平成 26 年度 地域文化学 研究報告書 班 長:舟山 玲奈 ○試料の計量 副班長:二村 綾華 齋藤 舞 班 員: 井上貴裕 遠藤未空 川上美紅 髙橋隆太 伊藤悠斗 今拓真 金歩夢 舟山 奈々 本間 裕唯 班 員: 佐藤 大雅 齋藤 海斗 井上 善達 舟山 斗喜也 伊藤 颯大 大谷 虎之介 金子 稜 宇津木 颯汰 地域文化学3班 ~山菜の機能性成分分析~ 昔 物 語の伝 承 地 を 巡 る ご指導をいただいた大学の先生 山 菜 の 機 能 性 成 分 分 析 東北文教大学 短期大学部 健 明 先 生 ~ 山 菜 の 処 理 ・ 保 存 の 影 響 ~ みサンプルを採取) ポリフェノールの持つ抗酸化作用とは? 山 形 尾大 学 形工 学 部 た。 ご 指 導 い た だ い た 大 学 の 先 生 地 域 文 化 学 2 班 菊地和博 先生 地 域 山 ご 文 形 指 山菜に含まれる成分ポリフェノール。その特性を理解し、様々な種 大 導 化 類の山菜の成分分析をするために、まずはポリフェノールの特性につ 学 い 川いてご講義いただきました。 学 地 た 邉域 だ 1 教 い 班 育 た 孝文 大 学 幸化 学 の 先部 先 生 生 液体窒素を使って酸化・還元について実験。 山菜に含まれる成分 ~ポリフェノールに着目~ 須貝 遥 舟山きらり 世代を超えて受け継がれ続けている小国町の昔ばなし。 そんなゆかりのある昔ばなしが培われてきた地区に着目し、 「歩く・見る・聞く」ことで背景を探りました。それは、 文献には記されない生きた歴史に触れる事でもありました。 100~200cm) かったと考えられる。 ② 重要な街道であり、多くの人々に支えられた。 置賜と日本海を結ぶ重要な街道として、道普請などで長い歳月整備維持され、石畳がその代表的なもの。 ~ 使われなくなり荒れてしまった十三峠ですが、ここ掘れわんわん探検隊などによって整備復元されつつあ 越後米沢街道・十三峠交流会の保存整備、イベントなどの活動が実を結び、 十三峠のうち8つの峠、60㎞の峠道のうち33㎞を調査!! 大里峠(笑) 朴ノ木峠 の福祉に関する仕事をなさっている。セン ターの方々に様々な資料をいただき、お 佐 々 木 話をうかがうことができた。少子高齢化が 進む中、若者から高齢者の方も元気でい きいきと生活できる小国町を目指して、力 沢 十街 三道 峠 を尽くしておられる。高校生に期待するこ とは、小国町の素晴らしさをよく知ってもら い、小国町で生活をしてほしいということ であった。㻌 達 雄 先 生 おススメの峠はどこですか? 生 から児童福祉、子育て支援までと小国町 大里峠 ~車いす体験~ 志田 航大・山口 湧矢・小林 可奈 㻌 車いすに実際に乗ったり押したり、交代しながら 体験した。段差やスロープの場所は、想像以上に 佐藤 季歩・高橋 亜美 大変であることがわかった。車いすを使用する高齢 者や障がいを持っている方々、またベビーカーを 班 員: 使用する方々にとっては、まだまだ不便である場所 も多い。実際に小さい子どもを持つお母さん方から 才ノ頭峠 才ノ頭峠 大里峠 大里峠 安部大輝 舟山紘汰 伊藤涼河 嶋貫 陸 舟山竜礼 舟山 黎 松田 翼 宇津木優樹 は、ベビーカーを使えるような施設を増やして欲し いとの声があるという。㻌 ~ ぐし人 にがと 自 」 を 目 指 し て あ る ま ち 「 白 い 森 の 国 お 然 が 織 り な す や さ し い 暮 ら 班 員: 安部夏音 斉藤沙桜里 佐藤かりん 安部美鈴 小林琉依 舟山咲 渡部莉央 大里峠 磯部 友里・梅津 光・今野 輝 羽 陽 学 園 短 期 大 学 ご 指 導 い た だ い た 大 学 の 先 生 ~ 小 国 町 の 福 祉 の 取 り 組 み に つ い て いつまでも後世に残されることを祈りたい。 健康管理センターでは、高齢者福祉 地 域 文 化 学 6 班 観光資源として、歴史探訪、トレッキング、森林セラピーなどで活用できる可能性は大きい。 7 号発行 ~ Oguu 呉 尚浩 先生 り、イベントも行われている。 地 域 ~健康管理センター~ 越 文 化 後 学 米 5 班 ③ 残す、活かす活動が行われている。 形 指 小国町健康福祉課訪問 県 導 い 原 立 米 た 沢 だ い 淳 女 子 た 一日短 大 期 学 郎本 史大 の 学 先 先学 生 科 東北公益文科大学 公益学部 ほとんどが山間を縫うように走り、傾斜がきつく、湿地でぬかるむところが多く、当時も通行が簡単ではな 健康管理センター内 山 ご ご指導をいただいた大学の先生 地域おこし ① 越後米沢街道十三峠は難所であった。 地域文化学4班 まとめ 全国的に高齢化、少子化がいっそう進む中、小国町は過疎化 という問題も同時に抱えている。 そこで私たちは、高齢者の方々が元気で健康でいきいきと暮 らすことができる町、若い人たちが地元に残り、安心して子供 を産み育てることのできる町であることが必要だと考えた。 そのための、小国町少子高齢化に対する福祉の取り組みの実 態を調査したいと思いこのテーマを設定した。 山形県立小国高等学校 山形県立小国高等学校 地域文化学 研究報告書 目 巻頭言 次 飛躍する「地域文化学」校長 官 宏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 研究報告 ≪1班≫ 小国町の地形・地質の成り立ちを探る ◎大学指導教官 山形大学地域教育文化学部生活総合学科 教授 川邉 孝幸 先生 ・・・・・・・・・・・・・・3 ○校内指導教官 土井 里子 ○班員 井上貴裕 遠藤未空 川上美紅 髙橋隆太 伊藤悠斗 金 歩夢 今 拓真 ≪2班≫ 山菜の機能性成分分析 ~山菜の処理・保存の影響~ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9 ◎大学指導教官 山形大学 名誉教授 尾形 健明 先生 ○校内指導教官 佐藤 支 ○班員 佐藤大雅 井上善達 齋藤海斗 舟山斗喜也 伊藤颯太 宇津木颯汰 大谷虎之介 金子 綾 ≪3班≫ 昔物語の伝承地を巡る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15 ◎大学指導教官 東北文教大学短期大学部総合文化学科 教授 菊地 和博 先生 ○校内指導教官 阪野 保憲 ○班員 齋藤 舞 二村綾華 舟山奈々 舟山玲奈 本間裕唯 須貝 遥 舟山きらり ≪4班≫ 小国から未来を考える ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21 ◎大学指導教官 東北公益文科大学公益学部 教授 呉 尚浩 先生 ○校内指導教官 多田真由美 ○班員 磯部友里 梅津 光 今野 輝 志田航大 山口湧矢 小林可奈 佐藤季歩 髙橋亜美 ≪5班≫ 越後米沢街道十三峠。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・33 ◎大学指導教官 米沢女子短期大学日本史学科 准教授 原 淳一郎 先生 ○校内指導教官 板垣 祥和 ○班員 安部大輝 宇津木優樹 舟山紘汰 伊藤涼河 嶋貫 陸 舟山竜礼 舟山 黎 松田 翼 ≪6班≫ 「人と自然が織りなすやさしい暮らしがあるまち “白い森の国おぐに“」を目指して ~小国町の福祉の取り組みについて~・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41 ◎大学指導教官 羽陽学園短期大学専攻科福祉専攻 主任教授 佐々木 達雄 先生 ○校内指導教官 宮下 説子 ○班員 齋藤沙桜里 佐藤かりん 安部夏音 安部美鈴 小林琉依 舟山 咲 渡部莉央 各班研究概要パンフレット一覧 ··································· 47 巻頭言 飛躍する「地域文化学」 校長 官 宏 「地域文化学」-仲間と協力して取り組む醍醐味- 今年も、 年生が6つの班に分かれて取り組んだ「地域文化学」の研 究成果を、ここに研究報告書という形でまとめることができました。こ れまで熱心かつ懇切丁寧にご指導をいただきました先生方、調査研究の 過程で取材に快く応じてくださいました地域の皆様に心から御礼を申し 上げます。 また、研究の内容については、次の3回に渡る報告会において、地域 の方々や小国中学校の生徒さんの前で発表させていただきました。お忙 しい中、発表会に足を運んでいただきました皆様に心から御礼を申し上 げます。 ○ 月 日火 「地域文化学研究発表会」(~ 班)(本校) ○ 月 日金 小国高等学校「活動報告会」(、 班)(おぐに開発総合センター) ○ 月 日木 小国高等学校「活動報告会」(、 班)(小国中学校) 小国町小中高一貫教育の柱の一つである「白い森学習」の集大成とし て取り組んでいる「地域文化学」には様々な目的があります。 その一つは、社会・文化・科学などのテーマを設定し、他地域との比 較などを通して自分たちの生活の場である地域を知ることです。実際に、 地域に足を運び、様々な方々のお話をお聞きしながら、地域の良さと課 題を肌で感じることで、地域を支える次の世代の人材 育成につなげてい くことをねらいとしております。 そして、見つけ出した課題の解決に向けた方策を検討し、得られた結 果に考察を加えてまとめ、最終的にプレゼンテーションや報告書という 形で発信する、といった課題解決の一連のプロセスを学ぶことも目的の 一つとしています。 そこには、あらかじめ正解が用意されている学習とは違い、自分たち の力で自分たちなりの答えを仲間と協力して導き出すという達成感や自 己効力感があります。そして、それこそが「地域文化学」の醍醐味では ないかと考えております。 生徒諸君には、小国高等学校独自の取組みである「地域文化学」を通 して得られた貴重な体験を、自分自身の生き方を考えるきっかけとした り、自分の進路を考える際の参考にしたりするなど、今後の高校生活の 中で活かしていってくれることを期待したいと思います。 新 た な 発 見 に つ な が っ た 「地 域 文 化 学 」の 取 組 み 今 年 度 の「 地 域 文 化 学 」の 取 組 み の 中 に は 、一 つ 特 筆 す べ き こ と が あ り ま し た 。 そ れ は 、 山 形 大 学 地 域 教 育 文 化 学 部 教 授 川 邉 孝 幸 先 生 の ご 指 導 の も と 、小 国 町 の 地 形 や 地 質 の 成 り 立 ち に つ い て 研 究 を 進 め た 1 班 の –1– 研究成果が、山形、朝日、読売の各新聞あるいはテレビのニュースで取 りあげられたことです。 第6次教育振興計画のコラム ま た 、こ の 研 究 に つ い て は 、 月 、 日 に 東 京 都の日本大学文理学部で 開 催 さ れ た「 社 会 地 質 学 会 環境地質学シンポジウム」 において発表し、 「講演賞」 を受賞するというこれま でにない成果をあげるこ とができました。 「 地 域 文 化 学 」が 、来 年 度以降もさらなる飛躍を 遂げることを期待すると と も に 、今 後 と も 皆 様 か ら の ご 指 導・ご 鞭 撻 を よ ろ し くお願い申し上げます。 平成 26 年 11 月 6 日(木 ) 山 形 新 聞 か ら 転 載 「社会地質学会環境地質学シンポジウム」 での発表の様子 11 月 29 日(土) 日本大学文理学部(東京都) –2– 山形県立小国高等学校1年 地域文化学1班 小国町の地形・地質の成り立ちを探る 班員 井上 貴裕 遠藤 未空 川上 美紅 高橋 隆太 伊藤 悠斗 金 歩夢 今 拓真 1.テーマ設定の理由 地域文化学1班(地質学班)では、4年前から小国町の防災について研究してきた。昨年度まで の研究で、小国町の沖庭神社付近の山(以下;沖庭山)の東斜面には、過去に崩壊したと考えられ る地形があり、沖庭山の西側にある湿地の研究から、22,000 年以前に崩壊したことが明らかになり、 崩壊によって荒川が堰き止められて小国盆地が天然ダム湖になる可能性があることがわかった。今 年度は、小国盆地内を詳しく調査し、過去に小国盆地が湖になったことがあったかどうかをテーマ にした。過去を知ることで、今後、地震や大雨による土砂災害などが起こった場合の防災に活かせる のではないかと思い、このテーマを設定した。 2.研究の概要 (1)地質調査 8月4日、5日の2日間、小国盆地の地質調査を行った。 ①簡易貫入試験(※1) 小国盆地の段丘地形のうち最も高い平坦面の発達する小国町大宮の大宮子易両神社周辺の3 箇所5地点で簡易貫入試験を実施した。 ②簡易ボーリング(※2) 地層の柱状サンプルを採取し、山形大学高感度加速器質量分析センターでサンプルの炭素 14年代測定(※3)を行った。 簡易貫入試験(※1)…5kg のハンマーを 50cm の高さから自由落下させて、先端のコーンが 10cm 貫入す るのにかかった回数を測定することで、地盤の固さを調べる方法。軟らかい泥層の場合、浅い部分では数回 であるが、泥層が連続している場所では、深くなるとロッドに泥が絡み付いて抵抗が増し、数十回になる場 合もある。 簡易ボーリング(※2)…約 55mm のサンプリング用鉄パイプを 10kg のハンマーで打ち込み、地層のサン プルを採取する方法。 炭素14年代測定(※3)…炭素Cの放射性同位体である 14Cを利用した年代測定で、基準となる19 50年の大気中の 14C濃度に比べて、試料の 14Cがどのくらい減少しているのかを調べることで年代を 測定する方法である。大気中の 14Cは光合成によって、植物に取り込まれ、植物に取り込まれた 14Cは 食物連鎖によって動物の体内にも取り込まれる。そして、植物も動物も呼吸によって取り込んだ 14Cを 消費する。つまり、生きている限り、生命現象によって生物の体内の 14Cの割合は大気中とほぼ同じ状 態に保たれる。生物が死亡すると、生命現象による大気中との炭素のやり取りがなくなるため、生物の 遺骸中の 14Cの割合は死亡したときの大気中の 14Cの割合と同じ状態である。死後、放射性同位体であ る 14Cは壊変によって、およそ5730年経つと半分の量に減少する=半減期。14Cの半減期は Libby の半減期 5568 年を使用。14C年代測定誤差(±1σ)は、測定の統計誤差、標準偏差等に基づいて算出。 山形大学高感度加速器質量分析センター –3– (2)崩壊の規模の予想 ①沖庭山の模型の製作 地形図をもとに、調査地である小国盆地の模型12,000 分の 1 を製作し、小国町の地形につい ての理解を深めた。 ②沖庭山が崩壊した場合、川がせき止められることで小国町にたまる水の量の予想 赤芝峡付近の天然ダムが崩れた場合の、小国町の浸水量をメッシュの数をもとにして標高ごと の水没面積、水量の関係について計算した。 ③横川と荒川の流量から、何日で小国町が水没するか計算によって求めた。 3.調査の結果 (1)地質調査 ①簡易貫入試験 図中のグラフは深さごとの貫入回数である。貫入回数が少ないところは泥であると予測されたの で、大宮子安神社付近の☆の場所で簡易ボーリングを行うことにした。 ②簡易ボーリング・炭素 14 年代測定 簡易ボーリングでは,礫層に当たる深度 180cm までのサンプルが採取できた.下半部は黄灰色 シルト,上半部は,茶褐色の炭質シルトであり、小国盆地は過去に湖であったことがわかった.そ のうち,深度 30cm(0m01)と深度 170cm(0m02)の2箇所について山形大学高感度加速器質量 分析センターで AMS14C 年代測定をおこなった. 表1.試料情報 ラボコード㻌 測定試料名㻌 試料情報㻌 試料状態㻌 処理㻖㻌 㼅㼁㻙㻞㻤㻞㻢㻌 㻜㼙㻜㻝㻌 㻻㻳㻞㻜㻝㻠㻙㻜㼙㻜㻝(㻙㻟㻜㼏㼙)㻌 シルト㻌 酸処理㻌 㻝㻹㻌㻴㻯㼘㻌㻤㻜 度 㻝 時間(㻠 回)㻌 㼅㼁㻙㻞㻤㻞㻣㻌 㻜㼙㻜㻞㻌 㻻㻳㻞㻜㻝㻠㻙㻜㼙㻜㻞(-㻝㻣㻜㼏㼙)㻌 シルト㻌 酸処理㻌 㻝㻹㻌㻴㻯㼘㻌㻤㻜 度 㻝 時間(㻠 回)㻌 㻖㻌 酸処理後、㻞㻡㻜μ㼙 のフルイを通過したものを回収㻌 表2. 放射性炭素年代測定及び暦年較正の結果 㻝㻠 測定㻌 番号㻌 試料㻌 名㻌 δ㻝㻟㻯㻔‰㻕㻌 㻝㻠 暦年較正用年代㻌 㻔㼥㼞㻮㻼±㻝σ㻕㻌 㻯㻌 年代㻌 㻌 㻌 (㼥㼞㻮㻼±㻝σ)㻌 㼅㼁㻙㻞㻤㻞㻢㻌 㻜㼙㻜㻝㻌 㻙㻞㻡㻚㻥㻢±㻜㻚㻢㻢㻌 㻝㻞㻜㻤㻥±㻞㻤㻌 㻌 㻌 㻝㻞㻜㻥㻜±㻟㻜㻌 㼅㼁㻙㻞㻤㻞㻣㻌 㻜㼙㻜㻞㻌 㻙㻞㻡㻚㻥㻜±㻜㻚㻢㻣㻌 㻝㻟㻣㻟㻟±㻟㻜㻌 㻝㻟㻣㻟㻡±㻟㻜㻌 –4– 㻯㻌 年代を暦年代に較正した㻌 年代範囲㻌 㻝σ暦年代範囲㻌 㻞σ暦年代範囲㻌 㻝㻞㻜㻣㻞㻮㻯㻔㻢㻤㻚㻞㻑㻕㻌 㻝㻝㻥㻜㻡㻮㻯㻌 㻌 㻝㻠㻣㻠㻜㻮㻯㻔㻢㻤㻚㻞㻑㻕㻌 㻝㻠㻡㻝㻜㻮㻯㻌 㻌 㻝㻞㻝㻟㻣㻮㻯㻔㻥㻡㻚㻠㻑㻕㻌 㻝㻝㻤㻡㻠㻮㻯㻌 㻝㻠㻤㻡㻥㻮㻯㻔㻥㻡㻚㻠㻑㻕㻌 㻝㻠㻠㻝㻤㻮㻯㻌 炭素 14 年代測定の結果は,試料名 0m01(-30cm)がおよそ 12,000 年前、0m02(-170cm)が およそ 13,000 年前の地層であった。