ヒロインになれなくても

ヒロインになれなくても
ななつのこ
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︻小説タイトル︼
ヒロインになれなくても
︻Nコード︼
N5264CI
︻作者名︼
ななつのこ
︻あらすじ︼
もしも願いが叶うなら、もう一度人生をやり直したい。
ただやり直すだけだとまた嫌な自分になるかも知れないから、教
訓的な意味も込めてできれば記憶を持ったままで。
ああ、どうせやり直すならいっそ異世界、ファンタジー希望。ん
でもってお金持ち、お姫様とか憧れよね。で、美形の騎士とか王子
とかいっぱいいる、さながら乙女ゲームのような世界でヒロインや
れたら最高!
...うん、分かってる。ただの現実逃避です。夢ぐらい見ても
1
いいじゃない。だって現実って残酷。実際の私はヒロインには程遠
い、どちらかといえば乙女ゲームの悪役にちかい嫌な女。自分でさ
えも好きになれないキャラなのに、どうして他人に好かれようか。
でも奇跡はあった!ファンタジー異世界でお姫様に転生!美形も
いっぱい。
これはあれだよね、今度こそ私がヒロインになれるかもってこと.
..じゃあないのね。
乙女ゲーム世界の悪役?...うん、そんなことだと思ったよ。
死刑フラグもある人生だけど、二度と前世みたいに自分を嫌いに
なりたくないから頑張って生きます。
更新超絶不定期。流行りに波乗り作品。見切り発車で完結自信なし
注意報発令中。アルファポリス様同時掲載。
2
1.死にました
もしも願いが叶うなら、もう一度人生をやり直したい。もう二度
と、今の私のような馬鹿で嫌な自分になりたくないから、記憶は持
ったままで。
なんて都合のいい妄想してたら、つい欲が深くなるよね。
どうせ転生するなら、今とは違う世界がいいな。異世界、それも
ファンタジーな世界とかがいい。剣とか魔法とか憧れ。どうせなら
お金持ちの家に産まれたい。令嬢とかお姫様になって、イケメン王
子に求婚されたりイケメン騎士に傅かれてみたい。もちろんスタイ
ル抜群の美女に産まれついているのは基本よね。
もしそんな世界でそんな風に産まれていたなら、私は幸せになれ
ていたのかな?
...なんてね。
分かってますよ、ただの現実逃避です。どんな世界でどんな風に
産まれようとも、私は私。リアル乙女ゲームのヒロインのような義
妹に嫉妬して八つ当たり。無能を認めたくなくて頑張るのを放棄し、
不幸に酔っては周囲を恨む。愛が欲しいと駄々をこねながら、傷つ
くのが嫌で殻に閉じこもっている。そんな面倒臭い女を誰が愛せる
ものか。私だって嫌だ。
自分でさえも愛せないのに誰かに愛して欲しいなんて、ホント勝
手な話。
3
だから、もし生まれ変わる事が出来るなら、今度はせめて自分が
好きになれるような私になりたい。
他の誰かに好かれなくても、せめて私だけでも自分を好きになっ
てあげたい。
やりたい事もいっぱいあった。やらなきゃいけない事をやらなか
った事だってあった。あの時ああしていればとか、もっと頑張って
いればとか、こんな死の間際に後悔ばかり浮かぶ人生は、もう嫌だ!
朦朧とする意識の中で、ずっと私はそんな事を考えてた。考える
時間ならいっぱいあった。
全身が動かない。指一本すら動かせない私の目から涙が一筋流れ
落ちた。
けたたましく警報音が鳴り響く中、まるで手術の時に着るような
緑色の簡易服着た医師や看護師が大勢、私が寝ているベッドの周囲
を慌ただしく動き回っていた。その緊迫した空気に、とうとう私は
死ぬんだなって思った。
かろうじて動く私の眼球が、忙しなく動く医師達の向こうでこち
らを見つめる人達を捉えた。
病室の外で私を見つめる一組の家族。父と母と娘とその恋人。仲
良さそうに寄り添いあっているその姿は、私の理想そのもので泣け
る。あんな家族になりたかったな。もう遅いけど。
お父さん、育ててくれてありがとう。例え邪魔に思ってても人並
4
みに生活させてくれた事、感謝してます。
お義母さん、可愛いげのないなさぬ仲の義娘の面倒見てくれてあ
りがとう。なかなか解放してあげられなくてごめんね。
美羽、意地悪な義姉でごめんね。妬まずにはいられないほどのリ
ア充さに、本当は憧れてたよ。こんな姉でも好意を寄せてくれて嬉
しかったよ。半分以上は的外れで迷惑だったけど。
そして貴弘。美羽と幸せにね。もう未練はないけど好きだったよ。
...未練はないけど泣いてる美羽の肩優しく抱く姿見ながら死ぬ
のは複雑だなぁ。仮にも私と婚約までしてた訳だし。いや、もう別
れたし、未練はホントにないからね。私もう死ぬし、いいんだけど
改めて見たくなかったっていうか...。
ハァ、息が苦しい。何度も死にそうになったけど、今度はホント
にダメかな。死んだらどうなるのかな。楽になれるのかな。怖いな
ぁ。死にたくないなぁ。
...あぁ、本格的に意識が遠くなる。
それが、私が死んだ時の記憶だった。
5
1.死にました︵後書き︶
忙しい私生活の合間を縫っての投稿︵しかもスマホ入力︶なので、
超不定期更新の上一遍一遍が短いです。
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2.転生しました。︵前書き︶
ある特定の病気を連想する話が出てきますが、その病に対して含む
ところ等はありませんし、知識もほぼありません。あくまで物語の
世界でという認識をしていただけると助かります。
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2.転生しました。
死んだ、と思ったら意外と普通に目が覚めた。
今度こそダメだと思ったのに、嬉しいような悲しいような。だっ
て生きてるのは嬉しいけど病気が治った訳じゃないからね。またす
ぐご臨終気分を味わうわけよ。何せ私の病は治療法が確立されてな
い難病で、私はとうの昔に余命を宣告されてるわけで。だから、今
回死ななかったからって長く生きられるって事じゃない。何より私
の身体がもたない。
私の病気は身体の筋肉が段々衰えていくもので、段々と走れなく
なり歩けなくなり、腕を上げる事も足を上げる事も起き上がる事も
出来なくなって、最後には血液を送り出す心臓や空気の循環する肺
などの内臓筋肉も衰えて死んでいくのだ。これの最悪な所は、筋肉
が衰えても脳がダメージを負う訳じゃないから、身体が動かなくな
っても意識ははっきりしてるって事だろうか。今まで出来てた事が
出来なくなるのに苛立ち恐怖しても、どうする事も出来ない。苦し
い思いで頑張ったリハビリも、症状の進みを僅かに遅らせる事しか
出来ない。併発する様々な症状を薬で抑える代わりの副作用で苦し
む傍ら、効くかどうかも分からない新薬を治験する。
そんな苦しい日々を思い出せば、死んで楽になれなかったと多少
がっかりしても仕方がないだろう。
それにしても、なんだか違和感がする。何だろう、何かが前と違
う気が...って、分かった。視界がおかしいんだ。
遠くがぼやける。ピントが合わない。
私の顔からザッと血の気が引いた。
いいぃやああぁぁぁーー、視力が落ちてるうぅぅ∼∼!!
8
いろいろ出来ない事が増えていって、諦める事に慣れていたつも
りの私でも、これはさすがにショックだった。
寝たきりの闘病生活、何が楽しいってテレビ見たりシナリオ系ゲ
ームやったりする事だけだったのに、視力無くしたらこれからどう
やって過ごせというの?!
視力に筋肉は関係ないから目と耳は無事だと安心してたのに。本
をめくる事が出来なくなって落ちこんでた私に主治医の由美先生が
瞼の動きで操作できるパソコン貸してくれて、電子書籍やネット小
説、動画やエロゲや乙女ゲ、果てはBLゲームまで幅広く堪能して
いたというのに、それすらも出来なくなってしまったというのか。
何て言う事だろう。泣きたい。
そう思ったら堪え切れずに泣いてしまった。
﹁・・・んふぎゃぁ、ふぎゃぁ﹂
・・・・・・って、なんだこの泣き声は?
そもそも私、本当に泣くつもりなんてなかった。病気で寝たきり
になっても私はれっきとした27歳。そりゃこの状態になるまでに
は泣いたよ? もし病気にならないでこの先天寿を全うしたとして、
その一生で流すだろう涙の総量以上に泣きもしたし叫びもしたと思
ってるよ? でももうね、ここまできたら泣きたいって思っても涙
なんて出ないの。泣けないの。もし私が子供なら泣けたのかも知れ
ないけど、中途半端に大人なせいか周囲の目が気になったりとか、
客観的に自分を見てしまって無様な姿を晒す事に躊躇を感じてしま
ったり、いろいろ悟ってしまったりとかで素直に泣けない。
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その筈だったのだけど、どうしても泣くのを我慢出来なかった。
どうしよう。私は焦った。涙が止まらない。...いや、違うな。
これだけ泣いているのに頬が濡れない。涙がほとんど出ていないの
だ。えっ、嘘泣き? の割には泣き声が止まらない。自分の身体な
のにまるで制御出来ない。それ以前に私、なんで泣いてる?!
いくらお腹に力が入らずか細い泣き声だとしても、私はもう声を
出す筋力さえも無くなっていたというのに。
おかしい。この病気、酷くなる事はあっても良くなる事はない筈
なんだけど。
治った? そんな馬鹿な。
半信半疑で身体を動かす。
...ビックリだ。身体が動く。
それは自由自在とは到底言えないぎこちない動きで、しかも僅か
に手の指を動かせただけに過ぎなかったけど、今まではその僅かな
動きさえも出来なかったのだ。感動で震えてもしょうがないだろう。
あっ、驚きと感動で泣き声が止まった。ホッとした矢先である。
[あらあら、もう泣き止んだのね、エライわ]
ガチャと扉が開く音がして、優しげな女性の声がした。不思議と
安心感の湧く聞き覚えのある声なのだが、私はギョッとした。
誰?! っていうか、今なんて言ったの?
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それは聞き覚えのない不思議な言語だった。
私英語苦手だったけど学校で習ってるだけあって何となく英語じ
ゃないというのは分かる。仏語? 独語? なんかそれも違う気が
する。発音的に似てる気はするんだけど聞いた事ない。でも聞き覚
えがあるような...って、何言ってるか分からないね。まあ、そ
んな不思議な感覚があったわけよ。
でもそんな疑問なんてあっさり吹き飛んでしまったわ。すんごい
金髪美人な顔がいきなり目の前に現れたと思ったら、私をその重い
物は持てませんって言わんばかりの細腕で抱き上げた瞬間に。
あっはっはっ。
うん、理解した。したくなかったけど理解出来た。
私、今赤ん坊だわ。
まあ、ビックリ︵笑︶ こんな事ってあるのねぇ。
...って、んな訳あるか! いくら転生願望あったからって、
まさかそんな事。あんなのただの夢よ。叶う筈ないって分かってる
から願える拙い妄想。こんなのありえる筈がないのに
[どうして泣いてたの? お腹空いた? それともおむつ? う
∼ん、濡れてないわね]
私をあやす声は優しくて。赤ん坊なせいかど近眼状態の私の視界
にある女性の顔が、愛情に満ちあふれていて。
もしかしてこの人がお母さんなのかな?
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きっと、私が記憶してないだけで今までこうして私に話しかけて
くれたのだろう。だから知らない言語なのに聞き覚えがあって、見
たことないのに安心出来るんだ。
それが無性に嬉しくて。
もしかして私の、前世の私のお母さんも私を産んだ時にはこんな
風に愛してくれたんだろうかと思ったら、夢でもいいや。こんな幸
せな夢なら、覚めなくていいって思ったんだ。
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3.決意しました。
1歳になりました。あれから分かった事があります。まず紹介し
ますね。
私の名は、エリーゼといいます。
ええ、前世の世界で有名な曲のタイトルやらお菓子の名前やらで
お馴染みの、あのエリーゼです。その発音が一番近いんですよね。
本当に苦労しました。何せお決まりの、転生チートはどうしたと
頭を抱えたくなるほど分からない言語を、周囲の様子を必死で観察
しながら独学で覚えたのですから。なんていうと、まるで私が全て
の言葉を理解できるかのように感じますが、有る程度の日常用語だ
けですよ、覚えたの。
私赤ちゃんでしたから体力なくてすぐに眠くなってしまうし、何
度もいいますが前世でも英語はあまり得意ではありませんでしたの。
でも、考えてみると不気味ですわよね。いくら簡単な日常用語だ
けとはいえ齢1歳にして日常会話を理解できる知能。赤ちゃんって
そんなに脳が発達してましたっけ? もしかしたら記憶がある分先
をいっているだけで、本当の赤ちゃんもそれを理解するだけの能力
があるのかも知れませんね。もし私が前世で科学者とかだったらぜ
ひ研究してみたい発見ですけれど、このまま前世に戻れば私が実験
体になる気がするので、この疑問はそのまま触れないでおいた方が
よさそうです。
ああそう。不気味と言えば私の口調もそうですわよね。自分でも
違和感ありまくりなんですけれども、慣れるしかありません。周囲
の言語を学んだら、こうなってしまったんですもの。
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どうやら私、結構なお金持ちの家に生まれたようなんです。
成長とともに視界がはっきりとしてきて分かったことなのですが、
部屋の調度品が半端無いのです。美術品とか疎い一般庶民な私でも
高価だと分かる品々が、普通に生活用品としておいてあるのです。
中世ヨーロッパの王侯貴族の城を連想していただけると説明が楽で
すね。
そうなんです。私お城に住んでいるんです。
寝ているベッドが柔らかかったり、香水のような甘い香りが邪魔
にならない程度の薄さでシーツに染み込ませてあったりと、ある程
度裕福な家庭なんだろうなと憶測はしていましたが、予想以上にす
ごいお金持ち家庭だったようです。
まだ赤ちゃんの頃から何人ものメイドさんらしき人が身の回りの
世話をし、一日に何回も会いに来てくれる母も毎日違うドレス着て
て、凄く綺麗だけど一体何着ドレス持ってるんだろうと思っていた
けど、家見て納得したというか。
そんな環境ですから、私の周囲で飛び交う言葉がお嬢様言葉や敬
語。それを聞いて覚えた私の言葉も自然お上品な言葉になってしま
ったわけで。
でも違和感あろうが何だろうが、今世の私はこの環境で生きてい
くのだから慣れるほかないというわけです。
それに、私今凄く楽しんでます。
最初こそ全然動けなくて苦労したけど、辛いリハビリ頑張ってた
せいか逆に燃えましたわ。だって、動けなくなるのを遅らせるリハ
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ビリと違って、今は頑張れば頑張るだけ動けるようになるんですも
の。そのおかげもあって、生後7ヶ月で歩きだして周囲をビックリ
させる事に成功しました。
凄い能力のチートはないし、博学でもなかったから知識面の恩恵
も期待出来ないけど、幼い頃から頑張っておかなければ苦労すると
か、後悔した思いとか経験で知っているというのは、私にとっては
凄いチート。だって私、昔から要領悪くて物覚えも良くなかったも
の。他人より倍に頑張って、やっとトップクラスにしがみつけると
いうくらいに。だから夢だった記憶持ち越し転生を叶えてくれた神
様に、本当に感謝だわ。
こんなチャンス滅多にない。だから私、頑張ることに決めました。
もう二度と後悔するような人生送りたくないから。
今度こそ、﹁いろいろあったけど悔いはないわ。私、幸せよ﹂と
言いながら死んでいきたい。
そのためにも、時間を無駄には出来ないのです。
ノックの音が聞こえた。
﹁どうじょ﹂
と私が答える。ふふふ、これも特訓の成果です。まだ多少滑舌が悪
くもっと練習が必要ですが、1歳になったばかりでなかなかこれだ
け喋る子供はいませんよ? しかも意味のある言葉を。最初喋った
時は、歩いた時より驚かれました。神童なんて騒がれたのは秘密で
す。中身アラサーなんてインチキですものね。本物の神童に失礼で
す。
以来、仕事でやって来るメイドさんを捕まえては﹁これ何?﹂﹁
こっちは?﹂と言葉の勉強を強制するものだから、最近はうざがら
れていました。まあ、私に捕まると確実に仕事が遅れるから仕方あ
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りませんよね。でもそれのおかげで母に注進がいったのか、専属の
教師が付きました。今まで学校でいろいろな生徒を教えてきた経験
を持つおじいちゃん先生です。
このおじいちゃん先生、ゼスト先生っていうのですけど、最初は
乗り気ではなかったようなんです。そうですよね、多くの優秀な生
徒を育てあげてきた実績のある教師が、赤ちゃんの教育ですもの。
どれだけ能力の無駄使いと思っても仕方ありません。
ですが、普通とは違う私を見て変なスイッチが入ったようで。こ
の神童を立派な天才に育てあげることこそ、人生最後の使命と息巻
いています。
おかげで普通この年代には教えてもらえないような事まで教えて
いただけそうで、今から気合いが入ります。
私の返事を受けて、メイドさんが入ってきました。メイドさんと
いうには少し年齢がいって︵まあぶっちゃければおばあちゃんメイ
ドさんなのですが︶いますが、その経験豊富そうな彼女が私を見て
固まりました。
﹁...エリーゼ様、一体何をなさっておられるので?﹂
あら、見て分からないのかしら。
﹁うれたてふしぇよ﹂
﹁う、腕立て伏せ、でございますか?﹂
﹁しょうよ﹂
早く普通に動き回りたい一心で、本来ならハイハイで上半身鍛え
てから歩き出すところを一足飛びで歩き出したから、私絶対上半身
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が弱いと思うの。そうなると何が困るって、転んだ時手で身体を支
えられずに顔を怪我したりするのですって。前世で仕入れた知識だ
けど。
大事なのよ、受け身とるって。
中身大人だからそう簡単に転ばないわと思っていたのだけれど、
これが結構転ぶのよ。まず身体のバランスが悪い。頭が大きいから
ちょっとしたことでよろめくのだけど、転ばないように踏ん張るに
は筋力が全然足りなくて。
気をつけている私でさえこれてすもの。何が危ないか分かってい
ない、注意力散漫の普通の子供が頻繁に転ぶわけよね。
せっかくまた女の子に生まれたんですもの。こんな事で顔に傷を
付けたくないわ。
だから上半身を鍛える為に腕立て伏せを頑張っているのだけれど、
メイドさんは渋い顔。
﹁あの、繰り返すようで申し訳ないのですが、腕立て伏せ、でご
ざいますよね?﹂
﹁....見えにゃい?﹂
メイドさんは無言で頷いた。
あー、うん。それはそうでしょうね。まだ1歳だから足ががに股
で真っすぐ伸ばせず、身体をきちんと支えだけの筋力がないから一
回やるごとにベチョンと床に潰れ、起き上がる為にドタバタともが
き、というのを繰り返していて、まだ一度も腕立て伏せ成功させて
ないし。
見た目1歳児だから、かなりコミカルな状態になっているのは想
像するに容易い。
﹁腕立て伏せに見えるか見えないかというのはまた別の問題とし
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て、レディが腕立て伏せで身体を鍛えるのもどうかと思いますけど.
