二元性を超えた主人公 ~Le plus important est invisible~ invisible~ 【空手 PRESS カメラマンの見聞録】 ▼ 宮澤瑠伊という人 読者の皆さんは宮澤瑠伊という名前を聞いたことがあるだろうか?平成二十五年度全国高校 総体女子団体組手で優勝した御殿場西高等学校の女子主将を務めた人物といえば、何となく聞 いた事があるという人もいるかも知れない。今回、このように宮澤さんのことを空手 PRESS で 紹介させて頂けることを私は誇りに思っている。筆者と宮澤さんが出会ったのは今から約十年 前、彼女が小学生の頃であった。 空手を習っていた兄に憧れて四歳から空手を習い始めたという彼女は神奈川県にある國際松 濤館空手道連盟相模原支部(仲島末吉先生)に通い、稽古に励んでいた。道場には全国大会で 活躍する子たちが多く在籍しており、決して目立つような存在ではなかったが大会等で会うた びに笑顔であいさつをしてくれる非常に礼儀正しい女の子という記憶が残っている。 練習しても練習しても思うような成績が出せず、悔し涙の日々が続いていた。試合に敗れ、 涙をこらえながらコートから去っていく彼女の後ろ姿を幾度となく目にしてきた。そんな彼女 がどのようにして高校空手の頂点に立ち、名門慶應義塾大学への進学を果たしたのか・・・。 彼女のこれまでの歩みを撮り溜めた写真とともに紹介したい。 ▼ みにくいアヒルの子 「お腹が痛い!」と彼女は言った。空手の練習時間が近づくと決まって両親に腹痛を訴えた。 先生に怒られるのが怖くて何とかして練習を休もうと彼女は必死だったのだ。子供のころから 空手を習っている人なら一度や二度は似たような経験をした事があるのではないだろうか。 いくら練習をしても思うように上達することができずにいた。「いつか私も・・・。」と彼女 自身がそう思っていたかは分からないが、いつからか母親に連れられ弟と一緒に近所の体育館 で個人練習をするようになっていた。 個人練習をしていた柔道場には道場の先輩をはじめ、知らない道場の子供達や総合格闘技の 練習をする人などが集まっていた。中には県を代表する名の知れた子達も参加していて、一緒 に練習できる喜びと同時に劣等感のようなものを自然と抱くようになっていった。彼らが鏡の 前の特等席で伸び伸びと練習する中、彼女は決まって後ろのほうで小さく練習をしていた。ま るで童話”みにくいアヒルの子”を彷彿とさせる印象的な出来事だった。 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、個人練習に来ていた彼女の道場の指導者でもある 関根稔之先生が自分の稽古を終えると決まって彼女に声をかけ、組手の練習相手をやってあげ ていた。関根先生の厳しい指導のお陰もあって大会で入賞する機会も増え、平成十八年には國 際松濤館空手道連盟第九回世界選手権大会という大舞台への出場を果たした。 ※近所の体育館でコツコツと練習を重ねた日々 ▼ 雨垂れ石を穿つ 中学生になっても突出するような成績は残せなかったが個人練習の甲斐もあって、少しずつ 試合で勝てるようになってきた。流派の全国大会や地区大会で少しずつ頭角を現してきた宮澤 に声をかけたのは同じ國際松濤館昭島支部の石橋先生だった。その内容は、御殿場西高等学校 に行って一緒に練習をしてみないか?という誘いであった。「ゴニシ・・・。」耳慣れない言 葉に何かを感じたのだろうか、とにかく宮澤は御殿場西高校の練習に参加することにした。初 めて体験した高校空手、そこには日本一を夢見る高校生たちが激しい練習に汗を流していた。 ひたすら練習に励む彼らの姿に圧倒された宮澤は「自分みたいな弱い者がいくところではない な。場違いだ。」と心の中でつぶやき高校をあとにした。 