このことから、小国盆地は 12,000 年より前は湖であったこと が予測される。 (2)崩壊の規模の予想 ①沖庭山の模型の製作 地形図をもとに、調査地である小国盆地の模型12,000 分の 1 を製作した。 ≪方法≫ 1.等高線 10m 間隔の 12,000 分の1の小国町周辺の地図を発泡スチロールのパネルに貼る。 2.等高線に沿って切る。 3.等高線に合うように立体的に組み立てる。 【等高線に沿って地図を切り取っている様子】 【製作した小国盆地立体模型】 ②沖庭山が崩壊した場合、川がせき止められることで小国町にたまる水の量を調べた。 ≪方法≫ 1.小国町の標高ごとの浸水面積を調べるために標高ごとに紙の地図を作る。 2.メッシュ(マス目)を引き、浸水している場所を数える。 (1方眼につき10×10m2) 3.100m2×個数+50m2×個数=Ⅹm2(標高ごとの水没面積を求める。 ) 4.標高ごとの水没面積から水の体積を求め、積算する。 S1 h S2 v=(S1×h)+{(S1-S2)×0.5×h} 【地図にメッシュを引いた時の数え方】 【計算方法】 【メッシュの数を数えて面積を求めている様子】 標高ごとの地図にメッシュを引き、線が掛かっているマスを1マス、線が掛かっていないマスを 0.5 マ スと数える。 ある標高の面積:S1、一つ低い標高の面積:S2、高さの差:h とすると ある標高における水の体積 v=(S1×h)+{(S1-S2)×0.5×h} である。 すべての標高において同じように計算し、水の体積を積算した。 –5– ≪結果≫ 【標高ごとの水没面積および小国町にたまる水の体積】 標高(m) 水没面積(万㎡) 水の体積(万 m3) 180 1,360 53,290 170 1,307 39,958 160 997 28,440 150 885 19,030 145 589 11,660 140 545 5,990 135 212 2208 130 92 693 120 24 118 ③赤芝峡の斜面が崩壊した場合、横川と荒川の流量から、小国盆地は何日で水没するのかを計算し た。 ≪計算方法≫ 1.国土交通省水文水質データベース(www1.river.go.jp/contents.html)より、2008 年の1年間 で流れた横川と荒川の流量を調べ(ウェブ上に記載されていた 1 秒間ごとの流量から計算) 、 月ごとの流量を計算した。 2.流量が最も多い月と、最も少ない月について、一日の流量を調べた。 3.標高 145m の小国盆地に溜まる水の体積と一日の流量から、何日で水没するかを計算した。 〈③の結果〉 1.【計算によって求めた横川と荒川の月ごとの流量(2008 年) 】 横川と荒川の月ごとの流量は、4月が最も多く、6月の流量が最も少ないことが分かった。4月の流量 が多いのは、雪解けの時期であるためと推測される。 –6– 2.4月と6月について、水没するまでの日数を計算した。標高 145m の小国盆地にたまる水の体積を それぞれ、4月の1日の平均流量(4,998,305m3)と、6月の1日の平均流量(791,543m3)で割るこ とで、水没するまでの日数を計算した。 〈計算結果〉 水没するまでの日数(4月) 【計算式】116,600,000/4,998,305=23.33…およそ 23 日 水没するまでの日数(6月) 【計算式】 116,600,000/791,543=147.30… およそ 147 日 4.考察 以上の結果、小国町大宮に分布する小国盆地内で最も高い段丘面は、少なくとも地下 5m 以浅は ほとんどが泥の地層で、湖沼性の堆積物からなることが明らかになった。そのうち、上部 2m の地 層は、約 13,000 年前から 12,000 年前の時期に堆積したことが明らかになった。したがって、縄文 時代草創期(約 1 万 5 千年前~約 1 万 2 千年前)には、小国盆地は湖であったことが明らかになっ た。調査地点のうち最も高い地点は標高 143.5m であり、堆積物の状況から、水面は標高約 145m まで広がっていたと考えられる。この標高は、小国町役場や JR 小国駅、小国高校より高い標高で あり、小国町の市街地のほとんどを含む。 今回の結果を踏まえ、今後、荒川の出口の赤芝郷で崩壊が起こった場合、過去と同様、小国盆地 の市街地が水没する可能性があることを踏まえた災害対策が必要である。 なお、今年度、地域文化学1班は、11 月 29 日(土)日本大学文理学部で行われた社会地質学会 環境地質学シンポジウムにて、研究発表を行った。 5.感想 1年1組 井上貴裕 今年の僕たちの研究により、小国盆地が 12,000 年より前は湖であったことが分かり、大変驚きまし た。夏の大宮地区での野外調査では、簡易貫入試験とボーリング調査を行いました。今までやったこと のないことを経験できてよかったです。 1年1組 遠藤未空 今年度研究をしてみて、とても大変だったけど、小国盆地が湖だということがわかって良かったです。 暑い中での小国盆地での簡易貫入試験やボーリングはとても大変でした。模型作りでは、細かい作業が 多くとても大変でした。細かく切ったり、同じパーツを見つけて貼ったりして製作しました。作業は大 変でしたが、その分、小国盆地が湖であったことが分かり、とても嬉しかったです。私たちの研究に協 力してくださった川邉先生や土井先生に感謝したいと思います。 1年1組 川上美紅 研究を終えて、まさかここまですごいことが発見できるとは思っていませんでした。最初の頃は、内 容も難しく、専門的な用語もあったので、理解できていなかった部分もありました。しかし、学習を重 ねていくに連れ、理解が深まりました。今まで誰も発見していなかったことを、自分たちが発見できた ということを、とても誇りに思います。私たちのテーマは防災なので、自分たちが学んだことを生かし て、小国町の防災につなげていけたらいいなと思います。 –7– 1年1組 髙橋隆太 今回地域文化学で地質を調べた結果、昔は小国町が湖だったことがわかり、とても驚きました。小国 町は乾燥した地層だと思っていたので、今回、簡易貫入試験やボーリング調査を行い、湖だと分かった ときはちょっと感動しました。ボーリング調査や模型の製作などは、大変でしたがいい経験になりまし た。 1年2組 伊藤悠斗 今回、私たちは、山形大学の川邉先生の下で、小国町の地形・地質の成り立ちについて研究してきま した。大宮子易神社での簡易貫入試験では、所々に礫などたくさんの岩石があったり、場所を変えて何 度も打ち込むなど、肉体的にも精神的にも辛いものでした。また、真っ直ぐに棒が入らず、傾いた分、 三角関数を使って真の深さを計算するなど、苦労もありました。後輩たちには、自分たちのまだ調査し ていないことを調べ、新たな発見をしてほしいと思います。 1年2組 金歩夢 初めて地域文化学1班(地質学班)の話を聞いたときは、結構アウトドアなのかと思ったのですが、 実際には模型作りやエクセルでの計算など、インドアな部分が多く、少し残念でした。夏の炎天下の中、 地質を調べるために大宮子易両神社の周辺で簡易貫入試験とボーリング調査を行ったのですが、打ち込 む回数が非常に多く、気が遠くなるような作業でした。しかし、達成感はどこの班よりも多かったと思 います。調査の結果も、小国町民の役に立てたと思います。 1年2組 今拓真 今年度、地域文化学で1班に入り、一年間研究してきました。模型作りや外での活動が楽しそうだな と思い、1班を希望しました。しかし、実際に活動してみると、予想以上にハードでした。模型作りは 細かい作業が多く、ボーリング調査は、炎天下の中で行いました。作業は大変でしたが、自分たちの研 究の成果で、小国町は、昔湖だったことが分かり、とても驚き、また達成感が得られました。今回、私 たちと一緒に研究をしてくださった川邉先生、私たちの模型作りやレポート作りをサポートしてくださ った土井先生、一緒に研究をした1班のみんなに感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございまし た。 8 月 4 日・5 日に行った野外調査(大宮子易神社付近の空き地にて) –8– .山形県立小国高等学校1年 地域文化学2班 「山菜の機能性成分分析~山菜の処理・保存の影響~」 班員 佐藤 大雅 齋藤 海斗 舟山 斗喜也 井上 善達 金子 綾 宇津木 颯汰 大谷 虎之介 伊藤 颯太 1.テーマ設定の理由 山形県の山菜の出荷量は全国でも上位を占め、県内でも置賜地方はその約6割を占めている。昨年度 は小国町産の山菜について、その成分分析を行いポリフェノール量を明らかにするとともに、新たな利 用について研究を行った。今年度は、各家庭での山菜の保存・処理によるポリフェノール量の変化につ いて着目し、成分分析を行った。 2.調査の概要 (1)食品に含まれるポリフェノールについて(講義) (2)山菜の保存方法について(聞き取り・資料調査) 3山菜のポリフェノール量の測定(実験・分析) 4乾燥山菜の処理工程ごとに成分分析 3.調査結果 1食品に含まれるポリフェノールについて ポリフェノールとは、 フェノール性ヒドロキシ基を2個以上持つ 物質の総称であり、ほとんどの植物に含まれている、色素や渋み などに関わる成分であり、強力な抗酸化作用(体をさびつかせ老 化を促進する活性酸素を除去するはたらき)を持つ物質である。 血中コレステロールの低下、肝機能の向上、血行促進、動脈硬 化・脳血管障害などの予防、発がん物質の活性化抑制などの、生 活習慣病を予防するさまざまな作用があるとされる。生物は 62' やカタラーゼなどの抗酸化酵素をもっているものの、食品から抗 図1 クロロゲン酸の化学式 酸化物質であるポリフェノールを小まめに摂取することで、より 効果的に活性酸素を抑えることができる。 (2)山菜の保存方法について ①保存方法(塩漬け・乾燥) 小国町では山菜が主要な産業であり、ワラビ、コシアブラ、ゼンマイなど、多様な種類の山菜を出荷して いる。それらの保存方法は各家庭により異なっているようであった。今年度は乾燥の山菜から、食用に戻し た際のポリフェノール量の変化に着目したが、 乾燥させる工程や戻す工程の中にその要因があることも考え られた。 以下の処理方法は長期間保存する際に用いられる方法であり、 塩漬けされている間に灰汁は抜けていくた め、あく抜きの処理は必要ではない。 –9– 【塩漬け】 容器に山菜を並べ、たっぷりと塩を振り、さらに山菜を並べ、こ れを繰り返して、塩と塩の間に山菜を入れるようにする。重石をし て冷暗所で保存する。ウド、イタドリ、モミジガサ、フキ、ワラビ、 アザミなどに適していて、塩漬けにしたものを更に味噌漬けや粕漬 けにして保存する方法もある。 【戻し方(塩漬け) 】 水につけて塩抜きするか、たっぷりの水に入れて沸騰直前に火を止めてそのままさまして塩出しする。こ の状態で一晩放置する。 【乾燥】 山菜を鍋に入れ、 浸る程度の水を入れたら火にかける。 フツフツと泡立ち、 沸騰する直前に鍋から出して、 日当たりの良い場所に広げて天日干しする。水分が抜け始めたら、 時間おきくらいに手で揉みほぐす。何 度もこまめに手でもみほぐす。よく乾燥したら、密閉容器に乾燥剤と共に入れておく。ゼンマイ、ワラビ、 コゴミ、ヨモギなどが向いている。 【戻し方(乾燥)】 山菜を水で十分に洗い、ゴミ等を取り除く。浸る程度の水を入れ一晩置く。翌日は水を代えて沸騰しない 程度にひと煮立ちさせ、一晩置く。この行程を三晩繰り返す。 (3)山菜のポリフェノール量の測定 ○ 実験方法1(試料準備) 1.80%エタノール水溶液 100mL をメスシリンダーを使用し調製する。 2.試料 10g とエタノール水溶液 50mL をミルに入れ、試料が細かくなるまで粉砕する。 (写真①・②) 3.残りの水溶液で内容物を洗い流しながらビーカーに移し替える。 4.ガラス棒で 10 分間撹拌する。 (写真③) 5.10 分間放置し固形物を沈殿させる。 6.上澄み液を 10mL スクリュー管にとり、分析時まで冷凍保存する。 (写真④) 写真① 写真② 写真③ – 10 – 写真④ 写真⑤ 写真⑥ ○ 実験方法2(測定・解析) 7.マイクロプレートのウエルに試料溶液を 0.1mL ずつ測って入れる。 (写真⑤) 8.ウエルにフェノール試薬(2 倍希釈)を 0.1mL ずつ加える。3分後、20%炭酸ナトリウム水溶液を 0.1mL ずつ加える。10 分後、着色した青色の濃さを標準溶液の色と比較し、抽出したポリフェノールの濃度を調 べる。 9.ウエルをマイクロプレートリーダーを用いて測定した。 (写真⑥)なお、生食 100g あたりの総ポリフェノ ール量(mg)は(=a[mg/mL]×希釈倍率×1000[mg])で算出した。 ○ 乾燥山菜の処理工程ごとに成分分析 乾燥山菜を戻す行程の中で生じる戻し汁について、含まれるポリフェノール量を測定した。 乾燥山菜を水で洗い流し、ゴミを取り除き一晩水に漬けた際の戻し汁を(戻し汁1) 、水を替えて一晩漬 けておいたものを(戻し汁2) 、水を替えてさらに一晩おいた際の山菜を(戻し後)と定義した。 (4)実験結果 No. Ave. SD x (mg/mL) X (g/100g) No. Ave. SD x (mg/mL) X (g/100g) 1 干ワラビ 0.184 0.0249 0.00402 40.2 19 生シドケ下 0.244 0.0318 0.00481 48.1 2 干ゼンマイ1 0.327 0.00361 0.00683 68.3 20 戻ワラビ1 0.428 0.0497 0.00844 169 3 干ゼンマイ2 0.284 0.0155 0.0056 56 21 戻ワラビ2 0.522 0.112 0.0103 103 4 干ウルイ 0.244 0.0425 0.00482 48.2 22 戻ワラビ3 0.212 0.0424 0.00418 41.8 5 生ウルイ上 0.17 0.0182 0.00335 33.5 23 戻ワラビ後 0.194 0.0733 0.00383 38.3 6 生ウルイ中 0.181 0.0315 0.00357 35.7 24 戻ウルイ1 0.415 0.125 0.00818 81.8 7 生ウルイ下 0.23 0.0321 0.00454 45.4 25 戻ウルイ2 0.332 0.0737 0.00656 65.6 8 生ワラビ上 0.299 0.0724 0.00501 50.1 26 戻ウルイ3 0.17 0.0609 0.00335 33.5 9 生ワラビ中 0.158 0.0211 0.00312 31.2 27 戻ウルイ後 0.167 0.05327 0.00329 32.9 10 生ワラビ下 0.202 0.0934 0.00398 39.8 28 戻ゼンマイ1-1 0.218 0.163 0.0043 86 11 生ミズ上 0.378 0.0269 0.00747 74.7 29 戻ゼンマイ1-2 0.288 0.0822 0.00569 284 12 生ミズ中 0.144 0.043 0.00285 28.5 30 戻ゼンマイ1-3 0.459 0.123 0.00906 90.6 13 生ミズ下 0.0483 0.0407 0.000954 19.1 31 戻ゼンマイ1-後 0.323 0.0439 0.00638 63.8 14 生フキ上 0.132 0.047 0.00261 52.2 32 戻ゼンマイ2-1 0.25 0.0909 0.00493 247 生フキ中 0.0773 0.0122 0.00153 76.3 33 戻ゼンマイ2-2 0.28 0.0356 0.00553 277 15 16 生フキ下 0.168 0.0208 0.0037 37 34 戻ゼンマイ2-3 0.535 0.0944 0.0106 106 17 生シドケ上 0.349 0.1473 0.00688 68.8 35 戻ゼンマイ2-後 0.169 0.0422 0.00334 33.3 18 生シドケ中 0.0957 0.0398 0.00189 18.9 表 1 山菜のポリフェノール量(X=生食 100g あたりの総ポリフェノール量) – 11 – (mg/ml) 300 250 200 150 100 50 0 表2 生食 J 当たりの総ポリフェノール量 【縦軸:総ポリフェノール量>PJ@】 【横軸:試料】 4.考察 今年の実験結果は、昨年と違いゼンマイに含まれるポリフェノール量が少なかった。理由としては、 昨年と産地が異なる山菜が用いられたことや、山菜の収穫時期が不明であったこと、撹拌の作業の際に 昨年はスターラーなどの機械を用いたのに対し、今年は手作業で行ったということの二つがあげられる。 