..﹂
とメイドさんは額を抑え力無く顔を振るが、今更な事と諦めたの
かすぐにいつもの敏腕メイドさんの顔に戻った。
﹁そうそう、エリーゼ様。ゼスト様がおいでです﹂
あら、もうそんな時間なのね。熱中して、時間を忘れてしまった
みたい。師をお待たせするなんて失態だわ、気をつけないと。
﹁ありあとう。しゅぐじゅんびしあす﹂
そうしてニッコリ笑うと、メイドさんの顔も綻ぶ。
﹁エリーゼ様、体力作りも結構ですが、お願いですから筋肉ムキ
ムキにだけはならないでくださいね。世界の損失です﹂
世界の損失ってなんでしょう? よく分からなかったのですが、
私も出来れば綺麗なで可憐な女の子の方が嬉しいので、素直に頷き
返したのでした。
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4.王女でした
ゼスト先生に勉強を教わり始めてから、早1年。私、世のお母様
方が最も恐れるという嫌々期、そう魔の2歳児を迎えております。
とはいえ中身アラサー、当然そんな物あろう筈も無く。しかし全
くないのも不自然かなと思い、この機会に我が儘な可愛らしいお願
いをしたりしております。主に勉強面の事で、やれ異国にあるとい
う植物辞典を取り寄せて欲しいとか、城の禁書室にある魔法書を読
ませて欲しいとか、そう難易度はなさそうな可愛らしい、しかし可
愛げはなさそうな我が儘は、前者はいともたやすく叶えられました
が後者はお断りされました。
そう、この世界魔法があるんです。ファンタジーここに極まり。
あまりにも理想的な展開に前世世界ではきっとほとんどの人が一度
は夢みるだろう憧れの魔法学びたいと、心は大人の恥を忍んで駄々
をこねてみたのですが、魔法は危ないので5歳にならないと教わっ
ては駄目なのですって。それは現在この国の王位継承第一位の私で
も例外はなく...って。
ええ、そうなんです。住んでいる家がお城という時点で、もしか
したらそうかも知れないと予想はしておりましたが、出来れば信じ
レディ
たくないと考えないようにしていましたが、私王女でした。
プリンセス
私の身近に同じ年頃の女の子がいなかったので、お嬢様と呼ばれ
ているのか、王女様と呼ばれているのか分からなかったのです。ゼ
スト先生に本格的に学んで初めて理解できました。
うふふ、お姫様∼∼!!
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.........激しく嫌。
憧れのお姫様ですよ。ぃやったぁ! 今度こそ私主役? ヒロイ
ンできる?!
なんて浮かれたのも最初だけ。既に文字や会話の過程を終えて、
普通の子なら5歳くらいから始める一般教育を開始した私に、事あ
るごとに付け加えられる一言。
やれ礼儀作法を学んでいれば
﹁王族ともなれば将来舞踏会や晩餐会などで人前に出られる事多
いでしょう。その際、最も高貴なお方たる姫様の作法が完璧でなけ
れば、表だっては何も言わないでしょうが他の身分高き方々に侮ら
れ、馬鹿にされるでしょうな。それが国内だけの事なら姫様や、引
いては母上であらせられるエレノア様が恥を掻かれるだけで済みま
しょうが、これが国外のお客様をも招いた場であったなら、それは
国の恥となりますからしっかりと身につけていただかないと﹂
と脅され、やれこれが計算の授業なら
﹁民の税や臣下の報奨や給与、更に言えば国家予算やその使われ
方など、王族としていつ聞かれても分かるようにしていなければ、
上が知らない事をいいことにいつ魔がさして好き勝手にするものが
出てこないとも限りません﹂
と釘を刺され、やれダンスの授業なら
﹁舞踏会の暗黙のルールとして、まず最も身分の高い方が一曲踊
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らないと舞踏会は始まりません。それは勿論王族であるエリーゼ様
ですが、大勢が見ている前でたった一組で一曲踊りきらなければな
らないのです。そこでの失敗は、例え姫様の失敗でもエスコートす
る相手男性の失態となります。そして王族たる姫様に恥を掻かせた
として、その男性は社交界の中心から外れるやも知れません。それ
が続けば、皆尻込みしてしまって、姫様と踊る人がいなくなります
ね。普通なら壁の花になるところを、姫様が踊らねば舞踏会は始ま
りませんから、招待する方がいなくなりますね。事実上の舞踏会消
滅です﹂
とスパルタ教育に拍車をかける始末。何をやるにしても王族なら、
王族として、姫様がと超巨大な重圧を入れてくるのです。
大変です。齢2歳にして国の面子や社交界の未来まで背負わされ
ています。
お姫様ってこんなに大変だったんですね。
私、お姫様ってもっと緩く教育されていると思っていました。朝
は日が高くなるまで寝ていて、ちょっとした勉強と礼儀作法などを
学べば後はお茶やお菓子食べながらキャッキャウフフとお友達と会
話。イケメンな近衛騎士に護衛され、その内隣国とかのイケメン王
子に嫁いだりとか、さすがにそこまで都合良くはいかないでしょう
が、それに近い感じくらいならいけるのではと漠然と思ってました。
夢と現実って違うものですね。そもそも、中身残念アラサーです
し。
まあ、冷静になって考えてみれば、そんな頭の弱そうな王女様っ
てありえませんよね。そんな王女に税金使われてるなんて知ったら、
前世の汚職政治家とか知ってる私としては憤激ものです。王政廃止
のクーデターが起こったとしても不思議じゃない部類の話です。
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クーデターなんて起こったら、まず王族は断頭台行きです。リア
ルフランス革命です。 前世病死で現世死刑って辛すぎます。回避一択です。中身は所詮
主役になれなかった私なので完璧は難しいながらも、そこは前世記
憶持ち転生者恩恵のフライング教育でなんとかカバーし、さすがは
我が国の王女様だと言われるように、プレッシャーに耐えつつ英才
教育頑張ってます。
﹁はい、今日ここまでにしましょう﹂
ダンスのレッスン終了の合図を受け、私は思わずその場に座り込
んだ。
﹁大分形になってきましたよ。後は下を見ずに踊る事と、もう少
しスムーズに動けるようになる事。勿論笑顔も欠かせません﹂
﹁はい、御指導ありがとうございます﹂
ダンス講師のマリア夫人の講釈を聞き、慌てて立ち上がり礼をと
る。マリア夫人はモンテーヌ伯爵の妻だが、ダンスがとても上手な
ので王女である私の専任講師に抜擢されたのですが、笑顔でスパル
タしてくる怖い...、いえ、優秀な先生なのです。
﹁ふふ、姫様は身分も高い上にまだ幼いながらも、私の指導に不
平もおっしゃらずついてきてくださいますから、教え甲斐がありま
すわ﹂
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﹁いえ、指導していただいているのですから当然だと思いますけ
ど?﹂
﹁ほら、そういうところですわ。私の無遠慮な指導方法など、場
合によっては不敬罪になってもおかしくありませんもの﹂
マリア夫人の言葉に私は首を傾げる。
﹁真面目に教えて頂いてそれでは、私に本気で教えてくれる方が
いなくなると思いますけど?﹂
それで困るのは自分でしょうに、それが分からない人がいるもの
だろうか?
そんな疑問を浮かべた瞬間、前世での記憶が顔を出す。
ああ、身分云々はともかく、せっかく学校で授業受ける権利を与
えられていても、学ぶ事を放棄し自由という名の快楽を優先してし
まう人は確かにいました。家庭の事情で学校に通えなかったり、学
校に通うために片道何時間とか、命の危険のある通学路を通ったり
する人から見れば垂涎物の境遇を甘受しながら、それを普通に感じ
て有り難みを感じない。
勉強していれば拓けていただろう未来とか、持っていれば収入が
上がったりやれる事が増える資格をとったりとか、学ぶ事は未来の
自分の選択肢を拡げる事に繋がると今なら分かるのですが、学んで
る最中にはその辛さに視界が狭まり気づけないのですよね。
そんな辛さ、今思えばただの甘えなのに。
﹁あの、マリア夫人。私の場合は本気で教えて頂く方が有り難い
ので、今後ともよろしくお願いします﹂
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﹁はい、承りましてございます﹂
ふわりとドレスの裾を持ち上げ礼をするマリア夫人はまるで悪戯
が成功した子供のような笑顔を浮かべながらも優雅な仕草で、ダン
スの流れるような動きはこういう日常動作にまで表れるのだろうか
と感心させられます。私の目指すべき最高到達点を目にし、今の私
のレベルとの差を思い知り決意を新たにしたのです。
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5.少し説明します
﹁エリーゼ様、こちらを﹂
ダンスレッスンで荒い息を吐く私に、私専属の侍女としてつけら
れたアンナがタオルを渡す。
﹁ありがとう、アンナ﹂
タオルを受け取り、軽く汗を拭う。中身は大人のつもりなのです
けれども、身体は2歳児なのでとても汗をかくのです。
前世の記憶はあるのですが、生まれてから全ての記憶がある訳で
は、当然ありません。一夜漬け程度ならともかく、ずっと継続的に
覚える記憶というのは結構苦手で、印象的な事柄や興味のある分野
なら詳しく覚えているのですが、それ以外だと断片的とかだったり
します。例えばそう、本のタイトル聞いて読んだ記憶はあるけれど
内容聞かれると説明できなかったり、好きだった筈なのに登場人物
の名前が主人公以外思い出せなかったり、内容は思い出せるけどタ
イトルを覚えていなかったりと、そんな感じでです。
そんな感じで幼かった時の記憶は多少あるのですが、幼い頃は汗
かきだとか覚えていなかったので当初体質かと少し心配になりまし
たが、アンナに子供は大抵汗かきだて聞いてとても安心しました。
ダンスしている最中にこんなに汗をかいていては、とてもじゃあ
りませんが踊っていられません。
私がゼスト先生だけではなく、いろいろな先生に教わるようにな
った頃、不便がないようにと専属侍女としてつけられたアンナは、
まだ17歳。なるべく歳が近い方がいいだろうとの判断だったよう
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ですが、若くても王女専属に抜擢されるだけあってとても優秀な侍
女です。
代々王宮に仕えていた一族らしく、幼い頃から侍女教育をうけて
いたおかげで王宮のしきたりや作法、貴族間のしがらみ等私などよ
り余程詳しくて頼りになります。
年の離れた弟妹がいるらしく、よく楽しそうに話してくれます。
その時の笑顔から、とてもいいお姉さんをしているのだろうと、い
い姉になれなかった私としては憧れの存在だったりするのです。
﹁今日はこれからどうなさいますか? 湯浴みの用意はしてあり
ますけど﹂
﹁ありがとう。でも先に温室へ行くわ。どうせ汚れるのですもの。
汗で多少気持ち悪いけど、手間が省けていいわ﹂
私の言葉にアンナは僅かに顔を歪める。
﹁また御自身で土いじりですか? 優秀な庭師がいるのですから
指示だけだしてお任せしてはいかがですか?﹂
﹁勿論大部分は庭師に任せているわよ。うちの庭師の腕は私も知
っているもの。素人の私がやるよりもずっといい。でも、例え少し
でも手をかけてやりたいの。その方が楽しいし、愛着も沸くわ﹂
﹁その理屈は分かりますけど、せっかくの美しい御手が...﹂
アンナの言葉に私は自分の手を見る。記憶にある手よりずっと小
さい手。傷一つない真っ白な手は貴族には必需品である。
﹁手袋をつけるし、傷をつけないように気をつけるわ。ごめんな
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さい、我が儘で。でも、今育てているのはどうして私が育てたいの。
もうすぐ花が咲きそうなの。お母様の髪の色に似た美しい黄色の薔
薇よ。咲いたらお母様に差し上げる予定なの﹂
﹁うっ、ま、まあ、そういう事情でしたら...。ですが本当に
気をつけてくださいね﹂
﹁ええ、分かっているわ。ありがとう﹂
私が生まれた国は名をローゼン王国といい、温暖な気候と割合は
っきりとした四季を持っているおかげか、農作物がよく育つ豊かな
国だ。背後を神の御座所と言われる山脈に守られ、前方を大陸で一
番大きなグランブル王国と二番目に大きなサラキア王国の二つの大
国に接しているため他の国からは攻め難く、また接している二つの
国はあまり仲が良いとは言えず互いを牽制しあっているのでローゼ
ンに攻め込む事はない。
ローゼンはその二国よりは小さいがそれでも三番目くらいには大
きな国だ。攻め落とすとなると総力戦とも言える数の兵を出さねば
ならないが、もしそれだけの兵を出せば今度は城の、引いては自国
の守りが薄くなる。その隙を突かれて攻め込まれれば一たまりもな
い。
国を失ったら本末転倒である。
またローゼンも自分の国が無事なのは、その大国二つが牽制しあ
っているからだと知っているので、中立をうたいどちらか一方の国
とだけ同盟を組む事はなかった。甘言に乗ってどちらかと手を組み
もう一方を滅ぼせば、次はローゼンの番になるのは自明の理だ。何
しろローゼンを攻めてる最中に邪魔する隣国が無くなっているのだ
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から。
そんな事にならないためにも、ローゼンは中立の立場を守ってい
るのだ。そのおかげでこの三国間ではもう200年近くも平和を保
っているのだそうだ。
それとは別に、ローゼン王国を攻め難くしているのが国民感情で
ある。
元々隣国の二つの国は、ローゼンから分かたれた国なのだ。ロー
ゼン王家は昔精霊の祝福を受けたとかで、代々魔力の強い者が生ま
れる。それもあってか、神聖王家といわれ宗教にもなっている。そ
の信仰が元々ローゼンだった二国にもあるので、神聖王国に弓を引
くなんてという国民感情が沸くのである。
だから、現状この国は平和なのである。
と、何故そんな小難しい話をしたかというと、その国の情勢が私に
関わってくるからなのです。
グランブルとサラキア、二つの国を平等に扱おうとした結果、現
王には二人の妃がいます。グランブルとサラキア両国からきた姫で
すが、未だ正妃はいません。世継ぎである王子が生まれれば決まる
のだと思います。女児で決まるなら、私が生まれた時に決まってい