その後も道場で地道にコツコツと練習を積み上げてきた宮澤は中学三年生の春、全国中学生 選手権大会の県予選で決勝戦まで勝ち上がり準優勝という成績を収め、念願であった全国大会 への切符を手にした。中学三年といえば、進路についても考えなければならない時期である。 当時オール 5 という学業成績を収めていた宮澤は空手よりも学業を優先させ、進学校という選 択を考えていたが、そんな折に再び御殿場西高校から練習参加の誘いを受けたのであった。全 中大会を控えていた宮澤は少しでも練習になればと思い、母とともに再び富士山のふもと御殿 場へ向かったのだった。二回目の訪問ということもあり、今度は落ち着いて練習に臨むことが できた。無事に練習を終え、興奮冷めやらぬ帰りの車中でハンドルを握りしめながら「ここに いたら絶対に強くなれるね」と母が語りかけてきた。慣れない環境での練習で疲れきっていた 宮澤は母の声に耳を傾けつつも、練習中に声をかけられ「足が長くていいね」と細矢監督が褒 めてくれたことで頭がいっぱいであった。 ※第 18 回全国中学生空手道選手権大会にて ※國際松濤館空手道連盟全国空手道選手権大会にて ▼ 人間万事塞翁が馬 細矢監督の姿を思い出しては進学校に行くべきか、御殿場西で空手の道を目指すべきか、進 路について悩んでいた宮澤に信じ難い悲劇が襲い掛かった。高校進学という人生を左右するか も知れない重要な時期に両親が離婚をするというのだ。数ヶ月後には母親が家を出て行くとい う受け容れがたい現実を突きつけられた宮澤はこの問題をどのようにして受け入れたらいいの か、どうやって気持ちの整理したらいいのか、なにをどう信じて生きていけば良いのか、言い 知れぬ不安と母親が自分を置いて家を出て行ってしまう事への怒りにも似た喪失感で崩れてし まいそうだった。 まもなくして今まで当たり前のように台所にいたはずの母親の姿は消え、洗濯物が山のよう に積み上げられるようになった。感傷に浸っている暇はなく、母親の代わりに自分が弟たちの 面倒を見なければと慣れない手つきで家事をこなした。口には出さなかったが父親もまた娘に 負担をかけまいと、家族のために一生懸命に働き、慣れない家事と奮闘していた。自分以上に つらい思いをしているはずの父親の姿をみて、宮澤は全ての感情を自分の胸の奥底にしまいこ んだのであった。 のちに宮澤は、この時ことを「つらい思い出ですけど、この一件で家族の絆が強くなったと 思いますし、以前よりも弟達がかわいいと思えるようになりました」と語っている。 ▼ 放てば手にみてり 失意の中にあった宮澤であったが、母への憎しみにも似た気持ちを思い切って手放すことに した。気持ちを整理するのは簡単ではなかったが最終的にすべてを受け入れ、すべてを許し、 すべてを手放そうと決めたのであった。あまり空手で褒められた経験のない宮澤は自分の存在 を認めてくれた細矢監督のことを再び思い出していた。そして学業を捨てきれずに悩んでいた 宮澤に対して「文武両道」を提案し、その環境を約束してくれた時の監督の真剣なまなざしが 宮澤の心を激しく揺さぶっていた。初めて本気で自分と向き合ってくれる大人に出逢えたと感 じた宮澤は、この人を信じてみようと覚悟を決めて、からだ 1 つ新天地を求めて御殿場西高等 学校空手道部の門を叩いたのであった。 期待と不安を抱えつつ新たな生活は始まった。憧れだった夢の高校生活は細矢監督の「みや ざわ!!」という怒号とともに入部早々に音を立てて崩れ去った。世の中はそれほど甘いもの ではなかったようだ。 "挨拶""返事"など、監督から徹底的にしぼられた宮澤は「――すごい所に来ちゃったな」と 戸惑いを隠せなかったが、実家から遠く離れた富士山のふもとで、与えられた環境を受け入れ、 やるしかないと思うのだった。 しかし、この時はまだ自分が白鳥であることに全く気付いていない宮澤は、ここでも仲間に 受け入れて貰えないのではないかという不安と孤独を抱え、前途多難の門出となった。 ▼ 目の寄るところに玉も寄る 宮澤の抱える不安と戸惑いは予期せずして一瞬にして吹き飛んだ。日本一を目指している強 豪校においていつまでも 1 つの事にこだわって悩んでいる暇はなかったのだ。規則正しい寮生 活に始まり、日々の厳しい練習、そして学業。やるべきことは山積しており、幸いにして悩む 時間を奪われた宮澤は目の前にある"今"に集中せざるを得なかったのだ。少しでも立ち止まっ てしまったら置いてけぼりを喰らってしまう。ただでさえ技術的に遅れを取っている宮澤は必 死に今を生きていた。ふと隣をみると、そこには自分と同じように必死に努力をしている同期 のライバル、山浦ありさと奥美咲の姿があった。親元を離れて数ヶ月、宮澤の中で少しずつな にかが変わり始めようとしていた。 すべてを手放した宮澤は、手放すことで新しい仲間を手に入れていた。類は友を呼ぶ、まさ に友が"瑠伊"を呼んでくれたようである。ここでは、みんなが自分の成長を喜んでくれる。 そして自分も仲間の成長を心から喜べるようになった。泣いたり笑ったり怒ったり喜んだり、 その殆どは叱られてばかりであったが自分の存在を認めてくれる仲間に囲まれ、居場所を見つ けた宮澤は自らの翼で大きく羽ばたこうとしていた。 ※様々な大会で経験を積み、実績を重ねていった。 ▼ 青春は岐点の軌跡 監督から女子主将を任されたのは、新潟で行われた第三十九回全国高等学校空手道選手権大 会を終え、新チームがスタートしたときだった。以前から監督より主将についての話を聞かさ れていたものの正式に言い渡されると未熟な自分が主将としてやっていけるのかという一抹の 不安を覚えた宮澤であった。そんな自分の弱さを自負していた宮澤は人一倍努力を重ね、チー ムのために全力を尽くした。そんな宮澤の姿は、まもなくチーム全員に伝わっていった。「絶 対にインターハイで優勝する」という大きな目標に向かってチームは一つとなって歩みだした。 必死に努力する姿は多くの人を魅了し、磁石のように仲間を惹きつける。「修文練武」を掲 げる慶應義塾空手部も例外に漏れず、目標に向かって努力する優秀な人材を求めていた。宮澤 の姿は慶應義塾大学空手部の前監督である河野氏の目に留まり、慶應義塾大学への誘いを受け たのであった。当初は他大学への進学を希望していた宮澤であったが、父親や細矢監督と検討 を重ね熟慮した末に文武両道を目指してきた初心に返り慶應義塾大学への進学を目指すことと なった。多くの人が慶應という学校名を聞いただけで"無理"と諦めてしまうところだが、宮澤 は自分自身の可能性を閉ざすことはなかった。こうしてインターハイ優勝と慶應義塾大学合格 という大きな目標に向かって走り始めるのであった。不確実な目標であるにも関わらず、その 様子はまさに水を得た魚のようであった。 ▼ 歳月は人を待たず 高校三年間というのは、あっという間に過ぎる。高校空手を経験した者であれば誰もが感じ たことであろう。入学して早々に都道府県予選があり、実力のある者は一年生にして、その大 会でデビューを飾る。しかし、多くの者は観覧席から選手たちの応援をし、高校空手の競技力 の高さに圧倒され、様々なことを学ぶ。 御殿場西高校という強豪校に進学した宮澤も例外ではなかった。県内でベスト 4 を独占でき る実力を持つ先輩達に加えて、必死にレギュラーの座を目指している同期の存在もあって公式 戦に出場するのは容易なことではなかった。選手達の試合の補助に始まり、記録係り、ビデオ 撮影などの仕事をしながら少しずつ経験を重ねる日々が続く。気が付けば二年生になり、そし て三年生となっている。インターハイ予選で敗れれば三年生はこの時点で引退を迎えることに なる。恐らく引退を迎えた三年生の多くは、一年前に三年生が言っていた言葉の意味をこのと きに思い知ることとなる。