰 り返 う感覚 で見 られ ます と、 もう何 の価値 もな い し繰 り返 し言 わな けれ ばな らな い。そ れが な よ うにな るわけです。 しか し、我 々に とって お ざ りにな ります と、あ るか ら来 たんだ とい みれば、 日本 国家 の起源 にかかわつて くる間 う感覚 になって、 いわ ゆる どこかで大 きな ミ ス をす る とい う ことになって くる。そ うい う 題 で す か ら、 ほ うってお くわ け に い か な い 。 創業 の精神 とい うものが わか らな い、 これは 困 る と思 うので す。や つぱ り会社 には会社 の それはや っぱ り討議 して、彼が考 えて い るこ とと、私 が この文章 を読 んで疑間 に思 った こ ととの 間 のギ ャ ッ プを詰 め なけれ ば い け な 歴史があ り、大学 には大 学 の歴史があ る とす い。そ れは いわ ゆる 日本 の 国 の歴 史 なのだか る と、毎年入 って くる人 たちにはその建学 の ら、や らなければい けない と思 い ます。 精神 な り創業 の精神 な りとい うもの をちゃん 歴史 を大切 に しない とい うことは ど うい う こ となのか といい ます と、あ る一 つ の会社 が と教 えて い か な けれ ば な らな い 。 そ れ をなお ざ りに した ら決 して よ くな い と私 は思 うの で あ ります。私 は会社 の こ とは よ くわか りませ す。 そ れ は 5年 とか 10年 とか い う単 位 で 物 事 を ん け れ ども、そ れは明 治何年 に創業 されたの 考 えるべ きか ど うか とい う問題 が あ ります。 か知 りませ んが 、 100年 な ら100年 前 に創業 さ 今 我 々 は い ろ ん な ところ で 、 20世 紀 に 向 け れた とします。 関西大学 とい う私が勤 めてお 84 て とか 、21世 紀 になった らとい う話 をよ く聞 向けて」 と言 えば、 い か に も大 きな見通 しを きます。それ も必 要 で しょ う。21世 紀 に ど う 持 っている よ うに思 われ ますが 、私 たちの感 す るか 、21世 紀 に ど う対応す るか とい うこと 覚 か ら言 う と、21世 紀 も大切 だ けれ ども、そ は本 当 に必 要 なこ とだ と私 は思 い ます よ。 と の loo年 も大切 だ けれ ども、次 の千年 は ど うあ ころが私 たちは 、古 い 方 の歴 史 をや っている るべ きか とい う こ とをや っぱ り考 えて い かな わ けなので あ ります。そ う します と、 一つの けれ ばならない と思 い ます。 物事 を考 えて い く単位 が千 年期 で あ ります。 ち よう ど今 の この千年期 が 第 2・ 千年期 で 千年 を単位 に して物事 を考 えて い くわけです あ ります。 二 千年期 と言 うので す けれ ども、 ね。今 、京都 の 国立博物館 で「宮廷 の美 Jで それが始 ま りま したのは平安時代 の一 条天皇 すか、 とい う展覧会 をや ってお られ ます 。私 の 時 で あ ります。長保 3年 とい う時が1001年 はその 中 で ど う して も見 た い ものが 1点 あ っ たので 、時間が な いの で さっ と行 って 、 さっ であ ります。それか らず っ と平安時代 、鎌倉 時代 、室町時代 、江戸時代 、明治維新 か ら現 とそれだ け見 て帰 って きたのです 。 た くさん 在 まで来 て い るわ けで あ ります。 しか し、私 の 人が行 って お られ ま した。私が見たかった が見 たか ったの は、そ の もう一つ前 の千年期 のは奈 良時代 の ものであ ります。 ところが 、 にで きた もの なのです 。 そ してそれ を見 て 、 奈良時代 とい う時代 と現在私が見て い るの と 比 べ てみ ます と、奈 良時代 とい うのはす なわ す ば らしい な と思 った。す なわち、第 1・ 千 年期 にこれだ け の ものがで きたのか とい う こ ち700年 代 で あ ります。す なわち千年期であ り とに感心 したわ け です。それ を見 たか ったわ ます 。千年 を単位 として見 た 場、紀元 か ら千 けだか ら、行 って きたわけで す。そ うい うふ 年 の 中にお さまる。 この 中には聖徳太 子 も大 うに考 えてみ ます と、あ ま り目の前 だ け の こ 化 の改新 も奈良時代 も皆 お さまる。 平安 の都 ― 京都 の都 が つ くられた とい う こと もこの千 とを考 えるのではな くて 、 ど う した らよい の か とい う、 もっ と長 い歴史 とい うもの を見 な 年 の 中にお さまる。次 の千年 は何か とい う と、 ければいけない と思 い ます 。 鎌倉 とか室 町 とか江戸 時代 とい うのは その中 に、次 の千年 にお さまる。 次 の 千 年 と い う の は 、我 々 の と ころ も、 奈良に都があ りま した。700年 代 であ ります。 平城京がで きました。大 きな門があ りま した。 朱雀 門 とい う問があ りま した。 これは一 千年 1997年 で すか らい わゅる 2番 目の千年期 にな 期 の 中にお さまる話 なのです よ。それか らそ るわ け です。2001年 とい う年 は、単 に21世 紀 の次 の千年期 をお きま して 一千年期 をお い て が始 まる とい う ときだ けではないので す。第 いいのか ど うか ち ょっ とわか りませ んが 、そ 3・ 千年期が始 まる最初 の年 なのです 。だか ら、千年 とい う物事 を考 えて行動す るので あ の次 の千年期 の一 番最後 の段 階 に、そ の朱雀 れば、 この 第 3・ 千年期 、す なわち三 千年期 今、奈良 に来 られる ときにごらん になった 門を新 しく建 てているわ けです。 の一 番最初 の 年 が21世 紀 の 始 ま りであ る と、 らわか りますが、覆屋 がかぶ ってい ますか ら そ う考 えて い かな ければ い けない。 そ うす る まだ 中 は見 えませ ん けれ ども、すなわち、 こ とこれか ら先 、千年間は ど うあるべ きなのか。 の朱雀 門 とい う門は、第 3・ 千年期 、三千年 期 にず っ と継続 してい くわけなのであ ります。 恒久 の平和 を考 えるのだった ら、次 の千年 間 は ど うあるべ きなのか とい う ことを、単 に21 世紀 の 問題 だ けではな くて、 もっ と広 いス タ ンスで考 えて い かな ければ い けないの ではな い か。何 か今 はや り言葉 の よ うに「21世 紀 に この建物 を次 の千年 間 ど う維持 するか。 これ は法 隆寺 で も東大寺 で も皆 同 じこ とで あ りま すね。奈 良が世界文化財 に登 録 され る、 これ は未来永劫 に残 さなければ い けな い とい う考 えであ ります cそ の未 来永劫 とい うの は何年 か とい う と、21世 紀 だけの話 ではな い と私 は は遺跡 を掘 って 、そ 思 うのです 。 これは一 つの大 きな課題 だろ う れ によつて確 証 しよ と思 うのです。 う じゃな い か、証り」 耶馬台国 の話 にな ります。何 か案 内 の とこ ろに、耶馬台国 の話 があ るのではな い か とい しようじゃな い か と い う方向 に変 わつて う こ とが 書 いて あ ったので …… 。確 か に耶馬 い るの で す 。特 に、 台国 とい うのは、 日本 の 歴史 を考 えて い く上 いわ ゆる戦前 の皇国 の 、 一つ の事柄 であ ります c全 部 ではあ りま せ ん。 これは、 三 lll志 の魏書 の東夷伝 の倭 人 の条 とい う ところに出て くる文章 であ ります。 そ う長 い文章 で はあ りませ ん。 しか し、最初 の ところは、そ こに行 くまでの間に ど うい う 道筋 を行 った らいい か、水行何 日、陸行何 H とい う こ とが 吉 い てあ り、何 々の 国 に至 る、 それか ら行 け ば何 々の 国 に至 る と、そ うい う こ とばか り書 いて あるわけで す。そ して、最 後 の ところに耶馬台国 の 話 が ちらっ と出て く る。 これが 今 やか ま しく言 っている ところな ってお りま した。今 史観 の 歴 史 で は な くて 、 戦 後 の 実 証 主 義 の 歴 史 に な ります と、 そ の こ とが 非 常 にや か ま し ヽ にな って きた の で あ ります 。 亡 く、あ る い は 中′ そ こで 論 争 が 始 ま った の で す 。 九 州 の 吉 野 ケ 里 だ とい う意 見 が か な り強 く出 て い ます 。 た くさんの 人が 九州 の 古 野 ケ里 を見 に行 きます c そ して、「 あ あ、 これが 耶 lTJ台 国」 と考 えて い る 人 もい る。 そ れ に対 して 奈 良県 の 人 た ち の 中 で 一 全 部 で は あ りませ ん よ、 まちお こ し、 む らお こ しをや って い る わ け で は な い ん だ か のですね。 喝。 歴 史 的 に見 て 、考 占学 的 に見 て 、 や つぱ ここはす なわち、私 たちに もよ く言 われ る のですが、「先生 は耶馬台国 は どこや と思 い ま り畿 内 で は な い か と考 え て い る人 が い る。纏 向 だ 、 い や 、唐 古 ・鍵 だ、 あ る い は 、最 近 に す か。九州説 と畿 内説 が あ るんです け ども、 な ります と大 きな神 殿 が 出 て き ま した か ら、 どっち派ですか」 とよく尋 ね いれるのです。 こ うい う神 殿 が 出 て きた池 L・ 曽根 遺 跡 で は もっ とひ どい 人が あ ります cこ の 間、奈良 な い か とか 、 あ る い は また、最 近 は尼 崎 市の の あ る ところで講演 を した のですが 、帰 りが 武 庫 之 荘 とい う とこ ろで 大 きな建 物 の 跡 が 出 けに どう言われたか とい う と、「先生、耶馬台 国 は どこですか。我 々は奈 良県 を期待 して ま て き ま して 、 そ こで は な い か とい う意 見 。 意 すね ん。先生 も頑張 って奈良県 へ 引 っ張 って きて くだ さい」 そ うい う問題 ではな い と思 い ますね。「我 々は頑張 って ます よ。先 生、応援 します よ。 しつか り頑張 って 、耶「FJ台 国 は奈 良へ 誘致 して くだ さい」 そ うい う話 ではな い のですね。 ただ、物事が何 か出 ます と、耶馬台国 はこ こだ とか、 ここで はない か とい う ことが 大 き 見 とい う もの が もう皆 ば らば いなの で す 。 そ れ は そ れ で い い の です 。 意 見 とい うの は い ろ い ろあ つてい い と思 い ます 。 た だ、 決定 で きな い の は何 か 、 一 番 の 難 問 は何 か とい う と、 ど うい う ものが 出 て きた ら 耶 馬 台 国 なの か とい う、 そ こが 決 まって な い 。 大 きな集 落 が 出 て くれ ば そ こが 耶 馬 台 国 か 。 そ ん な もの は方 々 にあ ります よね 。 九州 にだ って 近 畿 地 方 だ っ て 、 この こ ろの大 きな集 落 く話題 になるわけ です 。 ところが依然 として 寺fに か 決 まらない 。 これはなぜ か。 もう,I戸 日 の 跡 とい うの は た くさ ん あ ります 。 で は 、 そ らや つて い る。江戸 時代 は大体文献 的研 究 、 文書 を読 んで研究す る とい う ことを盛 んにや な の か 。 そ ん な もの は 方 々 にあ ります よね 。 こで 大 きな建 物 が 出 て きた らそ こは耶 馬 台 国 今言 い ま した よ うに、吉野 ケ里 も大 きな建 物 は出て い ます し、 池 L・ 曽根遺跡 も出てい ま られ ます 。 しか し、 どれが ど うい うふ うに変 わつてい くのか とい うことがわか りませ んね。 す し、武庫之荘 も最近 出て い ます し、 ぃ ろん 仮説 を立 てる とい う ことは非常 に重 要 な こ と な ものが出ているので 、 これ も決め手 にな ら な い わけです。村 に堀が回 ってお って厳重 に で あ ります。 しか し、仮 説 とい うものは あ く 警備 して い る。それが出て くる とこれは耶馬 が なければい けな い。 そ こ力Ⅵヽ 説 と違 う とこ 台国 なのか 。皆、堀が回 ってい ます よね 、防 ろなのです。 だか ら、歴 史学者 、考古学者 は 御lし てい ます よ。 そ して、 前漢書 の 中に、ず 仮説 を立 てればいい と思 う。ただ、 どこまで っ と南 の 方 に、東南 の方向の海の 中に百余 国 の 国がある とい う こ とも出て まい ります。 口 それが 論証 す るこ とがで きるか とい う こ と、 前提が なか った らい けな い と思 い ますね 。そ 本 の ことであ ります。あるいは、 い わゅる魏 こが歴 史 の仮説 と小説 との違 い だ と私 は思 う 志倭 人伝 の 中に もそ うい うふ うな話が 出て く のです。 る。分かれて百余 国をなす と書 いてい ます。 まで も論証 で きる、証明がで きる とい う前提 台国 なのか とい また しば ら くたちます と、明 日香で話題が あ ります。す なわち、りJ日 香 の今 の話題 とい い ますのは、 一つ大 きな話題がある。酒船 石 うことが よ くわか らない。 だか ら、何 か 出て とい う石がある、 これは昔 か ら酒 をつ くった くる と耶馬台 L■ │じ ゃな いか とい うこ とに行 く とい う伝説があ る。それは江戸 時代 の本 に書 い て ある。皆 その 名前 にこだわった。考古学 こ うい うもの を考 えてみ ます と、 一 体 ど う い う条件 を備 えた ものが 珊 `馬 わけで、 しか し、それは正確 ではない。 今、出雲が非常 に注 目されて い ます。 我 々 の頭 の 中には、出雲 とい うのは 出雲大社 、出 者 の歴 史学者 も一般 の 人 も皆 それにこだわっ 雲神 話 とい うものが あ ったので す。 しか し、 12年 前 の 昭和59年 7月 に358本 の銅剣が一括 し で す cと ころが、 平成 4年 の調査 か ら、その 酒船石 の あ る丘 陵 ― 山 をず っ とめ ぐ りま し て出て きた。358本 とい う数字 は、それ までに て 、三重 四重 に大 きな石垣が ず うっ と回 って 日本 で 出てお った銅剣の総 数が約 300な のに、 今 まで 日本 で 出てお った総数 よ りも 1カ 所 か い ることが ここ 5年 ほどの 間にわか って きた。 ら出て きた力が 多いのです。 ックに なった石 は、 これは岩石 の研究者 の鑑 それ以 外 にまだ銅鐸 6個 、銅矛 16本 が出て きた。 これは一体 どうい うことなんだろ う と、 定 に よ ります と、天理 の 石 皆戸惑 った。出雲 とい う ところをどの よ うに す。 て 、酒 をつ くった石 だろ う と思 って お ったの しか も、その積 んで あ る石 の上の方 のブ ロ L(イ ソノカ ミ で 出る石 なのだ とい う結論 が出たわ けなので ) 考 えた らいい のだろ うか とい っこ とが ょ くゎ そ うす る と、 日本書 紀 の 中に、飛′ 鳥の宮殿 か らな くな った。 そ う した ら去年 、加茂岩 倉 の東 の 岡 に石垣 をつ くった、その石 は天 理か 遺跡で銅 鐸 が39111出 て きた。 ます ます 出雲 と い う ところが わか らな くな った。 い わゅる今 ら持 つて きたんだ 、石上 の 山か ら持 って きた と書 い てあ ります。私 たちは今 まで 、そんな まで考 えてお ったこ とでは理解 で きな くな っ ことは な い だろ う と。奈良県 に住 んでいる者 た 。 これ は大 きな出 来事 であ ります。 ただ 、 だった らわかる と思 い ますが 、「天埋か ら飛鳥 へ 石 を船で運 んだ と書 い てある。そんな もの、 今それを解 l1/1す る段 階までは至 ってい ない。 だか ら、教科書 にはその 出て きた写真 は載 つてい る けれ ども、 これが ど うい う意味 を持 纏向 を通 って 、 三輪 を通 って 、飛鳥 へ どない つ のか とい うことは書 い て い ませ ん。す なわ して船 で運 んで くるねん。そ うい う ことは な い だろ うJと 思 っておったんです。 ところが 、 ち、古代 史 が 大 き く変 わる とい う ことは考 え 実際問題 として そ の石 は石上 か らとれる石 な 問題 に我 々は遭遇 して い るわけで、 これか ら ど うい うふ うに広 げ て い つて 、 どうい うもの んだ と、そ う決 ま って まい ります と、何 とか 考 えなけれ ばな らない 。そ れで私 は今 、楢 川 とか 、あ るいは石上 の川ですね、あ の辺 の 川 が出て くるか とい う ことに大 きな期待 を持 っ てお ります。今 まで は全 然 あ い まい もこ とし か ら一 たん船 に積 み ま して、大和 川 の方 に流 して、 これ を寺川か初瀬川 の方 で 引 き上 げ て てお った ものが、私 が 飛鳥宮 の宮殿 の調査 を べ な い だろ う と。大和平野 の 川 は、東倶1は 東 始 め ま した ときが ち ようど昭和34年 であ りま す。そ れか い延 々 と皆続 い てや って くれて い か ら西 にず つ と流 れてい る、それ に南北 の溝 を掘 ったって水 が通 らな い、そ れは不合理 だ ます。私が十何年 間現場 をや りま した。そ の 後 をず っ と皆や つて くれ て い ます。そ して現 と思 う。何 とか してそ この ところを、それが 事実 だ とす る と、我 々の考 えで はな くて、岩 在 に至 るまで、そ の 間に問題 として積 み重 ね て きた問題 が、今 よ うや く解 け るのではな い 石 を研究 して いる人が 一飛鳥官 の東側 につ く った石垣 は斉明 天皇が石上 の 石 を持 って きた か と、 ここ数年 の 間 にその問題が軌道 に乗 っ て い くので はない か とい う期待 を持 って い る んだ と書 い てある、そ の 出 て きた石が、上 に 積 んであるブ ロ ックの石 は全部石 Lの 石 だ と わけなのであ ります。 いって 、そ して運 んで こ なけれ ば この石 は運 全然 そ うい う歴史 に関心 のない 人 か ら言 い ます と、「飛鳥時代 の宮殿 が決 まった、そ れが い うこ とになって まい ります と、そ う考 えて いか なけれ ばな らない 。そ の宮 の東 につ くつ たんだ と書 いて あ る 、そ の宮 は飛 鳥 岡本宮 、 ど うしたんやJ、 そんな こ とを 言われ ます と、 す べ ての ものがそ うなるわけです ね。そ うい 鳥岡本宮 なのです。 あ るいは後飛′ い 岡本宮 と うの は ご主 人 の 舒 明天皇 の宮 、 う吐 き捨 てる よ うな気持 ち とか 、そ うい う言 葉 とい うのは 、私 はあ ま りに も軽率 だ と思 う 後飛鳥岡本 宮 は奥 さんの斉明天皇 の宮 、同 じ ところであ つて もいいので す。そ の宮 の東 に のです。 日本 の 国 の歴 史 を勉 強 して いるのだ か ら、飛鳥時代 に どんな都が、 どこに ど うい つ くった と書 いて ある。 う都 が、 どんな構造物 がで きた のか 、律令体 制がそ の 中で どう展開 したのか とい うことを、 そ うす る と、去年、お ととし奈 良県教育委 員会 が発掘 して いる ところに、宮殿 の 跡 がそ や っぱ り知 らなければ い けな い。 日本 の 国 の 人間ですか らね。す なわち、そ の 会社 の人 間 の 西佃│で ず つ と出て い るわけです。そ してそ は 自分 の 会社 が どう してで きて、 ど うい う努 力 を して きて今 日に来 たのか とい う こ とをや こか ら年号 を書 いた木簡が出て きてお ります。 -677年 、持統 天皇 の 7年 一 693年 、天武天 皇 の 10年 -681年 、 こ うい う年 天武天皇 の 6年 っぱ り知 らなけれ ば い け な い と思 うのです 。 そ の こ とを私 は、や つぱ り皆が考 えて い かな 号を書 い た ものが出て きてい ます。 ところが、 日本書紀 に よ ります と、天武 天皇が壬 申の乱 け ればな らないのではない か と。そ れ は、今 まで考 えて きた こ とが よ り確証 され る部分 も に勝 って飛鳥 に帰 って まい ります。そ して岡 本官 に入 って 、す ぐに浄御 原宮 をつ くった 。 ある し、全 く今 まで違 つたことを考 えて きた、 今 まで の常識 とい うものはだめだった とい う 浄御 原宮 は 岡本宮 の 南 にあ る と書 いて あ る 。 そ うす る と、浄御原宮が どこだ とい った ら岡 結論 になるか もわか らない と思 い ます。 しか し、や っぱ り真実 を明か して い くことが 大 本宮 の南 だ 、岡本宮 は どこだ とい つた い浄御 原宮 の 北 だ と、 これは何 ぼや つて も決 まらな tJ」 な ことだ と、私 はそ うい うふ うに思 つて い る わけなので 、 したが って 、 日本 の 国 の歴 史 と いのです ね。 どこか一 つ 決 ま って まい ります と、あ の飛鳥 の地 に造営 され ま した 占代 の 旧 い うものは 、古代 史 とい うもの は大 きく変 わ った 、確 か に変わ つた ところはあ ります。 し 都 とい うものが 決 ま って くるのです。今そ の 88 か し、そんな大 きな ことが 変 わったのではな よと、私たちがそ うい う意見 を持 っておった くて 、月ヽさな細 か い ことで もぼちぼち、 ぼち ぼち と変 わつてい っている、新 しい情報が ど とい うことを君は頭 の 中に入れてお いて くれ とい うことで、次 の世代 に引 き継 い でい く、 ん どん入 って くる ことによって 、 どん どん変 それが また歴 史 だと思 うのです。私 も間 もな わっていっている とい う こ とは事実 で あ りま く定年 を迎 えるわけであ りますが、今の間に 若 い人たちにそ うい うことをしっか りと言 っ す。先 ほ ど言 い ま した よ うに教科書 も、 lo年 前 の高等学校 の 日本史の教 科書 と今 の教科書 とは違 うので すか ら、確 か に変 わってい る と 思 い ます。 この裏 づ けにある ものはそ うい う ておかなけれ ばいけない、そ うい うことを思 つているこのごろであ ります。 調査 の 成果 だ と思 うので す。それ に基 づ い て きょうはわざわざ奈良 に来 て ください まし てあ りが とうござい ました。厚 くお礼 を申 し 教科書が書かれ、文 部省 が これ に検定 の合格 上げます。 を出 して い るのだか ら、確 かに変 わ ってい る ことだ と思います。 しか し、 まだ まだわか らない 、 まだ 海 の も の とも山 の もの とも、 どっ ちへ 行 くかわか ら な い、そ うい う問題 だっていっぱい我 々は抱 えて い る とい う ことですね。 これは私 たちの 世代 で解決 で きる話 ではない と思 うので 、私 たちは次 の世代 に託 さなければい けない と思 い ます。 これか ら先 10年 20年 たった ときにま た新 しい発掘が出て きて、 どんな事実が出 て くるか もわか らな い。そ の ときに私 たちの世 代 の次 の世代 の 人が、あ、先輩 は こ うい うこ とを考 えて きたけれ ども、 これは 間違 ってお つた と言 われるか もわか らない し、 も うち ょ っ と先 を考 えれば よか ったの にな と、そ うい う評価が与 えられるか もわか りませ ん。 それは次 の世代 に任 さなければ しよ うが な い と思 い ます。 これか ら20年 、30年 、50年 た つて 、正確 な結論が出て くるまで私 に頑張れ と言 われ て も、それ は無理 な話 で あ ります。 だか ら、 これは い わゅる仕事 で も何 で もそ う で すけれ ども、 自分 一代 で全 部 で きるわ け で はない。 これは次 か ら次 と、次 の世代 の 人た ちに引 き継 いで もらわな けれ ばな らない 。託 さなければい けない 。 で きるだ けそ の ときに 多 くの 問題 を 自分 たちは導 き出 して、それ を 若 い 人た ちに伝 えておか なけれ ばい けな い 。 自分 たちはこ う考 えて きたんだ けれ ども、 こ うな んだ 、 これか ら先 は君 たち、進 めて くれ 89 ジア イ会長 の 力 説 して お られ る新 世 代 の 育 ガバ ナ ーア ドレス 並 び に地 区現状報告 成 にかか わ る イ ンター ア ク トで ご ざい ます が 、 ガバ ナ ー お け る イ ン ター ア ク トの い ろ い ろ な活 動 報 告 先 ほ ど平 岡 会 長代 IF■ も、 ロ ー タ リ ー研 究 会 に 中野 重宏 に つ きま して お触 れ い た だ きま したが 、現 在 そ れ で は まず 、 こ 13ク の 1年 間 の 皆 様 方 の ご ざい ます が 、 た だ 、本 年 6月 8日 、 京 都 洛 活 動 の 成 果 と も言 う 南 ロー タ リー クラブ の 提 唱 に よる桃 山 高校 に べ き当地 区 の 現 況 を 創 立 が 予定 され て お りま して 、 当年 度 内 に 14 クラブ に拡大 され る こ とと思 い ます 。 ご 報 告 中 し上 げ ま すc また、 ロー ター ア ク トクラブは、34ク ラブc 最 初 に クラ ブ拡 大 これ は 昨 年 と同数 で 、拡 大 は 現 在 ご ざ い ませ に つ い て で ご ざい ま んが 、 会員数 は680名 で ご ざい ます 。 す が 、 本 年 2月 5日 、八 日市 打ロー タ リー ク ラブが 設立 され ま して 、 クラ ブ数 は90と い う 次 に、 平 岡会 長代 理 が 特 にお話 しして い た だ い た こ とで ご ざい ます が 、 ロー タ リー 財 団 人台 にの る こ とに な りま したこ この 八 日市 南 につ きま して ご報 告 申 し上 げ ます。 ク ラブ の 拡 大 に つ き ま して は 、 区域 を は っ き 本 年 3月 31目 現 在 の 貢献 額 は 133万 6,339ド りと八 日市 市内 にお い て 2分 害Jさ れ 、 また会 ル 、1人 当 た り198ド ル とな ってお ります 。 昨 員 もそ れ に従 つて 移 籍 され た とい う ま こ とに オ ー ソ ドック ス な形 で 行 わ れ た拡 大 で ご ざ い 年 は、6月 末 で 約 162万 ドル 、1名 当 た り244 ドル とい う高 い 数字 で ご ざい ま した cこ れ は 、 ます 。 2番 目 に、 これ で地 IX内 会 員数 は 4月 先 ほ ど もお話 しご ざ い ま した よ う に、 ベ ネ フ 15日 ア ク ター613名 とい う全 世 界 に驚 異 的 な成 績 を 現 在 、 6,749名 とな りま したが 、 これ は 年初 よ りの 純 増 は53名 で ご ざ い ます 。 ラブ、 これ は 昨年 と 司数 、会 員数 220名 で Lげ られ た こ と、 これ が大 き く貢 献 して い る 1%に まだ達 と思 い ます が 、実 は 昨 年 に比 べ ま して25%の して い な い とい う こ とで 、極 め て 残 念 に思 う 円安 とい う事 実 も、 この 数 字 に 影響 を与 えて ところ で ご ざい ます が 、 これ は 皆 様 方 の 増 強 い る こ とは否 定 で きませ ん。 昨年 は 100円 以 下 の 努 力 が足 りな い とい う よ りは 、 問題 は退 会 の ドル換 算 で ご ざい ま したの で 、 この 点 につ き ま して は い か ん と も しが た い こ とで ご ざい 者 が そ れ を は るか に上 国 る形 で 増 加 して い る とい う ところ に問題 が ひそ んで い る よ うに思 ます cた だ し、本 年 の 著 しい 成 果 は 、実 は マ ルチ プ ル ポ ー ル ・ハ リ ス ・ フ ェ ロー が 一 挙 い ます 。 今 後 、 増 強 へ の 取 り組 み と 同 時 に 、 退 会 を防 lLす る こ とに も、t,様 方 1分 ご配慮 に867名 に達 して い る と い う こ とで ご ざ い ま を い た だ きた い と存 じます 。 なお 、 女性 会 員 す .こ れ は も う本 当 に、 私 も数 字 を 聞 い て び っ く りい た しま したが 、 ポ ー ル ・ハ リス ・ フ 数 は22名 、 昨年 よ り 5名 増 加 い た して お りま すc ェ ロ ー か らマ ル チ プ ル ヘ の 移 行 が どん どん行 3番 日 に 、 平 均 出 席 率 で ご ざ い ま す が 、 わ れ て い る とい う こ とを示 して お る よ う に思 9837%、 当地 区 の 出席 率 は常 に堅調 な 数字 を い ます . ´ 方 、米 山記 念 奨 学 金 は 、 3月 末 現 在 、1 キ ー プ い た して お ります けれ ど も、 た だ 、 こ れ も、 昨 年 度 1年 間 の 平 均 は985%で ご ざい 億 4,237万 2,028月 、 こ れ は 1名 当 た り 2万 ま した の で 、少 しダ ウ ン して い る とい う とこ 1,19611」 ろで ご ざ い ます 。 あ と 2カ 月 、何 とか これ を とい う ところで ご ざ い ま して 、大 変 順 調 に進 んで お る と思 い ます 。奨 学 生 は 、本 年 Llっ てお ります . 盛 り返 して い ただ きた い と′ 90 度 38名 に授 与 され てお ります。 岩村昇先生 、 これは ネパ ール の結核 を撲減す 計 60名 、 そ れ ぞ れ約30名 ず つ の 派遣 、受 入 れ るために、 タンセ ン とい う ところにある病院 に勤務 されなが ら、ネパー ル各地 を巡 回 して、 の予 定 とな ってお ります。 