るでしょうから。
ちなみに女児でも王位継承権はあります。ただし、いくら年齢が
上でもやはり直系の王子の次の継承順位になってしまい、そういう
点でも立場が弱いのですが。
王家と共に崇拝の対象になっている山脈、国の名前からローゼリ
ア山脈というのですが、その山脈を背にして東側がサラキア、西側
がグランブルとなっているのですが、その位置関係を取り入れて東
宮にサラキアの姫が、西宮にグランブルの姫、つまり私と私の母が
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住んでいるのです。
私が駄々をこねて貰った温室は、西宮よりさらに西にあります。
温室に着くと真っすぐ中央の円形に象られた花壇に向かいます。
その一画だけは色とりどりの花が咲いているのです。
﹁あっ、ほらアンナ。花が咲いているわ﹂
お母様の髪の色のような鮮やかな色の黄薔薇が、ほんの二つだけ
だが花開いている。
﹁まあ、本当に美しい色ですね。確かにこの薔薇でしたら、エリ
シア様のお美しさに霞みませんよ﹂
﹁私ももっとお母様に似ていたら良かったのに﹂
﹁何をおっしゃいますか。エリーゼ様も十分お可愛いらしいです
よ﹂
私の今世の母は、ものすごく豪奢な金髪をしているのです。しか
も瞳まで金色に近いオレンジ色のという極彩色の絶世の美女。少し
キツイ印象を与えてしまう顔ですが、とても優しい人なのは娘です
から知っています。
私の憧れNo.1な人なのですが、残念ながら私は母とは似てい
ないのです。
自惚れている訳ではないと思うのですが、顔は可愛い方だと思う
のです。目鼻立ちは整っているし、このまま成長出来ればそれなり
に美人になれるかもと期待はしているのですが、母のような絶世の
美女レベルは無理です。なれる気がしません。
髪の色も赤茶色ですし、瞳の色も焦げ茶色。普通に地味です。も
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し私がメイド服着ていれば、前世で培った庶民臭さも手伝って王女
と分かって貰えない自信あります。
お父様が白金色の髪に青い目なので、本当に誰に似たのかと。母
方の祖母の妹、つまり母の叔母様はやっぱり茶色系で肖像画も残っ
ていたので、隔世遺伝確実のようです。
﹁まあいいわ。愚痴っても髪の色が変わる訳でもないし、これ以
上いうと、大叔母様に失礼になるから﹂
私は未練を振り切るように肩を竦め、手袋をしてハサミを受け取
る。せっかく咲いた黄薔薇を切り取りその香りを嗅ぐと、芳醇な香
りが鼻孔を擽る。
﹁いい香り。お母様喜んでくださるといいのだけど﹂
母は最近固い顔をしており、元気がありません。原因は何となく
ですが分かっているのですが、何をしてあげられるか、どう行動す
ればいいか分からないのです。前世では私、あまりいい親子関係を
作れませんでしたから、こういう経験値はないに等しいのです。
考えた挙げ句のプレゼント作戦です。物でご機嫌取りなど姑息な
気がしますが、他に思い付かないので仕方ありません。
﹁私はいい考えだと思いますよ。少なくも気持ちは伝わると思い
ます。何よりエリーゼ様が丹精込めて育てた、こんな美しい薔薇を
貰って不機嫌になる親がいるとは思えません﹂
﹁そう思う?﹂
﹁勿論ですとも。もっといっぱいお花が咲いたら、今度は花束で
プレゼント致しましょう﹂
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﹁そうね。鑑賞用の花はこの一画だけだからそんなに数は作れな
いけど、全部一度に咲いてくれれば少しは豪華な花束になるかしら﹂
私の言葉にアンナが驚く。
﹁ええっ、じゃあ他のは何なんです?!﹂
﹁薬草よ。薬草学を学びたくて﹂
前世病に苦しんだので、出来ればこの世界の医学に触れておきた
いと思ったのだ。
魔法が存在する時点でいろいろ違う事は想定していたのですが、
この世界の常識は前の世界とは全く違うようです。
この世界の医療はほとんど魔法です。怪我とか身体異常はレベル
という問題はありますが、ほとんど魔法で直せます。軽い病気も同
様です。魔法だけで治せない重い病は魔法に薬を掛け合わせます。
薬は薬草や特殊な品を掛け合わせたりして作ります。
薬だけで治す事もできるみたいですが、魔法と薬を掛け合わせた
治療の方が治りも早く治る上にコストが掛からないので、あまり研
究されていないのが実状のようです。
だから、魔法をまだ教われないのなら先に薬草学を学んで研究と
かしてみたいと思ったのですが、
﹁それなのにゼスト先生ったら、お子様にはまだ早いと言って許
してくれませんでしたの。ですがどうしても諦められなくて連日駄
々こね...いえ、お願いしていたら薬作りはまだですけど薬草を
育ててもよいという妥協案を提示されたのでそれで手を打つ事にし
ましたの。お父様にお願いしましたら温室を一つ、好きにしていい
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と頂けましたのでそれなら、と植物図鑑片手に揃えた結果がこれな
んです﹂
自国の薬草だけでなく異国のものまで揃え始めたら楽しくなって
きて、気分は前世世界の有名アニメ風の谷の姫姉様でした。
軽くオタク気質入っている自覚があるので何となく気恥ずかしさ
を隠せずにいましたら、アンナは感心したように言いました。
﹁やっぱりエリーゼ様はすごいです。うちの妹達なんてもう4歳
なのにまだ全然子供で...﹂
そういうアンナの言葉に苦笑が浮かびます。
﹁アンナは私の側にいて麻痺しているかも知れないけど、それが
普通よ。私が異常なだけだから﹂
私はやりたい事を思いきりする為に、無理に子供らしさを演じる
事はやめたのです。だからこの世界では少し大人びた天才児として
通っています。時折する奇妙な言動も天才だからの一言で片付けら
れる一方、その弊害として子供らしい可愛いらしさを愛でる権利を
お母様やお父様から奪ってしまったのです。
﹁アンナは普通に接してくれているけど、それってすごい事なの
よ。みんな気味悪がったり怖がったりしているの、見ていれば分か
るから。2歳児と普通に話している姿って傍から見たら結構シュー
ルだと思うのね。つまりそれだけ異常な光景という事。だから、私
を基準に他の子を比べるのは酷だわ﹂
﹁異常とは思いませんけど、エリーゼ様がすごいのは分かります。
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確かに比べるのはダメですね。こういうのは個人差がありますし﹂
﹁個人差......。そうね、私の場合は成長が早いだけだも
のね。その内他の子に追いつかれるでしょうし。天才児、大人にな
ったらただの人っていうものね﹂
私はいわば[ウサギとカメ]のカメのようなものだ。たまたまウ
サギが居眠りしていたから勝てただけ。その証拠に、カメがようや
くゴールした距離を目覚めて一瞬にして追い上げたのだから。
同じ年頃の子供がまだ眠っている隙に追い抜いたとしても、元々
ウサギに生まれついた子ならきっとすぐ追い付いてしまうだろう。
ふっと感慨深げに微笑む私に何を感じたのか、アンナが私を抱き
しめました。大人びた態度を取るようになってから抱きしめられな
くなったので驚きましたが、とても気持ちが安らぎました。
ああ、抱きしめられるのってこんなに安心できるのね。改めて知
りました。
﹁私、エリーゼ様の事好きですよ。陛下もエリシア様もそうだと
思います。王宮のみんなだって、どう接していいか戸惑っているだ
けで、絶対エリーゼ様の事好きですから!﹂
強く抱きしめるアンナに私はコトンと頭を預けました。
﹁ありがとう、アンナ。私も大好きよ﹂
前世ではなかなか言えなかった言葉。今は素直にそう言える。そ
れだけで幸せだと思ったのでした。
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6.
お母様と話しました
刺を処理した黄薔薇を一輪持って、私はお母様に会いに行きまし
た。
部屋の前には護衛の兵士がいて、私がアンナを連れて向かうと少
し困ったような顔をしていました。
﹁エリーゼ様、エリシア様はご気分がすぐれないらしく、今は誰
とも会いたくないとのご仰せで...﹂
﹁知っていますわ。ですから先触れも出さずに直接来たのです。
少しだけでいいのです、取り次いでみて頂けますか? 綺麗な薔薇
が咲いたの。お母様に見て頂きたいの。それでもダメなら諦めます
わ﹂
母を慕う幼子を全面に出して可愛いらしくお願いをすれば、護衛
の兵士は暫し葛藤を見せた挙げ句に溜め息をつきました。
﹁取り次ぐだけですよ。会って頂けるかは保証致しかねますから
ね﹂
﹁ええ、それで十分よ。ありがとう﹂
部屋の向こうに兵士が消えました。私はアンナと一緒に部屋の前
で待ちます。
仕方ありません。兵士の言う通り、先触れを出していないのが悪
いのですから。
この国の王族というのは面倒なもので、実の母、実の父に子供が
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会うというごく当たり前の事でも事前に使者を出して許可を得なけ
ればいけないのです。それを知っていながら押しかけた私は、かな
り失礼な行為をしている事になります。
勿論確信犯です。だって、こんな強引な手段をとらなければ断ら
れていつ会えるか分かりませんもの。
私がそう思うほどにお母様は今、部屋に引きこもっているのです。
部屋から兵士が出て来ました。
﹁どうぞエリーゼ様。エリシア様がお会いなさるそうです﹂
兵士が部屋に入ってから、何やら揉める声がしました。恐らく中
の侍女と軽く揉めたのでしょう。それでも入れていただけるのは、
きっと兵士が口添えしてくれたからなのだと思いました。
﹁エリシア様をよろしくお願いします﹂
兵士なりに、塞ぎこんでいるお母様を心配してくれたのでしょう。
それが嬉しくて、私は微笑みました。
﹁ありがとう。あなたみたいな人がお母様のお側についていてく
れて嬉しいわ﹂
嬉しさか、顔を紅潮させて背筋を正す兵士を見ながら私はお母様
の部屋に入りました。
中へ入るとお母様付きの侍女が部屋の奥に案内してくれました。
﹁エリシア様、お嬢様がおいでになられました﹂
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﹁...そう。エリーゼ、こちらにいらっしゃい﹂
気怠げな声でした。
お母様は長椅子に座っていました。今まで長椅子で寝ていたのか、
ドレスに変なシワが出来ています。
いつも完璧に着飾っているので、こんな隙のあるお母様はやはり
おかしいのです。
私は、持って来た黄薔薇をお母様に差し上げました。
﹁お加減はいかがですか? これ、お母様に持って来ましたの。
あの温室で私が育てたのです。ほら、お母様の髪の色みたいな美し
い黄色でしょう?﹂
私の差し出した薔薇を受け取り、お母様は微笑みました。その姿
は、生命力溢れる豪奢な美女の面影はなく、まるで今にも散りそう
な花のようなはかなげな印象を与えて私は不安を覚えました。
﹁ありがとう、エリーゼ。嬉しいわ。ごめんなさいね。貴女にも
心配をかけてしまったようですね。大丈夫よ、病気ではないのだか
ら。少し気分が沈んでいるだけなの。しばらくすれば治るわ。それ
よりお勉強は進んでいるの?﹂
自分の事から話しを逸らそうとしているのを感じましたが、遭え
て触れずに私は近況を語りました。礼儀作法で褒められる事が増え
てきた事、ダンスでやっと先生の足を踏まなくなった事、歴史の勉
強が楽しい事。算数が得意な事︵これは当然︶、ピアノのレッスン
を初めた事、相変わらず薬学は教えて貰えないので勝手に温室で薬
草を育てている事。およそ2歳児がしゃべる内容とは思えない語彙
と勉強量を、お母様は楽しそうに聞いてくださいました。
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﹁本当にエリーゼは天才ね﹂
そう言って頭を撫でてくれました。中身アラサーなので多少気恥
ずかしいのですが、正直こうして褒められるのはかなり嬉しいし気
持ちがいいので、好きです。前世ではろくに褒められた事も頭を撫
でられた記憶もないので、こんなポカポカ暖かい気持ちになる事は
知りませんでした。
ですが、頭を撫でる手がふと止まり、呟くように紡がれた一言に
私の身体が一瞬固まりました。
﹁貴女が男の子だったら良かったのに﹂
それは、ともすれば聞き逃しそうな程小さな声で。ですが、私の
耳はそれをはっきり拾ってしまいました。
﹁私が女ではだめですか? 男でなければ必要ありませんか?﹂
男の子だったら良かったのに。それは私の存在の全否定です。
またなのか、と心が冷えました。ここでも私は受け入れて貰えな
いのかと絶望感に苛まれます。
私は、前世でも実の母に存在を否定されました。
父と母が離婚協議に入った頃、母は私も両親双方の親もいる前で
宣言しました。
﹁あなたにそっくりな顔だから引き取りたくないの。この顔が嫌
なの。思い出すの。引き取ったら虐待してしまいそうだから引き取
りたくない。養育費も出すからあなたが引き取って﹂
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前世の私はお父さんそっくりの顔で、周囲の人が皆お父さん似を
指摘する程でした。それが女心に嬉しくもあり哀しくもありと複雑
な心境を齎せたものですが、まさかそれで拒絶されるとは思いませ
んでした。
だって似てるのは当たり前ですよね、親子なのですから。母が結
婚する程好きだった男の顔の筈。確かに坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
とか言いますけれど、嫌いになったら娘までダメって母親として最
低でしょうにと今なら思いますが、当時の私は8歳。私の顔が醜い
からお母さんは私を捨てるんだと、どん底まで落ち込んで泣いたの
を覚えています。
まさか現世でも、どうにもならないことで全否定されるとは思い
ませんでした。
恐らく思っていても口に出す気はなかったのだと思います。口に
しても聞かれるとは思っていなかったのかも知れません。だから酷
く慌てて私から身体を離しました。
顔は青ざめ、動揺で手が所在なげに宙をさ迷っています。
﹁違うの。これは違うのよ。あなたが嫌いという訳じゃなくて..
