します。釈迦仏(誕生後すぐ天地を指さして『天上天下唯我独尊。』と唱えた)に甘茶をかけたり、 釈迦の化身とされる『白象』にまたがってパレードしたりします。」 期生は『何事も全身全霊で取り組む頑張り屋さん』と捉えていた。が、喋っている時に気を抜くと佐 世保弁が出てしまうので、それを指摘する係もできて訛りを矯正していったという。 ●なぜ「もの画たり展」を? 「私の誕生日がお釈迦様と同じで、それに感謝して例年開催しています。釈迦がどういう人かご存知 ない方も多いので、その生涯や教えをイラスト・絵を交えてご紹介しています。」 予科生(音楽学校1年生)は授業やレッスンで忙しく、日曜日に寮で1週間分ため撮りした TV 番 組を同期みんなで見るのが唯一の楽しみだった。本科生(同2年生)になると、厳しく忙しかった予 科時代よりは余裕も生まれ、演劇の授業などへの興味を深めていった。 ●釈迦の教えについては? 「単なる歴史の知識としてよりも釈迦の教え、つまり『慈悲』を知ることが大事だと思います。」「釈迦 は森羅万象、 生きとし生けるものは全てつながっていて同じ生命を持っているから尊重しなさいと説きま した。身分差をなくそうと教えた民主主義者でもあります。」 ~宙組時代~ ★釈迦の生涯 イラストの出典は木寺さんの展示資料(文面も参考にさせて頂きました) 紀元前 4 世紀頃に北インドの小国カピラバストゥ の釈迦族の王子として生まれる[イラスト 1]。 17 歳の時、郊外に出かける為に東南西北の城門を 通過すると、その度に門外で老人、病人、死人、出 家者(僧侶)を見かけた[同 2]。それをきっかけに、人間 の避けられない苦しみについて悩み、29 歳で王 子の身分を捨て出家した[同 3]。 そして6年間苦行(体を痛めつけたり断食したり)に明け暮 れたが[同 4]、“何事も極端でなく中道が肝心”と苦行をやめ、 ぼ だ い じ ゅ めい ガヤ村の菩提樹の下で座禅を組み瞑想に入った。悪魔が大軍や 美女を送ってそれを妨害したが[同 5]、釈迦はそれらを全て調伏 ぶ っ だ し 49 日後に悟りを開き「仏陀」(覚醒者)となった。 ぼんてん すると、インド神話の創造神・梵天が釈迦 の前に現れ、「悟りの内容を人々に伝えなさ い」と告げた。 釈迦が説法を始めると、その教えに感銘を 受けて弟子となる者が続出し [同 6]、王や大 商人も相次いで援助をし寺院等が建てられ た。以降 45 年間、釈迦はガンジス川中流地 域で 1250 人の弟子と布教に励んだ。 しかし 80 歳のとき、行脚先で食中毒にかかった さ ら そうじゅ (原因はキノコか)釈迦は、沙羅双樹 の下に横たわ ると、「人間の死とは悲しむべきものではない。 今後は私の教えがお前たちの師となろう。修行に 努めなさい」と弟子たちに語って入滅(他界)した[同 7]。 ※釈迦の死は涅槃(煩悩が去った状態)と呼ばれる 残された弟子達は釈迦の教えをまとめて経典とし、その後 仏教は中国・日本をはじめアジア全域に広まった。 仏教での蓮の花の由来(展示作品より)→ ね は ん 仏教の教え select り ん ね てんしょう <無常> <輪廻転生> 世の全てのものは移ろいゆくのに、 命や物、名誉等への人の欲望が「執 着」を生み、執着が「苦しみ」を生 む。だから執着を捨て去って、心の 平安を得なさい(これを「解脱」と いう)。 各人の業(善悪の行為)によって魂 2001 年、宝塚音楽学校を第 87 期生として卒業、同時に宝塚歌劇団へ入団。宙組公演『ベルサイユ のばら 2001』で初舞台を踏み、その後宙組へ配属となる。宙組は他の組と比べて男役の身長が高く、 比較的背が低い早霧さんは、少なからずコンプレックスを抱いていたと心境を語っている。