その 治療 に当 た られた、本 当 に超我 の奉仕 を 国際 青 少 年 交換 学 生 は 、 派 遣 、受 入 れ 、 合 ロー タ リー財 団 にか か わ る 国際親 善奨 学 生 、 これ は現 在 30名 派 遣 中 で ご ざ い ます が 、本 年 9月 よ りは33名 の 派遣 が 予定 され てお ります。 また 、 グル ー プ ・ ス タデ ィ ・エ クス チ ェ ン ジは 、 もう先 ほ ど も紹 介 が あ りま した よ うに、 第 9710地 区 か ら、 い わ ゆ る オ ー ス トラ リア ・ キ ャ ンベ ラ地 区 で ご ざい ます が 、 ロー タ リア ン団長 を含 め 5名 が 地 区 内 をそ れ ぞ れ 回 りま された方がお勤 め になって い た病院 に、我 々 は医療器具購入のための資 金 も寄贈 い た して、 帰 って きた次 第 でござい ます。 ここで特 に 申 し上 げ たい こ とは、実 は今 回 のWCSに 参加 して い ただ きま した宇治鳳凰 の高橋 会員様 、 これはお 医者 さんで ご ざい ま すが、昨年、我 々の ポ リオ撲 減運動 につい て、 我 々 ロー タリアンはこ うい う協力 を して い る、 こ うい う奉仕 をや っている とい う こ とを患者 して、 現 在 奈 良県 とい う最 終 コー ス に 入 って さんの待 合室 に掲示 してお られた よ うで ご ざ い ます。それ を見 た患者様 の 1人 が、 こ うい お ります 。 今 まで の 各 ホ ス トク ラ ブの 皆様 方 に大 変 お 世 話 にな りま した こ と、心 か ら御 礼 申 し上 げ ます 。 当地 区 よ りの 派遣 グル ー プは 、 全 く同 時 期 に な りま した の で ご ざ い ます が 、 奈 良 ク ラ ブ の 人 木 春 樹 氏 を 団 長 に、 男 3名 、 女 性 1名 の 5名 で 、 同 じオ ー ス トラ リア ・ キ ャ ンベ ラ地 区 を巡 回 中 で ご ざい ま して 、全 員 う ことな ら、我 々 に も協力 させ て くれ とい う こ とで 、 10万 円 の拠 金 を寄 せ られた 。私 は 、 ロー タ リア ン個 人個人の奉仕 が広 く地域社 会 にその影響 を及 ぼ した非 常 にモデル となる よ うなお話 で ご ざい ますので、あえて皆様 方 に ここでご紹介申 し上げます。 そ の他 数 々の地区活動 につ きま しては、 ま 元 気 で あ る との報告 を受 け てお ります。 当 地 区 の 顕 著 な 国 際奉 仕 と して の 世 界 社 会 だ まだお話 しせ ねばな らぬ ことはご ざい ます 奉 仕 は 、 ロー タ リー の 大 きな 目標 で ご ざ い ま が 、後半 い ろ い ろな行事 が まだた くさん山積 す 。全 世 界 か らポ リオ を根 絶 す る プ ロ グ ラ ム い た してお ります ので 、 この辺 で割愛 させて に協 力 い た しま して 、 皆様 方 か らい た だ きま い ただ きます。 した浄財 10万 ドル 、 これ も円交 換 レー トが 大 しか し、 い よい よ本年度 もあ と 2カ 月、皆 様 方 の行動力 と先見 の眼 で未来 を築 くため の 幅 に下 が りま した た め に 、 昨 年 よ りち ょっ と 厳 しい 数 字 とな りま したが 、幸 い に して ポ リ アクシ ョンをこれか らも果敢 に展 開 して い た オ募 金 とい う特 別 な募 金 に皆様 方 に大 変 ご協 だ きま して、その成 果 を次年度、山田 ノ ミニ ー に引 き継 ぎた い と思 ってお ります。何 とぞ 力 を い た だ きま して 、 wHO並 び に ネパ ー ル 13ロ ー タ リー ク ラブ 、500名 の ロー タ リア ン と 皆様 方、最後 の ご協力 をよろ しくお願 い 申 し と もに一 斉 投 与 に参 加 い た しま した 。 この 場 上げ ま して、私 の ご報告 とさせ て い ただ きま 外 、 別 会 場 にWCSの 諸 活 動 の 展 示 も行 って お ります の で 、 また皆 様 方 、 お 日 に とめ て い す。あ りが とうご ざい ました。 た だ い た こ と と存 じます 。 こ れ は 、財 津 パ ス トガバ ナ ー 、 羽根 パ ス トガバ ナ ー を初 め 約 30 名 が 、 自分 の 旅 費 を全 額 自己負 担 して い た だ きま して 、 医薬 品 や 衣 類 な どの 供 与 に 当 た り ま した。 実 は 、 ネパ ー ル には 国際 ロー タ リ ー 「超 我 の奉 仕 賞」 の 第 1回 受 賞者 で ご ざい ます 91 大会 委員会報告 大会登録 委員長 大会選挙人資格審査委員長 池内 常良 「 山上 文雄 大 会登録委 員会 よ りご報 告 申 し上 げ ま 大会選挙 人資格 審 査 委 員 会 よ り報 告 い す。 た します 。 本 大 会 に ご登 録 い た だ き ま した の は 、 当委員 会 の任 務 は、 本 会議 に必 要 な 会員 3,695名 とご家族 31名 、合 わせ て3,726 選 挙 人資 格 を審査 す る こ と に あ ります 。 名 で ご ざ い ます 。 そ の ほか に、 ご来 客 の 選 挙 人 は、 国際 ロー タ リー細 則 第 15条 第 招 待 者 14名 、 海外 及 び地 区外 よ りの 出席 者 2 名 と、 国際青少 年 交換 79名 、米 日1奨 学 生 18名 、 ロー タ リー財 団奨学 生 ・財 団学 友 38名 、GSE 5節 に基 づ き、 各 ク ラ ブ会 員 数 の比 例 代 表 と して選 ばれ た方 々で あ り、 そ の総 数 は265名 で あ ります 。 また 、 そ の 母 体 とな る地 域 内 の ク 5名 、 ロー ター ア ク ト64名 、 イ ンタ ー ア ク ト ラブ数 は 、 1997年 3月 31日 現 在 90ク ラブで あ り、 会員 数 は6,743名 で あ ります 。私 ど も委 員 59名 、総 合 計 4,005名 の 方 が ご来 会 い た だ い て 会 は 、本 大 会 にお い て 、 これ ら90ク ラブ よ り 選 出 され ま したす べ て の 信 任 状 を直 ち に慎 重 に審 査 い た しま した。 そ の 結 果 、 い ず れ も適 お ります 。 なお 、 地 区 内 ク ラ ブ を府 県 別 に 申 します と、 福 井 県 の 方 476名 、滋賀 県 753名 、京都 府 1,518 名 、奈 良県979名 で ご ざい ます 。 本 年 度 も、 バ ブ ル の 後 遺 症 と超 円安 の 中 で 、 正 で あ り、 か つ 的確 で あ る こ とを確 認 い た し ま した。 どの企 業 も血 の した た る よ うな努 力 と我 慢 と 苦 労 を重 ね て い る最 中 で ご ざ い ます 。 そ れ で 当委 員会 は 、福 井 南 ロー タ リー ク ラ ブ ・岩 崎 健 太 郎 委 員 と、桜 井 ロー タ リー クラ ブ ・澤 す の に、 温 か い ロー タ リア ンの 友 情 で 多数 の ご登 録 をい た だ きま して本 当 にあ りが と う ご 画博 委 員 、 そ して 私 、 京 都 ロ ー タ リ ー ク ラ ブ ・池 内常郎 で あ ります。 ざい ま した。 以 L、 大 会 選 挙 人資 格 審 査 委 員 会 よ り報 告 お か げ さ まで 、 きの う、 き よう とこの上 な い 見事 な天候 に恵 まれ ま した。故 足 高 ガ バ ナ ー を終 わ ります 。 あ りが と う ご ざい ま した。 が 天 Lか ら見 守 っ て い て くだ さるお か げ だ と 感 謝 してお ります 。 お昼御 飯 、 この 会場 の 前 、 大会選挙 管理 委員長 三 岡 嘉和 選挙管理委 員会か 池 の ほ と りの 柳 の 下 で 、 う ら らか な太 陽 を浴 び なが らお弁 当 を広 げ てお られ る和 や か な姿 、 この絵 に な る光 景 を故 足 高 ガバ ナ ー が 天 上 で ら、 1998∼ 1999年 度 国 際 ロ ー タ リー 第 眺 め られ て 、 さぞ か しご満 足 され て い る こ と と思 い ます 。 温 か い 友情 の 登 録 を くだ さ っ た 会員 諸 君 と、 よい お天 気 に して くだ さ った 故 2650地 区 ガバ ナ ー ノ ミニ ー 選 出 の 経 過 に つ い て ご報 告 申 し上 足 高 ガバ ナ ー に感 謝 しなが ら、 登 録 委 員 会 の 報告 を終 わ ります。 本 年 度 登 録 委 員 は 、大和 高 円 ロー タ リー クラ げ ます 。 国 際 ロー タ リー 細 ブ ・松 井 憲 三 と、私 、 奈 良西 ロー タ リー ク ラ ブ ・ 山上 文雄 で ご ざい ます 。 あ りが と う ご ざ 則 第 13条 20節 1項 に基 づ き、地 区 ガバ ナ ー 指 名 委 員 会 を、足 高 ガバ ナ ー を委 員 長 に、西 村 い ま した。 パ ス トガ バ ナ ー 、林 パ ス トガバ ナ ー 、本 田 パ う‘ ス トガバ ナ ー 、 二 橋 パ ス トガバ ナ ー 、坂 部 直 前 ガバ ナ ー の 6名 に よ り、 9月 21日 、新 都 ホ テ ル にお い て 開催 され ま した 。慎 重 審 議 の 結 大会決 議案上程 大会決議 委員長 果 、 1998∼ 1999年 度 ガ バ ナ ー ノ ミニ ー候 補 者 大会決議委員会の と して 、福 井 ロー タ リー ク ラブの 宮 崎 茂 和 君 委員長 を仰 せつか り を全 員 一 致 で 推 薦 す る こ とに決 定 い た しま し ま した、大津 ロー タ た。 リー の岩崎 と申 しま 足 高 ガバ ナ ー は 、各 ク ラ ブ にお い て そ の他 岩崎 栄 三 す。 よろ しくお願 い の 候 補 者 が あ る 場 合 は 、 そ の 申 し出 期 限 を 1996年 lo月 29日 まで とす る 旨、文 書 を もって いた します。 委員 は、京都伏見 同年 10月 8日 付 で告 示 され ま した。 の森 さん、丸 岡 の橋 この こ とは 、 1996年 10月 の 月信 第 4号 に告 向 さん 、大 和 郡 山 の 吉 田 さん 、 園部 の 西 田 さ 示 され てお ります 。 しか し、 期 限 まで に い ず ん 、私 と、 5名 で ご ざい ます 。 れ の ク ラブか ら も別 の 候 補 者 の 推 薦 申 し出が 私 た ち 5名 の 委 員 が 、 4回 の 委 員 会 を開 催 あ りませ ん で したの で 、 国際 ロー タ リー細 則 い た しま して 、 中野 ガバ ナ ー 、廣 橋 地 区幹 事 第 13条 20節 9項 に よ りま して、 足 高 ガバ ナ ー 長 、 中井 副 幹 事 長 の ご指 導 をち ょ うだ い い た は宮 崎 茂 和 君 を1998∼ 1999年 度 国際 ロー タ リ ー 第 2650地 区 ガバ ナ ー ノ ミニ ー確 定 者 とす る しま して 、慎 重 審議 、作 成 をい た しま した。 この 決 議 案 は 、 昨 日の 会 長 会 議 にお い て 、 こ とを 、 1996年 10月 30日 付 にお い て 各 ク ラブ 本 大 会 に上 程 す る こ との 了承 を得 てお ります 。 あ て に宣 言 され ま した。 そ して さ らに、 H月 の 月信 5号 に も この こ と を記 載 され ま した 。 当選 挙 管 理 委 員 会 は 、 これ らの 経 過 の 事 実 を ここで 決議 案 を上 程 した い と思 い ます 。 決 議 案 は 、 1号 か ら 15号 まで ご ざ い ます 。 逐 条朗 読 を してお ります と時 間 が か か ります 確 認 し、 こ こ に、 選 挙 を行 う こ とな く、宮 崎 の で 、 は し ょって ご説 明 を 申 し上 げ た い と思 茂 和 君 が 1998∼ 1999年 度 国 際 ロ ー タ リ ー 第 い ます 。 皆 様 は この 青 い 決議 案 (示 す )を ご 2650地 区 ガバ ナ ー ノ ミニ ー で あ る こ とを決 定 らん い た だ きま して 、 ひ とつ ご審議 を賜 りた い と思 い ます 。 そ れ で は 、 決議 案 を 申 し上 げ い た しま した こ とを ご報告 申 し上 げ ます 。 当選挙 管 理 委 員 会 は 、 京 都 北 ロー タ リー ク ます。 ラブ ・西 村 義 一 会 員 、大 津 西 ロー タ リー ク ラ ブ 。中 島 二 郎 会 員 、 そ して 私 、 奈 良 ロー タ リ ー ク ラブの三 岡 の 3名 で ご ざい ます 。 (決 議第 1号 ) 「 1996∼ '97年 度国際 ロー タ リー テ ーマ実践 に 以 上 、 ご報 告 申 し上 げ ます 。 あ りが と う ご 関する件」 ざい ま した。 国際 ロー タリー会長 ジアイ氏 は、本年度 国 際 ロー タリーテーマ と して、「築 け未来 を行動 力 と 先見 の眼 でJを 提 唱 され ま した。その 実践 に努力 して きた ことを確認す るとともに、 さらに創意 と工 夫 を加 えて奉仕活動 に献 身す ることをここに決議 します。 (決 議第 2号 ) 「国際 ロー タリー会長に対する感謝 の件」 93 地 区大 会 を奈良市 、京都精華 町 にお いて 開 (決 議第 6号 ) 催す るにあた り、 メ ッセ ー ジをい ただ き、会 長代理 として、国際 ロー タリー第2640地 区平 「 1998年 1月 国際 ロータリー規定審議会 に地 岡正已 パス トガバ ナ ー ご夫妻 を派遣 い ただ き ま した こ とに対 して、感謝 の 意 を表す ること イ ン ド、 デ リー にお い て 開催 され る 国際 ロ ー タ リー 規 定 審 議 会 に地 区 ク ラブ代 表 議 員 と を決議 します。 して坂 部 パ ス トガ バ ナ ー 、補 欠代 表 議 員 と し (決 議第 3号 て 中野 重 宏 ガバ ナ ー を派 遣 す る こ とを決 議 し ) 「国際 ロー タリー会長代理 に対す る感謝の件」 平 岡正已 パス トガバ ナ ー には、国際 ロー タ リー会長代理 として、地区大会 に令夫 人 ご同 伴 の上 ご臨席賜 り、 ア ドレス並 びに現況報告、 ヽ か ら敬意 と し 温か い ご指導 とご支援 を賜 り、′ 4号 ます c 7号 (決 議 第 ) 「 1998年 1月 イ ン ド、デ リー において開催 さ れ る国際 ロー タ リー規定審議 会 に制定案及び 決議案 を提出する件」 制定案 感謝 の意 を表す ることを決議 します。 (決 議第 区内クラブ代表議員を派遣する件」 1、 制定案 2、 制定案 3、 決議案 1つ を提出す ることを決議 します。 ) 「 国際 ロータ リー第 2650地 区直前 ガバ ナ ー坂 部慶夫氏 に対する感謝 の件」 直前 ガバ ナ ー坂部慶夫氏 は、「真心 の行動 ・ 慈愛 の奉仕 ・平和 に挺 身」 を身 をもって率先、 垂範 され、 また 自 ら「ロー タリーの 原点 に立 (決 議第 8号 ) 「 2004年 「関西」国際大会開催 に協力する件」 1996年 H tt R I理 事会 に於 い て2004年 国際大会 は「 関西Jで 開催 す る こ とが 決定 さ れ ま した。第2640・ 第2650・ 第2660・ 第2680 の 四地 区 は合 同 してホ ス トす ることに意見 一 つ」「私達 は燈 台 です。愛 の光 りを !」 を提唱 され ま して、 ロー タリー精神 の高揚 と発展 に 致 をみ ました。 大 い に貢献 され ま した。 なか んず く、 ポ リ オ ・ プラス 、モ ンゴルでのポ リオワ クチ ンの 備 に当たる ことを決議す る。 一 斉投与 、西太平洋 WHOの 今後 の 活動資 金 の 側面援助 、 また フ イリ ピンでの給水事 業 、 ベ ネファクター事業 に も大 い に力 を注がれ ま した。 その ご功績 に対 し、深甚 な敬意 と謝意 を表 す ることを ここに決議 します。 (決 議第 5号 晋 ガバ ナ ーに対す る感謝の件」 足高 我 々は全員総力 を挙 げ て この成功 に向け準 (決 議第 9号 ) 「 日本海沿岸 における重油漂着被害地 に対 する 義援金供 出 に関す る件 」 心 よ りお見舞 申 し上 げ る もので あ ります 。 重 ?由 漂着被害地 の方 々に義援金 の供 出 をはか りお贈 りす ることを決議 します。 (決 議第10号 ) ) 「 国際 ロー タ リー第 2650地 区故足高 RI 晋 ガバ ナ ー は、 ジアイ氏 の提唱 され た「築け未来 を 行動力 と 先見 の眼 で」 を、 その意義 と実践 に努力 され ま したが、病魔 に 冒 され志 なかば で 、私達 の祈 りも空 しく逝去 され ま した。足 高 晋 ガバ ナ ーの功績 に対 し 「ガバ ナ ーノ ミニー確立宣言歓 迎 の件」 福井 クラブ会員宮崎茂和氏 の 1998∼ 99年 度 国際 ロー タリー第2650地 区 ガバ ナ ー ノ ミニー 確 立宣言 を歓迎す ることを、 ここに決議 しま す。 (決 議第 11号 ) :98年 深甚 な敬意 と謝意 を表す る こ とをここに決議 度研究グループ交換実施の件」 第 1390地 区 (フ イ ンラ ン ド)と 交換 を実施 す る こ とを承認 し、地区内全 クラブが これに します。 協力す る ことを決議 します。 「 1997∼ 大会 決議 案 。 採決 (決 議第12号 ) 「交通事故 防止運動 に協力する件 」 被害者 、加害者 ともに苛酷 な運 命 を もた ら してお ります。 ガバ ナ ー 中野 重 宏 ただい ま決議委員長よりご提案が ござい ま ロー タリア ンは個 人 として 、又企業、 職場 したが 、私 、 ち ょっ と補足 させ て い ただ きま の他 のす べ ての 人 々 に交通安全意 識 を昂揚 さ せ 、事故撲減 に強力 に取 り組 む ことを決議 し す のは、毎年 慣例 になってお ります 決議以外 ます。 (決 議第13号 ) に 、 この 第 6号 と第 7号 に 関 しま して は 、 1998年 1月 に行 われ ます規定審議 会 に関す る 条項で ご ざい ます。 「第 2650地 区地 区大会開催地 、奈 良市 。京都 精華町に対する感謝の件」 奈良市 ・精華町及 び奈良市民 ・精華 田民 の 皆 さまには、 ロー タリーの精神 をご理解 い た ]‐ それか ら、 決議 第 8号 に関 しま しては、 も う皆様 方 もあ る程度 ご存 じだ と思 い ますが 、 この「関西J大 会 、国際 ロー タ リー の元理事 で ご ざい ます 千宗室様 が準備委員長 に当 たっ だ き、 多大 なる協 力 と支援 を賜 りま した こと 、 に対 し、′ か ら感謝 の意 を表す るこ とを決議 と 両面 にわた りま して ご協 力 をお 願 い す る と、 します。 昨 日のお話 でござい ました。 (決 議第14号 ) てお られ ますので 、特 に当地区 として も物 ′ 、 し それか ら、第 H号 の研 究 グル ー プ交 換実施 「 ホス トクラブ及び コ・ ホス トクラブに対 する を決議 に うた う こ とを、私が特 に決議委員長 感謝の件 」 に要請 い た しま した。 今 まで 、 これが あ った ホ ス トク ラ ブ 奈 良西 ロー タ リ ー ク ラ ブ 、 コ・ホス トクラブ平城 ロー タリー クラブの 会 り、なか った り、非常 に不統 一で ご ざい ま し たので 、私、 これは挙 げ ていただ くようにお 員及 びその家 族 の皆様 に、 ここ に心 か ら感謝 願 いいた しました。 の意 を表 する ことを決議 します。 それか ら、決議第 12号 「交通事故 防止運動 に協力する件J、 当然 のことで はござぃ ますが 、 (決 議第15号 ) 「次年度地区大会開催の件」 1997∼ 198年 各 クラブの社会奉仕 の 1つ の プ ロ グラム と し 度国際 ロー タリー第2650地 区地 てぜ ひこの こ とにつ きま しては改めて真剣 に 区大会 は、園部 ロー タリー クラブをホス トと し、亀 岡中央 ロー タリー クラブをコ ・ホス ト お取 り組み い ただ きます よ うにお願 いい た し として 1998年 4月 25日 (土 )、 26日 (日 )亀 岡 市 において、開催す るこ とをここ に決議 しま 以上 、特別 な条項 につ きま してはち ょっ と す。 以上 で ご ざい ます。 よろ しくご審査 のほ ど をお願 いい た します 。あ りが と う ご ざい ま し た。 たい と思 い ます。 補足 させ ていただ きま したが 、 この案 につ き ま して皆様 方 の ご賛 同 を得 られ ます れば 、拍 手 をもって… …。 (拍 手起 こる ) あ りが と うご ざい ます 。 ほ とん どの方か ら 拍手 をいただぃた と思 い ますので、決議案 を、 これ をもちま して認定 させ ていただ きた ぃ と 思 い ます。 どうもあ りが とうご ざい ま した。 した。 1998-199年 度 次期ガバナーノ ミニー紹介 ガバ ナ ー 中野 重宏 先 ほ どの大会選挙管理委員 長 よ りの ご報告 も ご ざ い ま した 、福 井 ロー タ リー ク ラブ会 199年 度 ガバ ナ ー とし 員 ・宮崎茂和 氏 を1998∼ RI第 2650地 区 は、皆様 もご承 知 の とお り、 歴 史 と伝 統 と実 績 に培 わ れ た 、世 界 で も有 数 の地 区 で ご ざい ます 。 これ は 、歴代 ガ バ ナ ー の ご指 導 は もち ろ んで あ ります が 、 各 ロー タ リー ク ラ ブ歴 代 会 長 さん を中心 と した ロー タ リー 活 動 と、 そ して そ の 積 み重 ね の た ま もの て指名す るこ とに決定 いた しま した。 ご経歴 につ きま しては、皆様方 の プ ロ グラム に記載 と言 うべ きで あ りま し よ う。 この よ う なす ば ら しい 地 区 の ガバ ナ ー ノ ミニ ー と して ご指 名 いた してお ります ので 、 ど うか ご らん いただ が あ り、確 立 され た わ け で ご ざ い ます 。 も と きます ように……。 よ り、私 な どは ガバ ナ ー ノ ミニ ー と して はふ さわ し くあ りませ ん。 も っ と も っ とふ さわ し い ロー タ リア ンが 数 多 くお いれ る こ と と思 い 次期ガバナーノ ミニー挨拶 次期 ガバ ナ ーノ ミニ ー ます 。 しか し、 き よう この よ う に確 立 され た か ら に は 、 ロ ー タ リ ー の 原 点 に立 ち返 つ て 、 全 身 の 力 を振 り絞 って この 大 役 を呆 た して い 宮崎 茂和 私 は、 この た び ガ バ ナ ー ノ ミニ ー の 指 く所 存 で ご ざい ます 。先 日来 、 既 に い ろ い ろ な会 議 、 委 員 会 な ど に 出席 させ て い た だ き、 名 を受 け、本 国確 立 され ま した宮 崎 で ご 改 めて勉 強 し、体 験 し、考 察 させ て い ただ き、 心 の 準 備 と と もに、行 動 へ の準 備 も これ か ら ざい ます 。 させ て い ただ く所存 で ご ざい ます。 た だ い まは、 中野 パ ス トガ バ ナ ー を初 め 先 輩 各 位 の しる され ガ バ ナ ー か ら身 に余 た足 跡 を正 し くた どつて い く と同時 に、 よ り る ご紹 介 を賜 りま し 新 しい 、 よ り時代 に マ ッチ ング した もの に も 先 見 の 眼 を持 ち なが らチ ャ レ ンジ して い きた た。 どうぞ よろ しくお願 い 申 し上げます。 本 日は、 この奈 良 の新 しい都市 づ くりが な い と思 い ます 。 当地 区 で は 、西暦 2004年 には、 されて い る京阪奈 の地 にお きま して、 また奈 良 の地 にお きま して、格式 の高 い RI第 2650 他 の 3地 区 と合 同 で RIの 国際大 会 が 開催 さ 地 区 の地 区大会 が全 く盛況裏 の うち に幕 を閉 じよう としてお ります。足高 ガバ ナ ー亡 き後、 ハ ーサ ルが 行 われ る こ とにな りま した。 れ 、私 の ガ バ ナ ー の 就 任 期 間 にそ の た め の リ 平 岡正 已 RI会 長 代 理 、千 RI元 理 事 、小 谷 RI理 事 ノ ミニ ー 、 坂 部 パ ス トガ バ ナ ー 、 非常 な苦難 を乗 り越 えて ここまで こ ぎつ け ら れ ま した中野 ガバ ナ ー に心 か らお祝 い を申 し そ の ほか他 地 区 の 関係 され て い る方 々が 中心 上 げ る と同時 に、中野 ガバ ナ ー を しっか リサ ポ ー トされて きた大和高 田 ロー タリー クラブ、 に な っ て 推 進 準 備 委 員 会 が 動 い て お ります 。 とて つ もな い 大 きな プ ロ ジ エ ク トと して 、 そ さらに本大会 のホス トをされ ま した奈 良西 ロ ー タリー クラブ、 コ ・ホス トの平城 ロー タリ の プ ロセ ス を見据 え なが ら行 動 に移 して い か な くて はな らな い と思 つてお ります。 ー クラブを初 め、関係 され て きた各位 の ご苦 労、 ご努力 に深甚 なる敬意 の念 を禁 じ得 な い 幸 い 私 に は 、 当地 区 の 力 強 い 皆様 、 そ して 適 切 な ご指 導 をい た だ け る先 輩 パ ス トガ バ ナ ものであ ります。 ど うもおめ で と うご ざい ま 96 ―が た くさん い らっ しゃい ます 。 さらに、私 は外科医であ りますが 、約40年 間、医師 と患 者 さん との 間 で最 も職 業奉仕がで きる太 い き ず ながあ りなが ら、 これ を うん と うん と細 い 関係 にまで して も、 この大役 を引 き受 けなけ ればならないよ うに した仲間がお ります。 次期地区大会ホストクラブ会長挨拶 園部ロータリークラブ会長 湯浅 孝 1997∼ り8年 度 の 国 際 ロー タ リー 第 2650 地 区 、次 年 度 の 地 区 医者 は 、患者 さんを診 て 、痛みや苦 しみ を 大 会 の ホ ス トク ラブ 少 しで も和 らげるのに奉仕す るのが一 番 陛の を仰 せ つ か りま した 中のため になる とい う私 の根本理念 に,由 を差 園部 ロー タ リー ク ラ して 、私 と一 緒 に さらに広 く大 きく奉仕 して い こ う としてい る福 井 ロー タリー クラブの諸 ブの 会 長 ・湯 浅 孝 で ご ざい ます 。 今 まで 君 たちで ご ざい ます。私 たちが 今 まで行 って ご発 言の皆様 の よ うな上手 なことは とて も申 きた 自己 の研 さん と奉仕 、 ロー タリーの善意 し上 げ られ ませ んが 、 ど うか よろ しくお 願 い と寛容、そ してこの追求 と実践 を行 い なが ら、 申 し上 げ ます 。 ロー タリー ライ フをよ り豊 か な もの に して 、 次年度地区大会 につ きま しては、山田三 郎 ロー タリーに入 って よか った な とい う実感 を ガバ ナ ー ノ ミニ ー の もとに、明年 4月 24日 、 25日 、26日 の 3日 間に わた りま して 、京都府 味 わえる ものに したい と考 えます。 何 とぞ 、皆様 の今後 の ご支援 、 ご協力 とご 下亀 岡市 にお きま して 開催 をす るこ とといた ガバ ナ ー ノ ミニー就任 の ごあ い さつ とさせ て してお ります。 多数 の 会員 の皆様 の ご参加 を い ただ きま して 、盛大 に開催 をい た した ぃ と いただ きます。 どうか よろ しくお願 ぃ します。 存 じておる次第で ご ざい ます。 指 導 を賜 ります よ う心 か らお 願 い しなが ら、 亀 岡市 は、京都市か ら、本能寺 の変 で有名 どうもあ りが とうご ざい ま した。 なあの老 ノ坂峠 を 1つ 越 えた ところの EJ丹 波 次期地区大会ホス トクラブ紹介 ガバ ナ ー 中野 重宏 、 盆地の中′ にござい ま して、近年急速 に発 展 し をい た しま して 、人口はlo万 余 の都市 になっ ておるので ご ざい ます。 古来 この地区は非常 に豊 穣 な土地で 、赤米の豊 か に実 る豊穣 の里 先 ほ ど、 もう決議 で発表 にな りま した よ う 198年 度国際 ロー タリー第2650地 区 大会は、園部 ロー タリー クラブをホス トと し、 とい うこ とで 、丹 国 (に の くに)と 称 された よ うで ご ざい ま して 、山陰街道 か ら京都 の都 亀 岡中央 ロー タリー クラブを コ・ホス トとし へ 上 ります ち ょう どの ど元 に位 置 をい た して て 開催 されるこ とにな りま した。 ここ にご報 お る要所 で ご ざい ま して、地元 では名君 で ご 告申 し上 げます。 ざい ます 明智光秀公が亀 山城 を築城 い た しま に、 1997∼ したその城下町 とい う こ とで古来か ら栄 えて きた まちで ご ざぃ ます 。 また、 角倉了以が 開 削 をい た しま した保津 川 の 川 を下 ります と、 ち よう ど天下の景勝嵐 山 に至 る、そ の 峡谷 の 入 り口で ご ざい ま して 、現在 は舟 による保津 川下 り、 ス リル 満点 の 川 下 りが で きま して 、 非常 に有名で ご ざい ます。 また 、 この保津川 97 峡 谷 に沿 い ま して観 光 の トロ ツコ列 車 が 運 行 を され て お る よ うな こ とで ご ざ い ます cあ の 心 学 の 大家 ・石 圧1梅 厳 、 また近 くは大 本 教 の 教 細 ・ 出 口王 仁 三 良 こ う した方 の 出 生 の 地 '、 で も ご ざ い ます 。 さ らに また 、 市内 に西 l■l三 十三所 の 札 所 、 第 二十 一 番 の 穴 太寺 も ご ざ い ます 。 そ して 、 京都 に ご く近 い 、京 都 市 の 奥 るわ け で ご ざい ます 。 ま して、 どうか 1人 で も多 く皆様方 が ご参加 を して いただ きます ように重ね て重ねてお願 い を 中 し上 げ ま して、 ま こ とに簡単 で 、意 を へ 尽 くしませ んけれ ども、次年度地区大会 の ご参加 のキ ャ ンペー ンの言葉 とさせ て いただ く次 第 で ご ざい ます。 