今年は乾燥させた山菜を戻した際に出る、戻し汁について注目してみたが、戻し汁からは乾燥させた 山菜に含まれるポリフェノール量を大きく超えるポリフェノールが検出された。これは、戻す作業のと きに、沸騰などによって溶液が濃縮されたためと考えられる。また、乾燥物から直接抽出する方法とし て、今回のエタノール水溶液が不適切であった可能性もある。 これらの結果より、乾燥山菜を戻す工程の中で大量のポリフェノールが失われていることがわかる。 ポリフェノールを失わずに保存する方法として冷凍保存、フリーズドライ、乾燥させた物を粉末にして 利用することが班員より挙げられた。 年石川県農業総合研究センターの調査では、山菜の色調お よび吸水性の良い形状を残すための加工技術について研究がなされている。機能性糖液を用いて合浸処 理を行うといった方法が紹介されているが、一般家庭でこの処理を行うにはまだコスト面でもまだ現実 的とは言えない。また、茨城県工業技術センターでも同様の研究がおこなわれているが、タラノメに関 しては、真空包装一急速凍結一冷凍の方法が、 もっとも収穫時の色彩や触感を損なわないとされている。 山菜の成分と保存方法に着目した研究はまだ少ないのが現状のようである。 – 12 – 5.今後の課題 今回の調査を通して様々な課題も挙げられた。以下にそれをまとめる。 ①調査に用いる山菜の条件統一(産地・時期・成長度合い) 昨年の調査と比較し、山菜のポリフェノール量に差が生じた。条件を統一する必要性が感じられた。 ②山菜の乾燥工程について調査 山菜を乾燥させる工程は各家庭で異なるようである。処理の仕方によって成分に差が生じないか、ま た他にどのような処理方法があるのか、さらに調査を行う必要がある。 ③山菜の新たな保存方法の研究 より有効成分を損なわない保存方法を新たに開発したい各家庭で行うことができるよう、コストの面 との兼ね合いを含め調査を行いたい。 ④小国の山菜と他の地域の山菜の成分の違い 小国の主要産業として、小国の山菜を今後商品化していくためにも、成分上の違いや食味についてよ り明らかにする必要がある。小国の山菜独自のアピールポイントを見出したい。 6.感想 佐藤大雅:山菜からポリフェノールの検出をする作業が意外と大変で、一人一人が間違えないようにして作業し ていたので、緊張した雰囲気の中での実験だった。ゼンマイは去年と同じで、ポリフェノールが多く含まれてい た。そして、生より戻した山菜のほうが多く含まれていることがわかった。実験以外にも、プレゼンの仕方も詳 しく教えていただいたので、良い経験になった。 井上善達:地域文化科学を通して山菜の中に含まれるポリフェノール量や成分を知ることが出来ました。実験で は今まで見たこともない実験器具を使ってとてもいい経験をすることが出来ました。結果としてポリフェノール は、灰汁抜きのときに少なくなることが分かった。この結果からどうやればよりよくポリフェノールを多く出来 るか調べてみたいと思いました。 舟山斗喜也:僕は地域文化学を通して色々な事を学びました。自分の知らない山菜や山菜に含まれる成分などを 知る事が出来ました。また液体窒素を使った実験では、アイスクリームを作りました。他には成分分析などもし ました。成分分析では自分が行った時の量が少なかった事や入れてない部分があり迷惑をかけてしまいました。 なので、また実験をしたいと思いました。 齋藤海斗:今回の学習でポリフェノールの働きや成分がわかった。実際に調べてみないとわからないものや普段 経験できないことまでとても充実した学習ができた。乾燥ゼンマイは水で戻してしまうと多くのポリフェノール がなくなってしまうといった、新しい発見も実験結果からわかった。この結果をもとにポリフェノールを無駄に しない方法やうまく活用できる方法を探ればよりよい結果だったと思った。 大谷虎之介:今回の研究を通して、ポリフェノールの種類や性質などが分かって良かった。また、実験では初め てのことが多くて失敗などあったが、無事に成功するときもあって良かった。今回の結果では、乾燥した山菜を 戻したときに多くのポリフェノールが出ることが分かったので、戻しに利用した水をどのように利用すれば体に ポリフェノールを吸収することが出来るのか、調べていきたい。 – 13 – 金子綾:地域文化学の授業を通して山菜に含まれているポリフェノールなどの成分が体にとても良いことが分か った。また、成分データをとってみていままで分からなかったことを知ることができとてもいい体験ができたと 思った。また、山形大学の先生の話を聞くことができてよかったと思う。この知識を今後の生活にいかしていき たいと思った。 伊藤颯太:物質の成分を分析するということは初めての体験で最初は戸惑ったが、とてもいいデータが取れてよ かった。今回取れたデータを今後の健康に活かすことができればさらに良いものになると思う。特にゼンマイを 戻した時の水に多くのポリフェノールが検出されたので戻したあとの水をうまく活用できないかと思った。 宇津木颯汰:地域文化学の授業を通して、山菜に多く含まれているポリフェノールが体にとても良い成分だとい うことが分かった。しかし、灰汁抜きなどをすると大部分のポリフェノールがなくなることがわかりました。山 菜を戻したときの水に多くのポリフェノールが出ていくことが分かった。なので、この戻し水をうまく利用する 方法がないのかなと思いました。 7.参考文献 ・石川県農業総合研究センター KWWSVZZZSUHILVKLNDZDOJMSQRNHQ ・茨城県工業技術センター KWWSZZZNRXJLVHSUHILEDUDNLMSSHULRGLFDOUHVHDFK13SGI ・農家が教える加工・保存・貯蔵の知恵 野菜・山菜・果物を長く楽しむ ―農山漁村文化協会― – 14 – 山形県立小国高等学校 地域文化学 3班 昔物語の伝承地を巡る 班員 舟山玲奈・二村綾華・齋藤 舞・舟山奈々・本間裕唯・須貝 遥・舟山きらり 1.テーマの設定 世代を超えて伝わってきた親しみある小国町の昔物語。そんな物語が培われた地区を知り、 その歴史を探り、また新たに民話を創作してその記録を保存用にまとめたいと考えた。 図(小国地方の江戸初期の村) 2.調査の概要 「古里の発見」より (1)昔物語について ①語り部さん □:文禄3年 ($')当時の村名 ▲:正保3年 ②語りを聞く ($')当時の村名 ÷:正保3年 ($')当時の道 :古道 ―:川 (2)伝承地をめぐる ①遺構を知る ②古志王神社 取今 り回 上 げ た 地 区 (3)昔話の創作作業 ①記録の保存 ②制作の工程 3.調査の結果 (1)昔物語について ① 語り部さん 小国町で語り部をされている後藤弘子氏にお話を伺った。 ・小国の昔物話は小国町各地区に多数存在し、物語の数の多さ、話に出てくる動物の種類 の多さは他地区に負けないものがある。 ② 語りを聞く 小国町の地区に伝わる昔物語をお聞きした。 お聞きした昔物語(語り:後藤弘子氏) 飛泉寺永平の話 ねこまたの話 だいてんばこ 代々伝わっている昔物語には子どもへの戒めや 教訓なども込められ、子どもの記憶に残るようにと興味を持たせる内容になっている。 – 15 – (2)伝承地をめぐる ① 遺構を知る お聞きした昔物語から伝承されている地区を知るために現地を訪ねた。 ⅰ旧市野々地区 飛泉寺は、応永34年(1427年)楠木正成の4男の子、傑堂である能勝和尚が、 亀岡文殊堂(高畠町)参詣の帰途、糠野目の耕福寺に続いて建立したと伝えられる。 ・飛泉寺は以前、旧市野々にあったが、横川ダムの建築により現在は東原に移転した。 ・飛泉寺跡地に当時の記念木として大銀杏の木がそびえている。 ⅱ大滝地区 コブとり神社で有名な古志王神社は大滝地区にある。 地元にお住まいの佐藤光一氏・佐藤重見氏に現地を案内していただいた。 鳥居をくぐり山の斜面沿いに敷き詰められた石段を5分程度歩くと神社がある。 ・「おこしょうさま」と呼ばれていた。(こしおう→御こしおう様→おこしょうさま) ・社殿は意図的に北の方角に向け建てられている。 ・コブとりの神社で手ぬぐいが奉られている。その 手ぬぐいを持ち帰り完治時に新しい手ぬぐいを祀る。 ・2体の仏像が祀られていた。 1つは石の地蔵尊の坐像で、右手に法輪をささげ左手 には宝生の玉を持っている。法輪は仏教の伝道を意味 し、宝生の玉は増産・安産を意味する。2つめは右手 に欠損が見られる木の仁王尊の立像で、これは鎌倉の 彫刻方式といわれ鎌倉時代の作品と考えられている。 神社に仏像が祀られていることは不思議に思えるが各地の寺院や神社によくみられる。 これは平安末期に宗教界で起こった本地垂迹説の思想によるもので、仏教との習合であり 一層信仰心を高めるものとなったのであろう。 『東北社会生活遺産』より ⅲ箱口地区 国道のすぐ側の丘に疣とり地蔵菩薩が納められた祠がある。 ・江戸時代皮膚病が蔓延し、信仰に救いを求めた。 ・参拝の方法は砂糖で炒めた豆を歳の数だけお供えし、祈願した後に持ち帰り食す。 ・赤い布で作った地蔵菩薩の前掛けを奉納する習慣がある。 コブとり神社である古志王神社との関係性を調べたが、箱口の祠は白子沢の西安寺から地蔵 様を譲ってもらった経過があることがわかり、直接の関係はないことがわかった。 更に小国町のほかに飯豊町、白鷹町にも存在していることを確認した。調べる範囲を西に広 げてみると「古志王(こしおう)」とは「越王(こしおう)」であることがわかった。「越」 は現在の越前・越中・越後、つまり北陸地方を指す。したがって「越王」とは「越の国の王」 という意味なのではないかとの仮定から、現地を調べるために新潟を訪ねることにした。古代 は東北地方の日本海側までを「越の国」であったため、正確な歴史情報を得るためには本来、 日本海側(出羽街道)まで行くべきだが、今回は新潟県関川地区で手掛かりを探すことにした。 1 本地垂迹説ほんじすいじゃくせつ・・・神道と仏教を両立させるために奈良時代から始まっていた神仏習合(神と仏を同体と見て一 緒に祀る)という信仰行為を理論付けし、整合性を持たせた一種の合理論で平安時代に成立した。その基礎には仏教以前の山岳信仰と 修験道などの山岳仏教の結びつきがあったと云われている。明治初年の神道国教政策により神仏は分離され、本地垂迹説も消滅した。 2 ここでいう「古代」とは大和朝廷成立(天皇制開始)から平安時代までを示す。 – 16 – ② 古志王神社 ⅰ関川地区 歴史建造物の建築学的見地から、建築家で建築事務所も経営され、また「~先人の知恵と技に 学ぶ~古麻比の会」にも所属する梅沢昭吾氏に同行して頂き、解説を頂いた。 ⅱ渡邉邸 初代は村上藩主の家臣で郡奉行として活躍していた史実もあり、歴史に詳しい方がおられるか もという思いから渡邉邸を訪ねた。 ⅲコシオウ神社の歴史 大蔵神社の宮司でもおられる吉田享氏を紹介していただいたが、帰校する電車時間の関係で神 社を訪ねることはできなかった。しかし後日吉田氏より手紙にて回答を頂いた。以下全文を記す。 「越王神(こしおうのかみ) 蝦夷ということばは、大和朝廷が東部、北部の原住民をさげすんで蝦夷と呼んでいた。その 頃の神様の名を越王神といった。この神様たちが蝦夷の地に進出し畿内王権のもとで逞しい開 拓の事業を進めた。 越王神には色々の漢字があてられ、高志王、古志王、腰王等とある。しかし、いずれも祭神 は大昆古命(おうひこのみこと)四道将軍(日本書紀の伝承上の4将軍)この神社はすべて北 向きであることが特徴である、新潟県の阿賀野川以南には全く祀られていない。 新潟県には、津川、五十公野(いじみの)松沢、岩沢、早稲田羽越街道に沿って古志王社が 分布している。 さらに山形県の田川郡・鶴岡市・飽海郡と北上するのは勿論、荒川上流にいたって西置賜 郡・東置賜郡・村上市・山形市・上山市など18社が現存している。 わが関川村に一社、神社名は神明社になっているが神社は北向きである。越王神であろうと 推測はするが、まだ謎がおおいが。 なにせ、【古事記・712】【日本書紀・720】登場する神様達が稲作を広めるため蝦夷 地の狩猟民族の蝦夷を懐柔しながら征服していくため神社に祈願するなんて、トオイ、とおい、 遠い大昔の話だが、今、神様がロマンがあって面白い!そんな感じですね。」 文責:関川村下関大蔵神社 吉田享氏 大和民族が信仰している神社の建築は太陽を望んで東や南に面しているものが多い中で、コ シオウ系の社寺は、ほとんど北向きという特徴がある。岩手県紫波郡矢巾町徳田の胡四王神社 には「北向き薬師」という異称を持つ神社さえある。なぜコシオウ神社は北向きなのだろうか。 「蝦夷(えみし)を一人(ひだり)百(もも)な人人は言へども手向かい(たむかい)もせず」 (えみしは一人で百人と人は言うが、我が軍には抵抗もしない) 『日本書紀(神武)』より 古歌で歌われたように、朝廷さえも「蝦夷(えみし)」に対し、強く勇敢であるという考え をもち、その存在と勢力そして動向が特に気にかかっていた様子がうかがえる。また、 「陸奥の蝦夷えみし男女2名を唐に連れていった」その際に唐の皇帝が「稲などの穀物はある のか」と尋ねたところ、使者が「ありません。肉食により生活します」と答えた。 『日本書紀斉明天皇5年遣唐使派遣記事』より 稲作を積極的に導入しなかった人々が中央政権から討伐対象とみなされていた当時、狩猟採集 を中心としていた民族である「蝦夷えみし」に稲作の導入を進めていたとも考えられる。更に、 3 4 多種の表記があるため、以下総称を「コシオウ」に統一し記載する。 創設は大同年間(~)以前と古く、現在の社殿は享保17年に氏子である渡邉家四代当主善永が再建した。関川の大蛇伝説 に登場する琵琶法師の琵琶を神宝として祀る。(平成21年度地域文化学3班「小国町の昔物語について」リポート参照) – 17 – 古四王神社の本社とされる秋田市古志王神社の社伝は『日本書紀』・『古事記』にも登場し、 四道将軍の一人として北陸を平定した「大彦命(大毘古命)」が創始し、斉明天皇四年に 北陸地方から大水軍を率いて、齶田浦に至った、阿倍比羅夫が阿倍一族の祖先神として大彦命 を合祀して「越王(古志王)」と称して祀ったと伝えられている。 『白鳥伝説』(谷川健一著) 以上を踏まえ、大和朝廷は北方に勢力を張る蝦夷(えみし)の南下を恐れ、コシオウ系の社 殿を北に向けることで蝦夷に対して、強い牽制の構えを示していた「北辺鎮撫」の意味が込め られていたものと考えた。 ⅳコシオウ神社の分布図 コシオウ神社はその呼び名も小国の古志王をはじめ「古四王・小四王・小子王・高志王・皇 子王・巨四王・胡四王・腰王・胡将・小姓」などを確認した。越国の移民が開拓の祖と云われ ている大彦命を主神とする越王神社を設立し、コシオウ神社はこの伝統を残す神社と思われる。 コシオウ神社の分布から推測する北進の道 米沢・長井街道沿い 出羽・羽州浜街道 大江町所部 ● 【腰王神社】 白鷹町十王 ● 【腰王神社】 ● 白鷹町荒砥 ● 【腰王神社】 小国町大字大滝 ● 白鷹町高玉 【古志王神社】 【腰王神社】 ● 白鷹町高岡 【古四王堂】 ・長井市川原沢 ● ● 蛇附神社 ● ● 朝日村早稲田 ● ● 【巨四王神社】を合祀 ●● 【古四王神社】 ・長井市寺泉 朝日村岩沢 奥州街道沿い 五所神社 ● ● 【古四王神社】 天童市千布 【越王神社】を合祀 ● 岩船郡神林村松沢 【腰王神社】 ・長井市宮 ● ● 山形市長谷堂 【古四王神社】 ● 【腰王神社】 【腰王神社】 新発田市五十公野 ・飯豊町手ノ子 南陽市赤湯 【古四王神社】 ● ● 【古四王神社】 【巨四王堂】 新潟県巻町竹野 (字越王?) 村松 津川 野沢 慶穂 三春 ● ● 遊佐町野沢 【小子王明神】 酒田市市条 【古四王神社】 酒田市観音寺 【古四王大神社】 鶴岡市竜覚寺 【古四王神社】 鶴岡市由良 【古四王神社】 鶴岡市五十川 【古四王神社】 東北白地図:【Technocco image factory】 出羽街道(三国街道)から米沢街道(越後街道)へ、そして長井街道・羽州街道へと分岐。飯豊町 を過ぎてからの神社名の変化から、白鷹町から山形市へ進んだと伺える。また出羽街道沿いの分布は 更に北進し秋田県内にも多くのコシオウ神社が存在する。福島県内は三春まで確認できた。これは江 戸時代、安倍貞任の末裔を称する秋田氏の支配下にあったことが影響しているのではないかと考えた。 5 大彦命おおひのみこと・・・孝元天皇(人皇第八代)の皇子。蝦夷征伐に派遣されたと云われている。 6 齶田浦あぎたうら・・・現在の秋田県。これが「あきた」県の語源になったという説もある。 – 18 – 最後に、次の様な理由からコシオウ神社の起源は越王ではないという否定的な説も紹介する。 ・「越」の先進地である石川・富山・新潟南部にコシオウ神社は存在しない。 ・古代の地方有力者を「○○王」と呼ぶ例はない。 ・コシオウ神社を「越の王」に関連づける伝承の成立は,江戸時代後期以前に確認できない。 ・東北各地にあるコシオウ神社の多くが、仏教の「四天王」あるいは四天王のうちの毘沙門天 (多聞天)に関連づける伝承を持っている。「(古)四天王寺」が「古四王(神社)」に転じ たのではないか。 今も諸説が数多く存在しまだ謎が残っている事もわかった。以上を踏まえて今回の調査は私た ちの考えから比定・推測したものも含まれていて、決して内容を断定するものではない。 (3)昔話の創作作業 ①記録の保存 今までも冊子や紙芝居、影絵という方法で伝承され続けている昔物語だが、私たちも記録 を形にできないかと考え、話し合いの末、映像で作品を残す事にした。 物語を創作して、絵や背景をつくり1コマ毎に動かしてはカメラで撮影し、それ自身が連 続して動いているかのように見せるストップモーション・アニメーション(6WRS0RWLRQ $QLPDWLRQ)という視覚効果を使う撮影方法を取り入れた。 ②制作の工程 創作する物語の中に伝えたいメッセージをどう織り込むかを考え、起承転結を保つ。工程ご と役割をそれぞれ決め、その都度問題を出し合い進捗状況を確認しながら進めていった。 撮影前準備プリプロダクション(3UHSURGXFWLRQ) 撮影(VKRRWLQJ) 自分に向き合い後世へ伝えたいメッセージを考える。そしてそれ 絵を決め、位置に注意しながら をどのように話に織り込むか。脚本化する為の課題は山積です。 一枚一枚確認して撮影をする。 編集作業ポストプロダクション(3RVWSURGXFWLRQ) 創作物語作品 撮影した写真をパソコンへ取り込む。視聴覚的な効果や編集 QRコードから、創作した作品【コ 作業なども含め感性と根気が求められる作業です。 ブとり少女】をご覧いただけます 7 仏教を守護する四神。帝釈天(たいしやくてん)に仕え,須弥山(しゆみせん)の中腹にある四王天の主。東方の持国天・南方の増 長(ぞうじよう)天・西方の広目天・北方の多聞(たもん)天をいう。像は須弥壇の四隅にそれぞれ配され,甲冑(かつちゆう)をつ け武器を持ち邪鬼を踏む形。(大辞林より) – 19 – 感想 班長舟山玲奈 新しい体験や学べることが沢山ありました。語り部の後藤さんの話を聞き、初めて語りの 面白さを知ることができた事も一つです。内容が面白いことはもちろんの事ですが、聞く者 を引き付ける、方言で語られる独特の話し方が一層面白さを引き立てていると思いました。 副班長二村綾華 語り部さんから昔話を聞き実際に神社に行きました。そこで古志王神社は北を向いている ことをお聞きして神社の奥深さをもっと知りたいと感じました。神社には説があり特にいぼ の話に惹かれました。今回学んだことを次の地域の学習に活かしていきたいと思いました。 齋藤 舞 旧市野々や箱口、関川など多くの場所を巡りました。いぼ取り神社や後藤弘子さんから聞 いた昔話などとても興味ある話が沢山ありました。渡邉邸に行った時は石を重りに屋根を作 っている事など驚くことも沢山ありました。今回学んだ事を活かしていきたいと思いました。 舟山奈々 実際に豪農の屋敷へ行き、見学し昔の生活を聞いたことで、当時の様子がよくわかりまし た。特に屋根の石が1万5000個ありそれが1つも落ちてこないことにとても驚きました。 本間裕唯 今回の学習は初めての経験も多く、電車で関川に行くことやバスで叶水に行くこと等楽し く学ぶ事ができました。創作物語の制作も協力して行うことができ大変充実していました。 須貝 遥 地域文化学では、色々な神社に行き見学をして、様々な方にお話をお聞きしてきました。 また、多くの昔話もお聞きして「小国町にはたくさんの秘密があるんだな」と思いました。 舟山きらり 地域文化学を通して小国町の歴史を学びました。古志王神社の歴史や背景などもその一つ です。これからも地域の事に常に興味と関心を持ち、積極的に知っていきたいと思いました。 調査を終えて 菊地先生から教えて頂いた「歩く・見る・聞く」ことを常に心掛けながら調査を進めていき ました。実際に自分たちの足で歩いて、多くの方と出逢い、お話を伺い、ひとつひとつ疑問を 解いていきました。大変ではありましたが情報の確認作業の大切さが身についたと思います。 古志王神社の歴史は越族の歴史といえることがわかりました。稲の道といわれ稲作技術推進 的要素もあったことも知り、今思い出しても小国の古志王神社からも夏の田んぼを臨むことが できました。そんな越族の起源はとても奥が深く複雑であることもわかりました。私たちの調 査はここまでが精一杯でしたが、まだ調べられそうなことがたくさんあることを知りました。 次の人たちはぜひ私たちの報告書を糧に、もっと深く踏み込んでもらえればうれしいと思いま した。また、創作民話を制作したことで、受け継がれてきた物語に秘められた思いを感じるこ とができました。記憶を重ねて生きていく私たちが後世に残す手段として、メッセージを物語 に込めて次の代に伝達していく口承文化を引き継ぐということはとても大切な事なのではない か。とも思いました。それは、この文化が成り立っているうちは小国町内のコミュニティも確 立しているという証明にもなるからです。 そんな「心の拠りどころといわれるような気持ちの通い合う小国町。」そんな風土がこの先 も続いてほしいと願う気持ちに、調査が終わった今、改めて気付くことができました。 調査にご協力をいただいた関係者の皆様方 大変ありがとうございました。 – 20 – 山形県立小国高等学校1年 地域文化学4班 「小国から未来を考える」 班 員 磯部友里梅津 光今野 輝志田 航大 山口 湧矢 小林 可奈 佐藤 季歩 髙橋 亜美 1.テーマ設定の理由 テーマ設定の理由は、この小国町には世界に誇れるものがたくさんあり、未来への可能性を感 じたからである。まず、第一に挙げられるのは、小国町を練習の拠点として活動していた平野歩 夢くんがソチオリンピックで銀メダルを獲ったことである。また、小国小学校が新たに建設され、 太陽光発電やチップボイラーなど自然エネルギーを利用した新設備が導入されていること、また、 間伐材等を燃料としたペレットストーブの普及など、町全体が新しい一歩を踏み出そうとしてい るのを感じる。小国町は自然が豊かであり、エネルギーとなる資源が豊富にあるため、それらを 活用した事業に取り組める環境にある。これらの資源が小国町の活性化に、そして世界の未来に つながるようにとの願いを込め、このテーマを設定した。 2.研究の概要 (1)テーマ設定 取材相手、取材先など雑誌づくりに向けた話し合い (2)取材活動 今回の「Oguu7号」では次の方々にインタビュー にご協力いただいた。 ① 日 時:平成26年6月10日(火)午後 取材場所:小国町役場 取材相手:伊藤 拓也さん(広報担当) 齋藤 香穂さん(住民窓口担当) ② 日 時:平成26年6月24日(火)午後 取材場所:片洞門休憩所「たんぽぽカフェ」 取材相手:岩沢 ちかさん、たんぽぽカフェの皆さん ③ 日 時:平成26年7月8日(火)午後 取材場所:小国高等学校図書室 取材相手:髙橋 恒行さん(横根スキー場勤務) ④ 日 時:平成26年7月15日(火)午後 取材場所:小国小学校 取材相手:教頭先生、曽根原先生、運営委員会の皆さん ⑤ 日 時:平成26年7月30日(水)午前 取材場所:小国グリーンエナジー合同会社 取材相手:髙橋 悦人さん、髙橋 安以子さん、 小国グリーンエナジー合同会社の皆さん (3)取材した内容を記事にまとめる。 (4)雑誌を発行する。 -1- – 21 – 3.調査結果 (1)小国町役場 小国町役場では、広報担当の伊藤拓也さんに雑誌の作り方を一から丁寧に教えていただいた。雑 誌を作る上で大切なことや決まり事ごとなどを知ることができ、 「Oguu」を作るのにとても役立っ た。しっかり取材をして誤りのない記事を書くこと、見やすい記事を作ることが雑誌を作る上で大 切なことだとわかった。写真の印象や写っている人の表情で、雑誌の雰囲気は大きく変わるそうだ。 記事だけではなく、写真から色使いまで手を抜かずに作った雑誌だからこそ、手に取った人に「お もしろい」と感じてもらえることができるのだと、お話をお聞きして思った。 同じく小国町役場にお勤めの齋藤さんには、学校生活と社会との違いについて教えていただいた。 授業料を払って学ぶ学校と、お金をもらって働く会社では「責任の重さが違う」と齋藤さんはおっ しゃっていた。高校生活では、自分でできないことがあっても先生や周りの人に助けてもらえたが、 大人になってからは全て自分で解決しなければいけないという。そこが学校との一番の違いだと感 じたそうだ。自分のした仕事を相手に感謝してもらった時に、一番やりがいを感じるそうだ。 (2)片洞門休憩所「たんぽぽカフェ」 小国町は山菜が育つのに適した気候や地形である。小国町の山菜は、県外からわざわざ採りに来 られる方もおり、世界に誇れる美味しさだと思う。この町の特産品にもなっている。 この「たんぽぽカフェ」では、小国町でしか食べられないような山菜をふんだんに使ったメニュ ーをお客様に提供している。また、これも町の特産品である雑穀「たかきび」に注目したメニュー が多くある。「たかきびソフト」と「たかきびドッグ」。どちらも絶品だった。 こちらの休憩所で働く岩沢ちかさんは「小国町にはたくさんのよい食材がたくさんあるのに、そ れが食べられる施設がないのはもったいない」と、この休憩所を開くきっかけを語ってくださった。 当初のメニューは、たかきびソフトとコーヒーだけだったそうだが、今では日替わりの定食からデ ザートまでたくさんのメニューが用意されている。たんぽぽカフェは、岩沢ちかさんを中心に6名 の主婦の皆さんで営業している。春に咲くたんぽぽのように、明るくみんなが集まる場所になって ほしいという願いが「たんぽぽカフェ」の名前の由来となっているそうだ。日替わりメニューはそ の日の担当が考え、雑穀はいつも使うようにしているという。町外から来てくださった方に「小国 っておいしいものがたくさんあるね。 」と声をかけてもらった時に、やりがいを感じるそうだ。た んぽぽカフェは、木のぬくもりが感じられる落ち着いた雰囲気のお店だった。 -2- – 22 – (3)髙橋 恒行さん、平野 歩夢くん 今年、ソチオリンピックのハーフパイプで銀メダルを獲得した平野歩夢選手は、小さい頃から横 根スキー場で練習を重ねてきた。そんな歩夢くんの練習を支えてきたのが、冬期間、横根スキー場 にお勤めの髙橋恒行さん、通称「恒さん」だ。 ハーフパイプの斜面の角度調整は選手の命にかかわるため、髙橋さんは日々のメンテナンスに余 念がない。1㎜のズレもないように調整しているという。 また、髙橋さんからは歩夢くんとの印象に残るエピソードについてもお伺いした。歩夢くんは幼 い頃から努力家で、一度滑り始めると何時間も練習を続け、手袋がびしょ濡れになるまで練習を繰 り返していたという。 このような歩夢くん自身の努力と、それを陰ながら支えてくださった方々の努力が実を結び、銀 メダルに繋がったのだと思う。髙橋さんのお話をお聞きし、歩夢くんの頑張り屋で優しい人柄がよ くわかった。今まで以上に歩夢くんを応援したいという気持ちが強くなった。歩夢くんがこの小国 町から世界に羽ばたいてくれることを願います。 (4)小国小学校 小国小学校は2014年に新設された。子どもたちが快適に勉強できるようなたくさんの設備が、 新しく加わった。エコボイドやチップボイラーなどの新しい設備も整っている。8つの小学校が統 合し、大勢の児童が生活するのにふさわしい環境と広さだった。6年生4名に取材させていただい たが、新校舎に対して全員が満足していると答えてくれた。将来の夢を聞くと、作詞家、スノーボ ーダーなど世界で活躍できる大きな夢を語ってくれた。 木がたくさん使用されていて、温かい雰囲気の校舎だが、ここで使われている木はすべて小国の 町有林から切り出したそうだ。屋上には太陽光発電用のパネルも設置されている。その蓄えられた 電気はタッチパネル式の電子掲示板等に使われるという。また、生徒昇降口前にはバスターミナル があり、北部、沖庭、玉川、小玉川、足中、北部、伊佐領、白沼方面の児童が利用しているそうだ。 -3- – 23 – (6)小国グリーンエナジー合同会社 豊かな森林に恵まれた小国町では、木を活用し様々な燃料が作られている。 ペレットストーブは、石油を使わずに木材片などを燃料とするストーブである。小国グリーンエ ナジー合同会社では、ペレットストーブの販売、設置、そして燃料となるペレットを作っている。 ペレットとは、木を小さく粉砕し圧縮して作った燃料である。主に廃材を使用しているため、環境 にとても優しい。ペレットストーブの良い点は、石油を使わないので結露することがないこと。ま た、温暖化の原因となっている CO2が増えてしまう心配もないことだ。 現代は「カーボンニュートラル」という増えないが減らさないという考え方が大切で、ペレット ストーブはまさしくその考えに合っている。ペレットストーブは最初取り付けるのに石油ストーブ よりも費用が掛かるが、補助金も出るし、1台で15~40畳温めることができるため、暖房費は かなり節約できるという。ペレットストーブが普及すれば、地球にも優しいし、町内でお金が循環 することにも繋がる。小国町の未来への可能性を感じた。 4.まとめ・感想 この雑誌をつくるにあたり小国町の様々な所に出掛け、多くの方々にお話をお聞きした。この取 材活動を通し、小国町の新たな魅力を発見することができた。例えば、自然が豊かで資源に恵まれ ていることや、町の方々の温かさである。町民の皆さんが、この自然豊かな小国町をとても誇りに 思っていることがよくわかった。小国町には、ここでしか味わうことのできない魅力ある食材にあ ふれている。しかし、まだ町民の間でしか食べられていない食材があると思う。それらを町外へ発 信していき、小国町の良さをもっと多くの方々に知ってもらいたいと思う。また、小国町の木で製 造している木材チップやペレットは、未来の燃料として有力な候補だ。原油などの限りある資源を 有効に活用していくために、将来を見越して考えていくと、木質チップボイラーやペレットストー ブが暖房の主流となっていくことは環境に優しいと考える。実際に、 小国小学校の新校舎には木質チップボイラーの設備が導入されてい る。小国町では、そのような新しい挑戦もしているということを今回 知った。 今回の取材でたくさんの方々に協力していただいたが、どの方にも 丁寧に詳しくお話をしていただいた。小国町民は優しくて、親しみや すい方が多い。この人柄の良さも、小国町の魅力の一つだと思った。 この取材を通して、小国町の隠れた魅力とともに、私たちは多くの方 に見守られていることを知った。それぞれの調査を通し、小国町の良 さを再発見した。私達も小国町の良さを町内外に発信していきたいと 思った。班員みんなで楽しみながら、小国町の未来について考えなが ら雑誌を作ることができた。小国町は進化し続けていると実感した。 私たちの作った「Oguu7号」を手にした方々に、ほんの少しでも私 たちと一緒に、この小国町から未来を考えていただけることを願う。 -4- – 24 – Oguu 2014 Vol.7 特集:小国から未来を考える Oguni Senior High – 25 – School ♥ Oguu 2014ᴾ ᵴol.7ᴾ ~小国から未来を考える~‒ 目次「Oguu」とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P1 特集1 世界へ羽ばたく 平野歩夢くん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P2 髙橋恒行さんへ インタビュー 特集2夢と希望にあふれる 小国小学校訪問・・・・・・・・・・・・・・・・・・・P3 特集3未来のエネルギー ペレットストーブ 小国グリーンエナジー合同会社訪問・・P4 特集4ちょっと一休み 片洞門休憩所「たんぽぽカフェ」・・・・・・・・・・・・・P5 先輩インタビュー!表紙紹介編集後記・・・・・・・・・・・・・・・・・・P6 「Oguu」とは㻌 * 国 㻌 小国高校生が地域の情報を発信する情報誌で す。今年で第7号の発刊を迎えました!今回のテー マは「小国から未来を考える」です。ソチオリンピック のスノーボード競技で見事銀メダルを獲得した平野 歩夢くんについての特集をはじめ、新しく建設された 小国小学校の設備や、灯油を使わずに木材を加工 して作ったペレットを燃料としたストーブなど、未来へ 繋がる小国町の魅力をご紹介します! 㻌 㻌㻌小国町の魅力はたくさんあります!!‒ 1 2 4 3 *http://www.town.oguni.yamagata.jpより 5 – 26 – 6 世界へ羽ばたく♡平野歩夢くん *髙橋恒行さんへ お兄ちゃんを良きライバ ルとし、誰よりも努力す る人! 相手への思いやりがあ る! 