.﹂
過去での耐性があって良かった。辛かった記憶ですが、初めてそ
う思えました。初めてだったら、また気持ちが折れていたところで
す。
私は気持ちを落ち着かせる為に、息を大きく吸いました。ゆっく
り静かに息を吐き出して深呼吸すれば、気持ちも次第に落ち着いて
きます。
﹁お母様は正妃になりたかったのですか? そのために子供を生
んだのでしょうか。お父様を愛しているから子供を産みたかったと
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いう訳ではないのですか?﹂
静かな声で私がそう問えば、お母様は強く首を振りました。
﹁いいえ、違うわ! 私は...﹂
﹁私はまだ2歳ですが、お母様も知る通り普通の子供とは少し違
います。変な子供ですが嬉しい事もあります。その一つが、赤ちゃ
んだった頃の記憶がある事です。お母様は私をとても慈しんでくだ
さいました。病気の時はとても心配して、夜も乳母任せにはしない
で看病してくださったのも覚えています。それが王の子を損なった
時の我が身の保身の為でも、女児でも継承権が高い私を保険として
持っていたかったという打算で無かった事は、分かっているつもり
です﹂
自分で言うのもどうかと思いますが、赤ちゃんを育てるのは大変
だと思います。中身大人な私でも2.3時間毎に授乳︵ミルクだけ
の上消化器官が未成熟なのですぐ空腹になって堪えられません︶し
て貰い、身体が動かないのでお風呂やおむつ替えは全介助︵前世で
の入院中もされていましたが、恥ずかしい気持ちは消えません︶、
いくら乳母がいたとはいえろくに眠れないし、本当に大変だったと
思います。
そんな中でも可愛い、可愛いと頬ずりしたり頬にキスしたり、眠
っている私をつんつんしたり指を握らせたりと可愛がってくれまし
た。あれは嘘ではないと思うのです。
正直、人の手をかけないとすぐ死んでしまう赤ちゃんを育ててい
るだけ、愛情はあると思うのです。ですから、お母様が苦労して私
を育ててくれているのを見て、もしかしたら記憶にないだけで前世
の私も生まれた時はそんな風に愛されていたのだろうかと思えるよ
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うになりました。
今はもう本人に確認する術がないので、希望的観測でしかありま
せんが。
成長し、普通の幼子に擬態しなかった私を不気味がらずに受け入
れてくださったのも、お母様でした。お陰で変に気味悪がられたり
せず、なんだ、ただの天才児か。なら変なのも可愛いげがないのも
納得、という認識だけで済んでます。
天才とナントカ︵馬鹿とは言いたくない︶は紙一重。そんな認識
がこの世界にあったのも大きかったです。私が恐れ多くも天才児と
言われるのは、この年齢にありえない程の知能の高さと数ある奇行
のせいでしょう。
知能の方は、前世記憶を持った中身アラサーの女だからですし、
奇行は早く一人でいろいろな事が出来るように、腕立て伏せしたり
劇団並の発声練習︵気分はすっかり北島○ヤ︶など、いろいろトレ
ーニングしていたのを人に見られたからです。
可愛いさかりに可愛いくない。そんな子供でも愛してくださった
と思います。決して、無事に育っていれば後は何しようが関心ない
というような態度では無かったと思います。それでもやはり、産ん
だ子が王子であればと思うのは止められないのでしょう。
﹁私は貴女を愛しています!﹂
お母様の必死な言葉に、私は静かに笑みを浮かべます。
何も聞かなかった頃には素直のに受け止められた言葉も、今では
頭に二番目︵男の子として
生まれたかも知れない私の次︶に等と注釈がついているように感じ
て、素直に喜べなくなってしまいましたが、嬉しくない訳ではあり
ません。
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﹁私もお母様が大好きです。お母様には幸せになって欲しいです﹂
これは本心です。
考えてみれば下心なく愛して欲しいなどと、贅沢ですよね。中身
別人な訳ですし。
目覚めたのが生後3ヶ月くらいでしたので、元の人格を奪い取っ
たという感覚はなく転生したのだと違和感なく思いましたが、それ
でも乗っ取りの可能性は打ち消し切れずずっと気に病んでいました。
もし乗っ取っていたのなら、それこそ私が謝る立場である訳で。
証明する手段もなく可能性がある時点で、お母様に対して負い目が
消えません。せめて私が幸せにしてあげる事が唯一の恩返しかと思
うのですが、女として生まれたせいで早くも一つお母様の幸せを潰
してしまっていて、本当に世の中そう上手くは回らないものです。
﹁もし魔法で性別を変える事が出来るなら男の子になっても構わ
ないのですが、私は良くも悪くも有名人で、今さら性別を変えよう
と女である事は隠せないた思うのです。もっと早く、それこそ生ま
れた時なら可能だったかも知れませんが﹂
突然、お母様がワッと泣き出しました。
﹁私は何という事を。私は貴女の母だというのに﹂
大の大人がさめざめと泣く姿を見るのは初めてで、驚いてしまっ
て私はお母様を抱きしめ︵身体が小さいので縋り付いてるように見
える︶る事しかできませんでした。それでさらに泣き声が激しくな
る悪循環。
ですか、思いっきり泣いて感情を爆発させたのが良かったのだと
思います。ひとしきり泣いた後、ぽつぽつといろいろな事を語って
41
くれました。
最初はお父様を愛していなかった事。同時期に迎えられたサラキ
ア側の妃の存在に反発して、とにかく先に妊娠しようと頑張った事。
その甲斐もあって先に妊娠できたが、積極的な攻勢で逆にお父様に
嫌われたのか、それ以来現在に到るまで渡り︵夫婦生活︶がない事。
嫌われてシヨックを受けて、初めてお父様の事が好きだと気づいた
事。打算でつくった子供なのに産んだら可愛いかった事。でも女の
子であまり祝福されない上に、早く男の子を産めと実家︵祖国グラ
ンブル︶やグランブル寄りの貴族から日々責っ付かれて、逆にこの
子︵私の事です︶を愛するのは私だけと燃えた事。そんな時にサラ
キア側の妃が妊娠という話に激しく落ち込んだ事。
時折ぽろぽろ泣きながら語るお母様の頭を小さな手で撫でながら、
私は話を聞きました。
ああ、やはりお母様が引きこもっていたのは、ユミル様の妊娠に
ありましたか。
ユミル様というのはサラキアの王女で、お父様のもう一人の妃で
す。お母様が大輪の薔薇ならユミル様は可憐なパンジーなどと言わ
れる程、可愛いらしい方だそうです。ユミル様がお住まいの東宮は
西宮と離れているので行き来はなく、私はまだ会った事はありませ
ん。
確かにお母様としてはシヨックでしょう。お母様には私を妊娠し
てからお渡りがないというのにユミル様が妊娠されたという事は、
その間ユミル様の元に通っていたという事ですし、恋を自覚した女
にしてみれば地獄の所業です。
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恋しい人が他の人を愛しているのを見るのは辛いのです。苦しい
のです。好きだった相手を怨むのです。それ以上に相手の女性を憎
んでしまうのです。思いに捕われ、他の何も目に入らなくなるので
す。
少なくとも前世の私がそうでした。嫌な女でした。私は恋をした
ら溺れるタイプだったのかも知れません。だから今世では恋はした
くありません。王女ですからいずれは政略結婚で嫁がされるのでし
ょうし、嫁いだ相手に恋をしたら、私の身分からいって恐らく一夫
多妻を許される相手が夫になるでしょうから、お母様みたいに苦し
む事になるかも知れません。
私の恋は前世でもうまくいった試しがありません。ですからどう
すれば振り向いて貰えるかなどと、アドバイスする事は出来ません。
せいぜい出来て傍にいるぐらいの無能な私です。
それでも一つだけ言える事がありました。
﹁お母様、私がずっと傍におります。寂しい時も苦しい時もずっ
と。いつも凛としていて誇り高いお母様が大好きですし、目標にし
ているのです。ですから、今は難しいかも知れませんが、少しお休
みして元気になったらまたいつものお母様に戻ってください﹂
嫉妬に狂って人を傷つけても、良いことなんて何もない。そんな
事では人の心は得られないし、自分の気分も晴れるどころか逆に荒
む。意味がない上に更に事態は悪化するので本当に無駄です。
そんな事、お母様にはして欲しくない。そう願いながら、私はお
母様に寄り添っていました。
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7.お父様に会いました︵前書き︶
タチの悪い風邪に襲われ、一家全滅の憂き目にあっていました。
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7.お父様に会いました
お母様の部屋を出た私は、本宮に使いを出しました。本宮とはお
父様が住まわれておられる場所です。正妃がおられれば本宮に一緒
に住まわれるのでしょうが、お母様は正妃ではないので私も本宮に
は住んでいません。
お母様の時は引きこもっておりましたし、先触れの使いを出して
も断られるという事が分かっていましたからアポ無し突撃致しまし
たが、さすがに国王たるお父様にはそれは許されません。ですから
大人しく待っていたのですが、
﹁えっ、断られた?﹂
﹁そうなんです。今までお断りされた事は無かったので驚いたの
ですが、当分忙しいとの事で﹂
﹁当分? 娘が会いたいと言っているのに、一瞬すらも会えない
と、そうおっしゃったのですか? お父様が?﹂
﹁い、いえ、そこまでの事はさすがにおっしゃられてはいないと
思いますけど...。当分会う時間がないと、それだけを先触れの
返事で頂いただけですし﹂
﹁つまり先触れの返事が、本当にお父様の返事かどうかまでは分
からないという事ね﹂
﹁えっ、そういう事になりますか? ......なりますね﹂
自己完結したアンナをよそに、私は思案に暮れました。
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お父様は王です。普通の父親とは違います。父親な立場よりも国
王としての立場を優先させる事もあるでしょう。妻や娘とはいえ気
に入らなければ一生会わない事も許されるし、他に何人もの妻を持
っても、それこそ人妻を奪ったとしても許される、絶対権力者です。
ですから娘の会いたいという願いも、断る事はおかしくはないので
すけど。
...おかしい。
私が見た限り、結構な子煩悩でしたよ? そりゃ演技とかそうい
う事もあるでしょうけど、0歳児と二人きりの時まで演技しません
でしょう。だからあれがお父様の素だと思うのです。
今までだって、時間があれば会いに来てくださいましたし、お願
いすればほんの少しの時間だとしても作ってくれました。
それなのに、当分会えないと? 時間も作れない程忙しいのでし
ょうか。そんな話は入ってきませんが。
それともユミル様がご懐妊されて、もう私はいらないとでも? それともユミル様を妊娠させたのが後ろ暗くて、西宮には来づらい
とか。まさかとは思いますがユミル様に何か言われたとか...?
...一人で考えていても埒があきませんね。でしたら私が取る
方法は一つです。
﹁アンナ、このドレス取っていただけますか?﹂
﹁どちらかお出掛けですか?﹂
私は部屋着を脱ぎ、取って貰った清楚で大人しめなドレスに着替
えます。といっても所詮2歳児の身体ですので、腕が届かない部分
は手伝っていただきました。
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全部着替えさせてあげますのにとよく不満を言われますが、元庶
民として何となく抵抗があるのである程度は一人で着付けられるよ
う頑張っています。
﹁お父様に会いに行こうと思いますの。アンナには私がこの部屋
にいるように装っていただきたいの﹂
﹁あ、会いにって、陛下にですかっ?!﹂
﹁しーっ、アンナ、声大きい﹂
人差し指を口にあて、アンナを静します。身長差がこんなに無け
れば飛び付いて口を塞いでいたところです。
﹁申し訳ありません。...ですが、陛下に会いに行かれるとか、
いくら姫様でも無茶ですよ﹂
王族が実質的権力を持たないのが当たり前の前世世界で生きてい
た私と違って、国王絶対権力が当然の世界に生まれ育ったアンナに
は王の言葉は絶対です。逆らうなんて意識にすら上らないでしょう。
当然すごい勢いで反対されました。それでも行く意思を曲げない私
に唇を噛み締め、
﹁わ、分かりました。そこまでの決意なら私も覚悟を決めました。
ご一緒に参ります﹂
握り拳を作って高らかに宣言するアンナ。
﹁いえ、ですからアンナには、ここに残って私がいるように見せ
掛けて欲しいのですけど﹂
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﹁えっ、何故です?﹂
﹁ばれたら絶対邪魔が入るからです﹂
﹁では、姫様はどなたと本宮に?﹂
﹁私一人です﹂
﹁無茶ですよぉ∼。衛兵に見つかったらどうするつもりですかぁ
?﹂
﹁そこは、隠れんぼしていて迷ったとでも言い逃れますわ。何と
言っても私、まだ2歳児ですから、大したお咎めはないと思います。
﹂
むしろアンナが一緒の方がまずいと言いますか。主にアンナの身
が。
国王の元に忍んで行っても、現時点で唯一の王位継承者の私が罪
に問われる確率はかなり低いと思われます。王位継承者という点を
除いても、実の娘でしかも2歳児。例え子供らしくない子供と有名
でも、どこからどう見ても胴長短足、頭でっかちの幼児体型を見れ
ば、どうしても子供扱いしてしまうのは今までの行動から分かって
います。ですが、アンナはダメです。いくら代々王宮に仕えてきた
一族といえども使用人。仕事をクビになるか、下手すれば家にまで
お咎めが行くかも知れません。私事の問題でアンナの一族を路頭に
迷わせる事できません。ですから、アンナを連れて行くという選択
肢はないのです。
﹁ですが、エリーゼ様がいらっしゃるように偽装するという事で
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すが、そんな事する必要な...い...﹂
そこへ、部屋にノックが響きました。早速の来客です。
﹁ほら、早速の来客よ。ね、だからいてもらった方がいいのよ。
ここへ来るのは限られた人だけだけど、彼女達がみんな私の味方を
してくれるとは限らないわ。何しろこの国の最優先人物の王に関わ
る事だから。まず間違いなく邪魔されるわね﹂
半分はアンナを巻き込まないために、連れて行かない事を納得さ
せるための口実です。
﹁...分かりました。私はエリーゼ様専属侍女です。こうなっ
たら覚悟を決めます﹂
ため息を一つ吐いて、アンナは来客に対応しに行きました。私は
身体が2歳児のため体力もなく、早めにベッドに入る事は知ってい
る筈なので、この時間に誰かがくる事はあまりありません。何の用
だろうと不思議に思っていると、何故かアンナはお菓子の乗ったお
盆を持って戻って来ました。
﹁陛下から、こちらへ伺えないことへのお詫びの品だそうです。
やはり陛下はエリーゼ様の事をお考え下さっていらっしゃるんです
ね﹂
見ればマフィンとビスケットが綺麗な小皿に載せられている。
﹁食べて行かれますか?﹂
﹁いいえ、アンナ食べていいわよ。適当に食べて食器を返してお
49
いて﹂
﹁食べて行かれないのですか? でしたらお戻りになるまでとっ
ておきましょう﹂
﹁戻っきても食べないわよ。私、子供だから寝るの早いの。寝る
前に食べ物食べる習慣つけたくないから。でもせっかく用意してく
れたのにただ戻すのも悪いし、私がこの部屋にいるという偽装のた
めにもお菓子は処分して、適当な時間に食器を戻して欲しいの。勿
論、その時には紅茶を入れた形跡のあるティーカップも一緒にね。
そうすると、中身丸ごと捨てるよりは誰かが食べてくれた方がいい
のだけれど﹂
本音を言えば食べたい。ですが、私は本当に寝るのが早いのです。
中身は大人でも、所詮は子供の身体です。同年齢の子供に比べて多
少の筋トレしている私でも、まだまだ全然体力がありません。下手
すればご飯の最中だって寝てしまう程なのです。軽く昼寝をしてい
ますが、どうしても夜遅くまで起きていられる体力はありません。
そんな私が夕食後にお菓子だなんて、太る元です。そんな乙女の
大敵習慣、子供の内からつけてしまうと、後々困ります。自分の意
志の弱さは知っているつもりですから。
﹁何というか、エリーゼ様から子供だからという言葉を聞く度に
詐欺にあっている気分に陥りますが...、分かりました。お菓子
はこちらで処分しておきます。...本当に私が食べてしまっても
構わないのですね﹂
﹁詐欺とは失礼ね。子供にもいろいろあるんです。お菓子の件は
構わないわ。後から恨んだりもしないし、食べるなり持って帰るな
り捨てるなり、適当に処理して。じゃあ、そろそろ行ってくるわ﹂
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笑って手を振って私は部屋を抜け出しました。部屋の前に護衛は
いません。いるのはお父様だけです。屋敷自体が警護されているの
で、わざわざ護衛をおいているのは国王たるお父様だけなのです。
ずっとここに住んでいるのだから、警備体制も大体分かっている
ので誰にも見つからないで抜け出すのは簡単です。まあ、警備とし
てそれはどうなのと思わないでもないですが、元々外からの侵入に
重きを置いているので、中から出る事は想定していないのでしょう。
問題は本宮です。何と言っても王が住まう本丸です。西宮の警備
など比較にならない程厳重です。そこへ忍び込むのですから、どれ
だけ大変な事か想像だにしません。ですが、私は何としてもお父様
に会いたい。お母様のためにも。
決意を胸に私は突入を開始したのです。
まあ、結論からいえばあっさりと失敗したのですけれども。
入り口は良かったんです。ちょうど交代の時間帯でしたし、小さ
な子供がすり抜けても気付かれませんでした。後は物影に隠れてこ
そこそと上まできて、いよいよお父様の部屋というところまで来た
ところで、首根っこを掴まれました。ええ、文字通りドレスの首回
りを猫が子供にするように、ブランブランと。
﹁なんでこんな所にガキがいるんだ?﹂
﹁は、はにゃしなしゃい、この無礼者!﹂
動揺し過ぎて吃りました。いくら発声練習をしているとはいえ、
咄嗟の時は吃ってしまうのが悩みの種です。
51
見れば赤金髪色の短髪に鍛えあげられたと分かる身体つきの美中
年でした。
やばい。ヤバすぎます。
思いっ切り見覚えがあります。見間違う事なく、近衛騎士団長カ
ーマイン・ライゼル伯爵です。近衛という事からも分かる通り、お
父様の護衛を一手に任されている側近です。
口調が荒いのは、男爵家三男に生まれて社会的責任がないのと
将来の見通しがないのとで学校を卒業した後出奔し、他国で名の知
れた傭兵兼冒険者をやっていた時の名残りだそうです。たまたま帰
国した時に無理矢理家族に連れて行かれた舞踏会で、ライゼル伯爵
の一人娘に一目惚れし、猛烈なアタックの末結婚にこぎ着けたとい
う、市井では多分に甘さを加えて劇の演目ネタにもなっているとい
う逸話の持ち主です。
私は劇は見た事ありませんが、本人のお姿なら数は少ないですが、
お父様のお供でいらしてたのを見た事があります。
覚えていたのは私だけでは無かったようで、私の顔を覗き込むな
り慌てて床に降ろして手を離しました。
﹁し、失礼致しました、姫様。あー、えーと、何故ここへ?﹂
うぅっ、後少しでしたのに、見つかってしまいました。確かに私
も、最後まで誰にも見つからないで行けるとは思ってはいませんで
したが、やっぱり連れ戻されてしまうのでしょうか。それは困りま
す。
﹁お願いします。お父様に会わせてください﹂
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思わず拝んでしまいました。一度先触れを断られている以上、見
つかったら連れ戻されるのは確実です。少なくとも私はそう思って
いたのですが、
﹁あー、少々お待ちいただけますか?では﹂
ライゼル伯爵は私をお父様の部屋の前にいる扉番の衛士に預け、中
へ入って行きました。すると、慌てた様子で出て来たのは、何とお
父様でした。
﹁エリーゼ、どうしたんだい、こんな時間に?﹂
﹁ごめんなさい、お父様。私、どうしてもお父様にお会いしたく
て﹂
﹁構わないよ。さあ、中に入りなさい﹂
﹁えっ? ...よろしいのですか?﹂
私の言葉に、お父様は軽く首を傾げました。
﹁ん? 私に会いに来てくれたんだろう? 可愛い娘がわざわざ
訪ねてきてくれて、追い返す父親はいないよ﹂
なんと、あっさり目標達成です。あの決意と苦労は何だったので
しょう。恐ろしく拍子抜けです。
﹁それで、何だね? 何かあったのかい?﹂
ソファーに座りそう促してくるお父様に、私は口を開きました。
53
﹁私に弟か妹が出来ると伺いました﹂
﹁っ、どこでそれを?! あ、いや、分かるか。...ああ、そ
うだよ。エリーゼはお姉さんになるね﹂
﹁...隠していらしたのですか?﹂
﹁あ、いや、もう少し落ち着いたら話そうとは思っていたんだが、
隠して...はいないな。すまない、他人から聞いた後じゃ、隠し
ていたのと同じか﹂
悄然と肩を落とすお父様からは悪気は感じられません。まるでお
母さんに怒られる息子のようで、何だか可愛いかったです。
﹁構いません、お母様が違うという時点で、話しづらかった気持
ちも理解出来ますから﹂
何度も言いますが、2歳児です。お父様は僅かに顔を引き攣らせ
ましたが、軽く頭を振って小さく息を吐きました。
﹁やっぱり女の子の子だね。成長が早くて驚くよ﹂
いいえ。確かに女の子の方が成長が早いとはいえ、私の成熟度が
普通なんて事ありませんよ。初めての子供だから普通って分からな
いかも知れませんね。異常性を理解しながら、面倒なので取り繕う
気もない私もいけないのですが。
﹁お父様はお母様の事、どう思っていらっしゃるのでしょう。..