どうぞ ひ とつ よろ しく 蹄Ⅷ 座 敷 と言 わ れ る天 然 の 温 泉 、湯 ノ花 温 泉 もあ な有終 の 美 を飾 る大 会 に して いただ きた い 、 か よ うに存 じてお ります ような ことで ご ざい お願 い 申 し Lげ ますc RI会 長代 を い た しま して 、 さ らに、倉1立 3周 年 を迎 え R:会 長代 理 いれ る新 進 気 鋭 の 亀 岡 中央 ロー タ リ ー クラ ブ に コ ・ ホ ス トとな っ て い た だ きま して 、 ひ と ‖ 乍日米 始 ま りま し つ 皆 様 をお迎 えす るべ く、 ロ ド準 備 を整 え る た 第 2650地 区 「地 区 た め に 一 生 懸 命 に頑 張 っ てお る とこ ろで ご ざ 大 会 Jも 終 了 間近 に い ます 。 ど うか 、皆様 方 の 中 で地 区 大会 に対 迫 っ て まい りま し す る ご 要 望 とか ご 意 見 等 が ご ざ い ま した ら、 ひ とつ 園部 ロー タ リー クラ ブの 方 へ 遠 慮 な く た. 中 し入 れ て い た だ きた い 、 か よ う に思 うわ け で ご ざ い ま して 、 しか しなが ら、我 々 園部 ロ ー タ リー ク ラブ は わず か 四 卜数 名 とい う小 ク 已 評 正 そ う した土 地 で 、 日下我 々 同部 ロー タ リー クラ ブ は 、仁 丹 良弘 会 員 を大 会委 員 長 に委 嘱 昨 日は「けいはん なプラザJで 会長 ・ 幹事懇談会、そ して、 ラ ブで ご ざ い ます 。 まあ私 を見 て い た だ い た 青山先生 の 「歴 史、環境 、教育Jと い うテ ー マ についての基調講演、 また、三国 ロー タリ いわ か る よ う に、 田舎 者 の 多 い クラ ブで ご ざ ー クラブの宮崎 ガバ ナ ー ノ ミニー か らは三国 い ます の で 、十 分 な行 き届 い た こ とが で きる での重 よ う に とい う こ とで 、大 役 をlipせ っ か つ た ん だ か ら とい う こ とで 、 四 十七十 、 赤穂 の 義 士 で は ご ざい ませ ん け れ ど も、 2q十 数 名 の 会 員 が も う 一致 団結 を い た しま して 、 ゆ め ゆ め 討 ち死 に をす るの で は ご ざ い ませ んで 、心 か ら 皆 様 方 を温 か くお迎 え を い た しま して 、 誠心 誠 意 努 力 を重 ね て 、次 年 度 地 │え 大会 を大 成 功 にお さめ させ て い た だ きた い 、 か よ うに思 つ てお ります ような こ とで ご ざい ます 。 きの う、 き ようの 当 大会 にお き ま して は 非 常 に盛 人 で ご ざい ま して 、 ホ ス トをお務 め に 流 出救済活動 につ いての ご報告 、 ま '由 ィスカ ッシ ヨンといた しましては、 たパ ネルデ 橋 爪先生 を コー デ イネー ター と して、当地区 の 各委員長 さんが代表 され ま して、未来社会 にお いて ロー タリーは どの よ うに地域 にかか わる こ とがで きるか とい うテ ーマで パ ネルデ ィスカ ッションをなさい ま した。 また本 国は、 網千先 生か ら、 占代 の歴 史 は大 き く変 える こ とがで きるか とい うテ ーマで講演 を して いた だ きま した。 いず れ も、私 も大 い に勉強 させ て いただ きま した。そ うい う意味 にお きまし な りま した ク ラ ブ 、 コ ・ ホ ス トクラブ、皆 様 ヽ か ら敬 意 を表 す る次 第 で ご ざい ます が 、 し 方 に′ て深 く感謝 いた します。 次 年 度 の 大 会 は 、 この 盛 大 な大 会 に さ らに こ れ を大 き く して い た だ きま して 、 そ して 17派 文化学術研究都 市、 そ して本 国の 奈 良 市での この大体育館 での地 区大 会、聞 きます ところ また、昨 日の「け いはんなプラザ J 関西 によ ります と、 いずれ も足 高 ガバ ナ ーが この うな大会 とい うのは、恐 ら く日本 では なかな 2つ の会場 での地区大 会 に非常 に固執 された か見 られないのでは な い か 、 さすが に世 界第 とい う ことを聞 きま した。 しか しなが ら、今 一 の地区だ とい うふ うに思 い ます。 また 、当 これ を考 えてみ ます と、 日本 の将来 の未来 を 地区 には、千元理 事 、 また小谷理事 ノ ミニー 担 う学術研 究都市 、そ して 日本 の歴 史 と文化 を初めた くさんのパ ス トガバ ナ ー の皆様 方が の まち奈良市 の この 会場 での年次大会 は 、 2 お られ ます 。温か く指 導 して い ただ きま した 1世 紀 の未来 を占 う よ うな気持 ちがす るわ け 、 ことに も′ か らおネL申 し上 げた い とい うふ ぅ し で ご ざい ます。特 に、先 ほ ど記念 の公 開講演 に思 い ます 。 また、 一 昨 日、私 ど も 2人 が こ をい ただ きま した網干先生 は、歴史の思 惟方 の地 EXに 参 りま した ら、 中野 ガバ ナ ー ご夫妻 法か ら歴 史 を考 えるこ とは未来 につい て考 え を初 め緒方大会委員長 さん、 また高橋 ホス ト クラブ会長 さん、 また 中村実行委員長 さん初 るこ とで ある と。特 に2001年 か らの千年 につ い て我 々は考 える必 要が あるのではない か と い う貴重 なお 話 もい ただいたわ けで ご ざい ま す。そ うい う ことを考 え ます と き、恐 ら くそ うい う ことを考 えなが ら、足高 ガバ ナ ー はこ めホス トの皆様 方か ら温か くお迎 え い ただ き ま した。本 当 に ロー タリー の友情 を深 く感 じ てお ります。 また、 エ イ ドとしてお 世話 して の両会場 で年次大会が開かれる ことに執念 を い ただ きま した東 山 ご夫妻 に も厚 くお礼 を 申 し上 げたい と思 い ます。 燃 や されたん じゃないか な とい う気がす るわ この 第2650地 区 の地区大 会が滞 りな くプ ロ け で ご ざい ます。特 に志 半 ばで亡 くな られ ま グラムを終了 され、盛 大裏 に終 わ ります こと を、 ジアイ RI会 長 に もご報告 させ て い ただ した足高 ガバ ナ ー、そ の後 を引 き継がれ ま し きます こ とを 申 しま して 、私 の講評 にさせ て た 中野重 宏 ガバ ナ ー は、恐 ら く2650地 区 の会 員 の皆 さんの心 の 中は、かな り空 白的 な期 間 い ただ きます 。 ど うもあ りが と うご ざい ま し が あ ったので はないか とい うふ うに推 察す る た。 わ けで ご ざい ます。 しか しなが ら、 この伝統 ある2650地 区 の諸活動 、中野 ガバ ナ ー を中心 に、各会員 各位 がその とも しびを消す こ とな く、今 日まで奉仕 の 道 に精進 されて まい りま したこ とに深 く敬意 を表す るわ け で ご ざい ま す。 また 、 この大会 は、奈 良西 ロー タリー ク ラブ、平城 ロー タリー クラブの皆様方 の並 み 並 みな らぬ 努力 で この よ うな立派 な大 会 を開 催 され ま した。心 か ら、 この ことに関 しま し て も敬意 を表 したい とい うふ うに思 い ます。 また、本 日午前 中、4,000人 か らなるこの大 の 会 参加者、圧巻で ご ざい ま した。 特 に各 ク ラブ単位 の 出席 者 の多 いこ とには驚 きました。 まあ残念 なが ら、 この最終近 くにな ります と 空 白が見 え ますが 、 これは どこの地区大 会 で もそ うか と思 い ます 。 しか しなが ら、あの よ 99 お礼 の こ とば 大会実行 委員長 中村 保 皆 さん、最後 までお つ き合 い を して いただ きまして、 まことにあ りが とうご ざい ます。 2日 間 にわた りま して 2つ の 会場 で行 い ま した本年度地区大会 も、本 当 に好天気 に恵 ま れ ま して、静 か にその幕 を今 閉 じよう と して お ります。 ホス トクラブをお 受 け い た しま し てか ら 1カ 年半余 り、あ っ とい う間 に準備 の 年月 がた つて しまい ま した。準備万端 、 ま こ とに不行 き届 きで ご ざい ま した。失礼 の数 々 を深 くここでおわび申 し上 げ ます。 に もかか わ りませ ず大過 な く終了 で きま した こ とは、 RI会 長代理 ・平 岡 ご夫妻様 を初 め来賓 の各 位 とご参加 くだ さい ま した会員皆 さん の温 か い ご友情 に支 え られたおかげ である と深 く感 謝 をいた してお ります。本 当 にあ りが と う ご ざい ました。 で は、 また来年、亀 岡 で 会 う日 まで、皆 さ んご きげん よ う。 一 言御礼 の言葉 とい た しま す。あ りが とうご ざい ました。 閉会 司会者 林 秀彦 197年 度国際 ロー これ をもちま して、 1996∼ タリー第2650地 区 「地区大会」 の プ ロ グラム はす べ て終了 いた しま した。 2日 間 にわた り 温 か い ご協 力、 ま ことにあ りが と うござい ま した。 ど うぞ お気 をつ け てお帰 りくだ さい 。 また来年、亀 岡 でお会 いいた しま しょう。 さ よ うなら。 100 第 2日 ロス ナ ップ 本 会 議 大会 ス ナ ップ 4月 20日 (日 ) 大会 ス ナ ップ 4月 20日 (日 ) 本 会 議 大会 ス ナ ップ 4月 20日 (日 ) 本 会 議 大会 ス ナ ップ 4月 20日 (日 ) 本 会 議 大会 スナ ップ 4月 20口 (日 ) 大 会 ス ナ ップ 4月 20日 (日 ) 大会 ス ナ ップ 4月 20日 (H) ア トラ クシ ョン 大会 ス ナ ップ 4月 20日 (日 ) 大会風景 大 会 ス ナ ップ 4月 20日 (日 ) 大会 ス ナ ップ 4月 20日 大会風景 (日 ) 賞 ガバナ 一 一 澤、 ー クラ ラ 桜井 ロー タ リ 大 会風景 大会 ス ナ ップ 4月 20日 (日 ) 青少年 プ ロ グラム 大会 ス ナ ップ 4月 20日 (日 ) 青少年 プ ロ グラ ム 大会 ス ナ ップ 4月 20日 (日 ) レデ ィス プ ロ グラム 大会 ス ナ ップ 4月 20日 (日 ) 親睦 ゴル フ大会 大会 ス ナ ップ 4月 18日 (金 ) ご茉i胤み 順蹴 親睦J17大 会 証 1 鰹?ζ ↓ ‖ 1111111」 liFT 記録 0紹 介 大会 プ ロ グラム (19日 。20日 ご来賓 ) 招待 者 物故会員 表彰 新 クラブ紹介 会長 ・幹事懇談会 出席者 地 区大会大会登録者 親睦 ゴル フ大会成績表 大会役員 大会委員 実行委員会 地 区大会 日誌 地 区大会収支決算書 あ とが き プログラム 地区大会 13 第 1日 4月 19日 (土 ) 会長・ 幹事懇談会● 10:50∼ 11:50 9 0 3 0 0 5 会場 :け いはん なプラザ3F 司会 地区幹事長 :廣 橋 平司 登録受付 ガバ ナー :中 野 重宏 開会点鐘 ロー タリーソング「我 らの生業」 ソングリーダー :中 嶋 安彦 R:会 長代理 、来賓紹介 ガバ ナ ー :中 野 重宏 ガバ ナ ー :中 野 重宏 挨拶 R:会 長代理挨拶 RI会 長代理 :平 岡 正已 規定審議委員会提案 規定審議委員会委員長 :石 戸 慶次郎 大会決議案審議上程 大会決議委員会委員長 :岩 崎 栄 三 大会決議案審議採択 ガバ ナ ー :中 野 重宏 1998∼ 1999年 ガバナーノミニー指名報告 ガバ ナ ー :中 野 の こ とば ガバ ナ ー :中 野 閉会 ガバ ナ ー :中 野 50閉 会点鐘 お知 らせ S.AA:林 15 15 重宏 重宏 重宏 秀彦 50∼ 12:40 16 6 昼食 大会幹事 :中 谷 : 平岡 中野 正已 重宏 0 0 : 0 3 RI会 長代 理 ー バ ガ ナ 挨拶 ガバ ナ ー Rl会 長代理ご夫妻歓迎晩餐会● 18:00∼ 20:00 8 大会役 員 来賓・会長・幹事・地区幹事 。 委員長・地区委員長・各奉仕委員長 13:00開 会宣言 大会幹事 :中 谷 賢治 ガバ ナー :中 野 重宏 開会点鐘 「奉仕の理想」 国歌斉唱・ロータリーソング ソングリー ダー :中 嶋 安彦 故足高ガバ ナ ー遺影に黙祷 開会 のことば 大会委員長 :緒 方 惟之 ガバ ナー :中 野 重宏 来賓紹介 元 R:理 事挨拶 元RI理 事 :千 宗室 RI会 長代理挨拶 ―老学徒 の想 い と迷 い一 帝塚 山短期大学名誉教授 奈良市教育委員長 :青 山 茂 休憩 20重 油流出報告 福井県坂井郡災害対策本部本部長 福井県坂井郡医師会会長 :宮 崎 茂和 チトRC) (ネ 冨 30大 会 フォーラム フ ォーラムテ ーマ 「未来社会 にお け る ロー タリー と 地域 のかかわ りあ い」 コー デ ィネー ター 奈良県立商科大学名誉教授 :橋 爪 勝次 (奈 良 RC) ・職業奉仕 パ ネリス ト 宮島 正義 (甲 西石部 RC) 。国際奉仕 (国 際交流・青少年交換 ) パ ネリス ト 増 田 紘明 (京 都 山科 RC) ・青少年 パ ネリス ト 北村 光男 (京 都洛東 RC) ・社会奉仕 パ ネリス ト 岡村 吾郎 (奈 良 RC) ・環境保全 パ ネ リス ト 田崎 央 (京 都紫竹 RC) 40フ ォーラムア ドレス ガバ ナー :中 野 重宏 45閉 会の挨拶 大会副委員長 :浅 沼 清 50閉 会点鐘 7 11100登 録受付 12:40会 場案内、着席 賢治 6 大会 フ ォー ラム● 13:00∼ 16:50 会場 :け い はんなプラザメインホール 55基 調講演「歴史、環境、教育」 18 20 会場 :け いはんなプラザ3F「 ナイル」 司会 大会幹事 :中 谷 賢治 受付 開宴 祝催 「松 竹梅 J 大会 副委 員長挨拶 大 会副委 員長 :中 村 保 ガ バ ナ ー挨 拶 ガバ ナ ー :中 野 重 宏 R:会 長代理挨 拶 RI会 長代 理 :平 岡 正 已 呈 東贈 花 乾杯 直前 ガバ ナ ー :坂 部 慶夫 懇親 宴 ロータリーソング「手 に手つないで」 ソングリーダー :中 嶋 安彦 閉宴 お知 らせ SAA.:林 秀彦 地区大会 本 0 2 0 3 10 0 0 9 10 10 会 第 2日 4月 20日 (日 13 ) 議 ● 10:50∼ 17:00 会場 :鴻 ノ池運動公園 中央体育館 司会 : 林 秀彦 登録受付 S.AA: 林 秀彦 会場案内 オ ープニ ング 奈良市消防音楽隊 開会宣言 大会幹事 :中 谷 賢治 14 重宏 15 日本 国歌 斉唱 ロー タリーソング「奉仕 の理 想」 ソングリー ダー :中 lll 安彦 アシス タン ト:寺 内 知子 開会 のことば 大会委員長 :緒 方 惟之 ガバ ナ ー挨拶 並び に来賓紹介 ガバ ナー :中 野 重宏 (RI会 長代理 、来賓、大 会役員 、参加 クラブ、ロー タリー財 団国際親善奨 学 生、学友米 山記念奨学 生、 国際青 少年交換留学 生、(受 入、帰国、派遣 予定 )ロ ー ター ア ク トクラブ、 イ ン ター アク トクラブ、 ロー タリー財 ltl 研究 グルー プ交換 (G.S.E.)) 故足高ガバナー並びに物故会員に黙祷 S.AA:林 秀彦 歓迎 のことば ホス トクラブ会長 :高 橋 善次 25 来賓 の祝辞 奈良県知事 :柿 本 善也 奈良市長 :大 川 靖則 秀彦 祝電披露 S.AA:林 ロ ム 生 プ グラ 会場 特別 青少年交換学 へ 移動 R:会 長代理アドレス並びにRl現 況報告 RI会 長代理 :平 岡 正已 (レ デイスプログラム参加者退場 レデイスプログラム参力日 G.S.E地 区ガバナーメッセージ GSE団 長 :デ ビッドグラハム 昼食後、青少年 プ ログラム に参加 10 昼 食 マリンノ ヾ寅奏 (登 美ヶ丘高校吹奏学部演奏・ 15 ) 12 12 ) ) 14 開会 点鐘 ガバ ナ ー :中 野 記念講演 (一 般市民参加 「 日本 の 占代史 は大 きく変 わるか」 関西大学文学部教授 :網 干 善教 (一 般市民退場 ガバナーア ドレス並びに地区現況報告 ガバ ナ ー :中 野 重宏 16 大会委員会報告 大会登録委員 会 委員長 :山 上 文雄 大会選挙人資格審査委員会 委員長 :池 内 常郎 大会選挙管理委員会 委員長 :三 岡 嘉和 10 表 彰 故足高ガバナーにRI会 長の感謝状贈呈 ポ リオ・ プラス ・パー トナ ーズ プ ロ グラム副委員長 :中 島 治 一郎 意義 あ る業績賞、国際 ロー タリー 会 長 賞 、 ロー タ リー財 団特 別功 労 賞 、 ロー タ リー財 団功労賞、 ク リス タル 賞、 ロー タリー財団地区特別奉仕賞 RI会 長代理 :平 岡 正已 ガバ ナ ー特別賞 、 ガバ ナ ー賞 、新 ク ラブ設立功労賞、寿齢賞 、会員増強 功労賞 、 (増 強数、1曽 強率 )、 出席優 秀 クラブ賞 、 ロー タリー財 団地 区奉 仕賞 、 ロー タリー財 団地 域特 別奉仕 賞 、 ベ ネ フ ァク ター優 秀 クラブ賞 、 米 山地 区奉仕賞 、米 山記念奨学 生寄 付 1,000万 円単位達成 クラブ、新米山 特別功労法 人、ポ リオプラス ガバ ナ ー :中 野 重宏 財団法人骨髄移植推進財団より感謝状贈呈 事務局長 :野 田 尚子 大会決 議案上程 大 会決議委 員 会委 員 長 :岩 崎 栄 二 大会 決議 案採決 ガバ ナ ー :中 野 重宏 ガバ ナ ーヘ 記念 品贈 呈 夫 直前 坂 部慶 ガバ ナ ー :中 野 重宏 1998∼ '99年 度 ガバ ナ ーノ ミニ ー紹介 ガバ ナ ー :中 野 重宏 1998∼ '99年 度 ガバ ナ ーノ ミニ ー挨 拶 福 井 RC:宮 崎 茂和 10 次期地区大会開催地ホス トクラブ紹介 ガバ ナ ー :中 野 重宏 次期地区大会 ホス トクラブ会長挨拶 園部 RC:湯 浅 孝 ) 119 16:20R:会 長代理講評 RI会 長代理 :平 岡 正已 R:会 長代理 へ記念品贈呈 ガバ ナー :中 野 重宏 16155お 礼のことば 大会副委員長 :中 村 保 ロータリーソング「手に手 つ ないで」 ソング リー ダー :中 嶋 安彦 17:00閉 会宣言 ガバ ナー :中 野 重宏 ガバ ナー :中 野 重宏 閉会点鐘 お知 らせ SAA:林 秀彦 青少年プ ログラム 第 2日 本 会議 10:50ヽ -17:00 H:40 RI会 長代 理 ア ドレス並 び にRI現 状 報 告 12:10昼 食 青 少 年 関係 者 、 各特 別 プログラム開催 13:000国 際青 少年交換 委 員 会 中央 体 育 館 → 東 大 寺 → 春 日大 社 → 奈 良公 園 → 東 大 寺 本坊 にて 法 話 拝 聴 → プレイ終了後懇親会お よび表 彰式 を開催 大 会委員長出席 中央体 育館 学生79名 委員会15名 ローテックス数名 計 約 100名 ○財 団奨 学生 ・財 団学 友委 員 会 オ リエ ンテ ー シ ョン 第2体 育館 33名 財 団学 友 7名 奨学生 地 区委員 会 8名 計 約 48名 ○米 山奨学委 員 会 G.SE委 員 会 中央体 育館 → 薬 師寺 → 赤膚 山元 窯見 エ クスカ ー シ ョン 16:30 け い はん な プ ラザ 出発 秋篠 寺 拝観 西大寺 (昼 食)・ 大茶盛 拝観 福 寿 園 CHA研 究 セ ンター け い はん なプ ラザ 学絵付 指 導 赤膚 山元 窯 :古 瀬尭 三 (奈 良 西RC)→ 中央体 育館 ○ ローターアクト・インターアクト 委員会 100名 。平城宮跡 希望 晩餐 会 4月 19日 (土 )17:00∼ 17:00 17:30 20:30 20:30 け い はん な プ ラザ 料亭 解散 資料館 と復 元 遺跡 見 学 と解 説 奈良写真美術館館長 :井 岡 重信 菊水楼 (奈 良西 RC) ・唐 招提 寺 見学 16:00各 特 別 プ ロ グ ラム終 了(本 会議場へ移動 16:55 お礼 の こ とば レデ ィース プ ロ グラム 4月 20日 (日 ) )12:00∼ 16:30 12:00 12:30 14:00 15:00 16:30 重宏 ロー タ リー財 団 、国際親 善奨学 生 。学 友 米 山記 念奨学 生 、 国際青少 年交換 学 生 (受 入 、帰 国 、 派遣 予 定 )、 ロー タ ー ア ク トク ラブ 、 イ ン ター ア ク トクラ ブ 、 ロ ー タ リ ー 財 団研 究 グ ル ー プ 交 換 (GSE) H:35国 際青少 年交換 学 生 ・特 別 プ ロ グラム会場 へ 移動 参加人数 180名 11:00 H:30 12:00 14:30 16:30 ) 9:00登 録 受付 親睦 ゴル フ大 会 日 日 寺 4月 18日 は各) 会 場 奈 良国際 ゴル フクラブ 受 付 7:00 スタート 8:00 アウ ト、インよ り同時 ス ター ト 競技方法 18ホ ールズス トロー クプ レイ 年 長者上位 ・アンダーハ ンディ 表 i影 シニア、ジュニアの2部 門に分けて表彰 4月 19日 (土 )11:oO∼ (日 10:00本 会 議 開会 点 鐘 ガバ ナー :中 野 11:00青 少 年参加 者紹 介 記念行事 親 睦会 4月 20日 鴻 ノ池運動公 園 中央体育館 霊 山寺 拝観 (昼 食) 薬 師寺 拝観 高 山茶 笙 見学 鴻 ノ池 運動公 園 17:00 120 大 会副委員 長 :中 村 保 ロー タ リー ソ ング 「手 に手 つ な い で」 閉会点鐘 お知 らせ 第2650地 区パ ス トガバ ナー ご来賓 徹称囀 本田 茂 (京 都北RC) 多恵子 第2650地 区パス トガバ ナー ニ橋 奈良県知事 柿本 善也 奈良市長 大川 靖則 奈良 市商■i会 議所会頭 阪本 龍兒 RI会 長代理 RI会 長代理 ご令室 元 RI理 事 元 RI理 事 ご令室 RI理 事 ノ ミニー RI理 事 ノ ミニーご令室 平 岡 Iに 己 宗室 第2650地 区直前 ガバ ナー (奈 良西RC) (羽 衣 RC) 坂部 隆一 慶夫 (京 都 RC) 郁子 山田 三郎 (京 都 RC) 第2650地 区次期 ガバ ナーノ ミニー 宮崎 茂和 妙子 ご招待 轍称囀 (西 条RC) 松本 宏 (半 田RC) 第2760地 区 ガバ ナ ー ポ リオブラスパ ー トナ ー プ ロ グラム副委員長 中島 ロー タリーの友事 : 務所所長 (泉 大津RC) 浩 郎 RC) 別FJi 直誓導 (東 京みなと 第2650地 区パス トガバ ナー 山口 善造 (大 津RC) 徳 第2650地 区パ ス トガバ ナ ー (奈 良RC) 杉山 嘉一 久津見 専 渡邊 爾栽 (舞 鶴RC) 川島 春雄 (京 都北RC) 財津 晃 (長 浜RC) 羽根 賃 (橿 原RC) 第2650地 区パ ス トガバ ナ ー (福 井北RC) 第2650地 区パ ス トガバ ナー 第2650地 区パス トガバ ナ ー 第2650地 区パ ス トガバ ナ ー 第2650地 区パス トガバ ナ ー 第2650地 区パス トガバナー 増 田 房 二 (京 都 科RC) │‖ 第2650地 区パ ス トガバ ナ ー 細 1■ 精― (大 津RC) 紀美子 第2650地 区パス トガバ ナー 津 田 佐兵衛 (亀 岡RC) 重了 貞子 第2670地 区パ ス トガバ ナ ー 佐々木 善尭 『洛中RC) (京 者 第2650地 区パ ス トガバ ナ ーノ ミニー 登三子 小谷 (八 日市RC) さよ子 降子 千 貞雄 (京 都西RC) 梅子 第2650地 区パス トガバ ナー RC) 西本 す 大治良 卜 (京 者ド (ネ 冨井RC) 招待者名簿 徹称囀 回―タリー財団研究グル ープ 交換チーム (G.S.E.) RID.9710 GS.E.団 長 オース トラリア DAVID GRAHAM R.I D 9710 GSE団 員 オース トラリア KEVIN STEVENS RI.D.9710 GSE団 員 オース トラリア MARISE INGOLD R I D 971() GSE団 員 オース トラリア JOANNA CAMPBELL RID.9710 GS.E.団 オース トラリア CHIRSTPHER C00PER ロータリー財団国際親善学友 藤 同 智 紀 佐 藤 寿 彦 林 育 徳田 彩 (人 (京 津 中央 RC) 喜 ワン 白 尚 (大 津 RC) (橿 原 RC) (京 者5紫 野RC) RC) 井南 RC) (福 Bulcu BASTURALP 秋 香 美 チェ ヒャンミ (宇 治RC) Juliana Dias MARTINS 勲 サ ンフ ン (生 駒 陳 意 チェン イーチェン 趙 一 チ ョウ イル コ ン 貞 RC) (橿 原 RC) (京 都八幡RC) Baslaan VAN dcr EIJK (奈 良RC) Allcgra Johanna ROY 婿 (奈 良 RC) (奈 良RC) シ ベ ス ン タ ラ ン ・ スハ ル ナ ン (奈 良RC) Mcttc NIELSEN 金 度 勲 キム ドフン Jcnny Maria R00S 振 播 (奈 良東 RC) (奈 淑 リ ヨン スー イ ン (桜 井RC) 良大官 RC) (イ (桜 井 RC) (九 岡 RC) (福 井南RC) Paola FUGITA 螢 (福 丼束RC) Eltcr SANTOS (近 江八幡RC) 国際青少年交換 受入学生 Lucas a Cicza GONZALEZ (京 都嵯峨駅 C) Gouthicr dc BECO (福 井Jヒ RC) Alicc HOLMES Bliss W00LMINGTON (亀 (メ し岡 RC) (京 都東 RC) (奈 (奈 良RC) Jayson ALFORD (奈 ⅣIichiel David HES (武 生RC) (奈 良人宮RC) Erica Sathlcr MEL0 RC) (野 Maria ADORNO 鄭 愛 莉 ジョン アイリ (京 都紫野 RC) 金 弘 己 キム ホンギ (京 都洛東 RC) Kclly Jcan WARWICK (京 都伏見RC) 松浦 広奈 坪内 Shanc KOCHEN 岡島 武曽 松永 大西 美希子 宏美 千春 ノボ トニ ー ・ トマ ー ス (京 都 西 南 RC) 良RC) Rodrigo GOMEZ (京 都南 RC) (京 都嵯峨野 RC) 良RC) Kristy BROWN 陳 力 陽 ツェン リヤン 高 嵐 ガオ ラン 岡RC) Maria(Eugcnia)CASTRO Justin Marlow HANSEN Hanni HORN (京 都 RC) ロ井RC) Michacla STANDER 黄 蜀 静 ホァン スウジン 龍 (大 和高田RC) Tales dc Souza RODRIGES 興 チ ェンシ ン (鯖 江RC) 金 敬 仁 キム キョンイン (宇 治RC) (平 城 RC) (福 井 フェニ ックス RC) 米山奨学生 (京 都洛中RC) Axcl VAARA 宏 シーホ ン 陳 欣 宣 テェン シンイ ベク ,台 (宇 都 洛北 RC) r・ 竹 口 健 太郎 王 バン 員 Annc MEUWESE 察 世 蓉 ッァイ スィジョン '州 Paula Miyuki SATO (橿 原中央RC) (滋 賀湖北RC) 国際青少年交換帰国学生 Ana Faria Hadad Vianna (人 ,十 RC) (京 都洛南 RC) Amanda Lynnc COULTER (京 者 5,各 東RC) 122 絵美 涼子 (福 井 北 RC) (ネ I井 南RC) (福 井 南RC) (丸 岡RC) (野 洲 RC) (福 知 山RC) 中川 幸太 荒 川 奈 々 谷 口 千 尋 宮 田 道 人 岡 田 昌子 唐 沢 智 子 (1冨 知山RC) 幅 智 山 西南RC) (亀 (京 (京 (京 さち子 嶋川 美穂 神崎 佐智代 安 田 尚子 建作 中川 五月 西田 愛 山本 千尋 あ ゆみ 安藤 岡RCl 都 口│千 1RC) 都伏 見RC) 都 洛 南RC) (園 部RC) 五十川 有 井 (同 部RC) (奈 良RC) (奈 良RC) (奈 良 大宮 RC) (王 寺RC) (桜 井RC) (大 和高田RC) (大 和君5 11RC) 小西 彩 幅 井RC) 佐治 由紀枝 鯖 江RC) 室木 美都 里 確 部RC) 山戸 待 朋 金 森 淳子 徳岡 由起子 宮武 由起 子 下間 三宅 寿甫 香織 (京 (京 都 紫 野 RC) 者ド 洛南 RC) (国 部RC) (奈 良RC) (奈 良RC) (奈 良西RC) 国際青少年交換学生派遣予定 中島 里佳 千尋 萩原 西川 瑞希 野村 仁雄 橋本 雅子 寺下 高木 真司 亜規 子 荒 川 愛 子 安 川 舞 耶 舞 濱 田 久美 子 笹 井 俊 伸 村 上 智 岩 淵 一 青 松山 領 河合 真依 子 鈴木 冨満 盛岡 玲菜 真理子 利栄 O高 井RC) (福 井RC) (武 生RC) (彦 根RC) (彦 根南RC) (大 津RC) (大 津西RC) (野 洲RC) (福 知 山西南 RC) 岡 嗜1央 RC) (亀 見 RC) 都伏 (京 (京 都 洛南 RC) (京 者Б洛束 RC) 治 RC) (宇 (奈 良RC) (奈 良RC) (奈 良西RC) (桜 井RC) (大 和高田RC) 地区代表 昌田 寛 (鯖 江RAC) 直前地区代表 一^郎 4ヽ 倉 (官 津RAC) 地区代表 ノ ミニー 長谷川 渉 (京 都北RAC) 地区幹事 鯖江RAC) 堀江 祐子 地区副幹事 大久保 和彦 (鯖 江RAC) 地区副幹事 田部 頼子 (亀 岡RAC) 地区副幹事 円山 ナ 奇 真弓 (草 津RAC) 地区副幹事 山本 都 RAC) (京 一博 地 区副幹 事 (京 者ド西南RAC) 岩橋 恭 子 地 区会計 山 口 (7月 勇 一 井 RAC) 次年 度 地 区幹 事 本 田 学 (京 都 洛北 RAC) 次 年 度地 区副幹 事 阿部 (京 み ゆ き 都南 RAC) 次 年 度 地 区副 幹 事 室 公 博 都 RAC) (京 次年度地区副幹事 高橋 寛行 ( ク) 次年度地区副幹事 ク) 森本 泰明 ( 福井 ゾーン代表 (大 野RAC) 吉 田 吉成 京都北ゾーン代表 Π IIIRAC) 輛矢 福本 洋 一 ーン 京都 Bゾ 代表 柳本 貴久 (京 都伏見RAC) 奈良ゾ ーン代表 花 田 欣 也 (大 宮崎 石田 (京 都 RAC) 博 孝 正代 崇史 有紀 (1青 ( 工RAC) え ″ ) (舞 鶴束RAC) (亀 岡RAC) (亀 ( 同RAC) ク) (latttRAC) (ネ 畠井RAC) ″) ( ク) ( (大 和15山 RAC) ク ) ( ク ) ( ク ) ( ″ ) ( ″ ) ( (大 和高田RAC) ク ) ( ク ) ( ″ ) ( ク ) ( ク ) ( ク ) ( ″ ) ( ″ ) ( ク ) ( ″ ) ( ク ) ( ク ) ( ク ) ( ″ ) ( インターアク トクラブ ◎京都 市 立西 京商業 高等 学校 (京 者阿西RC) 問 長 事 宮崎 屋成 二村 泰光 知美 典子 理恵 市原 辻 佐 知子 植 野 恵美子 山 円 隆平 │-1行 和 郡 山RAC) 全国ローターアクト研修会実行委員長 日山RAC) 土橋 雅 人 (福 矢 大倉 山本 小島 中沢 勇 治 河原林美佳 有 道 美加 水野 浩男 齋藤 緑 小 原 ゆか り 尾川 知 柿 本伊 久恵 辻本 敬吉 西川 慎 一 1宮 健 規 滝 裕子 泉谷 さお り 上田 宗 昭 北林 義雄 甲村 哲朗 寺 田 温子 佐 川 達郎 廣橋 山里子 藤 江 弘利 堀 内 邦郎 萬慶 直美 村 野 晃代 森 浦 秀樹 柳 谷佳 寿子 山下 幸江 落林 悟 顧 会 幹 加藤 ローターアク トクラブ け)― i-1)│シ ス ◎奈良市立 一条高等学校 (奈 良RC) 顧 問 酒井 会 長 奥坊 幹 事 伊藤 ◎福井女子高等学校 顧 問 重治 文子 由華 (福 井RC) 五十嵐 光子 う4 勝 矢 智美 石 丸 真代 幸代 ◎福井工業大学付属福井高等学校 (橿 原 RC) (福 井南 RC) 顧 間 吹角 明男 顧 問 林 伊 知朗 ク 会 長 山下 珠紀 平 田 和彦 幹 事 会 長 石倉 真紀子 有里 東 幹 事 山 田 絹子 ◎花 園高等 学校 ◎ ヴァイ トール学園洛星高等学校 (京 都 洛西 RC) RC) (京 都 紫野 顧 間 相川 定義 田 中 成彦 顧 問 会 長 田 中 逸郎 会 長 向井 英 史 幹 事 梅原 健 吾 幹 事 新谷 穣 ◎ 西宇 治高等 学校 ◎平安 高等 学校 (宇 治鳳臥 C) 会 長 安済 上坂 幹 事 ◎橿 原学 院高等 学校 美香 (京 都 洛 中RC) 小須 賀 智 顧 問 会 長 伊東 弘昭 幹 事 於保 朋広 ◎福 知 山淑徳 高等 学校 (福 智 山西南 RC) 下 川 直輝 顧 問 会 長 岩崎 千尋 小 西 未来 幹 事 ◎ 聖家族女子 高等 学校 (園 部 RC) 顧 間 増 山 茂治 幹 事 村 上 涼子 ″ 荻 野 雅代 ◎武 生 東 高等学校 (武 生RC) 顧 問 木村 岩間 岸本 顧 間 大村 昭友 会 長 前 川 知子 納谷 重里佳 幹 事 ◎嶺南学同敦賀気比中学・高等学校 (敦 賀RC) 顧 問 武 田 順子 大野 洋 北村 佳代 真 野 優子 山口 緑 綱 田 宣司 栗谷 一 浩 大橋 美市 村 浪 智穂 山崎 まゆ美 古 川茉 莉子 中川 美佳 向 山 由美 森 美 山希 124 博保 雄亮 人典 物故会 員 氏 名 (1996年 3月 1日 か ら1997年 2月 28日 クラブ名 逝 去 日 氏 ) 名 クラブ名 失ロ ー夫 京都 山科 RC 1996年 3月 2日 三好真佐吉 疋田 修造 京都紫竹 RC 1996年 3月 8日 池田 奥田 善彦 奈 良 RC 1996年 3月 18日 月 ケ瀬 作蔵 長 浜 RC 逝 去 日 国 RC 1996年 9月 13日 壽三 京都 紫野 RC 1996年 9月 22日 細井 衛 大和高 田 RC 1996年 10月 16日 1996年 3月 23日 足達 壽一 奈 良 RC 1996年 10月 19日 三 岡本 悟一 大 津 西 RC 1996年 3月 29日 村島 隆康 大和高 田 RC 1996年 10月 19日 横山 勝幸 福 井 東 RC 1996年 3月 30日 捻木 利彦 鯖 江 RC 1996年 10月 23日 中川 努 長 浜 東 RC 1996年 4月 16日 古橋 正士 長 浜 東 RC 1996年 10月 29日 山本 篤 桜 井 RC 1996年 4月 17日 根尾 松宮 敬 中井 明 榮 ‐ 敦 1996年 4月 24日 大浦 政弘 1996年 4月 25日 懸野 真文 大同 董 1996年 4月 26日 本河 延雄 西村 進 1996年 5月 13日 宮保 進 1996年 5月 20日 竹下 貫 1996年 5月 22日 宇野 達 1996年 5月 27日 川崎 泰彦 1996年 6月 7日 手代 木美紀 者6RC 1996年 6月 11日 佐 川弥之助 舞 鶴 東 RC 京都洛西 RC 京 都 南 RC 平 城 RC 者ドRC 京 京 者5東 RC 京者5洛 Jヒ RC 京 者5西 RC 京都 洛 中 RC ネ 冨 井 Jヒ RC 良 RC 奈 大 野 RC 京者5洛 Jヒ RC 京都 洛 中 RC 1996年 6月 14日 村田喜佐衛門 1996年 7月 3日 足高 晋 1996年 7月 6日 小山 恭二 1996年 7月 13日 酒井喜代輔 守 世J RC 1997年 2月 7日 1996年 7月 15日 神野 福 井 RC 1997年 2月 21日 吉田 忠一 谷口 良三 亀 岡 RC 京 者БJヒ RC 山 山 RC 季 井 RC 桜 「 RC 京 者 京 者6Jヒ RC 京都西南 RC 京都 山科 RC 瀧井 利爾 京 井筒兵号衛 上 田堪 一郎 谷日 雅 加藤 勝 園部 正晴 岩井 洋 高崎 善英 今井 正 辻 有光 新井 多聞 小西 敏雄 鷲山 教悟 河合 庄治 影路 昭治 成田 道泰 丸橋 利造 1996年 7月 20日 1996年 7月 30日 1996年 8月 3日 1996年 8月 11日 1996年 8月 18日 1996年 8月 24日 1996年 8月 26日 1996年 8月 31日 1996年 9月 4日 博 賀 RC 栗 東 RC 京都西南 RC 舞 鶴 東 RC 舞 鶴 東 RC 福 知 山 RC 京都 紫野 RC 野 RC 大 宇 ,台 RC 彦 根 南 RC 舞 鶴 RC 大和高 田 RC 良 RC 奈 1996年 H月 7日 1996年 H月 1996年 H月 25日 16日 1996年 12月 6日 1996年 12月 18日 1996年 12月 19日 1996年 12月 26日 1997年 1月 2日 1997年 1月 7日 1997年 1月 14日 1997年 1月 15日 1997年 1月 16日 1997年 1月 23日 うん 「 ミシガンクルーズ 身障者 表彰 高齢者 介護者招待」 心 身障害 者 、高 齢者 、 それ らの 介護 者 、恵 まれ な い子供達 を ミシガ ン クルーズ に招 待 、外輪 船 ミシ ガ ンの船上 か らウオ ッチ ング を楽 しむ。高齢 化社 意 義 あ る業 績 賞 (国 際 ロ ー タ リ ー 会 長 賞 ) 宇治 ロー タ リー クラブ 「中国帰 国者支援 プ ロ ジェ ク トJ 宇 治 地域 内 に住 む約 60世 帯 の 中国帰 国者 に対 し、 社会的支援 の実施。 高校 生 2名 に奨 学 金 支給 及 び カウ ンセ ラー に よ り 交流 、支援 を実施 c月 見 会や 中国式 お 正月 を共 に 楽 しむ。就職 や進学相談。 日本語指 i草 教室 に支援 . 中国帰 国者 に関す る レポー トを作 成 し、行政 へ の 提 言 をす る と共 に、地域 社 会 の 人 々 に帰 国者 に対 す る理 解 、関心 を啓発 c ロ ー タ リ ー財 団特 別 功 労 賞 パ ス トガバ ナ ー 京都洛 中 ロー タ リー クラブ 「み んなで 見直 そ う私達 の街 の歴 史 か ら未来 を」 会 員 122名 中 120名 参加 して、高 瀬川周辺 の歴 史 と 環境 を 各世代 の 方 々に再認識 して頂 き、 その保全 と整備 、更 に遺 し伝 えるため、 史跡案 内石 「 石 ぶ みJと 歴 史 マ ップ を贈 呈 。地元保勝 会 の 要望 に こ た え、お年 よ りか ら見 た環境 保 全 、子供 か 弓見た 京 の街写真 コ ンテ ス ト実施 c 武生府 中 ロー タ リー クラブ 「青少年健 全育成 に貢献 l 青 少年 リー ダー シ ップ養成 プ ロ グラム実施 J け 暉本 す大治郎 RC' (ラ 京者 『 ロ ー タ リ ー財 団功 労 賞 パ ス トガバナー ニ橋 貞雄 (八 日市RC) ク リス タ ル 賞 人久保 会到来 に よる高齢者介護 者 に感謝状贈呈 。 昇 (京 都西南RC) 2 3 地域 の 自然環境 の改善 人間形成 の プ ロ グラム推進 宇治鳳凰 ロー タ リー クラブ 「 世界社 会奉仕 (wcs)に 深 い理解 と協力J 全 会員 が ポ リオプ ラス に深 い理解 を持 ち、地域社 会 の方 々に もその理解 と協 力 を深 めたc ロ ー タ リ ー 財 団地 区特 別 奉 仕 賞 l「 パス トガバナー t部 慶夫 (京 都洛 中RC) ガ バ ナ ー特 別 賞 京都紫竹 ロー タ リー クラブ 「京都市 内 12施 設 あ、 れあ い フェス タJ 市 内 にお け る養護施 設 ・ 母子寮 12施 設 の 恵 まれ な い 了^供 達 340名 を対 象 に、 バ イキ ング料 理 や楽 し い ゲ ーム を実施 c 会 員及 び会員 夫人 多数参加 し、施 設 の 方 々 と交流 を深 め、 ロー タリー精神 を よ く理解 して頂 いた。 武生 回― タ リー クラブ 「紫式部市民学習 講座 “ 紫式部 とその 時代 "J 林 一 彦委 員長 PGを 中心 に会員全員 参加 し、官民 一 体 で 実施 。紫式部 が 、父藤原 為時 とともに武生 へ 下 向 し一 千年 日に当 た るので、記 念事 業 に 10回 シ リー ズ “紫式部市 民講座 "を 展 開、伝統 と文 化 を 郷 土 市民 に認識 させ 、 文化都市 と しての武生 の 活 性化 につ とめた。 福井南 ロー タ リー クラブ 「小 中学生 .ミ ニバ ス ケ ッ トボ ール大 会 J 時代 を担 う青 少年 の 健全育 成 の ため、地域 内 の小 中学生250名 参力Πじ ミニバ ス ケ ッ ト大 会 を開催 京都紫野 ロー タ リー クラブ 「岩城宏之 チ ャ リテ イー コンサ ー ト」 地 区内 にあ る視聴覚 障害者 を招 き、岩城宏 之 チ ャ リテ イー コ ンサ ー ト募 金 は 、 1.阪 神 大 震 災 、2. ポ リオ撲 減運動 、3.身 障者 へ 寄贈。 桜井 ロー タ リー クラブ 「青少年柔剣道大 会J 奈 良県 下 の 小 学 生650名 参 加 し、柔 剣 道大 会 を実 施。会員、選 手 の 家族 多数参加 。 三 国 ロー タ リー クラブ 「ロシアタンカー重油流出事故による 岸重油回収本仕J ロ シア タンカ ー 「 ナホ タカ」 の船首音l`が 97年 1月 7日 二 国町安 島海岸 に座礁 、海岸 一帯重油が漂 い 、 ││卜 ガ バ ナ ー 賞 (ク ラ ブの 部 ) 大変 な状 況 にな った 。 三 国RC早 速 対策 を協議 し、 大津 ロータリークラブ 物 資 の 支援 c更 に数度 にわ た り、ボ ラ ンテ ィア活 動 を実 施 (三 国RC会 員40名 ・数 回参加 )尚 、今後 の環境 保 全 を考 え地 区大 会 にお い て 、重油 流 出事 故 の パ ネ ル を展示。 4位 5位 園 部 大 津 東 ロー タリー クラブ ロー タリー クラブ 出席優秀 クラブ賞 栗東 ロー タ リー クラブ 「新世代 人 のための 、職業情報 セ ミナー開催」 “ロー タ リー と地域 。 地域 社 会 にお け る ロー タ リ ー"地 域社 会が必 要 とす る よ うな奉仕 活動 とい う 方針 に基 づ き、新 陛代 人の ため に、滋 賀県立 国際 情 報高等 学校 を会場 と し、移 動例 会 を併 用 し職 業 情報 セ ミナー を実 施。 ガバ ナ ー賞 (個 人の部 ) 萩 山 並司 (大 津RC) 地 区拡 大委 員長 と して 17Ll期 歴任 され、 そ の 間積極 的 に新 クラブ設立 に貢献 せ られた功 績 は偉大 で あ ります。 ) 者にRC) 占田 督識 石川 忠 三吾 政吉 (京 渡邊準以知 (舞 鶴 RC) 小山 藤井 (フ 貫 都 RC) (京 都乙訓IRC) (福 鶴 中 都 紫 竹 16.京 都嵯峨野 17.平 城 18.奈 良 東 19.京 都 洛 東 ロ ー タ リー 財 団地 区優 秀 ク ラ ブ (1996.7∼ 1997.2) 財l■l寄 付額】 【 脩作 長治 一雄 (五 條 RC) (奈 良 RC) 知幸 (勝 (大 和 郡 山 RC) 世IRC) 増強数 第 1位 京 都 ロー タリー クラブ 2位 3位 奈 良 ロー タリー クラブ ロー タリー クラブ 第 1位 京 2位 3位 4位 5位 綾 京都朱雀 増強率 (70名 以上 ) 都 ロー タリー クラブ 部 福 井 南 生 武 ロー タリー クラブ 守 山 増強率 (69名 以下 第 1位 京都朱雀 ロー タリー クラブ 山 京都 山城 ラブ 【 人平均寄付額】 上位5ク ラブ 大和高田 R C 京都ltt'H R C 奈 良 東 R C 平 城 R C 京都紫竹 R C ロ ー タ リ ー財 団地 域 別 優 秀 ク ラ ブ (1996.7∼ 1997.2) 一人平均寄イ J額 ●福井地区 ロー タリー クラブ ロー タリー クラブ 上位3ク ラブ 1位 福 井 21' 三 │工 3位 武 生 1位 近江八幡 ロー タリー クラブ 大 津 東 ロー タリー クラブ びわ湖人幡 ロー タリー クラブ ロー タ リー クラブ │ロ ー タ リー クラブ ロー タリー クラブ ●滋賀地区 ) 勝 L位 5ク 大和高田 R C 京 都 Ttt RC 京 都 R C 福 井 R C 奈 良 R C 知 山 RC) 会員増強功 労賞 2位 3位 12.舞 15京 寿齢 賞 (19o871ヽ 1909630迄 に生まれた方 富井 池田 10.京 都 紫 野 11.福 知 山 14.京 都 別代表 小崎 信志 八日市 RC I八 日市南ロータリークラブ提唱1特 '特 別代表 西川 lt夫 国近 西田 1.京 者ド 西 2.京 都 洛 中 3.大 和 高 田 4.京 都 山 科 5.八 日 市 6.京 都 西 南 7.京 都 洛 北 8.彦 根 南 9.近 江 八 幡 13.奈 良 大 宮 新 クラブ設立功 労賞 京都八幡RC I京 都田辺ロータリークラブ提唱 ラブ 199621-19971 ロー タリー クラブ ロー タ リー クラブ ロー タリー クラブ ロー タリー クラブ ロー タ リー クラブ ロー タリー クラブ ロー タ リー クラブ ロー タリー クラブ ロー タリー クラブ ロー タ リー クラブ ロー タリー クラブ ロー タリー クラブ ロー タリー クラブ ロー タリー クラブ ロー タリー クラブ ロー タリー クラブ ロー タリー クラブ ロー タリー クラブ ロー タリー クラブ (1996ヽ 97年 度出席率100%ク ロー タリー クラブ ロー タリー クラブ ロー タ リー クラブ 2位 3位 (1996 2 1 -97 2 28, ●京都北地区 1位 2位 3位 新 ポ ール ハ リス・ フ ェ ロー 山 ロー タリー クラブ 峰 福智山西南 ロー タリー クラブ 福 知 山 ロー タリー クラブ 福 井 RC ●京都南地区 2位 京都桂川 ロー タリー クラブ 京都紫竹 ロー タリー クラブ 橋本 金井 3位 京 都 北 ロー タリー クラブ 酒井 浮田 1位 大和高田 ロー タリー クラブ 奈 良 東 ロー タリー クラブ 1位 ●奈良地区 2位 3位 平 山本 石橋 村田 城 ロー タリー クラブ ベ ネファクター優秀 クラブ 上位5ク ラブ (19967ヽ 19972) 1位 2位 3位 4位 5位 福 井 1ヒ RC 大和高田 ロー タリー クラブ 『 西 ロー タリー クラブ 京 者 京都紫竹 ロー タリー クラブ 都 ロー タリー クラブ 京 京 都 南 ロー タリー クラブ (19961∼ 199612, 1位 2位 京都桂 川 ロー タリー クラブ 亀 同中央 ロー タリー クラブ 3位 水 411ア 5位 福 井 南 RC 福 井 西 RC ●5,000万 円以上 橿原 ロー タリー クラブ 大和高田 ロー タリー クラブ ニックスRC 福井フェ ●3,000万 円以上 福井南 ロー タリー クラブ 武生 ロー タリー クラブ 勝 山RC 大津 中央 ロー タリー クラブ 大津西 ロー タリー クラブ 丸 品島 ロー タリー クラブ 舞鶴 ロー タリー クラブ ● 1,000万 円以上 匡史 匡 憲二 真也 浩恵 廣一 並彦 稲垣 稲木 浅原 樋田 畦川 明 三郎 健 利浩 信男 一 常夫 正三 八 日市 ロー タリー クラブ ●2,000万 円以上 足立 山本 西村 京都西 ロー タリー クラブ 大津 ロー タリー クラブ ●6,000万 円以上 健一 牧野 沢井 上野 京都紫竹 ロー タリー クラブ 勝 山 ロー タリー クラブ 岡 RC 国 RC 京都 山城 ロー タリー クラブ 注 :1996年 12月 31日 現 在 、 米 山記 念 奨 学 会 よ りの 報 告 に よ ります 128 松原 鶴雄 利幸 清二 山内鴻之祐 中村 龍男 須藤 lE克 山田 和徳 山本 重男 高村 吉田 /1ヽ り ‖ 修 憲治 坪川 栗田 津田 角 川井 ロ ロー タリー クラブ 八 日 市 ロー タリー クラブ 京都嵯峨野 ロー タリー クラブ 米山記念奨学会寄付 1,000万 円以上達成 クラブ 京都南 ロー タリー クラブ ●8,000万 円以上 ●7,000万 円以上 泰久 兼 哲夫 啓三 啓史 正人 幸雄 玲子 光 山 晋治 木瀬誠 二郎 清水 彰 一 塚 谷 敏勝 原 千鶴枝 上 田 恵一 大滝 達郎 米山記念奨学会地区奉仕賞 一 人平均寄付額 須賀原和広 竹 内 由男 清水 紘 昭 早川 高木 谷 口 陸治 梅 田 郁雄 西 岡 幸男 堅 東 田 良治 岩 ´ 英 大嶋 山口 浩 由 画出 副武 丸井 一 成 丸井 幸男 藤澤 憲治 宮 地 孝行 宇野 嘉勝 諏訪 員 二 木村 昌弘 笠原智寿子 岡田謙 一 郎 理 石本 森 晴央 高嶋 行彦 市村喜 一郎 金木 正隆 川上 永田 文義 廣次 内田久右衛門 渡辺 良昭 山本 善 土 高山 和夫 平田 好祐 幅田 松村 竹田 辻 正実 藤本 東 西野 豊 津谷 真田 秀紀 正和 哲雄 亨 清志 隆治 一郎 徳照 貴寿 角谷 lle一 大 野 RC 大谷 忠一 河合 謙三 林 原 範昭 治夫 哲憲 誠一 築川 伊藤 足立 藤井 満 武治 悦久 道明 加藤 和彦 加藤嘉寿 夫 竹内 菊川 猪島 山本 譲 幸雄 瀧治 岸野 山口 武 生 RC 武生府 中 RC びわ湖八幡RC 五個荘能登川RC 彦 根 RC 南谷 渡辺 田中 山内 山田 宮本 畑 中 祥弘 足立 進 小南総 三郎 久保 田雅美 上 田 健吉 津 RC 捨市 浩雄 三夫 員一 良和 浅井 滋子 長谷 マ サ エ 伊藤 順子 加藤 二三子 川那辺朝子 木村 小泉 久保 岡崎 清水 角 田伏 水 守 口 RC 山 RC 欣一 良枝 澄子 幸江 全宏 節子 里美 正子 山本 鴨子 藤沢富美雄 鈴野 益 司 長尾 昭 二 大 津 RC 高山 隆俊 大澤 勝 松井 定義 松男 福永 外夫 田中大基 夫 白井 澤 勝好 直己 正三 服部 正章 久保 護 郁夫 信雄 洋三 大 津 東 RC 中西 正義 大 津 西 RC 本郷 田中 博 久雄 一 馬場 山本 金子 辻野 広治 篠宮 小 田柿 喜博 川合 武彦 滋賀湖北 RC 伊吹 之男 奥 山二三 男 木村 泰始 田中 泰治 服部 川北 小森 奥村 日中 健次 憲司 瀬戸 次雄 西村 信之 野 々 口繁彦 貞彦 清満 敏男 増一 C R 洲 草 芦田 井上 北川 中川 奥村 卜音Б 穂 建夫 芳孝 淳一 吉昌 長 浜 東 RC C R 島 佐竹 阪東 川端 高木 長瀬 甲西石部 RC 満幸 三夫 喜光 浜 RC 関谷 音同 野 彦 根 南 RC 山村 求 松 田 祐― 嶋 田 幹雄 佐 々木忠彦 長 ノヽ 日 市 RC 武夫 綾 早瀬八重子 金原 明子 本 す ら そ日Б 川 貞治 古橋 正士 1ヒ 清水 善之 岩佐 田口 孝男 修 藤井 節治 百元 信 一 小 野寺亮也 志村 山下 修 重 一 竹端 孝男 石川 功 朝 日 正博 徳永 良孝 木村 秀信 橋本佐市郎 賞 禎雄 藤本 八木 笹井 尚和 西川 片桐 戸井 康博 一郎 青木 中川 末廣 孝 順― 昭― Jヒ 伊藤 今井 上田 利行 淳夫 豊和 寛司 秀男 一夫 林田 坂口 佳久 岩井 哲 吉田 清一 本田 田中 弘 岩本 末治 池田 修 謙― 福島 昭衛 岡田 中川 遠藤 平山 田中 晶 疋 田 忠夫 村 田真一郎 村上 伊東 治雄 徹也 富田 進 植野 原田 有二 正司 綿島 植村 平爾 竹中 細見 均 中川 幸紀 正弘 畑 嘉孝 滋 坂田 吉雄 高橋 晋 浩一 川端 泰子 木村 静枝 北脇 清乃 小 寺 敏子 松 田 松江 奥村 清子 杉 江 朗子 鈴木 とみ子 田中 保子 吉 岡 芳子 森 島 正博 南井 ― 徳 福 知 山RC 福知 山西南 RC 亀 129 岡 RC 滋 蒲 善毅 吉見 足立 謙治 雀 部 俊彦 山中 博 之 明司 仁張 直敏 田中禅 徹 順― 大庭佐 由夫 大庭 大庭 美苗 足立 菱田 弘嗣 亀岡 中央 RC 湯浅 治幸 古谷 弘志 南澤 廣瀬 者5RC 京都伏見 RC 安野 晴輝 友博 RC 東 北村 豪男 冨田 彰夫 松村 圭祐 大西 敏之 建内 光儀 松村 美之 道明 岡本 丘 靭彦 森本 西岡 善信 野田 行雄 高田 忠雄 横田 道正 羽田 泰彦 正敏 北浦市次郎 中村 復也 西田 高屋 繁 石村 幸一 総 :大 村南都子 小牧 松田 京都紫野 RC 京 都 中RC 京 者5西 RC 弘善 米田 澄子 山中美智子 京都西 山RC 智 真純 森嶋喜代子 井 山 修一 磯谷 幹治 安井 浩 濱田 明嗣 細井 弘順 堀野 昭和 大倉 達也 山科 隆雄 小川 西尾 嘉高 橋本 邦保 以裕 久我 備昭 小谷 一之 坂口 嘉男 竹 内弘太郎 善穣 武居 有恒 日置辰 一郎 RC 京都洛 中 RC 示者5乙 J‖ 林 昇 岩井 陽 三宅 司郎 大西 正昭 城守 昌二 吉川 明良 市村 三吾 成瀬素斗丸 大藤 忠 砂 JI 憲 一 大谷 巌 宅間 小川 長楽 中村 義雄 信二 憲司 北尾 幸彦 高木正 三郎 田島伊佐務 近藤 正明 京者5洛 1ヒ RC 岡崎 善憲 片野 晏弘 西島 栄種 京都洛南 RC 井上 清永 大橋 章平 永渕 弘幸 金森 勲 北尾 良太郎 伊藤 健二 京都洛東 RC 金谷 良三 堀 口古志郎 大島 京都嵯峨野RC 藤田 善規 盛一 木原 泰博 伊集 清 新一 鹿野 秀雄 森田 好治 邑楽 合谷 純夫 大西 俊男 建野 浦東 守男 稲掛 英男 俊夫 市村 富田 武 修一 勝利 正雄 中川 Jヒ 行隆 河合佐 一 郎 弘昭 有孝 島本 京 都 晴雄 牛島 勝 西崎 llRC 京者5桂 り 正男 初1谷 治彦 中田三貴勇 京都城 陽 RC 奥田 西村 佐藤 京者61ヒ 東 RC 明 大倉 梅田 光博 範彦 三枝 雅樹 木村 田中 忠 伊藤 康幸 大塚 勝見 武夫 河合 木 曽幸 一 郎 西 田 英二 稲岡偉左衛門 渡辺 孝 史 伊東 京 者6東 RC 隆 京 者5南 RC 豊 田弥八郎 武田 松村 秀実 瀬古 星野 孝 松尾 吉計 誠一 英郎 横 山源 一郎 飛騨 富久 ξ―― フロ山 奇 員 小林 一彦 江後 良平 八田 雅一 浩一 林 幸弘 田中 竹村 信宏 京都西南 RC 山本 宏 中島 京都紫竹 RC 京都 田辺 RC 京都 山城 RC 西家芳 三郎 太 田伊 三男 筒井 俊則 一雄 西井 中川喜代 一 岡林 良壽 正純 奥 石田 敏夫 中島 皓象 澤見 孝成 奥本 勝己 隆一 白石 雪翁 高井 隆成 松森 武 山本 和秀 オ 直田 )瞑 中路 清嗣 武田 治 脇田 武勝 加藤賀千雄 木下 道信 橋田 裕樹 仲南嘉之輔 徳 山 淳一 川邊 隆司 浅井興 四郎 原口 毛利 卓士 隆文 藤本 正夫 杉本 次雄 義家 由一 政和 高津 猛 佐久間 正 岡松 庸 一 鈴木 徳田 邦夫 一 松山 滋賀 宏務 伊住 大浦 元 市原 130 高見 西日 進 大井 井川 伸年 正紘 睦彦 松井 克夫 本田 喜和 登尾猪 三郎 尾崎 俊幸 森村 稔 京都 山科 RC 舞 鶴 RC 石本 峰 山RC 横田 敬 松田 久子 西田 晴彦 斎藤 友幸 吉田 佳代 松岡 宙:子 山内 二品 正名 藤本 宏 中本 由美子 妹尾 隆文 文明 洸二 平野 忠夫 喜多野文子 中野 道子 今西 清隆 今西江佐子 堀川 佳亜 安川 直毅 近東佐 恵子 秋山 謙 ― 海保 勝雄 洋一 垣田 田中 敏弘 春二 足達 貞雄 藤山 基一 森竹 次郎 石田 恵久 伊東 真 中東 弘京 野崎 充亮 満 杉本 裕彦 島野 靖子 奈 良 西 RC 中嶋 安彦 奈 良大宮 RC 冨川 悟 平野 福子 梶本 佳昭 宮地 宏 高木 伸夫 谷 口謙治郎 東田 幹章 西村 松田 寿之 櫛田 匠 正木 渡部 謙三 岩田 清孝 光田 吉村 山口 新井 清治 卓 興治 笹野 岡本 中島 阪本 梅林 藤井 均 秀夫 要 山形 隆夫 吉田 末雄 王 茂 義久 和久 樋口 奈 良 東 RC 善康 桜 寺 RC 井 RC 大和郡 山RC 米田 豊 熊谷 映治 農野 正幸 助川 義寛 大浦 民生 赤崎 正佳 重走 泰治 大西 藤井 光清 福本 哲哉 圭志 服部 耕司 利一 廣瀬 泰治 菊岡 成泰 木谷善兵衛 前川 真澄 稲垣 犬飼 正志 中 純宏 尾崎 勝彦 田村 良平 中川 隆雄 下村 内田 行彦 柳井 康司 山田 直治 山本 卓 陽一 大和 高田RC 辰巳 徹 岩井 茂敏 田中 橋本 上村 新 マルチプル・ポールハ リス・フェロー 村尾 和信 憲一 洋 卓三 永原 君代 (19967∼ 19972) 出井 幸雄 奥田 順亮 武 橋本 健治 田中香 与子 岩井 昌子 仲 橿 原 RC 山口 揚子 横田 博 伊藤 奈 良 RC 収 福西 亮 真滋 横山 一郎 奥田 愛造 鈴木 記光 田中 隆男 和宏 福 井 RC 宮本 義人 黒川 誠一 菅原 将高 岩崎 康弘 宇野 武 (2) 吉水 清治 (4) RC 相模 嘉平 Jヒ リ ‖ 日 召 (2) 久津見 専 (2) 福 井 1ヒ 中嶋 典作 '台 品川 二三 男 鷲山 教悟 八木 熊吉 佐 々木義男 巨椋 尚義 奥 敬三 禾日ξ 弓 基成 吉田 順一 松山 泰久 箸尾 坪田 並川 雅俊 奥谷 菊次郎 辻 昭 光二 吉村弥須雄 上林 賢 土谷 靖彦 勝木 河合 吉村 木村 真嗣 雅則 長谷 川嘉信 享嗣 衛 為夫 常山 森山 '‖ 中川 宗男 宮崎 福 井 東 RC 糸 田 齊藤 (3) 哲郎 良二 大久保茂 明 守金 中林 橿原 中央 RC 光代 敏嗣 部 RC 城 RC 敏良 典夫 園 平 康充 小財 寿彦 章三 條 RC 北浦 小山 縄 細見 宇治鳳凰 RC 小林 良博 志摩 津 RC 治 RC 池渕 秀雄 藤一 義郎 宮 宇 木村 山室 秋保 舞 鶴 東 RC 常利 吉村 豊 木村 宏 伊藤 俊廣 木瀬 康統 健俊 菅原 淳輔 村 田栄治郎 磯田 健宏 (2) (2) (2) 寿磨 庄山 章信 大滝 達郎 佐 々木義雄 笠原 行雄 黒川 満 宇野 山口 辰哉 ニッ クスRC 福井フェ 吉村 光夫 山 RC 阿部 武雄 松山 繁 桂一 中谷 福 井 南 RC 勝 岡 RC 亮治 (4) 林 正男 (2) 山田 芳彦 秀昭 岸本 雅巳 竹原 正行 松居 繁隆 (2) 松村 季夫 (2) (2) 小 笠原修次 (2) 茂 治 巳 (2) (2) 井上 幹夫 鞠山 勝利 (4) 山本 (3) 服音6 (2) (8) 浅井 章 甲一 島村 西新 居明 大川 橋向 勉 林田 林田 千之 正義 池端 義郎 田中敬 一郎 重義 (2) 数― 村田 廣久 三品 小原 成雄 細田 (11) (4) (3) 小栗恒次郎 (2) (2) 佐伯 (2) 古賀 健蔵 修 南嶋 菊次 濱崎 元輛 七黒勝 太郎 中島 忠信 釣部 勝義 河本 英典 友影 龍郎 上 田幸太郎 大津中央 RC 川邊 山岸 大 津 東 RC 松村 藤男 憲一 石森 功 靖一 月間 相楽 重喜 松崎 哲三 宮崎 茂 川越 幸司 桑原 二美夫 丸井 福井 伍一 要治 小林 弥平 二郎 伊藤 菅原 哲秀 喜一 奥村 玉谷 英雄 実 松井 雄作 成一 仲野 守 佐藤 良治 細川 清司 山岡 延照 滋 賀湖北 RC 高山 良行 前川 泰雄 正男 柴田 島 RC 洲 RC 玉井 正治 中原 昭治 辻本 澤山 史郎 仁志 出良平 村 明 上 田 安範 五十 嵐義和 清輝 中島 月 艮音Б (2) 斉藤 大 津 西 RC 桑原 喬 (2) 辻岡 俊三 三 田村久治 高 野 (2) 田畑愛 一郎 Jヒ 原崎 ,青 三 加納 久吉 一 サ Jヒ 本 す I頁 ― 小 菅 一彦 '可 岡田 清水 彰 澤 和人 藤田 益平 山岸長兵衛 北本 寸 利爾 岡銑 三郎 角 (2) ノ ヽ 日 市 RC 克己 栄次郎 阪東 建夫 (2) 律治 石戸慶次郎 奥村 章 三 (2) 奥村晃 一 郎 (2) (2) 出目 宏 (2) 西田 芳夫 (2) 広島 正信 (2) 松吉 仁司 (2) 前川 恕 (2) 向 敏男 (2) 小林 久雄 (2) 長沢 彰 (2) (2) 西村 建司 (2) 西 川 悦夫 二橋 貞治郎 福原 憲治 喜一 (2) 今宿 宮川 冨宏 大照 敏 青山 鎌三 熊木 大橋 和夫 児島 又男 能勢 武地 二橋 孝治 辰巳 裕明 利一 図司松 兵衛 畑 寿 一郎 貞雄 松吉 山田 兵衛 加藤 彬 松吉 山田 山田 孝雄 川村 義夫 奥 加藤 渡辺 冨良 富 田源 一 朗 良樹 源三 北川 安雄 重森 林 栄七 日比野渥美 晃 (4) 岡田 孝夫 幸矢 (2) 漣 藤吉 (2) (2) 辰己 孝昭 平川 (3) 西村善 三郎 宮川 財津 (2) 岡本康比 呂 北 照孝 (2) 嘉郎 精一 忠好 勇一 (2) 浜 RC 吉田 渋谷 金作 康孝 長 (2) 浩平 和田 邦旺 津 RC (2) 林 肇 栄一 中村 草 宏 定男 堀江 彦 根 南 RC (3) 吉田 幹男 生 RC 根 RC 久平 正基 岩崎 江 RC 彦 平井 西浜 伊藤 辻川 武 びわ湖八幡RC 仁郎 (2) 知章 弘一 鯖 狭 RC 津 RC 庄助 小山 正臣 松井 小見 山 若 大 尾崎 (2) 谷日 知幸 岩崎 国 RC 河合 池田 深山 上杉 丸 長 浜 東 RC 松 吉覚太郎 市郎 勝司 隆一 博之 三良 (2) うん 綾 福 浅野 京都桂川 RC 部 RC 山口 博之 知 山 RC 牧野 道雄 (3) 小林 昌利 (2) 西田 政吉 (2) 吉田 脩 (2) 正木 國夫 高橋 原田 定雄 森 田邊 山田 一口 岩田 安田 弘 泰健 登 将貴 (10) 幹男 建 (14) 遠藤 勝 弘一 鎌野 孝和 山中 泰造 福知山西南RC 隅野 廣男 政美 岡 RC 松井 義郎 山田 三郎 川勝 孝司 浅見 直幹 楠原 澄夫 大槻 詩朗 川島 春雄 島津 靖央 亀 一 界 者5RC 水原 醇 日比野 光鳳 田宮 (2) (3) 笹尾鮮 三郎 西村 治兵衛 京 者5東 RC 示者51ヒ 東 RC 京都城陽 RC (2) 外林 秀紀 彰士 四方利 一郎 (2) 淳 城山 上原 泰― 従正 佐藤 呈 (2) 田中 守 (2) 松尾 義平 (6) 山 下 達雄 (2) (2) 細見健次郎 (6) 相馬 秀臣 藤井 幸二 金井 正玄 西村 塚修 義一 中西 博温 黒田 渡部 隆夫 相模 泰造 梶川 陽士 伴 三上 責 宗室 西村大治郎 (8,9,10) 大井 武和 (2) 日向 貢 富田 謙三 (6) 菅井 宇山 理雄 広岡 政樹 皆見 千 (3) 池内 常郎 田中長 兵衛 高橋 一成 (2) (2) 浅沼 健夫 塩路 道雄 永二 粂田 