歩 夢 く ん は 三 歳 の頃 から お 父 さ ん が *オリンピックまでの道* 性格→シャイBOY♡ オ リ ン ピ ッ ク の ス ノ ー ボ ー ド 競 技 で 経 営 して い る ス ケ ー ト パ ー クで ス ケ ー 銀 メ ダ ルを 獲 得 し た平 野 夢 く んを 幼 い トボードを始め、四歳の頃から横根ス インタビュー* 誕生日→11月29日 える滑りを見せてくれました。 ンピックでは、多くの人々に感動を与 す。このような努力が実を結び、オリ ピオンになる!」と言っていたそうで です。小学三年生頃から「世界チャン れ る ほ ど に な る ま で 努 力 して い た そ う 頃 から 知 って いる 横 根 ス キ ー 場に お 勤 キー場で練習をしていました。負けず め の 髙 橋 恒 行 さ ん に お 話 を 伺 い ま し 嫌いな性格で、一度滑り始めると休み なく練習を続け、手袋が汗と雪とで絞 た。 髙 橋 さ ん は 冬 期 間、朝 早 く か ら お 客 様 のた めにゲ レン デや ハ ーフパ イプ の 細 か な 整 備 を 行 い ま す。滑 り や す さ な ど を 日 々 考 え て お ら れ、一 度 の ず れ で もわかるくら いの確かな 技術をもって います。 歩夢 くんは 幼い頃から 小国 の横根 ス キ ー 場を 拠 点 と し、日 々 練 習を 重 ね て い た そ う で す。小 国 町 か ら 世 界 に 飛 び 立 っ た 歩 夢 く ん の 育て の 親で ある 髙 橋 さ ん の お 話 に よ る と、歩 夢 く ん と の 誰 に も言 え な い エピ ソ ード も あ ると のこ と ❤ 今 で は 互 い に「恒 さ ん」「あ ゆ」 と呼び合うほどの仲だともお聞きしま した。 *取材をしてみて* 歩夢くんを よく知る髙 橋さんにお 話 を お 聞 き し、歩 夢 く ん の 人 柄 が 伝 わ っ て き ま し た。何 事 に 対 し て も 決 し て 諦 め な い と い う 姿 勢 や、誰 よ り も 努 力 し、夢 を 実 現 し た と い う こ と がわかりました。 歩夢くんの活躍する姿を見てス ノーボーダーを目指す子どもが増え た そ う で す。私 た ち も、努 力 す る 大 切 さ を 忘 れ ず、夢 に 向 か っ て 精 一 杯 頑 張 っ て い き た い と、改 め て 思 う こ とができました。 – 27 – ▲オリンピック前に来町 ▲歩夢くんの練習風景 ▲横根スキー場にて ~4年後の金メダル~ ガンバレ歩夢くん 夢と希望にあふれる ♥小国小学校訪問♥ ★★ 取材をしてみて ★★ 新 校 舎 に な り、小 学 生 の 皆 さ ん は と て も 快 適 な 学 校 生 活 を 送っているようです。環境を考えた新設備なども加わり、小国 町も進化を続けているのだなと実感しました。インタビューの 際、小 学 生 が 思 う「小 国 高 生 の イ メ ー ジ」を 聞 い た と こ ろ、 「挨拶がしっかりとしている、背が高い、足が速い、都会慣れ ら送風して室内を暖かくする設備。無散水消雪もできる。 太陽光発電とは 校舎の屋上に取り付けられた発電用のパネルで、電気が蓄えられ している…」などの他、ユニークな回答もありました。小国小 学校の皆さんありがとうございました。 木材片を燃やして地下から水蒸気を送り、各部屋にあるパネルか Q 新校舎について る。生徒昇降口にある液晶モニターで蓄電量を見ることができる。 A きれい。使いやすい。楽しい。 – 28 – Q 便利になったこと 木質チップボイラーとは 感じているか、好きな給食や将来 A・可動式黒板。背の低い小学生で も簡単に書ける。 2.太陽光発電 インタビューし、普段どのように ・体育館の床暖房。とても暖かい ・風通しが良い構造。 ・涼しく快適。 人気の給食メニュー ・廊下や階段が広くなった。 Q A・フルーツポンチ 将来の夢 ・ビーフストロガノフ Q A・スノーボーダー、作曲家、 学校の先生など Q 小国町の魅力 A・自然がたくさんある。 1.木質チップボイラー た。運営委員会の皆さんと先生に ・蛍、水、空気がきれい。 地元の木材をふんだんに使用 (自然採光通用換気) ↑ゆったりとした広い廊下や階段 ↑メディアルーム ↑エコボイド 方式でまとめました。 明るく機能的な ECO STYLE 小国小学校が新校舎になりまし の夢などお聞きしたものをQ&A こ ち ら の 会 社 で は、ペ レ ッ ト ス トーブの販売、設置、メンテナンス さんがペレットストーブに興味を などを行っています。七年前に髙橋 持 っ たこ と が き っ か け だ っ た そ う で す。展示場は小国に一つ、米沢に一 つあります。現在は九名で活動して います。 ペレット ストーブ自体は 一 台約十 九~四十九万円と高価ですが、燃料 これがペレットです 袋詰めする となるペレットは灯油に比較する と、一キログラム五十五円と低価格 です。また、一台備えれば十五~四 未 来 の エ コ エ ネ ル ギ ー 自然との共生~循環社会~ 小 国 町 の 約 九 十 七 % が 森 林 で す。材 木 片 よ り よ く 活 か す こ と が で き れ ば、さ ら に 可 や 間 伐 材 な ど を 再 利 用 し、恵 ま れ た 資 源 を 能 性 は 広 が り ま す。町 全 体 に 普 及 す れ ば、 環 境 に 優 し い だ け で は な く、町 内 の 雇 用 が 増 え ま す。若 者 の 働 く 場 所 が で き れ ば、人 口 減 少 に も 歯 止 め が か か り ま す。経 済 的 に も 町 の 中 で お 金 が 循 環 す る な ど、町 の 未 来 につながる可能性を感じました。 さ ら に 現 在、地 球 規 模 で の 様 々 な 問 題、 温 暖 化、燃 料・資 源 問 題 が あ り ま す が、ま ずは私たち にできるこ とからはじ めるこ と – 29 – 十 畳、ほ ぼ 家 を 丸 ご と 温 め ら れ ま す。何よりも環境に優しいというこ のではないでしょうか。 会社の皆さんと一緒に で、こ れ ら の 問 題 解 決 の 一 つ の 糸 口 に な る 小国グリーンエナジー合同 とが注目されており、近年、購入す る人が増えているそうです。 ペレットストーブ 木材を乾燥させる 木材を砕く 成形機にかける 大袋に入れる ペレットストーブ 未来のエネルギー 小国グリーンエナジー合同会社 ペレットができるまで 完成! ちょっと一休み 片洞門休憩所「たんぽぽカフェ」 国道一一三号線沿いの片洞門休憩所 ・日替わりランチ・ 「た ん ぽ ぽ カ フ ェ」は 小 国 町 民 や、小 国 町 を 訪 れ る 観 光 客 向 け の 休 憩 所 で す。こ の 休 憩所 を 運 営 して いる のは、代 表 の 岩 沢 ち か さ んを は じ めとす る 読 み 聞 か せ 仲 間 を 中 心 と し た 計 六 名、皆 さ ん 全 員 主 婦 とのことです。 代 表 の 岩 沢 さん は 以 前 から「小 国 に は 良 い 食 材 が た く さ ん あ る の に 食べ な い の は 非常 に も っ たいな い」と 考えて おら れ 「食 べ て も ら え る 施 設 が あ っ た ら い い な」と 思 い、空 い て い る 場 所 を 活 用 し 「た ん ぽ ぽ カ フ ェ」を 開 い た そ うで す。 岩沢さんから小国高校生へ 今の高校生は、たくさんの分野で頑張っています。今のみん なの頑張りが、後の生徒の頑張りにもつながるので、今をしっ かり頑張ってほしいです。今の努力が自分の将来、小国の未来 につながるはずです。 小国には他に負けない良さや魅力があります。故郷を誇りに 思い、これからも小国町民として活躍していってほしいです。 – 30 – こ の「た ん ぽ ぽ カ フ ェ」で 食 べ ら れ る 料 人気メニュー 右の写 真が 人気メ ニュ ー の日 替 わ り ラ ン チ で す。さ く ら ん ぼ を 除 いて 全て 小国 産 の 食 材で 作ら れて い ま す。メ ニ ュ ー は 毎 日、そ の 日 に 決 め る そ う で す。 全 て の 料 理 に おいて 食材の味を生かしたものに な っ て い ま し た。特 に「し お で の お ひ た し」が お す す め で す。ま た 「た か き び ド ッ グ」や「た か き び ソ フ ト」も 人 気 の メ ニ ュ ー で す。 みなさんも是非一度食べて みて は いかがですか? ・たかきびソフト・ 理 のほと んど が 小国 産で、こ れが こ の 休 憩所の一番の特徴です。 ・たんぽぽカフェ・ 町 民 税 務 課 す 。 エ ネ ル ギ ー 問 題 は 日 本 だ け で な く 地 球 全 体 で 取 り 組 能 な エ ネ ル ギ ー 資 源 が た く さ ん 眠 っ て い る と い う こ と で は 、 町 の 約 九 十 七 % を 占 め る 森 林 で す 。 つ ま り 、 再 生 可 ん あ る と 感 じ ま し た 。 何 と 言 っ て も 小 国 町 の 一 番 の 特 徴 り ま す 。 私 た ち 自 身 が ま だ 知 ら な い 誇 れ る 部 分 が た く さ 見 直 し て 見 て み る と 、 実 は 素 晴 ら し い も の が た く さ ん あ 小 国 町 に 住 ん で い る 私 達 に は 普 通 の こ と で も 、 改 め て う で す 。 ま た 、 地 域 文 化 学 で ま と め た レ ポ ー 「 小 国 町 が 秘 め た 可 能 性 」 を 知 る こ と が で き ま し た 。 こ と に 魅 力 を 感 じ 、 一 生 懸 命 努 力 し て い た そ い ま し た 。 み ん な で 学 校 を つ く り 上 げ て い く 高 校 時 代 に は 、 生 徒 会 長 と し て 活 躍 さ れ て 今 回 、 私 た ち 地 域 文 化 学 四 班 は 、 取 材 活 動 を 通 し て 編 集 後 記 ん で い か な け れ ば な ら な い 大 き な 問 題 で す 。 今 回 、 特 集 ト が 、 第 七 回 「 地 域 の 伝 承 文 化 に 学 ぶ コ ン テ の 中 で 木 質 チ ッ プ ボ イ ラ ー や ペ レ ッ ト ス ト ー ブ な ど を 紹 「 小 国 高 校 は 少 人 数 だ か ら こ そ 、 い ろ い ろ – 31 – 介 し ま し た 。 こ れ ら の エ ネ ル ギ ー 資 源 の 活 用 が 小 国 町 の な こ と に 挑 戦 で き る 。 手 を か け て も ら え る の 将 来 、 そ し て 地 球 の 未 来 を よ り よ い 方 向 に 導 い て く れ る は 嬉 し い こ と だ が 、 自 分 か ら 取 り 組 む こ と も こ と に 期 待 し ま す 。 大 切 に し て ほ し い 。 挑 戦 す る 精 神 を 鍛 え 上 げ 齋 藤 香 穂 さ ん 住 民 窓 口 担 当 ス ト 」 に お い て 最 優 秀 賞 に 選 ば れ 、 東 京 、 國 小 国 町 役 場 學 院 大 學 で 行 わ れ た 表 彰 式 に 参 加 し た こ と も 町 民 生 活 室 あ る そ う で す 。 ◇ 主 な 仕 事 ◇ 本 誌 を 作 る に あ た り 、 小 国 町 役 場 広 報 担 当 の 伊 藤 拓 也 て い っ て ほ し い 。 」 と 私 た ち 小 国 高 校 生 に さ ん か ら 雑 誌 の 作 り 方 に つ い て 教 え て い た だ き ま し た 。 伊 藤 さ ん か ら の ご 助 言 は 本 誌 を 作 る 上 で 大 変 参 考 に な り メ ッ セ ー ジ を い た だ き ま し た 。 表 紙 紹 介 ま し た 。 取 材 に ご 協 力 い た だ い た 皆 様 、 本 当 に あ り が と 本 誌 の 表 紙 は 、 山 形 D C の イ ベ ン ト を 盛 り 上 担 出 明 窓 当 生 、 口 。 届 転 で 受 出 の 付 ・ 住 。 転 民 人 入 票 口 、 、 推 婚 印 移 姻 鑑 等 ・ 証 げ る た め 、 本 校 ラ イ フ ク リ エ イ ト 部 が 制 作 し た 作 品 の 下 絵 で 齋 藤 香 穂 さ ん は 、 今 年 の 春 、 小 国 高 校 を 卒 業 し た 私 達 の 先 輩 う ご ざ い ま し た 。 で す 。 高 校 時 代 に は 明 確 に や り す 。 完 成 し た 作 た い と 思 う 仕 事 が な か っ た そ う 品 は 、 小 国 駅 構 で す 。 し か し 、 高 校 二 年 生 に 実 す 付 内 。 け の ら 壁 れ 面 て に い 取 ま り 施 し た イ ン タ ー ン シ ッ プ が き っ か け で 、 こ の 仕 事 に 就 く こ と を 目 指 す よ う に な っ た そ う で す 。 本 校 の 美 術 の 社 会 人 と し て 働 く よ う に な っ 非 常 勤 講 師 で あ る 後 藤 拓 朗 先 生 が 描 い て く だ さ て 、 責 任 の 重 さ や そ れ ま で の 学 校 生 活 で の 甘 さ に 気 付 い た と い う こ と で す 。 町 民 の 方 の あ た た か さ を 感 じ た 時 や 感 謝 の 言 葉 を い ま し た 。 い た だ い た 時 に や り が い を 感 じ る そ う で す 。 未来への挑戦 高橋 拓也さん 齋藤 平成26年度 小国小学校の皆さん 伊藤 恒行さん 小国町役場 山形県立小国高等学校 from OGUNI 集> <取材協力> <編 Oguu 2014 Vol.7 東北公益文科大学 地域文化学4班 呉 たんぽぽカフェの皆さん 尚浩先生 http://www.ygt-oguni-h.ed.jp/ 小国グリーンエナジー合同会社の皆さん 香穂さん 1学年 2014.11.1発行 編集メンバーより ○志田 航大(表紙担当)………小国町の良さがわかる雑誌になったと思う。 ○佐藤 季歩(P1目次担当)………小国の魅力をたくさん伝えられる内容になってよかった。 ○小林 可奈(P2歩夢くん&高橋さん担当) ………みんなで楽しみながら「小国の未来」を考えることができた。 多くの人に「小国の未来」を感じてもらえたら嬉しい。 ○高橋 亜美(P3小学校担当)……取材を通し、小国町の新たな魅力を再発見することができた。 小国町は進化し続けていると実感した。 ○今野 輝(P4ペレット担当)…この学習で小国町の良いことがわかったし、楽しかった♪ 〇山口 湧矢(P5たんぽぽ担当)…各ページにそれぞれの個性が出ている。 ○磯部 友里(P6先輩インタビュー・表紙紹介・編集後記担当) ………小国町の新たな魅力を知ることができた。 ○梅津 光(裏表紙担当)……今まで知らなかった町のことをたくさん知ることができた。 – 32 – 山形県立小国高等学校1年 地域文化学5班 「越後米沢街道十三峠」 班員 安部大輝 宇津木優樹 舟山紘汰 伊藤涼河 嶋貫陸 舟山竜礼 舟山黎 松田翼 1テーマ設定の理由 イザベラ・バードの日本奥地紀行、黒沢峠の敷石道で有名な越後米沢街道十三峠であるが、これ まで地域文化学で取り上げたことはない。新しいことに目を向けてみたい、実際に十三峠を歩いて みたいという全班員の意見からこのテーマについて学ぶことにした。 2調査方法 (1)小国高校図書館の文献からの情報収集 (2)NPO法人ここ掘れ和ん話ん探検隊のホームページ、パンフレットなどでの情報収集 (3)峠、周辺地区へのフィールドワーク ※大里峠、萱野峠、朴ノ木峠、高鼻峠、貝淵峠、黒沢峠、市野々地区、桜峠、才ノ頭峠を 調査 3調査結果 (1)越後米沢街道十三峠の歴史について 置賜地方から越後へと通じる街道として、約500年前の1521年に伊達14代の稙宗 (たねむね)によって大里峠が開かれたことに由来する。江戸時代の上杉藩になってから、小 松(現川西町)~手ノ子(現飯豊町)~小国(現小国町)~玉川(現小国町)~下関(新潟県 関川村)のルートとなり、この中に13の峠があるため、 「十三峠」と呼ばれるようになった。 長い間、道普請(みちぶしん:周辺住民や豪商などが整備維持の任務を課せられる制度)など で、道幅を拡張したり、難所には石畳を敷いたりするなど、整備がなされてきた。しかし、1 844年に県道山形-新潟線が開通、この旧街道を通る人はいなくなり、立派な敷石道も長い 間土に埋もれていた。 