そしてまたそれを後輩たちに伝えようと言葉を贈り涙する。 そして勝ち抜いた学校は勝ち残れなかった学校の思いを背負い、インターハイの頂に向かっ て最後の追い込み練習が始まる。御殿場西高校は結果的にインターハイで優勝を果たした訳だ が、そこに至るまでには語り尽くすことができない数々のドラマがあった。そして勝敗に関わ らず全ての高校生がインターハイを最後に引退を迎えることとなる。約二年半、”今”を全力 疾走してきた彼らが初めて過去を振り返る瞬間でもある。そこには勝ち負けを超えた真の空手 道が垣間見える瞬間でもある。必死にもがいた雛たちも、いよいよ巣立ちのときを迎えるので ある。 ▼ ローマは一日にして成らず 優勝・制覇・金メダル、などという言葉だけが誇らしげに踊っていることがあるが、こんな 乱暴な言葉で彼らの結果を片付けて良いのだろうか。御殿場西高校空手道部は宮澤たちの代だ けで築き上げられたものではない。今日のこの結果を得られるまでには歴代の部員たちの様々 な思いが込められているはずである。今年度の全国高校総体にて宮澤たちの代が優勝旗を手に することになったのは事実であるが、卒業していった先輩達が流した涙が宮澤たちの原動力と なったことは言うまでもない。また、静岡県予選で御殿場西に敗れていった高校生たちの思い も背負っていたことだろう。 他にもレギュラーになれなかった補欠部員、怪我で欠場となった部員、遠く離れた寮生活を 陰ながら支援し続けてくれた家族、逆境に立ち向かって高い目標を与え続けた監督そしてコー チ。競技スポーツを行っている以上、勝敗は避けては通れない。勝つものがいれば負けるもの がいる。御殿場西が優勝し喜びに沸いたということは、御殿場西に負けて涙したものもいると いうことだ。いずれにしても全国高校総体で優勝するということは”自分たちだけ”で成しえ ることはできない。 第 40 回を数えた全国高校総体には 40 年という歴史のなかで一人ひとりの主人公が切磋琢磨 する中で築かれた大会であり、その中でたまたま宮澤たちが優勝というカタチで結果を得たも のであり突如として成しえた結果ではない。インターハイで優勝を果たしたあと宮澤は「あの とき、途中で負けてしまった男子の後押しがあったからこそ私たちは優勝できたのだと思いま す。男子から目には見えない不思議なパワーを貰いました。男子の分も絶対に負けられない。 絶対に勝たなければと思って試合に臨みました。」と語っている。優勝という二文字の裏で多 くの人達の汗と涙、祈りにも似た想いや願いが込められていることを心の目で感じていた宮澤 だからこそ、チームを勝利へと導くことができたのではないだろうか。 ▼ 求めよ、さらば与えられん 宮澤が目標を達成した最大の要因は、彼女が誰よりもその目標を強く求めたからではないだ ろうか。途中で諦めてしまったり、その目標達成が無理なのではないかという弱い自分に負け ることなく、夢を強く追い求めた結果ではないだろうか。一度目標を定めたら、その目標を達 成するために消化しなければならない手段は殆ど決まっている。その過程で多くの人が達成で きない理由を勝手に作り出して自ら勝手に諦めていくのである。 宮澤は、ある特殊な能力を持っている。それは"自分を信じる能力"である。自分を信じられ る人間は周りの人間も信じることができる。人を信じるには勇気がいる。もしかしたら騙され るのではないか、もしかしたら裏切られるのではないか、こうした目には見えない悪魔のささ やきによって多くの人が人を疑い、自分自身を信じることが出来なくなり、自分の持っている 可能性まで閉ざしてしまうのである。 どんなに裏切られ、不安を抱えても人を信じようとする宮澤の姿は、周りの人間の心を動か す不思議な力を持っている。いつしか彼女の夢を応援したいと心から思うようになってしまう のである。筆者もその魔法をかけられた一人である。