支部だより 第19号<校外用> OB会員紹介

平成 26 年 9 月 21 日
友松会磯子支部 OB 会員の紹介
野に摘めば野の色なりし濃りんどう
「子どもサポートセンターいそっこ」代表
語 り 手
聞 き 手
内田敦夫さんの活動
内 田 敦 夫 (昭和 33 年 国大卒)
黒 川 鈴 谷 (昭和 35 年 国大卒)
内田さんと私とは、高校の同級生です。ところが国大へ行ったら内田
さんが上級生になっていました。いったいどういう訳でしょうね。ま、
内田敦夫さん近影
その辺の詮索はなしにして、もうじき米寿になろうという内田さんの現
在の元気な活躍の様子を見ようと、活動が行われる磯子センター4 階の
練習室に行きました。10 時からの会が始まる前に、スタッフの方に挨拶し、内田さんと
少し話をしました。
黒
川
今日はありがとうございます。内田さんが子育て支援の活動をしているのは知っ
ていましたが、実際に拝見するのは今日が初めてです。そこでお伺いするのです
が、あのエプロンというか作業着というか、揃いのユニフォームを着ている女性
が、お手伝いをしてくれるボランティアの方達ですか。
内 田 そう、あの人たちがこの活動を支えてくれるスタッフの人達です。
黒 川 内田さんはアコーディオンを抱えているが、それで歌唱指導の伴奏をするのです
か。貴君は体育専攻なのに音楽も堪能で羨ましいですね。
内 田 子ども達は歌を歌うのが好きだからね。
私達が話をしているうちに、部屋の中は子ども達のにぎやかな声で一杯になり、今日の会
合が始まりました。一応レコーダーを用意して音声を記録したのですが、なにしろ幼稚園
以前の子ども達ですので、その賑やかな情景は活字ではとても伝えられません。以下の写
真と簡単なコメントで、当日の状況を感じて下さい。
始まるまでは、各自自由に遊ぶ。子どもの背中にはその子の名前を書いた小さな紙が、貼ってある。
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お母さんが、我が子の名前と年齢を皆さんに紹介。参会者が気軽に喋れるように、スタッフの女性が適切に助言する。
内田さんのアコーディオン伴奏で、一緒に歌う時間。今日の曲は「かっこう」と「うみ」の二曲。
左の二枚の写真は、スタッフの人による絵本の読み聞かせ。
新聞紙を何枚も貼りあわせたものが出て来た。
大きく輪に広がって何が始まるのか。
その大きな新聞紙の下に、お母さんも子ども達も皆もぐってしまった。
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大きな新聞紙は、小さく破かれてしまった。子ども達の破壊衝動は満足。小さく破いた新聞紙をビニール袋に入れ、蹴っ
たり空を飛ばしたり。まるで空飛ぶビニール袋だ。子ども達は大満足。
幾つかのグループに分かれて、スタッフの女性を中心に、お母さん達の質問と情報交換の時間。その間、子ども達はママ
と離れて、他のスタッフの女性が見守る中で、おもちゃで遊ぶ。母子ともに、これが一番大切な時間。
こういう遊具もあって、楽しいね。
全部終わって、使った遊具も片づける。
集会が終わった後で、内田敦夫さんに今日の感想を話しながら、
「いそっこ」についてい
ろいろと聞いてみました。
黒
川
正直に言って、貴君の日頃の風貌の印象から内田さんと「子育て支援」は、なん
となくぴったりしない感じがしていたのですが、今日実際の活動を拝見して敬服
しました。見ていると貴君は歌唱指導以外にはほとんど何もしないのに、スタッ
フの方々の運営で集会が進行して行く。ここまでに組織を育てるのは大変だった
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内
田
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川
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黒
川
でしょう。まず初めに伺いたいのですが、どんなことから、この活動を始めたの
ですか。
私が就学前の子どもの支援活動に関心を持ったのは、まだ現職の校長時代に入学
式での新入児童の動きや態度が、毎年のように変わってきているのを感じたから
です。これは幼児期の子育てに問題があるのではと思いました。
私達が定年退職したのは、平成 7 年でもう 20 年近くも前ですから、内田さんが
子育てに関心を持ったのはずいぶん昔の事ですね。
そういう関心があったので、退職後の平成 10 年に保健所(現在の福祉保健センタ
ー)で行われた「子育て支援ボランティア育成企画委員会」の養成講座に参加しま
した。
そこで現在の活動に繋がるいろいろなことを学習したのですか。
そうです。入門講座を受けながら他県に見学に行ったり、資料
を集めたりして子育て支援について学びました。
当時の横浜など自治体での、子育て支援の活動はどうだったの
ですか。