1980年(昭和55年) 、黒沢地区全戸で「黒沢峠敷石道保存会」を結成し、長年風雪に さらされ落ち葉や土に埋もれていた敷石を、多くのボランティア協力を経て、5年間をかけて 一段一段丁寧に掘り起こした。敷石は「朴ノ木峠」や「萱野峠」でも確認されている。特に萱 野峠では「萱野峠敷石惚れ掘れ探検隊」による敷石復興が行われている。 (2)イザベラ・バードについて イザベラ・バード(1831~1904)はイギリスの女性旅行作家である。病弱な幼少期 を経て、23歳のとき医者に航海を勧められアメリカとカナダを訪れる。2年後、初の旅行記 – 33 – 『英国女性のみたアメリカ』を出版。40歳を過ぎてから本格的 な旅行を始め、オーストラリア、日本、マレー半島、チベット、 朝鮮などをはじめ、生涯の大半を旅に費やし、多くの旅行記を残 した。 1878年(明治11年)5月から3ヶ月にわたり東日本を旅 し、その記録を「日本奥地紀行」として残した。越後米沢街道十 三峠は7月11日から13日までの3日間をかけ、従者の日本人 イトーとともに、馬または牛に乗って通過している。異国人が訪 れることの少なかった東北の街道や住民の暮らしの様子をあり のままに記述している。また、米沢盆地のことを「アジアのアル イザベラ・バード カディア(桃源郷) 」と称したことでも有名である。 (3)峠、周辺地区について ① 大里峠(おおりとうげ) $ 概要(参考資料より※以下同) 標高487m、十三峠のうち2番目の高さ。1521年に伊達稙宗がこの大里峠を 開削し、後に十三峠が成立することになる。1848年、この峠の越後側でも道普請 を行い、1間の道幅を三間に広げ両脇に側溝をつけ、泥道になる所には、長さ四尺、 厚さ五寸の石2360枚敷いたといわれ、今でも少し往時の石が見られる。峠頂上の 地蔵堂には大蛇伝説に基づく「大里大明神」が合祀されている。1781年と185 4年の12月17日の雪崩犠牲者のための凶霊供養塔が玉川近くにあり、1855年 6月建立である。 % イザベラ・バードの記述(完訳日本奥地紀行2より※以下同) 「昨日7月11日]は本当に大変な一日だった。ほとんど一日中、二重、鷹ノ巣、榎 という大きな峠をつまずきながら上ったり、すべるように下ったりした。どの峠も森 に覆われた山中にあり、そこを木立にすっぽりと包まれた峡谷が深く刻み、雪をかぶ った会津の峰々の一つが時折姿を現し、一面の緑の世界の単調さを破った。馬の草鞋 [沓]は一度結んでも数分ももたずに解けてしまい、1時間に1マイル[1.6キロ]し か進めなかった!そして[今日は]とうとう、玉川という小さな村[集落]にある[代わり の馬を得ることができる]見込みの到底なさそうな所で[馬から]降ろされた。 」 ※大里峠という名称は出ていないが、鷹ノ巣峠、榎峠、玉川の順で記述していること から、榎峠と玉川の間の大里峠も越えてきたと推測される。ゆえに、 「どの峠も~」 のところは大里峠も描写していると考えられる。 & 現状(フィールドワークより※以下同) 長い峠道であり、勾配も急で身体的につらかった。川に沿った峠道であり、湿って いてぬかるむところもあった。石がごろごろしており、石畳の跡かもしれない。時折、 直径1~0.5mくらいの岩があり、何らかの目印であったか。案内標などは少なか ったが、送電鉄塔に沿っており、その管理もあり整備されており、道幅は広いところ が多い。大里峠が新潟と山形の県境であり、峠にある地蔵堂から上に登ってみると見 晴らしがよく、関川村が見下ろせて綺麗な景色である。日本海が見えることもあるら しい(我々は見えなかった) 。 道幅の広い峠道 大里峠の地蔵堂 大里峠の上から見下ろした関川村 – 34 – ② 萱野峠(かやのとうげ) $ 概要 標高278mの緩やかな歩きやすい峠。名は頂上近くの萱野原からと思われる。玉 川に掛かる「玉川大橋」は上杉藩時代に「越後街道の三大橋」と呼ばれ、木材や藤蔓 などを用い橋が造られたといわれ、今でも橋脚跡が見られる。古道の全長は3.7k mであるが、2.7kmに敷石が埋もれているといわれている。2007年(平成1 9年)から「萱野峠敷石惚れ掘れ探検隊」を組織し、現在1/4強が掘り起こし済み。 % イザベラ・バードの記述 「この牛は私を乗せて雄大な大里峠を無事越え、回りに水田の広がる小国町へと下っ ていった。 」 ※玉川に到着後、この牛を調達してから峠を越え、小国町に辿りついたことから、こ の「大里峠」という記述はバードの誤りであり、萱野峠か朴ノ木峠、または両峠のこ とであると推測される。 & 現状 距離もあり、とても疲れた。草木が多く、自然が豊かであり、沢が多かった。木陰 の中であり、涼しかったが、湿度も高かった。時折、開けたところがあり、屋敷跡や 炭焼き小屋跡など、建造物の跡地もあった。敷石が多いが、埋もれているところもあ った。敷石に携わった当時の人の苦労が感じられる。滑る敷石も、何もなくてぬかる む湿地よりはよっぽどよかっただろう。玉川大橋は今ほど立派ではなかっただろう。 人があまり入っていないようで関心を持たれていないように感じた。 萱野峠の石畳 萱野峠敷石惚れ掘れ探検隊の記念札 側面を削ったと思われる峠道 ③ 朴ノ木峠(ほおのきとうげ) $ 概要 標高398m。頂上からは南に飯豊連峰、北には朝日連峰が見渡せる。朴ノ木沢の 水音を聞きながら峠から足野水側に下ると、ブナ林と古道がうまく調和した景色とな り、さらに先は送電線に沿ったルートとなり足野水集落に出る。足野水側の入り口と 頂上付近、共に200m位は古道が分かりにくく注意が必要である。頂上からは飯豊 連峰や朝日連峰を見ることができる。化け物杉や追分石がある。 % イザベラ・バードの記述 ②萱野峠、%を参照 & 現状 大里峠と同じくらい長く、心身ともに辛かった。標識がなく道が少しわかりづらか った。石畳があり、滑りやすくなっていたので危険だった。足野水側から上り、先に 進んでいくと健康の森に出ることができる。新道ができており、時折合流する。 朴ノ木峠から小国小坂町側に見える朝日連峰 小国小坂町側に確認できる石畳 分岐を示す追分石 – 35 – ④ 高鼻峠(たかばなとうげ) $ 概要 標高170mの最低の峠。芹出地区から種沢地区に入るために横川を渡るルートは 降雨増水の時「川止め」される。そのため、この高鼻峠を越え杉沢地区から種沢地区 に至る道を改修、晴雨にかかわらず通行できるようになった。 % イザベラ・バードの記述 「そのあとは、水田が続く中を歩いて進み、次いで再び低い山に入り黒沢に至った。 」 ※高鼻峠は低いながらも山間であり、 「水田が続く」という感じではない。高鼻峠の 記載がないのは、低さゆえに朴ノ木峠の一部と捉えられたのかもしれない。 「水田が 続く」場所は高鼻峠から下った杉沢地区と種沢地区、 「低い山」は貝淵峠のことと推 測される。 & 現状 最低の峠と言う割には崖にできたような道で、小国小坂町の方から自転車で上がっ てくるとかなりきつかった。イザベラは牛に乗っていたそうだが、きっときつかった ろう。樹木に囲まれ、自然が豊かなところである。当時からあったかは定かではない が、峠には池があった。この池は峠の目印、または給水所であったのだろうか。種沢 地区は今も水田が広がりのどかであった。 健康の森よこねへの道との分岐付近が高鼻峠 高鼻峠にある池 水田が美しい種沢地区 ⑤ 貝淵峠(かいのふちとうげ) $ 概要 標高175m。種沢地区と黒沢地区を結ぶ小さな峠。以前、黒沢集落の小学生はこ の峠を通り種沢分校に通学していたが、1967年(昭和42年)の羽越水害後通れ なくなっていた。水害後、峠の直ぐ下を通る道路ができ、この峠を通る人はほとんど いなくなった。2009年(平成21年)に黒沢峠敷石道保存会で古道の整備を行い 通行できるようになった。 % イザベラ・バードの記述 ④高鼻峠、%を参照 & 現状 思ったよりも高いところを通っており、崖のように川にせまっているところもあっ た。景色が綺麗なところもあった。敷石は見当たらなかった。道幅は狭く、足場は湿 地でぬかるむ所も多く、草木で覆われている。 峠道の上にも樹木が育っていた 横川を見下ろせる 草が生い茂っている – 36 – ⑥ 黒沢峠(くろさわとうげ) $ 概要 標高426m。現在の黒沢峠の敷石道は全長2.6kmで、内1.8kmに加行さ れた石が敷かれており、その段数は3,600段といわれている。敷石工事は183 9年から1867年にかけて行われた。前述のとおり、1844年に県道山形-新潟 線が開通後、この峠を通る人はいなくなり長い間土に埋もれていたが、1980年に 黒沢峠敷石道保存会を設立し、5年間で埋もれていた敷石を掘り起し復元した。19 86年からは毎年秋に黒沢峠祭りを開催している。1996年文化庁選定の「歴史の 道百選」では『…幅約50cm、長さ約1.5mの苔むした敷石が、頂上に向かって 約3,600段ブナ林の中を続く。これほど美しく特徴ある街道は「歴史の道百選」 の中でも唯一のものだ…』と紹介されている。また、2008年(平成20年)には、 十三峠全体が「日本風景街道」に登録された。 % イザベラ・バードの記述 「沼[黒沢]からここ[市野々]までは距離こそわずか一里半[6キロ]だが、何百もの石段 が続くでこぼこの石畳の道を上ったり下ったりして険しい朴ノ木峠を越えなければ ならず、暗がりだったから楽しいことではなかった。この峠で私は初めて岳樺を目に した。峠の麓で私たちは立派な橋を渡って山形県に入り、すぐにこの集落に着いた。 」 ※バードは市野々でこれを記述していることから、 「ここ」は市野々のことと考えら れる。その市野々から西に一里半戻ると黒沢地区であるので、 「沼」は黒沢地区であ り、バードの誤りと推測される。黒沢と市野々の間の峠は「朴ノ木峠」ではなく黒沢 峠であるので、これもバードの誤りと考えられる。さらに、山形県に入ってすぐの集 落は玉川なので、 「峠の麓で~集落に着いた。 」の一文も誤りと考えられる。 ※この前に、黒沢地区について泥酔した女や茶屋の女の振る舞いなどを記述している。 & 現状 整備復元され、道が開 けていて、石畳がとても きれいに並んでいる様子 が見える。石畳にはこけ が生えていて、滑りやす くなっている所もある。 字や絵が彫ってある石畳 見事に整備復元された黒沢峠 石畳に字や絵が彫ってある もあった。 ⑦ 市野々地区(いちののちく) $ 概要 17世紀、上杉藩は峠道と宿場町の整備を本格的に開始した。これを強力に主導し た直江兼継は峠道を改修・改良すると同時に、品物をリレー方式で次の宿場町まで輸 送する「駅伝制」の整備にも取り組んだ。これによって物流が飛躍的に向上し、越後 と米沢のちょうど中間の市野々地区は、文字通り市が並ぶ交通の要所として栄えた。 羽越水害をきっかけに構想され、2008年(平成20年)に竣工した横川ダムの 建設によってこの市野々地区、黒沢峠と桜峠を結ぶ道が水没することとなった。そこ でこの貴重な歴史の道をつなぐために「不動出生橋」が建設された。この橋はダム湖 の水位が下がる夏の間だ け姿を現す沈下橋で、6 月中旬から9月下旬まで の天気が良い日だけ渡る ことができる。また地区 のシンボルであった飛鳥 寺の大銀杏も高台に移さ れている。 不動出生橋 飛鳥寺の大銀杏 – 37 – % イザベラ・バードの記述 「市野々はすてきな村で、[この辺りの]すべての村と同じく養蚕が盛んである。それ で、真っ白なあるいは硫黄色の繭を筵の上で天日干しする光景を至る所で目にする。 」 & 現状 我々が訪れた6月は横川ダムの水位が下がっていたため、不動出生橋も集落があっ たろう土地跡も見ることができた。これを見下ろせる高台には、飛鳥寺の大銀杏があ り、景色がとてもきれいで落ち着く場所だった。 ⑧ 桜峠(さくらとうげ) $ 概要 標高435m。所々に古道の道形は残るが、全て舗装路(県道)の峠である。以前 は峠から白子沢地区方面へ下る途中に、桜地区、沢中地区という集落があったが、今 は移転しその形跡だけが名残を残している。頂上は切り通しになっており、西に下る と市野々の横川ダムに出る。峠の全長は6.3kmと十三峠の中では、最も長い峠で ある。 % イザベラ・バードの記述 「私たちは眺望の美しい桜峠を越え、白子沢という山間の村で複数の馬を手に入れ、 さらに複数の峠を越えて午後に手ノ子という村[集落]に至った。 」 ※白子沢から手ノ子に至るまでの「複数の峠」とは、西から才ノ頭峠、大久保峠、宇 津峠のことと推測される。宇津峠については後に改めて記述している。 & 現状 勾配の急な坂道が続く峠道で舗装されているが、下るときには少し注意しないと転 びそうになる。近くに桜川が流れている。桜地区に建物はなく、跡地のみ確認できた。 沢中地区には、朽ちた廃屋が残っていた。バスの運転手さんによると、山奥と感じら れる桜地区までも羽越水害の被害に遭っていたとのことで驚いた。 桜峠 桜峠から望む桜地区 沢中地区の住居跡 ⑨ 才ノ頭峠(さいのかみとうげ) $ 概要 標高316m。国道113号線から左折し桜川に沿って上流へ行くと間もなくの小 さな峠。名は、峠の桜峠側の出口に立つ地蔵尊「塞(境)の神」からと考えられる。 白沼小中学校の僅か西側の古道は、 ”へつり”と呼ば れる崖で、下には桜川が流れている。このため、こ の古道のルートは数回変わった可能性がある。 % イザベラ・バードの記述 ⑧桜峠、%を参照 & 現状 峠に民家があり、舗装され一般の道路として使わ れておりとても歩きやすい。上りと下りの切り替わ 民家がある才ノ頭峠 りがはっきりしていて、峠とわかりやすい峠である。 – 38 – 4学習のまとめ 今回の調査からわかったことは以下である。 <わかったこと> ① 越後米沢街道十三峠のほとんどが山間を縫うように走り、傾斜がきつい、道幅が狭い、 湿地でぬかるむような箇所も多く、当時も通行が容易ではなかったと推測される。 ② それでも、置賜盆地と日本海を結ぶ重要な街道として、道普請などで長い歳月をかけ て整備維持されてきた。湿地を中心に敷かれた石畳がその代表的なものである。 ③ 新街道(現国道113号)が開通し、旧街道が使われなくなると石畳も土に埋もれて しまった。しかし、NPO法人ここ掘れ和ん話ん探検隊などによって掘り起こされつ つあり、黒沢峠、萱野峠だけでなく、多くの峠で立派な石畳を見ることできる。 また、疑問点も生じ、山形県立米沢女子短期大学准教授の原淳一郎先生に解説をいただいた。 <疑問点と原先生の解説> 疑問点①「なぜ、平地を通さなかったのか?」 原先生の解説>今は開墾され平地に見える場所も、峠ができた当時は深い原生林であった ことが考えられる。 疑問点②「朴ノ木峠から下り小国小坂町の端に出るが、小国町の中心地には向かわずに、 またすぐに山間に入り高鼻峠に向かうのはなぜか?」 原先生の解説>町に入るのを避けたのではなく、川幅の広い横川ではなく、比較的川幅が せまい八木沢川を渡ることを選択したためと考えられる。 私たちは十三峠のうち8つの峠に足を運び観察した。全長約60km(関川村の峠道入り口から 川西町の峠道出口まで)のうちおおよそ半分の約33kmを徒歩や自転車、自動車で見て回ったこ とになる。越後米沢街道十三峠は豊かな自然の中を走り、苔の生えた石畳は長い歴史を感じさせる。 実際に歩いてみると、数百年前にタイムスリップしたかのような気分を容易に味わうことができる。 この越後米沢街道十三峠は観光資源として、歴史探訪やトレッキング、森林セラピーなどで今後活 用できる可能性を充分持っていると感じた。一方で、案内標識の設置や草刈り、石畳の掘り起こし など、そのためにはまだまだ多くの整備が必要であるとも感じた。現在、NPO法人ここ掘れ和ん 話ん探検隊などを中心とした越後米沢街道・十三峠交流会が、保存や整備、イベントの企画などを 行っている。このような活動が実を結び、多くの人が訪れ歩き、歴史ある越後米沢街道十三峠が後 世に残されることを祈りたい。 【参考資料等】 1「越後米沢街道・十三峠交流会」 (NPO法人ここ掘れ和ん話ん探検隊ホームページ) KWWSPRXQWZHEIFFRPLQGH[KWPO 2「越後米沢街道十三峠」 (置賜文化フォーラムホームページ)KWWSRNLEXQMSWRXJH 3「いにしえの敷石道越後米沢街道・十三峠」 (NPO法人ここ掘れ和ん話ん探検隊パンフレット) 4「完訳日本奥地紀行2新潟山形秋田青森」 (著/イザベラ・バード、訳注/金坂清則。平凡社) 5「イザベラ・バード紀行『日本奥地紀行』の謎を読む」 (著/伊藤孝博。無明舎出版) 6「イザベラ・バードの東北紀行>会津・置賜篇@『日本奥地紀行』を歩く@(著/赤坂憲雄。平凡社) 5感想 険しい道のりで登ることが大変でした。いい経験になりました。(安部大輝) 峠を登ってみて、急な斜面もあり、大変だったが、昔の事が体感出来た。よい経験をさせても らった。(宇津木優樹) 今回の学習で十三峠の今と昔を知ることができました。