佳幸 (2) 竹田 倉田 保三 稲岡 宗博 (2) 坂本 稔 (2) 正寿 黄 亀井 邦彦 書埠 祐一 岡村 (3) 三枝 武夫 星野 誠三 正義 猷二 伊藤忠 三郎 中村 伊 一 (2) 説田 弘 半田 行 (3) 野村 憲司 永田 土田 恒夫 幹 善則 行夫 佐 々木 稔 大藪 久雄 岡林 事 (2) 藤田 榮一 (2) 高橋 泰久 (4) 福井 晟 吉川 (2) 廣野 忠秋 藤村 順介 一 (4) 永井 啓之 (5) 大田 皓三 (2) 宗貝J 正豊 小森 輝男 'HJ崎 澤田 (4) 藤原 隆 安雄 (3) 藤田 雅三 敏夫 杉山 公甫 中川 光生 三郎 小寺 國夫 野 々 内泰 ― (5) 杉山 実 典孝 克巳 泰一 巽 進也 (2) 浜 池田 広信 井上 六平 宮谷 西村 洋介 崇 二 郎 (2) 元生 森澤 金井 格 征之 光治 昌一 (9) 鮒子 田昭司 内田 山本 康弘 佐 々木忠夫 大島 京都伏見 RC 京 都 北 RC 陰山 本方 西村 岡田 石見 辻 澤田 梅村 西村 山名 完生 二郎 恩地 博幸 堀井 源吉 岩城 康雄 井上 勝之 森澤 博光 中西 佳男 裏出 豊 近澤 隆男 永田 (3) 平井 昭 忠雄 松宮嘉 一郎 小野 内悦 二 (2) 川村 泰一 田中 浩 良一 野沢 義忠 皐月 邦右 藤本 池田 佳隆 佳 弘行 大島 良夫 日辺 親男 木下 高井 隆秀 片木 政明 昭二 児玉 宏 谷口 政弘 石 田静飛虎 (2) 鈴木 豪 吉岡 秀憲 (3) 本田 茂 山口 信栄 伊豆蔵光彦 高田 田中 種田 勝介 道一 阿部 秀之 達三 倉地 省吾 今西 信裕 岩崎 喜多川光平 美馬 四貝 「 輝三 高田 博康 福井 義男 (4) (2) 京 都 南 RC (3) 京都紫野 RC 博補 稔 西條 力男 千 宗守 嶋田 相場 隆臣 鈴木 嘉集 田畑 喜八 高橋 浩昭 宝本 房義 高山 茂 高山 佳久 武村 銀一 義治 建内 丹下 寺崎 上野 徳七 山本 隆 一 (2) 偉晃 1頼 康夫 享一 保雄 安田 鳥山 直造 京都 乙訓 RC 博 三 (2) 直昭 梅田 顧 加藤 宇野 達 渡辺 健次 山口 勲 JI田 英夫 山田 惇司 作田 敏夫 力也 山河 豊 福永 山本 章治 山本 山戸 安田 英治 徹 山脇 中小路 克爾 内藤 雅夫 高司 晃三 林 章治 廣田 陛一 星野 久弥 浩司 井尻 貞雄 (2) 北山 巧 平井 義 久 (2) 小西 博 護 (2) 半田 隆利 安井 京都洛 中RC 博 (2) 浅田 茂男 浅野 博久 長瀬 藤岡 護 藤田 勝次 大槻 武司 坂部 慶夫 (2) 源田 義朗 長谷 川 佐藤 武彦 橋村 高象 征司 絋一 寺田 堀内 今井 信也 石原 信輝 (4) 賢一 横山 徹 巨 筒井 山内 八木喜久男 憲治 居附 俊昭 邦一 伊豆蔵英 一 加勢 満男 井尻 博 河合 敏明 河北 芳美 小西 敏夫 増田 川中 粂 川島 岩井 福村 喜弘 (3) 平 田東之助 │1崎 サ 青冒性 (3) 晃三 康一 睦郎 大野 鈴木 嘉宏 隆 三 (2) 松野 金 吊ギ 戦 ;仁 5日 :] 輝夫 小林 俊亮 西村 崎 一 (2) 種 田征 四郎 (5) 小島 l ●男 小山 青山 藤堂 稔之 (4) 藤原 敏 治 (3) 志郎 (3) 田辺 吉輝 (2) 俊夫 香 山仙 太郎 木谷 卓 (7) 林 倉田 義宥 黒崎徳之助 田中 松官 啓祐 松村 圭祐 田中 義高 松村 好得 剛山 岡野 季雄 (2) 松山 忠囲 松長 三田 岡本 瀬川 村勲 征義 内海 巌 (3) 室 輝男 富田 吉田 正路 (2) 清益 英雄 (2) 吉村 彰彦 (2) 日 召(2) 松 井 H召 憲 (4) 昌和 ││ 1青 ,台 中サ 中蔦 重男 森藤 中岩 弘之 中本 寸 純三 専芳 (2) 善和 (5) 福 田孝 三郎 (2) 大庭 茂生 (2) 浅野 橋本 良邦 (2) 津村 修 (2) 庸 三 (2) 昭 小中 達麿 (2) 平田 隆 (2) 直 (2) 荒川 忠夫 竹内 紀雄 (2) 晃 一(2) 野中 成夫 (4) 宮 F 児玉 憲彦 清水 正啓 直行 日比野 栄造 小林 寛 正典 高橋 宗康 (3) 中村 達宏 略川 隆 小栗栖元徳 大西 敏之 中野 相模 大澤 平井 勝彦 小野 兼三 正士 中村 達雄 初岡 井上 /1ヽ 京者5洛 1ヒ RC 京都洛南 RC 洋治 襄 角高 修 内藤 幸男 岡島 京都洛東 RC 1竜 山本 重雄 大塚 棟弘 服音Б 裕 奥田 保市 北條 誠 基 一 鴨井 雅夫 京極 一瓢 江谷 寛 寺内 進 田村 信之 (2) 冨士森 良輔 (2) 村上 耕治 西邑 谷 功樹 藤井 重泰 (2) 敬一 吹上 宏 (2) 高宮 輝千代 島崎 俊夫 (2) 森定 秀夫 鈴木 篠田 京都西 山RC 高塚 経雄 戸渡孝 一 郎 田中 立川 山田 京 都 中RC 禾日男 川 光儀 池田 次男 林 一 (2) 直原 孝 (2) 小塚 健恒 (4) 正雄 (5) 洋 一 (2) 原田 森 /1ヽ jll 平田 鴨夫 喜洋 伊東 京都嵯峨野RC 一寿 久保村友 一 (2) 脩 澤井 京者6西 Jヒ RC 井澤 豊 (2) 牧野 松居 正和 濱田 羽田 実 石川 昇児 (6) 公三 中谷 正敏 森田 金治 (3) 泰宣 京都西南 RC 宮井 宏 (2) 松井 憲治 (3) 桝井 博 加藤 隆史 (4) 広 瀬源太郎 一哲 森 勝山 久武 (2) 金井 信 義 (3) 塩尻 功 米津 寛 和田 臼井 平八 (2) 龍 三 (2) 宇治鳳凰 RC 吉村 金三 條 RC 平井 康允 平岡 鶴見 良晴 人飼 正和 小延 知輝 茂 隆勇 小山 脩作 栗山 亮作 茂造 新城 康誠 光弘 佐藤 照雄 竹原九仁 武 吉岡 裕温 福岡 京都 朱雀 RC 京都 山城 RC 京都 山科 RC 栄 (2) 小林 芳朗 松本喜兵衛 大久保 黒川 正夫 (2) 柳田 稔 (6) 浦川 博 正 (4) 小原 勉 (3) 松芝 政雄 (8) 斉藤 隆三 (2) 天野 告郎 岡本 裏出 谷口 昇 (10) 宇 治 RC 中田 幹雄 中岡 節夫 宮崎 宮本 幸春 村 田秀太郎 桜井 西岡 努 末松 哲夫 岡村 野村 高谷 博 (3) 泰 三 (11) 田中 増田 城 RC 松本 豊 大田 明平 中西 敏 (2) 永原 康男 (2) 藤野 北濤 (2) 久雄 (17) 房 二 (6) 横田 進 (2) 梅守 末男 (2) 中雀 啓 司 (2) 田中 中原 隆嗣 (2) 翔一 山口 正敏 (2) 壽一 平 孝之 (3) 横田 治男 (3) 林 廣 田長 三郎 (2) 堀部 素弘 (2) 佐藤 昭博 公一 今村 増田 紘 明 (2) 熊本 国勝 鈴木 嘉彦 吉岡 荒堀 飯田 偉雄 英二 野添 政男 一夫 西村 晋平 (2) 中川 iE文 太田 美実 (2) 布垣 裕 嗣 (2) 浅 田喜八 郎 (2) 井上 勝 (2) 金 澤 三四造 (2) 庄司 悦治 粕谷 利春 岸信 太郎 (2) 小坂 進 (2) 駒井 完次 大西 晃 黒澤 巌 (2) 槙原 一雄 (2) 大西 良則 村元 健 具 (2) 宮本 (2) 博史 小原 晃 (2) 小野 富造 (2) 大木 博 (2) 澤 利 夫 (2) /1ヽ 生 橿 駒 RC 原 RC 久保伊佐雄 岡橋 良 RC 谷 前 清元 義一 足達 説田 武 (2) 杉本 信夫 (2) 中本 勝 砂崎 道夫 (2) 鈴木 敏 治 (2) 豊澤 安男 (2) 栄城 齊藤 竹市 泰和 (2) 竹本 昌生 (2) 並川 谷川 博造 (2) 手塚 若山 敬祐 (2) 山中 充 (2) 鉄 一 (2) 小林正太郎 杉 山 嘉 一 (6) 吉田 良武 井上 武雄 (2) 増田 田村 和夫 山脇 箸尾 舞 鶴 RC 志賀 晃弘 (2) 峰 山RC 足達 敏夫 忠兵衛 壽一 潤一 前 田正 一郎 (2) 沢 田 昌一 稲田 利 也 (2) 田中 豊作 (2) 孝雄 (2) 中島 欣資 (5) 春夫 松岡 泰夫 (4) 達哉 (3) 森 奥村 威俊 (2) 平井 三久保長一郎 一雄 平 八 郎 (3) 中山 1弟 一 豊田 多川 乗 覚 (2) 上村 英文 (2) 中野 重宏 (10) 松田 正典 畑 中芳之助 平井善次郎 三浦 剛 山中 侃 一 (2) 田村 員澄 木堂 誠 人 (2) 一美 (2) 笠置 村 岡 H青 喜 山本 矢谷 平夫 松田 清隆 藤 円兵 ´ 郎 宮 園 古橋 武彦 一良 津 RC 石間 淳夫 (2) 部 RC 穴穂 行弘 (2) 今西 清悟 (4) 前田 哲郎 英男 (2) 壽 ´ (2) 西田 滋 (6) 喜多野徳俊 (3) 藤井 吉田 長治 (2) 淳一 告田 堀 吉宏 小山 良蔵 (4) 忠 西田 行生 増尾 徹 中村 武 人 (2) 芦田 道祥 桐野 清 名和 岡村 吾郎 (2) 水谷 紀元 西村砂 千雄 沢田 佑 介 (2) 昌一 (2) 寺田 康 宏 (2) 湊 正木 有馬 孝清 竹内 正治 田中 真端 辰巳 二膿 上田 澄夫 山中 欣治 米沢 定義 吉田 和生 吉 川英太郎 出口 武男 福田 昭治 (4) 箸尾 享嗣 橋爪 宗和 井上 富雄 伊藤福 太郎 (2) 藤井 琢男 喜多 将雄 児島 孝夫 小西 正文 奥本 黒川 義方 (3) 松 田 徹也 安本 中尾 布施 松山 奈 良 東 RC 康雄 (2) 隆 尾西 楽斎 柴田 徹 大和 高 田RC 平治 沢井 啓祐 (3) 杉岡 護 幸卯 (2) 茂 (2) 村 山達之助 (2) 植 野 昭 三 (2) 赤井 康純 教雄 林 正晃 平井 秀行 井上 善克 成元 田中 義雄 川中 宣匡 喜村 オ 直里 テ ,青 品可 鷲尾 隆慶 喜, 正則 黒松 健 八木 春樹 告田 彰男 松本太平衛 松村 賞秀 吉村弥須雄 岡 孝夫 枡同 進 松尾 克己 宮城 村上 淳一 森田 村野 通規 家三 河野 清晃 岡本 保博 城田 全康 尾田 芳信 永井 宏 昌 (3) 渡邊 良憲 秩父 治征 近東 宏光 (3) 太郎 村 島靖 一郎 中井 一男 水谷 悦郎 (3) 上林 賢 (2) 西 川儀兵衛 河合 衛 (2) 杉山 和彦 (2) 岡本 書晴 大島 賓 下村 康夫 酒本 核村 喜芳 植村 昌彦 乙爾 安井 猛 (2) 綿谷 正之 (2) 川北 木村 雅則 (2) 秋田 昌博 (2) 忠一 花田 克彦 中井 博 西嶋 榮一 野村典志忠 山田幸太郎 安川 呈 吉田 逸郎 吉田 馨 北 山勘解 由 武史 貫定 正 巳 小鍛 冶英 一 吉川 春夫 吉川太喜夫 黒田 有紀 前田 武 苦川 利通 告岡 國郎 松井 淳次 中村 公巳 廣橋 平司 板橋 武彦 中村 西田 正秀 細井 衛 大倉 常明 正好 荻田 義雄 舟戸 松井 逸郎 (2) 中井 隆男 (2) 中井 忠信 (2) 山野 義次 清水 弘志 寺田 俊彦 (2) 小原冨重郎 奈 良大宮 RC 有井 邦夫 深澤 文雄 河村 保夫 告川 井 RC 藤本 鴨男 鍵谷 頭宏 岸本 嘉郎 日下志 伊藤 喜 ^(2) 糸谷 精 己 (2) 西沼 啓次 (2) 大野 可 固 (2) 桜 大和郡 山RC 新 メモ リアル・ コン トリビ ューター 勤 福本 淳 花田 輝 今西 宗一 板橋 知義 柿本 経夫 片桐 友信 枢木 聡 木島 敏宏 北谷 泰彦 幸田 繁男 楠本 芳矩 松本 勉 松岡 森島 成和 中屋 秀晋 三司 西浦 斉 野澤 照岳 尾川 恵宥 大石 恒義 大西 善勝 佐伯 良三 清水 幹夫 杉田 正義 ‖ 将 ,告 竹り 勝平 藤村和 三郎 C C R R 井 生 荒井 福武 富井 一雄 土居三良右衛門 嘉之 びわ湖八幡RC 浜 RC 長 島 RC 高 宮崎 茂和 山内長之助 増田 善宏 川崎 孝 一 富 田源 一朗 岸 田 一雄 西川 竣治 川越 清司 元生 光治 京都府 京 都 南 RC 西村 二郎 奈 良県 平 奈 136 城 RC 良RC 田中 中島 隆嗣 欣資 河合 衛 松岡 泰夫 城田 全康 黒川 寺 RC 王 義方 有馬 孝清 彦 根 南 RC 吉田 良信 新ベ ネ ファクター 甲西石部 RC 井 RC 福 近藤 駿 佐野 俊男 宮本 数男 良二 玉木 三谷 洋 片 岡 JL明 黒川 福島 清 /1ヽ 松岡 敏 坪川 森山 武 小野 田重 雄 鈴木 栄 一 中井 利男 ― 佐藤 誠二 松田 俊男 宇野 福 井 東 RC 福 井 福 井 RC 南 RC 1ヒ ニッ スRC 福井フェ ク 敬三 奥 T雪 草 津 RC 山RC 進 加藤 芳英 黒川 照元 C R 岡 C R 国 C R 江 丸 〓一鯖 吉田 鯖 江 武 RC 生 RC 1ヒ 長 浜 東 RC 松山 繁 松村 秀紀 金作 恭平 喬 嶋田 嘉夫 C R 賀 C R 狭 敦 若 酒井 斉藤 隆治 岡本 隆 高橋 弘泰 野村 茂三 渡辺 佳男 三田村嘉左衛門 萩原 茂 真田 原田 一二 平本 昇 風呂仁佐衛門 宇野 尾上真 一郎 浜詰 土佐 和彦 二夫 上野 清治 水野 睦賞 孝一 川上 優 克 西川 竣治 石黒 政雄 稔 大 津 西 RC 近江八幡 RC 高 吹 田安兵衛 ブヾ山 苛 ,台 貫Б 上亜 隆 誠克 彰三 正男 林 川崎 西 五個荘能登川RC 彦 根 RC 飛永 角 野 島 RC 洲 RC 義夫 河合 谷口 亮治 正臣 井上 勝行 永孝 中西 弘泰 邦蓮 正志 畑中 昇 今井 重次 大平 憲三 中村 勉 嶋 力日 蔵 前川 岩崎 辰雄 正男 橋和 田 證 大西 幸雄 敏一 藤井 松村 鴨江 南部新太 郎 中山 厚彦 高野 源吾 中阪 昌敬 井上 久孝 大澤誠太郎 寺下 弘 松井 正一 東 薫 橋本 河野 裕通 小野 猛 正之 篠宮 賞 起興 小磯 正人 日本 l i喜 禾日 高木 信彦 森 泰翁 高木 森田 佳倫 西村 進 正和 北村 朝 日 正博 高橋 利男 辻本 辰己 三井 正治 酒井 勝宏 重本 博 昭治 小林 三男 奥村晃 一郎 堀井 勝 野洲 健造 奥 源三 龍夫 櫻田 拓也 大志万 昌次 人見 誠司 金山 勇吉 甲原 ノヽ 日 市 RC 文雄 川村 京都府 恵三 栄次郎 武夫 正基 善吉 節二 堀 滋賀県 びわ湖八幡RC 吉岡万寿夫 寺 田萬寿夫 英一 /1ヽ 肇 桑原 正 大杉 幸雄 小谷 平山 小川 伊藤 大 津 東 RC 行雄 小 川三代 治 村田 知幸 邦旺 重孝 辰男 祀三 吉男 高山 上羽 岡島 堀江 重博 古澤 武夫 英雄 三郎 早瀬 木村 喜孝 笈田 玉谷 清満 富 田源一朗 幸男 釣部 武夫 │1北 り 正雄 鈴木 利明 耕造 園田 西藤 昭夫 南 黄地 吉村 高崎 和田 上杉 茂夫 良禾日 浜 RC 大津 中央 RC 季夫 小 笠原修次 深谷 桂 一 青山 卜部 長 鴨男 久保 昌信 口RC 城助 松村 西村 山RC 川 池田 英彦 水 蒔田 武雄 英一 良 辻 守 安本 阿部 大塚 池田 宏治 久津見律子 勝 文雄 孝善 誠一 白 告 貞治 岩崎健太郎 Jヒ 奥野 上田 綾 苦5RC 福 知 山RC 朝倉 田邊 廣男 福知山西南RC 横山 尚理 忍 岡井 亀 岡 RC 足立 明 修一 塩見 高木 二郎 山田 辻 内田 富田 和俊 人見章 一 郎 石田 功夫 谷口 泰義 三郎 稲村 貞作 出射 靖生 児嶋 照子 芳郎 島津 靖央 岡 湯浅 忍 田中 正人 一男 大井 武和 邦考 古王 宏 伊住 政和 JI下 達雄 木戸 敬 松山 茂 大槻 詩朗 安田 良雄 山田 信吾 石村 義治 木戸 伸承 滋夫 謙三 南澤 隆 西尾 大石 克 斉藤 関日 清 ■〕 渡邊 示 都 1ヒ RC 京 者5南 RC 光人 隆成 小宮 山俊朗 六車 勇 二 高井 嘉美 羽山 彰男 西村 金二郎 鳥居 三郎 澤野 茂治 辻 建而 阿閉 茂嘉 貞一 山元 厚男 正平 浅井典 四郎 藤野 五十川 繁 川 口賢次郎 林 長禎 一彦 一 界 貞昭 西田 行隆 小湊 壌 蔵岡 督識 田宣 ― 松尾 裕 水谷 幸正 中村 恵行 住幸 浅沼 健夫 佐 々浪元彦 伊藤忠 三郎 賢一 牧 新井 直次 博二 半田 行 西阪 文昭 小堀 岡田 祐雄 高田 博康 高橋 督治 京都紫野 RC 建内 光儀 本多 保博 中 RC 江藤 英賢 鴨井 雅夫 西 京 都 祥太郎 晃 阪 「l 大塚 棟 弘 藤原 光文 北條 誠 森 美諭 平井 達雄 海野 郁郎 角高 修 山崎 博 JI中 隆雄 岡島 重雄 福井 四郎 宏 今村 耕三 奥田 保市 浩 今井 重昭 内藤 幸男 若松 上田 茂男 篠田 次男 栗原 伸治 村瀬 義治 山田 三輪 浩三 土田 松原 川咲 岡野 中野 安田 行夫 一郎 昇 康司 武司 淑夫 昇 伊東 栃岡 道夫 堤 清彰 岡野 土田 益巳 武田 隆男 建野 晃毅 友湖 冨家 健二 松浦 敏朗 弘 一 人田 吉紀 孝裕 藤野 本 1山 忠 ,台 貞 『 伊藤 次雄 晃一 今西 蒲生 川村 西村 義行 大村 泰治 脩 清水 紘 栗林 藤村 京 都 西 RC 岩松 暗史 久保 田喜 一 松居久佐衛門 左 海祥 二 郎 佐藤 善穣 大田 長平 安藤 谷 義幸 谷内 乾岳 山田 宇助 浩三 請田 安央 渡辺 達好 岩城 景三 勝山 正之 北澤 正巳 浩一 一下 7 児島 孝之 久 一 堤 橋本 木下 藤原 北岡 収 隆 重男 辻井理紀也 中西 /1ヽ 7百 英司 西崎 日比野清彦 山名 「i郎 池田 清水 京都城 陽 RC 格 勝彦 修一 藤井文治郎 遠藤 弘 一 欣考 山内 京者51ヒ 東 RC 義朗 西尾 今井 粂田 辰治 泰一 浅野 城山 足立長兵衛 松宮 吉田 IIRC 京者5桂 り 森澤 山田宮英子 敏二 利明 宮部 京 都 東 RC 義郎 博光 森澤 征英 藤井 善夫 楠 京都伏見 RC 谷原 守 正木 田中 者5RC 松井 森川 楠 亀岡中央 RC 土佐 大澤 雅弘 岡田 中村 義雄 ― 良 光生 信二 植田 叡 京都西 山RC 河本 寸 勲治 木下 泰 一 茂 西出 /1ヽ り ││ ‖ に 島ラ 京都 乙訓 RC 竹内 作田 邦夫 内藤 雅夫 高司 辻 清和 京都洛 中RC 京都洛北 RC 山本 隆一 辻 剛正 平井 義久 星野 久弥 京都朱雀 RC 井尻 小西 博 康一 京都 田辺 RC 増田 貞雄 晃三 岡野 季雄 山内 吉田 上田 正路 信輝 土肥 信 一郎 達彦 専能 健史 田中 敏雄 若林 宗丘 長谷 川重 一 西村 生田 宗宏 鬼界 榮次 木村 茂 井川 正紘 久保 嶺爾 小中 達麿 久保 敬童 中島 國晴 中島 光男 ブ く世 島 勇 暑][ 岡本 秀治 土本 京都洛南 RC 昭 松野 米原 新二 細見 正博 山本 三澤 晴彦 増田 典 ,青 岡本 良夫 高倉 信夫 谷川 博造 末松 哲夫 増田 房二 岸信 太郎 横田 治男 高橋 秀和 冨田 靖博 吉村 好司 昭光 仲南嘉之輔 城 山 一三 京都 山科 RC 京都 山城 RC 京者5ノ ヽ幡 RC 鶴 RC 中川 貴由 人江 裕 福 井 iE典 宮本 幸春 神田 晋 中野 勤 真鍋 克次郎 南 健一 仁志 下世 古晉 福井 淳蔵 肇 津村 庸三 井関 勉 多田 山仲 修矢 田中 良昌 山雄 尭之 ,可 山 奇 ,羊 西村 名倉 幹夫 良一 山本 康裕 金森 勲 林 野村 成美 孝― 甘利 為保 原 順 ,台 西谷 茶谷 三野 廣史 /1ヽ 大辺 徹 黒田 裕 正名 大西 直樹 桂 欣也 舞 舞 鶴 東 RC 潔 志賀 晃弘 高橋 清 石川 千秋 伴 高橋 由行 和久 澤田 浩 河田 友宏 畑東 井上 博明 堀澤 真澄 江守 光起 川西 通夫 郁司 高木 幸雄 倉木 藤原 山中 京都西北 RC 茂延 宮崎 重明 伊達 貞夫 正俊 木戸 衣川 磐 牧野 津 RC 園 部 RC 爾 円中幾太 郎 恭平 蓮井 宮 貞夫 福井 京都嵯峨野RC 京都紫竹 RC 基雄 中川喜代 一 玉井 海男 一 :二 京都西南 RC 三 田村建 治 桜澤 薮 京都洛西 RC 片山 敬一 松田 靖 喋一 岡本 均 佐 々木 一 夫 島崎 俊夫 北岡 忠之 白井 治夫 安井 孜 佐野 野村 義弘 敏彦 一也 堀 吉宏 田中 禎洋 孝 柴田 ]:木 章三 武 松本 豊 龍三 ― 雄 真 :] 西村砂千雄 高田 亘 宮輝 千代 勝山 久武 森口 行雄 今井 山崎宗次郎 金井 信義 森 邦夫 横萩輛三郎 江阪 寛治 岩田 清孝 自井 大杉 俊雄 小原 勉 山田 久保 古川 定男 正儀 樋口 善康 小永井柾也 大田 凱敬 田中 隆嗣 熊本 国勝 卓三 佐藤 公一 辻本 好広 壽市 一夫 飯野 純紹 谷村 嘉夫 光夫 雄一 林田 浩志 湯浅 浦川 博正 大久保 佐伯 希彦 植松 昇 繁 ― 斉藤 蔦川 剛敏 水円 隆三 隆三 高岡 水束 新木 直人 元氏 功 大橋 安田 康彦 一 宇 治 RC 宇治鳳凰 RC 平 城 RC 林 佳弘 佐 々木捷 二 上村 生 駒 RC 中谷 成瀬 日出夫 砺波 修 貞包 倉斗 宗覚 清森 康男 吾郷 和久 田口 園部 岸 智悠 武 泰夫 吉良 岡田 勝 橿 原 RC 久保伊佐雄 辻村 敏 鍛 冶 田恭男 今西 啓師 藤助 浅利 好史 森野 三浦桂太朗 橿 原 中央 RC 良 RC 奈 奈 良 東 RC 奈 良 西 RC 山下 雅巳 伊勢 美登 平 田静太朗 北岡 忠義 増尾 徹 奥田 善彦 中尾 平治 城田 全康 河野 清晃 河合 衛 多川 乗覚 有馬 孝清 黒川 義方 伊藤福 太郎 松岡 泰夫 小山 恭二 足達 壽一 島野 宝明 倉本 尭慧 舟戸 武史 花田 克彦 北 JI勘 解 由 L田 洋一 光山 忠良 木下 裕 河原 勉 清原 弘通 片岡 稔 中村 保 高橋 善次 王 寺 RC 回枝 宏 松下 浩規 桜 井 RC 上辻 健夫 上田 賃 稲田 勝人 池田 利一 米沢 定義 騰本 寸和 三良6 竹川 将浩 赤井 康純 大和郡 山RC 大和 高田 RC 浅田 稔 吉村 元嗣 松本太平衛 尾崎 4二 一 宮城 淳 ― 大島 I 彦 根 RC 津 RC 甲西石部 RC I 草 浜 RC 長 山 RC 守 大津 中央 RC 津 RC 大 近江 八 幡 RC 大 津 西 RC RC 高 島 RC 滋賀湖北 八 日 市 RC 彦 根 南 RC 口 RC 水 びわ湖八幡 RC 福知山西南 RC 亀 亀岡中央 RC 京 京都伏 見 RC 京都城陽 RC 京 都 南 RC 京 都 西 RC 京都洛 中 RC 京都洛西 RC 京者5西 RC 京都朱雀 RC 舞 鶴 RC 津 RC 宮 宇治鳳凰 RC 京 都 東 RC Jヒ 大和高 田 RC 博 鍛 治 田正祝 雅茂 中川 和宥 吉川 春夫 寺田 俊彦 射場 俊司 阪本 雅勇 村島 隆康 細井 衛 吉田 暁 福 井 東 福 井 北 RC 福 井 勝 山 RC 武 生 RC 三 敦 京 都 北 RC 京者5桂 ││IR C 京 都 中 RC 京都紫野 RC 京者5乙 訓 RC 京都西 山 RC 京者5'各 南 RC RC 京者5,各 東 RC 京都西南 RC 京都 山科 RC 舞 鶴 東 RC 部 RC 園 京者5,各 Jヒ 京都嵯峨野 RC RC 京都 山城 RC 山 RC 峰 治 RC 宇 京都紫竹 城 RC 生 駒 RC 橿原 中央 RC 奈 良 RC 平 奈 良 西 RC 奈良大宮 RC 井 RC 大和君6JJ R C 桜 (199621∼ '97131) 福 福 140 井 井 井 江 安本 都 RC 京者51ヒ 東 RC 新 米 山功 労 者 福 福 勝 三 鯖 鯖 武 福 井 南 RC 丸 岡 RC 武生府中 RC 寺 RC 中井 隆男 RC 西 RC 国 RC 賀 RC 原 RC 王 (199621∼ '97131) 井 RC 条 RC 橿 奈 良 東 RC 新米 山功 労 クラ ブ 福 五 清嗣 俊之 洲 RC 福 知 山 RC 正晃 中井 東 RC 野 岡 RC 飯田 松倉 栗 部 RC 林 音行 大 津 東 RC 綾 貧 岡本 長 浜 東 RC 井 RC 東 RC 牧田 組治 柳沢 全之 宮崎 茂和 松井 昇 宮本 巌 中川 坪川 利男 宮越 善弘 洋二 藤沢 憲治 小林 敏正 黒川 秀雄 告田 修 山 阿部 国 加登 武雄 一雄 齋藤 愛夫 窪田 健一 宮本 博雅 今野 利男 一彦 小林 幸一 北 西 RC RC RC RC 江 RC 北 RC 生 RC 林 中村 康孝 俊三 辻岡 武 生府 中 敦 賀 RC RC 中屋 敬三 桂 玉井 希美 佐 々木 稔 芝野 隆三郎 松原 一郎 山中 隆雄 原洲 美子 森 清史 大薮 久雄 大村 宇野嘉 一郎 小牧 由章 水澤 清忠 杉原 永綾 刀根 勤 滋賀県 彦 彦 根 根 RC 正村 嘉規 山脇 RC 義寛 南 川端 戸所 岩雄 芳孝 北川 広作 児島 裕明 西沢 藤平 大橋 和夫 酒井 捷司 正義 草 杉江 達郎 丸山 守 長 長 浜 大 津 RC 大隅 三郎 清司 上山 勇志 責 喜孝 大西 勇 吉村 財津 晃 林 浩平 相楽 忠克 ,可 本 す 吉田 宏 伊庭 巖 正次 七黒勝 太郎 松本 昭三 奥村 垂井 清高 川崎 源 徳永 毅 福井 弥平 伊藤 孝夫 河野 裕通 清三 宮尾 野瀬正太郎 吉住 大津 中央 大 津 大 津 RC RC 西 RC 東 近江 八 幡 RC RC 福井 村田 昌蔵 尾賀 義雄 弘部 健次 辻 昭夫 高 島 野 洲 RC 小林 淳 野洲 二橋 建造 RC 八 日 市 一 示 水 京 一 示 宮島 貞雄 福 RC 山 RC 部 知 福知 山西南 亀 都 RC RC 谷垣 足立 幸夫 足立 豊 義郎 盛 岡登 良夫 俊宏 大川 武田 明雄 山本 京 都 伏 見 RC 安藤 亀谷 真名 進一 前田 歌 :二 山森 池田 英雄 一良 岩田 健 大森 佐藤 呈 城山 英彦 泰一 高塚 勝巳 徳田 正彦 池田 佳隆 南元 昭治 大浦 猛 輝三 信谷 昇 美馬 内藤 幸男 佐治 寿一 遠藤 好幸 馬場 益弘 行和 蒲生 暖史 敏隆 松浦 敏郎 松山 隆夫 西岡 善信 太田 吉紀 佐藤 幸男 高田 忠雄 田口 博康 横田 泰彦 京都 乙訓 道正 戸渡孝 一郎 京都 洛 郷田 柏木 吾一 RC 中 RC RC RC 京 都 西 北 RC 京 都 西 南 RC 京 都 朱 雀 RC 京 都 山 科 RC RC RC 鶴 京都 山城 勝彦 淳一 舞 川口 裕史 外村 正弘 嘉 ノ海和 男 永田 昭 竹泉 佐野多 ―郎 兵 RC 京 都 洛 西 RC 修一 満林 伊― 都 RC 西 RC 中 京都 洛 南 廣男 松井 中村 都 京都 洛 東 田邊 理 築柴善治郎 京都 洛 北 石戸慶次郎 吉夫 英三 日比野 光鳳 RC 辻 北山 宮 峰 宇 示 岡 RC 南 RC 一郎 梅垣 良佐久 岩滝 都 北 RC RC 恒夫 西村 紀明 崎一 小澤 正治 山内 信輝 岡野 秀雄 田征 種 四郎 土井 赳 藤田 克嘉 伊藤 祐介 北口 俊彦 尾崎 欣哉 平田 隆 高尾 通 長谷川伸二郎 廣田 稔 長谷川富士雄 石 田 晋也 仁 ノ岡 猛 前田 清一 竹内 紀雄 島崎 俊夫 金井 信義 岡本 政和 三浦 増田 隆彦 房二 大田 美実 大藤 光夫 田中 久雄 谷口 隆勇 恒雄 林田 光弘 本合 兵司 山下源 一郎 津 村田 上山 秀雄 山添 藤蔵 山 藤山 基一 大塚 俊史 RC RC 治 RC 月 長吉Б 大谷 141 力夫 藤井 三浦 米田 京都 府 綾 都 RC 清雄 中尾慶 一郎 津田 東 京都 北 東 一 示 甲西石 部 都 京都 桂 川 庄五郎 所 RC 津 RC 口 RC 山 RC 浜 RC 東 RC 京 西田 宏 博治 手代 木美紀 宇 治鳳 凰 RC 山田 定男 樋口 善康 三崎 勝男 矢追 盛賢 奈 良県 RC 駒 RC 原 RC 城 平 生 橿 田中 隆嗣 砂野 秀碩 福西 亮 伊藤 収 久保伊佐雄 繁一 矢吹 吉男 泰俊 幸生 羽川 幸賢 内藤 正知 孝清 橋本 弘三 長谷 川嘉信 堀川 佳亜 河合 衛 奥谷 英樹 城田 全康 北奥 雅祥 山野 義次 矢野 兵治 北村 弥 西島 佳悦 花岡 橿 原 中央 RC 深井 廣田 良 奈 奈 奈 奈 良 東 RC RC RC 良 大 宮 RC 良 西 有馬 北河原公敬 楠原 冨川 王 寺 RC RC 大 和 郡 山 RC 大 和 高 田 RC 桜 井 忠夫 瀞 麹谷 谷 口謙治郎 悟 岸 文隆 林 行夫 岡嶋 池田 雅司 利一 松岡 秀晋 梅田 博宣 堀内 光廣 井上 繁未 射場 俊司 井上 孝 侑男 爬宏 甲村 松本太平衛 枡岡 進 森田 通規 西川 均 阪本 雅勇 下村 敏博 核村 山下 喜芳 杉田 博 河井 成良 142 新 クラブ紹介 京都 田 辺 ロ ー タ リ ー ク ラ ブ 創 立 1996年 5月 30日 八 日市 南 ロ ー タ リ ー ク ラ ブ (倉 1立 総会 ) 創 承 認 1996年 6月 12日 スポ ンサ ー クラブ 京都八幡 ロー タリー クラブ 特別代表 小崎 会 長 井辻 信志 (京 都八幡 RC) 忠治 幹 事 岡本 良夫 例 会 日 例 会 場 毎週木曜 日 緑 のホ テル 12:30∼ 13:30 大住責谷78 電 話 o774-62-2248 〒610-0343京 田辺市田辺沓脱40番 地 電 話 「ご (創 立総会 ) 八 日市 ロー タリー クラブ 特別代表 西川 悦夫 会 長 古島 哲夫 幹 事 磯貝 武司 12:30 例 会 日 毎週水 曜 日 例 会 場 毎 月最終例 会 のみ 19:oo 八 日市商工会議所 4Fホ ール 事 務 所 八 日市商工 会議所 3F 〒5270021滋 賀県八 日市市東浜 町 1-5 電 話 0748-24-1100 F A X 0748-24-1500 俯 大倉1内 F A X 1997年 2月 5日 1997年 2月 19日 認 証 スポ ンサ ー クラブ 中心 山荘 〒610-0343京 都府綴喜郡 田辺 町 事 務 局 立 o774-64-0030 o774-64-0030 挨 拶」 お蔭様 を もち ま して、去 る 11月 4日 、当 クラブの 認 証状伝 達 式 を盛 会裡 に挙 行 させ て 戴 きま した。 会員 一 同、 い まだ当 日の感激醒 め遣 らぬ ところで ご ざい ます 。改 め て 、先輩 ロー タ リア ン皆様 に厚 く御礼 申 し上 げ ます。 当 クラブは 、京都八 幡 ロー タ リー クラブ をスポ ンサ ー クラブ と して昨年5月 30日 倉1立 総 会 を開催 、 6月 12日 にRIよ り正式加盟 を認 め られ、RI第 2650 地 区89番 目の クラブ と して皆様 の仲 間入 りを させ て戴 きま した。 現 会員 数 は31名 で すが、行 動 力 あ る若 さと情熱 を持 って親 睦 と奉仕 のため に一 致協 力 して まい り 、 たい と′ を引 き締 め てお ります 。 ど うか今後 とも し 末永 く皆様 方 の ご厚 誼 ご支援 を賜 ります様 お願 い 申 し上 げ ます。 「 八 日市南ロー タリークラブに御友情 を」 去 る2月 5日 八 日市 ロー タリー クラブのスポ ンサ ー による創立総会 を中野重宏 ガバ ナー を始め各パ ス トガバ ナーならびに県下RC会 長幹事 の御臨席 を 賜 り盛大 に執 り行 っていただ き誠 に有難 うご ざい ました。 今後 は感動 と行動 を合言葉 に若 い37名 のメンバ ーが友情 と親睦の和 を大切 に し1日 も早 く一人だち で きるクラブに成 長するよう努 力致す覚悟 で ご ざ い ます。 諸先輩 クラブの皆 々様 のご厚情 とご支援 を八 日 市南 ロー タリー クラブに賜 ります ようお願 い 申 し 上げます。 尚5月 28日 にpl画 致 してお ります認証伝達 式典 に多数 ご出席下 さい ます様 お待 ち致 してお ります。 