.嫌い、ですか?﹂
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﹁そんな事は...っ﹂
﹁では好きですか? それはどういった意味で? 私の母として
でしょうか。それとも妻として? 一人の女性として愛していらっ
しゃいますか?﹂
﹁.........っ﹂
言葉を詰まらせるお父様に、私は軽くため息を吐きます。
﹁私は子供ですが、王族としての勉強もしておりますので、お父
様の王としての立場は分かっているつもりです。恋や愛だけで全て
が順調に回るとも思っておりません。ですからお母様を愛して欲し
いとか、ユミル様の元へ行かないでとか言うつもりはありません。
そもそもそれは夫婦間の問題ですし、子供の私が口を出す問題では
ありませんから。......ですが、王としてではなく一人の男
性として、そして夫として、妻を泣かせないで欲しいのです。お父
様のお気持ちがどちらにあるかは存じませんし、また別の誰かの元
にあるかも分かりませんが、国や家族、知り合いなどほとんどいな
い他国に嫁いで奮闘している女性を蔑ろにするのだけは、止めてい
ただきたいのです﹂
﹁い、いや、私はそんなつもりは。......アレは泣いてい
るのか?﹂
﹁アレ、というのがお母様の事でしたら、そうです。お母様はご
存じの通り、少々勝ち気な性格をなさっておりますから、娘の私で
も泣いたところを見た事は無かったのですが...、出来ればずっ
と見たくはなかったですね、親が泣いている姿など﹂
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親が泣く姿は胸に刺さります。子供、特に幼子にとっての親は特
別です。絶対的存在といっても過言ではないでしょう。
﹁そうか...。すまない﹂
﹁それはお母様に直接なさってください。お父様のお気持ちがど
こにあるにせよ、誠実に対応くださればお母様も、きちんとお会い
した事はありませんが、恐らくユミル様も分かってくれると思いま
すよ﹂
きちんとお会いした事はありませんが、話しに聞く限りユミル様
はお優しいとの評判ですから、悪い方ではないと思うのです。
﹁...そうだな。ありがとう、エリーゼ。心配かけたな﹂
お父様が、ポンと大きな手で頭を撫でてくれました。それが気持
ちよくて嬉しくて、でも気恥ずかしくて顔が赤らみませた。
﹁で、では私は戻りますね。...お父様、お休みなさい。お邪
魔してしまってごめんなさい﹂
﹁ああ、では送らせよう﹂
そう言ってお父様は部屋番を呼んで、ライゼル伯爵を呼ぶように
告げました。
﹁お、お父様、わざわざお忙しいライゼル伯爵をお呼びしなくて
も、私一人で帰れます﹂
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﹁こんな遅くに侍女もなく帰せる訳なかろう? 可愛いエリーゼ
の訪問はいつでも歓迎だが、出来れば次は先触れを出してから来て
くれると嬉しいね﹂
﹁あら、先触れは出しましたよ。お忘れですか? お断りされた
から強行突破です。当分会えないなどと、いつ会えるか分からなか
ったのですもの﹂
いくら会いづらいとはいえ、逃げ隠れは卑怯です。そんな非難を
込めて軽く睨めば、お父様は首傾げて私を見ました。
﹁ん? 私はそんな事言った事はないが。いつの話だい? ここ
最近、エリーゼな先触れが来たとは聞いてないが﹂
﹁えっ、今日の話ですが。断りのお詫びにと、お父様からお菓子
が届きましたけど﹂
夜だったから食べてませんけど。
私の言葉に、再度首を傾げます。
﹁知らんなぁ﹂
﹁何がです、陛下﹂
ライゼル伯爵がやって来ました。
﹁お呼びと伺い、参上致しました。何かありましたか?﹂
﹁ああカーマイン、来たか。君はエリーゼから来た先触れを知っ
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ているか? 当分会えないと言ってお菓子も送ったそうだが﹂
﹁は? いえ、私は知りませんが。...誰か勝手に先読みして
手ん回したのかも知れませんね﹂
﹁.........ふむ、そう...か? まあ、いい。すま
なかったね、エリーゼ。カーマイン、エリーゼを送ってあげて欲し
い﹂
何とも釈然としませんが、大分遅くなったので私はライゼル伯爵
に付き添われ、部屋に戻りました。
﹁では、私はここで﹂
﹁ありがとうございました﹂
私は丁寧に頭を下げました。本当に、お忙しいのに迷惑をかけて
しまいました。
来た道を戻っていくライゼル伯爵を見ながら私は部屋へ入り、そ
して......
.........叫びました。
﹁失礼っ、いかがしました、エリーゼ姫?!﹂
私の悲鳴を聞いてライゼルが飛び込んで来ました。ですが私はそ
れどころではなく。
﹁アンナ、アンナッ、しっかりして、アンナッ!!﹂
58
その日、アンナが死にました。
59
8.
薬学はじめました。
﹁もういいです。今日はここまでにしましょう﹂
パタンと分厚い教科書を閉じ、ゼスト先生が言いました。
﹁えっ、そんな、まだ...﹂
今はサラキア語の授業です。サラキアもグランブルも元はローゼ
ンから分かたれた国なので、共通語として神聖ローゼン語︵宗主国
としてのプライドがそうさせたのか、何故か神聖とついている︶を
話すのですが、スパイ予防なのか自国のアイデンティティのためか、
独自の言語も別途に作っているので、隣国の王女として必須の授業
です。
計算などは前世の知識が役に立ちますが、語学となると日本語や
英語が使われているわけではないので、最初からの習得になり、前
世の記憶も役に立ちません。それでも王女として外交上必要だから
と母国語以外の3ヶ国の言葉をゼスト先生に習っています。
今もまたいつも通りに授業をはじめたのですが、開始してすぐに
ゼスト先生により中止が言い渡されました。
﹁全く集中出来ていない今の状態なら、何をどう勉強しても時間
の無駄です。そんな状態で講義を行う程、私も暇ではないのです﹂
ゼスト先生の厳しい言葉に私は頷垂れました。集中出来ていない
自覚は多分にあったからです。
﹁も、申し訳ありません。気をつけますから、もう一度講義を..
.﹂
60
﹁エリーゼ様、私が言っているのは授業態度の事だけではないの
ですよ。...ちゃんと眠っておられますか? 目の下にそんな濃
い隈を作って。きちんと食事を摂られていますか? またお痩せに
なられたようですが。勉強というのはきちんと睡眠をとり、栄養を
摂らなければ身に付かないものなのです。何より、忘れないでいた
だきたい。あなたはまだ子供なのです。それもたった2歳の。どれ
だけ賢かろうが、その成長にたっぷりの栄養と睡眠、そして愛情を
必要とする子供なのですよ﹂
﹁.........﹂
返事をしない私に、ゼスト先生は深いため息をこぼし。
﹁今日はもう休みなさい。貴女に今必要なのは、勉強ではなく休
息です。貴女がそんな状態では、貴女自身はいいかも知れませんが、
陛下や御母堂は心配なさるでしょう。周囲の者を心配させない事も、
上に立つ者にはやらなければいけない事ですよ﹂
私は頭を下げて、部屋を出ました。勉強部屋を出て自室へ戻る私
の後ろを、護衛の兵士が2人ついてきます。
アンナがいなくなってから、私には護衛がつきました。西宮の中
でさえ常に最低2人、私の行く先々にもれなくついてきます。
以前はアンナ一人でした。
あの日から、ずいぶん私の周囲は様変わりしました。
自室に戻る私を、チラチラと見る視線。密かに囁かれる声。それ
らを全て受け止めながら、私は自室へ逃げ込むように入りました。
この部屋までは護衛の兵士も入ってきません。後任の専属侍女も断
61
ったので、用がない限り入ってくる事はありません。
私は教科書を机に置き、ベッドに飛び込みました。
ゼスト先生の言う通り、私はあまり眠れていません。食事もあま
り摂ってません。
眠れないのです。アンナの最期が目に浮かんで。
食欲が湧かないのです。アンナの死に顔が目に焼きついて。
考えてみれば私、前世で入院中、病室で隣だった人とか、談話室
で知り合った人とかが容態が急変したりで亡くなっていくのは見た
ことありますが、それだって遺体そのものは見ていないので、アン
ナのような親しい人の死を、それも遺体まで見るのは初めてなので
した。父方の祖父母は物心ついた頃には亡くなっていませんでした
し、母方の親族とはお付き合いしていませんでしたから。
あの日、私が部屋を抜け出しお父様に会いに行った日、部屋に戻
ればアンナがこの部屋に倒れていました。冷たくなった紅茶が絨毯
に染みを作り、クッキーやスコーンの乗った皿がお盆ごと床に散乱
していました。
床に倒れたアンナは苦しそうに顔を歪め、喉を掻きむしっている
ような姿で、目を見開き、口から血を流して息絶えていました。
死因は服毒死。私が食べるよう促したお菓子に毒が含まれていた
そうです。
私はその場にへたり込み動けず、正直それからしばらくの事があ
まり思い出せません。ただ、知らせを受けて駆け込んできたお母様
にずっと抱きしめられていたのは覚えています。
王宮内での事件のため事を公には出来ず、アンナの遺体は家族の
元へは帰せない筈でしたが、私が激しく抗議したのと王宮勤めの使
用人一家で既に娘の死を伝え聞いていたので、家族には理由と厳重
な口止めの後表向きは病死として遺体を帰したそうです。後から聞
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いた話で、私はよく覚えていないのですが。
私が甘かったのです。転生王女でどこか浮かれていたのでしょう
ね。まるで現実味がなく、物語の中にいるような気分があったので
しょう。ですから忘れていたのです。現実が甘いだけの世界ではな
いという事を。
王族に生まれれば、真っ先に考えるべきは暗殺される可能性。継
承権は下でも、王女でも王位を継げるという事実と現時点で継承権
第一位という立場、そして仲の悪い2国から嫁いできた二人の妃と
それらを各々に支持する貴族一派の存在。前世の歴史を紐解いても、
これだけ揃えば暗殺の可能性くらい頭に入れておかなければならな
いのに。
私の責任です。
あの時、全て捨てるように言っていれば。もったいないとか、下
手に前世の記憶があるせいで庶民の考えが染み付いていて、判断を
誤りました。
通常この国の作法として、贈り物をする時は礼儀として必ずメッ
セージカードを付けます。贈られた側は、まず贈られた品とカード
を見せられ、それから開封なりお茶に出すなりするのです。家族間
でも同様です。事後承諾で直接膳に出されるなんて、少なくとも礼
儀を重んじる王宮では有り得ないのです。習っていた筈なのに、そ
の明らかに礼儀を外れた行為に警戒はおろか、疑問すら抱けません
でした。
王族として相応しい教養を、振る舞いをと頑張っていたのに、一
番大事な事が分かっていなかったのです。
下は上に尽くすのが役目。上は下を守るのが役目。それなのに、
守ってあげられませんでした。
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上が馬鹿だと下が苦労するとはよく言いますが、馬鹿すぎて苦労
を通り越して命まで失わせてしまう結果になってしまいました。
気づかなければいけない事でした。気づいてしかるべき事でした。
まだ子供なのだからと周囲は慰めてくれますが、それは皆知らな
いからです。ですが私は、私だけは自分が子供ではない事を知って
います。私の罪を知っています。だからこそ、私は自分を赦せない
のです。
私がベッドに臥していると、お母様がやってきました。この時間、
普通ならゼスト先生の授業を受けているので部屋にいないと知って
いる筈ですので、恐らくゼスト先生か他の使用人にでも聞いたので
しょう。
﹁大丈夫、エリーゼ?﹂
﹁お母様。大丈夫です、ゼスト先生は少し大袈裟なんです。私、
本当に平気ですのに﹂
﹁ゼスト先生の心配は当然の事よ。あなたのそんな弱った姿を見
れば。私だって心配しているのよ﹂
その言葉と共にお母様はテーブルの上に置いてあるベルを鳴らし
ました。使用人を呼ぶベルです。音が鳴り終わる直前に、お母様付
きの侍女が銀食器を載せたお盆を持ってきました。侍女は私の前に
食器を置き、蓋を開けました。中にはホカホカと湯気を上げる野菜
スープ。優しい香りが鼻孔を擽ります。
﹁私があなたのために作らせたの。食べられる?﹂
﹁でも私、お腹は空いてな﹁お願い、エリーゼ﹂......は
64
い﹂
ニコニコと薦めるお母様の笑顔の目の奥に、私を心配する色を感
じ私はスプーンを手に取りました。
一口啜れば温かく優しい味が口の中に広がって、とても美味しい。
これなら大丈夫かも、とスプーンを進めれば、急に込み上げてくる
ものがあり私は立ち上がりました。そしてベッドの傍に置いてある
器の元に走り、食べたばかりのスープを吐き出しました。
﹁エリーゼ!﹂
お母様が駆けより、私の背中を落ち着くまで撫でてくれました。
﹁大丈夫?﹂
私が落ち着くのを見て、お母様が聞きました。私は口を拭いなが
ら頷きます。
﹁もう大丈夫です。ごめんなさい、お母様。せっかく用意して下
さったスープを﹂
﹁スープなんてどうでもいいわ。それよりあなたの身体の方が心
配です。...そんなに食べた物を吐いてばかりじゃ、いつか倒れ
てしまうわ。こんなに痩せて。まだ子供なのに﹂
そう言って、お母様は肩を震わせて泣きました。
お母様が泣く姿を見たくなくてお父様の元へお願いに行ったのに、
今は私が泣かせてしまっています。でも、どうしても吐き出してし
まうのです。まるで前世で聞いた拒食症のような症状で、あれから
あまり時は経っていないというのに、持っていたドレスがブカブカ
65
になるくらい痩せてしまいました。
精神的なものらしいですが、自分では大丈夫なつもりなのに吐い
てしまうので、正直対処のしようがありません。情けない話です。
﹁待っていなさい、エリーゼ。きっとすぐに陛下が犯人を捕まえ
てくださいますわ。そうすればくだらない噂などすぐに消えてしま
います。大体頭がおかし過ぎるわ。いくら賢くともエリーゼはまだ
2歳でのに。どうせ賢いエリーゼの評判を落としたい輩の仕業に決
まっています。こんな理不尽な言い掛かりが、長く続く筈がないの
よ。あなたの事はこの母が守ります。だからエリーゼは自分の身体
の事だけを考えて早く元気になるのですよ﹂
私がお父様に会いに行った成果なのか、お父様は再びお母様の元
へも通うようになりました。お二人の間でどんなお話がされたのか
は知りませんが、お母様の雰囲気が格段に柔らかくなったのと泣か
なくなったので、お母様にとってはいい方向に向かったのだと思っ
ています。最も、せっかくお父様との関係の問題が片付いたと思っ
たら今度は私の問題浮上で、心を休める暇もないのでしょうが。
本当に申し訳ないです。
お母様が私の周囲に気を配り、ピリピリと神経を尖らせるのは私
の健康問題を心配してという事だけではありません。私に対する周
囲の視線、噂が原因です。
アンナが死んだ翌日には、アンナが毒殺された話は出回っていま
した。アンナが死んだと聞かされたお父様がすぐに私の元へやって
きて、その場で周囲にいた者に他言無用を言い渡したというのに、
です。そして何故か、毒殺した犯人が私という事になっていました。
というのも、アンナに使われた毒は、どうやら私が管理する温室
から盗まれた植物から抽出されたものらしいからです。確証はあり
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ませんが、温室から引き抜かれた植物とアンナの死に様をみればそ
れしか考えられないというのがゼスト先生の話です。
2歳の子供に人が殺せるかという疑問もありましたが、私は普通
の子ではないから有り得るとの事だそうです。むしろ、私が薬学に
興味を持っていた事も、私が薬草と称して得体の知れない植物を育
てていた事も有名でしたので、子供特有の無邪気さと残酷さから興
味本位に趣味の毒草の実験台にしたのだろうとのこと。
アンナが死んでも泣かなかったのも噂に拍車をかけています。決
して悲しくなかったわけではないのに何故か涙は出なかったのです
が、それが冷徹な子供に見えたのでしょう。
アンナが死んだ時お父様のところに行っていたのも、殺害時に傍
にいなかったという存在証明のためで、しかし、毒殺だから別にそ
の場にいなくても人が殺せるので、存在証明にはならないという事
には、子供の浅知恵で気づかなかったのだろうとまで揶揄されたり
もしました。
なんというか、大人扱いされたり子供扱いされたりと、私も忙し
いものです。
言い訳をさせていただけるなら、温室に集めた植物は植物図鑑に
[薬用効果あり]と注釈があった植物を片っ端から集めただけで、
どんな効能があるとか、どんな使い方︵加工・抽出︶をするのかと
かはまるで知りません。というか、知らないから学びたいとお願い
していたのですが、薬草は毒にもなる事があるので、危険だから子
供である今の私には教えられないと断られていた上に、勉強家であ
る︵と思われている︶私が独学で学ばないように、城にある薬学関
連書籍は別の場所に移されるという厳重警戒をされていたので、毒
の作り方など知りようもありません。そのことは、私の身近にいた
人達ならば知っている筈の事なのですが、一度かけられた疑惑とい
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うのは厄介なものですね。よく考えれば分かる事なのに、周囲でま
ことしやかに流れている話の方をつい信じてしまう事があるようで
す。
そもそも私が薬学を習いたかったのは、前世の私が病死したので
念のために習っておきたいとか、薬学ならいざという時人を助けた
り、何かあった時身を助ける事ができるかもとか、ただそれだけの
理由だったのですが、随分と大事になったものです。
恐らくは、私が面倒臭がって擬態しなかった事が影響しているの
だと思いますが。
きっと、私が普通の子供らしい子供でしたら疑われなかったと思
います。できれば年相応、最低でも[少しおかしな子供]の範疇を
超えない程度で抑えていれば、こんなおかしな疑惑自体あがらなか
ったのだと思います。
私が素のままで生きることでこんな弊害が起こるとは、夢にも思
っていませんでした。
今回の件の一番問題視されましたのは、薬草が毒へ転用可能と私
が知っていたことです。
知っていたのに温室に鍵すらかけていない。見張りを置いている
わけではない。それは、わざと盗みやすくして、その実自分の配下
にでも盗み出させて毒を作ったのじゃないかとか、自分が疑われた
時のためにわざと他の誰でもできるという逃げ道を残したかったの
だろうとか、そういう理屈なのだそうです。
確かに、毒への転用可能と知っていながら管理が甘かった落ち度
は私にあります。
批判を受けて、私は温室を閉じました。今頃は大部分の植物が枯
れているのではないでしょうか。植物には罪はないのに、可哀相な
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事をしたものです。
......だって、普通思わないじゃないですか。
前世世界にだって毒になる植物は普通に存在します。例えば可愛
らし花を咲かせるスズランだって下手すると人が死ぬくらいの毒が
ありますし、彼岸花や夾竹桃、水仙やツツジにだって毒があります
が、それらを鍵かけた密室で管理すらなど聞いたことがありません。
それでなくとも平和ボケと言われる日本で育ってきた記憶のある
私には、集めた植物が毒殺に利用されるという意識すらありません
でした。
ですが、それは私だけではないと思います。この城内の庭園を彩
る美しい花々の中にも毒性のある植物が混ざっています。それらを
全て鍵を掛けて管理しているかといえば、当然否です。それなのに、
さも私だけが悪いかのように噂されるのは、恐らくそう思わせたい
誰かがいるのでしょう。
そしてきっとその人がアンナの、いえ、普通であればあの毒入り
お菓子は私が食べていた筈なので、私を暗殺しようとした犯人なの
でしょう。
﹁エリーゼを狙うなんて、こんなことするのは絶対にサラキアの
方です。やっと子供を授かれたから、邪﹁お母様!﹂なっ...た.