その頃の横浜では子ども達の育成に関しては、
「少子・高齢化
アコを弾く内田さん
対策室」というところで行っていましたが、他県などに比べる
と遅れている感がありました。この面で先進的な他の自治体、例えば東京の板橋
区児童支援課などの活動が参考になりました。
いや、用意周到に着々と準備されていたことが分かりますね。それでこの「いそ
っこ」という組織が実際に活動を始めたのは、いつからなのですか。
平成 11 年度後半に、
「子どもサポートセンターいそっこ」の設立準備委員会を発
足させました。
その準備委員会のメンバーはどんな人たちですか。またその人たちがメンバーに
なってくれたのは、どなたのどんな働きかけがあったからなのですか。
「子育て支援ボランティア養成講座」を行っていた保健所の係長さんの呼びかけ
に応じて、私や講座に参加していた他の 5~6 人の方が集まって準備委員会を作っ
たのです。
その 5~6 人の方は、いま活動をされたいるスタッフの方たちですか。
そうです。今スタツフの方はもっとたくさんいますが、スタッフの中核となって
いる方々です。
その準備委員会が出来てからどのくらいで、
「いそっこ」が出来たのですか。
設立準備委員会の発足後、2~3 カ月に一度集まり、1 年かけて規約・事業計画・
予算案等を作成し、平成 12 年(2000 年)5 月に設立総会を保健所で開催しました。
子育て支援活動の開設としては、この時の「いそっこ」が磯子区内では最初のも
のでした。
「いそっこ」の主な活動としては、どんなものがありますか。
主な活動としては「定例会」
「いそっこひろば」
「一時あずかり」
「保育園等の送迎」
などです。
今日拝見したのは「いそっこひろば」ですから、その他の活動もいろいろあるの
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田
川
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内 田
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川
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田
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川
ですね。でも、やはりこの「ひろば」がメインの活動でしょうね。
「いそっこひろば」は設立総会から 2 年後に開催しました。
えっ、そうなんですか。組織が発足したのと同時に、
「ひろば」も始まったのでは
ないのですね。それはどうしてですか。
「ひろば」開催にあたっては、解決しなければなら
ないいろいろな問題がありました。どこで開催する
かという会場の問題もその一つでした。開催するこ
とになっても初めのうちは会場が固定せず、磯子区
社会福祉協議会の「多目的研修室」を中心に、
「杉田
地区センターレクホール」や滝頭・屏風ヶ浦にある
横浜市の施設の中で、その月に利用できるものを借
りました。ですから会場を確保するのが一仕事で、
スタッフが交代で東奔西走しました。4 年ほど前か
らは磯子センターとの協同事業と言うことになって
会場の心配が無くなりました。
「ひろば」の活動内容は、この記事の 1~3 ページの写真を見れば読者も何となく
分かると思うのですが、念のためにもう少し詳しい内容をお話頂けませんか。
「ひろば」は毎月第 4 水曜日の 10 時~12 時に、磯子センター4 階の練習室で開き
ます。参加は事前に申し込みをし、当日参加費 100 円を払います。毎回の参加者
は幼児 10~15 名くらい、それに当然母親が幼児に付いていますから、参加者はこ
の倍になります。毎回の「ひろば」は 10 名の担当スタッフが、全体指揮・受付・
保育・司会・書記・おしゃべりタイムの進行役などに分かれて運営します。
今日も拝見していると、全体の流れがきわめて自然にスムースに流れていますね。
見ていると代表の内田さんは歌唱の他はほとんどなにもしないですね。でも代表
が何もしなくてもこれだけの運営が出来るのだから立派です。
「ひろば」に参加した保護者と子どもの数は年間 180~200 名で、会場の広さと参
加人数はちょうどよい状態です。毎年 3 月に次年度の「ひろば年間計画」を作成
し、4 月の定期総会で決定します。定例会でその月の運営担当を決め、毎月の活
動ではリズムに合わせて身体を動かしたり、童謡・簡単なおもちゃ工作・読み聞
かせ・しゃべり場などを行います。
「しゃべり場」ではタイムリーな話題を話し合
い、スタッフが進行の手助けをします。
皆で歌ったり遊んだりするのも楽しいが、特に重要な活動は「しゃべり場」とい
う活動ですね。私達が子どもの頃は、田舎はもちろん都会でも祖父母・両親・子
ども達の三世代同居が一般的で、一世帯 7~8 人が暮らしていました。そうすると