これから先、彼女がどのような人生を歩 んでいくのか知る由もないが自分自身を信じて求め続ける限り、光は彼女に降り注ぎ続けるこ とだろう。 ▼ 天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ 全国高校総体で優勝を果たし、無事に慶應義塾大学に合格した宮澤。小学生の頃から彼女を 見ていて感じることは人を引き寄せる不思議な魅力があることだ。宮澤が目標に向かっていく と必ずと言って良いほど、その目標達成のために一緒に応援をしてくれる協力者が現れること だ。目標に向かって最善を尽くし努力をしている宮澤の姿を見ていると誰もが思わず応援をし たくなるのかも知れない。同じ御殿場西高校空手道部に所属するチームメイトのご両親は「チ ームが一つになれたのは、あの子の性格と努力のお陰だよね。本当によくがんばってくれた。」 と宮澤の人となりについて話してくれた。 逆境に追い込まれたとき、人は真価を問われる。筆者の知る限りでは、宮澤は困難な状況に 追い込まれれば追い込まれるほど”本当の自分と向き合う勇気”を発揮しているように思う。 どんな逆境であっても決して楽な道に逃げたりせずに失敗を覚悟の上で正直に真正面から問題 と向き合っていく。ひと言で言うならば「自分に嘘を付かない」という事だが、恐らく宮澤自 身は自分が嘘を付く弱さを持っていることを知っており、その弱さを素直に受け入れて正直に 生きているのであろう。だからこそ、失敗も人一倍多い。しかし、そこからが宮澤の真骨頂で あり多くの失敗の中で、もがき苦しみながら目には見えない大切なものを学んでいくのである。 今まで何度も彼女の悔し涙を見てきた。しかし今になって思えば彼女は涙の数だけ強くなり、 悔しさと失敗の中から本当に多くのことを学んで来たのだと思う。そして、これからも学び続 け更なる進化を遂げていくことだろう。 ▼ エピローグ 今日も第二、第三の宮澤が「お腹が痛い!」と言って練習を休もうとしているに違いない。 そんな第二の宮澤との出会いを筆者は今日も待ち望んでいる。試合で勝つことだけが空手では ない。そして空手に関わる一人ひとりの全ての人が"主人公"であるという事を忘れないで頂き たい。 これは御殿場西高校優勝祝賀会での出来事である。宮澤をはじめ、女子部員には多くの方々 から、お祝いの言葉をいただいた。宮澤は、素直に嬉しい気持ちに浸りながらも、宮澤にとっ て今回の優勝は女子だけのものではなく男子も含めた全員によるチーム御殿場西として獲得で きた優勝であると思っていただけに女子部員だけが褒め称えられることに違和感を感じていた。 インタビューを受けながら共に汗を流し厳しい練習を耐え抜いてきた仲間たちには宮澤の気持 ちは言葉にせずとも十分に伝わっていたことは言うまでもない。また空手の本質を問い続けて きた細矢監督の"平常心"の教えは生徒たちに優勝をもたらした後も、勝って驕らず負けて腐ら ず、平常心を失うことなく日々精進している。私たちが失いかけている大切なものを示してく れているのではないだろうか。今回、優勝をしたのは女子だったが、宮澤は「いま男子はどん な気持ちでこの祝賀会に参加しているのだろう」という気持ちで一杯だったと当時を語る。 筆者は宮澤さんから多くのことを学んだ。それは、自分を信じること、自分の可能性を閉ざ さないこと、手放す勇気を持つこと、諦めずに続けること、失敗を恐れず失敗から学ぶことな どである。宮澤さんと出会うことが無ければ筆者は空手と縁を切っていたかも知れない。私が 彼女から勇気を得たように、彼女を紹介することで空手での悩みを抱えている方々への一助に なれば幸甚である。(の) ※第 26 回関東学生空手道体重別選手権大会にて
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