富山商船高等専門学校の歴史

富山商船高等専門学校の歴史
(History of Toyama National College of Maritime Technology)
☆明治31年 :私立新湊海員養成所
汽船の出現により海技免状の取得を希望する者が増加したため、冬期間だけの海員養成所が誕生
した。
第1回新湊海員養成所~第7回新湊海員養成所まで新湊演武場,清水弥三右衛門宅,牧野又四郎
宅,渡辺清八宅等で10月頃~2月頃まで開催された。
☆明治39年 7月 3日:新湊町立新湊甲種商船学校
敷地250坪,建坪40坪の南島間作(みなみじままさく)氏の別荘<放生津町字神保寺344番>
を仮校舎として、航海科25名を入学させて開校した。
図1 新湊町立新湊甲種商船学校創立当時の仮校舎があった場所
南島氏別荘跡地の現在の様子(八幡町3丁目奈古中学校前、2004年 8月撮影)
「新湊町立甲種商船学校発祥の地」記念碑
富山商船高等専門学校 創立百周年記念碑(2006年7月3日建立)
(旧奈古中学校西門の外に設置,2012年10月撮影)
※ 南島氏別荘所在地についての調査結果(クリックで詳細報告を表示)
☆補足 (地図表示ページへ)
富山商船高等専門学校の70年史年表では、明治39年に南島氏の別荘を仮校舎として新湊町立新湊
甲種商船学校が開校し、その場所は放生津(神保寺)318番となっている。しかし、富山地方法務局
射水出張所の旧土地台帳では、明治40年頃、放生津318番は放生津町所有になっており、地目は田
であり、現在は、放生津小学校の敷地になっている。
放生津町所有の水田に南島氏の別荘が建っていたとは考えにくいので、富山地方法務局の旧土地
台帳、新湊町宅地全図、本校70年史等により調査したところ、内川に架かる二ノ丸橋を奈古中学校
側へ渡った所の北側で現在は名田家・佐賀野家・桐木家・皆川家・卯尾田家・角谷家・荒木家等の
敷地になっている一角であることが分かった。
また、本校技術職員(坂口克彦氏)によると、「昭和44年3月に現在の校舎へ移転する前までは、
図1の新湊甲種商船学校の仮校舎が建っていた場所に木造2階建ての記念館が建っており、玄関を
入った所に帆船の模型が展示されていた。」とのことである。このことからも、新湊甲種商船学校
の仮校舎がここに建っていたことが推察できる。
☆明治41年 1月 8日:放生津小学校旧校舎へ移転
放生津小学校が新築移転し空き屋となったので、その校舎を補修して移転。
(放生津1096番の2へ移転)
☆補足 (地図表示ページへ)
旧放生津小学校は、現在の新湊市神楽橋を南から北へ渡った所にある山王町公園の一角にあった。
富山商船高等専門学校70年史によると、放生津小学校の跡地(放生津1096)へ移転したと記載され
ている。富山地方法務局の旧土地台帳によると、当時、放生津1096番地は、1096番の1と1096番の2
に分かれており、1096番の1は、柴屋彦兵衛氏の子孫である柴彦二氏の宅地となっており、1096番
の2は、放生津町所有の学校用地となっている。更にここは、昭和12年に放生津1097番地へ合筆さ
れ現在に至っている。そして、放生津1097番地は、2004年現在、姫野病院の隣の山王町公園になっ
ている。
又、現在姫野病院が建っている場所は、昔の柴屋彦兵衛宅の跡地であり、1803年 8月 3日に全国
測量中の伊能忠敬ら8名の測量隊が宿泊し、新湊の測量家石黒信由が訪ねて、天文和算・地理等の
話を行い伊能忠敬と懇親を深めた場所である。
この時伊能忠敬らに出された夕食の献立が記録に残されており、道の駅新湊のレストランでそれ