これからの十三峠とその後の活動 – 39 – が楽しみだと思いました。(舟山紘汰) 峠を歩いてみて、色々な史跡が残っていて歴史が感じられる峠だと学べました。(伊藤涼河) 峠の辛さや、峠のことについてたくさん学ぶことができ、いい経験になった。(嶋貫陸) 初めて峠を攻めた。昔の人のがんばりを知ることができた。石畳がとてもきれいに並んでいて 驚いた。(舟山竜礼) 峠はきついけど皆で登ったり出来たので楽しかったです。(舟山黎) 昔の人の苦労を知った。山を登るのは大変だったが、それぞれの峠について詳しく知ることが できてよかった。(松田翼) 6おわりに 山形県立米沢女子短期大学 日本史学科 准教授 原淳一郎 先生 これまで小国町における神社やお堂、石碑の調査や、自然などの観光資源の分析をおこなってき た。そのなかで常に気になっていたのが十三峠であった。というのも私の専門は旅の歴史であり、 イザベラ・バードの紀行文は貴重な史料であるからである。幕末から多くの外国人が日本を訪れ文 章を残しているが、その大半が都市もしくは名所に関するものであり、地方の様子をこれだけ詳細 に記しているものはまず他にない。そのため私も山形に赴任してから黒沢峠だけは歩いたことがあ ったけれども、十三峠の全貌は未知なるものであった。 今回テーマの設定に関して、私の方からもいくつかアイデアを出したが、最終的に決めたのは班 員である。そしてそのことに感謝したい。当初は黒沢峠のほかに1つか2つの峠に登ることができ れば、と考えていた程度であったが、町のご協力もあり、町内にある峠のほとんどを踏破すること ができた。その踏査の過程で、黒沢峠以外の峠でも石畳が保存されていることがよく分かった。こ れはもったいない、というのが素直な今の感想である。私も研究上、長崎街道の冷水峠や東海道の 鈴鹿峠など全国の著名な峠を歩いてきたが、これほど連続する峠で石畳が残されているところはあ まりない。 これは「ここ掘れ和ん話ん探検隊」のような活動の賜物であろう。こうした活動は郷土愛を育み、 地域社会の結束を図るということにもつながるものである。また1970年代後半から、文化庁の 補助を受けて各都道府県により「歴史の道」調査がなされ、1990年代以降はこれを整備・保存 するという動きも見られ、国でも旧道に目を向けていないわけではない。 このようななか、今回の踏査において、峠の入り口にはほぼ標識があったものの、途中で迷うこ とも多かったことも事実である。私を除けば、幸いにも体力の有り余る男子学生と、若い体育の先 生でメンバーが構成されていたため惨事には至らなかったが、もしも誰かが途中でへばってそれを 誰かが庇うという構図の連鎖になり「聖職の碑」のような状況に追い込まれでもしたら、と考える と非常に恐ろしいことである。大げさかもしれないが、山の中で道に迷いを覚えたときの不安感と いうのは筆紙に尽くしがたい。是非分かりやすい標識が各所に置かれることを祈念したい。もし十 三峠の多くがより整備され、案内標識が充実すれば自ずと歩く人が増えてくるのではないかと考え る。今や「はとバス」も、登山はもちろん、ハイキングや旧道歩きの連続ツアーが計画され人気で ある。東海道でも休日に旧道を歩く人は少なくない。是非小国町にはこの歴史遺産を生かして頂き たい。 さて今回は班員八名が参加してくれた。現在の彼らにどれだけ響いたかは正直分からない。しか し意外と自分の故郷のことを知らないものだ、ということだけは実感できたのではないだろうか。 そして歴史は年号や人物を覚えるものでは決してなく、過去をできるだけ正確に知り、それを伝え、 現在に役立てていく営みであることも、何となく実感できたのでないだろうか。 「何となく」で構 わない。今は東京や仙台のような都会、あるいは世界に憧れがあるのかもしれない。そのような舞 台で活躍する人材が生まれることは素晴らしいことである。しかしそのようななかでも自分の故郷 のことを誇らしく伝えられる人物であってほしい。伝えるには、まず知らなくてはならない。いず れ今回の経験がそのきっかけとなることを祈念したい。 – 40 – 山形県立小国高等学校1年 地域文化学6班 「人と自然が織りなすやさしい暮らしがあるまち“白い森の国おぐに”」 を目指して~小国町の福祉の取り組みについて~ 班員 齋藤沙桜里 佐藤かりん 安部夏音 安部美鈴 小林琉依 舟山 咲 渡部莉央 1.テーマ設定の理由 小国町では平成 年度に、平成 年度までの 年間のまちづくりの基本的考え方、方向を示 した第 次小国町総合計画基本構想を制定し、 「人と自然が織りなすやさしい暮らしがあるまち“白 い森の国おぐに” 」を町の将来像に設定して、総合的・計画的にまちづくりをすすめている。その 施策の柱に○子育てにやさしい環境の整備○安全で安心な暮らしづくり○健康を支える環境づく り○高齢者にやさしい福祉の推進などがあげられている。 全国的に高齢化、少子化がいっそうすすむ中、小国町は過疎化という問題も同時に抱えている。 そこで私たちは、高齢者の方々が元気で健康でいきいきと暮らすことができる町、若い人たちが地 元に残り、安心して子どもを産み育てることのできる町であることが必要だと考えた。そのための、 小国町の少子高齢化に対する福祉の取り組みの実態を調査したいと思いこのテーマを設定した。 2.調査の概要・方法 (1)小国町や県・国のウェブサイトなどインターネットで情報を収集 (2)夏季休業等を利用したフィールドワーク (3)調査した資料のまとめ (4)考察 3.調査の結果 (1)小国町の実態 ① 実態の概要 我が国の平均寿命は、医学の進歩や栄養状況の改善などによって年々伸び続けており、世界でも 有数の長寿国となっている一方で、高齢化率の上昇が続いている。小国町における高齢化率は、 %(平成 年 月現在)で、約 人に 人が高齢者という人口構造になっている。今後は、 生活習慣病や認知症を発症したり、寝たきりになったりしてしまう高齢者の割合が増加していくこ とが予想される。現在は、老後において平均で男性は 年、女性は 年介護が必要である。それ に加え、三世代同居率の高い山形県において小国町は核家族化が進み、高齢者世帯は全世帯数の %を占める。これらのことより、介護の問題はますます深刻になっていくことが予想される。 また、現在急速に進行している少子化は、生産人口の減少と高齢者人口の増加により、人口構成 の歪みをもたらしている。小国町の就学前児童数は 人で小国町全人口の %で、保育施設の 待機児童はいない。保育料を近隣の町と比較すると、いずれの年齢児においても小国町が一番安い。 また、 番目の子どもについては、同じ保育園であれば、同時に入園していなくても無料である。 これら保育料については、小国町は大変に恵まれている。また、 歳未満の子どもは、医療費が無 料ということも大きなメリットである。現在、小国町には5つの保育園が存在する。その中のへき – 41 – 地保育園であるあさひ保育園と叶水保育園は、平成 年 月 日現在でひと桁の園児数である。 一方、おぐに保育園、白百合保育園、すみれ保育園はほぼ定員を満たしている。しかし、小国町全 体で人口の減少や少子化が進んでいることを考えると、定員を満たしている保育園も将来園児数が 減少していくのではないかと予想される。 現在の小国町は、 歳以上の人数が、 人で小国町全人口の %である。これは就学前児 童数の約 倍にあたる。また、 歳未満の人数が、 人で小国町全人口の %であり、これら のことからも、小国町はいかに少子高齢化が進んでいるかがわかる。 ② 実態からみて、小国町に必要なこと 1)高齢者が健康寿命を伸ばし、生き生きと元気に楽しく生活ができること 2)若い人たちが安心して子どもを産み育て、子どもたちの元気な声が聞こえてくる活気ある 町になること (2)小国町の福祉 ① 小国町の福祉のしくみ 小国町の福祉に関する業務は、小国町役場の健康福祉課で行っている。 1)生活福祉推進室 イ.地域福祉担当 高齢者福祉、障がい者福祉、福祉手当、生活保護に関する仕事 ロ.児童福祉担当 児童・母子福祉、保育園に関する仕事 ハ.子育て支援担当 子育て支援に関する仕事 2)健康長寿推進室 イ.保健衛生・地域包括支援担当 赤ちゃんからお年寄りまで、全ての町民の健康づくりに関する仕事 ロ.健康長寿総務担当 町民の健康管理に係わる調査計画・介護認定や介護サービス、介護保険事業など ≪平均寿命と健康寿命の比較≫ ≪小国町の死因別死亡率の統計≫ 全国(H22) 山形県(H22) 区分 その他 男 女 男 女 19.8 悪性新生物 24.3 自殺2.6 平均寿命 A 79.55 86.30 79.97 86.28 健康寿命 B 70.42 73.62 70.78 73.87 A-B 9.13 12.68 9.12 12.41 不慮の 事故 2.6 脳血管疾患 9.2 老衰 11.2 心疾患 19.1 肺炎 11.2 平均寿命と健康寿命との差を縮めることが大切 生活習慣病による死亡が半数以上占める。 生活習慣の改善が必要 – 42 – ≪保育料の比較≫ 保育所 児 童 数 ※ 年 齢 0歳 1歳 2歳 3歳 4歳 5歳 計 お ぐ に 保 育 園 㻠㻥 㻡㻢 㻢㻝 㻡㻟 㻢㻢 㻢㻜 㻟㻠㻡 へき地保育所 白 百 合 保 育 園 㻝 㻢 㻤 㻝㻠 㻝㻜 㻝㻠 㻡㻟 す み れ 保 育 園 㻟 㻝㻟 㻝㻟 㻝㻞 㻞㻟 㻝㻤 㻤㻞 あ さ ひ 保 育 園 㻣 㻝㻠 㻞㻠 㻝㻥 㻟㻟 㻞㻟 㻝㻞㻜 㻝㻝 㻟㻟 㻠㻡 㻠㻡 㻢㻢 㻡㻡 㻞㻡㻡 入 所 者 合 計 叶 水 保 育 園 㻜 㻜 㻜 㻞 㻜 㻟 㻡 市町村名 㻜 㻜 㻜 㻟 㻜 㻞 㻡 㻜 㻜 㻜 㻡 㻜 㻡 㻝㻜 中 央 児 童 室 㻝㻝 㻟㻟 㻠㻡 㻡㻜 㻢㻢 㻢㻜 㻞㻢㻡 学 童 㻡㻜 保育料(円) 3歳未満児 3歳児 4歳以上児 小国町 飯豊町 24,500~44,500 20,500~33,000 20,500~33,000 白鷹町 25,000~36,000 19,000~27,000 19,000~27,000 かるお金の負担が少ない。 川西町 29,500~43,000 27,500~35,000 26,500~30,000 高畠町 22,000~42,400 18,000~29,800 18,000~29,800 ⇒お金の負担が少ないから助かる。 ≪ 歳未満の人口と 歳以上の人口の推移≫ 隣の町よりも小国町は1人にか (人口) 3500 ここ数年の 歳以上 3000 2500 2925 2504 1795 1500 1416 1158 1000 0 2976 2156 2000 500 3034 2833 ◎ 2711 2342 2022 1941 1699 1486 1294 1070 922 50 55 60 2 7 12 17 22 26 は横ばいであるが、 歳 未満は減り続けている。 結果的 には少 子高齢 化 が進ん でいる ことが わ かる。 (年) 15歳未満 65歳以上 小国町総人口 人 (平成 年 月 日現在) ② 小国町の取り組み 1)子育て支援 イ.児童手当・児童扶養手当 – 43 – ロ.医療費の補助 中学3年生まで医療費(保険適用外を除く)を助成する制度 ハ.乳児の健康相談 2)高齢者福祉 イ.元気に過ごしたい人・体を動かしたい人 いきいきサロン:地域で交流の場を持ち、体力の低下を予防 介護予防室:健康管理センターで、体操や講話を行う ロ.生活に不安がある人 窓口対応・家庭訪問:支援センターの職員が相談に対応 安心見守りサービス:ヘルパーが訪問 ハ.費用の助成 町営バス利用助成: 歳以上の方は利用券を提示すると、料金が半額 肺炎球菌ワクチン接種費用助成: 歳以上で過去同様のワクチンを受けたことがない方 へ費用を助成 ニ.介護保険サービスを利用したい時 居宅介護支援事業所 ・おぐに社協指定居宅介護支援事業所 ・満天の家 ・温身の郷 ・おぐに訪問看護ステーション ・さいわい荘 ・JAおきたま福祉センター デイサービス→・さいわい荘 ・満天の家 デイケア→温身の郷 訪問介護(ヘルパー)→・社会福祉協議会 ・風ぐるま 訪問看護:主治医の指示のもと、療養上のお世話→おぐに訪問看護ステーション 居宅療養管理指導:医師等が自宅を訪問し、診察をする→小国町立病院 短期入所(ショートステイ)→・さいわい荘 ・温身の郷 施設入所…自宅での介護困難な方 ・特別養護老人ホーム…さいわい荘 ・介護老人保健施設…温身の郷 ・認知症対応型共同生活介護…満天の家 ・住宅型有料老人ホーム…風ぐるま (3)施設訪問より ① 健康管理センター 高齢者福祉から児童福祉、子育て支援までと小国町の福祉に関する仕事をなさっている。 様々な資料を提供していただき、またお話をうかがうことができた。少子高齢化が進む中、 若者も高齢者の方も元気でいきいきと生活できる小国町を目指して、尽力をつくされておら れる。高校生に期待することは、小国町の素晴らしさをよく知って欲しい、そして小国町で 生活をして欲しいということであった。 ② 特別養護老人ホームさいわい荘 入所者の方それぞれに合った手厚い介護が行われていた。入所待ちの方は、およそ 100 人 にも及ぶ。全国的に介護士不足が懸念されるとのことであった。私たち高校生が高齢者介護 についてもっとよく理解していくことが必要である。 – 44 – ③ すみれ保育園 すみれ保育園では、0 歳児から 5 歳児までの園児たちの様子を見せていただいた。発達段 階がひとりひとり違う子どもたち、特に小さければ小さいほど個人差が大きく保育士さんの ご苦労を感じた。また、赤ちゃんを抱っこさせていただき、とてもかわいいと思った。高校 生の私たちが子どもたちと触れ合うことにより、子どもへの関心が高まることも大切である。 (4)車いす体験 車いすに実際に乗ったり、押したりを交代しながら体験をした。段差やスロープの場所は、想 像以上に大変であることがわかった。小国町は、まだまだバリアフリー対策ができている場所や、 ユニバーサルデザインのものが少ないように思う。車いすを使用する高齢者や障がいを持ってい る方々、またベビーカーを使用する方々にとってはまだまだ不便である。実際に小さい子どもを もつお母さん方からは、ベビーカーを使えるような施設を増やして欲しいとの声があるという。 – 45 – 4. 今後の課題 (1)小国町の課題 小国町では、いっそう進む少子高齢化に対し様々な活動や呼びかけをしている。それが当事者 には伝わっているが、私たち高校生をはじめ現在あまり関係のない人たちに伝わっていないので はないかと考える。つまり、これら町の取り組みをもっともっと町の人たちに知ってもらう必要 がある。まずはこれから大人になる高校生である私たちが、このような小国町の福祉をよく理解 しなければならない。 また、福祉を含めての様々な魅力を他の県市町村の方に知ってもらい、より一層活気ある町に なる活動が必要である。 (2)私たちの具体的提案 この調査を通し、私たちは次のようなことを考えた。 1.町での取り組みをわかりやすく町民に知ってもらう工夫。 (イラストやわかりやすい言葉など) 2.小さい時から、正しい生活習慣を身につけることができるような町をあげての活動。 3.高齢者が元気に生き生きと活動できる場所の確保(できれば、収入を得ることができる場所も あれば、やりがいや生きがいにもつながるのではないだろうか) 4.より一層魅力ある小国町づくり ●様々な若きアーティストに廃校を提供したり、活動の施設を考えたりする。芸術だけでなく、 音楽活動をする人などにも広く提供したい。そして、小国町を芸術の町、音楽の町にしたい。 芸術祭があったり、夏フェスがあったりとみんなが楽しめる町にしたい。 ●雪や寒さを利用して小国町らしい雪の祭典があれば、冬の観光の人も増えると思う。スノー ボードの町になれば、若者も集まるのではないだろうか。 5.最後に 小国町は、私たちが思っている以上に少子高齢化が進み、それにともなう問題も発生している。 しかし、福祉は他の市町村より充実している。それが町民のみなさんによく認識されていないの ではないかと、とても残念である。この調査を通して、私たち高校生が福祉についてもっと理解 を深め、小国町の良さを町民の方々に知ってもらいたいと思った。 私たちの提案は現実的ではないかもしれないが、小国町はまだまだ魅力ある町になることがで きると思う。だれかに任せるのではなく若い私たちも、町ぐるみで何かできないかを真剣に考え ることが大切だと思う。 最後に、調査にあたりお忙しい中、時間を設けて対応していただいたたくさんの方々に感謝し たいと思います。ありがとうございました。 – 46 – 解し、様々な種 ールの特性につ 各班研究 概要一覧 1班 2班 健 明 先 生 山 菜 の 機 能 性 成 分 分 析 ~ 山 菜 の 処 理 ・ 保 存 の 影 響 ~ ご 指 導 い た だ い た 大 学 の 先 生 地 域 文 化 学 2 班 ○試料の調整(粉砕・撹拌) 乾燥ゼンマイを戻す工程の中で、 山菜に含まれる成分 ~ポリフェノールに着目~ 一晩水にさらし水を換える工程を 三回繰り返します。