京都 田辺 ロー タリー クラブ 八 日市南 ロー タリー クラブ 会 会 長 井 辻 忠 治 143 長 古 島 哲 夫 会長・幹事懇談会 出席者 RI会 長代 理 平岡 正己 第2650地 区 ガバ ナ ー 元RI理 事 RI理 事 ノ ミニー 第2650地 区パ ス トガバ ナ ー 第2650地 区パ ス トガバ ナ ー 中野 重広 千 小谷 宗室 隆一 山口 善造 嘉一 第2650地 区パ ス トガバ ナ ー 第2650地 区パス トガバ ナ ー 第2650地 区パ ス トガバ ナ ー 第2650地 区パス トガバ ナ ー 第2650地 区パ ス トガバ ナ ー 第2650地 区パ ス トガバ ナ ー 第2650地 区パ ス トガバ ナ ー 第2650地 区パ ス トガバ ナ ー 第2650地 区 パス トガバ ナ ー 第2650地 区パ ス トガバ ナ ー 杉山 久津見 専 渡邊 爾蔵 川島 春雄 財津 増田 細田 晃 房二 精一 津 田佐兵衛 に,台 貞 ロロ本 寸ラ 『 本田 二橋 山田 慶夫 三郎 第2650地 区次期 ガバ ナ ノ ミニー 第2650地 区幹事長 宮崎 茂和 廣橋 平司 第2650地 区会計長 第2650地 区副幹事長 第2650地 区副幹事長 安本 茂 中井 博 吉村 小林 元嗣 敏一 柴田 修 赤井 康純 池内 博彦 第2650地 区幹事 (公 式訪 問 ) 第2650地 区幹事 (月 信 ) 第2650地 区幹事 (大 会 ・集会 ) 第2650地 区幹事 (委 員会 ) 第2650地 区幹事 (国 際 ) 第2650地 区幹事 (財 団 ・米 山) 太郎 酒本 昌彦 第2650地 区副幹事 (委 員会 ) 第2650地 区副幹事 (国 際 ) 苦川 地 区副幹事 西川 地区副幹事 安川 均 星 地 区副幹事 (財 団 ・米 山) 地区副幹事 (財 団 ・米 山) 平井 秀行 中井 忠信 地区副幹事 (青 少年 ) 地 区副幹事 (青 少年 ) ロー タリー の友委員 枚村 善芳 井上 孝 大石 恒義 規定審議委 員長 広報雑誌委員長 石戸慶次郎 杉平 公治 社会奉仕委員長 岡村 国際青少年交換 委員長 世界社会奉仕委員長・大会プログラム委員長 山岸 功 大辻 増田 康夫 天野 政則 田崎 央 国際交 流委員長 ロー タリー情報委員長 環境保 全委員長 G.S.E.委 員長 茂 坂部 ) 村上 貞雄 第2650地 区直前 ガバ ナ ー 第2650地 区 ガバ ナ ー ノ ミニー 第2650地 区副会計 長 第2650地 区幹事 (総 務 第2650地 区副幹事 (大 会 ・集会 ) 第2650地 区副幹事 (委 員会) 洋 北村 光男 公三 一哲 米 山奨学委員長 大 会決議 委員長 告田 大会登録委員長 井 RC 会長宮本 山 RC 会長 鳥山 岡 RC 会長南 清司 幹事 黒 川 照元 幹事 和 田欽次郎 利明 幹事 釣部 国 RC 会長玉谷 幹事 山口 幸雄 浩由 幹事 宮本 国男 幹事 武藤 丸 三 松井 憲三 大 野 RC 会長 山口 英雄 誠一 吉田 暁 鯖 江 RC会 長堀江 邦旺 杉田 玉井 博 庄平 鯖 江 北 RC会 長高 間 生 RC会 長渡辺 武 琴生 佳男 堀内 光廣 武生府中 RC 会長岩堀 賀 RC 会長神谷 敦 若 狭 RC 会長東 嘉和 第2650地 区副幹事 (月 信 ) 第2650地 区副幹事 (大 会 ・集会 ) 第2650地 区副幹事 (大 会 ・ 集会 ) 勝 中井 隆男 寺 田 俊彦 144 常郎 嘉和 幹事 内田久右衛門 幹事 佐 々木紀夫 詔治 侑男 正則 信) 池内 文夫 喜多 (月 栄三 福 井 南 RC会 長 田中 福 井 西 RC 会長渡辺 ニックスRC会 長 岡島 研 フェ 第2650地 区副幹事 (公 式訪 間) 第2650地 区副幹事 (公 式訪 問) 第2650地 区副幹事 (公 式訪 問) 信) 岩崎 三岡 幹事 Jり ‖ 貞治 吉 田大 一郎 吉 田 道央 (月 啓次 精一 賢治 第2650地 区幹事 (青 少年 ) 第2650地 区副幹事 (総 務 ) 第2650地 区副幹事 (総 務 ) 第2650地 区副幹事 第2650地 区副幹事 西沼 幹事 玉木 幹事 坪 川 正晃 甲村 森 数男 1 洋二 福 護 石川 岩崎健太郎 博 澤西 山上 文雄 大 会選挙 人資格審査委員 大会選挙 人資格審査委員 福 井 東 RC会 長宮越 福 井 Jヒ RC会 長原 杉岡 紘明 淡島 春夫 村 島靖 一 郎 林 吾郎 青少年委員長 ロー ター ア ク ト委員長 イ ンターア ク ト委員長 財 団奨学 金 ・財 団学友委員長 大会選挙管 理委員長 大会選挙 人資格審査委 員長 告川 嘉之 田津原昭 三 進 保男 昭典 洋 利男 信義 茂三 野村 幹事 一郎 中西真 幹事 幹事 寺尾 博幸 幹事 高木 勝利 幹事 平城 治郎 滋賀県 びわ湖八幡RC 会長西 克 五個荘能登I RC 会長藤村亮伊知 幹事 川上 優 │1 幹事 中ナ 浩 根 RC 会長松 田 亘史 幹事 清水 彦 根 南 RC会 長坂部 勝三 幹事 能勢 │1北 幹事 サ 彦 甲西石部 RC 会長 卜著6 良和 草 津 RC 会長吉 岡万寿夫 口 RC 会長 L杉 水 弘 守 山 RC 会長鷲 田 清満 吉男 幹事 福 島 安三 良之 会長富 田源一朗 幹事 田中才知郎 幹事 高 山 節 二 亮治 会長高橋宗治郎 幹事 大塚 勝 幹事 北村 忠夫 幹事 岸本 登 大 津 東 RC会 長松村 安紀 憲一 幹事 岩崎 辰雄 大津唐橋 RC 会長江上 克介 幹事 鈴木 光雄 大 津 西 RC 会長河野 ヽ幡 RC 会長北村 近江ノ 裕通 幹事 西 山 英男 紀興 幹事 田村 薦和 東 RC 会長 國松 栄司 幹事 大角 滋賀湖北 RC 会長 中川 友一 幹事 赤居 克己 一弥 高 島 RC会 長 森 田 桂倫 幹事 小 崎 博保 野 洲 RC 会長 野 洲 健造 幹事 津 田 豊 ノ ヽ 日 市 RC会 長 図 司松 兵 衛 幹事 富 田 進 八 日市南 RC 会長 古 島 幹事 磯貝 武司 浜 RC 長 長 浜 東 RC会 長河合 大 津 RC 大津中央 RC 会長秋道 栗 哲夫 拓也 幹事 大 島 功 幹事 中川 福知山西南RC 会長松井 義郎 幹事 足立 岡 RC 会長安 田 良雄 幹事 関本 幸紀 修一 孝 ― 都 RC 会長 小 川 文齋 京都伏見 RC 会長 半 田 行 京 幹事 大石 克 幹事 佐 々浪元彦 幹事 岸 幹事 原 幹事 上大迫 収 京都Jヒ 東 RC会 長 杉 原 繁― 京都城陽 RC会 長 金 井 征之 京都桂川 RC 会長 谷 口 泰義 幹事 島本 幹事 高塚 勝巳 京 都 北 RC会 長 鈴 木 宗康 幹事 梶 川 陽士 祥太郎 幹事 岡田 幹事 安 田 祐雄 棟弘 暢夫 京 都 南 RC会 長 西 京都紫野 RC 会長 山本 章治 京 都 中 RC会 長 内藤 幸男 京 都 西 RC会 長 藤 野 次雄 幹事 大塚 幹事 太 田 京者Б 西山 RC 会長 能 勢 奎司 幹事 小 川 京都乙訓 RC 会長 梅 山 猛 京都洛中 RC会 長 吉 田 正路 京都洛北 RC 会長 西 村 希彦 会長 青 竹 邦男 幹事 佐 々木捷 二 ―行 幹事 堀 会長 井 辻 忠治 幹事 岡本 良夫 会長 堀 部 素弘 幹事 井上 武雄 会長 宮 本 幸春 幹事 武 田 治 会長 徳 永 三郎 幹事 佐野 貞夫 会長 三 輪 圭二 幹事 斉藤 友幸 RC 会長 上 野 武男 幹事 古森 輝彦 会長 田村 真澄 幹事 山本 武彦 RC 園 部 RC 宇 治 RC 宇治鳳凰 RC 会長 衣 川 寛 幹事 日引 昭義 会長 湯 浅 孝 幹事 森 邦夫 会長 服 部 宏 幹事 岡見 吉偉 会長 樋 口 善康 津 幹事 堀井長太郎 RC RC 原 RC 橿 橿原中央 RC 奈 良 RC 奈 良 東 RC 奈良大宮 RC 王 寺 RC 桜 井 RC 会長 深 井 泰俊 幹事 中西 会長 松 岡 泰夫 幹事 城 田 知 全康 会長 花 田 克彦 幹事 大倉 正好 会長 小 川 頑一 幹事 西 田 会長 松 下 浩 規 幹事 西村 会長 本 層田 勝人 幹事 池 田 大和君Б tt RC 会長 藤 村 和 二 郎 大和高田 RC 会長 宮 城 淳 一 コ・ホストクラブ会長 幹事 稲垣 幹事 岡本 考作 公宏 利一 利 ‐ 五 条 会長 久保 祟 幹事 幸脇 清次 生 駒 会長 清 森 一夫 幹事 和泉 会長 久保 伊 佐 雄 幹事 久保 慶男 伊一 書行 コ・ホストクラフ幹事 大会副委員長 林 昭博 ホス トクラブ会長 高橋 善次 ホス トクラフ幹事 北村 弥 奈 良 西 大会委員長 緒方 惟之 奈 良 大会副委員長 中村 保 阪本 龍兄 奈 良 章 RC 城 RC 城 RC 西 RC 西 RC 日中 上村 平 平 奈 良 博 城 隆嗣 卓三 憲司 奈 良 徹 奈 良 平 脩 奈 良 奈 良 幹事 下村 信夫 幹事 八木喜久男 昭光 幹事 藤井 征 京都洛南 RC会 長 津 村 庸三 京都洛西 RC会 長 服 部 博史 幹事 平 田 幹事 山本 信 京都洛東 RC 会長 正啓 幹事 藤本 博史 水 幹事 佐伯 茂延 山 RC 平 弘 京 都 東 RC会 長 木 下 隆三 幹事 山中 奈良県 廣男 隆 会長 水 田 宮 部 RC 会長櫻 田 亀岡中央 RC 会長南澤 幹事 居原田長次郎 会長 植 松 勝一 繁一 峰 オ 冨知 山 RC会 長 田邊 亀 進 会長 中森 舞 鶴 東 京都 府 綾 会長 寺 内 RC 京都西南 RC 京都紫竹 RC 京都朱雀 RC 京都田辺 RC 京都山科 RC 京都山城 RC 京者5八 幡 RC 舞 鶴 RC 京都西北 克己 利一 幹事 木村 京都嵯峨野 RC 奈 良 奈 良 奈 良 隆 京 都 '青 145 RC 西 RC 西 RC 西 RC 城 RC 西 RC 西 RC 西 RC 西 RC 西 RC 南 RC 浅沼 1青 林 昭博 大会幹事 中谷 大会副幹事 光山 賢治 忠良 大会S 林 秀彦 A A 大会会言 大会会計監査 仲村 忠雄 太 田昭一郎 今 日庵秘書室長 小林 │ 哲夫 □ □ 大会登録者 五所川 原 RC 堅瑞 佐藤 佐 々木栄子 福 井 RC `盾 │1 り 全之 修 清水 慶造 竹内 信行 柳沢 荻原 芳昭 末定 宏治 竹内 由男 柳沢美千代 岡田 末定小夜子 竹 内麻里子 大森 章 正男 須賀原和宏 工木 洋 数男 酒井 哲夫 鈴木 嘉徳 常山 宮崎 茂和 佐野 俊男 鈴木百合子 浮田 哲郎 啓三 宮崎 妙子 嶋田 正 高村 利幸 宇野 良二 松田 俊男 佐藤 誠二 田端 幸夫 田谷 津田 淡島 洋 岩下 春幸 Jヒ 島 藤井 健夫 片岡 正明 小酒井好信 橋本 泰久 加藤 一二 久保 幹郎 今村 善孝 加藤 初夫 増田 善宏 石橋 正人 加藤 宮本 伊藤 昴 加藤 幹夫 信一 岩崎 康弘 本村 憲一 伊藤 /1ヽ 吉岡 正巳 幸男 山崎 利一 進 塚田 美江 福 井 東 RC 有塚 清枝 片岡 寛 賢三 松井 昇 橋本 武男 本田 具明 官越 洋二 大津 伊平 高比 良義則 田辺 栄 一 坪川 利男 有塚 達郎 大須 賀廣美 林 英治 本 田真知子 宮本 巌 斉藤 年明 田中 忍 内田 長雄 平野 信三 黒 田外 来彦 中川 善弘 佐藤 高明 田中 敏夫 山内 義輝 伊東 俊広 前 田邦太 良 野坂 弦司 菅原 上坂 泰啓 吉田 順一 吉村 豊 福 井 北 RC 青柳 進 藤澤 憲治 角 昭美 前田 昇 大脇 諏訪 宇野 正信 福島 克治 笠原 光山 香治 大村 高嶋 行彦 宇野 嘉勝 原 賢治 河合 行雄 慶一 豊 一栄 淳輔 員二 宮地 孝行 岡田謙 一郎 ラ田 正弘 八木員一郎 森 井上 彪 川 貞治 晴央 酒生 文彦 多田 伸 山浦 節桜 磯田 憲宏 小辻 正 村 田栄治郎 仙坊 幸治 坪川 健一 安間 保行 伊登 孝司 久津 見 専 村田 良 庄山 章信 土谷 靖彦 吉田 昭夫 主計 北川 蒔田 城助 竹内 耕治 宇野 山崎 信一 三谷 雄皓 田中 文夫 山田 秀昭 真二 安本 暢男 宮崎 利道 大須賀理 一 冨永 譲介 山田 智也 芳川 定史 冨永 久子 山口 辰哉 山田 敬子 福井南 Jヒ RC 匡史 石橋 土井 直紀 岩崎健太郎 英一 -16 Jヒ 本 十日 召― 藤田 英雄 角 匡 木藤 良男 黒川 満 牧野 真也 岡島 和憲 内田久右衛門 山本 善士 田中 佳子 太 二郎 白崎 治幸 高山 和夫 白崎 健 渡辺 詔治 足立 五之治勝彦 川端 服部 正義 川井 孝房 憲二 原田 和夫 福井西 RC 天形 敏男 平井 永基 岩崎 清次 松本 康夫 丹尾 大門 俊吾 五十嵐清 人 河田 久雄 三国 雅睦 西畑 146 藤野 拓三 稲木 八田 橋爪 小林 泉洋 井上 健 一寿 政志 南谷 中徳 石川志貴雄 西井 邦夫 佐 々木紀夫 白崎 正晴 中川 義文 賢一 小林 光雄 小林 敏正 杉本 博章 中村 賢司 白崎 高井良民雄 平 田 好祐 五十 嵐幹彦 川上 賢正 松原 五反 田徳穂 黒川 照元 壬生 樋田 池田 亘 前阪 照男 宮崎 小 笠原修次 酒井 坂上 薫 青木完太郎 信男 郎 泰 右 六 照 又 福井フェニックスRC 治義 隆 岡島 進 高柳 1軍 也 野路 利行 坂下 昇 辻 笈田 武夫 高崎 昭夫 義博 竹内 一郎 土谷 久幸 梅田 坂野 銀造 谷口 陸治 鳥山 清司 和 田欽次郎 昭弘 西岡 幸男 高島 英機 吉川 痔典 修 野尻 昇 森 正 勝 山 RC 久保 英一 松山 松村 定雄 野阪 繁 耕一 松村 季夫 林田 千之 本田 育英 北 林 田美代 子 岩崎 正義 小見 山 郁雄 丸 岡 RC 藤本 豊 福山 慶熙 橋向 勉 橋 向美代子 林 田 数― 樋田 谷 口松 三朗 文洋 岩田 良治 前川 重雄 大久保貴美子 東 堅 加藤 和公 南 利明 奥村 雅徳 幸雄 上 田幸太郎 東 亨 川畑 弘之 西野 清志 澤田 越生 山岸 彰 西島 甫 真田 一郎 月間 照孝 奥 中康 師郎 大坂 義 一 島崎 省三 山口 清水 洋助 吉田 浩由 耕一 釣部 功 三 国 RC 林 与 一郎 加登 一雄 三谷 本多 宏行 木村 宮川 濱田 幸雄 市嶋 正雄 小林 昌弘 喜一 晋 石谷 清治 古道 英樹 森安 一男 大嶋 一英 下迫 吉高 吉嶋 光昭 藤本 邦彦 岩井 前波 清廣 中村 昌夫 齋藤 愛夫 王谷 英雄 湯場 武男 半澤 政丈 角谷 達夫 健一 松崎 哲三 西出 副武 佐孝 昌彦 徳照 貴寿 宮本 國男 山 島田 核玄 山口 誠一 簗川 満 正一 原 大野 RC 足立 悦久 本田 光丸 林 範昭 影路 善弘 鯖江 男 〓一 文 謙 隆弘 幸信 川 合 北 河 出口 道場 敏一 水野鳳 二郎 RC 宏 金丸 孝二 窪田 健一 宮本 博雅 酒井 重孝 田村 光雄 宇野 堀江 小林 文雄 桑原 重之 武藤 信義 下村 康夫 山岸善四郎 小渕 洋治 桑原 喬 小谷 恭平 田賀 義孝 一郎 田村 八田 邦旺 一郎 千代 谷輝夫 伊井 敏孝 幸道 森市 槙山 実 大島 恒彦 高田 嘉蔵 梅田 吉彦 一 二宏 茂 笹尾 昌平 佐 々木 等 清水 正規 高間 琴生 田賀 将一 山本 和生 鯖 江 北 RC 馬場 一郎 峯田 信匡 野村 畑山 四貝 「 野尻 幹夫 大森 加藤 団秀 岡本 小山 147 巌 泉 福島 山崎 隆弘 武生 RC 佐 々木忠彦 竹内 佐藤 有人 千秋 成行 齋藤 四郎平 杉原 大浦 清水 中西真 一郎 藤井 洋造 石本 茂雄 草桶順 一郎 藤谷 家也 板倉 幸一 中西 真三 茂 蔭山 康祐 雅一 小林 萩原 京藤 奥村 忠 石川 満夫 河合 敏一 前田 敏実 栄一 河合 雄二 森田 芳一 伊藤 友典 公一 正幸 中島 千治 奥山 糸谷 重義 前 田安太郎 中野 龍夫 小野谷圭 一 岩堀 嘉和 宮本 野口 功 坂野 香川 勝秀 喜光 明城準 一郎 大刀 隆雄 垣内 勝美 水野 隆正 大野 川端富士雄 村_L 宗和 辻岡 俊三 玉村 紀昭 一男 渡辺 佳男 田中 茂 山本 春樹 土田 秀明 山田 利光 洋三 秀雄 高野 治士 山本喜 久雄 武 生 府 中 RC 赤堀 近藤 民治 稔 竹腰 正 寺尾 博幸 宇内 杉原 半四郎 杉谷俊 一郎 田中 康雄 芹川 太士 鈴木 壮治 上田 巧 武治 塩谷 昭文 舘 徳治 若泉 範晃 人塚 紀夫 嶋津 孝照 高木 忠 山口 斉 茂住 忠雄 西村 康弘 宗官 和夫 辻 正則 靖人 小笠原武見 高木 勝利 山内 正樹 彰 薫 宗倉 敦 賀 RC 道永 弘夫 平本 昇 川上 究 藤井 康彰 今津 彰 川上 室 原田 芳孝 石井 雅之 岸田 良造 哲二 中村 紀明 大北 稔 谷崎 忠義 山崎 畑 信夫 金一 神谷 保男 小堀 勝久 中山 勝美 大北 員一 徳本 覚作 矢田 豊 加藤 勇 森 輝夫 西原 藤義 坂本 俊夫 刀根 勤 吉村 富造 昭典 一二 誠克 好男 斉藤 清輝 田中孝次郎 吉田 晶弘 松坂 博 桜本 良夫 寺沢市之助 吉見 博 原田 良昭 礼三 次繁 木崎 '台 郎 松井 池 田満州治 平城 治郎 桧皮 若狭 東 藤本 RC 石野 保 川村 /1ヽ T雪 谷 茂郎 横内 利夫 吉村 俊輝 政輝 塩田 善弥 吉永 武雄 杉村 広治 四方 秀亮 ,台 大谷 博 苗村 西 び わ湖 八 幡 RC 浅野 定弘 平一 広瀬 直次 川上 優 芳雄 山本 信博 山本 卓次 田中 正和 山添 光洋 敬造 西崎 徹心 田口 辻野 浩 白木 実 飛永 岡田 建 三 佐 々木幸造 園田 隆 本 直田 杉本 剛郎 若林 穂 田部 正俊 山根 河村 寛蔵 森川 芳明 川西 治雄 孝一 村井 弘 村田 順平 大野 克 彦一 北村公 史郎 中江 義則 坂田 義弘 上林 庄蔵 北川 本庄 康孝 井 ノロ 清 片 山鐵次郎 中川 川崎 五個荘 能登川 RC 藤村亮伊 知 布施 征男 将亦 和男 彦根 平野 清造 RC 岩田 健 片岡 哲司 北村 登 宮川 基司 藤田 益平 川合 武彦 小出 憲司 正人 川原崎清三 小菅 信雄 一彦 宮尾 細江 村上 稔 148 佐竹 雄 行 夫 義 秀 甫 谷 清司 田畑愛 一 郎 次 〓一 重 恵 福本 政雄 久保 田雅美 長岡 宣雄 1畢 禾ロノ 石島 裕 北川善 九郎 増川 勝男 野瀬 義信 柴田 信男 岩井 信夫 ゴヒ本 寸 順一 松田 亘史 岡 銑三郎 清水 克己 紀本 重孝 中 所 間 谷 戸 槌 石黒 A、 繁 山崎 時雄 岩雄 安居 継彦 安澤 堅次 山元 隆彦 英毅 彦 根 南 RC 青山 鎌三 井戸 慶造 川居 正典 野坂 昌春 高木 淳一 所 藤居 栄三 池田 良 野村 大菅 博司 上野 孝樹 伊藤謙 一郎 野村 坂部 幸男 勝三 棚橋 藤本 一回 谷川 利治 梅 田満 寿雄 億夫 伊藤 能勢 郁雄 善― 一 利― 篠田 守 辰巳 又男 若林 善男 庄五郎 全人 晋作 甲 西 石 部 RC 青木 善政 欣一 稲塚 嘉雄 北 島揚真彦 中川 三夫 大石 武夫 井上 捨市 小森 敏男 西村 直樹 大隈 光次 三郎 田中 芦田 谷 康彦 千代 謙治 上西 保 西岡 建己 園田 武夫 谷日 石田 晃朗 増井 三浦 敏男 長谷川正勝 慶治 奥村 桑名 宏幸 辻 井島 均 川北 清満 宮島 正義 奥村 増一 員一 竹 内善 一郎 青木 正 井上 良太郎 川那辺正 雄 久保 哲治 西岡 重宗 薮内 憲一 岡1 石濱 孝之 木村 吉男 町田 純雄 岡崎 廣 正 田伏 浅井 高田 武夫 山本 敏夫 馬場 勇 伊藤 定雄 木村 祐治 松田 正夫 奥村 至正 高瀬 照雄 吉 岡万寿夫 遠藤 卜部 正 孝範 良禾日 草 津 RC 英昭 伊藤 勝暗 北川 智三 三宅 猛夫 関川 浩嘉 武田 忠諮 萩野美智子 金原 久雄 北脇 種一 中嶋 忠男 清水 和廣 三井 喜作 早瀬 重博 加藤 彬 小泉 仁 中村 鋭治 杉江 達郎 田中 千秋 林 正樹 川端 成洋 駒井 保彦 中村 良三 角 沙門 田中 拓郎 平柿 宗敏 川上 満男 小寺 和之 中易 篤 鈴木 正造 東田 光子 卓治 ││三 代 ,台 り 水 口 RC 藤 岡平 一郎 井用 哲 森岡 繁 野田 島本 武彦 高原 網平 上杉 弘 福島 北角 名倉 利次 /1ヽ 宿谷 邦宏 竹村 明 山本 順生 安三 服音6糸 屯一郎 小西 勝太 由一 中野 啓司 奥田 正男 杉原 達雄 谷 口芳太郎 寄本 恭治 今井恵之助 増田 定雄 西沢 博夫 大平栄一郎 杉本 正和 上田 吉治 公男 隆雄 英之 伊藤 悦男 久和 守 山 RC 深田 義一 川嶋 次男 小島 萩原 治郎 勝見 秀憲 三 久保 花房 正和 樋口 樋上 富彦 昭二 '可 河村 北川 本城 敏雄 北野 長浜 三 品東洋 一 西村 弘介 三野 弘 宇野 清 西村 大崎 忠男 寺井 良司 宇野 治 南井 孝造 西村 弘次 廷― 奥村 滋 田中才知郎 鷲田 良之 賓 森田 周太 長尾 昭二 酒井 隆雄 津田 吉光 孝三 英次 賢憲 中野 良治 佐 々木 宗道 宮地 三品 勝裕 中塚 勉 本 す 利逸 博 辻 薫 真一 下村 文俊 辻 貢 RC 東本 泰寿 岩崎 秀司 松居 良蔵 大橋 康利 柴田 正明 渡辺 精一 松男 │1村 ′ 明 三宅 隆司 大橋紳 一郎 高山 節二 山田 幸子 一三 吉田 樋口 吉村 喜孝 平川 幸矢 川村 義夫 籾山 武夫 太田 竹下 敏隆 山田 孝雄 萬木 豊 輝明 149 博子 平山 順彦 飯田 Jヒ k良 本 す ら 「 久保 健吾 森居健太郎 中村 尚 笹原 笹原 俊昭 富 田源 一朗 山口 龍男 財津 和代 立見 敬子 山本 靖 薮内 横 田龍太朗 葛谷 常男 小川 彰三 漣 正行 梅村 知史 小山 仁朗 昌三 村田 武夫 西浜 久平 大塚 勝 晃 猛 正 平山 長 浜 東 RC 利夫 藤居 外夫 福永 池田 洋 国友 三 田村信 雄 馨司 野阪 中尾松太郎 大西 中尾 大谷 中川 武弘 一男 水嶋 哲夫 西濱 勲 大塚 治男 功三 英雄 甲一 服部 正章 伊庭 鞠山 勝利 本郷 庄市 岩崎 巖 栄三 松平 遠藤仁 兵衛 浜 中 成一 細田 光蔵 精一 金子 彦行 宮川 進 桂田 守 宮崎 君武 細 田紀美子 百元 信 一 岸本 三好 森本 章 北村 忠夫 森野 憲三 小嶋 加蔵 修一 悌治 稲垣 河合 亮治 岸本 雅巳 大津 宮崎 豊 祀夫 清水 善之 谷日 正臣 幸一 増成 白川 直樹 渋谷 '台 巳 鈴木 弘泰 正信 土田 山田 芳彦 竹田 修一 山崎 直紀 佐藤 澤 設楽 忠克 田中大基夫 吉田 茂 西田 善信 富三 七黒勝太郎 津田 正人 義郎 内林 光秋 RC 新井 浅井 浜崎 元弥 月 腱音Б 章 細田 智康 西川 島村 白井典 司夫 内田孝太郎 田口 孝男 山口 善造 岡本康 比古 高橋宗治郎 山本 藤雄 竹雲 芝野桂 太郎 徳田 定弘 中西 宏一 畑中 昇 松山 勝彦 森江 中西 弘泰 平居新司郎 的場 正夫 薮田 輝元 信一 中野 博 永孝 水谷 国広 山田 貞雄 徳永 武 吉野 弘 小栗恒次郎 岡部 和明 大 津 中 央 RC 秋道 安紀 大平 井上 勝行 金子 高夫 坂本 今井 重次 川口 正 竹村 守男 宇野 勝 大津東 RC 藤井 正男 岸本 Jヒ 本 寸 井上 登 津田 1参 戸倉 豊 久孝 松村 廣 一三 繁 雄 思 庄 峰 生 今井 川 頁次 謙一 勉 松村 英治 宮本 順夫 長谷 川正和 松本 彪 村田 憲治 小野寺亮 也 大西 敏 一 佐長 克彦 滋野 勝 中村 南部新太郎 辰雄 松村 川越 孝司 森 法土 修 川崎 源 森田 本郷 博 川崎 敏幸 中平 和彦 奥村 好隆 大家 靖 小野 亮 傍田 金子 憲司 松井 正樹 克介 福井 弘幸 li本 す 1参 野口 浩 長田 正明 藤堂 真弘 岡角 憲次 佐伯 律治 上田 次郎 鈴木 山田 勝英 山尾 平 田口 光雄 憲一 山口 勝 吉川 静雄 成一 西山 英男 篠宮 山岡 延 Hξ 小椋 英治 竹端 RC 鉄一 弥平 橋本佐市郎 猛 橋本 針谷 大辻 了 細 川 '青 司 細 川源太郎 猪股 富 一 河村 益孝 仲野 守 河野 裕通 中島 二郎 小野 正之 寺下 伊藤 孝夫 小牧 武司 大島 孝雄 徳永 禎雄 松井 久時 正一 西村 伊藤 西村 信之 佐藤 良治 八木 150 賞 夫 弘 孝 夫 貞 良 淳 馬場 智弘 和子 紀 大津西 野王 昭 徹 上 藤 東 江 遠 大 津 唐 橋 RC 上 野 江 井 磯 物 岩崎 平田 茂 中山 證 一郎 橋和 田 堀 近 江 八 幡 RC 正人 浜崎貞之介 小磯 平尾 龍巳 教野 勇 中本 寸 利治 中西 弘典 西川 三男 塩田 清人 西川 僚一 立木 健 谷口 弘 敏雄 田本 寸 薦本日 川島 英三 村田 昌蔵 中野 勝次 西村 一三 立 木弥太郎 谷口 木村 隆司 中川 勇 中田 全一 岳 高田 悟 上田 勲 北村 弘蔵 中川富治郎 西田 保代 奥井 尋幸 清三 高木 信彦 山本 徳次 本 す ・L't 糸 中村四郎兵衛 西田 善昭 蔦本 清 田中新太郎 山本 清麿 Jヒ 脇阪 弥市 栗 東 RC 青木 貞雄 平井 祥治 北野加代子 丸毛 進 阪口 寛一 高畑 修 竹内 千代 正典 石光 孝美 小山 護 松本 昇 芝原 茂樹 高島 谷口 義夫 二郎 不藤 美春 神谷 廣幸 久保 田桂 造 松村 康憲 嶋田 頼次 武村 利之 順一 山越 浩一 橋川 潮 河合 利夫 國松 功 中嶋 功雄 杉本 通昌 竹村 久= 告仲 利男 筈井源 二郎 樋 L 雅一 川村 國松 栄司 大角 義雄 竹村 照雄 國松 正一 坂 _L 克己 庄一 舘 北川 許幼 啓一 多田 紘司 竹内 甫 滋 賀 湖 北 RC 赤居 一弥 速水 賢昭 小寺 一弘 森 善昭 西嶋左紀雄 高山 泰雄 横田 義男 饗場 善男 伊藤 清文 熊洞 中川 佐敏 植谷 軍次 吉川 進 慧 片桐 康博 回友 忠男 友一 中谷 新木 守 藤一 西河 孝明 山本 政雄 古川 政春 川合 秀規 中川豊太 良 押谷 善光 山本 清蔵 英治 喜田 環 全恵 松本 萩原 松山 清文 中村 義則 柴田 良行 横井 仲敏 安藤徳太郎 福井 芳郎 桂田 武巳 小崎 博保 森 義高 西川 栄一 田中 雅秋 戸次威左 武 堀居喜久雄 木下 森田 桂倫 西川 忠史 和田 池本 淳 岸田 前川 ナ 曽田 正男 土井 祐二 一雄 ,青 中江 秀男 西村 正和 薮田 毅 健三 今岡 二木 雅典 中蔵 誠次 岡本 俊治 高木 進 森 泰翁 中尾慶 一郎 多胡 正 中川 高 島 RC 豊 渕田 護 福井 俊一 野洲 幹夫 岸田 定 伊藤嘉寿男 小島 松次 Jヒ RC 藤井 時春 本間 隆成 明 松田 略 野村 義博 重本 博 上田 秀男 原田 収治 井狩 北中 良蔵 松永 諭 野崎恵之助 下園 栄 野洲 佳久 長谷川龍 一 板倉 雅道 孝一 北脇 秋晴 森 甲行 大田 樹義 田中 修 山中 健造 俊二 小林 三男 中川 末廣 大田 英雄 辻 英治 山本 清秀 樋上 一郎 岩井 寛司 一夫 小村 悌五 西川 新市 酒井 勝宏 辻 忠司 吉田 清一 堀井 勝 岩本 末治 小西真喜 雄 西村善三郎 坂口 哲 辻本 辰巳 本田 弘 木村 靖 嶋 豊 仁志 出良平 坂口 重良 津田 豊 昇 光田 林田 ノヽ日 市 今井 /1ヽ 本 寸 RC 福原 泰夫 日比野渥美 籠谷 博 西村 建司 重森 三良 福島 二橋 昭衛 疋田 忠夫 加藤喜八郎 村 田真一郎 西沢 高弘 寺田 昇一 武彦 上 田善 四郎 貞雄 二橋 さよ子 畑 寿 一郎 広島 正信 小島 俊弘 苗村 良樹 野崎 忠男 武地 孝治 山田 久田 修 小垂 長沢 潔 大西 和彦 田中 亨 山田 井田 亮 熊木 秀和 喜一 中川 治雄 大野 唯彦 谷 口良治郎 山形 芳男 畑 石戸慶次郎 中本 寸 常昭 坂田 吉雄 谷口 山川 和男 滋 松吉覚太郎 敏勝 堤 耕平 隆一 栄七 1 岩山 烏 益明 松書 図司松兵衛 西川 悦夫 澤田 康弘 富田 末継 一 田中 敏彦 上野 照雄 安田 勲 安井 栄夫 八 日市 南 RC 山田 利治 磯貝 武司 久保 良三 向 敏男 岡村 池田 哲夫 謙一 加藤 博之 松田 彦知 西村 寿男 岡崎 今宿 幸男 小林 田渕 和治 野矢 善章 奥村 ユ 本 洒』 1参 小泉 弘和 英二 望 田宇三郎 岡田 晶 武村 章三 勘一 浜島 義邦 水谷 孝昭 鍋師 有 大槻 賞雄 高橋 昭雄 山本 徹 庄治 高橋 忠昭 山崎 春夫 古島 綾部 足立 RC 修 荒木 淳 小林 安夫 森永 功 仲江 文男 岡安 浅巻 武之 黒田 修 守谷 佳樹 両山 宜夫 高倉 信正 赤井 康男 槙原 洋次 森山 直幸 高崎 忍 吉田 藤治 伴仲 博司 牧野 芳和 村上 博孝 西 山太美夫 荻野 良一 櫻 田 拓也 佐 々木正夫 志賀 哲二 梅原 康 由良 大司 繁 宮本 太資 室木 克則 大島 功 四方 彰 山口 博之 藤本 由良源太郎 福 知 山 RC 阿部 正博 原田 正司 官垣 幸光 大槻 順三 清水 弘司 谷村 紘一 吉田 博 足立 重義 林 秀俊 森 泰健 大槻 弘右 塩見 芳朗 内田 吉見 謙治 均 中川 幸紀 岡田 塩見 幸雄 植野 豊 奥田 春夫 省三 幸治 憲二 高木 繁 綿島 浩一 芦 田鉦太郎 藤 田 二郎 細見 岩滝 吉夫 西田 藤原 宣男 衣川 金憲 /1ヽ 嶋 勝 奥村 利生 高見 彰 山崎 勝昭 占川 泰正 小林 昌利 大西 哲郎 雀部 正路 田邊 廣男 矢野 正彦 節次 健二 角 二郎 牧 陽一 中村 正紀 大西 省司 隅野 政美 義郎 西村 洋三 大嶋 憲雄 高木 二郎 禅徹 福 知 山 西 南 RC 足立 芦田 篤弘 足立吉 司郎 船越 1 木本 潔 松井 足立 正弘 堀 英一 衣川 浅之 松田 重男 仁張 直敏 大槻 政和 田中 足立 修一 市野 滋 衣川 真司 水上 久雄 荻阪 直幸 雀部 俊彦 寺田 均 安達 明司 岩見 泰行 日下 英明 森川 守 荻本 幸作 塩見 和俊 横山 尚理 芦田 聡 井土 正一 前川 直 盛 岡登 良夫 岡井 忍 曽根 廣樹 齋藤 秋生 内田 湯浅 治幸 邦彦 孝一 山田 ‐ 男 三郎 湯浅 忍 山田 重子 湯口 誉典 山田 山本 信吾 淳一 山本 清一 安川 隆三 亀 岡 RC 田 召F男 川勝 孝司 俣野 義嗣 西田 勝 出口 文営 木戸 邦考 松宮 倫夫 西尾 欣孝 澤 藤井 永祥 木村 源治 松山 茂 大庭 圭倫 関本 日置 俊勝 小林 正和 美馬 正和 大庭 美苗 島津 ,支 泉 小牧 貫治 溝日 武史 大川 勝彦 曽我 靖央 弘三 平 田弥 三郎 黒川 啓告 長野 烈士 大 Jヒ 明 須田 清 稲村 平井 楠原 澄夫 中川 康久 大西 賞好 武田 明雄 山内 貞男 石原与 五 郎 楠 善夫 中塚 道生 大槻 秩司 田中 利明 安田 良雄 垣見 前田 遮郎 中澤 広司 佐藤 隆 辻 芳郎 吉岡 清 石村 義治 楠 滋夫 中澤 一博 豊 関口 清司 克 関口 学 貞作 岳秀 亀 岡 中央 青木 深田 R 敬介 稔 甲斐 勲 南澤 隆 並河洋太郎 152 小川 大石 古谷 弘志 木戸 宮部 謙三 西田 英二 大北 明義 渡邊 正平 秦 明男 木 曽幸 一郎 森 啓一 西田 1参 奥村 仁夫 山口 守 服部 義宏 古前 森戸 俊和 西田 行隆 斉藤 厚男 山中 清 廣瀬 晴 隆 山内 貞昭 勝 t ● 伸承 極 小森 俊雄 中澤 栄治 光人 西尾 酒井 京 者5RC 浅沼 健夫 岩崎 迪雄 前 田豊三郎 西村治兵衛 康雄 角田 潤治 松尾 裕 西村 勝 坂上 守男 佐 々木智海 須藤 出口 福岡 美彦 亀井 邦彦 真弓 常忠 西村 滋男 佐 々浪元彦 菅原 平松 正典 金多 潔 水原 醇 小川 文齋 関 盛行 千 岩太郎 辻 膳 久慎 「 寿栄松 憲昭 宇津 克美 政夫 渡邊 嘉男 高 田多喜男 高橋 一 成 山川 常七 宗之 嶋路 博昭 富田 謙三 横山 洋 下邑 隆 外村 正弘 吉田 孝洋 山本祐 三 郎 平田 幸雄 城守 勇治 中川 利夫 大原八 十八 池内 常郎 絹川 定 中野 博美 岡 井上 佳彦 九條 道弘 中田 敬吾 岡田 伊谷 博 熊谷 純三 西島 信次 奥田 光雄 祥二 塩谷 力 津田 和夫 伊藤忠 三郎 前田 餃義 西本 朽u台 郎 斎藤 浩一 白坂 淳 津田 武雄 石井 貫氏 小島 西岡 宗一 芝野隆三郎 玉井 山中 隆雄 柳本 正雄 京 都 伏 見 RC 藤井 正大 伊藤 雅樹 熊田 野村 憲司 寺内 信正 松原 大藤 隆男 善則 辻 基一 