........﹂
﹁駄目です、お母様。それ以上は口にしては!﹂
私はお母様の言葉を慌てて遮りました。
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﹁国王陛下の妻たるもの、例え身内の中だけであったとしても確
証のない事は口にしてはいけません。お母様にとっては何気ない言
動でも、周囲は国王の妃として受け取ります。それがどれ程の影響
をもたらすかは想像だにできません。私を思う余りの事だと嬉しく
もありますが、どうかお気持ちを沈めてくださいませ﹂
お母様は現在23歳で、27歳で死んでさらに2つの時を重ねる
た私はつい後輩にするような︵結婚して子供まで産んでる時点で私
ごめんなさい
より経験値は高そうなのに︶説教めいた言い方をしてしまう事があ
るのですが、お母様はきつそうな顔の割に意外と素直で、私のよう
な子供の言う事でも真摯に受け止めてくださいます︵単に私に甘い
だけという話もありますが︶。私の言葉に唇を噛み締め、真面目な
顔で頷きました。
﹁エリーゼの言う通りだわ。ありがとう﹂
﹁いいえ。返って差し出た物言いを致しました。...お母様、
私はできればユミル様方とも仲良くしたいと思っています。例えあ
ちらはそう思っていらっしゃらなかったとしても、一方通行でも考
えが甘くても、私は仲良くしたいのです。だって私達は家族ですも
の﹂
﹁......家族﹂
﹁ええ、そうです。家族です。お母様もユミル様も同じ人を夫と
し、私とユミル様がお産みになられる子はお父様を同じくする、家
族なんです。家族は仲良くするものですわ。理想論かも知れません
が、思いを尽くせばきっとあちらも分かってくれるのではと思って
います﹂
70
﹁でもあなたを狙ったのは.........﹂
あなたを狙ったのはユミル様かも知れないのに。さすがに私の指
摘を受けて口にはしませんでしたが、言い淀んだお母様の様子から
そんな声が聞こえてきます。お母様の心の中からはサラキアへの疑
念は消えていないのでしょう。
それは私だって同様です。正直な事を言えば、ユミル様、という
かサラキア側を疑ってはいます。ともすれば自らの罪を棚に上げ、
八つ当たり的にユミル様の元へ殴り込み、アンナの弔い合戦と決め
込みたい気分満々です。ですが、もし他に犯人がいたら...。
今回の件だって、私を殺す事でお母様達グランブル派とユミル様
達サラキア派の対立を深めて争わせ、その隙をついて他国が攻め入
ろうとしていることだって考えられるのです。
先入観を持つと真実を見る目が曇るのです。特に私は過去に嫉妬
で視野を狭くし、暴走した経験があるので今の自分も信用していま
せん。
ですから、きちんと犯人が見つかるまでは私は当初の計画、家族
円満を実現するために動くのです。
私達は王族です。王族の家庭円満は国を救います。国内での身内
との争いがなくなり、より強固な絆で国外の敵にあたれる最強の盾
だと思うのです。ですから私は......。
﹁きっと仲良くできますわ。だって私達はグランブルでもサラキ
アでもなく、神聖ローゼン王国の未来を背負う王の家族なのですか
ら﹂
71
それから10日経っても犯人は見つかりませんでした。厨房はお
菓子の存在を知らないというし、アンナにお菓子を持ってきたらし
いメイドは、アンナが死んだ翌日階段を踏み外したとおぼしき様子
で転落死していました。見つかったのが朝だっただけで、死後硬直
からアンナにお菓子を届けた後すぐにか、少なくとも夜の内に死ん
でいたのだろうとの事で話も聞けず、持ってきたお菓子もどこかで
買った品ではなかったようで犯人の目撃情報も取れず、捜査に息詰
まったとの事でした。
家族仲はあまり変わりません。お父様とお母様と私。3人だけな
ら仲良くしているのですが、ユミル様への面会の許可が下りません。
お父様もそれとなく打診して下さっているようですが、物騒な噂の
ある私と、現在妊娠中の義母︵お母様がいるので変な気分ですが、
恐らく義母で間違っていないでしょう︶を会わせるのは、周囲の強
固な反対もあってまだ叶っていません。
長期戦は覚悟しないといけませんね。
長期戦といえば、私の拒食症はスープくらいなら多少飲めるよう
になってきました。吐く頻度も半分くらいに減りました。完治では
ありませんが、徐々に快復していければと思っています。そんな時
でした。ゼスト先生から薬学の許可がおりたのは。
﹁もし貴女に薬学を教えていれば、貴女の侍女は死なずに済んだ
かもという仮定は無意味です。知っていても救えなかったかも知れ
ません。気付けなかったかも知れません。いずれにしても答えは出
ないし、亡くなった人が生き返るわけでもありません。ですが、毒
殺の犯人は捕まっておらずまた同じ事がないとも限りません。です
から陛下に掛け合って、貴女に薬学を学ばせる許可をいただきまし
た。もちろん先程も言ったように、薬学を学んだとしても毒が見抜
けるとは限らないですし、救えないかも知れません。もしかしたら
72
役に立つ事もあるかも知れませんが、恐らく今以上に疑いの目で見
られるかも知れません。それでも貴女は薬学を学びたいですか?﹂
ゼスト先生が差し出た手を、私は一も二もなく掴みました。
﹁例えこれから先役に立てなくても、学ぶ事に無駄はないと思い
ます。私は学びたいです。例え私に対する疑念が強くなるとしても.
..。もう二度とアンナのような犠牲者を出さないためにも、もっ
と強く賢くなりたいのです。ですから、私に薬学を教えてください﹂
つーっと涙が一筋こぼれました。それはアンナが死んで以来初め
て流した涙でした。
73
8.
薬学はじめました。︵後書き︶
やっと2歳終了∼
74
9.お姉さんになりました。︵前書き︶
何度書き直したものか。
いきあたりばったりはいろいろ弊害がでますね、やっぱり。
後、我が家から風邪の嵐が去りません。
75
9.お姉さんになりました。
延期されていた薬学の勉強をスタートし、一年近く。私は3歳を
迎えていました。
私が3歳なら、2歳当時お腹の中にいた赤ちゃんはどうなったか
といえば、分かりますよね。この世界でも妊娠期間は十月十日。赤
ちゃんも無事産まれ、私はお姉さんになりました。
母親が違うので、異母姉弟というものですね。
[異母姉弟]という単語で分かる通り、産まれたのは弟です。男
の子です。王子です。長男です。
つまり、現在王位継承第一位は私ではなく第一王子である弟にな
ったのです。
その件については私は異存はありません。元より王位を争うつも
りはなく、むしろ肩の荷が降りたというか。
産まれたばかりの弟に重荷を背負わせたようで何となく罪悪感め
いた気分はしますが、下手に前世の記憶があるせいでどうしても庶
民感覚が抜けない私よりも、産まれた時より国を背負う前提で教育
される弟の方がいいと思うのです。
あまり庶民感覚から外れた王というのも心配ですが、庶民的なせ
せこましい考えが邪魔して大局で判断力を鈍らせたり、決定できな
かったりというのもとても困るのです。王が間違えば国が路頭に迷
う事だってあります。その際最初に消えて行くのは、判断を誤った
王ではなく一番立場の弱い一般庶民です。
ですから、庶民感覚が染み付いて判断に迷う私よりも、最初から
次代王として育てられる弟が適役だと思うのです。
足りない庶民感覚なら、私にもアドバイスとかできますしね。も
し仲良くできたら補佐として弟を支えるのも有りだと思っています。
76
.........仲良くできたら、ですよ。
だって赤ちゃん産まれてそろそろ一ヶ月。今だ私は弟に会えては
いません。
名前はお父様から教わったので知っていますが。
[リオン]というそうです。
何だか王子様でリオンとか、いかにもありがちな名前ですよね。
お菓子な名前の私が言えた事ではないのですが、何となくこんな名
前の王子様が出て来た話あったよなぁなんて昔の記憶を刺激され、
親しみが湧きます。
やっぱりイメージ通り天使な容姿をしているのでしょうか。
今はなかなかユミル様側の警戒心が強くて会わせてもらえません
が、いつか会えたら嬉しいですね。
前世で異母妹はいましたが、弟は初めてなのでその点でも楽しみ
にしているのですが、人生ままならないものです。
そんな事を考えながら一心不乱に薬の調合を行っていました。薬
学は好きです。前世が病死だっただけに、自分の命を繋いでくれそ
うで、それに無心になれるので余計な事を考えたくない時などには
薬学に励む事にしています。
魔法の勉強が出来ればいいのですが、5歳までは我慢です。
どうしてそんなに無心になりたいかと言えば、今いろいろと面倒
な立場にいるからです。
最初に、これは声を大にして言いたいのですが、私は弟が産まれ
た事を喜ばしい事だと思っていますよ。例え、お母様が産んだ子で
77
はないとしても、今だ会った事がなくても。
ですが、私が喜んでいる事を信じていない人も少なからずいる訳
で...。
いえ、正確に言えばお母様が喜んでいないと思っている人が、で
すね。
お母様は確かに複雑な気持ちなのでしょう。夫との間に別の女と
の子供が産まれて、しかも王子で男児としては最初の子。自分が産
んだ女児より位が高く、即ちそれは、次代の国王の母、つまり国母
となられるわけで。
ですが、お母様はそれはもういいとおっしゃっていました。確か
に周囲からの期待もあり、最初は何が何でも最初の子を、出来れば
男児を、と思っていたらしいのですが、私に
﹁ねえエリーゼ、あなた女王になりたい?﹂
ふとした拍子に聞いた時、私がさも嫌そうな顔で
﹁いいえ。どうしても私が王位に着かなくてはいけない状況なら
王族に産まれた者の義務として継ぎますけれど、出来れば、可能な
限り、全力で許否したいところですね﹂
と答えた時に諦めたのですって。
ちなみにその後
﹁そ、そんなに嫌なの? どうして? 女王になれば何だって思
いのままよ?﹂
﹁何言ってるんですか、お母様。最高権力者の好き勝手には責任
が伴うんですよ。采配一つで村や町を富ませたりできる変わりに、
滅ぼす事も可能なんです。自分では大した願いを言っていなくても
78
回り回って人が死ぬ事だってあるんです。そんな不幸が積み重なっ
た挙げ句に待っているのは反乱起きて断頭台とか、領民の裏切りや
家臣の寝返りで戦争に負けて戦争責任背負わされて死刑になるとか
ですよ。暗殺だってきっと今の比じゃないでしょう。そんな未来を
思うと権力に任せて好き勝手にするとか出来ませんし、ですけど民
や家臣の不満を解消しつつ国を上手く運営することはしなくてはな
らないなんて、面倒以外の何物でもありません。そんな大変な王様
をやってらっしゃるお父様はすごいです。私でしたら一国の運命を
握るなんて、絶対ストレスで早死にします。任せられる方がいらっ
しゃるなら、卑怯と言われようとも押し付け...お願いしたいで
す。私を可愛いと思って下さるなら、私を王にするという考えは捨
てていただきたいです﹂
﹁...そう。た、確かにエリーゼの言う事にも一理あるわ...
ね。.........ところでエリーゼ、あなたまだ2歳....
..だったわよ...ね?﹂
﹁嫌だわ、お母様。正真正銘の2歳児ですけど、何か?﹂
という会話が続きました。
お母様ったら、自分で私を産んだのに私の年齢忘れていたのでし
ょうかね。
......なんて、素をさらけ出し過ぎてお母様に引かれてし
まいましたけど、今はもう本当に慣れたものです。
話が剃れてしまいましたが、つまり私とお母様は王子が産まれた
事に特に不満を覚えてはいないのです。特に王位を継ぎたい︵継が
せたい︶とも思ってませんし、ユミル様、ひいてはサラキア側に思
うところも特にありません。
79
それなのに、勝手に邪推した人達が親切な顔して来るわ来るわ。
やれいくら王子が産まれたからって世間も浮かれ過ぎ。最初の御子
であるエリーゼ様が産まれた時よりも祝いが派手なようで勘に障る
とか、やれまるで天下を取ったかのように威張りだしたサラキア派
の貴族がムカつくだの、先に御子を産んだのに立場が逆転して可哀
相だの、やれ女児じゃなく男児を産めばこんな屈辱を味あわなくて
もすんだものを。次は絶対に王子産んでください。それも出来るだ
け早くだの、本当に自分勝手で神経を逆なでしてくださいます。
どう見てもあなた方、私達が悔しがる姿を見て楽しみたいか、自
分が所属するグランブル派の貴族が不利になったので恨み事を言い
たいだけでしょう?
少し放っておいてくれませんか?!