お嫁さんとしては舅・姑と同居で気苦労もあるが、一方では子育てに関わる様々
な知恵を、年寄りから学ぶことが出来ました。現在はほとんどが核家族なので、
気楽である半面、経験して得られるいろいろな生活の知恵を教えてくれる人がい
ません。だから若いお母さんは、教わる人相談する人がいなくて大変でしょう。
その点で、この「おしゃべり場」はこの問題に対する非常に有効な解決策と思い
ます。今日は楽しい集会を見せて頂いてありがとうございました。(H.26.7.23)
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今 の 教 育 界 や 学 校 で は
「統括校長」と 「外国との交換授業」
語り手
聞き手
森東小学校 山崎 信也 校長 ( 昭和 53 年卒 体育)
磯 子 支 部 黒川 鈴谷 (昭和 35 年卒)
山 崎 校 長 さ ん
以下に記したのは、前号に載せた森東小山崎校長さんの話の後半部分です。現在の教育界
及び学校に関して、興味のある内容なので引き続いて掲載します。
黒
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崎
黒
川
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崎
黒
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黒
川
山
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崎
川
先ほどお話に出て来た「統括校長」のことをちょっと伺いましょうか。
この制度が出て来たのは、東京が初めです。その時、東京の現場では「同じ校長
なのに統括校長とそうでない校長と、職階をつくるのはおかしいだろう。これは
飲めない。
」という考えが出てきて、東京都と東京の小・中校長会とうまくすり合
わせが出来ず、二年ほどたな晒しになっていたのです。
その後、困難な課題を抱えて大変な学校の校長や、千名を超えるようなマンモス
校などの校長を統括校長とし、給与にも反映するという考えが委員会から出され、
校長会も「それなら分かる」と言うことで東京では実施されました。
横浜の場合は、この話が出た時「給与体系には反映しない」という話だったので
「それなら統括校長などは、いらないのでは」という議論も出ました。結局、委
員会の種々の施策を受けて、それを各区の校長に下ろしていく役職として統括校
長が創られました。この制度がスタートしてから 8 年目になります。
しかし従来から各区に校長会の会長がいますね。私達の時代には代表理事と言っ
ていましたが。この組織を通してということでは駄目なのですか。
校長会という組織はあくまでも任意団体ですから、委員会としては職制の中にき
ちんと位置づけられた役職が望ましかった
のでしょうね。
これまである校長会と、統括校長との関係
はどうなっているのですか。
横浜の場合、校長会と市教委が対峙してい
るような関係ではありません。ですから校
長会と市教委との間の風通しを良くして置
いた方が良いという考えでした。だから校
長会が統括校長を推薦するという形で無く
森 東 小 校 舎
市教委が指名するという形になっています。
なるほどよく分かりました。市教委として は任意団体である校長会とは別に、そ
の施策を直接各区に下ろしていく職制を作りたかったということですね。
そうでしょうね。でも実質は各区が統括校長で動いているわけではありません。
そうだろうと思います。区でも市全体でも、校長会の組織を使った方がうまくい
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山
崎
黒
川
山
崎
黒
川
山
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黒 川
山
崎
黒
山
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崎
黒
山
川
崎
くでしょうね。ところで統括校長と言うのは各区に一人なのですか。
そうです。小学校の場合、磯子区は岡村小の斎藤校長です。市の校長会では統括
校長を自動的に区の校長会の会長とか理事にしているのですが、斎藤校長は他に
も幾つかの役職を持っていて大変なので、磯子区の理事は屏風ヶ浦小の渡邉校長
がやっています。
お話を伺って、昔とは違ういろいろな事情が少し分
かってきました。今までにお聞きしたことは、いず
れもなかなか大変な事情のある話なので、この辺り
で子どもに関係のある少し楽しい話題に移りたいと
思います。
先日、お電話した時にお聞きしたのですが、森東小
ではオーストラリアの小学校と交流授業をされてい
るということですが。
森 東 小 校 庭
オーストラリアのビクトリア州にある、イーグルポ
イントという町の小学校と交流しています。場所はメルボルンの近くで、近くに