吉田 宣雄 藤原 光文 井坪 和雄 嘉 ノ海和男 白井 三木 康博 藤森 泰彦 一郎 公詞 一男 三上 敦 大村 桂 杉本 直 塚本 濱治 弓削 経夫 半田 光大 尾上 幸雄 高島 英治 妻形 三彦 武田 梅田 繁 海野 天野 政則 一清 行 川勝 長谷 川邦男 川村 茂 森 清史 樋 日興八郎 生 島敬 一郎 木村 英之 森 美諭 坂井 利幸 阪 ノ下 勝 竹日 敏夫 正和 永田 恒夫 説田 弘 竹中 清二 渡辺 郁郎 一雄 岸 弘 南 久寿 京 都 東 RC 善三 ´夫 原 健一 増田 強三 村 山忠治郎 佐藤 善穣 栃岡 道夫 山田 浩三 藤本 廣野 忠秋 松 野典詩朗 鈴鹿 隆男 津田 知宏 山森 英雄 藤村 一 川村 岩松 三浦 竹泉 西村彦兵衛 野村 嘉 一 鈴木 信輔 堤 清彰 山内 吉信 藤田 榮一 儀谷 幹治 三輪 泰司 大西 貞明 竹内 光男 上田 昇 吉村 巖 橋本 長平 木下 収 宮川 喬行 岡野 益巳 田中 繁男 植松 雅房 章 間嶋 正徳 村田 侑三 奥谷 智彦 高橋 泰久 脇田 周輔 上大迫 公文 俊一 味舌正 二郎 中西 西崎 義雄 杉原 小野 朝田 原 吉村美津弘 京都 北 東 RC 足達 江戸 慶信 宏介 藤林照 一郎 後藤 清 一 繁一 日比野清彦 一瀬 利次 城守 博 昌二 中西 和仁 浩一 康夫 竹脇 康 石田 徹 北岡 重男 溝川賀次郎 中西 紀典 佐野多 一 郎 田村 善弘 岩井 陽 小森 輝男 永井 啓之 西川 史郎 清水 幸彦 輝一 森澤 博光 奥野 幸治 中村 信二 恩地 博幸 英司 辻井理紀也 澤田 克己 辻 島本 憲司 裏出 豊 山本 康弘 京 都 城 陽 RC 藤田 雅三 金井 征之 北尾 浜 広信 鹿野 秀雄 北澤 堀 口古志朗 片野 晏弘 小寺 國夫 中西 佳男 大橋 章平 杉山 公甫 石見 三郎 木原 泰博 京極 利治 西村 大西 俊男 杉山 実 伊藤 健二 北尾 良太郎 宮谷 洋介 岡田 完生 光生 大澤 雅弘 須知 雄造 典孝 京都 桂 川 RC 一口 幹男 岩田 健 中川 俊夫 城山 泰一 谷口 泰義 上原 L 裕雄 鎌野 孝和 大森 英彦 末永 寛 徳田 正彦 上山 泰弘 藤井文治郎 石田 功夫 近藤永太郎 岡 正人 高塚 勝巳 豊 田弥八郎 山田 将貴 林 良訓 磯川 昭夫 松尾 義平 瀬古 正雄 武田 勝利 内田 健 安田 勝 堀元 孝司 岩見 博司 森 正廣 千田 適 田中 守 内山 正元 吉田 修 市村 武 池田 佳隆 亮介 浅野 遠藤 辰治 弘一 井 従正 京 者51ヒ RC 河波忠平衛 水野 善雄 野沢 義忠 相馬 順子 冨部 伴 浅見 直幹 賞 石 田静飛虎 川島 春雄 森 田吉兵衛 大井 武和 菅井 道雄 津久 間 藤本 稔 石田 木下 政明 毛利 大島 良夫 杉本 次雄 臼居 季生 古玉 宏 小宮 山俊 郎 松宮嘉 一郎 永田 隆文 祐一 大浦 猛 鈴木 宇山 理雄 敏夫 五十 川 繁 正 濱 直樹 伊豆蔵光彦 中路 清嗣 相模 泰造 鈴木 宗康 由一 山口 信栄 広岡 政樹 伊住 政和 松宮 嘉孝 中島 皓象 佐藤 愛二 高円 勝介 山中 泰造 本田 茂 梶川 陽士 松山 三上 元 中島 源和 柴田 高井 隆成 矢代 美門 昭 中村 正晴 塩路 肇男 永二 田辺 親男 神田 新三 黒田 正玄 本 田多恵子 金井 塚 細見健次郎 桂 弘行 皆見 忠雄 西村 義一 白石 雪翁 田中 秀之 日向 河合 大介 南元 昭治 野渕 泰司 相馬 秀臣 谷口 政弘 貢 京 者5南 RC 阿原 道正 長谷 川 阿閉 嘉美 東 智 令二 猪田 上西 藤木 修 茂 幸正 岡田 祐雄 田中 俊介 山元 茂嘉 祥太郎 杉村 尚 進也 米川 安宜 西村 信行 高田 一雄 巽 友澤 吉沢 康雄 ,台 大西 盛治 高橋 督治 津田 弘 純一 喜 多川光平 水谷 浩史 小林 哲夫 西 小西 清茂 河内 阿沙 誠一 lt /1ヽ 京都 紫 野 RC 伊勢 光裕 松村 圭佑 中野 正士 大森 雅敏 宝本 房義 梅田 顕 山本 章治 河合 敏明 蛤川 隆 大西 敏之 高山 茂 山田 英夫 山戸 英治 川中 楽 邦日 召 松山 忠圏 三 田村 勲 小栗栖元徳 相模 昭 建内 光儀 山田 敏夫 安田 徹 中村 純三 奥本 千 宗守 丹下 康夫 I11,Hf 豊 安井 功 棟弘 寿一 鈴木 基一 山崎 博 錦職 裕昭 黒崎徳之助 京都 中 RC 藤田 雅也 北條 誠 今井 重昭 鴨井 雅夫 前川 章 松岡 孝和 岡島 重雄 大塚 金田 吉生 松村 美之 内藤 幸男 大澤 直 佐治 京 都 西 RC 足立 和保 羽田 瑞穂 河地 道貫 森本 晴夫 大村 泰治 高寄 昭 内田 友三 安達 行雄 菱 田多賀志 北澤 正巳 村田 春夫 大田 脩 武田 内田 遠藤 本多 義和 児島 孝之 仲 敏夫 大田 植田 吉治 久一 藤井 好幸 孝二 細川 宗嗣 栗原 伸治 中路幸 治郎 /1ヽ 藤木 俊夫 今西 前田 基彰 中路 裕 藤野 次雄 伊藤 孝裕 晃一 松浦 敏朗 中路 剛 154 吉紀 日 召 竹本 隆男 和生 田中 秀幸 請田 安央 佐藤 幸男 建野 渡辺 康介 佐藤 鐵夫 徳岡 晃毅 孝二 山田 庄八 野 藤田 静夫 岩崎 雄一 松山 隆夫 中西 隆行 関崎 泰市 津 田佐平衛 山中 舟橋 良博 岩澤 湊 政晴 西本 寸 ヂ男 仙元 義夫 津田 梅子 安井 隆廣 古川 隆三 加納 宗徹 孝一 宮本 勇武 西村 保孝 清水 紘 正 安威 康夫 蒲生 噴史 正敏 加藤 森 芳昭 西村 義行 惣元 一郎 筒井 政善 横田 泰彦 守口 清照 大前 隆司 高田 忠雄 堤 叡 由良 徹 亀谷 和雄 泰一 牧野 善治 中谷 IE敏 太田 義春 津田 定明 丸岡 llS 西出 茂 瀬川 和男 安日 経雄 北浦市次郎 安井 清 羽田 加藤 新一 陽一 辻 敏生 京 都 西 山 RC 董原 孝 羽場 重尤 家原利 一 良 井上 靖 二 原田 正雄 伊藤 一寿 平田 喜洋 井澤 豊 堀野 昭和 梶野 木下 松居 正和 能勢 褒司 田所 祥市 森 洋一 小川 暢夫 高塚 徳七 興三 健恒 久保村友 一 中野 種樹 大西 辰雄 富樫 忠 囲府寺伸 二 日下 1弟 宏 中村 ´ 弘 小塚 京都 乙訓 RC 加藤 博三 ヨ 乖 '台 下村 信夫 辻 木 下 義次 国近 三吾 本井 巽 中田 公義 大橋 芳之 高間 秀雄 梅山 猛 小林 久野 芳樹 内藤 雅夫 奥村 保 作田 高司 戸渡孝一郎 信輝 義明 /1ヽ 剛正 京都 洛 中 RC 土肥 信 一郎 柏木 松井 昭憲 大谷 巌 坂部 郁子 竹 内弘太郎 山内 木 下 博文 松野 大槻 武司 専能 健史 寺崎 雅之 山崎 裕康 卓 清益 松岡 康一 正芳 種 田征 四郎 島田 鳥居 甲子郎 吉田 正路 平井 義久 小西 藤堂 吉村 彰彦 廣瀬 伸彦 /1ヽ 星野 久弥 久我 儀昭 井尻 貞雄 増田 広田 福永 晃三 林 京 者5洛 1ヒ 滝 英雄 長瀬 護 岡野 季雄 鈴木 博光 隆三 半井 小野 専芳 砂山 憲一 植 田貢太 郎 西村 利弥 崎一 晃三 大田 静治 坂部 大右 川名 博 日 召 /1ヽ 稔之 田中 志郎 八木喜 久男 慶夫 高橋 信昭 山口 勝 岡崎 善憲 高尾 通 山本 善和 敏雄 山本 六之 植田 勝博 澤 ][,台 RC 里テ 1参 卓夫 川崎栄 一郎 杜下 定夫 森田 郁雄 沖野 弘 田中 征 廣谷 和仁 五十 嵐 隆明 菊川 中野耕太郎 斎藤 土本 宗丘 房本 清次 今小路覚真 北村 昭雄 中山 信博 澤 祥男 正一 上島 芳郎 橋本 恵 伊藤 祐介 串本 雅彦 西村 昭光 澤辺 吉信 和田 泰彦 林 忠義 岩崎 次郎 前田 司 大庭 茂生 下川 保 若林 靖博 広崎 彰良 川居 俊雄 松岡 延行 大西 進 白谷 肇 山田 好彦 仁志 田平 義昭 孝夫 清水鴻 一郎 玉井 肇 田中 良昌 i支 土井 赳 藤井 徳治 京 都 洛 南 RC 甘利 為保 平田 隆 木村 茂 中村 祥吉 桜澤 藤岡 健三 長谷 川重 一 久積 貰 北山 隆 野尻 智美 渋谷 幹弘 小中 達麿 大木 邦男 長谷川伸二郎 池田 生田 宗宏 久保 嶺爾 大嶋 嘉正 下世古 橋本 良邦 井上 清永 中島 國晴 太田 晴夫 進藤 甫 金森 勲 中島 光男 岡本 秀治 角 林 薮 幹夫 山本 康裕 修矢 辻 宗和 山仲 謙二 辻本 横 山源 一郎 正三郎 津村 常夫 庸三 晉 渡 槙雄 京 都 洛 西 RC 赤松 茶谷 和雄 孝一 堀田 忠雄 今井敬 一郎 矢作 公一 佐野 隆司 鳩一 山本 信 鈴木 圭亮 山本徳次郎 伊藤 茂 小山 正博 西谷 裕 斎藤 伊藤 哲雄 黒田 正名 大辺 徹 芳子 大 日方弘 明 弘康 浩二 井上 高行 岩滝絵 美子 前野 伊崎 泰介 加藤 善彦 壌治 大西 直樹 田畑 益弘 山下 勝康 長谷川冨士雄 石田 川島 保男 廣史 大野暉八郎 只木 信和 山下 滋三 博史 石原 晋也 紹三 松崎 三野 清原 大輔 中田 淳 長 晋示 高木 進 本郷大 田子 石野 肇 法夫 高橋 宗健 福井 肇 昭一 福岡 古川 服部 幸亀 多恵子 西村喜三郎 嵯峨 細見 北村 寿朗 仁 ノ岡 児王 村上 憲彦 西田 好夫 西村 京都 洛 東 RC 藤本 博史 林 家原 岩男 利兼 大野木伸幸 砂崎進 一郎 柴田 篤男 高畠 保 栄蔵 清水 正啓 竹内 紀雄 寺内 上田 陽 清彦 江 川清 一 郎 荒川 若村 和夫 山中 茂延 忠彦 猛 芳宏 武司 北村 光男 寛 市原 松尾 盛一 瀧野 誠一 飛騨 富久 小林 博 一彦 三宅 由起 谷口 哲也 花房 広井 冨士森 良輔 橋本 操 日比野 進 京都 嵯 峨 野 RC 京 都 西 北 RC 幸雄 山本 高宮輝千代 山品 元 竹内 譲 山下 恵三 昭三 田中 靖造 安井 孜 島崎 俊夫 谷奥 敏之 横 山喜八郎 篠原 邦臣 告田 千博 治夫 虎谷 正 人 上 ノ山英三 吉田 英治 杉山 正義 山口 栄一 吉田 良正 義弘 多賀 久訓 山本 吉岡 忠嗣 勲 高田 亘 山本 正道 正一 隆幸 中島 俊則 鈴山 正 浦川 博正 山本 治夫 阿部 宗正 節哉 桑田 春男 居原田長次郎 牧野 森定 秀夫 尾関 滋 佐 々木 一 夫 高橋 朗 善照 敬一 森井 明石 荒川 達三 利一 井川冨美男 池 内善 三郎 松田 峠 一 松本 幸 一 森田 金治 澤田 清志 仲井 直之 澤田 恭伸 二郎 中森 中村 勝一 修二 浪花 健三 白井 西村 篤 野村 馬場 伊達 正俊 井上 佳久 松村 藤井 重泰 真一 石川 公三 松尾 伊藤 裕司 松山 宏 梶村 昇寿 毛受 吉博 伸一 毅 藤井 吹上 福田 義明 木戸 靖 三木 濱田 昇児 小山 治一 宮坂 嘉久 尾初瀬 井谷 幹一 川瀬 円造 久郷 京都 西 南 RC 江阪 寛治 北脇 茂 松井 正夫 本 寸_L 憲治 日 召 大久保 黒川 久武 串田 壽明 中井 昌美 井 ノ上 格之 信男 隆三 西家芳 三郎 中嶋 克巳 坂 市村 憲夫 木村 船越 秀男 梶並 浴弘 敏行 加藤 隆史 比賀 昭雄 平杉 嘉昭 西島 宮井 伸夫 原田 宏 吉男 藤澤 勝山 貞夫 田中 寿徳 昇 冨田 賞 山本 和夫 植田 稔 植松 武 繁一 柳田 斉藤 希彦 隆三 清水 南 循波 修 吉田 達生 吉川 寛 佐伯 横萩爾 三郎 京都 紫 竹 RC 直人 原 田孝 一 朗 片田 忠宣 蒋池 水田 暁 吉良 弘之 小島 康男 正裕 成瀬 日出夫 新木 廣庭 井上 康彦 栄二 園部 武 土田 鈴木 克幸 安田 幸男 一 佐 々木捷 二 田崎 央 安井 延夫 大橋 156 京都 朱 雀 RC 青竹 邦男 裡三 藤井 長谷 川 橋本 彰 員一 早田 実 一行 木本 小阪 茂雄 進一 今安 聰 増田 岩見 秀雄 松林 堀 三浦 隆彦 並河 正 清水 正也 高畑 義夫 森 島長 ― 郎 野村 紳哉 志村 正 宇野 之夫 典 中嶋 信行 岡本 良晴 篠田 矢野 司朗 正高 中村 和夫 奥平 昭智 杉山 徹 裕一 壽樹 │1 純達 り 京 都 田 辺 RC 新井 圭鎮 石田 光輔 木村 良樹 小田 岡本 良夫 大 田伊 三 男 田中 平八 菱田 康衛 井辻 小林 倖子 /1ヽ 岡崎 正稔 尾崎 秀樹 安井 庸夫 伊庭 孝明 河本 忠治 良一 西村 好史 京都 山科 RC 「可部 勲 今井 武男 金 子永次郎 宮本 博史 野村 泰三 高谷 壽― 山本 久義 安倍 秀風 今村 晋平 川中 水内 小野 竹市 泰和 山中 鉄一 佐貫 富造 将一 田村 和夫 横井 康治 柴垣 正彦 田中 久雄 横尾 浩志 手塚 充 横田 治男 吉田 良武 浅見五郎助 稲本 初弥 川澄 丈嗣 正彰 六車 喜廣 雄二 知公 智之 井上 勝 木村 安輝 中嶋 克美 江川 寿明 井上 澄男 岸 信 太郎 中村 弘吉 福住 清之 井上 武雄 小坂 中村 翠嵐 '青 塩路 徹 戸田 義高 橋本 幸男 石本 常利 増田 文夫 房二 西出 澄弘 城 山健太郎 植野 清富 平田 清嗣 岩橋 紘明 西村 I― 増Б 末松 哲夫 内海 正三 素弘 岩本 忠昭 一 増田 堀部 松井 信五 西尾 重雄 杉崎 則夫 渡辺 剛士 列( チ6日 召 京 都 山 城 RC 荒川 昌昭 神田 晋 久保 敬童 中岡 節夫 大井 國男 山本 高司 武則 木田 喜和 松井 克夫 中田 幹雄 奥本 伸年 隆一 谷川 藤田 谷口 山崎 彦人 福井 正典 木下 道信 松森 武 中田 忠信 尾崎 俊幸 徳山 隆勇 淳一 山崎 喬司 福井 康裕 厚東 均治 宮本 昭 永野 暢士 澤見 冨田 基雄 吉本 義俊 平川 泰厚 駒 重則 宮本 幸春 西井 良壽 城山 孝成 一三 裏出 茂 吉村 好司 飯田 晴穂 小西 照二 光橋 政憲 西岡 高見 進 脇田 武勝 吉田 正行 池田 詔治 小谷 忠賢 森田 章嗣 努 登尾猪三郎 武田 治 山本 和秀 米山 英之 林 京 都 八 幡 RC 明田 功 信志 中本 寸 昭 佐野 貞夫 田中 広谷 Inl井 春治 中野 勤 坂本 克也 田中 弘清 ′ 巨清 柳 生英 次郎 昭造 茂一 謙― 小崎 藤村 福井 純史 伊藤 義― 松田 治孝 奥村 鈴木富之助 塚田 義明 吉宗 晃 畑 理枝 北オ 寸 叶 宮澤 照雄 奥村 久雄 桂一 田中 寺村晃太郎 吉岡 正員1 森井 雅春 奥村 照夫 田中瑛 嬉子 徳永 横田 敬 1日 中 ,青 1専 舞鶴 Jヒ 本 ヒ す オロ左 敦人 山田市 四郎 三郎 RC 浅井 昭雄 古橋 良秀 木下 良一 小幡 俊一 高田 輝一 梅原 孝雄 足立 林田 光弘 一友 小西 剛 大滝 紀夫 高橋 清 渡邊 爾蔵 土井 清治 永一 隆三 文爾 堅田 三輪 山室 義郎 福井 恭平 喜多 完 栄一 縄 典夫 谷 口 昭洋 上西 勝 己 上 山 利彦 渡邊 邦彦 文範 圭二 大谷 深田 山内 繁晴 本田 楠 斉藤 友幸 坂根利 一 郎 舞 鶴 東 RC 田中 実 辻田 幸夫 隆義 田中 守正 上野 武男 良樹 高田 稔 吉岡 堅治 杉立 守由 高橋 由行 玉林 久人 高橋 行雄 惣一 倉本 一二 宮崎 重明 広瀬 久哲 貴志健 一郎 水野 昭雄 岡田 伊庭 八郎 前田 中野健太郎 佐藤 高 俊郎 春吉 藤原 荒賀猪津雄 赤井 正司 江守 琢真 古森 輝彦 阿部 治 西村八十次 石川 正臣 松本 房雄 納谷 栢分 英助 松本 圭司 西村 平井善次郎 井上 卓男 櫛田 匠 森 重雄 田中 隆司 豊田 一雄 裕治 研二 森 竹次郎 田中 春二 梅田 武範 田茂井勇治 矢谷 平夫 田村 真澄 山本 武彦 寺田 厚生 安井 英夫 修 辻 俊三 小林 正行 湯浅 貞夫 峰 山 RC 安達 貞雄 敏夫 平井 秀司 伊東 員 松田 藤 田兵 一 郎 藤 山 基一 平田 富義 伊東弥寿夫 松本 清隆 足達 荻野 駿也 剛 高田 松田 健男 野村 奥田 寛 宮地 道弘 小谷 恒夫 陽一 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光博 小野 忠雄 五条 RC 新子 康次 石井 光洋 栗山 亮作 駒井 照久 中川 隆雄 新城 康誠 山田 福本 雅夫 井上 雅文 栗山 武久 前田 憲男 中野 塩崎 弘章 山本 直治 陽一 藤井 雅弘 鎌田 耕司 栗山 芳郎 松山 賢治 西尾 俊作 輝一 博勝 東 紙谷 裕 小林 英之 的場 太郎 西尾 義治 杉 中恵五郎 谷合 研 二 山本 久福 吉岡 裕温 始 小野寺道信 竹原九仁武 吉田 重次 川口 武之 小西 康博 三谷 鶴見 久保 良次 小西 利之 宮崎 茂造 寒川 英明 鷹野 卓治 直美 久保 崇 小延 知暉 宮下 太佑 櫻井 光弘 田村 隆照 大飼 正和 久保 久彦 小山 脩作 森元 重光 佐藤 照雄 辻本 良尊 大飼 正志 栗山 淳作 幸脇 清次 中 純宏 下村 卓 上辻 昌興 粕谷 森 不 二男 西尾 清森 利春 一夫 平井 康允 平岡 細川 生駒 RC 坂本 民雄 佐 々木正勝 丹後 奥斗 武男 一起 谷村 谷村 嘉夫 中溝 壽志 重一 野添 一夫 庄司 悦治 宿 敏幸 達三 中本 望 奥西 末男 砂野 秀碩 八木 久保 昌城 中野 大西 晃 田口 芳樹 巌一 松崎 五朗 大西 良則 田口 輝雄 雄一 山口 慶男 光夫 中野総 一郎 安村 1参 寛 御門 正明 中谷 壽市 阪本 貞夫 谷口 清 三浦桂 太郎 宮木 二郎 岡村 元嗣 高木 嘉夫 山田 正 桶田 啓介 田村 恵昭 山岸 陸男 森口庄左衛門 奥田 愛造 谷川 豊彦 山下 雅巳 守金 員滋 奥野 貞雄 信司 康男 大見 寛司 辰 巳吉太郎 辻本 昇 一 安田 森川 安田 修平 一郎 吾郷 光夫 伊部 安藤 武徳 飯田 邦造 英二 出店 伸元 飯野 純紹 駒井 完次 伊勢谷倍生 小松 後藤 修治 和泉 国夫 林田 浩志 和泉 逸見 毅 粕井 藤 田龍太郎 森田 橿 原 RC 浅田 陽久 平 田静太朗 喜多 一 暴 浅利 久一 好史 生駒 庄司 Jヒ 飛鳥井 正彦 今元 忠男 児玉 永田 晶三 今西 啓師 久保 福 田 博司 井上 直弘 久保伊佐雄 孝 伊一 藤助 佐伯 昭彦 辻村源衛 門 横山 森 田賢 一郎 斉藤 宏 吉 田庄之介 久和 中林 増田 善昭 桝井 福井 良盟 石橋 保男 久保 福西 健二 石橋 義男 前 福西 亮 伊藤 収 槙野 藤井 義進 岩崎 之 冨士 川敏彦 花岡 繁一 鍵岡 正隆 鍛 治 田恭男 羽根 責 亀 口幸之祐 羽根 史朗 上市 園 林田 邦弘 勝川 平井 純 川端 平井 基陽 桐山 孝夫 森野 辻村 敏 阪口 皓司 辻村 嘉則 里田 好 塚本 拓夫 耕二 好川 中川 隆男 一貫6 吉野 修史 紀彦 中川 賓 瀬上 和史 恒岡 新一 吉谷 昂郎 桝谷 龍昌 │1 利幸 イ 中り 博 上田 弘司 松村 善弘 中井 康允 関 義清 植森 啓子 松岡 康毅 中蔦 責男 瀬戸 口俊男 上村 憲司 喜昭 南 野口 洋司 薫森 栄信 潮田 敏康 悟 甚二 南野 浴 寛二 野阪 洋 曽羽 豊 脇本 文資 密門 光範 岡橋 清元 鈴木 而光 矢吹 吉男 南 尚希 西村 住吉 襄一 野島 高松 富博 良造 良三 勝亮 勲 津越 上田 吉田 森 良之 誠一 吉田 大三 森川 明郎 小川 丈夫 高崎 映三 和田 忠明 裕彦 悟 忠兵衛 瀬上 橿 原 中 央 RC 深井 泰俊 居内 福田 努 岩井 昌勝 常二 羽川 幸賢 貝本 輝美 原田 昌和 川俣 海淳 中川 基成 大川洋之助 弘文 幸生 河崎 宏 内藤 正知 齋藤 宗男 竹田 田中 脇本 廣田 和宏 山本 進章 北岡 忠義 中前 雅男 澤 光彦 多根井 明則 柳田 弘明 糸 田り ‖ 禾日ξ 弓 159 久保真須夫 美登 宮本 知 宏 重行 西 谷 中 中 井上 伊勢 義人 島田 悦治 辰巳 林造 芳川 哲 杉本 憲秀 鳥居 三之 米田 和秀 名和 奈 良 RC 新井 実 今西 清悟 小林 敏良 松山 隆 佑介 下出 雅章 渡邊 良憲 有馬 孝清 稲田 利也 児島 孝夫 泰久 牲 川健 一郎 篠崎 義廣 綿谷 正之 春樹 倍巌 良明 井野 正 近藤 剛司 松山 三島 康雄 西 健治 城田 全康 八木 秩父 治征 井上 富雄 小西 正文 三谷 鐵男 西田 滋 祖谷 謙一 山田 法胤 出口 武男 石崎 俊介 近東 弘七 三岡 嘉和 野村 正雄 須河 俊治 山口 繁夫 遠藤 正雄 伊藤福太郎 近東 宏光 水谷 悦郎 尾田 利一 須永 保夫 山中 誠人 藤井 長治 岩波 肇 河野 清晃 森 平 八 i5 尾田 杉野 山中 迪郎 冨田 ネ 昭 鍵岡 埠典 小山 良蔵 森田 杉山 彰 嘉一 後藤 '台 和夫 上林 黒部 功 一彦 村上 笠置 賢 一 侃 九猪 長谷 川嘉信 橋本 弘 二 勝井 琢男 黒川 務 隆一 大林 芳信 憲三 大森 勝之 杉山 和彦 山脇 村 田健 一郎 岡田 吉正 多嘉 博 山脇 豊 義方 永井 宏昌 岡本 博行 多川 乗覚 安田 勝彦 山尾 富士雄 春夫 箸尾 享嗣 川合 弘 楠原 豊 中川 晋作 岡本 保彦 武田 満明 安井 猛 箸尾 達哉 河合 衛 前 田正 一郎 中島 欣資 岡村 吾良Б 田中 弘治 安川 直毅 橋爪 勝次 川口 充弘 前田 哲郎 中本 勝 奥村 威俊 田中 国雄 横田 圭司 橋爪 宗和 川北 昌博 前川 定由 中村 武人 奥谷 英樹 田中 豊作 横田 雅治 橋 爪宗太夫 川崎 重喜 正木 康雄 仲村 米蔵 奥谷菊次郎 田中 吉田 彰男 女 臣嶋 正則 木堂 一美 舛 田 H召 憲 中西 勝幸 尾西 楽斎 谷 義雄 ‐ 義 告田 肇 平井 直之 菊岡 泰政 増田 孝雄 仲西 隆 大島 立松 昌隆 告田 広芝 義賢 木村 雅則 増尾 徹 中尾 平治 齋藤 回裕 潤一 寺田 康宏 吉田 壽一 淳一 本田 正人 本岡 源次 松田 英男 中尾 清司 斎藤 安男 吉田 周弘 堀 浩 佳亜 木奥 良彦 松田 徹也 中谷 安宏 沢田 守重 昌一 豊澤 筒井 寛昭 吉田 紀夫 喜多 堀川 将雄 松井 重憲 中土 芳雄 沢井 啓祐 上田 泰章 告村 長蔵 五 十嵐要朔 喜多野徳俊 松倉 晴夫 中山 善衛 妹尾 隆文 上村 英文 告村 真嗣 池渕 良博 北野 利裕 松森 重博 並川 栄城 柴田 徹 植野 清嗣 告村弥須雄 池 田栄三郎 北浦 康充 松本 陽一 並川 雅俊 重本 孝憲 脇阪 啓行 吉岡 孝夫 池田 小林正太郎 松岡 泰夫 南 口真 沙成 島田 文人 鷲尾 隆慶 保典 稀信 奈 良 東 RC 忠一 謙一 姫田 良一 木下 健 前田 武 野崎 充亮 杉本 裕彦 横田 飯倉 悟 北奥 雅祥 松井 淳次 荻田 義雄 谷口 晴康 告 田二紀緒 朝倉 進 伊東 月臣 良明 大倉 正好 谷井 勇夫 宜史 岩本 金′ 1吾 北 山勘解 由 小鍛 冶英 一 松岡 藤本 中東 大井 常源 立部 福村 洋治 泉谷 良宏 国分 清和 中村 弘京 栄一 大槻 能弘 上田 善雄 洋一 舟戸 武史 海保 勝雄 木平 正 中村 公巳 島野 宝明 矢田 武博 萩原 隆夫 貫定 正巳 倉本 尭慧 中村 常明 清水 弘志 山野 義次 花田 克彦 木村 賢一 黒田 有紀 西田 正秀 清水 宗和 矢野 兵治 秋田 秋山 奈 良 大 宮 RC 有井 邦夫 畑中 利久 河辺 幸雄 熊木 円学 成田 積 住田 和美 冨川 悟 中條 章夫 東田 幹章 北神 徳明 楠原 忠夫 西田 考作 鈴木 浩之 土谷 宗一 栄嶋 幸久 疋田 憲男 北河原公敬 楠木 重樹 西口 道徳 多田 廣 植原 藤井 正勝 平野 貞治 清岡 正教 楠下 重郎 西本 高木 伸夫 植倉 秀典 一正 藤川 保雄 平岡 定海 小林 一士 松 岡嘉平治 小川 和生 頑一 高辻 良信 オ 直本 寸 1手 160 5ヒ 藤野 城市 日吉 達司 宮地 宏 扇谷 泰之 滝沢 文雄 飯田 晴雄 二昭 小林 深澤 小橋 宗文 宮坂 久永 大沼 貞男 田中 福井 和幸 井上 正行 小池 恭弘 中井 大谷 政之 谷 口謙治郎 矢追家麻 呂 福本 城家 繁 麹谷 瀞 中井 佐川 八 木悠久夫 五味 良平 一彦 克彦 一男 梶本 佳昭 小西 敏文 中蔦 大 箸尾 文雄 金星 昇 小山 勲男 中村 王寺 鉄夫 誠二 肇 谷口 善之 清水孝 一郎 樽井 百介 信清 清穂 守 徳矢和士郎 綿谷 安弘 山本 直明 RC 藤崎 隆文 勝井 建彦 熊谷 映治 松本 至功 西谷 雅孝 原 幹夫 川中 泰存 國枝 宏 松下 西谷 修 辰巳 三井 浩規 一也 谷 甚 四郎 久二 林 行夫 川端 照道 前田 茂 農野 正幸 寺下 樋口 俊夫 岸 文隆 前田 幸一 三 井豊喜枝 岡嶋 堀内 繁男 北 廣美 増井 嘉勝 森 茂雄 坂口 雅司 呆一 本 直本 屯女 す 糸 子 幾嶋 昌次 北之坊磯 巳 松井 邦夫 森近 泰夫 清水 孝雄 保井 内田 武 武三 苦田 良信 芳倉 清隆 二三 告村 男 吉村 雅行 吉村 允利 隆應 芳昭 井阪 治 清川 紀一 松井 米蔵 西村 公宏 助川 義寛 横尾 正 亀井 孝雄 米田 豊 松本 宏 西村 國宏 鈴木 勝司 米田 重義 桜 井 RC 赤崎 正佳 市田 善幸 岸本 嘉郎 中村 正典 竹村 憲二 植田 康治 池田 利一 北川 慈照 中野 博孝 利一 島津 浅田 清水 宏吉 玉井 善敬 藤井 公 稲田 勝人 木山 照道 西垣 隆司 下村 弘明 田守 靖男 道一 植野 勝守 八 倉萬之助 藤池 明 重走 泰治 近藤 達司 西村 博太 杉平 公治 寺田 藤本 暢男 鍵谷 頭宏 久保 隆 奥田 芳久 杉田 博義 冨松 萩原 芳明 上辻 健夫 黒川 重之 大西 哲哉 田口 太望 辻 勤 金澤 祥尭 松浦 純吉 辻本 友治 日下志 義晴 喜代 一 完治 大浦 民生 高田 東野源太郎 河村喜太郎 南 明 佐野 貞彦 高橋 守雄 邸井 利忠 堀井 川田 利明 森井 肇 澤西 博 it,‖ 青旨車 甫 上田 賞 孝司 山田 忠一 山口 忠男 山本宗 一郎 大 和 郡 山 RC 荒井 藤平 廣葉 重典 片桐 友信 松本 常雄 野澤 照岳 清水 幹夫 内田 行彦 土居三良右衛門 広瀬 枢木 聡 松本 勉 尾川 恵宥 下城 偉弘 上田 澄夫 藤枝 今西 泰治 宗一 菊岡 成泰 松岡 秀晋 岡島三 千男 杉田 正義 梅田 博宣 稲垣 利一 木島 敏宏 森島 成和 大方 保 竹林 由利彦 山中 欣治 板橋 知義 木谷善兵衛 中村 弘 大石 恒義 γ河‖ 1平 ,告 柳井 康司 精己 喜一 北谷 泰彦 中谷 正史 大西 善勝 竹内 正治 米澤 定義 月 巴沼 学 中辻 寿喜 大野 可園 田村 良平 吉田 和生 三司 尾崎 勝彦 田中 真端 二腺 吉川英太郎 辰巳 一雄 克己 藤井 光清 二貞Б 所に本 寸禾日三 藤原 春嗣 糸谷 福本 淳 伊藤 福本 圭志 伊澤 紘 幸田 繁男 中屋 花田 輝 貝本 龍彦 楠本 芳矩 西沼 啓次 佐伯 良三 服部 耕司 柿本 経夫 前川 真澄 西浦 斉 坂元 哲巳 富井 田中 │ 大和 高 田 RC 赤井 康純 井上 孝 松本太平衛 中井 典子 尾崎 仁一 稔 井上 善克 松村 賞秀 中井 隆男 酒本 昌彦 康正 田津原 昭三 吉田 浅田 吉田 馨 足高 板橋 武彦 中井 爽子 阪本 雅勇 寺田 俊彦 吉田 勝彦 鍛治 田正祝 松尾 三浦 克巳 東 清 洋一 潔 中原 賢治 佐藤 佳雄 道央 睦美 河井 祀宏 宮城 淳一 中家 寛 柴田 修 寺 田喜美 子 一雄 吉田 藤村 手嶋 船木 克容 河村 保夫 宮城芙美子 猶原 勉 柴田 静子 植田 吉田 全紀 逸郎 吉 田大一 郎 泰清 布施 教雄 川中 光教 森田 通規 西嶋 榮一 島村 宏 植村 乙輛 吉川 林 正晃 川中 宣匡 村上 太郎 西 川儀兵衛 下井 節子 植野 昭三 吉川 平井 秀行 喜村 成元 村野 西川 均 下村 敏博 梅咲 吉秀 吉 川太喜夫 廣橋 平司 喜, 正則 村嶋 家三 忠一 野村典志忠 下村 康夫 脇本 書清 吉川 利通 廣橋 小原冨重郎 岡本 一 画 志野 恵洋 涌田 美輝 吉川 秩村 喜芳 山田幸太郎 芳本 嘉之 甚二 岡本 書晴 杉岡 護 山下 成良 告村 元嗣 岡本 書行 杉田 博 安川 呈 吉村 和子 昌義 吉村 定義 吉岡 國郎 定子 小林 敏一 村 島靖 一郎 堀 田幸治郎 甲村 侑男 村島 堀内 黒 川爾市郎 射場 光廣 俊司 黒松 健 村 山達之助 中川 飯田 清嗣 枡岡 進 中堀 池内 博彦 松井 逸郎 中井 池 内爾 三郎 松井 憲三 中井 松 井真佐子 中井 今西 井上 平城 荒堀 出井 芳男 繁未 洋子 和宥 春夫 廣一 岡本恵美子 隅田 守 安本 博 奥井 範男 鈴木 勝士 安本 茂 啓子 一男 奥本 幸卯 高橋 正之 安本 佳子 大島 賓 竹村 恵史 吉田 暁 玉井 庄平 吉田 知子 順亮 谷推卜 駿介 矢追 知子 谷掛富美子 横田 光弘 克己 松倉 俊之 中井 忠信 大武 正則 池測 順幸 倉本 明義 仲 奥田 RC 政男 幸雄 以 呂免義雄 前田 博 中原 武 翔一 坂内 利隆 公一 土堤 内清 昭 逸崎 正 松井 慶之 中窪 啓司 佐藤 土庫 憲了 横田 進 藤野 北涛 岩井 鴻顕 松井 妙子 中窪 常子 佐藤嘉代子 辻本 好広 横田 淑子 橋本 和信 岩井 南 伸作 伸一 中上 博功 禎一 関 道雄 辻本 光世 吉岡 幸雄 小川 鈴木 嘉彦 上村 季子 岡井 利江 小川 健治 上村 昌子 卓三 林 昭博 川口 健一 三浦 林 松代 本田 賓 村尾 紀子 憲一 平松 正孝 北室 泰彦 永原 篤 熊本 国勝 永原 岩城 成子 松川 橋本 平松裕佳子 三浦 伸江 竹村 通弘 梅守 末男 大 久保 明夫 田中 洋 若井 繁敏 大久保 久子 田中 隆嗣 山口 正敏 康男 大田 凱敬 田中香与子 矢追 盛賢 信夫 中村 保 奈 良西 RC 浅沼 清 大石 強 竹田 敬 山原 呆 田中 義則 山本 敬一 福本 明 開高 覚 松 久保秀胤 中村 彰子 太 田昭一 郎 古瀬 尭三 片岡 稔 美並 義博 中谷 賢治 太田 悦子 谷口 光明 山本 俊夫 荷坂 毅 片岡 知子 光山 忠良 西島 佳悦 大辻 康夫 東山 光師 山品 和弘 荷坂 享 河原 勉 光山 富子 西 島 かお る 阪本 龍兄 東山 泰子 山品美和子 布藤 雄治 木下 裕 森 高廣 西脇 英樹 佐藤 昭雄 津山 由蔵 山善 玲子 西脇 富 久子 里井 義治 浦前 敏明 山寄八栄子 沼田 島本 新治 和田 耕造 吉川 正敏 和 田登紀子 告川 充子 信男 林 秀彦 北村 弥 林 成子 北村 久子 森本 肇 勝明 弘通 中嶋 峰男 沼田 靖子 杉村 仁 清原 久恵 中嶋 安彦 緒方 惟之 須山 章信 綿谷 良孝 吉村 敏郎 小柳 功嗣 中嶋 君子 緒方 須 山由美子 綿谷 國友 正道 仲村 忠雄 小原 高橋 善次 山田 文子 宏一 吉村 ひろ こ 弘道 京子 壮一 高橋 良子 山上 文雄 原川 民男 清原 井岡 重信 伊瀬 糸原 岩城 森 丈雄 賞 黒田 浩之 仲村 敦子 小原 恵子 ∠υ 8帥”田田田”¨”””%%%”観脱出邸田田2 6剛翻鋼剛翻 御御御御制御御観硯硯硯““““““7 掛 一 ︲ 6 8 1奈 良大宮 46 47 48 49 50 1橿 原中央 開催 日 :1997年 4月 18日 (金 )開 催地 :奈 良国際 ゴル フクラブ/HDCP方 式/Wペ リア / 1 7 1 7 3 7 1 7 1 7 2 7 2 7 2 7 1 7 1 1 4 7 3 9 5 7 2 4 5 7 1 0 5 7 3 4 5 7 4 9 5 7 2 6 5 7 1 5 4 7 2 0 5 7 2 7 4 7 2 0 5 7 2 0 5 8 2 9 4 8 3 4 6 1 4 4 ︶ 4 2 5 6 4 2 5 0 5 3 5 0 6 3 6 5 5 2 3 5 5 3 0 6 5 3 2 6 6 3 2 6 5 2 4 5 5 3 1 6 6 │ 7 4 i賃 ll層 I墓 6 4 淳 次 1奈 良東 1:│ 松井 0 5 』首 央 83 塚 田 茂 1亀 岡 義明 京都 八 幡 821 松 山 0 5 :il 9 4 781 4 4 ::│ 1 5 71 一 ¨ 等 峙 一 ¨ ¨ ¨ 田 寸 本 寺 奥 ︲ ︲ 宏 夫 康 照 7 0 1 5 1 6 2 は 一 ¨ ] ¨ ¨ 0 2 田 上 6 2 0 2 6 2 3 1 9 1 3 1 4 5 2 2 3 1 2 4 2 0 2 1 0 2 2 8 2 2 2 2 2 1 2 6 4 1 4 4 1 4 4 1 4 7 2 2 2 本 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徹 河辺 幸雄 51 吉 田 勝亮 521 上村 卓 三 1王 寺 西谷 雅孝 尾初瀬 勲 山田 直治 伊藤 牧 八木 悠久夫 辻本 常夫 54 55 56 57 58 59 60 1大 和郡 山 ︲6782488794708502︲2355。