なんて言えない私は、一人勉強と称して薬学室にした部屋に潜伏中
です。
私は逃げられるからまだ良いのですが、逃げられないお母様は大
変そうです。ですが、その大変さを完璧な笑顔で隠し、でも美しい
その目は﹁用が済んだらとっとと帰ってね﹂と言わんばかりの無言
の圧力を湛え、相手の不満は上手に吐き出させてはそれとは気付か
せずに曖昧な返事で受け流し、決して言質は取らせない、最上級の
社交術は私も将来是非とも見習いたいものです。本当はお傍にいて
実施で習った方が身になるのでしょうが、如何せん今の私では大人
の会話に同席していい年齢ではありませんし、居ても誘導尋問等に
引っかかって返ってお母様の足を引っ張りそうなので、今はお母様
にお任せしてできる事をやっています。
その一つが、去年から始めた薬学なのですけれども、こちらの薬
学って面白いですね。
私てっきり、前世世界で有名なジ○リ映画の千となんちゃらの神
80
隠しに出て来る蜘蛛みたいな薬屋さんがやっていたみたいに、材料
をゴリゴリと挽いて粉薬みたいなものを作るのかと思っていました
が、まさかの錬金術でした。
錬金術といっても私が勝手にイメージしているだけで、本当に錬
金術かどうかは分かりません。何しろ本物の錬金術なんて見たこと
ありませんし。ただ何というか私の錬金術のイメージって二種類あ
って、錬成陣書いてやる有名な兄弟の物語に出て来るアレと、昔練
れば練る程色が変わるというお菓子のCMに出て来た、魔女みたい
な女性が煙の出る試験管持って...というのがあったと思うので
すが、そんな感じで試験管の中の液体がグツグツしてて、光と共に
ボンッと弾けて色が変わったり煙が出たりとかいうようなもの。今
回の錬金術っぽいのは後者、試験管でボンッ、の方です。
下処理は一緒なんです。乾燥させたり煮出したりと薬草に合った
処理をするのですが、何故それが最終的に試験管に全部入れ、生物
皆が持っているというマナという生命エネルギーみたいなものを手
から放出して薬にするのか、意味分かりません。普通に混ぜて粉薬
とかじゃだめなんでしょうかね? 一応、魔法と併用して治癒を行
ったりするのでこのやり方がいいという説明は教科書には書いてあ
りましたけれども。
しかも出来上がりが全てポーション。
いえ、液体になるというだけで、勝手にポーションと名付けてし
まいましたが、正式名称は違いますよ。まあ、正式名称も何も、薬
液としか言いませんからポーションとかいう方がよっぽどしっくり
くるんですけどね、私的には。
しかしなんでしょうかね。同じ材料を使っても効能や利き具合、
味等は作り手の力量やマナの性質で全て違うというこの出鱈目さ。
何しろマナは人によって違って、例え双子であっても同じものはな
81
いらしいのです。ですから、出来上がる薬も作り手によって全く違
うらしく、何とかという薬師が作る薬は効き目は良いけど激マズと
か、こちらの薬師が作る薬は飲みやすいけど効能がイマイチとかい
う感じになるようで、売っている薬液には誰々作薬液とか、作り手
の名前が付けられているのですって。
薬学の世界、深いです。
それで私が作る薬液なのですが、何故なんでしょうね...。
私の中の薬液のイメージがそうなってしまっているのか分かりま
せんが、出来上がりを試飲した時思わず笑ってしまいました。
味がとっても懐かしいのです。
私が作る薬液には二種類あって、病気用と怪我用になるのですが、
何故か病気用薬液の味がポカ○スエット。
熱とかで汗掻いて水分補給に、というイメージがあったからなの
でしょうか? 病人なの水分補給なら○S1だけど、あれは美味し
くなくて私が嫌いだったからこうなったのかしら?
それで問題の怪我用の薬液が
何故かオ○ナミンC味。黄色の液体、シュワシュワの炭酸、その
まんま。
何故? ファイト一発で危険な事しているイメージがあるから?!
こんなシュワシュワの炭酸飲料、平時ならともかく危険モンスタ
ーとかと戦っている最中に飲めと? どんな一発芸ですか?
自分を小一時間問い詰めましたが答えは出ず、何をどう混ぜても
味の濃さが多少変わるだけで変化はないので、もうそういうものだ
82
と諦めました。
まあ、美味しいですし。味に文句はありません。
ゼスト先生に伺っても、味はイメージしたからそうなるというも
のではないそうで、まず間違いなく苦いものなんですって。ですか
ら私の作る薬液の味にとても興味を示しまして、城の兵士にも卸す
事になりました。町に卸さないのは供給量が少ないからです。作り
手が私だけな上、専門に作っているわけではなく、あくまで他のお
勉強の合間に作っているというだけですので。
ゼスト先生もそうですが、兵士達にも好評だったと伺いました。
どちらも初めての味なのですって。特に炭酸なんて品はなかった
のでとてもビックリされたようです。ゼスト先生以外の反応を見た
事がないので伝聞でしかありませんが、好評と聞いて嬉しくない訳
がありません。
効能の効き目は最高級品以上とのお墨付きをいただいたので、調
子に乗って増産しているのです。勉強にもなりますし。
私、余り褒められた事がありませんからとても嬉しかったのです。
まるで自分が認められたような気分です。
いえ、今世で認められていないという訳ではないのですけどね。
ちゃんと愛してもらってますけどね、やはり身内の贔屓目ってある
じゃないですか。第三者に認めてもらうのとは、また少し感激度が
違うのです。
なるほど、もしかしたらこれが噂の転生チートだったのかも知れ
ませんね。
83
10.誘われました︵前書き︶
風邪が、風邪がと言っていましたら、とうとう入院者が出ました。
そして、風邪じゃありませんでした。
クリスマス前に入院して年明け退院。
結局去年は三人、4回の入院がありました。
今年は健康に過ごしたいものです。
...私は元気なんですけどね。
84
10.誘われました
う∼ん、どう調合してもポ○リかオ○ナミンC︵もう、面倒なの
で略してオロCと呼びましょう︶のような味になるのは変わりませ
んね。不思議です。
そんな謎に探究心を擽られながら私が熱心に薬液を作っていると、
今日の護衛の騎士の一人に声をかけられました。
今日の護衛騎士なんてまるで今日のメニューのような気軽さです
が、今私の護衛騎士は日替わりです。王族護衛を担当する近衛騎士
の中から西宮担当の騎士を割り当てられていて、その中から私担当
の騎士が選ばれるのですが、私が専属騎士をつけるのを拒否したた
めにローテーションで担当を変えているのです。
私が専属騎士を付けないのは、命を狙われた以上その人が信用で
きるか分からないのと、私の傍にいてアンナのような犠牲を出した
くなかったからです。
アンナが死んだあの事件では、毒の入ったお菓子を持って来れた
ということもあり、少なくとも城に出入りできるくらいの身分は持
っている可能性が高いです。お菓子を持ってきた侍女の転落死が事
故ならばいいですが、故意ならば間違いなく城の中自由に出入りで
きる人が手を下したのでしょうから。
自殺の線は考えていません。自殺ならばもっと確実な方法があっ
たでしょう。少なくとも下手したら怪我はするけど死にはしないか
もしれない程度の階段でなんて、選ばないと思うのです。死ねなか
ったら怪我するだけで、痛い思いするだけじゃありませんか。怪我
して逃げられずに捕まれば、追及の手も逃れられませんし。
85
城の内部に犯人がいる可能性が高い以上、いくら警護の騎士とは
いえ必要以上に近づけたくありません。ですから警護のローテーシ
ョンは毎日変わるし、それも朝に突然言われて組む相手もランダム
になっているので、毎朝警護就任の挨拶があるのです。
一応、西宮担当の警護騎士全員の顔と名前、そして家の事とか頭
に入れているので、日替わりといえども知らない人が警護に当たっ
たらという心配はしていません。
お母様にはその他大勢の護衛騎士の他にちゃんとした護衛騎士が
いらっしゃるので、私のようにローテーションを組むなどと面倒な
事はしていません。
王族や貴族にとって、自分専属の侍女や侍従、騎士を持つのは本
人の格を表すものでもあるので早く持てと言われるのですが、何と
なく決められないまま今に至っています。
まあ、まだ3歳ですので焦って決める事はないのですけれど。
それで今日の護衛騎士の話になるのですが、今日の担当はアドミ
ラルとヒエラスキーです。前者は騎士の家計の七男で後者はとある
豪商の三男で、騎士試験を受けて上がってきた所謂出世してきたタ
イプですね。近衛ってエリート職ですから。
話しかけてきたのはアドミラルの方です。薄い茶色の髪をした、
見るからに純朴そうな二十歳前後の若い騎士です。私が鬱屈してい
るのを心配して、気分転換にいっそ外へ出てみませんか? という
提案でした。王子が産まれて一ヶ月経ってはいますがまだまだ町は
お祭りムードで、出店も見世物も沢山出店していて楽しめるのだそ
うで。
86
私はとても迷いましたが、お父様とお母様に相談してみました。
お母様は反対しました。そんな危険な事は許可出来ません! と。
ですがお父様は賛成して下さいました。苦い顔をして、文字通り苦
汁の決断という感じでしたが。
その変わり、護衛に近衛隊隊長であるライゼル伯爵を加えるとい
うものでした。本来なら国王を守って傍を離れない隊長を私に付け
るというので、お父様も一応私の事は心配して下さったのでしょう。
ただ王として譲れないものがあるだけで。
ライゼル伯爵は王国でも随一の腕を誇る剣士です。それに炎系の
攻撃魔法の使い手としても有名で、そんな方が同行して下さるとい
うのですからこんなに心強い事はありません。
ですから、私は有り難くこの話を受けました。
ただし、姿は見せない方向で。
だって目立つじゃありませんか。齢3歳のお子様な私でさえ胸を
トキめかせる程美中年のライゼル伯爵ですよ。子供4人もいる愛妻
家としても有名な伯爵に、それでも言い寄る女性が未だに耐えない、
顔で選んでいるのではと噂がたつ程イケメンで構成された近衛騎士
隊の中でも一位、二位を争うと言われる程の方ですよ。街で絵姿と
か売られる程︵侍女談︶の有名人ですよ。そんな方が同行してお忍
び町見物など、逆に人目を引いて成功するはずありません。
それに、ライゼル伯爵が同行して来られると、一番会いたい方が
警戒して出て来てくれないかも知れません。そうなると本当に本末
転倒というか。
私、会いたいのですよね。私を殺そうとして、結局アンナを殺し
てしまった犯人に。
87
あれから王宮内の警備が難しくなったせいか、全く姿を眩ませて
しまって。事件担当の近衛隊︵一般の事件なら騎士団担当なのです
が、王族護衛担当ですから近衛隊担当になっているみたいです︶も
捜査に行き詰まっているみたいなのです。
命を狙われなくなったのは喜ばしい事なのですが、それで﹁なら
もういいか﹂と終わらせる事など出来ません。何故なら、恐らくの
対象者である私は生きていますし、一度あった事はまた再び起きる
可能性がないとは言えないからです。
いえ、王族暗殺という、結果的に未遂とはいえ通の殺人より精神
的負荷が高いだろう事件を実行したのです。きっと二度目はもっと
精神的ハードルは低いと思うのです。
ですからきっと、また襲われる。
それは私だけでなくお父様も近衛隊隊長ライゼル伯爵も同じ意見
です。そこで私は今回の事を利用する事を思いついたのです。
いつ襲われるかビクビク待つより、危険ですが準備万端で迎え撃
つ。そのためにわざと隙を作ろうというのです。それはお母様は反
対しますよね。まだたった3歳の少女が、囮になって怖い狼さんを
おびき寄せようとしているのですから。
ですが私は、もう待っているのに飽きました。警護は厳重で動き
づらいし、警護含む周囲の人が全て敵に見えて終始緊張が抜けませ
んし、いつ襲われるか怯えながら暮らす毎日。
前世で死と隣り合わせの生活していましたが、病による緩やかな
死と他者から与えられる理不尽な死とでは、恐怖の度合いが違うの
でしょうか。
正直キツイです。
88
それにアンナを殺した犯人を野放しにして置けないという気持ち
もあります。私の身代わりで殺されたようなものですから、気にす
るなという方が無理です。
死にたくないと思っていながら自分の身を危険に晒してまで囮に
なるのは、自己満足の為です。私のミスで巻き込んでしまった命が
ある。それを思うと苦しくて、この気持ちがもし少しでも楽になる
というのなら頑張れる。
ええ、そうなんです。アンナの為などではありません。結局は全
部私の為。
なんて身勝手な自分。前世からまるで変わっていません。だって
記憶があるのですもの。私の本質なんて、そうそう変わりませんよ
ね。
それでもいいのです。今世は命汚く生きるのです。囮になるから
といって、死ぬ気なんてありません。ただ私が心安らかに生きられ
るよう戦うだけです。
私の傍ではなく、離れた位置からの護衛を希望した私にライゼル
伯爵は条件を付けました。
﹁では、私の変わりにエリーゼ様のお側に一人、従者としておく
事をお許し下さい。一見強そうに見えませんから警戒はされないで
しょうし、最低限自分の身は守れますのでエリーゼ様のお邪魔には
ならないでしょう。うまくすればエリーゼ様の助けになるやも知れ
ません。それが私がお側を離れる条件です﹂
私としても信頼できる護衛は必要でしたので、ライゼル伯爵の申
し出は有り難く受けることにしたのです。
89
それがまさかこんな事だったなんて......。
外出日当日、私は薄手の淡い緑色のドレスとつばの大きな帽子を
被って馬車に乗り込みました。
今日の護衛はアドミラルと、シューターという若い騎士。
アドミラルは、本当は別の者が担当だったのですが自分が言いだ
した事なので責任があると主張し、変わってもらったのだそうです。
ですがシューターは、一目見て若いと思いましたが、まだ18歳な
のだそうです。今回のお忍び外出は危険が伴うかも知れませんのに、
あたら若い命を危険に晒すなど感心できません。変えてもらおうか
と思えば、馬車の中に既に、シューター以上に看過出来ない人物が
いたのです。
﹁.........あなた、誰?﹂
私の問いに、馬車の中だというのに素早い動作で座席から立ち上
がり、頭を下げた見知らぬ少年が一人。
﹁本来なら馬車の外へ出てお迎えしなければいけない事ですが、
これも護衛の為と父に厳命されておりましたので、車内から失礼い
たします、姫君。お初にお目にかかります、私はカーマイン・ライ
ゼル伯爵が三男、アレクセイ・ライゼルと申します。この度の外出
にお供を仰せつかっております。正式な騎士襲名はまだなれど、命
に変えても姫君をお守りいたしますのでご安心下さいませ﹂
狭い車内で器用に片膝をつき、これまた見事に騎士の礼をとる少
年の容貌ときたらまあ、美しいこと。青白いというか、青銀色の髪
といえばよろしいのでしょうか。うっとりするほど見事な色の、き
90
っと外へ出たらキラキラと光を反射するのでしょうねと想像できる
ほどの艶やかさを持った髪と、これまた綺麗な肌に彫刻かと思う程
絶妙な位置に配置された目鼻立ち。
美少年です。百人中百人が太鼓判を押す位の、間違いようがない
美少年です。
王女として産まれるならば、こういう容姿で産まれてみたかった.
.....。
今更ながらに地味顔の王女に産まれた残念さが身に沁みます。し
かも地味に悪人顔とか、お母様も少しキツイ感じの美人ですが、キ
ツイ感じだけ受け継いで美しさを受け継げなかった事だけ見ても、
どれだけ私が残念な人なのか分かっていただけると思います。
ですが流石は美中年で名高い伯爵のお子様です。容姿の色はお母
様に似たのか共通点はあまりありませんが、顔の造りはよく似てい
らしてて本当に綺麗。今は綺麗で済んでいますが、将来育った時は
どれだけのイケメンさんになるか楽しみです。
............ではなくて。
﹁ごめんなさい。伯爵からその実力を買われて、私の今回の護衛
をお願いされたのだろうという事は分かっています。ですがあえて
失礼かも知れない質問をしたいのですけれど﹂
私はアレクセイをマジマジと見詰めて聞きました。
﹁アレクセイ、あなた年はいくつですか?﹂
ライゼル伯爵は今日の外出の危険性を知っている筈ですから、相
91
応の実力はあると思うのて゛す。ですがこれは、余りに......
...
﹁7つになりました﹂
幼過ぎますでしょう、伯爵!!