キングスレイクという湖がある海沿いの町です。
メルボルンの近くと言うと、オーストラリアでもずっと南の方ですね。こんな遠
い場所の小学校と交流することになったきっかけは何なのですか。
全連小という組織がありますね。全国の小学校長会の連合組織です。そこで庶務
部長をやっていた横浜の校長さんがおられて、その方が毎年海外研修の企画もさ
れていました。ある年にオーストラリアに行くことになって、横浜の校長の主だ
った方に一緒に行かないかと声をかけたのです。それで何人かの校長がオースト
ラリアに行きました。その時に、このイーグルボイントの学校から「当校では日
本語教室をやっているので、日本の学校と交流しませんか」という話があったの
です。私はそのときの旅には同行しなかったのですが、後からその話を聞いて、
ではうちがやろうと引き受け、二年前にスタートしました。
オーストラリアは対日貿易が盛んですから、日本語を学びたいという気持ちもあ
るのでしょうね。しかし私などはアナログ人間だから、何千キロも離れた場所と
どうやって交流授業をやるんだと思いますね。東京・横浜間とは違いますからね。
やっぱりパソコンを使うのですか。
そうです。50 インチのテレビ画面を使ってオン・タイムでやります。画面の 2/3
くらいの大きさに相手の学校の児童が映り、1/3 の大きさに本校の児童が映ります。
オーストラリアの相手の学校の画面には、逆に本校の児童が大きく映り、自分の
ところの児童が小さく映ります。
オーストラリアだから、経度の違いはほとんど無いので時差はありませんね。
そうです。その点はやりやすいですね。10 時 45 分から 45 分間交流授業をやり、
次の学年が 11 時 45 分から 12 時 30 分までです。
全学年が参加しているのですか。
現在は 5,6 年が二週間に一回の割合でやっています。まず高学年からスタートと
いうことで。
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黒
山
川 子どもたちは喜ぶでしょう。
崎 それは喜びますよ。
何千キロも離れた所と同時進行
でやるのですからね。うちの学校は毎年二月末に
フェスティバルをやるのですが、その時には体育
館に大きなスクリーンを作ってそこに交流授業の
様子を映し出しました。向こうの校長さんが画面
に出て「フェスティバルおめでとう」とスピーチ
オーストラリアの右下、赤丸の部分が
をしてくれました。
イーグルポイント校のある場所
黒 川
それは楽しそうですね。ふだんの授業では具体的
にはどんなことをやるのですか。
山 崎 うちの学校がホストの場合には、ちょうどワールドカップの季節なので、参加国
のユニホームの色をクイズにしました。例えばある国のユニホームを見せて、
「ホ
ワット カラー イズ ジス?」とこちらが英語で言うと、向こうがまず日本語で「何
色ですか?」と言って、その後英語で言います。その後でもう一回「これは何色で
すか?」と聞くと、向こうが「黄色」と答えたりします。
黒 川 向こうの児童は日本語で答えるのですか。
山 崎 日本語で答えたり、英語で答えたりしま
す。私達はそれを録画しているので次の
週にそれを見て、例えばイエローはああ
いう風に発音するのかと学習するのです。
黒 川 いやあ、面白いですね。だいたい分かり
ましたが、やはり本当のところは実際の
授 業 に 使 っ た カ ー ド
授業を見ないと分かりませんね。今度、機会があったらぜひ拝見したいものだと
思います。ところで交流授業には準備が必要と思いますが、それは誰がやるので
すか。
山 崎 交流授業をやる学級の担任が準備します。
黒 川 えーっ、それは大変ですね。私が今現職だったら務まりませんね。ところで此の
授業に使う時間数などは、どのようにカウントしているのですか。
山 崎 いま教育課程では総合学習の時間として、一般的には年間 35 時間を宛てています
が、本校では年間 50~55 時間を宛てています。
黒 川 いや、今日はお忙しいところをいろいろお話を聞かせて頂きまして、ありがとう
ございました。前半の「再任用制度」の話は定年の延長にからむ大変な話で、後
半の「外国との交流授業」の話は楽しい話ですが、どちらも時代の変化に伴って
生じたという点では同じだと思います。現場から遠ざかって久しい私達が知らな
いことを語っていただいて、本当にありがとうございました。
編 集 後 記 (H.26.9.28 黒川記)
今回も編集後記のスペースが無くなってしまいました。
「それならページ数を増やせばよ
いではないか」との声が聞こえそうですが、だんだんと馬力が無くなってそれも出来ませ
ん。今号が 19 号ですが、そろそろ限界かなと思います。出来れば 20 号まで行きたいと思
うのですが。疲れると蕪村の「これきりに小道つきたり芹の中」という句を思い出します。
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