一回目、二回目 山菜に含まれる成分ポリフェノール。その特性を理解し、様々な種 ともに多くのポリフェノールが水中 に溶けだしているようです。乾燥品を いてご講義いただきました。 処理すると多くのポリフェノールが損なわれることは免れられないのか もしれません。急速冷凍での処理、または乾燥品を粉末にして利用する方 ○試料の完成 法が、有効成分を損なわない処理工程といえるのかも知れません。 総ポリフェノール量分析結果 (mg/100g) 300 山 形 類の山菜の成分分析をするために、まずはポリフェノールの特性につ 尾大 学 形工 山 形 尾大 学 形工 学 部 験。 平成26年度 地域文化学 液体窒素を使って酸化・還元について実験。 ポリフェノールの持つ抗酸化作用とは? 250 健 明 先 生 学 部 ~山菜の機能性成分分析~ 200 ○試料の計量 150 小国町の主要産業として流通している山菜。昨年度に続き様々 班 員: 佐藤 大雅 齋藤 海斗 班 員: 100 井上 善達 舟山 斗喜也 な種類の山菜を測定しました。とくに乾燥山菜は多くの家庭で作 伊藤 颯大 大谷 虎之介 られています。今年度は、その乾燥山菜が多くの行程を経て食用 金子 稜 宇津木 颯汰 に戻される際に着目。戻す工程の中で、どこでより多くのポリフ 50 0 ェノールが失われるのか、明らかにするため調査を行いました。 語り部 後藤 弘子 氏 遺構を知る 梅沢 昭吾氏 佐藤 光一氏 佐藤 重見氏 吉田 享氏 創作民話 昔話を聞く 現地調査 伝承民話 副班長:二村 綾華 齋藤 舞 地域文化学3班 ご指導をいただいた大学の先生 班 長:舟山 玲奈 昔 物 語の伝 承 地 を 巡る 菊地和博 先生 東北文教大学 短期大学部 3班 作品を創る ストップモーションムービー (静止画による動画制作) 舟山 奈々 本間 裕唯 須貝 遥 舟山きらり 世代を超えて受け継がれ続けている小国町の昔ばなし。 そんなゆかりのある昔ばなしが培われてきた地区に着目し、 「歩く・見る・聞く」ことで背景を探りました。それは、 文献には記されない生きた歴史に触れる事でもありました。 語り部さんから地元に伝わる話を披露して頂きました。 方言を交え身振り手振りで語られる話に耳を傾けていると、 「物語の中に佇んでいる自分・・」 そんな感覚さえ覚えます。 コブ取り神社として知られている大滝の古志王神社。 そのルーツを調べるべく旧市野々、箱口そして更には 関川にある渡邉邸にも足を運び手がかりを探しました。 「創作した物語を映像で表現できたら面白そうだね。」 計画はここから始まりました。アイディアをそれぞれ 持ち寄りながら、脚本・撮影・編集にも挑戦しました。 山形県立小国高等学校 – 47 – 平成26年度 地域文化学 各班研究 概要一覧 4班 未 来 へ の 挑 戦 HTQO 1)70+ 2014㻚11㻚1発行㻌 㻌 㼔㼠㼠㼜㻦㻛㻛㼣㼣㼣㻚㼥㼓㼠㻙㼛㼓㼡㼚㼕㻙㼔㻚㼑㼐㻚㼖㼜㻛 <取材協力> 高橋 恒行さん 小国小学校の皆さん 小国グリーンエナジー合同会社の皆さん たんぽぽカフェの皆さん Oguuᴾ2014ᴾ ᵴᶍᶊᵌ7ᴾᴾ ᴾ ᴾ イザベラ・バード 小国町役場 伊藤 拓也さん 齋藤 香穂さん 東北公益文科大学 呉 尚浩先生 小 国 町 の 約 九 十 七 % が 森 林 で す。材 木 片 未 来 の エ コ エ ネ ル ギ ー 自然との共生~循環社会~ 越後米沢街道十三峠の歴史 よ り よ く 活 か す こ と が で き れ ば、さ ら に 可 会社の皆さんと一緒に <編 集> 山形県立小国高等学校 平成26年度 1学年 地域文化学4班 こ ち ら の 会 社 で は、ペ レ ッ ト ス さんがペレットストーブに興味を 編集メンバーより ○志田 航大(3表紙担当)………小国町の良さがわかる雑誌になったと思う。 ○佐藤 季歩(3目次担当)………小国の魅力をたくさん伝えられる内容になってよかった。 ○小林 可奈(3歩夢くん&高橋さん担当) ………みんなで楽しみながら「小国の未来」を考えることができた。 多くの人に「小国の未来」を感じてもらえたら嬉しい。 ○高橋 亜美(3小学校担当)……取材を通し、小国町の新たな魅力を再発見することができた。 小国町は進化し続けていると実感した。 ○今野 輝(3ペレット担当)…この学習で小国町の良いことがわかったし、楽しかった♪ 〇山口 湧矢(3たんぽぽ担当)…各ページにそれぞれの個性が出ている。 ○磯部 友里(3先輩インタビュー・表紙紹介・編集後記担当) ………小国町の新たな魅力を知ることができた。 ○梅津 光(3裏表紙担当)……今まで知らなかった町のことをたくさん知ることができた。 5班 まとめ 置賜から越後へと通じる街道。置賜からは米・煙草・青苧、越後からは塩・鉄・海産物・綿 イギリスの女性旅行作家。 織物を運んだ。 1878年、東日本を旅し、 「日本奥地紀行」を発行。 約 年前に伊達稙宗たねむねが大里峠を開いたことに由来。 越後米沢街道十三峠は、7月11日から3日間をかけ、 江戸時代の上杉藩になってから、以下のルートとなり、峠の数から、 「十三峠」と呼ばれる。 従者の日本人イトーとともに、馬または牛に乗って通過。 長い間、周辺住民や豪商が整備維持する制度、道普請で、道幅を広げ、難所には石畳を敷く 東北の街道や住民の暮らしの様子をありのままに記述。 など、整備された。 米沢盆地のことを「アジアのアルカディア(桃源郷) 」と表現。 ① 越後米沢街道十三峠は難所であった。 ほとんどが山間を縫うように走り、傾斜がきつく、湿地でぬかるむところが多く、当時も通行が簡単ではな 原 かったと考えられる。 ② 重要な街道であり、多くの人々に支えられた。 ㎞を調査!! トーブの販売、設置、メンテナンス 小国グリーンエナジー合同 増 え ま す。若 者 の 働 く 場 所 が で き れ ば、人 ▲横根スキー場にて 能 性 は 広 が り ま す。町 全 体 に 普 及 す れ ば、 生 などを行っています。七年前に髙橋 これがペレットです 環 境 に 優 し い だ け で は な く、町 内 の 雇 用 が 能性は大きい。 結び、 木材を乾燥させる や 間 伐 材 な ど を 再 利 用 し、恵 ま れ た 資 源 を て整備復元されつつあ 越 後 米 沢 十街 三道 峠 つあります。現在は九名で活動して がその代表的なもの。 います。 時も通行が簡単ではな 地 域 文 化 学 5 班 持 っ たこ と が き っ か け だ っ た そ う で 袋詰めする ᴾ ᴾ ᴾ ᴾ ᴾ ᴾ ガンバレ歩夢くんᴾ ご 指 導 い た だ い た 大 学 の 先 生 木材を砕く 完成! ~4年後の金メダル~ᴾ 山 形 県 原 立 米 沢 淳 女 子 一日短 期 郎本 史大 学 先学 科 す。展示場は小国に一つ、米沢に一 * 取 材 を し て み て * 成形機にかける る! さ ら に 現 在、地 球 規 模 で の 様 々 な 問 題、 歩 夢 く ん を よ く 知 る 髙 橋 さ ん に お 大袋に入れる 相手への思いやりがあ 口 減 少 に も 歯 止 め が か か り ま す。経 済 的 に 話 を お 聞 き し 、 歩 夢 く ん の 人 柄 が 伝 る人! 温 暖 化、燃 料・資 源 問 題 が あ り ま す が、ま わ っ て き ま し た 。 何 事 に 対 し て も 決 ルとし、誰よりも努力す も 町 の 中 で お 金 が 循 環 す る な ど、町 の 未 来 し て 諦 め な い と い う 姿 勢 や 、 誰 よ り お兄ちゃんを良きライバ につながる可能性を感じました。 も 努 力 し 、 夢 を 実 現 し た と い う こ と 性格→シャイBOY♡ のではないでしょうか。 が わ か り ま し た 。 ペレットができるまで 誕生日→11月29日 ずは私たち にできるこ とからはじ めるこ と 歩 夢 く ん の 活 躍 す る 姿 を 見 て ス * オ リ ン ピ ッ ク ま で の 道 * で、こ れ ら の 問 題 解 決 の 一 つ の 糸 口 に な る ノ ー ボ ー ダ ー を 目 指 す 子 ど も が 増 え ᴾ 佐藤 季歩・高橋 亜美 た そ う で す 。 私 た ち も 、 努 力 す る 大 志田 航大・山口 湧矢・小林 可奈 切 さ を 忘 れ ず 、 夢 に 向 か っ て 精 一 杯 輝 頑 張 っ て い き た い と 、 改 め て 思 う こ ᴾ と が で き ま し た 。 ペレット ストーブ自体は 一 台約十 ▲歩夢くんの練習風景 九 ~ 四 十 九 万 円 と 高 価 で す が、 燃 料 歩 夢 く ん は 三 歳 の 頃 か ら お 父 さ ん が となるペレットは灯油に比較する 経 営 し て い る ス ケ ー ト パ ー ク で ス ケ ー キ ー 場 で 練 習 を し て い ま し た 。 負 け ず 十 畳、ほ ぼ 家 を 丸 ご と 温 め ら れ ま ト ボ ー ド を 始 め 、 四 歳 の 頃 か ら 横 根 ス な く 練 習 を 続 け 、 手 袋 が 汗 と 雪 と で 絞 とが注目されており、近年、購入す 嫌 い な 性 格 で 、 一 度 滑 り 始 め る と 休 み れ る ほ ど に な る ま で 努 力 し て い た そ う と、一 キ ロ グ ラ ム 五 十 五 円 と 低 価 格 で す 。 小 学 三 年 生 頃 か ら 「 世 界 チ ャ ン です。また、一台備えれば十五~四 ピ オ ン に な る ! 」 と 言 っ て い た そ う で る人が増えているそうです。 す 。 こ の よ う な 努 力 が 実 を 結 び 、 オ リ ペレットストーブ ▲オリンピック前に来町 ン ピ ッ ク で は 、 多 く の 人 々 に 感 動 を 与 オ リ ン ピ ッ ク の ス ノ ー ボ ー ド 競 技 で す。何 よ り も 環 境 に 優 し い と い う こ 7 号発行 ~ Oguu え る 滑 り を 見 せ て く れ ま し た 。 髙 橋 さ ん は 冬 期 間 、 朝 早 く か ら お 客 銀 メ ダ ル を 獲 得 し た 平 野 夢 く ん を 幼 い ペレットストーブ 小国グリーンエナジー合同会社 * 髙 橋 恒 行 イ さ ン ん タ へ ビ ュ ー * た め 頃 。 の か 髙 ら 橋 知 恒 っ 行 て さ い ん る に 横 お 根 話 ス し キ を ー 伺 場 い に ま お し 勤 歩 夢 く ん は 幼 い 頃 か ら 小 国 の 横 根 ス 様 の た め に ゲ レ ン デ や ハ ー フ パ イ プ の い も ど 細 ま わ を か す か 日 な 。 る 々 整 く 考 備 ら え を い て 行 の お い 確 ら ま か れ す な 、 。 技 一 滑 術 度 り を の や も ず す っ れ さ て で な キ ー 場 を 拠 点 と し 、 日 々 練 習 を 重 ね て い た そ う で す 。 小 国 町 か ら 世 界 に 飛 び 立 っ た 歩 夢 く ん の 育 て の 親 で あ る 髙 橋 さ ん の お 話 に よ る と 、 歩 夢 く ん と の 誰 に も 言 え な い エ ピ ソ ー ド も あ る と の こ し と と た 呼 ❤ 。 び 今 合 で う は ほ 互 ど い の に 仲 「 だ 恒 と さ も ん お 」 聞 「 き あ し ゆ ま 」 地域文化学4班 地域おこし ~ ご指導をい た だ い た 大 学 の 先 生 先生 東北公益文 科 大 学 公 益 学 部 呉 尚浩 磯部 友里・梅津 光・今野 未来のエネルギー 世界へ羽ばたく♡平野歩夢くん‒ 置賜と日本海を結ぶ重要な街道として、道普請などで長い歳月整備維持され、石畳がその代表的なもの。 淳 一 郎 先 生 ③ 残す、活かす活動が行われている。 たかのす 使われなくなり荒れてしまった十三峠ですが、ここ掘れわんわん探検隊などによって整備復元されつつあ :十三峠 :調査した峠 り、イベントも行われている。 ほうのき 観光資源として、歴史探訪、トレッキング、森林セラピーなどで活用できる可能性は大きい。 えのき 越後米沢街道・十三峠交流会の保存整備、イベントなどの活動が実を結び、 いつまでも後世に残されることを祈りたい。 かいのふち おおくぼ くろさわ 十三峠のうち8つの峠、60㎞の峠道のうち33㎞を調査!! たかばな おおり さいのかみ かやの すわ おススメの峠はどこですか? うつ さくら 大里峠 大里峠(笑) 朴ノ木峠 大里峠 大里峠 ③大里峠 ④萱野峠 ⑤朴ノ木峠 ⑧黒沢峠 ⑥高鼻峠 ⑨桜峠 班 員: 班 員: 安部大輝 舟山紘汰 伊藤涼河 嶋貫 陸 舟山竜礼 舟山 黎 松田 翼 宇津木優樹 大里峠 ⑦貝淵峠 ー~ は、高齢者福祉 援までと小国町 さっている。セン 料をいただき、お 町を目指して、力 生に期待するこ 白 い 森 の 国 お 然 が 織 り な す や さ し い 暮 ら 班 員: 安部夏音 斉藤沙桜里 佐藤かりん 安部美鈴 小林琉依 舟山咲 渡部莉央 全国的に高齢化、少子化がいっそう進む中、小国町は過疎化 という問題も同時に抱えている。 入所者の方それぞれに合った手厚い介護が行われていた。 入所待ちの方は、およそ100人にも及ぶ。全国的に介護士 不足が懸念されるとのことであった。私たち高校生が高齢者 介護についてもっとよく理解していくことが必要である。 特 別 養 護 老 人 ホ ー ム 訪 問 子ども達と会って来たよ すみれ保育園 から児童福祉、子育て支援までと小国町 の福祉に関する仕事をなさっている。セン 佐 々 木 話をうかがうことができた。少子高齢化が 進む中、若者から高齢者の方も元気でい きいきと生活できる小国町を目指して、力 を尽くしておられる。高校生に期待するこ とは、小国町の素晴らしさをよく知ってもら い、小国町で生活をしてほしいということ であった。㻌 達 雄 先 生 羽 陽 学 園 短 期 大 学 ご 指 導 い た だ い た 大 学 の 先 生 すみれ保育園では、0歳児から5 歳児までの園児たちの様子を見せて 班 員: いただいた。発達段階がひとりひと り違う子どもたち、特に小さければ 小さいほど個人差が大きく保育士さ んのご苦労を感じた。高校生の私た ~車いす体験~ 㻌 車いすに実際に乗ったり押したり、交代しながら 体験した。段差やスロープの場所は、想像以上に 大変であることがわかった。車いすを使用する高齢 り、子どもへの関心が高まることも 者や障がいを持っている方々、またベビーカーを 大切である。 使用する方々にとっては、まだまだ不便である場所 は、ベビーカーを使えるような施設を増やして欲し いとの声があるという。㻌 – 48 – ~健康管理センター~ 健康管理センターでは、高齢者福祉 も多い。実際に小さい子どもを持つお母さん方から そのための、小国町少子高齢化に対する福祉の取り組みの実 態を調査したいと思いこのテーマを設定した。 6班 ターの方々に様々な資料をいただき、お ちが子どもたちと触れ合うことによ そこで私たちは、高齢者の方々が元気で健康でいきいきと暮 らすことができる町、若い人たちが地元に残り、安心して子供 を産み育てることのできる町であることが必要だと考えた。 小国町健康福祉課訪問 ~ 達 雄 先 生 あ る ま ち 「 ⑩才ノ頭峠 健康管理センター内 さいわい荘 大里峠 ほしいということ 羽 陽 学 園 短 期 大 学 」 を 目 指 し て さをよく知ってもら 佐 々 木 ご 指 導 い た だ い た 大 学 の 先 生 ぐし人 にがと 自 地 域 文 化 学 6 班 大里峠 の方も元気でい 。少子高齢化が ~ 小 国 町 の 福 祉 の 取 り 組 み に つ い て 安部大輝 舟山竜礼 才ノ頭峠 才ノ頭峠 全国的に高齢 という問題も同 そこで私たち らすことができ を産み育てるこ そのための、 態を調査したい 山形県立小国高等学校 平成 2 6 年 度 版 地域文化学 研究報告書 発 行 平成 26 年 12 月 22 日 発行者 山 形 県 立 小 国 高 等 学 校 校 長 官 宏 〒 999-1352 山形県西置賜郡小国町大字岩井沢 621 T E L 0 2 3 8 - 6 2 - 2 0 5 4 QR コードから PDF ファイルの 表紙・製本 ㈲加藤印刷 報告書がダウンロードできます。 2014 年度 製作 地域文化学 研究報告書 山形県立小国高等学校
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