しかしそ の後、宙組で過ごすうちに「大きい人は大きい人、自分は自分」という意識に変化し、“男役 早霧せいな ”の個性を大事にして、等身大の自分を見て頂こうという考えに至った。 2006 年4月、『NEVER SAY GOODBYE―ある愛の軌跡―』で新人公演初主演を果たした。新作書 き下ろし一本立て、第 92 期生の初舞台作品で、しかも当時宙組トップスターの和央ようかさんの退 団公演ということもあり、知らせを聞いた時にはびっくりしたという。短い稽古期間と、役柄が自分 とは正反対というプレッシャーの中、上級生や下級生に支えて貰っているという幸せを感じながら、 これが“舞台の真ん中に立つ”ということなんだと、本当に勉強になったそうだ。翌年の 2007 年の 『維新回天・竜馬伝!』でも新人公演主役に抜擢され、破天荒で自由闊達な坂本竜馬を演じた。 2008 年、宝塚バウホール(*)公演『殉情』で主人公佐助を好演。谷崎潤一郎原作の『春琴抄』の世界 を、鬼気迫る迫力で演じきり好評を得た。小劇場での公演ではあったが主役に抜擢されたことで、早 霧さんはスター街道を歩むことになる。 *1978 年新設の小劇場(座席数 500) ~雪組時代~ 2009 年、雪組へ組替え。雪組の印象について“雰囲気が温かくて、自然体な組”と語っている。 2010 年からその2番手スターとなり、トップスターを支え、さらに研鑽を積んでいった。2011 年の 『ニジンスキー』、2012 年の『双曲線上のカルテ』のバウホール単独主演などを経て、2013 年には 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』でオスカル役を、『Shall we ダンス?』でダンス教師エラ役 を演じ、1年を通し本公演を女役として出演した。 そして今年9月、創立 100 周年の記念すべき年に雪組のトップスターに就任した。その最初の舞台 は、東京での、同名漫画をミュージカル化した『伯爵令嬢』。早霧さんは、侯爵家の子息で新聞社の 経営者であるアランを熱演した。特に劇中では、アランがヒロインに迫る際、壁際に追いつめて告白 する“壁ドン”が披露され注目を集めた。 宝塚大劇場でのお披露目公演は、来年の幕開けを飾る『ルパン三世 ―王妃の首飾りを追え!―』 とファンタスティック・ショー『ファンシー・ガイ!』となる。果たして、“早霧ルパン”はどのよ うな趣向で観客を魅了するのだろうか?その答えは、是非ご自身の眼で目撃していただきたい。 早霧さんの佐世保への想い★★★ ★★★ 早霧さんは、機会があれば佐世保へ帰り、弓張岳展望台や九十九島遊覧へよく足を運ぶという。『宝 塚パーソナルブック 2010 vol.3 早霧せいな』で『好きな場所』の問いに『故郷の佐世保』と答えてい る。また、昨年の早霧さん初のディナーショーのタイトルは『SS』であったが、その意味を「…故郷 のスターにはなれるかなと思って、“佐世保のスター”の SS なんです。」と語っている。『宝塚 GRAPH』(昨年 10 月号)でも「佐世保は、私にとって癒しです。」と語り、本人が撮った佐世保の風 景が紹介されている。 ごう が き ちくしょ う あ し ゅ ら は六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅 ・人・天)を輪廻する。来世にもっ と善良な魂となるために、私たちは 現世で善業を行なうのです。 2002 年4月、早霧さんは本市の市制 100 周年記念事業開幕記念式典で総合司会を務めた。ディー プブルーの着物で登場し、清楚な立ち姿と溌剌とした声で人々に印象付けた。今年 3 月 24 日には、 雪組全国ツアー公演『ベルサイユのばら -オスカルとアンドレ編-』がアルカスSASEBOで行わ
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