を再現した「伊能忠敬の落着き弁当」が提供されている。
新湊町立新湊甲種商船学校があった場所の現在の風景(放生津1097番,2004年 8月撮影)
☆明治42年 4月 1日:富山県立商船学校
県立の商船学校に昇格した。
☆大正 9年11月20日:新校舎へ移転
大正8年5月に新校舎を起工し、大正9年11月に新校舎完成。
そして、新校舎へ移転(新湊町荒屋字神保寺357番)した。
この場所は現在、奈古中学校の敷地になっている。
大正9年~昭和44年まで富山商船学校があった場所(現在の地番:新湊市八幡町3丁目897番)
<現在は旧奈古中学校跡となっている,2004年 8月撮影>
☆補足 (地図表示ページへ)
見る新湊近代百年の小史(新湊市制施行20周年記念)には、本校が大正9年に放生津375番地へ
新築移転したと記載されているが、富山地方法務局の旧土地台帳によると放生津字神保寺375番地
は、昭和13年まで放生津町(放生津区会)所有の田となっており、昭和13年以降は日本高周波重工業
へ所有権が移転しており、学校敷地ではなかったことが分かっている。
<富山地方法務局の旧土地台帳(放生津375)参照>
又、本校70年史には、新湊町放生津357番地に移転と記載されているが、富山地方法務局の旧
土地台帳によるとこの地番は、大正9年6月に放生津から荒屋へ編入され荒屋字神保寺357番地
となっている。
☆昭和14年 4月:機関科を設置
☆昭和14年 8月:官立富山商船学校
本校は、鳥羽・粟島・弓削・広島・大島・鹿児島の商船学校と共に、文部省へ移管され官立富山
商船学校となった。
☆昭和17年 1月10日:逓信省へ移管
☆昭和18年11月 1日:運輸通信省の所管
逓信省は、運輸通信省へ改組され運輸通信省の所管となる
☆昭和26年 4月 1日:富山商船高等学校
文部省に移管され、学校教育法第1条による富山商船高等学校となる。
☆昭和32年12月 :第1世若潮丸竣工
校内練習船若潮丸(18.5屯)が竣工
☆昭和40年 3月 :第2世若潮丸竣工
校内練習船若潮丸(136屯)が竣工
☆昭和42年 6月 1日:国立富山商船高等専門学校
国立富山商船高等専門学校に昇格
☆昭和44年 3月 :新築校舎へ移転
新湊市海老江練合1-2に校舎を新築し、3月に移転が完了した。
☆昭和45年 3月20日:第3世若潮丸竣工
校内練習船若潮丸(301屯)が竣工
☆昭和60年 4月 1日:情報工学科を設置
航海学科2学級を航海学科1学級と情報工学科1学級に改組
☆昭和63年 4月 1日:商船学科・電子制御工学科を設置
航海学科1学級及び機関学科1学級を商船学科1学級 (航海コース・機関コース)及び 電子制御
工学科1学級に改組
☆平成 7年 9月14日:第4世若潮丸竣工
校内練習船若潮丸(231屯)が竣工
☆平成 8年 4月 1日:国際流通学科を新設
☆平成16年 4月 1日:独立行政法人国立高等専門学校機構富山商船高等専門学校となる
☆平成18年 7月 3日:創立100周年を迎える
平成18年10月19日(木)に新湊中央文化会館で創立100周年記念式典を挙行
☆平成21年10月 1日:富山高等専門学校の誕生
富山商船高等専門学校と富山工業高等専門学校が統合・再編、名称を富山高等専門学校とする。
これにより、富山商船高等専門学校の敷地は富山高等専門学校射水キャンパスとなった。
☆ 謝辞
本校創立時の場所を調査するにあたり、貴重な助言をして頂いた新湊市役所職員、及び土地台帳等の
閲覧にあたり協力して頂いた富山地方法務局射水出張所の職員の皆様に心から感謝の意を表します。
作成年月日:2004年09月01日,作成者:河合雅司