︲75150691688 55 55 34 6一 3 2 か一 礼︲ 調潮7 一 4 4 5 ︲ ︲44554445455545655555565 犬飼 敏宏 1大 和郡 山 晶三 1橿 原 正志 │五 條 泉谷 浅利 木島 永田 1平 城 和廣 1草 津 良宏 1奈 良東 好史 1橿 原 53 清水 1橿 原 451 谷 口 3 ) 横 田圭司 (奈 金澤祥尭 (桜 良) 井) 881 森川 明郎 1橿 原 中央 ニ ア ピン No 16 山本進章 (橿 原 中央 ニ アピン No3 ベス トグ ロス 位 l頂 ︲︲ ︲︲ ︲ 01234567890 2345678 ︲2 90123 33 43 53 73 63 83 94 04 24 34 4 ︲4 同一 ︲ 2 3 4 5訓 列 8﹁” ︲ ︲︲︲︲︲︲︲︲︲22 ジュ ニ アの部 163 デ 一 御和珈mm劇州湘田郷憫““”“““”帥“″””∞∞田“郎“””田鶴“MM3¨“∞%“”% ン ヽ ′ ︲ ︲ ︲ ︲ ︲ 3 6 4 2 2 6 3 8 3 6 5 4 8 9 9 8 6 2 5 5 9 5 5 5 9 9 3 ︲ ︲ ︲ 8 2 9 0 0 9 8 8 9 9 9 0 9 9 0 9 0 0 9 0 0 0 0 0 ︲ 9 0 0 聖 岬 潮 ︲ 0 2 部 ︲ ︲ 2 ︲ ︲ ︲ ︲ 画 師 ¨ 調 糊 ¨ [ ︲ ︲ ︲ ︲ ︲ ︲ ︲ ︲ ︲ ︲ ︲ 8 3 8 2 9 4 5 4 4 3 ︲ ︲ 1996∼ 197年 地区大会 記念親睦 ゴル フ大会成績表 シニ アの部 氏 1 2 3 10‐ クラブ名 澤辺 告信 京都洛北 田津 原昭 三 大和高 田 教野 勇 近 )工 八 幡 4 美馬 5小 川 6 山本 7 山本 8 9 名 栄嶋 森島 原田 4040 80132668 444488204676 40.40 80 96 704 4547 92 216 704 5455109 384 706 4447 91204706 4747 94228712 53服 敏 行 京都西南 5049 99264726 4746 93 216 714 4547 92 204 71 6 4751 信清 奈良大宮 廣 奈良大宮 康 ― 京都洛 中 仁 夫 亀岡中央 哲治 宇治 正義 大和郡 山 嶺爾 京都洛南 22山 下 23深 田 24杉 平 25 北 岡 26 津村 27森 川 28川 名 29川 瀬 30大 石 31三 井 32清 水 33古 谷 34白 崎 35稲 木 36田 中 37 フ 寸 トオ 5147 98252728 14343 86132728 15558113400730 14447 91180730 40139179601730 14743 90168732 15046 96228732 38今 井 武 園部 39 平 井 永基 福井西 40住 吉 襄 ― 橿 原 中央 46上 村 憲司 橿 原 ニ ア ピン No ベ ス トグ ロス 奈良大宮 桜井 京都城 陽 亀岡 奈良 義宏 亀岡中央 54西 尾 55大 川 欣孝 亀岡 勝彦 亀岡 56 兵治 奈良東 矢野 橿原 王寺 桜井 平城 亀岡 大和高 田 生駒 4944 93168762 4548 93168762 5258110 336.764 514697204766 49901321768 5046 96 1921768 5250102252 768 4947 96 192 768 5651 107 300 770 4451 95 180 770 5452106 288 772 4851 99 21 6 774 5753110 324 776 5048 98 204 776 5257109 31 2 778 5349102240 780 51 571081300,780 引 51 501011228 782 65今 元 5049 991204 786 忠男 橿原 66 藤本寸 日 て者5ノ ヽ中 番 4850 981192 788 召X占 労 67金 星 昇 奈良大宮 5246 98192788 68平 田静太朗 Hア 橿原 4448 92132788 菫醤輪西北 :31; `;│:::;`:; :`蓬 冨 晶 70中 村 公 巳 奈良東 5855113336794 71中 路幸治郎 京都西 4847 95156794 72五 味 ― 彦 奈良大宮 5156107276794 73徳 岡 孝 二 京都西 6250112324796 74山 内 信輝 京都洛 中 4852100204796 5049 99 192 75川 勝 孝司 亀 岡 76有 井 邦夫 奈良大宮 5142 93132798 77村 山達之助 大和高 田 4856104240800 78上 辻 健 夫 桜井 521581101300 800 79岩 井 鴻顕 平城 521601121318 802 62159‐ 12114001810 80上 林 康 二 宇治 14747 94192748 14240 82 72748 14344 87120750 5655111360750 81 小西 82谷 合 83植 村 84松 井 85庄 司 86中 村 87松 本 88谷 村 89中 溝 90津 越 91飯 野 541105 300 750 43143 86 108 752 51‐ 4652 98 228 752 4348 91 156 754 15251103276754 56155‐ 3 琵琶湖 八 1播 64 野山奇 充亮 奈良東 卓夫 1京 都洛北 4452 96216744 円造 1京 都西南 14248 90156744 光 次 1甲 西石部 14749 96216744 ―也 王寺 14649 95204746 :者 5,各 F綺 茂 境 部 アウトイン グロス ハンデ ネット クラブ名 名 57矢 吹 吉男 58三 井豊喜枝 59西 村 博太 60辻 本 好広 61溝 口 武史 62西 嶋 榮 一 63松 崎 五朗 98 252 728 1:│::│ :: :♀ ::│;::1 穆 :当 骨1冨 異 宏 京者5西 北 501511101 2761734 勝康 京都洛西 4147 88144736 稔 亀 岡中央 4647 93192738 4844 92 180 740 公治 桜 井 昌原 中央 忠義 ‖ 4949 98 240 740 旨 5258110 360 740 庸 三 1労ミ者6洛 肩 芳明 琵琶湖 八 幡 4949 98240740 弘志 奈良東 弘志 亀 岡中央 健 福井西 健 福井西 隆嗣 平城 氏 47河 本寸 寛蔵 48矢 追 家麻 呂 49黒 川 重之 50杉 山 実 51中 塚 道生 52中 島 欣資 ‐ 1: ::昌 21 吹上 順位 正和 亀岡 禎 ― 平城 康弘 京都城 陽 淳― 亀岡 幸久 奈良大宮 月 え禾口 大和君6日 日 1● 大久保 明夫 1平 城 12中 村 13多 田 14松 野 15奥 村 16山 本 17杉 田 18久 保 アウドイン グロス ハンデ ネット 博 京都洛 中 研 二 五條 純好 王寺 慶 之 平城 悦治 生駒 賢司 福井西 幸― 京都西北 嘉夫 生駒 重一 生駒 良造 橿原中央 純紹 生駒 5555110288812 5356109 276 5448102 204 5852110 240 6759126.400 6760127396874 6760127396874 60 60 120 32.4 87.6 66 63 129 40.0 89.0 16071131400910 6870.138 4001980 111 3481762 小西 博 (京 都洛 中) 治 山本哲治 (宇 ) 164 ニ アピン No 16 814 816 860 860 澤辺吉信 (京 都洛北 ) 大会役員・ 大会委員 実行委員 大会登録委員会 0 委員長 山上 委員 松井 文雄 (奈 良西 口 高田 憲 三 l・ 不 ) ) 大会 実行 委員会 委員長 ++f 副委員長 東山 地 区大会役 員 地 区 ガバ ナ ー 中野 大会委員長 緒方 重宏 (奈 良 惟 之 (奈 良西 大会副委員長 中村 保 (ク 阪本 総務委員会0東 山 浅沼 龍兒 (ク 清 ( ク, 林 昭博 城 中嶋 ) ) (J′ 中谷 賢治 (奈 良西 光山 忠 良 (ク 大会SAA 林 秀彦 (ク 森 高廣 (ク 中嶋 安彦 (ク プ ロ グラム委 員長 大辻 康夫 (ク 大会会計 仲村 忠雄 (ク 大 田昭 一郎 (ク 善次 (ク ) ) コ・ ホス トクラブ幹事 上村 卓三 (ク 安本 地区幹事 柴田 地区副幹事 茂 伏和訓 修 伏和高日)音 川 村 上 太 郎 (大 和高円 和高日 {大 和高田 時こ 夫 (余 良西 山品 記録委員会○山善 和弘 良西)沼 田 勝明 (奈 良西 丈雄 (奈 良西)吉 村 信男 (奈 良西 良両 (奈 良両)中 嶋 (奈 良西 ) 設営委員会O光 山 梅守 (長 浜 荻原 芳 昭 幅 井)渡 邊 嘉男 (京 都 ) ) 大会決議委員会 ) 勉 (丸 岡 行生 (国 音 い ) 大会選挙管理委 員会 二 郎 伏津西 ) 大会選挙 人資格審査委員会 都 岩崎健太郎 輛井南)澤 西 ) 博 桜 井 ) 165 末男 (.r城 佳悦 (奈 良西)美 並 和信 (11城 )中 原 卓 三 呼 城)土 庫 和弘 (奈 良西)中 嶋 松井 救護委員会○西脇 費 (奈 ) (奈 良西 ]号 (奈 良西 (奈 ) ) 良西 ) 剛 敏 '台 号(奈 良両 武 (平 城 ) ) ) 橋本 上村 ○ 案 内委員会 山品 関 委員 (京 判甲 壮 一 (奈 良西)浦 前 島本 ) 肇言 ,台 小原 山本 ) 峰男 (奈 良西 禾ロヲ ム(奈 良西 ,告 之 (奈 良m 雄治 (奈 良西)中 嶋 宏 一 (奈 良西)和 田 岩城 ) 忠 良 (奈 良西)山 品 章信 (奈 良西)黒 田 山田 布藤 ) ) 壮 一 (奈 良西)浦 前 ニ (奈 良西)イ 中 多本 本 す イ 受付委員会○西 島 ) ) 小原 義夫 常郎 ) 良西)大 辻 ) 岡)り │1村 池内 ) (奈 稔 ) 委員長 ) 準〔 良西 義博 (奈 良西 (奈 (奈 勝 明 (奈 良西)島 本 (大 隆男 (亀 西村 ) 重信 沼田 侑男 善夫 委員 秀彦チ(奈 良西 仁iぅた (奈 良両 ) 丈雄 良西 嘉和 (奈 良 義 一 僚都ね 中島 ) 大石 楠 三岡 ) 康夫 (奈 良西)里 井 強 (奈 良西)福 本 委員 委員長 ) ) 大辻 (奈 音田 良西 林 西 松川 良 英樹 (余 良 西 岩城 文雄 義則 (奈 良西 美並 (奈 (奈 ) O井 岡 ) 康夫 森 賢 ,台 (奈 良西 和高日 大辻 委員 良西)中 谷 ◎会場部会長 片 岡 ) 栄三 (大 津 美諭 (京 都伏励 橋 向 和生 伏和袖 )西 田 (奈 ) (奈 良西 ) 良西 須山 委員長 岩崎 安 彦 (奈 大会 プ ロ グラム委員会 委員長 耕 提圭 (奈 良 西 良西)中 嶋 (奈 ) 道央 伏和高日)甲 村 俊彦 伏和高日)中 井 (奈 良西 ) ) (奈 高廣 ) (大 高 廣 ) 肇 森 元 嗣 伏和高田 春男 城 ) 情報収集委員会 0山 寄 ) ) 寺田 吉田 ) ) 平 司 (大 和部 博 伏和部 )音 村 良西 (平 広報委員会 ) ) 隆嗣 (平 城 (奈 良西 (余 光師 (奈 良西)森 ,青 (奈 良西)和 田 峰男 正敏 賢 '台 日 召1専 森本 ) 田中 地 区会計長 田中 ) 北村 廣橋 地 区副幹事長 中井 西脇 登録委員会0山 上 ) ホス トクラブ幹事 コ・ ホス トクラブ会長 光師 大会 プ ロ グラム委員会 ○大辻 康夫 ) 弥( ク 大会 委 員 地区幹事 長 吉川 ) 大会副SA.A ソ ング リー ダー 高橋 浅沼 ) 大会副幹事 ホス トクラブ会長 ◎総務部会長 東 山 ) 大会幹事 大会会計監査 古瀬 ) {R tu;nr'qt 光師 (奈 良西)中 谷 尭三 (奈 良西)林 良西)吉 村 俊夫 除良西)佐 藤 新治 (奈 良両)佐 藤 道雄 子 城)坂 内 慶之 呼 城 (` 義 博 除 良西 安 彦 (奈 良西 ) ) 耕提ゴ(奈 良西 敏 明 (奈 良西 ) ) 翔 一 (平 城 憲了 (平 城 ) ) 峰 男 (奈 良西 ) 信 男 (奈 良 西 ) 昭 雄 條 良西) 公一 呼 城 ) 利 隆 (平 城 ) ) 英樹 (奈 良西)永 原 篤呼 城 ) 谷掛 駿介・F城 ◎ 国際部会長 古瀬 国際委員会0山 田 │ ア トラクシ ヨン委員会 1奈 良西)島 本 峰男 (奈 良西,原 川 松川 信夫 (奈 良西)森 本 若井 繁敏 (1′ 0福 本 明 保安委員会●中嶋 進行委員会0布 藤 林 城)逸 崎 雄治 (奈 良西)西 脇 秀彦 (奈 良西,大 辻 毅 (奈 良西 来賓委員会C太 田昭 一郎 (余 良西)伊 瀬 ◎接待部会長 荷坂 阪本 辻本 茶席委員会0須 山 佐藤 藤野 夫 人 (コ ) ) 英樹 t奈 良西 康夫 1奈 良西 回友 敏郎 1奈 良西 Oブく 石 ) /1ヽ lli「 ) 功品 可1奈 良西 │ 義治 (奈 良西 ) ) 良西 0西 島 佳悦 1奈 良西)森 高度 (奈 良西 正敏 (奈 良西 ) (奈 良西)苦 川 耕造 1奈 良西 康男 (平 城 重信 1奈 0出 井 幸雄 1平 ◎財務部会長 仲村 忠雄 1奈 , ) ) ) ゴル フ委員会 ' 良西 ) 城) 他 財務委員 会 布藤 , 約 20名 良西 ) 雄治 (奈 良西 監査委員会 大 田昭 一郎 1余 良西 緒方 惟 之 (奈 良西)中 村 ◎常任委員 宏 一 1奈 良西 ) ) 正道 信夫 (奈 良西 ) 1奈 ) 11′ '竹 城,横 田 進 1平 城 弘通 1奈 良西1青 川 正敏 1奈 良西 '平 1平 城 ) 平 城 正孝 「 ) ) │ 原川 民男 (奈 良西 エ クス カー シ ヨン委員 会 , 弘道 (奈 良西,黒 田 光 明 1奈 良西)沼 田 嶋 義治 (奈 良西 '中 忠 良 1奈 良西)山 本 強 {奈 良西 浩之 1余 良西 勝 明 1奈 良西 ) , 安彦 (奈 良西 俊夫 1奈 良西 ) │ ) 呆 ◎友愛部 会長 山原 シ ョッピング委員会 1奈 良西 良西)山 本 ●綿 谷 良孝 1奈 大辻 康夫 (奈 中窪 啓司 (平 ) 俊夫 1奈 良西 良画,大 久保 明夫 (平 城 , ) 城 ) 友愛広場委員会 信男 1奈 良西)西 島 (奈 良西 )糸 原 松 久保 秀胤 泰彦 (平 城,中 L 佳悦 1奈 中谷 賢治 (奈 良西)古 瀬 東山 光師 (奈 良西)片 岡 仲村 忠雄 1奈 良西 保 (奈 良西 ) 尭三 (奈 良西 稔 (奈 良西 ) ) ) ) (平 北室 強 峰良西)里 井 民男 (奈 良西 丈雄 弘道 1奈 良西 伸作 C吉 村 ) (奈 永原 田中 大石 城 ◎ ゴル フ部会長 ) 南 光山 (平 ) ) 山善 ) 順幸 谷口 城)以 呂免義雄 和田 ) 憲 -1平 城)池 測 松 洋 1平 城 食事委 員会●里井 政男 城 記念誌委員会 良西)黒 田 浩之 (奈 良西 西 1奈 良口 ,青 原 ;ム 通 1奈 良 │1 禎 一 1平 城 北涛 (平 城)小 り 順亮 t平 城 ) 0糸 原 , (平 裕 木下 ) , 宿 泊委員会0清 原 ) ◎記念誌部 会長 良西)田 中 義則 (奈 貞西 1奈 肇 1奈 良西 裕 良西,森 本 木下 ニ(奈 良西 多本 寸 イ 召雄 (奈 良西 本 僣鋼案 日 ' 城 村 通弘 岩井 鴻顕 1平 城 村尾 (1′ 凱敬 (14城 良孝 (奈 良西 敬 一 (奈 良西 青少年委員会 ) ◎交通宿 泊部会長 交通委員会0松 川 幸雄 大田 肇 (奈 良西 正 {平 城 原川 Э福本 明 1奈 良西)糸 原 レデ ィース プ ロ グラム委員 会 C音 川 正敏 (余 良西)井 岡 山田 吉岡 民男 良西 (奈 奥田 ンパ ニ オ ン)委 員 会 国勝 城)荒 堀 岩城 1奈 ) 章信 日 召雄 熊本 (平 新治 ) 龍兒 (奈 良西, 好広 1平 城 費 良西)山 本 良西 ) ) (奈 1奈 ) 尭 三 (奈 良西 宏 一 {奈 良西)綿 谷 良西 │ 弘道 (余 良西 博功 (平 城 ) ) 166 (注 )○ は委員長 地 区大会 日誌 1996年 1.27 1995年 2. 23 足高 ノミニーよ り、 1996∼ り7年 度 の地 区大会 2.10 2.16 部会長会議開催。 4.11 ・会場等 につい て協議 ガバ ナーノ ミニー事務 所 と合 同会議 。 会場 間 のホス トクラブを要請 される。 3.2 3.16 地区大会ホス トクラブについて当年度 と次年度 題 につい て協議。 地 区大会 ホス トクラブに指 名 されてい る件 で 、 第 1日 ∼ け い はん な・第2日 目∼ け い はん な案 を承認 委員会設置 の決定。 アンケー トに基 づ くクラブフォーラム (3月 30日 アンケー ト締切 4.20 4.21 くア ンケー ト内容 〉 65名 中61名 の回答で、 コ ホス トとして参加す 再度 ll事 会で確認の上、大和高田 RCへ 返答 部会長会議 開催。例会後、会場問題 で協議。 ガバナーノミニー事 務所 訪 問。 会場 変 更 につ 5.16 部会長 会議 開催 。5月 14日 ガバナーノ ミニー事 務所 との協議内容 につい て報告。 ルヾ ナーノミニー事務所∼市立体育館案 ホス ト要請 にどう答 えるのか (理 事会 で承認 )、 例会終了後、会長、幹事、次年度会長が ノミ ニー事務所 に報告。 合同理事会決議 当 クラブ∼けいは んなプラザ案 5.20 5.30 新旧理事会で地区大会ホス トの件、条件付で 引き受けることを承認。 地 区大 会 予備 委員会設置 を理 事 会で承認 。 9. 21 1996∼ '97年 、ガバナーノミニー他、廣橋幹事 9. B案 7 長、中井副幹事長他 と予備委員会 との第 1回 10. 4 11. 5 地区大会協議会 を春 ロホテルで開催 し、意見 換す る。 足高ガバナーノ ミニー事務所開設。 地区大会予備委員会 を実行委員会に変更。役 員 は次 の通 り。 大 会 委 員 長 緒方 惟之 大 会 幹 事 長 中谷 賢治 大会実行委員長 中村 大 会副委員長 東山 光師 9 ) クラブ (当 ) 第2日 目∼けいはんなプラザ 6.6 部会 長会 議 開催 。 6月 H日 開催 予定 の ガバナ ーノ ミニー事務所 との合 同会議 につい て に事 前協議。 6.11 地 区 大会事 務 局 開設 。 ガバナーノ ミニー事 務 所 と合同会議 開催。 7.1 7.4 足高 ガバナーよ り地区大 会役員 に委嘱状伝達。 7.10 部会長会議 開催。 総務部会 開催。事務局 につい て 協議。総合 プ ロデュースを 「けいはんな」に依頼 (案 )。 保 会場問題協議{市 立体育館他の施設利用の了 占瀬 尭三 その他の役員、委員長は実行委員長に一任する。 中村実行委員長他4名 、大会会場視察。 承の報告 ) 部会長会議開催。 ・地区大会事務局について 。会場問題 について 12. 21 (ガ バ ナーノミニー事務所 第 1日 目∼ けいはんなプラザ 第2日 目 ヽ市立体育館 第 1日 目∼けいはんなプラザ 大 会 副委 員長 12. 部会長会議 開催。会場 問題 につい て協議 c A案 継続協議 を関係者が行 う。 1 当 クラブ、平城 RC合 同例 会。地 区大 会当 日 の協力 を依頼。 1996∼ '97年 地区大会ホス トの件、例会終了後 6. 片 岡会長 、地 区大 会本会議 で次期 ホス トクラ 5.13 5.14 予定。 11 クラブ案 )。 いて協議。 る とい うのが圧倒 的な意見であった。 I・ (当 地区大会出席 ブとして歓迎 の挨拶。 ) 4.20 部会長 によ り組織表 につい て協議。 の合同理事会開催 賛否両論結論 を得ず。 受 ける、受 けないの検討 c 4.13 ガバ ナー ノ ミニー事 務 所 と合 同会 議 。 会 場 、 プログラム等の検討。 平城 RCへ 足高 ガバナーノミニー訪間。 コ・ホ ス トを依頼。 167 7.11 部会長会議 開催。 ・7月 13日 の事 前協議 7.13 部会長、委 員長会議 開催。 市立体育館 の施設見学 (AMH:00∼ その後 ホテル フジタヘ 委員会発表 ・平城RCへ 依頼のゴルフ大会について検討 ) 財務部会、各部会へ予算の見積提出依頼 7.17 記念誌委員会 、京都西北 RC(昨 年度 ホス トク 11.10 11.14 部会長会議 開催。 交通宿泊部会協議 ・各クラブ登録勧奨訪間についての協議 8.1 8.8 11.26 各部会長、委員長 会議 開催。 けいはんな(総 合プロデユース)と 協議 11.28 常任委員会開催。 ・講師予定の業nT寺 管長 高田師病気の為、 部会長会議 開催。 ・ 予算案作成、内容検 討 講師の変更及びプログラムの一部を変更 12.5 部会長会議 開催。 予算案 につい て細部検討 県下会長幹事 会 で 県下 RCの 全員登録 を承認。 8.29 部会長会議 開催。 ガバナー公式訪問時 の プログラム、予 12.12 ・ ガバナー事務所 より足高 ガバナー病気 の 為、中野 PGに アクテ イングガバ ナ ー 就任をRIへ 中請の報告を受ける 算等 につい て協議内容 を検討 ガバ ナー公式訪問。 12.19 部会長会議 開催。 常任委員会開催。 ・新 入会員及 び退 会者が有 り、委 員会 表 一剖S変 更 予備登録 の集計完了。今後 の検討 ・第2日 日本会議 の講師 につい て検討 10. 3 常任委員会発足。 中村 (緒 方 中谷・中村 東 山 片 岡・古瀬 イ ガバナ ー事務所 と協議。 12.23 12.30 設営委員会 とけいはんな、会場設営について協議。 常任委員会開催。 プログラムについて協議 会場部会、会場見学。 ガバナー事務所 と協議 1.8 1.14 大会本登録 中 し込み書印刷 開始。 1.16 常任委員会開催。 ・委員会表 の再検討 1.20 1.23 1.27 1.28 1.29 1.30 催。会長会 で地区大会協力金 として県 下会員全員 よ り10,OtXl円 徴収 を承認。 10.24 常任委員会開催。 ・予備登録 について検討 10.31 常任委員会開催。 プログラムの一部変更 大会登録勧奨訪間開始。 ・呈茶席について奈良淡交会 と協議。 足高 ガバ ナー御逝去。 大会来賓招待者へ招待状 を発送。 各 クラブに対 し本登録用紙 の正誤表 を発送。 プログラムの 内容 を検討 10.19 1M開 大会2日 目講師 に網千善教氏決定。 1997年 ) ・第1日 日・第2日 日の講師、コーデイネーター について協議 lo.11 10.16 12.20 ・講師の変更 に伴 う協議 大会役員、各部会長、各委員長 全体会議 開催。 ・9月 13日 ガバナー事務所 との協議内容説明 大会記念品 の決定、承認 ・各部会長意見交換 9.28 交通宿泊部会 の詳細発表 ゴル フ部会開催。 ・奈良国際 ゴルフ場 にて各会場協議 ガバナー事務所 との協議。 ・ プログラムについて検討 県下RC全 員に10,lll10円 /1人 の援助金を受ける ・第1日 目大会フォーラムの出席義務者の検討 9.19 常任委員会開催。 各 クラブ訪問時 の資料 の検討 地区大会ホストクラブニュース発行決定 部会長会議 開催。 ・ ガバナ ー協議会へ の事前協議 大会講師 につい て検討 9.13 常任委員会開催。 大会当 日司会、アシスタントの面接 8.17 8.22 9.5 9.8 実行委員会開催。 各部会長、経過説明及び各部会詳細協議 ラブ)へ 訪問 し指導 を受 ける。 7.18 各クラブヘ 予備登録案内及びアンケー ト用紙を発送。 各 クラブ登録勧奨訪間 の詳細 の説明 招待部会開催。 各 クラブヘ勧奨訪間 に対す る礼状発送。 故足高 ガバ ナ ーの本葬執 り行 なわれる。 中野 ガバナ ー就任。 部会長会議 開催。 ・各部会 の予算書提 出 ・各部会 の進行状況説明 大会招待者 について協議 ・各 クラブ案 内バ ンフレットの内容検討 2.2 例会 にて。 ・ 中間報告 常任委員会開催。 ・2月 8日 地区大会地区協議会についての協議 ・第 1日 目大会 フォーラムの内容 を検討 ・各 クラブ訪間 について全会員 に説明 ‘υ ・新事務局員 の採用 につい て協議 ・プログラム委員会と設営委員会の合同会議開催 2.8 地区大会地区協議会 開催。 4.16奈 良新聞に地区大会特集記事、掲載。 4.17ク ラブア ッセ ンブ リー にて地 区大会 リハ ーサ ル 。 4.18地 区大会記念 ゴル フ大会 ・地区役員 との合同会議 ・ ガバナー、ガバナー事務所 と実行委 員 2.12 2.17 けい はんなプラザにて机上 リハーサルを行 な う。 2.28 中野 ガバ ナ ー と協議。 ュール につい て協議 部会長会議 開催。 ・各部会詳細協議 登録委員会、各 クラブに対 し登録数が 少 ない為、再度登録のお願 い を行 なう コーディネーター、パネラーと打 ち合せ会議 開催。 平 岡 RI会 長代理表敬訪問。 常任委員会開催。 ・茶席会場 について検討 ・ プ ログラムの一部再検討 設営委員会、両会場にてけいはんなと協議 3.22 部会長、委員長会議 開催。 ・本登録 につい て 3.23 3.25 3.27 中野 ガバナーと進行 、プログラムについ て協議。 ・プログラム第1日 目、第2日 目の細部協議 地区大会当 日の人員配置編成 会議。 けいはん なプラザヘ 移動例会。 (平 城 RC会 員と共に全会員が会場見学説明会開催) 3.31 4.1 呈茶席会場 (場 所 )決 定。 緊急部会長会議 開催。 ・最終 プ ログラムの検討 地区 大会 当 日の役 割表作成 につい て の検討 4.3 ・広報 について協議 ガバ ナ ー、 ガバ ナ ー事務所役 員、平城RC会 員 と共 に全会員が 鴻 ノ池運動公 園各施設 の 会場 見学 と説明会開催。 4.6 目 鴻 ノ池運動公園中央体育館 にて開催 。 ・平岡 RI会 長代 ■ T表 敬 訪間 の スケ ジ 3.8 3.12 3.18 けいはん なプラザ にて開催。 4.20地 区大会第 2日 大会本登録締切。 RI会 長代理 に平 岡正己氏就任。 3.6 奈良国際 ゴル フ場 にて 開催。 4.19地 区大会第 1日 目 長、部会長、委員長 と協議 常任委員会開催。 ・各登録者へ の案内状の内容 を検討 ・4月 10日 例会 の内容 につい て検討 最終予算 につ い て 各部会予算書 の提 出要請 4.7 平 岡RI会 長代理夫 人 と東 山会員夫 人が大会 当 4.13 サ ンルー トホテルで エ イ ド夫 人 に、予備知識 日の接待 につい て事前協議。 や接待要領 につい ての研修会 169 奈 良新 聞 特集 (平 成 9年 4月 16日 水曜 日) 一螂 福 丼 滋 ■・京 3・ 察 良 地区大会 けいはんなフラザ 奈良市中央体育館 0 口︰タリークラブ員が参加 福井、滋賀、京都、奈良の9 4月 19日 4月 20日 衛動力と先見の限で 児 馨 醐 粋 圏幼 付 中日●■■を■■する ■しtta津 を取り腱そう ニロ ●―タリークラフ 地増に 密着 して 170 地区大会ホス トクラブニ ュース (1号 ∼8号 まで ) 記念品 記念 品 と して ゴー ル デ ンRing Cushionを お贈 りい た しま した。 羊毛皮 の ゴー ル デ ンRing Cushionに つい て モ ンゴル の ゴビ砂 漠 は標高 1,200∼ 2,000mの 広漠 たる大高原 で す。 大 陸性気候 のため -40℃ の極寒 にな ります。羊 たちは保温 して生 きるため、 他 の温暖 の地 の羊 よ りも毛が密生 して い ます。 モ ンゴル は昨年度 のWCSで 60万 人 の 乳幼児 にポ リオの予 防 ワ クチ ンの一 斉投 与 を して喜 ばれ ま した。 モ ンゴル との一 層 の交流 を深 め る こ とになる と存 じます。 1996∼ り7年 度 第2650地 区 地区大会収支決算書 金 大 会登 録料 等 63.943.000 大 会登録料 55,605,000 家族 登録 料 320,000 額 (円 ) 費 22,119,862 総務部 会費 19,258,756 本 部 会長・幹事 懇談 会登録料 1,000,000 RI会 長代理歓lrl晩 餐会 参加料 4,140,000 会場 部 会費 35,512,538 エ ク ス カー シ ヨン家族 プ ロ グラ ム参加料 80,000 接 待 部 会費 13,391,843 希望 晩餐会参加料 810,000 レディースプログラム参加料 128,000 記念 ゴル フ大 会参加料 分 金 額 (円 ) 1,860,000 金 44.357.500 地 区大 会分担 金 33,577,500 地 区大 会補助 金 1,000,000 県下 クラブ協 力金 9,780,000 担 その他 の収 入 受 取 利 息 雑 収 入 交通宿 泊部 会費 1,869,600 友 愛青 少年部 会費 1,813,292 ゴル フ部 会費 3,535,993 記 念誌 部 会費 9,672,942 記 念事 業 2.000.000 1,500,000 奈 良市 992.213 ポ リオ ・ プ ラス 7,319 500,000 984,894 109,292,713 109,292,713 上記 の通 り地 区大会 会計報告 を致 します。 雄 治 忠 雄 村 藤 大 会会計 仲 布 1997年 8月 7日 大会副会計 上記 の 各項 目を監査 の結果、正 確妥 当 で あ る と認 め ます。 1997年 8月 13日 会計監査 172 大 田 昭 一郎 あ とが き 1996∼ 197年 度地区大会が、けい はんなプラザ と奈良市 中央体育館 で行 われて、 はや くも半年以上経過 いた しました。 記念誌委員会では、96年 7月 前年度 ホス トクラブの京都西北RCへ 参上 しご教示 を うけ計画 を練 り上げました。写真 の掲載方法や頁数等 を見直 し、大会の模様 をで き るだけ多 くのカラー写真 と忠実な講演録の掲載 につ とめ ました。 製作 にあた り、記録、写真撮影、速記、編集、印刷、製本 と多 くの関係者 の努力 によりなん とか発行 にこ ぎつ けましたが予定 よ り1カ 月余 り配本 の遅れ ま したこと を,し 、 よりお詫 び申 し上げます。 なお、校iEそ の他 で誤字、誤植があ ります節はどうかお許 し下 さい。 1996∼ り7年 度 国際 ロー タリー第2650地 区 地区大会記念誌 発行 1997年 H月 20日 RI第 2650地 区 編集 地区大会事務局 記 念 誌 部 会 部会長 委員長 木下 裕 西島佳悦 委 員 森 委 員 山善丈雄 委 委 員 員 音川正敏 和 田耕造 高度 印昂1 奈良宣伝 印刷株式会社
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