92
11.初めての外出です。︵前書き︶
毎度遅くてすみません。
日を追う毎に行事やチビ共に忙殺されてきました。
今後も亀更新な気がします。
93
11.初めての外出です。
﹁ふわぁ、これが王都なんですね﹂
馬車の窓から見える光景に、私は思わす感嘆の声をあげました。
まるで映画で見るような中世ヨーロッパ風の町並み。
石畳の道に石造りや木造の家々、往来する馬車や行き交う人々の
装いなど、まるでタイムスリップしたかのようです。
もしかして異世界ではなくて、本当にただのタイムスリップかと
思ったぐらい視界に馴染んでいました。最も、この世界には魔法も
あって魔物も実際にいるらしい︵まだ実物は見た事ありません︶の
で、異世界なのは間違いないのですけど。
﹁姫様は街を見るのは初めてですか?﹂
はしゃぐ私の姿を見て、同じ馬車に乗る一人の少年がそう話しか
けて来ました。
﹁ええ、街を見る事どころか、本宮と西宮以外の場所に行った事
はありません。当然外出も初めてですし、何より馬車に乗るのも初
めてなんですよ﹂
普通の王族がどうなのかは分かりません。私はローゼン王国の、
それもお母様とお父様という狭い範囲でしか王族の事は知りません
から。
ただ、別荘というか離宮はいくつかあるらしいので、行こうと思
えば避暑や旅行等で出掛ける事はありそうですが、少なくとも私の
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記憶にある限り私とお母様が城の外へ出た事はありません。
ちなみに私の覚醒は生後二週間程からなので、それ以前に外出し
たのであれば分からないのですが、国王の初子であり新生児という
二重の意味で大事にされるべき時に、無茶な外出はしないのではな
いかなと思いますので、恐らくは私が産まれてからの外出はお母様
共々なかったのだと思います。
お父様は視察もあったりしてお出掛けはよくある事ですけど。
外出はなかったのですが、それで不満に思った事はありません。
前世では勉強は好きではありませんでたが、今世は気構えが違うせ
いか学ぶ事が楽しかったので不満など湧く筈もなかったのです。
やっている事を見るとただのインドア派のがり勉少女ですが、身
分が王女なだけで箱入り娘を通り越して深窓のご令嬢︵王女ですけ
ど︶みたいなイメージになるのが不思議です。
そのおかげか、私の黒い噂︵実験でアンナを殺したとか︶は大分
薄くなってきたように思えます。
最も本物の深窓のご令嬢は、そもそも黒い噂なんてたちませんし、
白衣に白手袋つけて苦臭い薬品ゴリゴリやったりはしないでしょう
けどね。
なんて事を考えながら、私は向かいあって座る少年に目をやり、
何度目かになるため息をそっと零しました。
アレクセイ・ライゼル。
今回の外出に付けられたお目付け役、弱冠7歳のライゼル伯爵の
三男。肩に着く位に伸ばされた、銀糸のような艶やかに輝くサラサ
ラの髪を後ろで一つに束ねた、淡い水色の瞳を持った美少年。護衛
という話ですが、正直守らないといけないのは私ではなく、この少
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年の方だと思うのです。
何を考えてるんですか、あの方はっ!!
最初見た時、状況さえ許されればライゼル伯爵を捕まえて説教を
ぶちかましたくなる程の憤りに、目眩を覚えました。
今回私の我が儘の外出に付けた侍女は一人。身分を考えれば最低
でも三人以上の侍女が付き従うのが普通なのですが、今回の目的は
暗殺者をおびき出す事でとても危険ですので、最低限の一人、それ
も子育てを終えた熟年の侍女のみです。
本当は侍女を連れて行かないつもりでしたが、日頃の教育の賜物
か、私の立ち居振る舞いでは庶民とは到底偽れないということでし
たので、ある程度裕福な家のお嬢様という事にする方向で落ち着き
ました。そうなると、侍女、いえメイドを連れていないお嬢様など
いるはずもなく、結局ごく一般の貴族が付ける最低限のメイド、一
人を付ける事になったのです。
それでも人選は悩みました。
積極的に巻き込むつもりはないのですが、目的が目的です。意図
せず危険に巻き込む事もあるでしょう。その時は勿論全力で守るつ
もりですが、如何せん私自身には戦闘能力などなく、ひどい事だと
は思いますが万一の事を考えて、まだ小さいお子様のいる侍女は真
っ先に除外し、年老いた親がいる人、未来のある若い人は外し、な
るべくしがらみの少ない人で忠誠心のある中年以上の人で、ある程
度走れる人を厳選して連れてきました。
それだって、未だに罪悪感を覚えているというのに、よりにもよ
って子供。それもまだ7歳。前世世界でいったらまだ小学1年か2
年生。
例え能力があったとしても、許容出来かねます!
96
えっ、私ですか? 私はいいのです。身体は子供でも中身は大人
なので。教科書勉強ばかりのテスト脳ですので、どこかの﹁真実は
いつも一つ﹂というサッカー少年のような推理能力とか、チートな
能力はありませんけど。
本当はアレクセイを置いてきたかったのです。ですが、いつ敵に
見られているか分からないので強い行動には出られませんでした。
できれば引き返してライゼル伯爵をとっ捕まえて、子供の扱い方や
ら虐待の定義やらを膝を付き合わせて話合いたい気分でしたけど。
それでも一応アレクセイ本人には説得はしたのですよ。ですが伯
爵に何と言われて来たのか知りませんが決意は固く、結局私が折れ
てしまいました。
.........違いますね。折れたのではありません。私は
選んだのです。このまま騒いでアレクセイを置いて行くという彼の
身の安全を図るより、アレクセイの同行も予定調和だったかのよう
に出発し、暗殺犯をおびき出したいという自分の都合を。
ライゼル伯爵の事、言えませんね。
おかしいです。自分を嫌いにならないよう好き勝手に生きている
つもりなのですけれど、どうしてこんなに自分が好きになれないの
でしょう。
せめてアレクセイが無事伯爵の元へ帰れらよう、主に自分の命を
守る事を頑張る事にします。私に危険があるとアレクセイ達周囲の
負担が増えて、逆に危険な目に合わせそうですし。
そう決意し、私は持って来た肩掛け鞄をそっと撫でました。戦う
力のない私にとって、この鞄の中身が数少ない命綱。できればこれ
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を使わないで無事帰って来られればいいのですけど。
街へ着いた私達は、まず一番人気だというお芝居を観ました。
本格的なお芝居というのは、前世で学校に招かれてやってきた小
さな劇団のお芝居を観た事があるだけで、こうした劇場で行われる
公演というのは前世今世通じて初めてでしたので、とても新鮮でし
た。
劇もそうですが、劇場も立派で圧倒されました。前世では日本か
ら出た事はなく、三十路近い年齢を重ねていながらもパスポートす
ら持った事がないという有様でしたので、ヨーロッパにある歴史あ
るオペラハウスがどうなっているかは知りませんが、写真や漫画な
どに登場するオペラハウスに造りは似ているのではないでしょうか。
ここは貴族もさることながら裕福な庶民も通う劇場のようで、な
かなか賑わっていました。比較的緩いですがドレスコードもあるの
で、パッと見ただけでは貴族なのか庶民なのか分からない人もいて、
お忍びの私達が混じっても特に目立つ事なく観劇できました。
最も、私はまだ社交会デビューどころか西宮から出る事すら稀で
すので、服装や口調さえ気をつければ私を第一王女だと見破る事は
出来ないと思いますが。
劇の内容は、この国に伝わる神話でした。王宮の背後にそびえ立
つ山脈、ローゼリア山脈にいるという神様のお話。
遥か昔、このローゼン王国を築いた祖であるユリウス・ラゥ・ロ
ーゼンが光の精霊王の娘リリアと恋に落ち、ローゼリア山脈にいる
という竜を従えた神ラウルに会って結婚の許しを得る為に、入った
者は誰一人として帰って来ないと言われているローゼリア山脈を登
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ったという、ローゼン王国では子供の時に誰もが絵本だったり寝物
語だったりと、読んだり聞いたりするとても有名な童話で、私も文
字の練習がてら読みました。
焦点を何処に当てるかによって、いろいろ内容も変わるのです。
例えばユリウスとリリアの関係を注視すれば、身分差︵というか
種族差︶を乗り越える恋物語。山脈に分け入る話を注視すれば冒険
物語、ユリウスの人生に焦点を当てたら英雄物。それに子供向け、
女性向け、歴史書風など加えると一つのお話で印象が違ったり、そ
もそも結末や内容が違ったりすることもあったりでどれが本当の話
か、末裔の私でも分からなかったりします。
ですが、色々なバージョンの話が出来るという事自体、人気があ
るという事なのでしょうね。現にこのお芝居も、ありふれた題材で
今までも散々上演されていた話なのでしょうが、かなりの盛況ぶり
です。
ユリウスがローゼン王国を築いた祖ということは、私の遠い祖先
ということになります。
ユリウスの名前に間に<ラゥ>という言葉が入っていますが、私
のフルネームにも名前と姓の間にもう一つ、名が入ります。これは
神の名ラウルからとった神聖名を入れるのですが、私の場合は<ル
>というのが入ります。エリーゼ・ル・ローゼン、それが私の正式
なフルネームです。
この神聖名が入るのは王族のみで、単純に男なら<ラゥ>、女な
ら<ル>という言葉が入ります。私は王族の女だから<ル>が付く
という訳です。お父様は勿論<ラゥ>がつきます。ですがこれはあ
くまでも初代王ユリウスの血をひく王族のみで、嫁いできただけで
血を受け継いでいないお母様の名前には神聖名はついておりせん。
勝手に神聖名を付けたり名乗ったりする事は王族に対する侮辱、ま
たは詐称という事でそこそこ思い罪になるらしいのです。
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私にしてみれば付けても付けなくてもどうでもいいような短い一
文字名ですが、この国ではとても重要な意味を持っているみたいで
す。
今回私が観たお芝居は恋愛物でした。結婚の許しを得に山を目指
す道中で山賊に襲われていた地方豪族のお嬢様を助け、ユリウスは
そのお嬢様に一目惚れされます。恋に落ちたお嬢様は恋人がいる事
を知りながら、ユリウスの事を奪う為に半ば無理矢理屋敷へ招き、
ユリウスを誘惑。策略でリリアと引き離されるも何とか二人で脱出
し山を目指しますが、そこに何故か嫉妬に狂ったお嬢様の雇った刺
客登場、それも振り切りやっとの思いで山を登り、無事神に会えた
二人は神から永劫の祝福を受けて婚姻を結び、やがて国を興して王
と王妃になるという内容なのですが、何て言えばいいのでしょうね.
.....。
いえ、面白いとは思うのですよ。物語としては。ですが私として
は身につまされると言いますか、嫉妬に狂うお嬢様の姿が前世の私
に重なって胸が痛かったです。
お芝居ですから嫉妬に狂う悪役お嬢様の仕種や振る舞いもより大
袈裟に演技されているので、その憎たらしさや無様さは一塩です。
その悪役っぷりから当然結末も、やがて王になったユリウスに家は
潰され、火あぶりの刑で処刑されるというもの。そして悪役お嬢様
がいなくなった後、二人はやっと安心して新婚生活を送るという、
そんな話の悪役お嬢様にどうしても感情移入してしまうので、作品
としてはハッピーエンドですのに私の感覚ではバッドエンド。観客
がハッピーエンドの大団円に感動して泣いている中、私一人が悪役
お嬢様の哀れさに涙していました。
何も殺す事ないじゃない。
確かにあのお嬢様、やった事は許される事ではないですよ? 刺
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客雇ったりして下手すればヒーローかヒロイン、もしくは二人共死
んでいましたし。結果死んでいないので殺人未遂止まりですが。
確かに二人の仲を引き裂こうとしていましたよ? 軽くイジメ入
ってましたけど。
いえ、死んでないからいいじゃない、なんて言うつもりはありま
せんよ。二人が生きていたのは結果論ですから。
それでも、そこを何とか! お嬢様、ただ人を好きになっただけ
なんです。ちょっと方向性間違って道を踏み外しただけなんです。
罪は罪として償わせます。ですから、お願いですからもう一度、
やり直すチャンスを∼!
なんて事を思いながら、エグエグと泣いていましたらアレクセイ
がハンカチを差し出してくれました。
7歳にして、立派な紳士です。
なんて可愛いのでしょう! 天使が今、正にここにいます。
ハンカチなら、女性の嗜みとして持参したバッグに入っています
が、折角のご厚意を断るには忍びなく、お言葉に甘えてハンカチを
受け取りました。
﹁ありがとうございます、アレクセイ様﹂
﹁エリーゼ様、僕、いえ私に[様]は要りません。あなた様の身
分を考えましたら父が相手でも敬称は必要ありません。ましてや今
の私はお嬢様の従者に過ぎませんから﹂
﹁そ、そうね、ア、アレクセイ...。でも私の敬称は年上の方
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に対する礼儀、みたいなものだから、実生活では許して欲しいわ?﹂
でないと私の精神が落ち着きません。だって、私は敬語必須な社
会人だったのですもの。当時の感覚が抜けません。
それにしても前世の私、7歳の時どんなだったかしら? 詳しく
覚えている訳ではないですけれど、こんなにしっかりはしていなか
ったと思います。
きっと躾が行き届いているのでしょうね。
いえ、躾だけでなく教育もですね。
馬車の中でいろいろ話を聞いてみましたら、既に騎士団入隊試験
を合格している程の実力なのですって。
ローゼン王国の騎士団入隊試験というのは、最下級の騎士でも大
隊長レベルに匹敵します。国によっては高位の貴族というだけで騎
士の位を賜る事もあるのですが、ローゼン王国に至っては必ず試験
に受からなければなりません。
試験は魔法、剣、筆記、体力測定とあるのですが、アレクセイは
体力測定こそまだ子供の体だからか合格ラインを僅かに下回ります
が、魔法、剣、筆記で良い成績を出し、体力面は成長すればすぐに
合格できるだろうという配慮で、合格したのだそうです。
ちょっと待って。いくらすぐ体力面が成長するといっても、今合
格出来ていないのならば不合格でしょう。そもそもまだ7歳なので
すから、そんなに早く騎士にしなくとも、きちんと体が育つのを待
つべきでは?
声には出しませんでしたけど、私のうろんな視線を感じたのでし
ょうね。アレクセイは少し恥ずかしさうに顔を赤らめました。
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﹁ええ、ですから合格といってもまだ[仮]合格なんです。騎士
隊の訓練には参加出来ますし、軽い任務も手伝い程度ですがこなし
ますが、正式な合格ではないので大きな軍行動などには参加出来な
いのです。ですが、仮でも合格は頂いているので、次の試験では体
力測定さえクリア出来ればいつでも正式な騎士になれるのです﹂
﹁そ、うなんですか? それは...良かったです...ね?﹂
次の試験で、また最初から全ての試験を受けるより、駄目だった
科目だけ受ければいいというのは、良い事なのだと思います。です
が、こんなに小さな子供が仮とはいえ騎士になっていいのでしょう
か。
今一判断出来ずに疑問系になってしまった私に、アレクセイは目
が潰れそうな程まばゆい笑顔をくれました。
﹁ええ、僕は早く父のような騎士になりたかったので、仮とはい
え試験に合格出来て自信になりました。本来ならまだ、試験を受け
る事も出来ませんから。それに、まだ正式な騎士ではないから、今
回の任務が回ってきたんです。幸運でした﹂
正式な騎士ですと敵を警戒させそうですしね。
言外に含んだ笑みが輝いていました。
そうでした。そもそも騎士試験は通常15歳からなのです。それ
が前倒しに行われるという事は、それだけの力量を持っていて、か
つ騎士団が管理をした方がいいと判断された場合です。主には、優
秀な人材の流出を防ぐ為の青田買い、または高い魔力を有していて、
万一暴走した時に周囲に多大な被害が及ぶと判断された場合等でし
ょうか。大きな魔力を持っていても、それをコントロール出来なけ
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れば災厄にしかなりえません。特に魔力は精神が未熟な幼い頃ほど
暴走しやすいので早めに制御方法を習った方がいいのですが、下手
すると練習中にも暴走するので、何かあった時に対処できる人材が
豊富な騎士団が管理するのが一番いいのです。
つまりアレクセイはそれだけの力を有しているということになり
ます。
﹁アレクセイ様は優秀なんですね。ライゼル伯爵様もきっと誇り
に思っておられるでしょうね﹂
﹁いいえそんな、僕...、いえ私など、3歳で既に天才と名高
きエリーゼ様に比べればまだまだでございます﹂
﹁えっ? あ、それは...。私の場合はそういうのとは違うと
いうか...、ちょっと人より成長が早かっただけというか....
..。天才なんて事、全然ないんですのよ。本当に!﹂
そこまで言って、ふと思いました。
まさかアレクセイも私と同じ転生者じゃありませんわよね?
﹁.........因みにアレクセイ様? 前世の記憶を持っ
ていたり......とかは?﹂
﹁は? いえ、良く分かりませんけど、何でしょうか、それは?﹂
﹁えっ、あっ、さ、最近読んだ物語の話で...。分からなけれ
ばそれでいいのですよ﹂
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オホホ...と笑ってごまかしました。ですが、これは白ですね。
前世記憶チートではありません。という事は、
皆さん、ここに本物の天才がいますよ∼!
私のようなズルではなく、こういう人を天才とか神童とかいうの
です。しかも美形! 天に二物も三物も与えられているような少年。
そんな子に気遣われるなんて、王女だからですね。なんて役得なの
でしょう。おかげで、心臓に悪い悲劇︵喜劇です︶を観てブルーに
なっていた私の気持ちもすっかり浮上しました。
美少年パワー恐るべし。
美少年の前には、私の薬液など及ぶべくもありませんね。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n5264ci/
ヒロインになれなくても
2015年1月31日21時02分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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